あなたはだれですか

斗有かずお

 真っ暗闇のなかで、ぼくは蹲っている。突然、光が差してきて、右手を冷たいなにかに強くつかまれる。振り払おうとするが、無駄だ。
 まず右手をひきちぎられて悶える。右足、左手、左足の順につかまれては引きちぎられてさらに悶え苦しみ、こけしみたいになったぼくは、腹から下をもぎとられ、最後に頭を潰され、ようやく苦しみから解放される。
 そんな悪い夢をよく見た。最初から頭を潰して殺してくれと、目覚めるたびに思ったものだ。
 ぼくは、自ら頭を潰して苦しむことなく死ぬ。そのために充分な準備をしてきたつもりだ。

 最後の射精は、古い児童公園のくたびれた和式トイレのなかですませた。手に飼いならされた陰茎は、臭気が充満した真冬の未明の暗い空間に臆することもなく、最後の放出欲を満たすのにわずかな時間しか要しなかった。
 精液を出しおえたあとの特有の空しさは感じるが、疲れはまったく感じない。膣内で射精するのにくらべれば、要する時間もエネルギーもはるかに少なくてすむ。
 生命の危機を感じるときに、男はとにもかくにも精子を放出することを欲するらしい。種族保存本能というやつだろうか。ぼくは今、その際にある。自発的にまねく危機なのに、そんな本能が働くとは意外だった。
 子供のころに、毎日のように遊んだ懐かしい児童公園――。
 塗料がすっかり剥がれて、錆の浮いたジャングルジムと鉄棒とすべり台。ブランコは肝心の鎖と横木がとり外されていて、鉄柱しか残っていない。
よくコマをまわした黒土は氷点下の硬さだったが、歩を進めるにつれて地面はわずかにだが柔らかさを増し、色を薄めていく。山砂の混ざったかつての少年ソフトボール用のダイヤモンドに近づいているのが足音でもわかった。
 もはや緑色ではないバックネット。その裏手にある出入口から、坂道を上りきったところにある1C―2号棟まで、あと歩いて四、五分だろうか。
 人手にわたった隣町にある実家を最後にひとめ見て、一時間かけて歩いてやってきたが、走っている自動車はバス通り以外では見かけなかった。古びた市営団地の裏通りにはコンビニエンスストアなどない。ぼくは、シンと静まりかえった坂道をゆっくりと上りはじめる。
 眩いばかりの満月と、その子供たちのような外灯の明かりを受けた、白い五階建ての集合住宅の群。昔の通学路の傾斜はきつい。幼稚園児や小学一年生だったころは、この帰り道は難関だった。

 上り坂がまもなく終わろうとしている。右手に見える棟は、市営団地の東南の端、あたり一帯でもっとも標高がある場所に建っている。懐かしい姿を真横から見あげ、側壁の五階部分に書かれた「1C―2」の文字を確認し、敷地に足を踏み入れる。
 未明のありふれた集合住宅は、いずれの窓からも明かりを漏らしていない。一見、変わってはいない1C―2号棟。日が昇れば、その姿はぼくと同じくらいに老けている現実が明らかになるはずだ。モルタルの壁は一部が剥がれ、しみやくすみが目立っているに違いない。
 アスファルトの敷かれた駐車場から、一段高いコンクリートに足を移す。表面がざらついているのがわかった。予想されるぼくの死地まで歩を進め、視線を落とす。風雨に晒されて浮きあがった数個の小石が目につく。かつてはコンクリート敷きだった駐車場とは異なり、棟の階段へつづくこの通路は、四十年間ずっと手を加えられていないのかもしれない。
 上り口の側壁にはりついている十の集合ポストが、ワット数の小さい蛍光灯の明かりを受けている。昔は動脈から噴き出る鮮血のように赤かったと記憶しているが、今は静脈から滲み出る血のように赤黒く見える。名前が書かれていない五つにつめ込まれているチラシは、どれも枯葉のようにしなびていた。
 準備に一年をかけた計画を、これから決行する。二週間前に、精神科病院で「間違っても死のうなんて思っちゃだめですよ」という台詞を耳にすることができた。主治医は症状が重くなりつつある旨を、すでに電子カルテに打ち込んでいるに違いない。鬱病に関する本を十冊も買って読み込み、徐々に症状が進行する患者を装ってきた成果だ。
 ぼくは、階段を踏みしめ、上りはじめる。

