ピーターの報告書
生きたまま、意識があるまま、体に手を加えず脳だけを機械に改造される少女の様子を観察します
人間というのは才能の対価として本能的に狂うよう仕組まれているのでは、と思うことがある。知る限り、金と地位を手に入れるに必要な能力を一通り揃えた人間にはロクなヤツが存在しない。才能を私利私欲に使わない連中は長い歴史で「そういう能力に長けた一族」くらいのものであり、突然変異的に発生した連中は何かしらの危険性を抱えている。イタリア製のスーツを着こなし、椅子に座ったまま眠る少女に疑問の目を投げている長身の男もその一人だ。
「ずいぶん若いぞピーター、後始末は大丈夫なのか?」
わたしが担当を任されている巨漢の事業家、科学者にして退役軍医。無数の特許と事業運営でその気になれば金のインゴットの上で眠れる男、シャトル・キヴォーキアン。今回、彼の特殊な趣味を満足させるためにわたしはある名家の令嬢を誘拐してきた。
「やり方次第ですよ、この子の親は自主性を重んじボディガードに遠くから見張らせていましたからね。そいつらを全員畳んだ上でさらったのです、このまま行方不明にしても首が飛ぶのは警備会社の連中ですよ」
「容易い獲物か、拾いものだな。で、オーダー通りなんだろうな?」
わたしはバインダーを取り出し書類を読み上げる
「九千部(くせんぶ)ハル、十二歳、日本人女性。日本では飛び級が難しいという理由で渡米し現地の別荘より高校へ通い大学受験に備えていた。芸達者で、特に母国日本ゆかりの武道は一通りこなせる才女、とのことです。
「この小柄さでか。恐ろしい物だな、日本人の勤勉さは」
驚いているシャトルに遠慮せず、話を続ける。
「頭脳明晰なことは当然として、身のこなしが尋常で無いことからベイビー・ニンジャと同級生たちから可愛がられ、飛び級であるのに孤立せず大層な人気だったということです。それを鼻にかけていたという話はありませんが、年齢が年齢です。内心、鼻高々なことでしょう。オーダーの『幸せの絶頂にいる若い女』という条件は満たしているかと」
手を叩き、シャトルは眠らせてある九千部ハルから目を離した。
「よし、こいつにしよう。安い買い物というのも大きい、チップは期待していいぞ」
◆◆◆
シャトルは自ら手術着に着替え、わたしには管制室で見ているようにとの指示が出た。ティーンエイジャーであるかすら怪しい小さな日本人は手術台に横たわり、シャトルの慣れた手つきで瞬く間に頭部が切断され、あっという間に脊髄ごと脳が引き抜かれた。脳には血液と酸素を送る人工心肺、栄養素であるブドウ糖を送る管、人間の神経を擬似的に再現するための回路などを外付けされ培養槽に入れられた。
シャトルは他に数十本の電極を剥き出しの脳に刺し、手術室に据えてある巨大なコンピューターと格闘している。
「ザ……ん、う?」
わたしはガラス越しに手術の様子を見ていたが、目の前のコンソールから声が聞こえてくることに気がついた。マイクとスピーカー、それにオシロスコープが付いている。
「やあ、ミス・クセンブ。目が覚めたようでなによりだ」
「ここは、どこ? あなた、お医者様?」
驚いたことに、培養槽に浮いている脳は意識を取り戻しシャトルを視認しているようだ。手術室にはいくつかのカメラが設置してあるが、このどれかが彼女の目になっているのだろう。
「自己紹介しよう、オレはシャトル・キヴォーキアン。医者の免許を持っているから、まあ医者と言っていいだろう。お前をここに運び込んだ男も来ているぞ、手術室へは入れられないから別室で待たせてあるがな。ピーター、マイクに向かって声をかけろ」
わたしは目の前の設備の機能を把握し、マイクに向かって語りかける。
「こんばんは、九千部さん。遅いお目覚めですね」
シャトルは手術台の近く、コンピューターに向けられたカメラに顔を近づけた。あれが今、脳に映像を送っているのだろう。
「と、言うわけだ。状況は呑み込めたかな、お嬢さん?」
「いえ、全然……いったい何がどうなってしまったのです? 体は動かないし、なんだか息苦しいのですが」
ニヤリと笑って、シャトルはカメラを培養槽に向けた。九千部が不思議そうに問いかける。
