戦乱の覇者 ~Way of the Heroes~

実は相当前から話のネタは出来上がっており、後はそれを調整しながら書き上げて行くだけ、というもの。
読者の皆様が期待を持てるような想像力、表現力には乏しいので、あしからず。
色々なモノに影響されて生み出された、一つの世界です。

Prologue


これは、ある世界の歴史と、その歴史の中で奔走し続けた、“英雄たち”の物語である――――――――――。




時代は戦乱を迎えていた。
世界の至る所で戦いが繰り広げられていた。
経緯は複雑様々であるが、一つ間違いなく確かなことがある。


この戦いは、
己が理想、目的を果たすために団結し、それに反発するものを排除するという、ごく典型的で単純な構図から成り立っている。



戦いが起こる理由など様々だし、それを一つひとつ数えて取り上げていくのはナンセンスだ。
何しろ終わりが見えない迷路のようなもの。
子供同士の喧嘩とは違い、明確な目的はあってもその経緯は酷く複雑なものである。
理由のない争いなど存在しないが、
その一つひとつに意味や価値があるのかどうか、甚だ疑問でもある。
戦いが起これば勝ち負けがつき、勝者と敗者に分類される。
勝者は自らの立場を強化して正義を語り、敗者には“間違いであった”と強要する。
敗者は勝者の言うことを聞かなければならず、“ごめんなさい”と言わなければならない。
『お前が間違っていたのだから、お前が謝るのは当然だ――――――――――――。』
それが争いの勝者の言い分である。
戦いによって自らの正義を認めさせ、間違いを認識させる。
時にそれが正しい方向へ導くこともあるのだろうが、その時点で“正解”と“不正解”を決めつけるのは、極めて危険である。
勝者の価値観が歪んでいれば、歪んだ価値観がごく自然で当たり前なものである、と誤認するからだ。


何が言いたいのか。
つまり、この世界の大陸で起きた戦争は、そうした正義や理想、己の価値というものの押し付け合いだった、ということだ。


中身は嵐のように複雑であっても、
構図そのものは至って簡単。
決断し、行動し、勝利する。敗北は決して許されない。
負ければその時点で自分たちそのものが否定されてしまうからだ。
そうならないように、人類は戦いの準備をし、どうにかして優位な立場を確立させ、敵対する者を蹴落とす為に行動する。
この大陸の戦争は、その繰り返しがあまりに長かったということ。
その間誰もこれを止める者がいなかったのか?
居れば世界はここまで苦労しなかっただろう。
大陸は酷く荒廃し、美しい大自然は枯れ野に変貌した。
もっともそれがすべてではないのだが、多くはこの戦争の影響を受けた。
最終的には、この戦争は百年も続いたのだ。



物語の語り部というのは、基本的にその物語を既に知る者、勉強した者が担う。
未来に起こる何かを語るのは難しい。
だが、過去に起きた事象を整理するのも語るのも、要はその事実を見た誰もが行える容易なことなのである。
正しいか間違っているかは、多くの意見がある。
ある一つの事柄に対して賛否を求めれば、天秤はどちらかに傾くかもしれない。
が、拮抗する場合もある。
お互いの価値、理想、正義の押し付け合いによって生まれたその世界の歴史は、果たしてどちらに値するものだろうか。
あるいは、そのどちらも当てはめてはならないものなのだろうか。
“ただの一度も理解されない”ものなのか、
“それが正義であり、それが悪である。”とハッキリするものであるのか。
多くの歴史家は己が主張を持ち合わせている。
だから、この物語でもそれを多く語ることになるだろう。
しかし、どうか頼まれて欲しい。
物事にはあらゆる見方が必要で、それも偏ったものでは無く、幅広い視野を以て見るべきなのだということを。




「………やれやれ。こいつは出だしで既に三流記事だな」



だが、それでいいのかもしれない。
正しい言葉遣いや正しい記述方法というものはあるのかもしれないが、
こと歴史に関して言えば、それがすべて正しいとも限らないし、実証することも立証することも困難だ。
“私のように実際に経験していれば”、その事実はその時正しく起きたものだと伝えることも出来るのだろうが、
その行動の意味が正しいものであったかどうかは、疑問である。
であるから、歴史を語るうえで現れる価値観や意思も、各々が持つ判断によって生み出されるもの。
正しいか間違っているか、それは多くの人間が見て思うことなのだろう。




「………さて、ではそろそろ」





百年の歴史の中の一ページ。
多くを語ることになる。
出来るだけ順序立てていきたいが、そうもいかない。
そのくらい、この百年の歴史は色濃いものであった。
すべてを語るには長すぎるし、かといって端折るのも失礼な話だ。
そこで、私は決めた。
語りの始まりの場所を。
この物語を書くと決めてから、この歴史の全容を把握できるような地点を。
そう。
昏迷の時代が最初の転換期を迎えたのは、大陸で戦争が始まってから、50年目から65年目にかけての15年間である。

▶ 構図早見表

~ 舞台 ~



▼人類そのものの歴史(概略)
人類の歴史は正確でないが、現在は世界基準の時系列にして西暦2860年、統一名で29世紀という位置づけ。
過去の経年は不明。
文明期はおおよそ5分割されており、現代文明の始まりは26世紀後半から。
現代文明の始まりを規定したのは、機械化技術の登場時から。
機械化文明の発達は人々に道具の概念を覆させ、瞬く間に経済発展と技術開発の時代を到来させたが、
同時に根強い競争社会の形成に繋がった。
28世紀後半には、誰もが機械を手にする時代となり、60年代に第一次自動車ブームが到来。
人々の移動手段が自動車に確立されると、ほぼすべての国で高度経済成長期を迎える。
だが一方で、その成長の波に乗れなかった自治領地や国が次々と崩壊へと進み、または他国との一触即発を招いた。
28世紀末、機械化船舶や航空機といった乗り物が常用化されると、
人類は新たな大陸『アスカンタ』を発見し、その利権を巡り各国の代表が円卓に集うことになった。
当時既に技術開発の発展に成功し巨額の富を得ていた国もあり、そうでない国との対応が慎重に行われた。
しかし、この利権を巡り厳しい境遇を受けた国々が蜂起し、次々と大陸に上陸。
大陸に確立されていた国家との衝突を招き、28世紀末の2800年、
人類は後の『百年戦争』『人類の悪夢』と呼ばれる一世紀の時代を迎えることとなる。



▼世界は三つの大陸から成る。
29世紀の中、あるいはそれ以上に過去の歴史において、最も古い歴史が遺る大陸が、
『ソウル大陸』
世紀前、遥か昔から人類が生息していた地とされており、過去の遺物の出土や現出も非常に多い。
次に古くから人類の歴史として伝えられている大陸が、この世界において最も大きい土地を持つ、
『オーク大陸』。
そして、最も新しく発見された大陸で、いまだに分析が進められていない、現代の大陸と呼ばれているのが、
『アスカンタ大陸』。



◆①ソウル大陸


世界地図を平面にした時、
三つの大陸のうち最も左(西)側に位置するのがソウル大陸。
大陸面積は三つと比較して最も狭い。
季節の四季がはっきりとしないが、一方で場所によっては一年間を通してずっと住みやすい気候となっている。
(例:北部は一年を通して冷帯。月関係なく雪が降る時もある。南は一年を通して亜熱帯。比較的暑いし、冬の時期に雪が降ることもない)
古代文明時代、あるいは文明の形成以前から人類が生息していたとされる。
場所によっては巨体生物の白骨化したものもあり、人類が昔狩猟で食いつないでいたことが分かる。
大陸中央部に歴史の痕跡が顕著に見られる。
理由は気候にあり、中央部の周囲が安定した気候を一年通して得られるため、文明の発達もその地に多い。
『古都アラド』と呼ばれる巨大な町があり、町そのものが一つの文明の歴史建造物であるという見方がされている。
そこには人類の歴史を示したものが収集されており、最古の歴史書は“人類が火を持った日”という名前の書簡。
気候の影響か、大陸中央部は多数の民族、多数の文明が存在し、
気候の比較的厳しめな北部は文明の成立が極端に少ない。
それに、北部は資源がまともに取れず、自立して生活する手段が限られる。



◆②オーク大陸



三つの大陸のうち、最も広大な面積を持つ大陸。
ソウル大陸の北東側にある位置関係。
オーク大陸は大陸の6割以上が四季を持つ豊かな気候で、大陸のほぼ全域に文明の発達が見られる。
広大すぎる大陸面積ゆえに、場所によっては次の町(村)まで片道300キロ以上というようなところもある。
人口の最も多い大陸であり、土地柄によって発展の度合いが異なるのが特徴。
いずれの地域も農作が盛んで、大都市と言われる大きな街も数多い。
最も広く発展した街は『オークランド』。
街全体で100キロもあり、街を四角形とすれば、その頂点4つにそれぞれ国際空港が設けられるという巨大都市である。
大陸の左右を区別するかのように、中央に『エルメス山脈』が南北に伸びている。
ソウル大陸の北東部の一部とオーク大陸の西部の一部は、大陸間の距離が僅かに数十キロしかなく、
狭門海峡などという呼ばれ方をされる時がある。
海の交通の要衝ではあるが、この昏迷の時代にはかえって戦争の火種になる海域でもある。


◆③アスカンタ大陸


三つの大陸のうち、最も最近になって発見された新大陸。
地図上では二番目に大きい大陸で、二つの大陸よりも北部に位置する。
広大な大陸ではあるが、気候は常に冷帯から寒帯で、大陸面積のうち4割弱が人類の生息しない永久凍土となっている。
28世紀の後半から終わり頃にかけて発見された。
気候ゆえに文明の発達が独特ではあるが、確かに人類も文明も存在する。
この大陸に住まう者たちの都合など考えず、この大陸のあらゆる利権を巡って争いが発生し、それが現代文明における
最悪の戦争を引き起こしたキッカケである、と歴史家は共通して言う。
鉱山資源が豊富で、金銀ほか多くの鉱石が採掘可能。
また地下資源も豊富で、経済発展の要衝の一つとなるはずだった。
この大陸の人々は皆閉鎖的で、余所者をあまり歓迎せず好意的に思わない性質がある。
厳しい土地でありながら自給自足をし、その方法は年中冬のようなサバイバルな気候でも生きられる知恵である。



▼登場国家



大小三つの大陸の中には、それぞれ規模の異なる国が存在する。
国家と呼べる規模のものと、それ以下で独自の自治を行う自治領地というものがあり、
あらゆる人々がその枠組みの中で暮らしている。
国家の形態を取り、その中でも主に六つの国家が世界の主要で巨大な枠組みとして認知されている。



◆①グランバート王国



ソウル大陸中部から最北部にかけて領土を持つ国家。
王政の敷かれた国であるが、国王は象徴という立場で施政には基本的に関与しない。
ソウル大陸の半分をこの国が統治しているようなものだが、多くの地域では気候が冷帯に属しており、
温かさの恩恵を受けることが出来ずにいる。
また、最北部は凍土であり、未開発地帯も多く人も寄り付かないようなところである。
王都は国の名前と同じ。
また同じくグランバート城があり、国のシンボルとなっている。
古くから大陸に国が存在していたが、何度かその歴史が入れ替わり、現在の立場を確立させている。
しかし、『50年戦争』時に王国は激しい内乱が起き、その影響で王都の全域が戦火に見舞われるという大惨事があった。
その影響でグランバート王国は事実上滅亡したように、世間からは見られた。
だが今は再興を果たし、各国の経済発展の材料として活力に満ちる国営が行われている。
国王は象徴的存在で、王国と名乗りながら主権が国王にないという立場を取っている。
そのため、各権力の掌握を、
「国務省」
「外務省」
「軍務省」
「国家安全保障局」
「経済省」
の、主だった五つの省が行っている。
あらゆる政治権力の統括を行うのが、国務省に所属する最高地位、国務尚書である。



◆②ソロモン連邦共和国



単一の国家でありながら、多数の州が存在する巨大な国家。
オーク大陸の実に6割強を領土とし、今も肥大化し続けている国である。
主権は一つに集約されながらも、その枠組みの中で各州が自治領主を置いて統治に当たっている。
非常に豊かな気候と自然を領土に持っているため、世界で最も大きな国で最も人口が多い。
世界経済の中心地であり、現存するすべての国家、自治領地との貿易路線を確立している。
首都は『オークランド』。
街としての規模も世界一で、直径90kmの巨大な都市で、都市全体を一つの四角形とすれば、
その頂点4つそれぞれに国際空港が建設されるほどの規模である。
内務省が各自治領主とのコンタクトを取り議会を併設している。
すべての州に共通するのは治安機構と、“連邦軍”と呼ばれる軍事力である。
オーク大陸の元々は多数存在していた国や自治領地を、一つの枠組みの中に統一していった経緯がある。
また、強大な軍事力と莫大な経済力を武器に、過去幾つかの国を併呑した経歴もある。
あまりに領土が広いため、地方では次の町(村)まで100キロほど離れていることもしばしばある。



◆③ギガント公国



ソウル大陸の南部を領土とする国家。
大公と呼ばれる貴族の中でも最高の地位を持つ者が主権を掌握し、国家を統治している。
民主政治とは程遠く、この国の人々にとっての政治とは、“何かをしてもらうこと”である。
しかしながら、ギガント公国は他の巨大国家に劣らずの軍事力を有しており、
他国から警戒され続けている。
国民の男性は16歳以降兵役義務が課せられており、
兵士出身のものが非常に多い。
北部にあるグランバート王国とは昔から不仲で、同じ国でありながら互いにけん制し合う。
以前は敵国として幾度も戦闘を繰り返していた。
公国領は荒廃した荒地が多く、戦争の影響が随所に見られる。




◆④アルテリウス王国



世間的には、近現代においてアスカンタ大陸の発見と同時に認知された国であるが、
アルテリウス王国の歴史は千年も昔にさかのぼるものと、歴史書で記されている。
王家アルテリウスが代々に渡り統治してきた国で、その傘下に多くの貴族と民衆を抱えている。
アスカンタ大陸一大きい国ではあるものの、国土の4分の1が永久凍土につき未開発地帯、
更には厳しい気候であるために人口そのものも少ない。
この国の人々の多くは、他家との関わりを積極的に持たない自主独立型の気質を強く持ち、
国ですら統治国家としての存在は持ちつつも、積極的に国民を統治しようとはしていない。
また、国土の環境や周辺海域の状況から、貿易が行われる国や地域も今まではなく、
それ故にアスカンタ大陸は発見が最も新しい。
『王国騎士団』と呼ばれる、白兵戦特化の強力な軍隊がある。




◆⑤アストラス共和国



オーク大陸の南部を領土とする国家。
ソロモン連邦共和国という強大な国家があるために、その存在は若干薄れてしまっている。
国土も遥かに小さいが、人口は程々に多い。
かつての戦争で軍事力を拡大させつつ、その技術を他国へ売り渡し特需を発生させている。
そのおかげか経済力と軍事力、技術力は小国でありながら非常に高く強い。
また、国内の統治施政を行う者たちに対する支持率が非常に高く、8割弱の人間が国の体制の在り方に
満足し、支持している。
そのためか、国内は活気にあふれており、
国の為に働きたいと思う人たちが大勢いる。
首都アストラスは経済発展の中心地であり、一極集中が進む。




◆⑥コルサント帝国




オーク大陸の南東部に領土を持つ国家。
帝政コルサントは皇帝が民を統治する国家で、すべての権力における最高指導者たる地位にある。
また、帝政は専制主義を主軸としており、皇帝以外にも段階ごとにハッキリとした絶対権力が存在している。
オーク大陸に在りながら、他国との交流が薄い。
帝国領内のごく一部の都市が貿易を許されており、基本的にはその都市に居る者だけで他国との交流を行う。
帝国の起源は『50年戦争』終結後、数年で周囲の自治領地をまとめ上げた、現在の皇帝によるもの。
首都コルサントが最も大きな都市で、そこには帝国軍統帥本部が威厳の象徴として存在する。

■ Episode:Ⅰ 少年たちのセカイ ■



▶ Episode:Ⅰ 少年たちのセカイ



『50年戦争』


そう呼ばれた時代の戦争があった。
今からそう昔のことではない。
たかだか10年ほど前に行われていた、世界大戦の呼称の一つである。
それが正しい呼び名であるかどうかは、今のところ分かっていない。
ただ当事者たちが口を揃えてそのように語るのだから、今のところそれが正しい認識で良いのだろう。
歴史上の呼び名など、当事者たちですら都合のいいように解釈するのだ。
名前にどれほどのインパクトさがあるかも未知数だが、
これだけは言える。
――――――――――――今の時代は、酷く荒んでいる。



文字通り、50年もの間戦争が行われていた。
毎日戦っていた訳では無い。
一ヶ月ほどの休戦もあったし、被害が少なかったこともある。
しかしそれでも戦いであることに変わりはないし、それが続けば戦争の経年も一つずつ数えられていく。
それが50年も蓄積されてしまったということ。
この間に亡くなった人の数は夥しいものであり、記録には不明とさえ記されてしまうほどだ。
実際数えることの出来ないほどの人が、戦乱の渦に巻き込まれて命を落としたことだろう。


「炎は瞬く間に町を飲み込んだ。見境なしだった。ただあるのは、赤と黄色に写る地獄の業火のみ。
人々はそれを見て逃げ惑う。一日でも多く生き残るために。だが、私は気付いていた。周りに大勢の敵兵士、
町を取り囲んで火を放つ獣の姿をした人間を。そんな者たちを目の前にして、もう何が出来ようか」


『50年戦争』の到来は、28世紀末の2800年から。
アスカンタ大陸の利権を巡る争いが勃発し、本格的な大戦に発展するまで、僅かに数ヶ月。
それまでに長い経緯と機会はあったが、その状態に遂に陥るまでにそう時間は必要としなかった。
間に時間を置くこともあったが、経年は50年として数えられる戦争が、
今から10年前までに起こっていたことだ。
大地は酷く荒廃し、多くの人々が犠牲となった。
それで何が得られたと言われれば、今もそれはハッキリとしない。
ただ人類は人類同士の争いにより、取り返しのつかない傷をつけてしまった。
無論、過去の文明期において、戦争が無かった訳では無い。
寧ろ今の国や自治領地があるのは、戦争の積み重ねによる結果である。
人類の歴史と共に戦争はあった。
しかし、現代戦争はあまりにも激しい。人間の力が試されるのは、地上戦ばかり。
空では航空機が飛び交い、海では戦艦が砲弾を撃ち合う。
今までの時代には無かったような戦争の構図が、当たり前のように成り立っていた。
それでは世界が荒廃していく訳だ。


しかし、そんな戦争にも転機が複数回訪れた。
幾つかあるうち、最も戦争そのものに影響を与えたのは、50年戦争最後の年だろう………。
戦争という荒んだ時代が生み出した営みの中で、時代を変える光になりたいと願い、立ち上がった者たちがいる。




………。




「………えっ?センセー続きは!?」
「………ほら、ちょうど鐘が鳴った。今日はここまで!」
「えーーーー、先気になるじゃん!!」




今はその、50年戦争が終結してから10年後の世界。
“センセ―”が語りを次回の授業内容にした、その中身が10年経った理由の説明となる。
だが、すべてを一度に語るのは難しいし、そもそもこの内容はこのような“子供たち”に受けるものなのか?
と、センセ―も自信を持てずに、それでも一教師として真面目に学生たちに教えていた。
昼下がりの青空の下、校舎の教室の中、一番窓際に座っていた少年がそう言う。
もっと先を話して欲しい、と。
だがセンセ―は言う。



「よく言うだろう?自分の好きな食べ物は後に取っておく。最大の楽しみというのは、すぐに明かすものではないのさ」



………と。
それが答えになっているかどうかは、正直分からない。
が、とにかくもその日最後の授業は終わった。下校時間である。


「続きは来週に持ち越し!さ、週末は怪我ないように過ごすんだぞ」


ハーイ、という無邪気な返答も中には聞こえてくる。
鐘の音が「一日の終わり」を知らせてくれる。
一日の始まりと終わりは共通してこの鐘の音。
はじめは大きすぎる、鬱陶しいと感じたその音も、今となってはただのお知らせにしか耳に届かない。
慣れるとはこういうものなのだろう。
学生たちが身支度を整え、玄関へと向かっていく。
放課後と呼ばれるやつだ。
授業が終わった後、学生たちはそれぞれ自分たちの活動に駆けて行く。
サークルと呼ばれる放課後活動、セミナーと呼ばれる放課後勉学、いずれにも属さない帰宅コース。
道は様々だが、その少年は。


「………よーっし、“道場”行っか!!」


と、いずれにも該当しない答えを持ち、独り張り切っていた。



―――――――――――――ここは、オーク大陸の東端。ソロモン連邦共和国の領土内。



ソロモン連邦共和国は、大陸どころか世界中どこを見ても匹敵しない、最も大きい国家である。
大陸の半分以上を領土とし、ほぼすべての国々との交流を持つ国家。
さらに、幾つもの州制度を取り、そこに集う人々は人種も生まれも異なることが多い。
多民族国家と言えばそうなるだろうし、多文化社会と言っても間違いではないだろう。
主権は国家にあるが、認められた州はその定めにより、自治を認められている。
州によって制度や法律が異なるのも、連邦共和国の連邦という意味から来ているものだ。
国としては一つの形であれど、その中で統治する自治領地にその多くを委ねている。
そのため、州を跨げば状況が異なることも多い。
“少年”が住まうその地域も、ある州の中の一つの地域だ。




「お前はホントいつも陽気だよなぁ」
「元気なほうがいいだろ?なっ!早く行こうぜ」
「はいはい。急がない急がない、行くから」



州の名前はタヒチと言う。
周りの州に比べれば、規模はかなり小さい方と見て良いだろう。
大きな街など存在せず、少年の住まうその村は、10分もあれば端から端へ行けてしまう。
他に州内に持つ町が二つあり、そのうち一つは少し賑わいも持っているのだが、それでも過疎地に変わりはない。
ここに自治権が認められたのは、酷く単純な話だ。
“中央”では、東端の海岸線沿いに位置するこの町や村には手が行き届かないからだ。
ソロモン連邦共和国で最も大きい州がオークランドと呼ばれているもので、
大都市一つが州一つという捉え方をされている。
オークランド州はすべての地域の情報管轄を行うところではあるが、すべての地域に行政を施行するような能力はない。
何しろ大都市オークランドは1億人都市なのだ。
一つの都市を管轄するだけで、手一杯どころか猫の手も借りたいところなのである。


広大な領土を持つソロモン連邦共和国の、弱点でもあるだろう。
州制度により、国家という一つの基盤を維持しながら、それぞれの固体を分子化して運営する。
必要な情報はすべて手に入れて把握するという方法を取っているが、彼らにはすべてに行き届く目が存在しない。
オークランド州はこの国最大の都市であり最も大きい州であるため、
この国の人々の多くが、その州のことを『中央』と呼ぶのだ。


このタヒチ州は、
その中央からあまりにも遠く離れすぎた、謂わば「辺境」なのである。


「なんたって今日の練習は実戦形式だぜ!?張り切らない訳にはいかねえよな!」
「………もう。少し皆より上手だからって、すぐ良い気になるんだから」
「へへっ、でも訓練は大事だろ?実戦形式が一番早く憶えられるぞきっと!」


辺境と呼ばれる地域は、
このタヒチ州のみならず、多くの地方でそのような呼ばれ方をする。
オークランド州以外にも、ソロモン連邦共和国には多くの大都市が存在するのだが、
やはり国土が広すぎるから、彼らの住まうような土地も当然のように存在するのだ。
彼らとてまだ良い方だ。
州の一部の場所によっては、隣町まで片道2時間や3時間をかけなければならないところもある。
タヒチ州のタヒチ村は、村という規模で町にはならないが、必要最低限のものはここで揃えられるし、
隣町は歩いて30分ほどのところにあるので、そう困りもしない。
この村の特徴としては、



・人口が1000人満たない。
・大勢の村民が隣町に仕事に行っている。
・子供が少なく、日中は大人の姿もなく、ご老人が多くなる。
・ソロモン連邦共和国領の中で、最も最東端に位置する。



と、簡単に4つほどあげられる。
人口は今でも減少傾向だ。皆中央に憧れを持っている。
あれほどの大規模な街に行って見たいと、その情報を知った者たちならそう言うだろう。
辺境で、かつ小規模な村程度のセカイだが、それでも彼らにとっては立派な一つのセカイだろう。
少年はここでしか暮らしたことが無い。
少年の周りにいる子供三人も、この村での生活がすべてだった。
彼らだけではない。この村に住む民の多くが、ここで生まれ育った者たちだ。
何も好き好んで、このようなど辺境に来ることもないのだろう。
しかし大人たちが残らなければ、一体誰がこの州を支えていくことになるのだろうか。
出稼ぎのように隣町で仕事をする大人たちと、
この村の「スクール」と呼ばれている学問所で勉学に励む子供たち。




それが、少年たちの、“今そこにあるセカイ”である。

第1話 名前


今日も青空の下、少ない子供たちが村中を駆けて行く。
大人たちは隣町に稼ぎに出ている。
元々村民は少なく、賑やかというには程遠いのがこの村の特徴だ。
「辺境」と呼ばれる地域で、「中央」と呼ばれる国の中心からは遠く離れた土地。
州の自治によってこの村は護られているが、このような小さな村に防衛するような戦力は存在しない。
いや、今の状態ではそのような措置をする必要すらないだろう。
今のところ彼らのセカイは、平穏そのものだ。


「よーし、やるかぁっ!!」


タヒチ州タヒチ村。
州の名前はこの村と同一のものであるが、州統括本部が置かれているのはこの村ではなく、
隣町のエンスクだ。
何故この村の名前がそのまま州の名前になったのかは、実は公式的な見解は示されていない。
ソロモン連邦共和国は、州だけでも相当な数存在し、そのすべてを掌握しつつも全容を把握してはいない。
必ず州には州統括本部があり、州を統治する為に必要な処置や法律などはそこで作られる。
州を定める時には名を必要とするのだが、必ず何らかの由来がある。
しかしその由来の意味を明かされぬまま、ただそれが当たり前のように捉えられることも多い。
このタヒチ村もその一つである。
実は名前には大した意味はないのかもしれない。ただそれが既に、世界地図で記された公式な事実であることに
変わりはない。


タヒチ村はオーク大陸の中でも極東に位置する村で、
さらに東へ30分ほど歩けば、そこには海が広がる。
船が停泊するような港は存在せず、南北に広大な断崖絶壁と複雑な入り江が幾つも存在する。
村は小さいが半分を山々に囲まれた土地で、これもまた複雑な地形の中に村がある。
村の端から端など10分もあれば移動できるような小さな距離だ。
人口は僅かに数百人。
子供の比率などその数を想像しただけで分かるだろう。


「流石。興味のない授業はとことん寝ていたから、ここでも元気のようだな」
「あ、バレてたか?ははは!」
「いつもだろう………」



中央と呼ばれる、
オークランド州から数千キロ離れたこの土地。
そこには、今日も元気にスクールを終え、“道場”と呼ばれるところへ行く子供たちの姿がある。
一人の元気な少年の後に続いて走るのが、少年二人と少女一人。
ほかにも幾人もの姿が見える。
まるで目立ちたがりのような性格にも見えるのが、その少年が他の子供たちを引き連れている、



「こら、ツバサ!そろそろ稽古の時間だ、気を引き締めなさい」


そう。幾人もの子供を引き連れてここまでやってきて、なおも活気にあふれるその少年は、ツバサという。
昔からやんちゃ坊主などという呼び方をされてきた、活発で明るい少年だ。
歳は16歳でありながら、身長は何と186cmとかなりの長身。
町中の子供どころか大人たちよりも背が高く、競えば彼より上の者はいない。


「おっと、いけねえ。よーしやりましょー!」
「………ったく。お前は元気だなぁ………」



彼らと他の子供たちが集うこの道場の目的はただ一つ、日々の稽古あるのみ。
そして何をするかと言うと。



「よし、決めた。この竹刀にしよう」
「ツバサ、いつもは貴方が一方的な強さを見せつけてるけど、今日はそうはいかないからね!」
「お?えらく強気だな、レン。いいぞ乗った!全力で掛かってこいっ」


彼らはそれぞれ壁に寄りかけられた「竹刀」と呼ばれる、ある種稽古の道具であり武器を持ち、
そして稽古の間の中央から壁側へと下がっていく。
この道場は剣術稽古をするための場所で、師範が門下生を鍛え上げるという目的を立て、竹刀を使った訓練を
日常的に行っている。
村唯一にして、放課後から夕方にかけては最も活気のある場所となる。
この村に道場が開設されたのは、ほんの10年前となる。
使われなくなった建物を改修して作られたこの場所の目的は、諸説ある。
だが村民の認識としては、有事の際の備えの一つとして、優秀な人材を育成し鍛え上げるというもので一致している。
世界が戦火に包まれていた時代と、これからまたそのような時代が来るだろうことを想定してのこと。
自分自身を強くするという名目のもと、目的は次代の兵士を養い輩出するという、皮肉の詰まった道場なのだ。



その道場の中で、
ツバサは最も強い立ち位置にいる。少なくとも、門下生の中では。


「いつもいい顔されっぱなしではな。こちらも全力で挑むとしよう」
「俺も。負けないからなーっ」
「おいおいなんだよ皆して!まだ相手になると決まった訳じゃないんだからよお!」



レン。
歳はツバサの一つ下で15歳。
道場に通うたった二名の女性のうちの、一人だ。
ツバサと同じ学校に通い、歳は違うが同じ学級に所属している。
普段は大人しめのしっかりとした性格の持ち主だが、竹刀を握るとその姿からは想像できないほど、
強気に満ちた女性に変化する。
ツバサと親しい間柄ではあるが、この道場においては好敵手というライバル関係を取っている。


「仕方が無いだろう?お前が今のところ一番強いんだ」
「だっ、でも………お、おう」


相手を褒めつつも「覚悟しろよ」と冷静に告げる、
その男はソロという。
レンと同じく同じ学校学級に通う一年上の先輩。
歳上ではあるものの、好き好んで歳の分け隔てをせず接している。
冷静な性格で、一つ歳上というのもあってか、どことなく周りをセーブできる人間。
ツバサがあのような性格であるから、余計に落ち着いて見えるのがソロの特徴だ。


「なんも、俺たちだけじゃないぞ?みーんなお前を倒したがってる」
「わー、なんか周り見るのイヤだなーーー」


そのように、マイペースな口調で彼に話を振るのは、
少年エズラだ。
レンと同じく15歳で、他の三人とも似ることのない独特の性格の持ち主だ。
口調には一切の焦りも焦燥感すらも感じられないもので、風格も普通の少年というような具合だ。
彼はあまり接近戦を得意としていない。竹刀で日々鍛錬を行うのは、それが運動不足の解消になるからだ、という
子供らしからぬ理由でこの道場に参加しているのだという。
そんな道場。
今日は週に一度の実戦形式での練習。
つまり、一対一の模擬白兵戦を訓練として行う日だ。


「き、緊張するなぁ………」
「上手くやれるかな、俺」


彼ら以外にも道場の門下生はおり、人数にして20人ほど。
歳の差も上下様々で、最も低い年齢だと11歳、高くて19歳ほどである。
実戦形式の訓練は、日常的な立ち合いや打ち合い稽古の成果を見せつける場面でもある。
週に一度、必ずその機会があり、それを楽しみにする人や、緊張する人もいる。
しかも実戦訓練は師範の評価に直結するものであり、この評価により鍛錬の中身が変化するのである。
立ち合いの組み合わせは単純にくじ引きによって行われ、試合時間を1分と定めて行われる。
勝敗のつけかたはごく単純。
相手の身体に一度でも竹刀を直撃させることが出来れば、その時点で終了となる。
この訓練では勝ち負けをつけるために行うものではないが、門下生たちの考えからすれば、
相手に勝つことが出来るのなら、日々の鍛錬の成果が出ている、とどうしても考えてしまうのである。


そうして。
実戦形式が始まった。


「はっ!!」

「やあぁっ!!」


気迫の籠った声が響き渡る。
道場はそう広いものでもないが、鍛錬を積み重ねるには20人でも充分な広さはある。
その空間をすべて使用して行われる実戦形式による訓練。
この道場の師範、ドレンは腕を組み右手の親指と人差し指を顎に当てながら、その様子を見る。
組み合わせは完全に自由に行われるため、年齢差のマッチも当然あり得る。
11歳の少年が16歳の少年と戦うことだってあるのだ。
鍛錬のことでいえば、明らかに16歳の方に分がある。
しかし、師範のドレンは言う。
いかなる状況でも対応できるようにする。世の中自分と対等に戦ってもらえる相手などいない、と。
冷静な思考を持つ者からすれば、ごく自然なことだと考えられる。
彼らは戦争というものを知らない。
だが、これまでに起こり続けてきた戦争では、数え切れないほどの犠牲者を出している。
その中に兵士がどのくらい含まれていたかは、後の公式記録を待つしかないが、
年齢差は当たり前のように存在したことだろう。
何も兵士=若年層であるとも限らない。60歳の兵士がいる可能性だってある。
しかし、こうした実戦形式で大切にすることは、そうした将来的なものの見方や考え方より、
その人がどのような立ち回りをして攻勢し、防御するのか、そこに尽きる。


「次の相手は………おっ、来たかレン!!」
「全力で行くからね!負けないよ!!」


ツバサは皆の評価で、この道場の中で最も強い門下生であると言われている。
恵まれた体質による効力というのも確かにあるのだが、技量が他の者たちと比べ精密で桁違いなのだ。
長身でありながら小回りの利く立ち回り、そして大柄でありながら力の加減を完全に制御して攻撃できる手腕。
それを前に、今レンが立ち向かう。



ツバサ、レン、エズラ、ソロ。
彼ら4人は、全員がこの村に来て揃ってから、ずっと仲の良い集団である。
それは学校でも、日常でも、どこにいてもお互いに何の気兼ねなく話し合える間柄だ。
村の人たちも、この四人の姿はよく見ているし知っている。
小さな山間に囲まれた小さな村の一子供たちではあるが、皆にとっては輝かしい存在に見えたことだろう。


このご時世、子供という存在そのものが、まるで宝のように思われていた。

第2話 村の夕暮れ


「………悔しいなぁ。あんなに早くに負けちゃうなんて」
「でもいつもより長かったように感じたぜ!」


道場での2時間ほどの鍛錬を終えると、
既に村は夕暮れ色に染まり、もうすぐ夜が訪れようとしていた。
弱くやわらかな風が、疲れの溜まった身体に染み癒してくれる。
彼らも、他の子供たちも、今は帰宅の最中だ。
それぞれの家の方向に向けて解散していく。
………とはいっても、村全体が知り合いだらけであるし家もさほど距離が離れていないので、
途中まで皆が同じ方角に向かうことにはなる。
道場での実戦形式での鍛錬は、実に苛烈さを極める内容だった。
お互いにまるで死闘のような打ち合いを行い、白黒をつける。
そこで学べる中身というものは膨大にあるが、そのすべてを門下生が見つけるのは難しい。
その補助をするのが、師範代のドレンの役割であった。
一人ひとりにあった対応や鍛錬の重ね方を指導し、確実に成長へと結びつける。
そのためのアドバイスを欠かさないドレンを、皆は慕っている。
今日の鍛錬は実戦形式でのもので、一分という短い時間の中で普段の成果が問われるものであった。
はじめは一人一回ずつの対戦であったが、それが全員分回った後には、勝利した門下生同士がぶつかり合うという
構図に切り替わっていた。


「はぁ………まさか竹刀を弾かれるだなんて………」
「レン、お前だけじゃない。ツバサと戦った相手すべてが、同じような負け方をしたんだ」
「え?あっ……、そうだったかな」


門下生の中で最も強いと言われているツバサは、誰もが思う期待を背負い込み、それを体現した。
勝ち続け勝ち続け、残り人数が少なくなってきた時に、レンと対戦した。
対戦時間は僅かに20秒。
レンが先制攻撃を行い、すぐに手数を増やしてツバサに連打をしたのだが、ツバサはそれを見切ったのか、
僅か一度の動作で、レンの両手から武器を弾き飛ばしてしまった。
武器を手放した時点で勝ち目はない。その短い時間で、あまりにも大きすぎる力の差を見せつけられた。
子供心に響くものなのだ。誰かに敵わない、誰かより劣っているというのは。
それをうまくフォローしたのが、二つ上のソロだ。
実際ソロも最後まで残った一人としてツバサと対したのだが、同じように短い時間で竹刀を弾かれてしまい、
そこで勝敗が決まってしまった。
ソロが言うように、今日彼と対戦した幾人はすべて、彼から武器を奪われて敗北したのである。


「おいツバサ、あれは狙ってやってたの?」
「まぁな。そういう戦い方もどうかなーって思ってな!」


エズラがそのように問い、それにツバサが答える。
エズラは元々近接戦闘、竹刀を使うような鍛錬は苦手だ、と自分で公言している。
その代わり、他の誰にも負けない一を持っているのだが、それは学校生活において紹介しよう。
ツバサは鍛錬の中で、実戦形式の中で、自分に出来る戦い方を試しながら対戦していた。
普通の門下生は、実力を思う存分発揮しようとする。
それに一生懸命になるだろう。
しかし、その辺が最も強いと言われる所以なのか、ツバサは戦いながらあらゆる戦い方を身に着けていた。


「なるほどなあ………いやホント見事ってくらい強かったよ」
「ツバサの取り柄はそこに集中しているからな。仕方ない」
「サラッと酷いこと言うなっ!」


他愛のない会話をしながら、村の中を歩いて行く。
道行く人たち、隣町での仕事から帰ってきた大人たちと挨拶を交わしながら、
村で一番大きな十字路に差し掛かる。
道はただの砂利道で舗装もされていないようなところだが、それでもこの場所が最も広く、
そして色々な方角へ行くことが出来る分岐点である。
彼らの家路の分かれ道もここだ。


「じゃあまたな!!」
「あいよー、またな~」
「では週末に」
「またねーっ!」



分かれたのはそれぞれ二人ずつ。
家の方角が共に一緒のペアで、その道の終わりまで行くことになる。
ツバサは、レンと。
エズラは、ソロと共にいく。
ここでお別れをすれば、まるで一日が終わったかのような気持ちにもなる。
毎日を生き、楽しく過ごす彼らの姿。
そんな子供たちの姿を、大人たちもよく見ているのだ。


「どうやったら強くなれるかな?」
「いやーどうなんだろうな?ホント。でもレンなら大丈夫だって!」
「ははは、どこから来るんだろうその自信。でも信じるね。あ、ちょっと買い物してからでいい?」
「いいぜ!俺もついてくよ」
「来たって何もないんだからねーっ」



二人の家はそこそこ近い距離にある。
村全体が狭いので、彼らの距離的な感覚は他の地域に比べれば全然違うものだろう。
ツバサの住んでいる家が中々に驚きというか、苦労するようなところにある。
この村は小さな山々に囲まれている。
その一部は少し高い丘のようなところだったり、背の低い山だったりと色々だが、
ツバサの家はその前者にあたるものである。
坂をのぼった先に家があるので、村の中心部に降りてくるまでには多少の時間が掛かる。
それに比べれば、レンの家はまだ村の外れにあるという程度で近い。
彼女が買い物に行くと言いだすと、本心ツバサも「暇だから」ついて行く。
このようなことが、過去何度もある。数え切れないほどに。
それでも彼女は笑顔で応えてくれる。


「あら、貴方たち今日はもう道場終わったのかしら?」
「はい!今さっき終わりました!!」
「そう。毎日お疲れ様ね」

「ほっほっほ、今日も来たかい。いつもありがたいことね~」
「今日は豚肉でお願いします。それから、玉ねぎと………」


彼女が買い物を次々としていく間、ツバサは一歩後ろに下がりながらついていくばかり。
そしてそれは、過去幾度もあった機会の中で、変わることのない姿だ。
正直に言えば。


「いやー、まぁよくそんな凝ったメニューを考えるよなぁ~」
「………逆に、ツバサが今までよく一人で自炊して来られたと思うよ、私」


彼は彼女の買い物内容に、話がついていけていなかったのである。
それらを購入して夜何を作るか。明日の弁当は何にしようか。
彼女は色々な工程を考えながら食材選びをするのだが、一方でツバサは単調な考え方ばかり。
自分にとって美味いと思えるものを幾つも持ち合わせ、それを週替わりで作り続ける。
単純に好きなものばかりを食べるのがツバサであった。

彼女の話にもあったが、
ツバサは一人暮らしをしている。
16歳で一人暮らしというのが世間的に早いのか遅いのか。この村の常識では早過ぎるくらいだが、
それもきちんとした理由があってのことである。
彼がそうしたいと願った訳ではない。


買い物を二人は終えると、それぞれまた帰路につく。
夕暮れが進み、反対側の空には暗い色が迫りつつある。
今日はもう遅くなる。帰ったらゆっくりしよう。
出会う一人ひとりの村往く人に挨拶をしながら、子供二人が帰宅する。
それを見て、大人たちは微笑ましいものだと思い、感心し、そして笑みを浮かべるのだ。


「明日は何するの?ツバサはっ」
「そういや決めてないな!何しよっか?」
「私に聞かれても困る、よ」
「ハハハそうだよな!ははっ!」


そうしてお互いの分岐点に辿り着き、少年は「またなっ!」と、少女は「またね~っ!」と言って
家に帰っていく。
山間に沈んだ太陽の明るさも、もうじき無くなっていく。
彼女の家はここから近いが、彼の家はまだもう少しだけ歩かなければならない。
そこから先は急というほどでもないが、上り坂がひたすら続く。
行きも帰りも傾斜を往くという、道のり的にはやや辛いものではあるが、それを越えれば褒美がある。
見慣れた光景ではあるが、それ故に好みの光景だ。


「………ふぅ」


辿り着いた家の傍。
彼の家の他には、建物らしい建物もなく、近くに神社と呼ばれる信仰の意味を含んだ建造物があるくらい。
それも視界の中には無いし、林になっているところの奥にあるもの。
人が近づくようなものは一切なく、それ故にひと気もない。
村の人たちは知っているだろうか。こうして村一面を見渡すことが出来る光景があることを。
あるいは、こんなところに家を建てて住んでしまった彼の特権なのだろうか。
すべての人と共有できないにせよ、この楽しみは誰かと分かち合いたいものだ。
息を吐き、その景色を見る。
夕焼け色に染まって美しくも壮大に見えるタヒチ村の全面。
それを見下ろすことが出来る場所。それが彼の家の前だ。
あらゆる通りもすべて見え、家の在処や造りも見渡すことが出来る。
先程自分たちが通ってきた道も容易に見つけることが出来、村一番の十字路や道場も、何もかもが見える。
見慣れた光景ではあるが、美しい光景であることに変わりはない。
村の平地から歩いて20分ほど。
この高台のような、山の上のような、または丘のようなところに来て、彼の帰路は終わる。
その光景を背にすれば、すぐ自分の家がある。



家は、一人が住むには充分すぎるほどの大きさだ。
部屋の間取りは居間以外に三つもあり、そのどれもが誰も住まない空虚な空間だ。


「はぁーっ、ただいまー」


そう言っても、返してくれる人間は誰もいない。
もとより彼は一人暮らし、そのようなものを期待してもいない。
にもかかわらず、日課のようにそう言っては、家の中へ入っていくツバサ。
恐らくそのようなことをしている、と誰も知らないだろう。
彼に“家族がいない”という事実を知る者は多いし、一人暮らしをしていると理解している人も多い。
それを支えてあげようとする村の人たちがいるくらいだ。
ツバサは荷物を整理すると、すぐに自分の部屋に行き、そして一冊の分厚い本を手に取る。


「さって、今日も勉強するかーっ!」




そうして手にした本。
名前は『人類の歴史』というものだった――――――――――――。

第3話 家での過ごし方


「いやあの見た目からは想像できないが、あいつは結構勉強好きだぞ」


――――――――――――ただし、自分の興味あるものだけな。



というのは、
歳は違うが同じ学級で学習するソロの言葉だ。
彼らの学校は歳の差関係なくすべての学生が同じ授業を受ける。
分かれる要因としては、入学する年度によるものだけ。
年度が違えばそれぞれ中身も異なるが、その年度の中には歳が3も4も離れている者もいる。
ソロと仲の良いツバサ、レン、エズラの三人は同じ年度に学校に入った。
そのため、勉学の進行具合は歳が違えど同じなのだ。
この村、あるいはこの国の中には、この歳にこの学校に入学しなさい、というような規定はない。
ただ学校によってそれぞれレベルは異なるので、それを選択していく形を取ることになる。
田舎暮らしの辺境地域には、そうしたレベルの差異による選択肢は存在しない。
何しろ学校そのものが一つしかないのだから。


タヒチ村も例外ではない。
州全体では学校の数は幾つかあるが、村と呼ばれるような規模には一つあるのが普通で、
集落程度の小ささには学校すら存在しないところもある。
そのため、学校に通うことの出来ない環境にある子供も多くいる。
たとえばこうだ。
このソロモン連邦共和国は、非常に広大な領土を持ち、大陸の6割強を占めている。
大陸は物凄く広いので、タヒチ村でさえ首都に行くのに数千キロ掛かるという状態だ。
飛行機などを使えば一日程度で着いてしまうところだが、
地方に行けば行くほど現代からは離れがちになる。
そして、辺境と呼ばれる地域では、隣の町や村まで数十キロから百キロ程度離れていることもよくある。
そうなった場合、村や集落に学校がなく、隣町や村までの距離があまりに長いところに住む子供たちは、
学校というものに通えない。
国が運営する公的な教育機関を利用できないのだ。
そのため、教育が捗らない子供も多く存在する。


そう言う意味では、
彼らの村はまだ環境的には恵まれている。
たとえ規模が小さいとはいえ、学校がある。
そして、誰にでも書物を手にすることが出来るのだ。


歳上のソロはそのように言うが、
その“あいつ”とは、ツバサのことを指している。
彼は見た目やその性格から考えて、勉強熱心な人間とは程遠いと思われている。
それが他人から見たツバサという人間の姿だ。
しかし、実はツバサも勉強そのものを苦にしている訳では無い。
興味のあるものに関しては、前向きに取り組もうとする。
彼が今読んでいる、あまりに抽象的な題名の書物も、学校の蔵書の中から引っ張り出してきた一冊だ。


「ふむふむ」



やや独り言を呟きながら、真剣そうに一人で本を見る。
既に夕暮れでこれから夜ご飯の時間だというのに、それを放っておいて今の本を読み続ける。
一人暮らしの特権とも言おう。
誰に何を言われることもない、自由な時間。
その時間に彼が読んでいたのは、人類の歴史と書かれた本。
文字通り、今まで人類という文明が刻んてきた歴史の数々が記録された本である。
この手のものは、何もこの書物に限ったものではなく、ほかの多くの書物において見ることが出来る。
彼が面白いと思うのは、執筆者によって多様な考え方がある、それを文字で見ることが出来るという点だ。
このような性格の持ち主でも、色々と勉強し考えることはある。
彼が注目して見ていたのは、「50年戦争」と呼ばれた時代の歴史。
最近になってようやく様々な情報が開示され、歴史家たちが挙って本を出版しているという。
彼はまだ自分でも浅はかな知識しか持っていない、と思い込んでいる。
それが実は他の誰よりも詳しくなっているという自覚はない。



彼自身が「戦争」というワードに興味を持ち始めたのには、理由がある。
彼のデスクの横に飾られている一つの写真。
そこに映る、男女の姿。男は帽子を被り、防寒着を身に纏いつつ、腰のベルトに剣を下ろしている。
それが理由だ。



「……………」



『50年もの間、戦争は停滞と激昂を繰り返しながら行われ続けてきた。多くの犠牲を出しながら、具体的な成果を得られた国は殆どない。強いて言うのであれば、現状最も強大な国と言われているソロモン連邦共和国が、あらゆる方面への権利を主張し、処理を行うことが出来るようになった。一人ひとりに与えられた影響というものは限られているのかもしれない。』



戦争が人々に与える影響は様々だ。
しかし、この50年もの間続けられた戦争が、何か好転するキッカケになったかどうかは甚だ疑問である。
………というのが、この人の主張らしい、とツバサは解釈する。
今まで当たり前のようにあった生活が、ある日を境に全く無くなってしまう。
それは彼とて経験したことだ。
好転とは言い難い現実だ。
それを人々は50年という歳月、繰り返し行い続けてきた。
際限なく、ひたすら続く解決のない暴挙。
純粋に少年心として、なぜ人々は争うのだろうか、と考えなくもない。
争う理由もあるし、戦う必要もある。
しかしそれらは戦いでしか解決できないものなのだろうか、と。


「まぁ、いつまでも何を求めて戦ってるのかってことだよな………」



少年は少年なりに考えを巡らせていたが、それを誰かに打ち明けたりすることはない。
あくまで教養の一つとして、この時点では考えていた。
何分ここは首都からも、敵国からも離れた安全圏内。
戦いが起こるようなことはまずないだろう、というのが当たり前の考えだった。
何事も無ければ、この村で何十年も過ごす者もいる。
あるいは隣の町に出て働く者もいる。
さて、自分はどうなるだろうか?



読書に一時間ほど費やした頃には、もう外は真っ暗であった。
彼は今日買ってきた食材を選び、適当に夜ご飯を作る。
今頃レンはあの沢山の種類の食材を使って色鮮やかな夜飯にしているんだろう、などと思いながら、少年は肉料理を食べる。
男たるもの、それで充分。
毎日消費するエネルギーに見合う栄養を蓄えればいいのだ、と。
食事を終え片付けを済ませると、彼は再び自室に戻り読書を始める。
夜はこうして時間を潰すことが多い。
日課、趣味とも言うべき読書。その内容は、いつも何らかの勉強となるものばかりだ。
あれからツバサは続きを読み続け、気付けば日付が変わる頃だった。
流石に眠気もあり、欠伸も出てきたところで中断する。


「明日何するかなー………っ」


明日は学校も道場もない土曜日。
道場はほぼ毎日行われているが、ない日もある。
師範のドレンも休みたい時はあるだろう。
彼は毎日身体を動かすことを欠かさずに行っている。
日常生活での意味ではなく、道場に通う門下生としての運動という意味だ。
自分の身体が鈍らないように、トレーニングやストレッチ、ランニングを毎日行う。
その成果が今の身長と道場一の称号なのかもしれない。

彼は眠気に満たされて目を閉じるまで、布団の上でゴロゴロする。
やがて眠気が襲い掛かってくる。
気付けばきっと、朝になっていることだろう………。




…………。



夢を、見ている。
空は赤く染め上げられ、遠くに夕陽が沈もうとしている。
大地はその陽の色に照らされ、実に綺麗な大地を映し出していた。
見覚えのある光景、というよりいつも見ている光景。
そこに映っているのは、彼という自分と、かつて傍にいた二人の存在。
それが自分の机の脇に飾ってある、二人の正体であることは明白だしすぐに理解できた。
何故ならこれは、彼が過去に経験した実体験を映し出したものだからだ。



『また、会えるよね?』


『ああ。もちろんだ。きっと、どこかで』


そう言い、次に会ったのは、これと全く同じ光景。
もう何度見たかも分からないその光景は、彼の心象に宿る現実を映す鏡。
その部分だけをまるで抜き取ったかのように記憶し、それを何度も何度も再生する。
時折この夢を見る。
忘れた頃にやってくることもあれば、何日か置いてみることもある。
よく、夢の中で“これは夢だ”と気付くことがあるというが、
この光景はその最たるものを極めている。
これが映った瞬間には、もうこれは夢ではなく、かつての自分が経験した現実なのだと、理解できる。
そう、彼は確信していた。
不思議なことが起こるものだが、それもまた夢のひと時。
楽しさや嬉しさ、喜びを一切感じることのないそれは、それでもかつての姿に会える唯一の機会だった。




………。

第4話 村での過ごし方《午前》



日付は変わり土曜日。
タヒチ村は今日も天気が良く、気温も20度前後でとても快適、過ごしやすい。
土日となると、村の商店通りも賑わいを見せ、また地方に出稼ぎに出ている大人たちも村に留まるので、
それなりに活気が生まれる。
とはいっても、多寡だか村一つの活気など、他所と比べるまでもない。
しかし、それが村の人間たちにとっては居心地の良いものであった。
大人のみならず、子供たちにとっても休日は楽しみの一つ。
家族との時間、友人との時間。
それを朝から晩まで共有することが出来る。



「………ちと、顔でも出してみるか」



夜が明け暫く。
時刻にして午前10時。
ようやく目覚めある程度の身支度と片付けを済ませたツバサは、
家から出て道を下っていく。
彼の今日は特に予定がある訳では無かったが、あるところへ出かけることにした。
それも気分で、特に意味を持たず。
ただの暇潰しといったところだろう。
そうして訪れたのは見慣れた光景。
家から20分ほど歩けば辿り着く、いつも通っている建物の隣の建物。



「お、やってるねえ!」
「ん?なーんだ客人か……しかも見知った客人。おーい、“招かれざる客”よ」



彼がやってきたのは、学校。
今日の学校は休日で子供たちの数も少ない。
子供の面倒を見る大人ですら僅かに数名しかいないのだから、閑散とするはずである。
そしてその雰囲気を崩さず、静かに黙々とあることに打ち込む子供たちがいた。
年齢は学校の学級と同じようにバラバラ。
だが、その中では今彼が見ているその男が最も年上だった。



「酷い言い草だなぁエズラ。よく来てんだろ?俺も!」
「はいはい、今日もいらっしゃい」



彼が見ていたのはエズラ含む6名の学生たち。
そして彼がやってきたのは、学校のすぐ隣にある別の建物。
エズラたちの視線の先には、白く丸い形をした目標物と、それに描かれた黒い円。
そして建物は、周囲と天井を囲むようにネットが張られている。
学校の隣に小さくも存在するこの建物は、弓道場だ。
文字通り弓を射る練習をする場所である。
ツバサが私服姿でいるのに対し、弓道場の学生たち6人は皆道着を身に着けている。
男性五人、一人女性。
少ない人数ではあるが、学生たちはそれぞれ穏やかな表情を浮かべながら練習に取り組んでいた。
ツバサがそこに現れると、皆彼に挨拶をして招き入れる。誰かさんは否定的な言葉を述べたが、ツバサにはお構いなし。


「しかしまぁ………相変わらずデカイな、お前さん」
「長身は俺のステータスなんでねっ」



そう自慢げに親指を立てながら、会心の笑顔を見せるツバサ。
しかしそれに反応しないのがいつものエズラ。
「へー」と棒読みで言いながら聞き流すのは、もう慣れっこだ。
恐らく学校一背が高いであろうツバサ。
彼は暇なときにこうして弓道場を訪れることが、月に何度かある。
エズラとは剣術稽古で一緒だが、他の人たちと話したり遊ぶことはあまりない。
エズラは剣術道場と弓道部の二つに通う、マイペースに見えて活動的な少年なのだ。


「ツバサ先輩、いかがですか?弓、やっていきませんか?」


その時、彼の周りに集まっていた学生のうち、唯一の女性である彼女が声をかける。



「おぉ、良いのかアヤ!?やるやる!!」
「これだ。これだからもう………」
「ふふふ」


道場で唯一の女性はアヤという名前だ。
年齢はエズラよりも一つ年下で、ツバサから見れば二つ下ということになる。
入学した年度が彼らよりも一年遅い。
まだ14歳と若さに満ち溢れているが、その落ち着いた淑やかな雰囲気は、誰からも評判がいい。
その彼女がツバサに声をかけてくれると、彼もそれに応えた。
それを横で見ていたエズラが細い目をツバサに見せるが、こうなればもう止まることはできない。
他の男学生も笑みを見せながら、一人ひとり異なる台詞を吐いては準備に取り掛かる。
あまり広くない学校に少ない学生だ。全員とは言わないが、知り合いの間柄の人間は非常に多い。
ツバサは月に何度かここに来て暇をつぶしている。
邪魔しに来ているようなものなのだが、何故か皆それを快く受け入れている。
文句を言うエズラもまた、彼の登場を喜んではいる。
いつものことだ、と 流し気味ではあるが。


道場は神聖な場所である。
たとえ歓迎された客人であっても、弓を扱うというのであれば話は別だ。
彼らの後方には既に座布団が七枚も敷かれているのだが、それは後に使うもの。
ツバサもこの道場に保管してある道着に着替えると、またこの道場に予備として保管してある弓を持つ。


「背の高い弓道者ってのは良いモンだな」
「なななんだよ突然。これから射るって時にさ?」
「いやぁ別に?続けてどうぞ」
「ふむ………」



ツバサの眼が見開く。
焦点はただ一つ。白いサークルの中央にある、黒い点。
的に矢をあて、その矢がどれほど的の中心に行くかで、技量と点数が問われる。
息を吐き、鼓動と振動を抑え、そして目標を睨む。
自然と見開いていたその眼は細くなり、ただ一つの獲物を狙う鷹の眼のようになり。



そして、静かに。
その弓から矢が射出される。



「………」


「………お前さん、格好は本物だが技術が伴わないよな、いつも」


「………あああこのっ!今は良い感じだと思ったのに!!」



手の空いて右手が空を斬る。悔しいという気持ちの表れだ。
結果、その矢は的の上、壁に激突するというものだった。
狙い自体は正しいが、それが真っ直ぐ的を射るようなものでもなかったらしい。
意識をもっと下に向けていれば、恐らくその矢はど真ん中に命中したことだろう。
何しろ左右にずれてはいない。
皆その結果を見て笑ったり悔しがったり。
“一向に成長しないツバサの弓”に、何故か期待をかける学生たち。
それを面白がっているようにも見えるが、それがまた楽しいとも思えるのだとか。



「おしかったですね。でも、前より格段に良くなっていると思います」
「そうかぁ?んーー、まぁアヤがそう言うのなら、そうだと信じるぜ!」
「また前向きなことで………お前さんは」



この部活、弓道部の主将はエズラということになっている。
彼は剣術稽古と弓道部の部長をしているため、どちらかといえば弓道に精を出し、
剣術稽古は中々捗っていないというのが現状だ。
普通ならどちらか一つを選ぶものだが、彼は好んで二つを自らに取り入れようとしている。
しかし、自分とすれば居心地よく、また技量を発揮できるのは弓だと考えていた。
そしてエズラから見れば一つ下の後輩になる14歳のアヤは、弓道部の副部長だ。
14歳という年齢は、弓道部員の中でも最も低いのだが、実を言うと彼女と同じ歳の学生が、ほか4人、
そして一つの上のエズラがいるというのが今の弓道部の状態だ。
元々弓道部はあるようでなかったような部活なのだが、それを彼女が好き好んで入部し、しかも仲間たちを複数人連れてきた。
勧誘によって今は6人まで部員を増やして、日々活動をしているのである。


「よし、もう一本!!」



と、それから一時間ほど練習し、気付けば昼飯時になっていた。
流石に休日の弓道部も午前中までが練習で、午後からの予定はないという。
しかし、土日の練習で毎回恒例にしていることがある。
それが。



「よし、じゃあ皆弁当広げるかー」
「はい!」


練習後の、弁当である。
頭も身体も両方使い疲労した昼時に、皆でご飯を食べて話し合う。
弓道場がそれほど大きい訳では無いが、彼ら6人が座るくらいの余裕は充分にある。
そして今は、彼らにプラスしてツバサがいて、座布団が七人分用意されている。
弁当は6人分しかないのだが、それを若干分けてもらい、ツバサも昼飯を頂く。
ただのお邪魔者のように見えて、道場の手伝いなんかもする。
月に何回かある程度だが、その機会を楽しみにする学生もいる。
弓道はあんまりだが、ほかの運動や剣術が桁外れに高い能力を持つ彼を見習いたい、と思う人も中にはいるのだ。


「先輩は何故そんなに身体が動かせるのですか?」
「何故、と言われても困っちまうなぁ。元々良いのかな!?ハハ」
「もう、いつもそんな感じですね」
「ま、ツバサからその取り柄を失くしたら、残るのはご自慢の長身だけだからな~」
「あ、おいー!!」



彼自身、何故自分がこれほど動くことの出来る身体になったのかは理解していない。
そのため、他の誰かに教えると言われても無理難題なのである。
強いて言うならば、毎日何かしらのトレーニングを積み重ねていた、といったところだろうか。
答えになっていないツバサの発言に納得のいかないアヤではあったものの、それはそれで楽しいと言うか。
笑って聞いていられるような、いかにもツバサらしい発言に心温まっていた。
その後も楽しい昼食の時間は続き、いつの間にかご飯が食べ終わって一時間も会話をしていた。
流石にそろそろ閉めようか、という話になり、長い時間邪魔していたツバサも引き上げることになる。


「また来てくださいね!先輩」
「ありがとう!みんな!」
「そのうち、ということで頼むよツバサ」
「一人だけ冷たいのがイルナー」



弓道場から出て、学校の敷地内から離れる。
さて、まだ昼過ぎ。次はどこへいこうか?

第5話 村での過ごし方《午後》



午前中と昼食を学校隣の弓道場で過ごしたツバサ。
午後からの予定はない。
せっかくの休みだから、村の中を散策しようか。
彼の年齢であれば、時間など幾らでもあるし作ることも出来る。
それでも、ただじっと待っているよりは、自分で何か動いた方が気乗りもする。
そう思って、ツバサは用事が無いというのに村の中を出歩いていた。
村往く人たちが声をかけてくれる。
村一番と言っても過言ではないくらしに背が高い彼は、村の大勢の人間が知る存在。
大人から子供まで、知り合いが沢山いる。
実に平穏な世界だ。世間で起きているそれとは、全く異なるといっても良いくらいに。



村の広場を横目で見る。
広場といっても十字路の先、村の端に近いところにあるところだ。
何分この村は狭く行き来するのが容易い。
中心点から離れていたとしても、行くまでにそれほどの時間を必要とはしない。
広場はよく子供たちの溜まり場となる。
たとえばこの空間で、球技をしている子供たちをツバサもよく見る。
野球、サッカー、バスケットボール………など。
一体どこからその文化はやってきたのだろうかと疑問に思うこともあるのだが、それが子どもたちの遊ぶ手段で
あるのなら、まぁ気にすることも無いだろう。
休日である今日この時こそ、そうした賑やかさがあるものと思っていたのだが。



「………あれ?」



そういう風景にはめぐりあえず。
おかしいな、今日は休日のはずだ。それとも考えすぎか?
しかし、その代わりに思いもしなかった人物が二人、そこにはいた。
二人は広場の奥の方にあるベンチに座って談笑しているようだった。
広場の中央は何も無く、ただの更地。
更地のようで整地されているのが、子供を思う大人心の表れなのだが、それに気付く者はいるのだろうか。
ツバサは、その二人を知っている、というよりもう一人はいつも一緒に稽古し、学校に行く仲なので、
意外と思いつつも二人に近づいた。



「あ、ツバサっ………!!」
「あーら、また妙なタイミングでおいでなすったわね」

「………おう???」



そこにいたのは、一人はレンと、もう一人は一学年上で更に一つ年上の先輩。
名をアデルという。
彼と親しいという訳でも無いが面識はある。
というより、レンをキッカケにしてツバサがその先輩と知り合ったと言うべきか。
経緯はこうである。
レンとアデルは歳は違うが、同じ村出身で仲良し。
学校に入る年度は異なるが、その親しい間柄は他の村の人たちも知っている人がいる。
前にレンが彼女にツバサの話をしたところ、それに食いつき「会ってみたい」という話になった。
そしてノリに乗り会ってみると、アデルは彼のことを気に入ってしまったのだった。
暫く前の話になるが、以来彼とアデルは話をする間柄にはなった。
もっとも、アデルという学生、あまり学校内で見かけることはない。
学校に来ているのだろうか?と疑問にさえ思う時もある。

しかし、そんなことは置いておき、
どうやら彼は悪いタイミングでここに来てしまったようだ。
しかし、一体何を話していたのやら。


「何してたんだ?二人とも」
「ツバサが気にするこたぁないよ。女の子の秘密ってやつさ」
「“女の子”ねぇ………」


『あんた今サラッと酷いこと考えてただろ?』
と聞こえてくるが、ツバサの頭の中にはその言葉は入って来ない。
もし、これを見ている誰かが「この口調で女性………?」などと思うようなことがあれば、
ツバサと同罪になることをはじめに打ち明けておこう。
やや男勝りな性格を持つ彼女だが、それ故に信頼度も厚い。
レンも知り合ってからは、色々と何でも言い合える間柄のようだった。



「それよりあんたは何してたのさ」
「俺か?午前中は学校に居たんだけどな。今はヒマなもんでね!」
「学校?ああ、成績が悪いから講習でも受けてたのかい」
「言っておくがそんなものは一度も受けたことがない」



根元から完全否定するツバサ。
彼は興味のある教科に対してはずば抜けて成績が良いのだが、
それ以外の興味のない教科の勉強は決まって平均点かそれ以下。
「ごく無難な点数を取る」というのが、先生からの評価だ。
知りたい、興味のあるものに対しては追究し、そうでないものは必要以上のことはしない。
それなりに割り切った性格でもある。
因みにアデルは成績優秀者とは程遠い存在で、休日講習の経験者である。
何しろ学校であまり見かけないと噂されるほどなのだから。



「ヒマなのか、そうかそうかっ。よし、ちょっと付き合え」
「はいぃ??」
「ちょっ………アデルっ………!」



するとアデルが突然ツバサの手を掴んで、自分たちと同じ長いベンチに強引に座らせた。
流石に意図の読めないツバサは困惑するが、それ以上に困惑していたのは、寧ろ彼女の隣にいたレンであろう。
顔を逸らして赤くしているのをバレないようにしていた。



「まぁまぁ。あんた、今まで恋愛したことあるかい?」


………。
レンの顔はもう固まっている。
アデルの表情は「してやったり」と会心の笑み。
そしてツバサは、唖然。
ああ、なるほど。
そういう話題をしていたのね。



「なーんでまた突然」
「いいから答えろよ。男の意見も参考にしたいだろ?」
「大丈夫じゃね?だってここに――――――――――」


刹那。
アデルの踵落とし攻撃。
痛恨の一撃。
ツバサの右足は痺れて思うように動かせない。
またしても彼女はしてやったり、というような表情。
おい、アデルよ。そういう行動から学ぶべきじゃあないのかな。
もしそんなやり方でなかったら、俺も「ここに男っぽいのがいるし」なんて、考えなかったぞ。
口に出さなければ辛うじてセーフだと思っていたツバサに鉄槌が下る時間は一瞬だった。



「じゃあこうしよう。一つだけ答えな。どんな女が好みだい?」
「はー、そうだなー。俺はまぁ、元気がいいやつがいいな!!」



なんてったって、俺も元気人間だしな!
と笑みを浮かべて自信たっぷりにそう言い放ったツバサ。
かえって呆れてしまうほどの自信げな態度に、苦笑いの二人。
結局何がしたかったのか分からないまま、話の内容すらつかめないツバサはこの場では用済みとなったらしい。
広場が閑散としているから何かと思えば、もしかしてこの二人がいるから周りが遠慮したんじゃないか?
なんて、心にもないことを考えるツバサだったが、無論これは表には出さない。
心の底からそう思っている訳でも無い。冗談というやつである。



その後。


「どうだい。男の意見ってのは参考になるのかい」
「アデル………自分で振っておいて、その………」



なんの当てにもしていなかったのね、と続けるレンと笑うアデル。
彼女に関しては自分に関わるものでなかったようだから、楽観視していたようだ。
その切り替えの良さ、素早さがレンもお気に入りではあるが。
煮詰まった話の最中にやってきた、不意の来訪者。
たまにはそんなこともあるよね、と心臓の鼓動を落ち着ける、レンなのであった。


一方。
ツバサはというと、その後も村の中で時間を潰し、太陽が少し暮れかけてきた頃。



「そうだ。たまには行ってみるか!」



そう言い、村の外へ出る。
極東の地タヒチにある、極東の極地。
そこに広がるのは、海辺。
港は存在せず、人もいない、断崖絶壁のあるところだった。

第6話 タヒチの壁



オーク大陸の極東地方に位置するタヒチ村。
その極東地域の更に東側、人も住まないありのままの自然がそこにはある。
気まぐれに少年はそこを訪れた。
最東端、漁港や貿易港などの一切存在しない、純粋な海岸と断崖絶壁。
地元の人たちは、そこを「タヒチの壁」というように呼んでいる。
彼らに言わせれば、この場所は古くからその呼び名で通じていたのだという。
もっとも、このようなところに近づく人もあまりいないようだが。



「………ふぅーっ!やっぱり風強いなぁ!」



誰もいない海岸。
海辺までには高さがあり、見渡しは良いが落ちれば命は一瞬で無くなる。
そんな断崖絶壁のエリアがこの辺りは南北に続いている。
崖のすぐ近くは風が強く吹き、平地よりも気温が低い。
人間にとってあまり良いことはない。
この近くに住む人もいなければ、立ち寄る人もそうはいない。
海岸線沿いは高々とした崖が連なり、船が停泊できるような場所も一切ない。
そんな危険満載の場所に、時々ツバサは訪れるのだ。
夕日が沈む方向とも異なるのに、よくこの時間に訪れる。
誰もいない、鳥が時々飛び交うだけのような、切り離された世界。
なぜここを訪れるのかというと、なんとなく、と言えるものが多い。
そんな気がするのは本人が充分に自覚していることである。



「はぁーっ………」



深呼吸。
そして真っ直ぐな目でその先の景色を見る。
青い海が広がり、夕焼け色に染まる空が浮かび、その奥にはやがて訪れる闇が見える。
それを見ながら、ツバサは考え事をするのだ。
決まってこの場所に来た時は考え事をしている。
なぜかと言われればそれも気まぐれなのだが、彼が考え事をするという環境が、他と似ているのかもしれない。
と、自分では思っている。
誰もいない時、一人で自由に時間を使える時。


「ここも、変わらねえな。いや変わる訳ないか………」


変わるはずのない景色。
変化すら訪れない果ての海辺。
ここは激動の地より遠く離れたところ。
彼にとって東の最果てであり、そう思う人も他に多くいるだろう。
世の中が変動し続けているというのに、自分たちの周りは何も変わらず平穏そのもの。


――――――――――――それは、正しい姿ではある。



そう。
人々の生活は平穏であるべきだ。
自分もそうでありたいとは思う。
しかし、それを素直に受容出来ない自分がいるのも確かだ。
平穏は望んでいる。
しかし、一方で遠くの彼方では。


「……………」


歴史を学ぶ者、その歴史の中に埋もれて行く者を知る。
自分とは直接関係のない者でも、そのように考えてしまう自分がいる。
あの村にいる限りは、よほどのことが無い限り平穏そのものの人生を送ることが出来るだろう。
だが、それで満足できるとは限らない。
今の生活は大切だし、何より楽しい。
しかしそれは永続的なものだろうか?
自分はそうであったとしても、周りの人間はどうだろうか?
着実に昏迷に向かっている現状もある。
それは、放っておいて良いものだろうか?
彼の中でその思いが巡り巡る。



誰かにこれを打ち明ければ、きっと反対される。
だから自分は一人で考え事をしているんだ、と納得する。



「………いや、けどな………」


彼の複雑な境遇が、複雑な胸中を生み出す。



『私はね、どこかで苦しんでいる人たちの為に、戦いに行くんだ』


かつての光景が脳裏に思い浮かぶ。
そう言って、その男はここを離れ、その果てに二度と戻って来ることはなかった。
誰かの為に何かを成そうとする者だった。
それが、戦争に赴くという形で、自国の民を護るために戦った。
確かにそれで護られた命も多くあるだろう。



「そうなんだ!お父さんはスゴイね!!」


離れて行った父親を支えるために同行した母親も、その後帰って来ることはなかった。
男の立場上、戦いに出なければならないのは仕方のないことであった。
そこへ子供を巻き込む訳にはいかない。
そうして、少年は独りになった。
戦争から遠ざけるために、戦争から最も遠い位置で、最も寂しい立場となった。
それがもう10年も前のこと。
両親の失踪を聞かされて、それが死であることは小さな少年でも理解できたことだ。
もしかしたら、今の自分が平穏に暮らせているのは、
いつか苦しみに喘ぐ者たちを生み出さない為に戦った父親と、それを全力で支える母親のおかげなのかもしれない。
多くの、多くの人々のおかげで、この生活が出来ているのかもしれない。
であれば、その幸せや平穏はずっと大切にしておくべきだ。



だが。
そこで無邪気に、素直になれるツバサでもなかった。


夕陽を背にして、
その色に染まる海岸線、そしてその先の闇に映る地平線を眺める。
そして彼は思う。
俺は一体、どうしたいのだろうか、と。



それから数十分の時間をそこで過ごし、
陽も落ち暗くなり始めたところで、ツバサは村へと戻る。
帰宅するにもそれなりの時間が掛かり、村に戻った頃にはもう夜になりかけていた。
いつもの村を見下ろす高台まで戻ると、村は静まり返っている。
これもいつもの光景。
明かりがちらほらと見えるが、その程度。
町などと比べれば、どうしても見劣りするのが現実だ。
それでもここが気に入っているのは確かである。


家の中に戻ると。



「ん?留守電か?」



家の中にあった、壁掛けの電話が点滅している。
たとえ小さな村であったとしても、電気や通信は開通している。
無いところもあるのだが、彼らの環境はそれらと比べればまだ恵まれていると言えるだろう。
両親が残した電話。その電話に入る留守電の声を聞く。



『おーっす。エズラだけどよツバサ、明日急なんだが町いかないかーって話になったもんで連絡したよ。留守電入れとくから、返事頼んますー』

「………なんとまぁ暢気な声だこと」



いつもと変わらないなー、などと思いながらその留守電を聞いたツバサ。
朝から昼にかけて一緒に弓道場にいたエズラからの留守電。
皆というのが誰々なのかは分からないが、隣町に遊びに行くという計画のようだ。
すぐに分かる。突発的な中身の伴わない計画だと言うことを。
しかしそれでいい。よくあることだし、いつもそうした機会が楽しいと思える。
せっかくの週末、道場も学校もなく。
無論、彼の答えは一つ。
その突発的なお誘いに参加することだった。



「よし、明日も暇じゃなくなったな。よっしゃぁっ!」


………。

第7話 陽の当たる町で


そうして迎えた日曜日の朝。
唐突ではあるが予定を埋めることに成功したツバサ。
何も無いより何かをしていた方が良いと思うタイプの彼には、ちょうどよい機会であった。
時刻は朝の9時半。
集合は村の最も大きな十字路の中心だった。
この日は天気も良く心地良い風が吹き、お出かけ日和といったところだろう。



「お~~はえぇなみんな!!」


「遅ーい!3分遅刻だよっ!」


「何か皆に驕ってもらわねばな」


「はいっ!?そんな罰則付きだったのかっ!?」



そこにいたのは、今日参加するメンバー全員なのだろう。
彼以外に、レン、ソロ、エズラ。
いつもと何も変わらない四人の集団。
唐突に予定しても、何事も無く集まる間柄。
そして予定されていた時刻のはずなのに、なぜか遅刻と言われるツバサ。
なるほど、ようやく分かったぞ。
あえてそういう風に仕向けたな………?
と、不敵な笑みを浮かべながら、でも楽しそうにしていた。



タヒチ村の隣町、エンスク。
村から歩いても30分程度と近場にある町だが、隣町とはいえそれほどの規模ではない。
村よりは2倍も大きい町ではあるが、やはりこの地方全体が辺境という位置づけにあるために、
活気は他所に比べても少ない。
しかし、村では揃えられない交易品や物品が流通していることから、タヒチ村の住人も好んでこの町へ買い物に来る。
タヒチ村の人からすればアクセスはそれほど悪くない。
ところが、このエンスクの町から次の町までが徒歩で4時間を超える位置にあり、距離も50km近く離れる。
とても徒歩移動では行けず、自転車や車といった移動車両が無ければ、村の人たちも行こうともしない場所となってしまう。
そのため、エンスクの周囲にある村などは、揃ってこの一つの町に集結する。
唯一頼りになる流通の場を求めて。
子供たちは自転車に乗り、片道徒歩30分の道を15分ほどで行く。



「着いたら何しようねっ」


「腹ごしらえ!!」


「まだ早いよ」


村以外のところで遊ぶ唯一の場所とも言えるだろう。
彼らの世界観では、この村と隣町のエンスク、その他少しの世界しか知らないのだ。
この大陸、この世界はあまりに広大だ。
そのすべてを知るのは、何人も不可能であろう。
しかし、そのたった一部しか知り得ないというのも、損なのかもしれない。
それぞれ思うところもあり、価値観も異なる。
それでも変わりないのは、今の時間が楽しいということだ。
楽しみ合える友人がいて、なんでも話し合って、笑いあって。
それが出来るのも、この平穏な世界観に浸透し続けているおかげなのだろう。


世の中が変貌し続けていることなど、
彼らの中ではまだ認識の範囲でしかない。


町に到着すると、既に町の中は多くの人が行き交う日曜日の姿になっていた。
決して大きくはない町とはいえ、週末にここへ来る人も多い。
彼らのように、この町に遊びに来るものや買い物をする人もいるということ。
子供も街道には見え、大人たちも商業施設の集まる街道に集結している。
町の盛り上がりのあるところと、そうでないところが分かれているのがこの町の特徴だ。



「さーて、今日もやりますかっ!」


「良いね!ここでしか遊べないモノっ!」


「決まりだな」


「あれかぁ?まぁ懲りないなぁみんな………まぁ楽しいからいいけどさー」



そうして彼らが訪れたのは、町のやや外側に位置する公園。
彼らがこの町に来て熱中するもの。
公園の中を縫うようにして作られたアスファルト。自転車や車が通ることが出来るような道だ。
地方に住む彼らにとって、アスファルトの存在はやや珍しい。
他の地域を繋ぐ主要の街道は整備されていることが多いが、それ以外の小道や裏道などはすべて砂利道。
中には人が通ればそこが道となるような曖昧なものもある。
それは置いておき、彼らがしようとしているものは。


「お、また来たね僕たち。今日は“レース”かい?それとも“タイムアタック”かい?」


「あー!どっちもやりたいけど、まぁ取り敢えずレースにすっか!」


――――――――――――カートと呼ばれる乗り物遊び。



この大陸のみならず、ほかの大陸でも今は当たり前のように浸透しているもの。
機械化と工業化の発展と共にその歴史を歩んだ技術の結晶が、自動車と呼ばれるものだ。
化石燃料を媒介に、内部燃焼と上下運動によって動力を発生、それを駆動輪に伝達して巨体を動かすというもの。
カートはその簡易版。
とはいっても自動車という扱いに変わりはないが、子供向けのお遊びの車のようなもの。
速度はたったの30キロしか出ず、乗車人数もたったの一人。
大きさも普通自動車に比べれば遥かに小さいが、それ故にアスファルトの上でレースが出来るというもの。
娯楽施設の一つでもあるゲームセンターには、このドライブゲームがあるのだが、
やはり手の届く乗り物は自分で乗ってこそ、なんていう子供心が彼らにはある。
そのため、エンスクに遊びに来た際には、絶対にこの公園に来て遊ぶ。
ドライバーとなる子供たちには出来る限りの安全装備を身に着けさせる。
ヘルメットはもちろん、ハンドルを握るグローブや衝撃吸収用のスーツ、専用の靴。
これらを装備して、ようやく子供たちはこの珍しい遊びに参加することが出来る。



「よっしゃあ!いくぜえっ!!」



なぜこのような町にこのような娯楽があるのか、と言われると答えは難しい。
この公園の整備も遊技場の展開も、すべて有志により実現したものだ。
この場所を運営する人たちが10人ほどいるというだけで、ほかはただの公園と変わりはない。
だが、この町の貴重な遊技場の一つとして、今では町全体からの補助を受けている。
子供たちも、彼らのように安全を徹底したうえで遊ぶことが出来る。
ほかの地方の子供たちも遊ぶ、人気のスポットになっているのである。
彼らがこの遊びをし始めたのも、ほんの二年ほど前から。
既に運転歴は長い。この経験が後に意外な恩恵を受けることになるのだが、それを語るのはまだ早い。


「んー、みんな早いよ~」
「へへっ、やったぜっ!」
「相変わらず、いい腕をしているな」
「………はえぇ」


もう何十回とレースを重ねているのだが、
その中で最も多く一位を獲得しているのが、ツバサだ。
彼自身どういう訳かよく分かっていないが、この遊びに関しては他の三人よりも上手い。
カートの性能はどれも変わりないというのに、どうしてこれほど差が出るのだろう?と他の人たちが思ってしまうほど。
その腕の良さは、まるで剣術道場での彼を見ているように、誰もが等しく認めるものであった。


「これより早くなったらどーだろーな」
「世の中の車ってのはこれよりもっと早いんだろっ?乗ってみてえなあ!」
「危なくって、見てられないよ………」


生憎とタヒチ州は中央からは遥か遠く離れた土地。
場所によって技術の伝達、発達にズレが生じているため、彼らのいる地域では世界で当たり前になっているものが
なかったりもする。
電気は通っているし、ガスも通っている。生活のライフラインは必要なものが揃っている。
しかし、移動手段は基本徒歩か自転車。
世の中で当たり前のように浸透している車などというものは、今のところ彼らの生活圏では文字にしか出て来ない存在だ。
それも彼らの住んでいるところが「地方」であり「辺境」であるのが理由だろう。
最低限人々が生活していくのに困らないものは揃えられている。
しかし、それ以上のことを望める環境にはない。
彼らのいる国、ソロモン連邦共和国はあまりに広大すぎた。
元々すべての国民の生活を同程度の水準にするという政策など取っていないが、地域差は時に支持率を揺れ動かす。
あるいはそれを求める国民が強欲なのだと非難されるか、自分の力でその先を手にしてみろと言われるだけか。
このような珍しい機会に触れられる、今の状況に感謝するしかない。


カート遊びが終わると、
彼らは腹ごしらえをするために、この町に来てよく行くうどん屋に入る。
あまり金銭的に余裕のない子供たちにも優しい一杯。
ツバサはすき焼きテイストのうどんを、レンはきつねうどん、ソロはかき揚げうどんに、エズラは肉うどん。
それぞれの味を頼んでは、元気よく食べる。
遊んだあとのご飯というのも格別の味で、またうどんのこしも良く食べごたえがある。


「美味えなぁっ!」
「こら、ゆっくり食べなよ」
「っと、悪い悪い!」


午前中はカート遊びに夢中、昼はうどん屋。
さて、午後から何をしようかと考えながら食事をしていた子供たち。
店の中には他にもお客人が沢山いるようで、色々な話が飛び交っている。
笑い話や真剣な話、この世の中の情勢に関することまで様々だ。
子供たちからも色々な話が聞こえてきているが、今はそれを意識することもなかった。
うどん屋で話し合い、午後はやはり町でしか基本買えないものを買うことになった。
村に商店は片手で数える程度。しかもそのすべてが日用品や食料といったものばかりだ。
村で生活をしていくためには必要なものが揃っている。
逆に言えば娯楽や趣味に関するものは、村では揃えることが出来ないのだ。
そのため、町での買い物は貴重な機会となる。



「よし、じゃあ一時間は自由行動にすっか!」
「そうだね!皆それぞれ欲しいものもあると思うしっ」



四人ともツバサの出した意見に納得し、それぞれが町の中で散り散りとなる。
皆で一緒に買い物をするのもいいが、自分で欲しいものを自由に見て選ぶ時間も必要だろう、とツバサが話し、その通りになった。
そのツバサはというと。



「やっぱり、なんだかんだ言ってここに来ちまうよな~」



赤いレンガ調の建物。
近場では見かけない造りのそれは、書店だった。
図書館と併設された書店となっており、周りの建物よりもやや大きい。
何よりこの赤いレンガ調の建物がよく目立つ。
しかもこの建物は書店という役割だけでなく、建物の一部が塔のようになっている。
塔の中央部が空洞になっており、その頂上には大きな鐘が下げられている。
また壁には大きな時計が設置されていて、一時間ごとに鐘の音を鳴らす仕組みとなっている。
この町のシンボルのような建物だ。
このような辺境な土地でも、この書店はあらゆる地方の本を集めようと努力しており、
出版先がソウル大陸のものも数多くある。
勉強熱心………とは言い難いが自分の興味のあることに対しては集中力が高い彼は、町に来るたびに書店も訪れる。



「やあ、こんにちは。また来たね」
「こんにちは!!また遊びに来ましたっ」



ここの司書を務めている青年ガイアは、
ツバサのことをよく知る間柄だ。
彼がこの書店を頻繁に訪れているという理由だけでなく、
ガイアという青年がタヒチ村の学校に書物を配送しに来ることがあり、会う機会が多いのだ。


「今日はどんな感じですか?」
「そうだねー………珍しいものでいえば、コレなんてどうかな」


ツバサはここへ来ると、ほぼ毎回書物を購入する。
彼が興味のある本が多いが、この書店で購入する者に関してはそれに限ってはいない。
なぜかといえば、この書店は他所の地域、地方、あるいは国の中で出版された本を取り扱っているからだ。
そのため、彼らが普段生活をしていて絶対に目にすることの出来ない本も、この店にはある。
彼はそういったものに興味を示し、ガイアと仲良くなってからは色々と案内してもらっている。
ガイアがその中で見つけてきた一つの本を、彼に見せる。
本の題名は『古の都アラド~文明開化の礎と繁栄の中心』。
歴史上にあった事実を記したもの。
遥か昔の人類と文明の姿を描いたものだ。
古の都アラドというのは、ソウル大陸に存在する大きな都市のことで、長期に渡り繁栄を続けた人類の中心地として、
ツバサたちの通う学校の教科書にもその記載がされている。
しかしあくまで教科書は事実を羅列させたもので、その詳細というものは中々隅々までは書かれていない。



「おぉ、イイですね!」
「これは現地にいる人が前に出版したものだ。現代の人が書いたものとはいえ、より詳しい状況が見て分かると思うよ」
「OKです!!買います!!」



相変わらず君は歴史書が好きなんだね、と笑顔で答えるガイア。
それに対しもちろん、と元気よく答えたツバサ。
毎回のように本選びを手伝ってもらっては、彼の読む本の方向性は手に取るように掴める。
彼は迷わずにその本を選び、そして買う。
彼はこうしてここで本を買い、そして家に持ち帰り読み更ける。
そのため彼の生活空間には、彼が興味を持った分野の本が数多く揃っている。


「そういえば、今日はいいのかい。君の言う“中央”に関わる本は」


「………あー、そうですね。けど、まだ見足りないものがあるので!」



先程までの笑顔とやや違い、真剣な眼差しを彼に向けたガイア。
“中央”と呼ばれる土地。それにまつわる内容の本や資料。
彼がここに来て、その中央と呼ばれるものの本を買うのには、大きな理由がある。
そしてその理由の一片を、このガイアという青年は知っているのだ。
何しろ彼がそれを求め、その声に答えるためにそれを探し紹介したのがガイアだったのだから。



『ご両親とも軍人に……そうだったんだね。辛いことも多かっただろうね………』


はじめてその事実を告げられた時に、ガイアは彼にそう返答した。
一方の彼は、その事実があまりにも重苦しいものであるはずなのに、笑顔で元気よく打ち明けていた。
誰にでも打ち明けられるものでもない。
だが、彼は興味本位を追求するために、自らの事実をその人に明かしたのだ。
彼とて全く人を選ばなかった訳では無い。
それにこの書店にきてすぐにガイアにその事実を打ち明けたのでもない。
そう、この町に友人と、あるいは一人で来る機会が多くなってから、ガイアに話した。
「自分の両親は、10年前の世界大戦に出兵し、それ以後帰って来なかったんだ」と。


「中央に関わる本は、またの機会にします!」


「そうか、分かったよ。次来た時の為に、いつでも用意しておこう」


「ありがとうございますっ!!」




ツバサの父親は、ソロモン連邦共和国の軍人だった。
それを支えるために、母親は父親の出征に付き添った。
子供一人を置いて行かなければならなかった。
その判断が果たして良いものであったかどうかは、分からない。
しかし、ツバサは両親のいなくなった後、周りの後押しを受けながら強く成長した。
自立能力に富み、剣道も習った。
彼が中央という存在に興味を持ち、自らを強くし続けてきたのには、意味がある。



父親の背中を、母親は追って行った。
その先に、二人は一体何を見たのだろうか?
今自分に出来ることは、その世界を断片的に知ること。
でも、もしいつか、自分でその世界へ入ることになったとしたら。


………。

第8話 見慣れぬ姿


「さて皆何してるんだろなー?」



自由時間、という風に彼自らが設定した。
書店で30分ほど時間を使ったツバサであったが、まだもう少しばかり時間はありそうだ。
町の中を回ってみよう。他の人たちが何をしているのかは分からないけど、
近いとはいえそう頻繁に来ることも出来ない町だ。
きっとレンは買い物を買い込んでいることだろう。
何しろあの人はこと自分の生活に関することは素晴らしい出来栄えだ。
それが料理しかり、身の回りの整理しかり。
同じ16歳とは思えない、というのがツバサの率直な感想。
エズラは徘徊するようにのんびりしてるかもしれないし、
ソロは………何をしているのかがあまり見当がつかない。
何度も同じメンバーで町に遊びに来ているというのに、彼らを知り尽くすのは難しい。
まだ時間はある。せっかくだから色々と歩いて見てみよう。


そう思って、町の大きな街道へ通じる道を歩いた、その時。



「ん………?」


町の中の細道、建物と建物の間でやや明かりが差し込み辛いその場所で、
何か不穏な様子が見受けられた。
見慣れないが統一された服装の人間が二人、その先に一人の男。
同じ服装をしている二人は恐らく男だろうが、随分と図体が良いように見える。



「あれは………」



こんな町の細道で一体何をしているのだろうか、と疑問が浮かび上がるツバサ。
思わずその場に立ち止まり、その方向を凝視してしまう。
目を細め、奥で何をしているのかを鋭く睨み付ける彼。
周りの人たちは気にせずに歩いている。
というより、あれに気付いていないのではないだろうか?と思うほど周りは自然体だ。
見ようと思えばハッキリと映るだろう。
一人の男が、二人の同じ格好をした人たちによって、連行されている。
その場面にツバサは直面した。
一体何が原因で、あの路地裏のようなところで連行されることになったのだろう?
ただの興味ではあるが、何故だろう、無性に気になってしまう。
一歩前へ、何かを確かめようと行動したい、その気持ちが出ようとしたその瞬間。


「あれは“州軍”だな」
「うわっ!?」



隣に不意に現れた一人の男性によって驚き、反応して声を出してしまった彼。
だが奥の三人には見向きもされなかった。一瞬焦りが出て額に冷や汗をかいたが、
すぐに隣に現れた人の正体を確認する。


「な、なんだソロか………吃驚したぜ」
「それはすまないな。お前を見つけたものでね」



右手にビニール袋を提げた男、ソロ。
どうやらこの人も他所で買い物をしていたらしい。
そしてツバサを見つけ、ここまで近づいてきた。
その視線の先に居る者の存在にも気付いたようで、ツバサにそれを告げていた。
“州軍”と、男は言った。
それが何なのかはツバサにも分かっている。それこそ、何度も本などで勉強した内容だ。



“州軍”
ソロモン連邦共和国軍所属タヒチ州方面部隊。
連邦軍と呼ばれる巨大な軍事集団の中の一角に存在する部隊で、
あまりに広すぎる領土を幾つも区分けして、州ごとの軍事統制を行っている集団。
基は連邦軍であるが、所属地域によって統括と配置がそれぞれ異なる。
ここでの州軍はタヒチ州、つまりソロモン連邦共和国領土の中でもタヒチ州と呼ばれる地方を管轄する軍隊だ。
軍人の総数は数え切れないほどと言われており、また各州にそれぞれ軍隊が配置されている。
州軍が持つ役割は大きく分けて二つ。
一つはその州内部の防衛。もう一つは州内部の治安を維持する目的がある。
前者は外敵や異なる勢力、民族からの攻勢を退ける役割を持ち、
後者は国内の不届き者などを制裁し安定をもたらす役割を持つ。
となれば、恐らくあの路地裏にいるのは後者の類の者たちだろう。



「よく知ってたなぁソロ」
「ここには州統括本部もある。国の管理、お膝元だ。あの連中を見るのは初めてか?」
「たぶん。いや、見たことはあるだろうが、あまり気にしてなかったのかもしれねえな……」



俺としたことが、と吐き台詞を言うツバサ。
この時ソロは何故“俺としたことが”などと考えているのか?と疑問に思ったが、それを聞こうとはしなかった。
治安維持を目的とした部隊、それに携わる人員はこのエンスクには大勢いるのだろうが、公に姿を見せている機会はない。
何故なら、彼らの存在は民衆にとって大いなる脅威であるからだ。
何かやましいことがある人間にとっては特にそうだが、そうでなくともあの兵装を身に着けた姿は脅威に映る。
あれだけでも抑止力として機能することだろう。
人々の生活においてあらゆるものが抑止力として働く。
軍隊というのもそのうちの一つだ。
あれが存在するだけで、人々はそれを前に気を配り、自由を制限される。
好き勝手な行動を取れば、それが治安を乱すものと見做され処断される。
だが、あのような抑止力があるからこそ、“法律”という縛りが確かな意味を持つのかもしれない。
法は単一では無力。しかし、それを司り支配するものがあるからこそ、法としての機能を持つ。
彼はこの類のものに興味を持つまでは、それほど支配や統率などといったことに関心を向けなかった。
だが、よく考えれば、彼の境遇はまさにあの州軍がかつて立ち向かった相手から生まれたものである。
そうか、戦いに赴いた人は、この地より遥か遠くにいる脅威と戦い続けてたんだ、と思い、彼は拳を握り締めた。



それが、自分の父親にも当てはまることだからだ。



気が付けば、州軍の二人と連行されていった男は姿を消していた。
恐らくこの町にもある施設に送られていったのだろう。
人々が彼らに目を向けることはあまり無いようで、どちらかといえば関わりたくないというのが本心なのだろう。


「なんだ。随分と興味がありそうだな」
「ない、といえば嘘になるな。なんであの人が連れていかれたのか、ということより」
「あの州軍が普段何をしているか、ということか。お前は歴史と軍事には前から興味があったようだし、分かる」


教科書レベルでは、州軍が普段何をしているか、など分かるはずもない。
彼らの行動は細分化されているが一般向けに公開はされていない。
こと細かな情報は当然軍事機密になっているだろうし、一般向けに公開されている内容など、
誰にでも調べられるようなことばかりだ。
本当にそれを必要とし、その情報を手に入れる手段は限られる。



「しかしまぁ、危ないことには首を突っ込まない方が良いとも言うが………」
「………」



そう。
“一般人”であれば、日常的に軍人と関わる機会など普通はないのだ。
たとえこんなご時世であったとしても、一般人と軍人とでは同じ人間であっても異なる領域に居る。
それが大衆意見であり大方共通している認識だった。
ある程度の認識が備われば、軍人とは普段どのようにしているのかは容易に想像がつく。
それがあたかも事実のように認識してしまう。
しかし、他の人も同じようにそう認識するために、それが正解のように語られてしまう。
ツバサもその認識というのはハッキリと理解していた。
普段、あれは自分たちと関わるものではないのだ、と。
だがそれ一言で片付けられない事情もあるし、興味というのもある。
確かに彼らは民衆にとって脅威であり危険な存在なのかもしれない。
それでも、その一言では語られない多くを、彼らは持っているはずだ。



「さ、行くぞ。あまり覗き見して目を付けられても困るだろう」
「お、おう………」



確かに、凝視し続けてあまり目を付けられるのも良くないだろう。
彼に何ら落ち度もないし、後ろめたいこともしていないので捕まる理由など無いのだが。
その場を去る二人。
だがツバサはその三人の姿が街角で見えなくなるまで、その方向を見ていた。
普段は目にしなかった、珍しいもの。
州軍という軍人、兵士の立場にある者たち。
彼が何度も頭の中で考える機会があった、兵士という存在の現実。
その姿を見たツバサは、暫くその後ろ姿を忘れることが出来なかった。
それからのこと。
四人は合流して暫くは町の中で遊び、食べ、歩き。
夕陽が空の色を変え始めた頃に、また自転車でタヒチ村へと戻ることになった。



休日が終わり、また日常が戻っていく。



「では、明日学校で」
「またな~」



楽しい時間というのはかなり短く感じてしまうようで。
あっという間に夕方、これから夜を迎えようとしている。
唐突な呼び出しによる計画でも、思う存分楽しむことが出来た。
また、平日という五日間が始まる。
ソロとエズラと分かれた二人、ツバサとレンは、自転車を押しながら歩いて話をして帰り道をいく。
既に太陽は傾き、空は赤く染め上げられ、少しだけの風が彼らの髪を靡かせていた。



「あっという間だね!楽しい時間って」
「ああ、そうだな」



改めて思うと、本当に楽しい時間だった。
それがあっという間に終わってしまうというのが、受け止めなければならない現実というか。
いつまでもそんな時間が続けばいいのにな、と思うレン。
彼女は今の日常、休日の過ごし方にほぼ満足し、誰にだって本心だと思われるような笑みを溢す。
ツバサも今日という一日を楽しみ、陽気に過ごし、一日の終わりを告げる今日の別れが来るときまで、
きっと笑顔で過ごすことだろう。


「………」


………………?


なんだろう、この違和感。
どうして、彼はそんな顔をしているんだろう?


