お子様ランチ 後編

 ショッピングモールの店舗にイルミネーションのディスプレイが目立ち始めると忙しい(せわ)日々に追われながらも,そこかしこから流れて来るクリスマスソングに乗せ思わず弾んだ足取りになる。
寒風が顔に吹きつけているのだが男との逢瀬(おうせ)の期待に頬は火照るように上気していた。
ときめくようなこの感覚は遠い昔の初恋に似ている─。待ち合わせ場所の駅前公園のライトアップされた噴水の前でお気に入りのベージュのコートの襟を立て、時折携帯を開きメッセージを確かめながら彩華はそんなことに思いを巡らせ佇んでいた。冷たい指に息を吹きかけるとまた、男の柔らかな唇の感触が記憶に蘇る。
幾度か重ねたデートはプラトニックなもので別れ際に口づけを交すだけで、男はそれ以上を求めて来ようとはしなかった。
「─もっとお互いを知りながら、時間を掛けて少しずつ仲良くなって行きましょう」先日のデートでキスを交わした時男はそう優しく耳元で囁いた後、包み込むようにそっと長い両腕を回してきた。オークモスのふんわりした香りが心地良く全身を包み込む様に感じ、彩華はじっと目を閉じて男の胸に身を預けた。
束の間の切ないほど満ち足りた時間だった。紛れもなく男に惹かれ恋をしている自分に気づかされた。
遠くにジングルベルを聞きながら携帯を開きメッセージの履歴を確かめて見る。
僅か二月前、初対面の時からほとんど毎日欠かさず入るメッセージには確かに彩華への想いが日々膨らんで来ているのが分かる。今その履歴は大切なメモリアルになっていた。
あからさまな言葉で気持ちを表すことをしないところがまた、少し気障(きざ)な見た目の男の魅力でもあると感じていた。
『クリスマスは毎年立て混んでどこも取れないはずだから、少し早いけど─』そう言って港を見下すことの出来る展望台のレストランを予約してくれていて丁度イヴの一週間前の今日、ディナーの約束をしていた。
幸太は例によって男と会うことを頑な(かたく)に拒み、今日は少し離れている叔母の家に泊りがけで遊びに行っている。
先方が真面目に交際を望み自身も好意を持ちこれから先の進展を考える以上、子どもの事はクリアしなければならない最低限のだが大きな問題だ。しかし男を嫌う理由を幾度か問うても、幸太はただ漠然と悪態をつくだけで要領を得ない返答を繰り返すばかりだった。

彩華は結婚して間もなく妊娠したが着床した命が胎内で育ち切らず堕胎を余儀なくされた。あの時の悲しみは例えようもない。夫婦で抱き合いながら長い時間泣いた。以来長い期間不妊に悩み漸く授かったのが幸太だった。
まだ歳若くして病に倒れ急逝した母がたくさんの幸せに恵まれるように、と命名してくれた。
離婚に至った理由を幸太は何も訊こうとはしなかった。
別居の日、口をギュッと真一文字に結び、自分の荷物を運び出す父親の姿をただ黙ってじっと見ていた。まだ幼いわが子のその目に溢れんばかりの涙が揺れているのを知りながら父も母も見過ごすしかなかった。本当に詰まる思いで自分たち夫婦は親として失格なのだと痛感した瞬間だった。
大切なわが子への購い(あがない)を考える時、我が世の春を謳歌すべく男との逢瀬にときめき、浮き足立つ自分が情けなく後ろめたくもあるが、少しでも早い時期に片親の環境を変え自分たち親子の先を開くには、叶うのならば愛すべき相手と再婚することが最良の道と考えるようになっていた。
「─ごめんね、大分待たせちゃったかな」いつも通りの落ち着いた声がとり止めもなく巡らせている思いを断ち切った。
「─ううん、今着いたばかりだから」そう言って振り返ると、男は真っ赤な薔薇の大きな花束を差し出してきた。

