宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第六話
まえがきに代えたこれまでのあらすじ及び登場人物紹介
金子あづみは教師を目指す大学生。だが自宅のある東京で教育実習先を見つけられず遠く離れた木花村の中学校に行かざるを得なくなる。木花村は「女神に見初められた村」と呼ばれるのどかな山里。村人は信仰心が篤く、あづみが居候することになった天狼神社の「神使」が大いに慕われている。
普通神使というと神道では神に仕える動物を指すのだが、ここでは日本で唯一、人間が神使の役割を務める。あづみはその使命を負う「神の娘」嬬恋真耶と出会うのだが、当初清楚で可憐な女の子だと思っていた真耶の正体を知ってびっくり仰天するのだった。
金子あづみ…本作の語り手で、はるばる東京から木花村にやってきた教育実習生。自分が今まで経験してきたさまざまな常識がひっくり返る日々に振り回されつつも楽しんでいるようす。
嬬恋真耶…あづみが居候している天狼神社に住まう、神様のお遣い=神使。一見清楚で可憐、おしゃれと料理が大好きな女の子だが、実はその身体には大きな秘密が…。なおフランス人の血が入っているので金髪碧眼。勉強は得意だが運動は大の苦手。
御代田苗…真耶の親友。スポーツが得意でボーイッシュな言動が目立つ。でも部活は家庭科部。クラスも真耶たちと同じ。
霧積優香…ニックネームは「ゆゆちゃん」。ふんわりヘアーのメガネっ娘。真耶の親友で真奈美にも親切。農園の娘。真耶と同じクラスで、部活も同じ家庭科部に所属。
嬬恋花耶…真耶の妹で小三。頭脳明晰スポーツ万能の美少女というすべてのものを天から与えられた存在だが、唯一の弱点(?)については『宗教上の理由』第四話で。
嬬恋希和子…真耶と花耶のおばにあたるが、若いので皆「希和子さん」と呼ぶ。女性でありながら宮司として天狼神社を守る。そんなわけで一見しっかり者だがドジなところも。
渡辺史菜…以前あづみの通う女子校で教育実習を行ったのが縁で、今度は教育実習の指導役としてあづみと関わることになった。真耶たちの担任および部活の顧問(家庭科部)だが実は真耶が幼い時天狼神社に滞在したことがある。担当科目は社会。サバサバした性格に見えて熱血な面もあり、自分の教え子が傷つけられることは絶対に許さない。
高原聖…真耶たちのクラスの副担任。ふりふりファッションを好み、喋りも行動もゆっくりふわふわなのだが、なんと担当科目は体育。
池田卓哉…通称タッくん。真耶のあこがれの人で、真耶曰く将来のお婿さん。家庭科部部長。
篠岡美穂子・佳代子…家庭科部の先輩で双子。ちょっとしたアドバイスを上手いことくれるので真耶達の良い先輩。
岡部幹人…通称ミッキー。家庭科部副部長にして生徒会役員という二足のわらじを履く。ちょっと意地悪なところがあるが根は良いのか、真耶たちのことをよく知っている。
(登場人物及び舞台はフィクションです)
「ねえねえあづみさん、どっちがいいと思います?」
真耶ちゃんが二着のパジャマを持って、私に意見を聞きにきた。女の子っぽい真耶ちゃんのイメージからしたら向かって右のピンクなのだが、左のチャイナ服風のも可愛い。どちらか決めかねていると、早く早くとせかされる。
「うーん、どっちでもいいんじゃない? 真耶ちゃんどっちも似合うよ?」
私は素直な感想を言ったのだが、
「…褒めてくれるの嬉しいけど…。でもぉ、どっちもじゃダメなんですよぉ、林間学校に持ってくやつだからしっかり選んで決めたいんですよぉ」
ああそうか。中学生活初の宿泊行事だから、張り切るのも当然か。私も中学生の頃、林間学校が近づくとワクワクしたのを覚えてる。でも、
「珍しくない? 学校の行事でパジャマって。普通ジャージだよね?」
私の中高生時代は宿泊学習でも修学旅行でも寝るときはジャージだった。
「やだなぁ、普通寝るときにジャージなんか着ないじゃないですかぁ。それに山登るときも同じジャージ着るんですよ? 布団汚くなっちゃって宿の人に悪いですよ~」
言われてみると確かに一理ある。学校の行事だから学校指定の服を着るのが当たり前という認識が、清潔な衣服で布団に入ろうという世間の常識からはずれているということなのだろう。しかしこの学校に来てから自分が今まで持っていた「常識」がひっくり返る事態に何度も遭遇しているが、その都度驚かされるのは変わらない。
というわけで、私は真耶ちゃんにパジャマの選択を再度迫られたのだが、私は二択ではない三番目の答えを口にした。
「あっちは夜でも暑いよ? どっちも長袖だから、やめたほうがいいんじゃないかな」
そう。林間学校が近いのだ。
そもそも周囲を山と林に囲まれた中学校がわざわざ林間学校をやる必要あるのか? とも思ったのだが、
「ひとくちに山村といっても、所変われば自然のすがたも人の暮らしも大きく異なる。それを体感してほしいのだよ」
渡辺先生はそう言っていた。確かにその通りで、村域すべてが標高千メートルを超える木花村で生まれ育った子どもたちが別の場所に行けば新たな発見もあるだろう。
でも真耶ちゃんはもともと東京生まれ。天狼神社を護る嬬恋一族の血を引くのでしきたりに従って木花村に越して来てはいるが、両親は東京にいるので休みを利用して東京への実家に帰ることも多いそうだ。だから、
「あー、東京の夏暑いもんねー。忘れてた。夜中でもクーラーつけてないと暑くて眠れないし。分かった、Tシャツとかキャミソールとかにします」
と言い残して真耶ちゃんは自分の部屋に戻っていった。今回の行き先は埼玉。東京が暑いと感じるならば内陸部の暑さは余計にこたえるだろう。
それでも悩みが解決したことにより、二階へと向かう真耶ちゃんの足取りは軽く見えた。でも、無理して明るく振る舞っているのが傍目に分かるので、痛々しかった。
こないだの泥んこ運動会。村特産のお芋を作る田んぼを耕す目的で、中学生が泥の中で徒競走だのレスリングだのをする。当然みんな泥だらけになるのだが、真耶ちゃんだけは不参加、というか、こんな理由で参加させてもらえなかった。
「神の娘さまの身体を汚してはならない」
村人から尊ばれる存在である神使様、真耶ちゃん。それは子どもの間でも同じで、クラスメイトにも「さま付け」で呼ばれることがあるくらい。それは言い換えれば、「対等な友だち」としては見てもらえていないということだ。文字通り神棚の上に祭り上げられているような存在。
真耶ちゃんはそれが嫌だったのだ。普段の彼女は神使としての使命を大事に思い、過酷なしきたりをしっかり守る。でもそれはそれとして、自分が仲間として迎えられていないことには不満を持っていたのだと思う。だから運動会の日とうとう爆発した。鬱屈する不満を察した苗ちゃんたちの要望により騎馬戦への参加が認められたが、誰からも相手にしてもらえない。それに業を煮やした真耶ちゃんは、自ら騎馬から飛び降り、負けを選んだのだ。
これはクラスに波紋を呼んだし、真耶ちゃんとて自分で自分の行動が信じられなかったろう。他人のためにという気持ちが人一倍強いのに、結局は自分が感情に任せた行動をしたためにチームの負けを招いてしまったのだ。もしかしたら「おみそ」状態だったことよりも、そうやって仲間になりたいクラスメイト達の足を引っ張ってしまったことのほうがショックだったろうと思う。
「兆候はあったの。いや、こうなるのは時間の問題だったの」
真耶ちゃんがいなくなったリビング。二人きりになったところで希和子さんはそうこぼした。
「小学校のときもね、地域ボランティアとかもさすがに小さい子は嫌がるわよね? 遊びたいさかりだもの。でも真耶ちゃんは立候補したの、いい子だってこともあるけど、みんなと一緒に何かしたかったんだと思う。それなのに色々理由をつけて実質的に辞退させられたり。そういうことが何度もあったから、フミ姉…渡辺先生も色々動いてくれたの、保護者代わりとして。だから小学校ではかなりみんなと仲良くなれていたのに、中学校で他の学区の子と一緒になったでしょ? それで元の木阿弥になって。こうなることに渡辺先生も気づいていたのよ」
