古参者
少なくとも、今になって言えるとこだが、正しさとは結局、自己弁護の為にしか存在しえないと言うのがこの世の真理なのだ。
そして、正しさを失ったわたしを弁護出来るものはなにもなく、新たな価値観の中にそれらを見いだせないわたしは、本当の意味で時代遅れなのだろう。
古参者
規則正しく、細く、ますっぐ。
カフェの天井へ、静かに吸い込まれるように消えていく紫煙を、わたしは羨ましく思いながら眺めていた。
そうしてわたしは平常心を装おい、クリスの無言の圧力を受け流しながら、電子タバコの個人記録を一気に更新していた。が、それももう終わってしまう。クリスがゆっくりと身を乗り出し、テーブル越しに顔を伺いながら口を開いた。
「それで?」
降参したわたしはタバコを置いたが、目は無意識にクリスを見通して、ウェイターのアンドロイドを見つめていた。
「結論はでたのか?」
「ああ、もちろん。俺は降りる」
20分間の沈黙を経て、わたしはクリスの質問にそう即答した。
クリスは苛立ちを隠そうともせず、舌打ちをして酒を煽り、空になったグラスをそのまま床に叩きつけた。
わたしは飛び散るガラスと、その断末魔に身構えたが、特殊なコーティングを施されたグラスは、割れる事なくそのままウェイターの方へと転がっていった。彼女はそれをゆっくりと拾い上げ、そのままこちらへ近づいてきた。
「お客さま。店内ではお静かにお願いします」
メイド服を身に纏い、顔の前に人差し指をもってくるジェスチャーをしたが、その人工皮膚の顔に表情は無かった。我々との年の差は、10年も無いのかもしれない。そう思うと、定位置のカウンターの前で、静かに佇むその姿さえも、懐かしの古時計のようだった。
クリスは指で机を叩きながらわたしを睨んでいる。
まさに、怒りのクリス・ブラウン少尉、ここにありと言ったご様子だ。
「まだ呑むだろう?」
クリスは何も言わなかったが、わたしはふたり分のブランデーを頼んだ。
「ありがとう」
そう言ってグラスを受けとると、彼女は丁寧にお辞儀をして戻っていった。
「機械に礼儀正しくして、一体どういうつもりだ 」
その様子を見ていたクリスの苛立ちは最高潮に達していた。もうクリスは感情を隠そうともしていない。
「今さら紳士ぶって、罪滅ぼしのつもりか ?この前殺したあの機械女への ?それとも今まで殺してきたら奴らにか?」
「いいかい、クリス。落ち着けとは言わないが、もう少し声を落としたほうが良い。口封じにあの年老いたウェイターまで殺すつもりか?」
「俺がまず気に食わねえのは、あんたのその紳士ぶった態度だ。年老いただ?機械をまるで人間のように扱いやがって。あんなクソ機械殺すなんざ、わけねえさ。だがその殺すってのも気に食わねえ。彼女?あれは物だぞ」
クリスの今にも殴りかかってきそうな勢いをよそに、時計の鐘がクリスマスの終わりを告げた。わたしはグラスの半分くらいを一気に飲み干した。
「なあ、クリス。俺たちはもう足を洗うべきなんだよ。今まで奪ってきた者達に対するつけを、払わなきゃいけないんだよ」
わたしは説き伏せるように話したが、むしろ逆効果だった。
「確かに俺たちは殺人者さ。だがそれで国を守ったのだって事実だ。その程度の事はオムツを履いた新兵でも理解してることだぜ。俺が知りたいのは、なんであんたみたいなベテランの兵士が、腰抜けの平和主義者様に成り上がっち待ったのかって事だ」
「もうとっくに退役してる」
彼が言いたいのはそう言う事では無いということぐらい、もちろんわたしにも解っていた。
つまりは、負傷し、軍を退役してすっかり臆病者に成り下がったわたしを、彼は蔑んでいるのだ。
「いいか、よく聞けよ。確かに時代は変わったさ。戦場には兵士が必要なくなったからな。だからいっそ俺たちみたいな奴には、殺し屋紛いの仕事しか残ってないんだよ。