 五階の廊下の切れかけた蛍光灯が、不規則に点滅をくりかえしている。四階との間にあるこの踊り場は、眺めがいい。熊本平野の一角を占めたシラス台地の北斜面が一望できる。
 満月の明かりに照らされた、白い建物の群の鳥瞰図。小学一年のときの親友が住んでいた棟は、正面の列の真ん中あたり。公園は、きつい坂道を挟んで右隣。大好きだった幼稚園は、左隣の列のいちばん先にある。一年間だけ通った小学校は、バス通りを挟んでその向かいだ。
 ぼくは、この風景のなかで幼児期を送った。人生のなかでいちばん楽しかった時間を、この団地ですごした。住んでいた1C―2棟で、三十九年の生涯を終える。一つ年上のこの棟も、あとを追ってくれる。ぼくと同じように、この地で砕かれ、消えてなくなる。
 今日の予想最低気温は、マイナス三度だった。バス通り沿いのコンビニで買ったカップ酒を一気に飲み干し、適量のアルコールがすっかり染み込んだ身体は、さほど寒さを感じない。懐かしい冷気と湿気は、ときおり頬をなでる弱い風で感じとれる。
 高い夜空には雲ひとつ浮かんでおらず、かぞえるのが嫌になるくらいの星々が煌いている。熊本を離れ、星空も青空も薄汚れて乾いた東京で二十年の月日をすごしたのは、母の束縛から逃れるためだった。母が亡くなった日をさかいに、今度は都会から逃れたいと思うようになった。故郷で消えてなくなりたいという願望を、おさえることができなかった。
 ジョギングシューズを脱いで揃える。スポーツ用ソックスも脱いで重ね、二つ折りにしてシューズの上に置く。コンクリートの氷点下の冷たさが、足の裏に沁み込んでいる。
 ウィンドジャケットの内ポケットから生命保険証書と預金通帳を同封した姉宛の遺書をとり出し、ソックスの上に置いた。右のポケットには住民票と戸籍謄本を、左のポケットには除籍謄本とこの棟の住所が記載された除附票を、それぞれ四つ折りにして入れている。
 ウィンドパンツの右のポケットには本社総務課長と子会社販売課長の肩書きの二枚の名詞を、左のポケットには精神科病院の診察カードと銀行のキャッシュカードを入れている。
 エリート路線から脱落して離婚。精神を病んで退社。幼年期をすごした団地を人生終焉の地に選んだ――。
 ぼくの死は、自殺以外の何物でもなく処理されるはずだ。

 悪阻がひどくなるにつれて、美穂の精神はしだいに不安定になっていった。転落事故を機に、壊れてしまった。

 ――怖いの怖いの怖いの。つき合っているころは幸せすぎて怖いと思っていたけど、結婚してからはそんな漠然とじゃなくて、現実的な怖さを感じるようになったの。
 階段から転げ落ちる夢をよく見るようになって、高い所にいるといつもだれかに突き飛ばされそうな気がして、それが現実になっちゃって、よりによって子どもが死んじゃって、私じゃなくて、ソウイチロウさんの子どもが死んじゃって……。

 精神科病棟の個室で老婆のようにやつれきってベッドに横たわった妻の美穂は、そういったあとに黙り込み、肌とほとんど一体化していた真っ白な掛け布団のなかから離婚届書を差し出した。届書を縁どった緑色の濃さが、決意の固さを物語っているように思えた。

 ――ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。私はソウイチロウさんの子どもを殺してしまいました。だからあなたの妻である資格はありません。どうかどうかどうか離婚してください離婚してください離婚してください……。

 流産は君のせいじゃないから離婚なんかする必要はないとなだめても、美穂はききたくないといいたげに目を瞑り、首を激しく横に振るばかりだった。
 子会社に左遷され、離婚までするとなれば、それを口実に消えてもいいのかもしれない。生きる努力をしている人々にあふれた一般病棟を歩きながら、ふと思った。自殺願望というよりもむしろ、自分を消してしまいたいという潜在的な切望を、はっきりと自覚してしまった。その晩、姉から電話でこの市営団地の全面建て替えが決まったと知らされたときに、運命まで感じてしまった。

 ぼくは、もうすぐ解放される。肉体は小石の浮いたコンクリートに砕かれ、火葬されて故郷の土に帰るが、その前に精神はコンクリートをすりぬけ、土をもすりぬけて消えてなくなる。なくなるだけ。
 向かいの4号棟も、いずれの窓からも明かりを漏らしていない。少なくなった住人がまだ寝静まっている古い団地は、すでに無人の廃墟と化しているようにも見える。
 一年で最も寒い時節の、熊本の長い夜。頭部の激突音が、静寂を破る。血液や脳漿が、澄んだ空気を穢す。
 自ら潰すことで、ぼくは頭を潰される悪夢から解放される。夢のなかで四肢や腹を引きちぎられて悶え苦しむこともなくなる。
 教室に通って昇級を重ね、専用プールで何度も練習してきた成果がいよいよ試される。最初で最後の本番の高飛び込みだ。幅が二十センチに満たないコンクリートの腰壁の上ではバランスをとるのが難しそうだが、幸いたいした風はない。庇や側壁に助けを借りればいい。
 練習で体得した感覚を信じ、素直に地面へめがけて単純な前入水をすればいい。ほんの一秒そこらだ。時速五、六十キロメートルで、頭はくたびれたコンクリートに激突する。衝撃を感じる暇は、ほとんどないはずだ。
 所有物の処分はおえている。マンションもすでに引き払った。最後に残ったわずかな身のまわりの品も、紙袋ごとコンビニのゴミ箱に捨ててきた。残るのは、貯金と保険金だけ。葬式や納骨にかかる費用を除いた約五千万円の金は、姉の手にわたる。
 腰壁の上に両手をつく。こんなに低かったのかと、改めて思う。ぶら下がるのがやっとだった記憶もあるが、今では足の裏を直接かけることができそうだ。スポーツ用ソックスまで脱いで正解だろう。四十年間も風雨に削られたコンクリートには、素足のほうが馴染みそうだ。
 地面の通路に視線を落とす。大丈夫だ。十メートルの飛び込み台から見おろしたプールの水面と、ほぼおなじ位置にある。失敗は許されない。生きのびることなどないように、上手く飛び込まねばならない。
 視線を戻し、冷たい空気を肺一杯に吸い込んだ。自決まえの軍人が最後の一服をする映画のワンシーンを思い浮かべながら、白い呼気をタバコの煙のようにゆっくりと吐き出した。

