地の濁流となりて #17

第四部 統治者機構編 解かれた謎

 物々しく鉄格子のはまった裁決保留所に,時の旅人ブッフォは,音もなく現れた。いや,今回は宙から舞い降りてきた。土の民の二人は,里に生息するイボン鳥の飛び去るときに残す綿毛状の羽を連想しただろう。そこだけ時間の流れが遅くなる浮力を備えた羽を。色とりどりの異装は,しかし,黄一色のイボン鳥とは違い,空に透ける虹を思わせた。
 降り立つと,ブッフォは目を見張る二人に構わず,事も無げに言い放った。
「お前たちは統治者機構の会議に出るのだ。ルーパの真の代表者としてな。」
 目の前で起きた現象に亜然としていたパガサは,「統治者機構の会議」という言葉に我に返った。ぼくたちが統治者機構の集まりに。けれど,どうやって。それに統治者機構そのものも知らないのに。まだ口を開けて呆気にとられているマンガラの横で,パガサは考えた。あれは,マクレアの民や義人,ヴァルタクーンのレボトムス,それに評議会議長の領域ではないのか。おそらく里の長老でさえ近づけないところに,ぼくたちのような禁忌を犯した者が。
 そう思いながらブッフォを見つめるパガサの眼を,ブッフォが見つめ返した。透き通った翡翠の色の奥に,星の瞬きに似た光が宿っている。
 「そうだな。まずは統治者機構について話すとしよう。」
 統治者機構とは,ラユース大陸の,文字通り「統治者」たちより構成される組織だと,ブッフォは説明した。ラユースには,ヴァルタクーン,ラスーノの他にも,神意の民マクレア,遊牧の民,自治都市マールがある。それぞれの代表者,たとえば,ヴァルタクーンならレボトムスが,ラスーノであればマルムークが,一同に集う。ラユースの現状の確認と,問題があれば,その対処が議題になる。
 「お前たちは,導きの糸を手繰って,いや,あの「境の民」の案内で,各統治者と逢ってきたようだな。マルムークとはまだ知己ではないようだが。あやつらと,その側近だけが参加できる。むろん,お前たちにその権利はない。」
 つまり,ルーパとは別の大陸の組織の話ということか。ならばどうして,ぼくらが参加するなどと。「ルーパの真の代表者」などと言っても,そもそもルーパと関わりがないではないか。「それが,あるのだ。土の民よ。」ブッフォの声が頭に響いた。ぼくの思考に直接に語りかけて。
 「ヴァルタクーンの古文書博士から聞いたろう。あの「災いの種」が,ルーパに蒔かれたと。あのような巨石を運ぶのは容易ではない。ましてや,ルーパの各地になど,ヴァルタクーンだけの力では無理だ。」
 それは,まさか。ラユース大陸の者たちが揃って,ということなのか。ブッフォが,またまっすぐ自分の眼を見つめていたので,パガサはハッとした。エル・レイは,ヴァルタクーンが辺境の地を放棄した過去を教えてくれた。諸部族の連合は,かつての支配王朝と貿易でのみ利害の一致を見たとも。でも,支配王朝との関わりはそれだけではなかった。
 「どうやら,謎が一つ解けたようだな。そうだ,統治者機構は「輝石」のために創設された。いな,「輝石の管理のため」に,と言う方が正しい。あんなものが,自分たちの大陸に散らばっていれば,どうなるかはお前たちルーパの者が一番知っていよう。」
 マンガラはブッフォとパガサの話の中身が分からないのか,教えてという顔つきをしながら,パガサの脇腹をつついた。いつもなら,考えの邪魔をされて怒るところだが,パガサは真剣な,しかし憂いを帯びた表情でマンガラの求めに応えた。
 「マンガラ。エル・レイの言っていた「カラクリ」が分かったよ。ラユースの者たちが,国も王朝も部族もそれぞれの垣根を越えて協力したのだ。そして,あの「透明な輝石」をぼくらのルーパに運んだ。統治者機構は,それを決定した王や議長たちの集まりだよ。」
 ゆっくりと,とても静かに語られた事実に,マンガラは驚くのを忘れて聞き入っていた。そして,パガサの話していることが,決して冗談か何かの類ではないことに,改めて気づいた様子だった。
 仲間のうちにくすぶる感情の変化を感じながら,パガサには何かを,何か大事なことを見逃している気がしてならなかった。ラユース大陸の代表者,統治者機構,辺境の部族たち。そうだ,エル・レイも,あの遊牧の民の長パウも,統治者機構の人々,だとするとおかしい。自分たちがルーパに「輝石」を運ぶと決めたのに,「輝石」に苦しむぼくらに協力した。なぜ。
