NOCTURNE
桜岡高校三年の赤波直人は二年前に幼馴染の黒瀬泉を事故で亡くしていた。しかし、そこに突如として現れた転入生との出会いから、黒瀬が事故ではなく自殺であることを知る。その真相を探るため、赤波は様々な情報を手掛かりに真相に辿り着いていく。果たして、黒瀬の真相は?転入生との、関係は?
NOCTURNE1
────綺麗な夕焼けだ。
桜岡高校の屋上でいつもいつも、この夕焼けを見ている。三年生になった今、部活も引退し何もすることがない俺にとっては、居心地の良い場所だ。ここの景色は決して裏切らない。今、俺の心の中にポッカリと空いてしまった穴をこいつが埋めてくれる。あれからもう二年が経つ。月日は流れるのが早い。何事もなく過ごせていた毎日でもあったが、やはり、心のどこかに物足りなさを感じていた。俺が彼女を死なせてしまった。今更、何を思っても、何を考えても、どうにも出来ない。そんな事は分かっているのだが、ふと、彼女の顔が浮かぶ。
「直人ー!」
屋上の扉の方から聞きなれた声が聞こえてきた。
「あー、やっぱりここに居たか。お前、今日後輩達の部活見るって言ってたの忘れたのか?」
彼は同級生の青峰 司。同じラクビー部で副キャプテンを務めていた。
「ぁあ、そうだったっけ。」
本当は覚えていたのだが、景色を見たかったなどと臭いセリフを言えば、このひょうきんな奴に嫌味を言われる。
「全く、我が桜岡高校のラグビー部主将がそんなことでいいのかよ!」
司は溜息をつきながら呆れていた感じだった。
「おいおい、元主将だろ。今、俺達は引退してるからその呼び方辞めてくれよ。」
あいつはへへっと笑いながら鼻をすすった。
「とりあえず、早く来いよ。先生も待ってるみたいだし。」
「はいはい。先に行っててくれ。トイレに行ってくる。」
そう言うと司は了解と返事をして屋上を後にした。
廊下を歩いていると、ピアノの音が聞こえてきた。基本、音楽室は解放されており、誰でも弾けるのであるが、滅多に弾く人はいない。珍しいなと気になり、音の鳴る方へ向かって行った。
音が近くなるにつれ、悲しい感情が湧き出てきた。あまり、音楽には詳しくないのだが、そんな気がした。
音楽室の前に着く。音は大きく聞こえ、心地好い音楽であることが分かった。しかし、どこか悲しい。ドアの前に座り込み、目を瞑ってその音楽を聞き入った。
聞き入ってから数分、演奏が止まった。
中から泣き声が聞こえた。そして、そのあとの聞こえた声に耳を疑った。
「……黒瀬、泉」
全身に衝撃が走るのが分かった。黒瀬泉、俺が二年前死なせてしまった、幼馴染の名前だった。何故、その名前を言ったのか、何故泣いているのか、様々な疑問が脳裏に走った。
「どうして…泉…」
声を聞く限り、女性であることは分かった。しかし、黒瀬の名前を呼ぶ意味が、俺には分からなかった。関わりが知りたい。そう思うと音楽室の扉に手が伸びていた。でも、開く勇気は無かった。自分が殺した、その思いに苛まれ、更に葛藤があった。
「誰かが…」
何度も何度も彼女の声、苦痛の声が心に染みた。ここで、俺も逃げてはダメだと感じた。この手で殺した訳ではないのだが、助けられもせず、ただ目の前で彼女が死んでいくのを佇んで見ていた。もう、逃げない。向き合おう。そう思い、音楽室の扉を開けた。
泣いていた彼女は扉を開けた音に気付き、俺の方を向いた。この学校の制服は着ておらず、私服の様な格好であり、黒く長い髪が美しい女性だと思った。
「だ…れ…」
彼女は力の無い声で問いただしてきた。
「ぁあ…ごめん。」
彼女は涙を拭った。
「謝っても何もわからない。なんですか?」
謝っても何もわからない。その言葉が心に響いた。
「貴女は、誰ですか?見たところ、うちの学校の生徒では無さそうですが…」
まず、彼女の正体が知りたく問いた。
彼女は長い髪をかきあげ、睨むようにこちらを見た。
「貴方が思うならそうなんでしょう。そして、名乗る必要もありません。」
お嬢様の様な話し方に、少し圧された。
「あ、いや、すいません。しかし、何をなさっていたのかなと思いまして…」
あくまでも下手に出て、相手の出方を伺った。黒瀬泉の名前を呼ぶ彼女の正体を暴こうと。
「聞いていたのでしょう?ピアノの音。あれは、ショパンの夜想曲。それを弾いていました。これで文句ないでしょうか?」
先程の涙が嘘のように枯れていて、こちらを敵視する様な鋭い眼光がなおも続いていた。黒瀬泉、彼女の名前をいつ切り出すか、探り探りしていた。
「さっき、名前を…」
バァーン!