 そのとき、彼女が現れた。やはり――。
 今まで認めたくなかったが、この期におよんでは彼女の存在を、ついては霊の存在を認めざるをえない。人間の死後の姿、あるいは別の空間で生きながらに分離した姿ということになるのだろう。
 彼女は、いつもどおりに左斜め四十五度前方、五十センチほど離れたところから、今日は腰壁越しに無言でぼくをじっと見つめている。地上十メートルほどの空中に浮くことなど、わけもないらしい。
 確証はないが、彼ではあるまい。その気配には、じっとりとした女性特有の粘着を感じる。目の位置は、小柄なぼくより十センチほど低い。かすかな光の線が二本だけ、微動すらせずに存在している。華奢な上半身をぼんやりと模ることもあるが、満月の明かりが降りそそぎ、点滅する蛍光灯の黄色い明かりが不規則に届いている今は、背丈とは不相応に大きい頭部の曲線が浮かんだり消えたりしている。
 現れるのは、決まって深夜か未明。暗闇のなかだ。受験や就職活動の最終面接の日の前夜、婚姻届や離婚届を出した日の前夜、最近では退職願を出した日の前夜と、人生の節目々々に現れては、たぶん何事かを語りかけ、やがて消える。彼女に対して恐怖感を抱く必要はない。金縛りにかけるような悪さはしないからだ。
 新婚初夜に現れたときにはさすがに狼狽してしまい、陰茎が瞬時に萎んで事を果たせなかった。真っ暗な寝室でセックスをするのが嫌になり、電気を点けたままでしようとしたが、美穂は嫌がった。ベッド備え付けの豆電球を点けることで落ち着いたが、彼女は目に映らなくても、いつも定位置にいたような気がする。ぼくたち夫婦のセックスを監視していたかのように。
 彼女はどうしていつもこの角度にいるのだろうか。背後霊なら後方にいるはずだ。たまに視界に入ってくるといった話はきいたことがない。そもそも、いったいだれの霊なのだろうか。ぼくは霊となって彼女と再会する気などさらさらない。冥土とやらにもいく気もないが、土産だけは欲しくなった。
「あなたはだれですか」
 と小声で訊ねてみた。
 彼女は黙っている。初めて声をかけられて驚いたのか、あるいは嬉しかったのか、光の線の端がわずかに動いた。右の目尻のあたりが。
 彼女が初めて現れたのは、高校三年の秋だった。それ以前にかかわりのあった女である可能性が高い。思い当たるふしはある。

 この1C―2号棟に住んでいたころに、隣の1号棟に同い年の女の子がいた。やれ自分より背が低いだとか、顔や髪型が女の子みたいだとか、鼻が高くて外国人みたいだと、よくからかわれたのを覚えている。サチコは幼稚園でずっと違うクラスだったに、園児にとっては高いクラスの垣根をこえて、毎日のようにぼくにからんできた。
 今では名字すら覚えていないが、サチコの母親が遺骨のまえで涙ながらに語った言葉は忘れられない。サチコは荒い息の合間に、「ソウイチロウくんがすき」と呟いたそうだ。それが短い人生の最後の言葉になったという。幼心にも、いや幼心であるがゆえに、よけいに背筋が寒くなる思いをした。
 さらにサチコの母親は、「サッちゃん、ソウイチロウ君がきてくれたよ。よかったね。これで成仏できるね。もう思い残すことはなかよね」と遺影に話しかけたあとに、「サチコは本当にソウイチロウ君のことが大好きで、いつもソウイチロウ君の話ばっかりしよったとよ。サチコのことば忘れんでやってね」とぼくにいい、つきそっていた母に頭を深々とさげた。
 サチコが喘息で亡くなったのは、卒園を控えた二月だったことを思い出す。開いているのか閉じているのかわからないようなサチコの細い両目は、彼女の二本の光の線とよく似ている。
 彼女は黙っている。
 死霊ではなく、生霊なのだろうか。残りの二人の候補者は、まだ死んではいないだろう。

 私は、あなたのことを心から愛しています――。
 栗橋からはじめてラブレターをもらったのは、小学四年のゴールデンウィーク明けだった。顔、とくに高い鼻が好きで、まじめで勉強ができて清潔感があるところも好きで、足が速くてソフトボールが上手いところも好き、という旨が五枚の便箋に鉛筆書きの力強い文字でびっしりと刻まれていて、熱烈な情が嫌でも伝わってきた。
 心から愛しています? まだ小学四年生なのに、そんなことがいい切れるのか? 栗橋は四月に転校してきたばかりなのに。戸惑うばかりだった。
 そのあともラブレターを何通ももらったが、迷惑以外の何物でもなかった。大人の女が考えたように思える文章が小学生の女子の文字で綴られたラブレターは、捨てると怨念がつきそうで怖く、机の抽斗の底に隠さざるをえなかった。
 バレンタインデーに熱を出して学校を休み、栗橋に泣かれてしまった。翌日、机のなかに入っていた別の女子からのチョコレートをランドセルに入れ、また泣かれてしまった。なぜ手紙の返事をくれないのかと、なぜ電話に出てくれないのかと、なぜ自分以外の女子と会話を交わすのかとまで問われ、さらに泣かれてしまった。ホワイトデーにクッキーを返すことは憚られた。
 栗橋は年度替わりに福岡に引っ越した。両親の離婚が原因だときいている。
 彼女は黙っている。
 両目の線は動かない。蛍光灯の明かりとあべこべに点いたり消えたりしている頭部の曲線も、ぼんやりしている。
 栗橋は彼女と違って、がっしりした骨格の持ち主だった。顔立ちが整っていないがゆえによけいに際立つ団栗眼の持ち主だったし、ぼくと視線が合ったときにはさらに丸くなっていた。

