Fate/defective c.21
ⅰ
――――随分、時間が経った。
気付けば都会のビル群に切り取られた空は橙色に染まり、飲食店やオフィスの照明の光がコントラストを強めている。黒々としていく建物たちの中にさまざまな色彩の散らばる街中、数多の高層ビルの一つ、その屋上に二つの人影が降り立った。
「カガリ。どうやらそろそろ近いようですよ」
「……そうネ、アーチャー」
カガリは自分を抱きかかえていたアーチャーの腕を解いて、コンクリートの床に立つ。地上の夜景の明かりが、彼女の点々と血に染まる服を微かに照らす。
彼女はそのままアーチャーから離れ、コツ、コツと足音を鳴らしながら屋上のふちを歩いた。その目は地上を冷たく見下ろしている。
数秒だけ間が開き、突然カガリがあっけからんとした声を上げた。
「―――ああ。なんだか疲れちゃったワ! アーチャー、ワタシ達一日中探し回ったのに……もうたくさん!」
カガリはアーチャーの方を振り向く。彼はカガリと目が合うと、ふう、とあきれたように笑った。
「相変わらず子供ですね、あなたは。……まあそれが良い所と言えばそうなんですが。ですが緊張感がまるで無いのも考え物ですよ、カガリ」
「そうネェ。でもワタシこういう性質だし? 最後の一戦の緊張感とか、よく分かんないのよねぇ」
「バーサーカーとの戦いですか。 ……確かに彼は強敵だ。宝具が多く魔力の供給量も桁外れです。しかし―――」
カガリはその言葉を遮るように、にっこりと笑った。
「あなたの必中の宝具があれば、何も心配ないデス! でしょう?」
「……ええ。もちろん」
アーチャーは静かに言った。そして念を押すように続ける。
「矢が当たれば―――の話ですが」
カガリはその言葉に一瞬動きを止めた。そして笑顔から一転、いじけた幼児のように眉を寄せ、唇を結ぶ。
「……ムゥ。自信を持ってください、アーチャー。ここはニッポン。ジャパンですよ? この地において、『那須与一の矢が当たらない』なんて因果は認められない。だから、ゼッタイ必中なんデス! 当たるという結果を先に作って、矢は結果に向かって飛んでいく。これが知名度補正パワーです!」
そう堂々と断言したカガリを見て、アーチャーは「ふふっ」と吐息のような笑い声を漏らした。
「なるほど。貴方の底なしの明るさには参りますね。何とかなる気がしてきました」
「そうでしょうとも!」
カガリはニッと笑った。
しかしすぐにその笑顔を素早くどこかへ消し去る。そして夜景に視線を下ろしながら、いつになく真剣な表情で言った。
「でもネ、ワタシだって底なしの馬鹿じゃないのよ」
「……カガリ?」
カガリは逸らした目をアーチャーに戻すことはなく、静かにゆっくりと瞬きをした。
「アーチャー。きっとこれで最後ネ。聖杯戦争って、もっと長く続くものだと思っていたケド、案外早く終わっちゃうのね。 ―――七日間。たった七日間だった」
「――……」
「アナタはきっとワタシのことをよく理解したでしょう。気ままで、自由で、好奇心の為なら何でもする。一度決めたら意地でもやる。自分の目的の為なら他人も犠牲に出来る――そういう人間で、魔術師で、マスターだと」
冷たい夜風が二人の間に吹く。
「ワタシは聖杯を手に入れる。そう決めたから、ゼッタイよ。……そしてまた次の聖杯戦争を起こす。神秘に触れるために。英霊を知るために。自分の知識欲を満たす為に。可能なら、何度だって繰り返してやる。奇跡を起こす為なら幾度殺し合いをしたって構わない……ねぇアーチャー、ワタシって狂ってるカシラ?」
そう言って、カガリはアーチャーの瞳を見つめた。
アーチャーはカガリの痛いほど真っ直ぐな視線に固唾を呑んだ。主からの問いに対して、答えを間違えればどうなるかは身をもって知っていたからこそ、その視線を末恐ろしくすら感じる。
けれど、口から出まかせを言って適当に機嫌を取るなど、言外だ。
本心しか語らせない―――この魔術師は―――何という人なのだろう。
彼は口を開いた。
「……例えば誰かが、カガリ、貴方を『狂っている』と否定したとして」
「それが、何だっていうんですか? 貴方は今まで自分の信じる道を歩んできた。これからもそうするだろう。犠牲があり、貴方を恨む人も出てくるだろう。
けれど、それが今さら何だというんでしょう? 今さら引き返せるとでも?」
「――――そうね」
彼女は言った。
「引き返そうなどと思ったことは一度だって無い。けれど―――時々、恐ろしく思うの」
「自分が求め続けてしまうことがですか?」
アーチャーは半分咬みつくように問うた。けれどカガリは憂いにも似た冷たい目で、否定を示す。
「いいえ。求め続けることが怖いのではない。ワタシが怖いのは、求め続けて、求め続けて、限りなく求め続けたその先―――『全てを手に入れた後の日々』よ」
「この世界はどこまでも有限だわ。増え続けるもの、満たされ続けるものは存在しない。ならば、どうして知識が、神秘が無限だと言えるの?