黒髪の彼女はピアノの鍵盤を思い切り叩いて大きな音を出した。正直、驚いてしまった。
「貴方、誰ですか?ここの生徒の人ですか?私はここの生徒は信用していません。なので、貴方と喋る必要性がありません。」
そう言うと、ピアノを閉じ立ち去ろうとした。
俺は咄嗟に彼女の腕を掴んでいた。
「なんですか。私、一応、合気道習ってるんですけど。」
彼女は振り向かずに言った。その言葉が恐怖を感じさせ、思わず手を離してしまった。
「あ、ごめん…」
そう言うと、彼女はまた、スタスタと歩き出した。
「さっきのさ!」
ここで、逃げてはダメだと思い、黒瀬泉の事を聞こうとした。彼女も俺の声に再度立ち止まり、呆れた様なため息をついて、なんですか、と振り向いた。
「泉…黒瀬泉の名前言ってましたよね。」
彼女の目が大きく見開くのが、分かった。
NOCTURNE2
二年前、高校一年生のとき、俺は幼馴染の黒瀬泉と同じ、桜岡高校に入った。特に将来何になりたいとも思わず、黒瀬もいるし、どこでも良いかという軽い気持ちで入学した。入学してからは黒瀬と同じクラスになり、司とも知り合え、ラグビーを通して色々なタイプの友達ができ、それなりに高校も楽しいと思えてきた。
────そんな事を思い始めて、数日の事だった。
いつもは黒瀬と一緒に帰るのだが、その日は司達とご飯を食べて帰る予定になっていたので、黒瀬とは校門で分かれ、俺は司達とご飯を食べに行った。家では、今日の学校のことや、部活のことなど、どちらかが眠くなるまでメールのやり取りをしていたのだが、その日は家に帰りついてもメールの返信はなく、翌朝もメールは来なかった。
いつも通りの朝、何も変化のない朝に登校していると、目の前には踏切の前に佇んでいる黒瀬の後ろ姿が見えた。声をかけようと乗っていた自転車を思い切り漕ごうとした時、電車の音と共に、黒瀬の姿が消えた。目の前で…。近くまで来ていた俺の足元には、澄んだ赤色を帯びた靴が飛んできた。
「おい!まだパスのタイミングじゃないだろ!」
司がグラウンドで後輩達に檄を飛ばしていた。
「あなたが、赤波直人くんなのね?」
後輩達が部活を行っているグラウンドのベンチに音楽室から移動し、二人して座った。
「はい。黒瀬とは…」
幼馴染である事を伝えようとすると、うんと大きな相槌で、言葉を遮られた。
「知ってる。泉から聞いてた。」
ぁあ…納得したのかしていないのか、自分でもわからない相槌をした。
「黒瀬とはどういった関係で?」
変に握り拳を作って、膝の上に置いた。手に汗握るとはこの事かと実感した。
「うん。私は白石真奈美、泉とは家族ぐるみで仲良しの幼馴染だったの。私は中学卒業と同時にお父さんの仕事の関係で海外に行ってたの。」
所謂、帰国子女という奴か…
「二年前に泉が死んだのを聞いて衝撃を受けたわ…」
「泉が亡くなってから、日本に帰ってくるのは初めて?」
「そうね。一時、日本に帰ろうとしたけどお父さんもお母さんも忙しくて、私一人も危険だとも言われてたの。高校一年生だったしね…」
「こっちには一人で?」
「うん。日本の大学に行くからと言って、両親を説得させてこっちに戻ってきたの。」
そうなのか…。話を聞いていて、自分の頭の整理が出来た。
「でも、日本の大学の為にわざわざ戻ってきたの?海外の方が学は上の方な気がするけど…」
彼女は下を向き項垂れた。
「そうよね、たしかに、今まで海外に居て勉強するならそっちの大学の方がいいってこと位、誰でも分かるわよね…」
何か気に障る事でも言ったかと思うほど、彼女の表情は暗くなった。
「彼女が死んだ前の日の夜…」
白石は、自分の両肩を抱くように、再び項垂れた。俺も言葉が出なく、そんな彼女を見るしかなかった。
「メールきたの…」
そういうと、携帯を取り出した。
「あたし、合わせる顔がない。もう、生きていたくない、ホントにごめん。」
携帯の画面を見ながら、声を震わせ言葉を発した。一瞬でその日の事が頭を鮮明によぎった。事故じゃない?自殺?なんで?何があった?目の前で死んだ。なぜ俺にはメールが?色々な事が頭を巡り混乱した。彼女も音楽室で聞いた声を出して泣いていた。悲しいのか寂しいのか、今はただ、何を考えるにも自分がどういった感情なのかが、謎のままだった。
鼻をすすりながらクシャクシャの顔をハンカチで拭き、携帯をしまった。
直人くん!
彼女は勢いよく俺の両手を掴んで叫んだ。
「泉は自殺するような子じゃないのは分かってる。でも、絶対に事故なんかじゃない!何かあったに違いない!自殺した理由が!」
俺も思っていた。泉は自分から命を絶つ、そんな子では無いことを。だから、自分の中では事故だと結論を出していた。しかし、そのメールを聞き、自殺であると確信がもてた。そして、白石が日本に戻ってきた理由も分かった。
白石は再び顔をクシャクシャにしながら訴えてきた。そんな顔でも美しいという事と、勢いに圧され後ろめいた。彼女は声を上げ、俺の胸に顔を埋めて泣いた。
「直人!ここは練習場だぞ!」
グラウンドで司と後輩達がニヤニヤしながらこちらを見ている。白石は気付かずまだ、顔を埋めている。彼等に謝罪するか、それとも否定するか、どちらにせよ彼女には迷惑をかけると感じた。そんな戸惑った顔を見てか、司は表情を変え頷いた。
「おい!やるぞ!」
はい!後輩達の大きな返事とともに、練習は再開された。多分、司なりに何かも感じたかもしれない。そして、白石も何かを感じたのか、急いで顔を上げた。
「ごめんなさい…」
「あ、うん。場所変える?」
白石は涙を拭い、首を横に振った。
「とりあえず、電話番号とメールだけでも交換して、また明日。」
女の子との連絡先を交換するのは、どの状況においても緊張すると、胸の鼓動で気付いた。
「学校の近くに住んでるの?」
「うん。そうよ。」
「どこで話そうか。ここも君がいた三年前とは違って色々変わってきてるから…」
「うん。分かってる。大丈夫、また連絡する。」
そういうと、ベンチから立ち上がりグラウンドを後にした。
夕焼け空に部員達の声が響き渡る…
今は、いや、今までと同じ様に黒瀬の事について更に考えることになる。
この二年間、逃げてきた俺は初めて向き合う決心が着いた。彼女を救えなかったのは事故でも自殺でも同じだが、原因を追求することに意味があると感じた。そう思いながら、俺は司の方に走っていき、スッキリとした感情の中、楕円のボールを追いかけた。
NOCTURNE3
「本日から桜岡高校に転入してきました、白石真奈美です。就職や進学と忙しい時期に転入してきたので、短い期間ですがよろしくお願いします。」
