アンドロイド・アン

田井田かわず

 おじいさんはもう長くは生きられないとお医者さんから言われました。そして自分の命がもう僅かしか無いとわかったおじいさんは、自分のありったけのお金を使って一体のアンドロイドを作りました。若々しくて可憐な女の子のアンドロイドです。おじいさんは彼女にアンと名付け一緒に暮らすようになりました。
 アンはまるで人間のような見た目をしていましたが、ほとんど表情の変化がありませんでした。しかし、体の弱ったおじいさんをよく世話しておじいさんを喜ばせました。
 「レイバンさん、レイバンさん。起床の時間です」
 アンは今朝もおじいさんを起こしに来ました。
 「レイバンさん。朝食の支度が済んでいます」
 アンがおじいさんをそっと揺するとおじいさんはやっと目を覚ましました。
 「ああ、アン。おはよう」
 おじいさんは寝起きのしゃがれた声でひとまず挨拶し、よっこいしょと、布団から起き上がりました。
 「レイバンさん。今日のお加減はいかがですか」
 「うん。いい天気だし、とっても気分がいいよ!」
 毎朝の体調の確認をしてから、レイバンはテーブルについて水を飲みました。それからアンの焼いたマフィンとヨーグルトを食べるのが決まった朝食です。そして食事をとらないアンが一日の予定を尋ねます。
 「レイバンさん。午前の散歩はどこまで行きますか?」
 「今日は少し足を延ばして、町はずれの森を抜けた先にある泉へ行こうか。気象も良いし涼しくて気持ちが良いだろう。行くのに二時間近く掛かるだろうからサンドイッチを作ってくれるかい」
 「わかりました」
 アンは食パンを切るため早速席を立ちました。
 何かを頼むと直ぐに取り掛かろうとするアンの後ろ姿をレイバンはほほえましく思いました。
 レイバンの奥さんも何事もきびきびとする人でした。そしていつもレイバンの体を気遣っていました。実際には奥さんの方が先に病気でなくなってしまい、そのあとレイバンはとても寂しい思いをしました。二人には子どもがいましたが、みんな遠い地で働いており、レイバンはあえて呼び戻そうとは思いませんでした。
 レイバンは先に身支度を済ませて玄関先の庭のベンチに腰掛けていましたら、アンがカゴを持って出てきました。花柄のワンピースを着て白い帽子をかぶっています。
 「よく似合ってる。キミは今日も素敵だね」
 「ありがとうございます」
 レイバンが褒めるとアンは無表情ながら帽子に手を添えて首をかしげました。
 レイバンは余命がわかってから、毎日を楽しく過ごすことに専念していました。今日の散歩もそのいっかんです。
 かわいいアンと連れ立って色んなところをブラブラと歩くのはレイバンの日課でした。 2人は踏み固められた森の通路を歩きます。森の中は背の高い木ばかりで、外の世界から切り離されて違う空気が流れているかのように澄んだ風が吹いています。
 「気持ちがいいねえ」
 レイバンが少し息を弾ませながら言いました。隣を歩くアンがその顔を見上げます。
 「少し立ち止まって気持ちのいい空気を深く吸ってみるのはいかがですか」
 アンはカゴから小さい折りたたみの椅子を出しました。それを道の脇に置くと、レイバンは物言いたげにしながらも素直にそこへ座り、深呼吸しました。
 「きみは本当に、見た目に限らずよく似ているな」
 レイバンはボソリと呟きましたが、そのうしろで背中をさすっていたアンにはよく聞き取れませんでした。
 「さ、もう大丈夫だ!」
 レイバンは勢いよく立ち上がると急に目の前が暗くなって倒れてしまいました。
 「レイバンさん!レイバンさん!」
 アンが大きな声で呼んでも、肩を叩いてもおじいさんが起きる気配がありません。恐らく貧血でしょう。アンは困ってしまいました。
 この森はそれほど人通りの多いところではあません。また街からもだいぶ離れてしまっているので簡単に助けを呼ぶ事も出来ませんでした。
 アンは考えた末、レイバンをレジャーシートの上に乗せ目的地である泉のほとりまで引っ張っていくことにしました。あそこなら森のただ中よりは陽が当たるし、冷たい水もあるので良いように思えました。なにより、あともう少しの道のりなので、目標を達成してしまいたい気持ちもあったかもしれません。
 そして、アンは泉のほとりの木陰におじいさんを寝かせ、泉の水で濡らしたハンカチでおじいさんの額をぬぐい看病しました。
 五分か十分ほどしておじいさんが目を醒ましました。
 「ここは、……連れてきたくれたのかい」
 「呼びかけても応答がありませんでしたので。あの場でじっとしてるよりは良いと思いました。勝手なことをしました。お洋服が汚れないように配慮はしたのですが…」
 そう言われてレイバンが体を見てみると、ズボンの裾と右ひじが少し土で汚れています。
