戦乱の覇者 ~Way of the Heroes~

痛兄ぃ。

実は相当前から話のネタは出来上がっており、後はそれを調整しながら書き上げて行くだけ、というもの。
読者の皆様が期待を持てるような想像力、表現力には乏しいので、あしからず。
色々なモノに影響されて生み出された、一つの世界です。

Prologue


これは、ある世界の歴史と、その歴史の中で奔走し続けた、“英雄たち”の物語である――――――――――。




時代は戦乱を迎えていた。
世界の至る所で戦いが繰り広げられていた。
経緯は複雑様々であるが、一つ間違いなく確かなことがある。


この戦いは、
己が理想、目的を果たすために団結し、それに反発するものを排除するという、ごく典型的で単純な構図から成り立っている。



戦いが起こる理由など様々だし、それを一つひとつ数えて取り上げていくのはナンセンスだ。
何しろ終わりが見えない迷路のようなもの。
子供同士の喧嘩とは違い、明確な目的はあってもその経緯は酷く複雑なものである。
理由のない争いなど存在しないが、
その一つひとつに意味や価値があるのかどうか、甚だ疑問でもある。
戦いが起これば勝ち負けがつき、勝者と敗者に分類される。
勝者は自らの立場を強化して正義を語り、敗者には“間違いであった”と強要する。
敗者は勝者の言うことを聞かなければならず、“ごめんなさい”と言わなければならない。
『お前が間違っていたのだから、お前が謝るのは当然だ――――――――――――。』
それが争いの勝者の言い分である。
戦いによって自らの正義を認めさせ、間違いを認識させる。
時にそれが正しい方向へ導くこともあるのだろうが、その時点で“正解”と“不正解”を決めつけるのは、極めて危険である。
勝者の価値観が歪んでいれば、歪んだ価値観がごく自然で当たり前なものである、と誤認するからだ。


何が言いたいのか。
つまり、この世界の大陸で起きた戦争は、そうした正義や理想、己の価値というものの押し付け合いだった、ということだ。


中身は嵐のように複雑であっても、
構図そのものは至って簡単。
決断し、行動し、勝利する。敗北は決して許されない。
負ければその時点で自分たちそのものが否定されてしまうからだ。
そうならないように、人類は戦いの準備をし、どうにかして優位な立場を確立させ、敵対する者を蹴落とす為に行動する。
この大陸の戦争は、その繰り返しがあまりに長かったということ。
その間誰もこれを止める者がいなかったのか?
居れば世界はここまで苦労しなかっただろう。
大陸は酷く荒廃し、美しい大自然は枯れ野に変貌した。
もっともそれがすべてではないのだが、多くはこの戦争の影響を受けた。
最終的には、この戦争は百年も続いたのだ。



物語の語り部というのは、基本的にその物語を既に知る者、勉強した者が担う。
未来に起こる何かを語るのは難しい。
だが、過去に起きた事象を整理するのも語るのも、要はその事実を見た誰もが行える容易なことなのである。
正しいか間違っているかは、多くの意見がある。
ある一つの事柄に対して賛否を求めれば、天秤はどちらかに傾くかもしれない。
が、拮抗する場合もある。
お互いの価値、理想、正義の押し付け合いによって生まれたその世界の歴史は、果たしてどちらに値するものだろうか。
あるいは、そのどちらも当てはめてはならないものなのだろうか。
“ただの一度も理解されない”ものなのか、
“それが正義であり、それが悪である。”とハッキリするものであるのか。
多くの歴史家は己が主張を持ち合わせている。
だから、この物語でもそれを多く語ることになるだろう。
しかし、どうか頼まれて欲しい。
物事にはあらゆる見方が必要で、それも偏ったものでは無く、幅広い視野を以て見るべきなのだということを。




「………やれやれ。こいつは出だしで既に三流記事だな」



だが、それでいいのかもしれない。
正しい言葉遣いや正しい記述方法というものはあるのかもしれないが、
こと歴史に関して言えば、それがすべて正しいとも限らないし、実証することも立証することも困難だ。
“私のように実際に経験していれば”、その事実はその時正しく起きたものだと伝えることも出来るのだろうが、
その行動の意味が正しいものであったかどうかは、疑問である。
であるから、歴史を語るうえで現れる価値観や意思も、各々が持つ判断によって生み出されるもの。
正しいか間違っているか、それは多くの人間が見て思うことなのだろう。




「………さて、ではそろそろ」





百年の歴史の中の一ページ。
多くを語ることになる。
出来るだけ順序立てていきたいが、そうもいかない。
そのくらい、この百年の歴史は色濃いものであった。
すべてを語るには長すぎるし、かといって端折るのも失礼な話だ。
そこで、私は決めた。
語りの始まりの場所を。
この物語を書くと決めてから、この歴史の全容を把握できるような地点を。
そう。
昏迷の時代が最初の転換期を迎えたのは、大陸で戦争が始まってから、50年目から65年目にかけての15年間である。

▶ 構図早見表

~ 舞台 ~



▼人類そのものの歴史(概略)
人類の歴史は正確でないが、現在は世界基準の時系列にして西暦2860年、統一名で29世紀という位置づけ。
過去の経年は不明。
文明期はおおよそ5分割されており、現代文明の始まりは26世紀後半から。
現代文明の始まりを規定したのは、機械化技術の登場時から。
機械化文明の発達は人々に道具の概念を覆させ、瞬く間に経済発展と技術開発の時代を到来させたが、
同時に根強い競争社会の形成に繋がった。
28世紀後半には、誰もが機械を手にする時代となり、60年代に第一次自動車ブームが到来。
人々の移動手段が自動車に確立されると、ほぼすべての国で高度経済成長期を迎える。
だが一方で、その成長の波に乗れなかった自治領地や国が次々と崩壊へと進み、または他国との一触即発を招いた。
28世紀末、機械化船舶や航空機といった乗り物が常用化されると、
人類は新たな大陸『アスカンタ』を発見し、その利権を巡り各国の代表が円卓に集うことになった。
当時既に技術開発の発展に成功し巨額の富を得ていた国もあり、そうでない国との対応が慎重に行われた。
しかし、この利権を巡り厳しい境遇を受けた国々が蜂起し、次々と大陸に上陸。
大陸に確立されていた国家との衝突を招き、28世紀末の2800年、
人類は後の『百年戦争』『人類の悪夢』と呼ばれる一世紀の時代を迎えることとなる。



▼世界は三つの大陸から成る。
29世紀の中、あるいはそれ以上に過去の歴史において、最も古い歴史が遺る大陸が、
『ソウル大陸』
世紀前、遥か昔から人類が生息していた地とされており、過去の遺物の出土や現出も非常に多い。
次に古くから人類の歴史として伝えられている大陸が、この世界において最も大きい土地を持つ、
『オーク大陸』。
そして、最も新しく発見された大陸で、いまだに分析が進められていない、現代の大陸と呼ばれているのが、
『アスカンタ大陸』。



◆①ソウル大陸


世界地図を平面にした時、
三つの大陸のうち最も左(西)側に位置するのがソウル大陸。
大陸面積は三つと比較して最も狭い。
季節の四季がはっきりとしないが、一方で場所によっては一年間を通してずっと住みやすい気候となっている。
(例:北部は一年を通して冷帯。月関係なく雪が降る時もある。南は一年を通して亜熱帯。比較的暑いし、冬の時期に雪が降ることもない)
古代文明時代、あるいは文明の形成以前から人類が生息していたとされる。
場所によっては巨体生物の白骨化したものもあり、人類が昔狩猟で食いつないでいたことが分かる。
大陸中央部に歴史の痕跡が顕著に見られる。
理由は気候にあり、中央部の周囲が安定した気候を一年通して得られるため、文明の発達もその地に多い。
『古都アラド』と呼ばれる巨大な町があり、町そのものが一つの文明の歴史建造物であるという見方がされている。
そこには人類の歴史を示したものが収集されており、最古の歴史書は“人類が火を持った日”という名前の書簡。
気候の影響か、大陸中央部は多数の民族、多数の文明が存在し、
気候の比較的厳しめな北部は文明の成立が極端に少ない。
それに、北部は資源がまともに取れず、自立して生活する手段が限られる。



◆②オーク大陸



三つの大陸のうち、最も広大な面積を持つ大陸。
ソウル大陸の北東側にある位置関係。
オーク大陸は大陸の6割以上が四季を持つ豊かな気候で、大陸のほぼ全域に文明の発達が見られる。
広大すぎる大陸面積ゆえに、場所によっては次の町(村)まで片道300キロ以上というようなところもある。
人口の最も多い大陸であり、土地柄によって発展の度合いが異なるのが特徴。
いずれの地域も農作が盛んで、大都市と言われる大きな街も数多い。
最も広く発展した街は『オークランド』。
街全体で100キロもあり、街を四角形とすれば、その頂点4つにそれぞれ国際空港が設けられるという巨大都市である。
大陸の左右を区別するかのように、中央に『エルメス山脈』が南北に伸びている。
ソウル大陸の北東部の一部とオーク大陸の西部の一部は、大陸間の距離が僅かに数十キロしかなく、
狭門海峡などという呼ばれ方をされる時がある。
海の交通の要衝ではあるが、この昏迷の時代にはかえって戦争の火種になる海域でもある。


◆③アスカンタ大陸


三つの大陸のうち、最も最近になって発見された新大陸。
地図上では二番目に大きい大陸で、二つの大陸よりも北部に位置する。
広大な大陸ではあるが、気候は常に冷帯から寒帯で、大陸面積のうち4割弱が人類の生息しない永久凍土となっている。
28世紀の後半から終わり頃にかけて発見された。
気候ゆえに文明の発達が独特ではあるが、確かに人類も文明も存在する。
この大陸に住まう者たちの都合など考えず、この大陸のあらゆる利権を巡って争いが発生し、それが現代文明における
最悪の戦争を引き起こしたキッカケである、と歴史家は共通して言う。
鉱山資源が豊富で、金銀ほか多くの鉱石が採掘可能。
また地下資源も豊富で、経済発展の要衝の一つとなるはずだった。
この大陸の人々は皆閉鎖的で、余所者をあまり歓迎せず好意的に思わない性質がある。
厳しい土地でありながら自給自足をし、その方法は年中冬のようなサバイバルな気候でも生きられる知恵である。



▼登場国家



大小三つの大陸の中には、それぞれ規模の異なる国が存在する。
国家と呼べる規模のものと、それ以下で独自の自治を行う自治領地というものがあり、
あらゆる人々がその枠組みの中で暮らしている。
国家の形態を取り、その中でも主に六つの国家が世界の主要で巨大な枠組みとして認知されている。



◆①グランバート王国



ソウル大陸中部から最北部にかけて領土を持つ国家。
王政の敷かれた国であるが、国王は象徴という立場で施政には基本的に関与しない。
ソウル大陸の半分をこの国が統治しているようなものだが、多くの地域では気候が冷帯に属しており、
温かさの恩恵を受けることが出来ずにいる。
また、最北部は凍土であり、未開発地帯も多く人も寄り付かないようなところである。
王都は国の名前と同じ。
また同じくグランバート城があり、国のシンボルとなっている。
古くから大陸に国が存在していたが、何度かその歴史が入れ替わり、現在の立場を確立させている。
しかし、『50年戦争』時に王国は激しい内乱が起き、その影響で王都の全域が戦火に見舞われるという大惨事があった。
その影響でグランバート王国は事実上滅亡したように、世間からは見られた。
だが今は再興を果たし、各国の経済発展の材料として活力に満ちる国営が行われている。
国王は象徴的存在で、王国と名乗りながら主権が国王にないという立場を取っている。
そのため、各権力の掌握を、
「国務省」
「外務省」
「軍務省」
「国家安全保障局」
「経済省」
の、主だった五つの省が行っている。
あらゆる政治権力の統括を行うのが、国務省に所属する最高地位、国務尚書である。



◆②ソロモン連邦共和国



単一の国家でありながら、多数の州が存在する巨大な国家。
オーク大陸の実に6割強を領土とし、今も肥大化し続けている国である。
主権は一つに集約されながらも、その枠組みの中で各州が自治領主を置いて統治に当たっている。
非常に豊かな気候と自然を領土に持っているため、世界で最も大きな国で最も人口が多い。
世界経済の中心地であり、現存するすべての国家、自治領地との貿易路線を確立している。
首都は『オークランド』。
街としての規模も世界一で、直径90kmの巨大な都市で、都市全体を一つの四角形とすれば、
その頂点4つそれぞれに国際空港が建設されるほどの規模である。
内務省が各自治領主とのコンタクトを取り議会を併設している。
すべての州に共通するのは治安機構と、“連邦軍”と呼ばれる軍事力である。
オーク大陸の元々は多数存在していた国や自治領地を、一つの枠組みの中に統一していった経緯がある。
また、強大な軍事力と莫大な経済力を武器に、過去幾つかの国を併呑した経歴もある。
あまりに領土が広いため、地方では次の町(村)まで100キロほど離れていることもしばしばある。



◆③ギガント公国



ソウル大陸の南部を領土とする国家。
大公と呼ばれる貴族の中でも最高の地位を持つ者が主権を掌握し、国家を統治している。
民主政治とは程遠く、この国の人々にとっての政治とは、“何かをしてもらうこと”である。
しかしながら、ギガント公国は他の巨大国家に劣らずの軍事力を有しており、
他国から警戒され続けている。
国民の男性は16歳以降兵役義務が課せられており、
兵士出身のものが非常に多い。
北部にあるグランバート王国とは昔から不仲で、同じ国でありながら互いにけん制し合う。
以前は敵国として幾度も戦闘を繰り返していた。
公国領は荒廃した荒地が多く、戦争の影響が随所に見られる。




◆④アルテリウス王国



世間的には、近現代においてアスカンタ大陸の発見と同時に認知された国であるが、
アルテリウス王国の歴史は千年も昔にさかのぼるものと、歴史書で記されている。
王家アルテリウスが代々に渡り統治してきた国で、その傘下に多くの貴族と民衆を抱えている。
アスカンタ大陸一大きい国ではあるものの、国土の4分の1が永久凍土につき未開発地帯、
更には厳しい気候であるために人口そのものも少ない。
この国の人々の多くは、他家との関わりを積極的に持たない自主独立型の気質を強く持ち、
国ですら統治国家としての存在は持ちつつも、積極的に国民を統治しようとはしていない。
また、国土の環境や周辺海域の状況から、貿易が行われる国や地域も今まではなく、
それ故にアスカンタ大陸は発見が最も新しい。
『王国騎士団』と呼ばれる、白兵戦特化の強力な軍隊がある。




◆⑤アストラス共和国



オーク大陸の南部を領土とする国家。
ソロモン連邦共和国という強大な国家があるために、その存在は若干薄れてしまっている。
国土も遥かに小さいが、人口は程々に多い。
かつての戦争で軍事力を拡大させつつ、その技術を他国へ売り渡し特需を発生させている。
そのおかげか経済力と軍事力、技術力は小国でありながら非常に高く強い。
また、国内の統治施政を行う者たちに対する支持率が非常に高く、8割弱の人間が国の体制の在り方に
満足し、支持している。
そのためか、国内は活気にあふれており、
国の為に働きたいと思う人たちが大勢いる。
首都アストラスは経済発展の中心地であり、一極集中が進む。




◆⑥コルサント帝国




オーク大陸の南東部に領土を持つ国家。
帝政コルサントは皇帝が民を統治する国家で、すべての権力における最高指導者たる地位にある。
また、帝政は専制主義を主軸としており、皇帝以外にも段階ごとにハッキリとした絶対権力が存在している。
オーク大陸に在りながら、他国との交流が薄い。
帝国領内のごく一部の都市が貿易を許されており、基本的にはその都市に居る者だけで他国との交流を行う。
帝国の起源は『50年戦争』終結後、数年で周囲の自治領地をまとめ上げた、現在の皇帝によるもの。
首都コルサントが最も大きな都市で、そこには帝国軍統帥本部が威厳の象徴として存在する。

■ Episode:Ⅰ 少年たちのセカイ ■



▶ Episode:Ⅰ 少年たちのセカイ



『50年戦争』


そう呼ばれた時代の戦争があった。
今からそう昔のことではない。
たかだか10年ほど前に行われていた、世界大戦の呼称の一つである。
それが正しい呼び名であるかどうかは、今のところ分かっていない。
ただ当事者たちが口を揃えてそのように語るのだから、今のところそれが正しい認識で良いのだろう。
歴史上の呼び名など、当事者たちですら都合のいいように解釈するのだ。
名前にどれほどのインパクトさがあるかも未知数だが、
これだけは言える。
――――――――――――今の時代は、酷く荒んでいる。



文字通り、50年もの間戦争が行われていた。
毎日戦っていた訳では無い。
一ヶ月ほどの休戦もあったし、被害が少なかったこともある。
しかしそれでも戦いであることに変わりはないし、それが続けば戦争の経年も一つずつ数えられていく。
それが50年も蓄積されてしまったということ。
この間に亡くなった人の数は夥しいものであり、記録には不明とさえ記されてしまうほどだ。
実際数えることの出来ないほどの人が、戦乱の渦に巻き込まれて命を落としたことだろう。


「炎は瞬く間に町を飲み込んだ。見境なしだった。ただあるのは、赤と黄色に写る地獄の業火のみ。
人々はそれを見て逃げ惑う。一日でも多く生き残るために。だが、私は気付いていた。周りに大勢の敵兵士、
町を取り囲んで火を放つ獣の姿をした人間を。そんな者たちを目の前にして、もう何が出来ようか」


『50年戦争』の到来は、28世紀末の2800年から。
アスカンタ大陸の利権を巡る争いが勃発し、本格的な大戦に発展するまで、僅かに数ヶ月。
それまでに長い経緯と機会はあったが、その状態に遂に陥るまでにそう時間は必要としなかった。
間に時間を置くこともあったが、経年は50年として数えられる戦争が、
今から10年前までに起こっていたことだ。
大地は酷く荒廃し、多くの人々が犠牲となった。
それで何が得られたと言われれば、今もそれはハッキリとしない。
ただ人類は人類同士の争いにより、取り返しのつかない傷をつけてしまった。
無論、過去の文明期において、戦争が無かった訳では無い。
寧ろ今の国や自治領地があるのは、戦争の積み重ねによる結果である。
人類の歴史と共に戦争はあった。
しかし、現代戦争はあまりにも激しい。人間の力が試されるのは、地上戦ばかり。
空では航空機が飛び交い、海では戦艦が砲弾を撃ち合う。
今までの時代には無かったような戦争の構図が、当たり前のように成り立っていた。
それでは世界が荒廃していく訳だ。


しかし、そんな戦争にも転機が複数回訪れた。
幾つかあるうち、最も戦争そのものに影響を与えたのは、50年戦争最後の年だろう………。
戦争という荒んだ時代が生み出した営みの中で、時代を変える光になりたいと願い、立ち上がった者たちがいる。




………。




「………えっ?センセー続きは!?」
「………ほら、ちょうど鐘が鳴った。今日はここまで!」
「えーーーー、先気になるじゃん!!」




今はその、50年戦争が終結してから10年後の世界。
“センセ―”が語りを次回の授業内容にした、その中身が10年経った理由の説明となる。
だが、すべてを一度に語るのは難しいし、そもそもこの内容はこのような“子供たち”に受けるものなのか?
と、センセ―も自信を持てずに、それでも一教師として真面目に学生たちに教えていた。
昼下がりの青空の下、校舎の教室の中、一番窓際に座っていた少年がそう言う。
もっと先を話して欲しい、と。
だがセンセ―は言う。



「よく言うだろう?自分の好きな食べ物は後に取っておく。最大の楽しみというのは、すぐに明かすものではないのさ」



………と。
それが答えになっているかどうかは、正直分からない。
が、とにかくもその日最後の授業は終わった。下校時間である。


「続きは来週に持ち越し!さ、週末は怪我ないように過ごすんだぞ」


ハーイ、という無邪気な返答も中には聞こえてくる。
鐘の音が「一日の終わり」を知らせてくれる。
一日の始まりと終わりは共通してこの鐘の音。
はじめは大きすぎる、鬱陶しいと感じたその音も、今となってはただのお知らせにしか耳に届かない。
慣れるとはこういうものなのだろう。
学生たちが身支度を整え、玄関へと向かっていく。
放課後と呼ばれるやつだ。
授業が終わった後、学生たちはそれぞれ自分たちの活動に駆けて行く。
サークルと呼ばれる放課後活動、セミナーと呼ばれる放課後勉学、いずれにも属さない帰宅コース。
道は様々だが、その少年は。


「………よーっし、“道場”行っか!!」


と、いずれにも該当しない答えを持ち、独り張り切っていた。



―――――――――――――ここは、オーク大陸の東端。ソロモン連邦共和国の領土内。



ソロモン連邦共和国は、大陸どころか世界中どこを見ても匹敵しない、最も大きい国家である。
大陸の半分以上を領土とし、ほぼすべての国々との交流を持つ国家。
さらに、幾つもの州制度を取り、そこに集う人々は人種も生まれも異なることが多い。
多民族国家と言えばそうなるだろうし、多文化社会と言っても間違いではないだろう。
主権は国家にあるが、認められた州はその定めにより、自治を認められている。
州によって制度や法律が異なるのも、連邦共和国の連邦という意味から来ているものだ。
国としては一つの形であれど、その中で統治する自治領地にその多くを委ねている。
そのため、州を跨げば状況が異なることも多い。
“少年”が住まうその地域も、ある州の中の一つの地域だ。




「お前はホントいつも陽気だよなぁ」
「元気なほうがいいだろ?なっ!早く行こうぜ」
「はいはい。急がない急がない、行くから」



州の名前はタヒチと言う。
周りの州に比べれば、規模はかなり小さい方と見て良いだろう。
大きな街など存在せず、少年の住まうその村は、10分もあれば端から端へ行けてしまう。
他に州内に持つ町が二つあり、そのうち一つは少し賑わいも持っているのだが、それでも過疎地に変わりはない。
ここに自治権が認められたのは、酷く単純な話だ。
“中央”では、東端の海岸線沿いに位置するこの町や村には手が行き届かないからだ。
ソロモン連邦共和国で最も大きい州がオークランドと呼ばれているもので、
大都市一つが州一つという捉え方をされている。
オークランド州はすべての地域の情報管轄を行うところではあるが、すべての地域に行政を施行するような能力はない。
何しろ大都市オークランドは1億人都市なのだ。
一つの都市を管轄するだけで、手一杯どころか猫の手も借りたいところなのである。


広大な領土を持つソロモン連邦共和国の、弱点でもあるだろう。
州制度により、国家という一つの基盤を維持しながら、それぞれの固体を分子化して運営する。
必要な情報はすべて手に入れて把握するという方法を取っているが、彼らにはすべてに行き届く目が存在しない。
オークランド州はこの国最大の都市であり最も大きい州であるため、
この国の人々の多くが、その州のことを『中央』と呼ぶのだ。


このタヒチ州は、
その中央からあまりにも遠く離れすぎた、謂わば「辺境」なのである。


「なんたって今日の練習は実戦形式だぜ!?張り切らない訳にはいかねえよな!」
「………もう。少し皆より上手だからって、すぐ良い気になるんだから」
「へへっ、でも訓練は大事だろ?実戦形式が一番早く憶えられるぞきっと!」


辺境と呼ばれる地域は、
このタヒチ州のみならず、多くの地方でそのような呼ばれ方をする。
オークランド州以外にも、ソロモン連邦共和国には多くの大都市が存在するのだが、
やはり国土が広すぎるから、彼らの住まうような土地も当然のように存在するのだ。
彼らとてまだ良い方だ。
州の一部の場所によっては、隣町まで片道2時間や3時間をかけなければならないところもある。
タヒチ州のタヒチ村は、村という規模で町にはならないが、必要最低限のものはここで揃えられるし、
隣町は歩いて30分ほどのところにあるので、そう困りもしない。
この村の特徴としては、



・人口が1000人満たない。
・大勢の村民が隣町に仕事に行っている。
・子供が少なく、日中は大人の姿もなく、ご老人が多くなる。
・ソロモン連邦共和国領の中で、最も最東端に位置する。



と、簡単に4つほどあげられる。
人口は今でも減少傾向だ。皆中央に憧れを持っている。
あれほどの大規模な街に行って見たいと、その情報を知った者たちならそう言うだろう。
辺境で、かつ小規模な村程度のセカイだが、それでも彼らにとっては立派な一つのセカイだろう。
少年はここでしか暮らしたことが無い。
少年の周りにいる子供三人も、この村での生活がすべてだった。
彼らだけではない。この村に住む民の多くが、ここで生まれ育った者たちだ。
何も好き好んで、このようなど辺境に来ることもないのだろう。
しかし大人たちが残らなければ、一体誰がこの州を支えていくことになるのだろうか。
出稼ぎのように隣町で仕事をする大人たちと、
この村の「スクール」と呼ばれている学問所で勉学に励む子供たち。




それが、少年たちの、“今そこにあるセカイ”である。

第1話 名前


今日も青空の下、少ない子供たちが村中を駆けて行く。
大人たちは隣町に稼ぎに出ている。
元々村民は少なく、賑やかというには程遠いのがこの村の特徴だ。
「辺境」と呼ばれる地域で、「中央」と呼ばれる国の中心からは遠く離れた土地。
州の自治によってこの村は護られているが、このような小さな村に防衛するような戦力は存在しない。
いや、今の状態ではそのような措置をする必要すらないだろう。
今のところ彼らのセカイは、平穏そのものだ。


「よーし、やるかぁっ!!」


タヒチ州タヒチ村。
州の名前はこの村と同一のものであるが、州統括本部が置かれているのはこの村ではなく、
隣町のエンスクだ。
何故この村の名前がそのまま州の名前になったのかは、実は公式的な見解は示されていない。
ソロモン連邦共和国は、州だけでも相当な数存在し、そのすべてを掌握しつつも全容を把握してはいない。
必ず州には州統括本部があり、州を統治する為に必要な処置や法律などはそこで作られる。
州を定める時には名を必要とするのだが、必ず何らかの由来がある。
しかしその由来の意味を明かされぬまま、ただそれが当たり前のように捉えられることも多い。
このタヒチ村もその一つである。
実は名前には大した意味はないのかもしれない。ただそれが既に、世界地図で記された公式な事実であることに
変わりはない。


タヒチ村はオーク大陸の中でも極東に位置する村で、
さらに東へ30分ほど歩けば、そこには海が広がる。
船が停泊するような港は存在せず、南北に広大な断崖絶壁と複雑な入り江が幾つも存在する。
村は小さいが半分を山々に囲まれた土地で、これもまた複雑な地形の中に村がある。
村の端から端など10分もあれば移動できるような小さな距離だ。
人口は僅かに数百人。
子供の比率などその数を想像しただけで分かるだろう。


「流石。興味のない授業はとことん寝ていたから、ここでも元気のようだな」
「あ、バレてたか?ははは!」
「いつもだろう………」



中央と呼ばれる、
オークランド州から数千キロ離れたこの土地。
そこには、今日も元気にスクールを終え、“道場”と呼ばれるところへ行く子供たちの姿がある。
一人の元気な少年の後に続いて走るのが、少年二人と少女一人。
ほかにも幾人もの姿が見える。
まるで目立ちたがりのような性格にも見えるのが、その少年が他の子供たちを引き連れている、



「こら、ツバサ!そろそろ稽古の時間だ、気を引き締めなさい」


そう。幾人もの子供を引き連れてここまでやってきて、なおも活気にあふれるその少年は、ツバサという。
昔からやんちゃ坊主などという呼び方をされてきた、活発で明るい少年だ。
歳は16歳でありながら、身長は何と186cmとかなりの長身。
町中の子供どころか大人たちよりも背が高く、競えば彼より上の者はいない。


「おっと、いけねえ。よーしやりましょー!」
「………ったく。お前は元気だなぁ………」



彼らと他の子供たちが集うこの道場の目的はただ一つ、日々の稽古あるのみ。
そして何をするかと言うと。



「よし、決めた。この竹刀にしよう」
「ツバサ、いつもは貴方が一方的な強さを見せつけてるけど、今日はそうはいかないからね!」
「お?えらく強気だな、レン。いいぞ乗った!全力で掛かってこいっ」


彼らはそれぞれ壁に寄りかけられた「竹刀」と呼ばれる、ある種稽古の道具であり武器を持ち、
そして稽古の間の中央から壁側へと下がっていく。
この道場は剣術稽古をするための場所で、師範が門下生を鍛え上げるという目的を立て、竹刀を使った訓練を
日常的に行っている。
村唯一にして、放課後から夕方にかけては最も活気のある場所となる。
この村に道場が開設されたのは、ほんの10年前となる。
使われなくなった建物を改修して作られたこの場所の目的は、諸説ある。
だが村民の認識としては、有事の際の備えの一つとして、優秀な人材を育成し鍛え上げるというもので一致している。
世界が戦火に包まれていた時代と、これからまたそのような時代が来るだろうことを想定してのこと。
自分自身を強くするという名目のもと、目的は次代の兵士を養い輩出するという、皮肉の詰まった道場なのだ。



その道場の中で、
ツバサは最も強い立ち位置にいる。少なくとも、門下生の中では。


「いつもいい顔されっぱなしではな。こちらも全力で挑むとしよう」
「俺も。負けないからなーっ」
「おいおいなんだよ皆して!まだ相手になると決まった訳じゃないんだからよお!」



レン。
歳はツバサの一つ下で15歳。
道場に通うたった二名の女性のうちの、一人だ。
ツバサと同じ学校に通い、歳は違うが同じ学級に所属している。
普段は大人しめのしっかりとした性格の持ち主だが、竹刀を握るとその姿からは想像できないほど、
強気に満ちた女性に変化する。
ツバサと親しい間柄ではあるが、この道場においては好敵手というライバル関係を取っている。


「仕方が無いだろう?お前が今のところ一番強いんだ」
「だっ、でも………お、おう」


相手を褒めつつも「覚悟しろよ」と冷静に告げる、
その男はソロという。
レンと同じく同じ学校学級に通う一年上の先輩。
歳上ではあるものの、好き好んで歳の分け隔てをせず接している。
冷静な性格で、一つ歳上というのもあってか、どことなく周りをセーブできる人間。
ツバサがあのような性格であるから、余計に落ち着いて見えるのがソロの特徴だ。


「なんも、俺たちだけじゃないぞ?みーんなお前を倒したがってる」
「わー、なんか周り見るのイヤだなーーー」


そのように、マイペースな口調で彼に話を振るのは、
少年エズラだ。
レンと同じく15歳で、他の三人とも似ることのない独特の性格の持ち主だ。
口調には一切の焦りも焦燥感すらも感じられないもので、風格も普通の少年というような具合だ。
彼はあまり接近戦を得意としていない。竹刀で日々鍛錬を行うのは、それが運動不足の解消になるからだ、という
子供らしからぬ理由でこの道場に参加しているのだという。
そんな道場。
今日は週に一度の実戦形式での練習。
つまり、一対一の模擬白兵戦を訓練として行う日だ。


「き、緊張するなぁ………」
「上手くやれるかな、俺」


彼ら以外にも道場の門下生はおり、人数にして20人ほど。
歳の差も上下様々で、最も低い年齢だと11歳、高くて19歳ほどである。
実戦形式の訓練は、日常的な立ち合いや打ち合い稽古の成果を見せつける場面でもある。
週に一度、必ずその機会があり、それを楽しみにする人や、緊張する人もいる。
しかも実戦訓練は師範の評価に直結するものであり、この評価により鍛錬の中身が変化するのである。
立ち合いの組み合わせは単純にくじ引きによって行われ、試合時間を1分と定めて行われる。
勝敗のつけかたはごく単純。
相手の身体に一度でも竹刀を直撃させることが出来れば、その時点で終了となる。
この訓練では勝ち負けをつけるために行うものではないが、門下生たちの考えからすれば、
相手に勝つことが出来るのなら、日々の鍛錬の成果が出ている、とどうしても考えてしまうのである。


そうして。
実戦形式が始まった。


「はっ!!」

「やあぁっ!!」


気迫の籠った声が響き渡る。
道場はそう広いものでもないが、鍛錬を積み重ねるには20人でも充分な広さはある。
その空間をすべて使用して行われる実戦形式による訓練。
この道場の師範、ドレンは腕を組み右手の親指と人差し指を顎に当てながら、その様子を見る。
組み合わせは完全に自由に行われるため、年齢差のマッチも当然あり得る。
11歳の少年が16歳の少年と戦うことだってあるのだ。
鍛錬のことでいえば、明らかに16歳の方に分がある。
しかし、師範のドレンは言う。
いかなる状況でも対応できるようにする。世の中自分と対等に戦ってもらえる相手などいない、と。
冷静な思考を持つ者からすれば、ごく自然なことだと考えられる。
彼らは戦争というものを知らない。
だが、これまでに起こり続けてきた戦争では、数え切れないほどの犠牲者を出している。
その中に兵士がどのくらい含まれていたかは、後の公式記録を待つしかないが、
年齢差は当たり前のように存在したことだろう。
何も兵士=若年層であるとも限らない。60歳の兵士がいる可能性だってある。
しかし、こうした実戦形式で大切にすることは、そうした将来的なものの見方や考え方より、
その人がどのような立ち回りをして攻勢し、防御するのか、そこに尽きる。


「次の相手は………おっ、来たかレン!!」
「全力で行くからね!負けないよ!!」


ツバサは皆の評価で、この道場の中で最も強い門下生であると言われている。
恵まれた体質による効力というのも確かにあるのだが、技量が他の者たちと比べ精密で桁違いなのだ。
長身でありながら小回りの利く立ち回り、そして大柄でありながら力の加減を完全に制御して攻撃できる手腕。
それを前に、今レンが立ち向かう。



ツバサ、レン、エズラ、ソロ。
彼ら4人は、全員がこの村に来て揃ってから、ずっと仲の良い集団である。
それは学校でも、日常でも、どこにいてもお互いに何の気兼ねなく話し合える間柄だ。
村の人たちも、この四人の姿はよく見ているし知っている。
小さな山間に囲まれた小さな村の一子供たちではあるが、皆にとっては輝かしい存在に見えたことだろう。


このご時世、子供という存在そのものが、まるで宝のように思われていた。

第2話 村の夕暮れ


「………悔しいなぁ。あんなに早くに負けちゃうなんて」
「でもいつもより長かったように感じたぜ!」


道場での2時間ほどの鍛錬を終えると、
既に村は夕暮れ色に染まり、もうすぐ夜が訪れようとしていた。
弱くやわらかな風が、疲れの溜まった身体に染み癒してくれる。
彼らも、他の子供たちも、今は帰宅の最中だ。
それぞれの家の方向に向けて解散していく。
………とはいっても、村全体が知り合いだらけであるし家もさほど距離が離れていないので、
途中まで皆が同じ方角に向かうことにはなる。
道場での実戦形式での鍛錬は、実に苛烈さを極める内容だった。
お互いにまるで死闘のような打ち合いを行い、白黒をつける。
そこで学べる中身というものは膨大にあるが、そのすべてを門下生が見つけるのは難しい。
その補助をするのが、師範代のドレンの役割であった。
一人ひとりにあった対応や鍛錬の重ね方を指導し、確実に成長へと結びつける。
そのためのアドバイスを欠かさないドレンを、皆は慕っている。
今日の鍛錬は実戦形式でのもので、一分という短い時間の中で普段の成果が問われるものであった。
はじめは一人一回ずつの対戦であったが、それが全員分回った後には、勝利した門下生同士がぶつかり合うという
構図に切り替わっていた。


「はぁ………まさか竹刀を弾かれるだなんて………」
「レン、お前だけじゃない。ツバサと戦った相手すべてが、同じような負け方をしたんだ」
「え?あっ……、そうだったかな」


門下生の中で最も強いと言われているツバサは、誰もが思う期待を背負い込み、それを体現した。
勝ち続け勝ち続け、残り人数が少なくなってきた時に、レンと対戦した。
対戦時間は僅かに20秒。
レンが先制攻撃を行い、すぐに手数を増やしてツバサに連打をしたのだが、ツバサはそれを見切ったのか、
僅か一度の動作で、レンの両手から武器を弾き飛ばしてしまった。
武器を手放した時点で勝ち目はない。その短い時間で、あまりにも大きすぎる力の差を見せつけられた。
子供心に響くものなのだ。誰かに敵わない、誰かより劣っているというのは。
それをうまくフォローしたのが、二つ上のソロだ。
実際ソロも最後まで残った一人としてツバサと対したのだが、同じように短い時間で竹刀を弾かれてしまい、
そこで勝敗が決まってしまった。
ソロが言うように、今日彼と対戦した幾人はすべて、彼から武器を奪われて敗北したのである。


「おいツバサ、あれは狙ってやってたの?」
「まぁな。そういう戦い方もどうかなーって思ってな!」


エズラがそのように問い、それにツバサが答える。
エズラは元々近接戦闘、竹刀を使うような鍛錬は苦手だ、と自分で公言している。
その代わり、他の誰にも負けない一を持っているのだが、それは学校生活において紹介しよう。
ツバサは鍛錬の中で、実戦形式の中で、自分に出来る戦い方を試しながら対戦していた。
普通の門下生は、実力を思う存分発揮しようとする。
それに一生懸命になるだろう。
しかし、その辺が最も強いと言われる所以なのか、ツバサは戦いながらあらゆる戦い方を身に着けていた。


「なるほどなあ………いやホント見事ってくらい強かったよ」
「ツバサの取り柄はそこに集中しているからな。仕方ない」
「サラッと酷いこと言うなっ!」


他愛のない会話をしながら、村の中を歩いて行く。
道行く人たち、隣町での仕事から帰ってきた大人たちと挨拶を交わしながら、
村で一番大きな十字路に差し掛かる。
道はただの砂利道で舗装もされていないようなところだが、それでもこの場所が最も広く、
そして色々な方角へ行くことが出来る分岐点である。
彼らの家路の分かれ道もここだ。


「じゃあまたな!!」
「あいよー、またな~」
「では週末に」
「またねーっ!」



分かれたのはそれぞれ二人ずつ。
家の方角が共に一緒のペアで、その道の終わりまで行くことになる。
ツバサは、レンと。
エズラは、ソロと共にいく。
ここでお別れをすれば、まるで一日が終わったかのような気持ちにもなる。
毎日を生き、楽しく過ごす彼らの姿。
そんな子供たちの姿を、大人たちもよく見ているのだ。


「どうやったら強くなれるかな?」
「いやーどうなんだろうな?ホント。でもレンなら大丈夫だって!」
「ははは、どこから来るんだろうその自信。でも信じるね。あ、ちょっと買い物してからでいい?」
「いいぜ!俺もついてくよ」
「来たって何もないんだからねーっ」



二人の家はそこそこ近い距離にある。
村全体が狭いので、彼らの距離的な感覚は他の地域に比べれば全然違うものだろう。
ツバサの住んでいる家が中々に驚きというか、苦労するようなところにある。
この村は小さな山々に囲まれている。
その一部は少し高い丘のようなところだったり、背の低い山だったりと色々だが、
ツバサの家はその前者にあたるものである。
坂をのぼった先に家があるので、村の中心部に降りてくるまでには多少の時間が掛かる。
それに比べれば、レンの家はまだ村の外れにあるという程度で近い。
彼女が買い物に行くと言いだすと、本心ツバサも「暇だから」ついて行く。
このようなことが、過去何度もある。数え切れないほどに。
それでも彼女は笑顔で応えてくれる。


「あら、貴方たち今日はもう道場終わったのかしら?」
「はい!今さっき終わりました!!」
「そう。毎日お疲れ様ね」

「ほっほっほ、今日も来たかい。いつもありがたいことね~」
「今日は豚肉でお願いします。それから、玉ねぎと………」


彼女が買い物を次々としていく間、ツバサは一歩後ろに下がりながらついていくばかり。
そしてそれは、過去幾度もあった機会の中で、変わることのない姿だ。
正直に言えば。


「いやー、まぁよくそんな凝ったメニューを考えるよなぁ~」
「………逆に、ツバサが今までよく一人で自炊して来られたと思うよ、私」


彼は彼女の買い物内容に、話がついていけていなかったのである。
それらを購入して夜何を作るか。明日の弁当は何にしようか。
彼女は色々な工程を考えながら食材選びをするのだが、一方でツバサは単調な考え方ばかり。
自分にとって美味いと思えるものを幾つも持ち合わせ、それを週替わりで作り続ける。
単純に好きなものばかりを食べるのがツバサであった。

彼女の話にもあったが、
ツバサは一人暮らしをしている。
16歳で一人暮らしというのが世間的に早いのか遅いのか。この村の常識では早過ぎるくらいだが、
それもきちんとした理由があってのことである。
彼がそうしたいと願った訳ではない。


買い物を二人は終えると、それぞれまた帰路につく。
夕暮れが進み、反対側の空には暗い色が迫りつつある。
今日はもう遅くなる。帰ったらゆっくりしよう。
出会う一人ひとりの村往く人に挨拶をしながら、子供二人が帰宅する。
それを見て、大人たちは微笑ましいものだと思い、感心し、そして笑みを浮かべるのだ。


「明日は何するの?ツバサはっ」
「そういや決めてないな!何しよっか?」
「私に聞かれても困る、よ」
「ハハハそうだよな!ははっ!」


そうしてお互いの分岐点に辿り着き、少年は「またなっ!」と、少女は「またね~っ!」と言って
家に帰っていく。
山間に沈んだ太陽の明るさも、もうじき無くなっていく。
彼女の家はここから近いが、彼の家はまだもう少しだけ歩かなければならない。
そこから先は急というほどでもないが、上り坂がひたすら続く。
行きも帰りも傾斜を往くという、道のり的にはやや辛いものではあるが、それを越えれば褒美がある。
見慣れた光景ではあるが、それ故に好みの光景だ。


「………ふぅ」


辿り着いた家の傍。
彼の家の他には、建物らしい建物もなく、近くに神社と呼ばれる信仰の意味を含んだ建造物があるくらい。
それも視界の中には無いし、林になっているところの奥にあるもの。
人が近づくようなものは一切なく、それ故にひと気もない。
村の人たちは知っているだろうか。こうして村一面を見渡すことが出来る光景があることを。
あるいは、こんなところに家を建てて住んでしまった彼の特権なのだろうか。
すべての人と共有できないにせよ、この楽しみは誰かと分かち合いたいものだ。
息を吐き、その景色を見る。
夕焼け色に染まって美しくも壮大に見えるタヒチ村の全面。
それを見下ろすことが出来る場所。それが彼の家の前だ。
あらゆる通りもすべて見え、家の在処や造りも見渡すことが出来る。
先程自分たちが通ってきた道も容易に見つけることが出来、村一番の十字路や道場も、何もかもが見える。
見慣れた光景ではあるが、美しい光景であることに変わりはない。
村の平地から歩いて20分ほど。
この高台のような、山の上のような、または丘のようなところに来て、彼の帰路は終わる。
その光景を背にすれば、すぐ自分の家がある。



家は、一人が住むには充分すぎるほどの大きさだ。
部屋の間取りは居間以外に三つもあり、そのどれもが誰も住まない空虚な空間だ。


「はぁーっ、ただいまー」


そう言っても、返してくれる人間は誰もいない。
もとより彼は一人暮らし、そのようなものを期待してもいない。
にもかかわらず、日課のようにそう言っては、家の中へ入っていくツバサ。
恐らくそのようなことをしている、と誰も知らないだろう。
彼に“家族がいない”という事実を知る者は多いし、一人暮らしをしていると理解している人も多い。
それを支えてあげようとする村の人たちがいるくらいだ。
ツバサは荷物を整理すると、すぐに自分の部屋に行き、そして一冊の分厚い本を手に取る。


「さって、今日も勉強するかーっ!」




そうして手にした本。
名前は『人類の歴史』というものだった――――――――――――。

第3話 家での過ごし方


「いやあの見た目からは想像できないが、あいつは結構勉強好きだぞ」


――――――――――――ただし、自分の興味あるものだけな。



というのは、
歳は違うが同じ学級で学習するソロの言葉だ。
彼らの学校は歳の差関係なくすべての学生が同じ授業を受ける。
分かれる要因としては、入学する年度によるものだけ。
年度が違えばそれぞれ中身も異なるが、その年度の中には歳が3も4も離れている者もいる。
ソロと仲の良いツバサ、レン、エズラの三人は同じ年度に学校に入った。
そのため、勉学の進行具合は歳が違えど同じなのだ。
この村、あるいはこの国の中には、この歳にこの学校に入学しなさい、というような規定はない。
ただ学校によってそれぞれレベルは異なるので、それを選択していく形を取ることになる。
田舎暮らしの辺境地域には、そうしたレベルの差異による選択肢は存在しない。
何しろ学校そのものが一つしかないのだから。


タヒチ村も例外ではない。
州全体では学校の数は幾つかあるが、村と呼ばれるような規模には一つあるのが普通で、
集落程度の小ささには学校すら存在しないところもある。
そのため、学校に通うことの出来ない環境にある子供も多くいる。
たとえばこうだ。
このソロモン連邦共和国は、非常に広大な領土を持ち、大陸の6割強を占めている。
大陸は物凄く広いので、タヒチ村でさえ首都に行くのに数千キロ掛かるという状態だ。
飛行機などを使えば一日程度で着いてしまうところだが、
地方に行けば行くほど現代からは離れがちになる。
そして、辺境と呼ばれる地域では、隣の町や村まで数十キロから百キロ程度離れていることもよくある。
そうなった場合、村や集落に学校がなく、隣町や村までの距離があまりに長いところに住む子供たちは、
学校というものに通えない。
国が運営する公的な教育機関を利用できないのだ。
そのため、教育が捗らない子供も多く存在する。


そう言う意味では、
彼らの村はまだ環境的には恵まれている。
たとえ規模が小さいとはいえ、学校がある。
そして、誰にでも書物を手にすることが出来るのだ。


歳上のソロはそのように言うが、
その“あいつ”とは、ツバサのことを指している。
彼は見た目やその性格から考えて、勉強熱心な人間とは程遠いと思われている。
それが他人から見たツバサという人間の姿だ。
しかし、実はツバサも勉強そのものを苦にしている訳では無い。
興味のあるものに関しては、前向きに取り組もうとする。
彼が今読んでいる、あまりに抽象的な題名の書物も、学校の蔵書の中から引っ張り出してきた一冊だ。


「ふむふむ」



やや独り言を呟きながら、真剣そうに一人で本を見る。
既に夕暮れでこれから夜ご飯の時間だというのに、それを放っておいて今の本を読み続ける。
一人暮らしの特権とも言おう。
誰に何を言われることもない、自由な時間。
その時間に彼が読んでいたのは、人類の歴史と書かれた本。
文字通り、今まで人類という文明が刻んてきた歴史の数々が記録された本である。
この手のものは、何もこの書物に限ったものではなく、ほかの多くの書物において見ることが出来る。
彼が面白いと思うのは、執筆者によって多様な考え方がある、それを文字で見ることが出来るという点だ。
このような性格の持ち主でも、色々と勉強し考えることはある。
彼が注目して見ていたのは、「50年戦争」と呼ばれた時代の歴史。
最近になってようやく様々な情報が開示され、歴史家たちが挙って本を出版しているという。
彼はまだ自分でも浅はかな知識しか持っていない、と思い込んでいる。
それが実は他の誰よりも詳しくなっているという自覚はない。



彼自身が「戦争」というワードに興味を持ち始めたのには、理由がある。
彼のデスクの横に飾られている一つの写真。
そこに映る、男女の姿。男は帽子を被り、防寒着を身に纏いつつ、腰のベルトに剣を下ろしている。
それが理由だ。



「……………」



『50年もの間、戦争は停滞と激昂を繰り返しながら行われ続けてきた。多くの犠牲を出しながら、具体的な成果を得られた国は殆どない。強いて言うのであれば、現状最も強大な国と言われているソロモン連邦共和国が、あらゆる方面への権利を主張し、処理を行うことが出来るようになった。一人ひとりに与えられた影響というものは限られているのかもしれない。』



戦争が人々に与える影響は様々だ。
しかし、この50年もの間続けられた戦争が、何か好転するキッカケになったかどうかは甚だ疑問である。
………というのが、この人の主張らしい、とツバサは解釈する。
今まで当たり前のようにあった生活が、ある日を境に全く無くなってしまう。
それは彼とて経験したことだ。
好転とは言い難い現実だ。
それを人々は50年という歳月、繰り返し行い続けてきた。
際限なく、ひたすら続く解決のない暴挙。
純粋に少年心として、なぜ人々は争うのだろうか、と考えなくもない。
争う理由もあるし、戦う必要もある。
しかしそれらは戦いでしか解決できないものなのだろうか、と。


「まぁ、いつまでも何を求めて戦ってるのかってことだよな………」



少年は少年なりに考えを巡らせていたが、それを誰かに打ち明けたりすることはない。
あくまで教養の一つとして、この時点では考えていた。
何分ここは首都からも、敵国からも離れた安全圏内。
戦いが起こるようなことはまずないだろう、というのが当たり前の考えだった。
何事も無ければ、この村で何十年も過ごす者もいる。
あるいは隣の町に出て働く者もいる。
さて、自分はどうなるだろうか?



読書に一時間ほど費やした頃には、もう外は真っ暗であった。
彼は今日買ってきた食材を選び、適当に夜ご飯を作る。
今頃レンはあの沢山の種類の食材を使って色鮮やかな夜飯にしているんだろう、などと思いながら、少年は肉料理を食べる。
男たるもの、それで充分。
毎日消費するエネルギーに見合う栄養を蓄えればいいのだ、と。
食事を終え片付けを済ませると、彼は再び自室に戻り読書を始める。
夜はこうして時間を潰すことが多い。
日課、趣味とも言うべき読書。その内容は、いつも何らかの勉強となるものばかりだ。
あれからツバサは続きを読み続け、気付けば日付が変わる頃だった。
流石に眠気もあり、欠伸も出てきたところで中断する。


「明日何するかなー………っ」


明日は学校も道場もない土曜日。
道場はほぼ毎日行われているが、ない日もある。
師範のドレンも休みたい時はあるだろう。
彼は毎日身体を動かすことを欠かさずに行っている。
日常生活での意味ではなく、道場に通う門下生としての運動という意味だ。
自分の身体が鈍らないように、トレーニングやストレッチ、ランニングを毎日行う。
その成果が今の身長と道場一の称号なのかもしれない。

彼は眠気に満たされて目を閉じるまで、布団の上でゴロゴロする。
やがて眠気が襲い掛かってくる。
気付けばきっと、朝になっていることだろう………。




…………。



夢を、見ている。
空は赤く染め上げられ、遠くに夕陽が沈もうとしている。
大地はその陽の色に照らされ、実に綺麗な大地を映し出していた。
見覚えのある光景、というよりいつも見ている光景。
そこに映っているのは、彼という自分と、かつて傍にいた二人の存在。
それが自分の机の脇に飾ってある、二人の正体であることは明白だしすぐに理解できた。
何故ならこれは、彼が過去に経験した実体験を映し出したものだからだ。



『また、会えるよね?』


『ああ。もちろんだ。きっと、どこかで』


そう言い、次に会ったのは、これと全く同じ光景。
もう何度見たかも分からないその光景は、彼の心象に宿る現実を映す鏡。
その部分だけをまるで抜き取ったかのように記憶し、それを何度も何度も再生する。
時折この夢を見る。
忘れた頃にやってくることもあれば、何日か置いてみることもある。
よく、夢の中で“これは夢だ”と気付くことがあるというが、
この光景はその最たるものを極めている。
これが映った瞬間には、もうこれは夢ではなく、かつての自分が経験した現実なのだと、理解できる。
そう、彼は確信していた。
不思議なことが起こるものだが、それもまた夢のひと時。
楽しさや嬉しさ、喜びを一切感じることのないそれは、それでもかつての姿に会える唯一の機会だった。




………。

第4話 村での過ごし方《午前》



日付は変わり土曜日。
タヒチ村は今日も天気が良く、気温も20度前後でとても快適、過ごしやすい。
土日となると、村の商店通りも賑わいを見せ、また地方に出稼ぎに出ている大人たちも村に留まるので、
それなりに活気が生まれる。
とはいっても、多寡だか村一つの活気など、他所と比べるまでもない。
しかし、それが村の人間たちにとっては居心地の良いものであった。
大人のみならず、子供たちにとっても休日は楽しみの一つ。
家族との時間、友人との時間。
それを朝から晩まで共有することが出来る。



「………ちと、顔でも出してみるか」



夜が明け暫く。
時刻にして午前10時。
ようやく目覚めある程度の身支度と片付けを済ませたツバサは、
家から出て道を下っていく。
彼の今日は特に予定がある訳では無かったが、あるところへ出かけることにした。
それも気分で、特に意味を持たず。
ただの暇潰しといったところだろう。
そうして訪れたのは見慣れた光景。
家から20分ほど歩けば辿り着く、いつも通っている建物の隣の建物。



「お、やってるねえ!」
「ん?なーんだ客人か……しかも見知った客人。おーい、“招かれざる客”よ」



彼がやってきたのは、学校。
今日の学校は休日で子供たちの数も少ない。
子供の面倒を見る大人ですら僅かに数名しかいないのだから、閑散とするはずである。
そしてその雰囲気を崩さず、静かに黙々とあることに打ち込む子供たちがいた。
年齢は学校の学級と同じようにバラバラ。
だが、その中では今彼が見ているその男が最も年上だった。



「酷い言い草だなぁエズラ。よく来てんだろ?俺も!」
「はいはい、今日もいらっしゃい」



彼が見ていたのはエズラ含む6名の学生たち。
そして彼がやってきたのは、学校のすぐ隣にある別の建物。
エズラたちの視線の先には、白く丸い形をした目標物と、それに描かれた黒い円。
そして建物は、周囲と天井を囲むようにネットが張られている。
学校の隣に小さくも存在するこの建物は、弓道場だ。
文字通り弓を射る練習をする場所である。
ツバサが私服姿でいるのに対し、弓道場の学生たち6人は皆道着を身に着けている。
男性五人、一人女性。
少ない人数ではあるが、学生たちはそれぞれ穏やかな表情を浮かべながら練習に取り組んでいた。
ツバサがそこに現れると、皆彼に挨拶をして招き入れる。誰かさんは否定的な言葉を述べたが、ツバサにはお構いなし。


「しかしまぁ………相変わらずデカイな、お前さん」
「長身は俺のステータスなんでねっ」



そう自慢げに親指を立てながら、会心の笑顔を見せるツバサ。
しかしそれに反応しないのがいつものエズラ。
「へー」と棒読みで言いながら聞き流すのは、もう慣れっこだ。
恐らく学校一背が高いであろうツバサ。
彼は暇なときにこうして弓道場を訪れることが、月に何度かある。
エズラとは剣術稽古で一緒だが、他の人たちと話したり遊ぶことはあまりない。
エズラは剣術道場と弓道部の二つに通う、マイペースに見えて活動的な少年なのだ。


「ツバサ先輩、いかがですか?弓、やっていきませんか?」


その時、彼の周りに集まっていた学生のうち、唯一の女性である彼女が声をかける。



「おぉ、良いのかアヤ!?やるやる!!」
「これだ。これだからもう………」
「ふふふ」


道場で唯一の女性はアヤという名前だ。
年齢はエズラよりも一つ年下で、ツバサから見れば二つ下ということになる。
入学した年度が彼らよりも一年遅い。
まだ14歳と若さに満ち溢れているが、その落ち着いた淑やかな雰囲気は、誰からも評判がいい。
その彼女がツバサに声をかけてくれると、彼もそれに応えた。
それを横で見ていたエズラが細い目をツバサに見せるが、こうなればもう止まることはできない。
他の男学生も笑みを見せながら、一人ひとり異なる台詞を吐いては準備に取り掛かる。
あまり広くない学校に少ない学生だ。全員とは言わないが、知り合いの間柄の人間は非常に多い。
ツバサは月に何度かここに来て暇をつぶしている。
邪魔しに来ているようなものなのだが、何故か皆それを快く受け入れている。
文句を言うエズラもまた、彼の登場を喜んではいる。
いつものことだ、と 流し気味ではあるが。


道場は神聖な場所である。
たとえ歓迎された客人であっても、弓を扱うというのであれば話は別だ。
彼らの後方には既に座布団が七枚も敷かれているのだが、それは後に使うもの。
ツバサもこの道場に保管してある道着に着替えると、またこの道場に予備として保管してある弓を持つ。


「背の高い弓道者ってのは良いモンだな」
「なななんだよ突然。これから射るって時にさ?」
「いやぁ別に?続けてどうぞ」
「ふむ………」



ツバサの眼が見開く。
焦点はただ一つ。白いサークルの中央にある、黒い点。
的に矢をあて、その矢がどれほど的の中心に行くかで、技量と点数が問われる。
息を吐き、鼓動と振動を抑え、そして目標を睨む。
自然と見開いていたその眼は細くなり、ただ一つの獲物を狙う鷹の眼のようになり。



そして、静かに。
その弓から矢が射出される。



「………」


「………お前さん、格好は本物だが技術が伴わないよな、いつも」


「………あああこのっ!今は良い感じだと思ったのに!!」



手の空いて右手が空を斬る。悔しいという気持ちの表れだ。
結果、その矢は的の上、壁に激突するというものだった。
狙い自体は正しいが、それが真っ直ぐ的を射るようなものでもなかったらしい。
意識をもっと下に向けていれば、恐らくその矢はど真ん中に命中したことだろう。
何しろ左右にずれてはいない。
皆その結果を見て笑ったり悔しがったり。
“一向に成長しないツバサの弓”に、何故か期待をかける学生たち。
それを面白がっているようにも見えるが、それがまた楽しいとも思えるのだとか。



「おしかったですね。でも、前より格段に良くなっていると思います」
「そうかぁ?んーー、まぁアヤがそう言うのなら、そうだと信じるぜ!」
「また前向きなことで………お前さんは」



この部活、弓道部の主将はエズラということになっている。
彼は剣術稽古と弓道部の部長をしているため、どちらかといえば弓道に精を出し、
剣術稽古は中々捗っていないというのが現状だ。
普通ならどちらか一つを選ぶものだが、彼は好んで二つを自らに取り入れようとしている。
しかし、自分とすれば居心地よく、また技量を発揮できるのは弓だと考えていた。
そしてエズラから見れば一つ下の後輩になる14歳のアヤは、弓道部の副部長だ。
14歳という年齢は、弓道部員の中でも最も低いのだが、実を言うと彼女と同じ歳の学生が、ほか4人、
そして一つの上のエズラがいるというのが今の弓道部の状態だ。
元々弓道部はあるようでなかったような部活なのだが、それを彼女が好き好んで入部し、しかも仲間たちを複数人連れてきた。
勧誘によって今は6人まで部員を増やして、日々活動をしているのである。


「よし、もう一本!!」



と、それから一時間ほど練習し、気付けば昼飯時になっていた。
流石に休日の弓道部も午前中までが練習で、午後からの予定はないという。
しかし、土日の練習で毎回恒例にしていることがある。
それが。



「よし、じゃあ皆弁当広げるかー」
「はい!」


練習後の、弁当である。
頭も身体も両方使い疲労した昼時に、皆でご飯を食べて話し合う。
弓道場がそれほど大きい訳では無いが、彼ら6人が座るくらいの余裕は充分にある。
そして今は、彼らにプラスしてツバサがいて、座布団が七人分用意されている。
弁当は6人分しかないのだが、それを若干分けてもらい、ツバサも昼飯を頂く。
ただのお邪魔者のように見えて、道場の手伝いなんかもする。
月に何回かある程度だが、その機会を楽しみにする学生もいる。
弓道はあんまりだが、ほかの運動や剣術が桁外れに高い能力を持つ彼を見習いたい、と思う人も中にはいるのだ。


「先輩は何故そんなに身体が動かせるのですか?」
「何故、と言われても困っちまうなぁ。元々良いのかな!?ハハ」
「もう、いつもそんな感じですね」
「ま、ツバサからその取り柄を失くしたら、残るのはご自慢の長身だけだからな~」
「あ、おいー!!」



彼自身、何故自分がこれほど動くことの出来る身体になったのかは理解していない。
そのため、他の誰かに教えると言われても無理難題なのである。
強いて言うならば、毎日何かしらのトレーニングを積み重ねていた、といったところだろうか。
答えになっていないツバサの発言に納得のいかないアヤではあったものの、それはそれで楽しいと言うか。
笑って聞いていられるような、いかにもツバサらしい発言に心温まっていた。
その後も楽しい昼食の時間は続き、いつの間にかご飯が食べ終わって一時間も会話をしていた。
流石にそろそろ閉めようか、という話になり、長い時間邪魔していたツバサも引き上げることになる。


「また来てくださいね!先輩」
「ありがとう!みんな!」
「そのうち、ということで頼むよツバサ」
「一人だけ冷たいのがイルナー」



弓道場から出て、学校の敷地内から離れる。
さて、まだ昼過ぎ。次はどこへいこうか?

第5話 村での過ごし方《午後》



午前中と昼食を学校隣の弓道場で過ごしたツバサ。
午後からの予定はない。
せっかくの休みだから、村の中を散策しようか。
彼の年齢であれば、時間など幾らでもあるし作ることも出来る。
それでも、ただじっと待っているよりは、自分で何か動いた方が気乗りもする。
そう思って、ツバサは用事が無いというのに村の中を出歩いていた。
村往く人たちが声をかけてくれる。
村一番と言っても過言ではないくらしに背が高い彼は、村の大勢の人間が知る存在。
大人から子供まで、知り合いが沢山いる。
実に平穏な世界だ。世間で起きているそれとは、全く異なるといっても良いくらいに。



村の広場を横目で見る。
広場といっても十字路の先、村の端に近いところにあるところだ。
何分この村は狭く行き来するのが容易い。
中心点から離れていたとしても、行くまでにそれほどの時間を必要とはしない。
広場はよく子供たちの溜まり場となる。
たとえばこの空間で、球技をしている子供たちをツバサもよく見る。
野球、サッカー、バスケットボール………など。
一体どこからその文化はやってきたのだろうかと疑問に思うこともあるのだが、それが子どもたちの遊ぶ手段で
あるのなら、まぁ気にすることも無いだろう。
休日である今日この時こそ、そうした賑やかさがあるものと思っていたのだが。



「………あれ?」



そういう風景にはめぐりあえず。
おかしいな、今日は休日のはずだ。それとも考えすぎか?
しかし、その代わりに思いもしなかった人物が二人、そこにはいた。
二人は広場の奥の方にあるベンチに座って談笑しているようだった。
広場の中央は何も無く、ただの更地。
更地のようで整地されているのが、子供を思う大人心の表れなのだが、それに気付く者はいるのだろうか。
ツバサは、その二人を知っている、というよりもう一人はいつも一緒に稽古し、学校に行く仲なので、
意外と思いつつも二人に近づいた。



「あ、ツバサっ………!!」
「あーら、また妙なタイミングでおいでなすったわね」

「………おう???」



そこにいたのは、一人はレンと、もう一人は一学年上で更に一つ年上の先輩。
名をアデルという。
彼と親しいという訳でも無いが面識はある。
というより、レンをキッカケにしてツバサがその先輩と知り合ったと言うべきか。
経緯はこうである。
レンとアデルは歳は違うが、同じ村出身で仲良し。
学校に入る年度は異なるが、その親しい間柄は他の村の人たちも知っている人がいる。
前にレンが彼女にツバサの話をしたところ、それに食いつき「会ってみたい」という話になった。
そしてノリに乗り会ってみると、アデルは彼のことを気に入ってしまったのだった。
暫く前の話になるが、以来彼とアデルは話をする間柄にはなった。
もっとも、アデルという学生、あまり学校内で見かけることはない。
学校に来ているのだろうか?と疑問にさえ思う時もある。

しかし、そんなことは置いておき、
どうやら彼は悪いタイミングでここに来てしまったようだ。
しかし、一体何を話していたのやら。


「何してたんだ?二人とも」
「ツバサが気にするこたぁないよ。女の子の秘密ってやつさ」
「“女の子”ねぇ………」


『あんた今サラッと酷いこと考えてただろ?』
と聞こえてくるが、ツバサの頭の中にはその言葉は入って来ない。
もし、これを見ている誰かが「この口調で女性………?」などと思うようなことがあれば、
ツバサと同罪になることをはじめに打ち明けておこう。
やや男勝りな性格を持つ彼女だが、それ故に信頼度も厚い。
レンも知り合ってからは、色々と何でも言い合える間柄のようだった。



「それよりあんたは何してたのさ」
「俺か?午前中は学校に居たんだけどな。今はヒマなもんでね!」
「学校?ああ、成績が悪いから講習でも受けてたのかい」
「言っておくがそんなものは一度も受けたことがない」



根元から完全否定するツバサ。
彼は興味のある教科に対してはずば抜けて成績が良いのだが、
それ以外の興味のない教科の勉強は決まって平均点かそれ以下。
「ごく無難な点数を取る」というのが、先生からの評価だ。
知りたい、興味のあるものに対しては追究し、そうでないものは必要以上のことはしない。
それなりに割り切った性格でもある。
因みにアデルは成績優秀者とは程遠い存在で、休日講習の経験者である。
何しろ学校であまり見かけないと噂されるほどなのだから。



「ヒマなのか、そうかそうかっ。よし、ちょっと付き合え」
「はいぃ??」
「ちょっ………アデルっ………!」



するとアデルが突然ツバサの手を掴んで、自分たちと同じ長いベンチに強引に座らせた。
流石に意図の読めないツバサは困惑するが、それ以上に困惑していたのは、寧ろ彼女の隣にいたレンであろう。
顔を逸らして赤くしているのをバレないようにしていた。



「まぁまぁ。あんた、今まで恋愛したことあるかい?」


………。
レンの顔はもう固まっている。
アデルの表情は「してやったり」と会心の笑み。
そしてツバサは、唖然。
ああ、なるほど。
そういう話題をしていたのね。



「なーんでまた突然」
「いいから答えろよ。男の意見も参考にしたいだろ?」
「大丈夫じゃね?だってここに――――――――――」


刹那。
アデルの踵落とし攻撃。
痛恨の一撃。
ツバサの右足は痺れて思うように動かせない。
またしても彼女はしてやったり、というような表情。
おい、アデルよ。そういう行動から学ぶべきじゃあないのかな。
もしそんなやり方でなかったら、俺も「ここに男っぽいのがいるし」なんて、考えなかったぞ。
口に出さなければ辛うじてセーフだと思っていたツバサに鉄槌が下る時間は一瞬だった。



「じゃあこうしよう。一つだけ答えな。どんな女が好みだい?」
「はー、そうだなー。俺はまぁ、元気がいいやつがいいな!!」



なんてったって、俺も元気人間だしな!
と笑みを浮かべて自信たっぷりにそう言い放ったツバサ。
かえって呆れてしまうほどの自信げな態度に、苦笑いの二人。
結局何がしたかったのか分からないまま、話の内容すらつかめないツバサはこの場では用済みとなったらしい。
広場が閑散としているから何かと思えば、もしかしてこの二人がいるから周りが遠慮したんじゃないか?
なんて、心にもないことを考えるツバサだったが、無論これは表には出さない。
心の底からそう思っている訳でも無い。冗談というやつである。



その後。


「どうだい。男の意見ってのは参考になるのかい」
「アデル………自分で振っておいて、その………」



なんの当てにもしていなかったのね、と続けるレンと笑うアデル。
彼女に関しては自分に関わるものでなかったようだから、楽観視していたようだ。
その切り替えの良さ、素早さがレンもお気に入りではあるが。
煮詰まった話の最中にやってきた、不意の来訪者。
たまにはそんなこともあるよね、と心臓の鼓動を落ち着ける、レンなのであった。


一方。
ツバサはというと、その後も村の中で時間を潰し、太陽が少し暮れかけてきた頃。



「そうだ。たまには行ってみるか!」



そう言い、村の外へ出る。
極東の地タヒチにある、極東の極地。
そこに広がるのは、海辺。
港は存在せず、人もいない、断崖絶壁のあるところだった。

第6話 タヒチの壁



オーク大陸の極東地方に位置するタヒチ村。
その極東地域の更に東側、人も住まないありのままの自然がそこにはある。
気まぐれに少年はそこを訪れた。
最東端、漁港や貿易港などの一切存在しない、純粋な海岸と断崖絶壁。
地元の人たちは、そこを「タヒチの壁」というように呼んでいる。
彼らに言わせれば、この場所は古くからその呼び名で通じていたのだという。
もっとも、このようなところに近づく人もあまりいないようだが。



「………ふぅーっ!やっぱり風強いなぁ!」



誰もいない海岸。
海辺までには高さがあり、見渡しは良いが落ちれば命は一瞬で無くなる。
そんな断崖絶壁のエリアがこの辺りは南北に続いている。
崖のすぐ近くは風が強く吹き、平地よりも気温が低い。
人間にとってあまり良いことはない。
この近くに住む人もいなければ、立ち寄る人もそうはいない。
海岸線沿いは高々とした崖が連なり、船が停泊できるような場所も一切ない。
そんな危険満載の場所に、時々ツバサは訪れるのだ。
夕日が沈む方向とも異なるのに、よくこの時間に訪れる。
誰もいない、鳥が時々飛び交うだけのような、切り離された世界。
なぜここを訪れるのかというと、なんとなく、と言えるものが多い。
そんな気がするのは本人が充分に自覚していることである。



「はぁーっ………」



深呼吸。
そして真っ直ぐな目でその先の景色を見る。
青い海が広がり、夕焼け色に染まる空が浮かび、その奥にはやがて訪れる闇が見える。
それを見ながら、ツバサは考え事をするのだ。
決まってこの場所に来た時は考え事をしている。
なぜかと言われればそれも気まぐれなのだが、彼が考え事をするという環境が、他と似ているのかもしれない。
と、自分では思っている。
誰もいない時、一人で自由に時間を使える時。


「ここも、変わらねえな。いや変わる訳ないか………」


変わるはずのない景色。
変化すら訪れない果ての海辺。
ここは激動の地より遠く離れたところ。
彼にとって東の最果てであり、そう思う人も他に多くいるだろう。
世の中が変動し続けているというのに、自分たちの周りは何も変わらず平穏そのもの。


――――――――――――それは、正しい姿ではある。



そう。
人々の生活は平穏であるべきだ。
自分もそうでありたいとは思う。
しかし、それを素直に受容出来ない自分がいるのも確かだ。
平穏は望んでいる。
しかし、一方で遠くの彼方では。


「……………」


歴史を学ぶ者、その歴史の中に埋もれて行く者を知る。
自分とは直接関係のない者でも、そのように考えてしまう自分がいる。
あの村にいる限りは、よほどのことが無い限り平穏そのものの人生を送ることが出来るだろう。
だが、それで満足できるとは限らない。
今の生活は大切だし、何より楽しい。
しかしそれは永続的なものだろうか?
自分はそうであったとしても、周りの人間はどうだろうか?
着実に昏迷に向かっている現状もある。
それは、放っておいて良いものだろうか?
彼の中でその思いが巡り巡る。



誰かにこれを打ち明ければ、きっと反対される。
だから自分は一人で考え事をしているんだ、と納得する。



「………いや、けどな………」


彼の複雑な境遇が、複雑な胸中を生み出す。



『私はね、どこかで苦しんでいる人たちの為に、戦いに行くんだ』


かつての光景が脳裏に思い浮かぶ。
そう言って、その男はここを離れ、その果てに二度と戻って来ることはなかった。
誰かの為に何かを成そうとする者だった。
それが、戦争に赴くという形で、自国の民を護るために戦った。
確かにそれで護られた命も多くあるだろう。



「そうなんだ!お父さんはスゴイね!!」


離れて行った父親を支えるために同行した母親も、その後帰って来ることはなかった。
男の立場上、戦いに出なければならないのは仕方のないことであった。
そこへ子供を巻き込む訳にはいかない。
そうして、少年は独りになった。
戦争から遠ざけるために、戦争から最も遠い位置で、最も寂しい立場となった。
それがもう10年も前のこと。
両親の失踪を聞かされて、それが死であることは小さな少年でも理解できたことだ。
もしかしたら、今の自分が平穏に暮らせているのは、
いつか苦しみに喘ぐ者たちを生み出さない為に戦った父親と、それを全力で支える母親のおかげなのかもしれない。
多くの、多くの人々のおかげで、この生活が出来ているのかもしれない。
であれば、その幸せや平穏はずっと大切にしておくべきだ。



だが。
そこで無邪気に、素直になれるツバサでもなかった。


夕陽を背にして、
その色に染まる海岸線、そしてその先の闇に映る地平線を眺める。
そして彼は思う。
俺は一体、どうしたいのだろうか、と。



それから数十分の時間をそこで過ごし、
陽も落ち暗くなり始めたところで、ツバサは村へと戻る。
帰宅するにもそれなりの時間が掛かり、村に戻った頃にはもう夜になりかけていた。
いつもの村を見下ろす高台まで戻ると、村は静まり返っている。
これもいつもの光景。
明かりがちらほらと見えるが、その程度。
町などと比べれば、どうしても見劣りするのが現実だ。
それでもここが気に入っているのは確かである。


家の中に戻ると。



「ん?留守電か?」



家の中にあった、壁掛けの電話が点滅している。
たとえ小さな村であったとしても、電気や通信は開通している。
無いところもあるのだが、彼らの環境はそれらと比べればまだ恵まれていると言えるだろう。
両親が残した電話。その電話に入る留守電の声を聞く。



『おーっす。エズラだけどよツバサ、明日急なんだが町いかないかーって話になったもんで連絡したよ。留守電入れとくから、返事頼んますー』

「………なんとまぁ暢気な声だこと」



いつもと変わらないなー、などと思いながらその留守電を聞いたツバサ。
朝から昼にかけて一緒に弓道場にいたエズラからの留守電。
皆というのが誰々なのかは分からないが、隣町に遊びに行くという計画のようだ。
すぐに分かる。突発的な中身の伴わない計画だと言うことを。
しかしそれでいい。よくあることだし、いつもそうした機会が楽しいと思える。
せっかくの週末、道場も学校もなく。
無論、彼の答えは一つ。
その突発的なお誘いに参加することだった。



「よし、明日も暇じゃなくなったな。よっしゃぁっ!」


………。

第7話 陽の当たる町で


そうして迎えた日曜日の朝。
唐突ではあるが予定を埋めることに成功したツバサ。
何も無いより何かをしていた方が良いと思うタイプの彼には、ちょうどよい機会であった。
時刻は朝の9時半。
集合は村の最も大きな十字路の中心だった。
この日は天気も良く心地良い風が吹き、お出かけ日和といったところだろう。



「お~~はえぇなみんな!!」


「遅ーい!3分遅刻だよっ!」


「何か皆に驕ってもらわねばな」


「はいっ!?そんな罰則付きだったのかっ!?」



そこにいたのは、今日参加するメンバー全員なのだろう。
彼以外に、レン、ソロ、エズラ。
いつもと何も変わらない四人の集団。
唐突に予定しても、何事も無く集まる間柄。
そして予定されていた時刻のはずなのに、なぜか遅刻と言われるツバサ。
なるほど、ようやく分かったぞ。
あえてそういう風に仕向けたな………?
と、不敵な笑みを浮かべながら、でも楽しそうにしていた。



タヒチ村の隣町、エンスク。
村から歩いても30分程度と近場にある町だが、隣町とはいえそれほどの規模ではない。
村よりは2倍も大きい町ではあるが、やはりこの地方全体が辺境という位置づけにあるために、
活気は他所に比べても少ない。
しかし、村では揃えられない交易品や物品が流通していることから、タヒチ村の住人も好んでこの町へ買い物に来る。
タヒチ村の人からすればアクセスはそれほど悪くない。
ところが、このエンスクの町から次の町までが徒歩で4時間を超える位置にあり、距離も50km近く離れる。
とても徒歩移動では行けず、自転車や車といった移動車両が無ければ、村の人たちも行こうともしない場所となってしまう。
そのため、エンスクの周囲にある村などは、揃ってこの一つの町に集結する。
唯一頼りになる流通の場を求めて。
子供たちは自転車に乗り、片道徒歩30分の道を15分ほどで行く。



「着いたら何しようねっ」


「腹ごしらえ!!」


「まだ早いよ」


村以外のところで遊ぶ唯一の場所とも言えるだろう。
彼らの世界観では、この村と隣町のエンスク、その他少しの世界しか知らないのだ。
この大陸、この世界はあまりに広大だ。
そのすべてを知るのは、何人も不可能であろう。
しかし、そのたった一部しか知り得ないというのも、損なのかもしれない。
それぞれ思うところもあり、価値観も異なる。
それでも変わりないのは、今の時間が楽しいということだ。
楽しみ合える友人がいて、なんでも話し合って、笑いあって。
それが出来るのも、この平穏な世界観に浸透し続けているおかげなのだろう。


世の中が変貌し続けていることなど、
彼らの中ではまだ認識の範囲でしかない。


町に到着すると、既に町の中は多くの人が行き交う日曜日の姿になっていた。
決して大きくはない町とはいえ、週末にここへ来る人も多い。
彼らのように、この町に遊びに来るものや買い物をする人もいるということ。
子供も街道には見え、大人たちも商業施設の集まる街道に集結している。
町の盛り上がりのあるところと、そうでないところが分かれているのがこの町の特徴だ。



「さーて、今日もやりますかっ!」


「良いね!ここでしか遊べないモノっ!」


「決まりだな」


「あれかぁ?まぁ懲りないなぁみんな………まぁ楽しいからいいけどさー」



そうして彼らが訪れたのは、町のやや外側に位置する公園。
彼らがこの町に来て熱中するもの。
公園の中を縫うようにして作られたアスファルト。自転車や車が通ることが出来るような道だ。
地方に住む彼らにとって、アスファルトの存在はやや珍しい。
他の地域を繋ぐ主要の街道は整備されていることが多いが、それ以外の小道や裏道などはすべて砂利道。
中には人が通ればそこが道となるような曖昧なものもある。
それは置いておき、彼らがしようとしているものは。


「お、また来たね僕たち。今日は“レース”かい?それとも“タイムアタック”かい?」


「あー!どっちもやりたいけど、まぁ取り敢えずレースにすっか!」


――――――――――――カートと呼ばれる乗り物遊び。



この大陸のみならず、ほかの大陸でも今は当たり前のように浸透しているもの。
機械化と工業化の発展と共にその歴史を歩んだ技術の結晶が、自動車と呼ばれるものだ。
化石燃料を媒介に、内部燃焼と上下運動によって動力を発生、それを駆動輪に伝達して巨体を動かすというもの。
カートはその簡易版。
とはいっても自動車という扱いに変わりはないが、子供向けのお遊びの車のようなもの。
速度はたったの30キロしか出ず、乗車人数もたったの一人。
大きさも普通自動車に比べれば遥かに小さいが、それ故にアスファルトの上でレースが出来るというもの。
娯楽施設の一つでもあるゲームセンターには、このドライブゲームがあるのだが、
やはり手の届く乗り物は自分で乗ってこそ、なんていう子供心が彼らにはある。
そのため、エンスクに遊びに来た際には、絶対にこの公園に来て遊ぶ。
ドライバーとなる子供たちには出来る限りの安全装備を身に着けさせる。
ヘルメットはもちろん、ハンドルを握るグローブや衝撃吸収用のスーツ、専用の靴。
これらを装備して、ようやく子供たちはこの珍しい遊びに参加することが出来る。



「よっしゃあ!いくぜえっ!!」



なぜこのような町にこのような娯楽があるのか、と言われると答えは難しい。
この公園の整備も遊技場の展開も、すべて有志により実現したものだ。
この場所を運営する人たちが10人ほどいるというだけで、ほかはただの公園と変わりはない。
だが、この町の貴重な遊技場の一つとして、今では町全体からの補助を受けている。
子供たちも、彼らのように安全を徹底したうえで遊ぶことが出来る。
ほかの地方の子供たちも遊ぶ、人気のスポットになっているのである。
彼らがこの遊びをし始めたのも、ほんの二年ほど前から。
既に運転歴は長い。この経験が後に意外な恩恵を受けることになるのだが、それを語るのはまだ早い。


「んー、みんな早いよ~」
「へへっ、やったぜっ!」
「相変わらず、いい腕をしているな」
「………はえぇ」


もう何十回とレースを重ねているのだが、
その中で最も多く一位を獲得しているのが、ツバサだ。
彼自身どういう訳かよく分かっていないが、この遊びに関しては他の三人よりも上手い。
カートの性能はどれも変わりないというのに、どうしてこれほど差が出るのだろう?と他の人たちが思ってしまうほど。
その腕の良さは、まるで剣術道場での彼を見ているように、誰もが等しく認めるものであった。


「これより早くなったらどーだろーな」
「世の中の車ってのはこれよりもっと早いんだろっ?乗ってみてえなあ!」
「危なくって、見てられないよ………」


生憎とタヒチ州は中央からは遥か遠く離れた土地。
場所によって技術の伝達、発達にズレが生じているため、彼らのいる地域では世界で当たり前になっているものが
なかったりもする。
電気は通っているし、ガスも通っている。生活のライフラインは必要なものが揃っている。
しかし、移動手段は基本徒歩か自転車。
世の中で当たり前のように浸透している車などというものは、今のところ彼らの生活圏では文字にしか出て来ない存在だ。
それも彼らの住んでいるところが「地方」であり「辺境」であるのが理由だろう。
最低限人々が生活していくのに困らないものは揃えられている。
しかし、それ以上のことを望める環境にはない。
彼らのいる国、ソロモン連邦共和国はあまりに広大すぎた。
元々すべての国民の生活を同程度の水準にするという政策など取っていないが、地域差は時に支持率を揺れ動かす。
あるいはそれを求める国民が強欲なのだと非難されるか、自分の力でその先を手にしてみろと言われるだけか。
このような珍しい機会に触れられる、今の状況に感謝するしかない。


カート遊びが終わると、
彼らは腹ごしらえをするために、この町に来てよく行くうどん屋に入る。
あまり金銭的に余裕のない子供たちにも優しい一杯。
ツバサはすき焼きテイストのうどんを、レンはきつねうどん、ソロはかき揚げうどんに、エズラは肉うどん。
それぞれの味を頼んでは、元気よく食べる。
遊んだあとのご飯というのも格別の味で、またうどんのこしも良く食べごたえがある。


「美味えなぁっ!」
「こら、ゆっくり食べなよ」
「っと、悪い悪い!」


午前中はカート遊びに夢中、昼はうどん屋。
さて、午後から何をしようかと考えながら食事をしていた子供たち。
店の中には他にもお客人が沢山いるようで、色々な話が飛び交っている。
笑い話や真剣な話、この世の中の情勢に関することまで様々だ。
子供たちからも色々な話が聞こえてきているが、今はそれを意識することもなかった。
うどん屋で話し合い、午後はやはり町でしか基本買えないものを買うことになった。
村に商店は片手で数える程度。しかもそのすべてが日用品や食料といったものばかりだ。
村で生活をしていくためには必要なものが揃っている。
逆に言えば娯楽や趣味に関するものは、村では揃えることが出来ないのだ。
そのため、町での買い物は貴重な機会となる。



「よし、じゃあ一時間は自由行動にすっか!」
「そうだね!皆それぞれ欲しいものもあると思うしっ」



四人ともツバサの出した意見に納得し、それぞれが町の中で散り散りとなる。
皆で一緒に買い物をするのもいいが、自分で欲しいものを自由に見て選ぶ時間も必要だろう、とツバサが話し、その通りになった。
そのツバサはというと。



「やっぱり、なんだかんだ言ってここに来ちまうよな~」



赤いレンガ調の建物。
近場では見かけない造りのそれは、書店だった。
図書館と併設された書店となっており、周りの建物よりもやや大きい。
何よりこの赤いレンガ調の建物がよく目立つ。
しかもこの建物は書店という役割だけでなく、建物の一部が塔のようになっている。
塔の中央部が空洞になっており、その頂上には大きな鐘が下げられている。
また壁には大きな時計が設置されていて、一時間ごとに鐘の音を鳴らす仕組みとなっている。
この町のシンボルのような建物だ。
このような辺境な土地でも、この書店はあらゆる地方の本を集めようと努力しており、
出版先がソウル大陸のものも数多くある。
勉強熱心………とは言い難いが自分の興味のあることに対しては集中力が高い彼は、町に来るたびに書店も訪れる。



「やあ、こんにちは。また来たね」
「こんにちは!!また遊びに来ましたっ」



ここの司書を務めている青年ガイアは、
ツバサのことをよく知る間柄だ。
彼がこの書店を頻繁に訪れているという理由だけでなく、
ガイアという青年がタヒチ村の学校に書物を配送しに来ることがあり、会う機会が多いのだ。


「今日はどんな感じですか?」
「そうだねー………珍しいものでいえば、コレなんてどうかな」


ツバサはここへ来ると、ほぼ毎回書物を購入する。
彼が興味のある本が多いが、この書店で購入する者に関してはそれに限ってはいない。
なぜかといえば、この書店は他所の地域、地方、あるいは国の中で出版された本を取り扱っているからだ。
そのため、彼らが普段生活をしていて絶対に目にすることの出来ない本も、この店にはある。
彼はそういったものに興味を示し、ガイアと仲良くなってからは色々と案内してもらっている。
ガイアがその中で見つけてきた一つの本を、彼に見せる。
本の題名は『古の都アラド~文明開化の礎と繁栄の中心』。
歴史上にあった事実を記したもの。
遥か昔の人類と文明の姿を描いたものだ。
古の都アラドというのは、ソウル大陸に存在する大きな都市のことで、長期に渡り繁栄を続けた人類の中心地として、
ツバサたちの通う学校の教科書にもその記載がされている。
しかしあくまで教科書は事実を羅列させたもので、その詳細というものは中々隅々までは書かれていない。



「おぉ、イイですね!」
「これは現地にいる人が前に出版したものだ。現代の人が書いたものとはいえ、より詳しい状況が見て分かると思うよ」
「OKです!!買います!!」



相変わらず君は歴史書が好きなんだね、と笑顔で答えるガイア。
それに対しもちろん、と元気よく答えたツバサ。
毎回のように本選びを手伝ってもらっては、彼の読む本の方向性は手に取るように掴める。
彼は迷わずにその本を選び、そして買う。
彼はこうしてここで本を買い、そして家に持ち帰り読み更ける。
そのため彼の生活空間には、彼が興味を持った分野の本が数多く揃っている。


「そういえば、今日はいいのかい。君の言う“中央”に関わる本は」


「………あー、そうですね。けど、まだ見足りないものがあるので!」



先程までの笑顔とやや違い、真剣な眼差しを彼に向けたガイア。
“中央”と呼ばれる土地。それにまつわる内容の本や資料。
彼がここに来て、その中央と呼ばれるものの本を買うのには、大きな理由がある。
そしてその理由の一片を、このガイアという青年は知っているのだ。
何しろ彼がそれを求め、その声に答えるためにそれを探し紹介したのがガイアだったのだから。



『ご両親とも軍人に……そうだったんだね。辛いことも多かっただろうね………』


はじめてその事実を告げられた時に、ガイアは彼にそう返答した。
一方の彼は、その事実があまりにも重苦しいものであるはずなのに、笑顔で元気よく打ち明けていた。
誰にでも打ち明けられるものでもない。
だが、彼は興味本位を追求するために、自らの事実をその人に明かしたのだ。
彼とて全く人を選ばなかった訳では無い。
それにこの書店にきてすぐにガイアにその事実を打ち明けたのでもない。
そう、この町に友人と、あるいは一人で来る機会が多くなってから、ガイアに話した。
「自分の両親は、10年前の世界大戦に出兵し、それ以後帰って来なかったんだ」と。


「中央に関わる本は、またの機会にします!」


「そうか、分かったよ。次来た時の為に、いつでも用意しておこう」


「ありがとうございますっ!!」




ツバサの父親は、ソロモン連邦共和国の軍人だった。
それを支えるために、母親は父親の出征に付き添った。
子供一人を置いて行かなければならなかった。
その判断が果たして良いものであったかどうかは、分からない。
しかし、ツバサは両親のいなくなった後、周りの後押しを受けながら強く成長した。
自立能力に富み、剣道も習った。
彼が中央という存在に興味を持ち、自らを強くし続けてきたのには、意味がある。



父親の背中を、母親は追って行った。
その先に、二人は一体何を見たのだろうか?
今自分に出来ることは、その世界を断片的に知ること。
でも、もしいつか、自分でその世界へ入ることになったとしたら。


………。

第8話 見慣れぬ姿


「さて皆何してるんだろなー?」



自由時間、という風に彼自らが設定した。
書店で30分ほど時間を使ったツバサであったが、まだもう少しばかり時間はありそうだ。
町の中を回ってみよう。他の人たちが何をしているのかは分からないけど、
近いとはいえそう頻繁に来ることも出来ない町だ。
きっとレンは買い物を買い込んでいることだろう。
何しろあの人はこと自分の生活に関することは素晴らしい出来栄えだ。
それが料理しかり、身の回りの整理しかり。
同じ16歳とは思えない、というのがツバサの率直な感想。
エズラは徘徊するようにのんびりしてるかもしれないし、
ソロは………何をしているのかがあまり見当がつかない。
何度も同じメンバーで町に遊びに来ているというのに、彼らを知り尽くすのは難しい。
まだ時間はある。せっかくだから色々と歩いて見てみよう。


そう思って、町の大きな街道へ通じる道を歩いた、その時。



「ん………?」


町の中の細道、建物と建物の間でやや明かりが差し込み辛いその場所で、
何か不穏な様子が見受けられた。
見慣れないが統一された服装の人間が二人、その先に一人の男。
同じ服装をしている二人は恐らく男だろうが、随分と図体が良いように見える。



「あれは………」



こんな町の細道で一体何をしているのだろうか、と疑問が浮かび上がるツバサ。
思わずその場に立ち止まり、その方向を凝視してしまう。
目を細め、奥で何をしているのかを鋭く睨み付ける彼。
周りの人たちは気にせずに歩いている。
というより、あれに気付いていないのではないだろうか?と思うほど周りは自然体だ。
見ようと思えばハッキリと映るだろう。
一人の男が、二人の同じ格好をした人たちによって、連行されている。
その場面にツバサは直面した。
一体何が原因で、あの路地裏のようなところで連行されることになったのだろう?
ただの興味ではあるが、何故だろう、無性に気になってしまう。
一歩前へ、何かを確かめようと行動したい、その気持ちが出ようとしたその瞬間。


「あれは“州軍”だな」
「うわっ!?」



隣に不意に現れた一人の男性によって驚き、反応して声を出してしまった彼。
だが奥の三人には見向きもされなかった。一瞬焦りが出て額に冷や汗をかいたが、
すぐに隣に現れた人の正体を確認する。


「な、なんだソロか………吃驚したぜ」
「それはすまないな。お前を見つけたものでね」



右手にビニール袋を提げた男、ソロ。
どうやらこの人も他所で買い物をしていたらしい。
そしてツバサを見つけ、ここまで近づいてきた。
その視線の先に居る者の存在にも気付いたようで、ツバサにそれを告げていた。
“州軍”と、男は言った。
それが何なのかはツバサにも分かっている。それこそ、何度も本などで勉強した内容だ。



“州軍”
ソロモン連邦共和国軍所属タヒチ州方面部隊。
連邦軍と呼ばれる巨大な軍事集団の中の一角に存在する部隊で、
あまりに広すぎる領土を幾つも区分けして、州ごとの軍事統制を行っている集団。
基は連邦軍であるが、所属地域によって統括と配置がそれぞれ異なる。
ここでの州軍はタヒチ州、つまりソロモン連邦共和国領土の中でもタヒチ州と呼ばれる地方を管轄する軍隊だ。
軍人の総数は数え切れないほどと言われており、また各州にそれぞれ軍隊が配置されている。
州軍が持つ役割は大きく分けて二つ。
一つはその州内部の防衛。もう一つは州内部の治安を維持する目的がある。
前者は外敵や異なる勢力、民族からの攻勢を退ける役割を持ち、
後者は国内の不届き者などを制裁し安定をもたらす役割を持つ。
となれば、恐らくあの路地裏にいるのは後者の類の者たちだろう。



「よく知ってたなぁソロ」
「ここには州統括本部もある。国の管理、お膝元だ。あの連中を見るのは初めてか?」
「たぶん。いや、見たことはあるだろうが、あまり気にしてなかったのかもしれねえな……」



俺としたことが、と吐き台詞を言うツバサ。
この時ソロは何故“俺としたことが”などと考えているのか?と疑問に思ったが、それを聞こうとはしなかった。
治安維持を目的とした部隊、それに携わる人員はこのエンスクには大勢いるのだろうが、公に姿を見せている機会はない。
何故なら、彼らの存在は民衆にとって大いなる脅威であるからだ。
何かやましいことがある人間にとっては特にそうだが、そうでなくともあの兵装を身に着けた姿は脅威に映る。
あれだけでも抑止力として機能することだろう。
人々の生活においてあらゆるものが抑止力として働く。
軍隊というのもそのうちの一つだ。
あれが存在するだけで、人々はそれを前に気を配り、自由を制限される。
好き勝手な行動を取れば、それが治安を乱すものと見做され処断される。
だが、あのような抑止力があるからこそ、“法律”という縛りが確かな意味を持つのかもしれない。
法は単一では無力。しかし、それを司り支配するものがあるからこそ、法としての機能を持つ。
彼はこの類のものに興味を持つまでは、それほど支配や統率などといったことに関心を向けなかった。
だが、よく考えれば、彼の境遇はまさにあの州軍がかつて立ち向かった相手から生まれたものである。
そうか、戦いに赴いた人は、この地より遥か遠くにいる脅威と戦い続けてたんだ、と思い、彼は拳を握り締めた。



それが、自分の父親にも当てはまることだからだ。



気が付けば、州軍の二人と連行されていった男は姿を消していた。
恐らくこの町にもある施設に送られていったのだろう。
人々が彼らに目を向けることはあまり無いようで、どちらかといえば関わりたくないというのが本心なのだろう。


「なんだ。随分と興味がありそうだな」
「ない、といえば嘘になるな。なんであの人が連れていかれたのか、ということより」
「あの州軍が普段何をしているか、ということか。お前は歴史と軍事には前から興味があったようだし、分かる」


教科書レベルでは、州軍が普段何をしているか、など分かるはずもない。
彼らの行動は細分化されているが一般向けに公開はされていない。
こと細かな情報は当然軍事機密になっているだろうし、一般向けに公開されている内容など、
誰にでも調べられるようなことばかりだ。
本当にそれを必要とし、その情報を手に入れる手段は限られる。



「しかしまぁ、危ないことには首を突っ込まない方が良いとも言うが………」
「………」



そう。
“一般人”であれば、日常的に軍人と関わる機会など普通はないのだ。
たとえこんなご時世であったとしても、一般人と軍人とでは同じ人間であっても異なる領域に居る。
それが大衆意見であり大方共通している認識だった。
ある程度の認識が備われば、軍人とは普段どのようにしているのかは容易に想像がつく。
それがあたかも事実のように認識してしまう。
しかし、他の人も同じようにそう認識するために、それが正解のように語られてしまう。
ツバサもその認識というのはハッキリと理解していた。
普段、あれは自分たちと関わるものではないのだ、と。
だがそれ一言で片付けられない事情もあるし、興味というのもある。
確かに彼らは民衆にとって脅威であり危険な存在なのかもしれない。
それでも、その一言では語られない多くを、彼らは持っているはずだ。



「さ、行くぞ。あまり覗き見して目を付けられても困るだろう」
「お、おう………」



確かに、凝視し続けてあまり目を付けられるのも良くないだろう。
彼に何ら落ち度もないし、後ろめたいこともしていないので捕まる理由など無いのだが。
その場を去る二人。
だがツバサはその三人の姿が街角で見えなくなるまで、その方向を見ていた。
普段は目にしなかった、珍しいもの。
州軍という軍人、兵士の立場にある者たち。
彼が何度も頭の中で考える機会があった、兵士という存在の現実。
その姿を見たツバサは、暫くその後ろ姿を忘れることが出来なかった。
それからのこと。
四人は合流して暫くは町の中で遊び、食べ、歩き。
夕陽が空の色を変え始めた頃に、また自転車でタヒチ村へと戻ることになった。



休日が終わり、また日常が戻っていく。



「では、明日学校で」
「またな~」



楽しい時間というのはかなり短く感じてしまうようで。
あっという間に夕方、これから夜を迎えようとしている。
唐突な呼び出しによる計画でも、思う存分楽しむことが出来た。
また、平日という五日間が始まる。
ソロとエズラと分かれた二人、ツバサとレンは、自転車を押しながら歩いて話をして帰り道をいく。
既に太陽は傾き、空は赤く染め上げられ、少しだけの風が彼らの髪を靡かせていた。



「あっという間だね!楽しい時間って」
「ああ、そうだな」



改めて思うと、本当に楽しい時間だった。
それがあっという間に終わってしまうというのが、受け止めなければならない現実というか。
いつまでもそんな時間が続けばいいのにな、と思うレン。
彼女は今の日常、休日の過ごし方にほぼ満足し、誰にだって本心だと思われるような笑みを溢す。
ツバサも今日という一日を楽しみ、陽気に過ごし、一日の終わりを告げる今日の別れが来るときまで、
きっと笑顔で過ごすことだろう。


「………」


………………?


なんだろう、この違和感。
どうして、彼はそんな顔をしているんだろう?