 港町の美しい夜景を見渡せる少し淡い橙色の照明に照らされた席にいるだけで、まるで非日常の別空間にいる様な錯覚に陥りそうになる。低く流れているヒーリングミュージックが一層幻想的な雰囲気を演出していた。                                            
「─これからのことなんだけど」ロゼのグラスワインに口をつけた後、男が口を開いた。食後のアップティーに伸ばしかけた手を止めて彩華が目を上げると、
「やりかけてる仕事が片づくまで、もう少しだけ待って欲しい。きちんと体制を整えないとまだつまり、その先の言葉は言えないから─」柔和な笑みを浮かべそう続けた。
遠回しだがプロポーズにも取れる言葉に思わず頬を紅らめ、
「─はい」とだけ応え恥ずかしげに俯いた。
「本当にコケティッシュな人ですね。僕はあなたのそんな些細な仕草にも魅せられます─」男はそう言うと彩華の瞳をじっと見つめた。
 男はベンチャー企業から独立しIT関連の会社を経営していると聞かされていた。経営は順調でまた別な関連会社の設立も考えていて日々準備に追われ中々プライベートな時間も取れない、と笑っていた。
「─あの、大丈夫なんですか?こんなこと─私なんかに時間割いてもらっちゃって」申し訳なさ気にそう言うと、
「今、僕にとっては何よりもあなたが優先ですから」男はそう言うとダークブラウンのスーツの内ポケットからピンクのリボンのついた小さな包みを出して彩華に差し出した。
その晩、彩華は初めて男の腕に抱かれながら眠りについた─。

新婚当初に買ったお気に入りの白が基調のドレッサーの前に座り自分の顔をじっと見つめてみる。薄い化粧の下の小顔の肌は三十路半ばになってもまだ肌理(きめ)細やかに見える。くっきりした二重の目尻にも笑い皺は目立たないし、自分でも好きな形の良い唇も確かに艶っぽく映るのかも知れない。贈られたティファニーのネックレスの可愛いハートの形を右の人差し指でなぞりながら、
「コケティッシュかしら─」そう呟いてみると、                                                                
『安物だけど、あなたに似合いそうだから─』そう言った男の声が不意に耳に蘇り同時に昨晩の情事が思い返され、まだ冷め切れない火照りが埋み火みたいに躯の芯で燻る(くすぶ)様だった。
クリスマスから年明けまでの間、男は新規事業の資金協力を仰ぐため海外に行くと言っていた。
『会えない時間も大切だから。その間、僕の中であなたへの想いが更に大きく膨らむ─』そんな台詞も似合う男だと思うと思わず笑みがこぼれた。

 年末年始の休暇に向け経理の仕事も多忙を極めていた。
久々に平日の昼間、電車のつり革に掴まり揺られながらぼんやり窓外に流れる景色を見ていると、突然肩を叩かれた。驚いて振り向くと着付け教室で知り合い仲良くなった彩乃が笑顔を向け立っていた。着付け教室は叔母の弟子が講師をしていて二年ほど前から月に二度、半ば無理矢理通わされている。
『─日本の女性なんだから、着物の着付けはたしなみよ』叔母の口癖だった。
「久しぶりッ、どうしたの?最近教室にも来ないじゃない─」彩乃が笑った。彩華と同い年で名前にも同じ彩が付く事から通い始めて直ぐに意気投合し、時折連絡を取り合ったりもしている。いつも笑顔を絶やさない裏表のない明るい性格で、子どもはいないが彩華より少し早い時期に離婚していた。少し短絡的だが気丈で男勝りの性格が返って馬が合うのだった。
「うん。ごめんね。ここんとこちょっと忙しくて─」そう言うと、
「─あッ、さては何かいいことあったなぁ?彼氏でもできた?」弾んだ声を俄かに顰め(ひそ)、彩華の顔を覗きこむようにしてきた。
「やだ、そんなんじゃないわよ─」そう応じると彩乃は含み笑いをしてまたぽんぽん、と彩華の肩を叩いた、