 彼女はやはり、高校の弓道部で一学年上だった亀谷先輩の生霊なのだろうか。典型的な幼児体形で、サチコと同じくらいに目が細かった亀谷先輩と連絡を絶ったのは、高校三年の秋だった。
 出会ったころの亀谷先輩は、当時の弓道部主将への片思いや進路や、同級生からの陰湿で執拗ないじめに悩み、心身症にも悩まされていた。ぼくは話をまじめにききすぎ、問いかけに真剣に答えすぎてしまった。同情しすぎてしまったのだ。
 高校の敷地内とはいえ、何度かふたりきりで並んで歩いたのはよくなかった。同級生の男子弓道部員と並走していたとはいえ、バス停まで自転車の荷台にのせてあげたのもよくなかった。ぼくと亀谷先輩がつき合っているという噂が立つのも無理はなかった。
 亀谷先輩は悩みぬいた末に、福岡教育大の幼児教育学科に進学した。ぼくが九州大を目指していなかったならば、より偏差値の高い熊本大教育学部を入学辞退することはなかったはずだ。
 高校三年になり、志望校を大阪大に変え、手紙で知らせが、亀谷先輩からの返事には、ノイローゼになりそうで涙がとまらない、夜ごと大学の女子寮のなかを歩きまわりながら泣いている、という旨が崩れた筆跡で延々と書かれていた。読みながら身震いを覚え、もうかかわりたくないと思った。ぼくも神経症に陥りそうだった。勉強中も、弓道の練習中も、その便箋十枚にわたった文面に頭のなかを占拠されるようになってしまった。
 亀谷先輩に対して抱いていたのは、わずかに残った同情だけで、愛情は欠片すら見出すことができなかった。インターハイ県予選で結果を残せずに弓道部を引退したあとも、定期的に届く恨み節が刻まれた手紙に悩まされつづけ、テストのたびに席次を下げていった。
 ぼくの女性関係には、単なる交友といえども、必ず母が首を突っ込んできた。鶯色の電話機を睨みながら怒鳴りつけるように、「もう二度と蒼一郎に電話ばかけてこんでください」と亀谷先輩に絶縁宣言をしたのは母だった。
 亀谷先輩から最後に手紙をもらったのは、その一週間後だ。たった一枚の便箋には――こんな結果になるのは、初めからわかっていました。もう私からは手紙も書かないし、電話もかけません。ひとつだけお願いがあります。進学する大学が決まったら、それだけは必ず手紙でおしえてください。――とだけ書かれていた。
 一浪後に九州大にも合格したが、福岡に住むのは躊躇われ、早稲田大を選ばざるをえなかった。引越しの忙しさにかまけ、九州大への入学辞退の手紙も書かないことを言い訳にして、亀谷先輩の最後の願いを無視してしまった。
 彼女は黙っている。
 あいかわらず無表情で、じっとりとねっとりとした感を空中で漂わせながら。

 ……彼女は母なのだろうか。かつては生霊で、今は死霊なのだろうか。母はぼくに凄まじく執着した。姉や従姉妹が仲よくするのも好ましく思わず、他人の女が近づくことなど言語道断とばかりに執拗なまでに拒絶しつづけた。
 当時の熊本には高校生以下の子どもの男女交際に否定的な親は少なからずいたが、母は常軌を逸していた。栗橋や亀谷先輩に限らず、同級生や先輩後輩の女子からかかってくる電話はことごとく母にシャットアウトされ、ぼくにとりつがれることはなかった。クラスや部活動の連絡網の電話までだ。郵送された女子からの手紙は、封を切られて検閲にかかった。もう電話をかけてくるな、手紙もよこすなといわれたのは、亀谷先輩だけではない。
 彼女は黙っている。
 長い沈黙のおかげで、飛び込んでから走馬灯のように頭に浮かぶだろう苦い思い出を、一足さきに振りかえることができた。

 彼女から視線をそらして空を見あげると、星の数が減っていた。わずかにねずみ色が混ざりはじめている。4号棟に住む早起きの年寄りが目覚め、部屋に明かりを点けてもおかしくない。
 視線を左斜め前方に戻すと、彼女は存在感を増していた。あいかわらず点いたり消えたりしているが、頭部の曲線が太さを増し、華奢な上半身がおおざっぱに模られている。こんなに長い時間にわたっているのは初めてだった。冥土とやらにぼくを連れていく気なのだろうか。夜明け前の静寂を破ったあとは、ひとりで消えたいのに。彼女が邪魔になって上手く飛び込めずに、死に損なってしまうかもしれない。
 ふと、沈黙を破るような冷たい微笑を感じ、背筋が寒くなった。次の瞬間に、苛立ちを覚えた。
「あなたはいったいだれなのですか」
 彼女は黙っている。
 眉をひそめると、彼女の両目の線の端が、左右の目尻のあたりが、少しだけ下がった。

