地の濁流となりて #16
第四部 統治者機構編 議会都市にて
ラスーノの中枢都市チェルソゴは,別名「議会都市」とも呼び慣わされていた。王政を敷くヴァルタクーンと異なり,ラスーノはさまざまな議会を通じて選ばれた代表者により統治されていた。国政議会,市政議会,民生議会にはじまり,防衛議会,衛生議会,食料議会などもあった。一定の年齢を超えるものは,自薦他薦を問わずいずれかの議会に属す。そして各議会の建物が,街のいたるところに設けられ,居住地区がそれを囲っていた。
この「議会都市」の最高議会が,普遍議会であり,それぞれの議会の代表者が議席を占め,さらにその代表者たちの中から統治者が一人選出される。ラスーノの現統治者は,レボトムスが口にしたマルムークという人物であった。
箱型の馬車に乗せられて連行されたパガサとマンガラは,窓ひとつない暗い車内で揺られていた。分かることといえば,体で感じる道の凸凹と,ときおり聞こえる御者の怒鳴り声だけだった。後手にはめられた金属はそのままに,抵抗しようにも体ごと甲冑の手という手に抱えられて,この乗り物に投げ込まれていた。
「パガサ,ぼくら,どうなるの。どこへ連れて行かれるの。」
扉が閉められ,床が動き出したとき,マンガラは独り言のように尋ねた。しかし,パガサもどこへ連行されるのか,予想すらできなかった。ヴァルタクーンの別の場所か,それともヴァルタクーンの外か。ただ,「どうなるのか」は,評議会会長カプティロが去り際に放った言葉から十分に推測できた。
赤い布の敷いてある部屋で,二人はレボトムスとカプティロの声を背後で聞いていた。話し合いが終わったのだろう,レボトムスの甲冑が軋り,重々しい摩擦音が遠ざかって行った。その後,裾を擦る音がして,初老の男性がパガサとマンガラの前に現れた。紫色の長衣を身につけ,長いひげは先を紐で結んでいる。二人を見下ろす眼は一見憂いに湛えているが,その奥は怪しく光っていた。
「話は決した。お前らには人質になってもらおう。身はルーパの他の民の動向次第だ。有象無象が集まろうが,恐れるに足らぬ。だが,念には念を。少なくとも,お前らを送り出した里の民は,無視できまい。となれば群衆も。」
含み笑いを崩さないまま,衛兵たちに何事かを告げ,カプティロ評議会会長はその間から出て行った。自分たちがどこの里の民かは知られていない,その事実をひとつの幸運とパガサは最初考えた。土の民と知られれば,即里の者に迷惑をかける。けれど,諸々の民が参集している場に引き出されることを想像すると,自分たちがどこの里の者かは,もはや問題ではないと悟った。
「マンガラ,どこへ連れて行かれるかは分からない。けど,ぼくらは里みんなの,いや,すべての里の人質になるんだ。なんとかしなければ。」
カタランタのことが思い浮かんだ。いつもぼくらを助けてくれたカタランタ。ずっと秘密を隠していた。それがぼくは嫌だった。けど,それは全部ぼくらのため。何かを準備するのに必要な秘密だった。そのカタランタが,毒の針で刺されて。カタランタ。でも,ぼくらは里を「輝石」から救う。だから止まらないよ。マンガラと二人で何とかしてみる。パガサは唇を噛み締めた。
どのくらい暗闇の中で揺られていただろう。パガサは知らないうちに眠ってしまっていた。眼を開けても光はない。連れ出されたのが夜だったから,次の夜になってしまったのか,それとも眠りに落ちたのが一瞬だったのか。
「ねえ,止まったね。休んでいるのかな。」
先に起きていたパガサが暗がりから声を出す。揺れは止まっていた。繋がれている馬の呼吸が,かすかに外から聞こえる。馬が立ち止まっているということは,マンガラの言うように休憩でも取っているのだろうか。「パガサ,お腹すいたね」とマンガラが続けようとしたときだった。ガチャガチャという金属の触れ合う音がして,箱の扉が開けられた。
「おい,出ろ。」
