憑かれて灰色姫
この話はR15相当にする予定です。
全年齢と成人向けの中間くらい。
よろしくお願いします。
整備されてるとは言えない街道を行く相乗り馬車。ガタガタと揺れるそこから見えた外は、日が高く昇り、遠くの景色まで目に映った。それとは対照的に、これからこの世界で生きていく事に、まだ完全には心の整理が着いていない私の中に、”雲”があった。広がる緑の山道を走る馬車は王都へと向かっていた。
私がこの世界に来たのは幾日か前。気づけばこの世界の少女になっていた。最初は夢オチ?か何かと思ったけど……一向に覚める気配もないし。
ふと私の頭に少女の声が響いた。
『外へ出るのは久方ぶりですが、今は緑が綺麗ですね。』
そうだねー、と相槌を打った。若干天然ノリな彼女とはこちらの世界に来てからの付き合いだ。何せ自分の体の本来の所有者なのだから――
プロローグ
女子高生の佐藤七海(さとうななみ)は都内の学校に通う学生だ。さして目立つ生徒でもない故、トラブルも印象も薄いなどと周りからは思われているごく普通の学生だ。
(そんな自分も仲間内からは、無鉄砲とか単細胞とか言われていたけど――)
”家庭の色が濃くて色気がない”
それは先ほど、中学時代から付き合っていた彼から別れを告げられた時だった。七海の家は母が早くに他界し、父は仕事をしてるので、必然的に家の用事は七海の仕事だった。なので、家事は得意と言うよりは板に付いていた。部活動も家庭科部で、流行りものにも疎いしあまり興味がないので、「家庭的だが、色気はない」と言う表現は遠からず当たってる事になる。
だが可愛い物には弱いし、美味しいものを食べるのは大好きだ。流行に捕らわれないカジュアルな服をウィンドウショッピングするのも好きだしそれほど女子高生として終わってるとは七海は思わない。
(家の用事は各家の事情でしょ。私しかする奴がいないんだし、しょうがないじゃない。大体、何よ色・気・って!?馬鹿にしてっ、そんなの求めてんのか!)
思い出してると一度は鎮めたムカムカが再び浮上してきた。愛情はすでになく、あるのは悔しさだけだ。
(バカヤロー!)
別れたばかりのそいつを心の中で罵った。今日の夕飯の材料を特売スーパーで購入した帰り道。
七海の好きな献立のハンバーグ。その日はやけ食いに走るつもりだった。しかし、私がそれを食べる事はないまま――七海が元の世界の記憶があったのはそこまでで、気付くと一体何時の間に寝ていたのだろうか?暗がりの部屋の寝台に私は横たわっていた。
一章 灰色姫
靄のかかった頭を起こし、瞼を重そうに開けた。今は夜だった。静けさの中、天窓から薄らと室内に月明かりが差し込んでいる。私は何時もの癖でベッドの上にある目覚ましを手で探したが、それは見つからなかった。おや?と周囲は未だ薄暗いので今度は灯りを求め立ち上がろうと横へ降りようとしたが、妙に広い寝台が自分の物ではない事に気付いた。薄らと見える部屋だが身に覚えがなく、どこにいるのか分からなかった。
「どこだろう、ここ」
別に返事が欲しかったから言った訳ではなかったのだが意外にも女の声が返ってきた。
『ああっやっと聞こえました…私の声が聞こえますか?』
この暗がりに人が居た事にまず驚いた。
「あ、うん。聞こえてるよ。」
『すみませんっ、本当に――』
ぬおっ、いきなり謝られたぞ。彼女は自分が私をこの世界に呼んだのだという。ええと、いわゆる召喚と言うやつですか?この人良い人みたいだけど、残念な人だったかー、とか思ってた内容が彼女に伝わっていた。
『あの…残念、な人ですか?』
ぶっ!今私は声にしていないじゃん。何でこの人私がちょっと思った乙女な思考が伝わってるんだ?いや、妖精さんの声が出てしまったかもしれん。再び私は営業スマイル(見えていないだろうけど)を作り話しかけ…る前に彼女が話しかけた。
『妖精さんの声って?何かの術ですか??』
「……ねぇ」
『はい?』
「あんたひょっとして、私の思ったこと分かる?」
『はい、でも分かるのは貴女だけです。今貴女は私の体で話していますから。』
彼女は灯りの灯し方を私に教えて鏡台の前座らせた。今私の目の前にはとんでもない可愛い女の子が座っていた。白く線の細い端正な造りの輪郭に、真っ直ぐな背まである髪は銀糸で少し動くたびにサラサラと揺れる。小動物を思わせる大きな碧水晶の瞳に長い睫は西洋のビスクドールを思わせた。明らかに私ではない…が、今は私のようだ。
