鬼多見奇譚 帰らずのコックリさん

鬼多見奇譚 帰らずのコックリさん

〔一〕八千代市立安宗中学校

 それは九月の特に代わり映えのしない放課後だった。
 (しん)(どう)(あか)()の通う()()(ちゆう)(がつ)(こう)の一年二組に、一組の()(がら)(りん)(なか)(ばやし)()(すみ)、そしてクラスメイトの(わたな)()()()の四人が集まっていた。
 他のクラスメイトは部活に行くなり帰宅するなりして、今はこの(めん)()しかいない。
 いつもと少し違うのは、凜がセーメイ様をやろうと言い出したことだ。
 オカルト嫌いの母の影響と、少し臆病なのも手伝って朱理はまったく乗り気ではなかった。
「ねぇ、やっぱりやめない? みんなでフルルに行こうよ」
 フルルというのは、この安宗中学校の一番近くにあるショッピングモールだ。
 朱理の住む千葉県八千代市にある(いな)(もと)(だん)()は、周りを田や梨畑、そして森に囲まれた(ふう)(こう)(めい)()、と言えば聞こえが良いが実際は結構な田舎だ。
 この安宗中も団地の近くにあり、そこに住むほとんどの中学生が通っている。
「あ~か~り~、今さら何言ってんの? もう準備終わるんだからさ」
「アカリン、ほーんとビビりだよね」
 凜に追い打ちをかけるように由衣がからかう。
「でも、香澄もちょっとコワイかなぁ」
 どうやら彼女だけは味方になってくれそうだ。
「だよね、やっぱりもっと楽しいことをやろうよ」
 香澄を味方につければ二対二、逆転のチャンスはある。
「ちょっとコワイとこが面白いんだよぉ」
 一瞬にして希望は絶たれた。三対一、完全に朱理の負けだ。
「はい、できあがりっと。そんなに恐がんなくたってダイジョーブだって。アタシ、何回もやってるけど、別にどーってコトないから」
「そうそう、コックリさんと違って安全なんだってさ」
「みんなでやれば恐くないよぉ」
 凜の言葉に由衣と香澄も同調する。
 この中でセーメイ様をしたことがないのは、朱理だけのようだ。
「ほら、さっさと席について。あんただって、(ふる)()がダレが好きか知りたいんでしょ?」
「別にわたし、降矢くんの事なんて……」
「ニヒヒ……『降矢クン』かぁ」
「朱理ちゃん、わかりやすいよねぇ」
「だから違うってばッ」
 基本的に朱理は男子を『くん』付けで呼んでいる。女子は親しい子は呼び捨てだが、他の子は『さん』付けしている。
 ただし、クラスメイトの(ふる)()(とう)()が気になるのは事実だ。
 朱理はそっと(かばん)の中に手を入れ、お守りを取り出した。これは叔父が中学校の入学祝いにくれたものだ。気休めにはなるだろう。
 見つかるとバカにされかねないので、スカートのポケットに隠した。
 渋々、凜の向かい側の席に腰を降ろす。朱理の右側に由衣、左側に香澄が座っている。
 紙の上に置かれた十円玉に四人の人差し指を乗せる。
「朱理、セーメイ様が終わるまで、指を離しちゃダメだからね」
「うん」
「それじゃ、始めるよ……」
「セーメイ様、セーメイ様、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら、『はい』へお進みください」
 凜たちが唱える呪文を朱理はモゴモゴと繰り返した。初めてやるのでよくやり方が解らない。
 紙の中心に()(ぼう)(せい)が描かれており、その左右に『はい』『いいえ』と書かれている。そして、五十音と0から9までの数字が、その周りを円形に囲んでいる。
 セーメイ様は基本的にコックリさんと同じだが、鳥居の代わりにこの五芒星、(せい)(めい)()(きよう)を描くところが違う。
「セーメイ様、セーメイ様、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら、『はい』へお進みください」
 五、六回ほど呪文を唱え続けると十円玉に変化が訪れた。
 何かに引っぱられるように動き出し《少なくとも朱理は力を入れたつもりはなかった》『はい』へ移動した。
「セーメイ様、五芒星までお戻りください」
 十円玉が中心に戻る。
「よし、ダレか質問して」
 凜がドヤ顔で三人を見回す。
「セーメイ様、今日の天気は晴れですか?」
 由衣の質問すると、十円玉は『いいえ』に ズズズッと移動する。今日はどんよりと曇っている。
「セーメイ様、五芒星までお戻りください」
「最初は簡単な質問をして、だんだん難しくしていくんだよぉ」
 香澄の説明を聞きながら、そういうモノなんだと朱理は何となく納得した。
「セーメイ様、今日の夕食はカレーですかぁ?」
 香澄の問いに十円玉はピクリともしない。
「晩ゴハン、ラザニアなのぉ。セーメイ様、五芒星までお戻りください」
 十円玉は再び紙の中心に戻った。
「朱理も何か質問しなよ」
「えっと……セーメイ様、明日のラッキーカラーは何色ですか?」
「まだ早い……」
 由衣が言い終わる前に十円玉は、今までよりも勢いよく動き出し、先ずは『あ』に移動し、一呼吸置いて今度は『か』に移動して止まった。
「アレ? もっと『はい』『いいえ』の質問をやってからじゃないと、五十音はうまく行かないハズなんだけど」
「そうなの?」
「ま、いいじゃない。朱理だけにラッキーカラーは『あか』なんだ」
「凜ちゃん、オヤジっぽい……」
 少し照れくさそうに凜は咳払いをした。
「セーメイ様、五芒星へお戻りください」
 十円玉は中心まで移動した。
「気を取り直して。セーメイ様、アタシは部活でレギュラーになれますか?」
 彼女はフットサル部に入っている。
 十円玉は再びズズズッと移動し、『はい』の上で止まった。
 凜の顔に微笑みが浮かぶ。
 十円玉に戻ってもらい、次の質問をする。
「セーメイ様、ポジションはどこですか?」
 十円玉は『あ』『ら』と答えた。
「リンリン、アラってナニ?」
「サッカーで言うとミッドフィルダーだね」
 由衣の問いに凜が笑顔で答える。
「やったね!」
「おめでとう!」
「まだ決まったわけじゃないから……」
 と言いつつ、この占いを本人も信じているのは間違いない。
 それから(おの)(おの)幾つか質問をしていった。
 十円玉はその度に移動したり、動かなかったりしながら答えていった。
 ちょっぴり不思議で、ちょっぴり恐く、朱理も楽しくなってきた。
「セーメイ様、(みや)(もと)()()にカノジョはいますか?」
 十円玉が『はい』へ移動する。
「えぇ~やっぱりぃ~」
「セーメイ様、五芒星へおもどりください」
 十円玉は静かに中心に戻った。
「しっかりして由衣ちゃん!」
「うぅ~、セーメイ様、その相手はダレですか?」
『か』『と』『う』『ひ』『な』と順に十円玉が移動する。
「セーメイ様、五芒星までお戻りください」
「う~ん、『加藤比奈』かなぁ? 二年生の」
 十円玉が五芒星まで戻るのを確認してから、香澄がみんなに尋ねた。
「ハァ、たぶんね、噂は聞いてたんだ。野球部のキャプテンとマネージャー、ベタな組み合わせだよね」
「まぁ、占いだし……」
 落ち込む由衣の姿がかわいそうで、朱理は慰めようとした。
「じゃ、今度はアカリンの番ね」
「え?」
「あたしだけフラれるのヤだもん、仲間になろうよ」
「そうだね、脱オジコンのためにもね」
「オジコンじゃないッ」
「まぁまぁ、そんなに照れないでやってみよぉ」
「照れてもいない!」
「わかったわかった、じゃアタシが代わりに聞いてあげる。セーメイ様、降矢当麻は誰かと付き合っていますか?」
 十円玉は『いいえ』に移動した。
「朱理ちゃん、よかったじゃな~い」
「この裏切りモノォ~」
「だからッ、わたしは……」
「しッ、途中なんだから黙って」
 渋々口を閉じた時、教室の引き戸が開く音がした。
「何をしているの?」
 四人の視線が一斉に声のする方に向けられた。
 そこには朱理の担任、(はぎ)(わら)(ひろ)()がいた。
「あ、ヒロミン」
「ユイユイ、『先生』でしょ。『師匠』でもいいけど」
「いや、イミわかんないし」
「セーメイ様をやってるんです」
「あぁ、今はやってるんだってね……」
 宏美は朱理たちの手元を覗き込んだ。
「それは……
 下校の時間はとっくに過ぎているんだから、そろそろ終わってね」
 一瞬厳しい表情をしたが、宏子はすぐにいつもの笑顔にもどって教室から出て行った。
「じゃ、降矢の好きな人を……」
「もうやめよう、今度は怒られるよ」
「一人だけ勝ち逃げなんてズルイぞ」
「わたし、何に勝ったの?」
「ま、これ以上ムリ強いするのも悪いか」
「指も疲れてきたしねぇ」
「ちぇ~」
 朱理はホッとした。
「セーメイ様、セーメイ様、どうぞお戻りください」
 十円玉がズズズッといどうし、『いいえ』で止まった。
「ちょっと由衣、ふざけないでよ」
「あたしじゃないって」
「香澄もやってないよぉ」
「わたしも……」
 朱理はスカートのポケットに空いている手を入れて、お守りに触れた。
「まぁ、よくあることだよ」
「そうだね、もう一度」
 再びセーメイ様に帰ってくれるよう頼んだが、十円玉は『いいえ』に移動する。
「もう、ホントいい加減にしてよ」
「だから、あたしじゃないってば!」
 朱理は無意識にお守りを握りしめた。
「もう一度。セーメイ様、セーメイ様、どうぞお戻りください」
 ズズズッと十円玉が移動する。しかし五芒星ではなく、まず『い』へ、次に『や』に止まった。
「な、何、これ……」
「もう一度!」
 完全に血の気が引いた顔の凜に、由衣が引きつった声で言う。
 香澄の瞳には涙が浮かび、朱理も逃げ出したかった。
「せ、セーメイ様、セーメイ様、お願いです、どうぞお戻りください!」
 (こん)(がん)するように凜が叫んだ。
 しかし、十円玉が選んだのは、又しても『い』と『や』の文字だった
「なんで……」
 由衣が呟くと、十円玉が滑るように動き出す。
『か』『ら』『た』『ほ』『し』『い』
「からたほしい? か、身欲しい……あ、あなた、ダレ? ホントにセーメイ様なのッ?」
 凜は震える声をしぼり出すように言った。
『さ』『と』『う』『か』『の』『こ』
 今までにない早さで十円玉は答えた。
 聞き覚えのない名前だ。
「さとうかのこ? 知ってる?」
 凜の問いに、由衣と香澄も首を振る。
「どうしよう……」
 朱理が呟いた途端、急に十円玉が発熱した。
「アツッ」
 思わず四人が指を話した瞬間、五十音を書いた紙が燃え上がり、一瞬にして灰になった。
 お守りを握っている左手はいつの間にかポケットから出ていた。
 朱理はその手を見つめた。

〔二〕稲本団地四街区B棟

 翌日、由衣が学校を欠席した。
 心配になった朱理たちは、部活を休んで様子を見に行くことにした。
 朱理と香澄は合唱部に入っており、凜はフットサル部員だ。
 特に凜は、レギュラーを目指しているので休みたくはなかったはずだが、それ以上に由衣の事が心配だったのだろう。
 それは朱理も同じだった。
 彼女たちは四人とも稲本団地に住んでいる。
 ここはいわゆるマンモス団地と呼ばれた場所で、広大な敷地に数十棟の集合住宅が建ち並ぶ。
 その中でも朱理たちは四街区と呼ばれる区域に住んでいる。
「由衣、どうしたのかな?」
 朱理はハンカチをだして首筋の汗を拭いた。
 今日は快晴で、真夏のように暑い。
「きっと風邪でも引いたんだよ、行ったらもう元気になってるかも」
 朱理の言葉に明るく答える凜だが、その言葉は自分自身に言い聞かせているようだ。
「そうだね……」
 由衣の部屋がある四街区のB棟の前まで来た。
 四街区の建物はいずれも五階建てで、一つのフロアに六世帯、合計三〇世帯が入居できるようになっている。
 由衣の住まいはここの一〇二号だ。
 ちなみに凜はE棟の三○五号、香澄がC棟の四〇二号、そして朱理はF棟の五〇四号に住んでいる。
 凜がインターフォンを押した。
〈はい、どちら様?〉
 スピーカーから由衣の母の声が聞こえた。
「すみません、相良です。由衣が今日休んだので朱理、香澄と一緒にお見舞いに来ました」
 少し間があってドアが開いた。その瞬間、朱理は何とも言いがたい嫌なモノを感じた。
「どうぞ」
 由衣の母が朱理たちを招き入れたが、少し困ったような顔をしていた。
 四街区の建物はすべで3DKで、叩きとキッチンは隣接している。
 キッチンからはどの部屋へも行けるようになっており、一人っ子の由衣は贅沢にもその一室を独占していた。
「昨日、帰って来てから由衣の様子がおかしいの。何か知らない?」
 朱理たちは顔を見合わせた。
 セーメイ様をやったこと自体は大したことはないだろう。
 しかし、最後の怪現象を話しても信じてもらえるだろうか。
「じつは昨日セーメイ様を……占いをやったんです。そこで由衣の好きな人にカノジョいるって出て……」
 凜が嘘ではないが事実とも違う、当たり障りのない内容を答えた。
「そう……」
「どんな様子なんですか?」
 たまりかねて朱理が聞いた。
「何かに脅えているようで……部屋に入れてくれないのよ」
「アタシたちが話します」
 凜が毅然と言った。
「……それじゃ、お願いするわ」
 朱理たちは力強くうなずくと、由衣の母は別の部屋に姿を消した。
「由衣、アタシ、凜。入っていい?」
「……帰って」
 中から返事があったが、いつもの快活な声ではない。
 凜が困惑した顔を朱理たちに向ける。
「由衣ちゃん、香澄だよ、どうしたのぉ?」
「わたし、朱理。何があったの?」
「いいからほっといてッ」
 けんもほろろに言い放つ。
「ほっとけるわけないでしょ! 由衣、あの後、何かあったんだね?」
「………………………」
 凜の問いに由衣が沈黙で応えた。
「お願い、中に入れて。それがダメなら、せめて何があったか教えて」
 稲本団地は高度成長期に建設されており、全て和室となっている。そのため部屋は襖だ。
 強引に入ることは出来るが、そんな乱暴な真似はしたくない。
「………………………」
「由衣!」
「……入って……」
 小さな声で由衣が応えた。
 凜がゆっくりと部屋の襖を開けた。
 その刹那、朱理の背筋に寒気が走る。
 原因は部屋から流れ出たエアコンで冷えた空気ではない。
 部屋はカーテンが閉められて薄暗かった。
 それでも由衣がやつれているのはハッキリ判る。
「暗いね、カーテンを開けようか」
「やめて!」
 朱理が窓に近づくと、由衣が鋭く止めた。
「ゴメン……やめて……(のぞ)かれるから……」
「ダレかいるの?」
 凜がカーテンを見つめながら尋ねた。
 由衣はうなずいてから、思い直したように首を左右に振った。
「たぶん、いない……視線を感じて、外を見るとダレもいないんだ。でも、間違いなく見てるんだよ、あたしを」
 由衣は畳に置かれたベット上で自分の膝を抱きしめた。
「昨日、学校から帰ってズッとなんだ。カーテンを閉めても、布団を被っても見られてる気がして……」
 この様子からすると昨夜は眠れなかったのだろう。
「どういうこと?」
 凜は聞いたが、朱理には何となく答えがわかっていた。いや、凜だって気が付いているはずだ。
「ついて来たんだ、あいつ……」
 朱理は思わずカーテンを見つめた。
 だが嫌な気配は窓の外ではない、この部屋の中から感じる。
 改めて部屋の中を見回すが、当然だが自分たち以外に誰もいない。
「だから布団を被っても、中まで見られてるんだ……」
「アタシは何も感じない、気にしすぎだよ」
「そうだよぉ、香澄もダレかの視線なんて感じない」
 由衣を安心させようと凜と香澄が優しく言った。
「見てるって! 本当に何も感じない、リンリン、カスミンッ? アカリンはどうなの?」
 由衣が睨むような視線を朱理に向ける。
「わたしは……」
 凜と香澄の訴えかけるような視線を感じる。
「わたしも、何も感じない。由衣、きっと疲れてるんだよ」
 友達がこんなに苦しんでいるのに、元気づける言葉一つかけられないない。自分にいら立ちを感じてしまう。
「じゃあ、昨日のアレは何なの? フツー火もないのに紙が燃えたりする?」
「それは……」
「たしかに、昨日おかしなコトが起こったのは事実だよ。
 でもね、由衣が無事なのも事実でしょ。由衣は視線を感じるって言うけど、それ以外に何かおかしな事が起こった?」
「まだ、起こってない」
「でしょ。だから……」
「これからも起こらないって言えるッ? あたし、怖くてさ……ウチから出られないんだ……出たら、アイツに捕まる気がして……」
 違う、もうこの部屋に来ている。
 そんな気がしてならないが、朱理はその考えを必死に振り払おうとした。
 由衣をこれ以上怖がらしてはならない。
「……うん、アタシが保証する。もし、独りがイヤならウチに泊まりに来る? そうだ、みんなでパジャマパーティーしようよ、久しぶりに」
「あ、いいねぇ。香澄もやりたい!」
「そうだよ、四人一緒なら恐くないでしょ?」
 この部屋から由衣を連れ出すことが必要に思えたので、朱理も積極的に賛成した。
 由衣は朱理たちの顔をしげしげと見つめた。
「アリガト……でも、ダイジョーブ」
「ウチの事なら気にしなくていいよ、親はうまく丸め込むから」
 クスッと由衣が笑った。
 いつもに比べると全く元気がないが、今日初めて見た由衣の笑顔だ。
「そうじゃないんだ……みんなの顔見たら、少し落ち着いた」
「でもせっかくだから、パジャマパーティーしない?」
 由衣をここに置いておきたくない一心で、朱理は強引に誘った。
「お、いつになく積極的じゃん」
「だって、ずっとやってなかったでしょ」
「そうだねぇ、お菓子いっぱい用意して夜ふかししたい。明日、学校あるけど、たまにはいいよねぇ!」
 朱理と凜が声を立てて笑い、由衣もさっきよりは元気に微笑んだ。
 よし、これなら由衣をここから連れ出せる。
「みんなホントにアリガト。でも、今日はもう寝るわ。昨日ほとんど眠れなかったから」
「そう……」
 こう言われると、どう仕様もない。
「わかった、それじゃ明日迎えに来るね」
「香澄も由衣ちゃんを迎えに来るよ、朱理ちゃんも、ね?」
「うん」
 本当なら力尽くでも由衣を連れ出したかった。
 結局、後ろ髪を引かれる思いをしながら由衣の自宅を後にした。

