戦場のミスト
*
この国の警察に守られながら、この国に対して反戦デモをしてる奴らは、冷房の効いたバスの中で、ロハスのチョコレートアイスクリームを食べながら、アフリカの難民キャンプにいる飢餓の子供たちを見て、戦争の悲惨さを知ったような気になる奴らだ。
俺はそんな奴らとは違う。何より、戦争をして飯を食っている。
そして、戦争と人殺しはイコールではない。
戦争とはいわゆる陣地の奪い合いだ。そこで発生する殺人は、どちらかといえば、細菌やウイルスの感染を防ぎ、撲滅させるための医療行為が近い。
この表現だと、人の命を細菌なんかと一緒にするな、という連中が出てくるだろうが、そんな奴らは前述の通りの奴らだから、気にする必要はない。
自らの傲慢さにも気づかずに自己満足の渦に飲み込まれるだけだ。くだらない偽善者共は、自らを正義とするために悪を作り上げる。彼らにとって神は、崇拝ではなく、ただの恐怖の対象にすぎない。
皮肉だが、それが一番幸せなのだがな。
……と、教えられたことと、自ら至った考えを頭の中で何度も反復させる。
緊張は極限に達していた。
乾燥した風が吹き、砂が舞い散る。太陽が地平線に沈み、赤く焼けた夕空は深い青へと変わりつつある。
先日、一六歳の誕生日を迎えた彼が初めて経験する、少人数による掃討作戦。
場所は元々は病院、今は反政府ゲリラの本拠地。正面からはアルファチーム、裏口からブラボーチーム、各四人づつ。彼はブラボーの後方を任された。
その時が来る。
一斉突入。アサルトライフルを構え、前進する。
リーダーについて、部屋を一つ一つ占拠しつつ、待ち伏せしている、または現れる敵を駆除していく。
倒れた敵を死んだか確認する。目を大きく見開き、一切の動きはない。年齢は自分より年上だが、二〇にはなっていないだろう、まだ若い。
白、黒、黄、茶、まるでサラダボウルのように、現れる敵は様々だった。ただ、最初は同年代くらいだったのが、段々と中年齢と少年少女になっていった。
彼も含めて、チームのメンバーは正確に敵を無力化していく。躊躇、という言葉はなかった。
そろそろ終わりか、という時に入った最後の部屋。すでにアルファチームが制圧していた。メンバーが部屋を調べ、そのリーダーが立っている足下。
そこには全裸の男の死体。今回の作戦の目標だった。
男は後頭部から真っ赤な血を散らし、死んでいた。
即死だった。
*
朝靄に覆われた曇天の下、森の中の小さな泉のそばに二人の男がいた。
一人は横になり、もう一人は疲れた様子で辺りを見回している。目の下を浅黒く染めた白人の彼は今にも倒れてしまいそうだ。その手にはオートマチックの拳銃が握られている。
「センター、ゲストを確認。合流する」
こちらの発した言葉に、「センター、了解」と短く帰ってくる男声の無線を聞くと、彼は二人を捉えていた双眼鏡を下げた。背後にいる三人の仲間に無言のまま、手を使って指示を出す。
二人が森の中から回り込み、彼ともう一人は森から出る。同じ迷彩服を着、それぞれアサルトライフルを構えて、泉へと近づく。
白人が気づき、眠っているもう一人を起こす。
「ダイヤモンド」
二〇メートル程来たところで、声をかける。はっきりと目鼻顔立ちが判別できる。
「ヒューストン」
白人が返す。意味などはない。確認のための合言葉だ。銃を下ろし、手を差し出す。
「HOPE社から派遣されてきました。テッド・フォレスターです」
そう名乗った彼は握手をする。
「アメリカ空軍中尉、フランク・マクレガーです。この度はよろしくお願いします」
「お疲れ様でした。もう少しです。さ、行きましょう」
テッドが握手をしたまま、引き起こす。
「センター、ゲストと合流。回収地点へ向かう」
「センター、了解。継続せよ」
二人のアメリカ空軍兵士を合わせて、六人となった彼らは、再び森の中へと消えていった。
*
中東、ロシアの国境に近い場所。過去の争いの火種が消えていない、血で血を洗い続けている不安定な情勢の地域。
今回のテッド・フォレスターの仕事は、墜落したアメリカ軍戦闘機、そのパイロット二人の救出だ。
テッドはこんな場所にアメリカ軍がいる理由を知らない。だが、救出に自軍を動かせないのは理解している。そのための人材派遣のHOPE社があり、そこに所属している戦略上危機対応部隊、SCARの一員である自分に仕事がくるのだ。
とは言っても、HOPE社も元はベトナム戦争帰りの兵士の雇用を目的に作られた、アメリカ資本の会社だから、根本は変わってないのかもしれないが。
「あなた方は『スカー』なのですか?」
小休憩中、フランクが聞いてきた。
「そうですよ」
テッドが答える。他のメンバーは終始無言だ。
「やはり、そうですか! その腕前のほどは軍の特殊部隊にも引けをとらないそうで」
「ありがとうございます」
「テッドさんはこのチームのリーダーですよね? かなりまだ、お若いのに」
「二五です。まあ、若くして抜擢ってやつです」
フランクは三〇代前半、というところか。テッドはそれ以上、口にすることはなかったが、幼い頃から訓練を受けてきた彼の方が、そのキャリアは長そうだった。
「それでは、そろそろ行きましょう。この辺の組織が『ミスト』を雇ったという情報がありますので、急ぎたいのです」
テッドの言葉に、そこにいる全員が、わずかに反応する。
『ミスト』
ここ最近、戦地に身を置いている者だと、一度は聞いたことがある名だ。もちろん通称だが、正体は誰も知らない。
傭兵である彼、または彼女は天才的な狙撃の腕を持っている。毎回違う代理人を立て、防衛線の警備を好んで受けており、『ミスト』の守る防衛線に侵入しようとした部隊は、ことごとく撤退に持ち込まれているという。
姿も見せず、撃ってくる場所さえ不明なまま退かされるため、まるで霧の中にいるようだと、つまり『ミスト』と呼ばれるようになった。
「一度、対峙してみたいがな」
そう言ったのはスカーの一人、ルーカス・ヒロキ。彼もまた腕の良い狙撃手だ。テッドの最も付き合いの長いメンバーであり、彼が狙撃する際、テッドが隣にいて観測者を勤めたこともある。ルーカスの方が年上だが、気の合う仲間だった。
「今は出会わないにこしたことはない」
静かに、テッドが言った。
*
「嫌な雰囲気だ」
森の中からテッドは眺めていた。目の前の森は途切れ、小道を挟んで町が作られている。以前は多くの人々が住んでいたのだろう。だが、今はその人影は全く見えない。ほとんどの家屋は家の形を成しておらず、四、五階建の建物もいくつかあるが、ほとんどが半壊し、爆撃にさらされた後を残している。
「狙撃ポイントは多いな」
ルーカスが言った。
「回り道は?」
と、フランク。
「東からだと最前線に出てしまう。西からだと人家を通る上、時間がかかりすぎます。あまり、人には見られたくないんです」
周囲に人の気配はない。戦地より少し外れた場所だけに、その気配の無さからテッドは危険を感じ取っていた。
自分たちはこの辺りの情勢からすれば部外者だ。逆に堂々と道の真ん中を歩いていれば、スナイパーも味方と勘違いするかもしれない。が、それ以外の人物、見回りに来た兵士に出会うと面倒だ。
テッドは幾通りかの方法をシミュレーションし、問題が起きたときの対処を考える。
結果、
「行くしかない。二人、先行してくれ」
いつも通り、物陰に隠れながら、が一番安全で、堅実な方法だった。
メンバー二人が先行して道を渡る。崩れた壁から民家の中へと入る。続いてルーカスとアメリカ兵二人。最後にテッドが追う。
「ルーカス、チェックしてくれ」
銃から取り外されたスコープを手で隠しながら、部屋の隙間から、ルーカスがスナイパーを捜す。
「見えない」
「オーケイ。そのまま見ててくれ」
二人が先行し、アメリカ兵を連れて、今度はテッドが先に行く。ヒビの入った壁際に体を寄せて、指でルーカスを呼び寄せる。
「どうだ?」
「ダメだ。確認できない」
「そうか」
テッドは大きく息を吐く。
「よし、このまま進む。俺が最後だ」
最初と同じように、二人が先行し、アメリカ兵を連れてルーカス、しんがりにテッド。
一〇数メートル進んでは隠れ、周囲を警戒。これを繰り返しで進んでいく。
やがれ、町の外れが見えてくる。そこからさらに三キロほど行けば戦闘区域を離脱し、回収地点となる。
「一気に走り抜ける。最後だ」
全員が走り出し、テッドが最後に飛び出す。
その時、何か嫌な感覚が全身を覆う。
一直線に近づいてくる、強烈な圧迫感。
「伏せろ!」
叫ぶと同時に、テッドも地面にへばりつく。
一瞬、何かに背中を引っ張られた。
銃撃。
気づくと同時に体を起こして、隠れる場所を探す。
だが、二発目。左足に命中。
「撃たれた!」
体勢を崩しながらも、撃たれた方向へライフルの引き金を引く。当たるとは思っていない。ただの威嚇射撃をしつつ、何とか身を隠す。そこはわずか一メートル四方程の、レンガ壁の跡だった。
仲間の位置を確かめると、全員が近くの家の陰に隠れている。緊迫した彼らの表情が見て取れる。
背負っていたバッグから包帯を取り出す。そして、気づく。
「通信機がやられた!」
一発目の背中への銃撃だ。言いながら、包帯で傷口をきつく縛る。銃弾は貫通している。動脈も、靱帯も傷ついていない。
「テッド! ダメだ、見えない!」
ルーカスが叫ぶ。
「オーケイ!」
テッドが手で制した。思考を巡らせる。
銃撃はもう止んでいる。彼自身、スナイパーのやり方は十分にわかっている。自身の位置は相手には見えているはず。だが撃ってこないのは、相手の対象が自分ではなく、他のメンバーだからだ。
ミスト、という名前が頭を過ぎる。そう思って対処した方がいい。
「ルーカス、チームの指揮を任せる」
「え?」
全員が驚いた表情を見せる。テッドは腕時計を見せて、指で強調する。
「時間がない。先に回収地点に向かってくれ」
あり得ない、といった表情のルーカスに向かって、テッドは言葉を続ける。
「スナイパーの目的はチームの無力化だ。俺を人質にして、そっちの二人が狙われている。ここで、任務遂行不可能だけは避けたい」
指で指し示しながら、指示を出す。
「相手は俺たちを敵だと思っている。匍匐で壁づたいに森へ入り、そこから回収地点へ向かってくれ。敵ならば、あり得ない進行方向だからな」
「俺たちがいなくなれば、お前は危なくないか?」
冷静さを取り戻しつつあるルーカスが聞いた。
「俺も死にたくないからな。しばらく会話をしている演技をした後、そっちへ移動する。さいわい、スモークとフラッシュバンがあるしな」
一人で逃げるだけなら可能。自信を見せるテッドは続ける。
「回収地点に到着すれば連絡が欲しい。予備の通信機を頼む」
「あ、これを」
フランクが持っていた、アメリカ空軍の緊急用の通信機を投げる。が、それは空中で別の方向へと飛ばされた。落ちて転がったその通信機は、すでに使いものにならない。
あまりに正確な射撃だった。
「仕方ない。通信機は諦める」
ため息混じりにテッドが呟く。
「行ってくれ」
「了解。予備の通信機はここへ置いておく。何とかして、取りに来いよ」
言って、壁際に通信機と、おそらく食料や医療品もルーカスは置いてくれている。
「そうか、ありがとう」
ルーカスが指揮するメンバーは森へと消えていき、テッドは一人となる。時折、仲間のいた方向を見る。常に狙われているのは、やはり落ち着かない。
時計を確認し、一〇分程経ったぐらいに、移動を試みる。だが、即座に足下に銃弾が跳ね返り、テッドは慌てて元の場所へと身を隠す。
どこから撃たれているのか、全くわからない。
テッドは壁から頭を出して辺りの様子をうかがい、すぐに引っ込める。
広場を挟んで大通りの反対側には、木とレンガで建てられた四階建てのアパートが一軒。その向こう側には、時計台の頂上が見える。アパートの隣は全壊し、その名残さえない瓦礫の山。さらにその隣には半壊した建物。
「たいしたもんだ」と、テッドは小さく言葉にしていた。
スナイパーにとって、自身の位置が特定されるのは一番嫌がること。今の行為には、死というリスクがあるが、撃ってこれば位置が判明する。対処もできた。だが、相手は撃ってこなかった。テッドが様子をうかがっていても、撃たないことを選択したのだ。
今のところ、殺す気はないようだ。が、逃がす気もない、といったところか。
逃げる方法は二つある。一つはスモークグレネードを使うこと。自身の姿を隠してから移動する。簡単で、確実な方法だ。
だが、スモークそのものが目立つことを思うと、今すぐに使うことは躊躇われる。スナイパーから逃げられても、他の兵士に気づかれる危険性があるからだ。
もう一つの方法は、フラッシュバンだ。これなら音と閃光は一瞬しかしない。
足が無事ならフラッシュバンで隙を作り、ルーカス達のいたところまで行くこともできただろう。距離にして二〇メートルもない。怪我をしたこの足を使っても五秒とかからずにいける。しかし、この状況では、その距離はあまりに遠かった。
今は時間が経つのを、待つのみだった。
*
夕闇。分厚い雲に遮られた太陽は落ちて、日陰が濃くなっていく。
怪我の状態も落ち着いてきた。スモークを準備し、逃げる方向を見たとき、テッドの動きが止まった。
頭の上から迷彩の布に覆われた人影が、こちらに銃を向けて立っていた。
『ミスト』
その言葉が過ぎった。
人影は無言のまま、銃口で武器を置くように促してくる。
テッドは黙って従う。愛用のライフルを地面に置いて両手をあげる。長い銃身を持つ狙撃銃で狙いをつけたまま、人影は近づいてくる。テッドは両手をあげたまま動けない。
ボディチェック。腰のナイフ、ハンドガンなど武装を全てとられる。それから、『ミスト』はテッドの足の怪我の様子を見る。
テッドは後ろ手に細いワイヤーで縛られ、襟をつかまれて引きずられる。ルーカスが残していてくれた装備も、一緒に持たされた。
連れて来られたのは、あの四階建てのアパートだった。『ミスト』は建物内に入ると、武器を下ろした。そして、テッドを背負い、階段を昇り始めた。
(こいつ、女か)
迷彩の布を通していても、テッドは気づく。背負われたときの感覚が、男の時とは全く違っていた。
二階の部屋に着く。元々は二つの部屋だったのだろう広い板張りの部屋。明かりはなく、部屋の隅に置かれた二つのランプだけが光源だ。そこの、ほぼ中心に立っている柱に、テッドを括りつける。『ミスト』はすぐに部屋を出ると、テッドから奪った装備、自分の武器などをとって戻ってくる。
「信じられない、仲間を見捨てるなんて」
その声をテッドは聞いた。やはりトーンの高い、女の声をしていた。彼女は、テッドのブーツとズボンを脱がすと、怪我の治療を始めた。
止血剤を塗り込み、包帯を巻き直す。非常に手際の良い動きだった(激痛を伴ったが)。
治療が終わり、ブランケットをテッドにかけると、『ミスト』は被っていた迷彩のフードを脱いだ。
テッドは息をのむ。想像以上に若い女だった。
大きな切れ長の目に、真っ直ぐに通った鼻筋に小さな小鼻。薄い唇をした、こちらも小さな口。卵形をした輪郭を持ち、首の後ろでまとめられた色素の薄い髪は、肩を覆うほどの長さ。東欧系の顔を持つ、美しく整った顔を『ミスト』はしていた。
「あなた、何者? 装備からして、この辺の組織じゃないよね?」
と彼女は質問したが、
「あ、やっぱり答えなくていい。どうせ嘘か本当か分からないしね」
素っ気なく言い捨てると、テッドから奪った装備などのチェックを始めた。
「テッド・フォレスター。傭兵だ」
「嘘。チームで雇えるほどの大企業に払うお金があったら、正規軍を相手は使うはずよ」
テッドの答えを、彼女は手を止めることなく返す。
「俺たちはストレンジャーだ」
「この戦争には関係ないってこと?」
「ああ、厳密には関係なくはないが、異分子には変わりない」
「ここの防衛線を突破しようとしたのは?」
「偶然だ」
「偶然?」
動かしていた手を止め、彼女はテッドへと顔を向けた。
「ああ、できるだけ人目につかない場所を選んだ結果だ」
「筋は通っているか……」と、少し考えた後、『ミスト』は自信に満ちた表情で口を開いた。
「いえ、もしかしたら、裏で大国が支援している可能性もある。そして、内部破壊工作のため、あなた達を雇った……。どう?」
「どうって言われても……」
テッドは困りながらも、何とか返答する
「大体、俺の仲間の進行方向が違うだろ? あんたずっと見張っていたのなら分かるはずだ。防衛線は突破されてないだろ? 信用しろよ」
彼女は、すねたような顔をすると、装備を持って部屋を出て行った。
テッドは部屋の様子を見る。自分という捕虜がいるから当然といえば当然だが、特に気になる物は置かれてない。家具といえるものは、固そうなパイプベッドと薄汚れたソファくらいだ。後は、『ミスト』の持ち物であろうハンドガンが、窓際の木製の椅子に置かれている。正確な銃種はわからないが、テッドの使っているP226系列ではなさそうだ。
「あんた、ミストなのか?」
部屋に戻ってきた『ミスト』に、テッドは尋ねた。
「最近はそう呼ばれているそうね」
答えた彼女の手には狙撃銃が握られていた。銃種はおそらくL96A1、イギリス製のものだろう。
「昔はヘイトとか、ヘイズとか、今が一番マシな呼ばれかたね」
床に座った彼女は、言葉を足しながら、銃の調整と点検を始めた。
「本名は?」
「そんなこと聞いてどうするの?」
「俺は名乗った。フェアにいきたい」
テッドは臆せず話す。対して、『ミスト』の表情には明らかな苛立ちが浮かぶ。
「フェア? あなた捕虜なのよ?」
「捕虜に対する人権とか知ってるよな?」
「何言ってるの? 戦場でそんなもの意味ないでしょ? 今すぐ殺そうと思えば、出来るんですけど?」
「なら、なんのために治療してくれたんだ?」
「そういう意味じゃないでしょ? あなたの命は私の気分次第だって言ってるの!」
彼女は狙撃銃を置き、ハンドガンを手に取った。銃口をテッドへと向ける。が、すぐに視線を落とすと、椅子の上にハンドガンを戻した。その表情は少し、もの悲しそうだった。
「そうか、そうだな。すまなかった」
テッドは謝っていた。威圧的でなく、気さくに話しかけられたからか、テッド自身、自分が今、敵に捕まっていることを再認識する。
「謝らなくていい」
しかし、捕虜の扱いは慣れていないようだ。彼女はそう呟くと、思い返したように声をあげた。
「それに、あなたの名前、テッド・フォレスター、だっけ? それが偽名じゃないって、どうやって証明するのよ?」
「信用して欲しい」
「結局、それなのね」
「すまない」
彼女の言うとおりだった。テッドはそれしか言えない。敵対している者の言葉を、信用する方が難しいのは当然だった。
「だから、謝らなくていいよ」
彼女の慰めにも感じる言葉。ただ、それを含めた『ミスト』の話し方と、共通の言語で意思疎通が出来ることが、テッドの心の片隅に、どこか安心感をもたらしていた。本来、戦場でそんなものを持ってはいけないのだが。
しばらく沈黙が続いた後、
「どうして、仲間に見捨てられたの?」
と、相変わらず穏やかな口調で、彼女が聞いた。
「見捨てられた訳じゃない。俺の指示だ」
「あなた、リーダー? けっこう若く見えるけど」
「二五だ」
「二五? 真実味あるわね」
「そんなことを、疑ってどうするんだ。あんただって十分若いだろ?」
「八〇を過ぎたお婆さんよ」
「嘘はいいから」
テッドの返す言葉に、彼女は全く表情の無い顔を一瞬だけつくるが、すぐに呆れた顔になる。
「年の話こそ、もういいから。女に年は尋ねるなって教育されてないの?」
その時、『ミスト』の語尾と、何かの音が被った。
低い、蝿の羽音のような短い電子音。ミストが緊迫した雰囲気となる。彼女は素早く立ち上がると布きれを手に取り、テッドの口に入れた。さらに頭に布袋をかける。
「わかってると思うけど、騒がないでよね」
テッドはゆっくりと頷きを返す。敵、彼女の防衛線に侵入者が入ってきたことを理解する。おそらく、センサーにかかったのだろう。しかも、噂の『ミスト』の腕前を示すには、かなりの広範囲かつ高性能なもののはずだ。
ランプの光が消えたのが、布を通してわかった。それから銃を手にする音、階段を上っていく音がした。
しばらく静寂があった。
不意に、遠くの方で男の声と銃声がした。一発、流れ弾が建物の外の壁にあたるのがわかった。聞こえてくる言葉は別の国の言語。遠いので、正確には聞き取れなかったが、「撃たれた」「ちくしょう」「逃げろ、逃げろ」など、他にもいくつか、酷い罵りの言葉がした。
やがて、辺りが再び静かになると、ゆっくりと階段を上がってくる音がする。いつの間に下りていたのか、テッドは全く気づかなかった。
テッドの布袋がとられ、彼は口の中の布きれを吐き出す。『ミスト』はランプに明かりをつけていた。
「終わったのか」
「ええ」
短く答えつつ、彼女は腰を下ろす。
「やっぱり、殺さずに?」
「そんなわけないでしょ。皆殺しよ」
「そうか」
テッドは彼女の言葉をまず、肯定する。
「で、撤退させた割に早いな」
そして、すぐに否定する。
「……」
完全な無表情で、『ミスト』はテッドを真っ正面から見つめる。
「あなたの時より、ずっと楽でした」
そのまま、口だけ動かすように話す。やはり、こちらが真実なんだろう。
「俺の時?」
「そう、あなた、一発目避けたでしょ?」
表情の戻った彼女の言葉で、テッドは思い返す。背中をかすめた、あれか。
「そう言われると、避けたな。代わりに通信機がやられたが」
「スナイパーの一発目を避けるなんて、初めて見た」
「当たってるだろ」
「私は足を狙ったのよ。なのに急に頭を下げるから殺したかもって思った」
「死ななくて、何より」
テッドの思いはそれ以上でも、それ以下でもなかった。あの時は、自分が最適だと思った行動をとったまでだ。
「お互いにね」
生と死をわける体験のはずだが、二人は軽妙な口調で会話を続ける。
「あんたは気にする必要あるのか?」
「この戦争に関係ないんでしょ? 間違ってもそんな人を殺すのは、ちょっとね」
「気づいてなかったら仕方ないだろ?」
そこまで言って、テッドは気づく。
「……って、俺の言葉、信用してくれたのか?」
「う、うるさいな。捕虜のくせにしゃべりすぎよ。さっさと寝なさいよ」
少し動揺した様子で、彼女は顔を背けて、手で寝るように促す。テッドは縛られた後ろ手を、窮屈そうに一度動かす。
「俺以外に捕虜はいないのか?」
「いるよ。隣の部屋に三人ほど」
「さらっと、わかりやすい嘘をつくんだな」
さすがに、これほど自分たち以外に人の気配がないと、彼女の言葉は信じられない。
「……あなた、自分の言うことは信用しろって言う割に、人の言葉は信用しないのね」
「そう言われると、そうだな。すまない」
確かに、その反論は正しい。テッドは素直に謝る。
「……で、本当はどうなんだ?」
だが、それとこれとは別だ。
「……いません。こんなの初めてよ」
諦めたように、彼女は答えた。
「やっぱりな。なら、知らないのも当然だな」
怪訝な表情をして、彼女は「何が?」と、聞いた。テッドはいかにも常識のように話す。
「俺の縛りかた、だよ。こんな縛り方じゃ、ゆっくり寝られないから、もっと楽な体勢にするよう、捕虜の扱い方で……」
「はい、ウソ~」
テッドの話を最後まで聞くことなく、彼女はソファに横になり、背を向けた。
「ち、ちょっと、頼む、ミスト。この体勢、結構辛いんだ」
「カレリア、よ」
「え?」
「私の名前、カレリア・ツム」
寝返りをうち、テッドの方を向いて『ミスト』はもう一度、はっきりと言った。
「カレリア・ツム……。珍しい名字だな」
「意味も二番目、らしいわね」
言葉を付け足し、再び背を向ける。
「ま、こんな偽名でもよければ自由に呼んでちょうだい、テッド?」
「それでもいいよ。ありがとう、カレリア」
「ふん」
テッドの感謝の言葉を照れくさそうにして、『ミスト』、カレリアは肩をすくめた。
「あ、でも、おい、この体勢は、やっぱりキツいんだが……、クソ!」
*
早朝、空が白み始めた頃、ブーと聞き覚えのある音がした。無理な体勢でも、ある程度は眠れていたテッドだったが、その音で目を覚ます。
そのまま、頭を地面へと向けたまま、周囲を観察する。ランプの火はすでに消えていた。カレリアが起きあがり、銃を手にする音がする。姿は見えない。が、空気の動きで分かる。
また、侵入者か。テッドが思う。目隠し、だな。
カレリアが近づいてくる。が、彼女は膝をついてテッドに顔を寄せる。テッドは目をつむり、寝たふりをする。
時間にして、ほんの数秒。カレリアは立ち上がり、部屋の外へと出て行った。
テッドは顔をあげ、辺りを見回す。少し時間が経ったが、何の音もしない
一時間ほど経過しただろうか、空がすっかり明るくなり、ようやくカレリアが戻ってきた。
「おはよう。まだ、ゆっくり眠ってていいのよ?」
少し意地悪そうに頬をあげて、彼女が言った。昨夜と違い、銃を使った雰囲気をテッドは感じない。
「なぜ、俺に目隠しをしなかった?」
「別に深い意味はないわよ。面倒臭かっただけ」
「だが、俺は起きてるし、騒がれる可能性はあった」
「でも、騒がなかったでしょ?」
「まあな」
「騒いだってメリットが少ないことは、あなたも理解しているでしょ?」