「あの、この標本はいったい」
「これは標本じゃないんだ、お嬢さん。付け加えれば、今のあなたに自力で呼吸する力は無い。聡明と聞いている、意味は分かるな?」
「そ、そんな……」
しばし流れる沈黙。取り乱さないあたりはさすがだが、わたしはマイク横のオシロスコープが大きく揺れている事に気がついた。これは、音声の強弱を表しているのではない。九千部ハルの動揺。科学的に言えば、脳内で運動する電気信号を可視化しているのだ。彼女は内心動揺している。それも、揺れを見る限りかなり激しく。
「残念だが、このままでは助からない。急ぎ手術をさせてもらう」
沈黙の均衡を破ったのはシャトルだった。手術という言葉に動揺したのか、九千部は必死に訴えかける。
「父と母は承知なんですか? それに、何があってわたしがこんな姿になったのですか?」
「聞かないほうがいい」
シャトルはそれだけ言うと、首を横に振って見せた。カメラから離れ、脳を半分培養槽から出し、脳を固定する硬膜、軟膜、くも膜を慎重に剥がしていった。
「やああ、う、おええええ……」
スピーカーから気持ち悪そうな声が聞こえる。脳に直接触られているのだ、当然か。
膜が剥がされると、脳は原形を留めず崩れてしまった。これを見た九千部は当然慌てるが、シャトルは意に介さない。
「生命維持装置を組み込むのに必要なんだ。あまり興奮するな、毛細血管が切れる」
そう言ってシャトルが取り出したのは、ピンセットにつままれた小さなチップ。よく見ると針が幾本か生えており、突き刺せるようようになっていた。
「や、まって、あああああ!」
少女の悲鳴むなしく、崩れて露出した大脳の内部や中脳に次々埋め込まれていくチップ。人間の持つ微弱な電気で稼働できるらしく、ただ針を刺されたとは思えぬほど少女は苦しみうめき声を上げる。
「基板、きっ、き、きいいい!」
今の光景から基板、などという単語を連想するのは難しい。おそらく、シャトルが埋めているチップが何か作用しているのだろう。一通り埋め終わったことを確認したのか、シャトルは脳を培養槽に戻した。これで終わりかと思ったが、まだ続きがあるらしい。
「我慢しろよお嬢さん、死にたくなければな」
「し、死? いや、死にたくない」
シャトルがなにやら操作すると培養槽に繋がれたパイプが動き始め、培養槽の色が変わる。次いで、九千部の脳と脊髄の色も変わり始めた。何かの薬品を使って、タンパク質を変化させているのだろうか。
「んぶううううう!」
彼女の悲鳴は相変わらず収まらない。が、先ほどより辛抱しようという気概が感じられる。何か変わったのだろうか。
「不思議そうだな、ピーター」
コンソールでなく、管制室のスピーカーからシャトルの声が聞こえてきた。わたしは九千部に繋がるマイクのスイッチをオフにし、シャトルに語りかける。
「こっちを見ていたのか、ずいぶん余裕があるな」
「慣れればどうってことはない、マスク越しなのは少々喋りづらいがな。未完成の手術を見られて妙な印象を持たれると困る、余裕を持ってやれるからお前を呼んだ」
どうやら、わたしが斡旋する前からシャトルは実用に向けて動いていたらしい。が、そのデータはまだ受け取っていない。今公言するということは、シャトルはこの少女で何かを確認した後で、我々に売りつけるつもりなのだろう。
「このお嬢さん、急に根性が出てきただろう。何でだと思う?」
分からないとジェスチャーで伝えると、シャトルは嬉しそうに答えた。
「死にたくないのさ。人生が楽しくて仕方がないヤツは生にしがみつく、死ぬくらいならなんでもしてやろうくらいに思うものなのさ。だから楽しい、だからそういうヤツを用意させた。面白いぞ、まあ見てろ」
わたしはシャトルのオーダーの意味を理解した。あいつは生にしがみつく命のあがきが見たいのだ。本能的にそれは正しいというのに、悪趣味な男だ。
脳髄の色もすっかり変わったところで、シャトルは培養槽から脳を引き上げた。スピーカー越しに聞こえる九千部の声にも疲れが見え始めている。
「お嬢さん、まだ大丈夫かな?」
「ああ、うう……」
九千部の返事は曖昧だ。そこへ、シャトルが追い打ちをかける。