ワタシが追い求めるものは、絶対に終わりが来る。投げあげられたボールが最高高度に達したら落ちていくように、どんなに全てを知っても―――限りなく近づいたら、今度は遠のく日々が酷く恐ろしい――――最高得点で時を止めて逃げてしまいたい」
彼女はゆっくりと顔を上げた。微笑いながら。
「だから、その時はよろしくね? ワタシの素敵なアーチャー」
「約束よ」
世界から一瞬音が消えた。
そう錯覚するほど、カガリの双眸は夜景の上で強く光った。しかし次の瞬間には、あっという間にその熾烈な視線を消して、無邪気な女性の顔になる。
「ま、まずは最初に聖杯を手に入れなきゃいけないんですケドね! ワタシったらはしゃいでしまったワ」
そう照れ笑いすら浮かべるカガリに、アーチャーは少し戸惑った目で彼女を見る。
「そう……ですね。カガリ、まずは……」
「エエ。聖杯、取りに行きますか!」
まるで近所の公園に散歩に行くかのような気軽な口ぶりで、カガリは言う。
「では、失礼」
応えたアーチャーが慣れた様子でカガリの体を抱き上げ、宵闇の迫る東京の上空を切り取るように跳んだ。
◆
トッ、と軽やかな音を立てて、アーチャーはカガリを抱えたままその場所に着地した。
辺りは完全に夜に塗りつぶされ、時折少し離れたところから電車が通過する音が聞こえるだけで、人気も少ない。
「ここで合ってますよね? ……なんというか、随分あっけない」
「ま、進んでみるしかないワ」
二人は並んでその門の様子を見た。鉄柵に、石でできた柱が四本並び、人の背丈ほどある門はぴったりと閉じられている。その柱の一つには木の看板が打ち付けられており、「新宿御苑」とその場所の名前を表していた。
傍から見ただけでは普段と変わりないのだろうが、魔術師とサーヴァントである二人は門の前に立った時点で強い魔力の気配を感じていた。
「なんて凄まじい魔力」
カガリは呟いて、ひたひたと門に歩み寄る。その細指が門に触れたとき、緑色の幾何学模様が皮膚の上を一瞬走り、すぐに消えた。
「結界も無い。まるで誰でもどうぞって感じネ」
「しかし、ここから先は黒幕の本拠地と見ました。罠があるかもしれませんから、カガリは僕の後ろを」
アーチャーが言うやいなや、ひらりと門を飛び越えて向こう側へ渡った。黒々とした木々がざわりと風に煽られて静かに蠢いたが、何も起こらない。
その様子を見たカガリが門の外側で声を上げた。
「アーチャー、大丈夫そうよ。行くワネ!」
「あ、ちょっと、まだ―――!」
制止しかけたアーチャーの声をも無視して、カガリの体がひらりと門を飛び越える。その足が新宿御苑の土を踏んだその瞬間、周囲の草や木々が突然うねった。
「キャ! 何?」
「危ない!」
槍のように鋭く尖った枝がカガリの体に向かって飛び出した。間一髪のところで一本の矢がその枝を打ち砕き、破片だけがカガリの体に降りかかる。
見れば、枝だけでなく、木や花や葉――はては草にいたるまで、全てが王城を守る近衛兵のように、武器となり、盾となっていた。
「なるほど。タダじゃ渡さない、そういうことネ。ていうか何て魔力の量なの!? 霊脈を利用して―――」
「カガリ、今はそれどころじゃありません! 理由はどうでもいい、走ります!」
アーチャーの細腕がカガリの体を抱き上げた瞬間、その場所にケヤキの枝が深く突き刺さる。続けて、ズズ、という低い音と共に、木々がアーチャーをめがけて枝の銛を放ち、アーチャーは飛ぶように道なき道を走り抜けた。
「アーチャー、スウェイン派の工房はここの地下にある!」
カガリが叫んだ。アーチャーは眉をしかめる。その間にも、彼の足が空を切り、足を絡めとろうとする植物のつるを蹴りはらう。
「地下って言われても、どこに入り口が?」
「穴を開けるのよ! 一本でいいから矢を放って―――そしたらワタシがやる!」
「ッ……難しい主命だ。ですが、いいでしょう。口を閉じていてくださいね、舌を噛みますから!」
言うや否や、アーチャーは蠢く木々を足場にして一気に跳ねた。そして樹木の頂点より高い高度に達したとき、その右手には引き絞った弓矢が現れる。
短い呼吸と共に、その矢は放たれた。
「いいわ! ――――Einstellung――― Beschleunigungsanstieg, schwerkraftbegrenzte Verstärkung ! 」
その言葉が終わった瞬間、放たれた矢が急激に加速し、一条の流星のごとく木々の群れへ突き刺さり――――ズン、という、地下で火薬が爆発したような低く重い音を立てて、樹木が局所的に崩れ落ちた。落下していくアーチャーの目が、根の隙間に空いた地下への空洞を捉える。
「さあアーチャー! 道は開かれた! 突っ込んでくだサーイ!」