「─どう。なんか変わったことない?」二杯目だというブレンドコーヒーにミルクを入れかき回しながら彩乃が訊いて来た。
 老舗の純喫茶の店内に流れているジャズのクリスマスソングと芳醇(ほうじゅん)なコーヒーの香りが年の瀬の忙しい気持ちをほぐしてくれる様だった。
水を運んで来たウエイトレスにアップルティーをオーダーしグレーのコートを脱ぎながら、
「別に、そんな急に何もある訳ないわよ─」彩華が言いながら男の事を話そうか考えあぐねていると、
「─えへへ、実はね」はにかんだ様な笑みを浮かべて彩乃が目を上げた。
 彩華は急ぎの書類を届ける旨を申しつけられ本社に向かう途中だった。たまたま降りる駅も同じで久々に話したいと言う彩乃を駅前の喫茶店に待たせていたのだった。
 目の前に出された携帯に映された写メを見て彩華は思わず息を呑んだ。
端正な彫りの深い顔立ちと優しい笑顔。紛れもなく男だった─。
「─えへへ。こないだね、これももらっちゃった」彩乃がピンクのセーターの首を少しずり下げてシルバーのネックレスを引き出して見せた。
「可愛いでしょ?ティファニーだよ」嬉しげにそう言うと、先端にあしらってあるハートを指先で弄ぶ(もてあそ)様に撫でた。 
彩華と全く同じ物だった。自分の顔から血の気の引くのが分かった。
「─どこで、その─知り合ったの?その人と」努めて冷静を装って訊くと彩乃は件の婚活サイトの名を口にした。
「なんかね、─再婚するかも知れない。私、この人と─」屈託なく笑い、嬉しげにそう言う彩乃の言葉がどこか遠くから聞こえて来る様に感じていた。