 アンは目を伏せて膝の上でそろえた指先を見つめていました。このアンドロイドは、表情豊かな作りではありませんでしたが、こうした仕種から気持ちを読み取ることができました。レイバンは、この気遣い屋のアンドロイドを見て少し笑いました。
 「そんなこと怒りやしないよ。それより、迷惑をかけたようで悪かったね。一人で大変じゃなかったかい」
 「それは何ともありません。機械ですから関節は多少きしみましたが」
 「それはそれは!じゃあ、とりあえずご飯を食べてお互いに体を休めよう」
 そしてレイバンとアンはバスケットを開けました。中にはレイバンが庭で育てたトマトやズッキーニ、そして蒸し鳥を挟んだ贅沢なサラダサンドが入っていました。美しい泉の水で手をすすいで、サンドイッチにかぶりつくと、甘酸っぱいトマトの水分が口の中ではじけて流れ込んできます。ズッキーニは程よく塩とお酢で漬かっており、また香ばしいパンとバターの香りが鼻を抜けます。
 レイバンがご満悦でバスケットに再び手を伸ばしたとき、アンのスカートの裾が解れているのを見つけました。
 「歩いているとき何かに引っかけてしまったみたいです」
 アンがつくづく申し訳なさそうに言いました。
 「いや、しょうがないよ。それはおばあさんが子どもを産んだころからずっと着てた服だからね。むしろ良くもってるよ」
 「針と糸がありますから、補修したらまだ問題なく着れると思われます」
 アンがバスケットの中から小さな裁縫ポーチを出して解れて出てきてしまった糸を針に通し繕いはじめました。
 「仕立てと、おばあさんの管理がよっぽどよかったんだろうな」
 「私は、その“おばあさん”に似せてつくられたと聞きました。“おばあさん”はどのような方だったんですか」
 アンが繕いながらレイバンに尋ねました。
 レイバンはサンドイッチを食べながら泉を眺めています。
 「そうだね。キミはおばあさんが十九歳の頃の写真を元にデザインしてある。ホントにそっくりだよ。……おばあさんはね、かわいい人だったよ。よく気が利いて、そういうところも君とよく似ている。技術者の言うところはよくわからなかったが、性格も似せられるものなのかね」
 アンが首をかしげるとレイバンはほほ笑みました。
 「自分でもわからないものだね。でもおばあさんは色んなことに気が回りすぎる分、ときどきうっかり何かが抜け落ちてしまってね、僕が気づけたときは良いけど、僕もそれに気づかなくて失敗してしまったときはペロッと舌を出して笑うんだ」
 「明るい方なのですね」
 「そうそう。息子がまだ小さかったとき、ときどき僕が代わりに世話をしていたんだけど、まだ慣れてなかったころにカーペットを息子の粗相した奴とこぼした離乳食でぐちょぐちょにしてしまったことがあったんだ。また、そのカーペットが妻のお気に入りでね、必死で証拠を隠滅しようとしたけどどうしようもないほど汚れてしまったんだよ。それで帰って来た妻がね、いつになく大きな声で“どうしたのこれ!”って言ったんだ」
 アンは横で黙ってレイバンの話に耳を傾けています。
 「僕が事情を正直に説明したら妻は笑って“ユーズド感が出ていいわね”って言って、翌日そのカーペットを切って机の角とか、子どもが当たると危なそうなとこに貼ってクッションがわりにしていたよ」
 「それは、ぶつからないよう慎重になりそうですね」
 「ほんとにね」
 おじいさんは声をあげて笑いました。
 二人がのんびりとお喋りをしていると泉の向こう側から荷車を引いたバイクがやってきました。
 「そこの方、すいません」
 アンが立ち上がって呼び止めるとバイクに乗った男性は二人の近くでバイクを止めてくれました。
 「もしあちらの町に行かれる用がありましたら乗せて頂けませんか」
 レイバンが突然のお願いをするアンを窘めようとしましたが、男性は快くアンのお願いを受け入れました。
 「ここまで歩いて来られたんなら帰りは大変でしょう。乗り心地は良くないですが、どうぞ遠慮せず乗ってください」
 気の良い男性の言葉に甘え、二人は荷台に乗りました。徒歩で一時間かかった道を十五分ほどで戻り、二人は家に帰りました。
 「運が良かったなぁ。いまどき珍しい、誠実な青年だった」
 レイバン感心していると、アンが言いました。
 「顔の筋肉の発達、表情から統計してそのように思われたので声をかけました」
 「キミはそんな事もできるのか」
 レイバンはまたまた感心させられたようです。
 「それだけ分析できて自分で表情を動かしたりできないのかい」
 レイバンに指摘されてアンは自分の頬を指先で揉んでみました。
 「先ほど話してた時にもお分かりになったと思いますが、私は製作者が私にどのような技術を施したかわかりません。口を動かして喋ることができるのである程度顔の筋肉のような物は備わっているとは思いますが、たぶん動かすタイミングがよく理解できていないものかと」
