ぴすたちお。 2

「ちーちゃん、起きて」
 名前を呼ばれ、はっと目が覚めた。どうやら、ぼんやりと桜の木を眺めているうちに、睡魔に襲われ、うとうととしてしまったらしい。かなり深い夢の世界に漂っていたらしく、後ろの席の花梨から、名前を呼ばれ、肩を揺すられ、それでようやく夢の世界から帰ってこれたようだった。
「細川、おはようさん」
 未だ虚ろな頭で、目を擦りながら頭上を仰ぐと、眉をピクピクさせながら、担任の稲尾が立っていた。
「……おはようございます」
 とりあえず、挨拶をされたので、そのまま返してみる。が、それが、稲尾の怒りに火を注いだらしく、無言で机の端を、思いきり、バンっ、と叩かれた。本当は、私の頭を叩きたかったのかもしれないが、さすがに今のご時勢、何とか理性でそれは抑えたようだった。とりあえず、その行為は懸命だと思ったので、担任に敬意を表し、
「すいませんでした」
と、謝る。稲尾は、まだ不服そうだったが、とりあえず落ち着いたのか、苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、教壇に戻っていった。
「えー、各委員会役員の選出だが、それぞれ立候補するものもおらんようやから、くじびきにしようかと思う」
担任の稲尾はだるそうに、すでに準備していたらしい年代物の箱を教卓の下から取り出す。それに反応して、えーっ、というブーイングが教室のあちこちから起こったが、そんな声は聞こえていないかのように、稲尾は箱をカラカラと振った。問答無用、どの口が文句を言うのかと言わんばかりだ。すると、所詮反抗しても無駄だと思ったのか、波が引くように、教室の中のブーイングは消えていった。
「じゃあ、端からな、順番に引いていってくれ」
 しぶしぶといった感じで、クラスの面々が稲尾の前に並んでいく。それから、言われるがまま、ぽかりと開いた口の中に手を突っ込んでいった。
 嬌声やら、安堵の溜息やら。悲喜交々、それほどのものでもないと思うのだが、教室のあちこちから、それらが上がっている。
そうこうしているうちに、いよいよ私の番がやってきた。取り出した白い小さな紙片を開く、と、そこには、紙のサイズにしては不釣合いに大きな汚い字で、
『クラス委員長』
と、書かれてあった。
 クラス委員長?頭を捻る。このくじ引きは、各委員会役員の選出ではなかったのではないだろうか。
「あ、ちーちゃん、クラス委員長だ」
 後ろから覗きこんできた花梨が、呑気そうに呟いた。
「花梨」
「んー?」
「これは、どういうこと、だ?」
「あ、ちーちゃん、寝てたから、聞いてなかったんだねぇ」
 あくまでも、不思議そうな顔で、私の問いかけに花梨は気がのらない感じで答える。何を聞いているんだと、いった風だ。
「稲尾先生が、めんどくさいから、クラス委員もいっしょに決めようってことにしたらしいよ」
 で、箱の中に、これが混ざっていたわけか。委員会役員も、クラス委員も、まったくやる気は湧かなかったが、くじびきという平等、かつ公平なもので決められたのだから、従うしかない。花梨は、どうだったんだろう。視線を向けると、「へへへ」と、不敵に微笑みながら、花梨は白紙の紙切れを私の目の前に翳した。白紙=はずれ、つまり、今回は何の役職も無しというわけだ。
 無欲の勝利ということだろうか。というよりも、ただ何も考えていないだけという気もしないでもないのだが。
 文句を言ってもしょうがない。
「で、クラス委員って一人じゃないよな」
 ふと、気が付いたことを、口にする。
「そだね、ちーちゃんが委員長ってことは、副委員長がいるはずだよね」
 副委員長、誰だろう?花梨と二人して、教室の中をぐるりと見回してみる。と、真ん中に立っているチャラい男子と目があった。女子に囲まれて、互いに紙切れを見せ合っているようだ。私と目が合うと、満面の笑みで、手を振ってくる。
 何だ、あのフワフワした男子は。彼は、私には、かなり理解不能な生き物に思えた。
 色素の抜けた茶色の髪、というよりも、それは金髪に近かった。その金髪を、頭のてっぺんで、人形のキューピーのように結んでいる。しかも、これでもかというほどにレースがついたピンク色のシュシュ(それくらいは知っていた、最近、花梨に教えてもらったのだ)で、だ。ひょろりとした細い身体には、ネクタイをゆるく結んで、ひらひらした白いシャツを纏っている。肌は、浅黒く、どう贔屓目に見ても日本男子には見えなかった。