 イヴの日はあいにくの氷雨模様だったがコンサートホールの会場は親子連れで混雑していた。
車椅子や杖をつきながら嬉しそうに笑っている子供たちもいた。
「あ!かあちゃん、あれかって!」入場した途端、早くも興奮した幸太がグッズ販売のコーナーに向かって走り出していた。苦笑して息子の後を追おうとしたその時ふと、目の端に三村に似た男を見かけたような気がして振り返りロビーを見回したが見当たらなかった。
ヒーローショーは面白く大人でも楽しめる中々の内容だった。中でも怪人が観客席の中央からドライアイスの煙幕と共に突如出現する演出には会場全体が沸いた。何より今まで見たことないような幸太の感極まった顔が嬉しかった。鼻の穴を目一杯膨らませて歓声を上げ喜んでいた。
彩華の脳裏に少し恥ずかしげにチケットを手渡してきた三村の顔が浮かんだ。
ショーが終わっても幸太は中々席を立とうとはしなかった。興奮冷めやらぬ表情で緞帳(どんちょう)の下がった向こうに意識を集中しまだ何かを期待している様だった。
何度も促し漸く席を立ち出口への通路を抜けた時、フロアに響く子どもの大きな泣き声が聞こえてきた。
声の方を見て彩華は一瞬目を疑った。
泣きじゃくっている女の子の前で腰を屈め、狼狽え(うろた)た様子でいる男は三村だった。あたふたと自分のバッグから大きなペロペロキャンディを取り出すと小さな手に握らせていた。確か独身と聞いている。
首を(かし)げ思わず近寄り声を掛けようとすると気配に気づいたのか振り返り、
「あ、富樫さん─!」そう言うと小さく息を吐き、眉間に皺を寄せて縋る様な目で彩華を見上げた。
迷子のアナウンスが流れると間もなく母親が慌てた様子で迎えに来た。三村に向けて幾度も頭を下げる母親の横で、
「おじちゃん、あめ、どうもありがとう─」女の子はそう言いながら手を振ると笑顔で帰って行った。
応えて手を振る三村も笑顔だった。仕事場では決して見せた事のない満面の笑みを向けていた。
太い黒縁の眼鏡の下で笑っている優しい眼差しを彩華は意外な思いで見つめていた。
 会場を出た後、三村が彩華たち親子を食事に誘って来た。
折からの氷雨は止んでいたが寒気はさらに増している様に感じた。
「─イヴはどこも満席でしょう?」吹きつける寒風に思わずコートの襟を立て寄せながら彩華が言うと、
「─大丈夫です。予約を入れてありますから」ゆっくりした歩調を止め顔だけ振り向くようにして三村が応えた。
「え?じゃ、どなたかと予定があるんでしょう?でしたら私たちはここで─」そう言ったが三村は、
「この道沿いにありますから─」とだけ応えまた先を歩きはじめた。
忙しい雑踏を縫う様に流れて来るジングルベルを聞きながら歩いていると、ふと男のことを思い出してしまう。毎日入るラインにも返信していない。しびれを切らした様に掛かる電話にも出なかった。問いただす事は容易だが何かの間違いであって欲しい、と願う気持ちが優先しどうしても躊躇って(ためら)しまう自分がいた。自身にとって真剣な恋愛の行方に本当に何か決定的な理由を突きつけられたとしても果たして男を諦められるのか自信がない程惹かれ、愛しはじめていた。
あの日喫茶店で考えあぐねた末に全てを話すと、彩乃は暫くの間じっと考え込みようにしていたがやがて頬を紅潮させ目を吊り上げて胸元のネックレスを引きちぎると、
「─待ってな。正体突き止めてやるから」捨て台詞を吐くように抑えた声でそう言い荒々しく席を立って行った。
彩華は独りまだ短い交際を反芻(はんすう)するように男の真意を推し量ろうと試みたが、親友とも同時に恋愛を進行させている男の行動と気持ちに考えが及ぶはずもなかった。
「─あの、大丈夫ですか。何だか顔色が優れないようですが?」三村の声にハッと目を上げると、
「─あ、大丈夫です。ありがとう」彩華はやっとそう応えると小さくため息を吐いた。あの日以来吐息をつく度に切なくやるせない気持ちが胸の奥底から湧き上がって来る様だった。
 街から少し外れた場所にレストランはあった。
欧風のドアベルのついた扉を開けると店内には四人掛けのテーブルが三脚と六人掛けの楕円のテーブルが一脚あるだけで、どうやら年配の夫婦だけで経営している店らしくカロンコロン、とドアベルが鳴ると二人揃ってにこやかに彩華たちを迎い入れてくれた。
クリスマスの飾りつけもみな手作りの様で家庭的な微笑ましい雰囲気がした。暗めに落とした照明の中、壁に掛けられた電飾のキャンドルライトがクリスマスらしさを可愛らしく演出している。
隠れ家的な場所にあるからなのかイヴにもかかわらず他の客の来店の気配はなかった。流れているバラードにアレンジされたクリスマスソングを聞きながら広くない店内を見回している内に彩華は先刻の子どもを前に狼狽えていた様子の三村を思い出し、
「─いつもあんな物、持ってるんですか?あんな大きなキャンディ」笑いたい気持ちを抑えてそう訊いてみた。
「─あ、あれはたまたまです。あまりにもカラフルで美味しそうで、つい買ってしまいました」三村は恥ずかしげに少し俯き口ごもる様に応えるとまたバッグに手を入れて今度は幸太にキャンディを差し出した。
「お、ありがとう!おじさん」幸太は言うとにこにこしてキャンディを受け取った。全く初対面の、特に男性に対しては珍しい対応だった。
「─ヒーローショー、どうでした?」三村が訊いて来た。
「すげえかっこよかった!」彩華に代わって応えた幸太の目が再び輝き出すと三村は身を乗り出す様にして、
「怪人どうだった?怪人ギャラクドス、観客席から現れたでしょう?」愉しげに幸太に目を向けた。
「うん、すげえびっくりしたよ!だけどかっこよかった!オレ、かいじんもすげえすきだから!」幸太のその言葉に三村は大仰に椅子に凭れる様にして身体をのけぞらせると満足気に大きく息を吐き、
「そう、良かった─!」と言った。
「あの、本当にありがとうございました。チケット頂いて」彩華が礼を言うと、
「─いやとんでもない。こちらこそ楽しんで頂いたみたいで。─実はあのショー、私の演出なんです」また伏せ目勝ちにそう言った。彩華が驚いて目を上げると、
「今はまだ片手間ですがいつか本当に子供たちと向き合える、喜んでもらえるこの仕事を生業にしたいと考えています。─今晩、私が招待したお客さんの中に障害を抱えた子供達がいます。時々ボランティアでお伺いしてる施設の子供達なんですけど」三村はゆっくりした口調で話し出した。
彩華は直ぐに入り口付近にいた車椅子の子供たちを思い出した。
「皆、身体に不自由なところは持ち合わせていますが、それぞれ素晴らしい感性を持ってるんです。実は今日の怪人登場の演出は聾唖(ろうあ)の障害を持った子どものアイディアなんです─。絵を描くのがとても上手な子で会場の写真を見せると緻密(ちみつ)と言っても良いような絵を描いて私に持って来てくれました。他にも煙も出た方が良いね、とか効果音はこんなのがいい、とか皆が真剣に意見を出してくれて─。本当に子供達皆と力を合わせ造り上げた舞台になりました」そう愉しげに話す三村は別人の様に生き生きしていた。 
 サラダとスープが彩華の前に運ばれて来た。
だが少し待っても幸太と三村の分は運ばれて来ない。
「─スープは自家製のコンソメです。温かいうちに召し上がってください」前菜を運んで来た奥さんがにこやかに言った。
「─どうぞ、お先に」三村が促し、彩華が厨房を振り返った時、
「お待たせしました─」そう言って満面の笑みでシェフがプレートを二つ運んで来た。
お子様ランチだった。
「お!やった─!」思わず席を立って歓喜した幸太を見て三村も愉し気だった。
「わかってんなあ!おじさん。あ?なんだよ、オトナのくせにおじさんもおこさまランチか?」三村の前にあるプレートを見て幸太が笑うと、
「─あ、ああ、うん。本当は大好きなんだけど、大人になると中々食べさせてもらえないんだ」そうまた口籠るように言うと、頬を紅くして俯いた。
「おじさんもわかってんじゃんか!」幸太は言いながらもう旗の立ったチキンライスを頬張っていた。
「─おじさん、あのさ」幸太の言葉に三村が目を上げると、
「あのさ、じぶんのこと、わたしなんていうのやめなよ。なんかオカマみたいでキモいから」そう言った。
「─そうかぁ、なら何て言えばいい?」苦笑して三村が訊くと幸太は、
「やっぱさ、オレ、だよ。おとこはさ。おじさん。」胸を張ってそう答えた。
「─じゃあのさ、俺、三村って言うんだ。おじさんじゃないぜ、まだ」三村が笑って言うと、
「あ、そ。オレはコウタだ。よびすてていいぜ、みむら」幸太もそう言って笑った。

