泡沫
拝啓
こちらの冬の寒さは、だんだん和らいで参りました。今年は暖冬だ、などとテレビでは言われていましたが、振り返ってみるとやはり厳しい寒さだったように思います。結局雪が降ったのは今年は二回だけでした。どちらも大した量ではありませんでしたが、わたしの近所の田舎道を白く染めるには少しで十分です。今年の冬も綺麗な銀世界を作り出してくれてわたしは満足しています。
そちらの季節はどうでしょうか。どんなニュース番組を見ても、ドイツの天気を知らせてくれるものはありません。わたしが地理の勉強をまともにしてこなかったことが今更のように悔やまれます。もうそちらの文化には慣れましたか。あなたは真面目に勉強していらっしゃったから、言語の壁については心配していませんが、習慣や常識といった見えない問題がきっとたくさんあることでしょう。まだ暮らしには慣れないことも多いのかもしれませんが、くれぐれも健康にだけは気を付けてください。
東京はもう二週間と待たないうちに、また桜の季節がやって来ます。去年は一緒に花を見に行ったこと、まだ覚えていてくださるでしょうか。
四月頭の上野公園は、当然花見の客でいっぱいでした。瞼を閉じて耳を澄ませば、たちまちがやがやとした声の群れに温かく包まれます。家族連れやら老夫婦やら、周りを見渡せばいろいろな人たちがいて、ここはなんと素敵な場所なのだろうと感動した記憶があります。みんな世代も立場もばらばらなのに、ひとところに集まってめいめいに自分たちの話をしているのです。想像しきれないような量と内容の言葉が交わされ、それが誰かの心に届いたり届かなかったりしたのだと思うと、その空間がとても切なく、愛おしく感じられていたのです。わたしはあなたと一緒に居ながら、口には出しませんでしたが、ずっとそんな事を考えていました。
やはり桜という花には、人を惹きつける魔力とでも呼ぶべきものが備わっているのでしょうか。わたしがあの時そんなに感傷的になって、人間同士の巡り合わせについて心を彷徨わせていたのも、桜の持つ不思議な魔力のせいだったのかもしれません。
花は、人と人との結びつきを意識させるものなのだと思います。きっとわたしが生まれるよりもずっと前から、人間は花に切ない美しさを見出してきたのではないでしょうか。ある種の花は、時期が来ると一つ一つの花びらに分かれて風に散ってゆきます。あるいは、花の形はそのままに保って、地面にぼとりと落ちてしまう種類もあります。これらは何か離別するということの美しさを体現しているように思われるのです。
あなたもご存知かもしれませんが、わたしが好きな古い中国の詩に「雪月花の時 最も君を憶ふ」という言葉があります。何とも素直で、いじらしくて、どこか達観したような文言だな、と思うのです。美しい雪景色、夜に浮かぶ月、そして満開の花を見ると、人は自分の想う人が隣に欠けている寂しさを一層身に沁みて感じます。美しい自然の姿を、誰かと共有したいという飾らない気持ちが真っ直ぐに感じられるのです。嘘偽りのない純粋な願いがそこにはあると思うのです。
あるいは愛する者が隣にいたなら、その共有された景色は記憶の中により鮮明に焼き付けられるのかもしれません。そしてまたいつか独りで「雪月花」に触れたとき、その風景が記憶の底から呼び覚まされて、隣に居た人の息遣いを懐かしく思うのかもしれません。どちらにせよそこで謳われた自然の美しさは、無垢でそれだけに罪深いように感じられます。
そしてそれらの美しいものがどうして美しいのかを考えてみると、そこには一時性というものが潜んでいるように思うのです。例えば花の美しさは、言うまでもなく咲いてから散るまでの期間に限られます。そして再びその花を目にするためには一年近くも待たなければならないのです。そんな花の持つかけがえのない短い時間の中に、人は誰かとの出会い、別れの切なさを見出すのではないでしょうか。人の営みの力では再現しようがない、まさに唯一無二の美しさを感じ取るのではないでしょうか。そうあるからこそ、永遠に穢されないものとして桜の花はわたしたちの記憶に刻み付けられやすいのかもしれません。
しかしもし本当に一時的な儚さが美しさを担うものだったのだとすると、永遠に続きうるようなものは美しくないということになってしまうのでしょうか。それはそれで、少し信じがたいような気がしてしまいます。
あなたが東京を去ってから、わたしは自分ひとりで没頭できるような趣味を作ることにしました。別にそれは何だってよかったのですが、不思議と最初に閃いたのはそれまで縁もなかった写真というものでした。一度写真だと思い込んでしまうと他のどんなものも霞んで見えてしまって、仕方がないので第六感が働いたのだと思ってカメラを買うことにしました。決して高価なのではありませんが、撮ったものを誰かに見せるわけでもありませんから、わたしが景色を写すのにはそれで十分でした。
実際にカメラで風景を写してみると、何だか昔が懐かしいような感じがしてきました。長い間めっきり思い出すこともありませんでしたが、よくよく考えてみれば幼い頃のわたしは写真というものに惹かれていた気がしてきました。当時は写真を現像するのは今ほど手軽なことではありませんでしたから、それぞれの場所で撮った写真は些細なものであれ結構貴重なものでしたし、家族みんなでアルバムを作って時々眺めるような習慣もありました。わたしはそんな時間が好きで、ページが思い出とともに少しずつ増えていくことにもささやかな感動を覚えていました。家族で行ったテーマパーク、毎年の夏の北陸の海、一度だけ行った大阪の家族旅行など、各所で父の撮った写真を見ていると、料理の香ばしい匂いや海の音などの記憶が微かに蘇ってきたり、その時の楽しい気分が体の底から湧き上がってくるのを感じたものでした。やがてわたしが大きくなると、どこへ行くにも家族の写真撮影係はわたしになって、途中からアルバムに載せられた写真はわたしが撮ったものばかりになっていきました。そうして、わたしは写真を撮ることも自分の写真を見ることも好きになったのです。
今のわたしが分析すれば、当時のわたしが惹かれていたのは、通り過ぎてしまう幸せな瞬間を永遠に写し取ることができる写真の魔法のような力でした。家族の歴史が積み重なっても、出来事を忘れないよう記録することができるカメラは素晴らしい道具でした。こんな過ぎ行く時間を悲しいと思う子どもの心は、どこか桜の花を愛する気持ちに似ているかもしれません。儚い美しさに惹かれる心は、どうやら子どものうちから備わるもののようです。
ところが、今になって新しく買ったカメラを構えているうち、その頃の新鮮な感動がもうなくなってしまっていることに気づいたのです。むしろ、ある時不意にわたしの心を冷たい悲しみが捕えました。わたしはいつの間にか、写真を撮ることが嫌になっていたのです。その時の悲しみは、あなたと別れた後にわたしをてっぺんから貫いた、あの深い悲しみにとてもよく似ていました。