「花梨、あれは?」
 私は、基本的に他人にあまり興味がない。そんな私が、同じクラスになったばかりの男子の名前を知っているはずもなかった。まあ、あれだけ目立つ容姿をしているのだから、仮にも二年間同じ学校で生活していたのであれば、知っていても当然なのかもしれないが。
 花梨は、「え、知らないの?」といった顔をしながら、「まあ、ちーちゃんだからねえ」、と、私にとって何だか納得のいかない納得の仕方をしながら、
「小野雄征くんだよ」
と、そのチャラ男の名前を告げた。
「お、の、ゆ、う、せ、い」
 名前を区切りながら、それを頭の中で一巡してみる。やっぱり、私の記憶の中に、その名前はなかった。
「補足すると、ああ見えて、書道家の息子さんで、小野くんも書道やってるんだって。書道部の部長さんだしね。で、ルックスもああだから、女子にも大人気」
 ルックスもああだ、というのを聞いて、改めて小野の顔を見直してみる。
 確かに、小野は整った顔立ちをしていた。あの金髪も浅黒い肌には、よく似合っている。鼻はすっと高く、目は吸い込まれそうなほどに大きく澄んでいた。よくよく見ると、身体も単に細いだけでなく、細いなりに筋肉質だ。特に、長袖をめくった裾から伸びた腕には、しなやかで柔らかそうな筋肉が見てとれた。
舐めるように小野を見ていると、小野は私の視線に気がついたのか、こっちに視線を向けた。
当然、目があった。それから、周りに群がっていた女子を掻き分けるようにしながら、どうしたことか私の方へ向かってくる。
私が小野から目を離せないでいるので、ふたりの視線は絡まったままだ。小野は、私の正面に立つと、
「もしかして、細川さん、委員長?」
と、首を傾げた。
 どうして、私の名前を知っているのだろう。いや、高校生活も三年目になれば、同級生の名前は知っていて当然なことなのかもしれない。
 その言葉を受けて、白い紙片を開き、文字が小野に見えるようにしながら、私は頷いた。
 小野も同様に、私の目の前で紙片を開く。
 そこには、同じような汚い文字の羅列で、
『クラス副委員長』
と、書かれてあった。
もう一度、小野に目をやる。
小野は、菩薩もかくやというようなアルカイクスマイルを浮かべると、
「細川さん、よろしくね」
と言い、私に左手を差し出した。
 くらり。眩暈がする。このチャラ男と、一学期間を共にするのかと思うと、口から内臓が出てきそうだった。小野の肩越しに、さっきまで小野に群がっていた女子たちの悔しそうな顔が見える。嫉妬と羨望の眼差し。ええい、変わってやれるのなら、喜んで変わってやるものを。教卓の前で仁王のように立ちはだかっている稲尾に、「変わってもいいか」と涙目で懇願してみたが、さっきの仕返しだとでもいうように、にやりとしながら、嬉しそうに首を横に振った。
 小野は変わらず、微笑んでいる。女子たちが魅力を感じているのであろう小野のその笑みは、私には、悪魔の笑みにしか思えなかった。仕方なく、私もしぶしぶと左手を差し出した。まあ、一学期は大した行事もないことだし、とりあえずは恙無く過ぎていくだろう。そうでも思わないと、やっていけない。
 左手に小野の温かい体温を感じながら、「手が冷たい人は、心が温かいんだったら、手の温かい人は心が冷たいのか?」という疑問を抱いていると、若干荒みかけた私の心へ、さらに追い討ちをかけるかのように、稲尾の止めの一撃が飛んできた。
「ああ、学級委員も今年は通年だからな、ふたりともよろしく」
 は?
 思わず、竹刀の柄を握りしめるかのように、私は、小野の左手をしっかりと握り返していた。

ぴすたちお。 2

ぴすたちお。 2

剣の道を極めようとする少女、細川千弥子。孤独を愛する彼女が、好きになったのは、学年でも有名なチャラ男、小野雄征だった。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-08-26

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