ニュー此岸と ニュー彼岸

ふじひろいち

人間の住んでいる世界は幻想

唯識でいうところのその人の心の中というか
頭の中で作り上げられた事しかわからないし知り得ない

近頃実体に基づかないものがもっとふえてます

ラジオ、テレビ
そして映画とかでてきて
これ当時は活動写真っていってました
この言い方その意味をよくつたえてますね
写真を活動させるとは
ようするに写真をペラペラ早めくりをして
視覚の残像でもって動画として認識するという

昔学校で退屈な授業の時
教科書の隅に絵を書いてベージを高速で送る
あのパラパラマンガとおなじです

そしてインターネットがやっていきて
最初は研究者の通信やデータ転送が主だったのに
いまやパソコンだけでなくスマホ使う人ならだれもがお世話になっている

地球の向こうのほうにいる人が撮ったビデオが
何の苦もなく見られるし
トランプ大統領が考えてることが
瞬時にツイッターで知ることができる

そんな便利な情報豊富な社会ではあるのですが
どうも実感というか実体というか真の満足というものが
得られませんね

次から次へとやってくる新しいツイートを
届くたびにクリックしてみていると
すぐ時間がたってしまうのだけれども
そのうち飽きてくるし
目も疲れるし
どうでもよくなるんですね
なんのためにクリックしてるのって感じです

パソコンの画面に表示される画像が
ひょっとしたら
偽かもしれないし
繰り返しツイートされてるものもあるだろうし
そのへんのことがわからないんですね

実体のなさ感をさらに後押ししているのが宣伝
SNSでも多くなってきているのにはうんざりです

テレビと同じ傾向です
ここ数年さらにコマーシャルとコマーシャルの間隔が短くなりつつありますから

そのうち
向こうの伝えたい事だけが世界中のインターネットを駆け巡っていて
こちらの知りたいことが得られないようになりそう

ポストに無断で投函されるピザの宅配や不動産会社のチラシみたいに
こちらが欲しいものではないので
それらはゴミとおんなじです

テレビから発するゴミに
インターネットを巡ってるゴミ
新聞だって半分は広告です
これも見ないで次のページめくるからゴミです

目からくる情報だけでは実体があるとは感じにくく
結局はより確かなものを求めるようになるんだとおもいます

この社会がめんどうくさいから
自分の思うとおりにならないから
新しく作られた仮想の社会で生きようとおもっていたのに
そこでもまた裏切られ挫折し
生きてるってことが感じられなくなる

人は目から来る情報に圧倒されます
それだけ情報量が多いからですね

そしてそこからできるイメージで頭の中が一杯になる

しばらくの間はいいのですが
続きません
そのうち飽きる

飽きてるのがわかっていながら中毒になっているから
ついまた見てしまう

そこまでくるともうだめですね
頭が機敏に働かなくなっている

ただ目が画像を追ってるだけです
脳まで情報がいかない
なんの反応もしない

映像の洪水のなかに溺れていると
実体に触れられない

映像は幻想ともいえるから
そこには実体はない

最近はビットコインというのもでてきた
実体のないインターネット上の仮想の通貨

これもみんなが意味在るものと思うから使うわけで
一瞬になにもなかったように消える危険性は常にある

実体のないインターネットで
実体のない情報をもとに
実体のない通貨をつかって
実体のない世界を広げて
実体を感じなくても全然OKな人が生きる

ほんとうだろうか
そんなことできるんだろうか

人間ってどこまで世界を広げていけるのかな
そしてどこまで幻想を広げていけるのかな

この世をすべて幻想と仮定して現実に生きるのと
この世に仮想の社会をつくってそこで生きてゆくのと
どちらがいいかな

ニュー此岸と
ニュー彼岸

ニュー此岸と ニュー彼岸

ニュー此岸と ニュー彼岸

人が作ってる社会ってどこまで拡大するのだろう。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-09-08

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