読書感想文「順逆不二の論理 北一輝」 高橋和巳(著)
読書感想文「順逆不二の論理 北一輝」 高橋和巳(著)
読書感想文「順逆不二の論理 北一輝」 高橋和巳(著)
(1)『国体論及び純正社会主義』
ある日、図書館に行くと、不用になった本を処分するためか、持ち帰り
自由と書かれて並べられていた雑多な本の中に、高橋和巳の全エッセイ
集「孤立無援の思想」を手に取って持ち帰った。その中にこの一編は収
められていた。高橋和巳は読んだことがなかったがもちろん名前だけは
知っていた。かつては、本屋に行くと文庫本の棚に必ずと言っていいほ
ど「悲の器」と「邪宗門」が薄っぺらな本を押し退けて幅を利かせてい
た。しかし、残念なことに彼は、これからの活躍を多くの読者が期待し
ていた矢先の三十九歳の若さで惜しくも病でこの世を去った。
彼は、まえがきで「論語」の「寡なきを患えずして、均しからずを患
う」を引用して、「北一輝の歩みは、『均しからざるを患う』純正社会
主義から出発し、生涯、社会主義的色彩をのこしながらも、やがて『寡
なきを患え』て富を外に求める政策を容認し、さらにはそれに理論的根
拠をあたえるにいたる悲劇的な過程をたどっている。」と記す程度に留
めて、後は自分の想いを極力挟まず専ら北一輝が残した著作と行動を追
っただけの、それでもドラマチックな、2・26事件への関与で死刑に
なるまでの「革命家」の生涯を伝えている。
北一輝は、佐渡島で醸造業を営む家に生まれた。小学校の頃に病んだ
眼疾が痼疾となり生涯隻眼を強いられた。その隻眼によるものなのか、
霊感が敏かった。大人になっても「北はしばしば幻覚に恐怖し、夜など、
子どもように亡霊の出現をおそろしがって、便所にゆくのにはわざわざ
妻をおこしていたという。」後年、「『立正安国論』に傾倒し、みずか
らを日蓮に擬しはじめ」日蓮宗に帰依して霊告を妻に記述させ『霊告日
記』なるものまで残している。とは言え、彼が霊力に従って何か画期的
なことを行なったとまでは明らかにされていない。偏に、彼の為した仕
事は彼自身の「秀抜な頭脳」と不断の努力によって、隻眼にも拘らず書
物を読み漁り培った知力の賜物である。「中学時代には、すでにそうと
う高度な漢字を身につけていた。」また、「中学時代、すでに佐渡では
彼の文名は高かった」という。決して霊に導かれて得たものではない。
彼は、二十二歳の時に著わした『国体論及び純正社会主義』が刊行後
すぐに発禁処分を受けたが、その思想は表題の通り社会主義思想そのも
ので、私が思い描いていた右翼のオーソリティーというイメージと違っ
ていたので驚いた。『生きるとより死に至るまで脱する能わざる永続的
飢饉の地獄は富豪の天国の隣りにて存す』と、「現代の階級社会は経済
的貴族国の時代である。」と言いブルジョワ社会の不平等を憤った。そ
して、維新により「日本は経済的公民国家をめざしたのである以上、土
地および生産手段の所有者たるべきもの、『徴兵的労働組織をもつ』権
利をもつのは国家のみであるはずだ。」これは社会主義思想そのもので
ある。(第一編 社会主義の経済的正義) では、彼の言う国家とは如何
なるものか。『国家とは政府のことにあらず』またその国家は中世的階
級国家ではなく、公民国家である。『日本天皇と雖(いえど)も国家の一
分子たる点に於いて他の分子たる国民と同様』であり、その『愛国心に
於いては階級的差別なし』。北は、「天皇を最高の源から総体としての
国民と同等の一機関、同等の一分子とみなそうとしたのである。(第二
編 社会主義の倫理的理想)そして、人類を、かつて猿から進化を果た
して『類人猿』と呼ぶように、やがて我々は人類を棄て神へと進化する
『類神人』へと到るべき『半神半獣の在者なり』と語る。『今日驚くべ
き人口は人類種族のまだ低度の進化なるが為めに他種族との競争に於い
て劣敗者の絶えざることよりして種族生存の為に必要に伴う天則なり』
と下等動物は群れを頼る本能に従うと言うのだ。そして、『日本今日の
過多なる人口は、人口過剰なる故に戦争生じるに非ず、戦争を目的とす