不意に訪れた漠然とした不安。
今まで感じたことのないような、いわれのない怖さ。
どことなく感じたそれが自分に圧し掛かり、錘を下げられているように重たく感じたその瞬間。
その理由は彼にある。
無論彼が悪いとかそういう話では無い。
彼女がふと彼に同意を求めて、その笑顔を見ようとした。
だが、実際にそこにあったのは笑顔ではなく、いつも真っ直ぐに瞳を向けていた彼の顔でもなかった。
眼を細く、俯きに、まるで何かを思い詰めるような表情。
楽しかったはずの今日にあり得てはならない、と勝手に思い込んでしまうほどに、衝撃的なその姿。
なぜそこまで衝撃的だったのかといえば、今日が楽しい日常でそれに反する顔だったから、というものではない。


あのツバサが、
そんな顔をする人だとは、思わなかった。


だとしたら、なんでそんな顔をするの?
彼女の疑問はやがて自然的に口に出ていた。多少濁らした言葉で。



「どうしたのツバサ?何かあった?」



と、彼女は問う。
彼は何かに気付くようにふと目を上げ、視線を戻し、そして問い主に振り返って。



「いや、気にすることはない。さぁ、帰ろう」



と、それだけを言って、また笑顔を見せて歩き始めた。
その一瞬はいつもの彼の顔に見えたが、その言葉には前の元気の良さが伝わってこない。
口調も冷静で声色も落ち着いていた。
本当にいつもの彼じゃないような、そんな気がした。
先程までの彼とも違うし、まるでどこか遠くを見ているかのようなその姿、瞳。
それに漠然とした不安を拭い去れない彼女。
一方で思う。


なぜ、自分がここまで不安になってしまうのだろうか、と。


夕空の下、風の流れるタヒチ村の自然の中で、二人は今日を終え明日を迎えるために、別れる。



………。

第9話 力の素

「………何を気にしていたんだろう?」

帰り道のツバサは、何か様子がおかしいというか、いつもとは違う気がした。
あれほど楽しそうに日常を送るツバサだけど、どこか、何かが………。

家に戻ったレン。
家の場所の関係で、家に帰る直前までツバサとは一緒に歩いていた。
いつもの彼ならばいつだって元気な姿を見せる。
それは、自分の前でも皆の前でも変わらない、ただ一つのツバサの姿だった。
けれど、それが“違う”と思う瞬間があった。

ツバサという人は、
誰からも信頼され慕われる人。
親切で優しく、元気いっぱいに辺りを走り回っているような。
先輩や年長者からも受けが良く、本当に誰からも愛されているような人。
皆がよく知る彼の姿というのは、とにかく明るく時にやんちゃな姿。
それが常だと思うこともあった。
いや、寧ろそれが常だと思い、あたかも当然の姿だと思い込んでいた。
皆はその認識を変えることはないだろう。
ツバサという人間の印象が、その方面にあまりに強すぎるから。
けれど、そうでない姿というのを、まだ私たちは知らなかった、のかもしれない。

『いや、気にすることはない。さぁ、帰ろう』

彼女が彼に問いをかけたとき、彼はそのように答えた。
彼がどのような性格の持ち主なのかは、彼の周りにいる友達がよく分かっている。
けれど、その瞬間の彼は、その認識のどれにも当てはまらなかったような気がする。
それに違和感を覚えるレンであったが、これを解決できる気は全くしない。
何かこう、ツバサの深い内面に触れてしまう可能性がある。
漠然とした不安は躊躇いになり、躊躇いは行動を制御してしまう。
不安の持ち主はそれを解消することが出来ず、この先も彼と関わっていくことになるのだ。

ただの興味本位というものではない。
何か、大切なものが見え隠れしている、そんな気がするのだ。

翌日を迎え、登校日。
今日からまた五日間の学校生活が始まる。
彼女はやや漠然とした不安を持ち、心が前に向かない状態での通学となった。
『何故自分がここまで気にする必要がある?』と、
心の奥底からそんな声を投げかけられているような気がする。
しかし、そんな声を跳ね除けて、彼女はその思いが自らの本当の思っていることであるという確信を持って、
できるだけ様子を表面に表さないようにしながら学校生活を送る。

「ははっ!そうだったのかー!流石ヘルマンだなっ!」


休み時間や講義中の発言を聞いていると、いつも通りのツバサだと感じる。
しかし、やはり昨日のあの姿というのも気になる。
その背景に一体何があるのか、問いただすことが出来ないもどかしさを覚えていたレン。
彼女がしたかったことは、何かもし事情があるのだとすれば、それは何なのか。
自分でできることはないだろうか、何か支えられることは無いだろうか、と考えていた。
自分は無力かもしれない。けれど、そんな無力な人間にもできることを探して実行していきたい。
彼女の思いすぎなのかもしれないけれど、それでも確かに彼の様子は普段見せない何かがそこにはあった。

昼休み。

「どうしたんだい。なんか浮かない顔してるね」
「えっ。そ、そうかな………?」

二つ年上の先輩アデルと共に昼食をしていたのだが、彼女の何か浮かない顔を先輩がいち早く察知して、
それを彼女に問いかける。
レンは、自分は何も平常心だと思い込んでいて、自分の表情も平静そのものだと考えていた。
しかし、どうやら自分の認識と他人からの評価、見え方というものは違うらしい。
何か悩みでもあるのかい、と問うアデルに彼女は甘え、心の内を少しだけ打ち明けた。
ツバサと帰る機会が多い。昨日は友人たちと隣町まで遊びに行った。
けれど、なぜか帰り道、彼は暗い表情を幾度か見せていた。
たったそれだけのことなのだが、たったそれだけが彼女の脳裏にやきついてしまっていた。
いつものような明るさもあるのだろう。
しかし、その奥にはどことなく迷い、悩みがあるのではないか。
そんなことを思う姿が見受けられたのだから。

「ほー、そうかい。あいつは悩みなんて持たないような人間だと、私は思ってたけどね。何しろ自分で“そんなものは似合わねえ!”なんて言ってるくらいだし」

でもまぁ、そういう人こそ悩んだ時はドツボにはまるのかな。
そうアデルは切り替えした。
レンがここまで彼のことを考える必要もないのだが、それでも気になるものは気になった。
まずアデルは、彼がそのような姿を見せた経緯となるものを聞いた。
彼女も詳しいことは知らないが、帰り道はどうもいつもの彼らしくなかった。
何に引っかかってそのような姿になったのだろうか。
その経緯が分かればアデルとしても色々と手の打ちようがあったというもの、それが分からないのではどうしようもない。


「一緒にいた連中に聞いてみるしかないね」

前向きに話を集めようとしたアデルは、ソロのもとへ行った。
できるだけツバサには探りを勘付かれないようにして彼に聞きに行くと、あっという間に経緯というものが判明した。
もともとソロも誰かに言うつもりなど毛頭なかったのだが、隠す必要もないと判断し、それを求めてきた二人に回答を用意した。

「兵士?」
「州軍かい?まぁ確かに隣町は行政の中心地だからな、それに気にかけるのも無理はないか」
「でも、何故ツバサは兵士を気にしていたんだろう………?」

路地裏のようなところで、州軍と遭遇したというツバサとソロ。
その後から、言われてみれば確かにツバサは様子を変化させたようだった。
表面上はあまりそれが顕著に見えていなかった。
少なくともソロは今この瞬間に言われるまで気付くこともなく、そう言われてみれば確かに、と認識する程度だった。
もしかしたら、エズラは気付いてすらいないかもしれない。
レンが彼と二人きりの道を帰っている時に、彼女はその漠然とした不安を感じ取った。
だが、ツバサが州軍の兵士を見て何故そうなるのか、背景が全く掴めない。

「まぁ確かに気になるところだけど、でもちょいと引き気味に見てた方がいいかもしれんね」
「アデル?それはどういう………」
「あいつは歴史とか軍事に多少なりとも興味がある。それは一番あんたたちが分かってることだろう?」

同級生なんだから、とアデルは一言加えて説得力をつけさせた。
ツバサは普段から熱心に勉強をするタイプの人間ではないが、一方で自分の興味あるものに対しては夢中になるという一面もある。
すべてがすべて興味本位というものではないが、確かにツバサは歴史的な事実に目を向けたり、そのような書物を読む機会が多い。
アデルは、それにすら何らかの理由があると考えている。
ただの興味では無く、その興味を持つに至った理由というものがあるだろう、と。
もっとも、それを明確に調べ確認する方法は、今のところ本人に聞く以外ない。
だからアデルは、今はそれを置いてそっとしておくべきではないだろうか、と考えたのだ。
もし本当に彼に何かがあるのだとすれば、それは軽はずみに触れていいものではない、と。
冷静な意見は各々に思考を巡らせるのに充分なものであった。

「何にせよあいつ本人に何かがあるのなら、それを後押しするのも分かってやるのも、一番近いあんたたちにこそできることだよ。けどそれはあいつが必要とした時でも遅くはないさ」

軍事や歴史に興味を持っている。
特に歴史に関しては熱中度合いが他とは異なる。
それが彼本人の何かに起因するものかどうか。
それを知るのはもう少し後のことになる。
彼がそれを言いだすまで、待ってやろうというのがアデルの考えで、
ほかの者たちもそれに合わせることとなった。
もっとも、この時点でアデルは、何が起因であるかどうかを予測できてはいたのだが。



放課後にはいつもと変わらず、剣術稽古。
いつもの道場へいき、数時間の鍛錬が始まる。



「では素振り100本いくぞ、声を合わせて!!」



人の熱心なものに興味を持つのは、いけないことだろうか?
私は深く考えて入り込み過ぎているのだろうか?
そういった思いを払拭することが出来ずにいたレン。
普段あのような顔を見せることがないツバサが相手だからこそ、感じたものなのかもしれない。
思い悩みながらも竹刀を振り続ける彼女。
その迷い、悩みを振り払おうとするようだった。
“それを聞いてどうなる?”
“何か出来ることなどあるのだろうか?”
やはり、アデルの言っていたように、ツバサが何か言いだすのを待てばいいのだろうか。
そもそもツバサはそのような心配をしている、と考えもしないだろう。
あの人は強い、けれどそういう人だから。



「ねえツバサー、どうしたらそんなに強くなれるのー?」
「教えてほしいなー!」



暫く続いた鍛錬が一段落し、休憩時間が訪れると、そんな言葉が彼にかけられていた。
彼よりも4歳も年下の子供。背も小さく身体の発育だってまだ途中だ。
しかしこの道場には歳の上下に差があり、彼らのような小さな子供も何人もいる。
逆にツバサのような186cmもある高身長の子供は誰もいない。
休み時間、そのツバサを取り囲むように集まる子供たち。
それを遠くから見る同級生と師範代。
彼は困ったような表情を浮かべながら、左手を脇腹にあてて考える様子を見せていた。



「どうやったら強くなるって言ってもなー、鍛錬を繰り返すのは大事だぞー?」
「分かってるよーそんなことーっ」
「何か他にしてるの?」



詰め寄られるツバサは困惑する。
確かに自分は道場の中では最も強いと言われている。その自覚は当然あるのだが、
ツバサはこうも思っていた。
“世の中にはこの強さを持つ者など大勢いるだろう”と。
彼は決して今の自分に納得し、満足している訳では無い。
確かに誰にも負けないあたり、最も強い門下生と言うことは出来るだろう。
その実力は師範代でさえ納得し認めるほどのものだ。
だが、他人からの評価がどうあれ、ツバサ自身はそれを認めてはいない。
否定することもないが、認めもしない。
納得することもない。
更なる先へ行きたいという気持ちが十二分に存在するのだ。



「大丈夫だって!強くなろうって気がありゃ本当にそうなれるさ!難しくないだろ?」
「気持ちからってことー?」
「そうそう!自分より強い人を見て参考に出来るものは必ずあるさ。それを自分のものにすりゃいいんだ!」


おいおいツバサ。
それを言うと他の人は皆お前を見てしまっているぞ。お前じゃ参考にならん。
と、やや遠くからそんな呟きが聞こえた気がするが、それがソロから発せられた苦言であることはツバサも気付いていたし、
それに苦笑いをしながら「あはは」などと言うツバサであった。
彼の道場入門暦は長い。
それだけの年数と時間を鍛錬に費やしてきたのだから、強くない訳が無い。
といえば当たり前のようにも感じるが、師範代でさえ彼の力量は群を抜いてる、という言葉を更に凌駕していると考えていた。
生まれ持った体質や育ち方にもよるが、そのどれもがかみ合い発揮しているかのような強さ。
それはもう子供という小さな存在の領域を超えていた。
少なくとも、本人以外の人たちの多くがそう感じていたのだ。
ソロが「あれは参考にならん」というのも、自分たちが目指す相手の何段も上をいっている、と確信していたからだ。
レン、ソロ、エズラの三人ですら追いつかない。
そんな力を、強さを、彼はどこで手に入れたのか。
実のところ本人もあまりその辺りは理解しておらず、理由を問いただされても答えるのに苦労してしまうのだ。
ただ、彼は道場以外でも鍛錬を積み重ねていたことはある。
かつてそのようにしていた身近な存在を思い出しながら。



道場が終わり、月曜日がもうすぐ終わろうとしている。
今日も汗を流し、清々しいくらいに沢山動いたその身体を自ら運ぶ。
また同じようにレンとの帰り道を歩く。
笑顔で、元気のいいツバサ。



「明日社会科の課題、やった?」
「ああ、もちろん!!」
「じゃあ国語科は?」
「ああ、やってねえ!!」
「ふふっ」



相変わらずね、と静かに、だが笑みを浮かべて話すレン。
興味のあることには積極的に取り組み、そうでないものは疎かになりがち。
そんな彼の姿が、しかし彼らしいというか。
だが、ここで彼女は恐らくは彼の思わぬところを突いた質問をした。
それは彼女が昨日から持ち続けていた、漠然とした不安の一部。
アデルから聞いていた、いつか彼から打ち明ける時が来るかもしれない、という言葉を破る問い。
それと直接関わりはなくとも、彼の内面を知ろうとする問いだった。



「前にも、聞いたかなーって思うけど………ツバサが強くなりたい理由って、何かな」
「強くなりたい理由、か」



そう、これは前にも聞いたことがある。
確認という意味も含んでのことだ。
いつ、どのくらい前に聞いたかはもう分からない。
逆に言えば、この質問はそれほど思い出せない期間が空いたのかもしれない。
お互いにその意味を意識することなどなければ、忘れ去られていてもおかしくはない問いだ。


だが、その問いはツバサにとっては特別なものだ。
ただ単に“強くありたい”から“強くなろう”としたのではない。
彼には、確たる理由がある。
それを。



「なんでそんなものが気になるんだ?」



静かに、そう答えていたツバサ。
ただの疑問だったのだろうが、そのように問いを投げ返されたレンにとっては苦痛の一言だった。
何か自分がよくないことを口にしてしまったのではないかという罪悪感を得た。
そして、その時の彼の顔は、昨日同じような空の下で見たあの顔と、似ている。
言われてみれば疑問に思うのも無理はないだろう。
普通であればこのようなことを口にすることもないし、聞くこともない。
“○○って強いんだね!”という言葉がけはあるかもしれない。だが、
“なんでそんなに強くなれるの?”とはそうなるものでもないだろう。
それに、態々それを他の人にいう必要もなければ理由もない。



「皆も気にしてるよね!そ、私もその一人というか、あはは」



将来の夢とか、何なのかなーって。
そう口にする彼女。
これも最近はともかく、以前に何度か聞いた話だ。
その時は何と答えていたかは憶えていない。
理由は、ツバサ自身も明確な答えを示さなかったからだ。
子供であれば夢を見る。将来自分がどのような姿になりたいのか。
どういう仕事に就きたいのか、どういう人間になりたいのか。
誰しも等しく夢を持つことが出来る。
それを叶えられる人間がどれくらいいるのかという現実は、あまり考えたくはない。
ツバサにだって、きっと夢はあるだろう。
将来どのような人になりたいのか、というイメージもきっとあることだろう。
けれど、どうしてそれが“強くなること”と直結しているのだろうか?
勝手な曲解を自分の中で繰り広げているだけなのに、なぜかそれが真実のようにも感じられる。
身勝手な思い込みであるのにも関わらず、それが当てはまっているような気もする。
彼女はあくまで自分も皆が思っている一人のうち、という立場を維持しながら、それを聞いた。



「今のところ夢………うーん夢か、いや夢ってのはあまり決まってない気がするなー?」
「あら、そうなの?」
「おう。そもそも夢の着地点ってのがどこか分からないっていうか!」



彼女は、きょとんとした顔で、その言葉を受けた。


『何かをしたいという気持ちはある。いや、こうあるべきだろうって姿も分かる。だがそれが本当に選んでも良い道なのかは、分からない』



彼はそう答えた。
明確な答えは得られなかった。
言葉は違えど、前にもこのような言葉で伝えられたのかもしれない。
自分のしたいことはある、するべきこともある。
だがそれは、夢であるのか?
その夢はどこから始まり、そしてどこへ向かっていくのか。
彼にさえ分からないそれを彼女が理解するのは難しい。
だが、彼がどのようにして思っているのかは分かったし、ある程度の想像もついた。
でも、何故だろう。


彼は、自分の持つその力と強さで、何をしようとしているのだろう。



………。

第10話 レンの家族



彼を知る者の誰もが認める、その力の強さ。
その素はどこから来て、そしてどこへ向かっているのだろうか。
本人ですら知り得ないそれを、ほかの人たちが知るはずもなく、理解も出来ない。
そもそもそれを知る必要はあるのか?
知って何になる?
彼女の勝手な思い込みだが、恐らくは彼の内面の深いところに直結するであろうこの話を、
あまり求めてはいけない気がする、と彼女は考えていた。



もっと、夢って無邪気なものだって、考えてた――――――――――――。



だがそれはあくまで彼女自身の価値観によるもの。
夢が常に無邪気なものであるとは限らないし、決めつけるのは勝手だがそれが常では無い。
ただそれが、彼に似合わないものだと思ってしまっていたから。
彼に対して持つイメージが固着し過ぎていたせいか、その反動は大きかった。
単純に考えればごく当たり前のことでも、彼女にとっては大きな衝撃をもたらすものだった。


『何かをしたいという気持ちはある』


彼はそう言った。その後で、「何かをしなければならない」とも語った。
たった数秒の言葉がこれほどまでに重く圧し掛かって来るとは考えもしない。
彼女の問いだった夢、しかし答えは夢では無く未来の自分の“あるべき姿”。
彼自身でさえ定まっていないその姿。
身に余るほどの強力な実力を持った彼と、その彼が興味を示すものの先。
それらが重なり合った時、彼女は考え背筋を凍らせた。
けど、経緯が分からない。
もし仮にそれが本当だとしたら、彼のなりたいものが彼の興味と一致しているのだとしたら、
それは何故?と。



「ただいまー」
「あら、はやかったのね。お帰りなさい。先にお風呂にする?」
「うん、そうするかなっ」
「はいはい。お湯は沸かしてあるから、ご飯はその後にね」
「うん、ありがとうー」



自宅に戻った唯一の子供を優しい笑顔で迎える唯一の肉親。
レンの自宅には彼女と彼女を支える母親しかおらず、父親はいない。
ずっと前からこのような生活を続けており、母親は一人娘の彼女を一生懸命に育ててきた。
レンにとって親とはただ一人であり、毎日育ててくれる母親以外には存在しない。


母親に言われ、彼女はお風呂場で脱衣して、熱々のお湯の中に浸かる。
湯船に浸かっている間はとても幸せだ。
寝ている時と、お風呂に入っている時。
日常のあらゆる疲れを吹き飛ばしてくれるこの瞬間は至高の時間。
しかし、今日はややそれも異なる。
「あまり気にすることはない」と言われそれを思い出しながらも、どことなく考えてしまう彼女。
自分には直接的に関係ないはずなのに、それが近いようにも思えてしまう。
安らかな気持ちにはなれず、考え事をしながら湯船に浸かるのも久しい。
自分の日常にはなかった考えが巡っている。
でも、逆を返せばそれほど大切な何かだったのかもしれない。



「………夢、ね」



そういえば、
お母さんの夢って、なんだったんだろう?



彼女の記憶の中で、
父親と呼べる者は存在しない。
会ってすらいないし、彼女自身もあまり聞こうとはしなかった。
子供ながらに母親しかいない自分の家庭と、夫婦円満の他の家庭を見て、
自分の境遇というものを自覚したのだ。
そのように重たく捉えることが出来るようになったのも、ここ数年でのこと。
現実がどれほど圧し掛かっていたのか。
それが分かると、彼女はよりかつていたであろう父親のことを聞かなくなってしまった。
その話題はタブーなんだ、と勝手に思い込んでしまったのだ。
しかし、父親がいなければ彼女は生まれなかった。
だから他人に聞けない分、内なる自分に問うのだ。
どんな人だったんだろうって。
二人の生活の中で、全く父親の話が出ない訳では無い。
タブー視していたのは彼女だから、大体父親の話が出るのは母親からだ。
父親という存在の経験がなかった彼女には、普通の人間が持つような環境があまり分からなかった。
勉強熱心で物分かりもよく、周りに配慮も出来て空気を掴むのも早い。
そんな子供として成長した彼女でも、自分の親という存在は素朴な疑問の一つだったのだろう。



「夢?今日はまた珍しいことを聞くのね」
「うん。ちょっと学校で色々あって、聞いてみようと思ったの」
「そうだったのね」



風呂上がり、二人で温かいご飯を食べながら、彼女はそれを母親に聞いてみた。
彼女にとって母は唯一の親。お互いに色々と言い合える仲なのが特徴だった。
『夢』という言葉を彼女が出すと。



「夢、かぁ………もう長いこと聞いてなかった言葉ね………」



そう、どこか遠くを見るような瞳で彼女に返答をした。
人は夢を語るとき、その人の本質に近い姿を曝け出すと言う。
どこかで聞いた言葉だがそれは憶えていない。
もしそれがごくありふれたことなのだとしたら、母親にとっての夢もまた、どこか尊いものであったに違いない。
何故なら、母の顔もまた普段は目にしないものであったからだ。
夢を語る、感慨深く思う。
彼女はその変化に反応し、親の話に注目した。
それほど多くはない情報量の中で、彼女が直面した少しの違和感と向き合うために。



「貴方に会わせてあげられないのが残念だけど………私の夢は、お父さんと世界中を旅することだったの」
「………!」
「ふふ、驚くのも無理ないかしらね。普段村の中でしか生活している姿を見せていないから」



そういった理由は別にして、
彼女が驚いたのはその夢の中身だ。
“お父さんと世界中を旅すること”。
とてつもない大きな夢に、彼女も吃驚した反応を見せた。
旅、というのも簡単なものではない。
お金もかかるし移動も時間が必要だ。物を運ばなければならないし、食材だって現地調達。
時には悪天候の中でも行かなければならないし、命の危険とて充分にあるだろう。
そんな大それた夢を持っていたことを、彼女ははじめて聞かされた。
母親としては、彼女が子供の頃、うんと小さい頃によく語り聞かせていた“夢物語”だったのだが、
それを打ち明けることはしなかった。彼女も覚えていないようだったし、それはそれで新鮮というか。



「どうして、旅なの?」
「貴方が生まれるより前は、この村でない遠くの場所にいたこともあったわ。あの人と出会ったのも遠くの地」
「それはどこ?」
「うーん………そう言われると説明し辛いわね。だって、この国は広いんだもの」


彼女は父親の顔すら生で見たことは無い。
憶えていないというものでもなく、生まれた時にはもう、彼女の父親とは別れてしまっていたのだ。
それは離別を意味するが、その意味というのも生き別れではなかった。



「あまり話してなかったわね、そういえば」
「………うん」
「ではちょっとだけね。私とあの人の出会いというのは、貴方が生まれる………そうね、三年くらい前のことよ。まだ酷く戦火が巻き起こっていた時代のこと。今ではその国は無くなったけれど、ルウム公国という国とこの国が激しい戦争状態にあってね。私もあの人も、ルウムとソロモンの国境線沿いにある幾つもの町にいた」



それは、所謂『50年戦争』と呼ばれる括りの中に存在した、戦いの歴史の一部である。
『ルウム公国』
かつてオーク大陸の北西側に領土を持っていた国で、度重なる争いをソロモン連邦共和国との間で繰り広げていた国だ。
戦う理由など語り切れるものでもないが、その時彼女の母親と父親は、そのルウムとソロモンの国境線沿いにある、幾つかの町にいた。
国境でない内地でも戦が起こっているのだから、国境線で戦いが起こらないはずがない。
互いに小競り合いという言葉で済まされるような、小規模な衝突が頻発した。
それでも、一度の戦闘で死傷者が百人を超えることなど、ザラにあった。



「あの人は戦地に身を置く医者だったの」
「っ………」
「そして私は、国境線沿いで町の人たちの為にお手伝いをする、ボランティアだった」



戦争が40年以上も続き、多くの国々が疲弊し膠着する中で、活発化し始めたルウムとの戦い。
戦火は国境線沿いに多く及び、連日大量の死者を出していた。
大きな街に避難民が集結するのだが、それを狙われ激しい戦闘が行われる。
結果、一日に三桁もの死傷者を出す状況が毎日続いたのだ。
それだけの死傷者が出れば、医者も手が回らなくなるし、ボランティアとて手が足りなくなる。
そんな人々の都合などお構いなしに、ルウムとソロモンは戦闘を続けた。
色々な思惑と目的が交差しての戦争ではあったが、そんな国の思惑など、二人には関係ない。
そこで誰かが助けを求めている。出来る限りのことを尽くす、それが医者の務め。
誰かの為に何かをすることで、その誰かが救われるかもしれない。
それが最善と分かれば、迷いはしない。
ボランティアとして活動し続けていた母親と、医者として国境線沿いを回り続けていた父親。



「医者も多くいて、ボランティアも沢山いたけれど………今にして思えば、ちょっと変わった出会いだったのかもしれないわね」
「どういうこと?」
「私たちが活動していた町に、敵が爆撃を行ったのよ。周囲の町に比べれば人も多く、物資も流通している。そこでなら、医者も使える物資をフルに使って患者を手当てしていた。そこを、敵国は狙ったのね」
「ヒドイ………なんてひどいことを………!」


「いい、レン。今だって世界は危うい状態にある。いつ戦争が再開されてもおかしくないくらいね。でもね、戦争は一般市民の都合なんて一つも考慮してはくれないの。そこにあるのは、生きるか死ぬかの瀬戸際」



そう、彼女の母親はかつて戦地にいた。
元々国境線の近くにある町で暮らしていた、というのもあるが、ある日を境に状況が一変した。
ルウムとの小競り合いが起こるようになってから、疎開がはじまり男たちは兵士として動員させられた。
やがて本格的な両国間戦闘へと発展すると、国境線沿いにある町は容赦なく狙われた。
母は幾度かの戦いで家を失い、友人をも失った。
生き残った自分には何が出来るだろうか、と考えた結果、母はボランティアとして苦しんでいる人たちの助けになろうと決意した。
そうして母のボランティア生活が続いていくのだが、ある時ルウム公国は父親と母親のいたその町を爆撃した。
その町にはソロモン連邦共和国軍の駐留部隊の基地があった。
情報を知り得たルウム公国軍が、脅威の排除として無差別爆撃を行ったのだ。



「私はそれに巻き込まれてね……爆風で飛んできた破片で、お腹を裂かれたの」
「っ………!?」
「それを必死に助けてくれたのが、今のあの人。あの時はね、お互い若かったんだからっ」



そう、懐かし気に嬉しそうにも語る母親。
彼女は顔色を変えて驚愕しながらそれを聞いていたが、
今までタブー視して聞かなかったことが、次々と露呈されていく。
それに耳を傾けない訳にはいかない。
端から見れば馴れ初めのようなのろけ話だが、今となっては思い出に浸ることしか出来ない話だ。
何しろもうその父はいないのだから。



「意識を取り戻して、少しばかり歩けるようになってから、私はすぐにお医者さんにお礼がしたいって言って、あの人のところに案内してもらった。治療中は意識が無かったから、初めて顔を見たのはその時だったのよ。たまたまマスクを外していたときの姿だったんだけれどね、ちょっと髭面で髪もちょっと長くて、もみあげなんてあったりして………医者に見えなかったというのが、正直な感想だったかなぁ」
「あはは、そうだったんだ」
「うん。でもね、優しくてそれでいて強くて………」



それが初めての出会いで、母はその瞬間にどことなくだらしなさそうに見えるが、根はしっかりとした父に恋をしたのだ。
戦場での、あの惨劇の中で恋をした自分。
そのことを後悔したこともあるが、幸せをつかむことすら許されなかった人がいるなかで、母はその貴重な機会を手にすることが出来た。
それは否定されるべきものではなく、寧ろ喜ばれるべきものだった。
このような荒んだ毎日だからこそ、そうした類のものは輝かしく見えるものなのだろう。
いつの間にか、母は父が移動する度に後ろについていき、父の活動する街でボランティアを続けた。
仕事の合間を見ては、釜でご飯を炊いておにぎりにして持って行き………。
それが何回か続くようになると、父も母の顔と名前を覚えるようになって、母が来てくれるのを待つようになった。
忙しくて手が離せないときでも、時間が空いたときに母はおにぎりを届けにいった。
いないときはメモを残して、いる時は目の前で食べてくれるのを、笑顔でただ見続けていた。


暫く続いた後。



『――――――――――いきなりですまない、けど伝えたかった。僕とお付き合いしてもらえないだろうか?』



「………ってね」
「そうだったんだ………!」
「なんて不器用な言い方なんだろうって思ったけど、でもそれがとっても嬉しくて………」



彼らの行く先々は、基本的に惨劇の嵐だ。
いつ戦闘が行われても不思議では無いような境地に身を置く。
そのことにとてつもない不安と絶望を感じたこともあった。
ボランティアとして働く母の精神を父が支え、
父の多忙な毎日を色々な形で母が支えた。
お互いに喜びや悲しみを分かち合うこともあった。
戦地では一刻を争う。
あらゆるものを奪われて、そのような感情を失ってしまうものだっている。
そんな絶望の中でも、小さな光を持つ二人は輝かしかった。
医者である父は多くの命を救い、ボランティアである母は救われた人々をさらに助けた。
多くの町で、数え切れないほどの人たちと会って、お互いに助け合って。



『残念ながら、戦争は終わらない。寧ろこれから激しさを増すことだろう』
『………そうよね。』


『しかし………そうだな。落ち着いたら、どこか遠くへ出かけてみたいな。ほら、僕たちは移動してばかり。仕事の為だけど、今度はそうではなく、色々なものを目で見てみたい』



それが、父と母の夢の始まりだった。
始まりとはいうが始まりにすら至らずに終わりを迎えた。
後に二人は形だけの結婚をし、レンを身籠った。
正式な体裁での結婚は戦地の混乱により果たせなかった。
それでも、二人は結ばれ、後に彼女を生み出した。
いつか、いつかでいいから、その夢を実現させよう。
そう願ったお互いの夢は、彼女が生まれる少し前に打ち砕かれてしまった。
夢とは悉く醒めて消える。
儚い願いはいつまでも続くが、叶えられる夢を、もう持ち合わせてはいなかったのだ。



「私ね、レンがずっと気にしてるって、分かってたのよ?」
「えっ?」
「お父さんのこと聞き出せないって。無理もないわよね、私も自分で語ろうとはしなかったんだもの」



彼女の勝手な思い込みが、勝手では無かったというのが証明された瞬間だった。
母親もそれに気付いてはいた。
ただ、それに対する打開策を見出すことも実行することも出来なかっただけ。
何かの機会がなければ、失われた叶えることのない夢を語ることも出来ない。
今はただ、その夢を遠くのどこかで語るだけ。
それでも一つ、固定概念を破ってみせた。
気になるのならもっと聞いてきても良いんだよ、と。
確かに、今は亡きあの人のことを思いだすのは、とても辛い。
温かで幸せなひと時だったからこそ、失ったときの反動はあまりに大きい。
それでも、あの人との時間は色褪せずに、まだ残り続けているから。



「さて………それじゃあ今度は貴方の番かな?何か考え事でもあるの?」
「え、あ、いやそれはね………」
「ふふ、急な話なんだもの。貴方が何か思っていることくらいお見通しよ」
「………もう」



母親の話のそれに比べ、自分のそれは酷く曖昧だった。
漠然とした不安をなんとなく言葉に繋げて羅列させただけ。
正直聞かされた母親は「いったいなんのことだろう。」と思わずにはいられなかっただろう。
彼女が問いをかけた夢の話も、いわば唐突なもの。
しかし、それでも母が見抜くように、何の考えも無しにその話を持ちだした訳では無い。
それなりの意味はあるし、大切なことであるという自覚もあるのだ。
ただそれが、具体性を帯びたものではないというもの。
ツバサの考える「何かをすべきこと」というものに引っ掛かった、形の見えない不安だ。
それがどうして夢と繋がるのかさえ曖昧ではあるが、彼が語ったことだ。



―――――――――それが本当に選んでもいい道なのかは、分からない。



「何があったのかは分からないけれど……まずは貴方自身の夢を定めることじゃないかしら」
「私自身の、夢………」
「そう。レンにだって、本当にしたいことってあるでしょう?それを見つけてみたら良いんじゃないかな」



考えるだけならなんでもいいのよ。
夢なんて幾らでも考えられることなんだから。
でもね、夢を叶えようって定めた後の道は、なんでもいいとは限らない。
どうやって実現させるかが大切だから。


「仕事も恋愛もそう。いつかきっと、自分の本当にやりたいこと、夢に繋がればいいなって、お母さんは思うよ。まだレンは15なんだし、いくらでも時間はあるから」

「うん」


そうよね。
まだ、まだまだ時間はあるんだもの。
もっとじっくり考えてみたいな。


彼女の漠然とした不安の起源が遠のいて行く。
しかし、彼女を悩ませていたその不安要素は濃度を薄めた。
母は言った。貴方の本当にしたいことは何?きっと、いつかそれが夢に繋がって来る、と。
沢山考えることを与えられ求められたが、それについていくだけの時間はまだある。
なら、焦る必要はなかったんだ、と。
彼女はそう思い、その後の母との会話を楽しんだ。



しかし。
まさか、その後すぐに状況が一変するとは、誰にも予想が出来なかった。
何かをすべきだろうと考えていたあの人の道が、あのようにして定まってしまうだなんて。


………。

第11話 日常の変化


また、あの夢を見ている。
どうしてだろう、最近になってよくこれを見ている気がする。
なんでもない日常が一変した、この赤い空の下。
いつもと変わらない景色の中で、いつもとは異なる出来事が起きた。
『また会えるよね?』
その問いかけに、男は少しだけの笑顔を見せて少年に告げた。
ああ、もちろんだとも、と。
だが今この夢を見て、その男の顔を見れば分かる。
あの頃は純粋な笑顔と希望に満ちた顔に期待したのだ。
またいつか会える、きっとではなく、必ず、と。
しかし夢の中に出てくる事実、男の顔は笑顔というよりも寂しさのほうが目立つ。
そう見えてしまうのは、自分が今の境遇を理解して曲解してしまっているからなのかもしれない。



10年前。
『50年戦争』と呼ばれる戦争が、一度終結に傾いた最後の年。
半世紀も続く動乱の世、惨劇の嵐は、ソロモン連邦共和国の国内至るところで吹き荒れていた。
各所で激しい戦闘が巻き起こり、国境線は乱れに乱れた。
いや、正確に言えばその当時国境線の識別は出来ないほどだった。
目まぐるしく変化する様相に世界の線引きが追い付かず、ただひたすら戦いの現実を飲み込むしかなかった。
ソロモン連邦共和国は、大国として戦争解決を主導する立ち位置についていた。
ほかにも大国は幾つも存在していたが、肥大化し続けていたソロモンこそがこの戦争を終結させる手段として数えられていたのだ。
もっともそれ以外にも要因があり、50年もの間続けられた戦争に終止符を打たんと、とある“英雄たち”が連邦に加担していたことも
要因として挙げられる。
だが、英雄がいたところで戦いは止まらないし収まらない。
彼らでは背負い切れない現実が、この世界には渦巻いていたのだ。


そんな戦時下、
ソロモン連邦共和国の東部、戦争の余波しか訪れない平穏を送ることが出来た、タヒチ村。
しかし、そんな東の地にも呼び出しはかかった。
一国の危機がある状況で、戦地に呼ばれない、対象外の兵士など誰一人としていなかった。
彼は今でも覚えている。
自宅に“中央”から送られてきた赤い紙を見て、母親が泣き崩れたことを。
それが、戦地への招集命令であることは、そう時間が経たずに分かった。
何故なら、当たり前のことだが、戦地に呼び出された者はそこへ行かなければならない。
軍人であれば命令は絶対なのだという。
時を経ずしてここを離れる時に、その事実を知ったからだ。
彼の父親が招集されたのは、かつてオーク大陸に『エイジア王国』と呼ばれる国があり、その国との戦いでソロモン連邦の基盤が歪められたことによる。
オーク大陸の中央部、ソロモン連邦共和国の内地にあった大都市が一つ、たった一夜にして丸ごと消滅した出来事があった。
その町は連邦の経済や流通の中心地で、膨大な領土を持つ国内の都市でも5本の指に入るほどの人口を有していた土地だ。
それが一晩で消え去ったのだから、どれほどの被害が出たのかは想像に容易い。
正確な数字は今だもって不明とされている。
無論、軍人たちも大きく被害を受けた。
大量の兵士と物資を失い、連邦軍の状勢は傾きかけた。
そんなとき、彼の父親がその不足分を補うために、遥か遠くから呼び出しを受けたのだ。



また会えるよね。
その期待は、終戦へ向かっていくごとに高まっていった。
もうすぐ戦争が終わる。
何かはよく分からないが、戦争を主導した者たちがいるらしい。
その人たちの活躍のおかげで、また二人に会えるんだ。
だが、そんな希望は打ち砕かれた。
中央から封書が届き、その中身は父親の戦死報告だった。
父と共についていった母も同時に死亡した。
母親に関しては正確な情報を受け取ることがなかったが、想像に容易いことだった。
もう、あの二人には会えない。
哀しみよりも先に、諦めや絶望が彼を渦巻いた。


『いいかい、ツバサ。お前にもきっと、自分で貫けるものを持つ時が来る。決めたのなら、それを生涯忘れるな。』



こんな荒んだ世の中でも、出来ることは幾らでもある。
それを定めたのなら、その時に定めたその思いを、決して忘れるな、と。
言われた当時は何のことだか分からなかった。
しかし、今になってよく考えさせられる言葉だ。
そして彼は今、その言葉の意味を定める、分岐点にいるのかもしれない。
勉学に励み、知識を重ね続けた彼には、理解するのにそう時間を必要としなかった。
彼は思ったのだ。
どうしたら、こんな荒んだ時代を終わらせられるのだろうか?と。
何か自分に出来ることは無いだろうか、と。
父はそういって戦場へ往った。
顔も見えない誰かの為に、その命を国に差し出したのだ。
そうしなければならない戦争とは、いったいどういうものなのだろうか?
彼の興味はどんどん深く、そして強く、求められるようになっていった。
人を殺すことへの興味や関心では無く、それを経緯とした歴史の動向に興味を示した。
このような不毛な争いを止められる方法はあるのだろうか。
本当は聞いてみたい。
軍の命令だからというのではなく、義務だからというものでもなく。
何を思い、何を信じて、父は戦場へ行ったのか。



そしてもう一度、問わねばならない。
そんな父の背中を見ることしかなかった自分は、一体何がしたいのかを。



「………」


気付けば夜明けの時間。
夢の続きはない。
いつも同じ場面で夢は醒めるのだ。
ほかにもいろいろな光景を見ているのだろうが、決まって最後はその瞬間。
最近その頻度が増してきたようにも感じられる。
何故だろう。その夢を見て、自らの思いを整えようとする。
しかし、彼には自らのしたいことが見えていても、まだ“その路”を選択するには至っていなかった。
目が覚めてしまった彼は、まだ起きるまでに余裕のあったその時間を使って、テレビを見ることにした。
あらゆる日常的な情報を届けてくれる便利な機械、テレビ。
ラジオという音声のみの情報伝達もあるが、今は映像を選ぶことにした。


「郊外では綺麗に色づいていた稲の収穫も佳境に入り………」


この村に流れるテレビは、タヒチ州独自で放映している放送局の情報を見ることが出来る。
もっと大きな街などにいけば他の番組なども見られるのだというが、生憎ここは辺境。
辺境の地で見られる番組は限られており、その中でもこの村は僅かに三つのチャンネルしか切り替えが出来ない。
そのうちの一つ、比較的地方や国の情報を定期的にニュースとして取り上げる番組を眺めていた。
季節はこれから冬へと向かっていくことだろう。
今はまだ温かで過ごしやすい気候だが、四季がハッキリとするこの大陸、この国ではやがて冬が訪れる。
雪が降る地域は限られているが、冬の気候は乾燥と寒さをぐっと引き寄せてしまう。必要でもないのに。



「つづいてのニュースです。グランバート王国とアルテリウス王国との間に生じた亀裂を補修しようと、ソロモン連邦共和国の外務省外交官が立ち会いのもと、外交会議が行われました。しかしこの会議に出席するはずだった、グランバート王国の特使は時間が過ぎても現れず………」



ニュースを眺めていると、最近は大体このような話題が多く挙がる。
『グランバート王国』と『アルテリウス王国』。
ここから遥か西と北に向かった、別の大陸の国々。
自分たちとは直接的な関係を持たない、異国の地にある問題だ。
ここはオーク大陸の東端で、グランバート王国はソウル大陸に固有の領土を持つ国。
そう思うのも無理はないだろう。
直接的に関係もしないし、これから関係を持つ人もこの辺りでは稀だろうから。
子供のツバサでも、この両国との間にある不仲はある程度の情報として把握していた。
無論、彼にも知り得ない多くの経緯がそこにはあるのだろう。
グランバート王国はソウル大陸の歴史でも長い間存在し続けている国だ。
大陸の北部はすべて王国の領土、もしくは直轄地にあたる。
一方のアルテリウス王国は、ソウル大陸ではなく、北側にあるアスカンタ大陸に領土を持つ王国。
こちらも古くからその歴史があると認識されている。
アスカンタ大陸と呼ばれる新しい大陸が見つけられたのは、今から60年ほど前の話。
その時、既にアルテリウス王国は実在し、王国民はその厳しい環境にある土地に根付いて暮らしていた。
それを脅かしたのが、周辺国だった。
新たな資源を求めて進出してきた、彼らから見れば“異民族”と呼べる者たちを、王国は出来る限り排除しようとした。
多くの権利争いがそこで発生し、勝手に巻き込まれたアルテリウス王国が黙っているはずもない。
やがて、アスカンタの主権を奪うための戦いが始まった。


今、そんな昔話が再現されるのではないか、という懸念が持たれている。



「アルテリウス王国は、ソロモン連邦共和国との会談で有事の際の連携を確認し、両国は事実上同盟関係を結んだことになります」


一度は収まった戦争だが、それはすべてにおいての終結を意味するものではない。
戦争を再開したがるのではなく、そのような状況に各々が引きずり込まれていく。
そんな不安定な世界情勢を見て、ツバサは遠い異国の地で起きている現実なのに、他人事とは思えない幾つもの感情を抱いていた。
勉学を積み重ねてきた彼になら分かる。その先も正しいかどうかは別にして、推測もできる。


もし、
グランバート王国が再びアスカンタ大陸へ進出しようものなら、
それを止めるためにアルテリウス王国が動き出すだろう。
それと同盟関係を持つ者たちも、その渦の中に引き込まれていく。
であれば、その先に訪れるのは、間違いなく………。



そんな朝の時間を過ぎ、やや複雑な思いを胸に登校するツバサ。
世界が不安定にあっても、この村はその余波を受けることもなく平穏そのものだった。


「おはようございますっ先輩」
「お、アヤ!おはようー!!」



平穏なのはいいことだ。
絶対にその方がいいだろうというのも、分かる。
しかし。
平穏であるこの空気を肯定しつつも、このままではいけないのではないかと思う気持ちも強い。
自分には本来関係のないものだ。
永遠に関わることのない人だって、中にはいる。
それでも、彼にとっては他人事でも、捨て置くべきことでもなかった。

登校中の道で、
二歳下の後輩アヤに出会い、ツバサは一緒に学校までの道を歩いた。
普段学校の中や放課後、休日などはあまり見かけることのない彼女。
こうして会ったときなどは、彼は彼女と一緒に登校している。
学校以外のところで見かけることは少ないが、放課後の部活、弓道部の道場に行けば会えるのは分かっている。



「アヤは今日も弓道か?」
「はい。そういう先輩も剣術稽古ですよね?」
「ああ!いつも通りだなっ」
「私も、先輩が稽古している姿、見てみたいです」
「来たらいいんじゃないか?見学くらいならきっと大丈夫だと思う!」
「とはいっても、中々近寄り辛くて………ははは」



まぁ確かにあまり道場には近寄り辛いよな、と笑いながら話すツバサ。
弓道場はまだ学校の中にあるものの一つであるから、学生が近づいてもそう違和感はない。
神聖な場所であるために厳格な雰囲気は醸し出されているが。
しかし、剣術稽古の道場はどうにも近寄り難いものがあるようで。
あらゆる年代の子供たちが入り乱れ、かつ師範代が厳しく稽古をするのだから、イメージもそのようになる。
もし機会があれば見に来ると良いよ、という言葉を彼女に告げたツバサ。



「先輩が剣を習う理由ってなんですか?」
「剣を習う理由、か………」



そう言われると実は困るのだ。
自分自身、それを将来何に活かすのかを確定させていなかったから。
ただ単に剣を習いたいという理由で習っているのではない。
分からないなりにも明確な理由を求め続け、それに従い続けてきたはずだった。
それを言葉に表現しようとすると、かなり難しいというだけで。
剣を習う理由はある。ただそれは答えであるかどうかは分からない。
理由に答えを結び付けようとして、その答えが定まっていないために、理由の説明にすらならなかった。
彼の場合、ただ強くなりたいというだけで剣を習った訳では無い。
強くなるには努力も必要だが、明確な理由が必要だ。
何故そうありたいのか、と。


しかし、言われて気付いた。
というより再確認できたこともある。
なるほど、自分が剣を習う理由は強くなりたい理由と繋がっている。
そして、この二つの理由の先には、自分の“あるべき姿”というものがあるのだろう、と。



「今は取り敢えず強くなりたいってことにしておいてほしいな。あと、運動はやってたほうが身体が鈍らずにすむからな!」
「つよく、ですか………そうなんですねっ。先輩は立派です」
「立派?そうかなぁ。アヤに褒められるなら良しと思うことにするかっ!」



単純な回答であるが、内面は複雑だった。
彼女はそれ以上追及することはなかったが、あるいは何かに気付いたのかもしれない。
彼の回答は、とはいえ明確な「答え」ではない。
彼女の問いかけたものに曖昧にして返したというのは、同じやり取りを他の人に見せれば気付く人も中にはいるだろう。



「アヤは、弓道やるキッカケってなんだったんだ?」
「私はですね、結構自分勝手な憧れだったんですけども………あの道着が格好良いなーって」
「へぇ~そういう理由だったのか!」


似合ってるもんな、アヤ!
何の躊躇いもなく流れるように、しかしハッキリとした口調で自然とそう発していたツバサ。
その言葉に思わずアヤが驚き顔を赤くしてしまうが、出来るだけ隠すように自然と体の向きを変えたアヤ。
そんなどストレートに言われると照れない訳が無い。
流石に耳まで赤くなるのは恥ずかしすぎると、やや話題を逸らして笑顔で恥ずかしさを埋めるアヤ。
意外と単純な理由だったんだな、と笑顔を見せるツバサ。
でも、それでいいと思うんだ。
そんな単純な理由でも、それに打ち込めるのだから。


「好きな男子がそういう格好してたら、もっと良かっただろうにな~」
「なっ………何言っているんですか先輩ッ………!!」
「ははは!面白いなアヤは」



そんな、彼女にとって他愛の無いような会話で、学校に着くまでの時間を過ごす。
学校についてしまうと、二人は歳だけでなく学年も異なるので、一緒の授業を受けることができない。
それに、彼は放課後に学校の外で剣術稽古があるために、アヤと会う機会も無くなる。
こういう時間を活用できるのはかえって喜ばしいことではあった。
同時に、今の彼の状態から少しばかり考え事も生まれてしまう。


辺境の地で過ごし続けてきた平穏。
一方で、世の中は少しずつ変わり始めている。
彼らにとって時代の変化は、遠くで起こり続けているもの。
自分とは何ら関係のない、異国の地の些末な問題だ。
だが、それこそが誤りではないのか?
自分たちには関係ないと思っている一方で、真っ直ぐにそれと立ち向かわなければならない人もいるだろう。


すべての人に関係がある、とは言い難い。
すべての人に責任がある訳でもない。
無関係の人間がいても不思議ではないのだ。


「………」
「先輩、?」
「え?あ、あぁ着いたな。それじゃアヤ、またな」
「はいっ」
「授業中居眠りするなよ~?」
「先輩こそっ」



その後校内に入り、別れた二人。
彼のモヤモヤとしたものは消えない。
今一番自分が何がしたいのか、何をすべきなのかが定まらない。
今になってこれほど考えなければならないとは。
彼の葛藤は、世界情勢が傾き始めるのに呼応するようだった。


俺の、すべきこと。
したいこと、成すべきと思ったこと。
“そう思ってしまう”自分と、
“そうでなければならない”自分とが重なり、あと必要なのは一つ。



“そうさせる”ための、決意だった。


昼間。
勉強の合間を縫うように組み込まれた時間、昼休み。
彼は手早く食事を済ませると、教室から離れ図書室へと向かった。
昼間の図書室は休み時間というだけあって、学生たちも多く利用している。
外の敷地を眺めれば、元気よく球技に勤しんでいる者たちの姿も、窓から見ることが出来る。
が、それに構いなしと、彼は二人用のテーブルの一つの椅子を借りて、静かに新聞を眺めていた。
この世界の、この村の貴重な情報入手材料の一つ、新聞。
テレビなどが繋がらない家庭の人たちにとっては、その日の情報源として非常に役に立つものだ。
お金はかかるが、それでも手に入れたい情報がすぐに手に入る媒体。
しかも新聞によって掲載している情報源が異なるため、自分が必要としているものを購入すれば、
必然的に自分が欲しいと思える情報を入手できるのだ。
学校では、そんな新聞を各種、しかも毎日仕入れている。
彼の場合、テレビもあるので新聞に手を伸ばさなくとも情報は手に入るのだが、
時々こうして好んで色々な情報を手に取って眺めているのだ。
決まって理由があるのだが。



「………ふむ」



静かに、息を整えながら見出しを眺めていたツバサ。
その日の新聞で報じられていた内容は、彼が今朝テレビで見たものとほぼ同じであった。
遠くの、別の大陸にある同士の国々の不仲が露呈した事実。
もっとも、この両国はこれ以外にもあらゆる経緯を持ってはいるのだが。
そのすべてを彼は知らないし、国民の多くもそれを把握していない。
何故なら、明らかに公開されていない情報が多すぎるだろうというのを、多くの国民が既に理解しているからである。
続けて各紙面に目を通していると。


「あら、こんなところで新聞読みかい。あんたそんなことする人だったっけかなー」


とか、「人違いだったかなー?」などとあからさまに分かっているのに、茶化しながらやってくる先輩アデル。
ゆっくりと新聞を眺めていたはずの時間が一気に崩落していくのを、どことなく音で感じた。



「なぁーにしにきたんだよー」
「いいや?私だって気分転換さ。ま、新聞とは考えなかったんだけどね」
「図書室で気分転換なら、放っときゃいいのに」
「これはまた失礼な言いようだねぇ。あんたと話したいからこうしてここに来たってのにさ?」


それにここは二人用のテーブルと椅子、もう一人くらいいても不思議じゃないだろう?と、
何の恥じらいも躊躇いもなく、向かい側の椅子に座る彼女。
持っているのは一冊の本。
ここに話しに来たというのに本を持っている辺り、用意周到というべきか。
図書室では本を読むのが当然の空間。
ぺちゃくちゃと会話を楽しむのなら、中庭や教室でいい。
しかし、そういった類のところでは、中々静かな時間を過ごすことは出来ない。
特に中庭のベンチなどは校内でも人気のスポット、学生も多いため様々な会話が飛び交うところだ。
本を開いてはいるが、この人の目的は何故かツバサと話すこと。
目の前の羅列された文字の塊などに興味はないし、恐らくその本が何であるかを気にせずに取ったのだろう。
因みに本の題名は「魔術工房と二人の恋人」。
“どことなく引っ掛かる題名”だが、それ以上気にすることはなかった。


「ニュースか。ここ最近は毎日同じ話題だねぇ」
「確かにな~」
「なんか面白い話はないのかい?ツバサ」
「え、俺か?俺、いやない!」
「はは、その反応が面白いからまあ良しとしようか」



新聞を毎日見ている訳では無いが、テレビでの報道は毎日チェックするようにしている。
それはアデルも同じだったようで、ここ最近同じような話題ばかりで盛り上がっている、と言った。
いずれも国際情勢、それもここから遠い異国の地同士の話だ。



「こういう話は、アデルの周りでは取り上げられるのか?」
「いや、全然。大体どいつもこいつも“自分には関係ない”って思ってるのさ。まぁ、ここはほら、10年前でさえ戦火に見舞われなかったようなところだ。そういう感覚にならないのも、当然っちゃ当然だろうよ」


「………なるほどなぁ」


この場所が戦争にでもなれば、当たり前のように考えも変わるだろう。
しかし、生憎とここは今話題となっている土地や国から見れば、あからさまに辺境であり、
戦地となることすら予想されない外界の土地にすぎない。
世の中が揺れ動いても、この地の空気は平穏そのもの。
であるから、危機感を持つ人間も殆どいないのだろう。
客観的にそう述べることの出来るアデルでさえそうだ。
ここは関係のない地だ、と彼女は思っている。
自分自身が興味を示すのはいいとして。


「しかし、あんたはなんでこの手の話題にそんな食いつくんだい?」
「………え?」
「私があんたを知った時からそうだって、他の人にも言われてるけどさ」



こういう話は、誰もが興味を持つんじゃないのか?
と、彼は見当違いなことを口にした。
それはあくまで彼の価値観、彼の今までの生活がそうさせているだけであって、
万人に共通するものではない。
それは、確かにニュースそのものに興味を持つ者は大勢いるだろう。
彼のように、そのことに対してのみ他とは比べ物にもならないほど、調べを尽くす者も中にはいるかもしれない。
他の人と彼とが違うのは、その話の食いつき方だ。


他人事を自分のことのように感じ、それに対し何かをするべきではないかと考えるその道筋。
それが、彼の場合この話題に限り、度が過ぎているように見えたのだ。
だから彼女は疑問視したのだ。
そうなる理由はなんだ?と。
彼自身が思っていることを、このアデルという女性も察し言葉にしたのだろう。
ただの興味本位だけで調べ気にしているなら、何も言うこともないだろう。
何も彼女はそのようなものに興味を持つ必要はない、というように思っているのではない。
しかし、興味を持つのには理由が伴うのが普通だろう、と。


「ま、人の興味なんざ聞いても何も始まらんか」
「………??」
「ちょいと妙な噂を聞いたもんだからね。あんたにもすぐに分かるよ」
「えーなんだよそれ、気になるじゃん!」
「いやいや、私の口から言うべきことじゃないってことさね」



そう言うと、結局何が目的だったのかよく分からぬまま、彼女は席を立つ。
彼と話すのが目的だというが、その中身がよく分からないしあまりにも短時間すぎる。
それに、その様子では新聞を読み続けるツバサに配慮した訳でも無い。
まぁ止めはしないが、と心の中で思いながら、彼は背中を向けた先輩の背中を見る。
そしてアデルは最後に。



「その噂に辿り着いたんなら、よく考えな。きっと今のあんたに直結する分かれ道だからね」



そう、まるで忠告じみた物言いで、彼女は去っていく。



その後の時間が過ぎて行く。
結局その噂が何なのかは分からず。
ほかの学生たちに「妙な話でもあったか?」なんて聞いても答えはバラバラ。
どれがアデルの言っていた噂なのかも分からず。


「じゃあ、またな~」
「おうよー」
「いこうかっ」
「ああ」



放課後になるといつもの日常パート2だ。
学生たちは部活や勉学など、各々の活動の時間を過ごしていく。
彼らはいつも通り道場へと向かう。
いつもと違うところといえば、今日は弓道部主将のエズラが欠席するということくらい、か。
部活の中で大事な話し合いがあるようで。
どちらにも参加しなければならないエズラも大変だな~などと感じながら、
ほかの三人は道場へと入っていく。



「あれ」



入ってそれぞれの更衣室で道着に着替え、そして竹刀を持って準備をしていた。
これから鍛錬をするというとき、ツバサは必ず身体のストレッチを行う。
誰でも同じことなのだが、彼はそれをいつも欠かさず、いつも誰よりも長く行っている。
ほかの門下生たちが鍛錬に積極的になる中、身体の根幹に対しては注意が向かない人も多い。
ツバサは身長も体重も他の人よりあるため、運動量すら異なる。
家にいる時でさえストレッチを欠かさない少年は、この道場の間においても充分すぎるほど時間をかけて行う。
だが、そうして準備をしているときに、一つ気付いた。



「せんせーはまだ来てない、のか?」
「ツバサさんはやーい!」
「なぁなぁ、せんせーまだ来てないのか?」
「まだ見てないよー?」


妙だな。
いつもはだれよりも早く来ているだろうに。
師範代、先生は学生たちとは違ってこの道場を任されている専任の仕事人。
彼らは学校を終えた後にここへ来るが、先生は仕事も兼ねて早くからここにきている。
いつもであれば、道場に子供たちが来る頃には、既に着替えも終わり準備万端という状態でいることが多い。
しかし今日は、まだ先生の姿は見えない。
もし休みにするというのなら、その日の昼くらいまでには学校に連絡が来るのに。


道場は学校とも深い関わりを持つ存在だ。
それ以上に周囲の大人たち、もっと平たく言えば国ですら関与する重要な場所。
学校は次の国に仕える勤労者たちを育てるところ、
道場は次代の兵士を要請するためのところ。
などと大人たちが隠しながら認識しているのだ。
特に道場に通うものなどは、ただ自分自身を強くするという目的を抱いて入る子供たちの思惑とは裏腹に、
将来的に役に立ちそうな人材を見つけ、育成し、輩出するという大人の都合がある。
それを子供たちがもし知ることにでもなれば、さてどう思うだろうか。
しかしそこは流石大人と子供の違いと言うべきか。
大人の都合を簡単に子供に知られるものではなかったようだ。



「どうする?ツバサ」
「んーだなー………んまぁ、自主練でいいんじゃないかっ!?」



時間になっても来ないみたいだけど、鍛錬は鍛錬ダーッ!!
などと元気よく勢いよくそう言うと、自らの迷いも一時のものとして取り敢えずは脇に置き、
ストレッチを済ませた彼は素振りを始めた。
ツバサがそう言うのだから、それでいいか、と。
ほかの門下生たちも各々に鍛錬を始める。
時間通りに居るはずの先生がいないからといって、それが練習を止める理由にはならない。
出来ることはあるのだから、先生が来るまでの間出来ることをしておこう。
彼らはいつも通りに近いメニューをこなしていく。
先生が今日どのような鍛錬を行うかは、その日のはじめに打ち明けられるもの。
したがって、先生のいない今日は必然的に自主的にメニューを組まなければならない。
はじめは揃って素振りをし、その後は人それぞれでやり方が異なる。
ある人たちはペアを組んで実戦練習、またある人たちはお互いの素振りを確認し合う。
先生がいなくてもある程度自主的に行動できるのは、良いことだろうと思う。



そんな時間が過ぎ、30分ほど経過した後。



「すまない、遅くなった。みんないったん自主練を中断して………聞いて欲しいことがある」


奥の扉が開いたかと思えば、一同は一斉に沈黙を手にした。
沈黙を破るようにペタペタと足音がして、本来いるはずの師範代の姿が見えた。
師範代、先生の表情はやや硬い。
額にはほんの少しばかり汗が見える。
何かあったのか、と殆どの人がそう思ったことだろう。


そして。
沈黙の中で、先生は。


「唐突だが、明日ここに州軍兵士が視察に来ることになった」


そう、現実離れした日常の訪れを、告げていたのだ。

第12話 楽し気なひと時



「しかし、なんで急にそんな」


「分からぬな。このような辺境の地の道場に、態々視察などと」



鍛錬の終わり、夕暮れの時。
今日はいつもより雲が多い。日が暮れるのも早いし、夜が来るのも早いことだろう。
道場を後にすると、後は家に戻るだけ。
いつも通りの道のりを、いつものメンバーで歩く。
今日はエズラがいなかったが、あの話をエズラにも伝えなければ。



――――――――――――明日ここに州軍兵士が視察に来ることになった。



今日、先生が中々道場に顔を出さなかったのは、どうやらその話を裏でしていたかららしい。
経緯も少しばかり説明してくれた。
唐突に訪れたそのお知らせは、子供たちに衝撃を与えるには充分すぎる内容だった。
無論、第一に疑問が浮かび上がった。
何故?しかも明日?どうして?理由は?
様々な声があがったが、実のところその理由の詳しいところを、先生ですら聞かされていないのだという。
詳しくは当日話して皆に教えられれば、と先生は言った。
彼らが自主練習をしている間、裏で先生は州軍の誰かと電話でもしていたのだろう。
そうして唐突だが、明日は現役の兵士が実際に道場に来ることになった。



どうしてだろう?
レンもソロも、その疑問を打ち消すだけの理由を持ってはいない。
誰ですら疑問に思うことの回答を、先生たるものが明かすことが出来なかった。
道場は国という存在、中央と呼ばれる者たちですら関わりがあると言われている。
それがどのような関わりであるかは、彼らにも分からない。
あるいは、それに関することなのだろうかと、今は推測するばかりだ。



「ツバサは、なんでだと思う?」



レンが静かに聞く。
先生からそれを打ち明けられた後の彼は、どことなく冷静さを保っていた。
一瞬驚きはしたのだろうが、それ以降はもう平静だった。
いや、彼の性格や人となりで言えば、その平静さが逆に不気味であるかもしれない。



「んー………分からないな。どうしてだろうね」
「うん………」



あの一言があってから、疑問には思いつつもその登場を喜ぶ子供も数多くいた。
何しろ実際の兵士を生で見ることが出来るのだから、それがどれほど格好良いか、などと考えていた。
子供の純真さで迎え入れられる兵士というのも、ある意味で幸せなのかもしれない。
彼が知る限り、普通の兵士というのは、絶対に相手からは招かれざる敵となるのだから。
彼はそんな子供たちとは異なり、兵士が来ることを否定せず、かといって肯定もしなかった。
子供たちにあるような無邪気な笑顔を見せることもなく。
ただ、沈黙と冷静さを持って、鍛錬を終えたのだ。



「しかしまぁ、本来予定されていたメニューを変更しての、実戦形式か」
「明日もそうなるって、言ってたね………」



緊張するなぁ、とレンが呟く。
なるほど確かにそうだ。緊張しないほうが妙というものだろう。
本職の兵士にその姿を見られるのだから、緊張しないはずがない。
彼らはプロ、こちらはビギナーにすら到達しないただの養成所。
そこを現役の兵士が来るというのだから、疑問や不思議といったものが出ないはずがない。
彼とてそこは疑問だった。
このようなところに来ても、あまり得るものは無いと思うのだが………と。

それでも。
兵士たちが来るのなら、何かいい話を聞けるかもしれない。
良い話というのがどのような基準のものかは置いておき。



「必然的に勝ち上がれば注目度はあがるだろうな」
「ソロ、それは何に対しての注目度だと思うんだ?」
「本職の兵士がただの視察を目的とするはずがない。もっと大きなことを考えていても、不思議ではないだろう」
「………というと」


「その人たちの目的は、俺たち門下生にあるのは明白だ。さて、明日はどうなることか………」



そう言っているうちに、分かれ道に辿り着いた。
ソロは冷静にそう言っていたし、何か緊張しているような様子ではなかった。
元々ソロは冷静な判断が出来る人。今回のことでも何か考えはあるようだった。
目的があるとすれば、それは教育だとか建物だとかそういうものではなく、門下生である子供そのものだろう、と。
そんな門下生、子供の年齢層もバラバラな現場教育を見て何になるだろうか。



「ではまた」
「おうよ、またな~」
「お疲れ様ーっ!」



そしていつもの道。
あとは家に辿り着くだけの行程。
それをレンと共に歩く。
いつもの光景、いつもの行動、いつもの時間。
そんな日常に突如として現れた、異変。
ただ現役の兵士が見に来るというだけで異変と捉えてしまうこの心情は、
果たしてどうあるべき、どうするべきなのだろう?
頭の中で考えることは沢山あるが、その中でレンがツバサに。



「あ、そうだツバサ!たまには私のお家来ない?お母さんも喜ぶと思うよっ」
「え、ああいやしかし、良いのか?そんな急に」
「大丈夫大丈夫!夕ご飯まではまだ時間あるしっ」

「あー、そうか。そうしたらお邪魔しようかな!久々に」
「うん!やったっ」


満面の笑顔で、突然の予定を埋められたことを喜ぶレン。
彼女は彼よりも二、三歩先を歩いては、時折ツバサのほうを振り返ってお話をしたり、微笑んだりする。
道場の後で今日着ていた元々の私服に着替え直し、帰宅道を歩いていたレン。
後ろ手に、しかし両手でカバンを持つと、その一歩一歩の歩みが弾んでいるようにも見えた。
雲が多く空は早く暗くなり、夕暮れの日差しは今日は届き辛い。
しかし、そんな中でも雲の切れ間から差し込む温かな光は、より輝かしく見えたものだ。
そして時々だが、その光の中に彼女が入ってはまた抜けていく。
自分も彼女と同じような状況を繰り返しながら、本来の予定にはなかった、彼女宅へと遊びにいく。
それもたまにはいいだろう。たまに買い物に付き合う、というのと同じようなもので。



「あら、いらっしゃい。こんにちは、ツバサくん」
「こんにちは!!遊びに来ました!!」
「どうぞお入りくださいな。もうレン、事前に言ってくれれば、もっと早くから用意したのに」
「えへへ、ごめんなさいっ」


そういえば、彼女の家にこうしてやってくるのは、いつぶりだろう?
最近のことだとは思うが、ふとそういったことが気になる。
前に比べれば、来る頻度というのは少なくなったのだ。
レンの母親は、ツバサに好きな飲み物を尋ねると、彼は温かいお茶でお願いしますと答え、
にっこりとその注文を受けた。
すると母親はレンに、お客人を前にするのだから、まずは身支度を整えてからね、と優しく伝えた。
彼には前にも経験があったことだが、要するに着替えとシャワーくらいは浴びて来なさいよ、という意味だった。
一方、母は一人で座る彼の前の食卓椅子に座り、彼に温かいフェイスタオルを渡す。


前にも何度もあったことだ。
彼女が身支度を整えている間の30分程度は、話し相手が変わる。
目の前の、この穏やかで優し気な母親に。



「今日はどうだった?道場は」
「いつも通りって感じです!ただ、明日に現役の兵士が見に来るだかなんだかって言ってて………」
「ええ!?そうなのっ………それはまた意外ね。どうして?」
「俺たちも理由は知らないんですよ!なんでだろーなー………?」


でも、それで皆結構焦るっていうか、戸惑っちゃって!
と、ツバサは目の前の女性に話を進めていく。
それに対し、その女性は一つひとつ丁寧に頷き、時折彼女に本当によく似た笑顔を見せてくれる。
他愛のない話なのだが、それでもお互いに話す時間が楽しいとさえ思える。



「ふふ、そうだったんだね。ツバサくん、すっかり生活は一人で出来るようになったものね」
「はい!おかげさまで」
「貴方は元々とても出来た子だなあって思っていたけれど、もう私なんかが色々教えなくてもいいみたいね」
「いやいやそんなことは!まだ教わりたいことだらけです!もっと料理とか、色々………」
「料理はもうレンの方が上手よ。彼女から直接教わる方が良いかな」


色々な話題を、レンが戻って来るまでの時間で楽しんでいる。
レンの母親も彼の話を聞くのは好きだった。活き活きとした彼のあらゆる話を。
この二人が、この一家が仲良しなのはハッキリとした理由がある。


結論から言うと、ツバサは独り身になった後、この一家からの強い支援を受けることになった。
それも結構な時間差が出来てのことではあったが。



50年戦争が終結する前のこと。
ツバサの両親は、世界中を震撼させた大事件の後、連邦軍からの正式な通達を受ける形で戦地へ赴くことになった。
元々父親は兵士であったが、辺境の地で戦いが起こるかどうかと言われれば否定的であり、仕事はしつつも戦う兵士ではなかった。
世界中至る所で戦争が起きていたとしても、彼らのいるところはそれからは外れている。
まるで異なる世界の中にいるようだったが、そんな辺境ですらやはり戦争の一部なのだ。
その大事件の後、父親は兵員の補充の為に最前線へ行くことになり、それに母親もついていった。
そして二人は帰ってくることはなかった。彼は村に一人残されることになった。
村の大人たちからすれば、その判断が良いものとは思えない、と考えた人も多かった。
何しろ子供を一人残して戦地へいくのだから。
逆に言えば、そうもしなければならないほど、この世界というのは荒んできたのか、とも思ったのだ。
タヒチ州で生まれ、村で育った彼が一人となり、両親が戦地へと行く。
その当時、村で唯一の兵士としての仕事を持つ男であった彼は、知っている人からは景気よく送り出された。
あとに残された子供がどれほど傷つくかなど、ほかの大人たちには理解できなかったところだろう。
戦争は確かに終結へと向かっていた。あのような凄惨な時代を終わらせる時がきた。


“苦しんでいる人たちの為にも、お父さんは戦う。”


そう言って戦地へいき、そして消えた。
事情は異なるが、レンの家族も戦争と深く関わりがあった。
父親は国境線で医者をしていたが、国境線は戦争における最前線の渦中。
それに巻き込まれ、母親はレンを無事に産んだが、後に父親は帰らぬ人となった。
子供を守り育てるために、母は疎開を決意し、東端に位置するタヒチ州にやってきた。
ツバサが独り身になったのと、彼女たちがタヒチ州にやってきたのとは、時間の差がある。
彼はその間、村全体で育て上げられた。
日常的な生活を大人たちから教わり、多くの友人を作り、自分自身を鍛える道も手に入れた。
そして後にレンと母親がタヒチ州へとやってきた。
まだ戦争は続いていたが、外来の一般市民というのは、大体が疎開してきた者という認識を受ける。
彼女たちも例外ではなくそう見られた。
しかも戦地の最前線からここまで辿り着いたというのだから、その苦労さは計り知れないものだっただろう。
一人の少女を守りながら育て続けてきた母。


『よろしくっ!!!』


そんな外来の種を満面の笑みと持ち前の元気の良さで受け入れた、一人の少年。
それが今のツバサという少年の、本当にまだ小さかった頃の姿だ。


外来の種というのは避けられることも多い。
時代が時代なので仕方がないというのもあるが、このような小さな村に一家族、急に入ってきたのだから、
驚きもするし疑問にも思うだろう。
彼らは外からやって来る者に対しては敏感だ。
内より外へ出る者には寛大で、寧ろ送り出してあげようという気質が強い。
その中、盛大に彼女たちを歓迎したのが、ツバサだった。
彼に何が出来るというものでもなかったというのに、とにかく外からやってきた人を、同じ歳くらいに見える少女を歓迎したのだ。
レンの母親も、彼女自身も今だによく憶えていることだ。
彼は、二人と共に村中の大人、子供たちに挨拶回りをし、常に数日間か行動する時は常に隣に居続けた。
人によっては鬱陶しいとさえ思われるようなことをしていたが、彼女たちには一切気にならなかった。
寧ろ、このような私たちを真っ先に受け入れてくれる子供って、何者なのだろう。
そう思いながらも、本当に喜ばしく、嬉しい思いで村に浸透し始めた。
やがて彼が独り身だという話を聞くと、レンの母親が個人的に色々と教え始めた。
レンと共にそのような時間を過ごしたこともある。
いつしかそれが当たり前になると、彼女の母親は「貴方が一人でいても、全く問題ないくらいに教えてあげましょう」と意気込み、
その結果、今に至る。



村全体で彼を育ててくれたのもそうだが、それ以上にこの二人と彼との関係は深い。
父を失って、それを思い出すのが今でも辛いと感じるレンの母親と、それをタブー視し続けてきたレン。
両親の行方が分からなくなり、死んだものと思いながら、その父がその立場で何を見たのかを、知りたがっているツバサ。



「レンがね、この間唐突に夢の話をしたんだ」
「夢、ですか?」
「そう、夢。お母さんの夢は何?って」



決して自慢する訳では無い。
母はただ、子との話の中でそういった話題になったことを彼に告げただけ。
色々な話題の中の一つの題材として取り上げたに過ぎない。



「俺もそういえば、何日か前に聞かれた気がします」
「あら、そうだったのね。唐突なものだったから、少し驚いちゃった」



ただの興味本位に留まらない、というのを母は知っている。
他人の夢など言うなれば幻想という程のものでもある。
自分の手では持つことの出来ない他人の夢。
他人から侵されることのない自身の夢。
自分から見れば、他人の夢など全く関わり様のないもので、それを他人が抱く幻想の世界とでも言うか。
一人ひとりに夢というものがあっても、それはあくまでその人自身が持つ単一のもの。
世の中には同じような夢を抱く者が大勢いることだろうが、人それぞれ価値観は異なる。
すべての人間の耳の形が違う、などという話に例えて言えば、夢という形が同じものであったとしても、それぞれの中身や価値というものは、異なるものなのである。



「ツバサくんは、何か夢はある?」
「いや、夢って言うほどのものじゃ。これから何かをして行きたいな、とは思っていますけど」
「何か?………ふふ、まだ決まってないようね」
「そう、ですね」



私もかつては夢を持ちました。
けれど、それは私の到達点でもなければ、始発点でもなかった。
ただそこに行き付く時間があれば良いなと、願っただけのもの。
だからね、ツバサくん。
夢というのは長い年月をかけて追いかけて行くもの。
その途上で夢のカタチが変わることなんて、幾らでもあるんだから。
大切なのは、その夢を信じる自分に嘘をつかないこと。
夢の為に動くのなら、その夢は、その思いは、その願いは間違っていないって、自信を持つことよ。



「………」



あらやだ、私としたことが、大人っぽく振る舞ってしまって。
と、優しく柔らかな手つきで髪をとかしながら、そう呟いていた。
彼としては、まるで自分の内面を覗き込まれたかのような感触を持っていた。
それがあかの他人であれば気色の悪いものとして処理したことだろうが、
何年もお世話になっている、レンの母親からの言葉はどことなく重みとしてのしかかってくる。



―――――――――――――俺の夢は、まだ決まっていない。



だが、夢とは過程にすぎない。
到達点とは異なるものであるかもしれない。
であれば、夢というのはその着地点に向かって、色々と形を変えるものなのだと、母親は教えてくれた。
もし決断するのなら、その時に思い背負ったモノを信じ続けられるように。
かつて自分の親も、そう言っていた。
自分貫くと決めたものは、生涯かけても忘れるな、と。
道に出て目指し始めれば、様々な過程を越えていくことになる。
その途上は常に晴天とは限らず、嵐のような時間だってあることだろう。
それでも、諦めて引き返したくなったとしても、自らで定めたモノにだけは従え、と。


「あ、またツバサと盛り上がってたんでしょう、お母さんー」
「えっ?ふふ、なーんにも!」
「はははっ」



身支度、つまり簡易的なシャワーで汗を流し、服装を取り替えた彼女(レン)が戻ってきた。
まだ髪の毛は濡れているようで、いつも見ることはない彼女の姿がそこにはある。
タオルを巻きながらやってくると、「もー」などと言いながら二人の会話の中に入って来る。
それを、ツバサは笑顔で返した。
こういう日常はいい。
こんな日常がどこにでもあれば、それはもう。



『私はね、どこかで苦しんでいる人たちの為に、戦いに行くんだ』



そのような、途方もない現実に侵された言葉を放つ人など、いなくなるだろうに。



それからのこと。
ツバサはレンとその母の言葉に甘え、夜ご飯まで一緒に頂き、明日もまた学校だというのに夜遅くまで話し込んでしまった。
レンと母との時間はとても楽しい。くだらないような話題で盛り上がることも多々ある。
それが日常なのだと思うと、とにかく楽しい。
自分たちの環境が恵まれているとさえ思う。
他所の、何の影響も受けなかった者たちから見れば、彼らの境遇は理解し難いものであったのだが。



「それじゃ、また明日ねっ。おやすみなさい、ツバサ」
「ああ、また明日なーっ。お邪魔しましたっ!」
「どうもありがとう。また遊びに来てね」


そうして彼は、賑やかで楽し気な空間から、夜の村へと戻る。
まるで別の空間に来たかのように、一気に静けさが自分の身を覆う。
今日はその静けさを邪魔するように風が吹いていた。
そこまで強いというものでもないが、木々が揺れて葉が音を鳴らすくらいには、ハッキリと聞き取れる音だ。
静かな夜ではあるが、やや騒々しい。
村の家の明かりはもう灯されておらず、かといって外灯のようなものは存在しない。
時折流れる雲の切れ間から月明かりが差すのだが、真っ暗闇な村の夜にはそうした明かりが重要な要素になる。
見えた月は半月の形状。もうすぐ、満月。
秋の季節に最も大きな月を見られるときが来る。
彼は相変わらずの上り坂をいき、家の前の頂に辿り着く。
夜目に慣れて明かりが無くとも、程々に景色を見渡すことが出来る。
それはそれで絶景なのだが、月明かりがやはり欲しいな、などと余計なことを考えてしまう。
この景色を堪能するためには、と。


しかし。


「ん………」


カラン、と。
何か聞きなれないような、表現し辛い音が聞こえた。


「………?」



彼の家の中からではない。
元々家は鍵を二重にかけているので、そもそも開けられるものではない。
家とは反対側のほうにある、もう一つの建物。
彼の家の周囲は他の家族の家などはなく、この道もこの周囲もひと気はほぼないと言ってもいい。
たまに子供たちがこの見晴らしの良い展望台ごとき場所で話をしている時があるが、
それもこの夜の静けさを前にすればあり得ない状況だ。
つまり、ひと気のないところに何かが入り込んできた、ということ。
このような場所に目的があって来る者は殆どいない。
であれば、目的とすればこの家か、あるいはもう一つ。


「―――――――――――――。」



家でないのなら、もう一つある建物、神社しかない。
この村に長くから建てられ、もう近づく人すらいない建物が彼の家の近くにはある。
少しの木々に埋め尽くされた、先にあるもの。
何らかの信仰物を祀っているとか、偉い人の墓場だとか、色々な言い方があるが、
どちらにせよここに近づく者は誰もいないはず。
何しろ歩いて2分くらいしか掛からないで行けるツバサですら、近寄らないのだから。
正直なところ、まるでその神社の周囲を取り囲むようにして生えている木々の間を通っていこうとは思わないのだ。
そして何よりその神社に行く目的が何一つない。
それは自分に限らず、ほかの村人たちでも共通のはずだ。
だから気になった。
明らかに人為的な音は、間違いなく人が発した音だろう、と。
静かに、ただ静かに音のなった現場へと近付く。
木々の間に入ってしまえばもう引き返すことなど出来ない、気持ち的に。



「誰だ…………」



そして、その建物の前に立っている陰。
明かりの差さない夜と、視界を遮られる木々。
目の前に現れたそれは。




「おろ?なんじゃ、ツバサか!誰かと思ったぞい」
「………はぁーっ!フィリップじいさんか!!」



陰に雲の切れ間から差し込んだ月明かりが照らされ、そして見えたのは。
この村に住むご高齢者、フィリップと呼ばれる男性だった。

第13話 神秘なる存在



「うむ、どうやら驚かしたようだの」
「驚くよそりゃ!こんな時間にコソコソ、なにしてんだ?」


フィリップじいさん、と呼ばれる男性の高齢者。
この村にずっと住み続けている住人で、既に70歳を迎えている。
村の中でも5本指に入るほどの高齢者で、誰もがこの男の存在を知っている。
知ってはいるのだが、少し癖が強いというか。
それもそうだろう。このような時間に木々の中にある神社の前で、何やらコソコソとしているのだから。
白髪のご老体は、身のこなしは今も元気よく、普通にしゃがんでいるし、立ち上がる動作もスムーズだ。
白い顎鬚が自分のチャームポイントじゃよ、などと言っているらしく、お茶目なんだか不審者なのだか分からない具合だ。
神社の扉の前でコソコソと音を立てていたご老体だが、ツバサが来ると振り返り立ち上がる。
しかしもう既に用事は済んでいたようで。



「いやなに、ここに仕舞ってあるものにちと用があっての。それを眺めてただけじゃ」
「ええ?ここになんか見るものあった?」



この神社に自由に出入りすることが出来るのは、このご老体がここの権利を持ち続けているかららしく、
そのはじまりがいつなのかは定かではない。
フィリップが神社の管理をしていることに間違いはないが、このような時間にいてもらっては困る。
静かにいるならまだしも、音がハッキリと分かるくらいでは困るのだ。
そして、出来るなら用は昼間に済ませて置いて欲しい。こんな時間に、ではなく。



「あるともあるとも。昔の記録ばかりじゃがな」
「昔の記録………って?」


実のところ、ツバサは家のすぐ近くにこのような建物があるのを知りながら、ここをよく知らないのだ。
フィリップに言われるがままに入ったことはあるが、特段何かある訳でもない。
神社とは元々特定の信仰に基づく祭祀施設、というように考えられているのだが、大昔から続く信仰で現存するものは殆どなく、
こうして各地に神社や他の建物が残り続けるばかりなのだという。
ここもその一つで、誰かが手入れしなければ、誰にも見つけてもらえないような建物だ。
もっとも、手入れしたところでここに近づく者は誰もいないし、近づこうとも思わないらしいが。
ツバサもここに入ったことはあるが、何かをしようと思ったことはない。
ただあるだけの建物なのだが、フィリップはこの中に様々な記録が保管してあるのだという。


「ここに来れば、昔の記録を振り返ることが出来るのじゃよ。古くからの言い伝え、とかな」
「へぇ~そうなのか!知りたい!!」
「おろ。近頃の若いもんは昔話に興味があるのか?よかろうよかろう、じゃがここでいいのか?」
「え?あ、あぁ。明かりはー………あるな。えーと、どこにあるんだ?」
「この壁の向こうじゃよ」


空間自体は狭いのだが、ただの壁に見えたそれが引き戸だと分かると、またも彼は驚いた。
なんの取っ手もないのにスライド機構を採用した壁。
壁の奥には僅かなサイズの倉庫があり、そこには沢山の書物が積み重ねられていた。
昔話に興味を持つ、ツバサはその性質が強いのだが、普通の子供からすればそのようなものに中々興味を持たない者もいる。
寧ろ関心を持たない者の方が多いだろう。
フィリップじいさんは笑顔で答え、そして何のためらいもなく一冊の埃をかぶった本を取り出した。
恐らくかなり適当にとった一冊だが、それを。



「ほっほっほ、これは中々面白いものじゃぞ。どれ、ちと読んでみるかの」



といって、また広間の方へ戻り、倉庫の中にあった座布団を敷いては、ツバサに着座させる。
そして自身も座り、その本を開いて眺める。



「………おろ、昔話………まあいいじゃろう。さてツバサ、唐突じゃがな、この世界には」



――――――――――――人の身では理解も難しい、不思議な力が流れておる。



という言葉を始点に。
フィリップは本に書かれてあることを抜粋しながら、自分の口で語り始めた。


その昔、起源さえも分からない時から存在し続けているというそれ。
あるいは人類史の陰で時間を積み重ねてきたものなのかもしれない。
人類が人類としての生活をする前から存在し、この世界を取り巻く環境の一要因のような性質として成り立っているのだという。
曰く、それは人には理解も出来ない究極の神秘である。
この世に生きて不思議なことは幾らでもある。
たとえば心霊現象などがそうだ。
実際にはそんなものは存在しないと思いながらも、本当にそれと直面することもある。
ただの思い込みだとしながらも、事実として世界の光景に君臨することもあったのだから。
それと同じように、この不思議な力というものも、誰に認められる訳でも無いが存在している、神秘の一つだ。
普段、それは目に見えることはないが、条件次第では「物や人を媒介にして表出」することがある。



名前は定まっていない。諸説ある。
単に力と称することもあるが、よく言われる言葉としては“マナ”。
ほかにも、“フォース”や“マイト”、“アシュラ”などといった呼ばれ方をすることもあり、
呼び名は人や地域によって異なるものがあるのだという。



これらの力は、人々との生活に深く結びついている。
それを知らない者は多いが、自然界に当たり前のように流れているといってもいい。
人間が生きるために息を吸うのと同じように、マナもまたこの自然界にいかされている自然体と呼べるものなのだ。
自然体であれば、自然界に当然のように存在している。
空気と同じように、その中に含まれているような、まるで物質のような扱いだ。
それがなぜ“力”と言われるのかは、幾つか理由がある。
人間の中には生命力というものが備わっており、生命活動においてあらゆる行動を人間が起こす、そのエネルギー源となるものが生命力だ。
生きること、行動すること、思考すること。
そのどれもが生命力を必要とし、これが欠落すれば異常を来し、無くなれば人は死ぬ。
しかし、マナと呼ばれる自然体はこれと密接に繋がりながらも区別された存在で、
マナが力と呼ばれるのは、生命力とは異なる力の物質を人間に与える一要因として数えられているからである。
中には、自然体がもたらす物質・物理的な力をフォース、
自然体がもたらす精神や概念的な力をマイト、アシュラ、などという者もいるらしい。
生命力が枯渇してしまえばマナも減少し消失する。
だがそれで人が死ぬ訳では無い。
人間にとって生命活動を維持するのに必要なのは、そうした生命力を持ち続けること。
マナは必要としなければどうにでもなる存在で、生命にとっては唯一の存在とはなっていない。



さらにいえば、
生命力とは異なる自然体の力は、誰もが等しく手に入れることは出来ない。
手に入れたところで、それを物質的な、概念的な力に置き換わるというものでもない。
誰もがそれに触れる機会がありながらも、それを自らのモノとするのは難しいというのが、通説だ。



理由は神秘故に明確ではない。
はじめからこの自然体と共鳴できる者もいれば、ある日突然それが出来てしまう者もいる。
明確な理由は今だ研究でも明かされておらず、そもそもこの力の存在をただのおとぎ話のように捉える人も多い。
目に見えない物質のようなものを研究しようと思う者も少なく、この力は長い間神秘のものとして伝えられてきた。
具体性はなく、研究の対象であっても難しいことから、解明されない謎として存在し続けているのである。


「………とな」


「………じいさん、それ本当に記録か?」



と、彼が疑問に思うのも無理もない話だ。
その本を手に取って読んだフィリップは自慢げに「本当じゃよ」などと話すが、
はたして本当にそのようなものを記録と呼べるのかどうか。
この世界には不思議な力が流れている。自然体と同調しながらそれらは今も生き続けており、
目で見ることは出来ないが今も触れられているのだという。
だが、それを日常的に意識するものはなく、感覚的に感じ取れるようなものでもなく、視覚的に捉えられるものでもない。
「ああ、これがマナか」などと気付くようなものでもないらしい。
しかも人によってそれを受け取れるかどうかも変わっており、生涯全く関わりを持たない者も大勢いるというのが、
この本の記述だ。
しかし、こうして誰かが記録を残しているということは、
その誰かがそうした神秘に気が付いて、その正体に迫ろうとしたと言うことも出来るのだろう。
昔話かと言われれば疑問が残るが、記録で嘘偽りがないのであれば、ただの妄言でもないとみえる。


「なんでまたそんな本がここにあるんだ?」
「それはわしにも分からぬよ。けど、ここはタヒチ州の色々な記録を保管するところでもある」
「なーるほどね。じゃあこの村もタヒチ州ってのも、結構前からあったんだな」
「他所の街と違うのは、こういうところだからこそ、そういう妄信めいた本が置けるということじゃな」


「じいさんはそれ、信じてるのか?」


そんな唐突に「不思議な力がある」などと言われても、全く信憑性に欠けているというものだが。
百歩譲っても自分と関わりは持たないだろう、と彼は勝手な思い込みをしていた。
どのような効力があるかも分からない、マナとかフォースとかアシュラとかいう能力。
その存在を受容し、その存在を吸収し、その存在に気付き、そしてその存在を手に収めることが出来れば、
恩恵やら影響やらを受けることが出来るのだという。
なんとも抽象的な研究結果だなあ、と思いながらも、フィリップじいさんにそう聞いた。


「わしゃあ信じとるよ。若いモンと違って、もう信じるものも少なくなってきたんでな」
「へぇ~………そうかあ。でもあれだなっ、そんな自然体の力ってのが身につくんなら、何が出来るようになるんだろうな!」
「不思議じゃのお。なんじゃろうなぁ………」
「なあフィリップじいさん!ここにはもっといろんな本があるんだろ?色々読んでみたいんだけど!!」
「ほうそうかそうか。じゃあお前さんに鍵でも渡そうかの」



え、そんな簡単でいいのか?
というツバサの言葉を無視して、自分の持っていた鍵を一つ彼に渡す。
どうやらもう一つ鍵を持っているらしく、すべてを自分が持っている必要はないと言って躊躇いも無く渡したのだ。
彼は歴史といったものに興味を示すことが多い。
フィリップと彼は日常的に話す機会はないが、何度かそういった話を聞くこともあった。
彼の興味本位におじいさんが応えてくれたのだ。



「最近は古きを忘れることが多い。だから、お前さんのように知りたがりな人は貴重なのじゃ」
「そうなのかー………」
「特に、ここにあるものは縁起でもないものや理解されんものが多い。単に歴史を遡るだけじゃないのじゃよ」



歴史というのが単なる記録記憶の遡りではない、とフィリップじいさんは言う。
確かに過ぎ去ってしまった時間、過去であることに変わりはないのだが、その過去こそが今を生きる、いやこれからを進む未来の人間にとって必要不可欠なのだ、と。
だから、たとえどんなに胡散臭い話であったとしても、それを書いたものの気持ちを理解してみよ、と言った。
妄言の塊のように思えて、実は本当の話というのもある。
今では確認しようとする者も現れないようなことも、この世界に確かに存在している事実かもしれない。
そういうのが、この世界にはあちらこちらにあるのだぞ、と。


「けどじいさん、いいのか?俺がここを勝手に出入りして。家で本とか読んじゃうけど………」
「なあに、使ったものはちゃんと戻せば、それでいい。何しろお前さんは興味を持ってくれた人じゃからな、ほほほ」


こうして彼はあまりにも簡単に、この神社の鍵を手に入れてしまった。
神社の中の奥にある小さな倉庫には、この村や州、この世界のあらゆる記録がされた本があるという。
それを自由に見ることが出来るというのは、歴史や昔話に興味を持つ彼にとっては嬉しい限り。
さっそく彼はフィリップが少しだけ読んでくれた奇怪な力の本を受け取り、それを持ち帰る。
「本当に記録か?」と疑いながらも、彼もその話には興味があったのだ。
とても信じられるような話ではないし、本当に妄言が積み重なったものなのかもしれないが。
事実なのだとしたら興味があるし、そういう力を何に役立てられるだろうか、と考えてしまう。
それはそれでいいだろう。話によると、どうやらその力を感知できる人はあまりいないというのだから。


「誰かに語り聞かせるようなものでもない、か」


と彼は自らで評価しながらも、その不思議な中身の本を読み続けた。
確かに人間には色々な力というものが備わっているだろう。
だが人間はそのような力を意図的に、自由自在に行使できるほど有能ではない。
ここに書かれている内容は、そうした自然界の力を自分の思い通りに使うことが出来る、というものだった。
もっとも、それに気付きそれを手にする者は殆どいないそうなのだが。
逆に言えば、こうして記録を残しているということは、執筆者はその力の持ち主なのだろうと、自然に考え得る。
でなければ、ここまである程度形を持って語ることは出来ないはずだ、と。
彼が今まで読んできた本の中でも、こういった類の本はそう多くはない。
「小説」であるのなら話は別だ。
小説にもあらゆる形の内容があるが、その中でも娯楽として楽しむことの出来る、架空の想像で語られるものには、
たとえば「魔術」というような要素が入っていることもある。
この記録文書がそういった小説の類でないこと、また時々具体的な地名が出てくるところを見ると、やはりこれは
事実なのだろうと考えてしまう。もっとも、事実であってもそれを誰かに自慢したりするようなものでもない。
これは知られていないからこそ、神秘なのかもしれないと彼は思い、



「おっと、もうすぐ0時か………」



夜更け、日付が変わる直前まで読みふけっていた。
読書を終え寝る準備を済ませると、彼は少しだけ夜空を見上げて、星を見た。
村には夜明かり、街明かりというものがない。したがって、星空はいつも運河の如く広がっている。
幻想的で、それこそ神秘そのものだろう。
目に見えない神秘よりも遥かに想像がしやすいが、一生かかっても手に届かない光の束でもある。



「明日は、現役の兵士が来る、のか………」



さて、どうなるものかな、と彼は思う。
何が目的で来るのかは、門下生には明かされていない。
とはいえ、現役の兵士が道場を視察するということなど、今までになかったことだ。
その目的が何を意図してのことなのか。
“この道場が本来持つ目的”と何か一致しているのだろうか。
考えは色々と渦巻くが、それを考え続けても明日はやって来るし、問いに対する答えは得られない。
さぁ今日はもう寝よう。どうか今日は穏やかな夢を見られますように、と。
心の中で形に宿ることのない願いを持って、布団の中へと入る。


大人たちが都合明かさずとも、分かる者もいる。
表向きには自己修練の場であっても、裏ではいずれ世に役立つものを輩出するという場であることを。
それを知り、そうだと理解しながら、目的を今更問う必要はあるのだろうか?



