僕たちは生きている

僕たちは生きている

shit and no paragraph


0.死んだ眼

こころが宿っていない、死んだ生物がするその眼は実に精巧に創られている。医学の標本や義眼でも持ち主の魂ではなく、創造者のこころが感じ取れるが、死んだ眼はもともと持ち主が意図して造ったのではなく、また母胎の主である母親が意図して造ったものでもない、遥か昔の祖先からの贈り物であり、また、その祖先も意図して子孫へ贈ったものではないので、やはり死んだ眼にはこころはない。ただ単に、身体を生成する一部として、実に緻密な細胞の繋がりの下の2つの丸い塊なのである。


1.命の彼方

ピッピッピッ
「125円が一点、236円が一点、326円が一点、10円が二点、合計707円になります。」
店員は客を見ず・・・、しかしはっきりとした口調である。
「あと、“マルメンライト”。」
「ソフトでよろしいですか?」はっきりと。
「ボックスで。」
「お会計1027円になります。」はっきりと・・・。
「1万円、お預かり致します。」
レジから1千円3枚と5千円1枚をするりと取り出し、
「大きい方から1,2,3、と5千円で8千円のお返しと・・・。」
500円1枚、100円4枚、50円1枚、10円2枚、1円3枚と順に滑らかな手つきで右手から、レシートをのせた左手に移し、
「973円のお返しになります。」と、レシートを扇形の器にしたて手の平に硬貨をすべり込ませる。
「ありがとう。」と客が呟く。
客は店員と同じようにレシートを器にして小銭入れに硬貨をすべり込ませ、器としての役割を終えたそのレシートは捨てられてしまう。
タバコを買う客は大抵、レシートを紙くずと捉えているようだ。
店員は客を見ず、お辞儀をして、「ありがとうございました。またお越しくださいませ。」とはっきりとした口調で言う。
同じシフトに入っている同僚とは業務以外の話はしない。たまに無駄話を持ちかけられても、ただただ愛想笑いを浮かべて適当に相槌を打つ。眼は同僚ではなく、タバコの在庫を確認しているかのように漂っている。

ココロココニアラズ ドコニアルノ

同僚が満足するまでそんな程でやり過ごす。
カップ麺が1個欠品していることに気づく。眼はまるで眼鏡を掛けたまま(実際彼はメガネを掛けている)、沸騰したお鍋のふたを開け覗き込んだ時にできる、一瞬のレンズの曇りのうちからモノを覗き込んでいるかのような・・、見ているようで何も見ていない。眼鏡を通して視界に映るのだが、見ようとする意志が見受けられず、ただ物理的な認識をしているだけで欠品したカップ麺を補充する。(もちろんマニュアル通りに古いものを前に配置するのではなく、そのような動作を演じながら適当に配置しているのだが)
以前はそうではなかった。働き始めた頃は客が釣りを手に取るようすを見るのが好きだった。手に包帯をしている人は現場でけがをしたのだろうとか、たばこの傷痕がある人はDVだなとか・・・。3週間ほどでそれに対する興味も無くなってしまったのだが・・・。彼の身体は正常に機能している、同世代と比べ筋量や骨密度も標準値を下回っておらず、内臓も正確に機能している。だが、ここ数カ月、脳機能が少々弊害を来している。認知機能は正常に機能しているのが、思考というよりも思索、特に探究心や希求心といった、物事や彼、彼女を知ろうとする積極性が彼には皆無だ。アリストテレスは‘人間は生まれながらにして知ることを欲する’と述べているが、彼は知ることを欲しない、異端者のようだ。人間の容姿をした機械のように、ただ働き、燃料を補給するかのように必要最低限の食事を摂る。
彼には友はいない。というのも彼自身に主体性がなく、周りの親切も“そんなもの一時的なものだ”と一蹴してしまうからだ。
しかし、彼は人間以外の生物、特にゴキブリやムカデ、ハエなど一般的に忌み嫌われる生物に対して、少しばかり愛着を持っている。この前もモップをかけているときにゴキブリの赤ん坊がひょいと出てきたが、それを避け慎重に掃除を続けていた。(結局、通り過ぎていく客の一人に不意に踏み潰され、彼はその赤ん坊の霊魂を清めるように踏み潰された個所を何度も拭いた)
プチッ かれらの命の灯はそれだけで・・・、彼をもどかしくさせる。
「おつかれさまです。」
夜勤の店員が入れ替わりにきた。
「おつかれさまです。」と彼と同僚は言い、ゴミ袋を提げて、控室に戻っていく。着替えの作業の間、彼はただ同僚の話を聞くともなく、適当に相槌を打ちながら、退勤手続きを済ませ、「おつかれさまでした。」とすっかり帰る。アパートに戻る際にはスーパーへ寄るつもりだ。冷蔵庫の牛乳がもう少量しか残っていない。
片田舎ということもあり、大通りを通った方が明るく安全なのだが、彼は最短の経路で自転車を進める。近道らしい夜道は暗闇に包まれて、静寂を保っている。
通常、暗い夜道では付属のライトを点けるのだが、厄介なポリシーがあり、“自分は神経が研ぎ澄まされているから何の問題もない”と高をくくっている。現に起こした自転車事故は一度きりで、それが彼を傲慢にしている。唯一好きなことは冷たい夜風を自転車で切ることだ。
夜風が顔に当たり頬が少し赤くなってきた。速度をさらに上げて、気持ちよく風を切る。ペダルの漕ぐ音だけが聞こえるこの静かな夜道が彼を一層感動させた。“この瞬間がいつまでも続けばなぁ”と心の中で呟いた。
少し憂鬱になる。もうすぐ大通りの近くを通るので、無意味なイルミネーションや喧噪が彼の世界を崩すからだ。
また死んだ眼になる。
しかし、彼の予測とは反して、夜道はさらに続いている。大通りからのかすかな灯や雑音すら聞きとれず、夜道は暗闇と静寂を保っている。
彼は走る。不安を感じることもなく、むしろついさっきの感動の再現に期待し夜道を走ってゆく。
チリンチリン
音に気づき、目をやると、黒い影が彼の隣りを同じ速度で並んで動いている。その奇妙な黒い影に目を凝らすと、どうやらこの影の速さの動力源は自転車で人が乗っている。(もっとも彼の眼には人の形をした影にしか映らなかったが)自転車カゴはグニャグニャにへこんでおり、全体的にメッキも剥げてさびが目立っている。ボロボロの自転車である。こんな自転車が、比較的新しい自転車に追いつかれるといつもなら心外な気持ちになり、限界までスピードを上げて追い越してしまうのだが、それは本当に奇妙なのだ。
漕いでいる音がしない。これだけボロボロの自転車ならギーッギーッと雑音が聞こえるのが当たり前であるし、また、その人の形をした影の正体の一片すら掴めないでいるのだ。
“影が自転車をこいでいるのか?”
注意深く影全体を見やる。非常に奇妙なことであるが、それはペダルをこいではいない。まるで下り坂をただ走りすぎて行くように全く減速もしていない。
ザワザワ・・・ザワザワザワ・・・・
喧騒が夜道に聞こえてくる。前方を向くと一寸の光が見えた。
“大通りだ”
距離を縮めるごとに、その光はだんだん大きくなってゆく。スポットライトのように異常に明るい光線が彼の体を照らす。夜道の暗闇に目が慣れてしまったからだと思い、そのままスピードで突き進んだ。例の影は隣りを依然と走っていたが、すでに興味の対象とはなっていなかった。
光があたり一面を包んでゆく。
あまりの眩しさに目がくらみ、たまらず自転車のブレーキを握る。
キーーーーーッ
目が慣れて周りを見渡すと、辺り一面が真っ白な世界になっている。振り返るとあの夜道も存在しない。まさに白銀の世界、地面は真っ白な砂でまるで永遠に続く砂浜で、春の陽気が差し込んでくるような、きわめて穏やかな気候である。
不意に電柱に頭からぶつかって一時的な幻覚にさらされているのだろうと思い、隣を走っていた黒い影の存在の有無を確かめようとしたが、隣りに影は存在していた。影は脱皮するかのごとく頭の先から二つに裂けてゆき、青色のルビーように輝く光のベールで包まれた、大きな白いマントを纏っている美青年が現れてきた。
「どうやら君は黄泉の世界に来てしまったようだな・・・・。」
美少年(いや精霊と形容した方がよいかもしれない)は語気を強め、自転車を降りた。ボロの自転車は光の粒子になって青空に消えていく。
目の前に広がるあらゆる事象が既存の価値観では全く処理できなく、ただただ呼吸をするだけで精一杯であった。
精霊は続ける。
「どうして死んだ生き物が行き着く場に来れたのかなぁ?もしかして私の力が安定していないだけで君はやはり死んでいるのかい?」
頭の中の混乱を収拾することで一杯だったが、もしかしたら自分はすでに死んでいて、ここは天国なのではないかと心の片隅で思った。
「君の名前は?」
「アモアです。」
「失敬。こちらから紹介するべきだったな。私の名はダンケルハイト・ビル。‘ダン’と呼んでくれたまえ!」精霊は勢いよく左腕を胸に当て右手を天高く挙げた。
「あなたは死んだ人なのですか?」ダンの機嫌を損ねぬよう上目遣いで言う。
「いいや。私が死人かどうかは問題ではない。確実に言えることは、死をも恐れぬ魔法使いダンケルハイト・ビル様だということだよ。ハッハッハ!!!」
“あっそう”
「君は地球人だろう?管轄の西銀河大使館へ送りたいのだが、どうやら私はWANTEDなのだよ!」誇らしげに指名手配犯?であることを公言している。
“それにしても西銀河大使館とはどういったところだろう”
「ああ・・・、この世界に住むには下界のように戸籍登録をして、正式な住民として認められなければいけないのだ。もっとも下界では出生時に戸籍に入るが、この世界では死んでしまうと入るのだよ。」
“セカンドライフみたいなものか・・・”
「上手いこと表現したな~。」
ダンが心の中を読める能力があるのだと彼は確信した。
「私は遠い東の国、デゼスペロに用がある。西銀河大使館は確か・・・。」
ダンは目をつむり、右手の人差し指をなめて、それを地面に突き刺した。
何かを感じ取ったように、
「うん。地球基準でいえば、ここから北へ500キロメートルも進めば大使館がある。よかったではないか。」
彼は一寸の不安を感じていた・・・。