〔三〕稲本団地四街区F棟

 自宅に戻ると母と妹は居なかった。
 母は夕食の買い物で、妹は友達の所にでも遊びに行っているのだろう。
 (あか)()は両親と妹の四人家族だが、下の階で叔父が一人暮らしをしている。
 いや、一人暮らしというのは正確ではない、叔父は柴犬を一匹飼っているからだ。
 稲本団地では、許可さえ下りればペットを飼うことが可能だ。
 そしてこの犬の面倒は、三分の一くらいは朱理が見ている。
 残りの三分の二が叔父と妹と母だ。
 荷物を置いて手早く着替えると、朱理は下の階に向かった。
 叔父の部屋は四〇四号、普段なら全く気にしない数字の並びが今日は不吉な気がする。
 そんな気持ちは一旦脇に置いて、合い鍵で中に入った。
 ドアがちゃんと閉まっているのを確認して、襖の一つを開けると中から冷気と共に柴犬が飛び出して来た。
「キュ~イ!」
 この部屋は、この子のために夏場は一日中エアコンをつけっぱなしにしている。
 冷たい空気が流れてきたが、由衣の部屋のような嫌な寒気は感じなかった。
「待ってた? ボンちゃん」
 ボンちゃんこと(ぼん)(てん)(まる)は小型のクロシバで、一年ほど前に保護犬だったのを譲り受けた。
 その頃は子犬だったので、まだ二歳にはなっていないが、それでも既に成犬のはずだ。
「ヘッヘッヘッヘッヘッ……」
 しかし、未だに落ち着きがなく、朱理にじゃれついてくる。
 あごの下をなでると嬉しそうにその(というか手首)をペロペロ舐める。
「遅くなってゴメンね。散歩の前にゴハンがいいかな?」
 ドッグフードを器に盛って、水をかけて少し待つ。
 その様子を梵天丸がジッと見つめている。
 それがいじらしく、再び(あご)の下と頭をなでた。
「もう少し待っててね……」
 インターフォンが鳴り、梵天丸が激しく吠え始めた。
「ウゥ~、ワンッワンッワンッ!」
 朱理が受話器を取ると宅配便だった。
 抗議の声を上げる梵天丸を部屋に閉じ込め、業者から荷物を受け取った。
 厚手の紙袋に何か箱のような物が入っている。
 何だか凄く嫌な感じがした、由衣の部屋で感じたモノに似ている。
 送り主の名前を見ると『()(どう)(せつ)()』と書かれていた。
 聞き覚えのない名前だ。
 梵天丸をこれ以上待たせたらかわいそうなので、ドッグフードを先に与える。
 荷物に唸っていたがご飯の方が梵天丸には重要らしく、すぐに大人しくなってガツガツ食べ始めた。
 その間に改めて送り主の欄を見ると、住所に『プロダクションブレーブ』とある。
 朱理は中学に上がってやっと買ってもらったスマホを取り出し、『プロダクションブレーブ』で検索した。
 すると結果の上の方に芸能事務所が出てきた。
 追加で『御堂刹那』と入力すると、二十歳ぐらいの女性の画像がヒットした。
 アイドルとしては華やかさに欠けるが、それでも充分に可愛いし、長い黒髪が印象的だ。
 荷物の嫌な感じも忘れ、朱理の思考はあらぬ方へ向かった。
 ひょっとして、これが叔父のカノジョなのだろうか。
 朱理の叔父、(きた)()()(ゆう)()は冴えないフリーターだ。
 二十六歳になってもシナリオライターになる夢を捨てきれず、コールセンターでバイトをしながら生計を立てている。
 そんな叔父がアイドル《聞いた事のない名前だが》と交際していたとは……
「何見てるんだ?」
 いきなり声をかけられ、驚いて顔を上げると叔父が立っていた。
「あ、おじさん、お帰りなさい」
「ただいま」
「今日、早番だっけ?」
「あぁ、今週はね。それはともかく、人が帰ってきた事に気付かないほど、何を真剣に見てたんだ?」
 朱理は慌ててスマホを隠した。
「べ、別に……あ、荷物届いたよ」
 御堂刹那から届いた袋を見て、またあの嫌な感じを思い出した。
「朱理、それに触ったのか?」
 悠輝が厳しい表情で聞いた。
「触らなきゃ、受け取れないでしょ」
「そうだよな……ごめん……」
 そう言うと悠輝は溜息を吐き、朱理から遠ざけるように荷物を別の部屋へ持って行った。
「ね、『御堂刹那』ってダレ?」
「え? う~ん、仕事の取引相手、かな?」
 歯切れの悪い答えだ。
「その……おじさんのカノジョ、じゃないの?」
「何言ってんだ? オマエ」
「コールセンターで、アイドルと仕事なんてしないでしょ?」
 悠輝はなぜか顔をしかめた。
「どうしてアイドルだって知ってるんだ。それに、そっちの仕事じゃない……」
「え? じゃ、シナリオライターで?」
「ん……まぁ、ね……」
 悠輝は視線を落とし、ドックフード食べ終えて脚にじゃれついている梵天丸をなで始めた。
 基本的に叔父は嘘が下手だ。
 嘘なのは御堂刹那と付き合っていないってことか、シナリオライターでの取引相手ということか、あるいは両方か……
 叔父の恋愛事情より、もっと深刻な問題が眼の前にあるので、朱理はそれ以上追求はしなかった。
 それに気付かない悠輝は、朱理にこれ以上質問させないため、梵天丸に胴輪を着けて散歩に行こうとした。

〔四〕稲本団地中央通り

 上に戻っていいと言われたが、朱理は自分もついて行くと言い張った。
 渋々了承した悠輝が手を繋ごうとしたので、素早く引っ込める。
 寂しそうに見つめる叔父に、かすかに罪悪感を覚えつつ無視した。
 叔父と手を繋いでいるところを誰かに見られたら、もう外を歩けなくなる。ただでさえオジコン呼ばわりされているのだ。
 だいたい家族と手を繋いでいいのは小学校の低学年までだ。
 外に出るとすでに陽は沈み、夜の帳に包まれようとしていた。
 空を見上げると微かに西の空が紅く染まり、闇に最後の抵抗をしている。
「何かあった?」
「別に……」
「お前、嘘が下手だな」
「おっちゃんにだけは言われたくない!」
 血は争えない、朱理も嘘を()けないのだ。
「で、どうしたんだ?」
 もともと悠輝に相談するつもりで散歩について来たのだ、隠していても仕方ない。
 彼は三年前に四〇四号に引っ越してきたが、以前はそこに父方の祖母が住んでいた。
 五歳年下の妹、()(おり)が生まれてしばらくは、祖母が朱理の面倒を見てくれた。
 そのせいか孫の中でも一番朱理を可愛がってくれたように思う。
 祖母が四年前に亡くなり、部屋も解約するはずだった。
 ところが朱理が珍しくごねて嫌がった。祖母が亡くなっても、部屋に行けば祖母の存在を感じられたからだ。
 寂しい時、悲しい時、そして辛い時、祖母の部屋にいると祖母が寄り添っていてくれるような気がした。
 父も生家を手放し難かったのか、手続きが延び延びなっていた。
 そんなある日、悠輝が訪れた。
 彼は当時スマホゲームのシナリオを書いており、フリーターをやめてシナリオライターだけでの生活を考えていた。
 そのために事務所兼住居に出来る、安い物件を探しており、母の(はる)()がこの団地を紹介した。
 ここならば3DKで家賃は管理費込みで四万五千円程度とかなり魅力的だ。
 ただし、最寄り駅が六キロ離れており、コンビニは半径二キロ以内に一件しかない。肉屋、パン屋、薬局、そしてスーパーも同じく一軒ずつだ。
 ハッキリ言って陸の孤島だ。家賃が安いのにはそれなりの理由がある。クルマが無いと生活が成り立たない。にもかかわらず悠輝は、未だに自転車だけでがんばっている。
 因みに悠輝が執筆したゲームシナリオだが、ゲームが完成する前に社長が逃げてしまい、原稿料は一円も支払われなかった。そして現在もフリーターを続けている。
 こんな叔父だが、いつの間にか祖母の代わりになってくれていた。
 悠輝のことは物心付く前から知ってはいるが、それでも祖母の家に彼がいるのには違和感があった。
 それでも一ヶ月も経たない内に叔父が下の階にいるのが当たり前になり、気が付くと祖母がいた時と同じように、叔父の部屋に遊びに行くようになっていた。
 不思議なことに祖母の存在を感じなくなったが、代わりに叔父がいるし、今では梵天丸もいて昔よりも賑やかだ。
 そして相談事は、両親よりも年の離れた兄妹のような悠輝の方がしやすい。
「おじさん、セーメイ様って知ってる?」
「いいや、何だいそれ?」
 朱理はセーメイ様がコックリさんに似た占いであることを説明した。
「あぁ、そっちは知ってる。他にもキューピット様や、エンジェルさん、海外ではウィジャボードを使って似たような降霊術占いをするな。で、それがどうした?」
「うん……昨日、凜たちとやったの……」
「へぇ、朱理、よくやるの?」
 叔父の声が少し強ばったような気がした。
「ううん、初めてやった。お母さん、おまじないや占いをやろうとすると凄く怒るし、おじさんだって完全否定するじゃない」
「それは違う、単に占いには根拠が感じられないって言ってるだけだよ。
 解りやすいのが血液占い。人間の性格がA、B、O、ABのたった四つに分類されるわけないだろ? 人間ってのは複雑だから、誰でも繊細な面とズボラな面を合わせ持っている。だからどの血液型の性格でも当てはまる。
 星座占いもそう、生まれた月が同じだからって、一緒の運勢なわけがない。一日に何人の人間が生まれていると思う?
 そしてタロット、一見複雑なカードの配置を読むから信憑性がありそうに思えるけど、逆に複雑だからこそ、いくらでも曖昧な答えを出せる。
 占いってのは当たるモノじゃなく、当てるモノなんだ。当てるために必要なのは霊感や超能力じゃない、曖昧なことを尤もらしく言う文章力、それに占う相手の情報があれば正解率はかなり上げられる」
 叔父はオカルト否定の話しをすると(じよう)(ぜつ)になる。
 もう何度同じ話を聞かされたことか。
「で、コックリさんで十円玉はちゃんと動いた?」
 朱理はうなずいて、昨日のセーメイ様で起こったことをポツリポツリと話し始めた。
 セーメイ様が帰らず『さとうかのこ』と名乗ったこと、最後に十円玉が発熱し、紙が燃え上がったことも話した。
 悠輝はいつも通り、朱理の話しを最後までちゃんと聞いてくれた。
 梵天丸は気になるのか、時々振り返ってはつぶらな瞳で朱理を見上げた。
「う~ん……」
 悠輝なら話を信じて、何か対策を考えてくれる。朱理は叔父がくれたお守りのことを思い出した。
「わからんなぁ、どうやったら紙が燃え上がるんだ?」
「それは『さとうかのこ』が(のろ)いか何かで燃やしたんでしょ?」
「だから、基本的にコックリさんの(たぐ)いは科学的に証明できるんだよ」
「そうかな……」
「コックリさん……セーメイ様だっけか? 来ているか確認するために、初めは答えが判っている質問をしたろう?」
 そう言えば、天気や夕食の献立など知っていることをあえて質問していた。
「潜在意識が十円玉を動かすんだ。テレビ番組で実験したら、占っている本人たちが知っている事は高い確率で正解したけど、知らない事は不正解が圧倒的に多かった」
「でも、『さとうかのこ』はダレも知らなかったよ」
「いや、それも説明できる。まず苗字の『さとう』。これはメジャーな苗字だし、その前に『かとう』が出ている。むしろ選ばれて当然だな。問題は名前の『かのこ』、こっちは滅多に聞かない名前だ」
「うん、みんな『かのこ』って名前だけでも知らないって」
「それまでに結構質問していたから時間が経っていて、この時が一番速く十円玉が動いた」
「そうだけど?」
「だとすると、たまたま勢いで選ばれた文字って可能性が高い」
「説得力がない」
「そうでもないさ。『さとう』の『う』と『かのこ』の『か』は比較的近い位置にあるから、それこそ偶然だったろう。そして『か』から連想する名前と言えば、『かすみ』『かなえ』『かおり』『かれん』『かずこ』、そして『かのん』、こんなところだ」
「そう、かな……」
「このなかで『かすみ』は、香澄ちゃんと被るから無意識に避ける。
 位置からすれば『かおり』が近いにもかかわらず『お』は選ばれなかった。理由は無意識下で誰も連想しなかったか、いたとしても別の名前を思い浮かべた人の力が強かったんだ。
 ここで選ばれた名前は『かのん』だろう、だから次に『の』に十円が移動した。
 最後の『こ』だけど、本来なら『ん』に行くはずだ。
 でも、『かずこ』を連想していた人がいて、ここで『ん』に行こうとする人たちの力を上回ってしまい、聞いたことの無い『かのこ』という名前が出来上がった」
「う~ん、やっぱり説得力がないと思う。百歩ゆずっておじさんの説を受け入れても、十円玉の発熱と紙が燃えた説明にはならないよ」
「だから、それが判らないって言ってるんじゃないか」
「じゃ、結局『さとうかのこ』の祟りってことなんじゃないの?」
「そう断定するには根拠が足りない。あくまで自動筆記で『さとうかのこ』と書いた直後に発熱発火現象が起こっただけだ。これが連動している事を示す証拠は無い。
 むしろ自動筆記がさっき言ったように超常現象じゃないなら、発熱発火現象も科学的に解明出来るはずだ」
「それにしても、ずいぶん詳しいよね」
 これだけ喋れるならむしろオカルトが好きなのかもしれない。
「そうりゃあ世界的に有名な占い方法だからな、著作権フリーだし」
「チョサクケン?」
「この手のオカルト話や神話、伝承は、シナリオのネタになるんだよ。勝手に使っても著作権料はいらないし、世界中にあらゆるバリエーションが転がっていてよりどりみどりだ。これを利用しない手はないだろ?」
 即物とはこの人のためにある言葉だ。
「ところで朱理、叔父ちゃんがあげたお守り、その時も持ってた?」
「うん……」
 さすがに握りしめていたとは恥ずかしくて言えない。
「超常現象を信じていないのに、何でそんなこと聞くの?」
「気休めかな。あれ、結構いい値段したから、持ってたから大丈夫、ってことでよくない?」
「よくない! おじさん、飽きたんでしょッ。それに由衣はあの後何かに見られているって……」
「他の面子は何も感じていないんだろ?」
「そうだけど……。でも、わたしも由衣の部屋で、何か変な気配って言うか、悪意って言うか……。とにかく、何かを感じた!」
「それ、こっくりさんを引きずってただけじゃないのか?
 朱理たちの年頃は、特に情緒不安定になりやすいからね。コックリさんが帰らず、紙が燃え上がったりすれば、そりゃ祟りだって信じ込みたくなるさ」
「何度も言ってるけど、コックリさんじゃなくて、セーメイ様だよ」
「いや、同じと考えたほうがいい、鳥居か五芒星かの違いしかないからね。
 どっちにしろ朱理たちが呼び出したのは、『さとうかのこ』だったんだろ?
 その時点でセーメイ様ともこっくりさんとも違うじゃないか」
「ん~」
「それにコックリは、『狐』『狗』『狸』と書くらしい。安部晴明には狐の血を引いているって言う伝説もある。コックリさんの『狐』と繋がると思わないか?」
「そうかも知れないけど……」
「まぁ、コックリさんでもセーメイ様でも、そんな事はどうでもいい。心配なのは由衣ちゃんだ」
「うん……」
 そうだ由衣はどうしているんだろう?
 もう寝たのだろうか、何も起こっていなければいいのだが。
「じゃ、これから由衣ちゃん家に行ってみようか」
「えッ?」
「不審者がいるなら、見つけられるかもしれない」
「あ、相手は幽霊かもしれないんだよ」
「それも含めて確かめるんじゃないか。運が良けりゃ心霊動画をスマホで撮って、みんなに自慢できるぞ」
 そう言うと悠輝は(きびす)を返した。
 話しているうちに、完全に夜になっている。
 街灯と窓からの漏れる光で真っ暗ではないが、それでも周囲にほとんど灯りのない稲本団地は闇が濃い。
 正直、今は由衣のいる四街区B棟へ行くのが怖かった。
 それでも由衣が心配なので、梵天丸のリードを引いて悠輝を追いかけた。
 薄暗い夜道を叔父と並んで歩いて行く。次第に由衣の住まいに近づくにつれ、恐怖が増してきた。
 闇が恐怖心を増幅させているのだ。それと同時に、闇は朱理の姿も隠してくれる。
 朱理は恥を忍んで、悠輝の腕に自分の腕を絡ませた。
 叔父はちょっと驚いたようだったが、何も言わなかった。
「ウゥ~」
 由衣の住んでいるB棟の前まで来ると、突然梵天丸が正面の闇に向かって唸り始めた。
 見慣れた人影が近づいてくる。
「あ、先生」
「アカリン、ワンちゃんのお散歩?」
 暗闇から現れたのは宏美だった。
「ワン、ワンワンッ」
「コラッ、ボンちゃん吠えない!
 すみません。こっちは叔父です」
 腕を組んでたのを思い出して慌てて、悠輝から離れる。
「鬼多見悠輝です。姪がいつもお世話になっています」
「担任の萩原宏美です。お話しは朱理さんから聞いています。思っていたより随分お若いですね、お母様もそうですけど」
「いや~、ありがとうございます」
 梵天丸は相変わらず、宏美に向かって吠え続けている。
「ワンッワンッワンッワンッ」
「もう、先生に失礼だよ」
「ウゥ~」
「美人の香りになれてないんですよ」
「お上手ですね、鬼多見さん」
 何となく朱理はムカついた。
「おじさん、先生に迷惑かけるから行こう」
「あぁ、そうだな」
「先生もユイユイの様子を見に行くから」
「あ、それでここに?」
「うん。それじゃ、また明日」
「さようなら」
 宏美の後ろ姿が建物に消えると、梵天丸は吠えるのをやめた。
「どうしたんだろ、ボンちゃん?」
「香水の匂いが気に入らなかったんだろ」
「美人の香りじゃないの?」
 珍しく嫌みな口調になる。
「香水のことを美人の香りって言うんじゃないか?
 それより、特に不審者は見当たらないし、何も化けて出てこないな」
 悠輝は辺りの闇を見回した。
 念のためB棟の周りを確認したが、やはり不審な点はない。
「もう暗いし、家に帰ろうか」
 不安が晴れないまま、朱理は帰宅することにした。