 ――全部はずれ。

 耳にではなく、脳に声が届いた。どこかできいたことあるような、懐かしいような、細い声。

 ――私は、サチコちゃんでも、栗橋さんでも、亀谷先輩でもないわ。もちろん、お母さんでもない。

 彼女は、また聴覚器官を介さずに脳に直接語りかけてきた。女性であるのは間違いないが、だれの声なのかは思い出せない。

 ――私がだれか……わかるわけないか。仕方がないからおしえてあげる。
 
 腰壁から両手を離し、固唾を呑みながら彼女を正視した。

 ――あなたのお姉ちゃんよ。
 
 脳はまだ健在なのに、心臓が止まりそうになった。そんなことはありえない。姉が生霊になってぼくにつくなど、絶対にありえない。声が似てなくはないが、断じて違う。母の偏った過剰な愛情にうんざりしていたぼくと、母と反りが合わなかった姉は、父が仕事で不在にしがちであったことも手伝い、互いにただひとりだけの気心の許せる家族だった。
「ソウちゃんと私は、ふたりきりのきょうだいなのだから」とよく口にしていた姉は、ぼくが一番、いや唯一信頼できる女性だ。相手からの一方的な愛情に悩む弟の話を真摯な態度できいて適切なアドバイスをくれ、母親的な役割までも担ってくれた姉がいなかったならば、ぼくは女性への不信感や恐怖心から結婚などできなかった。

 ――そうね。晴美姉ちゃんじゃないわ。私も、ソウちゃんと同じくらい、お姉ちゃんのことが大好き。明るくって、四十代半ばの今でも可愛くって、服のセンスだっていいし。何事にも気が利いていて、生まれながらに徳を持っている女性っていってもいいかもね。そんなお姉ちゃんが、ソウちゃんにつくなんて、ありえないわ。
 
 彼女はぼくを「ソウちゃん」と呼んでいる。従姉妹に「ソウくん」と呼ばれたことはあっても、姉以外の女性に「ソウちゃん」と呼ばれた記憶はない。母は「ソウイチロウくん」と、美穂は「ソウイチロウさん」と、長い名前を略することなく、律儀に敬称までつけて呼んでいた。
 瞬きをくりかえしながら彼女の両目の線を見つめていると、頭部の曲線と上半身の模りが明確さを増していった。もはや蛍光灯の明かりを受けても消えることなく、なおおぼろげではあるが、人間の輪郭をなしている。下半身は腰壁に隠れて見えないが、髪の毛が生えているのかどうかわからない頭は、やはり異様に大きい。胴まわりや二の腕は、やけに細かった。

 ――ソウちゃんとお姉ちゃんは、六つも年が離れているじゃない。どうしてだろうって、思ったことがあるよね。

 子どものころに、よく思っていたことだった。

 ――この団地に住んでいたきょうだいで、すぐ上やすぐ下と五つ以上も年が離れているのって、うちだけだった。育児が大変な年子は避けて、受験が重ならない二つ違いが多かったよね。
 
 隣町の建売住宅に引っ越してからも、六つも年の離れたふたりきょうだいなど、きいたことがなかった。ぼくは、母親が二十代のうちに子作りをおえるべきとされた当時の熊本人の家族計画から漏れたが、高校の同級生だった両親が三十をすぎてからやっと授かった待望の長男だった。

 ――私はね、お姉ちゃんより三つ年下で、ソウちゃんより三つ年上の、あなたたちのきょうだいなの。
 
 そんな話は父からも母からも、姉からもきいたことがない。うちには仏壇がなかった。遺影も位牌なかった。だいいち計算が合わないではないか。姉の三つ年下で、ぼくの三つ年上なんてありえない。

 ――ありえるのよ。私は、三ヶ月だけしか生きていないもの。真っ暗なお母さんの子宮のなかだけでね。
 
 ……水子、ということになるのか。母が流産したという話もきいたことがない。

 ――居間のサイドボードの上に、こけしが置いてあったのを覚えているよね。ソウちゃんが生まれる三年前から、うちにあった。お父さんが、宮城に出張にいったときに買ってきたの。あれがね、お父さんとお母さんとの間では、私ということになっていたわ。ソウちゃんも、お姉ちゃんも、知らされていなかったけどね。
 こけしって、どんな漢字を書くか、知っている? 小さな芥になった子。……子を消す、からきているの。
 私は、中絶されたの。お母さんが存在に気づいたときに、お祖父ちゃんの癌が見つかって、その一月後に、お祖母ちゃんの癌まで見つかって、そのままお腹にいたら、ふたりの看病をできないからって……。まったく、理不尽な話。

 母方の祖父母の話はきいたことがある。ふたりはぼくが生まれるまえに、ほぼ同時期に亡くなっている。去年の年明け早々に、父がくも膜下出血で亡くなり、あとを追うように母も脳梗塞で亡くなったのは、因縁めいていた。
 祖父母は同居していた伯父夫婦と折り合いが悪く、父と母が姉をつれてその時期だけ住み込み、最後の面倒を見たらしい。すでに没落していたが、母の実家は昭和二十年代まで女中を十人ほど雇っていた名家だった。三人の伯母は同格以上の家に嫁いでいるために、祖父は高卒の郵便屋風情に末娘はやれないと、父と母の結婚に反対したときいている。

 ――死に損だったわ。お祖父ちゃんも、お祖母ちゃんも、私が中絶されてから三ヶ月後には、この世にいなかったのだもの。伯父さんは、お母さんにも、伯母さんたちにも、遺産を一円もわけあたえなかったし……。