朝のホームルームで、白石は自己紹介をしていた。
「おい直人、あれって昨日の美人さんじゃないのか?」
後ろの席の司が驚いた表情で話しかけてきた。勿論、俺自身も驚いているので気持ちはよく分かった。
「そうだな。びっくりした。」
お前も知らなかったのかよと、さらに驚いていた。確かに司の言うとおり、彼女が美人なのは理解していたが、クラスの反応でそれは強いものになった。クラスの男子は美人可愛いと、女子は美人や綺麗と第一印象は抜群であった。
「それじゃ、あそこの席にお願いね。」
担任は司の後ろの空いている席を指して言った。
分かりました。白石は担任が指した席に向かって歩いた。俺の横を通る時に彼女は視線を合わせ頷いた。
ホームルームが終わると、白石の周りには人集りがつくられていた。どこから来たのや、趣味は、なんと呼べばいい?と、質問責めにあっている様だった。その輪の中には司もいた。
「俺、青峰司、よろしくね!」
一際大きな声で自己紹介をしているなと、呆れた。
「ねえ、赤波くん?」
同じクラスの南光が話しかけてきた。彼女とは一年の時から仲良くしている。
「ん、どうしたの南。」
「彼女と知り合いなの?」
「え、なんで?」
「んー、アイコンタクトとってた様な気がしたから…」
南は勘が鋭いというか、よく周りを見ている、いつも思わされていた。
「そうかな?たまたま目が合っただけだよ?」
別に隠すつもりもないのだが、言葉が出てしまった。そう、と言うと南は、白石の人集りの中に入っていった。
休み時間も、彼女への周りからの質問は続けられており、時折目が合う程度であった。
「もう、ほんと疲れる…」
昼休み、俺は目線で合図を送り、彼女を音楽室まで誘った。
「ははっ、皆元気な奴ばかりだね。」
「もう、早く連れ出してよ、ほんとストレス溜まるんだから。」
昨日、深刻な話をしたと思えない程、お互いが笑いながら話ができた。
「ちょっと憂さ晴らしに…」
彼女はピアノに近づき椅子に座った。
「聞いててもいいかな?」
笑顔で頷く、それを見て素直に可愛いと思った。
初めて会ったあの時の曲であった。やはり美しく、そしてどこか悲しみを帯びた音色が心地いい。彼女は目を閉じながら真剣に弾いていた。
この曲ね…。曲が終わると彼女は口を開いた。
「子供の頃、よく泉と一緒に練習していたの。」
あの日を懐かしむように微笑んでいた。悲しみを帯びた音色の意味が分かった様な気がした。
「そうか、あいつピアノ弾けたんだな…。」
「あれ?聴いたことなかった?」
「うん、なかったかな?」
そう…。下を向いて言った。彼女は悲しいのか、少し微笑んでいるのか、なんとも言えない表情だった。
ガラガラと突然音楽室の扉が開いた。それと同時に拍手も聞こえた。
「実に素晴らしい…なんとキレイな音を奏でるのか…。」
彼は白石に近づき彼女の両手を握った。
「才色兼備とはまさにこのこと…貴女は素晴らしい!」
呆れた表情な俺と、驚きというより若干引いている白石の表情をみて、更に彼は発言した。
「直人よ!君は何故こんな美人とお友達なのだ!」
彼女の手を握ったまま顔だけは俺の方を向いていた。ぁあ…面倒臭い奴だと思いながら頭を掻いた。
「あの…貴方は?」
白石は勇気を振り絞って聞いた、と言った気持ちだと思った。
「これは失礼、私は…」
長い自己紹介が始まる…そう感じた。
「こいつは、緑川竜二、俺の友達。すごく面倒臭い奴でごめんね?」
一応自己紹介と謝罪はした。しかし、不満だったか、俺の肩を掴み俺を後ろに引いた。
「直人!情報が少ないだろ!私は…」
うるさい。白石のその言葉に緑川はよろめいた。
「直人くんの友達なのは理解した。それ以上の情報はいらないわ。見た感じ結構顔がよくてハンサムで周りの女の子からチヤホヤされている人だろうけど、私には不要よ、興味ないわ。」
でた。お嬢様口調。少しどころか大きなダメージを受けた表情をしている緑川を見て、クスリと笑ってしまった。
「あ…あ…」
しどろもどろになっている。彼女の言った言葉は的を得た発言であったのは確かだ。緑川はバスケ部であり、同級や後輩の女の子から黄色い声を受けている。そんな自分に酔っているようだ。
「ごめん…。そんなつもりじゃなかったのだけども…。」
緑川は暗い顔をして白石に謝罪をした。彼女ももういいよと、許した。
「あなたのお友達は個性的ね。」
緑川は落ち込んだまま音楽室を後にした。
「ごめんな、悪い奴じゃないからさ。」
半分笑いながら言った。白石も分かってる、と言った反応であった。
「ところで、直人くんが信用している人達を知りたい。」
さっきとは違う表情で問いかけてきた。
「泉についての協力者が欲しい。」
確かに、白石が転入してきた理由はそこにある。
「わかった。」
決意を決めて、泉の真実を明確にしたい。そう感じた。
NOCTURNE4
「あいつは同級生や下級生の女子からは人気あるよ。」
「まぁ、あの容姿ならそうかもね。女の子の情報はそこから収集できそうね。」
音楽室で白石と、俺が信頼できる友人について話していた。
「緑川君はチャラチャラしているけど、いい情報源になりそうね。」
白石はメモを取りながら俺の話を聞いていた。
「あとは、黄金崎亮太かな?」
俺は携帯でクラスの集合写真を見せ、顔と名前を彼女に教えていた。
「司と俺と同じラグビー部で、進学先もラグビーで大学に行くことになっている奴。根はまじめで熱い男だよ。」
「そう。基本的にはあなたの周りの男の子は信頼するつもりよ。」
そうか。なんの根拠かも分からないが、泉が死んだことにより、この高校の生徒はあまり信用できていない様だった。
「ラグビー部以外には、緑川君だけ?」
彼女は表情変えずに問いかけてきた。
「茶ノ木一也か。野球部でこいつも、野球で大学が決まってるんだ。司と同じ中学校出身で、それで仲良くなったかな?」
「司君は直人くんにとって大切な存在だね。」
微笑みながら語りかけてくる彼女はまるで、無邪気な子供の様だった。直視できなく、目線を彼女から逸らした。
「あ…あとは一也の彼女の桃田愛かな。彼女は写真部でいろいろな写真を撮ってる。黒瀬とも仲良くて、一年の頃はよく泉をモデルにして色々写真撮ってたみたいだよ。」
「そう。泉、スタイルよかったもんね。」
「そうだね。」
泉はメモ帳を睨んでいた。
「どうした?」
話しかけると彼女はクラスの写真をまじまじと見ていた。
「この子とは仲は良くないの?」
白石は一人の女性を指していた。
「あ、南?」
「そう。私がクラスの人達に質問攻めにあっているときに、唯一直人くんのところに来た人じゃない?」