長らくわたしはこの悲しみの正体を突き止めることができずにいました。しかし、わたしの身に重なった記憶に思いを馳せているうち、ふとある答えに行きついたのです。
先ほど書いた通り、写真は目の前に広がる瞬間の美しさを永久に写し取ることができる魔法の道具でした。それに幼かったわたしが強く心を惹かれていたのは自然なことです。そしてそこから魅力を奪い去ってしまった犯人は、どうやらわたし自身の重ねてきた歴史の重みだったように思うのです。
昔の写真を見た時、わたしの中に蘇ってくる当時の記憶は、どこまで本当の事なのかはっきりとは分からないことに最近気づいたのです。旅行先について家族と話している時にも、食い違うところがたくさん出てきました。そうして記憶は個人の中で改ざんされていき、共有されていた姿とはどんどん異なっていくことを知りました。わたしの記憶には、わたしの経験の積み重なりを通さずには触れることができません。その触感は本来の姿に忠実ではなく、歴史というバイアスを通して歪んでしまった虚構に過ぎないのです。わたしが思い出したと思っていた懐かしさは、懐かしさの仮面を被った作り物の感動でした。そこに写る景色や、それに伴って呼び起こされた感覚といったものたちは、しょせん今のわたしが持ちうるものでしかなかったのです。かつてのわたしが味わった、血の通った新鮮なままの気持ちは、もう二度とわたしの胸の内に蘇ることはないのです。
そのことに気づいた途端、わたしは自分の手にあるカメラを偽りのための道具としか見ることができなくなってしまいました。そうしてわたしは新たに得かけた趣味もさっぱり諦めることになったのです。
うまく言いたいことは伝わっているでしょうか。過程がどうであれ、かつてのわたしが楽しんでいた趣味を、わたし自身のせいで投げ出さなければならないという事は非常に痛い思いがします。自分のどうしようもなかった変質の様を突き付けられて、わたしは一時自分として生きることが嫌にさえなりました。
せっかく買ったカメラを使おうとしないものですから、両親は不審がり、少し苛立ちさえ見せていました。もちろんまだわたしには稼ぎがありませんから、それは正当な怒りです。そんな父に強制されて、わたしは一度家族の写真を撮ることになりました。まるで幼い頃に逆戻りしたかのようでした。そんな突飛なことを言いつけたのは、父が当時の写真好きだったわたしの姿を覚えていたせいかもしれません。
わたしは義務感からその役目を断ることができませんでしたが、内心とても嫌でした。父の命令に従わなければならないこと、小さい子どももいない家族のために今さら写真を撮らなければならないことに対して少なからぬ反感があったことも正直に言えば事実ですが、そればかりではなく、本当に嫌だったのは今の自分が写真に残るということでした。
わたしは、将来の自分に今のわたしの写真を眺めて、無責任にもこの頃を懐かしむというようなことをしてほしくありません。時間の流れは恐ろしいものだと思います。中年を迎えたわたしが世の中の何かを諦めて、今の若かったわたしを羨むようなことがあるなら、そんなわたしはもう消えてしまったほうがましです。どんな年代の人にだってそれ相応の悩みがあります。それは当然なことですが、もしかすると未来のわたしはそのことを忘れてしまっているかもしれません。それが怖くて、今の自分の写真だけは絶対に撮りたくないのです。
今のわたしが考えていること、抱えている悩みは、いつ頃まで覚えていられるのでしょうか。本当に残しておきたいのは写真などではなく、わたし自身の思いのような気がします。今こうして手紙を書いている時の気持ち。一文字一文字を綴りながら考えていること。今ならまだ思い出せるけれど、何年か経ったらもう跡形もなくなっているかもしれない脆い記憶。そういったものをいつでもそのままに取り出すことができたなら、カメラなんてものはもう必要ないのだと思います。
わたしは、今のわたしの考えを文字に残しておこうと思いながらこの手紙を書いています。ある意味ではこれは自分の気持ちに整理をつけたいためでもあります。ここのところ、わたしの周りではいろいろなことが起こりすぎました。現実と現実とがわたしの中で絡まりあって、芽生えた感情がそのどこから生まれてきたものなのか判別ができなくなってしまっているのです。
そしてもう一つには、わたしが考えてきたいつかは忘れてしまうであろうことを、誰かに伝えておきたいという願いがあります。それはもちろん未来の自分でも構わなかったのですが、どうしてもあなたに知ってほしい思いがあって、このような手紙を書かせていただいているのです。
あまり長くなるとご迷惑かもしれませんが、これもせっかくの機会ですから、もう少しわたしの近況の話にお付き合いください。
あなたにわたしの家族について話したことがあったでしょうか。わたしには十一歳も歳の離れた兄がいます。わたしが物心ついたときには、兄はすでにもう思春期の真っ只中でしたから、わたしにとって優しく頼れる兄というよりは、父には及ばないながら共通の話題があるわけでもない、中途半端に大きくてどこか恐い存在という感じでした。ですから家族内で何か一悶着あったとき、いつもわたしひとりだけが立場が弱く、自分の力では自分の身を守ることができなかったから、必死になって他の誰かの陰に逃げ込もうとしていたことを覚えています。今のように誰かが離れてゆくことを必要以上に恐れたり、何かあれば意識するより前に他人の顔色を窺ってしまうようなわたしの性格は、今にして思えばその時に形作られたものだったのかもしれません。
さて、兄と大きく歳が離されていることからもわかるように、わたしが生まれたときの両親の年齢は世間の相場と比べるとやや高齢でした。彼らも実は親としてそのことを意識していたのでしょうか、それがわたしの成長に直接問題を及ぼしたことはなかったように思います。ですが時の流れには抗えないもので、わたしは大きくなるにつれ、両親の老化や衰えというものを目に見えて感じながら成長していくことになりました。
父は時々髭を剃ります。もう外見を気にするような年齢でないのか、それとも本人がそういう趣味なのかは知りませんが、髭はいつも無精髭のように少しだけ伸び放題になっていて、手入れの頻度はそう高くありません。わたしや母にしてみればそれも信じられないことなのですが、もっと閉口させられるのは、洗面台で剃った髭を流し切らずそのままにしていることです。久しぶりに剃ったと思しき長めの髭が洗面台にぱらぱら散らばっているのを見れば、それは誰だって不快な思いがするものです。母がそれを見咎めればきっと小言になって喧嘩が起きるでしょうから、わたしはいつもそれを黙って流していました。人知れぬ尻拭いももう十数年にもなるわけですが、きっと父はその事を今も知らないのでしょう。
