世界を救う魔法使いのお話
十数年前、この世に突然『魔獣』と呼ばれる生き物が出現した。
その体長は小型のものでも4階建てビルより大きく、皮膚はミサイルを通さない頑丈さで、大きな爪や牙はコンクリートを粉砕した。どんな兵器でも倒せず、魔獣が出現した都市は壊滅するしかなかった。
魔獣はひとしきり都市を破壊すると、自然と消えていくことだけが幸いだった。
増殖はしない。けれど、徹底的に破壊するまでは消えてくれない。倒すこともできない。
数か月に一度出現する魔獣に対し、人々に残された選択は逃げることだけだった。
このままでは魔獣に世界は滅ぼされる……誰もそう思い、いつ現れるかもわからない魔獣におびえる日々だった。
そんな世界に残る2つの手記が僕の手元にある。
***
『初めて魔獣を倒す存在に出会った男の手記』
そんなある日、俺の住んでいる都市に魔獣が現れた。
今でも鮮明に覚えている。
茜色の空を覆いつくすように突如として現れたその大きな体は、家やビルを踏み倒し、人を見つけては食らう。
つぶして、食らって、破壊して、人の悲鳴を嬉しそうに聞いていた。
俺は腰が抜けて立ち上がれず、人々が逃げ惑う中、ぼんやりと魔獣を見上げていた。
ふいに魔獣と目が合った気がした。
死を感じるのは一歩遅く、本能が逃げ出そうと警告を鳴らした時には魔獣に爪が俺のほうに向かっていた。
悲鳴をあげた。誰も振り返らない。
そりゃそうだ。みんな逃げるのに必死だ。逃げ出せなかった俺は死ぬしかない。
就職もうまくいかず、親のすねをかじりながら、日々ネットゲームに明け暮れる日々。
こんな俺を助けてくれる奴なんていない。俺のようなゴミが生きていていいはずがない。
本能に従うことすらできない俺には当然の結果だ。
ああ……せめて、親父とお袋に謝ればよかった。二人は逃げられただろうか……。
俺の分まで、俺が今まで迷惑かけた分、幸せになってくれ……。
だが、魔獣の爪は俺をとらえなかった。
魔獣は俺の目の前で倒されていたのだから。
大きな体に穴が開き、ビルをなぎ倒し、魔獣はこと切れていた。
魔獣の体液は青だった。
「しまった。やりすぎた」
茜色の空を背景に魔獣の体が映り込む。魔獣の体の上に人が一人立っていた。
ローブをなびかせ、彼の周りには魔法陣がいくつも浮いていた。
彼が振り返り、俺を確認するとすぐさま消えていった。
これがはじめて『魔獣を倒せる存在』が出現した瞬間だった。
すぐさま警察や研究機関だとかがやってきて、俺もいろんなことを何日にも渡って聞かれた。
そりゃそうだ。魔獣を倒せる存在がいるかもしれないのだから。
その後も魔獣が倒されることが何度かあった。そのたびに魔獣の死体は研究機関に運ばれていったらしい。
ある時、いつも息の根を止められるはずの魔獣が、瀕死の状態で発見された。
魔獣を生け捕りにできたから更なる研究がすすめられるとテレビで報道されていた。
俺が思うに、『彼』は人に姿を見られてはいけないのだろう。
人に見られそうになったから魔獣にとどめがさせなかったのだろう。
そして、それから『彼』は姿を現さなかった。
魔獣は再び都市を破壊するようになった。『彼』でなくては止められない。
人々は再び恐怖におびえるようになった。
しかし、しばらくして研究機関がメディアを通して発表した。
「度重なる研究の結果、魔獣に対抗する勢力を生み出す薬を作ることに成功しました」
その発言に人々は声をあげた。
その薬は国から選ばれた存在に投与され、魔獣を倒す力を得る。
つまり『彼』と同じ存在を作る薬だった。
俺のもとに国からの手紙がすぐに届いた。
すぐに指定の場所に走っていった。選ばれたヒーローになった気分だった。
憧れる『彼』と同じ存在になれるのだと。
「魔獣を倒す存在を見たあなたに聞こう。自身の存在に名をつけるならなんとつける?」
研究機関のお偉いさんが薬を投与した俺に聞いた。
俺は迷うことなく、『彼』をイメージして答えた。
「魔法使い」
***
『孤独を忘れた魔法使いの手記』
魔獣騒動により、夫を失った。60年連れ添った夫。
もとより体の弱かった私は子供を授かることもできず、姉妹とも仲が悪かった。
頼れる親戚もおらず、唯一の話し相手は夫だった。
思い返せば、人生で唯一私を必要としてくれたのは夫だった。
その夫ももういない。
なぜ私も一緒につれていってくれなかったのだろう。
私一人ではご飯をつくることもできない。お風呂にはいることもできない。
週に三度、ヘルパーさんが来てくれるけれど、作ってくれるものはいつも同じものばかり。
最低限の世話を焼いてくれるが、そこに優しさは感じられない。ひどく事務的。
冷えた二日前のシチューを口にして思う……夫の手料理が食べたい。骨ばった大きな手で優しく体を撫でてほしい。