〔五〕稲本団地四街区F棟

「始まったか……」
 部屋に戻ると(ゆう)()は溜息を吐いた。
 (あか)()を安心させるため徹底的に否定したが、全てが本心ではない。
 占いは文章力と情報収集で当てる物であることは間違いない。だが今回のコックリさんは、間違いなく厄介なモノを呼び寄せている。
 原因は朱理だ。
 こうなる事は予想の範囲内だけど……
「にしても発火か」
 何を呼び寄せたのか、早急に決着を付けなければ。
 それでなくても今後のことを思うと気が重い。姉に出来るだけ早く朱理のことを話し、この先どうするか決める必要がある。
「素直に事態を認めちゃくれないよなぁ」
 朱理と()(おり)が自分と同じ能力、(げん)(りき)と呼んでいる異能力を秘めていることは、初めて会った時から感じていた。
 その場で姉の(はる)()に話さなかったのは、言ってもケンカになるだけだからだ。
 遙香は娘たちの異能を決して認めず、それを指摘した弟を近づけないようにしただろう。
 そうなると今回のような事態が起きた時に対処できない。
 今回の事態とは、二人の姪が験力を制御出来ないままに発動させ、厄介な状況を引き起こすことだ。
「参ったな……」
 水を飲む(ぼん)(てん)(がん)の頭をなでながら、思わず溜息が出た。
 少なくても数日はコールセンターを休まなければならないが、それは大した問題ではない。
 本当に困るのは執筆活動をやる時間が無くなることだ。
 シナリオ作家協会主催の『新人シナリオコンクール』が今月末〆切なのだ。
 今執筆しているのは、ゲームデザイナーを目指す青年と声優を目指す少女のラブストーリーだ。
 ギリギリ月末までに書き上げられそうだったが、これでもう絶望的だ。
 仕方がない、他のコンクールを探すか来年に取っておこう。この作品が落選したわけではないのだ。
 悠輝はスマートフォンを取り出した。
 明日からしばらく休む事を、バイト先に連絡しなければならない。
〈もしもし、どうしたのキタちゃん。アタシの声が聞きたくなった?〉
 コールセンター『(あい)(せん)()』のマネージャー、()(えき)(まさ)(ひろ)がいつものオネエ口調で電話に出た。
「そんなわけないでしょ、明日、っていうか、数日休むことになるんで連絡したんですよ」
〈え~アタシと言うモノがありながら、他の女に会いに行くのッ?〉
「何言ってんですか、そもそも佐伯さんは女じゃないでしょ。まぁ、たしかに女絡みですけど、姪っ子ですよ」
〈ってことは、とうとうその時が来ちゃったのね〉
 佐伯は微力ながら霊感があり、悠輝の験力についても知っている。
 派遣会社から『愛占師』に回された彼の能力に気付き、直雇用のバイトにスカウトしたのも佐伯だ。
 悠輝は占い師など絶対にやりたくなかった。と言うか、どんな霊感商法にも関わらないと決めていた。
 そもそも験力があっても他人の未来が判るわけではない。 
たまに未来のヴィジョンが視えることもあるが、それは不確定で変わる可能性だってある。確実な未来を知ることなど不可能だ。
 占いのコールセンターは、ほぼ一〇〇パーセントがインチキで、あこぎな商売をしている。
 その中で、この『愛占師』は恐らく唯一明朗会計で、それほど暴利をむさぼっていない。
 それでも占いというだけで断るつもりだった。
 しかし、佐伯が「電話をかけてくる人はね、ホントは答えを知ってるのよ。ダレかに背中を押して欲しいだけ。アタシたちの仕事はね、その一押しをすることなの」と言って説得してくれた。
 時給千六百円も捨てがたい魅力だった。当時お金が必要だったのだ。
 その後、当初の派遣期限が切れても直雇用のバイトとして契約して、トータルで三年近く働いている。
 朱理に占いは文章力と情報収集と言ったのは、彼自身がそれで占いを当てて成績を上げているからだ。験力など一ミリも使っていない。
 佐伯は数少ない悠輝の理解者で、姪たちのことも話していた。
「ええ。この先のことを考えると、かなり気が重いですよ」
〈姪御さんだけじゃないでしょ、カノジョからもプレゼントが届いたんじゃない?〉
 嫌な事をもう一つ思い出した、()(どう)(せつ)()から(じゆ)(ぶつ)が届いていたのだ。
「何で知ってるんです? 今回は直接おれに依頼が来たんですよ」
〈そんなの決まってるじゃないッ、アタシの霊感よ! って言いたいところだけど、ヨッちゃんから連絡があったの。アナタによろしくって〉
 ヨッちゃんというのは御堂刹那の叔母、(なか)(がわ)(よし)()のことで、プロダクションブレーブの社長でもある。
「社長が佐伯さんに言づけを頼むってことは、向こうもかなり厄介な状況なんでしょうね」
〈でしょうねェ。で、何が届いたの?〉
「御堂が見つけた(はこ)です、本気でヤバイ物ですよ」
〈フ~ン、セッちゃん、ムリしなきゃいいけど〉
「御堂の霊視だけで解決できるか、かなり疑問です」
〈キタちゃんもタイヘンなのは解るケド、いざという時はセッちゃんを助けてあげてね。こっちは必要なだけ休んで大丈夫だから。それにヨッちゃんに、キタちゃんの請求にはケチらず言い値で払ってやれって言っといたから、休んだ分、払って貰いなさい〉
「ありがとうございます、今度、メシでもおごりますよ」
〈ムリしなくていいわよ、何日休むのか知らないケド、生活苦しくなってるんでしょ?〉
 この人にはかなわない。
「すみません」
〈じゃ、しっかりね〉
 電話を切って、御堂刹那から届いた荷物を手に取る。
 厚手の紙袋に入っているのに、今までに感じたことのない呪力(じゆりよく)を感じる。
「グルルル、ワンッワンッワンッ」
 梵天丸も何かを感じるのか、悠輝の足下で吠え始めた。
「わかってる、ここじゃ開けないよ」
 悠輝は荷物をそのままにして、台所へ向かった。
 取りあえず、腹ごしらえをしよう。先人の言葉にある通り、『腹が減っては戦は出来ぬ』だ。
 冷蔵庫から冷凍食品を取りだし、レンジで解凍する。
「三万じゃ安かったかな……」
 御堂から仕事の依頼するメールが届いたのは昨日の朝だ。
 そこには彼女が廃墟ホテルで見つけた匣の鑑定依頼と、それの対処方法を知りたいとの内容が書かれていた。
 匣が埋められていた状況やメールに添付されている画像から、悠輝はそれが『()(どく)』の一種ではないかと当たりをつけた。
 しかし、実際に中身を視てみなければ正確なことは言えないし、対処法も判らない。
 そこで御堂に匣を送ってくるようメールした。
 もちろん無料ではないが、出てきた物で請求額を変えるのもややこしくなるし、そもそも相場が判らない。
 鬼多見悠輝はプロの拝み屋ではないのだ。
 珍しい能力を持ち、それに対処できる環境で育ったため、使い方は学んでいる。
 と言っても途中で投げ出しているので、専門家には程遠い。
 引越をしたり、取引先の社長に逃げられたりして、バイト代だけでは足りず、お金に困っていた時、佐伯に拝み屋の()()(ごと)をして欲しいと頼まれた。
 背に腹は替えられず、他に収入に繋がる特技や資格を持たない悠輝には、選択の余地は無かった。
 その依頼を受けたのがきっかけで、その後も幾つか佐伯を通して依頼を受けた。
 御堂刹那はその中でもめずらしいリピーターで、今では直接悠輝に依頼してくる。
 拝み屋の真似事は今では無くてはならない大事な収入源で、言わばバイトの副業だ。
 毒を食らわば皿までとはよく言ったもので、占い師だけでも嫌だったのに、結局自分が一番嫌っていた仕事をして生計を立てている。
 フリーターをしながら執筆活動を続けるのは決して楽ではないのだ。
「ふぅ、ごちそうさま」
 味気ない夕食を終え、悠輝は御堂から届いた袋を開けた。
 途端に梵天丸がけたたましく吠え始める。
 中から出てきたのは、縦一五センチ、幅一〇センチ、厚み五センチ程度の黒ずんだ木製の匣だ。
 匣と言っても(ふた)があるわけではない。
 そして禍々しい妖気を放っている。
 悠輝は舌打ちをした。
 これだけの念を込められる呪術者は滅多にいない。
 御堂は明らかに手に余る事件を解決しようとしている。
 匣自体は木製なのでこじ開けるのは簡単だろう。
 ただし物がモノだけにそれなりに準備がいる。
 この匣を作ったのは誰なのか、何の目的で作ったのか、そしてこの匣がもたらした(わざわい)とは何なのか、それは御堂刹那の物語である。
 そして匣の妖気が鬼多見悠輝の感覚を惑わせている隙に、別の禍が忍び寄っていた。

〔六〕稲本団地四街区B棟

 翌日、朱理は由衣を迎えにB棟へ向かった。
 そして、建物の前に止まっている一台のクルマに釘付けになった。
 パトカーだ。嫌な胸騒ぎを覚える。
「朱理」
 振り返ると凜と香澄が立っていた。
 二人とも朱理と同じ気持ちなのだろう、青ざめた顔をしている。
 特に香澄の顔色が悪い。
 言葉も交わさず三人は一〇二号へ向かった。
 悪い予感は的中した。扉を開けたままの玄関に、若い警察官が立っている。
「あの、何かあったんですか?」
 凜が尋ねた。
「君たちは?」
「由衣の、この家の子の友達です。彼女は無事ですかッ?」
 すがるように朱理の腕を香澄がつかんだ。
 朱理も香澄の手を握り返す。
「凜ちゃん?」
 奥から由衣の母がやつれた顔で出てきた。
 後ろから、ガッチリとした中年の警察官が付いてくる。
「おばさん、由衣は?」
「昨日の夜中に居なくなって……」
 恐れていたことが現実になった。
「誘拐、ですか?」
「今は何とも言えないね」
 由衣の母が答える前に、彼女の後ろに立っていた警察官が答えた。
「君たち、彼女の行きそうな場所に心当たりはない?」
 警察官は朱理たちに質問を始めた。
 自分たちの名前や住所から、由衣との関係、最近の彼女の様子まで事細かに聞かれた。
 由衣の事が気になり早く家を出たにもかかわらず、授業開始に間に合わない時間になった。
 警察官が学校に遅れる旨を連絡してくれたが、もう授業どころではない。
 一刻も早く由衣を探しに行きたい。
 質問が終わり、やっと解放してもらえると思ったら、若い警官が学校まで送ると言い出した。
 自分たちだけで大丈夫、それより由衣を探して欲しいと凜が訴えたが聞き入れてはくれなかった。
 向こうも朱理たち登校しないことを予想しているのだ。
 警察官に監視されながら三人は、遅刻して学校へ送られた。
 その間、香澄はずっと朱理の腕にすがり付いていた。