その小さな事件がつい先日にもあったのです。最近のわたしは大学生活に追い立てられ、家で起きて過ごす時間が家族と少なからずずれていましたから、父の髭の剃り跡を目にしたのは本当に久々のことでした。初めのうち、それが昔よく見た髭の剃り跡なのだとは気が付きませんでした。ようやく考えて正体が分かった時には愕然としてしまいました。いつの間にか父の髭は、真っ白に染まっていたのでした。
反抗期を迎えて以来、父の顔を真正面から見ることもほとんどなくなっていましたから、わたしはその時までまったく気が付かなかったのです。白髪自体は昔から、それこそわたしが小学生だったころから目立っていましたし、運動会のときなどは内心それを嫌だと思ってもいました。それがいつの間にか黒い毛が全くなくなってしまっていて、しかもそのことにわたしはずっと気付かないままでいたのです。
もちろん今更悲しむようなことでもありませんし、父本人ですら何とも思っていないかもしれません。あるいは本人もまともに気づいていない可能性だってあります。ですが、二十年以上も前から身近にいた人がわたしの知らぬうちに歳を重ね、着実に死に近づいていっていたことが恐ろしく感じられました。
もしかすると父の急速な老化の原因は彼の両親、すなわちわたしの祖父母にあったのかもしれません。父方の祖父は先々月、癌で亡くなりました。享年は八十七歳で、不謹慎ではありますが親戚一同それはいずれ来るものと覚悟を固めておりましたから、皆の悲しみも立ち直れないほどのものではありませんでした。死の匂いが父たちの間には漂っていたのです。きっと祖父自身も死を受け入れていて、それだからこそ誰かが慌てることもない、少し寂しくなるくらいに静かな送別でした。
ですから、祖父の死それ自体が父を苦しめることはありませんでした。むしろ父が悩んでいたのは罪悪感によってでした。父の母であり、亡くなった祖父に長年連れ添った妻、わたしにとっては祖母にあたるその人に、父は祖父の死をついに知らせなかったのです。
祖母は昨年から体調を崩していました。もともと気配のあった痴呆が急速に進み始めたのです。一度おかしくなってくるとあっという間に進行してしまうもので、気づいたころには家のものの配置が正確に思い出せなくなったり、側に誰かが付いていないと勝手にどこかへ出て行ってしまうような有様でした。一日中イライラしてものに当たったり、比較的穏和だった人格まで以前とは変わってしまったようでした。今ではもう一人で生活を送ることはできず、辛うじて彼女の子どもたち(つまりわたしの父と兄妹たちです)の顔は判別できていますが、孫であるわたしの事はもう分からなくなってしまいました。そうして当時、祖父の入院が決まったタイミングで、父らの判断によって養護施設に入れることになったのです。
今では父と伯父、叔母らがかわるがわるに施設を訪れ祖母と面会をしていますが、まだ祖父の訃報は伝えられていません。ある意味では平穏な日々を送っている老いた母に、今さら過剰なショックを与えることもないだろう、という伯父の提案でした。本人が訃報に接してもその意味を理解することができなかったら、という恐れもあったことだろうとわたしは想像しています。父はその決断に内心反発を覚えていたようでしたが、結局そこに口を挟むことはありませんでした。
わたしはこの決断が倫理的に正しいのかどうか、よくわかりません。祖母は、長年連れ添ってきた祖父がもうこの世を去ったという事実を知らされていないまま独りの生活を送っているのです。確かに祖母はもうその報せを理解することはできないかもしれません。それでも伯父のやり方は、一縷の可能性さえも排除して不義を正当化しているように思えてならないのです。きっと父も同じような考えを抱えているのでしょう。わたしの祖父母がどんなふうに出会い、どうして長い人生を共にすることを誓ったのかわたしは知りませんが、死してなお孤独な祖父の淋しさ、そして祖母の悪意のない罪深さを思うとやりきれない思いがします。死にゆく祖父は病室で何を思っていたのでしょうか。最期の日、その脳裡に祖母の姿が蘇ることは無かったのでしょうか。最愛の人に看取られることなく、看取られることもない自分の運命を、呪いはしなかったでしょうか。
祖母の運命もまた狂おしいものです。彼女が孫の顔を忘れてしまっても、子どもと夫の顔だけはいつまでも間違えることがありませんでした。彼女が施設に入れられた現実をどのくらい正確に把握しているかは分かりませんが、知らない人たちに囲まれた新しい環境で、もしも夫との永遠の別れの気配を感じ取っていたとしたなら、伯父たちのとった行為は紛れもない罪だということになります。もしも祖母が祖父の置かれた状況を理解できず、離れ離れになる理由も分かっていなかったとしたら。祖母はいつか死後の世界を訪れた時、そこで待つ祖父の姿を目にして、初めて自身の罪を悟るのかもしれません。そこで懺悔し、赦されることを願いつつ、自らを責めるのかもしれません。そうだとしてもこの罪は、祖母自身が犯したものではなく、伯父たちが祖母に負わせたものなのです。
しかしふと考えてみれば、今の祖母は祖父の死を事実としては知らされずにいます。現在の認知能力を落とした祖母が、もし祖父の死を知ることが永遠にできないとするなら、彼女の中で祖父は永遠に生き続けている存在となったと考えることができるかもしれません。知ることのできない事実は虚構と変わりがないというわけです。自分の夫は何かの都合で今は近くにいないだけで、非常の事が起これば息子たちに呼び寄せられ、もし自分の命が危機的状況に陥れば必ずすぐに駆けつけてくれる、そう信じ続けられるのかもしれません。言い方を変えれば、祖母の中で祖父は生き続けているのだとも考えられます。こう思えたなら、伯父たちの犯した隠蔽は罪には問われないのでしょうか。
彼らの罪とは一体何なのでしょうか。そもそもそれは罪と呼ばれるべきものなのでしょうか。また、祖母にとって祖父の死とは一体何なのでしょうか。それはもう彼女に訪れた永遠の別れなのでしょうか。それとも未来永劫現れることのない幻想となったのでしょうか。
そう考えていると、別れというものが果たして実在するのかどうかも分からなくなってしまいます。亡くなった人とさえ別れはしないというのなら、生きている人と永遠の別離を遂げることなどありうるのでしょうか。別れることができないというのなら、あるいはわたしたちは、生涯で誰かと本当に出会えることなんてないのかもしれません。
思わず話が長くなってしまいました。祖母にとってどうであれ、少なくともわたしや父にとっては祖父が亡くなったという事実が紛れもなく残りました。送別がつつがなく済むと、地元の霊園にはお墓が建てられ、祖父の人生に見合うような立派な戒名も用意されました。親族はほとんど全員が近くに住んでいるので、お墓はいつも綺麗にされていて、時々わたしが気まぐれにお墓参りに行くとしっかりとお花が供えられています。父や伯父、叔母の心づくしの表れでしょう。
