Fate/defective c.18

矜持(女王)

 夜明けの日比谷公園を、薄明が浮かび上がらせる。
「素晴らしい。実に、素晴らしい。まごうことなき殲滅。まごうことなき完勝」
 青々とした芝の地面は抉られ、そびえ立っていた木々は薙ぎ倒され、白亜の建物たちは軒並み崩れ落ちている。その大災害の後のような惨状の様相を呈する広場の中央で、男、アーノルド・スウェインはゆっくりと拍手をした。
 積み重なった土砂塊の向こう側、アーノルドから少し距離を取るように立っているのは、黒いマントに身を包み、翡翠の双眸をもつ青年。彼、バーサーカーは周囲の様子には興味が無さそうに視線をゆるりと移ろわせた後、アーノルドを見た。
「弓兵が残っている」
 その呟きに、アーノルドは熱の無い目をバーサーカーに向けた。
「奴等は構わんよ。放っておいたって向こうから来る。それよりも、だ」
「……ああ。それよりも」
 二人の意見は一致していた。アーノルドは顎で、ある方角を示す。
「お待ちかねだ。遠慮なく、獲りに行くがいいよ」
 バーサーカーは頷く。だが、その目に昏い光が湛えられたのをアーノルドは見逃さなかった。
 アーノルドも頷く。彼の眼光が鋭く自分を見定めたのを、バーサーカーもまた、見逃すことはなかった。

「さあ。聖杯は、我が手に在る」


-
 時間は数十分前に遡る。


 私は少し離れたところから、マスターらしくサーヴァントの戦いを見ていた。だが口は呪文の詠唱をすることをやめなかった。治癒魔術と違って、傷を治すものではない。これはただの簡単な痛み止めだ。キャスターとアサシンがせめて普通に動けるようになるには、これしかない。
『あの宝具が僕の知識と同じものなら、アレは自然ならざる治癒を認めない』
と言ったのは、さきほど突然現れ、去っていったライダーのマスターだ。何日か前に宝具を撃とうとしていたのを止めたというだけの間柄の少年は、私にそう言って忠告した。
『冥府の宝具は自然の摂理に絶対的だ。癒える傷は癒える。死に至る傷なら、そのまま彼女たちを死の底に引き摺りこむだけ。―――お前は、どうする?』
 火傷痕の中の眼が鋭く私を見定めた。
『私は聖杯を取る』
 そう言い放っても、彼は表情を変えなかった。
『私には為すべきことがある。それは誰にも譲れない。例えこんなめちゃくちゃな聖杯戦争だろうと、サーヴァントが片腕を失くそうと、最終的に聖杯を獲ったら勝ちだ。そのためには、あのバーサーカーを討つ』
 何を犠牲にしてでも、この日の為に生きてきた。
 兄の苦痛に報いる為。二度と誰も苦しまない世界を作る為。そのためなら、他の何を犠牲にしたって惜しくは無い。
『―――そうか。そうだろう。なら邪魔はしない。いや、むしろ手伝おう。あのバーサーカーを討つためなら』
 彼はそう言って、私の元から立ち去った。そしてキャスターと、マスターが一向に見当たらないアサシンの為に詠唱を続けながら、今に至る。
 ここから二百メートルほど離れた音楽堂の方で、キャスターとアサシンは戦っている。奇襲が成功し、それを見計らったかのようにあのライダーの少女も現れた。
 三騎対、一騎。負けるはずがない、そう高をくくって、あのアサシンのマスターはいったいどこで何をしているのやら、と溜息をついた。


 その慢心していた自分の鼻をへし折りに行きたい気持ちだ。

「な―――――」
 空を駆けあがるバーサーカーの影をただ見つめることしかできない。
「なぜ、バカな、そんなことが」
 宝具を連続で使うなんて。マスターが付いたとはいえ、サーヴァントに出来る芸当ではない。心臓が早鐘のように打ち、嫌な汗が背を伝う。詠唱を続けていた唇と喉はからからに乾ききっていた。
「一体、どこから魔力を――!」
 そんなことより、このままここにいたら危険だ。いや、逃げたって次にどんな宝具が来るか分からない。彼の真名は何だ? あの老人の魔術師は何者だ? 
 私はどうすればいい?
「クソッ……!」
 舌打ちと同時に黎明の空に到達した狂戦士が、高らかに叫んだ。

「――――――『騎英の手綱』!」

  天馬の嘶きが空にこだまする。
  それは死を告げる晩鐘のごとく。どこまでも輝かしく、眩しい。
  空を走る黄金の天馬がこちらへめがけて真っ直ぐに、彗星のように飛び込んでくるのを目にした私は、いよいよ死を覚悟した。