南も観察力が凄いが、白石もよく回りを見ているなと感じた。
「よく見ていたね。彼女は南光。一年のときから普通に仲が良いんだ。」
白石はフーン、と言いながら、再度写真を見直した。
「信用できる人は同級にしかいない?」
「いや、後輩にも何人かいるよ?」
────放課後も彼女は大人数に絡まれていた。
白石さん、うちの近くに美味しい…、ショッピングに…ここのプリクラが…。ホントに聞いているだけでも疲れるなと感じた
「ごめんなさい。あたし赤波くんと用事があるの…。」
突然の彼女の発言に周りもだが、俺も驚愕した。
「お…おい、白石…」
俺がオドオドしていると、さあ行きましょうと、彼女は俺の手を引いて歩いた。周りがざわついているのが分かり、後ろは振り向きたくはなかった。
「白石…、どこに行くんだよ。」
ずんずんと周りの目も見向きもせずに歩いて行った。その間、白石はずっと前を向き、俺の手は離れないようにしっかりと握っていた。
「真奈美先輩、直人さん、お久しぶりです。」
学校の近くのカフェに連れてこられた。そこには黒瀬の妹、黒瀬由美がいた。
「久しぶりね、由美ちゃん。」
「はい。真奈美先輩、相変わらずお綺麗ですね。」
由美と白石は勿論久しぶりにあったようで、色々な話をしていた。
「ところで、先輩。今日は突然どうしたんですか?」
由美は呼び出されたのを思い出したかのように聞いた。
「そうね。大事な話があるの。」
そういうと、携帯を取り出し、例のメールを見せた。
由美は携帯を握りしめ画面を凝視したまま固まっていた。
白石も彼女に知らせるのが不安だったと、のちに聞いた話だったが、この話から真実に一歩近づけることになるのはこの時点では予想もつかなかった。
NOCTURNE5
「うん…」
由美はそっと携帯を白石に返した。
「由美…、衝撃は多いと思う。だけど、少しでもあいつの情報が欲しい。なんでこんなことになったかの。」
あのメールを見せるのは酷だとは思った、残酷だとは思った。白石も苦痛の表情を浮かべている。彼女が一番つらいのはわかっている。こんなメールを送られて一番近くに居れなく、遠いところで訃報を聞いたのを。彼女なりに自分の中にある二年間の苦しみを解決したいことを。俺も近くにいながら救えなかった彼女の心情を、彼女の思いと同化させて真実を突き止めたいと思っている。
「由美ちゃん、泉がその日どうしたのかってわかる?」
由美は深刻な顔をしていることもなく、机を一点集中していた。
沈黙していた由美が口を開いた。
「私も衝撃でその日の事は、あまり覚えていませんが…」
そういうと彼女は鞄からメモ帳の様なものを取り出した。
「それは?」
「あの日の出来事を綴ってます。」
几帳面な彼女はその日の事をまとめていたようだ。
「もっとも、開くのはその日以来なので」
そう言いながら、メモ帳を持つ彼女の手は小刻みに震えていた。その手を白石は両手で包み込んだ。
「ごめんね。怖いよね。お姉ちゃんが亡くなってから二年だもんね。私も最初は日本に帰ってくるのが凄く怖かった。でもね、彼女のために、今振り返るべきだと思うの。今、全てを、真実を掴むべきだと思うの。」
白石は涙目で由美に訴えていた。その光景は、いかに泉が二人にとって大事なのかを物語っていたように見えた。
「はい…。」
由美も声を震わせ、涙目になりながらメモ帳を開いた。三人の間に唯ならぬ緊張感、沈黙が続いた。
「帰るのが遅かった。ご飯も食べずに部屋に閉じこもった。次の日の朝もご飯を食べること無く、すぐに家を出て行った。」
由美は勇気を振り絞ったのだろう、読み終わったあと脱力するように肩の力が抜けたように見えた。
「そこには、そう書いてあるのね?」
再度確認するように白石は再び由美の両手を掴み問いかけていた。
「はい。いつも帰ってきた時は元気よくただいまって言って皆でご飯を食べてたんです。その日は、何も言わず直ぐにお風呂に入り、その後部屋に閉じこもってました。ノックしても返事もなかったです。」
帰りが遅かった。その言葉に引っかかった。その日は校門で同じタイミングで別れて、そのまま黒瀬は帰ったはず。だから、いつもと同じ時間になるはずだと。しかし、その間に何かが起きたに違いない、そう思わざる負えなかった。この話を二人にした。
「そう…。それなら帰る時間が遅いのはおかしいわね。」
再び、沈黙が続いた。俺自身の中でも、あの時誘っておけば、あの時一緒に帰っておけばと罪悪感が込み上げてきた。ふと見上げると、由美は俺の方を見ていた。
「直人さん。自分を責めないでください。」
由美は俺の心を見透かしたかのように言葉を発した。
「直人さんのせいじゃありません。事故にしろ自殺にしろ、これはお姉ちゃんの運命だったんですから。」
大人だな、俺とは違って全てを見透かしてような、でも自分でも何かを背負っているような、そんな気がした。
「そうね。誰も責めたりもしてない。兎に角、真実が私は知りたい。」
白石も俺をフォローするかのようだった。
「由美ちゃん、辛かったろうけど頑張ってくれてありがとう。後は、私と直人くんに任せて。必ず真実を突き止めるから。」
由美に取っては心強い、いや由美だけでなく俺も、そして黒瀬にも心強い見方がついてくれたと感じた。
────カシャカシャ
グラウンドで朝練をする野球部を屋上から撮影していた。
「朝から元気だな。桃田。」
桃田愛はレンズをこちらに向けて一枚写真を撮った。
「おはよう、直人くん。えーっと、確か…。」
白石の方を向いて、首を傾げていた。どこぞの美人が転校してきたのは学校で有名になっているみたいであった。
「はじめまして、白石真奈美です。」
「あ、そうそう。美人で可愛い白石さん!あたしは桃田愛!よろしくね!」
桃田は元気よく挨拶をして、手を白石に差し出した。彼女も心を赦したこのように笑顔でその手を握り返した。
「司君から聞いてた通り、やっぱり美人ね。」
彼女の体を上から下からとまじまじと見ていた。それに照れたのか、顔が少し赤くなっていた。
「あ、ありがとう。」
モジモジとしている姿を桃田は写真に収めた。
「どうしたの?こんな朝早くに?」
桃田は質問しながらこちらに背中を向け、再びレンズをグラウンドに移した。
「黒瀬泉の事なんだけど…」
白石は一歩一歩彼女に近づきながら言った。
「桃田さんが撮った彼女の写真を見せて欲しいの。」
桃田の目はファインダーから外れ、そのまま真っ直ぐ向いていた。白石はそのまま自分と黒瀬との関係について語った。
「そう、泉ちゃんの…」
