願いに貴賎があるものか ~本物の妖精じゃないIF
本チャプターの文章は、以前投稿した『本物の妖精じゃない』と同一です。
自宅で完成させた植物の生育法に関する論文を大学に提出し、その足でオレは大学内に与えられている研究室へと足を運んだ。一年近く放置していたためかなりほこりっぽいが、研究用の資料に機材、寝床、校内には遅くまでやってる食堂もある。問題は無いだろう。
近頃は日照不足による不作が続いており、オレの論文はそれなりに注目を集めるはずだ。こうだのああだのと、何かあるたびに召喚されては手間で仕方ない。大学内にとどまるのが適切だろう。
荷物を下ろし窓を開け、机の埃を払っていると誰かが研究室の扉を開けた。
「一年ぶりの手土産が飢饉(ききん)対策とは。また株が上がるな、クロッシュ」
戸口に手をかけ、金髪とふくよかな顔を寄りかからせるように傾けてこちらを眺める男。同期の学者、ブッシュ・クーパーだ。
「耳が早いな」
「お前が疎いだけさ、校内の出来事なんざその日のうちに知れ渡る。大学に居着いてる研究生はみんなお前に嫉妬してるぜ」
「オレの手柄にはならんだろうに、何を嫉妬する」
ブッシュは顔を持ち上げ鼻息を荒くする。
「嫌味ったらしいな。ジジイどもの覚えが良くなる、万々歳じゃないか」
面倒なことだ、ブッシュはオレの利益に不満を持っている。なぜ、他人の損得なぞに興味を持つのか。自分にさしたる影響もないというのに。
「ああ、万々歳だな、研究費を落としやすくなる。お前を差し置いて、な」
オレは相対する金髪の意見に肯定する素振りを見せた。すると、ブッシュの態度は少しずつ軟化していく。
「秀才はうらやましいぜまったく、こっちは研究費欲しさに危ない橋まで渡ってるってぇのによ」
「危ない橋?」
オレはブッシュの言葉に食いついて見せた。面倒なことだが経験上、こうするのが場を早く終わらせるのに手っ取り早い。
「ああ、お前ホムンクルスって覚えてるか?」
覚えている、十年ほど前にクロスロードという博士が偶然生み出した人造生命体だ。加工がしやすく、様々な動物と配合できるという大発見で当時はその話題で持ちきりだった。
一時期は研究材料、労働力として期待されたが短命であったこと、制御が困難であることが明らかになると熱は冷め、それどころか倫理的観点を理由に教会からホムンクルス自体が異端認定を受け、研究は禁止。クロスロード博士は処刑されてしまった。
「作っているのか、ホムンクルスを」
聞き返すオレに、ブッシュは歯をぎらつかせて答えた。
「お前の微動だにしないところ、好きだぜ」
前振りの割に、ブッシュの話は大したものでは無かった。ホムンクルスの取り引きは大学内で公然と行われており、中でもブッシュは多種多様なものを生成し売買しているから買い取れ、というものだった。しかし、過去に失われた技術の復元を主な研究としているオレに最新の研究物は合わない。ホムンクルスに類するものが古文書に書かれてはいるが、創世に関わる神話ばかりで技術とは縁遠い。
研究用途でなければ観賞用……いわゆるセックスフレンドとしての用途ならとも勧められたが、人間大のものを隠しておくのは手間だし、性欲の処理にも特に悩んでいない。結局、手間はかからないが値の張る物、という最も用途に困るものを押しつけられる事になった。
「よう、大株主」
清掃の終わった研究室にバスケットを抱えたブッシュが入ってくる。相手をするのが面倒なオレは、早々に紙幣の入った袋を机の上に置く。
「へへっ、まいど」
ドアを閉め、ブッシュが顔を崩して笑っている。頭の中は金のことでいっぱいのようだ。
「注文が無いから、お前が好きそうなやつを選んでやったぞ」
ブッシュがバスケットを空けると、中には小さな人間にトンボの羽を生やしたようなホムンクルスが入っていた。そう、ちょうど古文書に出てくる妖精のような姿をしている。
「妖精の研究してたことあるよな。嬉しいだろう、これ作るの大変だったんだぞ」
オレはバスケットの中を覗いた。確かに研究をしていたが、結果として得られたのは妖精との交流は二千三百年前ほどに旺盛を迎え、二千年前を境に数そのものが激減、以降目撃例が極端に減っているというということだった。いろいろな憶測は可能だが、技術応用の面で言えば妖精は絶滅した可能性が極めて高く、彼らありきで成り立った技術を復元したオレの努力は無駄だった、ということだ。
思いを巡らせていると、妖精のようなホムンクルスは不思議そうにオレの顔を見つめているのに気がついた。見つめ返すと、ホムンクルスは笑った。改めて眺めると、伝承に忠実にできていることに驚かされる。万人に好かれそうな少女の姿を取っていることといい、ブッシュは学者より商人の才があるように思う。
「しかし形だけ似てても、なぁ」
世話は思ったより大変だった。ホムンクルスは羽があるのに飛べず、かといって大人しいわけでもない。人語が分かるので自由にしていろと言って放っておいたのに、積極的にこちらに絡んでくる。今は何を思ったのかデスクで作業するオレの目の前に来て、裸で踊っている。
「ご主人、見て見て、ボクこーふんしちゃった、かわいい?」
よく分からないことを言っているので無視して作業を続けると、ホムンクルスはむくれた顔で辞書の上に寝転がった。
「ねーねーなんで無視するの? ボクのこと嫌いなの?」
かまって欲しいらしい、面倒な生き物だな。
「好きだの嫌いだのと思ってはいない。ところで裸で踊るのは趣味なのか」
ボーッとした顔でしばらく考え込んでから、ホムンクルスが口を開く。
「趣味じゃないもん、仕事だもん。こうしないと新しいご主人にご飯食べさせてもらえないって教わったの」
「飯の種と言う割には、子供の遊びのような踊りだな」
オレの言葉にむっとしたのか、ホムンクルスは踊りを止め、大きく頷き股を開いて女性器とおぼしき場所へ指を突っ込んだ。
「踊るだけじゃないよ、おなにーだってできるもん。あっあっ……ご主人さまぁ、淫乱な子で、ごめんなさいぃ」
自慰をはじめたと思ったら、急に謝りだす。いったい何がしたいのだ、こんなことで仕事になるのか。オレが何も言わずに黙っていると、ホムンクルスは行為を止めた。
「ご主人、こーふんしないの?」
「しないな」
「そんなぁ、これでもだめ?」
腕を組み、再び悩み始めるホムンクルス。何か合点がいったのか、今度は紙から離れて仰向けになり、なにやらもだえ始めた。
「んああ、ああ!」
しばらくするとホムンクルスの股間がゆっくりと盛り上がるのが見て取れる、男根が生えてきているらしい。こんな短時間、それも自在に性転換できるとは。ホムンクルスの技術は知らぬ間にずいぶん進んでいたらしい。
「痛い、痛いぃ! けど、ご主人さまの、ためだからぁ!」
オレのために、という言葉と今までの一連の行動を関連づけ、何をしたいのかをやっと理解したオレは一言声をかけてやるのが礼儀かも知れないと思い、口を開くことにした。
「なぜ男になる」
「だ、だってぇ! ご主人さまは、おんなのこに……いい! きょうみない、ひとなんでしょ?」