それから彼女エレーゼは、私が異世界に居ると言ったが、そう考えでもしないとおかしいのだ。彼女から灯りの灯し方を聞いただけなのに、いつも彼女がそうしてるとなぜか思い力ある言葉を発して灯りを点せた。それは魔術で、そんな世界に来てしまったようだ。私は「はぁー……」と、ため息をつき遠い目をした。色々常識の壁が壊れていった気がする。カルチャー大革命だよ……そう思えるのに、この世界の普通だよと理解している自分も居る。そんな自分の自己矛盾に戸惑う。
大丈夫ですか?とエレーゼの声で戻ってきた。
「あー、うん。何とか帰還したけど…差し当たって、この国を救ってくれ、とか何かしろとかいうんじゃ…」
『いいえ何も。』
おや、何もない?良かった良かった。じゃあ元の世界に戻してもらわねば。そう言うと彼女は悲しそうな声で再び謝った。
『この世界に貴女が来たのは恐らく私のせいです。帰し方も分からないんです。ごめんなさい…』
いやいやちょっと待て。何でそれであんた召喚だけは知ってるの!ってどうやら儀式とかしてた訳じゃなくて祈っただけ?それならってそんなの有りか、この世界。
『でも貴女が来る少し前、私は寝ていた筈だったのですが、空に浮く翼の人に出会ったのです。私の願いを叶えてくれると言うので、その方にお願いしたのです』
凄いファンタジー、既にコメントなし……というかどこを突っ込んでいいのか。
『その方に、儚くなりたいと願ったのです』
「儚くって…ええっ死にたいってこと!」
こくん、と彼女は答えた。
「何だってそんな馬鹿な事…」
『私は天を信ずる教徒です、自害は許されていないのです。伝えましたら天使様はこう言いました。先ほど、別の世界で死んでしまった魂だがこの子は今もまだ生きたいと強く願っていると。物凄く強い魔力を持っているので器が中々見つからなかったのだと。それで私の心が死にかけていましたので貴女に譲って欲しいと申し出がありまして』
私は先程から口をあんぐりと開けたままで聞いていた。嘘でしょう、まさかの死にネタですか?夕飯は暴食だーっと意気込んでいたのを思い出した。でもその後、急に暗くなった気がする冷たさと共に意識が遠のいていって。
『あの、すみません。不謹慎でしたね、そうと確信はないのですが…その』
「あ…ううん、有難う。ごめんね、気を遣わせちゃって。そりゃショックだし全然自覚ないけどさ、こうやって天使が生き残れるようにしてくれたんだし。何かまるで実感が沸かないけどね。それと私の方がエレーゼに謝らないといけないと思うし…迷惑かけてごめん」
『違います、わ…私は…ただ……自分が救われたかっただけなのです――ここから逃げたかっただけで…貴女に押し付けてしまった愚かな卑怯者なのですっ』
頑なに涙が溢れるのに耐えている様な彼女の悲しみが私の頭を襲った。
彼女の悲しみ01
彼女が涙を必死に耐えてるのを感じると、彼女の感情だけでなく、恐らくは記憶だろう…それらが七海の頭を掠めていった。
豪華な煌びやかドレスを着た女がエレーゼに向かい罵声を浴びせている。豊満な胸は溢れんばかりの肉感的な美人で、波打つ赤毛はつり目とよく似合う。ここはエレーゼの部屋だった。今より部屋に調度品が多いのは気のせいではない。
「お前みたいなガキ、何でこの家に生まれてくるのよ。大人しいんじゃなくて暗いのよ、このトロッ。」
「お義姉様、お父様の下さった家具を持っていかないでください…」
彼女が抵抗しようとすると、この孔雀の様に着飾った姉に頬を引っぱたかれ床へと倒れる。それを上から見てせせら笑いながら罵声を吐きながら足蹴にする。
「お前が食べていられるのは誰のおかげだと思ってるの?お母様の温情あっての事ですよ?お前たち母子は本当に図々しいわ。」
そういって次々と高価な家具を奪い取っていくではないか。
(何言ってんのよ、あんた姉でしょ!いいかげんにしなさいよっ)
彼女の記憶が入って来た。この家は古くから続く貴族イーアリル子爵家で、当主であったエレーゼ父の前妻に当たるのが彼女の母だ。だが、彼女の母が身罷ると世間の目もあり、以前からの妾であった女を後妻に迎えたのだ。この後妻は義姉を連れて家にやってきた。今まで後妻と義姉を不遇の立場に追い込んでいたエレーゼの母をそれは恨みに思っていたのだ。