「どうしても無理なら言うといい、患者を無理に生かすほど医療は残酷ではない。死の苦痛は最低限にすると保証しよう」
「だ、大丈夫です。続けて下さい!」
シャトルはコンピューターに目を向け、何かを確認すると次の作業に移った。今度は金属の繊維を束にしたような小さな球体をピンで掴み、小脳へと押し込んだ。
「んんんんん!」
あんなことをして、よく人格が破綻しないものだ。始めに埋め込んだチップの効果かもしれないが、ここまで来るためにシャトルは何人を臨床試験で潰したのだろう。
などと考えながら、オレは眺め続けシャトルは手を動かし続ける。小脳全体を覆うカバーをかぶせ、手で押さえたままシャトルはカバーに備えられた穴から細くて長い電極のようなものを差し込んだ。同時に、わたしの近くにあるモニターに電気が付く。脳の断面図のようで、彼女に埋め込まれた部品が白く表示されている。
「ピーター、珍しいものを見せてやる」
電極が小脳を進み、先ほど埋め込んだ球体に触れると、球体はほどけ網のように広がり小脳全体へと食い込んだ。
「あぐが、ふごおおおおん!」
シャトルが手を離すと、小脳を覆うカバーは脳にピッタリとくっついていた。なんてやり方を思いつくんだこいつ、骨がないのにどうやって固定するのかと思ったら、内側から網型アンカーで固定してしまうなんて。
「ここが固定されれば、脳梁や視床下部にも治療ができる。よくがんばりましたね、お嬢さん」
「は、あは、はひぃ」
シャトルは大脳をかき分け、再びチップを埋め込んでいく。それを終えると、先ほどの網型アンカーのようなものを取り出し、脳の中央に押し込み始めた。
「あ、いや、やああ!」
九千部もこれは流石に恐ろしいらしく、止めるよう懇願するもシャトルは一蹴する。
「今止めれば死ぬぞ」
凄みのある言葉を投げられ、九千部の声がスピーカーから途絶える。定位置に収め、シャトルが電極を取り出す。管理室のオシロスコープは今までにない激しい動きを見せている。断面図を見ると、ちょうど電極が触れるところで、触れてからアンカーが円上に脳の奥深くへ食い込んでいく様子がよく見える。
「うぉおおおおん! らがっ、らがぎ、ぎががらがあ!」
同時に、九千部の声にならない声がスピーカーから聞こえる。こんな事をして本当に死なないのだろうか。わたしの心配を他所に、シャトルは堅く封をしたケースを取り出し、中からビリアードボールを二つ連結させたような黒いデバイスを取り出した。管理室のスピーカーから声が聞こえる。
「前に脳から記憶を引き出す技術の情報を売ったことがあるだろう、こいつがその完成形だ。ふふふ、今からこれが九千部ハルのコア、この部品が少女を個たらしめる存在の根底になる」
シャトルは指を延長する金属の手袋をはめ、慎重に黒いデバイスを掴み九千部の脳の中に設置する。細かな位置調整が必要らしく、途中からロボットアームに切り替えディスプレイを睨み真剣な顔つきで調整を行っている。良い位置に当たったのか、シャトルが操作すると網型アンカーの一部が球体に張り付き、位置を完全に固定する。
「ぴぴっ……びびび、ビー! ラッ、ラガッ」
それと同時に、九千部の声を再現するスピーカーからノイズのような電子音が聞こえてきた。今の彼女は埋め込まれた機械に翻弄され、自我を見失っているのかも知れない。
しばらく時間を置いて、大脳を軽く縫合し培養槽に戻したシャトルが管理室に戻ってきた。
「馴染むまで少し待つ、オレもシャワーを浴びたいしな」
言い終わるが速いか、シャトルは顔を伏せて笑い始めた。
「いやいやいや、ピーター、こいつはいい拾いものだったぞ。意味が分かるのなら、計器の動きをお前にも見せてやりたいほどだ。あのチビ、オレを信じて疑ってない。それに、あれほど死にたくないという欲求が強いヤツは初めてだ。案外、一番死にたくないのは子供なのかもしれんな。
そういえば、日本の武芸に長けていると言ったな。サムライは精神性を大事にするというのは本当らしい、感受性が驚くほど高いうえに順応性も極まっている……常人よりよほど脳に負担が掛かっているというのに、生きていたからと恐ろしい忍耐力を見せている。それでいて機械に対するあの苦痛、痛覚、不安、快楽、幸福感、そこへ0と1という暴力的思考をぶち込んでミキサーにかけているというのに、健気にも気を失わないよう力を振り絞っていた。ふ、ふふふ……あまりのことに、施術中に二度も射精してしまったよ! はっははは!」