何とかしてあげたい。身近で暮らしていればそう思うのが人情だと思う。でもそれは出来ない相談だと希和子さんは言う。
「でも先生って立場だと、一人の生徒のために何もかもやってあげるわけには行かないでしょ? 真耶ちゃんの担任になれたこと、本音では良かったと思ってるはずよ? でも真面目なフミ姉だからこそ、公私混同はしたくないんだと思う。だから」
希和子さんは突き放すように言った。
「これは真耶ちゃんが自分で乗り越えなきゃいけない問題なの。私たちは見守るしか無いのよ」
一見冷たいようにも思えたが、希和子さんが唇をぎゅっと噛んだのが分かった。
私は私で、日曜日ごとに各地の教員採用試験を受験していた。今月は筆記試験で、その結果によって来月面接に進めるというところが多い。手応えは? というと。こういう時「自慢では無いが」と言う人はたいがい自慢がしたいのであって私も素直にそうする。
自慢ではないが手ごたえは上々だ。自己採点でもかなりいい得点が出ている。同じく教員を目指している大学の子達と連絡をとりあってみた感じでも手応えは良い。みんなで一緒に合格しようねと言いつつも、友情とライバル心は別物。ここは正々堂々と戦いたいところ。もちろん油断は禁物。
一方で大学の授業の方も、前期の試験がもうすぐ始まる。そういった諸々の用事があるので今月は天狼神社と東京の実家を行ったり来たりする機会が多い。比較的安く済む高速バスを使っているとはいえ、交通費がけっこう負担だ。
そんな時、渡りに船の話が渡辺先生のもとからやってきた。
「どうせ東京に行くのなら、林間学校のバスに便乗してはどうだ? 方向は一応東京方面だしな。行きでも帰りでもどっちでもいいぞ」
「あ、それは有難いです。けど…もちろんタダじゃないですよね?」
学校行事で使う乗り物を足代わりにだけ使っていいわけがないので、私は確認した。おそらく林間学校に一緒に参加して欲しいということだろうが、教師を目指す私にとって学校行事に関われるチャンスが増えるのは望むところだ。しかし、
「察しが良くて助かる。子どもの集団引き連れて旅行するわけだから、頼れる大人が一人でも多いほうがいいしな。あ、試験勉強が忙しいなら無理にとは言わないし、もちろん暇な時は現地で勉強してても構わない。まぁ肩に力入れずに息抜きと思ってくれてもいいぞ?」
という渡辺先生の条件はこちらにとっても申し分ない。二つ返事でOKした。
私の実家は東京の成増というところにある。ちょっと歩けば埼玉県っていうところだ。試験をひとつ片づけ、翌日から大学で授業とかレポートとか書類の提出とか友だちと会ったりとかを済ませると、いったん実家に戻り大きな荷物を持って再び駅へ。急行電車は駅を出るとすぐさま高架にかかり、ちょっとした谷を渡ると埼玉県だ。ビルや家並みに支配されていた車窓に、次第に緑が増えてくる。やがて畑や田んぼの向こうに山が見えてきて、それめがけて電車は疾走してゆく。急行の終点で短い編成の電車に乗り換えると、いよいよ遠くに来たんだという実感がある。一駅だけローカル電車に揺られて下車。地図に従って山道へと入る。運動靴とジャージでいいと言われたのでその格好で来たが、なかなかどうして結構大変な山道だ。おまけに暑い。雲が多いので日差しはさほどでもないがひたすら蒸す。今年は高原の涼風にばかり吹かれていたので余計にこたえる。
それでも頑張って坂道を登っていると、見慣れた顔に出会った。
「あ、金子先生だ。こんにちはー」
手を振りながら近づいてきたのは二年生の生徒たち。私も手を振り返す。木花中は生徒数が少ないので宿泊行事は二学年合同で行われる。行き先は林間学校と臨海学校が一年おき。だから真耶ちゃんたち一年生は今年は山、来年は海に行く。二年生は去年海に行っているが今年は山。なんとも贅沢である。ちなみに今はスタンプラリーの時間なのだそうだ。昔はオリエンテーリングと言ったらしいが、敷地内の野山をめぐっていくつかあるポイントに置かれているスタンプを集める。なかなか楽しそうだ。
ここは埼玉県の北部にある宿泊施設付きの学習施設。自然と肌で触れて学べるのが特色で、私達がやっているみたいなスタンプラリーを兼ねたハイキングや、野生動物の観察も出来る。午前中は皆プラネタリウムを見たということだし、午後もわりと自由に色々やれているらしく、スタンプ集めもそこそこに川遊びをしている子達もいるらしい。夕方から飯盒炊爨もあって、屋外で生徒自ら夕食を作る。私の最初の活躍の舞台はそこで、料理とかのサポートを頼まれている。不慣れな作業だから色々と不手際もあるだろうということだ。教員志望の段階でそういう経験というのはなかなか出来ない。教員を目指している友だちに話したら、うらやましいと言われた。
でも私が林間学校への同行を快諾したのにはもっと大きな理由がある。真耶ちゃんが心配なのだ。私がいてどうなるというものでもないが、同じ屋根の下に住んでいる身としてはほっとくのも気持ちが良くない。渡辺先生が私を指名したのには、そういう狙いもある。
「やはり私がもっと介入しておくべきだったのかもしれん。生徒の自主性を尊重するといえば聞こえがいいが、要は丸投げしちまったんだ。職務怠慢だよ」
そう自重する先生。泥んこ運動会を終えた翌日、臨時の家庭訪問という形で渡辺先生と高原先生がやってきた。
「フミちゃんは間違って無いよ~。先生は生徒ちゃんを信じなきゃダメよ~」
実は高原先生のほうが渡辺先生より先輩である。副担任として渡辺先生を影からサポートする役目なのだという。あの事件以来渡辺先生はいつになく落ち込んでいて、高原先生も随分と気にかけている。
真耶ちゃんは表向き元気に振舞っている。今日も先生方にお茶を持ってきて談笑するくらい元気だ。それでも笑顔に陰りがあるのは見抜かれている。かといってどんな言葉をかければいいかも迷う。
「本当は、思い切り落ち込んじゃったり、怒ったり泣いたりする子のほうがやりやすいのよね~。見た目元気に振る舞える子のほうが、心のなかに色々貯めこんじゃうし~。まぁ忍耐力はある子だと思うけど~、でも~、芯は強いけど、どうかするとポキっと折れちゃう、嬬恋さんにはそんな危なっかしさを感じるの~」
確かに目立って落ち込んだりすねたり怒りっぽくなったりした方が、分かりやすいかもしれない。真耶ちゃんはそういうところが見えてこないので、変に大人っぽくも見える。ただそれも無理はないとも感じていて、神使という重責を担って大人相手にそれをこなしてきた経験がそうさせているのだろう。
まぁ教師としての一般論からすれば見た目で落ち込んでいる子も一見そうは見えない子も、どっちもケアしてあげないとだめだよってことだ。ただ高原先生は嬉しいことも言ってくれた。
「大丈夫よ~? あのね? 生徒ちゃんは先生が自分のことを見てくれていると思えば安心するものよ~? 嬬恋さんにはこうやってフミちゃんが様子を見に来てくれるってだけで、気持ちは伝わってると思うの~。あと、近い年齢のお姉さんみたいな人がいると結構心強いものなのよ? ほら、いるじゃない? 今ここにあづみちゃんが」
それに、
「担任は、一人の生徒のためだけに時間を割くわけにはいかんのだ。だが嬬恋の件は他と同列には扱えないものでもある。見てくれるだけでいい。一緒にいてくれるだけでいい。金子がいてくれれば心強い」
一人の生徒のためだけに時間を割くわけにはいかない。先生は、希和子さんの見解と寸分たがわぬ持論を述べつつも、私を頼ってくれた。期待されると嬉しい。それに、私だって真耶ちゃんのことは気になる。
しばらく山道を歩くと、施設の本館に到着。私が来たという知らせはいつの間にかメールで広まったらしく、生徒たちがどんどんやってくる。もちろんその中には、真耶ちゃんたちもいる。