不意に訪れた漠然とした不安。
今まで感じたことのないような、いわれのない怖さ。
どことなく感じたそれが自分に圧し掛かり、錘を下げられているように重たく感じたその瞬間。
その理由は彼にある。
無論彼が悪いとかそういう話では無い。
彼女がふと彼に同意を求めて、その笑顔を見ようとした。
だが、実際にそこにあったのは笑顔ではなく、いつも真っ直ぐに瞳を向けていた彼の顔でもなかった。
眼を細く、俯きに、まるで何かを思い詰めるような表情。
楽しかったはずの今日にあり得てはならない、と勝手に思い込んでしまうほどに、衝撃的なその姿。
なぜそこまで衝撃的だったのかといえば、今日が楽しい日常でそれに反する顔だったから、というものではない。


あのツバサが、
そんな顔をする人だとは、思わなかった。


だとしたら、なんでそんな顔をするの?
彼女の疑問はやがて自然的に口に出ていた。多少濁らした言葉で。



「どうしたのツバサ?何かあった?」



と、彼女は問う。
彼は何かに気付くようにふと目を上げ、視線を戻し、そして問い主に振り返って。



「いや、気にすることはない。さぁ、帰ろう」



と、それだけを言って、また笑顔を見せて歩き始めた。
その一瞬はいつもの彼の顔に見えたが、その言葉には前の元気の良さが伝わってこない。
口調も冷静で声色も落ち着いていた。
本当にいつもの彼じゃないような、そんな気がした。
先程までの彼とも違うし、まるでどこか遠くを見ているかのようなその姿、瞳。
それに漠然とした不安を拭い去れない彼女。
一方で思う。


なぜ、自分がここまで不安になってしまうのだろうか、と。


夕空の下、風の流れるタヒチ村の自然の中で、二人は今日を終え明日を迎えるために、別れる。



………。

第9話 力の素

「………何を気にしていたんだろう?」

帰り道のツバサは、何か様子がおかしいというか、いつもとは違う気がした。
あれほど楽しそうに日常を送るツバサだけど、どこか、何かが………。

家に戻ったレン。
家の場所の関係で、家に帰る直前までツバサとは一緒に歩いていた。
いつもの彼ならばいつだって元気な姿を見せる。
それは、自分の前でも皆の前でも変わらない、ただ一つのツバサの姿だった。
けれど、それが“違う”と思う瞬間があった。

ツバサという人は、
誰からも信頼され慕われる人。
親切で優しく、元気いっぱいに辺りを走り回っているような。
先輩や年長者からも受けが良く、本当に誰からも愛されているような人。
皆がよく知る彼の姿というのは、とにかく明るく時にやんちゃな姿。
それが常だと思うこともあった。
いや、寧ろそれが常だと思い、あたかも当然の姿だと思い込んでいた。
皆はその認識を変えることはないだろう。
ツバサという人間の印象が、その方面にあまりに強すぎるから。
けれど、そうでない姿というのを、まだ私たちは知らなかった、のかもしれない。

『いや、気にすることはない。さぁ、帰ろう』

彼女が彼に問いをかけたとき、彼はそのように答えた。
彼がどのような性格の持ち主なのかは、彼の周りにいる友達がよく分かっている。
けれど、その瞬間の彼は、その認識のどれにも当てはまらなかったような気がする。
それに違和感を覚えるレンであったが、これを解決できる気は全くしない。
何かこう、ツバサの深い内面に触れてしまう可能性がある。
漠然とした不安は躊躇いになり、躊躇いは行動を制御してしまう。
不安の持ち主はそれを解消することが出来ず、この先も彼と関わっていくことになるのだ。

ただの興味本位というものではない。
何か、大切なものが見え隠れしている、そんな気がするのだ。

翌日を迎え、登校日。
今日からまた五日間の学校生活が始まる。
彼女はやや漠然とした不安を持ち、心が前に向かない状態での通学となった。
『何故自分がここまで気にする必要がある?』と、
心の奥底からそんな声を投げかけられているような気がする。
しかし、そんな声を跳ね除けて、彼女はその思いが自らの本当の思っていることであるという確信を持って、
できるだけ様子を表面に表さないようにしながら学校生活を送る。

「ははっ!そうだったのかー!流石ヘルマンだなっ!」


休み時間や講義中の発言を聞いていると、いつも通りのツバサだと感じる。
しかし、やはり昨日のあの姿というのも気になる。
その背景に一体何があるのか、問いただすことが出来ないもどかしさを覚えていたレン。
彼女がしたかったことは、何かもし事情があるのだとすれば、それは何なのか。
自分でできることはないだろうか、何か支えられることは無いだろうか、と考えていた。
自分は無力かもしれない。けれど、そんな無力な人間にもできることを探して実行していきたい。
彼女の思いすぎなのかもしれないけれど、それでも確かに彼の様子は普段見せない何かがそこにはあった。

昼休み。

「どうしたんだい。なんか浮かない顔してるね」
「えっ。そ、そうかな………?」

二つ年上の先輩アデルと共に昼食をしていたのだが、彼女の何か浮かない顔を先輩がいち早く察知して、
それを彼女に問いかける。
レンは、自分は何も平常心だと思い込んでいて、自分の表情も平静そのものだと考えていた。
しかし、どうやら自分の認識と他人からの評価、見え方というものは違うらしい。
何か悩みでもあるのかい、と問うアデルに彼女は甘え、心の内を少しだけ打ち明けた。
ツバサと帰る機会が多い。昨日は友人たちと隣町まで遊びに行った。
けれど、なぜか帰り道、彼は暗い表情を幾度か見せていた。
たったそれだけのことなのだが、たったそれだけが彼女の脳裏にやきついてしまっていた。
いつものような明るさもあるのだろう。
しかし、その奥にはどことなく迷い、悩みがあるのではないか。
そんなことを思う姿が見受けられたのだから。

「ほー、そうかい。あいつは悩みなんて持たないような人間だと、私は思ってたけどね。何しろ自分で“そんなものは似合わねえ!”なんて言ってるくらいだし」

でもまぁ、そういう人こそ悩んだ時はドツボにはまるのかな。
そうアデルは切り替えした。
レンがここまで彼のことを考える必要もないのだが、それでも気になるものは気になった。
まずアデルは、彼がそのような姿を見せた経緯となるものを聞いた。
彼女も詳しいことは知らないが、帰り道はどうもいつもの彼らしくなかった。
何に引っかかってそのような姿になったのだろうか。
その経緯が分かればアデルとしても色々と手の打ちようがあったというもの、それが分からないのではどうしようもない。


「一緒にいた連中に聞いてみるしかないね」

前向きに話を集めようとしたアデルは、ソロのもとへ行った。
できるだけツバサには探りを勘付かれないようにして彼に聞きに行くと、あっという間に経緯というものが判明した。
もともとソロも誰かに言うつもりなど毛頭なかったのだが、隠す必要もないと判断し、それを求めてきた二人に回答を用意した。

「兵士?」
「州軍かい?まぁ確かに隣町は行政の中心地だからな、それに気にかけるのも無理はないか」
「でも、何故ツバサは兵士を気にしていたんだろう………?」

路地裏のようなところで、州軍と遭遇したというツバサとソロ。
その後から、言われてみれば確かにツバサは様子を変化させたようだった。
表面上はあまりそれが顕著に見えていなかった。
少なくともソロは今この瞬間に言われるまで気付くこともなく、そう言われてみれば確かに、と認識する程度だった。
もしかしたら、エズラは気付いてすらいないかもしれない。
レンが彼と二人きりの道を帰っている時に、彼女はその漠然とした不安を感じ取った。
だが、ツバサが州軍の兵士を見て何故そうなるのか、背景が全く掴めない。

「まぁ確かに気になるところだけど、でもちょいと引き気味に見てた方がいいかもしれんね」
「アデル?それはどういう………」
「あいつは歴史とか軍事に多少なりとも興味がある。それは一番あんたたちが分かってることだろう?」

同級生なんだから、とアデルは一言加えて説得力をつけさせた。
ツバサは普段から熱心に勉強をするタイプの人間ではないが、一方で自分の興味あるものに対しては夢中になるという一面もある。
すべてがすべて興味本位というものではないが、確かにツバサは歴史的な事実に目を向けたり、そのような書物を読む機会が多い。
アデルは、それにすら何らかの理由があると考えている。
ただの興味では無く、その興味を持つに至った理由というものがあるだろう、と。
もっとも、それを明確に調べ確認する方法は、今のところ本人に聞く以外ない。
だからアデルは、今はそれを置いてそっとしておくべきではないだろうか、と考えたのだ。
もし本当に彼に何かがあるのだとすれば、それは軽はずみに触れていいものではない、と。
冷静な意見は各々に思考を巡らせるのに充分なものであった。

「何にせよあいつ本人に何かがあるのなら、それを後押しするのも分かってやるのも、一番近いあんたたちにこそできることだよ。けどそれはあいつが必要とした時でも遅くはないさ」

軍事や歴史に興味を持っている。
特に歴史に関しては熱中度合いが他とは異なる。
それが彼本人の何かに起因するものかどうか。
それを知るのはもう少し後のことになる。
彼がそれを言いだすまで、待ってやろうというのがアデルの考えで、
ほかの者たちもそれに合わせることとなった。
もっとも、この時点でアデルは、何が起因であるかどうかを予測できてはいたのだが。



放課後にはいつもと変わらず、剣術稽古。
いつもの道場へいき、数時間の鍛錬が始まる。



「では素振り100本いくぞ、声を合わせて!!」



人の熱心なものに興味を持つのは、いけないことだろうか?
私は深く考えて入り込み過ぎているのだろうか?
そういった思いを払拭することが出来ずにいたレン。
普段あのような顔を見せることがないツバサが相手だからこそ、感じたものなのかもしれない。
思い悩みながらも竹刀を振り続ける彼女。
その迷い、悩みを振り払おうとするようだった。
“それを聞いてどうなる?”
“何か出来ることなどあるのだろうか?”
やはり、アデルの言っていたように、ツバサが何か言いだすのを待てばいいのだろうか。
そもそもツバサはそのような心配をしている、と考えもしないだろう。
あの人は強い、けれどそういう人だから。



「ねえツバサー、どうしたらそんなに強くなれるのー?」
「教えてほしいなー!」



暫く続いた鍛錬が一段落し、休憩時間が訪れると、そんな言葉が彼にかけられていた。
彼よりも4歳も年下の子供。背も小さく身体の発育だってまだ途中だ。
しかしこの道場には歳の上下に差があり、彼らのような小さな子供も何人もいる。
逆にツバサのような186cmもある高身長の子供は誰もいない。
休み時間、そのツバサを取り囲むように集まる子供たち。
それを遠くから見る同級生と師範代。
彼は困ったような表情を浮かべながら、左手を脇腹にあてて考える様子を見せていた。



「どうやったら強くなるって言ってもなー、鍛錬を繰り返すのは大事だぞー?」
「分かってるよーそんなことーっ」
「何か他にしてるの?」



詰め寄られるツバサは困惑する。
確かに自分は道場の中では最も強いと言われている。その自覚は当然あるのだが、
ツバサはこうも思っていた。
“世の中にはこの強さを持つ者など大勢いるだろう”と。
彼は決して今の自分に納得し、満足している訳では無い。
確かに誰にも負けないあたり、最も強い門下生と言うことは出来るだろう。
その実力は師範代でさえ納得し認めるほどのものだ。
だが、他人からの評価がどうあれ、ツバサ自身はそれを認めてはいない。
否定することもないが、認めもしない。
納得することもない。
更なる先へ行きたいという気持ちが十二分に存在するのだ。



「大丈夫だって!強くなろうって気がありゃ本当にそうなれるさ!難しくないだろ?」
「気持ちからってことー?」
「そうそう!自分より強い人を見て参考に出来るものは必ずあるさ。それを自分のものにすりゃいいんだ!」


おいおいツバサ。
それを言うと他の人は皆お前を見てしまっているぞ。お前じゃ参考にならん。
と、やや遠くからそんな呟きが聞こえた気がするが、それがソロから発せられた苦言であることはツバサも気付いていたし、
それに苦笑いをしながら「あはは」などと言うツバサであった。
彼の道場入門暦は長い。
それだけの年数と時間を鍛錬に費やしてきたのだから、強くない訳が無い。
といえば当たり前のようにも感じるが、師範代でさえ彼の力量は群を抜いてる、という言葉を更に凌駕していると考えていた。
生まれ持った体質や育ち方にもよるが、そのどれもがかみ合い発揮しているかのような強さ。
それはもう子供という小さな存在の領域を超えていた。
少なくとも、本人以外の人たちの多くがそう感じていたのだ。
ソロが「あれは参考にならん」というのも、自分たちが目指す相手の何段も上をいっている、と確信していたからだ。
レン、ソロ、エズラの三人ですら追いつかない。
そんな力を、強さを、彼はどこで手に入れたのか。
実のところ本人もあまりその辺りは理解しておらず、理由を問いただされても答えるのに苦労してしまうのだ。
ただ、彼は道場以外でも鍛錬を積み重ねていたことはある。
かつてそのようにしていた身近な存在を思い出しながら。



道場が終わり、月曜日がもうすぐ終わろうとしている。
今日も汗を流し、清々しいくらいに沢山動いたその身体を自ら運ぶ。
また同じようにレンとの帰り道を歩く。
笑顔で、元気のいいツバサ。



「明日社会科の課題、やった?」
「ああ、もちろん!!」
「じゃあ国語科は?」
「ああ、やってねえ!!」
「ふふっ」



相変わらずね、と静かに、だが笑みを浮かべて話すレン。
興味のあることには積極的に取り組み、そうでないものは疎かになりがち。
そんな彼の姿が、しかし彼らしいというか。
だが、ここで彼女は恐らくは彼の思わぬところを突いた質問をした。
それは彼女が昨日から持ち続けていた、漠然とした不安の一部。
アデルから聞いていた、いつか彼から打ち明ける時が来るかもしれない、という言葉を破る問い。
それと直接関わりはなくとも、彼の内面を知ろうとする問いだった。



「前にも、聞いたかなーって思うけど………ツバサが強くなりたい理由って、何かな」
「強くなりたい理由、か」



そう、これは前にも聞いたことがある。
確認という意味も含んでのことだ。
いつ、どのくらい前に聞いたかはもう分からない。
逆に言えば、この質問はそれほど思い出せない期間が空いたのかもしれない。
お互いにその意味を意識することなどなければ、忘れ去られていてもおかしくはない問いだ。


だが、その問いはツバサにとっては特別なものだ。
ただ単に“強くありたい”から“強くなろう”としたのではない。
彼には、確たる理由がある。
それを。



「なんでそんなものが気になるんだ?」



静かに、そう答えていたツバサ。
ただの疑問だったのだろうが、そのように問いを投げ返されたレンにとっては苦痛の一言だった。
何か自分がよくないことを口にしてしまったのではないかという罪悪感を得た。
そして、その時の彼の顔は、昨日同じような空の下で見たあの顔と、似ている。
言われてみれば疑問に思うのも無理はないだろう。
普通であればこのようなことを口にすることもないし、聞くこともない。
“○○って強いんだね!”という言葉がけはあるかもしれない。だが、
“なんでそんなに強くなれるの?”とはそうなるものでもないだろう。
それに、態々それを他の人にいう必要もなければ理由もない。



「皆も気にしてるよね!そ、私もその一人というか、あはは」



将来の夢とか、何なのかなーって。
そう口にする彼女。
これも最近はともかく、以前に何度か聞いた話だ。
その時は何と答えていたかは憶えていない。
理由は、ツバサ自身も明確な答えを示さなかったからだ。
子供であれば夢を見る。将来自分がどのような姿になりたいのか。
どういう仕事に就きたいのか、どういう人間になりたいのか。
誰しも等しく夢を持つことが出来る。
それを叶えられる人間がどれくらいいるのかという現実は、あまり考えたくはない。
ツバサにだって、きっと夢はあるだろう。
将来どのような人になりたいのか、というイメージもきっとあることだろう。
けれど、どうしてそれが“強くなること”と直結しているのだろうか?
勝手な曲解を自分の中で繰り広げているだけなのに、なぜかそれが真実のようにも感じられる。
身勝手な思い込みであるのにも関わらず、それが当てはまっているような気もする。
彼女はあくまで自分も皆が思っている一人のうち、という立場を維持しながら、それを聞いた。



「今のところ夢………うーん夢か、いや夢ってのはあまり決まってない気がするなー?」
「あら、そうなの?」
「おう。そもそも夢の着地点ってのがどこか分からないっていうか!」



彼女は、きょとんとした顔で、その言葉を受けた。


『何かをしたいという気持ちはある。いや、こうあるべきだろうって姿も分かる。だがそれが本当に選んでも良い道なのかは、分からない』



彼はそう答えた。
明確な答えは得られなかった。
言葉は違えど、前にもこのような言葉で伝えられたのかもしれない。
自分のしたいことはある、するべきこともある。
だがそれは、夢であるのか?
その夢はどこから始まり、そしてどこへ向かっていくのか。
彼にさえ分からないそれを彼女が理解するのは難しい。
だが、彼がどのようにして思っているのかは分かったし、ある程度の想像もついた。
でも、何故だろう。


彼は、自分の持つその力と強さで、何をしようとしているのだろう。



………。

第10話 レンの家族



彼を知る者の誰もが認める、その力の強さ。
その素はどこから来て、そしてどこへ向かっているのだろうか。
本人ですら知り得ないそれを、ほかの人たちが知るはずもなく、理解も出来ない。
そもそもそれを知る必要はあるのか?
知って何になる?
彼女の勝手な思い込みだが、恐らくは彼の内面の深いところに直結するであろうこの話を、
あまり求めてはいけない気がする、と彼女は考えていた。



もっと、夢って無邪気なものだって、考えてた――――――――――――。



だがそれはあくまで彼女自身の価値観によるもの。
夢が常に無邪気なものであるとは限らないし、決めつけるのは勝手だがそれが常では無い。
ただそれが、彼に似合わないものだと思ってしまっていたから。
彼に対して持つイメージが固着し過ぎていたせいか、その反動は大きかった。
単純に考えればごく当たり前のことでも、彼女にとっては大きな衝撃をもたらすものだった。


『何かをしたいという気持ちはある』


彼はそう言った。その後で、「何かをしなければならない」とも語った。
たった数秒の言葉がこれほどまでに重く圧し掛かって来るとは考えもしない。
彼女の問いだった夢、しかし答えは夢では無く未来の自分の“あるべき姿”。
彼自身でさえ定まっていないその姿。
身に余るほどの強力な実力を持った彼と、その彼が興味を示すものの先。
それらが重なり合った時、彼女は考え背筋を凍らせた。
けど、経緯が分からない。
もし仮にそれが本当だとしたら、彼のなりたいものが彼の興味と一致しているのだとしたら、
それは何故?と。



「ただいまー」
「あら、はやかったのね。お帰りなさい。先にお風呂にする?」
「うん、そうするかなっ」
「はいはい。お湯は沸かしてあるから、ご飯はその後にね」
「うん、ありがとうー」



自宅に戻った唯一の子供を優しい笑顔で迎える唯一の肉親。
レンの自宅には彼女と彼女を支える母親しかおらず、父親はいない。
ずっと前からこのような生活を続けており、母親は一人娘の彼女を一生懸命に育ててきた。
レンにとって親とはただ一人であり、毎日育ててくれる母親以外には存在しない。


母親に言われ、彼女はお風呂場で脱衣して、熱々のお湯の中に浸かる。
湯船に浸かっている間はとても幸せだ。
寝ている時と、お風呂に入っている時。
日常のあらゆる疲れを吹き飛ばしてくれるこの瞬間は至高の時間。
しかし、今日はややそれも異なる。
「あまり気にすることはない」と言われそれを思い出しながらも、どことなく考えてしまう彼女。
自分には直接的に関係ないはずなのに、それが近いようにも思えてしまう。
安らかな気持ちにはなれず、考え事をしながら湯船に浸かるのも久しい。
自分の日常にはなかった考えが巡っている。
でも、逆を返せばそれほど大切な何かだったのかもしれない。



「………夢、ね」



そういえば、
お母さんの夢って、なんだったんだろう?



彼女の記憶の中で、
父親と呼べる者は存在しない。
会ってすらいないし、彼女自身もあまり聞こうとはしなかった。
子供ながらに母親しかいない自分の家庭と、夫婦円満の他の家庭を見て、
自分の境遇というものを自覚したのだ。
そのように重たく捉えることが出来るようになったのも、ここ数年でのこと。
現実がどれほど圧し掛かっていたのか。
それが分かると、彼女はよりかつていたであろう父親のことを聞かなくなってしまった。
その話題はタブーなんだ、と勝手に思い込んでしまったのだ。
しかし、父親がいなければ彼女は生まれなかった。
だから他人に聞けない分、内なる自分に問うのだ。
どんな人だったんだろうって。
二人の生活の中で、全く父親の話が出ない訳では無い。
タブー視していたのは彼女だから、大体父親の話が出るのは母親からだ。
父親という存在の経験がなかった彼女には、普通の人間が持つような環境があまり分からなかった。
勉強熱心で物分かりもよく、周りに配慮も出来て空気を掴むのも早い。
そんな子供として成長した彼女でも、自分の親という存在は素朴な疑問の一つだったのだろう。



「夢?今日はまた珍しいことを聞くのね」
「うん。ちょっと学校で色々あって、聞いてみようと思ったの」
「そうだったのね」



風呂上がり、二人で温かいご飯を食べながら、彼女はそれを母親に聞いてみた。
彼女にとって母は唯一の親。お互いに色々と言い合える仲なのが特徴だった。
『夢』という言葉を彼女が出すと。



「夢、かぁ………もう長いこと聞いてなかった言葉ね………」



そう、どこか遠くを見るような瞳で彼女に返答をした。
人は夢を語るとき、その人の本質に近い姿を曝け出すと言う。
どこかで聞いた言葉だがそれは憶えていない。
もしそれがごくありふれたことなのだとしたら、母親にとっての夢もまた、どこか尊いものであったに違いない。
何故なら、母の顔もまた普段は目にしないものであったからだ。
夢を語る、感慨深く思う。
彼女はその変化に反応し、親の話に注目した。
それほど多くはない情報量の中で、彼女が直面した少しの違和感と向き合うために。



「貴方に会わせてあげられないのが残念だけど………私の夢は、お父さんと世界中を旅することだったの」
「………!」
「ふふ、驚くのも無理ないかしらね。普段村の中でしか生活している姿を見せていないから」



そういった理由は別にして、
彼女が驚いたのはその夢の中身だ。
“お父さんと世界中を旅すること”。
とてつもない大きな夢に、彼女も吃驚した反応を見せた。
旅、というのも簡単なものではない。
お金もかかるし移動も時間が必要だ。物を運ばなければならないし、食材だって現地調達。
時には悪天候の中でも行かなければならないし、命の危険とて充分にあるだろう。
そんな大それた夢を持っていたことを、彼女ははじめて聞かされた。
母親としては、彼女が子供の頃、うんと小さい頃によく語り聞かせていた“夢物語”だったのだが、
それを打ち明けることはしなかった。彼女も覚えていないようだったし、それはそれで新鮮というか。



「どうして、旅なの?」
「貴方が生まれるより前は、この村でない遠くの場所にいたこともあったわ。あの人と出会ったのも遠くの地」
「それはどこ?」
「うーん………そう言われると説明し辛いわね。だって、この国は広いんだもの」


彼女は父親の顔すら生で見たことは無い。
憶えていないというものでもなく、生まれた時にはもう、彼女の父親とは別れてしまっていたのだ。
それは離別を意味するが、その意味というのも生き別れではなかった。



「あまり話してなかったわね、そういえば」
「………うん」
「ではちょっとだけね。私とあの人の出会いというのは、貴方が生まれる………そうね、三年くらい前のことよ。まだ酷く戦火が巻き起こっていた時代のこと。今ではその国は無くなったけれど、ルウム公国という国とこの国が激しい戦争状態にあってね。私もあの人も、ルウムとソロモンの国境線沿いにある幾つもの町にいた」



それは、所謂『50年戦争』と呼ばれる括りの中に存在した、戦いの歴史の一部である。
『ルウム公国』
かつてオーク大陸の北西側に領土を持っていた国で、度重なる争いをソロモン連邦共和国との間で繰り広げていた国だ。
戦う理由など語り切れるものでもないが、その時彼女の母親と父親は、そのルウムとソロモンの国境線沿いにある、幾つかの町にいた。
国境でない内地でも戦が起こっているのだから、国境線で戦いが起こらないはずがない。
互いに小競り合いという言葉で済まされるような、小規模な衝突が頻発した。
それでも、一度の戦闘で死傷者が百人を超えることなど、ザラにあった。



「あの人は戦地に身を置く医者だったの」
「っ………」
「そして私は、国境線沿いで町の人たちの為にお手伝いをする、ボランティアだった」



戦争が40年以上も続き、多くの国々が疲弊し膠着する中で、活発化し始めたルウムとの戦い。
戦火は国境線沿いに多く及び、連日大量の死者を出していた。
大きな街に避難民が集結するのだが、それを狙われ激しい戦闘が行われる。
結果、一日に三桁もの死傷者を出す状況が毎日続いたのだ。
それだけの死傷者が出れば、医者も手が回らなくなるし、ボランティアとて手が足りなくなる。
そんな人々の都合などお構いなしに、ルウムとソロモンは戦闘を続けた。
色々な思惑と目的が交差しての戦争ではあったが、そんな国の思惑など、二人には関係ない。
そこで誰かが助けを求めている。出来る限りのことを尽くす、それが医者の務め。
誰かの為に何かをすることで、その誰かが救われるかもしれない。
それが最善と分かれば、迷いはしない。
ボランティアとして活動し続けていた母親と、医者として国境線沿いを回り続けていた父親。



「医者も多くいて、ボランティアも沢山いたけれど………今にして思えば、ちょっと変わった出会いだったのかもしれないわね」
「どういうこと?」
「私たちが活動していた町に、敵が爆撃を行ったのよ。周囲の町に比べれば人も多く、物資も流通している。そこでなら、医者も使える物資をフルに使って患者を手当てしていた。そこを、敵国は狙ったのね」
「ヒドイ………なんてひどいことを………!」


「いい、レン。今だって世界は危うい状態にある。いつ戦争が再開されてもおかしくないくらいね。でもね、戦争は一般市民の都合なんて一つも考慮してはくれないの。そこにあるのは、生きるか死ぬかの瀬戸際」



そう、彼女の母親はかつて戦地にいた。
元々国境線の近くにある町で暮らしていた、というのもあるが、ある日を境に状況が一変した。
ルウムとの小競り合いが起こるようになってから、疎開がはじまり男たちは兵士として動員させられた。
やがて本格的な両国間戦闘へと発展すると、国境線沿いにある町は容赦なく狙われた。
母は幾度かの戦いで家を失い、友人をも失った。
生き残った自分には何が出来るだろうか、と考えた結果、母はボランティアとして苦しんでいる人たちの助けになろうと決意した。
そうして母のボランティア生活が続いていくのだが、ある時ルウム公国は父親と母親のいたその町を爆撃した。
その町にはソロモン連邦共和国軍の駐留部隊の基地があった。
情報を知り得たルウム公国軍が、脅威の排除として無差別爆撃を行ったのだ。



「私はそれに巻き込まれてね……爆風で飛んできた破片で、お腹を裂かれたの」
「っ………!?」
「それを必死に助けてくれたのが、今のあの人。あの時はね、お互い若かったんだからっ」



そう、懐かし気に嬉しそうにも語る母親。
彼女は顔色を変えて驚愕しながらそれを聞いていたが、
今までタブー視して聞かなかったことが、次々と露呈されていく。
それに耳を傾けない訳にはいかない。
端から見れば馴れ初めのようなのろけ話だが、今となっては思い出に浸ることしか出来ない話だ。
何しろもうその父はいないのだから。



「意識を取り戻して、少しばかり歩けるようになってから、私はすぐにお医者さんにお礼がしたいって言って、あの人のところに案内してもらった。治療中は意識が無かったから、初めて顔を見たのはその時だったのよ。たまたまマスクを外していたときの姿だったんだけれどね、ちょっと髭面で髪もちょっと長くて、もみあげなんてあったりして………医者に見えなかったというのが、正直な感想だったかなぁ」
「あはは、そうだったんだ」
「うん。でもね、優しくてそれでいて強くて………」



それが初めての出会いで、母はその瞬間にどことなくだらしなさそうに見えるが、根はしっかりとした父に恋をしたのだ。
戦場での、あの惨劇の中で恋をした自分。
そのことを後悔したこともあるが、幸せをつかむことすら許されなかった人がいるなかで、母はその貴重な機会を手にすることが出来た。
それは否定されるべきものではなく、寧ろ喜ばれるべきものだった。
このような荒んだ毎日だからこそ、そうした類のものは輝かしく見えるものなのだろう。
いつの間にか、母は父が移動する度に後ろについていき、父の活動する街でボランティアを続けた。
仕事の合間を見ては、釜でご飯を炊いておにぎりにして持って行き………。
それが何回か続くようになると、父も母の顔と名前を覚えるようになって、母が来てくれるのを待つようになった。
忙しくて手が離せないときでも、時間が空いたときに母はおにぎりを届けにいった。
いないときはメモを残して、いる時は目の前で食べてくれるのを、笑顔でただ見続けていた。


暫く続いた後。



『――――――――――いきなりですまない、けど伝えたかった。僕とお付き合いしてもらえないだろうか?』



「………ってね」
「そうだったんだ………!」
「なんて不器用な言い方なんだろうって思ったけど、でもそれがとっても嬉しくて………」



彼らの行く先々は、基本的に惨劇の嵐だ。
いつ戦闘が行われても不思議では無いような境地に身を置く。
そのことにとてつもない不安と絶望を感じたこともあった。
ボランティアとして働く母の精神を父が支え、
父の多忙な毎日を色々な形で母が支えた。
お互いに喜びや悲しみを分かち合うこともあった。
戦地では一刻を争う。
あらゆるものを奪われて、そのような感情を失ってしまうものだっている。
そんな絶望の中でも、小さな光を持つ二人は輝かしかった。
医者である父は多くの命を救い、ボランティアである母は救われた人々をさらに助けた。
多くの町で、数え切れないほどの人たちと会って、お互いに助け合って。



『残念ながら、戦争は終わらない。寧ろこれから激しさを増すことだろう』
『………そうよね。』


『しかし………そうだな。落ち着いたら、どこか遠くへ出かけてみたいな。ほら、僕たちは移動してばかり。仕事の為だけど、今度はそうではなく、色々なものを目で見てみたい』



それが、父と母の夢の始まりだった。
始まりとはいうが始まりにすら至らずに終わりを迎えた。
後に二人は形だけの結婚をし、レンを身籠った。
正式な体裁での結婚は戦地の混乱により果たせなかった。
それでも、二人は結ばれ、後に彼女を生み出した。
いつか、いつかでいいから、その夢を実現させよう。
そう願ったお互いの夢は、彼女が生まれる少し前に打ち砕かれてしまった。
夢とは悉く醒めて消える。
儚い願いはいつまでも続くが、叶えられる夢を、もう持ち合わせてはいなかったのだ。



「私ね、レンがずっと気にしてるって、分かってたのよ?」
「えっ?」
「お父さんのこと聞き出せないって。無理もないわよね、私も自分で語ろうとはしなかったんだもの」



彼女の勝手な思い込みが、勝手では無かったというのが証明された瞬間だった。
母親もそれに気付いてはいた。
ただ、それに対する打開策を見出すことも実行することも出来なかっただけ。
何かの機会がなければ、失われた叶えることのない夢を語ることも出来ない。
今はただ、その夢を遠くのどこかで語るだけ。
それでも一つ、固定概念を破ってみせた。
気になるのならもっと聞いてきても良いんだよ、と。
確かに、今は亡きあの人のことを思いだすのは、とても辛い。
温かで幸せなひと時だったからこそ、失ったときの反動はあまりに大きい。
それでも、あの人との時間は色褪せずに、まだ残り続けているから。



「さて………それじゃあ今度は貴方の番かな?何か考え事でもあるの?」
「え、あ、いやそれはね………」
「ふふ、急な話なんだもの。貴方が何か思っていることくらいお見通しよ」
「………もう」



母親の話のそれに比べ、自分のそれは酷く曖昧だった。
漠然とした不安をなんとなく言葉に繋げて羅列させただけ。
正直聞かされた母親は「いったいなんのことだろう。」と思わずにはいられなかっただろう。
彼女が問いをかけた夢の話も、いわば唐突なもの。
しかし、それでも母が見抜くように、何の考えも無しにその話を持ちだした訳では無い。
それなりの意味はあるし、大切なことであるという自覚もあるのだ。
ただそれが、具体性を帯びたものではないというもの。
ツバサの考える「何かをすべきこと」というものに引っ掛かった、形の見えない不安だ。
それがどうして夢と繋がるのかさえ曖昧ではあるが、彼が語ったことだ。



―――――――――それが本当に選んでもいい道なのかは、分からない。



「何があったのかは分からないけれど……まずは貴方自身の夢を定めることじゃないかしら」
「私自身の、夢………」
「そう。レンにだって、本当にしたいことってあるでしょう?それを見つけてみたら良いんじゃないかな」



考えるだけならなんでもいいのよ。
夢なんて幾らでも考えられることなんだから。
でもね、夢を叶えようって定めた後の道は、なんでもいいとは限らない。
どうやって実現させるかが大切だから。


「仕事も恋愛もそう。いつかきっと、自分の本当にやりたいこと、夢に繋がればいいなって、お母さんは思うよ。まだレンは15なんだし、いくらでも時間はあるから」

「うん」


そうよね。
まだ、まだまだ時間はあるんだもの。
もっとじっくり考えてみたいな。


彼女の漠然とした不安の起源が遠のいて行く。
しかし、彼女を悩ませていたその不安要素は濃度を薄めた。
母は言った。貴方の本当にしたいことは何?きっと、いつかそれが夢に繋がって来る、と。
沢山考えることを与えられ求められたが、それについていくだけの時間はまだある。
なら、焦る必要はなかったんだ、と。
彼女はそう思い、その後の母との会話を楽しんだ。



しかし。
まさか、その後すぐに状況が一変するとは、誰にも予想が出来なかった。
何かをすべきだろうと考えていたあの人の道が、あのようにして定まってしまうだなんて。


………。

第11話 日常の変化


また、あの夢を見ている。
どうしてだろう、最近になってよくこれを見ている気がする。
なんでもない日常が一変した、この赤い空の下。
いつもと変わらない景色の中で、いつもとは異なる出来事が起きた。
『また会えるよね?』
その問いかけに、男は少しだけの笑顔を見せて少年に告げた。
ああ、もちろんだとも、と。
だが今この夢を見て、その男の顔を見れば分かる。
あの頃は純粋な笑顔と希望に満ちた顔に期待したのだ。
またいつか会える、きっとではなく、必ず、と。
しかし夢の中に出てくる事実、男の顔は笑顔というよりも寂しさのほうが目立つ。
そう見えてしまうのは、自分が今の境遇を理解して曲解してしまっているからなのかもしれない。



10年前。
『50年戦争』と呼ばれる戦争が、一度終結に傾いた最後の年。
半世紀も続く動乱の世、惨劇の嵐は、ソロモン連邦共和国の国内至るところで吹き荒れていた。
各所で激しい戦闘が巻き起こり、国境線は乱れに乱れた。
いや、正確に言えばその当時国境線の識別は出来ないほどだった。
目まぐるしく変化する様相に世界の線引きが追い付かず、ただひたすら戦いの現実を飲み込むしかなかった。
ソロモン連邦共和国は、大国として戦争解決を主導する立ち位置についていた。
ほかにも大国は幾つも存在していたが、肥大化し続けていたソロモンこそがこの戦争を終結させる手段として数えられていたのだ。
もっともそれ以外にも要因があり、50年もの間続けられた戦争に終止符を打たんと、とある“英雄たち”が連邦に加担していたことも
要因として挙げられる。
だが、英雄がいたところで戦いは止まらないし収まらない。
彼らでは背負い切れない現実が、この世界には渦巻いていたのだ。


そんな戦時下、
ソロモン連邦共和国の東部、戦争の余波しか訪れない平穏を送ることが出来た、タヒチ村。
しかし、そんな東の地にも呼び出しはかかった。
一国の危機がある状況で、戦地に呼ばれない、対象外の兵士など誰一人としていなかった。
彼は今でも覚えている。
自宅に“中央”から送られてきた赤い紙を見て、母親が泣き崩れたことを。
それが、戦地への招集命令であることは、そう時間が経たずに分かった。
何故なら、当たり前のことだが、戦地に呼び出された者はそこへ行かなければならない。
軍人であれば命令は絶対なのだという。
時を経ずしてここを離れる時に、その事実を知ったからだ。
彼の父親が招集されたのは、かつてオーク大陸に『エイジア王国』と呼ばれる国があり、その国との戦いでソロモン連邦の基盤が歪められたことによる。
オーク大陸の中央部、ソロモン連邦共和国の内地にあった大都市が一つ、たった一夜にして丸ごと消滅した出来事があった。
その町は連邦の経済や流通の中心地で、膨大な領土を持つ国内の都市でも5本の指に入るほどの人口を有していた土地だ。
それが一晩で消え去ったのだから、どれほどの被害が出たのかは想像に容易い。
正確な数字は今だもって不明とされている。
無論、軍人たちも大きく被害を受けた。
大量の兵士と物資を失い、連邦軍の状勢は傾きかけた。
そんなとき、彼の父親がその不足分を補うために、遥か遠くから呼び出しを受けたのだ。



また会えるよね。
その期待は、終戦へ向かっていくごとに高まっていった。
もうすぐ戦争が終わる。
何かはよく分からないが、戦争を主導した者たちがいるらしい。
その人たちの活躍のおかげで、また二人に会えるんだ。
だが、そんな希望は打ち砕かれた。
中央から封書が届き、その中身は父親の戦死報告だった。
父と共についていった母も同時に死亡した。
母親に関しては正確な情報を受け取ることがなかったが、想像に容易いことだった。
もう、あの二人には会えない。
哀しみよりも先に、諦めや絶望が彼を渦巻いた。


『いいかい、ツバサ。お前にもきっと、自分で貫けるものを持つ時が来る。決めたのなら、それを生涯忘れるな。』



こんな荒んだ世の中でも、出来ることは幾らでもある。
それを定めたのなら、その時に定めたその思いを、決して忘れるな、と。
言われた当時は何のことだか分からなかった。
しかし、今になってよく考えさせられる言葉だ。
そして彼は今、その言葉の意味を定める、分岐点にいるのかもしれない。
勉学に励み、知識を重ね続けた彼には、理解するのにそう時間を必要としなかった。
彼は思ったのだ。
どうしたら、こんな荒んだ時代を終わらせられるのだろうか?と。
何か自分に出来ることは無いだろうか、と。
父はそういって戦場へ往った。
顔も見えない誰かの為に、その命を国に差し出したのだ。
そうしなければならない戦争とは、いったいどういうものなのだろうか?
彼の興味はどんどん深く、そして強く、求められるようになっていった。
人を殺すことへの興味や関心では無く、それを経緯とした歴史の動向に興味を示した。
このような不毛な争いを止められる方法はあるのだろうか。
本当は聞いてみたい。
軍の命令だからというのではなく、義務だからというものでもなく。
何を思い、何を信じて、父は戦場へ行ったのか。



そしてもう一度、問わねばならない。
そんな父の背中を見ることしかなかった自分は、一体何がしたいのかを。



「………」


気付けば夜明けの時間。
夢の続きはない。
いつも同じ場面で夢は醒めるのだ。
ほかにもいろいろな光景を見ているのだろうが、決まって最後はその瞬間。
最近その頻度が増してきたようにも感じられる。
何故だろう。その夢を見て、自らの思いを整えようとする。
しかし、彼には自らのしたいことが見えていても、まだ“その路”を選択するには至っていなかった。
目が覚めてしまった彼は、まだ起きるまでに余裕のあったその時間を使って、テレビを見ることにした。
あらゆる日常的な情報を届けてくれる便利な機械、テレビ。
ラジオという音声のみの情報伝達もあるが、今は映像を選ぶことにした。


「郊外では綺麗に色づいていた稲の収穫も佳境に入り………」


この村に流れるテレビは、タヒチ州独自で放映している放送局の情報を見ることが出来る。
もっと大きな街などにいけば他の番組なども見られるのだというが、生憎ここは辺境。
辺境の地で見られる番組は限られており、その中でもこの村は僅かに三つのチャンネルしか切り替えが出来ない。
そのうちの一つ、比較的地方や国の情報を定期的にニュースとして取り上げる番組を眺めていた。
季節はこれから冬へと向かっていくことだろう。
今はまだ温かで過ごしやすい気候だが、四季がハッキリとするこの大陸、この国ではやがて冬が訪れる。
雪が降る地域は限られているが、冬の気候は乾燥と寒さをぐっと引き寄せてしまう。必要でもないのに。



「つづいてのニュースです。グランバート王国とアルテリウス王国との間に生じた亀裂を補修しようと、ソロモン連邦共和国の外務省外交官が立ち会いのもと、外交会議が行われました。しかしこの会議に出席するはずだった、グランバート王国の特使は時間が過ぎても現れず………」



ニュースを眺めていると、最近は大体このような話題が多く挙がる。
『グランバート王国』と『アルテリウス王国』。
ここから遥か西と北に向かった、別の大陸の国々。
自分たちとは直接的な関係を持たない、異国の地にある問題だ。
ここはオーク大陸の東端で、グランバート王国はソウル大陸に固有の領土を持つ国。
そう思うのも無理はないだろう。
直接的に関係もしないし、これから関係を持つ人もこの辺りでは稀だろうから。
子供のツバサでも、この両国との間にある不仲はある程度の情報として把握していた。
無論、彼にも知り得ない多くの経緯がそこにはあるのだろう。
グランバート王国はソウル大陸の歴史でも長い間存在し続けている国だ。
大陸の北部はすべて王国の領土、もしくは直轄地にあたる。
一方のアルテリウス王国は、ソウル大陸ではなく、北側にあるアスカンタ大陸に領土を持つ王国。
こちらも古くからその歴史があると認識されている。
アスカンタ大陸と呼ばれる新しい大陸が見つけられたのは、今から60年ほど前の話。
その時、既にアルテリウス王国は実在し、王国民はその厳しい環境にある土地に根付いて暮らしていた。
それを脅かしたのが、周辺国だった。
新たな資源を求めて進出してきた、彼らから見れば“異民族”と呼べる者たちを、王国は出来る限り排除しようとした。
多くの権利争いがそこで発生し、勝手に巻き込まれたアルテリウス王国が黙っているはずもない。
やがて、アスカンタの主権を奪うための戦いが始まった。


今、そんな昔話が再現されるのではないか、という懸念が持たれている。



「アルテリウス王国は、ソロモン連邦共和国との会談で有事の際の連携を確認し、両国は事実上同盟関係を結んだことになります」


一度は収まった戦争だが、それはすべてにおいての終結を意味するものではない。
戦争を再開したがるのではなく、そのような状況に各々が引きずり込まれていく。
そんな不安定な世界情勢を見て、ツバサは遠い異国の地で起きている現実なのに、他人事とは思えない幾つもの感情を抱いていた。
勉学を積み重ねてきた彼になら分かる。その先も正しいかどうかは別にして、推測もできる。


もし、
グランバート王国が再びアスカンタ大陸へ進出しようものなら、
それを止めるためにアルテリウス王国が動き出すだろう。
それと同盟関係を持つ者たちも、その渦の中に引き込まれていく。
であれば、その先に訪れるのは、間違いなく………。



そんな朝の時間を過ぎ、やや複雑な思いを胸に登校するツバサ。
世界が不安定にあっても、この村はその余波を受けることもなく平穏そのものだった。


「おはようございますっ先輩」
「お、アヤ!おはようー!!」



平穏なのはいいことだ。
絶対にその方がいいだろうというのも、分かる。
しかし。
平穏であるこの空気を肯定しつつも、このままではいけないのではないかと思う気持ちも強い。
自分には本来関係のないものだ。
永遠に関わることのない人だって、中にはいる。
それでも、彼にとっては他人事でも、捨て置くべきことでもなかった。

登校中の道で、
二歳下の後輩アヤに出会い、ツバサは一緒に学校までの道を歩いた。
普段学校の中や放課後、休日などはあまり見かけることのない彼女。
こうして会ったときなどは、彼は彼女と一緒に登校している。
学校以外のところで見かけることは少ないが、放課後の部活、弓道部の道場に行けば会えるのは分かっている。



「アヤは今日も弓道か?」
「はい。そういう先輩も剣術稽古ですよね?」
「ああ!いつも通りだなっ」
「私も、先輩が稽古している姿、見てみたいです」
「来たらいいんじゃないか?見学くらいならきっと大丈夫だと思う!」
「とはいっても、中々近寄り辛くて………ははは」



まぁ確かにあまり道場には近寄り辛いよな、と笑いながら話すツバサ。
弓道場はまだ学校の中にあるものの一つであるから、学生が近づいてもそう違和感はない。
神聖な場所であるために厳格な雰囲気は醸し出されているが。
しかし、剣術稽古の道場はどうにも近寄り難いものがあるようで。
あらゆる年代の子供たちが入り乱れ、かつ師範代が厳しく稽古をするのだから、イメージもそのようになる。
もし機会があれば見に来ると良いよ、という言葉を彼女に告げたツバサ。



「先輩が剣を習う理由ってなんですか?」
「剣を習う理由、か………」



そう言われると実は困るのだ。
自分自身、それを将来何に活かすのかを確定させていなかったから。
ただ単に剣を習いたいという理由で習っているのではない。
分からないなりにも明確な理由を求め続け、それに従い続けてきたはずだった。
それを言葉に表現しようとすると、かなり難しいというだけで。
剣を習う理由はある。ただそれは答えであるかどうかは分からない。
理由に答えを結び付けようとして、その答えが定まっていないために、理由の説明にすらならなかった。
彼の場合、ただ強くなりたいというだけで剣を習った訳では無い。
強くなるには努力も必要だが、明確な理由が必要だ。
何故そうありたいのか、と。


しかし、言われて気付いた。
というより再確認できたこともある。
なるほど、自分が剣を習う理由は強くなりたい理由と繋がっている。
そして、この二つの理由の先には、自分の“あるべき姿”というものがあるのだろう、と。



「今は取り敢えず強くなりたいってことにしておいてほしいな。あと、運動はやってたほうが身体が鈍らずにすむからな!」
「つよく、ですか………そうなんですねっ。先輩は立派です」
「立派?そうかなぁ。アヤに褒められるなら良しと思うことにするかっ!」



単純な回答であるが、内面は複雑だった。
彼女はそれ以上追及することはなかったが、あるいは何かに気付いたのかもしれない。
彼の回答は、とはいえ明確な「答え」ではない。
彼女の問いかけたものに曖昧にして返したというのは、同じやり取りを他の人に見せれば気付く人も中にはいるだろう。



「アヤは、弓道やるキッカケってなんだったんだ?」
「私はですね、結構自分勝手な憧れだったんですけども………あの道着が格好良いなーって」
「へぇ~そういう理由だったのか!」


似合ってるもんな、アヤ!
何の躊躇いもなく流れるように、しかしハッキリとした口調で自然とそう発していたツバサ。
その言葉に思わずアヤが驚き顔を赤くしてしまうが、出来るだけ隠すように自然と体の向きを変えたアヤ。
そんなどストレートに言われると照れない訳が無い。
流石に耳まで赤くなるのは恥ずかしすぎると、やや話題を逸らして笑顔で恥ずかしさを埋めるアヤ。
意外と単純な理由だったんだな、と笑顔を見せるツバサ。
でも、それでいいと思うんだ。
そんな単純な理由でも、それに打ち込めるのだから。


「好きな男子がそういう格好してたら、もっと良かっただろうにな~」
「なっ………何言っているんですか先輩ッ………!!」
「ははは!面白いなアヤは」



そんな、彼女にとって他愛の無いような会話で、学校に着くまでの時間を過ごす。
学校についてしまうと、二人は歳だけでなく学年も異なるので、一緒の授業を受けることができない。
それに、彼は放課後に学校の外で剣術稽古があるために、アヤと会う機会も無くなる。
こういう時間を活用できるのはかえって喜ばしいことではあった。
同時に、今の彼の状態から少しばかり考え事も生まれてしまう。


辺境の地で過ごし続けてきた平穏。
一方で、世の中は少しずつ変わり始めている。
彼らにとって時代の変化は、遠くで起こり続けているもの。
自分とは何ら関係のない、異国の地の些末な問題だ。
だが、それこそが誤りではないのか?
自分たちには関係ないと思っている一方で、真っ直ぐにそれと立ち向かわなければならない人もいるだろう。


すべての人に関係がある、とは言い難い。
すべての人に責任がある訳でもない。
無関係の人間がいても不思議ではないのだ。


「………」
「先輩、?」
「え?あ、あぁ着いたな。それじゃアヤ、またな」
「はいっ」
「授業中居眠りするなよ~?」
「先輩こそっ」



その後校内に入り、別れた二人。
彼のモヤモヤとしたものは消えない。
今一番自分が何がしたいのか、何をすべきなのかが定まらない。
今になってこれほど考えなければならないとは。
彼の葛藤は、世界情勢が傾き始めるのに呼応するようだった。


俺の、すべきこと。
したいこと、成すべきと思ったこと。
“そう思ってしまう”自分と、
“そうでなければならない”自分とが重なり、あと必要なのは一つ。



“そうさせる”ための、決意だった。


昼間。
勉強の合間を縫うように組み込まれた時間、昼休み。
彼は手早く食事を済ませると、教室から離れ図書室へと向かった。
昼間の図書室は休み時間というだけあって、学生たちも多く利用している。
外の敷地を眺めれば、元気よく球技に勤しんでいる者たちの姿も、窓から見ることが出来る。
が、それに構いなしと、彼は二人用のテーブルの一つの椅子を借りて、静かに新聞を眺めていた。
この世界の、この村の貴重な情報入手材料の一つ、新聞。
テレビなどが繋がらない家庭の人たちにとっては、その日の情報源として非常に役に立つものだ。
お金はかかるが、それでも手に入れたい情報がすぐに手に入る媒体。
しかも新聞によって掲載している情報源が異なるため、自分が必要としているものを購入すれば、
必然的に自分が欲しいと思える情報を入手できるのだ。
学校では、そんな新聞を各種、しかも毎日仕入れている。
彼の場合、テレビもあるので新聞に手を伸ばさなくとも情報は手に入るのだが、
時々こうして好んで色々な情報を手に取って眺めているのだ。
決まって理由があるのだが。



「………ふむ」



静かに、息を整えながら見出しを眺めていたツバサ。
その日の新聞で報じられていた内容は、彼が今朝テレビで見たものとほぼ同じであった。
遠くの、別の大陸にある同士の国々の不仲が露呈した事実。
もっとも、この両国はこれ以外にもあらゆる経緯を持ってはいるのだが。
そのすべてを彼は知らないし、国民の多くもそれを把握していない。
何故なら、明らかに公開されていない情報が多すぎるだろうというのを、多くの国民が既に理解しているからである。
続けて各紙面に目を通していると。


「あら、こんなところで新聞読みかい。あんたそんなことする人だったっけかなー」


とか、「人違いだったかなー?」などとあからさまに分かっているのに、茶化しながらやってくる先輩アデル。
ゆっくりと新聞を眺めていたはずの時間が一気に崩落していくのを、どことなく音で感じた。



「なぁーにしにきたんだよー」
「いいや?私だって気分転換さ。ま、新聞とは考えなかったんだけどね」
「図書室で気分転換なら、放っときゃいいのに」
「これはまた失礼な言いようだねぇ。あんたと話したいからこうしてここに来たってのにさ?」


それにここは二人用のテーブルと椅子、もう一人くらいいても不思議じゃないだろう?と、
何の恥じらいも躊躇いもなく、向かい側の椅子に座る彼女。
持っているのは一冊の本。
ここに話しに来たというのに本を持っている辺り、用意周到というべきか。
図書室では本を読むのが当然の空間。
ぺちゃくちゃと会話を楽しむのなら、中庭や教室でいい。
しかし、そういった類のところでは、中々静かな時間を過ごすことは出来ない。
特に中庭のベンチなどは校内でも人気のスポット、学生も多いため様々な会話が飛び交うところだ。
本を開いてはいるが、この人の目的は何故かツバサと話すこと。
目の前の羅列された文字の塊などに興味はないし、恐らくその本が何であるかを気にせずに取ったのだろう。
因みに本の題名は「魔術工房と二人の恋人」。
“どことなく引っ掛かる題名”だが、それ以上気にすることはなかった。


「ニュースか。ここ最近は毎日同じ話題だねぇ」
「確かにな~」
「なんか面白い話はないのかい?ツバサ」
「え、俺か?俺、いやない!」
「はは、その反応が面白いからまあ良しとしようか」



新聞を毎日見ている訳では無いが、テレビでの報道は毎日チェックするようにしている。
それはアデルも同じだったようで、ここ最近同じような話題ばかりで盛り上がっている、と言った。
いずれも国際情勢、それもここから遠い異国の地同士の話だ。



「こういう話は、アデルの周りでは取り上げられるのか?」
「いや、全然。大体どいつもこいつも“自分には関係ない”って思ってるのさ。まぁ、ここはほら、10年前でさえ戦火に見舞われなかったようなところだ。そういう感覚にならないのも、当然っちゃ当然だろうよ」


「………なるほどなぁ」


この場所が戦争にでもなれば、当たり前のように考えも変わるだろう。
しかし、生憎とここは今話題となっている土地や国から見れば、あからさまに辺境であり、
戦地となることすら予想されない外界の土地にすぎない。
世の中が揺れ動いても、この地の空気は平穏そのもの。
であるから、危機感を持つ人間も殆どいないのだろう。
客観的にそう述べることの出来るアデルでさえそうだ。
ここは関係のない地だ、と彼女は思っている。
自分自身が興味を示すのはいいとして。


「しかし、あんたはなんでこの手の話題にそんな食いつくんだい?」
「………え?」
「私があんたを知った時からそうだって、他の人にも言われてるけどさ」



こういう話は、誰もが興味を持つんじゃないのか?
と、彼は見当違いなことを口にした。
それはあくまで彼の価値観、彼の今までの生活がそうさせているだけであって、
万人に共通するものではない。
それは、確かにニュースそのものに興味を持つ者は大勢いるだろう。
彼のように、そのことに対してのみ他とは比べ物にもならないほど、調べを尽くす者も中にはいるかもしれない。
他の人と彼とが違うのは、その話の食いつき方だ。


他人事を自分のことのように感じ、それに対し何かをするべきではないかと考えるその道筋。
それが、彼の場合この話題に限り、度が過ぎているように見えたのだ。
だから彼女は疑問視したのだ。
そうなる理由はなんだ?と。
彼自身が思っていることを、このアデルという女性も察し言葉にしたのだろう。
ただの興味本位だけで調べ気にしているなら、何も言うこともないだろう。
何も彼女はそのようなものに興味を持つ必要はない、というように思っているのではない。
しかし、興味を持つのには理由が伴うのが普通だろう、と。


「ま、人の興味なんざ聞いても何も始まらんか」
「………??」
「ちょいと妙な噂を聞いたもんだからね。あんたにもすぐに分かるよ」
「えーなんだよそれ、気になるじゃん!」
「いやいや、私の口から言うべきことじゃないってことさね」



そう言うと、結局何が目的だったのかよく分からぬまま、彼女は席を立つ。
彼と話すのが目的だというが、その中身がよく分からないしあまりにも短時間すぎる。
それに、その様子では新聞を読み続けるツバサに配慮した訳でも無い。
まぁ止めはしないが、と心の中で思いながら、彼は背中を向けた先輩の背中を見る。
そしてアデルは最後に。



「その噂に辿り着いたんなら、よく考えな。きっと今のあんたに直結する分かれ道だからね」



そう、まるで忠告じみた物言いで、彼女は去っていく。



その後の時間が過ぎて行く。
結局その噂が何なのかは分からず。
ほかの学生たちに「妙な話でもあったか?」なんて聞いても答えはバラバラ。
どれがアデルの言っていた噂なのかも分からず。


「じゃあ、またな~」
「おうよー」
「いこうかっ」
「ああ」



放課後になるといつもの日常パート2だ。
学生たちは部活や勉学など、各々の活動の時間を過ごしていく。
彼らはいつも通り道場へと向かう。
いつもと違うところといえば、今日は弓道部主将のエズラが欠席するということくらい、か。
部活の中で大事な話し合いがあるようで。
どちらにも参加しなければならないエズラも大変だな~などと感じながら、
ほかの三人は道場へと入っていく。



「あれ」



入ってそれぞれの更衣室で道着に着替え、そして竹刀を持って準備をしていた。
これから鍛錬をするというとき、ツバサは必ず身体のストレッチを行う。
誰でも同じことなのだが、彼はそれをいつも欠かさず、いつも誰よりも長く行っている。
ほかの門下生たちが鍛錬に積極的になる中、身体の根幹に対しては注意が向かない人も多い。
ツバサは身長も体重も他の人よりあるため、運動量すら異なる。
家にいる時でさえストレッチを欠かさない少年は、この道場の間においても充分すぎるほど時間をかけて行う。
だが、そうして準備をしているときに、一つ気付いた。



「せんせーはまだ来てない、のか?」
「ツバサさんはやーい!」
「なぁなぁ、せんせーまだ来てないのか?」
「まだ見てないよー?」


妙だな。
いつもはだれよりも早く来ているだろうに。
師範代、先生は学生たちとは違ってこの道場を任されている専任の仕事人。
彼らは学校を終えた後にここへ来るが、先生は仕事も兼ねて早くからここにきている。
いつもであれば、道場に子供たちが来る頃には、既に着替えも終わり準備万端という状態でいることが多い。
しかし今日は、まだ先生の姿は見えない。
もし休みにするというのなら、その日の昼くらいまでには学校に連絡が来るのに。


道場は学校とも深い関わりを持つ存在だ。
それ以上に周囲の大人たち、もっと平たく言えば国ですら関与する重要な場所。
学校は次の国に仕える勤労者たちを育てるところ、
道場は次代の兵士を要請するためのところ。
などと大人たちが隠しながら認識しているのだ。
特に道場に通うものなどは、ただ自分自身を強くするという目的を抱いて入る子供たちの思惑とは裏腹に、
将来的に役に立ちそうな人材を見つけ、育成し、輩出するという大人の都合がある。
それを子供たちがもし知ることにでもなれば、さてどう思うだろうか。
しかしそこは流石大人と子供の違いと言うべきか。
大人の都合を簡単に子供に知られるものではなかったようだ。



「どうする?ツバサ」
「んーだなー………んまぁ、自主練でいいんじゃないかっ!?」



時間になっても来ないみたいだけど、鍛錬は鍛錬ダーッ!!
などと元気よく勢いよくそう言うと、自らの迷いも一時のものとして取り敢えずは脇に置き、
ストレッチを済ませた彼は素振りを始めた。
ツバサがそう言うのだから、それでいいか、と。
ほかの門下生たちも各々に鍛錬を始める。
時間通りに居るはずの先生がいないからといって、それが練習を止める理由にはならない。
出来ることはあるのだから、先生が来るまでの間出来ることをしておこう。
彼らはいつも通りに近いメニューをこなしていく。
先生が今日どのような鍛錬を行うかは、その日のはじめに打ち明けられるもの。
したがって、先生のいない今日は必然的に自主的にメニューを組まなければならない。
はじめは揃って素振りをし、その後は人それぞれでやり方が異なる。
ある人たちはペアを組んで実戦練習、またある人たちはお互いの素振りを確認し合う。
先生がいなくてもある程度自主的に行動できるのは、良いことだろうと思う。



そんな時間が過ぎ、30分ほど経過した後。



「すまない、遅くなった。みんないったん自主練を中断して………聞いて欲しいことがある」


奥の扉が開いたかと思えば、一同は一斉に沈黙を手にした。
沈黙を破るようにペタペタと足音がして、本来いるはずの師範代の姿が見えた。
師範代、先生の表情はやや硬い。
額にはほんの少しばかり汗が見える。
何かあったのか、と殆どの人がそう思ったことだろう。


そして。
沈黙の中で、先生は。


「唐突だが、明日ここに州軍兵士が視察に来ることになった」


そう、現実離れした日常の訪れを、告げていたのだ。

第12話 楽し気なひと時



「しかし、なんで急にそんな」


「分からぬな。このような辺境の地の道場に、態々視察などと」



鍛錬の終わり、夕暮れの時。
今日はいつもより雲が多い。日が暮れるのも早いし、夜が来るのも早いことだろう。
道場を後にすると、後は家に戻るだけ。
いつも通りの道のりを、いつものメンバーで歩く。
今日はエズラがいなかったが、あの話をエズラにも伝えなければ。



――――――――――――明日ここに州軍兵士が視察に来ることになった。



今日、先生が中々道場に顔を出さなかったのは、どうやらその話を裏でしていたかららしい。
経緯も少しばかり説明してくれた。
唐突に訪れたそのお知らせは、子供たちに衝撃を与えるには充分すぎる内容だった。
無論、第一に疑問が浮かび上がった。
何故?しかも明日?どうして?理由は?
様々な声があがったが、実のところその理由の詳しいところを、先生ですら聞かされていないのだという。
詳しくは当日話して皆に教えられれば、と先生は言った。
彼らが自主練習をしている間、裏で先生は州軍の誰かと電話でもしていたのだろう。
そうして唐突だが、明日は現役の兵士が実際に道場に来ることになった。



どうしてだろう?
レンもソロも、その疑問を打ち消すだけの理由を持ってはいない。
誰ですら疑問に思うことの回答を、先生たるものが明かすことが出来なかった。
道場は国という存在、中央と呼ばれる者たちですら関わりがあると言われている。
それがどのような関わりであるかは、彼らにも分からない。
あるいは、それに関することなのだろうかと、今は推測するばかりだ。



「ツバサは、なんでだと思う?」



レンが静かに聞く。
先生からそれを打ち明けられた後の彼は、どことなく冷静さを保っていた。
一瞬驚きはしたのだろうが、それ以降はもう平静だった。
いや、彼の性格や人となりで言えば、その平静さが逆に不気味であるかもしれない。



「んー………分からないな。どうしてだろうね」
「うん………」



あの一言があってから、疑問には思いつつもその登場を喜ぶ子供も数多くいた。
何しろ実際の兵士を生で見ることが出来るのだから、それがどれほど格好良いか、などと考えていた。
子供の純真さで迎え入れられる兵士というのも、ある意味で幸せなのかもしれない。
彼が知る限り、普通の兵士というのは、絶対に相手からは招かれざる敵となるのだから。
彼はそんな子供たちとは異なり、兵士が来ることを否定せず、かといって肯定もしなかった。
子供たちにあるような無邪気な笑顔を見せることもなく。
ただ、沈黙と冷静さを持って、鍛錬を終えたのだ。



「しかしまぁ、本来予定されていたメニューを変更しての、実戦形式か」
「明日もそうなるって、言ってたね………」



緊張するなぁ、とレンが呟く。
なるほど確かにそうだ。緊張しないほうが妙というものだろう。
本職の兵士にその姿を見られるのだから、緊張しないはずがない。
彼らはプロ、こちらはビギナーにすら到達しないただの養成所。
そこを現役の兵士が来るというのだから、疑問や不思議といったものが出ないはずがない。
彼とてそこは疑問だった。
このようなところに来ても、あまり得るものは無いと思うのだが………と。

それでも。
兵士たちが来るのなら、何かいい話を聞けるかもしれない。
良い話というのがどのような基準のものかは置いておき。



「必然的に勝ち上がれば注目度はあがるだろうな」
「ソロ、それは何に対しての注目度だと思うんだ?」
「本職の兵士がただの視察を目的とするはずがない。もっと大きなことを考えていても、不思議ではないだろう」
「………というと」


「その人たちの目的は、俺たち門下生にあるのは明白だ。さて、明日はどうなることか………」



そう言っているうちに、分かれ道に辿り着いた。
ソロは冷静にそう言っていたし、何か緊張しているような様子ではなかった。
元々ソロは冷静な判断が出来る人。今回のことでも何か考えはあるようだった。
目的があるとすれば、それは教育だとか建物だとかそういうものではなく、門下生である子供そのものだろう、と。
そんな門下生、子供の年齢層もバラバラな現場教育を見て何になるだろうか。



「ではまた」
「おうよ、またな~」
「お疲れ様ーっ!」



そしていつもの道。
あとは家に辿り着くだけの行程。
それをレンと共に歩く。
いつもの光景、いつもの行動、いつもの時間。
そんな日常に突如として現れた、異変。
ただ現役の兵士が見に来るというだけで異変と捉えてしまうこの心情は、
果たしてどうあるべき、どうするべきなのだろう?
頭の中で考えることは沢山あるが、その中でレンがツバサに。



「あ、そうだツバサ!たまには私のお家来ない?お母さんも喜ぶと思うよっ」
「え、ああいやしかし、良いのか?そんな急に」
「大丈夫大丈夫!夕ご飯まではまだ時間あるしっ」

「あー、そうか。そうしたらお邪魔しようかな!久々に」
「うん!やったっ」


満面の笑顔で、突然の予定を埋められたことを喜ぶレン。
彼女は彼よりも二、三歩先を歩いては、時折ツバサのほうを振り返ってお話をしたり、微笑んだりする。
道場の後で今日着ていた元々の私服に着替え直し、帰宅道を歩いていたレン。
後ろ手に、しかし両手でカバンを持つと、その一歩一歩の歩みが弾んでいるようにも見えた。
雲が多く空は早く暗くなり、夕暮れの日差しは今日は届き辛い。
しかし、そんな中でも雲の切れ間から差し込む温かな光は、より輝かしく見えたものだ。
そして時々だが、その光の中に彼女が入ってはまた抜けていく。
自分も彼女と同じような状況を繰り返しながら、本来の予定にはなかった、彼女宅へと遊びにいく。
それもたまにはいいだろう。たまに買い物に付き合う、というのと同じようなもので。



「あら、いらっしゃい。こんにちは、ツバサくん」
「こんにちは!!遊びに来ました!!」
「どうぞお入りくださいな。もうレン、事前に言ってくれれば、もっと早くから用意したのに」
「えへへ、ごめんなさいっ」


そういえば、彼女の家にこうしてやってくるのは、いつぶりだろう?
最近のことだとは思うが、ふとそういったことが気になる。
前に比べれば、来る頻度というのは少なくなったのだ。
レンの母親は、ツバサに好きな飲み物を尋ねると、彼は温かいお茶でお願いしますと答え、
にっこりとその注文を受けた。
すると母親はレンに、お客人を前にするのだから、まずは身支度を整えてからね、と優しく伝えた。
彼には前にも経験があったことだが、要するに着替えとシャワーくらいは浴びて来なさいよ、という意味だった。
一方、母は一人で座る彼の前の食卓椅子に座り、彼に温かいフェイスタオルを渡す。


前にも何度もあったことだ。
彼女が身支度を整えている間の30分程度は、話し相手が変わる。
目の前の、この穏やかで優し気な母親に。



「今日はどうだった?道場は」
「いつも通りって感じです!ただ、明日に現役の兵士が見に来るだかなんだかって言ってて………」
「ええ!?そうなのっ………それはまた意外ね。どうして?」
「俺たちも理由は知らないんですよ!なんでだろーなー………?」


でも、それで皆結構焦るっていうか、戸惑っちゃって!
と、ツバサは目の前の女性に話を進めていく。
それに対し、その女性は一つひとつ丁寧に頷き、時折彼女に本当によく似た笑顔を見せてくれる。
他愛のない話なのだが、それでもお互いに話す時間が楽しいとさえ思える。



「ふふ、そうだったんだね。ツバサくん、すっかり生活は一人で出来るようになったものね」
「はい!おかげさまで」
「貴方は元々とても出来た子だなあって思っていたけれど、もう私なんかが色々教えなくてもいいみたいね」
「いやいやそんなことは!まだ教わりたいことだらけです!もっと料理とか、色々………」
「料理はもうレンの方が上手よ。彼女から直接教わる方が良いかな」


色々な話題を、レンが戻って来るまでの時間で楽しんでいる。
レンの母親も彼の話を聞くのは好きだった。活き活きとした彼のあらゆる話を。
この二人が、この一家が仲良しなのはハッキリとした理由がある。


結論から言うと、ツバサは独り身になった後、この一家からの強い支援を受けることになった。
それも結構な時間差が出来てのことではあったが。



50年戦争が終結する前のこと。
ツバサの両親は、世界中を震撼させた大事件の後、連邦軍からの正式な通達を受ける形で戦地へ赴くことになった。
元々父親は兵士であったが、辺境の地で戦いが起こるかどうかと言われれば否定的であり、仕事はしつつも戦う兵士ではなかった。
世界中至る所で戦争が起きていたとしても、彼らのいるところはそれからは外れている。
まるで異なる世界の中にいるようだったが、そんな辺境ですらやはり戦争の一部なのだ。
その大事件の後、父親は兵員の補充の為に最前線へ行くことになり、それに母親もついていった。
そして二人は帰ってくることはなかった。彼は村に一人残されることになった。
村の大人たちからすれば、その判断が良いものとは思えない、と考えた人も多かった。
何しろ子供を一人残して戦地へいくのだから。
逆に言えば、そうもしなければならないほど、この世界というのは荒んできたのか、とも思ったのだ。
タヒチ州で生まれ、村で育った彼が一人となり、両親が戦地へと行く。
その当時、村で唯一の兵士としての仕事を持つ男であった彼は、知っている人からは景気よく送り出された。
あとに残された子供がどれほど傷つくかなど、ほかの大人たちには理解できなかったところだろう。
戦争は確かに終結へと向かっていた。あのような凄惨な時代を終わらせる時がきた。


“苦しんでいる人たちの為にも、お父さんは戦う。”


そう言って戦地へいき、そして消えた。
事情は異なるが、レンの家族も戦争と深く関わりがあった。
父親は国境線で医者をしていたが、国境線は戦争における最前線の渦中。
それに巻き込まれ、母親はレンを無事に産んだが、後に父親は帰らぬ人となった。
子供を守り育てるために、母は疎開を決意し、東端に位置するタヒチ州にやってきた。
ツバサが独り身になったのと、彼女たちがタヒチ州にやってきたのとは、時間の差がある。
彼はその間、村全体で育て上げられた。
日常的な生活を大人たちから教わり、多くの友人を作り、自分自身を鍛える道も手に入れた。
そして後にレンと母親がタヒチ州へとやってきた。
まだ戦争は続いていたが、外来の一般市民というのは、大体が疎開してきた者という認識を受ける。
彼女たちも例外ではなくそう見られた。
しかも戦地の最前線からここまで辿り着いたというのだから、その苦労さは計り知れないものだっただろう。
一人の少女を守りながら育て続けてきた母。


『よろしくっ!!!』


そんな外来の種を満面の笑みと持ち前の元気の良さで受け入れた、一人の少年。
それが今のツバサという少年の、本当にまだ小さかった頃の姿だ。


外来の種というのは避けられることも多い。
時代が時代なので仕方がないというのもあるが、このような小さな村に一家族、急に入ってきたのだから、
驚きもするし疑問にも思うだろう。
彼らは外からやって来る者に対しては敏感だ。
内より外へ出る者には寛大で、寧ろ送り出してあげようという気質が強い。
その中、盛大に彼女たちを歓迎したのが、ツバサだった。
彼に何が出来るというものでもなかったというのに、とにかく外からやってきた人を、同じ歳くらいに見える少女を歓迎したのだ。
レンの母親も、彼女自身も今だによく憶えていることだ。
彼は、二人と共に村中の大人、子供たちに挨拶回りをし、常に数日間か行動する時は常に隣に居続けた。
人によっては鬱陶しいとさえ思われるようなことをしていたが、彼女たちには一切気にならなかった。
寧ろ、このような私たちを真っ先に受け入れてくれる子供って、何者なのだろう。
そう思いながらも、本当に喜ばしく、嬉しい思いで村に浸透し始めた。
やがて彼が独り身だという話を聞くと、レンの母親が個人的に色々と教え始めた。
レンと共にそのような時間を過ごしたこともある。
いつしかそれが当たり前になると、彼女の母親は「貴方が一人でいても、全く問題ないくらいに教えてあげましょう」と意気込み、
その結果、今に至る。



村全体で彼を育ててくれたのもそうだが、それ以上にこの二人と彼との関係は深い。
父を失って、それを思い出すのが今でも辛いと感じるレンの母親と、それをタブー視し続けてきたレン。
両親の行方が分からなくなり、死んだものと思いながら、その父がその立場で何を見たのかを、知りたがっているツバサ。



「レンがね、この間唐突に夢の話をしたんだ」
「夢、ですか?」
「そう、夢。お母さんの夢は何?って」



決して自慢する訳では無い。
母はただ、子との話の中でそういった話題になったことを彼に告げただけ。
色々な話題の中の一つの題材として取り上げたに過ぎない。



「俺もそういえば、何日か前に聞かれた気がします」
「あら、そうだったのね。唐突なものだったから、少し驚いちゃった」



ただの興味本位に留まらない、というのを母は知っている。
他人の夢など言うなれば幻想という程のものでもある。
自分の手では持つことの出来ない他人の夢。
他人から侵されることのない自身の夢。
自分から見れば、他人の夢など全く関わり様のないもので、それを他人が抱く幻想の世界とでも言うか。
一人ひとりに夢というものがあっても、それはあくまでその人自身が持つ単一のもの。
世の中には同じような夢を抱く者が大勢いることだろうが、人それぞれ価値観は異なる。
すべての人間の耳の形が違う、などという話に例えて言えば、夢という形が同じものであったとしても、それぞれの中身や価値というものは、異なるものなのである。



「ツバサくんは、何か夢はある?」
「いや、夢って言うほどのものじゃ。これから何かをして行きたいな、とは思っていますけど」
「何か?………ふふ、まだ決まってないようね」
「そう、ですね」



私もかつては夢を持ちました。
けれど、それは私の到達点でもなければ、始発点でもなかった。
ただそこに行き付く時間があれば良いなと、願っただけのもの。
だからね、ツバサくん。
夢というのは長い年月をかけて追いかけて行くもの。
その途上で夢のカタチが変わることなんて、幾らでもあるんだから。
大切なのは、その夢を信じる自分に嘘をつかないこと。
夢の為に動くのなら、その夢は、その思いは、その願いは間違っていないって、自信を持つことよ。



「………」



あらやだ、私としたことが、大人っぽく振る舞ってしまって。
と、優しく柔らかな手つきで髪をとかしながら、そう呟いていた。
彼としては、まるで自分の内面を覗き込まれたかのような感触を持っていた。
それがあかの他人であれば気色の悪いものとして処理したことだろうが、
何年もお世話になっている、レンの母親からの言葉はどことなく重みとしてのしかかってくる。



―――――――――――――俺の夢は、まだ決まっていない。



だが、夢とは過程にすぎない。
到達点とは異なるものであるかもしれない。
であれば、夢というのはその着地点に向かって、色々と形を変えるものなのだと、母親は教えてくれた。
もし決断するのなら、その時に思い背負ったモノを信じ続けられるように。
かつて自分の親も、そう言っていた。
自分貫くと決めたものは、生涯かけても忘れるな、と。
道に出て目指し始めれば、様々な過程を越えていくことになる。
その途上は常に晴天とは限らず、嵐のような時間だってあることだろう。
それでも、諦めて引き返したくなったとしても、自らで定めたモノにだけは従え、と。


「あ、またツバサと盛り上がってたんでしょう、お母さんー」
「えっ?ふふ、なーんにも!」
「はははっ」



身支度、つまり簡易的なシャワーで汗を流し、服装を取り替えた彼女(レン)が戻ってきた。
まだ髪の毛は濡れているようで、いつも見ることはない彼女の姿がそこにはある。
タオルを巻きながらやってくると、「もー」などと言いながら二人の会話の中に入って来る。
それを、ツバサは笑顔で返した。
こういう日常はいい。
こんな日常がどこにでもあれば、それはもう。



『私はね、どこかで苦しんでいる人たちの為に、戦いに行くんだ』



そのような、途方もない現実に侵された言葉を放つ人など、いなくなるだろうに。



それからのこと。
ツバサはレンとその母の言葉に甘え、夜ご飯まで一緒に頂き、明日もまた学校だというのに夜遅くまで話し込んでしまった。
レンと母との時間はとても楽しい。くだらないような話題で盛り上がることも多々ある。
それが日常なのだと思うと、とにかく楽しい。
自分たちの環境が恵まれているとさえ思う。
他所の、何の影響も受けなかった者たちから見れば、彼らの境遇は理解し難いものであったのだが。



「それじゃ、また明日ねっ。おやすみなさい、ツバサ」
「ああ、また明日なーっ。お邪魔しましたっ!」
「どうもありがとう。また遊びに来てね」


そうして彼は、賑やかで楽し気な空間から、夜の村へと戻る。
まるで別の空間に来たかのように、一気に静けさが自分の身を覆う。
今日はその静けさを邪魔するように風が吹いていた。
そこまで強いというものでもないが、木々が揺れて葉が音を鳴らすくらいには、ハッキリと聞き取れる音だ。
静かな夜ではあるが、やや騒々しい。
村の家の明かりはもう灯されておらず、かといって外灯のようなものは存在しない。
時折流れる雲の切れ間から月明かりが差すのだが、真っ暗闇な村の夜にはそうした明かりが重要な要素になる。
見えた月は半月の形状。もうすぐ、満月。
秋の季節に最も大きな月を見られるときが来る。
彼は相変わらずの上り坂をいき、家の前の頂に辿り着く。
夜目に慣れて明かりが無くとも、程々に景色を見渡すことが出来る。
それはそれで絶景なのだが、月明かりがやはり欲しいな、などと余計なことを考えてしまう。
この景色を堪能するためには、と。


しかし。


「ん………」


カラン、と。
何か聞きなれないような、表現し辛い音が聞こえた。


「………?」



彼の家の中からではない。
元々家は鍵を二重にかけているので、そもそも開けられるものではない。
家とは反対側のほうにある、もう一つの建物。
彼の家の周囲は他の家族の家などはなく、この道もこの周囲もひと気はほぼないと言ってもいい。
たまに子供たちがこの見晴らしの良い展望台ごとき場所で話をしている時があるが、
それもこの夜の静けさを前にすればあり得ない状況だ。
つまり、ひと気のないところに何かが入り込んできた、ということ。
このような場所に目的があって来る者は殆どいない。
であれば、目的とすればこの家か、あるいはもう一つ。


「―――――――――――――。」



家でないのなら、もう一つある建物、神社しかない。
この村に長くから建てられ、もう近づく人すらいない建物が彼の家の近くにはある。
少しの木々に埋め尽くされた、先にあるもの。
何らかの信仰物を祀っているとか、偉い人の墓場だとか、色々な言い方があるが、
どちらにせよここに近づく者は誰もいないはず。
何しろ歩いて2分くらいしか掛からないで行けるツバサですら、近寄らないのだから。
正直なところ、まるでその神社の周囲を取り囲むようにして生えている木々の間を通っていこうとは思わないのだ。
そして何よりその神社に行く目的が何一つない。
それは自分に限らず、ほかの村人たちでも共通のはずだ。
だから気になった。
明らかに人為的な音は、間違いなく人が発した音だろう、と。
静かに、ただ静かに音のなった現場へと近付く。
木々の間に入ってしまえばもう引き返すことなど出来ない、気持ち的に。



「誰だ…………」



そして、その建物の前に立っている陰。
明かりの差さない夜と、視界を遮られる木々。
目の前に現れたそれは。




「おろ?なんじゃ、ツバサか!誰かと思ったぞい」
「………はぁーっ!フィリップじいさんか!!」



陰に雲の切れ間から差し込んだ月明かりが照らされ、そして見えたのは。
この村に住むご高齢者、フィリップと呼ばれる男性だった。

第13話 神秘なる存在



「うむ、どうやら驚かしたようだの」
「驚くよそりゃ!こんな時間にコソコソ、なにしてんだ?」


フィリップじいさん、と呼ばれる男性の高齢者。
この村にずっと住み続けている住人で、既に70歳を迎えている。
村の中でも5本指に入るほどの高齢者で、誰もがこの男の存在を知っている。
知ってはいるのだが、少し癖が強いというか。
それもそうだろう。このような時間に木々の中にある神社の前で、何やらコソコソとしているのだから。
白髪のご老体は、身のこなしは今も元気よく、普通にしゃがんでいるし、立ち上がる動作もスムーズだ。
白い顎鬚が自分のチャームポイントじゃよ、などと言っているらしく、お茶目なんだか不審者なのだか分からない具合だ。
神社の扉の前でコソコソと音を立てていたご老体だが、ツバサが来ると振り返り立ち上がる。
しかしもう既に用事は済んでいたようで。



「いやなに、ここに仕舞ってあるものにちと用があっての。それを眺めてただけじゃ」
「ええ?ここになんか見るものあった?」



この神社に自由に出入りすることが出来るのは、このご老体がここの権利を持ち続けているかららしく、
そのはじまりがいつなのかは定かではない。
フィリップが神社の管理をしていることに間違いはないが、このような時間にいてもらっては困る。
静かにいるならまだしも、音がハッキリと分かるくらいでは困るのだ。
そして、出来るなら用は昼間に済ませて置いて欲しい。こんな時間に、ではなく。



「あるともあるとも。昔の記録ばかりじゃがな」
「昔の記録………って?」


実のところ、ツバサは家のすぐ近くにこのような建物があるのを知りながら、ここをよく知らないのだ。
フィリップに言われるがままに入ったことはあるが、特段何かある訳でもない。
神社とは元々特定の信仰に基づく祭祀施設、というように考えられているのだが、大昔から続く信仰で現存するものは殆どなく、
こうして各地に神社や他の建物が残り続けるばかりなのだという。
ここもその一つで、誰かが手入れしなければ、誰にも見つけてもらえないような建物だ。
もっとも、手入れしたところでここに近づく者は誰もいないし、近づこうとも思わないらしいが。
ツバサもここに入ったことはあるが、何かをしようと思ったことはない。
ただあるだけの建物なのだが、フィリップはこの中に様々な記録が保管してあるのだという。


「ここに来れば、昔の記録を振り返ることが出来るのじゃよ。古くからの言い伝え、とかな」
「へぇ~そうなのか!知りたい!!」
「おろ。近頃の若いもんは昔話に興味があるのか?よかろうよかろう、じゃがここでいいのか?」
「え?あ、あぁ。明かりはー………あるな。えーと、どこにあるんだ?」
「この壁の向こうじゃよ」


空間自体は狭いのだが、ただの壁に見えたそれが引き戸だと分かると、またも彼は驚いた。
なんの取っ手もないのにスライド機構を採用した壁。
壁の奥には僅かなサイズの倉庫があり、そこには沢山の書物が積み重ねられていた。
昔話に興味を持つ、ツバサはその性質が強いのだが、普通の子供からすればそのようなものに中々興味を持たない者もいる。
寧ろ関心を持たない者の方が多いだろう。
フィリップじいさんは笑顔で答え、そして何のためらいもなく一冊の埃をかぶった本を取り出した。
恐らくかなり適当にとった一冊だが、それを。



「ほっほっほ、これは中々面白いものじゃぞ。どれ、ちと読んでみるかの」



といって、また広間の方へ戻り、倉庫の中にあった座布団を敷いては、ツバサに着座させる。
そして自身も座り、その本を開いて眺める。



「………おろ、昔話………まあいいじゃろう。さてツバサ、唐突じゃがな、この世界には」



――――――――――――人の身では理解も難しい、不思議な力が流れておる。



という言葉を始点に。
フィリップは本に書かれてあることを抜粋しながら、自分の口で語り始めた。


その昔、起源さえも分からない時から存在し続けているというそれ。
あるいは人類史の陰で時間を積み重ねてきたものなのかもしれない。
人類が人類としての生活をする前から存在し、この世界を取り巻く環境の一要因のような性質として成り立っているのだという。
曰く、それは人には理解も出来ない究極の神秘である。
この世に生きて不思議なことは幾らでもある。
たとえば心霊現象などがそうだ。
実際にはそんなものは存在しないと思いながらも、本当にそれと直面することもある。
ただの思い込みだとしながらも、事実として世界の光景に君臨することもあったのだから。
それと同じように、この不思議な力というものも、誰に認められる訳でも無いが存在している、神秘の一つだ。
普段、それは目に見えることはないが、条件次第では「物や人を媒介にして表出」することがある。



名前は定まっていない。諸説ある。
単に力と称することもあるが、よく言われる言葉としては“マナ”。
ほかにも、“フォース”や“マイト”、“アシュラ”などといった呼ばれ方をすることもあり、
呼び名は人や地域によって異なるものがあるのだという。



これらの力は、人々との生活に深く結びついている。
それを知らない者は多いが、自然界に当たり前のように流れているといってもいい。
人間が生きるために息を吸うのと同じように、マナもまたこの自然界にいかされている自然体と呼べるものなのだ。
自然体であれば、自然界に当然のように存在している。
空気と同じように、その中に含まれているような、まるで物質のような扱いだ。
それがなぜ“力”と言われるのかは、幾つか理由がある。
人間の中には生命力というものが備わっており、生命活動においてあらゆる行動を人間が起こす、そのエネルギー源となるものが生命力だ。
生きること、行動すること、思考すること。
そのどれもが生命力を必要とし、これが欠落すれば異常を来し、無くなれば人は死ぬ。
しかし、マナと呼ばれる自然体はこれと密接に繋がりながらも区別された存在で、
マナが力と呼ばれるのは、生命力とは異なる力の物質を人間に与える一要因として数えられているからである。
中には、自然体がもたらす物質・物理的な力をフォース、
自然体がもたらす精神や概念的な力をマイト、アシュラ、などという者もいるらしい。
生命力が枯渇してしまえばマナも減少し消失する。
だがそれで人が死ぬ訳では無い。
人間にとって生命活動を維持するのに必要なのは、そうした生命力を持ち続けること。
マナは必要としなければどうにでもなる存在で、生命にとっては唯一の存在とはなっていない。



さらにいえば、
生命力とは異なる自然体の力は、誰もが等しく手に入れることは出来ない。
手に入れたところで、それを物質的な、概念的な力に置き換わるというものでもない。
誰もがそれに触れる機会がありながらも、それを自らのモノとするのは難しいというのが、通説だ。



理由は神秘故に明確ではない。
はじめからこの自然体と共鳴できる者もいれば、ある日突然それが出来てしまう者もいる。
明確な理由は今だ研究でも明かされておらず、そもそもこの力の存在をただのおとぎ話のように捉える人も多い。
目に見えない物質のようなものを研究しようと思う者も少なく、この力は長い間神秘のものとして伝えられてきた。
具体性はなく、研究の対象であっても難しいことから、解明されない謎として存在し続けているのである。


「………とな」


「………じいさん、それ本当に記録か?」



と、彼が疑問に思うのも無理もない話だ。
その本を手に取って読んだフィリップは自慢げに「本当じゃよ」などと話すが、
はたして本当にそのようなものを記録と呼べるのかどうか。
この世界には不思議な力が流れている。自然体と同調しながらそれらは今も生き続けており、
目で見ることは出来ないが今も触れられているのだという。
だが、それを日常的に意識するものはなく、感覚的に感じ取れるようなものでもなく、視覚的に捉えられるものでもない。
「ああ、これがマナか」などと気付くようなものでもないらしい。
しかも人によってそれを受け取れるかどうかも変わっており、生涯全く関わりを持たない者も大勢いるというのが、
この本の記述だ。
しかし、こうして誰かが記録を残しているということは、
その誰かがそうした神秘に気が付いて、その正体に迫ろうとしたと言うことも出来るのだろう。
昔話かと言われれば疑問が残るが、記録で嘘偽りがないのであれば、ただの妄言でもないとみえる。


「なんでまたそんな本がここにあるんだ?」
「それはわしにも分からぬよ。けど、ここはタヒチ州の色々な記録を保管するところでもある」
「なーるほどね。じゃあこの村もタヒチ州ってのも、結構前からあったんだな」
「他所の街と違うのは、こういうところだからこそ、そういう妄信めいた本が置けるということじゃな」


「じいさんはそれ、信じてるのか?」


そんな唐突に「不思議な力がある」などと言われても、全く信憑性に欠けているというものだが。
百歩譲っても自分と関わりは持たないだろう、と彼は勝手な思い込みをしていた。
どのような効力があるかも分からない、マナとかフォースとかアシュラとかいう能力。
その存在を受容し、その存在を吸収し、その存在に気付き、そしてその存在を手に収めることが出来れば、
恩恵やら影響やらを受けることが出来るのだという。
なんとも抽象的な研究結果だなあ、と思いながらも、フィリップじいさんにそう聞いた。


「わしゃあ信じとるよ。若いモンと違って、もう信じるものも少なくなってきたんでな」
「へぇ~………そうかあ。でもあれだなっ、そんな自然体の力ってのが身につくんなら、何が出来るようになるんだろうな!」
「不思議じゃのお。なんじゃろうなぁ………」
「なあフィリップじいさん!ここにはもっといろんな本があるんだろ?色々読んでみたいんだけど!!」
「ほうそうかそうか。じゃあお前さんに鍵でも渡そうかの」



え、そんな簡単でいいのか?
というツバサの言葉を無視して、自分の持っていた鍵を一つ彼に渡す。
どうやらもう一つ鍵を持っているらしく、すべてを自分が持っている必要はないと言って躊躇いも無く渡したのだ。
彼は歴史といったものに興味を示すことが多い。
フィリップと彼は日常的に話す機会はないが、何度かそういった話を聞くこともあった。
彼の興味本位におじいさんが応えてくれたのだ。



「最近は古きを忘れることが多い。だから、お前さんのように知りたがりな人は貴重なのじゃ」
「そうなのかー………」
「特に、ここにあるものは縁起でもないものや理解されんものが多い。単に歴史を遡るだけじゃないのじゃよ」



歴史というのが単なる記録記憶の遡りではない、とフィリップじいさんは言う。
確かに過ぎ去ってしまった時間、過去であることに変わりはないのだが、その過去こそが今を生きる、いやこれからを進む未来の人間にとって必要不可欠なのだ、と。
だから、たとえどんなに胡散臭い話であったとしても、それを書いたものの気持ちを理解してみよ、と言った。
妄言の塊のように思えて、実は本当の話というのもある。
今では確認しようとする者も現れないようなことも、この世界に確かに存在している事実かもしれない。
そういうのが、この世界にはあちらこちらにあるのだぞ、と。


「けどじいさん、いいのか?俺がここを勝手に出入りして。家で本とか読んじゃうけど………」
「なあに、使ったものはちゃんと戻せば、それでいい。何しろお前さんは興味を持ってくれた人じゃからな、ほほほ」


こうして彼はあまりにも簡単に、この神社の鍵を手に入れてしまった。
神社の中の奥にある小さな倉庫には、この村や州、この世界のあらゆる記録がされた本があるという。
それを自由に見ることが出来るというのは、歴史や昔話に興味を持つ彼にとっては嬉しい限り。
さっそく彼はフィリップが少しだけ読んでくれた奇怪な力の本を受け取り、それを持ち帰る。
「本当に記録か?」と疑いながらも、彼もその話には興味があったのだ。
とても信じられるような話ではないし、本当に妄言が積み重なったものなのかもしれないが。
事実なのだとしたら興味があるし、そういう力を何に役立てられるだろうか、と考えてしまう。
それはそれでいいだろう。話によると、どうやらその力を感知できる人はあまりいないというのだから。


「誰かに語り聞かせるようなものでもない、か」


と彼は自らで評価しながらも、その不思議な中身の本を読み続けた。
確かに人間には色々な力というものが備わっているだろう。
だが人間はそのような力を意図的に、自由自在に行使できるほど有能ではない。
ここに書かれている内容は、そうした自然界の力を自分の思い通りに使うことが出来る、というものだった。
もっとも、それに気付きそれを手にする者は殆どいないそうなのだが。
逆に言えば、こうして記録を残しているということは、執筆者はその力の持ち主なのだろうと、自然に考え得る。
でなければ、ここまである程度形を持って語ることは出来ないはずだ、と。
彼が今まで読んできた本の中でも、こういった類の本はそう多くはない。
「小説」であるのなら話は別だ。
小説にもあらゆる形の内容があるが、その中でも娯楽として楽しむことの出来る、架空の想像で語られるものには、
たとえば「魔術」というような要素が入っていることもある。
この記録文書がそういった小説の類でないこと、また時々具体的な地名が出てくるところを見ると、やはりこれは
事実なのだろうと考えてしまう。もっとも、事実であってもそれを誰かに自慢したりするようなものでもない。
これは知られていないからこそ、神秘なのかもしれないと彼は思い、



「おっと、もうすぐ0時か………」



夜更け、日付が変わる直前まで読みふけっていた。
読書を終え寝る準備を済ませると、彼は少しだけ夜空を見上げて、星を見た。
村には夜明かり、街明かりというものがない。したがって、星空はいつも運河の如く広がっている。
幻想的で、それこそ神秘そのものだろう。
目に見えない神秘よりも遥かに想像がしやすいが、一生かかっても手に届かない光の束でもある。



「明日は、現役の兵士が来る、のか………」



さて、どうなるものかな、と彼は思う。
何が目的で来るのかは、門下生には明かされていない。
とはいえ、現役の兵士が道場を視察するということなど、今までになかったことだ。
その目的が何を意図してのことなのか。
“この道場が本来持つ目的”と何か一致しているのだろうか。
考えは色々と渦巻くが、それを考え続けても明日はやって来るし、問いに対する答えは得られない。
さぁ今日はもう寝よう。どうか今日は穏やかな夢を見られますように、と。
心の中で形に宿ることのない願いを持って、布団の中へと入る。


大人たちが都合明かさずとも、分かる者もいる。
表向きには自己修練の場であっても、裏ではいずれ世に役立つものを輩出するという場であることを。
それを知り、そうだと理解しながら、目的を今更問う必要はあるのだろうか?



彼には見当がついていた。
目的を明かすことが出来ないとはいっても、視察である以上、将来的に役立つ人材を探しに来るのだということが。

第14話 非日常のはじまり


突然「明日兵士が来る」と告げられてから、日付が変わった。
心持は複雑だ。
自分でも何が複雑なのか本当に理解していない気がする、と自分に対して疑問を持つこともあるが、
それでも複雑な心境で登校道を行っていたに違いない。
今日は少し曇り空が昨日よりも勝っている。
生憎と、太陽の恩恵を受けるには少し暗い日になる。
いつも通っているはずの道が、今日は少し違和感を感じる。
それが自分の内なる心情によるものだということは、考えるまでもない。
何を気にしている、何も臆することはない、と思いながら。
彼の瞳は地面を向きながら、ただ今日一日の始まりという場所に向かっていた。
空の雲が厚いせいか、今日は少し肌寒く感じる。
放課後の道場での運動はいい体感温度の上昇に繋がるだろうが、その後風邪をひかないようにしなければ。
その前に、学校だ。
今日の課題は取り敢えず一通り済ませているはず。
歴史の授業もあるし、楽しみだと思えるものはそのままに望んでいるほうがいいだろう。
今日はエズラは来るんだろうか。
既に電話で用件は済ませてあるから、今日は道場に来るだろう。



「………あー、やべえな。なんか、行ったり来たりだ」



それは彼の行動によるものではなく、彼の内面によるものだ。
すべては兵士が来ると告げられたあの時から、その瞬間が訪れるまで続くもの。
あらゆる考えや思いが彼の中に渦巻き、一つひとつの考えがチグハグになり散乱する。
彼の頭の中の状態は、あらゆる思考で埋め尽くされ、しかもそれが統一感をなさないままバラバラになっていた。
妙だな、変だぞと、自分でも気付いていながら、次から次へと物事が考え着く。
いつもならもう少し冷静に色々と考えられるだろうに、今日という今日はどうもそうはいかないようだ。
ただ「兵士が来る」というだけなのに、何故だろう。
それが自分にとってあまりに大きすぎる出来事のように、変換されてしまっている。



「取り敢えず普通にしないと………」



そこで平静を装う必要は無かったのかもしれない。
ありのままの自分で居れば、しかし確実に誰かから問いを投げかけられるだろう。
“何か悩み事でもあるのか?”と。
無いといえば、それは嘘になる。
何しろ本物の兵士がここにきて、しかも自分たちの鍛錬を視察に来るのだ。
どういう目的かは明かされていないが、どういう目的かは明白だ。
さらに言えば、今世界情勢はやや厳しい方に向かっている。
ここ10年ほど戦争は起きていないが、世界中でまだ不穏な空気が流れている。
それが最近濃くなっていることは、毎日ニュースでチェックしているツバサにならよく分かることだった。
となれば、ソロモン連邦共和国、この国でさえ他人事の振りをしている訳にもいかない。



―――――――――――他人事にはならない。
それに対する明確な理由を持ち合わせてはいなかったが、恐らくはこうだろうという考えを、ツバサ自身持ち合わせていた。
それもこれもすべて歴史などの資料で学んだものではあるが。
国としても、また一個人としても、他人事として捨て置く訳にもいかない、と考えていた。
前者はツバサが語る必要性など全くないが、後者は自分との対峙だ。
一個人としてそれが他人事とはならない理由は、自分の中に在る問いや疑問を目の前にしているから。
答えなど見つからないし、それが間違っていないとも限らない。
だが、彼自身が他人事ではない、そうすべきではない、と分かってしまっているのだ。
そしてその要因が、かつての自分の家族からきているものだということも。



まずは放課後を迎えることだ。
その兵士たちを見て、そして本当の目的が明かされてからだ。
そんなもの知る必要もないのだが、やるべきことは一つ。
自分の意志に従い、本望というものを見出すことが出来るというのなら。
それを実現させるために必要なのは、俺という存在を知ってもらうこと、ただ一つだ。


と。
彼は自らの迷いを解決しないまま、自らがすべきことを最も効率の良い手段で実行できる、と理解していたのだ。



「道場に兵士が来る」という話は、
意外にも学校ではあまり大っぴらにされることはなかった。
昨日道場にいた学生たちは全員その事実を知っているのだが、殆どの人はそれが重要なことであるとは考えなかった。
小さな子供たちにとっては「先生のまた先生」が来るというような把握、
歳のいった子供たちから見れば「何かの参考になるかも」とか「どうでもいい」とか、多種の考え方があるくらい。
彼のような「~すべきだろう」というような考えを持つ人はいない。



「ツバサ―、すまん。この後の歴史の課題、見せてくれねーか?」
「またかよ~エズラ。いいぜ、ほら」
「あんがとー助かるぜい」



だから、彼以外の者にとっては、今日もいつもと変わりない日常の一つなのだろう。
エズラはこうして目の前で人の課題を見て自分の課題を済ませている。
レンは、遠くで別の女子学生と談笑中。
ソロは机で読書。
ほかの学生たちも、この昼休みの時間は穏やかにそれぞれの時間を過ごしている。
またいつもの図書館でもいこうかな、と考えてはいたのだが、考えだけに留まった。
それ以上に別の考えが膨らんでいたからだ。
彼は窓際にいて、曇り空の遠くを眺めている。


そんな、彼の話の届かないところで、二人で話をしているレンと、レンの友達であるアンナ。



「うーん………けど、中々話かけられなくって………」
「そうなんだぁ。確かに、うーん………サラッとはいけないよね」



アンナは、彼女と同じ歳に入学して、入学したその日から友達関係になった親しい間柄だ。
お互いになんでも言い合えるような関係である。
背が低く、ツバサなんかと隣に並べるかっ!と自分で言っているほど。その身長差は30cmを越えるだろう。
もっとも彼女もツバサとは程々に話し合える仲ではあるのだが。



「思い切って話しかけるべき?」
「悩むよねー………でも、頃合いっていうのもあるだろうから」
「あー、そうだよね~……」



今二人は実に平和で平穏な会話をしている。
この二人にとっては深刻な話題なのかもしれないが、世間から見れば寧ろ初々しく羨ましがられるような話題。
アンナからレンに話を振ったことなので、彼女はその話を聞き、相槌を欠かさずに一緒に悩んでいた。
曰く、アンナの恋心事情である。
彼女たち二人は15歳。
思春期と呼ばれる頃合いも通り過ぎつつあり、大人としての魅力を手に入れ始めるころだ。
アンナは同期のレンが「ナチュラル化粧技術」を会得して使い始めるようになってから、それを真剣に彼女に習い始めた。
だからなんだという話なのだが、人の見た目は第一印象において最も強烈な印象を残す。
その点、レンはナチュラルにお顔を造り、違和感なく綺麗に魅せることが出来ている。
それに彼女が習っただけのことだ。
二人とも同い年だというのに、彼女はレンに「ご指導よろしくお願いしますっ!!」と意気込んで頼み込み、
それに彼女が応えた形だ。
今もその延長線上、というよりはそれが目的でもあるのだろうが、彼女からレンにコイバナをし始めた。
乙女の恋する年頃。同時期の男たちは皆鈍感だよね、なんて痛烈な意見もあるくらいだが、彼女たちにはそんな些細なことでも少しの悩みになってしまうようで。



「ね。違和感なく自然体で話せるようになればいいと思う、けど」
「どうやったら自然体になれるのかな?んんんー………あ、レンは好きな人にどうやって話しかけてるのかな?」
「えっ、私!?いや、私はそんなっ」



レンは、アンナをはじめとする女子学生の多くが知る存在だ。
理由は幾つもあるのだが、その多くは彼女の女性的魅力が女性にさえ受けるというものからきている。
背は160cmほどと、周りの女子に比べれば少しばかり高いほう。
髪はセミロングという具合で、日によって下ろしていたり、後頭部で一本に結んでいたりと、色々なバリエーションを持つ。
女子学生たちから言わせれば、スタイルはもう抜群で、細身でありながら胸はやや大きめ。
私服もよく似合うものばかりで、「貴方に惚れている男子は多い」と彼女自身言われたこともある。
内面も好意的な意見が多く、特にアンナとの今の状況のように、話は親身に聞いてくれるし、話しやすい一面も持つ。
そんな彼女を好きになる男子は上下の年代いるのだが、彼女は果たしてどうなのだろうか。
というのをアンナが聞くと、やや赤面しながら話を逸らそうとした。
ところがこれがそう上手くはいかず。
アンナはレンの話し方や態度を参考にしたいという気持ちがあったのか、彼女への質問は暫く続いた。
好きな人がいるということが確定すると、それ以降は質問攻め。
話し方、仕草、あらゆるところに質問が飛び、彼女は思う。
そんなに気付くことが出来るのなら、自分でもきっとうまく出来るだろうに、と。


「………」


昼休み中話は盛り上がるのだが、大体は彼女が聞き役に徹している。
そうして話をしている最中、彼女はふと窓際に立つ少年の姿を見る。
静かに、ただその瞳がずっと遠くを見ているようで、それが彼女には気になった。
大体の人は何を見ているのだろうか、と気にすることだろう。
だが彼女のそれは、どうしてか「どこに向かおうとしているのだろう?」という疑問に行き付いた。
自分でも分からない。


「ん、あれ。ツバサくんだよね」
「えっ、あ、うん。そうだね」
「ツバサくん、いつも元気だけど、最近少し変わってきたのかな。ずうっと大人びたような気がする」
「アンナにも、そう見える?実は私も………」



しかし同時に思う。
別に彼のことを気にしても、彼自身の内面を理解してあげられるようなものではない、と。
きっと私では、いや私たちでは手に届かないような、そんなところに彼の考えがあるような気がする、と。
何も彼が元の状態に戻って欲しいと思っている訳では無い。
人間誰でも成長するもの、それが普段見ていたツバサとの変化であるというのなら、成長が要因と言い切ってしまうことも出来る。
だが、彼女の内面がそれを否定する。
きっと、それは違いますよ、と。
何を言おう、彼自身が濁らせたまま、それを彼女に打ち明けたではないか。



『何かをしたいという気持ちはある。いや、こうあるべきだろうって姿も分かる。だがそれが本当に選んでも良い道なのかは、分からない』



だから、きっと、彼はその問いを考えてるんだと思う。
特に、今日これからのことで。


…………。


そして、そのときを迎える。



「………」



今日、師範代が言ったように、道場には州軍兵士が視察に来るという。
事前にその情報を知らされている学生たちは、緊張な面々で道場にやってきていた。
いつもより早く身支度を済ませ、いつでも鍛錬に入れますよ、という用意を整えておく。
先生が来るまでの間、いつも私語が絶えないのだが、今日に関しては随分と静かだった。
道着に着替え準備を整えると、各々が竹刀や木刀を持って、先生が来るまでの自主練を始めた。
皆、いつもとは違う雰囲気を感じ取っていた。
ここ最近感じることのなかった、ピリピリとした緊張感。
その中に、ツバサも入って来る。



「………」
彼もまた、平静でありながらも沈黙を保っている。
そして、皆彼が道場の間に入って来ると、一度彼の姿を見てしまった。
多くの人の目線を感じ取った彼。
理由はただ一つ。彼がそれを意識することはないが、“彼がこの場で最も強い兵士だから”である。
ツバサという人間は、もう長く剣道を続けていて、道場の顔でもある。
村の顔でもあり、道場の顔でもあり、誰もが認める存在だ。
そして彼の場合は竹刀や木刀を持たずとも、素の能力が強く、運動能力も抜群だ。
足も速く、跳躍力も凄まじい。それに加え柔軟で耐久力にも優れる。
そんな人の前に、現役の兵士が見に来るのだ。注目されないはずがないし、しないはずがない。
門下生たちの視線を気にせずに、彼はいつものストレッチをこなす。
決められた工程を何一つ破ることなく、いつものようにこなしている。
その内面がハリケーン到来時の波打ち際のように荒れていると、誰も知らずに。


全員が揃って数分後。



「待たせたな。今日も鍛錬を開始する。が………その前に」
「………」


扉の奥から先生と共に、二人の見慣れぬ姿が現れた。
二人とも剣は持たずとも鎧を身に着けている。
同じような格好をしているところを見ると、恐らく州軍共通のものなのだろう。
あまりに異質な光景。
この穏やかな日常に現れる陰とも言うべき存在。
彼らの穏やかさを守るために仕事をしている彼らを、異質なものと断定してしまうところが皮肉だ。
ツバサにとってはこの間も見たような光景。
州軍は兵士に留まらず、治安維持にも携わっている。
その格好は、間違いなく生活の守り手でありながら、脅威と威圧の対象だ。



「こちらお二方は、タヒチ州管轄下にある州軍兵士のリーアム軍曹と、ターナー准尉です」
「「よろしく」」



生憎、友好的な、あるいは親善を込めた訪問ではない様子で。
しかしその瞳がどことなく真剣そうに見えるのは、やはりこの二人の格好からだろうか。
簡単に紹介を受けた二人がそう言葉にすると、一同は礼儀正しく挨拶を返す。
それ以上の会話をすることがないと見た師範代が、間に入って言葉を挟む。



「今日、このお二方には皆の日ごろの成果を見て、評価してもらうためにお越しいただいた」
「っ………」
「なので、これまでの訓練通り、しかし思う存分その力を発揮してもらいたい」



はい!!と、一同がまた返事。
それで挨拶も会話も終了したと判断し、すぐに実戦形式での立ち合い準備が行われる。
気になるとすれば一つある。
この視察をどちらが望んだか、ということだ。
それによっては与えられた状況があまりにも異なる。
もし先生から州軍にそれを希望し叶ったということであれば、その言葉の意味も正しい。
評価し、それを次につなげるための言葉を残していくことだろう。
だがもし、この視察が州軍からによるもので、主導権が彼らにあるのだとしたら。
どうやら本人たちからそれを告げるものではないようなので、今は気になりはするが目の前のことに集中した方が良さそうだ。


そうして、実戦形式での鍛錬が始まった。
この形式での鍛錬は、週に一度あるくらいなもので、
それまでの鍛錬の結果をここで評価するということは、先生も今までしていたことだ。
しかし、どれほど向上しどれほど更なる見込みがあるかどうかは、確かに本職である兵士たちに見てもらう方が
よりハッキリとするのかもしれない。
だが、ここで明らかに疑問となるのは、その評価についてだ。
この道場での鍛錬を自分の中でどのように位置付けているかによって変化も影響も異なる。
何の為に道場に通い、何の為に強さを求めるのか。
今回の実戦訓練ではトーナメントのような形式は取られず、限りなく実力が近い者同士とのペアで戦うことになった。
いつもであれば「あらゆる年齢を想定しての実戦訓練」と言われるのだが、今日は評価をもらうためだろうか。
年齢の近い者同士、実力の近い者同士で戦うことが多くなった。
年齢の若い門下生たちから実戦形式での戦いを繰り広げて行く。
打ち鳴らされる竹刀の激しい音が、道場の中を埋め尽くす。



「………」



冷静に、腕を組みながらその光景を見続ける兵士二人。
無言の中に広げられる思考がどこに向いているのか、それを確認する術は今のところはない。
次々と勝敗が分かれていく。
負けた門下生は悔しがる人もいれば、相手の強さを知って「勝てる訳が無い」と苦笑いする者もいる。
だが、最もそれを感じるはずの相手は、間違いなくツバサだ。
その人物が登場するまで兵士たちはそれを知ることはないが、皆が思う。
それを見れば、恐らく二人は驚くことだろう、と。
ツバサが登場すると、皆が息を飲んでその姿を見届ける。
相手となるのは友人のソロだ。
彼もまたツバサほどではないが、かなりの実力を持つ男。
師範代が好んだ人選だった。
言い方を変えれば、それだけソロの実力を先生が認めているという証にもなる。
ツバサと「戦いになる相手」を選んだのだから。



「――――――――――――――。」


「……………」


ツバサとソロの実戦形式での戦闘。
合図が鳴ると、両者とも初撃は一気に間合いを詰めて行われた。
一切の声を出さずに、ただ威圧感とその破壊力は他の誰よりも勝る二人。
竹刀の打撃音だけ見ても、ほかの門下生たちとは比べ物にならないほど激しい。
二撃目、三撃目の一つひとつが目で追えないほど早く、繰り出される一撃が重い。
二人とも小刻みに間合いの中を動きながら、攻防を繰り返す。


「………」


その様子を、レンもエズラも見届けている。
明らかに強いのはツバサだと分かるのだが、それに食いつくようにソロも意地を見せる。
なんとか攻防を繰り広げて結果に結び付けさせないようにしているのだが、それもいつまでもつかという様相。
俊敏さ、技量、力の入り様はすべてツバサが勝っている。
それでもソロは粘り続け、1分ほどの激しい攻防を凌いで見せた。



「………ハァ、ハァっ………」



「…………」


二人の攻防に、腕を組んでいた兵士たちも思わず見入るような眼を向ける。
決め手を欠くツバサと、決め手を繰り出させないソロ。
どちらに分があるかは明白なのだが、そうはさせないと全力で阻止するソロ。
門下生たちは、いつもツバサの圧倒的な力量をその目に焼き付けている。
が、ここまでソロが善戦したことがあっただろうか。
彼らは寧ろ今、もう一人の立ち向かう勇者に視線を釘付けにされているようだった。
お互いに間合いが空いてしまい、戦いが一時中断されてしまう。
息を切らすのはソロの方だが、自然と二人とも笑みが零れていた。



「いいねえ。燃えてきたぜ…………」
「こちらもだ。久々の高揚感、まだやれる。全力でお前と対する」
「おうっ望むところだ。俺もひっさびさに打ち合いが出来てる気がするぜ………!!!」


それは、たとえ竹刀という殺傷能力の極めて低い鍛錬用の武器であったとしても、「剣戟」と呼べるものであった。
現代、戦闘のスタイルはあらゆる手法が取られてはいるものの、今だに近距離戦闘も衰えてはいない。
移動車両や空を飛ぶ飛行機などの開発競争が進み、現代にも時代の変化に相応しい機械化が進みつつある。
戦闘の距離感に応じた戦闘スタイルというものが徐々にラインナップに増え始めている。
たとえば、遠距離の敵を攻撃するための手段も登場し、飛び道具などと呼ばれる武器も数多くリリースされた。
車両砲台、迫撃砲といった類の砲撃兵器は、相手や相手の陣営、基地などに有効だ。
爆発物を遠くから撃ち込むようなもので、爆発による威力と火災の効力を期待することが出来る。
人々が手に持つことの出来る飛び道具は、大多数で利用されているのが弓だ。
飛び道具の中でも比較的手頃に使うことが出来るので、よく重宝される。
ほかにも拳銃といった、鉛の弾を高速で射出する武器も存在するのだが、こちらの配備はそれほど進んでいない。
何故なら量産にかかるコストがどの工程も掛かり過ぎるために、中々配備されないのだという。
ほかに飛び道具は存在せず。つまり、それ以外の方法で戦うのだとしたら、やはり近接戦闘しかない。
近接戦闘の主力武器は、彼らの持つ竹刀や木刀に殺傷能力を得たもの、文字通り剣<つるぎ>である。
古来、戦争の必需品として剣と鎧が数えられており、この武器はたとえ現代になろうと切っても切り離せない関係にある。
道場が各地にあるのも、ある意味でこれが理由とされている。
どれほど科学と技術が進歩しようと、捨てられないものはある。剣技というのもその一つだ。
ほかにも槍や戦斧といった類の武器もあるが、剣に比べれば少数派であろう。
彼ら門下生には知り得ないものばかりだが、歴史を深々と勉強している彼には、ある程度の状況は飲み込めている。
古典的、などと言われることもあるが、それが今でも最前線で通用する武術の一つであるのなら、それだけで価値はある。


二人の剣戟の打ち合いはさらに激しさを増していく。
これだけ激しく、かつ素早い攻防でありながら、剣術稽古の鍛錬の基礎を忘れてはいない。
実際には彼らの「型」となるようなものは通用しないのかもしれないが、それでも全く無いよりは遥かに有用的な鍛錬だろう。
どちらかが攻撃すれば、すぐに反応し防御する。そして防御した側が、すかさず攻撃を入れる。
互いに間断ない攻撃の連続で、見ている方としては圧倒されるばかりであった。
特に門下生たちから見れば、この二人の戦いは異次元とも呼べるものであっただろう。
兵士たちからはどう見えているのだろうか、とレンやエズラは考えていた。
現役の兵士で戦闘経験があるかどうかは不明だが、彼らはこの手のプロといっても過言ではない。
評価をしてもらう、という目的があってここにきているようだが、彼らには二人がどう見えているのかが気になる。


「結果を決めなきゃならんことには興醒めだが………!!」
「――――――――――――!!」


「………っ、そろそろ終わらせるッ!!」


その瞬間だった。
勝敗を付けることが興醒めするくらいに、目の前の戦いが“楽しい”とさえ思えた。
お互いの実力が拮抗し、数分間も激しい剣戟の打ち合いを繰り広げていた二人。
だが、いつまでもそのような状況を楽しんでいるものでもない。
決めに来たツバサの姿勢が一瞬で沈み込み、重心が下半身へ向く。
床が軋む音が目立つほどの踏み込みから繰り出される一撃。
それを目の当たりにしたソロは、瞬時に自らの結末を悟った。
回避は不可能、立ち向かうしか迎撃は不可能。
しかし、その迎撃とて気休めにしかならず、出来ることといえばその剣に剣をぶつけることだけ。
それもそれで終わり。
それ以上は存在しない。



そうして最後、低い姿勢から打ち上げられた一撃は、ソロの手から武器を奪い取り、
その武器は勢いよく天井に衝突し、地に堕ちた。


「…………」


確かに感じた。
あの踏み込む瞬間、力の差は歴然である、と。
悟るほどの、「ああ、終わったな」と感じさせるほどの絶望的なまでの差を。


恐らく十数秒と続いた沈黙。
勝負が決まったというのに、誰一人音を立てることもない。
結果を定めた彼らでさえ、その行動はまるで静止する像かのよう。
空気は重く、圧し掛かるようだった。
そう、誰もが見惚れていたのだ。
自分たちとはあまりにも異なる戦い方に、我を忘れていた。
見入るように釘付けになり、そして終わったことさえ忘れるほどに時間が過ぎて行く。
たった十数秒の時間が、一分にも二分にも感じられた。
その沈黙を破ったのが。



「やったぜ!!」



利き手で持っていた竹刀を下ろした、勝者たるツバサ本人だった。
瞬間、広間に大きな拍手が鳴り響く。
これは目の前の激しい戦いに対しての称賛の拍手だ。
お互いに鍛錬を積み重ねた成果がここに現れていると、誰もが思ったことだろう。
今までの鍛錬で、ツバサが別次元の強さを持っていることは明らかだった。
驚かされたのは、その動きにソロが喰らいつき、両者とも激しい戦いを繰り広げていたことだ。
逆に、そのおかげかツバサも思う存分戦うことが出来ていた。
彼の力量、技量が圧倒的すぎる為に、彼も本気で戦う機会というものは殆どない。
まるでソロがそれを引き出させているかのような、そんな戦いだった。



「見事だった。いや、言葉を忘れるほどにな」



師範代、先生もそのように感想を述べた。
鍛錬の成果を見せるのが実戦形式での訓練。
それを思う存分発揮した、ソロにもツバサにも、称賛の声があがる。
レンやエズラも笑顔だった。
道場では時々話題になることがある。
一番強いのはツバサだというのは間違いないのだが、次は誰かな?と。
今回の戦いで多くの門下生が、その次はソロになるのではないか、と思った。
実際のところ一番強いからなんだ、という話ではあるのだが。
敗れたソロは、虚しく落ちたその竹刀を手で拾い、少し苦笑いをしながら。



「お前には勝てんな」



と、目の前の友人の強さを認めた。
その後、幾人かのペアが引き続き実戦形式での鍛錬を行ったが、
ツバサとソロの戦いを見てからの、門下生たちの気合の入り様が全く異なるものとなった。
皆、目の前の異次元級の戦いを見て、自分たちもそれに近づこうと全力で打ち合ったのだ。
闘魂燃やすキッカケになったというか。
終わってみれば、殆どの門下生が力を表に出す結果となってはいたのだが、それでもどことなく満足のいく鍛錬だったようだ。
現役の兵士としてここに視察に来た者たちは、終始無言でその様子を眺めていたが、時折表情の変化などは見られた。

そして。
彼らの目的が、明かされる。



「皆さん、今日はよく日頃の成果を発揮できたようで、こちらも興味深く見させていただきました」



話し始めたのは、ターナー准尉の方だった。
二人とも中々表情を変えないものだから、強面の人間同士と思っている人も多かったのだが、
いざ話し始めると笑みを浮かべながらの言葉。
門下生たちも少しリラックスして聞くことが出来た。



「実は、このような剣術稽古を指導する道場は、この国の各地にあります。最近私たちは、そうした道場を訪れては皆さんの鍛錬を拝見させていただく機会を持つようにしています。道場に入門出来るのは、20歳を迎える前の子供たち。そんな子供たちがどのようにして剣術稽古に励むのかを、こちらとしても把握したいと思っているからです」


「…………」


「この道場は年齢層も幅広く、これから先が楽しみな人たちが多いのに驚きました。ここで皆さんには一度、考えてもらいたいことがあるのです」



すると、笑みを浮かべていた優し気な顔がスゥーッと引き、穏やかではあるが落ち着いた表情に切り替わったターナー准尉。


皆さんは、この剣術稽古で得たものを、将来何に役立てたいですか?
きっと皆さんそれぞれで異なる意味を持っているものと思います。
毎日何を思って練習し、励み、そして成果を出す。
これがただの週間サイクルではなく、将来貴方たちにとって何の意味を持たせるのか。
それをもう一度、考えてもらいたいのです。
鍛錬を積み重ねるだけならば、誰にだって出来ます。
いずれは上達することでしょう。
しかし、この日常の鍛錬に意味を持たせて、それを遥か先の未来に価値を繋げたいと考えるのでしたら、
今ここで何を学ぶべきなのか、取り組むべきなのか。
それを、一人ひとり改めて考え直して下さい。
毎日の繰り返しの中にこそ、本当に大切な意味があります。
“その中から自らの将来を定める者もいることでしょう。”
剣術は、そういった自分との向き合いでもあり、自分との闘いでもある。



「少なくとも、私はそうだと思っています」


それからしばらくして、今日の道場での鍛錬は終了した。
皆が何かを掴み取ろうとした一日。
普段、いつものように送る日常とはかけ離れたような一日が、そこにはあった。
それは彼ら四人としても同じだった。
レンもエズラも必死に鍛錬に取り組み、今日はいつもより疲れも増しているように感じられた。
それでも変わらず帰り道を笑顔で四人歩く。
あれから兵士二人と師範代とで話をするようで、今日の鍛錬はいつもより少しばかり早めに終わった。
鍛錬が終わった頃には、朝から昼にかけて広がっていた曇天の空も幾分かマシになり、夕空の陽の光が眩しかった。


二人と分かれ、また一人と分かれる。
また明日、と元気に告げて、明日の訪れを待つ。


「…………」


家の前につく。
今日も誰もいないベンチ。
それが普通でもある。
すぐに家の中に入ることも考えてはいたが、彼はなんとなく、また村の景色と沈む夕陽を眺めていた。
少し肌寒い気温と夕空。とても澄んでいて、出来るのなら山間に沈む夕陽ではなく、もっと地平線を見てみたいとも思うのだ。
こうしていると、落ち着く。
一日の疲れはまだ取れないが、深く溜息を吐くとどことなく落ち着いて行く。
そのベンチで彼は暫く休んでいた。



今日は色々なことがあった。
そう振り返るばかりだ。
いつもとは違う日常。
午後からの時間は、自分の中でもいい緊張感を持っていた気がする。


「………ん?」



その時。
普段この村では聞くことが無いような音が、聞こえてきた。
唸るような機械音。
これは隣町の公園でよく聞いている音に、よく似ている。
地面を蹴る音は明らかに人のものではなく、この村で見るものでもない。
そして現れた黒い塊。
現物を見たことはあるが、この村にはとても異質な物だろう。


「少しでいい。話をしないか?」


その黒い塊から降りてきたのは、
先程まで道場にいた現役の兵士の二人だった。

第15話 鍛練の意味

彼の目の前に現れた、二人の現役の兵士。
聞きなれないサウンドを伴いながら登場した黒い塊は、車。
彼らが隣町へ遊びに行ったとき、公園でよく遊んでいるあのカートの箱型版。
車のほうが速度も出るし、居住性能もある。
それは、しかしこの村では全く見ることのない、現代技術の結晶とも呼ぶべきものであった。
今のこの村には似合わないものだし、何より異質そのものだ。
兵士たちは通常の移動車両でこの坂を登って来て、そしてツバサの前に現れたのだ。


「どうしてここが分かったんだっ………?」
「すまない、突然で。あの先生に聞いて、それでここまで来たんだ」


道場での鍛錬が終わった後、この二人は先生と話を進め、そしてこの場所まで来た。
明確な目的を持って。
ターナー少尉とリーアム軍曹。
ツバサとの間はおよそ10メートル。
夕陽が染め上げる空と大地、二人の間に静かな風が吹く。



「先程の戦い、見事だった。正直あれほどのものを魅せられて、こちらとしては驚いている」



話はターナー少尉主体で行われる。
何も彼は話を受けるとは一言も言っていないのだが、自然と彼らの話を聞く姿勢になっていた。
ベンチに座っていた彼は立ち上がり、まるで二人と対峙するように姿勢を彼らに向けた。
ターナーは冒頭、彼を称賛する言葉を放った。
ターナーもリーアムも、平静を保ってはいたものの、彼とソロとの戦いを見て驚いていた。
これほどの子供がいるのか、と。
現役の兵士に「驚かれる」のだから、彼も意識しないはずがない。
自らの実力を過信して他者に自慢するような人間ではないので、そういった自意識とはまた異なる。


「どうも。それで話ってのは?」
「ほう。キミは随分堂々とした人だな。その強さの素とも言えるか」
「え、そうかな?俺はいっつもこんな感じだぞ!」


と、リーアム軍曹が言う。
普通に考えれば、自分よりも年上の人に礼儀や敬語を一切使わない子供など、生意気と見られる。
が、不思議とこの二人はそうは考えず、寧ろその堂々たる姿勢が強さの素ではないか、とも考えた。
気分を害すこともなく、ターナーが話を続ける。



「いや、特段目的のある話ではない。ツバサくんは、いつから剣術を学んでいた?」
「もうずっと前だな。10年近く経つんじゃないか?」
「なるほど。ではその間キミは何を目指して剣術を学び続けた?」


―――――――――――――――。
と言われた瞬間、彼の表情が凍った。
思考が停止し、今何を言われたのかを振り返ることしか出来なかった。
お前は何のために剣術を学び続けてきたのか。
それを言われると、返答に困る。
さっきの話の続きでも無いが、この稽古は日課のようなものだった。
目的と言われると、何と言えばいいだろうか。



「まさか目的無しに剣を習った訳ではないだろう?ツバサくんは何を目指している?」



これまでの時間、そのように面と向かって、ハッキリとストレートに言われたことがあっただろうか。
剣を学ぶ意味。強くありたいと願う心。その先にある、自分自身の目的、果たすべきもの。
誰かの前では“取り敢えず今は強くありたいだけ”とも言った。
しかし、経緯や理由のない強さは大して意味を持つものではない。
強さとは何かに役立ててこそ示されるもの、意味を持つものである。



「そう言われると、困る。俺自身、まだ何をすべきかっていうのは決まってないんだ」
「………」



普通の人には気付けないのかもしれないが、この二人は分かった。
“何をすべきか”というツバサの問い。それそのものが、明らかに他の人に比べ異質なのだと。
目指しているもの、目標や目的を持つとき、多くの子供は「~がしたい」「~になりたい」「~をやってみたい」などと思うことが多いだろう。
それは希望であり自分自身に対しての期待でもある。
ところが彼の場合は、「自分は~をすべきだ」というように考えている。
そのように考える子供など普通はいない。
たとえ年頃の、思春期を越え大人に近づく子供であったとしても、夢や希望は持つものだ。
“使命感”や“脅迫観念”に囚われる人など、普通はいない。



「そうか。ツバサくんは何かをすべきだと思っているのだな」
「え?あ、あぁ。自分がこの先何に向き合っていくべきなのかなってな」
「………それを定める時が来ているのかもしれない。難しいことだが、キミには内心が読めているはずだ」
「どういうことだ?それ」


「剣を学ぶことと、自らを強くすること。その目的であるイメージが、キミには出来ているはずだ。たとえそれが仮の理想や希望であったとしてもいい。すべてを定めるのは難しい。だが、己の往く路というのは一つとは限らないし、経験して分かれることもある」



キミが本当に強くなりたいと思った理由はなんだ?
その剣戟はキミに何を教えてくれた?
それを、キミはこれから何に使うべきなのだと、心の奥底で思ったのだ?