彼には見当がついていた。
目的を明かすことが出来ないとはいっても、視察である以上、将来的に役立つ人材を探しに来るのだということが。

第14話 非日常のはじまり


突然「明日兵士が来る」と告げられてから、日付が変わった。
心持は複雑だ。
自分でも何が複雑なのか本当に理解していない気がする、と自分に対して疑問を持つこともあるが、
それでも複雑な心境で登校道を行っていたに違いない。
今日は少し曇り空が昨日よりも勝っている。
生憎と、太陽の恩恵を受けるには少し暗い日になる。
いつも通っているはずの道が、今日は少し違和感を感じる。
それが自分の内なる心情によるものだということは、考えるまでもない。
何を気にしている、何も臆することはない、と思いながら。
彼の瞳は地面を向きながら、ただ今日一日の始まりという場所に向かっていた。
空の雲が厚いせいか、今日は少し肌寒く感じる。
放課後の道場での運動はいい体感温度の上昇に繋がるだろうが、その後風邪をひかないようにしなければ。
その前に、学校だ。
今日の課題は取り敢えず一通り済ませているはず。
歴史の授業もあるし、楽しみだと思えるものはそのままに望んでいるほうがいいだろう。
今日はエズラは来るんだろうか。
既に電話で用件は済ませてあるから、今日は道場に来るだろう。



「………あー、やべえな。なんか、行ったり来たりだ」



それは彼の行動によるものではなく、彼の内面によるものだ。
すべては兵士が来ると告げられたあの時から、その瞬間が訪れるまで続くもの。
あらゆる考えや思いが彼の中に渦巻き、一つひとつの考えがチグハグになり散乱する。
彼の頭の中の状態は、あらゆる思考で埋め尽くされ、しかもそれが統一感をなさないままバラバラになっていた。
妙だな、変だぞと、自分でも気付いていながら、次から次へと物事が考え着く。
いつもならもう少し冷静に色々と考えられるだろうに、今日という今日はどうもそうはいかないようだ。
ただ「兵士が来る」というだけなのに、何故だろう。
それが自分にとってあまりに大きすぎる出来事のように、変換されてしまっている。



「取り敢えず普通にしないと………」



そこで平静を装う必要は無かったのかもしれない。
ありのままの自分で居れば、しかし確実に誰かから問いを投げかけられるだろう。
“何か悩み事でもあるのか?”と。
無いといえば、それは嘘になる。
何しろ本物の兵士がここにきて、しかも自分たちの鍛錬を視察に来るのだ。
どういう目的かは明かされていないが、どういう目的かは明白だ。
さらに言えば、今世界情勢はやや厳しい方に向かっている。
ここ10年ほど戦争は起きていないが、世界中でまだ不穏な空気が流れている。
それが最近濃くなっていることは、毎日ニュースでチェックしているツバサにならよく分かることだった。
となれば、ソロモン連邦共和国、この国でさえ他人事の振りをしている訳にもいかない。



―――――――――――他人事にはならない。
それに対する明確な理由を持ち合わせてはいなかったが、恐らくはこうだろうという考えを、ツバサ自身持ち合わせていた。
それもこれもすべて歴史などの資料で学んだものではあるが。
国としても、また一個人としても、他人事として捨て置く訳にもいかない、と考えていた。
前者はツバサが語る必要性など全くないが、後者は自分との対峙だ。
一個人としてそれが他人事とはならない理由は、自分の中に在る問いや疑問を目の前にしているから。
答えなど見つからないし、それが間違っていないとも限らない。
だが、彼自身が他人事ではない、そうすべきではない、と分かってしまっているのだ。
そしてその要因が、かつての自分の家族からきているものだということも。



まずは放課後を迎えることだ。
その兵士たちを見て、そして本当の目的が明かされてからだ。
そんなもの知る必要もないのだが、やるべきことは一つ。
自分の意志に従い、本望というものを見出すことが出来るというのなら。
それを実現させるために必要なのは、俺という存在を知ってもらうこと、ただ一つだ。


と。
彼は自らの迷いを解決しないまま、自らがすべきことを最も効率の良い手段で実行できる、と理解していたのだ。



「道場に兵士が来る」という話は、
意外にも学校ではあまり大っぴらにされることはなかった。
昨日道場にいた学生たちは全員その事実を知っているのだが、殆どの人はそれが重要なことであるとは考えなかった。
小さな子供たちにとっては「先生のまた先生」が来るというような把握、
歳のいった子供たちから見れば「何かの参考になるかも」とか「どうでもいい」とか、多種の考え方があるくらい。
彼のような「~すべきだろう」というような考えを持つ人はいない。



「ツバサ―、すまん。この後の歴史の課題、見せてくれねーか?」
「またかよ~エズラ。いいぜ、ほら」
「あんがとー助かるぜい」



だから、彼以外の者にとっては、今日もいつもと変わりない日常の一つなのだろう。
エズラはこうして目の前で人の課題を見て自分の課題を済ませている。
レンは、遠くで別の女子学生と談笑中。
ソロは机で読書。
ほかの学生たちも、この昼休みの時間は穏やかにそれぞれの時間を過ごしている。
またいつもの図書館でもいこうかな、と考えてはいたのだが、考えだけに留まった。
それ以上に別の考えが膨らんでいたからだ。
彼は窓際にいて、曇り空の遠くを眺めている。


そんな、彼の話の届かないところで、二人で話をしているレンと、レンの友達であるアンナ。



「うーん………けど、中々話かけられなくって………」
「そうなんだぁ。確かに、うーん………サラッとはいけないよね」



アンナは、彼女と同じ歳に入学して、入学したその日から友達関係になった親しい間柄だ。
お互いになんでも言い合えるような関係である。
背が低く、ツバサなんかと隣に並べるかっ!と自分で言っているほど。その身長差は30cmを越えるだろう。
もっとも彼女もツバサとは程々に話し合える仲ではあるのだが。



「思い切って話しかけるべき?」
「悩むよねー………でも、頃合いっていうのもあるだろうから」
「あー、そうだよね~……」



今二人は実に平和で平穏な会話をしている。
この二人にとっては深刻な話題なのかもしれないが、世間から見れば寧ろ初々しく羨ましがられるような話題。
アンナからレンに話を振ったことなので、彼女はその話を聞き、相槌を欠かさずに一緒に悩んでいた。
曰く、アンナの恋心事情である。
彼女たち二人は15歳。
思春期と呼ばれる頃合いも通り過ぎつつあり、大人としての魅力を手に入れ始めるころだ。
アンナは同期のレンが「ナチュラル化粧技術」を会得して使い始めるようになってから、それを真剣に彼女に習い始めた。
だからなんだという話なのだが、人の見た目は第一印象において最も強烈な印象を残す。
その点、レンはナチュラルにお顔を造り、違和感なく綺麗に魅せることが出来ている。
それに彼女が習っただけのことだ。
二人とも同い年だというのに、彼女はレンに「ご指導よろしくお願いしますっ!!」と意気込んで頼み込み、
それに彼女が応えた形だ。
今もその延長線上、というよりはそれが目的でもあるのだろうが、彼女からレンにコイバナをし始めた。
乙女の恋する年頃。同時期の男たちは皆鈍感だよね、なんて痛烈な意見もあるくらいだが、彼女たちにはそんな些細なことでも少しの悩みになってしまうようで。



「ね。違和感なく自然体で話せるようになればいいと思う、けど」
「どうやったら自然体になれるのかな?んんんー………あ、レンは好きな人にどうやって話しかけてるのかな?」
「えっ、私!?いや、私はそんなっ」



レンは、アンナをはじめとする女子学生の多くが知る存在だ。
理由は幾つもあるのだが、その多くは彼女の女性的魅力が女性にさえ受けるというものからきている。
背は160cmほどと、周りの女子に比べれば少しばかり高いほう。
髪はセミロングという具合で、日によって下ろしていたり、後頭部で一本に結んでいたりと、色々なバリエーションを持つ。
女子学生たちから言わせれば、スタイルはもう抜群で、細身でありながら胸はやや大きめ。
私服もよく似合うものばかりで、「貴方に惚れている男子は多い」と彼女自身言われたこともある。
内面も好意的な意見が多く、特にアンナとの今の状況のように、話は親身に聞いてくれるし、話しやすい一面も持つ。
そんな彼女を好きになる男子は上下の年代いるのだが、彼女は果たしてどうなのだろうか。
というのをアンナが聞くと、やや赤面しながら話を逸らそうとした。
ところがこれがそう上手くはいかず。
アンナはレンの話し方や態度を参考にしたいという気持ちがあったのか、彼女への質問は暫く続いた。
好きな人がいるということが確定すると、それ以降は質問攻め。
話し方、仕草、あらゆるところに質問が飛び、彼女は思う。
そんなに気付くことが出来るのなら、自分でもきっとうまく出来るだろうに、と。


「………」


昼休み中話は盛り上がるのだが、大体は彼女が聞き役に徹している。
そうして話をしている最中、彼女はふと窓際に立つ少年の姿を見る。
静かに、ただその瞳がずっと遠くを見ているようで、それが彼女には気になった。
大体の人は何を見ているのだろうか、と気にすることだろう。
だが彼女のそれは、どうしてか「どこに向かおうとしているのだろう?」という疑問に行き付いた。
自分でも分からない。


「ん、あれ。ツバサくんだよね」
「えっ、あ、うん。そうだね」
「ツバサくん、いつも元気だけど、最近少し変わってきたのかな。ずうっと大人びたような気がする」
「アンナにも、そう見える?実は私も………」



しかし同時に思う。
別に彼のことを気にしても、彼自身の内面を理解してあげられるようなものではない、と。
きっと私では、いや私たちでは手に届かないような、そんなところに彼の考えがあるような気がする、と。
何も彼が元の状態に戻って欲しいと思っている訳では無い。
人間誰でも成長するもの、それが普段見ていたツバサとの変化であるというのなら、成長が要因と言い切ってしまうことも出来る。
だが、彼女の内面がそれを否定する。
きっと、それは違いますよ、と。
何を言おう、彼自身が濁らせたまま、それを彼女に打ち明けたではないか。



『何かをしたいという気持ちはある。いや、こうあるべきだろうって姿も分かる。だがそれが本当に選んでも良い道なのかは、分からない』



だから、きっと、彼はその問いを考えてるんだと思う。
特に、今日これからのことで。


…………。


そして、そのときを迎える。



「………」



今日、師範代が言ったように、道場には州軍兵士が視察に来るという。
事前にその情報を知らされている学生たちは、緊張な面々で道場にやってきていた。
いつもより早く身支度を済ませ、いつでも鍛錬に入れますよ、という用意を整えておく。
先生が来るまでの間、いつも私語が絶えないのだが、今日に関しては随分と静かだった。
道着に着替え準備を整えると、各々が竹刀や木刀を持って、先生が来るまでの自主練を始めた。
皆、いつもとは違う雰囲気を感じ取っていた。
ここ最近感じることのなかった、ピリピリとした緊張感。
その中に、ツバサも入って来る。



「………」
彼もまた、平静でありながらも沈黙を保っている。
そして、皆彼が道場の間に入って来ると、一度彼の姿を見てしまった。
多くの人の目線を感じ取った彼。
理由はただ一つ。彼がそれを意識することはないが、“彼がこの場で最も強い兵士だから”である。
ツバサという人間は、もう長く剣道を続けていて、道場の顔でもある。
村の顔でもあり、道場の顔でもあり、誰もが認める存在だ。
そして彼の場合は竹刀や木刀を持たずとも、素の能力が強く、運動能力も抜群だ。
足も速く、跳躍力も凄まじい。それに加え柔軟で耐久力にも優れる。
そんな人の前に、現役の兵士が見に来るのだ。注目されないはずがないし、しないはずがない。
門下生たちの視線を気にせずに、彼はいつものストレッチをこなす。
決められた工程を何一つ破ることなく、いつものようにこなしている。
その内面がハリケーン到来時の波打ち際のように荒れていると、誰も知らずに。


全員が揃って数分後。



「待たせたな。今日も鍛錬を開始する。が………その前に」
「………」


扉の奥から先生と共に、二人の見慣れぬ姿が現れた。
二人とも剣は持たずとも鎧を身に着けている。
同じような格好をしているところを見ると、恐らく州軍共通のものなのだろう。
あまりに異質な光景。
この穏やかな日常に現れる陰とも言うべき存在。
彼らの穏やかさを守るために仕事をしている彼らを、異質なものと断定してしまうところが皮肉だ。
ツバサにとってはこの間も見たような光景。
州軍は兵士に留まらず、治安維持にも携わっている。
その格好は、間違いなく生活の守り手でありながら、脅威と威圧の対象だ。



「こちらお二方は、タヒチ州管轄下にある州軍兵士のリーアム軍曹と、ターナー准尉です」
「「よろしく」」



生憎、友好的な、あるいは親善を込めた訪問ではない様子で。
しかしその瞳がどことなく真剣そうに見えるのは、やはりこの二人の格好からだろうか。
簡単に紹介を受けた二人がそう言葉にすると、一同は礼儀正しく挨拶を返す。
それ以上の会話をすることがないと見た師範代が、間に入って言葉を挟む。



「今日、このお二方には皆の日ごろの成果を見て、評価してもらうためにお越しいただいた」
「っ………」
「なので、これまでの訓練通り、しかし思う存分その力を発揮してもらいたい」



はい!!と、一同がまた返事。
それで挨拶も会話も終了したと判断し、すぐに実戦形式での立ち合い準備が行われる。
気になるとすれば一つある。
この視察をどちらが望んだか、ということだ。
それによっては与えられた状況があまりにも異なる。
もし先生から州軍にそれを希望し叶ったということであれば、その言葉の意味も正しい。
評価し、それを次につなげるための言葉を残していくことだろう。
だがもし、この視察が州軍からによるもので、主導権が彼らにあるのだとしたら。
どうやら本人たちからそれを告げるものではないようなので、今は気になりはするが目の前のことに集中した方が良さそうだ。


そうして、実戦形式での鍛錬が始まった。
この形式での鍛錬は、週に一度あるくらいなもので、
それまでの鍛錬の結果をここで評価するということは、先生も今までしていたことだ。
しかし、どれほど向上しどれほど更なる見込みがあるかどうかは、確かに本職である兵士たちに見てもらう方が
よりハッキリとするのかもしれない。
だが、ここで明らかに疑問となるのは、その評価についてだ。
この道場での鍛錬を自分の中でどのように位置付けているかによって変化も影響も異なる。
何の為に道場に通い、何の為に強さを求めるのか。
今回の実戦訓練ではトーナメントのような形式は取られず、限りなく実力が近い者同士とのペアで戦うことになった。
いつもであれば「あらゆる年齢を想定しての実戦訓練」と言われるのだが、今日は評価をもらうためだろうか。
年齢の近い者同士、実力の近い者同士で戦うことが多くなった。
年齢の若い門下生たちから実戦形式での戦いを繰り広げて行く。
打ち鳴らされる竹刀の激しい音が、道場の中を埋め尽くす。



「………」



冷静に、腕を組みながらその光景を見続ける兵士二人。
無言の中に広げられる思考がどこに向いているのか、それを確認する術は今のところはない。
次々と勝敗が分かれていく。
負けた門下生は悔しがる人もいれば、相手の強さを知って「勝てる訳が無い」と苦笑いする者もいる。
だが、最もそれを感じるはずの相手は、間違いなくツバサだ。
その人物が登場するまで兵士たちはそれを知ることはないが、皆が思う。
それを見れば、恐らく二人は驚くことだろう、と。
ツバサが登場すると、皆が息を飲んでその姿を見届ける。
相手となるのは友人のソロだ。
彼もまたツバサほどではないが、かなりの実力を持つ男。
師範代が好んだ人選だった。
言い方を変えれば、それだけソロの実力を先生が認めているという証にもなる。
ツバサと「戦いになる相手」を選んだのだから。



「――――――――――――――。」


「……………」


ツバサとソロの実戦形式での戦闘。
合図が鳴ると、両者とも初撃は一気に間合いを詰めて行われた。
一切の声を出さずに、ただ威圧感とその破壊力は他の誰よりも勝る二人。
竹刀の打撃音だけ見ても、ほかの門下生たちとは比べ物にならないほど激しい。
二撃目、三撃目の一つひとつが目で追えないほど早く、繰り出される一撃が重い。
二人とも小刻みに間合いの中を動きながら、攻防を繰り返す。


「………」


その様子を、レンもエズラも見届けている。
明らかに強いのはツバサだと分かるのだが、それに食いつくようにソロも意地を見せる。
なんとか攻防を繰り広げて結果に結び付けさせないようにしているのだが、それもいつまでもつかという様相。
俊敏さ、技量、力の入り様はすべてツバサが勝っている。
それでもソロは粘り続け、1分ほどの激しい攻防を凌いで見せた。



「………ハァ、ハァっ………」



「…………」


二人の攻防に、腕を組んでいた兵士たちも思わず見入るような眼を向ける。
決め手を欠くツバサと、決め手を繰り出させないソロ。
どちらに分があるかは明白なのだが、そうはさせないと全力で阻止するソロ。
門下生たちは、いつもツバサの圧倒的な力量をその目に焼き付けている。
が、ここまでソロが善戦したことがあっただろうか。
彼らは寧ろ今、もう一人の立ち向かう勇者に視線を釘付けにされているようだった。
お互いに間合いが空いてしまい、戦いが一時中断されてしまう。
息を切らすのはソロの方だが、自然と二人とも笑みが零れていた。



「いいねえ。燃えてきたぜ…………」
「こちらもだ。久々の高揚感、まだやれる。全力でお前と対する」
「おうっ望むところだ。俺もひっさびさに打ち合いが出来てる気がするぜ………!!!」


それは、たとえ竹刀という殺傷能力の極めて低い鍛錬用の武器であったとしても、「剣戟」と呼べるものであった。
現代、戦闘のスタイルはあらゆる手法が取られてはいるものの、今だに近距離戦闘も衰えてはいない。
移動車両や空を飛ぶ飛行機などの開発競争が進み、現代にも時代の変化に相応しい機械化が進みつつある。
戦闘の距離感に応じた戦闘スタイルというものが徐々にラインナップに増え始めている。
たとえば、遠距離の敵を攻撃するための手段も登場し、飛び道具などと呼ばれる武器も数多くリリースされた。
車両砲台、迫撃砲といった類の砲撃兵器は、相手や相手の陣営、基地などに有効だ。
爆発物を遠くから撃ち込むようなもので、爆発による威力と火災の効力を期待することが出来る。
人々が手に持つことの出来る飛び道具は、大多数で利用されているのが弓だ。
飛び道具の中でも比較的手頃に使うことが出来るので、よく重宝される。
ほかにも拳銃といった、鉛の弾を高速で射出する武器も存在するのだが、こちらの配備はそれほど進んでいない。
何故なら量産にかかるコストがどの工程も掛かり過ぎるために、中々配備されないのだという。
ほかに飛び道具は存在せず。つまり、それ以外の方法で戦うのだとしたら、やはり近接戦闘しかない。
近接戦闘の主力武器は、彼らの持つ竹刀や木刀に殺傷能力を得たもの、文字通り剣<つるぎ>である。
古来、戦争の必需品として剣と鎧が数えられており、この武器はたとえ現代になろうと切っても切り離せない関係にある。
道場が各地にあるのも、ある意味でこれが理由とされている。
どれほど科学と技術が進歩しようと、捨てられないものはある。剣技というのもその一つだ。
ほかにも槍や戦斧といった類の武器もあるが、剣に比べれば少数派であろう。
彼ら門下生には知り得ないものばかりだが、歴史を深々と勉強している彼には、ある程度の状況は飲み込めている。
古典的、などと言われることもあるが、それが今でも最前線で通用する武術の一つであるのなら、それだけで価値はある。


二人の剣戟の打ち合いはさらに激しさを増していく。
これだけ激しく、かつ素早い攻防でありながら、剣術稽古の鍛錬の基礎を忘れてはいない。
実際には彼らの「型」となるようなものは通用しないのかもしれないが、それでも全く無いよりは遥かに有用的な鍛錬だろう。
どちらかが攻撃すれば、すぐに反応し防御する。そして防御した側が、すかさず攻撃を入れる。
互いに間断ない攻撃の連続で、見ている方としては圧倒されるばかりであった。
特に門下生たちから見れば、この二人の戦いは異次元とも呼べるものであっただろう。
兵士たちからはどう見えているのだろうか、とレンやエズラは考えていた。
現役の兵士で戦闘経験があるかどうかは不明だが、彼らはこの手のプロといっても過言ではない。
評価をしてもらう、という目的があってここにきているようだが、彼らには二人がどう見えているのかが気になる。


「結果を決めなきゃならんことには興醒めだが………!!」
「――――――――――――!!」


「………っ、そろそろ終わらせるッ!!」


その瞬間だった。
勝敗を付けることが興醒めするくらいに、目の前の戦いが“楽しい”とさえ思えた。
お互いの実力が拮抗し、数分間も激しい剣戟の打ち合いを繰り広げていた二人。
だが、いつまでもそのような状況を楽しんでいるものでもない。
決めに来たツバサの姿勢が一瞬で沈み込み、重心が下半身へ向く。
床が軋む音が目立つほどの踏み込みから繰り出される一撃。
それを目の当たりにしたソロは、瞬時に自らの結末を悟った。
回避は不可能、立ち向かうしか迎撃は不可能。
しかし、その迎撃とて気休めにしかならず、出来ることといえばその剣に剣をぶつけることだけ。
それもそれで終わり。
それ以上は存在しない。



そうして最後、低い姿勢から打ち上げられた一撃は、ソロの手から武器を奪い取り、
その武器は勢いよく天井に衝突し、地に堕ちた。


「…………」


確かに感じた。
あの踏み込む瞬間、力の差は歴然である、と。
悟るほどの、「ああ、終わったな」と感じさせるほどの絶望的なまでの差を。


恐らく十数秒と続いた沈黙。
勝負が決まったというのに、誰一人音を立てることもない。
結果を定めた彼らでさえ、その行動はまるで静止する像かのよう。
空気は重く、圧し掛かるようだった。
そう、誰もが見惚れていたのだ。
自分たちとはあまりにも異なる戦い方に、我を忘れていた。
見入るように釘付けになり、そして終わったことさえ忘れるほどに時間が過ぎて行く。
たった十数秒の時間が、一分にも二分にも感じられた。
その沈黙を破ったのが。



「やったぜ!!」



利き手で持っていた竹刀を下ろした、勝者たるツバサ本人だった。
瞬間、広間に大きな拍手が鳴り響く。
これは目の前の激しい戦いに対しての称賛の拍手だ。
お互いに鍛錬を積み重ねた成果がここに現れていると、誰もが思ったことだろう。
今までの鍛錬で、ツバサが別次元の強さを持っていることは明らかだった。
驚かされたのは、その動きにソロが喰らいつき、両者とも激しい戦いを繰り広げていたことだ。
逆に、そのおかげかツバサも思う存分戦うことが出来ていた。
彼の力量、技量が圧倒的すぎる為に、彼も本気で戦う機会というものは殆どない。
まるでソロがそれを引き出させているかのような、そんな戦いだった。



「見事だった。いや、言葉を忘れるほどにな」



師範代、先生もそのように感想を述べた。
鍛錬の成果を見せるのが実戦形式での訓練。
それを思う存分発揮した、ソロにもツバサにも、称賛の声があがる。
レンやエズラも笑顔だった。
道場では時々話題になることがある。
一番強いのはツバサだというのは間違いないのだが、次は誰かな?と。
今回の戦いで多くの門下生が、その次はソロになるのではないか、と思った。
実際のところ一番強いからなんだ、という話ではあるのだが。
敗れたソロは、虚しく落ちたその竹刀を手で拾い、少し苦笑いをしながら。



「お前には勝てんな」



と、目の前の友人の強さを認めた。
その後、幾人かのペアが引き続き実戦形式での鍛錬を行ったが、
ツバサとソロの戦いを見てからの、門下生たちの気合の入り様が全く異なるものとなった。
皆、目の前の異次元級の戦いを見て、自分たちもそれに近づこうと全力で打ち合ったのだ。
闘魂燃やすキッカケになったというか。
終わってみれば、殆どの門下生が力を表に出す結果となってはいたのだが、それでもどことなく満足のいく鍛錬だったようだ。
現役の兵士としてここに視察に来た者たちは、終始無言でその様子を眺めていたが、時折表情の変化などは見られた。

そして。
彼らの目的が、明かされる。



「皆さん、今日はよく日頃の成果を発揮できたようで、こちらも興味深く見させていただきました」



話し始めたのは、ターナー准尉の方だった。
二人とも中々表情を変えないものだから、強面の人間同士と思っている人も多かったのだが、
いざ話し始めると笑みを浮かべながらの言葉。
門下生たちも少しリラックスして聞くことが出来た。



「実は、このような剣術稽古を指導する道場は、この国の各地にあります。最近私たちは、そうした道場を訪れては皆さんの鍛錬を拝見させていただく機会を持つようにしています。道場に入門出来るのは、20歳を迎える前の子供たち。そんな子供たちがどのようにして剣術稽古に励むのかを、こちらとしても把握したいと思っているからです」


「…………」


「この道場は年齢層も幅広く、これから先が楽しみな人たちが多いのに驚きました。ここで皆さんには一度、考えてもらいたいことがあるのです」



すると、笑みを浮かべていた優し気な顔がスゥーッと引き、穏やかではあるが落ち着いた表情に切り替わったターナー准尉。


皆さんは、この剣術稽古で得たものを、将来何に役立てたいですか?
きっと皆さんそれぞれで異なる意味を持っているものと思います。
毎日何を思って練習し、励み、そして成果を出す。
これがただの週間サイクルではなく、将来貴方たちにとって何の意味を持たせるのか。
それをもう一度、考えてもらいたいのです。
鍛錬を積み重ねるだけならば、誰にだって出来ます。
いずれは上達することでしょう。
しかし、この日常の鍛錬に意味を持たせて、それを遥か先の未来に価値を繋げたいと考えるのでしたら、
今ここで何を学ぶべきなのか、取り組むべきなのか。
それを、一人ひとり改めて考え直して下さい。
毎日の繰り返しの中にこそ、本当に大切な意味があります。
“その中から自らの将来を定める者もいることでしょう。”
剣術は、そういった自分との向き合いでもあり、自分との闘いでもある。



「少なくとも、私はそうだと思っています」


それからしばらくして、今日の道場での鍛錬は終了した。
皆が何かを掴み取ろうとした一日。
普段、いつものように送る日常とはかけ離れたような一日が、そこにはあった。
それは彼ら四人としても同じだった。
レンもエズラも必死に鍛錬に取り組み、今日はいつもより疲れも増しているように感じられた。
それでも変わらず帰り道を笑顔で四人歩く。
あれから兵士二人と師範代とで話をするようで、今日の鍛錬はいつもより少しばかり早めに終わった。
鍛錬が終わった頃には、朝から昼にかけて広がっていた曇天の空も幾分かマシになり、夕空の陽の光が眩しかった。


二人と分かれ、また一人と分かれる。
また明日、と元気に告げて、明日の訪れを待つ。


「…………」


家の前につく。
今日も誰もいないベンチ。
それが普通でもある。
すぐに家の中に入ることも考えてはいたが、彼はなんとなく、また村の景色と沈む夕陽を眺めていた。
少し肌寒い気温と夕空。とても澄んでいて、出来るのなら山間に沈む夕陽ではなく、もっと地平線を見てみたいとも思うのだ。
こうしていると、落ち着く。
一日の疲れはまだ取れないが、深く溜息を吐くとどことなく落ち着いて行く。
そのベンチで彼は暫く休んでいた。



今日は色々なことがあった。
そう振り返るばかりだ。
いつもとは違う日常。
午後からの時間は、自分の中でもいい緊張感を持っていた気がする。


「………ん?」



その時。
普段この村では聞くことが無いような音が、聞こえてきた。
唸るような機械音。
これは隣町の公園でよく聞いている音に、よく似ている。
地面を蹴る音は明らかに人のものではなく、この村で見るものでもない。
そして現れた黒い塊。
現物を見たことはあるが、この村にはとても異質な物だろう。


「少しでいい。話をしないか?」


その黒い塊から降りてきたのは、
先程まで道場にいた現役の兵士の二人だった。

第15話 鍛練の意味

彼の目の前に現れた、二人の現役の兵士。
聞きなれないサウンドを伴いながら登場した黒い塊は、車。
彼らが隣町へ遊びに行ったとき、公園でよく遊んでいるあのカートの箱型版。
車のほうが速度も出るし、居住性能もある。
それは、しかしこの村では全く見ることのない、現代技術の結晶とも呼ぶべきものであった。
今のこの村には似合わないものだし、何より異質そのものだ。
兵士たちは通常の移動車両でこの坂を登って来て、そしてツバサの前に現れたのだ。


「どうしてここが分かったんだっ………?」
「すまない、突然で。あの先生に聞いて、それでここまで来たんだ」


道場での鍛錬が終わった後、この二人は先生と話を進め、そしてこの場所まで来た。
明確な目的を持って。
ターナー少尉とリーアム軍曹。
ツバサとの間はおよそ10メートル。
夕陽が染め上げる空と大地、二人の間に静かな風が吹く。



「先程の戦い、見事だった。正直あれほどのものを魅せられて、こちらとしては驚いている」



話はターナー少尉主体で行われる。
何も彼は話を受けるとは一言も言っていないのだが、自然と彼らの話を聞く姿勢になっていた。
ベンチに座っていた彼は立ち上がり、まるで二人と対峙するように姿勢を彼らに向けた。
ターナーは冒頭、彼を称賛する言葉を放った。
ターナーもリーアムも、平静を保ってはいたものの、彼とソロとの戦いを見て驚いていた。
これほどの子供がいるのか、と。
現役の兵士に「驚かれる」のだから、彼も意識しないはずがない。
自らの実力を過信して他者に自慢するような人間ではないので、そういった自意識とはまた異なる。


「どうも。それで話ってのは?」
「ほう。キミは随分堂々とした人だな。その強さの素とも言えるか」
「え、そうかな?俺はいっつもこんな感じだぞ!」


と、リーアム軍曹が言う。
普通に考えれば、自分よりも年上の人に礼儀や敬語を一切使わない子供など、生意気と見られる。
が、不思議とこの二人はそうは考えず、寧ろその堂々たる姿勢が強さの素ではないか、とも考えた。
気分を害すこともなく、ターナーが話を続ける。



「いや、特段目的のある話ではない。ツバサくんは、いつから剣術を学んでいた?」
「もうずっと前だな。10年近く経つんじゃないか?」
「なるほど。ではその間キミは何を目指して剣術を学び続けた?」


―――――――――――――――。
と言われた瞬間、彼の表情が凍った。
思考が停止し、今何を言われたのかを振り返ることしか出来なかった。
お前は何のために剣術を学び続けてきたのか。
それを言われると、返答に困る。
さっきの話の続きでも無いが、この稽古は日課のようなものだった。
目的と言われると、何と言えばいいだろうか。



「まさか目的無しに剣を習った訳ではないだろう?ツバサくんは何を目指している?」



これまでの時間、そのように面と向かって、ハッキリとストレートに言われたことがあっただろうか。
剣を学ぶ意味。強くありたいと願う心。その先にある、自分自身の目的、果たすべきもの。
誰かの前では“取り敢えず今は強くありたいだけ”とも言った。
しかし、経緯や理由のない強さは大して意味を持つものではない。
強さとは何かに役立ててこそ示されるもの、意味を持つものである。



「そう言われると、困る。俺自身、まだ何をすべきかっていうのは決まってないんだ」
「………」



普通の人には気付けないのかもしれないが、この二人は分かった。
“何をすべきか”というツバサの問い。それそのものが、明らかに他の人に比べ異質なのだと。
目指しているもの、目標や目的を持つとき、多くの子供は「~がしたい」「~になりたい」「~をやってみたい」などと思うことが多いだろう。
それは希望であり自分自身に対しての期待でもある。
ところが彼の場合は、「自分は~をすべきだ」というように考えている。
そのように考える子供など普通はいない。
たとえ年頃の、思春期を越え大人に近づく子供であったとしても、夢や希望は持つものだ。
“使命感”や“脅迫観念”に囚われる人など、普通はいない。



「そうか。ツバサくんは何かをすべきだと思っているのだな」
「え?あ、あぁ。自分がこの先何に向き合っていくべきなのかなってな」
「………それを定める時が来ているのかもしれない。難しいことだが、キミには内心が読めているはずだ」
「どういうことだ?それ」


「剣を学ぶことと、自らを強くすること。その目的であるイメージが、キミには出来ているはずだ。たとえそれが仮の理想や希望であったとしてもいい。すべてを定めるのは難しい。だが、己の往く路というのは一つとは限らないし、経験して分かれることもある」



キミが本当に強くなりたいと思った理由はなんだ?
その剣戟はキミに何を教えてくれた?
それを、キミはこれから何に使うべきなのだと、心の奥底で思ったのだ?



それは、彼の根底に対する問答の問いに関する部分だった。
ただ単に剣を習いたいと思って、10年近くも通い続けているのではない。
明確な形でなかったにしろ、必ず目的というものが存在しているはず。
まして彼は自分の将来に対し、自分の身体ですべきことを探し続けている。
その答えはこの先も見つからないのかもしれない。明確にはならないのかもしれない。
しかし、それでも見出すためには一歩踏み出す必要がある。
いつまでも立ち止まって問いと疑問を残し続けたとしても、自らの内なるものを操ることは出来ないだろう。



『私はね、どこかで苦しんでいる人たちの為に、戦いに行くんだ』



あの言葉を聞いて、お前は何を感じたのか。
あの背中を見て、お前は何を思ったのか。
今ですら夢に出てくるその光景を目にして、何をすべきと思ったのか。


父親は兵士だった。
戦況が悪化しなければ呼び出されもしない辺境の地にいた兵士だが、それでも兵士であることに変わりはない。
国の為に働く人、国の民を守るための戦士。
そうする理由は、どこかで苦しんでいる人たちを、戦いから救い出すため。
最後にその背中を見て、思ったことがある。感じたことがある。
結局あの人は帰って来なかったが、そんな目的を彼に告げて、そして消えていった。
顔も分からない誰かを窮地から救う。そのために、今起きている戦いを終わらせる為に戦いに行く。
そんな父は、その先で一体何を知り、何を見て、何に向き合ったのか。
それを知りたいと思っていた。
父のように誰かの為に戦うなどということは思えなかったが、この身は誰かの為になるかもしれないとは思えた。
あの人もそう思って、戦いに行ったのだろうから。



そうだ。
俺は、知りたかったんだ。
父が見た世界を。


10年間も鍛錬を続けてきた意味を、そんな一瞬で見出すことは不可能だ。
けれど、幾度も感じ、思ったことに間違いはない。
もしそれを知ることが出来るのなら、そのために必要なのは自らを鍛えることだ。
どのような状況下になろうと、自分であり続けるため、立ち続けるために。



「あんたたちは、その………戦争を経験したことがあるんだよな?」
「っ………」



すると、彼に向けられた問いには答えず、逆に彼が彼らに問いをかけていた。


「私たち二人は、実際の戦闘を経験していない。この州にいる兵士の大多数は、実戦未経験者だ。この10年間は戦闘はほぼ起きていないからね。それがどうしたんだ?」

「そうか。いや、でもその方が平穏でいいはずだよな。ただ、もっと西側の地域では実際の経験者もいるんだろう?」

「そうだな。向こうは元々戦火の中心地だ。そこで生き残った者もいる」



50年戦争の生存者。
目の前にいるこの二人も兵士ではあるが、50年戦争とは関わりのない身分だという。
10年前に集結した戦いではあるが、歴史を辿る限り凄惨かつ悲惨な現実ばかりであったことを、彼は知っている。
もしこの二人が経験者であるのなら、色々と話を聞きたかったのだが、そうはいかないようだ。
それに、自らの望み、父が見たものをこの目で見ようとするならば、父と同じ現実に立たなければならない。
ここで彼らに問いをかけたところで、得られるものは限られている。


「歴史に興味があるからさっ。そのへん、いろいろ知りたいと思ってね」
「………歴史、か」


深く、そして重くそう呟くターナー。
彼は言う。
“今も歴史は動き続けている。しかもこれからはまた激しく動き始めるだろう”と。
今まで止まっていた歯車が再び動き出すとき、世界は激動の時代を取り戻す。
それがどういう意味なのか、分からないツバサではなかった。
歴史に興味がある彼。
今までそれを文面で何度も眺め続けてきた。
50年戦争のことばかりではなく、人類の発展と共に繰り広げられてきた大陸内戦争も数多く調べた。
だからこそその言葉は気になる。
再び激動の時代が来るだろうという、未来予測が。



「今、西の大陸にある王国グランバートと他数国が緊迫状態にある。彼らが動き出せば、一気に時代も動き始めると思う。そうなれば、この辺境の地はとにかく、西側は荒れに荒れるだろう。そうなれば、もっとキミの知りたい情報は西側に集まるはずだ」

「……………」



だが、それには覚悟が必要となる。
ただ単に知るという訳にはいかない。
何しろ“それ”が始まれば、自らもそれに立ち向かわなければならなくなる。
その世界に入り込むことを決意するのなら、自身の力もまた、その世界に向けて放たねばならない。
そうなれば、確実に。


「これから戦争が起こるって?」
「恐らくはそうなるだろう。どうあっても避けられないものも、世の中にはある」
「何の為に戦争をやるってんだ?」
「それを答えるのは難しい。寧ろキミが知りたいのはそこではないのか」


「………なるほどな」



知りたければ、西側に行くがいい。
キミには力があるし興味も持っている。きっと学んだものを活かせるはずだ。


ツバサの話を聞いてそのように告げた兵士たち。
本当の目的がどこにあったのかは分からないが、推察するに容易い。
この人たちのこの言葉の数々こそが、真の狙い、目的なのだろう。
道場という鍛錬の場を視察して、将来的に使えそうな人間を見つける。
しかし、そんな想像に容易い目的も、ツバサはそれほど否定的に考えてはいなかった。
自らの望みが戦争と関わりのあることだからだったのだろうか。
父が見た世界を知る。
いつまでも終わらない戦いの本質を知る。
そのために必要なものも、彼は分かっていた。
あとはその機会が巡り来るか、掴み取るか。
その分岐点に立たされていることを、彼も充分に承知していた。


自分のするべきことは分かっている。
それでも彼はこの場で決断することはなく。



「まだまだ、ゆっくり考えねえとなあ」
と、返答はせず兵士たちにただそのように告げていた。
夕陽が沈んでいく。やがて訪れる闇夜。
風が静かに吹く中で、彼らの目的を彼は知った。
その後少しだけ彼らとの会話は続いたが、特に進展もなく。
二人が丘から下ってこの村を去っていくと、再び静けさが彼の周りに集まっていた。
既に陽は沈み、あんなに綺麗に染め上げられていた赤い空も徐々に消え始めている。

色々なことを考えた。
この穏やかな日常。
何事も無い村と、何の危機感も無かった毎日。
それが普通の人にとっての、かけがえのない毎日であることはよく分かる。
それでも彼は、それを素直に、純粋に受容出来る人間ではなかった。
当たり前のように存在している平穏に不満を持っていた訳では無い。
寧ろこの平穏はあるべき姿なのだとさえ思う。
だが、それは自分の周りばかりで広がっている光景。
自分が本当に知りたいものの先には、こうした平穏は恐らくない。


そんな平穏を、
遠くにいる彼らは手にすることが出来ているだろうか。


自分たちが当たり前のように手にしていたものが、
向こう側の人間からすれば尊いものであることも、充分に考えられる。
思えば思うほど、考えれば考えるほど、自分の眼で、身体で、心で知りたくなる。
父が何を見てきたのか。
目の前の戦いが何をもたらすのか。
そしてその境遇の中で生きる人たちは、何を見続けて生きているのか。
何の為に戦いが存在するのか。
歴史で学んだことのあれこれを、実際の眼で見届けたい。
その思いに気付き、確信し、そして迷い悩む。
自分が今本当にしたいことを貫くことになれば、自分は必ず向こう側の人間として生きることになる。
それは、自らこの平穏な日常を手放すということ。
自分の為に自分にとって当たり前であったものを手放す。
どれほどの苦悩がその先に待ち受けているのか、未来があるのかさえ分からない迷宮に入り込む。


その道に進む決心をつけるのには、まだ躊躇いの残るツバサであった。



「あれ、ソロだ!こんなところで会うなんて、珍しいね」
「レン。先程はお疲れ様だ」


一方。
ツバサと現役の兵士たちがそのような話をしていた場所とは別のところで、偶然にも会ったソロとレン。
二人とも一度自宅に戻った後ではある。
彼女は買い物のために雑貨屋に入ろうとしたのだが、既にその中にはソロがいたのだ。
思わず吃驚し、声をかけた彼女。
彼もまさかここで会うとは思ってもおらず、やや驚いた表情を見せた後に平常通りに戻った。



「それは………トング?」
「ああ。調理用のな」
「へぇ~、ソロって結構お料理する人?」
「程々にな。たまにこうして、自分で買いに来る」



とても落ち着いた、低いトーンの声でそのように言うソロ。
今までソロがそのようなことをしている、などと思いもしなかった彼女にとっては新鮮味のある話だ。
(ソロ)は見た目やその雰囲気から容易に察することが出来るように、しっかりもの、頼れる先輩というような姿だ。
実際、冷静で落ち着いたその態度や姿勢は多くの人が認めている。
時々“ツバサとは正反対の人”などと比較されることもあるが、元気の良い時の彼とはそもそも比較にすることすら妙ではある。
176cmの身長。スラッとした体型に見えて筋肉質。着痩せしているようにも見えるが、実は結構イイ身体をしているというのは、
男性陣のみ知るところである。
そして今日、彼は驚くべき光景を皆に見せてくれた。
「一強」とまで言われたツバサと、3分間にもわたり剣戟の激戦を繰り広げたのだ。



「それにしても、今日はお見事だったね。皆驚いてたよ?」
「そうだったか。確かに俺自身、あれは上手く行き過ぎだったと思っている」
「そうなんだ?でも二人とも格好良かったよ」
「光栄だ。しかし、これであの者たちはツバサに目を付けただろう」


「………?」



あの戦いは彼自身、驚きの連続でもあった。
あれほど偶然にかみ合った剣戟というのは初めてだったとさえ、ソロは思う。
しかし、あれを見れば当然、圧倒的な強さを誇るツバサに目が向くのは当然だろう、と彼は考えていた。



「あの二人の目的は、近い未来に兵士となれる人材の発掘だ。間違いない」
「………じ、じゃあツバサは………っ!!」
「ああ。これで間違いなく後ろに控える軍人たちに報告がいく。そうなれば………」



ソロは言う。
“かつてこの国には、戦地への呼び出しがかかる証として届く、赤い紙があった”と。
その話は歴史に詳しくないレンでも、聞いたことがある。
赤紙(あかがみ)と呼ばれるそれは、当時の「ソロモン連邦共和国軍統帥本部」から郵送されるものである。
内容については知る人と知らない人とで分かれるが、それが届けば招集命令という風に見なされる。
何人も国に属するのならば、国を思い国の為に立つ。
その成就のもと、人民は自由と平等を手にすることが出来るだろう。
戦争が長く続いていたときには、戦争からの解放こそ人民の救済だと考えられていた、こともある。
それが正しいのかどうかは分からないが、そう思う人間は多かっただろう。
かつては国を主導し民衆を扇動した者たちもいる。
しかし、戦争が昏迷の時代へ突入していけば、多くの優秀な人材を失い、主導者も何度も入れ替わった。
戦いによって国が疲弊すれば、その後傾くのを阻止するために対策を講じる。
人手不足の際には、男性の大人や有能な人間は「最前線」へ駆り出される。
それが下る証拠が赤紙なのだ。



「で、でもどうして?今は戦争も起きてない、もう10年も経ってるのに………!」
「しかし、世間を見れば多くの人間が想像できるはずだ。今のこの情勢は、過去に同じようなことを繰り返した時のそれと、同じだと」
「っ…………!!」



彼女は、自らが愚かな存在だったと思い知らされた。
何ら考えが及ばず浅はかであったと。
自分だって世間的なニュースは目に、耳にしているというのに、その自覚は全く無かったのだ。
彼女にとって近しい人間がその立場につく、その可能性に気付いた時、彼女もまた気付いた。
これが「他人事では済まされない」ということに。
思わず自分の胸を掴んでは、内側から責め立てられる自我を抑えにかかる。


少し想像すれば、簡単に思い付いたことだ。
あれほどの実力を持つ人を見れば、現役の兵士がツバサを機にかけることなど、容易に想像がつく。



「いかんな。こういう言い方をすれば、まるで俺が兵士たちの手伝いをしたかのようだ」
「ソロ………!!」
「いやすまん。そんなつもりはないが、だが奴とて考えない訳では無いだろう」
「え………??」



ツバサは、自らの力に自惚れることなく、更なる高みを目指そうとしている。
彼は道場一の強さを誇り、あの二人の兵士たちを頷かせたほどの実力の持ち主だ。
自らが自惚れないとしても、周りは充分すぎるほど彼の力を認めている。
そして、彼とて意識しない訳ではなく、考えない訳では無いだろう。
彼の強さを兵士たちが認めるのであれば、その水準に達しているとも考えられる。



「それに、奴は歴史や軍事に興味を持っている。兵士という立場を意識しないはずがないだろう」
「………本人はどう思ってるんだろう………」



その水準を理解し、自らがそれに適しているものだと判断されれば、あの兵士たちの目的が顔を出す。
元々道場に兵士が来る理由など、そのくらいなものだ。
鍛錬を評価するとはいうが、その評価は次に繋げるものがあってこそ。
ただ純粋な強さを求めるのではなく、強さに見合う理由を共に見出す。
その中にいないとも限らない、将来兵士となる存在。その可能性を、彼らは見出す為にここへ来たのだ。
そうに違いない、とソロは睨んでいた。
もっともこの時、ツバサの家の前で彼らがまさにその行動を取っていることなど知る由もない。
レンは冷静になって考えてみた。
彼がそれを受け入れれば、あるいは兵士という存在になれるかもしれない。


でもそうなったら。
彼は、私たちの前から、いなくなってしまうのだ。



「でも兵士になるのなら……人殺し、を………」
「………そうだな。それを容易に受け入れる男じゃないだろう。だからきっと、そういう場面になれば、奴も考える」



兵士になる。
戦争になる。
その只中へ送られる。
つまりそれは、彼は兵士として人殺しをすることになる、ということだ。
そんなことをする彼の姿など、レンは想像したくはなかった。
だが兵士になるとはそういうことなのだろう。


当たり前だが、人殺しがしたくて兵士になるとは到底思えない。
しかしもし、本当に兵士になろうという気持ちがあるのなら、間違いなくその理由があるはずだ。
だからこそ、本人はどう思っているんだろう?
他人事であるはずのことに、他のどんなものよりも興味を持ってしまった彼女。
「何かをすべきなのだろう」と考える彼の先にある、理由。
ここでソロとレンが話しても、何も進展することはない。
ただソロはこう言った。


「何にせよ、どのような形であれ、奴の意思を俺は尊重するよ」


この村は平穏そのものだ。
世間がどのような形に向かおうと、ここには直接的な影響がない。
そう思っていたが、それはあくまで村全体としてのこと。
一個人にとっては、そんな平穏も時に打ち破られる。
彼女の両親がかつて経験したように。


圧倒的な力を持つ彼。
歴史や軍事というもの、その先にある戦争に興味を持っているであろう彼。
その彼が向かう先にある、兵士という立場。
可能性だけの話で騒ぎ立てるのもおかしなものだが、その可能性がないとは言えなかった。
他方、その可能性を彼は掴み取り、そして選択を迫られることになる。
誰かがそのようにさせたのではなく、自らの心に問いを投げかけたのだ。


お前は、どうする?と。


………。

第16話 決意と決断と。


これは、これからの人生を左右する境界線、分岐点だ。
それを選ぶと選ばないとでは、今後の自分の人生が大きく揺らぎ変化することだろう。
今、彼はその分岐点に立っている。
どちらの路を征くかで、今後が大きく変わる。



あの兵士は言った。
西側にいけば、きっとキミの知りたいことが見えてくるだろう、と。


それは、単純に「キミの力は兵士たちの力となる」という意味に留まらない。
歴史や軍事に興味があり、物事を知りたいと欲する彼の心情に問いかけたものだ。
彼らはまだ知らないが、彼の父親は兵士としての経験がある。
辺境の兵士が中央に送り込まれ、そして還らぬ人となった。
自分が行けばその二の舞になる、という思いは確かにあっただろう。
しかし、それ以上に知りたいという欲があった。
父が何を見て、他の人たちが何を経験してきたのか。
戦いたいと思うのではなく、知りたいという思いが強く。
その過程に戦いが起こるのであれば、それに参加することも一つの路だろうと考えていた。


一方で。
この村は平穏そのもの。
たとえ世の中の至る所が戦火で埋め尽くされたとしても、
この村でなら平穏を手にしたまま、生き続けることが出来るだろう。



どちらを選ぶべきか。
どちらが自分にとって良いものになるか。
日常の中で、彼はそれを考えることになる。
兵士たちが視察に訪れ、彼の前に打ち明けた直後から、彼の非日常は始まっていたのだ。


その日は、休日の前の日。
曜日にして金曜日。
この曜日を迎えると、特に午後からの時間は次の日の休みのことで、多くの学生たちが頭一杯となる。
それで勉強に頭がついていかないことも多々あるのだが、先生たちにとっても土日というのは貴重な休み時間で、
気持ちをリフレッシュさせたいと思うみたいだ。
午後からの授業は、理化学と彼には残念ながら興味の湧かない分野。
悪いことだとは思いつつも直らないこの捉え方。
彼はこと勉強に関して興味の湧かないものに対しては、あまり積極的になろうとはしない。
テストなどの点数も、興味の強い分野は満点に近く、そうでないものは平均的な数字が多い。
興味の度合いによって、授業中の態度も変わる。
歴史や社会科などでは積極性が見られるが、他の科目ではごく普通といった様子だ。



今日の彼は、外を見ている。
窓の奥に広がる村の、いつもと変わらない景色を眺めている。



その彼の姿を横目で見る、少女レン。
先日の道場でのことを彼女は気にしたまま、日常を送っていた。
しかし直接的なことを彼に聞くことも出来ず、自らその疑問を封じ込めていた。
聞けるはずもない。
彼の夢は何かは分からないが、聞いてはならないと自ら思ってしまっていた。
彼のあの表情や言葉が思い出される。
そう簡単に踏み込んでいいものではない。

だが、それはそれでもどかしいというか。
他人事であるはずの彼の話を気にしてしまう自分が、どうかしているのだろうか。
いや、でも、一人の友人として。


「……………」


本当に、友人としての思いだけだろうか?
ふと彼女はそんな疑問にぶち当たっては、目を背けてしまった。
何を妙なことを考えている、と。
こんな気持ち、ツバサの夢に何ら関係するものではない。



放課後。
その日も変わらず道場へ行く。
兵士たちが視察に来て以来、ほかの門下生たちの気合の入り様も変わったのか。
より真剣に打ち込むようになっていた。
明らかに以前に比べて変化したことといえば、あの試合を見て以降、ツバサとソロを目標にする門下生たちが増えた。
実戦形式での鍛錬はそう多く行われることはないが、立ち合いに二人を名指しで頼む門下生もいる。
ツバサとの対戦は、それこそ一方的な力量差を見せられることが多いのだが、それでもその戦いの中で何かを掴もうとする意思が強く働いていたのだ。彼としても、強くなりたいと思ってそれを目指してくれるのなら、喜んで協力するという姿勢だ。


「まだまだあ!!」
「よし、来いっ!!」



だが、同時にあの言葉を、あの会話を思い出す。
『剣を学ぶことと、自らを強くすること。その目的であるイメージが、キミには出来ているはずだ。たとえそれが仮の理想や希望であったとしてもいい。』
剣を学び己を強くする先に、自らが望むイメージ、理想の像がある。
既にそのビジョンが見えているはずだ、とあの男は言った。
実際その通りだ。
あの男が言ったように、彼にはこの身ですべきこと、というのがイメージ出来ている。
“なら、あとはそうするだけだろう。”と囁かれるところなのだろう。
夢とは言わずとも、彼が頭の中で思い浮かべたものに、手が届くのだから。



道場が終わると。



「ツバサ、話がある。少し残ってくれるか」
鍛錬の始まりと終わりは礼に始まり礼に終わる。
それは、彼がここ何年も積み重ねてきたものの中で、変わらない習慣だ。
それが当たり前だと思い込んでいるし、実際当たり前の動作、呼吸と変わらない所作の一つだ。
その直後で、師範代がそう彼に告げた。
師範代がそう言葉を出したものだから、ほかの人たちにもそれがきこえた。
彼は「はい」と一言だけ言って、そして奥の間へと進んでいった。
二人がいなくなった後の道場は、騒然とした。当然といえば当然だろう。


「なんの話だろー………!?」
「やっぱりこの間のことと関係あるのかなっ………!!」



ということで、今日はいつもとは違う帰り道になりそうだ。
そう思いながら、エズラとソロが話して、レンのもとへ寄る。



「さ、帰るぞ。あれは話が長くなる」



そう言うと、レンも無言のまま肯定の意を示す頷きをして見せた。
そうするほかないだろう。
彼らの話に入っていったところで、何も出来ることはないのだから。
様々な噂、憶測が飛び交う中ではあったが、ツバサがいないいつもの三人は帰路につく。

道場の奥には、師範代が使う部屋があり、ツバサはそこへ通された。
たまにここへ来ることがある。
どの場合においても師範代に呼び出されたものに限る。
自分からここへ来ることはそうそうない。
特段理由がある訳でもないが、この場所は他と違い何か特別なのだ、と単純に思ってしまっていた。



「コーヒーでいいか?」
「え、いいんですか?ありがとうございます!!」
「気にするな」



師範代と彼との付き合いは非常に長い。
何しろ彼がこの村で道場に通い始めた頃には、もうこの師範代も既にこの村に通っていたのだ。
彼が小さな頃から知っている人で、同じく師範代も彼の成長をここまで見続けてきた。
とても苦いコーヒーを出すと、ツバサはカップを手に取って少しずつ飲み始めた。



「さて。いきなり本題だが、先日お前のもとにあの二人が行っただろう」
「あ………」


いきなり本題で、いきなり本質を貫くその話題。
思わず彼は口を開けてその言葉を聞き流してしまった。
それだけで、師範代には図星であると分かった。
彼の所在は、師範代が教えたものだ。
勝手に教えてしまったことをこの場で詫びた男ではあったが、ツバサは何ら気にしていない。
寧ろ考えを与えられたのだから。


「あの二人が何を言ったのかは想像がつく。お前だから言うが、もとよりあの二人は今の世界情勢を見て、将来兵士となり得る人材を探しに来ていた」
「………やっぱり、そうだったんですね」
「そうか、お前にも想像はついたか」


そうだよな、歴史にとことん興味があるのだから。
と、続けて男は言った。
無論、彼は日常的にここ最近の世界情勢を見届けている。
そして、師範代が告げたその内容、あの二人の真意は“味方を集めること”だという。
既に彼には二人の目的が分かってはいたことだが、改めてそう打ち明けられると複雑な心境になる。
何しろ、あの二人があのようなことを告げてきたのだから、自分はそのうちの一人に選ばれる可能性が高いということだ。



「あの二人はお前を必要としているようだ。困ったものだな、まだ16の少年を兵士にさせようというのだから」
「……………」
「それだけ、今の情勢は悪いと見える。あれの目的は、少しでも戦える人材を集めるということだ。お前は、どう思う」



16歳の兵士。
兵士という立場に置かれた人間が今どの程度いるのかは分からないが、
流石に彼ほどの年齢の兵士は少数だろう。
だが、それでも戦いに役立ちそうな人材は確保しておきたい、というのが州軍の本心だ。
ツバサは、その道に誘われている真っ只中、その渦中にいる。
それを師範代に告白すると、「既に手を出してたか」と苦笑いをしながら聞いてくれた。
だが一方で、彼は知っている。
10代の兵士がかつての戦争では多く存在したことを。
歳が若いから戦争に参加することが出来ない、というような決まりはどの国にもない。
それに、16歳であればある程度身体の発達も進んでいて、身体的な全盛期にある人も多いだろう。
実際、歴史を辿れば20歳になる前に兵士となり武勲を上げた者もいる。


ちょうど、10年前にもそのような戦士が幾人かいたようだ。
その前例に倣う訳では無いが。


「もし、戦争が起こるとして、それに巻き込まれる人たちがいるんなら、それは可哀想だと思いますね」
「………なるほどな」


この50年、無辜の市民が何の罪も無く犠牲になったこともあった。
町や村がまるほど葬られたこととてあったのだ。
彼らに戦争に関与する原因があった訳でも無いだろうに、ただ敵国にいたという事実だけで、排除の対象となる。
それが戦争では当たり前になっているのだと、彼は思っていた。
あくまでこれは彼の歴史観から述べられるもの。
本当の現実を見るには、あの男が言ったように。


「………そうだな。お前の選択肢を後押しする一つとなるかどうか。一つ話をしてやろう」



それは、十数年ほど前の話になる。
先生、師範代………いや、一人の人間であった“ドレン”は、オーク大陸の北西部を領土に持つ『ルウム公国』との戦いに参加したことがある、兵士だった。
ソロモン連邦共和国とルウム公国との戦争。
その他の国々も暗躍する、悲惨な時代に巻き起こる幾多の戦争。
ここ数年での戦争では最も苛烈で深刻な戦争だったと言われることもある。
約十年前に一度戦争が終結し小康状態に入るまでの数年間は、世界にとって激動の嵐だった。
ルウムとソロモンの戦いは各所で頻発し、小規模なものから大規模なものまで、人を犠牲にした戦いが絶えなかった。
ドレンも、そのうちの一人だったのだと、彼に打ち明けた。
だからドレンは、戦争の現場というものを知っている。



「…………!?」


「幸い、私は最も苛烈な戦場からは遠ざかっていた。とはいえ、小規模な争いが頻発すれば犠牲者も出る」



ドレンも幾つかの戦場で戦いを経験したし、人も殺した。
自分たちの仲間が、国が勝利を手にする為に、敵に負ける訳にはいかなかった。
敵がいるのならそれを討ち、敵が攻めてくるのならそれを殲滅する。
目的は明白で、理由は酷く混沌としていた。
もとより数十年間も戦いを続ければ、本来の目的など忘れてしまう。
それが当たり前なのだと分かっていながら、それを正すこともせず。
ただ、男は不幸にも男にとっての最後の戦いで、利き手を潰されてしまった。



「危うく腕を斬り落とされそうになったが、それでも神経だけに留めた」
「え、でも先生、今は左手使ってますよね………!?」
「これは元の利き手ではない。本当は右利きだ」
「ええっ………初耳でした………」


「誰に打ち明けるつもりもなかったことだ。ほんの気紛れかもしれん」



利き手を潰された兵士など、前線では役に立たない。
たとえ命があったとしても、戦う兵士としての生命はその時点で終わる。
男にも役に立つことはあるが、もはやそれは戦場の只中にはない。
その後、男は後方へ退き前線で戦う者たちをサポートしつつ、戦争の形態が変化してからは、兵士という立場から去ることになった。
その代わりに、極東の地にて座の開いた道場を続けることになる。
ツバサが道場へ通うより少し前に、タヒチ村で道場の師範代となった。
彼としては驚きの連続だっただろう。
確かに道場で先制を務めるほどの実力があれば、その経歴も疑う。
だが、これほど身近にまた兵士の経験がある人がいるとは思わなかったのだ。
誰にも打ち明けることのなかった過去だと、自らで言うドレン。
誰かに語り聞かせるものでもないと考え遠ざけていた、自らの記憶だ。



「もしお前がその世界へ足を踏み入れるというのなら、俺は止めはしない」
「……………」
「あの男たちが言うように、強い人も強い国も必要だ。こんな時代は誰かが終わらせねばならん、というのも理解できる。だが、そんなものは到底不可能だというのも、分かってしまうんだ」

「………それは、何故」


「『50年』という時間が答えの一つだ。この50年の中には、この戦争を本気で終わらせようと志した者も多くいるだろう。しかし、結果は実らず、いまもまた危機的状況が訪れている」


ドレンが言ったのは、時間の問題ではなく、それほど長い時間をかけても変わらなかった“人間”のことだ。
誰もが戦いたくない、戦う必要などないと思ったところで、それが成就される世界ではない。


「………そうか。戦いが終わらないのは、戦いを必要とする人間と、それを………」


言葉は途中で止まった。
よく考えれば当たり前のことでも、彼にとっては再確認するいい機会だった。
戦争を起こすのは人で、その要因も大概は人。
その人間が変わらないのであれば、この戦争は終わらないし無くならない。
そうなれば、いつまでも人間は戦い、死に続ける。
彼の好きな歴史がそれを物語っている。
人類の発展は歴史上の戦争と共に在る。
時代が変革するときは、必ず戦争が起こった。
否定と拒絶の連続。
時代が変わる為に必要な犠牲の数々。
それを踏みつぶし、握りつぶし、そしてのし上がり、時代が創られていく。


あるいは、今この世界情勢もまた、その過程にあるのかもしれない。
それに巻き込まれる人間も多いことだろう。
人が変わらなければ、いつまでも昏迷の時代は続く。
50年戦争を経て、今もなお変わらない世の中。
何が変わっていないのか、何を変えなくてはならないのか。
それこそが、自分の知るべきところではないのだろうか?
ツバサは素朴にもその本質に近づきたい、と思った。



それでもし。
少しでも、そんな歴史に埋もれて行く人がいなくなるのなら、と。



「なんで先生はこの話を俺にしてくれたんですか?」
「言っただろう?ただの気紛れかもしれん、と」
「でも、今まで打ち明けようと思ったんじゃないんでしょう?」


ツバサがそう追求すると、ドレンは少しだけ黙ってしまった。
もう彼には見抜かれている、と感じたのだ。
鋭い洞察力はどこから養われたのかは分からないが、しかしドレンにだって思うことはある。



「お前も意識しない訳では無いだろう?自分の強さを」
「…………ま、まぁ」
「私はもう10年もお前を見ている。正直なところ、お前の成長の速さには驚いている。あの男たちが目をつけるのも、かつてその立場にいた私から言わせれば納得がいく。だがその先はお前自身が選ぶものだ。あくまで私はあの者たちは、そのキッカケでしかない」



この少年が、自分の力の強さを自覚し、それをどこに向け活かすか。
それを、この少年は既に知っている。
聞くことはしないがドレンは確信を持っていた。
どこに“活かすべきなのか”を、この少年は知っている。
だが悲しいかな。
そう思ってしまう彼の境遇、そう思ってしまえた彼の環境は、酷く歪なものだっただろう。
この少年が目指そうとしているものは、ただ知ることではなく。
自分が何をすべきか、その何かを目指すために前へ進む。
それが、この少年の本当にやりたいことなのだと、ドレンは思った。



「お前の好きなようにやれ。その選択肢が後悔にならないよう、私はここで祈るしかない」



その道を選び、後悔のないように。
どうなるかは分からない。
しかし、これは機会だ。
機会を活かすも殺すも、すべては己の決意次第。
己が道を信じ、心を胸に選択せよ。
それこそが、師範代から彼に伝えられた言葉の意味。
どのような苦難であれ、苦境であれ、本当にやりたいことを貫くことが一番だ。
現実を知り、厳しい状況を受け入れながらも、目指したいものを見失わずに歩み続ける。
それがどのようなカタチなのかは、一人ひとり異なる。
この少年にとってのそのカタチが、彼が求めているあの人の背中なのだとしたら。


―――――――――――罪なき者が勝手に死ななければならない世界。



何ら関与することのない者たちが、ただ斃されるべき側にいたからというだけで殺されなければならなかった。
敵にとって見れば、軍人とて市民とて等しく敵で、敵の枠組みで。
この50年もの間、一般市民を巻き込んだ戦闘が数多く繰り広げられ、その犠牲者は夥しい数になる。
もう公式記録など存在しないほど。
先の戦い、10年前まで起こり続けていた戦争は、戦争という形態そのものが当たり前だった。
「戦争とはよくあるもの」として、人々の頭の中に刻み込まれていた。
その思考そのものが、平穏な世界に住む者からすれば異常で異質。桁違いの思考の暴走だ。
そんなものが当たり前でよくあるものだ、という風に認識されていいはずがない。
………というのは、個々人の勝手な解釈だ。
戦争こそが正しいと言う人もいるだろうし、何も知らないながらも「そんなはずがない」と思う少年もいる。
どちらにも勝手な解釈があり都合があり。
だから人は争うのだろう。


――――――――――――ただ敵側にいるというだけで、消される始末。


争えば死人が出る。単純なことだ。
戦えば何かを得られるかもしれないが、何かを犠牲にする。
失うモノも多くあるし、得るモノも多くあることだろう。
その中に、多くの人の命が入り込んでいる。
はじめから器に命が入るような仕組みが取られている。
別に器が多くの命を取り込んだところで、得るものは何もないし叶えられるものもない。
ただ、戦いが起こることで命の処分場を必要とする。
その役割に器がなるだけ。
汲み取った人間の命は、また次の人間の命によって潰されていく。
そんな儚いものの連続。
それにどれほどの意味があるかは分からない。


―――――――――――――そんな犠牲者が、もっと減ればいいのに。


まだ、多くを学んでも多くを知らない。
知りたいと思っても、その機会は訪れなかった。
しかし、彼は思ったのだ。願ったのだ。自らの身体を以て、それをこの目で見たいと。
この先戦いが起こるものなのだとして、これまで歴史で学んだように、この先事実として見受けられるだろう未来に、
そのような人たちが減り、いつかは戦いに一方的に巻き込まれるような人たちがいなくなればいい、と。
だが現実は厳しい。
戦いは避けられない。
どんなに強い心を胸に正義を語ろうとも、悪はこの世に蔓延る。
それはやがて人々の命を吸い込むことだろう。
防ぐ手はない。“誰もかれもすべてを巻き込まない”というのは、あり得ない望みだ。



――――――――――――けれど、せめて。



この目に映る人たちが、どうか巻き込まれないように。
出来ることといえば、そんな人たちの為になることを。



もし、この心情を他の誰かが読み取ったのだとしたら。
それを語る者が聞き、目にしたとしたら、こう記すことだろう。
“そう願ってしまったのだ”と。
それがただの子供心から生まれたものでないことは、殆どの人が生涯知ることのないことだ。
経緯は単純だが、最も身近にいた存在から生まれ出たもの。
兵士であった父の背中を追い、帰って来ることのなかった父の世界を知ること。
その先にいるであろう困難に対し、この身を使ってすべきことを成す。
それが答えでないことは分かっている。
が、目指すべきものは想像がついており、機会がそれを用意した。
レールを用意された列車はその上を走り始める。
途上、幾つもの分岐点が現れるだろうし、信号も表示されるはずだ。
それでもなお、レールの上を走り続けるだろうし、レールもまたその選択肢に応じて敷かれていく。
それが、道を選んだ者の運命となるように。



彼はその足で、告げるべき者のところへ訪れた。
一番自分の生活にかかわりのある、学校。
流石に突然村からいなくなるのは、あらぬ疑惑を招くことだろう。
そう思って、彼は告げるべき人を決め、唐突だがそこへ話をしにいく。
経緯は程度伝える。
あの道場に兵士が来たこと、その兵士たちから自分が呼び出されたこと。
そして、自らはその道を歩むこと。
平穏な人々から見れば人殺しをしにいくような、現実離れしたものではある。
だが、確かに今の情勢は不安定だ。
怪しいところも沢山ある。
それが分からない先生ではなかった。



「だがツバサくん、学校を置いて行くというのか………い?」
「………あぁ。もっと色々知るには、やっぱり現地に行って見ないとって思ってな」
「よく考えるべきだ………っと言っても、もう決断は出来てるんだろう?」
「まあな!」



村の学校を途中で抜け出すということは、学生という立場には戻らないという決別の意でもある。
この村の、この州の、この国のあらゆる教育機関は権利であって義務ではない。
選択肢の多くは学生たちに委ねられている。
来るのも去るのも自由といえば自由だ。無論程度の制約はあるのだが。
大人である先生たちは、子供である学生たちに助言をするのが仕事といえば仕事なのだが、
今のこの先生にとって、この少年に向けた助言は要らないのかもしれない。
引き留めたところで決意は決意。決断は決断。その意思を尊重することこそ、自分たちの仕事だということを酷く痛感しているのだから。



「………ふうむ。出来る限りツバサくんの意思は尊重しよう。だがもしその道を選ぶのなら、この村から離れることになるし、この学校に戻ることも出来なくなる。それを、君は後悔しないのかな」


「………それでもやってみてえことがあるってことかな。今しかないってタイミングだ」


「………そう、か」



先生はそれを聞くと、机の引き出しからファイルを取り出し、そのファイルに格納されていた数枚の用紙を抜き出して、ツバサの前に差し出した。
ハッキリとした文字で題名が書かれてある。「中途退学願」と。
この学校を去るのは自由だ。
ツバサのような前例は存在しないが、かつて学校に通いながら将来の仕事先を見つけ、そこに価値を見出した学生が学校をやめたということもある。選択肢はあくまで本人にあり、その意思は尊重されるべきもの。
たとえ教えを与える教師であろうと、その意思を侵すことは叶わない。
だが、ここを去るものにはしっかりとした体裁を守ってもらわなければならない。
権利ではあるが、責任は学生にも帰するものである。
この先生は、道場に現役の兵士が視察に訪れたことを知っていたという。
彼がその決断を下したのは驚きであったが、全く予想をしていなかった訳では無い。



「お別れ会でも開くかい?」
「いや、それは良いや。あと、このことは俺がいなくなった後に、みんなに知らせてほしいな」
「それは何故?」
「え?ああ、いや、特に意味はないんだけどよ!でもまぁ、あまり顔を合わせたくないっていうか」

「………なるほど。いや、その気持ちも分かるよ。私にも立場は違うが、似たような経験がある」



兵士になるためにこの村を離れる。
それを告げられたとき、他の人たちはどう思うのだろうか。
気になるところではあるが、当事者になる自分がそれを聞いても何にもならない。
良いんだこれで、と封を切る。
村を離れるという決断は、確かに彼にとっては重い。
今まで当たり前に過ごしてきたことを、自らの手で投げ出すのだから。
それでもやりたいことがあると心に決め、それを胸にこれからの生活を送ればいい。
きっとこれから、もっと大変なことが起こるだろう。
しかし、いつまでもこの平穏を望んでいた訳では無い、というのも確かな気持ちだ。
平穏であることに罪はないし、落ち目を感じることもない。
が、それはここでの生活に限る。
世の中はそうではないところが多くあることだろう。
対極に位置づけられるとき、弱者の立場となる者たちがどのような末路を辿ってきたのか。
それを回避できるのなら、それに越したことは無い。
16歳の少年でありながら、少年は既に確固たる思考を持ち合わせていた。
その点が、ほかの子供たちとはかけ離れた部分でもあっただろう。
人間、誰しも自分のことで精一杯のはずだ。
何より自分のことを優先する、それは生物の根幹から定められている生き方のようなもの。
それを、他人指向に向け続けるのは難しい。



「いつここを離れるんだ」
「相手と連絡がついてから、かな。一週間以内だと思う」
「そうか。寂しくなるな。村一番の元気ものがいなくなるのだから」
「………ま、そう言ってもらえるのはありがたいな………っ」



実際、その先生が言うように、ツバサは村一番の元気ものだった。
誰もが知る子供であり、村中を駆けまわるその姿も特に印象的だった。
やんちゃ坊主の筆頭株だったのが、今となっては大人に向けて立派な成長過程にある。
その中で得た思考は、自らの道を定めるキッカケともなっている。
だから先生は思う。
こうした子供たちの変化に携われるのは、良いな、と。
同時に思わなければならない。
どうか、この子供たちの将来に幸あれ、と。

告げるべき相手に告げた一方で、
まだこの事実を伏せていて欲しいとも伝えたツバサ。
本当にいなくなった後で、この事実を伝えてほしい、と。
それにどれほどの意味が込められていたのかは、実のところ本人にも分からない。
が、なんとなくそうしたかった。
気恥ずかしさからなのかもしれない。
彼はその後家に戻り、家の電話から隣町の州軍詰所に連絡を入れた。
普通、一般人が軍人を名指しで呼び出すことは出来るものではないらしいことを、電話口で告げられた。
だが名前を言えば分かってもらえると信じ、何とか取り合ってもらった。



『ではキミは本当にこちら側へ来る、と?』

「ええ。自分の望みでもありますから」



電話に応じたのはリーアム軍曹だったが、その意向をきちんと伝えることは出来た。
学校や道場に筋が通せるように、書類を送ってくれるという。
二度、自らの意向に誤りが無いかを確認された彼は、すべてに間違いはないと答えを示した。
これで後戻りは出来ない。
決める時は出来るだけ短時間に済ませてしまったほうが、スカッとする。
兵士になる決意を固めたのを声色で感じ取ったリーアム軍曹は、その申し出を受け入れた。



「………」



彼の道は定められ、その先へ進むこととなる。
周りの仲間たちの誰よりも早く、そして恐らくはどんなものよりも厳しいところへ。
それでも、彼の気持ちは変わらない。
長い間持ち続けていた望みを、彼自身が探究して叶えられるようになる。
そんな日を信じて。



“彼は、そう願ってしまった”。
これが親の影響だからと言われれば、そこまでだろう。
しかし、本人の強い意志も確かに存在した。
この経緯が語られることは殆どないが、後に語られる存在として、彼の歴史上の出生は、今この瞬間からとなった。

第17話 旅立ち


これから迎える凄惨な時代にその身を投じることとした、彼。
それが正しい選択だったのか、あるいは間違った道だったのかは、分からない。
ただ歴史上語られるものとして、彼の歴史の出生は彼が兵士となると決意した、幾つかの記録からとなる。
決断をし、決意を固めた正確な日時は不明だ。
だが、この先兵士という立場につくその時は記録にも残されている。
少年ツバサの生涯は、ここで大きな分岐点を迎え、新たなスタートを切ることになる。


だが、その前に。
済ませておかねばならないことがある。


幸い、彼にとってこの村を離れることが致命的になることはない。
それを幸いと言うべきかどうかは難しい。
彼には愛すべき家族が残されていない。
この家は村が生き続ける限り、きっとフィリップじいさんあたりが管理してくれるだろう。
その辺も頼んでおくべきか。
財産も残しておけばいいし、必要であれば誰かが使えばいい。
そんな子ども離れした考えを持ちながら、明確な目的を前に少しばかり気乗りがしなくなる。
自分の家や財産、身辺のことはあまり気にならない。
だが、もっとも身近にいたであろう存在には、やはりこれは打ち明けなければならない。
勝手に去ることになるのだから、多少の体裁は整えないと。


既に彼は軍人たちに手続きを依頼し、また書面も届いている。
学校にも既に届いているだろうし、彼がこの村から離れれば、その事実が明るみになることだろう。
その前に、いつもの三人に、告げるべきことを告げよう。



「はいいいっ!?そ、そんな急に!?!?!?」
「ああ!俺、決めたよ!」



まずはエズラ。
昼から夕方へと向かっていく時間帯。
その日は休日だったので、エズラは午前中に弓道部の活動をしていたようだ。
だから、昼を過ぎれば家にいるだろうと思い、彼は突然そのもとを訪れた。
そして、エズラからすれば衝撃的な事実をそこで告げたのだ。
「俺、兵士になります!」
あまりの急展開にエズラの頭の中も一瞬ついていかなかった。そうだろう、普通の人の反応だ。



「え、あ、いやでも他の諸々はどうなるんだ………!?」
「学校は途中退学って扱い。家はフィリップじいさんにでも託すよ」
「え、その………えええぇぇぇ………!?!?」
「はは!やっぱそれくらい驚くよなあ」
「あ、あったりまえじゃないか馬鹿!」



彼がこれから話す三人には、ある程度の事実を伝える。
そしてそれに混ぜて自分の気持ちも伝える。
事実とは、自分がこの立場になろうと思う経緯に直接的に関係するものだ。
つまり、自分の父親の話だ。
殆どの人に告げることのなかった事実。
あの、隣町の司書さんには自ら打ち明けたことのある、隠された事実。
それを今になって、本当のことだと言って身近な友人に話したのだ。
エズラは驚きの連続だった。
“このようなご時世だから、兵士としての経験がある人はいる”。
その認識は彼にもあったようだが、こんなにも身近にいるものだとは思っていなかったようだ。


「ってことは、もうあと数日でお前と遊べなくなるってことかー」
「そうとも」
「えー、あーー………いや、けどなんかすげえよ、お前さん。伝わり辛いだろうけど、すげえと思う」


俺なんて、いつ学校を離れるかすら分からないってのによ。
と、言葉を続けたエズラ。
確かにそうなのだ。
エズラや他の学生の個々人の能力がどうあれ、学校は最大でも5年間で卒業しなければならない。
それまでに与えられた課題を幾つもこなし、また人間的にも成長して社会に出て行くことになる。
村の学校を卒業していった者たちの進路は複雑に分岐しているが、「兵士」というのはまだいなかったことだ。
将来的に何らかの仕事をすることにはなる、というのは確定しているだろう。
けれど、それが兵士であったことはこの村では一度もない。
兵士の経験があり、兵士として派遣され村を離れて行ったものはいる。
だがそれは大人に限る。
子供がその年齢で兵士になる、と道を定めたものは、恐らくはツバサが初めてではないだろうか。
けれど、友人であるエズラはそれを素直に認め、また凄いという言葉で彼の往く道に賛同してくれた。
言葉には言い表せないが、とにかくお前さんは凄いぞ、と。
何が凄いのかも分からない抽象的な言葉ではあるが、それが複雑な要因を込めてのことであることは、
言われたツバサとしても考え得るものだった。



「ま、いつかは戻って来いよ?」
「もちろん!」
「ここを離れる時は、皆で見送りしてやるからよ」



あまり気乗りはしないが、それを断ることはしなかったツバサ。
見送ってくれるのはありがたいが、そうなればここへの愛着が思い出される。
愛着があればそれは未練に繋がる。
本当はスパッと切ってしまったほうがいいのだ。
それが出来ないものだと、心の底から深く理解していても。



「………なるほどな。あの時のお前の顔は、やはり真のものであったか」
「へ?」
「先日、共に遊びに行った時のことだ」



つづいてソロ。
エズラとの話で30分近くをかけたおかげで、空はすっかり夕暮れ色に染まり始めていた。
陽が落ちるまでにはもう少し時間がある。
出来ればそれまでに、残る二人との話を終えておきたいところだ。



「あの時、お前は州軍の姿に大そう興味があるようだった。元々そのような経緯があったからだろう?」
「あー、なるほど。確かにその通りだ」
「人の内なる興味というのは、意外と表に出やすいものなのかもしれん」


それは暗に、お前は表に色々と出やすい性格だから、この先苦労することになるぞ、と警告していたのかもしれない。
ツバサがそう思うのは勝手だが、彼がその真実をソロに問うことはなかった。
先日、隣町にお出かけしたときに見た光景。
州軍兵士に連れ去られていく男の姿。
彼が注目していたのは、連れ去られる男ではなく、連行する立場の兵士たち。
彼らが何を目的にどう動いているのかは、既に勉強済みだった。
「治安維持」を目的とした行動。
だが、彼が目指したいと思ったのはその路線ではない。
それでも興味を持つということに変わりはない。それが表にハッキリと出ていたようだ。



「止めはしない。いずれはそうなるものと思っていた」
「え?そうなのか?」
「ああ。兵士かどうかは別にして、お前はお前にある最大の持ち味を活かすだろうとな」



ソロの思う、ツバサの最大の持ち味。
それは。


「身の強さもそう、己の(しん)の強さもきっと役に立つことだろう」


どれほど身体的能力に優れていたとしても、やはり一番はその心ではないか、と。
ソロはいつもの表情でいつも言いそうにないことを言った。
精神論にも近い。
本当に強いものかどうかもあやふやなそれが、一番の武器ではないかと語るのだから。


「だが、この先はお前には想像もつかない苦労があるはずだ。挫けても良い、だが間違えるな」
「お、おう」
「しかし………俺とお前は一つしか違わないというのに、この差か。参ったものだな」
「何言ってるんだよー!そういうソロだって、もうこの先のことは考えてるんだろ?」
「ある程度はな。それも、まだ誰かに告げるものではないが」



その時のソロがやや遠い目をしていたのが、どことなく印象に残った。
エズラには聞かなかったが、一人ひとりできっとこの先何かしたいことがある、という気持ちは持っているんだろう。
自分がこの決断と行動に至ったように。
となれば、ソロにもきっとやりたいと思えることはある。そのはずだ。
その遠い目をした先に、きっと。



「死ぬなよ。生きて会う、これをこの日からの約束としよう」
「もちろん!」
「しかし、その前に見送りだな。近日には出発するのだろう?」



―――――――――――――その立場につくと決めた以上、死と隣り合わせだ。
それは、どう足掻いても回避することの出来ないもの。
兵士となるのだから、この国の為に戦うと決めたようなもの。
たとえ戦争がこの先起こったとしても、いかなる場合でも国や人々の為に立つ、それが軍人というものだろう。
であれば、戦いに参列する時が必ず来る。
そうであったとしても、必ず生きて会う。
ただ一言で交わされたこの約束が、後にどれほど重い形で思い知らされることになるか、この時は知る由もない。


最後に、レン。
自分の家から最も近いところにいる、親友。



「あら、ごめんなさい。レンなら先程、ちょっと出てくるって言って………」
「あー、そうだったんですね!分かりました!!」



ところが。
家を訪ねても、レンは家に居ないという。
既に日没の時刻は過ぎ、夕陽が空を染め上げ、反対側の空からは闇が迫りつつある。
僅かながらの風と、今日は少しだけ温かく感じる空気がある。
最後に告げようと思い訪れたのだが、本人が居ないのであればどうしようもない。
まだ時間はある、明日にでも出直すとしよう。
そう思って、彼はレンの母親の前を離れ、一度家へと戻る。


坂道を登っていく。
この坂道も、この上から眺める光景も、あと少しで見納めだ。
暫くは見ることが出来なくなるだろう。
いつも目の前に広がっていた当たり前のものを、俺は置いて行くことになる。
それがどれほど辛いものであるかを、この時の彼はまだ理解していなかった。



「っ…………」



そうして、登り切った先。
自分の家のすぐ傍にある、村を一望できる眺望スポットで。


「………待ってたよ、ツバサ」


その、最後に告げようと思っていた、少女が立っていた。


「……………」


「……………」


最初に放たれた一言から、十数秒の間があく。
お互いに沈黙が続く。
その、あまりにも予想もしていなかった状態が、お互いに続いた。



「何故、ここに?」

「私?んーとね、エズラからちょっとお話を聞いて!」

「エズラ………?」



そこで、彼女のほうから打ち明けられた。
「ここを、離れるんでしょう?」と。
どうやらエズラが彼女にその事実を伝えたらしい。
余計なことを。自分の口で言おうと思っていたのに。
何の恨みもないし苦笑いするべきところなのだが、その彼女の表情を見ると、それも少し躊躇う。



「私ね。実はちょっと想像しちゃってたんだ!ツバサが近いうちに、ここを離れるんじゃないかなって」
「え……………」
「もちろん、それが事実じゃないよねって思い続けてたんだけど、けど本当にそうなっちゃうだなんて」



そこで“もちろん”という言葉が出るのは、どうしてだろうか。
だが彼はそのことに言及しない。
それは彼女の漠然とした不安だった。
ソロが言ったように、あの日。
彼と共にいつもの帰り道を歩いたあの時から、彼女は感じていた。
漠然とした不安。自分の傍から、何故だろう、ツバサが離れて行くような、そんな気がずっとしていた。
後々様子の変化を色々と聞けば、どうやらツバサは兵士の姿を見てそうなったのだと分かった。
それが分かってから、彼女には想像がついたのだ。
そこにどんな経緯があるのかは分からない。
けれど、「何かをすべきだ」と考える彼の、最も想像しやすい姿が、兵士になるということだったから。


彼はその身にあまりに強い力を持っている。
それを自覚しているであろう彼が、そう言ったのだ。
何かをすべきだ、と。
自分の持っているものを最大限に活用できる場所があるのだとしたら、それはどこか。
剣道という鍛練の日々に直結するところにこそ、彼の求めるものはあるのではないだろうか。
しかも、彼は歴史や軍事に興味がある。
先日は現役の兵士が現場に視察にきた。
複数の要因が積み重なったときに、きっとそれが現実のものになる、と。
彼女の漠然とした不安は、やがて不確定ながらも確信に近づいて行った。
事実じゃないよねって、自分の中では否定していても、きっとそうなってしまうんだろう、と。
諦めに似た確信を持つこととなっていた。



「…………本当に、往くんだよね?」
「ああ。俺のすべきことが、やっと分かったしな」
「………、そっか。寂しくなるね」



彼とレンとの付き合いは本当に長い。
余所者としてこの村にやってきた当時のレンとその母親を、村一番の元気者が歓迎し、案内した。
その時からの、古い付き合いになる。
お互いに腐れ縁と言えるほどの間柄となり、時には喧嘩したりもしたけれど、本当に仲の良い時間を過ごしていた。
彼と共に過ごす時間、鍛練を共有する時間、帰り道に一緒に歩く時間。
これが、彼女にとって当たり前の日常だった。
何気ないものが、どれほど彼女にとって大きいものであったか。
その事実を聞かされ、彼の口から確定的なものであると告げられ、余計に分かってしまう。
ああ、そうか。
私には、この日常が本当に大切で、何よりも嬉しいものだったんだ、と。


「けど、吃驚しちゃった。ツバサの父親が兵士だったなんて」
「実はって感じだけどな。あまり話すべきことでもないって思ってたから」

「うん………私もね、似たような経験をしてきたつもり。私には分からない世界だったけど、父が戦場の医師だったから」


レンの一家とツバサの一家は、立場も場所も違えど、似たような経験があった。
お互いに戦場を経験し、そして家族の何かを失っている。
ツバサに関しては家族そのものを失い、彼女は父と語る時間を失っている。
だから、戦争というワードの何かに引きずり込まれていくのは、当然なのかもしれない。
彼女の父親は最前線の戦場で人々を助ける医者だった。
当時の母親はその父を支えることと、また戦場の難民を助けるボランティアをしていた。
その事実は彼の耳にも届き、それに彼も静かに驚きを見せた。
『50年戦争』の悲劇の一員に、彼だけでなく彼女もまた関わりを見せていたのだ。
もっとも、彼女自身は昔の記憶を持つことなく、戦地にいたという事実はただの記録でしかない。
彼もまた自らの内を彼女に少し打ち明けると、彼女はどことなく共感を覚えた。
似たような経験をし、似たような境遇の中でこの村に辿り着いた。
経緯や場所は違えど、彼もまた戦争の被害者の一人だったのかもしれない、と。
ツバサは普段、自らの過去の話をすることがあまりない。
自分の過去に無頓着ということではないが、誰にもそれを明かしたがらなかった。
頑なに断ってきた訳でも無いが、彼という人となりがそれを追求するのを妨げていたのかもしれない。
あれほど元気で活気に満ちた少年に、そんな過去とそんな願いがあっただなんて、と。
聞けば誰もが思うことだろう。
“少年は、かつての父親の後姿を追う為に。その眼でどのような現実を見たのかを知る為に、願いを叶える”。
彼は願ってしまった。望んでしまった。
父がどのような現実(せかい)を見たのかを。
そして、今もなお転覆しそうな不安定な情勢にある中で、それに巻き込まれて死んでいく人々を見たくない、と。
そんな目に見える人たちに、自分が出来ることはないだろうか。
彼の夢、願いだった。


もっと、夢って無邪気なものだって、考えてた――――――――――――。



彼女はそう考えていても、彼の境遇がその思い込みを打ち砕く。
将来の夢、将来したいことを問うと、彼は真剣に、かつ思い悩みながら「何かをすべきだろう。」と答えた。
誰かの為に何かが出来る、そんな人になりたい。
そのような願いなら、誰にだって目指せるものだし、何も兵士である必要もない。
誰かを助けられるような人であれば、その願いは叶うことだろう。
しかし、彼の境遇と、彼が見た父の背中が、その当たり前を歪ませたのだ。



「そっか………私、今でも昔を思い出すことがあるよ」
「え?どんな」
「本当によく遊んでたよね、私たち」
「んあ?今もそうだろう~」
「もう。確かにそうだけど、私にとっては毎日が大事だったの」


「……………」


村にやってきた彼女たちを案内したのは、まだ子供で今よりも背が全然小さかった、彼本人だ。
そもそもこのタヒチ村にやってくる人というものがあまりに珍しい。
彼とて外来の人間であるし、来たときは大そう驚かれた。
彼女たちもまた、同じだった。
しかし彼は子供ながらに、分け隔てなく、何の礼節もなく、とにかく無邪気に村を紹介し、話しかけた。
はじめ彼女は戸惑ったことだろう。母親とて「すごい人がいるわね」と思ったはずだ。
だが、それが彼女にとっては何より嬉しかった。
外から来た人間を積極的に中へ受け入れる。そんな、温かみを持った子供がここにいる。
尻込みすることもせず、堂々たる雰囲気で活発な子供。
村中を連れ回しては一人ひとりに挨拶をし、その結果彼女たちを村の人たちにいち早く認識させることが出来た。
それ以降も、彼は彼女と時間を作っては遊びに誘った。
子供から大人に向かって、思考も身体も成長していく。
それでも彼はあの活発さは変わらず。
彼女にとっては、それが当たり前の彼の姿であり、彼女にとっての大切な時間でもあった。



「今だから、かな。色々と思い出せるのは」
「んー………?」
「でも、本当に寂しくなるね………いつか後悔しちゃうかもよ?私たちの傍から離れたことを」
「はははっ、いやそれはそれでいいんじゃないか?」


後悔するほど仲が良くて、レン風に言えば大切な毎日だったんだろうからさ!