しかし、これはわたしのひねくれた根性のせいなのでしょうか。周りに比べて常に鮮やかな彩りに満ちた祖父のお墓を前にすると、そこにどうしても贖罪の意味が感じられてならないのです。当然ながら、伯父たちのあの隠蔽のために、祖母だけは今でもお墓参りに来られずにいます。こういう言い方をしては何ですが、きっと祖母がこの墓前で手を合わせることは永遠にないのでしょう。それに留まらず、祖母は祖父の死を悼む権利すら与えらませんでした。父たちがお墓の世話を決して怠ることがないのは、もしかすると祖母の魂が負う悲しみを代弁するためであり、その状況をもたらした罪を贖うためでもあるのではないでしょうか。
とはいえ、間違っても贔屓などではなく、祖父のお墓は堂々たるものでした。一人の人生のあった証として、どこか生前の祖父に似た荘厳な雰囲気を纏い、そこにあった誰のお墓と比べても比類なく誇らしいものに見えました。だからこそ、そこに刻まれていた深い悲しみが際立って見えたのかもしれません。どこか孤独な男の姿を思わせるようなそのお墓は、頭上に広がる真っ青な大空とはひどく不釣り合いなように、その時のわたしには見えました。
こんなふうに命にまつわる別れだとか、永遠について考えてみるとき、わたしの頭にはいつも決まってあなたのことが浮かびます。
自惚れるようでもありますが、わたしたちが最後に会った日の事を、あなたもまた覚えていてくれると思います。繰り返してこんなことを告げるのは恥ずかしい気がしますが、あなたがドイツへ旅立つ前、最後に二人きりになれた機会に、駅前まで来てわたしはあなたに想う心を伝えました。言葉にしなければ後悔することが分かっていたからです。言うまでもなく、あれはわたしにとって人生唯一の告白です。あなたはわたしが好きになった人生で唯一の人だからです。
何の因果か分かりませんが、わたしはこのわたしという人間に生まれつき、世界中の数ある人の中からただ一人、わたしが選んだわけでもないあなたに恋をしました。気高く淡い初恋が成就することもなく、あなたは遠くへ行ってしまうのですから、運命というものがあるとしたならなんと残酷なものでしょう。もちろんそこに理由などなくて、全てを受け入れるしかないのですから、今となっては潔く諦めるばかりです。
しかしあの僅かな時間だけで、わたしがあなたに抱いた気持ちを全て伝えられたとは思っていません。それら全てを掻き集めれば、きっとあなたの想像を超えていると思います。ただそれだけが今のわたしに後悔となって響き続けています。
あなたがドイツへ去ってしまう前は、いくら単調でつまらない日々が続いていた時でも、あなたと会える約束さえできてしまえば、たとえそこで二人きりにはなれなかったとしても途端に毎日が楽しく感じられたのです。まるで世界の色彩の鮮やかさが何者かによって一段階上げられたような感覚でした。そうしてあなたに会える日を指折り数えて待ちわびて、毎晩眠る前になればもう何夜でその日が来るのだと胸を躍らせていたのです。
そうしてあなたと会った日の、別れ際にあなたの笑顔を見ることができたならそれから数日間はずっと幸せな気持ちで過ごすことができました。自分の安さに呆れるくらい、わたしとあなたの巡り合わせに感謝する思いでいっぱいでした。時々あなたとうまく話せないまま別れてしまった日は、それからしばらく暗い気持ちが続いたのです。あなたに嫌われてはいないか、疎んじられてはいないかとそればかりが気がかりで、何をしようにも手につかないという有様でした。まさに、わたしの心の真ん中がそんな気持ちに巣食われて、あなたによって日々が大きく支配されていたといっていいでしょう。
わたしがそれほど強くあなたを想っていたという事実に、あなたは少なからず驚いていることでしょう。あなたはそんなわたしの気持ちを知らなかったことでしょうから。どうしてそこまで、と不思議に思っているかもしれません。
わたしを強く惹きつけていたのは、たぶん、あなたの不器用な優しさだったのだと思います。友達に心配させないように下手くそな作り笑いを浮かべるような、気が沈んだ人の肩を自信なさげに叩いてしまうような、弱々しくて頼りなくて見ようによっては情けないような、そんなあなたの優しさを好きになったのでした。
こんな評価をされたのは、たぶん初めてのことではないでしょうか。人前でのあなたはいつでも前向きで、常に友達に囲まれている絵に描いたような人気者でした。別に今さら媚びを売るわけではありません。本心からそのように思っているのです。決して愚痴らしいことは言わず、泣き言めいた言葉も聞いたことがありません。誰がどう見てもその姿は恵まれた青年像そのもので、あいつの人生が羨ましいと陰で言われていた事も知っています。
でも、それがあなたの作った仮面であるということを、わたしは感じ取っていました。こんな無礼なことを書いて申し訳ありません。心外だと怒っているでしょうか。でも少なくとも、皆が言うようにあなたがただ幸せなだけの人間だったとはわたしには思えないのです。この指摘が的外れであったなら、それはそれで結構なのです。もうあなたと二度と会うことはない、そんなわたしですから、気に障ったならばこの手紙は捨ててしまうか、ただ笑い飛ばしてもらえれば幸いです。
とにかく、わたしの直感によれば、あなたの本性はそんなに能天気なだけのものではありませんでした。あなたは、周りの友達が思っているほど暢気で楽天的な性格ではなくて、むしろ実際には色々なことを深く考えてうじうじと悩む神経質な人間だったと思っています。そして先にも述べた通り、わたしはそんなあなたの陰の本質に惹かれていました。あなたという人物をわたしなりに真剣に解釈したうえで、あなたのことを好きだったのです。
あなたは、きっと自分のことを好きになれなかったのではないでしょうか。物事をはっきりと決めることが大の苦手で、誰も傷つけないようにと心がけながら人前に立つと思わぬ言葉を口にしてしまう、そんな自分に嫌気がさすことがあったのではないでしょうか。いつも優しくて他人を責めず、弱音も吐かないまっすぐなあなたは、時々自分を卑下するような事を言ったり、自分を責めるような口調になったりしました。きっとあなたは、他人の気持ちを思いやることのできなかった自分に本心から苛立ち、そしてどうしても許せなかったのではないでしょうか。あなたは、誰にでも優しくできる完璧な人になろうとしていたのではないでしょうか。そんな理想と現実の乖離に戸惑い、苦しみ、それでも諦められなかったのが、あの誰からも好かれる人気者のあなたの姿だったのではないでしょうか。