2.アモアの回想

自転車を持っているにしても、こんな砂浜のような道では車輪が埋まってしまうし、歩いた方が早く着けそうだ。といっても、水も食糧も持たずに行くなんて無謀だろう。この世界の気候の心配もあるし・・・。しかし、もし俺が本当に死んでいたとしたら、それも意味を持たないのではないか・・・?
「ダン。君と一緒にそのデゼス何とかという国には行けないかい?」
ダンはいう。
「いやぁ、君とは一緒に行けない。デゼスペロは無法地帯だ。下界で希望を見い出せなかった者どもがいずれ辿り着く場所なのだ。」
「僕もそうなんだよ。戸籍に登録されなくたって、無法地帯なら大丈夫じゃないか。」
「この世。つまり冥界で死んでしまったらどうなるのか君にはわかるかい?」
死人が死んだらどうなるのか、考えたこともない。
「わからないよ。僕は死んだはずだとしたら、落ちるとこまで落ちたんじゃないのかなぁ。」
俺は適当にいう。
「この世界では下界と同じように、皆生きているのだ。草木は水を吸うし、人間には血が通っている。もちろん寿命もあって、この世界で死んでしまうと・・・、それは私にはわからないが。」
ダンは付け加える。
「もっとも、例外はあるよ。私のように下界で死んでいないものが冥界へ来てしまう場合だ。まぁ、それができるのは超高級魔法使いの私くらいだがね。」
お調子者だね・・・。こいつを上手く言いくるめれば、とりあえずこの世界で俺が落ち着くまで世話をしてくれるだろう。
「実は僕はいつ死んでも構わない人間だったんだ。あなたが本当に高級な魔法使いなら僕をその国へ連れて行ってくれるはずだよね。」
「どうしてだい?」訝しげだ・・・。
「高級な頭をもってすれば、分かるはずだよ。だってあなたは指名手配犯なんだろう?」
冷や汗をかいているのがわかる。俺はさらに続けた。
「僕がこの世界のことを何も知らないとでも思っているのかなぁ?あなたは地球の文明をなめていらっしゃる。」
額に米粒ほどの汗を数滴浮かべている。彼はひどく狼狽しているようだ。
「わかった!わかった!君がそこまで言うなら一緒に付いてきたまえ・・・。はぁ・・、本当に困った青年だなぁ。」本当に困った表情を浮かべている。
しめしめ、知性は高級じゃないんだな。彼に心を読まれないようにそっと・・・、そっと呟いた。
俺も少しは罪悪感を感じていた。だって血が通ってるんだから。
「そうか・・・、二人旅となると少々魔力を消費してしまうが・・・。」
彼は目をつむり右手の中指と人差し指を額に当て何かを唱えている。非常に集中しているようだ・・・。額に当てた指の先端がトパーズ色に輝いた。その輝く指先を俺の自転車のサドルにチョンと当て、それから右腕を天高く掲げた。
金色の粒子が自転車を包み、そして消えてゆく・・・。
どんな魔法をかけたのだろう?
「君の乗り物に命の息吹を吹きかけたのさ!ロマンチックだろ。」
命・・・?
「もっとも。この乗り物には最初から生きてはいたが、それを具現化しただけさ。」
ああ・・・、アニミズムの精神は共感できるけどさ・・・。
「この魔法は君とその乗り物の命をつなぐものとなるだろう。互いの理解が深まるほど命の綱が太く、強固になってゆく。」
・・・・・??
「魔力が強くなるってことさ。」
そうかぁ・・・。少なくとも俺の方はこの自転車が好きだ。外に出る時はいつも一緒だし、こいつがいないと俺はすごく困るんだ・・・。
「自転車は僕のことをどう思っているかな?」
「乗ってみればわかるさ。」
自転車にまたがった。
「さぁ行こう!遠い北の大地、デゼスペロへ!!」
遠くの方からすごい速さで青い大鳥がこちらに向かってくる。ダンはそれに飛び乗り、一瞬にして遠く彼方へ飛んで行ってしまった。
えっ!!!乗り遅れたのか!?
どうしよう・・・。どうしよう・・・・。魔法?はぁ。意味わかんねぇ。
“アモア、オレをこぐんだ!”
下方からささやく声が聞こえる。
“オレだよ!オマエがいつも乗っているチャリだよ!”
 マジかよ。
「オーライ!こいでみるよ。」
どんな魔法が出てくるのだろう?恐る恐るペダルを踏む。
ビュン。グイーン!!!
「あっ!!」
自転車は砂浜のような地面をものともせずに、メチャクチャな速度で進んでいる。
「すごいよ!すっごい気持ちいい!!!」
こんな静かで、しかも誰にも干渉されず・・・・、目一杯、風を切る!!走り去った後に砂嵐が吹き荒れている。
“クックック。オレを見くびってもらっちゃ困るさ。一漕ぎで1里はぶっ飛んじゃうんだぜ”
「サイッコーだよ!俺の髪、カッコ良くなびいてる??」
“下から見えるハズねぇだろ。それよりもさ、アモア。お願いがあるんだ!“
「なに?」自転車のカゴのあたりを見て言う。
“オレにも名前が欲しーんだよ。オマエがオレを主人なんだから、特別にオレの名前をつけさせてやるよ”
「オーケイ。オーケイ!じゃあチャリ公ってのはどう?」
冗談半分に言った。
“引きずりおろされてーのか!却下!!”
「フリーってのはどう?」
交通費が無料(フリー)なので・・・。
“いいね~。それ!決まりだ!!オレは今からフリーだ!!”
冗談まじりでいったのに・・・・。
そんな話をしているうちに、すぐにダンに追いついた。
「心配したぜ。案外早かったな。」
ダンは俺を見下ろしながら言った。気がつけば、辺りは白銀の世界ではなく、ところどころ草原や岩山が散在している荒野になっている。
はぁ・・・。この自転車も鳥だったらなぁ。俺もダンみたく空を飛びてえ。
「なぁに、君もすぐに飛べるようになるさ!既成概念を取っ払いたまえ。とはいっても地球人の感覚ではまだ遠い未来の話だろうがね。」
ムッときた。
「飛べ!フリー!!」
“本気見せてやるぜ!”
ビュィーーーーーン
スピードがどんどん上がってくる!フリーの前輪も少し浮き始める!
飛べる!飛べるぞ!!俺も空を飛べるぞーーーー!!!
ズッズッズシャー!!!!!
「ハッハッハッ、無理をしちゃあいかんよ。」
思いっきり転んだ。砂利で体の皮膚が擦れていく。両腕が折れたみたいに感覚がない・・・。ジーンズも擦り切れて右膝からは赤い鮮血が流れている。
フリーはどこに転がっているのだろう。あたりを見回す・・・、いない。砂に埋まってしまったのだろうか・・・。どうする。激しい痛みで動けない。
“おーい!ここだぁ~”
頭上から声がする。天を仰ぎ見ると、ヤツはヒュンヒュンと鳥の如く飛んでいる。
“クックック、重量オーバー!!”
この畜生め!でも痛くて声も出せない。こん畜生!!!!
ダンは大鳥から降り、笑いながら駆け寄ってくる。
「地球人の血も赤いのだなぁ。」
「ぁったりめぇだろ。」
渾身の力をこめて言う。ダンを親の仇を見るように睨んだ。
「心配する必要はないよ。」
彼は俺の右膝に右手をかざした。その手はアメシストのように輝く。
「ほら、このとおり。」
右膝の痛みが消えていき、擦り切れたジーンズも元通りに戻っている。
テレビで見るマジシャンみたいだ。いつの間にか全身の痛みも消えている。
「心配するな。腕は折れてないよ。」
いつの間にか青い大鳥はどこかへ飛んで行ってしまっている。ダンは岩壁にもたれかかり、空を見上げながらいう。
「あぁ・・・、日が暮れそうだね。今日はここで野宿しよう。」
空を見渡すと、もうオレンジ色に染まっている。確かにもう夕方だな・・・。
ふと思う。ダンの話では冥界でも俺は生きているらしい。ということは、やはりお腹も減るんだろうなぁ。それとも、地球人以外はお腹が減らないのか。そういえば、空気を体内に取り込むだけで、つまり呼吸のみで生活に必要な栄養補給が可能な人がいるとテレビでもやっていたし(ガセッぽいが・・・)、まぁでもダンの話す内容や容姿からして、俺にとっては異星人だろう。彼はどういったものを体内エネルギーとして補給するのだろう・・・。考えると腹が減ってきたなぁ。
「ダンは何を食べて生きているの?」
「何も食べなくて平気なのだよ。だから他の生き物みたく排泄をする必要はないのさ。」
そういいながら鼻をつまんで見せる。
他の生き物・・・?ということは大半の生物は生活の一部に排泄作業が必要なのか。この世界でのトイレはどうなのだろう・・・。先が思いやられる・・・・。
「君はお腹が減ったのだろう。下界にいたときに地球のコンビニエンスストアなるところで珍しい食品を拾ってきた。一緒に食べよう。」
懐から取り出したのは、あんパンだった。珍しくも何ともねぇ。
「君から食べたまえ。遠慮せず・・・。」
俺の様子を見ている。恐らくヤツは本当に‘あんパン’が食べ物なのかどうか確かめようとしているのだろう。
「半分正解だね。しかしこれを補給することで、君の体内がどういった反応を示すか観察したいのだよ。」
それじゃあ遠慮なく。
「いただきまーす。」
彼は膝に手をあてて前かがみになり、何かを注意深く観ているようだ。大きく見開かれたその瞳は俺を見てはいない。目玉がより一層青く見える。
あんパンをちょうど半分食べ終えたころ、彼は「私にもくれ。」と言い出した。まぁいいけど・・・。あんパンを差し出す。
彼は興味深げにあんパンを観察しながら、少しちぎって口に放った。無表情によく噛んで食べている。
「期待以上に悪くない・・・。」
パンを返す。
「とはいっても10段階評価では1だね。地球人はよくこんなものが食べられる。」
彼にとって、有害ではなかったようだ。あんパンに対する興味はもうすっかり失ったようだが・・・。パンにかじりつきながら、俺はふと思った。フリーは何も食べなくても平気なのか。魂があるなら、何かしら栄養補給的なものが必要なのではないか。
「フリーにもエネルギーは必要だよ。下界でもそうじゃないか。地球では車やバイクはガソリンがいるし、メンテナンスもしなければならない。それと同じで、主人の対象に対する思い入れが、エネルギー源となるのだ。」
「もう少しヒントちょうだい。」
上目づかいにいう。
「君のフリーに対する態度次第で、彼は病気になったりもするし、逆にさっきみたく飛ぶことだってできる。」
病気?あぁ・・。故障か。ブレーキが利かなくなるとか・・・。
パンを食べ終えて空腹感はなくなった。基本的に1日2食で生活をしている体なので、栄養の吸収率は比較的に高いと思う。でもいくら燃費の良い体だといってもこれだけの刺激が一遍に来ると、今更ながらどっと疲れが出てくる。穏やかな気候が俺を包んでくれて少しは気楽になれたけど・・・・。
はぁ。眠たくなってきた・・・。
ダンはマントから枕を取り出し、俺に差し出す。
「オヤスミ。」
おやすみ。

ピッピッピッピッピ。
いつものように商品をスキャンする。
「689円になります。」
「あー。ごめんね。万札しかないや。」
「はい。ありがとうござます。」
「大きい方。9千円と311円のお返しになります。」
「おぅ。ありがとね。」
「ありがとうございました。またおこしくださいませ。」
俺はボーっと店の玄関を見つめる。
「いらっしゃいませー。」
孤独なスーツ姿の男が入ってきた。
「あの~。100円ライターある?」
千鳥足。大分酔っているようだ。
「はい。こちらにございます。」
「たくさん種類、あるんだな~。」
酒臭い。
「そうですね。」
「どれがいい?」
「・・・・・。」

虫の音。ああ瞼が重い・・・。うん。ここはどこだ?見たこともないところだなぁ・・・・。アパートじゃないし帰り際に飲み屋に寄ったのか。それとも誰かに襲われてここにいるのか?ちょっと待てよ。両方ともありえない。こんな所にどうしているのか・・。
昨日、確か・・・・。いやでも、今も夢の中にいるのかも・・・。
「ああ・・・。静かな夜だな。」
誰だ?
大岩の上に誰かが座っている。月に照らされた影しか見えない。
「月ではないよ。珠魂というもので、いわゆる魂の集合体だ。」
あっそう。
俺は普段何を考え生きているのだろう。こういった夢から連想可能な要素が現実には全くない。最近は思考というもの自体、必要最低限に留まっているし、これといって印象に残っているものもない。そう考えると、死後の世界にいるのかもしれない。帰りに事故を起こしたのか、部屋には帰ってきたが就寝中に過呼吸症候群で死んだとか。そういえば、頻繁に症状が出ていて不眠症だったしな・・・。
夜空を眺める。
魂の集合体か・・・、ボルボックスみたいだな。
それにしても美しい光だ・・・。俺は見るに値しない。
「見るに値すると私は思うなぁ。君の魂もあそこにいるはずだから。」
いるはず?まるで魂が一個体としての意思を有しているかの言い草だな。
それとも、あそこが審判の門なのか?魂のみが裁かれる。確かに、魂そのものが存在すると仮定して、現実には魂を宿す死骸が残るだけで・・・、天国行きなら精神的快楽、地獄行きなら精神的苦痛。
・・・・。ちょっと待てよ。精神がなければ、肉体から感知する物理的苦痛なんて認知できない。だとしたら、どこへいっても地獄。まさに俺の人生、生き地獄。今はただの抜け殻か・・・。
不条理なことが多すぎるぜ・・・。まったく・・・。


3.悪夢の囁き

チュンッ・・・、チュンチュン
鳥の囀りに彼は心地よく起きた。久しぶりに・・・。
時計を見るとまだ4時頃。牛乳や新聞配達をしているバイク音が聞こえる。
“みんな早起きだなぁ”
コンコン、コンコン
ガラスを叩く音だ。6畳一間のこの部屋では窓が一つしかない。カーテンを開け音の正体を確かめる。
窓越しには少女がいる。彼には懐かしい・・・。どうやら幼稚園児のような黄色い帽子と水色の制服を着ており、少女は彼に微笑みかけている。日の出前の薄暗さでその少女のあたりだけ、真夏の太陽のように光っている。まるでこの少女が放つ生命の光のようだ。
思わず窓を開け、「何のようだい?」と少女に尋ねた。
「おにいちゃんもはやくいかなきゃ。」
少女は左を向きその方を指さした。
「おゆうぎにさんかしなきゃいけないんだよ。」
少女は彼の義務であるかのように強く言う。
彼の住んでいる部屋はアパートの一階で真横は名ばかりの駐車場であり、車やバイク、自転車が乱雑に置かれている。つまり101号室が彼の部屋。
窓から顔を出し少女が指さす方を見る。6人の園児が列を作り、その列の先頭には保母らしき人が見えた。
「ねぇはやくいこうよ。」
少女は強く促すが、彼は“馴染めないよ”という風に苦笑いを浮かべている。
「いかないんならいっちゃうよ。もういい!」
不服そうな表情を浮かべて少女は列へ戻っていく。
夢だと感じ、布団に潜り込んでまた眠りについた。