〔七〕稲本団地四街区F棟

 朱理たちが学校に強制連行されている頃、悠輝は自宅に戻ってきた。
「クソッ」
 思わず悪態が口を吐く。
「クゥ~ン」
 駆け寄ってきた梵天丸が不安そうに見上げる。
「ごめんな、お前にまで心配かけて。おれは大丈夫だよ」
 しゃがみ込んで愛犬の(あご)をなでる。
 大丈夫じゃないのは渡部由衣だ。
 ()(かつ)だった。
 朱理の事ばかり気にして、他の少女たちを軽視していた。
 由衣が何かに脅えていると聞いた時も、気のせいだろうと高をくくっていた。
 狙われるのはあくまで朱理だと決めつけていたのだ。
 念のためB棟に行った時も、特に何も感じず油断しきっていた。強引にでも由衣の部屋に入っていれば、こんな事にはならなかったかも知れない。
 彼女の部屋に入った時、目に視えない何かが部屋に居る気がしたと朱理も言っていたではないか。
 姪は(かく)(せい)しつつある、何故ちゃんと耳を傾けなかったのだろう。
 匣もそうだ、後回しにして朱理が呼び寄せたモノを突き止めるべきだった。
「御堂の奴、よりによってこんな時に……」
 いや、彼女に罪はない。
 彼女の霊視能力を持ってしても悠輝の状況は判らないだろうし、そもそも匣を送れと言ったのは自分だ。
 優先順位を間違えたのは己の責任だ。
 悠輝が由衣の失踪に気が付いたのは、朱理が由衣の家に行く五時間ほど前だ。
 御堂が送ってきた匣を開けるのに結構手間取ってしまった。
 何の対策も無しにこじ開けていたら、それこそ呪殺されかねないレベルの念が込められていた。
 これだけの呪力を使える呪術師を悠輝は知らない。
 厳密言えば何人か心当たりはあるが、彼らはこのような質の悪い(まじな)いは使わない。

 匣を開けるために悠輝は夕食の後、『別宅』と内心呼んでいるトランクルームへ向かった。
 ここは稲本団地から二キロほど離れた所に在り、到着した時は深夜と言って申し分のない時刻になっていた。
 トランクルームは稲本団地に引っ越してから借りている。
 本来なら六畳一間のアパートから、六畳と四畳半二間の3DKへ引っ越したのだから、持っていた物を全て移動しても充分余裕があるはずだった。
 ところが祖母の部屋を、朱理がそのままにして置いて欲しいと言っていると知り、叔父バカとしては希望通りにしてやりたくなった。
 実際、名義は義兄の英明が引き継ぎ、彼の口座に悠輝は家賃を振り込んでいる。部屋も全く以前のままとはいかないが、自分と梵天丸が寝起きする四畳半以外は、ほぼ当時のままだ。
 問題は悠輝がただの叔父バカではないという点だ、験力という余計なモノを持っている。
 そのために入居当初は色々大変だった、朱理の祖母がまだ居たからだ。
 さすがに姉の(しゆうとめ)を力尽くで(はら)う事も出来ない。
 御堂刹那は霊視した相手と会話をして成仏させるそうだが、悠輝は霊に対してそんなコミュニケーション能力を発揮できない。
 相手の思いを感じ取ることなら可能だが、こちらの意思を明確に伝える事は難しい。
 もちろん朱理の祖母は悪霊などではない。ただ家族と一緒に居たかったのだろう。
 実際、こういったケースはよくあり、ほとんどが時間が解決してくれる。
 悠輝は仕方なく、周りに聞こえないよう細心の注意を払い観音経を唱えるだけにして、様子を見ることにした。
 一周忌を迎えても居るようなら姉に相談し、然るべき対処をするつもりだったが、悠輝が入居して一ヶ月足らずで、彼女の姿は消えていた。
 話しを戻すと、このような事情から荷物を預けるトランクルームを借りたのだ。
 稲本団地の駐車場代は月一万円、悠輝の借りたトランクルームの値段は六千五百円。それを考えれば高くないのかも知れない。
 何より、佐伯から副業を回してもらうようになってから、団地から程よく離れたこの場所に助けられることになった。
 築半世紀になる稲本団地の部屋で経や祝詞を唱えると、ご近所に聞かれてしまう可能性が高い。
 二十代男性一人暮らしの部屋からそんな物が聞こえてきたら、カルト宗教にハマっていると思われること間違いない。だからこそ、朱理の祖母に苦労したのだ。
 次に、この副業を姉に知られたら姉弟の縁を切られてしまう。そうなったら可愛い姪っ子たちに会うことが出来なくなる。
 部屋の合い鍵を遙香は持っているので、いつでも入ってこられるのだ。感の良い姉のことだ、どこに法具を隠しておいてもすぐに見つけ出すだろう。
 まるでエロ本を隠す中学生のようで情けないが、稲本団地から適度に離れ、かつなるべく人目を引かない場所がベストだ。
 ここは国道に面しており、二〇〇メートルほど離れた所にラーメン屋もある。さらに朱理の通う安宗中学校も近くにあるのだが、逆に言えばそれ以外は畑と森しかない。
 深夜になると国道を通り過ぎるクルマ以外は、人気(ひとけ)の無い寂しい場所になる。
 このトランクルームは二四時間営業を歌っているが、実際はコンテナを置いてあるだけで管理人もいない。
 悠輝はトランクルームの前に愛用のMTB《マウンテンバイク》を止め、鍵を開けると中に入った。
 懐中電灯で中を照らす。
 彼が使っているトランクルームは、大型のコンテナを横に五つに区切った物の一角で、高さ二メートル、奥行きは三メートル近くあるが、幅は一メートルに満たない。
 部屋に入りきらなかった道具が入っているが、もともと六畳一間にあった物なので、拝み屋に使う法具を加えても大した量ではない。そのため、入り口から半分くらいは何も置いていない。
 中を見られたくないのでドアを閉めたいが、換気が悪いので隙間を空けておく。
 窓は無く、蛍光灯やコンセントも無いので、懐中電灯で作業しなければならない。
 悠輝は魔除けの真言を一面に書き記した紙を敷き、その上に匣を置いた。さらに塩で周りを囲む。
 塩の枠の外で(ろう)(そく)に火を灯し、香を炊く。そしてその前に(こん)(ごう)(しよ)を置いた。この金剛杵は両端が太い針のようになっていて、(どつ)()(しよ)とも呼ばれる物だ。
 必要な物はそろった。後は心の準備だ。
 金剛杵の前に正座し目を閉じて背筋を伸ばし、心を静め両手の指を絡め印を結び、()(しん)(ほう)を始める。
 護身法とは(じよう)(さん)(ごう)(いん)(みよう)(ふつ)()(さん)()()(れん)()()(さん)()()(こん)(ごう)()(さん)()()()(こう)()(しん)の五種類の印と真言を組み合わせたものだ。
 これを終えると今度は九字を切る。
(リン)(ピヨウ)(トウ)(シヤ)(カイ)(ジン)(レツ)(ザイ)(ゼン)ッ」
 己の中に在る力の源に意識を向ける。それは小川のせせらぎのように穏やかだが、奥に行けば行くほど力強く激しいうねりになっていく。
 この力は自身の内に在るのではない、内から外に繋がっているのだ。
 万物に通じる力、これが(げん)(りき)だ。
 悠輝は意識を金剛杵に向けた。
 ゆっくりと宙に浮き上がり、匣の上に移動する。
 そして片方の先端を下にし、急降下する。
 ガッツッ、という木と金属がぶつかるには不自然な音を立て、匣に傷が付く。
 それと同時に、匣から霊的な衝撃波が放たれる。
「クッ!」
 背筋が(こお)りそうな悪寒と、物理的ではない痛みが全身を駆け巡る。
「オン・クロダナウ・ウン・ジャク!」
 ()()()()(みよう)(おう)の印を結び真言を唱える。この明王は(けが)れと悪を焼き滅ぼし、清浄に変えると言われている。
 悠輝は再び験力を振るい、金剛杵を匣に突き立てた。
 再び衝撃に襲われたが、匣は大分砕かれた。
「オン・クロダナウ・ウン・ジャク!」
 三撃目で匣は完全に砕け、中身が明らかになった。
 蝋燭の灯りではよく判らないので、悠輝は懐中電灯を点け光を向けた。
「これは……髪」
 長い髪が一房、光に照らし出されている。よく見ると、全体に何か付着している。
「血か」
 対象法は判った。後はこれを出来る限り無害にして、御堂刹那に送るだけだ。
 悠輝は真言を書いた封筒に髪を入れ、匣の残骸は近くの新川の土手で焼いて処分した。
 この時点ですでに日付は変わり、草木も眠る(うし)()つ刻となっていた。
 愛用のMTBで帰宅する道すがら、念のため由衣の自宅の前を通った。
 窓とカーテンが開けっ放しになっている。
 悠輝は心臓を鷲づかみにされたような気がした。
 MTBから飛び降りて、部屋の前へ急ぐ。
 ここが一階なのが幸いした。念のため周りに人がいないことを確かめて、懐中電灯で部屋の中を照らす。

 いない!

 トイレに行っているのかもしれない。楽観的な考えが頭をよぎるが、それが事実でないことは自分が一番よく知っている。
 慌てて愛車にまたがり、走りながら辺りの気配を探った。
 人の気配も人ではないモノの気配もない、感じるのは団地に住み着いている猫の気配ぐらいだ。
 そもそも悠輝が気配を感じ取れるのは、自分を中心とした半径一〇メートル前後。ここでも修行不足が悔やまれた。
 夜中なので大声で由衣の名前を呼ぶことも出来ない。それに呼んだところで返事が返ってくることはあり得ない。
 由衣は覗かれないようカーテンを閉め切っていたらしい。にもかかわらず出窓は開け放たれていた。
 鍵をかけ忘れていたとは考えられない、誰かが無理やり侵入したわけでもない、鍵は中から開けたのだ。
 誰が開けたのか? もちろん由衣自身だ。
 闇雲に探しても(らち)があかない、悠輝は()()(ちゆう)へ向かった。
 しかし、ここでテクノロジーの壁が彼を阻んだ。
 学校はセキュリティで護られている、勝手に中に入れない。強行に押し入って警備システムが作動したら、警備員が吹っ飛んで来る。
 験力が使えてもどうにもならない、この能力(ちから)は万能ではないのだ。
 それに下手に自分が捕まったりすれば、朱理にまで迷惑がかかってしまう。
 やむを得ず敷地内に忍び込むまでに留め、表から校舎や体育館などの施設に誰かが入った痕跡がないかを確認した。
 職員のセキュリティ意識は高いようで、どこにも鍵のかけ忘れは無かった。
 という事は、空を飛んで屋上から入るとか、壁をすり抜けない限り中に入ることは出来ない。
 由衣はれっきとした肉体を持っている。よほど非常識なモノが憑いてない限り、その心配は無い。
 それ以外の方法を使えばセキュリティが作動するはずだ。
 ここに由衣はいない。
 悠輝には彼女がどこに行ったのか、全く心当たりが無かった。
 仕方なくトランクルームに戻り、出来る限りの呪術を使い由衣の行方を探ったが、手がかりは一切つかめなかった。
 思いつく事をやり尽くし、悠輝は帰宅した。
 そして彼が自宅に着く頃、朱理たちは警官に伴われ、安宗中に登校させられていた。

 完全な思い上がりだった。
 自分は験力の修行が嫌で逃げ出した腰抜けなのだ。
 脳裏に憎悪する男の顔が浮かぶ。
「あいつなら、こんなミスはしないか……」
 悔しさがこみ上げたところで、腹が鳴った。
 朝食を採っていないことに思い出す。それはつまり梵天丸も朝ご飯抜きの状態ということだ。
 梵天丸には朝と夕にドッグフードを与えている。
 仕事があるので夕方は大抵朱理がエサをやるが、朝は必ず悠輝が与えていた。
 因みに昼も遙香が仏壇に上げたご飯を与えている。カロリー計算はしているので、エサの回数は多いが、梵天丸は太ってはいない。
 ドライフードに水をかけ、少し柔らかくする。そのまま与えると胃に張り付いてしまう事があるからだ。
「遅くなってゴメンな」
 悠輝はドックフードにそれなりの拘りがある、自然素材を(うた)うニュートロのワイルドレシピとうい銘柄を通販で購入していた。
 梵天丸には健康でいて欲しいので、自分の食事以上に気を遣っている。
 因みに悠輝の朝食はカロリーメイトのフルーツ味だ、昨日はチーズ味だった。
 一瞬の朝食を終えると睡魔が襲ってきた。
 無理もない、匣を開けるだけで験力を大量に使ったのに、由衣を探すために幾つもの呪術を試した。
 体力も気力も限界で頭が回らない。何とか由衣の居場所を突き止めたいが、方法がまるで思いつかない。
 由衣の棟の前にパトカーが止まっていた。警察も捜査を始めたのだろうが期待は出来ない。
「何とかしないと……」
 頭を必死に働かそうとする気持ちとは裏腹に、意識は闇の中に飲み込まれてしまった。

〔八〕八千代市立安宗中学校

 (あか)()たちは警官に伴われ学校に着いた。
 教頭とそれぞれの担任が出迎えて、丁重に警官に頭を下げた。
 朱理は、悪いことなんか何もしてないんだから頭を下げる必要など無い、と言ってやりたかった。断ったのに勝手に付いて来たのだ。
 むしろ捜査に協力して遅刻しているのだから、警官が先生たちに謝るべきだろう。いや、謝るのは朱理たちに対してだ。
 学校になど付いてこず、()()を探して欲しい。
 そう思ったところで、警察では由衣を見つけられないという考えが湧いてきた。
「先生、気分が悪い……」
 警官と別れ教室に向かっていると、()(すみ)が弱々しい声を上げた。
 彼女は由衣の家からずっと朱理の腕にすがっている。顔を覗き込むと真っ青だった。
「香澄、だいじょうぶ?」
「本当だ、保健室に行って熱だけでも計った方がいいね」
 香澄の担任の(しよう)()(たかし)が言った。
「アタシが連れて行きます」
 (りん)が申し出た、彼女と香澄は同じクラスだ。
「ん……それじゃ頼んだ」
「わたしも一緒に……」
「一人でいいって、朱理は教室に行って。香澄、行こう」
「うん……」
 香澄は朱理の腕を放し、凜に寄りかかるようにして保健室に向かった。
「アカリン、あなたも大丈夫?」
 宏美が心配そうにこっちを見ている。
「わたしは平気です……」
「そう? ムリしちゃダメだよ。庄司先生、それではお願いします」
「はい」
 今は二時限目で庄司が受け持つ理科だ。一時限目の休憩時間が終わったばかりだから、それほど授業に影響は無いだろう。
 朱理は庄司と一緒に自分のクラスにへ向かった

