族長の独善
人々から大樹と崇められている、どこまでも高くそびえ立つ樹木。大樹を中心に緑生い茂る木々に埋め尽くされた大地に現れる、延々と続くその裂目はもはや癒せぬ傷痕のようである。見下ろす先には何人も飲み込む漆黒の闇を這わせている。
裂目の縁で底を覗いている若者達がいた。
「くそっ!」
激しく地面を叩く、頬に傷を持った若者はウカリという。
そんなウカリに、崖っぷちを叩いては足下が抜けないか?と冷や汗を浮かべながら傍らに立つ若者が、
「ま、まったくだ!族長は間違ってる!」
片足を上げ地面を踏もうとしたが固まっている。皆からはキツネと呼ばれている彼はチカリという。
「二人とも、我らの崇高な大地に当たろうとしても、落ちれば望みの半分は叶おう」
シカリという一人落ち着き払った若者が、ため息混じりに言った。
シカリの一言に救われたような一瞬の笑顔を見せたチカリが持ち上げた片足を下ろした。すると、暑くもないのに汗を拭ったチカリが、
「シ、シカリ!我らはこの忌まわしい裂目を渡るのが願い。例え落ちようとも、道半ばまで進めるなら本望」
シカリに詰め寄る。構わぬ、という素振りでシカリが手を前へ向けた。お、俺はいいんだぞ、足だけが先行し上半身が仰け反る格好でチカリがじりじり裂目との間を縮めていった。
「いい加減にしろ!」
ウカリが叫んだ。
「決めたぞ。俺は族長にもう一回話に行く」
ウカリ!!そう言って駆け寄る二人。仲良く三人は肩を組みながら大地の裂目を後にしていった。
生い茂った木々の隙間から、
──族長なんて怖くない!──
そう連呼する大合唱が徐々に近づいてきていた。また、あの三人だな、と開けた草地にある村の境界で革を鞣していたヤザルが顔をしかめている。
ヤザルを見つけた若者たちは、一斉に駆け寄った。
「ヤザル!もう我慢ならねぇ、おらぁ、族長に訴えるぞ!」
ウカリの鼻息が届きそうでヤザルが後退りする。それでもウカリはしがみつき、離そうとしない。
「ウカリ!落ち着け!族長に訴えたところで、裂目からは先へは行けぬ!」
「おらぁ、裂目を越えて向こう側へ行きたいんだ!」
「落ち着けウカリ、越えようにも裂目は下って上がるしか術は無いんだ」
分かりきったこととシカリは手のひらを返しながら言った後に、
「底まで見えないんじゃ、どこまで下りるか分からん」
ようやくウカリをヤザルから引き離そうと肩に手をかけた。
「でもよう、裂目を越える前に立ち入ることさえ禁じているなんて、族長は厳しいよ」
「チカリ!」
シカリがウカリを宥めている脇から前に出たチカリに向かって、ヤザルが名を呼ぶ。
「滅多なことを言うもんじゃない。今の族長が決めた訳では無いぞ、我ら部族は昔より裂目は越えてはならぬ、となっている。代々の族長はそれを忠実に守っているに過ぎぬ」
若者たちに諭すように語ったヤザルだが、ヤザル自身が納得したように頷きを繰り返している。その時、木々の茂ったほうから物音がすると、
「あれーっ!ヤザル」
籠一杯に木の実を頭に乗せた女性が立ち止まった。鮮やかな朱色の紋様を顔に描いたケケラである。
「それに、あんたたち、また喧嘩して」
ケケラの後ろから続けて現れたのは、翡翠が連なる首飾りが似合うククラだ。
「ウカリ!どうせ、あんたが懲りもせず裂目を越えるってヤザルに言っているんでしょ」
「うるせぇな、ケケラ。ヤザルなんかに言ったところで族長は許してくれねぇよ」
こいつ、言ったな!とウカリを叩く仕草のヤザルに「クスクス」とククラが笑い出す。
「んもー、ヤザルの若い時にそっくりね、ウカリ。ヤザルも若い頃は、俺は裂目を越えてみせる、って言っていたね」
ククラの言葉にヤザルは気恥ずかしそうに頭を掻いていた。それを面白そうに見ながらケケラが、
「そうそう、そして先代の族長に訴えに行くのを、今の族長に止められてね」
追い討ちをかける。そうして、ククラと互いに顔を向き合うと「きゃはは」と声が響きわたった。
「たくっ」
ウカリは調子が狂ったようにヤザルから視線を地面に逸らした。
「しかし意外ですね、ヤザルもウカリのように裂目を越えようとしたとは、やはり」
無理なのでしょうか?シカリの最後の言葉は小さかった。チカリは下に視線を向けたまま、
「ウカリ、やっぱり止めようよ。ヤザルだって諦めたんだから」
かろうじて聞こえる声でヤザルへ助けを求めている。
まだ笑っているケケラとククラを横目に、ウカリがヤザルへと一歩踏み出す。
「決めた!俺は族長と話す、やっぱり裂目を越えさせてくれって」
力強く両手の拳を握りしめた格好で宣言したウカリが、
「族長は今頃、大樹に祈りを捧げているはずだ!」
叫びながら村の方へ走っていった。
《出演》
熱血若者:ウカリ
冷静若者:シカリ
小心若者:チカリ
かつて熱血の大人:ヤザル
冷やかし大人A:ケケラ
冷やかし大人B:ククラ
目の敵族長:出番無し?!
語り:大樹
いやいやいや、出番無しでは可哀想でしょう。ここは、大樹に祈りを捧げている、という族長を覗いてみましょう。
頭に大小様々な色とりどりの羽飾りを身に付けた初老が大樹と向き合い胡座をかいていた。ぶつぶつと何やら囁いていたが、声が小さくて聞こえない。耳を傾け、もっとよく聞くとしよう。
「・・・・出来れば」
まだ聞こえづらい、もっともっとはっきり大きな声で祈りは唱えましょう。
すると語りかけが通じたのか、族長は大きく息を吸い、言葉を吐き出し始めた。
「若者の訴えの気持ちは分かる。裂目を越えて外の世界を見たいのは当然じゃ。たが、底無しの裂目を下って、また上がるなぞ命が幾つあっても足りんわ。頑なに訴えを跳ね返すしかなかろう」
悲しい表情で大樹を見上げた族長が呟く。
「なんとかこの大樹を切り倒して橋をかけることが出来れば」
族長の独善