それは、彼の根底に対する問答の問いに関する部分だった。
ただ単に剣を習いたいと思って、10年近くも通い続けているのではない。
明確な形でなかったにしろ、必ず目的というものが存在しているはず。
まして彼は自分の将来に対し、自分の身体ですべきことを探し続けている。
その答えはこの先も見つからないのかもしれない。明確にはならないのかもしれない。
しかし、それでも見出すためには一歩踏み出す必要がある。
いつまでも立ち止まって問いと疑問を残し続けたとしても、自らの内なるものを操ることは出来ないだろう。



『私はね、どこかで苦しんでいる人たちの為に、戦いに行くんだ』



あの言葉を聞いて、お前は何を感じたのか。
あの背中を見て、お前は何を思ったのか。
今ですら夢に出てくるその光景を目にして、何をすべきと思ったのか。


父親は兵士だった。
戦況が悪化しなければ呼び出されもしない辺境の地にいた兵士だが、それでも兵士であることに変わりはない。
国の為に働く人、国の民を守るための戦士。
そうする理由は、どこかで苦しんでいる人たちを、戦いから救い出すため。
最後にその背中を見て、思ったことがある。感じたことがある。
結局あの人は帰って来なかったが、そんな目的を彼に告げて、そして消えていった。
顔も分からない誰かを窮地から救う。そのために、今起きている戦いを終わらせる為に戦いに行く。
そんな父は、その先で一体何を知り、何を見て、何に向き合ったのか。
それを知りたいと思っていた。
父のように誰かの為に戦うなどということは思えなかったが、この身は誰かの為になるかもしれないとは思えた。
あの人もそう思って、戦いに行ったのだろうから。



そうだ。
俺は、知りたかったんだ。
父が見た世界を。


10年間も鍛錬を続けてきた意味を、そんな一瞬で見出すことは不可能だ。
けれど、幾度も感じ、思ったことに間違いはない。
もしそれを知ることが出来るのなら、そのために必要なのは自らを鍛えることだ。
どのような状況下になろうと、自分であり続けるため、立ち続けるために。



「あんたたちは、その………戦争を経験したことがあるんだよな?」
「っ………」



すると、彼に向けられた問いには答えず、逆に彼が彼らに問いをかけていた。


「私たち二人は、実際の戦闘を経験していない。この州にいる兵士の大多数は、実戦未経験者だ。この10年間は戦闘はほぼ起きていないからね。それがどうしたんだ?」

「そうか。いや、でもその方が平穏でいいはずだよな。ただ、もっと西側の地域では実際の経験者もいるんだろう?」

「そうだな。向こうは元々戦火の中心地だ。そこで生き残った者もいる」



50年戦争の生存者。
目の前にいるこの二人も兵士ではあるが、50年戦争とは関わりのない身分だという。
10年前に集結した戦いではあるが、歴史を辿る限り凄惨かつ悲惨な現実ばかりであったことを、彼は知っている。
もしこの二人が経験者であるのなら、色々と話を聞きたかったのだが、そうはいかないようだ。
それに、自らの望み、父が見たものをこの目で見ようとするならば、父と同じ現実に立たなければならない。
ここで彼らに問いをかけたところで、得られるものは限られている。


「歴史に興味があるからさっ。そのへん、いろいろ知りたいと思ってね」
「………歴史、か」


深く、そして重くそう呟くターナー。
彼は言う。
“今も歴史は動き続けている。しかもこれからはまた激しく動き始めるだろう”と。
今まで止まっていた歯車が再び動き出すとき、世界は激動の時代を取り戻す。
それがどういう意味なのか、分からないツバサではなかった。
歴史に興味がある彼。
今までそれを文面で何度も眺め続けてきた。
50年戦争のことばかりではなく、人類の発展と共に繰り広げられてきた大陸内戦争も数多く調べた。
だからこそその言葉は気になる。
再び激動の時代が来るだろうという、未来予測が。



「今、西の大陸にある王国グランバートと他数国が緊迫状態にある。彼らが動き出せば、一気に時代も動き始めると思う。そうなれば、この辺境の地はとにかく、西側は荒れに荒れるだろう。そうなれば、もっとキミの知りたい情報は西側に集まるはずだ」

「……………」



だが、それには覚悟が必要となる。
ただ単に知るという訳にはいかない。
何しろ“それ”が始まれば、自らもそれに立ち向かわなければならなくなる。
その世界に入り込むことを決意するのなら、自身の力もまた、その世界に向けて放たねばならない。
そうなれば、確実に。


「これから戦争が起こるって?」
「恐らくはそうなるだろう。どうあっても避けられないものも、世の中にはある」
「何の為に戦争をやるってんだ?」
「それを答えるのは難しい。寧ろキミが知りたいのはそこではないのか」


「………なるほどな」



知りたければ、西側に行くがいい。
キミには力があるし興味も持っている。きっと学んだものを活かせるはずだ。


ツバサの話を聞いてそのように告げた兵士たち。
本当の目的がどこにあったのかは分からないが、推察するに容易い。
この人たちのこの言葉の数々こそが、真の狙い、目的なのだろう。
道場という鍛錬の場を視察して、将来的に使えそうな人間を見つける。
しかし、そんな想像に容易い目的も、ツバサはそれほど否定的に考えてはいなかった。
自らの望みが戦争と関わりのあることだからだったのだろうか。
父が見た世界を知る。
いつまでも終わらない戦いの本質を知る。
そのために必要なものも、彼は分かっていた。
あとはその機会が巡り来るか、掴み取るか。
その分岐点に立たされていることを、彼も充分に承知していた。


自分のするべきことは分かっている。
それでも彼はこの場で決断することはなく。



「まだまだ、ゆっくり考えねえとなあ」
と、返答はせず兵士たちにただそのように告げていた。
夕陽が沈んでいく。やがて訪れる闇夜。
風が静かに吹く中で、彼らの目的を彼は知った。
その後少しだけ彼らとの会話は続いたが、特に進展もなく。
二人が丘から下ってこの村を去っていくと、再び静けさが彼の周りに集まっていた。
既に陽は沈み、あんなに綺麗に染め上げられていた赤い空も徐々に消え始めている。

色々なことを考えた。
この穏やかな日常。
何事も無い村と、何の危機感も無かった毎日。
それが普通の人にとっての、かけがえのない毎日であることはよく分かる。
それでも彼は、それを素直に、純粋に受容出来る人間ではなかった。
当たり前のように存在している平穏に不満を持っていた訳では無い。
寧ろこの平穏はあるべき姿なのだとさえ思う。
だが、それは自分の周りばかりで広がっている光景。
自分が本当に知りたいものの先には、こうした平穏は恐らくない。


そんな平穏を、
遠くにいる彼らは手にすることが出来ているだろうか。


自分たちが当たり前のように手にしていたものが、
向こう側の人間からすれば尊いものであることも、充分に考えられる。
思えば思うほど、考えれば考えるほど、自分の眼で、身体で、心で知りたくなる。
父が何を見てきたのか。
目の前の戦いが何をもたらすのか。
そしてその境遇の中で生きる人たちは、何を見続けて生きているのか。
何の為に戦いが存在するのか。
歴史で学んだことのあれこれを、実際の眼で見届けたい。
その思いに気付き、確信し、そして迷い悩む。
自分が今本当にしたいことを貫くことになれば、自分は必ず向こう側の人間として生きることになる。
それは、自らこの平穏な日常を手放すということ。
自分の為に自分にとって当たり前であったものを手放す。
どれほどの苦悩がその先に待ち受けているのか、未来があるのかさえ分からない迷宮に入り込む。


その道に進む決心をつけるのには、まだ躊躇いの残るツバサであった。



「あれ、ソロだ!こんなところで会うなんて、珍しいね」
「レン。先程はお疲れ様だ」


一方。
ツバサと現役の兵士たちがそのような話をしていた場所とは別のところで、偶然にも会ったソロとレン。
二人とも一度自宅に戻った後ではある。
彼女は買い物のために雑貨屋に入ろうとしたのだが、既にその中にはソロがいたのだ。
思わず吃驚し、声をかけた彼女。
彼もまさかここで会うとは思ってもおらず、やや驚いた表情を見せた後に平常通りに戻った。



「それは………トング?」
「ああ。調理用のな」
「へぇ~、ソロって結構お料理する人?」
「程々にな。たまにこうして、自分で買いに来る」



とても落ち着いた、低いトーンの声でそのように言うソロ。
今までソロがそのようなことをしている、などと思いもしなかった彼女にとっては新鮮味のある話だ。
(ソロ)は見た目やその雰囲気から容易に察することが出来るように、しっかりもの、頼れる先輩というような姿だ。
実際、冷静で落ち着いたその態度や姿勢は多くの人が認めている。
時々“ツバサとは正反対の人”などと比較されることもあるが、元気の良い時の彼とはそもそも比較にすることすら妙ではある。
176cmの身長。スラッとした体型に見えて筋肉質。着痩せしているようにも見えるが、実は結構イイ身体をしているというのは、
男性陣のみ知るところである。
そして今日、彼は驚くべき光景を皆に見せてくれた。
「一強」とまで言われたツバサと、3分間にもわたり剣戟の激戦を繰り広げたのだ。



「それにしても、今日はお見事だったね。皆驚いてたよ?」
「そうだったか。確かに俺自身、あれは上手く行き過ぎだったと思っている」
「そうなんだ?でも二人とも格好良かったよ」
「光栄だ。しかし、これであの者たちはツバサに目を付けただろう」


「………?」



あの戦いは彼自身、驚きの連続でもあった。
あれほど偶然にかみ合った剣戟というのは初めてだったとさえ、ソロは思う。
しかし、あれを見れば当然、圧倒的な強さを誇るツバサに目が向くのは当然だろう、と彼は考えていた。



「あの二人の目的は、近い未来に兵士となれる人材の発掘だ。間違いない」
「………じ、じゃあツバサは………っ!!」
「ああ。これで間違いなく後ろに控える軍人たちに報告がいく。そうなれば………」



ソロは言う。
“かつてこの国には、戦地への呼び出しがかかる証として届く、赤い紙があった”と。
その話は歴史に詳しくないレンでも、聞いたことがある。
赤紙(あかがみ)と呼ばれるそれは、当時の「ソロモン連邦共和国軍統帥本部」から郵送されるものである。
内容については知る人と知らない人とで分かれるが、それが届けば招集命令という風に見なされる。
何人も国に属するのならば、国を思い国の為に立つ。
その成就のもと、人民は自由と平等を手にすることが出来るだろう。
戦争が長く続いていたときには、戦争からの解放こそ人民の救済だと考えられていた、こともある。
それが正しいのかどうかは分からないが、そう思う人間は多かっただろう。
かつては国を主導し民衆を扇動した者たちもいる。
しかし、戦争が昏迷の時代へ突入していけば、多くの優秀な人材を失い、主導者も何度も入れ替わった。
戦いによって国が疲弊すれば、その後傾くのを阻止するために対策を講じる。
人手不足の際には、男性の大人や有能な人間は「最前線」へ駆り出される。
それが下る証拠が赤紙なのだ。



「で、でもどうして?今は戦争も起きてない、もう10年も経ってるのに………!」
「しかし、世間を見れば多くの人間が想像できるはずだ。今のこの情勢は、過去に同じようなことを繰り返した時のそれと、同じだと」
「っ…………!!」



彼女は、自らが愚かな存在だったと思い知らされた。
何ら考えが及ばず浅はかであったと。
自分だって世間的なニュースは目に、耳にしているというのに、その自覚は全く無かったのだ。
彼女にとって近しい人間がその立場につく、その可能性に気付いた時、彼女もまた気付いた。
これが「他人事では済まされない」ということに。
思わず自分の胸を掴んでは、内側から責め立てられる自我を抑えにかかる。


少し想像すれば、簡単に思い付いたことだ。
あれほどの実力を持つ人を見れば、現役の兵士がツバサを機にかけることなど、容易に想像がつく。



「いかんな。こういう言い方をすれば、まるで俺が兵士たちの手伝いをしたかのようだ」
「ソロ………!!」
「いやすまん。そんなつもりはないが、だが奴とて考えない訳では無いだろう」
「え………??」



ツバサは、自らの力に自惚れることなく、更なる高みを目指そうとしている。
彼は道場一の強さを誇り、あの二人の兵士たちを頷かせたほどの実力の持ち主だ。
自らが自惚れないとしても、周りは充分すぎるほど彼の力を認めている。
そして、彼とて意識しない訳ではなく、考えない訳では無いだろう。
彼の強さを兵士たちが認めるのであれば、その水準に達しているとも考えられる。



「それに、奴は歴史や軍事に興味を持っている。兵士という立場を意識しないはずがないだろう」
「………本人はどう思ってるんだろう………」



その水準を理解し、自らがそれに適しているものだと判断されれば、あの兵士たちの目的が顔を出す。
元々道場に兵士が来る理由など、そのくらいなものだ。
鍛錬を評価するとはいうが、その評価は次に繋げるものがあってこそ。
ただ純粋な強さを求めるのではなく、強さに見合う理由を共に見出す。
その中にいないとも限らない、将来兵士となる存在。その可能性を、彼らは見出す為にここへ来たのだ。
そうに違いない、とソロは睨んでいた。
もっともこの時、ツバサの家の前で彼らがまさにその行動を取っていることなど知る由もない。
レンは冷静になって考えてみた。
彼がそれを受け入れれば、あるいは兵士という存在になれるかもしれない。


でもそうなったら。
彼は、私たちの前から、いなくなってしまうのだ。



「でも兵士になるのなら……人殺し、を………」
「………そうだな。それを容易に受け入れる男じゃないだろう。だからきっと、そういう場面になれば、奴も考える」



兵士になる。
戦争になる。
その只中へ送られる。
つまりそれは、彼は兵士として人殺しをすることになる、ということだ。
そんなことをする彼の姿など、レンは想像したくはなかった。
だが兵士になるとはそういうことなのだろう。


当たり前だが、人殺しがしたくて兵士になるとは到底思えない。
しかしもし、本当に兵士になろうという気持ちがあるのなら、間違いなくその理由があるはずだ。
だからこそ、本人はどう思っているんだろう?
他人事であるはずのことに、他のどんなものよりも興味を持ってしまった彼女。
「何かをすべきなのだろう」と考える彼の先にある、理由。
ここでソロとレンが話しても、何も進展することはない。
ただソロはこう言った。


「何にせよ、どのような形であれ、奴の意思を俺は尊重するよ」


この村は平穏そのものだ。
世間がどのような形に向かおうと、ここには直接的な影響がない。
そう思っていたが、それはあくまで村全体としてのこと。
一個人にとっては、そんな平穏も時に打ち破られる。
彼女の両親がかつて経験したように。


圧倒的な力を持つ彼。
歴史や軍事というもの、その先にある戦争に興味を持っているであろう彼。
その彼が向かう先にある、兵士という立場。
可能性だけの話で騒ぎ立てるのもおかしなものだが、その可能性がないとは言えなかった。
他方、その可能性を彼は掴み取り、そして選択を迫られることになる。
誰かがそのようにさせたのではなく、自らの心に問いを投げかけたのだ。


お前は、どうする?と。


………。

第16話 決意と決断と。


これは、これからの人生を左右する境界線、分岐点だ。
それを選ぶと選ばないとでは、今後の自分の人生が大きく揺らぎ変化することだろう。
今、彼はその分岐点に立っている。
どちらの路を征くかで、今後が大きく変わる。



あの兵士は言った。
西側にいけば、きっとキミの知りたいことが見えてくるだろう、と。


それは、単純に「キミの力は兵士たちの力となる」という意味に留まらない。
歴史や軍事に興味があり、物事を知りたいと欲する彼の心情に問いかけたものだ。
彼らはまだ知らないが、彼の父親は兵士としての経験がある。
辺境の兵士が中央に送り込まれ、そして還らぬ人となった。
自分が行けばその二の舞になる、という思いは確かにあっただろう。
しかし、それ以上に知りたいという欲があった。
父が何を見て、他の人たちが何を経験してきたのか。
戦いたいと思うのではなく、知りたいという思いが強く。
その過程に戦いが起こるのであれば、それに参加することも一つの路だろうと考えていた。


一方で。
この村は平穏そのもの。
たとえ世の中の至る所が戦火で埋め尽くされたとしても、
この村でなら平穏を手にしたまま、生き続けることが出来るだろう。



どちらを選ぶべきか。
どちらが自分にとって良いものになるか。
日常の中で、彼はそれを考えることになる。
兵士たちが視察に訪れ、彼の前に打ち明けた直後から、彼の非日常は始まっていたのだ。


その日は、休日の前の日。
曜日にして金曜日。
この曜日を迎えると、特に午後からの時間は次の日の休みのことで、多くの学生たちが頭一杯となる。
それで勉強に頭がついていかないことも多々あるのだが、先生たちにとっても土日というのは貴重な休み時間で、
気持ちをリフレッシュさせたいと思うみたいだ。
午後からの授業は、理化学と彼には残念ながら興味の湧かない分野。
悪いことだとは思いつつも直らないこの捉え方。
彼はこと勉強に関して興味の湧かないものに対しては、あまり積極的になろうとはしない。
テストなどの点数も、興味の強い分野は満点に近く、そうでないものは平均的な数字が多い。
興味の度合いによって、授業中の態度も変わる。
歴史や社会科などでは積極性が見られるが、他の科目ではごく普通といった様子だ。



今日の彼は、外を見ている。
窓の奥に広がる村の、いつもと変わらない景色を眺めている。



その彼の姿を横目で見る、少女レン。
先日の道場でのことを彼女は気にしたまま、日常を送っていた。
しかし直接的なことを彼に聞くことも出来ず、自らその疑問を封じ込めていた。
聞けるはずもない。
彼の夢は何かは分からないが、聞いてはならないと自ら思ってしまっていた。
彼のあの表情や言葉が思い出される。
そう簡単に踏み込んでいいものではない。

だが、それはそれでもどかしいというか。
他人事であるはずの彼の話を気にしてしまう自分が、どうかしているのだろうか。
いや、でも、一人の友人として。


「……………」


本当に、友人としての思いだけだろうか?
ふと彼女はそんな疑問にぶち当たっては、目を背けてしまった。
何を妙なことを考えている、と。
こんな気持ち、ツバサの夢に何ら関係するものではない。



放課後。
その日も変わらず道場へ行く。
兵士たちが視察に来て以来、ほかの門下生たちの気合の入り様も変わったのか。
より真剣に打ち込むようになっていた。
明らかに以前に比べて変化したことといえば、あの試合を見て以降、ツバサとソロを目標にする門下生たちが増えた。
実戦形式での鍛錬はそう多く行われることはないが、立ち合いに二人を名指しで頼む門下生もいる。
ツバサとの対戦は、それこそ一方的な力量差を見せられることが多いのだが、それでもその戦いの中で何かを掴もうとする意思が強く働いていたのだ。彼としても、強くなりたいと思ってそれを目指してくれるのなら、喜んで協力するという姿勢だ。


「まだまだあ!!」
「よし、来いっ!!」



だが、同時にあの言葉を、あの会話を思い出す。
『剣を学ぶことと、自らを強くすること。その目的であるイメージが、キミには出来ているはずだ。たとえそれが仮の理想や希望であったとしてもいい。』
剣を学び己を強くする先に、自らが望むイメージ、理想の像がある。
既にそのビジョンが見えているはずだ、とあの男は言った。
実際その通りだ。
あの男が言ったように、彼にはこの身ですべきこと、というのがイメージ出来ている。
“なら、あとはそうするだけだろう。”と囁かれるところなのだろう。
夢とは言わずとも、彼が頭の中で思い浮かべたものに、手が届くのだから。



道場が終わると。



「ツバサ、話がある。少し残ってくれるか」
鍛錬の始まりと終わりは礼に始まり礼に終わる。
それは、彼がここ何年も積み重ねてきたものの中で、変わらない習慣だ。
それが当たり前だと思い込んでいるし、実際当たり前の動作、呼吸と変わらない所作の一つだ。
その直後で、師範代がそう彼に告げた。
師範代がそう言葉を出したものだから、ほかの人たちにもそれがきこえた。
彼は「はい」と一言だけ言って、そして奥の間へと進んでいった。
二人がいなくなった後の道場は、騒然とした。当然といえば当然だろう。


「なんの話だろー………!?」
「やっぱりこの間のことと関係あるのかなっ………!!」



ということで、今日はいつもとは違う帰り道になりそうだ。
そう思いながら、エズラとソロが話して、レンのもとへ寄る。



「さ、帰るぞ。あれは話が長くなる」



そう言うと、レンも無言のまま肯定の意を示す頷きをして見せた。
そうするほかないだろう。
彼らの話に入っていったところで、何も出来ることはないのだから。
様々な噂、憶測が飛び交う中ではあったが、ツバサがいないいつもの三人は帰路につく。

道場の奥には、師範代が使う部屋があり、ツバサはそこへ通された。
たまにここへ来ることがある。
どの場合においても師範代に呼び出されたものに限る。
自分からここへ来ることはそうそうない。
特段理由がある訳でもないが、この場所は他と違い何か特別なのだ、と単純に思ってしまっていた。



「コーヒーでいいか?」
「え、いいんですか?ありがとうございます!!」
「気にするな」



師範代と彼との付き合いは非常に長い。
何しろ彼がこの村で道場に通い始めた頃には、もうこの師範代も既にこの村に通っていたのだ。
彼が小さな頃から知っている人で、同じく師範代も彼の成長をここまで見続けてきた。
とても苦いコーヒーを出すと、ツバサはカップを手に取って少しずつ飲み始めた。



「さて。いきなり本題だが、先日お前のもとにあの二人が行っただろう」
「あ………」


いきなり本題で、いきなり本質を貫くその話題。
思わず彼は口を開けてその言葉を聞き流してしまった。
それだけで、師範代には図星であると分かった。
彼の所在は、師範代が教えたものだ。
勝手に教えてしまったことをこの場で詫びた男ではあったが、ツバサは何ら気にしていない。
寧ろ考えを与えられたのだから。


「あの二人が何を言ったのかは想像がつく。お前だから言うが、もとよりあの二人は今の世界情勢を見て、将来兵士となり得る人材を探しに来ていた」
「………やっぱり、そうだったんですね」
「そうか、お前にも想像はついたか」


そうだよな、歴史にとことん興味があるのだから。
と、続けて男は言った。
無論、彼は日常的にここ最近の世界情勢を見届けている。
そして、師範代が告げたその内容、あの二人の真意は“味方を集めること”だという。
既に彼には二人の目的が分かってはいたことだが、改めてそう打ち明けられると複雑な心境になる。
何しろ、あの二人があのようなことを告げてきたのだから、自分はそのうちの一人に選ばれる可能性が高いということだ。



「あの二人はお前を必要としているようだ。困ったものだな、まだ16の少年を兵士にさせようというのだから」
「……………」
「それだけ、今の情勢は悪いと見える。あれの目的は、少しでも戦える人材を集めるということだ。お前は、どう思う」



16歳の兵士。
兵士という立場に置かれた人間が今どの程度いるのかは分からないが、
流石に彼ほどの年齢の兵士は少数だろう。
だが、それでも戦いに役立ちそうな人材は確保しておきたい、というのが州軍の本心だ。
ツバサは、その道に誘われている真っ只中、その渦中にいる。
それを師範代に告白すると、「既に手を出してたか」と苦笑いをしながら聞いてくれた。
だが一方で、彼は知っている。
10代の兵士がかつての戦争では多く存在したことを。
歳が若いから戦争に参加することが出来ない、というような決まりはどの国にもない。
それに、16歳であればある程度身体の発達も進んでいて、身体的な全盛期にある人も多いだろう。
実際、歴史を辿れば20歳になる前に兵士となり武勲を上げた者もいる。


ちょうど、10年前にもそのような戦士が幾人かいたようだ。
その前例に倣う訳では無いが。


「もし、戦争が起こるとして、それに巻き込まれる人たちがいるんなら、それは可哀想だと思いますね」
「………なるほどな」


この50年、無辜の市民が何の罪も無く犠牲になったこともあった。
町や村がまるほど葬られたこととてあったのだ。
彼らに戦争に関与する原因があった訳でも無いだろうに、ただ敵国にいたという事実だけで、排除の対象となる。
それが戦争では当たり前になっているのだと、彼は思っていた。
あくまでこれは彼の歴史観から述べられるもの。
本当の現実を見るには、あの男が言ったように。


「………そうだな。お前の選択肢を後押しする一つとなるかどうか。一つ話をしてやろう」



それは、十数年ほど前の話になる。
先生、師範代………いや、一人の人間であった“ドレン”は、オーク大陸の北西部を領土に持つ『ルウム公国』との戦いに参加したことがある、兵士だった。
ソロモン連邦共和国とルウム公国との戦争。
その他の国々も暗躍する、悲惨な時代に巻き起こる幾多の戦争。
ここ数年での戦争では最も苛烈で深刻な戦争だったと言われることもある。
約十年前に一度戦争が終結し小康状態に入るまでの数年間は、世界にとって激動の嵐だった。
ルウムとソロモンの戦いは各所で頻発し、小規模なものから大規模なものまで、人を犠牲にした戦いが絶えなかった。
ドレンも、そのうちの一人だったのだと、彼に打ち明けた。
だからドレンは、戦争の現場というものを知っている。



「…………!?」


「幸い、私は最も苛烈な戦場からは遠ざかっていた。とはいえ、小規模な争いが頻発すれば犠牲者も出る」



ドレンも幾つかの戦場で戦いを経験したし、人も殺した。
自分たちの仲間が、国が勝利を手にする為に、敵に負ける訳にはいかなかった。
敵がいるのならそれを討ち、敵が攻めてくるのならそれを殲滅する。
目的は明白で、理由は酷く混沌としていた。
もとより数十年間も戦いを続ければ、本来の目的など忘れてしまう。
それが当たり前なのだと分かっていながら、それを正すこともせず。
ただ、男は不幸にも男にとっての最後の戦いで、利き手を潰されてしまった。



「危うく腕を斬り落とされそうになったが、それでも神経だけに留めた」
「え、でも先生、今は左手使ってますよね………!?」
「これは元の利き手ではない。本当は右利きだ」
「ええっ………初耳でした………」


「誰に打ち明けるつもりもなかったことだ。ほんの気紛れかもしれん」



利き手を潰された兵士など、前線では役に立たない。
たとえ命があったとしても、戦う兵士としての生命はその時点で終わる。
男にも役に立つことはあるが、もはやそれは戦場の只中にはない。
その後、男は後方へ退き前線で戦う者たちをサポートしつつ、戦争の形態が変化してからは、兵士という立場から去ることになった。
その代わりに、極東の地にて座の開いた道場を続けることになる。
ツバサが道場へ通うより少し前に、タヒチ村で道場の師範代となった。
彼としては驚きの連続だっただろう。
確かに道場で先制を務めるほどの実力があれば、その経歴も疑う。
だが、これほど身近にまた兵士の経験がある人がいるとは思わなかったのだ。
誰にも打ち明けることのなかった過去だと、自らで言うドレン。
誰かに語り聞かせるものでもないと考え遠ざけていた、自らの記憶だ。



「もしお前がその世界へ足を踏み入れるというのなら、俺は止めはしない」
「……………」
「あの男たちが言うように、強い人も強い国も必要だ。こんな時代は誰かが終わらせねばならん、というのも理解できる。だが、そんなものは到底不可能だというのも、分かってしまうんだ」

「………それは、何故」


「『50年』という時間が答えの一つだ。この50年の中には、この戦争を本気で終わらせようと志した者も多くいるだろう。しかし、結果は実らず、いまもまた危機的状況が訪れている」


ドレンが言ったのは、時間の問題ではなく、それほど長い時間をかけても変わらなかった“人間”のことだ。
誰もが戦いたくない、戦う必要などないと思ったところで、それが成就される世界ではない。


「………そうか。戦いが終わらないのは、戦いを必要とする人間と、それを………」


言葉は途中で止まった。
よく考えれば当たり前のことでも、彼にとっては再確認するいい機会だった。
戦争を起こすのは人で、その要因も大概は人。
その人間が変わらないのであれば、この戦争は終わらないし無くならない。
そうなれば、いつまでも人間は戦い、死に続ける。
彼の好きな歴史がそれを物語っている。
人類の発展は歴史上の戦争と共に在る。
時代が変革するときは、必ず戦争が起こった。
否定と拒絶の連続。
時代が変わる為に必要な犠牲の数々。
それを踏みつぶし、握りつぶし、そしてのし上がり、時代が創られていく。


あるいは、今この世界情勢もまた、その過程にあるのかもしれない。
それに巻き込まれる人間も多いことだろう。
人が変わらなければ、いつまでも昏迷の時代は続く。
50年戦争を経て、今もなお変わらない世の中。
何が変わっていないのか、何を変えなくてはならないのか。
それこそが、自分の知るべきところではないのだろうか?
ツバサは素朴にもその本質に近づきたい、と思った。



それでもし。
少しでも、そんな歴史に埋もれて行く人がいなくなるのなら、と。



「なんで先生はこの話を俺にしてくれたんですか?」
「言っただろう?ただの気紛れかもしれん、と」
「でも、今まで打ち明けようと思ったんじゃないんでしょう?」


ツバサがそう追求すると、ドレンは少しだけ黙ってしまった。
もう彼には見抜かれている、と感じたのだ。
鋭い洞察力はどこから養われたのかは分からないが、しかしドレンにだって思うことはある。



「お前も意識しない訳では無いだろう?自分の強さを」
「…………ま、まぁ」
「私はもう10年もお前を見ている。正直なところ、お前の成長の速さには驚いている。あの男たちが目をつけるのも、かつてその立場にいた私から言わせれば納得がいく。だがその先はお前自身が選ぶものだ。あくまで私はあの者たちは、そのキッカケでしかない」



この少年が、自分の力の強さを自覚し、それをどこに向け活かすか。
それを、この少年は既に知っている。
聞くことはしないがドレンは確信を持っていた。
どこに“活かすべきなのか”を、この少年は知っている。
だが悲しいかな。
そう思ってしまう彼の境遇、そう思ってしまえた彼の環境は、酷く歪なものだっただろう。
この少年が目指そうとしているものは、ただ知ることではなく。
自分が何をすべきか、その何かを目指すために前へ進む。
それが、この少年の本当にやりたいことなのだと、ドレンは思った。



「お前の好きなようにやれ。その選択肢が後悔にならないよう、私はここで祈るしかない」



その道を選び、後悔のないように。
どうなるかは分からない。
しかし、これは機会だ。
機会を活かすも殺すも、すべては己の決意次第。
己が道を信じ、心を胸に選択せよ。
それこそが、師範代から彼に伝えられた言葉の意味。
どのような苦難であれ、苦境であれ、本当にやりたいことを貫くことが一番だ。
現実を知り、厳しい状況を受け入れながらも、目指したいものを見失わずに歩み続ける。
それがどのようなカタチなのかは、一人ひとり異なる。
この少年にとってのそのカタチが、彼が求めているあの人の背中なのだとしたら。


―――――――――――罪なき者が勝手に死ななければならない世界。



何ら関与することのない者たちが、ただ斃されるべき側にいたからというだけで殺されなければならなかった。
敵にとって見れば、軍人とて市民とて等しく敵で、敵の枠組みで。
この50年もの間、一般市民を巻き込んだ戦闘が数多く繰り広げられ、その犠牲者は夥しい数になる。
もう公式記録など存在しないほど。
先の戦い、10年前まで起こり続けていた戦争は、戦争という形態そのものが当たり前だった。
「戦争とはよくあるもの」として、人々の頭の中に刻み込まれていた。
その思考そのものが、平穏な世界に住む者からすれば異常で異質。桁違いの思考の暴走だ。
そんなものが当たり前でよくあるものだ、という風に認識されていいはずがない。
………というのは、個々人の勝手な解釈だ。
戦争こそが正しいと言う人もいるだろうし、何も知らないながらも「そんなはずがない」と思う少年もいる。
どちらにも勝手な解釈があり都合があり。
だから人は争うのだろう。


――――――――――――ただ敵側にいるというだけで、消される始末。


争えば死人が出る。単純なことだ。
戦えば何かを得られるかもしれないが、何かを犠牲にする。
失うモノも多くあるし、得るモノも多くあることだろう。
その中に、多くの人の命が入り込んでいる。
はじめから器に命が入るような仕組みが取られている。
別に器が多くの命を取り込んだところで、得るものは何もないし叶えられるものもない。
ただ、戦いが起こることで命の処分場を必要とする。
その役割に器がなるだけ。
汲み取った人間の命は、また次の人間の命によって潰されていく。
そんな儚いものの連続。
それにどれほどの意味があるかは分からない。


―――――――――――――そんな犠牲者が、もっと減ればいいのに。


まだ、多くを学んでも多くを知らない。
知りたいと思っても、その機会は訪れなかった。
しかし、彼は思ったのだ。願ったのだ。自らの身体を以て、それをこの目で見たいと。
この先戦いが起こるものなのだとして、これまで歴史で学んだように、この先事実として見受けられるだろう未来に、
そのような人たちが減り、いつかは戦いに一方的に巻き込まれるような人たちがいなくなればいい、と。
だが現実は厳しい。
戦いは避けられない。
どんなに強い心を胸に正義を語ろうとも、悪はこの世に蔓延る。
それはやがて人々の命を吸い込むことだろう。
防ぐ手はない。“誰もかれもすべてを巻き込まない”というのは、あり得ない望みだ。



――――――――――――けれど、せめて。



この目に映る人たちが、どうか巻き込まれないように。
出来ることといえば、そんな人たちの為になることを。



もし、この心情を他の誰かが読み取ったのだとしたら。
それを語る者が聞き、目にしたとしたら、こう記すことだろう。
“そう願ってしまったのだ”と。
それがただの子供心から生まれたものでないことは、殆どの人が生涯知ることのないことだ。
経緯は単純だが、最も身近にいた存在から生まれ出たもの。
兵士であった父の背中を追い、帰って来ることのなかった父の世界を知ること。
その先にいるであろう困難に対し、この身を使ってすべきことを成す。
それが答えでないことは分かっている。
が、目指すべきものは想像がついており、機会がそれを用意した。
レールを用意された列車はその上を走り始める。
途上、幾つもの分岐点が現れるだろうし、信号も表示されるはずだ。
それでもなお、レールの上を走り続けるだろうし、レールもまたその選択肢に応じて敷かれていく。
それが、道を選んだ者の運命となるように。



彼はその足で、告げるべき者のところへ訪れた。
一番自分の生活にかかわりのある、学校。
流石に突然村からいなくなるのは、あらぬ疑惑を招くことだろう。
そう思って、彼は告げるべき人を決め、唐突だがそこへ話をしにいく。
経緯は程度伝える。
あの道場に兵士が来たこと、その兵士たちから自分が呼び出されたこと。
そして、自らはその道を歩むこと。
平穏な人々から見れば人殺しをしにいくような、現実離れしたものではある。
だが、確かに今の情勢は不安定だ。
怪しいところも沢山ある。
それが分からない先生ではなかった。



「だがツバサくん、学校を置いて行くというのか………い?」
「………あぁ。もっと色々知るには、やっぱり現地に行って見ないとって思ってな」
「よく考えるべきだ………っと言っても、もう決断は出来てるんだろう?」
「まあな!」



村の学校を途中で抜け出すということは、学生という立場には戻らないという決別の意でもある。
この村の、この州の、この国のあらゆる教育機関は権利であって義務ではない。
選択肢の多くは学生たちに委ねられている。
来るのも去るのも自由といえば自由だ。無論程度の制約はあるのだが。
大人である先生たちは、子供である学生たちに助言をするのが仕事といえば仕事なのだが、
今のこの先生にとって、この少年に向けた助言は要らないのかもしれない。
引き留めたところで決意は決意。決断は決断。その意思を尊重することこそ、自分たちの仕事だということを酷く痛感しているのだから。



「………ふうむ。出来る限りツバサくんの意思は尊重しよう。だがもしその道を選ぶのなら、この村から離れることになるし、この学校に戻ることも出来なくなる。それを、君は後悔しないのかな」


「………それでもやってみてえことがあるってことかな。今しかないってタイミングだ」


「………そう、か」



先生はそれを聞くと、机の引き出しからファイルを取り出し、そのファイルに格納されていた数枚の用紙を抜き出して、ツバサの前に差し出した。
ハッキリとした文字で題名が書かれてある。「中途退学願」と。
この学校を去るのは自由だ。
ツバサのような前例は存在しないが、かつて学校に通いながら将来の仕事先を見つけ、そこに価値を見出した学生が学校をやめたということもある。選択肢はあくまで本人にあり、その意思は尊重されるべきもの。
たとえ教えを与える教師であろうと、その意思を侵すことは叶わない。
だが、ここを去るものにはしっかりとした体裁を守ってもらわなければならない。
権利ではあるが、責任は学生にも帰するものである。
この先生は、道場に現役の兵士が視察に訪れたことを知っていたという。
彼がその決断を下したのは驚きであったが、全く予想をしていなかった訳では無い。



「お別れ会でも開くかい?」
「いや、それは良いや。あと、このことは俺がいなくなった後に、みんなに知らせてほしいな」
「それは何故?」
「え?ああ、いや、特に意味はないんだけどよ!でもまぁ、あまり顔を合わせたくないっていうか」

「………なるほど。いや、その気持ちも分かるよ。私にも立場は違うが、似たような経験がある」



兵士になるためにこの村を離れる。
それを告げられたとき、他の人たちはどう思うのだろうか。
気になるところではあるが、当事者になる自分がそれを聞いても何にもならない。
良いんだこれで、と封を切る。
村を離れるという決断は、確かに彼にとっては重い。
今まで当たり前に過ごしてきたことを、自らの手で投げ出すのだから。
それでもやりたいことがあると心に決め、それを胸にこれからの生活を送ればいい。
きっとこれから、もっと大変なことが起こるだろう。
しかし、いつまでもこの平穏を望んでいた訳では無い、というのも確かな気持ちだ。
平穏であることに罪はないし、落ち目を感じることもない。
が、それはここでの生活に限る。
世の中はそうではないところが多くあることだろう。
対極に位置づけられるとき、弱者の立場となる者たちがどのような末路を辿ってきたのか。
それを回避できるのなら、それに越したことは無い。
16歳の少年でありながら、少年は既に確固たる思考を持ち合わせていた。
その点が、ほかの子供たちとはかけ離れた部分でもあっただろう。
人間、誰しも自分のことで精一杯のはずだ。
何より自分のことを優先する、それは生物の根幹から定められている生き方のようなもの。
それを、他人指向に向け続けるのは難しい。



「いつここを離れるんだ」
「相手と連絡がついてから、かな。一週間以内だと思う」
「そうか。寂しくなるな。村一番の元気ものがいなくなるのだから」
「………ま、そう言ってもらえるのはありがたいな………っ」



実際、その先生が言うように、ツバサは村一番の元気ものだった。
誰もが知る子供であり、村中を駆けまわるその姿も特に印象的だった。
やんちゃ坊主の筆頭株だったのが、今となっては大人に向けて立派な成長過程にある。
その中で得た思考は、自らの道を定めるキッカケともなっている。
だから先生は思う。
こうした子供たちの変化に携われるのは、良いな、と。
同時に思わなければならない。
どうか、この子供たちの将来に幸あれ、と。

告げるべき相手に告げた一方で、
まだこの事実を伏せていて欲しいとも伝えたツバサ。
本当にいなくなった後で、この事実を伝えてほしい、と。
それにどれほどの意味が込められていたのかは、実のところ本人にも分からない。
が、なんとなくそうしたかった。
気恥ずかしさからなのかもしれない。
彼はその後家に戻り、家の電話から隣町の州軍詰所に連絡を入れた。
普通、一般人が軍人を名指しで呼び出すことは出来るものではないらしいことを、電話口で告げられた。
だが名前を言えば分かってもらえると信じ、何とか取り合ってもらった。



『ではキミは本当にこちら側へ来る、と?』

「ええ。自分の望みでもありますから」



電話に応じたのはリーアム軍曹だったが、その意向をきちんと伝えることは出来た。
学校や道場に筋が通せるように、書類を送ってくれるという。
二度、自らの意向に誤りが無いかを確認された彼は、すべてに間違いはないと答えを示した。
これで後戻りは出来ない。
決める時は出来るだけ短時間に済ませてしまったほうが、スカッとする。
兵士になる決意を固めたのを声色で感じ取ったリーアム軍曹は、その申し出を受け入れた。



「………」



彼の道は定められ、その先へ進むこととなる。
周りの仲間たちの誰よりも早く、そして恐らくはどんなものよりも厳しいところへ。
それでも、彼の気持ちは変わらない。
長い間持ち続けていた望みを、彼自身が探究して叶えられるようになる。
そんな日を信じて。



“彼は、そう願ってしまった”。
これが親の影響だからと言われれば、そこまでだろう。
しかし、本人の強い意志も確かに存在した。
この経緯が語られることは殆どないが、後に語られる存在として、彼の歴史上の出生は、今この瞬間からとなった。

第17話 旅立ち


これから迎える凄惨な時代にその身を投じることとした、彼。
それが正しい選択だったのか、あるいは間違った道だったのかは、分からない。
ただ歴史上語られるものとして、彼の歴史の出生は彼が兵士となると決意した、幾つかの記録からとなる。
決断をし、決意を固めた正確な日時は不明だ。
だが、この先兵士という立場につくその時は記録にも残されている。
少年ツバサの生涯は、ここで大きな分岐点を迎え、新たなスタートを切ることになる。


だが、その前に。
済ませておかねばならないことがある。


幸い、彼にとってこの村を離れることが致命的になることはない。
それを幸いと言うべきかどうかは難しい。
彼には愛すべき家族が残されていない。
この家は村が生き続ける限り、きっとフィリップじいさんあたりが管理してくれるだろう。
その辺も頼んでおくべきか。
財産も残しておけばいいし、必要であれば誰かが使えばいい。
そんな子ども離れした考えを持ちながら、明確な目的を前に少しばかり気乗りがしなくなる。
自分の家や財産、身辺のことはあまり気にならない。
だが、もっとも身近にいたであろう存在には、やはりこれは打ち明けなければならない。
勝手に去ることになるのだから、多少の体裁は整えないと。


既に彼は軍人たちに手続きを依頼し、また書面も届いている。
学校にも既に届いているだろうし、彼がこの村から離れれば、その事実が明るみになることだろう。
その前に、いつもの三人に、告げるべきことを告げよう。



「はいいいっ!?そ、そんな急に!?!?!?」
「ああ!俺、決めたよ!」



まずはエズラ。
昼から夕方へと向かっていく時間帯。
その日は休日だったので、エズラは午前中に弓道部の活動をしていたようだ。
だから、昼を過ぎれば家にいるだろうと思い、彼は突然そのもとを訪れた。
そして、エズラからすれば衝撃的な事実をそこで告げたのだ。
「俺、兵士になります!」
あまりの急展開にエズラの頭の中も一瞬ついていかなかった。そうだろう、普通の人の反応だ。



「え、あ、いやでも他の諸々はどうなるんだ………!?」
「学校は途中退学って扱い。家はフィリップじいさんにでも託すよ」
「え、その………えええぇぇぇ………!?!?」
「はは!やっぱそれくらい驚くよなあ」
「あ、あったりまえじゃないか馬鹿!」



彼がこれから話す三人には、ある程度の事実を伝える。
そしてそれに混ぜて自分の気持ちも伝える。
事実とは、自分がこの立場になろうと思う経緯に直接的に関係するものだ。
つまり、自分の父親の話だ。
殆どの人に告げることのなかった事実。
あの、隣町の司書さんには自ら打ち明けたことのある、隠された事実。
それを今になって、本当のことだと言って身近な友人に話したのだ。
エズラは驚きの連続だった。
“このようなご時世だから、兵士としての経験がある人はいる”。
その認識は彼にもあったようだが、こんなにも身近にいるものだとは思っていなかったようだ。


「ってことは、もうあと数日でお前と遊べなくなるってことかー」
「そうとも」
「えー、あーー………いや、けどなんかすげえよ、お前さん。伝わり辛いだろうけど、すげえと思う」


俺なんて、いつ学校を離れるかすら分からないってのによ。
と、言葉を続けたエズラ。
確かにそうなのだ。
エズラや他の学生の個々人の能力がどうあれ、学校は最大でも5年間で卒業しなければならない。
それまでに与えられた課題を幾つもこなし、また人間的にも成長して社会に出て行くことになる。
村の学校を卒業していった者たちの進路は複雑に分岐しているが、「兵士」というのはまだいなかったことだ。
将来的に何らかの仕事をすることにはなる、というのは確定しているだろう。
けれど、それが兵士であったことはこの村では一度もない。
兵士の経験があり、兵士として派遣され村を離れて行ったものはいる。
だがそれは大人に限る。
子供がその年齢で兵士になる、と道を定めたものは、恐らくはツバサが初めてではないだろうか。
けれど、友人であるエズラはそれを素直に認め、また凄いという言葉で彼の往く道に賛同してくれた。
言葉には言い表せないが、とにかくお前さんは凄いぞ、と。
何が凄いのかも分からない抽象的な言葉ではあるが、それが複雑な要因を込めてのことであることは、
言われたツバサとしても考え得るものだった。



「ま、いつかは戻って来いよ?」
「もちろん!」
「ここを離れる時は、皆で見送りしてやるからよ」



あまり気乗りはしないが、それを断ることはしなかったツバサ。
見送ってくれるのはありがたいが、そうなればここへの愛着が思い出される。
愛着があればそれは未練に繋がる。
本当はスパッと切ってしまったほうがいいのだ。
それが出来ないものだと、心の底から深く理解していても。



「………なるほどな。あの時のお前の顔は、やはり真のものであったか」
「へ?」
「先日、共に遊びに行った時のことだ」



つづいてソロ。
エズラとの話で30分近くをかけたおかげで、空はすっかり夕暮れ色に染まり始めていた。
陽が落ちるまでにはもう少し時間がある。
出来ればそれまでに、残る二人との話を終えておきたいところだ。



「あの時、お前は州軍の姿に大そう興味があるようだった。元々そのような経緯があったからだろう?」
「あー、なるほど。確かにその通りだ」
「人の内なる興味というのは、意外と表に出やすいものなのかもしれん」


それは暗に、お前は表に色々と出やすい性格だから、この先苦労することになるぞ、と警告していたのかもしれない。
ツバサがそう思うのは勝手だが、彼がその真実をソロに問うことはなかった。
先日、隣町にお出かけしたときに見た光景。
州軍兵士に連れ去られていく男の姿。
彼が注目していたのは、連れ去られる男ではなく、連行する立場の兵士たち。
彼らが何を目的にどう動いているのかは、既に勉強済みだった。
「治安維持」を目的とした行動。
だが、彼が目指したいと思ったのはその路線ではない。
それでも興味を持つということに変わりはない。それが表にハッキリと出ていたようだ。



「止めはしない。いずれはそうなるものと思っていた」
「え?そうなのか?」
「ああ。兵士かどうかは別にして、お前はお前にある最大の持ち味を活かすだろうとな」



ソロの思う、ツバサの最大の持ち味。
それは。


「身の強さもそう、己の(しん)の強さもきっと役に立つことだろう」


どれほど身体的能力に優れていたとしても、やはり一番はその心ではないか、と。
ソロはいつもの表情でいつも言いそうにないことを言った。
精神論にも近い。
本当に強いものかどうかもあやふやなそれが、一番の武器ではないかと語るのだから。


「だが、この先はお前には想像もつかない苦労があるはずだ。挫けても良い、だが間違えるな」
「お、おう」
「しかし………俺とお前は一つしか違わないというのに、この差か。参ったものだな」
「何言ってるんだよー!そういうソロだって、もうこの先のことは考えてるんだろ?」
「ある程度はな。それも、まだ誰かに告げるものではないが」



その時のソロがやや遠い目をしていたのが、どことなく印象に残った。
エズラには聞かなかったが、一人ひとりできっとこの先何かしたいことがある、という気持ちは持っているんだろう。
自分がこの決断と行動に至ったように。
となれば、ソロにもきっとやりたいと思えることはある。そのはずだ。
その遠い目をした先に、きっと。



「死ぬなよ。生きて会う、これをこの日からの約束としよう」
「もちろん!」
「しかし、その前に見送りだな。近日には出発するのだろう?」



―――――――――――――その立場につくと決めた以上、死と隣り合わせだ。
それは、どう足掻いても回避することの出来ないもの。
兵士となるのだから、この国の為に戦うと決めたようなもの。
たとえ戦争がこの先起こったとしても、いかなる場合でも国や人々の為に立つ、それが軍人というものだろう。
であれば、戦いに参列する時が必ず来る。
そうであったとしても、必ず生きて会う。
ただ一言で交わされたこの約束が、後にどれほど重い形で思い知らされることになるか、この時は知る由もない。


最後に、レン。
自分の家から最も近いところにいる、親友。



「あら、ごめんなさい。レンなら先程、ちょっと出てくるって言って………」
「あー、そうだったんですね!分かりました!!」



ところが。
家を訪ねても、レンは家に居ないという。
既に日没の時刻は過ぎ、夕陽が空を染め上げ、反対側の空からは闇が迫りつつある。
僅かながらの風と、今日は少しだけ温かく感じる空気がある。
最後に告げようと思い訪れたのだが、本人が居ないのであればどうしようもない。
まだ時間はある、明日にでも出直すとしよう。
そう思って、彼はレンの母親の前を離れ、一度家へと戻る。


坂道を登っていく。
この坂道も、この上から眺める光景も、あと少しで見納めだ。
暫くは見ることが出来なくなるだろう。
いつも目の前に広がっていた当たり前のものを、俺は置いて行くことになる。
それがどれほど辛いものであるかを、この時の彼はまだ理解していなかった。



「っ…………」



そうして、登り切った先。
自分の家のすぐ傍にある、村を一望できる眺望スポットで。


「………待ってたよ、ツバサ」


その、最後に告げようと思っていた、少女が立っていた。


「……………」


「……………」


最初に放たれた一言から、十数秒の間があく。
お互いに沈黙が続く。
その、あまりにも予想もしていなかった状態が、お互いに続いた。



「何故、ここに?」

「私?んーとね、エズラからちょっとお話を聞いて!」

「エズラ………?」



そこで、彼女のほうから打ち明けられた。
「ここを、離れるんでしょう?」と。
どうやらエズラが彼女にその事実を伝えたらしい。
余計なことを。自分の口で言おうと思っていたのに。
何の恨みもないし苦笑いするべきところなのだが、その彼女の表情を見ると、それも少し躊躇う。



「私ね。実はちょっと想像しちゃってたんだ!ツバサが近いうちに、ここを離れるんじゃないかなって」
「え……………」
「もちろん、それが事実じゃないよねって思い続けてたんだけど、けど本当にそうなっちゃうだなんて」



そこで“もちろん”という言葉が出るのは、どうしてだろうか。
だが彼はそのことに言及しない。
それは彼女の漠然とした不安だった。
ソロが言ったように、あの日。
彼と共にいつもの帰り道を歩いたあの時から、彼女は感じていた。
漠然とした不安。自分の傍から、何故だろう、ツバサが離れて行くような、そんな気がずっとしていた。
後々様子の変化を色々と聞けば、どうやらツバサは兵士の姿を見てそうなったのだと分かった。
それが分かってから、彼女には想像がついたのだ。
そこにどんな経緯があるのかは分からない。
けれど、「何かをすべきだ」と考える彼の、最も想像しやすい姿が、兵士になるということだったから。


彼はその身にあまりに強い力を持っている。
それを自覚しているであろう彼が、そう言ったのだ。
何かをすべきだ、と。
自分の持っているものを最大限に活用できる場所があるのだとしたら、それはどこか。
剣道という鍛練の日々に直結するところにこそ、彼の求めるものはあるのではないだろうか。
しかも、彼は歴史や軍事に興味がある。
先日は現役の兵士が現場に視察にきた。
複数の要因が積み重なったときに、きっとそれが現実のものになる、と。
彼女の漠然とした不安は、やがて不確定ながらも確信に近づいて行った。
事実じゃないよねって、自分の中では否定していても、きっとそうなってしまうんだろう、と。
諦めに似た確信を持つこととなっていた。



「…………本当に、往くんだよね?」
「ああ。俺のすべきことが、やっと分かったしな」
「………、そっか。寂しくなるね」



彼とレンとの付き合いは本当に長い。
余所者としてこの村にやってきた当時のレンとその母親を、村一番の元気者が歓迎し、案内した。
その時からの、古い付き合いになる。
お互いに腐れ縁と言えるほどの間柄となり、時には喧嘩したりもしたけれど、本当に仲の良い時間を過ごしていた。
彼と共に過ごす時間、鍛練を共有する時間、帰り道に一緒に歩く時間。
これが、彼女にとって当たり前の日常だった。
何気ないものが、どれほど彼女にとって大きいものであったか。
その事実を聞かされ、彼の口から確定的なものであると告げられ、余計に分かってしまう。
ああ、そうか。
私には、この日常が本当に大切で、何よりも嬉しいものだったんだ、と。


「けど、吃驚しちゃった。ツバサの父親が兵士だったなんて」
「実はって感じだけどな。あまり話すべきことでもないって思ってたから」

「うん………私もね、似たような経験をしてきたつもり。私には分からない世界だったけど、父が戦場の医師だったから」


レンの一家とツバサの一家は、立場も場所も違えど、似たような経験があった。
お互いに戦場を経験し、そして家族の何かを失っている。
ツバサに関しては家族そのものを失い、彼女は父と語る時間を失っている。
だから、戦争というワードの何かに引きずり込まれていくのは、当然なのかもしれない。
彼女の父親は最前線の戦場で人々を助ける医者だった。
当時の母親はその父を支えることと、また戦場の難民を助けるボランティアをしていた。
その事実は彼の耳にも届き、それに彼も静かに驚きを見せた。
『50年戦争』の悲劇の一員に、彼だけでなく彼女もまた関わりを見せていたのだ。
もっとも、彼女自身は昔の記憶を持つことなく、戦地にいたという事実はただの記録でしかない。
彼もまた自らの内を彼女に少し打ち明けると、彼女はどことなく共感を覚えた。
似たような経験をし、似たような境遇の中でこの村に辿り着いた。
経緯や場所は違えど、彼もまた戦争の被害者の一人だったのかもしれない、と。
ツバサは普段、自らの過去の話をすることがあまりない。
自分の過去に無頓着ということではないが、誰にもそれを明かしたがらなかった。
頑なに断ってきた訳でも無いが、彼という人となりがそれを追求するのを妨げていたのかもしれない。
あれほど元気で活気に満ちた少年に、そんな過去とそんな願いがあっただなんて、と。
聞けば誰もが思うことだろう。
“少年は、かつての父親の後姿を追う為に。その眼でどのような現実を見たのかを知る為に、願いを叶える”。
彼は願ってしまった。望んでしまった。
父がどのような現実(せかい)を見たのかを。
そして、今もなお転覆しそうな不安定な情勢にある中で、それに巻き込まれて死んでいく人々を見たくない、と。
そんな目に見える人たちに、自分が出来ることはないだろうか。
彼の夢、願いだった。


もっと、夢って無邪気なものだって、考えてた――――――――――――。



彼女はそう考えていても、彼の境遇がその思い込みを打ち砕く。
将来の夢、将来したいことを問うと、彼は真剣に、かつ思い悩みながら「何かをすべきだろう。」と答えた。
誰かの為に何かが出来る、そんな人になりたい。
そのような願いなら、誰にだって目指せるものだし、何も兵士である必要もない。
誰かを助けられるような人であれば、その願いは叶うことだろう。
しかし、彼の境遇と、彼が見た父の背中が、その当たり前を歪ませたのだ。



「そっか………私、今でも昔を思い出すことがあるよ」
「え?どんな」
「本当によく遊んでたよね、私たち」
「んあ?今もそうだろう~」
「もう。確かにそうだけど、私にとっては毎日が大事だったの」


「……………」


村にやってきた彼女たちを案内したのは、まだ子供で今よりも背が全然小さかった、彼本人だ。
そもそもこのタヒチ村にやってくる人というものがあまりに珍しい。
彼とて外来の人間であるし、来たときは大そう驚かれた。
彼女たちもまた、同じだった。
しかし彼は子供ながらに、分け隔てなく、何の礼節もなく、とにかく無邪気に村を紹介し、話しかけた。
はじめ彼女は戸惑ったことだろう。母親とて「すごい人がいるわね」と思ったはずだ。
だが、それが彼女にとっては何より嬉しかった。
外から来た人間を積極的に中へ受け入れる。そんな、温かみを持った子供がここにいる。
尻込みすることもせず、堂々たる雰囲気で活発な子供。
村中を連れ回しては一人ひとりに挨拶をし、その結果彼女たちを村の人たちにいち早く認識させることが出来た。
それ以降も、彼は彼女と時間を作っては遊びに誘った。
子供から大人に向かって、思考も身体も成長していく。
それでも彼はあの活発さは変わらず。
彼女にとっては、それが当たり前の彼の姿であり、彼女にとっての大切な時間でもあった。



「今だから、かな。色々と思い出せるのは」
「んー………?」
「でも、本当に寂しくなるね………いつか後悔しちゃうかもよ?私たちの傍から離れたことを」
「はははっ、いやそれはそれでいいんじゃないか?」


後悔するほど仲が良くて、レン風に言えば大切な毎日だったんだろうからさ!



未練があるかどうかは分からない。
ここを離れてしばらくすれば、きっとそういうのも出てくるだろう。
それに負けずに乗り越えなければならないのが、彼の選んだ道だ。
それは彼自身も充分に分かっている。
16歳という年齢でありながら、少年は大人という者たちの集う立場に入っていくことになる。
けれど、そう言ってくれた彼ならきっと、そんな中でも上手くやれるだろう。
漠然とした不安は、彼に対しての応援する気持ちへと変わっていく。
友達と離れるのは辛い。
もしかしたら、二度と会えなくなるということもある。
この別離が永遠のものでないことを祈りたい。
その先に、たとえどれほどの後悔があったとしても。
この道が間違っていなかったものと、信じながら彼は往くことになるのだ。



「レン、色々とサンキューな!」
「えっ…………?」
「もちろん、また会う気ではいるさ。けど、レンといるとホント楽しかった!!」



そう言うと、彼は素直で純粋な気持ちのまま、レンの頭をポフッと優しく撫でていた。
手の温かみが、いやそれ以上に心の温かみが彼女の中に入っていく。
この夕焼け空の、どこまでも透き通った赤とオレンジ色に染まる空よりも温かな気持ちが、温もりが、もたらされる。
刹那、彼女の胸にやってきたのは、ジーンとした痛覚のない痛み。それを切なさとも言う。
なんてことしてくれるの、バカ。
そんなこと言われたら、どうしたらいいか分からない。
ということは口に出来ず、ただ心の中でそう思いながら、この痛みを自分の中で表に出さないように、と封じ込める。
決して消えない気持ちではある。
だからこそ、尚更痛む。
自分の気持ちを素直に伝えられない自分と、清々しいまでに実直な彼。
対照的でもどかしさがありながらも、それを分かっていてもなお伝えられないこの不器用さ。
逆に笑っちゃうね。



「………取り敢えず、ありがとうって言っておくね。最後くらい、見送りさせてね。みんなで」
「分かったよ。恥ずかしいなあ………」
「言っておきますけど、一人でなんて行かせないからね!!」
「ええー………!」


こうして彼は、自分と最も近しい者たちに別れを告げることになった。
この三人以外にも、後日短時間ではあるが先輩のアデルや後輩のアヤたちに事実を打ち明け、
自分がここからいなくなることを打ち明けた。
すべての人に伝えるのは難しいが、出来るだけの感謝を込めて事実を伝える。
行く先々で驚かれるのだが、それも無理のない話だろう。
だが、幾人かは必ず予測が出来ていたはずだ。
いや、この事実が本当のものだと分かったとき、「ああ、やっぱり」と思う人が必ずいたはずだ。
彼は村一番の元気者。
それともう一つ、道場という存在を知る村の人たちにとって、彼がこの村で最も強い人間であると考える者も多かった。
表向きには言われない話だが、道場というのは「将来的な人材を育成する」場所でもある。
その将来が、この国の為に働く者であることは明白で、道場という種類のものであれば、それが兵士という立場に向けられる可能性があることなど、考えの及ぶ大人であれば誰にでも想像がついたはずだ。
最も強い少年。
その将来が決して明るくないものだと、思う人も多かったことだろう。
「ほんとうにそれでいいのかい?」
「どうなるか分からないよ?」
そんな声を聞く。
だが、そんなことは充分に承知している。
何しろ、自分がこれからしようとしていることは、戦争に加担すること。
起きるかどうかも分からない争いだが、恐らく起きることだろう。
そうなったとき、彼は兵士としてその立場を全うすることになる。
そうなれば、もう元の生活には戻れないし、命が幾つあっても足りないという現実が訪れることだろう。


それでも、彼はこう言う。



「やってみなきゃ、分からねえだろう?」



他の人からすれば、唐突に決められた彼の決断。
しかし、彼にとっては心の奥底で長い間ずっと思い続けていたことだった。
その事実を知る者は少ないが、これから彼が兵士としての道を歩むことを、もう誰が止められようか。
そして彼を送り出すとき、彼を知る村人の多くはこう考えた。
「きっと、立派な戦士になることだろう。」と。
やがて彼が歴史の歯車に乗り、この村の人たちが歴史の証人となる。



そんな日は、まだ遠く。
されど、彼の歩む道はここで大きな分岐を過ぎる。


「話は聞いたぞい。ツバサ、兵士を目指すとな?」
「ああ。やってみようと思う」


彼が村を離れる予定の、前の日の晩。
また家の近くにある神社の辺りでコソコソとしていたおじさん、フィリップを尋ねた彼。
既に彼がこの村を離れるという噂は各所に流れており、フィリップもこうして彼の噂の真意を確かめた。
おじさんはいつもと変わらない様子で言葉を放ち、会話をする。



「そうかそうか。辛い道を選んだんじゃの」
「辛いってことは分かってるさ!でも、まぁ自分の気持ちに嘘つけなくてな。まずはやってみようってこった」
「良い心構えじゃ。その気持ちがあるのなら、ツバサは大丈夫じゃろ」



そう言われるとはいえ、彼も全く不安を持っていない訳では無い。
これが自分のすべきことだという気持ちはあっても、確たるものはまだない。
経験してみないことには始まらないという意識の下、道を定めたともいえる。
彼は自らに実力があることを過信していないとはいえ、自分よりも遥かに強い人は大勢いることだろう。
その人たちに対し、どう対処するか。
ありとあらゆる仮定の話を思い浮かべては、少々不安になる。
だがそれは、彼だけの不安ではない。
きっと大勢の兵士たちが、似たような不安を持っていることだろう。
だからこそやってみなければ分からないことがある。



「わしゃ前の戦争が始まる前から生きとる。ツバサのように若い連中が戦いに往くのも見た」
「そう、だったのか………?」
「村にはもううん十年と住んどるが、ずうっとここにいた訳でもないしの。“戦争を始めたのは大人たちだ。その大人たちが頼りないのなら、自分たちで何とかする”とな。それで、何人の若者が死んでいったことか」



フィリップのその話は、きっとどこか遠くの、遠い昔の話。
50年戦争と呼ばれる凄惨な時代の中で繰り広げられた、一端の出来事なのだろう。
ご老体が兵士であったかどうかは分からないが、その姿を見届けることはあったのだという。
戦いにいき、死なねばならなかった現実を、ただ見送ることしかできない自分。
それがあの戦争において、どこにでも頻発した出来事。
そしてこれからも起こり得る、可能性のある話なのだと彼は解釈した。



「しかし、経験は経験だ。お主がそれを選ぶのなら、それを切り拓くのもまたお主の務め」
「じいさん…………?」



行くがいい。
行ってその眼で確かめよ。
さすれば、おのずと新たな路が見えてこよう。



それがフィリップとの最後の会話となった。
彼を勇気づける、励ますような言葉ではあった。
しかし、なんというか。
いつもとは様子が違ったような。
それでも彼はいつもと変わらない様子で「おうよ!」と答えていた。


………。


「一人では行かせないからね」と、彼女は言った。
正直なところ、ツバサとしてはここを出発する時は、誰に見送られることもなくこっそりと行こうと考えていた。
だが、それも彼女たちの、いつもの仲間たちによって阻まれる。
あるいは、彼らも少しは理解していたのかもしれない。
彼がその立場になると決めてここを旅立つとき、もう会えなくなるかもしれない、と。
ただの可能性だが、全く起きないという話ではない。
唐突な決断と、突如訪れた別れの時。
それを、寂しがらないものなどいなかった。
事が性急すぎるのではないかというような意見もあったが、彼としてはこの機会を逃すことは出来なかった。
自分の希望で、その道を歩む。
だから、旅立つその時は意外にもあっさりとしていて。


「よ~し、それじゃいってくるぜ!」
「気を付けろよな~………!」
「元気でな。また会おう」


「………またね、ツバサ。きっとまた会えるって、信じてる」



どちらかといえば、
見送る側の方が、不安は大きかったのではないかと思うほど。
別れの寂しさやこの先々の不安は、見送る側の人たちが抱く表情や佇まいに写っていたような。
それでも、彼は彼らしく、いつも通りに言葉を交わす。
そう。
彼らしいというのが一番見ている人たちが落ち着き、元気をもらえる姿なのだ。
彼女やほかの友人たちが見た、彼のあのひと時の表情や立ち姿。
あれは確かに、彼の内面にあるものが表に出かかったものなのだろう。
それに不安を覚えるのもいい。
けれど、今はその不安よりも、それ以上に大きなエールを込めて、送り出そう。
生きていれば、きっとまた会える―――――――――――――。


………そう信じて、
次に会う機会を、必ず。
たとえそれが前途多難で思わぬ形のものであったとしても。



「………行っちゃったね。ツバサ」
「ああ」
「まー大丈夫だろうさ、あいつなら」

「………そうね。私たちも、頑張らなくっちゃ」


ツバサは、自分の望んでいるものに近づくために、自分で道を選んだ。
知りたいこと、調べたいこと、目指したいこと、すべきこと。
そのために最も自分がやるべきことを定め、そこへ向かっていく。
そんな彼の旅立ちを見送った彼らにも、新たな心境というものが生まれることになる。
目の前で自らの目的を達成するために独り立ちしていった、その背中を見ながら。
自分たちもそれに負けじと、したいこと、目指したいものに向かっていこう。



そうして彼らは、いつの日か、思わぬ形で再会することになる。




………。


この世は酷く荒んでいる。
長期に渡り続いた戦争により、あらゆる国土が荒廃し、多くの人々が死に絶えた。



「またかよ」
「また、始まっちゃうのね」
「はぁ、もういい加減にしてくれねえかな」
「………また、ですか」


美しかったはずのものが失われ、
尊いはずのものが損なわれた。


「自己の利益の為なら他人の手でも汚させる。それが国というものだ」



時が移ろい、時代が変化を遂げようとしている。
人が、国が、大陸が、その時代の変貌に巻き込まれ、徐々にその姿を現す。


「本当はな、行きたかねえんだよ…………」


たとえどのような辺境であろうと、例外はない。
そう思わずにはいられない時代の変化に、人々すらついていくことが出来ず。



「オメェでけえな!新顔か?」
「ああ!よろしくなっ!!」



手に取るように存在していた平穏は、その手から零れ落ち、
当たり前のように存在していた戦争が、再び人々のナカへ入り込む。



「その感触を憶えておけ。お前はこれから、いっぱい殺すことになるんだからな」



戦乱の覇者 ~Way of the Heroes~
Episode:Ⅱ 始動


                                  ■ to be continued.

interlude 1 平穏の崩壊


一人の少年が、世界へ向けて旅立った。



この時の世界は、かつての荒んだものを継承しながら、それでもなんとか綱渡りで平穏なひと時を維持していたものだ。
一歩でも誰かが踏み間違えば、綱は切れ事が始まる。
一部の人々は、過去にあった50年戦争の真っ只中のような凄惨な時ではなく、寧ろこのような時間を送ることが出来るのは幸福と言えるだろう、と考えた。
また一部の人々は、今にも再び甦りつつあるあの時代に恐れた。
また、ある一部の人々は、過去から学習をしない世界そのものに呆れを感じていた。
不特定多数で多様な考えが交錯し合うが、その多くは行き違いばかり。
あるところで考えの共感を得られたとしても、対極という立場が存在する。



簡単に言えば、
共感を得る仲間の集団、すなわち自らを『正義』と語り、
その対極に位置する存在、すなわち共感を得られない者たちを『悪』とした。



同じ志を持ち、それを正義と語る集団が結束する。
これに立ち向かう、歯向かうような輩を悪とし、これを排除する。
それが今までの戦乱の時代の当たり前の構図であったし、50年戦争が終結した後もその構図は変わらない。
言うなれば、これは世の理なのだ。
この世界はそういう風に出来ている。
だからそれを受け入れて諦めるしかないんだ、と。
お互いに理解し合いながら、分かり合うことは決してない左右の陣営。
相手の考えに理解が行き届か無くなれば、その時点でもう手遅れだ。
最後には、互いの否定が始まり、そしてそれは終わることなく連鎖する。


少年は、
そんな世界の中に旅立って行ったのだ。


彼の父親は兵士だった。
50年戦争の終結前に最前線に赴き、そして還らぬ人となった。
実際のところ父親の戦死を間近に見たものは確認されていないが、
帰還しない者の戦後処理は「戦死」と位置付けられてしまう。
少年は、実のところ父が何故兵士になったのかは、あまりよく分かっていない。
かつて「苦しんでいる人たちの為に戦いに行くんだ」と少年に告げたことはある。
だが、それが直接の意味である訳では無い。
確かに経緯に至るキッカケとしては成り立つのかもしれないが。
少年は父の背中を追う。
それは消えた父を探すということではない。
父が見たものを少年は知りたいと願った。
凄惨な時代が訪れれば、罪のない市民が大勢犠牲になる。
歴史の勉強をし続けてきた少年になら、その結末は分かる。
そのような世の中を容認し難いと思い、そんな世の中でなくなればいいのに、と思う。
今はまだ、それだけでもいい。
きっと経験してから、もっと多くの考えに至ることだろう、と少年は思う。
根底にあるものは変わらない。
自分にも、そんな世界の中で役立てることがあるだろう。



少年ツバサの物語は、ここから花開く。
この物語が煌びやかで華々しいものであるか、
あるいは血みどろに染められたものであるかは、後世の者たちの判断が分かれるところである。



ところで、
この頃の情勢について、少し語っておこうと思う。
この荒んだ時代の中で圧倒的な力を誇る国が幾つかある。


ソウル大陸の北部を中心とする、グランバート王国。
オーク大陸の6割強もの領土を持つ、ソロモン連邦共和国。
アスカンタ大陸において存在する古の、アルテリウス王国。
かつての戦争を経験し軍備を強化し続ける、ギガント公国。
近代化を進め世界で唯一の帝政を持つ、コルサント帝国。


大小これ以外にも幾つもの国が存在するのだが、
中には自治領地と言うに相応しいほどの規模しか持たない国や、
今一つで強国の仲間入りを果たせそうな、アストラス共和国といった存在もある。
いずれの国々もそれぞれに異なる特色を持ち、そこに多くの人々が従い住まう。
その土地柄、風土、特色、政治や経済といったあらゆるものを、人々は選択し決めた土地に住まう。
一度国を決めると、中々他の国で暮らすことは難しい。
だが、この大陸は三つに分かれ、一つの大陸はとても大きい。
地続きになっている国々は、行き渡ることも充分に可能だ。

しかし。
今はそのような自由は、世界のどこへ行っても存在しない。



『50年戦争』が始まる前、
戦争とは無縁の平穏な空気を吸うことが出来ていた時代には、そうしたことも頻繁に行われていただろう。
その国にさえ認められれば、人々はその国々を往来することが出来る。
しかし、情勢が悪化するにつれ、そうした自由は失われていった。
「多国籍所持者」というのは、戦争が始まる前はあらゆる国に堂々と行き来できる便利な存在であったが、
戦争が始まってからは状況が一変し、排除される存在となり果てた。
お前は、どの国の人間なのだ?と。
どこに行っても自分の存在を認められなくて、そのまま無法地帯に彷徨う末路を遂げた者も多い。
一方で、他国の情報を集めては、それを贔屓するところに仕入れて金儲けをするという、賢いやり方をしたものもいる。
本当はそのようなことをする必要もなかったというのに、いつの間にか戦争が時代を変えさせていたのだ。
純情なものが排され、汚れ穢されたものが蔓延した。
今となっては汚い手段ばかりが横行し、それでも勝てば正義などというプライドも棄てたような世の中となった。


だが、そのような荒んだ時代の中で、一際輝きを放つ者も現れた。
醜い穢れたものが蔓延るこの世の中をなんとかしたい。
目的は様々で、理想も数多く存在し、道は無数に分岐するこの世界。
信じるものも異なり、希望も目指すものも異なるものばかり。
それでも、自分で決めたものを貫き通そうとする者もいた。
“戦争を終わらせよう。この荒んだ時代を変えるために”


その果てに、50年戦争は一度終わりを告げた。
幾人かの代表的な人間の登場によって、人々も、それを取り巻く環境も、大きく変化した。
だが、再び荒んだ時代が訪れようとしている。
時代を変え、平和をもたらそうとした者たちの努力も期待も裏切るような時代が訪れようとしている。


それは恐らく、
かつての戦乱の時代よりも、なお凄まじい荒廃をもたらすことだろう。
すべての歴史を語るには、あまりに長すぎる。
過去は過去、それでも今を繋ぎ未来へ結ぶ時間の欠片だ。
そして今という時間の中にも、これからを生きる未来に向けた欠片を造り、当てはめていく。
歴史が作り上げられていくことになるのだ。




interlude 1
平穏の崩壊


一度は訪れたはずの平穏が、崩れ去ろうとしている。
その経緯は今に始まったものではない。
この世界に幾つか存在する「強国」という位置づけで呼ばれる国々。
荒んだ時代の表れは、歴史を振り返っても共通して国同士のいがみ合い、亀裂や分裂などから端を発す。
今回もその一例から漏れてはいない。
先代の者たちが築き上げてきたものを、たった一晩で失わせることも出来るのだ。



「ウィーランド陛下。まもなくお時間です」
「うむ、分かった」
「お話は、原稿にあります通りに、お願い致します」



ここはソウル大陸北部に位置するグランバート王国の中心地、グランバート王城。
数多くの歴史を築き、紡ぎ続けてきた、歴史の中心国でもある。
その歴史はとても長く、語り切れないものから記録にすら残らないものも数多くある。
50年戦争の終結期にあったとき、グランバート王国は大規模な内戦が勃発した。
国民ですら予想もしなかったその展開に右往左往し、多くの自国民を失うこととなった。
内政治地は乱れに乱れ、統治が行き届かなくなり、事実上グランバートはその当時、国としての機能を失いつつあった。
それを、戦争の終結という結果の成就を目指して戦った者たちのおかげで、なんとか国そのものは維持された。
すべてを語るのは不可能だが、とにかくも国の再興が行われた。
それが十年前の出来事。
それから数年で、グランバート王国は内戦と戦争における影響を克服し、改善して見せた。
さらに、今までよりも増して周辺地域の新規開拓が進められ、人が住めないとさえ言われている永久凍土の地方にも、行政が行き届くようになり始めた。新規事業の拡大と拡販で、経済と雇用が右肩上がりを遂げ、グランバートは短時間で再興することが出来た。
その時間、僅かに二年。
50年戦争の時にも活躍した、ある男の手によって主導された再興の計画は、見事に完遂された。



それから10年が経過した今。
今日この日は、何事も無いごく普通の日常の一ページである。



グランバート王国は、
先の内戦において先代の国王デラーズを失い、それ以来国王の座が空いたままとなっている。
王家の人間が亡くなったのも戦争による影響で、内戦によって王都ですら戦いが起こったその影響が、王家の血筋を途絶えさせてしまったという、王国としてはあまりに不名誉で取り返しのつかない事態を招いてしまった。
以来、王国は内政自治を回復させたものの、王家の血筋が内戦によって途絶えてしまった為に、その座に相応しいものを輩出できずにいた。
その間、国王の代理にして代理君主の名を持つウィーランドが国の象徴的立ち位置にいた。
だが悲しきこと、国民は王家の血筋を持たないウィーランドを国王の代理とは認めず、内政自治の長としか見ていなかった。
王国は王家の者がいてこそ、その威厳を保つことが出来る。
内政自治を回復させたとしても、王国離れは加速していった。


一方で、
そのような情勢の中で権力を確実に握る組織が現れた。


『国務省』に所属するウィーランドとその一派が政治運営を行う一方で、
国内の再興と増強を一手に引き受け、司ることとなったのは、『軍務省』だった。
国務省に所属する政治幹部と軍務省に所属する高級士官たちが合わさり、各地方の統治の回復と拡大を行う。
そして軍務省が主体となり、内戦によって失われた国力を増強させた。
かつて強国だったその姿を取り戻すために。
そしてより強固な国を築き、営んでいく為に。
戦争が終結してより10年という短い歳月ではあるが、世界中が「グランバート」という名前を意識できるほど、
その姿は確かなものとなっていた。



「国民の皆さん、今日ここに私が会見を開くのは、昨今世間をお騒がせしてしまっている………」



今日、国王代理のウィーランドは定例会見を行っていた。
夜に向かいし王城の一角で行われる、代理権を持つ者の放送。
国民の多くはテレビやラジオを所持しているため、多くの国民がこの肉声を聞く。
定例会見は週に一度のペースで、これまでほぼ周期通りに行われてきた。


「しかし、私は改めてここに強調したい。このような不安定な状況下だからこそ、私たちグランバート王国は断固たる姿勢を崩さない、と。」


会見の内容は、何か具体的な政策を述べる訳でも無く、時間も僅かに5分ほどと短い。
誰かの質問に答えるような中身でも無く、正直に言ってその内容にどれほどの意味があるのかは分からない。
しかし、だからこそと言うべきか、国王の言葉にはとても強い印象で語られるものが多い。
今日の定例会見の内容は、昨今世界を取り巻く緊迫した状況についてだ。
グランバート王国は、隣のアスカンタ大陸にある「アルテリウス王国」との不仲が続いている。
かつて王国が隣の大陸を新たに発見したとき、その利権を巡って激しく対立し戦争に繋がったことがある。
だが、大陸には既に別の王国が構えており、厳しい環境ながらも繁栄を続けていた。
それを奪おうとした歴史のあるグランバートと、抵抗して排除し続けようとしたアルテリウス王国は、たとえ戦争が終結した後でも良好な関係を築くことが出来ずにいた。
そして近年、再びグランバートはアスカンタ大陸のソウル大陸寄りにある海域や諸島に進出する動きを見せており、両者の対立はまた深まろうとしている。
多くの見方としては。



――――――――――先の戦いで、グランバートは疲弊した傷を癒せていない。



というものであった。
10年前、王国は内部で激しい対立を生み、それが結果的に最悪の内戦を生み出すキッカケとなった。
それ以前は他外国との戦争に参加し、現在のソウル大陸の中北部以北をすべて領土にした。
だが、その内戦によって王国の基盤は大きく揺らぎ、歪み、そして失われていった。
かつて国の内戦を終わらせるために、また世界中に起こり続ける戦乱の世を終結させるために立ち上がった者がいる。
その者たちの努力があってもなお、世界は血を欲し、争いを望み続ける。
救われ難い世の中だというのは、多くの者にとっての共通認識であっただろう。
そのため、各国がグランバートを注視し続けている。
かつてそのような者が立ち上がり再興された国ではある。しかし、その王国が不穏な動きを見せ続けるのであれば、
過去の認識を改めなければならないだろう、と。


「先月に発生した、ギガント公国領ギルディア街基地爆発事故に際し、亡くなられた人々に心から哀悼の意を表す。現場に残された遺留物の中から、複数我が王国軍に由来するものが見つかったという報道および報告が世間ではなされているが、改めてここに表明する。そのようなことを指示、行動させた事実は当方にはなく、全くの虚偽である。被害を受けたギガント公国からも、こちらに責任を問う旨の連絡が重ねて行われているが、我々に問いかけるより本当の足取りというのを掴む方が先決であり賢明である」



先月、国際情勢が緊迫する事態が発生した。
今に始まったことではないが、その舵取りが行われたというべきか。
ソウル大陸の南部には、ギガント公国と呼ばれる強大で広大な領地を持つ国がある。
その国の中に「ギルディア」と呼ばれる街があり、ウィーランド国王代理が言うのはこの街で起きたある出来事のことを言う。
ギルディアは、公国領でも北側の、グランバート王国との国境線100キロ圏内にある街である。
そこにはギガント公国陸軍が配備されており、街の中に駐留基地がある。
都市の規模も大きく、20万人ほどの公国民が住む街である。
その街の中で事件は起きた。
ギルディア駐留基地が何者かによって襲撃・爆破されたのだ。
この街の基地が襲われる理由というのは特段あるように思われていなかった。
ここに特別何かがあるという訳でも無い、と。
ギルディアはグランバート王国との国境線近くに位置する街。
戦略的な要素は大いにあるが、グランバートも一線を越えるような事態を起こしてはいなかった。
しかし、この街の事件において、死傷者の中にグランバート王国軍のワッペンを持つ者がいたことが、事態をより深刻化させた。
ギガント公国の主張はこうだ。
「王国軍が基地を襲い、我が軍の情報を強引に持ち出した」
無論、これにグランバート王国は外務省の名において否定した。
しかし事態が収まることはなく、
ギガント公国軍でグランバート王国との国境沿いにある部隊に厳戒態勢を布くよう命令が下り、
戦闘配置まで取られるほど臨戦態勢を整えてしまったのだ。


自分たちの知らないことで理不尽に理由をなすりつけられ、それをキッカケに極度な警戒体制を取られる。
それは、王国としても面白い話では無かった。
敵がそのようにするのであれば、自分たちもいつでも動けるように、と部隊を配置したのが先月の話。
その日以降、ギガント公国軍は各所で厳戒態勢を続けており、グランバートに対する警戒心は微塵も解けていない。
それを、ウィーランド国王代理は筋違いだと伝えた。
真実も分からぬまま、あたかもグランバートはその策を仕向けたと思われ、孤立していったのだ。
しかし、ギガント公国としては、グランバートがそれに加担したという確たる証拠を掴んだと思っている。
グランバート王国軍の所属する者の持ち物なのだから、これ以上の証拠はないだろう、と。
そのような状態が続くのを好ましくないと考えた、オーク大陸の大規模国家ソロモン連邦は、先日各国首脳会談を申し入れ、グランバートもそれを一時は受諾した。
だがグランバートは会談の席には現れず。
会談の目的が情勢の安定化であったため、期待されたのはアルテリウス王国との和解もしくは緊張緩和であったが、寧ろ不快感を募らせる結果を招き、結果的にアルテリウス王国はソロモン連邦共和国と一定量の協定を結んで同盟関係を築いてしまった。
外の人間から見れば、誰にでもわかることだろう。
こうして、各国はグランバートを包囲する布陣を固めつつある、と。
無論それは彼らとて理解していたことである。
グランバート国務省は軍務省に国境線沿いに部隊を派遣、さらに各方面への海上封鎖を行うに至った。



「近隣諸国がその警戒を解かない限り、我々も万全の体制を維持することだろう」



強行という手段さえ在り得ると警告したウィーランド国王代理。
会見は短いもので、代理人の一方的な主張だけが述べられるというごく単純なものとなった。
定例会見では質疑応答なども行われるのが普通なのだが、グランバートと諸外国との情勢が緊迫してからは、
あまり国内の情報を公に晒すことがなくなった。
国境線沿いの防衛強化と海上封鎖は限定的なものである、と考えられていたが、グランバートがそのようにしている限り、ソウル大陸の北部に定期連絡船が行き渡ることもなく、渡航が困難な状態が続いている。
また航空管制も厳戒態勢を取られており、今となってはソウル大陸の北部は陸の孤島というような状態だ。
外から入るものには厳重な姿勢を取り、それが外敵となる場合には排除も辞さない構えだ。
会見が終わると、国王代理はすぐに用意された車に乗車してその場を去る。
途中、報道陣の詰め寄りにはサングラスをかけたガードマンが割り込んで道を開けさせた。



「形式的すぎて何も響かないな」
「しかし、これが無難かと思います。強い主張は周辺国のいらぬ疑念を深めるだけです。私たちはただ警戒をすればいいだけなのですから」



車の中には、ウィーランドのほか、彼に原稿を渡した助手と使用人が二名、運転手が一名乗車している。
会見が終わるとすぐに次の公務のために、移動しなければならなかった。
報道陣を振り切って乗車したのも、過密なスケジュール通りに事を進めるためである。



「それで、今日の軍務省と外務省の顔ぶれはどうなっている」
「はい。ここにリストが………」



次のスケジュールは、別の場所に移動して“軍務省の顔ぶれ”との会議。
それこそ、今ウィーランドが会見で述べたような手段についての討議が行われる。
防衛線強化、海上封鎖。
これらの方策は国務省からではなく、軍務省からの依頼によるものだ。
「敵にその気がないとしても、いつでも備えるようにすることが重要だ。」という彼らの主張は、正しいと思う。
だがそれが行き過ぎては、助手の言うように要らぬ疑念を持たれることだろう。
今のグランバートはまさにそれだった。
彼らがこのような状況に至って、警戒を強めなければならない現状を抱いている。
その結果、ほかの諸外国もそれに合わせて警戒を強めなければならなかった。
おかげで有事の際に共闘できるよう、アルテリウス王国とソロモン連邦共和国が同盟を結んだという。
発端はグランバートだが、そのおかげで現状はさらに加速し続けている。
もっとも彼らにとっては、その発端でさえ与り知らないものなのだが。



「あの男は、今日もいないのか?」
「はい。何かと忙しい男で、今日も現場に行っているのだとか」
「………そうか。現状、あの男となら色々と話し合えるのだが」
「それには、これまでと同じように、公の場でも会議の場でもなく、もっと別の場所でするしか………」



国務省と軍務省との間には容易ならざる複雑な関係が絡んでいる。
そもそもこの国の場合は、あらゆる政治権力を掌握して外交政策を行うことが出来る機関が最低でも二つあるのだ。
『国務省』
『外務省』
国務省は内政自治に関する専門分野でもあり、
外務省は主に諸外国との外交政策を司る機関である。
どちらも同じ性質を持ちながら、より強い力を持つのは外務省であった。
そこへ、力という点では強力な発言力と影響力を重ね持つ『軍務省』があり、
力関係が入り乱れているのだ。
今回の定例会見では、軍務省側の人間が会見での発言内容を限定するよう求めてきた。
それは会議において打ち合わされたものではあったが、軍務省からの圧力といっても過言では無い。
“いつかその時が来る。そのために出来ることはしておくべきだ”と。
確かに、ギガント公国に睨まれた今の状況から考えても、現実的に必要な方法ではある。
そのため、国務省も外務省も、その要求を鵜呑みにするしかなかった。
彼らが正しい、と思い込んでしまったからだ。



因みに、
国王代理の言う“あの男”とは、軍務省に所属するとある一人の男性のことを指す。



「間違いなく、世界の情勢は過去50年間のそれに傾き始めている。いや、もう既に傾いて戻せなくなってるやもしれんな」
「………はい。このままでは」
「………戦争は、避けられんな」



それが、矛盾を生じた思いであることは、演説をしたウィーランド本人が一番よく分かっていたことだ。
演説の内容は、特定の国家に対しての批判とそれに対する国家としての対応を述べたものであった。
抽象的なものであったとはいえ、グランバート王国は強気の姿勢を保ち続けることを公言した。
要らぬ疑念によって有事を招くようなこととなれば、こちらもその矛を向ける用意がある、と。
ウィーランドが思っているような、「戦いを避けられる状況」を導こうとするのなら、あのような演説内容はすべきではない。
定例会見の原稿は、強い権力を持つ軍務省の助言を採用したものだ。
それが果たして国の為の助言となっているのかどうかは、定かではない。



会議が行われるのは、王都の市街地の中心部にある軍務省の建物。
統合作戦本部と呼ばれる場所で、軍務省のお膝元、その中心でもある。
軍務省の最高機関の詰所であり、ここには軍人に属する者の中でも高階級の者たちが出入りする。
この建物だけでも務めている人間は1000人を超え、軍事に関わるあらゆる業務をここでこなしている。
軍務省の業務、目的の一つとして、国家の危機に瀕するような事態に対しての早急な助言、および支援を行うものがある。
これは、国家が緊急を要する事態に直面した際に、外交政策を主とする外務省や国内外のあらゆる政策を広範囲から操作できる国務省よりも、
より事態に対して早急かつ応急的な処置を助言、決断させる材料を与えるという役割と特色がある。
切迫した事態というのは、いつもきまって“有事に関すること”だ。
そして今日の会議というのも、その“有事”が争点となる。
ウィーランド国王代理が会議室の中に入った時には、既に会議の人員は揃っていた。
彼が室内に入ると、皆が一斉に立ち上がり、そして敬礼をする。
一気に張り詰めた緊張感のある空気に変化する室内。


「………はじめてくれ」


グランバート王国の国王は、象徴的存在だった。
今も国民の多くはそう思っていることだろう。
しかし、現在のグランバートは国王が存在せず、代理としてウィーランドが台頭している。
その彼は、こうした内部機関の会議などに積極的に参加するようにしている。
国王代理だからという理由で強力な権力を振りかざしたりはしない。
しかし、それでも代理なりにこの国の為になろうとする気持ちは強かった。



「海上封鎖に戦艦2隻、駆逐艦7隻。ギガント公国との国境線沿いには、東西南にそれぞれ師団を配置しております」
「海上封鎖はその規模で良いのか?オーク大陸からは対応できないように思われるが」
「そちらには海軍所属の偵察機部隊が布陣してある。監視の目はあるから充分だろう」
「いざとなれば、空軍が出撃して爆撃も出来るからな」



昨今の状況を受けて、グランバートの中枢部を担う軍務省と外務省、そして国務省の重鎮が話し合う。
暗い会議室の中で行われる、円卓の議会。
あらゆる国の方針を定める為に、ここであらゆる意見や主張が交わされることとなる。
このような形式は、何もほかの国々でも似たようなことで行われてはいる。
しかし、グランバートのそれは少し異質なものなのかもしれない。



「あくまで防衛線に限定するべきだ。それに相手国に過剰な反応をさせる行為は避けるべきだろう。部隊は後方で待機すべきで、態々国境線を覆うように布陣する必要はないと考える」

「だが、この情勢ではいずれ接敵することだろう。敵が動いてからでは遅いのでは?」

「お主は敵と申すが、それはどの勢力を指して言っているのか?」

「いずれにせよ、この情勢が傾けば戦いは避けられない。先手を打たずとも、必要以上に準備は整えておくべきだ」

「いや待て。準備を早めればそれだけ事態を加速させる恐れがある。この上こちらに濡れ衣を着せられたらどうするというのだ」



グランバートの異質さは、他所の国には伝わらないものだ。
内部の人間が外部に公表すれば話は別だが、今の国は情報の外部流出を避けるために情報を検閲している。
“相手にくれてやる情報などない”というもの。
元々自分たちの国益に関わるような重大事項を相手に晒すほど、暢気なことを考えているものでもない。
しかし、この時代のこの現状に、情報の流通は非常に重要な問題だった。
しばしば「情報戦」などと比喩されるほど、国家の状況を左右するようになっている情報媒体。
そういった大切なものを外部に漏らさないという意味でも、彼らはこうして暗い会議室の中、円卓を囲んで話し合いをするのだ。
話し合いの内容も、この時代の今の情勢に合わせたもの。
10年ほど前であれば『よくあること』というように考えられていたそれも、
今の時代においてはより緊迫感を募らせるものであった。


昨今の状況を受け、
グランバート軍はアスカンタ大陸方面の海域を封鎖し、
領土南部のギガント公国との国境線沿いを中心に陸戦部隊を配備していた。
いついかなる時も状況に対応できるための手段である。
ここでは、その手段の維持か、あるいは後退かを話し合いによってきめようとしていた。
中には交戦主義を持つ者もいて、“相手からの動きを待っていては遅い”と、専守防衛を棄てるように考える者もいた。
どの重鎮たちも意味のある主張を唱えては、論議している。
話がまとまるどころか、あらゆる危険性をお互いに共有し合うという会議の構図が出来上がってしまっていた。



「これでは具体的ではない。危険があるのは分かる。だがそれに対しどう対応するか、そのためにどう準備するかを話し合うべきだ」



話の舵取りを修正するように、ウィーランドが間に入る。
彼は国王代理であり国民からすれば象徴的な立ち位置ではあるのだが、話し合いなどには積極的に参加した。
最終的な決断を下すのはこの話し合いの結果だが、ウィーランドもあらゆる観点を踏まえた主張をする。
それでも、ウィーランドが一強で議題が解決されることのないよう、話に入りつつも適度な距離感を保ち続けていた。



「では海上封鎖はこのままに。万が一封鎖線に接近するようであれば、警告、威嚇射撃等で対応しましょう」
「陸戦部隊はどうする」
「現状維持で良いでしょう。先程の演説で、必要に応じて軍事力を投入するということが明白となりましたから」



そして話し合いの末に、そう取りまとめられる。
あらゆる議題が持ち上がったが、結局は現状維持ということで話は進められた。
最後の仕上げでまとめたのは、軍務省に所属する『アイアス』という人物。
見た目は好青年のように見えて、とても冷静に落ち着いた印象を持つ男性だ。
髪は男性にしてはかなりの長め、後ろで髪を結ぶほどのものだ。
漆黒のスーツにグレーのシャツ、そして黒いネクタイ。
一見普通の男性のように見えて、このアイアスは軍務省の中でもトップクラスの地位を持っている。
この議場の中では最も若い年代ではあるが、最後の仕上げまできちんとまとめた。



「敵に攻撃の意思があるのなら、それに反撃する用意がある。それだけ伝われば今は良いのです。出来る限り、情報は迅速に、正確に伝達するよう徹底して下さい」

「では、これで今日の会議は終了だ」


「…………湿気たもんだな」



中には今日の内容が心底不満で不愉快に思ったものもいるが、それでも一応の結論は出た。
相手にその気が無いのなら、こちらとしても仕掛ける用意はない。
しかし、何かあれば立ち上がることが出来る、という意志を誇示する。
情勢の悪化がこれ以上続くことになれば、それこそ10年前に戻ってしまう。
会議が終了し、側近の案内のもと、国王代理のウィーランドは車に乗り込み自分のオフィスへと向かう。



「なるほど。実際にそうした動きが無ければ手は出さない、ということですね」
「………とはいうが」
「ええ。我々が受けたように、行動が偽装されれば………」
「そうだな。その可能性は充分にある。しかし、強硬派の連中はまるで戦争を起こしたいかのような物腰だ」
「そうなのですか?」