大体予想通りの回答に、オレは頭が重くなるのを感じた。
「誰が女嫌いと言ったか。男に欲情する趣味はないぞ」
「ひぎいいい……え?」
力を抜いたためか、生えかけていた男根がホムンクルスの中に勢いよく戻る。
「あ、しまっ……」
すると、のけぞったままの体が大きく跳ねた。よほど苦しいのか、ホムンクルスは全身に汗をかき身悶える。
「んほおおおおお!」
体中の穴から液体を流している、紙から離れたのはこのためだったらしい。オレはブッシュの言葉を思い出し、蒸留水にブドウ糖を混ぜたものをスポイトに入れ、ホムンクルスの口に入れてやった。
「かはぁ! ごぼごぼ! おっ、おっ、おほぉ!」
苦しそうなとき、弱ったときに与えるようにと説明書きにあったが……飲んでる場合ではなさそうだ。あえぎが止まるのを待って、再度スポイトを近づける。
「はむっ、はむぅ」
今度は良さそうだ。少しずつ押し出し、中身を与えていく。
「ぷはぁ……もう、ご主人! なんで早く言ってくれないの!」
ホムンクルスは大変怒っている、何か悪いことをしただろうか。
「ボクが一生懸命なのに無視するし、男の子じゃなくてもいいって言うし……もう、なんなの!」
「何、と言われても困る。お前が勝手にやったことだろう、怒るくらいならやる前に聞けばいい」
え、だって……とだけ言い、ホムンクルスは口ごもる。さしたる考えがあっての行動ではなかったらしい。もっとも、経験というものを持たないこいつらにしてみれば前の主人、ブッシュに仕込まれたことがすべてなのだろうから多少の齟齬(そご)は致し方ない。ホムンクルスは知識の吸収が早い、なら不足した知識を補うよう人間が手引きしてやれば学習するだろうとオレは思った。
「ではこちらから聞く、なぜ裸で踊った」
「ご主人にこーふんしてもらうため、です」
先ほどと違い、ホムンクルスの態度はよそよそしい。
「なぜ、オレに興奮してもらう必要がある」
「こーふんしてもらえないと、ご飯がもらえないって教わったから、です」
「なるほど、ならお前の目的は食事ということになる。なぜ飯をくれと言わなかった」
「そ、そんなこと言ったら、お仕置きされるから」
ホムンクルスはうろたえ、おびえている。そういう風にしつけていたのか、ブッシュは。
「オレは何もしなくても飯くらいくれてやる。だから明日から邪魔をするな」
机の上を片付け始めると、ホムンクルスはオレを呼び止めた。
「あの、ご主人さま!」
「なんだ」
「名前を、付けてくれませんか。ボクらは、新しいご主人に名前を付けて貰えと、教えられました」
名前か、面倒だな……と、思ったときふと思い出した。ホムンクルスを生み出した博士は女性、名前はドナ・クロスロード。安直ではあるが、制作者の名前を使わせてもらうとしよう。
「なら、ドナという名前にしよう。ホムンクルスの生みの親の名だ」
「生みの親と同じ名前……ボクうれしいよ!」
ホムンクルス、いや、ドナがはしゃいでいる。喜ばれると思わなかったが、喜ぶドナを見るのは案外いい気分だった。
「喜んでもらえたならよかった。邪魔だからどけるぞ」
オレはドナを片手でつかんで椅子の上に移す。
「わああ! もう、女の子は丁寧に扱ってよ」
さっき男になろうとしていたヤツがずいぶんなことを言う。
「そう言えばボク、まだご主人の名前聞いてないです」
「クロッシュ・クローバー、扉に書いてある」
オレは研究室のドアを指さした。
「ごめんなさい。ボク、字が読めないんです」
ブッシュめ、字も教えていないのか。ホムンクルスの知力は吸収力こそ長所だというのに、本当に愛玩動物として使うことしか考えていなかったのか。
「読み書きくらい教えてやる、明日からそれが仕事だ。ホムンクルスといえど、やることがなくては持て余すだろう」
ドナの飲み込みは早く、こと読むことに関しては一週間に一言語の速さで吸収していった。一月もすると、外国語の専門書はオレが読み解くよりドナに朗読させるほうが早いほどになっていた。異端認定に関わらず大学内で流通している、というのも分かる話だ。
「すごいものだな、ホムンクルスというのは」
褒められて、ドナは照れた様子で頭に手を当てて顔を背ける。着せた人形の古着と相まって、出来のいいからくり人形を連想させる。女子供がこの場に居れば、大喜びするだろう。
「えへへ、自分でも驚いています。こんなにご主人の役に立てるなんて、うれしいです」
ランプに鯨油(げいゆ)を注ぎながら、オレは思いつくままに口を動かす。
「それで喜ぶのか、慈善事業向きかもしれんなお前は。だがオレは奉仕を頼んだ覚えはない、役に立つなら報酬を支払わなければな」
「前のご主人にですか?」
オレはランプから目を離さずに続ける。
「ブッシュにはもう支払った、報酬はお前にだ。何か欲しいものはないか」
「ボクが欲しいもの……寿命、かな」
確かにホムンクルスは短命だ。命あるものは生に執着する性質を持つ、知性を持つはずの人間であっても顕著に表れるほどに。ホムンクルスが長生きしたいと考えても、不自然はない。鯨油が満ちたので、オレは瓶を置きランプの蓋を閉める。
「寿命か、あいにく方法を知らん。クロスロード博士が処刑されず生きていれば、そういう研究も進んだかもしれんが」
「じゃあ、ご主人がボクのこと覚えててよ」
オレがドナのことを覚えていろ、と? わざわざ忘れるほうが難しそうだが、なぜそんなことを望むのだろう。
「かまわんが、オレが覚えていたからどうなるものでもなかろう。オレとお前、互いに記憶に留めたところで長く生きられるとは思えんが」
「そうじゃないよ。きっと、ご主人はボクより長く生きる。だから、ご主人が覚えてる間はボクがご主人の記憶の中で生き続けることになるんだよ」
記憶の中、か。どこで覚えたか知らないが、本に記すのと何が違うのか。
「残念だが、覚えていたところで生き死には変わらん。死んだ後どうなるかは未知だ。それでぷつりと終わりかも知れんし、魂というものが残るかも知れん。仮に魂が残ったとして、生きていたときの記憶を引き継ぐかどうかも分からん。魂の存在は長らく研究されているが、存在の有無を確定するほどの発見はまだない。それこそ、死んだ人間が出てきて実際どうなってるのか話してくれれば早いのだがな」
「じゃあ、魂の記憶がなくなったとき、ご主人にボクの記憶があればそこから取り戻せる可能性もあるんじゃないの?」
言われてみてなるほどと思った。魂は記憶を失うが別のものに残っていれば取り戻せる。何の根拠もない仮説だが、可能性がゼロでなければ否定は不可能だ。肝心の記憶媒体、オレの生存が不確実という致命的欠点はあるが、触れずにおいてやろう。
「可能性だけなら、否定はできんな」
ドナの顔が明るくなった。報酬は行為に見合うかという点も重要だが、受け取る側が見合うと判断するかどうか、むしろこちらが重要。とはいえ、不確実性を考慮すると対価と呼ぶにはあまりに安い。不足分は、また何かの機会にでも払ってやればよい。
