Fate/defective c.20

「それで、どうしてこうなっているわけ?」
 壁にかけられた豪奢な時計が午前八時を指している。よく手入れのされていた大きな窓ガラスから、昨晩の大雨が嘘のような春の暖かい日差しが降り注ぐ広い客間で、アリアナは大きなソファーに腰を下ろして不機嫌そうに言った。すらりと伸びた足はしっかりと組まれ、爪先は苛々と床を弾いている。
 そんな、露骨に不機嫌そうな家主の前で、『四人』は各々の反応をした。
 ひきつった火傷痕を顔に遺す青年は、テーブルの前の椅子に腰を下ろし、素知らぬ顔を。
 中性的な顔立ちの眼鏡の青年は、壁際で立ったまま、困った顔を。
 泥だらけの白衣に身を包み、重厚な扉の横に立った女は、煙草を咥える。
 そして重々しい空気に似つかわしくない幼い黒髪の少女は、アリアナの目の前のソファーにちょこんと座り、真っ直ぐに彼女を見た。
 アリアナは亜麻色の髪を片手でかきあげ、幼い少女――監督役、エマをじろりと睨みつける。
「ここを監督役の拠点にした覚えはないし、敗者の療養所にした覚えもないわ」
「そうですね、確かにここはあなたの家です。監督役のものではありません。ですが」
「大体、もう四騎脱落したのはこうやって証明されたでしょう。敗者が監督役に身を預けるのは、他のマスターに――」
 そこで火傷痕の青年が声を上げた。
「四騎じゃない。五騎だ。ここにはいないアサシンも、もう消滅した。―――残ったのは、アーチャーとバーサーカーだ」
 アリアナの眉がつり上がった。
「五騎? ……あの一夜で五騎全員が、たったバーサーカー一騎にやられたというの?」
「そうだ」
 淡々と答える火傷痕の青年に、アリアナはあっけにとられて沈黙した。一夜で三騎士を含む五人を倒したバーサーカーなんて聞いたことが無い。一体、あの夜に何があった? そもそも何故、討伐令が出て六騎全員が結託した状態で、たった一騎に敗れるのだ。英霊とはそれほどまでに力の大小がある存在だったのか?
 アリアナはそこでセイバーに思い当たった。聖杯戦争で神霊は召喚できないというルールを無理に捻じ曲げ、英霊として召喚された彼に、十分な力を与えられず、ましてや騙し討ちされる原因を作ったこの自分が、他者に何か言えるのだろうか。最優のクラスと称される自分のサーヴァントが、もしや一番力が無かったとしたら。そしてそれが、マスターたる自分のせいだとしたら。―――いや、間違いなく、自分のせいだろう。
 顔色を変えて押し黙ったアリアナを見てか、火傷痕の青年が再び口を開いた。
「しかしあまりにも―――バーサーカーと自分たちの間で、何か圧倒的に不利な格差があったのは確かだ。目には見えず、何の証拠もないが……戦っているのを見て気付かなかったか? 神代の英霊だという事を差し引いても、あまりにもバーサーカーは圧倒的だった、と」
「そりゃ宝具が六つもあるバケモンに勝てるか。ハハ、ちょうど一人につき一つの宝具で仕留められた計算になるな」
 白衣の女が口を開いた。煙草のくすんだ煙がゆらゆらと部屋に漂い、アリアナは不快そうに眉をひそめた。だが依然としてその唇を結んだまま、口を挟むことはない。白衣の女は火傷痕の青年に向かって続けた。
「あんた……ライダーのマスターだよね? バーサーカーの真名に心当たりはあるわけ」
「ある」
「へえ。じゃああの日比谷公園の天変地異も、その英霊の仕業ってわけだ」
「いや、それは違う。お前は離れた場所にいたから知らなかっただろうが、あの地面の動きとバーサーカーの宝具は関係ない。なぜなら、地面から伸びたあの柱が一時的にバーサーカーの宝具を防いでいたんだからな」
「ふーん。あの謎の大地震が私たちに逃げる隙をくれたってこと。で、あれは何?」
「知らん」
 ライダーのマスターはさらりと言ってのけた。しばらく沈黙が下りる。
 各々の考えが一巡した後、ライダーのマスターの背後の壁際に立っていた中性的な顔立ちの、眼鏡をかけた青年がおもむろに口を開いた。
「あれは……鞘だった」
「鞘?」
 ライダーのマスターが聞き返す。アリアナはぴくりと指先を震わせた。
「うん、多分……確信はあんまりないけど。一瞬何かが光って、それから柱と鎖が出てきたんだ。光ったのは、たしか金と銀の鞘で」
「それはこれでしょう?」
 エマがアリアナの手元からするりとひしゃげた棒状のものを抜き取って、眼鏡の青年に見せるようにソファーの背越しに掲げる。
「あ、それだ」
「ちょっと!」
 アリアナと眼鏡の青年が声を上げたのは同時だった。エマは悪びれた風も無く、黙ってアリアナに鞘を返す。
「これは宝具です。――――セイバーの」
 エマは瑪瑙のように赤い目をぐるりと動かして、部屋にいる全員の顔を見て告げた。
「宝具?」
「正しく言うならこれは宝具ではありませんが。宝具を展開するための聖遺物――鍵、のようなもの」
 幼い少女は話を続ける。
「本来、セイバーは正真正銘の神霊ですから、聖杯戦争に喚ばれることはありません。だが喚ばれてしまった。それはスウェイン派が作り出した聖杯の欠陥によるものかもしれないし、セイバー自身が宝具を捨てて、人として英霊に格落ちすることで選んだ道かもしれない。だからセイバーが持つ宝具は今回、たった一つのはず。
 だけどこれは違う。これは、かの英霊が支配する国への道を開く鍵。人と共に在り、人が常に信じ続ける神話へ至るための鍵――――――『妖精郷(アルフレイム)』」
 