―――――――――――またかつての悪夢を巻き起こそう、と?
それはあくまで見た目のもので、真実そう思っているかどうかを確認した訳では無い。
だが、強硬派の面々は「先に殺られるより前に手段を講じる必要がある」と、事を性急に荒立たせようとするように見えた。
その考え自体は分からなくはないし、間違いでもないと思う。
敵がそのつもりなら、自分たちを一片に飲み込むことも可能だろう。
そうならない為に、相手に対する抑止力は常に働かせなければならない。
ところが、事を性急に結論付けて実行しては、それこそ要らぬ疑念を招かれ、最悪の事態を招きかねない。
王国がどのような決断をしたところで、外部の人間はそれを警戒する。
この構図に変わりはなかった。



「アイアスは、事の状況をきちんと理解しているのですか?」
「そうだと信じたいな。外務省と違って、軍務省は落ち着いている。穏便派ではないが、事態が急変でもしない限り問題ないだろう」
「あの男はどうも胡散臭いですからね。裏に何も無いと良いのですが」
「だが、アイアスも『彼』の前では頭が上がらないのだろう?」


「………確かにそうですが。権力の集中を避けるために、最高レベルの権限を二分していますから………」



その彼は、今日は会議にも出席しておらず、顔すら出さなかった。
秘書曰く「現場が忙しい」とのこと。
ウィーランドは、こういう時こそ“過去の出来事を隅々まで経験してきたあの男”に頼りたい、と思っていた。
彼の思惑は、事を荒立たせないこと。
そして、どうにかして世界が往くつくところまで進まないようにすること。
状勢は極めて緊迫しているが、あと一歩先までは行き届いていない。
その間に。


「………出来るだけのことは、しておかなければならないな」
「………はい。お供します、閣下」


状勢をどうにかして緩和させたい。
そのために出来ることを尽くす。


そう思っていた矢先。



「?なんだこの異臭は」
「……………!!!閣下今すぐ降り―――――――――………………」




事態を緩和させるどころか、急展開させてしまうような『事件』が、起きてしまった。



「ウィーランド国王代理暗殺事件」
歴史上ではこのような名称で統一がされている。
事の発端は不明。暗殺者も不明。
しかし、その手口だけはあからさまだった。
会議が終了した後、国王代理のオフィスがある国務省まで戻っている最中、
街の中で突如搭乗していた車が爆発。
乗員4名全員が即死。無論、国王代理ウィーランドもそれに含まれる。
爆発が起こる前の状況は一切不明。
使用される車両は決まってはいないが、その日の行動スケジュールでどの車両が割り当てられるかは定められている。
そのため、ウィーランドが搭乗する車を整備する担当が真っ先に疑われたが、事実解明には至らず。
行動スケジュールを管理している秘書や内務の者も疑われたが、同じく関連性は見受けられなかった。


その要因の一つに、
まさに彼らが危惧していたことが、目の前で起こったからである。


「事実を公表しろーーー!!!!」
「一体どうなっているんだ!?!?」
「敵は倒せーえええ!!!!」



国務省、外務省の前に群がる国民たち。



「これは………、一体…………」
「お伝えします………!昼間の暗殺事件の事実を知った国民が、説明を要求しに大挙してきています!複数個所で暴動が発生しているという情報も………!!」

「馬鹿な。情報の一切を公表していないはずだ。どこから漏れ出した!?」


爆破された車両にいたウィーランドらは、原形を留めていないほど死体の損傷が激しく、見ても彼が国王代理だとは思えないものだった。
他の三名も同じく、誰が誰なのかは見わけもつかない状態。
ただの車両爆発という事故で、真実を隠匿しようとしていた国務省。
だが情報の検閲は出来ず、爆破された車両に国王代理が居合わせていたことがすぐに発覚。
理由も分からないまま殺された国王代理のこの一件に、国民は激しい怒りをぶつけようとした。
暴動に至るほど混乱が拡大してしまった、真の要因が一つある。



それは、
爆破された車両の残骸周辺に、隣の大陸にあるアルテリウス王国軍所属の遺品が確認されたのである。



国務省も外務省も直ちに情報の制限を設けたが、その行動そのものが裏手に取られてしまった。
何しろ今の時代は情報化社会。
そのようなあからさまな規制を行うことそのものが、何かが起きたということの証明となっていたのだから。
そして情報の検閲は出来ず、ウィーランドが暗殺されたこと、その遺留品の中にアルテリウス王国の軍人が持つものが
含まれていたことが晒され、その説明を求めて国民が大挙して声を上げたのだ。
タイミングも最悪だった。
今日、ウィーランドは演説で「他国が警戒を解かない限り、万全の体制を維持する」と公言してしまっていた。
つまり、もし有事があれば彼らは手を出す用意があるということを表明し、各国にその威厳を振りまいたということだ。
その覚悟を国は持っているし、国民も演説を見て多くはそう感じたはずだ。
事は起きた。これを有事と呼ばずにはいられないだろう。であれば、国としての対応は決まっている。
そのため、この暴動や集団行動は抗議では無く、『決起集会』のような様相を呈していた。


我々に共通する「敵」を斃そう、と――――――――――――。


『まずは各所の暴動鎮圧を。』
この一件により、たったの数時間で王都中が大混乱に陥った。
国務省と外務省は現時点で全く機能せず。
鳴り止まない電話ど怒号は、確実に職員の心身を消耗させた。
それだけでは済まない。
この国の頂点に立つ象徴的存在の代理者が、暗殺されたのだ。
しかも、アルテリウス王国軍の遺留品が見つかっている。
これを侵略行為と呼ばずして、何になるというのか。
国民は声を高らかにして、敵を倒すという名目で一致団結し、国もそれに倣って行動すべきだと主張する。
暴動は既に十数か所で発生しており、その結果二つの省は機能を停止した。
しかし、まだ軍務省は対応に追われるばかりで、機能はしている。
外務省が機能しなければ、軍務省は具体的に動き出すことが出来ない。
国防を司るのは軍務省だが、それをどのように扱うのかは外交が定める。
アルテリウス王国の軍人がこの一件に関わっているのだとしたら、外交手段は明白である。


「それから、大将をすぐに軍務省へ。事態は一刻を争います」
軍務省のアイアスは、まず軍務省内にいる王国軍に鎮圧の沈静化を図るよう通達。
さらに、外で公務をこなしている『大将』を、早急に軍務省へ戻すよう伝達する。
外務省が機能を停止していても、彼らには出来る限りのことをする責務があった。
アイアスの司令により、直ちに治安部隊が出動し、暴動の沈静化が行われ始めた。
それでも、募る国民の勢いを削ぐことも止めることも出来ず。
その怒りをどこへぶつければいいのかも分からないまま、国民は荒れ、外務省と国務省は対応を強いられた。


「国家安全保障局に通達を。暴動の拡大化を図る者には容赦なく拘束して捕縛するように伝えて下さい。………もっとも、これほどの規模の鎮圧となれば、数百人から一千人規模で逮捕者が出るでしょうけど」



一方、証拠が見つかってしまったアルテリウス王国側は、一切の釈明を行わなかった。
この一件が世間に知られた直後に声明文を発表。
これに自らは関わっておらず、外部による圧力であると訴えた。
そこで謝りでもすれば、この事件が彼らの引き起こしたものであると認めるようなものであり、
アルテリウス王国の対応はごく平然としたものであった。
しかし、であれば前に発生したギガント公国とグランバート王国との一件も同じものとして見なされる。


グランバート王国は、後に退くことを赦されない状況にあった。
国民の強い不信感。
証拠のある事件への解決。
根本を正し弾劾する用意。
強き国であることの証明。
あらゆる状況が折り重なり、国務省と外務省は選択を迫られた。



その方法によっては、戦争になる。
せっかく取り戻したはずのものを、一瞬にして無にすることも出来る、と。
だが、彼らが選択を定める前に、その選択は不意に強制されてしまった。



「アイアスさん………第七艦隊が哨戒中に、アルテリウス王国軍所属と思われる艦隊と接触したとのことです………!!!」
「――――――――――――駄目ですね。これはもう、現場の判断を遥かに超える事態だ」


次から次へと、グランバートに襲い掛かる状況。
そのすべてに対応しなければならないうえに、肝心の各機関は機能していない。
板挟みのような状況に、混乱は更に拡大。
軍務省ですら現場に正しい司令を送ることが出来ず、混乱はより昏迷になる。



その最中。
当事者とされるアルテリウス王国の艦隊と、海上封鎖を行っていたグランバート王国海軍の第七艦隊が、
海上で互いの姿をさらす。


刻一刻と、はじまりの時は近づく。


…………。

interlude 2 短き平和


グランバート王国海軍所属第七艦隊旗艦「ベルモンテ」


国王代理暗殺事件が起きてから、僅かに数時間後。
ソウル大陸とアスカンタ大陸の間に広がる、やや小さな海域。
船舶で移動をすれば相当な時間を要するが、航空機などの高速域で移動できるものであれば、
僅か数時間で隣の大陸まで辿り着けてしまう。
それは、ソウル大陸からオーク大陸への航路も同じことである。
ソウルとオークの間に存在する最も手近な海域、狭門海峡と呼ばれる海域は、船舶で航行しても数時間足らず、
航空機を用いるのであれば数十分程度で隣の大陸まで入り込むことが可能だ。
無論、場所によってはそれ以上の時間を有する。
ソウル大陸の北部にあるグランバート王国が、そうした各大陸への接続が身近な存在であるというだけのこと。
しかし、今はその身近さが災いの火元となる。
グランバート王国の第七艦隊は、オークに領地を構えるソロモン連邦共和国と、アスカンタ大陸に古くから国を置くアルテリウス王国と同盟を結んだ事実を受け、海上封鎖に踏み切った。
昨今、両王国を巡る緊迫した空気は消しきれず、またグランバートが会談の席を無視したことも相まって、互いの関係はもつれた。
現在グランバート王国は、アスカンタ大陸方面の海上に第七艦隊を配置し、オーク大陸方面に航空部隊と強襲揚陸部隊を配置している。
いつでも万全の態勢を整えている状態だ。


その中で。
国王代理暗殺事件が発生し、その遺留品の中にアルテリウス王国の軍属が持つものが含まれていた。


アルテリウス王国は釈明することはなかったが、それが自分たちのものではないと行動を否定。
しかし、先日もグランバートはギガントとの一件で同じような経験をしているため、これを認めるはずもなく。
国民の暴動が発生するほどの大混乱に陥ったグランバートではあったが、その最中で、両王国の海軍が接近する。



「艦長。前方5キロメートル地点に、所属不明の艦隊を視認。IFFの反応ありません」
「海上封鎖を知っての行動か。本国はどうなっている」
「はっ。依然情報が錯綜しており、正確な状況が不明です。電波妨害のためか、通信状態も良くありません」

「………困ったものだ。だが準備するに越したことは無い。全艦戦闘配置。これ以上接近するようであれば、呼び出して警告しろ」



海軍という軍の存在は、
たとえその形態が王国であろうと帝国であろうと、ある程度の国力を有する国であればどこでも所持している存在だ。
アルテリウス王国も古の文化を引き継いではいるものの、そうした新しい文明文化の知恵も持っている。
グランバート第七艦隊は、戦艦一隻、巡洋艦四隻、駆逐艦二隻、補給艦一隻の八隻から成る。
艦隊の番号を示す数はそれぞれ第九艦隊まで存在するが、第三艦隊以降の戦力配備は、第七艦隊と似たものがある。
基本的に艦隊が出港する機会はなく、領海内を一隻ないし二隻で哨戒するというのが海軍の基本任務にあたる。
しかし、先の情勢を踏まえ、北方海域を防衛する任務を持つ第七艦隊が全艦出撃し、補給艦を連れて北部海域の海上封鎖を行っていた。
そこへ、それを知りながらやってきたのが、アルテリウス王国軍所属の艦隊である。
発見されたアルテリウス王国艦隊の数は11隻。数の上ではアルテリウスの方が優勢である。
だがその意図が明確ではない。
何を目的にして、態々海上封鎖を行っているこの海域まで進入してきたのか。


「艦隊、依然として前進中」
「警告を行う。回線をオープンに…………こちらはグランバート王国海軍第七艦隊所属旗艦ベルモンテ。貴官らの船舶は我が国固有の領海内に接近している。ただちに回頭し接続水域より退去せよ」

『こちらアルテリウス王国軍第二艦隊。現在の情勢を考慮し海上防衛を行っている。不要な接近行為は控えて頂きたく申し上げる』



哨戒中の第七艦隊と接触したアルテリウス王国第二艦隊。
これから夜を迎えようというところで視界も悪くなりつつある中、それほど遠くない距離で互いを発見し、
一触即発の状況が生み出されてしまった。
グランバートの第七艦隊は、ただちにこれを本国の軍務省へ報告。
だが、具体的な対応策の返信は無かった。
ただただ、相手との距離を保ちながら交信が続けられる。


「どうなさるおつもりですか、閣下」
「困りましたね。戦闘は避けるべきでしょう。もっとも、敵がその気なら話は変わりますが」
「そうですね………しかし、交戦を避けるとはいっても、どのように行動すれば良いか………」
「あくまで相手との距離は詰めずに保ち続けましょう。暫くはにらみ合いになる」



本部から艦隊に伝えられた指示は、とにかく待機だった。
洋上で待機命令が下されるというのも、実に不気味なものであった。
お互いに複雑で深刻な情勢を抱えている中、武器を携え対峙しながらもただひたすら待つ。
アリアスは、『大将』閣下を本部まで呼び戻している間は、どうにかして時間稼ぎをしようと考えた。
交戦派の人間と国民の感心を裏切るような判断ではあるが、事を急く必要はないという独自の考えだった。
グランバートとアルテリウスの双方の艦隊が睨み合いを始めてから30分が経過する。


事態が動き始めたのは、その頃のこと。



「何!?新手だと?」
「はい。我々の右舷より接近するものがあります。周りが暗くて視認はしづらいですが………」
「………まさか、挟み込むつもりではなかろうな………」



彼らは程度の距離を置いてアルテリウス王国海軍と対峙していたのだが、ここにきて新たな勢力が彼らの右舷より近づいてきていた。
各艦に設置されている広域レーダーにより、その存在が探知されたのである。
この世界の現代の技術では、レーダーからの反応により居場所を特定するための距離がまだ短い。
探知できた場合であっても、対象との距離の差がどの程度縮められているのかは不透明なところも多く、
機械による探知から人間の推測に頼る部分が多い。
というのも、レーダー反応を機械に投射するのに遅延が発生してしまっているのが現状だ。
それでも、どの程度の数がどの方角へ向かっているのかは把握できる。
それによると、北方海域での海上封鎖を行っていたグランバート王国軍第七艦隊の右舷方向より、新たな艦隊がこの海域に接近しているとの情報がもたらされたのである。



「その数、確認出来るだけで12」
「………間違いない、“連邦艦隊”だ」



接近してくる方角、そしてその規模。
グランバート王国軍は、接近する物体がソロモン連邦共和国軍の艦隊であることを確信した。
もっとも、連邦軍であればもっと大規模な布陣を敷くことも出来るのだろうが。
現場の指揮官は、早急に状況を報告する。
明らかにこの状況は現場の判断を越えたものであり、上の指示を仰ぐべきところだと考えたからだ。
だが、その肝心の上となる存在も由々しき事態だと思うばかりで、明確な対処に難色を示していた。
何しろ接近してくるのは“連邦艦隊”である。


ソロモン連邦共和国海軍は、古き歴史を持つ精鋭揃いの集団である。
近年、戦争の形態は変化しつつも、基本となるのは陸上戦闘ばかりだ。
そのため、陸軍に力を入れる国は圧倒的に多い。
その中でも、ソロモン連邦は同レベルで海軍の増強を行っている。
広大な領地を持つソロモンは、オーク大陸の東部から北部、西部にかけての範囲をすべてカバー出来るように、
各所に駐留基地を配置している。
海軍もそのうちの一つで、第10艦隊までなる圧倒的な戦力を各地に配置し、領土の全方位を視野に入れ防衛を行っている。
広大な領土を持つ分、国力に直結する軍事力も相応のものだ。
今、グランバート王国軍に接近しつつあるのは、連邦軍第三艦隊。
主にソウル大陸方面を監視、防衛する任務を持つ艦隊だ。



「動き止まりません。接近してきます!」
「チッ………このままでは包囲される。速度を保ちながら後退しろ」


上層部からの明確な命令が無く、ただ「待機」という指示だけが維持される。
しかし、現場の指揮官は、このまま連邦軍艦隊に接近されれば包囲されることを確信しているため、現場の判断を優先させることとした。
明確な指示を出すことの出来ない状況は理解できなくもないが、現場はそれ以上に現実を突き付けられている。
第七艦隊は後退しながら、とにかく敵と対峙しないように距離を取ろうとする。
アルテリウス王国海軍の動きは追随するものではなかったが、ソロモン連邦共和国軍の艦隊はひたすら接近し続ける。
既に連邦艦隊はグランバート王国の領海内に侵入しており、明確な領海侵犯であった。
海上は大雑把にトライアングルの形を作りつつあった。
真正面からグランバートとアルテリウスが対峙し、その右側方からソロモンが接近する。
艦船は、側面を敵に向けることで被弾面積が拡大する。即ちそれは弱点と言える。
この時点での布陣は、数のうえでも、また布陣のうえでも明らかにグランバートが危機的状況であった。



「敵は、どういう意図なのでしょうか………明らかに領海侵犯です!」
「“敵”というが、ただ領海を侵犯しただけではそうと決めつける訳にもいかない。相手はいまだ行動に出さない」
「しかし、それではこちらが一方的に追いやられる立場に………!!」


「……………」



その意図は、恐らくは相手からこちらに伝えてくるものだろう。
領海内を防衛する目的である以上、包囲されてしまっては逃げ出すことも出来なくなる。
本国の基地までは遠い。
今から全速力で撤退したところで、結局は射程距離に入られる。
しかし、撃たれるかどうかも分からないこの状況では、判断がしづらいところだ。
どのようにするか。
とにかくも距離を取ろうと後退を進めていた、その時。



『こちらソロモン連邦海軍所属旗艦アドミラル・ブレーブス。航行中のグランバート王国軍艦船に通告する。即刻動力を停止し、当艦の監視下に入られたし』



と、相手から通信を行ってきたのである。



「アドミラル・ブレーブス………」
「敵旗艦は第三艦隊所属、アドミラル級の旗艦ブレーブスのようです………!」



多くの国の海軍でほぼ共通して呼ばれている呼び方がある。
艦船の種類に駆逐艦や戦艦、巡洋艦などがあるが、その中でも艦船の規模や大きさを示すものがあり、それが所謂艦船のクラス分けというものである。
簡単に言えば大中小といった類なのだが、それぞれのクラスに利点欠点がある。
彼らがそのクラス名を聞いて驚くのは無理もないことだった。
『アドミラル級』というのは、簡単に言えば『大』に入るクラスであり、そのクラスに属する艦船の種類は基本的に戦艦クラスとなる。
アドミラル級は、大型戦艦クラスの中でもトップクラスの位置となり、これより上のクラスは一つしかない。
それだけに、重戦艦クラスの持つ火力は強大なもので、戦艦といえど中型艦の多い第七艦隊では不安要素しかない。
連邦艦隊は、開口一番「停船せよ」と通告してきた。
目的はハッキリとしているが、全く理由を発することのない一方的な要求である。
当然、そのような要求を呑む訳にもいかず。



「アドミラル・ブレーブスにつぐ。ここはグランバート王国の領海内である。それを承知の従軍か?」


『貴艦らは既に我ら両国軍の包囲網の中に在る。抵抗せず動力を停止せよ。』


「今日の状況を知ってなお、我が国固有の領海内においてそのような行動に出ることは、国際社会において著しく非難の対象となるであろう。」


『繰り返し通告する。動力を停止せよ。貴艦らは完全に包囲されている。」


と言ったはいいものの、全く会話にならない通信となってしまった。
敵の意図が何であるかは正確に把握できないが、予測は出来ている。
今日の情勢を以ってなお、脅威となる存在を拿捕させようとすることは、明らかな危険行為である。
そしてそれを承知で領海内まで侵入してきた両国の艦隊。
この時点で明確なる侵略行為として処理すべきところなのだが、今日の情勢が事を荒立たせまいと昏迷を生ませている。
しかしこのような状況でもお構いなしと言わんばかりの接近をしてくるソロモン連邦共和国。
相手の要求は「停船し降伏せよ」というもの。
言われる通り、既にグランバート王国軍艦隊は包囲されつつある。
この状態から逃げるのは至難の業だろう。
あとはこの両国が後退を続けるグランバートの艦隊に、いつ事を仕掛けるかというところだった。


第七艦隊に司令が伝えられる。
それはあまりにももどかしい思いをするようなものであった。
決め手に欠けるその手段。
それは、「相手がその気を見せたら然るべき行動を取れ」というものであった。
つまり先制することはなく、相手が行動に移した際には現場の判断により許可するものとする、ということだ。
艦隊司令官は、それが恐らく今の現状で上が出せる最大限の譲歩手段なのだろうと察した。
明確に領海に侵入されながら、攻撃を下すことが出来ない。
下せば最後。
再びかつての時代に、あるいはそれ以上に深刻な時代になりかねない。


だが、
既にこの時点で、もう後戻りは出来ないだろうと、
大勢の人間が思っていた。



「そちらの目的は何か」


『今日の情勢を受け、アルテリウス王国艦隊の防衛を行っている。対峙する貴艦らには即刻停船を要求する。要求に応じられない場合は攻撃も辞さない』


「当領海内において貴国の船舶は航行の自由を認められていない。明確な領海侵犯だ」


『当方は今日の情勢を受け最善の行動を取っている』


「その“今日の情勢”を取った行動が最悪の選択肢であることを、いまだ分からないのか!」


状勢がこうも転覆してしまった以上、もう行きつくところまでいくしかない。
ソロモン連邦の考えは、そうなった以上『事態の中心にいるグランバート』は明確な脅威でしかない、というものだった。
その最中、海上封鎖中の第七艦隊にアルテリウス王国艦隊が遭遇した。
これが危機的状況でないはずがない。
そのため、連邦艦隊は危険を冒してでも同盟国であるアルテリウス王国艦隊を防衛しようと、領海内に侵入をしたのだ。
そうせざるを得なかった。
どのみち、どちらの国も後に退くことは出来なかった。



そうなれば。



「なっ!?」
「敵艦発砲!敵艦発砲!!」



その明確な脅威を排除するのが、以て最大の防衛力の発揮というものだった。
既に両軍とも主砲の射程圏内であったが、先に攻撃を仕掛けたのは連邦艦隊であった。
明確な領海侵犯に自国の領土内で国軍を目がけて放たれた鋼鉄の砲弾。
それを明らかな侵略行為であるとみなさずに、何と見るべきか。
各艦から射出された砲弾は第七艦隊を容赦なく襲う。
命中弾に続いて外壁の損傷や火災の発生など、彼らは著しく混乱した。



「クソ!!一体上の奴らは何をしているんだ!?」
「このまま座して攻撃を受け続ける訳にもいかん。司令を通達、」



――――――――――――反撃せよ!!!



その判断自体は決して間違ったものではないが、火種になったことは明らかだ。
もっともその火種をちらつかせたのは彼らにとって「敵」であったことは間違いない。
もし排除行動を取られた場合で、艦隊に著しい損害や犠牲が見込まれるような危険に陥った時には、現場指揮官の命令が優先される。
第七艦隊はその司令を実行し、逆に敵を排除する行動に出た。
しかし、ソロモン連邦とアルテリウス王国の艦隊を相手に、明らかな数の劣勢で挑むグランバート艦隊。
はじめは連邦艦隊が一方的に撃ち続けていた構図だが、やがてアルテリウス王国も攻撃に加わり、二国艦隊の集中砲火を受ける。



「くっ………!!」
「駆逐艦ロイシュナ大破!!」
「動力を絶やすな、後退しつつ標的を一つずつ絞って攻撃しろ!」



第七艦隊は砲火をばら撒くのではなく、一艦に向け集中的に攻撃を加えた後、また次の艦へと標的を変えながら戦おうとした。
現実的にそのような器用な攻撃方法が迅速かつ丁寧に出来ていれば、状況はもう少しよくなったかもしれない。
だが、この時は相手の攻撃も相まって艦隊の連携が上手く取れず、半ば一方的に撃ち込まれるばかりだった。
後退しながら砲撃を命中させるというのも難しいもので、まして側面を取られている第七艦隊は弱点を敵に曝け出しているようなもの。
明らかな劣勢でその状況が覆ることはあり得ないとさえ考えられていた。
混戦になると、本土からの通信もまともに返せないような状況となり、完全に孤立した形だ。


そして。



「レーダーが新たな動体物をキャッチ………急速に近付いてきます!!」
「…………!!」



レーダーに移された影は、速度を一定に保ちながら、しかし高速で自分たちの船にむかってくる。
それは戦艦や小型艦などが移動する速度にしては、あり得ない速さで接近するものだった。
この時その報告を受けた艦橋の人間たちが、接近する物の方角を見て確認したが、視界からは何も目立ったものは映らない。
彼らに向かって接近してくる敵戦艦ばかりだった。
だがその直後。
突如艦内に激しい爆音と同時に強烈な揺れが襲い掛かる。
砲弾が命中した時よりも激しいそれは、椅子に座っていない人たちを丸ごと転倒させるに充分なほどの揺れだった。



「なんだ今のは!?」
「分かりません!!水中から直撃を受けた模様!!」
「水中から、だと………!?」
「レーダー探知!第二波きます!!」



それが、艦橋にいる者たちが聞いた最後の言葉であり、最後の瞬間だった。
レーダーで探知された、水中から接近する物体を6発受けた旗艦ベルモンテは、内外からの爆発に見舞われ機関部を大きく損傷。
ダメージコントロールの領域を遥かに超える被弾に耐え切れず、戦艦は中央から激しく大爆発を起こし、分裂しながら沈没した。



…………。


「………そうですか。分かりました。」


それ以上の状況は、言うまでもない。
二倍の数量で物量作戦に出られれば、策を打てない時点で数が優劣をつける。
その結果、第七艦隊は全滅。
二国艦隊にも多少なりとも損害は発生したが、健在。
ある程度の情報が軍務省に入って来て、それは同時に各省にも伝達され、さらに国民にも知れ渡る。
“行き付くところまでいくしかない。”という状態が、現実のものとなる時が来た。

予想を遥かに超える急展開を迎え、しかも第七艦隊が全滅するという前代未聞の出来事が起き、軍務省も外務省も、他の各省もただならぬ雰囲気の中、困難を収縮させようとしていた。
しかしそれ以上に、国民からの圧力も激しく、抗議活動まで行われる状況だ。
何に抗議するのかは置いておき、その熱意がどの方面へ向かっているのかは明白であった。
代理であっても、ウィーランドは国を引っ張ろうとした指導者だ。
それを失ったことの損失は、計り知れないものだろう。
それを糧に今立ち上がり、その敵を討ち果たすことが、強国への道なのだ、と彼らは主張する。
外務省はその国民の気持ちに乗りかかろうとしているが、軍務省はそれほど大真面目にその言葉を受け入れようとはしなかった。
だが、第七艦隊が消失したとあっては、穏健派の多い軍務省とはいえ黙ってはいない。
内からも“即刻報復すべし”という声が挙がる。



「外務省の血の気の多い連中は、この状況を喜ぶやもしれませんな」
「言葉を慎め」



円卓とは異なる別の領域。
大きな部屋の中に大量のモニターやパソコンデスクが置かれているその場所は、軍務省作戦司令室。
グランバート王国軍統合作戦本部の中の一室である。
この状況が報告され、ざわめきが起こる中での情報分析。
様々な陰口が陰湿に飛び交う空間になっていたが、その片隅で報告を受けたアイアスは、事態の深刻さに慎重になっていた。
そうならざるを得なかった。



グランバート王国軍参謀本部所属総参謀長アイアス少将。



それが彼の肩書だ。
軍務省の中でも片手に入る権力の所持者であり、数少ない“将官”の階級を持つ存在。
現場の指揮はとにかく、その指揮官を動かしたり、それに至る過程を作り出し、判断するのは彼の役割でもある。
今回の件は慎重に判断したために、現場の行動が鈍くなり結果的に最悪の状況を招いた、という外務省からの批判も聞こえ始めていた。
しかし、軍務省内部では彼に対するそういった不信感はほぼ無かった。
一番不憫なのは、この状況で死んだ現場の人間たちなのだから。


「この一件について、このあと“国務尚書”から声明を発表する、とのことです」
「そうでしょうね。前もって私たちにも内容が渡されると思いますので、それを待つことにしましょう」
「はい。ですがそれは、『大将閣下』が到着してから、とのことです」


「………そうですか。大将閣下もさぞ大変なことでしょうね」



国務尚書とは、簡単に言えば国政を担う身で最も地位の高い者のことを言う。
この国の国王は象徴的存在でどの省庁にも所属しない、単一で絶対の立場ではあるが、その国王に絶対権利がある訳ではなかった。
私見で権利を振りかざすようなことは出来ず、またそうさせないために各省庁が連携するという構図が成り立っている。
それでも国政を担うのは国務省が中心で、国務省と外務省がそれぞれ内外の政治的活動を担う。
国王は王国の最も頂点に立つもので、内政自治の長として君臨しているのだが、現実に国政のトップとして立場を確立させているのは、
『国務尚書』と呼ばれている存在だ。
第七艦隊が全滅したという報告がされてから、30分ほどが経過し、声明を発表するという行動が情報として伝わった。



「閣下はいつ到着ですか」
「もう間もなく戻って来るとのことです」
「沿岸警備部隊からの連絡は」
「海域レーダーに反応はありません。探知外にいるものと思われます」


その時。
作戦司令室の大きなドアが開き、華美な服装を身に纏った男とその従者のような男が後ろに三人、他にも数名が一気に室内に入り込んできた。
彼ら軍務に勤めるものでなくとも、この国の人間であればその多くが先頭の男の存在を知っていることだろう。
今入ってきた男こそが、


グランバート王国国務尚書レオポルド・アラルコン。
王国の象徴であった王家の人間を除けば、国内の最高位に属する人間だ。
司令室に居た各々はその姿を見てすぐさま敬礼をする。
目を細めながら来る人物に視線を向けるアイアス少将も例外ではない。
『軍務尚書』とはまた異なる立ち位置にいる人間だが、国政の最高位にいる人間に敬意を向けない訳にもいかない。


「どうぞ。奥の部屋へ。会議はそちらで行います」
「」


アイアスの案内に静かに頷くと、アラルコン国務尚書と国務省の人員はその中へ、国務尚書を警護するガードマンはその外で待機する。
今この司令室の権限を持つアイアスは、ほかの者たちに動きがあれば逐一報告するようにと伝え、彼もまた会議室へ入っていく。
そして奥の部屋にいるのは、軍務省の中でも比較的権限の多い、位の高い者たちと国務省の人員である。
アイアスは今のところこの場に居合わせた軍内部の人間の中では、最も高い階級の所属になる。
実戦部隊を統括する側にはもっと位の高い人間もいるが、参謀クラスでは彼が最も高い位置にいる。



「色々と協議せねばならない状況なのは各々承知だと思う。今の現状はどうなっておるのだ、アイアスくん」


「はい。第七艦隊とアルテリウス、ソロモン連邦の二国艦隊と接敵。敵駆逐艦二隻のうち一隻を大破、もう一隻を中破させましたが、両艦隊に包囲された第七艦隊はそのまま挟撃され、全滅と思われます。現在揚陸艦艇にて救助部隊を派遣しておりますが、当海域には依然として二個艦隊がいるものと思われますので、救助活動は難しいでしょう。」


「陛下を暗殺した首謀者は突き止めているのか」


「いいえ、それにはまだ。国家安全保障局が総力を挙げて取り組んでいることでしょう」



流石の軍務省でも、事件の首謀者を洗い出すほどの余裕はない。
そのためにこそ、国内の事件や政治犯などを処断するための組織、国家安全保障局がある。
遺留品の中にアルテリウス王国軍のものと思われるものが見つかったことが、大きな問題となっている。
そして今、両国が接敵するという事態が発生した。
もはや軍だけではその事態を収拾できないと、国を動かす時が来ているのだ。
血の気の多い連中がいる外務省などは、既に強硬姿勢を取るべきだと訴えている。
今このような混乱の状態となっては、外交もなにもない。



「しかし国務尚書。もうこの際首謀者が誰かというのは、問う必要もないでしょう。現に私たちは明確な侵犯と攻撃を受けたのです。それだけでも理由になります」

「それは分かっている。問題にすべきは今後だ。それによって世界が大きく変貌する」



そのために今日ここに集い協議をしなければならないのだ、と。
国民はこの事態を受け、政府がどのような見解を示すのかを今か今かと待っている。
王国内部の会議でのみ、政府の方針が固められるのだ。これほど閉鎖的な国も珍しいだろう。
もっとも、世論は即時反撃に傾いているようだったが。
それから5分ほど経過したところで、この場に揃わず、この場にいる者たちが最も求めていた存在がやってくる。


「軍司令長官カリウス大将閣下です!!」


黒く丈の長い外套を身に纏い、全身を黒を基調とした服装で整えたその姿。
一人の男が室内へ入るだけで、空気がまるで一変するように張り詰めた。
男の持つ雰囲気、風格、そのすべてがこの空間に緊張を与えるようだった。
ある意味で国務尚書のアラルコンをも凌ぐほどの空気感を持ち合わせた男とも言えるだろう。
しかし、その男がこれまでに歩んできた過程を知るものであれば、それも分かる話なのかもしれない。
グランバート王国軍司令長官カリウス大将。
軍務省および実働部隊の最高位に所属するカリウスは、軍事行動に関する多くの決定権を有している。
権力の分立が行われている王国内部においても、彼の持つ権限は多岐にわたり、ことに軍事面に関わることはその殆どを手中に収めている。
政府からの要請に従うだけの存在ではなく、政府に対し働きかける力のある人間だ。



「随分と視察が長かったようですな。カリウス大将」
「ええ。まだ道半ばですので、先行きは気になるものです」


薄暗い会議室の席にカリウス大将が座ると、すべての人員が揃い会議が始められる。
液晶スクリーンには、先程まで戦闘が発生していたであろう海域の地図が映し出されており、
おおよその二国艦隊の配置図も記されていた。
そこには二国艦隊を括る総称として「敵」の文字が使われていた。
そもそもこのような図は、有事の際にしか使われることがないものだ。
相手を総称するその言葉さえも。
カリウスと呼ばれる男は、黙って周りの話を聞き続けていた。
ウィーランド国王代理の暗殺事件から数時間ほど経過している。
各地でこれを機とした暴動が発生したが、その悉くは鎮圧されつつある。
しかし、現状民衆を統制出来るような状況は整っていない。
国務尚書が声明を発表するまで、この混乱は続くことだろう。


「第七艦隊を破った二国艦隊は、未だにこの海域を航行中とのことです。その目的は不明。」
「目的?我々を攻める目的以外に何かあるというのか」
「そうではない。寧ろ私たち王国の不安定な情勢に呼応するように、防御線を敷いているのだ。いざとなれば、それが攻撃線にも変わる」



アルテリウス王国とグランバート王国との間柄は、継続的に険悪なものであった。
毎日のようにグランバートがアスカンタ大陸方面へ海上封鎖行動を行っていて、それに対応するようにアルテリウス王国海軍も警戒の目を張り続けていた。
先のギガント公国領にあるギルディア基地爆破事件の件もあり、グランバート王国は南に陸戦部隊の防衛線を、各海域に艦隊防衛線を張るという、広範囲での軍事行動を余儀なくされていた。
その最中、このような事件と接触が起きてしまったのである。
自国の人間たちが思うのだから、各国の首脳部もそう判断するであろう。
もはや、グランバート王国にまともに外交を行える能力は無いだろう、と。
第七艦隊の交信記録の一部が残されている。
二国艦隊の海上封鎖の目的は、グランバートの今の情勢を踏まえてのことだという。
だが情勢を考慮してのこととは理解できても、であればお互いに睨み合いをするだけでも牽制になるはず。
それを、ソロモン連邦共和国海軍は第七艦隊に停船の警告を促し、従わなければ攻撃するとまで言ってきている。
それ自体が妙だった。
王国軍がアスカンタ大陸への侵攻をすると判断して、先に止めたのだろうか。
だとしても、王国からすればそのどちらも侵略行為に等しいものと判断せざるを得なかったのだが。



「開戦あるのみだ!こうも一方的に嫌疑をなすりつけられ、しかも陛下を暗殺されたのだぞ!?」
「そう急くことでもあるまいて。外交無くして平穏な解決はあり得ん」
「もはやその解決を取るのが難しいと言っているのだ。」
「外務省の血の気の多い連中に同調する訳では無いが、国務省としても弱腰の姿勢を取って、民衆の反感を受けるのは面白くない」
「国民感情も確かに考えるべきだが、この選択次第では明日から地獄だぞ」



「カリウス大将閣下は、どうお考えで?」
今まで黙り続けていた男の姿を見て、国務尚書のアラルコンが意見を求めた。
アラルコンもまた、各々の論戦をじっと聞いているばかりだったが、ここであらゆる意見が飛び交ったところで、皆が最も話を聞きたいと思っているであろう人間に順番を回したのだ。
それには理由がもちろん付き物だ。
誰も彼も、この男のこれまでの過程を思えば、最善の道を提案してくるのではないか、と思ってしまう。
各々の会話が止まり、男の口が開くのを待った。
少しの沈黙のあと。


「…………報復攻撃の用意がある。座して待つ必要もないが、必要以上に手を掛けることもない。国務省の面々に許可が頂けるのなら、直ちに行動に移そうと思う」


「この一件に関する報復に留め、その後の出方を見る、ということですか…………」


「そうだ。一方的に受けたものに対し弱腰になることはない。いかがかな、アラルコン国務尚書」


「……………。」


もし、ウィーランド国王代理が暗殺されただけであれば、ここまでの対外行動は考えなかったかもしれない。
歴史の中には、国の代表する者が暗殺され、暗殺者の所属していた国に対し報復攻撃を仕掛けたこともある。
ある国務省の人間が言ったように、一方的に受けた殺戮に対し黙っている必要はない。
必要だと思われる対処法を講じるべきだろう。
二国艦隊は敵対行動を働いた。
それが今度は本土の、国民に向けられる可能性とてある。
王国軍が他国を攻撃するのを事前に阻止しようとした、その例に倣う。
皮肉なものだが、事前の阻止行動が次の交戦を生むことになるのだ。



「この選択次第では、国は戦争状態に入りますぞ。それをご承知でのことか、カリウス大将」


「既に我々は敵対行動を取られ、第七艦隊を失った。失った艦艇を補充するのは容易ではない。それに、放置しておけば海域に停滞中の敵艦隊が何をしでかすかも分からない状態だ。だが、そもそも我々がそうせずとも敵が黙ってはいないだろう。」


「…………それは、敵が攻勢に出る機会がまだある、ということですか…………」


極めて不安定な情勢にあるグランバート王国を、アルテリウスとソロモンが黙って見ているとも思えない。
カリウスはそのように述べた。
海上封鎖と制圧もそのうちの一つだろう。
統制のとれた状態であれば、暴発することもない。
しかし、それが出来ない状態で、かつ複数の思惑が重なったからこそ、二国艦隊は第七艦隊を包囲、停船勧告を出し、それに従わなかったことによる敵対行動として艦隊を撃滅させた。
カリウスに言わせれば、“敵”は取ってはならない行動をしてしまった。
その選択を下した時点で、既に和平は破られたのだ、と。



「…………分かりました。報復措置の指揮は貴官に任せます。ただし、攻撃するのはあくまで第七艦隊を討ち破った二国艦隊のみとする。それは絶対です、大将」


「了解した。アイアス、空母ヒューベリックに連絡。艦載機に出撃を命じろ」
「かしこまりました」



話し合いは済んだと判断したアイアスとカリウスが一斉に立ち上がり、
それに続いて軍務省関係者の者たちも立ち上がり退出しようとする。
選択が下されたのであれば、それを実行するのが軍人としての務めである。
身分と立場に漏れない対応を指示したカリウスは、退出前に国務尚書に向けて。



「以後、我々は戦争状態となるだろう。どちらが先に手を出したかなど、火の手が上がったところで関係のないことだ」



そう。
これまで人類は50年あまり戦争を続けてきた。
一時的に小康状態になったとはいえ、恒久的な平和が訪れることはない。
何しろそれは歴史が証明している。
人類の歴史とは、戦いの歴史に他ならない。
自分たちの縄張りを広げるためならば、命を幾ら犠牲にしてもいい。
そうするほどまでに、成すべきことがある。
あまりにも偏った思考の連続が、身勝手な思いが、多くの人間を犠牲にする。
しかし、それが国であり戦争なのだ。
自分勝手な理想論を振りかざして戦火を広げ、取り返しのつかないことになる。
それが泥沼化したこの50年。
一時は平穏の兆しも広がっていたのだが、こうして再び破る輩がいる。
―――――――――――――――1人の例外もなく、彼自身も。



グランバート王国海軍第三艦隊所属空母「ヒューベリック」
彼らの航行海域は、ソウル大陸の北西側にあり、今回の第七艦隊の撃滅海域からはやや遠く離れている。
しかし、ほかの艦隊は艦艇を出航させていないので、洋上で行動を取っていた空母ヒューベリックに声が掛かった。
ヒューベリックは、王国海軍が持つ空母の三番艦であり、三つ保有する空母の一つとなる。
艦載機を20機、輸送用ヘリポートを二つ併せ持つ空母で、それに加え単艦での戦闘能力も有している。
ここに配備されているのは海軍所属の艦載機部隊。
空母を三隻保有する王国海軍の主力部隊の一つだ。
その空母と部隊の動きが慌ただしい。
甲板で右往左往と出撃の準備を整える兵士たち。
無論、それは『政府と軍務省の決定』による行動を命令されたからに他ならない。



「第三艦載機部隊は、準備が整い次第順次発艦せよ」



近年、急速に発達する産業技術の中で開発がすすめられたのが、軍事行動において要所を支配できる攻撃手段だった。
一昔前。
それこそ60年も前から始まり、10年前に一度終息したかに思われたこの戦争。
槍や弓、剣といった近接戦闘手段は遠い昔から今もなお存在する、陸戦の在り方だ。
しかし、これに加え空や海での戦闘が激化されると、各国はそれぞれの分野において他者を圧倒する手段を手に入れようとする。
海であれば、はじめは大砲を数門程度持つ小さな艦船が増産されたが、やがて分野ごとに戦艦、駆逐艦、巡洋艦といったものが造られるようになる。
空であれば、大体は陸戦部隊の掩護という意味で、飛行機に一個の爆弾を載せて敵陣に落とすやり方で増産された。
ところが、戦争が進みにつれ、各々の分野ごとに戦闘が繰り広げられるようになる。
陸なら陸を、海なら海を、空であれば空の手段同士がぶつかり合う。
三つの分野で制圧を行い、優位に立ててこそ別の分野に対し支援行動を取ることが出来るようになる。
戦争の常識がこの50年あまりで大きく変化を遂げてきた。
最も技術開発が注がれたのは海と空であり、陸戦はいまだに旧来の戦闘様式を保ったままである。


そして、各国でこの技術開発の技術力は大きく異なる。
陸戦に使用される砲台などは万国共通の攻撃手段ではあるが、海と空はそれぞれ技術力の進歩が異なる。
グランバート王国は、主に航空戦力に長けた技術力を有し、その軍事力は各国も警戒するところであった。



艦載機から発艦するのは、プロペラを一つ持つ小型単座戦闘機と、二つのエンジンを駆動させる大型複座式航空爆撃機。
20機配備されているうち、戦闘機が15機、爆撃機が5機駐機している。
そして今回出撃したのは、そのすべての戦闘機、爆撃機だった。
単座戦闘機は対航空戦力を主力とした航空戦力で、主に二つの投下爆弾と対空機銃を一つないし二つ装備する。
航空戦力を相手とするので、爆弾の搭載は荷重をかけることになり、対航空戦力を相手とする場合には負荷がかかる。
そのため、地上もしくは艦船に目標がある場合にのみ搭載されることが殆どだ。
一方、爆撃機は対地対艦攻撃が主軸となり、超小型の投下爆弾、中型規模の投下爆弾、大型の範囲攻撃が可能な爆弾を選んで搭載が可能だ。
それぞれの爆弾の種類によって搭載量が異なるので、戦術目標に対し使い分ける必要がある。
今回は中型でバランスの取れた爆弾が一機あたり20個搭載されている。
対空戦闘能力は皆無といっても良く、後方に固定された銃座により上下方向に射撃は可能ではあるが、基本的に爆撃機の行動には戦闘機の援護が必要となる。
この編成により、第三艦隊の艦載機群は二国艦隊の停滞する海域へ飛行した。


「レーダーに感あり。高速で接近する二種類の影在り。総数20、航空機と思われます」
「敵か?」
「飛来方向はソウル大陸北部からです。王国軍の航空戦力と思われます。接敵予想時間あと10分」
「全艦ただちに後退。対空迎撃を行いながら、敵航空戦力の攻撃を受け流す」



レーダー網の技術がまだ半端な、というよりは希望するものではないため、探知範囲が狭いことが欠点にある。
そのため、航空戦力が10分程度で到着することが分かった時点で、もはや手遅れなのだ。
王国軍の接近が、こちらを攻撃する意図を持っていることなど百も承知。
それを理解していながら、事前に防ぐことなど到底出来もしないのだ。
艦載機群はたちまち二国艦隊の上空に飛来しては、爆弾を投下して各艦に命中させた。
艦砲射撃で応戦する二国艦隊ではあるが、飛行機に対しては的が小さい為に極端に命中率が悪くなる。
一方で、艦載機は一応は狙って撃ってくる弾幕射撃が脅威に感じ、しかも無誘導の爆弾を相手の艦船に直撃させる必要があり接近を余儀なくされるため、思うように行動が出来ないという欠点もある。
お互いに精彩を欠く攻撃防御であったが、それでも航空戦力によって、二国艦隊の計7隻が中破、2隻が撃沈という戦果を挙げ撤退した。
戦闘時間、僅かに10分ほどであった。
爆弾と弾薬を使い果たした艦載機は、今度こそ的でしかない。
事が終われば迅速に撤退し被害を最小限にとどめるのも、任務の一つだ。
一機の犠牲も出さずに二国艦隊に報復措置をし、撤退をした。
一方の二国艦隊も損傷激しく、補給と修理を受ける為に、全艦が海域の奥まで後退をした。
そのことが、王国の首脳部にも伝えられた。



「…………こんなものだな。各方面部隊に第一級臨戦態勢を発令。東側の部隊は“迎撃”の用意を。西側の航空戦力に、東側への補給物資の移送を指示する」


初戦はこんなものか、とカリウスは言った。
どのような形であれ、起きてしまったものを覆すことは出来ない。
もうそれは、時間の中に記録された事実として、現在にも、そして未来に生まれる歴史の過程にも、永遠に語り継がれる事象となるのだから。


………………。

interlude 3 新たなる戦いの序曲



――――――――――――平和は、音を立てて崩れ落ちた。



いや、そもそもこの10年という時間が本当に平和であったのかさえ、人々にとっては疑問なものだった。
10年前まで続いていたものを、今では『50年戦争』と言うようになっているが、戦争は新たな英雄たちの誕生と情勢の変化によって、確かに一度終わりを迎えた。
戦争の終わりだと感じた人々は、しかしそれを両手を広げて喜びはしなかった。
安息の訪れを歓迎はしつつも、またいつか同じようなことが起こるのではないだろうか、と。
先の戦争で、各国とも国土は荒廃し自然は荒らされた。
50年間毎日戦争を繰り返していた訳では無いが、当然国の財政基盤は揺らぎ、資源不足に陥るような国も多々現れた。
戦争の中で肥大化した国と消えていった国があり、吸収併合を繰り返しながら、世界地図は徐々に書き換えられていった。


そして今。
再び強国同士がぶつかり合う構図が生まれてしまった。
起きてしまったものを覆すことは出来ない。
一度そう始まってしまったことは、最後の最後にケリがつくまで終わることはないのだ。



グランバート王国国王代理ウィーランド暗殺事件は、はじめは情報統制によって外部にそれが漏れ出すのを防ごうとしたのだが、民衆の間に広まったものを統制するのは不可能であった。
瞬く間に情報は拡散され、同じ大陸で南部に位置するギガント公国、また隣の大陸やそのまた奥の遠い遥かにある国にまで、衝撃的なニュースとして知れ渡った。それ自体は何の問題もない。“他国で国王暗殺というショッキングな出来事があった”、という程度にしか受け取られない。
民衆は遠いテレビの中の出来事を見て何かをしようとは思わない。
しかし、えてして自分たちの生活に直結する出来事が身近で起こると、血の気を引かせながら立ち上がるものだ。
だが、今回はそれに留まらなかった。
加えてもたらされた情報が、王国軍とアルテリウス海軍、ソロモン連邦海軍が洋上にて接敵し、交戦したというもの。
これが瞬く間に世界中に広まると、各国の中枢は慌ただしく動き始めた。
何故そうするのか。
過去の戦争で同じような経験をしている彼らからすれば、明日は我が身のことかもしれない、と警戒をするからだ。
たとえそれが地球の裏側にある国であったとしても。



大小それぞれ異なるが、現在存在する三つの大陸の中で、大陸の中心国と呼ばれる国家が、
グランバート王国、ギガント公国、ソロモン連邦共和国、コルサント帝国、アストラス共和国、アルテリウス王国の六つである。
ほかにも国々は存在するが、これらの強国の陰に隠れ事態を見守ろうとする動きが強い。
三つの国による洋上交戦がキッカケで、残る三つの国々がどのように動くかによって、次に起こるであろう新たな戦争の形態も大きく変化する可能性がある。
ソロモン連邦共和国は、先の戦争においてオーク大陸内部にあったエイジア王国との戦闘に勝利し、その領地を併呑することに成功している。
戦争そのもので国は大きく疲弊してしまったのだが、それ以上の発展を遂げて基盤は安泰だ。
アルテリウス王国は対外政策を積極的に取るような国ではないが、必要な武力は揃え続けてきた。
グランバート王国は先の戦いにおいて激しい内戦があり、王都を大きく損傷するなど国力を失い続けてきた。
が、それも現在の軍司令長官たる地位にあるカリウス大将により、王国の復興を果たした。
この三国による交戦は、他所の国から見れば次なる行動が起こらないはずがない、と断言できた。
時代は変わる。
次なる行動が、新たなる戦いを生むことになるだろう、と。



ソロモン連邦共和国首都オークランド 連邦軍統合作戦本部


「なぜ攻撃したのです!?取り返しのつかないことになるという予測はあって当然でしょう!!」


連邦軍統合作戦本部は、首都オークランドの中にある軍事区画の最も高いビルである。
オークランドは首都の大きさが約90キロ程度と非常に大きな都市であり、人口分布もこの街に集中していて偏りが著しい。
都市の方角に合わせて四つの国際空港が創られているなど、異質な都市空間とも言える。
連邦軍はこの四つの空港のうち二つを直接管制下に置き、そのうち一つを軍事利用のメイン拠点として利用をしている。
この基地に隣接されているのが統合作戦本部だ。
都市区画内部に軍の関係する施設は十を超える。
そのうち最も重要かつ大きなものは、この空港に隣接する本部の建物になる。
彼らはそれぞれ陸海空軍を所有しているが、すべての軍務の中枢はここに集まっている。
連邦共和国の軍務は政府の直属の扱いを受けており、政府の決定がすぐに反映されるような仕組みが施されている。
一人の青年佐官と話をしている将官。
将官の執務室にて、その青年は此度の件について直接話をしに来たのだ。



「あのまま放置していても、どのみち戦闘は発生していただろう。遅かれ早かれ事態はこう展開した」
「王国軍は海上封鎖を目的として艦隊を展開していた。しかし我々はその懐深く入り込んだのです。世間は我々の行動を非難するでしょう」


「しかしこの行動には理由もある。向こうの国王暗殺にアルテリウス王国が絡んでいる。とすれば、報復措置として海上封鎖中だったアルテリウス艦隊を撃滅したことだろう。これには防衛という意味合いもあるのだよ、大佐」



“大佐”と呼ばれる青年の言葉にきちんと向き合って事情を説明する上官であったが、
その青年もそのような状況を全く理解していない訳では無い。
ウィーランド国王が暗殺された現場にあった遺留品に、アルテリウス王国軍のものが含まれていた。
国王という立場を暗殺されたグランバートからすれば、それだけでアルテリウスを敵国として認定し攻撃する理由となる。
当時、アルテリウス艦隊はグランバートとの領海戦上に艦隊を配置して防衛体制を整えていた。
昨今の緊迫した事情を考慮してのことである。
しかし今回はそれがお互いにとって最悪の結果を生み出すこととなってしまった。
連邦としては同盟国であるアルテリウスを見殺しにも出来ないので、近くで作戦行動を取っていた第三艦隊を救援に差し向け、そして脅威を排除した。



「真実アルテリウスが絡んでいると決まった訳ではありません!彼らも否定はしていますし、軽挙妄動は慎むべきでしょう………!!」


「大佐。このようなことを、貴方ほどの人が分からないはずがない。互いの王国は不穏な間柄にあった。このような事態が発生すれば、一線を越える可能性は充分にあった。であれば、味方を守る為に取るべき行動を取る。これは政府の見解であり指示でもあるのだ。」


「っ…………!!」



彼らが黙っていれば、グランバートが攻撃をしたかもしれない。
だがそれも憶測に基づくもので、真実そうであったかなど、もう確かめようもない。
起きてしまったこと、起こしてしまったことを消し去ることは出来ない。
しかしこれで、10年近く続いた一時の平穏が崩れ去ることに間違いはない。
今軍の上層と中流部にいる軍人の多くは、10年前まで続いていた戦争に生き残って国を支え続けている者たちだ。
“彼”もそのうちの一人である。
軍人は常に政府の下で働き、政府の決定に従属するものである。
それが命令とあらば実行する。
上官はその本分に従って行動をしている。
異を唱えたい青年の気持ちが分からない訳では無いが、受け入れることもなかった。
“政府の見解”というのが公的な立場としての回答ではあるが、同時に思考を停止させる逃げの言葉とも受け取れた。



「明日中には第一戦備体制が発令されるだろう。そうなれば、貴官の持つ部隊にも出番が回って来る。その時は頼まれて欲しい、レイ大佐」
「…………分かりました。しかしもっとも、私たちの出番などそうすぐに来るはずもないでしょう…………」



やり切れぬ思いを棄てられないまま、“レイ”と呼ばれる大佐はその場を後にした。
彼一人が直訴したところで、政府の決定を覆すことなど出来るはずもない。
彼自身がいかに強い影響力を持つ存在であったとしても、軍属である以上その枠を超えた行動を取ることは出来ない。
結局は上の命令に従わなければならないのが軍属というものなのだから。
レイは一人長く単純な壁に覆われた廊下の道をいく。



“レイ”と呼ばれるこの青年は、
これまで続いてきた50年戦争において、その終戦に大きな功績があった人物として記録され、
また民衆にも広く知れ渡っている事実である。
かつてソウル大陸で発生した大規模な戦争、『エイジア王国』との戦争において、レイは当時友好国関係にあったギガント公国と共同したソロモン連邦共和国の連合軍兵士の一人として戦った。
もっとも彼自身は、ソロモンにもギガントにも属さない、ソウル大陸出身の人間であり、どちらかといえば巻き込まれた側の人間でもある。
ソウル大陸のグランバート王国領側に近いところに『ラズール聖堂教会』と呼ばれる教会があり、彼はその施設に配置されている聖堂騎士団の一員だった。
彼は戦争に加担するつもりなど全く無かったのだが、当時のエイジア王国のソウル大陸侵攻にあたり、彼は聖堂騎士団との親交が深いギガント公国軍の強力のもと、その戦争に深く入り込んでいったのだ。
後にオーク大陸でエイジア王国との戦闘を繰り返し、幾多の困難を乗り越えながら、終戦まで戦い続けた身分だ。
その功績を高く評価され、彼は現在ソロモン連邦共和国軍の中枢の一人として、軍人の仕事をしている。


「よう、レイ大佐。政府を相手に直談判か?」
「クロス少将………いえ、直談判などと言っても、その政府の見解は曲げられませんから」


レイ大佐は陸戦部隊の統率をする立場にある身で、第一陸戦師団所属第四陸戦部隊の連隊長を務めている。
連邦軍における連隊の規模は一千人であり、歩兵戦闘員千人を指揮する立場にある。
しかしながら、一人が千人を指揮するなど絶対に不可能なので、彼の立場で行われる軍務は、その千人という規模の部隊をどのように運用し、配置し、実行させるかを定めるものとなっている。
所謂戦術面での指揮者ということになるのだ。
今彼と廊下で遭遇したクロス少将は、現在36歳。レイが28歳であり、8歳の差がある。
クロスは20年近く連邦軍に所属し続けており、人生の半分以上を軍人という立場で過ごしてきた経歴を持つ男だ。
これほど長い軍歴を持つ者もそう多くいる訳ではなく、男は陸軍の中心人物の一人である。
10年前にクロスが連隊長だった時に、成り行きもありつつも戦争に加担したレイを直接指揮下に置いて共に戦った間柄で、二人は歳の差は離れているが親交も深くお互いを信頼している。



「ま、それもそうだな。表向きは洋上展開中だった同盟国艦隊を守る為にやったことだが、誰がどう見ても戦端を開いたとしか思えないだろうよ。少なくとも攻撃を受けた側としてはな。それで、ヒューズ大将閣下はなんと?」



先程までレイが話をしていた相手が、陸軍の統括本部に所属するヒューズ司令官である。
『統括本部』というのは、陸海空軍それぞれの司令官職にある人物と本部付きの人間とで構成される、軍の中枢である。
彼らが持つ部隊が実戦部隊であるのなら、ヒューズなどが所属する統括本部はその実戦部隊を指揮し命令するのが本部の仕事である。
統括本部はすべて政府と密接なつながりがあり、政府の見解が統括本部に送られ、そこで発生した指示系統、命令等が実戦部隊に送られ、その通りに彼らは行動をすることになる。
そのため、実戦部隊を預かる彼らも確かに司令官のような存在なのだが、一連隊長如き身分の人間が、普通は軍の統率、運営に口を出せるものではないしそれで政府の見解が変わることもない。
それどころか、大佐という階級では上層部に口出すような権限を持つことも普通はない。
しかし、そこがレイという青年の経歴があっての立場である。
彼は階級こそ佐官止まりだが、連邦軍でも重鎮と称されるほどの立場を有している。
それでも権力者の言いなりという点を逃れることは出来ないのだが。



「なるほどな。明日には布告が出されるということか」
「もうこの流れを止めることは出来ないでしょう」
「仕方がない。お互いに積もり積もった恨みもある。奴らとて二つの国を相手にするのはそう容易では無いはずだがなぁ」


もっともそれは「仕方のない」という話で済まされていいものではない。
ヒューズが話したように、彼らが手を出さなくともグランバートが強硬策に転じる危険性は十分に考えられていた。
だからこそ彼らは先攻し、防衛したのだから。
積年の恨みというものもある。
長期にわたる戦争が始まるキッカケとして、多くの歴史家が話すのが、アスカンタ大陸の発見と膨大な資源の採掘である。
人類が海を渡る船という文明の利器を手にしてから、初めて発見された大陸。
オーク大陸とソウル大陸は、一部お互いの距離が極端に近いところもあるため、遠くを見渡せば隣の大陸が見えてしまうようなところもあった。
しかしアスカンタ大陸はそうもいかない。
何百キロという遠い海域を越え、内海に入って大陸が存在するのだから、無論目に映る訳でもなし、簡単に往来できるものでもない。
それを最初に見つけたのが、当時のグランバート王国の調査隊だった。
以後世界中に新大陸の報は発せられたが、その利権を巡って各国は激しく対立し、独占を良しとしない国家と対立を深めることになった。
結果的にグランバートは強行してアスカンタ大陸への進出を果たしたのだが、そこには既にアルテリウス王国という国が存在し、彼らを撃滅するべく迎撃をした。
その大陸では他所とは異なる部分があっても、文明が発達しているという点では共通していた。
グランバートはその利権を強力な武器を手に占領しにかかったが、そこでアルテリウスとの間に戦争が勃発してしまった。
やがてその戦火は大陸を巻き込み、他の国をも巻き込んでいくことになる。
幾つもの国が歴史上の塵となり消えていったが、今残っている国の多くは、強国と位置付けられる存在にある。
グランバートなどは、一度は滅んだようなものだが、10年前の戦争終結以後に復興を果たし再建に成功している。
だがこのような過程の中で、グランバートとアルテリウスは、お互いに相容れない存在として認めてしまっている。
戦うのならこの二つの国で、他の者たちは知らんぷりを決め込めばいいだけのことなのだが、ソロモン連邦共和国にしてみれば、同盟を結んでいるアルテリウス王国が戦っているのに、高みの見物を決め込む訳にもいかなかった。
それに、連邦共和国としても、グランバートの国力増加は憂慮すべき状況である。
数々の歴史の中で、同じような状況が幾度かあり、その度に世界情勢が不安定な状態に陥っていた。
今のように、一線を画すことは無かったにせよ、すべての国々はグランバートという国家の経緯を注視していたのだ。


たとえアルテリウス王国と同盟関係にあったとしても、
現在のグランバート王国の国力は相当なものであると推測されている。
相手にすれば、当然自分たちも犠牲を増やすことだろう。
そして、訪れた平穏を一瞬にして壊してしまうことが出来るのだ。
人類の醜き手によって。


「………結局は、行き着くところまで行くしかない、ということなのか」
そのために、多くの人を犠牲にしなければならなくなる。
それを主導する立場となるであろうレイは、複雑な思いを抱いていた。
国の為に軍人は戦いを強要される。
それが軍人としての使命であるから、それに従うのは当たり前なことではある。
だが。


恒久的な平和など存在しない。
だからといって、こんなにも早く昏迷の時代が舞い戻って来てしまったのか―――――――――――――。



「そういえば………あまり言いたくはないが、かつての盟友を討つことになるのだな、レイ」
「………………。」


今でいう『50年戦争』を終結させるに多大な功績を挙げたレイだが、それは無論彼一人の力によるものではない。
全くの対極に位置する一人の青年もまた、その戦争の終結に貢献した。
レイは、寧ろ自分よりも「彼」の方があの戦争では讃えられるべき存在だ、と認識している。
そんな彼は、戦争後に国へ戻り、国を再興し、今となっては軍務の最高責任者の地位にあるという。
かつて共に戦い、共通の目的の為に戦った盟友を討たなければならない。
たとえそれが友という間柄であったとしても。
苦悩を覚える。
それでも一度向けた矛先を中途半端に仕舞うことなど赦されるはずもないし、認められる訳もない。
レイが否定的な心情を持ち合わせていたとしても、それが事の成り行きで進むのならば、戦う以外に道はないのだ。


その日の夜のこと。
両国政府間で大きな進展があった。
進展というよりは、情勢的には後退、世界の出来事からすると退化と連鎖とも言うべきものだっただろう。
連邦政府およびアルテリウス王国は、ほぼ同時刻に自国内に対し声明を発表した。
全国一斉通信で、ラジオもしくはテレビ放送で、その事実を伝えたのだ。
そのうちのソロモン連邦共和国政府側から公表された映像と音声が、以下の通りである。



『首都オークランドの大統領府よりお伝えしております。本日21時50分、先の戦闘行為を受けて、グランバート王国駐在大使から最後通牒を渡され、これを受領しました。皆様にお伝えします。我が国は、グランバート王国と戦争状態に入りました。』





いつの時代、どこの世界でも、数限りなく繰り返されてきたことである。
決して終わりを迎えることはない。
安息の日々が続いていたとしても、恒久的な平穏を手にすることは絶対に無い。
国家や人民が存在し得る限り、争いは耐えない。
争いの無い世界はない。
争いの起こらない時代もない。
いつの時代、どこの世界でも、人々は争い、戦い、そして朽ち滅んでいくものである。
10年間、たった10年間の平穏が、こうして音を立てて崩れ落ちた。
たった一つの事件が、すべての平穏を失わせたのだ。
どの国の人間も共通して話す、“行き着くところまで行くしかない”という諦めにも似た覚悟。
それは、これから訪れる時代が昏迷の渦に包まれていることを表現するものであった。
そして、人々はまだ知らない。
これより始まる戦いの日々が、地獄の連鎖となることを。



軍人も、公的な人間も、一般市民をも巻き込んだ、壮絶な戦争。
人々の悪しき文化の具現化がそこにあり、引き起こされるのは悲劇の連鎖である。
ツバサという少年も、またその時代の渦に自ら飛び込んでいくことになる。
何人も、この時代の運命から逃れることは、出来ないのだった。



……………。

■ Episode:Ⅱ 始動 ■


『皆様にお伝えします。我が国は、グランバート王国と戦争状態に入りました。』



鞘から抜かれた剣は血塗られずして収められるものではない。
人類の歴史は戦いの歴史といっても過言では無い。
いついかなる時代でも、それは数限りなく繰り返されてきた行為である。
元々生き物とは争いを生むものであり、それが生物としての本質の一部分でもある。
人間だけが例外などということはない。
数限りなく縄張り争いを続けて、肥大化と縮小を繰り返し続けてきた。
そして今回も、一つの事件をキッカケに、平穏はこじれ狂い、昏迷の時代を呼ぶこととなったのだ。
ウィーランド国王暗殺事件と王国軍艦隊の全滅をキッカケに、グランバート王国はソロモン連邦共和国、アルテリウス王国を相手に宣戦を布告した。
国王の暗殺現場にあった遺留品と、アルテリウス艦隊を防衛するという名目でグランバート王国領海域を侵略したという理由から発生した戦いとなる。
それ以外の国々にとって、この戦争は今のところ間接的な部分でしか関係がない。
しかし、誰の目にもグランバート王国が不利であると思えてしまう実態がそこにはあった。
そもそもこの三国では国力に差があれど、数の上でグランバートが圧倒的に不利な状況下にあるのだ。
アルテリウス王国とグランバート王国の二国を比較すると、軍事力はそれぞれの分野においてグランバートが勝る。
しかし、そこへ同盟国であるソロモン連邦共和国の戦力を加えると、その軍事力はグランバートの二倍を超える。
敵に倍する兵力を以て不利な状況に陥るなど、普通では考えにくいことであった。


そのため、
この戦争は当初、早期終結するだろうことが予測されていた。
同盟国の中には、出番すら訪れないような部隊が数多く出るだろうと楽観視する者も多くいた。
そのためだろう。
実際に蓋を開けてみると、ここまで災厄が広まるとは誰も思わなかったのだ。
各国に住む大人たちは、今日の状況を大体は「またか」という呆れた思いで見ていた。
願わくば、かつての戦争のように世界中が戦火に包まれないことを祈るばかりであった。
しかし、この国々と関わりの無い他の国や、当事国であっても遠い位置に存在する国の人々からすると、
今の時点では戦争など遠いところの、テレビの中の出来事でしかない。
暫くはそのように思う人間も多かったのだが。
やがてその考えは覆さなくてはならなくなる状況が訪れる。


時代は再び新たなる戦いを呼ぶ。
これまで停滞と平穏を保ち続けていた情勢が音を立てて崩れ落ち、
新たなる戦火と憎悪が蔓延る世の中の、再開となるのだ。




■ Episode:Ⅱ 始動 ■



彼の父親は、元々連邦軍の兵士であった。
元々彼らのいる地域では戦争の最前線からは遠く離れていて、お飾りの役割をただ背負っていただけの存在だった。
そのはずだったのだが、50年戦争の終盤、この大陸での戦闘が激化して。ソロモン連邦軍も本格的に陸戦部隊を投入して前線を強化する必要が生じたとき、彼の父親はその招集を受け、前線へ赴いた。
彼の母親だった人もその父親を支えるといって、彼を知人に預けて戦地へ行った。
そしてそれきり、両親があの村へ帰って来ることは一度として無かった。
戦地では行方不明者は全員戦死扱いとなる。
そのため、彼も報告を受けた時は、身元の確認は出来ていないが戦地にて行方不明の為、戦死扱いとなることを話されていた。



『苦しんでいる人々がいるのなら、その人たちの為に戦う。』


それが父親の言葉であり、彼が長年思い返すことの出来る強い印象を持つ言葉だった。
彼が生まれた時、既にこの戦争は真っ只中にあり、戦地では激戦が繰り広げられていた。
それが50年もの間続けられてきて、そして今再び巻き起こされようとしている。
そんなにも戦いが続くのは、どうしてだろうか。
父は何を目指し、何を見てきたのか。
彼は純真な心の持ち主で、それが純粋に気になったからこそ、汚れた道を選んででもその答えを探ろうと思ったのだ。
それが兵士を目指すキッカケ。
父の跡を継ぐ訳では無いが、父が目指したものが何かを知りたい気持ちにはなった。
そして可能であれば、自分の力が何かの役に立てればいいと思い、志願した。
この子供の不幸だと言うべきところは、その彼が“そうするべきであろう”と自分の立場を定めてしまったことにある。
戦いに身を投じることなどなければ、後々地獄を見ることも無かったはずなのに、というのは普通の人の考え方だ。
だが、選んだからには先へ進む必要が彼にはある。



そして今、彼は州軍の人たちに連れられ、
連邦軍兵士になるための教育を受けられる施設へ向かっていた。
彼が現在までに住んでいたソロモン連邦共和国タヒチ州には州軍は存在するものの、兵士の育成機関は無いため、その施設が整ったところへの移動をしなくてはならなくなった。
その決断をした時から、彼はこの土地を離れる覚悟はできていた。
彼は、世界情勢が目まぐるしく変化を続けていく中、その渦中へ身を投じることになる。


ソロモン連邦共和国 オーレッド州都市オルドニア
彼の故郷であるタヒチ村から西に80キロほど離れたところから、この州境がある。
オルドニアはオーレッド州の中でも三本指に入る都市で、ソロモン連邦の各都市と比べると程々の規模を持つ。
都市の人口は30万人ほどと盛況あるもので、豊かな気候と周囲の豊富な農村から農作物などを集め、交易も盛んにおこなわれている。
この街から北部に30キロほど進むと標高の低い山々が連なり、現在では閉鎖しているところが殆どだが鉱山がある。
昔は工業都市計画が存在したこの街だが、自然の景観と豊富な農作物を重要視する声が多く、鉱山などは存続されたが工業都市計画はその後白紙に戻された。
その結果、この街は首都からはかなり離れているものの、自然豊かで景観のいい宅地のような街となり、住みやすい環境となった。
今も街の郊外は宅地開発が進められており、人口は増加傾向にある。
山間部や辺境と呼ばれる地域ではまず起こり得ない現象のため、伸びしろのある街として中央政府は注目している。
そのような都市の一画に、連邦軍の兵士育成機関を持つ連邦軍基地がある。
オルドニア州軍基地。
この街の離れの一画に存在する、オルドニア州最大の軍事基地。
街の景観の条例に従い高層ビルの建設が出来ないので、他の多くの都市にある基地司令部とは違い、平坦で横に長い建物の構造となっているのが特徴的である。
州軍基地の駐留部隊所と兵員の教育を行う学校とが併設されており、オーク大陸の西部の中でも大きな学校、基地の規模となっている。
ここが連邦軍士官学校と呼ばれている場所だ。
彼の居住地域でこの士官学校が最も近いので、無論彼がこれから通うことになるのもここになる。



ところで。
連邦共和国における軍事制度について一つ語っておかなければならない。
この国の軍隊、軍事制度の一つに「徴兵制度」というものが存在する。
年齢にして15歳から25歳までの男性(希望するのであれば女性も含む)は、その時期のいずれかで最低1年の徴兵、軍事的教育の施行が義務付けられている。
これは、連邦共和国が有事に発展し、万が一にも大陸本土で戦争状態になる、あるいは前線における戦力の確保がままならない非常時となった際に、徴兵制度によって最低限の教育を受けた兵士を緊急招集し、戦線に投入するという明確な意図と目的がある。
自ら志願して軍隊への入隊、士官学校への入学を希望しない限り、すべての男子はこの年齢の間に召集がかかり、これに従わなければならないのである。この国の国防の一環として行われている、古くからの制度である。
しかしこれは、国民からはあまり評判が良くない。
当然と言えば当然なのだが、徴兵を望む者も望まぬ者もいる。
誰しも軍隊という環境を強制的に経験させる必要などない、と意見するものも多い。
その理由として、そもそも自分たちは軍人になりたいと思っている訳でも無く、また国の為に命を投げる覚悟もないというものがある。
さらには本人の身体的なコンプレックスなども考慮に入れなければならないために、この強制的な制度については現在もよく論議される。
一部に兵役を免除できる条件もあるのだが、医学的または分化的に類稀なる実績を挙げたものなどがこれに含まれ、大体はこれに属さない。
そのため、殆どの対象者が一年の教育を受けなければならないのだ。
この一年間は、それぞれ所属する地方にある士官学校等に入校し、一年間は軍の管理する寮の中で生活をすることになるため、家族と会えなくなる人が大半だ。ある意味では自由を奪われる制度とも言えるだろう。
この制度における招集命令は、実は何度も経験されていることである。
過去60年もの間で、オーク大陸が戦争の火種の中心になったことも数多くある。
還らぬ者も多く、戦争による残酷な現実が突き付けられてきたのだ。

基本的には一年の兵役を終えれば帰参することが出来る。
しかし、中には引き続き兵役、あるいは正式に軍隊に入隊する者もいる。
兵役の中で逆に軍側からスカウトされることもあるし、本人がそれを希望して居続ける場合もある。
兵役の間で行われた数多くの訓練の中で、特に秀でて将来の軍に必要な人材という認定を受けると、ある程度の地位を約束されて軍への入隊をすることが出来る。
卒業時、士官学校出の兵士は一兵卒ということで、通常は「二等兵」の役を授かることになる。
これが大半なのだが、そのように秀でた能力を持つと認められたもの、その他例外などはあるが、これらについては二等兵よりも階級が上の位から軍のキャリアを始めることとなる。
ソロモン連邦共和国の歴史はこの大陸の中では最も長いものであるが、近年でその例にあたる人物が一人いる。17歳で徴兵による兵役を課せられると、肉体的な能力を問われる部門以外の幾つかで、当時主席候補とされ学年一番の成績を収めていた生徒に勝る結果を出し、かつ在学中にある戦役下の戦いにおける部隊運用の助言をした功績が認められて、卒業と同時に少尉の階級を得た。その後幾つかの華々しい経歴を引き下げて、29歳となった現在では陸軍総参謀本部所属の准将という立場にある。因みに本人は全く軍人を希望していなかったのだが、兵役期間中に肉親が死去し、貰い手もいなくなったことから、そのまま生活が出来るという利点のみを頼りに軍への入隊を決意した。
ツバサはこの人物と後に思わぬ形で関わることになるのだが、現時点ではまだかなり先の話である。



「ほー、ここかぁー!」
ということで、士官学校の新たな入校生になるツバサである。
徴兵制による兵役義務によって入校する者が大多数の中、彼は自らの意思により軍へ入ろうとここへやってきた。
若年層の青年の中では珍しいものである。
因みに彼をスカウトしたタヒチ州の州軍兵士リーアム軍曹とターナー准尉は、州が異なるということで彼をここまで移送する目的に留まる。
それ以降はこの士官学校の教員、または兵士たちに任せることになる。



「では、我々はここまでだ」
「いつか一緒に仕事が出来るのを楽しみにしてるぞ、ツバサくん。いやもっとも、それが戦場で無ければいいんだがな」
「ありがとうございます!!」


そう、遠い目でリーアム軍曹は、彼に別れを告げた。
二人の素質を見抜き、それを上層部に進言して彼を引き入れるよう計らったのは彼ら二人だ。
だが残念なことに、この二人とツバサが次に顔を合わせる機会は訪れなかった。
隣の州であれば、また顔を合わせることもあるだろう。
この時はお互いにそう思っていたのだが。
引き継いだ教官に中を案内されると、一時間後には入校式を執り行う旨、告げられた。
なんでまたそんな早いタイミングで、と彼は思ったのだが、実際は今日が一週間ある入校式の日で、毎週その予定は固定されているのだという。
それに間に合うように移送されてきたといってもいい。
“なるほど、そういうことか。”と楽観的に考える彼ではあったが、今日からの日常を楽しもうという気持ちが湧いてきた。



この時点での彼は、まだ楽観的に考えることが多かった。
彼の人となりと精神年齢的なものがそうさせていた、ともいえる。
しかし、やがてこの過程を送る中で、彼は大きく変わっていくことになる。


それから一時間が経過する。
週に一度行われる入校式に参加するために、案内を受けたツバサ。
今日の入校生は、彼の他に17名いる。
週、あるいは月によってこの人数はバラつきがあり、必ずしも盛況の模様ではない。
この時点で、この状況が大いに変化することなど誰も予想してはいない。
戦線が拡大すると、連邦軍はより多くの兵員を必要とする。
その時、入校式などという形式的なイベントなど開けなくなることを。


「世界は今、極めて不安定な状態にある。グランバート王国は、我らが同盟国アルテリウス王国ならびに我が国に対して宣戦を布告した。戦線が拡大すれば、いずれは君たちにも出番が回ってくることだろう。君たちは何を目的にして軍に入り、何を以て戦いに身を投じるのかを、改めて考えてほしい。」


オルドニア州軍士官学校のマインホフ校長は、今年で64歳になる老体だが、かつては大陸で起きていた数多くの戦線において武勲を重ねた歴戦の司令官であった。現在は前線を退きこうして新たな兵士の育成に力を注いでいるのだが、その階級は少将と高く権威を持っている。
こうして入校式が執り行われる際には、必ず校長自ら言葉を述べて激励を行う。
この先の訓練は誰にとっても辛く厳しく苦しいものとなるであろう。
それを乗り越えてこそ、連邦軍の一兵士として活躍することが出来るであろう、と話す。
校長にとっての目指してもらいたい兵士像というのは、どのようなものなのだろうか。
ふとツバサは疑問に思った。
この学校からこの戦争全体を引っ張ることの出来る人物が誕生するのを望んでいるのか。
それともあくまで個々人の力量の範囲内で最大限の成果を発揮できる素質を身に着けることを望んでいるのか。
考えたところでそれは正しいかどうかも分からないものだ。
校長の演説にも似たお言葉とやらは十分程度続き、入校式は一時間程度ですべての行程を終了した。


「私が総合指導監督者のヒラー少佐だ。こちらは戦術理論教官のシュデルグ大尉、戦史研究教官のコンラート大尉、戦闘行動指導教官のジャスパー大尉だ。それぞれの分野ごとの現役の兵士を教官にしているので、実際の現場の在り方などを学ぶことが出来る。」


???
そんなことを言われても即座に理解できるような教育は受けていない。
というより、この時点でそれを理解できる人がいるのなら、飛び級もアリだろう。
ツバサは頭の上に沢山の疑問符を浮かべていたが、それはそれで正しい反応とも言うべきだろう。
唯一そうだろうなと直感で思ったのが、戦闘行動というものだ。
あの小さな村の道場では、彼はトップレベルの戦闘能力を有す。
陸上における戦闘がいまだに近接戦闘に頼られている事実は、彼も図書館などで読み漁った本などでよく理解している。
武装もそうだが、砲弾や銃器というものはあまりに高価なため、一人ひとりが持つようなものではない。
大量生産できるものでもなく、そのために必要な技術も多くの人が知っている訳では無いので、いまだに古い戦場の在り方に頼らざるを得ないのである。
近接戦闘における戦闘行動は、彼は既に経験済みである。
もっともそれが兵士レベルの教育と比べて良いものかどうかは、この時点ではまだ分からない。
それぞれの教官の紹介が終わったところで、今度は寮を紹介される。



「ここでは4人一組で共同生活をしてもらうことになる。17人だから………一つは5人部屋になるか。」
部屋の決め方は実に単純だった。
17人の新たな入校生にはそれぞれ番号が振られている。
新入生番号ともいうべきものだ。
それぞれ連番が組まれていて、番号の若いものから数えて4人で一組、また5人目から数えて4人で一組、と分けられていく。
ツバサは5人組の一人に組み込まれることになった。


「ようし、よろしくなみんな!!」
………と、彼にとってはいつもの調子で元気よく挨拶をしたのだが、周りの人たちは驚愕色に染まっていた。
明らかに場の空気をぶち壊した、というよりは沈黙の空間を作り出したのはツバサだっただろう。
他の人たちはやがて「お、おう」という半端な反応ながら彼の言葉に応えた。
初対面の人たちが集まり緊張した様子を見せる者がいながら、ツバサただ一人だけが持ち味の良さを放っていたのだ。
もっとも他の面々からすると恐れ知らずか愚か者か、あるいは単細胞かと散々な思われようだったのを、この時点で彼は知らない。
彼が自己紹介をすると、他の人も一応はそれに続いた。



「俺は、パトリック。よろしく」
「ジェザだ。」
「…………サイクス。」
「エリクソンといいます。よろしく」



こうして、ツバサの士官学校での生活が始まる。
この5人のメンバーと今後この学校で深くかかわっていくことになるのだが、
彼らの前に思いがけない日々が次々と押し寄せてくることになる。
その片鱗すら彼らには感じられてはいない。


一方で。
開戦の当事者であるグランバート王国は、次の来る戦いに備え、陸海空軍の戦力の編成を急ぎ行っていた。
彼らとてはじめから戦争を吹っ掛けるつもりはなかったが、踏み込む理由が出来たからこそ準備をするのだった。
彼らにとっては初戦と言うべきもの。
狭門海峡での艦隊遭遇戦は、グランバート王国海軍の第七艦隊が全艦撃沈されるという大損害を被った。
その後差し向けられた航空戦力により、第七艦隊を撃滅した同盟軍艦隊は上空からの爆撃に遭い、後退を余儀なくされた。
双方の戦力が攻撃し合ったことにより、後に退くことも赦されないような状況となったのだ。
グランバート王国は、復興後の強固な軍事力強化によって、今では各国の軍事力を凌ぐほどの実力を持っているとされている。
軍事力の面で不安のあるアルテリウス王国にとっては大きな脅威であった。
その不安を払拭する形で、ソロモン連邦共和国がアルテリウス王国との同盟関係にあり、これに備えることとなる。
グランバートにとってはソロモン連邦の介入は予想してはいたものの、明確な脅威を認識せざるを得ない。
ソロモン連邦共和国は、10年前の戦いで国力を失い滅亡に至ったエイジア王国を併呑し、その領土と技術力、資源の数々を手中に収めた。
敗戦処理という名目で、エイジア王国が所有していた濃いエッセンスを連邦カラーに変えることに成功している。
世界情勢の変遷という意味で、このことはどの国の人間にも分かっている事実である。
そのエッセンスというものが、エイジア王国が保有していた軍事技術力である。



「陸戦部隊は当面の間、出番なしか。それもやむなしというところか」
「いいえ、そう決めつけることもないでしょう。相手が海上に居ても遣り様はあります。確かにおっしゃるように、即座の行動には至らないとは思いますが。」



グランバート王国軍統合作戦本部内の作戦司令室、その円卓で軍関係者の会議が行われている。
戦うと決めた以上は作戦行動に関する今後の方針を定め、最終的にはどこへ向かうのかを程度定めなくてはならない。
その重要な方針を定めるというのに、ここにいる人員はすべて軍務省に属する軍人だけである。
外交を司る外務省、国内の政治を担う国務省の主だった人員すらここにはいない。
軍事行動を決める際には必ず政府関係者の、それも重役とも呼べる席に座る人間の裁可が必要となるのだ。
総参謀長アイアス少将は、それぞれの分野において指揮権を預かる者たちのみを招集し、この円卓に集わせた。
中には海戦が行われた地域とは真逆の遠方に位置する所属の指揮官も集められた。
各部隊においては中級指揮官という役割を担う者がいて、各部隊の現場統率を行っている。
ここに集うのは、軍事行動における全体の統率を行う将官クラスの人間のみである。
そのため、最も階級が低くとも『准将』の階級を持ち、それ以下の佐官はここにはいない。



「だろう?俺は行けと言われればどこへだって行くが、無謀な策で貴重な将兵を浪費することが無いように願いたいものだな。アイアス」
「私や“大将閣下”も貴重な戦力を無駄に戦線へ投入しようなどとは考えていません。ただ、必要がある時には本来とは異なる運用方法も考えている、というだけのことです。ロベルト少将」



ロベルト少将は、
グランバート王国陸軍所属第一陸戦師団の師団長であり、第一部隊の統括を行う。
第一師団はこのグランバートの王都の周囲を中心に駐留する陸戦部隊であり、この国の陸軍の中心的存在とも言える。
数千人規模の陸戦部隊となるため、この部隊の運用は非常に重大な意味を持つ。
作戦行動が発令されれば、第一師団への出撃命令も下ることだろう。
しかし、規模の大きい師団を動かすことは、それだけに兵士の運用と補給が重要になる。



「最も早くに必要になるのは、やはり狭門海域周辺に今もいるであろう敵艦隊を撃滅することです。敵艦隊を後退させたとはいえ、撃滅するに充分な打撃を与えられなかった。」
「艦載機の爆撃能力には限度があります。艦載機では航続距離も短く武装の搭載量もそれほど多くはない。艦隊を撃滅させるというのなら、空軍かもしくは海軍をぶつけるしかないでしょう。」


そう話すのは、
グランバート王国海軍所属海軍総司令部フレスベルド中将。
海軍所属の提督の中でも最高位に位置する一人であり、戦艦や駆逐艦といった艦船の総指揮や、海兵隊の統率などを行っている。
艦船の運用に関しては、総司令部所属の「提督」と呼ばれる者たちが行い、その総合指揮の下、各艦船の艦長がそれを実行に移すよう現場に伝達するという仕組みが取られている。
連邦軍とアルテリウス王国艦隊を攻撃したのは海兵隊所属の艦載機群であるが、艦載機は航続距離が短いという欠点と爆弾の搭載量が少ないという欠点を兼ね備えてしまっている。
そのため、空軍の保有する機体とは違い速攻向きだが一撃離脱が必要な状況が多い。



「となると、やはり必要なのは空軍か。」
「この場合においてはな。制空権を取りながら艦隊による攻撃を加え挟撃するのが良いだろう」


空軍所属総司令部のゲーリング中将。
空軍そのものがこの長い戦争の歴史の中で浅い分野に属するもので、技術革新の進歩によって人が空を支配するようになってまだ日も浅い。
ゲーリングも飛行機乗りで、事あらば自分自身が戦闘機を駆使して前線に参加しようという趣向の持ち主でもある。
ゲーリングは総司令部で全体の統括を行い、各々の飛行部隊を現場で統括する中級指揮官が別にいる。
空軍の重要性は世界各国で認識されており、戦争の形態が変化する要因の一つと言われている。
ところが難点も幾つもあり、戦闘機や爆撃機の製造に莫大なコストが必要で、弾薬や機体の製造に時間が掛かり過ぎるということから、
費用対効果が悪いことが欠点として挙げられている。
そのため、空軍の使用は大きな効果をもたらすことが期待されているが、いつでも動かせるというものでもない。
要所を抑えるという点では大いに期待される存在だ。


「………では、まずは二つの力をお借りして、海峡の敵を一掃するとしましょう。」
「大将閣下の承諾を取らなくていいのか?アイアス」
「構いません。話を聞く限り、閣下もこの展開は想定済みでしたから」
「…………なるほどね。それで閣下はどこへ?」
「国務省へ行っております。色々と相談があるということで。」


……………。


グランバート王国は、王家の人間が象徴的存在に留まるものであったために、直接的に政治に関与することが殆ど無かった。
かといって民衆を政治に登用して積極的な民政政治を施行してきた訳でもない。
議会のように意見を取り纏めるような機会があった訳でもない。
この国が再興の途を辿っていた時の有識者をそのまま政治に登用し、再興から8年が経った今でもその構図は変わらずにいる。
しかしその間に政界を引退した者もいて、その人員の補充については国務省の幹部たちに一任されている。
基本的に応募を募るような形式は一切採用せず、省の分析により適性と判断された者に対し要請を行い、受諾されれば登用する。
そのような閉鎖的な政治を繰り返し続けてきた。
歴史において、王政制度を施行する国は王家の絶対的な権力支配が社会問題化することが多かった。
グランバートはその歴史とはやや離れた路線を歩んでいるだけだが、それでも民衆にとっての必要な政治とは言えないものだった。
しかしその体制に多少なりとも不満があったのだろうが、今のところそれを維持出来ているので問題ないといえばそうなる。
グランバートの民衆にとって政治とは、何かをしてもらうことだったのだから。



「非常時大権………ですか。」
「軍務における行動一つひとつを国務省に許諾を貰う、そんな余裕は無いと理解しているだろう」
「それはそうですが、しかし快諾はいたしかねます」


そして“大将閣下の相談事”というのは、アラルコン国務尚書との対談において、軍務における行動の自由を制約し保障する、非常時大権と呼ばれるものを発布させることにある。
王国軍は有事以外の際は基本的に訓練や日常活動に留まり、対外行動を起こすことは一切ない。
だがそれも有事となれば必要性が増す分野のものだ。
ところがグランバート王国における軍事行動の制約として、基本的には国務省を通してから行う必要がある。
軍というものは国家権力において対外誇示の象徴であり、それに自由を与えることは軍閥化を増長させる危険を及ぼすからである。
そのため、政府の管理下であることを絶対的な条件としている軍に抑止力を働きかけることで、その動きを防ぐ狙いがあるのだ。
『非常時大権』を軍に渡すということは、国務省に通している過程を無視し、軍務省において軍事行動の裁定と実行を下す権限を与えるということになる。
この情勢下で軍務省がそれを主張するのも無理のない話だが、実際にその事態となると決断に迷うアラルコンであった。
何しろ軍事行動とはいっても、まだその行動における最終の目的が定まってはいない。
何を目的としての行動なのかを明確にする必要があるし、それは戦時中の過程の中で大きく変化する可能性はある。
とはいえそれを抜かして行動して良いものでも無い。
先日の戦いは、第七艦隊を撃滅したことに対する報復措置として攻撃を実行し、その結果宣戦を布告するに至った。


「だが国務尚書。既に宣戦を布告したというのに、すべての裁定が国務省を介するとあっては反応が遅くなる。」
「………確かにその通りではありますな。して、カリウス大将はこの戦争、何を終着点とするつもりなのでしょうか。」



結局のところ、
さきの『50年戦争』は、もうこの時点で歴史上の年表と名称に過ぎないものとなってしまった。
50年で戦争が終わったと言いたいところだが、今日この状況で終戦したとは言い難いものとなっているからだ。
この間の戦争は、あらゆる国々が構図と方向性を変化させながら歩んできた、破壊と殺戮の歴史である。
その歴史年表に新たな一ページを刻む存在として、後世自分たちはさぞ批判の的を浴びながら語られることになるのだろう。
同じ轍を踏むことになるのだから。


「幾つか過程はある。が、当面は二正面作戦を避け、どちらか一方の勢力に対し攻勢をかけるつもりだ。」
「と、申しますと。」
「――――――――当面の目的は、アルテリウス王国の併呑、もしくは撃滅となる。」


カリウスは、王国軍における全権を掌握できる存在だ。
しかしそれも現行の制度の中では、あくまで全権をゆだねられていたとしても、それは政府の下で膝を屈する存在であることに変わりはない。
軍人は政治における道具でしかない。
王国でなくとも、どの国どの世界でも同じようにして言われることなのだが、その道具の代表である彼が初めてその見解を示したのは、非公式に会談を行ったこの場ということになる。
そしてそれは遠からず当面の目的ということで、内部のみを対象として発布されることになる。
“非常時大権の発布、カリウス大将に裁量権を委ねるものとする―――――――――――――”



再び混迷の時代が幕を開ける。
この戦いの行く末を、多くの人が見届けることになるのかどうか、はたして。




………………。

第1話 士官学校

グランバート王国とアルテリウス王国、ソロモン連邦共和国との間に生じた関係亀裂は、遂に宣戦を布告する事態にまで発展し、もはやこの流れを止めることなど誰にもできなくなっていた。
それは何も当事者間だけでなく、他所の関係のないところで見ている人々ですら、そう思わせるものがあったのだ。
50年あまりも戦争を続けて来て、まだ飽き足らずに戦争を続けようとする者がいる。
傍観者の立場からすれば、さぞ呆れかえったものであっただろう。
そしてこの時点では、まだこの戦争が世界各地に拡大すると考えている人は少なかった。
先を予見できる者などそうそういるものではないが。



一方で、この情勢下に戦況へ加わる機会を手にしたのは、自ら志願して士官学校へと入校したツバサであった。
無論、すぐに彼のような存在が加われるものでもない。
士官学校に入れば、そこを卒業するか認定を受けるかしなければ、戦線へ送り込まれることもない。
まだ戦争が始まったばかりでどのように推移するかも定かではないので、早急にここにいる兵士の見習いたちが呼ばれるようなことにはならない、と学校の関係者も考えていた。
この学校では幾つかの分野に沿って教育が進められる。
陸戦を専門とする士官学校であり、近接戦闘を主体とする戦闘行動部門、戦闘時における運用方法などを学ぶ戦術理論部門、これまでの戦いの歴史などを振り返りながら考察を広める戦史研究部門が主となり、そのほかにも幾つかの要素に分類されている。
入校して次の日、早速授業が始められるのだが、今日は戦闘行動部門を中心に行われることになっている。


「整列!!………番号読み上げ開始!!」
と、教官であるジャスパー大尉が大きな声で指示を出す。
今回入校した17名を担当する教官は各部門基本的に一人であるが、時にはその教官が授業を行えない場合もあるので、そうした場合には別の教官が応援としてやってくることになっている。
また、ジャスパー以外にも生徒は大勢いるので、別の教官の担当組で授業を行っているところも多い。
士官学校にそれほど多くの生徒がいない以上、現状ではこのようなスタイルで、入校日の総数を一人ひとりの教官に振り分けて担当するようにしているのだ。


「さて、今日から本格的に訓練を開始することになるが、情勢が情勢だ。いつどのタイミングでお声が掛かるか分からない。自分たちは士官候補生だから呼ばれないと思っている者もいるかもしれないが、そんな甘ったるい考えはこの際捨ててもらう!いついかなる時も自分たちが活躍できるようにする、そのために訓練をするという気持ちを決して忘れないように!!」



各々を奮起する言葉だったようだが、それに怖気づく人もいた。
ツバサはと言うと、その言葉をしっかりと耳にしその意味を刻み込んだ。
彼自身が望んだ路なのだ。
その路に少しでも早く辿り着かなければ、何一つ進むことも出来ないだろう。
と、本人はそう考えていた。
一番早く兵士になるにはどうしたらいいのか。
彼なりに考えた答えは、やはり教官や上官にあたる人たちに自分という存在を知ってもらうこと。
そのために自分が持っている実力を訓練でも発揮しようと考えたのだ。


「ペースが落ちてるぞーどうした!!!」
『はいっ!!』


はじめはランニングから入った。
単純だが体力というものは重要なもので、体力が無いと戦闘の継続力に欠くことにもなる。
17人の生徒たちはそれぞれ校舎グラウンド、一周500メートルのトラックを15周するという単純な訓練をしているのだが、この訓練でその人が普段身体を鍛えているのか、運動能力がどれほどあるのかをはじめに計ることが出来る。
教官としても指導方法を初手で判断できる材料の一つになるのだ。
何も訓練で一番を目指す必要などない。
しかし、兵役義務であれ志願での入学であれ、この過程を越えなければ卒業はない。
更には徴兵制度により、たとえ士官学校をこの期間で卒業したとしても、最低でも一年間は兵役の義務を負うこととなる。
17名の中にもこの二種類に分かれる生徒たちがいて、誰もが身体能力に自信があるような人ではない。
ツバサも自分自身でこの時点では自信があるとは一切思っていなかった。
ランニングでは、競走というような形式は一切存在しなかったものの、形の上ではツバサが一番手で最初の訓練を終えた。
その僅か数秒後ろに、同室にいるパトリックがつけた。



「(………やるな、アイツ。口だけデカイ訳じゃないみたいだ………)」
と、二位に終わったパトリックはツバサの姿を見ながらそのように心の中で呟いた。
それは昨日のこと、入校後の夕べに5人部屋の割り振りが終わり顔合わせをした時に、彼が他の人たちより最も目立つ形で自己紹介を吹っ掛けたのだ。
各々を驚かせるには充分だったし、最初の印象からめんどくさい奴ではないかと思う人が大半だった。
内面が見えていない以上、今でもその印象に変わりはないが、かといって口だけデカイような子供でもないかもしれない、とパトリックは思ったのだ。
体力というものは、それが軍事行動でなかったとしても、あらゆる生活において必要とされる重要なものだ。
今後このランニングは毎日、それもペースを上下させながら続けられることとなる。
少しの時間を置いて、今度は筋力トレーニングを行った。
士官学校内の施設に専用のトレーニング施設があり、そこで筋力強化と柔軟を行い身体づくりをする。
生徒全員がタンクトップ姿になると、各々の身体がよく分かる。
体質、背格好、姿勢、色々なものが見えてくるのだ。



「すげーなこれ。初めて見る!」
色々なトレーニング器具を目の前に、ツバサは何故か目を輝かせながら意気込み、取り組みを始める。
教官のジャスパー大尉に厳しい指導を受けながらも、幾つかの要素に分類された項目をクリアしていく。
ツバサは汗をかきながらもそれをこなし、パトリックもまた同じようにそつなくこなしていた。
同室の他のメンバー、ジェザとサイクスは息が上がりながらも黙々とクリアし、エリクソンはヘトヘトになりながらも時間を掛けてクリアした。
団体競技でもなく、かといって個人競技で競うこともしなかったが、目標を全員がクリアできるまでは次の項目へは進めない。
そのため、項目をこなすのに時間が掛かる人は、不本意ながら指導と他者の冷ややかな目線を浴びてしまう。
実際この17名の中でも、半数を超える10名はあまり経験のない、制度によって無理やりに招集された人員のため、ランニングもトレーニングも時間を要していた。
教官側としても、毎回の団体生徒に必ずこのような生徒がいることを理解しているので、無謀に急かすことはしないのだが、それでも訓練は厳しく行われた。
この義務精度で訓練から逃れたいと思う人も後を絶たないのだが、基本的には逃れることは出来ない。
ただ、ある程度の配慮は生じる。
それは、『出来る人間と出来ない人間とを区別する』というものだ。
ある程度の過程までは必ず全員で臨み、それ以上の過程となると、入学時の団体から区分けされて更なる細分化された訓練が実施される。
『出来る側』の人たちからすると、ペースの遅く伸びしろの少ない人たちと共に訓練をしても、時間を持て余すことが多い。
結局、厳しい指導をしたところで遅いペースの者たちに譲歩して待つことに変わりはないのだから、その分出来る側の人間には余裕が出来てしまうのだ。
そのため、共通課程を過ぎた後に区分けを実施し、それぞれのペースに合う課程を送ることになる。
この徴兵制度の一年間をどのように過ごすか。
中には一年中士官学校での訓練のみで過ごす者もいて、実戦経験を殆ど詰まずに義務精度を消化する者もいる。
また、楽な道に進もうとあえてそのようにする者もいて、士官学校には多種多様な生徒たちが混在しているのだ。
教官たちは、今回入学した17名が果たしてどのような立ち位置になるのかを見極めることとなる。



「よし、昼食にする!訓練再開は午後の1時半からだ。各員食堂で昼食を取るように!」
皆がビシッと敬礼をし午前の終礼を終えると、それぞれその場でリラックスをして疲れた表情を浮かべる。


「こんなのが毎日続くのかあ…………?」
「しんどいな。」
「一年もかーーーやってけんのかよこんなの」


教官がいなくなった後で、生徒たちはそれぞれ愚痴をこぼす。
全身汗でびしょびしょになった者も多く、このレベルの訓練が毎日続くのかと思うと挫折した気分にもなる。
無理もないことだった。息の上がっていない人など殆どいない。
このような訓練を受ける機会など、彼らの日常にはなかった。
彼らには年齢の差もある。
最も上の年齢で23歳、下は15歳だ。
年齢差による身体の発達具合も異なるのだが、そのようなもの関係なしに訓練は襲い掛かる。
たとえ歳上であろうと辛く圧し掛かるものもあるし、年少者でも今はそれほど苦労せずに乗り越えている者もいる。
愚痴が出るのも無理もないという。


「よーっし、メシいくかー」
食堂の昼食というものをまだ摂っていなかったので、半ば楽しみを覚えながら、彼は一人食堂へと向かった。
この士官学校も施設の大きさで言えばかなり広い。
昼飯を食べてもまだ時間も余りそうだから、せっかくだから昼食後にこの校内を廻ってみるとしよう。
食堂の中もそれなりに広く、他の生徒たちも食事を摂っているようだった。
今回の入校生は17名だったが、ほかの時期にも生徒は多く入校をし、また卒業もしている。
この大勢の人の中で、果たしてどのぐらいの人がツバサと同じように、自ら志して兵士を目指しているのだろうか。
徴兵制度では1年間の兵役が義務化されるが、自ら志して兵士になる者の中には、一年以上士官学校に通って訓練と勉強を繰り返す者もいる。
自分自身の将来のキャリアを見据えた教育をここで受けることも可能だ。
もっともこの情勢下で満足に教育が受けられるかどうかは微妙なところであったが。


『あ、あの、ツバサさん!』

と、食事を持って席に座ったところで、後ろから突然声をかけられた。
背後には同じく食事を盆に乗せて立った少年の姿がある。
少し照れくさそうな、というよりは恥ずかしそうな赴きで、
『食事、ご一緒してもいいですか?』と尋ねてきた。


「おういいよ!エリクソン。」
彼は同室にいる少年エリクソン。
彼の誘いにツバサは元気のある笑顔で喜んで答えた。
まだ二日だが、同室にあって彼らの間で殆ど会話はされなかった。
皆が緊張している、という雰囲気もあった。
ツバサはあまり気にしてはいなかったのだが、周りがあまり話そうとする意思に欠けるものだから、あえて無理に話すこともない、と思っていた。
なので、こうして声をかけてくれたことが彼には嬉しかった。
断る理由もないので、隣り合わせで食事をすることとした。



「午前中の訓練見てましたけど………スゴイですね!あんなにキビキビ動けるだなんて」
「ありがとよ。てか敬語使わなくて良いから!!歳は違うかもしれんが同級生だろ?」
「えっ、そ、そっか。そうするかな」
「その方が俺も気楽でいいしな!でも何がスゴイって?」


エリクソンもそれほど運動能力に悲観的になっている訳では無かったが、彼が見てもツバサのタフさがよく目立っていた。
ランニングもトレーニングも、すべて周りの人たちを凌駕するような勢いで進めていたからである。
そんな彼の姿を見ると、ああなんて自分と彼とではこれほどまでに差があるんだろう、と思わずにはいられなかった。
諸々そうした話をされたツバサではあったが、



「んなもん気にするこたぁ無いさ。みんな訓練すればもっと動けるようになるだろうしな!」
「でも、ツバサくんはもっと上へ行くかもしれないね。」
「そん時はそん時だ!エリクソンはどうしてここに?」


唐突だが彼は率直に真っ直ぐ過ぎる疑問を投げかけていた。
彼自身、エリクソンに限らず他の者たちがどうしてここに来たのかを知りたがっていた。
無論、中には徴兵制度、兵役の義務に従って入る者もいるしその方が良いだろう。
エリクソンもそうではないか、とツバサは最初思っていたのだが、それとは異なる回答がやってきた。



「僕はその、欠損家庭で生まれた身で、ついこの間母親が病気しちゃったんだ。本当はハイスクールに通う予定だったんだけれど………教育費を稼ぐのが難しくなってね。でも僕は勉強を止めたくなかった。ほら、軍の士官学校は将来軍人になると決めれば、タダで勉強できるところでしょ?」



彼の言うように、士官学校は将来この国の軍人になることが出来れば、学業中の教育費は全額免除になる。
普通の学校や研究をするような大学へ進学するのには、膨大な教育費が掛かる。誰しも満足のいく教育を平等に受けられる世の中ではない。
エリクソンは母子家庭で父親がおらず、母も病気をしていて働ける状態にない。
現在はエリクソンの兄が母の生活を支えているのだが、兄の稼いだ金だけではやがて底を尽きることだろう。
それでエリクソンは軍人になり稼ぐことを決意したのだ。
ツバサの心境は複雑であった。
自分とは全く異なる理由でこの士官学校にやってきた彼。
そして、他の人たちがどのような理由でこの学校へ来ているのか。
ただ単に兵役義務の為に来ているのか、それともその人なりの理由があるのか、彼には興味があった。
自分のように、この戦争の本質を知りたいとか、そういう理由を持つ人は他にいるのだろうか。



「軍って言っても、全員が戦いに行く訳じゃないよね?」
エリクソンのその言葉には少しばかり怖気ついたものもあった。
自分が将来軍人になって、家族の為に働くという決意をしている。していたとしても、もし戦場の最前線に出るようなことがあれば、自分の命は危険に晒されることだろう。そのことについて大きな不安を持っているようであった。
それに関しては、残念ながらツバサにも分からない。
彼の知識が単純に不足しているということもあるが、兵士とは戦うものだという印象が彼にはあまりにも強かった。
どのような分岐がそこにあろうとも、いずれはそうなるだろう、と。



「どうだろーな。でも、戦うばかりじゃないだろうさ。それに、今から気にしたって、まだなんにも始まらんよ!」
と、彼は彼なりにエリクソンにそう返した。
この瞬間の彼は、ツバサのこの言葉に救われたような、そんな赴きであった。
食事と休息を終えると、午後からは戦史研究の時間である。
学業の時間割は日別でそれぞれ異なるので、常に同じ時間割で構成されている訳では無い。
戦史研究は、所謂座学というもので、身体を張って訓練をするようなものとは大きく異なる学習方法だ。