わたしはその、幼いくらいに未熟でひたすら真っ直ぐなあなたの感傷を本当に愛おしく思っていました。優しくならなければと願う心、決して折れない不屈の精神が何者よりも輝いて見えました。そして時々現実の自分に負けそうになって、人知れずふさぎ込むようなあなたを見つけたとき、わたしは自分の恋心に確信を持ち、あなたという真面目な人間を思いやることに自信をも持ったのでした。
ここまで書いてきてこれ以上続けるべきか正直悩んだのですが、やはり身を弁えずに申し上げることにします。わたしがそんなあなたに惹かれた理由を探してみると、どうやらわたしも似たような気質を持っていたからだと思えてならないのです。
わたしが考えるに、人間は皆どこかしら歪んでいるものだと思うのです。正義感を備えた立派な人は時々見かけることがあったとしても、完璧な人というのはこの世にはいません。それはこれまで誰もが口にしてきた言葉ですし、わたしも言葉のうえでは分かったつもりでいました。しかし現実として、自分もその歪んでいる人間たちの一人だと本心から認めることは、誰にでもできることではないのだと思います。普段から誠実であろうと心がけ、人を欺くことはすまいとしている人でさえも、時々些細なことで小さな嘘をついてしまうことがあると思うのです。そう考えたのは、わたしにもそういった経験があるためです。その度にわたしは自己嫌悪に襲われます。自分が偽りの言葉を吐くような人間ではないと信じていたからこそ、そうやって裏切られた時の衝撃が激しいのです。別に自己愛のためにこんなことを書いているのではありません。きっとこの気持ちは、あなたにもわかっていただけるのではないでしょうか。
しかしそんな程度の歪みは、人間として生きている以上は当然のものなのだと割り切ってしまうこともできます。もちろん、世の中に完璧な人間はいません。誰もがそれぞれの歪みを抱えて、この社会で生活をしています。失礼は承知のうえでわたしの知人たちを一人ずつ調べてみても、誰でもどこかしらに欠点の一つや二つは見つかるものです。ですが、だからといってその人たちは「悪い人間」だと思うかと問われれば、決してそうは思いません。その人たちのことを憎んでいるかと考えてみても、絶対にそんな事はないのです。
そうして、わたしは結局その友人たちのことを理屈を超えて好きなのだと思ったのです。誰かを好きになれるということは、その人の歪み方を受け入れられることなのだと、そう悟ったのです。むろんこれはあなたに関しても同じことです。あなたは時々、自己否定のような気持ちを持っていたのかもしれませんが、わたしにはそんなあなたの歪み方がとても美しいと思われていたのです。
これを書いていて、不意に思い出したことがあります。いつの事だったか、わたしたちは好きな花について話をしたことがありました。わたしは花に人並み以上の興味がなく、正直に言って特にその話題にも興味が持てなかったのですが、あなたはわたしの予想に反して堂々と花の話を始めました。それは確か、あなたが愛読していた宮沢賢治の作品に登場するリンドウという名の花でした。その名前を聞いてもわたしは花の姿を想像することができませんでした。
その日、家に帰るとすぐにわたしはパソコンに向かい、リンドウという花について調べてみました。その時に見た花の画像の深く青い色は、まるでその内に抱えた言葉にならない秘密を暗示しているかのようで、人間の知性に似たような美しさの漂う花だと感じた覚えがあります。あいにくわたしは植物について興味を持ったことがほとんどありませんでしたから、読んだ記事の生物学的な記述もほとんど意味がわかりませんでしたが、その中で一つだけ確かにわかるものがありました。
それはリンドウの花言葉でした。あなたはご存知だったでしょうか。花言葉にはいくつかの種類や表記の仕方があるようでしたが、最も代表的なものとしてそこに掲載されていたのは「貴方の悲しみに寄り添う」という言葉でした。
これを読んだわたしは深い感動を覚えました。まさにその言葉には、あなたが持っていた感傷が込められているように感じたからです。それ以来、わたしは花の代名詞としてリンドウの青い姿が浮かぶようになりました。リンドウという花には、人の悲しみや優しさの匂いを嗅ぎつける力がある気がしたのです。
これを読んでいるあなたは(読んでくれていればの話ですが、きっと読んでくれていると確信しています)、まだわたしの悲しみに寄り添おうとしてくださっているのでしょうか。
今、わたしがあなたを思い出そうとする時、浮かんでくるのは最後の瞬間、駅前で見せたあなたの柔らかな表情です。
あの時、あなたがドイツへ旅立ってしまう前に、わたしが二人きりになれる時間はこれが最後だと直感的に気づいていました。仲の良い友達を集めてささやかな送別会を開いた帰り道、使う路線の関係で向かう駅があなたと一緒になるのはわたしだけで、そのほんの十分の間に肩を並べて歩いた時の鼓動が今も胸に焦げ付いています。
あなたと歩く時はいつもそうでした。二人きりで会う機会なんて、わたしの臆病のせいでないも同然でしたから、真っ直ぐ話し合える時間はいつも十分くらいしかなかったのです。わたしはそんな儚い時間しか与えられていないと知っていながら、いざ話すとなると内容が空っぽであることを気づかされました。こんな話をして印象が崩れやしないか、考え方の違いが露呈するのではないか、気に入られなかったらどうしよう……。と、あれこれと思い悩んでしまっていたのです。あなたはそんなわたしの焦りをご存知だったでしょうか。ただ無口で不愛想なやつだと思われていたのでしょうか。それも無理のない事だと今は思っています。
伝えるべき言葉など、思い返せばいくらでもあったはずなのです。その時だって本当はいくつも用意していたはずです。あなたに気に入られたいからといって黙りこくってしまわないで、もっと素直に自分の好意を伝えておけばよかったのです。気持ちを知って欲しかったはずなのに、必死に自分を隠しているのは、どう考えても意味のないことでした。それも今だから思えることであって、その時のわたしは気づいたところで結局どうすることもできなかったでしょうから、自分の不甲斐なさを恨むほかありません。
わたしがあなたを好きだという、揺らぎようのない絶対的な感情さえもがあなたに伝わってくれないということは、とにかくわたしにとって非常に辛いものでした。この世で一番気持ちを知りたい人はあなたでしたし、同時にわたしの気持ちをわかってほしい人でもありました。何よりも、わかり合うということがその時のわたしの望みでした。この人にわかってもらえないなら、誰にもわかって欲しくなんかない。そう考えた時すらありました。
そんな人なのに、わたしはつい躊躇ってしまって言いたいことも言えなかった。こんなに辛く苦しいことがあるでしょうか。その時わたしは、あなたとの出会いによって自分の中に孤独が生まれたことを知りました。他でもないあなたとさえ意思を交わすことができないまま終わってしまうというのなら、今後一生のうちに誰ともわかりあえることなどないのではないかという気がしたのです。