 彼女の両目の線が、さらに細くなった。

 ――生まれてきたかった。私は、すごく運がよかったのだから。とんでもない偶然の産物っていってもいいくらいに。
 お母さんの卵巣にあった数万のなかから、私の卵胞はまず優秀な二十のうちに選ばれて、そのなかでも一番発育がよくて排卵されたの。たった一日そこらの制限時間内に、お父さんの精子が、大人の人間でいえば東京から名古屋までの距離を泳ぎ切って、私の卵子にたどりついたわ。たまたまそのときに射精された、二億以上のなかの運のよくて優秀な精子が。
 排卵された卵子は全部で四百個くらいだったけど、お母さんが女になったときには、卵胞は数十万もあったのよ。まだお祖母ちゃんのお腹のなかにいたときには、さらにその十数倍もあったのだって。お父さんの精巣で作られた精子は、一日につき億をこえて、少ないときでも数千万もあって、生涯で兆を超えたわ。
 お母さんの卵とお父さんの精子の組み合わせは、いったいいくらにすればいいのかしら。そんなとんでもない数のうちの一体が、お姉ちゃんで、私で、ソウちゃんだったの。三人とも、信じられないくらいに運がよかったのよ。

 確かにそういう理屈になる。保健体育の教科書かなにかで読んだことがあった。

 ――それなのに、私は……。酷い殺され方だったわ。
 真っ暗闇のなかに、突然、光が差してきて、変だなって思っていたら、右手をペンチかなにかに強くつかまれたの。冷たくて、痛くて、振り払おうとしたけど、無駄だった。
 まず右手を引きちぎられて悶絶したわ。右足、左手、左足の順につかまれては引きちぎられてさらに悶絶して、こけしみたいになって、お腹から下をもぎとられて、最後に頭を潰されて、お母さんの子宮のなかから掻き出されたの。
 ソウちゃんがよく見るのは、単なる悪い夢じゃなくて、私に起きた現実だったの……。

 夢では感じない激しい痛みをともなった、現実……。

 ――あんまり痛かったから、そのあとはしばらく意識を失っていたの。お母さんの啜り泣く声で目を覚ましたときから、宙に浮いていたわ。下手にさばかれた砂肝みたいにバラバラになった私の死体は、黒いゴミ袋に捨てられていた。お母さんの泣き声がだんだん大きくなってきて、いたたまれなくなっちゃった。
 私は空中を彷徨いながら、お父さんを探し出して、肩にのっかったわ。どうしてこうなったのって、何度も訊ねた。お父さんがつまらない意地を張って、身分違いの結婚だといわれたことにこだわって、いい婿のふりをして孝行顔で、お母さんを巻き込んで偽善的な看護をしなかったら、生まれてくることができたのに……。
 あのころは、そういう時代だった。お父さんに限らずに、女房と子どもは自分の所有物だと疑わない男の人がまだ多かった。私みたいに、お父さんの肩にのっかっていた子や、空中を彷徨っていた子って、今よりずっとたくさんいたのよ。中絶の件数は倍じゃきかないし、水子供養もあんまり行われていなかったからね。

 父は長く郵便局の労働組合の専従役員をしていた。自身の葬儀において、三百人をこえる弔問者数で人望が厚かったことを証明したように思える。仕事柄、夕食を一緒にとれたことは年にかぞえるくらいしかなかったが、多忙ななか時間を作って父親参観や運動会に顔を出してくれた。貴重な休日には必ず、ぼくを遊びに連れていってくれた。
 ぼくは父のことが大好きだった。七十年の生涯は天寿をまっとうしたといっていいだろう。一周忌を終えた今も、尊敬の念は色褪せていない。

 ――お父さんはハンサムで、頭も運動神経もよかった。そういう人に特有の鈍いところがあって、私の存在に気づいてさえくれなかった。
 別の居場所を探すことにしたわ。お母さんにつこうとは思わなかった。ぜんぜん悪くないのに、自分を責めていて、かわいそうで、かわいそうで……。
 生まれてきたかったっていう私の思いが強すぎたからかな。お母さんは手術のあともしばらく悪阻がつづいたの。あそこから流れる血が止まらなくて、ひとりでいるときは流れる涙も止まらなくて……。やっと血が止まった日から一週間後に生理がきて、また大泣きして、涙を涸らしたあとに、「あなたは、やっぱりもういないのね」って、窓越しに空をぼんやりと眺めながら掠れた声で呟いていたわ。
 お母さんが次に授かったソウちゃんに異常なくらいの愛情を注いだのは、仕方がなかったのよ。私が空から舞い戻ってきて、ソウちゃんになって生まれきたと思い込んでいたのだから。望まない中絶を経験した他の母親と同じようにね。

 母は海溝なみに深遠な愛情の持ち主だった。若いころは、生まれながらの詩人のような異彩を放つ目と、整った顔立ちから、文学的な素養を感じさせる女だった。創作に向けられるべき才をすべて愛情に変換し、青春期と老年期は父に、その中間はぼくに注ぎつづけたように思う。
 生まれてから熊本を離れるまでの間、母に精神を支配されていたといっていい。ことあるごとに、乳幼児期によく発熱したぼくを背負って夜中に診療所の玄関をたたいたという話を、何度も執拗に重ねられた。
 熊本男児にとって、虚弱体質は自己嫌悪に直結する恥ずべきことであるがゆえに、ぼくは自己評価の低い子どもだった。「ソウイチロウくんは身体が弱いから」というお決まりの台詞は、異彩を放つ目の威を借り、「だから、お母さんのいうことをききなさい」という言外の圧力を含んで、ぼくの精神を支配するために最も効果的な呪文と化していた。