木花中の林間学校は基本班単位なのだが、今日は皆わりと自由に行動している。学校における班行動というのが軍隊由来だという説もあるので嫌う人もいるのだが、班というものが無くなってすべて自由行動にすると今度は孤立する子が出てくる。その場合に教師がうまいことそれを防げればいいのだが教師も忙しいのでそればかりに関わってはいられまい。まぁ最近はグループと言い換える場合もあるようだし、班単位で行動してもその中で無視される子が出たりもするので同じなのだが。ちなみにこれは、大学の事前授業で同級生の発表を受け売りしただけだけど。
そうなると必然的に真耶ちゃんは苗ちゃん、優香ちゃんの三人だけで孤立して行動する羽目になるんじゃないかと危惧していたが、案の定だった。もちろん三人とも表情は明るいし、苗ちゃんや優香ちゃんはもともと社交的でもあるので他の友だちともしばしばじゃれ合っている。ただ唯一、真耶ちゃんと他のクラスメイトとの間には、やはり見えない壁があるように思えて仕方ないのだ。
それにしても、私の姿を見るや次々と挨拶に来る生徒たち。いつもながら礼儀正しい、いい子だと思う。でもこのいい子たちが、いや、いい子だからこそ、真耶ちゃんを結果的に仲間はずれにしてしまったのだ。
「いじめのかのうせいは考えなかったの?」
臨時家庭訪問の翌日、花耶ちゃんに痛いところを突かれた。まだ真耶ちゃんは学校から帰って来ていない。
いじめ。教師にとって一番怖い言葉だ。真耶ちゃんが一人だけ仲間に入れてもらえないってことはそういうことにもつながりかねない。そこに気づかないというのでは、かりにも教師がわりをしていた身としては良くないことだ。
「花耶は見つけたらすぐそいつやっつけるし、先生に言うけどねっ」
いわゆるドヤ顔ってやつで胸を張る花耶ちゃんは頼もしいが、それだけに自分のふがいなさが目立つ。
「花耶ちゃんは、真耶ちゃんのこと、どう思ってるの?」
小三の子供に聞くには、曖昧すぎる聞き方だとも思ったが、賢い花耶ちゃんはちゃんと答えてくれた。
「花耶は心配してないけどなー。だって苗ちゃんも優香ちゃんもいるし、花耶だって何かあったらお姉ちゃんを守ってあげられるもん。なんとかなると思うよ。それに」
観察眼も優れているだろう花耶ちゃんが、ちょっとホッとすることを言ってくれた。
「苗ちゃんも優香ちゃんはお姉ちゃんとも友だちだけど、他のこともすぐ友だちになれるから、それから何とかしてくれると思うよ」
いつのまにか、空全体が灰色の雲に覆われていた。夕方から飯盒炊爨の準備に入ったのだが、空模様が気になる。ハンゴウスイサン。難しい字を書く言葉だが、要は外でご飯を炊いたりするという話。外だから当然天候に左右される。
「昔見事に降られたことがあってな。雨具着てメシ食うってのもめったにない体験だったよ。でも料理は濡らしたくないだろ? そのときはバーベキューやったんだが、鉄板に傘さして人間は濡れっぱなしでな」
苦笑する渡辺先生だったが、今日については心配していないという。データ放送とかで雨雲レーダーを見る限りはまだ持ちそうだし、屋根のある場所を確保しているので、食べるだけなら問題ないと。
どのグループも林間学校の定番、カレーを作っているが、具に工夫が多い。肉のところもあればシーフードのところも。トッピングで卵とか揚げ物を準備しているグループや、カレーうどんまである。
「あづみさ…金子先生! おひとつどうぞ。あたしたちで生地からこねたんですよ」
そして私にナンカレーを薦めてくれたのは真耶ちゃん。さすが家庭科部員を三人も抱えるグループはレベルがワンランク違う。
抱えている、というからには真耶ちゃんと苗ちゃんと優香ちゃん以外にもメンバーが居る。三人でひとつの班というのは中途半端で四人から五人いないと他の班と均等な人数にならない。というわけでいつもの三人組以外に二人の女の子がグループに入っている。さっきも言った通り苗ちゃんも優香ちゃんも社交的だから、二人ともうまくやっているが、やはり真耶ちゃんとの間には壁があるように感じる。ただこの場合、辛いのは苗ちゃんと優香ちゃんだろう。真耶ちゃんばかりかまっていれば逆に残りの二人を仲間はずれにしてしまうこともよくわかっているはずだし、実際それが無いように心がけているように見える。でも横目で真耶ちゃんを気にしながらだし、二人も真耶ちゃんの微妙な表情には気づいている。
もちろん私とて、このグループだけ気にしているわけには行かない。なんだかんだでみんな中学生、料理をするには色々不手際もある。私もフォローやヘルプであちこち回っているのだ。
ひとまず、無事にお食事タイム終了。途中パラパラ降ってきたがすぐ止んだので支障はなかった。ただ渡辺先生は明日のことを心配しているようだ。
「おそらく、かなり過酷になるだろう。覚悟はしておいてくれ」
そのセリフは天気について言っていたのだが、結果的にそれだけではなかったことに私は後から気づくのだった。
そんなわけで真耶ちゃんの件はまだ解決していない。が、もう一つ問題がある。
「塾の子が話してたけど、寝てる子をわざわざ起こして全員正座だってさ。意味無いよね? とばっちりじゃん」
「バカなんじゃないの? まぁフミちゃん先生たちはするわけないと思うけど、他の先生が問題だよねー」
二人の女生徒がロビーのベンチで話している。飯盒炊爨の片付けも終わり、お腹が落ち着いたところでお風呂タイム。それもあらかた済んであとは寝るだけ。というか林間学校のしおりでも、すでに就寝時間という設定になっている。
「君等ねぇ…もう寝る時間だぞ? 」
いつの間にやら登場した、噂のフミちゃん先生こと渡辺先生。さすがに普段生徒を怒ることのあまりない渡辺先生も今日ばかりは厳しく接するのだろうか。宿泊系の行事で、温厚な先生が豹変するのはよくあることだと、公立校に通っていた弟に聞いたことがある。生徒に手など出したこと無い優しい先生が、騒いでいた生徒を往復ビンタしたこともあったとか。私自身は私立の女子中学だったのでそこまでは無かったが。でも、ということは、やはり渡辺先生も…。
「まぁ、んなこたどうでもいい。ただ…」
て、どうでもいいんですか? あ、でも、ただ、って言うことは何かまだ説教するようなことが…。
「フミちゃんはやめてくれ」
そっちかい! まぁでも先生に対してニックネームってのはあまり褒められたものじゃないし…。
「恥ずかしいだろ」
その理由かい! 敬意が足りないとかそういうんじゃなくて! もっともそんなツッコミを入れる間もなく渡辺先生は真面目モードになった。
「まぁ君等がさっき話してたみたいな連帯責任? そういうのは私も嫌いだからせんけどな。ただ君等は分かっているだろうが寝室で騒ぐのは無しだぜ? 君等がおしゃべりしたいのと同じで寝たい者もいるんだからその邪魔をしちゃいかん。わかるな? だからあくまでも、話したい者だけ固まってひそひそ話せ。いいな?」
それまで不満そうな顔をしていた二人の女生徒は一転して、先生に対し、
「分かりました」
と素直に返事した。
しかし先生も粋なことを言う。普通は「さっさと寝ろ」がこういう時の説教の定番だろう。でも先生は集まってひそひそ話すだけなら実害が無いと踏んだのだ。しかもおまけにこんなこともつぶやいた。
「そうだ、オイラ独り言いっちゃおうかな。地声が大きいから聞こえるかもしれないけど、それは不可抗力、不可抗力」
最初何のことが分からなかったが、
「今日は主任と教頭も見回りするんだな。今日は、ってことは明日は彼奴らは出てこないってこと。私は連日見回り担当になるだろうがまぁ仕方ない。今日の私の担当は…十時台か。ということは今日の九時台だけ大人しく寝ていれば明日は安泰ってことだな」
そして最後に念を押すように、
「ま、独り言だけどな。独り言だってことは聞こえてないとは思うが、誰かの耳にうっかり入っちゃって、他のことメールに書くつもりがつられて書いちゃった、しかもうっかり送信ボタン押しちゃった、なんてこともあるかもしれないけど、それも不可抗力だから仕方ないわな。うん不可抗力不可抗力」
