地の濁流となりて #14

佐伯フミ

第三部 二千年王朝編 盟約

 再び「蜘蛛の巣」に入って少し歩くと,カタランタが急に立ち止まって,二人を振り返った。隙間灯に浮き上がったその顔は,どこか深刻な面持ちで,固く結んだ唇には,何かしらの決意が込められていた。これまでの旅で見せた,鋭い殺意や周囲に対する注意力とも違う。パガサもマンガラも,その様子に打たれて,はたと止まった。カタランタは一歩,彼らの方に歩み寄ると,短く言った。
 「今まで黙っていてすまなかった。俺は「境の民」だ。」
 カタランタがあの「境の民」。ぼくらよりもずっと前に「境犯し」をして,海の民の産物を土の民へ,土の民の産物を海の民へ運んだ。禁忌を犯してまで里と里を行き交った人々。パガサはマンガラから聞いたこと,正確にはマンガラから又聞きしたことを思い出していた。そして,これまで不思議に感じていた出来事の一部が,氷解する感覚を得た。なぜ,ぼくらが知らない街を知り,知らない情報を知っていたか。禁忌に関わらず,自由に移動していたから可能だったのだ。
 「「境の民」ってことは,カタランタも不思議な能力を持っているの。ぼくらが知らないような。その,本当は空が飛べるとか。」
 知らないうちにパガサの背後に回りこんでいたマンガラが,パガサの肩越しにつぶやくように聞いた。マンガラは,まだあの「噂」を信じ込んでいるようだ。不思議な能力など,おそらくカタランタは持っていない。それは,これまで一緒にしてきた旅から分かる。あの卍や貫も民独特の道具なのだろう。しかし,「境の民」がどうしてぼくらに同行したのだろう。そちらの方が,ずっとパガサには疑問だった。
 「不思議な能力などない。だが,俺は特別な人々を知っている。いや,「知っている」というのは少し違う。特別な人々とつながる役割を担っている。あのエル・レイのような王とも。」
 そこまで話すと,何かに気づいたのか,手をあげて注意の合図をし,カタランタは壁の隙間から宮内をうかがった。何が見えるのだろう,とパガサも側の隙間から廊下を見る。そこには,白い長衣の人々がどこかを目指して音もなく歩いて行く。皆が目深に衣をかぶっているため,表情はわからない。頭巾のうえに何か印が縫いつけてある。あれは何の印だろう。
 「パガサ,マンガラ,すまない。予定にはなかったが,彼らを追う。ついてきてくれ。」
 そう言うカタランタの眼は,またあの鋭さを帯びていた。壁の隙間から眼を離しながら,しかし,パガサは「予定」という言葉に引っかかっていた。これからすべきこと。古文書博士には,知りたくない,けれど知らなければならない真相を聞いた。次に取る手段。いや,何ができるのだろう。あの「輝石」を運び去る,そんなことはできやしない。
 「カタランタ,なぜ追うのか教えて。もうぼくらは「輝石」について知っている。ここには用はないはず。そうでしょ。」
 聞いたばかりの真相,圧倒的な真実を歯噛みする気持ちで思い出しながら,パガサはカタランタに尋ねた。
 「いや,まだ知るべきことはある。あれは,おそらくマクレアの義人だ。あの神意の印,それに十人という数。彼らがここにいるということは,レボトムス王に会うためだ。何かが起きる。」
 マクレアの義人。あの「時が来れば現れる」という不思議な力を持つ者たち。ブッフォが「彼らには彼らの役割がある」と告げた義人。カタランタでも知らない義人。彼らがここヴァルタクーンに。王と会って何をするのだろう。それが「輝石」と何の関係があるのか。パガサには,また今自分がなすべきことが分からなくなっていた。あのイスーダで次の目的地に悩んだときと同じだ。
 カタランタは,一人でも成り行きを見届けるつもりのようだった。二人の意志を探るように,パガサとマンガラの眼を見ると,「蜘蛛の巣」を先へ進み始めた。あの義人を追って行くのか。