上機嫌そうにシャトルは出ていった。ああいう話を聞くのは気持ちのいいものではないが、ヤツの手腕は確かで、しかも脳外科の分野に留まらない才能の塊だ。とはいえ、先はまだ長そうだ。ヤツが戻る前にコーヒーの一杯も飲んでおいた方がよいだろう。
わたしはコーヒーを半分ほど飲んでからカップをコンソールの横に置き、シャトルは培養槽から九千部の脳髄を引きずり出した。
「落ち着いたかな、お嬢さん」
「は、はい」
彼女は落ち着いたらしく、普通の言葉を喋っている。
「だが、そろそろお医者さんごっこはおしまいにしようと思う」
「え?」
シャトルは自分に向けられていたカメラを、脳髄だけ取り出した九千部の体へと向けた。全裸に手術着という格好で寝かされており、頭部には生命維持用と思われるいくつかの管と包帯が巻かれている。
「実はあんたの脳はいじる必要なんてなかった。が、とある理由でどうしても優秀な頭脳が必要だったんでな。ちょいといじらせてもらってる」
カメラが九千部の体に近づくにつれ、オシロスコープが激しく揺れ始める。
「あ、あ……うあああああ!」
当然の反応だろう。普通に生きていれば絶対味合わない苦痛を与えられ、真剣に耐えたのにそれが無意味だと宣告されたのだ。だが、こんな段階でネタばらしをして彼女の精神は持つのだろうか?
「心配するな。終われば元の体に戻すし、体には何の細工もしていない。脳の力はむしろ数倍に跳ね上がる」
「そんなの頼んでません! なんでこんなことを!」
「それを言えるくらいなら、最初から説明しているさ。まあ、この事実を受け入れたくないならここから先は意識を落としてもいいし、手術の記憶だけ消してやってもいい。ただし、消した記憶を補うのはコンピューターだ。苦痛は減るだろうが、大なり小なり自我が機械に侵食されるのは覚悟してもらおう」
「し、浸食って……どうなっちゃうの?」
シャトルは淡々と答える。
「人間性の損失、と言われている。実際はちょっと性格が変わったり口調がおかしくなったりする程度だが、機械に浸食された脳は人間の定義から外れると主張する学者もいる。端的に言えば、完全に止めても電気とスイッチだけで元に戻る脳なんてもう人間じゃない、ロボット扱いしろと言ってる連中がいるわけだ」
九千部が言葉に詰まっている。オシロスコープの動きから、考えを巡らせていることが分かる。しばらくして、スピーカーから声が聞こえてきた。
「このまま続けたら、どうなるの」
シャトルはカメラを培養液に浸かる脳髄に戻した。
「脳からタンパク質が消える、人工的に強化するんだからそれくらいの代償はあるさ。理論上は人間の寿命より長持ちするし、加齢で脳の能力が落ちることもない。一応、今の状態でも体に戻すことは出来るが一週間と持たず死ぬ」
結局九千部は手術を受けることに同意し、シャトルは培養槽から脳を引き上げ施術を再開する。シャトルは特に内部の機械化を優先しているらしく、黒い球体を中心に先ほどより大きなサイズの部品を次々と埋め込んでいった。さすがに感覚を遮断しているのか、九千部の苦痛の声は少ない。しかし目に映る光景が不安なのか、オシロスコープは常に激しく動いている。
わたしがモニターで見ている脳髄の断面図では、埋め込んだ部品は黒いデバイスとどこかしらで連結し、脳細胞を取り込んでは不要になった部分を上部に吐き出し空いた空白に埋まっていく。そうして内側の半分以上が置き換わり、小脳の網型アンカーにまで届く。
そこまで終えるとシャトルは脳から溢れたタンパク質を取りだし、押し広げた中央に幾本かのケーブルを接続し一旦施術を中断した。脳を培養槽へ戻してモニターに座り、なにやら操作をしている。
「あは、ぎゃ、ぴぃ!」
静かだった九千部が急に騒ぎ始めた、痛覚を伝えるようにしたのだろうか。
「らがが、ぎび、びひぃ!」