 ――お母さんとお姉ちゃんの関係も、微妙だったよね。結婚して実家を出たあとも、近くに住んでいたのに、お姉ちゃんは里帰り出産をしなかった。娘が生まれて自分が母親になったあとも、お母さんとの関係を修復できなかった。
 私はお父さんの肩から離れたあとに、お姉ちゃんにまとわりついていたの。そこらで見かけるごく普通の、三つ年上の姉にくっついてまわっている妹みたいにね。お姉ちゃんが羨ましかった。生きることができるのだから。お母さんのそばにもいれるし。
 悪いことをしちゃったって、今では後悔しているわ。お母さんって、鋭い人だったでしょう。私の気配を感じたのか、お姉ちゃんに対してよそよそしくなっちゃったの。母親と、まだ三歳だった長女の関係は、そこで崩壊しちゃった。
 お姉ちゃんの幼稚園のころの写真を見たことがあるよね。いつも眉根を寄せて暗い顔をしていた。今の笑顔からは想像がつかないくらいの。

 そのとおりだ。謎がとける思いだ。

 ――そんな女の子だったお姉ちゃんが卒園間際から明るくなったのは、私がそばから離れたからなの。ソウちゃんが、お母さんの子宮に宿った日にね。
 妊娠が許せなくて、ソウちゃんをなんとかして殺したかったけど、結局できなかったわ。できるわけがないでしょう。私を中絶したときにお母さんが流した涙が、頭をよぎっちゃうから。
 ソウちゃんが、すごく、すごく憎かった。つかざるをえなかったわ。私が殺されなかったら、お母さんに宿ることすらできなかったのだから。
 中絶されずに、あと半年くらい子宮のなかにいて生まれてきていたら、お母さんの排卵のサイクルは変わっていたわ。お父さんの射精のサイクルもそう。ソウちゃんの命は偶然の産物だけど、私の死を絶対条件として必然的に生じたの。
 ソウちゃんは顔や頭や運動神経だけじゃなくて、鈍感なところまでお父さんに似ちゃって、十八歳になるまで私の存在に気づいてくれなかった。そのあとも、時々しか気づいてくれなかったよね。
 私はずっとここから見ていたのに。赤ちゃんのころから、この角度がいちばん格好いいもの。笑った顔も、いまだにこの角度がいちばん可愛い。本当に、憎たらしいくらい、痛めつけたくなるくらい、殺したくなるくらいにね。

 ……思い当たるふしがある。幼稚園の入園式の前日に、三階にあった自室の前から不意に階段を踏みはずし、二階との間にある踊り場まで転げ落ちて鼻を強打してしまった。年中組のときに熱湯を入れたてのカップ麺をこぼし、左腿の皮膚が半分近く剥ける大やけどを負って自宅療養を余儀なくされたこともあった。

 ――忘れられないよね。すごく痛かったでしょう。
 羨ましくって、悪さをしたのよ。楽しい幼稚園にいけなくなるようにね。カップ麺の熱い中身は、きれいな顔にかけたかったのだけど、上手くかわされたわ。ソウちゃんは反射神経がいいものね。他にもいろいろ悪さをした。たいしたケガはしなかったけどね。運動神経もいいわりには、よく転ぶ子だったでしょう。
 いい思いも、たくさんさせてあげたのよ。私がついていたから、二人力だったってわけ。時々、ソウちゃんの身体を借りて自己実現したの。とくに、中途半端な才能がいちばん花開いた、十代半ばにね。
 学級委員に生徒会長をやって、県下一斉テストでは一桁の成績。絵画や書道のコンクールでは特選をとって、中学の卓球部ではキャプテンをやって地区予選で個人戦優勝、高校の弓道部では副主将をやって弐段合格。自分でもビックリしていたでしょう。全部、私が手を貸してあげていたのよ。

 父も年度末の忙しい時期にわざわざ休暇をとり、ぼくの合格発表をひとりで見にいったことがあった。息子をとおして自己実現することができたのかもしれない。経済的な理由で受験することさえかなわなった熊本大に、ぼくを進学させたいと思っていたときいている。一浪したとはいえ、ワンランク上の九州大のキャンパスで息子の受験番号を父に見せることができたのは、数少ない親孝行の一つだ。

 ――お父さんの気持ちは、よくわかるわ。
 十代のころのソウちゃんは、私たち家族にとって希望だった。妨げになるものは、排除したわ。とくに、女はね。栗橋さんと、亀谷先輩は、もう死んじゃっているのよ。私が消した。ふたりとも生霊になってソウちゃんにつきかねなかったから。
 栗橋さんは四年生になってすぐに生理がはじまっていたわ。発育がよくて、身体の内部はもう女だったから、あんなにませたラブレターを書いたのよ。母親と福岡でおとなしくしていればよかったのに、熊本に住んでいる父親と暮らしたいっていい出したから、五年生の梅雨明けに小学校のグラウンドで雷に撃たれちゃった。
 亀谷先輩は熊本の実家から幼稚園の教育実習にいく途中で……。トラックに轢かれて、あの日の私に負けないくらいに身体がグチャグチャになっちゃった。
 そんな偶然って、操れるのは私たちだけなの。相当なエネルギーを使うけどね。成仏しちゃいそうになるくらいに。栗橋さんも、亀谷先輩も、ソウちゃんに近づこうとしすぎたわ。拒絶されても、忘れようとしなかったからいけないのよ。
 喘息だったサチコちゃんの喉に痰をつまらせたのも、私。まだ幼稚園の年長さんだったから、殺すつもりなんかなくて、ちょっと懲らしめてやろうと思っただけだったに、あっさり死んじゃうなんてね。
 もうわかったよね。美穂さんを下りのエスカレーターで転ばせたのも、私。美穂さんもいくらぼんやりしていたからって、ヒールが五センチもあるパンプスなんか履くからいけないのよ。
 ソウちゃんも病院に駆けつけたときに、「ぼくの子どもが」っていったあとに黙っちゃったのはまずかったわ。言葉が短かった分だけ、脇差で刺されたみたいに美穂さんには堪えたみたい。ううん、人工分娩で無理やり開かされた子宮口に、塩を塗られたみたいに。美穂さんがどんどんおかしくなっていくのに、その一言が拍車をかけちゃったのよ。

