博士の異常な推理、または、わたしは如何にして推理せずに事件を解決したか
最初に異変に気付いたのは、ホテルのベルボーイであった。
チェックイン客を部屋まで案内し、エレベーターに戻ろうと廊下を歩いていると、後方から獣のような咆哮が聞えたのだ。廊下を引き返しながら、左右のドアの上を素早く確認していく。室温の異常を知らせる赤ランプが点滅している部屋を見つけ、すぐに駆け寄ってチャイムを鳴らした。
「お客さま、大丈夫ですか?」
誰かいる気配はするが、返事がない。英語や中国語でも呼びかけてみたが、やはり応答はなかった。
「あ、そうか」
明日このホテルで惑星サミットが開催されるため、異星人の宿泊もあることを思い出し、うろ覚えの宇宙標準語を使ってみた。
「ペトラク、メメクマルヤ?(お客さま、大丈夫ですか)」
すると、中から猛獣のような声で返事があった。
「グアガルアーッ!」
知らない言語だが、異星人であることは間違いないようだ。
「アマムスピナラ、ホメラメラ?(宇宙標準語は、わかりますか)」
「ゴルアイーダ!」
別の声だ。中で争っているのだろうか。言葉の意味はわからないが緊急事態と判断し、インカムでフロントに連絡した。
「2××6号室にて熱感知器が発報。ゲストは地球外の方のようです。室内の状況は不明。至急、応援お願いします」
《了解。マスターキーを持って行かせる。その場で待機しろ》
その間にも、室内では複数の意味不明な怒鳴り声が続いていたが、「グギゲーッ!」という絶叫を最後に、不意に静かになった。
「だいじょ、いや、メメクマルヤ!」
そこへフロントクラークが来た。手に金色のカードキーと、万一に備えてか、電動式のドアカッターを持っている。「ここか?」と尋ねた。ベルボーイがうなずくのを待って、カードキーをセンサーにかざした。
カチャリとロックが外れてドアが開くと、同時に、ツンと鼻をつく異臭と白い煙が流れ出てきた。フロントクラークがハンカチで口と鼻を覆って中を覗くと、床に倒れているものが目に飛び込んできた。人間のような形をしたものが炎に包まれている。
「あっ、燃えてる!」後ろを振り返り「ぼくが通報するから、きみは早く消火器を!」
「はい!」
ベルボーイは、廊下に設置してある消火器のピンを抜き、室内に向けて噴射した。消火剤が出尽くす頃には、全館に非常ベルが鳴り響き、火災の発生を知らせる館内放送が繰り返し流れた。
一時間が過ぎた。ホテルの横では、何台もの消防車とパトカーの赤色灯が明滅していたが、退避していた宿泊客は徐々に戻って来ていた。その中には、明らかに地球人ではない者も混じっている。
火元となった客室では、先に消防の出火調査が原因不明のまま一旦終了し、今は警察による現場検証だけが続けられていた。
客室の入口付近の床には、ブルーシートが被せてあった。そこに浮き出ている形は、人間とは微妙に異なっている。プロレスラーのような体格の男がしゃがんでシートをめくると、もう片方の手で拝んだ。痛ましい顔でシートを戻し、部屋の指紋を採集している『鑑識』という腕章をした男に尋ねた。
「きれいに焼けたもんだな。焼身自殺か?」
「そいつは検視官が来てから聞いてくれよ、隅田刑事。それにしても謎が多いな。他に焼けてるのはテレビだけだし、何故か部屋のベッドが失くなっちまってるし」
そこへ、浅黒い顔をした年配の男が入って来て、隅田に「どうだ?」と聞いた。
「出火の原因はまだ不明です。寺門先輩の方は何かわかりましたか?」
寺門は手帳を開き、走り書きのメモを確認した。
「わかったのは、宿泊者がラリゲという名前のゴルゴラ星人だということぐらいだな。惑星サミットの関係者じゃない。何者なのか、今、ゴルゴラ星大使館に照会してる」
「なるほど、ガイシャはゴルゴラ星人ですか。どうりで惑星環境設定がオフになってるわけだ」
隅田の目線を追って、寺門も入口近くのパネルスイッチを見た。
「うむ。あそこは重力も大気の成分も地球とほとんど変わらんからな。違うのは、恐竜が滅びずに、知的生物まで進化したことぐらいだ」