と思ったが、言葉になっていない。あれだけ脳を機械まみれにされているのだ、まともな思考が残っているはずもないか。しかしシャトルが一時間ほどモニターと向かい合っていると、変化が起きた。
「が、あ……れ? 苦しくない?」
彼女の言葉が明瞭になる、手術が終わったのだろうか。
「ここからが面白いぞ、よく見ておけ」
天井につるされたスピーカー越しにシャトルが呼ぶので見てみると、培養槽の周囲には精密作業用と思われる先の細いロボットアームが伸びていた。座席を移動し両手でコントローラーを握り、シャトルはモニターを注視する。何が見えているのか、ガラス越しには分からない。
「意識があるようだなお嬢さん。意志が弱い患者は、この工程で気絶してしまうものだが」
「あ、侮らないで」
九千部は答えるが、スピーカー越しにも声の弱々しさが伝わってくる。脳が疲弊しているのだろうか。
「熱、電荷、伝送率全て正常……口先だけではない、大した気概だがここから先はショック死の例もある危険な工程だ、耐えられるかな?」
オシロスコープが激しく揺れ、画面の外に飛び出す。が、裏腹に九千部の口調は強気だ。
「死んだヤツが弱いのよ、わたしは違う」
ここからでも、シャトルの表情が歪んでいるのがよく分かる。どう思っているか、までは読めないが良からぬことを考えているのは分かる。
「らば、が、か」
シャトルがコントローラーを動かすと、九千部が再び電子音じみた声を上げる。アームは脳の中で何かしているようだ。先ほど時間を置いて脳を機械に馴染ませたことを考えれば、彼女の脳は元からある細胞だけでなく埋め込まれた機械を操作されることでも敏感に反応してしまう、と考えられる。
「た、が、たす、け」
よほど苦しいのか、九千部が音を上げ始めた。しかし当のシャトルは顔をゆがめたままモニターにかじりついており、作業を止める気配はない。
「や、が、らがら、がああああ!」
スピーカーからひときわ大きな悲鳴が流れ、その後ぷつりと途絶える。シャトルのほうを見ると、脳の中からアームで何かを取り出す作業をしているようだ。
出てきたのは、数時間前に見たビリアードの球ほどある黒い物体。シャトルはコアと呼んでいたが、せっかく馴染んだものを取り出してどうするつもりなのか。
「こいつがキモでな」
シャトルの声が休憩室に響く。
「二つあったのを覚えているだろう、その片方を取り出した。これから大脳新皮質を剥がしてこいつに喰わせる」
オレは渋い顔をして見せた。
「脳を食べる? そのビリヤードボールがか」
こちらの顔色など気にする素振りもなく、シャトルは続ける。
「そうだ。もっとも、こいつが喰うのはそのものでなく観測したシナプスの動きだ。今までどう動き、これからどう動くのかをこいつに全て詰め込む」
「可能なのか?」
シャトルは大きく息を吐きながら笑った。
「無理ならお前を呼ばん」
そう言って、シャトルは球体を培養槽の隣にある空き容器に移した。よく見ると球体からはケーブルが伸びており、今も九千部の脳と繋がっていることが分かる。
培養槽から出した九千部の脳に、シャトルはメスを当て丁寧に剥がしていった。中は思った以上に変質しており、黒く変質した脳細胞が網状に広がったアンカーにピッタリと張り付き、黒い枠のようになっている。いつ整列したのか、いくつも埋め込むのが見えたチップの類いは中心の黒い球体の回りに土星の輪を作り、辛うじて見える電線は全て球体へ集中しているようだ。
隙間がチップと電線、変質した細胞は等間隔で重なっており意図的に隙間が作られているように見える。後頭葉が剥がされると、先にアンカーを埋め込んだ小脳も似た構造になっていることが隙間から覗ける。
「酷い見た目だ。人間には見えないぞ、シャトル」
「オレもそう思う」
切り取った脳細胞を容器に入れ終え、シャトルはコンピューターを操作する。容器に紫色の光が当てられた後、静かなモーター音とともに少しずつ余った脳細胞が減っていくのが見える。シャトルは別のカメラを動かし、モーターを仕掛けた容器を映した。下部には多くのケーブルが繋がれており、また中ではブラシのような金属製の束が脳細胞を掃き集めている様子が見える。