だが父親の子爵の居る手前、表面に出すことはなかったが、その子爵もつい1月前に他界してしまった。頼るべき子爵が死んだ後、後妻は後継者だった彼女の息子がまだ幼いが故、その後見人として絶対の立場になった。幸いだが、後妻の息子はエレーゼを本当の姉の様に慕ってくれていて、彼女をいつも庇ってくれる。
「バルバラ姉さんっ!、また何ていうことしてるんですかっ!!」
華奢で、金の巻き髪が可愛らしいが少年だが、意志の強そうな少年が部屋に入り姉と呼ぶバルバラに対峙した。
「あらアルベルト、お前居たの」
「エレーゼ姉様が何をしたというのです!とっととその足引っ込めてください!!」
怒気と共に、彼を取り巻く空気が変化し魔力が満ちていく。殺気が放たれ、バルバラは悲鳴を上げながら後ずさる。呼吸がうまく出来ぬ様で息を荒げながら忌々しげに呻いた。
「な、何をっ……」
アルベルトはエレーゼを見て優しく立たせて、自身の後ろへと避難させ、鬼の形相となってる実姉の間に立って言い捨てる。先ほどまでの優しさは欠片もなく、まるで汚物でも見ているかの様な視線を実姉であるバルバラに浴びせた。
「全く…口答えできる立場ですか貴女が?この家での邪魔者は貴女でしょう落ちこぼれの糞女がっ。父上は教育熱心で僕たち3兄妹に出来る限りの教育を施してくれましたよ?僕は攻撃系、エレーゼ姉様は回復・補助系に置いて国の方でも誇れる程の才能があると父上を大変満足させていましたが…魔力量が人並みの貴女が父上の恥だったじゃないですか」
やれやれ、とアルベルト。
「だっ…黙りなさいっっ!」
「魔術どころかどの学問も苦手。社交の嗜みくらいはお上手でしたが。貴女、家庭教師に何て言われてたか分かってます?胸に付く栄養が頭に付けば良かったですね。おまけに品性は派手…ではなく、下品。その上で、性格が最低最悪です。」
要するにお前最悪だよ、と彼は見下し嘲笑った。
「くぅっ…!!」
最早憤怒が頂点まで来たらしいバルバラ。怒りで顔が真っ赤になり、波打つ髪を振り乱しながら弟を憎悪の目で見て絶叫した。
「お前は弟の癖に生意気なのよっ!何時も何時もーーっ!」
彼女の悲しみ02
決して長い時間ではなかったが、バルバラとアルベルトは互いを睨み合っていた。
その時2人だけでなく、エレーゼもカツカツと響く音がこちらに向かって来るのを聞き、バルバラの気色は綻び、アルベルトは舌打ちしてエレーゼの傍により下を向いて怖がる姉に大丈夫と囁いた。
程なくして部屋に入ってきた女。バルバラと同じく孔雀の様に豪奢なドレスに身を包み、宝石をこれでもかと散りばめ纏っている。その服装を見れば”私が女君主だ”とひと目で分かる。後妻のイライザだった。
赤の波打つ髪と良いそっくりな母娘だ。一瞬嫌そうな顔をしたアルベルトだったが、直ぐに何でもなかった顔にする。
「あら――騒がしいと思ったけれど」
「お、お母様~っ」
バルバラは母に甘えながらエレーゼを悪く言い、アルベルトが自分に対して酷い事をすると涙ながらに話した。自分の娘にイライザは優しく頭を撫でて可愛がる。
「可哀想に、私の優しい娘をこんなに泣かせて」
そう言うと、ギロッとエレーゼをキツく睨みつけた。猛獣に睨まれた小動物の様にビクッっと彼女は怯えてただ小さく「ごめんなさい…」と謝った。勝ち誇った義姉は「ほらごらんなさい」と大喜びで通り様、エレーゼの肩にわざと当たりふふん、と笑って彼女の部屋から高級そうな物を物色していく。
それを忌ま忌ましそうにしてバルバラを視界から外してアルベルトは母に問うた。
「して母上、こんな所まで来られるとは珍しいですね。何か要件があったのでは?」
アルベルトの心からすると「用があんならとっととやって早よ帰れ」だったのだろう。顔は笑って言ってるが目が笑っていなかった。
「おお、そうじゃった」
先ほどとは違った機嫌の良さそうな顔をしてエレーゼに向けて告げた。
「おめでとう、エレーゼ。貴女の結婚が決まったわ。」
「………え」
「お待ちください、母上!……どういう事でしょう?その様な話、私は聞いておりませんが。」
「さもあろう、言ってなかったからの」
「……私はこの家の当主ですが」
「そのとおりじゃ、そなたはこの家の当主じゃ。」
「でしたらっ――!」
「じゃが、後見無しでは何も出来ない子供じゃ、のう?」
「……っ」
ギリッ、イライザに侮辱された彼は歯を食い縛って続けた。