「いいだろう、お前のことは死ぬまで忘れん。だが、ただ覚えているだけでは報酬にしては安すぎる。労働に見合う対価を払うくらいの人間性はオレにだってあるからな、他に望みがあれば言うんだぞ」
オレはドナを忘れないことを約束し、ランプに火を灯した。
「さ、もう一仕事だ。シヴィリア文字はもう読めるか?」
ドナはうなずく。今日の仕事もはかどりそうだ。
オレが提出した植物の生育法に関する論文は理事長と大学の教授数名からなるグループの連名で発表され、応用の結果かなりの改善が上がっているらしい。学食のスープは具の量が増え、外を歩く人間の顔も前ほど辛気くさくは無い。結構なことだが、案の定オレは研究に関するあれやこれやを秘密裏に報告するため一日中手紙を書くハメになり、返事の都度「自身の研究成果だと公表するな」と念を押され、ようやく自由になっても外を歩けば嫉妬の念を抱いた同僚たちが鋭い目線を向けてくる。まったく面倒なことだが、なってしまったものは仕方が無い。ほとぼりが冷めるまでじっとしているほか無いだろう。
「ご主人、疲れてるの?」
椅子にもたれかかるオレを見て心配したのか、ドナが机に上がってきた。
「ああ。想像はしていても、いざなると疲れる。至らぬものだな、人間というヤツは」
「いたらないって、どこへ?」
言葉の意図が分からないらしい。無理もない、ここ数ヶ月本の相手ばかりで会話をしていなかったからな。本を読んでも、人間が思考するとき頭で使う言葉なぞ語彙(ごい)に身についたりしない。思考を口に出し、人間同士で交換しなければ。
「場所のことじゃない、レベルの問題だ。人間が何かを成し遂げたり、成長することを高見に達すると言う。転じて成長過程は山に例えられることが多いわけだ。で、オレが至らんと言ったのは人間の精神的成熟度。他人に嫉妬して自身の思考を停止させる程度の生命では、知的生命体の頂点などと高をくくるには早いと思ったからそう言った。分かるか?」
ドナは困った様子だ。まあ仕方ない、年齢で言えばまだ赤子同然……そういえば、オレは無意識にドナを人間のくくりに入れていたな。目で見れば明らかに異質な小ささ、容姿。分かりそうなものを……本当に疲れているらしい。
「難しいことを言って悪かった、生まれて間もないお前に」
「そのことなんだけどさ」
ドナは手を後ろに回し、体をもじもじと動かす。今日は服のサイズが合っておらず、彼女の動きに対してドレスはちぐはぐに動く。
「ボク、もう一歳半になるんだ。だから、もうそろそろだと思う」
オレはすぐ意味を察した。
「だいたい、何年くらいなんだ」
ドナも、オレが察したことに気付く。
「早い子はもう死んでる、大抵の子は二歳になる前かそのあとくらいだったかな。知ってるので一番長い子でも、三歳ちょっと」
「そういうものか。儚(はかな)いな、ホムンクルスというのは」
「悲しんではくれないの?」
オレは背もたれから離れ、机に手を載せる。
「寿命というヤツは選べない、死ぬときは死ぬ。極端な話、嫉妬を買ってるオレは今日にでも刺されて死ぬかもしれん。そうなればお前のほうが後に死ぬ。仮にオレがあと五十年生きるとしても死は死、逃れられん、ただそうなるだけだ。悲しんでどうする」
「ご主人は、自分が死ぬのも悲しくないの?」
ドナの目が潤んでいる。しかも、憐れむような顔でオレを見ている。まるで死ぬのはオレかのように。
「悲しくなどない、そういうものだと思うからな。で、なんでお前は気の毒そうにオレを見る」
「だって、ご主人死ぬとき、誰も泣いてくれないかもしれないんでしょ?」
意味が分からなかった。自分はこれから死ぬから何かして欲しい、ということなら分かる話だが、なぜオレの話になる。
「誰も泣かなかったらどうなる、死んだオレは回りが泣こうが笑おうがどうせ分からん、生きてるヤツが好きにすればいい」
「ボクが、悲しいよ」
とうとう泣き始めた。困ったことにどう説明しても、ブドウ糖液を与えても、収まりはしなかった。
一月ほど経って、ようやく自由な時間が持てるようになったオレは最近肌寒くなってきたこともあり、膝掛けを取りに研究室の奥にある小さな倉庫室に入った。するとそこには、どうやって入ったのかドナがおり、しかもどうやって調べたのか、かつてオレが研究していた妖精学の成果品、バラして補完しておいたはずの妖精炉が組み立てて床に据えてある。
「ドナ」
オレの呼びかけに、ドナは見つかってはいけないと思ったのかびくりと体と羽根を振るわせ壁のほうを向いたまま動かなくなる。ドナに注意を向けるべきなのだろうが、オレはそれ以上にドナの手腕に驚いていた。
妖精炉、二千年以上前に発明された『妖精を炉心とし魔力を生み出す装置』。妖精は多くの古文書に出てくる魔法を得意とする、子供の手のひらから大人の腕ほどの背丈に人間と同じ姿、筋も模様も無い虫の羽のようなものを背中に持ち自力で飛行できたとされる生物だ。
古代の人間も魔法を扱えたらしいが、妖精のそれに遠く及ばなかったそうだ。そんな彼らでも、妖精炉を使うことで妖精と同等の魔法を扱えたという。
ただこの妖精炉、いわゆる非人道的な代物で妖精の手足を切断した上で骨格に固定、妖精炉にあらかじめ仕込まれた回路と同調させることで妖精そのものを単なる魔力生成器に変え、力を吸い上げ続けるという構造をしている。これが当時の妖精たちから猛反発を受けたとされ、妖精炉の発明こそ妖精が人間の前に姿を現さなくなった原因ではないかと分析する中世期の学者も少なくない。
とはいえ二千年以上前のこと、真相は不明だ。なら一度妖精炉そのものを再現してやろうと集められるだけ集めた資料、妖精炉だったとされるものの残骸、素材として使われたであろう鉱石など、オレの学問を全て費やして再現したのが目の前にあるこれだ。忠実に再現してみたはいいが、妖精と同調させる回路というヤツの構造は至って単純で、魔法とかいう超常的な力を引き出せる装置にはとても見えない。
大雑把に説明すると、妖精炉は妖精を固定する骨格、電位差で時計回り、反時計回りどちらにも回転するよう仕掛けをした六つの力点を持つ青水晶で作った円盤、この二つを固定し、かつ骨格へ水を送る管を備えた台座の三つで構成されている。青水晶はただの水晶でも良いらしいが、幸運にも最も適するとされる青水晶が手に入ったので用いた。
中でも回転する青水晶の円盤が重要な部品とされている。子細は省くが、多くの条件を満たした文様を刻み銅を流し、力点から電気が流れるように細工。かつ、回転を妨げぬよう重心が円中央に来るよう調整するというかなり手間の入った加工が必要だった。妖精炉の稼働状態は、この円盤の回転状態から計るとされている。逆に言えば、円盤含む部品の加工さえしてあれば組み立てはさほど難しくない。
しかし、それは学者ならの話だ。工程を一つも間違えず、ミリ単位の調整を一発で成功させるのは技術職でも神経を使う。ドナが小柄故に小さな部品を扱いやすいとはいえ、ネジの規格まで当時に合わせたこれはオレ以外には組み立て不可能と言っていい。なにせ、自分用に作成したメモも古文書に書式を合わせるという手間までかけたのだから。
「なるほど」
