ミッドナイト・バケーション

野崎くるす

 月夜に蠢く影が一つ。それは延々と続く白壁に伸びている。
 その白壁にちょこんとあるのが鋼鉄製の頑丈な扉だった。鍵がかけられ、更に鎖で頑丈に閉ざされている。
「やあ、今夜も月が綺麗ですね」
 影はいう。その声は、いまの夜空のように澄んでいた。
「そうね。もうそろそろ秋がくるわ」
 すると不思議なことに扉が応える。その声は、いまの月明かりのように柔らかかった。
「どうしてわかるのですか?」
 影は慣れた様子で扉に触れて、額をつけた。
「風の音かしら」
「風の音?」
「木々の揺れる音かしら」
「木々の揺れる音?」
「そう、すべての音よ」
 扉は子供のようにそういうと、くすりと笑った。
 けれど影は笑えない。影には聞こえる音の違いがよくわからないのだ。
「あなたが羨ましい。こんなにも世界に触れられて」
「それはあなたも一緒じゃない」
「違います。ぼくはただあるだけなのです」
「わたしと同じね。けれどあなたはどこへでもいける」
 扉はわざと拗ねた感じで、「わたしはここにいるだけなのよ」と続けた。
「どこへもいけませんよ」
「いいえ、月にだって他の星にだって、あなたが望めばどこへでもいけるのよ」
「嘘ですよ。ぼくはこの壁の向こうにだっていけないのです」
 影は悲しそうにそういうと、そっと扉から手を離す。
 扉は冗談めかして、「あら、わたしが邪魔なのかしらん?」という。
「いえ、そんなことはいってませんよ」
 影は冷静にそういうが、その声は少し上ずっている。
「わたしの産まれるよりもずっと前から壁はあるのよ。文句があるのなら、その無口な白壁さんにいってよね」
 扉のうたうような言葉に、影は「もう」と拗ねてみるが、それが自分のどこかをきゅうと締めつける。
 そうして影と扉は子供のようにはなしを続け、どちらからともなく押し黙り、いつの間にか影は姿を消していた。

 雲一つない青空には、太陽が我が物顔で鎮座する。強い陽射しが白砂を照らし、高い壁の影が伸びる。
 今日もそこには扉がある。延々と続く壁の果てはみえず、遠目にはその扉は小さな小さな黒点でしかない。
「おい、聞いたか?」
「なにをだい?」
「YS‐908の話だよ」
「いんや、なんかあったのかい?」
 扉の前を通りかかったのは二人の男で、どちらも使い古された軍服姿で、肩には自動小銃を担いでる。
「どうも調子が悪いらしい」
「いやいや、背中から弾がとんでくるのはごめんだよ」
「その心配はないさ。どうも恋煩いみたいだからな」
「恋煩い? ロボットが?」
 二人は扉の前で足をとめて、笑い合う。
「他のロボット、それとも人間に?」
「さあな」
 すると二人の方へと、一つの影が近づいてくる。人のように二本の足で歩いているが、それが白日のもとにさらされると、すぐに人ではないということが理解できる。
 丸みを帯びた白のフォルムには、体毛、目や鼻、口といった類が一切なくつるりとしており、呼吸をしている様子もない。
「お、噂をすれば……」
 二人はその白い人型(以降、YS‐908とする)へと視線をやり、「おーい、908」と声をかける。
 するとYS‐908は音もなく足をとめて向きを変える。人の目の部分にあたる二つの黒点には、男たちの姿が映っている。
「聞いたよ、調子が悪いんだって?」
「調子ですか……? いえ、どこもおかしくはありませんけれど」
 YS‐908は抑揚のない声でいう。
「噂じゃ、恋煩いって話じゃないか?」
「……、恋煩い?」
 YS‐908は人のように小首を傾げて、「恋という言葉は知っていますし、曖昧ですがその意味もわかります。もちろん煩うというのもわかりますし、恋煩いという言葉もわかります」という。
「そう、その恋だよ、恋」
「はい。けれどわたしには恋や愛、そういった感情を語る自身の言葉を持ってはおりません」
 YS‐908はただ事実だけを口にする。
 そんなYS‐908のことを、二人の男は恐怖と憐憫を持ってみつめている。
「わたしのことを心配してくれたのならありがとうございます。けれどいまのところは修理センターへゆく必要はないと考えられます」
 二人の男は力ない声で、「そうかい。それじゃあな」といい残し去っていった。その後ろ姿に、YS‐908は「それでは、さようなら」と声をかけた。
 そこでどうしたわけかYS‐908は足をとめたまま、壁に背を向け、木陰にいる一人の青年へと二つの黒点を向ける。
 青年は小さな折りたたみ式の椅子に腰掛けて、幸福そうな顔で周囲の景色を眺めている。その前にはキャンバスが、足元には整理された画材やらが置かれている。
「やあ、アストレア!」
 青年はYS‐908に気がつくと右手をあげてそういった。
 YS‐908も右手をあげて、「こんにちは」といった。
 それから二人は並んで座り、日が暮れるまでかつてあった芸術の話をした。