 二時限目の授業終了告げるチャイムが鳴り響た。
「起立ッ、礼」
 生徒全員が頭を下げ、やっと解放された。
 香澄の様子を見に行くため、朱理は教室を出た。
「朱理ッ」
 血相を変えた凜が廊下を駆けてくる。
「どうしたの?」
「香澄が保健室にいない!」
「えッ?」
 念のため朱理は凜と一緒に保健室に向かった。
 そして凜の言うとおり、どこにも香澄の姿は無かった。
「先生、一年一組の中林香澄は、いつ出て行きました?」
 朱理は保険医の吉田知子に尋ねた。
「え? 一度も見ていませんよ」
「どういうことですか?」
 思わず凜の顔に視線を移す。
「アタシが香澄を連れてきた時、先生はいなかったんだ」
 一時限目の休み時間、吉田は他の仕事で席を外していた。そして運悪く、その時は香澄以外誰も保健室を利用していなかった。
「とにかく、探してみよう。先生、庄司先生に……」
「伝えておくわ、相良さんと真藤さんは、授業が始まる前には教室に戻りなさい。渡部さんのこともあるから」
 凜にうながされ、朱理は保健室を出た。
「どこを探す?」
 廊下を走りながら凜に尋ねる。
「それは……」
 凜は言葉を詰まらせた。
 もう香澄は学校には居ないだろう。学校を抜け出すにしても、探す当てがない。
「コラ、廊下を走らない!」
 注意され思わず二人で立ち止まる。
 振り向くと宏美が立っていた。
「先生……」
「どうしたの、二人して血相変えて?」
 朱理は一瞬素直に話すか躊躇(ためら)ったが、どちらにしろ吉田も知ってる。今さら()()()しても意味がない。
「香澄が保健室から居なくなったんです」
「えッ、吉田先生は居なかったの?」
 朱理と凜は宏美にいきさつを簡単に説明した。
「あの、アタシたち……」
「探す当てはあるの?」
「それは……」
 問題はそこだ、どこを探せばいいか見当もつかない。
「自宅には連絡した?」
「いいえ、たぶん庄司先生からすると思います。でも……」
「帰宅したとは思えないってことね」
 朱理は凜と一緒にうなずいた。
「ねぇ、一つ聞かせて。
 セーメイ様で何かおかしな事が起こったんじゃない?」
 宏美が声のトーンを落として尋ねた。
「それは……」
 朱理は凜の顔に視線を向けたが、凜も困った顔をしている。
 宏美の様子を見たが、無表情で考えを読めない。
「あの……先生が来た後、セーメイ様に帰ってもらおうとしたんですけど……」
「朱理ッ?」
 凜が遮ろうとしたが、朱理はそれを手で制した。
「うまく行きませんでした。そして十円玉が凄く熱くなって、紙が燃え上がったんです」
「そして渡部由衣が姿を消した……」
 宏美の顔は蒼白になり、どこか遠くを見ているような眼をした。
「先生?」
 由衣が行方不明になったのがショックなのだろうが、それにしてもこの反応は何か変だ。
「昔……ずっと昔、コックリさんをやった女の子が行方不明になったの、この学校で」
「え? 先生、何を言っているんですか?」
 宏美がボソボソと呟くように話し始め、朱理は戸惑った。
「あの日の放課後、あの()たちは、あの教室で、いつものようにたわいない話しをしていたわ。
 誰が言い出したのか、コックリさんをやることになったの。
 あの娘は最後まで嫌がっていたけど、結局他の娘たちにりに押し切られて参加した。
 相変わらず楽しい時間が流れていった。
 それが変わったのはコックリさんが帰るのを拒んだ時。
 一番怖がっていたあの娘が、姿を消したのはその翌々日……」
 これって、わたしたちの事を言ってるの? でも、いなくなったのは嫌がってたわたしじゃない……
「先生、その行方不明になった子、名前は『さとうかのこ』じゃありませんか?」
 どこか遠くを見つめていた宏美は、初めて朱理に気が付いたような顔をした。
「知っているの?」
「セーメイ様が自分の名前をそう答えたんです」
 宏美は納得したようにうなずいた。
「やっぱり()()()が来たの……」
「先生、『さとうかのこ』を知ってるんですね」
「彼女は、佐藤加乃子は、ワタシの友達だった」
「どうなったんですか、加乃子は? 彼女が由衣と香澄を誘拐した犯人なんですか?」
「……………………」
 虚ろな視線で宏美は朱理を見つめた。明るい彼女のどこに、この闇は潜んでいたのだろう。
「先生ッ!」
「来て」
 そう言うと宏美は朱理たちの脇をすり抜けて下駄箱へ向かった。
 今の担任について行って良い物か迷い、朱理は凜に顔を向けた。
 彼女も朱理同様戸惑っているようだったが、結局宏美を追いかけた。

〔九〕稲本団地四街区F棟

 荒れた稲荷神社の前で朱理が泣いている。
 彼女の前には三人の少女と一人の女性が横たわっている。
 四人とも眼をカッと見開き、何かを叫んでいるかのように口を開けたまま息絶えている。
 助けられなかった。
 由衣だけではない。
 凜も香澄もそして宏子まで殺された。
 殺したのは朱理だ。
 取り憑かれ、その手で友人たちの生命(いのち)を奪った。

 おじさん、わたし、どうしたらいいの?

 朱理が尋ねる。

 お前は何も悪くない、全部おれのせいだ。

 そう言って、(どう)(こく)する姪を抱きしめた。
 失われた生命(いのち)を取り戻すことは誰にも出来ない。
 
 顔がくすぐったい。
 ()(ぶた)を上げると眼の前に梵天丸の顔があった。
「ヘッヘッヘッ!」
 ペロペロと悠輝の頬を舐めている。
 夢か……
 ホッと胸をなで下ろす。
 いや、今のはただの夢だろうか?
 悠輝は(まれ)に予知夢を見ることがある、これも験力のなせる業らしい。
 由衣が行方不明で手がかりさえつかめない今、その事に関する悪夢を見るのはむしろ当然だ。
 そうだ、おれの占いはよく外れる。
「やめろ、くすぐったいよ」
「ったく、寝るならちゃんと布団で寝なさいよ。ってかアンタ、今日、日勤じゃなかった?」
「姉貴?」
 顔を上げると、姉の(しん)(どう)(はる)()が立っていた。梵天丸に仏壇のご飯を持ってきたのだろう。
 ハッとして時計に視線を向けると、一〇時半を大分過ぎている。
「しまったッ、寝過ごした!」
「ナニ、寝坊ッ?」
「後で説明するッ」
 今、遙香に詳しく話している場合ではない、一刻も早く由衣を探し出さなければ。
 予知夢ではないとしても、彼女が危険な状況にあるのは間違いない。
「ちょっと待ちなさい、由衣ちゃんが行方不明なの」
 ギクリとして動きを止める。
「えッ?」
 予測しておくべきだった。団地内でしかも近所なのだ、当然すぐに姉の耳にも入る。
「アンタが仕事に行っていない事と関係あるのね」
 悠輝はうなずくしかなかった、今後のことを考えると嘘をついて信用を失いたくない。
「由衣ちゃんのお母さんが言ってたわ、何か占いをしてから様子がおかしくなったって。アンタ、何で黙ってたのッ?」
「ゴメン、コックリさんをした事は、昨日の夜に朱理から聞いた。本当は午前中に姉貴に話すつもりだったけど……」
「コックリさんッ?」
 そこまでは知らなかったのか遙香は眼を見開いた。
「でも、朱理は関係ないでしょ。あの子は普通の人間だもの」
 自分に言い聞かせるように言う。
 やっぱり思った通りだ、姉貴は自分の娘たちに異能の力が無いと信じたいのだ。
「姉貴、気付いているんだろ?」
「何を……」
 遙香は弟と視線を合わせようとしない。
 姉と自分は現実を直視しなければならない。それを怠ったせいで、罪のない少女が危険な目に遭っている。
「朱理が呼び寄せた」
「バカなこと言わないで!」
 声を荒げる。遙香は基本的に冷静なタイプだが、験力に関する話題、特に娘たちがそれに関わる内容になると感情的になる。
 悠輝にはその気持ちが充分理解できる、現に自分も問題を先送りにしてきた。
 姉と対立するのが嫌だったのもあるが、周りと違うことで姪たちが嫌な思いや辛い思いをしないで欲しいという願望があった。
 しかし、いくら願ったところで、祈ったところで、現実は変わらない。
「姉貴は験力を封印しているから感じないだろうけど、朱理にはおれと同じくらいの潜在能力がある」
「ウソッ、そんなはずない! あの子は今まで見えない物を視たり、触らずに物を動かしたり、それに予知をするとか、何か異常な事を一度だってしてないわッ。そもそも験力を封じてるあたしから生まれているのよ、遺伝するわけないじゃないッ」
「その通りだよ。だからおれも、このまま覚醒せずに済んで欲しいと思っていた。
 でも、姉貴も知っているだろ、ウチの家系は余所とは違って発現するのが遅い」
「それでもあたしは八歳、アンタは一〇歳で発現してる。朱理はもうすぐ一三歳になる、いくら何でももう発現なんてしない! アンタの勘違いよッ」
「……………………」
 遙香は次々に朱理に験力が無い理由を上げていく。父親似であること、恐がりであること、科学で説明できない事象が朱理の周りでは起きたことは無いこと。
 自分の言っていることが験力の有無に関係ないことは、遙香自身がよく知っているはずだ。
 感情的になっている人間に何を言っても無駄である。
 いかに正しかろうが、いくら理に適っていようが、絶対的に動かしがたい現実を突きつけようが、()()(とう)(ふう)になってしまう。
 これはコールセンターでクレーム対応をする際に学んだことだ。
 悠輝は沈黙したまま遙香を見つめ続けた。感情的になった者に必要なのは言葉ではなく沈黙だ。
 一度燃え尽きさせて、クールダウンするのを待つしかない。
「何か、言い返したら」
 怒鳴り続けたせいで息を切らしながら遙香が言った。
「姉貴、いずれその事につてはじっくり話そう。今は由衣ちゃんの方が先だろ?
 朱理にはおれが作ったお守りを持たせてあるから、余程のモノが出てこない限り心配ない」
 遙香は大きく深呼吸した。
「そうね……だけど警察が捜索しているわ。素人のアンタがしゃしゃり出ていっても邪魔になるだけじゃない?」
「ただの行方不明ならね」
「本当に間違いないの?」
 遙香は超常現象やそれに関係する物を嫌っており、普段はそれを信じていないような振る舞いをしている。
 嫌っているのは事実だが験力と呼ぶ超能力を使えたこともあり、本当はその存在を認めている、いや認めざる得ないのだ。
 必然的に同じ能力(ちから)を持っている弟の言うことも、直接娘たちが関わってなければ耳を傾ける。
「残念だけど」
 遙香は溜息を吐いた。
「ウソでしょ……何か手がかりは?」
 今度は悠輝が溜息を吐く番だ。
「術は試したの?」
「出来る限りのことは」
「そう、法具無しじゃね……」
「あるよ」
「え?」
「ゴメン、後でいくらでも説教してくれ」
「わかった、覚悟しときなさい。で、法具を使ってもダメだったわけね」
「万全の装備じゃないけど、どっちにしろおれの技量じゃこれが限界だ」
 遙香は舌打ちした。
「そうね、法具が無くたって探す能力に長けてれば見つけられるか。
 験力を封印したのを後悔しそうだわ……。
 そう言えば以前、ヒデが安宗中学校で行方不明事件があったって言ってた」
「義兄さんが?」
 遙香の夫、(しん)(どう)(ひで)(あき)はこの団地で生まれ育った。
「ええ、行方不明の子は見つかりはしたんだけど、その時はもう亡くなっていたって」
 遙香が不安げに顔をしかめる。
「その子はコックリさんをやってから、様子がおかしくなったって噂があったみたい。もちろん真相はわからないけど」
 悠輝の中で何かが繋がり、胃の底に恐怖が湧き上がる。
「姉貴、見つかった場所は……」
「ワンッワンッワンッワンッワンッ!」
 梵天丸が激しく吠え始めた。彼はドアに前足の爪を立てて引っ掻いている。
「やめろッ」
 珍しく悠輝が厳しい声を上げる。
「ワンッワンッワンッワンッワンッ!」
 しかし梵天丸はドアを引っ掻くのをやめようとはしない。
 悠輝は愛犬の様子にただならぬ物を感じた。