ここまで考えてオレは気付いた。ドナはオレと古文書を解読していた、あの年代の文字もドナなら読める。古代文字で暗号化した細かな手順や調整上の注意を全て読めれば、時間さえかければ組み立ても不可能ではない。
それらに気がついたということは、ドナは細かなメモにまで目を通し中身を全て読んだと見ていい。つまり、これがどういう装置でどういう用途なのか。炉心に使われる妖精をどうするのかまで知っているということだ。
「妖精の姿をしたお前なら代用になる、そう考えたんだな」
壁を向いたまま、ドナはうなずく。羽根が震えていなければ、暗がりのせいで今のドナは人形にしか見えない。
「炉心にされた妖精は本来の寿命より大幅に長持ちしたという伝聞はある、だがお前はホムンクルス、本物の妖精じゃない。分の悪い賭けをしてまで長生きしたいのか」
「だって!」
小さい体から、ドナは大きい声を上げる。甲高い、耳に触る、必死な声。
「ボクなら、ご主人のために泣いてあげられるもん! 死んだっていい、動けなくなってもいい、でもご主人が死ぬとき泣きたいんだもん!」
何故だ、何故そんなことに必死になる。
「泣いて、お前はどうする」
ドナは更に大きい声を出した。
「ご主人こそ、誰にも泣かれないで死んでそのあとどうするのさ、人間のくせに!」
人間のくせに? 人間は泣いてもらうことを望まなければいけないのか。考えたこともなかったが、ホムンクルスのドナがこんなに必死に言うのだ。そうなのかも知れない。
「すまないな、専門外のことはまるで分からんのだ」
「学問の問題じゃないんだけどなぁ。まったく、ご主人は困った人だよ」
ドナが体を震わせ、涙を流しはじめた。
「何故泣く」
ドナは泣きながら続ける。
「それさ、ご主人はボクらホムンクルスもご主人自身もまるで対等な生物みたいな物言いをする。いつも、いつも、いつも。最初はそういう趣味なのかと思ったよ、でもずっと一緒にいて分かった、ご主人は本気で人間とホムンクルスを対等に扱ってる。だって、ボクらを一度も道具扱いしないんだもん。そんな、そんなことされたら、泣いてあげたくなっちゃうじゃん!」
道具扱いしない、たったそれだけの理由でこいつはノートを解読して、理解した上で入ると言っているのか。
「お前を道具扱いしなかったのは、する必要がなかったからだ。道具としてオレの前に来たわけでもなければ、道具になれと頼んだわけでもない。勝手に恩に着られても困る」
ドナは泣いたまま膝に抱きついてきた。
「バカ、ボクらホムンクルスの扱いを知ってるくせに。そんな風にされたら、好きになっちゃうに決まってるじゃん!」
好き、か。よく聞く感情だが、オレにはイマイチピンとこない。ドナは嫌いではないが、好きかと言われると悩む。邪魔とは思わん、むしろ役に立っているのだから今や好きと言っていいだろう。だが、幼い頃からずっと周囲に言われてきた。お前の好きは違うと。
「ドナ、オレはお前が嫌いじゃないが、好きなのかどうかは分からんし好きな相手に何をすればいいかも知らん。だが、お前には借りがあるからな。炉心にしろというのなら、やろう」
「やって、ボク以外ご主人のために泣いてあげる人はいないと思うから……あとさ」
「なんだ」
「最後に、チューとかしたいなぁなんて。ダメかな?」
オレはドナに顔を近づけた。女性とのキスは初めてではないが、何が楽しくてするのかやはり分からん。が、相手が満足することこそ重要。いつも通り、オレは相手が満足しそうなやり方を考えた。
「ん、ふ……」
ドナが必死に舌を入れようとしている、こちらからも入れてやるべきだろう。
「ん! んふううう!」
口の中が小さい、苦しいのではと目を開けてドナを見ると、苦しそうに顔を赤くしているが嫌がってはいないようだ。まぁ、出したり入れたりして様子を見よう。
「んっふ、うぶううう」
ドナは洋服の裾を強く掴みながら声を上げた。よく見るとスカートが濡れている、失禁したのだろうか。とはいえ、こちらが勝手に口を離すと女は機嫌を損ねる。舌は引っ込めるが、しばらく付き合ってやろう。
「ぷあぁ、あ……」
ドナが口を離し、尻餅をついた。おそらく満足したのだろう、あとは気の利いた言葉をかけるのがマナーだったはずだ。
「よかったぞ」
オレはシャツの裾をめくり、道具を取りに研究室へ戻った。
オレは道具一式を持って倉庫へと戻った。ゴム手袋をはめ、ドナが暴れても良いよう妖精炉の骨格にバンドできつく固定し、細い注射針に瓶から麻酔薬を吸い上げる。
「ホムンクルスは薬品に耐性があると聞いた。腕をちぎり骨を焼くのだから気休めにしかならんだろうが、麻酔も用意した。おい、ドナ聞いてるか」
ドナの身の丈から見れば注射器は相当な大きさだが、目の前にしてもボーッとしている。
「え、あ、うん聞いてるよ」
返事も上の空だが、考えてみれば無理もない。これから四肢を切って銅線を埋め込もうというのだ、混乱くらいするだろう。
「麻酔を打つが、本当にいいんだな」
「うん、お願いします」
彼女は目をつぶり、両脇、両太ももに注射されるそれを我慢している。体格を考えれば注射後すぐにでも効き目が出そうだが、オレは人間に効き目が出る程度に時間を置くことにした。時間を置くと言ってもほんの一、二分だが。
「まだ感覚はあるか」
オレはドナの腕をつまんだ。痛みを感じないらしく、ドナは首を横に振る。
「ううん、痛くない」
「少しは効くようだな。効いてる内に全部済ませるぞ」
オレはあらかじめ天井の梁に打ち付けておいたピアノ線をドナの左腕に巻き付け、先端に計量用の重りを巻き付けた。
「お前の手足は細い。下手に切開しノコギリを使うより痛みは少ないだろう」
細く鋭利なピアノ線が肌に触れ、ドナはどういった方法で腕が切断されるのか察したらしい。こわばった顔で首を縦に振り、歯を食いしばり震えている。
「怖かろう、同然だ。すぐ終わらせる」
ピアノ線は重りに縛り付けたとき、ギリギリ机に届かない長さに調整してある。オレは重りの片側を机の台で固定し、もう片方側へ向けて金槌を振り下ろした。ピアノ線に引き絞られ、ドナの小さな左腕が宙を飛ぶ。
「ぎゃああああ!」
悲鳴が部屋中にこだまする。体格に対して相当な量の麻酔を使ったはずだが、ホムンクルスが持つ耐性が上回っていたようだ。だからといって手を止めてはかえって苦痛を伸ばすだけ、オレは早く済ませるため体液が噴き出しはじめたドナの残った二の腕に銅線を差し込むための切れ目を入れていく。
「はぁ、はぁ、ごしゅ、ごしゅ……あああ!」
あらかじめ被膜を剥がし先端を溶接しておいた赤と黒の銅線を肩の辺りにまで深々と突き入れる。ここで一旦血を拭き、電線同士を絹(きぬ)で仕切る。絶縁確保ならゴムのほうが適材に思えるが、妖精炉の製作工程で絹を使ったという記録があるためこれに習う。それにしても、繊維を体に差し込むというのは何とも痛そうだ。あっという間に血塗れになる絹の被膜を見ていると、胸が苦しくなる。ふと、オレは手を止めた。
「接地用の銅線を付けるが、今ならまだ取れた腕を元に戻せるかも知れない。ここで止めるか?」