一見平和な木花中だが、教師の間で派閥がある。生徒に厳しく接し、管理しようとする一派。こちらには学年主任の先生が属していて、生徒には挨拶を強要するのに自分からはしないという矛盾する行動をしていたので一度渡辺先生がとっちめた。でもグループのボスは教頭先生。主にこの二人が林間学校についてきて生徒を締め付けようとしている、とは渡辺先生の弁。
一方、渡辺先生や高原先生は生徒の自主性を重んじる立場。人数としては実はこちらが多い。しかし教頭と主任の一派は役職という強い武器を持つので押せ押せムードになることもある。今回の林間学校もこの両派で綱引きがあった。自由な雰囲気での林間学校は向こうとしては気に入らないようだ。
「でも、悪さが見つかって全員正座とかって、いい思い出になったりしませんか? マンガとかでよくありますよね」
私は率直に感想を述べた。しかし、
「金子。君は巡りあってきた大人たちに感謝せにゃならんな」
いきなりそんなことを言われたので驚いた。
「え、どういうことですか? そりゃ親とか先生とかには感謝の気持ちありますけど…まだ足りないですか?」
と聞き返すと先生は慌てたように、
「あ、あ、もちろん君が大人への敬意を持っていることはわかっている。問題はそういうことではなくてだな。君の周りの大人達は、身体に訴える罰とか、理不尽な罰を与えてこなかったのだろう。そのことは君にとって幸運だったのだぞ、と言いたいんだ」
先生は一息つくと、こう言った。
「もちろん、あとになって割り切りが出来る人間もいるとは思うぞ? でも中には指導という名の暴力が心の傷になったり、教師不信になる者もいる。私は、そういう形で大人のご都合主義を押し付けたくはないし、そういう押し付けがプラスになるとは思わんのだ。寝ない者がいるならその者だけを諭せばいいし、関係ない者まで巻き込むというのは人としてやっちゃいかん。教師は、いや大人は自分より弱いものを生贄にする、無関係な者でも一緒くたに罰する、なんて記憶を植えつけて、将来への夢を奪うべきではないよ」
そして独り言通り、渡辺先生は十時台に見回りをした。私も付いて行ったが、一部の子達は起きていたが他の子を邪魔することなく端に寄っておしゃべりしていた。どうやら先生の独り言が「うっかり」生徒全体に広まったさいに、寝る子を邪魔するなというほうの説諭も一緒に拡散したようだ。だって九時台を乗り切れば主任先生も教頭先生も来ないことはわかっているのに誰も羽目を外さないのだから。さすが先生というか、子どもって理路整然と諭されると案外言うことを聞く気になるもんなのだな。
翌日。天気予報が見事に的中で夜半過ぎからずっと雨が降っている。広場に集まった生徒は全員レインウェアを着こんでいるし、先生方もだ。ただほんの一部、主任と教頭を除いては。
「生徒がこの雨の中でもやる気なのにな。奴さん車で回るつもりだ。信じられないな」
渡辺先生は朝からご立腹だ。それは私も同感。私だってしっかり雨装備だというのに。
今日の予定は登山。林間学校といえばお約束のメニューなのだが、あいにく雨の中のハイキングとなってしまった。幸い中止にするほどの大雨ではないが、むしろ中止にしてという思いの子もいるんじゃなかろうか。
「梅雨の季節だからね~。でも一学期の終わりぐらいに日程入れると思うとどうしても降られることが多くなるのよね~」
夏休みに入ってからだと料金も高くなるし施設も混みあう。それを避けようとするとこの日程になるのは仕方ないのだそうだ。でもそういう高原先生もまんざらでもない表情をしているし、みんなしっかり雨具で完全武装しているのはおそらく想定内なので事前に準備するよう指示があったのだろう。私もレインブーツというか長靴まで含めて標準装備するよう真耶ちゃんに念を押された。山道はぬかるんでくるのだろう。コートタイプではなくて上はジャケット、下はパンツというレインスーツが良い、とも。全身を濡らさずかつ歩きやすい格好をするようにとの配慮だ。
「こういうのって、あとで思い出すと楽しいものよ~」
ちゃちゃっと挨拶と注意事項の伝達を終え、歩行開始。今回歩くのは関東平野の西のへりに当たる山地というか丘陵地帯と言ってもいい。標高にして数百メートルの山々が中心で、標高千メートルを超える村に育った子どもたちには楽勝に見える。実際遠足やらハイキングやらで皆高い山には何度も登ってきているのだそうだ。でもだからといって、彼ら彼女らは決して楽だとは思っていないようだ。コースはいきなり鎖場ありの急勾配。標高が低かろうが坂道のつらさは変わらない。
でも何より彼ら彼女らを苦しめているのは、梅雨末期のまとわりつくような湿気だ。とにかく蒸し暑い。晴れていないから刺すような日光と体温に迫ろうという高温には苦しめられずに済む。でもそのかわり雨と湿度がダブルパンチで私達に襲いかかる。レインウェアを着ていれば蒸れるし、かといって脱げば雨で濡れ、体が冷える。急斜面含みの山道では傘をさして片手が使えないのは危険だ。結局雨に濡れて風邪を引くよりマシとばかりに、レインウェアの中を生暖かい汗でぐっしょり濡れたままにして体温を適度に保つほかない。一応透湿性がある雨具を選んだのだが、外の空気がすでに蒸しているのであまり意味が無い。
「まあでもこれだけコンスタントに降ってくれてるだけ良かったかもしれないぞ」
と渡辺先生。雨量があれば冷却効果が期待できるからで、降ったり止んだりとか、雨具が無いと濡れるけど雨粒がしたたり落ちるほどではない程度の小雨が一番厄介なんだそうだ。既に私も背中から胸、果てはパンツまでびしょびしょなのだが、我慢してファスナーを一番上まで閉め、フードを完璧にかぶっている。
「ジャージ蒸れる~。でもTシャツだと腕にレインウェアがひっついて気持ち悪い~」
皆くちぐちにこんなことを言う。なるほど、これでは夜寝るときジャージを着ていたら汗臭くて眠れない。
それでもみんな、こんな逆境にあってくじけず、明るさを忘れていない。強い子たちだと思う。帰ろうとか言う子は誰一人いない。雨と暑さばかりではなく、足元は泥と化していて歩きにくく、運動靴だったら大変な目になっていたところなのに、それを長靴履いてたおかげで足が濡れずにラッキー、ていうかせっかく揃えたおニューの雨具一式無駄にならなくてよかった、といった具合にポジティブに思い直せるくらいだ。
ただ、彼ら彼女らに暗い影を落としているものがあるとすれば、それはただ一つ。
「真耶がんばれー。素早さとか必要ないから一歩一歩確実にねー」
苗ちゃんが何度も暗い影の主、真耶ちゃんを励ましている。優香ちゃんもしっかり真耶ちゃんについて歩を進めている。真耶ちゃんはピンクの上下のレインウェア。苗ちゃんは紺の、優香ちゃんはオレンジのレインウェア。聞くと優香ちゃんのは農作業用だし、みんな一見無骨な作業用のレインウェアで、蒸れることは蒸れるがその分雨を防ぐ性能は抜群に良い実用的なものだと思う。三人とも着慣れた感じだが、よく考えたらみんな家の手伝いで着る機会が多いのだった。農家、ペンション、神社…。なるほど、実用性を考えながらもオシャレして雨の中でも楽しく仕事しようということなのだろう。そんなカラフルな子どもたちはやはり明るく見える。できればこの見かけの明るさが真耶ちゃんたちの心も盛り上げてくれればいいのだが…。
山登りでも、基本班で動く。そういう呼び名は好きではないという渡辺先生はパーティと呼ぶわけだが、いずれにせよ真耶ちゃんのような体力的に不安がある子をフォローするには少人数単位で動くのは妥当だろう。もっとも苗ちゃんや優香ちゃんにそういうグループ分けが必要だとも思わない。そんなことせずとも自然と弱い子を助けるはずだ。
しかし決まりは決まり。私は渡辺先生から密命を受けている。
「真耶のこと、気にかけてやってくれ」