橙色の灯りに照らされて,パガサとマンガラは視界を失った。両手は自由がきかないので,うつむいて光をやり過ごす。その仕草に,外にいた者はいらだったのか,もう一度,今度は大きな声で「早く出ろ」と言った。それでも,長い間,直に木の板に座っていたからか,立ち上がろうにも四肢がこわばっている。そう訴えようとしたとき,パガサの腕は無言でつかまれた。その手に金属の冷たさはなかった。
「あの,ここは。」
つい口をついて出た。衛兵の甲冑の手ではない。柔らかい素手だ。ということはヴァルタクーンではない。そうパガサは直感していた。
「チェルソゴだ。なんだ,お前ら,何も聞かされていないのか。」
そう答えた者は,体の線にそった白い布をまとっている。やや長めの袖に大きな赤い丸印が刺繍されている。灯に目が慣れてきたパガサが確認できたのは,その見たことのない服装と,チェルソゴという聞いたことのない名前だった。ぼくらはどこへ運ばれて来たのだろう。
「おい,こいつらをどうするか,カプティロ様から聞いているか。」
別の男が横から尋ねた。カプティロ様,ということは,ここはラスーノ国か。あのラスーノの男は「評議会議長がラスーノから来ているのに」と言っていた。では,一日も箱のなかで揺られてきた訳だ。しかし,ラスーノに連れてきてどうしようというのだろう。ぼくらは「人質」になるはず。尋ねられた男が「とりあえず,民生議会場でも連れて行こう」と言うのを聞きながら,パガサは考えていた。
議会通りと名付けられた,居住区と議会場を分かつ大通りには,煉瓦を幾何学的に積み上げた建物が連なっている。時計回りをすると,通りに沿った内側に食料議会,衛生議会,市政議会,国政議会と,横長の建築物が続く,それらの作る円形の中央に配置されたのが普遍議会である。二人が連行される民生議会は,衛生議会と市政議会の間にあった。
もちろん,こうしたチェルソゴの都市構造など知らず,突然に大通りへ降ろされたパガサたちには,どれがどの建物なのか区別できない。パガサが抱いたのは,マールとも違い,ヴァルタクーンとも異なる,「それほど高くない平らな建物の街」という印象だった。尖塔や王宮など,そびえ立つ壮麗な煉瓦積みを見てきたその目には,その印象も当然だった。開けた星空の道を,二人は連れられていった。
「そいつら,犯罪者じゃないのか。どうして採決保留所なんかに連れて行くのだ。」
民生議会場の扉を抜けてすぐ脇にある詰所。そこに迷惑そうに座っている門番は聞いた。首を出して覗いたその眼に入ってきたのは,二人にしっかりはめられた鉄の枷の鈍い光だったからだ。
「俺たちも知らないんだ。どうもカプティロ様の裁量らしい。とにかく,採決保留所に入れておいてくれ。犯罪者じゃないなら,そこしか入れるところはないだろ。」
疑わしそうな顔つきをしていた門番は,明らかにカプティロの名に反応を示して顔色を変えた。評議会会長はルーパの長老たちにのみならず,ここラスーノでも権威を持つらしい。そそくさと詰所から出てくると,門番の男はパガサたちの身を引き取り,赤い絨毯が中央に敷かれた廊下を,奥へと押すように後ろから鉄の棒でつついた。つつきながら何やらぶつぶつとつぶやいている。その内容に,パガサは眼を見張った。
「ただでさえ夜番が長くなっているのに。統治者機構の会合なんて,別の場所でやればいいじゃないか,まったく。」
統治者機構。レボトムスとカプティロの話に出た名前。そう言えば,あの義人たちが現れたことで,「次の会合では」マクレアの発言権がどうとか言っていた。マールのエル・レイが以前に教えてくれた諸部族の集まり,あれと関係があるのだろうか。少なくともマクレアはその「会合」に出るのだ。パガサはそこまで考えたが,それ以上のことは何も頭に浮かばない。
「あのう,何か食べ物をもらえませんか。お腹が凹んで,背中にくっつきそうなんです。」