顔をゆがめ、汗やよだれまみれの顔でドナは首を横に振る。
「やめないでぇ、続けてぇ……痛いいいい!」
「そうか」
オレは緑の銅線を剥き出しになった骨に押しつけ、あらかじめ起動させておいた発電機を用い銅とドナの骨を強引に溶接する。
「ぎゃあああああ! いっ、いっ、いいいいい!」
火花が散り、ドナの叫びが悲痛を通り超えて断末魔めいてくる。当然だ、こいつの火力は人間の肉すら跡形も無く消し飛ばすほど。まして妖精サイズのドナには致命傷だ。本来、銅線と骨の溶接には魔法による局部加熱が使われていたらしいが現代にそんな技術は無い。そう考えると、こいつが発明されたつい最近になってようやく妖精炉が再現できるようになったと言えるだろう。
二つが溶け、混じり合ったことを確認した後で銅が剥き出しの部分にそれぞれ分かるよう赤、黒、緑の絹を巻いていく。最後に、黒の絹で傷口部分が見えぬよう完全に巻いてしまう。これで一カ所、これを残りの右腕と両足にも行う。
「ひゅぅ、ひゅぅ、ひゅぅ」
休ませてやりたい気もするが、麻酔が効かない以上苦しみを長引かせる訳にもいかない。何より、こんな無茶をしてホムンクルスの体が持つのか分からない。ドナの右腕にピアノ線を巻くと、彼女は小さな悲鳴を上げた。
「ひっ! やめ……あ、ご、ごめんなさい! がんばる、がんばるから、早くしてぇ!」
二度目、三度目のほうが痛むのか、叫び声こそ弱々しくなっていくがドナの訴えは強くなっていく。
「あがああああ! ご主人、はやく終わらせ……おあああああ!」
全ての手足に銅線を繋ぎ終える頃には、すっかり声もか細くなってしまった。
「ごしゅじん、ごしゅ、じん……」
だが、次が一番厄介と言える。なにせプラス極を刺す場所はへそ、マイナス極を刺す場所は肛門、アース線を溶接するのは尾骨と来ている。ここが最後に指定されている理由は単純で、妖精炉になる前に妖精が死んでしまうリスクを減らすためだ。
「次で最後だ。痛みを消す魔法……せめて、肩代わりする魔法があれば良かったのだがな」
へその穴へ向けて銅線を突き刺すが、ドナはもう叫ぶ余裕も無いらしく泡を吹くだけだ。幸い、へそと肛門へ突き立てた銅線への溶接は不要とのこと。絹と接着剤だけまき付け、オレは尻の穴にマイナスの銅線を通し持ち上げた尻の尾骨部分の肉をナイフで切断、電線を溶接する。
「おああああん!」
第一の工程を終了したが、ドナは痛みに打ちのめされぐったりしている。大丈夫と言っていたが、傍目にはもう限界に見える。
「ドナ、生きてるか」
返事は無い、唾液で濡れた口が辛うじて動いているだけだ。とはいえ、ここまでやったら中断はあり得ない。治療したところで助かる見込みは薄いうえに、今を逃せば埋め込んだ銅線と骨の結合が解けてしまう。ドナの意思を尊重するなら、次の工程へ移らなければ。
妖精炉の後ろにはドナの手足に繋いだのと同様のプラス極、マイナス極に相当する太い銅線と循環管と呼ばれるアース線に相当する中空の真鍮の管が二本繋がれている。このうちプラスとマイナスの銅線から電気を送り、妖精炉の文様を反時計回りに回すことが妖精炉を完成させる第二工程と古文書には記されていた。これが成功するかどうかは全くの未知。なにせ、ここからは魔力が云々という記述がたびたび出てくる上、妖精炉に入っているのは本物ではなく似ているだけのホムンクルス。記述通りに動く確率は低い。
異なる結末へ向かうもうひとつの『本物の妖精じゃない』の変化した未来です。
「ここからは何が起こるかわからん、行くぞ」
了解を待たず、オレは電気を送り文様を手動で反時計回りに回した。初めは何も無かったが、回転させていく内に文様が電球のように光り出し、銅線を伝って電気がドナめがけて流れ込んでいく様子が見て取れた。
「かはあ!」
血のような唾液のような、やや赤みがかった液体を吐き出しドナは息を吹き返した。
「おい、意識はあるか?」
問いに答えず、ドナは荒れた息を整えずオレの顔を見た。
「お願い、回さないで、体が破裂、あああああ!」
ドナがのけぞると同時に、彼女の体を固定していたバンドが燃えて落ちた。オレが慌てて円形の文様から手を離すと、円は自然と回転を止め、時計回りに回り始めた。同時に、発電機の回転が止まり電線部分が火を噴いた。
「逆流しているのか!」
慌ててエンジンを止め、シャフトを取り外す。妖精炉に繋いでいるケーブルを外したいところだが、今触れるのは危険過ぎる。しかしエンジンを止めてしまうとは、妖精炉が機能しているのだろうか。オレはドナから伸びた銅線から流れる電流の向きを調べようと方位磁針を取り出し近づけたが、針は全く動かなかった。
「電気じゃ、ない?」
ふと、魔力という単語が頭をよぎる。出ているというのか、ホムンクルスから。
「ドナ、平気か」
「く、苦し……あああ!」
ドナは再び体を跳ねさせ、大きな叫び声を上げる。今度はドナに繋がる銅線が輝きを帯び、元より光っていた文様と合わせまぶしいほどになっていた。オレは古文書の文言を思い出す。
妖精炉の副産物として、用いた銅と黄銅は全て金の銅へと変質する。この際、水を与えず置けば妖精の体も金の銅に変えることが出来るも妖精炉としての機能は失われる。
「金の銅……オリハルコンとでも言うのか」
オレは慌てて真鍮の管から蒸留水を妖精炉の中へと送った。
「伝説の金属」
舌打ちしながらドナの様子を見る。わずかだが、銅線を刺した部分が金属に変質しているように見える。冶金(やきん)学者が飛び跳ねて喜びそうな光景だが、オレはさらに水を追加した。
「役に立つかどうかも分からん、正体不明のものに興味は無い。」
台座越しではあるが行き渡ったらしく、ドナの顔に血の気が戻ってきた。心なしか苦痛も和らいでいるように見える。
「そうか!」
水がなければオリハルコンになるということは、水さえあれば変化を阻害できるということ。妖精炉の炉心に必要なのは真水。不純物が少なければ少ないほどよい、澄んだ水が炉心を維持させるのだ。
オレは手持ちの蒸留水では足りぬと考え、ドナに水を与えつつ、蒸留水を作るため即席の水蒸気蒸留装置を汲み上げる。
「これしか出来んが……ドナ、戻ってこい!」
室内が湿気で水っぽくなった頃、ドナはようやく目を開いた。きょろきょろと辺りを見回している。どうやら乗り切ったようだ。
「あ、あ……ごしゅじん、どこ?」
「裏側だ。待ってろ、まだ仕上げがある」
最終工程だ、妖精炉は金属を変異させる仮定で許容量以上の魔力を生成するという。それを移しておくために、水晶を近づけなければならない。やり方は簡単、裏から下側に伸ばした真鍮の管の下に水晶を置けば勝手に魔力を吸い取ってくれるそうだ。オレはバザーで占い師から買った傷のある水晶玉を下に置いた。すると管から透明で粘りけのある液体が出てきて、見る見る水晶に吸い込まれていく。終わる頃には妖精炉の台座の光も鈍くなり、ドナも落ち着いた様子だった。
「ドナ、大丈夫か」
「うん、楽に、なった。まだ、あたまがぱちぱち言ってるけど」
「炉心は安定さえすれば強固と聞く、そのうち安定するだろう」