「まあな」
テッドは同じ台詞を繰り返しながら思う。自分がカレリアの敵の捕虜ではないと、彼女が信用してきてくれているのか、と。
カレリアは朝食の用意を始めた。水とパン、マーマレードを用意し、一口かじる。わずか五分ほどの食事時間の後、サプレッサーを取り出して、ハンドガンに取り付ける。
「どうぞ」
言って、テッドの前に食事を置く。水とパン、マーマレード、それにチーズがあった。
「これじゃ、食えないんだが」
テッドは肩を揺らして、縛られた腕を主張する。
「わかってる。その代わり、おとなしくしてよね」
「まかせろ」
「なんか、妙な答え方ね」
テッドの背後に回り、手にしたナイフで縄を切る。久々に自由になった腕をマッサージし、肩を回す。
「量、多くないか?」
「ケガ人だからよ。早く治って欲しいから」
「そうか」
明らかに、カレリアの食べた量より二倍はある朝食を、テッドはありがたく頂く。
「カレリアは一人、なのか? 観測者はなし?」
ソファに座って見張るカレリアへ、チーズをかじりながらテッドは聞いた。彼女は少しの間、目線を落として悩んでいるようだったが、やがて口を開いた。
「本当のところ、ミストっていうのは、ある狙撃手集団のことを指すのよ。M・I・S・T。なんの略かわかる?」
「M・I……、スナイパーチーム?」
MとIはわからないが、後半はなんとなく予想がつく。
「そう、中立歩兵狙撃部隊。だから、その時々によるかな」
非常に納得のいく説明だった。しかし、そうなると疑問が残る。
「昨日言ってた、ヘイトとかヘイズはどうしたんだ」
カレリアは舌を出して、そっぽを向く。
「嘘か」
「嘘よ」
実に堂々と、カレリアは即答した。その態度に苦笑しつつも、テッドは質問を続ける。
「じゃあ、今まで何人くらい殺した? 逆に死にそうになった経験は?」
「殺した人数なんか数えたこともないわ。足を撃っても、大動脈破裂で失血死もあったかもしれないし。死にそうになった経験って言っても、戦闘中は常に死に直面してるでしょうが」
「いつ頃からこの仕事を? ずっと狙撃専門?」
続けられるテッドの問いかけだが、カレリアは眉間に皺をよせて無言になる。
「スナイパーライフルはボルトアクションとセミオート、どっちが好み?」
質問を変える。カレリアは答えない。
「出身地は?」
さらに質問を変える。帰ってくるのは無言のみ。
「好きな食べ物は? スリーサイズを教えて」
「あのね、あなた」
ようやくカレリアが口を開いた。「テッドだ」とテッドは自分の名前をもう一度告げる。
「テッド、あなた、自分が捕虜っていう自覚ある?」
「あるよ、もちろん」
「なら、なんでそんなに質問してくるわけ?」
「カレリアを信用しているからだよ」
テッドの返答に一瞬、驚いたような表情を彼女は見せるが、すぐに落ち着きを取り戻す。
「だいたい、質問に答えても、それが嘘かどうかどうやって見分けるつもり? それに、後半の質問なんか、なんの意味もないじゃない。スリーサイズなんて、絶対にサバ読むよ?」
「単に聞きたいんだよ。ミストと呼ばれる凄腕スナイパーに興味があるんだ」
ふう、とカレリアは息を吐いた。どこか呆れたような、諦めたような表情だった。
「わかった、答えましょう。ただし、次で最後にしてよ。さらにそれが、嘘でもよければね」
テッドは大きく天井を見回し、
「俺はケガが治ったら、どうなるんだ?」
と、真面目な質問をした。
「別に、武装解除させて、普通に解放するけど」
「もし、俺が敵のスパイとか、だったら?」
カレリアは人差し指と中指を立てる。テッドもその意味を十分に分かっている。
「これは質問じゃない。もし、の話だから、ちょっとした思考実験だ」
「……まあ、いいか。別に関係ない、同じ扱いよ」
答えてくれたカレリアに、テッドは満足そうに微笑み、「やさしいな、カレリアは」と、彼女の瞳をみつめて言った。
「べ、別に。人を殺したら、その後の処理が大変だからよ。これが一番合理的なの。人殺しが目的じゃないんだから」
対して、カレリアは慌てて否定する。一理ある嘘、とテッドは思った。
「さあ、もう食事、終わったでしょ! 縛るからね!」
「後ろ手に縛るのは、勘弁してくれないか?」
うんざりして、テッドは両手をあげる。
「はあ? 捕虜が何言ってるの?」
「両手を袋に入れて縛って、首か腰に縄をつけるのはどうだ?」
「……まあ、それでもいいけど、捕虜からの提案、っていうのが気にかかるかな」
「単に横になって眠りたいだけだ。あんまりブツブツ言われるのも、ジロジロ観察されるのも嫌だろ?」
カレリアはテッドの代替案に納得したようで、大きく一度うなずいた。
「わかった。そこのベッド、使わせてあげる」
「ありがとう、これでゆっくり眠れるよ」
両手が布袋に覆われ、テッドは腰とベッドを繋がれる。横たわったベッドは硬かったが、昨夜とは比べものにならないほど心地よかった。ブランケットを頭から被り、
(いい女だ)
テッドは思った。
*
「起きて」
その声に反応し、テッドは目を開ける。同時に緊迫した雰囲気をつかむ。カレリアはテッドを繋いでいるワイヤーを切っていた。
「何時間、寝てた?」
「六時間ほど」
「何があった?」
「一個、小隊規模で正規軍が迫っている。足の具合、どう?」
テッドが自由を取り戻す。
「歩けるが、走るのはすこし辛いな」
「そう。早いけど、解放する」
カレリアがズボンとブーツを渡してくれた。テッドは下半身がパンツ一枚だったことを思い出す。
「カレリアはどうするんだ?」
「一緒よ。ここで狙撃してる」
「無茶、だろう」
「相手がこちらに意識を向ければ十分。強引に突破するなら、それでも良し。それなりの被害は与えられるからね。どちらにせよ、この先の前線が崩壊したから、遅かれ早かれ撤退する。私の仕事もおしまい」
テッドがブーツを履き終える。ズボンに銃撃されたときの穴は空いていたが、血の跡はなかった。理由は分からないが、カレリアが洗ってくれたとしか、考えられない。
「さあ、行って」
「丸腰で?」
「その方が民間人と思われるから、安全でしょ?」
「この服装じゃ、不自然じゃないか?」
テッドの服装は上下共に、薄い緑と枯れ草模様の迷彩服だ。ヘルメットこそしていないが、民間人と見るには苦しい。
「……ま、確かにね。仕方ない、ハンドガンとナイフだけは返してあげる」
