歩行者天国

織沢実

 歩道の隅でたまに猫の死骸を見かけることがある。
車に轢かれたのか、自転車に轢かれたのか、はたまた雷にでも撃たれたのか。詳しい事はわからないが、とにかく悲痛な顔で息絶えた猫が歩道の隅にいる。
こういうものを見ると、私はどうも隅というものを好きになれなかった。

 マックの店内でポテトを1本につき2分ぐらいかけて食べる時は、たいてい人を待っているか、店内の一番隅の席に座っている時だ。
或いはその両方だったかもしれない。
いや両方だ、そうに違いない。
 ポテトを咥えていた藤田は殆ど客のない店内に1人座っていた。
さほど広くもない空間のはずなのに、どこか田園に1人立つ、案山子のような気分だった。
風になびく案山子のように、藤田もポテトの揚がった機械音になびいていた気がした。
 甲高い入店音が田園に吹く突風のように店内を包み、「いらっしゃいませ」の掛け声と共に待ち人はやってきた。
 石井は藤田の徒然なる散歩の同志だった。
ある時は昼間の喧騒を、またある時は深夜の住宅街を、徒然なるままにただ歩るく。
ただそれだけの同志だった。
 「今日はどうした?いつもなら散歩の誘いは6時間前までに来るのに。」
石井はニヤリと笑いながら顔を藤田に近づけつつポテトを摘んだ。
 「徒然なる気持ちは時を選ばずしてやってくるものなんだよ。」
藤田はさっさと残りのポテトを片付けると隅の席を立った。
隅から出た藤田は頼りなさと体裁が整いきらない感じを引きずりながらゴミ箱に紙くずを捨てた。
 マックの煌々と光る建物を後にして静まり返った町に出た。
寝静まった町は深い海のように藤田と石井を光の届かぬ深海に誘っていった。

 改札を出て駅前を目標もなくフラフラと歩いていると、駅前通りが歩行者天国になっていた。
通りは歩道と車道が解放され、人々は思い思いに歩いている。
端っこを歩く者、真っ直ぐ歩く者、斜めに歩く者、そこは車の支配から解放された歩行者のパラダイス、まさに天国だった。人々は自由を謳歌するように縦横無尽に歩いている。
 しかしその天国はよく目を凝らして見ると、多くの歩行者が無意識のうちに道路の端っこの歩道に足を向け、自らの自由な権利を放棄しているように見えてくる。
また車道を歩いている人々の影もだんだんヒッチコックの『鳥』が如く不気味に動いているように見えてくる。
 私は歩行者天国の真ん中を、大通りのド真ん中を歩いた。
しっかりと足を踏みしめて、空を覆うカラスの雲を切り裂くように、人々の視線をどこか気持ちよく感じながら毅然と歩いた。
私はこの人々の群れを切り裂くよくな感覚に陶酔しそれを求めるように真ん中を歩いていたが、もしかしたら隅を怖がって、怯えながら歩いていたのかもしれない。
 歩行者天国の真ん中から私は歩道の隅に猫の死骸を見た。
途端、私の足は凍りついたようにもつれた。
 転けそうになった体を何とか転ばないように踏ん張って、もう1度歩道の隅を見た。
 歩道の隅には、薄汚れたクマのぬいぐるみが死んだように横たわっていた。

 石井には腹違いの妹がいた。
 石井の母親は石井の父の浮気性に耐えかねて、石井が14歳の時に家を出た。
離婚成立までのゴタゴタが済んだ数日後に来た後妻は既に石井の妹を身ごもっていたという。
 藤田がこの妹を紹介されたのは、石井が20歳の時だった。
妹は当時6歳。父と義母は2人きりで勝手に遊びに行ってしまうので、石井は妹の事を自分の娘のように可愛がっていた。
 ある時、石井が散歩に誘ってもないのに妹を連れて藤田の家に来たことがあった。
来たと表現したが、どちらかと言うと押しかけてきたに近かったが、別に嫌がるわけでもなく2人を家にあげた。
 石井の話によると、石井宅では珍しく夫婦喧嘩が発生しており、その巻き添えから妹を守るために避難してきたらしい。
避難される身としては、微妙な心境だったが6歳のいたいけな少女に野宿させる訳にもいかず、結局妹を1晩泊めることを承諾するに至った。
 石井の妹はいつも春を思わせるような明るい色のワンピースを着て、クマのぬいぐるみを抱えていた。
クマのぬいぐるみは石井が中学生の時に小遣いを貯めて買ってやったものらしい。
 そんな石井の妹となんとなく遊んでいると、
 「藤田さんはどうしておさんぽするの?」
と聞いてきた。
なかなか侮れない質問である。
藤田は少し考えてから、
 「やりたいことが無いけど、何かやらないと不安になるからさ。」
と答えた。
石井の妹は「ふーん」と興味なさげに生返事すると、次の瞬間にはクマのぬいぐるみに夢中になっていた。

 スクランブル交差点の真ん中で立ち止まると変な目で見られる事があるが、これは歩行者天国でも同じである。
私は全神経を自らの前進というアクションに向けていたが、とうとうその野望は達する事無くただただ立ち止まって薄汚れたクマのぬいぐるみを眺める事しか出来なかった。
 薄汚れたクマのぬいぐるみは猫の死骸と同じ様に悲痛な雰囲気を発散していたが、生きていた感じを与えなかった。
無論、クマのぬいぐるみはもともと生きていないのだが、それにしては横たわったその姿は余りにも生々しかった。
 気がつくと私は歩道の方に歩を進め始めていた。
 数年前のトラウマが頭をよぎりながら、歩道の方に手招きしていた。

 石井の妹が事故死した一報を受けたのは梅雨が明けた頃だった。
 石井の父が石井の妹を車で迎えに行く際、浮気相手との密会が長引いて迎えが遅れ、妹が父の車を車道近くで待っている時に事故は起きた。
 丁度近くを散歩していた藤田と石井は事故現場に出くわした。
現場は騒然としていて理解が追いつかない事ばかりだったが、呆然と立つ石井の父と歩道の隅に横たわったクマのぬいぐるみだけは鮮明に目に焼き付いて離れなかった。
 数日後、石井がまたなんの前触れもなく藤田の家にやって来た。
娘のように可愛がっていた妹の死は、随分こたえているようだった。
石井は力ない口振りで、
 「ふじた...」
と話し始めた。
それは最期の言葉の様な恐ろしく生気のない声だった。
 「歩行者天国は真ん中を歩け...ド真ん中だ...」
そう言うと石井は俯いて2度と声を出さなかった。
何故真ん中なのか、何故歩行者天国だけなのか、いろいろ聞きたいことはあったが石井の纏った雰囲気はそういった質問をさせない強さがあった。
 1週間後、石井は妹の後を追って首を吊った。
遺言にはこの世界への感謝の言葉がならべられていたという。
 藤田が猫の死骸を見るようになったのはこの頃からだった。

 「おにぃーちゃん!」
小さい少女の声で私は歩みを止めた。
右に首を降ると、歳が10は離れていそうな兄と妹が手を繋いで歩いていた。
 「歩行者天国は真ん中を歩け」
 石井の言葉が奥深い記憶の底から急に蘇った。
 私はまた歩行者天国の真ん中を、通りのド真ん中を歩き始めた。
もうクマも猫も歩道の隅には落ちていなかった。

歩行者天国

歩行者天国

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-10-24

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