【エブリスタ・最強ヒロイン特集に掲載】戦国長編小説『蝶や花や』 特別編『半蔵、幼き日の決意』
3話4幕までは星空文庫で公開中ですが、それ以降~16話までは、完結するまでエブリスタのみで掲載。http://estar.jp/_novel_view?w=24674124
25年前――。
半蔵は8歳。千代女が9歳のときである。
伊賀の地と甲賀の地は、山ひとつを隔てたすぐ隣同士だった。
その境目にある山奥に激流の川があった。
半蔵と千代女は、修行中に偶然そこで出会ったのである。
千代女は少し大人びていて、目元が凛々しく、肌の白い美しい少女であった。
千代女が言うには、ここは神が住む場所であり、神聖な川の水は傷を癒す力があるという。
なぜそんなことを知っているのかは、教えてくれなかった。
出会って以降、ここでともに修行をする日々を送っていた。
互いになにも言わずとも、時間になればここに集まった。
半蔵は全身真っ黒の伊賀袴を着て、千代女は上を白、赤い袴で着付け、日が暮れるまで修行をした。
千代女はいつも淡々としており、無表情で、感情を表に出すことはなく。
いっぽうの半蔵は、千代女を姉のように感じ、心を許して、甘えたように接していた。
ある日、半蔵がそこへ行くと、岸に立ち対岸を見ている千代女がいた。
対岸に立てられている丸太に目をやると、左右から飛来した手裏剣が丸太の手前をかすめ交差した。
半蔵は千代女のそばへ駆け寄り、
「いまのはなんの技?」
千代女いわく、甲賀流の奥義である。
左右に投擲された手裏剣はわずかのあいだ伏兵となる。そして自身は敵と切り結び、そのあいだに手裏剣が奇襲して敵の首を狙う。
敵が格上の場合に有効だが、敵と切り結ぶ位置を間違えると手裏剣は敵ではなく自身に襲いかかる。
千代女は、この技はまだ未完成であるという。
半蔵が来たため、千代女はふたりで修行をはじめた。
激流から突きだした岩の上で忍者刀で切り結ぶ。
千代女は強かった。半蔵が息を切らしながら、いかなる技を繰りだしても、千代女は息も切らさず軽くさばいて傷ひとつ負わなかった。
「あんたもう10回川に落ちているけど、わたしはまだ1回。それも落とされたというより足が滑っただけだけど」
「その1回が命取りになっていたかもしれないだろ!」
「あんたは10回ね」
千代女のほうが年上だとはいっても、女に負けることが悔しかった半蔵は、
「うるさい!」
と、千代女をつかんで――
「ちょ、ちょっと」
「なら道連れだ!」
と、一緒に川に落ちた。
ふたりは川の流れに負けないよう、岩にへばりつく。
「ざまーみろ!」
ふたりは見合って、先に半蔵が笑いだすと、普段は表情を変えない千代女も、かすかに微笑みを見せた。
半蔵はもちろん、千代女もまだ9歳と幼かったが、千代女が大人びていたためか、濡れた髪や、太陽光を受けた水を弾く肌がとても綺麗で――見つめていると、
「なに?」
と千代女の唇が動くと、それに引きつけられるように、半蔵は唇を近づけた。
――千代女は表情ひとつ変えず抵抗もしなかった。
突然、千代女が半蔵の頭を川に押しこむ。
半蔵の背後から飛来した手裏剣が千代女の左肩を裂いて飛んでいった。
千代女は激流に流され、
「千代女!」
と半蔵は自ら川に飲まれて千代女を追った。
そのさなか、半蔵は岩に右脚をぶつけ痛めてしまう。
そしてすぐ現れた滝壺に落ちた。
脚の骨が折れているのがわかった。
千代女の名を叫びながら懸命に泳いで岸に上がると、茂みのなかからさっと現れた千代女が茂みに半蔵を引きずりこんだ。
「静かに」
と、千代女が悲痛の表情で、手裏剣で裂かれた左肩を押さえながら滝壺のほうを警戒する。