ピピピピッ、ピピピピッ
携帯のアラームが鳴る。もう14時だ。急いで朝食を摂り、着替えを済ます。
今日で薬が切れるのだ。薬がないと症状が悪化する。単純な話で、彼はクリニックへ行く。
クリニックへ着くと、狭い待合室はひどく混んでいた。昨日が臨時休診だったそうだ。診察券を出し、一席分の間隔を見つけ、ソファに座る。
ジワリと汗がにじむ。耳をイヤホンでふさぎ音楽を流す。そして目を瞑る。必死に自分の世界に閉じ籠ろうとしている。
傍目から見れば、ただ診察まで眠って待っている今時の若者にしか見えないのだが・・・。
鼻水が出る。鼻水が止まらない。彼は思わず鞄からティッシュを取り出す。1枚取り出す前に、鼻腔から鼻水が垂れてくる。急いで鼻をかむ。水っぽい、粘着質のない鼻水だった。実はズボンのポケットにもティッシュを配備しているが、詰まった席に座りながら体を捻らせてティッシュを取り出す行為が恥ずかしく、それが今回の失態を生んだ。
鼻をかみながら周りを見渡すと右隣りに座っている女性に彼は驚愕した。彼女は前かがみに彼の顔を訝しげに見ている。年齢は厚化粧でよくはわからない。おそらく40代後半から60代といったところであろう。驚くべきはその眼、少女が心底憎んでいる女友達を見ているような、深さのないただ一方的に相手を排斥したい、そんな眼。真っ黒な瞳。
鼻先に汗が浮き出てくるのが感じられる。顔に出すほど幼くもなく、狸寝入りをする。
「アモアさん、どうぞ。」
30分経ってようやく呼ばれた。診察室に入る。
「失礼します。」
「座ってください。」
医師の言うとおりに座る。
「最近、症状はどうですか?」
「やはり定期的に薬を飲んでいると安定はします。」
「ふーん。友達とかはできた?」
「まだです。夏休みですから。」
この医師は彼に自発的に喋らせようとする魅力がある。それとも彼の心を知ろうとするこの医師の姿勢が、新鮮なのかもしれない。
「大学はいつから始まるの?」
「10月の頭からですね。」
「もうすぐだね~。夏休みは何をしていたのですか。」
「バイトとサークルくらいですかねぇ。」
「へぇ。バイトは何をやっているの?」
「コンビニです。」
「ふんふん。サークルもやっているんだぁ。どういったサークルなのかな。」
「地区介護者会議という、介護の団体です。」
「へぇ~。ということは老人ホームとかで介護に参加するのかな。」
「いいえ。この地区に住む障害者の方々の介護です。ほら、一昨年に障害者自立支援法というのができたじゃないですか。だから時間のある学生が介護に参加させてもらっているんですけど・・・。」
「ふーん。偉いな~。そんなことしてるんだ。サークル内で友達とかはできないの?」
「1年生の男は僕だけで、なかなか・・・・、みんな良い人たちなんですが・・、先輩とはなんか距離感があったりして・・・。全体で集まるのも月に一回のスケジュール決めのときのみですし、でも人が集まるところは苦手なので・・・。」
「そうか~。それじゃあ障害者の人の介護をしている時、症状はどういった感じなのかなぁ。」
「う~ん。何と言っていいか。彼らに対して症状が出るには出るのですが、それに対して・・・・。」
困った。やはり知覚を言語化するのは難しい。
医師は正面を向いて前かがみに、彼を覗き込むように見ている。
「意識の働きかけがが健常者とは異種であるといいましょうか・・・。」
「そうかい。もう少しその部分を考えてみると良いかもしれないなぁ。」
神妙にメモを取っている。
「よし。薬の処方は適切なようだから、ちゃんと飲むようにしてね。」
「ありがとうございました。」
ドアノブへ手をかけたとき、医師はいった。
「飲めば治るとはいかなくても、だいぶ症状が楽になるから。」
「ありがとうございます。失礼します。」
“墓穴を掘ったな”とアモアは感じた。
一般的に患者に対して‘治らない’という言葉はタブーである。アモアは知っている。現代の医療では治らない病気を・・・。大学のゼミで受講していた。しかし、彼の病気は治る可能性があった。それは確かなことなのだ。
診察室から出ると、待合室には人は少なく、あの女性もいなくなっていた。
名前を呼ばれ、診察料を払う。通常ならば、ここで薬も処方してもらえるのだが、彼の服用している薬は特殊で大学病院の向かいにある大きな薬局にしか置いていない。二度手間だ。しかもそちらの方が若干料金も高い。
注意深く請求明細書に目を通す。診察代は前回よりも少し高くなっていた。30分を超えると料金が加算されるわけだ。あの医師は時間稼ぎにあのような言葉をかけていたのか、そもそも会話すら・・・・、彼の疑念は深まる。
病院を出た足で薬局へ行き、処方箋を出す。
「お薬手帳はお持ちでしょうか?」
「ありません。」
「ではそちらでお待ちになってください。」
待つ。彼の薬の配合は特殊なので、新人薬剤師が担当するとえらく時間がかかる。
「アモアさん。どうぞ。」
意外と早く呼ばれた。この薬剤師はベテランのようだ。
「お薬の量は前と変わっていませんね?」
「はい。」
「お薬を飲んで、便通が悪くなったりはしませんか?」
「はい。しません。」
彼にとって薬剤師の詮索はとり越し苦労である。確かに彼はいつでも下痢気味であるが、それくらいのリスクは当然であるし、薬の為とも限らない。薬剤師にしてみれば医師が患者の意思を操っていたり、無視していたりして、いわゆるインフォームドコンセントが確保されていない場合もありうるので、この質問は義務なのであるが、彼は医師に精神を支配されてはいないし、意見を無視するような医師でもない。しかし非難はできない、そんな不毛な時間・・・・。
会計を済ませ、薬局を出た。
帰宅途中にスーパーに寄る。今日は弁当ではなく5日ぶりに自炊するつもりのようだ。自炊とはいうものの、ほとんどがチキンカレーだ。レパートリーは少ない。しかしながら、カレーに対して少々自信がある。毎回、カレーを作る際は、炒めた鶏肉をコーラで煮込んでみたり、野菜を煮込んでいる最中にジャムを少量加えたりしている。一度に5日分も作るが味に粗雑な面も出てこない。だが、火を掛けっぱなしでかき混ぜるのを忘れ、鍋底でルーを焦がしてしまい時間と体力を浪費して鍋を洗うハメになることもしばしばだ。またコンピュータの前にまな板とボウルを持ってきてパソコン作業をしながら野菜を切るので、注意散漫な彼には危険であるし、衛生面からも良くない(もっとも具材は熱するので安心だと思っているのだが)。推察の通り、5日周期で夕飯が換わる。
一人暮らしをしていると実家での生活がいかに恵まれていたか身に沁みる。面倒臭がりなので必然的に1日2食になる。(時には1食のことも)
金はない。世にいう貧乏学生だ。しかし、銀行口座では常に貯蓄が10万を下回らない。意地である。大学卒業までに100万円貯めるという野望まで抱いている。ぼんやりと夢もあったが、今はそれ以上に金持ちになって楽になりたいという意志の方が強く、その第一歩と言わんばかりに浪人してまで国立大学に入った彼の志しは、4カ月目にしてもはや揺らぎ始めている。
“今のままでいいのか?とりあえず資格を取得して、無難に卒業できればそれでいい”
後ろの言葉は入学当時のままだが、前の部分は少々意味が違ってくる。
“今のままでいいのか?”
それは7年ほど前から悩ませる思いであったが、夢を見失い、また無駄に醸成された精神も手伝ってか、それが如実に現れだしたのだ。だからなのか?彼の眼は死んでいる時間の方が長い。
炊事をする。その過程を思うと面倒臭くなる彼だが、実際やってみると結構楽しんでいる風にさえ見える。玉ねぎをスライスし・・・・。
ピーンポーン
チャイムが鳴り、新聞の勧誘かとそっとドアののぞき穴から覗いてみると、黒いスーツを着てサングラスをかけた男が3人立っている。
“なんだぁ。ヤバくないか?”
感性がそういっている。今まで、他人の恨みを買うことも人並み以上にあったかもしれない。しかしこれといって悪事を働いたこともない彼には全く心当たりすらなかったが、なるべく足音をたてないようにコンピュータの前まで移動し、まな板に置いてある包丁が手に届くのを確認し、その立ち位置を保ち居留守を装った。
ピンポーン ピンポーン
自身の鼓動がドクッドクッと鳴っているのが聞こえる。
あることに気が付いた。心当たりがあったのだ。2・3日前に警官が巡廻に来て、彼の個人情報を聞き出していた。彼はその警官を最後まで訝しく思っていたが、個人情報はこの世にあまねく出回っており、今更それを擁護することなど意味のないことだと知っていたので・・・。
“それが裏目に出たのか?”
ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ
彼の鼓動はさらに高まりを見せる。
それとは裏腹に男たちが動く気配はしない。諦めたのか?
もうチャイムも鳴らしてこない。
彼は臨戦態勢を保ちつつ、忍び足で玄関へ近づいていった。
もうすぐドアノブに手が届く。
カチャッ
その瞬間、背筋に戦慄が走った。管理人なのか?
いや中年の女性だったはずだ!
彼は自分でも驚く速さで、さっと身を翻し、身構えたまま包丁が手に届く位置へ戻った。
“一対一なら・・・”
彼には勝算があった。しかし、それは相手がどういったものを持っているかによるのだが。
“不利ならすぐに、窓を蹴破って逃げよう”
自転車の鍵をポケットに入れる。
キィーー
ドアが開いた。冷汗が全身を硬直させる。
男たちが姿を現す。170cm後半から180cm台はある。結構な巨漢だ。先頭のリーダらしき男が彼を見据えている。
「あなた。アモアさんですよね?」
男の無骨な喋り口に、硬直が解いたのと同時に構えも瞬時に解く。どうやらいきなり襲ってくる輩ではないようだ。見かけ倒しのただのチンピラレベルだとしたら勝算は上がる。男の質問にアモアは考えた。ここで‘はい。そうです’と言うとどうなるのだろう。合鍵まで持っている輩だ。駆け引きが必要かもしれない。既に冷静さを取り戻していたが驚きを隠せないような表情を作り、体を窓側の壁にあずける。
「か・・彼は外出中だよ。もうすぐ戻ってくると思いますけど・・・・。何か用事ならば僕が伝えておきましょうか。」
掴みどころのない現状を少しでも把握しておきたい。
後ろにいた1番小さな男がずかずか土足で入っていき、彼の胸倉をつかみ上げ、
「だから、どこに行ったかって聞いてんだよ!!」と凄んできた。
男の腕力には凄まじいものがあった。片手で彼を持ち上げているのだから・・・。一番小さな男といっても彼より10cm以上も背が高い。彼はひどく動揺しており、恐怖のあまり口も聞けないようなそぶりを見せた。
実際、彼の読みは当たっていた。見た目は非常に華奢である彼であるために男は油断して隙だらけであるし、しかも短気である。一対一であったならば簡単に仕留められる。もう一つひどく焦っていることから男達にとって彼が危険因子であることも確信ができた。
「おい。おかしいだろぅ?どうして料理の途中だったんだ?」
リーダらしき男が言った。どうやら彼が目先の相手の料理法を考えているうちに、残りの二人も土足で部屋に上がりこんでいる。
「いやぁ。実は彼の従兄弟でして、情けない話、居候しているんですよ。だから・・・。」
冷汗が全身から湧き出る。墓穴を掘ったのだ。用意していた文句とはいえ、かなり饒舌な喋りをしてしまった。未だに胸倉をつかんでいる腕力バカを今すぐ処理して逃げようか思案した。
「だからなんだってんだよ!!このヤローーー!!!」
腕力バカは奇声を上げながら空いている右手で殴りかかる。想定内の出来事だったので、相手から見れば右拳の方にできるだけ左に顔を傾け首の筋肉を弛緩させ殴られた瞬間、即座に右側へ顔を向けることで、パンチの威力を殺そうとした。
「おい!!」
後方の言葉に腕力バカは拳を止めた。なんてドスの効いた低い声なんだ。
「私たちの任務はヤツを捕捉することだ。それに。この世界ではお前はそのボウズにやられてしまうぞ。」
声の正体は、一番背の高いまだ一言も発言していない男だった。
“したたかなヤツだ”
他の2人とは比べ物にならないくらいキレる男だと直感する。その証拠に最初は後方に立っており彼を欺いたのにもかかわらず、‘ヤツの補足が任務’、‘この世界’とあらゆる事象が類推できる重大な情報を彼にもたらすということは、それだけ男に‘任務’を遂行できる自信があるということだからだ。
「どうしてですか!!こいつにヤツの居場所を吐かせればいい!」
彼は瞬時に胸倉を掴み続けている腕力バカの脇腹を中指を少し突き出した両拳で殴り、そのまま男の胴をつかんで金的に左ひざ蹴りを入れ、男が九の字に悶絶している間に右ひざ蹴りを顔面にくりだした。手加減の余裕なく彼の右膝には血と潰れた鼻の感触を残した。瞬間に残りの二人を見渡す。最初にリーダーと思っていた男は唖然としており、肝心のリーダーはすでに臨戦態勢。
いつもの彼なら数人を相手にする時に動揺が大きいヤツを先に片づける。大抵は動揺をしていない一番強い男が横から参戦してくるからだ。そこに隙が生まれる。人間というものには情がある。まして徒党を組んでいる仲間がやられるのだから助けなければいけないという意志が先行してしまう。頭を潰せば後は脆いものだ。しかし、目の前にいるこの男は違う。男とサシでやれば互角の戦いができると思っていると感性がいう。この男には情よりも理が先行している。
男はジリジリ彼との距離を詰めてゆく。状況が一変し、彼は不利に追い込まれる。動揺している男よりも彼に近づいている。彼にしてみれば一人でも多く処理しておきたかったのだが、眼前のヤツに隙はない。もし、後方の男に襲いかかれば隙ができてしまう。後方の男の精神が回復するまでに、ヤツを仕留めなければならない。2対1では勝ち目がないと悟った。
「来ないならこちらから行くぞ!!」
ヤツは凄まじいスピードで突進してくる。明らかに体格で劣る彼の間合いは小さい。つまり、最大限間合いを利用できる蹴りしかない。前かがみになっているヤツの顔面に左中段蹴りを入れる。もちろんヤツは蹴りが来るのを知っていたが、彼の方が一枚上手だった。彼は蹴りを入れる直前に左ひざ蹴りの姿勢を見せたので、ヤツは前かがみ姿勢からさらに低くダッキングしたのだ。それが失敗だった。彼は瞬時に右足軸、腰を回転させ、足のスネがヤツの右頬に触れ・・・、ヤツは吹っ飛んで、コンピュータのディスプレイに亀裂が入った。
“死んでしまったのか?”と思った矢先に、誰かに足を掴まれた。
先ほど彼が処理した腕力バカだ。這いつくばりながら彼の足を掴んでいる。“異常にタフなやつだなぁ”と参ったような苦笑いをしながら、延髄に右拳でとどめを刺そうとしたその瞬間、目の前が真っ白になった・・・。後方にいた男が彼の後頭部へパワーボムをしていたのだ。既に精神は回復していたのだ。
「どうしますか。小隊長。」
ヤツは体中の痛みと脳震盪の影響で震えながら立ち上がり、こう言った。
「確保だ。は、・・・はやく手錠をかけて、連行しなければならない。」
彼は途切れそうな意識から、朦朧とした意識の中で必死に状況判断を試みている。
ヤツは鼻血をすすってから、一発お返しをした。
どうやら、気絶してしまったようだ。切れた口内から血があふれ出ている。
「魔法を使えるやつが、肉弾戦でも強いとは珍しいですね。」


4.ユダとアモア

9月26日
近隣住民のひどい騒音が聞こえるという苦情から、中年の女性管理人がアモアの部屋を訪ねた。鍵は掛っておらず途端に彼女は驚愕することとなる。部屋は滅茶苦茶に荒らされており、何よりも血痕があたり一面に付着していたのだ。すぐに警察へ通報した。
警察は部屋の状態から事件性があると判断し捜索本部を立ち上げたが、捜査はすぐに行き詰まる。部屋からアモア以外の指紋は検出されず、また目撃情報もゼロ、唯一の手がかりは血痕であったがそこで奇妙な事実が判明した。残された血痕は3種類で、一つはO型、つまり彼の血液型と一致している。しかし残り2つはどの型とも合わなかった。
警察は彼が通っていた大学にDNA鑑定を依頼したが、この国でトップクラスの科学技術を有した、ペトイン大学付属病院の研究医達でさえ頭を抱えてしまう。アモアのDNAは完璧な一致が見られたが、残り2つは人間のそれとは異質のものだったのである。人間以外の動物のものではないかという疑念が深まり、構造が人間とかなり類似していることから猿の類に違いないと、彼の住んでいる地域自体に猿は生息していなかったのだが、一縷の望みをかけて国に生息する猿の種のDNAをあまねく調べたがやはり一致しなかった。医局では‘異星人の仕業か’とまで噂が立ったのである。
捜査本部は事実上解体、捜索も打ち切られた。
この奇怪な事件は各メディアに取り上げられ大きな波紋を呼んだ。三流週刊誌では『精神異常者UFOと交信!』、『国家機密部隊に暗殺された!!』などと大衆を賑わせた。