こちらに背を向けたまま手に持っていた一眼レフカメラを離した。首からぶら下がっているカメラはフラフラと揺れていた。
「写真部にある。大切に保管してある。」
声が震えていた。彼女もまた、黒瀬との思い出を振り返ったのであろうと思った。哀愁漂う背中に白石は再び語りかけた。
「私、ここの学校の人は信用していない。でも、貴女は信用出来る。泉からよく聞いていたの。友達によく写真を撮ってくれる友達が居ると。二人してモデルに成れるねって話してた。」
桃田は肩を震わせている。背中から悲しみを感じた。
「あたし達も話してた。モデルになれるって。将来約束してたの…あたしはカメラマン、泉はモデルになってあたしが泉を撮るんだって…。」
涙を流しながらこちらを振り向いた。白石はそれを見て彼女に近づき、抱きしめた。
「ありがとう。一緒に泣こう。」
二人は泣き始めた。お互いに黒瀬の為にと。
カキーンと青空に金属バットの音が鳴り響いた。彼女達の泣き声はこの空にも響いているだろう。
NOCTURNE6
「ここには写真部の皆が撮った写真がアルバムに残してあるの。」
〇年〇月と、区切られているアルバムがいくつも点在していた。その中身は人や風景を撮ったものものあれば、動物や物体を撮ったものもあった。
「すごい数ね。」
白石は圧倒されたかのように目を大きく見開いていた。
「そうね。歴代から続いてるものね。」
そういうと部屋の奥に進んでいった。そこには額縁に収められた写真が十数枚あった。
「ここは、コンクールに出した写真が最優秀賞を取ったのを飾ってある部屋なの。」
確かに、誰が見てもわかるような美しい風景の写真や、心情、情景が感じられる写真がある。その中でも一際目立った写真があった。
「二年前ね。彼女がグラウンドを見つめている姿が凄く素敵で写真に収めたの。」
その写真は、夕日をバックに柵ごしからグラウンドを見つめる黒瀬の姿であった。俺は感動した。背中からは哀愁が漂っていた。隣にいる白石は目をウルウルとさせていた。
「彼女には内緒で投稿したの。コンクールに最優秀賞貰った時、報告しようとしたけど、次の日から彼女は来なかったわ…」
沈黙になった。かける言葉も見つからなく、俺はその写真をずっと見ていた。白石も同じ気持ちで写真を見ているはずだ。
「あとは、あたしのアルバムかな。」
桃田は引き出しから一冊のアルバムを取り出した。表紙には『黒瀬 泉』と書かれていた。
「彼女が事故で亡くなったあと、自分でまとめたの。泉の為にって。でも、あたしが持ってても意味無いのよね。」
自分の中で整理をしようとしていた、その気持ちは痛いほど分かった。辛かっただろう、悲しかっただろう、自分のしている事が彼女の弔いになるのだろうかと。俺も同じ気持ちでいた時期があった。
「違うよ桃田。黒瀬は君に撮ってもらえただけでも嬉しかったはずだよ。君に持っていてほしいはずだよ。だからその写真は君が持っていてくれ。いつでも、彼女を思い出せる様に。」
俺は桃田を慰めるように言葉を発した。今までの自分では考えられない発言であることを自覚していた。自分を責め、出来事から逃げていた。でもそれは、白石と出会ってから少しずつ変わっていったのかもしれない。
「ありがとう、直人くん。」
桃田はアルバムを抱きしめた。
「そうね。泉も本望だわ。」
白石は桃田に近づき、携帯を差し出した。多分例のメールであったのだろう、桃田の目は見開いていた。衝撃だったのか、彼女は口を手で覆った。
「信用出来る人にしか見せていない。協力して欲しい。少しでも情報が欲しいの。」
桃田は未だに口を覆っていた。俺と白石は黙って返答を待つしかなかった。
桃田は携帯を白石に返し、アルバムも一緒に渡した。
「あたしは社交性ないし、お友達も少ない。一也君なら、多いかも。でも協力したい。あたしは写真でしか協力できないかもしれないけど、泉の為になにかしたい。」
桃田の目は真っ直ぐ向いていた。熱い思いが伝わってきた。
「一也くんもきっと協力してくれる。」
白石の手を握り頷いた。
「ありがとう。見せてもらうね、貴女と泉の絆。」
白石は桃田の手を強く握り返し、アルバムを大切に抱きしめた。
────昼休みの図書室では多くの生徒が本や、勉強を行っていた。辺りは静寂に包まれており、まるで時が止まっているかの様であった。
「何か写っている可能性は極めて低い…」
俺達は隅っこの方に居た。白石は先程桃田から預かったアルバムを広げながらボソボソと小声で話した。
「そうだな。でも、改めて黒瀬の色々な姿が見れるのは嬉しいけど。」
めくる度に彼女の素敵な写真がある。素晴らしいアルバムだと思った。夕日の彼女、笑顔の彼女、動いている彼女、全てが懐かしく思えた。
「直人くん、このアルバム貴方が持っていて。」
全てを見終わった彼女は俺にアルバムを渡した。いくら真実を知る必要があるにしろ、彼女の写真を見るのは辛いと感じた。
「これからどうする。」
「とりあえず、桃田さんから茶ノ木君への協力はお願いしてる。あとは…」
彼女はメモ帳を取り出した。
「緑川君はいいとして、黄金崎亮太君ね。」
俺の信用出来る友達には真相を話すつもりでいる。
「後輩にも居るんだったよね?」
そんな話をしていると、後ろから声をかけられた。
「直人先輩、珍しいですね。」
「本読まないのに。」
二人の女の子は俺に笑いながら話しかけてきた。
「お隣の先輩はもしかして、白石さんですか?」
彼女達は嬉しそうな顔で白石に話しかけた。しかし、白石は見向きもせずにいた。
「あ、こいつは白石真奈美。転入生だよ。」
俺は察して、紹介した。彼女達はやっぱりといった感じて小声で盛り上がっていた。
「白石先輩ですね。やっぱり美人ですね。」
一個下の後輩であるが若いと感じた。白石は彼女達には真正面は向かず、まるで見返り美人かのようにありがとうと言った。
「白石、さっき話してた信用出来る後輩だ。」
二人は何の話といった表情をしていたが、白石は急に二人の方を振り向いた。
「こっちのショートカットの子が夏目薫子、こっちの一つ結びをしている子が冬井美奈。二人ともラグビー部のマネージャーをしてくれてる。」
白石はそうと言うと机の方を再び振り向き、メモ帳に書き込んだ。
「白石さんとお話してもいいですか?」
彼女達は俺に聞いてきた。白石に直接聞けよと言い、白石は分かったと言った。
「…直人くん。この子達、もらうね。」
目は笑っていなかった、多分黒瀬の話をするのだろうと思った。彼女達は図書室を出ていった。俺は後輩達に女の話があるのでと残された。俺の周りが段々と固められてきたと感じた。まだ、何の情報も無いまま。