隅田は、改めてシートの下の焼死体を覗き込んだ。牙が剥き出した大きな顎、カギ爪の生えた短い手、太い尻尾。全身黒焦げだが、ほぼ原形そのままを保っている。
「先輩、ゴルゴラ星人と言ったら宇宙で三本の指に入るくらい凶暴な、あ、失礼、攻撃的な種族でしょう。自分が生き残るためにはどんな手段も厭わないと言われる連中が、自殺なんかしますかね」
「いや、自殺じゃないだろう。第一発見者のベルボーイは、話の内容はわからないながら、複数で言い争っていたようだと証言している」
「しかし、他殺だとすると、ちょっと厄介ですね」
隅田は、厳重にシールドされた窓ガラスに顔を向けた。室内の環境設定を守るため、開閉できない造りになっている。
寺門もそちらに視線を走らせると、眉間にシワを寄せた。
「ああ、密室事件、ということになるな」
その時、鑑識の「入らないでください!」という制止の声を振り切り、白衣を着た白髪の老人が、規制線のテープをくぐって中に入って来た。
「早まってはいかんぞ。今の時代、密室殺人などあり得ん話じゃ」
隅田は、それ以上老人が入って来れないよう、その前に立ちはだかった。
「誰が頼んだか知らないが、もう医者は要らないんだ。じきに検視官が来ることになってる」
「彼らに異星人の解剖学など、わかるのかね?」
そのやり取りを聞いていた寺門が「もしや、あなたは古井戸博士では?」と声を上げた。
「ほう、わしを知っておるのか」
「もちろんです。この国であなたを知らないのは、この隅田ぐらいでしょう。知能指数千三百の超天才にして今世紀最大の超トンデモ科学者。常識外れの研究でイグノービル賞の超常連候補。おかしな発明品で何をしでかすかわからない超危険人物」
古井戸はポッと頬を赤らめた。
「もうよい、もうよい。そう褒めんでくれ」
「別に褒めているわけでは、あ、いえ、それはともかくとして。申し訳ありませんが、まだ捜査中なので、現場にお入れするわけにはいかないんですよ」
古井戸は口を尖らせて「チッチッチ」と言いながら、人差し指を左右に振った。
「心配せんでいい。わしは直接警視総監に頼まれたんじゃ。早々に解決して、惑星サミットに影響が出んようにしてくれ、とな」
寺門は何か酸っぱいものでも食べたような顔になった。
「そう、なんですか。すみませんが、一応、確認させてください」
寺門が電話している間、隅田が古井戸に経緯を説明した。
「ということで、状況としては、完全に密室だと思うんですが」
「ないない。現代科学をもってすれば、密閉された空間に入る方法などいくらでもあるよ」
「ですが、『ロナルド・ノックスの探偵小説十戒』というのがありまして」
「何じゃね、それは?」
「まあ、推理小説の基本的なルール、と言いますか。事件を解決するのに超自然的な力を使ってはいけないとか、秘密の抜け穴があってはいけないとか、犯行に難解な科学的方法を使ってはいけないとか、探偵自身が犯人であってはいけないとか、何故かわかりませんが、中国人が登場してはいけないとか、えっと、それから何だっけ」
隅田が額に変な汗を流して説明しているところへ、電話を終えた寺門が戻って来た。今度は苦いものを食べたような顔になっている。
「大変失礼いたしました。今後の捜査はすべて博士のご指示に従うように、とのことでした。わたしは寺門、彼は隅田といいます。まず、何から始めましょう?」
古井戸は笑顔でガッツポーズをして見せた。
「もちろん、今すぐ犯人を逮捕しに行くんじゃよ!」
寺門は「ほう」と唸った。
「さすが、古井戸博士。どんな名推理かわかりませんが、もう犯人がおわかりなのですね」
「いや、まったくわからんよ」
「はあ?」
困惑している寺門の横で、隅田がポンと手を打った。
「わかりました。何か特別な発明品を使うんですね。スグニタイーホ、とかなんとか。でも、それだと『ノックスの十戒』に抵触しちゃうなあ」
だが、古井戸は笑顔のまま首をふった。