バチィッ!!バチーン!!バチィッ!!バチィーン!!
「起きろ!!いつまでオネンネしてんだよ!」
ゆっくり目を覚ます。灯りに目が慣れていないことやさっきまでの一事で頭の収拾がつかない。ようやく目が慣れ始めたころに、目の前の奇妙な格好の奇怪な動物に独り言をいってみた。
「なに?」
「あぁ!オレ様にため口聞いてんじゃねぇよ!!」
なんとその動物は喋っている。
“ああ、これはもう全部夢だな”
「もう一度眠らせてやろうかぁぁ!!」
バティーン!!
全く場を把握出来ていない、そんな彼に背筋まで走る激痛。正気になり周りを見渡す。どうやら彼は裸でいて、手足は縄でぐるぐると十字架にかけられており、生々しい鞭で打たれたような切り傷が幾か所にもある。ここは拷問部屋のようだ。
どっと疲れが出てきた。生気を失った眼でその拷問係と思しき奇怪な生物を眺める。面白い容姿だ・・・、まるで毛のない地肌が緑色のキツネだ。それが二足歩行で中世ヨーロッパの拷問係のような格好を真似て、おまけに鞭まで持っている。こんな舐め腐ったやつに拷問されるとはとんだ笑い草だなぁと、
“現実で死ぬのは別にかまわないけど、夢で死んでは芸がねぇな”
思いつつも彼の力では縄を引きちぎることができない。なんらかの方法で解放されたとしても、ここが何処なのかもわからない。‘夢が覚めるまで’とりあえず情報収集に専念することにした。
「俺はどうして拷問されているんだ?」
「しらばっくれるとはいい度胸だな。」
それは憎たらしそうに言う。
「はぁ。魔法使いとはひねくれモノが多いな。まったく・・・。」
“‘魔法使い’・・・、あっそうか。その手があった”
「フっ。そこまでばれていたか・・・。君は優秀だなぁ。取引をしたくなったよ。」
「なんだよ・・・。」
「俺がなぜ拘束され、こうして拷問されているか教えてくれないか?そのかわり君の願いを何でも叶えてやろう。」
「う~~む。」
訝しくしばらく考えている。
「ほんとだな!ほんとだよな!!なっ!なっ!!」
“喰い付いた。なんて単純なのだ”
「魔法使いは嘘をつかない。」
神妙な面持ちでいう。
「ほんとに何も知らないんだな。冥界法を・・・。お前は魔法を使って下界からこの世界に来たんじゃないか。まったく、火遊びが過ぎるぜ。しかも下界へお前を捕まえに来て降りたこの国の特高の八番隊を2人も重傷を負わせたしな。処刑確定だぜ。ホント・・・。」
“お喋りなアホキツネだ”
「これからなにがある?」
「それよりオレの願いを・・・。」
「これからなにがある?」
「裁判だよ。まぁこの国は法治国家だからな。とはいっても名ばかりで・・、オレがいったのは内緒だぜ。」
「この国?」
「メンティラ帝国だよ。知らねぇのか?」
「で、どうして俺が魔法使いだとバレたのか?」
「それより、オレの願い叶えてくれよぉーーーー!」
「魔法使いは嘘をつかない。さぁ答えてくれ。」
「まぁ、ここからはオレも聞いた話で確かではないんだけどさ・・・、この世界には下界で死んだ奴しか来れないらしいんだけど、お前は死んでないのにここに来たんだよ。魂を持っているやつで来れるのは魔法使いだけさ。しかもお前はこの国の領地に入っちゃったんだよ。運が悪いね~。でさ~、オレの願いだけど・・・・。」
彼は何か掴んだようだ。。
“ということはこの冥界にダンがいるはず。といっても九分九厘、ここは現実ではないだろう。ホッペをつねって、本当に痛かった夢の経験もあるしなぁ、ということは今の俺はまだふとんの中。何時頃だろうなぁ。もう少し夢を満喫してみたいけどこれ以上進展はなさそうだし・・、というか夢って途切れ途切れに繋がってるんだな。夢から起きたらそれもまた夢だった。そんなオチか?それともこの世界が現実で、俺が生きている世界が夢だったとしたら・・・”「オイッオイッ!オレの願い事無視するなよ!?」
「すまない。で、君の願いはなんだ?」
「オレの夢は人間になることなんだ。リカッタトレ星人になることなんだ。」
「どんな容姿なのかな?」
「お前のような地球人は肌色だろ?リカッタトレ星人は緑色なんだ。きれいなフォルムに包まれた緑色・・・。最高だろ?」
“俺の夢の世界では異星人が存在するのか・・・、というか厳密にいえば白・黄・黒が地球人の肌の種なのだが”
「すまないが・・・・。」
「何だ・・・?」
それは寂しそうな顔を見せる。
「このままじゃとまともな魔法が使えないんだ。縄をほどいて俺に服を着させてくれないか?」
数分の間、無言で何かを考えているようだったが、意を決したようだ。
「ああ。わかった。そのかわり・・、お前が逃げる時、オレも逃がしてくれ。」
「当たり前だろ。魔法使いは嘘をつかない。」
それは飛び上がらんばかりに喜んで縛っていた縄を解き、剥がれた衣服も出した。
「今すぐにでも、オレに魔法をかけてくれてもいいんだぜ。」
それはだいぶ興奮している。
「君がいきなり別人になってしまったら、ここから逃げ出すのも少し億劫だろ?ここから出たらちゃんとかけてやるから安心しろよ。」
「そうだな。それが先決だ。」
拷問部屋を見渡す。壁はレンガ造りで出入り口は鉄格子。まるで中世ヨーロッパのそれと同じようだ。
壁には拷問具や擦り切れた布のフード付きマントが掛けられてある。
「なぁ。あそこのマントは拷問係用のマントかい?」
壁に指さしていう。
「そうだぜ。拷問中に顔がばれてしまえば後々に不味いことになるからなぁ。あんまり使わねぇけど高官が直接参加する時に、よくかぶってるよ。」
“なるほどね・・・”
マントに手をかけ、羽織りながらそれに聞く。
「君の名前はなんていうんだい?」
「あっ、そうだな~。これから相棒になるわけだし、オレの名前はホープ。お前の名は知っているぜ。アモアよろしく頼むぜ!」
ヤツからは親近感が伝わってくる。
「俺の名前はダンだ。」
ホープは驚愕の表情を浮かべ、細目を大きく見開いてこっちを見る。
「あぁ・・・ああ・・・、そうか・・・。どおりで特高の8番隊相手にあそこまでやれるわけだ。オレはとんでもないやつと組んでしまったなぁ。」
「どうして?」
「冗談言うなよ!お前は全世界指名手配の第一級犯罪者だぞ!?」
「まぁ、私はウォンテッドだからね。」
「ともかく、さぁ行こうか。鉄格子を開けてくれないか?」
「まったく魔法で開けやがれよ。」
とホープは呟いたが、聞こえないふりをする。ホープが鍵を開ける。ヤツの手を見ると、異常に短い指が4本と腕の真ん中に爪が付いてある。足も同じようだ・・・・。実家で犬を飼っていたが、それに似ている。
拷問部屋から出てわかったが、ここは監獄らしい。生気を失ったようなやつらが、ごろごろなかに入っている。かなりひどくやりこめられたようだ。
“もしかしてRPGのように城のBFとか?(笑)”
「この建物の構造を簡単に説明してくれないか?」
「ああ。見ての通りここは監獄で、しかもこの階は政治犯や重罪人だけが収容されるんだ。見てみろ。みんなバラバラに隔離されてるだろ?」
「ふん。ということはここは地下ってことか?」
「おう、どうしてわかった?」
「‘この階’ってことは、他にも収容している階がいるはず。つまりここは収容所。もしここに地下がなければ、必然的に一番脱出困難な最上階になるが、それはありえない。」
「どうして?」
「床、壁を叩くと薄いコンクリートの上から土を叩いているような感触がし、それに・・・、ヒビの間から土が見えているしな。」
「すげぇな。」
ホープは心底驚いているようだ。
「で。ここから脱出する方法は?」
「あそこの階段からしかない。」
薄明るいランプのついた階段を指さす。
「一階まではすんなり行けると思うが・・・・、ここから完全に脱出するには城を通らなければいけないんだ。」
「どういうことだ?」
「この収容所の一階と城が一本の通路でつながっていて、外へ出るにはその城に入る必要があるんだ。あそこは管理体制が厳重だからなぁ・・・・。」
“こまったなぁ・・・。俺は魔法使いじゃあるまいし、まずバレるな・・・”
苦し紛れに言う。
「収容所のトイレの窓からとか脱出はできないのか?」
「無理だな。収容所と城の周りは深い堀に囲まれているし、脱獄を監視する守衛が数名配置されているから、逃げようもんなら即銃殺だな・・・。」
“銃殺・・・。ここの時代背景はめちゃくちゃだな”
「監視係の守衛が交代するための出入り口があるだろう?」
「ああ。」
「そこから脱出するのが一番良いのかもしれない。」
「どうしてだ?」
“魔法を使えないから、力尽くで逃げるのに一番の安全策だからとは言えないし・・・“
「城に入るほうが危険だ。俺が変装しても見破られる。一国の城なんだぜ。お抱えの魔法使いが相当数、向こうについているのは必然だ。いくら俺でも、厳しいはずだ・・・。」
「そりゃそうだな!魔法を使えない一介の兵なら、お前の魔法でチョチョーンと倒せちゃうもんな!!」
“そう上手くいくかなぁ・・・。こいつは弱そうだし・・・”
「こんなの持って行った方がいいかな!?」
ホープは興奮気味に壁に掛けてあった斧を手に取った。
「いや・・・、邪魔だ。できるだけ身軽な方がいい。慣れないものを振り回しても勝負にならない。相手は訓練された兵だぞ。」
彼は納得し、少しさびしそうに斧を元の位置に掛けた。
「監視用の出入り口まで来たら、一気に警護が最も薄いところまで走って、堀を飛び越えよう。」
「堀の幅はけっこうあるけど、ダンの魔法があれば安心だもんな!」
“ダンの魔法ならな・・・”
「まかしておけ!そうときまったら案内頼むぜ。」
フードで顔を隠し、階段へ向かう。ホープはせかせかと先頭を歩く。
ふと・・・、重大なことを把握するのを忘れていた。
「ここはいったい地下何階なんだ?」
らせん状の階段を歩きながら聞く。
「地下1階。」
“エッ。ココロの準備できていないな~”
階上へ向かう最中、ホープは階段の角につまずく。後ろから彼が支えたが、危うく転ぶところだった。しかし存外にもホープの肌に触れた時も、汗の感触など微塵もなかった。
“・・・・そうか。身体の構造がキツネに似ているせいで鼻からしか汗が出ないのか?”
彼はというと全身から冷汗がジワリと、フィブリンで固まりかけた拷問での傷口に入りこみ、その痛みが固まった精神を冷静にさせてくれる。
とうとうと登っていくと、やっと階上から光が漏れてきた。
“そりゃぁ、地下一階にあるはずだよ・・”
「お前は何もしゃべるな。」
ホープは彼に振り向き、神妙な面持ちでいう。
「わかった。」
神妙に応える。
一階へたどり着くと、自然にホープとアイコンタクトを取る。一階はまるで地球の警察署とそっくりだ。電話応対をしているやつや、ホワイトボートを使って小会義をしているところもある。制服も地球のそれとかなり似ている。ここは刑務所と警察署が一緒に機能しているようだ。しかし一つ違う点を言えば、ここにいるヤツらはホープと同じように見たこともない奇怪な動物にしか見えない。しかもみんな人種?がバラバラで、同じ容姿をしているものは多くて4~5人というところである。
“時代背景がめちゃくちゃだなぁ”
「おい。ホープ君。あの魔法使いの拷問はどうなったのだい?」
イノシシが2足歩行で何か喋っている。どうやら上司のようだ。
「ヤツは何か吐いたか?」
ホープの緊張感がこちらまで伝わってくる。
「いいえ。なかなか吐かなかったもので、ひどく痛めつけてやったところ、気絶してしまいました。」
「う~む。そうか・・・。報告によればイカトン国のスパイかも知れんとのことだ。殺さぬ程度に頼むぞ。」
重々しい雰囲気を醸し出し、ホープに見えない圧力を与えている。
「はい。申し訳ございません。次に起きた時には慎重に拷問を致しますので・・・。」
ホープは一礼し、その場を去ろうとした。
「うん。その後ろにいるのはどちらかな?」
“気付かれた!!ってかバレバレだよな・・・”
「はっ。こ・・・、こちら様は、例の政治犯と直にお会いになりたいとのことで・・・。」
彼はそれの方を向いて、少し頷く。
それは意外にもひどく感動した様子で、まるで親戚の赤ん坊をベタ褒めするおじさんのようなだ。
「あぁ・・・なんて勇敢な方でいらっしゃる!!我々もぜひぜひその勇猛さにあやかりたいものです。」
得意先に対するサラリーマンのように深々と頭を下げている。貴族だと勘違いしているのか。ホープはしたり顔をしている。鼻からは今にも汗粒がこぼれそうだというのに・・・。
「実はこのお方がどうしても、収容所の周りを監視している守衛の様子をご覧になりたいと仰っているのですが・・・。」
それは少々怪訝な顔をしたが、
「うむ。この収容所はヤツとて脱獄できぬように、完璧な警備体制が敷かれております。ぜひぜひご覧になってください。ホープ君。きみがご案内したまえ!」
“ヤツ・・・?それは俺か?それとも例の政治犯か?”
「それでは副署長。ありがたく、ご案内させていただきます。」
ホープは副所長なるそれに一礼し、その場を去った。
“あぁ・・・・。もうクタクタだ。たった数10秒間が、半時間以上、あそこにいたように感じる”
ホープは真っ直ぐに監視用出入り口へ向かって行っているようだ・・・。
ドアノブに手を掛ける。
芝生が見えた。やっと屋外へ出れる。またアイコンタクトをするが、ホープの眼はひどく怯えている。彼はホープの肩を掴み,先頭を入れ替わる。と同時に ドアがガチャンと閉まった。
即座に周りを見渡す。見る限り守衛は5人。裏側もそのくらいだろう。二人に気づいているが、全く動く気配はない。
堀は・・・・、確かに幅が広く6メートルはあるだろう。底も見えなく、かなり深そうだ。幸いにも堀の向こうは林で隠れながら逃げるのにちょうどいい。
視界には・・、一番遠い堀の角で屈伸しているものがいる。
“今だ!!!!!”
全速力で走る。と同時に、周りの動揺が感ぜられる。眼前の獲物はまだ気づいていない。彼の間合いに入った時にはとうとう異変に気づき振り向こうとしたが、遅かった。
鉄兜に右足で思いっきり上段回し蹴りを入れる。兵はそのまま堀の方へ倒れていく。勢いにのって兵の背中を力いっぱい蹴り、彼は宙を舞った!
“地面に着地できそうにない!”
バーーン!
ガサッ!!!!!!
なんとか地面に両肘を付け、素早く地面に上がって、後ろを振り返る。ホープは堀の向こうで立ちすくんでいる。
「なにやってんだよ!!!はやく跳んでこいよバカ!!!!!!」
兵達は勢いよくこちらへ向かい走っている。
「ォ・・・オレ・・・。水が怖ぇんだ・・・・。」
「聞こえねぇよ!!オマエキツネだろ!!!何のために足が付いてんだよ!!」
「ああ!?」
ホープの眼の色が変わった途端、銃声が鳴り響く。あまりの恐怖に、かがんで腕で顔を覆う。向こう側にいるホープに目をやる。・・・・いない。死んでしまったのか・・・・?
後ろから肩をつつかれる。終わりだ・・・・。恐らく森にも監視兵がいたのだろう。
「オレはキツネじゃねーよ。」
声の方へ向くとホープであった。ヤツはあざ笑うかのように彼を見下ろしている。さすがはキツネ。並大抵の跳躍力ではない。
ヒュンッヒュンッヒュンッ
弾が飛んでくる!
「危険だ!!はやくいくぞ!!!!」
ホープの掛け声に目が覚めた。ヤツはもう遠くまで走っている。彼もヤツにならう。
“くそ!!さっきまで俺が主導権を握っていたのに!!!どうやら助けられてしまったようだ・・・“
ぐんぐん林を駆け抜ける。
ヒュンッヒュンッヒュンッヒュンッ
弾はどこまでも二人を追いかけていく。
スッ
右頬をかすめていった。耳がキーンと鳴る
“なんだ・・・。思うように体が動かない”
ホープが遠ざかってゆく・・・。目の前がぐらぐらする。
「おーい。あっちだ。あっちにいだぞーーーー!!!!」