先生方はそれぞれ所定のポジションがある。先導役だったりしんがりだったり。だから浮き牌である私は真耶ちゃんをピッタリマークするには適役だ。運動が苦手な真耶ちゃんがいるので、案の定歩みは遅い方。基本パーティー単位で登るがそこから遅れる子が出ても先生が列の後方に付いているのでフォローできる。逆に体力の余っている子はどんどん先に進んでいって良い。だから班とかパーティーとかって結局ザルなのだが、真耶ちゃんたちのパーティーは律儀に五人体制を守っている。
パーティーの構成は真耶ちゃんたち三人に、小瀬さんと星野さんという二人の女の子が加わっている。一見みんな打ち解けているように見えるけど、実際は真耶ちゃんから小瀬さんと星野さんに大してされた会話だけが一方通行になっている。小瀬さんと星野さんが遠慮しているのだ。私はそれに対して適切な対応が出来ずにいる。
いつの間にか時間はお昼になっていた。宿泊施設から出されたおむすびが皆のお弁当だ。ちょっとした雨露をしのげる場所でもあればいいのだが屋根のある場所が見つからない。仕方ないので雨に濡れながら食べることに。おむすびを濡らさないように顔や身体をひさし代わりにして。
この登山は、ルートは決まっているがゴールは決まっていない。宿泊所を起点としてぐるっと一周して戻ってくるのが規定のコースなのだが相当な長距離の山岳縦走コースだ。だから歩き切れない子も出てくるが、その場合は下山してバスや電車を利用してもよい。つまりそれぞれの体力に合わせてゴールが選べるのだ。ただ完歩できる子は毎年少なく、相当の健脚であるという。それでもコースを短くしないのは、出る杭は出しておこうという学校の教育方針による。もちろん手抜きしようという子も出てきそうな気はするが、そこは真面目でお祭り好きな子どもたちのこと、完歩しよう、ベストを尽くそう、そう思って歩き続ける子ばかり。それは真耶ちゃんとて変わりない。でも体力の不足はいかんともしがたく、後ろの方のグループに甘んじている。
「真耶ちゃん、意外と持久力はあるから。ビリにはならないと思うよ」
優香ちゃんはそう言う。でも真耶ちゃんは浮かぬ顔だ。その理由をパーティーの誰も知らないかもしれない、いや気づいていて誰も口にしないだけかもしれないが、
「みんな、あたしに構わないで先に行けばいいのに」
おむすびを両手に持ったままのそんなつぶやきが、私にだけ聞こえてしまった。
昼食を終え、ちょっとした切り株とか石とかに腰掛けたまま食休み。レインスーツなので降られたままでもお尻が濡れる心配なくどこでも座って休めるのは有難い。お腹がおちついたところで、歩き出す。
本当は、特に苗ちゃんなんかは本来の体力からすればとっくにもっと先に進んでいられる。そのことが真耶ちゃんの心にひっかかっていることは間違いない。表向きは明るく振舞っているけど、それは真意ではない。
ほかの四人はそれを知ってか知らずか、やはりこの登山を楽しんでいるように見える。でも心の片隅にはあの一件が頭をもたげているに違いない。人の心なんてそう簡単に割り切れるものじゃないから喜怒哀楽が常に入り混じっているだろう。でもこんな良い子たちが、クラスメイトをあんなに思いつめさせていたことが明るみになったことをそのままにしておけるわけがないのだ。
午後になると容赦なく他のパーティーが追い抜いていく。午前中は力をセーブしたりしていた子達が本気を出してきたのだ。でもこちら、というか真耶ちゃんはおそらく最初から本気だろう。その甲斐あって昼食後しばらくは後ろの方ではあるけどそれなりの順位をキープしていた。持久力はあるという優香ちゃんの見立ては本当かもしれない。
でも後ろの組の中から脱落者が出たという情報を載せたメールが、最後尾を守る高原先生から届いた。そしてその高原先生が私達に追いついた。つまり私たちはいつの間にか最後の組になってしまったのだ。
それでも真耶ちゃんは歩こうとしている。
雨で太陽は見えないが、どことなく周囲が暗くなってきた気がする。時計を見ると四時を過ぎていて、下山するには適当な時刻だ。特にタイムリミットは指定されていないのだが、それは皆自主的に引き際を判断しているから。それが出来ない時には最後尾の先生、つまり今年は高原先生が臨機応変に判断する。ちょうどバス停のある車道への分かれ道に到着した。
「雨も止まないし~、ここで下山しようね~?」
高原先生が下山をうながした。ところが、
「やだ」
真耶ちゃんが自分の身体をぐっと固めるように動かなくなった。大木に身体を寄せるようにして縮こませている。
「あたしのせいで、みんな完走できないなんて嫌です」
「真耶なに言ってんの? ウチらだって疲れたし、お腹すいたからもう帰ろうよ」
苗ちゃんが呆れたような顔でそう言うが、それが演技だとは見抜かれていたようだ。
「うそ。苗ちゃん完走したいって思ってるはずだもん」
真耶ちゃんの不意の図星に苗ちゃんがうっかりうなずいてしまった。
「ゆうべ地図でコースの最後のほう見てたでしょ? 知ってるんだよ? あたしと苗ちゃんだけでも、完走しないと」
もともとは泥んこ運動会の騎馬戦で、真耶ちゃんを泥だらけにするのは恐れ多いという理由から始まった今回の騒動。自分が大事にされすぎていることは真耶ちゃん本人が実感していたことだろう。だから体力で劣る自分のために他のみんなが我慢をしすぎている、そう真耶ちゃんが勘ぐったとしても不思議ではないし、実際そうなんだろうと思う。そんなこと無いよとみんなは否定するのだが、真耶ちゃんの溜まった感情は一気に爆発した。
「なんで、なんであたしのこと、そうやって特別扱いするの?」
こんな大声を真耶ちゃんが出せるなんて知らなかった。
「どうして、みんなあたしのことそんな風にするの? いじめてよ! なじってよ! 嫌ってよ!」
よく考えたら無茶苦茶だ。わざわざ他人から苦しめられることを望むとか普通ありえない話だけど、今までの経緯を思えば納得がいく。騎馬戦でわざと負けたこともあるし、その分今回は足を引っ張りたくない。そういうのもあると思う。でも。
みんなと、同じでいたい。
みんなと、仲間でいたい。
それが、もっともっと強い、真耶ちゃんの願い。もちろんそれを知ってもなお、ほっとけないと思う誰もが真耶ちゃんを説得し、身体を引っ張ってでも下山させようとしている。でも。
「うええぇぇ~ん」
とうとう真耶ちゃんは大木にしがみつくと、泣き出してしまった。両腕は幹をしっかと抱きしめており、テコでも動かない覚悟がうかがえる。他のみんなや私が引っ張ったりしても頑として離れようとしない。この子にこんな力があったなんてと驚くくらいだ。このままではどんどん時間が過ぎていく。しかし真耶ちゃんの希望通りこれから先を目指すには遅すぎる。こんな我がままがみんなに迷惑をかけることくらい冷静な時の真耶ちゃんなら分かるはずだし、人を困らせるようなことは決してしない良い子だ。なのに今それをしているというあたりに真耶ちゃんの強い自己主張を感じる。色々な価値観がひっくり返っている感じだ。どう言えば真耶ちゃんのかたくなな心を動かせるのか。誰もが途方に暮れた。
と、そのとき。
「ひょい」
高原先生が、真耶ちゃんの身体を後ろから抱き上げ、そのまま肩にかついで歩き始めた。寄ってたかって横方向に引っ張られていたところに不意打ちで持ち上げられては、真耶ちゃんに抵抗するすべは無かった。
「みんな~、行くわよ~。嬬恋さんも暴れちゃイヤよ~? あ、泣くのはいいわよ? レインスーツ着てるから濡れないもの、私~」
私たちは高原先生に先導される形でようやくその場を離れ、下山の途についた。真耶ちゃんは突然のことに呆気にとられていたが、ややすると再び泣きはじめた。でもそれは今までと打って変わって静かな泣き方だった。自分のしたことを悔やんでいるんだということは、時々ごめんねごめんねと鳴き声に混じってつぶやいていることから分かった。もちろん私たちはそんなことないと慰めた。