「改めて、私がコンラート大尉です。戦史研究部門の学術教師を勤めています。」


コンラート大尉はこの年43歳。
彼自身前線勤務の経験はほぼ無いと言っても等しく、これまでの軍歴は主に後方支援の担当であった。
25歳の時に連邦軍へ入隊するも、訓練中の大けがにより前線での登用から退けられ、以来後方での勤務が中心となった。
後方部隊にいる者は前線勤務の兵士に比べ出世が遅く、彼もその一人ではあったのだが、幾つかの戦闘での後方活動に評価を得て、更に十年前のオーク大陸での戦闘において、前線部隊が満足に行動が出来る補給線の確保とその運用を指揮したことで、現在の地位を確立するに至った。
当時で言う『50年戦争』が終結した後、この学校の教師として赴任されることとなった。
彼自身、趣味の領域で歴史の研究、学習をしていたことが影響している。
大人しい性格の持ち主で、冷静沈着、別に言えば感情表現に乏しい、いつも同じ顔をしているような教員だ。



「皆さんは、この士官学校を卒業し軍への入隊を希望するのであれば、いずれかの部署につくことになるでしょう。兵役を望む人もそうでない人も、自分たちの住んでいる国の成り立ち、その経緯を学ぶことは大切なことであり必要不可欠なものです。今の時代、私たちは歴史書やその記録を見ることで、過去に生きていた歴史の人物と間接的に接触することが出来ます。過去の人々がどのような経緯を持って日々を送っていたか、それを歴史という分野で学びます。」


早速眠そうにしている生徒たちもいる。
午前中にあれだけの運動量をこなしたのだから、無理もないと言うべきか。
ツバサはと言うと、興味のある瞳を教師に向けながら話を聞いていた。
彼自身、歴史というものに興味があり、その中でも自分たちの父が関わっていたであろう戦いに関する文献は、それなりに読んできた方である。
しかし、ここでの話はいわば当事者からの目線で語られるものもあるため、歴史書の内容と主観とを交えた経験談が聞けるものだと、彼は期待していたのである。
実際、前線勤務ではなかったものの、コンラートの話す内容にはそれなりの経験談があった。
彼は経験談からこうあるべきだ、などと方便するのではなく、あくまで事実となった経緯や背景を述べ、それについて生徒たちに考えることを促したのであった。



「利権獲得の為の戦いが、やがて相手を否定し破壊するための戦いへと変貌し、人類は世界中で飽くなき戦いを繰り広げる惨状を生み出してしまった………それがこの29世紀です。28世紀の終わりと共に戦いは始まり激化し後退し………それらを繰り返しながら、そしてまたこの時代も再び始まりを迎えています。私たち人間の本質に争いや奪い合いというものがどれほど浸透し繰り返されているか、私たちは歴史によってそれを見ることが出来、またひとたび戦う立場となればそれを証明することの出来る人になることも出来てしまうのです。そんな不毛な戦争を50年と続けてきた私たちですが、今から10年前に転機が訪れ、戦争は一気に終結へと向かいます」


とはいえ、コンラートの話す内容の多くは彼も知るところである。
歴史と軍事に興味のあった彼だからこそ、多くの文献を見て身に着けた知識というものがあって、コンラートもまた事実を基に話を進めるのだから、知っていても当然といえばそうもなる。
彼は授業を聞きながら色々と考えた。
“自分の知りたいこと”
大勢軍人がいる中で、自分の親のことをピンポイントに尋ねたとしても、まともな答えを持っている人はいないだろう。
聞いてみたい欲求も確かにあるが、知りたいことは山ほどある。
彼がずっと心の中に抱いていた、この国の“中央”と呼ばれる場所で、何が起きているのか。
そしてこれからこの国はどこへ向かっていき、そのためにどれほどの血を流さなければならないのか。



それに、どんな意味があるのか。
いつまでも戦いを続けなければならないのか。
彼が思い行動に至らせたそれらを確かめるには、どうするべきか、と。


「我が国はエイジア王国との度重なる戦闘で大きく疲弊しましたが、ソウル大陸の南部を中心に領土を持つ強国ギガント公国との同盟締結をキッカケに、この大陸での戦争は大きく変化していきます。元々ギガント公国は別の大陸の戦乱には一切関わりを持つつもりもなく、傍観者の立場にいるつもりだったのでしょう。ところが、ある人たちとの縁がキッカケで国家の同盟関係の締結にまで発展することになったのです。………そのうちの一人は、我が軍に現在もおられる、レイ大佐、第一陸戦師団所属第四陸戦部隊の連隊長です。」


コンラートは皆の反応を見ながらその名前を口にした。
たとえ戦争に興味の無い義務精度でここに来た者も、そうでない者も、その名前を知っている人は多いようであった。
そう、先の戦いで戦争の終結に大きく関わったとされる人物。
既に歴史の教科書にすら載っている人物の名前だ。
無論、彼もその名前はよく知っている。
実際に会ってみたいとさえ思えるほどの興味を持っている。
そして同じ軍にいるのであれば、あるいは会う機会もあるかもしれないと期待を持っている。



「大尉は、そのレイ大佐にお会いしたことはあるのでしょうか。」
と、教官であるコンラートに尋ねた人がいる。ツバサではない。
しかし彼と同じ部屋にいる生徒のパトリックだった。
彼は机に肘を置き、両拳を組みながらコンラートの話を聞いていた。


「はい、あります。話したことはありませんが、見たことはあります。」
「そうですか。いえ、話に聞くまでは、雲の上の存在のように思えてしまって。」

「そう思うのも無理もないでしょう。戦争を終結させるのに大きな役割を担った、英雄と云われる一人なのですから。」



ツバサとてそれは否定できない。
会いたいと思っている人は雲の上の存在で、本当にいるのかどうかすら疑問に思うことすらあったほどだ。
それだけの功績を挙げている人だということでもある。
コンラート大尉自身も、直接の面識はないという。
この校内で、レイという人物を知る人は、はたしてどの程度いるのだろうか。
それなりに長い講義が終わると、夕方からはまた身体訓練。
身体を徹底的に鍛え、体力をつけようとするのは、兵士として当然のこととも言うべきなのだろう。
夕方からの訓練では途中で動けなくなる人が続出した。
これが初日なのだと思うと気が滅入りそうになる人も出るくらいだった。
ツバサも流石に夕方の訓練は堪えた。
全身に疲労感を覚えながら、汗ばんだ身体は大浴場で洗い流す。
ほかの部屋の同期生や他の学級の生徒たちも入り混じっているので、ここでは色々な話を聞くことが出来る。
といっても、彼が話に入り込むのではなく、友人たち同士で話し合っていることに、そっと聞き耳を立てる程度のことなのだが、
ここはそういう場所が出来るのだと、この時間で学んだ。



「今日のあいつは中々の鬼だったぜ………」
「ほんとだよなー!怪我人が出てもおかしくないっての!」
「“困難を乗り越えてこそ”なんとやら、とかなんとか言っても、これではなあ」



自分たちの担当となっている教官以外にも厳しい人はいるようで、それを鬼という表現で生徒たちは話のネタにしていた。
鬼教官とはよく言ったものだ。今までの学校にはそういった類の大人はいなかったので、あまり経験がないツバサ。
しかしまあ、ここにきて生温く生きるつもりもない、というのが彼の心境ではある。
根は真面目に色々と考えも浮かぶ。
彼は浴場の端でお湯に浸かりながら、今日一日を振り返ろうとした、その時。



「お、なんだ?俺たち上官の悪口会かあぁ~~!?」
「ゲッ、ウィンザー少佐!!?」
「“ゲッ”ってなんだゲッって!!んん!!?」
「いつからいたんすか!!?」
「20秒前だ!!」


…………急に騒がしくなってきた大浴場。耳に痛いほど声がよく響く。
すると彼の傍に静かにやってきたエリクソンが話す。



「ここに入る前に噂は聞いたんだけれど、生徒たちに交じって風呂に入るのが趣味の上官がいるとかなんとか…………あの人みたいだね。」
「そうみてえだなあ………てか、スゴイ元気の良さ。俺も勝てなさそう」
「あれは大概だね」



その男性は特に指導科目を持つことのない、この学校の職員であり軍人である、ウィンザー少佐。
年齢は32歳とそれほど歳を取っている訳でもないのだが、階級は少佐と高く、この学校の教官を比較しても高階級に位置する。
そもそも尉官と佐官というだけで違いは明確なものであった。
ただ、今のウィンザーという男の形振りを見ていると、とても上官にすら見えないのが正直なところだったが。
この人の噂というのは、夕方から夜遅くまで毎日不定期に大浴場に現れては、威勢よく、元気よく生徒たちと談笑することだと言う。
悪い噂ではないようだが、人によってはウザがられるかもしれない、とツバサは少し笑った。



「かああぁぁっ、今日も良い湯だなあ。ほらみんな!!そんな端に行ってないで真ん中来いよ!俺と話そう!な!?」



身体を洗い終えたウィンザーがバチャバチャと水を立てながら浴場のど真ん中に陣取る。
するとどうしてか、今まで入っていた生徒たちが少し足早にその場から去って行く。
一人、また一人と。ウィンザーの視線など気にしないかのように。
出入り口の扉のほうを見ると、そそくさと逃げるように浴場を後にする人や、これから入ろうとしたけれどウィンザーの姿を見て一時退避する人の姿が見えた。
どういうことだ?
と、ツバサが疑問に思っている間に、エリクソンがその疑問に答えた。



「あとね………ウィンザー少佐の風呂はとっっっても長いらしいんだ。捕まる前に出た方が良いとかなんとか………」
「なるほど。じゃあ俺たちもそろそろ………」
「おおいそこの二人ー!!見ない顔だなあ!新米かー!!?」
「「あ」」


気付いた時には既に遅かった。
逃れられるような雰囲気でもない。
ウィンザーは両腕を組みながら、新米の二人を呼びつける。
因みにこれは後々エリクソンから聞いたことだが、ウィンザーは100%の善意で、風呂場で見ない顔をみるとその人に話を吹っ掛けて親和を深めるのだとか。
悪意でないことを祈るばかりだった。



「ほう………ツバサはタヒチ村から、エリクソンはイェルクーツクからかぁ!どっちも田舎だがいい景色のところだよな~」
「知っているんですか?」
「おうよ。行ったことは無いけどな。タヒチの断崖絶壁は凄い景色だろ?それにイェルクーツクは冬の湖の氷が有名だよな。一度は見てえなあ」


はじめは彼らの故郷の話を。
どちらともウィンザーには知らない場所のようだったが、それでもウィンザーは多くの問いを投げかけ、それに答えてもらうようにしていた。
そうすることでこの二人という存在を知ることが出来る。
彼は教員という立場にはなく、この地に赴任し仕事をしている一軍人に他ならない。
担当科目もなく、教え子も持たない。
けれど、その立ち振る舞いは教師とそれほど変わらないのかもしれない。
上官らしからぬ姿と教師らしい姿を持つ。またその逆もあるのだろう。



「もう15年と軍人生活さ。まあ俺は結構安全圏にいることが多かった気はするが、確かに戦闘ってやつは経験したよ。」
「陸戦部隊にいたんですか?」
「おうよ!他の人とそう変わりない、剣を持って鎧を被って戦う兵士ってやつさ」



既に湯舟で話を始めてから15分。
今度はエリクソンとツバサがウィンザーのこれまでの経緯について色々と聞いていた。
たったの15分だが、既に二人の間ではこの上官に対する親近感を持つようになっていた。
これもウィンザーの人となりが影響しているものなのだろう。
だからこうして、少しばかり聞き辛いことも聞きやすくなっていた。
長湯していることに変わりはないのだが、それを忘れるくらいに話が弾んでしまっていたのだ。



「俺ぁこっちの大陸での戦争が終わったら、前線勤務から退く願い書を出してたもんで、戦争も終わったんでそれが叶ってこっちに来たって訳さ。まあ正直ここに来るとは微塵も思ってなかったけどな!ガハハ」

「しかし、兵士も戦場にいる間はずっと戦いっ放しなんでしょう?ならこっちはラクで良いんじゃないですか?」

「いやいやツバサ、それは違うんだ。そっちはそっち、こっちはこっちの難点があるもんだよ。まあ確かに、戦に命かけて、明日は死んでいるかもしれないっていう瀬戸際で生きることは無くなったから、心身の負担は軽くなったけどなあ………」



ウィンザーはこうして楽観的に語っているが、その言葉にどれほどの意味があるのか、重みがあるか、ツバサにはまだ分からなかった。
彼はまだ戦いというものを経験していない。ともすれば、人すら殺したこともない。
大体の人はそのようなものを経験せずに一生を終える。
だが、このご時世、兵士という立場になるということは、それを少なからず経験するということだ。
ウィンザーも最前線でそのような戦いを繰り広げてきた。
命が幾つあっても足りない、明日にはこの命も無いかもしれない。
その恐怖と不安は確実に人の心を蝕むものなのだ。



「なぜ二人は兵士になろうと?………いや、これは愚問だな。この国は徴兵制度ってもんがあるから、必ずしも全員がそれを志している訳じゃあない。すまん」


「聞く前から謝らないで下さい。それに俺は、兵士になろうと思ってここに来てます!!」


「…………兵士になると志してここに来た、と?」



その問いをかけたウィンザーの顔は真剣そのものだった。
先程まで暴れるかの如く振る舞っていた男のそれとは大違いの、真っ直ぐ鋭い目線。
だがそれも一瞬。
そのような目線を向けられたことなど、ツバサには分からなかった。
ただこの少年は、兵士になりたいと志してここに来たという。
―――――――――――――興味が湧いた。
ウィンザーにとって、またこの学校の一職員として、久々にそのような心意気を持つ生徒が現れたように感じられる。
大体の生徒は兵役を達成するための過程としてここに来る。
だがこの少年は、呼ばれもせず、自らの足でここに辿り着いたという。
正確には違うのだが、意味合いはほぼ同じものだ。



『まあ兵士を目指すのはいい!だがな、それに命を懸けるなよ。こんな汚れた仕事に、命を懸けるなんてな』



この時はこの意味をよく理解できなかったツバサだったが、後に身に染みて理解することになる。
この時の言葉が何を指して言っているものなのか。
その時のウィンザーの心情がどういうものであったのか、ということを。
長風呂も終えた彼らは部屋に戻り、その後食事をして一日を終える。



彼の、彼らの学校生活はまだ、始まったばかりである。

第2話 講義


二日目になり、今までとは全く要素の異なる講義科目が入ってきた。


この日も午前中は身体訓練。
兵士になるためには基礎体力と体幹を強化しなくてはならない、というのが教えであり、徹底的に肉体と体力の強化が行われる。
それでいて、訓練の後は充分すぎるほどのストレッチを行いケアを行う。
ただ闇雲に肉体を虐めるのではなく、きちんとした目的の下に行われている訓練なのである。
とはいっても厳しいものは厳しい。
一日目の疲れもそれほど抜けないまま二日目を迎えているので、かなりの疲労と筋肉痛を感じる人が大半だった。
ツバサも例外ではなかったのだが、それを乗り越えられるほどの力はあった。
他の人から見ても、やはりツバサという人間が一歩抜きんでる存在だというのが徐々に明らかとなっていく。


しかし。
この日の午後の科目は、それとはまた異なる。
身体よりも頭を使う講義だからだ。



「私がシュデルグ大尉だ。戦術理論の専門講師を務める。君たちにも、戦場における前線の運用方法やそのノウハウを学んでもらう」



シュデルグ大尉は連邦軍人の中でも異色の経歴を持つ人物として、この校内だけでなく同州地域の軍隊にも広く知れ渡っている。
彼は戦術理論の教官であるのだが、元々の所属が海軍であり、陸海と二つの所属を渡り歩いた経歴を持つ。
彼は前線勤務でありながら戦闘を一度も経験したことが無い。
その心得がない訳では無いが、戦闘能力よりも秀でた能力を買われてそちらの仕事に専念をしていたのだ。
それが戦闘指揮の補佐役、謂わば参謀役であった。
自軍を勝利に導くために戦場を、兵士をどのように運用するか。
実際に戦う兵士たちの力は絶対に必要なものだが、それを上手く、かつ効率よく運用してこそ、効果を発揮するものである。
彼は海軍において数度にわたり艦隊運用に関する助言をしては功績を挙げ、戦闘兵士としての勤務から参謀役を中心とした勤務へと変更させられた。
以来、暫くの間は海軍に所属し艦隊勤務をしていたのだが、陸上戦闘が激化する時代に突入すると、そちらの兵員運用を任されるようになり、そこでも一定の成果を挙げて現在の階級になった。



「だが、戦術に関しては定石はあっても正解はない。その時々によって異なる状況に対応し、いかに最善を模索し実行するかが戦場における戦術になる。それを理論的、かつシミュレートしながら学ぶのがこの科目と思ってもらっても良い。よって君たちには、陸海空すべての運用方法についての勉強から始めて、やがて実戦シミュレーションでそれぞれ戦ってもらう」

「……………。」



実際、彼のような経歴の持ち主は異色のものであり、あまりそのような前例はないという。
シュデルグ本人が講義しながら自分の経歴を話す時に、必ずそう付け加えている。本来は無い道かもしれない、と。
しかし、であればなぜ士官学校では戦術理論など学ぶ必要があるのか。
彼らは指揮官になるために、あるいは参謀役になるためにこの学校に来ているのではない。
だが、戦場における運用方法を理解することで、実戦での混乱を回避し迅速に展開できるようになる、そのための準備だと言う。
本格的に指揮官クラスになるためには、士官学校の基礎履修科目を終えた後に、戦略研究科の追加履修へ進み、そこでも多くのことを学ぶ必要があるという。
ツバサには理論とか戦術とか、そういったものはあまり深く考えていなかった。



「君たちのイメージでは、戦いというのは実際の戦場でお互いの軍がぶつかり合ってからを言うものだと思っていることだろう。だが実際には大きく異なる。戦いは戦場に来る前から既に始まっている。どういう意味か想像できるか?」


各々不思議そうな顔を並べているのを見て、シュデルグはまあ当然か、と言いながら笑顔も見せた。
戦いというのは実際に剣や砲火が交えられてからを言う、というのが当たり前なものだと思っていた。
いや、はじめはその考えで良いのかもしれない。
はじめから戦術について知っている者がいれば、それはよほどの勤勉家か、強い興味を持っているのか、あるいは身近にそうした経験者がいたか。
いずれにせよ子供の年齢にあたる彼らに戦術の知識がある訳でもなく、



「たとえばそうだな。ジェザ、戦いにおいて相手より有利に立つためには、何が必要だと思う?なんでもいい、言ってみろ。」


戸惑いの顔を浮かべながら、ツバサと同室のジェザが答える。
同室にいるメンバーとはまだ殆ど会話を交わさない。
そのため、すべての日程を消化して夜の就寝時間になると、部屋の空気は夏でも凍り付くかのような雰囲気さえ感じる。
どの部屋もそんな感じなのだろうか。
ジェザとサイクスの二人は、ツバサから見てかなり無口なキャラクターに見えていた。
ただ、それも自分たちが何らコミュニケーションを取ろうとしないからそう見えてしまう、というものだということを彼は理解している。
彼は時々でも話しかけるようにはしているが。


「相手よりも有利に………戦う場所、とかでしょう、か」
「おお、いい回答だ。ツバサはどう思う?」
「やっぱり力じゃないですか!?戦いが始まったら」
「いやそれもそうなんだが、なるほどこいつは個性が出るかもしれんな。面白い、みんなの意見を聞くぞ」



と、シュデルグは結局全員にそれぞれの意見を聞いた。
17名しかいないとはいっても、知識のない彼らの意見の多くは同じようなもので、周りに同調する生徒がいても不思議ではなかった。
シュデルグが求めていたのは正解ではなく考え方。
どのような考えを持ってこの問いに答えるかが、彼が最も知りたいと思うところであった。
“力こそ正義!!”に近い立場を取ったツバサに同調した人は誰もいなかったが。


「ようし、全員聞いたな。これまでの意見は全員不正解!………かもしれないし、全員正解!かもしれない。つまりだ、最初に話した通り、何が大事なのかはその時々による。今日正しかった戦術が、明日も正しいとは限らない。昨日まで信じていたものが、今日も実質的な価値を持ち続けるものかどうかも分からない。だからこそその時々に応じた判断を迫られるし、必要な手段を講じなければならない。これを知っていれば、実際の戦闘で起こり得るあらゆる事態に考えが及ぶ。どうだ、少しは面白いと感じただろう?」



確かに、それを知っているのと知らないのとでは大きく違うだろう。
ただ戦線の状況に右往左往するだけでなく、明確に考えを持って行動し戦闘に参加が出来るのなら、闇雲に戦って被害を出すこともないかもしれない。
この学習項目がどれほどの効果を持つのかは分からないが、大事なものであることは間違いないようだ、とツバサは認識した。



「まあ、教える側としては確たる正解って事項が少ないものだから困る科目なんだがな。戦史研究と似たようなものだが、これまでの戦歴を振り返って成功と失敗を見てみることにしよう。何が原因でそうなったのか、何が要因でその結果がもたらされたのか。そこにヒントが必ずあるはずだ。」


シュデルグ自身が言っていたことだが、この科目は戦史研究と被る部分がある。
特に、これまでの戦歴において優劣、勝敗のつけられた戦いからその運用方法を学ぶやり方は戦術理論の特徴だが、その過程で歴史を学ぶことになる。
そのため、それぞれ別の科目ではあるものの、同一の内容を学ぶ機会もある。
世界中至るところで戦争が始まったのは60年も前の話になるが、振り返るとやはりこの60年間の戦争の出来事が圧倒的に多かった。
空白の十年を除いて、一年のうちどこかで必ず戦闘が発生していた大陸。
ソロモン連邦共和国はこの戦争が始まるよりもずっと前から存在している国家なので、この戦争以前の、それこそ百年以上もの前の戦歴を遡ることも可能だ。
しかし、あまり古すぎるものは、それこそ戦史研究でやれば良いだろうというシュデルグの考えにより、今の軍事情に似ている近現代の戦歴を中心に取り上げられることとなった。



「数あるものの中で、これは多くの場合正解だった要素なんだが、分かりやすく言えば、やはり戦争ってのは数なんだ。」



一度戦闘が始まってしまえば、統制された動きを持続するのは不可能だ。
両軍入り乱れる戦闘スタイルが今の時代の戦争だ。
だからこそ、はじめから数で相手よりも有利に立つことが出来れば、ある程度の犠牲はあっても最終的な有利は数を揃えた側に向く。
戦場での戦いが始まる前から戦いが始まっているというのは、まさにその点にある。
相手より有利な状況でスタート出来るようにする準備を戦略といい、まずは戦略上相手よりも有利な状況に立つ。
そのうえで実際の戦場で兵士、艦船、航空機など、それぞれの分野の運用を効率よく効果的に行い、相手と戦う。
これらの手段、方法を戦術と呼ぶ。
歴史の過程から学ぶうえで、この戦略的優位と戦術的勝利の関係は非常に重要なものであり、そこには学ぶべきものが数多く存在する。
この科目において戦略面はあまり学ぶことがない。だが実際の戦場で必要となる戦術的要素とその視野は、広く学ぶこととなるのだ。



「戦いに臨む前の定石として、相手よりも絶対数において優位に立つこと。これが戦略の基本であり戦術の基本でもある。戦術っていうのは、実際そこにある数を動かして勝利へと導くもの。そこに数が無いのであれば、使える戦術もまた限られる。分かるか?みんな」


皆がそれぞれ頷く。
ごく当たり前のことなのだが、こうして話を聞かない限り意識しないことだったかもしれない。


「もちろん、毎回そのような優位に立てるのならこれまで何度だって勝てた。だがたとえこの大きな国といえど、負ける時は負ける。いついかなる時も勝利へ導くために思案し行動する必要がある、だからこそ戦術が重要になる。分かったか?」



それからもシュデルグの丁寧な講義は続いた。
みっちりと、二時間休憩もなく。
ただ話の内容がかなり自分たちの為になることが多く、自身の経験談も交えながらのものだったので良い時間となった。
実際その通りの立場になる可能性は低いというのが、シュデルグの話だった。
最初に話した通り、それを知っていて戦いに臨むか知らないでただ臨むか、というだけでも大きな違いとなるだろう。
何も今日だけではない。ほぼ毎日これらの講義を受けるのだから、じっくりと知識を増やしていけばいい。
その方が何より楽しそうだ、とツバサは思う。


この時点で、ここでの生活がこの先それほど長くないことなど、彼は想像すらしていなかった。



それから夕方まで再び身体的な訓練。
その後大浴場で汗を流し食堂でご飯を食べる。
夕方から就寝までの行動は基本的に毎日同じだ。
食事をする時間も、入浴する時間も、寝る時間も身体に沁みついて行くことだろう。
ツバサは今日もエリクソンと一緒に食事をしていたが、その席で、


「やっぱり交流が無いと駄目だよな!」
と、突然ツバサが言う。
エリクソンが少し困り顔でその理由を尋ねた。


「同期生は少ないけどよ、形はどうあれ俺たちは学友だろ?」
「ま、まあ………確かに?」
「せっかくこうして一緒に生活をしてるんだから、いつまでもぎこちないってのはなんか俺はイヤだな!そうだろ?」
「ま、まあ………そうだね、うん。」


エリクソンにとっては、今ツバサが話したことが自身の気持ちの一部であり、まるで代弁してくれたかのような心強ささえ感じていた。
だが自分ならツバサのようにポジティブに話をすることは絶対に出来ないだろうと考えてしまい、内気になる。
彼も出来ることなら他の人と仲良くしたいが、自分から話しだすような勇気はない。
だからこそ、彼が自分に好意的に話しかけてきてくれるのは嬉しいし、それに頼っている自分もいる、と理解をしていた。
ツバサの言うことは理解できる。
しかし、自分でその手段に出ることは出来ない。それ故に彼は少しばかり混乱をした。
一体この人のその積極性はどこから出てくるものなのだろう、と驚きもした。



「まあすぐにって訳にはいかんだろうけどな~。なんかいい方法がありゃいいんだが、でもまずは話してみないとな………!!」



ツバサがいかに周りの人間との関係を大事にしたいかが分かる、そんな会話だったとエリクソンは振り返る。
けれど、そこには幾つもの乗り越えなければならない壁というものがあるだろう。
彼は誰にでも彼らしい姿で元気よく話すことが出来る。
はたしてそれが受け入れられるのかどうかは、定かではない。
でも彼はやってみる!という。
怖いもの知らずですか、と思うところではあるが、この時エリクソンは一つ悪いことを思い浮かべてしまった。
彼がそのような手段に出た時、同じ部屋にいる三人はどのような反応を示すのか。
それによっては次の方法を考えることが出来るだろう。
つまり、これは彼を利用して自分たちの距離感を掴み、また縮めていくための一つの方法となるのだった。



そして彼の取った行動。
就寝までの時間は残り1時間も切っているが、彼は。


『なあ!皆で寝るまでトランプゲームしねえか??』



……………。
というものであった。
彼は特定の誰かに対して提案したのではなく、部屋で静かにしている四人全員にそう話したのだ。
本人は笑顔で提案をし、エリクソンは内情を知っているので周りを見渡し、そして三人は、



「……………。」
「……………。」
「……………。」


予想通りの反応だった。
三人とも少しの時間だけ彼のほうを見たが、やがて視線を戻して自分のことに集中をする。
皆に話しかければ誰かに反応を貰えると思っていたが、そうでもないらしい。
それでもツバサはまだ笑顔を浮かべたまま、


『寝るまでじっと黙ってるのもヒマだろ?みんな知ってるゲームだし、知らなきゃ俺が教える!』


そもそもどうしてトランプを彼が所持していたのか、ということについて疑問を浮かべる人は不思議といなかった。
学校であっても休みの日以外の遊びは厳しく禁じられている。
ここでは何もかもが規則正しく流れるのだから。
結局その答えは暫く経ってから彼らが知ることになるのだが、上級生の先輩に似たような性格の人間がいて、それを見抜いた彼が唐突に話しかけてその手段を得たのだという。
因みにその上級生とは、後に幾度も同じ戦場で共闘することとなる。

二度目の声掛けに対しても、各々反応が無い。
それぞれの名前を呼んで、はい、か、いいえ、を聞いても反応が無いどころか、パトリックに関しては首を横に振って否定の意思を示すくらいだった。
いや、それはそれでいいのだ。何も答えてくれないよりは、何かの意思表示があった方が良い。
ジェザとサイクスは布団に横になりながら無反応である。
否定や拒絶というよりは、根本的に面倒くさいと思われているようだった。



「なあ、誰かしら喋ってもいいんじゃねえか?お前らいつまでもこんな空気続ける気か??」



その時、この場の空気が張り詰めた緊張感に満ちるのを、彼ら全員が感じ取った。
そしてその言葉には明確な訴えがあり、ツバサの表情からも笑みが消えていた。真剣そのものであった。
声色から感じ取ったその空気により、他の三人も彼のほうを向いた。
エリクソンは、その三人の表情を視線だけ動かして窺っていた。


パトリックは、
彼に対し否定の意思を示しただけでなく、まるでゴミを見るかのような冷ややかな目線を向けていた。


ジェザは、
目線だけ彼のほうへ向けるも、無反応だ。微動だにせず、表情もほぼ変わらない。


サイクスは、
同じく無口であったがその表情には困ったようなものが浮かんでいる。この場の空気を感じて、マズイと思ったのだ。



そして彼の提案と声掛けに対し、最初に返答をしたのがパトリックであった。
その声色には明確な拒絶と呆れた心情が露呈していた。



「なんでお前といきなりゲームしなきゃならないんだよ。俺は御免だね」
「なんでさー。寝る前の暇潰しって言ってるだろ?ちょっとは肩の力を抜いてだな―――――――――――」


明確な返答を貰えたことは、ツバサにとっては収穫だった。
普通の人であれば拒否されれば相手に対する負の感情を抱くことだろう。
ところが、ツバサについては逆にそれを知りたがっている節もあった。
彼もはじめから肯定的な返答を貰うつもりはなかったようだ。
しかし、パトリックが放った次の一言が、ツバサの頭の中の考えを急速に打ち壊す。



『お前は随分とお気楽な野郎だな。自分からこんなところに来た奴の心が知れねえ。』


………………。
元々この場の空気が決して和やかなものではなかったのだが、張り詰めた空気感を通り越して殺伐なものとなりつつある。
その言葉を聞いた、ツバサの表情は固まった。感情を持たない石造のように。
彼にとって予想もしていなかった反応だったのだろう。



「お前はそれでいいかもしれねえけどな。誰もこんな生活をいつまでも続けようなんて思っちゃいねえ。早く出て行きたいとさえ思う。望んでここに来た訳でもねえってのに、なんで他のやつと仲良しごっこしなきゃならねえんだよ。めんどくせえ」


当然、それがパトリックという男の内心であることは明白であった。
ただ単に拒絶されただけなら、ツバサは怒りを彼にぶつけていただろう。
理由もなく否定され拒絶されることを彼は赦さない。
物事の思案と決定には意思が通う。
それすらもなく、考えもなくただ単に否定されるのでは、何の意思疎通も出来なくなる。
そうされなかっただけまだマシだと彼は思ったが、あまり気持ちのいい物言いだとは思えなかった。



「仲良しごっこだ?別に俺はそんな幼稚な考えで言ったんじゃなくってよ、」



お互いにコミュニケーション取り合える環境を整えるのは、同じ部屋で生活をする間柄として最低限必要なことじゃないのか?
と、彼は続けたかったのだがそれを言わせてはもらえなかった。
彼の言葉にパトリックの言葉が被さる。



「一人だけ出しゃばってよ、気に入らねえ。俺はもう寝る、話しかけてくんな。」



最後の言葉には、彼が許さないと思っている、考え無しの拒絶反応に思えて、彼の中にも怒りが込み上げてくる。
それを問い詰めようと身体を動かそうとしたが、思いとどまった。
ジェザは溜息をついてうつ伏せになる。
サイクスは、この場の空気があまりに殺伐としたためか、身動き取れずに目線だけを逸らしていた。
エリクソンは困惑している。こんなに険悪なものになるとは思っていなかった。
ツバサもその後は何も言わなくなった。
持っていたトランプカードも引き出しの中に仕舞い込み、彼自身も両手を枕にして天の壁を仰ぐ。



“自分からこんなところに来た奴の心が知れねえ。”
“誰もこんな生活をいつまでも続けようなんて思っちゃいねえ。”



彼はその言葉に思いを巡らせた。
そしてあることを再確認し気付かされた。
確かに自分は望んでこの士官学校へ入校した。
だが、他の人たちの大半は、兵役義務を負うものとして強制的に召喚させられたようなものだ。
つまり、望みもしない生活を強要されていることとなる。
パトリックが放ったその言葉は、そんな立場を踏まえてのものだ。
ここでの生活を希望して過ごす自分と、望みもしないのに連れて来られて無理やりな訓練をさせられている者たちと同列に考えるな。
彼はそう言いたかったのだろう。



その立場、その考えに思い至った時、彼は自分の行為がそのような人たちに対しては配慮の無い浅はかなものであったかもしれない、と振り返る。
同じ部屋に住む者たち同士仲良くしたい、と彼は考えていた。
しかし、ここでの生活は望まれないものも多い。
同時に疑問も浮かび上がる。


だが、望まれないからといって、コミュニケーションさえ取らないでいるなんて、いいものだろうか。
親密にはなれないのかもしれない。
しかし、お互い必要な時は協力し合いながら生活をするというのが、ここの空間で必要なことなのではないだろうか、と。
寝る前のこの一時間は、彼にとって色々と思いを巡らせる出来事となった。
不思議と気分を害されたとは思っておらず、自分の配慮の無さと彼が言った本音と、色々考えるキッカケとなったのだ。

第3話 作戦行動

…………自分からここに来た奴の気が知れねえ、か。



真夜中。
ツバサは眠りにつくまでの間、先程パトリックに言われた言葉を頭の中でひたすら再生していた。


確かに俺は、自分から望んでここに来た。
他の人たちは色々な理由があるにせよ、大半は自分たちの望まれない形でここへやってきているってことだよな。
だから、たとえ同じ部屋のメンバーでも仲良くするのはおかしい、と。


………でも本当にそうか?
確かに俺のように、自分から望んでここにきている人は珍しいのかもしれないが、それが直接的な理由じゃないだろうよ。
パトリックって奴は、自分と俺とが根本的に違う人間だから合わせる必要もない、と思ってるのかもしれない。
いや、確かにそれは普通の考えだ。
でも、だからといって遠ざけちまったら、今度は自分が孤立していくだけじゃないのか………?


彼は自分が相手の立場をあまり考えずに軽率な行動を取ってしまった、と反省してはいる。
しかし、彼は彼でどうにも腑に落ちないものを抱えていた。
お互いここへ来た理由が違うから仲良くする必要もない、と。
まるで協力関係すら拒んだかのような物言いだった。
何も自分に合わせろとは言わない。だが、同じメンバーなら会話し時には協力し合えるような間柄になるべきじゃないのだろうか。
そうでないと、いざ困った時に、誰が助けてやれるのだろうか、と。
悶々と考えを繰り返しながら、眠りにつくまでの時間を費やしていた。
彼はパトリックに言われた言葉に怒りとか呆れとか、そういったものは特に感じてはいなかった。
一瞬そうなった自分がいたのも事実だが、それよりも深く考えを起こさせることのほうが多くなった。
そして思う。
この関係をどうすべきなのか、と。


……………。



グランバート王国軍統合作戦本部
全軍の総司令官であるカリウス大将が国務尚書レオポルド・アラルコンより非常時大権を授かったことにより、あらゆる軍事行動の決定がこの建物の密室にて行われるようになった。
政府と軍務省とで当面の展開を充分に協議したうえで、その目的に至る行動を軍が決定し実行するというもの。
通常、軍事行動を起こすには政府の承諾が必要で、陸海空軍ともにその構図は変わらない。
軍の統制を政府が厳密に行うのが通常の在り方である。
しかし、この非常時大権を軍務省側に授けたことにより、政府と軍の目的が定められそれに必要とされる行動については、軍が主導となって作戦を立案し実行に移すことが出来るようになる。
政府関係者への筋を通さずとも作戦の実行が出来るようになる。
これにより、全軍の総司令官であるカリウスはその膨大な権力を手中にすることが出来た。
――――――――――――――当面の目的は、ウィーランド暗殺の実行犯とされるアルテリウス王国への報復である。
各陣営の首脳部にはそのように伝達された。
そうなると、本格的な報復活動を行うに最も相応しいと判断されたのが、空軍による敵地への攻撃である。



「空軍によるアスカンタ海域の制空権を確保し、北方の第三艦隊を出撃させる。制空権確保の後、敵地領海内を侵入し海岸線に艦隊を布陣させる。アルテリウス王国の南部の海岸線には、ヴェルミッシュ防御要塞がある。これを制圧出来れば、アルテリウス王国領に対し陸上からの侵攻が可能となる。空母と補給艦艇はヴェルミッシュ防御要塞の制圧まで領海外縁にて待機。戦艦、巡洋艦、強襲揚陸艦艇および上空からの攻撃により、防御線まで突き進む」


そしてカリウスにより、最初の作戦内容が説明された。
ウィーランド暗殺の報復を目的とした侵攻作戦。最終的にはアルテリウス王国の併呑までを目的としている。
長年にわたり、両国の間は不仲であり、まともな外交折衝は行われなかった。
グランバートは幾度となくアルテリウスに対して攻撃を仕掛けてきたが、最大の難点は相手大陸への侵攻距離があまりに長すぎることにあった。
ソウル大陸の北部とアルテリウス王国の南部、アスカンタ大陸の最も近い海岸線までの距離は、航路で約300キロほどの位置にある。
開戦当時は船舶の開発や技術などはなく、海を渡るのは到底不可能とされてきた。
今では戦艦や巡洋艦類の艦艇が造られているので、時間は掛かるがそれも可能とされてきた。
今まで膠着し続けてきた戦争を一気に動かすことの出来るほどの技術が投入されることとなる。
隣の大陸まで侵攻するには、その行動線の長さを補えるだけの補給の確保が重要となる。
現地調達にも限度があるので、補給艦を使用し準備を整えておく必要がある。
陸地を制圧し上陸が出来るようになれば、そこを橋頭保として陣を形成し、攻略の足掛かりとすることが出来るのだ。
しかし、
最初の関門はその南部の最短距離に構築された、アルテリウス王国軍の防御要塞である。



『ヴェルミッシュ防御要塞』
アルテリウス王国の著名な人物の名前を取ってそう名付けられたとされる防御要塞。
ソウル大陸とアスカンタ大陸を結ぶ航路上で最も近い位置に展開された要塞であり、アルテリウス王国にとっては防御の要の一つでもある。
この防御要塞が使用された機会はこれまで片手程度しかなく、グランバートはアスカンタ大陸の侵攻に度々失敗をしている。
ヴェルミッシュ要塞の近海は複雑な地形の海岸が続き、大陸の海域深く入っていくと海底が浅く、船が航行できないようなエリアも多い。
そのため、この大陸を侵攻するには上陸作戦を展開し成功させることが必要不可欠であった。
防御要塞は、そんな事情を含んで配置されたものである。
この要塞を攻略せずに別のところに合流しようとしても、陸戦部隊を乗り入れられる場所は限られている。
仮にそれが出来たとしても、この要塞にはそれなりの兵力が構えているので、避けたところで本国と要塞との間に降り立ち、やがては挟撃されることは必須である。
となれば、どのみちこの要塞を避けて通ることは出来ないので潰すより他ない、という考えに至る。


「アルテリウスもレーダー網を広げていることだろう。その懐に飛び込むことになる。ゲーリング、できるか」
「はい、閣下。必ずや制空権を取ってみせましょう。我らが精鋭の空戦部隊で」


上陸作戦が展開できるかどうかは、空軍の貢献次第となる。
敵もレーダー網で防衛線を張るだろうから、こちらの接近が把握されれば必要数の迎撃を行うことだろう。
つまり、初手ではこちらが不利になる可能性が高い。
そう判断してもなお、ゲーリングにその手段を取らせるように判断を下したのはカリウスだ。
ゲーリングには相当な重圧と責任が圧し掛かることになるが、彼はそれに臆することは無い。
結果をもたらすために全力を持って戦う。



「北方航空部隊の第一、第二航空隊に出撃をさせます。編成は主力に戦闘機を、後方に攻撃機を少し混ぜる程度で。制空権確保後の陸上戦闘展開までの時間で、ヴェルミッシュ要塞の攻略の為の空爆を実施したく思いますが、恐らく制空権確保のための戦力では爆装が足りないでしょう。閣下、第三艦隊空母ヒューベリックの出動をお願いしたく具申いたします。」


「良いだろう。元々ヒューベリックも出撃させるつもりではいた。空母は艦隊の遥か後方に護衛の巡洋艦と共に展開し、制空権が取れ次第領海を進入、艦載機で要塞を空爆した後に上陸作戦を展開する。フレスベルド提督、艦隊の運用は貴官に任せる。」



フレスベルド提督は、海軍所属の軍人の中では最高位に位置する。
彼を慕うものが皆彼を提督と呼び、その指揮権に信頼を寄せているのだ。
カリウス自身、艦隊運用が出来ない訳では無いが、専門職の指揮官に委ねて、自分は他の専念すべきことに注力したいと考えていた。
彼自身の計画のために。



「作戦開始は一週間後の5月30日。空軍部隊の出撃をもって作戦の発令とする。各々準備を進めてほしい」
「はっ」



それで作戦会議は終了する。
それほど時間が長く使われた訳ではない。
基本的な方針は皆一致しているし、最高権力者となったカリウスの作戦に絶対的な信頼を寄せているので、異論が挟まれることもない。
作戦の加筆修正は適宜行われるが、現状ではその必要もないとのことで、その作戦がそのまま採用されることになった。
カリウス大将は、所謂全体の作戦プランを定める役目で、実際に戦闘になった際に戦線を導くのは各指揮官の役割である。
彼としては、最終的な勝利が手中にあるのであれば、計画と方針に変更は生じないので、すべての行動に自らが介入するつもりはなかった。
国務尚書から非常時大権を授かった彼は、こと軍事行動に関しては最大の権力者となっている。
政府と軍務省、そして外務省との方針も明確に定まっているので、あらゆる裁量権は彼のもとにある。
もっともこの場合、その彼自身が独断を積み重ねてしまえば、国一つなど様々な方向に持って行くことが出来る、という危険な状態でもある。
しかし、グランバートを再興した英雄がそのような行動を取るとは誰も思ってもいない。
10年も前、この国が激しい内乱をキッカケに分裂し崩壊を招いた後も、いつかの国の為に、そしてこの世界の戦争を終わらせるために尽力した男であるのだから。


「いよいよ動くか。これで後戻りは出来なくなるな」
「……………、シュネイか。どうした」



自分の執務室へ戻る廊下、現れたのは容姿端麗な女性。階級は彼の僅か一つ下の中将。
『シュネイ』中将は、
グランバート王国軍総司令部所属特務中将という肩書で、陸海空軍のすべての軍事区分に対しある一定の権力を持つ指揮官の一人である。
参謀本部に所属するアイアスなどと似たような立場にはあるが、アイアスのように補佐役に徹している訳では無い。
元々はこの国の出身でも無ければ軍人でもなかったが、ある一件をキッカケにカリウスに協力する立場となった。
兵士たちの間では謎の女と言われることもあるし、カリウス大将の右腕のような存在と言われることもある。
カリスマ性もあり、兵士たちからの人気もある。
カリウスと比較にはならないが、彼女も人気取りの指揮官である。



「いよいよ腰を上げる気になったか。この国はかつてないほど強大な力を有している。他国への侵略も充分に可能だろう」
「必要な時に必要な分の実力を行使するだけのことだ。無闇に戦線を伸ばそうとは考えていない」


「それもそうだろう。だが果たしてこちらの動きに“ソロモンの連中”はどう動くかな。一度上がった火の手は消火されるどころか拡大する可能性とて大いにある。そうだろう、カリウス?」



それに関しては、確かにシュネイの言う通りであった。
当面の目的がアルテリウス王国であったとしても、同盟関係にあるソロモン連邦共和国が指を咥えて黙っているはずがない。
だから、アスカンタ大陸への電撃作戦は迅速かつ的確でなければならない。
それほど時間を要することなく主要の都市と軍事機能を制圧、占拠し、次なる戦いに備える。
隣の大陸への侵攻が今まで満足にできなかったのは、地理的要因も大きく含まれていた。
アルテリウス王国領を制圧したところで維持できるかと言われれば、疑問が残る。
であれば、結局のところ取れる方法は幾つかに限られてしまう。
最終的な目的の一つに掲げている『併呑』か、あるいは侵略者として敵国を破壊するか。
一方的な攻撃を続けて破壊しようと彼は考えてはおらず、政府としてもそのような手段を取るつもりはなかった。
この電撃作戦の末に、アルテリウスがグランバートに対し降伏するというだけで、その政治的効果も同盟への圧力も大きくなる。
そう言う意味で、彼らはインパクトのある作戦を迅速に展開しなければならなかった。


彼らの動きに恐らくは呼応するであろう連邦軍を、どう抑えるか。
それによっては戦線は更に拡大することになるだろうと、シュネイは彼に伝えた。



「そうだな。やがてはオーク大陸にも手が伸びることだろう。こちらの補給線を苦しめない程度にな」
「そうなれば、いよいよレイとも戦えるな。ん?」
「――――――――――――。」


その人物の名前があがった時、僅かにカリウスの眉が反応をした。
表情一つ変えずにシュネイの話を聞いていた彼の、変化の表れであった。
彼にとっては馴染み深い名前であった。
それも過去形で語らねばならない時が来た。
彼を思い出すことはある。だが、その彼という存在に引きずられていても、何も進むことも出来ない。



「…………この路を征くと決めた以上、いつかそうなると覚悟はしている。その時は全力で奴を討つ。ただそれだけだ。」



そう断言し、シュネイの横を通り過ぎていくカリウス。
その後ろ姿を見て、彼女はにやりと頬をあげる。
いつかは戦うことになる。それがいつになるかは分からない。
だが、その時は必ず来る。
かつてこの世界の戦争の終結を共にもたらした英雄同士が、相対することになるのだ。
二人はそういう間柄であり、この路を彼らが取った以上、それは必然である。
宣戦布告後の最初の作戦が発令され、準備が進められる。
その烽火が上がる時、この世界は再び昏迷の時代へ突入することになるのだ。


一方で、グランバート侵攻の標的とされているアルテリウス王国は、混乱状態にあった。


「奴らが私たちを報復すると明言しているのですから、間違いなく侵攻してくるでしょう!一刻の猶予もありません!」
「もしかしたら、もう攻めて来てるんじゃないのか?お得意の機械力とやらで………」
「こっちにはまともに機械戦闘に持って行けるだけの戦力はないぞ………!?」
「そうは言っても、そうなれば戦わざるを得まい。艦隊と航空戦力、そのどちらも総力を挙げて殲滅する手段を取るだろう」
「せめて陸戦が主体の戦闘になれば、あるいは………」



グランバート王国が正式に宣戦を布告してから、アルテリウス王国軍は全部隊に対し第一戦備体制を発令している。
いついかなる状況が訪れようともそれに呼応し、軍事行動を起こせるようにするための体制である。
つまり、彼らも戦争をする用意を整えなければならないということだった。
ところが、彼らにはグランバート王国と違って、明確な欠点があった。
アルテリウス王国には、現代戦争の主軸となりつつある海軍や空軍戦力が充分ではないのだ。
彼らの国は、グランバートやソロモン連邦と比べ機械産業に遅れがあり、特に生産能力に関しては両国にも遥かに劣る。
戦艦や空戦部隊の運用が出来ても、その数を揃えることが厳しい状況にあるのだ。
グランバート王国が、世界を見渡しても有数の軍事大国であることは、軍人であれば誰もが知っていることだ。
一度解体された国が再興を果たし、その域に達するまでに僅か8年あまり。
肥大化した国の成長速度は、他のどの国にも劣らずのものであった。
それに対し、アルテリウス王国は陸戦部隊には満足な戦力があるものの、機械化戦力には乏しい一面があり、そこを突かれると一気に崩壊する可能性があった。
そのため、同盟関係にあるソロモン連邦との共闘作戦が何よりも重要であった。
彼らだけで戦端が開かれれば、陸戦以外の分野ではグランバートのいずれにも劣るだろう、と。


ヴェルミッシュ要塞も、きたるその時の為に準備を進めていた。
侵攻作戦を敵が展開するとすれば、この要塞は間違いなく標的にされるであろう。
そうなれば、ここで戦闘が行われるのは疑いようもない。
上層部も現場の人間も同じ判断を下し、要塞に陸戦部隊を多数投入した。
上陸作戦を展開されようとも、対地攻撃用の要塞砲が左右に陣を広げて展開をしている。
砂浜を駆けあがり、岸辺を乗り越えて陸地に来ようとも、広範囲での迎撃が可能である。
実際に上陸作戦が展開され始めたとしても、この要塞はそうそう落とされることはない、と思われてはいた。
思われてはいても、万が一の対策もしなければならない。



「でも、俺たちにはこの要塞がある!それに“王国騎士団”もここに来るんだ!」
「そうだな。要塞と騎士団があれば、ここも持ち堪えられるだろう」
「押し返せるかもな!」


後ろみがちな兵士も多かったが、彼らの士気を高めていたのは、この要塞とは別に『王国騎士団』と呼ばれる部隊の存在がある。
味方の兵士たちからも絶大な信頼を集め、また憧れのような眼差しを向けられるその華々しい名前の部隊は、この国が始まって以来、同じ時間の歩みを辿っている。


ヴェルミッシュ要塞内部 作戦司令本部


この要塞の作戦司令室内は暗い空間に液晶の明るい光が飛び交っている。
あらゆる情報収集と処理、防空レーダー網の表示、本城とのやり取りなどがモニター越しに行われている。
それぞれのモニターを眺めて仕事をする人たちを横に通り過ぎて、奥の会議室に入っていく一人の青年がいる。
普段は会議室として使われているが、そうでない時は目の前にいる要塞司令官がこの空間を使うことが多い。
彼は、要塞司令官の呼び出しを受けて部屋へと入る。



アルテリウス王国軍第一陸戦師団所属第七陸戦部隊 通称『王国騎士団』 騎士団長マルス准将



「よく来てくれたマルス准将。王国騎士団の援護があるとは、全軍を指揮する私の鼻も高い」
「第二、第三、第七陸戦部隊、ヴェルミッシュ要塞防衛任務に本日着任をご報告いたします。」



王国騎士団の団長を務めるマルスはこの年26歳。
容姿端麗な男性で、真紅のマントを羽織り靡かせているのが特徴的であり、兵士たちの彼を知る共通の認識でもある。
常に自身の片腕も同じ、愛用の剣を携えて行動をする。
アルテリウス王国生まれの生粋な王国人であり、12歳の頃から王国軍人としてこの国の為に仕えてきた男である。
身体能力と状況判断能力、そしてカリスマ性とが突出しており、これまでの戦歴で武勲を重ね現在の地位にある。
特に10年前の戦争における功績は華々しいものであった。
アルテリウス王国は、一度世界の戦争が終結するに至った幾つかの戦線には参加しておらず、国として関与もしていない。
しかし、当時のオーク大陸の荒んだ戦闘を終結させるために組織された多国籍軍にマルスらも参加し、絶大な効果をもたらしている。
既に亡きルウム公国の残党、敗戦の積み重ねにより滅亡を遂げたエイジア王国軍との度重なる戦闘で戦果をあげ続けた彼の存在は、アルテリウスだけでなく他の国々の人たちにも知れているほどだった。
多国籍軍に合流した第七陸戦部隊『王国騎士団』は、エイジア王国との戦闘においてその力を如何なく発揮し、その名を世界中に轟かせるに至った。
謂わば陸戦部隊のプロとも言うべき存在である。
ヴェルミッシュ要塞に防衛任務として招集されたのは、第二、第三陸戦部隊と彼ら第七陸戦部隊の三部隊。
総勢1万8千名にもなる兵士が新たに追加派遣されたのである。
ヴェルミッシュ要塞に常駐する部隊は総勢2千名。
戦う兵士、補給を勤める後方担当、輸送班や医療班も混在しているため、実戦的な兵士の数は1500人程度ではある。
そこへ三部隊が集まり、一気に分厚い層が形成されたのである。



「何か必要なものがあれば遠慮せずに言いたまえ。出来る限りは協力しよう」
「ありがとうございます。兵士の数はとにかく、それを充分に運用するためには彼らを餓えさせないことが重要です。補給物資の確保と補給路の防衛は欠かすことのないよう、お願いしましょう。」

「その通りだな。防衛を強化することにしよう。城の者たちは何と言っているのだ?」

「こちらから仕掛けることはない、と。あくまで防衛に徹し、この防御線を失わないように尽くすとのことです。」



ヴェルミッシュ要塞から王都アルテリウスまでは、距離にして300キロほどある。
上陸部隊が歩いて移動をするには相当な時間を要するが、車などの移動手段を陸地に運び込めれば、進軍速度は一気に早くなるだろう。
グランバートの陸軍はこの数年で軍事力も兵員も増強されていると聞いている。
大挙して侵攻を許せば、あっという間に王都まで辿り着く可能性がある。



――――――――――そしてこの国は、そのシンボルを失えば一気に崩壊する。かつてのグランバートのように。



中央集権と言うのもおかしなものだが、王国である以上、中枢に権力が集まり、それは王都にあるアルテリウス城を中心としている。
王家がこの国を統治するのだから、あらゆる権力も王家が手にしている。
グランバート王国とアルテリウス王国との違いはそこにある。
グランバートの政治体制は各省に分担され、一つに権力が集中しない仕組みがとられている。
一方のアルテリウスは建国の王家とそれに近しい者たちが強大な権力を持つ仕組みで、民政が取られることは無い。
あらゆる意思決定も王家とその周りで下されることになるのだが、圧政を敷いている訳ではなく、あらゆる国民の要望を出来る限り汲み取り実現する努力は続け、また結果も残し続けているので、それほど大きな批判やサボタージュが生まれることも無かった。
何より国民が王国の人間であることに誇りを持っている。
よほどのことが無い限り、この国を見棄ててどこかへ行こうなどと考える人もそういるものではない。



「この要塞は、この国の防衛を担う重要な役割を担っているが、それはあくまで敵国がいるという条件下で意味を持つものであって、平和な世には必要のないものだ。即ち、この要塞を使わねばならぬ時は、常に荒事が身に纏うこととなる。これまでこの要塞が効力を発揮した機会は無いが、願わくばこの地より先へ敵を進ませたくはないものだな………」


「………はい。シェザール少将」



そう、やや虚しさを感じさせる声色で、この基地の司令官でありアルテリウス王国陸軍少将のシェザールは呟いた。
中央政府がグランバートへの侵攻を行わずに防衛に徹すると判断したからには、この要塞は間違いなくその意味を果たすために稼動することとなる。
アスカンタ大陸への侵攻は、どの大陸から来ても補給路が充分でなく、攻略すること自体が痛手となる場合が殆どだった。
大部隊で侵攻したところで、それらの兵士を満足に運用できるだけの余裕が無かったためである。
だが、現代ではそれが可能な技術力を各国が保有しているため、この戦いはそうした新時代の戦争への技術闘争というような様相を呈することも予想されている。
航空機、戦艦などがそれにあたる。
陸上戦闘こそ旧式の接近戦のままだが、それもいずれは変化していくことだろう。


こうして、アルテリウス王国軍は、その防御要塞に王国騎士団を配備して、迎撃の準備を整えていた。
本国の中心部では、いずれやってくるであろう敵国の兵士に備えて、山間部に民間人を疎開させる動きが加速していた。
また、国の為に仕えたいと欲する人間たちが次々に軍への参加を志願し、兵士のみならず一般人の協力も増え始めていた。
彼らは皆戦場に登用され、そして命を散らしていくのである。


……………。


5月30日、午前8時。
ソウル大陸北部 グランバート王国空軍北部航空方面所属第一、第二空戦部隊 駐留基地『ウェリングストン』空軍基地
この日は朝から航空機の轟音が鳴り響く。
基地の周辺空域は、普段は航空機の訓練空域として飛行機のエンジン音が鳴り響くのだが、今日は普段のそれとは明らかに空気が違った。
何しろ、グランバート王国が復興を果たしてから初めての“有事”の到来である。


「この戦いの勝利は諸君らの奮闘に掛かっている。敵空軍を制圧し制空権を手中に収めた時こそ、この戦争の主導権を我らが握り、敵軍に対し楔を打ち込むことが出来るであろう。」


スピーカーを通じて基地の全員に声を流すのは、空軍総司令官のゲーリング中将。
アルテリウス王国侵攻作戦における空軍最前線基地に臨時の司令部を置き、ゲーリング自らがその指揮にあたる。
兵を統率し指揮するのは司令官と参謀の役割で、実際の航空機を動かすのは兵士である。
一週間前に示された所定の行動計画に従い、朝8時の出撃を持って作戦行動の開始となる。
そのため、この日は夜中から直前の準備で基地は慌ただしかった。
作戦行動の準備のため、既に艦隊は出撃し領海内で待機している。


「準備でき次第すぐに発進しろ!!」
「後続機もいるんだ!急げ!!」
「無線のチェック怠るなよ!!」


基地の滑走路では、離陸を待つ飛行機が次々に渋滞を作る事態となっていたが、徐々にそれも緩和されていく。
次々と戦闘機と攻撃機が離陸し、日の昇った空の中に黒い鉄の塊が幾つも浮かび上がっていく。
その光景こそが新しい戦争の始まりを告げる姿、と言うべきものだろう。



「では、行ってきます。閣下」
「頼んだ、メルダース中佐」
「勝利の栄光を、必ずやここに―――――――――――。」


第一航空部隊所属のメルダース中佐は、空軍部隊創設時からのメンバーの一人であり、戦闘機を操縦する兵士の中では最高位の階級を有する。
訓練におけるその技量と練度の高さは群を抜いており、空戦が行われるような戦争の形態において、彼はエースパイロットに最も近い存在となるだろうことが味方内から期待を寄せられている。
メルダース自身は陸戦部隊の出身だが、航空技術の登場と同時にその技術開発と運用に携わることとなり、既に8年ほどの時間を費やしている。
他の兵士よりも長く従事していることもあり、その戦果を大いに期待されていた。
ゲーリングにとって、メルダースの存在は大きく、必ずや空戦部隊を導いてくれる存在となるだろうと、彼自身も期待をしていた。
そのメルダースも、自身の愛機を駆る。


こうして、グランバート王国軍は、『アルテリウス王国への侵攻、報復』を目的とした作戦行動を発動する。
時代は再び戦乱の世を迎え、目まぐるしく状況が変化をする。
その渦中に身を置く者、これからそこへ向かっていく者、荒波に浚われ命を落とす者。
実質的に世界大戦が始まって60年目。
世界中が再び戦火に包まれるまで、もう少しの時間を要する。



……………。

第4話 戦術演習

士官学校での訓練が始まって、一週間。
今日は5月30日。
後の歴史に残る“グランバート王国とアルテリウス王国の開戦の日”となるのだが、彼らの学校ではまだその情報を掴めてはいなかった。
今日の彼らはいつも通りに寮での朝を迎え、食事を摂って時間を置き、身体訓練と勉学に励んでいる。
一時間の基礎訓練を終えた後の座学で、ある一つの発表がなされた。


『来月の10日。各部屋対抗の遠征訓練を行うこととした。』


指導監督者のヒラー少佐から、17名の生徒に向けてそのように発表が行われた。
戦術理論の講義が始まる前にヒラーが教室に姿を現し、シュデルグとアイコンタクトを取って彼がその場の主導権を握った。
どうやら二人で既に発表することを決めていて、意思疎通をしたようだった。
各々その言葉に疑問符を浮かべる。
遠征訓練、というのは分かるが“各部屋対抗”というのはどういうことなのだろう?と。
ツバサは、遠征という言葉にワクワクを感じていたが、まずは説明をじっくり聞くこととした。


「このオルドニアの街から北に50キロほど行くと、ベスラニオス山地があり、その一部の山々はかつて鉱山として栄えた歴史がある。今はその鉱山も閉鎖されてしまったが、その周囲には登山道を整備していて、我々オーレッド州の州軍が今も管理をしている。登山路を整備し、また比較的平地の多い区域では移動砲台の射撃場として使用している。この街中では行えないような訓練もしているということだ」


移動砲台などの砲撃兵器を使うと、爆音や振動で周囲に迷惑をかける。
軍としてはその配慮として、出来るだけ人口密集地から離れた郊外でそのような訓練を行うことにしているのだという。
有事の際の訓練は欠かさずに行われていて、鉱山のあるベスラニオス山地は人の住むような栄えた地域でも無いので、士官学校のみならず通常の陸戦部隊の訓練所としても使われている。


「今回、お前たちはそれぞれ部屋ごとのチームを組んでもらい、4つの分かれた登山道を別々に進んで頂上にあるシグナルビーコンを起動させ、元の出発地点まで戻って来てもらう。これまでの基礎訓練で体力も少しずつだがついてきていると思う。ビーコンを起動させ、最も早く戻ってきたチームには報酬を用意している。これまで一週間と少し頑張ってきたお前たちの為にもな。」

「お~………」


やや感嘆とする声が漏れる生徒たち。
ツバサはただじっくりと話を聞いているだけであったが、隣のエリクソンの表情は少しばかり緩んでいた。
自分たちの努力がきちんと教官たちにも伝わっている、と認められたような気持ちになったからだ。
他の生徒たちの一部でも同様の考えに至った人もいたようだ。
だが、それも登山路の詳しい状況などが伝えられると、真剣な表情へと変わる。
ヒラーも、ただの登山のように思えるが簡単な場所では無い、と話したからだ。
標高は700メートル。
山麓に軍の訓練用施設と専用の駐留施設を備えているので、その施設から登山道へ向けてまずは歩き、それから各所に分散した後にスタートをする。
それぞれ登山道は平坦なところから、山道、高低差のある悪路などが続き、ビーコンポイントの近くは岩部を上がる必要があるところもあり、決して緩い登山道という訳では無い。
また、過去にここでの訓練中に命を落とした士官学校の生徒もいたとの話を聞き、彼らに緊張が走る。
ピクニックをしにいくような緩い気持ちでは、足元をすくわれる。
しかし、出来ないような訓練をさせるつもりはない、と。



「もし万が一の事態が発生した時には、必ず軍用無線で知らせること。武器や兵器は補充できるが、人員はそう簡単には補充出来ないからな。」

「……………」



各々返事をして、10日後の訓練の日程が確定したのを把握する。
一部の人たちからすれば、複雑な気持ちであった。
何しろ兵士になりたくて来ている訳では無いのだから、命の危険があるような訓練を受けたいとは誰も思わない。
もしかしたら、過去に亡くなったその生徒たちも、そうした人たちではなかったのだろうか。



―――――――――――訓練中の不慮の事故。



訓練をしている以上、生徒たちの安全には充分に配慮しなければならない。
実戦では無いのだから、それを受ける生徒たちには安全が約束されているべきだ。
しかし、だからといって安全を最優先に訓練項目を減らしてしまっても、将来的に兵士になる人にとっては都合が悪いこともある。
本当の実戦の際に、役に立つことを学ぶのが訓練というもの。
それを抑えてしまっては、本来あるべき立ち回りが出来なくなる可能性とて充分にある。
安全であることは第一だが、きちんと身体を張って学ばなければならないことも多い。
その過程で、命の危険に直面する可能性が無いとは言い切れない。
教官たちも安全を第一に考えてはいるものの、それがすべてと言い切れるような状態でもない。
複雑な心境を持つ生徒がいることは、教官の目から見てもすぐに分かる。
そしてそれは今回に限った話ではなく、何度も目にしている光景の一つなのだ。
この国が兵士の訓練を義務教育の一環として導入しているためである。
望んでここに来た者はともかく、望まれずに強制されてここへきて、訓練中に死亡する。
そのような結末があるのだとしたら、あまりに不憫ではないだろうか。
ある意味でこの過程は教官たちの葛藤とも結びついている。


「なるほどねえ。ってことは、誰もが一度は通る関門だっていうことか」
「うん、そうみたい。上級生たちも同じ経験をしているって話だよ。」
「よく調べたなあエリクソン。どこで聞いたんだ?」
「又聞きかな。直接聞いた訳じゃないんだ。“いつものやるみたいだぞー”って言ってたからね。」
「ほうほう」


士官学校の間では有名な話となっている。
基礎訓練をする過程で必ず遠征の計画が組まれ、その中にベスラニオス鉱山を登山するという項目が毎年幾度も行われているのだという。
“まるで登竜門だな”というのは、ツバサが口にした感想であった。
たとえ立場がどうあれ、希望してここに来たかそうでないかは問わずに、誰もがその関門を突破しなければならないということだ。
情報を集めれば、その訓練がどのような難易度を持つものなのかが想像しやすくなることだろう。
ここでツバサが一つ気にしていたのが、同じチームのメンバーであった。
エリクソンとは距離を縮めることが出来ているが、残念ながら他のメンバーとはまだ口も殆ど聞かないような状態だ。
今のままではチームの連携も何もあったものではない。
残り10日間ほどある時間で何とか少しでも距離を、あるいは溝を埋められないものか、とツバサは考える。
いつまでもこの重苦しい空気を味わっているのは、彼としても本意ではない。


彼も、それをエリクソンに相談をした。
この間の、突き放された一件も含めて。



「そうだね………この期間で距離を縮めようとするのは難しいかもしれないよね。パトリックさんが言ってたように、僕たち二人とあの人たちとでは、きっと置かれた状況が違うんだと思う。人それぞれの立場があって当然だと思わない?」

「まあ、それは分かるんだけどよ。でもこれって最低限のコミュニケーションってやつじゃないのか?同じルームメイトなんだから、互いに話して協力し合うのは当然だと思う」

「うん。きっとツバサの考えは間違ってない。寧ろ正しいと思う。だからそのキッカケが、僕たちには必要なんだと思うよ。」


そしてエリクソンは言う。
皆が集まってその機会を作る、そのような状況を生み出すのは恐らく難しい。
であれば、個人と対した時にそのような状況を作れるかどうかではないだろうか、と。
すると。


「そこでツバサ、僕から一つ提案。」
「お?大きく出たな!」
「ははっ。幸い僕たちはみんな一緒の授業を受けている。みんなの姿を見るのは簡単だよね。そこで、何か三人が得意にしてそうなもの、打ち込んでいそうなものを授業や訓練の中で見出して、それをもとに話題を振ってみるっていうのは、どうかな?」

「なるほど~長所を褒めるってやつだな!?」


ツバサが親指を突き出して快諾をした。
エリクソンもそれを見てなお乗り気になった。
彼としても、いつまでもこの空気感に圧されるのは好ましくないと考えている。
出来る限りの協力をツバサにして、この状況を打開したいとも考えている。
ある意味でツバサを利用することにはなるのだが、これは彼が望む協力関係だ。
そのためには色々な手段を取ってみようと提案するのである。



「あからさまにするんじゃなくって、話のネタ作りとしてっていう感じでね。」
「ようし、そうと決まればヒューマンウォッチングは欠かせねえな!」
「ま、まあ張り切らずにコツコツ、とね?」
「おうよ!」


落ち着いて取り組もう、という構えのエリクソンと、気持ちが昂るツバサ。
あるいは、それも無理もないことだったのかもしれない。
彼には見出すことの出来なかった打開策だった。
しかし、エリクソンの提案があるからこそ、彼は「次にこうしてみよう」という行動を起こすキッカケを掴むことが出来ている。
それが本当に効果のあることかどうかは、やってみなければ分からないだろう。



ヒラーの発表の後には、戦術理論の講義が行われる。
既にこの講義も7回目を迎えるのだが、ここで今日はいつもと違う形式での講義が行われることとなった。
「これからシミュレーション室へと移動する」
というシュデルグの案内のもと、彼らはいつもの講義室から、やや薄暗い演習室に移った。
不思議な形をした部屋の空間で、360度に座席が用意されていて、中央の広場を取り囲むようにして作られている。
中央にはモニターやらパソコンやらが置かれている。
それぞれ対面に置かれたパソコンとモニター、そして壁一面に設置された大きなモニター。


「この演習室では、実際の戦場を見立てて配置を形成して、戦場における兵士や兵器、補給路を動かし戦いに勝利するための運用を実践することが出来る」


戦いに勝利するには数多くの要素が求められる。
力の差も、兵士の数も、戦場における有利なポジションも、その配置と運用の仕方も、あらゆることで勝敗が左右する。
前線にいる指揮官やそれを補佐する参謀役は、戦う兵士たちや医療兵、偵察兵や補給専門の兵士をどのように運用するかを定めなくてはならず、
ここではある程度の傾向をシミュレーションという形で学ぶことが出来るのだという。
シュデルグ自身が注釈を入れたことだが、ここで勝ったからといって現実でそれが実行できるかと言われれば、そうでないことの方が多いと言う。
基本的な理念や考え方をここで学ぶのであって、勝つための方法に直結している訳では無い。
それがシュデルグの持論でもあり、この講義を展開するうえでの絶対でもあった。
こうした理念が行き届かないような戦場とて普通にあるだろうから。


「まあ、今日はゲーム感覚のつもりで、皆でやってみよう。順番に対戦してもらうからな。最適な方法を選んで戦場を運営してくれ」


あまりに唐突な実戦形式でのシミュレーションとなるのだが、学び始めて一週間の彼らにまともに動かせるとは思えない。
だから、今日はあえてゲームのように楽しみながら学んでいこう、という姿勢のシュデルグ。
普通、実践と言われ、しかも皆の前でそれを見せるとなると緊張もする。
だが、彼はあえてそれを取り払い、とにかくこの講義の奥深さを知ってもらいたいという思いで、この演習室を使用することにした。
机と向き合って学ぶことよりも、多くのものをここで学ぶことが出来るだろうから。
こうして、唐突なシミュレーション体験が始まる。
いずれは試験項目として実施される予定となっているこの演習。
二人での対戦形式を取り、あらかじめ定められた陸戦での地形にお互いの軍が布陣する。
主戦場の形状は幾つもコンピュータにインプットされているが、今回は全員同じ形状の戦場を使用する。


同じマップの中で、互いの軍がどこに布陣をしているのかは分からない。試合ごとに配置は変わる。
相手を攻撃して殲滅をするか、優劣を覆すことが不可能な状況に追いこむことで、勝者が決定される。
基本的には陸戦部隊の運用しか出来ないが、運用部隊は主に二つに分類される。


①『攻撃部隊』
文字通り、相手を攻撃するための戦力である。
基本的にはマップのどの位置に配置しても可能だが、地形上展開するのが困難な区域には、限定的な人数しか展開出来ないか、あるいは展開そのものが不可能となる。
攻撃部隊を動かすためには、攻撃部隊が満足に行動するための「補給路」と「補給物資」が確保されている必要がある。
人が生きるために、動くために食料を必要とする、水を必要とするのと同じ考え方にはなるが、多数の兵を動かすためには、その兵たちを餓えさせないように食事を与え続けなければならない。
補給物資は後述の②『補給部隊』のフェーズで運用をすることが可能。
前線での行動に補給物資が行き届いている状態であれば、行動の限界点まで兵士を動かし、また戦わせることも可能である。
しかし、補給路が断たれる、補給物資が不足するようなことがあれば、進撃速度は著しく低下し、
「攻撃力の低下」
「進撃速度―展開範囲の減少」
「被攻撃耐性の減少―戦闘における負傷者の増加」
などと、進軍に悪影響を及ぼすこととなる。
二人のプレイヤー間での補給物資の残量は確認できないため、両者はお互いに探りを入れながら行動線を予測し対処する必要がある。
攻撃部隊の展開については、海や川といった現実的に展開が困難、もしくは不可能な区域以外であれば、基本的にどこでも展開が可能となる。
ただし、山間部などの高低差の激しい区域などでは、展開の為に必要な補給物資の量が増えるので注意が必要となる。
戦場において両軍の攻撃部隊が戦闘を始め、優位な展開にするためには、戦闘中の部隊の陣形を変化させたり、補給物資を大きく消費するが、特装攻撃(砲撃など)を行うことで、戦闘兵士の数を減らすことが可能となる。
両軍の補給物資の状態によって、戦闘力も大きく変化をする。
また、すべての段階において両軍の位置は不明なままで、発見し交戦が始まると、その区域で遭遇した両軍の兵力差が表示される。
奇襲攻撃が成功した場合には、戦闘フェーズにおける最初の段階で相手により高い攻撃力での戦闘を展開することが可能となる。
攻撃部隊は、いずれも進撃する方向に矢印を立てられる。
この場合、背後と側面からの攻撃の場合は、正面から対峙するよりも強い攻撃を行うことが出来る。
お互いに配置が分からない以上、どこでどのような向きを取り接敵するのかは、遭遇しないと分からない。
これを行いやすくするために、攻撃部隊の運用に「偵察行動」のフェーズを実施することができる。
補給物資の消費量は多くなるが、少数の偵察部隊を攻撃部隊から分離して行動させることで、敵の配置と行動線を索敵することが出来る。
偵察が成功すると、相手がどの程度の距離を動かしたか、またその時点でどこを向いて進撃しているのかが分かる。
偵察を受けたことを対戦相手は基本的に知ることは出来ないが、「偵察の失敗」という可能性もある。
偵察部隊の行動として、偵察行動を指示した攻撃部隊には戦闘力が無くなる。
そのため、偵察を行っている最中、奇襲攻撃の対象とならない、真正面からの偵察に関しては接敵とみなされ、攻撃力の無い偵察部隊は必然的に殲滅されてしまう。
正面から対峙しない為に、どのルートを使って偵察を行うかが重要となるが、これには充分な補給物資が無ければならない。
攻撃部隊の運用における兵士の数は、プレイヤーが任意で調整することが可能で、部隊を分けてそれぞれの役割に従事させることも、攻撃部隊を二つに分離して行動させることも可能だ。


②『補給部隊』
攻撃部隊を充分に動かすために必要な部隊である。
マップ区域内には幾つかの占領テリトリーが存在し、区域を制圧すると補給物資を調達することが出来る。
お互いに最初の段階での物資量は同数となっているが、区域の進行状況によって増減する。
攻撃部隊が満足に行動できるには補給物資が必要であり、それを前線に投入するためには補給路が確保されている必要がある。
前線での攻撃区画が単一のものではなく、複数個所で勃発すると、物資の消費量は著しく多くなるので、物資量の不足が懸念される。
また、補給部隊は常に前線の攻撃部隊との間に補給路を設定している必要があり、補給部隊が補給路を確保できず部隊の行動線を寸断されてしまうと、攻撃部隊へ補給物資を送ることが出来なくなり、攻撃部隊の攻撃フェーズに著しく影響を与える。
補給路の設定は、ある程度の距離感覚で攻撃部隊と補給部隊とが追随することで設定を維持することが出来る。
もしくは、補給部隊のベースキャンプを設定することで、物資の移送量は減少するが補給路の設定なしでも物資を送ることが出来る。
しかし、ベースキャンプの設定には設定容量があり、定められた物資量以上の貯蔵は出来ない。
追随による補給路の確保は、攻撃部隊と補給部隊との距離によって状況が変化する。
攻撃部隊の行動線が長くなる=補給部隊との距離が長くなると、物資の供給量が減少し補給が満足に行き届かなくなる。
補給部隊に攻撃能力はなく、強襲/奇襲を受けると瞬く間に全滅する恐れがある。
補給路が断たれると劣勢に追い込まれやすくなり、補給部隊が全滅すると、基本的には敗北判定となる。
補給部隊そのものを分離させて、複数の補給路を敷くことも可能である。
ただし、供給量は分離することで減少するので、前線での攻撃部隊の運用方法によっては物資不足に陥る危険がある。


「とまあ、ゲーム感覚と言われてもねえ………」
他の人の動かし方を見て、自分もそれに習おうと考えていたツバサではあったが、シュデルグの抽選の結果一番手にプレイすることが決まってしまった。この演習室の端末は台数が限られているうえ、皆に運用方法を見てもらった方が色々とアドバイスも貰えるだろうと、あえて一対一の対戦形式を取ることとした。
彼の目論見も外れてしまったので、とにかくもやるしかない状況となった。


「……………」
ここで、彼の対戦相手となったのは、同室のジェザ。
ツバサほど高くはないが、同室のメンバーと比べるとツバサに次いで背が高く、いつも眼鏡をかけている。
彼はジェザに対しては寡黙なイメージを持っている。
特に、部屋に一緒にいる時間帯である夜は、机の電気をつけて一人読書をしているイメージが強い。
そうした姿ばかりしか見ていなかったというのもあるだろうが。


「ま、よろしくな!」
とにかくやってみるしかねえな、という心持ちで、彼はジェザに右手を挙げて合図を送る。それがあいさつ代わりだ。
ジェザも一応は答える。手もあげず、表情を変えることもなかったが、視線を送る。
他の生徒たちがこの二人の動きを参考にするかどうかは別にして、動かし方などはよく見られることだろう。
シュデルグの機器操作で、対戦形式での模擬訓練が開始される。
マップは固定されている。陣営を動かす二人には敵の配置は一切見えていない。
見えているのは、マップの中央部の平原地帯、西側の川を主体とした不整地、東側の山と主体とした荒地。
西側にも東側にもそれぞれ補給拠点を展開できる追加物資が用意されている。



「よしいくぜ!前進!!!」
初動、ツバサは全軍をもって平原地帯へと進軍させる。
部隊を分けることもなく、補給路を新たに新設する訳でもなく、ただひたすらに前進をしてみた。
この一週間で色々と戦法を聞かされてはきたが、彼は彼なりに駒を進めた。
“本当に授業を聞いていたのか”と問われるような動き方にも見えるが、無論幾つかの理解を持っての行動であった。
彼が考えていた、好機を生み出すタイミングというのが、敵の主力を見つけて攻撃をする瞬間だ。
例えば、全く索敵がてきていない状況でお互いが正面から対峙すれば、何ら奇襲にもならず普通通り攻撃フェーズとなる。
だが、側面や背後を取れば、先に動き見つけた側に一定のアドバンテージが入る。
初動の攻撃力の増加や、相手よりも発見が早いことで初動を遅らせることも出来る。
「まさか真正面から堂々と進軍はしないだろう」と読み、中央の区画を通って左右に分散し、どちらかの敵の後背を攻撃しようと考えた。
マップ上に見えている補給物資を真っ先に確保することは出来ないので、敵に奪われることを前提とした立ち回りである。


彼は真正面の平原地帯を奥まで進んだが、ここでは敵を発見できなかった。
となれば、左右どちらかの物資を狙いに行った可能性が高い。
彼は西側の川辺と東側の山地に部隊を分散させて、敵の後背を狙おうと行軍を早めた。
そして最初に敵と接敵したのは、彼が北の平原地帯から東側の山地に部隊を展開させた後だった。



「あれ?正面向いてんじゃねえか!」
「…………!」



東側の山地で戦闘が開始される。
全速力で敵の後背を狙おうとしたツバサに対し、正面を向けて待ち構えていたのはジェザの部隊。
ツバサは初めから敵が平原地帯の反対側で布陣されたものと思い行動したのだが、ジェザは彼の行動を読み取っていたと言える。
「なるほど。ジェザは補給部隊、いや補給拠点ごと移動させていたか。」
と呟いたのは、シュデルグだった。
ツバサは自軍の行動線を繋ぐ補給拠点を陣地に展開したままにしているが、ジェザは補給拠点をあえて行軍する部隊の同列に加えていた。
拠点を形成できるほどの補給部隊を率いると、進撃速度は低下する。
だがこれを見越してジェザは分散した後に両側の部隊を反転させて、後方を狙おうとする敵の攻撃に備えるべく展開した。
この時の兵力さはツバサの方がジェザの展開する部隊よりは多い。
しかし、ジェザはもう片方の川辺の区画に少数の部隊を向けさせて、補給物資を獲得しに動いた。



「ツバサは補給拠点との行動線がやや伸びている。それに、確かにツバサの陣営は数でジェザの部隊に勝る。数で言えばツバサが有利になる状況だが、ここは山道だ。狭い道に合わせた配置が必要となり、数の有利さを生かせずにいる。ここはジェザの狙いが見事に的中しているな」
「なるほど………!」
「こいつは凄い………!」


総数ではツバサの軍が勝っても、狭隘な山道で部隊が満足に展開できるはずもなく、ジェザはそれを狙って少ない部隊でも防衛線が出来るようにした。そう、彼は初めからツバサの軍を足止めするために、このような配置を行ったのである。
たとえツバサが全軍をもって山地を攻め込んできたにしても、この狭隘な山道のおかげで持久戦に持ち込むことが出来る。
正面さえ向けていれば、奇襲によるボーナスは入らない。
ジェザの初動は、はじめから中央部を空洞にして左右に配置し、どちらかの陣営が衝突するまで防衛線を敷くことにあった。


「なんでだ?数じゃ俺の方が有利なはずなのに」
シュデルグはモニターを見る生徒たちに解説を交えながら話すも、その声は二人には届いていない。
戦闘中に他の人たちが見るモニターの映像、情報は答えを言うに等しいから伏せているのだ。
ツバサは思ったほど敵を殲滅できないことに焦りを感じていた。
一方のジェザはツバサを完全に手玉に取った形となり、自信ありげな表情を浮かべた。
比較的進軍が容易な西側の川辺を南下し、マップ上に設置された補給物資を奪取。
少数の部隊ながら高速で移動を続け、東側でツバサの軍を足止めしている間に、彼は南側の中央部へと進軍した。
そこにはツバサ陣営の補給基地があり、戦闘能力をもたない補給部隊はたとえ少数の部隊といえど壊滅を余儀なくされる。
「チッ………なるほど、うめえな」
補給路が寸断されたことで、前線の、しかも狭隘な山中に孤立を余儀なくされたツバサの陣営は、全軍を動かすための物資が不足し、行動不能に陥る。
こうして、僅かに5分間ではあるが、対戦が繰り広げられ、勝敗が確定した。



「いや、二人とも見事だった。トップバッターとしては充分すぎるな。」
戦闘不能状態に陥ったところで、シュデルグが本機を操作して対戦フェーズを終了させ講評した。
ツバサもある程度の考えを持って行動をしていたが、ジェザがそれを見切った。
彼に勝機があるとすれば、最初の時点で分散行動を取り、特に川辺の区域での戦闘で勝利をし、山中の敵を挟撃するか、敵の出方を見るために自軍で防衛線を張って偵察に専念をした後に攻撃に転じるか。
ジェザもツバサの行動を予測してはいたものの、兵員数の運用においては賭けに近い要素もあった。
事前に情報を獲得できていれば、逆に包囲攻撃をすることも出来たであろう。



「これが戦術の面白さでもある。指揮官の運用の仕方で、戦場は色々と変化をする。その時々に応じた運用が必要で、そこには確たる答えなど無い。最終的な結果をもたらすためにどのような過程を作り上げていくかが重要なのだ。………さて、色々パターンを使いながら、全員やってみらおうか。」



まずは二人の戦いぶりを見たところで、マップ上での配置を変えながら全員がその後もプレイすることとなる。
はじめての演習にしては上出来だった、というのがシュデルグの評価だった。
演習直後、ツバサはジェザに話しかけに行った。
「参ったよ!大したもんだな!」
と、悔しそうにしながらも笑顔を浮かべていたツバサと、表情変えずにそれを聞くジェザ。
相変わらずの無反応を決め込むのか、とツバサは思いその場を離れようとしたが、その時。


「いや、お前さんも中々だったと思うぞ。猪突さえなければ俺も危なかっただろうな」


と、冷静に分析をし彼にそう伝えていた。
ジェザはツバサの人となりから、正面から堂々と戦いをするだろうと考えて、はじめからそれに合わせて布陣したのだ。
相手の人となりや心情を推察した布陣と行動。
ツバサはただひたすらに感心していた。
その表情を傍でジェザも見ているが、悪い気はしない。その表情が、自分を認めてくれている証拠でもあるのだから。
思い上がることもないし浮足立つことも無いが、今回はこれで正解だったのではないか、という思いだった。



「また上手い方法があれば教えてくれよな!」
「………どうだか。」



ツバサは、笑顔で彼の肩をパチンと叩くと、やや鼻で笑いながらもジェザは答えた。
これがジェザとの初めての接触、というよりは会話になったのだが、以後このような微妙な距離感での話が続くことになる。
今はそれでいいのかもしれない。
焦って距離を縮めるよりも、少しずつ近づけるようになればいい、と。
最低限会話が出来る間柄にでもなれば、少しは変わるだろうし、周りの人間もそれに気付いて態度を改めるかもしれない。
そう言った意味では、エリクソンの助言はあの部屋をより良い方向へ持って行けるかもしれない。
そう期待を持つのであった。


…………。
そして、その日のすべての講義が終わった、夕方のこと。



「なんだか騒がしいっつうか」
「なんだろう?妙に先生方が慌ただしいね」



ツバサとエリクソンの二人は、講義を終え汗を流すために大浴場への広い廊下を歩いていた。
その廊下では、多くの生徒たちが往来しているが、生徒たちよりもこの場は先生たち、つまり本職の軍人たちの方が目立っていた。
生徒たちが歩いているのに対し、教官たちは慌ただしく走り回っている。
途中、浴場で生徒を見つけては談義に花を咲かせることで有名なウィンザー少佐を見かけたが、そのウィンザーの人となりからは珍しく焦燥を浮かべた表情で走り去ってしまった。
何があったのかを聞こうとしても、そのような雰囲気ですらない。


「…………気になるな。エリクソン、食後の空き時間にでもちょいと調べてみねえか?」
「そうだね。もっとも、噂話なら大浴場か食堂で聞けるかもしれないけどね…………」



この士官学校にはあらゆる情報を取得できる図書館があり、情報媒体の数々もそこに集まる。
自分たちで調べるのであれば、そこへ行くのが一番だろう。
もっとも、噂話程度であれば、人々が集まるところで飛び交う。
軍人たちが慌ただしくしている理由も、そこで分かるかもしれない。
そしてその理由を知った時、士官学校にいる生徒たちはこう思うのだ。
“もはや、他人事ではない”と。


曰く。
“グランバート軍、アルテリウス王国への侵攻作戦を開始する―――――――――――。”



………………。

第5話 連邦共和国_動向①


公式記録では、両国空軍の衝突は“5月30日午前10時45分頃”とされている。



ソロモン連邦共和国 首都オークランド 連邦軍統合作戦本部内



アルテリウス王国からの緊急通信により、事態が発覚した。
宣戦布告がなされた以上、いつかこうなることは目に見えていたが、遂にその矛先を向けたのである。
はじめに動いたのは、グランバート王国空軍。
大挙して領空を進入し、迎撃のため出撃したアルテリウス王国空軍を次々と撃墜し、制空権を確保したのである。
グランバート王国空軍の侵入が確認された時点で、アルテリウス王国への通信は行われた。
ところが、現場の空域からアルテリウス、およびソロモン連邦共和国に対しての通信は充分に送られなかった。
通信による発信記録は会敵前から確認されているが、実際に状況が伝えられたのは戦闘が終了した後のことであった。
情報が伝達された統合作戦本部は、全体が慌ただしい様子へと変貌した。
アルテリウスの被害状況の詳細取得と、攻撃部隊の所在を確認するための行動が始まる。


「制空権が取られれば、次は上陸作戦が始まるに決まっている。アルテリウスの状況はどうなっている」


各隊、各部署がそれぞれの行動をしている最中、連邦軍の高級士官たちはこの事態を受け、緊急の会合を開いていた。
統合作戦本部作戦司令室内、『円卓の会議場』。
同盟国であるアルテリウス王国が攻撃を受け、事態は更に悪化の一途をたどっている。
同盟国が攻撃されれば、同盟を結ぶこの国にとっても只事ではなく、他人事でもない。
これからどのように対応するかを協議する必要があった。
今、この円卓の会議場には政府関係者のほか、外交官や軍人たち、総勢30名ほどが集う。



「アルテリウス王国空軍は、元々航空戦力はそれほど豊富ではありませんでした。使用される飛行機や武装はいずれも旧式のまま。一方でグランバート王国軍のそれは、自国開発のもので最新鋭のものと思われます。幸いアルテリウスにはレーダー能力がありましたから、ある程度事前に察知して迎撃に出ることは出来たようですが………撃滅されてはどうすることも出来ません。」


「空軍は全滅したのか?」


「いえ。北方の防衛部隊と王都周辺の防空任務にある空軍部隊は健在ですが、南方の防衛飛行隊は大損害を受けたようです」


アルテリウス王国は、機械戦力がそれほど豊富でないため、空軍や海軍の所有も少なく、また実際にそのような戦闘状況が発生した際には、勝利を期待できる状態ではないだろうと多くの者が推測をしていた。まさにその通りの展開となってしまったのである。
しかし、これでグランバートの当面の狙いが明らかとなった。
ウィーランド国王代理の暗殺に関わっていると判断したグランバートは、まずその矛先をアスカンタ大陸へと向けた。
所謂報復という意味合いを込めたものであるのは誰が見ても明らかではあるが、それ以上にこれまでの歴史の中で果たせなかった、アスカンタ大陸への侵攻を現実のものにさせようとしている、と連邦軍は考えている。
今や航空機や船舶といった、かつての時代に無かった強大な技術力を手にしているので、隣の大陸まで行くこともそれほど難しくは無くなっている。
アスカンタ大陸に唯一の国を持つアルテリウスは、既にグランバートの侵攻に備えている。
そこで世界が注目するのが、まさにソロモン連邦共和国がどのように動き出すか、というところであった。



「グランバートの第三艦隊も既に出撃していることだろう。アルテリウスを防衛するにはすぐに手を打たねばならない。………そうですね、ベルフリード総統」


「………ええ、確かに仰る通りでしょう。グランバートは禁断の箱を開けてしまいました。これより出る災厄を封じるには、それを潰すより他はありません。リラン国防長官、作戦行動に際しすべての作戦指示書は私に提出して頂きますが、その内容は貴方がた連邦軍人にお任せします」


「よろしいのですか。反戦論者の動向を全く無視することになりますが」


「確かに彼らは政権に非難を浴びせることでしょう。ですが、そうも言っていられなくなる時がやがて訪れる。その時の為に少しでも状況を変化できるのなら、多少の批判は甘んじて受けましょう」


連邦共和国は多くの州が点在し、それぞれの州ごとにある種政党のような形態での統治を認めている。
しかし、基本的な主権はすべて彼ら『中央』にあり、実質的に中央の権力により他の州が統治を定められ、自治を認められているというような具合だ。
そのため、今日における有事となった場合には、他の州の方針に関わらず中央政権であるオークランド政府が対処を各州に指示を出すことが出来る。
各州に配備されている州軍は、州の統治下にある軍であることに変わりはないのだが、大本を言えばソロモン連邦共和国軍という一つの枠の中の軍隊でしかない。彼らはそれぞれ独立している訳では無いのだ。
オークランド中央政権、事実上この国のトップの地位にある、
ヘルダーシュタット・フォン・ベルフリード総統。
あらゆる権力は彼の下に集まり、そして彼の手により分散させられている。
彼自身の手でそれを一手に集めることも可能だ。
国内でも数々の批判があがっているが、いざとなれば中央政権がすべての州を黙らせることが出来るこの現状を、連邦と言いながら実質の独裁国家と言う人も珍しくはない。
イグナート・リラン国防長官は、連邦軍最高位の地位を持ち、階級は元帥。
既に50年近くも連邦軍人としてこの国に仕えており、その軍歴に並ぶ人はほぼいない。
だが、リランは司令官職ではあるものの、全部隊を統率する指揮官の役割を持たない。
前線を適切に、かつ効果的に運用するのは指揮官の役割で、彼らを指揮するのがリランの役割である。
具体的な作戦を立案するのは別の人間である。
この場には30人ほどの政府要人や軍人がいるが、現場指揮官のほか、そうした作戦の立案に携わる専門家も参加している。
だが、作戦を立案するにも政府、国としての方針が固まらない限りはそれも出来ない。
今日の会議では、その方向性についての具体的な提案がなされるものとなっている。



「同盟国を見殺しにする訳にもいかない。即刻支援に出向くべきだ」
「敵の上陸作戦を阻止するには、制空権の確保と敵艦隊の撃滅が必要となるので、そちらへの攻撃を優先すべき」
「少し様子を見るべきでは?グランバートがアスカンタを攻略できるのなら、領土深く侵攻したところで手薄の敵国領土を狙えばいい」


まずは様々な意見が交わされた。
アルテリウスを何らかの形で支援することに異論はないが、その方法については意見が二分した。
まとめると、
“アルテリウスの領土を防衛するための支援を送り込む”方法と、
“アルテリウスの領土を侵攻している相手の本土を強襲する”という、二つの意見だ。
この時点で、ソロモン連邦共和国はいまだ宣戦を布告していない。
形式を整えるのであれば、いずれの手段を講じるにせよ正式に戦線に参加をすることを表明することが必要となるだろう。
だが、連邦共和国が正式に参戦をすることがどれほど複雑な意味を持つのか、政治家たちや軍の上層部も分からない訳では無い。
戦いには目的がある。
宣戦布告においてその目的が告げられることなど決してない。
しかし、ソロモン連邦共和国が宣戦布告するとなれば、どのような意図があってのことか、誰の目にも明らかであった。
そして、上層部の人間たちの間では、“主戦論”が多く取り交わされていた。
再興して暫く年月も経過し、軍事力において強大となったグランバート王国を、止めなければならない、と。
彼らが気にしたのは、グランバートが大国としてこの世界の実験を掌握することで、何らかの正義感から彼らを止める必要があると考えた訳では無い。
要するに、自分たちと同じ対等の立場になることを恐れたのであった。
もっともそれは、非民主国家と言われるこの国の民意などを無視した、特定の人たちのみの話ではあるが。



「では、アルテリウスを支援することに異論はなさそうなので、その線は採用するとしよう。まずは具体的方法だが………」
「アルテリウス王国陸軍は精鋭揃いと聞く。上陸されても陸戦部隊は足止め出来るだろう」
「混戦になる前に、制空権、制海権をこちらの手に戻すのはいかがでしょう。奴らが好き勝手荒らす前に」


などと色々な意見が出る中、リラン国防長官は、
『レイ大佐はどう思う。』と、特定の一人に対して意見を求めた。
彼の名前が口にされた時、ざわざわとしていた室内の空気が一気に引き締まった。
沈黙が生まれた中での発言となったレイ。
周りの目線を浴びながらも、彼は立ち上がって話す。


「海を越えた大陸の特性上、支援を送り込むことになれば、現地での補給を受ける必要があります。しかし、実際にアスカンタ大陸が戦場となれば、こちらが兵士を送り込んだとしても、長期的な物資不足に陥り支援どころではなくなるでしょう。であれば、支援する形としては、こちらの補給物資を最前線またはそれに等しい前線に送り込むこと、最前線が内陸まで押し上げられるのを防ぐために、航空支援や海上支援といった形を取るべきと、思います」


皆がそれぞれの意見を交わす中で、彼はそれらの意見をまとめたうえで、考えられる懸念を述べて方向性を示した。
アルテリウス王国を全面的に支援し防衛するのであれば、連邦軍の陸戦部隊を大陸へ送り込む方が良いだろう。
しかし、アルテリウスにそれだけの物資を別に用意できる余裕があるとは思えない。
となれば自前で用意しなければならないだろうが、海を挟んだ向こうの大陸まで継続的に補給物資を送るのは難しく、またグランバートにその気があればこちらの補給線を寸断する作戦に出ることも考えられる。
そうすると、かえって状況を悪化し、アルテリウスの支援どころの話では無くなってしまうかもしれない。
彼の懸念に皆が納得を示す。


「………確かに大佐の話す通りだな。陸戦部隊を送り込むのは避けた方が良いだろう。」
「賛成です。それに、アルテリウスの陸戦部隊は精鋭揃いです。そう簡単に敗れはしないでしょう」
「レイ大佐が話すのなら、私もその意見に乗りかかるとしよう。」



結局、彼の提案した内容に加筆修正されたものが採用され、彼の発案がベースとなった。
陸戦部隊の派遣を大陸では行わず、航空戦力と海上戦力を大陸に差し向ける形となった。
またその際、グランバートとオーク大陸の間に広がる海域は、敵の攻撃を受ける可能性があるために、派遣される部隊はオーク大陸の北部に駐留する部隊が選定された。
ソロモン連邦共和国軍第五艦隊。
オーク大陸北部を拠点とする艦隊である。
基本的には大陸北部の海域を防衛、監視する役割を担う。
この会議の場には、第五艦隊司令官のロッティル中将もいるので、内容の伝達はすぐ行われた。
航空戦力の支援を受けながら、第五艦隊は直ちに北方海岸を出航し、アスカンタ大陸南部を目指す。
敵は上陸作戦を実行するために、艦隊を大陸南部へ派遣しているところだろう。
そこを側面から攻撃する。
制空権を取られている状況での戦闘となるために、艦隊を防衛できる航空戦力を伴っての作戦となる。



「おおよその作戦は決定した。各部隊には直ちに行動開始が出来るよう準備をしてもらおう。それから、公式には同盟国の支援という形でアルテリウスへ出兵することとして、グランバートに対しての宣戦布告は現時点では行わないものとする。以上、解散。」



最後、リラン国防長官が締めくくり、会議は終了となった。
ぞろぞろと皆が立ち上がり、それぞれの活動へ移ろうとしている時に、リラン国防長官がレイ大佐のもとを尋ねた。
そして耳元で「私のオフィスに来てほしい」と、他の誰にも聞こえないような小さな声で囁いたのだ。
レイは何も言わずただ小さく頷いた。
他の誰にもしなかった行為をレイにだけ行った。
それを見ている人もいたが、彼にだけ用があるのだろうということで、特に気にすることもなかった。
リランに言われたとおりに、レイはその後すぐに執務室を訪れた。
自分の事務室を寄った後ではあったが、そこにはリランのほか、ベルフリードもいた。
「…………。」
この国のトップに位置する存在。
ベルフリードとは既に何度も話をしたことがある。
だが、今でも彼は総統が同席しているところでは、表情を硬くしてしまいがちになる。
リランとベルフリードに案内され、彼は着席する。
応接室にあるような立派な本革仕立てのソファに腰を下ろすと、その質感の高さが肌で感じられる。


「―――――――――君と、今後のことを話したい。この国のことについてだ。」


それは、リラン国防長官から伝えられた言葉ではあるが、同時に彼としては違和感を憶えた。
この国のことを話す、重要な会談のようにも思われるが、であれば自分のような軍人ではなく、政治家を呼んでするべきではないだろうか。
しかも、リランは政治の実質的な権力を持ちえない職業軍人。
確かに、軍の最高位ともなれば政権に対しての力添えも出来るだろうが、軍人の国政への介入は一般的にはされていない。
元々、ソロモン連邦共和国は独裁体制の傾向が強い。
民衆から選抜された政治家が議会に参加する、などというような民主主義の体制は取っていない。
だからといって、軍事独裁政権という訳でもなく、民衆からの声は集められるが、実際に話し合いが行われた後施政されるだけのことで、民衆の代表者が参画するような体制にはなっていない。



「このままいけば、遠からずこの国の内外で激しい戦闘が起こるだろう。10年前の再現になるやもしれん」
「……………。」



10年前。
この大陸全土を巻き込む、大きな戦争があった。
それ自体は「50年戦争」と呼ばれていた戦争と同一の時系列上にあるものだが、
この戦争で、ソロモン連邦共和国は大きく疲弊した。
今までの戦争とは比較にもならないほど、短時間で激しい戦闘が繰り返され、甚大な被害をもたらしたのだ。
文明の発達により、戦争の形態も徐々に変化している。
最新の技術力が戦争に投入され、ある意味で実験場となった。
当時この大陸の南西部を領土に持っていたエイジア王国は、ソロモン連邦共和国との全面戦争に突入し、幾度となく戦闘を繰り返した。
ソロモン連邦共和国にとっても、全面抗戦の様相がとられたのは久々のことで、互いに鬩ぎ合う攻防となった。
更に、別な勢力の台頭とその攻撃の被害を受けたソロモン連邦共和国は、幾つもの州が軍事衝突によって機能を停止し、多くの犠牲者を出す事態となった。
最終的にソロモンは戦争には勝利し、またエイジア王国の滅亡とその領土を直轄地とすることで肥大化することになったが、その傷跡は深く抉られており、回復するまでにかなりの時間を要した。
この大陸で戦争が起き、しかも相手があのグランバート王国となれば、また10年前の時のような凄惨な現状が訪れる可能性が高い。



「戦いが止められないにせよ、出来る限り早期に終結させる必要があるだろう。そこで、この国の舵取りを今後どうすべきか、君の意見を参考にしたいのだ」

「なぜ私を?将官クラスの人なら他にもいますし、佐官の私に聞かなくとも………」


一応、彼は確認をした。
なぜ自分が選ばれたのか、純粋な疑問を投げかけるようにして。



「物事を相談するのに何もかも将官クラスが適している、という訳ではない。君は先の物がよく見えている。その見識を活かして欲しいのだ」
「…………買被りです」



レイは、
元々この国の出身でも無く軍人でも無かったが、10年前の戦争で『彼ら』と共闘関係を築いたギガント公国と同盟関係を締結することに成功し、オーク大陸での戦闘支援を受けられる体制を整えた手腕の持ち主である。
その時の評価と実戦における戦績を高く評価されて、戦後はソロモン連邦共和国軍に引き抜かれる形で、この国の復興と軍事面での協力に従事し続けてきた。
彼の計画によって、多くの事業が回復、起業し、それが国の復興に大きく前進するキッカケとなったことも多い。
そしてそれが多くの人々の為になったことも事実であり、そのおかげもあってか、軍内部でも、また人々の間でも彼の存在は広く知られ、尊敬されている。
それを訝しむ人間も無論いるのだが、総じて彼の存在を認め、高く評価する者が多い。



彼の手腕には驚かされることも多い。
だが、実際に彼という存在が日の目を見られるようになったのは、やはり当時の『50年戦争』を終結させるに至った、英雄的存在であるからだろう。



「正直なところ辛辣な話ではあるが、アルテリウスはグランバートの侵攻を防ぎきるのは不可能だと思っている」
「…………。」

「かの国の陸軍は精鋭揃いだが、あくまで陸戦部隊だけで、総合的な軍事力で言えば圧倒的にグランバートが勝る。上陸され、精鋭の部隊が敗北するようなことになれば、瞬く間にアスカンタ大陸はグランバートの侵攻を受け、王都にまで達するだろう。無論、同盟国が簡単に敗北するような事態に支援しない訳にもいかない。だが、彼らの目は遠からずこちらを向くに違いない。…………この意味が分かるか?」



「………“彼ら”を見棄てるつもりですか?」


それについて、二人から明確な返答はなかった。
だが、リランの話す内容の真意は、彼には明らかであり確信を持っていた。
同盟国である以上、有事の際の支援はするべきだろうし、実際に会議で決定したことだから実行される。
しかしそれは形の上でのこと。
同盟関係にある国に形式上の支援を行い、実際は自国の領土のある大陸を守る為の行動を最優先とする。
全力でアルテリウスを支援する方法を取らないことを、彼はここで確信した。


「アルテリウスの戦力と合わせれば、アスカンタ大陸内部の侵攻もある程度食い止められるでしょう。何も彼らを見棄てて本土決戦に備えずとも」


「見棄てるのではない、利用するのだ。グランバートはこれまで幾度となくアスカンタ大陸に攻め入ったが、その悉くが失敗に終わった。しかし、今の技術を持ってすれば、今回は制圧してしまうかもしれない。だが、それには多くの人員、補給物資を必要とするだろう。グランバートがアスカンタ大陸への侵攻を行っている間、ソウル大陸の守りは手薄になるはずだ」


「まさか、逆に侵攻しようと………!!?」



そうと決めているのなら、態々自分に聞かずともそれを実行すれば良い。
だが、リランもベルフリードも彼を呼び、ある一つの方向性を彼に説明した。
既にリランとベルフリードとの間でその方向性について話し合いが進められていたものとされるが、この方向性を取る前に、彼に聞いてあらゆる考えを聞き出そうとした。それが彼をここへ呼び出した理由の一つである。
アスカンタの防衛には限界がある。
アルテリウス王国の防衛に主力を注いでも、グランバートの侵攻を防ぐのは難しいだろう。
それよりも、侵攻により手薄となったところへ攻撃を加えて、やがて来るかもしれない“オーク大陸への侵攻”を防ぐ。



「あのカリウスなら、二正面作戦を避けるために、こちら側へも何らかの対策をしていることでしょう………!」
「ほう、レイ大佐は敵軍の将たるカリウスを、高く評価しているようだ」


「…………旧知の仲です。あの男に抜け目がないことは、よく理解しているつもりです」



10年前の戦争を終結させるのに大きな功績のあった人物のうち、レイとカリウス、この二人が最後の戦いまで行動を共にしていたことは、多くの人間が知る既成事実である。今でも最後の戦いに参加した生存者で当事者もいるし、また当事者でなくとも、歴史書の中でそのような記載をする文献があるのも明らかである。
かつての戦友であり、お互いのことはよく知れている。
レイのその言葉には、これまでの経験した事実による説得力が強く感じられた。
ソロモン連邦共和国がたとえソウル大陸への侵攻を行ったとしても、それに対応できる手段をカリウスは持ち合わせているだろう。
こちらが動けばそれらを動かすだろうし、その行動を口実にして、ソロモン連邦共和国に対しても宣戦を布告し戦争状態に入ることも出来る。
彼らの当座の目標は、あくまでアスカンタ大陸を支配するアルテリウス王国を撃滅することにあるはず。
何故なら、彼らの代理の王を殺したのが、アルテリウスの関係者だとされているからだ。
そこへソロモンが別の理由で介入するようなことになれば、より戦乱の時代を拡大させてしまうに違いない、と彼は話す。
無論、そのような懸念をリラン、ベルフリードが理解していない訳では無かった。



「レイ大佐。貴方の仰ることについては、私たちにもよく分かります。あの大国グランバートです。たとえ復興して数年といえども、その力を侮る訳にはいきません。しかし、だからといって、ここで停滞していても、彼らは時を経ずしてアスカンタを制圧し、その矛先を次へ向けることでしょう。アルテリウス王国を支援した我が国を同類と判断し、それを契機に次なる戦いを仕掛けてきます。その時、一方的な防戦を強いられるよりも、グランバートに対し先手を打つ。これこそが、私たちの状況を少しでも好転させるに相応しいとはお思いになりませんか。」