「……お相手は誰です?エレーゼ姉様はこの近辺からも婚約をと望む声が多いのです。家柄・財力共に問題の無い者でなければ……」
ほほほほっ、笑うイライザ。
「当たり前じゃ、我が家の娘をつまらぬ者に渡す訳がなかろう?……昨日この屋敷に来てくださったお方じゃ。」
「昨日……ま、さかあの方ですか?私に内緒にして進めていたのもそういう――」
言うだけ言えばイライザはバルバラを連れ去っていった。2人が居なくなってからなおも苦渋の表情を受けるアルベルトに、エレーゼは申し訳ないと思った。父が死んでからは継母と義姉に酷く当たられるようになって、虐められる度に守ってくれたのは心優しい弟だけだった。だから思っていたのだ。自分は今では、その優しい弟の足かせになってるのだと。義母や義姉が嫌いなのは自分だけなのだから…自分さえ居なければこの子は家でうまくやっていけるのだ。寂しい事実だとエレーゼは思う。告げられた時には覚悟はもう出来ていた。
「アルベルト……有難う、いつも私を助けてくれて…だから私結婚しようと思う。」
「……姉様…僕はっ…」
僕に力があれば…後見人が不要な年であればこんな……と項垂れた。
この国では貴族家の当主となるには基本、男児で成人でなければならない。やむ得ず満15才未満であるなら後見人が付き、当主として立場は認められているが実質の政務は後見人が全て行うのだ。
弟の様子からも、相手が余程酷い人なのだろう。元々イライザが良い縁談を持ってくる訳はないのだ、しょうがない。それでもこの家の中、こうやって虐められるよりは幸せかもしれない。
「酷い人なのかもしれないけれど……でも貴族の家に生まれれば自由な恋愛は難しいし、家の為と言えばしょうがないわ」
「姉様…」
アルベルトはエレーゼに抱きつき、自分の事の様に悔しそうに泣いてくれた。それがエレーゼにはとても嬉しかった。
その日の夜、エレーゼは夢を見た。翼のある人が空を飛んでいる。信仰深かった彼女はその人を天使だと思った、いつかの宗教画に描かれているような姿だったから。しばらく綺麗と見ていたが、向こうがこちらに気がついた。大きな白き翼を羽ばたかせ、近づいてくるではないか。
「こんにちわ、お嬢さん」
天使はここに迷い込んでくるのは悩みがあり、心が死にかけている状態なのだと話す。
「ここへ来た魂は助けてあげたいから叶えられる願いなら聞いてあげるよ」と言うのだ。
エレーゼは夢の中で正直に気持ちを言った。
ただ、儚くなりたいのだと――
05 灰色姫、家出をする
随分と長い事夢を見ていた気がした。彼女エレーゼの記憶が私の中に流れ込んできたのだ。楽しかった頃の彼女の思い出もあった。昔は随分と笑う子だったようだ。
あの後、どうやら私は気を失って床に倒れていたみたいでどれくらい経ったのか、夜半だった空が今では明るくなっていた。これは早く用意しないといけない、私はそう思った。
『良かった…気がつかれたのですね。あれから何時間か経っても目を覚まさないので心配しました……その……ごめんなさい。私のせいで…』
「エレーゼ、気にしないでいいって。それよりもこの世界の情報も流れてきて助かっちゃったとか思ってるし。私あんまし賢くないからさ。」
あはは、と頭をかいた。それは事実だし。エレーゼは随分と頭が良いらしく、将来は学者と言っても通るくらいだ。
それでも彼女は少し気にしている様子だったが、気をつかってくれたのかな?と思ったのかそれ以上は言わなかった。いや本当のこと言っただけなのに、本当に優しい子だなこの子は、可愛いなあ。女の子が素直で可愛い何て聞くとつい、色々腹に思惑があるんでしょうがっ、とか思っちゃったりするけど(我ながらひねくれてるなぁ)彼女の事は素直にそう思えた。
部屋を見渡した。夢の中で覗いた部屋と比べてみてすぐ分かる、随分と広いこの部屋にポツポツと置かれている家具が痛々しい。
(……可哀想に)
私は移動すると、先ほど情報が流れて来た事で使い方を覚えた力ある言葉を唱えた。魔術で隠されていた物を手に収めた。それは、大きめの袋で、ずっしりと重みがある。この中身が何なのかは知っている。純度の高い高価な宝石だ。小さくても何年か暮らしていけるだけの価値はあるのだ。これだけあると、贅沢さえしなければ一生暮らしていけるだろう。
私の行動にエレーゼは慌てた。
『あのっ、その……その宝石は私がお嫁に行くときに持っていくようお父様に頂いたものなのです。』
