マタギちよ太郎

 ちよ太郎は、おかあの握ってくれた握り飯を腰にぶら下げ、重たい鉄砲を、よっこらしょと肩に担いだ。
「行ってくるでな」と小さな声でボソボソ言って、ガタガタ戸を引き開けると外へ出た。
 暗い雲に覆われた空からは、小雪が舞っていた。

 子供のように体の小さなちよ太郎は、ばかにされたくないので無精髭を生やしていたが、村の誰でも、ちよ太郎をばかにしてない者はいなかった。

 小川でおばさんたちが洗濯をしていると、決まって「山へ何しに行くだ。おめえ、弁当食って帰ってくるだけだろに」と言ってゲラゲラ笑われ、田んぼにお百姓さんがいると、「鉄砲よりも、おめえ、クワ担いだ方がいいだんべ」と言ってまた笑われた。

 ちよ太郎はマタギだった。マタギは山へ行って鉄砲で獲物を捕ってくるのが仕事だ。
 だけど、ちよ太郎は今まで一度も獲物を捕って来たことがない。

 ちよ太郎のおとうは鉄砲の名人で、村のみんなから尊敬されるマタギだったが、ちよ太郎はいつまでたっても獲物一匹捕れないデキソコナイだった。
 ちよ太郎のおとうは百貫の熊を十頭仕留めて、山の動物達も恐れていたが、ちよ太郎はおかあの握り飯を食って帰るだけだったので、山の動物達も全然気にしていなかった。

 そんなちよ太郎だったから、雪の積もった山の中に踏み込んで行っても、動物達は普通にちよ太郎の前を行ったり来たりしていた。

 むしろ、鉄砲担いで山に来るのに、一度も鉄砲を撃ったことのないちよ太郎が動物達にとっても不思議でならないらしく、何かといろいろ言ってくるのが多かった。

 雪兎。ちよ太郎が来ると、二、三匹がわざわざ巣穴から出て来て待っている。鼻をクンクンさせて、
「今日も味噌だね(握り飯のことである)。菜っ葉は春まで待たなきゃね」
「火薬忘れてるよ。まあいいよね。撃たないんだから」
「この先雪柔らかいよ。気をつけなよ」
 いろいろうるさい。

 さらに先へ行くと狐がこっちを見ている。
 狐。雪の匂いを嗅ぎながらまたこっちを見て何かきっと言う。
「また来たのかよ」
「使わないならそんな重たい鉄砲捨てちまいな」
「うさぎ見なかった?」

 雪をかき分けて山を登って行くと鹿がじっとこちらを見ている。
 鹿。ちよ太郎が近づいて行くと、かじっていた木の皮をもぐもぐしながらまたちよ太郎をじっと見つめる。
「おとうは元気か?」
「おとうには来てもらいたくないね。みんなやられた。あんたはいいや」
「あんた何しに来るのさ?」

 猿。何匹か木の上で固まってちよ太郎を見下ろしている。
「いいよな、お前は、おかあの握り飯あるからよ」
「どーんと撃ってみろよ。俺じゃねえよ。鹿とかよ」
「鉄砲じゃないんだよあれ、木の棒さ」
「百姓でもねえし、マタギでもねえし、あんた何者さ」

 さらに深く分け入って行くと冬眠前の熊に出会うこともある。
 熊。人の気配に気づいてびっくりしている。相手がちよ太郎だとわかると安心したように腰を下ろす。
「ちよたろどんか」
「おとんだったら死んどるとこだわい」
「ちよたろどんは森を見回っておるだけじゃ」
「これから雪が深くなる。気いつけえよ」
「おらはそろそろ穴に入る」

 ちよ太郎は動物達に何も言わない。
 彼らの声を聞いて、わかったと言うようにうなづくだけだ。

 山の向こう側の、日当たりのいいところで腰を下ろしておかあの握り飯を食う。
 そして山から山へ一巡りして、全部の動物達を見て、家路につく。

 家に着く頃にはもう真っ暗だ。
 ガタガタと戸を引き開けると、囲炉裏の前でおとうがもう酒を飲んでいる。自分の猟を終えて先に家に帰っていたのだ。囲炉裏には鍋がグツグツと音を立てて湯気を上げている。
 おとうはちよ太郎の手に何も獲物がないのをジロリと見て「けっ」と言い、また酒をがぶりと飲む。
 ちよ太郎が肩の鉄砲を下ろして、ふと壁を見ると、土間の壁にうさぎが三匹と、狸が一匹ぶら下がっている。
 ちよ太郎が座敷に上がって囲炉裏のそばに座ると、おかあが鍋の蓋を取ってちよ太郎に汁をよそってくれる。うさぎの汁だ。
 ちよ太郎は黙ってうさぎの汁をすする。
 鬼のように大きなおとうに比べて、ちよ太郎は子供のように小さかった。
 鬼のように顔を真っ赤にしてちよ太郎を睨みつけるおとうの前で、ちよ太郎は、うさぎの汁をすすった。
「しかし不思議じゃのう」
 おかあが汁をかき混ぜながら言った。
「ちよ太郎が帰って来て家に入って来ると、何故か、おとうが入って来たときよりも獣臭い」
 それを聞いて真っ赤なおとうがギロリとおかあを見た。
 ちよ太郎はうさぎの肉を噛み締めながら、そのうさぎが自分に言った言葉を思い出していた。

マタギちよ太郎

マタギちよ太郎

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-09-10

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