ドナは安心したようにため息をつき、泣きはらした顔を右へ左へと振る。
「あ、手、ないんだった。涙が拭けないや……ゴホゴホッ!」
話している最中でドナが咳き込み、透明な液体を吐き出す。唾液が喉につかえているのだろうか。
「落ち着いて話せ、窒息するぞ」
ハンカチでドナの顔をぬぐい、呼吸を落ち着かせてから、ドナは再度話し始める。
「あ、ありがとう、ご主人」
それだけ言うと、ドナは黙ってしまった。オレは妖精炉が落ち着いたことを確認し、発電機と繋いでいたケーブルを外していく。その途中で気付いた、発電機側の銅線まで金色に変色していることに。調べてみないと分からないが、ひょっとするとオリハルコンかもしれない。
「ねえ、ご主人」
「なんだ」
「ボクはホムンクルスだから、気になるなら実験に使ってもいいんだよ」
ドナの声が急に明るくなった、オレを励まそうとしているのかも知れない。そういった気遣いをオレをくみ取ることが出来ないが、知識としては知っている。既に好意を確認し合ったというのにまだ気遣うのか、ドナはよほどオレのことが好きなのだろう。理解してやれれば良いのだが。
「ありがたい申し出だが、調べることが山ほどある。そいつが終わってからだ」
「うん、わかった」
異常がないか調べている最中に、オレは先ほどの会話に何か付け加え忘れたような違和感を感じた。二人で何を話したのか思い出し、精査することで正体に気がつく。子供が忍耐したとき、大人にはかけなければならない言葉がある。
「ドナ、お前はよい子だな」
表情を見ていないが、ドナの呼吸の変化で何か思考に変化があったことがうかがえる。
「ううん、悪い子だよ。だって、こんな体になったのに、今一番してもらいたいのはエッチなことなんだもん」
オレは出会ったばかりのドナを思い出した。嫌々やっていると思っていたが、ホムンクルスにも本能というのはあったらしい。動物は命の危機に瀕すると子孫を残そうとするらしい、つい先ほど命の危機にあったドナの性欲が高まってもおかしくは無い。
「悪いことではなかろう、性交渉をせねば動物は絶滅だ。本能に促されるのが悪なら空腹も苦痛も悪だ、性欲を持ったところでお前には傷一つ付かん」
「そ、そうなんだ」
道理で考えれば、という注約は付くがドナには十分だろう。教会の坊主どもは欲と名の付くものをやたら悪と名付けたがるが、生への欲なしに今日はあり得ない。あいつらは欲のみに没頭する極端な人間を引き合いに出したがるが、そんな連中は放って置いても進化の過程で勝手に間引かれるだろう。今日という日が大事なあいつらに万単位の年月を待てというほうが無理な話なのだろうが、巻き込まれる身にもなって欲しいものだ。
「お前は手足を失った、自慰もできんのだから他人に望むのは当然。で、何をして欲しい」
ハッキリ言われると思っていなかったらしく、ドナは少し黙ってから控えめに口を開いた。
「その、口でして欲しいの。今のボクじゃ、ご主人のおちんちんは入らないだろうから」
要するに性交渉なのだろう、とは分かるがぼんやりしすぎていて要領を得ない。
「やってやりたいが要求がよく分からん、もっと具体的に言ってくれ」
オレとドナの付き合いも長い、流石に察したらしくドナは自身の口、乳首、生殖器に口を付け吸う、舐めるなどして温かく刺激して欲しいこと。体格に見合わず人間の男性器も受け入れられるよう作られているからかなりきついだろうけれど挿入して欲しいことなどをオレに細かく説明した。
「要求は分かった。が、今のお前の体を内側から押し広げて無事な保証はない。セックスは可能だと分かったらやってやる」
オレは洗面台へ行き歯を磨き、口にウォッカを含んでゆすぎ心ばかりの除菌をする。そのまま、ドナを拭くための布にアルコールを含ませ、ドナの待つ倉庫へ戻る。
「待たせたな」
ドナはオレのほうに顔を動かした。
「アルコールの匂いがする……ご主人、ボクを消毒するの?」
「そうだ」
オレは新しい布と消毒用アルコールの瓶を用意し、ドナの体を拭いていく。
「ご主人、今ボクに触ってる?」
「わからんのか」
「うん、よくわかんない」
皮膚の感覚が乏しいらしく、拭いているのが分からないらしい。麻痺しているのだろうかと思ったが、銅線で繋がっているへそ回りに触れるとドナは急に声を上げはじめた。
「あっ、ふあああっ、なにこれぇ!」
皮膚と一体化しているとはいえ、へそを貫いた銅線は内臓へ届いていた。内側の傷は塞がっていないのだろうか。
「痛むのか?」
体から手を離すと、ドナは戸惑ったように訂正する。
「あ、ちがうの。その、なんていうか、気持ちよかったような」
「触られたほうが楽なのか、揉みほぐしたほうがいいか?」
何か不満がありそうな複雑な顔をしてから、ドナは答える。
「じゃあ、それで」
納得のいってない風な態度が少し気になるが、本人が言うなら問題ないだろう。オレは騒いだり喘いだりするドナに気を止めずへそや両手両足の接合部を消毒していく。
「あっ、あはっ、あひぃ!」
「お前、本当は苦しいんじゃないのか?」
手を止めると、ドナは叫ぶのを止め何故か切なそうな顔で乞い求めた。
「違うよ、苦しくないの。気持ちいいよぉ、切られた手足の代わりに入ってきた金属がボクの中でひとつになって、溶けて泡になっちゃいそうなの」
「言葉が怪しいぞ、気が遠くなってるんじゃないだろうな」
ドナの口がだらしなく歪み、懇願する。
「へいきぃ、だいじょうぶだからつづけてぇ、ボクこういうの久しぶりでとっても気持ちいいよぉ。まるで作られたときみたい、ごしゅじん、はやくやってよぉ、ボクもっとおかしくなりたいよぉ」
麻薬中毒者のようなことを言い始めたが、妖精用の装置をホムンクルスに使うこと自体が異常なのだ。トリップするくらいはあるだろう。
「じゃあ、早めに終わらせよう」
落ち着いたとは言え、大手術から間を置いていないのだ。手早く済ませた方が負担が少ないと思い、オレは促されるがまま消毒を再開する。
「うほぉおおおおおん!」
足の付け根を磨いている最中に甲高い声を上げて失禁したのには流石に驚いたが、これも本人が大丈夫と言うので股間を丁寧に拭き、ついでに尿のかかった土台を磨くことで済ませた。また失禁されても手間なので、ドナが落ち着くまでオレはただ黙って待つ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
数十分ほどだろうか、ようやくドナの呼吸が落ち着いてきた。
「大丈夫か」
「うん。妖精炉って、すごいね。クセになりそう」
まだ何の実験もしていないのに、何が凄いのか分かるのか。もっとも、こういうときのドナには問い詰めても論理的な回答が返ってこないのは知っている。それより、約束を果たしてやろう。
「口でするんだったな、さっきの通りにやるぞ」
「あ、まって」
ドナは制止し、口や舌で刺激する対象に自身の両手両足、その切断面と銅線との接合部を新たに指定してきた。ここでようやく、さきほどドナが騒いでいた原因が快楽によるものと納得する。もっとも、本来癒着しない骨と銅を強引に溶接したのだ。発生した電気や熱、妖精炉の作用で神経が変質ないし破壊され正常に伝達されていないのかもしれない。過度に刺激して傷口を開かせぬよう気をつけよう。