彼女の父は、自分が死ぬ前にエレーゼに財を分けていたのだ。彼女がぞんざいな扱いを家で受けるかもしれないと。だから今の内にと彼女のための財産を残したのだ。
恐らく義姉が欲しかったのはこういった父親からの財産だったのだろう。だから金目の物を次々と持っていったのだ。
私はエレーゼに安心する様に言った。そして、彼女にとって選択枝に入らなかった答えを言った。
「家出しよう、エレーゼ」
『……え、……ええええっ!』
それから説得するのに少し時間がかかったが、了承は取れたので問題ない。まあ明かしたら、「今は私になったんだから、止めてよー。結婚なんてしたくないよー」とか「この家から居なくなりたいって言ったじゃん、死ぬよりもよっぽどそっちの方がご両親や弟君が喜ぶよ?」って言ったわけで。
まあ彼女も、本当なら辛い現実を受け止めようとしていたんだから環境の変化がついていけないのだろう。まさか自分が魂だけの存在になる何て、思わなかっただろうし……お互い現実を受け止めるのに時間が要りそうだ。だからこの悪環境から早々に脱出しなければ毒以外何者でもないと。
ぴくっ、その時かすかな音から徐々に近づいて来ているヒール音が外廊下からした。この部屋にそんな靴を履いてやって来るのはイライザを除けば一人。何時も部屋を物色しにやって来る俗物だ。想像した通り、バルバラが勝手に部屋へ入って来た。
目の前に映るそれは、夢で見た時よりも派手で香水の香りがキツいというより臭い、日本人には遭遇しないであろう凄い肉感美人だ。だが、性質が悪いのはこれまで見ていてよーく分かっている。これは現代で言えば貴族ではなく場末のお水女ではないか?私はにっこりと笑って言った。
「おはようございます、何か用ですか?」
「あら、ここに私の気に入った物が無いかと思ってね?この家での私の立場は貴女よりも上でしょうから別に――」
続きを言いかけたバルバラは口から言葉を出すことはなかった。息がまともに出来ないだろう、悪意のある魔力をこの部屋一体に放ったのだ。魔力の濃度が濃い中に魔力量の少ない人間を居続けさせれば下手をすれば大事になる。バルバラはこちらを信じられない目で見ている。
「ふざけんなよ、この糞女。お前が今まで父親から出来の悪い娘として疎まれてただろうがっ!能力の高かった私と弟を何時も邪魔そうに見ていただろうがっ。それが父が死んでから一点、偉そうにえばりちらしやがってっ。この金に目がない俗物女が!」
バルバラは呼吸が出来ないのか、必死に口をぱくぱくとさせている。息が絶え絶えになり目に涙を貯めて鼻を出し、体をねじらせる様はこちらの話を聞いてるのか分からなかった。。その内に意識が途切れたらしく、ばたりと転倒した。魔力の放出を抑えた私は、エレーゼが泣いているのに気づいた。
「あの、エレーゼ……。ごめん勝手に。後のことって考えなかったかも。でも、こいつ見て話聞いてたらあんまりだってつい……その――」
『………ぷっ。あはははっ』
「ん?」
おや?怒ってはない様子で安心した。
『弟と…アルベルトと同じ事言ってくれたの。私、今まで守ってくれる人はあの子しかいなかった。そんな私は、アルのお荷物になってる、それが何より嫌だった、だからここから消えて開放してあげようと思ってた。それは魂が消えてしまうなり、死ぬなり、そして家出するなり、です。』
『結婚はあの人達、大嫌いだから言いなりになるのは、もう止めました』と宣言した。
最初声を聞いた時、大人びた感じを感じていたが、気のせいか口調が年相応の幼さを出しているような。ぽかんとしていた私だったが、それは喜ばしい事だとすぐ気づいた。
屋敷を逃げ出した私達は、国の中枢である王都へ行くことにした。人口が多くて隠れるには丁度良いし、地方の圧力がかからない場所だからと。幸いに用心していた追っ手がかかることもなく、途中馬車を何回か乗り降りを繰り返して幾日が経ち、目的の都市を目の前にしたのだ。
番外編 イーアリル子爵家
01 亡き父の回想
ヴァルリア国における北方領の一つであるイーアリル領は昔から続く歴史ある地で、周辺諸領と比べても豊かな領地だった。資源が豊かだったのもあるが、何より先代の領主の力が強かった。