未練があるかどうかは分からない。
ここを離れてしばらくすれば、きっとそういうのも出てくるだろう。
それに負けずに乗り越えなければならないのが、彼の選んだ道だ。
それは彼自身も充分に分かっている。
16歳という年齢でありながら、少年は大人という者たちの集う立場に入っていくことになる。
けれど、そう言ってくれた彼ならきっと、そんな中でも上手くやれるだろう。
漠然とした不安は、彼に対しての応援する気持ちへと変わっていく。
友達と離れるのは辛い。
もしかしたら、二度と会えなくなるということもある。
この別離が永遠のものでないことを祈りたい。
その先に、たとえどれほどの後悔があったとしても。
この道が間違っていなかったものと、信じながら彼は往くことになるのだ。



「レン、色々とサンキューな!」
「えっ…………?」
「もちろん、また会う気ではいるさ。けど、レンといるとホント楽しかった!!」



そう言うと、彼は素直で純粋な気持ちのまま、レンの頭をポフッと優しく撫でていた。
手の温かみが、いやそれ以上に心の温かみが彼女の中に入っていく。
この夕焼け空の、どこまでも透き通った赤とオレンジ色に染まる空よりも温かな気持ちが、温もりが、もたらされる。
刹那、彼女の胸にやってきたのは、ジーンとした痛覚のない痛み。それを切なさとも言う。
なんてことしてくれるの、バカ。
そんなこと言われたら、どうしたらいいか分からない。
ということは口に出来ず、ただ心の中でそう思いながら、この痛みを自分の中で表に出さないように、と封じ込める。
決して消えない気持ちではある。
だからこそ、尚更痛む。
自分の気持ちを素直に伝えられない自分と、清々しいまでに実直な彼。
対照的でもどかしさがありながらも、それを分かっていてもなお伝えられないこの不器用さ。
逆に笑っちゃうね。



「………取り敢えず、ありがとうって言っておくね。最後くらい、見送りさせてね。みんなで」
「分かったよ。恥ずかしいなあ………」
「言っておきますけど、一人でなんて行かせないからね!!」
「ええー………!」


こうして彼は、自分と最も近しい者たちに別れを告げることになった。
この三人以外にも、後日短時間ではあるが先輩のアデルや後輩のアヤたちに事実を打ち明け、
自分がここからいなくなることを打ち明けた。
すべての人に伝えるのは難しいが、出来るだけの感謝を込めて事実を伝える。
行く先々で驚かれるのだが、それも無理のない話だろう。
だが、幾人かは必ず予測が出来ていたはずだ。
いや、この事実が本当のものだと分かったとき、「ああ、やっぱり」と思う人が必ずいたはずだ。
彼は村一番の元気者。
それともう一つ、道場という存在を知る村の人たちにとって、彼がこの村で最も強い人間であると考える者も多かった。
表向きには言われない話だが、道場というのは「将来的な人材を育成する」場所でもある。
その将来が、この国の為に働く者であることは明白で、道場という種類のものであれば、それが兵士という立場に向けられる可能性があることなど、考えの及ぶ大人であれば誰にでも想像がついたはずだ。
最も強い少年。
その将来が決して明るくないものだと、思う人も多かったことだろう。
「ほんとうにそれでいいのかい?」
「どうなるか分からないよ?」
そんな声を聞く。
だが、そんなことは充分に承知している。
何しろ、自分がこれからしようとしていることは、戦争に加担すること。
起きるかどうかも分からない争いだが、恐らく起きることだろう。
そうなったとき、彼は兵士としてその立場を全うすることになる。
そうなれば、もう元の生活には戻れないし、命が幾つあっても足りないという現実が訪れることだろう。


それでも、彼はこう言う。



「やってみなきゃ、分からねえだろう?」



他の人からすれば、唐突に決められた彼の決断。
しかし、彼にとっては心の奥底で長い間ずっと思い続けていたことだった。
その事実を知る者は少ないが、これから彼が兵士としての道を歩むことを、もう誰が止められようか。
そして彼を送り出すとき、彼を知る村人の多くはこう考えた。
「きっと、立派な戦士になることだろう。」と。
やがて彼が歴史の歯車に乗り、この村の人たちが歴史の証人となる。



そんな日は、まだ遠く。
されど、彼の歩む道はここで大きな分岐を過ぎる。


「話は聞いたぞい。ツバサ、兵士を目指すとな?」
「ああ。やってみようと思う」


彼が村を離れる予定の、前の日の晩。
また家の近くにある神社の辺りでコソコソとしていたおじさん、フィリップを尋ねた彼。
既に彼がこの村を離れるという噂は各所に流れており、フィリップもこうして彼の噂の真意を確かめた。
おじさんはいつもと変わらない様子で言葉を放ち、会話をする。



「そうかそうか。辛い道を選んだんじゃの」
「辛いってことは分かってるさ!でも、まぁ自分の気持ちに嘘つけなくてな。まずはやってみようってこった」
「良い心構えじゃ。その気持ちがあるのなら、ツバサは大丈夫じゃろ」



そう言われるとはいえ、彼も全く不安を持っていない訳では無い。
これが自分のすべきことだという気持ちはあっても、確たるものはまだない。
経験してみないことには始まらないという意識の下、道を定めたともいえる。
彼は自らに実力があることを過信していないとはいえ、自分よりも遥かに強い人は大勢いることだろう。
その人たちに対し、どう対処するか。
ありとあらゆる仮定の話を思い浮かべては、少々不安になる。
だがそれは、彼だけの不安ではない。
きっと大勢の兵士たちが、似たような不安を持っていることだろう。
だからこそやってみなければ分からないことがある。



「わしゃ前の戦争が始まる前から生きとる。ツバサのように若い連中が戦いに往くのも見た」
「そう、だったのか………?」
「村にはもううん十年と住んどるが、ずうっとここにいた訳でもないしの。“戦争を始めたのは大人たちだ。その大人たちが頼りないのなら、自分たちで何とかする”とな。それで、何人の若者が死んでいったことか」



フィリップのその話は、きっとどこか遠くの、遠い昔の話。
50年戦争と呼ばれる凄惨な時代の中で繰り広げられた、一端の出来事なのだろう。
ご老体が兵士であったかどうかは分からないが、その姿を見届けることはあったのだという。
戦いにいき、死なねばならなかった現実を、ただ見送ることしかできない自分。
それがあの戦争において、どこにでも頻発した出来事。
そしてこれからも起こり得る、可能性のある話なのだと彼は解釈した。



「しかし、経験は経験だ。お主がそれを選ぶのなら、それを切り拓くのもまたお主の務め」
「じいさん…………?」



行くがいい。
行ってその眼で確かめよ。
さすれば、おのずと新たな路が見えてこよう。



それがフィリップとの最後の会話となった。
彼を勇気づける、励ますような言葉ではあった。
しかし、なんというか。
いつもとは様子が違ったような。
それでも彼はいつもと変わらない様子で「おうよ!」と答えていた。


………。


「一人では行かせないからね」と、彼女は言った。
正直なところ、ツバサとしてはここを出発する時は、誰に見送られることもなくこっそりと行こうと考えていた。
だが、それも彼女たちの、いつもの仲間たちによって阻まれる。
あるいは、彼らも少しは理解していたのかもしれない。
彼がその立場になると決めてここを旅立つとき、もう会えなくなるかもしれない、と。
ただの可能性だが、全く起きないという話ではない。
唐突な決断と、突如訪れた別れの時。
それを、寂しがらないものなどいなかった。
事が性急すぎるのではないかというような意見もあったが、彼としてはこの機会を逃すことは出来なかった。
自分の希望で、その道を歩む。
だから、旅立つその時は意外にもあっさりとしていて。


「よ~し、それじゃいってくるぜ!」
「気を付けろよな~………!」
「元気でな。また会おう」


「………またね、ツバサ。きっとまた会えるって、信じてる」



どちらかといえば、
見送る側の方が、不安は大きかったのではないかと思うほど。
別れの寂しさやこの先々の不安は、見送る側の人たちが抱く表情や佇まいに写っていたような。
それでも、彼は彼らしく、いつも通りに言葉を交わす。
そう。
彼らしいというのが一番見ている人たちが落ち着き、元気をもらえる姿なのだ。
彼女やほかの友人たちが見た、彼のあのひと時の表情や立ち姿。
あれは確かに、彼の内面にあるものが表に出かかったものなのだろう。
それに不安を覚えるのもいい。
けれど、今はその不安よりも、それ以上に大きなエールを込めて、送り出そう。
生きていれば、きっとまた会える―――――――――――――。


………そう信じて、
次に会う機会を、必ず。
たとえそれが前途多難で思わぬ形のものであったとしても。



「………行っちゃったね。ツバサ」
「ああ」
「まー大丈夫だろうさ、あいつなら」

「………そうね。私たちも、頑張らなくっちゃ」


ツバサは、自分の望んでいるものに近づくために、自分で道を選んだ。
知りたいこと、調べたいこと、目指したいこと、すべきこと。
そのために最も自分がやるべきことを定め、そこへ向かっていく。
そんな彼の旅立ちを見送った彼らにも、新たな心境というものが生まれることになる。
目の前で自らの目的を達成するために独り立ちしていった、その背中を見ながら。
自分たちもそれに負けじと、したいこと、目指したいものに向かっていこう。



そうして彼らは、いつの日か、思わぬ形で再会することになる。




………。


この世は酷く荒んでいる。
長期に渡り続いた戦争により、あらゆる国土が荒廃し、多くの人々が死に絶えた。



「またかよ」
「また、始まっちゃうのね」
「はぁ、もういい加減にしてくれねえかな」
「………また、ですか」


美しかったはずのものが失われ、
尊いはずのものが損なわれた。


「自己の利益の為なら他人の手でも汚させる。それが国というものだ」



時が移ろい、時代が変化を遂げようとしている。
人が、国が、大陸が、その時代の変貌に巻き込まれ、徐々にその姿を現す。


「本当はな、行きたかねえんだよ…………」


たとえどのような辺境であろうと、例外はない。
そう思わずにはいられない時代の変化に、人々すらついていくことが出来ず。



「オメェでけえな!新顔か?」
「ああ!よろしくなっ!!」



手に取るように存在していた平穏は、その手から零れ落ち、
当たり前のように存在していた戦争が、再び人々のナカへ入り込む。



「その感触を憶えておけ。お前はこれから、いっぱい殺すことになるんだからな」



戦乱の覇者 ~Way of the Heroes~
Episode:Ⅱ 始動


                                  ■ to be continued.

interlude 1 平穏の崩壊


一人の少年が、世界へ向けて旅立った。



この時の世界は、かつての荒んだものを継承しながら、それでもなんとか綱渡りで平穏なひと時を維持していたものだ。
一歩でも誰かが踏み間違えば、綱は切れ事が始まる。
一部の人々は、過去にあった50年戦争の真っ只中のような凄惨な時ではなく、寧ろこのような時間を送ることが出来るのは幸福と言えるだろう、と考えた。
また一部の人々は、今にも再び甦りつつあるあの時代に恐れた。
また、ある一部の人々は、過去から学習をしない世界そのものに呆れを感じていた。
不特定多数で多様な考えが交錯し合うが、その多くは行き違いばかり。
あるところで考えの共感を得られたとしても、対極という立場が存在する。



簡単に言えば、
共感を得る仲間の集団、すなわち自らを『正義』と語り、
その対極に位置する存在、すなわち共感を得られない者たちを『悪』とした。



同じ志を持ち、それを正義と語る集団が結束する。
これに立ち向かう、歯向かうような輩を悪とし、これを排除する。
それが今までの戦乱の時代の当たり前の構図であったし、50年戦争が終結した後もその構図は変わらない。
言うなれば、これは世の理なのだ。
この世界はそういう風に出来ている。
だからそれを受け入れて諦めるしかないんだ、と。
お互いに理解し合いながら、分かり合うことは決してない左右の陣営。
相手の考えに理解が行き届か無くなれば、その時点でもう手遅れだ。
最後には、互いの否定が始まり、そしてそれは終わることなく連鎖する。


少年は、
そんな世界の中に旅立って行ったのだ。


彼の父親は兵士だった。
50年戦争の終結前に最前線に赴き、そして還らぬ人となった。
実際のところ父親の戦死を間近に見たものは確認されていないが、
帰還しない者の戦後処理は「戦死」と位置付けられてしまう。
少年は、実のところ父が何故兵士になったのかは、あまりよく分かっていない。
かつて「苦しんでいる人たちの為に戦いに行くんだ」と少年に告げたことはある。
だが、それが直接の意味である訳では無い。
確かに経緯に至るキッカケとしては成り立つのかもしれないが。
少年は父の背中を追う。
それは消えた父を探すということではない。
父が見たものを少年は知りたいと願った。
凄惨な時代が訪れれば、罪のない市民が大勢犠牲になる。
歴史の勉強をし続けてきた少年になら、その結末は分かる。
そのような世の中を容認し難いと思い、そんな世の中でなくなればいいのに、と思う。
今はまだ、それだけでもいい。
きっと経験してから、もっと多くの考えに至ることだろう、と少年は思う。
根底にあるものは変わらない。
自分にも、そんな世界の中で役立てることがあるだろう。



少年ツバサの物語は、ここから花開く。
この物語が煌びやかで華々しいものであるか、
あるいは血みどろに染められたものであるかは、後世の者たちの判断が分かれるところである。



ところで、
この頃の情勢について、少し語っておこうと思う。
この荒んだ時代の中で圧倒的な力を誇る国が幾つかある。


ソウル大陸の北部を中心とする、グランバート王国。
オーク大陸の6割強もの領土を持つ、ソロモン連邦共和国。
アスカンタ大陸において存在する古の、アルテリウス王国。
かつての戦争を経験し軍備を強化し続ける、ギガント公国。
近代化を進め世界で唯一の帝政を持つ、コルサント帝国。


大小これ以外にも幾つもの国が存在するのだが、
中には自治領地と言うに相応しいほどの規模しか持たない国や、
今一つで強国の仲間入りを果たせそうな、アストラス共和国といった存在もある。
いずれの国々もそれぞれに異なる特色を持ち、そこに多くの人々が従い住まう。
その土地柄、風土、特色、政治や経済といったあらゆるものを、人々は選択し決めた土地に住まう。
一度国を決めると、中々他の国で暮らすことは難しい。
だが、この大陸は三つに分かれ、一つの大陸はとても大きい。
地続きになっている国々は、行き渡ることも充分に可能だ。

しかし。
今はそのような自由は、世界のどこへ行っても存在しない。



『50年戦争』が始まる前、
戦争とは無縁の平穏な空気を吸うことが出来ていた時代には、そうしたことも頻繁に行われていただろう。
その国にさえ認められれば、人々はその国々を往来することが出来る。
しかし、情勢が悪化するにつれ、そうした自由は失われていった。
「多国籍所持者」というのは、戦争が始まる前はあらゆる国に堂々と行き来できる便利な存在であったが、
戦争が始まってからは状況が一変し、排除される存在となり果てた。
お前は、どの国の人間なのだ?と。
どこに行っても自分の存在を認められなくて、そのまま無法地帯に彷徨う末路を遂げた者も多い。
一方で、他国の情報を集めては、それを贔屓するところに仕入れて金儲けをするという、賢いやり方をしたものもいる。
本当はそのようなことをする必要もなかったというのに、いつの間にか戦争が時代を変えさせていたのだ。
純情なものが排され、汚れ穢されたものが蔓延した。
今となっては汚い手段ばかりが横行し、それでも勝てば正義などというプライドも棄てたような世の中となった。


だが、そのような荒んだ時代の中で、一際輝きを放つ者も現れた。
醜い穢れたものが蔓延るこの世の中をなんとかしたい。
目的は様々で、理想も数多く存在し、道は無数に分岐するこの世界。
信じるものも異なり、希望も目指すものも異なるものばかり。
それでも、自分で決めたものを貫き通そうとする者もいた。
“戦争を終わらせよう。この荒んだ時代を変えるために”


その果てに、50年戦争は一度終わりを告げた。
幾人かの代表的な人間の登場によって、人々も、それを取り巻く環境も、大きく変化した。
だが、再び荒んだ時代が訪れようとしている。
時代を変え、平和をもたらそうとした者たちの努力も期待も裏切るような時代が訪れようとしている。


それは恐らく、
かつての戦乱の時代よりも、なお凄まじい荒廃をもたらすことだろう。
すべての歴史を語るには、あまりに長すぎる。
過去は過去、それでも今を繋ぎ未来へ結ぶ時間の欠片だ。
そして今という時間の中にも、これからを生きる未来に向けた欠片を造り、当てはめていく。
歴史が作り上げられていくことになるのだ。




interlude 1
平穏の崩壊


一度は訪れたはずの平穏が、崩れ去ろうとしている。
その経緯は今に始まったものではない。
この世界に幾つか存在する「強国」という位置づけで呼ばれる国々。
荒んだ時代の表れは、歴史を振り返っても共通して国同士のいがみ合い、亀裂や分裂などから端を発す。
今回もその一例から漏れてはいない。
先代の者たちが築き上げてきたものを、たった一晩で失わせることも出来るのだ。



「ウィーランド陛下。まもなくお時間です」
「うむ、分かった」
「お話は、原稿にあります通りに、お願い致します」



ここはソウル大陸北部に位置するグランバート王国の中心地、グランバート王城。
数多くの歴史を築き、紡ぎ続けてきた、歴史の中心国でもある。
その歴史はとても長く、語り切れないものから記録にすら残らないものも数多くある。
50年戦争の終結期にあったとき、グランバート王国は大規模な内戦が勃発した。
国民ですら予想もしなかったその展開に右往左往し、多くの自国民を失うこととなった。
内政治地は乱れに乱れ、統治が行き届かなくなり、事実上グランバートはその当時、国としての機能を失いつつあった。
それを、戦争の終結という結果の成就を目指して戦った者たちのおかげで、なんとか国そのものは維持された。
すべてを語るのは不可能だが、とにかくも国の再興が行われた。
それが十年前の出来事。
それから数年で、グランバート王国は内戦と戦争における影響を克服し、改善して見せた。
さらに、今までよりも増して周辺地域の新規開拓が進められ、人が住めないとさえ言われている永久凍土の地方にも、行政が行き届くようになり始めた。新規事業の拡大と拡販で、経済と雇用が右肩上がりを遂げ、グランバートは短時間で再興することが出来た。
その時間、僅かに二年。
50年戦争の時にも活躍した、ある男の手によって主導された再興の計画は、見事に完遂された。



それから10年が経過した今。
今日この日は、何事も無いごく普通の日常の一ページである。



グランバート王国は、
先の内戦において先代の国王デラーズを失い、それ以来国王の座が空いたままとなっている。
王家の人間が亡くなったのも戦争による影響で、内戦によって王都ですら戦いが起こったその影響が、王家の血筋を途絶えさせてしまったという、王国としてはあまりに不名誉で取り返しのつかない事態を招いてしまった。
以来、王国は内政自治を回復させたものの、王家の血筋が内戦によって途絶えてしまった為に、その座に相応しいものを輩出できずにいた。
その間、国王の代理にして代理君主の名を持つウィーランドが国の象徴的立ち位置にいた。
だが悲しきこと、国民は王家の血筋を持たないウィーランドを国王の代理とは認めず、内政自治の長としか見ていなかった。
王国は王家の者がいてこそ、その威厳を保つことが出来る。
内政自治を回復させたとしても、王国離れは加速していった。


一方で、
そのような情勢の中で権力を確実に握る組織が現れた。


『国務省』に所属するウィーランドとその一派が政治運営を行う一方で、
国内の再興と増強を一手に引き受け、司ることとなったのは、『軍務省』だった。
国務省に所属する政治幹部と軍務省に所属する高級士官たちが合わさり、各地方の統治の回復と拡大を行う。
そして軍務省が主体となり、内戦によって失われた国力を増強させた。
かつて強国だったその姿を取り戻すために。
そしてより強固な国を築き、営んでいく為に。
戦争が終結してより10年という短い歳月ではあるが、世界中が「グランバート」という名前を意識できるほど、
その姿は確かなものとなっていた。



「国民の皆さん、今日ここに私が会見を開くのは、昨今世間をお騒がせしてしまっている………」



今日、国王代理のウィーランドは定例会見を行っていた。
夜に向かいし王城の一角で行われる、代理権を持つ者の放送。
国民の多くはテレビやラジオを所持しているため、多くの国民がこの肉声を聞く。
定例会見は週に一度のペースで、これまでほぼ周期通りに行われてきた。


「しかし、私は改めてここに強調したい。このような不安定な状況下だからこそ、私たちグランバート王国は断固たる姿勢を崩さない、と。」


会見の内容は、何か具体的な政策を述べる訳でも無く、時間も僅かに5分ほどと短い。
誰かの質問に答えるような中身でも無く、正直に言ってその内容にどれほどの意味があるのかは分からない。
しかし、だからこそと言うべきか、国王の言葉にはとても強い印象で語られるものが多い。
今日の定例会見の内容は、昨今世界を取り巻く緊迫した状況についてだ。
グランバート王国は、隣のアスカンタ大陸にある「アルテリウス王国」との不仲が続いている。
かつて王国が隣の大陸を新たに発見したとき、その利権を巡って激しく対立し戦争に繋がったことがある。
だが、大陸には既に別の王国が構えており、厳しい環境ながらも繁栄を続けていた。
それを奪おうとした歴史のあるグランバートと、抵抗して排除し続けようとしたアルテリウス王国は、たとえ戦争が終結した後でも良好な関係を築くことが出来ずにいた。
そして近年、再びグランバートはアスカンタ大陸のソウル大陸寄りにある海域や諸島に進出する動きを見せており、両者の対立はまた深まろうとしている。
多くの見方としては。



――――――――――先の戦いで、グランバートは疲弊した傷を癒せていない。



というものであった。
10年前、王国は内部で激しい対立を生み、それが結果的に最悪の内戦を生み出すキッカケとなった。
それ以前は他外国との戦争に参加し、現在のソウル大陸の中北部以北をすべて領土にした。
だが、その内戦によって王国の基盤は大きく揺らぎ、歪み、そして失われていった。
かつて国の内戦を終わらせるために、また世界中に起こり続ける戦乱の世を終結させるために立ち上がった者がいる。
その者たちの努力があってもなお、世界は血を欲し、争いを望み続ける。
救われ難い世の中だというのは、多くの者にとっての共通認識であっただろう。
そのため、各国がグランバートを注視し続けている。
かつてそのような者が立ち上がり再興された国ではある。しかし、その王国が不穏な動きを見せ続けるのであれば、
過去の認識を改めなければならないだろう、と。


「先月に発生した、ギガント公国領ギルディア街基地爆発事故に際し、亡くなられた人々に心から哀悼の意を表す。現場に残された遺留物の中から、複数我が王国軍に由来するものが見つかったという報道および報告が世間ではなされているが、改めてここに表明する。そのようなことを指示、行動させた事実は当方にはなく、全くの虚偽である。被害を受けたギガント公国からも、こちらに責任を問う旨の連絡が重ねて行われているが、我々に問いかけるより本当の足取りというのを掴む方が先決であり賢明である」



先月、国際情勢が緊迫する事態が発生した。
今に始まったことではないが、その舵取りが行われたというべきか。
ソウル大陸の南部には、ギガント公国と呼ばれる強大で広大な領地を持つ国がある。
その国の中に「ギルディア」と呼ばれる街があり、ウィーランド国王代理が言うのはこの街で起きたある出来事のことを言う。
ギルディアは、公国領でも北側の、グランバート王国との国境線100キロ圏内にある街である。
そこにはギガント公国陸軍が配備されており、街の中に駐留基地がある。
都市の規模も大きく、20万人ほどの公国民が住む街である。
その街の中で事件は起きた。
ギルディア駐留基地が何者かによって襲撃・爆破されたのだ。
この街の基地が襲われる理由というのは特段あるように思われていなかった。
ここに特別何かがあるという訳でも無い、と。
ギルディアはグランバート王国との国境線近くに位置する街。
戦略的な要素は大いにあるが、グランバートも一線を越えるような事態を起こしてはいなかった。
しかし、この街の事件において、死傷者の中にグランバート王国軍のワッペンを持つ者がいたことが、事態をより深刻化させた。
ギガント公国の主張はこうだ。
「王国軍が基地を襲い、我が軍の情報を強引に持ち出した」
無論、これにグランバート王国は外務省の名において否定した。
しかし事態が収まることはなく、
ギガント公国軍でグランバート王国との国境沿いにある部隊に厳戒態勢を布くよう命令が下り、
戦闘配置まで取られるほど臨戦態勢を整えてしまったのだ。


自分たちの知らないことで理不尽に理由をなすりつけられ、それをキッカケに極度な警戒体制を取られる。
それは、王国としても面白い話では無かった。
敵がそのようにするのであれば、自分たちもいつでも動けるように、と部隊を配置したのが先月の話。
その日以降、ギガント公国軍は各所で厳戒態勢を続けており、グランバートに対する警戒心は微塵も解けていない。
それを、ウィーランド国王代理は筋違いだと伝えた。
真実も分からぬまま、あたかもグランバートはその策を仕向けたと思われ、孤立していったのだ。
しかし、ギガント公国としては、グランバートがそれに加担したという確たる証拠を掴んだと思っている。
グランバート王国軍の所属する者の持ち物なのだから、これ以上の証拠はないだろう、と。
そのような状態が続くのを好ましくないと考えた、オーク大陸の大規模国家ソロモン連邦は、先日各国首脳会談を申し入れ、グランバートもそれを一時は受諾した。
だがグランバートは会談の席には現れず。
会談の目的が情勢の安定化であったため、期待されたのはアルテリウス王国との和解もしくは緊張緩和であったが、寧ろ不快感を募らせる結果を招き、結果的にアルテリウス王国はソロモン連邦共和国と一定量の協定を結んで同盟関係を築いてしまった。
外の人間から見れば、誰にでもわかることだろう。
こうして、各国はグランバートを包囲する布陣を固めつつある、と。
無論それは彼らとて理解していたことである。
グランバート国務省は軍務省に国境線沿いに部隊を派遣、さらに各方面への海上封鎖を行うに至った。



「近隣諸国がその警戒を解かない限り、我々も万全の体制を維持することだろう」



強行という手段さえ在り得ると警告したウィーランド国王代理。
会見は短いもので、代理人の一方的な主張だけが述べられるというごく単純なものとなった。
定例会見では質疑応答なども行われるのが普通なのだが、グランバートと諸外国との情勢が緊迫してからは、
あまり国内の情報を公に晒すことがなくなった。
国境線沿いの防衛強化と海上封鎖は限定的なものである、と考えられていたが、グランバートがそのようにしている限り、ソウル大陸の北部に定期連絡船が行き渡ることもなく、渡航が困難な状態が続いている。
また航空管制も厳戒態勢を取られており、今となってはソウル大陸の北部は陸の孤島というような状態だ。
外から入るものには厳重な姿勢を取り、それが外敵となる場合には排除も辞さない構えだ。
会見が終わると、国王代理はすぐに用意された車に乗車してその場を去る。
途中、報道陣の詰め寄りにはサングラスをかけたガードマンが割り込んで道を開けさせた。



「形式的すぎて何も響かないな」
「しかし、これが無難かと思います。強い主張は周辺国のいらぬ疑念を深めるだけです。私たちはただ警戒をすればいいだけなのですから」



車の中には、ウィーランドのほか、彼に原稿を渡した助手と使用人が二名、運転手が一名乗車している。
会見が終わるとすぐに次の公務のために、移動しなければならなかった。
報道陣を振り切って乗車したのも、過密なスケジュール通りに事を進めるためである。



「それで、今日の軍務省と外務省の顔ぶれはどうなっている」
「はい。ここにリストが………」



次のスケジュールは、別の場所に移動して“軍務省の顔ぶれ”との会議。
それこそ、今ウィーランドが会見で述べたような手段についての討議が行われる。
防衛線強化、海上封鎖。
これらの方策は国務省からではなく、軍務省からの依頼によるものだ。
「敵にその気がないとしても、いつでも備えるようにすることが重要だ。」という彼らの主張は、正しいと思う。
だがそれが行き過ぎては、助手の言うように要らぬ疑念を持たれることだろう。
今のグランバートはまさにそれだった。
彼らがこのような状況に至って、警戒を強めなければならない現状を抱いている。
その結果、ほかの諸外国もそれに合わせて警戒を強めなければならなかった。
おかげで有事の際に共闘できるよう、アルテリウス王国とソロモン連邦共和国が同盟を結んだという。
発端はグランバートだが、そのおかげで現状はさらに加速し続けている。
もっとも彼らにとっては、その発端でさえ与り知らないものなのだが。



「あの男は、今日もいないのか?」
「はい。何かと忙しい男で、今日も現場に行っているのだとか」
「………そうか。現状、あの男となら色々と話し合えるのだが」
「それには、これまでと同じように、公の場でも会議の場でもなく、もっと別の場所でするしか………」



国務省と軍務省との間には容易ならざる複雑な関係が絡んでいる。
そもそもこの国の場合は、あらゆる政治権力を掌握して外交政策を行うことが出来る機関が最低でも二つあるのだ。
『国務省』
『外務省』
国務省は内政自治に関する専門分野でもあり、
外務省は主に諸外国との外交政策を司る機関である。
どちらも同じ性質を持ちながら、より強い力を持つのは外務省であった。
そこへ、力という点では強力な発言力と影響力を重ね持つ『軍務省』があり、
力関係が入り乱れているのだ。
今回の定例会見では、軍務省側の人間が会見での発言内容を限定するよう求めてきた。
それは会議において打ち合わされたものではあったが、軍務省からの圧力といっても過言では無い。
“いつかその時が来る。そのために出来ることはしておくべきだ”と。
確かに、ギガント公国に睨まれた今の状況から考えても、現実的に必要な方法ではある。
そのため、国務省も外務省も、その要求を鵜呑みにするしかなかった。
彼らが正しい、と思い込んでしまったからだ。



因みに、
国王代理の言う“あの男”とは、軍務省に所属するとある一人の男性のことを指す。



「間違いなく、世界の情勢は過去50年間のそれに傾き始めている。いや、もう既に傾いて戻せなくなってるやもしれんな」
「………はい。このままでは」
「………戦争は、避けられんな」



それが、矛盾を生じた思いであることは、演説をしたウィーランド本人が一番よく分かっていたことだ。
演説の内容は、特定の国家に対しての批判とそれに対する国家としての対応を述べたものであった。
抽象的なものであったとはいえ、グランバート王国は強気の姿勢を保ち続けることを公言した。
要らぬ疑念によって有事を招くようなこととなれば、こちらもその矛を向ける用意がある、と。
ウィーランドが思っているような、「戦いを避けられる状況」を導こうとするのなら、あのような演説内容はすべきではない。
定例会見の原稿は、強い権力を持つ軍務省の助言を採用したものだ。
それが果たして国の為の助言となっているのかどうかは、定かではない。



会議が行われるのは、王都の市街地の中心部にある軍務省の建物。
統合作戦本部と呼ばれる場所で、軍務省のお膝元、その中心でもある。
軍務省の最高機関の詰所であり、ここには軍人に属する者の中でも高階級の者たちが出入りする。
この建物だけでも務めている人間は1000人を超え、軍事に関わるあらゆる業務をここでこなしている。
軍務省の業務、目的の一つとして、国家の危機に瀕するような事態に対しての早急な助言、および支援を行うものがある。
これは、国家が緊急を要する事態に直面した際に、外交政策を主とする外務省や国内外のあらゆる政策を広範囲から操作できる国務省よりも、
より事態に対して早急かつ応急的な処置を助言、決断させる材料を与えるという役割と特色がある。
切迫した事態というのは、いつもきまって“有事に関すること”だ。
そして今日の会議というのも、その“有事”が争点となる。
ウィーランド国王代理が会議室の中に入った時には、既に会議の人員は揃っていた。
彼が室内に入ると、皆が一斉に立ち上がり、そして敬礼をする。
一気に張り詰めた緊張感のある空気に変化する室内。


「………はじめてくれ」


グランバート王国の国王は、象徴的存在だった。
今も国民の多くはそう思っていることだろう。
しかし、現在のグランバートは国王が存在せず、代理としてウィーランドが台頭している。
その彼は、こうした内部機関の会議などに積極的に参加するようにしている。
国王代理だからという理由で強力な権力を振りかざしたりはしない。
しかし、それでも代理なりにこの国の為になろうとする気持ちは強かった。



「海上封鎖に戦艦2隻、駆逐艦7隻。ギガント公国との国境線沿いには、東西南にそれぞれ師団を配置しております」
「海上封鎖はその規模で良いのか?オーク大陸からは対応できないように思われるが」
「そちらには海軍所属の偵察機部隊が布陣してある。監視の目はあるから充分だろう」
「いざとなれば、空軍が出撃して爆撃も出来るからな」



昨今の状況を受けて、グランバートの中枢部を担う軍務省と外務省、そして国務省の重鎮が話し合う。
暗い会議室の中で行われる、円卓の議会。
あらゆる国の方針を定める為に、ここであらゆる意見や主張が交わされることとなる。
このような形式は、何もほかの国々でも似たようなことで行われてはいる。
しかし、グランバートのそれは少し異質なものなのかもしれない。



「あくまで防衛線に限定するべきだ。それに相手国に過剰な反応をさせる行為は避けるべきだろう。部隊は後方で待機すべきで、態々国境線を覆うように布陣する必要はないと考える」

「だが、この情勢ではいずれ接敵することだろう。敵が動いてからでは遅いのでは?」

「お主は敵と申すが、それはどの勢力を指して言っているのか?」

「いずれにせよ、この情勢が傾けば戦いは避けられない。先手を打たずとも、必要以上に準備は整えておくべきだ」

「いや待て。準備を早めればそれだけ事態を加速させる恐れがある。この上こちらに濡れ衣を着せられたらどうするというのだ」



グランバートの異質さは、他所の国には伝わらないものだ。
内部の人間が外部に公表すれば話は別だが、今の国は情報の外部流出を避けるために情報を検閲している。
“相手にくれてやる情報などない”というもの。
元々自分たちの国益に関わるような重大事項を相手に晒すほど、暢気なことを考えているものでもない。
しかし、この時代のこの現状に、情報の流通は非常に重要な問題だった。
しばしば「情報戦」などと比喩されるほど、国家の状況を左右するようになっている情報媒体。
そういった大切なものを外部に漏らさないという意味でも、彼らはこうして暗い会議室の中、円卓を囲んで話し合いをするのだ。
話し合いの内容も、この時代の今の情勢に合わせたもの。
10年ほど前であれば『よくあること』というように考えられていたそれも、
今の時代においてはより緊迫感を募らせるものであった。


昨今の状況を受け、
グランバート軍はアスカンタ大陸方面の海域を封鎖し、
領土南部のギガント公国との国境線沿いを中心に陸戦部隊を配備していた。
いついかなる時も状況に対応できるための手段である。
ここでは、その手段の維持か、あるいは後退かを話し合いによってきめようとしていた。
中には交戦主義を持つ者もいて、“相手からの動きを待っていては遅い”と、専守防衛を棄てるように考える者もいた。
どの重鎮たちも意味のある主張を唱えては、論議している。
話がまとまるどころか、あらゆる危険性をお互いに共有し合うという会議の構図が出来上がってしまっていた。



「これでは具体的ではない。危険があるのは分かる。だがそれに対しどう対応するか、そのためにどう準備するかを話し合うべきだ」



話の舵取りを修正するように、ウィーランドが間に入る。
彼は国王代理であり国民からすれば象徴的な立ち位置ではあるのだが、話し合いなどには積極的に参加した。
最終的な決断を下すのはこの話し合いの結果だが、ウィーランドもあらゆる観点を踏まえた主張をする。
それでも、ウィーランドが一強で議題が解決されることのないよう、話に入りつつも適度な距離感を保ち続けていた。



「では海上封鎖はこのままに。万が一封鎖線に接近するようであれば、警告、威嚇射撃等で対応しましょう」
「陸戦部隊はどうする」
「現状維持で良いでしょう。先程の演説で、必要に応じて軍事力を投入するということが明白となりましたから」



そして話し合いの末に、そう取りまとめられる。
あらゆる議題が持ち上がったが、結局は現状維持ということで話は進められた。
最後の仕上げでまとめたのは、軍務省に所属する『アイアス』という人物。
見た目は好青年のように見えて、とても冷静に落ち着いた印象を持つ男性だ。
髪は男性にしてはかなりの長め、後ろで髪を結ぶほどのものだ。
漆黒のスーツにグレーのシャツ、そして黒いネクタイ。
一見普通の男性のように見えて、このアイアスは軍務省の中でもトップクラスの地位を持っている。
この議場の中では最も若い年代ではあるが、最後の仕上げまできちんとまとめた。



「敵に攻撃の意思があるのなら、それに反撃する用意がある。それだけ伝われば今は良いのです。出来る限り、情報は迅速に、正確に伝達するよう徹底して下さい」

「では、これで今日の会議は終了だ」


「…………湿気たもんだな」



中には今日の内容が心底不満で不愉快に思ったものもいるが、それでも一応の結論は出た。
相手にその気が無いのなら、こちらとしても仕掛ける用意はない。
しかし、何かあれば立ち上がることが出来る、という意志を誇示する。
情勢の悪化がこれ以上続くことになれば、それこそ10年前に戻ってしまう。
会議が終了し、側近の案内のもと、国王代理のウィーランドは車に乗り込み自分のオフィスへと向かう。



「なるほど。実際にそうした動きが無ければ手は出さない、ということですね」
「………とはいうが」
「ええ。我々が受けたように、行動が偽装されれば………」
「そうだな。その可能性は充分にある。しかし、強硬派の連中はまるで戦争を起こしたいかのような物腰だ」
「そうなのですか?」



―――――――――――またかつての悪夢を巻き起こそう、と?
それはあくまで見た目のもので、真実そう思っているかどうかを確認した訳では無い。
だが、強硬派の面々は「先に殺られるより前に手段を講じる必要がある」と、事を性急に荒立たせようとするように見えた。
その考え自体は分からなくはないし、間違いでもないと思う。
敵がそのつもりなら、自分たちを一片に飲み込むことも可能だろう。
そうならない為に、相手に対する抑止力は常に働かせなければならない。
ところが、事を性急に結論付けて実行しては、それこそ要らぬ疑念を招かれ、最悪の事態を招きかねない。
王国がどのような決断をしたところで、外部の人間はそれを警戒する。
この構図に変わりはなかった。



「アイアスは、事の状況をきちんと理解しているのですか?」
「そうだと信じたいな。外務省と違って、軍務省は落ち着いている。穏便派ではないが、事態が急変でもしない限り問題ないだろう」
「あの男はどうも胡散臭いですからね。裏に何も無いと良いのですが」
「だが、アイアスも『彼』の前では頭が上がらないのだろう?」


「………確かにそうですが。権力の集中を避けるために、最高レベルの権限を二分していますから………」



その彼は、今日は会議にも出席しておらず、顔すら出さなかった。
秘書曰く「現場が忙しい」とのこと。
ウィーランドは、こういう時こそ“過去の出来事を隅々まで経験してきたあの男”に頼りたい、と思っていた。
彼の思惑は、事を荒立たせないこと。
そして、どうにかして世界が往くつくところまで進まないようにすること。
状勢は極めて緊迫しているが、あと一歩先までは行き届いていない。
その間に。


「………出来るだけのことは、しておかなければならないな」
「………はい。お供します、閣下」


状勢をどうにかして緩和させたい。
そのために出来ることを尽くす。


そう思っていた矢先。



「?なんだこの異臭は」
「……………!!!閣下今すぐ降り―――――――――………………」




事態を緩和させるどころか、急展開させてしまうような『事件』が、起きてしまった。



「ウィーランド国王代理暗殺事件」
歴史上ではこのような名称で統一がされている。
事の発端は不明。暗殺者も不明。
しかし、その手口だけはあからさまだった。
会議が終了した後、国王代理のオフィスがある国務省まで戻っている最中、
街の中で突如搭乗していた車が爆発。
乗員4名全員が即死。無論、国王代理ウィーランドもそれに含まれる。
爆発が起こる前の状況は一切不明。
使用される車両は決まってはいないが、その日の行動スケジュールでどの車両が割り当てられるかは定められている。
そのため、ウィーランドが搭乗する車を整備する担当が真っ先に疑われたが、事実解明には至らず。
行動スケジュールを管理している秘書や内務の者も疑われたが、同じく関連性は見受けられなかった。


その要因の一つに、
まさに彼らが危惧していたことが、目の前で起こったからである。


「事実を公表しろーーー!!!!」
「一体どうなっているんだ!?!?」
「敵は倒せーえええ!!!!」



国務省、外務省の前に群がる国民たち。



「これは………、一体…………」
「お伝えします………!昼間の暗殺事件の事実を知った国民が、説明を要求しに大挙してきています!複数個所で暴動が発生しているという情報も………!!」

「馬鹿な。情報の一切を公表していないはずだ。どこから漏れ出した!?」


爆破された車両にいたウィーランドらは、原形を留めていないほど死体の損傷が激しく、見ても彼が国王代理だとは思えないものだった。
他の三名も同じく、誰が誰なのかは見わけもつかない状態。
ただの車両爆発という事故で、真実を隠匿しようとしていた国務省。
だが情報の検閲は出来ず、爆破された車両に国王代理が居合わせていたことがすぐに発覚。
理由も分からないまま殺された国王代理のこの一件に、国民は激しい怒りをぶつけようとした。
暴動に至るほど混乱が拡大してしまった、真の要因が一つある。



それは、
爆破された車両の残骸周辺に、隣の大陸にあるアルテリウス王国軍所属の遺品が確認されたのである。



国務省も外務省も直ちに情報の制限を設けたが、その行動そのものが裏手に取られてしまった。
何しろ今の時代は情報化社会。
そのようなあからさまな規制を行うことそのものが、何かが起きたということの証明となっていたのだから。
そして情報の検閲は出来ず、ウィーランドが暗殺されたこと、その遺留品の中にアルテリウス王国の軍人が持つものが
含まれていたことが晒され、その説明を求めて国民が大挙して声を上げたのだ。
タイミングも最悪だった。
今日、ウィーランドは演説で「他国が警戒を解かない限り、万全の体制を維持する」と公言してしまっていた。
つまり、もし有事があれば彼らは手を出す用意があるということを表明し、各国にその威厳を振りまいたということだ。
その覚悟を国は持っているし、国民も演説を見て多くはそう感じたはずだ。
事は起きた。これを有事と呼ばずにはいられないだろう。であれば、国としての対応は決まっている。
そのため、この暴動や集団行動は抗議では無く、『決起集会』のような様相を呈していた。


我々に共通する「敵」を斃そう、と――――――――――――。


『まずは各所の暴動鎮圧を。』
この一件により、たったの数時間で王都中が大混乱に陥った。
国務省と外務省は現時点で全く機能せず。
鳴り止まない電話ど怒号は、確実に職員の心身を消耗させた。
それだけでは済まない。
この国の頂点に立つ象徴的存在の代理者が、暗殺されたのだ。
しかも、アルテリウス王国軍の遺留品が見つかっている。
これを侵略行為と呼ばずして、何になるというのか。
国民は声を高らかにして、敵を倒すという名目で一致団結し、国もそれに倣って行動すべきだと主張する。
暴動は既に十数か所で発生しており、その結果二つの省は機能を停止した。
しかし、まだ軍務省は対応に追われるばかりで、機能はしている。
外務省が機能しなければ、軍務省は具体的に動き出すことが出来ない。
国防を司るのは軍務省だが、それをどのように扱うのかは外交が定める。
アルテリウス王国の軍人がこの一件に関わっているのだとしたら、外交手段は明白である。


「それから、大将をすぐに軍務省へ。事態は一刻を争います」
軍務省のアイアスは、まず軍務省内にいる王国軍に鎮圧の沈静化を図るよう通達。
さらに、外で公務をこなしている『大将』を、早急に軍務省へ戻すよう伝達する。
外務省が機能を停止していても、彼らには出来る限りのことをする責務があった。
アイアスの司令により、直ちに治安部隊が出動し、暴動の沈静化が行われ始めた。
それでも、募る国民の勢いを削ぐことも止めることも出来ず。
その怒りをどこへぶつければいいのかも分からないまま、国民は荒れ、外務省と国務省は対応を強いられた。


「国家安全保障局に通達を。暴動の拡大化を図る者には容赦なく拘束して捕縛するように伝えて下さい。………もっとも、これほどの規模の鎮圧となれば、数百人から一千人規模で逮捕者が出るでしょうけど」



一方、証拠が見つかってしまったアルテリウス王国側は、一切の釈明を行わなかった。
この一件が世間に知られた直後に声明文を発表。
これに自らは関わっておらず、外部による圧力であると訴えた。
そこで謝りでもすれば、この事件が彼らの引き起こしたものであると認めるようなものであり、
アルテリウス王国の対応はごく平然としたものであった。
しかし、であれば前に発生したギガント公国とグランバート王国との一件も同じものとして見なされる。


グランバート王国は、後に退くことを赦されない状況にあった。
国民の強い不信感。
証拠のある事件への解決。
根本を正し弾劾する用意。
強き国であることの証明。
あらゆる状況が折り重なり、国務省と外務省は選択を迫られた。



その方法によっては、戦争になる。
せっかく取り戻したはずのものを、一瞬にして無にすることも出来る、と。
だが、彼らが選択を定める前に、その選択は不意に強制されてしまった。



「アイアスさん………第七艦隊が哨戒中に、アルテリウス王国軍所属と思われる艦隊と接触したとのことです………!!!」
「――――――――――――駄目ですね。これはもう、現場の判断を遥かに超える事態だ」


次から次へと、グランバートに襲い掛かる状況。
そのすべてに対応しなければならないうえに、肝心の各機関は機能していない。
板挟みのような状況に、混乱は更に拡大。
軍務省ですら現場に正しい司令を送ることが出来ず、混乱はより昏迷になる。



その最中。
当事者とされるアルテリウス王国の艦隊と、海上封鎖を行っていたグランバート王国海軍の第七艦隊が、
海上で互いの姿をさらす。


刻一刻と、はじまりの時は近づく。


…………。

interlude 2 短き平和


グランバート王国海軍所属第七艦隊旗艦「ベルモンテ」


国王代理暗殺事件が起きてから、僅かに数時間後。
ソウル大陸とアスカンタ大陸の間に広がる、やや小さな海域。
船舶で移動をすれば相当な時間を要するが、航空機などの高速域で移動できるものであれば、
僅か数時間で隣の大陸まで辿り着けてしまう。
それは、ソウル大陸からオーク大陸への航路も同じことである。
ソウルとオークの間に存在する最も手近な海域、狭門海峡と呼ばれる海域は、船舶で航行しても数時間足らず、
航空機を用いるのであれば数十分程度で隣の大陸まで入り込むことが可能だ。
無論、場所によってはそれ以上の時間を有する。
ソウル大陸の北部にあるグランバート王国が、そうした各大陸への接続が身近な存在であるというだけのこと。
しかし、今はその身近さが災いの火元となる。
グランバート王国の第七艦隊は、オークに領地を構えるソロモン連邦共和国と、アスカンタ大陸に古くから国を置くアルテリウス王国と同盟を結んだ事実を受け、海上封鎖に踏み切った。
昨今、両王国を巡る緊迫した空気は消しきれず、またグランバートが会談の席を無視したことも相まって、互いの関係はもつれた。
現在グランバート王国は、アスカンタ大陸方面の海上に第七艦隊を配置し、オーク大陸方面に航空部隊と強襲揚陸部隊を配置している。
いつでも万全の態勢を整えている状態だ。


その中で。
国王代理暗殺事件が発生し、その遺留品の中にアルテリウス王国の軍属が持つものが含まれていた。


アルテリウス王国は釈明することはなかったが、それが自分たちのものではないと行動を否定。
しかし、先日もグランバートはギガントとの一件で同じような経験をしているため、これを認めるはずもなく。
国民の暴動が発生するほどの大混乱に陥ったグランバートではあったが、その最中で、両王国の海軍が接近する。



「艦長。前方5キロメートル地点に、所属不明の艦隊を視認。IFFの反応ありません」
「海上封鎖を知っての行動か。本国はどうなっている」
「はっ。依然情報が錯綜しており、正確な状況が不明です。電波妨害のためか、通信状態も良くありません」

「………困ったものだ。だが準備するに越したことは無い。全艦戦闘配置。これ以上接近するようであれば、呼び出して警告しろ」



海軍という軍の存在は、
たとえその形態が王国であろうと帝国であろうと、ある程度の国力を有する国であればどこでも所持している存在だ。
アルテリウス王国も古の文化を引き継いではいるものの、そうした新しい文明文化の知恵も持っている。
グランバート第七艦隊は、戦艦一隻、巡洋艦四隻、駆逐艦二隻、補給艦一隻の八隻から成る。
艦隊の番号を示す数はそれぞれ第九艦隊まで存在するが、第三艦隊以降の戦力配備は、第七艦隊と似たものがある。
基本的に艦隊が出港する機会はなく、領海内を一隻ないし二隻で哨戒するというのが海軍の基本任務にあたる。
しかし、先の情勢を踏まえ、北方海域を防衛する任務を持つ第七艦隊が全艦出撃し、補給艦を連れて北部海域の海上封鎖を行っていた。
そこへ、それを知りながらやってきたのが、アルテリウス王国軍所属の艦隊である。
発見されたアルテリウス王国艦隊の数は11隻。数の上ではアルテリウスの方が優勢である。
だがその意図が明確ではない。
何を目的にして、態々海上封鎖を行っているこの海域まで進入してきたのか。


「艦隊、依然として前進中」
「警告を行う。回線をオープンに…………こちらはグランバート王国海軍第七艦隊所属旗艦ベルモンテ。貴官らの船舶は我が国固有の領海内に接近している。ただちに回頭し接続水域より退去せよ」

『こちらアルテリウス王国軍第二艦隊。現在の情勢を考慮し海上防衛を行っている。不要な接近行為は控えて頂きたく申し上げる』



哨戒中の第七艦隊と接触したアルテリウス王国第二艦隊。
これから夜を迎えようというところで視界も悪くなりつつある中、それほど遠くない距離で互いを発見し、
一触即発の状況が生み出されてしまった。
グランバートの第七艦隊は、ただちにこれを本国の軍務省へ報告。
だが、具体的な対応策の返信は無かった。
ただただ、相手との距離を保ちながら交信が続けられる。


「どうなさるおつもりですか、閣下」
「困りましたね。戦闘は避けるべきでしょう。もっとも、敵がその気なら話は変わりますが」
「そうですね………しかし、交戦を避けるとはいっても、どのように行動すれば良いか………」
「あくまで相手との距離は詰めずに保ち続けましょう。暫くはにらみ合いになる」



本部から艦隊に伝えられた指示は、とにかく待機だった。
洋上で待機命令が下されるというのも、実に不気味なものであった。
お互いに複雑で深刻な情勢を抱えている中、武器を携え対峙しながらもただひたすら待つ。
アリアスは、『大将』閣下を本部まで呼び戻している間は、どうにかして時間稼ぎをしようと考えた。
交戦派の人間と国民の感心を裏切るような判断ではあるが、事を急く必要はないという独自の考えだった。
グランバートとアルテリウスの双方の艦隊が睨み合いを始めてから30分が経過する。


事態が動き始めたのは、その頃のこと。



「何!?新手だと?」
「はい。我々の右舷より接近するものがあります。周りが暗くて視認はしづらいですが………」
「………まさか、挟み込むつもりではなかろうな………」



彼らは程度の距離を置いてアルテリウス王国海軍と対峙していたのだが、ここにきて新たな勢力が彼らの右舷より近づいてきていた。
各艦に設置されている広域レーダーにより、その存在が探知されたのである。
この世界の現代の技術では、レーダーからの反応により居場所を特定するための距離がまだ短い。
探知できた場合であっても、対象との距離の差がどの程度縮められているのかは不透明なところも多く、
機械による探知から人間の推測に頼る部分が多い。
というのも、レーダー反応を機械に投射するのに遅延が発生してしまっているのが現状だ。
それでも、どの程度の数がどの方角へ向かっているのかは把握できる。
それによると、北方海域での海上封鎖を行っていたグランバート王国軍第七艦隊の右舷方向より、新たな艦隊がこの海域に接近しているとの情報がもたらされたのである。



「その数、確認出来るだけで12」
「………間違いない、“連邦艦隊”だ」



接近してくる方角、そしてその規模。
グランバート王国軍は、接近する物体がソロモン連邦共和国軍の艦隊であることを確信した。
もっとも、連邦軍であればもっと大規模な布陣を敷くことも出来るのだろうが。
現場の指揮官は、早急に状況を報告する。
明らかにこの状況は現場の判断を越えたものであり、上の指示を仰ぐべきところだと考えたからだ。
だが、その肝心の上となる存在も由々しき事態だと思うばかりで、明確な対処に難色を示していた。
何しろ接近してくるのは“連邦艦隊”である。


ソロモン連邦共和国海軍は、古き歴史を持つ精鋭揃いの集団である。
近年、戦争の形態は変化しつつも、基本となるのは陸上戦闘ばかりだ。
そのため、陸軍に力を入れる国は圧倒的に多い。
その中でも、ソロモン連邦は同レベルで海軍の増強を行っている。
広大な領地を持つソロモンは、オーク大陸の東部から北部、西部にかけての範囲をすべてカバー出来るように、
各所に駐留基地を配置している。
海軍もそのうちの一つで、第10艦隊までなる圧倒的な戦力を各地に配置し、領土の全方位を視野に入れ防衛を行っている。
広大な領土を持つ分、国力に直結する軍事力も相応のものだ。
今、グランバート王国軍に接近しつつあるのは、連邦軍第三艦隊。
主にソウル大陸方面を監視、防衛する任務を持つ艦隊だ。



「動き止まりません。接近してきます!」
「チッ………このままでは包囲される。速度を保ちながら後退しろ」


上層部からの明確な命令が無く、ただ「待機」という指示だけが維持される。
しかし、現場の指揮官は、このまま連邦軍艦隊に接近されれば包囲されることを確信しているため、現場の判断を優先させることとした。
明確な指示を出すことの出来ない状況は理解できなくもないが、現場はそれ以上に現実を突き付けられている。
第七艦隊は後退しながら、とにかく敵と対峙しないように距離を取ろうとする。
アルテリウス王国海軍の動きは追随するものではなかったが、ソロモン連邦共和国軍の艦隊はひたすら接近し続ける。
既に連邦艦隊はグランバート王国の領海内に侵入しており、明確な領海侵犯であった。
海上は大雑把にトライアングルの形を作りつつあった。
真正面からグランバートとアルテリウスが対峙し、その右側方からソロモンが接近する。
艦船は、側面を敵に向けることで被弾面積が拡大する。即ちそれは弱点と言える。
この時点での布陣は、数のうえでも、また布陣のうえでも明らかにグランバートが危機的状況であった。



「敵は、どういう意図なのでしょうか………明らかに領海侵犯です!」
「“敵”というが、ただ領海を侵犯しただけではそうと決めつける訳にもいかない。相手はいまだ行動に出さない」
「しかし、それではこちらが一方的に追いやられる立場に………!!」


「……………」



その意図は、恐らくは相手からこちらに伝えてくるものだろう。
領海内を防衛する目的である以上、包囲されてしまっては逃げ出すことも出来なくなる。
本国の基地までは遠い。
今から全速力で撤退したところで、結局は射程距離に入られる。
しかし、撃たれるかどうかも分からないこの状況では、判断がしづらいところだ。
どのようにするか。
とにかくも距離を取ろうと後退を進めていた、その時。



『こちらソロモン連邦海軍所属旗艦アドミラル・ブレーブス。航行中のグランバート王国軍艦船に通告する。即刻動力を停止し、当艦の監視下に入られたし』



と、相手から通信を行ってきたのである。



「アドミラル・ブレーブス………」
「敵旗艦は第三艦隊所属、アドミラル級の旗艦ブレーブスのようです………!」



多くの国の海軍でほぼ共通して呼ばれている呼び方がある。
艦船の種類に駆逐艦や戦艦、巡洋艦などがあるが、その中でも艦船の規模や大きさを示すものがあり、それが所謂艦船のクラス分けというものである。
簡単に言えば大中小といった類なのだが、それぞれのクラスに利点欠点がある。
彼らがそのクラス名を聞いて驚くのは無理もないことだった。
『アドミラル級』というのは、簡単に言えば『大』に入るクラスであり、そのクラスに属する艦船の種類は基本的に戦艦クラスとなる。
アドミラル級は、大型戦艦クラスの中でもトップクラスの位置となり、これより上のクラスは一つしかない。
それだけに、重戦艦クラスの持つ火力は強大なもので、戦艦といえど中型艦の多い第七艦隊では不安要素しかない。
連邦艦隊は、開口一番「停船せよ」と通告してきた。
目的はハッキリとしているが、全く理由を発することのない一方的な要求である。
当然、そのような要求を呑む訳にもいかず。



「アドミラル・ブレーブスにつぐ。ここはグランバート王国の領海内である。それを承知の従軍か?」


『貴艦らは既に我ら両国軍の包囲網の中に在る。抵抗せず動力を停止せよ。』


「今日の状況を知ってなお、我が国固有の領海内においてそのような行動に出ることは、国際社会において著しく非難の対象となるであろう。」


『繰り返し通告する。動力を停止せよ。貴艦らは完全に包囲されている。」


と言ったはいいものの、全く会話にならない通信となってしまった。
敵の意図が何であるかは正確に把握できないが、予測は出来ている。
今日の情勢を以ってなお、脅威となる存在を拿捕させようとすることは、明らかな危険行為である。
そしてそれを承知で領海内まで侵入してきた両国の艦隊。
この時点で明確なる侵略行為として処理すべきところなのだが、今日の情勢が事を荒立たせまいと昏迷を生ませている。
しかしこのような状況でもお構いなしと言わんばかりの接近をしてくるソロモン連邦共和国。
相手の要求は「停船し降伏せよ」というもの。
言われる通り、既にグランバート王国軍艦隊は包囲されつつある。
この状態から逃げるのは至難の業だろう。
あとはこの両国が後退を続けるグランバートの艦隊に、いつ事を仕掛けるかというところだった。


第七艦隊に司令が伝えられる。
それはあまりにももどかしい思いをするようなものであった。
決め手に欠けるその手段。
それは、「相手がその気を見せたら然るべき行動を取れ」というものであった。
つまり先制することはなく、相手が行動に移した際には現場の判断により許可するものとする、ということだ。
艦隊司令官は、それが恐らく今の現状で上が出せる最大限の譲歩手段なのだろうと察した。
明確に領海に侵入されながら、攻撃を下すことが出来ない。
下せば最後。
再びかつての時代に、あるいはそれ以上に深刻な時代になりかねない。


だが、
既にこの時点で、もう後戻りは出来ないだろうと、
大勢の人間が思っていた。



「そちらの目的は何か」


『今日の情勢を受け、アルテリウス王国艦隊の防衛を行っている。対峙する貴艦らには即刻停船を要求する。要求に応じられない場合は攻撃も辞さない』


「当領海内において貴国の船舶は航行の自由を認められていない。明確な領海侵犯だ」


『当方は今日の情勢を受け最善の行動を取っている』


「その“今日の情勢”を取った行動が最悪の選択肢であることを、いまだ分からないのか!」


状勢がこうも転覆してしまった以上、もう行きつくところまでいくしかない。
ソロモン連邦の考えは、そうなった以上『事態の中心にいるグランバート』は明確な脅威でしかない、というものだった。
その最中、海上封鎖中の第七艦隊にアルテリウス王国艦隊が遭遇した。
これが危機的状況でないはずがない。
そのため、連邦艦隊は危険を冒してでも同盟国であるアルテリウス王国艦隊を防衛しようと、領海内に侵入をしたのだ。
そうせざるを得なかった。
どのみち、どちらの国も後に退くことは出来なかった。



そうなれば。



「なっ!?」
「敵艦発砲!敵艦発砲!!」



その明確な脅威を排除するのが、以て最大の防衛力の発揮というものだった。
既に両軍とも主砲の射程圏内であったが、先に攻撃を仕掛けたのは連邦艦隊であった。
明確な領海侵犯に自国の領土内で国軍を目がけて放たれた鋼鉄の砲弾。
それを明らかな侵略行為であるとみなさずに、何と見るべきか。
各艦から射出された砲弾は第七艦隊を容赦なく襲う。
命中弾に続いて外壁の損傷や火災の発生など、彼らは著しく混乱した。



「クソ!!一体上の奴らは何をしているんだ!?」
「このまま座して攻撃を受け続ける訳にもいかん。司令を通達、」



――――――――――――反撃せよ!!!



その判断自体は決して間違ったものではないが、火種になったことは明らかだ。
もっともその火種をちらつかせたのは彼らにとって「敵」であったことは間違いない。
もし排除行動を取られた場合で、艦隊に著しい損害や犠牲が見込まれるような危険に陥った時には、現場指揮官の命令が優先される。
第七艦隊はその司令を実行し、逆に敵を排除する行動に出た。
しかし、ソロモン連邦とアルテリウス王国の艦隊を相手に、明らかな数の劣勢で挑むグランバート艦隊。
はじめは連邦艦隊が一方的に撃ち続けていた構図だが、やがてアルテリウス王国も攻撃に加わり、二国艦隊の集中砲火を受ける。



「くっ………!!」
「駆逐艦ロイシュナ大破!!」
「動力を絶やすな、後退しつつ標的を一つずつ絞って攻撃しろ!」



第七艦隊は砲火をばら撒くのではなく、一艦に向け集中的に攻撃を加えた後、また次の艦へと標的を変えながら戦おうとした。
現実的にそのような器用な攻撃方法が迅速かつ丁寧に出来ていれば、状況はもう少しよくなったかもしれない。
だが、この時は相手の攻撃も相まって艦隊の連携が上手く取れず、半ば一方的に撃ち込まれるばかりだった。
後退しながら砲撃を命中させるというのも難しいもので、まして側面を取られている第七艦隊は弱点を敵に曝け出しているようなもの。
明らかな劣勢でその状況が覆ることはあり得ないとさえ考えられていた。
混戦になると、本土からの通信もまともに返せないような状況となり、完全に孤立した形だ。


そして。



「レーダーが新たな動体物をキャッチ………急速に近付いてきます!!」
「…………!!」



レーダーに移された影は、速度を一定に保ちながら、しかし高速で自分たちの船にむかってくる。
それは戦艦や小型艦などが移動する速度にしては、あり得ない速さで接近するものだった。
この時その報告を受けた艦橋の人間たちが、接近する物の方角を見て確認したが、視界からは何も目立ったものは映らない。
彼らに向かって接近してくる敵戦艦ばかりだった。
だがその直後。
突如艦内に激しい爆音と同時に強烈な揺れが襲い掛かる。
砲弾が命中した時よりも激しいそれは、椅子に座っていない人たちを丸ごと転倒させるに充分なほどの揺れだった。



「なんだ今のは!?」
「分かりません!!水中から直撃を受けた模様!!」
「水中から、だと………!?」
「レーダー探知!第二波きます!!」



それが、艦橋にいる者たちが聞いた最後の言葉であり、最後の瞬間だった。
レーダーで探知された、水中から接近する物体を6発受けた旗艦ベルモンテは、内外からの爆発に見舞われ機関部を大きく損傷。
ダメージコントロールの領域を遥かに超える被弾に耐え切れず、戦艦は中央から激しく大爆発を起こし、分裂しながら沈没した。



…………。


「………そうですか。分かりました。」


それ以上の状況は、言うまでもない。
二倍の数量で物量作戦に出られれば、策を打てない時点で数が優劣をつける。
その結果、第七艦隊は全滅。
二国艦隊にも多少なりとも損害は発生したが、健在。
ある程度の情報が軍務省に入って来て、それは同時に各省にも伝達され、さらに国民にも知れ渡る。
“行き付くところまでいくしかない。”という状態が、現実のものとなる時が来た。

予想を遥かに超える急展開を迎え、しかも第七艦隊が全滅するという前代未聞の出来事が起き、軍務省も外務省も、他の各省もただならぬ雰囲気の中、困難を収縮させようとしていた。
しかしそれ以上に、国民からの圧力も激しく、抗議活動まで行われる状況だ。
何に抗議するのかは置いておき、その熱意がどの方面へ向かっているのかは明白であった。
代理であっても、ウィーランドは国を引っ張ろうとした指導者だ。
それを失ったことの損失は、計り知れないものだろう。
それを糧に今立ち上がり、その敵を討ち果たすことが、強国への道なのだ、と彼らは主張する。
外務省はその国民の気持ちに乗りかかろうとしているが、軍務省はそれほど大真面目にその言葉を受け入れようとはしなかった。
だが、第七艦隊が消失したとあっては、穏健派の多い軍務省とはいえ黙ってはいない。
内からも“即刻報復すべし”という声が挙がる。



「外務省の血の気の多い連中は、この状況を喜ぶやもしれませんな」
「言葉を慎め」



円卓とは異なる別の領域。
大きな部屋の中に大量のモニターやパソコンデスクが置かれているその場所は、軍務省作戦司令室。
グランバート王国軍統合作戦本部の中の一室である。
この状況が報告され、ざわめきが起こる中での情報分析。
様々な陰口が陰湿に飛び交う空間になっていたが、その片隅で報告を受けたアイアスは、事態の深刻さに慎重になっていた。
そうならざるを得なかった。



グランバート王国軍参謀本部所属総参謀長アイアス少将。



それが彼の肩書だ。
軍務省の中でも片手に入る権力の所持者であり、数少ない“将官”の階級を持つ存在。
現場の指揮はとにかく、その指揮官を動かしたり、それに至る過程を作り出し、判断するのは彼の役割でもある。
今回の件は慎重に判断したために、現場の行動が鈍くなり結果的に最悪の状況を招いた、という外務省からの批判も聞こえ始めていた。
しかし、軍務省内部では彼に対するそういった不信感はほぼ無かった。
一番不憫なのは、この状況で死んだ現場の人間たちなのだから。


「この一件について、このあと“国務尚書”から声明を発表する、とのことです」
「そうでしょうね。前もって私たちにも内容が渡されると思いますので、それを待つことにしましょう」
「はい。ですがそれは、『大将閣下』が到着してから、とのことです」


「………そうですか。大将閣下もさぞ大変なことでしょうね」



国務尚書とは、簡単に言えば国政を担う身で最も地位の高い者のことを言う。
この国の国王は象徴的存在でどの省庁にも所属しない、単一で絶対の立場ではあるが、その国王に絶対権利がある訳ではなかった。
私見で権利を振りかざすようなことは出来ず、またそうさせないために各省庁が連携するという構図が成り立っている。
それでも国政を担うのは国務省が中心で、国務省と外務省がそれぞれ内外の政治的活動を担う。
国王は王国の最も頂点に立つもので、内政自治の長として君臨しているのだが、現実に国政のトップとして立場を確立させているのは、
『国務尚書』と呼ばれている存在だ。
第七艦隊が全滅したという報告がされてから、30分ほどが経過し、声明を発表するという行動が情報として伝わった。



「閣下はいつ到着ですか」
「もう間もなく戻って来るとのことです」
「沿岸警備部隊からの連絡は」
「海域レーダーに反応はありません。探知外にいるものと思われます」


その時。
作戦司令室の大きなドアが開き、華美な服装を身に纏った男とその従者のような男が後ろに三人、他にも数名が一気に室内に入り込んできた。
彼ら軍務に勤めるものでなくとも、この国の人間であればその多くが先頭の男の存在を知っていることだろう。
今入ってきた男こそが、


グランバート王国国務尚書レオポルド・アラルコン。
王国の象徴であった王家の人間を除けば、国内の最高位に属する人間だ。
司令室に居た各々はその姿を見てすぐさま敬礼をする。
目を細めながら来る人物に視線を向けるアイアス少将も例外ではない。
『軍務尚書』とはまた異なる立ち位置にいる人間だが、国政の最高位にいる人間に敬意を向けない訳にもいかない。


「どうぞ。奥の部屋へ。会議はそちらで行います」
「」


アイアスの案内に静かに頷くと、アラルコン国務尚書と国務省の人員はその中へ、国務尚書を警護するガードマンはその外で待機する。
今この司令室の権限を持つアイアスは、ほかの者たちに動きがあれば逐一報告するようにと伝え、彼もまた会議室へ入っていく。
そして奥の部屋にいるのは、軍務省の中でも比較的権限の多い、位の高い者たちと国務省の人員である。
アイアスは今のところこの場に居合わせた軍内部の人間の中では、最も高い階級の所属になる。
実戦部隊を統括する側にはもっと位の高い人間もいるが、参謀クラスでは彼が最も高い位置にいる。



「色々と協議せねばならない状況なのは各々承知だと思う。今の現状はどうなっておるのだ、アイアスくん」


「はい。第七艦隊とアルテリウス、ソロモン連邦の二国艦隊と接敵。敵駆逐艦二隻のうち一隻を大破、もう一隻を中破させましたが、両艦隊に包囲された第七艦隊はそのまま挟撃され、全滅と思われます。現在揚陸艦艇にて救助部隊を派遣しておりますが、当海域には依然として二個艦隊がいるものと思われますので、救助活動は難しいでしょう。」


「陛下を暗殺した首謀者は突き止めているのか」


「いいえ、それにはまだ。国家安全保障局が総力を挙げて取り組んでいることでしょう」



流石の軍務省でも、事件の首謀者を洗い出すほどの余裕はない。
そのためにこそ、国内の事件や政治犯などを処断するための組織、国家安全保障局がある。
遺留品の中にアルテリウス王国軍のものと思われるものが見つかったことが、大きな問題となっている。
そして今、両国が接敵するという事態が発生した。
もはや軍だけではその事態を収拾できないと、国を動かす時が来ているのだ。
血の気の多い連中がいる外務省などは、既に強硬姿勢を取るべきだと訴えている。
今このような混乱の状態となっては、外交もなにもない。



「しかし国務尚書。もうこの際首謀者が誰かというのは、問う必要もないでしょう。現に私たちは明確な侵犯と攻撃を受けたのです。それだけでも理由になります」

「それは分かっている。問題にすべきは今後だ。それによって世界が大きく変貌する」



そのために今日ここに集い協議をしなければならないのだ、と。
国民はこの事態を受け、政府がどのような見解を示すのかを今か今かと待っている。
王国内部の会議でのみ、政府の方針が固められるのだ。これほど閉鎖的な国も珍しいだろう。
もっとも、世論は即時反撃に傾いているようだったが。
それから5分ほど経過したところで、この場に揃わず、この場にいる者たちが最も求めていた存在がやってくる。


「軍司令長官カリウス大将閣下です!!」


黒く丈の長い外套を身に纏い、全身を黒を基調とした服装で整えたその姿。
一人の男が室内へ入るだけで、空気がまるで一変するように張り詰めた。
男の持つ雰囲気、風格、そのすべてがこの空間に緊張を与えるようだった。
ある意味で国務尚書のアラルコンをも凌ぐほどの空気感を持ち合わせた男とも言えるだろう。
しかし、その男がこれまでに歩んできた過程を知るものであれば、それも分かる話なのかもしれない。
グランバート王国軍司令長官カリウス大将。
軍務省および実働部隊の最高位に所属するカリウスは、軍事行動に関する多くの決定権を有している。
権力の分立が行われている王国内部においても、彼の持つ権限は多岐にわたり、ことに軍事面に関わることはその殆どを手中に収めている。
政府からの要請に従うだけの存在ではなく、政府に対し働きかける力のある人間だ。



「随分と視察が長かったようですな。カリウス大将」
「ええ。まだ道半ばですので、先行きは気になるものです」


薄暗い会議室の席にカリウス大将が座ると、すべての人員が揃い会議が始められる。
液晶スクリーンには、先程まで戦闘が発生していたであろう海域の地図が映し出されており、
おおよその二国艦隊の配置図も記されていた。
そこには二国艦隊を括る総称として「敵」の文字が使われていた。
そもそもこのような図は、有事の際にしか使われることがないものだ。
相手を総称するその言葉さえも。
カリウスと呼ばれる男は、黙って周りの話を聞き続けていた。
ウィーランド国王代理の暗殺事件から数時間ほど経過している。
各地でこれを機とした暴動が発生したが、その悉くは鎮圧されつつある。
しかし、現状民衆を統制出来るような状況は整っていない。
国務尚書が声明を発表するまで、この混乱は続くことだろう。


「第七艦隊を破った二国艦隊は、未だにこの海域を航行中とのことです。その目的は不明。」
「目的?我々を攻める目的以外に何かあるというのか」
「そうではない。寧ろ私たち王国の不安定な情勢に呼応するように、防御線を敷いているのだ。いざとなれば、それが攻撃線にも変わる」



アルテリウス王国とグランバート王国との間柄は、継続的に険悪なものであった。
毎日のようにグランバートがアスカンタ大陸方面へ海上封鎖行動を行っていて、それに対応するようにアルテリウス王国海軍も警戒の目を張り続けていた。
先のギガント公国領にあるギルディア基地爆破事件の件もあり、グランバート王国は南に陸戦部隊の防衛線を、各海域に艦隊防衛線を張るという、広範囲での軍事行動を余儀なくされていた。
その最中、このような事件と接触が起きてしまったのである。
自国の人間たちが思うのだから、各国の首脳部もそう判断するであろう。
もはや、グランバート王国にまともに外交を行える能力は無いだろう、と。
第七艦隊の交信記録の一部が残されている。
二国艦隊の海上封鎖の目的は、グランバートの今の情勢を踏まえてのことだという。
だが情勢を考慮してのこととは理解できても、であればお互いに睨み合いをするだけでも牽制になるはず。
それを、ソロモン連邦共和国海軍は第七艦隊に停船の警告を促し、従わなければ攻撃するとまで言ってきている。
それ自体が妙だった。
王国軍がアスカンタ大陸への侵攻をすると判断して、先に止めたのだろうか。
だとしても、王国からすればそのどちらも侵略行為に等しいものと判断せざるを得なかったのだが。



「開戦あるのみだ!こうも一方的に嫌疑をなすりつけられ、しかも陛下を暗殺されたのだぞ!?」
「そう急くことでもあるまいて。外交無くして平穏な解決はあり得ん」
「もはやその解決を取るのが難しいと言っているのだ。」
「外務省の血の気の多い連中に同調する訳では無いが、国務省としても弱腰の姿勢を取って、民衆の反感を受けるのは面白くない」
「国民感情も確かに考えるべきだが、この選択次第では明日から地獄だぞ」



「カリウス大将閣下は、どうお考えで?」
今まで黙り続けていた男の姿を見て、国務尚書のアラルコンが意見を求めた。
アラルコンもまた、各々の論戦をじっと聞いているばかりだったが、ここであらゆる意見が飛び交ったところで、皆が最も話を聞きたいと思っているであろう人間に順番を回したのだ。
それには理由がもちろん付き物だ。
誰も彼も、この男のこれまでの過程を思えば、最善の道を提案してくるのではないか、と思ってしまう。
各々の会話が止まり、男の口が開くのを待った。
少しの沈黙のあと。


「…………報復攻撃の用意がある。座して待つ必要もないが、必要以上に手を掛けることもない。国務省の面々に許可が頂けるのなら、直ちに行動に移そうと思う」


「この一件に関する報復に留め、その後の出方を見る、ということですか…………」


「そうだ。一方的に受けたものに対し弱腰になることはない。いかがかな、アラルコン国務尚書」


「……………。」


もし、ウィーランド国王代理が暗殺されただけであれば、ここまでの対外行動は考えなかったかもしれない。
歴史の中には、国の代表する者が暗殺され、暗殺者の所属していた国に対し報復攻撃を仕掛けたこともある。
ある国務省の人間が言ったように、一方的に受けた殺戮に対し黙っている必要はない。
必要だと思われる対処法を講じるべきだろう。
二国艦隊は敵対行動を働いた。
それが今度は本土の、国民に向けられる可能性とてある。
王国軍が他国を攻撃するのを事前に阻止しようとした、その例に倣う。
皮肉なものだが、事前の阻止行動が次の交戦を生むことになるのだ。



「この選択次第では、国は戦争状態に入りますぞ。それをご承知でのことか、カリウス大将」


「既に我々は敵対行動を取られ、第七艦隊を失った。失った艦艇を補充するのは容易ではない。それに、放置しておけば海域に停滞中の敵艦隊が何をしでかすかも分からない状態だ。だが、そもそも我々がそうせずとも敵が黙ってはいないだろう。」


「…………それは、敵が攻勢に出る機会がまだある、ということですか…………」


極めて不安定な情勢にあるグランバート王国を、アルテリウスとソロモンが黙って見ているとも思えない。
カリウスはそのように述べた。
海上封鎖と制圧もそのうちの一つだろう。
統制のとれた状態であれば、暴発することもない。
しかし、それが出来ない状態で、かつ複数の思惑が重なったからこそ、二国艦隊は第七艦隊を包囲、停船勧告を出し、それに従わなかったことによる敵対行動として艦隊を撃滅させた。
カリウスに言わせれば、“敵”は取ってはならない行動をしてしまった。
その選択を下した時点で、既に和平は破られたのだ、と。



「…………分かりました。報復措置の指揮は貴官に任せます。ただし、攻撃するのはあくまで第七艦隊を討ち破った二国艦隊のみとする。それは絶対です、大将」


「了解した。アイアス、空母ヒューベリックに連絡。艦載機に出撃を命じろ」
「かしこまりました」



話し合いは済んだと判断したアイアスとカリウスが一斉に立ち上がり、
それに続いて軍務省関係者の者たちも立ち上がり退出しようとする。
選択が下されたのであれば、それを実行するのが軍人としての務めである。
身分と立場に漏れない対応を指示したカリウスは、退出前に国務尚書に向けて。



「以後、我々は戦争状態となるだろう。どちらが先に手を出したかなど、火の手が上がったところで関係のないことだ」



そう。
これまで人類は50年あまり戦争を続けてきた。
一時的に小康状態になったとはいえ、恒久的な平和が訪れることはない。
何しろそれは歴史が証明している。
人類の歴史とは、戦いの歴史に他ならない。
自分たちの縄張りを広げるためならば、命を幾ら犠牲にしてもいい。
そうするほどまでに、成すべきことがある。
あまりにも偏った思考の連続が、身勝手な思いが、多くの人間を犠牲にする。
しかし、それが国であり戦争なのだ。
自分勝手な理想論を振りかざして戦火を広げ、取り返しのつかないことになる。
それが泥沼化したこの50年。
一時は平穏の兆しも広がっていたのだが、こうして再び破る輩がいる。
―――――――――――――――1人の例外もなく、彼自身も。



グランバート王国海軍第三艦隊所属空母「ヒューベリック」
彼らの航行海域は、ソウル大陸の北西側にあり、今回の第七艦隊の撃滅海域からはやや遠く離れている。
しかし、ほかの艦隊は艦艇を出航させていないので、洋上で行動を取っていた空母ヒューベリックに声が掛かった。
ヒューベリックは、王国海軍が持つ空母の三番艦であり、三つ保有する空母の一つとなる。
艦載機を20機、輸送用ヘリポートを二つ併せ持つ空母で、それに加え単艦での戦闘能力も有している。
ここに配備されているのは海軍所属の艦載機部隊。
空母を三隻保有する王国海軍の主力部隊の一つだ。
その空母と部隊の動きが慌ただしい。
甲板で右往左往と出撃の準備を整える兵士たち。
無論、それは『政府と軍務省の決定』による行動を命令されたからに他ならない。



「第三艦載機部隊は、準備が整い次第順次発艦せよ」



近年、急速に発達する産業技術の中で開発がすすめられたのが、軍事行動において要所を支配できる攻撃手段だった。
一昔前。
それこそ60年も前から始まり、10年前に一度終息したかに思われたこの戦争。
槍や弓、剣といった近接戦闘手段は遠い昔から今もなお存在する、陸戦の在り方だ。
しかし、これに加え空や海での戦闘が激化されると、各国はそれぞれの分野において他者を圧倒する手段を手に入れようとする。
海であれば、はじめは大砲を数門程度持つ小さな艦船が増産されたが、やがて分野ごとに戦艦、駆逐艦、巡洋艦といったものが造られるようになる。
空であれば、大体は陸戦部隊の掩護という意味で、飛行機に一個の爆弾を載せて敵陣に落とすやり方で増産された。
ところが、戦争が進みにつれ、各々の分野ごとに戦闘が繰り広げられるようになる。
陸なら陸を、海なら海を、空であれば空の手段同士がぶつかり合う。
三つの分野で制圧を行い、優位に立ててこそ別の分野に対し支援行動を取ることが出来るようになる。
戦争の常識がこの50年あまりで大きく変化を遂げてきた。
最も技術開発が注がれたのは海と空であり、陸戦はいまだに旧来の戦闘様式を保ったままである。


そして、各国でこの技術開発の技術力は大きく異なる。
陸戦に使用される砲台などは万国共通の攻撃手段ではあるが、海と空はそれぞれ技術力の進歩が異なる。
グランバート王国は、主に航空戦力に長けた技術力を有し、その軍事力は各国も警戒するところであった。



艦載機から発艦するのは、プロペラを一つ持つ小型単座戦闘機と、二つのエンジンを駆動させる大型複座式航空爆撃機。
20機配備されているうち、戦闘機が15機、爆撃機が5機駐機している。
そして今回出撃したのは、そのすべての戦闘機、爆撃機だった。
単座戦闘機は対航空戦力を主力とした航空戦力で、主に二つの投下爆弾と対空機銃を一つないし二つ装備する。
航空戦力を相手とするので、爆弾の搭載は荷重をかけることになり、対航空戦力を相手とする場合には負荷がかかる。
そのため、地上もしくは艦船に目標がある場合にのみ搭載されることが殆どだ。
一方、爆撃機は対地対艦攻撃が主軸となり、超小型の投下爆弾、中型規模の投下爆弾、大型の範囲攻撃が可能な爆弾を選んで搭載が可能だ。
それぞれの爆弾の種類によって搭載量が異なるので、戦術目標に対し使い分ける必要がある。
今回は中型でバランスの取れた爆弾が一機あたり20個搭載されている。
対空戦闘能力は皆無といっても良く、後方に固定された銃座により上下方向に射撃は可能ではあるが、基本的に爆撃機の行動には戦闘機の援護が必要となる。
この編成により、第三艦隊の艦載機群は二国艦隊の停滞する海域へ飛行した。


「レーダーに感あり。高速で接近する二種類の影在り。総数20、航空機と思われます」
「敵か?」
「飛来方向はソウル大陸北部からです。王国軍の航空戦力と思われます。接敵予想時間あと10分」
「全艦ただちに後退。対空迎撃を行いながら、敵航空戦力の攻撃を受け流す」



レーダー網の技術がまだ半端な、というよりは希望するものではないため、探知範囲が狭いことが欠点にある。
そのため、航空戦力が10分程度で到着することが分かった時点で、もはや手遅れなのだ。
王国軍の接近が、こちらを攻撃する意図を持っていることなど百も承知。
それを理解していながら、事前に防ぐことなど到底出来もしないのだ。
艦載機群はたちまち二国艦隊の上空に飛来しては、爆弾を投下して各艦に命中させた。
艦砲射撃で応戦する二国艦隊ではあるが、飛行機に対しては的が小さい為に極端に命中率が悪くなる。
一方で、艦載機は一応は狙って撃ってくる弾幕射撃が脅威に感じ、しかも無誘導の爆弾を相手の艦船に直撃させる必要があり接近を余儀なくされるため、思うように行動が出来ないという欠点もある。
お互いに精彩を欠く攻撃防御であったが、それでも航空戦力によって、二国艦隊の計7隻が中破、2隻が撃沈という戦果を挙げ撤退した。
戦闘時間、僅かに10分ほどであった。
爆弾と弾薬を使い果たした艦載機は、今度こそ的でしかない。
事が終われば迅速に撤退し被害を最小限にとどめるのも、任務の一つだ。
一機の犠牲も出さずに二国艦隊に報復措置をし、撤退をした。
一方の二国艦隊も損傷激しく、補給と修理を受ける為に、全艦が海域の奥まで後退をした。
そのことが、王国の首脳部にも伝えられた。



「…………こんなものだな。各方面部隊に第一級臨戦態勢を発令。東側の部隊は“迎撃”の用意を。西側の航空戦力に、東側への補給物資の移送を指示する」


初戦はこんなものか、とカリウスは言った。
どのような形であれ、起きてしまったものを覆すことは出来ない。
もうそれは、時間の中に記録された事実として、現在にも、そして未来に生まれる歴史の過程にも、永遠に語り継がれる事象となるのだから。


………………。

interlude 3 新たなる戦いの序曲



――――――――――――平和は、音を立てて崩れ落ちた。



いや、そもそもこの10年という時間が本当に平和であったのかさえ、人々にとっては疑問なものだった。
10年前まで続いていたものを、今では『50年戦争』と言うようになっているが、戦争は新たな英雄たちの誕生と情勢の変化によって、確かに一度終わりを迎えた。
戦争の終わりだと感じた人々は、しかしそれを両手を広げて喜びはしなかった。
安息の訪れを歓迎はしつつも、またいつか同じようなことが起こるのではないだろうか、と。
先の戦争で、各国とも国土は荒廃し自然は荒らされた。
50年間毎日戦争を繰り返していた訳では無いが、当然国の財政基盤は揺らぎ、資源不足に陥るような国も多々現れた。
戦争の中で肥大化した国と消えていった国があり、吸収併合を繰り返しながら、世界地図は徐々に書き換えられていった。


そして今。
再び強国同士がぶつかり合う構図が生まれてしまった。
起きてしまったものを覆すことは出来ない。
一度そう始まってしまったことは、最後の最後にケリがつくまで終わることはないのだ。



グランバート王国国王代理ウィーランド暗殺事件は、はじめは情報統制によって外部にそれが漏れ出すのを防ごうとしたのだが、民衆の間に広まったものを統制するのは不可能であった。
瞬く間に情報は拡散され、同じ大陸で南部に位置するギガント公国、また隣の大陸やそのまた奥の遠い遥かにある国にまで、衝撃的なニュースとして知れ渡った。それ自体は何の問題もない。“他国で国王暗殺というショッキングな出来事があった”、という程度にしか受け取られない。
民衆は遠いテレビの中の出来事を見て何かをしようとは思わない。
しかし、えてして自分たちの生活に直結する出来事が身近で起こると、血の気を引かせながら立ち上がるものだ。
だが、今回はそれに留まらなかった。
加えてもたらされた情報が、王国軍とアルテリウス海軍、ソロモン連邦海軍が洋上にて接敵し、交戦したというもの。
これが瞬く間に世界中に広まると、各国の中枢は慌ただしく動き始めた。
何故そうするのか。
過去の戦争で同じような経験をしている彼らからすれば、明日は我が身のことかもしれない、と警戒をするからだ。
たとえそれが地球の裏側にある国であったとしても。



大小それぞれ異なるが、現在存在する三つの大陸の中で、大陸の中心国と呼ばれる国家が、
グランバート王国、ギガント公国、ソロモン連邦共和国、コルサント帝国、アストラス共和国、アルテリウス王国の六つである。
ほかにも国々は存在するが、これらの強国の陰に隠れ事態を見守ろうとする動きが強い。
三つの国による洋上交戦がキッカケで、残る三つの国々がどのように動くかによって、次に起こるであろう新たな戦争の形態も大きく変化する可能性がある。
ソロモン連邦共和国は、先の戦争においてオーク大陸内部にあったエイジア王国との戦闘に勝利し、その領地を併呑することに成功している。
戦争そのもので国は大きく疲弊してしまったのだが、それ以上の発展を遂げて基盤は安泰だ。
アルテリウス王国は対外政策を積極的に取るような国ではないが、必要な武力は揃え続けてきた。
グランバート王国は先の戦いにおいて激しい内戦があり、王都を大きく損傷するなど国力を失い続けてきた。
が、それも現在の軍司令長官たる地位にあるカリウス大将により、王国の復興を果たした。
この三国による交戦は、他所の国から見れば次なる行動が起こらないはずがない、と断言できた。
時代は変わる。
次なる行動が、新たなる戦いを生むことになるだろう、と。



ソロモン連邦共和国首都オークランド 連邦軍統合作戦本部


「なぜ攻撃したのです!?取り返しのつかないことになるという予測はあって当然でしょう!!」


連邦軍統合作戦本部は、首都オークランドの中にある軍事区画の最も高いビルである。
オークランドは首都の大きさが約90キロ程度と非常に大きな都市であり、人口分布もこの街に集中していて偏りが著しい。
都市の方角に合わせて四つの国際空港が創られているなど、異質な都市空間とも言える。
連邦軍はこの四つの空港のうち二つを直接管制下に置き、そのうち一つを軍事利用のメイン拠点として利用をしている。
この基地に隣接されているのが統合作戦本部だ。
都市区画内部に軍の関係する施設は十を超える。
そのうち最も重要かつ大きなものは、この空港に隣接する本部の建物になる。
彼らはそれぞれ陸海空軍を所有しているが、すべての軍務の中枢はここに集まっている。
連邦共和国の軍務は政府の直属の扱いを受けており、政府の決定がすぐに反映されるような仕組みが施されている。
一人の青年佐官と話をしている将官。
将官の執務室にて、その青年は此度の件について直接話をしに来たのだ。



「あのまま放置していても、どのみち戦闘は発生していただろう。遅かれ早かれ事態はこう展開した」
「王国軍は海上封鎖を目的として艦隊を展開していた。しかし我々はその懐深く入り込んだのです。世間は我々の行動を非難するでしょう」


「しかしこの行動には理由もある。向こうの国王暗殺にアルテリウス王国が絡んでいる。とすれば、報復措置として海上封鎖中だったアルテリウス艦隊を撃滅したことだろう。これには防衛という意味合いもあるのだよ、大佐」



“大佐”と呼ばれる青年の言葉にきちんと向き合って事情を説明する上官であったが、
その青年もそのような状況を全く理解していない訳では無い。
ウィーランド国王が暗殺された現場にあった遺留品に、アルテリウス王国軍のものが含まれていた。
国王という立場を暗殺されたグランバートからすれば、それだけでアルテリウスを敵国として認定し攻撃する理由となる。
当時、アルテリウス艦隊はグランバートとの領海戦上に艦隊を配置して防衛体制を整えていた。
昨今の緊迫した事情を考慮してのことである。
しかし今回はそれがお互いにとって最悪の結果を生み出すこととなってしまった。
連邦としては同盟国であるアルテリウスを見殺しにも出来ないので、近くで作戦行動を取っていた第三艦隊を救援に差し向け、そして脅威を排除した。



「真実アルテリウスが絡んでいると決まった訳ではありません!彼らも否定はしていますし、軽挙妄動は慎むべきでしょう………!!」


「大佐。このようなことを、貴方ほどの人が分からないはずがない。互いの王国は不穏な間柄にあった。このような事態が発生すれば、一線を越える可能性は充分にあった。であれば、味方を守る為に取るべき行動を取る。これは政府の見解であり指示でもあるのだ。」


「っ…………!!」



彼らが黙っていれば、グランバートが攻撃をしたかもしれない。
だがそれも憶測に基づくもので、真実そうであったかなど、もう確かめようもない。
起きてしまったこと、起こしてしまったことを消し去ることは出来ない。
しかしこれで、10年近く続いた一時の平穏が崩れ去ることに間違いはない。
今軍の上層と中流部にいる軍人の多くは、10年前まで続いていた戦争に生き残って国を支え続けている者たちだ。
“彼”もそのうちの一人である。
軍人は常に政府の下で働き、政府の決定に従属するものである。
それが命令とあらば実行する。
上官はその本分に従って行動をしている。
異を唱えたい青年の気持ちが分からない訳では無いが、受け入れることもなかった。
“政府の見解”というのが公的な立場としての回答ではあるが、同時に思考を停止させる逃げの言葉とも受け取れた。



「明日中には第一戦備体制が発令されるだろう。そうなれば、貴官の持つ部隊にも出番が回って来る。その時は頼まれて欲しい、レイ大佐」
「…………分かりました。しかしもっとも、私たちの出番などそうすぐに来るはずもないでしょう…………」



やり切れぬ思いを棄てられないまま、“レイ”と呼ばれる大佐はその場を後にした。
彼一人が直訴したところで、政府の決定を覆すことなど出来るはずもない。
彼自身がいかに強い影響力を持つ存在であったとしても、軍属である以上その枠を超えた行動を取ることは出来ない。
結局は上の命令に従わなければならないのが軍属というものなのだから。
レイは一人長く単純な壁に覆われた廊下の道をいく。



“レイ”と呼ばれるこの青年は、
これまで続いてきた50年戦争において、その終戦に大きな功績があった人物として記録され、
また民衆にも広く知れ渡っている事実である。
かつてソウル大陸で発生した大規模な戦争、『エイジア王国』との戦争において、レイは当時友好国関係にあったギガント公国と共同したソロモン連邦共和国の連合軍兵士の一人として戦った。
もっとも彼自身は、ソロモンにもギガントにも属さない、ソウル大陸出身の人間であり、どちらかといえば巻き込まれた側の人間でもある。
ソウル大陸のグランバート王国領側に近いところに『ラズール聖堂教会』と呼ばれる教会があり、彼はその施設に配置されている聖堂騎士団の一員だった。
彼は戦争に加担するつもりなど全く無かったのだが、当時のエイジア王国のソウル大陸侵攻にあたり、彼は聖堂騎士団との親交が深いギガント公国軍の強力のもと、その戦争に深く入り込んでいったのだ。
後にオーク大陸でエイジア王国との戦闘を繰り返し、幾多の困難を乗り越えながら、終戦まで戦い続けた身分だ。
その功績を高く評価され、彼は現在ソロモン連邦共和国軍の中枢の一人として、軍人の仕事をしている。


「よう、レイ大佐。政府を相手に直談判か?」
「クロス少将………いえ、直談判などと言っても、その政府の見解は曲げられませんから」


レイ大佐は陸戦部隊の統率をする立場にある身で、第一陸戦師団所属第四陸戦部隊の連隊長を務めている。
連邦軍における連隊の規模は一千人であり、歩兵戦闘員千人を指揮する立場にある。
しかしながら、一人が千人を指揮するなど絶対に不可能なので、彼の立場で行われる軍務は、その千人という規模の部隊をどのように運用し、配置し、実行させるかを定めるものとなっている。
所謂戦術面での指揮者ということになるのだ。
今彼と廊下で遭遇したクロス少将は、現在36歳。レイが28歳であり、8歳の差がある。
クロスは20年近く連邦軍に所属し続けており、人生の半分以上を軍人という立場で過ごしてきた経歴を持つ男だ。
これほど長い軍歴を持つ者もそう多くいる訳ではなく、男は陸軍の中心人物の一人である。
10年前にクロスが連隊長だった時に、成り行きもありつつも戦争に加担したレイを直接指揮下に置いて共に戦った間柄で、二人は歳の差は離れているが親交も深くお互いを信頼している。



「ま、それもそうだな。表向きは洋上展開中だった同盟国艦隊を守る為にやったことだが、誰がどう見ても戦端を開いたとしか思えないだろうよ。少なくとも攻撃を受けた側としてはな。それで、ヒューズ大将閣下はなんと?」



先程までレイが話をしていた相手が、陸軍の統括本部に所属するヒューズ司令官である。
『統括本部』というのは、陸海空軍それぞれの司令官職にある人物と本部付きの人間とで構成される、軍の中枢である。
彼らが持つ部隊が実戦部隊であるのなら、ヒューズなどが所属する統括本部はその実戦部隊を指揮し命令するのが本部の仕事である。
統括本部はすべて政府と密接なつながりがあり、政府の見解が統括本部に送られ、そこで発生した指示系統、命令等が実戦部隊に送られ、その通りに彼らは行動をすることになる。
そのため、実戦部隊を預かる彼らも確かに司令官のような存在なのだが、一連隊長如き身分の人間が、普通は軍の統率、運営に口を出せるものではないしそれで政府の見解が変わることもない。
それどころか、大佐という階級では上層部に口出すような権限を持つことも普通はない。
しかし、そこがレイという青年の経歴があっての立場である。
彼は階級こそ佐官止まりだが、連邦軍でも重鎮と称されるほどの立場を有している。
それでも権力者の言いなりという点を逃れることは出来ないのだが。



「なるほどな。明日には布告が出されるということか」
「もうこの流れを止めることは出来ないでしょう」
「仕方がない。お互いに積もり積もった恨みもある。奴らとて二つの国を相手にするのはそう容易では無いはずだがなぁ」


もっともそれは「仕方のない」という話で済まされていいものではない。
ヒューズが話したように、彼らが手を出さなくともグランバートが強硬策に転じる危険性は十分に考えられていた。
だからこそ彼らは先攻し、防衛したのだから。
積年の恨みというものもある。
長期にわたる戦争が始まるキッカケとして、多くの歴史家が話すのが、アスカンタ大陸の発見と膨大な資源の採掘である。
人類が海を渡る船という文明の利器を手にしてから、初めて発見された大陸。
オーク大陸とソウル大陸は、一部お互いの距離が極端に近いところもあるため、遠くを見渡せば隣の大陸が見えてしまうようなところもあった。
しかしアスカンタ大陸はそうもいかない。
何百キロという遠い海域を越え、内海に入って大陸が存在するのだから、無論目に映る訳でもなし、簡単に往来できるものでもない。
それを最初に見つけたのが、当時のグランバート王国の調査隊だった。
以後世界中に新大陸の報は発せられたが、その利権を巡って各国は激しく対立し、独占を良しとしない国家と対立を深めることになった。
結果的にグランバートは強行してアスカンタ大陸への進出を果たしたのだが、そこには既にアルテリウス王国という国が存在し、彼らを撃滅するべく迎撃をした。
その大陸では他所とは異なる部分があっても、文明が発達しているという点では共通していた。
グランバートはその利権を強力な武器を手に占領しにかかったが、そこでアルテリウスとの間に戦争が勃発してしまった。
やがてその戦火は大陸を巻き込み、他の国をも巻き込んでいくことになる。
幾つもの国が歴史上の塵となり消えていったが、今残っている国の多くは、強国と位置付けられる存在にある。
グランバートなどは、一度は滅んだようなものだが、10年前の戦争終結以後に復興を果たし再建に成功している。
だがこのような過程の中で、グランバートとアルテリウスは、お互いに相容れない存在として認めてしまっている。
戦うのならこの二つの国で、他の者たちは知らんぷりを決め込めばいいだけのことなのだが、ソロモン連邦共和国にしてみれば、同盟を結んでいるアルテリウス王国が戦っているのに、高みの見物を決め込む訳にもいかなかった。
それに、連邦共和国としても、グランバートの国力増加は憂慮すべき状況である。
数々の歴史の中で、同じような状況が幾度かあり、その度に世界情勢が不安定な状態に陥っていた。
今のように、一線を画すことは無かったにせよ、すべての国々はグランバートという国家の経緯を注視していたのだ。


たとえアルテリウス王国と同盟関係にあったとしても、
現在のグランバート王国の国力は相当なものであると推測されている。
相手にすれば、当然自分たちも犠牲を増やすことだろう。
そして、訪れた平穏を一瞬にして壊してしまうことが出来るのだ。
人類の醜き手によって。


「………結局は、行き着くところまで行くしかない、ということなのか」
そのために、多くの人を犠牲にしなければならなくなる。
それを主導する立場となるであろうレイは、複雑な思いを抱いていた。
国の為に軍人は戦いを強要される。
それが軍人としての使命であるから、それに従うのは当たり前なことではある。
だが。


恒久的な平和など存在しない。
だからといって、こんなにも早く昏迷の時代が舞い戻って来てしまったのか―――――――――――――。



「そういえば………あまり言いたくはないが、かつての盟友を討つことになるのだな、レイ」
「………………。」


今でいう『50年戦争』を終結させるに多大な功績を挙げたレイだが、それは無論彼一人の力によるものではない。
全くの対極に位置する一人の青年もまた、その戦争の終結に貢献した。
レイは、寧ろ自分よりも「彼」の方があの戦争では讃えられるべき存在だ、と認識している。
そんな彼は、戦争後に国へ戻り、国を再興し、今となっては軍務の最高責任者の地位にあるという。
かつて共に戦い、共通の目的の為に戦った盟友を討たなければならない。
たとえそれが友という間柄であったとしても。
苦悩を覚える。
それでも一度向けた矛先を中途半端に仕舞うことなど赦されるはずもないし、認められる訳もない。
レイが否定的な心情を持ち合わせていたとしても、それが事の成り行きで進むのならば、戦う以外に道はないのだ。


その日の夜のこと。
両国政府間で大きな進展があった。
進展というよりは、情勢的には後退、世界の出来事からすると退化と連鎖とも言うべきものだっただろう。
連邦政府およびアルテリウス王国は、ほぼ同時刻に自国内に対し声明を発表した。
全国一斉通信で、ラジオもしくはテレビ放送で、その事実を伝えたのだ。
そのうちのソロモン連邦共和国政府側から公表された映像と音声が、以下の通りである。



『首都オークランドの大統領府よりお伝えしております。本日21時50分、先の戦闘行為を受けて、グランバート王国駐在大使から最後通牒を渡され、これを受領しました。皆様にお伝えします。我が国は、グランバート王国と戦争状態に入りました。』





いつの時代、どこの世界でも、数限りなく繰り返されてきたことである。
決して終わりを迎えることはない。
安息の日々が続いていたとしても、恒久的な平穏を手にすることは絶対に無い。
国家や人民が存在し得る限り、争いは耐えない。
争いの無い世界はない。
争いの起こらない時代もない。
いつの時代、どこの世界でも、人々は争い、戦い、そして朽ち滅んでいくものである。
10年間、たった10年間の平穏が、こうして音を立てて崩れ落ちた。
たった一つの事件が、すべての平穏を失わせたのだ。
どの国の人間も共通して話す、“行き着くところまで行くしかない”という諦めにも似た覚悟。
それは、これから訪れる時代が昏迷の渦に包まれていることを表現するものであった。
そして、人々はまだ知らない。
これより始まる戦いの日々が、地獄の連鎖となることを。



軍人も、公的な人間も、一般市民をも巻き込んだ、壮絶な戦争。
人々の悪しき文化の具現化がそこにあり、引き起こされるのは悲劇の連鎖である。
ツバサという少年も、またその時代の渦に自ら飛び込んでいくことになる。
何人も、この時代の運命から逃れることは、出来ないのだった。



……………。

■ Episode:Ⅱ 始動 ■


『皆様にお伝えします。我が国は、グランバート王国と戦争状態に入りました。』



鞘から抜かれた剣は血塗られずして収められるものではない。
人類の歴史は戦いの歴史といっても過言では無い。
いついかなる時代でも、それは数限りなく繰り返されてきた行為である。
元々生き物とは争いを生むものであり、それが生物としての本質の一部分でもある。
人間だけが例外などということはない。
数限りなく縄張り争いを続けて、肥大化と縮小を繰り返し続けてきた。
そして今回も、一つの事件をキッカケに、平穏はこじれ狂い、昏迷の時代を呼ぶこととなったのだ。
ウィーランド国王暗殺事件と王国軍艦隊の全滅をキッカケに、グランバート王国はソロモン連邦共和国、アルテリウス王国を相手に宣戦を布告した。
国王の暗殺現場にあった遺留品と、アルテリウス艦隊を防衛するという名目でグランバート王国領海域を侵略したという理由から発生した戦いとなる。
それ以外の国々にとって、この戦争は今のところ間接的な部分でしか関係がない。
しかし、誰の目にもグランバート王国が不利であると思えてしまう実態がそこにはあった。
そもそもこの三国では国力に差があれど、数の上でグランバートが圧倒的に不利な状況下にあるのだ。
アルテリウス王国とグランバート王国の二国を比較すると、軍事力はそれぞれの分野においてグランバートが勝る。
しかし、そこへ同盟国であるソロモン連邦共和国の戦力を加えると、その軍事力はグランバートの二倍を超える。
敵に倍する兵力を以て不利な状況に陥るなど、普通では考えにくいことであった。


そのため、
この戦争は当初、早期終結するだろうことが予測されていた。
同盟国の中には、出番すら訪れないような部隊が数多く出るだろうと楽観視する者も多くいた。
そのためだろう。
実際に蓋を開けてみると、ここまで災厄が広まるとは誰も思わなかったのだ。
各国に住む大人たちは、今日の状況を大体は「またか」という呆れた思いで見ていた。
願わくば、かつての戦争のように世界中が戦火に包まれないことを祈るばかりであった。
しかし、この国々と関わりの無い他の国や、当事国であっても遠い位置に存在する国の人々からすると、
今の時点では戦争など遠いところの、テレビの中の出来事でしかない。
暫くはそのように思う人間も多かったのだが。
やがてその考えは覆さなくてはならなくなる状況が訪れる。


時代は再び新たなる戦いを呼ぶ。
これまで停滞と平穏を保ち続けていた情勢が音を立てて崩れ落ち、
新たなる戦火と憎悪が蔓延る世の中の、再開となるのだ。




■ Episode:Ⅱ 始動 ■



彼の父親は、元々連邦軍の兵士であった。
元々彼らのいる地域では戦争の最前線からは遠く離れていて、お飾りの役割をただ背負っていただけの存在だった。
そのはずだったのだが、50年戦争の終盤、この大陸での戦闘が激化して。ソロモン連邦軍も本格的に陸戦部隊を投入して前線を強化する必要が生じたとき、彼の父親はその招集を受け、前線へ赴いた。
彼の母親だった人もその父親を支えるといって、彼を知人に預けて戦地へ行った。
そしてそれきり、両親があの村へ帰って来ることは一度として無かった。
戦地では行方不明者は全員戦死扱いとなる。
そのため、彼も報告を受けた時は、身元の確認は出来ていないが戦地にて行方不明の為、戦死扱いとなることを話されていた。



『苦しんでいる人々がいるのなら、その人たちの為に戦う。』


それが父親の言葉であり、彼が長年思い返すことの出来る強い印象を持つ言葉だった。
彼が生まれた時、既にこの戦争は真っ只中にあり、戦地では激戦が繰り広げられていた。
それが50年もの間続けられてきて、そして今再び巻き起こされようとしている。
そんなにも戦いが続くのは、どうしてだろうか。
父は何を目指し、何を見てきたのか。
彼は純真な心の持ち主で、それが純粋に気になったからこそ、汚れた道を選んででもその答えを探ろうと思ったのだ。
それが兵士を目指すキッカケ。
父の跡を継ぐ訳では無いが、父が目指したものが何かを知りたい気持ちにはなった。
そして可能であれば、自分の力が何かの役に立てればいいと思い、志願した。
この子供の不幸だと言うべきところは、その彼が“そうするべきであろう”と自分の立場を定めてしまったことにある。
戦いに身を投じることなどなければ、後々地獄を見ることも無かったはずなのに、というのは普通の人の考え方だ。
だが、選んだからには先へ進む必要が彼にはある。



そして今、彼は州軍の人たちに連れられ、
連邦軍兵士になるための教育を受けられる施設へ向かっていた。
彼が現在までに住んでいたソロモン連邦共和国タヒチ州には州軍は存在するものの、兵士の育成機関は無いため、その施設が整ったところへの移動をしなくてはならなくなった。
その決断をした時から、彼はこの土地を離れる覚悟はできていた。
彼は、世界情勢が目まぐるしく変化を続けていく中、その渦中へ身を投じることになる。


ソロモン連邦共和国 オーレッド州都市オルドニア
彼の故郷であるタヒチ村から西に80キロほど離れたところから、この州境がある。
オルドニアはオーレッド州の中でも三本指に入る都市で、ソロモン連邦の各都市と比べると程々の規模を持つ。
都市の人口は30万人ほどと盛況あるもので、豊かな気候と周囲の豊富な農村から農作物などを集め、交易も盛んにおこなわれている。
この街から北部に30キロほど進むと標高の低い山々が連なり、現在では閉鎖しているところが殆どだが鉱山がある。
昔は工業都市計画が存在したこの街だが、自然の景観と豊富な農作物を重要視する声が多く、鉱山などは存続されたが工業都市計画はその後白紙に戻された。
その結果、この街は首都からはかなり離れているものの、自然豊かで景観のいい宅地のような街となり、住みやすい環境となった。
今も街の郊外は宅地開発が進められており、人口は増加傾向にある。
山間部や辺境と呼ばれる地域ではまず起こり得ない現象のため、伸びしろのある街として中央政府は注目している。
そのような都市の一画に、連邦軍の兵士育成機関を持つ連邦軍基地がある。
オルドニア州軍基地。
この街の離れの一画に存在する、オルドニア州最大の軍事基地。
街の景観の条例に従い高層ビルの建設が出来ないので、他の多くの都市にある基地司令部とは違い、平坦で横に長い建物の構造となっているのが特徴的である。
州軍基地の駐留部隊所と兵員の教育を行う学校とが併設されており、オーク大陸の西部の中でも大きな学校、基地の規模となっている。
ここが連邦軍士官学校と呼ばれている場所だ。
彼の居住地域でこの士官学校が最も近いので、無論彼がこれから通うことになるのもここになる。



ところで。
連邦共和国における軍事制度について一つ語っておかなければならない。
この国の軍隊、軍事制度の一つに「徴兵制度」というものが存在する。
年齢にして15歳から25歳までの男性(希望するのであれば女性も含む)は、その時期のいずれかで最低1年の徴兵、軍事的教育の施行が義務付けられている。
これは、連邦共和国が有事に発展し、万が一にも大陸本土で戦争状態になる、あるいは前線における戦力の確保がままならない非常時となった際に、徴兵制度によって最低限の教育を受けた兵士を緊急招集し、戦線に投入するという明確な意図と目的がある。
自ら志願して軍隊への入隊、士官学校への入学を希望しない限り、すべての男子はこの年齢の間に召集がかかり、これに従わなければならないのである。この国の国防の一環として行われている、古くからの制度である。
しかしこれは、国民からはあまり評判が良くない。
当然と言えば当然なのだが、徴兵を望む者も望まぬ者もいる。
誰しも軍隊という環境を強制的に経験させる必要などない、と意見するものも多い。
その理由として、そもそも自分たちは軍人になりたいと思っている訳でも無く、また国の為に命を投げる覚悟もないというものがある。
さらには本人の身体的なコンプレックスなども考慮に入れなければならないために、この強制的な制度については現在もよく論議される。
一部に兵役を免除できる条件もあるのだが、医学的または分化的に類稀なる実績を挙げたものなどがこれに含まれ、大体はこれに属さない。
そのため、殆どの対象者が一年の教育を受けなければならないのだ。
この一年間は、それぞれ所属する地方にある士官学校等に入校し、一年間は軍の管理する寮の中で生活をすることになるため、家族と会えなくなる人が大半だ。ある意味では自由を奪われる制度とも言えるだろう。
この制度における招集命令は、実は何度も経験されていることである。
過去60年もの間で、オーク大陸が戦争の火種の中心になったことも数多くある。
還らぬ者も多く、戦争による残酷な現実が突き付けられてきたのだ。

基本的には一年の兵役を終えれば帰参することが出来る。
しかし、中には引き続き兵役、あるいは正式に軍隊に入隊する者もいる。
兵役の中で逆に軍側からスカウトされることもあるし、本人がそれを希望して居続ける場合もある。
兵役の間で行われた数多くの訓練の中で、特に秀でて将来の軍に必要な人材という認定を受けると、ある程度の地位を約束されて軍への入隊をすることが出来る。
卒業時、士官学校出の兵士は一兵卒ということで、通常は「二等兵」の役を授かることになる。
これが大半なのだが、そのように秀でた能力を持つと認められたもの、その他例外などはあるが、これらについては二等兵よりも階級が上の位から軍のキャリアを始めることとなる。
ソロモン連邦共和国の歴史はこの大陸の中では最も長いものであるが、近年でその例にあたる人物が一人いる。17歳で徴兵による兵役を課せられると、肉体的な能力を問われる部門以外の幾つかで、当時主席候補とされ学年一番の成績を収めていた生徒に勝る結果を出し、かつ在学中にある戦役下の戦いにおける部隊運用の助言をした功績が認められて、卒業と同時に少尉の階級を得た。その後幾つかの華々しい経歴を引き下げて、29歳となった現在では陸軍総参謀本部所属の准将という立場にある。因みに本人は全く軍人を希望していなかったのだが、兵役期間中に肉親が死去し、貰い手もいなくなったことから、そのまま生活が出来るという利点のみを頼りに軍への入隊を決意した。
ツバサはこの人物と後に思わぬ形で関わることになるのだが、現時点ではまだかなり先の話である。



「ほー、ここかぁー!」
ということで、士官学校の新たな入校生になるツバサである。
徴兵制による兵役義務によって入校する者が大多数の中、彼は自らの意思により軍へ入ろうとここへやってきた。
若年層の青年の中では珍しいものである。
因みに彼をスカウトしたタヒチ州の州軍兵士リーアム軍曹とターナー准尉は、州が異なるということで彼をここまで移送する目的に留まる。
それ以降はこの士官学校の教員、または兵士たちに任せることになる。



「では、我々はここまでだ」
「いつか一緒に仕事が出来るのを楽しみにしてるぞ、ツバサくん。いやもっとも、それが戦場で無ければいいんだがな」
「ありがとうございます!!」


