抄
まったく詩歌が作れなかった。故人の残した手紙を読む。何回も読んでいる。応援する言葉をたくさん
残してくれてることに気づいた。闘病していたというのに。まるで今のわたしをすでに予想していたかの
ように。故人の手紙。自分が人生で最大級に過酷なその時期に、自分が死んで、後のこの地上の相手
を思いやることが出来ることを知る。愛情。わたしはこうは出来ただろうか。「暑いね」。入院中、故人は
時折LINEでそう話しかけた。無菌室の空調にいた故人の部屋。暑いわけがない。あれは外の世界にい
るわたしへ投げかけた純粋な労わりだったのか。いま何気ない言葉のかけらさえそう思えてくる。荒れ
た時期もあったが、故人は出来る限り病状を控えめに知らせた。モルヒネを使っても止まない痛みに、
故人は末期の頃苦しめられた。本当のことは言わなかった。「潰瘍が減ってきてよかった」などとわたし
が言うと、「うん」と健気な絵文字でいつも返してきたが、むしろ苛酷さが増していた。残した詩を読むと
、わたしに沿うような彼女を演じていたことを、わたしは逝去の後に知った。感染を怖れて故人はつい
に無菌室から出ることは叶わなかった。誰とも会えなかった。故人はほぼすべての人との交信を絶ち、
わたしとのやりとりに最期の半月ほどの時間を与えてくれた。死の二日前に遠まわしに、婉曲に、生き
ることの意味をわたしに問うた。死の前日、わたしと彼女はつまらないことで喧嘩してしまった。直後に
肺炎を診断されたのだが、そのときはまだ安静を保っていた。夜、彼女は何度もわたしに電話をかけ
た。携帯だけではなく、実家の電話にもかけてきた。初めてのことなので驚いた。わたしの詩の朗読を
乞うたのだが、そんな気分になれなかったので断ってしまった。最期に話したとき、なにも言わなかった
。なにを問うても答えず「また明日ね」と短い電話を彼女は終えた。LINEにある映画のサントラのリンク
を貼り付けて送ってきた。好きな曲なのだと。もはやそのときは前兆を感じていたのかもしれない。直後
に肺炎の急性憎悪の症状に襲われた。明け方に何度も電話がなったが、前日の喧嘩によって、ほん
の一日距離を置きたかったわたしは出なかった。彼女の急変を予想もしていなかった。父親がダイヤ
ルして、彼女の頬に押し当てるように何度もかけたという。目を患って、わたしの詩を読めなかった彼女
は看護師に朗読してもらっていたらしい。わたしは時に、彼女との繋がりに関する疲弊を詩の中で分か
らないように零すこともあった。わたしの詩のことで謝りたいと今際の際で告げたことも後で知った。夜
が明けた頃、「リル、わたしを忘れるの」とうわごとのように訊いた後、「ありがとうね、ありがとうね」と遺
して息を引き取った。わたしは一度も話したことのなかった彼女の父からのLINEの数行で、その最期を
知った。現実が存在するのに、その現実にわたしはいなかった。そんな感覚を初めて朦朧と憶えた。
故人とわたしは、文字や電話を介さない同じ空間で、ついに一度も出会えなかった。
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