あなたと気持ちを共有できない。それだけに留まらず、あなたと会って話をすることすらできなくなってしまったら、行き場を失くしたわたしの感情の数々はどうなってしまうのでしょうか。あなたに伝えたい気持ちを浮かべ、言葉に変えていく気の遠くなるような過程は、一見寂しいながら確かにわたしの孤独を癒してくれていました。しかし、あなたがいなくなれば、そうやって自分の気持ちを見つめなおす機会もなくなってしまうのです。そうしてさらに孤独は深まってゆくのではないか。そうも恐れました。
わたしはあなたと出会って、自分の中の孤独が強くなったように実感しています。特に二人でいるときに、そのことを特に鮮烈に感じました。皮肉なことに、臆病なわたしはあなたと一緒にいる時ほど、二人がいつか別れることを強く意識していたのです。これがわたしにとって最大の後悔でした。自分を嫌いになる痛烈な点でもありました。
だから、最後の日にはわたしはこれまでで一番焦っていました。その日が近づいてくるにつれて緊張が高まり、それに負けないくらいに悲しみも強まっていきました。
あの二人で歩いた最後の十分間。いつにも増してわたしが無口だったのは、もう話すことなんて一つしか残っていなかったからです。きっと二人の間に色濃く漂う張り詰めた別れの雰囲気を、あなたも感じ取っていたことでしょう。最後の言葉をどうやって話すか。それだけがわたしの問題でした。
不安も強くありました。運命を呪いたくもなりました。どうしてわたしたちは別れることになるんだろう。別れた後にも、わたしたちの人生は続いていくということが不思議でした。それからもあなたを抜きにしてわたしは生きてゆきますし、わたしを抜きにしてあなたは生きてゆきます。色々なことを考え、色々な人と出会い、また別れるのです。それが続くくらいなら、いっそ今すぐ地震でも起こって、二人でぺしゃんこになってしまいたい。そうすれば二人にはこのまま永遠が訪れる。そんなことすら考えていたのです。
しかし時間は無情に過ぎてゆきました。送別会での賑やかさが嘘だったかように、わたしたちは一言も発さぬまま駅まで辿りつきました。わたしはそこで意を決し、あなたに言わなければいけなかったただ一つの事。それを告げることにしました。
実を言うと、そこから先はあまり覚えていません。とにかく無我夢中でした。唯一記憶にある映像は、いつの間にか駅前のロータリーの植え込みの近くに二人で向かい合い、あなたがわたしを待っているところでした。
わたし、あなたが好きでした。ずっと。
もう思考ではなく感情でそれだけの言葉を絞り出しました。あなたは驚いたような顔をして、ただ黙っているだけでした。その表情を見て、あなたはわたしの次の言葉を待っているんだ、と気づきました。
ですが、ここから先が続きませんでした。冷静さはとっくに失われています。伝えるべきだと思っていた事実はもう伝えきってしまいました。そこに続く言葉は、普通なら「付き合ってください」であるとか、わたしの望みであるべきはずでした。でも、わたしはあなたと付き合うということについて考えたことがありませんでした。ただ恋をしていただけだったのです。
それで、それ以上の言葉に躓いてしまい、わたしは口をぱくぱくさせることしかできませんでした。自分の姿を想像すると、笑ってやりたくなります。なんて自分はみじめなんだろう。お腹の底の方からじわじわと後悔が立ち昇ってきました。
立ち尽くすわたしは、その時になって初めてあなたの顔を見ました。
覚えていらっしゃるでしょうか。あるいは意識していなかったのでしょうか。あなたは微笑んでいました。視線を上げていったわたしと初めて目が合うと、小さく、二度ほど、頷いてくれました。
あなたは何も言いませんでしたが、その仕草がどんな言葉よりも雄弁な返事のように思えました。あなたの笑顔はそれまでにも何度も見たことがありましたが、そのどんな笑い方とも、その時の笑顔は違って見えました。
どうしてあの時はいつもと違って見えたのでしょう。それはきっと、そこにはいつもなら見せないあなたの本心が潜んでいたからではないかと思います。あなたの戸惑いだったかもしれません。思い上がりを承知で言うなら、喜びもあったのかもしれません。とにかく、いつものあなたが見せる甘くて堅苦しい優しさを纏った微笑みの上に、何か一つ、血の通った有機的な感情が乗っていたのではないかと感じています。
本当のところそのサインがどういう意味を持っていたのか、わたしにははっきりとは分かっていません。ただ、あなたの微笑みはいつものあなたのように不器用で優しく、その奥にはわたしにだけ向けられた特別な何かがあったように感じられた。それだけでわたしは満足だったのです。
頷きを二つ見届けると、わたしにはそれ以上の言葉を求める気持ちはなくなって、あなたの隣へ、駅の改札の方へと歩き出しました。あなたはさっきまでの普通の表情に戻って、わたしと並んで改札を通り抜けました。
そうして二人はそれぞれのホームに進みます。階段の手前で立ち止まって、じゃあ、と互いに言葉を交わしました。いつもなら続くはずの、またね、という言葉をわたしはやっとの思いで飲み込みました。
向かいのホームに立ったあなたがずっと気になっていました。顔を見てはいけないと思いました。最後の笑顔の記憶は駅前の植え込みの近くのままで取っておきたかったからです。それでも自分に勝ち切れず、わたしたちの間に電車がやってくる寸前に思わず目を向けてしまいました。
あの一瞬、確かめようもありませんでしたが、間違いなくわたしたちの目が合ったような気がしました。
そうして今、あなたとの永遠の別れを遂げたわたしがここにいるのです。
苦しくないなどということは、無論ありません。ふとした瞬間にあなたのことを思い浮かべる度、それがもう手の届かない幻想であるという現実に気づかされ、わたしは圧倒されます。考えないように努めれば、そんな不意の悲しみを耐え抜くことはできます。本当に苦しいのは、寂しさの感覚が鋭く尖った感傷的な夜、そこであなたのことを思い出すことさえも禁じられてしまった時。それに、夢であなたの声を聴いた後、その懐かしい体温を感じた後に、独りの部屋で迎えた朝です。そこでわたしは流すまいと決めていた涙を抑えきれなくなります。そうなってしまってはもう泣ききった方が楽です。そんな事を数日に一度ずつ繰り返しています。
何よりも切に悲しくなるのは、あなたにはこれから眩いばかりの未来が残されているのにも関わらず、わたしはそれに一切触れることができない、それどころか恐らくは知ることすらできないという事実を思う時です。あなたは真面目で根の善い人ですから、きっと幸せな人生を送るのでしょう。いつか素敵な人と出会い、お互いが死ぬまで温かく寄り添い続けるのでしょう。それなのに、その幸せな舞台はわたしを抜きにして進行してゆくのです。