それにしても、一見華奢な高原先生が中学生の(身体的には)男の子をひょいと持ち上げるだなんて。その腕力を見て体育の先生なんだとようやく納得した。
さすがの高原先生でも人一人かついだまま山道を行くのは大変だと察した真耶ちゃんは少しすると自ら先生の背中から降りて歩き出した。それでもずっと泣き通しだったせいでもあるのか、バス停まで着いたところで急に疲れに襲われたようだ。私たちは皆濡れたレインウェアを着ているからバスの中でも立ったままだった。すると真耶ちゃんがカックンカックンし始めた。そのままシートに座らせるわけにはいかないので、ビニールシートをその上に敷いてから座らせた。真耶ちゃんはすやすやと眠り始め、そこから電車に乗り換えてもなお眠り続けた。乗り換えはもちろん高原先生が再びおんぶをして運んだ。
「子供みたいだよね。だからわたしたち、とてもじゃないけどこの子が神様の子だなんて信じられないの。ずっと見てきたからね」
優香ちゃんが眠る真耶ちゃんのそばに立ったままでそう言う。小瀬さんと星野さんはしきりに真耶ちゃんの身体を触ったり髪をなでたりしている。そういえば真耶ちゃんが木にしがみついていたときも、躊躇せず引っ張っていたし、かぶったまま眠ってしまったフードを取ってあげたのも小瀬さん。いつの間にか壁が壊れたみたいだ。
「てゆか、なんかペットの犬とか猫みたい。可愛い」
「オオカミだけどな」
天狼神社の由来をよく知る苗ちゃんが、狼の化身である真神の遣わした子であるという真耶ちゃんの立場を踏まえて突っ込む。まあ神性を持つからこそ無邪気で幼いとも言えるのだろうが、そういう文化人類学的解釈を今持ち出すのも野暮だろう。
いつの間にか目的と結果が反対になっていたことに、懸命な真耶ちゃんは気づいただろう。みんなと同じように泥んこになりたい。それが真耶ちゃんの最初の願いだ。そしてみんなと同じになれない原因は、みんなが真耶ちゃんを大事にしすぎるから。だから今回は、自分が大事にされていることに不満を爆発させてしまった。
でも泥ん子運動会の「大事にする」と今回の「大事にする」は違う。いま、誰もが真耶ちゃんのことを心配している。こないだみたく腫れ物にさわるようなことをしていたわけじゃない。だから真耶ちゃんはいつの間にか目的と結果を取り違えていた。
「友だちだから大事にする」
今がまさにそういう場面だということに気づいたのだ。そして、結果的にまたみんなに迷惑をかけたことも、それでも私たちは真耶ちゃんの思いを受け止めていることも、気づいたはずだ。そんな感じのことを断片的にだが高原先生に話すと、こんな返事が返って来た。
「せっかくこんな可愛いレインスーツ着てるんだもの~。気分も明るくしなきゃダメよ~金子さん~。みんなもよ~? 嬬恋さんはもっと明るくしなきゃダメよ~?」
ああ、確かにそうだ。色々考えるのもいいけどまずは行動。すごく共感できることを話してくれた高原先生の、レインスーツという呼び名がなんかかっこよく感じた。そしてさらに続けた。
「私もね~? 真耶ちゃんが自分でそれに気づいたって分かったの~。だから言おうとしてた言葉、やめたの~」
どんな言葉ですか? と私が問うと、まだ寝てるよね、と確認したあと、急にキリッとした顔になってこう言った。
「じゃあ嬬恋さんのお望みどおり、厳しい言葉を言ってあげる。あなた一人のわがままで一年二年のみんなが迷惑するの。だから、もうやめてね」
語尾を伸ばしてのんびりしゃべる高原先生が、急にハキハキした喋り方になったと思うと、
「なんて感じ~。でも言う必要なかったわね~。ま、嬬恋さん寝てるから大丈夫…」
いつもの語調に戻った。しかし、寝ていたはずの真耶ちゃんが、
「ごめんなさい…」
起きてたんだ! 慌ててみんなでそんなこと無いと言おうとしたが、ここは苗ちゃんが一枚上手だった。
「ちゃんと謝れる真耶は偉いよ。やっぱりウチらの友だちだよ」
宿泊所は最寄駅からでも山道を数十分歩く。真耶ちゃんはまだ寝ている。さあどうしようと思っていたら渡辺先生が駅前で待っていてくれた。
「こっちの仕事はひと段落ついたから迎えに来た」
先生の予言通り、過酷な登山になってしまった。そしてその台風の目は真耶ちゃんだった。それを察したか教頭先生たちが乗っていた車に案内される私たち。まぁ渡辺先生のことだからかなり強引に奪ってきたのだろうけど。私たちはそのまま宿泊所に運ばれると、数名の生徒が待ち構えていて、ホースで放水しながらブラシで服や靴の泥をちゃちゃっと落としたかと思うと、女生徒数名が真耶ちゃんをかついで建物の中に消えていった。
「みんな雨とか汗とか泥とかで汚れてるでしょ~? 帰ってきたらまずレインスーツと長靴と自分の泥を落としてからお風呂に入るのがルールなんだけど~、こうやってダウンする子毎年いるから~。だからお世話隊がスタンバイしてるの~」
つまりこれは真耶ちゃんに限ったことではないというわけ。最後の方に帰って来た子ほど疲れ果てているし、そのくせお腹もすいている。かといって汗や土まみれの身体で食事や休憩をさせるわけにいかないし、強制的かつ迅速に入浴を終わらせるための精鋭が選ばれているのだ。だいたいは体力に自信のある子で、体育委員や保健委員などが多い。
真耶ちゃんはあのままお風呂までかつがれると、身ぐるみはがされ、よってたかって全身を綺麗に洗われたそうだ。これは特別扱いでも何でもない。ビリのパーティーは必ずこうして入浴を徹底サポートされ、迅速に食事か休憩に突入させられるのが伝統だ。無論ほかの四人もそうされた。つまり真耶ちゃんもみんなと同じ扱いを受けたということ。これは喜んでいいだろう。
しかし彼女たちが、あれほどあがめ奉っていた、しかも身体だけは男子である真耶ちゃんを素っ裸にすることになんの躊躇も無いということには引っ掛かりが残った。
登山終了後の流れとしてはお風呂から上がった生徒から順番に時間差で夕食をとるのが原則。私は真耶ちゃんと一緒のお風呂に入るのにはさすがに抵抗があったので、すべての生徒がお風呂を済ませた後で入浴。ところが上がってから小休止するだけのつもりで談話室のソファに座ったところ、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。慌てて食堂に行くともう人影はまばらになっているが、渡辺先生が私の姿を認めると声をかけてくれた。
「おお金子。もう疲れはとれたか? 頑張ってくれたんだもんな、今日は助かったよ」
有難い言葉とともに、机の上には有難いものが並んでいた。おむすびと幾つかのおかずが大皿に。その皿を挟んで机の向こう側には男女入り混じった生徒が数名。みんなすごい食欲で、みるみるうちにお皿の白い部分が増えていく。
「あなたたちも、寝落ちしちゃったの?」
という問いに苦笑しつつうなずくみんな。
「毎年ゴールと同時に力尽きる者はいるからな。風呂には無理矢理にでも入らせるのは嬬恋を見てくれれば分かったと思うけど、そのあとは自由。金子や彼らのように、夕食より先に一休みしないと身体が持たないって生徒もいるわけだよ。それで起きてきたら食事が無しってんじゃ可哀想だろ? だからこうやって毎年夜食を用意しているんだよ」
「でも~、今年は減りが早いわね~。まぁ育ち盛りでいっぱい食べるのはいいことよね~、うふふ」
渡辺先生の解説に、いつの間にかやってきた高原先生が笑顔半分心配半分といった具合の顔で言葉を継いだ。そうだなぁ、あっという間だなぁ、と他人事のように私も思っていたが、決して他人事ではなかったことにすぐ気づいた。
「ていうか金子も早く食べないと無くなるぞ」
その通り。私も慌てて座るとおむすびにかぶりついた。
でも本当にあっという間だった。大量の食料はいっぺんにみんなの胃袋の中に。もちろん私のお腹にもだ。
「毎年十分作ってるはずなんだけどね~。本来提供されるはずの人数分食材全部使ってるから~。普段は残るのもったいないから大食いの子にヘルプお願いしてやっと無くなるくらいなのに~」