「いやいや、特別なものなど使わんよ。ごく普通のタイムマシンで充分じゃ。犯行時刻の直前まで時間を遡って、犯人逮捕じゃ!」
不安げな寺門に、隅田は笑顔を見せ、「おれがついて行きますよ」と請け合った。
「よろしい。では、隅田くんとやら、これを手首に付けるんじゃ」
古井戸が隅田に渡したのは、腕時計そっくりな機械であった。
「えっ、博士、まさかこれがタイムマシンなんですか?」
「うむ。文字どおりタイムウォッチというんじゃ。まあ、名前なんかはどうでもよろしい。小さくとも強力じゃぞ。パワーを最大に設定すれば、体感時間一秒で一万年遡るんじゃ。すごいじゃろ!」
隅田の顔色が一気に青ざめた。
「いち、まん、ねん、ですか」
「心配せんでいい。行先はちゃんと一時間半前にセットしてあるよ。あとはこの赤いボタンを押すだけじゃ」
「ちょちょ、ちょっと待ってください!」
「せーの、出発じゃっ!」
目の前から博士が消滅したのを見て、隅田の顔は蒼白になった。
それでも、隅田以上に呆然としている寺門に引きつった笑顔を見せると、隅田は天を仰いで「神さま」と一言つぶやき、目をつむって赤いボタンを押した。
隅田が目を開くと、さっきは部屋の中に無かったベッドがあった。それどころか、余計なものまであった。ベッドの上に何か怪しげな機械のようなものが載っているのだ。複雑に絡み合ったコードと、アラームのようなものが付いている。
「何だ、こりゃ」
背後に人の気配を感じて隅田が振り返ると、先に到着した古井戸が立っていた。
「時限爆弾のようじゃな」
「えええっ、何ですって。博士、落ち着いている場合じゃありませんよ、早く何とかしなきゃ!」
「きみこそ落ち着きたまえ。とりあえず、今は止まっておるよ」
その時、二人の背後でカチャリと音がし、ドアが開いた。
と、同時に、猛獣のような叫び声があがった。
「ゲギガルガーッ!」
人間ぐらいの身長の肉食恐竜が、牙をむき出して二人を睨んでいる。生前のラリゲであろう。
隅田はブルッと体を震わせた。
「博士、どうしましょう。何を言ってるのかわかりませんが、メチャメチャ怒ってるみたいですよ」
返事をする代わりに、古井戸はポケットからガムのようなものを出して口に含み、同じものを隅田にも渡した。
「隅田くんもこれを噛みたまえ」
「のんびりガムなんか噛んでる場合じゃありませんよ!」
「これはガムではないよ。通訳薬というわしの発明品じゃ。ご都合主義と言われそうだが、幸いゴルゴラ語用のものを持っておった。これを噛めば、グギガザルギガ」
博士の最後の言葉は隅田には意味不明だったが、ラリゲは驚いた様子を見せた。
「ゴルゴラールベキマギ?」
仕方なく隅田もそのガムを噛むと、今の言葉が『ゴルゴラ語を話せるのか?』という意味であることがわかった。
ラリゲの質問に、古井戸がゴルゴラ語で答えた。
『いかにもそうじゃ』
『おいおい、いばるんじゃねえ。勝手に他人の部屋に入りやがって。警察を呼ぶぞ!』
『ほう、呼ばれて困るのは、おまえさんの方じゃろう。ベッドの上の爆弾のことを、どう説明するつもりじゃね』
ラリゲは、耳まで裂けている口をゆがめ、ニヤリと笑った。
『ふん、黙って逃げりゃあ、そのまま見逃してやったのに、アホなジイさんたちだぜ』
ラリゲは拳銃のような武器を取り出した。拳銃と違い、発射口がラッパ状に開いている。それを部屋のテレビに向けて発射すると、ゴーッという音と共に猛烈な炎が噴き出し、テレビは黒焦げになった。
間髪を入れず、隅田は自分の銃を構え、ラリゲに狙いを定めていた。
『よし、そこまでだ。武器を捨てろ!』
だが、ラリゲは不気味なニヤニヤ笑いをやめない。
古井戸が隅田に説明した。
『無駄じゃよ。ゴルゴラ星人の分厚い皮膚は弾丸を通さないんじゃ。だからこそ、こやつらは武器として火炎銃を使うのだよ。じゃが、心配はいらん』
いつの間にか、博士は子供のオモチャのような銃を手に握っていた。それを目にしても、ラリゲは依然として動揺は見せなかった。
『ほう、光線銃か。生憎だな。我々の皮膚は、その程度のレーザービームは貫通しないぜ』