そしてベルフリード総統が彼にそのようなことを話した。
ソロモン連邦共和国は、非常に複雑な情勢下にある。
アルテリウスとの同盟関係を結んでいる以上、既に支援策を講じてしまっている。
また、初動でグランバートとの間に海戦を交えてしまっている。
このことから、今はグランバート軍が二正面作戦を避けるために、アスカンタ大陸にあるアルテリウス王国を制圧することに注力しているが、それが終われば次の矛先は、ほぼ疑いようもなくこちらに向けられるだろう、と判断をしていた。
レイにもその話が分からないではない。
どのみち戦争は避けられないし、出血を強いられることにはなるだろう。
しかし、ソロモン連邦が明確に宣戦を布告してグランバートを攻め入るのと、彼らがこちらを攻撃の対象として侵攻しそれに対し反抗するのとでは、大きな差がある。
レイが懸念するのはまさにその点にある。
ソロモン連邦共和国が宣戦を布告するということが、どれほど恐ろしい意味を持つものなのか。
その点を蔑ろにする訳にはいかない。



「貴方がた二人の意見は既に一致しているものと思われますが、それならなぜ私を呼んだのです。既に意思が決まっているのなら、軍人に対しそれを命令すれば良いでしょうに」


「そう棘を生やすことはあるまい、レイ大佐。あくまで我々は君の意見を聞きたいと思い、呼んだだけだ。だが、君がこれらの意向に従うというのなら、君にぜひやってもらいたいことがある」


「…………私に…………」




…………。
言われなくとも、分かっている。分かっているつもりだ。
軍人はいつも政府の、上からの命令を受けて、ただそれを忠実に実行する道具だ。
道具は主の望むままの役割を果たすために存在している。
役割を与えられればそのために行動し、そして朽ちて行く。
いつの時代も、それは変わりのない普遍の摂理だ。
たとえ俺がどれほど否定したとしても、既に政府の方針は固められている。
とやかく言ったところで、何かが変えられる訳でもない。
なら、どんな命令にも従わなければならないのか?
それは違う。
たとえ道具でも、我々は意思の通う人間だ。
人間が生きる路には道徳というものが必ず付き添う。
それを無視して、一方的な行動を無条件で容認することなど、出来ない。



………だが、ある意味でこの二人に告げられたこの役割は、俺という人間だから、という意味合いが強い。



「…………強襲作戦の指揮を、ですか。」
「その通りだ。君に適任だと上層部は考えている。」


「………………。」



元々レイはオーク大陸の出身ではなく、ソウル大陸の「ラズール聖堂院」で育った。
しかし、ソウル大陸の出身であれば、オーク大陸の地元人に比べれば、向こうの土地にもある程度は精通しているだろう、という考えだ。
それ以上に彼を採用したい理由としては、グランバートの総司令官カリウスという男を、レイがよく知っているから、というものであった。
“旧知の仲”と彼自身も話す。
かつて、傍で共に戦い、10年前の戦争の終結に大きな功績のあった二人。
その界隈では『英雄』とまで言われることのある二人が、今や敵対関係にある。
後世の歴史家がこの戦いを論評するのなら、あまりに皮肉の詰まった状態とも言うべきだろう。
リランとベルフリードも、その状態をしようとした。
この強襲作戦を成功させるためには、まずソウル大陸に上陸する必要がある。
グランバートがアスカンタ大陸への侵攻作戦に注力している間、確かに隙は生じるかもしれない。
しかし、カリウスはアルテリウスと同時にソロモンと別方向で対峙するのを嫌うはず。
そのために、万が一アスカンタ大陸に集中している間に他所が攻撃されることがあれば、それに対応できるよう準備をしているに違いない。



「直接陸戦部隊を送り込むには、やはり空か海での移動が絶対に必要でしょう。しかし、直接ソウル大陸に乗り込もうとすれば、東海岸の中部から南部にかけては敵の第二、第五艦隊が布陣出来る海域です。グランバートにレーダー網は無いという話ですが、艦隊を封じ込め、かつ補給路を断ち、そのうえで敵の防空戦力を寄せ付けずに周辺海域の制空権、制海権を取り続けないことには、満足に陸戦部隊を上陸させることも出来ないでしょう。また、上陸させたらさせたで、それに呼応するだけの戦力を敵は有しているでしょう。攻め崩さない限り、隙一つ作ることすら難しい現状です」


それだけ、海を渡っての大陸を侵攻するのは難関である。
この60年近くの間、グランバートがその国力で幾度もアスカンタの利権を巡り、攻め入っては撤退し続けた苦い過去がある。
今回も過去その事例に沿った行動を起こしているのだが、今度ばかりはグランバートも成功させるのではないだろうか、というのは、他国の思惑で共通する部分である。
理由は、増幅したグランバートの軍事力とその技術の高さにある。
かつての戦争と内戦で大きく疲弊し、国家そのものを再編する事態となった王国ではあったが、現在の軍事司令官の地位にあるカリウスは、そんな状況でも国家と国力を再興、再構築させる実力とカリスマ性を持ち合わせていた。



「勝機を生み出すとすれば、行動そのものが敵軍にとって予想していない奇襲によるものである必要があるでしょう。」
「なるほど、奇襲か。たとえばどんなだ?」

「幸い、敵にはレーダー網がなく、こちらの軍の接近を感知するのは直前になります。初めて見つけてからでは対処も難しいでしょう。相手にとって準備不足と思われる時間帯、その場所を狙い、橋頭保を確保するのです」


「…………夜戦というわけか。」



敵地に直行して乗り込むのは難しいかもしれない。
だが、相手の警備が手薄になる時間帯、相手の防御の薄いところに奇襲攻撃を加えることが出来れば、一気にそのエリアを拠点として、ソウル大陸への侵攻を行うことは出来るだろう、と。
何も正攻法で海上から正面切って戦おうとしなくとも良い。
自分たちにとって最善とされる方法を取ることで、自軍の被害を軽減することは出来るだろう。
レイは、自分自身がグランバートとの全面対決を強く望んでいないにも関わらず、連邦軍にとってより良い選択となり得る作戦案を提示している。
彼の意思に反して、自分たちが無駄な犠牲を払うことを避けるために、交戦する場合の状況を好転させるための努力をしているのだ。
しかし、彼のその作戦案も、彼自身がそれほど肯定的に思ってはいない。
攻撃を実行するのに最適な場所、最適な時間帯を選び、尚且つそれらが適切に実行に移されれば、成功する可能性は大いにある。
だが、この作戦を実行する場合、多くの民間人を巻き込む可能性がある。
敵に二正面作戦を展開させるだけならば、連邦軍の艦隊と空軍を王国軍のそれらにぶつければ良い。
それだけでなく、長期的にグランバートを追い詰めるには、ソウル大陸への侵攻も視野に入れる必要があるだろう。


「民間人に犠牲者が出るのを軽々に容認する訳では無い。が、それを言えば、これからグランバートがやろうとしていることもまさにそれだろう。戦いが始まれば、多くの者が犠牲となる。それを少なくするのも重要だが、戦争が長期化すればより犠牲は増える。そうならないようにするための手段だと思ってもらってもいい」


「…………」


分かっているとも。
戦う以上、兵士だけが死に逝くのではない。
国同士の戦いとなれば、その国の中に住まう者すべてが巻き込まれる可能性がある。
“自分たちは関係ない”
戦争に加担しない市民の大多数は、そのような考えなのだろう。
その気持ちは充分に分かる。
だが、それでも。



「君がソウル大陸に降り立てれば、カリウスという男も君を意識するだろう。兵員や編成の相談は幾らでも乗る。まずは一つ、君の構想で具体的な作戦案を出してもらいたい。三日間時間を授ける」


「承知しました。微力を尽くします」
「話は以上だ。下がってよし」



用件が済むと、彼は部屋から退出した。
彼が退出した後で、残った二人で話をしている。
結果的に、今日彼を呼び出したのは、ソウル大陸侵攻作戦の指揮を執ってもらいたいという要請の為だった。
彼ら二人としては、ソウル大陸への侵攻を考えていることに、彼がどのような反応を示すのかを知りたいという一面もあった。


「やはり、レイ大佐は侵攻作戦をよく思いませんでしたか。」
「ええ。」


ベルフリードがまるで予想していたかのように話す。
それに同調するリラン国防長官。
彼がどのような反応を示すのか、知りたかった二人にとっては、結局は予想通りの反応であったということになる。
レイは、自軍にとって最善となる方法を長い目で推測することが出来ている。
その識見は、連邦軍全体を見渡しても秀でた才能から導き出されるものとして、重宝され重要視されている。
だからといって、彼が否定的な態度を取るので作戦を執り行わないとか、そのような形で左右されることはない。
寧ろ、軍人という型に留めたまま、必要とあれば彼の力を存分に借り、発揮してもらおうとすら考えている。
当然といえば当然だろう。彼はこの国の一兵士であるのだから。



「“レイが動けば、カリウスがそれに反応する――――――――――。”、それによってオーク大陸への侵攻を少しでも食い止めることが出来るでしょう。彼の立場、彼のこれまでの経緯を利用することにはなりますが、これも国には必要なことです。」

「………納得はしないでしょう。それに、彼なら我々の思惑もとうに理解しているはず。それでも自分の立場を理解し枠から外れようとしないのは、彼の美点でもあり欠点でもあると思いますが」

「戦乱の時代を一時的とはいえ、終結させるのに多大な功績のあった人物、『英雄』とまで称されたほどの戦士………しかし、その経歴は事実です。兵士たちや人々に与える影響力も大いに期待できるでしょう。グランバートの人間とて、彼が動き出すとなれば意識を向けざるを得ません。我々がカリウスという男に抱いているものと、同じように。」


そう。
連邦軍にとっても、この国にとっても、かつてその名を轟かせた男がこの世界に台頭するということを意識しないはずがない。
その意味では、レイとカリウス、二人の台頭は両軍にも両国にも、大きな影響を与えることとなる。
お互いの軍勢が衝突することになれば、より戦争は苛烈さを増していくだろう。


この先の展開を知る者など、誰もいない。
ソロモンが動き出せば、それに反応する者たちがどれほどいることだろう。
人々はまだ、それを知らない。


………………。

第6話 情勢①


「………なるほどな。グランバート王国が、か………」


その日の夕刻ごろから、どうも教官たちの動きが慌ただしいものとなっていた。
事情を誰かに聞こうとしてもそのような雰囲気でもなく、右往左往しつつも何らかの情報を得て、そのために行動しているようだった。
ツバサとエリクソンの二人は、夜の自由時間中に図書館を訪れ、映像媒体などを閲覧できる部屋でその情報を知った。
グランバート王国空軍とアルテリウス王国空軍が戦闘状態となり、戦が始まったのだということを。



「このニュース映像には直接的な映像は流れてないね。」
「直接的っつうと?」
「要するに、現場を捉えた映像ってことだよ。映像そのものは前にも撮られたものだと思う。今は速報レベルでの内容であって、実際この両国がどのような戦い方をしてどのような結果となったのかは、僕たちにも分からないということかな。」

「なるほどな………最新の情報を得るには?」
「僕たちの力じゃあ、難しいだろうね。国家機密っていうお得意の言葉があるだろうから」


しかし、この速報を見るだけでも分かることは幾つかある。
その最たるものは、再び戦争の時代に突入するのだということを、実感する。
自分たちは今のところ直接的な当事者ではない。
ソウル大陸とアスカンタ大陸など、ここから何千キロも離れた先の、しかも海を越えた向こう側の話だ。
これは人々にとっても同じ気持ちだろう。
今はこうしてテレビという媒体を通じて、世界の現況を知ることが出来る。
だがそれが遠い国の、遠い地方の出来事であれば、自分たちに関わりあるものとは思わないのが普通だ。



「エリクソン。確か、俺たちはアルテリウス王国ってとこと同盟を結んだんだよな?」
「そうだね。同盟関係にある」
「つーことは、アルテリウスが攻撃を受ければ、俺たちの国は何らかの支援をするんじゃないか?」
「………確かに、可能性は高いと思うよ」



しかし、彼らの立場からすれば、とても他人事ではない。
何しろ彼らは戦争が起きれば直接的にそれに関わる場所にいて、その立場にあるからだ。
士官学校にいる生徒たち全員が、必ず兵士になるという訳ではない。
ここにはこの国の制度でもある、徴兵制度により半ば強制的に通わされている生徒も多い。
有事の事態に発展し、かつ彼らの力を必要とする時が来れば、たとえ生徒であっても戦場に動員される可能性が無いとは言い切れない。
誰もがその考えを持っていることだろう。
自分から兵士を志願してその道に進もうとしている人はいい。
だが、そうでない制度を順守するためにやってきた人たちの気持ちは、どう汲み取るべきか。



「まあ形はどうあれ、また時代が動き始めたってことだな。」
「…………?」


腕を組みながらその映像を注視し続けるツバサ。
それを横目で見たエリクソンは、この時ツバサが妙に達観しているように見えた。
ツバサは、自分からこの学校に来たという。
ここより東の地にあるタヒチ村というところで育ってきた同じ少年が、兵士を志してここまでやってきた。
戦いに赴くということは、自分の命が常に危険に晒されるということ。
そのような状況が容易に想像される中で、この人は自ら志願してここまでやってきた。
きっと、そこには明確な意思があり、覚悟も備わっているのだろう。
エリクソンは、彼のその姿と瞳を見て、そのように思ったのだ。
戦いの中で何かを見出そうとしている。



「………ツバサくんは、何のために戦おうって、考えているの?」



と、エリクソンの唐突な質問が彼に向けられた。
真剣な表情を浮かべながら映像を見続けていたツバサは、一瞬の間を置きながらも、笑みを見せつつ


「―――――――――いずれはこの戦いを終わらせるため。………ってのは、ちょっと格好が良すぎるか?」



冗談めいた口調で、恐らくは何ら嘘偽りのない、彼自身の決意を告げていた。



……………。


グランバート王国軍統合作戦本部
彼らの初戦は電撃的に展開されたが、見事に成功を収めた。
空軍を出撃させて、アルテリウス王国南部の領空に対し攻撃行動を起こした。
最新鋭のレーダー網を持つアルテリウス王国空軍もその反応を受けて迎撃を行ったが、元々アルテリウス王国軍の空軍の練度はそれほど高くなく、グランバート空軍に多少の戦果は挙げたものの、全体としては敗色濃厚であった。
結果、現在ではアスカンタ大陸南部、ヴェルミッシュ防衛要塞周辺の制空権は彼らの手に落ちた。
空軍が制空権を取ることが出来れば、次に上陸作戦を行う際の強力な味方となり武器にもなる。
その意味で、彼らがこの攻撃を成功させたのは非常に大きい意味を持つ。
既にアスカンタ大陸南部に向けて、上陸部隊を乗せた艦艇が航行している。
たとえ敵軍が海軍の行動を阻もうと、海軍をもって迎撃しようとも、制空権を確保した彼らの空軍が相手の艦隊を攻撃することが出来る。
初戦において優位な状況に立った彼らは、それでも浮足立つことなく着実に作戦を遂行していく。


「………………。」


軍務において参謀役の最たる立場にある、アイアス少将。
モニターに映されたあらゆる情報を頭の中で分析しながら、次なる行動を考える。
軍事に関する全体の総司令官はカリウスになるのだが、彼には兵士を動かす、作戦を導く権限があり、またそれを実行しなくてはならない立場でもある。
一人腕を組みながら様々なモニターを眺めている姿を見て、


「精が出るな。ほかの者は既に休んでいるというのに」
「………シュネイ中将。今回あなたは残留組ですか?」
「私だけでなく貴公もそうではないか」


「私はあくまで裏方ですから。それに、いざ戦いになったとしても、私は何ら役には立たないでしょう」



シュネイも総司令部所属の中将という立場であり、空軍指揮官のゲーリングや海軍提督のフレスベルドとは異なる立ち位置にいる。
ある意味では、カリウスらと似た、司令本部に属する存在であり、前線に出るかどうかはカリウスの判断に委ねられることになる。
しかし、その意味ではアイアスも同じだった。
彼の才幹と能力が現地の戦闘指揮に役立つものであるのなら、彼を前線に召喚することもあるだろう。
だが、前線には陸戦部隊がいて、陸戦部隊の中にも作戦指揮所が設けられ、そこでは目の前の戦いを優位に進めるための作戦が練られている。
アイアスに前線の指揮が出来ないということはないが、彼の本来の役割でないため、王都の司令部にいても何ら不思議ではない。
シュネイも同様ではあるのだが、アイアスのように参謀役を担っているわけでもなく、その立ち位置はやや不透明だ。



「貴公の言葉を鵜呑みにする訳ではないが、確かに貴公に手足を使って戦うというイメージが沸かないな。」
「そうでしょう。そのイメージのままで結構です。さて、ここに来た訳を聞きましょうか」
「何か詮索されているようで良い気はしないな」


隣で腕を組みながら不機嫌そうな表情を浮かべるシュネイと、それを横目に見て笑顔を浮かべるアイアス。
今この室内には二人しかいない。
アイアスだけが遅い時間まで残り続けていて、それに気づいたシュネイがここにやってきたという形だ。
特に理由もないと言うのが彼女の本音ではあったのだが、そうも言われると何か理由をつけてやってもいい、と考えるようにもなった。



「ぜひ貴公に聞いておきたいと思っていたことがある。それを聞くとしよう」
「ええ、どうぞ。」
「この戦争で貴公が目指すものとは、なんだ」



シュネイは厳格な性格を持つ女性で、可愛げのある性格でも無ければ、冗談を口にできるような軽々しい様子を見せることもない。
ある意味では堅物の女性であり、その真面目さは誰もが知るところである。
そしてその性格は実にハッキリとしたものであり、曖昧さなど微塵も感じられないような様相の持ち主でもある。
彼女がそのような人間であると知っているアイアスからすると、その質問はあまりにも抽象的すぎるものであった。
何に対しても的を射ていないような中途半端な質問。
だがそれでいて、広義的な考え方からその目的を割り出そうと考えているのかもしれない。
色々なことを考えながら、アイアスは彼女に話す。


「私は、この国の道筋を行きつくところまで示すだけです。元々私は補助係でしかない」
「参謀だからな、それは分かる。だが貴公にも己が望みというものもあるだろう」
「………己が望み、ですか」



それまで不敵な笑みを浮かべていた、彼の表情が一気に引き締まる。
一瞬だが、彼は視線を落とし僅かながらに俯いた。
純粋に戦う兵士であるのなら、国に仕える軍人であるのなら、公私混同せず国の為に忠を尽くすべきだろう。
アイアスのその気持ちに変わりはない。
自らの起こす行動が国の為になればいいと本気で考えている。
その立場にあるし、それが出来る近いところに自分という存在がいる。
しかし、シュネイはあえてそのようなことを聞いてくる。
国に仕える軍人としては、あまり考えるべきではないことなのかもしれない。



だが、彼は話す。


「己が望み………そうですね、もしも“願う”ものがあるとすれば、」



声色さえ変わり、まるで自らの心に刻み込むように、また念じるように、


「この世界から、争いを無くなることを――――――――――――。」


その言葉を、アルテリウスの人間やほかの国々の人が聞けば、明らかな矛盾として強烈に批判されることだろう。
何しろ彼らグランバートは、今回の戦争を仕掛けた側になる。
アルテリウスが絡む一国の国王代理の事件をきっかけにしているとはいえ、その矛先を向け行動を起こしたのは彼らだ。
そしてその真意が明らかとなっていない状態で、両国は戦闘状態となった。
いつかこの戦いが終わるときがくるのなら、その責任の一端を負うことになるのは間違いないであろう。
だが、アイアスはそのように話す。
いつかこの世界から、争いが無くなることを。
そんな、誰もが思っているようなことを、願うように告げるアイアス。
まるで求道者のようだった。
シュネイには、そのように見えたのだ。



「シュネイさんこそ、戦歴は長いでしょう。この戦いにかける思いなど、あるのでは?」
「私のそれは貴公のものとは大きく違う。ともあれ、この国の立場にあるなら、やるべきことをする、ただそれだけのことだ」
「そうですか。まあいいでしょう。あまり心の内は軽々と明かすものでもないでしょうからね」



彼としては、シュネイの思惑を少しでも引き出せるかと思い逆に聞いてみたのだが、口が堅いというのもあるのか、心の内を語ることはなかった。
彼女の場合は他の人にも例外なく、彼女自身の心の内を語ることがあまりない。堅物と言われる所以でもある。
しかし、そんな彼女がある程度の信頼を寄せているのだから、不思議に思うこともある。
因みに、アイアスは他の人たちからすると“素性の知れない上官”“謎めいた人物”という認識を持たれている。
シュネイとそう変わらないではないか、というのは、彼がそのような噂を聞いた時に思うことの一つだ。
だからといってその認識を否定することも無いのだが。
今度、シュネイはモニター越しに報告されている状況を自分なりに分析した。
制空権が取れた状況なら、次の作戦では上陸部隊を乗せた艦艇が海岸線に接近することになっている。
その前に敵艦隊がそれを阻止するために展開してくるだろうが、空を制圧している彼らの前では効果は半減だろう。



「貴公はどう見る。これからの戦況」
「まずは上陸できるかどうかでしょうけれど、航空戦力が豊富ですから、そこまでは特に問題もないでしょう。敵は海岸線に防御線を敷いて私たちを迎えます。逆に狭い土地での戦いになりますから、奇策を用いる余裕もありません。問題があるとすれば」

「………陸戦部隊で混戦になった場合、か」


混戦となれば、航空戦力の援護は望めない。
何故なら爆撃などの手段は、味方をも巻き込む可能性が非常に高いからだ。
上空から、そして海上からの援護が望めなくなれば、陸戦部隊の近接戦闘により戦況を作り出す他ない。
そうなれば、陸戦部隊において精鋭揃いと称される『王国騎士団』に、彼らがどれほど戦えるかがポイントとなる。



「いいのか?ロベルトの直属部隊を派遣させたそうだが」
「構いません。それに、ロベルト少将もそれをお望みのようでしたから」
「彼奴は実戦好きのようだからな。しかし、ロベルトの第一師団を動かせば、東方と南方の警備が手薄になると思うのだが」


「………問題ありません。“アレ”が完成すれば、たとえ敵が裏を突こうとしても、そう簡単にこちらの大陸奥深くには近づけないでしょう」



不敵な笑みを浮かべながら、腕を組んでモニターを眺めるアイアス。
暗い室内と明るいモニターのコントラストで、より一層彼の表情が浮き彫りとなり、まるで悪人のような絵面がそこにはあった。
シュネイも“アレ”の存在を既に知っている。
そしてそれはもうすぐ実戦配備される予定になっているのだが、無論、これをソロモン連邦共和国の陣営は一切知らない。
たとえ彼らがソウル大陸への侵攻を企てたとしても、それに対応できる手段を持ち合わせている。


「それに、貴方の直属の連隊もある。陸戦において今のところ問題はそれほど大きいものではないでしょう」
「過大評価してもらうのは勝手だが、私にしてみればそう静観出来るものでもないな。本土を強襲されれば何かと厄介だ」
「でしょうね。連邦がこの戦いを長期化させないためには、いち早く私たちを潰すことが手っ取り早いでしょうから」


そして、彼らはソロモン連邦共和国がアルテリウス王国の支援に回るだけでなく、ソウル大陸への侵攻を行うであろうことを既に予測していた。
もし、グランバート王国軍がアルテリウスの侵攻後にオーク大陸を攻め入るようなことがあれば、さらに戦闘は苛烈さを増すことだろう。
そうなれば戦争そのものが長期化する可能性が高い。
他の国が参戦しないとも限らないが、今の時点ではソロモンとグランバート、アルテリウスの三つの国が激しく絡み合っているだけで、他の国々は傍観者となっている。
世界中を巻き込むような戦争になれば、これまでの時代と何ら変わりのない昏迷の時代を再び呼び起こすこととなる。
だが、それを知っての行軍だ。
行き付くところまで行くのであれば、その時代も覚悟しなければならない。
元よりこの戦いはそのような趣のあるものだ。
しばしの休息のあと、再び戦乱の時代が世の中を覆い尽くす。
いずれは多くの人々を巻き込む時代となることを、多くの人々が既に予想してしまっていた。


誰一人、そのような昏迷な時代から逃れることは出来ないのだ、と。


一方、グランバート王国空軍の前に成す術なく、甚大な被害を出したアルテリウス空軍航空戦力部隊は撤退し、ヴェルミッシュ要塞の後方約50キロにある野戦場に退避していた。
航空戦力が敗退し、敵の手に制空権が渡ったことを知らされた各々の軍隊は、次の攻撃対象がヴェルミッシュ要塞であることを確信し、それぞれ準備などを進めさせた。
ヴェルミッシュ要塞からそれほど遠くない位置にある街や村では大規模な疎開が行われ、街は自然とゴーストタウンと化し始めていた。
元々アルテリウス王国空軍に期待を寄せていた人もそれほど多くはなかったのだが、実際に味方の軍勢が敗退したとなれば、いよいよ戦場がアスカンタ大陸へと進出するだろうと不安の声を挙げる人も多い。
当然といえば当然だろう。
自分たちの故郷が他国により踏み荒らされてしまうのだから。


そうなると。
人々の期待は世界中に名の知れた『王国騎士団』へと向けられる。


「王国騎士団がいれば安心じゃ」
「きっと、あの人たちが守ってくれる」
「出来る限りのことはしよう!」



王国騎士団は、王国軍の陸戦部隊の一連隊名称であって、彼らの総称ではない。
アルテリウス王国軍第一陸戦師団所属第七陸戦部隊 通称「王国騎士団」
しかしながらその部隊は、アルテリウス王国の繁栄と共に存在し続けている、陸戦部隊の精鋭であり、王国民でも兵士を目指す者たちにとっての憧れの存在でもある。
かつては王室や王都の警備といった格式高い任務もこなしていたのだが、現在では近衛兵団が組織され、役割が明確に分類されている。
―――――――――――強大な力のある存在が身近にいれば、人々はその存在へ信頼を寄せる。
まるで言い聞かせるように、しかし信用を集めながら、彼らがいれば大丈夫だろうと人々は考えていた。
『王国騎士団』という名前がどれほど人々に影響を与えているか。
その名前にどれほどの人々が縋っているのか。


だが、現場の人間たちは、この現状に強い危機感を持っていた。



「ああ、マルス様。こちらでしたか」
「“ユアン”か。どうした」


ヴェルミッシュ防御要塞の外壁に面した高台に一人、彼は海辺を静かに眺めていた。
王国騎士団長マルス准将と、彼のもとを尋ねたのは、マルスがよく知る兵士の一人で、名をユアンと言う。
マルスが26歳なのに対し、ユアンは18歳と更に若い。
マルス率いる王国騎士団には副長と呼ばれる団長補佐の役割を持つ者がいないが、ユアンは秀でた能力の持ち主であり、また兵士たちからも慕われ、マルスからの信頼も厚いことから、事実上の副長扱いをされることがある。
彼は王国騎士団に勤め始めて3年と、まだ日も浅い。
だが、他の兵士たちが事実上そのような立ち位置に居る、と彼を評価するのには幾つかの理由があって、その一つが秀でた近接戦闘能力であった。
こと剣術においては、団長のマルスと匹敵するほどの実力者とも言われている。
王国騎士団は、騎士団員の中で日々訓練をし互いを高め合っている。
その訓練において、マルスと幾人かの年長者は指導者の立ち位置にいるのだが、実戦部隊の訓練においてユアンに勝る者は今のところいない。
それを多くの兵士が知っているので、彼を高く評価しているのだ。
そんな彼の階級は、現在大尉。
在籍三年で、しかもその間一度の戦闘も無かった人間の出世街道としては、あまりに異例過ぎるものだった。



「シェザール少将が、諸将を集めて会議を行いたいとのことです」
「そうか、分かった。すぐに行こう。」



風が吹き、マルスの羽織る真紅のマントが音を立てながら靡く。
彼は静かに、曇り空に覆われ、雲の切れ間から降り注ぐ光の階段を見ながら、


「…………この戦い。たとえ敵軍を抑え込めたとしても、我らに勝機は無い」


「っ…………!!」


ユアンは横目でマルスの表情を見た。
団長はいつもと変わらない姿でいる。
彼の知る団長の姿は、団長らしく皆を統率し、覇気に満ちて、それでいて優しさと強さを兼ね備える、誰からも信頼されるような人物だ。
その団長が何か後ろめたさを感じさせるような姿を見せることはない。
ユアンは、今の団長が何か虚しさを感じさせるように思えた。
言葉の声色が、前を向いている人の出るものとは思えないような。



「それは、この要塞を以てしても、でしょうか。」


「この要塞を堅守することそのものが、我らにとっては不利な状況となるだろう。防御線の戦力だけ見れば、こちらが圧倒的に有利だ。しかし、こちらは海岸線に布陣し、それ以外に敵に対し奇策を用いるような空間的余裕もない。こちらの戦力が大きな痛手を受けることになれば、要塞は忽ち甚大な被害を出してしまうだろう。」


「数で圧倒しているのであれば、陸戦では余力もあるのではありませんか」


「そうではない。これまでの時代の戦い方ならそれでも良かった。だが、今は軍事技術が前面に出てくる時代だ」



ただの近接戦闘で戦争が進められるのであれば、陸戦を主体としたアルテリウス王国はそれなりに善戦出来る。
と考えているのはマルスだが、同時に今はそのような時代ではないことを知っている。
既に移り変わった戦闘の形態。過去の事象を学ぶことは大切だが、それが今の時代の戦いに復活することは無いだろう。
ヴェルミッシュ要塞には固定砲台もあり、海上より上陸してくる敵に対しては強固な防御線を展開することが出来ると予想されていた。
しかし、その要塞そのものを攻撃されてしまえば、中にいる部隊は混乱を来すだろう。
マルスはまさにその点を危惧していたのだ。
要塞は確かに強力で、敵もこの要塞を無視することは出来ないので、間違いなくここで戦闘は発生する。
だが、敵としてはこの要塞を“奪う”必要はない。
彼らアルテリウス王国軍は、敵の侵攻を防ぐために防衛線を維持しなくてはならない。



「いまだ陸戦における近接戦闘は戦いの中心だが………技術の革新が戦争の形態そのものを変えるのも、そう遠くはないだろう」
「ある意味で、この時代の戦争の姿が今後の教本となる、訳ですか………。」
「そういうことになるだろう」



――――――――――王国騎士団は確かに強い。だがそれは、既に時代遅れのものとなっている。



騎士団長たる立場の者がいう言葉とは思えない、とユアンは思ってしまった。
だが、それが全くの見当違いの話をしているのではなく、理に適っていることも同時に分かってしまう。
王国騎士団の歴史は長く、戦闘分野における強力さは世界中が知るところである。
だが、たとえ戦闘力の高い集団だとしても、戦艦の砲撃の前には無力であり、打ち破る術などない。
しかし、だからといって来るべくして訪れるその瞬間を前に諦めることなど出来ない。
どのみち戦いは始まるし、始まっている。


「ユアン。私は、戦闘が不利な状況に陥れば、この要塞を放棄し余力を残して撤退する提案をするつもりだ。」
「……………!!」
「この要塞を維持するのに、それほど大きな意味はない。それよりも、後ろにある大事なものたちを守るべきだろう」


さて、行こうか。
彼はそう言い、真紅のマントをはためかせながら、その場を去る。
複雑な心境のまま、ユアンもマルスの後に続く。
晴れている時のヴェルミッシュ要塞から見える海岸線は、とても美しいものだ。
もしこの辺りに街でもあったとしたら、ここは良い海水浴場にでもなったことだろう。
しかし、そのような未来は永遠に訪れない。
この場所は、このより互いの軍勢が鬩ぎ合う死地となるのだから。


………………。

第7話 ヴェルミッシュ要塞攻防戦《前編》


グランバート王国とアルテリウス王国の開戦の報は、瞬く間に世界中へ広まった。
これまで10年ほどの休息の期間があったが、それがいよいよ終わりを迎えたのだと誰もが確信した。
他の国々の人にとっては、遠い国のテレビの中での出来事のようにしか思えなくても不思議では無い。
しかし、そう思えない人々が大勢いたのも確かだ。
これまでの、特に10年前の大陸中で発生した戦争は、多くの人々を巻き込む惨事だった。
今回もそうなるのではないかと考えると、遠くの国の出来事であっても軽視することは出来ない。
そう思い、そう考える人が多かった。
この二国間が戦闘状態に入ってもまだ、静観し続ける国も多くある。
戦争を始めたグランバートと隣国にあるソウル大陸南方のギガント公国も、オーク大陸内でソロモン連邦共和国と隣国にあるコルサント帝国も、それ以外の国々も具体的な行動を示すには至っていない。
ソロモン連邦共和国の、アルテリウス王国に対しての支援行動が秘密裏に進められているが、実質的にこの段階ではアルテリウスとグランバート、この二国での戦いとなっている。
あえてそこに首を突っ込もうとはしない、という考えかもしれない。
自分たちの国が切迫した状況に陥るというのなら、考えを改めるかもしれない。
この時点では、まだ明らかになっていないことは多い。


6月2日。
アルテリウス王国軍大陸南岸防衛線『ヴェルミッシュ要塞』


5月30日にアスカンタ大陸南方の海域上空で戦闘が発生して以来、三日間ほど目立った行動には至らなかった両軍。
アルテリウス王国側からすれば、自軍の空軍が大きな被害を受けて撤退した後、すぐにでも仕掛けてくるものと考えていたが、レーダー網にはその後空軍も海軍も引っ掛かることが無かった。
しかし、この日の午前11時頃。
突如としてレーダーに反応が現れる。


「レーダーキャッチ!進行速度から敵の艦隊と思われます!!」
「………来たか。直ちに迎撃艦隊を出撃させる!少数でも良い、空軍にも出撃を要請しろ!」



レーダーに表示されたのは、速度の遅い物体が12個。
その進撃速度から、間違いなくグランバート王国軍の艦隊であろうと判断した。
ヴェルミッシュ要塞の司令官シェザール少将は、直ちに迎撃の用意をするよう司令する。
司令が伝達されると、要塞内は警報が鳴り響き、戦闘態勢を告げる。
グランバート王国軍は、北方艦隊の第三艦隊を出撃させており、この時点ではレーダー網の範囲外、後方に空母ヒューベリック、補給艦を引き連れている。
艦隊そのものは戦艦、巡洋艦、駆逐艦という構成であり、レーダーだけではその識別は難しい。
艦隊がレーダーに表示されてから、海岸線沿いに辿り着くまでには数時間を必要とする。
この距離感は、しかし空軍の戦闘機であればものの数十分程度である。
いずれにせよ、敵の艦隊がこうして姿を現したということは、ヴェルミッシュ要塞への攻撃作戦を開始したと言っても過言ではない。



「空軍より返信あり!“可能な限り迅速に空域へ向かう”とのこと!」
「よし。アインツ提督は!?」
「既に軍港に出撃命令を出しているとのことです!1時間以内に全艦隊が出撃します!!」
「よし!ヴェルミッシュ要塞外縁部の陸上砲台をすぐに稼働状態へ!!」


ヴェルミッシュ要塞は、海岸線からなだらかに傾斜を上がり、高台を越えた先に位置する。
この傾斜角を利用し、要塞の外壁部には無数の固定砲台が設置されている。
海岸線から上陸して来るであろう陸戦部隊を、砲台の雨によって迎撃する目的がある。
さらに、要塞内部には何重にも張り巡らされた坑道とそれを移動するためのレール、トロッコがあり、外壁部の各砲台に弾薬が補充できるよう、坑道が繋がっている。
砲兵は、砲弾を補給するために運ばれてくる砲弾を運ぶものと、砲台そのものを操作する者とで分かれる。
また、それらの砲弾を各砲台へ配置するための武器庫の管理をする兵士とがいる。
すべての砲台が一斉射撃をすることはまずないが、間断の無い連鎖攻撃を行うことは可能で、敵を袋叩きにすることが可能だ。
シェザールの指示ですぐに各レールが動き出し、砲台に弾薬を補給していく。



「マルス様!いよいよです!!」
「敵が近づいてまいりました!!」


そして各陸戦部隊にも、いつでも戦闘状態に入れるように通達された。
王国騎士団の団長たるマルスも、司令を受けて執務室から詰所の方へやってきた。
詰所の中の兵士たちの士気は高い。
これから絶望的な戦いが待ち受けているというのに、彼らはやる気に満ちている。
この要塞を、そしてこの大陸を守る為の要であるとの自覚が彼らの心身を高揚させていた。



「敵がすぐ陸上にあがってくる訳ではない。戦闘が始まるまでにはまだかなりの時間を必要とするだろう。各々、準備を怠らないように」
「ハッ!!」



今日の彼は、真紅のマントの下に青銅の鎧をまとっていた。
とはいっても、前進が鎧だらけの戦闘服ではない。
鎧を着込めば防御は見込めるが、行動に大きな制限が掛かる。
特定の急所となりやすい部位を防御し、かつ全身を身軽にするのが彼の戦闘スタイルだった。
キシキシと鎧の音を立てながら、彼はレーダーを映すモニターの傍へとやってきて、両手を組んでその光景を見ていた。
敵艦隊がゆっくりと、しかし確実に接近しているのが分かる。
この艦隊の進軍に対し、アルテリウス王国軍は要塞すぐ近くの軍港に待機していた艦隊を迎撃部隊として出撃させるほか、既に制空権を取られているものの、上空からの援護を行う為に少数の空軍勢力の増援を要請している。



…………少しの間はあったが、確実に敵は上陸して来るだろう。
だが、正面から堂々と侵攻は出来ないだろう。
この要塞の防御力をアテにしている訳では無いが、陸戦部隊にとってこれほど無数の砲台は脅威のはず。
となれば………。


「要塞正面は砲台に任せる。我々は、外壁より出て右側面に展開し、敵部隊が上陸し迂回しようとするのを阻止する」



後々の展開を考えると、この時のマルスの判断は要塞内部の崩壊を防ぐ手立てとして有効なものであったと、多くの生存者が証言するところとなる。
敵は正面から突撃するような愚行はしないだろうと、あえて要塞を離れて片方に陣を構えることで、敵部隊が側面から要塞内部へ回り込もうとする、挟撃体制を取ろうとするのを防ぐ狙いがあった。
王国騎士団は、ヴェルミッシュ要塞の増援という形で本国から送られてきている。
現在の統率者はこの要塞の司令官であるシェザール少将となるのだが、シェザールはあえて王国騎士団の統率を行わず、士気旺盛の現場に運用をすべて任せたのだ。
シェザール少将は、ヴェルミッシュ要塞の常駐部隊を指揮することとなる。
それからのこと、一時間以内にアルテリウス王国艦隊が迎撃の為に出撃をする。
アルテリウス王国の三つの艦隊群のうちの一つである。
グランバートの王都で国王代理暗殺事件が発生した直後、グランバート王国軍は北方艦隊の空母ヒューベリックから艦載機を出撃させ、第二艦隊を攻撃した。その際の損失が激しく、南方に増援として振り向けられた第三艦隊と第二艦隊の残存兵力とが結集して再編成されていた。
その第二艦隊が迎撃を行う。
アルテリウス王国の第二艦隊を指揮するのはアインツ提督で、階級は少将。
既に航空戦力も出撃し始めているが、制空権を取られ、かつ戦力に差のある状態での迎撃となった。


――――――――――アルテリウス第二艦隊旗艦「オーガスタ」


「敵艦接近!有効射程到達まであと10分!」
「敵は紡錘陣形を取り、速度を維持しながらこちらへ向かってきます、閣下」
「攻勢あるのみ、ということか………左右に陣形を広げつつ、攻撃を加える。散開急げ。対空防御も怠るなよ」



アルテリウス王国海軍の総数は13隻。うち4隻が先日の戦いによって中破した第二艦隊の残存艦艇である。
元々数で劣るアルテリウス王国海軍。
それに対し、グランバート王国は第三艦隊を派遣し、17隻の戦艦、巡洋艦、駆逐艦を揃えている。
さらに後方には補給艦と強襲揚陸艦、そしてレーダー網の探知外に第三艦隊所属の空母ヒューベリックが航行している。
アルテリウス王国海軍には空母が一隻も存在しないが、この場合は大陸から出撃できる空軍があるので特に問題にはならない。
ただ、数において劣勢で、しかも万全な状態で交戦することも出来ない艦艇が数に含まれているのが問題だった。
無論、アインツ提督はそれを理解したうえで、敵が紡錘陣形を取って突撃し、中央部を中心に攻撃してくることを予測していた。
敵が中央部を圧迫しようとするのなら、こちらは両方向からクロスファイアポイントを作り出し、敵艦隊を挟撃する。
その狙いで、あえて陣形を左右に広げに掛かったのだ。



―――――――――――グランバート王国海軍第三艦隊旗艦「ヴェルンホルム」



ソウル大陸の北方海域を防衛する主力艦隊の第三艦隊は、空母一隻、戦艦10隻、駆逐艦12隻、巡洋艦10隻を構成する大規模な艦隊である。
今回の作戦で派遣されたのは、前面に展開する17隻の艦艇と、後方でレーダーに掛からない海域で待機する空母と、その空母を防衛する艦艇で、留守を預かっている関係で軍港待機している艦艇もある。
ソウル大陸北方海域を防衛するこの艦隊は、アスカンタ大陸とオーク大陸の北西部に対するけん制を兼ねた重要な戦力であり、また艦隊規模も大きく攻撃能力も非常に高い。
十数年ほど前から海上における艦艇同士の戦いが始まり、はじめは数隻程度のものが、今となっては数十隻まで膨れ上がっている。
さらに、艦艇の種類も豊富になり、各々の技術力の高さをある意味で誇示する機会となっている。
グランバートのそれは、特筆して他と異なる種類の艦艇は存在しないが、そのどれもが秀でた能力を発揮する。



「セルゼ少将。敵は左右に陣形を広げ、我が軍を包囲し三方向から挟撃を行うつもりのようです」
「手負いの艦隊が分散行動か。何も恐れる心配はない、距離を縮めながら長距離砲を発射、射程内に侵入後、連装砲で一気に攻撃を加える」



アルテリウス王国の艦艇主砲が射程外なのに対し、グランバート王国艦隊は各艦艇に一門しかないものの、長距離砲を持っており、既にアルテリウス王国軍をその射程に捉えていた。



「長距離砲、装填完了!」
「撃て。」



第三艦隊の司令官セルゼ少将の発令と共に、直ちに長距離砲による一斉射撃が開始された。
この長距離砲は一発ごとの装填が必要で、口径の大きさから装填にも時間が掛かる。
そのため接近戦でこの砲門が使用されることはまずない。
しかし、こうして敵の艦隊が主砲の射程内でない場合でも、一方的に撃ちこむことが出来るので、艦隊戦では重宝される。
また、こうした戦術はこれまでの戦争の形態からも生まれていなかったもので、ある意味で実戦で試しながらその効力を見極めるという狙いもある。
グランバート王国海軍がそのような戦術を取れる武器を持っていることをアルテリウス側は知らず、一方的な砲撃の開始に困惑を隠しきれなかった。


「奴ら射程の外から………!!?」
「正確な射撃です!決して当てずっぽうな射撃ではありません………ッ!!」
「長距離射程の砲撃ということか………!」



長距離砲撃は、射程こそ優位に立てるものの、砲撃の精度は短距離連装砲に比べると劣る。
しかしそれもある程度は砲手の力量によってカバーすることも出来た。
グランバート王国海軍の砲手はいずれも高い精度の撃ち込みが出来ていて、射程圏内となるまでの10分間、ひたすらアルテリウス王国海軍は砲火に晒された。
アルテリウス側からすれば、この10分間はほぼ何もすることが出来ず、回避行動もとれず陣形を乱すばかりであった。
その中で、更に艦隊の後方から複数の高速で移動する物体をレーダーが検知する。
航空勢力の接近であった。
既にここはアスカンタ大陸の南岸部、アルテリウス王国の領海深い位置である。
ここまで艦隊を押し進めることが出来るのも、空軍による制空権確保が大きな意味を持っているからだ。



「レーダーに感あり、航空戦力と思われます!」
「対空砲火開け!!」



飛来したのは、後方の海域に待機中の空母ヒューベリックから発艦した艦載機である。
既に領海上を航行しているヒューベリック。
艦載機は弾薬搭載量と航続距離に難を抱えているが、敵の領海内まで入ってしまえば充分に作戦可能である。
アルテリウス側も残る航空戦力を使用して艦隊の防空任務にあたるが、数においては劣勢のままであった。
アルテリウス王国艦隊が射程距離にグランバートの艦隊を捉えると、直ちに攻撃を開始し砲弾を叩きこんだ。
しかし、上空から艦載機が接近して艦上爆撃を受ける。
艦載機の接近に合わせて対空砲火を展開する艦隊。
銃撃が激しいとその分防御力に乏しい艦載機は回避せざるを得なくなる。
だが、グランバート軍は低空、あるいは対空砲の死角となりやすい直上からの攻撃を行った。



「戦艦ヘルテン轟沈!!」
「敵艦さらに接近!!」
「閣下!このままでは………!!」

「…………!!」



単純な話ではあったが、手負いのアルテリウス艦隊と万全を期したグランバートの艦隊とでは、数においても、また能力においても差があり過ぎたのだ。
少ない航空戦力でグランバートの第三艦隊を強襲し、自軍艦隊を防衛しながら戦ってはいるが、その航空部隊も艦載機群に次々と撃墜されていく。
艦隊戦が始まってから30分ほどで、既にアルテリウス艦隊は6隻の艦艇が撃沈された。
一方でグランバートの第三艦隊は中破が二隻だが、すべての艦艇が自力航行可能な状態にある。
さらに航空戦力でも圧倒的な数の差が戦力に浮彫となり、艦隊戦においては一方的な展開になりつつある。
アインツは、これまで分散させていた艦隊を密集隊形に集約し、火力の集中により敵の戦艦に致命傷を負わせる作戦に変更した。
それでも事態を収束することは出来ず、被害は広がる一方であった。
アルテリウス艦隊は海岸線沿いに後退しながら攻防を繰り返した。
しかし、海岸に近づけば近づくほど座礁する危険もあり、身動きが取れなくなる可能性が高くなっていた。


「敵の進撃速度は遅くなりましたが、こちらもこれ以上の後退は航行不能に陥る危険があります………!」
「追い込まれたか………ん、あれは!?」
「小型艦………でしょうか………!!?」


アルテリウス艦隊の旗艦オーガスタも艦上攻撃により中破の状態に陥り、レーダー受信装置を破壊されてしまっている。
そのため、敵の動きをレーダー上で掴むことは出来ない状態であった。
アインツや他の海兵たちが目にしたのは、アルテリウス艦隊の右側面から、戦艦とはかけ離れた小さなサイズの艦艇が高速で移動している姿だった。
小型艦はそのまま高速で戦闘海域を離脱していく。
しかしその進む方向とその意図は明白だ。


「………奴ら要塞の側面に回るつもりか………あれは上陸部隊で間違いない!すぐに要塞へ迎撃要請を!!」


その指示を出しながらも、少しの違和感を覚えたアインツ提督。
こちらが劣勢とは言っても、まだ海域は戦闘で荒れに荒れている。
離脱する小型艦艇にどれほどの陸戦要員が乗艦しているかは分からないが、たったあれだけの艦艇から降りた兵士たちでは、到底ヴェルミッシュ要塞を攻略することは出来ないだろう。
正面から敵が上陸することは無いと想定されているが、それにしても数が少なすぎる。
何か別の手段があるのではないかと勘ぐってしまうような状況だった。
しかし、要塞司令部との連絡は混戦により途絶えがちで、しかもレーダーは受信できない状態に陥っている。
戦況を把握することが困難な今、敵の意図を読み取るには情報が少なすぎた。
それでも目前の敵を倒すことに集中するしかない今の現状。
苦しい状況下にあることに変わりはなく、無数の砲弾が艦隊を攻め立てる。


「こちらは現在中破が二隻。砲塔が破壊され攻撃能力を失った巡洋艦が一隻です。対して七隻を撃沈しております」
「今のところそう悪い状況ではないな。だが………」


グランバート海軍にはレーダーが無い。
しかし、その代わりにある程度遠くまで視認できる望遠レンズをすべての艦艇で所有している。
常に自分たちの後背の海域を目視で確認している。
また防空任務を行っている艦載機は、数機で戦闘海域の外周を周回しながら上空からの偵察活動を行っている。
今、第三艦隊司令官のセルゼ少将は、艦橋ではなく展望デッキにいた。
そして進行方向ではなく、戦艦の先端から見て南東の方角を見ていた。
上空を旋回し続けている艦載機からの報告が入り、それを確かめる為に態々外に出向いたのだ。
望遠レンズの中に見える景色。
まだ薄く白い景色が多い海上で、黒い煙が立ち昇る。
自然のものではない、人工物。
無機質で普通は海上に存在するはずもないもの。
そしてこの作戦において、その存在が現れるのを危惧していたが、それが現実のものとなってしまった。


「…………間違いないな。」
「はい………あれは、ソロモン連邦艦隊です」



ここで、同盟関係を結んでいるソロモン連邦共和国が、アルテリウス王国に対し支援行動をする、その意図が明白となった。
同盟国の危機的状況に黙って見ているとも思っていなかった訳だが、やはりといった心境を持つ現場の軍人であった。
作戦を進めるタイミングとしては非常に相応しくない。
艦隊戦は圧倒的に有利な状況にある。
このままいけば、一時間と経たずに敵艦隊を行動不能に追いやることが出来るだろう。
だが、その一時間の間に、ソロモン連邦艦隊との射程圏内に入る。
そうなれば、片や正面には要塞を、後背からは連邦艦隊を相手にすることになり、たとえ有利な状況でも軽視出来るような状況ではなくなる。
既に強襲揚陸艦は別行動を開始し、陸上へ上陸する用意を進めている。
だが、艦隊の巡洋艦にも陸戦兵士はいて、かつ小型艇もまだ発艦出来ていない状況にある。
挟み撃ちにされるのは厄介だし、かといってここに留まると挟撃を受ける。



「………よし。残った艦船に集中砲火。行動不能に追いやった後、直ちに反転。長距離砲を要塞側に、連装砲は艦首に向け、接近して来るであろう敵艦隊に備える。急げ」

「はっ」


後方より接近するのは、ソロモン連邦共和国第五艦隊。
ロッティル中将率いる戦艦8隻、駆逐艦12隻の艦隊である。
グランバート艦隊はそれほどダメージを負ってはいないが、ここで背後を強襲されるのはダメージが大きくなる。
その前に正面向いて迎撃態勢を整えようと考え、セルゼ少将は各艦に指示を飛ばした。
その直後、主砲副砲すべてが稼動し、間断のない攻撃が行われる。
また上空からは艦載機が爆撃を行う。


「………連邦軍が来る前に、何としてでも固定砲台を潰しておかなくてはな………」



アルテリウス艦隊を相手にこれ以上の損害を出すことは無いだろう。
しかし、敵の数とその練度からしても、ソロモン連邦艦隊を相手にすれば傷を負わずに済むはずがない。
犠牲者を多く出すことになるだろう。
何としてでもその前に陸戦部隊を上陸させ、要塞に攻め入る態勢を整えなければならない。
セルゼ少将は、即時通信にて航空部隊の増援を要請する。
既にグランバートの第三艦隊は、アルテリウスと一戦交えている。
戦闘継続は可能だが、所持する弾薬が充分足りるという状況でもなく、また兵士たちの疲弊を考えると、二戦目に突入すれば更なる被害が拡大する可能性は充分に考えられた。
そのため、防空能力を強化して、連邦艦隊と出来るだけ対等な条件で戦おうと考えたのだ。


だが。
そのようなこと、連邦軍は既に看破していた。



ソロモン連邦空軍 第二航空団第203飛行隊



数ある航空団の中でも、空戦のベテランと秀でた能力を持つ操縦士のいる部隊が第二航空団である。
ソロモン連邦空軍第二航空団は、オーク大陸の西部から北西部にかけて防空任務を持つ部隊である。
普段から隣の大陸や領海における防空任務を帯びているため、日々訓練を欠かさずに飛び続けている。
オーク大陸への空軍勢力の進出を防ぐ目的もあり、熟練のパイロットと生え抜きで選ばれた凄腕の兵士が多く所属している。
連邦軍にとっては主要の航空部隊ということだ。
アルテリウスのヴェルミッシュ要塞と彼らの接続空域が近いことから、艦隊の防空とグランバート艦隊の攻撃を目的に、今回は派遣された。


「聞いたか?レンツ。奴さん空も海も健在だって言うじゃねえか」
「程度、想像がついていただろうユリアン。俺たちの立場は至って単純。ただ目の前の敵を倒せばいい」
「まあそうだな。奴さんよりは複雑じゃねえか」
「そういう難しいことは上の人たちが考えてくれるだろう。どのみち俺たちは“現場の人間”だからな」



既に第203飛行隊は戦闘空域へ侵入しており、アルテリウスを通じて戦況の報告を聞く形が取れていた。
艦隊はほぼ機能を停止しつつあり、防空任務にあたっていたアルテリウス空軍も数を減らし続けている。
そのため、戦況は全体的に劣勢であるとの報告を受けている。
嘆くように次々と愚痴をこぼすのは、危機的な状況の中でも陽気さを保っていたいとする、彼らの心の持ち方なのかもしれない。
その方が何より気楽に考えられる、と。
彼らは上の命令に従いここまで派遣された現場の部隊である。
現場の兵士に求められるのは、ただ一つ、戦果を挙げること。
結果をもたらすために最大限の努力をすることで、戦争の本質を考えたり、今後の方針を立てたりするような戦略的な部分は、彼らには必要ない。
精々関係するとしたら、この飛行隊を統率する指揮官くらいなものだろう。
ただ目の前に敵がいるとの情報があり、それを叩き潰すのが彼らの仕事だ。



「よぅし、愚痴はここまでだ。ヴェクター隊長、目標は?」
『敵艦隊の上空にいる防衛部隊を殲滅する。航空戦が優位になれば、艦隊を攻撃できる。いいか?』
「了解。それじゃあ、やるとしますか」


戦闘空域へ突入する連邦空軍。
連邦軍の接近は、グランバートにとってはある程度予測は出来ていたが、そのタイミングまでは掴めていない。
そして、彼らが来ることが分かってはいても、最悪の想定であることも理解していた。
アルテリウスにとっては欲しい援軍の登場であり、両国の同盟関係が軍事面においても有効であることを証明する瞬間であった。



「敵戦闘機、急速接近!」
「迎撃せよ。戦闘機の接近を阻止する」



こうして、後に『ヴェルミッシュ要塞攻防戦』と呼ばれるこの戦いの第二幕が上がる。
ソロモン連邦軍の戦線参加により、戦況は更に昏迷を深めていく。
一方で、グランバート軍の思惑はその裏を掻き、確実にアルテリウスの喉元へその刃を向けつつあったのだ。


………………。

第8話 ヴェルミッシュ要塞攻防戦《後編》


「――――――機関部被弾!!動力を維持出来ません!!」
「第二格納庫に直撃弾!!」
「損傷甚大!ダメージコントロール不能!!」



戦力、数、練度、配置、武器、どれをとっても有利な状況を作り出すことの出来なかった、アルテリウス艦隊。
グランバートの艦隊と真っ向から対峙し攻撃を加えたが、それ以上の夥しいほどの力を弾丸に変えて浴びせてきた。
ソロモン連邦艦隊の接近が分かると、より一層攻勢を強めて、一気に砲火を浴びせたグランバート艦隊。
グランバートの被害はそれほどでもなかったが、アルテリウス第二艦隊は壊滅的な打撃を受けていた。
その戦況の最中、第二艦隊の旗艦オーガスタが僅か30秒の間に、立て続けに戦艦の主力部に被弾。
機関室は破壊され、側面から数発の貫通弾を受けて、もはやダメージコントロールを行う余力すらなく、艦が傾斜し始めた。


「閣下。この艦の命運は尽きました………早く脱出を」
「艦長………分かった、艦を放棄させよう。ただし、動けるものは皆脱出させる。急いでくれ」
「はっ」


このまま生き残ったとしても、醜態を晒して敗戦の責任を取らされるだけだろう。
アインツの心の中にはそのような考えもあり、このまま艦と命運を共にすることも考えた。
しかし、それこそ目の前の状況から逃げ出すことにほかならず、指揮官がそのような身勝手な行動を取るべきではないと考え、出来るだけ多くの人を脱出させようとした。
価値観と考え方の違い。
彼はこのように考えたが、すべての人がそのように考えるとは限らない。
あるいは、生きていれば再戦の機会もあるかもしれない。
この場を生き残ることが出来るのなら、また戦う機会もあることだろう。
今はここで死ぬべきでは無い。
冷静に考え、判断を下し、そして彼は各員に指示を出した通りに、傾斜し続ける旗艦から乗員の3分の2を脱出させることに成功した。
アルテリウスはまとまった海軍戦力を喪失する。
一方で、グランバートは増援のソロモン連邦第五艦隊と接敵し、交戦状態となる。
いち早くアルテリウス艦隊を撃退した後、ソロモン艦隊に備えつつ長距離砲で要塞への攻撃を開始した。


「敵艦隊の長距離攻撃を受け、次々に砲台が撃破されています」
「そうきたか………これでは応戦できん。」


ヴェルミッシュ要塞の司令官であるシェザールは表情を歪めた。
この要塞の固定砲台は、上陸して来る敵に対しては無類の強さを発揮するだろう。
だが、砲台の射程外から撃ち込まれる攻撃に関しては、無力といってもいい。
艦隊戦力がグランバート艦隊と交戦している間は狙われる危険も無かったが、艦隊が失われ連邦艦隊が到着するまでの数十分間もの間、何も出来ないまま一方的に砲撃を受けることになってしまった。
その間に、グランバートは艦隊から分離した強襲揚陸艦を、要塞の側面につけて上陸を試みる。
比較的砲台の少ないエリアを選び、要塞の制圧に取り掛かろうとしたのだ。
海上では新たな戦いが、陸上では王国侵攻の第二幕があがる。



「ジュドウ隊、ジェイル隊は要塞内部の敵を掃討しつつ、移動用レールを破壊し要塞内輸送手段を寸断しろ。それ以外の部隊で要塞外縁部の敵を倒す」
「閣下自ら戦われるのですか………?」
「ああ。その方が性に合う」


今回の侵攻作戦には、ロベルト少将率いる第一師団の陸戦部隊が動員されている。
ロベルト自体は、陸軍の最高司令部に所属するクラスの人間であり、陸戦における最重要責任者という位置づけである。
その彼が自ら先頭に立って戦いを行おうと言うのだから、他の者たちも驚かずにはいられない。
もし彼の身に何かがあれば、戦線が崩壊しかねない、と。
だが、ロベルトは自らの剣によって道を切り拓くと話し、かえってその姿を見せることで他の兵士たちを鼓舞させようとしていたのだ。
元々彼は後ろで指揮をしながら戦況を見極めるような知性ある性格ではない。
自らも戦力の一部として加わり、状況を打開することを第一に考えている。
しかしそれも見込みのある戦いでこそ発揮されるもので、はじめから勝算の無い戦いには、たとえ上層部からの命令であっても異論を叩き味方の犠牲を増やさないとする思考がある。
その真っ直ぐな意思が、多くの兵士たちからの共感を得ていて、信頼を寄せられているのだった。


「現在空軍機が最後の爆撃中です。それが終われば陸上へは手を出せなくなります」


当然といえば当然だ。
味方が上陸した陸上でなりふり構わず上から爆弾を落とされては、味方ごと巻き込まれる可能性が高い。
そのような暴挙に出ることはない。
この要塞はかなりの広さを持つ要塞だが、内部はそれほど広くはない。
自軍も敵軍も展開する場所に余裕はなく、数千人規模の戦いが一ヶ所で起こることはまずない。
精々数百人程度の軍勢が互いにぶつかり合う程度だろう。
それ以下の、数十人規模での戦闘が無秩序に起こるような戦いを彼らは想定し、強襲揚陸艦では第一師団のごく一部の部隊のみが動員されている。
陸戦要員の数は圧倒的にグランバートが不利であった。
その分、彼らは艦隊からの長距離砲撃、空戦部隊からの空爆によって、要塞内にいる敵を一方的に無力化させ始めていた。



―――――――――――彼らの戦略に、はじめから要塞を奪取するなどというものはない。



アルテリウス、アスカンタ大陸への侵攻作戦。
この大陸発見当初からの主権を巡り、幾度と戦いを繰り広げてきた両国。
核心的な技術向上を迎えたこの時代で、それが遂になされようとしている。
この要塞は作戦が成功した後の橋頭保として大きな意味を持つが、彼らにとって重要なのは、ここを拠点として本国との輸送手段を確立することである。
要塞そのものはあれば便利なのだが、ここを奪取し堅守しようなどとは考えてもいなかった。



「よし、出るぞ!!」



この要塞にこだわれば、それこそアルテリウス軍と同じ羽目になる。
アルテリウスは、この要塞を防衛しつつ接近する艦隊、空軍を排除し、かつ上陸部隊とも戦わなければならない。
一度に多数の勢力と戦闘しなければならないのだ。
混戦状態になれば、それほど器用に各部隊と交戦できる状況を作れる人間などいないだろう。
強襲揚陸艦が彼らから向かって要塞西側の岸辺に辿り着き、上陸を開始する。
上陸部隊が接近するであろう地点にある固定砲台は、先程グランバート空軍が必要以上に爆撃を行い排除した。
第一師団の兵士たちが次々と海岸線から要塞方面へ駆け上がる。
各々に剣を携えて、目前の要塞兵を殲滅するために。
それに対するのは、王国騎士団。



「…………来たか。」
「マルス様…………」


第一師団所属第七陸戦部隊 王国騎士団


団長マルスの命により、あらかじめ要塞の東側に陣形を作っていた王国騎士団だが、その予想は見事に的中してしまった。
目の前の海岸から砂浜を経由して攻め上げるような、単純な敵ではないだろう、と。
当然と言えば当然だったのだが、それをいち早く見抜いていたマルスの読みは改めて鋭いものなのだと、各々の兵士たちが実感していた。
それは同時に、自分たちは彼らとの戦いを避けては通れないものなのだと理解することにも繋がった。
たとえ空と海で劣勢を強いられていても、この要塞があれば持ち堪えることが出来るだろう。
しかし、現に彼らはこうして陸上へ辿り着き、この要塞へ接近しつつある。



「………現有戦力で死守する。かかれ!!」
『『うおおおおぉぉぉぉおおおお!!!!!』』


グランバート空軍の空爆と海軍による長距離砲撃が止み、そのタイミングで陸戦部隊が攻撃を開始する。
王国騎士団と第一師団の属する部隊との戦い。
こと陸戦の力量に関して言えば、両軍は幾度か戦い合ったことがあるが、王国騎士団の実力はよく知っているところである。
ロベルト率いるグランバート陸軍も、実力差を考慮しなかった訳では無いが、この戦いにおいて奇策を展開できるような余裕もなく、陸戦における初戦は配置された敵部隊と正面から対峙する他なかった。
要塞正面から一方的に滅多打ちされるよりは遥かに良いとの判断だ。
だがこうも考えていた。
王国騎士団が展開したとき、こちらの犠牲は無視できないレベルになるだろう、と。


「ぐはっ!!?」
「おふっ!!!?」


陸上戦闘が開始してから10分。
ロベルト率いる本隊から分離したジェイル、ジュドウ隊は要塞の端から内部へと侵入に成功する。
一方で本隊は、王国騎士団の前に早くも劣勢状態となり始めていた。
純粋な力量差もあるが、それ以上に数における優劣がはじめからついていたため、劣勢の状況が展開されるのは想定されていた。
ロベルト率いる第一師団の部隊も、練度で言えば国内でも有数のものである。
しかしそれ以上に王国騎士団の陸戦部隊が強かった。
グランバートがかつての戦いで幾度となく敗戦した要因の一つでもある。
もっともグランバート王国は、王国騎士団という存在をそれほど昔から知っていた訳では無かったのだが。

「流石にやるな………」



…………だが、暫く持ち堪えれば。



ロベルト隊が王国騎士団との戦闘を行っている間、別動隊として要塞内部への侵入を開始したジェイル隊、ジュドウ隊も敵部隊との交戦を始める。
外で戦っている人たちに比べ、狭い空間の中、数の優位性が出にくい状況での戦いであった。
要塞内部は迷路のような構造で、どこへ通じているのかさえ彼らには分からない。
しかし、確実に分かることは、その迷路を繋ぐように列車用のレールが敷かれていて、彼らの目的はそれを破壊することであった。
これほどの大きな要塞であれば、あらゆる武器弾薬、人員の移動にレールが使用されるのは、何も要塞を下調べせずとも想像がついていた。


「必ずどこかにレールの集まる中心基地があるはずだ。探せ!!」
「はっ!!」
「ジェイル!俺たちが今戦っているのは騎士団の連中じゃないんだな!?」


「ああ、そのようだ。この要塞の駐留軍だろう」
「なら少しは俺たちでもやれそうだな………!!」
「そう、願いたいものだな。ッ!!」



第一師団のロベルト少将の下で、少数部隊を統率する士官の二人であるジェイルとジュドウ。
ジュドウは熱血で勇猛果敢は性格を持ち、一方でジェイルは冷静沈着なイメージが強い。
両者とも接近戦における技術力には長けていて、多くの兵士たちからその実力を認められている。
20代後半の二人は、先の『50年戦争』の最終局面を経験し、戦争終結後はグランバートに所属し、現在では大尉の地位にある。
無論、彼らだけでなく他の士官たちも似たような階級を持ってはいるのだが、この二人の年齢と階級の高さはあまり類が無く、若手でありながら陸軍のホープとしても知られている。
外で戦闘をしているロベルト隊は王国騎士団を相手に苦戦の状況であったが、要塞内部に侵入した彼らはどうにか優勢を保っていた。
しかしそれは、この要塞が狭隘で、敵の守備部隊が要塞の広さと人数の多さという利点を活かしきれていないという点に尽きる。
継続戦闘を行ううえで、彼らの消耗が多く蓄積されても、守備隊は次の部隊、また次の部隊と間断の無い防御陣を敷くことが出来るので、結果的に時間が経てば彼らが不利になるのは目に見えていた。
要塞攻略戦における陸上戦闘では、その劣勢具合をどのように覆すかが焦点であった。


「ハ、セイ――――――――ッ!!」


地上のロベルト隊と王国騎士団の戦い。
お互いに被害を拡大させてしまっているが、やはりここも人数差でグランバート軍が劣勢な状態となる。
アルテリウス王国軍は、この要塞守備兵力のほかに、王国騎士団を含む第一師団の第二、第三部隊の総勢1万8千名規模の増員を行っている。
グランバート海軍の砲撃と空軍による爆撃で、それだけでも多くの犠牲者が出ている状況だが、数だけで言えば現在でも優位な状況にある。



「っ…………あれは」
ロベルトは、既に自身で数え切れないほどの敵を斬り倒して前へ進み続けていたが、その過程、一人の敵兵士を見た。
他の兵士たちとは異なる色合いの鎧を身に着け、銀色に塗られた長い刀身を持つ剣を振るう、青年。
自軍の兵士が次々と殺害されていくのを見るのはあまり気持ちのいいものではなかったが、一目でその青年兵士がかなりの手練れであることは、戦っている姿を見て分かる。
強い兵士がいるのを確認した味方の兵士が、その青年を取り囲むようにして攻撃を行っても、僅か10秒後には全員が斃れてしまっていた。
しかも、青年には傷が無い。
ロベルトには、この男が王国騎士団と呼ばれる存在の中でも、特別な立場にある者だろうと確信した。
周りの兵士は戦い続けているが、ロベルトの存在に気付いたその青年は、静かにそこに在りながら、明確な殺意をロベルトに向けていた。



「――――――――――――。」



「………………。」


二人は互いに一歩も動かず対峙する。
まるでこの二人の時間だけが周囲から切り離されたかのようだった。
周りの兵士たちの戦闘よりも、目の前に立ちはだかる明確な強敵に意識が集中する。
青年のほうも、ロベルトの佇まいを見て、この人が他の兵士たちと何も変わらない人間ではないということを察していた。
そしてお互いの沈黙を破ったのも、その青年だった。



「貴方が、この部隊の指揮官ですか。」


「だったらどうする」


「私たちの為すべきことはただ一つです。ですが、私たちにも気になることがある」



「…………?」


たとえこの人が指揮官であろうとなかろうと、為すべきことに変わりはない。
であればこの問いは無意味なものか。
だが、自然とロベルトは聞く耳を立てて青年の話を聞こうとしていた。



「“あのカリウス殿”がこのような手段に踏み切るとは到底思えなかったのですが、これは彼の本意ですか。」


……………。
軍最高司令官の名前が青年の口から出される。
そして青年の口ぶりは、自分はカリウスという男を知っている、と言わんばかりのものであった。
その瞬間、ロベルトは察した。
この青年は、10年前の戦いで、カリウスと同じような立場で、あのエイジア王国とルウム公国の残党と戦ったのだ、と。
どのような経緯がそこにあるかは分からないし、聞いたところで自分にとっては何の意味もない。
そして青年から放たれたこの質問も、答えたところで相手としても重大な意味を持つものでもないと考えていることだろう。
だが、答えてやらないこともない。



「そうだ。お前の言うカリウス殿が、我らが指導者だ」


「……………。」


この質問が間違いなく回答であるとの確証もない。
ロベルトがグランバート軍において重要な位置にある存在だと察した中で問いかけた、その言葉。
青年は少しだけ目を逸らし、どこか遠い目をした。何かと決別するように。
だが、その直後。


「………なるほど。ではお互い、何の気兼ねも無い訳だ――――――――――――!!」



刹那。
男の視線はロベルトを突き刺すかの如く鋭く向けられた。
明確な殺意、膨れ上がる気配。
問いかけていた時の青年と、この瞬間の青年とでは雰囲気に大きな違いが見られた。
まるでその瞬間こそが戦闘開始を告げるかのように、青年は銀色の剣を振るう。
はじめは突き。直撃すれば内蔵が穿たれ、それだけで即死であろう。
驚異的な速度で迫ってきたその切っ先を、ロベルトは剣を横方向にタイミング良くスライドさせて弾いた。
突き動作は相手に直撃すればそれ自体が致命傷になるが、かわされた後の無防備さは大きな弱点となる。
ロベルトはこれまでの戦闘経験でそれの対応策をよく知っていて、また実戦したこともある。
同じように実行したが、相手の青年―――――――――――王国騎士団長マルスには通用しなかった。



「―――――――――――――!!?」



無防備になったと思われたところに打ち込んでも、手応えは何一つなかった。
それどころか、強い衝撃が全身に伝わり、激しい火花を飛ばしながら金属同士が交わる音が鳴り響いた。
難なく攻撃を防いだマルスは、体勢を立て直しながらロベルトに次なる攻撃を繰り出す。
マルスが攻撃し、ロベルトが防ぐ。
一進一退の攻防を繰り返すが、基本的にこの構図が出来上がり、ロベルトとしては苦しい戦いになりつつあった。
王国騎士団の名に恥じず、戦闘技術は今までに経験したことのない桁違いの強さを持っていた。
油断すれば一瞬で斬り込まれるだろう。
また、マルスは刀身の長い剣を使用しているので、間合いを広く取っても斬り込まれる可能性がある。
それよりは、お互いに身動きを自由に取り辛くなる接近戦の方が勝機があると考え、彼はあえて間合いの中、しかも近い位置での戦闘を続けた。
一方で、マルスの方も戦いを優位に進めてはいるが、歯痒い思いを持っていた。


「――――――――――――!!」
決まらない。
決められない。
剣速、力、いずれもこちらが上回っている。
しかし、どの攻撃も阻止される。
なかなかどうして上手くはいかないものだ。
グランバートにはこのような豊富な人材が幾人もいると言うのか。


互いに一歩も譲らない攻防が5分続き、流石に二人とも疲労の色を示して間合いの外に出て対峙する。
二人とも息を整えながら、互いを見据える。
ロベルトにとっても、またマルスにとっても、お互いにこれほど強い敵と戦う機会は久し振りであった。
そもそも戦争が再び始まって間もないこの頃、戦うことそのものが久々とも言える。
それまでは訓練などで実戦形式を幾度も経験してきてはいる。
だが、訓練と実際の戦闘とでは異なるものも多い。
特に実戦の空気感は、訓練とはかけ離れている。
何しろ訓練に二度目はあっても、実戦に二度目はない。
その剣が身体を斬り裂こうものなら、命は無いのだから。



「…………相当な手練れと見る。先の戦いの経験者か」


マルスからの質問だった。



「多少はな。………お前たちの噂はよく耳にしている。その噂は事実だったようだ」
「褒められた、と受け取っておこう。この戦いの果てに、貴殿らは何を見たいのだ」
「見たい?………見るべきものは決まっている。我らが軍が勝者たる地位につく。それだけのことだ」



―――――――――――たとえ再び、世界が火の手に包まれようとも、か。


要するに、マルスはこの戦いの目的がどこにあり、どこまで見ようとしているのかを聞いた。
ロベルトはそれには答えなかった。
当面の目標はアルテリウスへの侵攻にある。
その先の目的は彼ですら知るところではない。
知らないから答えないという単純な理由と、一軍人が自軍の機密情報を喋るという愚かなことをするものではない、という自制で彼には何も打ち明けなかった。
しかし、ロベルトはこう話す。
「自己の利益の為なら他人の手でも汚させる。それが国というものだ」
グランバートには、ウィーランドを殺害したのがアルテリウスだという確信を持って、その事実のもとに行動を起こしている。
アルテリウスを屈服させるまでその矛を収めはしないだろう。
だが、マルスが気にしたのはそこではない。
今のままでは、アルテリウスは劣勢を強いられることになるだろう。
場合によっては剣を下ろさなくてはならなくなるかもしれない。



その先に、グランバートがどこへ向かおうとするのか。
彼にはその興味があった。



「………いや、そうか。思えばこれまでの歴史の中でも、貴殿の国はそのような理由で大陸を攻めたのだったな。些か愚問であったか」
「そうだな。何も我々はすべての大陸を攻め上げようなどとは考えていない。だが、起きてしまった罪に対する報いは受けてもらわねば」
「報復は報復を呼ぶ。取り返しのつかないことになるぞ。」


「そうかもな。だが道筋を立てるのは上の人間の役目だ。我々現場の人間はただそれに従うのみ」



自分たちはただ、上の人間の言うことに従うのみ。
少将という立場にあるロベルトでさえ、そのようなことを平然と言った。
団長マルスはロベルトがグランバート第一陸戦師団の指揮官だとは知らなかったが、この兵士が普通の兵士ではなく、将官クラスの人間であろうことは予測できていた。
その人でさえも、現場で振り回される運命にある。
一体彼らよりも上の立場にいるであろう者たちは、何を考え、行動させようとしているのか。
そういった立場にある人間に近づかない限り、それが明らかにされることはないだろう。



「………さて、来たようだな。」
「ん…………あれは」



ロベルトたちが上陸してきた方角、遠い空から黒い塊が徐々に近づいてくる。
その光景に思わずマルスも動きを止めて凝視する。
空に浮かぶものである以上、あれが航空機であることは疑いようもない。
既に海上では艦隊戦と防空戦闘が展開されているが、まるでそれを避けるようにしてそれらは訪れた。
やがてそれらが接近して来るのを見て、マルスは確信した。



「………まさか………!!?」



やってきたのは、艦上戦闘機などと比べても遥かに大きい、輸送機。
速度こそ早くないものの、それらが10機以上も突然飛来して来れば不気味な光景に思えただろう。
輸送機は機体の胴体にあるハッチが開いている。
その光景を見てマルスは確信し、同時に恐れを持った。
このような作戦を思い浮かぶ、そして実行できる、グランバートの作戦に。
マルスだけでなく、他の地上で戦っていたアルテリウス王国軍の兵士たちが、それを見て驚愕した。
飛来した輸送機のハッチから飛び出してきたのは、人。
飛んでいる飛行機から、次々と人が降りてくる。
普通に見ればただの自殺行為にしか見えないのだが、降りてくる人からは傘のようなものを広げて速度を緩めていた。
グランバート陸軍は、要塞の上空で輸送機から兵員を下ろす。
アルテリウスの誰もが見たことのない、新しい手法でグランバートは攻め上がろうとしていたのだ。
この世界において“パラシュート降下作戦”が展開されたのは史上初めてであり、ヴェルミッシュ要塞攻防戦が歴史上後世まで語られることとなる戦いの理由の一つでもある。
この要塞戦は、双方の高い技術力と、それによって生み出された新しい手法が次々と投入される戦いとなった。


「空から人が!!?」
「あれも敵だ!」
「要塞各所に攻められるぞ!!」
「これでは挟み撃ちだ!!」


その光景を見た王国騎士団、ほかの陸戦要員も混乱に陥った。
目的は明らかなのだが、敵を要塞の東側でせき止めるどころか、要塞各所への侵入を許すこととなった。
ヴェルミッシュ要塞は広大な要塞ゆえに、出入り口もとても多い。
無論そのすべてではないが、至る所からまとまった数の兵士たちが着地しては侵入し始める。
要塞守備隊もフル稼働でグランバート軍を迎え討つことになるが、その斬新な攻略方法にたじろいでしまった。


「くっ………これが狙いか………っ!?」
「―――――――――どうする。たとえこの場で有利に戦えたとしても、後方が寸断されれば孤立するぞ」


後方を攪乱され、内部のレールを破壊され、地上では攻防戦が続く。
だがこの状況が長く続くとは思えない。
これほど広範囲に敵が侵入すれば、そのすべてを倒しきることは難しいだろう。
グランバート陸軍にそれなりの技量があれば、守備兵力など瞬く間に削られてしまう。
そしてこの男の言うように、自分たちの後背が安全圏でなくなったとき、孤立無援のまま挟み撃ちに遭う危険が高くなる。
そうなれば、たとえ王国騎士団と言えども甚大な被害が出ることは避けられない。
ここで敵を殲滅して後背に迫る敵に対応できるかと言われれば、それも難しい。
目の前の敵は、確かに時間を掛ければ勝つことの出来るような相手かもしれないが、犠牲が拡大するばかりだ。
その間に要塞の守備能力が次々と削がれていくことだろう。
―――――――――――――ここが決断の必要な時だった。
だがその思考を鈍らせるように、ロベルトが攻撃に転ずる。
突然の攻撃だったので、マルスも防御するので精一杯であった。
内心の焦りが顔にまで表れてしまっている。
それを見ての攻撃であった。



「っ…………!!」
お互いの剣が鍔迫り合い、激しく音を鳴らしながら火花を散らす。
交差した剣がギチギチと絡み合う。
剣術も剣腕もマルスの方がロベルトよりも上手であったが、焦りが技術を鈍らせ付け入る隙を与えてしまった。
それでも、いつまでもここでロベルトと相手をしている訳にもいかない。
急がなければ、要塞の各所で敵に突破され犠牲者が増え続けるか、捕虜になる可能性が増え続けるだろう。
少しの間防戦を展開したマルスであったが、決断した後にロベルトを一気に間合いの外に押し出し、かつ長い刀身の切っ先で素早く振り抜き、切っ先はロベルトの頬を僅かながらに斬りつけた。



「―――――――――――――」
そして一瞬にして間合いの外へ離れ、この場を離脱していく。
甲高い笛の音を鳴らしながらマルスが要塞側へ引き上げ始めると、その音を聞いた他の騎士団員たちも、目の前の戦いを放棄して要塞側へと撤退し始める。どうやらその笛の音が後退の合図だったらしい。
だが、そんなことよりも、気になることが一つ。
ロベルトは斬られた頬をなぞりながら、血の色を目で確認した。
この程度の痛みなど幾度も経験している。致命傷にもならないし、かすり傷程度だ。
後退していく兵士たちの背中を見ながら、騎士団長マルスの姿を目で追いながら、彼は思った。



最後の一振り、そしてあの脚力…………明らかに今までのものより早かった。



あの動きをはじめから使われていれば、攻防は長く続かずこちらが負けていたのではないだろうか。
そう思わずにはいられないほど、最後の一撃はあまりにも早かった。
確かに彼は間合いの外へ力いっぱい押し出された。そのせいで姿勢を崩しかけた。
反応が遅くなったのはそのためだろう。
だが、それにしてもあの速さは尋常ではなかった。
他の兵士たちが皆、あのような力を持っていたとすれば、この戦い、この要塞戦は攻略しきれないまま、逆にこちらが撤退しなくてはならなかっただろう。
もしあの男が、あの瞬間の動きを常に出来たとしたら、たった一人を相手に何十人が殺されただろうか。


「………………。」
「閣下。敵が後退していきます。要塞内部へ行くものと思われます」
「………要塞内部の制圧へ向かう。敵は戦線を縮小して逃げにかかるはずだ。要塞外へ撤退する敵は追わずに見逃せ」
「はっ」



王国騎士団長マルスの決断は、
パラシュート降下部隊が要塞各所を制圧し孤立する前に部隊を後退させ退路を確保すること。
要塞内部の敵を出来るだけ倒しつつ、守備兵力を温存して撤収の時間と空間を確保することであった。
この要塞を堅守する意味はなく、戦略的な価値も高くない。
固定砲台も破壊され、海上の味方艦隊は撃滅され、ソロモンの手助けがあって何とか全面攻勢を避けられてはいた。
しかし、仮にソロモン艦隊が討ち破られることがあれば、次はこの要塞を破壊しにかかるだろう。
退路を断たれる前に、ある程度の戦力を残して後退する。
彼はそれを伝えに要塞内部まで引き揚げたのだった。



ヴェルミッシュ要塞攻防戦。
その後、陸上での戦いが始まってから2時間が経過し、アルテリウス軍は全体として後退する動きを見せつつあった。


………………。

第9話 アスカンタ大陸侵攻


「敵の中央部に砲火を集中させよ」


「敵は連戦で疲弊している。攻撃の手を緩めるな」



陸上戦闘が更なる苛烈さを増していく一方で、海上での戦闘もより拡大する動きを見せつつあった。
ソロモン連邦第五艦隊が来援の為に到着し、グランバート第三艦隊との接敵状態に入る。
既にアルテリウス艦隊を破ったグランバート海軍ではあるが、いかが彼らでも連戦を強いられる状況は好ましいものではなかった。
敵の領海深くまで侵攻をしているため、補給艦による補給を受けられずにいる。
まだ搭載されている砲弾は数多くあるものの、それ以上に海兵たちの疲労が目に見えて映るようになり、問題視されていた。
長時間継続戦闘を行うのは難しい。
しかし、今グランバート海軍の海域配置が更に厄介な状態になっていた。
ソロモン艦隊は、ヴェルミッシュ要塞側にグランバートの艦隊を押し込むようにして布陣している。
要塞の固定砲台は大方破壊出来たので、後方から攻撃を受けることはない。
しかし、全面攻勢に出てきたソロモン第五艦隊と真正面から戦っても、有利な状況を作り出すことは出来ないと判断されていた。
アルテリウス艦隊との戦いでは殆ど損傷を受けなかったグランバート艦隊であったが、ソロモン第五艦隊との戦いで既に3隻が撃沈、1隻が大破と被害を拡大させてしまっている。



「このまま陸地側に押し込まれるのはうまくないな。このまま右に艦隊を流しつつ、敵との相対距離を維持する。伝達頼む」
「はっ」
「損傷した艦艇は出来る限り後方へ下がらせて、長距離砲での攻撃に専念させる。当たらずとも良い、それだけで威嚇にもなる」



グランバート第三艦隊旗艦ヴェルンホルムの艦橋で指揮をするセルゼ少将。
艦隊戦の状況は好ましくないものとなりつつあるが、それでも冷静に状況を分析して的確な指示を出していた。
各艦の統率も充分に取れており、劣勢に転落しつつある状況の中でもしっかりとした艦隊運用が出来ていた。
同じような状況がアルテリウス艦隊にもあったが、アルテリウスの場合は艦隊の運用面でも、ハードウェアという点でも劣っており、数においても劣勢であったため、状況が悪化するのが早かった。
グランバートは、それを艦隊の運用における練度の高さと士気の旺盛さ、そして堅実な指揮官による采配によって支えていた。
更に空戦においては両軍とも互角の勝負を繰り広げていて、グランバート軍が依然として制空権を維持出来ていたことも味方していた。
一方で歯痒い思いだったのは、ソロモン連邦第五艦隊のほうであった。
敵は連戦で疲弊も自分たちより遥かに多いはずなのだが、決定的な状況を作り出せずにいる。
この攻防戦が、ヴェルミッシュ要塞の攻略に時間的余裕を与えてしまっていることも理解できているのだが、空戦でも海上戦闘でも敵を突破できないとあれば、救援することも出来ない。



「………しかし、中々しぶといな」
「駆逐艦ヴォラニスク、撃沈。味方艦艇の被害も拡大しております」



グランバートの中でも危機感は募る一方だったが、ソロモン艦隊としてもこれ以上の損害が広まるのは避けたいところであった。
第五艦隊はオーク大陸の北方海域を管轄する艦隊で、他にも艦隊があるものの、他の艦隊の力を借りることになれば、派遣元の海域が脅かされる可能性が高くなる。出来ることなら、戦力を減少させたとしても致命傷にならない程度に済ませたいとも思っていた。
しかし、戦いが発生すればそれは難しい。
戦う以上犠牲は出るし、それを抑えることに越したことは無いが、状況がいつもそのように整えられるものでもない。
連邦艦隊も既に駆逐艦を4隻失っている。
幸い戦艦には目立った損傷はないが、それでも戦艦を失うことになれば、そう簡単に補充は出来ないだろう。
高い高度で制空戦闘が行われているおかげで、艦隊の上空に飛来する敵機は少ない。
しかし、もしグランバート空軍がソロモン空軍を討ち破ることがあれば、瞬く間に艦上攻撃をしてくるだろう。
そうなれば、あっという間に被害は拡大し甚大なものとなる。



「陸地とは連絡が取れないか」
「はい。混戦状態にあるようで………」
「そうか。しかし………敵に倍する兵力がありながら、攻勢を押さえられんとはな。」


……………侮りがたし、グランバート軍。



歯痒い思いを持つと同時に、敵の力強さに感心するロッティル中将。
今のところ互角の戦いを繰り広げているが、もしグランバート艦隊が初戦で無傷のままこちらと対峙していれば、結果はどうなっていたであろうか、と想像するロッティル。
だが、恐らくそれは近い将来に現実のものとなるだろう。
今の奴らの目的はアルテリウスへの侵攻なのだろうが、状況が変われば、恐らくは。



「…………本国へ連絡を。戦況を報告する。203飛行隊のヴェクターとも連絡を取れ」



ヴェルミッシュ要塞内部での戦闘は苛烈さを極めたが、状況は終盤へ突入していた。
というのも、王国騎士団の後退と呼応するように、要塞守備隊も後退しつつ撤退を始めていたからだ。
上陸したグランバート兵士と、要塞の守備兵力との差は歴然であったにも関わらず、グランバート軍は空からパラシュート降下作戦によって要塞各所に侵入し、そして次々と内部の兵士たちを倒して行った。
特にグランバート軍で要塞内部の制圧に尽力し多大な功績をあげたのが、第一師団の一部の部隊を指揮するジュドウ隊とジェイル隊で、二人の青年現場指揮官は勇名を馳せる結果となった。
それ以外にも幾人かの若手兵士が台頭し、グランバート軍の勝利を近づけさせていた。
アルテリウス陸軍の王国騎士団は、個々の能力は非常に高いものであったが、彼らだけが突出して強い戦力であっても全体としての連携が上手く取れていなかったので、思うような結果を出せずにいた。
そこに要塞各所を制圧されるような作戦に出られたので、彼らは早々に後退を決めたのである。
“この要塞を堅守することよりも重要な局面が必ず来る”と信じて。



「マルス様!!我々はまだ戦えます!!」
「そうです!我々の戦力なら、敵の一個中隊が相手でも………!!」


『駄目だ!!状況は既に決している。ここで無駄死にさせる訳にはいかない』


マルスとて、戦いたい気持ちは山ほどあった。
だが、これ以上の戦闘継続は、味方に要らぬ犠牲を出す可能性が高い。
“事実上第一師団を動かす権限を持つ”彼の裁量で、直ちに撤退が命じられる。
アルテリウスには、こうして各所に分配された兵力を正しい指揮系統で運用できない状態があったため、混乱を招いてしまった。
マルスは要塞司令部の統率が十全ではなかったため、第一師団としての統率を優先させたのである。
後日それが一部の人々の間で非難されることとなるのだが、この場合“仕方が無かった”と考える者の方が多かったのである。
何故なら。


「司令部への侵入を許したのか!?」
「グランバートめ………ッ!!」



『敵』は既に、要塞内部の司令部への侵入を果たし、次々とアルテリウス軍を撃破していたのだった。
ヴェルミッシュ要塞司令部は、戦況全体の把握とそれに対応するための中枢であり、高級士官なども集まるエリアだった。
要塞内部に敵が侵入した時点で各方面への殲滅を指示していたのだが、逆に殲滅されていたのは彼らの陣営であった。
要塞内部の構造に詳しくないグランバート軍が要塞を攻略できているのは、彼らにとってこの要塞は広いようで狭く、陸戦における力量がグランバート軍の方に傾いていたこともある。
また、各方面から挟撃するように攻め入り、更には要塞内部にある移動手段を寸断されたことで、要塞内部の状況を把握できず、また適切に人員を配置して防衛することが出来なかった。
退路も塞がれ、逃げ遅れた兵士たちは結果的に内部で死闘を繰り広げ、その末に斃れて行った。
司令部にまとまった戦力は残っておらず、侵入を許すと抵抗できずに殺されていく人が山ほどいた。


「………いかんな、これは。」


そしてすぐ近くまで敵が来ていることを、要塞司令官のシェザールも目視していた。
味方兵士の断末魔まで聞こえて来て、次々と斬り倒される鈍い音も迫っていた。
普通、司令部に敵兵の侵入を許す可能性があると分かった時点で、司令部を後退させるのが手段である。
しかしこの要塞の欠点として、退路を寸断され通信状態も混雑してしまえば、状況を確認する手段が取れなくなる。
その結果、近くまで敵兵がきて、要塞がそこまで制圧されている状況にあるのだと分かったのだ。
気付いた時にはもう遅かった。
グランバート軍兵士が要塞内を占領し、司令部に迫り、そして今、目の前に敵兵が現れる。
シェザールには戦う武器などない。
戦闘服を身に纏い、カツカツと重たげな靴の音を鳴らしながら近づいてきた兵士は、シェザールに斬りかかろうと武器を振り上げる。
が、その途中で行動が停止した。
いや、携えていた武器を下ろしたのだ。
兵士の目線は、シェザールの軍服の襟につけられた、階級章。
グランバートの兵士はすぐに他の兵士にそのことを伝え、一人の兵士が入口方面へ走って行く。
誰かに何かを伝えたのだろう。この時点で、シェザールは敵がどのようなことを伝えに行ったのかが分かっていた。


一人の兵士がやってきた。
大した武装もせず、防護服も着ず、片手で鞘に収められた剣を持ち、男の前に立つ。



「っ…………」


その姿に、シェザールは大そう驚いたのだ。
灰色の髪に深い緑色の瞳を持つその兵士は、女性だった。
身軽そうな軽装で、多少服が乱れてはいるものの、血の色を一切付けていない。
本当にここに来るまで戦ってきたのかと言いたくなるくらいの姿であった。



「姓名と階級を名乗って頂こう」



澄んだ冷たい声でそういう言葉を放った女性。
見たところまだ若く、20代前後ではないかと思うくらい。
だが、彼女もまた襟の階級章を見ると、他の兵士たちが付けているものとは異なることがすぐに分かった。
あまりの驚きに言葉を失っていたが、彼女がもう一度、少しだけ口調を強めてそのように話してきたので、口を開けた。



「アルフレッド・シェザール。アルテリウス陸軍ヴェルミッシュ要塞司令官で、階級は少将。………貴官らに、階級に相応しい待遇を要求する」



この瞬間、戦況は既にアルテリウス軍の敗退に傾いていたが、形式上もアルテリウス軍がグランバート軍に敗北したことを確定させた。
司令官自ら、この要塞での戦闘を放棄するという意思を示したのだから。
しかし、戦闘を継続したところでもはや勝ち目も無いだろう。ここまで敵がのし上がってきているのが良い証拠だ。
実際シェザールが考えていた通り、アルテリウスは敗退寸前の状態で、防戦一方であった。
ことに、この要塞がある意味で味方の逃げ道すら無くしてしまっていることが、今回の敗戦の大きな要因と言えよう。
グランバート軍はそれを看破し、坑内を行き交うトロッコ用レールを相次いで破壊し、続いて空から要塞への出入り口を制圧して管理を行う。
こうすることで、要塞内部にいる兵士たちを孤立させることが出来る。
移動も出来ず、補給物資も届かず、人員も行き渡らない各部署は、グランバートの殲滅の格好の的であったのだ。


「承知した。これより貴官はグランバート軍の捕虜だ。無益な抵抗をしないと約束するのなら、身の安全は保障する」
「了解した。貴官に身柄を預ける。………名を聞いておきたい」
「………私は、グランバート王国陸軍第一師団所属第二連隊、シャナ。階級は少佐」


「……………。」



グランバート王国陸軍第一師団第二連隊所属シャナ少佐。
佐官というのは指揮官クラスの階級で、前線に出て戦闘を行うような人物ではない。
それを言うと、王国騎士団の団長マルスも同じくそれに該当するのだが、シェザールは何より彼女の見た目の若さに対して階級が高いことに驚いたのだ。子供とは言えないが、決して成熟しきった大人の姿のようにも見えない。
そのような若い人間ですら、戦いに立ち向かい、そして台頭する。
今の戦いがそのような時代を迎えているものなのだと改めて実感した。
捕縛され、マスクを被せられる。
その瞬間の、辺りを見渡した光景。
多くの血塗られた亡骸が転がったままの、まさに絶望的な光景であった。



「少佐。既に敵は撤退しつつあります。やはりすべての出入り口を封鎖するのは容易ではありませんので」
「分かっています。これ以上の組織的抵抗は起こらないでしょう。抵抗する者は殺害し、それ以外の敵兵は捕虜にして下さい」
「はっ」



味方に指示を出すと、シャナと呼ばれる女性はその場を後にした。
冷静に、冷徹に、的確な指示を出す。
兵士たちもそれに従い、次なる行動を起こす。
既に司令部が制圧されたアルテリウス軍は、敗走状態にある。
要塞の内部にいる兵士は、抵抗するのであればすべて殺害し、そうでなければすべて捕虜にするよう伝えられた。
また、他の地点で戦闘状態にある部隊の援護をするよう伝えられた。
シャナ率いる連隊は、最も早く敵の司令部を制圧した部隊として報告された。



「シャナの奴もう司令部を制圧したのかッ!?」
「おい、一応上官だぞ」
「まあな。けど歳は奴の方が下だぜ?」
「年齢よりも階級がモノを言うんだ。他の連中の前では控えておけよ」


要塞内部で奮闘する陸戦部隊に無線で報告が入る。
シャナ少佐率いる部隊が司令部を制圧し、事実上この要塞を占領した、と。
ジェイル隊とジュドウ隊はいまだに戦闘を継続していたが、既に敵兵士の数も少なく接敵回数も減少していた。
余裕の生まれた状態の中で、実質この要塞攻防戦の勝利を確信した彼ら。
ジュドウにとっては“シャナに美味いところをもっていかれた”とやや不満げな言葉を漏らしたが、それをジェイルが冷静に宥めた。
この時点で要塞の複数個所を少ない部隊で切り開いたこの二つの部隊の功績も計り知れないものではあるが、全体として見れば、やはり司令部を制圧してこの要塞攻防戦に終止符を打った功績が注目されること疑いようもないからだ。


「けど奴はなーんか上官っぽくないからなー………」
「それには同意する。………まあそんなことはいい。残りの敵も掃討しよう」



一方、海上のソロモン第五艦隊は、要塞内部が制圧され、司令部が占領されたことを情報として取得した。
こうなると、支援すべき相手に支援が行き届かなくなるどころか、自分たちが孤立する恐れが高まる。
要塞が健在で、かつグランバートに対し組織的な抵抗を見せられる間は強力な支援として成り立つが、それが無くなれば逆に彼らが孤立無援となる。
そのような状態で、いつまでもこの海域に留まる理由もない。
艦隊にも犠牲が出ているし、敵艦隊にもそれなりの打撃は与えた。


「………なるほどな。事情は把握した」
「いかがなさいますか、閣下」
「これ以上の戦闘行為は無意味だ。砲撃を敵陣中央部に集中させつつ急速後退。艦首そのままで離脱しろ」
「はっ。それにしても………恐るべきはグランバート軍の力量ですか…………」
「いや、それだけではない」



ロッティル中将は、ただちに全艦に撤退命令を出す。
いまだ海上での戦闘は続いているが、グランバート艦隊は攻防をするというよりは、こちらの攻撃を流して艦隊の陣形を再編しようとしている。
陸地に押し込まれるような形での布陣が続いていたが、それを海上深くに戻すことで、真っ向からの艦隊戦を展開できるようにしようとしているのだ。
だが、その動きに呼応するように、ソロモン艦隊は急速後退を始めた。
艦首を回頭させず、そのまま後退するので後退速度はそれほど早くはない。
また、敵が目前にいる状態から撤退を行うことは、本来であれば追撃される危険が高くなり、至難の業である。
しかしグランバート艦隊も追撃できるほどの余裕はない。
それを見越して、攻撃しつつ急速に後退し、一気に戦域を離脱しにかかったのだ。
ロッティルは冷静に分析していた。
要塞からの最後の報告は、司令部が制圧され各所で要塞の機能が停止している、というものだった。
その過程もある程度は報告を受けている。
アルテリウスとの間に艦隊戦を展開し、空戦を優位に進め、強襲揚陸艦でアルテリウスの関心を振り向けつつ、制空権内においてパラシュートによる降下作戦を実施し、各出入り口を封鎖し、要塞内部から挟撃する。



「…………これほどの作戦を立案し実行に移す………単なる手段としての精巧さだけでなく、運用面でも秀でた才能の持ち主がいる。指揮官か、それとも参謀か…………」



実行部隊の力量よりも、真に恐ろしいのはその作戦を立てる側ではないか、と。
ロッティル中将はそう危惧したのだ。
ソロモン艦隊はその後、作戦海域から撤退する。
こうして、後に言われる『ヴェルミッシュ要塞攻防戦』は、当初の思惑とは裏腹に、グランバートが圧倒的に有利な状況を作り出し、勝利へと導いた。
アルテリウス王国は、ここにアスカンタ大陸南部の戦略的要塞と、南部方面の守備兵力を失う。
王国騎士団こそ少ない犠牲で済んだものの、要塞守備兵力は7割以上が戦死もしくは捕虜にされるという凄惨な結果で、要塞そのものも機能出来ないほどの損害を受けた。
グランバート軍は、はじめからこの要塞を使おうとは考えず、相手の戦力を徹底的に潰しにかかった。
結果としてはグランバートの大勝利で、アルテリウスにとっては大きな痛手であった。



「…………そうですか。まずは吉報が聞けて良かったですね。大将閣下も喜ぶことでしょう。」


グランバート王国王都、統合作戦本部。
作戦行動が終了し、自軍がヴェルミッシュ要塞の制圧を完了したことを告げられたアイアス少将。
笑みを浮かべながら、報告をもとに映像に出力されたアスカンタ大陸南部の地形を見る。
大陸南岸部の防衛拠点であったヴェルミッシュ要塞が機能を停止すると、そこから300キロ北上すれば王都アルテリウスがある。
無論、それまでに幾つもの敵の基地があるし、間違いなく組織的な抵抗はあるだろう。
寧ろこれからの戦いが本番というものだ。



『そいつは良いが、この先通じる三方向にはいずれも敵の拠点があるんだろ?どっちへ行くんだ』



報告を入れてきたのは、今回の作戦の現場指揮を執ったロベルト少将。
すべての戦闘行動が終わった後で、彼が自ら通信にて本国に報告を入れたのだ。
彼は自らの功績を自慢するようなことはせず、淡々と状況を説明して報告を入れた。
“シャナ”と呼ばれる女性が司令部を制圧して要塞攻防戦の勝利を決定づけた、という事実も無論報告済みだった。
その事実に嘘偽りはない。
その後で、今後の方針について、本国にいる参謀本部のアイアスに確認を入れたのだ。



「それについては、明日に各部隊に展開します。貴方たちは、まず一日その要塞で野営をすると良いでしょう」
『こんなに壊しまくった壁の中でか?冗談キツイな』
「戦勝国になれば、状況も良くなりますよ。今はまだその時ではありません。」
『一体どのくらい先の話になるのだか………まあいい。分かり次第すぐに連絡を頼む」


そうして通信は終了した。
彼らにとって、ヴェルミッシュ要塞を陥落させたことよりも、アスカンタ大陸南部の領域を支配下に置くことが出来る状況が作られたことの方が大きな功績であった。
しかし、本当に苦しい戦いはこれから始まるであろう。
何しろ、アスカンタ王国の王都に、彼らは一度も辿り着いたことがない。
過去60年の間、幾度も戦いを起こしては敗れ去ってきた、グランバート王国。
一方的で身勝手な利権争いの首謀者として、その歴史は多くの者に非難をされている。
今また同じようなことを繰り返そうとしているのだが、今回はこれまでとは事情が大きく異なる。
少なくとも、“大義名分がある”とグランバートの人間たちは思い込んでいた。
アルテリウスにとっては、いい迷惑であったのだが。



「上手く行ったようだな。さて、この後貴公はどう兵を動かすつもりなのだ」


笑みを浮かべ腕を組みながら画面を眺め続けていたアイアスの隣に、高圧的ながらも美麗な声の持ち主、特務中将のシュネイがやってきた。
アルテリウスとの戦いにおいて、シュネイには出番が無い。
統合作戦本部で参謀本部とやらの仕事に手を貸してやっても良い、と彼女は考えていたのだが、行動には至っていない。
そもそも女一人の知恵など必要とするような状況でも無いだろうというのが、彼女の勝手な見解だ。



「そうですね。三ヶ所の拠点はそれぞれ交通の要衝であり、関所としての役割も持っています。無論、敵はこれを封鎖するでしょうけど、私たちがこの三ヶ所すべてに付き合う必要はないでしょうね」



王都アルテリウスに辿り着くまでには、三ヶ所の交通の要衝で、かつ王国軍の基地を通らなければならない。
それ以外の道は無く、まさか道なき道を行軍する訳にもいかなかった。
分けられた三つのルートは、左右が大小混在する山岳地帯で、中央部はその山岳地帯に囲まれた盆地というようなルートである。
左右の山岳地帯を更にさけ、海岸線沿いを征くという手もあるが、それではかえって王都から遠ざかり、かつ道もそれほど良い条件が整っている訳でもないので、行軍にかかる日数と疲弊を考えれば得策では無かった。
ということで、必然的に三つのルートのいずれかを通って攻略する必要があるのだが、ここで一つ問題がある。



「残念ながら、大陸南部では飛行場を確保できない。空軍の力を頼るのは厳しいだろうな」

「はい。私もまさに、その点を気にしています。敵には少数であっても航空戦力が確かに存在します。一方、数は圧倒的に有利な私たちは、その環境が整えられないが為に使用できない状態にある。」


空軍勢力の援護を受ける状態を整えるには、陸地に飛行場が必要となる。
戦闘機や爆撃機が離陸するには充分な滑走路と、それらを整備する環境が必要不可欠だ。
しかし、敵の野戦飛行場は既に破棄されており、使用できない状態であることが確認されている。
ソウル大陸から航空機を発進させても良いが、片道切符になる可能性があり、アスカンタの内陸へは派遣できないと考えられていた。
アスカンタ大陸南部で飛行場を建設するのも一つの手だが、それでは時間が掛かり過ぎる。
その間にアルテリウス軍が力を取り戻し、逆に海岸線に彼らが押し込まれる危険性がある。
出来るだけ敵に時間を与えず、速攻で敵の首都まで攻め入りたいというのが、グランバートの考えであった。
空母を使用して陸戦を支援する話もあった。
だが、敵も第一艦隊が健在であり、恐らく王都を攻め入る前に海上からの行動もあるだろう。
傷付いた第三艦隊をそのまま海域に置くのもいいが、次の艦隊戦で今回のように優勢を確保できるかも分からない。
彼らにとって、空軍は保有する戦力の中でも最重要の戦力であり、失う訳にはいかないものだった。
そのため、統合作戦本部としても、それを安易に使用した作戦を立てられずにいたのだ。



「ですが考えはあります。明日中に発表することになりましょう」
「そうか。それは楽しみなことだな。それにしても………これで、貴公の目的にまた一歩近づいたと、言うべきか?」
「―――――――――――――。」



“この世界から争いが無くなることを―――――――――――。”
確か以前、この男はそのようなことを言っていた、というのをシュネイはよく憶えていた。
それがどのような意味を持たせた言葉であるのかは、あまりに未知数で分からない。
彼女自身そのことに関して詮索しようとあまり考えていなかったのだが、ある意味この瞬間においては興味が湧いたことによる質問であったかもしれない。
しかし同時にそのような未来は決して訪れないと、彼女は心の中で言わずとも否定をしている。
この男が何を思ってそのような望みを持っているのかは分からない。
そもそも望みとはどういうものを指して言うのか。
努力すれば叶えられるものを言うのか、それとも夢にあるような話も含まれるのか。



「…………それはどうでしょうね。」
と、男は笑みを浮かべながら、答えるだけであった。


ヴェルミッシュ要塞攻防戦の僅か一日後、グランバート王国がアスカンタ大陸の上陸作戦を決行し、要塞が陥落したことが世界中でニュースとなった。
アルテリウス王国に対する報復を目的とした行動であることを明言しているグランバートは、その矛先を下ろすことなく突き進むだろう。
誰もがそのように思っていた。
また、同時にソロモン連邦共和国が軍勢を派遣してその支援を行ったが、失敗に終わったとも報じられた。
ソロモン連邦としては全く旨みの無い話であった。
グランバート王国が要塞への攻略に手間取れば、戦線は膠着し長期化する。そうすることで、グランバートの戦線を拡大させず、疲弊させることも出来るだろうと考える者も多かった。
しかし、実際には僅かに一日でグランバートは要塞を制圧してしまった。
それだけではなく、海上にいたソロモン艦隊、制空権を取ろうとした連邦空軍すらも退けてしまったグランバート軍。
改めて、彼らがこれまで以上の力と技術を持って攻め入ってきたことが分かる、一戦となった。