今さら言うのもなんだがな、コールドスリープなんかしないで、あのとき死んどけば良かったんだよ」
「彼は立派な衛生兵だったし、何より国と保険会社が約束を守った証拠だ」
「ああ、知ってるよ。立派な奴だったさ。等の本人は30年も前に死んじまったがな。」
クリスはやり場のない感情をまぎらわすように酒を煽った。
「おい、機械女!もう一杯持ってこい!」
ウエイターはこちらに来ると、彼の方を向いてもう一度言った。
「お客様、店内ではお静かにお願いします」
「ふざけんなよ、この機械女が!この薄汚い売女が!」
ウエイターはじっと彼を見つめている。人工皮膚で覆われた顔に表情を読むことはできないが、きっとこの酔っぱらいの事を哀れんでいるのだろう。この時代遅れの酔っぱらいの事を。
「クリス、彼女に謝れ」
これで2対1だ。
「なあ、おい。あんた本当にどうかしちまったのか?」
わたしは彼の問いかけを無視して、ウエイターの方を向いた。
「申し訳ない、彼は酔っぱらってるんだ。わたしと彼にブランデーを二つ頼めるかな」
そう言うとわたしは、相場の2倍のチップをだした。
ウエイターはチップを受けとるとお辞儀をして、またカウンターに入って行った。
クリスはまるで、スクールの低学年の子供が、精神患者をみるかのような目で見つめてきた。
「なあ、おい……」
彼は目に涙を浮かべながら、懇願するように話し出した。
「俺たちが殺したあのアンドロイドにはリコールがかかっていたんだ。」
わたしは無言で頷く。
「殺されたくないなら、リコールに応じればよかったんだ。そうだろ?」
「ああ、それで選ぶんだろうさ。記憶回路を消してスクラップになるか、それともそのままスクラップになるか」
「だったらなおさら、あんたが気にかけるような事じゃないだろう。機械の一つくらい。奴は自分を人間だと信じてたんだぞ。
人間の男をたぶらかして、一緒に生活して。
人間病は立派な犯罪なんだよ。それともあんたは機械に惚れた、あの哀れな大学生に同情しているのか?」
そこまで聞けばもう充分だった。
「随分とこの時代に染まったもんだな」
今度はわたしがクリスに呆れる番だった。
「とにかく、俺はもうこの手の仕事はやらない。絶対にな」
それっきり彼は黙り込んでしまった。
わたしは無人の通りを照らすLEDライトを眺めながら、一昨日殺したアンドロイドの事を考えていた。
あの断末魔。恐怖にひきつった表情。
彼女のあまりの人間ぶりに、わたしは慌ててナイフで人工皮膚を剥いだ。月明かりに照らされた皮膚の下には、色鮮やかに点滅する回路と、機械骨格、そして人工血液が流れていた。
しかし、それを見たわたしは安心する事はなく、よりいっそう恐怖を感じた。
それは戦場で感じたような恐怖ではなく、もっと純粋な、命を奪うという行為に対する恐怖だ。
何気ない日常の内側に、深淵を覗いてしまったような、そんな恐怖に、わたしは今囚われているのだ。
うとうとしていたわたしは、無意識のうちに、先日骨董品屋で買った、時代遅れのリボルバーの事を考えていた。
この出会いはきっと運命だ。
死に損ないの兵士にふさわしい、
時代遅れのリボルバー。
「なあ、クリス……」
………。
わたしは彼が酔いつぶれたのを確認してから、有り金を全て彼に握らせて店を後にした。
水溜まりに浮かぶ半分だけの月を見て、実にふさわしい夜だと悟った。
古参者
流れに対して逆行、若しくは抗おうとする者がいる時、流れは1本から2本、3本へと枝分かれしていく。ちょうど小学校で習った川の流れ・力の科目を思い出してもらえば解るだろうか?
そして時間の概念が流動的である時、時代の概念もまた流れるものである。あとは上記の通り。
そうして物事は複雑化を増していく。
始まりは至極単純なのに。