オレは顔を近づけるために、ドナと妖精炉を繋ぐ線をつまみ端へ押し込む。
「あああっ、いまの何? 腕の中がぎゅって詰まってしびれて冷たくなるような感じがしたよ」
銅線にしか触れていないのに、血管を縛られたようなことを言う。血液のようなものなのか、魔力というものは。
「何でもない、口を付けるぞ」
ドナに繋がる銅線、もう金属と思わないほうが良さそうだ。優しく扱わなければ。
「あひぃ! や、やっぱりくるうぅぅ」
切断面と銅線のすき間を舌で舐めてやると、ドナは歯ぎしりし体を震わせはじめる。苦しそうに見えるが、気持ちいいというのだから問題あるまい。
「ふああっ! ご主人の唾液がボクの中に染みこんでくる……人間の体液がボクの中でぐるぐるして、あ、あっ、あはぁ!」
絶縁体に使った絹地を通って唾液がドナの体に入ったらしい。良くない変化を危惧していたオレは身構えたが、ドナが喘ぐだけでドナ自身にも妖精炉にも変化は見えない。一応、頃合いを見て消毒しておこう。
そんな調子でオレは残った腕、右足と済ませたところ、ドナからある提案があった。
「ねえ、ご主人。その、ボクに精液を染みこませてほしいな、なんて」
予想外だったが、驚きはしなかった。手のひら大の体で成人した男との性交渉を望む女だ、これくらいの酔狂は思いつくだろう。
「いいだろう、少し待ってろ」
オレは深呼吸をし自分のペニスを握り、ドナの清潔な右足に狙いを定め射精の感覚を思い出し睾丸に力を込めた。
「うっ!」
それなりの量の精液がドナの足にかかる。膣へ挿入して欲しいと注文を受けている以上、盛大に出す訳にはいかない。残しておかなければ。
「あ、あああ」
精液が染みこみはじめたのか、ドナが震えはじめる。
「あおおおおおん!」
ひときわ高い声を出し、ドナは叫びながら暴れはじめた。妖精炉の鈍い光もやや明るさを強めはじめている、危険かも知れない。
「ドナ、大丈夫か」
「い、遺伝子が……は、はい、い、いあああ!」
体を大きく震わせ、ドナは失禁とは違う、少しぬめりのある大量の液体を股間から吹き出した。性交渉時、膣液(ちつえき)というものが出ると聞いたことはあるが、これは多すぎるぞ。
炉心となった妖精は蜜や朝露を好む。という記述を思い出し、オレはドナにいつも与えているブドウ糖液を飲ませることにした。これだけ出したのだ、かなりの水分が失われているだろう。
与えていてふと気がついた。わずかな共通点ではあるが、ホムンクルスと古文書に出てくる炉心となった妖精はブドウ糖液のみで命を繋ぐことが出来る。そのほかにも、何か偶然の一致から妖精ではなく、ホムンクルスと炉心に共通点があったために妖精炉が起動しているとは考えられないだろうか。
少し離れ、オレはこのことをメモした。戻ってみると、ドナは元気とまでは言わないが落ち着きを取り戻したようだった。妖精炉のほうも、明るさは増したままだが安定している。
「大丈夫なようだな」
「うん、すごかった。全身が妊娠しちゃうかと思ったよ」
「最近のホムンクルスは妊娠するのか」
ドナは少し冷静さを取り戻したようだ。
「ごめん、ボク適当なこと言った」
はじめに比べると、こいつもずいぶん変わった。素直な態度に、オレは気持ちがほぐれるのを感じた。
「かまわん、人間も適当なことを言って生きている。続けるぞ」
オレは残された注文であるドナの生殖器に口を近づけた。
「ああ、やっとご主人にしてもらえるんだ」
うっとりとしたまま、しみじみと言うドナにオレは一言挟む。
「そんなにして欲しかったのなら、さっさと言えばよかっただろう」
「だって、ご主人はエッチ嫌いだと思ったんだもん」
出会って間もない頃、あの手この手でアピールするドナを叱ったことを思い出した。
「嫌いではない、以前叱ったのは邪魔だったからだ。意味も分からなかったしな」
「じゃあ、ボクの体でもこーふんする?」
少し考えてからオレは答えた。
「若い時ならしたかもしれんが、オレはもう三十四歳だ。三十を過ぎた当たりから何を見ても興奮しなくなった」
「じゃあ、さっきはどうやってせーえきだしたの?」
「性欲が湧くことはある、ただ処理するためだけに出していたら自由に出せるようになった」
「へぇ、ホムンクルスみたいだね」
オレの性処理方法を聞くと大抵気味悪がられるのだが、なるほどホムンクルスと同じ方法だったのか。と言うことは、こいつが男になっていたら精液を出せるわけだ。
「男になろうとしていたことがあったな。今思えば、愉快な見世物だったぞ」
「あ、あれは忘れてよ! それより続き、続きして」
会話を切り上げ、オレはドナの股ぐらに口を付けた。注文通り、最初は何もせずただ包み込むように咥える。
「あぁっ、あったかくてきもちいい……」
口の中は体温が高い。足の付け根やへそまで届きそうなほど深く包み、ドナの股間はオレの熱気と湿り気で蒸されている。それが心地よいのか、目をつぶり身を震わせている。次の注文があるまでこのままという約束だが、ただ口を付けたまま動かず居るというのは案外難しい。渇いた口を湿らせようと、また開いたアゴの痛みを和らげようと、口は自然に動き始める。
「おくちきもちよすぎて……お、おしっこ出る、口を離して!」
言われて口を離そうと思ったが、オレの耳に銅線が一本引っかかっていることに気がついた。このまま頭を離せば引き抜いてしまうかも知れない、危険過ぎる。だが口が離せない以上、ドナに伝える術がない。こいつは今、目が見えないのだ。
「ちょ、なんで離さないの? や、やああ!」
口の中に甘い味が広がる。人間の尿は塩分が含まれているが、こいつはブドウ糖液しか口にしていない。塩分が出てくる道理はないか。
「あ、あ……ご主人が、ボクの」
ドナの放尿が終わるのを待って銅線を外し、オレは口を離した。ドナは赤面していた。
「銅線が引っかかった、急いで口を離せば引きちぎってしまう」
「そう、だったんだ」
息を荒くし、ドナは赤面している。赤くなるということは、炉心の中を流れる液体も赤いのだろう。
「で、どうだ。満足したか?」
「うん。ボク、ご主人のことがもっと好きになっちゃった。ボクが人間だったら、お嫁さんになれたのかな」
「お前、オレと結婚したいのか?」
オリハルコンの利権を譲渡し、オレは多額の金を持って自宅へと戻った。大学内では、妖精炉になったドナを見とがめられる危険があったからだ。
「あはぁあ! ご主人さまのが、は、入ってくるぅ!」
妖精炉の研究は独自に進めた、ホムンクルスを炉心としても安定して動作していると考えられたからだ。結果、ドナの協力もありオレは魔法の存在を確信することができた。炉心になったドナの寿命の詳細は不明であるが、一年近く観察しても衰える気配がないことから従来よりは伸びていると思われる。
研究の進捗は極めて良好だ。金に困ることは無いが、形になったらブッシュあたりに情報を渡し世に広めようと考えている。