5.天の一時

“いたいよ~ いたいよ~”
誰かの囁きに目を覚ました。
目の前には青空が広がっている。
“ちってしまうよ~ ちってしまうよ~”
上半身を起こしあたりを見渡すと草原である。彼を中心に草原の向こうには円形に木が生い茂っている。見る限り人はいない・・・・。
誰かが隠れているのかと思い、
「誰だ!」と叫んでみた。
“すぐそばにいるのになんだい!わたしがみえないのかい!”
囁きは怒鳴り声に変わっている。
「誰だ!!どこにいる。出て来い!!!」
“しただよした”
別の囁きが聞こえ下を覗く。草が茂っているだけだ。
「なんだ・・。草だけじゃないか・・・・。」
“なんだとはなんだ!草だってしゃべるんだい!”
エッと彼は呆然としている。
“なにが‘エッ’なの!わたしたちだって生きているんだからね!!”
「そうなの・・・・。」
“しつれいしちゃうわ!!それより今すぐそのおおきなおしりをどけてちょうだい!!”
何の事だかさっぱり困惑したが、語気の強さに圧されて思わず立ってしまった。ちょうど彼が座っていた所を見ると、そこには一輪の白い花が咲いており、彼がその上に座ってしまったために花の茎はお辞儀をしているように曲がってしまっている。
「もしかして、君は花なの?」
“そうなの。私たち花はかよわい生き物だからきをつけてよね”
「・・・。ごめん。」
“わかってくれればそれでいいのよ。さっきはきついはなし方をしてこちらもわるかったわ”
白い花の機嫌は直ったようだ・・・。
重大なことに気付く。今もなお踏んづけているこの草もやはり困っているのではないのかと・・・・。
「どうすればいいんだ・・・。」
“心配ご無用ですよ。僕たちは草なのであなたにどれだけ踏んづけられても平気なのです”
別の落ち着いた囁きが聞こえる。声のする方の右足をあげてみた。
“僕たち草はあなたにふんづけられるたびにより強くなるのです”
“ああ・・・、よかった”
と胸をなでおろす。彼にはその草がとても立派に生えているように見えた。
話は続く。
“しかし花は違います。さっき百合さんが申した通り、花はかよわいのです。しかも僕たちとは違って、咲いている時間は非常に短いのです。”
「そうだったのか・・・。悪かったな・・・・。」
ふと、彼はさっき脱獄した時の事を思い出した・・・。堀を越える時に地面から這い上がる際に草を掴み、それを引き抜いてしまったのだ。
“そうですか・・・。そんなことが・・。しかし心配はいりません。草は枯れいつかの風の精霊につれられて旅へ出るのです。あすこの草は確か、旅に出たがっていましたから、ちょうど良かったのですよ”
「そう言ってくれれば気が楽になるよ。ありがとう。」
彼は考えた。旅に出るまで草は暇を持て余しているのではないか・・・。
“いいえ。僕たちは毎日とても忙しいのです。今日も祖父母にこないだの手紙の返事をミツバチさんに届けてもらわなければいけないですし、毎夜の6時にはお祭りがあるのです”
「へぇ。それはどんなお祭りなんだい?」
その草はうれしそうに答える。
“みんなで踊るのです。木も草も風の精霊とともに踊るのです。僕たちは誰がいちばん美しく踊れるのか、毎日競い合っているのです”
百合が付け加える。
“もうすぐ6時になるから、もしよかったらあなたも見ていらしたら?”
アモアはなんだか興味があったので、6時まで待つことにした。
「今、何月だい?」
ある草が答えた。
“何月?なんだいそれは?”
「この世界には暦とか、四季は存在するの?」
“暦はとても複雑で君に話したって理解出来っこないよ。四季は存在するよ。この世界はとてつもなく広いから、地域によって四季のかたちがちがうんだけど、ここでは雪が解け始めて芽が顔を出せば春。草木がさんさんとサンに向かって背伸びするのが夏。みんなが枯れて、僕たちが旅に出る時期が秋。そして僕たちの仔が芽生えるのが冬なんだよ“
「そうか・・・。いろいろあるんだなぁ。ちなみに今はどの季節なんだい?」
彼はとても安穏な気持ちになっていた。
話に夢中になり、気づけば空はもう淡いオレンジ色だ。
空を見上げると七色の閃光がヒュンヒュンヒュンと飛んでいった。
“さぁ。お祭りが始まるわよ!みんな手を伸ばして!”
ザワザワザワザワ、ザワザワザワザワ
草が鳴る。木の葉が鳴る。
フウウン フウウン ピュー ピュー
緑の光が彼の周りをまわっている。よく見れば光の先端は顔のような形だ。
風の精である。円形の草原を緑の精霊が無造作に踊っている。
草木の奏でる音楽や踊り、特に風の精の舞踊のあまりにものうつくしさに、ただその場に立ちすくんでいるばかりだった。
ヒュンヒュン ビュンビュン シュルシュルシュル
“さぁ。君も踊ろうよ。一緒に・・・”
風の声を聞き取る前にあたり一面七色の風に包まれて彼は宙に浮いている。
“さぁ、踊ろうよ!”
「でも、どうやって!?」
“自分の気持ちに正直になって!ぼくらがいろいろな所へ連れてってあげる”
ヒュュゥン
宙を舞う。今までの人生の中で一番痛快な気持ちなのではないかと思うほど、草木や風の精たちと共に天衣無縫に踊った。途中、大木にぶつかったりもしてすまない気持ちになったが、寛大に笑い飛ばしてくれた。
ザワザワ ダンダン ザワザワ ビュンッ ビュンッ

夜空になり星がさんさんと輝きだすと、風の精たちは帰っていった。
“今日は、特別に楽しかったよ。またね・・・。”
お祭りも終わり、ぐったりして寝転んだ。草木も体力の全てを使い果たしたようでぐったりとしている。
「こんなすがすがしい気分・・・、何年振りだろう。」
もうまったく声はかすれていた。これほど大声を出したり喋ったりするのも、本当に何年振りだろうか・・・・。
“今日は本当にあなたに来てくれてよかった。いつも以上に熱狂して、もう根っこが抜けるところだったよ“
ザヮザヮザヮザヮ
草木が笑っている。彼も笑う。星空を眺めながら思う。
“どうして俺は助かったのだろう。脱出の時は血が足らなかったせいか。記憶はとびとびだけど、林の中で倒れたはずなんだ”
“そうなの?わたしたちが起きたころにはあなたはここで眠っていたのよ”
“まさか・・・。理解できないなぁ。もしそうだとしたら、ここは城からどれだけ離れているんだろう。いやそもそも、この状況自体、あり得ないもんなんだ。俺は死んだのか?死後の世界にいるのか?”
“おちつきなさいよ。あなたにも風の音が聞こえるでしょう”
“ありがとう・・・。でも、どうしても疑問が尽きない。俺は夢の中で死んだのか?それとも、冥界で死んだのか?ここは死後の死後なのか・・・・!?”
“おおーい。そういえばあさがたぁ、あお色のひとぉをみたぞ~い”
“そうなのかい。大木さんは早起きだもんね。”
“青色の人・・・?もしかしてダンが俺をここまで運んでくれたのか?しかしそれぐらいしか考え付かないな。ホントにこの世界は何でもありだな”
“君がダンじゃなかったのかい?物知りのつくしんぼ博士に聞いたんだけど・・・。君の本当の名は何というんだい?”
“俺の・・・、俺の名前は・・・・。俺の名前は・・・・。今まで幾度となく思索をしていたが・・・、俺はいったい何者なんだ・・・・・・!?”
“キミハキミデボクハボク チャンチャラランラン”
ザワザワ ザワザワザワ
草木は歌い始める。
“まったく・・・、話になんねぇ。”
ララ ランラン・・・・。
彼は深い眠りについた。

魂の炎を燃やすのだ。臆するな。生とは仮初。愛とは永遠なのだ。
走れ!アモア・・・・、命果てるまで。
ハァハァハァ
暗闇を全速力で一直線に突っ走る。
“暗闇の向こうにはきっと光に満ちた世界があるはず。はずなんだ・・・・”
走っても走っても、一向に光は漏れさえしない。
もう20年間走り続け、彼はついに諦めてしまった。
“ハナっから、誰もが幸せになれる光の世界なんてありはしなかったんだ。”

絶望に神経を支配され朦朧と歩き始める。

“生まれた時から・・・、棲む世界が違っていたんだ。沢山の人を傷つけてしまう自分が憎い!!!!ぼ・・・、ぼくは普通に・・・、息をして、普通に友達と会話をして、普通に彼女が出来たりして、普通に家族と仲良く暮らして、普通に・・・、特別なものなんて必要なかったんだ!ぼくは普通に生きたかったんだよ!!!!”
「それだけだ・・・。たったそれだけなのに・・・・。」
歩くのをやめてしまい、その場で泣き崩れてしまいました。。
その瞬間に、彼は底無しの闇穴へ落ちていったのである。
・・・ドンドン
ピィ・・・ピィ・・・ドンドンドン
ピィーヒャラ ピィーヒャラ ドンドンドドン
ピィーヒャラ ピィーヒャラ ドドドンドン
ピィーヒャララララ ドドドドドン
ピィーヒャラ ピィーヒャラ ドンドンドン
“あくまのさそいにひきつられ やみにしずんだあもあめが まさにこのよのいきじごく~”
“いきとしいきるあまねくたましひ さびしさでからまるよ
あいにうえたアモアともしび いまきゆる・・・・”
“見えたぁ!!!!!”
遥か彼方に光が差し込んでいるのを彼は明瞭に感じた。
“飛ぶのだ!さぁ天高く羽ばたけ!!!!”
両肩から翼のようなものがメキメキと生えてきた。
“風よりも精細に、音よりも早く、光をも越えてゆくんだ!!”

夜明け前に彼は草原を旅立った。
“さようなら友よ。困った時はいつでもここに来ていいんだよ”
ゆめうつつに目の前がぼやけてしまい、振り返ることはなかった。
“君の信じる道を正直にすすめばいい”
霧がかった林中を走ってゆく。
草木へ霧と共に落ちてゆく雫の行方は誰にも知れなかった。
追い風が彼の行方に添ってゆく。
駆ける。
「ああああああーーーーーーー!!!!!!!!」
林を抜けると湖が見えた。
“僕に少し水を分けておくれ”

湖を超えると、辺り一面崖であった・・・。


6.虚無の認識

崖の向こうには町が広がっている。
街路はたくさんの人々で喧騒としており、見たこともないものがたくさん行き来している。空を見上げれば太陽はさんさんと町を照らしていて、もう昼のようだ。
崖から慎重に滑り降り眼前の町へ向かった。町の中へ入ろうとしたが、どうやら建物が密集していて入り込む余地がない。仕方なく建物の羅列に沿って歩いてゆくと立派な木造のアーチがあり町の出入口のようだ。
そこから町へ入ろうとすると、二人の門番に止められてしまった。
「通行証は?」
鬼のような姿をした一人がいう。
「ありません。」
「貴様、通行証を持たぬとはとんだ田舎者だな!」
「はい。その通りです。」
「なんの用でこの町に入る?」
「自分を探しにです。」
「ハッハッハッ!!!そうか!ちゃんと持っているではないか。では気が済むまで探すがよい。」
二人は相好を崩して道を開けてくれた。
町へ入ると奇怪な生物の姿がよくわかる。八本足の紳士や一つ目の少年、のっぺらぼうのお婆さん。腕が4本のお坊さん。
さまざまな店もある。武器屋や防具屋、万屋・・・のような建物、店頭には見たこともない品物がずらりと並んでいる。
目の前の新鮮な世界にただただ呆然と前に進むのみであった。人外境とはまさにこの世界のことだろう。
ふと目に留まった、雑貨店へ入っていく。店の中は汚く、何年も使い古されたような商品がたくさん陳列されている。どうやら中古品を扱う店らしい。
店主らしき人は店の奥のイスに座り、新聞を広げている。大男だ。
“何語で書かれてあるんだろう”
陳列されている商品の値札には見たこともない字で記載されている。店の隅々まで不思議な品物を眺めていたが、店の隅に一つ、特別に興味を引くものがあった。非常にさびついた、もう何十年も整備されず放置されているとしか思えない自転車だ。その自転車に近より注意深く眺めてみる。それには彼にも識別できる文字がプリントされてあった。よく考えてみれば、最近まで使用していた自転車と形がそっくりである。製造メーカーも張り付けてあるシールも一致している。
「あの~。この自転車はおいくらですか?」
大男はちらりとそれに目をやり、
「それは売りもんにできねぇ。うちのわかいやつがとんでもねぇポンコツを拾ってきたのさ。」
大男は新聞をテーブルに置き、彼を怪訝に見ている。
「そんなに気になるならもって行きな!じゃまなんだ。といってもスクラップにしても一銭にもならねぇ。」
「あの~。タダでいいんですか?」
くどく言う。
「タダ~?商売人としてはタダでゆずるわけにはいかねぇワナ。おめぇ、見た目カネを持ってないようだし持ってねぇなら、なんかと交換だ。何か持ってねぇか?」
お金を持ってはいたがここでの通用する単位かどうかもわからなかったので、ジャケットのポケットを探ってみた。そのうちにレシートがひらりと落ちた。
「おう、それはなんだ?なんだぁ、ただの紙じゃねぇか。」
レシートを左手に掲げて
「いいえこれはただの紙ではありません。値札としての利用価値があります。」
「ほう。かんがえたなボウズ。それを置いていきな。」
大男の方へ向かい目の前のテーブルにレシートの裏側を置く。紙をつまみ目をパチパチさせながら全く興味深く眺めている。男の手は彼の頭より大きい。
「では、持っていきます。」
自転車の後輪にはカギがかかっていたので、後輪を持ち上げて他の商品にぶつからないように慎重に持って行く。
「良い一日を!!」
大男は彼の背にいった。
「ありがとう。おじさんにも良い一日を。」
振り返り、大男に聞こえるともなく言った。
“さて、鍵を探さなくちゃ”
町中の人々がボロの奇怪な物体を押して歩いている彼を見ては話のタネにしている。彼はこのような人々の視線には充分にさらされてきた。なので理性では全く意にしていない。
“誰からどういわれようと、自分自身は変わらない”
しかしそう自分に言い聞かせること自体、彼がその視線を気にしているのがうかがえる。
汗がじわりと出て、下ばかり見ている。
これからどこへ向かえば良いのか。耳を澄まして下を向き、ただ前へと進む。
“この世界でも俺は違う次元に生きているらしい”
彼はこのような死後の世界は存在しなくて、もし天国と地獄で二分化されていたとしたらどうなのかと子供のころから考えていた。
“例えば殺人を犯した人間は法で裁かれ、相当の処罰がくだされ世論からいわせれば死んだら地獄行きなのだろう。だがその人間がどういった経緯で犯罪を犯したのか、彼にとって今は最大の不幸でありその元凶の人間を殺した場合、それは彼個人の主観的な事実であり法の範疇にはない。ただ彼の状態は地獄から一向に変わっていないのだ。無期懲役を食らったとしよう。その死後にまた地獄行きか?
被害者やその家族、大事な人、彼、全てが地獄を見なければいけないのか?
俺はたびたびそんなニュースを見ては嘲笑した。これからも一時でもそういった事態があり、俺は蔑視に値する人間となるだろう。
誰かはいった。‘命は平等だ’と本当にそうなのかと俺は思っていた。
俺は蝿を殺す。蟻を踏みつぶす。蚊をベシャンコにする。知らないうちに微生物を何億何兆とその生命を絶っている。考えてもみろよ。俺とおまえらじゃ細胞の容量が違うんだ。痛覚もあるんだ。牛にも痛覚があるぅ?
そんなこと知るか!
細胞の質量が違うんだよ。感情だってある。
なにぃ!犬にも猫にも猿にも感情が確認できるから!?
はぁ!?
わかんねぇよそんなの。人間はどんな生物よりも偉いんだ。だから地球を支配してる。
なに!地球を支配しているのは自然だって!?
そんなの信じないなぁ。やつらには痛覚もなければ細胞もごく単純なものだ。脳みそもねぇじゃねえか!
水に土に何があるんだっていうんだよ!
俺達は森林を伐採してその上に畑を作るんだ。簡単におまえたちの命だって絶てるんだ。噴火?地震?台風?なにが大地の怒りだよ!!そんなのある程度予測できるじゃねぇか!自然災害さえ現代科学に、人間の創造物に支配されているんだよ!!!
本当に平等なら、俺たちみんな地獄行きだ!
蠅も海も空も大地も、みんな地獄だ!
違う!違う!違う!
そんなの矛盾してる!
天国も地獄もありゃしないんだ!
みんな心の中に地獄を持っているし、天国も持っているんだ。
俺たち人間だって生きているかどうかなんてわかったもんじゃねぇ。
生ってなんなんだよ!死んでも、次がありゃずっと生きてるんじゃねえか。
・・・・・。
そうすると死ぬということは第一ピリオード終了だな。
生まれ変わったら何になりたい!?
はぁ?
生まれ変わったら今いる世界にはいねぇんだよ。
ああ・・・。俺はアホだ。究極の狂人だ!
少なくとも俺の生きていた世界は理想だけでは生きていけないんだ。愛だけでは食っていけないんだ。妥協しなければならいない。人も人の命を食う。
ああくだらねぇ。
どうせこの世界だって一緒なんだ。利害でみんな動いているんだ。
本当の幸福が個人によって違うのはわかる。
しかし、本当の幸福は利害のもっと奥底にあるものじゃないんだろうか。
残念ながら現在の社会構造はそういった愚から脱せないようにしている。その制度を作った人物を探し出し、糾弾し、殺しても、何の解決にもならない。誰かの手が血に染まるだけだ。
誰が悪いわけでもない。 何が悪いわけでもない。
ただ・・・・・、全ては循環し繰り返されるのだ。
そうに違いない。
俺は誰によっても自分の道を切り開かれたくはない。俺自身が考え、自分の思う道を進みたい。
今を生きること、それが俺たちに託された唯一の自由なんだから。
俺の眼は今も死んでいるだろうか・・・・。
人口は増大する。人々は食糧難に陥り国々は食料の奪い合いをする。戦争をする。間違っていないか、もっと考慮すべきことは沢山あるはずだ。軍事に投資するのではなくて、その危機を脱すための科学にどうして・・・。
俺が生きていたら、今言えるのに、みんなに知らせに、どんなところだって這いずりまわってやるのに!
狂人と言われても構わない。
みんな!今を捨てるんだ!元の世界に戻ろう!本当の意味で生きるんだ!
ああ!!どうして気付かなかったんだ!俺はバカだ。大馬鹿モノだ!!!!
ああ。僕たちはどこを見ているのだろう。”