 美穂は妊娠を喜んだ。ひとり娘が子を授かり、由緒ある家柄の義父母も歓喜した。ぼくは部長や役員に出世したくはあったが、子宝に恵まれる幸せなど、まったく望んでいなかった。自分から引き継がれた命が美穂の子宮に宿ったことを喜べなかったどころか、顔から血の気が引いていくのがわかった。

 ――結婚はね、許せたの。ソウちゃんは美穂さんのことなんか、ぜんぜん愛していなかったから。十も年下の懐飛び込み型の専務令嬢に、寄り切られるように婚姻届を出しただけ。
 ソウちゃんの食欲や物欲や金欲は、生まれつき薄かった。性欲は私が薄めたから、あんまりセックスをしなくても、オナニーで満足できたでしょう。残ったのは、人並みの出世欲だけ。別に、それは満たしてもかまわなかったの。
 妊娠は、許せなかった。絶対に。美穂さんの卵子とソウちゃんの精子は、受精しないはずだったのに。手でしか射精できないように、私が時間をかけて仕組んだのに。膣内で漏れた精子がたどりついたとしても、受精卵は子宮粘膜に定着しないはずだったのに。美穂さんとソウちゃんは、昔から十組に一組くらいの割合でいる、畑と種の相性が悪い夫婦のはずだったのに……。

 美穂とのセックスは苦痛だった。ぼくは濡れにくい体質に対応する術など持ち合わせていない。挿入すると同時に乾いた陰唇を覆った剛毛が陰茎に絡みついてきて痛く、いわゆる「太平洋」の膣内で射精にいたったことは一度もなかった。漏れたカウパー氏腺液のなかのわずかな精子が、受胎をもたらしたことになる。

 ――私は念のために美穂さんにも手も打っておいたのに。ソウちゃんとつき合いはじめたころから時々ついてやったのに。情緒不安定に、生理不順にしてやったのに……。
 卵子と精子の受精と、受精卵の着床に、私はなす術がなかった。命は、たくさんの偶然のなかから、必然的に生まれるものなの。
 それでもソウちゃんの子どもだけは許せなかった。しかも女の子だったから。
 ソウちゃんはお父さんと違って、自分の子どもは殺せないよね。そうする理由もなかったし。
 美穂さんに流産してもらったわ。お腹の子が私と同じ、受精してから三ヶ月の命のときに。
 美穂さんったら、無理してその子の死体を見たりするから卒倒しちゃって、壊れちゃった。いい機会だったから、離婚してもらったわ。ソウちゃんの子どもを身篭った女なんて、絶対に許せなかった。死なせて楽にしてあげるわけにはいかない。
 私はソウちゃんが憎いだけじゃない。とっても可愛いの。いつからか、そんなふうに感じるようになっていたわ。
 ソウちゃんは賢かった。あんなにお母さんにかまわれていたのに、マザコンにはならなかった。隣町に引っ越したころから、お母さんを遠ざけはじめたよね。それからは、お姉ちゃんとずっとそばにいた私とで育てたようなもの。
 あなたを殺すのは私なの。今は、まだ死んじゃだめ。
 あなたは私の物。物よ。
 私は人間だったのに、掌にのるくらいに小さかったけど、たしかに人間だったのに、物として扱われたわ。ちぎられて、潰されて、掻き出されて、ゴミとして捨てられた。
 これからも、私の死と引き換えに生を受けたソウちゃんを所有するわ。もう他の女には絶対にわたさない。まだまだ、いろいろと味あわせてあげなきゃならないの。たとえば、年老いてから初めて気づく、自分の命を引き継ぐ子や孫がいない苦しみとかね――。

 彼女の左の目が、生まれて初めてウィンクをした少女のようにぎこちなく、どこか怪しげに歪んだ。上半身の模りがしだいにぼやけていく。頭部の曲線が消え、両目の線まで見えなくなった。白みはじめた空に消されたのかもしれない。向かいの4号棟の一室に、明かりが点いていた。
 エンジン音がきこえてくる。おそらく新聞配達のバイクだ。ため息が出た。ぼくは凍てついたコンクリートの床に座り込み、遺書をウインドジャケットの内ポケットにしまい、指先の感覚がすっかりなくなっている両足にスポーツ用ソックスを被せた。
 ジョギングシューズを履きおえると同時にバイクが近くで停まり、階段を駆けあがる足音が近づいてきた。403号室のドアポストに新聞を投函した学生風の青年が、立ちあがったぼくに気づき、驚きつつも「おはようございます」とさわやかな声をかけてきた。
「ご苦労様、頑張ってね」と返し、ぼくは青年に従うように、ゆっくりと階段を下りはじめた。(了)

あなたはだれですか

あなたはだれですか

人生の節目節目に必ず現れる女の霊魂は、自殺を決行しようとする未明にもやはり現れた。 彼女の正体は、思いもよらぬ人物だった。 (400字詰原稿用紙換算51枚)

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • ホラー
  • 成人向け
更新日
登録日
2017-10-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted