山賊峠

 むかし、都のはずれの山中に、山賊峠という難所があった。険しくて細く暗い山道で、越えるのもひと苦労だが、実際ここには恐ろしい山賊がいて、多くの人々が襲われたという。金品はもちろん、服や荷物も奪われて、その上多くは斬り殺されて谷底へ蹴落とされたのだという。そしてその数は何百とも知れないというのであった。
 その山賊峠にはまた、大きな、見事な桜の木があった。
 谷底から伸び上がって来たその大樹には、季節になると狂おしいほどの花が咲き乱れ、それは荘厳な眺めであったらしい。だが旅人達は山賊に行き会うことを恐れてみな足早に行き過ぎて行ってしまうので、ゆっくり桜を見る者はいなかったのだという。
 この物語は、その山賊と桜の木がまだあった頃の話しである。

 ちょうどその桜が枝いっぱいに花を咲かせていたある時のことであった。
 美しい都の着物を着た若い侍がひとり、ゆるゆると馬に乗って桜の下を通りかかった。急ぐ様子も、山賊を恐れる様子もなく、花を見上げると顔をほころばせて馬足を止めたほどだった。恐らく山賊のことなど何も知らないのであろう。
 山中に潜んで獲物を伺っていた山賊は、これを見てにやりと笑った。たとえ相手が刀を携えていようとも、山賊にとって都人など何ほどの事も無かった。
 いつものように大刀を抜くと、一気に山を駆け下って侍に襲いかかった。
 ところがこの侍は剣術の達人であったと見えて、あっという間に両手両足を切り落とされたのは山賊の方だった。
 芋虫のように転がってうめいている山賊に向かって侍は馬の上から言った。
「悪名高いお前の噂は都でも評判だ。みんなが困っておるので、わしが帝様の命を受けてお前を成敗しにやって来た。今お前の命を奪うのは容易いことなれど、殺さずに生かしたままおいて行こう。お前の命は、お前が殺したもの達の亡霊が奪うであろう」
 そう言い残すと馬の首を返し、散り降る花の中を悠然と去って行ってしまった。
 残された山賊は苦しげに喘ぎながら、血走った目でしばらく侍の後ろ姿をにらんでいたが、やがて山の方へ首をねじ曲げると蛇のように身体をくねらせて、ざりざりと地面を這い進んだ。腕と足の切り口から迸った血がその後ろに赤い筋を作って流れた。
 切り落とされた自分の右足のところへ来ると、それを口にくわえ、薮の中へがさがさともぐって行った。
 やがて来たところは桜の木の下の谷底にある小さな池だった。この池には霊力があり、その清水に身を浸せばどんな病も怪我もたちどころに直してくれると山賊は信じていた。
 山賊はくわえていた右足を池に放り込み、自分の短くなった右足を池に浸けると気を失ってしまった。
 やがて目覚めて池から右足を出してみると、元のとおりにきれいに繋がっている。山賊は大笑いし、直った右足で立ち上がると、ぴょんぴょん飛び跳ねながら自分が切られたところへ戻り、今度は切り落とされた左足と右腕を短くなった両腕で胸にかかえ、左腕はまた口にくわえて池へ戻った。
 それらを池に放り込み、今度は全身どっぷり池に浸かってまた気を失った。
 随分経って目覚めてみると足も腕も元どおりに繋がっていた。
 山賊はまた大笑いをし、都から来たあの侍を何としても見つけ出して今度は俺が細切れになるまで切り刻んでやろうと考えた。

 山賊は大刀を肩に担いで都へと下って行った。だが、都へ出たのは初めてであった。町の大きいこと、人の多いことに山賊は驚いた。きょろきょろしながら果てしなく広い町を歩き回ったが、名も知らぬひとりの人間をこの町から見つけ出すのは容易でないということが次第に山賊にも分かって来た。
 それに何だか不思議なことに、どんなに人々に尋ね歩いても誰も彼の言葉を解するものがなく相手にもしてくれない。
「山の者だと思ってばかにしおるのだ」
 腹が立ったがさすがに都のまん中で暴れるわけにもいかない。夜になったのでしかたなくその日は荒れ寺の山門の下で眠る事にした。
 その晩、山賊は恐ろしい夢を見た。
 自分の殺したたくさんの猪や狼や熊などの獣達が山門の下で寝ている彼のところへ次々と訪れ、耳を食い、鼻を食い、目玉をえぐり、腹を破って内臓を食うのであった。
 驚いて目覚めた山賊は自分の体を見回したが、どこも食べられてはいない。ひどい夢を見たものだと思って胸を撫で下ろし、翌日、日が昇ると、また侍を探して町を歩き回った。

 ところがどんなに探しまわっても侍は見つからない。何日も町を歩き回って疲れ果て、食べる事にも困った山賊は、一度、山へ帰る事にした。
 山に帰ると、何だかやけにひんやりとしている。あの雑踏の都から山へ登って来れば涼しくも感じようぞ、と山賊は思った。だがその肌はざわざわと粟立っていた。それに山は物音ひとつ、小鳥の声すらも聞こえなかった。まるで山中の獣達がいなくなってしまったかのようであった。
 何か様子のおかしいのを訝しみながらふらふらと森を歩いていると、いつの間にか池の前に来ていた。水面には散り落ちた桜の花びらが一面に浮いて美しかった。やれやれと思って山賊は池の前に腰を下ろし、池の水を飲んで一息ついた。
 その時、何かが通り過ぎたような風が池の面を掃いて、水面にさざ波が立った。さざ波は消えることなく次第にがばがばと暴れ始め、やがてその波間から何者かが首を出した。
「ややっ!」
 それはいつかの夢に出てきた獣達であった。
 穴の空いたような暗い目で、山賊をひたと見つめて来る。しかも後から後から何十と言う数と種類の獣達が池の中から首をもたげ、そろって山賊に暗い目を向けて身じろぎもしない。
「おお!」と驚いて山賊は腰の刀を抜き放った。
「愚か者め」
 そう言う声が聞こえた。獣の声のようでもあり、耳元を通り過ぎる風のようでもあった。
「池のほとりを見るがよい」
 言われて山賊がはっと池のほとりを見ると、その岸辺に、手足のちぎれた、耳も鼻もなく、目はえぐられ、はらわたはすっかり食われて空になっている血だらけの無惨な死体がひとつ転がっていた。よく見ればそれは山賊の体、彼自身の体に他ならなかった。
「あ!」
 驚いて山賊は死体に駆け寄り、慌ててばらばらの体をかき寄せた。
「そうだ」
 思いついてその死体を池の中に全て投げ込んだ。
「う、ふふふふ・・・」
 山賊は笑い、獣達と池の面を交互ににらみつけて待った。そんな様子を獣達はやはり暗い瞳でじっと見つめていた。
 池はぶくぶくと泡立っていたが、いつまでたっても山賊の体は戻って来なかった。
「や、や?」
 山賊は慌てだした。
「愚か者め」
 また風の声がした。
「何だと?」
「目をこらしてよく池を見るがよい」
 言われて山賊が池の面をもう一度見た時、空が急に曇り出し、空の青さをかき消した。
 すると今まで空の色を移して青く見えていたその池は、実はどす黒いような赤い色をした池だということが分かった。
「お前の体はもう戻らぬ」
 風のような声が言った。
「何を!」
 怒った山賊は赤い池をもう一度にらみ付けると、やっ、と叫んで、どぶん、と一気に飛びこんだ。
 水底へぐいぐいと潜って行くと、やがて池の底近くに彼の体が沈んでいるのが見えた。
 山賊はその腕を捕まえ、引き上げようとした。すると、ゆらりと浮かんで来たその顔は何と髑髏であった。骨ばかりとなった骸の下を見ると、その体に別の骸が抱きついていた。
 さらにその骸の下に別の骸がいくつも抱きつき、数え切れないほどの骸が池の底へと続いている。何百とも知れない骸が累々と重なって池の底に沈んでいたのであった。
「わあ!」
 山賊は驚いて骸を振り放し、水面に浮かび上がって来た。
「見たであろう」
 水面で山賊はたくさんの獣達に囲まれていた。
「お前の見た骸は、すべてお前がこの峠で殺し、この谷底に投げ込んだ何百と言う人々の骸じゃ。その体から流れたおびただしい血潮が溜まりに溜まって、出来たのがこの池じゃ」
「ひえ!」
 慌てて池から飛び出した山賊は自分の体を見回した。全身が血潮でべったりと染まっている。
「ひえええ!」
 気が狂ったように山賊は血を拭い取ろうとした。
「そんなわけはねえ! そんなわけはねえ! この池はどんな怪我も病も治す。腐れた肉さえ元に戻す池だぞ!」
「んふふ・・・」
 かすかに誰かが笑ったようであった。水面にはぞぼぞぼと後から後から骸となった人々が浮かんで来ては獣達と並んで山賊を見つめていた。
「治ったのではない。死んでいった者たちの死肉や霊気が取り憑いただけの事、怪我をするたびにおまえは死人と体の交換をしていただけの事じゃ」
「都へ行ったお前はお前ではない」
 別の声がした。
「お前の魂じゃ。魂が彷徨って行ったのじゃ。お前の体はそのときこの池のほとりでお前が手にかけし者達の亡霊によって喰らわれた」
「見たであろう」
 また別の声が言った。
「おのれの骸を」
 言葉を失い、急に力が抜けて山賊は池のほとりに腰を落とした。そして、後は何も分からなくなった。
 池の面がざわめきだし、骸と獣達の姿が、ずずずず、と、池の中へ引きずり込まれて行った。やがてすべてが消えてしまうと、もうそこには血の池も、山賊の姿もなかった。満開の桜の木が、どう、と風に揺れ、吹かれて落ちた花びらが荒れ果てた草地に静かに舞っているだけだった。

 以来、この峠に山賊は現れなくなった。
 桜は毎年、見事というよりも、恐ろしいほど荘厳に花を咲き乱れさせた。しかし旅人達は何故か、山賊がいなくなった後になっても、やはり急ぎ足に桜の下を通り過ぎて行ったという。まるで花を恐れでもするかのように。
 その桜は今はもう無い。伝え聞くところによれば、その花びらはまるで血を吸ったかのように赤味が強かったと言う。

坂口安吾著「桜の森の満開の下」より想起し物語なり

山賊峠

山賊峠

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-09-10

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