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お腹の底にぬったりとした冷たい沼がある。沼の周辺は日が指さない海のように闇に包まれている。沼は辺り黒よりも少し明るい混濁した緑色をしていた。沼に足を浸けると背筋が凍り、肌が青くなる。全身を浸けたことは無い。きっと二度と元の形には戻れないのだろう。普段は沼の上に沢山の藁を引いて、冷気でお腹を壊さないよう細心の注意を払っている。だが、今朝は少し様子がおかしかった。下降する法則を無視して寒気が昇ってくるのである。見ない振りをしていたために沼の主を怒らせたのだろうか。近寄ることも恐ろしい沼へ勇気を振り絞って歩いていくと、上に覆い被せてある藁の数が減っていることに気付いた。かなり散乱している。更によく見ると、沼の範囲が広まっているようだった。そして何処からか小さな女の子の声がする。不明瞭で聞きとれない。ぢりぢりと雑音混じりであるが、悲嘆を訴えていることだけは確かであった。何が起きているのだろうか。それまで沼は寂然としていたではないか。君は誰だと声をかけた。自らの声は消滅し、どこにも響かなかった。一歩、また一歩と沼へ近づいていく。女の子の声は重なり増えるだけで、姿は見えない。どこにいるんだと声をかけた。今度も声は音にならなかった。沼の冷気に全身が震えあがっていた。指先も悴んで、何も掴めそうにない。目を開けることが困難で、耳と鼻は今にも凍りつき崩れ落ちそうである。次の一歩を踏み込んだ瞬間、沼のそばを歩き回る姿が消えた。吸いこまれるように、静かに沼の底へ落ちた。小さい女の子の声だけが沼の周りにこだまし続けていた。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-10-05

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