「出来れば、無線機を……」
「欲張りすぎ」
「オーケイ……」
追加の要求は即座に却下されたが、テッドはナイフとハンドガンを受け取る。
「じゃあね」
「ああ」テッドは挨拶を返し、「しかし、カレリアは甘すぎる」と言葉を足す。
「俺が敵なら間違いなく撃っている」
「でも、撃たないでしょ?」
テッドの少し厳しい表情とは対称的に、カレリアは清々しく聞き返す。
「まあ、な」
「私もバカじゃないってこと。あなたがこの戦争には無関係ってことはわかっているから」
「信用してくれるのか」
一呼吸を置いて、カレリアは「多少はね」と、小さく答えた。
「ありがとう」
「行って、敵に見つからないようにね」
「ああ、じゃあな。……二度と」
合わないように。と、続きの言葉を口に出せなかったため、妙な挨拶になる。
「ええ、二度と」
カレリアも同じ言葉を口にした。お互いに頬をあげて笑みを交わす。カレリアが外を注視し、テッドは部屋を出て行った。
テッドが外に出て、辺りの様子をうかがう。まだ、自由には動かせない左足をかばいつつ、街のはずれへと向かう。
森へと続く道を前に、最後にと振り返って、街を一望した、その時だった。
深い雲間の中、空気を切り裂く甲高い轟音、戦闘機のジェットエンジンの音。
数秒後、一筋の黒い雫が目の前の建物に落ちた。空気と地面を揺らした衝撃波が体を突き抜ける。
一瞬にして建物が崩れ落ちる。
空対地ミサイル。
テッドの頭にカレリアの顔が過ぎる。
迷いはなかった。彼は、その足の向かう方向を元へと戻していた。
自分が捕らえられていたアパートの中へと顔をよせる。銃を構え、滑り込むように入っていく。まだ、敵は来てないはずなのに、戦地でのこの行動は、職業としての習性だ。
「カレリア」
人の気配を感じて声を出す。数拍の沈黙。
「どうして、戻ってきたの?」
狙撃銃を構え、カレリアが階段を下りてくる。
「手伝おうかと思ってな」
「何の?」
「撤退のだ」
「別に、必要ないわよ」
カレリアは素っ気なく答える。狙撃銃を手に、背中には大きなバッグ、さらに銃を二丁と、荷物は多い。
「そうか? 相手は空爆をしかけてきた。足止めの予定を切り上げて逃げるには、時間が足りないんじゃないか?」
カレリアは大きくため息を吐く。テッドの考えが事実だと態度で表していた。
「ミストだと、バレているようだな」
「そうね。全く、有名にはなりたくないよね」
「相手が油断してくれないもんな」
「じゃあ、この銃をお願い。私はもう一丁の銃をとってくるから」
言って、狙撃銃とアサルトライフル、テッドのライフルを受け取ろうとしたその時、上空からの音。
同時に来る圧迫感
テッドはカレリアの腕をつかみ、抱き寄せる。
炸裂音と同時に建物の外へと倒れ込む。
すぐに立ち上がり、崩壊する建物から離れ、近くの草むらに身を隠す。
「ケガないか?」
「ええ。でも、七八〇〇ドルもした対物ライフルが瓦礫に埋もれちゃったな」
うつ伏せたまま、崩れ去ったアパートを真っ直ぐに見つめ、カレリアは答えた。その口調は、静かな怒気が含まれているようにテッドは思えた。
「これから、どこへ逃げるんだ?」
「逃げない」
「何?」
「足止め、いえ、撤退させる」
「一個小隊を? 無茶な」
銃撃、機関銃の途切れない発砲音が聞こえ始めた。
「奴ら、制圧射撃も始めた。無謀すぎる」
「相手はこちらの場所をわかってないってこと。この距離ならもう空爆の心配もないしね。これからが勝負よ」
「どうやって?」
「変わらない。歩兵を全て無力化する」
「強行突破されたら?」
「おそらく、それは大丈夫。相手の隊は先遣隊ね。ここのクリアリングが目的だと思う」
カレリアは狙撃銃を肩に、アサルトライフルを手にとった。
「オーケイ。俺も手伝おう」
テッドの言葉にカレリアは一瞬、絶句する。
「こういうの、ダメなんじゃないの?」
「撤退の手伝い、だよ。戦闘は手出ししない」
一時、二人は無言で見つめ合っていた。カレリアは目を伏せると、テッドの意思を認め、「わかった」と声を出した。
「スモークグレネード、あるか?」
「ええ、あなたが持っていたのも含めて六つほど、バッグの中に」
「十分だ。装備は俺に任せろ」
テッドはバッグを背負って、立ち上がる。
「足、いける?」
「ああ、無理をしなければ、平気だ」
「あなたのライフルも返すね」
カレリアは足下に置いていた銃をテッドに渡した。
「本当は換金したかったけど。SCARーLってかなり高額で売れるのよね」
「やめてくれて、本当に助かるよ」
残念そうに話すカレリアに対して、テッドは「本当に」を特に強調して言った。
「じゃ、また後で」
返して貰った銃を背中に回し、テッドは移動を始める。
「……また、後で?」
「ああ」
カレリアは少し考えた素振りの後、
「ええ、また後で」
と、強く決意するように答えた。
*
二人は同時に別方向へ移動を始めた。
カレリアは民家の二階から様子をうかがう。相手はこちらへ向かってきている。最前列との距離は約二五〇メートル。腕を伸ばして、ちょうど爪の大きさと人の大きさが同じくらいだ。
戦車のように砲塔はないが、強力な機銃を装備した、歩兵戦闘車を先頭に、機銃のついた装甲車、ジープ。その後ろに装甲付のトラック。確認できる歩兵は、車の両側面に六名ずつの合計十二名。
対物ライフルがあれば車のエンジン、シャフト等を狙撃して終わりだったが、仕方がない。
サプレッサー付アサルトライフル、FAL、スナイパー仕様で射撃。ジープの機銃手の肩に命中。続けて二発目、三発目。最後尾の歩兵と、BMPの側の歩兵へ。共に足へ命中。
カレリアは部屋から出る。そのすぐ後で、BMPからの激しい銃撃を受け、部屋は穴だらけとなった。
森に入ったカレリアは再び狙いを定める。
BMPの機銃は街の方向へ向いている。ジープの機銃手も気づいてない。狙撃した銃座には、すでに別に兵士がついている。
狙撃手を捜す。カウンタースナイプは避けたい。
一人、見つけた。BMPの陰に隠れている。全体を見回して、一人と再確認。
だが、位置が悪い。銃と頭しか見えない。
カレリアが位置をずらそうとしたその時、狙撃手がその銃口を彼女の方へと向けた。
が、すぐに相手は体を低くして、別の方向へと銃を向けた。
(銃撃? 彼? テッド・フォレスター?)