『生憎なのはどちらかな。これは光線銃ではないよ。トラクタービーム、すなわち、牽引光線の発射機じゃ』
博士が引鉄をひくと青白い光線が走り、ラリゲの手から火炎銃がもぎ取られ、博士の足元に落ちた。それを奪い返そうとダッシュしてきたラリゲに隅田が横からタックルし、もみ合いとなった。地球人としては腕力のある隅田も、恐竜そのもののゴルゴラ星人の敵ではなく、アッという間に組み敷かれ、後頭部を強打して気を失った。
そのまま一気に隅田の首を絞めようとしたラリゲの手が、ピタリと止まった。
『今度こそ、生憎じゃな』
古井戸が、奪った火炎銃をラリゲの頭に押し当てていたのだ。
『ふん、わかったよ。抵抗はしない。その代わりゴルゴラ語のわかる弁護士を呼んでくれ』
『いいじゃろう。だが、少しでも怪しい素振りを見せたら、容赦なく発射するからの』
その時、部屋のチャイムが激しく鳴らされ、「お客さま、大丈夫ですか?」という声が聞こえた。
『タイミングが悪いのう。通訳薬が効いている間は、地球の言葉が話せんのじゃ』
「ペトラク、メメクマルヤ?(お客さま、大丈夫ですか)」
気絶から目覚めた隅田が、倒れたまま叫んだ。
「グアガルアーッ!(入ってくるな)」
薬の効果でしゃべる言葉がすべてゴルゴラ語になってしまうことに、隅田は当惑した。
「アマムスピナラ、ホメラメラ?(宇宙標準語は、わかりますか)」
今度は古井戸が応えた。
「ゴルアイーダ!(わかっておるさ)」
地球人二人の注意が逸れた瞬間、ラリゲはベッドの方に顔を向け、プッと口から何か白いものを飛ばした。それが時限爆弾の起爆装置にカンと音を立てて当たり、跳ね返って博士たちの足元に落ちた。ラリゲの歯であった。吹き矢のように使えるらしい。今の衝撃で起爆装置のタイマーが動き出していた。
ラリゲは勝ち誇ったように笑った。
『残念だったな、地球人。爆弾のスイッチが入ったぜ。もう誰にも止められねえ。このホテルごと吹っ飛ぶよ。もちろん、惑星サミットに出席するお偉方たちも全員だ。今回のサミットの議題は全宇宙の動物愛護だというが、とんでもない話さ。おれたちは生餌しか喰わねえんだ。残酷だのなんだの言われたって、知ったことか。覚悟しやがれ』
ようやく上半身を起こした隅田が、忌々しそうに歯噛みした。
『くそっ、自爆テロか』
だが、ラリゲは牙をむいてあざ笑った。
『残念だが、ゴルゴラ星人は決して自殺しねえんだ。たとえ何人殺しても、自分は生き残るのさ。そういうわけで、悪いがおれはここから脱出させてもらうぜ。お迎えの宇宙船が上空で待機しているんでね』
どうせ反撃などできないだろうと高を括ったのか、振り向いて強引に出て行こうとした。
だが、その刹那、博士の持っている火炎銃が火を噴いた。瞬く間にラリゲの全身は炎に包まれる。
「グギゲーッ!(熱い)」
そのまま床に倒れ込むラリゲを、古井戸は憮然として見つめていた。
『なんと、事件の犯人は、このわしじゃったのか』
隅田は呆れたように『だから、それだと、ノックスの十戒が』とつぶやいた。
再びチャイムが連打され、ドアの外から「だいじょ、いや、メメクマルヤ!」という声がした。起き上がってきた隅田はそれにはもう応えず、古井戸の体を揺さぶった。
『博士、ぼんやりしている場合じゃありませんよ。早く爆弾を何とかしてください!』
爆発までの残り時間は、もう二十秒を切っていた。
『おお、そうじゃった。うむ、方法はこれしかあるまいな』
古井戸は自分の手首からタイムウォッチを外すと、めいっぱいネジを巻き、ベッドの上の爆弾に赤いボタンが当たるように投げつけた。ボンと小さな音がし、残り時間わずか五秒のところでベッドごと爆弾は消滅した。
『およそ五万年前ぐらいに飛んだじゃろう。その頃ここは海の底じゃから、差し障りあるまい』
隅田はヘナヘナと腰を抜かした。
『助かったあ』
『座っておる場合ではないぞ。このままここにおって、過去のわしたちが来るのを待つのも一興じゃが、パラドックスになると面倒じゃ。おまえさんがわしをおんぶしてくれ。それで二人とも戻れるはずじゃ。それから、通訳薬は紙に包んで捨てるといい。すぐに効果は消えるよ』