マンガラの言葉にお腹が低い音で呼応する。門番が「チッ」と舌打ちした。単なる犯罪者ではなくて,カプティロに留めおくように命じられた身柄,いかように判断すれば良いか分からないようだ。門番は「まったく」とまた一つため息をついたが,マンガラとそのお腹には何も答えなかった。
採決保留所は,煉瓦造りの鉄格子が挟まった部屋だった。いかにも罪人の逃亡を防ぐための間だと思われるが,格子の目的は別にあった。民事に関わる決裁の前に,被告と原告の接触を防ぐために設けられていたのだ。実のところ,部屋の中には廊下と同じ灯が備えられ,中央には石の台座,側面には,腰掛用にと,立方体に削り出された石がしつらえられていた。
枷の鍵はもちろん持たず,具体的な指示も与えられていない門番は,二人を部屋に入れると,二人をつつくのに使っていた鉄棒を,外から扉のつっかえにした。これでは格子の隙間から手を出せば内側からも外せる。門番も首を傾げながら,このその場しのぎの監禁をしばし考えているようだったが,二人の後手の枷をもう一度確認して,「まったく」とつぶやきながら去って行った。
「パガサ,これどうする。逃げられそうだけど。」
てっきり空腹を訴えると思っていたパガサは,マンガラの言葉に驚いた。だが,驚きながらも,「仮に」と考えざるを得なかった。たしかに,このつっかえは外せる。手の枷もそのままで逃げることはできる。けれど,ここから逃げたとしてどうなるだろう。「輝石」の危険性とカラクリは理解できた。あれは除去するしかない。ただ,その手段は見当もつかない。逃げたところで。
ふうと深くため息をついたパガサを,マンガラは一種不思議な表情をして見つめた。良い意見を言ったはずなのに,という想いがあったのかもしれない。カタランタがいない今,自分たちで考え,自分たちで行動するしかない。だから,まずは逃げ出す。その発想の何がまずいのか,マンガラには分からない。
「ねえ,パガサ,このままここにいてもどうしようもないよ。」
マンガラが口を尖らせた。そのとき,すっと軽やかな隙間風が吹いた。いや,この民生議会場の奥,窓も無い決裁保留所で風が生じる訳はなかった。正確に言えば,隙間風が吹いたような感じがした。原因を探ろうとして,二人は同時に眼をあげた。何かに吊るされたように,ゆっくりと空中から降りてくる者がある。艶やかな色彩の衣をまとったその人物に二人は見覚えがあった。
「ブッフォ。ここにどうやって。」
時を旅する者ブッフォ。音なく現れ,音なく去る不可思議な能力を持った人物。パガサとマンガラは声をそろえてそう言ったきり,次の言葉が出なかった。呼ばれたブッフォの方は,かすかな笑みを浮かべ,ふわりとレンガの床に降り立った。
「マールで逢って以来かな。おや,あの者は。そうか,ヴァルタクーンの「不安王」にしてやられたか。これは,これは。」
カタランタのことを言っている。すぐにそれと気づいたパガサは,ブッフォを睨んだ。「してやられた」訳じゃない。ぼくらを必死に守ろうとした,守ろうとして毒針にやられた。あんな卑怯なやり方で。睨みながら,またパガサの眼に涙が浮かんだ。歪んで見えるマンガラも,同じように涙を浮かべて睨んでいる。
「落ち着け。何も侮辱はしとらん。「境の民」は結束が強い。それに別の味方もおる。あの者も助かるかもしれん。それはそうと,ここに来た理由は聞きたくないか。」
ブッフォはカタランタの正体を知っていた。その事実が驚かせ,二人は涙を流し続けてはいたが,睨むのを忘れて口をぽっかり開けていた。らちが開かないというように,ブッフォは再度「ここに来た理由を聞く気はないか」と尋ねた。言うまでもなく,二人は知りたかった。これまでも得体の知れない能力で,自分たちを導いたり助言をくれたりした,今度も。
「お前たちは統治者会議に出るのじゃ。ルーパの真の代表者としてな。」
この言葉には,二人はすっかり驚愕し,発したブッフォの方が,またもや二人の心が落ち着くのを待たなくてはならなかった。
地の濁流となりて #16