そのことを考えると、わたしは身体を捩られるような眩暈を覚えて、自分がどろどろに融けてしまうような感じがします。こんなに深い悲しみがあるのに、わたしの姿形は人間のまま、顔もいつものわたしのままでいられることが無性に腹立たしいのです。感情に身体がついていかないことがもどかしくて、こんなに報われないことがあるだろうか、と絶望したくなるのです。
分かっていただけると信じていますが、もちろんこれはあなたを非難したいわけではありません。不快にさせてしまったならば申し訳ありません。押しつけがましいのは重々承知のうえで、自分の気持ちの整理をつけたいという勝手な思いもあってこの手紙を綴り続けさせていただいています。
それだけではありません。何もわたしを悲しませるのはあなたを待ち受けている未来ばかりではありません。わたしの前途に広がる未来もまた、わたしに切ない思いを起こさせるのです。これからのわたしはきっと変わっていきます。変わっていくのに十分な激しい感情を経験したからです。いつまでも同じ考え方をして、過ぎ去ったものに拘りつづけているわけにはいきません。過去に苦しむ人間に与えられた最大の武器は、黙っていても流れ続けてくれる長い長い時間なのでしょう。あなたの知っている過去のわたし、この手紙を書いている現在のわたしは、世界からあなたが消えたことがきっかけとなって少しずつ失われていき、やがてあなたの知りえない未来のわたしが生まれます。ちょうど、未来のあなたをわたしが知る事はできないのと同じように。
だから、今しか書くことのできない気持ちを、率直にここに残したいのです。たとえ誰もが忘れてしまっても、今のわたしは確かに存在していて、こんな事を考えていたのだという証拠を。
手紙の初めに、桜の話をしましたね。桜はほんの短い期間だけその美しい花を咲かせて、時が来れば運命を潔く受け入れたように儚く散ってゆきます。それは生命の神秘を思わせるような、人と人との結びつきを思わせるような、まるでわたしたちの生きるという不思議な事象を体現しているかのようで、だからこそ人々に愛でられているのでしょう。そういったことを書いたと思います。
わたしも桜の花を美しく思う心を持っています。その心を否定するつもりはありません。しかし、毎年桜並木の下を歩く人々の群れを見ていると、何かささやかな違和感がわたしの胸に湧き上がってくるのです。
桜は散っても、春になればまた美しい花を咲かせます。そして毎年、桜の季節が来る度に、人々は新しくなった満開のピンクの壁紙を背景にして思い思いの言葉を交わすのです。わたしは、これがどうにも好きになれないのです。
桜の記憶を探ってみると、一番に出てくるのは去年、あなたも含めてみんなで行った上野公園の景色です。しかしもっと古くへ遡ってみれば、高校の友達と卒業記念で行った隅田川、中学の頃家族と見た地元の公園、小学校の遠足で見た岩手の記憶もあります。その時々で、わたしは確かに桜の花を美しいと思い、この記憶を決して忘れまいと誓ったはずなのです。実際にその一年の中では、桜の話をするときに浮かんでいた像はその年に見た桜であったはずなのです。その記憶が今になって、確かに薄れてきているのが感じられます。
生まれ変わった桜の下で、新しい仲間たちと新しい思い出を紡ぐこと。その人の中にある桜色の風景の記憶を、毎年春になる度に更新してしまうこと。去年の思い出をどんどん塗り替えて、いつかは全部忘れてしまうこと。その切なさが、わたしの心にどうしても引っかかるのです。
人と人とが出会ったからには、必ずいつかは別れが訪れます。生きたまま会わなくなることばかりが別れではなく、死別ということもあるでしょう。それらは不意の別れかもしれませんし、あるいは予定された別れであるかもしれません。
しかし何にせよ、いつまでも続くかのように信じて疑わなかったものが生命の掌から零れ落ちてしまうのには、多少の痛みが伴います。時としてそれは身を切るような激しい苦痛となり、その人の人生を狂わせてしまうことだってありえます。そういった荒波を、人々は太古の昔からあらゆる手立てを尽くして乗り越えようと試みてきたように思います。
死別の悲しみを慰めようと人々が生み出した考え方として、輪廻転生があるのではないでしょうか。死んだあの人は、きっと何かに生まれ変わって、この世界に再び戻ってくる。あるいは鳥になって、あるいは花になって、自分の目の前にいつかまた現れてくれるかもしれない。そうでなければ、自分も年老いて死んだ後、長い時間が経って二人とも生まれ変わって、全く別の姿になり互いに何も知らぬまま来世で一緒に過ごすこともあるかもしれません。これは今生での離別を乗り越えるために編み出された、どこか切なくて愛おしい思想だったのだと思います。
わたしもこの国で生まれ育ち、そんな考え方に慣れ親しんできました。わたしが生まれるよりも前から家族の一員だった飼い犬を亡くした時、子どもながら悲嘆に暮れるわたしに向かって母親がそんな話をしたのです。いつか姿が変わってもまた会える。きっと声にならない言葉で、ちーちゃん、また会えたね、僕のこと覚えてる、ってあなたに話しかけてくれるのよ、と。小さかったわたしは素直にその言葉を受け入れて、その時が来るのを待っていました。
ですが、あなたと別れた今のわたしは、現実をそんな風に受け入れようとは全く思えなかったのです。先日、ふとした夜に感傷に浸りたくなって、わたしはショパンの『別れの曲』を聴きました。昔どこかで耳にしてから何となくその雰囲気に惹かれてしまい、今でも時々聴くことがあるのです。
わたしは音楽には全く詳しくありませんが、その曲調に耳を傾けていると仄かな寂しい気配を感じ始めました。そこまで強く音楽が感情を呼び覚ましてくれる経験は、それまでのわたしにはなかった事でした。さらに研ぎ澄まされた神経に意識を集中していくと、不意に透けて見えるような寂寥感の奥に、強いような弱いような心の温かみを感じました。
別れとは何だろう。その時、わたしは初めてその事について考えてみました。悲しみ、心の傷、人を成長させてくれるもの。様々な言葉が浮かんでは消える長い静寂の後、ふと、わたしは本当はこの別れというものを愛しているのではないか、と気づいたのです。
わたし自身でも気が付けなかったわたしの本心は、あなたと再び会うことを、すでに潔く諦めているのではないか。あなたとのことを過去の出来事として封じ込めてしまったのではないか。そう思いました。
生まれ変わるとはどういう事でしょうか。五、六十年も経てば、わたしは死んで、あなたも死にます。さらにどのくらいか経って、二人とも同じ生き物に生まれ変われたとして、そこで再び出会えたとして。それからどうなるのでしょう。
