Fate/defective c.17

Ⅱ 断罪

 星々はあまりに遠く、小さく、弱い。
 僕は小さな窓から西暦一九九九年の夜空を見上げ、生前の故郷の星空と重ねた。僕が生きていたのはまだ神と人が袂を分かつ前―――すなわち神代だったから、その時の星空とは比べ物にならないほどこの時代の星空は貧弱だ。けれど僕はいつの間にか、この小さな窓から空を見るのが好きになっていた。
 その理由は自分でもよくわかる。
「マスター、具合はどうだい?」
 窓際から、部屋の中央に置かれたベッドの上の少年に声をかける。彼は薄く微笑んで、僕を探した。
「姿が見せられなくてごめんよ。だけど君の魔力を浪費するのは彼等にも止められているから……実体化ができないのがもどかしいな」
「……大丈夫。今も、窓際に?」
「そうだよ。僕はいつもここにいる」
 僕を召喚してから、彼等―――マスターと僕を管理している魔術協会の連中の記録によれば、既に六日が過ぎている。聖杯戦争はもう始まっているはずだ。けれど彼らの管理下にある僕はなかなか戦闘の許可が下りず、ただの置物のようにマスターの部屋に入り浸っていた。敵があらかた少なくなったところで僕を投入し、聖杯を勝ち取らせるつもりなのだろう。魔術師的な陰気で臆病なやり方だが、僕はあえて口を出さなかった。本気になればこんな建物のの一つや二つあっという間に崩せるが、それもしない。
 今は、少しでもマスターの傍にいたいと思った。
 僕を召喚してから、明らかにマスターの具合は悪くなっていった。顔はやつれ、目の下の隈が酷く、呼吸は浅い。僕に魔力を供給しているせいで身体に負担がかかり、体に埋め込まれた「呪い」が彼を蝕んでいるのだ。僕は彼の負担を増やさないよう、ずっと霊体化しているしかない。
 時間が無いのは分かっていた。けれど―――彼を一人にしておけない、とも思った。
 口をきくのもやっとのマスターは、しかし気丈な振る舞いをした。嫌だ、とか辛い、とか、弱音を一言も吐かず、ただ僕といられることを純粋に喜んでいた。
 幸福の英雄として、少しでも彼に報いたいと思ったのだ。

 けれど、そんな日々は続かなかった。


「マスター?」
 七日目の深夜、いつものようにマスターに声をかけたが、返事が無かった。
 僕は不審に思ってベッドに近づく。常夜灯に照らされてうすぼんやりしたシーツの中に、どす黒い染みが見えた。
「マスター!」
「………………ライ、ダー、僕は………」
 なりふり構わず、僕は実体化して血の中の彼の半身を抱き上げた。藁のように軽いその身体の喉笛はヒューヒューと頼りなく鳴っている。
 周囲の機械が、けたたましく騒ぎ始めた。
「マスター、喋ったらだめだ。すぐに人を呼ぶ。大丈夫、今回の発作は少し酷かっただけで―――」
「………を、………」
 取り乱す僕に、マスターが何か言った。けれど機械が騒がしくて聞き取れない。
「何を、何を言ってるのか」
 すると彼は血に濡れた薄い唇を僕の耳元に寄せた。
「願いを、まだ、教えて―――いません」
「願い―――?」
 聞き返しかけて、僕の脳裏に一つの記憶が閃いた。

『聖杯を勝ち取ったら、何を願うの?』

『僕のは……内緒です』

 あの日、僕がマスターに問うた言葉だ。彼は自分の願いを僕に教えなかった。
「どうして、今……」
「今しか、……無い、から……」
 彼は右手を持ち上げた。骨と皮ばかりの腕の先に、三枚羽の令呪を宿した手の甲がある。僕はその赤黒さを見て、嫌なものを感じた。
「待て、マスター、何を」
「……………これ、が、僕の願いです、ライダー」
 制止する僕の声も聞かず、マスターは驚くほど明朗な声で告げた。


「……令呪に命ず。
 彼に、軋まぬ骨を」 

「重ねて、令呪に命ず。
 彼に、断てぬ肉を」

「更に重ねて、令呪を以て命ずる――」

 その時、彼の顔に初めて苦悶の表情が浮かんだ。
 それは肉体の苦痛からではなく、一瞬の逡巡から生まれたものだった。
 彼は小さく息をついた。か細い呼吸の中で、ただ一心に、願い続けていた。