そう、遠い目でリーアム軍曹は、彼に別れを告げた。
二人の素質を見抜き、それを上層部に進言して彼を引き入れるよう計らったのは彼ら二人だ。
だが残念なことに、この二人とツバサが次に顔を合わせる機会は訪れなかった。
隣の州であれば、また顔を合わせることもあるだろう。
この時はお互いにそう思っていたのだが。
引き継いだ教官に中を案内されると、一時間後には入校式を執り行う旨、告げられた。
なんでまたそんな早いタイミングで、と彼は思ったのだが、実際は今日が一週間ある入校式の日で、毎週その予定は固定されているのだという。
それに間に合うように移送されてきたといってもいい。
“なるほど、そういうことか。”と楽観的に考える彼ではあったが、今日からの日常を楽しもうという気持ちが湧いてきた。



この時点での彼は、まだ楽観的に考えることが多かった。
彼の人となりと精神年齢的なものがそうさせていた、ともいえる。
しかし、やがてこの過程を送る中で、彼は大きく変わっていくことになる。


それから一時間が経過する。
週に一度行われる入校式に参加するために、案内を受けたツバサ。
今日の入校生は、彼の他に17名いる。
週、あるいは月によってこの人数はバラつきがあり、必ずしも盛況の模様ではない。
この時点で、この状況が大いに変化することなど誰も予想してはいない。
戦線が拡大すると、連邦軍はより多くの兵員を必要とする。
その時、入校式などという形式的なイベントなど開けなくなることを。


「世界は今、極めて不安定な状態にある。グランバート王国は、我らが同盟国アルテリウス王国ならびに我が国に対して宣戦を布告した。戦線が拡大すれば、いずれは君たちにも出番が回ってくることだろう。君たちは何を目的にして軍に入り、何を以て戦いに身を投じるのかを、改めて考えてほしい。」


オルドニア州軍士官学校のマインホフ校長は、今年で64歳になる老体だが、かつては大陸で起きていた数多くの戦線において武勲を重ねた歴戦の司令官であった。現在は前線を退きこうして新たな兵士の育成に力を注いでいるのだが、その階級は少将と高く権威を持っている。
こうして入校式が執り行われる際には、必ず校長自ら言葉を述べて激励を行う。
この先の訓練は誰にとっても辛く厳しく苦しいものとなるであろう。
それを乗り越えてこそ、連邦軍の一兵士として活躍することが出来るであろう、と話す。
校長にとっての目指してもらいたい兵士像というのは、どのようなものなのだろうか。
ふとツバサは疑問に思った。
この学校からこの戦争全体を引っ張ることの出来る人物が誕生するのを望んでいるのか。
それともあくまで個々人の力量の範囲内で最大限の成果を発揮できる素質を身に着けることを望んでいるのか。
考えたところでそれは正しいかどうかも分からないものだ。
校長の演説にも似たお言葉とやらは十分程度続き、入校式は一時間程度ですべての行程を終了した。


「私が総合指導監督者のヒラー少佐だ。こちらは戦術理論教官のシュデルグ大尉、戦史研究教官のコンラート大尉、戦闘行動指導教官のジャスパー大尉だ。それぞれの分野ごとの現役の兵士を教官にしているので、実際の現場の在り方などを学ぶことが出来る。」


???
そんなことを言われても即座に理解できるような教育は受けていない。
というより、この時点でそれを理解できる人がいるのなら、飛び級もアリだろう。
ツバサは頭の上に沢山の疑問符を浮かべていたが、それはそれで正しい反応とも言うべきだろう。
唯一そうだろうなと直感で思ったのが、戦闘行動というものだ。
あの小さな村の道場では、彼はトップレベルの戦闘能力を有す。
陸上における戦闘がいまだに近接戦闘に頼られている事実は、彼も図書館などで読み漁った本などでよく理解している。
武装もそうだが、砲弾や銃器というものはあまりに高価なため、一人ひとりが持つようなものではない。
大量生産できるものでもなく、そのために必要な技術も多くの人が知っている訳では無いので、いまだに古い戦場の在り方に頼らざるを得ないのである。
近接戦闘における戦闘行動は、彼は既に経験済みである。
もっともそれが兵士レベルの教育と比べて良いものかどうかは、この時点ではまだ分からない。
それぞれの教官の紹介が終わったところで、今度は寮を紹介される。



「ここでは4人一組で共同生活をしてもらうことになる。17人だから………一つは5人部屋になるか。」
部屋の決め方は実に単純だった。
17人の新たな入校生にはそれぞれ番号が振られている。
新入生番号ともいうべきものだ。
それぞれ連番が組まれていて、番号の若いものから数えて4人で一組、また5人目から数えて4人で一組、と分けられていく。
ツバサは5人組の一人に組み込まれることになった。


「ようし、よろしくなみんな!!」
………と、彼にとってはいつもの調子で元気よく挨拶をしたのだが、周りの人たちは驚愕色に染まっていた。
明らかに場の空気をぶち壊した、というよりは沈黙の空間を作り出したのはツバサだっただろう。
他の人たちはやがて「お、おう」という半端な反応ながら彼の言葉に応えた。
初対面の人たちが集まり緊張した様子を見せる者がいながら、ツバサただ一人だけが持ち味の良さを放っていたのだ。
もっとも他の面々からすると恐れ知らずか愚か者か、あるいは単細胞かと散々な思われようだったのを、この時点で彼は知らない。
彼が自己紹介をすると、他の人も一応はそれに続いた。



「俺は、パトリック。よろしく」
「ジェザだ。」
「…………サイクス。」
「エリクソンといいます。よろしく」



こうして、ツバサの士官学校での生活が始まる。
この5人のメンバーと今後この学校で深くかかわっていくことになるのだが、
彼らの前に思いがけない日々が次々と押し寄せてくることになる。
その片鱗すら彼らには感じられてはいない。


一方で。
開戦の当事者であるグランバート王国は、次の来る戦いに備え、陸海空軍の戦力の編成を急ぎ行っていた。
彼らとてはじめから戦争を吹っ掛けるつもりはなかったが、踏み込む理由が出来たからこそ準備をするのだった。
彼らにとっては初戦と言うべきもの。
狭門海峡での艦隊遭遇戦は、グランバート王国海軍の第七艦隊が全艦撃沈されるという大損害を被った。
その後差し向けられた航空戦力により、第七艦隊を撃滅した同盟軍艦隊は上空からの爆撃に遭い、後退を余儀なくされた。
双方の戦力が攻撃し合ったことにより、後に退くことも赦されないような状況となったのだ。
グランバート王国は、復興後の強固な軍事力強化によって、今では各国の軍事力を凌ぐほどの実力を持っているとされている。
軍事力の面で不安のあるアルテリウス王国にとっては大きな脅威であった。
その不安を払拭する形で、ソロモン連邦共和国がアルテリウス王国との同盟関係にあり、これに備えることとなる。
グランバートにとってはソロモン連邦の介入は予想してはいたものの、明確な脅威を認識せざるを得ない。
ソロモン連邦共和国は、10年前の戦いで国力を失い滅亡に至ったエイジア王国を併呑し、その領土と技術力、資源の数々を手中に収めた。
敗戦処理という名目で、エイジア王国が所有していた濃いエッセンスを連邦カラーに変えることに成功している。
世界情勢の変遷という意味で、このことはどの国の人間にも分かっている事実である。
そのエッセンスというものが、エイジア王国が保有していた軍事技術力である。



「陸戦部隊は当面の間、出番なしか。それもやむなしというところか」
「いいえ、そう決めつけることもないでしょう。相手が海上に居ても遣り様はあります。確かにおっしゃるように、即座の行動には至らないとは思いますが。」



グランバート王国軍統合作戦本部内の作戦司令室、その円卓で軍関係者の会議が行われている。
戦うと決めた以上は作戦行動に関する今後の方針を定め、最終的にはどこへ向かうのかを程度定めなくてはならない。
その重要な方針を定めるというのに、ここにいる人員はすべて軍務省に属する軍人だけである。
外交を司る外務省、国内の政治を担う国務省の主だった人員すらここにはいない。
軍事行動を決める際には必ず政府関係者の、それも重役とも呼べる席に座る人間の裁可が必要となるのだ。
総参謀長アイアス少将は、それぞれの分野において指揮権を預かる者たちのみを招集し、この円卓に集わせた。
中には海戦が行われた地域とは真逆の遠方に位置する所属の指揮官も集められた。
各部隊においては中級指揮官という役割を担う者がいて、各部隊の現場統率を行っている。
ここに集うのは、軍事行動における全体の統率を行う将官クラスの人間のみである。
そのため、最も階級が低くとも『准将』の階級を持ち、それ以下の佐官はここにはいない。



「だろう?俺は行けと言われればどこへだって行くが、無謀な策で貴重な将兵を浪費することが無いように願いたいものだな。アイアス」
「私や“大将閣下”も貴重な戦力を無駄に戦線へ投入しようなどとは考えていません。ただ、必要がある時には本来とは異なる運用方法も考えている、というだけのことです。ロベルト少将」



ロベルト少将は、
グランバート王国陸軍所属第一陸戦師団の師団長であり、第一部隊の統括を行う。
第一師団はこのグランバートの王都の周囲を中心に駐留する陸戦部隊であり、この国の陸軍の中心的存在とも言える。
数千人規模の陸戦部隊となるため、この部隊の運用は非常に重大な意味を持つ。
作戦行動が発令されれば、第一師団への出撃命令も下ることだろう。
しかし、規模の大きい師団を動かすことは、それだけに兵士の運用と補給が重要になる。



「最も早くに必要になるのは、やはり狭門海域周辺に今もいるであろう敵艦隊を撃滅することです。敵艦隊を後退させたとはいえ、撃滅するに充分な打撃を与えられなかった。」
「艦載機の爆撃能力には限度があります。艦載機では航続距離も短く武装の搭載量もそれほど多くはない。艦隊を撃滅させるというのなら、空軍かもしくは海軍をぶつけるしかないでしょう。」


そう話すのは、
グランバート王国海軍所属海軍総司令部フレスベルド中将。
海軍所属の提督の中でも最高位に位置する一人であり、戦艦や駆逐艦といった艦船の総指揮や、海兵隊の統率などを行っている。
艦船の運用に関しては、総司令部所属の「提督」と呼ばれる者たちが行い、その総合指揮の下、各艦船の艦長がそれを実行に移すよう現場に伝達するという仕組みが取られている。
連邦軍とアルテリウス王国艦隊を攻撃したのは海兵隊所属の艦載機群であるが、艦載機は航続距離が短いという欠点と爆弾の搭載量が少ないという欠点を兼ね備えてしまっている。
そのため、空軍の保有する機体とは違い速攻向きだが一撃離脱が必要な状況が多い。



「となると、やはり必要なのは空軍か。」
「この場合においてはな。制空権を取りながら艦隊による攻撃を加え挟撃するのが良いだろう」


空軍所属総司令部のゲーリング中将。
空軍そのものがこの長い戦争の歴史の中で浅い分野に属するもので、技術革新の進歩によって人が空を支配するようになってまだ日も浅い。
ゲーリングも飛行機乗りで、事あらば自分自身が戦闘機を駆使して前線に参加しようという趣向の持ち主でもある。
ゲーリングは総司令部で全体の統括を行い、各々の飛行部隊を現場で統括する中級指揮官が別にいる。
空軍の重要性は世界各国で認識されており、戦争の形態が変化する要因の一つと言われている。
ところが難点も幾つもあり、戦闘機や爆撃機の製造に莫大なコストが必要で、弾薬や機体の製造に時間が掛かり過ぎるということから、
費用対効果が悪いことが欠点として挙げられている。
そのため、空軍の使用は大きな効果をもたらすことが期待されているが、いつでも動かせるというものでもない。
要所を抑えるという点では大いに期待される存在だ。


「………では、まずは二つの力をお借りして、海峡の敵を一掃するとしましょう。」
「大将閣下の承諾を取らなくていいのか?アイアス」
「構いません。話を聞く限り、閣下もこの展開は想定済みでしたから」
「…………なるほどね。それで閣下はどこへ?」
「国務省へ行っております。色々と相談があるということで。」


……………。


グランバート王国は、王家の人間が象徴的存在に留まるものであったために、直接的に政治に関与することが殆ど無かった。
かといって民衆を政治に登用して積極的な民政政治を施行してきた訳でもない。
議会のように意見を取り纏めるような機会があった訳でもない。
この国が再興の途を辿っていた時の有識者をそのまま政治に登用し、再興から8年が経った今でもその構図は変わらずにいる。
しかしその間に政界を引退した者もいて、その人員の補充については国務省の幹部たちに一任されている。
基本的に応募を募るような形式は一切採用せず、省の分析により適性と判断された者に対し要請を行い、受諾されれば登用する。
そのような閉鎖的な政治を繰り返し続けてきた。
歴史において、王政制度を施行する国は王家の絶対的な権力支配が社会問題化することが多かった。
グランバートはその歴史とはやや離れた路線を歩んでいるだけだが、それでも民衆にとっての必要な政治とは言えないものだった。
しかしその体制に多少なりとも不満があったのだろうが、今のところそれを維持出来ているので問題ないといえばそうなる。
グランバートの民衆にとって政治とは、何かをしてもらうことだったのだから。



「非常時大権………ですか。」
「軍務における行動一つひとつを国務省に許諾を貰う、そんな余裕は無いと理解しているだろう」
「それはそうですが、しかし快諾はいたしかねます」


そして“大将閣下の相談事”というのは、アラルコン国務尚書との対談において、軍務における行動の自由を制約し保障する、非常時大権と呼ばれるものを発布させることにある。
王国軍は有事以外の際は基本的に訓練や日常活動に留まり、対外行動を起こすことは一切ない。
だがそれも有事となれば必要性が増す分野のものだ。
ところがグランバート王国における軍事行動の制約として、基本的には国務省を通してから行う必要がある。
軍というものは国家権力において対外誇示の象徴であり、それに自由を与えることは軍閥化を増長させる危険を及ぼすからである。
そのため、政府の管理下であることを絶対的な条件としている軍に抑止力を働きかけることで、その動きを防ぐ狙いがあるのだ。
『非常時大権』を軍に渡すということは、国務省に通している過程を無視し、軍務省において軍事行動の裁定と実行を下す権限を与えるということになる。
この情勢下で軍務省がそれを主張するのも無理のない話だが、実際にその事態となると決断に迷うアラルコンであった。
何しろ軍事行動とはいっても、まだその行動における最終の目的が定まってはいない。
何を目的としての行動なのかを明確にする必要があるし、それは戦時中の過程の中で大きく変化する可能性はある。
とはいえそれを抜かして行動して良いものでも無い。
先日の戦いは、第七艦隊を撃滅したことに対する報復措置として攻撃を実行し、その結果宣戦を布告するに至った。


「だが国務尚書。既に宣戦を布告したというのに、すべての裁定が国務省を介するとあっては反応が遅くなる。」
「………確かにその通りではありますな。して、カリウス大将はこの戦争、何を終着点とするつもりなのでしょうか。」



結局のところ、
さきの『50年戦争』は、もうこの時点で歴史上の年表と名称に過ぎないものとなってしまった。
50年で戦争が終わったと言いたいところだが、今日この状況で終戦したとは言い難いものとなっているからだ。
この間の戦争は、あらゆる国々が構図と方向性を変化させながら歩んできた、破壊と殺戮の歴史である。
その歴史年表に新たな一ページを刻む存在として、後世自分たちはさぞ批判の的を浴びながら語られることになるのだろう。
同じ轍を踏むことになるのだから。


「幾つか過程はある。が、当面は二正面作戦を避け、どちらか一方の勢力に対し攻勢をかけるつもりだ。」
「と、申しますと。」
「――――――――当面の目的は、アルテリウス王国の併呑、もしくは撃滅となる。」


カリウスは、王国軍における全権を掌握できる存在だ。
しかしそれも現行の制度の中では、あくまで全権をゆだねられていたとしても、それは政府の下で膝を屈する存在であることに変わりはない。
軍人は政治における道具でしかない。
王国でなくとも、どの国どの世界でも同じようにして言われることなのだが、その道具の代表である彼が初めてその見解を示したのは、非公式に会談を行ったこの場ということになる。
そしてそれは遠からず当面の目的ということで、内部のみを対象として発布されることになる。
“非常時大権の発布、カリウス大将に裁量権を委ねるものとする―――――――――――――”



再び混迷の時代が幕を開ける。
この戦いの行く末を、多くの人が見届けることになるのかどうか、はたして。




………………。

第1話 士官学校

グランバート王国とアルテリウス王国、ソロモン連邦共和国との間に生じた関係亀裂は、遂に宣戦を布告する事態にまで発展し、もはやこの流れを止めることなど誰にもできなくなっていた。
それは何も当事者間だけでなく、他所の関係のないところで見ている人々ですら、そう思わせるものがあったのだ。
50年あまりも戦争を続けて来て、まだ飽き足らずに戦争を続けようとする者がいる。
傍観者の立場からすれば、さぞ呆れかえったものであっただろう。
そしてこの時点では、まだこの戦争が世界各地に拡大すると考えている人は少なかった。
先を予見できる者などそうそういるものではないが。



一方で、この情勢下に戦況へ加わる機会を手にしたのは、自ら志願して士官学校へと入校したツバサであった。
無論、すぐに彼のような存在が加われるものでもない。
士官学校に入れば、そこを卒業するか認定を受けるかしなければ、戦線へ送り込まれることもない。
まだ戦争が始まったばかりでどのように推移するかも定かではないので、早急にここにいる兵士の見習いたちが呼ばれるようなことにはならない、と学校の関係者も考えていた。
この学校では幾つかの分野に沿って教育が進められる。
陸戦を専門とする士官学校であり、近接戦闘を主体とする戦闘行動部門、戦闘時における運用方法などを学ぶ戦術理論部門、これまでの戦いの歴史などを振り返りながら考察を広める戦史研究部門が主となり、そのほかにも幾つかの要素に分類されている。
入校して次の日、早速授業が始められるのだが、今日は戦闘行動部門を中心に行われることになっている。


「整列!!………番号読み上げ開始!!」
と、教官であるジャスパー大尉が大きな声で指示を出す。
今回入校した17名を担当する教官は各部門基本的に一人であるが、時にはその教官が授業を行えない場合もあるので、そうした場合には別の教官が応援としてやってくることになっている。
また、ジャスパー以外にも生徒は大勢いるので、別の教官の担当組で授業を行っているところも多い。
士官学校にそれほど多くの生徒がいない以上、現状ではこのようなスタイルで、入校日の総数を一人ひとりの教官に振り分けて担当するようにしているのだ。


「さて、今日から本格的に訓練を開始することになるが、情勢が情勢だ。いつどのタイミングでお声が掛かるか分からない。自分たちは士官候補生だから呼ばれないと思っている者もいるかもしれないが、そんな甘ったるい考えはこの際捨ててもらう!いついかなる時も自分たちが活躍できるようにする、そのために訓練をするという気持ちを決して忘れないように!!」



各々を奮起する言葉だったようだが、それに怖気づく人もいた。
ツバサはと言うと、その言葉をしっかりと耳にしその意味を刻み込んだ。
彼自身が望んだ路なのだ。
その路に少しでも早く辿り着かなければ、何一つ進むことも出来ないだろう。
と、本人はそう考えていた。
一番早く兵士になるにはどうしたらいいのか。
彼なりに考えた答えは、やはり教官や上官にあたる人たちに自分という存在を知ってもらうこと。
そのために自分が持っている実力を訓練でも発揮しようと考えたのだ。


「ペースが落ちてるぞーどうした!!!」
『はいっ!!』


はじめはランニングから入った。
単純だが体力というものは重要なもので、体力が無いと戦闘の継続力に欠くことにもなる。
17人の生徒たちはそれぞれ校舎グラウンド、一周500メートルのトラックを15周するという単純な訓練をしているのだが、この訓練でその人が普段身体を鍛えているのか、運動能力がどれほどあるのかをはじめに計ることが出来る。
教官としても指導方法を初手で判断できる材料の一つになるのだ。
何も訓練で一番を目指す必要などない。
しかし、兵役義務であれ志願での入学であれ、この過程を越えなければ卒業はない。
更には徴兵制度により、たとえ士官学校をこの期間で卒業したとしても、最低でも一年間は兵役の義務を負うこととなる。
17名の中にもこの二種類に分かれる生徒たちがいて、誰もが身体能力に自信があるような人ではない。
ツバサも自分自身でこの時点では自信があるとは一切思っていなかった。
ランニングでは、競走というような形式は一切存在しなかったものの、形の上ではツバサが一番手で最初の訓練を終えた。
その僅か数秒後ろに、同室にいるパトリックがつけた。



「(………やるな、アイツ。口だけデカイ訳じゃないみたいだ………)」
と、二位に終わったパトリックはツバサの姿を見ながらそのように心の中で呟いた。
それは昨日のこと、入校後の夕べに5人部屋の割り振りが終わり顔合わせをした時に、彼が他の人たちより最も目立つ形で自己紹介を吹っ掛けたのだ。
各々を驚かせるには充分だったし、最初の印象からめんどくさい奴ではないかと思う人が大半だった。
内面が見えていない以上、今でもその印象に変わりはないが、かといって口だけデカイような子供でもないかもしれない、とパトリックは思ったのだ。
体力というものは、それが軍事行動でなかったとしても、あらゆる生活において必要とされる重要なものだ。
今後このランニングは毎日、それもペースを上下させながら続けられることとなる。
少しの時間を置いて、今度は筋力トレーニングを行った。
士官学校内の施設に専用のトレーニング施設があり、そこで筋力強化と柔軟を行い身体づくりをする。
生徒全員がタンクトップ姿になると、各々の身体がよく分かる。
体質、背格好、姿勢、色々なものが見えてくるのだ。



「すげーなこれ。初めて見る!」
色々なトレーニング器具を目の前に、ツバサは何故か目を輝かせながら意気込み、取り組みを始める。
教官のジャスパー大尉に厳しい指導を受けながらも、幾つかの要素に分類された項目をクリアしていく。
ツバサは汗をかきながらもそれをこなし、パトリックもまた同じようにそつなくこなしていた。
同室の他のメンバー、ジェザとサイクスは息が上がりながらも黙々とクリアし、エリクソンはヘトヘトになりながらも時間を掛けてクリアした。
団体競技でもなく、かといって個人競技で競うこともしなかったが、目標を全員がクリアできるまでは次の項目へは進めない。
そのため、項目をこなすのに時間が掛かる人は、不本意ながら指導と他者の冷ややかな目線を浴びてしまう。
実際この17名の中でも、半数を超える10名はあまり経験のない、制度によって無理やりに招集された人員のため、ランニングもトレーニングも時間を要していた。
教官側としても、毎回の団体生徒に必ずこのような生徒がいることを理解しているので、無謀に急かすことはしないのだが、それでも訓練は厳しく行われた。
この義務精度で訓練から逃れたいと思う人も後を絶たないのだが、基本的には逃れることは出来ない。
ただ、ある程度の配慮は生じる。
それは、『出来る人間と出来ない人間とを区別する』というものだ。
ある程度の過程までは必ず全員で臨み、それ以上の過程となると、入学時の団体から区分けされて更なる細分化された訓練が実施される。
『出来る側』の人たちからすると、ペースの遅く伸びしろの少ない人たちと共に訓練をしても、時間を持て余すことが多い。
結局、厳しい指導をしたところで遅いペースの者たちに譲歩して待つことに変わりはないのだから、その分出来る側の人間には余裕が出来てしまうのだ。
そのため、共通課程を過ぎた後に区分けを実施し、それぞれのペースに合う課程を送ることになる。
この徴兵制度の一年間をどのように過ごすか。
中には一年中士官学校での訓練のみで過ごす者もいて、実戦経験を殆ど詰まずに義務精度を消化する者もいる。
また、楽な道に進もうとあえてそのようにする者もいて、士官学校には多種多様な生徒たちが混在しているのだ。
教官たちは、今回入学した17名が果たしてどのような立ち位置になるのかを見極めることとなる。



「よし、昼食にする!訓練再開は午後の1時半からだ。各員食堂で昼食を取るように!」
皆がビシッと敬礼をし午前の終礼を終えると、それぞれその場でリラックスをして疲れた表情を浮かべる。


「こんなのが毎日続くのかあ…………?」
「しんどいな。」
「一年もかーーーやってけんのかよこんなの」


教官がいなくなった後で、生徒たちはそれぞれ愚痴をこぼす。
全身汗でびしょびしょになった者も多く、このレベルの訓練が毎日続くのかと思うと挫折した気分にもなる。
無理もないことだった。息の上がっていない人など殆どいない。
このような訓練を受ける機会など、彼らの日常にはなかった。
彼らには年齢の差もある。
最も上の年齢で23歳、下は15歳だ。
年齢差による身体の発達具合も異なるのだが、そのようなもの関係なしに訓練は襲い掛かる。
たとえ歳上であろうと辛く圧し掛かるものもあるし、年少者でも今はそれほど苦労せずに乗り越えている者もいる。
愚痴が出るのも無理もないという。


「よーっし、メシいくかー」
食堂の昼食というものをまだ摂っていなかったので、半ば楽しみを覚えながら、彼は一人食堂へと向かった。
この士官学校も施設の大きさで言えばかなり広い。
昼飯を食べてもまだ時間も余りそうだから、せっかくだから昼食後にこの校内を廻ってみるとしよう。
食堂の中もそれなりに広く、他の生徒たちも食事を摂っているようだった。
今回の入校生は17名だったが、ほかの時期にも生徒は多く入校をし、また卒業もしている。
この大勢の人の中で、果たしてどのぐらいの人がツバサと同じように、自ら志して兵士を目指しているのだろうか。
徴兵制度では1年間の兵役が義務化されるが、自ら志して兵士になる者の中には、一年以上士官学校に通って訓練と勉強を繰り返す者もいる。
自分自身の将来のキャリアを見据えた教育をここで受けることも可能だ。
もっともこの情勢下で満足に教育が受けられるかどうかは微妙なところであったが。


『あ、あの、ツバサさん!』

と、食事を持って席に座ったところで、後ろから突然声をかけられた。
背後には同じく食事を盆に乗せて立った少年の姿がある。
少し照れくさそうな、というよりは恥ずかしそうな赴きで、
『食事、ご一緒してもいいですか?』と尋ねてきた。


「おういいよ!エリクソン。」
彼は同室にいる少年エリクソン。
彼の誘いにツバサは元気のある笑顔で喜んで答えた。
まだ二日だが、同室にあって彼らの間で殆ど会話はされなかった。
皆が緊張している、という雰囲気もあった。
ツバサはあまり気にしてはいなかったのだが、周りがあまり話そうとする意思に欠けるものだから、あえて無理に話すこともない、と思っていた。
なので、こうして声をかけてくれたことが彼には嬉しかった。
断る理由もないので、隣り合わせで食事をすることとした。



「午前中の訓練見てましたけど………スゴイですね!あんなにキビキビ動けるだなんて」
「ありがとよ。てか敬語使わなくて良いから!!歳は違うかもしれんが同級生だろ?」
「えっ、そ、そっか。そうするかな」
「その方が俺も気楽でいいしな!でも何がスゴイって?」


エリクソンもそれほど運動能力に悲観的になっている訳では無かったが、彼が見てもツバサのタフさがよく目立っていた。
ランニングもトレーニングも、すべて周りの人たちを凌駕するような勢いで進めていたからである。
そんな彼の姿を見ると、ああなんて自分と彼とではこれほどまでに差があるんだろう、と思わずにはいられなかった。
諸々そうした話をされたツバサではあったが、



「んなもん気にするこたぁ無いさ。みんな訓練すればもっと動けるようになるだろうしな!」
「でも、ツバサくんはもっと上へ行くかもしれないね。」
「そん時はそん時だ!エリクソンはどうしてここに?」


唐突だが彼は率直に真っ直ぐ過ぎる疑問を投げかけていた。
彼自身、エリクソンに限らず他の者たちがどうしてここに来たのかを知りたがっていた。
無論、中には徴兵制度、兵役の義務に従って入る者もいるしその方が良いだろう。
エリクソンもそうではないか、とツバサは最初思っていたのだが、それとは異なる回答がやってきた。



「僕はその、欠損家庭で生まれた身で、ついこの間母親が病気しちゃったんだ。本当はハイスクールに通う予定だったんだけれど………教育費を稼ぐのが難しくなってね。でも僕は勉強を止めたくなかった。ほら、軍の士官学校は将来軍人になると決めれば、タダで勉強できるところでしょ?」



彼の言うように、士官学校は将来この国の軍人になることが出来れば、学業中の教育費は全額免除になる。
普通の学校や研究をするような大学へ進学するのには、膨大な教育費が掛かる。誰しも満足のいく教育を平等に受けられる世の中ではない。
エリクソンは母子家庭で父親がおらず、母も病気をしていて働ける状態にない。
現在はエリクソンの兄が母の生活を支えているのだが、兄の稼いだ金だけではやがて底を尽きることだろう。
それでエリクソンは軍人になり稼ぐことを決意したのだ。
ツバサの心境は複雑であった。
自分とは全く異なる理由でこの士官学校にやってきた彼。
そして、他の人たちがどのような理由でこの学校へ来ているのか。
ただ単に兵役義務の為に来ているのか、それともその人なりの理由があるのか、彼には興味があった。
自分のように、この戦争の本質を知りたいとか、そういう理由を持つ人は他にいるのだろうか。



「軍って言っても、全員が戦いに行く訳じゃないよね?」
エリクソンのその言葉には少しばかり怖気ついたものもあった。
自分が将来軍人になって、家族の為に働くという決意をしている。していたとしても、もし戦場の最前線に出るようなことがあれば、自分の命は危険に晒されることだろう。そのことについて大きな不安を持っているようであった。
それに関しては、残念ながらツバサにも分からない。
彼の知識が単純に不足しているということもあるが、兵士とは戦うものだという印象が彼にはあまりにも強かった。
どのような分岐がそこにあろうとも、いずれはそうなるだろう、と。



「どうだろーな。でも、戦うばかりじゃないだろうさ。それに、今から気にしたって、まだなんにも始まらんよ!」
と、彼は彼なりにエリクソンにそう返した。
この瞬間の彼は、ツバサのこの言葉に救われたような、そんな赴きであった。
食事と休息を終えると、午後からは戦史研究の時間である。
学業の時間割は日別でそれぞれ異なるので、常に同じ時間割で構成されている訳では無い。
戦史研究は、所謂座学というもので、身体を張って訓練をするようなものとは大きく異なる学習方法だ。


「改めて、私がコンラート大尉です。戦史研究部門の学術教師を勤めています。」


コンラート大尉はこの年43歳。
彼自身前線勤務の経験はほぼ無いと言っても等しく、これまでの軍歴は主に後方支援の担当であった。
25歳の時に連邦軍へ入隊するも、訓練中の大けがにより前線での登用から退けられ、以来後方での勤務が中心となった。
後方部隊にいる者は前線勤務の兵士に比べ出世が遅く、彼もその一人ではあったのだが、幾つかの戦闘での後方活動に評価を得て、更に十年前のオーク大陸での戦闘において、前線部隊が満足に行動が出来る補給線の確保とその運用を指揮したことで、現在の地位を確立するに至った。
当時で言う『50年戦争』が終結した後、この学校の教師として赴任されることとなった。
彼自身、趣味の領域で歴史の研究、学習をしていたことが影響している。
大人しい性格の持ち主で、冷静沈着、別に言えば感情表現に乏しい、いつも同じ顔をしているような教員だ。



「皆さんは、この士官学校を卒業し軍への入隊を希望するのであれば、いずれかの部署につくことになるでしょう。兵役を望む人もそうでない人も、自分たちの住んでいる国の成り立ち、その経緯を学ぶことは大切なことであり必要不可欠なものです。今の時代、私たちは歴史書やその記録を見ることで、過去に生きていた歴史の人物と間接的に接触することが出来ます。過去の人々がどのような経緯を持って日々を送っていたか、それを歴史という分野で学びます。」


早速眠そうにしている生徒たちもいる。
午前中にあれだけの運動量をこなしたのだから、無理もないと言うべきか。
ツバサはと言うと、興味のある瞳を教師に向けながら話を聞いていた。
彼自身、歴史というものに興味があり、その中でも自分たちの父が関わっていたであろう戦いに関する文献は、それなりに読んできた方である。
しかし、ここでの話はいわば当事者からの目線で語られるものもあるため、歴史書の内容と主観とを交えた経験談が聞けるものだと、彼は期待していたのである。
実際、前線勤務ではなかったものの、コンラートの話す内容にはそれなりの経験談があった。
彼は経験談からこうあるべきだ、などと方便するのではなく、あくまで事実となった経緯や背景を述べ、それについて生徒たちに考えることを促したのであった。



「利権獲得の為の戦いが、やがて相手を否定し破壊するための戦いへと変貌し、人類は世界中で飽くなき戦いを繰り広げる惨状を生み出してしまった………それがこの29世紀です。28世紀の終わりと共に戦いは始まり激化し後退し………それらを繰り返しながら、そしてまたこの時代も再び始まりを迎えています。私たち人間の本質に争いや奪い合いというものがどれほど浸透し繰り返されているか、私たちは歴史によってそれを見ることが出来、またひとたび戦う立場となればそれを証明することの出来る人になることも出来てしまうのです。そんな不毛な戦争を50年と続けてきた私たちですが、今から10年前に転機が訪れ、戦争は一気に終結へと向かいます」


とはいえ、コンラートの話す内容の多くは彼も知るところである。
歴史と軍事に興味のあった彼だからこそ、多くの文献を見て身に着けた知識というものがあって、コンラートもまた事実を基に話を進めるのだから、知っていても当然といえばそうもなる。
彼は授業を聞きながら色々と考えた。
“自分の知りたいこと”
大勢軍人がいる中で、自分の親のことをピンポイントに尋ねたとしても、まともな答えを持っている人はいないだろう。
聞いてみたい欲求も確かにあるが、知りたいことは山ほどある。
彼がずっと心の中に抱いていた、この国の“中央”と呼ばれる場所で、何が起きているのか。
そしてこれからこの国はどこへ向かっていき、そのためにどれほどの血を流さなければならないのか。



それに、どんな意味があるのか。
いつまでも戦いを続けなければならないのか。
彼が思い行動に至らせたそれらを確かめるには、どうするべきか、と。


「我が国はエイジア王国との度重なる戦闘で大きく疲弊しましたが、ソウル大陸の南部を中心に領土を持つ強国ギガント公国との同盟締結をキッカケに、この大陸での戦争は大きく変化していきます。元々ギガント公国は別の大陸の戦乱には一切関わりを持つつもりもなく、傍観者の立場にいるつもりだったのでしょう。ところが、ある人たちとの縁がキッカケで国家の同盟関係の締結にまで発展することになったのです。………そのうちの一人は、我が軍に現在もおられる、レイ大佐、第一陸戦師団所属第四陸戦部隊の連隊長です。」


コンラートは皆の反応を見ながらその名前を口にした。
たとえ戦争に興味の無い義務精度でここに来た者も、そうでない者も、その名前を知っている人は多いようであった。
そう、先の戦いで戦争の終結に大きく関わったとされる人物。
既に歴史の教科書にすら載っている人物の名前だ。
無論、彼もその名前はよく知っている。
実際に会ってみたいとさえ思えるほどの興味を持っている。
そして同じ軍にいるのであれば、あるいは会う機会もあるかもしれないと期待を持っている。



「大尉は、そのレイ大佐にお会いしたことはあるのでしょうか。」
と、教官であるコンラートに尋ねた人がいる。ツバサではない。
しかし彼と同じ部屋にいる生徒のパトリックだった。
彼は机に肘を置き、両拳を組みながらコンラートの話を聞いていた。


「はい、あります。話したことはありませんが、見たことはあります。」
「そうですか。いえ、話に聞くまでは、雲の上の存在のように思えてしまって。」

「そう思うのも無理もないでしょう。戦争を終結させるのに大きな役割を担った、英雄と云われる一人なのですから。」



ツバサとてそれは否定できない。
会いたいと思っている人は雲の上の存在で、本当にいるのかどうかすら疑問に思うことすらあったほどだ。
それだけの功績を挙げている人だということでもある。
コンラート大尉自身も、直接の面識はないという。
この校内で、レイという人物を知る人は、はたしてどの程度いるのだろうか。
それなりに長い講義が終わると、夕方からはまた身体訓練。
身体を徹底的に鍛え、体力をつけようとするのは、兵士として当然のこととも言うべきなのだろう。
夕方からの訓練では途中で動けなくなる人が続出した。
これが初日なのだと思うと気が滅入りそうになる人も出るくらいだった。
ツバサも流石に夕方の訓練は堪えた。
全身に疲労感を覚えながら、汗ばんだ身体は大浴場で洗い流す。
ほかの部屋の同期生や他の学級の生徒たちも入り混じっているので、ここでは色々な話を聞くことが出来る。
といっても、彼が話に入り込むのではなく、友人たち同士で話し合っていることに、そっと聞き耳を立てる程度のことなのだが、
ここはそういう場所が出来るのだと、この時間で学んだ。



「今日のあいつは中々の鬼だったぜ………」
「ほんとだよなー!怪我人が出てもおかしくないっての!」
「“困難を乗り越えてこそ”なんとやら、とかなんとか言っても、これではなあ」



自分たちの担当となっている教官以外にも厳しい人はいるようで、それを鬼という表現で生徒たちは話のネタにしていた。
鬼教官とはよく言ったものだ。今までの学校にはそういった類の大人はいなかったので、あまり経験がないツバサ。
しかしまあ、ここにきて生温く生きるつもりもない、というのが彼の心境ではある。
根は真面目に色々と考えも浮かぶ。
彼は浴場の端でお湯に浸かりながら、今日一日を振り返ろうとした、その時。



「お、なんだ?俺たち上官の悪口会かあぁ~~!?」
「ゲッ、ウィンザー少佐!!?」
「“ゲッ”ってなんだゲッって!!んん!!?」
「いつからいたんすか!!?」
「20秒前だ!!」


…………急に騒がしくなってきた大浴場。耳に痛いほど声がよく響く。
すると彼の傍に静かにやってきたエリクソンが話す。



「ここに入る前に噂は聞いたんだけれど、生徒たちに交じって風呂に入るのが趣味の上官がいるとかなんとか…………あの人みたいだね。」
「そうみてえだなあ………てか、スゴイ元気の良さ。俺も勝てなさそう」
「あれは大概だね」



その男性は特に指導科目を持つことのない、この学校の職員であり軍人である、ウィンザー少佐。
年齢は32歳とそれほど歳を取っている訳でもないのだが、階級は少佐と高く、この学校の教官を比較しても高階級に位置する。
そもそも尉官と佐官というだけで違いは明確なものであった。
ただ、今のウィンザーという男の形振りを見ていると、とても上官にすら見えないのが正直なところだったが。
この人の噂というのは、夕方から夜遅くまで毎日不定期に大浴場に現れては、威勢よく、元気よく生徒たちと談笑することだと言う。
悪い噂ではないようだが、人によってはウザがられるかもしれない、とツバサは少し笑った。



「かああぁぁっ、今日も良い湯だなあ。ほらみんな!!そんな端に行ってないで真ん中来いよ!俺と話そう!な!?」



身体を洗い終えたウィンザーがバチャバチャと水を立てながら浴場のど真ん中に陣取る。
するとどうしてか、今まで入っていた生徒たちが少し足早にその場から去って行く。
一人、また一人と。ウィンザーの視線など気にしないかのように。
出入り口の扉のほうを見ると、そそくさと逃げるように浴場を後にする人や、これから入ろうとしたけれどウィンザーの姿を見て一時退避する人の姿が見えた。
どういうことだ?
と、ツバサが疑問に思っている間に、エリクソンがその疑問に答えた。



「あとね………ウィンザー少佐の風呂はとっっっても長いらしいんだ。捕まる前に出た方が良いとかなんとか………」
「なるほど。じゃあ俺たちもそろそろ………」
「おおいそこの二人ー!!見ない顔だなあ!新米かー!!?」
「「あ」」


気付いた時には既に遅かった。
逃れられるような雰囲気でもない。
ウィンザーは両腕を組みながら、新米の二人を呼びつける。
因みにこれは後々エリクソンから聞いたことだが、ウィンザーは100%の善意で、風呂場で見ない顔をみるとその人に話を吹っ掛けて親和を深めるのだとか。
悪意でないことを祈るばかりだった。



「ほう………ツバサはタヒチ村から、エリクソンはイェルクーツクからかぁ!どっちも田舎だがいい景色のところだよな~」
「知っているんですか?」
「おうよ。行ったことは無いけどな。タヒチの断崖絶壁は凄い景色だろ?それにイェルクーツクは冬の湖の氷が有名だよな。一度は見てえなあ」


はじめは彼らの故郷の話を。
どちらともウィンザーには知らない場所のようだったが、それでもウィンザーは多くの問いを投げかけ、それに答えてもらうようにしていた。
そうすることでこの二人という存在を知ることが出来る。
彼は教員という立場にはなく、この地に赴任し仕事をしている一軍人に他ならない。
担当科目もなく、教え子も持たない。
けれど、その立ち振る舞いは教師とそれほど変わらないのかもしれない。
上官らしからぬ姿と教師らしい姿を持つ。またその逆もあるのだろう。



「もう15年と軍人生活さ。まあ俺は結構安全圏にいることが多かった気はするが、確かに戦闘ってやつは経験したよ。」
「陸戦部隊にいたんですか?」
「おうよ!他の人とそう変わりない、剣を持って鎧を被って戦う兵士ってやつさ」



既に湯舟で話を始めてから15分。
今度はエリクソンとツバサがウィンザーのこれまでの経緯について色々と聞いていた。
たったの15分だが、既に二人の間ではこの上官に対する親近感を持つようになっていた。
これもウィンザーの人となりが影響しているものなのだろう。
だからこうして、少しばかり聞き辛いことも聞きやすくなっていた。
長湯していることに変わりはないのだが、それを忘れるくらいに話が弾んでしまっていたのだ。



「俺ぁこっちの大陸での戦争が終わったら、前線勤務から退く願い書を出してたもんで、戦争も終わったんでそれが叶ってこっちに来たって訳さ。まあ正直ここに来るとは微塵も思ってなかったけどな!ガハハ」

「しかし、兵士も戦場にいる間はずっと戦いっ放しなんでしょう?ならこっちはラクで良いんじゃないですか?」

「いやいやツバサ、それは違うんだ。そっちはそっち、こっちはこっちの難点があるもんだよ。まあ確かに、戦に命かけて、明日は死んでいるかもしれないっていう瀬戸際で生きることは無くなったから、心身の負担は軽くなったけどなあ………」



ウィンザーはこうして楽観的に語っているが、その言葉にどれほどの意味があるのか、重みがあるか、ツバサにはまだ分からなかった。
彼はまだ戦いというものを経験していない。ともすれば、人すら殺したこともない。
大体の人はそのようなものを経験せずに一生を終える。
だが、このご時世、兵士という立場になるということは、それを少なからず経験するということだ。
ウィンザーも最前線でそのような戦いを繰り広げてきた。
命が幾つあっても足りない、明日にはこの命も無いかもしれない。
その恐怖と不安は確実に人の心を蝕むものなのだ。



「なぜ二人は兵士になろうと?………いや、これは愚問だな。この国は徴兵制度ってもんがあるから、必ずしも全員がそれを志している訳じゃあない。すまん」


「聞く前から謝らないで下さい。それに俺は、兵士になろうと思ってここに来てます!!」


「…………兵士になると志してここに来た、と?」



その問いをかけたウィンザーの顔は真剣そのものだった。
先程まで暴れるかの如く振る舞っていた男のそれとは大違いの、真っ直ぐ鋭い目線。
だがそれも一瞬。
そのような目線を向けられたことなど、ツバサには分からなかった。
ただこの少年は、兵士になりたいと志してここに来たという。
―――――――――――――興味が湧いた。
ウィンザーにとって、またこの学校の一職員として、久々にそのような心意気を持つ生徒が現れたように感じられる。
大体の生徒は兵役を達成するための過程としてここに来る。
だがこの少年は、呼ばれもせず、自らの足でここに辿り着いたという。
正確には違うのだが、意味合いはほぼ同じものだ。



『まあ兵士を目指すのはいい!だがな、それに命を懸けるなよ。こんな汚れた仕事に、命を懸けるなんてな』



この時はこの意味をよく理解できなかったツバサだったが、後に身に染みて理解することになる。
この時の言葉が何を指して言っているものなのか。
その時のウィンザーの心情がどういうものであったのか、ということを。
長風呂も終えた彼らは部屋に戻り、その後食事をして一日を終える。



彼の、彼らの学校生活はまだ、始まったばかりである。

第2話 講義


二日目になり、今までとは全く要素の異なる講義科目が入ってきた。


この日も午前中は身体訓練。
兵士になるためには基礎体力と体幹を強化しなくてはならない、というのが教えであり、徹底的に肉体と体力の強化が行われる。
それでいて、訓練の後は充分すぎるほどのストレッチを行いケアを行う。
ただ闇雲に肉体を虐めるのではなく、きちんとした目的の下に行われている訓練なのである。
とはいっても厳しいものは厳しい。
一日目の疲れもそれほど抜けないまま二日目を迎えているので、かなりの疲労と筋肉痛を感じる人が大半だった。
ツバサも例外ではなかったのだが、それを乗り越えられるほどの力はあった。
他の人から見ても、やはりツバサという人間が一歩抜きんでる存在だというのが徐々に明らかとなっていく。


しかし。
この日の午後の科目は、それとはまた異なる。
身体よりも頭を使う講義だからだ。



「私がシュデルグ大尉だ。戦術理論の専門講師を務める。君たちにも、戦場における前線の運用方法やそのノウハウを学んでもらう」



シュデルグ大尉は連邦軍人の中でも異色の経歴を持つ人物として、この校内だけでなく同州地域の軍隊にも広く知れ渡っている。
彼は戦術理論の教官であるのだが、元々の所属が海軍であり、陸海と二つの所属を渡り歩いた経歴を持つ。
彼は前線勤務でありながら戦闘を一度も経験したことが無い。
その心得がない訳では無いが、戦闘能力よりも秀でた能力を買われてそちらの仕事に専念をしていたのだ。
それが戦闘指揮の補佐役、謂わば参謀役であった。
自軍を勝利に導くために戦場を、兵士をどのように運用するか。
実際に戦う兵士たちの力は絶対に必要なものだが、それを上手く、かつ効率よく運用してこそ、効果を発揮するものである。
彼は海軍において数度にわたり艦隊運用に関する助言をしては功績を挙げ、戦闘兵士としての勤務から参謀役を中心とした勤務へと変更させられた。
以来、暫くの間は海軍に所属し艦隊勤務をしていたのだが、陸上戦闘が激化する時代に突入すると、そちらの兵員運用を任されるようになり、そこでも一定の成果を挙げて現在の階級になった。



「だが、戦術に関しては定石はあっても正解はない。その時々によって異なる状況に対応し、いかに最善を模索し実行するかが戦場における戦術になる。それを理論的、かつシミュレートしながら学ぶのがこの科目と思ってもらっても良い。よって君たちには、陸海空すべての運用方法についての勉強から始めて、やがて実戦シミュレーションでそれぞれ戦ってもらう」

「……………。」



実際、彼のような経歴の持ち主は異色のものであり、あまりそのような前例はないという。
シュデルグ本人が講義しながら自分の経歴を話す時に、必ずそう付け加えている。本来は無い道かもしれない、と。
しかし、であればなぜ士官学校では戦術理論など学ぶ必要があるのか。
彼らは指揮官になるために、あるいは参謀役になるためにこの学校に来ているのではない。
だが、戦場における運用方法を理解することで、実戦での混乱を回避し迅速に展開できるようになる、そのための準備だと言う。
本格的に指揮官クラスになるためには、士官学校の基礎履修科目を終えた後に、戦略研究科の追加履修へ進み、そこでも多くのことを学ぶ必要があるという。
ツバサには理論とか戦術とか、そういったものはあまり深く考えていなかった。



「君たちのイメージでは、戦いというのは実際の戦場でお互いの軍がぶつかり合ってからを言うものだと思っていることだろう。だが実際には大きく異なる。戦いは戦場に来る前から既に始まっている。どういう意味か想像できるか?」


各々不思議そうな顔を並べているのを見て、シュデルグはまあ当然か、と言いながら笑顔も見せた。
戦いというのは実際に剣や砲火が交えられてからを言う、というのが当たり前なものだと思っていた。
いや、はじめはその考えで良いのかもしれない。
はじめから戦術について知っている者がいれば、それはよほどの勤勉家か、強い興味を持っているのか、あるいは身近にそうした経験者がいたか。
いずれにせよ子供の年齢にあたる彼らに戦術の知識がある訳でもなく、



「たとえばそうだな。ジェザ、戦いにおいて相手より有利に立つためには、何が必要だと思う?なんでもいい、言ってみろ。」


戸惑いの顔を浮かべながら、ツバサと同室のジェザが答える。
同室にいるメンバーとはまだ殆ど会話を交わさない。
そのため、すべての日程を消化して夜の就寝時間になると、部屋の空気は夏でも凍り付くかのような雰囲気さえ感じる。
どの部屋もそんな感じなのだろうか。
ジェザとサイクスの二人は、ツバサから見てかなり無口なキャラクターに見えていた。
ただ、それも自分たちが何らコミュニケーションを取ろうとしないからそう見えてしまう、というものだということを彼は理解している。
彼は時々でも話しかけるようにはしているが。


「相手よりも有利に………戦う場所、とかでしょう、か」
「おお、いい回答だ。ツバサはどう思う?」
「やっぱり力じゃないですか!?戦いが始まったら」
「いやそれもそうなんだが、なるほどこいつは個性が出るかもしれんな。面白い、みんなの意見を聞くぞ」



と、シュデルグは結局全員にそれぞれの意見を聞いた。
17名しかいないとはいっても、知識のない彼らの意見の多くは同じようなもので、周りに同調する生徒がいても不思議ではなかった。
シュデルグが求めていたのは正解ではなく考え方。
どのような考えを持ってこの問いに答えるかが、彼が最も知りたいと思うところであった。
“力こそ正義!!”に近い立場を取ったツバサに同調した人は誰もいなかったが。


「ようし、全員聞いたな。これまでの意見は全員不正解!………かもしれないし、全員正解!かもしれない。つまりだ、最初に話した通り、何が大事なのかはその時々による。今日正しかった戦術が、明日も正しいとは限らない。昨日まで信じていたものが、今日も実質的な価値を持ち続けるものかどうかも分からない。だからこそその時々に応じた判断を迫られるし、必要な手段を講じなければならない。これを知っていれば、実際の戦闘で起こり得るあらゆる事態に考えが及ぶ。どうだ、少しは面白いと感じただろう?」



確かに、それを知っているのと知らないのとでは大きく違うだろう。
ただ戦線の状況に右往左往するだけでなく、明確に考えを持って行動し戦闘に参加が出来るのなら、闇雲に戦って被害を出すこともないかもしれない。
この学習項目がどれほどの効果を持つのかは分からないが、大事なものであることは間違いないようだ、とツバサは認識した。



「まあ、教える側としては確たる正解って事項が少ないものだから困る科目なんだがな。戦史研究と似たようなものだが、これまでの戦歴を振り返って成功と失敗を見てみることにしよう。何が原因でそうなったのか、何が要因でその結果がもたらされたのか。そこにヒントが必ずあるはずだ。」


シュデルグ自身が言っていたことだが、この科目は戦史研究と被る部分がある。
特に、これまでの戦歴において優劣、勝敗のつけられた戦いからその運用方法を学ぶやり方は戦術理論の特徴だが、その過程で歴史を学ぶことになる。
そのため、それぞれ別の科目ではあるものの、同一の内容を学ぶ機会もある。
世界中至るところで戦争が始まったのは60年も前の話になるが、振り返るとやはりこの60年間の戦争の出来事が圧倒的に多かった。
空白の十年を除いて、一年のうちどこかで必ず戦闘が発生していた大陸。
ソロモン連邦共和国はこの戦争が始まるよりもずっと前から存在している国家なので、この戦争以前の、それこそ百年以上もの前の戦歴を遡ることも可能だ。
しかし、あまり古すぎるものは、それこそ戦史研究でやれば良いだろうというシュデルグの考えにより、今の軍事情に似ている近現代の戦歴を中心に取り上げられることとなった。



「数あるものの中で、これは多くの場合正解だった要素なんだが、分かりやすく言えば、やはり戦争ってのは数なんだ。」



一度戦闘が始まってしまえば、統制された動きを持続するのは不可能だ。
両軍入り乱れる戦闘スタイルが今の時代の戦争だ。
だからこそ、はじめから数で相手よりも有利に立つことが出来れば、ある程度の犠牲はあっても最終的な有利は数を揃えた側に向く。
戦場での戦いが始まる前から戦いが始まっているというのは、まさにその点にある。
相手より有利な状況でスタート出来るようにする準備を戦略といい、まずは戦略上相手よりも有利な状況に立つ。
そのうえで実際の戦場で兵士、艦船、航空機など、それぞれの分野の運用を効率よく効果的に行い、相手と戦う。
これらの手段、方法を戦術と呼ぶ。
歴史の過程から学ぶうえで、この戦略的優位と戦術的勝利の関係は非常に重要なものであり、そこには学ぶべきものが数多く存在する。
この科目において戦略面はあまり学ぶことがない。だが実際の戦場で必要となる戦術的要素とその視野は、広く学ぶこととなるのだ。



「戦いに臨む前の定石として、相手よりも絶対数において優位に立つこと。これが戦略の基本であり戦術の基本でもある。戦術っていうのは、実際そこにある数を動かして勝利へと導くもの。そこに数が無いのであれば、使える戦術もまた限られる。分かるか?みんな」


皆がそれぞれ頷く。
ごく当たり前のことなのだが、こうして話を聞かない限り意識しないことだったかもしれない。


「もちろん、毎回そのような優位に立てるのならこれまで何度だって勝てた。だがたとえこの大きな国といえど、負ける時は負ける。いついかなる時も勝利へ導くために思案し行動する必要がある、だからこそ戦術が重要になる。分かったか?」



それからもシュデルグの丁寧な講義は続いた。
みっちりと、二時間休憩もなく。
ただ話の内容がかなり自分たちの為になることが多く、自身の経験談も交えながらのものだったので良い時間となった。
実際その通りの立場になる可能性は低いというのが、シュデルグの話だった。
最初に話した通り、それを知っていて戦いに臨むか知らないでただ臨むか、というだけでも大きな違いとなるだろう。
何も今日だけではない。ほぼ毎日これらの講義を受けるのだから、じっくりと知識を増やしていけばいい。
その方が何より楽しそうだ、とツバサは思う。


この時点で、ここでの生活がこの先それほど長くないことなど、彼は想像すらしていなかった。



それから夕方まで再び身体的な訓練。
その後大浴場で汗を流し食堂でご飯を食べる。
夕方から就寝までの行動は基本的に毎日同じだ。
食事をする時間も、入浴する時間も、寝る時間も身体に沁みついて行くことだろう。
ツバサは今日もエリクソンと一緒に食事をしていたが、その席で、


「やっぱり交流が無いと駄目だよな!」
と、突然ツバサが言う。
エリクソンが少し困り顔でその理由を尋ねた。


「同期生は少ないけどよ、形はどうあれ俺たちは学友だろ?」
「ま、まあ………確かに?」
「せっかくこうして一緒に生活をしてるんだから、いつまでもぎこちないってのはなんか俺はイヤだな!そうだろ?」
「ま、まあ………そうだね、うん。」


エリクソンにとっては、今ツバサが話したことが自身の気持ちの一部であり、まるで代弁してくれたかのような心強ささえ感じていた。
だが自分ならツバサのようにポジティブに話をすることは絶対に出来ないだろうと考えてしまい、内気になる。
彼も出来ることなら他の人と仲良くしたいが、自分から話しだすような勇気はない。
だからこそ、彼が自分に好意的に話しかけてきてくれるのは嬉しいし、それに頼っている自分もいる、と理解をしていた。
ツバサの言うことは理解できる。
しかし、自分でその手段に出ることは出来ない。それ故に彼は少しばかり混乱をした。
一体この人のその積極性はどこから出てくるものなのだろう、と驚きもした。



「まあすぐにって訳にはいかんだろうけどな~。なんかいい方法がありゃいいんだが、でもまずは話してみないとな………!!」



ツバサがいかに周りの人間との関係を大事にしたいかが分かる、そんな会話だったとエリクソンは振り返る。
けれど、そこには幾つもの乗り越えなければならない壁というものがあるだろう。
彼は誰にでも彼らしい姿で元気よく話すことが出来る。
はたしてそれが受け入れられるのかどうかは、定かではない。
でも彼はやってみる!という。
怖いもの知らずですか、と思うところではあるが、この時エリクソンは一つ悪いことを思い浮かべてしまった。
彼がそのような手段に出た時、同じ部屋にいる三人はどのような反応を示すのか。
それによっては次の方法を考えることが出来るだろう。
つまり、これは彼を利用して自分たちの距離感を掴み、また縮めていくための一つの方法となるのだった。



そして彼の取った行動。
就寝までの時間は残り1時間も切っているが、彼は。


『なあ!皆で寝るまでトランプゲームしねえか??』



……………。
というものであった。
彼は特定の誰かに対して提案したのではなく、部屋で静かにしている四人全員にそう話したのだ。
本人は笑顔で提案をし、エリクソンは内情を知っているので周りを見渡し、そして三人は、



「……………。」
「……………。」
「……………。」


予想通りの反応だった。
三人とも少しの時間だけ彼のほうを見たが、やがて視線を戻して自分のことに集中をする。
皆に話しかければ誰かに反応を貰えると思っていたが、そうでもないらしい。
それでもツバサはまだ笑顔を浮かべたまま、


『寝るまでじっと黙ってるのもヒマだろ?みんな知ってるゲームだし、知らなきゃ俺が教える!』


そもそもどうしてトランプを彼が所持していたのか、ということについて疑問を浮かべる人は不思議といなかった。
学校であっても休みの日以外の遊びは厳しく禁じられている。
ここでは何もかもが規則正しく流れるのだから。
結局その答えは暫く経ってから彼らが知ることになるのだが、上級生の先輩に似たような性格の人間がいて、それを見抜いた彼が唐突に話しかけてその手段を得たのだという。
因みにその上級生とは、後に幾度も同じ戦場で共闘することとなる。

二度目の声掛けに対しても、各々反応が無い。
それぞれの名前を呼んで、はい、か、いいえ、を聞いても反応が無いどころか、パトリックに関しては首を横に振って否定の意思を示すくらいだった。
いや、それはそれでいいのだ。何も答えてくれないよりは、何かの意思表示があった方が良い。
ジェザとサイクスは布団に横になりながら無反応である。
否定や拒絶というよりは、根本的に面倒くさいと思われているようだった。



「なあ、誰かしら喋ってもいいんじゃねえか?お前らいつまでもこんな空気続ける気か??」



その時、この場の空気が張り詰めた緊張感に満ちるのを、彼ら全員が感じ取った。
そしてその言葉には明確な訴えがあり、ツバサの表情からも笑みが消えていた。真剣そのものであった。
声色から感じ取ったその空気により、他の三人も彼のほうを向いた。
エリクソンは、その三人の表情を視線だけ動かして窺っていた。


パトリックは、
彼に対し否定の意思を示しただけでなく、まるでゴミを見るかのような冷ややかな目線を向けていた。


ジェザは、
目線だけ彼のほうへ向けるも、無反応だ。微動だにせず、表情もほぼ変わらない。


サイクスは、
同じく無口であったがその表情には困ったようなものが浮かんでいる。この場の空気を感じて、マズイと思ったのだ。



そして彼の提案と声掛けに対し、最初に返答をしたのがパトリックであった。
その声色には明確な拒絶と呆れた心情が露呈していた。



「なんでお前といきなりゲームしなきゃならないんだよ。俺は御免だね」
「なんでさー。寝る前の暇潰しって言ってるだろ?ちょっとは肩の力を抜いてだな―――――――――――」


明確な返答を貰えたことは、ツバサにとっては収穫だった。
普通の人であれば拒否されれば相手に対する負の感情を抱くことだろう。
ところが、ツバサについては逆にそれを知りたがっている節もあった。
彼もはじめから肯定的な返答を貰うつもりはなかったようだ。
しかし、パトリックが放った次の一言が、ツバサの頭の中の考えを急速に打ち壊す。



『お前は随分とお気楽な野郎だな。自分からこんなところに来た奴の心が知れねえ。』


………………。
元々この場の空気が決して和やかなものではなかったのだが、張り詰めた空気感を通り越して殺伐なものとなりつつある。
その言葉を聞いた、ツバサの表情は固まった。感情を持たない石造のように。
彼にとって予想もしていなかった反応だったのだろう。



「お前はそれでいいかもしれねえけどな。誰もこんな生活をいつまでも続けようなんて思っちゃいねえ。早く出て行きたいとさえ思う。望んでここに来た訳でもねえってのに、なんで他のやつと仲良しごっこしなきゃならねえんだよ。めんどくせえ」


当然、それがパトリックという男の内心であることは明白であった。
ただ単に拒絶されただけなら、ツバサは怒りを彼にぶつけていただろう。
理由もなく否定され拒絶されることを彼は赦さない。
物事の思案と決定には意思が通う。
それすらもなく、考えもなくただ単に否定されるのでは、何の意思疎通も出来なくなる。
そうされなかっただけまだマシだと彼は思ったが、あまり気持ちのいい物言いだとは思えなかった。



「仲良しごっこだ?別に俺はそんな幼稚な考えで言ったんじゃなくってよ、」



お互いにコミュニケーション取り合える環境を整えるのは、同じ部屋で生活をする間柄として最低限必要なことじゃないのか?
と、彼は続けたかったのだがそれを言わせてはもらえなかった。
彼の言葉にパトリックの言葉が被さる。



「一人だけ出しゃばってよ、気に入らねえ。俺はもう寝る、話しかけてくんな。」



最後の言葉には、彼が許さないと思っている、考え無しの拒絶反応に思えて、彼の中にも怒りが込み上げてくる。
それを問い詰めようと身体を動かそうとしたが、思いとどまった。
ジェザは溜息をついてうつ伏せになる。
サイクスは、この場の空気があまりに殺伐としたためか、身動き取れずに目線だけを逸らしていた。
エリクソンは困惑している。こんなに険悪なものになるとは思っていなかった。
ツバサもその後は何も言わなくなった。
持っていたトランプカードも引き出しの中に仕舞い込み、彼自身も両手を枕にして天の壁を仰ぐ。



“自分からこんなところに来た奴の心が知れねえ。”
“誰もこんな生活をいつまでも続けようなんて思っちゃいねえ。”



彼はその言葉に思いを巡らせた。
そしてあることを再確認し気付かされた。
確かに自分は望んでこの士官学校へ入校した。
だが、他の人たちの大半は、兵役義務を負うものとして強制的に召喚させられたようなものだ。
つまり、望みもしない生活を強要されていることとなる。
パトリックが放ったその言葉は、そんな立場を踏まえてのものだ。
ここでの生活を希望して過ごす自分と、望みもしないのに連れて来られて無理やりな訓練をさせられている者たちと同列に考えるな。
彼はそう言いたかったのだろう。



その立場、その考えに思い至った時、彼は自分の行為がそのような人たちに対しては配慮の無い浅はかなものであったかもしれない、と振り返る。
同じ部屋に住む者たち同士仲良くしたい、と彼は考えていた。
しかし、ここでの生活は望まれないものも多い。
同時に疑問も浮かび上がる。


だが、望まれないからといって、コミュニケーションさえ取らないでいるなんて、いいものだろうか。
親密にはなれないのかもしれない。
しかし、お互い必要な時は協力し合いながら生活をするというのが、ここの空間で必要なことなのではないだろうか、と。
寝る前のこの一時間は、彼にとって色々と思いを巡らせる出来事となった。
不思議と気分を害されたとは思っておらず、自分の配慮の無さと彼が言った本音と、色々考えるキッカケとなったのだ。

第3話 作戦行動

…………自分からここに来た奴の気が知れねえ、か。



真夜中。
ツバサは眠りにつくまでの間、先程パトリックに言われた言葉を頭の中でひたすら再生していた。


確かに俺は、自分から望んでここに来た。
他の人たちは色々な理由があるにせよ、大半は自分たちの望まれない形でここへやってきているってことだよな。
だから、たとえ同じ部屋のメンバーでも仲良くするのはおかしい、と。


………でも本当にそうか?
確かに俺のように、自分から望んでここにきている人は珍しいのかもしれないが、それが直接的な理由じゃないだろうよ。
パトリックって奴は、自分と俺とが根本的に違う人間だから合わせる必要もない、と思ってるのかもしれない。
いや、確かにそれは普通の考えだ。
でも、だからといって遠ざけちまったら、今度は自分が孤立していくだけじゃないのか………?


彼は自分が相手の立場をあまり考えずに軽率な行動を取ってしまった、と反省してはいる。
しかし、彼は彼でどうにも腑に落ちないものを抱えていた。
お互いここへ来た理由が違うから仲良くする必要もない、と。
まるで協力関係すら拒んだかのような物言いだった。
何も自分に合わせろとは言わない。だが、同じメンバーなら会話し時には協力し合えるような間柄になるべきじゃないのだろうか。
そうでないと、いざ困った時に、誰が助けてやれるのだろうか、と。
悶々と考えを繰り返しながら、眠りにつくまでの時間を費やしていた。
彼はパトリックに言われた言葉に怒りとか呆れとか、そういったものは特に感じてはいなかった。
一瞬そうなった自分がいたのも事実だが、それよりも深く考えを起こさせることのほうが多くなった。
そして思う。
この関係をどうすべきなのか、と。


……………。



グランバート王国軍統合作戦本部
全軍の総司令官であるカリウス大将が国務尚書レオポルド・アラルコンより非常時大権を授かったことにより、あらゆる軍事行動の決定がこの建物の密室にて行われるようになった。
政府と軍務省とで当面の展開を充分に協議したうえで、その目的に至る行動を軍が決定し実行するというもの。
通常、軍事行動を起こすには政府の承諾が必要で、陸海空軍ともにその構図は変わらない。
軍の統制を政府が厳密に行うのが通常の在り方である。
しかし、この非常時大権を軍務省側に授けたことにより、政府と軍の目的が定められそれに必要とされる行動については、軍が主導となって作戦を立案し実行に移すことが出来るようになる。
政府関係者への筋を通さずとも作戦の実行が出来るようになる。
これにより、全軍の総司令官であるカリウスはその膨大な権力を手中にすることが出来た。
――――――――――――――当面の目的は、ウィーランド暗殺の実行犯とされるアルテリウス王国への報復である。
各陣営の首脳部にはそのように伝達された。
そうなると、本格的な報復活動を行うに最も相応しいと判断されたのが、空軍による敵地への攻撃である。



「空軍によるアスカンタ海域の制空権を確保し、北方の第三艦隊を出撃させる。制空権確保の後、敵地領海内を侵入し海岸線に艦隊を布陣させる。アルテリウス王国の南部の海岸線には、ヴェルミッシュ防御要塞がある。これを制圧出来れば、アルテリウス王国領に対し陸上からの侵攻が可能となる。空母と補給艦艇はヴェルミッシュ防御要塞の制圧まで領海外縁にて待機。戦艦、巡洋艦、強襲揚陸艦艇および上空からの攻撃により、防御線まで突き進む」


そしてカリウスにより、最初の作戦内容が説明された。
ウィーランド暗殺の報復を目的とした侵攻作戦。最終的にはアルテリウス王国の併呑までを目的としている。
長年にわたり、両国の間は不仲であり、まともな外交折衝は行われなかった。
グランバートは幾度となくアルテリウスに対して攻撃を仕掛けてきたが、最大の難点は相手大陸への侵攻距離があまりに長すぎることにあった。
ソウル大陸の北部とアルテリウス王国の南部、アスカンタ大陸の最も近い海岸線までの距離は、航路で約300キロほどの位置にある。
開戦当時は船舶の開発や技術などはなく、海を渡るのは到底不可能とされてきた。
今では戦艦や巡洋艦類の艦艇が造られているので、時間は掛かるがそれも可能とされてきた。
今まで膠着し続けてきた戦争を一気に動かすことの出来るほどの技術が投入されることとなる。
隣の大陸まで侵攻するには、その行動線の長さを補えるだけの補給の確保が重要となる。
現地調達にも限度があるので、補給艦を使用し準備を整えておく必要がある。
陸地を制圧し上陸が出来るようになれば、そこを橋頭保として陣を形成し、攻略の足掛かりとすることが出来るのだ。
しかし、
最初の関門はその南部の最短距離に構築された、アルテリウス王国軍の防御要塞である。



『ヴェルミッシュ防御要塞』
アルテリウス王国の著名な人物の名前を取ってそう名付けられたとされる防御要塞。
ソウル大陸とアスカンタ大陸を結ぶ航路上で最も近い位置に展開された要塞であり、アルテリウス王国にとっては防御の要の一つでもある。
この防御要塞が使用された機会はこれまで片手程度しかなく、グランバートはアスカンタ大陸の侵攻に度々失敗をしている。
ヴェルミッシュ要塞の近海は複雑な地形の海岸が続き、大陸の海域深く入っていくと海底が浅く、船が航行できないようなエリアも多い。
そのため、この大陸を侵攻するには上陸作戦を展開し成功させることが必要不可欠であった。
防御要塞は、そんな事情を含んで配置されたものである。
この要塞を攻略せずに別のところに合流しようとしても、陸戦部隊を乗り入れられる場所は限られている。
仮にそれが出来たとしても、この要塞にはそれなりの兵力が構えているので、避けたところで本国と要塞との間に降り立ち、やがては挟撃されることは必須である。
となれば、どのみちこの要塞を避けて通ることは出来ないので潰すより他ない、という考えに至る。


「アルテリウスもレーダー網を広げていることだろう。その懐に飛び込むことになる。ゲーリング、できるか」
「はい、閣下。必ずや制空権を取ってみせましょう。我らが精鋭の空戦部隊で」


上陸作戦が展開できるかどうかは、空軍の貢献次第となる。
敵もレーダー網で防衛線を張るだろうから、こちらの接近が把握されれば必要数の迎撃を行うことだろう。
つまり、初手ではこちらが不利になる可能性が高い。
そう判断してもなお、ゲーリングにその手段を取らせるように判断を下したのはカリウスだ。
ゲーリングには相当な重圧と責任が圧し掛かることになるが、彼はそれに臆することは無い。
結果をもたらすために全力を持って戦う。



「北方航空部隊の第一、第二航空隊に出撃をさせます。編成は主力に戦闘機を、後方に攻撃機を少し混ぜる程度で。制空権確保後の陸上戦闘展開までの時間で、ヴェルミッシュ要塞の攻略の為の空爆を実施したく思いますが、恐らく制空権確保のための戦力では爆装が足りないでしょう。閣下、第三艦隊空母ヒューベリックの出動をお願いしたく具申いたします。」


「良いだろう。元々ヒューベリックも出撃させるつもりではいた。空母は艦隊の遥か後方に護衛の巡洋艦と共に展開し、制空権が取れ次第領海を進入、艦載機で要塞を空爆した後に上陸作戦を展開する。フレスベルド提督、艦隊の運用は貴官に任せる。」



フレスベルド提督は、海軍所属の軍人の中では最高位に位置する。
彼を慕うものが皆彼を提督と呼び、その指揮権に信頼を寄せているのだ。
カリウス自身、艦隊運用が出来ない訳では無いが、専門職の指揮官に委ねて、自分は他の専念すべきことに注力したいと考えていた。
彼自身の計画のために。



「作戦開始は一週間後の5月30日。空軍部隊の出撃をもって作戦の発令とする。各々準備を進めてほしい」
「はっ」



それで作戦会議は終了する。
それほど時間が長く使われた訳ではない。
基本的な方針は皆一致しているし、最高権力者となったカリウスの作戦に絶対的な信頼を寄せているので、異論が挟まれることもない。
作戦の加筆修正は適宜行われるが、現状ではその必要もないとのことで、その作戦がそのまま採用されることになった。
カリウス大将は、所謂全体の作戦プランを定める役目で、実際に戦闘になった際に戦線を導くのは各指揮官の役割である。
彼としては、最終的な勝利が手中にあるのであれば、計画と方針に変更は生じないので、すべての行動に自らが介入するつもりはなかった。
国務尚書から非常時大権を授かった彼は、こと軍事行動に関しては最大の権力者となっている。
政府と軍務省、そして外務省との方針も明確に定まっているので、あらゆる裁量権は彼のもとにある。
もっともこの場合、その彼自身が独断を積み重ねてしまえば、国一つなど様々な方向に持って行くことが出来る、という危険な状態でもある。
しかし、グランバートを再興した英雄がそのような行動を取るとは誰も思ってもいない。
10年も前、この国が激しい内乱をキッカケに分裂し崩壊を招いた後も、いつかの国の為に、そしてこの世界の戦争を終わらせるために尽力した男であるのだから。


「いよいよ動くか。これで後戻りは出来なくなるな」
「……………、シュネイか。どうした」



自分の執務室へ戻る廊下、現れたのは容姿端麗な女性。階級は彼の僅か一つ下の中将。
『シュネイ』中将は、
グランバート王国軍総司令部所属特務中将という肩書で、陸海空軍のすべての軍事区分に対しある一定の権力を持つ指揮官の一人である。
参謀本部に所属するアイアスなどと似たような立場にはあるが、アイアスのように補佐役に徹している訳では無い。
元々はこの国の出身でも無ければ軍人でもなかったが、ある一件をキッカケにカリウスに協力する立場となった。
兵士たちの間では謎の女と言われることもあるし、カリウス大将の右腕のような存在と言われることもある。
カリスマ性もあり、兵士たちからの人気もある。
カリウスと比較にはならないが、彼女も人気取りの指揮官である。



「いよいよ腰を上げる気になったか。この国はかつてないほど強大な力を有している。他国への侵略も充分に可能だろう」
「必要な時に必要な分の実力を行使するだけのことだ。無闇に戦線を伸ばそうとは考えていない」


「それもそうだろう。だが果たしてこちらの動きに“ソロモンの連中”はどう動くかな。一度上がった火の手は消火されるどころか拡大する可能性とて大いにある。そうだろう、カリウス?」



それに関しては、確かにシュネイの言う通りであった。
当面の目的がアルテリウス王国であったとしても、同盟関係にあるソロモン連邦共和国が指を咥えて黙っているはずがない。
だから、アスカンタ大陸への電撃作戦は迅速かつ的確でなければならない。
それほど時間を要することなく主要の都市と軍事機能を制圧、占拠し、次なる戦いに備える。
隣の大陸への侵攻が今まで満足にできなかったのは、地理的要因も大きく含まれていた。
アルテリウス王国領を制圧したところで維持できるかと言われれば、疑問が残る。
であれば、結局のところ取れる方法は幾つかに限られてしまう。
最終的な目的の一つに掲げている『併呑』か、あるいは侵略者として敵国を破壊するか。
一方的な攻撃を続けて破壊しようと彼は考えてはおらず、政府としてもそのような手段を取るつもりはなかった。
この電撃作戦の末に、アルテリウスがグランバートに対し降伏するというだけで、その政治的効果も同盟への圧力も大きくなる。
そう言う意味で、彼らはインパクトのある作戦を迅速に展開しなければならなかった。


彼らの動きに恐らくは呼応するであろう連邦軍を、どう抑えるか。
それによっては戦線は更に拡大することになるだろうと、シュネイは彼に伝えた。



「そうだな。やがてはオーク大陸にも手が伸びることだろう。こちらの補給線を苦しめない程度にな」
「そうなれば、いよいよレイとも戦えるな。ん?」
「――――――――――――。」


その人物の名前があがった時、僅かにカリウスの眉が反応をした。
表情一つ変えずにシュネイの話を聞いていた彼の、変化の表れであった。
彼にとっては馴染み深い名前であった。
それも過去形で語らねばならない時が来た。
彼を思い出すことはある。だが、その彼という存在に引きずられていても、何も進むことも出来ない。



「…………この路を征くと決めた以上、いつかそうなると覚悟はしている。その時は全力で奴を討つ。ただそれだけだ。」



そう断言し、シュネイの横を通り過ぎていくカリウス。
その後ろ姿を見て、彼女はにやりと頬をあげる。
いつかは戦うことになる。それがいつになるかは分からない。
だが、その時は必ず来る。
かつてこの世界の戦争の終結を共にもたらした英雄同士が、相対することになるのだ。
二人はそういう間柄であり、この路を彼らが取った以上、それは必然である。
宣戦布告後の最初の作戦が発令され、準備が進められる。
その烽火が上がる時、この世界は再び昏迷の時代へ突入することになるのだ。


一方で、グランバート侵攻の標的とされているアルテリウス王国は、混乱状態にあった。


「奴らが私たちを報復すると明言しているのですから、間違いなく侵攻してくるでしょう!一刻の猶予もありません!」
「もしかしたら、もう攻めて来てるんじゃないのか?お得意の機械力とやらで………」
「こっちにはまともに機械戦闘に持って行けるだけの戦力はないぞ………!?」
「そうは言っても、そうなれば戦わざるを得まい。艦隊と航空戦力、そのどちらも総力を挙げて殲滅する手段を取るだろう」
「せめて陸戦が主体の戦闘になれば、あるいは………」



グランバート王国が正式に宣戦を布告してから、アルテリウス王国軍は全部隊に対し第一戦備体制を発令している。
いついかなる状況が訪れようともそれに呼応し、軍事行動を起こせるようにするための体制である。
つまり、彼らも戦争をする用意を整えなければならないということだった。
ところが、彼らにはグランバート王国と違って、明確な欠点があった。
アルテリウス王国には、現代戦争の主軸となりつつある海軍や空軍戦力が充分ではないのだ。
彼らの国は、グランバートやソロモン連邦と比べ機械産業に遅れがあり、特に生産能力に関しては両国にも遥かに劣る。
戦艦や空戦部隊の運用が出来ても、その数を揃えることが厳しい状況にあるのだ。
グランバート王国が、世界を見渡しても有数の軍事大国であることは、軍人であれば誰もが知っていることだ。
一度解体された国が再興を果たし、その域に達するまでに僅か8年あまり。
肥大化した国の成長速度は、他のどの国にも劣らずのものであった。
それに対し、アルテリウス王国は陸戦部隊には満足な戦力があるものの、機械化戦力には乏しい一面があり、そこを突かれると一気に崩壊する可能性があった。
そのため、同盟関係にあるソロモン連邦との共闘作戦が何よりも重要であった。
彼らだけで戦端が開かれれば、陸戦以外の分野ではグランバートのいずれにも劣るだろう、と。


ヴェルミッシュ要塞も、きたるその時の為に準備を進めていた。
侵攻作戦を敵が展開するとすれば、この要塞は間違いなく標的にされるであろう。
そうなれば、ここで戦闘が行われるのは疑いようもない。
上層部も現場の人間も同じ判断を下し、要塞に陸戦部隊を多数投入した。
上陸作戦を展開されようとも、対地攻撃用の要塞砲が左右に陣を広げて展開をしている。
砂浜を駆けあがり、岸辺を乗り越えて陸地に来ようとも、広範囲での迎撃が可能である。
実際に上陸作戦が展開され始めたとしても、この要塞はそうそう落とされることはない、と思われてはいた。
思われてはいても、万が一の対策もしなければならない。



「でも、俺たちにはこの要塞がある!それに“王国騎士団”もここに来るんだ!」
「そうだな。要塞と騎士団があれば、ここも持ち堪えられるだろう」
「押し返せるかもな!」


後ろみがちな兵士も多かったが、彼らの士気を高めていたのは、この要塞とは別に『王国騎士団』と呼ばれる部隊の存在がある。
味方の兵士たちからも絶大な信頼を集め、また憧れのような眼差しを向けられるその華々しい名前の部隊は、この国が始まって以来、同じ時間の歩みを辿っている。


ヴェルミッシュ要塞内部 作戦司令本部


この要塞の作戦司令室内は暗い空間に液晶の明るい光が飛び交っている。
あらゆる情報収集と処理、防空レーダー網の表示、本城とのやり取りなどがモニター越しに行われている。
それぞれのモニターを眺めて仕事をする人たちを横に通り過ぎて、奥の会議室に入っていく一人の青年がいる。
普段は会議室として使われているが、そうでない時は目の前にいる要塞司令官がこの空間を使うことが多い。
彼は、要塞司令官の呼び出しを受けて部屋へと入る。



アルテリウス王国軍第一陸戦師団所属第七陸戦部隊 通称『王国騎士団』 騎士団長マルス准将



「よく来てくれたマルス准将。王国騎士団の援護があるとは、全軍を指揮する私の鼻も高い」
「第二、第三、第七陸戦部隊、ヴェルミッシュ要塞防衛任務に本日着任をご報告いたします。」



王国騎士団の団長を務めるマルスはこの年26歳。
容姿端麗な男性で、真紅のマントを羽織り靡かせているのが特徴的であり、兵士たちの彼を知る共通の認識でもある。
常に自身の片腕も同じ、愛用の剣を携えて行動をする。
アルテリウス王国生まれの生粋な王国人であり、12歳の頃から王国軍人としてこの国の為に仕えてきた男である。
身体能力と状況判断能力、そしてカリスマ性とが突出しており、これまでの戦歴で武勲を重ね現在の地位にある。
特に10年前の戦争における功績は華々しいものであった。
アルテリウス王国は、一度世界の戦争が終結するに至った幾つかの戦線には参加しておらず、国として関与もしていない。
しかし、当時のオーク大陸の荒んだ戦闘を終結させるために組織された多国籍軍にマルスらも参加し、絶大な効果をもたらしている。
既に亡きルウム公国の残党、敗戦の積み重ねにより滅亡を遂げたエイジア王国軍との度重なる戦闘で戦果をあげ続けた彼の存在は、アルテリウスだけでなく他の国々の人たちにも知れているほどだった。
多国籍軍に合流した第七陸戦部隊『王国騎士団』は、エイジア王国との戦闘においてその力を如何なく発揮し、その名を世界中に轟かせるに至った。
謂わば陸戦部隊のプロとも言うべき存在である。
ヴェルミッシュ要塞に防衛任務として招集されたのは、第二、第三陸戦部隊と彼ら第七陸戦部隊の三部隊。
総勢1万8千名にもなる兵士が新たに追加派遣されたのである。
ヴェルミッシュ要塞に常駐する部隊は総勢2千名。
戦う兵士、補給を勤める後方担当、輸送班や医療班も混在しているため、実戦的な兵士の数は1500人程度ではある。
そこへ三部隊が集まり、一気に分厚い層が形成されたのである。



「何か必要なものがあれば遠慮せずに言いたまえ。出来る限りは協力しよう」
「ありがとうございます。兵士の数はとにかく、それを充分に運用するためには彼らを餓えさせないことが重要です。補給物資の確保と補給路の防衛は欠かすことのないよう、お願いしましょう。」

「その通りだな。防衛を強化することにしよう。城の者たちは何と言っているのだ?」

「こちらから仕掛けることはない、と。あくまで防衛に徹し、この防御線を失わないように尽くすとのことです。」



ヴェルミッシュ要塞から王都アルテリウスまでは、距離にして300キロほどある。
上陸部隊が歩いて移動をするには相当な時間を要するが、車などの移動手段を陸地に運び込めれば、進軍速度は一気に早くなるだろう。
グランバートの陸軍はこの数年で軍事力も兵員も増強されていると聞いている。
大挙して侵攻を許せば、あっという間に王都まで辿り着く可能性がある。



――――――――――そしてこの国は、そのシンボルを失えば一気に崩壊する。かつてのグランバートのように。



中央集権と言うのもおかしなものだが、王国である以上、中枢に権力が集まり、それは王都にあるアルテリウス城を中心としている。
王家がこの国を統治するのだから、あらゆる権力も王家が手にしている。
グランバート王国とアルテリウス王国との違いはそこにある。
グランバートの政治体制は各省に分担され、一つに権力が集中しない仕組みがとられている。
一方のアルテリウスは建国の王家とそれに近しい者たちが強大な権力を持つ仕組みで、民政が取られることは無い。
あらゆる意思決定も王家とその周りで下されることになるのだが、圧政を敷いている訳ではなく、あらゆる国民の要望を出来る限り汲み取り実現する努力は続け、また結果も残し続けているので、それほど大きな批判やサボタージュが生まれることも無かった。
何より国民が王国の人間であることに誇りを持っている。
よほどのことが無い限り、この国を見棄ててどこかへ行こうなどと考える人もそういるものではない。



「この要塞は、この国の防衛を担う重要な役割を担っているが、それはあくまで敵国がいるという条件下で意味を持つものであって、平和な世には必要のないものだ。即ち、この要塞を使わねばならぬ時は、常に荒事が身に纏うこととなる。これまでこの要塞が効力を発揮した機会は無いが、願わくばこの地より先へ敵を進ませたくはないものだな………」


「………はい。シェザール少将」



そう、やや虚しさを感じさせる声色で、この基地の司令官でありアルテリウス王国陸軍少将のシェザールは呟いた。
中央政府がグランバートへの侵攻を行わずに防衛に徹すると判断したからには、この要塞は間違いなくその意味を果たすために稼動することとなる。
アスカンタ大陸への侵攻は、どの大陸から来ても補給路が充分でなく、攻略すること自体が痛手となる場合が殆どだった。
大部隊で侵攻したところで、それらの兵士を満足に運用できるだけの余裕が無かったためである。
だが、現代ではそれが可能な技術力を各国が保有しているため、この戦いはそうした新時代の戦争への技術闘争というような様相を呈することも予想されている。
航空機、戦艦などがそれにあたる。
陸上戦闘こそ旧式の接近戦のままだが、それもいずれは変化していくことだろう。


こうして、アルテリウス王国軍は、その防御要塞に王国騎士団を配備して、迎撃の準備を整えていた。
本国の中心部では、いずれやってくるであろう敵国の兵士に備えて、山間部に民間人を疎開させる動きが加速していた。
また、国の為に仕えたいと欲する人間たちが次々に軍への参加を志願し、兵士のみならず一般人の協力も増え始めていた。
彼らは皆戦場に登用され、そして命を散らしていくのである。


……………。


5月30日、午前8時。
ソウル大陸北部 グランバート王国空軍北部航空方面所属第一、第二空戦部隊 駐留基地『ウェリングストン』空軍基地
この日は朝から航空機の轟音が鳴り響く。
基地の周辺空域は、普段は航空機の訓練空域として飛行機のエンジン音が鳴り響くのだが、今日は普段のそれとは明らかに空気が違った。
何しろ、グランバート王国が復興を果たしてから初めての“有事”の到来である。


「この戦いの勝利は諸君らの奮闘に掛かっている。敵空軍を制圧し制空権を手中に収めた時こそ、この戦争の主導権を我らが握り、敵軍に対し楔を打ち込むことが出来るであろう。」


スピーカーを通じて基地の全員に声を流すのは、空軍総司令官のゲーリング中将。
アルテリウス王国侵攻作戦における空軍最前線基地に臨時の司令部を置き、ゲーリング自らがその指揮にあたる。
兵を統率し指揮するのは司令官と参謀の役割で、実際の航空機を動かすのは兵士である。
一週間前に示された所定の行動計画に従い、朝8時の出撃を持って作戦行動の開始となる。
そのため、この日は夜中から直前の準備で基地は慌ただしかった。
作戦行動の準備のため、既に艦隊は出撃し領海内で待機している。


「準備でき次第すぐに発進しろ!!」
「後続機もいるんだ!急げ!!」
「無線のチェック怠るなよ!!」


基地の滑走路では、離陸を待つ飛行機が次々に渋滞を作る事態となっていたが、徐々にそれも緩和されていく。
次々と戦闘機と攻撃機が離陸し、日の昇った空の中に黒い鉄の塊が幾つも浮かび上がっていく。
その光景こそが新しい戦争の始まりを告げる姿、と言うべきものだろう。



「では、行ってきます。閣下」
「頼んだ、メルダース中佐」
「勝利の栄光を、必ずやここに―――――――――――。」


第一航空部隊所属のメルダース中佐は、空軍部隊創設時からのメンバーの一人であり、戦闘機を操縦する兵士の中では最高位の階級を有する。
訓練におけるその技量と練度の高さは群を抜いており、空戦が行われるような戦争の形態において、彼はエースパイロットに最も近い存在となるだろうことが味方内から期待を寄せられている。
メルダース自身は陸戦部隊の出身だが、航空技術の登場と同時にその技術開発と運用に携わることとなり、既に8年ほどの時間を費やしている。
他の兵士よりも長く従事していることもあり、その戦果を大いに期待されていた。
ゲーリングにとって、メルダースの存在は大きく、必ずや空戦部隊を導いてくれる存在となるだろうと、彼自身も期待をしていた。
そのメルダースも、自身の愛機を駆る。


こうして、グランバート王国軍は、『アルテリウス王国への侵攻、報復』を目的とした作戦行動を発動する。
時代は再び戦乱の世を迎え、目まぐるしく状況が変化をする。
その渦中に身を置く者、これからそこへ向かっていく者、荒波に浚われ命を落とす者。
実質的に世界大戦が始まって60年目。
世界中が再び戦火に包まれるまで、もう少しの時間を要する。



……………。

第4話 戦術演習

士官学校での訓練が始まって、一週間。
今日は5月30日。
後の歴史に残る“グランバート王国とアルテリウス王国の開戦の日”となるのだが、彼らの学校ではまだその情報を掴めてはいなかった。
今日の彼らはいつも通りに寮での朝を迎え、食事を摂って時間を置き、身体訓練と勉学に励んでいる。
一時間の基礎訓練を終えた後の座学で、ある一つの発表がなされた。


『来月の10日。各部屋対抗の遠征訓練を行うこととした。』


指導監督者のヒラー少佐から、17名の生徒に向けてそのように発表が行われた。
戦術理論の講義が始まる前にヒラーが教室に姿を現し、シュデルグとアイコンタクトを取って彼がその場の主導権を握った。
どうやら二人で既に発表することを決めていて、意思疎通をしたようだった。
各々その言葉に疑問符を浮かべる。
遠征訓練、というのは分かるが“各部屋対抗”というのはどういうことなのだろう?と。
ツバサは、遠征という言葉にワクワクを感じていたが、まずは説明をじっくり聞くこととした。


「このオルドニアの街から北に50キロほど行くと、ベスラニオス山地があり、その一部の山々はかつて鉱山として栄えた歴史がある。今はその鉱山も閉鎖されてしまったが、その周囲には登山道を整備していて、我々オーレッド州の州軍が今も管理をしている。登山路を整備し、また比較的平地の多い区域では移動砲台の射撃場として使用している。この街中では行えないような訓練もしているということだ」


移動砲台などの砲撃兵器を使うと、爆音や振動で周囲に迷惑をかける。
軍としてはその配慮として、出来るだけ人口密集地から離れた郊外でそのような訓練を行うことにしているのだという。
有事の際の訓練は欠かさずに行われていて、鉱山のあるベスラニオス山地は人の住むような栄えた地域でも無いので、士官学校のみならず通常の陸戦部隊の訓練所としても使われている。


「今回、お前たちはそれぞれ部屋ごとのチームを組んでもらい、4つの分かれた登山道を別々に進んで頂上にあるシグナルビーコンを起動させ、元の出発地点まで戻って来てもらう。これまでの基礎訓練で体力も少しずつだがついてきていると思う。ビーコンを起動させ、最も早く戻ってきたチームには報酬を用意している。これまで一週間と少し頑張ってきたお前たちの為にもな。」

「お~………」


やや感嘆とする声が漏れる生徒たち。
ツバサはただじっくりと話を聞いているだけであったが、隣のエリクソンの表情は少しばかり緩んでいた。
自分たちの努力がきちんと教官たちにも伝わっている、と認められたような気持ちになったからだ。
他の生徒たちの一部でも同様の考えに至った人もいたようだ。
だが、それも登山路の詳しい状況などが伝えられると、真剣な表情へと変わる。
ヒラーも、ただの登山のように思えるが簡単な場所では無い、と話したからだ。
標高は700メートル。
山麓に軍の訓練用施設と専用の駐留施設を備えているので、その施設から登山道へ向けてまずは歩き、それから各所に分散した後にスタートをする。
それぞれ登山道は平坦なところから、山道、高低差のある悪路などが続き、ビーコンポイントの近くは岩部を上がる必要があるところもあり、決して緩い登山道という訳では無い。
また、過去にここでの訓練中に命を落とした士官学校の生徒もいたとの話を聞き、彼らに緊張が走る。
ピクニックをしにいくような緩い気持ちでは、足元をすくわれる。
しかし、出来ないような訓練をさせるつもりはない、と。



「もし万が一の事態が発生した時には、必ず軍用無線で知らせること。武器や兵器は補充できるが、人員はそう簡単には補充出来ないからな。」

「……………」



各々返事をして、10日後の訓練の日程が確定したのを把握する。
一部の人たちからすれば、複雑な気持ちであった。
何しろ兵士になりたくて来ている訳では無いのだから、命の危険があるような訓練を受けたいとは誰も思わない。
もしかしたら、過去に亡くなったその生徒たちも、そうした人たちではなかったのだろうか。



―――――――――――訓練中の不慮の事故。



訓練をしている以上、生徒たちの安全には充分に配慮しなければならない。
実戦では無いのだから、それを受ける生徒たちには安全が約束されているべきだ。
しかし、だからといって安全を最優先に訓練項目を減らしてしまっても、将来的に兵士になる人にとっては都合が悪いこともある。
本当の実戦の際に、役に立つことを学ぶのが訓練というもの。
それを抑えてしまっては、本来あるべき立ち回りが出来なくなる可能性とて充分にある。
安全であることは第一だが、きちんと身体を張って学ばなければならないことも多い。
その過程で、命の危険に直面する可能性が無いとは言い切れない。
教官たちも安全を第一に考えてはいるものの、それがすべてと言い切れるような状態でもない。
複雑な心境を持つ生徒がいることは、教官の目から見てもすぐに分かる。
そしてそれは今回に限った話ではなく、何度も目にしている光景の一つなのだ。
この国が兵士の訓練を義務教育の一環として導入しているためである。
望んでここに来た者はともかく、望まれずに強制されてここへきて、訓練中に死亡する。
そのような結末があるのだとしたら、あまりに不憫ではないだろうか。
ある意味でこの過程は教官たちの葛藤とも結びついている。


「なるほどねえ。ってことは、誰もが一度は通る関門だっていうことか」
「うん、そうみたい。上級生たちも同じ経験をしているって話だよ。」
「よく調べたなあエリクソン。どこで聞いたんだ?」
「又聞きかな。直接聞いた訳じゃないんだ。“いつものやるみたいだぞー”って言ってたからね。」
「ほうほう」


士官学校の間では有名な話となっている。
基礎訓練をする過程で必ず遠征の計画が組まれ、その中にベスラニオス鉱山を登山するという項目が毎年幾度も行われているのだという。
“まるで登竜門だな”というのは、ツバサが口にした感想であった。
たとえ立場がどうあれ、希望してここに来たかそうでないかは問わずに、誰もがその関門を突破しなければならないということだ。
情報を集めれば、その訓練がどのような難易度を持つものなのかが想像しやすくなることだろう。
ここでツバサが一つ気にしていたのが、同じチームのメンバーであった。
エリクソンとは距離を縮めることが出来ているが、残念ながら他のメンバーとはまだ口も殆ど聞かないような状態だ。
今のままではチームの連携も何もあったものではない。
残り10日間ほどある時間で何とか少しでも距離を、あるいは溝を埋められないものか、とツバサは考える。
いつまでもこの重苦しい空気を味わっているのは、彼としても本意ではない。


彼も、それをエリクソンに相談をした。
この間の、突き放された一件も含めて。



「そうだね………この期間で距離を縮めようとするのは難しいかもしれないよね。パトリックさんが言ってたように、僕たち二人とあの人たちとでは、きっと置かれた状況が違うんだと思う。人それぞれの立場があって当然だと思わない?」

「まあ、それは分かるんだけどよ。でもこれって最低限のコミュニケーションってやつじゃないのか?同じルームメイトなんだから、互いに話して協力し合うのは当然だと思う」

「うん。きっとツバサの考えは間違ってない。寧ろ正しいと思う。だからそのキッカケが、僕たちには必要なんだと思うよ。」


そしてエリクソンは言う。
皆が集まってその機会を作る、そのような状況を生み出すのは恐らく難しい。
であれば、個人と対した時にそのような状況を作れるかどうかではないだろうか、と。
すると。


「そこでツバサ、僕から一つ提案。」
「お?大きく出たな!」
「ははっ。幸い僕たちはみんな一緒の授業を受けている。みんなの姿を見るのは簡単だよね。そこで、何か三人が得意にしてそうなもの、打ち込んでいそうなものを授業や訓練の中で見出して、それをもとに話題を振ってみるっていうのは、どうかな?」

「なるほど~長所を褒めるってやつだな!?」


ツバサが親指を突き出して快諾をした。
エリクソンもそれを見てなお乗り気になった。
彼としても、いつまでもこの空気感に圧されるのは好ましくないと考えている。
出来る限りの協力をツバサにして、この状況を打開したいとも考えている。
ある意味でツバサを利用することにはなるのだが、これは彼が望む協力関係だ。
そのためには色々な手段を取ってみようと提案するのである。



「あからさまにするんじゃなくって、話のネタ作りとしてっていう感じでね。」
「ようし、そうと決まればヒューマンウォッチングは欠かせねえな!」
「ま、まあ張り切らずにコツコツ、とね?」
「おうよ!」


落ち着いて取り組もう、という構えのエリクソンと、気持ちが昂るツバサ。
あるいは、それも無理もないことだったのかもしれない。
彼には見出すことの出来なかった打開策だった。
しかし、エリクソンの提案があるからこそ、彼は「次にこうしてみよう」という行動を起こすキッカケを掴むことが出来ている。
それが本当に効果のあることかどうかは、やってみなければ分からないだろう。



ヒラーの発表の後には、戦術理論の講義が行われる。
既にこの講義も7回目を迎えるのだが、ここで今日はいつもと違う形式での講義が行われることとなった。
「これからシミュレーション室へと移動する」
というシュデルグの案内のもと、彼らはいつもの講義室から、やや薄暗い演習室に移った。
不思議な形をした部屋の空間で、360度に座席が用意されていて、中央の広場を取り囲むようにして作られている。
中央にはモニターやらパソコンやらが置かれている。
それぞれ対面に置かれたパソコンとモニター、そして壁一面に設置された大きなモニター。