 「ねえ,パガサ,追わないの。カタランタ,行っちゃうよ。」
 そう言われても,パガサの頭からは「輝石」のことが離れない。マンガラは珍しくため息をついて,困惑した口調になった。
 「パガサ,さっきの博士の話を考えているのでしょ。気持ちは分かるけど,ぼくらだけじゃ,「蜘蛛の巣」出られないよ。」
 パガサもため息を一つついた。マンガラの言う通りだ。「蜘蛛の巣」をぼくら二人で抜けることはできない。あの複雑な経路は,見取り図があってこそたどれるのだ。けれど,「蜘蛛の巣」を出て,どうするのだろう。「輝石」は,あの巨大な「輝石」は,ルーパにあり続ける。ぼくらの旅はもう。
 「ぼく行くからね。動き続けないと,何にもならないよ。あの港の王様も,ぼくらのこと褒めてくれたじゃない。まだ時間はある。カタランタが動くなら,ぼくも動く。諦めないよ。」
 諦めない。諦めない。たしかに,エル・レイは,自分の焦りを見透かして,冷静になるよう励ましてくれた。ルーパを発ってひと月にもならない。ようやく「輝石」のことが分かってきた。それを知っているカタランタは,まだ「動いている」。うん。それなら諦めるには早い。マンガラありがとう,心の中でパガサはつぶやいた。
 宮内をめぐる「蜘蛛の巣」は,幸いそれほど複雑ではなかった。しかもカタランタが,パガサたちの追ってくることを見越して,貴重な干物の切れ端を目立つように置いてくれていた。もっとも,それらはもれなくマンガラの胃の中に収まったが。そうして,その痕跡をしばらくたどったパガサとマンガラは,通路の行く先にカタランタの姿を認めた。片膝をついて,壁の灯り取りから宮内を凝視している。
 「王の間の扉の前だ。やはり,義人たちはレボトムスを訪うらしい。」
 遅れてきたことを責めもせず,相変わらず眼光鋭くカタランタが低い声でつぶやいた。マンガラもパガサも別の灯り取りから,廊下を覗いてみる。長衣の人々が金色の扉の前に立っている。と,そのうちの一人が,振り返って何事かを他の者に告げている。相変わらず布を目深にかぶっているので,それと確信は持てないが,冷たい廊下にぶつぶつと人声が響いている。伝え終えたのか,再び扉に向かうと,皆が一斉に大きな声を出した。
 「ヴァルタクーンの王よ。今こそ盟約を。エルキースが約した誓いを果たしてもらおう。扉を開けよ。」
 盟約。何だろう。パガサが思う間もなく,扉が大きく開かれた。白衣の人々が,一歩下がって入り口を半円に囲む。すると,金属のきしむ音がして,黒い羽のマントを身にまとい,鈍色の甲冑をその下につけた黒髪の大男が現れた。
 「マクレアの義人どもか。夜も深けるというに,大声を出すとは。痴れ者どもめ。」
 大男の嗄れ声は,白衣の人々の声に引けを取らないほど,廊下に響き渡った。あれが,このヴァルタクーン王朝の王なのか。カタランタは「不安王」などと言っていたが,あの堂々とした体躯に威圧感は,エル・レイにも似ている。どこが「不安」なのだろう。パガサがそう思った時だった。白衣の半円から一人がすっと前に出た。
 「レボトムス。盟約の時が来た。お前の父祖,エペアリが反故にした盟約を果たしてもらおう。義人の出現は聞いているだろう。さあ,約定を渡してもらおう。」
 レボトムスは不意に体を震わせた。そして,腹の奥から笑い声を漏らした。その声は,漏れ出るのでは堪えきれないとばかりに,次第に大きくいびつな笑いに変わっていった。体を震わせながら哄笑する様には凄まじい感じがあった。身から湧き上がる狂気,もしかしたらそうした表現が適切かもしれなかった。
 「盟約に,約定か。笑わせる。そんなものを今さら持ち出してどうする。第二プロメテウス期は来た。それだけだ。古文書の通りだろ。そのまま捨ておけば良い。」
 そう言い切ると,黒羽のマントを両脇へはだけた。王の腰の左右に大剣が現れた。マントをはだけたまま両手を腰に当てている。去らねば抜く。あからさまな威嚇の仕草だった。しかし,前に出ていたマクレアの義人も他の義人も,剣を目にしても,まったくひるむ姿勢は見せなかった。
