ALSのルピナスさん

増田朋美

ALSのルピナスさん

 私は、何もない会社員である。男性ばかりのこの職場で頑張って課長になったにはなったが、全く伝わっていかない。男性のなかには、「女はダメだ」という意識がつねにあり、「女はメンスのために、休むからやくただずだ」という人まで言うものまでいた。だからこそ、私は、生理痛があっても、いくら体が痛くても、バファリンなどで、無理やり抑えて、出勤した。営業職として、毎日外回りにいき、契約のノルマもこなした。客からは「おときさん」とよばれ、車の営業ウーマンとして、一生懸命やってきた。
 しかし、私は、何十年働き続け、趣味もなく、料理もできず、休みのひは、一日中寝ている生活をしていた。ある日の事だった。カレンダーに赤丸をつけて、準備をしても血が出なかった。女性のシンボルを失ったのだ。ああ、なんということか、恋愛も結婚も何もしないまま、時が去ってしまい、気づくのが遅すぎたのであった。
性、というものは、汚いものだと思い込んでいたが、そのための、装置を失ったショックはおおきかった。持っているものは、服、金、それくらいなものだった。
 その日から、私は、すっかり仕事への意欲がなくなってしまった。
「おときさんは、どうしたんだろう?」と、むかしからの男性社員も、入ってきたばかりの女性社員も、うわさした。私は、知らない内に、営業現場でも、表情がなくなり、「おときさんは、冷たくなった」と、客からもいわれた。
 私は、仕事に、すっかり身が入らなくなってしまった。夜になると、とてもさびしくなり、歓楽街をうろうろした。
 ある日、携帯電話が鳴った。仕事のことしか、メールがないので、嫌々ながら、携帯電話をあけた。迷惑メールだった。しかし、私は、寂しさのあまり、メールに、自分の名前と住所を打ち込んでしまった。逆援助のメールだった。でも、私は、男性であれ女性であれ、仕事以外、話せる人がほしかったから。
 次の日曜のよる、私は、できる限り若作りをした。もし、生理のない女とばれたら、すべておじゃんになる。厚化粧して、無理やりパーマをかけ、派手なワンピースを着て、駅に行った。メールの男は、加藤とだけなのった。ルックスも何も伝えてくれなかった。逆援助なのだから、私が払う、きっと気弱で、家庭で役に立ってない、寂しがりやで、女の尻を追いかけているのだろう。
 駅についた。若い男女が次々に入れ替わりしていた。その男は、きっと仕事でつかれたサラリーマンだろう。
「おときさんですね。」と、男性の声がした。
私は、後ろを振り向いた。聞き慣れない男と一緒に男性が現れた。その男性は、車椅子に乗っていた。鼻からチューブで酸素をいれていた。
「加藤正孝です。」
「実籐ときです。」私は、おそるおそるいった。
「おときさん、よろしくおねがいします。」
「あ、あなたはどうして、そ、そ、そんな体なのに、あんなメールを私にくれたんですか?」
「おときさんが寂しそうだったから。メールを送ったのは、僕の弟だったんです。ところが弟は、学校から呼び出されましてね。兄の僕が代理で参った次第ですよ。」
私は、困ってしまった。こんな男に、性交渉などできるはずがない。ああどうしよう、と思っていると、
「おときさん、もし良かったら、僕の家にとまりませんか、すぐ近くですよ。」
と、加藤さんは言った。
「でも、加藤さん、あなたはご家族が、」
と、私は、断ろうとしたが、加藤さんは、どんどん行ってしまうため、彼についていった。
彼の家は、小さな平屋だった。彼は車椅子に乗っているから、平屋でも、不思議ではない。
「ただいまあ、ちょっとてを貸して」と彼は言った。
はいはい、と返事をして、白髪混じりの女性がやってきた。顔から見て、お母さんだった。
お母さんは、車輪を拭いて、彼を家に入れた。私は、手伝う暇もなかった。
「あなたが、正康がメールした、おときさんね。
どうぞ、お入りください。」
と、おかあさんは言った。私は、その優しい口調に安心して、いえにはいった。
加藤さんは、ビールをのみながら、楽しそうに話した。自分はサラリーマンであり、部長になる直前に、歩きがおかしくなることから、ALSという、病気と診断され、もう筋肉が萎縮してしまい、その内に手も、口も、めも、なにも動かなくなってしまう、と語った。でも、働いてもいないけれど、「世の中をもっと美しくするために、何かしたい」という思いを常に持っていた。
「弟さんはどうして。」
私は、憤りながらきいた。
「仕方ないですよ。まだ高校生ですから、愛情がたくさん必要なときに、僕がこの体になりましたから。グレたってあたりまえです。僕が、死ななきゃ、解決できない。」
と、加藤さんは、いった。
「加藤さん、実はわたし、もう五十で、メンスもありません。汚い話でもうしわけない。わたしも、嘘をついていました。でも、こんな歳になりましたから、最初で最後の恋愛だとおもうんです。」わたしは、正直に話した。
「僕もそう思います。僕は、25ですが、この体になりまして、もう女性と話すことはできない、でも、正直いいますと、女に興味を持たない男は、いません、だから、返事をしてしまいました。ごめんなさい」
と加藤さんもいった。
次の日、私は、目が覚めた。お客様の布団で寝ていた。加藤さんは、介護用のベッドでねていた。
私は、ふと、窓の外をみた。紫やピンクの美しい花が、植えられていた。加藤さんが、目をさました。
「加藤さん」と、私は、言った。
「あそこにあるきれいな花は、なんと言う花なの?」
「ルピナスです。弟が子供のときに、学校の授業で、種を貰ってきましてね。適当に蒔いてみたら、芽が勝手に出てきたんですよ。ずっとほったらかしにしてますけどね。毎年ああやってきれいに咲かせてくれるんですよ。」
「それだわ!」と、私は、言った。
「世の中をもっと美しくするのよ!」
私は、急いで着替えると、花屋に走っていった。
「なんだ、あのおばちゃんは、様子が変だよ」と、小さな女の子の声が聞こえてきた。私は、裸足だったが、全く気にせず走っていって、回転したばかりの花屋に飛び込み、
「ねえ、これで、ルピナスの種を買えるだけ全部頂戴!」とわたしは、一万円を突き出した。店主から十袋、ルピナスの種を買ってまた、全速力で加藤さんのいえにもどった。
「加藤さん、これをお宅の周りに蒔くのよ、そうすれば、弟さんは戻るわ!」
加藤さんとわたしは、いえの周りに、ルピナスの種をまいた。種は余っていたので、道路の両脇にもまいた。
 その後、わたしは、毎日加藤さんのところに通った。一年たつと、ルピナスの花が、一面に咲いた。しかし、加藤さんは、もう口も動かすことはできなかった。目をまばたきすることで、はいと、いいえの合図だけしかできなかった。そして、ルピナスの花が次々に増え続けていくのと反比例して、加藤さんは、衰弱していき、とうとう亡くなった。
 その後、わたしは、会社も定年で退職して、加藤さんの、年取ったお母さんをてつだうなどをしていた。ある日、ルピナスの花をみて、驚いていた、スーツ姿の青年がやってきた。弟さんであった。

ALSのルピナスさん

ALSのルピナスさん

ALSに罹患した、男性が、ルピナスさんと呼ばれるわけ。

  • 小説
  • 掌編
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