「なるほどねえ………」
連邦軍士官学校の図書館で、その情報を取得したツバサ。
紙面と同時に映像を確認しながら、その事実を前に腕を組んで考える。
新聞というものは、それを発行する会社が異なれば内容も文章も異なるものである。
またニュース映像というのも同じで、幾つかのテレビ局で同じ内容のニュースを取り上げているが、その内容はそれぞれに異なる。
おおまかな事実は同一のものであるが、その経緯に関する報じられ方が異なることが多い。
どれが正しく、どれが偽りのものであるのか、視ているだけの人には分からないことが多いだろう。
彼もそのうちの一人であった。
いまはまだ当事者ではないにせよ、正確な情報を知り得る場所にはいない。
しかし、間違いなく言えることは、グランバート軍とやらは、アスカンタ大陸を北上するだろうということ。
300キロ進めば王都があり、アルテリウス王国の総本山とも言える。
王都を制圧してしまえば、両国の戦闘における勝敗は決するだろう。
彼らの報復がどこまでのものを指しているのかは、この時点ではまだ分からない。


「………けど、ここで俺たちが加わるっていうと、どうもややこしくなるような」
無論、俺たちというのは連邦軍を意味している。
アルテリウスとソロモンは同盟関係を結んでいる。
ことにそれが軍事的な要素を含むものなのだとしたら、アルテリウスの支援に回る必要性も出てくるだろう。
そうするべきだという考えは彼にもある。
だが、一方でこうも考えていた。
グランバートはアルテリウスを目の仇にしている。
そこにソロモン連邦は、本来含まれていないはずだ。
しかしここで連邦軍がアルテリウスの加勢を行うとすれば、次に彼らはソロモン連邦共和国をその攻撃の対象とするのではないだろうか。
そうなれば、戦線は一気に拡大し、あるいはこの大陸でも戦闘が発生するのではないだろうか。
ツバサはその辺りの懸念を持ち、かつ冷静に分析することが出来ていた。
同盟関係にある味方のアルテリウスを見殺しにすることも出来ないだろう。
一方で彼らの援護をすれば、次なる標的はこちらに向くのではないか。
黙って彼らがその矛を下ろすことはしないだろう。



だが、幾ら考えたとしても、今の彼にはどうすることも出来ない。



「はぁーっ、こいつはどうなっちまうんだろうなあ………」



仮にその懸念が現実のものとなったとして、この大陸でも戦争が始まるのだとすれば、当然自分たちも引き抜かれるだろう。
そう遠くはない未来にそれが現実のものとなる可能性がある。
どれほど彼が思考したとしても、この情勢に与える影響は何一つとして無い。
戦う場面が訪れれば、自分たちは兵士としての役割に徹することになる。


そう考えたとき。
“自分はこの荒んだ時代の戦争の中で、どういう役割を持っていたいのだろうか”と、
彼自身の身の振り方を色々と考えるのだった。



…………。

第10話 近接戦闘演習


遂に、その戦いは始まった。
いや、正しくは再開されたと言うべきだろう。
僅か10年という短い休息の中で、人々は確かにいつか来るこの時の為に、備えていたのだ。
否、はじめからこの時が来ると確信していたのではない。
未来の可能性の一つとして、充分にあり得ると想像されたからこそ、準備を進めたのだ。
それらが使われないほうがよほど幸せであろう。
しかし、世の中そうもいかないものである。
準備されるものは、やがて使われるからこそ進められるものなのだ。
特に、こんなご時世では、あらゆる道具が戦争に利用される。
戦争のためにあらゆる道具が使われる。
人間とて同じである。
彼らが始めることなのだから、彼ら自身がその土俵に立つのは当然、必然であった。



たとえ罪なき者が巻き込まれたとしても、時代は更に加速していくのだ。


連邦軍士官学校
アルテリウスとグランバートとの間に戦争が起き、アスカンタ大陸の南部が制圧される。
そのような情報が流れていても、士官学校は休むことなく稼動し続けている。
時々、教官であり上官にあたる先生たちが集まって内々の会議を開くので、講義が延期されることがあった。
恐らくそこでは今後に関する重要な会議が行われているのだろうが、その内容を彼らが知ることはなかった。
毎日様々な出来事が彼らの周りで起こるのだが、今のところ心身を脅かすようなことは無い。


「よし、今日のこの講義では近接戦闘の基礎を学ぶ。これから何回かあると思うが、近接戦闘演習では別のクラスの学生、あるいは先輩学生と混ざって講義を行うこともあるから、覚えておくように」


「なるほど。だからこんなに人がいるのか」
「集会でも始まるのかと思ったよ。」


戦闘行動教官のジャスパー大尉が、皆に向けて演習の説明をする。
彼ら17人の新人にとっては今回が初めての近接戦闘演習で、他の学生たちは既に何回か経験をしている。
これまでの講義で幾度となく説明を受けている彼らではあるが、改めて説明が行われた。
現代では技術革新が進んで、特に空軍の進化が目まぐるしいものとなっているが、最も人数を必要とする地上戦においては、今も近接戦闘での攻防が欠かせないものとなっている。
使われる武器で最も多いのは剣だが、その次に|戦斧(トマホーク)が使われることが多い。
最も使われる武器である剣を使用して訓練は行われるが、もちろんそれは本物の剣ではない。
訓練用の当たりが強くないものを使用するので、直撃を受けても大きなけがにはならないようなものだ。



「じゃあ、まずは素振りから始めるぞ。慣れないやつは力を入れ過ぎて武器を投げ飛ばさないようにな。上級生は準備運動をして、直ちに打ち合いを行う」



既に幾度か経験している学生、または上級生は一旦別行動となり、近くで準備を進める。
一方の初心者である彼ら17名は、一人が掛け声をかけて全員で同じタイミングを取りながら、剣を振り下ろす。
周囲に剣が空を斬る音が鳴り響く。
“近接戦闘が陸戦の主体である”とは確かに聞かされていたが、実際にその武器を持って訓練をしたことが無かったので、はじめ彼らは戸惑いを覚えた。しかも、現実に持つ本物の剣はこれ以上に重い。
訓練用ですら、若い男性が振り下ろしてもどっしりとした重さを感じる。
なるほど、こういう時の為に筋力というのはつけておくべきなのか、と彼らは一つの回答を得た。
しかし、そんな中で、彼は。



「っ…………」
「ぉぉ…………」


風を唸らせるかの如く、鋭く剣を振り続ける、ツバサ。
その姿は、すぐ彼らの眼に止まった。
誰もがその姿を見て、自分たちとは全く異なるものだと思ったのだ。
しかし、彼の生活を知ることになれば、多少はそのことにも納得がいくだろう。
何しろ彼は、かつて自分が住んでいた村で、誰も彼には勝てないとまで謂われたほどの実力者であった。
だがそれは、無論実戦という経験を伴わない状況でのこと。
ただ単に剣術に強いだけでは戦いに勝つことは出来ないだろう。
それでも、他の人たちより明らかにスタートの出足が早く、何歩も先に行っていることは明白であった。
その姿を、横目で彼と同室のパトリックが見ていた。
振りも早く力強い、重厚さを感じられるフォームから繰り出される一振りに、自分自身も魅了されたかのように視線を向けた。



「――――――――――――。」
やっぱり、只者では無い。
普段の立ち振る舞いはともかく、パトリックは彼の身体能力の高さを彼なりに評価していた。
偉そうに評価する立場ではないが、少なくともその分野においては群を抜いている、と認めていたのだった。
そして今日、この訓練が始まると、幾度となくそのような場面に出くわすことになる。
今までの比では無い。
彼という人間の凄みすら感じるようになる。


素振りの後は、初めての打ち合い。
ただ一人にとっては既に何千回と経験していることだが、他の殆どの人にとっては初めての経験。
打ち合いの練習は、まず一人で行われた。
外の砂利の突き刺された木の棒に、先程の素振りの練習を活かして振りかぶる。
教官のジャスパーは、それぞれ打ち込む生徒たちの姿を見て、一人ひとりに適切なアドバイスをしていく。
だが、ツバサを前にして、ジャスパーは感嘆した様子だった。
それでも教官なので、気付いたことを幾つかあげて、更に精度を高めるよう要求した。
そのアドバイスは、ほかの生徒たちが聞くこともないものであり、彼だけがこの場で聞いたことだった。
まるで依怙贔屓のようだったが、実際彼らの中で“アイツだけズルい”などと思う人間は誰一人居なかった。
何しろ、大半の人がこの訓練を義務の過程として受けていて、彼のように自ら欲してここに来た者ではなかったのだから。


「やあ、ジャスパー大尉。調子はどうだ」
「、これはヒラー少佐にウィンザー少佐。見ての通り、生徒たちは一生懸命に取り組んでいますよ」


後ろで手を組みながらてくてくと歩いてきた、総合指導監督者のヒラー少佐と、熱いキャラクターで長風呂で有名なウィンザー少佐。
二人は別の建物に移動中に、外で訓練をしているこの場を通りかかり、ジャスパーに声をかけた。
ジャスパーから見れば当然二人は階級が二つも上で上官にあたる。
この三人の距離感は上司と部下のようではなく、程々に近いものがあり、ジャスパーも気軽に話しかけている。



「なかなか元気のいいやつが多いじゃないか!いいことだ!」
「この間の新人組は今日から剣を持って訓練を始めたところです。流石にまだ慣れていませんが」
「んまあそいつは仕方ないよなあ。」
「………だが、ジャスパー。あの彼は、他クラスの先輩か?」


後ろで手を組んでいたヒラーが、じっと目を凝らし、前で腕を組んで、彼の姿を見る。



「いえ、彼も新人組です。」
「――――――――――――――。」


失礼な考えだが、明らかに他の人たちが見劣りするほど、“彼”の動きはキレがある。
それだけではない。
重厚な身のこなしをしながらも、足回りは軽快だ。
まるで剣と身体が一体となって、スムーズに動作している。
ヒラーは重ねてジャスパーに確認をしたが、間違いないと彼は言う。
指導監督者であるヒラーは、ほかの教官たちと違いすぐ近くで彼らの様子を見る訳ではなかったので、正直なところすべての生徒の顔と名前を一致させることは出来なかった。
ツバサに対してもそうだったのだが、ここでのこの動きを見て、彼の姿を目に焼き付けた。
訓練だけでも他の人とは違う一面が見られるのだから、対人での打ち合いを経験すれば、もっと違う姿を見られることだろう。
心の中で期待するヒラーが確かにそこにいた。
だが、それは同時に何に対する期待だったのだろうか、と自問する。



「ウィンザー、少し見て行ってもいいか。」
「え?ああ、構わないぜ。アイツ目当てか?」
「それもある。無論他の生徒たちも見るが、忘れた訳では無いだろう?“本国からの通達”を」

「………ああ、そういうことか。気に入らねえが、確かにあの少年なら合致するかもしれねえなあ」


この会話を他の人が聞いていたら、さぞ意味深に思っただろうが、今は誰もこの男たちの会話を聞いてはいなかった。
対物に対する打ち合いが終わると、少しの休憩を挟んで、上級生や他の経験者たちと合流した彼ら。



「これより模擬訓練を行う!!下級生は上級生の訓練をまずは見て、その後で実戦してもらうからそのつもりで」


少しだけガサガサと騒々しくなった。
初日にして自分たちも実戦形式での訓練をするのか、と。
ジャスパー大尉は、理念的な部分も教える立場である以上欠かさずに話してくれるのだが、どちらかといえば“習うより慣れろ”という気質の持ち主で、やってみたほうが早いし、自分に何が足りないのかも分かるだろうと考え、初日から実践させることにしたのだ。
まず一通り、既に習っている上級生たちの動きを見ながら、続いて彼らの前で新人組も模擬訓練を行う。
皆に見てもらうことで、自分の欠点や癖なども周りから見られるし、それに対するアドバイスも貰える。
お互いに情報を共有することで、より高みを目指すことだって可能となるだろう。
模擬訓練の内容は至って簡単だった。
現実では鎧などを着込む場合もあるので一概には言えないが、剣を身体に受ければその時点で致命傷になる可能性がある。
そうならずとも、まともに行動出来なくなるだろう。
その時点で敗北が確定する、かもしれない。
要するに、相手の身体の部位に一太刀浴びせることが出来れば、勝者となり、受けたものは敗者となる。
剣術稽古、道場でならよく行われる稽古だ。



「まだ教えてはいないが、剣を振るう形には幾つもの流派が存在し、自分の戦闘スタイルに合った形を取ることで、より動きやすく、また自身の能力を発揮しやすくなると言われている。今から見る全員がそういったものを会得している訳ではないが、中には色々と調べて自分で取り入れようとしている生徒もいるんだ」


「……………」


「お前たちは、そういった流派はまだ知らなくても良い。いつしか慣れてきた頃に色々と学ぶといいだろう。とにかく今は基礎だ」



ツバサにとっては、少しだけ懐かしい光景でもある。
つい何週間か前までは、ほぼ毎日当たり前のように稽古を重ねていた。
明るく元気な彼が村で打ち込んだものといえば、その最たるものが道場であったともいえる。
そのおかげで、多くの友人と会うことが出来、友達になり、年代の隔たり無く村中の人たちとも仲良くなることが出来たのだ。
しかし、今そのような環境はここにはない。
あるのは戦う為に必要な準備。それも、本当の殺し合いをするために必要な技量を身に着ける為の。
彼は自ら打ち明けることはしなかったが、このような稽古は幾度も経験をしている。
数など数えられるはずもない。
成果を問われた場所ではないので、彼がそこまでの技量を見せる必要も無かったのかもしれない。
だが、遠慮はなかった。
因みに幾つもの剣術の流派があるとジャスパーは話すが、ツバサは特定の流派を持つものではなかった。



「っ……………!!」
「……………!!?」

「は、速い…………ッ!!」



一通り経験者たちの演習を見せてもらった。
他の人たちにとっては参考にするべきものも多かった。
だが、彼としては既に会得しているものばかりで、何か特別自分に取り入れようと思ったことはない。
それを受けて、彼ら新人組の番となる。
彼は三番目に登場し、相手は別室の同い年の男子だったのだが、合図で演習が始まると、3秒かからずに決着をつけてしまった。
相手の男が一歩踏み出して、正しい姿勢のまま剣を振り下ろす。
一方で彼はその太刀筋を完璧に読み取り、半身で回避すると同時に懐に一撃を入れた。
あまりにも速かった。
そもそも打ち合いなどという展開は無かった。
他の人たちが見ても、また教官たちが見ていても、明らかに他の人とは違う動きであった。


「ツバサ、お前もしかして経験者か?」
呆気にとられる皆をおいてジャスパー大尉が彼に話しかける。
僅か一度見ただけでそうと思えてしまうほどの動きを、彼は見せてしまった。



「ええ。程々に」
そして彼は表情を変えずにそのように答えた。
そこで彼らは初めてツバサが剣術の経験者であることを知った。
あるいは、これまで見てきた他の人とは違う、群を抜いた能力の高さはその経験から来ているのかもしれない。
それならあの人が“強い”と思えるのも納得がいく、と彼らは思ったのだ。
“ほう、なるほど。”と頷き、それ以上何も言うことなく他の生徒たちの演習を続けさせた。
ツバサは自分の番が終わると、再び他の人の演習を真剣そうに見る。
エリクソンが隣で
「僕にはあっという間過ぎてよく見えなかったよ。」と、本当に驚いたような様子で彼に小声で話しかけていた。
本当に見えていない訳ではないが、何が起きたのかがよく分からない、認識できないほど一瞬の出来事であったのだろう。
ツバサとしてはそのような実感は無く、相手の攻撃に対して素早く対応したまでのことであった。
ややざわついた空気の中でそのまま演習は続き、すべての生徒たちの実戦が終了した。
すると、そこでジャスパーが再びツバサを呼ぶ。


「すまんがツバサ、もう一度やってもらえるか?」
「え?あ、はい。」
「そうだな………ナタリア、相手してもらえるか?」


「――――――――――――――。」



再びツバサが呼び出されると、もう一度皆の前で演習をすると言い、彼は言われるままに剣を持って立ち上がった。
一方、その彼の相手としてジャスパーが話しかけたのは、ナタリアという人。
新人組ではなく、上級生組で今回の合同演習に参加している。
そしてナタリアは女性だった。
黒髪のロングヘアで、後頭部で髪を束ねて下ろしている。
容姿はとても大人びていて、その見た目だけでは何歳も年上の女性に見えた。
スラッとした姿は、どことなく清楚なイメージを浮かばせる。
彼女もまた呼ばれると、無言のまま静かにその場に立ち上がり、そして彼との間に間合いを作る。
この時点で、上級生たちはざわついていた。
新人組の一人が二度の演習を行うのも珍しいのだが、それ以上に“ナタリアと戦わせる”ことに驚きを隠せない様子であった。
ツバサも、先程のナタリアの戦いを見ていた。
素早い剣の振り、軽快な動きを可能とする身のこなし、軽やかなステップ。
そのすべてが攻防戦に投入され、一つの結果を生み出す。
後に分かることだが、ある上級生組の中で、ナタリアはこの分野において最も強いとされる人材であり、教官たちからも一目置かれる存在であった。
そこへ、新人組でこれもまた注目されたツバサを対戦相手にして、二人の演習を見てみようとジャスパーが即興で考えたのだ。


「よろしくな!」
「よろしくお願いします」



元気と威勢の良いツバサに対し、
冷静に、というよりは無表情に近いが、僅かにそう返しただけのナタリア。
そして、用意が出来たところで、ジャスパーが開始の合図を鳴らす。



「!!!」
「―――――――――――!!」



二人とも、ほぼ同時の踏み込みであった。
互いに前進し間合いの中へ入ると、ツバサにとって全く予想もしなかった攻撃が繰り出された。
ナタリアは素早く踏み込みつつ、強烈な速度を以てその剣を前へと突き出してきた。
剣は基本的に斬撃を入れる攻撃手段を持ち、突き技には向いていない。
そもそも突き技というのは、相手に攻撃を与えられればそれだけで致命傷、もしくは瞬殺が可能となるだろうが、外した場合の隙がかなり大きく、実戦で多用する兵士は殆どいない。
彼も今までそのような攻撃手段を用いる人と稽古をしたことは殆ど無かったので、その速攻に驚いた。
しかしそれはそれ。
驚いても的確な対処が出来るのがツバサであった。
振り下ろそうとした剣の動作を途中で止めると、瞬時に自身の身体の前で剣を縦に向けた。
向かってくる突き動作を、身体を横にスライドさせつつ剣と剣を混ざり合わせて回避させる。
突きの回避に成功すると、一切の間髪入れずに防御から攻撃へ転じるツバサ。
突きがかわされた彼女ナタリアであったが、隙が生まれた自分の身体に放った彼の一撃目は、彼女が後ろ手に剣を構えて回避した。
驚愕の防御姿勢であった。
ナタリアは、突き動作の反動で次の姿勢に時間が掛かっていたはずなのだが、ツバサの繰り出された攻撃に見向きもせず、ただ自分の背面に剣を後ろ手に構えることで、攻撃を回避してしまったのだ。
それからも、十数秒間に渡り激しい攻防が続いた。
二人の繰り出す攻撃はあまりに速く、踏み込みも強く、そして攻撃も重く力強い。
にも関わらず、お互いにそれに対応した速さで防御も展開できるので、目まぐるしく攻防が繰り広げられるのだ。
もはやそれは、演習の領域を超えていたかもしれない。
とてもお手本になるような、そしてアドバイスが出来るような状況でも無かった。
今、この演習は二人の空間の中に取り込まれ、その間合いの中で二人だけの激しい攻防を展開した。


「…………すごい」
他の生徒たちは、ほぼ全員がそれに見入り、かつ驚愕していた。
二人は紛れもなく士官学校の生徒であるはずなのだが、その動きはもはや生徒のものではない。
本当にこれほどの実力者が正規の兵士としているのではないか、と思えるほどであった。



「……………」
それを、腕を組みながら真剣な眼差しで見つめるヒラー少佐。
元々寡黙な男ではあるのだが、その表情はいつにも増して真剣で、鋭い眼光を向けているようだった。
突然のように現れた、驚愕の戦闘能力を持つであろう一人の少年。
男は心の中で思った。
“遠き日の荒んだ時代に台頭した、あの人たちを見ているようだ”と。
戦いはおよそ30秒ほど続いたが、最後の瞬間が訪れた。
細かな動作で相手に合わせるツバサの剣に対し、正確かつ力強い振りで攻め続けた女ナタリア。
ナタリアが横方向に振り払ったその斬撃を彼が剣で受け止めると、瞬間的に剣を突き上げて、ナタリアの両手から剣を奪った。
宙を舞った剣が“観客と化した”生徒たちの目の前に落ち、虚しく音を鳴らした。
戦いが終わる。
10秒ほどの沈黙の後、今度はその場が拍手に包まれた。
まるで一つの舞台を見ているかのような光景となり、演習であるにも関わらず奇妙な空気に包まれたのだ。


「いやぁすげえ、ありゃ大したもんだ!」
腕を組みながらじっくりと眺めていたヒラー少佐と、隣で生徒と同じように拍手をするウィンザー少佐。
彼らもまた、生徒たちと同じように二人の動きに魅了され、観客のようになってしまっていた。
ただヒラーは冷静に、その戦いの行く末を見届けた後、その場を去って行く。
一応この演習における勝者になったツバサ。
ホッと一息ついて、相手に礼をする。
剣道においては、戦いの前と後に必ず行う通過儀礼だ。
もっとも、実際の戦場では決してそのようなことはしないだろう。
それを見たナタリア。
あくまで表情は一つも変わらず無機質なものであったが、


「見事な太刀筋でした。完敗です」
そう、すんなりと自らの敗北を認め、生徒たちの座る位置まで戻った。



その後も模擬剣を用いた訓練が続けられたが、やはり最も注目を浴びたのが新人組のツバサであった。
ある意味で彼の持つ能力を見せる場となった訳だが、彼自身は自らをアピールしようなどとは考えてもいなかった。
ただ自然と見せる機会を与えられ、それに応えただけのことだった。
だが自らの考えと他の人たちが持つ考えとは異なる。
あれほどの剣のこなしを羨ましいと思う人もいれば、見せたがりの自慢だと捉える者もいる。
考え方は人により異なるが、それでも彼がそれだけの力を持つ者であることは、認めざるを得なかった。
「あんなもの、実戦で通用するとも限らない―――――――――。」
そういう声も聞こえたが、実戦を経験していない者の言葉を信用するほど、彼も自惚れてはいない。
それと同時に、ナタリアに対しても驚きを隠せない人が多くいた。
彼女がこの近接戦闘演習で優れた能力を発揮することは、上級生組の人たちには知れていた。
女性であろうと、彼女に勝る者が今他にいるだろうか、と言われるくらいには。


その日、すべての訓練が終わってから、夕食の食堂では彼の傍に寄って来て、色々と話を聞きたがる人がいた。
いずれも同級生組で、彼の秀でた戦闘力を目の当たりにして、どのようにすればそこまでの域に辿り着けたのか、と経緯を聞いてきたのだ。
彼は陽気に元気よく、それでいて自らの経緯を自慢するようなことはせず、自惚れもせず、話をしていた。
ある意味で今日の演習をキッカケに、同級生組は彼の存在をより強く認識し、また距離感を縮めることが出来た。
それはそれで良い意味のある機会であったのかもしれない。


「――――――――――――。」
だが、一方で。
同級生組でも、そんな彼の姿を良く思わず、冷たい目線を向ける者がいた。
彼と同室のパトリックである。
パトリックも、彼の強さを改めて目の当たりにしてそれを認めている。否定もしない。
なるほど、だから自分の望みでこの学校にきて、兵士を目指そうとしているのか、と。
そりゃいいだろう。
出来る人間は更なる高みを目指すことも出来る。
けれど、ここにいる人たちはあいつのように、自ら進んで軍人になろうとしている人ではない。
なりたいやつはどんどん先へ進めば良い。
歩調を合わせる必要もないし、慣れ合いなんてもってのほかだ。
と、彼とその周りで彼に興味を持った同級生組に対してすら、嫌悪感を抱いていたのだ。



…………。
夜、自由時間にて。



「……………」
ツバサは、この日は一人で夜の図書館に入り、奥の部屋でニュース映像を視聴していた。
日中は世間の動きを見る機会が無いので、こうして毎日のように来ては、その日に何が起きているのかをチェックしている。
チェックしたところで何かある訳では無いが、世の中の動向をよく知っておきたいという、単純な彼の興味から生まれた行動だ。
相変わらずニュースはアルテリウスとグランバートの戦争の話ばかりである。
それも仕方のないことか、と溜息をつきつつも映像を眺めていた。
ここに流れている映像、ニュースで伝える内容がすべて事実を述べているかも分からない。
しかし、今はそれを信じるしかない。
それ自体が貴重な情報源なのだから。
映像を見終えると、今度は図書館の閲覧スペースに行き、自分が読みたい本を手に取って読み漁り始める。
性格とは裏腹に、歴史に興味を示すことが多い彼。
それを知った人は、彼の人となりと照らし合わせて、大体不思議そうというか、意外そうに彼を見るのだ。


『本がお好きなのですね。』
そして、突然現れたその女性も、そう思う一人だったのかもしれない。
不意に声をかけられたので驚いたが、静かに彼は後ろを振り返った。
そこには、窓から差し込む月明かりに照らされた、女性ナタリアの姿があった。


「っ…………」
昼間とは異なる服装に少し戸惑いを覚えながらも、彼女が昼間自分と激闘を交わした相手だと再確認した。
なるほど、あれは戦闘行動演習用の服装ということか。
今は普段着と言うべき格好をしていた。
露出のほぼ無い上下の服装にやや丈の長いコートを羽織り、後ろで手を組んで彼の前に彼女は現れた。
昼間はあのような場であったためか、表情一つ変えずに強面を模っていたようだったが、今は違う。
雰囲気も少し穏やかで、表情も笑ってはいないが、どことなく穏やかそうな印象を持った。


「昼間は見事な戦いでした。」
「お、おう!そっちも強いじゃねえか。ビックリしたもんだ」
「そこは、お互いに経験者ということで。」


まさか自分が女性の生徒と対戦するとは思わなかったが、ナタリアの剣術は恐らく周りの男性すら凌駕するものだった。
ツバサも何度も押され、勝てないかもしれないと思ったほどであった。
最終的には冷静に対処することが出来たのだが、その力量には終始圧倒された。



「ところで、どうしてここにいるんだ?」
「私も時々ここで本を読みます。最近は貴方の姿をよく見かけていて、昼間のこともありましたので。」
「んなぁるほどな。気付かなかったぜ」
「いいえ、構いません。そもそも図書館とはそういうものです。」


まるで、声をかけている彼女こそが普通でないと自分自身に言っているような様子であった。
本に集中していると周りが見えなくなる。しかしそれはごく普通のことだと彼女は言う。
一方で、彼に対し直接話すことはしなかったが、彼の人となりで本が好きというのも意外なものだと彼女は感じていた。
ツバサという男を彼女はよく知らない。知らないが、だからこそ幾つかのシーンにより、印象が形成されている。
戦ったあの場で言えばあまりにも強い相手とも思うが、他の同期生と話している時の彼はとても元気な印象だ。
ムードメーカーのような立場も出来るし、皆を引っ張っていけるような素質もある。
それでいて、こうして静かに本を読んで勉学にも励むことが出来る。
何でも出来る人なのではないかと思ってしまうほどであった。


実際は、そのようなことはない。
まだ何も知らないからこそ、綻びも見えないままなのだ。
そしてツバサは、あらゆる物事を自らの好奇心に沿って進める傾向がある。
それをまだ知らないだけのことなのだ。



「それでは今日はこれで。次の対戦も、楽しみにしています。」
静かにそう言うと、彼女は図書室から外へ出て行く。
彼は返答もせず、ただ彼女の姿が見えなくなるまでその背中を目で追っていた。
彼は何となく彼女が不思議な女性だと思った。
そもそも女性で士官学校にいるということ自体が珍しい。
何しろ、女性には兵役の義務はないからだ。
ということは、彼女は何らかの理由があってこの学校にいることに違いはない。
彼女自身が望んだことなのか、それとも否か。
それを確かめるには、まだ時間が掛かるだろう。


こうして。
世界が徐々に戦乱の世に突入していく最中で、彼もまたその一人として時代に加わる為の道を歩み続けていた。
茨の道は、より険しく、より深く。



……………。

第11話 鉱山遠征

明日は、先日から予告されていた通り、各部屋対抗の遠征が行われる―――――――――。



6月9日の夕刻。
明日は、歴代の士官学校生のほぼ全員が経験してきたという、鉱山遠征が行われる。
鉱山遠征では、各部屋ごとにチームを組み、学校から北に50キロほど進んだ廃鉱山の頂上のシグナルビーコンを押し帰って来るという、内容的にはそれほど難しくも思えない訓練が行われる。
そう、文面で見れば単純な訓練のようにも見えるが、その山というのが難所の一つだ。
標高が700メートルあり、登山の未経験者では踏破するのは難しいと言われる高さの山である。
山は平坦な道のりから険しい悪路まで混ざっていて、これまでのトレーニングの成果を発揮する場面となる。
因みに、最も早く戻ってきたチームには訓練報酬が与えられるというので、各々の部屋はこの日のことを思って準備を進めてきた。
チーム対抗ということで、ツバサとエリクソンが内々に、出来るだけ部屋の人たちとコミュニケーションを取り連携を深められるよう努力した。
見えないところで二人は色々と相談しながら事を進めようとしたのだが、結局のところ同室のメンバーで普通に会話が出来るようになったのはジェザくらいなもので、サイクスとパトリックの二人とはあまり関係を深めることが出来なかった。


「仕方がない。今から始めてももう遅いんだ、せめて俺たちだけでも上手くやるとしよう」


冷静沈着、淡々とした気性の持ち主であるジェザはそう話したが、ツバサは“ウーン”と考える姿ばかり見せた。
鉱山遠征を楽しくやろうと考える一方で、一致団結して無事に生還しようという気を強く持っていた。
だが、それもチームとして充分な関係性が出来ていることが重要だ。
一人でも息の合わないメンバーがいるだけで、団結とはならない。
また、それがキッカケでチーム全体が危険に陥る可能性だってある。
それが分からない彼らでは無いだろうが、そう言う意味では万全の状態とは言えないかもしれない。
今から言ってもどうしようもないというのがジェザの考えであり、ツバサ自身ももう遅いと分かってはいた。
だから、せめて訓練中に最悪の事態にだけはならないようにと考えていた。
サイクスは実に寡黙な男であり、彼らだけでなく他の同期生たちとも接点をもたない。
会話も必要最低限というようなものだった。
だがそれ以上に、パトリックは他を寄せ付けない独特な雰囲気を醸し出している。
それが同室の彼らだけでなく、同期生たちからも浮いた存在に見られ、ある意味では孤立してしまっていたのだ。


彼らは食堂の端でそのような話をしていた。
一方で。


「通信状態良好です。あと1分で映像が出力されます」
「やれやれ、今回はどんな話が出ることやら」
「いつもとそう変わらないだろう」
「こら、諸君。そろそろ静粛に」


暗い、そう部屋も彼らの雰囲気も暗い中での、円卓。
同じ士官学校の中にありながら、まるで外界から隔絶された異郷の地のごとく存在するその空間は、普段は学生が出入りすることもなく、またその部屋の存在自体を知らない学生が大半を占めるような場所。
教官たちもここは滅多に使用しない場所ではあるのだが、しかし定期的にここを使用しなくてはならない事情がある。
それが今日、このタイミングであった。



『皆揃っているようだな。では始める』
1分後、暗い部屋の中にある大きなモニターに映像が映し出され、そこに二人の男の姿が映る。
一人は椅子に腰かけ、もう一人は後方で立ちながら姿勢を一切崩さない。
映像が出力されると、暗い円卓の椅子に座っていた各々の教官たちが立ち上がる。
この場においては“教官”ではなく、上官と部下というような立場の表記が正しいであろう。


映像に出された髭面でスキンヘッドの男は、
ソロモン連邦共和国国防総省の統合参謀監査鑑、監査責任者のヨセフ・ヘルグムント中将である。


連邦共和国は、それぞれ一定の権利を持った州政府が点在し、その州ごとに軍を置いている。
州軍は、州を管理運営する州政府の傘下で動く組織として編成されているが、国家の重大な事案の発生時には、州軍は自治領地に関わらず、国内の治安維持および対外政策の第一線としての役割が与えられる。
そのため、州軍は州ごとに自立した組織として存在しながら、国家に属する軍隊という枠組みを外れない、奇妙な立場を持つ。
監査責任者とは、いわば国内の各州における軍務を統括し是正、改善を促進させる役割を持つ。
もっとも分かりやすく言えば、士官学校の職員である高級士官および職員の長たる存在だ。無論そればかりではないが。



「最近の入校者数は以前と比較しても減少傾向にあり………」
『貴官ら既存の軍人はよくやっていると思う。どちらかと言えば、軍人を志すものが居なくなった、と言うべきだな』
「はい。ましてこのご時世です。自ら志願する人はそういない、かと………」
『だがそれでは、将来的に有能な人材を貴校から生み出すのは難しくなる。具体的な方法を聞きたいものだな」


校長であるマインホフ少将と幾人かの士官が細かに状況を報告していく。
監査役のヘルグムント中将は、士官学校の現況や指導状態をヒアリングし、それに対しての注文をする。
彼らは指導教官であるが、そのまた上の教官にヘルグムントがいると言ってもいい。
テレビ映像を使用した会議は月一以上行われており、そして内容はいつも決まっている。
士官学校の生徒たちは、必ず月間何人も卒業していく。
その卒業生がどのような進路を辿ったのかを、学校側は必ず報告しなければならない。
成績の詳細と卒業後の具体的な進路をヒアリングし、分析する。それがヘルグムントの仕事の一つだった。
そして、彼らに求められているのは、士官学校生の中から、優秀な人材を発掘し、育成し、輩出すること。
それが将来的に連邦軍の強い味方となるのだから。
ヘルグムント中将は、そのためにヒアリングを行っていると言っても良いだろう。
一人ひとりの将来など気にしてはいられない。
“兵役義務”がある中で、何人もの学生が軍隊へ入隊するのか。
その中に、逸材と呼ばれるような人はいるのか。
即戦力か、それとも並みの人間か。
このヒアリングは、世界情勢が変遷し暗雲が広がっていく中で、より強化されてきた。


つまり。
連邦軍もそれなりにすぐ使える人材が欲しかったのだ。



兵役制度は通常一年。
義務とはいえ、彼らはこの一年で今後の進路を定めて行かなくてはならない。
普通に仕事をするもよし、元々いた地域の学校に戻るもよし、家業を継ぐもよし。
軍人を強制することは無いが、出来ることなら多くの人が軍隊に入る環境を作りたかった。
だが、彼らにそんな夢があったとしても、学校に入って来る未来ある生徒たちは、そんな夢を抱かなかった。
今この国に、“国の為に働きたい”と思う人が、どれほどいるだろうか。
死ぬと分かっている未来に歩もうとする人が、どれほどいるだろうか。
彼らの理想とは裏腹に、現実は容赦なく夢を掻き消す。
世界が昏迷の時代へ向かっていく中で、必要性が高いにも関わらず、未来への生産性は極めて低かった。
“ならば、兵役義務ではなく招集により、強制的に兵士になってもらえばいいのです――――――――――。”
そう話す軍人、上官も確かにいた。
中途半端に義務化し、その後の進路は各々次第と位置付けるから、誰も危険の渦中へ飛び込んでいこうとは思わないのだ。
だったらはじめから強制してしまえばいい。
そもそもこの国は、至る所が中途半端なのだから。


『他校の卒業生には優秀な人材が幾人も出てきている。だが、貴官らの学校はここ暫くはイマイチだな。』
“これでは評価も下がりっぱなしだ”と、現実を突き付けてくるヘルグムント中将。
決してこの男も嫌味を言いつけているのではないが、彼らとしては成果の上がらない状態にケチつけられていると思わざるを得ないのだ。
今、本国が求めているのは、量より質。
兵員の数はすべての州兵を総動員すれば、大規模な部隊を編成できる。
が、戦闘経験が豊富で難しい状況を突破できる人材がどれほどいることだろうか。
そう言う意味で、今は高いレベルにいる人材の発掘を目指していたのだ。
士官学校に勤める軍人は、生徒たちとの距離も近くその見極めもしやすい。



「…………幾人か、そういう人材に含めても良い人がいます。」
『ほう。それは興味がある。ぜひ開示してもらいたいものだ』



士官学校に入学する学生たちは、常に同じような時期に入学する訳ではない。
同期生と呼ばれる集団であっても、年齢はバラバラだ。
上も下も混合の集団の中で、突出した能力を持つであろう人たちが、幾人かいる。
教官たちはそのように話す。
彼らが実際の戦場に出て戦った時どうなるかは、今の時点では当然分からない。
未来に保障などない。
確たる戦力とも言えない。
が、そのような“可能性”があるのなら、本国のお目に適う存在であるかもしれない。
ヘルグムントは、そのような人物がいるのであれば、その人物の情報を開示するよう求めた。
上官からの命令である。それに従わざるを得ない。
ここでは、彼ら上の者たちの要求が優先され、たとえ子供たちと言えど情報が共有され筒抜けとなるのだ。
しかし、それでは足りない。


『調査が必要だな。貴官らの学校にも調査官を派遣するとしよう。その後に判断をする』
「引き抜きの、でしょうか」
『そういうことになるな。日時は改めて連絡する。貴官らも情報部からの戦況報告は目を通しているかと思う』


グランバートとアルテリウスが戦闘を行っている間、その支援を行うこともあるだろうが、戦いの結末は既に見えている。
アルテリウスの陸戦部隊の要が破られれば、瞬く間に軍勢は王都を強襲するだろう。
王都が失われれば、戦況はほぼ決する。
そうなれば、次は同盟関係にあった、我々がその軍勢に脅かされることとなるのだ。
一人でも多くの有能な人材が、一人でも多くの戦う兵士が必要となる。
貴官らの立場は難しいものであるはずだが、最も必要とされている機関の一つでもある。
我らが祖国の未来のため、より一層尽力してもらいたい。


“我らが祖国の未来のために―――――――――――。”
定期報告が終わり、通信が切断される。
各々表情を曇らせながら、それでも目前の仕事をこなさなくてはならなかった。
ソロモン連邦共和国が本格的な戦闘状態に発展すれば、彼らのような軍人が国の未来を左右することとなる。
今の時点でそれが確定されている訳では無いし、先々のことがよく見えている訳でもなかった。
だが、軍人でそれらの情報を知っている者であれば、誰もが思うことであろう。
グランバートが、アルテリウスの支援を行った対象を野放しにするはずがない、と。
今のところ敵はアルテリウスへの報復として戦線を拡大させている。
それがやがて収拾のつかないところにまで発展すれば、より世界は昏迷の状態を極めることだろう。


その渦中に、ソロモンが取り込まれる可能性は高い。



ヘルグムント中将の口ぶりを見ていれば、疑いようのないことだった。
これから間違いなく戦闘が起こるであろう。
場合によっては、自分たちから攻勢に出る必要も出てくるかもしれない。
そういった有事の際に使える人材と戦える兵士は、多ければ多いに越したことは無い。
アルテリウスとグランバートとの間に決定的な亀裂が生じてからは、本国の人間もより一層人材の確保に燃えている。
それが急務であることを彼らは知っていたからだ。


そして。
その目に適う存在であれば、たとえ本人の意思とは裏腹に、招集したいと考えている。


「…………まあ、士官学校であるからには、将来兵士となる者を育成し輩出するのが第一だと、私も思う」
静寂な佇まいで静かにそう言葉を嘆いたマインホフ少将。
彼ら教官たちには、校長が言わんとするところが分かっていた。
将来兵士となる者を育成し輩出する、そんな当たり前の役割が、今は随分と遠いものに感じる。
それはヘルグムントが“使える人材をよこせ”と圧力をかけているからに他ならない。


「上の者が言うように、我々もそれに従うより他はない。各々の担当する部門で、秀でた生徒を探し出してくれ」
「………はっ」


そして他の教官たちも、それに頷くしかなかった。
本国の上層部がそれを求めているのであれば、それに従うのが彼らの立場だ。
“ここでの成績が優秀でも現場で使えるかは分からない”
そのような思いを持っていたとしても、何も形に出来るものではない。
過程よりも結果を求める傾向が強いのだから。
会議室から退出して、二人で廊下を歩いていたウィンザー少佐とジャスパー大尉。


「やはりおめえはあのツバサってやつを推したな」
「仕方がありません。第一、候補者リスト無き今、一番インパクトの強い印象を与えたのは、彼ですからね」


“あくまで自分の目から見たことですが”とジャスパーは付け加えた。
ジャスパーの立場は非常に難しいものであった。
何故なら近接戦闘訓練などを一手に引き受ける役割を担うのが彼だからだ。
他にも教官が居ない訳では無いが、その部門の中では第一責任者としての立場である。
そして本国の軍人たちが求めている人材は、やはり戦闘においてその力を発揮する人のことであろう。
即戦力をこの士官学校で見つけるのは難しい。
ここは、将来兵士になるための育成を行うところ。
素質を見つけられても、即時戦力とはなり得ないだろう。
それを分かっていても、上からの命令には従わなければならない。


だが。
ジャスパーは、この学校にいる幾人かが、そのような常識を打ち破ってくれるのではないかと、思っていたのだ。


「あのナタリアという女性は?」
「女性ですからね。まあ確かに珍しいと言えばそうですが………」
「お前さん、せめて自分が候補に挙げた人の素性くらいは、ある程度聞いておかないとな。選ぶ方にも責任はあるんだからよ」


「………ええ。確かに」



そう。選ぶほうにも責任がある。
自分から志願してここに来た人は別として、そうでない人間を選ぶ場合には、大きな責任が伴うだろう。
彼らの人生を大きく変えてしまう可能性があるのだから。
ジャスパー大尉は、自分が候補に挙げて公開した名前を持つ人の素性をよく知らない。
最も印象に残ったツバサですら同様だ。
一方で、ウィンザーはツバサとは何度か話をしていて、ここに来る経緯の一部は知っている。
義務でこの学校へ通っている人が多い今の状況では珍しく、彼は自ら兵士になる為にここへやってきた。
あの技量、あの威勢の良さ、精神力に身体能力。
あらゆるものを見せつけられ、ツバサという男が並々ならぬ人間であることを実感させられていたのだ。


「けどまあ、本当に時代は変わったモンだな」
「と、言いますと?」
「いやな、あんな子供でさえ戦場に駆り出される時代だってことさ。大人が悪いのにな」
「大人が悪い?」


「そうさ。大人が悪い。戦争ってのは大人同士の喧嘩だ。喧嘩って言葉に変えちまえば大したことには聞こえねえかもしれねえが、その規模は世界中の人間を巻き込むもんだ。ジャスパーも知っているだろ?大人が起こした不始末を片付けちまった、英雄たちを」



その話は、既に歴史にも載っているし、態々本や雑誌を見返さなくとも、鮮明に憶えている。
ウィンザーもジャスパーも当事者として、その戦いを経験した。
戦いは世界中で発生し、特にこのオーク大陸ではかつてのエイジア王国と、復権を果たそうと暗躍したルウム公国の残党と、彼ら連邦軍が死闘を繰り広げ、大陸全土で甚大な被害をもたらした。
彼ら自身も戦い、疲弊した。
そのような不毛な戦争の終結に大きな役割を果たしたのが、ウィンザーの言う『英雄』の存在である。
その当時の英雄たちは、揃ってまだ二十歳にも満たない子供だった。


「子供が戦争を終わらせたという、やつですか。しかし何故、その英雄の一人が、今回のような………」
「………まあ、そうだな。確かに、戦争を終わらせるために尽力し英雄にまで登り詰めた奴が、今度は戦争を始める引き金を引くとはな」



この時の二人の会話は、実は違う場所でも、違う国でも、数限りなく繰り返し話される内容でもある。
たとえ当事者でない人ですら知っている、グランバート王国の現最高司令官。
その人間は、かつて50年戦争の時、この不毛な争いを終結させるために、数多の戦場を駆け抜けた戦士である。
彼の祖国は、その当時大規模な内戦状態に入り、王都も国土も千々に乱れて、国としての機能を果たせてはいなかった。
その中で、彼は国の為に戦おうとしたのではなく、この世界に蔓延る争いの種を鎮める為に戦ったとされる。
終わりの無い戦いと思われていたこの時代の戦争が、彼をキッカケに時代と共に動いて行く。
小さき少年が未来を築く戦士となった。
他方、まるで伝説のように語られることもあるその話は、多くの人間が知る事実だ。
その未来を、ある意味で破壊するような今回の出来事。
つかの間の平穏だった。
恒久的な平和が存在しないという通説じみた常識を人間たち自身で正しいものであると証明した。
人間は、常にテリトリーを争う生き物なのだ、と。



「まあツバサがあの男のように、若くして台頭できる兵士になれるかは分からないけどよ。あいつが勝手に兵士になるのなら別だが、そうじゃない。人を選び、兵士にさせるってんなら俺たちには責任が伴う。ま、若い子供たちを指導すること自体、責任のあることだし、年長者としての仕事の一つだ。そうすぐに動きがある訳じゃないだろうから、じっくり面倒みてこうや」

「…………そうですね。そうだと、いいのですが。」



しかし、すぐに動きは無いだろうと考えていたウィンザーでも、先のことが全く見えていない訳では無い。
いつかその時は来る。これまでの10年間が空白のものであったとしても、それは恒久的な平和の到来を意味するものではなかった。
たとえ英雄が世界の争いを鎮めようとも、その水面下で次の戦いの波が引き起こされている。
時代も、人間たちも、決して争いの場を忘れることはないのだ。



そして、鉱山遠征の日を迎える。


「よーし、いくか!!」
「元気だな」
「いつもだろ?な?」


この士官学校における鉱山遠征は、新入り組の登竜門のようなもので、将来兵士になる人も、また徴兵制度の過程を越える者としても、この訓練を避けては通れないものである。
彼ら17人もそれに漏れずに参加することになったのだが、彼らの間ではある一つのことが懸念されている。
それは、この儀式とも呼ぶべき訓練が、過去に幾度も大きな事故を引き起こしてしまっているのだ。
事故とは言うが、それは人為的なものではなく、自然環境による弊害を受けたことによるものだ。
既に廃鉱となった鉱山の外周コースを登りながら、頂上のシグナルビーコン起動を目指し、下山するというルールの訓練。
言葉にして起こせばそれほど難しくも感じられないが、その道は険しく、天候も変わりやすい。
過去、天候変化によって事故に遭い、幾人かの命が奪われたことがある。
士官学校とはいえ、ここに所属すれば軍の在籍という位置づけになる。
そのため、訓練中の事故に関しては、指導者側に明らかな過失が無い場合は、当人による事故として記録されてしまう。


この日の天候は、平地は曇りのち晴れ。
山間部は曇天が漂う日中となることが予想されている。
気温は21度。
日が照り続けて暑さで体力を消耗するよりは、幾分もマシだろうとは考えられていた。


「いいか、山の天気は変わりやすい。周囲の状況変化を見逃すなよ。途中にはチェックポイントが設置されていて、隊員が確認を行う。それ以外の非常時には、必ず渡した無線機を使用して連絡をすること。もう一度言う、ここの天候は変わりやすい。決して無理はするな。これはチームでの訓練だ」



ジャスパー大尉の事前の説明を受け、他にも彼ら生徒の人数以上の現場兵士たちが動員され、この訓練が行われる。
それだけ過酷なものなのか、それとも過去の事故を受けての手厚いサポートを用意しているのか。
兵士たちの力を借りる機会がそれほどあるとも思えないが、確かに無理はしないほうがいい。
気持ちが昂る一方で冷静な考えも持ち合わせていたツバサ。
他の多くの生徒たちが、この先を不安に思っていたのだが、彼は違った。
無論、全く不安が無かった訳ではない。
それ以上に、このような少ない機会を自分のものにしたいと考えていたのだった。


彼の持つ不安は、限定されている。
それは、今日まで“チーム”を作り上げることが出来なかったことだ。


結局のところ、サイクスとパトリックの二人とは、何ら関係性を築くことが出来なかった。
強いて言えば、サイクスは会話にならずとも返答だけはしてもらえる程度の関係。
パトリックに至っては激しく嫌悪感を表面に出すので、会話どころか話しかけることすら厳しい状況だ。
ジェザだけでも普通に会話が出来るようになったのは良かった、とも思う。
だが、今の状態ではチームでもなんでもない。
彼の考えるチームとは、全員が一致団結に協力し目的を果たすものを言う。
今の状態は個人的な関係が微々たるものとして繋がれただけのことである。
彼が最も危惧し不安に思うのが、その点だった。
それでも、足を進めない訳にもいかない。これも訓練の一つなのだから。



「…………」
「……………」


「俺たちはこのルートだな!どれどれ………」
「見方、分かる?ツバサくん」
「んいや?サッパリ」
「あら。このルートと描かれた等高線を見ると………途中まではなだらかな道が続くようだけれど、山頂に向かうにつれ険しく細い道になるようだね。」



ツバサを先頭に、エリクソンがその隣で地図を広げながら分析をし、ジェザがそのすぐ後ろを歩き、三人ほどの間隔をあけてサイクスとパトリックがついていく。
パトリックは終始機嫌が悪いようだった。そもそも彼らと行動を共にすること自体が受け入れられないのだろう。
一方のサイクスは無表情だった。正直何を考えているのかが分からない。彼にとっては一番困るタイプだった。
それでもついてきてくれるだけマシなのだろう。
今はそう思うことにした。
空を見上げる。
当初の予報通りで、曇天の空が立ち込める。
気温はちょうどいいぐらいだが、灰色の雲が覆う空を見上げる度に、どことなく不安が頭を過る。


「ベスラニオス鉱山は、かつてオルドニアの産業の一部として発展し、街の発展を大きく支えたそうだよ」
「お、色々調べてくれたのか?」
「うん。多少はね」


オルドニアの街から北に50キロほど離れたところにある、ベスラニオス鉱山。
ベスラニオス山地の一部の鉱山として、かつては鉱業資源が豊富に採掘出来た山である。
オルドニア州の産業の中心となっていたこの山も、その資源が採り尽されると、あっという間に衰退し閉山に至った。
鉱山の中には今もその当時の作業場やトンネルが数多く残されている。
しかし現在では鉱山内部へ立ち入ることは出来ない。
その外周面に広がる登山道は、軍の管轄地として訓練として使用されていて、またこの山の近辺では射撃訓練などが行われている。
産業の中心地が廃れた土地の象徴に変貌するまで、そう長い時間を必要としなかったという。
それを目当てに移住してきた資産家が破綻した例もある。
それまで発展し続けていた産業が今も続いていれば、きっとオルドニアはより大きな街になっていただろう。
今となっては辺境の一州に過ぎない。
彼らにとっての歴史の停滞と後退は、この鉱山が使い物にならなくなった瞬間から始まったのだ。


「今となっては軍の私有地か。まあしょーがねえんだろうけどなあ」
「そうだね。役割は変わったけれど、今もここは人々に使われている。元の自然には戻せないだろうね」


道中を他愛のない話をしながら歩こうと思っていたのに、いつの間にかしんみりとした話題になってしまっていた。
会話になっていない二人は除いて、ジェザも数回口を開けて言葉を交わしていた。
それからのこと。
一時間半ほどが経過し、途中のチェックポイントまで辿り着く。


「………よし、記録した!良いペースだな」
「ありがとうございます!」
「この先、山頂までは近いが道は険しくなる。気を付けろよ。」


チェックポイントは、士官学校に勤める兵士たち数名がそれぞれ4か所の登山路の中腹に設置したもので、士官候補生たちに異常が無いかなどを確認する重要な場所となる。ここを学生たちが通過すれば、チェックポイントから本部に通信を送り、状況を報告することになっているそうだ。
兵士たちが助言をして、彼らを先の道へ送り出す。
因みにこのチェックポイントで待機していた兵士たちも、この訓練を経験している世代の人で、送り出す気持ちは無事を祈るばかりでなく、これからの将来を思ってのことも含まれていた。



「………確かに、道は悪くなってきたね」
「ああ」
「雲行きも怪しくなってきたな」


ジェザが話すように、空の雲の色が黒く、また厚みも増しているように感じられる。
さらに吹き付ける風が徐々に強まっているのを肌で感じる。
気温の変化にも気が付いた。高地にいる分気温の低下があるのは当然だが、それでも先程までと比べてもよりハッキリと気温が低下したのが分かる。



「一雨来るかもしれねえ。もし雨が来たら行軍は一時中断だ」



全体の一番前を歩いていたツバサが、皆にそのように話す。
雨が来れば地面の状態が悪くなることは明白だ。
すべてのチームの学生は、雨天時の装備も携行させられている。
一人で展開することの出来る簡易テントがそれだ。
テントと言うには側面が吹き抜けになるので、あまりに寂しい。
しかし、身体全体を覆うことは出来るので、雨水が直撃することはある程度避けられそうだった。
ツバサがそのような方針を打ち出したのと、同時に。



「なんで止まる必要があるんだよ。さっさとビーコン起動させて下山しちまえばいいだろ」


その一言で、その場の空気が一瞬にして変化し、凍り付くのが誰でも感じられた。


声の主はパトリック。
彼は明らかな反抗意思を表面化させており、腕を組んでツバサを鋭い目つきで睨んでいる。
その声色でも、その表情でも、そしてその雰囲気でも、明らかにツバサの出した方針に不満があるのは分かった。
だが、ツバサとしてもここで引き下がる訳にはいかない。


「なに言ってんだよ。雨が降りゃ足場は悪くなる一方だぞ。急いで転んだりでもしたらどうすんだ」
「知らねえよそんなこと。転ぶやつが悪いんだ」



――――――――――――さらに空気が激化する。


「お前な、その中に自分が含まれるかもしれねえって考えはねえのかよ!?」


パトリックの悪態をみて、ツバサが激高した。
彼の言動は、明らかに団体行動を乱すものであり、ツバサとしては到底容認できるものではない。
はじめからこの訓練はチームで協力して進められることが伝えられている。
その輪をあえて破壊するかの如く、自分勝手な言動をしたパトリックに、ツバサは遂に怒りを向けたのだ。
一人でもそういうやつがいると、周りのみんなが迷惑に思うし、危険に晒すことになる、と。
ツバサの考えは至極もっともであった。
だが、パトリックは言葉を続ける。



「第一、何様だおまえ?自分だけイイ気になって先導してよ。周りに聞きもしねえで勝手に決めつけんな」
「てめえこそなんだよその態度は!団体行動乱してるってわかんねえのかよ!!?」
「俺ははじめからお前が引っ張るこの面子を団体(チーム)などとは思っちゃいねえ。うぜえんだよ」


ある意味でハッキリとしたお互いの関係性。
激しい対立は、それをみていたエリクソンもジェザも、そして口数の極端に少なかったサイクスでさえも驚かせた。
特に驚きを隠せなかったのが、ツバサの姿だった。
今にも相手の胸倉に掴みかかりそうな勢いだったが、言うことには筋が通っていた。
確かに、この場においてパトリックの言動は明らかに自己中心的なものであった。
ツバサを嫌うのはいい。彼とて誰にでも好かれたいと思っている訳ではない。
しかし、今この訓練ではチームとしての行動が求められている。
それをパトリックは自ら認めてはいないと全否定し、ツバサが打ち出した方針を真っ向から拒絶した。
ツバサも、確かにこの方針を相談して皆で決めた訳では無い。
そう言う意味では彼の判断も自己によるもので、チームとして取りまとめた意見ではない。
だが、そうしなければチームを危険に晒す。
その危険性が高いからこそ、彼は積極的に皆にそう話したのだ。


遠くから、雷鳴が聞こえた。
今の二人の気持ちを表すようだった。



「つけあがるんじゃねえぞ餓鬼。誰もお前のこと信じちゃいねえ。そんなに自分の思ったとおりに事を運びてえなら、お飯事でも一人でやってりゃいい。そんなものに付き合わされるなんぞ、ゴメンだね」



そう言い放つと、せっせとパトリックは先へ進んで行ってしまった。
一方のツバサは拳から血が出るほど強く握り締めて、怒りをあらわにした。
が、同時にパトリックに返す言葉を失っていた。
激昂しながらも、彼は冷静に彼の言葉を読んでいた。
否定できない部分も確かにあるのだ。
自分の良いように進めているつもりはないが、誰かに相談して今後を考えている訳でもなかった。
彼の見識で当たり前だと思うことを第一に方針にしていた。
他の人もそうするだろうと勝手に考えて、それが正しいものだと思い込んでいた。
意見討論の場において、彼の気質は自分の意見を通して正当化するものだった。
そう思えたからこそ、パトリックの考えも一理あると思ったのだ。
パトリックは実のところそこまで深く考えて彼に言い放ったのではない。
ツバサが彼の言葉を思い起こして考え、そのような判断に至ったのだ。
その意味では、ツバサのほうがより大人な考え方が出来ているのだ。


だが、それでも、これだけは決して間違ってはいないと言い切れる。
足早に先へ進んだパトリックが危険になる可能性は高い。



「……………」
「………どうしよう、ツバサ」
「…………気に入らねえけどよ、放っておくわけにもいかねえだろ。あいつの言うことも、分かる。分かってんだ」

「……………!!」


意外にも、その発言に最も驚きを示したのは、最も口数の少ないサイクスだった。
エリクソンは胸が締め付けられるような思いだった。
この中のメンバーで彼といる時間が最も長いエリクソンは、パトリックの言葉の数々がただ単にツバサ嫌いで罵っているだけではないことを理解し、ツバサもその部分に関しては受け入れているのだと分かっていたのだ。
ジェザも言葉にはしないが、パトリックが言いたいことも分かる。
団体行動を乱し、勝手に前へと進み始めたパトリックこそが自己中心的だと、彼は頭の中で自らの考えを確立させていた。
そしてサイクスも同じだった。
たとえ協力関係になくとも、全員でこの訓練を乗り越えればいいだけの話なのだ。
あえてその輪を乱さずともいいのに、と考える。


「だけどよ、それでも俺らは同じところにいる仲間のはずだろ。このまま見過ごせるかよ!!」


その時、その場にいた誰もが、彼の心の内に持つものを見た気がした。
彼らは自分たちの立場に置き換えて、パトリックに言われたことを思い返したのだ。
正直に言って酷い言われ様だった。
否定できない部分があったとしても、普通の人ならあれほど言われてその相手に振り向こうとは思わない。
寧ろ突き放すか放っておくかするだろう。
だが、彼はそのような状況下であっても、たとえ認められていなくとも、仲間だと言った。
そこに、彼の強さを見たような気がしたのだ。

兵士たちが危惧したように、
山頂へ向かうにつれて天候も変わり、足場も悪くなる。
そして、最も恐れていた、雨が降り始めたのだ。
風は強く吹き始め、気温は下がり、雨が大地を濡らす。
山の天気は急変する、という教えが全くその通りであるかのように、途端に雨脚は強くなり容赦なく打ち付ける。
道は悪くなる一方だ。足元には既に降った雨水が流れを作り始めている。
チェックポイントに向かっている時と今とでは、全くペースが異なる。



「チッ、この先は崖有りか………おいみんな!さらに足場が悪くなるぞ!!」
「くっ…………」
「滑落したら命は無い、かな………」


この数週間鍛えたとしても、それは足場の悪いところでの訓練ではない。
このようなぶっつけ本番のような訓練では、確かにこれまでの成果を問われることにはなるのだろうが、危険も伴う。
改めて、ツバサはこの訓練の本質とその意義を考えたのだ。
そして同時にこの訓練に一体どれほどの意味があるのだろうか、とも考えた。
結束を深める、仲間意識を高める、そういった精神的な強化には繋がるだろう。
身体的にも、これまで訓練した身体能力の効果を発揮し踏破するものとして考えれば、決して悪いものばかりではない。


が、これは本当に将来の兵士を生み出すために必要な訓練だろうか。


何か慣例に沿って行われているような気がしてならない。
それに、この訓練によって今まで幾人かの犠牲者まで出ている。
もっと有益で有意義な訓練は幾らでも出来るだろうに。



「………………。」
色の濃い灰色の空から降り注がれる雨が、より強く。
沢山の不揃いな岩で敷き詰められた足場は悪く、歩き辛い。
道幅も狭く、左側には斜面が連なり、足を滑らせれば落下は間違いないだろう。
ペース配分を考えることもせず、パトリックは一人で先を歩いていた。
実のところ後ろの4人とは1分ほどしか離れていないのだが、声も届かないし姿を確認することも出来ない。
そしてなにより彼自身が振り返ろうともしなかったのだ。
嫌気が差していた。
あの男一人に対してではなく、ここにいる環境そのものに。
腹が立っていた。
あの男一人だけでなく、こうしてここに強制的に呼ばれた自分の“境遇”に。
この国の人間であり男児であるのなら、国の制度により兵役を免れることは決して出来ない。
ここで経験したことが、将来的に兵士を補充する過程で生きる。
つまり、国が兵士を必要とした時に、ある程度の訓練と経験のある男性を兵士として召喚することが出来るのだ。


―――――――――――そんなのはまっぴらだ。
なぜこんな国の為に、自分の命を投げ出さなければならないのか。


彼の独白。
これからの人たちの未来を勝手に奪い、兵役を強いるような国の兵士になるなど、御免だ。
国にいる者の誰もが国の為に尽くすなどと考えるはずもない。
この国に生まれたことも、育ての親も、これからの未来を紡ぐ者に選ぶ権利はない。
だが、知識を得てから他方に流れることは出来るだろう。
この徴兵制度は、そんな未来の可能性を否定する行為だ。
そしてこの訓練は、幾度となく事故により犠牲者が出ている、極めて危険で意味のない訓練だ。
必要な人が受けるのならそれはいい。
だが自分たちは必要か不要かも判断されず、ただここに連れて来られて兵役を強いられているのだ。
将来の国が安泰ではなくなった時の、道具として用いるために。


だから、パトリックは、
“自分から道具になろうとする”者たちを理解することが出来なかった。
激しい嫌悪感を彼らに抱き、むき出しにしたのだ。
同じ人間として持つ思考としては理解に苦しむ、と。
なぜ自分はここにいるのだろう?
こんな人たちと共に生活をしなければならないのだろう?
この先に何があるのか。
何が待っているのか。
本当にこの先も、生きていられるのだろうか。


そんな漠然とした不安は、彼の足元を揺らがせた。



「しまっ――――――――――――――!!?」


足早に彼らのもとを離れて、体力の残りも気にせず、地盤が悪くなる一方の雨の山道を歩いた。
そう、だから一時の不安が大きな危険を孕む可能性があった。
そんなこと、冷静に考えればすぐに分かることだろうに。
だがその点が思い至らなかったのは、頭の中があらゆる感情で煮えたぎっていたからなのかもしれない。
普段の自分なら、あるいは。


「……………。」
意識はある。
だが、身体はとんでもなく重たい。
右半身は既に感覚が無い。
しかし見ればズタズタに崩れているのが分かる。
よくもまあ原形を留めていたものだ、と辛うじて思える程度には。
装備は………そうか、恐らくもっと下だろう。取りに行けそうにもない。


ああ、黙っていれば意識を手放せそうだ。
油断してしまった。
だがそれでいいのかもしれないな。
これで、この身体は使い物にならなくなる。
兵士としての人生はこれで終わるだろう。


もっとも、生きて帰れるかも分からんが………。



パトリックは滑落したのだ。
雨の中、左が崖という狭い道を通る最中に足を滑らせて、崖から滑落。
だが、幸いにしてすぐ下の岩の踊り場に身体が引っ掛かり、その下まで落ちることは無かった。
その衝撃で右半身を強打。足は普通では考えられないような方向に向いているし、胴体も右肩から腕にかけてもズタズタである。
奇妙なことに、滑落した後のほうが冷静な気持ちを取り戻していた。
雨は降りしきり、身体は全く言うことを聞かない。もはや痛みすら感じられないほどであったが、かえってそれが救いだったのか。
意識はハッキリとしている。
頭の中で色々な考えが浮かんだ。
人間というのは、こういう状況になっても考えるのをやめられないらしい。


「っ…………!!」
それから、十分と掛からない時間が経った頃。
上から小石がコロコロと落ちてくるのが分かった。
意識はハッキリしていたし、頭の中は色々な考えが浮かんでいた。
だが、見上げた時に写ったものに、彼は激しく反応を示したのだ。


「馬鹿野郎!!なんでこんなところに来るんだよ!!?」


その姿を見るなり、開口一番パトリックはそんなことを言っていた。
その姿を見るなり、冷静な考えが一気に吹っ飛び感情が沸騰した。
顔面は怒りを覚えながらも強張る。
ある意味で、パトリックが今一番見たくない人間の姿であっただろう。
彼が最も理解できない領域にいる人間。
彼からすれば、兵士という道具になりたがっている男、ツバサが縄を巻いてピッケルを使いながら、自分の近くまで下りてきたのだから。


「おいおい、助けに来たってのに馬鹿野郎は無いだろ」
「誰がお前の助けなんか………ッ!!」


まるで人間そのものを全否定するように、パトリックは言葉でツバサを突き放そうとする。
だがここまで来て言葉で突き放され、為す術ないのならそれも情けない話だ。
ツバサは慎重に、かつしっかりとした足取りで、男の傍までやってきた。



「自力で歩くのは無理か………よし、肩を貸す。出来るだけ体重を俺に乗せてくれ。上の三人も心配してる」



男が彼の助けを拒み続けているのとは裏腹に、彼は男の言葉など無視して自らの為すべきことを進めていく。
それが男にとってはどうしようもなく嫌に思えたのだ。
助けに来てもらったにも関わらず、その人間に対してあまりにも酷い物言いをした。
ツバサという男を否定するかのように。
だが、ツバサは言う。


「いいよ、べつに。お前は俺が嫌い、それだけハッキリしてりゃこっちも気持ちが良い」
と、彼は笑って男に言ったのだ。
男からすれば、それがあまりにも不思議に思えたのか、少し拍子抜けしてしまった。
誰しも嫌われたいとは思わないだろうが、嫌われているのであればそれは仕方がない、と言わんばかりの反応である。
かえってそれだけハッキリ言ってもらったほうが気持ちがいい。
そこに彼の性格が前面に出ているように、男には思えたのである。


「けどよ、」
「………………」




目の前に、助けられるかもしれねえ奴がいるんだ。
たとえどう思われてようが、それで助かるってんなら、俺は見逃したくねえんだ。



刹那。
男の心の中で気持ちの波が揺れ動いた。
その言葉が脳に突き刺さるほどよく響いたのだ。
彼は自ら兵士になるためにここに来ているという。
自ら戦うための道具になろうとしている人間の言葉。
だがそれは、単なる道具ではなく人の為になりたいという、強い意志を持ったものである。
たとえどう思われようとも、そこに助けられる人がいるのなら助けたい。
彼の強い意志と彼の人となりとを表現した、彼らしい言葉であるように、男には感じた。
自分勝手な行動で迷惑をかけているのは、彼ではなく自分だった。
男は、自らがどれほど惨めな存在であるかを思い知らされ、彼の言葉を聞いて自分を責め立てた。
なんと情けない男なのだろう、と。
嫌いな人間ですら手を差し伸べようとする彼。
それに比べ、自分はここまで勝手に一人で進んで、目の前の現実から逃げてきたのだ。
その結果がこれだ。



「本当はな、行きたかねえんだよ………」
「っ…………」


それは、誰に聞かせるわけでもない、男の内から出た言葉。



「お前は自分から兵士になりたいって思ってるから、こういう噂を聞いても何とも思わないと思うがな………今、各地にいる士官学校生は、今後この大陸で戦争が勃発するようなことになれば、真っ先に最前線に駆り出されるだろうって言われてるんだ」



理解できない話では無い。
ツバサは確かにそのような噂を聞いたことはなかったが、この場でその話を聞いてもすぐに理解できた。
当然といえば当然だろう。
現場で兵士になるための訓練をさせられている自分たちは、一から教育し未熟なまま前線に送り込まれる一般市民よりも、遥かに優れている。
ある意味では経験者として前線へ行くことになる。
それだけでも、他の多くの民衆とは異なるポテンシャルを持つことが出来るのだから。



「だが、俺みたいに兵士になりたくねえって奴はごまんといる。にも関わらず、若い男たちを強制的に兵役を負わせて、俺たちの意思なんて関係なしに戦争に参加させようってんだ。反発が出ないはずがない。要は数が揃えられれば良いって思ってやがるんだ。そんなものに参加させられるなんて、まっぴらだ」


「けど、それに従わなければ国からマークされる」


「……………。」


ツバサもツバサで、このような制度がどうして設けられているのか、その背景や実情を自分で調べた。
今、パトリックが話すことはすべて事実だ。
上層部の思惑はどうあれ、戦争が間近に控えているというのなら、“戦いは数”という昔からの定石に従い、数を揃えるのが優先事項となる。
兵役により兵士の訓練を受ければ、一から何も知らずに戦場に叩きこまれるより、ノウハウを知った兵士の一人として戦うことが出来る。
だからこの国では、各州ごとにある士官学校で、一年以上兵役を課すのだ。
実際に、パトリックが話すように、この大陸でも戦争になる可能性は充分にある。
先の戦いでは、この大陸の南東部に大きな勢力を保有していたエイジア王国との戦いで、連邦は疲弊した。
兵役を課せられた男性たちが戦場に駆り出され、幾多の戦いに参加したのは紛れもない事実である。
そして、多くの人命が失われた。
この制度自体は古くからあるものではないが、確かに兵士の数を揃える基盤として、方針が成り立っているのである。



「お前はなんでこの国にこだわるんだ!!?」
「……………。」
「何がお前をそこまで動かすんだよ!!」



なるほど、そうだよな。
パトリックの考えじゃあ、自分から兵士になるって奴は死にに行くのと変わらねえってことだよな。
でも。


「俺は別に、この国のために命を投げ出そうなんて考えちゃいねえよ。ただ、この戦いが続く限りは、ずっとそれに巻き込まれて苦しむ人がいるだろ?そういう人たちの為になりてえって思うし、そのためには戦いを終わらせないといけねえ」



それがツバサの一つの方向性であった。
何も彼はこの国を絶対的な存在として尽くす対象とは考えていなかったのだ。
だが、彼の果たそうとする目的にとって必要な過程であるとは考えている。
一人では何もできない。
周りの支えも立場も無ければ、事の成就は出来ることではないだろう。
彼なりに考えた一つの道筋である。
それを目の当たりにして、パトリックは驚愕の色を浮かべていた。
この男には明確な目的があってここまで来ている。
そしてこの年齢でそのような考えに至ることが、異常のように思えた。


年齢だってそう変わらない。
容姿も、背はかなり高いがまだ子供のような一面もある。
内面だってそうだ。
だが、時折見せる真っ直ぐな表情は、子供のものとは思えない肝の座った姿に見える。
今日何度も目にした、彼の本質に近い姿なのだろう。
パトリックは思うのだ。
この人が本当に兵士として戦場に出ることになれば、どのような状況が生み出されるのだろうか。



一瞬だけでも、想像が出来た。
かつて50年と続いた戦いを鎮めるのに大きな功績があった人物の一人。
その人は、その当時で18歳だったという。


「んまぁ、俺のことはいいだろ!それよりお前だ。ゴタゴタ言ってねえで、早く帰ろうぜ」
「っ…………」
「お前が兵士になりたくないって言ってもな、そんなことよりここで死なれた方が、学校も皆も悲しむだろうからな」


負傷した側とは反対側の身体を支えつつ、上から下ろされている縄に手をかけて、ツバサはパトリックを救出する。
装備品も含めると、80キロ以上の重量を支えていることになるだろう。
縄があるおかげでもあるが、たった一人で男を支えて上まで登るのだから、大したものだと内心では思っていたパトリック。
救出されている間に、色々な考えが頭の中を巡る。
相変わらずこいつのことは好きにはなれないが、というのが彼の内心。
そして同時に、自分はこいつに助けられたのだという惨めさが込み上げてくる。
だがそれ以上に、こいつが言うように、
たとえこの先どのような人生になろうとも、まずは生きて帰れることを大事に思うべきだろう、
パトリックはそう思い、惨めな自分の心の中に、きちんと彼に対する感謝が込み上げているのを実感していた。
それが男にとって彼を認めるという内心の変化へと繋がっていくのだ。


それからのことだ。
彼らのチームは負傷したパトリックを支えながら、全員でシグナルビーコンの地点まで辿り着くことが出来た。
頂上に辿り着く頃には、先程までの雨も通り過ぎ、分厚い雲と、時折青空や太陽が見え隠れするようになっていた。
無論、救出に要した時間が長かったため、ビーコンを起動させたのはどのチームよりも遅かった。
そして頂上で待機していた現役の兵士たちが彼らの姿を見ると、表情を変貌させて駆け寄ってきた。
彼らの一人が滑落したことを告げると、すぐに兵士たちは救護班の要請をした。
それと同時にこっぴどく彼らは怒られた。
何のために無線を持たせているのか。
何かあったらすぐに報告をすることを徹底したにも関わらず、彼らは自力でここまで来たのだから。
確かに兵士たちが怒るのも無理はない。当然といえば当然だろう。
規律を乱す行為は、たとえそれが称賛されるべきものであっても、指摘を受けるものだ。

だが、彼らはなんとなく、清々しい気持ちも持っていた。
自分たちのしたことは、確かに褒められたものではない。
救護訓練を受けているとはいえ、自分たちはまだ素人の部類だ。
それが、緊急事態の連絡も告げず、自分たちの意思でここまできたのだ。
いけないことだというのは、誰もが分かっていた。
けれど、不思議と達成感はあった。
全員で山を下りることは出来なかったが、目的地までは辿り着けたのだ。
その後、救護班が山を登ってきて、パトリックを担架に乗せて下山していく。


その様子を、ツバサは澄んだ色をした目で見届け、見送ったのだ。


こうして、例年の鉱山遠征は終わる。
そして今日の出来事をキッカケに、ツバサの周囲の環境はまた少しずつ変わることになる。


そしてそれは、彼自身の立場に対しても。



……………。

第12話 グランバート幕間①~宴の場にて~

ヴェルミッシュ要塞攻略戦に勝利し、グランバート王国軍の士気は高まっていた。


アルテリウス王国にとっての防衛の要であったヴェルミッシュ要塞は沈黙し、彼らグランバート軍に占領された。
要塞攻略戦は僅か一日でグランバート軍が全面制圧をしてしまうほど、短期的な戦闘となった。
その要因としては、航空戦力および海軍勢力の後押しがあったからと言えよう。
特に航空戦力は、グランバート軍第三艦隊空母ヒューベリックからの全面的な支援を受けられる状態で、その力を如何なく発揮した。
ヴェルミッシュ要塞が、対陸戦部隊における防衛力を強固にしていた一方で、上空からの攻撃に対してはやや脆弱であった。
海軍戦力が長距離砲で要塞の砲台を次々破壊すると、地上からの迎撃が弱まった隙をついて航空戦力が各地に攻撃をし、地上からの攻撃が沈黙した段階ですかさずにパラシュート降下部隊を派遣する。
グランバート軍がよく情報を集め分析し、要塞攻略戦に実行された幾つもの作戦は、それを指揮する現場指揮官と実戦部隊とで効率的に運用され、短時間で絶大な効果をもたらしたのだ。
だが、彼らにとってここから先が長い行軍となる。
グランバート軍は、王都アルテリウスを占領すれば、アルテリウス王国との戦闘に大きな成果を得られるだろうと考えていた。
つまり彼らが期待するのは、充分な戦果をあげた後に敵が降伏することであった。
グランバートとしても、戦争が長期化する可能性を棄ててはいないし、事実それに対する備えも続けていた。
しかしそれは、アルテリウス王国に対してのものではない。
もっと強大でもっと厄介な存在に対しての、備えであった。



「明日からは別行動か。お互い上手くいくといいな」
「ええ、全くです。しかし、少将は今回も最前線ですか?」
「まあな。俺は後ろで指示飛ばしてるより、前に出て動き回ってた方が好きだからな」


グランバートの陸戦部隊は、制圧した要塞とその周囲の環境を利用して、前進せずに数日間野営して時間を過ごしていた。
なぜかと言われれば、要塞周辺の制空権を確保し、海上を制圧したことにより、本国から補給艦が問題なく接近できるようになったことで、補給物資を運搬できるようになったからである。
戦い続ける以上、補給というのは必要不可欠なものだ。
現地調達するのが難しい以上、ある程度の物資を運搬し運用することは、戦線を維持するのに最重要の要素とも言える。
そのため、要塞を制圧してから数日間は同じ場所に留まり、防衛を行っていた。


「お前だってそうだろう?ジュドウ」
「まあ確かにそうですね。俺もどちらかって言えばそのほうが………」


彼らは、明日の作戦行動を控え、夜の野営場で休んでいた。
全体の指揮官であるロベルト少将と部隊の統率を行うジュドウ、そして幾人かの兵士と酒を酌み交わしていた。
既に彼らに本国からの作戦内容は伝達されていて、その実行日が明日からとなっている。
補給物資の受け入れも終わり、いよいよ次なる行動を起こす時が来たのである。
次の戦いが始まるとなると、兵士たちの気も高揚する。
が、同時に委縮したり、恐れを抱いたりする者がいても不思議では無い。
ロベルトは現場の判断ということで、明日の作戦開始までの自由な時間に飲酒も許可し、気を落ち着かせることとした。
もっとも、酒が十二分に補給されている訳では無いので、飲める量など僅かなものである。
それでも、兵士たちにとっては、上層部からの粋な計らいだと感じ、喜び飲んだものである。
彼らの少数グループは、静かに語らいながら飲んでいた。
兵士たちにとって、普段本国の基地にいて、上層部の人間たちと酒を飲む機会などありはしない。
そもそも見かけることすら難しい人たちもいる。
それが、今では近い距離間でお互いに話をすることが出来る。
ある意味では貴重な経験ともなっている。
これからそのような機会が永遠と訪れない人もいるのだ。


「お、シャナ少佐じゃないですか。どうですか、一杯。」


凛とした表情を崩さず、てくてくと歩いていたシャナに声をかけるジュドウ大尉。
その声を聞いて、シャナは足を止め彼のほうを振り向く。
振り向くと、少数のグループ全員が彼女に目線を向けていた。
明かりの灯った夜の中でも、彼女の灰色の髪の色はよく見える。
誘いを受けたことを自覚していながらも、彼女は冷淡に。



「いえ、自分は。まだ他にやることがありますので」



無機質な、音色を感じられない、言葉そのものが作業であるかのように淡々と告げ、彼女はロベルトにだけ軽く会釈をしてその場を去る。
シャナの階級は少佐。その場にいるグループで、ロベルトの次に最も高い階級の持ち主が、ジュドウ大尉だった。
なので、階級の高い人にだけ彼女は頭を下げて、そそくさといなくなってしまった。
ジュドウはチッ、と苦笑いしながらまた一杯飲む。
誘った相手が悪かったかな、などと男は冗談交じりに言うが、ロベルトは彼女の背中を見ていた。
彼女の背中が暗闇に隠れ見えなくなったところで、彼は言う。


「しかし、シャナは素性が全然分からないな。本人も話そうともしない」
「少将は、直接聞いたことあるんですか?あの人に」
「まあな。だがこう言われたよ。“それは任務とどのような関わりがあるのですか”と」
「ケッ、随分堅い回答ですな。らしいっちゃらしいですけど」


流石にそのような言われ様では、ロベルトも詳しく聞こうという気が起きなかったのだろう。
権力者にはその力で相手を振り向かせる、などという方法もあるのだが、彼は野蛮なことはしないと心に誓っている。
本人に言う気がない、話す気が無いのなら、こちらからそれ以上聞くべきではないだろうし、仮にそれで話してくれたとして、その話がどれほど真実味のあるものか判断できるものでもない。
ロベルト自身は、それほど彼女に関心を持ってはいなかった。
ただ、彼女が今は本国にいるある一人の上官と深い関わりのある人物だということは知っているので、あまり無礼なことも出来ない。


「確か、ヴァズロフ中将の愛弟子でしたかな」
「ああ。中将は南方の部隊を統括するから、手元に置いておくものと思っていたのだが………」



ヴァズロフ中将。
グランバート王国軍統合作戦本部所属の高級将官である。
陸戦部隊の統括の一人としての役割を担い、普段はソウル大陸中東部の部隊を統括している。
彼もまた長い間グランバートに籍を置く王国軍人であるのだが、その素性は多くの人が知らないのだ。
先の戦いで、グランバートが激しい内戦状態にあった中、その混乱を収束するのに尽力したことで知られる将軍だ。
シャナという女性も、そのヴァズロフの下で生活し兵士となったとされている。
二人がどのような間柄かは全く分からないが、一兵士という関係性でないことは分かっている。
もっとも上官のそのような秘密話を盗み聞こうとする者もいなかったので、素性が分からないままなのである。


「それがどうして、こちらに来たのだろうか…………」
「迷惑なんですか?」
「そんなことはない。シャナ少佐は一人の兵士として、その才能を如何なく発揮してる。この戦線が終われば、間違いなく昇格だ」
「人事部の目も届いてることでしょうしね」


“一人の兵士として”という言葉に若干の強調を持たせたロベルト少将。
事実、彼女は今回の要塞攻略戦において、要塞司令官であるシェザールを捕虜とした。
これは他の兵士たちに勝る大きな功績であると言えよう。
この戦いが終わった後、彼女の昇進は間違いないものと誰もが思っている。
そうなれば、彼女は中佐の階級を得ることとなる。
だが、ヴァズロフ中将の愛弟子が、なぜこちらの戦線に呼ばれたのか。
あるいは彼女自身がそれを望んでここに来たのか。
確かめる術はあるのだが、それを誰も使おうとはしなかったのだ。
一人の女性に気を遣っているほどの余裕が無いと言えばそうなるのだが、今の彼女は同軍の兵士たちから見ても注目の的である。
ロベルトは彼女を純粋に一人の戦力として見ていて、次の戦いではロベルト隊と同じ隊の所属となる。
彼女は佐官ではあるが、あまり大人数を指揮することはない。



「まあいいか。それより敵のことですよね」
「ん、ああ。気にすべきは王国騎士団の存在だろう」


もう少しジュドウが詳しく彼女のことを聞きたがるものだと思っていたのだが、案外あっさりと話題は切り替わってしまった。



「少将は、先日の戦いで騎士団長と戦ったのでしょう?」


一人の兵士がロベルトにそのように尋ねる。
彼はその場面をよく憶えている。
人目で見て、周りの騎士団の兵士とは異なると分かったのだ。
それは、ロベルト自身の戦いにおける慣れた感覚がそのように訴えていた。



――――――――――たとえ再び、世界が火の手に包まれようとも、か。



相手の騎士団長を討つことが出来れば、手柄としては充分だろう。
あるいは、かの名高き王国騎士団の根幹を打ち砕くことが出来るかもしれない。
が、それは容易なものではない。
一人ひとりが手練れな集団だけあって、並みの陸戦要員とは異なり戦闘技術も高い。
昔から陸戦の専門部隊として組織され、王室警備の要の存在でもある王国騎士団は、敵に回せば相当に手強い相手である。
アルテリウス王国の首都を陥落させるためには、決して避けては通れない相手である。
ロベルトは、その騎士団長と一対一で戦った。
彼も近接戦闘では、同軍内においても相当な強さを持つ。
が、その彼ですら寄せ付けないほどの力量を、相手の団長は有していた。
短い戦闘時間であったこと、情勢が極めてグランバート側に優位であったことから、危機的状況に陥ることは無かった。
もし長期的な戦闘となっていれば、自分に命は無かったかもしれない。
そう考えると、もしあの男と再戦するようなことになれば、今度はこちらが追い込まれる可能性が高い。


そして、気になることが一つ。


「人の域を超えた動き…………?」
「直感だがな。あれが本人の実力なのかもしれないが、そうなのだとしたら相当な手練れだろう。だが、こういう話を聞いたことはないか?」
「……………?」


世の中には、人の手には及ばぬ力があるという。
その力は常にこの世界の支えとなって動き続けていて、我々も気付かないところでその恩恵を授かっている。
目に見えないものや手にすることの出来ないものを信じる気にはなれないが、そういう話を聞いたことがある。
自然界に流れるそれらを自身の力として扱うことが出来るのなら、もしかしたらそういう類の動きも出来るのかもしれないが………。


―――――――――――それは、酷く途方のない話だった。
目に見えるものでもない。
手に取ることのできるものでもない。
本当に存在するのかどうかすら怪しいような、現実にはない空想世界に感じるようなもの。
それだけ言えば、この世界中にはまだ人間が知らない未知なる領域というものも沢山あるのだろう。
男が語るそれも、その一つであった。
際限があるものでもなく、どこにいけばそれに出会えるのか、手に取ることが出来るのかも分からないようなもの。
語り手も本心でそのようなものを信じていたわけではない。
しかし、その話を男はかつて聞いたことがあった。
男がその話を聞いたのは10年ほど前になる。
世界中で戦火が巻き起こる中で、幾つかの怪奇現象とも言うべき事象が目撃されたという。
多くの人の間で噂されるような話でもなかったし、それが大事になるようなことも無かった。
しかし、そのような現象が見られたことを、一部の人々がこの世界に古くから伝わる事柄に当てはめて考え出したのだ。
“この世の中には、人に手には及ばぬ神秘が存在する――――――――――”と。
ただの神秘ということであれば、この世界にもまだ見ぬ奇蹟が、知らない神秘が多く存在している可能性はある。
だがその神秘が人の手により扱われることがあるのだとすれば、それはもう未知の領域から外れた、人間たちの側に近い神秘となっているに違いない。



「まるでおとぎ話のようですね」
「でも、俺も聞いたことありますよ。そういう本を読んだこともあります。」
「その男がそれに近い存在だって言うんですか?」

「まあ、あくまで俺の直感だ。そうでないほうが良いに決まってる」


酒の席ということで、緊張感もほぐれてはいる。
しかし、これを現実の話として考えれば、そのような神秘的な力を持つ者と対峙した時、
勝てるはずがないのではないだろうか。
そう思わずにはいられなくなる。
戦意を失うことにもなりかねない。
ロベルトの話は味方の士気に影響を与える危険なものであったが、彼らは話のネタとしてそれらを楽しんだ。
だが、残念ながら彼らがそれらの本質を知ることはなかった。


「………………。」
真夜中。
月夜の明かりが、一人岩場に腰かける彼女を照らす。
時折雲の切れ間から見せるその光は、幻想的で綺麗なものに感じる。
綺麗なもの、美しいものを素直にそう感じられるくらいには、彼女にも心がある。
だからどうだ、というのが心境ではあるが。
この先の大地には、アルテリウスの国が広がっている。
彼女はそれを眺めながら、右手には剣を持っていた。
夜が明ければ、アルテリウス本土の侵攻が始まる。
すぐに接敵するかどうかは分からないが、戦火は各地で巻き起こるだろう。
敵も味方も犠牲が出る。


彼女は、彼らの軍の中では孤立している存在だ。
多くの兵士は、彼女が上官であるから、目上に対しては敬い接している。
彼女の力量は一人の兵士としては群を抜いており、その点は高く評価されている。
だが、彼女は誰からも親しまれてはいない。
彼女を知る殆どの人が、彼女という存在を知らない。
何故ならそれは、彼女自身が自分という存在を一切出さないから。
戦場に出て剣を振るう彼女の姿は、道具そのものだ。
一つの目的の為に、身体を剣として一身で戦う。
無表情に、冷徹に振るう剣は、兵士たちにとっては高い実力の持ち主としての評価を集めているが、同時に畏怖の念を抱く。
味方にしてみれば頼もしい存在のはずなのだが、心の底から信頼を置くことの出来ない、なんとも言えない恐怖感を覚えていたのだった。
彼女は戦いを前に高揚することも無い。
恐怖を抱くことも無い。
ただそこにあるだけの兵士として、その剣を振るう。
彼女自身が抱く数少ない感情の一つ。
ある人のために戦うと、心に決めて。



夜が明けた後、グランバート軍は進軍を再開する。
彼らにとっての戦争は、ここからが本番であった。
一方、アルテリウス王国は彼らを迎撃するべく、三方向の主要街道にそれぞれ陣を形成した。
その中には、王国騎士団の陣営も含まれている。
彼らは陣形を構えてグランバート軍の侵攻を待った。
大陸深く侵攻することになれば、彼らも補給路が伸びて進撃速度が鈍る。
疲弊を狙えば、勢力が弱まったところで敵を討つことが出来る。
その判断は、正しかった。
だが。


「――――――――――全部隊、準備でき次第出撃せよ。」



その定石を覆す作戦を、彼らは有していたのである。



……………。

第13話 お互いの認識



「失礼します」



鉱山遠征の行われた日の、夜のこと。
士官学校の中では、遠征中に滑落して重傷者が出たという話題で持ちきりだった。
現場にいた兵士たちが出来る限り情報の統制を行ったはずであったが、どこからか話は漏れてしまい、それが事実であると知られてしまったのだ。
明るい噂ではないため、詮索する人々も少なかったが、当事者たちからすればそれは複雑な心境になった。
ツバサも同様である。
ある種の達成感を得てはいたのだが、彼の容態は気になるところである。
滑落したパトリックは半身を激しく損傷し、自立歩行も出来なければ片腕を動かすことも出来なくなっていた。
神経も寸断されていたのだろう。
不思議と痛みは消えてしまっていたが、ある意味でそれは状態が深刻であることを訴えている。
緊急の手術が必要とのことで、彼はすぐに軍病院に運ばれた。
彼の担架が救護班の人たちに持ち運ばれ、下山するところまでは見ていた。
今はどのような状態かは分からない。
下山し騒々しい雰囲気の中で、彼らは基地まで帰投した。
その後で、幾人もの人にどのような状況だったかを問いかけられたが、彼は答えなかった。
自分が言うよりも先に、上の人たちからの報告があるだろう、と。
彼は自分たちの置かれた状況をひけらかすようなことは決してしなかった。


その日の夜に、彼は士官学校の上官に呼び出しを受け、既に訓練時間を終え自由時間となっている時に校長オフィスを訪れた。
そこには校長のマインホフと、総合指導監督者のヒラーがいた。
ツバサはマインホフの執務室に入るのは初めてで、後から知ることだが、在学中の学生がここに呼び出される場合には、相当な内容の話がなされるのだという。
大抵は処分が下されるような類の話だと聞くが、それを知らない彼はとにかくも正直な気持ちで呼び出しに応じた。
普通の話がされるはずがない。
彼が最もあの状況を動かしていた張本人なのだから。



「まずは、当時の状況を詳しく聞こう。」
ツバサは起立したまま。
マインホフはソファに腰かけていて、その傍らでヒラーも起立して彼の話を聞いている。
既にこの二人は現場の上官たちから状況を聞いてはいるが、改めて本人の口から詳しい現場の様子を聞くこととしたのだ。
ツバサからすれば、この呼び出しはまるで処断されるのではないかと思うようなものであったが、実際のところは違ったのだ。
彼が経緯の多くを伝えると、


「そうか。経緯は分かった。ツバサ君、君はよくやってくれた。」
「…………へ?」


と、マインホフは逆に彼を称賛する言葉を伝えたのだ。
現場では現役の兵士たちに“なぜすぐに無線で連絡をしなかった”と怒られたが、マインホフの反応は違った。
ここでも彼は怒られるものだと思っていたのだが、そうではなかった。
少しばかりの笑みを浮かべているマインホフと、どことなく安堵の表情を持つヒラー。
それを前にして、ツバサは完全に自分の調子が狂った。
予想だにしない展開であった。



「本来であれば誰か大人を頼るべきところだが、君はまず自分たちで解決を試みた。行いとしては褒められるべきものではないのかもしれないが、その心意気は至極真っ当なものだろう。自らの意思で彼を救おうと行動したのだから」

「……………」

「誰かを救おうとすることが、間違いであるはずがない。君はチームのリーダーとしてそれを為そうと努力した。その勇気ある意思を、私たちは高く評価している」

「あ、ありがとうございます…………」



心の底から喜べるようなものでもなかったが、
マインホフに行動というよりも、その行動に至った動機を高く評価されていたのだ。
ヒラーもその点はマインホフと同意見のようで、同じく挑もうとするその気質を評価していたのだ。
結果を求められる単純なものではない。
この遠征は、個々の能力だけで達成できるものではない。
与えられた状況の中で最善を尽くすこと、そのためにチームで協同して行うこと、それらが求められていた。
彼らはチームと呼べるような状況ではなかった。
仲違いという子供じみた理由でまとまりのないチームとなり、単独行動をさせてしまうという、チームとしてはあるべきでない行動が散見された。
だが、それでも必死にまとめあげようと、達成しようと努力し突き進んだ彼の意思は称賛されるべきである、と。
ツバサとしては容易に受容することの出来ない状況であったが、悪いものでもなかった。
自分たちの行動が間違っていた、とハッキリ否定されることはなかった。
寧ろその行動に至った経緯、そこに持ち合わせた心意気は、より大切にすべきことだろう、と。


「ところで、君はなぜこの学校にきたのだ?何の意思を持って兵士になりたいと欲すのだ」
話が変わると、マインホフは彼にこの学校へ来た理由を尋ねた。
実のところ、校長はツバサが自分の意思でここに来たことを知っている。
その経緯を聞く機会はこれまで無かったのだが、つい先日のこと。
“本国”にいるヘルグムント中将と彼ら教官とがテレビ会議をした時に、本国が有能な人材を求めていることを告げられた。
オルドニアの士官学校からはここ最近有能な人材が輩出されておらず、ヘルグムントもそれを大そう気にしていた。
それが分かると、教官たちは士官学校の中でより優れた存在を兵士として輩出する必要性に迫られた。
だが、そこには大きな矛盾がある。
この国の制度に従い、兵役を過ごすためにここにきている人があまりに多いからだ。
全体の9割を占めるといっても良いだろう。
いつか有事になった際に招集して戦力に加えられるように、事前に兵役を課す。
聞こえは良いが、本国が求めているのはその過程で本当に兵士としての素質があって、兵士になろうとする気質のある者の存在だった。
その点、ツバサは二つの条件を揃えられそうだったのだ。
一つに、彼は優れた身体能力を持っている。
二つ目に、彼自身が兵士になろうという意思の下、ここへ来たということだ。
幾人かが彼の存在を挙げたとき、マインホフの彼に対する興味が湧いた。
そこで彼から直接話を聞いてみようと、夜の時間に彼を呼び出したのだ。


「んー、言い表し辛いですね」
「すまない、質問が漠然とし過ぎていたな。しかしこれは答えを求めているのではない」
「そうですね………こんなこと言って、馬鹿みたいに思われるかもしれないけど…………」



――――――――――俺はこの戦争を終わらせるために、兵士になりたい。罪の無い弱い人たちが巻き込まれないようにするために。


彼自身、誰かに打ち明けたことではないが、彼の父親はかつて彼にそのように話したことがある。
自分が戦いに赴くのは、戦争によって弱い人間が虐げられるのを防ぐためだ、と。
子供心に彼は思った。
“なんてヒーローみたいな人なんだろう。”と。
聞いた当時はその言葉が、父の姿が憧れであった。
自分もそのような人になりたいと欲した。
だが、父が帰らず、多くのことを勉学で学ぶようになってから、色々と考えるようになった。
父は弱い人々を護る正義の味方を目指していたのかもしれない。
が、正義には正義が存在し続けるために必要な要素(あく)がなくてはならない。
この二つは表裏一体、互いに不可欠なもので、相容れない存在であっても引き寄せられるものであるのだから。
彼自身、自らのこの思いが浅はかなものであり、本当の兵士として働いている者たちに失礼だという自覚はあった。



「そうか。人の意思に答えなどない。自らの持つ意思が道を照らし定めることもあるだろう。」


兵士になる為に必要な答えはない。
その経緯にある意思を大切に持ち続けるべきだろう、マインホフはそのように話す。
それは兵士に限った話では無い。
人があらゆる目標を掲げ、その実現に向けて取り組むとき、過程として持つべき意思は何より行動の原動力となる。


「だが、君の持つ夢を現実にするには、今のままでは足りないものが多い。我々はその後押しくらいは出来るのだが、それに乗るかどうかは君次第だ」
「?」



「――――――――――君の覚悟を訊ねる。もしこの国の状況が変わったら、戦地へ赴く勇気はあるか。」


そう。
彼の持つ望みを叶えるためには、今のままでは状況が整っていない。
そのために出来ることを、時間をかけて積み上げていこうと考えているツバサではある。
しかし今日この瞬間に、彼に対する風向きがまた変化する。
兵士たち、それも上層部の人々から、彼は自分が必要とされている存在であることを確信したのだ。
決して自惚れることはなかったが、自分という存在を認めてもらったと感じた。
『私はね、どこかで苦しんでいる人たちの為に、戦いに行くんだ』
かつてその言葉を聞いた時、その背中を見た時、その姿を追いかけようと思った。
その意思は今でも堅く、彼の心の中に存在し続けている。
だから、彼の答えはとうに決まっている。



「…………その時が来るのなら、俺は――――――――――」



兵士として、往くべきところへ――――――――――――――。
彼の覚悟はこの時点で既に定まっている。
その転機を迎える瞬間までは。


鉱山遠征の翌日は、元々訓練は休みで、兵士たちは久々に外出の出来る自由時間となった。
士官学校に入校してまだ一ヶ月にもならないが、学校の中の生活が多くて外の世界を見ていなかったような気がする、と感じる生徒たちも多かった。
訓練を重ねることも大事だが、たまにはこうして外の空気を吸って息抜きをすることも大事である。
という、月に一度、二度あるかないかの、つかの間の休息である。
とはいえ、朝の8時から夜の6時までのごく僅かな時間で出来ることは限られている。
毎日訓練を行っている彼ら生徒たちからすると、突然今日のように一日自由な時間が与えられたとしても、何をして良いのか迷うのだった。
ツバサもその一人である。
昨晩の話を受け、今日からまたどのような生活が進められるのだろうか、と考えていた彼だが、こうして休みの日になると色々と思考が巡る。
けれどせっかくなので、街に出ることにした。
ここ、オーレッド州オルドニアの街は、ソロモン連邦共和国の各州に比べても比較的大きな街の部類に入る。
現在も街の中、あるいは郊外の開発が急速に進められており、特に宅地が多く建つ。
景観が自然豊かな街であるためか、住みやすい環境と思いこの地に住まいを置く人が多いのだという。
長い時間、タヒチ村での生活を送っていた彼にとって、これほど大きな街の規模はあまり経験が無い。
隣町へよく遊びに行った時のことを思い出す。
村には無い図書館や美味しいご飯のお店が沢山並んでいた光景を見て、楽しいと感じた気持ちが蘇る。


思えば、最近は訓練が忙しすぎて、あまりそういうことを考えていなかったかもしれない。
せっかくならうんと楽しい時間を過ごすことが出来ればとも思うが、今の自分の生活を思えば、それも削るべきものなのかもしれない。


「んま、でもせっかくの休みだし………!!」
にやり、と自分で笑顔を浮かべつつ、基地から出て街に出たツバサ。
目的はない。
ただ街を歩き、新しいものに気付くことが出来ればそれでいいか、という程度に考え歩き出す。
その楽観的な考えこそが、ある意味ではツバサの長所ともなるのだが、あまり自覚はない。
彼は街の中を歩く。
特に彼が目を付けたのは、地域では最も活気に満ちているショッピングストリート。
この街で最も広く長い直線的な通りは、道の両脇に幾つもの商店が立ち並び、食事や買い物、あらゆるサービスが提供されている。
後ろに手を組みながら、ゆっくりとした足取りで彼はそれらを眺めて行く。
この街のこの街道こそが、この州の経済の一部を担い、回しているのだろう。
などと考えるが、それよりも新しい食べ物や見たことのないような物々が沢山並んでいることに、彼は新鮮さを感じていた。
いかに自分が今まで外の世界に出て来なかったか、というのを痛感させられる。
でもそれが悪いことだとは思わない。
逆に良い機会なのだと肯定的に捉える。
今まで知ることのなかったものを、ここに来て知ることが出来るのなら、それはそれでいいだろう、と。


「やあ、兄さん。どうだい、良い代物が揃ってるよ」
「普通に剣売ってんだな!へぇ~!!」
「ああ、こっちかい?これは一応売りもんだが、普通の人に剣は扱えんだろうさ。ウリはこっちだよ」
「包丁な!」


自分が兵士の見習いで剣に精通している、などと打ち明けることはせず、売り出しものを眺めて行く。
彼が立ち寄った店は刃物類の専門店であったが、そこには短剣などの武器となるものも置いてあった。
自衛の手段として用いることが可能な武器だと言うが、平然とそのようなものが売り出されていることに、少し驚いたツバサ。
自分を護る為の手段はあくまで自分で揃える、ということか。
と、考えながら他の店も回る。
無論それはすべての人がそのように思っている訳では無い。
すべての場合において自分の身を自分ひとりで護りきるなど、到底できるものではないだろう。
彼らのように兵士としての訓練を積んだものですら、同じことが言える。
だからといって自衛の手段を無くすことは出来ないので、こうして必要な人には購入できるようになっている。
日用品でも無いのに高額であるので、買う人は少ないと言うが。
今の彼には私物の剣も包丁も必要ないので、ただ眺めるだけで他の店に行く。


といった感じで、特に買うことはしないが、色々な店の中に入って商品を眺める。
買い物はせずとも、こうして色々な店に行き色々な人と話をするだけで、リフレッシュにもなるのだ。
そうして一人、暫くの時間を街の中で過ごしていたとき。


「ん、ありゃ確か…………」
古風だが洒落た木造の店の前で一人、置かれた看板に目を通す女性が一人。
店は喫茶店のようなものらしく、その姿は意を決して入る直前だがどことなく何かを決めかねているような、そんな姿に見える。
いつも見慣れた迷彩柄の服装ではなく、やや高い気温となった今日でも全く露出をさせない、整った服装を身に纏う生徒。
学校の外に出れば私人としての姿になるのは、そう不思議なことではない。
だが、なんとなく、ツバサが彼女を見かけた時には、少し不思議な感覚を持つ。
それは彼女という存在が周りとは異なる空気感を持つからだろうか。


「よっ。ナタリアだったな?」
「、、驚きました。こんにちは」


突然後ろから現れたことに、きょとんとした表情を一瞬浮かべて、またいつもの表情に戻す。
ツバサは片手を挙げて笑顔で彼女に話しかけた。
ナタリアは自分たちとは違うクラス分けをされていて、17人の同期生にはいないので、先輩組の一人だとツバサは思っている。
今日は彼女の所属するクラスも訓練が休みのようだった。
でなければここで会うことは無い。
しかし、意外だった。
あまり表情を持たないと思っていたナタリアが、このような喫茶店に一人で入ろうとしていただなんて。


「貴方も、今日はお休みなのですね。」
「まあな!なんだ、ここに入ろうとしてたのか?」
「、はい。ここで少しお茶でもしようかと思いまして」
「へぇ~、なんかちょっと意外だな。そんな風に見えなかったからよ」

ツバサには失礼なことを言っている自覚は無い。
しかし彼女のほうも、あまりにも直球でそのようなことを言われてしまったので、怒る気にもなれず、かといって呆れる訳でもなかった。
笑顔でそのように言われたので、きっと他の人たちもそのように、意外に思うのだろう。
なんとなくそんな気がしていた。


「悪い、邪魔したな!」
「いえ。………貴方は今、お暇ですか?」
「はぃ?」


「お暇なら、よろしければ付き合ってもらえませんか?この場はわたくしがお支払い致しますので」



少し、胸が高鳴るのが分かった。
自分でも意識が出来るほど。
彼女は乙女のように恥じらう訳でもなく、声を上ずらせる訳でもなく、ただ淡々とした表情で彼を誘う。
ツバサにだって、それが何の色気も無いただの欲求であることは分かっていた。
けれど、意外の連続が彼女に対する思考を変化させていく。
彼女は自ら彼を誘った。お代は気にしなくて良いとも伝えてくれた。
彼には断る理由はない。
タダでお茶が飲めるということよりも、遥かにこのナタリアという女性から誘いを受けたということのほうが、彼には気になったからだ。
「おーけー!」と言って、軽々と彼女の誘いを受けた。
受けたのだが。


「いやぁ、なんというかえらく上品な店だなぁ………?」
「――――――――――――。」


店の中に入ると、幾人かの客が既に食事をしていたが、全体的に空席が目立ち、落ち着いた空間となっている。
白い絹製のテーブルクロスが敷かれた机のある、二人用の席に座る。
ツバサとしてはこのような店に入ること自体が初めてだった。
恐らくそうした挙動は彼女にも見られているし、色々と察するものがあるのではないかな、などと楽観的に考えている。
しかし、彼女の佇まいはいたって正常………いや、落ち着いていた。
この場の空気に溶け込むその姿。
ここが初めてでは無いことはその姿を見れば想像がつく。
もしかして、彼女が士官学校に来る前には、そうした店にもよく通っていたのではないだろうか。
お淑やかな店員が二人の前へ来ると、彼女は一人注文をする。
彼女が言い終わると当然店員はツバサの顔色を窺う。注文を受けるためだ。
しかし、彼は戸惑っていた。


「………何食えばいい?」
「それは貴方の自由です。」


何しろ彼は村での生活が長い。
それなりのレパートリーはあったと思うが、自炊する時に品書きにあるような長い料理を作ることなどまずない。
彼が自分で料理し食するものは、彼が好きなもの、食べて満腹感を得られるものばかりだ。
なので、ここの料理は一切見たことが無い、といっても良いくらいのものだった。
そのような困った顔をしていると、


「………そうですね。このパスタと紅茶のセットにしてみてはいかがでしょう。男性の貴方にも腹ごしらえとしては充分でしょうし、お口直しも出来ると思います」


と、まるで店員のようなことをナタリアは話していた。
“お、おう”と言われるがまま、店員にそのオーダーを伝える。
店員も少し驚いたような表情を浮かべていたが、穏やかな笑みを浮かべながら注文を取り、厨房へと戻って行く。
この店の工夫の一つなのか、厨房は奥のスペースにあるようで、その中の様子は見られない。
料理をする音なども殆ど聞こえて来ないので、店内は本当に静かな印象を持つ。


