霊前酒
そろそろ帰ろう
あの丘の小高い展望台から見える町の灯に
サヨナラを告げて 瞼に残った灯火が消えるのをゆっくりと待とう
時には思った
凍てつく冬にこの場所でなら綺麗なまま凍え死ねるのてはないかと そしたら誰かがその後にそれを美しい思い出だと言ってくれるのでは、と
時には思い出した
あの展望台までの山道で見つけた季節外れの一匹の蛍の光がとても鋭くそれはきっと未来からのものだった、と
だけどそれも過去のこと
私のなかの風は止んだ
地獄は千の針から一斉に羽を広げた天道虫が飛び立つ瞬間のようだった
ちぐはぐな日々は埋まらない最後のピースを待っている
なにもかもが郷愁となって可笑しみと哀しみを連れて沖を往く青い牛は水平線目指して
それは俺たちが砂浜に掘った器に満潮で海水が満たされむくっと起き上がった青い牛だから
往くのだ 往くのだ
ボンゴの音が鳴り止んだら
太陽が溶けた水をコップに一杯持ち帰り
俺とおまえの間に置く
あと一粒の涙があればこの表面張力は崩れるだろう
だけど それも枯れた
せめて自愛で溢れたコップに慈愛を一滴でも落としてやれたなら
そろそろ言葉も忘れてきた頃に思い出すコトバはサヨナラ と ありがとう だけで誰にも言えない
秋は街灯の数だけ
思い出せる言葉で思い出せない事を思い出す
旅先で見たあの通りには待ち人が居てサヨナラの霊気で満ちていた
だから黒猫は往く にゃー と一声鳴いて往くのだ
そこで待ち人は待っている 振り返ったゴッホの眼差しを 満天の星空を 花束を そして君を
狼は淋しいから7つの星を抱きしめて眠る
そして朝 熱のない神聖な陽は純白のレースのカーテンをハタハタと音もなく永遠に燃やす
そこが私の門出
往こう 往こう
霊前酒