「お、おっきくて、ボク、う、あ、裂けちゃうう!」
「裂けてはこまる、ここで止めよう」
田舎の暮らしは気が楽だった。以前はここに居ても誰の役にも立つまいと大学へ足を運んだが、今のオレはドナの役に立っている。初めのうちは彼女の興奮が激しく意思疎通も困難だったが、根気強く話を聞き続けることで解消した。
「ご、ごめんなさい嘘です、裂けないから続けてぇ!」
「炉心の傷が治るとはいえ、修復中は魔力を取り出せんのだ。無理をするなよ」
人間というのは、誰かの役に立つことが存在意義だと聞いた。客観的に見たとき、これが人間的と思われるかオレには分からない。ドナを隠しているのも、人間は自信の想像を超えたものに遭遇したとき、排除しようとする本能が働くためだ。
「お、奥まで届いて……ご、ご主人さまが、ボクの中に来てくれた、うああああん!」
「泣くことなのか、これは」
オレが死んだときに泣く、ということを目標としているドナを先に死なせるのは思いやりのある人間がすることではないだろう。破壊されることを防ぐため、今も妖精炉は秘匿したままだ。家から動けなくなってしまったが、自身のためだけに無為に過ごすよりいいはずだ。
「ねえ、ご主人さま。ボクの中、気持ちいい?」
「ああ、心地よい。女を抱いたことはあるが、そのときより心地よいぞ」
生活が落ち着いた後、オレはドナとささやかな結婚式を挙げた。手足を失い、代わりに着脱不能な配線で妖精炉に固定されているドナに仕立て屋に特注したドレスをそのまま着せるのは流石に無理だった。裁断し合わせようとしたが、布が足りなくなったため追加で同じものを二つ作らせ、何とか形にした。オレは結婚式の日程が遅れたことでドナの機嫌を損ねるかと思ったが、自分専用のドレスが嬉しかったのか、不満を言うどころか嬉しい嬉しいと泣いてばかりいた。彼女が言うには自身が元ホムンクルスであり、今は妖精炉であるという事実が喜びをもたらすのだとか。
「うう、う……ご主人さまぁぁぁ!」
確かに、同じ種以外の生物がつがいになるのは不自然なことだろう。だが、人間は知性的であることを価値としている。知性にそれほどの価値があるなら、知性を持つ生物同士は対等であり、結婚しようが何をしようが問題ないと思うのだが。
「ボクが、ボクがいいなんて、嬉しいよぉ!」
「妻に喜ばれるのは悪い気分じゃない。他にしてほしいことはないか?」
妖精炉の炉心に人間より高い自己治癒能力が備わっていることが分かったこともあり、 オレは今、ドナとの結婚初夜として性交渉をしている。自分は作られたものだからだの、手足がないだの、体格差がありすぎるだのと理由を付けては結婚に反対した割に、式を挙げたらドナは泣いて喜び、あまりに涙を流すためにオレは治まるのを待ちつつ隣で蒸留水を流し込み続ける必要があった。
「ぼ、ボクが、ごしゅじんさまの、およめさん……」
妖精炉の円盤の回転が速まり、火花を散らし始める。ドナから魔力が溢れるときに見られる現象だ。魔力の発生は、炉心の心理状態も影響することが分かっている。
「じゃ、じゃあせーし……ボクの中に出して、ご主人さまぁ!」
言われるがまま、オレはドナの中に流し込んだ。妻は涙を流しながら、嬉しそうな顔で身震いしている。また泣き出さなければよいが。
「あ、あ、ボクの、中に……あ、はああ!」
嬉しそうな様子を見て、オレは満足した。やはり、人間は他者を喜ばせてこその存在だ。
「ところでドナ、オレをご主人さまと呼んだのは初対面のときくらいだったな。何故今になってさまを付けて呼ぶんだ?」
ドナは喜びに惚けた顔のまま、うっとりとした様子でオレの目を見る。
「奥さんっていうのは、旦那さまのものなんでしょ? だから、今のボクはご主人さまのものなの。だから、ちゃんとご主人さまって呼ばなきゃって思ったの」
なるほど、オレをご主人呼びしていたのはそういう理由だったのか。
「夫婦の場合、逆のことも言える。ドナがオレのものであるように、オレもまたドナのものだ。ドナさまと呼んだほうがいいか?」
「そ、そんなのダメだよ! ボク妖精炉だよ、作り物だよ? ボクなんかがご主人さまを自分のものにするなんて、ダメなことなんだよ」
「作り物では、そんなに問題があるのか?」
オレは妖精炉の台座、ドナに繋がるケーブルと順に振れ、ドナの体に指を乗せた。
「言われてみれば、どれも作り物だ」
妻の表情が曇るのを見て、オレはまずいと思った。夫は妻の機嫌を取るもの、そう聞いている。円満な家庭とやらのためにも、気の利いたことを言わなければ。
「だが、オレはお前を好いているし妻にも迎えた。障害があれば、二人で協力し乗り越えるのが夫婦だろう。どうすればお前は作り物ではなくなる」
「そ、そんなの、そんなの……」
妖精炉の円盤が止まった、どうやらドナの動揺を深めてしまったらしい。
「無理、無理だよぉ。ボクはホムンクルスで妖精炉で、こんな見た目になっちゃったのに、どうすれば作り物以外になれるの!」
気の利いた台詞が無駄なら、普通に話した方がいいだろう。
「どう、と言われても出自は変わらん。お前がことさら持ち上げる人間であっても、生まれは変えられないからな」
「じゃあ、なんでボクと結婚なんてしたのさ! こんな人間みたいな扱いまでして!」
妻は酷く興奮しているが、対してオレは不思議な気持ちだった。そこまで感情を高ぶらせる疑問なら、何故もっと早く口に出さなかったのか。
「お前が望んだからに決まっているだろう。作り物は願ったりしない、必要を満たせば黙る。オレは感情がない人間だとよく言われるが、自分には不要な他者の幸福を願うくらいの人間性は持っている。オレより多くの願いや望みを持っているお前が作り物に見えたことはない」
妻は黙り、自分の体をまじまじと眺めている。手足の代わりにケーブルで繋がれ、炉心として固定され自由に動けぬ体を恨めしそうに見つめている。
「その体が不満なのか」
妻は小さくうなずく。
「ならあのとき、何故自分から炉心になるなどと言った」
「ご主人さまに、ご主人さまに……」
ぶつぶつと独り言を言い始めた。歯切れが悪いが、オレは黙って待つことにした。
「ご主人さまに、愛されたかったからです」
ようやく喋ったと思えば愛か。抽象的すぎる、こいつは何を持って愛とするつもりなのだろう。
「愛がなんなのかオレは知らん。思い合うことだと言う人間も居れば、与えるものだと言うヤツもいる。お前は愛が分かるのか」
「う……ごめんなさい、わかんない、です」
妻の表情がますます暗くなった、まずいことを言ったとでも思っているのだろう。
「分からぬものを分かるようにするのは学問の仕事だ。学者の妻なら、愛を発見してやるくらいの気構えは欲しい。愛が見つかったら、好きなだけくれてやる」
暗い顔は徐々に晴れやかになったが、そのまま赤面し、大きな声で泣き出してしまった。
「まいったな」
こうなったドナを落ち着かせるのは難しい。仕方ない、性交渉も終わったことだし妻のためにブドウ糖液を作るとしよう。
願いに貴賎があるものか ~本物の妖精じゃないIF