ぴすたちお。 1
新学期。春うらら。校庭に無数に並ぶ桜木が風に煽られ、その花びらが空をピンク色に染めながら、ひらひらと舞う。それを、私は、教室の窓からぼんやりと眺めていた。
私は、桜が好きだ。
諺に、花は桜木、人は武士、とある。元々はとんちで有名な一休宗純禅師の言葉とされていて、正確には、この後にも続くらしいが、私はここまでしか知らないし、これ以上を知ろうとも思わなかった。桜は散り際が美しく、武士もまた死に際が潔い。つまりは、この世からの去り際が美しく潔い、それこそがもっとも素晴らしいのだという、日本人の精神のなんたるかを、これだけの少ない言葉で、十分に表していると思うからだ。
古臭いと言われるかもしれないが、剣の道を究めることを志している私にとって、潔さを人の模範とし、武士道の例えとされてきたこの言葉は、私の座右の銘でもあった。決して士農工商という階級制度を礼賛しているわけではないけれど、武士として生き、そして武士として死ぬことこそが、私にとって崇高で尊いことのように思えた。
「ちーちゃん、おじいちゃんみたい」
親友の花梨は私のことを、笑いながら、そう称する。確かに、自分でも時代錯誤だと思うが、しょうがない。流行の歌も芸能人もほとんど知らないし、多分、同じ年頃の女の子が好きなものには、まったくといっていいほどに興味がなかった。ただ、唯一執着し、心を寄せられるものが、剣の道だったというわけだ。
私は、仕事で忙しかった両親の代わりに、父方の祖父母の下に預けられ育てられた。祖父は小学校の校長先生をしていて、孫の私にはとてつもなく甘かったが、父にとっては、とても厳格な父親だったそうだ。所謂、地震雷火事親父、という絵に描いたように典型的な日本の父親像。さらには、剣道の師範代として道場を開いていたのだから、その恐ろしさは父にとって、計り知れないものだったであろうことは想像に難くない。
私は、そんな祖父の背中を見て育った。自宅の敷地内にある稽古場で木刀を一心不乱に振る祖父の傍らで、見様見真似で、祖父が作ってくれた小さな竹刀を振った。それを祖父は嬉しそうに目を細め、いろいろと教えてくれた。それが、私が剣の道に目覚めた最初の記憶だ。
祖父は、普段は優しかったけれど、こと剣に関しては厳しかった。小学生になって、祖父の通う道場の門下生となってからは一層だった。泣き言など、許されるはずもない。稽古中、不可抗力ではあるが、床や壁に叩きつけられ、脳震盪になったことも一度や二度ではない。猛暑に脱水症状を起こして、救急車で病院に運び込まれ、入院したこともある。
さすがに見かねた祖母が、祖父に「千弥子は女の子なんだから」と、珍しく意見をしたらしいが、祖父は「性別は関係ない、千弥子は千弥子だ」と、それを一蹴したそうだ。
私は、病院のベッドの上で、「ごめんね」と謝る祖母から、祖父のその言葉を聞き、「大丈夫だよ、おばあちゃん」と言いながら、内心、密かに喜びを覚えていた。
祖父は、私をひとりの人間として認めてくれているのだ。子どもだから、女だから、そういった一括りにしてではなく、ひとりの人間として、ひとりの剣士として私のことを見てくれている。それが、私は何よりも嬉しかった。そして、その時から、祖父の為にも、私は、剣の道を究めようと心に誓った。
中学校に進学すると、学校の剣道部から、かなり熱心に入部勧誘をされた。小学生のころに市や県の大会で毎回上位入賞をしていたのもあってか、どうやらこの界隈で剣道をやっているものから、私は一目置かれていたらしい。ただ、今考えると、市の剣道連盟会長だった祖父の影響も大きかったのかもしれない。私は、剣道部の部長だという、その坊主頭の先輩からの申し出を、丁寧にお断りした。理由は、至極簡単なことだった。
「お遊びで、剣を振るうほど、私は暇ではないのです」
そう告げた。
その言葉を聞いて、彼は、驚いたように目を見開いた。それから、私が言っていることが、冗談ではなく本気だと分かると、
「君は、ひとりなんだね」