「この演習室では、実際の戦場を見立てて配置を形成して、戦場における兵士や兵器、補給路を動かし戦いに勝利するための運用を実践することが出来る」


戦いに勝利するには数多くの要素が求められる。
力の差も、兵士の数も、戦場における有利なポジションも、その配置と運用の仕方も、あらゆることで勝敗が左右する。
前線にいる指揮官やそれを補佐する参謀役は、戦う兵士たちや医療兵、偵察兵や補給専門の兵士をどのように運用するかを定めなくてはならず、
ここではある程度の傾向をシミュレーションという形で学ぶことが出来るのだという。
シュデルグ自身が注釈を入れたことだが、ここで勝ったからといって現実でそれが実行できるかと言われれば、そうでないことの方が多いと言う。
基本的な理念や考え方をここで学ぶのであって、勝つための方法に直結している訳では無い。
それがシュデルグの持論でもあり、この講義を展開するうえでの絶対でもあった。
こうした理念が行き届かないような戦場とて普通にあるだろうから。


「まあ、今日はゲーム感覚のつもりで、皆でやってみよう。順番に対戦してもらうからな。最適な方法を選んで戦場を運営してくれ」


あまりに唐突な実戦形式でのシミュレーションとなるのだが、学び始めて一週間の彼らにまともに動かせるとは思えない。
だから、今日はあえてゲームのように楽しみながら学んでいこう、という姿勢のシュデルグ。
普通、実践と言われ、しかも皆の前でそれを見せるとなると緊張もする。
だが、彼はあえてそれを取り払い、とにかくこの講義の奥深さを知ってもらいたいという思いで、この演習室を使用することにした。
机と向き合って学ぶことよりも、多くのものをここで学ぶことが出来るだろうから。
こうして、唐突なシミュレーション体験が始まる。
いずれは試験項目として実施される予定となっているこの演習。
二人での対戦形式を取り、あらかじめ定められた陸戦での地形にお互いの軍が布陣する。
主戦場の形状は幾つもコンピュータにインプットされているが、今回は全員同じ形状の戦場を使用する。


同じマップの中で、互いの軍がどこに布陣をしているのかは分からない。試合ごとに配置は変わる。
相手を攻撃して殲滅をするか、優劣を覆すことが不可能な状況に追いこむことで、勝者が決定される。
基本的には陸戦部隊の運用しか出来ないが、運用部隊は主に二つに分類される。


①『攻撃部隊』
文字通り、相手を攻撃するための戦力である。
基本的にはマップのどの位置に配置しても可能だが、地形上展開するのが困難な区域には、限定的な人数しか展開出来ないか、あるいは展開そのものが不可能となる。
攻撃部隊を動かすためには、攻撃部隊が満足に行動するための「補給路」と「補給物資」が確保されている必要がある。
人が生きるために、動くために食料を必要とする、水を必要とするのと同じ考え方にはなるが、多数の兵を動かすためには、その兵たちを餓えさせないように食事を与え続けなければならない。
補給物資は後述の②『補給部隊』のフェーズで運用をすることが可能。
前線での行動に補給物資が行き届いている状態であれば、行動の限界点まで兵士を動かし、また戦わせることも可能である。
しかし、補給路が断たれる、補給物資が不足するようなことがあれば、進撃速度は著しく低下し、
「攻撃力の低下」
「進撃速度―展開範囲の減少」
「被攻撃耐性の減少―戦闘における負傷者の増加」
などと、進軍に悪影響を及ぼすこととなる。
二人のプレイヤー間での補給物資の残量は確認できないため、両者はお互いに探りを入れながら行動線を予測し対処する必要がある。
攻撃部隊の展開については、海や川といった現実的に展開が困難、もしくは不可能な区域以外であれば、基本的にどこでも展開が可能となる。
ただし、山間部などの高低差の激しい区域などでは、展開の為に必要な補給物資の量が増えるので注意が必要となる。
戦場において両軍の攻撃部隊が戦闘を始め、優位な展開にするためには、戦闘中の部隊の陣形を変化させたり、補給物資を大きく消費するが、特装攻撃(砲撃など)を行うことで、戦闘兵士の数を減らすことが可能となる。
両軍の補給物資の状態によって、戦闘力も大きく変化をする。
また、すべての段階において両軍の位置は不明なままで、発見し交戦が始まると、その区域で遭遇した両軍の兵力差が表示される。
奇襲攻撃が成功した場合には、戦闘フェーズにおける最初の段階で相手により高い攻撃力での戦闘を展開することが可能となる。
攻撃部隊は、いずれも進撃する方向に矢印を立てられる。
この場合、背後と側面からの攻撃の場合は、正面から対峙するよりも強い攻撃を行うことが出来る。
お互いに配置が分からない以上、どこでどのような向きを取り接敵するのかは、遭遇しないと分からない。
これを行いやすくするために、攻撃部隊の運用に「偵察行動」のフェーズを実施することができる。
補給物資の消費量は多くなるが、少数の偵察部隊を攻撃部隊から分離して行動させることで、敵の配置と行動線を索敵することが出来る。
偵察が成功すると、相手がどの程度の距離を動かしたか、またその時点でどこを向いて進撃しているのかが分かる。
偵察を受けたことを対戦相手は基本的に知ることは出来ないが、「偵察の失敗」という可能性もある。
偵察部隊の行動として、偵察行動を指示した攻撃部隊には戦闘力が無くなる。
そのため、偵察を行っている最中、奇襲攻撃の対象とならない、真正面からの偵察に関しては接敵とみなされ、攻撃力の無い偵察部隊は必然的に殲滅されてしまう。
正面から対峙しない為に、どのルートを使って偵察を行うかが重要となるが、これには充分な補給物資が無ければならない。
攻撃部隊の運用における兵士の数は、プレイヤーが任意で調整することが可能で、部隊を分けてそれぞれの役割に従事させることも、攻撃部隊を二つに分離して行動させることも可能だ。


②『補給部隊』
攻撃部隊を充分に動かすために必要な部隊である。
マップ区域内には幾つかの占領テリトリーが存在し、区域を制圧すると補給物資を調達することが出来る。
お互いに最初の段階での物資量は同数となっているが、区域の進行状況によって増減する。
攻撃部隊が満足に行動できるには補給物資が必要であり、それを前線に投入するためには補給路が確保されている必要がある。
前線での攻撃区画が単一のものではなく、複数個所で勃発すると、物資の消費量は著しく多くなるので、物資量の不足が懸念される。
また、補給部隊は常に前線の攻撃部隊との間に補給路を設定している必要があり、補給部隊が補給路を確保できず部隊の行動線を寸断されてしまうと、攻撃部隊へ補給物資を送ることが出来なくなり、攻撃部隊の攻撃フェーズに著しく影響を与える。
補給路の設定は、ある程度の距離感覚で攻撃部隊と補給部隊とが追随することで設定を維持することが出来る。
もしくは、補給部隊のベースキャンプを設定することで、物資の移送量は減少するが補給路の設定なしでも物資を送ることが出来る。
しかし、ベースキャンプの設定には設定容量があり、定められた物資量以上の貯蔵は出来ない。
追随による補給路の確保は、攻撃部隊と補給部隊との距離によって状況が変化する。
攻撃部隊の行動線が長くなる=補給部隊との距離が長くなると、物資の供給量が減少し補給が満足に行き届かなくなる。
補給部隊に攻撃能力はなく、強襲/奇襲を受けると瞬く間に全滅する恐れがある。
補給路が断たれると劣勢に追い込まれやすくなり、補給部隊が全滅すると、基本的には敗北判定となる。
補給部隊そのものを分離させて、複数の補給路を敷くことも可能である。
ただし、供給量は分離することで減少するので、前線での攻撃部隊の運用方法によっては物資不足に陥る危険がある。


「とまあ、ゲーム感覚と言われてもねえ………」
他の人の動かし方を見て、自分もそれに習おうと考えていたツバサではあったが、シュデルグの抽選の結果一番手にプレイすることが決まってしまった。この演習室の端末は台数が限られているうえ、皆に運用方法を見てもらった方が色々とアドバイスも貰えるだろうと、あえて一対一の対戦形式を取ることとした。
彼の目論見も外れてしまったので、とにかくもやるしかない状況となった。


「……………」
ここで、彼の対戦相手となったのは、同室のジェザ。
ツバサほど高くはないが、同室のメンバーと比べるとツバサに次いで背が高く、いつも眼鏡をかけている。
彼はジェザに対しては寡黙なイメージを持っている。
特に、部屋に一緒にいる時間帯である夜は、机の電気をつけて一人読書をしているイメージが強い。
そうした姿ばかりしか見ていなかったというのもあるだろうが。


「ま、よろしくな!」
とにかくやってみるしかねえな、という心持ちで、彼はジェザに右手を挙げて合図を送る。それがあいさつ代わりだ。
ジェザも一応は答える。手もあげず、表情を変えることもなかったが、視線を送る。
他の生徒たちがこの二人の動きを参考にするかどうかは別にして、動かし方などはよく見られることだろう。
シュデルグの機器操作で、対戦形式での模擬訓練が開始される。
マップは固定されている。陣営を動かす二人には敵の配置は一切見えていない。
見えているのは、マップの中央部の平原地帯、西側の川を主体とした不整地、東側の山と主体とした荒地。
西側にも東側にもそれぞれ補給拠点を展開できる追加物資が用意されている。



「よしいくぜ!前進!!!」
初動、ツバサは全軍をもって平原地帯へと進軍させる。
部隊を分けることもなく、補給路を新たに新設する訳でもなく、ただひたすらに前進をしてみた。
この一週間で色々と戦法を聞かされてはきたが、彼は彼なりに駒を進めた。
“本当に授業を聞いていたのか”と問われるような動き方にも見えるが、無論幾つかの理解を持っての行動であった。
彼が考えていた、好機を生み出すタイミングというのが、敵の主力を見つけて攻撃をする瞬間だ。
例えば、全く索敵がてきていない状況でお互いが正面から対峙すれば、何ら奇襲にもならず普通通り攻撃フェーズとなる。
だが、側面や背後を取れば、先に動き見つけた側に一定のアドバンテージが入る。
初動の攻撃力の増加や、相手よりも発見が早いことで初動を遅らせることも出来る。
「まさか真正面から堂々と進軍はしないだろう」と読み、中央の区画を通って左右に分散し、どちらかの敵の後背を攻撃しようと考えた。
マップ上に見えている補給物資を真っ先に確保することは出来ないので、敵に奪われることを前提とした立ち回りである。


彼は真正面の平原地帯を奥まで進んだが、ここでは敵を発見できなかった。
となれば、左右どちらかの物資を狙いに行った可能性が高い。
彼は西側の川辺と東側の山地に部隊を分散させて、敵の後背を狙おうと行軍を早めた。
そして最初に敵と接敵したのは、彼が北の平原地帯から東側の山地に部隊を展開させた後だった。



「あれ?正面向いてんじゃねえか!」
「…………!」



東側の山地で戦闘が開始される。
全速力で敵の後背を狙おうとしたツバサに対し、正面を向けて待ち構えていたのはジェザの部隊。
ツバサは初めから敵が平原地帯の反対側で布陣されたものと思い行動したのだが、ジェザは彼の行動を読み取っていたと言える。
「なるほど。ジェザは補給部隊、いや補給拠点ごと移動させていたか。」
と呟いたのは、シュデルグだった。
ツバサは自軍の行動線を繋ぐ補給拠点を陣地に展開したままにしているが、ジェザは補給拠点をあえて行軍する部隊の同列に加えていた。
拠点を形成できるほどの補給部隊を率いると、進撃速度は低下する。
だがこれを見越してジェザは分散した後に両側の部隊を反転させて、後方を狙おうとする敵の攻撃に備えるべく展開した。
この時の兵力さはツバサの方がジェザの展開する部隊よりは多い。
しかし、ジェザはもう片方の川辺の区画に少数の部隊を向けさせて、補給物資を獲得しに動いた。



「ツバサは補給拠点との行動線がやや伸びている。それに、確かにツバサの陣営は数でジェザの部隊に勝る。数で言えばツバサが有利になる状況だが、ここは山道だ。狭い道に合わせた配置が必要となり、数の有利さを生かせずにいる。ここはジェザの狙いが見事に的中しているな」
「なるほど………!」
「こいつは凄い………!」


総数ではツバサの軍が勝っても、狭隘な山道で部隊が満足に展開できるはずもなく、ジェザはそれを狙って少ない部隊でも防衛線が出来るようにした。そう、彼は初めからツバサの軍を足止めするために、このような配置を行ったのである。
たとえツバサが全軍をもって山地を攻め込んできたにしても、この狭隘な山道のおかげで持久戦に持ち込むことが出来る。
正面さえ向けていれば、奇襲によるボーナスは入らない。
ジェザの初動は、はじめから中央部を空洞にして左右に配置し、どちらかの陣営が衝突するまで防衛線を敷くことにあった。


「なんでだ?数じゃ俺の方が有利なはずなのに」
シュデルグはモニターを見る生徒たちに解説を交えながら話すも、その声は二人には届いていない。
戦闘中に他の人たちが見るモニターの映像、情報は答えを言うに等しいから伏せているのだ。
ツバサは思ったほど敵を殲滅できないことに焦りを感じていた。
一方のジェザはツバサを完全に手玉に取った形となり、自信ありげな表情を浮かべた。
比較的進軍が容易な西側の川辺を南下し、マップ上に設置された補給物資を奪取。
少数の部隊ながら高速で移動を続け、東側でツバサの軍を足止めしている間に、彼は南側の中央部へと進軍した。
そこにはツバサ陣営の補給基地があり、戦闘能力をもたない補給部隊はたとえ少数の部隊といえど壊滅を余儀なくされる。
「チッ………なるほど、うめえな」
補給路が寸断されたことで、前線の、しかも狭隘な山中に孤立を余儀なくされたツバサの陣営は、全軍を動かすための物資が不足し、行動不能に陥る。
こうして、僅かに5分間ではあるが、対戦が繰り広げられ、勝敗が確定した。



「いや、二人とも見事だった。トップバッターとしては充分すぎるな。」
戦闘不能状態に陥ったところで、シュデルグが本機を操作して対戦フェーズを終了させ講評した。
ツバサもある程度の考えを持って行動をしていたが、ジェザがそれを見切った。
彼に勝機があるとすれば、最初の時点で分散行動を取り、特に川辺の区域での戦闘で勝利をし、山中の敵を挟撃するか、敵の出方を見るために自軍で防衛線を張って偵察に専念をした後に攻撃に転じるか。
ジェザもツバサの行動を予測してはいたものの、兵員数の運用においては賭けに近い要素もあった。
事前に情報を獲得できていれば、逆に包囲攻撃をすることも出来たであろう。



「これが戦術の面白さでもある。指揮官の運用の仕方で、戦場は色々と変化をする。その時々に応じた運用が必要で、そこには確たる答えなど無い。最終的な結果をもたらすためにどのような過程を作り上げていくかが重要なのだ。………さて、色々パターンを使いながら、全員やってみらおうか。」



まずは二人の戦いぶりを見たところで、マップ上での配置を変えながら全員がその後もプレイすることとなる。
はじめての演習にしては上出来だった、というのがシュデルグの評価だった。
演習直後、ツバサはジェザに話しかけに行った。
「参ったよ!大したもんだな!」
と、悔しそうにしながらも笑顔を浮かべていたツバサと、表情変えずにそれを聞くジェザ。
相変わらずの無反応を決め込むのか、とツバサは思いその場を離れようとしたが、その時。


「いや、お前さんも中々だったと思うぞ。猪突さえなければ俺も危なかっただろうな」


と、冷静に分析をし彼にそう伝えていた。
ジェザはツバサの人となりから、正面から堂々と戦いをするだろうと考えて、はじめからそれに合わせて布陣したのだ。
相手の人となりや心情を推察した布陣と行動。
ツバサはただひたすらに感心していた。
その表情を傍でジェザも見ているが、悪い気はしない。その表情が、自分を認めてくれている証拠でもあるのだから。
思い上がることもないし浮足立つことも無いが、今回はこれで正解だったのではないか、という思いだった。



「また上手い方法があれば教えてくれよな!」
「………どうだか。」



ツバサは、笑顔で彼の肩をパチンと叩くと、やや鼻で笑いながらもジェザは答えた。
これがジェザとの初めての接触、というよりは会話になったのだが、以後このような微妙な距離感での話が続くことになる。
今はそれでいいのかもしれない。
焦って距離を縮めるよりも、少しずつ近づけるようになればいい、と。
最低限会話が出来る間柄にでもなれば、少しは変わるだろうし、周りの人間もそれに気付いて態度を改めるかもしれない。
そう言った意味では、エリクソンの助言はあの部屋をより良い方向へ持って行けるかもしれない。
そう期待を持つのであった。


…………。
そして、その日のすべての講義が終わった、夕方のこと。



「なんだか騒がしいっつうか」
「なんだろう?妙に先生方が慌ただしいね」



ツバサとエリクソンの二人は、講義を終え汗を流すために大浴場への広い廊下を歩いていた。
その廊下では、多くの生徒たちが往来しているが、生徒たちよりもこの場は先生たち、つまり本職の軍人たちの方が目立っていた。
生徒たちが歩いているのに対し、教官たちは慌ただしく走り回っている。
途中、浴場で生徒を見つけては談義に花を咲かせることで有名なウィンザー少佐を見かけたが、そのウィンザーの人となりからは珍しく焦燥を浮かべた表情で走り去ってしまった。
何があったのかを聞こうとしても、そのような雰囲気ですらない。


「…………気になるな。エリクソン、食後の空き時間にでもちょいと調べてみねえか?」
「そうだね。もっとも、噂話なら大浴場か食堂で聞けるかもしれないけどね…………」



この士官学校にはあらゆる情報を取得できる図書館があり、情報媒体の数々もそこに集まる。
自分たちで調べるのであれば、そこへ行くのが一番だろう。
もっとも、噂話程度であれば、人々が集まるところで飛び交う。
軍人たちが慌ただしくしている理由も、そこで分かるかもしれない。
そしてその理由を知った時、士官学校にいる生徒たちはこう思うのだ。
“もはや、他人事ではない”と。


曰く。
“グランバート軍、アルテリウス王国への侵攻作戦を開始する―――――――――――。”



………………。

第5話 連邦共和国_動向①


公式記録では、両国空軍の衝突は“5月30日午前10時45分頃”とされている。



ソロモン連邦共和国 首都オークランド 連邦軍統合作戦本部内



アルテリウス王国からの緊急通信により、事態が発覚した。
宣戦布告がなされた以上、いつかこうなることは目に見えていたが、遂にその矛先を向けたのである。
はじめに動いたのは、グランバート王国空軍。
大挙して領空を進入し、迎撃のため出撃したアルテリウス王国空軍を次々と撃墜し、制空権を確保したのである。
グランバート王国空軍の侵入が確認された時点で、アルテリウス王国への通信は行われた。
ところが、現場の空域からアルテリウス、およびソロモン連邦共和国に対しての通信は充分に送られなかった。
通信による発信記録は会敵前から確認されているが、実際に状況が伝えられたのは戦闘が終了した後のことであった。
情報が伝達された統合作戦本部は、全体が慌ただしい様子へと変貌した。
アルテリウスの被害状況の詳細取得と、攻撃部隊の所在を確認するための行動が始まる。


「制空権が取られれば、次は上陸作戦が始まるに決まっている。アルテリウスの状況はどうなっている」


各隊、各部署がそれぞれの行動をしている最中、連邦軍の高級士官たちはこの事態を受け、緊急の会合を開いていた。
統合作戦本部作戦司令室内、『円卓の会議場』。
同盟国であるアルテリウス王国が攻撃を受け、事態は更に悪化の一途をたどっている。
同盟国が攻撃されれば、同盟を結ぶこの国にとっても只事ではなく、他人事でもない。
これからどのように対応するかを協議する必要があった。
今、この円卓の会議場には政府関係者のほか、外交官や軍人たち、総勢30名ほどが集う。



「アルテリウス王国空軍は、元々航空戦力はそれほど豊富ではありませんでした。使用される飛行機や武装はいずれも旧式のまま。一方でグランバート王国軍のそれは、自国開発のもので最新鋭のものと思われます。幸いアルテリウスにはレーダー能力がありましたから、ある程度事前に察知して迎撃に出ることは出来たようですが………撃滅されてはどうすることも出来ません。」


「空軍は全滅したのか?」


「いえ。北方の防衛部隊と王都周辺の防空任務にある空軍部隊は健在ですが、南方の防衛飛行隊は大損害を受けたようです」


アルテリウス王国は、機械戦力がそれほど豊富でないため、空軍や海軍の所有も少なく、また実際にそのような戦闘状況が発生した際には、勝利を期待できる状態ではないだろうと多くの者が推測をしていた。まさにその通りの展開となってしまったのである。
しかし、これでグランバートの当面の狙いが明らかとなった。
ウィーランド国王代理の暗殺に関わっていると判断したグランバートは、まずその矛先をアスカンタ大陸へと向けた。
所謂報復という意味合いを込めたものであるのは誰が見ても明らかではあるが、それ以上にこれまでの歴史の中で果たせなかった、アスカンタ大陸への侵攻を現実のものにさせようとしている、と連邦軍は考えている。
今や航空機や船舶といった、かつての時代に無かった強大な技術力を手にしているので、隣の大陸まで行くこともそれほど難しくは無くなっている。
アスカンタ大陸に唯一の国を持つアルテリウスは、既にグランバートの侵攻に備えている。
そこで世界が注目するのが、まさにソロモン連邦共和国がどのように動き出すか、というところであった。



「グランバートの第三艦隊も既に出撃していることだろう。アルテリウスを防衛するにはすぐに手を打たねばならない。………そうですね、ベルフリード総統」


「………ええ、確かに仰る通りでしょう。グランバートは禁断の箱を開けてしまいました。これより出る災厄を封じるには、それを潰すより他はありません。リラン国防長官、作戦行動に際しすべての作戦指示書は私に提出して頂きますが、その内容は貴方がた連邦軍人にお任せします」


「よろしいのですか。反戦論者の動向を全く無視することになりますが」


「確かに彼らは政権に非難を浴びせることでしょう。ですが、そうも言っていられなくなる時がやがて訪れる。その時の為に少しでも状況を変化できるのなら、多少の批判は甘んじて受けましょう」


連邦共和国は多くの州が点在し、それぞれの州ごとにある種政党のような形態での統治を認めている。
しかし、基本的な主権はすべて彼ら『中央』にあり、実質的に中央の権力により他の州が統治を定められ、自治を認められているというような具合だ。
そのため、今日における有事となった場合には、他の州の方針に関わらず中央政権であるオークランド政府が対処を各州に指示を出すことが出来る。
各州に配備されている州軍は、州の統治下にある軍であることに変わりはないのだが、大本を言えばソロモン連邦共和国軍という一つの枠の中の軍隊でしかない。彼らはそれぞれ独立している訳では無いのだ。
オークランド中央政権、事実上この国のトップの地位にある、
ヘルダーシュタット・フォン・ベルフリード総統。
あらゆる権力は彼の下に集まり、そして彼の手により分散させられている。
彼自身の手でそれを一手に集めることも可能だ。
国内でも数々の批判があがっているが、いざとなれば中央政権がすべての州を黙らせることが出来るこの現状を、連邦と言いながら実質の独裁国家と言う人も珍しくはない。
イグナート・リラン国防長官は、連邦軍最高位の地位を持ち、階級は元帥。
既に50年近くも連邦軍人としてこの国に仕えており、その軍歴に並ぶ人はほぼいない。
だが、リランは司令官職ではあるものの、全部隊を統率する指揮官の役割を持たない。
前線を適切に、かつ効果的に運用するのは指揮官の役割で、彼らを指揮するのがリランの役割である。
具体的な作戦を立案するのは別の人間である。
この場には30人ほどの政府要人や軍人がいるが、現場指揮官のほか、そうした作戦の立案に携わる専門家も参加している。
だが、作戦を立案するにも政府、国としての方針が固まらない限りはそれも出来ない。
今日の会議では、その方向性についての具体的な提案がなされるものとなっている。



「同盟国を見殺しにする訳にもいかない。即刻支援に出向くべきだ」
「敵の上陸作戦を阻止するには、制空権の確保と敵艦隊の撃滅が必要となるので、そちらへの攻撃を優先すべき」
「少し様子を見るべきでは?グランバートがアスカンタを攻略できるのなら、領土深く侵攻したところで手薄の敵国領土を狙えばいい」


まずは様々な意見が交わされた。
アルテリウスを何らかの形で支援することに異論はないが、その方法については意見が二分した。
まとめると、
“アルテリウスの領土を防衛するための支援を送り込む”方法と、
“アルテリウスの領土を侵攻している相手の本土を強襲する”という、二つの意見だ。
この時点で、ソロモン連邦共和国はいまだ宣戦を布告していない。
形式を整えるのであれば、いずれの手段を講じるにせよ正式に戦線に参加をすることを表明することが必要となるだろう。
だが、連邦共和国が正式に参戦をすることがどれほど複雑な意味を持つのか、政治家たちや軍の上層部も分からない訳では無い。
戦いには目的がある。
宣戦布告においてその目的が告げられることなど決してない。
しかし、ソロモン連邦共和国が宣戦布告するとなれば、どのような意図があってのことか、誰の目にも明らかであった。
そして、上層部の人間たちの間では、“主戦論”が多く取り交わされていた。
再興して暫く年月も経過し、軍事力において強大となったグランバート王国を、止めなければならない、と。
彼らが気にしたのは、グランバートが大国としてこの世界の実験を掌握することで、何らかの正義感から彼らを止める必要があると考えた訳では無い。
要するに、自分たちと同じ対等の立場になることを恐れたのであった。
もっともそれは、非民主国家と言われるこの国の民意などを無視した、特定の人たちのみの話ではあるが。



「では、アルテリウスを支援することに異論はなさそうなので、その線は採用するとしよう。まずは具体的方法だが………」
「アルテリウス王国陸軍は精鋭揃いと聞く。上陸されても陸戦部隊は足止め出来るだろう」
「混戦になる前に、制空権、制海権をこちらの手に戻すのはいかがでしょう。奴らが好き勝手荒らす前に」


などと色々な意見が出る中、リラン国防長官は、
『レイ大佐はどう思う。』と、特定の一人に対して意見を求めた。
彼の名前が口にされた時、ざわざわとしていた室内の空気が一気に引き締まった。
沈黙が生まれた中での発言となったレイ。
周りの目線を浴びながらも、彼は立ち上がって話す。


「海を越えた大陸の特性上、支援を送り込むことになれば、現地での補給を受ける必要があります。しかし、実際にアスカンタ大陸が戦場となれば、こちらが兵士を送り込んだとしても、長期的な物資不足に陥り支援どころではなくなるでしょう。であれば、支援する形としては、こちらの補給物資を最前線またはそれに等しい前線に送り込むこと、最前線が内陸まで押し上げられるのを防ぐために、航空支援や海上支援といった形を取るべきと、思います」


皆がそれぞれの意見を交わす中で、彼はそれらの意見をまとめたうえで、考えられる懸念を述べて方向性を示した。
アルテリウス王国を全面的に支援し防衛するのであれば、連邦軍の陸戦部隊を大陸へ送り込む方が良いだろう。
しかし、アルテリウスにそれだけの物資を別に用意できる余裕があるとは思えない。
となれば自前で用意しなければならないだろうが、海を挟んだ向こうの大陸まで継続的に補給物資を送るのは難しく、またグランバートにその気があればこちらの補給線を寸断する作戦に出ることも考えられる。
そうすると、かえって状況を悪化し、アルテリウスの支援どころの話では無くなってしまうかもしれない。
彼の懸念に皆が納得を示す。


「………確かに大佐の話す通りだな。陸戦部隊を送り込むのは避けた方が良いだろう。」
「賛成です。それに、アルテリウスの陸戦部隊は精鋭揃いです。そう簡単に敗れはしないでしょう」
「レイ大佐が話すのなら、私もその意見に乗りかかるとしよう。」



結局、彼の提案した内容に加筆修正されたものが採用され、彼の発案がベースとなった。
陸戦部隊の派遣を大陸では行わず、航空戦力と海上戦力を大陸に差し向ける形となった。
またその際、グランバートとオーク大陸の間に広がる海域は、敵の攻撃を受ける可能性があるために、派遣される部隊はオーク大陸の北部に駐留する部隊が選定された。
ソロモン連邦共和国軍第五艦隊。
オーク大陸北部を拠点とする艦隊である。
基本的には大陸北部の海域を防衛、監視する役割を担う。
この会議の場には、第五艦隊司令官のロッティル中将もいるので、内容の伝達はすぐ行われた。
航空戦力の支援を受けながら、第五艦隊は直ちに北方海岸を出航し、アスカンタ大陸南部を目指す。
敵は上陸作戦を実行するために、艦隊を大陸南部へ派遣しているところだろう。
そこを側面から攻撃する。
制空権を取られている状況での戦闘となるために、艦隊を防衛できる航空戦力を伴っての作戦となる。



「おおよその作戦は決定した。各部隊には直ちに行動開始が出来るよう準備をしてもらおう。それから、公式には同盟国の支援という形でアルテリウスへ出兵することとして、グランバートに対しての宣戦布告は現時点では行わないものとする。以上、解散。」



最後、リラン国防長官が締めくくり、会議は終了となった。
ぞろぞろと皆が立ち上がり、それぞれの活動へ移ろうとしている時に、リラン国防長官がレイ大佐のもとを尋ねた。
そして耳元で「私のオフィスに来てほしい」と、他の誰にも聞こえないような小さな声で囁いたのだ。
レイは何も言わずただ小さく頷いた。
他の誰にもしなかった行為をレイにだけ行った。
それを見ている人もいたが、彼にだけ用があるのだろうということで、特に気にすることもなかった。
リランに言われたとおりに、レイはその後すぐに執務室を訪れた。
自分の事務室を寄った後ではあったが、そこにはリランのほか、ベルフリードもいた。
「…………。」
この国のトップに位置する存在。
ベルフリードとは既に何度も話をしたことがある。
だが、今でも彼は総統が同席しているところでは、表情を硬くしてしまいがちになる。
リランとベルフリードに案内され、彼は着席する。
応接室にあるような立派な本革仕立てのソファに腰を下ろすと、その質感の高さが肌で感じられる。


「―――――――――君と、今後のことを話したい。この国のことについてだ。」


それは、リラン国防長官から伝えられた言葉ではあるが、同時に彼としては違和感を憶えた。
この国のことを話す、重要な会談のようにも思われるが、であれば自分のような軍人ではなく、政治家を呼んでするべきではないだろうか。
しかも、リランは政治の実質的な権力を持ちえない職業軍人。
確かに、軍の最高位ともなれば政権に対しての力添えも出来るだろうが、軍人の国政への介入は一般的にはされていない。
元々、ソロモン連邦共和国は独裁体制の傾向が強い。
民衆から選抜された政治家が議会に参加する、などというような民主主義の体制は取っていない。
だからといって、軍事独裁政権という訳でもなく、民衆からの声は集められるが、実際に話し合いが行われた後施政されるだけのことで、民衆の代表者が参画するような体制にはなっていない。



「このままいけば、遠からずこの国の内外で激しい戦闘が起こるだろう。10年前の再現になるやもしれん」
「……………。」



10年前。
この大陸全土を巻き込む、大きな戦争があった。
それ自体は「50年戦争」と呼ばれていた戦争と同一の時系列上にあるものだが、
この戦争で、ソロモン連邦共和国は大きく疲弊した。
今までの戦争とは比較にもならないほど、短時間で激しい戦闘が繰り返され、甚大な被害をもたらしたのだ。
文明の発達により、戦争の形態も徐々に変化している。
最新の技術力が戦争に投入され、ある意味で実験場となった。
当時この大陸の南西部を領土に持っていたエイジア王国は、ソロモン連邦共和国との全面戦争に突入し、幾度となく戦闘を繰り返した。
ソロモン連邦共和国にとっても、全面抗戦の様相がとられたのは久々のことで、互いに鬩ぎ合う攻防となった。
更に、別な勢力の台頭とその攻撃の被害を受けたソロモン連邦共和国は、幾つもの州が軍事衝突によって機能を停止し、多くの犠牲者を出す事態となった。
最終的にソロモンは戦争には勝利し、またエイジア王国の滅亡とその領土を直轄地とすることで肥大化することになったが、その傷跡は深く抉られており、回復するまでにかなりの時間を要した。
この大陸で戦争が起き、しかも相手があのグランバート王国となれば、また10年前の時のような凄惨な現状が訪れる可能性が高い。



「戦いが止められないにせよ、出来る限り早期に終結させる必要があるだろう。そこで、この国の舵取りを今後どうすべきか、君の意見を参考にしたいのだ」

「なぜ私を?将官クラスの人なら他にもいますし、佐官の私に聞かなくとも………」


一応、彼は確認をした。
なぜ自分が選ばれたのか、純粋な疑問を投げかけるようにして。



「物事を相談するのに何もかも将官クラスが適している、という訳ではない。君は先の物がよく見えている。その見識を活かして欲しいのだ」
「…………買被りです」



レイは、
元々この国の出身でも無く軍人でも無かったが、10年前の戦争で『彼ら』と共闘関係を築いたギガント公国と同盟関係を締結することに成功し、オーク大陸での戦闘支援を受けられる体制を整えた手腕の持ち主である。
その時の評価と実戦における戦績を高く評価されて、戦後はソロモン連邦共和国軍に引き抜かれる形で、この国の復興と軍事面での協力に従事し続けてきた。
彼の計画によって、多くの事業が回復、起業し、それが国の復興に大きく前進するキッカケとなったことも多い。
そしてそれが多くの人々の為になったことも事実であり、そのおかげもあってか、軍内部でも、また人々の間でも彼の存在は広く知られ、尊敬されている。
それを訝しむ人間も無論いるのだが、総じて彼の存在を認め、高く評価する者が多い。



彼の手腕には驚かされることも多い。
だが、実際に彼という存在が日の目を見られるようになったのは、やはり当時の『50年戦争』を終結させるに至った、英雄的存在であるからだろう。



「正直なところ辛辣な話ではあるが、アルテリウスはグランバートの侵攻を防ぎきるのは不可能だと思っている」
「…………。」

「かの国の陸軍は精鋭揃いだが、あくまで陸戦部隊だけで、総合的な軍事力で言えば圧倒的にグランバートが勝る。上陸され、精鋭の部隊が敗北するようなことになれば、瞬く間にアスカンタ大陸はグランバートの侵攻を受け、王都にまで達するだろう。無論、同盟国が簡単に敗北するような事態に支援しない訳にもいかない。だが、彼らの目は遠からずこちらを向くに違いない。…………この意味が分かるか?」



「………“彼ら”を見棄てるつもりですか?」


それについて、二人から明確な返答はなかった。
だが、リランの話す内容の真意は、彼には明らかであり確信を持っていた。
同盟国である以上、有事の際の支援はするべきだろうし、実際に会議で決定したことだから実行される。
しかしそれは形の上でのこと。
同盟関係にある国に形式上の支援を行い、実際は自国の領土のある大陸を守る為の行動を最優先とする。
全力でアルテリウスを支援する方法を取らないことを、彼はここで確信した。


「アルテリウスの戦力と合わせれば、アスカンタ大陸内部の侵攻もある程度食い止められるでしょう。何も彼らを見棄てて本土決戦に備えずとも」


「見棄てるのではない、利用するのだ。グランバートはこれまで幾度となくアスカンタ大陸に攻め入ったが、その悉くが失敗に終わった。しかし、今の技術を持ってすれば、今回は制圧してしまうかもしれない。だが、それには多くの人員、補給物資を必要とするだろう。グランバートがアスカンタ大陸への侵攻を行っている間、ソウル大陸の守りは手薄になるはずだ」


「まさか、逆に侵攻しようと………!!?」



そうと決めているのなら、態々自分に聞かずともそれを実行すれば良い。
だが、リランもベルフリードも彼を呼び、ある一つの方向性を彼に説明した。
既にリランとベルフリードとの間でその方向性について話し合いが進められていたものとされるが、この方向性を取る前に、彼に聞いてあらゆる考えを聞き出そうとした。それが彼をここへ呼び出した理由の一つである。
アスカンタの防衛には限界がある。
アルテリウス王国の防衛に主力を注いでも、グランバートの侵攻を防ぐのは難しいだろう。
それよりも、侵攻により手薄となったところへ攻撃を加えて、やがて来るかもしれない“オーク大陸への侵攻”を防ぐ。



「あのカリウスなら、二正面作戦を避けるために、こちら側へも何らかの対策をしていることでしょう………!」
「ほう、レイ大佐は敵軍の将たるカリウスを、高く評価しているようだ」


「…………旧知の仲です。あの男に抜け目がないことは、よく理解しているつもりです」



10年前の戦争を終結させるのに大きな功績のあった人物のうち、レイとカリウス、この二人が最後の戦いまで行動を共にしていたことは、多くの人間が知る既成事実である。今でも最後の戦いに参加した生存者で当事者もいるし、また当事者でなくとも、歴史書の中でそのような記載をする文献があるのも明らかである。
かつての戦友であり、お互いのことはよく知れている。
レイのその言葉には、これまでの経験した事実による説得力が強く感じられた。
ソロモン連邦共和国がたとえソウル大陸への侵攻を行ったとしても、それに対応できる手段をカリウスは持ち合わせているだろう。
こちらが動けばそれらを動かすだろうし、その行動を口実にして、ソロモン連邦共和国に対しても宣戦を布告し戦争状態に入ることも出来る。
彼らの当座の目標は、あくまでアスカンタ大陸を支配するアルテリウス王国を撃滅することにあるはず。
何故なら、彼らの代理の王を殺したのが、アルテリウスの関係者だとされているからだ。
そこへソロモンが別の理由で介入するようなことになれば、より戦乱の時代を拡大させてしまうに違いない、と彼は話す。
無論、そのような懸念をリラン、ベルフリードが理解していない訳では無かった。



「レイ大佐。貴方の仰ることについては、私たちにもよく分かります。あの大国グランバートです。たとえ復興して数年といえども、その力を侮る訳にはいきません。しかし、だからといって、ここで停滞していても、彼らは時を経ずしてアスカンタを制圧し、その矛先を次へ向けることでしょう。アルテリウス王国を支援した我が国を同類と判断し、それを契機に次なる戦いを仕掛けてきます。その時、一方的な防戦を強いられるよりも、グランバートに対し先手を打つ。これこそが、私たちの状況を少しでも好転させるに相応しいとはお思いになりませんか。」



そしてベルフリード総統が彼にそのようなことを話した。
ソロモン連邦共和国は、非常に複雑な情勢下にある。
アルテリウスとの同盟関係を結んでいる以上、既に支援策を講じてしまっている。
また、初動でグランバートとの間に海戦を交えてしまっている。
このことから、今はグランバート軍が二正面作戦を避けるために、アスカンタ大陸にあるアルテリウス王国を制圧することに注力しているが、それが終われば次の矛先は、ほぼ疑いようもなくこちらに向けられるだろう、と判断をしていた。
レイにもその話が分からないではない。
どのみち戦争は避けられないし、出血を強いられることにはなるだろう。
しかし、ソロモン連邦が明確に宣戦を布告してグランバートを攻め入るのと、彼らがこちらを攻撃の対象として侵攻しそれに対し反抗するのとでは、大きな差がある。
レイが懸念するのはまさにその点にある。
ソロモン連邦共和国が宣戦を布告するということが、どれほど恐ろしい意味を持つものなのか。
その点を蔑ろにする訳にはいかない。



「貴方がた二人の意見は既に一致しているものと思われますが、それならなぜ私を呼んだのです。既に意思が決まっているのなら、軍人に対しそれを命令すれば良いでしょうに」


「そう棘を生やすことはあるまい、レイ大佐。あくまで我々は君の意見を聞きたいと思い、呼んだだけだ。だが、君がこれらの意向に従うというのなら、君にぜひやってもらいたいことがある」


「…………私に…………」




…………。
言われなくとも、分かっている。分かっているつもりだ。
軍人はいつも政府の、上からの命令を受けて、ただそれを忠実に実行する道具だ。
道具は主の望むままの役割を果たすために存在している。
役割を与えられればそのために行動し、そして朽ちて行く。
いつの時代も、それは変わりのない普遍の摂理だ。
たとえ俺がどれほど否定したとしても、既に政府の方針は固められている。
とやかく言ったところで、何かが変えられる訳でもない。
なら、どんな命令にも従わなければならないのか?
それは違う。
たとえ道具でも、我々は意思の通う人間だ。
人間が生きる路には道徳というものが必ず付き添う。
それを無視して、一方的な行動を無条件で容認することなど、出来ない。



………だが、ある意味でこの二人に告げられたこの役割は、俺という人間だから、という意味合いが強い。



「…………強襲作戦の指揮を、ですか。」
「その通りだ。君に適任だと上層部は考えている。」


「………………。」



元々レイはオーク大陸の出身ではなく、ソウル大陸の「ラズール聖堂院」で育った。
しかし、ソウル大陸の出身であれば、オーク大陸の地元人に比べれば、向こうの土地にもある程度は精通しているだろう、という考えだ。
それ以上に彼を採用したい理由としては、グランバートの総司令官カリウスという男を、レイがよく知っているから、というものであった。
“旧知の仲”と彼自身も話す。
かつて、傍で共に戦い、10年前の戦争の終結に大きな功績のあった二人。
その界隈では『英雄』とまで言われることのある二人が、今や敵対関係にある。
後世の歴史家がこの戦いを論評するのなら、あまりに皮肉の詰まった状態とも言うべきだろう。
リランとベルフリードも、その状態をしようとした。
この強襲作戦を成功させるためには、まずソウル大陸に上陸する必要がある。
グランバートがアスカンタ大陸への侵攻作戦に注力している間、確かに隙は生じるかもしれない。
しかし、カリウスはアルテリウスと同時にソロモンと別方向で対峙するのを嫌うはず。
そのために、万が一アスカンタ大陸に集中している間に他所が攻撃されることがあれば、それに対応できるよう準備をしているに違いない。



「直接陸戦部隊を送り込むには、やはり空か海での移動が絶対に必要でしょう。しかし、直接ソウル大陸に乗り込もうとすれば、東海岸の中部から南部にかけては敵の第二、第五艦隊が布陣出来る海域です。グランバートにレーダー網は無いという話ですが、艦隊を封じ込め、かつ補給路を断ち、そのうえで敵の防空戦力を寄せ付けずに周辺海域の制空権、制海権を取り続けないことには、満足に陸戦部隊を上陸させることも出来ないでしょう。また、上陸させたらさせたで、それに呼応するだけの戦力を敵は有しているでしょう。攻め崩さない限り、隙一つ作ることすら難しい現状です」


それだけ、海を渡っての大陸を侵攻するのは難関である。
この60年近くの間、グランバートがその国力で幾度もアスカンタの利権を巡り、攻め入っては撤退し続けた苦い過去がある。
今回も過去その事例に沿った行動を起こしているのだが、今度ばかりはグランバートも成功させるのではないだろうか、というのは、他国の思惑で共通する部分である。
理由は、増幅したグランバートの軍事力とその技術の高さにある。
かつての戦争と内戦で大きく疲弊し、国家そのものを再編する事態となった王国ではあったが、現在の軍事司令官の地位にあるカリウスは、そんな状況でも国家と国力を再興、再構築させる実力とカリスマ性を持ち合わせていた。



「勝機を生み出すとすれば、行動そのものが敵軍にとって予想していない奇襲によるものである必要があるでしょう。」
「なるほど、奇襲か。たとえばどんなだ?」

「幸い、敵にはレーダー網がなく、こちらの軍の接近を感知するのは直前になります。初めて見つけてからでは対処も難しいでしょう。相手にとって準備不足と思われる時間帯、その場所を狙い、橋頭保を確保するのです」


「…………夜戦というわけか。」



敵地に直行して乗り込むのは難しいかもしれない。
だが、相手の警備が手薄になる時間帯、相手の防御の薄いところに奇襲攻撃を加えることが出来れば、一気にそのエリアを拠点として、ソウル大陸への侵攻を行うことは出来るだろう、と。
何も正攻法で海上から正面切って戦おうとしなくとも良い。
自分たちにとって最善とされる方法を取ることで、自軍の被害を軽減することは出来るだろう。
レイは、自分自身がグランバートとの全面対決を強く望んでいないにも関わらず、連邦軍にとってより良い選択となり得る作戦案を提示している。
彼の意思に反して、自分たちが無駄な犠牲を払うことを避けるために、交戦する場合の状況を好転させるための努力をしているのだ。
しかし、彼のその作戦案も、彼自身がそれほど肯定的に思ってはいない。
攻撃を実行するのに最適な場所、最適な時間帯を選び、尚且つそれらが適切に実行に移されれば、成功する可能性は大いにある。
だが、この作戦を実行する場合、多くの民間人を巻き込む可能性がある。
敵に二正面作戦を展開させるだけならば、連邦軍の艦隊と空軍を王国軍のそれらにぶつければ良い。
それだけでなく、長期的にグランバートを追い詰めるには、ソウル大陸への侵攻も視野に入れる必要があるだろう。


「民間人に犠牲者が出るのを軽々に容認する訳では無い。が、それを言えば、これからグランバートがやろうとしていることもまさにそれだろう。戦いが始まれば、多くの者が犠牲となる。それを少なくするのも重要だが、戦争が長期化すればより犠牲は増える。そうならないようにするための手段だと思ってもらってもいい」


「…………」


分かっているとも。
戦う以上、兵士だけが死に逝くのではない。
国同士の戦いとなれば、その国の中に住まう者すべてが巻き込まれる可能性がある。
“自分たちは関係ない”
戦争に加担しない市民の大多数は、そのような考えなのだろう。
その気持ちは充分に分かる。
だが、それでも。



「君がソウル大陸に降り立てれば、カリウスという男も君を意識するだろう。兵員や編成の相談は幾らでも乗る。まずは一つ、君の構想で具体的な作戦案を出してもらいたい。三日間時間を授ける」


「承知しました。微力を尽くします」
「話は以上だ。下がってよし」



用件が済むと、彼は部屋から退出した。
彼が退出した後で、残った二人で話をしている。
結果的に、今日彼を呼び出したのは、ソウル大陸侵攻作戦の指揮を執ってもらいたいという要請の為だった。
彼ら二人としては、ソウル大陸への侵攻を考えていることに、彼がどのような反応を示すのかを知りたいという一面もあった。


「やはり、レイ大佐は侵攻作戦をよく思いませんでしたか。」
「ええ。」


ベルフリードがまるで予想していたかのように話す。
それに同調するリラン国防長官。
彼がどのような反応を示すのか、知りたかった二人にとっては、結局は予想通りの反応であったということになる。
レイは、自軍にとって最善となる方法を長い目で推測することが出来ている。
その識見は、連邦軍全体を見渡しても秀でた才能から導き出されるものとして、重宝され重要視されている。
だからといって、彼が否定的な態度を取るので作戦を執り行わないとか、そのような形で左右されることはない。
寧ろ、軍人という型に留めたまま、必要とあれば彼の力を存分に借り、発揮してもらおうとすら考えている。
当然といえば当然だろう。彼はこの国の一兵士であるのだから。



「“レイが動けば、カリウスがそれに反応する――――――――――。”、それによってオーク大陸への侵攻を少しでも食い止めることが出来るでしょう。彼の立場、彼のこれまでの経緯を利用することにはなりますが、これも国には必要なことです。」

「………納得はしないでしょう。それに、彼なら我々の思惑もとうに理解しているはず。それでも自分の立場を理解し枠から外れようとしないのは、彼の美点でもあり欠点でもあると思いますが」

「戦乱の時代を一時的とはいえ、終結させるのに多大な功績のあった人物、『英雄』とまで称されたほどの戦士………しかし、その経歴は事実です。兵士たちや人々に与える影響力も大いに期待できるでしょう。グランバートの人間とて、彼が動き出すとなれば意識を向けざるを得ません。我々がカリウスという男に抱いているものと、同じように。」


そう。
連邦軍にとっても、この国にとっても、かつてその名を轟かせた男がこの世界に台頭するということを意識しないはずがない。
その意味では、レイとカリウス、二人の台頭は両軍にも両国にも、大きな影響を与えることとなる。
お互いの軍勢が衝突することになれば、より戦争は苛烈さを増していくだろう。


この先の展開を知る者など、誰もいない。
ソロモンが動き出せば、それに反応する者たちがどれほどいることだろう。
人々はまだ、それを知らない。


………………。

第6話 情勢①


「………なるほどな。グランバート王国が、か………」


その日の夕刻ごろから、どうも教官たちの動きが慌ただしいものとなっていた。
事情を誰かに聞こうとしてもそのような雰囲気でもなく、右往左往しつつも何らかの情報を得て、そのために行動しているようだった。
ツバサとエリクソンの二人は、夜の自由時間中に図書館を訪れ、映像媒体などを閲覧できる部屋でその情報を知った。
グランバート王国空軍とアルテリウス王国空軍が戦闘状態となり、戦が始まったのだということを。



「このニュース映像には直接的な映像は流れてないね。」
「直接的っつうと?」
「要するに、現場を捉えた映像ってことだよ。映像そのものは前にも撮られたものだと思う。今は速報レベルでの内容であって、実際この両国がどのような戦い方をしてどのような結果となったのかは、僕たちにも分からないということかな。」

「なるほどな………最新の情報を得るには?」
「僕たちの力じゃあ、難しいだろうね。国家機密っていうお得意の言葉があるだろうから」


しかし、この速報を見るだけでも分かることは幾つかある。
その最たるものは、再び戦争の時代に突入するのだということを、実感する。
自分たちは今のところ直接的な当事者ではない。
ソウル大陸とアスカンタ大陸など、ここから何千キロも離れた先の、しかも海を越えた向こう側の話だ。
これは人々にとっても同じ気持ちだろう。
今はこうしてテレビという媒体を通じて、世界の現況を知ることが出来る。
だがそれが遠い国の、遠い地方の出来事であれば、自分たちに関わりあるものとは思わないのが普通だ。



「エリクソン。確か、俺たちはアルテリウス王国ってとこと同盟を結んだんだよな?」
「そうだね。同盟関係にある」
「つーことは、アルテリウスが攻撃を受ければ、俺たちの国は何らかの支援をするんじゃないか?」
「………確かに、可能性は高いと思うよ」



しかし、彼らの立場からすれば、とても他人事ではない。
何しろ彼らは戦争が起きれば直接的にそれに関わる場所にいて、その立場にあるからだ。
士官学校にいる生徒たち全員が、必ず兵士になるという訳ではない。
ここにはこの国の制度でもある、徴兵制度により半ば強制的に通わされている生徒も多い。
有事の事態に発展し、かつ彼らの力を必要とする時が来れば、たとえ生徒であっても戦場に動員される可能性が無いとは言い切れない。
誰もがその考えを持っていることだろう。
自分から兵士を志願してその道に進もうとしている人はいい。
だが、そうでない制度を順守するためにやってきた人たちの気持ちは、どう汲み取るべきか。



「まあ形はどうあれ、また時代が動き始めたってことだな。」
「…………?」


腕を組みながらその映像を注視し続けるツバサ。
それを横目で見たエリクソンは、この時ツバサが妙に達観しているように見えた。
ツバサは、自分からこの学校に来たという。
ここより東の地にあるタヒチ村というところで育ってきた同じ少年が、兵士を志してここまでやってきた。
戦いに赴くということは、自分の命が常に危険に晒されるということ。
そのような状況が容易に想像される中で、この人は自ら志願してここまでやってきた。
きっと、そこには明確な意思があり、覚悟も備わっているのだろう。
エリクソンは、彼のその姿と瞳を見て、そのように思ったのだ。
戦いの中で何かを見出そうとしている。



「………ツバサくんは、何のために戦おうって、考えているの?」



と、エリクソンの唐突な質問が彼に向けられた。
真剣な表情を浮かべながら映像を見続けていたツバサは、一瞬の間を置きながらも、笑みを見せつつ


「―――――――――いずれはこの戦いを終わらせるため。………ってのは、ちょっと格好が良すぎるか?」



冗談めいた口調で、恐らくは何ら嘘偽りのない、彼自身の決意を告げていた。



……………。


グランバート王国軍統合作戦本部
彼らの初戦は電撃的に展開されたが、見事に成功を収めた。
空軍を出撃させて、アルテリウス王国南部の領空に対し攻撃行動を起こした。
最新鋭のレーダー網を持つアルテリウス王国空軍もその反応を受けて迎撃を行ったが、元々アルテリウス王国軍の空軍の練度はそれほど高くなく、グランバート空軍に多少の戦果は挙げたものの、全体としては敗色濃厚であった。
結果、現在ではアスカンタ大陸南部、ヴェルミッシュ防衛要塞周辺の制空権は彼らの手に落ちた。
空軍が制空権を取ることが出来れば、次に上陸作戦を行う際の強力な味方となり武器にもなる。
その意味で、彼らがこの攻撃を成功させたのは非常に大きい意味を持つ。
既にアスカンタ大陸南部に向けて、上陸部隊を乗せた艦艇が航行している。
たとえ敵軍が海軍の行動を阻もうと、海軍をもって迎撃しようとも、制空権を確保した彼らの空軍が相手の艦隊を攻撃することが出来る。
初戦において優位な状況に立った彼らは、それでも浮足立つことなく着実に作戦を遂行していく。


「………………。」


軍務において参謀役の最たる立場にある、アイアス少将。
モニターに映されたあらゆる情報を頭の中で分析しながら、次なる行動を考える。
軍事に関する全体の総司令官はカリウスになるのだが、彼には兵士を動かす、作戦を導く権限があり、またそれを実行しなくてはならない立場でもある。
一人腕を組みながら様々なモニターを眺めている姿を見て、


「精が出るな。ほかの者は既に休んでいるというのに」
「………シュネイ中将。今回あなたは残留組ですか?」
「私だけでなく貴公もそうではないか」


「私はあくまで裏方ですから。それに、いざ戦いになったとしても、私は何ら役には立たないでしょう」



シュネイも総司令部所属の中将という立場であり、空軍指揮官のゲーリングや海軍提督のフレスベルドとは異なる立ち位置にいる。
ある意味では、カリウスらと似た、司令本部に属する存在であり、前線に出るかどうかはカリウスの判断に委ねられることになる。
しかし、その意味ではアイアスも同じだった。
彼の才幹と能力が現地の戦闘指揮に役立つものであるのなら、彼を前線に召喚することもあるだろう。
だが、前線には陸戦部隊がいて、陸戦部隊の中にも作戦指揮所が設けられ、そこでは目の前の戦いを優位に進めるための作戦が練られている。
アイアスに前線の指揮が出来ないということはないが、彼の本来の役割でないため、王都の司令部にいても何ら不思議ではない。
シュネイも同様ではあるのだが、アイアスのように参謀役を担っているわけでもなく、その立ち位置はやや不透明だ。



「貴公の言葉を鵜呑みにする訳ではないが、確かに貴公に手足を使って戦うというイメージが沸かないな。」
「そうでしょう。そのイメージのままで結構です。さて、ここに来た訳を聞きましょうか」
「何か詮索されているようで良い気はしないな」


隣で腕を組みながら不機嫌そうな表情を浮かべるシュネイと、それを横目に見て笑顔を浮かべるアイアス。
今この室内には二人しかいない。
アイアスだけが遅い時間まで残り続けていて、それに気づいたシュネイがここにやってきたという形だ。
特に理由もないと言うのが彼女の本音ではあったのだが、そうも言われると何か理由をつけてやってもいい、と考えるようにもなった。



「ぜひ貴公に聞いておきたいと思っていたことがある。それを聞くとしよう」
「ええ、どうぞ。」
「この戦争で貴公が目指すものとは、なんだ」



シュネイは厳格な性格を持つ女性で、可愛げのある性格でも無ければ、冗談を口にできるような軽々しい様子を見せることもない。
ある意味では堅物の女性であり、その真面目さは誰もが知るところである。
そしてその性格は実にハッキリとしたものであり、曖昧さなど微塵も感じられないような様相の持ち主でもある。
彼女がそのような人間であると知っているアイアスからすると、その質問はあまりにも抽象的すぎるものであった。
何に対しても的を射ていないような中途半端な質問。
だがそれでいて、広義的な考え方からその目的を割り出そうと考えているのかもしれない。
色々なことを考えながら、アイアスは彼女に話す。


「私は、この国の道筋を行きつくところまで示すだけです。元々私は補助係でしかない」
「参謀だからな、それは分かる。だが貴公にも己が望みというものもあるだろう」
「………己が望み、ですか」



それまで不敵な笑みを浮かべていた、彼の表情が一気に引き締まる。
一瞬だが、彼は視線を落とし僅かながらに俯いた。
純粋に戦う兵士であるのなら、国に仕える軍人であるのなら、公私混同せず国の為に忠を尽くすべきだろう。
アイアスのその気持ちに変わりはない。
自らの起こす行動が国の為になればいいと本気で考えている。
その立場にあるし、それが出来る近いところに自分という存在がいる。
しかし、シュネイはあえてそのようなことを聞いてくる。
国に仕える軍人としては、あまり考えるべきではないことなのかもしれない。



だが、彼は話す。


「己が望み………そうですね、もしも“願う”ものがあるとすれば、」



声色さえ変わり、まるで自らの心に刻み込むように、また念じるように、


「この世界から、争いを無くなることを――――――――――――。」


その言葉を、アルテリウスの人間やほかの国々の人が聞けば、明らかな矛盾として強烈に批判されることだろう。
何しろ彼らグランバートは、今回の戦争を仕掛けた側になる。
アルテリウスが絡む一国の国王代理の事件をきっかけにしているとはいえ、その矛先を向け行動を起こしたのは彼らだ。
そしてその真意が明らかとなっていない状態で、両国は戦闘状態となった。
いつかこの戦いが終わるときがくるのなら、その責任の一端を負うことになるのは間違いないであろう。
だが、アイアスはそのように話す。
いつかこの世界から、争いが無くなることを。
そんな、誰もが思っているようなことを、願うように告げるアイアス。
まるで求道者のようだった。
シュネイには、そのように見えたのだ。



「シュネイさんこそ、戦歴は長いでしょう。この戦いにかける思いなど、あるのでは?」
「私のそれは貴公のものとは大きく違う。ともあれ、この国の立場にあるなら、やるべきことをする、ただそれだけのことだ」
「そうですか。まあいいでしょう。あまり心の内は軽々と明かすものでもないでしょうからね」



彼としては、シュネイの思惑を少しでも引き出せるかと思い逆に聞いてみたのだが、口が堅いというのもあるのか、心の内を語ることはなかった。
彼女の場合は他の人にも例外なく、彼女自身の心の内を語ることがあまりない。堅物と言われる所以でもある。
しかし、そんな彼女がある程度の信頼を寄せているのだから、不思議に思うこともある。
因みに、アイアスは他の人たちからすると“素性の知れない上官”“謎めいた人物”という認識を持たれている。
シュネイとそう変わらないではないか、というのは、彼がそのような噂を聞いた時に思うことの一つだ。
だからといってその認識を否定することも無いのだが。
今度、シュネイはモニター越しに報告されている状況を自分なりに分析した。
制空権が取れた状況なら、次の作戦では上陸部隊を乗せた艦艇が海岸線に接近することになっている。
その前に敵艦隊がそれを阻止するために展開してくるだろうが、空を制圧している彼らの前では効果は半減だろう。



「貴公はどう見る。これからの戦況」
「まずは上陸できるかどうかでしょうけれど、航空戦力が豊富ですから、そこまでは特に問題もないでしょう。敵は海岸線に防御線を敷いて私たちを迎えます。逆に狭い土地での戦いになりますから、奇策を用いる余裕もありません。問題があるとすれば」

「………陸戦部隊で混戦になった場合、か」


混戦となれば、航空戦力の援護は望めない。
何故なら爆撃などの手段は、味方をも巻き込む可能性が非常に高いからだ。
上空から、そして海上からの援護が望めなくなれば、陸戦部隊の近接戦闘により戦況を作り出す他ない。
そうなれば、陸戦部隊において精鋭揃いと称される『王国騎士団』に、彼らがどれほど戦えるかがポイントとなる。



「いいのか?ロベルトの直属部隊を派遣させたそうだが」
「構いません。それに、ロベルト少将もそれをお望みのようでしたから」
「彼奴は実戦好きのようだからな。しかし、ロベルトの第一師団を動かせば、東方と南方の警備が手薄になると思うのだが」


「………問題ありません。“アレ”が完成すれば、たとえ敵が裏を突こうとしても、そう簡単にこちらの大陸奥深くには近づけないでしょう」



不敵な笑みを浮かべながら、腕を組んでモニターを眺めるアイアス。
暗い室内と明るいモニターのコントラストで、より一層彼の表情が浮き彫りとなり、まるで悪人のような絵面がそこにはあった。
シュネイも“アレ”の存在を既に知っている。
そしてそれはもうすぐ実戦配備される予定になっているのだが、無論、これをソロモン連邦共和国の陣営は一切知らない。
たとえ彼らがソウル大陸への侵攻を企てたとしても、それに対応できる手段を持ち合わせている。


「それに、貴方の直属の連隊もある。陸戦において今のところ問題はそれほど大きいものではないでしょう」
「過大評価してもらうのは勝手だが、私にしてみればそう静観出来るものでもないな。本土を強襲されれば何かと厄介だ」
「でしょうね。連邦がこの戦いを長期化させないためには、いち早く私たちを潰すことが手っ取り早いでしょうから」


そして、彼らはソロモン連邦共和国がアルテリウス王国の支援に回るだけでなく、ソウル大陸への侵攻を行うであろうことを既に予測していた。
もし、グランバート王国軍がアルテリウスの侵攻後にオーク大陸を攻め入るようなことがあれば、さらに戦闘は苛烈さを増すことだろう。
そうなれば戦争そのものが長期化する可能性が高い。
他の国が参戦しないとも限らないが、今の時点ではソロモンとグランバート、アルテリウスの三つの国が激しく絡み合っているだけで、他の国々は傍観者となっている。
世界中を巻き込むような戦争になれば、これまでの時代と何ら変わりのない昏迷の時代を再び呼び起こすこととなる。
だが、それを知っての行軍だ。
行き付くところまで行くのであれば、その時代も覚悟しなければならない。
元よりこの戦いはそのような趣のあるものだ。
しばしの休息のあと、再び戦乱の時代が世の中を覆い尽くす。
いずれは多くの人々を巻き込む時代となることを、多くの人々が既に予想してしまっていた。


誰一人、そのような昏迷な時代から逃れることは出来ないのだ、と。


一方、グランバート王国空軍の前に成す術なく、甚大な被害を出したアルテリウス空軍航空戦力部隊は撤退し、ヴェルミッシュ要塞の後方約50キロにある野戦場に退避していた。
航空戦力が敗退し、敵の手に制空権が渡ったことを知らされた各々の軍隊は、次の攻撃対象がヴェルミッシュ要塞であることを確信し、それぞれ準備などを進めさせた。
ヴェルミッシュ要塞からそれほど遠くない位置にある街や村では大規模な疎開が行われ、街は自然とゴーストタウンと化し始めていた。
元々アルテリウス王国空軍に期待を寄せていた人もそれほど多くはなかったのだが、実際に味方の軍勢が敗退したとなれば、いよいよ戦場がアスカンタ大陸へと進出するだろうと不安の声を挙げる人も多い。
当然といえば当然だろう。
自分たちの故郷が他国により踏み荒らされてしまうのだから。


そうなると。
人々の期待は世界中に名の知れた『王国騎士団』へと向けられる。


「王国騎士団がいれば安心じゃ」
「きっと、あの人たちが守ってくれる」
「出来る限りのことはしよう!」



王国騎士団は、王国軍の陸戦部隊の一連隊名称であって、彼らの総称ではない。
アルテリウス王国軍第一陸戦師団所属第七陸戦部隊 通称「王国騎士団」
しかしながらその部隊は、アルテリウス王国の繁栄と共に存在し続けている、陸戦部隊の精鋭であり、王国民でも兵士を目指す者たちにとっての憧れの存在でもある。
かつては王室や王都の警備といった格式高い任務もこなしていたのだが、現在では近衛兵団が組織され、役割が明確に分類されている。
―――――――――――強大な力のある存在が身近にいれば、人々はその存在へ信頼を寄せる。
まるで言い聞かせるように、しかし信用を集めながら、彼らがいれば大丈夫だろうと人々は考えていた。
『王国騎士団』という名前がどれほど人々に影響を与えているか。
その名前にどれほどの人々が縋っているのか。


だが、現場の人間たちは、この現状に強い危機感を持っていた。



「ああ、マルス様。こちらでしたか」
「“ユアン”か。どうした」


ヴェルミッシュ防御要塞の外壁に面した高台に一人、彼は海辺を静かに眺めていた。
王国騎士団長マルス准将と、彼のもとを尋ねたのは、マルスがよく知る兵士の一人で、名をユアンと言う。
マルスが26歳なのに対し、ユアンは18歳と更に若い。
マルス率いる王国騎士団には副長と呼ばれる団長補佐の役割を持つ者がいないが、ユアンは秀でた能力の持ち主であり、また兵士たちからも慕われ、マルスからの信頼も厚いことから、事実上の副長扱いをされることがある。
彼は王国騎士団に勤め始めて3年と、まだ日も浅い。
だが、他の兵士たちが事実上そのような立ち位置に居る、と彼を評価するのには幾つかの理由があって、その一つが秀でた近接戦闘能力であった。
こと剣術においては、団長のマルスと匹敵するほどの実力者とも言われている。
王国騎士団は、騎士団員の中で日々訓練をし互いを高め合っている。
その訓練において、マルスと幾人かの年長者は指導者の立ち位置にいるのだが、実戦部隊の訓練においてユアンに勝る者は今のところいない。
それを多くの兵士が知っているので、彼を高く評価しているのだ。
そんな彼の階級は、現在大尉。
在籍三年で、しかもその間一度の戦闘も無かった人間の出世街道としては、あまりに異例過ぎるものだった。



「シェザール少将が、諸将を集めて会議を行いたいとのことです」
「そうか、分かった。すぐに行こう。」



風が吹き、マルスの羽織る真紅のマントが音を立てながら靡く。
彼は静かに、曇り空に覆われ、雲の切れ間から降り注ぐ光の階段を見ながら、


「…………この戦い。たとえ敵軍を抑え込めたとしても、我らに勝機は無い」


「っ…………!!」


ユアンは横目でマルスの表情を見た。
団長はいつもと変わらない姿でいる。
彼の知る団長の姿は、団長らしく皆を統率し、覇気に満ちて、それでいて優しさと強さを兼ね備える、誰からも信頼されるような人物だ。
その団長が何か後ろめたさを感じさせるような姿を見せることはない。
ユアンは、今の団長が何か虚しさを感じさせるように思えた。
言葉の声色が、前を向いている人の出るものとは思えないような。



「それは、この要塞を以てしても、でしょうか。」


「この要塞を堅守することそのものが、我らにとっては不利な状況となるだろう。防御線の戦力だけ見れば、こちらが圧倒的に有利だ。しかし、こちらは海岸線に布陣し、それ以外に敵に対し奇策を用いるような空間的余裕もない。こちらの戦力が大きな痛手を受けることになれば、要塞は忽ち甚大な被害を出してしまうだろう。」


「数で圧倒しているのであれば、陸戦では余力もあるのではありませんか」


「そうではない。これまでの時代の戦い方ならそれでも良かった。だが、今は軍事技術が前面に出てくる時代だ」



ただの近接戦闘で戦争が進められるのであれば、陸戦を主体としたアルテリウス王国はそれなりに善戦出来る。
と考えているのはマルスだが、同時に今はそのような時代ではないことを知っている。
既に移り変わった戦闘の形態。過去の事象を学ぶことは大切だが、それが今の時代の戦いに復活することは無いだろう。
ヴェルミッシュ要塞には固定砲台もあり、海上より上陸してくる敵に対しては強固な防御線を展開することが出来ると予想されていた。
しかし、その要塞そのものを攻撃されてしまえば、中にいる部隊は混乱を来すだろう。
マルスはまさにその点を危惧していたのだ。
要塞は確かに強力で、敵もこの要塞を無視することは出来ないので、間違いなくここで戦闘は発生する。
だが、敵としてはこの要塞を“奪う”必要はない。
彼らアルテリウス王国軍は、敵の侵攻を防ぐために防衛線を維持しなくてはならない。



「いまだ陸戦における近接戦闘は戦いの中心だが………技術の革新が戦争の形態そのものを変えるのも、そう遠くはないだろう」
「ある意味で、この時代の戦争の姿が今後の教本となる、訳ですか………。」
「そういうことになるだろう」



――――――――――王国騎士団は確かに強い。だがそれは、既に時代遅れのものとなっている。



騎士団長たる立場の者がいう言葉とは思えない、とユアンは思ってしまった。
だが、それが全くの見当違いの話をしているのではなく、理に適っていることも同時に分かってしまう。
王国騎士団の歴史は長く、戦闘分野における強力さは世界中が知るところである。
だが、たとえ戦闘力の高い集団だとしても、戦艦の砲撃の前には無力であり、打ち破る術などない。
しかし、だからといって来るべくして訪れるその瞬間を前に諦めることなど出来ない。
どのみち戦いは始まるし、始まっている。


「ユアン。私は、戦闘が不利な状況に陥れば、この要塞を放棄し余力を残して撤退する提案をするつもりだ。」
「……………!!」
「この要塞を維持するのに、それほど大きな意味はない。それよりも、後ろにある大事なものたちを守るべきだろう」


さて、行こうか。
彼はそう言い、真紅のマントをはためかせながら、その場を去る。
複雑な心境のまま、ユアンもマルスの後に続く。
晴れている時のヴェルミッシュ要塞から見える海岸線は、とても美しいものだ。
もしこの辺りに街でもあったとしたら、ここは良い海水浴場にでもなったことだろう。
しかし、そのような未来は永遠に訪れない。
この場所は、このより互いの軍勢が鬩ぎ合う死地となるのだから。


………………。

第7話 ヴェルミッシュ要塞攻防戦《前編》


グランバート王国とアルテリウス王国の開戦の報は、瞬く間に世界中へ広まった。
これまで10年ほどの休息の期間があったが、それがいよいよ終わりを迎えたのだと誰もが確信した。
他の国々の人にとっては、遠い国のテレビの中での出来事のようにしか思えなくても不思議では無い。
しかし、そう思えない人々が大勢いたのも確かだ。
これまでの、特に10年前の大陸中で発生した戦争は、多くの人々を巻き込む惨事だった。
今回もそうなるのではないかと考えると、遠くの国の出来事であっても軽視することは出来ない。
そう思い、そう考える人が多かった。
この二国間が戦闘状態に入ってもまだ、静観し続ける国も多くある。
戦争を始めたグランバートと隣国にあるソウル大陸南方のギガント公国も、オーク大陸内でソロモン連邦共和国と隣国にあるコルサント帝国も、それ以外の国々も具体的な行動を示すには至っていない。
ソロモン連邦共和国の、アルテリウス王国に対しての支援行動が秘密裏に進められているが、実質的にこの段階ではアルテリウスとグランバート、この二国での戦いとなっている。
あえてそこに首を突っ込もうとはしない、という考えかもしれない。
自分たちの国が切迫した状況に陥るというのなら、考えを改めるかもしれない。
この時点では、まだ明らかになっていないことは多い。


6月2日。
アルテリウス王国軍大陸南岸防衛線『ヴェルミッシュ要塞』


5月30日にアスカンタ大陸南方の海域上空で戦闘が発生して以来、三日間ほど目立った行動には至らなかった両軍。
アルテリウス王国側からすれば、自軍の空軍が大きな被害を受けて撤退した後、すぐにでも仕掛けてくるものと考えていたが、レーダー網にはその後空軍も海軍も引っ掛かることが無かった。
しかし、この日の午前11時頃。
突如としてレーダーに反応が現れる。


「レーダーキャッチ!進行速度から敵の艦隊と思われます!!」
「………来たか。直ちに迎撃艦隊を出撃させる!少数でも良い、空軍にも出撃を要請しろ!」



レーダーに表示されたのは、速度の遅い物体が12個。
その進撃速度から、間違いなくグランバート王国軍の艦隊であろうと判断した。
ヴェルミッシュ要塞の司令官シェザール少将は、直ちに迎撃の用意をするよう司令する。
司令が伝達されると、要塞内は警報が鳴り響き、戦闘態勢を告げる。
グランバート王国軍は、北方艦隊の第三艦隊を出撃させており、この時点ではレーダー網の範囲外、後方に空母ヒューベリック、補給艦を引き連れている。
艦隊そのものは戦艦、巡洋艦、駆逐艦という構成であり、レーダーだけではその識別は難しい。
艦隊がレーダーに表示されてから、海岸線沿いに辿り着くまでには数時間を必要とする。
この距離感は、しかし空軍の戦闘機であればものの数十分程度である。
いずれにせよ、敵の艦隊がこうして姿を現したということは、ヴェルミッシュ要塞への攻撃作戦を開始したと言っても過言ではない。



「空軍より返信あり!“可能な限り迅速に空域へ向かう”とのこと!」
「よし。アインツ提督は!?」
「既に軍港に出撃命令を出しているとのことです!1時間以内に全艦隊が出撃します!!」
「よし!ヴェルミッシュ要塞外縁部の陸上砲台をすぐに稼働状態へ!!」


ヴェルミッシュ要塞は、海岸線からなだらかに傾斜を上がり、高台を越えた先に位置する。
この傾斜角を利用し、要塞の外壁部には無数の固定砲台が設置されている。
海岸線から上陸して来るであろう陸戦部隊を、砲台の雨によって迎撃する目的がある。
さらに、要塞内部には何重にも張り巡らされた坑道とそれを移動するためのレール、トロッコがあり、外壁部の各砲台に弾薬が補充できるよう、坑道が繋がっている。
砲兵は、砲弾を補給するために運ばれてくる砲弾を運ぶものと、砲台そのものを操作する者とで分かれる。
また、それらの砲弾を各砲台へ配置するための武器庫の管理をする兵士とがいる。
すべての砲台が一斉射撃をすることはまずないが、間断の無い連鎖攻撃を行うことは可能で、敵を袋叩きにすることが可能だ。
シェザールの指示ですぐに各レールが動き出し、砲台に弾薬を補給していく。



「マルス様!いよいよです!!」
「敵が近づいてまいりました!!」


そして各陸戦部隊にも、いつでも戦闘状態に入れるように通達された。
王国騎士団の団長たるマルスも、司令を受けて執務室から詰所の方へやってきた。
詰所の中の兵士たちの士気は高い。
これから絶望的な戦いが待ち受けているというのに、彼らはやる気に満ちている。
この要塞を、そしてこの大陸を守る為の要であるとの自覚が彼らの心身を高揚させていた。



「敵がすぐ陸上にあがってくる訳ではない。戦闘が始まるまでにはまだかなりの時間を必要とするだろう。各々、準備を怠らないように」
「ハッ!!」



今日の彼は、真紅のマントの下に青銅の鎧をまとっていた。
とはいっても、前進が鎧だらけの戦闘服ではない。
鎧を着込めば防御は見込めるが、行動に大きな制限が掛かる。
特定の急所となりやすい部位を防御し、かつ全身を身軽にするのが彼の戦闘スタイルだった。
キシキシと鎧の音を立てながら、彼はレーダーを映すモニターの傍へとやってきて、両手を組んでその光景を見ていた。
敵艦隊がゆっくりと、しかし確実に接近しているのが分かる。
この艦隊の進軍に対し、アルテリウス王国軍は要塞すぐ近くの軍港に待機していた艦隊を迎撃部隊として出撃させるほか、既に制空権を取られているものの、上空からの援護を行う為に少数の空軍勢力の増援を要請している。



…………少しの間はあったが、確実に敵は上陸して来るだろう。
だが、正面から堂々と侵攻は出来ないだろう。
この要塞の防御力をアテにしている訳では無いが、陸戦部隊にとってこれほど無数の砲台は脅威のはず。
となれば………。


「要塞正面は砲台に任せる。我々は、外壁より出て右側面に展開し、敵部隊が上陸し迂回しようとするのを阻止する」



後々の展開を考えると、この時のマルスの判断は要塞内部の崩壊を防ぐ手立てとして有効なものであったと、多くの生存者が証言するところとなる。
敵は正面から突撃するような愚行はしないだろうと、あえて要塞を離れて片方に陣を構えることで、敵部隊が側面から要塞内部へ回り込もうとする、挟撃体制を取ろうとするのを防ぐ狙いがあった。
王国騎士団は、ヴェルミッシュ要塞の増援という形で本国から送られてきている。
現在の統率者はこの要塞の司令官であるシェザール少将となるのだが、シェザールはあえて王国騎士団の統率を行わず、士気旺盛の現場に運用をすべて任せたのだ。
シェザール少将は、ヴェルミッシュ要塞の常駐部隊を指揮することとなる。
それからのこと、一時間以内にアルテリウス王国艦隊が迎撃の為に出撃をする。
アルテリウス王国の三つの艦隊群のうちの一つである。
グランバートの王都で国王代理暗殺事件が発生した直後、グランバート王国軍は北方艦隊の空母ヒューベリックから艦載機を出撃させ、第二艦隊を攻撃した。その際の損失が激しく、南方に増援として振り向けられた第三艦隊と第二艦隊の残存兵力とが結集して再編成されていた。
その第二艦隊が迎撃を行う。
アルテリウス王国の第二艦隊を指揮するのはアインツ提督で、階級は少将。
既に航空戦力も出撃し始めているが、制空権を取られ、かつ戦力に差のある状態での迎撃となった。


――――――――――アルテリウス第二艦隊旗艦「オーガスタ」


「敵艦接近!有効射程到達まであと10分!」
「敵は紡錘陣形を取り、速度を維持しながらこちらへ向かってきます、閣下」
「攻勢あるのみ、ということか………左右に陣形を広げつつ、攻撃を加える。散開急げ。対空防御も怠るなよ」



アルテリウス王国海軍の総数は13隻。うち4隻が先日の戦いによって中破した第二艦隊の残存艦艇である。
元々数で劣るアルテリウス王国海軍。
それに対し、グランバート王国は第三艦隊を派遣し、17隻の戦艦、巡洋艦、駆逐艦を揃えている。
さらに後方には補給艦と強襲揚陸艦、そしてレーダー網の探知外に第三艦隊所属の空母ヒューベリックが航行している。
アルテリウス王国海軍には空母が一隻も存在しないが、この場合は大陸から出撃できる空軍があるので特に問題にはならない。
ただ、数において劣勢で、しかも万全な状態で交戦することも出来ない艦艇が数に含まれているのが問題だった。
無論、アインツ提督はそれを理解したうえで、敵が紡錘陣形を取って突撃し、中央部を中心に攻撃してくることを予測していた。
敵が中央部を圧迫しようとするのなら、こちらは両方向からクロスファイアポイントを作り出し、敵艦隊を挟撃する。
その狙いで、あえて陣形を左右に広げに掛かったのだ。



―――――――――――グランバート王国海軍第三艦隊旗艦「ヴェルンホルム」



ソウル大陸の北方海域を防衛する主力艦隊の第三艦隊は、空母一隻、戦艦10隻、駆逐艦12隻、巡洋艦10隻を構成する大規模な艦隊である。
今回の作戦で派遣されたのは、前面に展開する17隻の艦艇と、後方でレーダーに掛からない海域で待機する空母と、その空母を防衛する艦艇で、留守を預かっている関係で軍港待機している艦艇もある。
ソウル大陸北方海域を防衛するこの艦隊は、アスカンタ大陸とオーク大陸の北西部に対するけん制を兼ねた重要な戦力であり、また艦隊規模も大きく攻撃能力も非常に高い。
十数年ほど前から海上における艦艇同士の戦いが始まり、はじめは数隻程度のものが、今となっては数十隻まで膨れ上がっている。
さらに、艦艇の種類も豊富になり、各々の技術力の高さをある意味で誇示する機会となっている。
グランバートのそれは、特筆して他と異なる種類の艦艇は存在しないが、そのどれもが秀でた能力を発揮する。



「セルゼ少将。敵は左右に陣形を広げ、我が軍を包囲し三方向から挟撃を行うつもりのようです」
「手負いの艦隊が分散行動か。何も恐れる心配はない、距離を縮めながら長距離砲を発射、射程内に侵入後、連装砲で一気に攻撃を加える」



アルテリウス王国の艦艇主砲が射程外なのに対し、グランバート王国艦隊は各艦艇に一門しかないものの、長距離砲を持っており、既にアルテリウス王国軍をその射程に捉えていた。



「長距離砲、装填完了!」
「撃て。」



第三艦隊の司令官セルゼ少将の発令と共に、直ちに長距離砲による一斉射撃が開始された。
この長距離砲は一発ごとの装填が必要で、口径の大きさから装填にも時間が掛かる。
そのため接近戦でこの砲門が使用されることはまずない。
しかし、こうして敵の艦隊が主砲の射程内でない場合でも、一方的に撃ちこむことが出来るので、艦隊戦では重宝される。
また、こうした戦術はこれまでの戦争の形態からも生まれていなかったもので、ある意味で実戦で試しながらその効力を見極めるという狙いもある。
グランバート王国海軍がそのような戦術を取れる武器を持っていることをアルテリウス側は知らず、一方的な砲撃の開始に困惑を隠しきれなかった。


「奴ら射程の外から………!!?」
「正確な射撃です!決して当てずっぽうな射撃ではありません………ッ!!」
「長距離射程の砲撃ということか………!」



長距離砲撃は、射程こそ優位に立てるものの、砲撃の精度は短距離連装砲に比べると劣る。
しかしそれもある程度は砲手の力量によってカバーすることも出来た。
グランバート王国海軍の砲手はいずれも高い精度の撃ち込みが出来ていて、射程圏内となるまでの10分間、ひたすらアルテリウス王国海軍は砲火に晒された。
アルテリウス側からすれば、この10分間はほぼ何もすることが出来ず、回避行動もとれず陣形を乱すばかりであった。
その中で、更に艦隊の後方から複数の高速で移動する物体をレーダーが検知する。
航空勢力の接近であった。
既にここはアスカンタ大陸の南岸部、アルテリウス王国の領海深い位置である。
ここまで艦隊を押し進めることが出来るのも、空軍による制空権確保が大きな意味を持っているからだ。



「レーダーに感あり、航空戦力と思われます!」
「対空砲火開け!!」



飛来したのは、後方の海域に待機中の空母ヒューベリックから発艦した艦載機である。
既に領海上を航行しているヒューベリック。
艦載機は弾薬搭載量と航続距離に難を抱えているが、敵の領海内まで入ってしまえば充分に作戦可能である。
アルテリウス側も残る航空戦力を使用して艦隊の防空任務にあたるが、数においては劣勢のままであった。
アルテリウス王国艦隊が射程距離にグランバートの艦隊を捉えると、直ちに攻撃を開始し砲弾を叩きこんだ。
しかし、上空から艦載機が接近して艦上爆撃を受ける。
艦載機の接近に合わせて対空砲火を展開する艦隊。
銃撃が激しいとその分防御力に乏しい艦載機は回避せざるを得なくなる。
だが、グランバート軍は低空、あるいは対空砲の死角となりやすい直上からの攻撃を行った。



「戦艦ヘルテン轟沈!!」
「敵艦さらに接近!!」
「閣下!このままでは………!!」

「…………!!」



単純な話ではあったが、手負いのアルテリウス艦隊と万全を期したグランバートの艦隊とでは、数においても、また能力においても差があり過ぎたのだ。
少ない航空戦力でグランバートの第三艦隊を強襲し、自軍艦隊を防衛しながら戦ってはいるが、その航空部隊も艦載機群に次々と撃墜されていく。
艦隊戦が始まってから30分ほどで、既にアルテリウス艦隊は6隻の艦艇が撃沈された。
一方でグランバートの第三艦隊は中破が二隻だが、すべての艦艇が自力航行可能な状態にある。
さらに航空戦力でも圧倒的な数の差が戦力に浮彫となり、艦隊戦においては一方的な展開になりつつある。
アインツは、これまで分散させていた艦隊を密集隊形に集約し、火力の集中により敵の戦艦に致命傷を負わせる作戦に変更した。
それでも事態を収束することは出来ず、被害は広がる一方であった。
アルテリウス艦隊は海岸線沿いに後退しながら攻防を繰り返した。
しかし、海岸に近づけば近づくほど座礁する危険もあり、身動きが取れなくなる可能性が高くなっていた。


「敵の進撃速度は遅くなりましたが、こちらもこれ以上の後退は航行不能に陥る危険があります………!」
「追い込まれたか………ん、あれは!?」
「小型艦………でしょうか………!!?」


アルテリウス艦隊の旗艦オーガスタも艦上攻撃により中破の状態に陥り、レーダー受信装置を破壊されてしまっている。
そのため、敵の動きをレーダー上で掴むことは出来ない状態であった。
アインツや他の海兵たちが目にしたのは、アルテリウス艦隊の右側面から、戦艦とはかけ離れた小さなサイズの艦艇が高速で移動している姿だった。
小型艦はそのまま高速で戦闘海域を離脱していく。
しかしその進む方向とその意図は明白だ。


「………奴ら要塞の側面に回るつもりか………あれは上陸部隊で間違いない!すぐに要塞へ迎撃要請を!!」


その指示を出しながらも、少しの違和感を覚えたアインツ提督。
こちらが劣勢とは言っても、まだ海域は戦闘で荒れに荒れている。
離脱する小型艦艇にどれほどの陸戦要員が乗艦しているかは分からないが、たったあれだけの艦艇から降りた兵士たちでは、到底ヴェルミッシュ要塞を攻略することは出来ないだろう。
正面から敵が上陸することは無いと想定されているが、それにしても数が少なすぎる。
何か別の手段があるのではないかと勘ぐってしまうような状況だった。
しかし、要塞司令部との連絡は混戦により途絶えがちで、しかもレーダーは受信できない状態に陥っている。
戦況を把握することが困難な今、敵の意図を読み取るには情報が少なすぎた。
それでも目前の敵を倒すことに集中するしかない今の現状。
苦しい状況下にあることに変わりはなく、無数の砲弾が艦隊を攻め立てる。


「こちらは現在中破が二隻。砲塔が破壊され攻撃能力を失った巡洋艦が一隻です。対して七隻を撃沈しております」
「今のところそう悪い状況ではないな。だが………」


グランバート海軍にはレーダーが無い。
しかし、その代わりにある程度遠くまで視認できる望遠レンズをすべての艦艇で所有している。
常に自分たちの後背の海域を目視で確認している。
また防空任務を行っている艦載機は、数機で戦闘海域の外周を周回しながら上空からの偵察活動を行っている。
今、第三艦隊司令官のセルゼ少将は、艦橋ではなく展望デッキにいた。
そして進行方向ではなく、戦艦の先端から見て南東の方角を見ていた。
上空を旋回し続けている艦載機からの報告が入り、それを確かめる為に態々外に出向いたのだ。
望遠レンズの中に見える景色。
まだ薄く白い景色が多い海上で、黒い煙が立ち昇る。
自然のものではない、人工物。
無機質で普通は海上に存在するはずもないもの。
そしてこの作戦において、その存在が現れるのを危惧していたが、それが現実のものとなってしまった。


「…………間違いないな。」
「はい………あれは、ソロモン連邦艦隊です」



ここで、同盟関係を結んでいるソロモン連邦共和国が、アルテリウス王国に対し支援行動をする、その意図が明白となった。
同盟国の危機的状況に黙って見ているとも思っていなかった訳だが、やはりといった心境を持つ現場の軍人であった。
作戦を進めるタイミングとしては非常に相応しくない。
艦隊戦は圧倒的に有利な状況にある。
このままいけば、一時間と経たずに敵艦隊を行動不能に追いやることが出来るだろう。
だが、その一時間の間に、ソロモン連邦艦隊との射程圏内に入る。
そうなれば、片や正面には要塞を、後背からは連邦艦隊を相手にすることになり、たとえ有利な状況でも軽視出来るような状況ではなくなる。
既に強襲揚陸艦は別行動を開始し、陸上へ上陸する用意を進めている。
だが、艦隊の巡洋艦にも陸戦兵士はいて、かつ小型艇もまだ発艦出来ていない状況にある。
挟み撃ちにされるのは厄介だし、かといってここに留まると挟撃を受ける。



「………よし。残った艦船に集中砲火。行動不能に追いやった後、直ちに反転。長距離砲を要塞側に、連装砲は艦首に向け、接近して来るであろう敵艦隊に備える。急げ」

「はっ」


後方より接近するのは、ソロモン連邦共和国第五艦隊。
ロッティル中将率いる戦艦8隻、駆逐艦12隻の艦隊である。
グランバート艦隊はそれほどダメージを負ってはいないが、ここで背後を強襲されるのはダメージが大きくなる。
その前に正面向いて迎撃態勢を整えようと考え、セルゼ少将は各艦に指示を飛ばした。
その直後、主砲副砲すべてが稼動し、間断のない攻撃が行われる。
また上空からは艦載機が爆撃を行う。


「………連邦軍が来る前に、何としてでも固定砲台を潰しておかなくてはな………」



アルテリウス艦隊を相手にこれ以上の損害を出すことは無いだろう。
しかし、敵の数とその練度からしても、ソロモン連邦艦隊を相手にすれば傷を負わずに済むはずがない。
犠牲者を多く出すことになるだろう。
何としてでもその前に陸戦部隊を上陸させ、要塞に攻め入る態勢を整えなければならない。
セルゼ少将は、即時通信にて航空部隊の増援を要請する。
既にグランバートの第三艦隊は、アルテリウスと一戦交えている。
戦闘継続は可能だが、所持する弾薬が充分足りるという状況でもなく、また兵士たちの疲弊を考えると、二戦目に突入すれば更なる被害が拡大する可能性は充分に考えられた。
そのため、防空能力を強化して、連邦艦隊と出来るだけ対等な条件で戦おうと考えたのだ。


だが。
そのようなこと、連邦軍は既に看破していた。



ソロモン連邦空軍 第二航空団第203飛行隊



数ある航空団の中でも、空戦のベテランと秀でた能力を持つ操縦士のいる部隊が第二航空団である。
ソロモン連邦空軍第二航空団は、オーク大陸の西部から北西部にかけて防空任務を持つ部隊である。
普段から隣の大陸や領海における防空任務を帯びているため、日々訓練を欠かさずに飛び続けている。
オーク大陸への空軍勢力の進出を防ぐ目的もあり、熟練のパイロットと生え抜きで選ばれた凄腕の兵士が多く所属している。
連邦軍にとっては主要の航空部隊ということだ。
アルテリウスのヴェルミッシュ要塞と彼らの接続空域が近いことから、艦隊の防空とグランバート艦隊の攻撃を目的に、今回は派遣された。


「聞いたか?レンツ。奴さん空も海も健在だって言うじゃねえか」
「程度、想像がついていただろうユリアン。俺たちの立場は至って単純。ただ目の前の敵を倒せばいい」
「まあそうだな。奴さんよりは複雑じゃねえか」
「そういう難しいことは上の人たちが考えてくれるだろう。どのみち俺たちは“現場の人間”だからな」



既に第203飛行隊は戦闘空域へ侵入しており、アルテリウスを通じて戦況の報告を聞く形が取れていた。
艦隊はほぼ機能を停止しつつあり、防空任務にあたっていたアルテリウス空軍も数を減らし続けている。
そのため、戦況は全体的に劣勢であるとの報告を受けている。
嘆くように次々と愚痴をこぼすのは、危機的な状況の中でも陽気さを保っていたいとする、彼らの心の持ち方なのかもしれない。
その方が何より気楽に考えられる、と。
彼らは上の命令に従いここまで派遣された現場の部隊である。
現場の兵士に求められるのは、ただ一つ、戦果を挙げること。
結果をもたらすために最大限の努力をすることで、戦争の本質を考えたり、今後の方針を立てたりするような戦略的な部分は、彼らには必要ない。
精々関係するとしたら、この飛行隊を統率する指揮官くらいなものだろう。
ただ目の前に敵がいるとの情報があり、それを叩き潰すのが彼らの仕事だ。



「よぅし、愚痴はここまでだ。ヴェクター隊長、目標は?」
『敵艦隊の上空にいる防衛部隊を殲滅する。航空戦が優位になれば、艦隊を攻撃できる。いいか?』
「了解。それじゃあ、やるとしますか」


戦闘空域へ突入する連邦空軍。
連邦軍の接近は、グランバートにとってはある程度予測は出来ていたが、そのタイミングまでは掴めていない。
そして、彼らが来ることが分かってはいても、最悪の想定であることも理解していた。
アルテリウスにとっては欲しい援軍の登場であり、両国の同盟関係が軍事面においても有効であることを証明する瞬間であった。



「敵戦闘機、急速接近!」
「迎撃せよ。戦闘機の接近を阻止する」



こうして、後に『ヴェルミッシュ要塞攻防戦』と呼ばれるこの戦いの第二幕が上がる。
ソロモン連邦軍の戦線参加により、戦況は更に昏迷を深めていく。
一方で、グランバート軍の思惑はその裏を掻き、確実にアルテリウスの喉元へその刃を向けつつあったのだ。


………………。

第8話 ヴェルミッシュ要塞攻防戦《後編》


「――――――機関部被弾!!動力を維持出来ません!!」
「第二格納庫に直撃弾!!」
「損傷甚大!ダメージコントロール不能!!」



戦力、数、練度、配置、武器、どれをとっても有利な状況を作り出すことの出来なかった、アルテリウス艦隊。
グランバートの艦隊と真っ向から対峙し攻撃を加えたが、それ以上の夥しいほどの力を弾丸に変えて浴びせてきた。
ソロモン連邦艦隊の接近が分かると、より一層攻勢を強めて、一気に砲火を浴びせたグランバート艦隊。
グランバートの被害はそれほどでもなかったが、アルテリウス第二艦隊は壊滅的な打撃を受けていた。
その戦況の最中、第二艦隊の旗艦オーガスタが僅か30秒の間に、立て続けに戦艦の主力部に被弾。
機関室は破壊され、側面から数発の貫通弾を受けて、もはやダメージコントロールを行う余力すらなく、艦が傾斜し始めた。


「閣下。この艦の命運は尽きました………早く脱出を」
「艦長………分かった、艦を放棄させよう。ただし、動けるものは皆脱出させる。急いでくれ」
「はっ」


このまま生き残ったとしても、醜態を晒して敗戦の責任を取らされるだけだろう。
アインツの心の中にはそのような考えもあり、このまま艦と命運を共にすることも考えた。
しかし、それこそ目の前の状況から逃げ出すことにほかならず、指揮官がそのような身勝手な行動を取るべきではないと考え、出来るだけ多くの人を脱出させようとした。
価値観と考え方の違い。
彼はこのように考えたが、すべての人がそのように考えるとは限らない。
あるいは、生きていれば再戦の機会もあるかもしれない。
この場を生き残ることが出来るのなら、また戦う機会もあることだろう。
今はここで死ぬべきでは無い。
冷静に考え、判断を下し、そして彼は各員に指示を出した通りに、傾斜し続ける旗艦から乗員の3分の2を脱出させることに成功した。
アルテリウスはまとまった海軍戦力を喪失する。
一方で、グランバートは増援のソロモン連邦第五艦隊と接敵し、交戦状態となる。
いち早くアルテリウス艦隊を撃退した後、ソロモン艦隊に備えつつ長距離砲で要塞への攻撃を開始した。


「敵艦隊の長距離攻撃を受け、次々に砲台が撃破されています」
「そうきたか………これでは応戦できん。」


ヴェルミッシュ要塞の司令官であるシェザールは表情を歪めた。
この要塞の固定砲台は、上陸して来る敵に対しては無類の強さを発揮するだろう。
だが、砲台の射程外から撃ち込まれる攻撃に関しては、無力といってもいい。
艦隊戦力がグランバート艦隊と交戦している間は狙われる危険も無かったが、艦隊が失われ連邦艦隊が到着するまでの数十分間もの間、何も出来ないまま一方的に砲撃を受けることになってしまった。
その間に、グランバートは艦隊から分離した強襲揚陸艦を、要塞の側面につけて上陸を試みる。
比較的砲台の少ないエリアを選び、要塞の制圧に取り掛かろうとしたのだ。
海上では新たな戦いが、陸上では王国侵攻の第二幕があがる。



「ジュドウ隊、ジェイル隊は要塞内部の敵を掃討しつつ、移動用レールを破壊し要塞内輸送手段を寸断しろ。それ以外の部隊で要塞外縁部の敵を倒す」
「閣下自ら戦われるのですか………?」
「ああ。その方が性に合う」


今回の侵攻作戦には、ロベルト少将率いる第一師団の陸戦部隊が動員されている。
ロベルト自体は、陸軍の最高司令部に所属するクラスの人間であり、陸戦における最重要責任者という位置づけである。
その彼が自ら先頭に立って戦いを行おうと言うのだから、他の者たちも驚かずにはいられない。
もし彼の身に何かがあれば、戦線が崩壊しかねない、と。
だが、ロベルトは自らの剣によって道を切り拓くと話し、かえってその姿を見せることで他の兵士たちを鼓舞させようとしていたのだ。
元々彼は後ろで指揮をしながら戦況を見極めるような知性ある性格ではない。
自らも戦力の一部として加わり、状況を打開することを第一に考えている。
しかしそれも見込みのある戦いでこそ発揮されるもので、はじめから勝算の無い戦いには、たとえ上層部からの命令であっても異論を叩き味方の犠牲を増やさないとする思考がある。
その真っ直ぐな意思が、多くの兵士たちからの共感を得ていて、信頼を寄せられているのだった。


「現在空軍機が最後の爆撃中です。それが終われば陸上へは手を出せなくなります」


当然といえば当然だ。
味方が上陸した陸上でなりふり構わず上から爆弾を落とされては、味方ごと巻き込まれる可能性が高い。
そのような暴挙に出ることはない。
この要塞はかなりの広さを持つ要塞だが、内部はそれほど広くはない。
自軍も敵軍も展開する場所に余裕はなく、数千人規模の戦いが一ヶ所で起こることはまずない。
精々数百人程度の軍勢が互いにぶつかり合う程度だろう。
それ以下の、数十人規模での戦闘が無秩序に起こるような戦いを彼らは想定し、強襲揚陸艦では第一師団のごく一部の部隊のみが動員されている。
陸戦要員の数は圧倒的にグランバートが不利であった。
その分、彼らは艦隊からの長距離砲撃、空戦部隊からの空爆によって、要塞内にいる敵を一方的に無力化させ始めていた。



―――――――――――彼らの戦略に、はじめから要塞を奪取するなどというものはない。



アルテリウス、アスカンタ大陸への侵攻作戦。
この大陸発見当初からの主権を巡り、幾度と戦いを繰り広げてきた両国。
核心的な技術向上を迎えたこの時代で、それが遂になされようとしている。
この要塞は作戦が成功した後の橋頭保として大きな意味を持つが、彼らにとって重要なのは、ここを拠点として本国との輸送手段を確立することである。
要塞そのものはあれば便利なのだが、ここを奪取し堅守しようなどとは考えてもいなかった。