彼は幼い頃より文武共に優れ、その才能の高さは中央にまで及ぶ名声であった。そんな彼は、現王陛下の御目に止まり、”ぜひ出仕して傍近く仕えて欲しい”と御遣いを何度も遣わす程であったが、彼は”恐れ多い事です”と言って、王の申し出に答える事はなかった。
そんな彼を周囲は勢いのある方よ、どんな得を前世で積まれたのか、と賞賛した。容姿の麗しさ、強さ、賢さを褒め称え彼のこれからを皆が期待した。
名声を得れば得るだけ他領主から、”ぜひうちの娘を”と縁組を迫られるようになった。幸い両親にとって自慢の後継息子であったので、彼らがそうそう許すはずがなかったが、年を増すだけその数もまた増えていった。ついに同じ北方領に所属している領土の中でも別格の領主からも縁組を求められたのだ。
この話には流石の両親も良い縁談ではないだろうか、と先代イーアリル子爵ブルーノに話を通した。
この国の王都を中心に東西南北に分かれる領地。それぞれ北は北、南は南と言った様に各地方ごとに大分され地方体制を決めている。もちろん中央からの命令は絶対だが、それ以外の細かい事は地方任せである。その体制を決めるに当たり発言権があるのは当然各領主なのだが、その中でも格がある。
イーアリル領は豊かであるが、家格からすると中堅。その相手の家は上位に入る北方領の名門の家だ。そんな先方からこうしてブルーノを見込んで来てくれたのだと思うと、悪い気はしなかった。
本人が居なくとも物凄い速さで舞台は整えられた。顔合わせの席にディートリヌ家当主である伯爵は始終ニコニコ顔だった。だが当の見合いの本人達は仏頂顔だった。ブルーノが自分より家柄が劣ると思って侮っているのだろうか、話しかけても高慢な態度に驚き呆れた。確かに見張る美人だが、見慣れればその性格のキツさの方が目立つ。会話をしていてそう思わせる女はブルーノの好みからは遠く外れていた。早くも帰りたいと思い、顔に出ていたのだろう。
当然ながら見合いの話は白紙状態になった。後で相手の家の近くの友人に聞いてみた所、ディートリヌの娘と言えば馬鹿女で有名らしい。魔術・学術に置いての無能さだけならとにかく、性質が悪くて知られた人物と言う。ブルーノは見合いが破談になってくれて本当に良かったと思った。両親もその噂を聞いたらしく、全くとんでもないお嬢様だと悔やんだ。
それから一年経った。いい加減決まった相手がいない自分に両親も焦りを感じ、結婚相手の写真を次々と部屋に持って来る。今日も大量に来てるなあとブルーノはまるで人ごとの様に思っていた。
そんなある日、友人の生誕パーティに参加するため、彼の家へとやって来ていた。(大きな邸宅と言うより小さな城だよなあ)そう思えるほどの豪邸だ。
「よお、来たかブルーノ」
目の前に爽やかに近づく蒼髪の青年、友人のハロルドだ。小さな頃からの友人なので気心が知れる間柄だ。以前ブルーノの見合いの話をしていた彼だった。そして北方領の代表家の息子である。
「やあ、招待を有難う。誕生日おめでとうハロルド」
「嬉しいけど、嬉しくないのだこれが」
「次期頭領だからね、しょうがないさ。運命だと思うしかないね」
「身も蓋もないじゃないか……同じ運命と言うのなら、もう少しロマンスを感じさせてくれないだろうか?」
彼はロマンチストな所はあるが、気のおける相手を探しているだけだと言う。権力とは人の視界を曇らせる。彼の顔を権力を手に入れる道具か何かと勘違いをしている欲の塊共が後を絶たずに彼の周りに近づいて来る。
「はああ……生まれる所間違えたよなあ。普通の領主になって自由に遊びたいよー」
「まあ、色々大変なんだろうな」
そう、それなんだ。どうやらスイッチが入ったらしいく日頃の鬱憤が溜まっていたようだ。彼のトークはしばらく続いた。
本日の主役はハロルドだ。招いた賓客と次々に挨拶を交わしている。彼も自分ももう大人になったのだ。何時までも自由だった子供ではない。彼はこの北方領の長として、自分もまた彼を助ける領主として、ロマンスなど微塵もない相手と結婚させられるのだ。貴族に自由な恋愛は難しい。どこかで割り切らなければならない、それが大人になることだ。
会場は立食形式になっているので、皿に少量づつ盛り、壁にもたれかかって考え事をしていた。だが自分も一応は有名人の部類らしい、参加者に声をかけられるとにこやかに挨拶を交わし他愛のない話をするがここで出てくるのも「結婚してるの?」と濁してはいるが聞いてくる。
(この狸どもがっ、ほっとけよ人の事だろうが、暇人め!)