 ごめん、ブラヴァツキー。
 ちょっとばかし、急ぎすぎたかな、私―――――


 その時、轟音と共に「何か」が起こった。
「……何、が」
 目の前の地面に亀裂が入り、隆起していく。私はうねる大地の上で、バランスを崩してごろごろと転げまわった。地面に根を下ろしていた木々は隆起の勢いで文字通り根こそぎ掘り返され、大地震の轟音と共にざわざわと不吉に枝をくねらせている。
「ちょっと、何、これ! これも宝具!?」
 その時、黄金の翼が目の前に降りてきた。幾本の流星群を従えて、天馬を制する金の鞭が、ビュンと唸る。
 物凄い熱量で周りの木や建物は燃え、降り注ぐ無数の星が夢の景色のように空を覆い尽くしているのに、なぜか私の身体には届かない。
 そして、私は見た。
 裂けた大地から突き出した巨大な柱が、バーサーカーを背に乗せた天馬を抑え込んでいる。
 バーサーカーの表情はさすがに遠くて見えないが、その土の巨柱はまるで警棒のように宝具たるペガサスを封じ、加えて、地面から青芝を撥ねあげて石の鎖が突き上がった。
「まさか、これは魔術か? 信じられない……」
 ひとりごちた私の身体のすぐ傍から、ジャラララッと音を立てて石の鎖が飛び出していく。鎖たちはそのままペガサスに絡みつき、それを完全に封じ込めた。
 しゃがみこんで呆然とそれを見ていた私の耳に、ふと声が届く。
「おい! 何ぼけっとしてんだ、立て!」
 視線を地面に戻すと、隆起でできた丘を駆けあがってくる人々の姿が見えた。先頭を走っているのは―――ライダーのマスターか。
 あ、と言う暇も無く、ぐいっと腕を持ち上げられた。
「死にたいのか? それなら置いていくが。アレは長くは持たない。今のうちに走って逃げる気があるなら、さっさと立て」
「何、どういうことだ? アレは何だよ?」
 ライダーのマスターは焦ったように舌打ちをした。物わかりの悪い部下に腹を立てる上司のようだ。そして少しして、顔を歪める。苦いものを我慢するような、そういう顔だ。その目は、何故か悲しげにすら見えた。
彼はゆっくりと私に告げる。
「説明している暇はない。魔術で身体強化して逃げようったって無駄だからな。ここじゃ魔術は使えない。死にたいなら残れ。生きたいなら走れ!」
 そう言い捨てて、彼はさっさと走り去った。後ろにいた少年、この女性的な顔立ちは――ランサーのマスター。その細い背には見知らぬ外国人の少女をおぶっている。彼は私を一瞥して、すぐにライダーのマスターの後を追った。
「何だよ……クソ、わからん」
 だが生きるか死ぬかと言われれば、死ぬ気は毛頭ない。私はふらつく足で立ちあがり、雨と瓦礫でぐちゃぐちゃになった地面に足を取られながらも駆けだした。
 すぐ横を、空から降ってきた隕石が掠める。熱い。木々は燃え、水溜りが蒸発して水蒸気を上げる。これほどの熱気の中にいるのに、傷一つ負わないのは、このおかしな地面に張り巡らされているらしい魔術のおかげなのだろうか。
 私は走りながら後ろを一瞬振り返った。その時、一つの疑問が頭をよぎる。
 ―――キャスターは?
 キャスターだけではない。よく見れば、ライダーのマスターとランサーのマスター、そしておぶわれている少女はいるが、サーヴァントは一人も見当たらない。
 まさか。
 


 
 走っていくマスター達を見ながら、わたしはふっと息をついた。
「皆さんは、いいのですか?」
 鎖に固められた天馬を見上げる三騎に問う。
「あなたこそ、いいのですか、追わなくて。監督役とはいえ、宝具に巻き込まれれば死にますよ」
 ライダーが静かに言った。その声には興奮や高揚は微塵も混じっていない。わたしは彼女の凛々しい立ち姿を見て、なぜか安心した。
「わたしは平気です。いざとなれば『とっておき』がありますから」
「強気ね。ま、蒸発しないよう結界くらいは張っておくといいんじゃない?」
 キャスターがわたしに向かってため息をつく。
「アサシンは? いいわけ? 何か言い残すことは。今ならエマがちゃんと聞いてくれるわよ」
「……特に無いでござるなあ。拙者は宝具も持たぬ、サーヴァントかどうかも怪しい――そんな者ゆえ、な。ああ、だが、そうだな」
 アサシンは涼やかな目元をこちらに向けて微笑んだ。
「あのマスターとは……あまり主従らしいことも出来なかった。それは少し、私には寂しくあるが」
 バキン、と大きな音を立てて、石の鎖が砕けた。連鎖するように、バキン、ガキン、と天馬に繋がれた鎖が砕け落ちていく。
「いよいよです。皆さん」
 ライダーが斧を構えた。左腕のないキャスターと、満身創痍のアサシンも身構える。
「あの狂戦士に鉄槌を。彼の暴虐は此処で終わりです」
 わたしは大きく息を吐いた。魔術回路を起動させた次の瞬間、最後の柱に大きく亀裂が入った。