彼は狂人である。狂っている。
その事実を無意識に気づいてはいるが、実際に認めているわけではない。
どんな状況下でも直感を信じて疑わない愚か者である。全く論理的思考に従順ではなく、目の前の現実よりも自身にとっての‘今’を生きる男である。
意識内ではもう奇怪な事物は蚊帳の外である。
本来のシンメトリーとは自分だと勝手に決め付けているほどの異端者だ。
死してもなお異端者。だから、愛おしいのかもしれない。
ぶつぶつと独り言を呟きながら歩く。しかし、全くその光景が不自然ではないのがおもしろい。
そろそろ後輪を持ち上げている腕がヤワになってきた。一休みと、額に浮き出るわずかな汗を拭い、まわりを見渡す。繁華街で辺り一面が飲食店である。
不思議なことに今まで空腹を感じていなかったのにもかかわらず、俄かに体中の力が抜け、目眩を感じつつ倒れた。
それも当然、もう3日も何も食べてなかったんだから。

ポトッ  ポトッ
顔に何かとても冷たいものがかかり目を覚ました。
手をやりその正体を探る。どうやら水のようだ。眼前では今これから布が絞られようとしている。
ポトッポトッポトッ・・・
「ちょっと待て!おい。もう俺は起きているよ!」
「キンキー。よくやった。ありがとうね。」
上方から声が聞こえ、声の主の方を見やると、大岩上に青い影が落ちている。
一面は荒野、そして夜方であることに気づく。
「キー。キッキー。」
猿は荒野を駆けてゆく。どうやら介抱してくれたようだ。
「ありがとう。おサルさん。」
か細く呟いた。
大岩へ視線を移し影にいう。
「あんたは誰だ?」
影は立ち上がり、青い光の粒子が線香花火のように沈んでゆく。
「おい。忘れたのかい?私はダンだよ。」
「違う。俺がダンだ。」
反論する。
「はぁ。君はこの世界に来て、自分の名前を忘れてしまったのかい?」
“俺はダンに違いない。魔法使いのダンだ。”
「魔法を使ってごらんよ。」
「・・・・。」
「僕のところまで、飛んできてごらん。」
「~~~~!!!」
もどかしくなり地団駄を踏んだ。思索の連続があまりにも彼を不安にさせた。
「この世界へ来ると、大抵は下界での自分の存在を忘れるのだ。君みたくこの世界を初めて体験した時に名前を覚えていただけでも、結構マイノリティーなのだよ。」
わけがわからなくなる。
「今の君は‘名無しのごんべえ’、アイデンティティーすらその外形にしか留まっていない。」
思考は停止した。
“オレハダレ?”
眼は死んでいる。
「上着のポケットを探ってごらん。」
闇雲にジャケットのポケットを探ると鍵があった。
「これは・・、いつの間に・・・。」
“君の魔法なのかい?”
「さぁどうでしょう・・・。」
ダンは眩しそうに珠魂を眺めている。
“これは何の鍵なんだろう。何のために俺のポケットに・・・”
「ああ。すっかりメンテナンスを怠っているなぁ。主人が忘れてはダメだよ。」
ダンはいつの間にか自転車のサドルをなでている。
“!!!!!!そうか!!フリーだ!!”
彼はおもむろにそれを自転車の後輪の鍵穴に差し込む。
“ピッタリだ!”
「どうやって君に付いてきたのだろうね。私が生命を表出させてしまったばかりに、主張が強くなってしまったなぁ。」
ダンは髪をかきむしっている。
鍵を左に回す。
瞬間に辺り一面が真夏の昼のように明るくなり、自転車から閃光の嵐が吹き荒れた。錆はどんどん剥がれ、天に昇ってゆく。
彼はあまりの衝撃に、岩壁まで吹き飛ばされてしまった。
嵐がおさまるとそこにはもう何もなかった。地面に大きな影が映り天を仰ぐ。
“フリーだ!”
“ヒャッホーーーー!!!!“
鳥の如く自由に青空を駆け巡っている。
「久しぶりだな。フリー!!!」
“おう。早く気づけよな~~。インディーンにたどり着くまでボロボロになったんだからなー!”
“フリー、ちょっと来なさい”
「おーい。どうしたんだ~。」
ダンとフリーは遠くで何かを話している。数分後にこちらへ戻ってきた。
「何してたんだよ~!」
「あ、メンテナンスのことについてね・・・。」
頬を指でなでながら意味深に応えた。
“なんだ*。二人して・・・”
「それで君はこれからどこへ行くつもりなのだい?」
ダンは襟を正す。
「さぁ。自分の名前探しに流れていこうかと思う。」
「私についてこないか?どうせ行き先を決めてないようだし。」
「わかった・・・。俺も一緒に行くよ。で、これからどこに?」
フリーにまたがり、ハンドルを握る。
「すこし南にバンデという大きな町がある。少々危険だが、特別な力がなくても大丈夫だろう。」
安易に・・・、夜空を見上げている。
「いざ。南の地へ。」
ピィーーーーー
指笛を鳴らすと、青い大鳥が凄まじい速度で現れ、瞬く間にダンを乗せていった。
“さぁ。いくぞ!”
ハンドルを握り、ペダルを思い切り漕いだ。


7.お腹の果実

海に面した交易の盛んな小都市トリニティーでホープは苦悩していた。
タヌキ族の一人に恋をしてしまったのである。キツネ(彼自身認めてはいないが)とタヌキは、ご存じのとおり犬猿の仲である。今もなお争いが絶えず、年に400~500人の命が不毛にも失われている。(現世の衛星コントラディクションでもタヌキ族とキツネ族の2大勢力で構成されており、現在は冷戦状態である。)
あなたは想像できるだろうか?
親の仇に恋をしてしまう、この何とも切ない気持が・・・・。
彼が彼女と出会ったのはちょうど3か月前、つまりアモアと脱走に成功した翌々日のことである。彼も何とかこの町にたどり着き、空腹で今にも息絶えそうであった。お金は持っていなかったが、小さな食堂に入り手当たり次第に注文し何でも口の中にいれた。
「おい。客よ・・・。金は?」
勿論、その後見返りに皿洗いを数日間全うしたのだが・・・・。
休憩時間にいつもお茶を運んでくれた給仕の女がいた。それはとても美しいキツネであった。
いつしか二人は互いのことを理解し合える関係になり、結婚という話題さえその数日のうちに出たぐらいだ。
ある日、女は言った。
「私・・・、あなたに隠し事してるの。」
とても神妙な顔だ。
「うん?なんだい。」
「・・・・。」
「いえよ。オレは何も気にしねぇから。」
「私。ホントは私じゃないの!」
“はぁ?”
ボンッ
女はタヌキの姿になり、ホープは唖然とする。
「私。ホントはタヌキ族なの。」
とてもみすぼらしく、種族の違うホープでも彼女に容姿という言葉が存在しないくらいなことはわかっていた。
「・・・、あ・・・ああ。」
「ごめんなさい。」
彼女は泣きながら彼のもとを去ろうとした。
「ま・・・、まてよ!」
彼女の腕をつかむ。
「どうして狐になんか化けてたんだ!?」
「そ・・・、それは・・・、トリニティでは私たちタヌキが奴隷の交易商品されているのは知っているでしょう。」
固唾を飲む。
「私は買われたんだけど・・・、化けて、働いていた製糸工場から逃げだしてきたの。」
(余談であるが、ホープはキツネであるが最貧民層の家庭に生まれ、まともな教育が受けることができずに化け学の基礎すら知らなかった。その彼がキツネに化けた彼女を見破ることができなくとも当然である。)
彼女は今にも泣きそうな表情を浮かべている。ホープはそれでも彼女の腕を放さない。彼自身、彼女の外見ではなく、中身に惹かれていたことを心の奥で認識しており、ざらついた心と心が相互に絡み合い彼女は彼の心の傷を癒し、癒されていた。
彼は泣きそうになった。
「ハ・・・、ハラ減ってねぇか?ピザでも食べに行こう。」
「・・・・うん。・・・・、ピザってなに?」
ホープはずっこける。二人に笑いが戻った。
「あのさ・・・、この町を出てどこか遠くの地へ、二人で農業でもやって暮らさないか?いや・・・・オレ・・・、実家が農家だったからさぁ。」
キツネに化けた彼女にホープは下を向きながらいった。彼女は悲しそうな顔をしている。
「どうしたの?」
彼女の重い口が開く。
「・・・いけない。」
「えっどうして!」
「わたしの家族も仲間もまだ工場で奴隷として働かされているの。わたしは唯一、化けることができたんだけど・・・。」
「そうか・・・、そうだよな・・・。」
“アイツと一緒になりたいだけなのに・・・。オレに何かできることはないのか”
彼はある決心する。
「オレが何とかしてやる。」
目つきが変わる。
彼女は不安げにお腹をさすっていた。
ホープはタヌキ族が収容されている製糸工場へ向かった。正門には四方に警備がいたので工場の裏手にまわり忍び込む隙間をうかがってみた。大分上方ではあるが小窓がある。
彼は持ち前の跳躍力で窓枠に飛びのり、窓をそっと押す。どうやら鍵はかかっていないようだ。ギィと窓が開き、中へ侵入する。欄干の下ではタヌキが鞭に脅かされながら糸を紡いでいる。
彼はそろそろと奥へ奥へ進んでいった。幾重ものドアに耳を傾け、中の様子をうかがう。その中の一室では、何かの会議をしているようだ。ドアを耳にあてがって、注意深く内容を聞き取ろうとした。2,3人の声が聞こえる。
「うーむ。この生糸は中々上質にできているな。これだけのモノを低コストで他国には真似できまい。」
「それはそれは、ごもっとなことで。」
「よし。キサマの功績はよくデゼスペロの上層へ伝えておこう。」
「ありがたき幸せでございます。」
「し・・・、しかしこれはソーシャルダンピングではないでしょうか!」
「ああ。そうだよ・・・。」
ドンッッッ
「ィ・・・イディオート様。なんてことを・・・・。」
「彼は我が帝国の異分子だ。早めに消すにこしたことはない。」
「し・・・、しかし・・・・。」
「彼のことは前から気に食わなかったのだ。君も彼のようになりたくなかったら、気まぐれに偽善の心を出さない方がよいぞ、なぁ。」
“大変なことを聞いてしまった・・・”
「だれだ!そこにいるのは!!」
後方から全身黒マントの顔の見えない守衛が剣を持って襲ってくる。
懐からナイフをとりだし、その守衛に向かって突進した。
グサッ
その瞬間守衛は崩れ落ち、マントだけが床に沈んでいった。
前方、後方からたくさんの守衛がやってくる。
これでは応戦しきれない。彼は先ほど入ってきた窓から飛び降り、脱出した。