 「そう考えるのは当然だな。だが,どうしてあの男が「賢王」と呼ばれていると思う。かつてのヴァルタクーンの王朝の印章などを,後生大事に抱えながら,どうしてならず者の街におさまっている。貴族のお目付役までつけられて。」
 と,話しながらブッフォが格子の外に目をやった。つられてパガサもマンガラもそちらを見やるが,等間隔に設えられた灯に照らされた通路には何も見えない。話し声も足音もしない。
 「すまないな。皆の前に姿を現わすには,いま少し早い。時と空間には縛られないが,人の心に変化を起こすには,それ相応の備えが必要だ。先の話の続きは次回としよう。その時まで,考える時間は十分にある。」
 その言葉とともに,ブッフォの輪郭がぼやけてくる。壁に吸い込まれるようにも,いつの間にか雲が消えるようにも見える。これまでと同じ,そこにいなかったみたいに。何度見ても不可思議な力とパガサは思ったが,もうひとつ聞きたいことがあるのに気づいた。「あの輝石をどうやって」という言葉を口にしたときには,すでに時の旅人の姿はなかった。
 「ねえ,ぼくもずっと考えていたのだけど,あれって,マクレアの伝承ではないの。」
 唐突にマンガラが話しかけたので,パガサは何を指して言っているのか分からなかった。マクレアの伝承,たしかどこかで。あ,そうだ,あの方舟の話だ。イスーダのアスワンたち若者が中心になって,移住のために造ろうとしている巨船。でも,それが何に。そこまで考えた時に,パガサは理解した。「輝石」を運んだ手段,それが方舟だとマンガラは考えていたのだ。
 「大きさは知らないけど,アスワンたち海の民が大勢乗れるのでしょ。ぼくらがマールに乗って行った船なんかよりずっと大きい船じゃないかな。」
 考えてみればその手段があった。船で運ぶ,巨大な船で。現れたり消えたりするブッフォの不可思議な能力は,信じられないけれどある。義人の力もぼくらの理解を超える。けれど,あの「輝石」を,しかもたくさん,それらの技で移動することなど,おそらくは無い。方舟を使う方が,ずっと現実的だ。
 マンガラ,よく気づいたね,すごい。謎がまた一つ解けた。喜んだパガサがマンガラの肩を叩いたときだった。誰かが例の鉄の「つっかえ」に触れる音がした。
 「これで閉じ込めたつもりかね。ほれ,簡単に外れるではないか。決裁保留所などに連れてくるから,こんなことになるのだ。逃げていたら,どう責任をとるつもりだ。お前の首では済まんぞ。路上生活でも送るか,おい。」
 あの声は。パガサにもマンガラにも聞き覚えがあった。評議会議長カプティロの低い,柔らかいが冷たい響きを持つ声。ラスーノに帰ってきたのか。と,鉄格子にあの門番が顔を出した。いかにも苦々しい顔つきをしている。お前たちのせいだと言わんばかりだ。
 「いえ,私は,その,他の委員に連れられたこいつらを,言われたままに,ここに入れただけでして。そんな,首など,どうかお願いします。娘も息子も,まだ小さいんで。どうか,お願いします。」
 かき消えそうな声で門番はそう言って,カプティロの反応を待っているようだったが,何も聞こえなかった。代わりに,扉が開けられて,評議会議長があの特徴的な髭を蓄えた姿を見せた。後手に枷をされている二人を,やや頭を反らせながら見下ろす。いや,見下すという方が正確だろう。
 「いいか。こいつらは犯罪者だ。枷を見れば分かろう。民生議会などではなく,普遍議会の地下牢にぶち込めば良いものを。どいつもこいつも役に立たん。さあ,さっさと引っ立てていかんか。」
 門番は恐縮しきりになり,「あの,私はどうなるので」と言いかけたが,カプティロの顔をちらと見ると,口をつぐんだ。そして,おずおずとパガサたちの方へ近づく。カプティロの権威の大きさが分かるが,ここでその場の誰も予想し得なかったことが起きた。最初に門番に手をかけられたマンガラが,すっと自分から立ち上がると,評議会議長に向かってこう言い放ったのだ。
 「あの,ぼくらの罪は「境犯し」ですよね。それは,ルーパでは罪でしょうが,どうしてこの,えーと,何という国か忘れましたが,ここで裁かれるのはおかしいと思うのですけど。」