NOCTURNE7
「直人の頼み事だ。それに黒瀬の事だ。大丈夫、俺らはお前等の味方だ。」
教室の廊下で茶ノ木一也に協力を求めていた。
「しかしなんだ、今どこまで情報が集められているんだ?」
「それが…全然で。とりあえず今は信用出来る奴らに話を持ちかけているところでさ。」
一也は手を顎に当てて悩ましい表情をしていた。
「確かに、二年前の事だし第一、なんの情報が欲しいのかが俺には謎だな。」
一也は的確に指摘した。野球部でキャッチャーをしている事もあり冷静な指摘は、協力するからには全力で答えると言ったところであった。
「そうだな…、その日のことを覚えている…」
待て、と一也が制止してきた。再び考え込むと一つ案があると言い、正直に話していいか?と熱い視線でこちらを見ていた。熱意ある視線にありがたみを感じ一也の言葉に耳を傾けることにした。
「二年前だ、しかもその日の一日の事なんて俺は覚えていない。」
その通りだと思った。自分や白石はメールや目の前で目撃したと言うインパクトに当たり記憶が鮮明なのかもしれない。妹の由美でさえ覚えていない事なのだ。
「それを逆手に取ってだ。」
そういうと一也は俺達の教室に飛び込んだ。教卓にある一枚のラミネートされた紙を取り出した。
「とりあえず、うちのクラスの全員に話を聞こう。何か出来事があった事は人間忘れないと思うんだ。正直俺は、黒瀬とはそれほど仲良くは無かったし、当日の事も全然と言っていい程覚えていない。だから、覚えているやつを探そう。」
一也は携帯でそのラミネートされた紙を写真に撮った。
「これを俺がプリントアウトしてチェックを付ける。お前からその事を話せば同情してつい口を滑らせる奴がいるかもしれない。」
同情、口を滑らせる。その言葉に表情を変えずには居られなかった。辛いやら悲しいやらそういった感情では無く、心の中に穴が空いた、虚無感の様なモノがざわついている気がした。俺の表情を読み取ってか、一也は口に手を当てた。
「すまん…。お前にとっては大切な人だよな。本当に申し訳ない。俺も少し言葉を選ぶよ。」
許すも何も、一也が悪意のある言葉を発するはずがない。むしろ熱くなりすぎて言葉がおかしくなっただけだと思っていた。そう考えると、自然に笑いがこみ上げてきた。
「お…おい。直人何笑ってんだよ。」
一也は完全に戸惑っていただろう。
「悪い悪い、熱くなった一也は頼り甲斐があると思ってな。」
笑いながら一也に言った。言った本人も、勿論彼も訳が分からなかっただろう。一也は頭をポリポリと掻き咳払いをした。
「直人、大丈夫だ。」
一也の大丈夫は言葉の中で一番好きだ。心の不安や恐怖をいつも吹き飛ばしてくれた。ラグビーの試合の時も、彼女が亡くなった日も。何度救われたか、数える方が大変だ。本当に周りに支えられて生きていられると感じた。俺は空白の席に黒瀬の姿を写していた。
────「すまん、俺があの日お前を誘わなければな…」
学校の帰り道、白石と司に例の話をしていた。司は自責の念に駆られている様であった。
「謝るな、お前のせいじゃない。誰のせいでもないんだ。」
由美や白石に言われて心が成長したと、自分の言っている台詞で思った。司もそうかと頷き、協力すると握手を交わした。
「一也くんの考えは理にかなってるし、いいアイデアだと思う。」
そう言いながら彼女はメモ帳を取り出し、今まで話をしてきた人達との会話を思い出していた。
「直人くんの周りの信頼出来る人達は全員、覚えていなかった。覚えていたとしても記憶の片鱗程度ね。」
「それなら、一也の言った通りクラスに全員に聞いてみるか?」
司はページをめくる白石の顔を覗き込みながら聞いた。白石も頷いてはいたが俺は少し不安があった。
「一也の考えは本当に一理あると思う、でもさ、感の良い奴なら何か変に隠すんじゃないか?」
司は唸っていた。また振り出しに戻った、そんな表情をしていた。
「それもそうね。嘘つかれたらアリバイが証明できないし。」
白石は再びメモ帳に目をやった。
「とりあえず直人くんの後輩の夏目ちゃんと冬井ちゃん、彼女達にも真実を話したわ。直人先輩が困っているなら助けたいって。」
感謝だった。後輩にまで荷を追わせると思っていたが皆が協力的で安心した。
「亮太にも言っておかないとな。」
「そうね。とりあえず司君と直人くんでその黄金崎亮太君に話してみて。」
三人で帰り道を歩く…一年の時はここに白石ではなく黒瀬が居たんだと思い出し、少し涙目になった。それを誤魔化す様に司は俺の方を組んだ。
「直人、俺らのチームワークを発揮させようぜ!」
俺の方に顔を覗かせ、白石には見えない様にしてくれた。司にしろ一也にしろ白石にしろ周りに強い仲間がいることで俺も頑張れる、そう思うと更に涙が溢れてきそうだった。俺はそっと空を見上げた。いつも屋上から見る綺麗な夕焼けよりも更に綺麗に見えた。
NOCTURNE8
学校がない日、朝早くから亮太はランニングをしていつも同じ公園でストレッチをしている。その事を白石に伝えると、朝早く起きるハメになり、その公園であいつを待っている。本当に朝は苦手だ…。
「ここの公園であってるの?」
かれこれ十五分程ここにいるので、白石もしびれを切らしているのかもしれない。勿論、俺は休みの日に早起きをした時点でそういう状態であるが、そんな事お嬢様には言えない。
「うん。司と亮太と、三人でよくここまで来てたんだよ。今も続けているらしい。」
ラグビー時代は休みの日まで練習やらトレーニングやら三人でしていた。今となっては引退して何も運動をしなくなった自分と軽い運動はしている司、そしてラグビーで、大学に行く亮太との二人とはだいぶ差がついてきたと感じている。
「ねえ、あれ?じゃないよね?」
黒いニット帽に黒のサウナスーツ、マスクも付け完全に不審者のような格好をした男を指しながら彼女は言った。
「あー、あれだ。」
彼女は驚いた、本当に?と再度確認をしてきたが間違いなく亮太である。
「おい、亮太。」
段々近付く彼に白石はビクビクしている感じがした。それもそのはず、その不審者のような格好、更に身長が190センチ程ある男なのだから。
「なんだ、直人か。」
彼は息を切らすことなく、足を止めずその場で駆け足をしていた。
「相変わらず変な格好してんな。」
白石を気遣い、その格好に理由があるということを彼に言わせた。
「仕方ないだろ、こうでもしないと一応ラグビー会では有名人だからな。」
ようやく足を止めた彼は腕を伸ばしたり足を伸ばしたりと止まることなくストレッチを行った。ふと、白石を見ると俺の後ろに若干ではあるが隠れていた。