8.忘却の一縷

南へ向かって13時間になるが、町を連想させる一片さえ見受けられない。ただただ荒野を進むばかりである。
「おかしいな・・・。」
「どうしたんだい?」
「この速度なら30分ほどでバンデに着くはずなのだが・・・。」
ダンはマントの裏から地図を取り出した・・・。
「・・・。そうか。わかったぞ。」
威圧感さえ感じられる。何かにひどく興奮しているようだ。
「これを見ろ。」
地図上の荒野を指さす。
「ここに、少なくとも20時間前まではバンデがあったはずなんだ。」
「どういうことだ?」
「考えられる要因は2つ。1つはこの世界からバンデは消滅した。もう1つは・・・、まぁありえないが、私の思考回路が何者かによって操作されている。」
“意味わかんねぇな”
「とりあえずだ。どうする?」
「えっ、俺に聞かれても・・・、わかんねぇよ。」
「うーむそうか。」
顎をなでている。
「よし。愚直に前に進もう。」
ペダルを踏んだ。
何十時間・・・走ったか・・・、わからなくなるくらいに、二人の神経は困憊していた。そんな時、眼前に小さな集落が見えてきた。
「今日はここで厄介になることにしよう。」
ダンは地面へ飛び降りる。
“今日は?・・・もういいや”
彼もフリーから降り、集落の中に入っていった。
地図を訝しげに見ている。
「おかしい。おかしいこと続きだなぁ・・・。ここは魔法の地図にも載ってない。」
「落ちつけよ。何でもありの世界なんだから。」
「そんなことはない。」
彼を蔑視している。
ダンはぼーっと突っ立っている巨大な亀の老人に何か尋ねている。周りには1~2メートルほどの巨大な亀しか見当たらない。どうやらここは亀の村らしい。
「・・・・、そうですか。」
「左様。ここは名も無き村。どうか御客人の憩いの地でありますように。」
二人は集落を進んでいく。
「何をする!」
ダンが叫んだ。と同時に彼の両腕に痛みが走る。
「おお・・・。アモアじゃあないか。おめぇもここへきてしま・・・・、しまったのかい。」
目の前の背の低い黄色の亀の老人が目から大粒の涙をこぼしている。
「おじいさんはだれだい!?僕はアモアなんか知らないよ!」
「えぇ。」
「早くこの腕を放してください。ちぎれるほどに痛いです!」
「あ・・・・ああ。すまない。・・・・おめぇ、おんれのことも・・・、わすれてしまったのか?」
“??”
「今はこんな姿をしているが、おめぇのじいちゃんだ。おんれの名前すらわすれてしまったがぁ、おめぇ・・・、おめぇのことだけは死んでも忘れなかっただよ・・・。」
老人はオイオイと泣いている・・・・。
「僕はアモアではありません。ただの名も無き旅人なのです。」
「そうかい・・・。おめぇもおなじように忘れちまっただか・・・・。」
「僕にも・・・わかりません。ただ・・・、旅の道中でアモアという人に会ったら、おじいさんがここで待っていることを伝えておきましょう・・・・・。」
「きょう・・・、泊るところはきめたべか?おんれのとこに泊まるがいい。」
老人は彼がアモアだと信じて疑わないように彼の話に耳を傾ける様子はない。
「それは助かります。ご老人。」
ダンは困惑している彼を尻目に行儀よくお辞儀をした。
二人はのそのそと歩く老人のあとについて行く。彼は腕を掴まれた手の感触に愛おしく懐かしいものを感じていた・・・・。
老人の家はひどく貧相で、掘っ立て小屋と形容するにふさわしい。夜更けに老人は仕事だと言って、いつのまにか小屋から出て行った。
「しかし、地球人とはどうも過去に執着する生き物なのだなぁ」
ダンは天井を見つめながら言う。
「俺はわからない。あのご老人は地球人の姿ではなかった・・・。」
「おや、知らなかったのかい。死後は生前になりたいと思っていた生命体になれるのだ。もっとも・・・、年齢も反映されるがね。」
“ホープはどうして、自分のなりたかった姿になれなかったのだろう。それとも、彼はこの世界で生まれたのか?”
彼は下界での両親の記憶がない。物心つく前に両親ともに捨てられ、母方の祖父と父方の祖母に育てられた、とても稀有な存在であったからだ。しかし、祖父の方は10年前に他界しており彼がそのアモアだとしても、発育した彼の現在の姿すらわからないはずなのだが・・・・。
“じゃあ俺はどうして地球人になったんだ?”
夜が明け、老人が戻る前に二人は集落を後にした。腕に残った老人の爪痕が彼にはとても愛おしく思えた。青空に浮かぶ光の塊を眩しげに見る。
“ああ、珠魂は今日もきれいだ”
「あれは珠魂ではないのだよ。天魂といってね、この世界で亡くなった者たちの魂の集合体なのだ。」
“地球規模でいえば珠魂は月。天魂は太陽か・・・”
「君もだいぶこの世界に馴染んできたようだね。」
そんな話をしているうちに、ヒュウッと眩しい光玉が天魂に向かっていった。地図を見ている。
「どうやら、時空の歪みに入っていたらしい。すぐ北にデゼスペロがある。」
“この世界はホントに何でもありだな。ダンもそれほど頭が切れないし・・”
「俺も行くよ。」
「君の身の安全が心配だが・・・、いてくれると心強いよ・・・。」
心底に触れてしまったようだ。ダンは青い大鳥に、彼はフリーにまたがる。
10分ほどで眼前にとてつもなく大きな黒い影が現れた。目を凝らすとその下には背の高い廃屋が一面に広がっている。
「さぁ着いたぞ。ここがデゼスペロだ。」
二人は影の中に入って行く。朝だというのに陽は差し込まず喧騒さがあたりを埋め尽くす。とても耳触りで醜悪が交差する街の音と全体を包む黒い影やところどころに見える小さな黒い煙、汚れきった街の腐臭が背筋を凍りつかせ胸をむかむかさせた。
「いい兆候だな。ここには光がない。嫌悪感を感じなくなり慣れてしまえば、闇に心を支配され廃人となってしまう。」
「ああ・・・。君は・・、君は何の目的でここに来たんだい?」
「ヒューボ・オスカーロという財宝を探しているのだが、どうやらこの国のどこかに眠っているらしい。」
「それはどんなものなの?」
「私にもわからない。古い文献の微々たる情報でやっとここにたどり着いたのだからねぇ。」
ドカンッッ
瞬間に建物の壁が崩れ死骸の一部が転がる。彼は眼を疑いかなり動揺していたが、ダンも周りも何の変化も見受けられない。どうも納得がゆかず訝しくダンを見る。瞳には、何かを覚悟した死をも連想させる男の表情が映っていた。
「まずは宿屋を探そう。なにしろ物騒だからな。」
その眼が、より彼をビクつかせた。街の片隅に宿屋を見つけ出し、ダンはここで待っていろと言う。どうやら聞き込みをしてくるらしい。先程の出来事であまりにも狼狽しており素直に承諾した。
フリーを磨きながらもあまりにも手持無沙汰だったので、宿屋のアヒルの奥さんに話しかけてみた。
「おばさん。ここの人々はどうやってやりくりしているんだい?」
「ここらじゃあ力だけがすべてなんですよ。ほとんどは強奪のために殺戮をしあっているのです。商売といっちゃあ宿屋か飲み屋くらいなもんですわ。」
彼は脂ぎった床を見る。
“まいったなぁ・・・”
「でもまぁ。お客さん。あなたのような方がどうしてこんな物騒な国に来たのですか?」
「僕みたいな・・・?」
「そうですとも。ここいらは生きる希望を失った人々が吸いよせられるように来るんです。」
“俺もそうだ。本当の自分を見失っているんだから・・・”
「あなたの眼はとても光あふれて眩しいくらいですわ。この国じゃなくてもめずらしい。」
「アハ・・・。お世辞がご上手で。」
それからも奥さんと何事か話したが、彼は全く聞く耳さえ立てなかった。
晩飯時になり、ダンは帰ってきた。二人で食事を迎えれたことにホッとし、食事は床上でなされ、あぐらをかく。
スープをすするダンを見やるとシャツ袖にところどころ血が染みついている。
「隣が喧嘩をしていてねぇ。」
やはりダンの眼はこの国に入ってから変わっている。表面は凍りついているが中にはメラメラと炎が灯っているようだ。もうそれほどの慄きはしなかった。


9.死出の扉

彼は壁にもたれかかりながら考えている。夜になっても寝付けない、宿屋とは名ばかりで床上に薄汚れた毛布のみが与えられているだけであり、隣のダンは非常に疲労が溜まっていたらしく熟睡している。
“俺は・・・、俺の眼は光を灯しているのだろうか。・・・・・わからない。今・・・、俺はどんな顔をしているのだろうか。だいたいどうしてダンはどこにあるかもわからない財宝のためにこの地まで来れるんだ。全く理解できない。わけのわからないものに命をかけるほど彼は愚か者ではなかった。ほんとうにわけがわからない”
頭中モヤモヤで一杯になる。とはいっても神経は未だに研ぎ澄まされていた。
“何かが来る”
ドアの向こうでかさかさと、何やら怪しい影がうごめいている。両方の足を折り曲げ、すぐに跳躍できる体制を整えてから、前かがみに伺った。
ギィーーッ
「ここだな。」
「ああ。間違いない。」
「これでオレらも大出世だな・・・・。フフフ。」
「あすこにいるのがそうじゃないか?」
「確かに、魔法使いらしいのはこいつ一人だな。とても第一級指名手配とは思えない寝顔だぜ・・・。」
「油断は禁物だ。」
“丸聞こえだよ”
大きな二つの黒い影がのそのそと近づいてくる。
影が彼を通り過ぎようとした瞬間、すっと立ちあがり後方に立っている方に右上段回し蹴りを入れた。
ドカッ
「ぎゃあ!!」
かなりの手ごたえだ。異常に太い首にヒットした。
続けざまに左フックを入れる。
ズドッ
サイのような男は倒れた。
前方の影がようやく振り返るが時すでに遅し。返しに右アッパーをお見舞いする。
「ぐはぁ!」
すっかり気分が昂揚してしまい、華やかなコンビネーションを贈ろうとした。背中にもう一つの影が現れたのを感じる。
“2人のハズだろ・・・??”
彼は床に倒れる。瞬時に振り向くと、影は斧を振りかざしている。
“終わった”
ズドンッッッ!!!!
眼前の影はゆっくりと床に伏せていき、影の向こうのドアに奇妙なシルエットが現れていた。
「まったく。割の合わない客を連れ込んだもんだ。」
眼を凝らすと、それは額に大きな傷を持ったアヒル男だった。
「キャアーーー!!」
耳がキーンと鳴る。やっと奥さんが起きて目の前の光景に驚いているようだ。二つの影は意識を取り戻し、血眼で彼に襲いかかる。
「デスパラード!」
その瞬間。影は一瞬輝き、灰になって壁の隙間から流れ出ていった。
「すまない。熟睡してしまった・・・・。」
ダンは眠気まなこをこすっている。力が入りすぎたのか、彼は腰を抜かしてしまった。
どうやらあの三つの影は、デゼスペロ国の兵士ではあったものの、手柄を独占しようとして、他の者にはダンの所在を明かしていなかったらしく、後続の敵は来なかった。
奥さんは俄かに使い古したコップを3つだして水を注ぎ、一つ一つに花を供え何か唱えている。
彼は気になって
「何をしているんですか?」
と思わず尋ねてみた。
「こう見えても私はクリスチャンですのよ。ああ・・・、主よわれらの父よ。われらを許したまえ。さぁあんたもお祈りしなさい!」
奥さんはせわしくアヒル男に向かって言う。
「主よ許したまえ。」
「なによ。それだけなの!?あんたは一人の命を奪ったのよ。それでもクリスチャンなの!だいたいあんたは・・・・・・・・。」
奥さんはぶつぶつと・・・、アヒル男はひどく閉口しているようだ。
「さぁ行こう。」
ダンが口火を切った。手首をふり、手の平から金貨を2枚だして窓枠に置き、二人は出て行く。コップの一つが小さく欠けているのが少々切なく思えた。
“アーメン”
心の奥で小さく呟いた。
「ねぇダン。ここにはキリスト教もあるんだね。」
「ああ。キリスト教だけではない。ヒンドゥー教やイスラム教、仏教やユダヤ教など他にも下界には存在しない沢山の宗教もある。君は何か信仰しているのかい?」
「あ~。うちの父方は浄土真宗で母方は真言宗だな。」
「浄土・・・。なんだいそれは?」
「仏教の宗派の一つだよ。まぁ俺は信者とは言えないかな・・・・。信仰することに興味はないんでね。」
「なるほど・・・。私も同じだ。」
昨日の夜のことを思い出す。
「唐突だけどね・・・・、宗教でもなしにどうしてダンは何なのかもわからないものに命を掛けるんだ?」
「・・・それはね、私の命が短いからだよ。だから自分のやりたいことをやるのが使命っていうのかな・・・、だいたい10~13歳くらいの命だからね。」
「えっ。今いくつなの?」
「2~4歳くらいかな。」
「俺よりわけぇじゃん!」
「とはいっても地球の暦で概算するとだなぁ・・・。だいたい魔族の一年は108年くらいだから、そんなに安易に考えてはならないよ。」
「余計に混乱してきたよ・・・・。」
“意味わかんねぇ・・・。ってかダンは魔族だったのか。”
「ここでの一日は地球に換算すると、だいたいどのくらいなんだい?」
「地域によって違うな。確実なのは、君が昼と思えば昼だし、夜と思えば夜であることだ。」
“そういえば、同じことを聞いたような気がする・・・。どこでだっけ?”
「‘ヒューボ・オスカーロ’のことだが・・・。どうやらデゼスペロ城の地下に保管されているかもしれない。」
「デゼスペロ城・・・・。」
「そうだ。この国を支配している中枢だ。この国は無法が法なのだが、あそこは誰にも干渉されない。危険だからな。」
「今、そこに向かっているのかい?」
「ああ。この道なりを進んでいけばすぐだそうだ。」
“確証もないのに、どうして彼はこうもずんずんと前へ進むことができるのだろう”
確かに一般的に目の前の事象がリスクのある場合、その対象を処理することに何ら違和感はないが、ダンの場合はあまりにも無鉄砲である。
「そういえば信仰といえば、私はアニミズムなら信じてはいる。」
「原始信仰か・・・。」
「アニミズムとはいっても、私のは全てのものに神が宿っているのではなく、精神が宿っているって意味だがな。例えば、花には心が宿っているとよく言うだろ。」
“なんとなく、そんな経験をしたことがあるような・・・。子供のころだろうか・・・”
「子供のころなにかあったのかい?」
「あの頃ね・・・。」
彼は自分の名もわからぬままに幼少期の記憶を語りだした。
「小学校3年の時に・・・・、担任が家庭訪問しに来たんだ。うちはひどく貧乏だったけど、おばあちゃんは朝早くからおはぎを作って、あったかいお茶もこさえていたんだ。だけどね、その先生はお茶にもおはぎにも手をつけなかったんだ。おばあちゃんはお土産にとそのおはぎを包んで渡したんだ。俺は先生を出口まで送ったんだけど、彼は・・・、曲がり角で包んだおはぎを捨てたんだよ。俺にははっきり見えたんだ。そのおはぎを拾ってきておばあちゃんに話したら、“捨てろ”って言うんだ。俺は大好物で器に残ったあんこも食べてしまうほどだったけど、その時は食べる気がしなかったよ。」
「うん。」
「その時のおはぎとお茶とおばあちゃんの気持ちはどうだったろうな・・・。まぁ今さら考えても仕方ないや。先を急ごう。」
彼はダンを追い越し歩調を速くしていった。
二人ともなんだか神妙な気分になっていた。
「君が言う事も一理あるな。」
しばらくしてダンが言った。
「確かに過去の記憶に縛られているなんてまっぴらだ。大事なのは今何をしているか。今を生きているかなんだ。しかしそれは同時に過去をどう捉えるかという意味でも課題が残る。過去の栄光などどうでもいいだろう?しかし君の・・・、そんなことは覚えておかなければいけない。過去の苦しい体験やら汚点やらは覚えておいた方がいいのかもしれない・・・。」
「今の俺ならなんとなくわかるよ。確かに俺は今を生きている。」
わざと軽い調子でいった。
彼は自分を育ててくれた祖父母のことを思い出した。祖父は幼少時代から家計を助けるために極寒の山中で油揚げを売っており、死ぬ直前まで彼の学費のために働いていた。祖母は戦争で多くの大事な人を失い、それでも信仰を生きる希望として清く強く生きてきた。だが、そんな二人の旧い慎ましさに嫌気がさしていた彼は故郷を飛び出し、学費の安い国立大学へ行ったのだ。とはいってもその祖父母からの影響か、一筋の通った生き方を志してはいるのだが。
「もうすぐだ。思い出に浸っている暇はないぞ。」
「ああ。もう少し、プライバシーをわきまえてほしいなぁ・・・。」
「ハハハ。無法がこの世の法だからな。」
「くそったれ!」
二人に笑みがこぼれた。
闇が一層深くなるにつれ、まるで洞窟を冒険する子供たちのように彼らは好奇の心を深めていった。
「気づいているかい?もう城の中なのだよ。」
「へぇ。」
辺り一面なにも見えないただの暗闇である。ダンの青く光るベールを頼りに進んでいく限りだ。
「すこし、待っていてくれ。」
ダンは屈み耳を床にそえて、コンコンと床を叩いている。
「うん。地下へ潜ろう。」
ダンは立ち上がり人差し指を天井に向け集中している。指先は異常に青く光り床へ向けた。
「ロープホール。」
その瞬間、闇からさらに暗い闇が床に小さな円を描いている。
「わぁ!」
まるで、崖から海へ飛び込んだような感覚に襲われ。彼は尻もちをついた。
「イテテ。」
「そりゃあ痛いはずだよ。地下500メートルも潜ったんだから。それにしてもここらは暗すぎる。私の瞳をもってしても難しいなあ・・・。」
両手を床にかざし、また静かに何かを唱えている。手のひらに眩いばかりの光が漏れている。天上へかざし、光を一気に爆発させる。
「チェミンドロイト。」
一瞬、辺り一面が明るくなりその光が前方に凝縮され、まるで二人の目的地を照らしているかのように一筋の道ができた。
「それさぁ。最初から使ってくれないかなぁ。」
「いやぁ。冥界にも体力という概念があってね。次の敵に備えての、いわば今流行っている省エネだよ。」
「敵?」
「そうさ。文献には財宝を護る守護兵がいるはずなんだ。」
「聞いてないよ。」
「ああ。聞かなかったからね。」
迷いのかけらもなく、二人は悠然と進んでゆく。
1時間ほど進むと、遠くの方からキラキラと輝くものがある。
“きっと財宝だ!”
「待て!!」
ダンの制止も聞かず、光のもとへ走って行く。そこには予想通りあまねく金銀財宝が山積みにされていた。
「ダン!財宝だ!!財宝があったぞ!!!」
いつの間にかダンも彼のそばに来ていた。
「違う。こんなものわざわざ足を運ばずとも腐るほどある。」
「何言ってんだよ!億万長者になれるぜ。」
「私の求めているのはそんなチンケなものではない。どうやら見当違いだったようだ。帰るぞ!」
「あぁっ、ちょっと待ってくれよ!」
七色に輝くサファイアをぬけぬけポケットに入れ、ダンの後を追って行った。
「この城の最上階まで行ってみよう。」
青く光る指先を天井へ向ける。
「アスセンソィア。」
今度はまるで海面へ昇ってゆくような感覚をおぼえ、尻もちをついた。
二人は真紅のカーテンに包まれている。彼がカーテンの隙間から光が差し込んでいるのを覗くと、禍々しい漆黒のオーラに包まれ、眼だけはギラギラした悪魔のような形容しがたいほどの美しい容姿をしているものが中央のイスに座っており、守衛らしきものと話をしている。
「あまり覗くな。気付かれてしまう。この中なら安全だ。悪の心をもつ者には見えることも触れることもできやしない。」
と言うや否や、外側からそーっとカーテンが開けられる。
「誰だ?」
握り拳を作った。
「い・・・、いいえ私は決して怪しいものでは・・・。」
それは首を出して言う。
「あっあぁ・・、ダンじゃないか。」
正体を知った瞬間に彼は眼を逸らす。
「いやぁ。その・・・。」
「ダンは私だが。」
ホープであった。
「誰だい?君は。」
「まぁ中へ入れ。」
「おう。」
ホープはヒョイとカーテンのうちに入る。
彼のあまねく事情を説明したのは言うまでもないことだった。