 この言葉には,パガサも門番も,そして評議会議長までも驚いた。疑り深いパガサですら,てっきりヴァルタクーンの宮内に無断で入った廉で拘束されたと考えていた。しかし,そのヴァルタクーンで裁かれるならまだしも,ここはヴァルタクーンではない。拘束する義は,マンガラの言うように皆無だった。
 「そ,それは,お前らは,この評議会議長の決定した禁忌を犯したのだ。ゆえに,評議会議長の権限において」とカプティロはすぐに反論しようとしたが,言葉につまった。それもそのはず,評議会とはルーパの長老評議会であり,結局ルーパでのみ有効だと気づいたのだ。
 「ぼくたちは,「人質」だから,こうして拘束されている。決して罪人ではない。ここ,ラスーノで統治者機構の会合がある。仮にルーパの民が動きを見せれば,ぼくたちを引き出して押さえつける。そうですね,評議会議長。」
 マンガラが誘い出した議長の混乱を,パガサはそのまま放ってはおかなかった。ここにはぼくらだけでなく,第三者である門番がいる。彼が役に立つかどうかはともかく,カプティロが横暴を振るうのは,止められないまでも知られる。
 パガサの考えた通り,門番はマンガラから手を離し,議長の顔を見守っている。その表情には,不信感とかすかな期待感が浮かんでいた。それもそのはず,長時間労働の安い賃金よりも,権威者に「貸し」をつくる方が,ここラスーノではよほど価値があるからだ。しかし,それを知らないパガサは,門番をあくまで立会人と捉えていたので,その顔つきに自分たちの優位を認めただけだった。
 「あなた方は,統治者機構という組織を創り,皆で結託して,自分たちの大地に現れた「災いの種」を,ぼくたちルーパの民に押しつけた。方舟を使ってわざわざ運んで。そして,今度はその種に苦しめられた民が立ち上がろうとすると,人質を取ってまで,それを懸命に潰そうとする。一体,どうしてなのです。」
 パガサはブッフォの言葉,そしてマンガラの推測を利用して訴えた。その訴えは,今この時点では,十分なものだっただろう。しかし,エル・レイの口にした「カラクリ」がもっと複雑なものであることに,まだパガサも気づいてはいなかった。
 評議会議長カプティロは,パガサの予想に反し,左右の口角をゆっくり引き上げると,偽りの親しみを込めた口調でこう告げた。
 「いやはや,それは人聞きが悪い。勘違いも良いところだ。ルーパなどのような古の生活をしていると,どうも目先のことしか分からなくなるようだな。あの巨石は,一時的に預けたのだよ。自然味あふれるルーパの大地に。それも終わりだ。このラスーノが責任を持って回収にあたる。君たちにはそれを見届けてもらいたいのだ。」
 一時的に預けた。回収する。どういうことだ。ヴァルタクーンの古文書博士が読み解いてくれたアンカラ文書と違う。なぜあのような病と災いをもたらす巨石を回収するなど。今さら罪の意識が芽生えたというのか,ありえない。
 「おやおや,疑っているのだな。無理もあるまい。君たちが勝手に入り込んだ古文書の間にある文書に書いてあることと違うからな。だが,あれは二千年よりもずっと前の予言の書にすぎぬ。すべてが今の世に当てはまると思うか。」
 それは。そう言われれば,そうかもしれないけれど,しかし。「でも,この拘束は」と,思わぬ反撃に狼狽したパガサの言葉を遮って,老獪な議長は冷たく言い放った。「統治者機構の名の下に,お前たちを改めて拘束する。罪状は統治者機構の一端,ヴァルタクーン宮内への不法侵入だ。さあ,引っ立てろ。」
 門番は「はい,カプティロ様」と威勢良く声を出すと,座っていたパガサを力任せに引っ張り立たせた。

地の濁流となりて #17

地の濁流となりて #17

決裁保留所に閉じ込められたマンガラたち。そこに現れたブッフォは統治者機構の目的を明かす。解けてゆく「輝石」の謎。パガサはついに評議会議長カプティロに詰め寄る。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-09-30

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