「こいつを完成させるまでが大変だった、いろんな脳のコピー法を試したがどれも上手くいかなくてな。そこで、だ。思考のパターンはコピー出来ているのだからこいつの役割は補完で十分という発想で再設計してみたら、これが面白い! センサーからニューロンとシナプスの傾向を読み取ってコアの片割れに移すだけで、機械化前と機械化後の行動パターンに差異がなくなったのさ! 進化した脳細胞は、オレたちが思ってるほど大した働きはしてなかったわけだ。人間ってのは脳を使ってないよなぁ、ピーターよぉ」
過程は重要だが、シャトルの大層な説法には興味がない。わたしは同意とも否定とも取れる曖昧な返事として、手を軽く動かすに留めた。シャトルは続ける。
「だが、使い道もある。なぁピーター、お前ならこのミンチ、どうする?」
カメラを移動させ、シャトルはスキャンが終わったであろう黒く変色した脳細胞を映す。清潔なガラス容器に注ぎ込まれるそれは、水気を帯びた真っ黒な粉末、強いて言うならタールに似ている。タンパク質、いやニューロンそのものがナノマシンに置き換え、切り取った後に削り取った残りクズ。ナノマシンの種類にもよるが、使い道などとても思いつかない。
分からないと首を振ると、シャトルは嬉しそうに説明を始めた。
「こんな見た目をしてるがな、こいつはシナプスで繋がりさえすれば勝手に連結し固まるんだ。しかも、固まった状態なら緩衝剤にも使える。もし、こいつの研究が進んで金属並みの強度になったら? 興味が沸くだろう」
シャトルはいつもの調子だが、言ってることが正しければ技術革新どころの話ではない。加工材として使える演算装置、兵器に革命が起こるぞ。わたしは身を乗り出してガラス面に張り付く。
「どの程度使えるんだ?」
満たされたガラス容器を一本取りだし、コンプレッサーに装着しながらシャトルは微笑む。
「見てれば分かる」
削られたナノマシンが残り半分になったことを確認し、シャトルはコンピューターを操作した。身を乗り出したことで気付かず押さえていたオシロスコープの画面が動き出し、小さなスピーカーから九千部が語り始める。
「うう、き、気持ち悪かった……あ、あれ、あれ?」
取り乱している、大脳を失って感覚が喪失したのだろうか。と思ったが、すぐに答えが分かった。
「わたしの脳みそ、どこいったの?」
「どこへも行っていない」
シャトルはカメラを戻し、再び九千部の脳を映す。脳は先ほどの工程で大きく形を変えており、素人目には軟質素材で作った不細工な機械の塊、程度にしか見えない。
「それは?」
九千部の問いに口では答えず、シャトルはピンセットで脳だったものをつついた。
「あはああっ! う、うそ……それ、なの?」
シャトルはわざとらしく、カメラによく見える位置へ削ったナノマシンを注入し埋めていく。
「起きているとは思わなくてな。安心しろ、こいつで隙間を埋めれば少しは脳みそらしい見た目になる」
「や、いや、いやあああああ!」
九千部は叫ぶ、叫び続ける。絶叫を聞きながら、シャトルは涼しい顔で作業を進めた。あの顔の下で何を考えてるのか……しかし、性格が歪んでいても優秀なら問題ない。行っている作業と先ほどの説明を合わせて考えれば、あれが単なるパテ埋めでなく思考を補助するものだと分かる。緩衝剤にもなり、処理の強化にまで繋がる。素材は本人由来であるから、機械化で生じる思考のズレも起こしにくい。どこから着想を得たか知らないが、よく思いつくものだ。
「やぁもう、いやああ!」
叫び声の中、作業するシャトルが手を止める。視線を追うと、ナノマシンを削る容器が空になっていることに気がついた。全て削り終えたのか。
再びロボットアームを動かし、シャトルは容器からビリヤードボールのような例の球体を取り出す。そのまま脳に戻すのかと思ったが、アームはカメラの前で停止した。
「お嬢さん、もっといいものを見せてあげよう。この黒い球のような機械はオレが作ったんだが、名前がないんでブラックボックスにあやかりブラックボールと呼んでいる。安直だが、分かりやすいだろう」
「やめて、これ以上何も見せないで、見たくないよぉ!」