-

 光が眩しい。
 今すぐにも、この石柱を突き破って、バーサーカーの宝具が展開される。もし地面に直撃すれば、この周囲に住んでいる一般人も巻き込んでしまう。そしてマスターも助かることはないだろう。だから私はここに残り、せめて宝具で対抗する、というのが私の意見だった。
 それを伝えた時、マスターははっきりと「駄目だ」と反対した。
「それはただの玉砕だ。そんな事のためにあんたを召喚したわけじゃない」
「ならばどうするのですか? 二人で、一緒にこの地に骨を埋めますか」
 那次は少し目を見開いて私を見た。少し遅れて、彼は無理やり自嘲的な笑みを顔に貼り付ける。
「それもあながち悪くはないな?」
「馬鹿なことを言わないでください」
「冗談だよ」
 ああ。数分前の会話が、人生の走馬灯のように目の前をちらつく。
「急いで。時間がありません」
「でも僕は――」
「那次!」
「僕は他人を守るためにお前を呼んだんじゃない!」
 私は拍子抜けしてマスターの顔を見た。そして同時に――悲しみが湧いてきた。
「なぜ? なぜ……そんなことを言うのです、マスター」
「ライダーが言ったんじゃないか。お前が僕の先の未来を拓く、と。それなのに、こんなところで死なれたら……僕は……」
 私はうなだれるマスターに困惑した。私はマスターさえ生きていればいいと言ったのに、那次は私と共に生きたいと願っている。それは――間違った願いではない。
 けれど。
「マスター。貴方は間違えています」
 私はマスターの目を見据えて言った。
「私は所詮、死者の名残。現在(いま)に引き摺りこまれた過去の亡霊です。女王ジェーン・グレイは目隠しをして、老人に手を引かれ断頭台で首を斬られて死んだ。そうでしょう?」
「……」
「過去に没頭することを悪とは言いません。けれど現在(いま)は、今を生きる貴方にしか変えられない。だから貴方はここを去り、生きていかなければならない。……よろしいですか」
 那次は簡単に首を縦に振らなかった。何度も何度も目を泳がせ、眉を寄せ、苦渋の表情を浮かべて考えていた。
 やがて彼はぽつりと零した。
「…………そうか。それがライダーの意思だというなら」
 流星の降り注ぐ空の下で、彼は真っ直ぐ私を見た。
「僕は敬意をもってジェーン・グレイを尊重する」

「だが、もしも、出来るなら……戻ってきてほしい」
 

 サーヴァントである私は、あまりにも脆弱で、きっと藁の一本にすら劣っていただろう。
 この絶体絶命の危機に対して私ができるのは、ただ自分が生涯で一度だけ与えられた、呪われた運命を投げつけることだけ。他のサーヴァントのように、誇り高い武勇を持っているわけでも、洗練された魔術の知恵を持っているわけでもない。もしこれが普通の聖杯戦争であったなら、私はすぐに倒されてしまっていただろう。いや、今だって、このバーサーカーが倒れれば「普通の」聖杯を取り合う聖杯戦争が始まる。
 那次にとってみたら、私はきっと大はずれのようなものだっただろう。けれど見放さず、ここまで一緒にいてくれた。時には頼りにさえしてくれた。そして真名を呼んでくれた。この私に、救いを見出してくれた。そして、最後には私の意思を理解してくれた。
 私にとって「意志を貫くこと」が、どれだけ重要で、大切なことなのか。彼はそれをわかってくれた。
 たった六日間と誰かは言うかもしれない。
 けれどこの六日間は、私には余りある奇跡だった。一六年より先の未来を、この世界は見せてくれた。
 その世界に、我がマスターに、ほんの少しでも報いる時だと、私は思う。

「私の数奇な運命よ。
私の呪われた玉座よ。
今ここに、前座の女王の悲劇を示し給え―――」

 私は、今日、再び終わる。あの日と同じ、自分の意志によって。

「『望まぬ王冠の行方(ナイン・デイ・クイーン)』!」

矜持(探究者)