 街の中はちょっとした騒ぎだった。
「老人の身体に、徹夜で断食は堪える。少し寄り道をさせてくれ」―――という魔術師の言い分を仕方なく聞き、足を止めたのは、どこにでもあるファストフード店だ。老人の身体にそんな食べ物が合うのか、と思わず皮肉を言いたくなったが、黙ったまま、朝の店内へ足を踏み入れる魔術師を霊体となって見送る。言葉を与える価値のない者にかける文句は無い。
 そしてふと通りの方を振り返った時、街の中がざわついているのが気になった。
 ――――もちろんあの公園の騒ぎだろう。
「なあ聞いた? 今朝方、日比谷公園で地下の水道管が破裂したんだってよ」
「マジか。うわ、電車止まってるし……ありえねー」
 通りすがりの若い男性二人が交わす会話が小耳に入る。なるほど、監督役は水道管事故と処理して暗示をかけたのか。
 しかし、あの監督役は確か「魔術協会―――派より派遣された、―――」と名乗っていた。固有名詞の部分はどうでもいいので記憶にないが、あのナントカと言う監督役は聖堂教会の人間ではないらしい。それにあんなに幼くて、負けたマスターを殺しに来る魔術師と戦えるのだろうか。……いや、今回はほとんど自分がサーヴァントを倒したんだった。だから他のマスターが令呪を奪ってサーヴァントをどうこうという心配は無い。おそらく。聖杯に懸ける望みを捨てきれない盲信的な魔術師が、万が一監督役に令呪を貰い直して介入してきたとしても、再契約するサーヴァントはもういないからだ。
 それにしても、今回の戦争には聖堂教会は不介入という事か? ――――まさか。これだけ神秘の隠匿を無視しておいて、それはないだろう。いずれ、どこかでマスター達を処分しに来る。そうなる前に、疾く聖杯を手に入れ、杏路少年を蘇生させ逃げ出さなくては。
 バーサーカーは大通りを見た。あれだけの騒ぎがあった割には、群衆は落ち着いているように見える。もちろん道の端で電話に向かって何かをわめき散らしていたり、交通が麻痺して多くの人々が駅前で右往左往しているが、日差しは暖かく、人間は生きている。数日もすれば、いずれ『日比谷公園の水道管事故』は過去の出来事になり、民衆は普段の生活に戻る。
 その中を遠く遠く果てへと逃げる、かつてのマスター伊勢三杏路と自分を想像した。
 根源への到達も否。
 民の支配も否。
 巨万の富も否。
 無限の快楽も否。
 復讐も否。
 ただ、ただ一人、心を捧げた少年に、真っ当な人生を。苦痛のない呼吸を。しがらみのない肉体を。
 それだけでいいというのに、なぜ無辜の英霊を手にかけなければならなかったのか。アーノルド・スウェインは矛盾している。自分で『英霊の魂の必要ない完成系』を生み出す奇跡を得ておきながら、なお聖杯戦争を開いた。―――無理に例えて言うなら、聖杯戦争にて勝ち取った聖杯でまた聖杯戦争を行うようなものだ。願いはこうだろう―――『この器に、更なる七騎の魂を』。意味が不明にも程がある。その意味が不明な実験のせいで、己が望みの達成が遅延している。
 怒り。憤り。憎しみ。憎い。私欲の為に他者を殺す、精神が憎い。憎い。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎―――――――
 早朝の街の中、その憎悪は静かに、しかし確かに蠢いていた。
 最早、あの愚鈍な魔術師に付き合っている暇はない。

