『平屋の魔女』より
夏休みが明けた9月1日から、私は田舎のおばあちゃんの家で過ごすことにした。
それを話した時、母はやっぱり「学校はどうするの!」と言って学校の心配をして反対したが、
私はひとり電車に乗っておばあちゃんの家に向かった。
いくら子供とはいえ、自分の行動を決める権限は自分にあるはずだ。
*
「いい景色だんべ」
夜空が白みはじめた頃、縁側の魔女がにんまりと笑った。
私は時々心の中でおばあちゃんのことを魔女と呼ぶ。それは母にも理解出来ない私の気持ちを
言葉もなく気づいてしまうおばあちゃんにぴったりな呼称だと思う。
丸くなった腰に手を当ながら、おばあちゃんはゆっくりと私の隣に座った。
「山は毎日違う顔をしとる。ばあちゃんはもうウン十年この景色を見とるけんど、わかる。
あんたも今日はいつもと違う顔をしとるな」
朝露の匂いのする風を吸い込みながら、魔女がいう。
「そう? いつもこんな感じだけど」
私は中2の時から変わらない悩みを頭に浮かべながら冷たくなった足先を指でさすった。
魔女はそうかい、というように小さく2度頷いてから庭の向こうに青く浮かぶ山を見つめた。
もうだいぶ明るくなった空の雲が長閑(のどか)な無言に流れていった。
*
学校に行きなさいという母の声や、学校に行かなければならないという強迫観念を否定したらどうなる
のだろう。そう考えておばあちゃんの家に来てからもう6日が経とうとしている。
「……今日も山が青い」
明日を嫌う夜が明け、今日を嘆く朝が来て、喪失感の訪れる夕方が夜になる。
こっちに来る前はこんな風にあの日々を思い浮かべる事も出来なかったのに、何もしないことを自分の
意思で選んだだけで変わるものがあるのかもしれない。たとえ何も変わらないとしてもーー
「……明日の山はどんなかな」
私は1年振りに明日が白むのを感じた。
『平屋の魔女』より