「あれ?その子誰?」
しかし、バレてしまった。白石は俺の背中の服を掴んだまま前に出てきた。よっぽど驚いたのか今だに震えていた。
「し…白石真奈美です。桜岡高校に…」
「あー!君か、綺麗で可愛い転校生は!」
声のボリュームに彼女はビクっとなっていた。俺は可愛いと思いながらも面白く見ていた。
「お前に驚いてんだよ。とりあえず帽子とマスク取れよ。」
笑いがこみ上げてきそうになったがなんとか堪え、亮太に言えた。亮太はそうかそうかとニット帽とマスクを外し、改めて自己紹介をした。
「黄金崎亮太、宜しく。」
大きい手を彼女に差し伸べ握手を求めた。汗ばんでは居たが彼女は快く握手をした。
「貴方に折り入って話したい事があるの。」
白石は手を握ったまま亮太に例の話をした。
「分かった。俺にできることがあるならなんでも言ってくれ。力になる。」
亮太は笑顔で受け答えしてくれた。
「でも、何をすればいいのか、そこまでは考えていないのか?」
白石は続けて一也の提案した方法を話した。亮太も納得した表情であった。
「同じ学校じゃなくても、他校の奴らにも当たるってのもいいかもな。」
亮太は先程言ったように、高校ラグビー界隈では有名人であり、そのためか他校の生徒とも仲が良い。白石は強い味方が出来たと言い、再度亮太に協力をお願いした。俺も白石と一緒に亮太に頭を下げた。
────「だから知らないって!」
白石と廊下を歩いていたら、教室の方から怒号が聞こえた。その怒号の台詞だけあって、もしかしてと白石と顔を見合わせ、急いで教室へ向かった。怒号を向けられている相手は一也であった。
「落ち着けよ、何ムキになってんだよ!」
一也は彼を宥めるように言ったが、彼は聞く耳を持っていない状態であった。
「ムキになってねーよ!」
まさしく子供のような、反抗期のような言い回しであった。白石は一也が宥めている相手が誰かを聞いてきた。
「あいつは北川駿介。サッカー部でキャプテンを務めてて冷静なやつなんだけど、たまにああやってキレる事があるんだ。」
北川は一也の胸ぐらを掴んだ。
「何も知らないって言ってんだろ!」
今にも殴りかかりそうな勢いにクラス全員が唖然にとられていた。一也も胸ぐらを掴み返して大声で反論していた。俺は危ないと思い、二人の間に入っていった。
「一也!駿介!やめろ!」
手を解き、二人の距離を遠ざけた。一也は遠ざけてから大人しく見ていたが、駿介はふざけるなとばかりに暴れだしそうであった。
「北川!どうした!」
司が駿介の後ろに回り込み、彼を羽交い締めにした。司の力に敵わないと感じたのか、ようやく駿介も大人しくなった。
「今ここで喧嘩しても就職や進学に響くだけだぞ。何があったんだよ。」
二人を見ながら友達として注意した。一也はすまないと言い椅子に座ったが、駿介は司からの羽交い締めを解き教室を出ていってしまった。クラス全員が噂をしているのか、ヒソヒソと話していた。教室には重たい空気が流れていた。
「一也君、こっち来て。」
その空気を打ち消すかのように白石が言葉を発した。教室は静寂に包まれた。俺達はそのまま屋上に向かった。
NOCTURNE9
「あの事か?」
白石、一也、司と一緒に屋上に向かい、駿介と一也の口論について話していた。屋上に向かう途中、怒号を聞きつけてか、桃田も合流した。
「直人、あいつ何か知ってるかも。」
一也は深刻な顔をして俺の方を見つめていた。その言葉に白石と桃田は驚いた表情をしていた。司は俺も同じ場所に居たから知っていると話していた。
「何か、情報があったの?」
白石は一也に対して前のめりになり、その質問に対しての答を求めていた。
「お前達が話したあの方法、あながち間違っていなかったって事だな。」
司は白石に向かって言った。あの方法は一也の提案したことであることはここに居る全員は承知済みであった。
「あの日の事を駿介に聞いたんだ。他愛もない会話から自然に持っていけた。」
一也は司と目を合わせると頷いた。何かをお互いに確信したであろう表情で。
「鮮明に覚えていたよ。日付も、どこで何をしていたかって事も。」
桃田は口に手を当てて目を見開いていた。本当に真実がそこにあるという事は全員にとって衝撃であったのは間違いない。一方、白石は驚きもせず真剣に一也の話を聞いていた。早く続きが聞きたい、その様な赴きであった。
「俺が日付を言う前には、何月何日だったよな?って逆に質問された。なあ直人、あいつら仲良かったか?」
黒瀬と駿介が仲が良く、何かインパクトがあるのなら覚えているはずだと一也とは先に話していた。俺は二年前の事を思い出していた。
────「直くん聞いて。」
黒瀬は帰り道、俺の袖を掴みながら無邪気に話しかけてきた。入学してまだ間もなく、まだ中学のノリが残っている感覚であった。
「ん?どうした?」
「実はねー…」
黒瀬はモジモジとしながらカバンの中に手を入れた。内側のポケット辺りから出したのは鮮明に覚えている。黒瀬は一枚の紙切れを俺に渡してきた。
「これは?」
黒瀬は黙って目で合図をしてきた。多分、開けてみてとの事なんだろうとは思った。その紙切れは丁寧に折られており、表には(黒瀬泉さんへ)と書かれていた。察するに黒瀬に対してのラブレターだと感じた。俺はその文字を見てニヤニヤしながら黒瀬に開けていいのか?と再確認した。しかし、俺の手は黒瀬の返答を聞く前には手紙を開けていた。
「入学式で一目見た時から好きでした。よろしければお付き合いしてください。 北川駿介」
手紙は駿介からの物だった。当時、サッカー部一年で恰好いい人が居ると一年の女子からは高評価であった。俺は驚きながらも、黒瀬に聞いた。
「それで、どうしたんだよ?」
黒瀬はつまんないと言いながら結末を話してくれた。
「教室で会ったよ。お断りした。」
ピースをしながら俺に笑いかけてきた。自分も内心ホッとしたの感覚はあった。それから黒瀬と駿介が話しているところを見たことはない。むしろ、駿介はモテていたので振られたと言うのを知られたくなく、黒瀬を避けていたと考える方が無難であった。事実、その様な話を聞いたこともあり、行動でそういう感じであるのは分かっていた。
────「話をしてなかったし、仲良くは無いと思う。」
当時の事を話しながら一也に返答した。一也はなるほどと言い司の方を向いた。司も一也を見返し再度頷いた。
「何かあるな、まだ確定は出来ないが調べてみる価値はありそうだな。」
一歩前進した、そんな感じであった。とりあえず、黒瀬と駿介との関わりを皆に伝えた。