背中に汗が流れる。対処法がないわけではなかったが、今のは危なかった。
息を吐き、移動する。
その兵士はジープの右側を平行して歩いていた。凄腕のスナイパーがいる、このエリアの浄化作戦のためだ。
二発の航空支援で怪しい建物を崩した後、前進を再開していた、その時だった。
視界の端にある、民家の二階から何かが光った。スコープか排気炎かのどちらかには違いなかった。
その判断をしかねたと同時に、機銃手が悲鳴をあげて倒れた。彼は慌ててBMPに自分の確認した民家へと砲撃を要請する。
ケガをした仲間を見ると、すでに衛生兵が機銃手を引きずり下ろし、治療をしていた。すぐに別の兵士が銃座につき、民家へと銃撃を始めた。
彼は狙撃手を見る。BMPのすぐ側にいる彼に指示を出そうとした。が、金属の板からの甲高い音で、身を縮める。BMPの装甲板に銃撃。わずかに遅れて何発かの銃声もした。
狙撃手が手で銃撃方向を示している。彼も手で了解の合図を返し、ホフクをしながら森へと入っていく。 接近して、仕留める。それが彼の狙いだ。
双眼鏡を覗き、テッドは崩れた壁の間から感心していた。見ているのは敵の小隊の方だが、一瞬にして三名が倒れた。しかも、相変わらず殺さずにだ。
しかし、やはり多勢に無勢だと思う。
軽く、こちらに注意を引かせるか。そう思って、BMPに向かってアサルトライフルで威嚇射撃をする。装甲にあたる音で注意が引ける。
その後、テッドは森の中や建物の側に逃走用の仕掛け、ワイヤーとスモークグレネードの簡易的なものをいくつか作る。
わずか一五分ほどだろう、作り終えると再び双眼鏡で敵小隊を確認する。倒れている兵士が五名に増えていた。衛生兵が走り回っている。と、彼も今、撃たれて倒れた。
もう、十分だろう。
テッドは最後の一つのスモークグレネードを手に持ち、腰を落として部隊の方へ近づいた。
スモークで相手の視界を奪い、逃げる。カレリアにもそれが撤退の合図になるだろう。
敵小隊から一五〇メートル付近、草が動き、その間にある固まり。テッドがカレリアを見つけた。
と、一度はそう思った。だが、おかしい。動きすぎている。
敵か。
敵の進行方向、そこに今度こそ、なだらかに盛り上がった地面に体を伏せている、彼女を見つけた。
こちらは微動だにしていない。敵がいたからこそ見つけられたのだろう。
テッドはナイフを構える。相手も接近して仕留めようとしているはずだ。彼女がスタンドアローンと知らないのだから、他の仲間に見つからないようにだ。
テッドから見て、カレリアは右前方三〇メートル程の距離、そこから左へ約二〇メートルに敵兵士。
敵を背後から見つけられたのは、幸運だった。
ふと、テッドは自分の持っているものを見つめる。スモークグレネードとナイフ。
殺しの必要はない。
テッドはナイフを鞘へと戻し、フラッシュバンを手にした。
スモークを投げる。カレリアの視界に入るよう、彼女の前方へ。地面に落ち、煙をまき散らす。
続けてフラッシュバンを投げる。今度は敵の近く、自分との間に。そして、一気に距離を詰める。足に鈍痛が走ったが、気にはならなかった。
兵士がスモークに気づき、投げられた位置からテッドの存在を意識、カレリアからテッドへと注意を向ける。
彼が振り向く。テッドと目は合わない。すでにテッドは自らの視界を手で隠していた。
フラッシュバンが炸裂。閃光と強烈な音響が兵士の視覚と聴覚を奪う。
テッドが飛びかかる。ナイフを持った手を押さえ、襟首を持って引き倒す。地面にうつぶせにして押さえつけ、両手を後ろ手に回してワイヤーで縛る。
「撤退だ」
言いながら、兵士の両足も縛る。
テッドは反転して走り出す。兵士が何かスラングで罵るのを横目に、カレリアが駆け抜ける。
仕掛けられていたスモークが次々に煙を出し、テッド達の姿を隠し、また逃走方向を攪乱する。
敵の兵士が煙に向かって制圧射撃をするには、あまりにもその範囲は広かった。
*
激しく降っていた雨は小降りとなり、霧が立ち込めてきた。
夜、戦闘区域を離脱した二人は小屋の中にいた。おそらく、かつては牧場の見張りとして使われていたのだろう。今は、その名残しかない。
ランプに火が入れられて、辺りを淡く照らす。
「無線、ありがとう。助かったよ」
テッドは通信を終え、カレリアに感謝を述べた。本部と連絡を取り、新たな回収地点と時間を受け取る。一晩はここで明かすことになる。
「こちらこそ、今日は助かったわ」
カレリアもお礼を返す。
「足手まといにならなくて、なにより」
「ケガ、見せて」
彼女はテッドのズボンを捲り、包帯を巻き直す。
「手、も」
「あ、ああ」
気づいてたのか。テッドは思った。右腕の外側の皮膚。兵士を引き倒したときに負わされた傷だった。
たいした傷ではなかったが、カレリアが包帯を巻いてくれた。
彼女は包帯を巻き終えると、テッドの右手を手に取り、自身の胸へとやって祈るように小さく、「ありがとう」と、呟いた。
「食事、作るね。温かい料理、出せるよ」
カレリアは食事の準備を始める。
「ああ、頼む」
固形燃料を使って、湯を沸かす。まずパスタ(ペンネ)を茹でる。茹であがれば別の器に移し、湯を捨てる。次にバターをひき、細切りにしたベーコン、唐辛子を炒める。火が通れば、トマトの缶詰を入れ、塩コショウ、固形のコンソメで味をつける。最後にゴーダチーズをいれて、茹でたパスタと絡めて完成。
「カレリアはイタリア出身なのか?」
手際のよさ、味の良さに、テッドは思わず尋ねた。
「さあね、別にどこ出身だっていいでしょ?」
「まあな」
「そういう、あなたはどうなの?」
「俺は一応、アメリカ出身だ」
「一応?」
「ああ、俺は孤児だからな。物心ついた時には施設で育っていた」
「どうやって傭兵に?」
テッドは少し考えてから口を開く。
「良く言えばスカウト、悪く言えばプロジェクト、ってやつだな」
「なるほどね。子供の頃からの英才教育か」
「そういうことだ。そこらの団体が非人道的だなんだというやつだ。俺にとっては施設にいた頃よりも、よっぽど充実していたんだがな」
そこまで言って、「するどいな、カレリアは」とテッドは舌を巻いた。
「そう? 少し考えれば、予想つくよ」
「カレリアが傭兵になったのも、そんな感じなのか?」
「そんなにいいものじゃない」
無愛想に答えるとカレリアは立ち上がり、「食器、洗ってくる」と言って外に向かう。
「明かり、消しといて。戦闘区域外だし、霧だから大丈夫だと思うけど、念のためにね」
カレリアが扉を開ける。外は霧に包まれているが、空は月が出ているのだろう、朧気な光だけが見える。
ランプの火を落とし、テッドは寝ころがる。
少しして、カレリアが戻ってきた。漂う月光が、彼女の女性らしい体つきをシルエットで浮かび上がらせる。彼女はテッドの隣に座る。
「昔ね、あるところに仲のいい夫婦がいたの」