思ってても顔には一切出さず笑ってごまかすくらいの処世術は上手になった。今は嫌な相手達でも今後の事に関わってくるだろうから丁寧な物言いになる。うむ、大人だ。
狸達としばらく話していたが、休憩がしたくて会場を抜け出した。流石に有力者の多い中、ずっと気を張り巡らすには骨が折れる。
この邸にはもう一人の幼馴染が居た。ハロルドの妹のディアナ姫だ。ハロルドの家に遊びに来ると必ずやって来る彼女は、ブルーノにとって可愛い妹の様なお姫様だった。彼女は部屋に居るか分からなかったが、部屋の前に居た侍女によると友人と部屋で遊んでいるらしい。それなら邪魔になってはいけないと、引き返そうとしたが慌てて「ディアナ姫様にお伝えしますのでお待ちください」と引き止められた。
許可が取れたと急いで戻って来た侍女から聞いて部屋に入れば、見知ったディアナ姫と彼女の友人らしい愛らしい少女がこちらを見ていた。――彼女との出会いはこんな感じで始まった。
番外編 イーアリル子爵家02
「ブルーノお兄様、ご機嫌よう」
縦巻きロールの蒼髪が優雅な少女がこちらを向いて言った。久しぶりだね、と気軽な挨拶を交わした。ハロルドの妹姫にして、この部屋の主ディアナだ。少し病弱なこともあり、邸から出ることが少なく、そのせいもあり兄ハロルドとこちらで遊ぶ時は彼女とも共にしていた。部屋に入るとソファーへと促され腰を下ろす。すると気になるのは自然で、彼女の友人の姿を見た。
流れる艶のある銀糸が目を引く少女、今は向かいのソファに座り柔かに視線を向けている。大人しそうな子だなと思った。
「でも良かったのかい?折角お友達と遊んでいたのに。」
「ええ。お兄様が来てくれて嬉しいし、私の大切な親友も紹介したいし。お兄様は初めてよね?この子はフローラ。伯爵令嬢で、見ての通りとっても大人しい子よ。」
それは第一印象に思った。紹介中にフローラ嬢と目が合うと薄らと微笑まれ、どきりとした。
「あの、は、初めまして。私はフローラと申します。宜しくお願いします。」
「あ、ああ。」
はっ、として自分は名乗っていないのを思いだして言葉を続けた。
「ディアナ嬢から聞いてるかもしれないが、私はイーアリル家のブルーノと申します。こちらこそ、これからもよろしくフローラ嬢。」
それから3人で些細な話題で話を咲かせた。お茶菓子や香りの良い紅茶も美味しいが、こうやって砕けた態度で女性と話すことも久しぶりだと何だか自分が年寄りのような錯覚を覚えた。(この所、見合いだと家に帰ったら煩かったからな。)見合いに来る女性は、どの女性も魅力はあった。だが、ブルーノは女性の好みが難しいらしい。気配りの出来る女性なら賢いイメージがあるが、打ち解けるのに難しそうだ。他にも社交好きなら、夫に有益だろうと思うが、世慣れてる女性も好みでない。どちらかと言えば、純粋で性格は内向的で、美人より可愛い人が――視線がディアナと楽しげに話す彼女に注いだ。
「でね、私言ってやったの。ちょっと病弱だからって、大人しくしていろだなんてあんまりだって。」
「お兄様はディアナちゃんの事が可愛いから、周りの人から守ってくれてるのよ。」
「それは私も分かってるわ。でもね、何が嫌だったかって…私だってこの家の娘だわ。家の為になりたい。それなのにっ、お兄様は何時も余計なことしなくていいからって。役たたずみたいで、本当、自己嫌悪してしまいそうで嫌だったわ。」
ずずっ、と気持ちよく紅茶を飲み干した。一息付いたらしいディアナに、先ほど話に出た彼女の兄の友人としては心境が複雑だった。(後で気にしてた事、伝えてやった方がいいかな)