「怨恨…はないよね。」
桃田は笑いながら一也に問いかけた。一也もそれは無いと言った感じで対応をしていた。
「愛は黒瀬からはなにか聞いてなかったのか?」
「その話は聞いたことあったよ。」
「そっからの話は何かあったか?」
一也は桃田に質問責めをしていた。桃田も少し戸惑っていた。
「一也君、そんなに焦らないで。」
一也の質問責めを白石が制止した。続けて白石はそんなに焦らなくても彼女は答えるわよ、と話した。一也も落ち着いたのか桃田に謝罪をした。
「うん…そのあとの事は何も聞いてない。直人くんも言ってた通り北川君は避けてたと思うよ。」
やはりと感じた。北川駿介が何かを知っている事はここの全員が理解していたに違いない。間違いなく前進した。
「おい!」
遠くから声がした。声の主は急いで俺達の所に向かってきた。
「どうしたんだよ。」
彼は息を切らすことなく続けて言葉を発した。
「直人、見つけた。」
そこにいる全員は同じ感情になったと思う。驚愕した。また、真実を知るものが現れたと。
「何があったんだよ、亮太!」
俺は大声で叫んでいた。屋上からは俺の声が響いていた。
NOCTURNE10
「早苗ちゃん?」
桃田は驚いた表情をしていた。白石に俺は説明をした。
「東郷早苗、桃田と同じ写真部で桃田よりもおとなしい子。あまり人前に出るのは好きじゃない方で、教室の隅っこで本読んでる。」
白石は瞬く間にメモに書き込んだ。しかし、そんな子が何を語ったのか亮太に聞いた。
「その日は図書館に行ってたって。」
桃田は未だに驚いていた。もしかして、と白石が口を開いた。
「北川君も一緒に居たんじゃない?」
司と一也は目を丸くしていた。多分、白石はそれに気付いたのだと思う。
「お、おう。なんだ知っていたのか。」
亮太は呆気に取られていたが白石はやはり、という感じであった。我々にとっては衝撃であった事には違いない。
亮太は司にどう言うことだと、頭にはてなマークを浮かべながら聞いていた。
「二人は繋がりがありそうね…」
白石の目は怒りと言うか、確信を付いたと言うか。なんとも鋭い目をしていた。
────学校から少し離れた公園。そこのトイレの裏から白い煙が発っていた。臭い匂いだ。
「まだここで吸ってるのか…」
あ!直人先輩!
彼は持っていた煙草を背中の方に隠した。慌てたのか、その煙草は地面に落ちた。
「徹也、体力は大丈夫なのか?」
徹也は中学からの後輩、ラグビー部の後輩でもある。彼は高校一年から煙草を吸っている。体力や学力は優秀なのでそんな奴には周りは見えないみたいだ。俺は別に煙草に対してどうこう意義も無いので止めることはしなかったが、軽く注意程度はあった。しかも徹也はここらの大企業、秋口財閥の息子でもあったから誰も注意はしなかったと思う。徹也は笑いながら俺に語りかけた。
「すいません…」
「別に説教するつもりはないよ。」
徹也は再び地面で煙草を消して、持っていた携帯灰皿に吸殻を入れた。
「どうしたんですか先輩?」
「ぁあ、財閥の息子に頼み事があってな。」
徹也は明らかな嫌な顔をした。
「先輩はそういう人じゃ無いと思っていたんですけど…」
そう言うと彼は財布を取り出した。何を勘違いしてか、金銭の貸し借りだと思ったらしい。
「馬鹿、違うよ。」
俺は徹也の財布を突き返して言った。良かったと安堵の表情を彼は見せた。そんな人じゃ無いですよねと、俺の肩を叩きながら言った。
「でも、なんですか?財閥に?就職?」
「いや、実はな…」
俺は徹也に黒瀬の件を話した。白石から転送してもらったメールも同時に見せることにした。黒瀬の事は中学で知っていたので、彼も衝撃であった事には違いない。
「なんですかそれ!?」
彼からは大声がでた。俺は続けて今行っている事を話した。
「なるほど、薫子も美奈も協力してるんですね。」
一通り説明したあと、本題を徹也に話した。
「調べて欲しい事があるんだ。」
「はい!泉先輩の事ならなんなりと!」
調べる力に関しては財閥が有利だと考えた自分が虚しい感じがしたが、黒瀬のためだと更に自分に言い聞かせた。
────「どう思う?」
音楽室で白石と二人で話をしていた。
「あいつらが何かを知っているのは間違いない。ただ、あまりに接すると拒否られる可能性があるよな。」
そうよねと、白石は頷いた。
「これからどうするの?」
俺は秋口徹也のついて話した。今、色々調べてもらっている最中であることも明かした。
「そう。直人くん、ありがとうね。」
白石は何故か感謝の言葉を述べてきた。よく見ると彼女の目には涙が溢れていた。どうした、そんな言葉をかける事もできずにいた。ただ、こちらの方がありがとうだと言うことを伝えた。
「白石、君が居なければ俺は黒瀬の事をずっと自分のせいだと思って引きずっていた。でも、今は真実が知りたい。只々、真実が知りたいんだ。ありがとうは、全部が解決してから、俺から改めて言うよ。」
白石は涙を拭きながらピアノの方へ向かった。
ショパンってね…
彼女はピアノに向かいながら話した。その声は震えていたかのように聞こえた。
「ピアノの詩人って言われているの。ピアノの独奏曲が多くてね、美しい旋律を奏でることから、その名が付いたし、新しいピアノの音を開発した人と言っても過言ではないのよ。」
彼女は椅子に座りピアノを開いた。
「中でもあたしが好きなのは夜想曲第二番変ホ長調。」
そう言うと彼女はピアノを弾き始めた。曲は勿論、夜想曲。彼女は弾きながら話を続けた。
「同じような旋律が続いて内容がある作品では無いんだけど、弾く人によっては色々な感情を生み出すと私は思ってるの。」
弾く人によって色々な感情…。初めて彼女の弾く音を聞いた時はどこか悲しげな、寂しげな曲調にも聞こえた。
「中学からこの曲を泉と弾く様になったんだけど、泉の弾く夜想曲は素敵だった。恋する乙女の楽しげな音楽に。でも、私のはいつまで経ってもただの音だった。単に音を出してるだけだった。」
そうは感じなかった。今聞いている音は間違いなくただの音では無いことは俺でも理解出来る。白石は虚ろな目で只々ピアノを奏でていた。
「ある時から音が良くなったの…泉が亡くなってから…。」
そうか、白石は悲しい、寂しい感情をこの夜想曲に載せているのか。
「泉が亡くなって、泉の好きな夜想曲が上手くなるなんて…」
ジャーン。夜想曲が終わると共に、鍵盤を叩く音がした。俺は驚きはしなかった。白石の感情は痛い程分かるような気がしていた。
白石は再び演奏を始めた。夜想曲とは違う、悲しい音色と共にどこか懐かしい音色であった。
NOCTURNE