そんなある日、魔獣対策本部という国の役人が我が家にやってきた。
「あなたには魔法使いの素質があります。これから魔獣を倒す存在として一緒に頑張りましょう」
それから生活は一転した。
魔法使いとなるための注射を打ち、魔法使いとして寮に住むことになった。
9時から17:30までを勤務時間とし、一日の半分を魔法の練習時間、もう半分を精神統一の時間。
三食用意される温かな食事。綺麗な衣類。清潔に保たれる体。
優しく対応してくれる生活支援スタッフ。若い者から同世代まで同じ魔法使いの同志。
月に一度いただく給料は年金よりも多く、勤務時間外の娯楽を楽しむことも十分できた。
私は炎を扱った魔法を使うことができた。
日々鍛錬を重ね、炎を意のままに操る。私にこんな才能が眠っているなんて知らなかった。
2か月後、魔獣担当スタッフからの呼び出しを受けた。
「ついに魔獣と戦っていただきます」
明日、同志とともに魔獣のいる場所へ車で移動する。
その後、周辺住民に影響がでないよう結界をはり、魔獣を退治することになる。
胸の高鳴りを感じる。夫の仇をうてる。人の役に立てる。
決戦前の食事は暖かくてほんのりしょっぱかった。
***
2つの手記を読み終えた僕は白衣を着て、本棚に手記をしまった。
成果としては十分な結果が得られている。
男の手記の中にでてきた『彼』については気になるが、こちらで魔獣の退治方法が確立してからの目撃情報は見られない。
魔獣の死体から摂取した体液をもとに作った薬がある以上、『彼』の存在は男の妄想ではない。
部屋を出て廊下に出ると、野太い悲鳴が聞こえてきた。
角を曲がると、複数の研究員に取り押さえられた老人と若者が引きずられるように奥に進んでいくのが見えた。
老人は暴れ、若者のほうは放心状態で涙を流している。
僕はカバンの中身を確認してから、集団に近寄った。
「なになに。次の魔法使い候補生かな」
「院長! はい……連れてこられたばかりで薬の投与がまだでして……」
「うんうん。仕方ないよね。僕、薬を持ってるからうってあげようか」
僕の声をきいた研究員がすぐさま二人の服をまくり上げた。
僕はカバンから注射器と薬の小瓶を取り出し、小瓶の蓋に注射器を出し、薬を注射器に入れる。
事態を悟った老人と若者は響き渡るように悲鳴をあげた。
「これから毎日温かな食事と清潔な衣類が保証されますよ。給料も出ますし、娯楽も楽しめます」
「いやだああああああああああああああああ!!」
「痛いのは最初と最期だけですし……国が決めた基準値に当てはまったのですから」
「たすけてくれええええええええええ!! この悪魔! ひとでなし!」
「魔獣と倒すヒーロー……いえ、魔法使いの素質があったのです。国のため、人のためにどうか……」
僕はそばにいた別の研究員に注射器を渡し、二人の腕に注射針をさした。
「死んでください」
ぐっと薬を彼らの体内に流し込んだ。
魔獣の体液にはひどい幻覚作用があった。薬にしたものの、使う先が見つからなかった。
研究の一環で、瀕死の魔獣に投与したところ、数分で息絶えた。
薬は魔獣に対して死をもたらす猛毒だった。
この薬を魔獣に投与できれば魔獣を倒すことができると分かったが、肝心の投与する方法が見つからなかった。
「ねえ、魔獣は人を食べるのでしょう。人に投与して、魔獣に食べさせればいいんじゃない」
薬の開発者である彼女はそう言って、研究所の前に現れた魔獣の目の前で薬を注射器で自ら投与した。
人々が逃げ惑う中、向かってきた彼女を魔獣は一口で食らった。
魔獣の牙が彼女の首を切断し、頭が地面に落ちると同時に魔獣も倒れた。
ねえ、成功でしょう……というように彼女の表情は勝利の笑みを浮かべていた。
頭ではわかっていた。通る作戦ではない。けれど、僕はこの案を政府に提出した。
人を施設で管理し、頃合いをみて魔獣に食わせ、魔獣を殺す。効果は立証されていた。
幻覚作用のある薬を毎日食事から摂取させ、催眠効果のある映像を毎日見せ、己が特別な存在であるという気持ちにさせる。
肝心な人選は政府が社会貢献度という制度を設け、一定年齢以上で社会への貢献度が低い者を選抜した。
選抜された人々は幻覚作用と催眠作用で、己を魔法使いだと思い込んだ。
中には最期の食事で涙を流すものもいたが、どうやら死ぬまで幻覚と催眠は解けないようだ。
ぼんやりとしている老人と若者を立つように促した。
「あなたがたには魔法使いの素質があります。これから魔獣を倒す存在として一緒に頑張りましょう」
「あなたは……」
僕はこれからも世界を救うと信じて注射器を握る。
「世界を救う魔法使いの一人ですよ」
結果が同じならば、本物でも偽物でも構わないでしょう。
<了>
世界を救う魔法使いのお話