「ああ。まちがいないはずなんだ。」
「そうか・・・。そこのゾルゲとやらを倒せば、タヌキ族を支配する操り人の魔法も解けるということか・・・・。」
いつのまにか彼の話は忘れ去られている。
「だからよぉ~。何とか力を貸してくれねぇか!」
ホープは本物のダンの方を向いて懇願している。
「魔法か・・・・。」
「こころあたりがあるのか?」
「そうか!魔法か!!ということは‘ヒューボ・オスカーロ’は既にゾルゲの手中にあるということか・・・・。」
“またまた確証のないことを・・・”
「ゾルゲか・・・。恐らくダンよりも遥かに強いね。」
「ああ・・・。先刻から嫌というほど禍々しい魔力を感じているよ。」
「しかしだなぁ、オレたち3人で力を合わせればなんとか・・・・。」
「無理だな。」
「いや。しかし、やってみる価値はある。」
「そうだよ。名無しの分際でダン様に生意気なんだよ!オレを騙しやがって・・・・。」
「確かに君には夢がないね。」
彼を尻目に二人は笑っている。
「でもさ、作戦を練らないとね。」
「ああ。しかしこの魔法のベールもあと3分程度で切れてしまう。」
「地球時間でどれくらいなんだ?」
「1時間くらいかなぁ・・・。」
「充分だよ・・・。」
“たまにぬけてるよなぁ・・・”
そして3人は慎重に計画を練った。途中、話が横道にそれたりもしたが・・。
「これなら勝算はあるな。」
「勝算ね・・・。まぁこれしかないのは事実だけど・・・。」
「よし。これでいこう!」
真紅のカーテンは三つに分裂し、3列に並ぶ。彼とホープはカーテンを抜け出し、ホープは自慢の脚力を用いて壁を走り抜け、彼は最短距離でゾルゲに突っ込んでいく。
ゾルゲに向かって飛び蹴りを繰り出す。
守衛達は瞬時に二人の前に立ちはだかる。
「カブラテューラ!」
ゾルゲの周りにいる守衛は一瞬にして異次元へ消え失せた。
“今だ!!“
ゾルゲに渾身の蹴りが入ったと思った瞬間、消え失せてしまった。
彼とホープは勢いのあまりにぶつかり、頭が真っ白で何が起こったのかも把握出来ていない。
「何だい君たちは?」背中から低い声がする。
驚愕し、脳震盪の最中、かろうじて振り向くとゾルゲがいた。
「あ・・・、あんたを殺しに来たのだよ!」
ダンが必死に叫ぶ。
「そう・・・、死に急ぐこともなかろうにィ。」
ゾルゲの目はギラギラとすわっている。本気のようだ。
彼は再度、左回し蹴りをゾルゲにくりだす。感触がない・・・・。
“幻影か・・・・!?”
「いや!後ろだ!!」
反応が間に合わず後方から掌底を喰らい、彼は壁まで吹っ飛び意識を失った。ホープも鼻柱に裏拳を喰らい失神する。
「マインドチェーン!」
ダンの袖から鎖が飛び出し、ゾルゲに向かってゆく。
「シュランゲ。」
ゾルゲの手の平からは毒蛇が次々と飛び出てくる。
毒蛇は鎖に絡み込み、鎖をつたってダンへと向かってゆく。
「くそぉ!」
ダンは鎖を身体から離し両手をゾルゲの方へ向け、親指と人差し指でひし形を作り瞑想している。
「ノッテセクラーーー!!!!」
ひし形の閃光がゾルゲを襲う。無数の毒蛇は焼け死んでいった。
「なかなかやるねぇ。ダン君よォ。」
ゾルゲは無傷だった。
「今日は忙しいのだが、少しだけは遊んでやろう。」
ゾルゲは不敵な笑みを浮かべ、人差し指をダンの方へ向ける。
ビュンッビュンッビュンッ
指先からドス黒い光線が漏れダンの体に貫通し、青い鮮血と共に倒れる。
「まだまだ、終わりじゃないよねェ・・・・?」
「も・・・、もちろんさ。」
「よろしい。お楽しみは後に取っておいてそこで寝てる名無し君からいこう。」
ゾルゲは手の平を彼に向ける。
「グッバイ。」
手の平から紫の閃光が漏れ、閃光が触れた場所は跡形もなくなってしまった。
「間一髪だったな・・・。」
彼の横にホープが倒れている。虚ろな目でホープを見た時、既に膝から下がなくなっており、断面は黒焦げている。
「おい!ホープ!大丈夫か!!!!」
「へへへ、お前と出会えて良かったぁ・・・。お前ならアイツを倒せる。そんな気がす・・・るん・・・だ。」
ホープの声は次第とか細くなり、やがて深い眠りについた。閉じた目からは一筋の涙がこぼれている。
「ああーーーーー!!!!!!」
ダンは立ち上がり両腕を目一杯ひろげている。
ビュンッビュンッビュンッ
閃光が貫通しようとも倒れる気配はない。
「ダーン!やめろーーッ!逃げるんだ!!俺たちの敵う相手じゃない!!!」
「はぁーーーーーー!!!」
「ダン!!!無謀だ!!!!」
「アモア・・・。男には命を賭けても退いてはいけない時があるんだ。しっかりその死んだ眼に焼き付けておけッ!!!」
ダンの青い血は湯気となり眼は赤く血走り、身体は真紅に輝いている。
「ほう・・・。まだ闘う力が残っているとはね・・・。私と刺し違える気なのかい?」
ゾルゲはこの世の何よりも冷たい漆黒のオーラを身に纏い、恐ろしいほどの狂気の表情で仁王立ちしている。
「だぁーーー!!!フェニックスーーーッ!!!!」
ダンは永遠に燃ゆる不死鳥のごとく凄まじい光速でゾルゲに突っ込んでゆく。
「ドラゴーネスカーロォォォッ!!」
ゾルゲを包む漆黒から暗黒龍が飛び出し、全てを飲み込むようにダンを襲う。
シュンッ
空間では光と闇が交差し、一瞬、黒とも白ともつかない無音の大爆発があたりを支配し、彼は一つの影を見つける。
「次は君だね・・・。」
「・・・ク・・クソ野郎ッ!」
「フフッ、・・・私は君のことなら何でも分かるんだよ。君はよく自分の身の上を分かっているよね、だからすっごく臆病だよねぇ・・・。自分にできないことは絶対に実行しない。と・て・も!つまらない人間だァ。」
「だまれッ!!」
自然と拳を握っている。
「確か地球人の体内には70パーセントの潜在能力があったよね・・・。まぁ臆病な君には利用価値すらないがねぇ。」
「だまれッ!!だまれッ!!!だまれッ!!!!」
体中の筋肉が流動しているのがわかる。
「君は強かで、故に臆病だ。君には希望なんて何もない。幸運だね・・・・、ここで骸となりなさい。」
絶望と腐敗の中で、彼は感じ取ることができた。次第に血流が異常な速度で循環し、血管が今にも裂けそうなくらいに浮き上がってくるのを。
「自分の名前さえ分からない名無し君がいまさら何をしようというんだい?」
「だまれ。」
右足で地面を思いっきり蹴る。ブチッと筋肉が張り裂けた。
「俺は・・・・。」血管が破裂し、血が所々から飛び出す。
全神経を右拳に集中させ、彼は振りかぶる。
「消えてなくなれ。ドラゴーネオスカーロォォォォォッ!!!!!」
[お・・・・、俺は・・・、アモアだぁーーーーーッ!!!!!!!]
しかし身体中の全ての細胞の繋がりが解けてゆくのをはっきりと感じた。

“俺は・・・、アモアだ・・・・”


10.グッバイ冥界

喧騒が辺りを包み眼を覚ます。ホープとダンの顔がアモアをうかがっている。
「うっ・・・、ここは・・・、天国?」
朦朧とした意識の中で呟いてみた。
「天国?地獄ではないのかな~。とりあえずアモアも起きたことだし、勝利の祝杯を挙げようではないか。」
“勝利?”
「ああ。まさか本当にゾルゲを倒すとは思わなかったぜ!!」
“俺が?アイツを倒したぁ?”
「何も覚えていないのも無理はない。君はすべての体内エネルギーを使いきったのだからね。」
彼はホープを見る。膝から下が・・・、足がちゃんと生えている。しかし、ダンの胴体は包帯でぐるぐる巻きになっているが・・・。
「ああ・・・、オレも死んだと思ったが、ダンの魔法でなぁ、チョチョイのチョイよ。オマエの体だってそうだぞ!ダンは自分の治療を後回しにしたんだからな。」
「ダン・・・・。」
「気にすることはない。魔族は君達の100倍もの自然治癒力があるのだ。」
3人はどっと笑った。
俄かに何か思い出す。
「そういえばホープ!お前・・・、何とか星人に生まれ変わりたかったんじゃなかったっけ?」
ホープはいつの間にか傍らにいるタヌキ娘の肩を抱いている。
「もういいんだよ。オマエに本当に大事なものを気付かせてもらったんだ。そして本当に大切な人とも出会えることができたよ。」
ホープと女は恥ずかしそうに顔を見合わせた。
「おめでとう。」
心からはっきりと言った。

「そうそう。君も僕もそろそろ下界に帰らないとね・・・・。ここで魂をもった者が10日以上過ごすと、ここの住人になってしまうんだ。わかるよね?」
「ああ。」
「さぁ!戻ろう!」
“アモア!オレを忘れんじゃねぇぞ!!”自転車がひとりでに向かってくる。
「フリー。なんだかずいぶん久しぶりだなぁ。」
ダンは右手を天にかざし、眼前の壁に手をあてた。
「エントラーダッ!」
みるみるうちに真黒の円が壁一面に拡がった。
「では行こうか。」
「アモア~。あの世で待ってるよ~。」
「うるへー!あばよ!!」
フリーに跨り、暗闇を進んでいく。もう迷いはない。
「アモア・・・・、こちらもお別れだ。私は一旦魔界へ帰る。」
「おう。グッバイ・・・。」
「グッバイ。」


           ※


彼は眩しい日差しに目を覚ました。ボーっと辺りを見渡すと、どうやら公園のベンチで寝ていたようだ。身体には毛布が掛けられている。
「ああ・・。おめぇ起きてたんだな。大丈夫かぁ?」
後方から声がする。見やると初老の男だった。
「あっはい。」
「明け方に公園で倒れてたからビックリしただよ~。良かったべぇ~。」
「ああ。ありがとうございました。」
「いいかんらいいかんら。ちょっと待っててけろ。」
老人はテントへ向かい、またベンチに戻ってきた。
「あったけぇお茶とおにぎりだ。くえ。」
「ありがとうございます。」
一礼をする。
「じゃあな。おめぇのぜんとを祈る。」
老人はテントへ戻って行った。
おにぎりを食べながら、一面に雪が積もった静寂な公園を見渡す。
大木には彼の自転車がよりかかっていた。
背を伸ばして深呼吸した後、毛布を畳みベンチに置いて、自転車に跨った。

ポケットの中の七色に輝くサファイヤを毛布に忍び込ませ、公園を後にした。


道端にはちょうど雪の上から一輪の白百合が顔を出していた。


11.かやく

ホープ家ではキツネともタヌキともとれる赤ん坊が生まれ、3人家族で平和に炬燵を囲んでいた。
「もうすぐ、正月だなぁ。年越しうどんが楽しみだ。」
彼はしみじみという。
「年越しはうどんじゃなくて、おそばじゃないですかあなた。」
「いいや。キツネの世界ではうどんと相場が決まっているんだ。」
彼はヤケになる
「いいえ。今年の年越しはおそばでやります。」
“夫婦の主導権を取るためには、ここは正念場だ”
「いいや。今回はうどんでやる!」
「いいえ。おそばですとも。下界でも年越しはおそばだと決まっています。」
「うぎゃー。うぎゃー。」
赤ん坊も泣きわめく。
「あっそうなの。じゃぁソバにしよう。」
「えっ。私はほんとうはどちらでもいいのよ。ほんとうに年越しそばにするの?」
「ああ。そのかわり・・・・。」
「ん、なに?」
「一生、そばにいてね。」

僕たちは生きている

僕たちは生きている

  • 小説
  • 中編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-08-29

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著作権法内での利用のみを許可します。

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