 蠢く憎悪は、ある方角へ身をひるがえした。
 一人おびき寄せられるように、或いは誰かがその背を押したように。


「それで、ライダーのマスター」
 エマがつと、火傷痕の青年へ目を移した。
「あなたはバーサーカーの真名に心当たりがあると言っていましたね」
「……あれだけ宝具を惜しげも無く見せられたら、だれだって分かる」
 青年は溜息をついて、付け加えた。
「あと、那次でいい。ライダーのマスター、って長いし呼びにくいだろ。 ……それに、この聖杯戦争にはもう一人『ライダーのマスター』がいるみたいだしな?」
 火傷痕の青年―――那次の言葉に、眼鏡の青年が驚いた声を上げた。
「もう一人? でも聖杯戦争で召喚されるのは……」
「一クラスに一騎だろう。知っているさ、それくらい。今回の聖杯戦争で召喚されたライダーは紛れもなく彼女――ジェーン・グレイ一人だ。だが、今回召喚された七騎の中に、本来とは違うクラスで召喚されたライダーがいるとしたら? そして今回召喚された中で、ライダーの側面を持ちうる英霊は誰だと思う? ……佑、お前ならわかるだろ」
 那次は眼鏡の青年に話を振った。佑と呼ばれた青年は一瞬ためらうように間を開けてから、恐る恐る口にした。
「……バーサーカーだ」
「そう。真名をペルセウス、或いはテセウス。冥王ハデスの兜で姿を隠し、女神アテナの鏡の盾と反転結界キビシスを用いてメドゥーサの首を刎ねた。その血から生まれた天馬ペガサスに乗り、伝令神ヘルメスの靴で空を駆け、アンドロメダを生贄から救った、ゼウスの子――――半神半人の英雄。ライダーの側面を持ち得る……というより、本来のクラスは間違いなくライダーだろう。だが今回は狂戦士として現界した」
「だがペルセウスが狂気に落ちた逸話は無い」
 白衣の女が煙草の煙を吐いた。
「この聖杯戦争は本当に頭を使うねぇ。ていうか、敗者である私たちが理屈をこねまわしたところで、何の役にも立たないんだが。そうだろう? アリアナちゃん」
「……七種」
 冷めた目で自分を見下ろす白衣の女――七種に、アリアナは同じく感情のこもらない眼で女を見た。
 七種は煙草を一度咥え、息を吐きながら言う。
「それとも―――君達はまだ、討伐令ってのを遵守する気でいるのかい」
 エマが身じろぎした。張りつめたような沈黙と、緊張した空気が部屋を埋める。
 七種はそんな空気をものともせずに、一層煙草の臭いの染みついた吐息を吐く。それから指が焼けるのも構わず、短くなった煙草を一息に握りつぶした。
「あぁ不味い。こんな変な聖杯戦争について喋りながら吸う煙草はすこぶる不味い。外の空気でも吸ってくるわ」
 七種はあっさりと会話を放棄すると、重厚なドアノブに片手をかけた。それを引こうとしたところで――ふと那次たちの方を振り返り、付け加える。
「勘違いするな。少なくとも私は、聖杯を獲りに来たんであって、あのバケモノを片付けるために来たんじゃない。あんた達がまだ討伐令を遂行する気でいる気の違った連中なら、関わりあうのはごめんだね。私は研究に戻るとしよう」
 言葉が終わらないうちに、分厚い木のドアがバタンと音を立てて閉じ、七種はあっという間に姿を消した。


 煙草の匂いの染みた白衣をひるがえして、彼女は疲れた表情を午前の光の中で浮かべる。
「……最初からやり直し。いや、ふりだしより悪い……か?」

「……………こんなことなら、あの夫人に真理への辿り着き方を聞いておくんだったね」
 

Fate/defective c.20

to be continued.

Fate/defective c.20

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-10-17

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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