それだけ雨中の登山は過酷だった証かもしれない。高原先生はもしこれからお腹をすかせた子が来たらどうしようと心配している。
「でも、あの子たちが部屋に戻ってしばらく経つけど誰も来ないし、だいぶ夜も更けてきたし、もう大丈夫じゃないですか?」
私はそう言ったのだが、それは楽天的に過ぎたようだ。扉の向こうを見やりながら渡辺先生がつぶやいた。
「…私もそう思っていたが…大丈夫じゃなかった…」
その子は食堂の扉をそっと開けると、眠気で半分閉じた青い瞳をこちらに向け、それでもしっかりと、
「お、おはようございます…」
と挨拶したが、その直後に、
「おなかすいた…」
夜におはようというのも変だが、実際寝起きであることに変わりはない。それより問題は、その子に食べさせてあげるゴハンが無いことだ。
「すまん嬬恋。忘れていたわけではないのだが、起こすのも可哀想だと思ってな。それに他にもお腹すかせた者が一杯いて、一人のために残しておくというのも…」
それは本当だろう。実際あれだけグッスリ眠られると起こすのはあまりに心苦しい。かといって起きてくるのか分からない真耶ちゃんのために食事を残しておくのも「特別扱い」みたいで気が引ける。
すでに大皿は空っぽ。これは私も同罪だが今から反省しても遅い。それでも真耶ちゃんは、
「あ、いいですよ。ずっと眠ってたあたしが悪いんですから」
と、笑顔を作って両手と首を横に振りながらそう言った。それは私達をフォローしてあげようという感じではなく、心底そう思っているようだった。
真耶ちゃんがそう思う理由はすぐ分かった。特別扱いされなかったことが嬉しかったのだ。でも渡辺先生はそうは思わなかったし、真耶ちゃんが受け入れやすい「特別扱い」を提案した。
「嬬恋。腹をグーグー鳴らしたまま君を寝させては、こちらの寝覚めが悪い。我々を助けると思ってちょっと付き合ってくれまいか」
「というわけで、どんどん食ってくれ。あ、もちろん全員遠慮するなよ、そしたら嬬恋も一緒に遠慮しちゃうからな」
なるほど、真耶ちゃんの性格ならありそうだ。さすが渡辺先生、分かっていらっしゃる。
今日の昼間、教頭先生たちが使っていた車を無断で借りてきた渡辺先生は、戸惑う私達を座席に押し込んだ。先生の運転でしばらくすると、とある飲食店の駐車場に到着。夜の田園風景を貫くバイパス沿いに、黄色い看板が煌々ときらめいている。
「埼玉に来たからにはここのうどんを食べないとな」
とっておきの店だと渡辺先生は言う、のだが。
「でも先生さぁ、ご馳走してもらうのにこんなこと言っちゃ悪いけど、ここおっちゃん向けのチェーン店じゃん? 美味しいの?」
苗ちゃんが私と同じ事を思っていたようだ。そもそも晩御飯にありつけなかった真耶ちゃんだけ連れてきても良かったのだが、パジャマで出かけるわけにも行かず、服を取りに行った時に気づかれた。真耶ちゃんとしても生徒が一人で行くのは気が引けたのだろう、友だちみんな連れてきて一緒に行きたいと頼みに来たのだ。もっとも苗ちゃん以外はお腹いっぱいだからと断ったので、苗ちゃんだけがついてきたらしい。
「まあまあ、そう捨てたもんでもないぞ。食べてのお楽しみだ」
その先生の言葉に嘘はなかった。高級和食店の味では決して無い。でも飾りっけが無い分飽きない美味しさだ。気がつくと食卓にはいろんなおかずが一杯。うどん店を名乗ってはいるが、充実したサイドメニューの中にはコロッケやとんかつ、鯖の味噌煮といったおかず系から、冷や奴やもつ煮、果ては餃子まである。うどん屋なのに。ご飯物も充実している。先生はうどんとチャーハンのセットを頼んでいるし、苗ちゃんはあじフライのセット。ごはんとフライと付け合せのキャベツだけでも定食として成立するのに、さらにうどんかそばが付くという出血大サービスに苗ちゃんが大喜び。「前言撤回、この店最高!」
だそうだ。それにしてもこの子は細い身体でよく食べる。夕食もちゃんと平らげているのに。
「あとこれも美味いんだぜ? 埼玉の西の方ではこういううどんの食べ方が多いんだ」
セットを食べきる自信の無い私は、先生に薦められたメニューを選択。つけ麺みたいなスタイルで盛られたうどんを汁につけて食べるのだが、濃い目のスープに肉の出汁がきいていて実に食が進む。最初戸惑うばかりだった真耶ちゃんは、やはりつけ汁の、野菜がたっぷり入ったちょっとピリ辛のうどんを選んだ。スイーツが大好きで味覚も女の子な真耶ちゃんだが、辛いものは結構好きだ。美味しそうにうどんをすすっている。
それにしてもこの感覚、なんかいい。
「楽しいだろ? 集団行事抜け出してコッソリいいことしてる感じが」
渡辺先生の言葉にうなずいた。そう、そういうこと。もっとも、
「あ、むしろ隠れて悪いことやってる感じが楽しいんだな。私も学生時代…」
いや、それを教師が言ってはいけないような…というか先生の思い出話、あまりにひどすぎて言えないものばかりだと思う…。
帰りの車中。真耶ちゃんは再び寝てしまった。お腹いっぱいになったこともあるだろうが、よっぽど疲れていたのだろう。
「こういう特別待遇ならアリじゃん? 真耶は嫌がるだろうけど」
苗ちゃんが、真耶ちゃんの頭を撫でながら言う。
「すまんな苗。疲れていただろうに」
「いいよ。ウチも楽しかったし。それに先生の言うとおり、こういうのすごく楽しいじゃん?」
なんで苗ちゃんに先生が謝るのかは、そのときは分からなかった。
「真耶、色々とごめんな」
「いいよ、だって史菜さんもう先生だもん。あたしが独り占めしちゃダメだよ」
すっかり先生モードを解除した渡辺先生は、いったん目覚めた真耶ちゃんに昔の呼び方で話す。真耶ちゃんも敬語をやめている。たまにはこういうのもいいだろうと思ったが、長くは続かなかった。再び真耶ちゃんが寝てしまったのだ。しばらく沈黙が続いたが、むしろ真耶ちゃんが寝込んだのを待ったような形で先生が言った。
「それに、苗もありがとうな? 二度も晩飯食うのはさすがの苗でも辛かろう?」
真耶ちゃんの親友である苗ちゃんも、先生は子供時代から知っているのだろう、下の名前で呼びかけた。ごめんと言った理由もわかった。寝込みに起こされては大変だったろう。でも当人はそれを気にしていないようだ。
「うん? 真耶が元気になってくれるなら全然オッケー。来てみれば楽しいし。それは先生が言ってたのと同じだよ、みんなが寝ている間にこっそり外出なんてドキドキするじゃん? それに」
苗ちゃんは、真耶ちゃんの身体をそっと抱き寄せて言った。
「真耶ひとりだけってんじゃ、この子また嫌がるっしょ? だからウチが一緒に来れば一人だけ違うことしてるふうにはならないし」
おそらく他の生徒が同じ目にあったとしても、先生は車を出していたことだろう。神使うんぬんということとは無関係なはずだ。だがいまの真耶ちゃんにとって「人と違う」ことはどんな形であってもショックに感じるかもしれない。理屈ではもう納得しているはずだがなにぶん子ども。まだまだ心のゆらぎはあるはずだし、それくらいナイーブになっていると思う。
「でも大丈夫。真耶はこれできっと今までどおりの真耶になると思うよ」
真耶ちゃんと付き合いの長い親友の一言だと思うと、信用できた。
ところで、なんでこうやって真耶ちゃんと苗ちゃんを連れ出すことができたかというと、今日は教頭先生や主任先生が見回りに来ない日だからこそだ。もちろん生徒たちは今夜に賭けていただろう。宿泊学習のお約束、夜のお話タイムとかゲームタイムとか枕投げとか。でも私達が帰宅してみると、みんな力尽きて熟睡してしまっていた。そりゃそうだ、山登りでみんな疲れ果てているのだ。これは教頭一派に一本とられたといったところだろう。
前日とは打って変わって綺麗に晴れ渡った林間学校最終日。今日が山登りでも良かったんでは? という私の素朴な疑問は、暑くて大変という複数生徒の反論で即却下された。刺すような直射日光よりは、ムレムレの雨のほうがまだいいってことか。もっとも今日の予定は午前は川遊び、昼食のあとは高崎の街で自由行動、まぁ大体みんなのすることはショッピングだそうだ。そして帰宅という流れなので、どのみち好天で良かったという話ではある。
