刃物ラプチャー
うちのテレビは普段大人しいのに今日はどうにも殺人的で俺は物憂い気持ちになることもたまにはある。ニュース番組は内容だけ変えて毎日悲報と朗報と毒にも薬にもならない情報を電波に乗っけて流す役目だと思っていたところ、俺の中学の時の親友のことを取り上げたからびっくりしてしまった。生まれて初めて内容が変わった瞬間だったから刺激もひとしおなのも頷けるだろう。サトウは昔の一番の親友でロック歌手になりたい男で、高校に入ったらピアスを開けてギターを練習しているという噂だったのに、彼は俺の知らない間にギターを日本刀に持ち替えて人ひとり殺した。そのとき俺の座っているソファが軋んだ音を立てたが、それが小説的に俺の世界が軋んだことの象徴的表現に過ぎないことにもその時は気づかなかった。サトウ(被告)二十八歳はライブの終わりに日本刀で出待ちしていたファンの女性ひとりを袈裟斬りで真っ二つにした。それが目的だったのか結果だったのかは分からないにしても、一年の中の取り立てることもない土曜日にそんなことしなくてもいいのに、と思う。今日は日曜日だから安息の日なのに、サトウはそんなこと気にしない。日曜日にこんなことをニュースにしても、テレビの中のあいつはそれに対してはまるで平気な顔をしている。
会社で俺は考え事をしていた。
「このハサミでは、到底真っ二つなんて芸当は出来ないなぁ」
真っ二つは芸当だった。芸術といってもいいかもしれない。俺は自分が料理をつくるときのことを思い出してみた。つくってくれる女の子もいなければ、外食とか買い食いばかりでは心が弱い俺は落ち込んでしまうのでたまに手料理を自分に振る舞うのだ。まず、包丁を持ちます。この包丁という道具はハサミよりは切断能力に優れていると判断出来た。ではこの包丁で何をするかというと、野菜を切ります。俺は医者から色々言われているのでヘルシーなものをよく切るしかないのだ。頭の中でザクリといい音を立てて野菜が切られる。その辺り適当な妄想だったので、頭の中の野菜はキュウリだったりキャベツだったりタマネギだったり刻々とぐにゃぐにゃ変化し続ける。俺は何を切ったか分からなくても料理出来るのだ。適度な硬さを持った野菜は容易に切断されて、使いやすい大きさになる。
包丁で人間はこうはいかないだろうなぁ。
やっぱりサトウは凄い。これがロックンロールなのかもしれないと考えさせられる。結局、俺の知ってる・扱える刃物では野菜が限界なのだ。あとは狂的な偏執を持って人間に取り掛かれば切れるかもしれないけども、やっぱりそこには芸術的センスというものは何もないと言わざるを得ない。「真っ二つかぁ」
俺は会社から出るときに同じ会社の女の子が同時に退社しようとしていたのを見つけたから、殴りかかった。泣きながら。ハサミは会社の中にあるし包丁は自宅のキッチンに置いてあるままだったけどそんなもの日本刀を模しただけでナンセンスだった。俺が全力で殴ると思ってたよりも女の子は声も小さく勢い良く吹っ飛んで逆に俺が一番目を見張っていた。俺の右手は体験したことないくらい違和感で包まれていて、ボクシングのグローブを連想させた。俺よりも女の子よりも周りの人の方がよっぽど騒いでいた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
俺は精一杯雄叫びを上げる。もちろん空に向かってだ。俺の叫び声が重力加速度の影響を受けて降り注げばいい。俺は物理が苦手だったから詳しいことは分からないけれど、放物線を綺麗に描いて落ちればいい。ある程度の高さから重力の影響を受けて落ちたものは殺傷能力が十分にあるだろうことくらいは流石の俺でも察せる。
俺はサトウみたいに日本刀を持っていないから殴りかかるしか出来ない。女の子がまだよく分からないでこっちをまんまるな目で見ているから、起き上がる前に馬乗りになって、雄叫びを今度は真下に向かって放ちながら顔面を両手で思いっきり殴る。客観視さえ出来ていれば右と左の拳は流星群みたいで綺麗だったと思う。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね! そんなことを言っている途中で舌を思いっきり噛んで、血がいっぱい出た味がする。泣いてる原因はもう分からない。昨日も辛いし今日も辛い。
二十八歳だった。ただの人間の何十年かの一年、二十八歳。
刃物ラプチャー