僕の最後になって



ボタンを一つ一つ焦らすように外していても背後の男は苛立った様子は見せない。服が脱げるとくすみのない肌があらわになる。肩と腕を通り抜け、布は力なく床に吸い込まれた。
衣服が床に落ちた拍子に内ポケットに入っていた消毒液も床に転がった。白くてやや細長い筒状の丸はだんだん速度を緩めると商品名の裏にある青の小さな文字の羅列を仰向けにして止まる。拾うかどうか考えていると大きな体に後ろから抱きしめられた。彼もまた上には何も着ていない。

「体が熱い」
「……」

彼は指で背中をなぞった。何度も。くすぐったくなって思わず声が漏れると、ぴしゃりと背中を叩かれた。あまり痛くはない。

「…何してるの」
「説明読んでる」

ああ、なるほど
見た目に反して意外と神経質な男なのかもしれない。

「大丈夫だよ。みんな何も思わず使ってる。」

後ろから抱え込まれながら、転がり落ちた消毒液を見つめる。あんなに小さな個体でもいくつもの原料からできている。それよりも自分は単純なはずだ。


「成分表に"ゆかい"が入ってる。そりゃみんなあんたといると楽しそうにしているわけだ。」
「ああ、そうだね」
「でもなんで"さびしい"も入っているんだ」
「知らない」
「"うれしい"もあった」
「…そこは別に読まなくていいから。」

居心地が悪くなって身じろぎをすると、指は腰のあたりに触れた。

「使用上の注意、"用途外に使わない"」
「当たり前じゃん」
「当たり前にしないやつもいるんじゃねえの」

ていうか、正しく使える奴なんかいたのかよ
言葉につまって、それをごまかすように身じろぎをした。
無理やり体を制そうとするでもなく、彼は肩に手を置いた。そしてさりげなく使用上の注意が書かれている腰の部分よりやや上に視線をやる。そこには使用上の用途が書かれてあり、あえて声に出さずに文字を見つめる。
するとふいに文字だらけの背中は向きを変えて、いたずらに微笑みながら首に腕をまわしてきた。

「もういいから。」

そう呟く薄い唇を凝視し、目を細めながら顔を傾けると、首にまで文字がびっしり書かれていたことに気づいた。"どうでもいい"だとか"なんでもいい"とか
そんなこと書いてたらそりゃ誰からも使われる人気ものの商品になってしまうよな
でも、誰も読まないのか

「珍しいよ。そんなに説明文読む人」
「…」


男は以前別の人にも同じようなことを言われたなと思い出した。

あなたが初めてよここなんて誰も見ないで好き勝手に使っちゃうでしょ、で、勝手に文句つけてくるのよ詳細読まない方が悪いのにねえ

ペラペラと、聞いてもいないのに文字に書かれていないことまで喋り出すその女性の使用上の注意には"既婚者"とあった。

もちろん読むのは面倒だ。
なぜだかわからないがそこまで丁寧に書いているなら読まなきゃ失礼な気がするから読んでるだけだ。あくまで。
でも大抵の場合は読まなくてもいい。気にしなくてもいい。見た目だけでだいたいの使い道はわかるのだから、成分表だとか用途だとかは知ったってしょうがないことだ。


だけど、読まないで良いのになぜこんなに見て欲しそうに文字で敷き詰められた体をしているんだろう

唇が触れる直前に、顔をそらして、文字いっぱいの首に額をこすりつけた。首に回されていた腕が簡単に解ける。

用途がかかれたあたりに腕を回し、もう一度力一杯抱きしめた。それはまるですがりつくようだった。

僕の最後になって

僕の最後になって

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-10-29

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