私は事前の約束通り、途中離脱で成増の実家に帰る。街でショッピングする子達が楽しそうではあるがそっちは実家とは逆方向。まぁ真耶ちゃんの問題も解決したので憂いなく出発できる。でも真耶ちゃんをめぐるエピソードには続きがあった。これは後から苗ちゃんに聞いたことだ。
林間学校が終わって数日後。真耶ちゃんのもとにメールが届いた。
「泳ごうよ。うち集合。あ、時間もったいないから下に水着を着てきてね」
差出人は優香ちゃん。メールを読んだ真耶ちゃんは早速準備した。当然苗ちゃんも一緒だろう。花耶ちゃんは友達の家に行くといって朝から出かけているので誘えないけど、久しぶりに三人で遊ぶので楽しみだ。行き先は書いていなかったが、山里である木花村にもプールはある。小中学校が授業に使う村営プール? それとも保養所が一般開放しているプール? 楽しみに思いながら真耶ちゃんは自転車を走らせた。
優香ちゃんの家に到着すると、何やらものものしい。集まっているのは苗ちゃんと優香ちゃんだけじゃない。篠岡さん姉妹や、生徒会長の屋代杏さんと副会長のミッキーこと岡部くん。生徒会と家庭科部の合同で遊びに行くのかな? いやそれにしては、こないだ同じ班で林間学校に行った小瀬さんと星野さんもいる。さらに遊びに行くといって早々と出かけていった花耶ちゃん。しかも、真耶ちゃんのあこがれの先輩で家庭科部長、タッくんこと池田くんまで。
「お、おはよ。…んーと、こんなにいっぱいでプール行くの?」
ものものしい雰囲気に押されながらも、おそるおそる質問する真耶ちゃん。
「ん? プールとは言ってないけど?」
と優香ちゃん。確かにメールには泳ぐとは書いてあったけど、プールでとは書いていない。
「村でやってるのよりは全然小さいけど、あたし達家族だけでは足りないから、手伝ってもらおうと思ったの」
優香ちゃんが指さした先には。
「これって…」
木花村特産の花芋。これを栽培するための泥田は人間がその中に入ってかき混ぜる必要がある。そのために作られた行事が泥んこ運動会で、そこで真耶ちゃんが「おミソ」扱いされたことこそ今回の騒動のきっかけだった。そして。
「今年は作る予定なかったんだけど、せっかく田んぼもあることだし? やっぱり人が中に入らないと耕せないの。とりあえずトラクターは入れたんだけどねー?」
田んぼにはすでに水が引かれ、トラクターのためすでにかなりドロドロになっている。それを見やるとすぐに優香ちゃんは苗ちゃんに目線を向け、それに呼応して苗ちゃんが言った。
「んー。でも運動会と同じ事繰り返しても意味ないじゃん? なんか別のアトラクション要素欲しいよねえ。例えば…」
苗ちゃんが、今度は先輩方にお伺いを立てるような顔つきで話しかけ、それに呼応した篠岡美穂子さんと佳代子さんが、
「…そうだなぁ」
「例えば」
「罰ゲームとか」
「罰ゲームとか」
二人の言葉が重なったのを見計らったように、杏先輩が、
「そうねぇー。でも罰ゲームさせるようなことした子なんて、いるかなあ?」
と言いながら視線を動かす。その先には小瀬さんと星野さんがいて、
「…それはやっぱり…」
もうお分かりだと思うが、あたかも台本があったかのように話がスムーズに流れている。そしてこの小芝居は、唯一の観客である真耶ちゃんを除く全員が、
「…だよねぇ」
「…自分から負けちゃダメだよねぇ」
「…おかげでウチらの組負けちゃったもんねぇ」
「…しかもそのあとずっとしょげてて私達に気を使わせまくりだったもんねぇ」
「…林間学校でもワガママ言って下山したがらないとかしたもんねぇ」
と、口々に真耶ちゃんの罪状を述べていき、そして真耶ちゃんに全員が厳しい視線を投げかけることでクライマックスを迎えた。間もなく、
「かかれーっ!」
という苗ちゃんの叫び声とともに幕が切れ、劇場は戦場と化した。
「ちょ、ちょっと…」
真耶ちゃんはそう言い終わるか終わらないかのうちに羽交い締めにされ、服を脱がされる。水着だけの姿にされると両手両足をつかまれそのまま運ばれる。真耶ちゃんは抵抗するもまるで効かない。そして自分が運ばれていく方向を見てようやく自分が何をされるのか悟った。
「い、いや、あ、あたし心の準備が…あ、あの…」
「知るか! さんざん泣いてわめいてウチら心配させた罪、思い知れ!」
苗ちゃんの言葉に皆うなずくと、すぐさま全員の掛け声が揃った。
「そーれっ!」
ざっぱーん!
泥田の中に、金髪と白い肌を光らせていた真耶ちゃんの体が沈む。代わりに浮かんできたのは、全身泥まみれで真っ黒になった真耶ちゃん。ちょっとの間固まっていた真耶ちゃんだが、突然、
「みんなひどいよーーーーーーっ!」
めったに大声を上げない真耶ちゃんは張り上げるような声で叫ぶと、走り出そうとしたが足がとられてまた転倒し、泥にダイブする。それを何度か繰り返した後ようやく岸辺にたどり着くと、
「あー、本当に泳いでるみたいだな」
とタッくんが声をかける。すると横から屋代さんが、
「うわーひどいこと言うなぁ池田くん。真耶ちゃん、やっちゃいなよ?」
と言いながら、今度はタッくんをの腕をむんずとつかみ、真耶ちゃんに握らせる。真耶ちゃんは一瞬ためらったが、
「う、うん…タッくんてば、そんなこと…言うなんてひどいー!」
と叫びながら田んぼに引きずり込んだ、というか九割方は岡部くんが押したのだが。哀れタッくんも真っ黒け。でもそれも台本のうちだったのだろう、他のみんなも次々と田んぼに飛び込み、
「それ部長を助けろ!」
「いやここでは真耶ちゃんに味方しようよ!」
「お姉ちゃん覚悟!」
といった歓声が飛び交った。みんな泥んこになったけど、やはり一番のターゲットは真耶ちゃんだ。何度も何度も泥の中に転ばされ、投げ込まれる。別にみんな真耶ちゃんを憎んでいるわけではないし、そんなはず絶対ない。でもそれとこれとは別とばかりに誰もが攻撃の手を緩めず、そしてそれにくじけずみんなめがけて飛び掛る真耶ちゃん。さっき皆が口々に並べ立てた真耶ちゃんの「罪」。誰も本当にそんなことで真耶ちゃんを憎んだりするはずがない。でもあえてそれを言うことでケジメになったし、この件にケリをつけてスッキリさせるには適当だったろう。
真耶ちゃんの表情は、泥で真っ黒になってはいたけどとびっきりの笑顔だった。
宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第六話
物語の時期は梅雨の終わり頃を想定していたのでその頃に合わせて上梓出来ればと思っていたのですが、ひと月ほどズレこんでしまいました…。その間にすっかり梅雨は明け、猛暑の晴天が続く時期をも過ぎて不安定な天気の時期にさしかかってしまいました。まごまごしているうちに近畿地方の方で中学生が大雨の中登山をした結果遭難するなんて事件もありましたが、木花中の彼らが遭遇したのは梅雨のシトシト雨なので危険はなかったハズです。ちなみになぜ林間学校と臨海学校両方やる設定なのかといえば、単にどっちにするか迷ったためです。
ところで第五話が当初計画と真逆のアンハッピーエンドになったことはそのあとがきで書きましたが、その結果、今回の話にも影響が出ています。本当は教頭一派と渡辺先生たちの対決をもっとクローズアップして描きたかったのですが、そちらがおろそかになったきらいもあります。まぁこちらは今後も物語の重要な要素のうちの一つになると思うので、そのためにとっておきます。
さて、林間学校が終わると、当然のことながら真耶たちも夏休みに入ります。一方であづみが実家に戻ってしまったので次のお話は二学期始まってからになりそう。と言っても北海道並に冷涼な気候の木花村では冬休みが長い分夏休みは短いのです。おそらく八月下旬くらいの出来事を描く予定でいますが、完成はもう少し遅くなるのでしょうね。怠惰ですみません…。