あかり

夜のはじめ、ちいさなひかり。

「完成！」
「こっちもこれで、ひと段落」
やったね。すこし疲れた顔を見合わせ、ささやかに拍手を送り合う。一年一組の教室、時計の針はいつの間にやら六時半をまわっていた。
宣伝のポスターに色をつけ終えて、伸びをしたのは紗子。お疲れさま、口々に声を掛けられて思わず緩んだ顔が、バリッと開かれたキャンディの大袋を見てぱっ とあかるくなった。
「お疲れ様。あのね、後夜祭の打ち上げ花火、これからリハーサルなんだって。みんなで、みに行こう？」
飴を配りながら、そう呼びかけたのは華だった。今日も凛と通る声に生徒たちは口々に同意する。この時間まで学校に残っていた七人は、銘々に教室を出て、階段を上った。
「華も花火の係じゃなかった？」
「うん、私は準備だけだったの。」
「よく華の仕事まで覚えてるな徹」
「にやにやするなよ」
暗い校舎に言葉が弾む。踊り場ですれ違う上級生の担いだお化け屋敷の看板の、赤と黒のペンキがひかる。
高揚した気持ちと、それぞれに疲れたからだに広がる飴の甘さがうれしかった。
うす暗い階段の先、渡り廊下への出口は仄かな夕日の名残を切り取ってそこにあった。
この学校の体育館は二階にあり、渡り廊下から入れるようになっている。渡り廊下と言っても屋根はなく、バルコニーのように中庭を見おろすそこは、花火を見るのにはぴったりだった。
七人は柵にもたれて並び、花火を待った。

夜の匂いがする。徹は華のポニーテイルにした髪が流れるのを見て、そう思う。
甘やかなのに胸がつまるような香りだ。
「日が、どんどん短くなるね。」
華がこちらを向いて言う。
「な。夏ももう、終わりだな。」
「徹、毎日準備に来てくれてたよね。立て看板、完成した？」
徹はわらってペンキの手をみせる。
「やっと出来たよ。この夏休みは学校暮らしだった。華こそいつも来てくれたよな、助かった」
そんなこと、急に目を伏せる横顔にこの夏の記憶を重ねてみた。手の中の飴の包み紙をきゅっと握る。

隣の会話に微かなかゆみを覚えつつ、和真は扇子で首元を煽いだ。
「やれやれ、だな。」
「ああ。ちょっとこっちにも風くれ、まだ汗をかいてるよ」
機材をいじっていた浩介が、長い手足を伸ばして嘆いてみせる。
「おつかれさん。そうだ、明日は部でも店やってるから、遊びに来いよ」
「店ってお前… 俺やだわ、高校生の造ったジェットコースターなんて恐ろしい。しかも木造だろ」
「夏中かけて点検した。ちゃんと計算してあるから大丈夫だって、放り出されたら全力で受けとめてやる」
“あれ”に体を預けるなんて、と顔をしかめる浩介に適当に返事をしながら、中庭で準備を始めた実行委員たちの中に、クラスメイトの姿を探した。
ななみちゃーん！ 横で美紀が張りあげた声に、和真は振りかけた腕を下ろす。
「はは、ぴょんぴょん跳ねてる」
「あの子はいつもそうだろ」
「そうだな、ローテンションな和馬とは正反対」
そう言ったまま浩介はじっとこちらを伺うのでいたたまれない。見ててね！と叫ぶ南波に、ちいさく扇子を振ってみた。さっき彼女が、放送で呼ばれて行く間際に口ずさんでいた歌をふと、思いだす。相当マイナーなバンドの一曲。春、イヤホンをつけているのにずんずん話しかけてくる南波に仕方なく聴かせてみたら、すっかり気に入ってしまった曲だ。お陰で今ではここにいる全員が、うたえるようになった。和真は二番のAメロを、そっと口笛で吹いてみる。