懇願されても、シャトルはカメラの前からブラックボールを動かそうとしない。おそらく、彼女は自分で目を閉じたりといった視界を遮る行為ができないのだろう。と言うことは、今までの全ての作業はカメラ越しに見えていたことになる。もし、気を失っていても記憶が残るなら、九千部は自分の脳がああなる過程や、ブラックボールのおおよその正体を思い出すことで自覚できる。
「悪趣味な」
考えがつい声に出る。思わず目を伏したが、スピーカーから聞こえる会話がオレの顔を上げさせた。オレが思案している間にも、シャトルと九千部の話は進んでいたようだ。
「と、言うわけだ。こいつと、脳に埋め込んだ片割れの計二つ。九千部ハルという人間はブラックボールこそ本体、こいつが壊れれば考えることも、人間だと自覚することも出来ない。理解できたかな?」
「違う、違う違う違ぁう! そんなの無くたってわたしは人間だもん、パパとママに戻してもらうんだもん!」
九千部から大人びた雰囲気が消え、年相応、ないしそれ以下の幼稚なヒステリーを起こしている。会話を聞いたわけではないが、あの装置がどういうものか知らされれば自然な反応だろう。わたしはここでシャトルの悪癖が出るものと思ったが、彼は特に意地悪をしようとしなかった。作業を再開し、アームを九千部の脳へと沈める。
「戻せるかはともかく、ブラックボールには人間性を維持する機能が無いとオレも困るんでな。お嬢さんには人間として胸を張ってもらいたい」
唐突に優しくされたためか、九千部のヒステリーが止まる。オシロスコープは振れ幅こそ小さいが不規則な動きをしており、彼女もどう捉えていいのか分からないのだろうと予測出来る。
が、そんな様子はすぐ別の出来事に打ち消される。
「お、ご、元にもど、る? うが、ぎ、があああ!」
シャトルがアームを引き上げると同時に、九千部が激しくうめき始めた。これまでノイズの走るような電子的パニックを起こすことが多かったが、今回の悲鳴は人間的だ。人間としての感覚を取り戻した上で、苦痛を受けている。アンカーを埋め込んだときと同様、もしくはそれ以上の。
「わた、し、にんげ……だ、だけど、うあああ!」
何が起こっているのか気になるが、シャトルはブラックボールを取り出すために空けた部分をニューロンに代わると言う黒いナノマシンで黙々と埋めている。
「きか、きかい、入って? ちが、わたしがきかい、にんげんが、はいってぇえ!」
九千部は変わらず錯乱している。とはいえ、シャトルが問題にしていないなら些細なことなのだろう。シャトルがこの状況を楽しもうとしないのは不可思議だが。
「らめ、そこかきこんじゃ、だ、らが、ががぁあ!」
埋め終えると、シャトルは始めに固定した小脳を土台にし、九千部の脳へ接続プラグや放熱用の金属板と冷却ポンプを取り付け始めた。取り付け終わった部分はおおよそ九千部の頭部と同等の大きさになっており、仕上げに入ったことがうかがえる。
「そんな、わたし、わた……あああ、いやあああ!」
九千部の叫びが変わってきた。機械音声ではあるが、叫ぶ声は張り上げるような感情的なものからどんどん絞り出すような悲鳴に変わっており、彼女の中で何かしらの変化があることを思わせる。何を言っているのか聞き取りづらく、把握は出来ないが混乱していることは察せる。
「よし、本組みが終わった」
ここに来て、ようやくシャトルがわたしに視線をよこした。後ろでは九千部の悲痛な一人語りが続いているが、彼が気にする様子はない。おそらく、そういう様子をカメラ越しに見せつけているのだ。シャトルの声が休憩室に入ってくる。
「後は、繋ぐものを繋いで体に戻すだけだ。本当ならこの状態で調整したいが、早めに体へ戻せばナノマシンが肌に馴染むんで一長一短だな」
「シャトル、さっきから九千部ハルの様子がおかしい。こうなると承知で放っているのだろう、説明してくれないか」
シャトルは口を歪ませ、九千部の脳を抜き取った体の近くまで運んだ。
「こいつはな、葛藤してるのさ。自分は人間、少なくとも元人間。感情もあるし、脳にあったあらかたの情報も再現されている。以前と同じように考えられる、考えようと思えば。だが、ベースがコンピューターに変わったことで旧来の人間的、アナログ的思考より先に機械的デジタルの思考が思い浮かぶようになっちまったのさ。デジタルな思考に柔軟性はないが、瞬時に答えを出すことに関しては一流だ。だから何かを考えたとき、真っ先に浮かんでくる0と1こそが自分自身だと感じるわけだ」