 「脅しても無駄だ。我らには通用しない。盟約と約定をお前に求めたのは,エペリアの罪の禊のため。拒むのであれば,エペリアもその子孫であるお前も,永久に闇に落ちる。それで良ければ,好きにするがいい。」
 おそらくは義人の代表者なのだろう。前に出ていた一人がそう告げると,まるで示し合わせていたように,義人たちが皆,踵を返し,王の前から去ろうとした。事態を見守っていたパガサは,白衣の人々が一斉に動いたその瞬間に,王の両手が左右の剣にかかるのを見逃さなかった。危ない,声を出しそうになった,その時だった。
 「これは。お前ら,何をした。おい,俺に何をした。」
 王が剣の柄に手をかけたまま動かない。いや,甲冑がカタカタと嫌な金属音を立てているところから見ると,動こうとしているのに動けないのか。何が起きたのだろう,なぜ王は剣が抜けないのだろう。パガサが見ていると,先ほど話をしていた義人が一人足を止め,後ろを見やった。他の者たちも足を止める。
 「お前はエペリアと同じだ。愚者は愚者を生むか。マクレアの神意は災いの種が蒔かれるのに気づき,エルキースに危機を告げた。伝承を知るエルキースは,マクレアに同意した。種は蒔かれずに済むはずだった。それを実の弟エペリアが,権力欲しさにエルキースの命を奪っただけでなく,マクレアの神意を拒んだ。」
 義人は続けた。エルキース王がマクレアと果たした約定を拒んだエペリアに,マクレアは別の神意を告げた。義人が現れる時,破られた約定は果たされるであろうと。エペリアはそれも信じず,ヴァルタクーンの伝承も守らなかった。そして,災いの種は蒔かれた。
 「しかし,我らが現れた今,盟約も約定も果たされる。お前はもはや関わりない。常闇に沈むが良い。エルキースの子孫が代わりに盟約も約定も果たす。お前の恐れる真の王が代わりに。」
 そこまで話すと,やはり示し合わせたように義人たちは歩き出した。王はいまだに体を震わせたまま動けない。甲冑の擦れる金属音が増すばかりだった。
 「お前ら,このままで済むと思うな。あいつが俺の代わりになるだと。そんなことは絶対にない。あいつは,あいつは,港にたむろするただの酔っ払いだ。真の王は俺だ。必ず後悔するぞ。」
 嗄れた声は恐ろしい力で絞り出されたが,義人たちはまったく意に介さず,元来た廊下を歩いてゆく。最後の王の声に,ようやく宮内の異変に気づいたのか,甲冑の兵士たちが王の間へとぞろぞろと集まってきた。しかし,誰一人,王の体のこわばりを解ける者はいなかった。
 「あれが義人。王様の体が動かなくなったのは,彼らの不思議な力なの。」
 再び「蜘蛛の巣」を歩き始めたカタランタに,マンガラが背後から声をかけた。義人と王のやり取りを見てからというもの,カタランタは急に黙り込んだ。いや,ふさぎ込んだというべきかもしれない。一連の光景を眼にしたパガサが,カタランタを見やった時には,すでに驚愕が顔に貼りついていた。きっと,カタランタにもあの事態は予想外だったのだ。
 マクレアの神意「災いの種」とは何を意味するのだろう。エルキースという王が,その神意とやらを受け入れた。けれど,エペリアという弟に殺された。エペリアは神意を拒んだが,マクレアは別の神意を与えた。それが義人の出現と「盟約と約定」の実現。ヴァルタクーンの「伝承」が,もし「輝石」のそれなら,義人もそれに関わる。そういうことだろうか。
 と,またカタランタが急に足を止めた。何かを考え続けているのか,立ち止まったはいいが黙ったままだ。
 「これまでは,決められた通りにお前たちを案内してきた。だが,少し事情が異なってきたようだ。本来なら長に確認しなければいけないが,お前たちに決めてほしい。」
