晴れの日の瘡蓋【第十話】
距離感
1
マコトと過ごした高校生活最後の夏。
どうもしっくり行かないまま新学期が始まってしまった。
彼女は相変わらずのようにも見えたけど、いざ向き合うとお互いどうも噛み合っていないように思えて仕方がなかった。
その原因が何なのかよくわからない。
ただ言えるのは、アルバイトを始めてから彼女のことを気難しく思うことが多くなったと言うこと。
正直、彼女の気難しさに面倒臭さを感じずにはいられなかった。
マコトをこんな風に感じたのは初めてだった。
そう感じたのは明らかに私の気持ちが変化したからだろう。
この時の私はマコトよりも真木瀬君といる時間が長くなっていた。
今思えば、親友と向き合っていなかったのは私の方だった。
家族同然になっていたマコトを、それこそ反抗期のように突き放そうとしていたのだろうか。
嫌いではないからどうしたらいいのかわからなくなる。今でもそうだ。
これが家族というものなのかもしれない。
私のような正常ではない家庭で育つとこう言うことがまるでわからない。
私という人間は家族を持つべきじゃないのかも。時折そんな風に考えることがあった。
だから早く独りになりたかった。高校を卒業したら完全に独りになる。将来家族なんて作らない。
ずっとそう決めていたんだけど、専門学校の学費もアパートの家賃も生活費も全てお父さんが出してくれている。
家を出て自分の力でやって行くなんて、口では大層立派なことを言っていても、実際は親のスネを齧りっぱなしだ。
私は自分という人間がとてもワガママで、自分勝手でどうしようもないことを承知している。
自分の力では何一つ解決しようとせず、いつも人に頼ってばっか。
そのクセ頼られると非力なのに断ることが出来ない。
結局自分の力が足りず誰か他の人にその責任を丸投げしている。
一番の被害者はマコトだ。
きっと今の状況を彼女が一番嫌がっていることは重々承知しているのに、私はまたこうして自分勝手に振る舞っている。
「もしもし?サクラさん?聞こえる?」
「え?聞こえてるよ。」
「もう俺とは話したくないのかと思った。」
「そんなことないよ。今、高校の頃のこと思い出してた。ほら、私たちが出会った頃のこととか。何か自分が嫌になってきた。」
「え?何で?」
「いや、私って今日までずっとバカなことばっかりしてきちゃってなあって思って。」
「バカとか。そんな事ないよ。何でそんなこと言うの?」
「・・・ねえ、マコトのこと、どう思ってる?」
「・・・笹之辺のこと?アイツあり得ないよ。俺まだ傷ついてるんだぜ。多分一生許さないと思う。」
「・・・そっか。傷つけたよね、私。」
「何言ってんの?」
「さあ、私何が言いたいんだろ。」
「あのさ。」
「何?」
「俺達出会っちゃって本当に良かったのかな?」
「・・・真木瀬君はどう思うの?」
「俺は、良かったと思ってる。」
「そう。」
「でも、サクラさんのこと考えるとわからなくなってくるんだ。」
「どうして?」
「だって、こんな事になっちゃってさ、本当に、ごめんなさい。俺、何て言えば良いかわからないんだ。多分・・・」
「ねえ、ひとつ聞いてもいい?」
「はい?」
「何があっても私を・・・・・」
私はふと我に返って電話を切った。
また自分勝手が出てしまった。
大切なことを言おうとするといつも臆病になる。怖気づいてしまう。
今、自分がどのような状況にあるのかさえ、まるで他人事のように振る舞っている。
本当に自分が大嫌いだ。
2
順調な滑り出しとは言えなかった新学期。
私とマコトの歯車は少しずつ噛み合わなくなっているのを感じていたけど、それでもマコトは無理矢理合わせようとしていた。
これには歯痒さを感じずにはいられなかった。
急に明るくなり精一杯の気遣いを見せたかと思うと、今度は打って変わってそっぽを向かれる。それの連続だった。
まるでそれは私との距離を測っているかのようにも思われた。
こうしたことに彼女の変化を感じずにはいられなかった。
私はと言えば相変わらずを演じる日々。何にも変わってないフリをするしかなかった。
変わってしまったのは明らかに私の方だった。
そのことでマコトは相当困惑したのだろう。
彼女に近づけば近づくほど離れて行く感覚だった。
置いてけぼりにされたのはマコトか、それとも私か。
多分私たちはすべてのものから取り残されてしまったのだろう。
世界はいつも真っ黒だ。何かを思うことで世界は開かれる。ただそれを信じるしかない。
高校二年にもなれば周りは進路についてあれこれ考え始める。
ひとりまたひとりと私から同級生がいなくなって行くようだった。
みんな私の知らないところで大人になっていく。
私には考えが及ばない。
何も考えてない私だけ取り残されているのは当たり前の話だった。
こんな時、流れに乗る術を持っていれば、もっと人生が楽になっただろうと思う。
私には未来なんて信じられない。今が私のすべてだった。
幸せについて考える暇もなく時間だけ過ぎ去ってしまった。
その時その時の感情に身を任せて、自分というものを長らく放ったらかしにしていた。
それで結局は人に迷惑を掛けることになる。
私はどこにいるんだろう。
大人になった今でも自分が解らずにいる。
多分私たち子供のままだ。
私たちこのまま幸せになれるのだろうか。
マコトと見上げていたあの頃のような青空はもう見ることは出来ないような気がする。
いつからか見上げる空は雨雲に覆われている。
君といて雲が晴れなかったのは、きっと私の心が雨模様だったからだろう。
だから君のことを受け入れることが怖くなってしまって、私は逃げ出してしまったんだ。
真木瀬君と会うときは曇りの日が多かったような気がする。
ああ!いつもはっきりしない!
過去も今も未来も真木瀬君も!
マコトがいないと頭がこんがらがってくる。
ほんの少し確かなものがあれば私はこれから先を見ることが出来るのだろうと思う。
ただすべてが磨りガラス越しに見た景色のように形を成していない。
嫌い!とにかく自分のすべてが嫌でどうしようもない!
お母さんはきっと私のことが邪魔で邪魔で殺してしまいたいほど憎かったのだろう。
今、私にはその気持ちが痛いほどわかる。
貴方を受け入れた瞬間に私は醜く変わってしまったんだ。
痛みの向こう側にいた貴方は輝いていた。
貴方を知ったとき、とても気持ちが良いと思った。
愛されてるって思った。
でもそこにいたのは私じゃなくって、お母さん姿だった。
それを知ったとき、私は貴方を憎いと感じた。
もう手遅れだった。
もう終わりだ。
3
「咲良!」
叫び声に似たその声で我に返った。
声の主に右腕を強く掴まれ、私は手の力を失う。
手から何かが転がり落ちる。鈍く光っていた。
数秒見つめていたら、私の脳ミソはようやくそれをカッターナイフであることを認識した。
腕を掴まれたまま後ろから、まるで羽交締めにされる様に抱きしめられた。
「この大馬鹿やろう!」
怒号に似た叫び声の主を確かめようと振り向くと、そこに鬼の様な顔をしたお父さんがいた。
ミゾオチらへんに違和感を感じる。
着ていたキャミソールは脱ぎ捨てられ、自分が上半身下着姿であることに気づく。
胸の下から縦に数センチほど皮膚が切られ、生温かいものがこぼれている。
それを見ていたら涙が溢れてきて止まらなくなった。
晴れの日の瘡蓋【第十話】