それにしても…ディアナは随分フローラと仲が良いんだなと思った。悩みを打ち明けられる友人が出来るのは素晴らしいことだ。
「なあに、ブルーノお兄様?はっ…まさか私、口の周りになにかついてっ」
慌てて口を叩く姿は微笑ましかった。
「いや、違うよ。随分仲が良いんだなあと思ってたからだよ。」
「あら、そうでしょう?」
「差し障りないんだったら、仲良くなったきっかけは何だったんだい?」
「ふふ、きっかけは簡単だったわ。ね?」
「うん、初めはディアナちゃんの病気治癒のスタッフとして来たのがきっかけだったんだよ。」
「そうそう、何時もは堅苦しそうなスタッフの中にこんな可愛い子が混じってるんだもの。驚いたわよー。それからね、お互いの事を話し合ってる内に仲良くなった訳なのよ。」
「そうだったのか、その若さで病気治癒のスタッフとして来るなんて随分優秀な子なんだな。」
フローラは「そんなことないです」と謙遜しているが実際には相当の能力が求められる。見た目は可愛らしい少女に、内にその様な力を宿してるとは全く気づけなかった。魔力は鍛錬なしでは常に垂れ流し状態だが、修行次第で完全にコントロールが出来る。難しい顔をしていたらしくディアナから叱咤の声がかかった。
「あのね、お兄様?言う言葉はそうじゃないでしょう?」
「え?」
「お兄様っ!」
どうやら、自分は何かディアナを怒らせてしまっているようだ。原因が分からない。
「お兄様は女性の好みは変わってるって聞いてましたが、フローラの事はどう見えますの?」
「ディ、ディアナちゃんっ!?」
どう見えますか、と言われても――
「可愛らしいと思うが」
「…っ」
驚いたらしく口元に手をやる彼女。あまり免疫が無いのが意外だった。彼女ほどの容姿ならこういった事は言われ慣れてると思うのだが。
「そうよ、お兄様の好みだと思いますの。違います?」
「――例え、そうだとしてどうだと」
分からない。今日のディアナは何時もと様子が違う。
「フローラ、私はここまでよ。後は貴女の言葉で言いなさいな?」
にこり、と彼女に微笑みかけた。
「…すみません。今日、貴方がディアナちゃんのお兄様のパーティに出席すると聞いて一目会えないかと頼んだのです。昔から貴方に憧れていました。」
「そ、そう、なのか」
口が吃るくらいに動揺していた。自分の事を憧れてると言われ、これだけ焦る青い気持ちがまだ自分の中にあったのかと我ながら驚く。
「これまでお見合いを申しこんだのですが、お返事が何時も頂けなくて。どうやら貴方が欲しい他家の妨害にあう様で。貴方と直接会ってお話がしたかったんです。」
(あ、んの……狸共ーっ!!)
寝耳に水の言葉に衝撃を受けた。色々な事が多すぎて頭がクラクラしてきた。
彼女を見た。艶のある銀糸、深い水面を思わせる碧目に整った容姿は誰しも街角で振り返るだろう。お淑やかな性格なのに、その実魔術に才がある。はっきりいって…自分の好みの人だった。理想と言っても良い。
「貴方の事をお慕いしています、ブルーノ様…」
「有難う――だが何だか面白くないな。普通は逆だろう?」
「え……」
「フローラ嬢、貴女の事が好きです。私と共にあってくれますか?」
その言葉が言い終わると、彼女は満面の笑みに瞳を潤わせながら了承したのだった。
余談だが、ディアナは自分が会いに来るのが分かっていたからパーティ会場に行かなかったのだそうだ。狸の妨害に会いたくなかったと。計画に参加してたメンバーには、ハロルドもいたのには驚いた。このお嬢様は、大した策士だとブルーノは心からそう思った。
憑かれて灰色姫