そうして、二人は新宿御苑の地下へと消えていった。
ⅱ
道順など、わざわざあの老魔術師に案内されずとも解っていた。
なぜなら、そこは自分が狂戦士として召喚された最初の地、あの地下の薄暗く清潔な部屋の、さらに深く。
黒幕が聖杯を持っているなら―――隠すのは、自分の腹の中しかあるまい。
寒い。
サーヴァントは、例え熱線の火口だろうが極地の氷河だろうが、環境に体調を左右されることは無い。だから、「寒い」というのも、寒いから困るとか、寒いから不快だとか、そういう類の感想ではない。ただ――寒いのだ。気温が低いというのもある。だがそれ以上に、根本的に何か、生命として、何かが欠落したような―――いやサーヴァントが真っ当な生命を得ているわけではないが――寒さを感じる。
恐れ、だろうか。
違う。辺りは一面の暗闇で、地下へ続く階段はうねっているが、恐怖は感じない。聖杯の魔力の陰に隠れて何か気配がするのか、時折何かが引っ掛かるが、わからない。しかし恐れではない。そもそも、英霊に恐れるものなど何も無い。
目の前が開けた。
永遠に続くかと思われた階段が終わり、入り口が自分を迎える。寒さは極限にまで達していた。人間のように、指先は青白くなり、思うように動かない。剣を握るのも一苦労だ。凍死しかけているかのような足で、その入り口を越える。寒い。魔力の供給が薄いせいか―――も、しれない、だが、―――
そして見た。
巨大な聖堂を模した地下空間の中、自分がいるのはその一番端だ。両側には巨大な柱が立ち並び、荘厳な装飾の窓の外には暗闇だけが広がっている。すべてが、どこからかの仄暗く冷たい色の光で、ぼんやりと浮かび上がっている。音は無く、ただ這うような冷気が襲ってくる。
それを見た。
「あ、れが――――」
「―――――聖杯、だ――――――――」
聖堂の最奥、ひときわ巨大なそれは、予想と全く異なるものだった。
荘厳な銀の器でも、石造の彫られた岩でもない。ましてや、魔力渦巻く、黒い輪でもない。
それは幾万の水晶の結晶体を組み上げて作られた、鉱の器。
見上げるほどに大きく、感嘆の息を漏らすほど精巧な礼装。
一歩近づくたびに、人に作られた欠陥品だという事も忘れて魅入ってしまう。
「ああ―――何という欠陥品―――――――それでも僕は―――――これが―――――――」
欲しい。
膨大な魔力、奇跡に等しい所業。
右手を聖杯に差し伸べる。
たった一人のあの子に、平凡で幸福な一生を送らせても尚、有り余る願望器。辿り着いた。辿り着いた。辿り着―――
◆
「獲らせてたまるもんですか。ソレは、ワタシたちのモノ」
◆
右腕が砕け散った。
「――――――――――――」
常人ならば目で追う事すら不可能なほど速い。それは一本の鏑矢だった。それが、差し出した右腕の肘から下を、装甲を無視して吹き飛ばす。
赤黒い血が、聖堂の床に垂れた。
「――――アーチャー――――忌々―――しい―――」
矢が飛んできた方向を目で追うと、弓兵のサーヴァントとマスターが反対側の壁際に立っている。
距離はざっと五十メートルは離れているか。
「フン、いよいよ狂戦士じみてきたワネ! でもアナタは所詮偽物。狂気に落ちた正義の英雄に、負けるワタシじゃないわよ!」
「……それは、面白いね」
左手に大鎌を握る。軽く地面を蹴って、一気に十メートルほどのところまで間合いを詰めた。視界に入ったマスターは、死人と見まがうほどの顔色で、鼻から血を流している。
何だ。
僕は嗤った。
「最後の争奪戦と行くかい? 戦いとなれば―――寒がっている場合ではないと思うけれど!」
相手は、先ほど強がって食ってかかってきた割には、マスターは自分の腕を抱いて、小刻みに震えている。指先は凍りついたように白く、明らかに手負いだ。
「何言ってるの。アナタもじゃない、バーサーカー! 冷凍死体みたいな顔色ね! そう思わない、アーチャー?」
その瞬間、眉間に向かって矢が飛んでくる。すんでのところで躱し、少しばかり驚愕した。
弓矢をつがえる予備動作がまるで見えなかった―――
昨日の夜、一時だけ追い詰められたのは偶然か。
「なるほどね。アーチャー、中々の腕だ」
「お褒め頂いても、嬉しくも何ともないので結構です。ここで座に帰っていただければ一興というものですが」
そう言いかえすアーチャーの顔色はごく普通だった。どうやらこの謎の寒気は、アーチャーのマスターと自分にしか効いていないらしい。そして、それ以上考えるよりも先に、左手の鎌を振りかぶった。
「ならば始めよう。これが君の最期だ、アーチャー」
Fate/defective c.21
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