る中世思想の国民、戦争によりて優勝者たらんとする野蛮なる理想の国
家なる故に増殖しつつある天則なり』と、戦争を行うは動物本能に支配
された生存競争からで、「かれによれば、人類はそれ以上のものになる
ための『経過的生物』である。」従って、「その経過における冷酷な社
会淘汰、国家淘汰をも容認するのである。やがて人類は神類となり、道
徳は本能化するであろう。現在の道徳は、生活のため女子が売淫し、高
尚な理想のために男子は積極的に精神的売淫をすることを認めている。
しかし次の時代にいたるための過程ならば、むしろ、女子もまた奴隷の
ごとく貞節であるよりは、男子が堕落しつつある間、どこまでも平等に
堕落せよという。『女子学生の堕落は実は進化にして誠に以て讃美すべ
しとせん、讃美すべきかな』」 嘆きにも聞こえるこの言葉は資本主義社
会の下では男子が精神的売淫によって糊口を凌いでいるのだから、女子
が売淫に身を落すのも仕方がないではないか。まるで今の時代を語って
いるようだ。(第三編 生物進化と社会哲学)
高橋和巳が「この編にこそ北一輝の苦心があり、この書物がもった独
創的意味がある。」と語るのは、(第四編 所謂国体論の復古的革命主
義)である。「明治憲法の国体は、明文によって規定される機関 ――
帝国議会(貴族院・衆議院)、裁判所、枢密院、内閣と、藩閥勢力の温床
となった元老、軍事参議官、参謀本部、海軍軍司令部等の憲法外機関と
によってなっていたのである。天皇という絶対者を必要としたのは、こ
の後者の勢力だったわけである。万世一系論はその藩閥の御用イデオロ
ギーであり、機関説はブルジョアジーの志向を代表するものであったと
いえる。」「北は『国体論の背後に隠れて迫害の刃を揮い讒誣(ざんぶ)
の矢を放つことは政府の卑劣なる者と怯懦なる学者の唯一の兵学として
執りつつある手段』であることをみぬき、対外的に背伸びした明治憲法
の理念性を我がものとし、その理念を裏切る現実の陰の特権者や阿諛者
を弾劾したのである。」「国体論、それは日本のタブーであり、北自身
もいうように、『政論家も是れあるがために其の自由なる舌を縛られて
専制治下の奴隷農奴の如く、これがある為に新聞記者は醜怪きわまる便
佞阿諛(べんねいあゆ)の幇間的文字を羅列して耻じず。是れがある為に
大学教授より小学教師に至るまで凡ての倫理学説と道徳論とを毀傷汚辱
(きしょうおじょく)し、是れがある為に基督教も仏教も各々堕落して偶
像教』となっていたのである。そして北の苦心した著述も、この国体論
のために、細心の注意、ぎりぎりの線までの後退にもかかわらず、発禁
のうき目にあうのである。」
(第五編 社会主義の啓蒙運動) で「北はいう。『法律とは国家の理
想的表白なり、政治とは国家の現実的活動なり。凡ての者が此の明白な
る差別を明らかにせざるが故に、上層階級は社会の利益を図ると標榜す
る社会主義者を迫害するに却って社会其者の名に於いてし、社会主義者
は亦上層階級を国家の名の下に否認すべきに係らず却って国家其者の掃
蕩を公言して自家の論理的絞首台に懸かりつつあるなり』」ここで高橋
和巳は、北一輝の法律と政治の峻別と社会と国家の同一視を指摘して、
「政治の現実的矛盾を法の理想によって糾弾し(A)、法の非国家性(階
級性及び統一前の残滓)を逆に国家の名に於いて糾弾する(B)循環的な
二面作戦にも、日本的な意味はあったといわねばならない。」と言うが
ちょっと私には何を言わんとしているのかわからない。恐らく、既得権
益に巣食う権力者と資本家を異なる太刀で退治しようとしているのだと
思う。ただ、北一輝は「そうした法律闘争、平和的な手段だけでは社会
主義国家は実現しない。いやむしろ強力な力の支えのない社会民主主義
は悪であるとかれは躊躇なく断言している。」情けによる救済は事態を
誤らすばかりで、法の理想によって政治の現実を変えることは不可能だ
と言うのだ。「労使協調主義は講壇でとかれていただけでなく、189
6年、『社会主義には反対だが、貧富の差の激化を放任しておくわけに