「―――ええ。
 きっとこれが最期ね。わかってるわ。あたしはもう霊基もボロボロだし、アサシンだってそう。
 あたしにはわかる。彼には勝てない。
 メドゥーサを殺し、その鮮血から生まれた天馬ペガサスを操る英霊――真名を、ペルセウス。
 何があったのか分からないけど、ライダーじゃなくてバーサーカーで召喚されるなんて。
 ―――ええ。
 勝てない。そうね。そりゃ、英霊としては勝てっこないわよ。だって、向こうはギリシャ神話の半神の英霊ペルセウス、しかもバーサーカーで、言ってみれば象と三匹の犬が正面切って殴りあうみたいなもんよ。
 聖杯はあるのに、何故あたしたちを倒すのか。早い者勝ちなら、先に邪魔ものを始末しておこうってことなの?
 せっかく聖杯戦争に召喚されたっていうのに、そんな理由で倒されるなんて残念、心から。
 でもね、あたし、マスターには恵まれたと思ってるわ。
 もちろん、本当よ!
 ナナクサ。あなたは割と――あたしに似ていたから。

 生活はめちゃくちゃだし、女の子らしくないし、ぜんぜん気が合わないと思っていたけど。
 ―――ふふ。
 そうね。
 あなたの、真摯に信じ続ける姿はけっこう好きだったわ。
 『絶対に副作用の起こらない薬を。』
 どんな学問も、自然の壁を越えられない。人間には決して辿り着けない領域は絶対にある。けれど貴方はそれに絶望しなかった。屈しなかったのだわ。持てる力はすべて使って、自分の信じる道を進む、あなたの姿は良かった。
 生前(むかし)のあたしも、それくらい素敵に見えていたら良かったのだけど。

 何度も思うけれど、あのバーサーカーには勝てない。力では、絶対に。だってあたし、戦闘向きのサーヴァントじゃないもの。
 けれど――
 信念なら、どうかしら?
 思いに勝敗は無い。あたしも貴方も、誰よりも強い信念を持って生きてる。人には辿り着けないような万里の道すら越えようとする、そういう願いを。
 だからあたしは戦うわ。
 腕を失くしても。霊基が崩れかかっても。この心だけは、生前(むかし)現在(いま)も変わらないんだから!

 ―――ええ。
 よくってよ。このあたしに、任せなさい!

 ―――海にレムリア、
 空にハイアラキ、
 そして地にはこのあたし!

 『金星神(サナト)火炎天主(クマラ)』―――――――!

矜持(何者)

 思えば、私は誰かと剣を交えたいだけであった。
 
 この光り輝く敵の宝具を前にして、そんなことを思うとは、とあきれてしまう。だが、本当のことなのだ。
 マスターには伝えていないが―――私は本当の「佐々木小次郎」ではない。マスターが、本当の魔術師ではないように。
 或いは、少年時代に剣に魅せられ、一生を剣と過ごした孤独な男。
 或いは、ただの門番。
 或いは、「佐々木小次郎」の殻を被るのに都合のいい何者。
 生前(むかし)はただ、誰とも剣を交わさず、一人で剣技を極め続けた。だからこそ願うのだ。この剣技を強者と交えたい。それだけだ。
 何度斬られようと、何度捨て置かれようと。
 この聖杯戦争こそが私の目的を達成できる唯一の手段だ。
 何度斬られようと、何度負かされようとも。
 この聖杯戦争こそが生前(むかし)為し得なかった望みを叶え、孤独と離別できる最後の手段だ。

 マスター。
 だから私はバーサーカーに立ち向かう。
 この剣を交える相手がいるのならば、私はどんな状況でもそれに真剣に向き合う。相手が強者だろうと。いや、強者であればあるほど良い。
 それが叶うのならば―――

 聖杯など、要らぬのだから!

「之を見よ。
 我が秘剣、何処まで通じるか試さずして――何が剣士と言えようか。
 之を見よ。
 我が奥義、較べることも無しに―――何故散ることができようか!