と、悲しげに呟いた。
「ひとり?家族もいるし、ひとりじゃないですよ」
彼の言っている意味が、よく分からなかった。正直、今でも分からない。先輩は、
「そういう意味じゃないよ」
苦笑しながら言うと、さらに続けた。
「細川さん、確かに剣の道は孤独なものだし、自分との戦いだと僕も思う。でもね」
そこで、いったん台詞を区切ってから、
「だからこそ、ひとりでは成し得ないこともあるんだと思うよ」
と言い、「良かったら、いつでも体育館下の柔剣道場に来て」と付け加えた。
結局、私には、先輩が何を言いたかったのか、理解できなかった。でも、あの時、そう思ったことに間違いはなかったし、実際、私には時間がなかった。
剣の師匠でもある、祖父の生命が尽きようとしていたのだ。病院のベッドの上で、無数のチューブに囲まれて横たわる祖父。意識も日に一度戻るか戻らないか。私は、祖父との、その一瞬の偶然に出会いたいのと、看病疲れの祖母のために、病院に日参した。学校と病院と家との往復。そして、その合間に祖父が入院してから閉鎖している道場で、竹刀を振った。どんなに身体がきつくても、それだけは怠ることができなかった。私が、竹刀を振ることで、祖父の消えかかった生命の灯火が、また赤々と燃え盛るような気がしたのだ。怠れば、あっけなく祖父は消えてしまう。
私は、毎日、懸命に竹刀を振り続けた。
そして、その偶然は、奇跡的に訪れた。
「千弥子、おばあちゃん、売店に行ってくるね」
祖父が入院して、半年。祖母の顔には、疲労が色濃く滲み出ていた。それでも、私を心配させまいと、気丈に振舞う。やはり、祖母は、この祖父の妻なのだと、私は、もちろん祖母へも尊敬の念を抱いていた。
「いってらっしゃい」
手を振り、病室の外へ祖母を送り出すと、私は祖父が眠るベッドの横に椅子を動かした。そして、祖父の顔を眺める。祖父は穏やかな顔をしていた。それが、とてつもなく怖かった。入院してから、私は日参しているにも拘らず、一度も祖父と話をしていない。
祖父に会いたい。話がしたい。
私の願いは、祖父に通じないのだろうか。半分、恨みがましく、祖父の顔をじっと見つめる。
そして、偶然の奇跡が起きた。
ゆっくりと、祖父が目を開ける。私は、その様を、ただぼんやりと見ていた。祖父は、目を開き、視線を私の方へ向けると、
「千弥子」
静かに私の名前を呼んだ。それから、
「病院のベッドの上なんかで死ぬのは嫌だ。私は、家に帰りたい」
と、呟く。私は、祖父の手を握り、泣きながら、大きく頷いた。
祖父は、私と会えるのをずっと待っていたのだと言った。祖母にも、ましてや医者になど理解してもらえないだろうが、私ならすんなりと自分の気持ちを分かってくれるだろうと思ったと、家へと向かうタクシーの中で、掠れた声で祖父は話した。その声に、以前の様な力強さはなく、私は悲しくなる。が、それを祖父には悟られないようにした。
病院からの脱出は、比較的簡単だった。休み明けの月曜日だったということ、午前中の回診も終わったばかりということもあって、誰も個室に入院している祖父を気にかけてはいなかった。私は、祖父に纏わりついているコードやチューブを外した。その前に、機械の電源を切ることも忘れなかったけれど、果たして、それに効果があったのかは、分からない。ただ、一番先に祖父がいないことに気が付くであろう祖母は、すぐに祖父を探したりはしないだろうな、という確信があった。
タクシーから降りると、祖父はすぐに道場に行きたいと言った。言われるがまま、私はともすれば倒れそうになる祖父を支えながら、道場へと連れていく。
道場は、いつもと変わりない様子で、私たちを迎えてくれた。神棚に深く一礼を捧げ、一歩踏み込む。
きしり、きしり。
床板が鳴った。その音を、目を閉じたままで、祖父は聞いていた。その表情は、柔らかかった。
「ここでいい」
祖父は、道場の真ん中あたりまでくると、私に止まるように指示した。
「千弥子」
「なあに、おじいちゃん」