〔十〕稲荷神社

 朱理は凜と並んで、宏美の背中を追って森の小道を歩いていた。
 宏美は安宗中の裏に広がる森に入って行った。
 小学校の頃、夏休みになると男子がよくここに虫取り行くとはしゃいでいた。
 しかし朱理はここに来た思い出が余りない。
「先生、どこに行くのかな?」
「うん……」
 凜も宏美の行動に戸惑っているのか、黙々と歩いている。
「この先にお稲荷さんがあるの」
 唐突に宏美が口を開いた。
 そう言えばこの森に小さな祠があったような気がする。
 いつここを訪れたのか記憶がハッキリしないが、凜たちと探検に来たのかも知れないし、祖母と散歩で来たのかも知れない。
 おばあちゃん……
 朱理は悠輝がくれたお守りを持って来なかったことを後悔した。鞄に入れたまま教室に置いてきてしまった。
 宏美の様子は明らかにおかしい。普段の彼女なら一緒いると安心出来るが、今は違う。
 香澄を探し始めてから何だか嫌な気配が付きまとっている。これは由衣の部屋で感じたのと同じモノだ。
 朱理の心には不安があふれていた。それでも由衣と香澄を見つけられるなら、宏美に付いて行くしかない。
「そこに行くんですか? そこに由衣と香澄はいるんですか?」
「加乃子はそこで見つかったの」
 話がかみ合わない。宏子は何かに引き寄せられるかのように、森の奥へと進んでいく。
 すると眼の前に、朱い色がほとんど剥げている鳥居が現れた。
 その向こうにボロボロの(ほこら)がある、これが宏美の言う稲荷だろう。
 その前に誰かが倒れている。
「香澄ッ!」
 朱理はかけより、香澄を抱き起こす。
「香澄ッ、香澄ッ、しっかりして」
「う、うぅ……」
 呻き声が漏れた、意識を失っているが息はある。
「先生ッ、救急車を!」
 宏美に声をかけたが、彼女は呆然と香澄を見つめている。
「加乃子もここで見つかったの……でも、あの()はもう……」
「今は香澄の方が大事でしょ!」
 もう宏美には任せていられない。
 朱理はスカートのポケットにある自分のスマホに手を伸ばした。
「ヤット……来タ……会イ……タカッタ……宏美……」
 凜が口を開いた。でも口調が変だし、声まで別人みたいだ。
 今まで感じていた嫌なモノが一気に強くそして濃くなった。
 背筋が凍るほど寒くなり、全身に鳥肌が立つ。
 宏美は眼を見開き、凜を凝視している。
「加乃子……なの?」
 凜がほほ笑む。
 しかし、口角が異様につり上がっている。こんな顔の凜は見たことがない。
()()ト……()()……コッチニ来タ……後ハ……宏美ダケ……」
 凜が宏美に手を差し出す。
「わかった……いくね。また、みんなで一緒に遊ぼう」
 宏美が凜の手を取ろうとする。
「ダメ!」
 とっさに朱理は宏美を(かば)うように割って入った。
「凜、どうしたのッ? しっかりしてよッ、先生も!」
 二人とも何かに憑かれたとしか思えない。いや事実憑かれているのだ。
 異様な笑みを顔に貼り付けたまま、凜が朱理を見つめる。笑っているのにその瞳はギラギラと獲物を狙う肉食獣のように輝いている。
「アカリン、先生は悪いことをしたの……。
 嫌がる加乃子に無理やりコックリさんをやらせて、その後様子がおかしかったのに放っておいた……。
 ううん、それだけじゃない、加乃子が行方不明になったってわかると、大人に叱られるのが恐くて、コックリさんのことは黙ってようって美紀と英梨に言った……
 それにねワタシは加乃子が亡くなった後すぐに転校したの。不登校になってそれを学校のせいにして……」
「今はいいから! とにかく香澄を連れて逃げるのッ」
 引っぱって行こうとしたが、宏美に払いのけられた。
「ダメよ……もうワタシは逃げない……
 美紀は高校生の時に交通事故で亡くなった……
 それを教えてくれた英梨も大学卒業してから連絡が取れない……
 今度はワタシの番……」
「ソウダヨ……宏美……美紀ト英梨モ……待ッテル……
 ダカラ……朱理……邪魔シナイデ……」
「凜……?」
 この時、凜の顔に別の顔がダブって視えた。
 人の顔ではない、まるで獣のようだ。
 違う……これはわたしの幼なじみの相良凜じゃない……
 これが佐藤加乃子のなれの果ての姿なのか。
「やめて、やめてよッ、あなたの所には友達が二人も逝ったんでしょ? もう充分でしょうッ、いい加減にゆるして! 先生だってずっと苦しんでたんだよッ! それに、わたしたちは関係ないッ、お願いだからみんなを返して! 凜と香澄、由衣を返してッ!」
 凜は、いや加乃子は静かに朱理を見つめた。
「イヤ……」
「どうして?」
「足リナイ……マダマダ足リナイ……ヤット手ニ入ル……逃ガサナイ……」
 加乃子が乱暴に朱理を宏美から引き離す。
「キャッ」
 朱理は尻餅をついた。
 加乃子が再び異様な笑みを浮かべ、無造作に宏美の首を鷲づかみにして持ち上げた。信じられない力だ。
「サァ……来テ……ワタシタチノ所ニ……」
 苦しみの余り宏美がもがくが凜はビクともしない。
 宏美の身体から赤い気体のような物が(にじ)み出し、それが加乃子の口に吸い込まれていく。
 朱理には気体が尽きた時、宏美の生命(いのち)も尽きることが解っていた。
「やめてって言ってるでしょ!」
 朱理は立ち上がり飛びかかろうとしたが、加乃子に触れる前に腹部に激しい痛みが走り、崩れ落ちた。
 空いている手で加乃子は朱理の鳩尾(みぞおち)に拳をたたき込んだのだ。
「オマエハ……最後……楽シミハ……最後……」
 息が詰まり、無様にうずくまる。
 何とか顔を上げると宏美がグッタリしている。
 たすけて……誰かたすけて……おばあちゃん……おじさん……
 痛みと無力感で涙があふれる。
 その時、ラグビーボールのような黒い塊が加乃子にぶつかった。
「ギャッ」
 加乃子はよろめき宏美を放した。
 黒い塊は加乃子を()(かく)(うな)り声を上げる。
「グルルル……」
「ボン……ちゃん……?」
 加乃子も獣のように歯を剥き出し、梵天丸に襲いかかる。
 梵天丸は加乃子の攻撃を紙一重でかわすと、肩に噛みついた。
「やめてッ、ボンちゃん!」
 思わず声が出た、加乃子に取り憑かれていても凜は凜だ。
 朱理の指示に梵天丸は反応し攻撃を緩めた。
 その瞬間加乃子が梵天丸の背中に爪を突き立てる。異様なほど鋭く長く伸びていた。
「キャンッキャンッキャンッ」
 梵天丸が悲鳴を上げる。
 加乃子が梵天丸に噛みつこうとした時、長い数珠(じゆず)が蛇のように宙を泳ぎ加乃子の身体(からだ)に巻き付いた。
「いい気になるな!」
 聞き慣れた声に思わず(あん)()した。
「おじさん……」
 梵天丸を追って来たのだろうか。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
 指で空を斬り呪文を唱える叔父の姿が(しん)()(ろう)のように歪む、これは涙のせいではない。
「ノウマク・サラバ・タタギャテイ・ビヤサルバ・モッケイ・ビヤサルバ・タタラタ・センダ・マカロシャナ・ケン・ギャキ・ギャキ・サルバビキナン・ウン・タラタ・カン・マンッ。
 不動尊よ、その(けん)(さく)にて魔を(から)め捕らん!」
「ガガッ」
 数珠の周りの空気も揺らぎ、絡め捕られている加乃子の身体が硬直する。
「しっかりしろッ」
 悠輝が駆け寄り、朱理を支えて立ち上がらせたが、胃がねじれたようで身体(からだ)を伸ばせない。
 背中と胃の辺りに掌を当てられ身体(からだ)を少し強引に起こされると、ねじれた部分が戻るような感覚があり痛みが楽になった。
「大丈夫か?」
「うん」
「お前も平気だな」
「キュ~イ」
 気付くと足下に梵天丸がいた。
 大した怪我はしていないようだ。
「早く森を出ろ、お母さんが迎えに来る」
「でも……」
 凜たちをこのままにしてはおけない。
「いいから、後は叔父ちゃんに任せろ」
 有無を言わせぬ口調で悠輝が言う。
 こんな叔父は初めてだ。さっきの呪文といい、眼の前にいるのは本当に自分の叔父なのだろうか?
 頭が混乱する。
 そんなことは一切構わず、叔父は朱理の背中を文字通り押してこの場所から遠ざけようとする。
「ゲーッ!」
 背後で地獄の底から響くような声が聞こえ、振り向くと加乃子が宙に舞っていた。
 凜の身体から何かが抜け出し、それが朱理に向かってきた。
「え?」
 それが自分の中に入ってくる。
「いや……」
 朱理の奥へ奥へとそれは侵入してくる。
 心が、意識が染められていく、自分以外の別なモノへと塗り替えられていく。
 いやぁーッ!
 朱理は叫んだつもりだが、声帯が震える事はなかった。
 もう彼女の物ではなくなっていたのだ。

〔十一〕魔界

 凜の身体(からだ)が覆い被さる。
 しまったと思いつつ、悠輝は彼女を受け止めた。
 悪夢が脳裏に蘇る。
 この稲荷は夢の中に出てきた祠だ、ここで取り憑かれた朱理は……
「させるか!」
 素早く凜を地面に横たえ、両手の指を絡ませ印を結ぶ。
「オン・エンマヤ・ソワカ!」
 (えん)()(てん)の真言を唱え瞬時に験力を引き出し、朱理に向けて放つ。
 ところが朱理に届く前に見えない壁に阻まれた。
 朱理の口が耳元まで裂け、異様な笑みを浮かべる。
「カァーッ」
 (ほう)(こう)を上げると(ほのお)の塊が現れ、悠輝に向かって飛んできた。
「破!」
 (れつ)(ぱく)の気合いで朱理が放った焔を相殺する。
 朱理は笑みを更に大きくし、二発、三発と焔を次々に放つ。
「ク……ッ」
 何とか防ぐが、凜に取り憑いていた時とは比べものにならないほど強力だ。
 これが朱理の験力か……
 ここで自分が(たお)れれば悪夢が現実になってしまう。一つだけ外れているのは、悠輝も少女たちの()(きがら)に加わっている事だ。
「ヒヒヒ……ドウ……シタ? モウ……オワリ……」
「いい気になるなって言ったよな? 雑魚(ざこ)め」
「クァー!」
 今までより大きな焔が放たれ、防ぎきれず髪の毛や服が焦げる。
「ドウ……ダ……反撃……シロ……」
「フン、簡単に挑発に乗りやがって、お前の事なんざ全てお見通しなんだよッ。
 佐藤加乃子だ?
 違うな、お前は凜ちゃんと先生の記憶を覗き見て成り済ましただけだ。
 コックリさん、セーメイ様、色々呼ばれているが霊ですらない。
 肉体を持たず、何かに(ひよう)()しないと大した能力(ちから)も使えない非力な存在、お前に相応しい呼び名は()()だ。
 朱理を狙ったのだって験力目当てだろ?
 お守りを持っていたせいで、すぐに取り憑くことが出来なかったから、凜ちゃんたちに取り憑いて機会を(うかが)った。
 言っておくが、朱理が持っていたお守りを作ったのはおれだ。だからお前は絶対におれに勝てない」
「カーッ」
 焔の塊が幾つも現れ次々に悠輝に襲いかかる。
 さらに火傷を増やし、悠輝は尻餅をついた。
 梵天丸を使うか? ダメだ、下手をすると朱理を傷つける。
「ヒヒヒ……口ダケ……ブザマ……」
 何とかして、もう少し時間を……
「朱理!」
 姉の声が鼓膜を振るわせ、思わず笑みが浮かんだ。
 待ち人がやっと来た、バッグを持った遙香が木々の隙間をかけてくる。
「投げろッ」
 バッグが空中に舞う。
 験力で中身を捕らえる。
「ガッ」
 袋に入っていたのは悠輝の験力を込めた五本の(こん)(ごう)(しよ)だ。
 朱理を取り囲み、等間隔に金剛杵を地面に突き立っている。これは()(ぼう)(せい)の配置だ。
「オン・アロマヤ・テング・スマンキ・ソワカ!
 我ら(しゆ)(げん)(じや)の守護神であり数万騎の狐を従える大天狗よ、その験力にて魔を(はら)いたまえッ。
 臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前・破ッ!」
 印を結び験力を朱理に注ぎ込む。
 金剛杵に込めておいた験力が作用し、凜の身体から祓った時よりも遥かに強い力で朱理を浄化する。
「ギャアーッ」
 妖魔は何とか抵抗しようと藻掻くが、無理やり引き離されて()(さん)した。
「ふぅ~」
 悠輝は精根尽き果てその場に崩れ落ちた。
「大丈夫ッ?」
 遙香が身体を支える。
「おれはいいから朱理たちを、それに由衣ちゃんも近くにいるはずだ」
「判ってる。警察と救急にも連絡済みよ」
「手抜かりは無いか……」
 最悪の結果は免れた。
 だがそれは、あくまで最悪ではないと言うだけだった。

〔十二〕葬儀場

 由衣が微笑んでいる。
 しかしそれは過去の笑顔だ。
 もう二度と彼女が微笑む事はない。
 泣くことも、怒ることも、悲しむことも、何もかもが無くなってしまった。
 朱理は涙で曇る瞳で由衣の遺影を見つめていた。
 由衣の(そう)()がしめやかに行われている。
 クラスメイトと共に葬儀場に朱理は参列しているが、そこに担任の宏美の姿はなく、凜と香澄もこの場にはいない。
 あの後、朱理は宏美たちと共に救急車で病院に運ばれた。
 大した外傷は無かったので、様子を見るため一泊だけさせられて翌日退院となった。
 そして迎えに来た悠輝から、由衣が帰らぬ人となったことを知らされた。
 彼女はあの祠の中で見つかった。
 クラスメイトの噂では、ミイラ化していたと言われている。
 由衣が朱理たちとセーメイ様をやっていたことは学校中が知っていた。
 面と向かっては言わないが、みんなセーメイ様の(たた)りで由衣は殺されたと思っている。
 現に学校ではセーメイ様やコックリさんなどの降霊術占いが禁止されていた。
 委員長の(やま)(もと)(あつ)()が、クラスを代表して(ちよう)()を読み始めた。
 由衣はいつも明るくムードメーカーで大好きだったと敦子は言ったが、彼女が由衣と話しているのを見たことはほとんど無い。
 どちらかと言えば、いつも誰かをからかうような由衣を嫌っていたのではないか。
 朱理はいたたまれなくなり視線を逸らした。
 すると叔父と眼が合った、叔父と母も参列している。
 お前は悪くない。
 そう瞳で言っている。
 朱理はうなずいたが、心の中では違っていた。

 一週間前、検査入院を終えると母と叔父が迎えに来た。
 遙香の運転する日産ジュークの後部座席に乗ると、悠輝がいつになく重々しい口調で話し始めた。
 髪の毛は短くなっていて、顔にはガーゼが当ててあり、手には包帯が巻かれている。
 叔父を傷つけたのは自分なのか。
 自分の意思でやった事ではないが、それでも罪悪感が芽生えた。
「朱理、お前に幾つか話しておかなきゃならない事がある。先ず今回の事件、こんな事なったのは叔父ちゃんのせいなんだ」
「ど、どういうこと?」
 言っている意味がまるで解らなかった。
 叔父は()(ぎやく)(てき)な笑みを浮かべた。
「いきなりこんな事言われても戸惑うよな。朱理が前に言った通り、叔父ちゃんは本当に占いやお(まじ)い、それに超能力の類いが大っ嫌いだ」
「でも、おじさんは……」
 凜に取り憑いた佐藤加乃子を撃退した時、悠輝は呪文を唱え魔法のような物を使っていた。
「だから嫌いなんだよ。叔父ちゃんもお母さんも、あの能力(ちから)のせいで、何度も嫌な思いや辛い思いをしてるから」
「お母さんも、超能力者なの?」
 ドアミラーを見ると遙香が顔をしかめるのが判った。
「いいや、昔はとっても強い能力(ちから)があったけど、今は封印している。その話しは朱理が本当に知りたいって思ったら、後で直接お母さんに聞くといい。今話さないといけないのは、朱理にも同じ能力(ちから)があるのに、叔父ちゃんが黙っていた事についてだ」
 一瞬、何の冗談かと思った。霊感なんか無いことは自分自身がよく知っている。
 いや、知っていた、だ。
 由衣の部屋で感じたあの嫌な気配、凜に重なって視えた獣のような加乃子。あれは霊感があるから感じたり視えたりしたのではないか。
「本来ならもっと早く、お母さんに相談して対処すべきだった。なのに叔父ちゃんは現実から眼を背けて、それを怠った。その結果、こんな事件が起きた」