 どうか……このわがままを許してください。
あなたと出会えて、幸福だった。
だから、サーヴァントとマスターとしてではなく。
最初で最後の、たった一人の「友人」として、貴方の真名を呼びたい。
 
  


「命ずる。
 我が友(・・・)、ペルセウスよ――――受肉せよ」




 かくして――僕はマスター、伊勢三杏路(いせみあろ)の『最初で最後の友人』として、一九九九年の聖杯戦争で受肉した。
 セイバーのマスターの同級生として市井に溶け込み、親愛なる友人の名を借りて人間として振る舞った。
 令呪を使い果たし、魔力も尽き、呪いに食われて死んだ伊勢三少年の遺体はすぐに魔術協会の連中に押収された。僕が体を得た直後、見計らったかのように彼等は現れ、ブルーシートに伊勢三少年を包んで何処かへ持ち去った。
 そして一人の魔術師が、僕の肩を叩いてこう言った。
「心配ありません、ミスター。この仮面を依代として使えば、貴方は十分に力を奮えま……へ?」
 その魔術師の首が飛ぶのには十分すぎる理由だった。
 僕は手始めに魔術協会の連中を皆殺しにした。
胸中にあったのは、ただひたすらに煮えたぎる憤りと、聖人の如き彼をむざむざ殺してみせた愚かな魔術師達への蔑みの念だった。
 一夜で魔術師が全員死体になると、僕はマスターの遺体を探した。
  だが何故か見つからなかった。彼の遺体だけがどこにも無い。そうこうしているうちに魔力の不足を感じた僕は、彼の遺体を見つけ出せないまま、聖杯戦争に出るしかなかった。
「魔術師風情に聖杯は過ぎたものだ。聖杯は、ワタシがあるがままに、正しく使わせてもらう」
「マスター? 死ぬ間際に令呪をすべて使わせた。受肉するためにね」
 セイバーのマスターと相対した時、血反吐を吐きながらついた嘘だ。
 本心など知られたくはない。他のどの英雄にも知られたくなどない。最古の英雄も、騎士の王も、北欧の槍兵も――自分の欲のままに動く彼らに、他人の幸福を願う心は無い。そうだ、そうだとも。僕だけがマスターを理解し、僕だけが彼の唯一の友人だった。その友人として、為すべきことをなさねばならない。
 なのに―――

 僕は敗れた。
 あの日の光景を今でも忘れない。死体が積み上げられた夜風の吹く工場地帯の一角で、僕はセイバーを陥れ、あの愚鈍なマスターを手にかける寸前だった。
だが震える彼女の喉元を突き刺そうとした瞬間、一瞬だけ迷いが生まれた。マスター殺しと呼ばれ、非道のサーヴァントを演じてもなお、本質的に変わることはできなかった。彼女の姿と杏路の姿が網膜の奥で重なって、うろたえた僕に隙が生まれた。
約束された(エクス)――――」
気付いた時にはもう遅かった。

勝利の剣(カリバー)!!」


まともに宝具を受けた僕は完全に丸腰のまま吹き飛ばされ、積み上げられた死体の中に突っ込んだ。
激しく背中を打ち付け、腹部を深々と抉った傷から血が噴き出る。痛みと怒りで震えが止まらない。いや――それは嘘だろう。僕は終わりを悟った。恐ろしかったのだ。杏路と約束したのに。この世に未練のない満ち足りた英雄として、みんなが幸福になれる願いを叶えるだろうと期待されたのに。
「でもダメだった」
不幸の形を知った。ただそれだけだ。それだけだったのに――――
「どうして、だ」
彼を幸せにしたかった。今も、僕の思いはそれだけだ。ああ、それなのに。こんな形で終わってしまうのか? あの、セイバーのせいで――――
閉じかけた視界の向こうに、青と銀の鎧が見えた。それも霞んで、消えてしまった。
消えてしまった。






-

『されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。
汝、狂乱の檻に囚われし者。
我はその鎖を手繰る者――』

――彼は、私が探し続けた、「最適解」だった。

Fate/defective c.17

Fate/defective c.17

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-09-09

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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