答えながら、いつしか涙声になる。ここでは、大きな声の祖父しか記憶にはない。こんな、弱々しい、消え入りそうな声をした祖父の姿を見たくはなかった。
「ああ、泣くんじゃない、泣くんじゃないよ」
泣きじゃくる幼子をあやすかのように、祖父は私の頬を伝う涙を拭う。
「おじいちゃん、私、私」
言葉が続かなかった。嗚咽だけが、咽喉から漏れ落ちる。
「最後に、お前に一番辛い役目を担わせるなぁ」
祖父は、自嘲的に微笑み、道場の正面、神棚の下に飾ってある家紋をじっと眺めた。
「この桜紋に見守られて、私は旅立ちたいんだよ、千弥子」
祖父の視線の先にあるのは、わが細川家の家紋、桜紋だった。ハートの形をした五枚の花弁が、大きな花一厘を成している。
武士道のたとえとされてきた桜も、逆に言えば、すぐに花が散ってしまう様が、家督が長続きしないという想像を抱かせたため、桜を家紋とした武家は少ないらしい。細川氏は、もともと「二つ引き両」を用いたが、南北朝時代の頼之のころより桜紋を使用したという。桜紋を家紋にするのは武家の中では珍しかったことから、細川管領家の「物好きの御紋」と伝えられているらしい。
実際のところ、私や祖父が桜紋を愛用していた細川頼之の末裔かというと、どうにも眉唾もののような気もするのだが、それでも細川の名にちなんでか、細川桜を家紋とした先祖を、私は誇りに思う。
「花は桜木、人は武士」
紋を見据えたままで、祖父がぽつりと呟いた。
「私も、桜のように潔く散りたいと思っていたが、心残りが有りすぎて、なかなかすんなりとはいかんようだ」
心残り。
それが、何を指しているのか。私には、分かっていた。祖父母が私に秘密にしていると思っていること。でも、私はその秘密を知っている。そして、祖父母も自分たちが秘密にしていることを、私が知っていると知っている。
ただ、その秘密は、あまりにも重く、もちろん気軽に口にすべきことでもなく、お互いに気兼ねしているうちに、そんな事実も秘密もなかったことのように、日々を過ごしてしまった。
祖父は、そのことを言っているのだろう。
「千弥子は、知っているんだな」
私は、無言だった。でも、それは肯定の意を表していた。祖父には、それが通じたのか、黙って頷き、
「あれには、悪いことをした」
と、言った。あれ、とは、祖母を指している。祖父は、心底、申し訳なさそうな顔をし、まるで昨日のことのように項垂れた。
「それから、あれにも、な」
今度のあれが指すのは、父のことだ。父は、子どものできなかった祖父母が、施設から養子にした子どもだった。
「あれは、きっと私のことを恨めしく思っているだろう」
「……」
そうでないとは、言い切れなかった。でも、父が祖父を恨んでいるのだとすれば、それは、同時に私のことも恨んでいるだろう。それは、間違いなかった。
「千弥子、でもな、私は、後悔などしていない」
掠れる声で、でも毅然と、祖父は言う。
「もし、もう一度、あの時間が戻ったとしても、私は必ずそうするだろう」
その声には、迷いや揺るぎは一切なかった。
「最後に、千弥子」
祖父は、目線を私にやると、じっと私の目を見つめ、力ない手で手を握り、
「ありがとう、それから、すまなかった」
と呟き、ゆっくりと目を閉じた。それが、最後の言葉だった。
私は、祖父を床に横たえた。それから、両手を胸元で交差させた。何となく、そうすることが正しいような気がしたからだ。
使い古された表現だが、祖父はまるで眠っているかのように見えた。今にも目を開けて、私の名前を呼びそうだった。
自分でも不思議なことに、涙は出なかった。あまりにも現実感がないからなのか、実感として祖父の死を理解できていないからなのか。
私は祖父の横に身体を並べてみた。祖父が生きていたときには、決してできなかった行為だ。そっと、祖父の身体に手を回す。まだ、ほんのりと暖かかった。ぎゅっと抱きしめる。そして、最初で最後の言葉を祖父の耳元で囁いた。
「さよなら、お父さん」
私の頬を、涙が止め処なく零れ落ちた。
ぴすたちお。 1