 その晩、幸太は中々寝ようとしなかった。
「かあちゃん、こんどはいつ、みむらにあえるんだ?」クリスマスプレゼントだと言って別れ際に手渡された怪人の人形を大事そうに抱き興奮した様子で眠りにつく直前までそう繰り返していた。
遊びのない仕事人間だと思っていた三村の真の人間性を垣間見た気がしていた。
ショーの話をした後三村は不意に押し黙ると、彩華たちのためにレストランを貸切り、実は会場に来るまでと帰るまでを待ち侘びていた事を胸の内を吐露(とろ)する様に告げた。
眼鏡の下の目を瞬(しばたた)かせまるで何かの言い訳をするみたいに訥々(とつとつ)(とつとつ)とだが懸命に話していた。
幸太と目線を同じにして愉しそうに話していた様子を思い返し、子どもが好きで本当に優しい男(ひと)とは三村みたいな男なのかも知れない─。
彩華がお気に入りのベージュのコートに似合いそうだから、と贈られたカメオのブローチの品のある美しい彫刻を見ながらそう考えていた時、携帯の着信音が鳴った。彩乃からだった─。

 冬の弱い陽射しが半ば凍結しかけた舗道に反射すると泣き腫らした目に沁みるようだった。
泣くだけ泣くと憑き物が落ちた様に不思議と心が落ち着いたのはやはりまだ傷が浅かったからなのだろうか─。
男は婚活サイトに登録後、実に彩華と彩乃以外にも複数の女性と同時進行の恋愛をしていたのだと云う。彩乃が強面の友人を連れ男と直接対峙(たいじ)して白状させたらしい。許せない事実はもう一つ、男は既婚者だった。若い頃から女癖が悪く二度の離婚を経験していて、別のサイトでも自分の風貌を利用してゲーム感覚で女性を落としては楽しむという行為を繰り返していたらしい。実業家と言うのも全くの嘘で亡くなった親の保険金で定職にも就かず遊んでいるのだとも言っていた。
罰として目の前で手出しした女性全てに連絡を取らせ謝罪させ、加入しているサイトも全部退会させたと言う。次にどこかで悪さしている事が発覚したらネット上に顔写真つきで晒すことも承諾させたと言っていた。
ちょっと火傷をしたと思えばいいのよ─。彩乃はそう言いながら通話口の向こうで力なく笑っていたが強気な言葉尻が震えていた。
 大分早めに出勤したはずだが三村は既にパソコンに向かっていた。
「─おはようございます。昨日はありがとうございました」そう挨拶する自分の三村を見る目が変わっているのに気づいた。自然に笑顔を向けていた。
三村は彩華の視線に気づくとまた目を瞬かせ(しばたた)たが、
「─あ、おはようございます。私、─あ、いや俺のほうこそ」と言い、ぎこちない笑顔を見せた。


            


                     了

お子様ランチ 後編

お子様ランチ 後編

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-09-02

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