二人が消えた直後、ドアを開けて入って来たホテルのスタッフが、まだ燃えているラリゲに消火器を噴射した。
先ほど目の前から消えた隅田が、前触れもなく古井戸をおんぶして出現したため、寺門は飛び上がりそうになった。
「どうした、隅田。博士がケガをされたのか!」
隅田が説明する前に、古井戸が応えた。
「わしなら大丈夫じゃ。事件も解決したよ。ああ、それから凶器はわしが持っとる。鑑識の人に渡してくれんか」
古井戸は持っていた火炎銃を差し出した。
「それで、犯人はわかったのですか?」
「おお、わかったとも。犯人はわしじゃ!」
「はあ?」
「まあ、詳しいことは後じゃ。隅田くん、わしを降ろしてくれたまえ」
何がなんだかわからないが、とりあえず事件は解決したらしいとホッとした寺門の背後で、バリバリという大きな音がした。
寺門が振り返ると、いつのまにかブルーシートがめくれ、中から一皮むけたラリゲが飛び出てきた。あとには真っ黒に焦げた皮が残っている。ラリゲはこちらに背中を向けると、唖然としている鑑識を突き飛ばし、そのまま廊下に逃げて行った。
古井戸は、子供のように地団駄を踏んだ。
「ええい、しまった、脱皮しおった。死んだふりじゃったのか。あああ、そいつを逃がしてはいかん。凶悪なテロリストじゃ!」
「おれに任せてください!」
すぐに隅田が全速力で追った。それに気付いたラリゲが、清掃用ワゴンを廊下の真ん中に移動させたため、走って来た隅田は思い切り激突した。
「痛ててて、あんちくしょうめ!」
そのすきに、ラリゲは廊下の突き当りにある非常口を開けて外に出ると、外側から扉のノブを叩き壊した。隅田が体当たりしても、扉はビクともしない。どうしようか迷ったが、『宇宙船が上空で待機している』というラリゲの言葉を思い出した。
「そうか、屋上か!」
隅田は、全速力でUターンした。ちょうど到着したばかりの中国人団体客の間をすり抜け、廊下の反対側の非常口から外に出る。そこから、非常階段を二段飛ばしで駆け上がった。最上階に到着すると、重い鉄の扉をこじ開けて屋上に出た。先に屋上に着いていたラリゲは、ギョッとしたように隅田を見た。
「ゲスキメラトメ!」
薬の効果が消えたのでもはや意味はわからないが、驚いているのは確かだ。それは隅田も同じだった。ラリゲの目の前に、もう一人、自分がいたのである。
「心配するな、おれ。おれはちょっと未来のおれだよ。ちょっと昔のおれ、挟み撃ちにしようぜ!」
「よしきた、おれ。今度こそ、こいつを逃がさねえぞ!」
先ほどと違い、二対一だ。難なくラリゲを抑え込んだ。
「ゲグゲガル、ゲルアーッ!」
「こら、静かにしろ」
「こら、静かにしろ」
そこへ、対異星人用らしいごつい拘束衣を持って、寺門が駆けつけて来た。三人がかりでそれをラリゲに被せると、さすがに抵抗をやめ大人しくなった。
寺門は、隅田が二人いることに戸惑いながらもねぎらった。
「よくやった。お手柄だぞ、ええと、隅田、たち」
「ありがとうございます、先輩!」
「ありがとうございます、先輩!」
「うーん、テロリストを逮捕できたのはいいが、隅田が二人になってしまった。こりゃ、どうすりゃいいんだ」
寺門が悩んでいるところへ、古井戸が上がって来た。
「ああ、心配いらん。過去の方の隅田くんだけ、今から少し時間を遡ってもらえばいいんじゃよ」
そう言うと、古井戸は片方の隅田の腕をつかみ、タイムウォッチのネジを少し回すと、赤いボタンを押した。
パッと目の前から消えた隅田を見ていた、残された方の隅田が泣きそうな顔になった。
「は、か、せー、おれの方が、過去のおれですよー」
「うーん、そうじゃったか。まあ、多少のパラドックスは、大目に見てくれたまえ。ともかく、これにて一件落着、じゃな」
古井戸は、ホーッホッホッホーッと哄笑した。
(おわり)
博士の異常な推理、または、わたしは如何にして推理せずに事件を解決したか