いよいよ暗い中庭で、ぱあっとあかるい顔をした南波に、思わず美紀は目を細めた。どこか話しかけづらかった和真や、いかにもしっかりした華と並んでこの無邪気な友人に手を振る…少し前の自分が見たら驚くだろう。どう話していいのか分からず、強張った顔で遠巻きにされていた頃。子犬みたいについて来る南波に構っているうちに、いつのまにか毎日思い切り笑っていた。
「あしたが、たのしみね。」
ついこぼした月並みな言葉に、紗子がほんわりと頷いてくれる。
「だけど案外、今日みたいなてんてこ舞いで準備する日がたのしかったかも。私、吹奏楽部のほう行ってから教室に戻ったでしょう、そうしたらみんな、おかえりって言ってくれて。すごく、うれしかったの。」
美紀は、ゆっくりゆっくり話す紗子のちいさな声に、はっとする。おかえり。このクラスの日常、でもよく考えればすこしおかしな挨拶だ。この子には、暖かに届いていたのか。
「面白いよね、夏休みだって一緒にいたのに、教室でしか会ったことないや。」
「ね。ーでも、」
ふいに胸にこみ上げた何かに、美紀は息を吸い込む。
「あたし、いま怪我で走れないでしょう。部活に行っても正直辛くて。だけどグラウンドから帰るといつでも、この教室って誰かがいるんだよね。またこのメンバーか、って突っ込みつつ、うす暗いなかにあかりが灯っていて、それはとっても幸せな光景だった。」
息はほとんど言葉になって出てきて、そのあまりにふわふわした内容に照れくさくなった。
「美紀ちゃんって意外にロマンチスト。」
「うん…忘れて。」
だけどわかるよ、いっそもう、家族みたいなきもち。
紗子の返事は何故か、胸にしわっと痛かった。やわらかに浮かび上がった横顔。
「あ、花火のセットしてる。いっぱい打ち上げるんだね！」

うれしそうな声。いちばん端、黙って中庭を見下ろしていた亮は鈴を転がすような、などと手垢のついた文句を思い浮かべつつ顔を上げる。
右隣、紗子は髪が頰にかかるのにも構わず身を乗り出して、一心に待っている。夕方と夜のほそい境目、その蒼い空気が染みるような白い首筋。
「…明日と、あさって。きっと、あっという間なんだろうね。」
急にこちらに向いた声に我に返って、目を逸らした。
「そうかも、な。」
「このメンバーで回せるのも今回だけか。」
めいっぱい、たのしもう。呟くような言葉に、なんだか亮は不安になる。
「来年も一緒にまわればいいじゃん」
「うん、 」
どうしてそんな風に優しく笑むのだろう。
彼女の笑顔はいつでも、消えてしまいそうに透明だ。そうして亮はそれを見るたび、ぎゅっとどこかが痛くなる。
「…亮くんの撮った写真は、あったかいね。写真部さんで展示する写真をさっき見せてくれたでしょう、とても惹かれた。」
「え、 」
「一枚私も写っていたけれど、こんな顔で笑ってるんだ、ってびっくりしたよ」
「…上手く、撮れたから」
俺も驚いてばかりだ。亮は自分の声のぶっきらぼうなことを恨みながら思う。そんなにくすぐったそうな笑顔もするのか。こんなに、嬉しい言葉をくれるのか。眩しくて結局、ちゃんと見られるのはファインダー越しだ。
「私ね、ー」

「あ」
「わあ」

花火が、はじまった。ひとつ、ふたつ、もっともっと。きらきらと火花がこぼれて、校舎はとうとう闇に沈む。
黙ってしまった紗子を気にしつつ、亮も空を仰いだ。ちいさな噴出花火だけれど、それは確かに儚く輝く。一つ、一つ、またひとつ。

「綺麗」
「すげえ」

いつの間にやら開いていた学校中の窓からあがる歓声に紛れて、澄んだ声をひろった。

私、こんな光景にずっとあこがれていたような気がする。

俺は…。亮は頭の片隅で呟いた。
こんな景色をずっと前から、知っていた気がするよ。へんだな、どうしてだろうな。

黙って夜風に身を預けると、あるいは息をのむ、あるいは満開に微笑む、六つの気配がした。
鈴のあかりで照らされるみたいな夜だった。

文化祭が終わりました。文芸部で配布した部誌が完売して、うれしい藍でした。
これはその特別号のため書いたお話ですが、推敲し直して、こうしてここにも載せさせて頂きました。
大切なひとたちに届けたくて、書いたお話。