 だから、おれのせいなんだ。

 悠輝は感情を押し殺そうとしているようだったが、それでも苦悩が声から(にじ)み出ていた。
「でも……でも、みんな無事だったんでしょ? 凜も香澄も先生も……それに由衣だって、病院にいるんでしょ?」
 病院で意識を取り戻した時、同じ部屋に香澄もいて彼女も母親が迎えに来ていた。
 凜と宏美はまだ入院が必要らしい。
 ただ由衣については病院に運ばれたことしか知らない。
「朱理、由衣ちゃんは……亡くなった」
 叔父が言った言葉の意味を理解するまでに、しばらく時間がかかった。
「うそ……」
 セーメイ様をやったあの日まで、由衣は元気でいつもの彼女だった。
 最後に見た姿は何かに脅えてやつれていたけど、それでも由衣がいなくなるなんて、そんな事はあり得ない。
「いや……うそだ……うそだッ」
 涙があふれ、わけの解らない感情が爆発した。
 ダメだ絶対信じちゃいけない。信じたら現実になってしまう、二度と由衣に会えなくなってしまう。
「朱理ッ」
 悠輝に両肩を捕まれた。
「本当にすまない」
「どうして……どうして……由衣が……なんで……」
 悠輝が前の席に視線を向けると、遙香は覚悟を決めたようにうなずいた。
「由衣ちゃんを殺したのは凜ちゃんに取り憑いていたモノだ」
「佐藤加乃子?」
 叔父は首を左右に振った。
「だって取り憑いていたのは加乃子でしょ?」
「違う、佐藤加乃子の振りをしていた別のモノだ」
「でも、先生の同級生が死んだことも知ってたんだよッ」
「先生の記憶を盗み見たんだ」
「じゃあどうして『さとうかのこ』って名乗ったの? セーメイ様をやった時にもう先生の記憶を見ていたの?」
「かもしれないし、凜ちゃんが知っていた可能性もある」
「凜は知らないって……」
「セーメイ様が帰らなかった時点で凜ちゃんは憑かれていたはずだ。
 本当のことを答えたかは本人に聞いてみないと判らない」
「そんな……凜はセーメイ様をやった時から、ずっと取り憑かれてたの?
 わたし、そばにいたのに全然気がつかなかった」
「当然だよ。向こうは特に朱理に気付かれたくなかったはずだし、お前は何の修行もしていないんだから」
「どうして特にわたしなの? それに修行って何の?」
「ヤツの狙いが凜ちゃんでも先生でもなく、お前だったからさ。
 だけど叔父ちゃんが渡したお守りを持っていたから、アイツはお前に取り憑くことが出来なかった。それで機会を(うかが)っていたんだ」
「おじさんが言っているモノって何なの?」
「妖怪、妖魔、それに魔物……呼び方は色々あるけど、並大抵の怨霊や悪霊よりタチの悪い連中だ。
 何かの霊が魔物になるのか、初めから魔物として存在しているのか、叔父ちゃんにも判らない。
 お前が狙われた、そもそもの理由だけど」
 そこで悠輝はためらうように少し間を開けた。
「うちの家系、()()()()の血筋には特殊な能力(ちから)を持った人間が生まれやすい。
 霊力、法力、念力、神通力、それにESP……こっちも色々呼び方があるけど、いわゆる超能力だ。うちでは『(げん)(りき)』って言ってる」
「験力……」
「朱理、セーメイ様をやった時、十円玉が発熱して紙が燃えたって言ったよな? あれはお前がやったんだ」
「え……」
「占いやお(まじな)いをするとお母さんは怒って、叔父ちゃんが(うん)(ちく)を語って否定したのは、朱理がそれをやることによって(かく)(せい)するのを防ぐためだ。験力が目覚めると、それを欲した悪いモノが寄ってくる」
 それが凜に取り憑いた魔物か。
「それじゃ、わたしのせいで凜は取り憑かれて、由衣は死んだの……」
「違う」
 悠輝はゆっくりと力を込めて断言した。
「さっきも言った通り原因は叔父ちゃんだ。
 叔父ちゃんがやるべき事を怠ったせいで、由衣ちゃんは生命(いのち)を失い、朱理を含めみんなが傷ついた。だから朱理、自分を責めちゃいけない。責められるべきは叔父ちゃんなんだ」
「そしてお母さんもね」
 今まで口を閉ざしてきた遙香が言った。
「叔父さんは、朱理と紫織に験力があるって言ったら、お母さんとケンカになるって判ってた。そうなったら、叔父さんをあんたたちに近づけないこともね」
「姉貴……」
「だから言わなくて正解だったの。言ってたら朱理たちを助けられなかった」
「姉貴を説得するところまでが、おれがやるべき事だった」
「それはムリ。あたしはあんたに説き伏せられるほどヤワじゃない。由衣ちゃんが行方不明になっていなかったら、朱理の験力を絶対に認めなかった」
「どんな自信だよ」
 悠輝があきれた顔をする。
「だから責任の奪い合いはこれまで」
「解った。朱理もいいな、(うら)むならお母さんを怨め」
「怨むのはおっちゃんね」
「うん……」
 思わず笑みがこぼれた。
 母と叔父、家族はいい。どんなに辛くても暖かく明るい気持ちにしてくれる。
 なのに由衣はもう家族と話すことも、一緒にいることも出来ない。
 そしてわたしたちも……
 たしかに朱理は自分の能力(ちから)について知らなかった。
 それでも自分がいなければ由衣は生命(いのち)を失うことはなかったのは事実だ。
 今でも凜と香澄と一緒に、学校に通い、部活をして、一緒に遊んで、ケンカしたり、泣いたり、笑ったり……
 わたしさえいなければ……
 叔父や母を怨めれば少しは気が楽になるかも知れない。
 だが朱理は解ってしまった、叔父や母が今まで朱理が占いやお(まじな)いに近づかないよう色々手を尽くしていたことを。
 験力について触れていないだけで、警告はずっと受けていたのだ。
 仮に験力について知っていたら朱理は凜たちのセーメイ様の誘いを断っただろうか。
 発火現象以前にそれらしい兆候の記憶はない、きっと自分には験力など無いと思っていたはずだ。なら断り切れず参加しただろう。
 それとも凜たちに自分には超能力があるかも知れないと、前もって相談していたか?
 凜たちは絶対に信じなかったはずだ。
 それどころか由衣あたりがからかい半分で、超能力があるなら占いが良く当たるはずと、更に強引に誘ったかもしれない。
 やっぱりわたしが……
「わたし、どうなるの?」
 思わず口から言葉がこぼれた。
「お前の験力をどうすかって事か?」
 本当はもっと漠然とした自分の未来のことだったが、朱理はうなずいた。
「叔父ちゃんが験力の使い方を教えるつもりだったけど、今回の件で考えが変わった。お母さんと同じように封印した方がいい」
「封印……? それって叔父さんがやるの?」
 悠輝は(にが)(むし)を噛み(つぶ)したような顔をした。
 なぜそんな顔をするのか解らずバックミラーを見ると、母は叔父以上に()(けん)(しわ)を寄せ顔を(しか)めているしている。
「出来ないんだ……」
 うめくように叔父が言う。
「どうして?」
 何気なく呟いたが、悠輝は傷ついたような顔をした。
「封印の仕方を知らないんだよ」
「それじゃあ誰がやるの?」
「……お母さんの父親だ」
「あんたの親父でしょッ」
 吐き捨てるように遙香が言い、悠輝が前の席を睨む。
 さっき朱理に自分を怨めと言い合った時と違い、ピリピリしている。
 察するに二人とも祖父とうまくいっていないのだろう。
 だがそれ以前に、
「おじいちゃんって、生きてたの?」
 母と叔父に祖父母について聞いても、いつもはぐらかされて、ほとんど何も知らない。
 朱理はその理由をすでに二人が他界しているからだと思っていた。
「生きている……はずだ。上京してから一度も連絡取っていないけど……」
「え?」
 叔父は上京して六年ぐらい経っている。
 母の様子を見ると、こちらも叔父同様、もしくはそれ以上に祖父と連絡を取っていなようだ。
 ホンキで関係がこじれてるんだ……
 相変わらず(あき)れた姉弟だ。
「ねぇ、おばあちゃんも生きてるの?」
 おばあちゃん、父方と母方それぞれの祖母がいるのは当然なのだが、朱理にとって祖母と言えば父方だけだった。
 改めてもう一人祖母がいると思うと不思議な気分だ。
「残念だけどお婆ちゃんは、叔父ちゃんがまだ小さい頃に亡くなっている」
「そう……」
 何だかガッカリした。
 でも初めておじいちゃんに会えるのだ。父方の祖父は朱理が生まれる前に他界している。
「悠輝、やっぱり何とか出来ないの?」
「出来るならとっくにやってる」
「あんた修行してたんでしょ?」
「姉貴は実際に封印されたんだろ?」
「やり方まで覚えてない」
「やり方なんて聞いたこともない」
「調べればいいでしょ?」
「どうやって?」
「ネットとか色々あるじゃないッ?」
「験力の封印方法がネットに転がっているのか?」
「だからッ!」
「もう二人ともやめて!」
 見かねて朱理は声を上げた。
「ごめん……」
「ゴメン……」
 子供の前で醜態をさらしたことに気付いたのだろう、母と叔父は見事にハモってしゅんとした。
「悠輝、封印がダメならせめて修行で何とかならない? それならあたしもやり方は解るし……」
「朱理だけなら何とかなるけど、紫織がいる。
 あいつは朱理以上に強い験力を秘めているから、覚醒したら何が起こるか判らない。
 朱理ですらこんな事になったんだ、例え姉貴の力を借りても紫織の時対処できるか正直自信が無い」
「そうよね……。子供みたいにワガママ言ってる場合じゃないわね。朱理と紫織には、あたしみたいな思いをこれ以上絶対にさせない」
「うん」
「朱理、そう言うわけだから落ち着いたら福島に行くわ」
「福島?」
「そうだ、福島県郡山市。そこがお母さんと叔父ちゃんが生まれ育った場所だ」
「おじいちゃんがいるんだね」
 母と叔父がまた嫌そうな顔をする。
「そうだよ……」

 それから今日までに色々あった。
 警察の()(じよう)(ちよう)(しゆ)も受けた。
 魔物や験力のことを話しても精神状態を疑われるだけなので、そのことには一切触れず意識を失っていてわからないと言い続けた。
 悠輝が朱理の体調が万全ではないと言う理由で強引に立ち会った。
 強引というのは験力を使い警官の心を操ったのだ。
 叔父曰(いわ)く、人の心は本来絶対に操ってはならない、だが心霊や魔物がらみの時は例外とする。だそうだ。
 そもそも魔物の犯行など立証のしようがないし、本来なら被害者の人間が罰せられることになってしまう。
 朱理には魔物に取り憑かれた時の記憶が無い、と言うことは凜にも同じことが言える。
 つまり、宏美の首を()めたことや、香澄を連れ去ったこと、そして由衣を手にかけたことを覚えてはいないのだ。
 凜がその事を知ったらどうなるか、己に非が無いにもかかわらず自分を()め続けるだろう。
 そんなことにはなって欲しくない。
 宏美は何も話さないだろうし、噂が本当なら由衣は少なくとも凜に殺されたとは思われないはずだ。
 朱理が視た宏美の身体から(にじ)み出た赤い気体、あれは精気だ。
 凜に取り憑いた魔物は由衣の精気を吸い尽くし、ミイラにしてしまったのだ。
 それを知っているのは悠輝と遙香、そして朱理だけだ。
 叔父と母はこういった事に()れているのか、誰にも漏らさず墓場まで持って行くと言っていた。
 朱理も一生他言しない覚悟だ。
 でも、宏美と香澄には魔物が引き起こした事件であることは打ち明けたい。
 宏美には悠輝がお見舞いと称して教えた。
 香澄は退院後も体調が悪く寝込んでいて、今日の葬儀にも姿はない。
 焼香の順番が回ってきた。
 由衣の入れられた棺の蓋は、完全に閉じられており顔を見ることはできない。朱理は由衣の遺影を見上げた。
 ごめん、由衣……
 また涙が溢れ、朱理はその場に泣き崩れた。

〔十三〕稲本団地四街区F棟

 自宅に帰っても、朱理は夕飯も食べずに自分の部屋でふさぎ込んでいた。
 いつもは帰宅の遅い父が今日は珍しく早く戻っていて、茶の間で母と叔父と話をしている。
 内容は恐らく験力がらみのことだろう。
 朱理は部屋の壁を見つめながら二段ベットの上段に横になっていた。
 下から聞こえるゲーム機の音が気に障る。
「紫織、イヤフォンつけてよ」
 妹は夕食が終わるとポータブルゲームを始めていた。
「なんで?」
「うるさいからでしょッ」
「そんなにおっきな音だしてないもん」
「いいからッ、お姉ちゃんがしなさいって言ってるの!」
「うるさいなら、じぶんがでていけば!」
 頭にきたが妹とケンカを続ける気力も無く、朱理はベッドから降りて部屋を出た。
 祖母の部屋の方が心が静まるだろう。
 それに今、下の階には梵天丸しかいない。
「本当にごめんなさい」
 茶の間の(ふすま)()しに、遙香の声がした。
 思わず廊下で立ち止まり耳を澄ます。
「ずっと隠してた、本当はヒデを一生だますつもりだった」
「義兄さん、おれからも謝ります。
 姉貴は自分の能力(ちから)を……何て言うか、恥じていて……。
 それで義兄さんにだけは知られたくなかったんです。知られて嫌われたくなかったんです。どうかゆるしてください」
 真剣にわびる母と叔父の声に朱理は動けなくなった。
 父はそんなに怒っているのだろうか?
 朱理は父、英明が怒る姿をほとんど見たことがない。
 もっとも、従業員百名を抱える企業の経営者である父は、余り家にはいない。
 忙しくて大変なはずなのに仕事のことはほとんど口にせず、物静かなだけではなく朗らかで、常に朱理を安心させてくれる。
 だが、遙香と悠輝は大きな秘密を十年以上も隠してきた。
 いくら温厚な英明でも怒るのは当然だ。
 だからって、離婚なんかしないよね……
 両親が別れるなんて考えたことも無い。
 そうなったら、もっと父に会えなくなってしまうかも知れないし、逆に母と別れて暮らすことになるかもしれない。
 紫織とも離ればなれになる可能性だったある。
 ケンカしたばかりで頭にきていたが、それでも妹と別々に暮らすのはやっぱり嫌だ。
 父をなだめるために入った方がいいか迷っていると、
「僕も遙香たちに謝らなければならないことがある」
 と、いつもと変わらない英明の穏やかな声が聞こえた。
「え? なに? 浮気とか言ったらゆるさないけど?」
「姉貴」
 さっきとは裏腹に険のある声を母は上げ、叔父にたしなめられる。
「そんなんじゃないよ」
 父が苦笑するのが判った。
「実は君との約束を破って、結婚前にお義父さんに挨拶に行ったんだ」
「何でそんなことしたのッ?」
「いくら関係がこじれているって言っても、遙香の実のお父さんだ。嫁にもらう以上、挨拶をしない訳にはいかない」
「でも、あたしはいいって……」
「いくら君がよくても、礼儀を軽んじることはできない」
 父は温厚だが、筋を通さないことが大嫌いなのだ。
「それじゃ義兄さんは……」
「お義父さんから聞いている。そして『験力』が朱理と紫織に遺伝する可能性もね」
「そんな……知ってて黙ってたのッ?」
「そうだよ。だから、おあいこだろ?」
「うぐっ……」
「さすがは義兄さんだ」
「ま、遙香と結婚するぐらいなんだから、僕も一筋縄じゃ行かないって事かな」
「どういう意味よ!」
「そのままの意味だと思うけど」
 緊張していた空気が一気に和らぎ、朱理は胸をなで下ろした。
「由衣ちゃんのことに、朱理が関わっているんだね」
 英明の口調が改まった。
「はい、おれがもっと早く義兄さんと姉貴に相談していれば……」
「僕だって、朱理が覚醒する時期を過ぎているって言われていたのに、何もしなかった」
「言われてたってどういう事? まさか……」
「ああ、年に数回はお義父さんに連絡を取ってる。ハッキリと口にしないけれど、孫たちに会いたがっているよ。もちろん娘と息子にだってね」
「………………………」
「………………………」
「福島へ行くつもりなんだろ? 
 僕は独りでも大丈夫から、安心して行っておいで。しばらく一人暮らしを満喫するさ。
 でも、たまには帰って来てくれよ」
「ちょっと待ってッ。あの子たちの験力を封印したら、すぐ戻ってくるわ」
「封印? 修行させるために行くんじゃないのかい?」
「修行だけなら、おれと姉貴だけでも何とかできます。でも、それじゃ足りない。紫織の潜在能力は、朱理よりもかなり強いんです。
 修行が間に合えば、例え覚醒したとしても最初からある程度はコントロールできます。
 ですが、それも完璧じゃない。より強い験力にはより質の悪いモノが呼び寄せられます。だから封印するのが一番なんです」
「しかし、それじゃ根本的な解決にならないよ」
「え?」
「だってそうだろう? 現に遙香は封印していても朱理と紫織に験力は遺伝している。
 二人しかいないから何とも言えないけど、ここだけ見ると確率は一〇〇パーセントだ。
 朱理と紫織の子供たちはどうなるんだい?」
「それは……」
「その子供たちの験力も封印する?」
「えぇ」
「じゃあ、さらにその子供たちはどうする? いずれ悠輝君だって年老いて亡くなる。
 験力の使い方を知っている人間が居なくなれば、封印はおろか魔物に対抗する手段すら解らなくなるんだよ」
「……………………」
 悠輝は言葉に詰まったようだ。
「でも、何の関わりのない女の子が一人亡くなっているのよ。危険な芽は早めに摘むべきだわ」
 遙香の言葉に英明は溜息を吐いた。
「もちろんそうさ。だから封印が絶対ダメだって言っているわけじゃない。ただ、先のことも見据えなければならないって事だよ」
「ヒデは紫織の験力は封印して、朱理には修行させろって言いたいの?」
「でも朱理は……」
 叔父が自分を腫れ物のように扱っているのが判った。
 朱理が験力を嫌っていると思っているのだ。
 たしかにその通りだ。
 験力なんて欲しくなかった、この能力(ちから)さえなければ凜が取り憑かれることも、香澄と宏美が傷つけられることも、そして由衣が殺されることもなかった。
 朱理は思いきって襖を開けた。
 三人の視線が一斉に自分に集まる。
「わたし、修行する。験力をちゃんと使えるようになりたい」
「あんた、いきなり入ってきて何言い出すのッ?」
「ごめんなさい、立ち聞きして。でも、ムシできなくって」
「朱理、無理しなくていいんだ」
「おじさん、全部独りで背負いこむの?」
「おれの事なら心配ない」
「おじさんにだって限界がある」
「お前が負担する必要はない」
「わたしだって何かしたい」
「自分を追いつめるな」
「わたしじゃ頼りない?」
「これ以上傷つかないで欲しいだけだ」
「わたしの事なら心配ない」
「心配するさッ」
「わたしだって心配だよ!」
 悠輝は虚を突かれたような顔をした。
「おじさん、全部自分が悪い、自分のせいだって、誰よりも自分を責めてるじゃない」
「それが事実だ」
「おじさんは判断を間違えた。わたしは何も知らなくて、何もできなかった。
 知っていればコックリさんをやらなかったかも知れないし、やったとしても直ぐに対処できて、結果を変えられたかもしれない。
 だから、わたしは学びたいんだよ」
「……………………」
 叔父は口を開けかけたが、結局何も言わなかった。
「とにかく一度、お祖父さんに会って相談したらいいんじゃないかな?
 少なくともここに居る誰よりも、験力について知っているんだから」
 その時、バタンッと玄関で大きな音がして、何かが飛び込んできた。
 朱理は背筋が寒くなるのを感じ、叔父を見た。
 悠輝は朱理を押しのけ、廊下に飛び出した。
 慌てて両親と共に後を追う。
 自分の部屋の襖が開けっ放しになり、叔父と妹が向かい合って立っている。
 紫織は耳元まで口をつり上げ微笑み、足下には香澄が倒れていた。
「なんで……」
「来るなッ」
 悠輝が鋭く言った。
「臨・兵・闘・者……」
「ギィーッ!」
 指で空を斬り呪文を唱える悠輝に、紫織がかざした掌から電光を放つ。
「グァッ」
 悠輝の身体(からだ)が後ろに吹っ飛んで、仰向けに倒れた。
「おじさん!」
 紫織の身体(からだ)から禍々(まがまが)しい妖気を感じる。
 凜に取り憑いていた時よりも桁違(けたちが)いに強力だ。
 朱理は知る(よし)もないが、彼女に取り憑いた時と比べてさえ、数段強い妖気を放っている。
「ケケケ……モット……イイ身体(からだ)……手ニ入ッタ……紫織……朱理ヨリ……ズット……イイ……」
 魔物に取り憑かれた紫織が、視線を廊下にいる朱理たちに向ける。
 悠輝は感電し、意識を失っている。
 見慣(みな)れた妹の姿に獣の姿がダブって視える、これがこの魔物の正体だ。佐藤加乃子どころか人間の霊ですらない。
 眼が合った。そこに在るのは、獲物を前にした肉食獣の渇望だ。