「よし、出るぞ!!」



この要塞にこだわれば、それこそアルテリウス軍と同じ羽目になる。
アルテリウスは、この要塞を防衛しつつ接近する艦隊、空軍を排除し、かつ上陸部隊とも戦わなければならない。
一度に多数の勢力と戦闘しなければならないのだ。
混戦状態になれば、それほど器用に各部隊と交戦できる状況を作れる人間などいないだろう。
強襲揚陸艦が彼らから向かって要塞西側の岸辺に辿り着き、上陸を開始する。
上陸部隊が接近するであろう地点にある固定砲台は、先程グランバート空軍が必要以上に爆撃を行い排除した。
第一師団の兵士たちが次々と海岸線から要塞方面へ駆け上がる。
各々に剣を携えて、目前の要塞兵を殲滅するために。
それに対するのは、王国騎士団。



「…………来たか。」
「マルス様…………」


第一師団所属第七陸戦部隊 王国騎士団


団長マルスの命により、あらかじめ要塞の東側に陣形を作っていた王国騎士団だが、その予想は見事に的中してしまった。
目の前の海岸から砂浜を経由して攻め上げるような、単純な敵ではないだろう、と。
当然と言えば当然だったのだが、それをいち早く見抜いていたマルスの読みは改めて鋭いものなのだと、各々の兵士たちが実感していた。
それは同時に、自分たちは彼らとの戦いを避けては通れないものなのだと理解することにも繋がった。
たとえ空と海で劣勢を強いられていても、この要塞があれば持ち堪えることが出来るだろう。
しかし、現に彼らはこうして陸上へ辿り着き、この要塞へ接近しつつある。



「………現有戦力で死守する。かかれ!!」
『『うおおおおぉぉぉぉおおおお!!!!!』』


グランバート空軍の空爆と海軍による長距離砲撃が止み、そのタイミングで陸戦部隊が攻撃を開始する。
王国騎士団と第一師団の属する部隊との戦い。
こと陸戦の力量に関して言えば、両軍は幾度か戦い合ったことがあるが、王国騎士団の実力はよく知っているところである。
ロベルト率いるグランバート陸軍も、実力差を考慮しなかった訳では無いが、この戦いにおいて奇策を展開できるような余裕もなく、陸戦における初戦は配置された敵部隊と正面から対峙する他なかった。
要塞正面から一方的に滅多打ちされるよりは遥かに良いとの判断だ。
だがこうも考えていた。
王国騎士団が展開したとき、こちらの犠牲は無視できないレベルになるだろう、と。


「ぐはっ!!?」
「おふっ!!!?」


陸上戦闘が開始してから10分。
ロベルト率いる本隊から分離したジェイル、ジュドウ隊は要塞の端から内部へと侵入に成功する。
一方で本隊は、王国騎士団の前に早くも劣勢状態となり始めていた。
純粋な力量差もあるが、それ以上に数における優劣がはじめからついていたため、劣勢の状況が展開されるのは想定されていた。
ロベルト率いる第一師団の部隊も、練度で言えば国内でも有数のものである。
しかしそれ以上に王国騎士団の陸戦部隊が強かった。
グランバートがかつての戦いで幾度となく敗戦した要因の一つでもある。
もっともグランバート王国は、王国騎士団という存在をそれほど昔から知っていた訳では無かったのだが。

「流石にやるな………」



…………だが、暫く持ち堪えれば。



ロベルト隊が王国騎士団との戦闘を行っている間、別動隊として要塞内部への侵入を開始したジェイル隊、ジュドウ隊も敵部隊との交戦を始める。
外で戦っている人たちに比べ、狭い空間の中、数の優位性が出にくい状況での戦いであった。
要塞内部は迷路のような構造で、どこへ通じているのかさえ彼らには分からない。
しかし、確実に分かることは、その迷路を繋ぐように列車用のレールが敷かれていて、彼らの目的はそれを破壊することであった。
これほどの大きな要塞であれば、あらゆる武器弾薬、人員の移動にレールが使用されるのは、何も要塞を下調べせずとも想像がついていた。


「必ずどこかにレールの集まる中心基地があるはずだ。探せ!!」
「はっ!!」
「ジェイル!俺たちが今戦っているのは騎士団の連中じゃないんだな!?」


「ああ、そのようだ。この要塞の駐留軍だろう」
「なら少しは俺たちでもやれそうだな………!!」
「そう、願いたいものだな。ッ!!」



第一師団のロベルト少将の下で、少数部隊を統率する士官の二人であるジェイルとジュドウ。
ジュドウは熱血で勇猛果敢は性格を持ち、一方でジェイルは冷静沈着なイメージが強い。
両者とも接近戦における技術力には長けていて、多くの兵士たちからその実力を認められている。
20代後半の二人は、先の『50年戦争』の最終局面を経験し、戦争終結後はグランバートに所属し、現在では大尉の地位にある。
無論、彼らだけでなく他の士官たちも似たような階級を持ってはいるのだが、この二人の年齢と階級の高さはあまり類が無く、若手でありながら陸軍のホープとしても知られている。
外で戦闘をしているロベルト隊は王国騎士団を相手に苦戦の状況であったが、要塞内部に侵入した彼らはどうにか優勢を保っていた。
しかしそれは、この要塞が狭隘で、敵の守備部隊が要塞の広さと人数の多さという利点を活かしきれていないという点に尽きる。
継続戦闘を行ううえで、彼らの消耗が多く蓄積されても、守備隊は次の部隊、また次の部隊と間断の無い防御陣を敷くことが出来るので、結果的に時間が経てば彼らが不利になるのは目に見えていた。
要塞攻略戦における陸上戦闘では、その劣勢具合をどのように覆すかが焦点であった。


「ハ、セイ――――――――ッ!!」


地上のロベルト隊と王国騎士団の戦い。
お互いに被害を拡大させてしまっているが、やはりここも人数差でグランバート軍が劣勢な状態となる。
アルテリウス王国軍は、この要塞守備兵力のほかに、王国騎士団を含む第一師団の第二、第三部隊の総勢1万8千名規模の増員を行っている。
グランバート海軍の砲撃と空軍による爆撃で、それだけでも多くの犠牲者が出ている状況だが、数だけで言えば現在でも優位な状況にある。



「っ…………あれは」
ロベルトは、既に自身で数え切れないほどの敵を斬り倒して前へ進み続けていたが、その過程、一人の敵兵士を見た。
他の兵士たちとは異なる色合いの鎧を身に着け、銀色に塗られた長い刀身を持つ剣を振るう、青年。
自軍の兵士が次々と殺害されていくのを見るのはあまり気持ちのいいものではなかったが、一目でその青年兵士がかなりの手練れであることは、戦っている姿を見て分かる。
強い兵士がいるのを確認した味方の兵士が、その青年を取り囲むようにして攻撃を行っても、僅か10秒後には全員が斃れてしまっていた。
しかも、青年には傷が無い。
ロベルトには、この男が王国騎士団と呼ばれる存在の中でも、特別な立場にある者だろうと確信した。
周りの兵士は戦い続けているが、ロベルトの存在に気付いたその青年は、静かにそこに在りながら、明確な殺意をロベルトに向けていた。



「――――――――――――。」



「………………。」


二人は互いに一歩も動かず対峙する。
まるでこの二人の時間だけが周囲から切り離されたかのようだった。
周りの兵士たちの戦闘よりも、目の前に立ちはだかる明確な強敵に意識が集中する。
青年のほうも、ロベルトの佇まいを見て、この人が他の兵士たちと何も変わらない人間ではないということを察していた。
そしてお互いの沈黙を破ったのも、その青年だった。



「貴方が、この部隊の指揮官ですか。」


「だったらどうする」


「私たちの為すべきことはただ一つです。ですが、私たちにも気になることがある」



「…………?」


たとえこの人が指揮官であろうとなかろうと、為すべきことに変わりはない。
であればこの問いは無意味なものか。
だが、自然とロベルトは聞く耳を立てて青年の話を聞こうとしていた。



「“あのカリウス殿”がこのような手段に踏み切るとは到底思えなかったのですが、これは彼の本意ですか。」


……………。
軍最高司令官の名前が青年の口から出される。
そして青年の口ぶりは、自分はカリウスという男を知っている、と言わんばかりのものであった。
その瞬間、ロベルトは察した。
この青年は、10年前の戦いで、カリウスと同じような立場で、あのエイジア王国とルウム公国の残党と戦ったのだ、と。
どのような経緯がそこにあるかは分からないし、聞いたところで自分にとっては何の意味もない。
そして青年から放たれたこの質問も、答えたところで相手としても重大な意味を持つものでもないと考えていることだろう。
だが、答えてやらないこともない。



「そうだ。お前の言うカリウス殿が、我らが指導者だ」


「……………。」


この質問が間違いなく回答であるとの確証もない。
ロベルトがグランバート軍において重要な位置にある存在だと察した中で問いかけた、その言葉。
青年は少しだけ目を逸らし、どこか遠い目をした。何かと決別するように。
だが、その直後。


「………なるほど。ではお互い、何の気兼ねも無い訳だ――――――――――――!!」



刹那。
男の視線はロベルトを突き刺すかの如く鋭く向けられた。
明確な殺意、膨れ上がる気配。
問いかけていた時の青年と、この瞬間の青年とでは雰囲気に大きな違いが見られた。
まるでその瞬間こそが戦闘開始を告げるかのように、青年は銀色の剣を振るう。
はじめは突き。直撃すれば内蔵が穿たれ、それだけで即死であろう。
驚異的な速度で迫ってきたその切っ先を、ロベルトは剣を横方向にタイミング良くスライドさせて弾いた。
突き動作は相手に直撃すればそれ自体が致命傷になるが、かわされた後の無防備さは大きな弱点となる。
ロベルトはこれまでの戦闘経験でそれの対応策をよく知っていて、また実戦したこともある。
同じように実行したが、相手の青年―――――――――――王国騎士団長マルスには通用しなかった。



「―――――――――――――!!?」



無防備になったと思われたところに打ち込んでも、手応えは何一つなかった。
それどころか、強い衝撃が全身に伝わり、激しい火花を飛ばしながら金属同士が交わる音が鳴り響いた。
難なく攻撃を防いだマルスは、体勢を立て直しながらロベルトに次なる攻撃を繰り出す。
マルスが攻撃し、ロベルトが防ぐ。
一進一退の攻防を繰り返すが、基本的にこの構図が出来上がり、ロベルトとしては苦しい戦いになりつつあった。
王国騎士団の名に恥じず、戦闘技術は今までに経験したことのない桁違いの強さを持っていた。
油断すれば一瞬で斬り込まれるだろう。
また、マルスは刀身の長い剣を使用しているので、間合いを広く取っても斬り込まれる可能性がある。
それよりは、お互いに身動きを自由に取り辛くなる接近戦の方が勝機があると考え、彼はあえて間合いの中、しかも近い位置での戦闘を続けた。
一方で、マルスの方も戦いを優位に進めてはいるが、歯痒い思いを持っていた。


「――――――――――――!!」
決まらない。
決められない。
剣速、力、いずれもこちらが上回っている。
しかし、どの攻撃も阻止される。
なかなかどうして上手くはいかないものだ。
グランバートにはこのような豊富な人材が幾人もいると言うのか。


互いに一歩も譲らない攻防が5分続き、流石に二人とも疲労の色を示して間合いの外に出て対峙する。
二人とも息を整えながら、互いを見据える。
ロベルトにとっても、またマルスにとっても、お互いにこれほど強い敵と戦う機会は久し振りであった。
そもそも戦争が再び始まって間もないこの頃、戦うことそのものが久々とも言える。
それまでは訓練などで実戦形式を幾度も経験してきてはいる。
だが、訓練と実際の戦闘とでは異なるものも多い。
特に実戦の空気感は、訓練とはかけ離れている。
何しろ訓練に二度目はあっても、実戦に二度目はない。
その剣が身体を斬り裂こうものなら、命は無いのだから。



「…………相当な手練れと見る。先の戦いの経験者か」


マルスからの質問だった。



「多少はな。………お前たちの噂はよく耳にしている。その噂は事実だったようだ」
「褒められた、と受け取っておこう。この戦いの果てに、貴殿らは何を見たいのだ」
「見たい?………見るべきものは決まっている。我らが軍が勝者たる地位につく。それだけのことだ」



―――――――――――たとえ再び、世界が火の手に包まれようとも、か。


要するに、マルスはこの戦いの目的がどこにあり、どこまで見ようとしているのかを聞いた。
ロベルトはそれには答えなかった。
当面の目標はアルテリウスへの侵攻にある。
その先の目的は彼ですら知るところではない。
知らないから答えないという単純な理由と、一軍人が自軍の機密情報を喋るという愚かなことをするものではない、という自制で彼には何も打ち明けなかった。
しかし、ロベルトはこう話す。
「自己の利益の為なら他人の手でも汚させる。それが国というものだ」
グランバートには、ウィーランドを殺害したのがアルテリウスだという確信を持って、その事実のもとに行動を起こしている。
アルテリウスを屈服させるまでその矛を収めはしないだろう。
だが、マルスが気にしたのはそこではない。
今のままでは、アルテリウスは劣勢を強いられることになるだろう。
場合によっては剣を下ろさなくてはならなくなるかもしれない。



その先に、グランバートがどこへ向かおうとするのか。
彼にはその興味があった。



「………いや、そうか。思えばこれまでの歴史の中でも、貴殿の国はそのような理由で大陸を攻めたのだったな。些か愚問であったか」
「そうだな。何も我々はすべての大陸を攻め上げようなどとは考えていない。だが、起きてしまった罪に対する報いは受けてもらわねば」
「報復は報復を呼ぶ。取り返しのつかないことになるぞ。」


「そうかもな。だが道筋を立てるのは上の人間の役目だ。我々現場の人間はただそれに従うのみ」



自分たちはただ、上の人間の言うことに従うのみ。
少将という立場にあるロベルトでさえ、そのようなことを平然と言った。
団長マルスはロベルトがグランバート第一陸戦師団の指揮官だとは知らなかったが、この兵士が普通の兵士ではなく、将官クラスの人間であろうことは予測できていた。
その人でさえも、現場で振り回される運命にある。
一体彼らよりも上の立場にいるであろう者たちは、何を考え、行動させようとしているのか。
そういった立場にある人間に近づかない限り、それが明らかにされることはないだろう。



「………さて、来たようだな。」
「ん…………あれは」



ロベルトたちが上陸してきた方角、遠い空から黒い塊が徐々に近づいてくる。
その光景に思わずマルスも動きを止めて凝視する。
空に浮かぶものである以上、あれが航空機であることは疑いようもない。
既に海上では艦隊戦と防空戦闘が展開されているが、まるでそれを避けるようにしてそれらは訪れた。
やがてそれらが接近して来るのを見て、マルスは確信した。



「………まさか………!!?」



やってきたのは、艦上戦闘機などと比べても遥かに大きい、輸送機。
速度こそ早くないものの、それらが10機以上も突然飛来して来れば不気味な光景に思えただろう。
輸送機は機体の胴体にあるハッチが開いている。
その光景を見てマルスは確信し、同時に恐れを持った。
このような作戦を思い浮かぶ、そして実行できる、グランバートの作戦に。
マルスだけでなく、他の地上で戦っていたアルテリウス王国軍の兵士たちが、それを見て驚愕した。
飛来した輸送機のハッチから飛び出してきたのは、人。
飛んでいる飛行機から、次々と人が降りてくる。
普通に見ればただの自殺行為にしか見えないのだが、降りてくる人からは傘のようなものを広げて速度を緩めていた。
グランバート陸軍は、要塞の上空で輸送機から兵員を下ろす。
アルテリウスの誰もが見たことのない、新しい手法でグランバートは攻め上がろうとしていたのだ。
この世界において“パラシュート降下作戦”が展開されたのは史上初めてであり、ヴェルミッシュ要塞攻防戦が歴史上後世まで語られることとなる戦いの理由の一つでもある。
この要塞戦は、双方の高い技術力と、それによって生み出された新しい手法が次々と投入される戦いとなった。


「空から人が!!?」
「あれも敵だ!」
「要塞各所に攻められるぞ!!」
「これでは挟み撃ちだ!!」


その光景を見た王国騎士団、ほかの陸戦要員も混乱に陥った。
目的は明らかなのだが、敵を要塞の東側でせき止めるどころか、要塞各所への侵入を許すこととなった。
ヴェルミッシュ要塞は広大な要塞ゆえに、出入り口もとても多い。
無論そのすべてではないが、至る所からまとまった数の兵士たちが着地しては侵入し始める。
要塞守備隊もフル稼働でグランバート軍を迎え討つことになるが、その斬新な攻略方法にたじろいでしまった。


「くっ………これが狙いか………っ!?」
「―――――――――どうする。たとえこの場で有利に戦えたとしても、後方が寸断されれば孤立するぞ」


後方を攪乱され、内部のレールを破壊され、地上では攻防戦が続く。
だがこの状況が長く続くとは思えない。
これほど広範囲に敵が侵入すれば、そのすべてを倒しきることは難しいだろう。
グランバート陸軍にそれなりの技量があれば、守備兵力など瞬く間に削られてしまう。
そしてこの男の言うように、自分たちの後背が安全圏でなくなったとき、孤立無援のまま挟み撃ちに遭う危険が高くなる。
そうなれば、たとえ王国騎士団と言えども甚大な被害が出ることは避けられない。
ここで敵を殲滅して後背に迫る敵に対応できるかと言われれば、それも難しい。
目の前の敵は、確かに時間を掛ければ勝つことの出来るような相手かもしれないが、犠牲が拡大するばかりだ。
その間に要塞の守備能力が次々と削がれていくことだろう。
―――――――――――――ここが決断の必要な時だった。
だがその思考を鈍らせるように、ロベルトが攻撃に転ずる。
突然の攻撃だったので、マルスも防御するので精一杯であった。
内心の焦りが顔にまで表れてしまっている。
それを見ての攻撃であった。



「っ…………!!」
お互いの剣が鍔迫り合い、激しく音を鳴らしながら火花を散らす。
交差した剣がギチギチと絡み合う。
剣術も剣腕もマルスの方がロベルトよりも上手であったが、焦りが技術を鈍らせ付け入る隙を与えてしまった。
それでも、いつまでもここでロベルトと相手をしている訳にもいかない。
急がなければ、要塞の各所で敵に突破され犠牲者が増え続けるか、捕虜になる可能性が増え続けるだろう。
少しの間防戦を展開したマルスであったが、決断した後にロベルトを一気に間合いの外に押し出し、かつ長い刀身の切っ先で素早く振り抜き、切っ先はロベルトの頬を僅かながらに斬りつけた。



「―――――――――――――」
そして一瞬にして間合いの外へ離れ、この場を離脱していく。
甲高い笛の音を鳴らしながらマルスが要塞側へ引き上げ始めると、その音を聞いた他の騎士団員たちも、目の前の戦いを放棄して要塞側へと撤退し始める。どうやらその笛の音が後退の合図だったらしい。
だが、そんなことよりも、気になることが一つ。
ロベルトは斬られた頬をなぞりながら、血の色を目で確認した。
この程度の痛みなど幾度も経験している。致命傷にもならないし、かすり傷程度だ。
後退していく兵士たちの背中を見ながら、騎士団長マルスの姿を目で追いながら、彼は思った。



最後の一振り、そしてあの脚力…………明らかに今までのものより早かった。



あの動きをはじめから使われていれば、攻防は長く続かずこちらが負けていたのではないだろうか。
そう思わずにはいられないほど、最後の一撃はあまりにも早かった。
確かに彼は間合いの外へ力いっぱい押し出された。そのせいで姿勢を崩しかけた。
反応が遅くなったのはそのためだろう。
だが、それにしてもあの速さは尋常ではなかった。
他の兵士たちが皆、あのような力を持っていたとすれば、この戦い、この要塞戦は攻略しきれないまま、逆にこちらが撤退しなくてはならなかっただろう。
もしあの男が、あの瞬間の動きを常に出来たとしたら、たった一人を相手に何十人が殺されただろうか。


「………………。」
「閣下。敵が後退していきます。要塞内部へ行くものと思われます」
「………要塞内部の制圧へ向かう。敵は戦線を縮小して逃げにかかるはずだ。要塞外へ撤退する敵は追わずに見逃せ」
「はっ」



王国騎士団長マルスの決断は、
パラシュート降下部隊が要塞各所を制圧し孤立する前に部隊を後退させ退路を確保すること。
要塞内部の敵を出来るだけ倒しつつ、守備兵力を温存して撤収の時間と空間を確保することであった。
この要塞を堅守する意味はなく、戦略的な価値も高くない。
固定砲台も破壊され、海上の味方艦隊は撃滅され、ソロモンの手助けがあって何とか全面攻勢を避けられてはいた。
しかし、仮にソロモン艦隊が討ち破られることがあれば、次はこの要塞を破壊しにかかるだろう。
退路を断たれる前に、ある程度の戦力を残して後退する。
彼はそれを伝えに要塞内部まで引き揚げたのだった。



ヴェルミッシュ要塞攻防戦。
その後、陸上での戦いが始まってから2時間が経過し、アルテリウス軍は全体として後退する動きを見せつつあった。


………………。

第9話 アスカンタ大陸侵攻


「敵の中央部に砲火を集中させよ」


「敵は連戦で疲弊している。攻撃の手を緩めるな」



陸上戦闘が更なる苛烈さを増していく一方で、海上での戦闘もより拡大する動きを見せつつあった。
ソロモン連邦第五艦隊が来援の為に到着し、グランバート第三艦隊との接敵状態に入る。
既にアルテリウス艦隊を破ったグランバート海軍ではあるが、いかが彼らでも連戦を強いられる状況は好ましいものではなかった。
敵の領海深くまで侵攻をしているため、補給艦による補給を受けられずにいる。
まだ搭載されている砲弾は数多くあるものの、それ以上に海兵たちの疲労が目に見えて映るようになり、問題視されていた。
長時間継続戦闘を行うのは難しい。
しかし、今グランバート海軍の海域配置が更に厄介な状態になっていた。
ソロモン艦隊は、ヴェルミッシュ要塞側にグランバートの艦隊を押し込むようにして布陣している。
要塞の固定砲台は大方破壊出来たので、後方から攻撃を受けることはない。
しかし、全面攻勢に出てきたソロモン第五艦隊と真正面から戦っても、有利な状況を作り出すことは出来ないと判断されていた。
アルテリウス艦隊との戦いでは殆ど損傷を受けなかったグランバート艦隊であったが、ソロモン第五艦隊との戦いで既に3隻が撃沈、1隻が大破と被害を拡大させてしまっている。



「このまま陸地側に押し込まれるのはうまくないな。このまま右に艦隊を流しつつ、敵との相対距離を維持する。伝達頼む」
「はっ」
「損傷した艦艇は出来る限り後方へ下がらせて、長距離砲での攻撃に専念させる。当たらずとも良い、それだけで威嚇にもなる」



グランバート第三艦隊旗艦ヴェルンホルムの艦橋で指揮をするセルゼ少将。
艦隊戦の状況は好ましくないものとなりつつあるが、それでも冷静に状況を分析して的確な指示を出していた。
各艦の統率も充分に取れており、劣勢に転落しつつある状況の中でもしっかりとした艦隊運用が出来ていた。
同じような状況がアルテリウス艦隊にもあったが、アルテリウスの場合は艦隊の運用面でも、ハードウェアという点でも劣っており、数においても劣勢であったため、状況が悪化するのが早かった。
グランバートは、それを艦隊の運用における練度の高さと士気の旺盛さ、そして堅実な指揮官による采配によって支えていた。
更に空戦においては両軍とも互角の勝負を繰り広げていて、グランバート軍が依然として制空権を維持出来ていたことも味方していた。
一方で歯痒い思いだったのは、ソロモン連邦第五艦隊のほうであった。
敵は連戦で疲弊も自分たちより遥かに多いはずなのだが、決定的な状況を作り出せずにいる。
この攻防戦が、ヴェルミッシュ要塞の攻略に時間的余裕を与えてしまっていることも理解できているのだが、空戦でも海上戦闘でも敵を突破できないとあれば、救援することも出来ない。



「………しかし、中々しぶといな」
「駆逐艦ヴォラニスク、撃沈。味方艦艇の被害も拡大しております」



グランバートの中でも危機感は募る一方だったが、ソロモン艦隊としてもこれ以上の損害が広まるのは避けたいところであった。
第五艦隊はオーク大陸の北方海域を管轄する艦隊で、他にも艦隊があるものの、他の艦隊の力を借りることになれば、派遣元の海域が脅かされる可能性が高くなる。出来ることなら、戦力を減少させたとしても致命傷にならない程度に済ませたいとも思っていた。
しかし、戦いが発生すればそれは難しい。
戦う以上犠牲は出るし、それを抑えることに越したことは無いが、状況がいつもそのように整えられるものでもない。
連邦艦隊も既に駆逐艦を4隻失っている。
幸い戦艦には目立った損傷はないが、それでも戦艦を失うことになれば、そう簡単に補充は出来ないだろう。
高い高度で制空戦闘が行われているおかげで、艦隊の上空に飛来する敵機は少ない。
しかし、もしグランバート空軍がソロモン空軍を討ち破ることがあれば、瞬く間に艦上攻撃をしてくるだろう。
そうなれば、あっという間に被害は拡大し甚大なものとなる。



「陸地とは連絡が取れないか」
「はい。混戦状態にあるようで………」
「そうか。しかし………敵に倍する兵力がありながら、攻勢を押さえられんとはな。」


……………侮りがたし、グランバート軍。



歯痒い思いを持つと同時に、敵の力強さに感心するロッティル中将。
今のところ互角の戦いを繰り広げているが、もしグランバート艦隊が初戦で無傷のままこちらと対峙していれば、結果はどうなっていたであろうか、と想像するロッティル。
だが、恐らくそれは近い将来に現実のものとなるだろう。
今の奴らの目的はアルテリウスへの侵攻なのだろうが、状況が変われば、恐らくは。



「…………本国へ連絡を。戦況を報告する。203飛行隊のヴェクターとも連絡を取れ」



ヴェルミッシュ要塞内部での戦闘は苛烈さを極めたが、状況は終盤へ突入していた。
というのも、王国騎士団の後退と呼応するように、要塞守備隊も後退しつつ撤退を始めていたからだ。
上陸したグランバート兵士と、要塞の守備兵力との差は歴然であったにも関わらず、グランバート軍は空からパラシュート降下作戦によって要塞各所に侵入し、そして次々と内部の兵士たちを倒して行った。
特にグランバート軍で要塞内部の制圧に尽力し多大な功績をあげたのが、第一師団の一部の部隊を指揮するジュドウ隊とジェイル隊で、二人の青年現場指揮官は勇名を馳せる結果となった。
それ以外にも幾人かの若手兵士が台頭し、グランバート軍の勝利を近づけさせていた。
アルテリウス陸軍の王国騎士団は、個々の能力は非常に高いものであったが、彼らだけが突出して強い戦力であっても全体としての連携が上手く取れていなかったので、思うような結果を出せずにいた。
そこに要塞各所を制圧されるような作戦に出られたので、彼らは早々に後退を決めたのである。
“この要塞を堅守することよりも重要な局面が必ず来る”と信じて。



「マルス様!!我々はまだ戦えます!!」
「そうです!我々の戦力なら、敵の一個中隊が相手でも………!!」


『駄目だ!!状況は既に決している。ここで無駄死にさせる訳にはいかない』


マルスとて、戦いたい気持ちは山ほどあった。
だが、これ以上の戦闘継続は、味方に要らぬ犠牲を出す可能性が高い。
“事実上第一師団を動かす権限を持つ”彼の裁量で、直ちに撤退が命じられる。
アルテリウスには、こうして各所に分配された兵力を正しい指揮系統で運用できない状態があったため、混乱を招いてしまった。
マルスは要塞司令部の統率が十全ではなかったため、第一師団としての統率を優先させたのである。
後日それが一部の人々の間で非難されることとなるのだが、この場合“仕方が無かった”と考える者の方が多かったのである。
何故なら。


「司令部への侵入を許したのか!?」
「グランバートめ………ッ!!」



『敵』は既に、要塞内部の司令部への侵入を果たし、次々とアルテリウス軍を撃破していたのだった。
ヴェルミッシュ要塞司令部は、戦況全体の把握とそれに対応するための中枢であり、高級士官なども集まるエリアだった。
要塞内部に敵が侵入した時点で各方面への殲滅を指示していたのだが、逆に殲滅されていたのは彼らの陣営であった。
要塞内部の構造に詳しくないグランバート軍が要塞を攻略できているのは、彼らにとってこの要塞は広いようで狭く、陸戦における力量がグランバート軍の方に傾いていたこともある。
また、各方面から挟撃するように攻め入り、更には要塞内部にある移動手段を寸断されたことで、要塞内部の状況を把握できず、また適切に人員を配置して防衛することが出来なかった。
退路も塞がれ、逃げ遅れた兵士たちは結果的に内部で死闘を繰り広げ、その末に斃れて行った。
司令部にまとまった戦力は残っておらず、侵入を許すと抵抗できずに殺されていく人が山ほどいた。


「………いかんな、これは。」


そしてすぐ近くまで敵が来ていることを、要塞司令官のシェザールも目視していた。
味方兵士の断末魔まで聞こえて来て、次々と斬り倒される鈍い音も迫っていた。
普通、司令部に敵兵の侵入を許す可能性があると分かった時点で、司令部を後退させるのが手段である。
しかしこの要塞の欠点として、退路を寸断され通信状態も混雑してしまえば、状況を確認する手段が取れなくなる。
その結果、近くまで敵兵がきて、要塞がそこまで制圧されている状況にあるのだと分かったのだ。
気付いた時にはもう遅かった。
グランバート軍兵士が要塞内を占領し、司令部に迫り、そして今、目の前に敵兵が現れる。
シェザールには戦う武器などない。
戦闘服を身に纏い、カツカツと重たげな靴の音を鳴らしながら近づいてきた兵士は、シェザールに斬りかかろうと武器を振り上げる。
が、その途中で行動が停止した。
いや、携えていた武器を下ろしたのだ。
兵士の目線は、シェザールの軍服の襟につけられた、階級章。
グランバートの兵士はすぐに他の兵士にそのことを伝え、一人の兵士が入口方面へ走って行く。
誰かに何かを伝えたのだろう。この時点で、シェザールは敵がどのようなことを伝えに行ったのかが分かっていた。


一人の兵士がやってきた。
大した武装もせず、防護服も着ず、片手で鞘に収められた剣を持ち、男の前に立つ。



「っ…………」


その姿に、シェザールは大そう驚いたのだ。
灰色の髪に深い緑色の瞳を持つその兵士は、女性だった。
身軽そうな軽装で、多少服が乱れてはいるものの、血の色を一切付けていない。
本当にここに来るまで戦ってきたのかと言いたくなるくらいの姿であった。



「姓名と階級を名乗って頂こう」



澄んだ冷たい声でそういう言葉を放った女性。
見たところまだ若く、20代前後ではないかと思うくらい。
だが、彼女もまた襟の階級章を見ると、他の兵士たちが付けているものとは異なることがすぐに分かった。
あまりの驚きに言葉を失っていたが、彼女がもう一度、少しだけ口調を強めてそのように話してきたので、口を開けた。



「アルフレッド・シェザール。アルテリウス陸軍ヴェルミッシュ要塞司令官で、階級は少将。………貴官らに、階級に相応しい待遇を要求する」



この瞬間、戦況は既にアルテリウス軍の敗退に傾いていたが、形式上もアルテリウス軍がグランバート軍に敗北したことを確定させた。
司令官自ら、この要塞での戦闘を放棄するという意思を示したのだから。
しかし、戦闘を継続したところでもはや勝ち目も無いだろう。ここまで敵がのし上がってきているのが良い証拠だ。
実際シェザールが考えていた通り、アルテリウスは敗退寸前の状態で、防戦一方であった。
ことに、この要塞がある意味で味方の逃げ道すら無くしてしまっていることが、今回の敗戦の大きな要因と言えよう。
グランバート軍はそれを看破し、坑内を行き交うトロッコ用レールを相次いで破壊し、続いて空から要塞への出入り口を制圧して管理を行う。
こうすることで、要塞内部にいる兵士たちを孤立させることが出来る。
移動も出来ず、補給物資も届かず、人員も行き渡らない各部署は、グランバートの殲滅の格好の的であったのだ。


「承知した。これより貴官はグランバート軍の捕虜だ。無益な抵抗をしないと約束するのなら、身の安全は保障する」
「了解した。貴官に身柄を預ける。………名を聞いておきたい」
「………私は、グランバート王国陸軍第一師団所属第二連隊、シャナ。階級は少佐」


「……………。」



グランバート王国陸軍第一師団第二連隊所属シャナ少佐。
佐官というのは指揮官クラスの階級で、前線に出て戦闘を行うような人物ではない。
それを言うと、王国騎士団の団長マルスも同じくそれに該当するのだが、シェザールは何より彼女の見た目の若さに対して階級が高いことに驚いたのだ。子供とは言えないが、決して成熟しきった大人の姿のようにも見えない。
そのような若い人間ですら、戦いに立ち向かい、そして台頭する。
今の戦いがそのような時代を迎えているものなのだと改めて実感した。
捕縛され、マスクを被せられる。
その瞬間の、辺りを見渡した光景。
多くの血塗られた亡骸が転がったままの、まさに絶望的な光景であった。



「少佐。既に敵は撤退しつつあります。やはりすべての出入り口を封鎖するのは容易ではありませんので」
「分かっています。これ以上の組織的抵抗は起こらないでしょう。抵抗する者は殺害し、それ以外の敵兵は捕虜にして下さい」
「はっ」



味方に指示を出すと、シャナと呼ばれる女性はその場を後にした。
冷静に、冷徹に、的確な指示を出す。
兵士たちもそれに従い、次なる行動を起こす。
既に司令部が制圧されたアルテリウス軍は、敗走状態にある。
要塞の内部にいる兵士は、抵抗するのであればすべて殺害し、そうでなければすべて捕虜にするよう伝えられた。
また、他の地点で戦闘状態にある部隊の援護をするよう伝えられた。
シャナ率いる連隊は、最も早く敵の司令部を制圧した部隊として報告された。



「シャナの奴もう司令部を制圧したのかッ!?」
「おい、一応上官だぞ」
「まあな。けど歳は奴の方が下だぜ?」
「年齢よりも階級がモノを言うんだ。他の連中の前では控えておけよ」


要塞内部で奮闘する陸戦部隊に無線で報告が入る。
シャナ少佐率いる部隊が司令部を制圧し、事実上この要塞を占領した、と。
ジェイル隊とジュドウ隊はいまだに戦闘を継続していたが、既に敵兵士の数も少なく接敵回数も減少していた。
余裕の生まれた状態の中で、実質この要塞攻防戦の勝利を確信した彼ら。
ジュドウにとっては“シャナに美味いところをもっていかれた”とやや不満げな言葉を漏らしたが、それをジェイルが冷静に宥めた。
この時点で要塞の複数個所を少ない部隊で切り開いたこの二つの部隊の功績も計り知れないものではあるが、全体として見れば、やはり司令部を制圧してこの要塞攻防戦に終止符を打った功績が注目されること疑いようもないからだ。


「けど奴はなーんか上官っぽくないからなー………」
「それには同意する。………まあそんなことはいい。残りの敵も掃討しよう」



一方、海上のソロモン第五艦隊は、要塞内部が制圧され、司令部が占領されたことを情報として取得した。
こうなると、支援すべき相手に支援が行き届かなくなるどころか、自分たちが孤立する恐れが高まる。
要塞が健在で、かつグランバートに対し組織的な抵抗を見せられる間は強力な支援として成り立つが、それが無くなれば逆に彼らが孤立無援となる。
そのような状態で、いつまでもこの海域に留まる理由もない。
艦隊にも犠牲が出ているし、敵艦隊にもそれなりの打撃は与えた。


「………なるほどな。事情は把握した」
「いかがなさいますか、閣下」
「これ以上の戦闘行為は無意味だ。砲撃を敵陣中央部に集中させつつ急速後退。艦首そのままで離脱しろ」
「はっ。それにしても………恐るべきはグランバート軍の力量ですか…………」
「いや、それだけではない」



ロッティル中将は、ただちに全艦に撤退命令を出す。
いまだ海上での戦闘は続いているが、グランバート艦隊は攻防をするというよりは、こちらの攻撃を流して艦隊の陣形を再編しようとしている。
陸地に押し込まれるような形での布陣が続いていたが、それを海上深くに戻すことで、真っ向からの艦隊戦を展開できるようにしようとしているのだ。
だが、その動きに呼応するように、ソロモン艦隊は急速後退を始めた。
艦首を回頭させず、そのまま後退するので後退速度はそれほど早くはない。
また、敵が目前にいる状態から撤退を行うことは、本来であれば追撃される危険が高くなり、至難の業である。
しかしグランバート艦隊も追撃できるほどの余裕はない。
それを見越して、攻撃しつつ急速に後退し、一気に戦域を離脱しにかかったのだ。
ロッティルは冷静に分析していた。
要塞からの最後の報告は、司令部が制圧され各所で要塞の機能が停止している、というものだった。
その過程もある程度は報告を受けている。
アルテリウスとの間に艦隊戦を展開し、空戦を優位に進め、強襲揚陸艦でアルテリウスの関心を振り向けつつ、制空権内においてパラシュートによる降下作戦を実施し、各出入り口を封鎖し、要塞内部から挟撃する。



「…………これほどの作戦を立案し実行に移す………単なる手段としての精巧さだけでなく、運用面でも秀でた才能の持ち主がいる。指揮官か、それとも参謀か…………」



実行部隊の力量よりも、真に恐ろしいのはその作戦を立てる側ではないか、と。
ロッティル中将はそう危惧したのだ。
ソロモン艦隊はその後、作戦海域から撤退する。
こうして、後に言われる『ヴェルミッシュ要塞攻防戦』は、当初の思惑とは裏腹に、グランバートが圧倒的に有利な状況を作り出し、勝利へと導いた。
アルテリウス王国は、ここにアスカンタ大陸南部の戦略的要塞と、南部方面の守備兵力を失う。
王国騎士団こそ少ない犠牲で済んだものの、要塞守備兵力は7割以上が戦死もしくは捕虜にされるという凄惨な結果で、要塞そのものも機能出来ないほどの損害を受けた。
グランバート軍は、はじめからこの要塞を使おうとは考えず、相手の戦力を徹底的に潰しにかかった。
結果としてはグランバートの大勝利で、アルテリウスにとっては大きな痛手であった。



「…………そうですか。まずは吉報が聞けて良かったですね。大将閣下も喜ぶことでしょう。」


グランバート王国王都、統合作戦本部。
作戦行動が終了し、自軍がヴェルミッシュ要塞の制圧を完了したことを告げられたアイアス少将。
笑みを浮かべながら、報告をもとに映像に出力されたアスカンタ大陸南部の地形を見る。
大陸南岸部の防衛拠点であったヴェルミッシュ要塞が機能を停止すると、そこから300キロ北上すれば王都アルテリウスがある。
無論、それまでに幾つもの敵の基地があるし、間違いなく組織的な抵抗はあるだろう。
寧ろこれからの戦いが本番というものだ。



『そいつは良いが、この先通じる三方向にはいずれも敵の拠点があるんだろ?どっちへ行くんだ』



報告を入れてきたのは、今回の作戦の現場指揮を執ったロベルト少将。
すべての戦闘行動が終わった後で、彼が自ら通信にて本国に報告を入れたのだ。
彼は自らの功績を自慢するようなことはせず、淡々と状況を説明して報告を入れた。
“シャナ”と呼ばれる女性が司令部を制圧して要塞攻防戦の勝利を決定づけた、という事実も無論報告済みだった。
その事実に嘘偽りはない。
その後で、今後の方針について、本国にいる参謀本部のアイアスに確認を入れたのだ。



「それについては、明日に各部隊に展開します。貴方たちは、まず一日その要塞で野営をすると良いでしょう」
『こんなに壊しまくった壁の中でか?冗談キツイな』
「戦勝国になれば、状況も良くなりますよ。今はまだその時ではありません。」
『一体どのくらい先の話になるのだか………まあいい。分かり次第すぐに連絡を頼む」


そうして通信は終了した。
彼らにとって、ヴェルミッシュ要塞を陥落させたことよりも、アスカンタ大陸南部の領域を支配下に置くことが出来る状況が作られたことの方が大きな功績であった。
しかし、本当に苦しい戦いはこれから始まるであろう。
何しろ、アスカンタ王国の王都に、彼らは一度も辿り着いたことがない。
過去60年の間、幾度も戦いを起こしては敗れ去ってきた、グランバート王国。
一方的で身勝手な利権争いの首謀者として、その歴史は多くの者に非難をされている。
今また同じようなことを繰り返そうとしているのだが、今回はこれまでとは事情が大きく異なる。
少なくとも、“大義名分がある”とグランバートの人間たちは思い込んでいた。
アルテリウスにとっては、いい迷惑であったのだが。



「上手く行ったようだな。さて、この後貴公はどう兵を動かすつもりなのだ」


笑みを浮かべ腕を組みながら画面を眺め続けていたアイアスの隣に、高圧的ながらも美麗な声の持ち主、特務中将のシュネイがやってきた。
アルテリウスとの戦いにおいて、シュネイには出番が無い。
統合作戦本部で参謀本部とやらの仕事に手を貸してやっても良い、と彼女は考えていたのだが、行動には至っていない。
そもそも女一人の知恵など必要とするような状況でも無いだろうというのが、彼女の勝手な見解だ。



「そうですね。三ヶ所の拠点はそれぞれ交通の要衝であり、関所としての役割も持っています。無論、敵はこれを封鎖するでしょうけど、私たちがこの三ヶ所すべてに付き合う必要はないでしょうね」



王都アルテリウスに辿り着くまでには、三ヶ所の交通の要衝で、かつ王国軍の基地を通らなければならない。
それ以外の道は無く、まさか道なき道を行軍する訳にもいかなかった。
分けられた三つのルートは、左右が大小混在する山岳地帯で、中央部はその山岳地帯に囲まれた盆地というようなルートである。
左右の山岳地帯を更にさけ、海岸線沿いを征くという手もあるが、それではかえって王都から遠ざかり、かつ道もそれほど良い条件が整っている訳でもないので、行軍にかかる日数と疲弊を考えれば得策では無かった。
ということで、必然的に三つのルートのいずれかを通って攻略する必要があるのだが、ここで一つ問題がある。



「残念ながら、大陸南部では飛行場を確保できない。空軍の力を頼るのは厳しいだろうな」

「はい。私もまさに、その点を気にしています。敵には少数であっても航空戦力が確かに存在します。一方、数は圧倒的に有利な私たちは、その環境が整えられないが為に使用できない状態にある。」


空軍勢力の援護を受ける状態を整えるには、陸地に飛行場が必要となる。
戦闘機や爆撃機が離陸するには充分な滑走路と、それらを整備する環境が必要不可欠だ。
しかし、敵の野戦飛行場は既に破棄されており、使用できない状態であることが確認されている。
ソウル大陸から航空機を発進させても良いが、片道切符になる可能性があり、アスカンタの内陸へは派遣できないと考えられていた。
アスカンタ大陸南部で飛行場を建設するのも一つの手だが、それでは時間が掛かり過ぎる。
その間にアルテリウス軍が力を取り戻し、逆に海岸線に彼らが押し込まれる危険性がある。
出来るだけ敵に時間を与えず、速攻で敵の首都まで攻め入りたいというのが、グランバートの考えであった。
空母を使用して陸戦を支援する話もあった。
だが、敵も第一艦隊が健在であり、恐らく王都を攻め入る前に海上からの行動もあるだろう。
傷付いた第三艦隊をそのまま海域に置くのもいいが、次の艦隊戦で今回のように優勢を確保できるかも分からない。
彼らにとって、空軍は保有する戦力の中でも最重要の戦力であり、失う訳にはいかないものだった。
そのため、統合作戦本部としても、それを安易に使用した作戦を立てられずにいたのだ。



「ですが考えはあります。明日中に発表することになりましょう」
「そうか。それは楽しみなことだな。それにしても………これで、貴公の目的にまた一歩近づいたと、言うべきか?」
「―――――――――――――。」



“この世界から争いが無くなることを―――――――――――。”
確か以前、この男はそのようなことを言っていた、というのをシュネイはよく憶えていた。
それがどのような意味を持たせた言葉であるのかは、あまりに未知数で分からない。
彼女自身そのことに関して詮索しようとあまり考えていなかったのだが、ある意味この瞬間においては興味が湧いたことによる質問であったかもしれない。
しかし同時にそのような未来は決して訪れないと、彼女は心の中で言わずとも否定をしている。
この男が何を思ってそのような望みを持っているのかは分からない。
そもそも望みとはどういうものを指して言うのか。
努力すれば叶えられるものを言うのか、それとも夢にあるような話も含まれるのか。



「…………それはどうでしょうね。」
と、男は笑みを浮かべながら、答えるだけであった。


ヴェルミッシュ要塞攻防戦の僅か一日後、グランバート王国がアスカンタ大陸の上陸作戦を決行し、要塞が陥落したことが世界中でニュースとなった。
アルテリウス王国に対する報復を目的とした行動であることを明言しているグランバートは、その矛先を下ろすことなく突き進むだろう。
誰もがそのように思っていた。
また、同時にソロモン連邦共和国が軍勢を派遣してその支援を行ったが、失敗に終わったとも報じられた。
ソロモン連邦としては全く旨みの無い話であった。
グランバート王国が要塞への攻略に手間取れば、戦線は膠着し長期化する。そうすることで、グランバートの戦線を拡大させず、疲弊させることも出来るだろうと考える者も多かった。
しかし、実際には僅かに一日でグランバートは要塞を制圧してしまった。
それだけではなく、海上にいたソロモン艦隊、制空権を取ろうとした連邦空軍すらも退けてしまったグランバート軍。
改めて、彼らがこれまで以上の力と技術を持って攻め入ってきたことが分かる、一戦となった。



「なるほどねえ………」
連邦軍士官学校の図書館で、その情報を取得したツバサ。
紙面と同時に映像を確認しながら、その事実を前に腕を組んで考える。
新聞というものは、それを発行する会社が異なれば内容も文章も異なるものである。
またニュース映像というのも同じで、幾つかのテレビ局で同じ内容のニュースを取り上げているが、その内容はそれぞれに異なる。
おおまかな事実は同一のものであるが、その経緯に関する報じられ方が異なることが多い。
どれが正しく、どれが偽りのものであるのか、視ているだけの人には分からないことが多いだろう。
彼もそのうちの一人であった。
いまはまだ当事者ではないにせよ、正確な情報を知り得る場所にはいない。
しかし、間違いなく言えることは、グランバート軍とやらは、アスカンタ大陸を北上するだろうということ。
300キロ進めば王都があり、アルテリウス王国の総本山とも言える。
王都を制圧してしまえば、両国の戦闘における勝敗は決するだろう。
彼らの報復がどこまでのものを指しているのかは、この時点ではまだ分からない。


「………けど、ここで俺たちが加わるっていうと、どうもややこしくなるような」
無論、俺たちというのは連邦軍を意味している。
アルテリウスとソロモンは同盟関係を結んでいる。
ことにそれが軍事的な要素を含むものなのだとしたら、アルテリウスの支援に回る必要性も出てくるだろう。
そうするべきだという考えは彼にもある。
だが、一方でこうも考えていた。
グランバートはアルテリウスを目の仇にしている。
そこにソロモン連邦は、本来含まれていないはずだ。
しかしここで連邦軍がアルテリウスの加勢を行うとすれば、次に彼らはソロモン連邦共和国をその攻撃の対象とするのではないだろうか。
そうなれば、戦線は一気に拡大し、あるいはこの大陸でも戦闘が発生するのではないだろうか。
ツバサはその辺りの懸念を持ち、かつ冷静に分析することが出来ていた。
同盟関係にある味方のアルテリウスを見殺しにすることも出来ないだろう。
一方で彼らの援護をすれば、次なる標的はこちらに向くのではないか。
黙って彼らがその矛を下ろすことはしないだろう。



だが、幾ら考えたとしても、今の彼にはどうすることも出来ない。



「はぁーっ、こいつはどうなっちまうんだろうなあ………」



仮にその懸念が現実のものとなったとして、この大陸でも戦争が始まるのだとすれば、当然自分たちも引き抜かれるだろう。
そう遠くはない未来にそれが現実のものとなる可能性がある。
どれほど彼が思考したとしても、この情勢に与える影響は何一つとして無い。
戦う場面が訪れれば、自分たちは兵士としての役割に徹することになる。


そう考えたとき。
“自分はこの荒んだ時代の戦争の中で、どういう役割を持っていたいのだろうか”と、
彼自身の身の振り方を色々と考えるのだった。



…………。

第10話 近接戦闘演習


遂に、その戦いは始まった。
いや、正しくは再開されたと言うべきだろう。
僅か10年という短い休息の中で、人々は確かにいつか来るこの時の為に、備えていたのだ。
否、はじめからこの時が来ると確信していたのではない。
未来の可能性の一つとして、充分にあり得ると想像されたからこそ、準備を進めたのだ。
それらが使われないほうがよほど幸せであろう。
しかし、世の中そうもいかないものである。
準備されるものは、やがて使われるからこそ進められるものなのだ。
特に、こんなご時世では、あらゆる道具が戦争に利用される。
戦争のためにあらゆる道具が使われる。
人間とて同じである。
彼らが始めることなのだから、彼ら自身がその土俵に立つのは当然、必然であった。



たとえ罪なき者が巻き込まれたとしても、時代は更に加速していくのだ。


連邦軍士官学校
アルテリウスとグランバートとの間に戦争が起き、アスカンタ大陸の南部が制圧される。
そのような情報が流れていても、士官学校は休むことなく稼動し続けている。
時々、教官であり上官にあたる先生たちが集まって内々の会議を開くので、講義が延期されることがあった。
恐らくそこでは今後に関する重要な会議が行われているのだろうが、その内容を彼らが知ることはなかった。
毎日様々な出来事が彼らの周りで起こるのだが、今のところ心身を脅かすようなことは無い。


「よし、今日のこの講義では近接戦闘の基礎を学ぶ。これから何回かあると思うが、近接戦闘演習では別のクラスの学生、あるいは先輩学生と混ざって講義を行うこともあるから、覚えておくように」


「なるほど。だからこんなに人がいるのか」
「集会でも始まるのかと思ったよ。」


戦闘行動教官のジャスパー大尉が、皆に向けて演習の説明をする。
彼ら17人の新人にとっては今回が初めての近接戦闘演習で、他の学生たちは既に何回か経験をしている。
これまでの講義で幾度となく説明を受けている彼らではあるが、改めて説明が行われた。
現代では技術革新が進んで、特に空軍の進化が目まぐるしいものとなっているが、最も人数を必要とする地上戦においては、今も近接戦闘での攻防が欠かせないものとなっている。
使われる武器で最も多いのは剣だが、その次に|戦斧(トマホーク)が使われることが多い。
最も使われる武器である剣を使用して訓練は行われるが、もちろんそれは本物の剣ではない。
訓練用の当たりが強くないものを使用するので、直撃を受けても大きなけがにはならないようなものだ。



「じゃあ、まずは素振りから始めるぞ。慣れないやつは力を入れ過ぎて武器を投げ飛ばさないようにな。上級生は準備運動をして、直ちに打ち合いを行う」



既に幾度か経験している学生、または上級生は一旦別行動となり、近くで準備を進める。
一方の初心者である彼ら17名は、一人が掛け声をかけて全員で同じタイミングを取りながら、剣を振り下ろす。
周囲に剣が空を斬る音が鳴り響く。
“近接戦闘が陸戦の主体である”とは確かに聞かされていたが、実際にその武器を持って訓練をしたことが無かったので、はじめ彼らは戸惑いを覚えた。しかも、現実に持つ本物の剣はこれ以上に重い。
訓練用ですら、若い男性が振り下ろしてもどっしりとした重さを感じる。
なるほど、こういう時の為に筋力というのはつけておくべきなのか、と彼らは一つの回答を得た。
しかし、そんな中で、彼は。



「っ…………」
「ぉぉ…………」


風を唸らせるかの如く、鋭く剣を振り続ける、ツバサ。
その姿は、すぐ彼らの眼に止まった。
誰もがその姿を見て、自分たちとは全く異なるものだと思ったのだ。
しかし、彼の生活を知ることになれば、多少はそのことにも納得がいくだろう。
何しろ彼は、かつて自分が住んでいた村で、誰も彼には勝てないとまで謂われたほどの実力者であった。
だがそれは、無論実戦という経験を伴わない状況でのこと。
ただ単に剣術に強いだけでは戦いに勝つことは出来ないだろう。
それでも、他の人たちより明らかにスタートの出足が早く、何歩も先に行っていることは明白であった。
その姿を、横目で彼と同室のパトリックが見ていた。
振りも早く力強い、重厚さを感じられるフォームから繰り出される一振りに、自分自身も魅了されたかのように視線を向けた。



「――――――――――――。」
やっぱり、只者では無い。
普段の立ち振る舞いはともかく、パトリックは彼の身体能力の高さを彼なりに評価していた。
偉そうに評価する立場ではないが、少なくともその分野においては群を抜いている、と認めていたのだった。
そして今日、この訓練が始まると、幾度となくそのような場面に出くわすことになる。
今までの比では無い。
彼という人間の凄みすら感じるようになる。


素振りの後は、初めての打ち合い。
ただ一人にとっては既に何千回と経験していることだが、他の殆どの人にとっては初めての経験。
打ち合いの練習は、まず一人で行われた。
外の砂利の突き刺された木の棒に、先程の素振りの練習を活かして振りかぶる。
教官のジャスパーは、それぞれ打ち込む生徒たちの姿を見て、一人ひとりに適切なアドバイスをしていく。
だが、ツバサを前にして、ジャスパーは感嘆した様子だった。
それでも教官なので、気付いたことを幾つかあげて、更に精度を高めるよう要求した。
そのアドバイスは、ほかの生徒たちが聞くこともないものであり、彼だけがこの場で聞いたことだった。
まるで依怙贔屓のようだったが、実際彼らの中で“アイツだけズルい”などと思う人間は誰一人居なかった。
何しろ、大半の人がこの訓練を義務の過程として受けていて、彼のように自ら欲してここに来た者ではなかったのだから。


「やあ、ジャスパー大尉。調子はどうだ」
「、これはヒラー少佐にウィンザー少佐。見ての通り、生徒たちは一生懸命に取り組んでいますよ」


後ろで手を組みながらてくてくと歩いてきた、総合指導監督者のヒラー少佐と、熱いキャラクターで長風呂で有名なウィンザー少佐。
二人は別の建物に移動中に、外で訓練をしているこの場を通りかかり、ジャスパーに声をかけた。
ジャスパーから見れば当然二人は階級が二つも上で上官にあたる。
この三人の距離感は上司と部下のようではなく、程々に近いものがあり、ジャスパーも気軽に話しかけている。



「なかなか元気のいいやつが多いじゃないか!いいことだ!」
「この間の新人組は今日から剣を持って訓練を始めたところです。流石にまだ慣れていませんが」
「んまあそいつは仕方ないよなあ。」
「………だが、ジャスパー。あの彼は、他クラスの先輩か?」


後ろで手を組んでいたヒラーが、じっと目を凝らし、前で腕を組んで、彼の姿を見る。



「いえ、彼も新人組です。」
「――――――――――――――。」


失礼な考えだが、明らかに他の人たちが見劣りするほど、“彼”の動きはキレがある。
それだけではない。
重厚な身のこなしをしながらも、足回りは軽快だ。
まるで剣と身体が一体となって、スムーズに動作している。
ヒラーは重ねてジャスパーに確認をしたが、間違いないと彼は言う。
指導監督者であるヒラーは、ほかの教官たちと違いすぐ近くで彼らの様子を見る訳ではなかったので、正直なところすべての生徒の顔と名前を一致させることは出来なかった。
ツバサに対してもそうだったのだが、ここでのこの動きを見て、彼の姿を目に焼き付けた。
訓練だけでも他の人とは違う一面が見られるのだから、対人での打ち合いを経験すれば、もっと違う姿を見られることだろう。
心の中で期待するヒラーが確かにそこにいた。
だが、それは同時に何に対する期待だったのだろうか、と自問する。



「ウィンザー、少し見て行ってもいいか。」
「え?ああ、構わないぜ。アイツ目当てか?」
「それもある。無論他の生徒たちも見るが、忘れた訳では無いだろう?“本国からの通達”を」

「………ああ、そういうことか。気に入らねえが、確かにあの少年なら合致するかもしれねえなあ」


この会話を他の人が聞いていたら、さぞ意味深に思っただろうが、今は誰もこの男たちの会話を聞いてはいなかった。
対物に対する打ち合いが終わると、少しの休憩を挟んで、上級生や他の経験者たちと合流した彼ら。



「これより模擬訓練を行う!!下級生は上級生の訓練をまずは見て、その後で実戦してもらうからそのつもりで」


少しだけガサガサと騒々しくなった。
初日にして自分たちも実戦形式での訓練をするのか、と。
ジャスパー大尉は、理念的な部分も教える立場である以上欠かさずに話してくれるのだが、どちらかといえば“習うより慣れろ”という気質の持ち主で、やってみたほうが早いし、自分に何が足りないのかも分かるだろうと考え、初日から実践させることにしたのだ。
まず一通り、既に習っている上級生たちの動きを見ながら、続いて彼らの前で新人組も模擬訓練を行う。
皆に見てもらうことで、自分の欠点や癖なども周りから見られるし、それに対するアドバイスも貰える。
お互いに情報を共有することで、より高みを目指すことだって可能となるだろう。
模擬訓練の内容は至って簡単だった。
現実では鎧などを着込む場合もあるので一概には言えないが、剣を身体に受ければその時点で致命傷になる可能性がある。
そうならずとも、まともに行動出来なくなるだろう。
その時点で敗北が確定する、かもしれない。
要するに、相手の身体の部位に一太刀浴びせることが出来れば、勝者となり、受けたものは敗者となる。
剣術稽古、道場でならよく行われる稽古だ。



「まだ教えてはいないが、剣を振るう形には幾つもの流派が存在し、自分の戦闘スタイルに合った形を取ることで、より動きやすく、また自身の能力を発揮しやすくなると言われている。今から見る全員がそういったものを会得している訳ではないが、中には色々と調べて自分で取り入れようとしている生徒もいるんだ」


「……………」


「お前たちは、そういった流派はまだ知らなくても良い。いつしか慣れてきた頃に色々と学ぶといいだろう。とにかく今は基礎だ」



ツバサにとっては、少しだけ懐かしい光景でもある。
つい何週間か前までは、ほぼ毎日当たり前のように稽古を重ねていた。
明るく元気な彼が村で打ち込んだものといえば、その最たるものが道場であったともいえる。
そのおかげで、多くの友人と会うことが出来、友達になり、年代の隔たり無く村中の人たちとも仲良くなることが出来たのだ。
しかし、今そのような環境はここにはない。
あるのは戦う為に必要な準備。それも、本当の殺し合いをするために必要な技量を身に着ける為の。
彼は自ら打ち明けることはしなかったが、このような稽古は幾度も経験をしている。
数など数えられるはずもない。
成果を問われた場所ではないので、彼がそこまでの技量を見せる必要も無かったのかもしれない。
だが、遠慮はなかった。
因みに幾つもの剣術の流派があるとジャスパーは話すが、ツバサは特定の流派を持つものではなかった。



「っ……………!!」
「……………!!?」

「は、速い…………ッ!!」



一通り経験者たちの演習を見せてもらった。
他の人たちにとっては参考にするべきものも多かった。
だが、彼としては既に会得しているものばかりで、何か特別自分に取り入れようと思ったことはない。
それを受けて、彼ら新人組の番となる。
彼は三番目に登場し、相手は別室の同い年の男子だったのだが、合図で演習が始まると、3秒かからずに決着をつけてしまった。
相手の男が一歩踏み出して、正しい姿勢のまま剣を振り下ろす。
一方で彼はその太刀筋を完璧に読み取り、半身で回避すると同時に懐に一撃を入れた。
あまりにも速かった。
そもそも打ち合いなどという展開は無かった。
他の人たちが見ても、また教官たちが見ていても、明らかに他の人とは違う動きであった。


「ツバサ、お前もしかして経験者か?」
呆気にとられる皆をおいてジャスパー大尉が彼に話しかける。
僅か一度見ただけでそうと思えてしまうほどの動きを、彼は見せてしまった。



「ええ。程々に」
そして彼は表情を変えずにそのように答えた。
そこで彼らは初めてツバサが剣術の経験者であることを知った。
あるいは、これまで見てきた他の人とは違う、群を抜いた能力の高さはその経験から来ているのかもしれない。
それならあの人が“強い”と思えるのも納得がいく、と彼らは思ったのだ。
“ほう、なるほど。”と頷き、それ以上何も言うことなく他の生徒たちの演習を続けさせた。
ツバサは自分の番が終わると、再び他の人の演習を真剣そうに見る。
エリクソンが隣で
「僕にはあっという間過ぎてよく見えなかったよ。」と、本当に驚いたような様子で彼に小声で話しかけていた。
本当に見えていない訳ではないが、何が起きたのかがよく分からない、認識できないほど一瞬の出来事であったのだろう。
ツバサとしてはそのような実感は無く、相手の攻撃に対して素早く対応したまでのことであった。
ややざわついた空気の中でそのまま演習は続き、すべての生徒たちの実戦が終了した。
すると、そこでジャスパーが再びツバサを呼ぶ。


「すまんがツバサ、もう一度やってもらえるか?」
「え?あ、はい。」
「そうだな………ナタリア、相手してもらえるか?」


「――――――――――――――。」



再びツバサが呼び出されると、もう一度皆の前で演習をすると言い、彼は言われるままに剣を持って立ち上がった。
一方、その彼の相手としてジャスパーが話しかけたのは、ナタリアという人。
新人組ではなく、上級生組で今回の合同演習に参加している。
そしてナタリアは女性だった。
黒髪のロングヘアで、後頭部で髪を束ねて下ろしている。
容姿はとても大人びていて、その見た目だけでは何歳も年上の女性に見えた。
スラッとした姿は、どことなく清楚なイメージを浮かばせる。
彼女もまた呼ばれると、無言のまま静かにその場に立ち上がり、そして彼との間に間合いを作る。
この時点で、上級生たちはざわついていた。
新人組の一人が二度の演習を行うのも珍しいのだが、それ以上に“ナタリアと戦わせる”ことに驚きを隠せない様子であった。
ツバサも、先程のナタリアの戦いを見ていた。
素早い剣の振り、軽快な動きを可能とする身のこなし、軽やかなステップ。
そのすべてが攻防戦に投入され、一つの結果を生み出す。
後に分かることだが、ある上級生組の中で、ナタリアはこの分野において最も強いとされる人材であり、教官たちからも一目置かれる存在であった。
そこへ、新人組でこれもまた注目されたツバサを対戦相手にして、二人の演習を見てみようとジャスパーが即興で考えたのだ。


「よろしくな!」
「よろしくお願いします」



元気と威勢の良いツバサに対し、
冷静に、というよりは無表情に近いが、僅かにそう返しただけのナタリア。
そして、用意が出来たところで、ジャスパーが開始の合図を鳴らす。



「!!!」
「―――――――――――!!」



二人とも、ほぼ同時の踏み込みであった。
互いに前進し間合いの中へ入ると、ツバサにとって全く予想もしなかった攻撃が繰り出された。
ナタリアは素早く踏み込みつつ、強烈な速度を以てその剣を前へと突き出してきた。
剣は基本的に斬撃を入れる攻撃手段を持ち、突き技には向いていない。
そもそも突き技というのは、相手に攻撃を与えられればそれだけで致命傷、もしくは瞬殺が可能となるだろうが、外した場合の隙がかなり大きく、実戦で多用する兵士は殆どいない。
彼も今までそのような攻撃手段を用いる人と稽古をしたことは殆ど無かったので、その速攻に驚いた。
しかしそれはそれ。
驚いても的確な対処が出来るのがツバサであった。
振り下ろそうとした剣の動作を途中で止めると、瞬時に自身の身体の前で剣を縦に向けた。
向かってくる突き動作を、身体を横にスライドさせつつ剣と剣を混ざり合わせて回避させる。
突きの回避に成功すると、一切の間髪入れずに防御から攻撃へ転じるツバサ。
突きがかわされた彼女ナタリアであったが、隙が生まれた自分の身体に放った彼の一撃目は、彼女が後ろ手に剣を構えて回避した。
驚愕の防御姿勢であった。
ナタリアは、突き動作の反動で次の姿勢に時間が掛かっていたはずなのだが、ツバサの繰り出された攻撃に見向きもせず、ただ自分の背面に剣を後ろ手に構えることで、攻撃を回避してしまったのだ。
それからも、十数秒間に渡り激しい攻防が続いた。
二人の繰り出す攻撃はあまりに速く、踏み込みも強く、そして攻撃も重く力強い。
にも関わらず、お互いにそれに対応した速さで防御も展開できるので、目まぐるしく攻防が繰り広げられるのだ。
もはやそれは、演習の領域を超えていたかもしれない。
とてもお手本になるような、そしてアドバイスが出来るような状況でも無かった。
今、この演習は二人の空間の中に取り込まれ、その間合いの中で二人だけの激しい攻防を展開した。


「…………すごい」
他の生徒たちは、ほぼ全員がそれに見入り、かつ驚愕していた。
二人は紛れもなく士官学校の生徒であるはずなのだが、その動きはもはや生徒のものではない。
本当にこれほどの実力者が正規の兵士としているのではないか、と思えるほどであった。



「……………」
それを、腕を組みながら真剣な眼差しで見つめるヒラー少佐。
元々寡黙な男ではあるのだが、その表情はいつにも増して真剣で、鋭い眼光を向けているようだった。
突然のように現れた、驚愕の戦闘能力を持つであろう一人の少年。
男は心の中で思った。
“遠き日の荒んだ時代に台頭した、あの人たちを見ているようだ”と。
戦いはおよそ30秒ほど続いたが、最後の瞬間が訪れた。
細かな動作で相手に合わせるツバサの剣に対し、正確かつ力強い振りで攻め続けた女ナタリア。
ナタリアが横方向に振り払ったその斬撃を彼が剣で受け止めると、瞬間的に剣を突き上げて、ナタリアの両手から剣を奪った。
宙を舞った剣が“観客と化した”生徒たちの目の前に落ち、虚しく音を鳴らした。
戦いが終わる。
10秒ほどの沈黙の後、今度はその場が拍手に包まれた。
まるで一つの舞台を見ているかのような光景となり、演習であるにも関わらず奇妙な空気に包まれたのだ。


「いやぁすげえ、ありゃ大したもんだ!」
腕を組みながらじっくりと眺めていたヒラー少佐と、隣で生徒と同じように拍手をするウィンザー少佐。
彼らもまた、生徒たちと同じように二人の動きに魅了され、観客のようになってしまっていた。
ただヒラーは冷静に、その戦いの行く末を見届けた後、その場を去って行く。
一応この演習における勝者になったツバサ。
ホッと一息ついて、相手に礼をする。
剣道においては、戦いの前と後に必ず行う通過儀礼だ。
もっとも、実際の戦場では決してそのようなことはしないだろう。
それを見たナタリア。
あくまで表情は一つも変わらず無機質なものであったが、


「見事な太刀筋でした。完敗です」
そう、すんなりと自らの敗北を認め、生徒たちの座る位置まで戻った。



その後も模擬剣を用いた訓練が続けられたが、やはり最も注目を浴びたのが新人組のツバサであった。
ある意味で彼の持つ能力を見せる場となった訳だが、彼自身は自らをアピールしようなどとは考えてもいなかった。
ただ自然と見せる機会を与えられ、それに応えただけのことだった。
だが自らの考えと他の人たちが持つ考えとは異なる。
あれほどの剣のこなしを羨ましいと思う人もいれば、見せたがりの自慢だと捉える者もいる。
考え方は人により異なるが、それでも彼がそれだけの力を持つ者であることは、認めざるを得なかった。
「あんなもの、実戦で通用するとも限らない―――――――――。」
そういう声も聞こえたが、実戦を経験していない者の言葉を信用するほど、彼も自惚れてはいない。
それと同時に、ナタリアに対しても驚きを隠せない人が多くいた。
彼女がこの近接戦闘演習で優れた能力を発揮することは、上級生組の人たちには知れていた。
女性であろうと、彼女に勝る者が今他にいるだろうか、と言われるくらいには。


その日、すべての訓練が終わってから、夕食の食堂では彼の傍に寄って来て、色々と話を聞きたがる人がいた。
いずれも同級生組で、彼の秀でた戦闘力を目の当たりにして、どのようにすればそこまでの域に辿り着けたのか、と経緯を聞いてきたのだ。
彼は陽気に元気よく、それでいて自らの経緯を自慢するようなことはせず、自惚れもせず、話をしていた。
ある意味で今日の演習をキッカケに、同級生組は彼の存在をより強く認識し、また距離感を縮めることが出来た。
それはそれで良い意味のある機会であったのかもしれない。


「――――――――――――。」
だが、一方で。
同級生組でも、そんな彼の姿を良く思わず、冷たい目線を向ける者がいた。
彼と同室のパトリックである。
パトリックも、彼の強さを改めて目の当たりにしてそれを認めている。否定もしない。
なるほど、だから自分の望みでこの学校にきて、兵士を目指そうとしているのか、と。
そりゃいいだろう。
出来る人間は更なる高みを目指すことも出来る。
けれど、ここにいる人たちはあいつのように、自ら進んで軍人になろうとしている人ではない。
なりたいやつはどんどん先へ進めば良い。
歩調を合わせる必要もないし、慣れ合いなんてもってのほかだ。
と、彼とその周りで彼に興味を持った同級生組に対してすら、嫌悪感を抱いていたのだ。



…………。
夜、自由時間にて。



「……………」
ツバサは、この日は一人で夜の図書館に入り、奥の部屋でニュース映像を視聴していた。
日中は世間の動きを見る機会が無いので、こうして毎日のように来ては、その日に何が起きているのかをチェックしている。
チェックしたところで何かある訳では無いが、世の中の動向をよく知っておきたいという、単純な彼の興味から生まれた行動だ。
相変わらずニュースはアルテリウスとグランバートの戦争の話ばかりである。
それも仕方のないことか、と溜息をつきつつも映像を眺めていた。
ここに流れている映像、ニュースで伝える内容がすべて事実を述べているかも分からない。
しかし、今はそれを信じるしかない。
それ自体が貴重な情報源なのだから。
映像を見終えると、今度は図書館の閲覧スペースに行き、自分が読みたい本を手に取って読み漁り始める。
性格とは裏腹に、歴史に興味を示すことが多い彼。
それを知った人は、彼の人となりと照らし合わせて、大体不思議そうというか、意外そうに彼を見るのだ。


『本がお好きなのですね。』
そして、突然現れたその女性も、そう思う一人だったのかもしれない。
不意に声をかけられたので驚いたが、静かに彼は後ろを振り返った。
そこには、窓から差し込む月明かりに照らされた、女性ナタリアの姿があった。


「っ…………」
昼間とは異なる服装に少し戸惑いを覚えながらも、彼女が昼間自分と激闘を交わした相手だと再確認した。
なるほど、あれは戦闘行動演習用の服装ということか。
今は普段着と言うべき格好をしていた。
露出のほぼ無い上下の服装にやや丈の長いコートを羽織り、後ろで手を組んで彼の前に彼女は現れた。
昼間はあのような場であったためか、表情一つ変えずに強面を模っていたようだったが、今は違う。
雰囲気も少し穏やかで、表情も笑ってはいないが、どことなく穏やかそうな印象を持った。


「昼間は見事な戦いでした。」
「お、おう!そっちも強いじゃねえか。ビックリしたもんだ」
「そこは、お互いに経験者ということで。」


まさか自分が女性の生徒と対戦するとは思わなかったが、ナタリアの剣術は恐らく周りの男性すら凌駕するものだった。
ツバサも何度も押され、勝てないかもしれないと思ったほどであった。
最終的には冷静に対処することが出来たのだが、その力量には終始圧倒された。



「ところで、どうしてここにいるんだ?」
「私も時々ここで本を読みます。最近は貴方の姿をよく見かけていて、昼間のこともありましたので。」
「んなぁるほどな。気付かなかったぜ」
「いいえ、構いません。そもそも図書館とはそういうものです。」


まるで、声をかけている彼女こそが普通でないと自分自身に言っているような様子であった。
本に集中していると周りが見えなくなる。しかしそれはごく普通のことだと彼女は言う。
一方で、彼に対し直接話すことはしなかったが、彼の人となりで本が好きというのも意外なものだと彼女は感じていた。
ツバサという男を彼女はよく知らない。知らないが、だからこそ幾つかのシーンにより、印象が形成されている。
戦ったあの場で言えばあまりにも強い相手とも思うが、他の同期生と話している時の彼はとても元気な印象だ。
ムードメーカーのような立場も出来るし、皆を引っ張っていけるような素質もある。
それでいて、こうして静かに本を読んで勉学にも励むことが出来る。
何でも出来る人なのではないかと思ってしまうほどであった。


実際は、そのようなことはない。
まだ何も知らないからこそ、綻びも見えないままなのだ。
そしてツバサは、あらゆる物事を自らの好奇心に沿って進める傾向がある。
それをまだ知らないだけのことなのだ。



「それでは今日はこれで。次の対戦も、楽しみにしています。」
静かにそう言うと、彼女は図書室から外へ出て行く。
彼は返答もせず、ただ彼女の姿が見えなくなるまでその背中を目で追っていた。
彼は何となく彼女が不思議な女性だと思った。
そもそも女性で士官学校にいるということ自体が珍しい。
何しろ、女性には兵役の義務はないからだ。
ということは、彼女は何らかの理由があってこの学校にいることに違いはない。
彼女自身が望んだことなのか、それとも否か。
それを確かめるには、まだ時間が掛かるだろう。


こうして。
世界が徐々に戦乱の世に突入していく最中で、彼もまたその一人として時代に加わる為の道を歩み続けていた。
茨の道は、より険しく、より深く。



……………。

第11話 鉱山遠征

明日は、先日から予告されていた通り、各部屋対抗の遠征が行われる―――――――――。



6月9日の夕刻。
明日は、歴代の士官学校生のほぼ全員が経験してきたという、鉱山遠征が行われる。
鉱山遠征では、各部屋ごとにチームを組み、学校から北に50キロほど進んだ廃鉱山の頂上のシグナルビーコンを押し帰って来るという、内容的にはそれほど難しくも思えない訓練が行われる。
そう、文面で見れば単純な訓練のようにも見えるが、その山というのが難所の一つだ。
標高が700メートルあり、登山の未経験者では踏破するのは難しいと言われる高さの山である。
山は平坦な道のりから険しい悪路まで混ざっていて、これまでのトレーニングの成果を発揮する場面となる。
因みに、最も早く戻ってきたチームには訓練報酬が与えられるというので、各々の部屋はこの日のことを思って準備を進めてきた。
チーム対抗ということで、ツバサとエリクソンが内々に、出来るだけ部屋の人たちとコミュニケーションを取り連携を深められるよう努力した。
見えないところで二人は色々と相談しながら事を進めようとしたのだが、結局のところ同室のメンバーで普通に会話が出来るようになったのはジェザくらいなもので、サイクスとパトリックの二人とはあまり関係を深めることが出来なかった。


「仕方がない。今から始めてももう遅いんだ、せめて俺たちだけでも上手くやるとしよう」


冷静沈着、淡々とした気性の持ち主であるジェザはそう話したが、ツバサは“ウーン”と考える姿ばかり見せた。
鉱山遠征を楽しくやろうと考える一方で、一致団結して無事に生還しようという気を強く持っていた。
だが、それもチームとして充分な関係性が出来ていることが重要だ。
一人でも息の合わないメンバーがいるだけで、団結とはならない。
また、それがキッカケでチーム全体が危険に陥る可能性だってある。
それが分からない彼らでは無いだろうが、そう言う意味では万全の状態とは言えないかもしれない。
今から言ってもどうしようもないというのがジェザの考えであり、ツバサ自身ももう遅いと分かってはいた。
だから、せめて訓練中に最悪の事態にだけはならないようにと考えていた。
サイクスは実に寡黙な男であり、彼らだけでなく他の同期生たちとも接点をもたない。
会話も必要最低限というようなものだった。
だがそれ以上に、パトリックは他を寄せ付けない独特な雰囲気を醸し出している。
それが同室の彼らだけでなく、同期生たちからも浮いた存在に見られ、ある意味では孤立してしまっていたのだ。


彼らは食堂の端でそのような話をしていた。
一方で。


「通信状態良好です。あと1分で映像が出力されます」
「やれやれ、今回はどんな話が出ることやら」
「いつもとそう変わらないだろう」
「こら、諸君。そろそろ静粛に」


暗い、そう部屋も彼らの雰囲気も暗い中での、円卓。
同じ士官学校の中にありながら、まるで外界から隔絶された異郷の地のごとく存在するその空間は、普段は学生が出入りすることもなく、またその部屋の存在自体を知らない学生が大半を占めるような場所。
教官たちもここは滅多に使用しない場所ではあるのだが、しかし定期的にここを使用しなくてはならない事情がある。
それが今日、このタイミングであった。



『皆揃っているようだな。では始める』
1分後、暗い部屋の中にある大きなモニターに映像が映し出され、そこに二人の男の姿が映る。
一人は椅子に腰かけ、もう一人は後方で立ちながら姿勢を一切崩さない。
映像が出力されると、暗い円卓の椅子に座っていた各々の教官たちが立ち上がる。
この場においては“教官”ではなく、上官と部下というような立場の表記が正しいであろう。


映像に出された髭面でスキンヘッドの男は、
ソロモン連邦共和国国防総省の統合参謀監査鑑、監査責任者のヨセフ・ヘルグムント中将である。


連邦共和国は、それぞれ一定の権利を持った州政府が点在し、その州ごとに軍を置いている。
州軍は、州を管理運営する州政府の傘下で動く組織として編成されているが、国家の重大な事案の発生時には、州軍は自治領地に関わらず、国内の治安維持および対外政策の第一線としての役割が与えられる。
そのため、州軍は州ごとに自立した組織として存在しながら、国家に属する軍隊という枠組みを外れない、奇妙な立場を持つ。
監査責任者とは、いわば国内の各州における軍務を統括し是正、改善を促進させる役割を持つ。
もっとも分かりやすく言えば、士官学校の職員である高級士官および職員の長たる存在だ。無論そればかりではないが。



「最近の入校者数は以前と比較しても減少傾向にあり………」
『貴官ら既存の軍人はよくやっていると思う。どちらかと言えば、軍人を志すものが居なくなった、と言うべきだな』
「はい。ましてこのご時世です。自ら志願する人はそういない、かと………」
『だがそれでは、将来的に有能な人材を貴校から生み出すのは難しくなる。具体的な方法を聞きたいものだな」


校長であるマインホフ少将と幾人かの士官が細かに状況を報告していく。
監査役のヘルグムント中将は、士官学校の現況や指導状態をヒアリングし、それに対しての注文をする。
彼らは指導教官であるが、そのまた上の教官にヘルグムントがいると言ってもいい。
テレビ映像を使用した会議は月一以上行われており、そして内容はいつも決まっている。
士官学校の生徒たちは、必ず月間何人も卒業していく。
その卒業生がどのような進路を辿ったのかを、学校側は必ず報告しなければならない。
成績の詳細と卒業後の具体的な進路をヒアリングし、分析する。それがヘルグムントの仕事の一つだった。
そして、彼らに求められているのは、士官学校生の中から、優秀な人材を発掘し、育成し、輩出すること。
それが将来的に連邦軍の強い味方となるのだから。
ヘルグムント中将は、そのためにヒアリングを行っていると言っても良いだろう。
一人ひとりの将来など気にしてはいられない。
“兵役義務”がある中で、何人もの学生が軍隊へ入隊するのか。
その中に、逸材と呼ばれるような人はいるのか。
即戦力か、それとも並みの人間か。
このヒアリングは、世界情勢が変遷し暗雲が広がっていく中で、より強化されてきた。


つまり。
連邦軍もそれなりにすぐ使える人材が欲しかったのだ。



兵役制度は通常一年。
義務とはいえ、彼らはこの一年で今後の進路を定めて行かなくてはならない。
普通に仕事をするもよし、元々いた地域の学校に戻るもよし、家業を継ぐもよし。
軍人を強制することは無いが、出来ることなら多くの人が軍隊に入る環境を作りたかった。
だが、彼らにそんな夢があったとしても、学校に入って来る未来ある生徒たちは、そんな夢を抱かなかった。
今この国に、“国の為に働きたい”と思う人が、どれほどいるだろうか。
死ぬと分かっている未来に歩もうとする人が、どれほどいるだろうか。
彼らの理想とは裏腹に、現実は容赦なく夢を掻き消す。
世界が昏迷の時代へ向かっていく中で、必要性が高いにも関わらず、未来への生産性は極めて低かった。
“ならば、兵役義務ではなく招集により、強制的に兵士になってもらえばいいのです――――――――――。”
そう話す軍人、上官も確かにいた。
中途半端に義務化し、その後の進路は各々次第と位置付けるから、誰も危険の渦中へ飛び込んでいこうとは思わないのだ。
だったらはじめから強制してしまえばいい。
そもそもこの国は、至る所が中途半端なのだから。


『他校の卒業生には優秀な人材が幾人も出てきている。だが、貴官らの学校はここ暫くはイマイチだな。』
“これでは評価も下がりっぱなしだ”と、現実を突き付けてくるヘルグムント中将。
決してこの男も嫌味を言いつけているのではないが、彼らとしては成果の上がらない状態にケチつけられていると思わざるを得ないのだ。
今、本国が求めているのは、量より質。
兵員の数はすべての州兵を総動員すれば、大規模な部隊を編成できる。
が、戦闘経験が豊富で難しい状況を突破できる人材がどれほどいることだろうか。
そう言う意味で、今は高いレベルにいる人材の発掘を目指していたのだ。
士官学校に勤める軍人は、生徒たちとの距離も近くその見極めもしやすい。



「…………幾人か、そういう人材に含めても良い人がいます。」
『ほう。それは興味がある。ぜひ開示してもらいたいものだ』



士官学校に入学する学生たちは、常に同じような時期に入学する訳ではない。
同期生と呼ばれる集団であっても、年齢はバラバラだ。
上も下も混合の集団の中で、突出した能力を持つであろう人たちが、幾人かいる。
教官たちはそのように話す。
彼らが実際の戦場に出て戦った時どうなるかは、今の時点では当然分からない。
未来に保障などない。
確たる戦力とも言えない。
が、そのような“可能性”があるのなら、本国のお目に適う存在であるかもしれない。
ヘルグムントは、そのような人物がいるのであれば、その人物の情報を開示するよう求めた。
上官からの命令である。それに従わざるを得ない。
ここでは、彼ら上の者たちの要求が優先され、たとえ子供たちと言えど情報が共有され筒抜けとなるのだ。
しかし、それでは足りない。


『調査が必要だな。貴官らの学校にも調査官を派遣するとしよう。その後に判断をする』
「引き抜きの、でしょうか」
『そういうことになるな。日時は改めて連絡する。貴官らも情報部からの戦況報告は目を通しているかと思う』


グランバートとアルテリウスが戦闘を行っている間、その支援を行うこともあるだろうが、戦いの結末は既に見えている。
アルテリウスの陸戦部隊の要が破られれば、瞬く間に軍勢は王都を強襲するだろう。
王都が失われれば、戦況はほぼ決する。
そうなれば、次は同盟関係にあった、我々がその軍勢に脅かされることとなるのだ。
一人でも多くの有能な人材が、一人でも多くの戦う兵士が必要となる。
貴官らの立場は難しいものであるはずだが、最も必要とされている機関の一つでもある。
我らが祖国の未来のため、より一層尽力してもらいたい。


“我らが祖国の未来のために―――――――――――。”
定期報告が終わり、通信が切断される。
各々表情を曇らせながら、それでも目前の仕事をこなさなくてはならなかった。
ソロモン連邦共和国が本格的な戦闘状態に発展すれば、彼らのような軍人が国の未来を左右することとなる。
今の時点でそれが確定されている訳では無いし、先々のことがよく見えている訳でもなかった。
だが、軍人でそれらの情報を知っている者であれば、誰もが思うことであろう。
グランバートが、アルテリウスの支援を行った対象を野放しにするはずがない、と。
今のところ敵はアルテリウスへの報復として戦線を拡大させている。
それがやがて収拾のつかないところにまで発展すれば、より世界は昏迷の状態を極めることだろう。


その渦中に、ソロモンが取り込まれる可能性は高い。



ヘルグムント中将の口ぶりを見ていれば、疑いようのないことだった。
これから間違いなく戦闘が起こるであろう。
場合によっては、自分たちから攻勢に出る必要も出てくるかもしれない。
そういった有事の際に使える人材と戦える兵士は、多ければ多いに越したことは無い。
アルテリウスとグランバートとの間に決定的な亀裂が生じてからは、本国の人間もより一層人材の確保に燃えている。
それが急務であることを彼らは知っていたからだ。


そして。
その目に適う存在であれば、たとえ本人の意思とは裏腹に、招集したいと考えている。


「…………まあ、士官学校であるからには、将来兵士となる者を育成し輩出するのが第一だと、私も思う」
静寂な佇まいで静かにそう言葉を嘆いたマインホフ少将。
彼ら教官たちには、校長が言わんとするところが分かっていた。
将来兵士となる者を育成し輩出する、そんな当たり前の役割が、今は随分と遠いものに感じる。
それはヘルグムントが“使える人材をよこせ”と圧力をかけているからに他ならない。


「上の者が言うように、我々もそれに従うより他はない。各々の担当する部門で、秀でた生徒を探し出してくれ」
「………はっ」


そして他の教官たちも、それに頷くしかなかった。
本国の上層部がそれを求めているのであれば、それに従うのが彼らの立場だ。
“ここでの成績が優秀でも現場で使えるかは分からない”
そのような思いを持っていたとしても、何も形に出来るものではない。
過程よりも結果を求める傾向が強いのだから。
会議室から退出して、二人で廊下を歩いていたウィンザー少佐とジャスパー大尉。


「やはりおめえはあのツバサってやつを推したな」
「仕方がありません。第一、候補者リスト無き今、一番インパクトの強い印象を与えたのは、彼ですからね」


“あくまで自分の目から見たことですが”とジャスパーは付け加えた。
ジャスパーの立場は非常に難しいものであった。
何故なら近接戦闘訓練などを一手に引き受ける役割を担うのが彼だからだ。
他にも教官が居ない訳では無いが、その部門の中では第一責任者としての立場である。
そして本国の軍人たちが求めている人材は、やはり戦闘においてその力を発揮する人のことであろう。
即戦力をこの士官学校で見つけるのは難しい。
ここは、将来兵士になるための育成を行うところ。
素質を見つけられても、即時戦力とはなり得ないだろう。
それを分かっていても、上からの命令には従わなければならない。


だが。
ジャスパーは、この学校にいる幾人かが、そのような常識を打ち破ってくれるのではないかと、思っていたのだ。


「あのナタリアという女性は?」
「女性ですからね。まあ確かに珍しいと言えばそうですが………」
「お前さん、せめて自分が候補に挙げた人の素性くらいは、ある程度聞いておかないとな。選ぶ方にも責任はあるんだからよ」


「………ええ。確かに」



そう。選ぶほうにも責任がある。
自分から志願してここに来た人は別として、そうでない人間を選ぶ場合には、大きな責任が伴うだろう。
彼らの人生を大きく変えてしまう可能性があるのだから。
ジャスパー大尉は、自分が候補に挙げて公開した名前を持つ人の素性をよく知らない。
最も印象に残ったツバサですら同様だ。
一方で、ウィンザーはツバサとは何度か話をしていて、ここに来る経緯の一部は知っている。
義務でこの学校へ通っている人が多い今の状況では珍しく、彼は自ら兵士になる為にここへやってきた。
あの技量、あの威勢の良さ、精神力に身体能力。
あらゆるものを見せつけられ、ツバサという男が並々ならぬ人間であることを実感させられていたのだ。


「けどまあ、本当に時代は変わったモンだな」
「と、言いますと?」
「いやな、あんな子供でさえ戦場に駆り出される時代だってことさ。大人が悪いのにな」
「大人が悪い?」


「そうさ。大人が悪い。戦争ってのは大人同士の喧嘩だ。喧嘩って言葉に変えちまえば大したことには聞こえねえかもしれねえが、その規模は世界中の人間を巻き込むもんだ。ジャスパーも知っているだろ?大人が起こした不始末を片付けちまった、英雄たちを」



その話は、既に歴史にも載っているし、態々本や雑誌を見返さなくとも、鮮明に憶えている。
ウィンザーもジャスパーも当事者として、その戦いを経験した。
戦いは世界中で発生し、特にこのオーク大陸ではかつてのエイジア王国と、復権を果たそうと暗躍したルウム公国の残党と、彼ら連邦軍が死闘を繰り広げ、大陸全土で甚大な被害をもたらした。
彼ら自身も戦い、疲弊した。
そのような不毛な戦争の終結に大きな役割を果たしたのが、ウィンザーの言う『英雄』の存在である。
その当時の英雄たちは、揃ってまだ二十歳にも満たない子供だった。


「子供が戦争を終わらせたという、やつですか。しかし何故、その英雄の一人が、今回のような………」
「………まあ、そうだな。確かに、戦争を終わらせるために尽力し英雄にまで登り詰めた奴が、今度は戦争を始める引き金を引くとはな」



この時の二人の会話は、実は違う場所でも、違う国でも、数限りなく繰り返し話される内容でもある。
たとえ当事者でない人ですら知っている、グランバート王国の現最高司令官。
その人間は、かつて50年戦争の時、この不毛な争いを終結させるために、数多の戦場を駆け抜けた戦士である。
彼の祖国は、その当時大規模な内戦状態に入り、王都も国土も千々に乱れて、国としての機能を果たせてはいなかった。
その中で、彼は国の為に戦おうとしたのではなく、この世界に蔓延る争いの種を鎮める為に戦ったとされる。
終わりの無い戦いと思われていたこの時代の戦争が、彼をキッカケに時代と共に動いて行く。
小さき少年が未来を築く戦士となった。
他方、まるで伝説のように語られることもあるその話は、多くの人間が知る事実だ。
その未来を、ある意味で破壊するような今回の出来事。
つかの間の平穏だった。
恒久的な平和が存在しないという通説じみた常識を人間たち自身で正しいものであると証明した。
人間は、常にテリトリーを争う生き物なのだ、と。



「まあツバサがあの男のように、若くして台頭できる兵士になれるかは分からないけどよ。あいつが勝手に兵士になるのなら別だが、そうじゃない。人を選び、兵士にさせるってんなら俺たちには責任が伴う。ま、若い子供たちを指導すること自体、責任のあることだし、年長者としての仕事の一つだ。そうすぐに動きがある訳じゃないだろうから、じっくり面倒みてこうや」

「…………そうですね。そうだと、いいのですが。」



しかし、すぐに動きは無いだろうと考えていたウィンザーでも、先のことが全く見えていない訳では無い。
いつかその時は来る。これまでの10年間が空白のものであったとしても、それは恒久的な平和の到来を意味するものではなかった。
たとえ英雄が世界の争いを鎮めようとも、その水面下で次の戦いの波が引き起こされている。
時代も、人間たちも、決して争いの場を忘れることはないのだ。



そして、鉱山遠征の日を迎える。


「よーし、いくか!!」
「元気だな」
「いつもだろ?な?」


この士官学校における鉱山遠征は、新入り組の登竜門のようなもので、将来兵士になる人も、また徴兵制度の過程を越える者としても、この訓練を避けては通れないものである。
彼ら17人もそれに漏れずに参加することになったのだが、彼らの間ではある一つのことが懸念されている。
それは、この儀式とも呼ぶべき訓練が、過去に幾度も大きな事故を引き起こしてしまっているのだ。
事故とは言うが、それは人為的なものではなく、自然環境による弊害を受けたことによるものだ。
既に廃鉱となった鉱山の外周コースを登りながら、頂上のシグナルビーコン起動を目指し、下山するというルールの訓練。
言葉にして起こせばそれほど難しくも感じられないが、その道は険しく、天候も変わりやすい。
過去、天候変化によって事故に遭い、幾人かの命が奪われたことがある。
士官学校とはいえ、ここに所属すれば軍の在籍という位置づけになる。
そのため、訓練中の事故に関しては、指導者側に明らかな過失が無い場合は、当人による事故として記録されてしまう。


この日の天候は、平地は曇りのち晴れ。
山間部は曇天が漂う日中となることが予想されている。
気温は21度。
日が照り続けて暑さで体力を消耗するよりは、幾分もマシだろうとは考えられていた。


「いいか、山の天気は変わりやすい。周囲の状況変化を見逃すなよ。途中にはチェックポイントが設置されていて、隊員が確認を行う。それ以外の非常時には、必ず渡した無線機を使用して連絡をすること。もう一度言う、ここの天候は変わりやすい。決して無理はするな。これはチームでの訓練だ」



ジャスパー大尉の事前の説明を受け、他にも彼ら生徒の人数以上の現場兵士たちが動員され、この訓練が行われる。
それだけ過酷なものなのか、それとも過去の事故を受けての手厚いサポートを用意しているのか。
兵士たちの力を借りる機会がそれほどあるとも思えないが、確かに無理はしないほうがいい。
気持ちが昂る一方で冷静な考えも持ち合わせていたツバサ。
他の多くの生徒たちが、この先を不安に思っていたのだが、彼は違った。
無論、全く不安が無かった訳ではない。
それ以上に、このような少ない機会を自分のものにしたいと考えていたのだった。


彼の持つ不安は、限定されている。
それは、今日まで“チーム”を作り上げることが出来なかったことだ。


結局のところ、サイクスとパトリックの二人とは、何ら関係性を築くことが出来なかった。
強いて言えば、サイクスは会話にならずとも返答だけはしてもらえる程度の関係。
パトリックに至っては激しく嫌悪感を表面に出すので、会話どころか話しかけることすら厳しい状況だ。
ジェザだけでも普通に会話が出来るようになったのは良かった、とも思う。
だが、今の状態ではチームでもなんでもない。
彼の考えるチームとは、全員が一致団結に協力し目的を果たすものを言う。
今の状態は個人的な関係が微々たるものとして繋がれただけのことである。
彼が最も危惧し不安に思うのが、その点だった。
それでも、足を進めない訳にもいかない。これも訓練の一つなのだから。



「…………」
「……………」


「俺たちはこのルートだな!どれどれ………」
「見方、分かる?ツバサくん」
「んいや?サッパリ」
「あら。このルートと描かれた等高線を見ると………途中まではなだらかな道が続くようだけれど、山頂に向かうにつれ険しく細い道になるようだね。」



ツバサを先頭に、エリクソンがその隣で地図を広げながら分析をし、ジェザがそのすぐ後ろを歩き、三人ほどの間隔をあけてサイクスとパトリックがついていく。
パトリックは終始機嫌が悪いようだった。そもそも彼らと行動を共にすること自体が受け入れられないのだろう。
一方のサイクスは無表情だった。正直何を考えているのかが分からない。彼にとっては一番困るタイプだった。
それでもついてきてくれるだけマシなのだろう。
今はそう思うことにした。
空を見上げる。
当初の予報通りで、曇天の空が立ち込める。
気温はちょうどいいぐらいだが、灰色の雲が覆う空を見上げる度に、どことなく不安が頭を過る。


「ベスラニオス鉱山は、かつてオルドニアの産業の一部として発展し、街の発展を大きく支えたそうだよ」
「お、色々調べてくれたのか?」
「うん。多少はね」


オルドニアの街から北に50キロほど離れたところにある、ベスラニオス鉱山。
ベスラニオス山地の一部の鉱山として、かつては鉱業資源が豊富に採掘出来た山である。
オルドニア州の産業の中心となっていたこの山も、その資源が採り尽されると、あっという間に衰退し閉山に至った。
鉱山の中には今もその当時の作業場やトンネルが数多く残されている。
しかし現在では鉱山内部へ立ち入ることは出来ない。
その外周面に広がる登山道は、軍の管轄地として訓練として使用されていて、またこの山の近辺では射撃訓練などが行われている。
産業の中心地が廃れた土地の象徴に変貌するまで、そう長い時間を必要としなかったという。
それを目当てに移住してきた資産家が破綻した例もある。
それまで発展し続けていた産業が今も続いていれば、きっとオルドニアはより大きな街になっていただろう。
今となっては辺境の一州に過ぎない。
彼らにとっての歴史の停滞と後退は、この鉱山が使い物にならなくなった瞬間から始まったのだ。


「今となっては軍の私有地か。まあしょーがねえんだろうけどなあ」
「そうだね。役割は変わったけれど、今もここは人々に使われている。元の自然には戻せないだろうね」


道中を他愛のない話をしながら歩こうと思っていたのに、いつの間にかしんみりとした話題になってしまっていた。
会話になっていない二人は除いて、ジェザも数回口を開けて言葉を交わしていた。
それからのこと。
一時間半ほどが経過し、途中のチェックポイントまで辿り着く。


「………よし、記録した!良いペースだな」
「ありがとうございます!」
「この先、山頂までは近いが道は険しくなる。気を付けろよ。」


チェックポイントは、士官学校に勤める兵士たち数名がそれぞれ4か所の登山路の中腹に設置したもので、士官候補生たちに異常が無いかなどを確認する重要な場所となる。ここを学生たちが通過すれば、チェックポイントから本部に通信を送り、状況を報告することになっているそうだ。
兵士たちが助言をして、彼らを先の道へ送り出す。
因みにこのチェックポイントで待機していた兵士たちも、この訓練を経験している世代の人で、送り出す気持ちは無事を祈るばかりでなく、これからの将来を思ってのことも含まれていた。



「………確かに、道は悪くなってきたね」
「ああ」
「雲行きも怪しくなってきたな」


ジェザが話すように、空の雲の色が黒く、また厚みも増しているように感じられる。
さらに吹き付ける風が徐々に強まっているのを肌で感じる。
気温の変化にも気が付いた。高地にいる分気温の低下があるのは当然だが、それでも先程までと比べてもよりハッキリと気温が低下したのが分かる。



「一雨来るかもしれねえ。もし雨が来たら行軍は一時中断だ」



全体の一番前を歩いていたツバサが、皆にそのように話す。
雨が来れば地面の状態が悪くなることは明白だ。
すべてのチームの学生は、雨天時の装備も携行させられている。
一人で展開することの出来る簡易テントがそれだ。
テントと言うには側面が吹き抜けになるので、あまりに寂しい。
しかし、身体全体を覆うことは出来るので、雨水が直撃することはある程度避けられそうだった。
ツバサがそのような方針を打ち出したのと、同時に。