もいかない』と、国家による社会政策の必要をといて、官立大学教授、
金井延・福田徳三・桑田熊蔵らが『社会政策学会』を作って運動してい
た。北一輝にいわせれば、これも、法律と政治の区分を知らない愚昧の
一つのあらわれである。政治の利害を社会的に調整することなどできな
い。それは、旧正義にかわる新正義が、国家の主体となり、その力によ
って実現する以外に方法はないのである。」今まさに我々は同じように
格差社会に苦しんでいるが、北一輝に言わせると、旧正義のままで如何
なる法的救済を行なっても社会を変えることはできないと嘲笑うに違いな
い。そして、「すでに道徳的に君子である資格を失った桀紂(けっちゅう:
中国古代の夏の桀王と殷の紂王。暴君の代表)を殺すことは、国家の目
的を無視する叛逆ではない。未来の正義によって現在の正義がたおされ
るように、国家はその一要素である君主を、国家全体の要請にしたがっ
て倒すこともありうる。」
やがて、その革命思想は変革の激動に揺れる中国に於いて活躍の場を
得た。辛亥革命は将に「革命家」北一輝の真骨頂であり理論実践の場と
なった。しかし彼は、「戦争と革命を区別せねばならぬという正しい論
理を、孫文がつぎつぎにおかすことで、のちには論理的敵対関係となる。
」『革命とは疑いなき一国内に於ける内乱にして、正邪いずれが授けら
れるにせよ内乱に対して外国の援助とは則ち明白なる干渉なり』こう考
える北は、アメリカからの援助を期待する「孫文とは当然あわず」その
経験を省みて憤慨をこめて『支那革命党及革命之支那』を書いて「のち
に大川周明によって『支那革命外史』として一本にまとめられた」。
これは、その著書から高橋和巳が抜粋した文を更に私が抜粋すること
になるが、「日本が中国の分割に荷担しようとするのは、自己の破滅を
みずからまねこうとする背理である。」つまり、中国への介入は何れ日
本にもその口実を与えることになる。「さらにそのうえ、つたない外交
によってドイツの怒りをかい、全ヨーロッパの民族の雑居するアメリカ
の排日感をあおれば、黄禍論による白人の大同団結をまねき、やがて、
それは英独連合海軍による元寇となるであろう。」英独連合海軍は生ま
れなかったが、北一輝はのちに『対外政策に関する建白書』を書いて、
「日米戦争ヲ考慮スル時ハ日米2国ヲ戦争開始国トシタル世界第2次大
戦以外思考スベカラザルハ論ナシ。則チ米国及ビ米国側ニ参加スベキ国
家ト其ノ国力ヲ考慮セズシテハ、経国済民ノ責ニ任ズル者ノ断ジテ与ス
ル能ワザル所ト存上候。・・・更ニ別箇ニ1敵国アリ。ソビエット露西
亜ハ日本開戦ノ翌日ヲ以テ断ジテ日本ノ内外ニ向テ全力ヲ挙ゲテ攻撃ヲ
開始スベシ。・・・要スルニ米露何レガ主タリ従タルニセヨ日米戦争ノ
場合ニ於イテハ米英2国ノ海軍力ニ対スルト共ニ、支那及ビ露西亜トノ
大戦争ヲ同時ニ且最後迄戦ワザルベカラザル者ト存候」
何と的確に国際情勢を予見していたことか。その後日本は北一輝の危
惧をまったく生かすことなく、かれの予見通りに「最後迄戦ワザルベカ
ラザル」に到り、皇民に一億玉砕を強い皇国存亡の時を迎えた。
高橋和巳が「まえがき」で指摘していたように、北一輝は、もちろん彼
の才能を乞われてのことだが、国内の「均しからざるを患う」前に、中国
で起こった革命「武昌起義」のすぐ後で中国革命同盟会に招かれて「革命
顧問としての北の活躍がはじまる。」彼の革命家としての活躍はここでは
割愛するが、やがて、北一輝は「中国革命からは疎外され、革命は彼のき
らう孫文派が中核となり、彼はもはや中国革命の見透しを失っていた。」
皮肉なことに彼が孫文を嫌った理由の、内乱を治めるに他国の力に頼らな
いという主張が、ここではその孫文によって外国人である北一輝に向けら
れた。彼は、已む無くその地での経験を生かして日本の改革を構想する。
「1919年(大正八年)、ほとんど『国家改造案原理大綱』の執筆を終わ
ろうとする上海の北一輝のもとへ、大川周明が迎えに来た。中国より、日
本のほうがあぶないからと。」その頃の日本の状況は、「第一次世界大戦