 秘剣――――『燕返し』!」

散華

 もう何も、邪魔するものは無い。
 この面倒な小賢しい仕掛けも、じきに崩れる。あの監督役の魔術か、或いは霊脈か、何だか知らないがそれももう限界だ。
 相対するは三騎。

「愚かだ」

 信念に勝敗は無い?
 戯言である。甘言である。勝敗など、あるに決まっている。そうでなくては。そうでなくては!
 どれほどこの僕が伊勢三杏路のことを切望し、渇望し、宿望としてきたか。分かるはずがない。だから「信念に勝敗はない」など甘い言葉が吐けるのだ。
 真の不幸を救わず何が英霊だろう。
 他者の幸福を願わず何が英雄だろう。
 黄金の手綱を握る手に力が入る。目の前に立ちふさがる石柱にビシリと深い亀裂が走った。

「そこを、退け―――――!」

 鞭を振るう。手綱を握る。数多の流星を従え、ただ莫大な熱と衝撃を以て三騎に立ち向かう。
 石柱が轟音と共に砕けた。それと同時に、ライダーが断頭の斧を振りかぶって僕に咬みつかんばかりの勢いで飛び込んでくる。
「バーサーカー! 今ここで――倒れなさい!」
 ベルレフォーンの放つ熱線で霊基はボロボロのはずなのに、彼女は果敢にも斧の刃を僕の肩に突き刺した。それが抑止力となり、前に進めない。
 だが、それまでだ。
「それだけか?」
「いいえ……! キャスター!」
「よくってよ。上を見なさい!」
 頭上から少女の声が降り注ぐ。天には、謎の銀色の物体が飛行して……なんて無茶苦茶な。僕は思わず失笑した。
「行くわよ、オルコット!」
 その声と共に、何本もの光線がペガサスの羽を貫く。これにはペガサスも動じて、高い嘶きを上げた。
「そんな事をしても無駄だ! ペガサス、走れ!」
「いいや。それは無理だ」
 あ、と思って正面を向いた瞬間、胸元から突然血が噴き出た。
「あ、か……はっ」
 鉄臭い液体が気道を逆行して口から零れる。気付いた時には、目の前に満身創痍の群青色の青年が、赤黒く染まった刀を持って凛と立っていた。
「正気であれば十分に争いがいのある強者であったのだろうが、残念だ」
「僕では……力不足だと? そこまでやられておいて、何を傲慢な」
 アサシンは目を伏せた。
「違う。貴様とは、単純に力と技で争いあいたかったものだ、という意味だ」
「……は。そうかい。だが……知ったことではない!」
 僕は渾身の力で肩に刺さった斧の柄を掴んだ。これを振り払って進むのは無理だ。だから、ここで始末をつける。
「愚かだ。どうせこうなることは分かっていたはずだろう、何故立ち向かうんだ! 僕を止めることは出来ない。お前たちはここで死ぬ!」
 それでは、聖杯への望みすら捨てているのと同じじゃないか。
 僕にはわからない。ただ望むだけの僕には。
 わからないが、もう、考える必要は無い。
 ライダーは斧から手を離さずに叫ぶ。
「構わない。理解などされなくてもいい。私たちはただ、己が信念を貫くだけ!」

 直後、薄明の空の下で一閃の光が炸裂した。



 ふらつく足を無理やり奮い起こして、僕は地面の上に立った。さすがに魔力を一気に使いすぎたらしい。目が霞み、意識は既に朦朧とする。
 夜が明けたばかりの公園は、それは凄まじい光景だった。地面は割れ、建物は崩れ、瓦礫と埃だけが雨水を垂らして照らされている。
 その向こう側に、泥と埃で汚れたアーノルドの姿が見えた。
 (勝った、のか)
 彼が拍手をした。規則的な音が疲れた頭にこだまして、不快だ。
「素晴らしい。実に素晴らしい―――」

 どうやら僕は、聖杯を獲れるらしい。





 その朝は本当に大騒ぎだった。
 二人が立ち去った後の日比谷公園とその周辺は、まるでそこだけ大災害に見舞われたかのように荒れ果てていた。
 警察やら消防車やら救急車やらが騒がしく押し寄せ、人々はその不可思議な災害について様々な意見を交わした。たとえそれと分からなくても、一般人の目に触れる形で聖杯戦争が露呈したのだ。一夜にして、魔術師たちは混乱に陥った。誰でも触れることが出来る神秘は、もはや神秘ではない。「神秘の秘匿」という聖杯戦争の大前提が破られたのだから、それほどの騒ぎになるのも当然だ。
 そんな喧騒の中を、一人の少女がくぐり抜けた。
 艶やかに輝く黒髪に、瑪瑙のような赤い瞳。
 彼女は、軽やかにその災害の跡地を辿り、そして地面に半分埋まった「それ」を見つけた。

「いよいよだ。……もう……為すべき時が、来たんだわ」
 
 それを握りしめた細い指は、微かに震えていた。

Fate/defective c.18

Fate/defective c.18

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-09-16

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work
  1. 矜持(女王)
  2. 矜持(探究者)
  3. 矜持(何者)
  4. 散華