 「ふうん。じゃあ、歯を見せて口角をあげてご覧。奥歯を食いしばって」
 「笑顔ですか。そのくらいはできます」
 アンはお安い御用だ、と可憐な笑顔をみせました。
 「そうそう。人と話すときはいつもそうしていなさい」
 「いつもですか」
 笑顔を崩さずにアンが問いかけます。
 「そうそう。いつもだよ」
 おじいさんはアンに隠して笑いながらそういいました。
 数日後のこと、レイバンの妹のマルタが黒いワンピースを着てやってきました。
 「マルタさん。ご無沙汰しております。ようこそお越しくださいました」
 アンが笑顔で出迎えるとマルタは顔をゆがめて鼻を鳴らしました。
 「なによ、ニコニコしちゃって。兄さんも折角の財産をこんなのに使うことなかったのに……。レイバンを呼んで、あなたと話したくないの!」
 目元を真っ赤にしながら声を上げるマルタが、玄関から中に入ろうとしないので、とりあえず近くにあった丸椅子をすすめてアンはレイバンを呼びに行きました。
 「“笑顔”は本当にいいものなのですか」
 アンが率直に質問するとレイバンは肩をすくめ「ちょっとタイミングが悪かったね」と言ってマルタを迎えに出ました。
 しばらくしてマルタの泣き声が聞こえ、そして遠のいたと思うとレイバンが戻ってきました。
 「アン。喪服を出して貰えるかな。義弟が亡くなったそうだ」
 そういうと、レイバンは揺り椅子に深く腰掛けました。アンが喪服をとり、アイロンをかけて持ってくるとおじいさんはぽつりと言いました。
 「私はあとどのくらいかなぁ」
 そういうレイバンの目元はいつもより一層老けこんだように見えました。
 葬儀は盛大に行われました。マルタの夫は、多くの人から愛されていたようで、たくさんの人が参列し、彼のために泣きました。アンとレイバンはそこにひっそりと並びました。
 そのあと、マルタの家族と食事をとり、二人で歩く帰り道にレイバンは言いました。
 「わたしの葬式はよろしくたのむよ」
 来るのは近所の人くらいだろうからと、おじいさんは言いました。アンはなんとなくその話を聞きたくない気分になって話題をそらしたいと思いました。
 「そういえば、わたしもみなさん方のように涙が出るのでしょうか」
 「さてね。そもそも、涙線とかいうものはロボットに必要なのかい」
 レイバンはまじまじとアンの瞳を覗きこみましたが、特に濡れている様子はありません。
 「……その機能は備えていないかもしれません」
 アンが呟くと、レイバンは声をあげて笑いました。アンも口の端をあげて笑いました。
 葬儀のあと、レイバンはしばらく物思いにふけったり、黙々と何かを書いたりしていましたが、それ以外はいつものようにアンと散歩に行ったり庭の野菜の面倒を見たりしていました。ときどき足元がおぼつかなかったり、庭仕事を最後までできないことはありましたが、いつでもアンがレイバンを助けました。
 そんなアンはレイバンに代わってご近所付き合いをするようになったことで、だいぶん笑顔が板についてきたようでした。ふたりの日々は穏やかに過ぎ、しかしレイバンは自分で言ったように、少しづつ死に近づいていきました。
 ある空の真っ青な、よく晴れた朝。アンはいつものようにレイバンを起こしに来ました。
 「レイバンさん、レイバンさん。起床の時間です」
 アンはいつかレイバンに言われたようににこやかに声をかけましたが、レイバンは起きません。
 「レイバンさん。朝食の支度ができていますよ」
 アンがそっと揺すっても、レイバンは起きる様子がなく、アンは違和感を感じてレイバンの頬を触りました。
 レイバンの頬はそのぬくもりを無くしていました。
 きのうまで当たり前に庭いじりをして、散歩をして、体が弱っても燃え続けていた彼の胸の炎はいつの間にか弱り果て、夜のうちに消えてしまったのでしょう。
 アンはとっさにベッドの横の引き出しを開けました。そこにはレイバンが日ごろ飲んでいた薬と、レイバンからの手紙が入っていました。最近書いていたのはこの手紙だったのでしょう。何通かあり、アンも知る人の名前や知らない人の名前、アンにあてた手紙もありました。
 アンはベッドのそばの腰掛けに座りました。
 隣りで眠るレイバンは穏やかな表情で頬は青白く、朝の光で輝いて見えました。
 アンはしばらくレイバンを見つめていましたが、その光が眩しすぎたのか、目がむずむずして両手で目を覆うとその場で一人うずくまったのでした。

アンドロイド・アン

アンドロイド・アン

余命わずかの老爺はその財産のほとんどをつぎ込んでアンドロイドを作った。女性型アンドロイドのアンと老爺の穏やかな生活。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
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