シャトルは脳を戻すための外科処置を始めたが、口を動かすことを止めなかった。
「加えて、機械は論理的だ。明確に答えをはじき出すから、遅れて出てくるアナログな思考よりも正しく見える。人間は無意識に正しいと認識したほうを自分の本質、有意識と思い込む傾向がある。こいつのようなガキならなおさらだろう。で、ブラックボールは無意識を再現するだけの性能があるってぇのに、性能を高くしすぎたせいかこいつに思考をゆだねると自分が機械のような気がしてくるのさ」
医療補助ロボットに手伝わせ、シャトルは脳を手際よく元の位置に戻していく。
「終いには自分はロボットだとか言い始める。笑えるだろう? 死にたくないだの人間だのと言っておきながら、根っこの部品を取りかえられただけで真逆の主張を始める。生への執着が強ければと思ったが、こいつも同じ結果になりそうだ。やはり、リミッターを付けたときが一番上手くいく」
わたしは驚いていた。シャトルは自分の悪趣味な欲求を満たすついでと言いながら、全てこの結論を確認するための綿密な計画だったのだ。思わず口を塞ぎ、顔を下に向ける。視界に入ったオシロスコープは、波こそ大きいが規則正しい動きをしている。
「繋ぐぞ」
惚けている間に縫合まで終えたらしく、シャトルが背もたれに上半身を起こした九千部の頭部に幾本かのケーブルを繋いでいる様子が見える。カツラをかぶせるのかと思ったが、九千部は手術前と同じ自分自身の髪の毛を維持している。こちらからは見えないが、開くなりスライドするなりでプラグが現れる仕掛けなのだろう。
「らが、が、がはあ!」
九千部が目を見開いた。なんてことだ、こんな短期間で体が動くなんて。この技術は知らないぞ、シャトル。
「約束通り元に戻したぞ、お嬢さん」
「あ、は……」
九千部は首を動かし、自分の体を不思議そうに見つめている。かと思えば、急に泣き始めた。
「わたし、なんで?」
「何がなんでなんだ、お嬢さん」
「なんで機械じゃ、ないの?」
耳を疑った。シャトルが話していたとおりだが、こんなにすぐ変わってしまうとは信じられない。
「シャトル、シャトル」
わたしは控え室から手術室に続くドアを叩き、鍵を開けさせた。シャトルは笑っている。
「心配するな、他のどこにもこいつに関するものは見せてない。お前らの独占だ」
「違う、話をさせろ」
意外だったらしく、シャトルの顔から力が抜ける。
「九千部ハルとか? かまわんが」
シャトルを押しのけ、オレは九千部の目の前に陣取った。少女は全裸のまま、幼子のような惚けた顔をしている。
「九千部ハル、わたしが見えるか」
「はい。あなたは、誰ですか?」
わたしはネクタイを緩め、呼吸を整える。
「シャトルが呼んだだろう、ピーターと。お前をここへ連れてきたものだ。質問に答えろ、お前は人間か?」
「はい、人間です」
およそ人間らしくない答え方だが、一応自覚はあるらしい。
「お前は死にたくない、そうだな?」
「はい。死ぬのは、いやです」
まるで他人事のように答える。
「では聞く。お前の幸せとはなんだ」
「わたしの、しあわせ?」
九千部ハルは惚けた顔のまま動かない。わたしが顔を動かしても、手で遮っても、目で追おうとしない。
「そうだ、幸せだ。日常が楽しくて仕方ない、違うのか?」
「たのしかった……はい、楽しかったです。この記憶は、わたしの人生に豊かな実りを与えるでしょう」
言葉にまるで感情が乗っていない、なんなんだこいつは。
「楽しかった? 日常に戻りたいとは思わないのか」
「はい。たのしかったことは思い出せば何度でもたのしめます」
頭が痛い、わたしは何をやっているんだ。気に入らない、何故だ。人間性が脆弱だと認めたくないのか、単に九千部ハルが気に入らないのか。
「あの、わたしからもいいですか」
彼女が自分から喋った。まだだ、まだわたしのわだかまりは解消できる。
「なんだ、言ってみろ」
「わたしの体を、全部機械にしてください」
ピーターの報告書