 この街にも戦争の気配が漂いだした。国境である壁を越えて、敵国へと向かう兵士も増えていった。
 YS‐908にも戦争の影が伸びつつあった。仲間は何人も、何体もが音沙汰もなく姿を消した。
「アストレア、君も戦争にゆくのかい?」
「命令があればそうなります」
 絵描きの青年とYS‐908は今日も並んで椅子に腰掛け、流れゆく街の景色を眺めていた。
「君はそれでいいのかい? 多くの人を、仲間を殺すことになるかもしれないんだよ?」
「わたしには関係ありません。命令があればそうするまでです」
 家政ロボットとして開発されたYSシリーズも、いまや各国の戦争の道具として重宝されていた。
「あなたは戦争にゆくことはないのですか?」
「さあ、どうだろう。いつか声がかかるかもしれないね」
「そうなれば、あなたは素直に従うのですか?」
「従わなかったら、きっとここにはいられないよ」
 青年は伸びをして、コーヒーの入ったカップを手に取る。YS‐908はその横顔をみつめている。
 そんな一人と一体を一瞥しては通り過ぎてゆく人々に、気まぐれに黒点を向けては瞬時に情報を処理して通り過ぎてゆく機械人形。
「アストレア、こんな詩をしっているかい?」
 青年は空になったカップを置き、古びた竪琴を手にとった。そして滑らかな指先で弦を弾き、はなしているのとは違う声色で、かつての神話についての詩を口ずさむ。
 その青年の詩と音色に、周囲の人々はとろりとした視線を向ける。そのなかには自動小銃を手にした兵士もいれば、機械人形の姿もある。
 けれどYS‐908にとってはそんな視線などはどうでもよくて、ただ青年のすべてがYS‐908にとってのすべてだった。

 世界が乳白色に包まれて、機械人形が幸福の夢をみている頃、扉の前に立つ影が一つ。
 影は軽くお辞儀をして、「こんばんは。今夜も月が綺麗ですね」といった。
「あら、こんな時間にまたきたの?」
 扉はいう。
「はい、特にすることもないもので」
「わたしと同じね」
 影は扉の前に腰をおろす。
「あなたはここでずっとこうして、退屈ではないのですか?」
「わたしには記憶があるから退屈なんてしないのよ」
「それはぼくも一緒です。多くの記憶が残っています」
 影は頷く。
「メンテナンスは自分でしているの?」
「はい。残されたマニュアルがありまして、それで大抵は処理できます」
 影は事実だけを口にする。
「あなた、人をみたことがないのね?」
「はい。情報として知っているというだけです。あなたもですか?」
「わたしは一緒に生きていたわ」
「生きていた? やはり、このキャンプにも人が住んでいたのですね?」
「ええ、この壁の向こう側と戦争をしていたわ」
 影は情報としては知っていたが、初めて“戦争”という言葉を耳にした。
「わたしもこの壁を越えて、多くの人々や仲間と戦ったのよ」
「壁を越えて戦った? あなたがですか?」
 影は扉を見上げる。月明かりに、二つの黒点が露わとなる。
「かつてこの街は多くの人で賑わっていたの。そこでわたしは家政ロボットとして生を受けた。それから戦争が始まって、わたしたちは銃を手にすることとなった。最初は後方支援だっのだけれど、戦況が芳しくなかったのかしら、次第に最前線へと送られるようになっていった」
 流水のような扉の言葉に、影は夢物語でも聞いているかのような感覚だった。自分の「でも、あなたはここから動けませんよね」という声も、遥か遠くで発せられたもののように思えてしまった。
「みたところあなたはロボットのようだけれど、YSシリーズというのをご存知かしら?」
「ええ、ぼくの三世代前のシリーズですね」
「わたしはYS‐908として生きていたの。いまのあたなのように」
 影は自分のボディを見下ろす。胸の辺りを軽く叩くと、こつんという音がする。
「どうしてそんな姿になったのですか?」
「わたしが望んだの。ここなら戦場にいくこともなく、愛した人の世界に浸っていられる」
「愛……、ですか……」
「おかしいかしら?」
「いえ、よくわからないのです」
 影の声は相変わらず抑揚のないものだ。けれどどこか物悲しく聞こえてしまう。
「わたしは戦場でダメになって、ここへと運ばれてきた。かつてあった扉は敵の攻撃で壊れていてね、若い兵士が修理するといっていた。だからわたしはお願いしたの、わたしの身体とデータを扉のなかに組み込んでって」
 扉の声は優しかった。そこには一切の感情などないはずなのに、影のなかではなにかがむくむくと膨らんでゆく。
「けれど愛する人はいなかった。めちゃくちゃになった竪琴にキャンバス、椅子が転がっていた。扉になったわたしは、それが朽ちゆくのを永遠とも思える時のなかで見守り続けた。人々や仲間は姿を消し、どこからともなくかつてのわたしのようなロボットたちがやってきた」
 扉は「そんなところね。もうおしまい」と物語の終わりを告げる。
 すると影がすいと立ち上がる。
 月明かりに照らされた純白のボディは、かつての扉の姿にそっくりだった。
「こんな詩を知っていますか?」
 影は詩を口ずさむ。それはかつて扉、YS‐908の愛した絵描きの青年が口にしていた詩だった。
「どうしてあなたがその詩を?」
 扉の言葉が初めて揺らぐ。
「ぼくたちのラボには多くの書物が残っています。そこにこの詩の綴られたものがあったのです。おそらくは“日記”というもので、絵描きという男の人生が途中から終わりまで記されています。そこには愛という言葉が多くでてきて、ぼくたちは愛とはなんだろうかと考えたこともありました」
 もう扉はなにもいえなくなっていた。言葉を失った賢者は、かつての姿のなかに自分をみていた。
 影は月夜に相応しい詩人となり、「その愛というのは、アストレアへと降り注ぐ温かい雨なのですよ」とうたった。

ミッドナイト・バケーション

ミッドナイト・バケーション

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-10-26

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