千代女は痛みに対する感受性が高かった。以前、手を浅く切ったときも、軽傷であるのにひどく痛がっていた。半蔵はどうにかしようと、
「手当しないと」
と止血しようと自分の衣服の袖をちぎろうとするが、
「音を立てないで」
「さっきのは……」
いわば同盟関係にある伊賀と甲賀の忍者ではない。となれば――
「おそらく風魔。狙われているのは、多分あんた」
忍のなかでも最上位の実力を持つ服部家。その嫡男であるこの幼き半蔵が風魔に狙われるのは当然のことである。
伊賀と甲賀の地は、外敵から狙われないよう山に囲まれたひっそりとした場所にある。その場所を見つけられたということは――
「生きて返すわけにはいかない。敵がひとりだといいけど」
だが、その表情は悲痛にゆがむ。
千代女はそう言うが、風魔相手に勝てる見込みはない。
千代女がいかに強くとも、このような重要な任務に半端な者を差し向けるはずはない。
おそらく敵は上忍の格。
「その腕じゃ戦えないよ」
「あんた、脚怪我したの?」
「ごめん……脚が動けば、おれが戦えたのに」
「静かに……。気配がする」
ふたりは息を殺した。気配が遠ざかると、川にそって茂みのなかを進んで下へ向かった。
さらに茂みが深くなったところに身を置いた。
半蔵は袖をちぎって千代女の肩を止血して、
「とにかく逃げよう。ここからなら、甲賀のほうが近い」
「無理。ずっと気配がする。なら、あっちもこっちの気配を感じている。ずっと見られている」
しばらく身を隠し、仰向けになって体を休めた。
「おれのせいで巻きこんで……」
「そういういいかたやめな」
「……おれがもっと強かったら……。どうやったら、千代女みたいに強くなれる?」
「修行して……修行して……修行しつづけるしかない」
「修行したら、千代女みたいに強くなれる?」
「答えなんかない。だから修行するの」
直後――
「血の臭いがすると思ったら……見つけたぞ」
と茂みを覗きこむ顔があった。
千代女が叫んで飛びだし、斬りかかった。
半蔵も飛びだそうとしたが、脚がいうことをきかない。
千代女は激痛に耐えながら、右手の忍者刀で身を守るのに精一杯だった。
そして距離を置いて、半蔵がいる茂みのまえに立ちふさがった。
風魔は川のなかに立ち、
「ガキのくせにやけにやるな。恐るべし。抹消させてもらう」
と忍者刀を構える。
千代女は忍者刀を左手に持ち替えて、右手で懐から1枚の手裏剣を取りだした。
長息のあと――突如手裏剣を右方向へ水平に投擲する。
飛び去る手裏剣を目で追う風魔に千代女が一颯斬りかかる。
風魔に間一髪防がれ、その場で噛み合うこと5回合。
風魔は千代女の心臓を狙って突きを繰りだした。
千代女は意図的に痛めた左肩を突きだして刃を受けた。
刃が左肩を貫いて、意識を失うほどの痛みが襲った。
「千代女!」
半蔵の叫び声が耳に届き、千代女はまなじり決し、最後の力を振りしぼって忍者刀を風魔の胸元に突き刺して斜めに切り裂いた。
千代女に返り血を浴びせながらも、風魔は忍者刀を千代女から抜き、とどめを刺そうと振りかざしたとき――
横から手裏剣が飛来して、風魔の首にめりこんだ。
風魔は即死して、その場に倒れた。
千代女もその場に倒れ、半蔵が足をひこずってそばに急ぐと、千代女は返り血で真っ赤になり意識を失っていた。
半蔵は、神の力で傷を癒すことができるという千代女の言葉を思いだし、千代女を抱えて川に入る。
川に千代女の体を浸けて、
「千代女。死なないで」
千代女の名を呼びながら、千代女の顔や髪についた血を手で懸命に落としていった。
血を落とすと、突如千代女の意識が戻る。だが半蔵の服をつかみ、痛みに耐えながら苦痛の表情に満ちる。