後急速に発達した資本主義と台頭する労働運動が激突し、言論界はそれを
反映しつつ吉野作造の指導される大正デモクラシーと反動との戦いがたた
かわされていた。シベリア出兵の失敗とワシントン会議による軍部の威信
失墜は、軍隊内に革新運動をうながし、農村は疲弊して、貧農はその娘を
妓娼に売って飢えを凌いだ。前年18年、悪徳商人の買占めと投機、財閥
資本家の買占めと輸出によって米価は高騰し、ついで富山県の一漁村の主
婦たちの『米よこせ』の蜂起をきっかけに八月から三か月にわたる大規模
な暴動が起こっている。」
彼の著わした『国家改造案原理大綱』は固より国家体制の転換を迫るも
のだ。その要旨は、「天皇大権により三年間憲法を停止し、戒厳令施行中
に、国家改造内閣をおき、二十五歳以上の男子の平等普通選挙による国家
改造議会によって革命政治を協議施行しようとするものである。」そのほ
か現政権下で施行されている様々な法律の廃止や要職官吏の罷免など、要
するに現政府機能を停止させてすべての権力を一時的に天皇に預け国家の
大改造を行う。「国家改造内閣および議会がなすべき改造の大綱は以下の
ようである。私有財産を三百万円、私有土地も同様、一家時価三万円分に
限定し、一切の超過分はそれを国有化する。」等々。もうこれは社会主義
国家そのものである。そして、彼はこう言う、「戦ナキ平和ハ天国ノ道ニ
非ズ」と。
その後、1923年9月1日には関東大震災が起こり戒厳令が敷かれ大
正デモクラシーの灯は消え世情は一気に不穏な空気に覆われた。私は、東
日本大震災が起こった時、再び歴史は繰り返すのではないかと怖れたが、
その歴史とは、度重なる経済恐慌の後、1929年には世界恐慌が起こり
人々の暮らしはさらに追い詰められた。そして、31年に満州事変が起き、
相次ぐ軍部によるクーデターが企てられ、1932年2月9日、前蔵相、
井上準之助が暗殺され、3月5日三井合名理事・団琢磨が暗殺される。続
いて5月15日、犬養首相が暗殺された。(五・一五事件) そして、33年
には凶作に苦しむ東北地方を昭和三陸地震が襲い津波で多くの人が被害
に遭った。暗澹たる世相に「北は、国家改造の機運を感じつつ」行動に向け
て動こうとしていた。しかし、「軍隊内では、いわゆる皇道派と統制派の暗闘
がしだいに激しさを加えつつあった。いわゆる皇道派青年将校は、ほぼ北の
思想的影響下にあった。」そんな対立から皇道派のクーデター計画が統制派
によって密告され(士官学校事件)、その責任から皇道派の真崎教育総監が
更迭、それを憤った相沢三郎中佐は統制派の永田鉄山軍務局長を刺殺した。
すると、「統制派は、皇道派の勢力を一掃するために、その根城である第
一師団を満州に派遣しようとした。満州に派遣されてしまっては、すべて
の計画は無に帰する。」2月26日、降り積もる新雪を血気に逸る青年将
校たちの軍靴が踏締めたが、頼るべき肝心の天皇は彼らの蹶起趣意書を言
下に斥けられ、世の中の「均しからざるを患いて」立ち上がった「正義軍」
は「賊軍」と看做された。
革命家・北一輝は、恐らく覚悟を決めていただろう。2月28日憲兵隊
に拉致され、裁判で死刑が宣告され、1937年8月19日執行された。
54歳だった。
私は、今の混迷の時代がその頃と重なって見えて仕方がない。もちろん、
国家の在り方も違うし同一に語ることの誤まりは分っているが、その時代
背景が奇妙に一致しているように思えてならない。隣国との領土を巡る軋
轢や世界恐慌が取り沙汰される世界経済、更には、長引く不況から抜け出
せない閉塞感に追い打ちをかけるように襲う大震災、にもかかわらず民意
を蔑ろにした官僚政治と猫の眼のように入れ替わるトップリーダーたち。た
だ、その時代と異なっているのは新しい社会を描くことのできる傑出した人
物が現れないことだと言えば、やはり危険すぎるのかもしれない。ただ、
「寡なきを患えず」とも「均しからざるを患う」社会であらねばならない。
(おわり)
読書感想文「順逆不二の論理 北一輝」 高橋和巳(著)