膝を両手で抱き、正面を向いたまま、カレリアが話し出した。わずかな光に照らされる瞳は、ただ虚空を見ていた。
「二人には男の子が一人いて、幸せに暮らしていた。男の子が五歳の頃、家族で中東に旅行にいったの。そこで、ゲリラ組織によるテロが起きてね、男の子の両親は殺され、彼も誘拐されてしまった。それから、彼は少年兵として訓練を受けて、そのゲリラ組織の一員として育ったの」
テッドは自分の腕を枕にして、彼女の話す昔話を黙って聞いていた。
「彼が十二歳にもなったある日、組織のリーダーの男に呼ばれ、何かの薬を飲まされたの。そして、裸にされ、股を開かされた。……痛みは感じなかった。薬のせいだと思う。ただ、自分の体内に大きな異物が出たり入ったりするのを生々しく感じていて、早く終わらないかなと思っていた」
テッドは体を起こしてカレリアと体を並べる。彼女の口調は淡々としたまま、続く。
「その時、遠くで何かが爆発がした。本当はもっと近くだったのかもしれない。その音を聞いて、男が腰を振るのを止めたの。でも、すぐに再会した、その瞬間だった。彼にはリーダーの男の顔が、数年間、一応育ててきてくれた、その男の顔が、急に醜い怪物に見えたの。同時に激しい痛みも襲ってきて、男の子は手元にあった拳銃を手に取って、ためらいなくリーダーの男へ引き金を引いたの。男は頭から真っ赤な血しぶきをあげて、悲鳴もなく倒れていった」
カレリアは足を伸ばして、座り直す。テッドは、彼女の声が少し軽やかな感じになったように思えた。
「どうやら、襲撃を受けているらしく、男の子は仲間でもあった見張りの少年兵を撃ち殺し、その隙にゲリラを逃げ出したの」
カレリアは語り終える。最後に、
「……という、作り話」
という言葉を付け足して。
テッドはカレリアの肩に腕を回し、抱き寄せる。
「嘘の話か」
「うん、嘘」
「性転換はしてないのか」
「……そこ? 気にするところ?」
目を大きく見開き、カレリアは顔をあげて聞いた。
「あんたはすごくいい女だ。プライベートでもずっと付き合っていたい程のな。これが、元、男なら、それこそ俺は何を信じたらいいかわからなくなっちまう」
テッドの言葉の後、完全な沈黙があった。
やがて、カレリアがふっと笑いをこぼす。そして、テッドへ馬乗りになって彼の手を取り、自らの胸へとしっかりあてた。
「試してみる? この胸、れっきとした本物よ」
柔らかく、指が沈み込む。テッドは顔を近づける。
「光栄だ」
「何か、変な答え方ね」
その感覚を確かめるように、一度、軽く唇を合わせた。
そして、今度はお互いの背中を抱き寄せ、熱く、深い口づけを交わす。
「実は私、酷い性病持ちで、行きずりの男とこんなことばかりしてるの」
口を離し、上気した声でカレリアが言った。
テッドは無言のまま、カレリアを寝かせ、上になる。首筋に口をはわせたまま、彼女のズボンを脱がしていく。
「何か、言ってよ」
タンクトップを脱がす。自らもTシャツを脱ぐ。
「ミスト、と呼ばれる凄腕のスナイパーがいた」
テッドは上半身を起こして、暗闇の中にいるカレリアを見つめて言った。
「彼女はとても優しく、少し意地っ張りで、嘘をつくのが下手だった」
カレリアの形の良い胸へ手をそえる。
「カレリア、君はとてもキレイだ。心と体、両方ともな」
「……あ、はい……」
カレリアが何か言おうとしたが、テッドは再び、彼女の唇をふさぐ。
体を合わせ、始めはゆっくりと、徐々に激しく、お互いを求め続けた。
遠くで水鳥の鳴き声がする。小屋の中はうっすらと霧が立ちこめている。外は濃霧だろう。
テッドが目を覚ますと、カレリアが服を着て、装備を身につけていた。
「行くのか」
「ええ」
カレリアは静かに答える。
「もう、会えないのか?」
「……そうね、戦場ではもう会いたくないね」
テッドは一瞬残念そうに、だが、すぐに小さく頷きながら「そうか」と答えた。
「……あなた、恋人とかいないの?」
「いたら、聞かないよ」
「ふーん」
少し考え、「じゃあね」と言って、扉を開けた。
「あ、おい、それで、どうなんだ?」
「またね」
そう言った彼女は微笑んでいた。カレリア・ツム、戦場で噂の『ミスト』は、その通称と同じく、霧の中へと消えていった。
*
あれから、二ヶ月が経過した。
無事、回収地点へ到着したテッドは帰国し、足の治療も問題なく終わる。跡は残るが、動かすことに違和感は全くない。
昼下がり、職場にも復帰したテッドは、HOPE社近くのイタリアンレストランで、トマトパスタを食べていた。オープンテラスのいくつかの丸テーブルにはテッド以外、誰もいない。
カレリアが作ってくれたものと比べると、やはり美味い。が、彼女のも戦地で出されたものと思うと、相当の味の良さだった。
別れ際、彼女は「またね」と言ったが、もう一度会えることなどできるのだろうか。
「ここ、空いてますか?」
上の空で「ああ、どうぞ」と口にする。
向かいの席に、女性が座る。一拍置いて、その声には聞き覚えがあることに気づく。
「テッド・フォレスター。一応、本名だったね」
目の前に、黒のスーツを美しく着こなしたカレリアがいた。
「偶然、じゃないよな。これは」
「偶然、といえば偶然かもね。私も今日、会えると思ってなかったから」
「今日?」
「ええ、どっちにしろ、近々会うだろうとは思っていたけど」
「なぜだ?」
「理由、知りたい?」
「そりゃな、当然だろう」
注文を聞きに来ようとしたウェイターを、カレリアは手振りで止める。すぐに立ち去るつもりなのだろう。
「ミストをやめたの」
顔を近づけ、小声でカレリアは話した。
「やめた?」
「うん」
「それは傭兵をやめたってことか?」
「うーん、やめてはないかな」
「じゃあ、どういうことだ?」
カレリアは意地悪そうな笑みを浮かべて、椅子の背もたれに体を預けた。
「私が言うと嘘っぽくなるから、自分で考えてみて。多分、当たるから」
彼女の問いかけに、テッドは考えようとした。が、思いつく唯一の答えはあり得なく、またそれしか出てこなかった。
「まさかHOPE社に?」
「正解~」
カレリアは微笑んで、大きく一度、うなずいた。
「本当か?」
「嘘よ」
「嘘?」
「なんてね、嘘よ」
嘘という、カレリアの言葉。何が本当で何が嘘か、混乱したテッドは落ち着いて考える。
「嘘っていうのは嘘なのか?」
「うん、嘘」
言って、カレリアは立ち上がる。
「じゃ、行くね。これからよろしく、先輩!」
彼女が自分と同僚になったことを、頭の中で整理して受け止めていたテッドは、少し反応が遅れた。
「ちょっと、待った」
背中を向けて、歩き始めていた彼女を呼び止める。
「ん?」
「とりあえず、どこかでお茶でもどうだ?」
カレリアはテッドが初めて見る、最高の笑顔でうなずいた。
終
戦場のミスト
この話はフィクションです。