病のようで、愛

 暑さがじっとりと身体に纏わりつき、動くことさえ億劫になるようなころ。猛暑は過ぎたものの、まだまだ夏は去らぬとばかりに無駄に俺の意識を朦朧とさせる。
 床に放置した携帯電話から、流行のアーティストの曲が流れ、メールが届いたことを知らせるが、取りに行くのも面倒だった。もう来ないとは分かっているが、彼女からのメールだとしたら、更に俺の気分を陰鬱とさせるだろうし。
 俺がある女――水城千奈美に付きまとわれ始めたのは、今年の春からだった。クラス替えで新たなクラスメイトと連絡先を交換し合っていたときに、彼女からメールアドレスを教えて欲しいと言われ、断る理由も無かったので、その場でアドレスを交換したことが始まりだった。
 違和感を覚えたのは、次の日からだ。「今、誰と何してるの?」「智久くんを見たよ。○○駅で。家、近いんだね」こういったメールが、頻繁に届くようになっていた。最初は、大して仲良くねえくせに変な奴だなと思いながらメールを返信していたのだが、次第に内容は過激になっていった。「智久くん、昨日朝まで部屋の電気付けっぱなしだったでしょ。何してたの?」「今日智久くんが知らない女の子と喋っててびっくりしたよ。あの子部活の子じゃないよね。誰?」その頃から学校でも、知らぬ間に隣にいたり、俺が部活で夕方校門を出たところ彼女いわく偶然出くわしたりと、やたらと干渉してきたのだった。一度、あまりに付きまとうのが鬱陶しく、もう俺に関わるなと伝えると、奴は泣きながら謝ってきた。――ごめんなさい、私、智久くんのことが好きだから、他の人と喋ってるの見ると、不安でしょうがなくて。それを聞いた俺は、好意を言葉として告げられたことに驚きつつ、そうだったのかと納得しただけで、返事らしい返事もしなかった。こっちが申し訳なくなるくらいにごめんなさいを繰り返す彼女に圧倒されてしまったのもある。だが、その時にはっきりと断るべきだった。今となっては後の祭りだが。
 俺の無言の反応を肯定とみたのか、その後もストーカーのような行為は続き、気付けばあの二人は付き合っているということにさえなってしまっていた。そして、俺もとくに文句を言うわけでもなく、しかし関わる訳でもなく・・・・・・簡単に言ってしまえばあの日以来何もしていなかった。話しかけられれば応えるが、それ以外は無干渉だ。メールは、あの日怒ったときから格段に減ったが、それでもこない日は無かった。
 周りはそんな俺を、羨ましいだとか、お前には勿体ないだとか言うけれど、こちらからすればどういう見方をしたらそんな感想が出てくるのかと問いたいところだ。
 しかし、そんな陰鬱な気分を撥ね退けるような出来事が起きたのだった。

 とある放課後の教室。俺は同じクラスで同じ部活でもある絵咲茜に呼び出されていた。絵咲は、普段は部活中邪魔だからと結われている髪をその日は珍しく下ろしていた。
 用事ってなんだよ、と聞くと、絵咲は数秒視線をさまよわせ、そして震えた声で小さく、「智久のことが好きだから、付き合って欲しい」と告白した。俺は数秒惚けて、意味を理解し、そしてあの女のことなど微塵も考えず、返事を口にしていた。
 俺と絵咲が付き合ったという事実はあっという間に広められた。最初は例の女はどうしたのかと散々聞かれたが、もともと付き合ってないし、あちらの一方的な干渉だったため、すぐに何も言われなくなった。
 そして例の女――水城は、俺が絵咲と付き合ったその日から、ぱったりと姿を現さなくなっていた。普段なら帰宅時間を狙ったかのように送られてくるメールも来なくなったし、何しろ学校にも来ていないという。だが、これでやっと鬱陶しい束縛から逃れられたのだと思うと、安堵の溜息がこぼれた。さすがに彼女がいるとなれば、付きまとうような真似はしないだろう。はっきりと断れなかったことに罪悪感が無いと言えば嘘になるが、そんな些細なことは今の俺にとって全くどうだって良かった。

 ふと壁時計を見ると、時刻は深夜の二時を指していた。明日は午後からの用事しか無いので、まだ起きていても充分間に合う時間に起きられるだろう。そう思いマンガを片手にベッドに横たわるが、ふと窓を打つ音に気付き外を見ると、雨がぽつりぽつりと降り始めていた。そういえば、休日は雨が降るだとかテレビでやってたんだっけ。雨は、なぜか不安な気分になるから好きではない。この時期なんて尚更だ。
 次第に強くなる雨音を聞きながら、俺はいつの間にか眠っていた。

 ダンダンと扉を叩く音で、意識が覚醒した。親が部屋のドアを叩き起こそうとしたのかと考え、しかし土曜は仕事でいないことを思い出す。外を見ると、土砂降りの雨のせいかどんよりと暗い。時計の針は十時を指していた。
 断続的に音は続き、今にも扉を壊さんばかりの勢いだ。どうやら玄関の扉を叩く音のようだ。でも、一体誰が?
 恐る恐る覗き窓を見ると、女が無表情でドアを叩いている。
 そして、ぞわりと背中に悪寒が走った。水城だ。あいつが、一心不乱に扉を叩いていた。
 俺は恐怖で叫びそうになったが、同時に怒りも込み上げてきた。前からおかしいと思っていたが、まさか家にまで来るとは!
 俺は思いっきり扉を開けた。ぶつかったのか、水城が痛い、と声を漏らす。
「お前、何で俺の家知ってんだよ! もう付きまとうんじゃねえよ!」
 怒鳴ったあと、俺は気付いた。こんな土砂降りの雨なのに、水城は傘もささずにずぶ濡れだった。滴る雫がぼたぼたと玄関を濡らす。
「えへへ、久しぶりに会えたねっ? 私会えなくてとっても寂しかったんだから!」
 言葉に愛情と歓喜を滲ませ、先程俺が怒鳴ったことなど無かったように満面の笑みで俺に近づく。
「智久くんに一つだけ聞きたいことがあるんだ! 答えてくれたら帰るよ? えっと、絵咲さんだっけ。あれと智久くん、付き合ってるって聞いたんだけど。――・・・・・・なんで?」
 なんで? こっちが聞きたいくらいだ。どうしていまだ俺に付き纏うんだ。怒りは言葉となって、流れ出した。
 「なんでもなにも、お前には関係無いだろ。おかしいんじゃねえの、もう俺に一切関わんなよ」
 そう言い切ると、水城はなぜか悲しそうに微笑んだ。そっか、そうなんだ、とぶつぶつ呟いている。その姿は異様で、俺は本気で警察に通報しようかと考える。そのとき、水城はぼそりと言った。
「・・・・・・じゃあ、私帰るよ」
 そう言うと、顔を俯かせる水城。妙にあっさりとした言い方に呆気をとられたが、同時に安堵する。しかし、ほっと息を付いた瞬間突然水城は突然顔を上げ俺に迫り、何かを取り出した。
「・・・・・・智弘くんと、一緒にね?」
 途端に腹に鋭い痛みを感じ、視界にはニタリと笑みを浮かべた水城が――・・・・・・



続く

病のようで、愛

続きます。

病のようで、愛

ある女に付き纏われる主人公。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-08-30

CC BY-NC-ND
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