 決める。何を決めるのか。いや,それより,「決められた通り」とは,「長に確認する」とは,一体何を言っているのだろう。
 「義人を追ってマールへ行くか,それともラスーノ国を目指すか。両方は無理だ。いずれか一つ。」
 パガサはカタランタを睨んだ。「境の民」という素性は分かった。けれど,それ以外は何も分からない。今だってそうだ。ぼくらに決めさせてくれようとしているけれど,なぜマールとラスーノという国を目指すという選択肢になるのか,理由が全く分からない。
 「カタランタ。きちんと説明してくれる。「境の民」だと告白はしてくれた。でも,ぼくもマンガラもそれ以外は,まだ何も知らない。一体,何のために動いているの。誰がそれを決めたの。誰に確認しないといけないの。」
 カタランタはすぐに答えなかった。黙ったまま俯いた。しかし,パガサは何かを答えてくれると,根拠もなく確信していた。否,根拠はあったかもしれない。カタランタが自ら素性を告げ,今は次の行動の選択肢も二人に与えようとした。この旅が始まって以来の大事な変化が起きようとしていた。
 「パガサ。前に地図の話をしたのを覚えているか。」
 地図。唐突に何を。地図がこの状況に何の意味をなすというのか。そうパガサは思いながら,イスーダを後にするとき,丸木舟に揺られながらカタランタが言ったことが脳裏をよぎった。
 「そうだ。パガサ。お前はよく物事を考える方だと見る。その袋に入れている地図,ルーパを網羅した地図,それが「在る」意味を考えたことがあるか。いや,無いはずだ。旅の途中で考えてみてくれないか。」
 ルーパの地図。長老から借り受けた地図。それが何だと。地図が「在る」意味など。地図,そうだ,地図だ。「蜘蛛の巣」の見取り図と同じだ。描いた,作った誰かがいる。そして,目的がある。「蜘蛛の巣」とその見取り図は,ヴァルタクーンの者が外敵を撃つために作った。ルーパの地図は何のために。待て,おかしい。「境犯し」の禁があるのになぜ地図が。しかもそれを,禁を守る長老が持っている。
 パガサの頭のなかで何かがつながりかけていた。ルーパに「輝石」を移したのと同じくらい大規模な仕組み。それに気づく何か。しかし,その何かがつながるには,まだ足りないものがあった。そして足りないものを,カタランタの短い言葉が与えてくれた。
 「あの地図は,「境犯し」の禁が定められた後に作られた。」
 その一言は,パガサが旅のなかで抱えていた曖昧模糊とした感覚を,一つの単純な「類推」という形に作り変えた。評議会会長の独断,「境犯し」の禁,それと矛盾する地図の作成。長老がその地図を持ち,自分たちに貸し与えたこと。この地図が作られた目的は。
 「そうだ。ルーパの民を守るためだ。俺たち「境の民」が地図を作った。」
 パガサは耳を疑った。ルーパの民を守るために,この地図が。そして,カタランタたちがこの地図を。でも,地図がどうやってルーパを守るのだろう。「蜘蛛の巣」とは違って,隠れた通路などではないのに。
 このときカタランタは,もう少し饒舌になるべきだっただろう。パガサも自らの思考に頼りすぎず,信じ始めた旅の仲間に素直になるべきだった。その意味で,「時の旅人」ブッフォの予言は,まずはカタランタとパガサに当てはまったかもしれない。パガサは「境の民」の真の目的を,カタランタ本人から聞くことはできない運命だったからである。

地の濁流となりて #14

地の濁流となりて #14

「境の民」の素性を明らかにしたカタランタ。しかし,それはパガサに新たな疑念の根を植える。そこへ現れるマクレアの義人。彼らの目的は何で,「輝石」との関係はあるのか。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-09-03

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