 殺される……

 朱理は生まれて初めて己の死を意識した。
 恐怖が一気にあふれ出し、膀胱が緩み太ももに生暖かい液体が伝うのを感じた。
 完全に身がすくみ、立ち向かうことはもちろん逃げることすらできない。
 紫織が獅子のごとく(ちよう)(やく)した。
 もうダメッ。
 朱理はギュッと目をつぶった。
「オン・バキリュウ・ソワカッ!」
「ギャアアアアア……!」
 強大な験力が放出される気配と、自分の物ではない悲鳴に恐る恐る眼を開く。
 紫織が悠輝の上に重なるようにして倒れていた。
「うッ……」
 悠輝が辺りを見回す。
「何が起こった?」
 どうやら今の験力は叔父の物ではないらしい、紫織が自分の上に落ちたので意識を取り戻したのだ。
「紫織が朱理に襲いかかろうとしたから、とっさに()(おう)(ごん)(げん)真言が口から出たのよ。そしたら……」
 験力が発動して魔物を(たお)したということか。
 落ち着いて思い出すと、真言の声は母だった。
 一瞬だがとんでもない験力を感じた、あれが母の能力(ちから)なのか。
 だとしたら叔父よりも圧倒的に強い。
「封印が解けたのか?」
「判らない……何も変わってないみたいだけど……」
 英明が紫織を抱き起こした。
 妹の身体からは先ほどまでの禍々しい妖気は感じない、香澄も同じだ。
「とにかく香澄ちゃんの親に連絡して、迎えに来てもらおう」
「朱理はパンツを変えた方がいいわね」
「え?」
 朱理は母の指摘に顔が真っ赤になった。

 応急処置で散らかった部屋を手早く片付けてから連絡すると、香澄の両親は直ぐにやってきた。
 二人は娘が自宅を抜け出したことに気付いておらず、救急車が呼ばれ香澄は病院に運ばれた。
 一方、遙香が魔物を斃した後、ほどなくして紫織は意識を取り戻した。朱理同様、取り憑かれていた時の記憶は無かった。
 悠輝の話しでは、取り憑かれた時間が短時間なので悪影響は無いらしい。
 念のため今日はもう寝るように両親と叔父から言われ、妹は渋々従った。
「紫織も覚醒したの?」
 遙香が深刻な顔で悠輝にたずねた。
 彼も感電して気を失ったが、すでに回復している。
「あれだけの験力を放出したからな……何かしら影響はあると思う」
「僕にもハッキリ見えたけど、あれは物理的な電気なのかい?」
「はい。ただ、超常的な力を含んでいます。義兄さん、申し訳ないんですが……」
「うん、出来るだけ早くお祖父さんの所へ行った方がいい。お母さんもわかったね?」
 遙香が思い切り嫌な顔をする。
「朱理、進級できなくなっても知らないからね」
「うん!」

〔十四〕第三八千代病院

「凜、香澄、本当にごめんなさい」
 朱理は福島行きが決まった翌々日、二人が入院する病室をおとずれた。
 香澄は凜と相部屋になっていた。
 面会できないかと心配したが、凜は明日退院予定で、香澄も記憶障害はある物の精神状態が安定しており、他に異常も無いことから面会が許された。
 やんわりと確認すると、香澄は保健室に行った後の記憶が曖昧で凜が取り憑かれていたこともほとんど覚えていないらしい。
 凜はセーメイ様をやった後から記憶が途切れ途切れになっていて、由衣が行方不明になった日の記憶はほとんど無かった。
 佐藤加乃子のことを聞いてみると、彼女の行方不明事件を知っていた。
 やはりセーメイ様をやった時に凜は魔物に取り憑かれ、記憶を盗み見られていたのだ。
 朱理は二人が取り憑かれたことには触れず、自分に験力という能力(ちから)があり、そのために魔物を引き寄せてしまったことを詫びた。
 二人は顔を見合わせた。
「いきなりこんな事言ったって信じられないよね……」
「いや、信じるでしょ、普通」
「え?」
「だって朱理ちゃんウソつけないし、それに香澄も由衣ちゃんの家に行ってから、ズッと誰かに見られているような気がしてたんだよぉ」
「アタシもよく覚えていない、って言うかそんな状態だからこそ、朱理の言うことが事実だってわかるんだ」
「あ……そうだよね……そうだよ、謝ってすむことじゃないよね。二人をこんなひどい目に遭わせて、それに……由衣なんか……」
「だ~か~ら~、ダレも朱理のせいだなんて思ってないって」
「でも、わたしがいなければ……」
「それを言うなら、朱理は最後までセーメイ様をするのイヤがっていたよね? なのにアタシはムリヤリ参加させた。そんな事をしなければ、アンタが魔物だか悪霊だかを呼び寄せることもなかったんだ」
「香澄も同罪だよぉ、朱理ちゃんに賛成していれば、二対二でセーメイ様をやらなかったかもしれない」
「でも……でも……」
「朱理が自分を許せない気持ち解るよ、アタシも自分が許せないから。由衣が死んだって聞いて、アタシが殺したんだって思った」
 朱理はドキリとした、凜は取り憑かれた時の記憶を取り戻したのだろうか。
「だってそうでしょ、アタシがセーメイ様をやろうって言い出したんだよ。
 それに思い出したんだ、セーメイ様が帰らないのを由衣のせいにした。アタシはその事を由衣に謝っていない……もう謝ることもできない……」
 凜の頬に涙が伝った。
「責任の奪い合いはこれまで」
 母の言葉が口をついて出た。
「え?」
「誰のせいだとしても、もう由衣は帰ってこない。だから今できることを考えた方がいい」
 凜は頬の涙をぬぐった。
「そうだね……」
「わたし、験力の使い方を覚えるために福島に行く」
「それって転校するってこと?」
 香澄が寂しげな表情になる。
「多分そうなると思う……」
「こっちじゃ出来ないの? おじさんもその能力(ちから)を使えるでしょ?」
「もう二度とこんな事を起こさない、そう決めたの。そのためには、おじいちゃんに教えてもらった方がいいと思う。おじいちゃんは本物のお坊さんで、験力のスペシャリストなんだって」
 実際に悠輝からは、祖父は真言宗系列の修験寺の住職で副業で拝み屋をやっており、験力の扱いには長けていると言われた。
「朱理ちゃん、オジコンなのにいいのぉ?」
 香澄の言葉に思わず凜が微笑む。
「わたしはオジコンじゃない! それにおじさんも一緒に福島に行くし」
「じゃあ、ラブラブだねぇ」
「降矢のことはもういいんだ?」
「だから降矢くんの事だって別に何とも思ってない!」
「プッ、ハハハ……」
「アハハハ……」
「フフフ……」
 三人の笑い声が病室に響いた。
 再び笑えるなんて思っていなかった。
「朱理、戻って来るんでしょ?」
 ひとしきり笑うと、凜が真顔に戻って聞いた。
「うん、どれぐらい時間が必要かわからないけど、お父さんはこっちに残るし、必ず帰ってくるよ」
「待ってるからねぇ。戻ってきたら、また一緒に遊びにいこう」
「うん、約束する」

 凜と香澄の病室を後にして、朱理は宏美のところに向かった。彼女も同じ病院に入院している。
 病室の番号を確認しドアを開ける。
「失礼します」
 中に入ると先客がいた。
「あぁ、アカリン。いらっしゃい」
「宏美の教え子?」
「うん」
 そこに居たのは宏美と同い年ぐらいの女性だ。
 宏美の顔色も思ったより大分いい。
 佐藤加乃子の事に加え、由衣の死がかなり堪えていると思っていた。
「お邪魔でしたら出直します」
「ううん、気にしないで。紹介するね、先生の中学時代の友達、(たけ)()()()
「えッ? 英梨……さんって、まさか……」
 加乃子とコックリさんをやった友達、英梨と美紀も亡くなったと宏美は言っていたはずだ。
「そう、ヒドイでしょ? 連絡がつかないからって、人を勝手に殺して」
「何言ってんのッ? 加乃子と美紀の事があったんだから当然よ」
「だからその事については謝ってんじゃん!」
「あの~、いったい何がどうなっているんでしょうか?」
「あ、ゴメンゴメン」
 宏子の説明によると、英梨は就職先で中学時代の先輩と再会し交際を始めた。
 ところが二股をかけられていることが判明し、別れるだけで済まず、職場にも居づらくなってしまった。
「結局、()めちゃったの。それがきっかけで、中学時代の知り合いと何となく連絡を取りづらくなって。特に宏美とは、加乃子だけじゃなく美紀の事もあったから、なおさらね……」
 ところが数日前に、(あま)()(しよう)を名乗る探偵から電話があり、宏美が入院したことを知らされた。
 いたずらと思ったが、念のため宏美の実家に連絡したところ事実であることが判り、慌てて面会に来たのだ。
「でも、宏美の両親が依頼したんじゃなかった」
「ワタシだって探偵なんて雇ってないわ」
 朱理はピンときた。多分、依頼したのは叔父だ。
「ホントに良かったですね」
「えぇ」
「先生、今日はお見舞いだけじゃなく、伝えたいことがあって来たんです」
「どうしたの?」
「わたし、転校します」
「今回の事件が原因?」
 宏美の表情が曇った。
「はい。でも、逃げるために転校するんじゃありません、強くなるために転校するんです。二度と大切な物を失わないために」
「アカリン……」
「必ず戻ってきます。その時は、また先生のクラスになりたいです」
「うん、わかった。先生も早く退院して教師を続けられるように精一杯頑張るから」
「あまりムリはしないでくださいね」
「それはお互い様でしょ?」
「そうですね」

 病院を出ると夕陽が街をあかね色に染めていた。
 朱理は自転車に乗ると自宅に向かいペダルをこぎ始めた。
 新しい生活が始まる。
 それは今まで予想すらしていなかった、新しい人生でもある。
 今は希望よりも不安と恐怖が勝っている。
 自分の中に眠る能力(ちから)へ対する恐怖、大切な人を傷つける恐怖、そして大切なものを失う恐怖。
 それを乗り越えるには強くならなければならない。
 
 由衣、わたしは生きていく。
 だけど由衣の分まで生きるなんて、都合の良いことは言わない。
 由衣の人生は由衣だけの物だもの。
 わたしはそれを奪う原因になった、みんな否定してくれるけど、事実は変わらない。
 だから、もう二度と繰り返さない。
 大切な人たちを護ってみせる。
 強くなってを護ってみせる。
 由衣の事は絶対に忘れない。
 だからお願い、わたしを見守っていて。

 朱理はペダルをこぐ脚に力を込めた。

   ―終―

鬼多見奇譚 帰らずのコックリさん

お読みになってくださった方、誠に有り難うございます。
少しでもお楽しみいただければ本望です。

【引用・参考文献】
『Books Esoterica 1 密教の本 驚くべき秘儀・修法の世界』 学研
『Books Esoterica 8 修験道の本 紙と仏が融合する山界曼荼羅』 学研
『Books Esoterica 19 真言密教の本 空海伝説の謎と即身成仏の秘密』 学研
『Books Esoterica 33 印と真言の本 神仏と融合する密教秘宝大全』 学研
『修験道入門』羽田守快著 原書房
『修験の世界』村山修一著 人文書院
『山の宗教―修験道講義―』五来重著 角川選書223  角川書店
『仏像のもちもの小辞典』秋山正美著 燃焼社

鬼多見奇譚 帰らずのコックリさん

真藤朱理はコックリさんに似たセーメイ様という占いをする。 コックリさんより安全と言われるが、セーメイ様は帰らず使っていた10円玉と紙が燃え上がる。 翌日、セーメイ様をやった友達の様子がおかしくなり、朱理は叔父に相談するが、叔父は超常現象を認めてくれない。 ところが様子がおかしくなった友人が行方不明になり……

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • アクション
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2017-09-02

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 〔一〕八千代市立安宗中学校
  2. 〔二〕稲本団地四街区B棟
  3. 〔三〕稲本団地四街区F棟
  4. 〔四〕稲本団地中央通り
  5. 〔五〕稲本団地四街区F棟
  6. 〔六〕稲本団地四街区B棟
  7. 〔七〕稲本団地四街区F棟
  8. 〔八〕八千代市立安宗中学校
  9. 〔九〕稲本団地四街区F棟
  10. 〔十〕稲荷神社
  11. 〔十一〕魔界
  12. 〔十二〕葬儀場
  13. 〔十三〕稲本団地四街区F棟
  14. 〔十四〕第三八千代病院