「なんで止まる必要があるんだよ。さっさとビーコン起動させて下山しちまえばいいだろ」


その一言で、その場の空気が一瞬にして変化し、凍り付くのが誰でも感じられた。


声の主はパトリック。
彼は明らかな反抗意思を表面化させており、腕を組んでツバサを鋭い目つきで睨んでいる。
その声色でも、その表情でも、そしてその雰囲気でも、明らかにツバサの出した方針に不満があるのは分かった。
だが、ツバサとしてもここで引き下がる訳にはいかない。


「なに言ってんだよ。雨が降りゃ足場は悪くなる一方だぞ。急いで転んだりでもしたらどうすんだ」
「知らねえよそんなこと。転ぶやつが悪いんだ」



――――――――――――さらに空気が激化する。


「お前な、その中に自分が含まれるかもしれねえって考えはねえのかよ!?」


パトリックの悪態をみて、ツバサが激高した。
彼の言動は、明らかに団体行動を乱すものであり、ツバサとしては到底容認できるものではない。
はじめからこの訓練はチームで協力して進められることが伝えられている。
その輪をあえて破壊するかの如く、自分勝手な言動をしたパトリックに、ツバサは遂に怒りを向けたのだ。
一人でもそういうやつがいると、周りのみんなが迷惑に思うし、危険に晒すことになる、と。
ツバサの考えは至極もっともであった。
だが、パトリックは言葉を続ける。



「第一、何様だおまえ?自分だけイイ気になって先導してよ。周りに聞きもしねえで勝手に決めつけんな」
「てめえこそなんだよその態度は!団体行動乱してるってわかんねえのかよ!!?」
「俺ははじめからお前が引っ張るこの面子を団体(チーム)などとは思っちゃいねえ。うぜえんだよ」


ある意味でハッキリとしたお互いの関係性。
激しい対立は、それをみていたエリクソンもジェザも、そして口数の極端に少なかったサイクスでさえも驚かせた。
特に驚きを隠せなかったのが、ツバサの姿だった。
今にも相手の胸倉に掴みかかりそうな勢いだったが、言うことには筋が通っていた。
確かに、この場においてパトリックの言動は明らかに自己中心的なものであった。
ツバサを嫌うのはいい。彼とて誰にでも好かれたいと思っている訳ではない。
しかし、今この訓練ではチームとしての行動が求められている。
それをパトリックは自ら認めてはいないと全否定し、ツバサが打ち出した方針を真っ向から拒絶した。
ツバサも、確かにこの方針を相談して皆で決めた訳では無い。
そう言う意味では彼の判断も自己によるもので、チームとして取りまとめた意見ではない。
だが、そうしなければチームを危険に晒す。
その危険性が高いからこそ、彼は積極的に皆にそう話したのだ。


遠くから、雷鳴が聞こえた。
今の二人の気持ちを表すようだった。



「つけあがるんじゃねえぞ餓鬼。誰もお前のこと信じちゃいねえ。そんなに自分の思ったとおりに事を運びてえなら、お飯事でも一人でやってりゃいい。そんなものに付き合わされるなんぞ、ゴメンだね」



そう言い放つと、せっせとパトリックは先へ進んで行ってしまった。
一方のツバサは拳から血が出るほど強く握り締めて、怒りをあらわにした。
が、同時にパトリックに返す言葉を失っていた。
激昂しながらも、彼は冷静に彼の言葉を読んでいた。
否定できない部分も確かにあるのだ。
自分の良いように進めているつもりはないが、誰かに相談して今後を考えている訳でもなかった。
彼の見識で当たり前だと思うことを第一に方針にしていた。
他の人もそうするだろうと勝手に考えて、それが正しいものだと思い込んでいた。
意見討論の場において、彼の気質は自分の意見を通して正当化するものだった。
そう思えたからこそ、パトリックの考えも一理あると思ったのだ。
パトリックは実のところそこまで深く考えて彼に言い放ったのではない。
ツバサが彼の言葉を思い起こして考え、そのような判断に至ったのだ。
その意味では、ツバサのほうがより大人な考え方が出来ているのだ。


だが、それでも、これだけは決して間違ってはいないと言い切れる。
足早に先へ進んだパトリックが危険になる可能性は高い。



「……………」
「………どうしよう、ツバサ」
「…………気に入らねえけどよ、放っておくわけにもいかねえだろ。あいつの言うことも、分かる。分かってんだ」

「……………!!」


意外にも、その発言に最も驚きを示したのは、最も口数の少ないサイクスだった。
エリクソンは胸が締め付けられるような思いだった。
この中のメンバーで彼といる時間が最も長いエリクソンは、パトリックの言葉の数々がただ単にツバサ嫌いで罵っているだけではないことを理解し、ツバサもその部分に関しては受け入れているのだと分かっていたのだ。
ジェザも言葉にはしないが、パトリックが言いたいことも分かる。
団体行動を乱し、勝手に前へと進み始めたパトリックこそが自己中心的だと、彼は頭の中で自らの考えを確立させていた。
そしてサイクスも同じだった。
たとえ協力関係になくとも、全員でこの訓練を乗り越えればいいだけの話なのだ。
あえてその輪を乱さずともいいのに、と考える。


「だけどよ、それでも俺らは同じところにいる仲間のはずだろ。このまま見過ごせるかよ!!」


その時、その場にいた誰もが、彼の心の内に持つものを見た気がした。
彼らは自分たちの立場に置き換えて、パトリックに言われたことを思い返したのだ。
正直に言って酷い言われ様だった。
否定できない部分があったとしても、普通の人ならあれほど言われてその相手に振り向こうとは思わない。
寧ろ突き放すか放っておくかするだろう。
だが、彼はそのような状況下であっても、たとえ認められていなくとも、仲間だと言った。
そこに、彼の強さを見たような気がしたのだ。

兵士たちが危惧したように、
山頂へ向かうにつれて天候も変わり、足場も悪くなる。
そして、最も恐れていた、雨が降り始めたのだ。
風は強く吹き始め、気温は下がり、雨が大地を濡らす。
山の天気は急変する、という教えが全くその通りであるかのように、途端に雨脚は強くなり容赦なく打ち付ける。
道は悪くなる一方だ。足元には既に降った雨水が流れを作り始めている。
チェックポイントに向かっている時と今とでは、全くペースが異なる。



「チッ、この先は崖有りか………おいみんな!さらに足場が悪くなるぞ!!」
「くっ…………」
「滑落したら命は無い、かな………」


この数週間鍛えたとしても、それは足場の悪いところでの訓練ではない。
このようなぶっつけ本番のような訓練では、確かにこれまでの成果を問われることにはなるのだろうが、危険も伴う。
改めて、ツバサはこの訓練の本質とその意義を考えたのだ。
そして同時にこの訓練に一体どれほどの意味があるのだろうか、とも考えた。
結束を深める、仲間意識を高める、そういった精神的な強化には繋がるだろう。
身体的にも、これまで訓練した身体能力の効果を発揮し踏破するものとして考えれば、決して悪いものばかりではない。


が、これは本当に将来の兵士を生み出すために必要な訓練だろうか。


何か慣例に沿って行われているような気がしてならない。
それに、この訓練によって今まで幾人かの犠牲者まで出ている。
もっと有益で有意義な訓練は幾らでも出来るだろうに。



「………………。」
色の濃い灰色の空から降り注がれる雨が、より強く。
沢山の不揃いな岩で敷き詰められた足場は悪く、歩き辛い。
道幅も狭く、左側には斜面が連なり、足を滑らせれば落下は間違いないだろう。
ペース配分を考えることもせず、パトリックは一人で先を歩いていた。
実のところ後ろの4人とは1分ほどしか離れていないのだが、声も届かないし姿を確認することも出来ない。
そしてなにより彼自身が振り返ろうともしなかったのだ。
嫌気が差していた。
あの男一人に対してではなく、ここにいる環境そのものに。
腹が立っていた。
あの男一人だけでなく、こうしてここに強制的に呼ばれた自分の“境遇”に。
この国の人間であり男児であるのなら、国の制度により兵役を免れることは決して出来ない。
ここで経験したことが、将来的に兵士を補充する過程で生きる。
つまり、国が兵士を必要とした時に、ある程度の訓練と経験のある男性を兵士として召喚することが出来るのだ。


―――――――――――そんなのはまっぴらだ。
なぜこんな国の為に、自分の命を投げ出さなければならないのか。


彼の独白。
これからの人たちの未来を勝手に奪い、兵役を強いるような国の兵士になるなど、御免だ。
国にいる者の誰もが国の為に尽くすなどと考えるはずもない。
この国に生まれたことも、育ての親も、これからの未来を紡ぐ者に選ぶ権利はない。
だが、知識を得てから他方に流れることは出来るだろう。
この徴兵制度は、そんな未来の可能性を否定する行為だ。
そしてこの訓練は、幾度となく事故により犠牲者が出ている、極めて危険で意味のない訓練だ。
必要な人が受けるのならそれはいい。
だが自分たちは必要か不要かも判断されず、ただここに連れて来られて兵役を強いられているのだ。
将来の国が安泰ではなくなった時の、道具として用いるために。


だから、パトリックは、
“自分から道具になろうとする”者たちを理解することが出来なかった。
激しい嫌悪感を彼らに抱き、むき出しにしたのだ。
同じ人間として持つ思考としては理解に苦しむ、と。
なぜ自分はここにいるのだろう?
こんな人たちと共に生活をしなければならないのだろう?
この先に何があるのか。
何が待っているのか。
本当にこの先も、生きていられるのだろうか。


そんな漠然とした不安は、彼の足元を揺らがせた。



「しまっ――――――――――――――!!?」


足早に彼らのもとを離れて、体力の残りも気にせず、地盤が悪くなる一方の雨の山道を歩いた。
そう、だから一時の不安が大きな危険を孕む可能性があった。
そんなこと、冷静に考えればすぐに分かることだろうに。
だがその点が思い至らなかったのは、頭の中があらゆる感情で煮えたぎっていたからなのかもしれない。
普段の自分なら、あるいは。


「……………。」
意識はある。
だが、身体はとんでもなく重たい。
右半身は既に感覚が無い。
しかし見ればズタズタに崩れているのが分かる。
よくもまあ原形を留めていたものだ、と辛うじて思える程度には。
装備は………そうか、恐らくもっと下だろう。取りに行けそうにもない。


ああ、黙っていれば意識を手放せそうだ。
油断してしまった。
だがそれでいいのかもしれないな。
これで、この身体は使い物にならなくなる。
兵士としての人生はこれで終わるだろう。


もっとも、生きて帰れるかも分からんが………。



パトリックは滑落したのだ。
雨の中、左が崖という狭い道を通る最中に足を滑らせて、崖から滑落。
だが、幸いにしてすぐ下の岩の踊り場に身体が引っ掛かり、その下まで落ちることは無かった。
その衝撃で右半身を強打。足は普通では考えられないような方向に向いているし、胴体も右肩から腕にかけてもズタズタである。
奇妙なことに、滑落した後のほうが冷静な気持ちを取り戻していた。
雨は降りしきり、身体は全く言うことを聞かない。もはや痛みすら感じられないほどであったが、かえってそれが救いだったのか。
意識はハッキリとしている。
頭の中で色々な考えが浮かんだ。
人間というのは、こういう状況になっても考えるのをやめられないらしい。


「っ…………!!」
それから、十分と掛からない時間が経った頃。
上から小石がコロコロと落ちてくるのが分かった。
意識はハッキリしていたし、頭の中は色々な考えが浮かんでいた。
だが、見上げた時に写ったものに、彼は激しく反応を示したのだ。


「馬鹿野郎!!なんでこんなところに来るんだよ!!?」


その姿を見るなり、開口一番パトリックはそんなことを言っていた。
その姿を見るなり、冷静な考えが一気に吹っ飛び感情が沸騰した。
顔面は怒りを覚えながらも強張る。
ある意味で、パトリックが今一番見たくない人間の姿であっただろう。
彼が最も理解できない領域にいる人間。
彼からすれば、兵士という道具になりたがっている男、ツバサが縄を巻いてピッケルを使いながら、自分の近くまで下りてきたのだから。


「おいおい、助けに来たってのに馬鹿野郎は無いだろ」
「誰がお前の助けなんか………ッ!!」


まるで人間そのものを全否定するように、パトリックは言葉でツバサを突き放そうとする。
だがここまで来て言葉で突き放され、為す術ないのならそれも情けない話だ。
ツバサは慎重に、かつしっかりとした足取りで、男の傍までやってきた。



「自力で歩くのは無理か………よし、肩を貸す。出来るだけ体重を俺に乗せてくれ。上の三人も心配してる」



男が彼の助けを拒み続けているのとは裏腹に、彼は男の言葉など無視して自らの為すべきことを進めていく。
それが男にとってはどうしようもなく嫌に思えたのだ。
助けに来てもらったにも関わらず、その人間に対してあまりにも酷い物言いをした。
ツバサという男を否定するかのように。
だが、ツバサは言う。


「いいよ、べつに。お前は俺が嫌い、それだけハッキリしてりゃこっちも気持ちが良い」
と、彼は笑って男に言ったのだ。
男からすれば、それがあまりにも不思議に思えたのか、少し拍子抜けしてしまった。
誰しも嫌われたいとは思わないだろうが、嫌われているのであればそれは仕方がない、と言わんばかりの反応である。
かえってそれだけハッキリ言ってもらったほうが気持ちがいい。
そこに彼の性格が前面に出ているように、男には思えたのである。


「けどよ、」
「………………」




目の前に、助けられるかもしれねえ奴がいるんだ。
たとえどう思われてようが、それで助かるってんなら、俺は見逃したくねえんだ。



刹那。
男の心の中で気持ちの波が揺れ動いた。
その言葉が脳に突き刺さるほどよく響いたのだ。
彼は自ら兵士になるためにここに来ているという。
自ら戦うための道具になろうとしている人間の言葉。
だがそれは、単なる道具ではなく人の為になりたいという、強い意志を持ったものである。
たとえどう思われようとも、そこに助けられる人がいるのなら助けたい。
彼の強い意志と彼の人となりとを表現した、彼らしい言葉であるように、男には感じた。
自分勝手な行動で迷惑をかけているのは、彼ではなく自分だった。
男は、自らがどれほど惨めな存在であるかを思い知らされ、彼の言葉を聞いて自分を責め立てた。
なんと情けない男なのだろう、と。
嫌いな人間ですら手を差し伸べようとする彼。
それに比べ、自分はここまで勝手に一人で進んで、目の前の現実から逃げてきたのだ。
その結果がこれだ。



「本当はな、行きたかねえんだよ………」
「っ…………」


それは、誰に聞かせるわけでもない、男の内から出た言葉。



「お前は自分から兵士になりたいって思ってるから、こういう噂を聞いても何とも思わないと思うがな………今、各地にいる士官学校生は、今後この大陸で戦争が勃発するようなことになれば、真っ先に最前線に駆り出されるだろうって言われてるんだ」



理解できない話では無い。
ツバサは確かにそのような噂を聞いたことはなかったが、この場でその話を聞いてもすぐに理解できた。
当然といえば当然だろう。
現場で兵士になるための訓練をさせられている自分たちは、一から教育し未熟なまま前線に送り込まれる一般市民よりも、遥かに優れている。
ある意味では経験者として前線へ行くことになる。
それだけでも、他の多くの民衆とは異なるポテンシャルを持つことが出来るのだから。



「だが、俺みたいに兵士になりたくねえって奴はごまんといる。にも関わらず、若い男たちを強制的に兵役を負わせて、俺たちの意思なんて関係なしに戦争に参加させようってんだ。反発が出ないはずがない。要は数が揃えられれば良いって思ってやがるんだ。そんなものに参加させられるなんて、まっぴらだ」


「けど、それに従わなければ国からマークされる」


「……………。」


ツバサもツバサで、このような制度がどうして設けられているのか、その背景や実情を自分で調べた。
今、パトリックが話すことはすべて事実だ。
上層部の思惑はどうあれ、戦争が間近に控えているというのなら、“戦いは数”という昔からの定石に従い、数を揃えるのが優先事項となる。
兵役により兵士の訓練を受ければ、一から何も知らずに戦場に叩きこまれるより、ノウハウを知った兵士の一人として戦うことが出来る。
だからこの国では、各州ごとにある士官学校で、一年以上兵役を課すのだ。
実際に、パトリックが話すように、この大陸でも戦争になる可能性は充分にある。
先の戦いでは、この大陸の南東部に大きな勢力を保有していたエイジア王国との戦いで、連邦は疲弊した。
兵役を課せられた男性たちが戦場に駆り出され、幾多の戦いに参加したのは紛れもない事実である。
そして、多くの人命が失われた。
この制度自体は古くからあるものではないが、確かに兵士の数を揃える基盤として、方針が成り立っているのである。



「お前はなんでこの国にこだわるんだ!!?」
「……………。」
「何がお前をそこまで動かすんだよ!!」



なるほど、そうだよな。
パトリックの考えじゃあ、自分から兵士になるって奴は死にに行くのと変わらねえってことだよな。
でも。


「俺は別に、この国のために命を投げ出そうなんて考えちゃいねえよ。ただ、この戦いが続く限りは、ずっとそれに巻き込まれて苦しむ人がいるだろ?そういう人たちの為になりてえって思うし、そのためには戦いを終わらせないといけねえ」



それがツバサの一つの方向性であった。
何も彼はこの国を絶対的な存在として尽くす対象とは考えていなかったのだ。
だが、彼の果たそうとする目的にとって必要な過程であるとは考えている。
一人では何もできない。
周りの支えも立場も無ければ、事の成就は出来ることではないだろう。
彼なりに考えた一つの道筋である。
それを目の当たりにして、パトリックは驚愕の色を浮かべていた。
この男には明確な目的があってここまで来ている。
そしてこの年齢でそのような考えに至ることが、異常のように思えた。


年齢だってそう変わらない。
容姿も、背はかなり高いがまだ子供のような一面もある。
内面だってそうだ。
だが、時折見せる真っ直ぐな表情は、子供のものとは思えない肝の座った姿に見える。
今日何度も目にした、彼の本質に近い姿なのだろう。
パトリックは思うのだ。
この人が本当に兵士として戦場に出ることになれば、どのような状況が生み出されるのだろうか。



一瞬だけでも、想像が出来た。
かつて50年と続いた戦いを鎮めるのに大きな功績があった人物の一人。
その人は、その当時で18歳だったという。


「んまぁ、俺のことはいいだろ!それよりお前だ。ゴタゴタ言ってねえで、早く帰ろうぜ」
「っ…………」
「お前が兵士になりたくないって言ってもな、そんなことよりここで死なれた方が、学校も皆も悲しむだろうからな」


負傷した側とは反対側の身体を支えつつ、上から下ろされている縄に手をかけて、ツバサはパトリックを救出する。
装備品も含めると、80キロ以上の重量を支えていることになるだろう。
縄があるおかげでもあるが、たった一人で男を支えて上まで登るのだから、大したものだと内心では思っていたパトリック。
救出されている間に、色々な考えが頭の中を巡る。
相変わらずこいつのことは好きにはなれないが、というのが彼の内心。
そして同時に、自分はこいつに助けられたのだという惨めさが込み上げてくる。
だがそれ以上に、こいつが言うように、
たとえこの先どのような人生になろうとも、まずは生きて帰れることを大事に思うべきだろう、
パトリックはそう思い、惨めな自分の心の中に、きちんと彼に対する感謝が込み上げているのを実感していた。
それが男にとって彼を認めるという内心の変化へと繋がっていくのだ。


それからのことだ。
彼らのチームは負傷したパトリックを支えながら、全員でシグナルビーコンの地点まで辿り着くことが出来た。
頂上に辿り着く頃には、先程までの雨も通り過ぎ、分厚い雲と、時折青空や太陽が見え隠れするようになっていた。
無論、救出に要した時間が長かったため、ビーコンを起動させたのはどのチームよりも遅かった。
そして頂上で待機していた現役の兵士たちが彼らの姿を見ると、表情を変貌させて駆け寄ってきた。
彼らの一人が滑落したことを告げると、すぐに兵士たちは救護班の要請をした。
それと同時にこっぴどく彼らは怒られた。
何のために無線を持たせているのか。
何かあったらすぐに報告をすることを徹底したにも関わらず、彼らは自力でここまで来たのだから。
確かに兵士たちが怒るのも無理はない。当然といえば当然だろう。
規律を乱す行為は、たとえそれが称賛されるべきものであっても、指摘を受けるものだ。

だが、彼らはなんとなく、清々しい気持ちも持っていた。
自分たちのしたことは、確かに褒められたものではない。
救護訓練を受けているとはいえ、自分たちはまだ素人の部類だ。
それが、緊急事態の連絡も告げず、自分たちの意思でここまできたのだ。
いけないことだというのは、誰もが分かっていた。
けれど、不思議と達成感はあった。
全員で山を下りることは出来なかったが、目的地までは辿り着けたのだ。
その後、救護班が山を登ってきて、パトリックを担架に乗せて下山していく。


その様子を、ツバサは澄んだ色をした目で見届け、見送ったのだ。


こうして、例年の鉱山遠征は終わる。
そして今日の出来事をキッカケに、ツバサの周囲の環境はまた少しずつ変わることになる。


そしてそれは、彼自身の立場に対しても。



……………。

第12話 グランバート幕間①~宴の場にて~

ヴェルミッシュ要塞攻略戦に勝利し、グランバート王国軍の士気は高まっていた。


アルテリウス王国にとっての防衛の要であったヴェルミッシュ要塞は沈黙し、彼らグランバート軍に占領された。
要塞攻略戦は僅か一日でグランバート軍が全面制圧をしてしまうほど、短期的な戦闘となった。
その要因としては、航空戦力および海軍勢力の後押しがあったからと言えよう。
特に航空戦力は、グランバート軍第三艦隊空母ヒューベリックからの全面的な支援を受けられる状態で、その力を如何なく発揮した。
ヴェルミッシュ要塞が、対陸戦部隊における防衛力を強固にしていた一方で、上空からの攻撃に対してはやや脆弱であった。
海軍戦力が長距離砲で要塞の砲台を次々破壊すると、地上からの迎撃が弱まった隙をついて航空戦力が各地に攻撃をし、地上からの攻撃が沈黙した段階ですかさずにパラシュート降下部隊を派遣する。
グランバート軍がよく情報を集め分析し、要塞攻略戦に実行された幾つもの作戦は、それを指揮する現場指揮官と実戦部隊とで効率的に運用され、短時間で絶大な効果をもたらしたのだ。
だが、彼らにとってここから先が長い行軍となる。
グランバート軍は、王都アルテリウスを占領すれば、アルテリウス王国との戦闘に大きな成果を得られるだろうと考えていた。
つまり彼らが期待するのは、充分な戦果をあげた後に敵が降伏することであった。
グランバートとしても、戦争が長期化する可能性を棄ててはいないし、事実それに対する備えも続けていた。
しかしそれは、アルテリウス王国に対してのものではない。
もっと強大でもっと厄介な存在に対しての、備えであった。



「明日からは別行動か。お互い上手くいくといいな」
「ええ、全くです。しかし、少将は今回も最前線ですか?」
「まあな。俺は後ろで指示飛ばしてるより、前に出て動き回ってた方が好きだからな」


グランバートの陸戦部隊は、制圧した要塞とその周囲の環境を利用して、前進せずに数日間野営して時間を過ごしていた。
なぜかと言われれば、要塞周辺の制空権を確保し、海上を制圧したことにより、本国から補給艦が問題なく接近できるようになったことで、補給物資を運搬できるようになったからである。
戦い続ける以上、補給というのは必要不可欠なものだ。
現地調達するのが難しい以上、ある程度の物資を運搬し運用することは、戦線を維持するのに最重要の要素とも言える。
そのため、要塞を制圧してから数日間は同じ場所に留まり、防衛を行っていた。


「お前だってそうだろう?ジュドウ」
「まあ確かにそうですね。俺もどちらかって言えばそのほうが………」


彼らは、明日の作戦行動を控え、夜の野営場で休んでいた。
全体の指揮官であるロベルト少将と部隊の統率を行うジュドウ、そして幾人かの兵士と酒を酌み交わしていた。
既に彼らに本国からの作戦内容は伝達されていて、その実行日が明日からとなっている。
補給物資の受け入れも終わり、いよいよ次なる行動を起こす時が来たのである。
次の戦いが始まるとなると、兵士たちの気も高揚する。
が、同時に委縮したり、恐れを抱いたりする者がいても不思議では無い。
ロベルトは現場の判断ということで、明日の作戦開始までの自由な時間に飲酒も許可し、気を落ち着かせることとした。
もっとも、酒が十二分に補給されている訳では無いので、飲める量など僅かなものである。
それでも、兵士たちにとっては、上層部からの粋な計らいだと感じ、喜び飲んだものである。
彼らの少数グループは、静かに語らいながら飲んでいた。
兵士たちにとって、普段本国の基地にいて、上層部の人間たちと酒を飲む機会などありはしない。
そもそも見かけることすら難しい人たちもいる。
それが、今では近い距離間でお互いに話をすることが出来る。
ある意味では貴重な経験ともなっている。
これからそのような機会が永遠と訪れない人もいるのだ。


「お、シャナ少佐じゃないですか。どうですか、一杯。」


凛とした表情を崩さず、てくてくと歩いていたシャナに声をかけるジュドウ大尉。
その声を聞いて、シャナは足を止め彼のほうを振り向く。
振り向くと、少数のグループ全員が彼女に目線を向けていた。
明かりの灯った夜の中でも、彼女の灰色の髪の色はよく見える。
誘いを受けたことを自覚していながらも、彼女は冷淡に。



「いえ、自分は。まだ他にやることがありますので」



無機質な、音色を感じられない、言葉そのものが作業であるかのように淡々と告げ、彼女はロベルトにだけ軽く会釈をしてその場を去る。
シャナの階級は少佐。その場にいるグループで、ロベルトの次に最も高い階級の持ち主が、ジュドウ大尉だった。
なので、階級の高い人にだけ彼女は頭を下げて、そそくさといなくなってしまった。
ジュドウはチッ、と苦笑いしながらまた一杯飲む。
誘った相手が悪かったかな、などと男は冗談交じりに言うが、ロベルトは彼女の背中を見ていた。
彼女の背中が暗闇に隠れ見えなくなったところで、彼は言う。


「しかし、シャナは素性が全然分からないな。本人も話そうともしない」
「少将は、直接聞いたことあるんですか?あの人に」
「まあな。だがこう言われたよ。“それは任務とどのような関わりがあるのですか”と」
「ケッ、随分堅い回答ですな。らしいっちゃらしいですけど」


流石にそのような言われ様では、ロベルトも詳しく聞こうという気が起きなかったのだろう。
権力者にはその力で相手を振り向かせる、などという方法もあるのだが、彼は野蛮なことはしないと心に誓っている。
本人に言う気がない、話す気が無いのなら、こちらからそれ以上聞くべきではないだろうし、仮にそれで話してくれたとして、その話がどれほど真実味のあるものか判断できるものでもない。
ロベルト自身は、それほど彼女に関心を持ってはいなかった。
ただ、彼女が今は本国にいるある一人の上官と深い関わりのある人物だということは知っているので、あまり無礼なことも出来ない。


「確か、ヴァズロフ中将の愛弟子でしたかな」
「ああ。中将は南方の部隊を統括するから、手元に置いておくものと思っていたのだが………」



ヴァズロフ中将。
グランバート王国軍統合作戦本部所属の高級将官である。
陸戦部隊の統括の一人としての役割を担い、普段はソウル大陸中東部の部隊を統括している。
彼もまた長い間グランバートに籍を置く王国軍人であるのだが、その素性は多くの人が知らないのだ。
先の戦いで、グランバートが激しい内戦状態にあった中、その混乱を収束するのに尽力したことで知られる将軍だ。
シャナという女性も、そのヴァズロフの下で生活し兵士となったとされている。
二人がどのような間柄かは全く分からないが、一兵士という関係性でないことは分かっている。
もっとも上官のそのような秘密話を盗み聞こうとする者もいなかったので、素性が分からないままなのである。


「それがどうして、こちらに来たのだろうか…………」
「迷惑なんですか?」
「そんなことはない。シャナ少佐は一人の兵士として、その才能を如何なく発揮してる。この戦線が終われば、間違いなく昇格だ」
「人事部の目も届いてることでしょうしね」


“一人の兵士として”という言葉に若干の強調を持たせたロベルト少将。
事実、彼女は今回の要塞攻略戦において、要塞司令官であるシェザールを捕虜とした。
これは他の兵士たちに勝る大きな功績であると言えよう。
この戦いが終わった後、彼女の昇進は間違いないものと誰もが思っている。
そうなれば、彼女は中佐の階級を得ることとなる。
だが、ヴァズロフ中将の愛弟子が、なぜこちらの戦線に呼ばれたのか。
あるいは彼女自身がそれを望んでここに来たのか。
確かめる術はあるのだが、それを誰も使おうとはしなかったのだ。
一人の女性に気を遣っているほどの余裕が無いと言えばそうなるのだが、今の彼女は同軍の兵士たちから見ても注目の的である。
ロベルトは彼女を純粋に一人の戦力として見ていて、次の戦いではロベルト隊と同じ隊の所属となる。
彼女は佐官ではあるが、あまり大人数を指揮することはない。



「まあいいか。それより敵のことですよね」
「ん、ああ。気にすべきは王国騎士団の存在だろう」


もう少しジュドウが詳しく彼女のことを聞きたがるものだと思っていたのだが、案外あっさりと話題は切り替わってしまった。



「少将は、先日の戦いで騎士団長と戦ったのでしょう?」


一人の兵士がロベルトにそのように尋ねる。
彼はその場面をよく憶えている。
人目で見て、周りの騎士団の兵士とは異なると分かったのだ。
それは、ロベルト自身の戦いにおける慣れた感覚がそのように訴えていた。



――――――――――たとえ再び、世界が火の手に包まれようとも、か。



相手の騎士団長を討つことが出来れば、手柄としては充分だろう。
あるいは、かの名高き王国騎士団の根幹を打ち砕くことが出来るかもしれない。
が、それは容易なものではない。
一人ひとりが手練れな集団だけあって、並みの陸戦要員とは異なり戦闘技術も高い。
昔から陸戦の専門部隊として組織され、王室警備の要の存在でもある王国騎士団は、敵に回せば相当に手強い相手である。
アルテリウス王国の首都を陥落させるためには、決して避けては通れない相手である。
ロベルトは、その騎士団長と一対一で戦った。
彼も近接戦闘では、同軍内においても相当な強さを持つ。
が、その彼ですら寄せ付けないほどの力量を、相手の団長は有していた。
短い戦闘時間であったこと、情勢が極めてグランバート側に優位であったことから、危機的状況に陥ることは無かった。
もし長期的な戦闘となっていれば、自分に命は無かったかもしれない。
そう考えると、もしあの男と再戦するようなことになれば、今度はこちらが追い込まれる可能性が高い。


そして、気になることが一つ。


「人の域を超えた動き…………?」
「直感だがな。あれが本人の実力なのかもしれないが、そうなのだとしたら相当な手練れだろう。だが、こういう話を聞いたことはないか?」
「……………?」


世の中には、人の手には及ばぬ力があるという。
その力は常にこの世界の支えとなって動き続けていて、我々も気付かないところでその恩恵を授かっている。
目に見えないものや手にすることの出来ないものを信じる気にはなれないが、そういう話を聞いたことがある。
自然界に流れるそれらを自身の力として扱うことが出来るのなら、もしかしたらそういう類の動きも出来るのかもしれないが………。


―――――――――――それは、酷く途方のない話だった。
目に見えるものでもない。
手に取ることのできるものでもない。
本当に存在するのかどうかすら怪しいような、現実にはない空想世界に感じるようなもの。
それだけ言えば、この世界中にはまだ人間が知らない未知なる領域というものも沢山あるのだろう。
男が語るそれも、その一つであった。
際限があるものでもなく、どこにいけばそれに出会えるのか、手に取ることが出来るのかも分からないようなもの。
語り手も本心でそのようなものを信じていたわけではない。
しかし、その話を男はかつて聞いたことがあった。
男がその話を聞いたのは10年ほど前になる。
世界中で戦火が巻き起こる中で、幾つかの怪奇現象とも言うべき事象が目撃されたという。
多くの人の間で噂されるような話でもなかったし、それが大事になるようなことも無かった。
しかし、そのような現象が見られたことを、一部の人々がこの世界に古くから伝わる事柄に当てはめて考え出したのだ。
“この世の中には、人に手には及ばぬ神秘が存在する――――――――――”と。
ただの神秘ということであれば、この世界にもまだ見ぬ奇蹟が、知らない神秘が多く存在している可能性はある。
だがその神秘が人の手により扱われることがあるのだとすれば、それはもう未知の領域から外れた、人間たちの側に近い神秘となっているに違いない。



「まるでおとぎ話のようですね」
「でも、俺も聞いたことありますよ。そういう本を読んだこともあります。」
「その男がそれに近い存在だって言うんですか?」

「まあ、あくまで俺の直感だ。そうでないほうが良いに決まってる」


酒の席ということで、緊張感もほぐれてはいる。
しかし、これを現実の話として考えれば、そのような神秘的な力を持つ者と対峙した時、
勝てるはずがないのではないだろうか。
そう思わずにはいられなくなる。
戦意を失うことにもなりかねない。
ロベルトの話は味方の士気に影響を与える危険なものであったが、彼らは話のネタとしてそれらを楽しんだ。
だが、残念ながら彼らがそれらの本質を知ることはなかった。


「………………。」
真夜中。
月夜の明かりが、一人岩場に腰かける彼女を照らす。
時折雲の切れ間から見せるその光は、幻想的で綺麗なものに感じる。
綺麗なもの、美しいものを素直にそう感じられるくらいには、彼女にも心がある。
だからどうだ、というのが心境ではあるが。
この先の大地には、アルテリウスの国が広がっている。
彼女はそれを眺めながら、右手には剣を持っていた。
夜が明ければ、アルテリウス本土の侵攻が始まる。
すぐに接敵するかどうかは分からないが、戦火は各地で巻き起こるだろう。
敵も味方も犠牲が出る。


彼女は、彼らの軍の中では孤立している存在だ。
多くの兵士は、彼女が上官であるから、目上に対しては敬い接している。
彼女の力量は一人の兵士としては群を抜いており、その点は高く評価されている。
だが、彼女は誰からも親しまれてはいない。
彼女を知る殆どの人が、彼女という存在を知らない。
何故ならそれは、彼女自身が自分という存在を一切出さないから。
戦場に出て剣を振るう彼女の姿は、道具そのものだ。
一つの目的の為に、身体を剣として一身で戦う。
無表情に、冷徹に振るう剣は、兵士たちにとっては高い実力の持ち主としての評価を集めているが、同時に畏怖の念を抱く。
味方にしてみれば頼もしい存在のはずなのだが、心の底から信頼を置くことの出来ない、なんとも言えない恐怖感を覚えていたのだった。
彼女は戦いを前に高揚することも無い。
恐怖を抱くことも無い。
ただそこにあるだけの兵士として、その剣を振るう。
彼女自身が抱く数少ない感情の一つ。
ある人のために戦うと、心に決めて。



夜が明けた後、グランバート軍は進軍を再開する。
彼らにとっての戦争は、ここからが本番であった。
一方、アルテリウス王国は彼らを迎撃するべく、三方向の主要街道にそれぞれ陣を形成した。
その中には、王国騎士団の陣営も含まれている。
彼らは陣形を構えてグランバート軍の侵攻を待った。
大陸深く侵攻することになれば、彼らも補給路が伸びて進撃速度が鈍る。
疲弊を狙えば、勢力が弱まったところで敵を討つことが出来る。
その判断は、正しかった。
だが。


「――――――――――全部隊、準備でき次第出撃せよ。」



その定石を覆す作戦を、彼らは有していたのである。



……………。

第13話 お互いの認識



「失礼します」



鉱山遠征の行われた日の、夜のこと。
士官学校の中では、遠征中に滑落して重傷者が出たという話題で持ちきりだった。
現場にいた兵士たちが出来る限り情報の統制を行ったはずであったが、どこからか話は漏れてしまい、それが事実であると知られてしまったのだ。
明るい噂ではないため、詮索する人々も少なかったが、当事者たちからすればそれは複雑な心境になった。
ツバサも同様である。
ある種の達成感を得てはいたのだが、彼の容態は気になるところである。
滑落したパトリックは半身を激しく損傷し、自立歩行も出来なければ片腕を動かすことも出来なくなっていた。
神経も寸断されていたのだろう。
不思議と痛みは消えてしまっていたが、ある意味でそれは状態が深刻であることを訴えている。
緊急の手術が必要とのことで、彼はすぐに軍病院に運ばれた。
彼の担架が救護班の人たちに持ち運ばれ、下山するところまでは見ていた。
今はどのような状態かは分からない。
下山し騒々しい雰囲気の中で、彼らは基地まで帰投した。
その後で、幾人もの人にどのような状況だったかを問いかけられたが、彼は答えなかった。
自分が言うよりも先に、上の人たちからの報告があるだろう、と。
彼は自分たちの置かれた状況をひけらかすようなことは決してしなかった。


その日の夜に、彼は士官学校の上官に呼び出しを受け、既に訓練時間を終え自由時間となっている時に校長オフィスを訪れた。
そこには校長のマインホフと、総合指導監督者のヒラーがいた。
ツバサはマインホフの執務室に入るのは初めてで、後から知ることだが、在学中の学生がここに呼び出される場合には、相当な内容の話がなされるのだという。
大抵は処分が下されるような類の話だと聞くが、それを知らない彼はとにかくも正直な気持ちで呼び出しに応じた。
普通の話がされるはずがない。
彼が最もあの状況を動かしていた張本人なのだから。



「まずは、当時の状況を詳しく聞こう。」
ツバサは起立したまま。
マインホフはソファに腰かけていて、その傍らでヒラーも起立して彼の話を聞いている。
既にこの二人は現場の上官たちから状況を聞いてはいるが、改めて本人の口から詳しい現場の様子を聞くこととしたのだ。
ツバサからすれば、この呼び出しはまるで処断されるのではないかと思うようなものであったが、実際のところは違ったのだ。
彼が経緯の多くを伝えると、


「そうか。経緯は分かった。ツバサ君、君はよくやってくれた。」
「…………へ?」


と、マインホフは逆に彼を称賛する言葉を伝えたのだ。
現場では現役の兵士たちに“なぜすぐに無線で連絡をしなかった”と怒られたが、マインホフの反応は違った。
ここでも彼は怒られるものだと思っていたのだが、そうではなかった。
少しばかりの笑みを浮かべているマインホフと、どことなく安堵の表情を持つヒラー。
それを前にして、ツバサは完全に自分の調子が狂った。
予想だにしない展開であった。



「本来であれば誰か大人を頼るべきところだが、君はまず自分たちで解決を試みた。行いとしては褒められるべきものではないのかもしれないが、その心意気は至極真っ当なものだろう。自らの意思で彼を救おうと行動したのだから」

「……………」

「誰かを救おうとすることが、間違いであるはずがない。君はチームのリーダーとしてそれを為そうと努力した。その勇気ある意思を、私たちは高く評価している」

「あ、ありがとうございます…………」



心の底から喜べるようなものでもなかったが、
マインホフに行動というよりも、その行動に至った動機を高く評価されていたのだ。
ヒラーもその点はマインホフと同意見のようで、同じく挑もうとするその気質を評価していたのだ。
結果を求められる単純なものではない。
この遠征は、個々の能力だけで達成できるものではない。
与えられた状況の中で最善を尽くすこと、そのためにチームで協同して行うこと、それらが求められていた。
彼らはチームと呼べるような状況ではなかった。
仲違いという子供じみた理由でまとまりのないチームとなり、単独行動をさせてしまうという、チームとしてはあるべきでない行動が散見された。
だが、それでも必死にまとめあげようと、達成しようと努力し突き進んだ彼の意思は称賛されるべきである、と。
ツバサとしては容易に受容することの出来ない状況であったが、悪いものでもなかった。
自分たちの行動が間違っていた、とハッキリ否定されることはなかった。
寧ろその行動に至った経緯、そこに持ち合わせた心意気は、より大切にすべきことだろう、と。


「ところで、君はなぜこの学校にきたのだ?何の意思を持って兵士になりたいと欲すのだ」
話が変わると、マインホフは彼にこの学校へ来た理由を尋ねた。
実のところ、校長はツバサが自分の意思でここに来たことを知っている。
その経緯を聞く機会はこれまで無かったのだが、つい先日のこと。
“本国”にいるヘルグムント中将と彼ら教官とがテレビ会議をした時に、本国が有能な人材を求めていることを告げられた。
オルドニアの士官学校からはここ最近有能な人材が輩出されておらず、ヘルグムントもそれを大そう気にしていた。
それが分かると、教官たちは士官学校の中でより優れた存在を兵士として輩出する必要性に迫られた。
だが、そこには大きな矛盾がある。
この国の制度に従い、兵役を過ごすためにここにきている人があまりに多いからだ。
全体の9割を占めるといっても良いだろう。
いつか有事になった際に招集して戦力に加えられるように、事前に兵役を課す。
聞こえは良いが、本国が求めているのはその過程で本当に兵士としての素質があって、兵士になろうとする気質のある者の存在だった。
その点、ツバサは二つの条件を揃えられそうだったのだ。
一つに、彼は優れた身体能力を持っている。
二つ目に、彼自身が兵士になろうという意思の下、ここへ来たということだ。
幾人かが彼の存在を挙げたとき、マインホフの彼に対する興味が湧いた。
そこで彼から直接話を聞いてみようと、夜の時間に彼を呼び出したのだ。


「んー、言い表し辛いですね」
「すまない、質問が漠然とし過ぎていたな。しかしこれは答えを求めているのではない」
「そうですね………こんなこと言って、馬鹿みたいに思われるかもしれないけど…………」



――――――――――俺はこの戦争を終わらせるために、兵士になりたい。罪の無い弱い人たちが巻き込まれないようにするために。


彼自身、誰かに打ち明けたことではないが、彼の父親はかつて彼にそのように話したことがある。
自分が戦いに赴くのは、戦争によって弱い人間が虐げられるのを防ぐためだ、と。
子供心に彼は思った。
“なんてヒーローみたいな人なんだろう。”と。
聞いた当時はその言葉が、父の姿が憧れであった。
自分もそのような人になりたいと欲した。
だが、父が帰らず、多くのことを勉学で学ぶようになってから、色々と考えるようになった。
父は弱い人々を護る正義の味方を目指していたのかもしれない。
が、正義には正義が存在し続けるために必要な要素(あく)がなくてはならない。
この二つは表裏一体、互いに不可欠なもので、相容れない存在であっても引き寄せられるものであるのだから。
彼自身、自らのこの思いが浅はかなものであり、本当の兵士として働いている者たちに失礼だという自覚はあった。



「そうか。人の意思に答えなどない。自らの持つ意思が道を照らし定めることもあるだろう。」


兵士になる為に必要な答えはない。
その経緯にある意思を大切に持ち続けるべきだろう、マインホフはそのように話す。
それは兵士に限った話では無い。
人があらゆる目標を掲げ、その実現に向けて取り組むとき、過程として持つべき意思は何より行動の原動力となる。


「だが、君の持つ夢を現実にするには、今のままでは足りないものが多い。我々はその後押しくらいは出来るのだが、それに乗るかどうかは君次第だ」
「?」



「――――――――――君の覚悟を訊ねる。もしこの国の状況が変わったら、戦地へ赴く勇気はあるか。」


そう。
彼の持つ望みを叶えるためには、今のままでは状況が整っていない。
そのために出来ることを、時間をかけて積み上げていこうと考えているツバサではある。
しかし今日この瞬間に、彼に対する風向きがまた変化する。
兵士たち、それも上層部の人々から、彼は自分が必要とされている存在であることを確信したのだ。
決して自惚れることはなかったが、自分という存在を認めてもらったと感じた。
『私はね、どこかで苦しんでいる人たちの為に、戦いに行くんだ』
かつてその言葉を聞いた時、その背中を見た時、その姿を追いかけようと思った。
その意思は今でも堅く、彼の心の中に存在し続けている。
だから、彼の答えはとうに決まっている。



「…………その時が来るのなら、俺は――――――――――」



兵士として、往くべきところへ――――――――――――――。
彼の覚悟はこの時点で既に定まっている。
その転機を迎える瞬間までは。


鉱山遠征の翌日は、元々訓練は休みで、兵士たちは久々に外出の出来る自由時間となった。
士官学校に入校してまだ一ヶ月にもならないが、学校の中の生活が多くて外の世界を見ていなかったような気がする、と感じる生徒たちも多かった。
訓練を重ねることも大事だが、たまにはこうして外の空気を吸って息抜きをすることも大事である。
という、月に一度、二度あるかないかの、つかの間の休息である。
とはいえ、朝の8時から夜の6時までのごく僅かな時間で出来ることは限られている。
毎日訓練を行っている彼ら生徒たちからすると、突然今日のように一日自由な時間が与えられたとしても、何をして良いのか迷うのだった。
ツバサもその一人である。
昨晩の話を受け、今日からまたどのような生活が進められるのだろうか、と考えていた彼だが、こうして休みの日になると色々と思考が巡る。
けれどせっかくなので、街に出ることにした。
ここ、オーレッド州オルドニアの街は、ソロモン連邦共和国の各州に比べても比較的大きな街の部類に入る。
現在も街の中、あるいは郊外の開発が急速に進められており、特に宅地が多く建つ。
景観が自然豊かな街であるためか、住みやすい環境と思いこの地に住まいを置く人が多いのだという。
長い時間、タヒチ村での生活を送っていた彼にとって、これほど大きな街の規模はあまり経験が無い。
隣町へよく遊びに行った時のことを思い出す。
村には無い図書館や美味しいご飯のお店が沢山並んでいた光景を見て、楽しいと感じた気持ちが蘇る。


思えば、最近は訓練が忙しすぎて、あまりそういうことを考えていなかったかもしれない。
せっかくならうんと楽しい時間を過ごすことが出来ればとも思うが、今の自分の生活を思えば、それも削るべきものなのかもしれない。


「んま、でもせっかくの休みだし………!!」
にやり、と自分で笑顔を浮かべつつ、基地から出て街に出たツバサ。
目的はない。
ただ街を歩き、新しいものに気付くことが出来ればそれでいいか、という程度に考え歩き出す。
その楽観的な考えこそが、ある意味ではツバサの長所ともなるのだが、あまり自覚はない。
彼は街の中を歩く。
特に彼が目を付けたのは、地域では最も活気に満ちているショッピングストリート。
この街で最も広く長い直線的な通りは、道の両脇に幾つもの商店が立ち並び、食事や買い物、あらゆるサービスが提供されている。
後ろに手を組みながら、ゆっくりとした足取りで彼はそれらを眺めて行く。
この街のこの街道こそが、この州の経済の一部を担い、回しているのだろう。
などと考えるが、それよりも新しい食べ物や見たことのないような物々が沢山並んでいることに、彼は新鮮さを感じていた。
いかに自分が今まで外の世界に出て来なかったか、というのを痛感させられる。
でもそれが悪いことだとは思わない。
逆に良い機会なのだと肯定的に捉える。
今まで知ることのなかったものを、ここに来て知ることが出来るのなら、それはそれでいいだろう、と。


「やあ、兄さん。どうだい、良い代物が揃ってるよ」
「普通に剣売ってんだな!へぇ~!!」
「ああ、こっちかい?これは一応売りもんだが、普通の人に剣は扱えんだろうさ。ウリはこっちだよ」
「包丁な!」


自分が兵士の見習いで剣に精通している、などと打ち明けることはせず、売り出しものを眺めて行く。
彼が立ち寄った店は刃物類の専門店であったが、そこには短剣などの武器となるものも置いてあった。
自衛の手段として用いることが可能な武器だと言うが、平然とそのようなものが売り出されていることに、少し驚いたツバサ。
自分を護る為の手段はあくまで自分で揃える、ということか。
と、考えながら他の店も回る。
無論それはすべての人がそのように思っている訳では無い。
すべての場合において自分の身を自分ひとりで護りきるなど、到底できるものではないだろう。
彼らのように兵士としての訓練を積んだものですら、同じことが言える。
だからといって自衛の手段を無くすことは出来ないので、こうして必要な人には購入できるようになっている。
日用品でも無いのに高額であるので、買う人は少ないと言うが。
今の彼には私物の剣も包丁も必要ないので、ただ眺めるだけで他の店に行く。


といった感じで、特に買うことはしないが、色々な店の中に入って商品を眺める。
買い物はせずとも、こうして色々な店に行き色々な人と話をするだけで、リフレッシュにもなるのだ。
そうして一人、暫くの時間を街の中で過ごしていたとき。


「ん、ありゃ確か…………」
古風だが洒落た木造の店の前で一人、置かれた看板に目を通す女性が一人。
店は喫茶店のようなものらしく、その姿は意を決して入る直前だがどことなく何かを決めかねているような、そんな姿に見える。
いつも見慣れた迷彩柄の服装ではなく、やや高い気温となった今日でも全く露出をさせない、整った服装を身に纏う生徒。
学校の外に出れば私人としての姿になるのは、そう不思議なことではない。
だが、なんとなく、ツバサが彼女を見かけた時には、少し不思議な感覚を持つ。
それは彼女という存在が周りとは異なる空気感を持つからだろうか。


「よっ。ナタリアだったな?」
「、、驚きました。こんにちは」


突然後ろから現れたことに、きょとんとした表情を一瞬浮かべて、またいつもの表情に戻す。
ツバサは片手を挙げて笑顔で彼女に話しかけた。
ナタリアは自分たちとは違うクラス分けをされていて、17人の同期生にはいないので、先輩組の一人だとツバサは思っている。
今日は彼女の所属するクラスも訓練が休みのようだった。
でなければここで会うことは無い。
しかし、意外だった。
あまり表情を持たないと思っていたナタリアが、このような喫茶店に一人で入ろうとしていただなんて。


「貴方も、今日はお休みなのですね。」
「まあな!なんだ、ここに入ろうとしてたのか?」
「、はい。ここで少しお茶でもしようかと思いまして」
「へぇ~、なんかちょっと意外だな。そんな風に見えなかったからよ」

ツバサには失礼なことを言っている自覚は無い。
しかし彼女のほうも、あまりにも直球でそのようなことを言われてしまったので、怒る気にもなれず、かといって呆れる訳でもなかった。
笑顔でそのように言われたので、きっと他の人たちもそのように、意外に思うのだろう。
なんとなくそんな気がしていた。


「悪い、邪魔したな!」
「いえ。………貴方は今、お暇ですか?」
「はぃ?」


「お暇なら、よろしければ付き合ってもらえませんか?この場はわたくしがお支払い致しますので」



少し、胸が高鳴るのが分かった。
自分でも意識が出来るほど。
彼女は乙女のように恥じらう訳でもなく、声を上ずらせる訳でもなく、ただ淡々とした表情で彼を誘う。
ツバサにだって、それが何の色気も無いただの欲求であることは分かっていた。
けれど、意外の連続が彼女に対する思考を変化させていく。
彼女は自ら彼を誘った。お代は気にしなくて良いとも伝えてくれた。
彼には断る理由はない。
タダでお茶が飲めるということよりも、遥かにこのナタリアという女性から誘いを受けたということのほうが、彼には気になったからだ。
「おーけー!」と言って、軽々と彼女の誘いを受けた。
受けたのだが。


「いやぁ、なんというかえらく上品な店だなぁ………?」
「――――――――――――。」


店の中に入ると、幾人かの客が既に食事をしていたが、全体的に空席が目立ち、落ち着いた空間となっている。
白い絹製のテーブルクロスが敷かれた机のある、二人用の席に座る。
ツバサとしてはこのような店に入ること自体が初めてだった。
恐らくそうした挙動は彼女にも見られているし、色々と察するものがあるのではないかな、などと楽観的に考えている。
しかし、彼女の佇まいはいたって正常………いや、落ち着いていた。
この場の空気に溶け込むその姿。
ここが初めてでは無いことはその姿を見れば想像がつく。
もしかして、彼女が士官学校に来る前には、そうした店にもよく通っていたのではないだろうか。
お淑やかな店員が二人の前へ来ると、彼女は一人注文をする。
彼女が言い終わると当然店員はツバサの顔色を窺う。注文を受けるためだ。
しかし、彼は戸惑っていた。


「………何食えばいい?」
「それは貴方の自由です。」


何しろ彼は村での生活が長い。
それなりのレパートリーはあったと思うが、自炊する時に品書きにあるような長い料理を作ることなどまずない。
彼が自分で料理し食するものは、彼が好きなもの、食べて満腹感を得られるものばかりだ。
なので、ここの料理は一切見たことが無い、といっても良いくらいのものだった。
そのような困った顔をしていると、


「………そうですね。このパスタと紅茶のセットにしてみてはいかがでしょう。男性の貴方にも腹ごしらえとしては充分でしょうし、お口直しも出来ると思います」


と、まるで店員のようなことをナタリアは話していた。
“お、おう”と言われるがまま、店員にそのオーダーを伝える。
店員も少し驚いたような表情を浮かべていたが、穏やかな笑みを浮かべながら注文を取り、厨房へと戻って行く。
この店の工夫の一つなのか、厨房は奥のスペースにあるようで、その中の様子は見られない。
料理をする音なども殆ど聞こえて来ないので、店内は本当に静かな印象を持つ。


「はは、随分と知ってるんだな」
「一応経験はあるのです。私のアドバイスは不要でしたか?」
「いやいやとんでもないおかげで助かりましたありがとうございます」


食えれば何でも良いなんて思っている訳ではないが、それに近い思考を持つことの多いツバサにとっては、あの助け舟はありがたいものだった。
自分ひとりで品書きを眺めていたら、一体何分必要としたことだろうか、と。
彼女は一応は経験があると言った。
なので彼は、またも直球に、素直に、気になることを聞いてみる。


「ナタリア、お前はどっから来たんだ?」
「ベレズスキです。北北東の小さな町です」


正直聞いたこともない町の名前だったが、それよりも彼女がすんなりと問いに答えてくれたことが意外だった。
なんだか意外ばかり思っているような。
後から調べたことだが、ベレズスキとは彼女の言うように、この大陸の北北東にある山間部に囲まれた小さな町だ。
人口は1千人といやしない。
近隣の大きな町まで片道200キロなどというレベルの話で、明らかな田舎という印象を受ける。
有名なものは、大陸の中でも屈指の極寒地帯であるということ。
そのためか、冬には時折オーロラが見えることがあるという。
今、グランバートと戦争をしているアルテリウス王国のあるアスカンタ大陸は、三つの大陸のうち最も北極点に近い位置にある。
そのため、アスカンタ大陸は大陸全土が気候で言うところの寒帯に属し、大陸の中北部からは永久凍土と呼ばれる、人の住むことの出来ないと想定された地域が広がっている。
アスカンタ大陸ではオーロラを見るのは日常茶飯事だと聞くが、この大陸ではそのような話は聞かない。
そのため、オーロラが見える地域は珍しく、名所の一つとして数えられているのだとか。



「貴方は?」
「俺か?俺はタヒチ村。こっからはめっちゃ近いな」
「そうでしたか。名前は知っています。」
「俺ぁ逆に分からんな~その、ベレズスキ?どんなとこなんだ?」
「一言で言えば田舎です。山の間にある小さな町です」
「随分と簡潔だな」


それから料理が来るまでの10分程度は、お互いに他愛のない話ばかりだった。
お互いの故郷の話。
どのような町で、村で、何があって、こういう人たちがいて。
少しだけ懐かしい話もしたが、そこで料理が来たので暫くは食事。
彼女の食事姿は本当に行儀の良いもののように感じる。
慣れているのだろう。
北北東の小さな町で育ったという彼女が、どうして今ここにいるのか。


「そういえば、なんで俺を誘ったんだ?」
「そうですね。………半分は気紛れなのですが、もう半分は、貴方に興味がありまして。」


相変わらずの淡々とした表情。
男であればそのようなことを言われると、どこかくすぐったいような気持ちにさせる、かもしれない。
しかしツバサはそのような感情を、気持ちを持ち合わせていない。
彼はただ真っ直ぐに。



「へ?俺のどこに?」
と、答えていた。
彼にも分かった。彼女が数秒間硬直したということが。
あまりに想像もしなかった返答が来たので、内心で驚いたのだろう。
目線を逸らしていた彼女が彼のほうへ向ける。


「あれほどの剣腕を持っている方に、私は今まで出会ったことがありません。それに、貴方はついこの間入校したばかりなのでしょう?短期間であれほどの実力を訓練で得たとは思えませんので、あの日から気になってはいたのです。休日、ここで会ったのも何かの縁。ですから、貴方をお誘いしたのです」


右手でティーカップを持ち、紅茶を飲むナタリア。
それが彼女が今日彼を誘った理由だった。
それ以上のこともなければ、それ以外のこともない。
彼女もまた、真っ直ぐに自分の持っていた理由を淡々と彼に説明するだけであった。
彼を誘った理由。
自分は、あれほどの剣腕を持つ者と今まで会ったことが無い。
無論、それは彼女の価値観の中での話であって、万物に準えるものではない。
彼女がこれまで生を受けて来て過ごしてきた時間の中で、ツバサと対したあの一瞬が、彼女にとってはそれほど衝撃的だったのだ。
しかしそれを言えば、彼のほうこそ彼女の力量に驚いたのだ。
彼女と対する前に対戦した人たちは、正直なところ何ら力を入れたわけでもない。
だが、彼女を相手にした時は、彼も真剣に力を入れて戦った。
結果としては彼がその場は勝利したが、彼女の実力は他の学生たちに比べても桁違いに高いことは分かった。



「いやあそれを言うならソッチもすごかったと思うけどな!女なのに大した腕前だった」
「………、まあいいでしょう。どこでその腕前を手にしたのでしょう。良ければお聞きしたい」


参考になると思うのです、と彼女は真剣そうな表情で彼にそう伝えた。
その前に何か含むような言葉があったことは、彼は気にしていなかった。



「いや参考といっても、ここ10年間くらい毎日鍛練してたってだけだぞ?」
「毎日、ですか。欠かさずに?」
「ああ。よっぽどの風邪引いて動けなくなった時以外は、大体毎日やってる。筋トレってやつだ」
「………そうでしたか。貴方をそうまでさせる過程があったのですね。」


――――――――――何か、見透かされているような、気がする。
違和感を覚えた。
彼女は表情一つ変えずに、しかし彼の話を真剣に聞いてはこくんと頷く。
まるで彼の何かを知っているかのような口ぶりに、思わずツバサも内心で鼓動を打ち鳴らす。
ナタリアという存在を、彼はこの学校に来るまで知らなかった。
そんな人は村にもいなかったので、関係があるとは到底思えない。
ただそういう風に聞こえてしまっただけだろうと、あまり深入りすることはなかった。



「あの訓練の日以来、貴方は他のクラスの間でも有名な人になっています。」
「え?そうなのか?」
「はい。新人組にとてつもない手練れが現れた、と。実際私もそう思う一人です」
「知らんかった!噂されてるのかー」


「あの日剣を交えた時、貴方の力強さに驚かされました。実のところ、ここ暫くの私は挑戦者ではなく防衛者の立場でしたので」


少し俯きながら彼女は言葉を口にする。
挑戦者ではなく防衛者。
それが何を意味しているのか、分からない彼ではない。
あのような近接戦闘訓練は日常的に行われている訓練項目の一つだ。
それが挑戦者では無く防衛者だと言うのだから、答えはただ一つ。
少なくとも彼女がこの暫くの間で対峙した人の中で、敵わない人は誰もいなかったのだ。
なるほど、だからあの時教官はナタリアを指名してもう一度対戦させたのか。
彼の中で辻褄が合う。
訓練生にとって頂点に立つ者を倒すことを目標とする人もいるだろう。
ナタリアは、暫くの間その頂点の位置にいたという。
それがどのくらいの期間かは分からないが、そんな時に新人組で最初の演習科目で、突然あのような力を見せられて、更には彼女すら勝てない相手であった。
その時、少しばかり彼女の心中を考えた。



それはそれで、複雑なものがあったのかもしれない。



「だからその、貴方の強さの源を少しでも知ることが出来たらと、思ったのです。」



おかしい、でしょうか。
静かにそう尋ねる彼女。
彼はまだ、彼女のことを殆ど知らない。
だからこう考えるのはあまりに不自然だ。
その人のことを知っているからこそ出るものなのだろうが、彼は。
いつもとは違う彼女の姿がそこにあると、直感でそう思ったのだ。
だから彼は聞いた。



「でも、なんでそれが気になるんだ?」


俯いていた彼女の視線が、ゆっくりと彼の方に向けられる。
まるで時間が遅くなったかのように、その所作が遅く感じられた。
そうだろう。
あまりにも真っ直ぐな瞳が、これ以上ないほど真剣な表情で彼に向き、



「私は、強い人間で在り続けたい。どんなことにも立ち向かえる、誰かを護ることが出来る、強さを身に着けたい」



なぜ彼女がそのようなことを、俺に話してくれたのか。
なぜそのような願いを持っているのか。
その時俺はそれ以上のことを聞かなかったし、彼女も自分でその先を話そうとはしなかった。
彼女は俺に言った。
強さを身に着けるまでの過程があったのだ、と。
だがそれは彼女とて同じことだろう。
そうとしか思えない。


その言葉には、彼女の人間らしい感情が、あったのだから。


そして、この時はまだ二人には想像も出来なかった。
出会って間もない間柄の二人。
遠き日の未来に、その過程が、その征く先が、ある一つの結末をもたらすことになる、ということを―――――――――――。




……………。

第14話 資料室での対話


時代は加速を始めた。
人々が想像していたものよりもずっと速く、ずっと先へ。
飽くなき戦いは技術を革新させ、新たな時代へ大きく踏み出させることが出来る。
戦いによって時代が興され、歴史が生み出される。
この世界で再び始まった戦いも、そのうちの一つだ。
長い人類史から見れば、幾度となく繰り広げられてきた戦争の一つと言える。
そしてそれは、今後何十年か先に歴史として語り継がれるとき、同じような論法で記されるのだろう。
人々は、同じ歴史を繰り返す。
歴史がそれを証明していて、理解していながらも、同じ手段を取り携える。
いかに人間という生き物が欲深き存在であるか、どうしようもない愚かな生き物であるかが分かる。
同じ過ちを繰り返すと分かっていても、その道に沿って歩くしか、ないのだから。


6月12日。
グランバート軍のアルテリウス侵攻部隊は、行軍を再開する。
彼らの行く先には大きく分けて三つの街道があり、それぞれ行先も全く異なり、別の街に辿り着くこととなる。
彼らの始点、ヴェルミッシュ要塞から北に300キロほど行けば、王都アルテリウスがある。
アスカンタ大陸は、大陸の3分の1が永久凍土、残りは豊富な自然に囲まれた土地となるのだが、気候がどこも厳しく、大陸中部から北部に行こうとする者は殆どいない。
よって、中部より以北は殆ど人の住まない、手の入っていない土地ばかりが拡がる。
そのため、王国の中心都市は皆、大陸の南部から中部にかけて集まっているのだ。
グランバートからすれば、極寒の北部地域に攻め入るよりは幾分もマシだろうと考えている。
それも戦いの運びが上手くいけば、という程度の話だが。
この先の道は、主に三方向に分かれる。
東側の山道、中央の道、西海岸沿いの道。
いずれもアルテリウスにとっては物流と経済を支える街道で、それらは道が正常な状態で繋がり往来してこそ意味を成す。
グランバートの軍勢が攻めてくると分かっている今の時点で、正常な物流と経済は無く状況は後退したままだろう。
それだけでもグランバートの上陸は大きな意味を成す。
彼らが進もうとする道、大陸の中央部から東部にかけては山々が連なる。
どれも3千メートル級の大きな山だが、山の間を抜けるようにして道が出来ているという。
幾つかの山村もあり、人の往来も程々にあるというのが、東側ルートだ。
中央ルートは、その山間部の西側に出来ている比較的平坦なエリアに伸びる主要の街道で、物流の中心地である。
道中には王都とは比較できないにせよ、それなりに大きな街もあり、王国の経済を潤沢に回す重要な役割を果たしている。
西側ルートは、大陸の中でも比較的暖かい地域で、中部や東部、北部などとは違う豊かな自然と資源が採掘できる。
大陸の人口分布で言うと、南西部と西側が全体の6割強を占める。
偏った人口比率だが、大陸の特性がそのようにさせているので致し方ない部分がある。
自然の摂理に常に人間が打ち勝てるものではないのだから。


三つのルートがあり、その三つとも行く先にはアルテリウス王国の拠点がある。
幾重にも張り巡らされているのが、中央街道だ。
中央部は、王国の中でも街が集まる重要な道路。国道と言っても良いだろう。
色々な街へ行くにも利便性がよく、そういった便利さを求めて人も集まって来る。
西部ほどではないが、人が住むに絶対的に困るような気候でも無く、便利さを取るなら多少の寒さは受け入れる、というもの。
だからこそ、中央部はアルテリウス王国軍の基地が集まり、そこに人員も割かれている。
人口分布の多い西部も同様に街が多く、これもまた基地が集まる。
東部は自然豊富で資源採掘にはもってこいだが、その分気候も地形も厳しい東部は豪雪地帯で、それほど街もなく集落の規模ばかりが集まる。
三つのルートなどと呼ばれているが、この山岳部を通る人は他の二つのルートに比べて極端に少ない。
それでも通せる道がそのあたりしかなく、王都でなくとも他の都市への接続には必要な街道である。


「上手くいくと思うか?」
「ええ、上手くいかせてみせますよ。でも、この作戦の鍵は少将の部隊です」
「お前のところの状況が好転しないと俺たちの出番が無くなる。そっちのほうが重要だ」
「まあそこはお互いに必要不可欠ということで。念のため、通信が遮断された場合には伝令を出すとしましょう」
「そうだな。そうするとしようか」


既に本国からの司令は行き届いている。
作戦案は提示されているので、現場の者たちは指揮官の指示に従いその作戦を実行するだけだ。
しかし、今回の作戦はこれまでとは様相が異なる。
何しろ短期的な戦闘ではなく、一週間以上をかける中長期的な作戦となるからだ。
だがこれも、アルテリウス王国の領土深く侵攻するのに必要な作戦である。
と、本国は判断して作戦案を送りつけてきた。
既に彼らは分散行動し、三つあるルートのうち、二つのルートを使用して北上を始めていた。


「………ま、あのアイアスの作戦案だから、なんか気に入らねえが………外れたことはあまりないしな」



裏でコソコソしやがって。
あいつは今、何をしているんだろうな。



そう。
アルテリウス侵攻の第二幕は、グランバート軍統合作戦本部総参謀長アイアス少将自らが立案した作戦で実行される。
司令部の作戦案であることが兵士たちに告げられると、それだけで緊張感が走った。
あくまで現場の兵士たちは現場の指揮官の直下の命令を受けて行動するものだが、前線にいる指揮官を指揮するのは参謀役の勤めだ。
つまり、ロベルトの上の存在にアイアスがいる。
そのアイアスだが、参謀本部は本国のグランバート軍統合作戦本部にあるため、彼は基本的に王都を離れることがない。
遠くから手を伸ばして彼らを動かすのもまた、アイアスの仕事の一つなのだ。


『ええ、無論分かっていますよ。………その辺りは南方面の指揮官であるラインハルト中将閣下のご裁量にお任せします。ですがお忘れなく。当情報は、不確定要素の強いものとなっていますので。………では。』


笑みを浮かべながら、モニターの明かりだけが沢山灯った暗い部屋の中で、通話を終了させるアイアス。
そこは統合作戦本部の資料室だ。
軍事情報を保管するためのデータベースとも言うべき場所であり、許可なく立ち入ることは禁止されている。
将官クラス以上の人間はここを比較的自由に使うことが出来るのだが、ここでの操作はすべての行程が専用のデータによってモニタリングされているので、万が一にも背信行為を働くことになれば、すぐに捕まる。
アイアスはただ、目の前の大きな画面で、かつての戦の状況が記された記録書を投影していた。



記録書というのは、かつての戦乱の記憶の断片でもある。
人々は今という時間を過ごしながら、過去という時間を歴史として振り返ることが出来る。
これまでの戦争の歴史は、まさに人類の歴史そのものだ。
生き物が自分たちのテリトリーを巡り争うのと同じで、人間もその例にならって、人を殺し勢力を拡大、縮小させていった。
何もこの60年もの時間の流れが、最も過酷な時間だった訳では無い。
争いは、戦争は、これまで幾度となく、記録書などでは追い切れないほど行われてきたのだ。
アイアスが見ていたものは、その中でもここ十年での話だ。
特に、今では名称すら怪しいものとなったが、『50年戦争』と呼ばれた時代の最終年。
つまり、一度世界中の戦争が時を止め収まった年のものだ。
暗がりの中で笑みを浮かべつつ、腕を組んでその記録を眺めていた。
国家としての動き、変貌、若き戦士の台頭と最悪の軍事作戦。
あらゆる記録が情報として保管されている。
そこへ。


「一人か。」
「、これは、カリウス大将閣下。お戻りになられたんですね」
「つい先ほどな。今は邪魔だったか?」
「いえ、お気になさらず。ただの歴史を眺めていただけですから」


そこへ現れたのは、アイアスも予想しなかった、全軍の総司令官たるカリウス大将だった。
カリウスがこの王城へ戻ってきている、というだけで他の兵士たちには緊張が走る。
アイアスはそのように気を張ることはしなかったが、ただここに来るとは到底思えなかったのだ。
彼は別のモニターで何かを操作し始めると、大きなモニターにソウル大陸全土の地図が映し出される。
それをただ黙ってじっと見つめている、全軍の総司令官。
非常時大権を授かった彼は、今となっては軍事的にも政治的にも中心人物で、かつ最高位の立場にある。
その彼の行動一つひとつが意味を持たないものであるはずがない。
そこまで根を詰めた考えを持つ者もいたが、アイアスは違った。
なぜ、カリウスが大陸の地図を、それも南側にある境界線を見ているのか。
彼にはその理由が分かっている。
その意味を伝えたのも彼なのだから。


「今、そのような記録を読み返して何になるのだ」


すると、カリウスはアイアスにも、アイアスが眺めていたモニターにも目を向けず、ただ自らが操作し投影させた地図を真剣な表情で見届けながら、一方でアイアスが映し出していたモニターの記録のことについて問いかけた。
一瞬でも覗き見たのであろう。
それが、かつての自分を映し出した記録であったから。



「歴史を見返すことで、私たちはあらゆる過程のうち、どの道が正しく、どの道が誤りであったかを判別することが出来ます。即ちそれは、今後私たちがどのような過程を築いていくべきかを思考する、一つの材料となるのです」

「今後の道筋を立てる為の材料か。だが歴史によって正と誤を証明することが出来たとしても、今日においてそれが常に正しい道筋の立て方であると判断できるものでも無いだろう。昨日まで正しかった戦略が、今日も正しいと言えるかは分からない。これまで歴史が示し続けてきた正しき過程が、明日も同じように正しい価値を有し、有効な手段として利用できるとも言い切れない」

「確かに仰る通りですね。常に正しい道などない。状況が一つでも二つでも変われば、正義の定義などすぐに変わるでしょう。私としては、その定義がコロコロと変化しないように尽力したところではありますが」

「何も、常に正義であり続ける必要もないと、私は思うが。」



――――――――――それが、男には意外な言葉に思えたのだ。
カリウスの口からそのような言葉が聞けるとは思ってもいなかった。
常に正義で在り続ける必要はない。
正義が常に正しい形として存在しているというのなら、人間が常に正しい道を歩む必要もないと、カリウスは言っている。
この場にいたアイアスにはそう思えたのだ。
正義の定義など、その時の状況に応じて幾らでも変化するし、正義と悪もそのようにして変遷するものだろう、と。


「それに、これは考え方一つで大きく変わるものだ。たとえ我々が正義であると信じて剣を向けたとしても、向けられた側からすれば自分たちの敵、悪めいた存在になるだろう。正義と悪など必ずしも万人に共通する定義があるものではない。だが、その人にとって何が正義で何が悪なのか、その線引きは明確であるべきだろう。」


カリウスは、アイアスがモニターに映している記録文書を見て、腕を組んでそのように言葉を連ねた。
そしてその言葉の数々は、自分たちが置かれた現状を説明するに足りている。
グランバート王国は国王代理暗殺事件にアルテリウス王国が関与していると判断し、報復措置に出た。
かつて何度も行われ、何度も敗退を余儀なくされた、アスカンタ大陸侵攻である。
その矛先は他の大陸の王国に向けられたが、突き付けられたアルテリウス側からすれば、彼らは当然自分たちを討ち滅ぼそうとする悪の象徴であることに間違いはない。
たとえグランバートに正当な理由があっての行動であったとして、彼らがそれは正しい手段であると思っていたとしても、逆の立場からすれば同調することは殆ど無いだろう。
それどころか、吹っ掛けた側の人間は、大体他者からの非難を集める。
事が事なだけに、それが目に見えて形には現れていないということなのだろう。



「それで、貴官は10年前の記録など見て、次にどのような過程を想像する」


「他の国が黙ってはいないでしょう。今のところ、ファーストコンタクト以来、ソロモンは落ち着いていますが」


「貴官の意見を聞こう。」


「はい、では。アルテリウスが潰れるのは時間の問題でしょう。何も完膚なきまでに占領することも無いと思いますが、かつて他の国々がそうしたように、一定量の成果を挙げ反撃の見込みが無くなった段階で停戦交渉を持ちかける、それで充分なはずです。閣下はその辺りをどうお思いですか」


アイアス少将は、総参謀長として司令官の傍にあって、司令官が作戦の内容や進行に関して適切な判断が出来るよう助言する立場にある。
カリウスには秘書官はいるが副官はいない。
その副官の立ち位置にいるのが、参謀本部の中で最も階級が高いアイアスなのだ。
非常時大権が授けられているカリウスは、現在国の中でも非常に権力を集めている。
が、権力というのは時に暴君を生み出す、というのが過去千年以上も続く歴史の基本形態だ。
国の舵取りをする立場にある者がそういった愚行に奔らないよう、時には修正することも参謀には求められるのだ。
もっとも、その点で言えばカリウスがそのような気質を持つようなことは一切無かった。
これまでも、そしてこれからも。



「彼らに決定打を与えるとすれば、王国騎士団を覆滅せしめること、その一点に尽きるだろう。海軍や空軍は問題ではない。その意味で、貴官が立てた今度の作戦が上手くいくことが、今後の過程には重要となるな」

「実行部隊の指揮はロベルト少将が取っています。彼ならば大丈夫でしょう」

「ああ、送り出した以上私も彼とその兵を信じている。それで、その先は」


――――――――――――他の国が黙ってはいない。
形の上では、それが最も当てはまる国は今のところ一つしかない。
艦隊を態々海峡まで派遣し、攻撃を加えてきたソロモン連邦共和国だ。
アルテリウス王国とソロモン連邦共和国には同盟関係があり、互いに見えないところで協力し合っているだろう。
だが、今のところソロモンは積極的にアルテリウスを防衛する動きが無い。
アイアスが目を付けたのはまさにその点にある。


「アスカンタ大陸は彼らにとって遠い異国の地。たとえ同盟関係を結んでいたとしても、お互いの手足を縛る不自由さを彼らは感じていることでしょう。積極的にアルテリウスの防衛に参加しないのも、自分たちがはじめから負けると分かっている戦に首を突っ込みたくないという表れに他なりません。となれば、彼らは自分たちの国を防衛することの他に、この荒んだ現状を打破することを選ぶでしょう。」

「グランバートの矛先が、勢力拡大によって自分たちに向けられることになれば、ソロモンは嫌でも表に顔を出す。そういうことだな」


「ええ、その通りです。このままアスカンタ大陸の中南部まで支配下におけば、私たちは大陸に広がる豊富な資源と充分すぎる領地を手にすることが出来る。軍事拠点を構えることも、そう難しくはないでしょう。ソウル大陸とアスカンタ大陸、二方向からの侵攻も作戦の一つとして考えることが出来るようになります。こちらとしては手数を増やせる絶好の機会ですから」


「…………参謀長がそこまでの見通しを持っているのなら、敵が手を打ってきても冷静に対処できるだろう。私は計画を進めることとする」



無論、彼にもよく分かっている話だ。
彼らはアルテリウスに対しても、ソロモン連邦共和国に対しても、戦う大義名分を持ち合わせている。
それはアルテリウスとソロモンが同盟関係にある、という関係性から来ているものではない。
それによって生じた一つの大きな衝突が、今日の大義名分を掴むに至っているのだ。
だが、アルテリウスを降伏に至らしめ、アスカンタ大陸の南部を彼らの拠点とすることが出来れば、ソロモンが黙ってはいないだろう。
オーク大陸への侵攻を企てる可能性があると分かれば、今度はソロモン自身が動き出す。
二人は共通の考えを持っていた。



「ですが、もしソロモンが自ら動き出す時が来るのなら、来ますよ。」


「………………」


「……………“彼”が。」



モニター上に映し出された記録文書。
長々と書き連ねられたものの中に記された、5人の名前。
そしてその5人の名前を総称するかの如く記された、『若き英雄たち』という言葉。
懐かしい名前がある。
そこには“自分”の名前も記されている。
あれから10年、顔も名前も分からない第三者がこの人間たちをテーマにして本を出版したり、好き勝手に映像を作ったりしている。
当事者の一人である彼がそのようなものを見る機会はそうそうない。
だが、それらはすべてある程度の演出が加えられてはいるものの、結果としては事実だ。
彼は英雄になった。
彼らは英雄と云われるようになった。
その英雄たちが、今では散り散りに。
そしてそのうち二人は、敵対する間柄となってしまったのだ。
かつての友、
かつての戦友、
共に時を過ごし、剣を取り合い、共通の目的の為に協力した二人が、
友と呼ぶにはもっとも遠い位置関係にあるのだ。



「そんなことは問題外だ。いずれ奴とは戦うことになる。これは初めから想像がついていた」
そして、その彼のことを問うと、その時の彼は少しばかり若返ったように、男には見えるのだ。
全軍の総司令官で厳格な姿を持つものとしてではなく、一人の戦場を駆けた青年のような姿に。



「…………そうですか。かつて友の間柄であった者同士が戦う、どうにもこの世界は皮肉なことばかりだ」



アイアスは少しだけ虚ろな眼差しで、虚しそうな声色で、そのようにぼそりと呟いた。
空白の10年間。
もしこの戦争が再開されることが無ければ、“カリウス”と“レイ”という、二人の若き英雄が戦うことはなかっただろう。
しかしそれは起きてしまった後に言ったところで意味の無い話だ。



「歴史は絶えず同じ性質を持つ過程を繰り返してきた。今更それを否定することも出来ない」
「ですが、貴方たちはこれまでの歴史の概念をその若さで覆そうとした」

「それは違うな。確かにこれまでの歴史とは異なる流れを作ることが出来たかもしれない。だがそれは歴史の中で生み出された手段によって為すことの出来たものであって、これまでの概念を崩すなどというものではなかった。結局のところ同じ方法でしか変えられなかったし、それ以外に術もなかった。変わったものといえば、単に年齢が若くなっただけなのだろう。」


だが、若年層の台頭は後の戦争を大きく変えた、というのが後世の歴史家が揃って述べたことである。
無論今を生きる彼らにその後の評価は分からない。
しかし、現実を生きる彼らですら、やはり『若き英雄たち』の登場は、戦争の形態そのものを変化させる要因の一つとなったのだ。
国により差はあれど、若き兵士たちが次々と現れるキッカケの一つとなったのだから。
遠くの異邦の地では、英雄たちの存在を知らずとも兵士として戦い、己が望みを叶えようとする者がいる。
これまでの50年間では中々現れなかった現実がそこにあるのだ。



「だが、私ももう若い、とは言い切れないな。時代が若さを取り入れるようになるのであれば、私よりももっと後ろの若い世代が立つことだろう」
「そういう意味では、閣下の後に続く世代の人で、閣下のように台頭しそうな人は少ないように思えますが」
「それならそれで構わない。何も若い人間の台頭が絶対に必要ということもない。そういう時代もあるということだ」


そう、それがカリウスの考え方だった。
自分たちは確かに10年前、共通の目的で片側の陣営について、色々な勢力を交えながらも世界中の戦争を終結させるのに尽力した。
彼らには単体としての実力もあったし、与した側の勢力も大きく強力であったので、その支援を受けることが出来た。
あらゆる条件が揃っていて、若手も活躍が出来る。
無論そればかりではないが、しかしそのために条件を揃えようと彼は考えてはいなかった。
必要な条件、必要な状況、幾つもの選択肢。
あらゆる状況が合わさることで、次の世代の人たちが台頭する機会が訪れるかもしれない。
けれど、それは何も彼らの為に自分たちが用意するのではなく、あらゆる状況を汲み取って彼ら自身がそれを機として手にすることが重要だろうと考えていたのだ。
カリウスもそうしてここまでの立場を確立させてきた。幾多の戦いと与した側の状況を利用して。


「明日には工廠に戻る。また動きがあるようなら伝えて欲しい」
「承知しました。………早く完成すると良いですね?」
「……………」


“早く完成すると良いですね?”
と、笑顔で話すアイアスに、彼は無表情で冷徹な眼差しを一瞬だけ向けて、そして資料室から去る。
コツコツと足音が響き遠くなっていくのが分かる。
アルテリウス王国への侵攻作戦の最中、全軍の総司令官は別の仕事をしていた。
それも、公にはされていない、一部の人たちのみが知る仕事だ。
アスカンタ大陸で戦闘をしている兵士たちからすれば、カリウスはこの統合作戦本部にずっといるものだと思い込んでいる人も多いだろう。
だがそうではないのだ。
彼が今注力している工廠では、とあるプロジェクトが進められている。



「…………もっとも、あのようなものを使う機会が無ければ良いのですが、果たしてどうでしょうね…………?」



グランバート王国軍が、アルテリウス王国に対しての侵攻を再開した6月12日から、一週間が経過する。
当事者たちは情報をリアルタイムで取得し、またその光景を見ることが出来ている。
だが、一般向けには情報統制がされていて、たとえテレビやラジオといった通信媒体が存在していたとしても、情報が届くまでには時間が掛かる。
ましてそれらの情報が正しいものであるかどうかも、確認のしようがない。
通信機器などというものが普及し始めたのは、ここ十数年程度の話だ。
遠くの人とも連絡を取ることが出来、最近ではテレビ画面を通じて電話をすることも可能となった。
今ではそういった技術も戦争に利用し、また妨害しようと使われている。
高度に発展した情報化社会だからこそ、どのような質を持った情報を信じるべきか、考えなくてはならない。
しかし、それでも情報は情報だ。
事実かどうかは別にして、そのような情報が世に出てくるということであれば、それには何かしらの事柄が生じているはずである。


「っ…………」
それを、ツバサは目の当たりにしていた。
明日には誰もが知るところとなるであろう。
6月19日の、訓練も終わり夕食も済ませた後の、図書館。
その奥にある映像視聴室で、彼はその情報を目で見ていた。
モニターに映されているのは、カメラアングルが固定されてはいるが、大きな建造物から激しく炎と煙が立ち昇っている光景。
よく見れば外壁が次々と破壊されているようにも見える。
映像の下部には、恐らく地名が記されている。『アルバート郊外』と書かれている。
それがどこなのか、この空間にいればすぐに調べがつく。
アスカンタ大陸の中南部にある大きな都市アルバート。
アルテリウス王国の経済の中心地の一つであり、南部から連なる三つの主要街道のうち、真ん中のルートを進んだ先にある都市だ。
この映像が事故ということでなければ、外的要因が重なったことで生じた事件ということになるだろう。
そして、映像ではこう伝える。
『グランバート軍、アルバートを強襲。アルバートはグランバート軍の占領下となる。』



見ている側ですら少し戸惑いを覚えたが、彼は彼なりに冷静に考えを巡らせた。
アルバートから先、王都アルテリウスまでは150キロと、そう遠くはない距離にある。
既に王都の手前まで敵が迫っているのだ。
自分ですら戦慄するというのに、その目前にいる王都の人たちはどう思っているだろうか。
既に街を占領し始めているのなら、逃げ惑う人たちもきっと多いだろうな。
そう思いながらも、彼は一人で映像を見続けていた。


彼の見る映像は、事実だった。
グランバート王国軍は、一週間かけて本国が立てた作戦を忠実に実行した。
その結果、アルテリウス王国軍に対し極めて有効な一撃を与えることに成功し、彼らを追い込むに至った。
一般人にはその作戦とか戦略とかそういうものは分からなかったが、結果だけはよく伝わってくる。
グランバートは、確実にアルテリウスを追い詰めている。
だが一方で気になることもあった。
グランバートがどこまでアルテリウスを追い詰めるのか。
何故同盟関係を結んでいるはずのソロモン連邦が、特に動きを見せないのか。
それとも何かの作戦が既に開始されているのか、これからなのか。
色々と考えれば、止まらなくなりそうだった。


そして思い至る。
もしこのまま、グランバートがアルテリウスを攻め続けたとして、
それが終わったとき、次はどうなるだろうか。
その時にこそ、自分の出番が来るのではないだろうか、と。
『もしこの国の状況が変わったら、戦地へ赴く勇気はあるか。』
自惚れている訳では無いしそう思いたいが、あのようなことを聞いてきたとなれば、自分が今後兵士として選抜される可能性はあるだろう。
少なくとも、今一緒に訓練をしている他の人たちに比べれば。


時代は加速を続ける。
それが後世にとってよきものであるのか、否か。



……………。

第15話 術中


「グランバート王国軍は、アルバートの駐留基地を破壊し、街を制圧し占領下に置きました。既に王国騎士団は負傷者を出しながら撤退しており、また駐留部隊にも甚大な被害が出ている模様です。」



6月も中旬から下旬に向かっている。
6月に入り大陸も慌ただしい様相を隠さずに表に向けていた。
人々がそのすべてを知り得ることは無いが、それらの光景は情報を通じて発信されている。
特に人々が気にしていたのは、アルテリウス王国とグランバート王国の戦争であった。
「戦争」という言葉だけで、人々の目を引く力がある。
幾度となく繰り返されてきた事象。
それが再び行われ、より状況を変化させていた。
その中心は、現在アスカンタ大陸の中南部にある都市アルバートにあった。


「何っ………敵部隊が接近中、だと………東からか!!?」
「いえ、敵は南側より北上してきたのです!!」


アルテリウス王国領の都市アルバートは、
王国領の南部から伸びる主要街道のうち、中央部を進んだ先にある大きな都市の一つだ。
比較的人口分布の多い中南部から南西部にかけては大きな都市が集まる。
このアルバートもその一つで、アルテリウス王国の中では5本の指に入る規模の街だ。
経済の中心地であり、多くの消費者と生産者とが入り混じる活気のある街だ。
そのアルバートの郊外、街の南部には大きなアルテリウス王国軍の基地がある。
主要街道と街を防衛する任務を持つこのアルバート駐留軍基地は、王国陸軍の中でも規模の大きな駐留基地となっていて、
補給基地を兼ね備えた基地となっている。
当然、王国軍としては重要な拠点の一つとして数えられている。



その駐留軍基地に、グランバートの手が伸びたのだ。



この時、グランバート王国軍は三方向に伸びる主要の街道のうち、中央部と東側の山岳部を北上した。
アルバートに駐留するのは、アルテリウス王国陸軍第一師団に所属する半数の部隊と、先日のヴェルミッシュ要塞攻防戦で生き延びた残存兵力である。
駐留部隊の規模だけでも、既に上陸したグランバート王国軍の陸戦部隊よりも数は遥かに上回る。
数が勝負というのであれば、本来真正面から戦っては勝てる見込みがないのがグランバート軍の現状だった。
だが、それを打開すべく本国の参謀本部は彼らに指示を与えたのだ。
まず、グランバート軍は先に東側の山岳部を抜けるルートを北上し、その途上にある村や小さな町を占領していく。
アルテリウス王国の南東部の山岳地帯は、人口分布もかなり少なく、また四季が存在せず一年を通して寒帯の、雪の降りやすい気候の土地である。
また確かに王都へのルートの一つではあるが、王都に行くにはやや遠回りとなるほか、山岳部は決して優しい道ではなく寧ろ険しい道が続くので、グランバート軍がこの山岳地帯を抜けることは出来ないだろうと想定されていたのだ。
しかし、グランバートはその山岳部のルートを攻略し下ることに成功した。
幾つもの微弱な抵抗を排し侵攻を続けると、その一報がアルバートの基地にも届けられたのだ。
“グランバート軍は東側の山岳部を抜けて王都に接近しつつある”と。
これを受けて、中央部で敵を迎え討つべく待機していた各部隊が、東側を抜けると思われているグランバート軍を迎撃するために、至急派遣されたのだ。


これにより、
アルバート駐留軍基地は、兵力が減少し手薄な状況が生まれた。
グランバートはまさにこの展開を作り出そうとしていたのである。


山岳部からの侵攻を伝えられた時、アルテリウス王国はそれが敵の本隊であると思い込んだ。
また、既に敵が山岳部に差し掛かり、それを越えようとしているという状況が判断を誤らせたのだ。
東側のルートは確かに難所が多いが、抜けてさえしまえばその先の道に障害は少なく、王都まで一気に詰め寄ることも出来るだろう。
それは何としてでも阻止しなければならなかった。
また、東側の地形や難所の多さ、人口分布の少なさから、東側にはそれほど大部隊を置いていた訳では無い。
それも相まって、東側の防衛は手薄であったと言わざるを得ない。
それを狙ってグランバートが侵攻してきたのであれば、それが本隊で一気に王都まで進むだろうという予測は容易に立つ。
だが、それこそがグランバートの狙いであった。
アルバートから派遣された支援部隊は、駐留軍の半数であった。
本隊が東側から王都に向かっているのであれば、それ以外のルートから敵が攻めてくる可能性は低いだろうという考えである。
そのため、アルバートの基地には“王国騎士団”と陸戦部隊が幾つか留まるだけであった。
一方のグランバートは、そのまま進めば王都にまで一気に肉薄できる状況にあったが、あえてそうしなかった。
これも本国の参謀本部からの指示によるものだが、山岳部を越えると彼らはすぐに転進し、アルバートの東部と北部から南下し始めたのである。
それと呼応するように、中南部からアルバートに向けてグランバート軍が侵攻をする。



つまり、グランバート軍はアルバートの駐留基地に対して、前後から挟撃する形で攻め入ったのだ。



「新たな敵が出現!!………アルバートの北側および東側から殺到してきている模様!!」
「なんだと…………なぜそんなところから…………」


「―――――――――やられた。そういうことか……………!!」


だが、彼らが気付いた時にはもう、何もかもが手遅れだった。
アルバートの基地に残留していた王国騎士団。
その団長たるマルス准将は、敵の狙いを状況が悪化した時にすべて理解したのだ。
東側の山岳部を抜けた敵軍はそのまま王都を目指すのではなく、ヴェルミッシュ要塞から北上する別動隊と合流するために転進したのだ、と。
そしてその真の目的は、補給基地としての役割を持つこの基地を制圧し、王都攻略のための橋頭保を確保すること、そして退路を断ち自分たちを挟撃し一気に殲滅しようというもの。
残された時間も、課せられた状況も、何もかもアルテリウスには不利なものであった。
はじめ駐留していた第一師団の戦力をもってすれば、南部からの敵の攻撃には耐えられただろうし、挟撃を狙って南下してきた敵の迎撃を行うことも出来ただろう。
だが、戦力が減少した今となっては、それも難しい。
我々は、敵の策に乗せられたのだ。


「すぐに街の民たちに退避指示を出せ。迎撃部隊はもっとも街に近い東部からの攻撃に対応するように。」
「しかし団長!!それでは南部からの攻撃に対応しきれないのでは………ッ!!」


「………残念だが、もはや手遅れだ。ここを死守しようとしたところで、敵の勢いは止められまい。ここで時間を浪費すれば、民たちが脱出出来なくなるどころか我々も挟撃され犠牲を拡大させるばかりだろう。………我々にとっては無粋なものだが、南部の敵に対しては固定砲台で砲撃し時間を稼ぐ。その間に我ら王国騎士団は街の中の民を、西側へと避難させる。敵は北と東側から攻めてくるだろう。直接迎撃に向かい、少しでも時間を稼ぐ」


「……………!!」



第一師団第七陸戦部隊「王国騎士団」団長のマルスがそのように指示を出す。
その指示は、はじめからアルバートを敵の手に渡すようなものであった。
しかし、既に敵が目前に迫り、前後から挟撃される危険性が高まっている現状では、この街を守りきるのは不可能だろうという判断であった。
兵士たちはその判断が正しいものであると分かっていた。
分かっていても抵抗したがる兵士たちもいたが、その思いを胸の中に仕舞い込み、指示に従う。



「マルス様…………」
各々に慌ただしく準備を始めると、マルスの横にユアンがやってくる。
事実上の副官と言っても良い立場にあるユアンも、マルスの心情を察するに複雑な心境であった。
東側に増援を向けさせるように指示を出したのは、アルテリウス王国軍の中枢部である。
それが結果的には間違いで、王国騎士団も、他の部隊も完全に逆を突かれた形となってしまった。
この街が陥落するということであれば、東側にいった部隊は王都へ戻るか、こちらへきて逆に迎撃されるかのどちらかとなるだろう。
すべてが悪い方向へ向かっている気がしてならない。
それに対し何ら抗うことも出来ない自分たちの無力さを、呪いたくなった。
だが、出来ることはしなくては。



「行こう。今は一人でも多くの民を守らなければ」
「…………はっ」



現場の指揮官としての役割も担っていたマルスの指示。
自分たちは街の中で戦いつつ民たちを西側へと避難させる。
幸いと言うべきか、グランバート軍がヴェルミッシュ要塞を占領したという報が知れ渡った時から、民たちは自分たちの判断で疎開を始めるようになった。アルバートもそのうちの一つで、少数ではあったが街の住人の10分の1程度は既に離れていた。
住人の10分の1が離れれば、明らかに街から活気が失せるし異変を漂わせる。
それは同時に残っている街の人々にいつにも増して不安を煽ることにもなるのだった。
街中に、敵軍襲来の緊急警報が鳴り響く。
街を統治する警察機構、軍の関係者、そして兵士たちとが、民たちを西側へと誘導する。
パニックの連続で、だがそのような事情などお構いなしに、グランバート軍がアルバートを強襲した。
出来る限り民衆を攻撃しないようにしながらも、彼らの攻勢はアルテリウス王国軍に対して苛烈さを極めた。
僅かに1時間半程度で、ヴェルミッシュ要塞から逃れた残存部隊が壊滅的な打撃を受け、多大な犠牲者を出した。
派遣されなかった第一師団の陸戦部隊も次々と打ち倒されていく。
彼らの中で善戦していると言えたのは、王国騎士団だけであった。


後の世に言われることだ。
“王国騎士団が満足に戦えたのは、状況が彼らの手中にある時のみだった”と。
何もそれは王国騎士団に限った話では無く、多くの陸戦部隊にとって、また国家にとって共通の話であった。
ただ、王国騎士団はその技量の高さと力量の強さから、あらゆる困難な状況を乗り越えるものと考えられてきた。
現に、過去オーク大陸での大戦では、彼らはその力を如何なく発揮しその名を広めた。
たとえ不利な状況にあっても、持ち前の高い技量と現場の判断能力で、状況を覆すことも多々あった。
しかし、戦場に辿り着くまでの状況を整える戦略という点では、アルテリウスよりグランバートの方が優れていた。
戦略的に優位な状況を作り出したうえで、戦闘が始まれば戦術的に更に有利な状況に運び勝利をもたらす。
グランバート軍の参謀本部が立てた作戦は、まさにアルテリウスの弱点を看破したものであった。
真正面から堂々と戦っても、グランバートに勝算は少ない。
過去幾度の戦闘においてグランバートはそれを理解していた。
そしてついに、それに対応した作戦を打ち出し、実行部隊に委ねたのである。
アルテリウス王国軍に不足していたのは、そうした「戦略的」において敵よりも有利な状況を作り出す能力であった。
たとえ個々の能力が高かったとしても、それを効果的かつ効率的に運用できなければ、その効果を存分には発揮できない。
グランバートの挟撃作戦は、見事に成功した。


「ッ…………!!」


グランバートの兵士たちは、アルテリウス軍を見るなり猛攻を加えてきた。
それが街の東部と北部から、彼らを西側へ圧するようになだれ込んできたのである。
東側侵攻部隊の指揮をしているジェイル、ジュドウの両名は、夥しいほどの戦果を挙げた。
民たちを殺すことはせず、ただ、明確に自分たちに敵意を向け攻撃をしてくる者に対しては、容赦のない攻撃を加えた。
そうして街中が戦火に包まれたのだ。
南部では、アルバート駐留基地とグランバートの砲兵部隊が激しく衝突し、炎と煙を巻き起こしていた。
街は至る所で屍の山が築き上げられ、アルテリウス側に甚大な被害が発生していた。
その中で勇戦し続けたのが、王国騎士団だった。
彼らはその勇名に恥じぬ戦いぶりを見せ、自国の民たちを大勢救った。
彼らの奮戦が無ければ、街の大勢の民たちが捕虜となっていたことは、明白であった。


アルバートの戦いが終結した頃、空は夕刻の知らせを告げるように、真っ赤に染め上げられていた。
まるで血の海を空に映し出したように。



「…………被害状況は以上です」
「分かった。引き続き周囲の警戒を怠らないように頼む。」


アルバートより西側に30キロほど行ったところにある、小さな街グロスター。
ここは本来数万人程度が住む穏やかな街なのだが、今日はその様相からかけ離れた光景が広がっていた。
街中に溢れかえるようにして、人がいる。
服装も乱れ汚れ、身も心も千々に乱れながら疲労を露わにする人々がいる。
怪我をしている人も多く、中には血だらけになってもなお歩く人もいた。
彼らの多くは、故郷を失った。
住む家も、持っていた資金も、いつも手にしていた道具も。
中には、自分のパートナーだった人、最愛の人、友人や家族を失ったものもいる。
グロスターは、そうした『難民』が溢れる街となってしまった。
彼らには家が無い。寝床もない。夜の寒さに耐えられるような上着もない。
それでも、自然はそんな事情などお構いなしに、容赦なく彼らに現実を押し付ける。
多くの人が悲観したことだろう。
多くの人が嘆いたことだろう。
自分たちの現実が、このような境遇で包まれてしまったことに。


それでも、残された者には明日がある。
今日とい