カナ

 カナは睫毛が短くてかわいい。
 カナが本を読んでいると、つい睫毛を指で掬ってやりたくなる。だけどカナの睫毛は短いので、いつも指がカナの目の前を掠るだけ。本を読んでいる途中なのもあって、カナは怒る。口だけで怒ったふりをする。それがまたかわいいので、頬をつついてやりたくなる。
 カナは褐色の肌をしている。秋の落ち葉のよく似合いそうな褐色だ。もとからなの、とカナは言う。休み時間はいつも教室で本を読んでいて、外に出ることなんて体育くらいしかない。グラウンドを走らされると、いやだいやだと言いながらも、苦しそうな顔はしない。ただ小さな汗の粒をふっつける。走り終えて空を見上げるカナは、産毛の先まできらきら照らされて、それはきれいだった。

 学期末の試験を控えているんだから、体育くらいは好きにやりたいわ。それがクラスみんなの意見で、先生は負けた。今日の体育の授業内容は、「外で好きに遊ぶ」。出席をとったあとは、みんな散って好き勝手やる。そしてそれが授業のかたちになる。鬼ごっこを始める子やら、倉庫からテニスボールとラケットを出してきてコートでテニスをする子やら、大縄跳びを始める子やら。好き勝手やっていいものだから、自分たち二人は並んで座っているだけにした。カナが座っているところに、自分が近づいて勝手に並んで座っただけのこと。カナは本を読んでいる。緑で硬そうな表紙の本。自分には読めない文字だった。どこの言葉か予想もつかない、暗号のような文字だった。
「何読んでるの」
「…うーん、ええと、体育に、関係…するような…しないような内容の話の本…じゃないような」
「何言ってるの」
 カナは本に目をやったまま、もごもごと難しい顔で答える。カナの声は他の人より少し低いので、いつも機嫌がわるいのだと思われている。もしくは、眠いのだと。本当は、全然そんなことないのに。しんから話すから、そうなるだけなのに。
「あ、じゃあ、遊ぼうか。みんなみたいに」
 カナはこちらを向いて本を膝に置いた。読みかけのページに指を挟んでいるのが見える。
「遊ぶ気ないでしょ、本の続き読みたいでしょ」
「なんでわかるの」
 怒ったふりの口をした。
「なんか、わかる」
「さすがだね、よくわかんないけど」
「別に自分は体育やれとか言わないから、体育に関係ないことも好きにやってていいんだよ」
 カナは本をひらいた。カナの髪が揺れた。
「うん、ありがと」
 カナの口角は笑ったときでも「角」というほどとがっていなくて、なんだかゆるい。そのゆるい口だから、あんなふうに穏やかに話せるのだろうと自分は思う。カナの声で発されるすべての音は、やわらかくて、だけど甘くはない。冷たくもない。陽だまりに咲く椿みたい。
 カナは、美人じゃないし、愛されるような容貌でもない。自分もカナも、そのことは知っている。だけど自分はカナをかわいいと思う。カナにはかたちのないかわいさが備わっている。他の人は気付いていないようだけれど。カナ全体の空気が、みんなが好き勝手遊んでるだけの体育みたい。カナが声を発せば、それがカナのことばになる。緑の表紙の難しい本はカナの国のことばで書かれていて、カナの隣でカナを見る自分はカナの内側にいる。
「カナ」
 小さく呼んだ。カナの目がゆるく笑んだ。それが返事だった。
 私が恋するのは、残念ながら異性なんだけど、愛するのは、もしかしたら。以前、カナはなんだか難しくてむず痒いことを言っていた。何を言ってるんだ、と思った。
 そして今、ようやくきづいた。ゆるく笑んでいるカナの睫毛はやっぱり短かった。
 みんなの声が聞こえる。とても贅沢な一瞬が、カナの中で過ぎていった。

カナ

ありがとうございました。

カナ

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更新日
登録日
2012-08-26

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