半蔵は千代女の止血をすませると、歯を食いしばって足をひこずりながら、千代女を背負って甲賀の地へ向かった。
甲賀の地に入るとき、すでに夜になっていた。
川の水がきいたのか、千代女の傷の痛みも、半蔵の脚の痛みも、だいぶ引いた様子であった。
「おろして。ここでいい」
まだ、しょうぜんとした声で千代女が言うと、
「どうして」
「もしあんたが責められたら、いやだから」
「そんなこと――」
「いいからおろしな」
言う通りにすると、
「あんた、ひとりで帰れる?」
正直、この足をひこずって帰れる自信はなかったが、
「これも、修行のうちだよ」
半蔵が強がると千代女は微笑んで、望月家の屋敷へ歩きだした。
半蔵は千代女の姿が見えなくなると、伊賀の地へ歩きだす。
半蔵は途中で力尽きて動けなくなってしまったが、夜が明けるころに服部家の捜索部隊に見つけられた。
屋敷は何事かと大騒ぎになったが、山中で修行中、怪我をしてしまったとだけ言い、千代女のことは言わなかった。
言えば、もう二度と会えなくなるかもしれないと思ったからである。
1ヶ月後、傷が癒えた半蔵は、あの激流に向かった。
また命を狙われるかもしれない。でも、どうしても千代女に会いたかった。
1ヶ月通いつづけたが、千代女は来なかった。
だがさらに数日後、千代女が姿を見せた。
すっかり傷は癒えた様子である。
だが修行の際に、千代女の左腕の切れが悪いのがわかった。
千代女は大丈夫だと言ったが、それから1ヶ月がたっても、左腕の切れは戻っている気配はなく、忍者刀を扱う際にはほとんど右手を使っていた。
あの日から、ふたりの仲はさらに深まったように見えた。
千代女は相変わらず無愛想だったが、以前より優しさを見せるようになった。
さらに1ヶ月がたったある日。
いつものようにあの岩に立ち、切り結んだ。
千代女の表情は、どこか暗い。
半蔵は心配して、
「大丈夫? なにかあった?」
と、髪をなでようと触れた。
だが千代女はその手をつかみ、おろした。
どうして拒むのか――そう思っていると、
「半蔵」
「ん?」
「……わたし、信濃(しなの)の国にある、望月本家に、嫁に行くことになった……」
「え……?」
「だから………もう、あすから会えない……」
「嘘だろ……? なんでそんなこと急に!」
「急に決まったことなの……」
「だれが決めたんだ」
「わたしだって……行きたくはない」
「ならいかなきゃいい!」
「そうはいかない……これがわたしの定め」
「定めがなんだ! おれが守ってやる! だから行くな!」
「……半蔵。目を閉じて……」
半蔵は言われる通り、目を閉じた。
千代女は最後にこう言った。
「あんたとは、戦いたくない……」
見えなくても、泣きそうになるのを、必死にこらえているのがわかった。
「だから………ここで、さよなら……」
はっとして目を開くと、千代女の姿はなかった。
呆然と、その場に立ち尽くした。
忍である以上、いつか、それぞれ敵対する主に仕え、対峙するときが来るかもしれない。
もし、千代女を追えば、必ずそうなるだろう。
だから千代女は、そうならないよう、わたしを追わないでと、別れを告げた。
千代女と過ごしたすべての時間を思いだし、嗚咽をこらえきれず、立ち尽くしたまま泣いた。
そしてこのとき決意したはずなのである。
いつか、自分の大切な存在である千代女を、自分の手で取り戻そうと――。
【エブリスタ・最強ヒロイン特集に掲載】戦国長編小説『蝶や花や』 特別編『半蔵、幼き日の決意』
全18話・完結まではエブリスタのみで公開
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