前世の記憶を持たないわたしは、何も覚えていないままで、変わらずあなたを想うことができるのでしょうか。自分を信じないわけではありませんが、この世のわたしが貫いた祈りを来世のわたしが頭から裏切り、あなたではない別の方を愛し始めるような不義理が起こらないとは限りません。
そんな罪深い悲劇が起こらなかったとして、わたしがあなたを無事に愛することができたとしても、その顛末は必ずうまくいくといえるのでしょうか。結局わたしは同じような事を繰り返しはしないでしょうか。あなたとの日々の中で自分の孤独を噛みしめ、やがて来る別れの時を恐れ続ける日々がもう一度やってくるだけではないのでしょうか。あなたはそんなわたしの想いを知らぬまま、二人は再び別れることにはならないでしょうか。
そもそも、別れてもまた会える時が来ると信じてしまったら、あなたを慕う切実なこの気持ちは薄れてしまいそうな気がします。それはあまりにも切なすぎると思うのです。いくらでもやり直しが効くのなら、今という瞬間が持つ絶対の価値がなくなってしまうようで恐ろしい気がします。美しいと思っていた満開の桜の花が、一年後には同じ美しさを携えて戻ってくるように、掛け替えがないと思っていた過去が、実は無限の一部を切り取ったものでしかなかったとしたら。あなたから最後に貰ったあの笑顔のことを、どんどん時間が忘れさせていき、いつかわたしにとって唯一無二の思い出ではなくなってしまったとしたら。そう考え始めると、わたしは死んだら最後、二度と生まれ変わらない方がいいと思えてくるのです。
はっきりとここに誓います。わたしが人生で初めて愛したといえる人はあなたです。わたしはこれから先、今は名も知らぬ誰かと親しくなったり、生涯の契りを結ぶようなことがあるかもしれませんが、その事実だけは綺麗な初恋物語としてわたしの人生に刻まれて、死ぬまで思い出し続けるのです。未熟だった少女が現実に垣間見た夢物語として記憶に残り続けるのです。このストーリーは誰が何と言おうと、わたしという生涯の中で間違いなく唯一無二のものです。わたしが他の誰と出会おうとも塗り替えられることはありません。また、わたし以外の誰かがこのわたしの記憶を辿ることもできません。これこそ、わたしが自分の運命から授かった世界で一つの宝物であるのです。
そう、わたしはあなたと出会えたことに心の底から感謝しています。運命というのは、思っているほど不誠実でもないのかもしれません。この儚い一生を少しでもともに過ごせたことがうれしいのです。願わくは死ぬまで一緒に、なんて本気で思っていたこともありましたが、それも意味のないことだったと今のわたしには思えます。時間の長短に実は大した意味などはなくて、短いならば短いなりの大きな幸福というものがあるのでしょう。
どうせ人は、きっと死んだら独りになるのだと思います。これは考えてみれば当然のことなのかもしれません。だって、生まれてくる時だって人はみんな一人ずつですし、死ぬ時だって誰かと一緒にというわけにはいかないのですから。
そう考えてみると、生きている時もわたしたちはみんな独りなのだろうとも思えてきます。誰かと同じ時間を同じ場所で過ごして、記憶を分かち合うことはできる。でも、その時に抱いた感情は必ずどこか違っています。それはどんなに似たもの同士でも、運命的に避けることができません。
人とはなんと寂しい生き物なのでしょうか。永遠とも思える孤独の中で、ほんの一瞬でも誰かと心を触れ合わせようと望みを抱きながら日々を過ごしているのです。孤独をわずかでも離れることを目的として生きているのです。
しかしそれならば、わたしは生きる喜びを見つけた幸福者だったと言えるのかもしれません。わたしたちはあの時、あの駅での最後の瞬間、ほんの一度だけ確かに心を通い合わせることができたと思います。あなたが何を考えていたのか、今となっては確かめようもありませんが、わたしたちは言葉なくして語り合い、きっと互いに互いをわかり、そして命に運ばれて別々の道へと歩んでいったのです。ある意味それは、ゼロから生まれてゼロに還るようなこの生の中で、何かゼロならぬ意味を見出したのだと言えるのだと思います。
いざ書き始めてみると、思っていたよりも長くなってしまいました。
冷静になって読み直してみると、こんな事を書いているのはわたしの根深い恐怖のせいなのかもしれません。あなたが将来愛する人が、今この世のどこかにいるという事実。その名も知らぬ誰かに対する嫉妬。やり場のない虚しさ。でも、きっとその人はあなたが選ぶくらいですから、美しくて素敵な方なのでしょう。そうして、わたしがあなたの世界から少しずつ薄らいでいき、やがてぱちんと消えてしまうであろう不安。それがわたしに手紙を書かせた原動力なのかもしれません。
今、こんなにも運命を愛おしく思うのは、きっとわたしがまだ若いからなのでしょう。まるで死が無縁のものであるかのように弾むわたしの感情は、眩しいばかりに曇りなき光を放つこの世界で怯まず躍動しています。この青い空と無限の大地に挟まれた世界で、わたしたちは生まれ、食べ、眠り、そして恋をして、ここではないどこかへと去っていきます。その限られた空間と時間の中で、わたしは今を心から生きているのです。
そろそろわたしの長い告白もやめにしようと思います。いつまでも自分勝手に、こんな取るに足らないような独りの思いを綴り続けて申し訳ありません。長々と書いておいて何ですが、わたしはこの期に及んでわたしのことをいつまでも気にしてほしいというわけではありません。あなたはこれからあなたの人生を送るべきで、その足枷になろうというのはわたしの本望ではないのです。
それでも、わたしはわたしの生きた証として、考えてきたことを誰かに伝えたかったのです。散ってしまった桜の花もすっかり忘れ去られてしまわないように。そして本当のことを伝えたかった相手は、どこを辿ってみてもあなたしかいませんでした。きっとあなたは心の底で、わたしのことを理解してくれると信じられたから。そんなふうに思えるのはあなただけでした。
ただ、なにかの拍子にふと、あなたが誰かのかなしみに気がついて、その時もしもわたしのことを思い出してくれたなら、わたしの願いはきっとそこで叶えられると思います。あなたのその優しさは、わたしの罪のないささやかな祈りと共鳴して、世界に何かを生み出してくれるのではないでしょうか。無から始まって無に終わる人生にも意味を与えてくれるような何かを。
そしてもしもあなたがずっと先、わたしよりも長生きをして、わたしの墓前に立つようなことがあったなら、どうかリンドウの花を供えておいてください。果たしてそんなことがありえるのかどうかわかりませんが、もしそうなればわたしはいつまでも、独りになったその世界で、あなたの好きだった花と一緒にいることができますから。
それでは、どうか、お元気で。
敬具
平成二十九年三月十五日
斎藤千尋
西口翼様
泡沫