「はは、随分と知ってるんだな」
「一応経験はあるのです。私のアドバイスは不要でしたか?」
「いやいやとんでもないおかげで助かりましたありがとうございます」


食えれば何でも良いなんて思っている訳ではないが、それに近い思考を持つことの多いツバサにとっては、あの助け舟はありがたいものだった。
自分ひとりで品書きを眺めていたら、一体何分必要としたことだろうか、と。
彼女は一応は経験があると言った。
なので彼は、またも直球に、素直に、気になることを聞いてみる。


「ナタリア、お前はどっから来たんだ?」
「ベレズスキです。北北東の小さな町です」


正直聞いたこともない町の名前だったが、それよりも彼女がすんなりと問いに答えてくれたことが意外だった。
なんだか意外ばかり思っているような。
後から調べたことだが、ベレズスキとは彼女の言うように、この大陸の北北東にある山間部に囲まれた小さな町だ。
人口は1千人といやしない。
近隣の大きな町まで片道200キロなどというレベルの話で、明らかな田舎という印象を受ける。
有名なものは、大陸の中でも屈指の極寒地帯であるということ。
そのためか、冬には時折オーロラが見えることがあるという。
今、グランバートと戦争をしているアルテリウス王国のあるアスカンタ大陸は、三つの大陸のうち最も北極点に近い位置にある。
そのため、アスカンタ大陸は大陸全土が気候で言うところの寒帯に属し、大陸の中北部からは永久凍土と呼ばれる、人の住むことの出来ないと想定された地域が広がっている。
アスカンタ大陸ではオーロラを見るのは日常茶飯事だと聞くが、この大陸ではそのような話は聞かない。
そのため、オーロラが見える地域は珍しく、名所の一つとして数えられているのだとか。



「貴方は?」
「俺か?俺はタヒチ村。こっからはめっちゃ近いな」
「そうでしたか。名前は知っています。」
「俺ぁ逆に分からんな~その、ベレズスキ?どんなとこなんだ?」
「一言で言えば田舎です。山の間にある小さな町です」
「随分と簡潔だな」


それから料理が来るまでの10分程度は、お互いに他愛のない話ばかりだった。
お互いの故郷の話。
どのような町で、村で、何があって、こういう人たちがいて。
少しだけ懐かしい話もしたが、そこで料理が来たので暫くは食事。
彼女の食事姿は本当に行儀の良いもののように感じる。
慣れているのだろう。
北北東の小さな町で育ったという彼女が、どうして今ここにいるのか。


「そういえば、なんで俺を誘ったんだ?」
「そうですね。………半分は気紛れなのですが、もう半分は、貴方に興味がありまして。」


相変わらずの淡々とした表情。
男であればそのようなことを言われると、どこかくすぐったいような気持ちにさせる、かもしれない。
しかしツバサはそのような感情を、気持ちを持ち合わせていない。
彼はただ真っ直ぐに。



「へ?俺のどこに?」
と、答えていた。
彼にも分かった。彼女が数秒間硬直したということが。
あまりに想像もしなかった返答が来たので、内心で驚いたのだろう。
目線を逸らしていた彼女が彼のほうへ向ける。


「あれほどの剣腕を持っている方に、私は今まで出会ったことがありません。それに、貴方はついこの間入校したばかりなのでしょう?短期間であれほどの実力を訓練で得たとは思えませんので、あの日から気になってはいたのです。休日、ここで会ったのも何かの縁。ですから、貴方をお誘いしたのです」


右手でティーカップを持ち、紅茶を飲むナタリア。
それが彼女が今日彼を誘った理由だった。
それ以上のこともなければ、それ以外のこともない。
彼女もまた、真っ直ぐに自分の持っていた理由を淡々と彼に説明するだけであった。
彼を誘った理由。
自分は、あれほどの剣腕を持つ者と今まで会ったことが無い。
無論、それは彼女の価値観の中での話であって、万物に準えるものではない。
彼女がこれまで生を受けて来て過ごしてきた時間の中で、ツバサと対したあの一瞬が、彼女にとってはそれほど衝撃的だったのだ。
しかしそれを言えば、彼のほうこそ彼女の力量に驚いたのだ。
彼女と対する前に対戦した人たちは、正直なところ何ら力を入れたわけでもない。
だが、彼女を相手にした時は、彼も真剣に力を入れて戦った。
結果としては彼がその場は勝利したが、彼女の実力は他の学生たちに比べても桁違いに高いことは分かった。



「いやあそれを言うならソッチもすごかったと思うけどな!女なのに大した腕前だった」
「………、まあいいでしょう。どこでその腕前を手にしたのでしょう。良ければお聞きしたい」


参考になると思うのです、と彼女は真剣そうな表情で彼にそう伝えた。
その前に何か含むような言葉があったことは、彼は気にしていなかった。



「いや参考といっても、ここ10年間くらい毎日鍛練してたってだけだぞ?」
「毎日、ですか。欠かさずに?」
「ああ。よっぽどの風邪引いて動けなくなった時以外は、大体毎日やってる。筋トレってやつだ」
「………そうでしたか。貴方をそうまでさせる過程があったのですね。」


――――――――――何か、見透かされているような、気がする。
違和感を覚えた。
彼女は表情一つ変えずに、しかし彼の話を真剣に聞いてはこくんと頷く。
まるで彼の何かを知っているかのような口ぶりに、思わずツバサも内心で鼓動を打ち鳴らす。
ナタリアという存在を、彼はこの学校に来るまで知らなかった。
そんな人は村にもいなかったので、関係があるとは到底思えない。
ただそういう風に聞こえてしまっただけだろうと、あまり深入りすることはなかった。



「あの訓練の日以来、貴方は他のクラスの間でも有名な人になっています。」
「え?そうなのか?」
「はい。新人組にとてつもない手練れが現れた、と。実際私もそう思う一人です」
「知らんかった!噂されてるのかー」


「あの日剣を交えた時、貴方の力強さに驚かされました。実のところ、ここ暫くの私は挑戦者ではなく防衛者の立場でしたので」


少し俯きながら彼女は言葉を口にする。
挑戦者ではなく防衛者。
それが何を意味しているのか、分からない彼ではない。
あのような近接戦闘訓練は日常的に行われている訓練項目の一つだ。
それが挑戦者では無く防衛者だと言うのだから、答えはただ一つ。
少なくとも彼女がこの暫くの間で対峙した人の中で、敵わない人は誰もいなかったのだ。
なるほど、だからあの時教官はナタリアを指名してもう一度対戦させたのか。
彼の中で辻褄が合う。
訓練生にとって頂点に立つ者を倒すことを目標とする人もいるだろう。
ナタリアは、暫くの間その頂点の位置にいたという。
それがどのくらいの期間かは分からないが、そんな時に新人組で最初の演習科目で、突然あのような力を見せられて、更には彼女すら勝てない相手であった。
その時、少しばかり彼女の心中を考えた。



それはそれで、複雑なものがあったのかもしれない。



「だからその、貴方の強さの源を少しでも知ることが出来たらと、思ったのです。」



おかしい、でしょうか。
静かにそう尋ねる彼女。
彼はまだ、彼女のことを殆ど知らない。
だからこう考えるのはあまりに不自然だ。
その人のことを知っているからこそ出るものなのだろうが、彼は。
いつもとは違う彼女の姿がそこにあると、直感でそう思ったのだ。
だから彼は聞いた。



「でも、なんでそれが気になるんだ?」


俯いていた彼女の視線が、ゆっくりと彼の方に向けられる。
まるで時間が遅くなったかのように、その所作が遅く感じられた。
そうだろう。
あまりにも真っ直ぐな瞳が、これ以上ないほど真剣な表情で彼に向き、



「私は、強い人間で在り続けたい。どんなことにも立ち向かえる、誰かを護ることが出来る、強さを身に着けたい」



なぜ彼女がそのようなことを、俺に話してくれたのか。
なぜそのような願いを持っているのか。
その時俺はそれ以上のことを聞かなかったし、彼女も自分でその先を話そうとはしなかった。
彼女は俺に言った。
強さを身に着けるまでの過程があったのだ、と。
だがそれは彼女とて同じことだろう。
そうとしか思えない。


その言葉には、彼女の人間らしい感情が、あったのだから。


そして、この時はまだ二人には想像も出来なかった。
出会って間もない間柄の二人。
遠き日の未来に、その過程が、その征く先が、ある一つの結末をもたらすことになる、ということを―――――――――――。




……………。

第14話 資料室での対話


時代は加速を始めた。
人々が想像していたものよりもずっと速く、ずっと先へ。
飽くなき戦いは技術を革新させ、新たな時代へ大きく踏み出させることが出来る。
戦いによって時代が興され、歴史が生み出される。
この世界で再び始まった戦いも、そのうちの一つだ。
長い人類史から見れば、幾度となく繰り広げられてきた戦争の一つと言える。
そしてそれは、今後何十年か先に歴史として語り継がれるとき、同じような論法で記されるのだろう。
人々は、同じ歴史を繰り返す。
歴史がそれを証明していて、理解していながらも、同じ手段を取り携える。
いかに人間という生き物が欲深き存在であるか、どうしようもない愚かな生き物であるかが分かる。
同じ過ちを繰り返すと分かっていても、その道に沿って歩くしか、ないのだから。


6月12日。
グランバート軍のアルテリウス侵攻部隊は、行軍を再開する。
彼らの行く先には大きく分けて三つの街道があり、それぞれ行先も全く異なり、別の街に辿り着くこととなる。
彼らの始点、ヴェルミッシュ要塞から北に300キロほど行けば、王都アルテリウスがある。
アスカンタ大陸は、大陸の3分の1が永久凍土、残りは豊富な自然に囲まれた土地となるのだが、気候がどこも厳しく、大陸中部から北部に行こうとする者は殆どいない。
よって、中部より以北は殆ど人の住まない、手の入っていない土地ばかりが拡がる。
そのため、王国の中心都市は皆、大陸の南部から中部にかけて集まっているのだ。
グランバートからすれば、極寒の北部地域に攻め入るよりは幾分もマシだろうと考えている。
それも戦いの運びが上手くいけば、という程度の話だが。
この先の道は、主に三方向に分かれる。
東側の山道、中央の道、西海岸沿いの道。
いずれもアルテリウスにとっては物流と経済を支える街道で、それらは道が正常な状態で繋がり往来してこそ意味を成す。
グランバートの軍勢が攻めてくると分かっている今の時点で、正常な物流と経済は無く状況は後退したままだろう。
それだけでもグランバートの上陸は大きな意味を成す。
彼らが進もうとする道、大陸の中央部から東部にかけては山々が連なる。
どれも3千メートル級の大きな山だが、山の間を抜けるようにして道が出来ているという。
幾つかの山村もあり、人の往来も程々にあるというのが、東側ルートだ。
中央ルートは、その山間部の西側に出来ている比較的平坦なエリアに伸びる主要の街道で、物流の中心地である。
道中には王都とは比較できないにせよ、それなりに大きな街もあり、王国の経済を潤沢に回す重要な役割を果たしている。
西側ルートは、大陸の中でも比較的暖かい地域で、中部や東部、北部などとは違う豊かな自然と資源が採掘できる。
大陸の人口分布で言うと、南西部と西側が全体の6割強を占める。
偏った人口比率だが、大陸の特性がそのようにさせているので致し方ない部分がある。
自然の摂理に常に人間が打ち勝てるものではないのだから。


三つのルートがあり、その三つとも行く先にはアルテリウス王国の拠点がある。
幾重にも張り巡らされているのが、中央街道だ。
中央部は、王国の中でも街が集まる重要な道路。国道と言っても良いだろう。
色々な街へ行くにも利便性がよく、そういった便利さを求めて人も集まって来る。
西部ほどではないが、人が住むに絶対的に困るような気候でも無く、便利さを取るなら多少の寒さは受け入れる、というもの。
だからこそ、中央部はアルテリウス王国軍の基地が集まり、そこに人員も割かれている。
人口分布の多い西部も同様に街が多く、これもまた基地が集まる。
東部は自然豊富で資源採掘にはもってこいだが、その分気候も地形も厳しい東部は豪雪地帯で、それほど街もなく集落の規模ばかりが集まる。
三つのルートなどと呼ばれているが、この山岳部を通る人は他の二つのルートに比べて極端に少ない。
それでも通せる道がそのあたりしかなく、王都でなくとも他の都市への接続には必要な街道である。


「上手くいくと思うか?」
「ええ、上手くいかせてみせますよ。でも、この作戦の鍵は少将の部隊です」
「お前のところの状況が好転しないと俺たちの出番が無くなる。そっちのほうが重要だ」
「まあそこはお互いに必要不可欠ということで。念のため、通信が遮断された場合には伝令を出すとしましょう」
「そうだな。そうするとしようか」


既に本国からの司令は行き届いている。
作戦案は提示されているので、現場の者たちは指揮官の指示に従いその作戦を実行するだけだ。
しかし、今回の作戦はこれまでとは様相が異なる。
何しろ短期的な戦闘ではなく、一週間以上をかける中長期的な作戦となるからだ。
だがこれも、アルテリウス王国の領土深く侵攻するのに必要な作戦である。
と、本国は判断して作戦案を送りつけてきた。
既に彼らは分散行動し、三つあるルートのうち、二つのルートを使用して北上を始めていた。


「………ま、あのアイアスの作戦案だから、なんか気に入らねえが………外れたことはあまりないしな」



裏でコソコソしやがって。
あいつは今、何をしているんだろうな。



そう。
アルテリウス侵攻の第二幕は、グランバート軍統合作戦本部総参謀長アイアス少将自らが立案した作戦で実行される。
司令部の作戦案であることが兵士たちに告げられると、それだけで緊張感が走った。
あくまで現場の兵士たちは現場の指揮官の直下の命令を受けて行動するものだが、前線にいる指揮官を指揮するのは参謀役の勤めだ。
つまり、ロベルトの上の存在にアイアスがいる。
そのアイアスだが、参謀本部は本国のグランバート軍統合作戦本部にあるため、彼は基本的に王都を離れることがない。
遠くから手を伸ばして彼らを動かすのもまた、アイアスの仕事の一つなのだ。


『ええ、無論分かっていますよ。………その辺りは南方面の指揮官であるラインハルト中将閣下のご裁量にお任せします。ですがお忘れなく。当情報は、不確定要素の強いものとなっていますので。………では。』


笑みを浮かべながら、モニターの明かりだけが沢山灯った暗い部屋の中で、通話を終了させるアイアス。
そこは統合作戦本部の資料室だ。
軍事情報を保管するためのデータベースとも言うべき場所であり、許可なく立ち入ることは禁止されている。
将官クラス以上の人間はここを比較的自由に使うことが出来るのだが、ここでの操作はすべての行程が専用のデータによってモニタリングされているので、万が一にも背信行為を働くことになれば、すぐに捕まる。
アイアスはただ、目の前の大きな画面で、かつての戦の状況が記された記録書を投影していた。



記録書というのは、かつての戦乱の記憶の断片でもある。
人々は今という時間を過ごしながら、過去という時間を歴史として振り返ることが出来る。
これまでの戦争の歴史は、まさに人類の歴史そのものだ。
生き物が自分たちのテリトリーを巡り争うのと同じで、人間もその例にならって、人を殺し勢力を拡大、縮小させていった。
何もこの60年もの時間の流れが、最も過酷な時間だった訳では無い。
争いは、戦争は、これまで幾度となく、記録書などでは追い切れないほど行われてきたのだ。
アイアスが見ていたものは、その中でもここ十年での話だ。
特に、今では名称すら怪しいものとなったが、『50年戦争』と呼ばれた時代の最終年。
つまり、一度世界中の戦争が時を止め収まった年のものだ。
暗がりの中で笑みを浮かべつつ、腕を組んでその記録を眺めていた。
国家としての動き、変貌、若き戦士の台頭と最悪の軍事作戦。
あらゆる記録が情報として保管されている。
そこへ。


「一人か。」
「、これは、カリウス大将閣下。お戻りになられたんですね」
「つい先ほどな。今は邪魔だったか?」
「いえ、お気になさらず。ただの歴史を眺めていただけですから」


そこへ現れたのは、アイアスも予想しなかった、全軍の総司令官たるカリウス大将だった。
カリウスがこの王城へ戻ってきている、というだけで他の兵士たちには緊張が走る。
アイアスはそのように気を張ることはしなかったが、ただここに来るとは到底思えなかったのだ。
彼は別のモニターで何かを操作し始めると、大きなモニターにソウル大陸全土の地図が映し出される。
それをただ黙ってじっと見つめている、全軍の総司令官。
非常時大権を授かった彼は、今となっては軍事的にも政治的にも中心人物で、かつ最高位の立場にある。
その彼の行動一つひとつが意味を持たないものであるはずがない。
そこまで根を詰めた考えを持つ者もいたが、アイアスは違った。
なぜ、カリウスが大陸の地図を、それも南側にある境界線を見ているのか。
彼にはその理由が分かっている。
その意味を伝えたのも彼なのだから。


「今、そのような記録を読み返して何になるのだ」


すると、カリウスはアイアスにも、アイアスが眺めていたモニターにも目を向けず、ただ自らが操作し投影させた地図を真剣な表情で見届けながら、一方でアイアスが映し出していたモニターの記録のことについて問いかけた。
一瞬でも覗き見たのであろう。
それが、かつての自分を映し出した記録であったから。



「歴史を見返すことで、私たちはあらゆる過程のうち、どの道が正しく、どの道が誤りであったかを判別することが出来ます。即ちそれは、今後私たちがどのような過程を築いていくべきかを思考する、一つの材料となるのです」

「今後の道筋を立てる為の材料か。だが歴史によって正と誤を証明することが出来たとしても、今日においてそれが常に正しい道筋の立て方であると判断できるものでも無いだろう。昨日まで正しかった戦略が、今日も正しいと言えるかは分からない。これまで歴史が示し続けてきた正しき過程が、明日も同じように正しい価値を有し、有効な手段として利用できるとも言い切れない」

「確かに仰る通りですね。常に正しい道などない。状況が一つでも二つでも変われば、正義の定義などすぐに変わるでしょう。私としては、その定義がコロコロと変化しないように尽力したところではありますが」

「何も、常に正義であり続ける必要もないと、私は思うが。」



――――――――――それが、男には意外な言葉に思えたのだ。
カリウスの口からそのような言葉が聞けるとは思ってもいなかった。
常に正義で在り続ける必要はない。
正義が常に正しい形として存在しているというのなら、人間が常に正しい道を歩む必要もないと、カリウスは言っている。
この場にいたアイアスにはそう思えたのだ。
正義の定義など、その時の状況に応じて幾らでも変化するし、正義と悪もそのようにして変遷するものだろう、と。


「それに、これは考え方一つで大きく変わるものだ。たとえ我々が正義であると信じて剣を向けたとしても、向けられた側からすれば自分たちの敵、悪めいた存在になるだろう。正義と悪など必ずしも万人に共通する定義があるものではない。だが、その人にとって何が正義で何が悪なのか、その線引きは明確であるべきだろう。」


カリウスは、アイアスがモニターに映している記録文書を見て、腕を組んでそのように言葉を連ねた。
そしてその言葉の数々は、自分たちが置かれた現状を説明するに足りている。
グランバート王国は国王代理暗殺事件にアルテリウス王国が関与していると判断し、報復措置に出た。
かつて何度も行われ、何度も敗退を余儀なくされた、アスカンタ大陸侵攻である。
その矛先は他の大陸の王国に向けられたが、突き付けられたアルテリウス側からすれば、彼らは当然自分たちを討ち滅ぼそうとする悪の象徴であることに間違いはない。
たとえグランバートに正当な理由があっての行動であったとして、彼らがそれは正しい手段であると思っていたとしても、逆の立場からすれば同調することは殆ど無いだろう。
それどころか、吹っ掛けた側の人間は、大体他者からの非難を集める。
事が事なだけに、それが目に見えて形には現れていないということなのだろう。



「それで、貴官は10年前の記録など見て、次にどのような過程を想像する」


「他の国が黙ってはいないでしょう。今のところ、ファーストコンタクト以来、ソロモンは落ち着いていますが」


「貴官の意見を聞こう。」


「はい、では。アルテリウスが潰れるのは時間の問題でしょう。何も完膚なきまでに占領することも無いと思いますが、かつて他の国々がそうしたように、一定量の成果を挙げ反撃の見込みが無くなった段階で停戦交渉を持ちかける、それで充分なはずです。閣下はその辺りをどうお思いですか」


アイアス少将は、総参謀長として司令官の傍にあって、司令官が作戦の内容や進行に関して適切な判断が出来るよう助言する立場にある。
カリウスには秘書官はいるが副官はいない。
その副官の立ち位置にいるのが、参謀本部の中で最も階級が高いアイアスなのだ。
非常時大権が授けられているカリウスは、現在国の中でも非常に権力を集めている。
が、権力というのは時に暴君を生み出す、というのが過去千年以上も続く歴史の基本形態だ。
国の舵取りをする立場にある者がそういった愚行に奔らないよう、時には修正することも参謀には求められるのだ。
もっとも、その点で言えばカリウスがそのような気質を持つようなことは一切無かった。
これまでも、そしてこれからも。



「彼らに決定打を与えるとすれば、王国騎士団を覆滅せしめること、その一点に尽きるだろう。海軍や空軍は問題ではない。その意味で、貴官が立てた今度の作戦が上手くいくことが、今後の過程には重要となるな」

「実行部隊の指揮はロベルト少将が取っています。彼ならば大丈夫でしょう」

「ああ、送り出した以上私も彼とその兵を信じている。それで、その先は」


――――――――――――他の国が黙ってはいない。
形の上では、それが最も当てはまる国は今のところ一つしかない。
艦隊を態々海峡まで派遣し、攻撃を加えてきたソロモン連邦共和国だ。
アルテリウス王国とソロモン連邦共和国には同盟関係があり、互いに見えないところで協力し合っているだろう。
だが、今のところソロモンは積極的にアルテリウスを防衛する動きが無い。
アイアスが目を付けたのはまさにその点にある。


「アスカンタ大陸は彼らにとって遠い異国の地。たとえ同盟関係を結んでいたとしても、お互いの手足を縛る不自由さを彼らは感じていることでしょう。積極的にアルテリウスの防衛に参加しないのも、自分たちがはじめから負けると分かっている戦に首を突っ込みたくないという表れに他なりません。となれば、彼らは自分たちの国を防衛することの他に、この荒んだ現状を打破することを選ぶでしょう。」

「グランバートの矛先が、勢力拡大によって自分たちに向けられることになれば、ソロモンは嫌でも表に顔を出す。そういうことだな」


「ええ、その通りです。このままアスカンタ大陸の中南部まで支配下におけば、私たちは大陸に広がる豊富な資源と充分すぎる領地を手にすることが出来る。軍事拠点を構えることも、そう難しくはないでしょう。ソウル大陸とアスカンタ大陸、二方向からの侵攻も作戦の一つとして考えることが出来るようになります。こちらとしては手数を増やせる絶好の機会ですから」


「…………参謀長がそこまでの見通しを持っているのなら、敵が手を打ってきても冷静に対処できるだろう。私は計画を進めることとする」



無論、彼にもよく分かっている話だ。
彼らはアルテリウスに対しても、ソロモン連邦共和国に対しても、戦う大義名分を持ち合わせている。
それはアルテリウスとソロモンが同盟関係にある、という関係性から来ているものではない。
それによって生じた一つの大きな衝突が、今日の大義名分を掴むに至っているのだ。
だが、アルテリウスを降伏に至らしめ、アスカンタ大陸の南部を彼らの拠点とすることが出来れば、ソロモンが黙ってはいないだろう。
オーク大陸への侵攻を企てる可能性があると分かれば、今度はソロモン自身が動き出す。
二人は共通の考えを持っていた。



「ですが、もしソロモンが自ら動き出す時が来るのなら、来ますよ。」


「………………」


「……………“彼”が。」



モニター上に映し出された記録文書。
長々と書き連ねられたものの中に記された、5人の名前。
そしてその5人の名前を総称するかの如く記された、『若き英雄たち』という言葉。
懐かしい名前がある。
そこには“自分”の名前も記されている。
あれから10年、顔も名前も分からない第三者がこの人間たちをテーマにして本を出版したり、好き勝手に映像を作ったりしている。
当事者の一人である彼がそのようなものを見る機会はそうそうない。
だが、それらはすべてある程度の演出が加えられてはいるものの、結果としては事実だ。
彼は英雄になった。
彼らは英雄と云われるようになった。
その英雄たちが、今では散り散りに。
そしてそのうち二人は、敵対する間柄となってしまったのだ。
かつての友、
かつての戦友、
共に時を過ごし、剣を取り合い、共通の目的の為に協力した二人が、
友と呼ぶにはもっとも遠い位置関係にあるのだ。



「そんなことは問題外だ。いずれ奴とは戦うことになる。これは初めから想像がついていた」
そして、その彼のことを問うと、その時の彼は少しばかり若返ったように、男には見えるのだ。
全軍の総司令官で厳格な姿を持つものとしてではなく、一人の戦場を駆けた青年のような姿に。



「…………そうですか。かつて友の間柄であった者同士が戦う、どうにもこの世界は皮肉なことばかりだ」



アイアスは少しだけ虚ろな眼差しで、虚しそうな声色で、そのようにぼそりと呟いた。
空白の10年間。
もしこの戦争が再開されることが無ければ、“カリウス”と“レイ”という、二人の若き英雄が戦うことはなかっただろう。
しかしそれは起きてしまった後に言ったところで意味の無い話だ。



「歴史は絶えず同じ性質を持つ過程を繰り返してきた。今更それを否定することも出来ない」
「ですが、貴方たちはこれまでの歴史の概念をその若さで覆そうとした」

「それは違うな。確かにこれまでの歴史とは異なる流れを作ることが出来たかもしれない。だがそれは歴史の中で生み出された手段によって為すことの出来たものであって、これまでの概念を崩すなどというものではなかった。結局のところ同じ方法でしか変えられなかったし、それ以外に術もなかった。変わったものといえば、単に年齢が若くなっただけなのだろう。」


だが、若年層の台頭は後の戦争を大きく変えた、というのが後世の歴史家が揃って述べたことである。
無論今を生きる彼らにその後の評価は分からない。
しかし、現実を生きる彼らですら、やはり『若き英雄たち』の登場は、戦争の形態そのものを変化させる要因の一つとなったのだ。
国により差はあれど、若き兵士たちが次々と現れるキッカケの一つとなったのだから。
遠くの異邦の地では、英雄たちの存在を知らずとも兵士として戦い、己が望みを叶えようとする者がいる。
これまでの50年間では中々現れなかった現実がそこにあるのだ。



「だが、私ももう若い、とは言い切れないな。時代が若さを取り入れるようになるのであれば、私よりももっと後ろの若い世代が立つことだろう」
「そういう意味では、閣下の後に続く世代の人で、閣下のように台頭しそうな人は少ないように思えますが」
「それならそれで構わない。何も若い人間の台頭が絶対に必要ということもない。そういう時代もあるということだ」


そう、それがカリウスの考え方だった。
自分たちは確かに10年前、共通の目的で片側の陣営について、色々な勢力を交えながらも世界中の戦争を終結させるのに尽力した。
彼らには単体としての実力もあったし、与した側の勢力も大きく強力であったので、その支援を受けることが出来た。
あらゆる条件が揃っていて、若手も活躍が出来る。
無論そればかりではないが、しかしそのために条件を揃えようと彼は考えてはいなかった。
必要な条件、必要な状況、幾つもの選択肢。
あらゆる状況が合わさることで、次の世代の人たちが台頭する機会が訪れるかもしれない。
けれど、それは何も彼らの為に自分たちが用意するのではなく、あらゆる状況を汲み取って彼ら自身がそれを機として手にすることが重要だろうと考えていたのだ。
カリウスもそうしてここまでの立場を確立させてきた。幾多の戦いと与した側の状況を利用して。


「明日には工廠に戻る。また動きがあるようなら伝えて欲しい」
「承知しました。………早く完成すると良いですね?」
「……………」


“早く完成すると良いですね?”
と、笑顔で話すアイアスに、彼は無表情で冷徹な眼差しを一瞬だけ向けて、そして資料室から去る。
コツコツと足音が響き遠くなっていくのが分かる。
アルテリウス王国への侵攻作戦の最中、全軍の総司令官は別の仕事をしていた。
それも、公にはされていない、一部の人たちのみが知る仕事だ。
アスカンタ大陸で戦闘をしている兵士たちからすれば、カリウスはこの統合作戦本部にずっといるものだと思い込んでいる人も多いだろう。
だがそうではないのだ。
彼が今注力している工廠では、とあるプロジェクトが進められている。



「…………もっとも、あのようなものを使う機会が無ければ良いのですが、果たしてどうでしょうね…………?」



グランバート王国軍が、アルテリウス王国に対しての侵攻を再開した6月12日から、一週間が経過する。
当事者たちは情報をリアルタイムで取得し、またその光景を見ることが出来ている。
だが、一般向けには情報統制がされていて、たとえテレビやラジオといった通信媒体が存在していたとしても、情報が届くまでには時間が掛かる。
ましてそれらの情報が正しいものであるかどうかも、確認のしようがない。
通信機器などというものが普及し始めたのは、ここ十数年程度の話だ。
遠くの人とも連絡を取ることが出来、最近ではテレビ画面を通じて電話をすることも可能となった。
今ではそういった技術も戦争に利用し、また妨害しようと使われている。
高度に発展した情報化社会だからこそ、どのような質を持った情報を信じるべきか、考えなくてはならない。
しかし、それでも情報は情報だ。
事実かどうかは別にして、そのような情報が世に出てくるということであれば、それには何かしらの事柄が生じているはずである。


「っ…………」
それを、ツバサは目の当たりにしていた。
明日には誰もが知るところとなるであろう。
6月19日の、訓練も終わり夕食も済ませた後の、図書館。
その奥にある映像視聴室で、彼はその情報を目で見ていた。
モニターに映されているのは、カメラアングルが固定されてはいるが、大きな建造物から激しく炎と煙が立ち昇っている光景。
よく見れば外壁が次々と破壊されているようにも見える。
映像の下部には、恐らく地名が記されている。『アルバート郊外』と書かれている。
それがどこなのか、この空間にいればすぐに調べがつく。
アスカンタ大陸の中南部にある大きな都市アルバート。
アルテリウス王国の経済の中心地の一つであり、南部から連なる三つの主要街道のうち、真ん中のルートを進んだ先にある都市だ。
この映像が事故ということでなければ、外的要因が重なったことで生じた事件ということになるだろう。
そして、映像ではこう伝える。
『グランバート軍、アルバートを強襲。アルバートはグランバート軍の占領下となる。』



見ている側ですら少し戸惑いを覚えたが、彼は彼なりに冷静に考えを巡らせた。
アルバートから先、王都アルテリウスまでは150キロと、そう遠くはない距離にある。
既に王都の手前まで敵が迫っているのだ。
自分ですら戦慄するというのに、その目前にいる王都の人たちはどう思っているだろうか。
既に街を占領し始めているのなら、逃げ惑う人たちもきっと多いだろうな。
そう思いながらも、彼は一人で映像を見続けていた。


彼の見る映像は、事実だった。
グランバート王国軍は、一週間かけて本国が立てた作戦を忠実に実行した。
その結果、アルテリウス王国軍に対し極めて有効な一撃を与えることに成功し、彼らを追い込むに至った。
一般人にはその作戦とか戦略とかそういうものは分からなかったが、結果だけはよく伝わってくる。
グランバートは、確実にアルテリウスを追い詰めている。
だが一方で気になることもあった。
グランバートがどこまでアルテリウスを追い詰めるのか。
何故同盟関係を結んでいるはずのソロモン連邦が、特に動きを見せないのか。
それとも何かの作戦が既に開始されているのか、これからなのか。
色々と考えれば、止まらなくなりそうだった。


そして思い至る。
もしこのまま、グランバートがアルテリウスを攻め続けたとして、
それが終わったとき、次はどうなるだろうか。
その時にこそ、自分の出番が来るのではないだろうか、と。
『もしこの国の状況が変わったら、戦地へ赴く勇気はあるか。』
自惚れている訳では無いしそう思いたいが、あのようなことを聞いてきたとなれば、自分が今後兵士として選抜される可能性はあるだろう。
少なくとも、今一緒に訓練をしている他の人たちに比べれば。


時代は加速を続ける。
それが後世にとってよきものであるのか、否か。



……………。

第15話 術中


「グランバート王国軍は、アルバートの駐留基地を破壊し、街を制圧し占領下に置きました。既に王国騎士団は負傷者を出しながら撤退しており、また駐留部隊にも甚大な被害が出ている模様です。」



6月も中旬から下旬に向かっている。
6月に入り大陸も慌ただしい様相を隠さずに表に向けていた。
人々がそのすべてを知り得ることは無いが、それらの光景は情報を通じて発信されている。
特に人々が気にしていたのは、アルテリウス王国とグランバート王国の戦争であった。
「戦争」という言葉だけで、人々の目を引く力がある。
幾度となく繰り返されてきた事象。
それが再び行われ、より状況を変化させていた。
その中心は、現在アスカンタ大陸の中南部にある都市アルバートにあった。


「何っ………敵部隊が接近中、だと………東からか!!?」
「いえ、敵は南側より北上してきたのです!!」


アルテリウス王国領の都市アルバートは、
王国領の南部から伸びる主要街道のうち、中央部を進んだ先にある大きな都市の一つだ。
比較的人口分布の多い中南部から南西部にかけては大きな都市が集まる。
このアルバートもその一つで、アルテリウス王国の中では5本の指に入る規模の街だ。
経済の中心地であり、多くの消費者と生産者とが入り混じる活気のある街だ。
そのアルバートの郊外、街の南部には大きなアルテリウス王国軍の基地がある。
主要街道と街を防衛する任務を持つこのアルバート駐留軍基地は、王国陸軍の中でも規模の大きな駐留基地となっていて、
補給基地を兼ね備えた基地となっている。
当然、王国軍としては重要な拠点の一つとして数えられている。



その駐留軍基地に、グランバートの手が伸びたのだ。



この時、グランバート王国軍は三方向に伸びる主要の街道のうち、中央部と東側の山岳部を北上した。
アルバートに駐留するのは、アルテリウス王国陸軍第一師団に所属する半数の部隊と、先日のヴェルミッシュ要塞攻防戦で生き延びた残存兵力である。
駐留部隊の規模だけでも、既に上陸したグランバート王国軍の陸戦部隊よりも数は遥かに上回る。
数が勝負というのであれば、本来真正面から戦っては勝てる見込みがないのがグランバート軍の現状だった。
だが、それを打開すべく本国の参謀本部は彼らに指示を与えたのだ。
まず、グランバート軍は先に東側の山岳部を抜けるルートを北上し、その途上にある村や小さな町を占領していく。
アルテリウス王国の南東部の山岳地帯は、人口分布もかなり少なく、また四季が存在せず一年を通して寒帯の、雪の降りやすい気候の土地である。
また確かに王都へのルートの一つではあるが、王都に行くにはやや遠回りとなるほか、山岳部は決して優しい道ではなく寧ろ険しい道が続くので、グランバート軍がこの山岳地帯を抜けることは出来ないだろうと想定されていたのだ。
しかし、グランバートはその山岳部のルートを攻略し下ることに成功した。
幾つもの微弱な抵抗を排し侵攻を続けると、その一報がアルバートの基地にも届けられたのだ。
“グランバート軍は東側の山岳部を抜けて王都に接近しつつある”と。
これを受けて、中央部で敵を迎え討つべく待機していた各部隊が、東側を抜けると思われているグランバート軍を迎撃するために、至急派遣されたのだ。


これにより、
アルバート駐留軍基地は、兵力が減少し手薄な状況が生まれた。
グランバートはまさにこの展開を作り出そうとしていたのである。


山岳部からの侵攻を伝えられた時、アルテリウス王国はそれが敵の本隊であると思い込んだ。
また、既に敵が山岳部に差し掛かり、それを越えようとしているという状況が判断を誤らせたのだ。
東側のルートは確かに難所が多いが、抜けてさえしまえばその先の道に障害は少なく、王都まで一気に詰め寄ることも出来るだろう。
それは何としてでも阻止しなければならなかった。
また、東側の地形や難所の多さ、人口分布の少なさから、東側にはそれほど大部隊を置いていた訳では無い。
それも相まって、東側の防衛は手薄であったと言わざるを得ない。
それを狙ってグランバートが侵攻してきたのであれば、それが本隊で一気に王都まで進むだろうという予測は容易に立つ。
だが、それこそがグランバートの狙いであった。
アルバートから派遣された支援部隊は、駐留軍の半数であった。
本隊が東側から王都に向かっているのであれば、それ以外のルートから敵が攻めてくる可能性は低いだろうという考えである。
そのため、アルバートの基地には“王国騎士団”と陸戦部隊が幾つか留まるだけであった。
一方のグランバートは、そのまま進めば王都にまで一気に肉薄できる状況にあったが、あえてそうしなかった。
これも本国の参謀本部からの指示によるものだが、山岳部を越えると彼らはすぐに転進し、アルバートの東部と北部から南下し始めたのである。
それと呼応するように、中南部からアルバートに向けてグランバート軍が侵攻をする。



つまり、グランバート軍はアルバートの駐留基地に対して、前後から挟撃する形で攻め入ったのだ。



「新たな敵が出現!!………アルバートの北側および東側から殺到してきている模様!!」
「なんだと…………なぜそんなところから…………」


「―――――――――やられた。そういうことか……………!!」


だが、彼らが気付いた時にはもう、何もかもが手遅れだった。
アルバートの基地に残留していた王国騎士団。
その団長たるマルス准将は、敵の狙いを状況が悪化した時にすべて理解したのだ。
東側の山岳部を抜けた敵軍はそのまま王都を目指すのではなく、ヴェルミッシュ要塞から北上する別動隊と合流するために転進したのだ、と。
そしてその真の目的は、補給基地としての役割を持つこの基地を制圧し、王都攻略のための橋頭保を確保すること、そして退路を断ち自分たちを挟撃し一気に殲滅しようというもの。
残された時間も、課せられた状況も、何もかもアルテリウスには不利なものであった。
はじめ駐留していた第一師団の戦力をもってすれば、南部からの敵の攻撃には耐えられただろうし、挟撃を狙って南下してきた敵の迎撃を行うことも出来ただろう。
だが、戦力が減少した今となっては、それも難しい。
我々は、敵の策に乗せられたのだ。


「すぐに街の民たちに退避指示を出せ。迎撃部隊はもっとも街に近い東部からの攻撃に対応するように。」
「しかし団長!!それでは南部からの攻撃に対応しきれないのでは………ッ!!」


「………残念だが、もはや手遅れだ。ここを死守しようとしたところで、敵の勢いは止められまい。ここで時間を浪費すれば、民たちが脱出出来なくなるどころか我々も挟撃され犠牲を拡大させるばかりだろう。………我々にとっては無粋なものだが、南部の敵に対しては固定砲台で砲撃し時間を稼ぐ。その間に我ら王国騎士団は街の中の民を、西側へと避難させる。敵は北と東側から攻めてくるだろう。直接迎撃に向かい、少しでも時間を稼ぐ」


「……………!!」



第一師団第七陸戦部隊「王国騎士団」団長のマルスがそのように指示を出す。
その指示は、はじめからアルバートを敵の手に渡すようなものであった。
しかし、既に敵が目前に迫り、前後から挟撃される危険性が高まっている現状では、この街を守りきるのは不可能だろうという判断であった。
兵士たちはその判断が正しいものであると分かっていた。
分かっていても抵抗したがる兵士たちもいたが、その思いを胸の中に仕舞い込み、指示に従う。



「マルス様…………」
各々に慌ただしく準備を始めると、マルスの横にユアンがやってくる。
事実上の副官と言っても良い立場にあるユアンも、マルスの心情を察するに複雑な心境であった。
東側に増援を向けさせるように指示を出したのは、アルテリウス王国軍の中枢部である。
それが結果的には間違いで、王国騎士団も、他の部隊も完全に逆を突かれた形となってしまった。
この街が陥落するということであれば、東側にいった部隊は王都へ戻るか、こちらへきて逆に迎撃されるかのどちらかとなるだろう。
すべてが悪い方向へ向かっている気がしてならない。
それに対し何ら抗うことも出来ない自分たちの無力さを、呪いたくなった。
だが、出来ることはしなくては。



「行こう。今は一人でも多くの民を守らなければ」
「…………はっ」



現場の指揮官としての役割も担っていたマルスの指示。
自分たちは街の中で戦いつつ民たちを西側へと避難させる。
幸いと言うべきか、グランバート軍がヴェルミッシュ要塞を占領したという報が知れ渡った時から、民たちは自分たちの判断で疎開を始めるようになった。アルバートもそのうちの一つで、少数ではあったが街の住人の10分の1程度は既に離れていた。
住人の10分の1が離れれば、明らかに街から活気が失せるし異変を漂わせる。
それは同時に残っている街の人々にいつにも増して不安を煽ることにもなるのだった。
街中に、敵軍襲来の緊急警報が鳴り響く。
街を統治する警察機構、軍の関係者、そして兵士たちとが、民たちを西側へと誘導する。
パニックの連続で、だがそのような事情などお構いなしに、グランバート軍がアルバートを強襲した。
出来る限り民衆を攻撃しないようにしながらも、彼らの攻勢はアルテリウス王国軍に対して苛烈さを極めた。
僅かに1時間半程度で、ヴェルミッシュ要塞から逃れた残存部隊が壊滅的な打撃を受け、多大な犠牲者を出した。
派遣されなかった第一師団の陸戦部隊も次々と打ち倒されていく。
彼らの中で善戦していると言えたのは、王国騎士団だけであった。


後の世に言われることだ。
“王国騎士団が満足に戦えたのは、状況が彼らの手中にある時のみだった”と。
何もそれは王国騎士団に限った話では無く、多くの陸戦部隊にとって、また国家にとって共通の話であった。
ただ、王国騎士団はその技量の高さと力量の強さから、あらゆる困難な状況を乗り越えるものと考えられてきた。
現に、過去オーク大陸での大戦では、彼らはその力を如何なく発揮しその名を広めた。
たとえ不利な状況にあっても、持ち前の高い技量と現場の判断能力で、状況を覆すことも多々あった。
しかし、戦場に辿り着くまでの状況を整える戦略という点では、アルテリウスよりグランバートの方が優れていた。
戦略的に優位な状況を作り出したうえで、戦闘が始まれば戦術的に更に有利な状況に運び勝利をもたらす。
グランバート軍の参謀本部が立てた作戦は、まさにアルテリウスの弱点を看破したものであった。
真正面から堂々と戦っても、グランバートに勝算は少ない。
過去幾度の戦闘においてグランバートはそれを理解していた。
そしてついに、それに対応した作戦を打ち出し、実行部隊に委ねたのである。
アルテリウス王国軍に不足していたのは、そうした「戦略的」において敵よりも有利な状況を作り出す能力であった。
たとえ個々の能力が高かったとしても、それを効果的かつ効率的に運用できなければ、その効果を存分には発揮できない。
グランバートの挟撃作戦は、見事に成功した。


「ッ…………!!」


グランバートの兵士たちは、アルテリウス軍を見るなり猛攻を加えてきた。
それが街の東部と北部から、彼らを西側へ圧するようになだれ込んできたのである。
東側侵攻部隊の指揮をしているジェイル、ジュドウの両名は、夥しいほどの戦果を挙げた。
民たちを殺すことはせず、ただ、明確に自分たちに敵意を向け攻撃をしてくる者に対しては、容赦のない攻撃を加えた。
そうして街中が戦火に包まれたのだ。
南部では、アルバート駐留基地とグランバートの砲兵部隊が激しく衝突し、炎と煙を巻き起こしていた。
街は至る所で屍の山が築き上げられ、アルテリウス側に甚大な被害が発生していた。
その中で勇戦し続けたのが、王国騎士団だった。
彼らはその勇名に恥じぬ戦いぶりを見せ、自国の民たちを大勢救った。
彼らの奮戦が無ければ、街の大勢の民たちが捕虜となっていたことは、明白であった。


アルバートの戦いが終結した頃、空は夕刻の知らせを告げるように、真っ赤に染め上げられていた。
まるで血の海を空に映し出したように。



「…………被害状況は以上です」
「分かった。引き続き周囲の警戒を怠らないように頼む。」


アルバートより西側に30キロほど行ったところにある、小さな街グロスター。
ここは本来数万人程度が住む穏やかな街なのだが、今日はその様相からかけ離れた光景が広がっていた。
街中に溢れかえるようにして、人がいる。
服装も乱れ汚れ、身も心も千々に乱れながら疲労を露わにする人々がいる。
怪我をしている人も多く、中には血だらけになってもなお歩く人もいた。
彼らの多くは、故郷を失った。
住む家も、持っていた資金も、いつも手にしていた道具も。
中には、自分のパートナーだった人、最愛の人、友人や家族を失ったものもいる。
グロスターは、そうした『難民』が溢れる街となってしまった。
彼らには家が無い。寝床もない。夜の寒さに耐えられるような上着もない。
それでも、自然はそんな事情などお構いなしに、容赦なく彼らに現実を押し付ける。
多くの人が悲観したことだろう。
多くの人が嘆いたことだろう。
自分たちの現実が、このような境遇で包まれてしまったことに。


それでも、残された者には明日がある。
今日という時間を越え、明日という未来へ進まなければならない。


「………マルス様、少しでも、ご休息ください…………」
「………ありがとう。だがもう少し」


騎士団長マルス准将は、個々に奮戦した王国騎士団員の中でも、最も敵兵を斬り殺しただろう。
他の誰もが見ても、明らかに彼だけがずば抜けた才能と技量を持っている。
そしてそれは、たとえ戦局全体が敵に優位な状況であっても、敵を恐れさせるのには充分だった。
ユアンも、彼の傍を離れず自らの職責を全うし、敵を討った。
それでも戦局全体を変えることは出来なかった。
いや、あの戦いは、はじめから戦略において彼らが負けが決まっていたのだ。
そのように行動し運用し成立させたグランバートの度量は、大したものだったと言えるだろう。
戦術や技術では戦局をすべてひっくり返すことは、難しい。
出来ない場合のことのほうが多いのだ。
マルスは戦いながら民たちを救い、民たちを逃がした。
常に最前線の陣頭に立って指揮をしながら、その剣で敵に立ち向かった。
疲れていないはずがない。



「失礼します。味方の本隊との通信が回復しました………!」
「分かった。すぐに行く」



こんな姿になってもなお、まだ彼の休む場所は無い。
そしてそれは、あの日を迎えた後ですら、まだ。




………………。


全体の状況を見通せば、おのずと訪れるであろう結末は見えてくる。
あとは時間の問題だ、などと言われるのもよく分かる。
そうなれば、次はどのように事が動くことになるだろうか。
そこから先は状況を読み取りつつ、思考して決断して行動をしていかなくてはならないだろう。
だが今自分たちがしていることは、状況を読み取るのではなく、状況を作り出すことだ。
受動的な立場ではなく、主体的な立場を確立させようとしている。
それは、きっと新たな事の幕開けとなってしまうだろう。
もしかしたら、取り返しのつかないことになるのかもしれない。
しかしそれはそうなろうと、下の立場である自分たちには、どうしようもないことなのだ。
どうしようもない状況を、またどうすることもできない自分たちが為そうとしている。
なんて皮肉な話なのだろう。
誤った選択から、すべての歯車が狂い始めた。
狂い、踊り、そして擦り減ってなくなっていく。
そうなるまでに、どれほどの時間を必要とするだろうか。
世界は再び昏迷の時代に向かっている。
飽くなき戦いの日々を詠うのは、私たち。
一度でもそれが始まれば、終わるまで続けられる。
どこへ向かえばいいのか、何をすれば終わるのか。
それも分からないまま、先の見えない未来に向けて、足を動かす。



たとえ私たちが地獄へ堕ちようとも、
どうかその先に、より良い未来があることを、祈って。



グランバート王国とアルテリウス王国との戦い、その状況が決定的なものであることは、ニュースを見れば誰もが想像できた。
だがその裏、遠い異国の地で、更なる動きを起こそうとする者たちがいた。


…………。

第16話 旧友への語らい①


グランバート王国軍が、アルテリウス王国の王都を強襲する、その展開は多くの人が想像できていた。
もはやアルテリウス王国軍は組織的な抵抗により、敵を追い返すことは出来ないだろう、と。



6月の中旬から下旬にかけて、両国の状況は大きく変化し続けている。
特にアルテリウス王国側にとっては不利な状況が続く一方であった。
山岳部の東部と中央部のアルバートを占領され、アルテリウス王国軍の残存部隊は西側への撤退を余儀なくされる。
だが、西側へ後退することは、王都アルテリウスから遠ざかることになる。
本来であれば、中央部をそのまま突き進められ、王都を直撃されるところであった。
しかし、グランバートは動かなかった。
いや、正確に言えば、愚直に真っ直ぐ進むことはしなかったのだ。
ヴェルミッシュ要塞の残存兵力はアルバートでほぼ掃討され、第七部隊「王国騎士団」も数を減らしつつ、西側へ撤退する。
グランバートにとっては、障害の一つが減ったとも言える。
第一師団第七部隊王国騎士団は、彼らにとって最も驚異的な陸戦部隊の一つだ。
それが目の前から消え、前面に展開されなくなっただけでも気持ちが軽くなるというものだ。
東側のグランバートの部隊が王都に向け北上すると読んで増援に向かった部隊も、それがフェイクであることを知らされるなり、アルバートへ戻ろうとした。
だがその時既にアルバートは陥落しており、グランバートの手中に堕ちていた。
そのため彼らはいつか来るであろうその時に備えるため、王都アルテリウスまで後退し始めていた。


一方のグランバート軍は、
大陸の西側へ大部隊が民たちを連れて撤退を繰り返していることを知り、それに合わせてヴェルミッシュ要塞南部の海域に布陣させておいた艦隊を、西海岸沿いに向かわせ北上させる。
敵国の領海深く侵攻することが出来るのは、味方の地上作戦が順調に進んでいて、西側へ撤退する敵の部隊と、それに呼応して追い詰めようと動く味方の援護が出来る位置に移動し始めているからである。
補給を受けることの難しい海上の戦力は、大陸の内海に進出することは難しい。
思いもよらぬところから挟撃される恐れもあるし、大陸を脱するのも難しくなる。
しかし大陸の外縁部で行動していれば、場合によっては海上に出ることも出来る。
彼らにとって唯一状況が思わしくないのは、航空戦力が満足に使えないことであった。
アルテリウスは、地上部隊が敗退すると、その基地や街の郊外にある野戦飛行場や滑走路の類をすべて爆破して使用不能にしている。
航空部隊の拠点が作られると戦況が一気に決してしまうことを恐れているからだ。
既にアルテリウス空軍の大半が戦力としての機能を有していない。
であれば、敵に使われるよりも爆破して使用不能にしてしまった方が都合が良い。
グランバートの本拠地があるソウル大陸からでは、航続距離の関係で一度の飛行で作戦を展開し帰投することが出来ない。
そのため、占領した地域で空軍基地を接収することが出来れば、武器弾薬の補充と展開が可能となり、作戦内容もその行動範囲も広がる。
それが出来ないうちは、空軍による作戦の展開は困難とされていた。
海軍所属の空母から航空勢力を派遣するのも良いが、空母とて補給無しでは作戦を受けられない。
敵国領土奥深くの海域は、制空権の確保できていない状況で進むものではない。
進軍出来る海域は限定されていた。


だが、彼らの当面の目的は定まっている。
主目的は無論王都アルテリウスの制圧だが、それ以外にも彼らには目標があった。


「第五、第七部隊は健在だが、この戦いで第二、第四部隊は壊滅的な被害を出している。そちらの状況はどうか」
『申し上げにくいことですが、敵とは一切接触しておりません。今一度確認しますが、アルバートが陥落したというのは………』
「………事実だ。」


味方との通信が回復した第七部隊、王国騎士団の団長であるマルス准将は、早速残存する味方兵士たちとの交信を行う。
通信相手は、当初東側から北上すると考えられ、その迎撃に向かい空振りに終わっている陸戦部隊だ。


『今からでもアルバートを取り返しましょう!!』
「私もそうしたいところだが、こちらには民たちがいる。民たちをそのままにしてここを離れる訳にもいくまい」
『そう、ですよね………』



―――――――――――そうだ。私とて戦いたい。だが。
考えなくはなかった。
アルバートに駐留している敵軍に対し、今度はこちらが東部と西部から中央部にかけて強襲すれば、敵を挟撃して奪還出来るのではないだろうか、と。
だがここで逆に攻め込めば、民たちを守る部隊がいなくなる。
そのような危険な状況にすることも出来ないし、ここで部隊が離れれば民たちの動揺はより広がるだろう。
彼自身自覚のあることではあったが、王国騎士団が多くの民たちを救い、その結果、民たちの信じるものは王国騎士団に集まっている。
自分たちがいることで、民たちの安心を築いていたのである。
それを理解していたからこそ、この場を離れることは容易ではなかった。



「貴官らは、部隊を統率してすぐにアルテリウスに戻った方が良いだろう。今ならまだ間に合う。敵の全面攻勢が王都に迫る前に、防御を固めるのだ」
『それでは、准将はどうなさるおつもりですか』
「出来れば支援に向かいたいとは思っている。残存部隊を再編制してからの判断にはなるが………」



このまま逃げてきた民たちを見棄てることなど出来るはずもない。
だが、時間が経つにつれ、王都に危機が迫ることだろう。
マルスとしては板挟みの状況であった。
彼らの救援に向かいたい気持ちもある。
しかし、目の前の民たちを置いて戻る訳にもいかない。
敵がどのような行動に出るかも分からないし、それに対応できるだけの充分な余力もない。
常に予期せぬ事態と隣り合わせで生活をしなければならなかった。


『承知しました。出来るだけ早めに王都へ戻るとしましょう』
「そちらのほうが王都と通信距離が近い。この状況を包み隠さず伝えるように」
『はっ。それではまた』


この時、兵士たちの多くは“アルバートを取り返したい”と考えていた。
東側の増援に向かった部隊と西側へ退避した彼らの部隊とで挟撃作戦を実行すれば、アルバートを取り戻せるかもしれない。
実際この時その判断が下されていれば、更なる犠牲は必須となっていたが、アルバートの奪還は叶っていた。
というのは、後世の歴史家の多くが語るものである。
だが、アルテリウス王国軍は動かなかった。
彼らは目の前の状況を考え、民たちの退避の支援に回るのを優先したのである。
結果的にその判断は正しいものであることが、後に意外な形で証明されることとなる。


「おぉ………マルス様じゃ」
「マルス様!!」
「ご無事だったのですね!!」



街の中を歩くと、彼は多くの民たちに声をかけられ、傍に寄られる。
他の多くの兵士たちではそうはいかない。
彼はこの国の兵士として長い時間を過ごし、団長としても長い時間を過ごしてきた。
王国騎士団はただ王室に仕える兵士に留まらない。
彼や彼が率いた部隊は、これまで幾度の戦いにおいて類稀な戦果を挙げてきた。
それだけに、民たちも今回の苦境を前に、軽視できぬ状況が続いていると自覚せざるを得なかった。
だからこそだろう。
民たちの信頼の先に常に立ち続けている存在に、縋るような思いを持つのは。
“どうか私たちを守ってほしい”
“圧政者に負けないで欲しい”
そんな望みを、彼らはマルスに向ける。
そのどれもが、マルスにとっては、痛かった。
今民たちが望んでいることと正反対の状況を突き付けられ、それが覆されないものと、マルスには分かっていたのだ。


「分かっています。皆さんが確実に無事な状況を作り出せたら、また敵と戦いましょう。この剣で」


嘘をついたとは思いたくない。
そうさせないようにしないといけない。
この民たちを西の都市まで無事に送り届け、その後でグランバートに反抗する。
それが出来れば………。
誰もが苦しい立場にあった。
一つの決断が一つの結果をもたらすことになる。
その結果を導くのが、怖かった。
たとえどれほど上の立場に身を置こうともそれは変わらない。
今のこの状況は、国の存亡をかけた戦いであるのだから。


その日の夜。
町に溢れかえった避難民を防衛しつつ、今後の部隊の運用について会議が行われた。
彼らは町の離れに臨時の司令部を設置して、通信を行いつつ状況を確認、分析している。
次に敵がどのように動くかが会議の話題の中心ではあるが、大体方法は二つに限られている。
そのように皆に述べたのは、第七部隊のマルス准将であった。

「王都の手前では、第一部隊のリオネル中将が全軍を構えて敵の侵攻を阻止するために布陣している。また、北方を預かる第二師団の各部隊も支援に向かっている。無論すべてではないが………」

「敵はこちらの領土深く侵攻しています。補給線が伸びている関係もあり、長期戦は嫌うでしょう。となれば、一刻も早く王都を陥落させて優位な立場を確立させておきたいのではありませんか」

「そう考えるのが妥当でしょうな。であれば、こちらへ我が部隊を追い詰める可能性は、少ないと思いますが………」


まず第一の方法は、グランバートがそのまま北上し王都を強襲すること。
これが最もアルテリウスまで行く最短の方法となることは、誰の目から見ても明らかである。
第二の方法は、自分たち西側へ撤退する部隊を追撃し、反抗勢力を出来るだけ排除すること。
それぞれ考え得る可能性として取り上げ、それについて上級士官たちが意見を交換し合っている。
しかし大勢は“グランバートがそのまま北上しアルテリウスを攻撃する”ことにほぼ意見がまとめられていた。
ここまで来れば何も回りくどいことをせずとも、王都を攻略することが出来るだろう。
自分たちを貶めるようで情けない話だが、彼ら自身その自覚があった。


「グランバートにとって最も欲しいものは、王都を占領したという結果だ。王都が敵に占領され王の統治が停止したとなれば、民衆は動揺し絶望するだろう。その心理的効果を狙うためにも、やはり王都侵攻は避けては通れぬ道だ」
「つまり、敵は王都が降伏するまで攻め上がる、と?」
「一つの可能性として述べるのであれば」

「………なるほど、確かにあり得る話ですね。彼らとしては、何も王国すべてを占領する必要は無い。自分たちの有利な条件が提示できるところまで攻め上げれば、いずれ状況は整えられる………かつて歴史上にあった数々の国家がそうしたように、グランバートもそれに倣うということですか」


有利な条件。
考え得るに、グランバートがこの大陸すべてを制圧し占領することは出来るのかもしれないが、効果的な方法かと言われればそうではない。
彼らにとって最も重要なのは王国の中心部を制圧することであり、それを達成することで政治的にも圧力を強めることが出来るだろう。
実質的に王政政治が機能しない状態となれば、グランバートの属領とも言うべき立場になり下がる。
グランバートが狙うのもその点ではないか、というのがマルスの主張であり、各々もその考えに同意した。
実質的な統治下におき、アルテリウス軍の動きを封じることが出来たのなら、グランバートも“次なる行動”に移ることが出来るだろう。
彼らとしてはその動きを少しでも鈍らせなくてはならないところだった。
だが、そう考えると、やはり王国騎士団としての戦力は、敵の前面に展開させるべきものであるとの考えが浮上する。


中々決断を下すことが出来ない。
このまま民たちを連れて西側へ退避するか、反転して王都の防衛に回るか。
その一つの決断で、今後の動向が大きく変化する可能性がある。
本国との通信が回復されない今、現場の判断でそれを行わなくてはならない。
決して簡単に決められるものでもなかった。
戦いたい気持ちのある兵士はとても多いだろう。
だが、彼らの気持ちだけを汲み取って、目の前の困窮する民たちを置いていくわけにもいかない。
まさに板挟みのような状況であった。


ここを離れ、戦いを選択するということであれば、ここにいる民たちのそばを離れることになる。
不安をより多く募らせてしまうだろう。
ここに留まり、民たちを守りながら西側へ引くことになれば、現有戦力のまま王都を守ることになり、あるいは王都そのものが陥落するかもしれない。
自分たちの力を過信するわけではないが、自分たちの存在が敵にとっても、また味方の兵士や民たちにとってもどれほど影響力のあるものかというのを、彼らはよく理解していた。
それだけに、自分たちがいかに行動するか、それ自体が国を動かす一つの要因ともなりうるのだ。



「………民たちは引き続き、西側に退避させる方向でいこう。フェルライネス辺りが良いだろう」
「そうですね。大きな街ですし、今は手薄ですが駐留軍の基地もある。いざとなればそこを避難民に活用してもらうのが良いでしょう」
「良い意見だな。どのみちここからは王都へ通ずる街道はない。フェルライネス辺りなら、色々な方法を使えば王都へ駆けつけるのもそう難しくはないだろう。あとは………」


「………王都前の第一部隊が、どれだけ敵を凌げるか、ですね」



西の大きな街フェルライネスは、中央部に位置するアルバートと同じく規模の大きい街で、アルテリウス王国領の南西に位置する。
経済の中心地の一つであり、人口はアルバートよりも多い。大陸の中では比較的温暖な気候の強い位置にあるため、基幹産業である農業が大陸一番発達しており、アルテリウス王国領の全体の3分の1が、このフェルライネスの周囲で作られている。
アスカンタ大陸にグランバート軍が上陸するという可能性が浮上した時、フェルライネスに所属する部隊の半数近くが防衛のためにヴェルミッシュ要塞へ派兵されたが、結果的にその大部分は還らぬ兵となってしまったのである。
フェルライネスにも駐留軍基地があり、その大きさもアルバートに匹敵するものである。
もし避難民を屋内に回しきれない時は、基地も臨時の仮宿舎として扱っても良いだろうというのが、彼らの判断であった。
団長マルスの言うように、今の位置からでは王都へ行くのは難しい。
基本的に街道を通って領土内の各所へ行くのだが、ここには王都への街道はなく、その場合道なき道を進むことになる。
未開拓地域もあるため危険も多く、そのような無理を犯すことも難しいと考えられたのである。
フェルライネスはここより西に130キロ進んだ位置にある街で、民を連れた移動となれば、一週間と掛からずに辿り着くだろう。


問題は、それまでの間、王都へ侵攻するであろう敵軍を、正面に布陣する第一部隊が阻止することが出来るかどうか、であった。



「明日も早いだろう。お前たちも早く寝たほうがいい」
会議が終わった後も、各々の上級士官は小さな円卓に囲んで考え事をしていた。
正直なところ“団長が仕事をしているのに、自分たちが寝ていて良いものなのか”という思いを持っていたのである。
それに気づいたマルスが彼らに就寝を促すが、一人の佐官が彼にあることを聞いた。


「准将は、確か敵の総大将と知り合いでしたよね?」


「……………」



知り合いという言葉では括れない。
どちらかといえば“旧友”と言うべきだろう。こういう間柄でないとしたら。



「ああ。10年前の戦いでは共に共通の敵を倒すために戦った」
「その、どんな人なのですか。カリウスという男は」
「それはあまりに漠然としすぎた質問だな。まあ答えられないわけではないが………」

「とんだ悪人だ。俺たちから見ればな。当然だろう」


その人とはほかの佐官がそのように話す。
その認識も当然といえば当然だろう。
今は敵対する国家の軍隊を統率する存在なのだから、憎むべき相手でもある。
マルスとて、今のグランバートを許すことは出来ない。
グランバートが敵国である以上、攻めてくる敵に対しては排除する考えを棄ててはいない。


ただ、あの男のことを思い出すと、懐かしさも感じられる。


「確かに悪人には変わりない、私たちからすればな。倒すべき敵でもある。この中で10年前の戦闘に参加していたものは………そうか、いないか」


ふと彼は思う。
今、アルテリウスもそうだが、グランバート側でも、あの当時の戦いを経験し、今回の戦いに臨んでいる者がどれほどいるのだろうか、と。
かつてグランバートは、オーク大陸での大戦が始まる前に、大規模な内戦に直面し、政治機能が停止する事態に陥った。
世界が戦いを続けている最中、グランバートは自国の領土内で互いに戦い続け、疲弊し続けてきた。
それから再起し、現在ではカリウス大将が軍務を司る存在となっている。
その、カリウスも、グランバートの出身であることは、マルスも本人から聞いているので知っている。
“自分は元々王の城に仕える一人の兵士だった”と。


「あの男は、そう………強い責任感を持ち、責務を自らに課して、ひたすらに戦っていた。強い意志を持つ男だった」


そう、懐かしい瞳をしながら、マルスは振り返る。
その話を周りの佐官たち、尉官たちは、ただ静かに話を聞いていた。



初めて会った時は、確か18歳の時だった。
こんな子供がどうして戦場に出てきてしまったのか。
願わくば命を落とすことなく、無事にこの戦乱から逃れてほしいとさえ思った。
見た目は、失礼な話だが、本当にどこにでもいる格好の良い青年という感じだったんだ。
それがいざ戦闘になると、別人を見ているようだった。


――――――――――と、言いますと?



別人というのは、豹変するとかそういうようなものではない。
その見た目からは想像できないほど、優れた力を発揮する。
目の前の敵に恐れもなく突入し、夥しいほどの戦果を挙げる。
カリウスは、グランバートの出身でありグランバートの兵士ではあったが、あの時カリウスはグランバートの立場を隠して戦闘に臨んでいた。
あの当時の状況では、グランバートの代表だったとしても、国を挙げて大陸の戦争に参加するような余裕は無かっただろう。
フリーの『傭兵』として、エイジア王国やルウムの残党と戦った。
だが、あの男のやったことは、とても素人のものではない。
当時、大戦に何ら関わりを持たなかったギガント公国からの支援を受け、ソロモン連邦共和国の軍隊と共に大陸で戦った。
幾つもの関係を繋いで、オーク大陸での戦闘に備えたのだ。
思えばあの当時から、指導者側としての資質が強かったのかもしれないな。



―――――――――説得させたのですか、あのギガントを。



ああ、そうだ。
ギガント公国も終盤になって、実働部隊を派遣して大陸の支援を行った。
彼らを説得して味方に引き入れていなければ、戦闘はさらに長期化していただろう。
そういう意味でも、カリウスのやったことは驚異的なものだった。
無論、カリウスだけがそれをやってのけた訳ではない。



―――――――――『英雄たち』の存在、ですか。



そう。
今、ソロモンの軍務に所属するレイ大佐も、そのほか三人の子供たちが、当時の戦争を動かした。
彼ら自身も戦い、戦場を、政治の方向性を主導した。
戦争の姿が一つ変わる瞬間を見たような気分だった。
あの男と傍で幾度か戦ったこともある。
戦闘技術においては、恐らく私たちにも引けを取らない。
寧ろ、私などよりも遥かに優れた素質があったと言ってもいいかもしれん。


―――――――――准将よりも、ですか………!?


あの男は18だった。
18であれほどの技量を持ち、そしてまだ若い。
将来、同じように戦闘が起きて戦うようなことがあれば、なお経験を積んで更なる高みに上ることもできるだろう。
伸びしろがある、ということだ。
剣術、体術、身のこなしからその佇まいまで、何もかもが優れていた。
そう思わずにはいられないほど、本当に素晴らしい素質を持った人間だった。
意思もそうだ。
強い志を持ち、決して屈しない心を持っているようだった。
それでいて、周りにも信頼され頼られるような存在でもあった。
今、彼がその周りを統率して最上位に立っているのも、よく納得できる。



―――――――――知っています。カリウスは、グランバートを再興した一人だと。



軍務で言えば、二分された勢力を再統轄して管理し、
政治で言えば、国内に議会を設けて民衆から代表者を選出した。
王の統治する国であれば、王が絶対権力者となってすべての民に君臨することもある。
寧ろこれまでの歴史、過去多く存在した王国では、そういった例のほうが多かった。
だが、あの男は廃れたグランバートを立て直し、王室の威厳を取り戻し、それでいて民衆にとって望ましい、開かれた国を作り上げた。


「それだけの手腕を持つ男と、対立して戦わなくてはならない。どれほどあの男のことを知っている人がいるかは分からないし、タブロイド紙や歴史書が書いてあるようなものがすべて正しいものではないだろう。だが………」


「?」


「時々、思うことがある。この一連の動きは、本当にカリウスの意思なのか、と」



「っ…………」


マルスは言った。
これは本当にカリウスの意思によるものなのか、と。
その発言は、各々の背筋を凍らせるには十分だった。
マルスが不適切な発言をしているのではない。
だが、マルスが何か別の方向性にある可能性を考えているのではないか、と。



…………。

第17話 千年王国の失墜


6月18日にアルテリウス王国領アルバートが陥落してから、一週間ほどが経過する。



既にグランバート軍は王国領深くまで侵攻し、アルテリウス王国軍の幾つかの組織的な抵抗を排除し続けていた。
最近では、中南部にある都市アルバートの陥落が、アルテリウスの王国民を驚愕させるには充分な話題であった。
アルバートには第一師団の部隊や、ヴェルミッシュ要塞攻防戦から勇戦を続けていた王国騎士団もいただけに、その落胆は大きかった。
それでも、王国騎士団が大勢の民たちを街の外へ脱出させるのに多大な功績があったことを、民たちは高く評価していた。
だがそのような良いニュースがあったとしても、情勢は変わらない。
西側へ退避し続けていた王国騎士団と残存部隊は、民たちを守りながら、西の都市フェルライネスまで撤退した。
大勢の避難民を連れての移動であり、アルバートが陥落してから6日の行程を要した。
その間にアルテリウスの王都が攻撃されるのではないかという懸念も確かにあったのだが、グランバート軍は北へは動かなかった。
彼らには、王都へ行く前に明確な目的があったのだ。
そして、フェルライネスの街に着いた避難民と王国軍は、その現実を突き付けられることになる。


「何とかここまで来られましたね………」
「………ああ」



王国騎士団と残存部隊、そして避難民の大集団は、やっとの思いでフェルライネスの街まで辿り着いた。
それほど遠くないと思っていた道も、100キロ以上の長距離を歩いて踏破しなければならず、容易な環境ではなかった。
兵士たちであれば、ある程度は鍛え上げた身体と体力があるので、それほど時間かけずに辿り着くことが出来ただろう。
しかし、一般市民たちはそうはいかない。
兵士のペースに合わせて進める市民など殆どいない。
野宿をしながら、まともな食事や水分の補給も出来ずに一週間近く歩き続けたのだ。
彼らの疲労は蓄積され続け、限界を迎え倒れてしまう民たちが続出した。
そんな民たちを庇いながら、なんとかフェルライネスまで辿り着いた。
街には大きな駐留軍基地があり、本来駐留していた部隊の半分の兵士たちが今も使用していたが、避難民用に開放した。
一部の街の有志たちは、ホテルや宿舎の部屋を貸して避難民たちに使わせた。
街の人たちも避難民たちに出来る限り支援したい考えを持っていて、お互いに助け合いながら受け入れ態勢を整えられたのだ。
一通りの状況を作り終えた後、団長のマルスは基地の隣の敷地に野営場を仮設し、そこに兵士たちの寝床を確保した。
テントを張る程度の急造の野営場だが、それでも彼らには休息の時間が欲しかった。
“せめてマルス様だけでもどこか室内でお休みください”という兵士たちの声も多かったのだが、彼は他の兵士同様にした。


「ユアンも疲れただろう。今日は休むといい」
「はい………ありがとうございます。どうかマルス様も」
「分かっているよ。」


誰の目にも明らかであったし、誰もが同じような状況であった。
蓄積された疲労が彼らの表情を曇らせる。
この先自分たちがどのような状況に陥ってしまうのだろうと、不安が募る。
彼らには国を、民たちを守る責務がある。
その責務を負う彼らの心情がどれほど揺れ動き、荒んでいたのかは、言うまでもない。



この戦争が始まるキッカケとなった、グランバートの国王代理暗殺事件。
自分たちとは何ら関わりの無いところで突然事は発生し、そこで発見された証拠からその矛先をこちらに向けられた。
暗殺を実行した当事者はいまだ不明で、確たることと言えば、現場の遺留物の中にアルテリウス王国軍のものがあったということ。
国王代理を暗殺するということそのものが大きな火種であるのは疑いようもない。
だが、その時の情勢があまりに不安定かつ不穏を極めた為に、結果的にはこのような事態にまで発展した。
“行き付くところまで行くしかなかった”というのは、今も、そしてその後を生きる者たちの多くが持つ共通した認識であった。
ひとたび戦争が始まれば、途中で剣を下ろされることは無い。
これまでの戦いがそうであったように、これからの戦いも、すべて決着がつくまでは。


「………カリウス。お前は今、どこにいる………?」
この戦線には参加していないのか。
それとも局面が変われば、あの男も出てくるのか。
マルスは思考を巡らせていた。
果たしてアルテリウス王国を屈服させることにどれほどの意味があるだろうか。
それよりも、更なる目的があるのだろうか。
この時点でアルテリウスの陣営にそれが分かる者は誰もいない。


6月26日の午前。
彼らにとっては凶報と言っても良い報告が、フェルライネスの司令所にもたらされる。
曰く、
“グランバート軍、王都へ北上せずフェルライネスに接近す”


「どういうことだ!?なぜこちらに………!!?」
「何と言うことだ………敵は疲弊した我らを狙ってきたのか………ッ」
「馬鹿な、市街戦になるぞ………!!?」
「とにかくすぐに迎撃の用意を!!」


街の中の駐留軍の動きが慌ただしいとなれば、街の人々も何かが起きたのだと察する。
このような事態になってそのような現状を隠すことも出来ないので、必然的に民たちは“グランバートが接近している”と、事実を確認せずとも分かってしまった。
そのため、街の中は大混乱に陥った。
各々の兵士たちは逃げ惑う民たちを誘導しつつ、また落ち着かせるように働きかけるが、何の効果も無い。
中には兵士たちの詰所にまで来て、この現状を打破して欲しいと必死に訴える者もいた。
現場の兵士たちですら混乱を極めた。
敵がどこまで迫ってきているのか、どこへ民たちを誘導すればいいのか。
上から下までの指揮系統が千々に乱れ、正確な情報と指示が伝えられなかったのである。


「………なるほど。疲労の極を狙うと同時に、彼らが王都へ迫る際の後方を扼す可能性のある我々を先に潰しておこう、という算段ですか」
すべての兵士たちに共通していたが、たった一晩休んだだけでは全く疲労も回復されない。
それは今司令部でマルスの隣にいるユアンとて同様であった。
ユアンは自分なりにそのように分析をしていてそれを言葉にした。
マルスも全く同じ考えをここでは持ち合わせていた。
一週間ほど前に話した、二つの手法のうち一つをグランバートは選択してきた。
明らかに西側へ来るよりもアルバートから王都へ北上した方が早い。
しかし、それではいずれほかの部隊に後方を遮断され、王都を占領したとしても包囲される危険性がある。
その可能性を排除するために、グランバート軍はあえて西側へ撤退した部隊を追撃しここに追い詰めたのだ。


「もはや、逃げる場所も、その体力も…………」
「そうだ………もう、ここで………」


上級士官たちですら、その状況を報告されて絶望を感じていた。
思想や立場にかかわらず、この状況を目の前にしてどれほどの希望があることだろうか。
皆が騎士団長のマルスを見ていた。
彼がどのような指示を出すかによって、彼らの行動も定まる。
ここまでやってきた敵をどのようにして退けるか。
マルスは目を閉じていた。
深い思慮の中にあるのかもしれない。
皆が悲観的な見方しか出来ないでいる中、彼はこう話す。



「………それでも、戦う以外に術はない。まだ負けたと決まった訳では無い。今立ち向かう敵が健在ならば、いつか必ず王都や“その先の未来”にとって災いとなる。ならばせめて、我々はそれを排除しなくてはならない」


戦うべき時は今。
この場に集う我ら誰一人、ここで屈する訳にはいかない――――――――――――。



それが、マルスの出した指示だった。
マルスにも分かっていた。
この戦いに意味があるとすれば、半分は相手の戦力を出来る限り削ぐこと。
もう半分は自己満足に過ぎないものだろう。
彼にも、この戦いが勝ち目のないものであることは容易に想像がついていた。
既に民たちが避難できるような状況ではない。体力もなく怪我人も疲労困憊の者も多数出ている。
兵士たちとて満足に戦えるかどうかも怪しいところであった。
だが、兵士たちも同じ思いであった。
ただ時間だけを浪費して目の前の現実を素直に受け入れるより、出来る限り現実に抗おうと考えていたのだ。
元よりその気概は強い人たちの集まりであった。
王国騎士団は、ある時は“常勝の騎士団”とまで謂われたほどの実力者揃いの集団である。
その彼らが、押しに圧されひたすら撤退を繰り返すばかりであった。
戦略的に王国騎士団の猛威を震わせず、戦術的に不利な状況で相手を圧し続ける。
それがグランバートの作戦であり、自由な手腕を振るうことの出来ない王国騎士団は、常に劣勢のまま充分に戦うことが出来なかった。
そしてそれは今回とて同様である。
もし彼らに自由な状況が与えられたのだとしたら、多少の劣勢を覆すほどの力はあるし、実際そうなっていただろう。
そうさせなかった、戦略面での不利が現在の状況に繋がっていた。
戦局全体として見れば、彼らはそうした戦略面を含め、はじめから負け戦を強いられていたのかもしれない。


だが、負け戦が何だと言うのだ。
後の歴史の人々は、彼らの行為を“意味も、価値すらない独善的な自傷行為”と貶すだろう。
それでも、彼らには為すべきことがある。
そのためにこそ、彼らは剣を取るのだから。



「なるほどな。やってやろうじゃねえか。元々俺たちはコッチじゃ“挑戦者”だ。」
「ああ、否定はしない。戦局全体から見れば明らかに優位なのはこちらだが、真正面の陸戦は初めてだ。心してかかるぞ」
「ジェイルはいつも用心深けえなあ」
「お前は能天気過ぎだ」
「言ってろ。この方が楽に生きれるぜ?」


街の外縁部にまで辿り着いたグランバート軍。
西側へ撤退したアルテリウス王国軍の部隊を追跡する役目を担うことになったのは、グランバートのジュドウ、ジェイルの両大尉が率いる部隊である。
両大尉が率いる2個連隊は、アルバートでも十二分の戦果を挙げてきた。
王国騎士団としても、彼らが率いる連隊が強力な陸戦部隊の集まりであることを認識していた。


「にしても、言っちゃ悪いがこっちはサブだよなあ」
「………まだ言うか。仕方がないだろう、上からの命令だ」
「俺は本丸落としの戦に出たかった。今頃そっちはロベルトさんとシャナが中心にやってる頃だろ?」
「ここに逃げ込んだ敵を封じるのも重要な役割だ。愚痴ばかり言うんじゃない」
「分かってるけどよー………なんか納得いかねえんだよなあ。まあいい、それじゃいくか」


不満を漏らしながらも、目の前の目的は明確で、果たすべきことも彼には充分分かっていた。
ただそれが彼なりの人となりなのだろうということは、よく一緒に仕事をしているジェイルには理解できている。
この男は不満を持ちつつも、戦いとなれば最大限の力を発揮する、と。



――――――――――こうして、フェルライネスの戦いが始まる。


この街が都市の機能を持ってからは長い時間が経過しているが、この街で敵国との戦闘が行われるのは歴史上初めてのことであった。
そもそもアスカンタ大陸自体、他国から侵入されることがこれまでは少なかった。
豊富な資源の利権を独占しようと、過去グランバートが幾度となく攻め上げてきたことはあったが、その悉くが失敗に終わっていた。
だが今回は勢いそのまま、遂に王都の目前に迫っていたのだ。
グランバート軍の作戦は、西側へ撤退した王国騎士団とその連れの部隊を殲滅すること。
彼らが王都アルテリウスまで侵攻を続ける際に、後方を王国騎士団に封じられる危険性を考慮しての作戦である。
この時、アルテリウス王国軍の殆どの人が、グランバートが西側への追撃を行ったことで、中央から王都アルテリウスへ向かう時期はまだだろうと考えたのだ。
内陸へ侵攻している部隊に『二正面作戦』が行えるほどの余力はない、と。
その考え自体は何ら間違いでもなかった。
部隊を二分して別方向の敵と戦うなど、本来のグランバート軍には困難な作戦だった。


そう。
それが陸上部隊だけであったのなら。



「何としてでも食い止める。続け!!」
「はっ!!」


フェルライネスに駐留する部隊と中央からここまで撤退を続けた、アルテリウス王国軍第一師団第五、第七部隊。
この戦いの開始時における両軍の戦力差は6対4ほどであり、数で言えばアルテリウス王国軍が有利であった。
しかもグランバート軍は、陸戦においては特に奇策を用いることもなく、真正面からの戦いを挑んだ。
戦闘における優位性が数であるのなら、この状況はグランバートにとって決して有利なものではなかった。
それでもこの街で開戦に踏み切ったのには理由がある。


「街の中まで侵入を許すと、混戦となる。そうなる前に敵を足止めさせたいところだが………!」
グランバート軍の接近に対し、彼らはなんとか街の外縁部で迎撃態勢を取ることに成功した。
しかし、街道から街の中へと向かう道に沿って布陣された両軍の陣形は、決して広大に布陣されたものではなかった。
アルテリウス王国軍は数の上で優勢であったはずなのだが、その数の優位性を活かせずにいた。
理由は、数を利用した広範囲の陣形を敷くことが出来ず、お互いの軍の最前線同士がぶつかり合って、後方の部隊が戦線に参加できていない状況が発生していたのだ。
数の上では劣勢だったグランバート軍だが、少数ながらも多くの兵士たちが最前線でアルテリウス軍と戦っている。
一方で、数の優位性を活かせずに偏った陣形で戦いを余儀なくされたアルテリウス軍。
フェルライネスは彼らが布陣するにはやや手狭な戦場であったのだ。
たとえ全体数で違いがあったとしても、最前線で戦う者たちが同数かそれに等しい戦力であったのだとしたら、事は戦略よりも戦術により左右される。
フェルライネスで戦ったアルテリウス軍には、全体の状況を把握しながら陣形を再編、統率しつつ攻撃を加えられる判断が出来る指揮官が少なすぎたのだ。
王国騎士団のマルス准将は、指揮官の立場にはなかったが、戦略面においても卓越した能力を持つ兵士である。
しかし、この場においてはマルスは相手の戦力を削ぐことに集中してしまっていたために、周囲の状況は掴めても全体の状況は掴めずにいたのだ。


王国騎士団の攻勢は苛烈さを増す一方であった。
個々の戦力が高い兵士の集団であり、近接戦闘ではグランバート軍を凌駕する勢いだった。
特にマルスとユアンの両名は、短時間に何十人ものグランバート兵士を倒した。
それでも、彼らは徐々にグランバート軍の激しい攻勢を受けて、後退しながらの戦いを余儀なくされていく。


「敵は次々街の中へと入っていきます………もはや陣形すら」
「敵とて同じ状況だ。しかし、これを最も避けるべきであったはずなのにな」


戦いながら戦況が後退する。
数において優勢であったはずのアルテリウス王国軍が、劣勢を強いられている。
当初展開された陣形が活かせずに、お互いに戦力を著しく消耗するばかりであった。
だが、消耗戦となれば、状況が不利になるのはアルテリウスとて同じことである。
何故なら、彼らは昨日ようやくこの街に来たばかりであり、補給も休息も全くといって良いほど取れていない。
はじめからこの街に駐留していた部隊は健在であるが、その部隊だけではグランバート軍に数で上回れず劣勢となる。
彼らすべてが集まるからこそ、数では有利な条件を揃えているのだが、兵士たちは疲労の極にある。
たとえ充分な戦力を確保できていたとしても、彼らの状態が万全でない以上、決して有利な状況とは言えなかった。
グランバート軍があえて正面からフェルライネスの街に攻勢を仕掛けた最大の要因がそこにある。
数で劣る軍勢も、疲労の極みにある兵を相手にするのであれば、互角以上の戦いが出来るだろう、と。
そしてそれは十二分に当たっていた。
奮闘する者も多かったが、全体的に見て、アルテリウス王国軍は次々と倒される。
その結果、街の中への侵入を止めることが出来ず、市街戦となってしまったのだ。
市街戦となれば、もはや自軍も敵軍も陣形など関係無くなってしまう。
土地勘のあるアルテリウスに地の利があろうとも、構わず攻勢を仕掛けてくるグランバート。



「っ………」
明らかに際立った近接戦闘を展開し続けてきたマルスとユアン。
二人は互いに背を向けつつ目の前にやってくる敵兵士たちを次々と斬り倒していった。
そしてその勇戦ぶりは、グランバート軍の現地の上層部にも報告される。
“恐ろしく強い敵兵が幾人かいる”と。


「ほう。こいつらか、さっき報告のあった連中は」
「決めつけるのは早いと思うが………いうまでもない、か」
「相手の振る舞いを見れば想像がつく。間違いねえ」

「―――――――――――――。」



その報告を戦場で受けて、そして彼ら4人は対峙する。
グランバート軍のジュドウとジェイル。
両者ともこの戦いにおいては、グランバート軍の筆頭兵士であり、実力者でもある。
アルテリウス軍としても彼らの存在は注意すべきものであると周知されている。
両陣営の際立ったポテンシャルを持つ者同士が、戦場で対峙する。



「もう情勢は覆らねえ。戦い続けたって犠牲が増え続けるだけだぜ?」
「!!」


ジュドウが軽口を叩く。
それに対しユアンが怒りの表情を露わにして反撃しようとするが、言葉は出て来なかった。
すぐ隣でマルスが左手を彼の身体の前に出して制止させたからだ。


「そうかもしれない。だが、我ら剣士が戦場で会ったからには、取るべき方法はただ一つ。」
「確かにそうだな。それ以外の手段はもはや必要ねえか」


王国騎士団長のマルスがどっしりとした重厚な剣圧を持つ構えで臨戦態勢を取る。
それに続いて隣のユアンも剣を構えた。
そう、彼の言う通り、一度抜かれた剣は血塗られずして鞘に収まるものではない。
両軍が戦うことなど既定の事実であり、どちらかが斃れるまでそれは続くだろう。
少なくとも、この街の戦いにおいては。


――――――――――ユアンは、内心で恐れを感じていた。
自身の経験の少なさから来るものなのか、それとも若さという気質から来るものなのか。
あるいは戦場における勘というものだろうか。
隣にいる団長マルスは絶対的な強さを持っていると信じている。
だがそれも、目の前の恐らくは強大であろう二人の実力者を前にすると、それすらも危ういものであると思ってしまったのだ。
戦いは避けられない。
よほどのことが無い限り、どちらかが死ぬまでその戦いは続くことだろう。
これまでの戦い、ユアンにとって自分よりも腕のいい兵士と戦う機会はなかった。
しかしこの二人を前にして、その剣気が殺意と共に膨れ上がり高まるのを身に染みて感じていた。
無論、戦ってみなければ分からない。だが戦場に試しなどない。
討つか討ち取られるか。
その二つに一つの結末をもたらす戦いが、ここに始まる。
周囲は彼らの対峙など関わりもなく、それぞれの戦闘が続いている。
市街戦となった以上、もはや陣形もなく戦力の確認すらも出来ない。
願わくば市民がそれらに巻き込まれていないことを思うが、それも難しいだろう。


「………いざッ!!」
「――――――――――!!」


強き眼差しを持つ二人の剣士マルスとユアンが、構えを解き放ち二人の敵に向かっていく。
それに対するは無表情のまま剣を手に持ち迎撃態勢を取る男ジェイルと、
まるで少年のような笑みを浮かべながら、楽しんでいるかのごとく立ち向かう男ジュドウ。
互いの剣がぶつかり合う。
力と技量、そして素早さ。
近接戦闘におけるあらゆる要素が入り混じったその戦いは、それを知らない人から見れば高速で剣を振り回しているだけのものに見えただろう。
しかし、僅かでも気を緩めれば、その命は無くなるだろう。
ジュドウは、その立ち回りから好戦的で力のある剣術を持つものであることがすぐに分かる。
常に相手の先手先手を取ろうとし、相手に反撃に出る隙を与えようとしない。
ジェイルはジュドウとは正反対で、受け身の状態から相手の動作を見て反撃に出る。
反撃に出る剣速が非常に早く、狂いなく繰り出される突きの一撃が特徴的だった。
王国騎士団のユアンは、この4人の中で最も年齢が若く経験も浅い。
しかしながらその剣技はその年齢のものとは思えぬほど卓越したものであり、それを如何なく発揮している。
一方のマルスは、先の大戦でも数多くの戦場を戦い続けてきただけあって、二人の剣術を見極めながら攻撃と防御を適所に繰り出す。
技量は4人比較しても最も優れていたが、それに合わせられる強さもまた、グランバートの二人にはあった。



「やるじゃねえか。アンタが良いように腕を振るえる状況があったんなら、俺たちももうちょっと手こずったかもしれんな」
「それが出来なかったのも、我らの敗因の一つだ。貴官らの軍勢にはすぐれた軍略を立てる者がいるようだな」
「まあな。気に食わねえやつだけどよ」


戦闘中に間が空くと、何故か僅かながらの会話が出来てしまう彼ら。
並みの兵士であればそんな余裕はどこにも生まれないだろうし、考えもしないだろう。
互いに一歩も譲らぬ状況が続いてはいるが、まだ彼らには余裕があった。
ジュドウは今本国にあって参謀役に徹しているある男を毛嫌いしている。
明確な理由がある訳では無いが、なんとなくその人となりが受け入れ難いと思っていたのだ。
無論、戦っているマルスとユアンには知り様もない話であり、その男の存在すら分からないのだが、ここに至るまでの戦略の多くを立てたのは、その男なのだ。


「アンタほどの腕の持ち主が野心に目覚めりゃ、もっと上に行けると思うんだがな」


「………愚問だな。我らはアルテリウス王国の騎士。千年に渡る王国の守護者。その役目は、王と城、そしてこの国を外界から来(きた)る異邦の者から護ることにある。互いに認められないのであれば、共存も無ければ譲歩も無い。」


「あくまで国に忠を尽くすってか。その内向的な考えこそが破滅を呼ぶんだぜ………ッ!!」


やがて戦いの構図は、マルス対ジュドウ、ユアン対ジェイルというものに変化した。
互いに性格の異なる技術を持つ者同士が剣を交えて戦う。
その戦いは、あまりに高い技術の戦闘であり、他の者からすれば、異次元の戦いとも言うべきものであった。
マルスは終始ジュドウに勝っていたが、ジュドウは何ら焦ることもなく迎撃し、攻勢に出ていた。
一方、技術的には勝っているはずのマルスは、決定打を相手に何一つ与えられないことに、見えないところで焦りを感じていた。
これほどまでに苦戦する敵は、10年前のあの戦い以来だと、内なる心がかつての戦いを思い起こす。
―――――――――思えば、10年前の戦いでは、強敵が数多くいた。
今回の戦いでは、自分たちが一方的な状況を強いられているためか、戦況に追いやられることが多く、強い敵と戦う機会が無かった。
敵は全体として強い勢力であり、それらを実現させてきた背後の参謀の存在がある。
だが個々人と戦う時、マルスは幾度の戦いで夥しいほどの屍を築き上げてきた。
それは彼の技量が相手より数段勝っているからに他ならない。
拮抗することなどなかった。
だが、彼や幾人かの王国の騎士が優れていたとしても、全体の戦局を変えるには至らない。



今目の前で戦っているこの男は、まだユアンほど若いと見えるが、相当な手練れだと感じた。
久々に昔を思い出すような。



「っ………!!」
手堅く攻防を繰り返すユアンとジェイル。
お互いに一歩も譲らない剣戟のぶつかり合いではあるが、この二人の戦いでは僅かにジェイルがリードしていた。
ジェイルにはまだ余裕も見える。しかし、ユアンは息が整っていない。
状況が好転しないことへの焦りと、相手の脅威に押されつつあった。
ユアンにとってこの戦争は、自身が王国騎士団に配属されて三年経って初めての経験であり、対外勢力との実戦もこの戦争が初めてである。
これまでの戦いで、ユアンはグランバートの兵士たちを数十人は斬り倒してきた。
騎士団の中で、彼の腕前はあのマルスに匹敵するものであるとも言われる。
そのユアンも、これほどまでに強い敵と戦うのは初めてであった。
度々速攻に転じるユアンの攻撃も、ジェイルは厚い防御で凌ぐ。
剣戟により火花が飛び散り、剣の打ち合いはより苛烈さを増す一方だ。
だが、ユアンはその度に体力を削られていた。
何か特別な力が彼に働いたのではなく、単純に双方の剣戟が苛烈さを極める中で、ジェイルの方が体力が続いているというだけのことだった。
無論、相手の状態が上がっていかないことは、ジェイルにも分かっていた。
ジェイルも彼と同様決定打を欠いていたが、徐々に自分寄りに戦況が傾いているのが分かる。


「我々王国を滅ぼしたところで、更なる争いを生むだけだぞ………!」
そうなれば、10年前の再現だ、とユアンは戦いながら強い口調で言い放つ。


「今回の争いを生む原因を作ったのはどちらだ。鏡に向かって言うが良い」
放たれた言葉に対して、冷徹に突き返すジェイル。
ウィーランド国王代理を暗殺した現場に残されていた、アルテリウス王国軍の紋章。
その事件を引き起こしたのがアルテリウスであると裏付けるものの一つ。
元々この両国は仲が悪く、アスカンタ大陸が発見されて以降はグランバートが度々アルテリウスを攻撃していたこともある。
その恨みを晴らしに来たのだろうと考えるグランバート国民も多い。
当然、そのような証拠があるのであれば明確な事実であると考え、グランバートはその矛先を向けた。
彼らにとっては正当な理由があっての攻撃であるとの認識である。


「それに、我々は王国を滅ぼそうなどとは思っていない。寧ろ王国には存続はしてもらう。形の上ではな」
「………散々荒らしておいて実権を掌握するのが目的か………!!」
「そんなところだ。端的に言えばな。だがこれ以上語る口を持つ必要はない」
「チッ…………!!?」


真実を語っているとも思えなかったが、それが全く的外れのことであるとも思えなかったユアン。
直後、ジェイルの剣戟が更に速さを増す。
彼にはまだ速度を上げられるほどの余裕があり、それに対応できるユアンには余裕が無かった。
ただ対応するだけで防戦を強いられる状況である。
“敵にもこれほど有能な人材がいるのか”と思わずにはいられない。
こうしている間にも、味方の状況は刻一刻と悪化しつつある。
本当であれば、他の兵士たちの援護に回って、次々と敵を倒して行きたいところだったが、思わぬところで足止めされている。
だがそれも敵の狙いなのかもしれない。
ユアンもマルスも同じようなことを考えていたのだ。


「そろそろケリつけてえところだな」
「………ああ」


両者とも間合いを取って向かい合う。
その間10メートルほど。
お互いに剣戟が始まってから10分近くが経過し、ジュドウもやや疲労を見せ始めている。
ジェイルは相変わらずの冷静さを保っていたが、剣のような重さのあるものを10分と、極度の緊張感のある場所で振り続ければ、疲れが出ないはずがない。単に表面上に表していないだけのことだろう。
ユアンの表情も決して穏やかでは無い。
相手を倒すことの出来ない焦りが表面に出てしまっている。
こうしている間にも、アルテリウス軍は次々と撃破されているのだから。
彼らが全体の支援に回って多くの敵兵を倒すことが出来れば、あるいは戦況は少しでも彼らの方に傾いたのかもしれない。
ジュドウとジェイルのもとには、王国騎士団の中にずば抜けて腕のいい兵士がいるとの連絡が届いており、その兵士が蹂躙するのを阻止する役割を自らに課していた。
そういう意味では、この戦いにおいてもグランバートは戦略面でアルテリウスを上回っていたと言えるだろう。


「同じく。………出来るだけこれを使うまいとしていたが、致し方ない」
「っ」
「………マルス様…………」



互いに長引く攻防に決着をつけたい。
それはマルスとて同じ気持ちだった。
そしてその瞬間。
マルスが剣を構え再び対したその時、一瞬にして周囲の空気が入れ替わるような感覚を彼らは味わった。
これまでのマルスとは明らかに何かが異なるようだった。
それが何なのかと言われても、彼らには解説し難いし正解がどうなのかも分からない。
彼の姿を見て、ジュドウとジェイルは顔を引き締め同じように剣を構える。
これまで以上に手堅く、慎重な姿勢で。
そうするに足りる状況が目の前で発生したと直感で感じたのだ。
―――――――――――マルスの剣気(けんき)が突如増幅した。
剣気。
それは戦う兵士が持つ雰囲気、気迫のようなもの。
戦う術を持たない一般の人が決して手にすることのない、兵士だけが持つ独特の空気のようなもの。
殺気とは異なる、兵士としての質を問うものの一つ。
剣気が強ければ強いほど相手の腕の良さを窺えるし、その剣気を感じ取ることが出来る人は、その剣気に対応し得るものを持ち合わせている。
誰にでもあるものでもなく、誰にでも感じられるものでもない。
目の前にいるマルスは、はじめから王国騎士団員の中では飛びぬけた才能を持っていた。
彼の持つ剣気は常に相手に対して脅威で、油断を許さない状況を作らせる。
その剣気が圧倒的なまでに増え、彼らに対抗するのだ。



「―――――――――――」
マルスが先んじて一歩踏み込んだ、その刹那。



「なっ!!?」
「―――――――――――ッ!!?」


その攻撃は、思いがけない衝撃により止められた。
彼らのすぐ近くにあった建物が、突如激しい爆発を起こしたのだ。
爆発が起こる直前、空を斬るような甲高い音が数秒鳴り響いていたのを、彼らは聞き逃さなかった。
そしてそれが砲撃によるもので、砲弾がその建物に直撃したことも確信していた。
更に数回の音が空に響き、直後に激しい爆発を巻き起こす。


「チッ、味方がいるのに砲撃かよ………!!?」
「ジュドウ、退くぞ。部隊を統率しなければ。それにこれは意図的なものではなく、強襲を受けての抵抗かもしれん」
「ああそうだな!クソッ、やりそこなっちまった」


左右の建物に着弾し瓦礫が降り注いだ。
上から無数の瓦礫が降り注ぐ様子を見て、彼らは一瞬にして脱出を図った。
崩落した影響で辺りに塵が舞い、視界を奪った。
その視界が晴れかかった頃には、既にマルスとユアンの姿も、あの強大な剣気も存在しなかった。
とても崩落に巻き込まれたとは思えない。
彼らも彼らで脱出したのだろうと、姿を確認してはいないがそう確信していた。
この時砲撃を行ったのは、紛れもなくグランバートの軍勢である。
事実としては、至る所で戦闘が発生している中で、砲兵部隊にまで強襲が及び、それを排除するのに近距離で砲撃を行った。
その結果、外した砲弾が街の外壁を次々と破壊したのである。
幸いと言うべきか、一般市民の多くは退避している。
民間人に犠牲が生じなかったと信じるしかない。
その思いは後の発表で裏切られることになるのだが。


戦いは夕暮れまで続いた。
両軍とも双方の牙が折れ砕けるほどの死闘を繰り広げた。
終始不利な状況で戦わなければならなかったアルテリウス王国軍は、甚大な被害を出してしまっていた。
戦いが終局を迎えつつある時、未帰還者の数があまりに多く、残存兵力を統率している間に絶望を感じずにはいられなかった。



「………もはや、本部には増援できる兵も、物資もない…………」
いまだ各所で戦い続けている兵士がいる。しかしアルテリウス軍に、もはや統率出来るような余力もなかった。
疲労の極を狙われ襲われた彼らは、それでも善戦したと言えるだろう。
この結果に満足してはいないし、悔しさが残るのは当然だった。
白兵戦の専門が勢揃いする王国騎士団ですら、損害率8割強という凄惨な結果だった。
それでも生き延びた兵士たちが王国騎士団の中には多かった。
その他の部隊は壊滅状態で、帰らぬ者が殆どだった。
同じようにグランバート軍も多大な犠牲を出していた。
フェルライネス街の戦いは、両軍とも甚大な被害を出し、夥しい数の屍が積み上げられたことが、後に多く取り上げられる。
“それほどまでにこの街を討つ必然性がどこにあったのか”というのが、多くの評論家が指摘する意見である。
無論、後世のことなど知るはずもない彼らは、ただひたすら戦って戦って、その果てにこのような絶望を突き付けられたのだ。


さらに、凶報は続く。

「王都より入電!!…………王都アルテリウスの手前30キロ地点まで敵は侵攻中。アルスターの街は、陥落したとのこと…………ッ!」



あるいは、彼らが中央部から西部へ撤退せず、王都を防衛する第一部隊と合流していれば、このような結末には至らなかったのだろうか。
しかし起きてしまった事実にたとえ話などない。
これから起きることに対してはあらゆる可能性を考えられるだろう。
だが、既に起きてしまったことに対しては何ら意味の無いことだ。
精々、この時こうしていれば良かったと、後の教訓として留めておくべき事柄とでもいうべきか。
アルスターの街とは、王都アルテリウスの手前にあって、王都に隣接する大きな都市の一つだ。
それより30キロほど北上すれば、王の城がある。
アルテリウスからアルスターまでのエリアは、複数の街道で結ばれ、都市機能と住居区画が混在する、大都市エリアである。



「馬鹿な………リオネル中将の第一部隊が敗れたというのか………!!?」
「これでは、王都を守るのは、残り近衛兵団くらいなものじゃないか…………」


「………これでは、もう…………」



その報告を受けた誰もが、認めたくない確信を持ってしまった。
王国陸軍第一師団第一部隊がアルスターの街の前で防衛線を張っていた。
そのリオネル中将が敗れたとなれば、もうアルテリウス王都の前に防衛できる部隊はいない。
北方より第二師団が支援に向かっているとのことだが、王都から30キロの距離など一日も掛からず、いや数時間程度で従軍出来てしまうだろう。
そうなれば、もう王都を守ることも出来ない。
当然この位置からも間に合わないだろう。
兵士たちの表情が翳る。
もはや絶望しか残されていない。
グランバートの侵攻をそこまで許してしまえば、その先にあるものは、明確なる破滅か、降伏か。
この場に集う残されし兵士たちも、グランバートの前に屈することになれば、捕虜となり命も刈り取られていくだろう。
現場の兵士たちにとって、それは地獄でしかない。



「―――――――――――――。」
もうすぐ日が暮れようとしている。
赤一色で空が染め上げられているのを眺める。
普段ならそれを綺麗だと思えるのだろうが、今は違う。
どれほど綺麗な光景であったとしても、彼らの目に映るのは地獄の絵だ。
一旦小康状態となったこの戦闘も、すぐグランバート軍が攻め上げて、次こそは占領するだろう。
辺り一面死体の山だ。
中にはそれが兵士なのか、市民なのか見分けがつかないものもある。
それほどこの戦いは凄惨なものだった。
失うものばかり多く、手にするものなどごく僅かなものだった。
そこに、希望はない。
もはや、彼らに余力はない。
たとえ戦うことが出来たとしても、この情勢を覆すことは出来ないだろう。
そして、恐らくは王都アルテリウスも。



「どこかに身を寄せましょう。このままここで戦い続けても、死ぬ運命は覆せない。」



その言葉を聞いた誰もが、驚愕の表情を浮かべた。
どこかに身を寄せる。
それが何を意味するのか、分からない彼らではなかった。


その言葉を放ったのは、ユアン。
マルスの実質的な右腕として立つ、若い騎士だった。



「身を寄せる………だと………!?」
「ゆ、ユアン!お前、何を言ってるんだ!」
「まさかお前………!!」


「はい。このままいけば、アルテリウスは陥落する。ですが、私たち生き残った者たちも玉砕してしまえば、いよいよこの国は再起出来なくなる。そうさせないために、いつかの時のために、今は逃げて、どこかに身を寄せるのです。」



肝の据わった姿で、強い意志を持つ瞳に訴えて、彼はそう話した。
アルテリウス王国がグランバート王国の前に膝を屈すだろう。
恐らくそれは覆すことの出来ない事実となる。
第一師団の大多数の部隊が殲滅され、王国騎士団も僅かに数十名残すのみ。
この国を守るどころか、ここにいる民たちを救うことも出来ないだろう。
幸いと言うべきか、民たちは既に街の外縁部に避難している。
だが、グランバートは決して彼らを逃がさないだろう。
占領下に置けば、彼らを捕虜として、労働力として酷使する未来が見える。予測ではあるが。
兵士たちは捕らわれ、情報を引き出された末に殺される。
これまで多くの国がやってきたことで、歴史がそれを証明している。
そうなれば、誰がこの国を復活させるのか。


「それでは、民たちを見棄てろと言うのか!?」

「そう言われるのも無理ありません。実際そう思われるでしょう。ですがどのみち、私たちは死する運命にある。今の戦力で立ち向かったところで、勝てる見込みはない。………であれば、いつかのためにその力を蓄えることに専念した方が良い。僕はそう思います」


僕だって悔しい。
でもその気持ちは誰にだってある。
どうしてこのようなことになってしまったのか。
いつから時代が変わり果ててしまったのか。
僕たちは故郷を失うことになる。
大好きなこの土地から離れなくてはならなくなる。
けれど、生きてさえいれば。
そう、生きてさえいれば、必ず。


「…………………」


「………ユアン、よく言ってくれた。確かにお前の言う通りだな」
「マルス様………!!?」
「このまま戦っても、勝ち目はない。死か降伏か、いずれかが我々を裁くだろう。だが、そこに屈しない手が無い訳では無い」


そこではじめて、騎士団長のマルスがユアンの意見に賛同した。
全員がその意思表示に驚いていた。無論ユアンも同じであった。
ユアンはこの考えが自分の身勝手なもので、多くの人から批判を被ることになるだろうと覚悟して話していた。
それはアルテリウス王国軍だけでなく、国の人々や国際的に見ても、非難の対象となるに違いない。
けれど、マルスはそんなユアンの考えを全面的に支持していたのだ。



「たとえ汚名を被ることになったとしても、ユアンの言うように、命さえあれば、この身体さえあれば、いつかまた機会が訪れるかもしれない。その日のために、生き延びることも必要な手段だ。民たちもそうするだろう。」


「ですがマルス様、生き延びるといってもこれからどこへ行けばいいのでしょう。」


兵士の一人がそのように疑問をぶつける。
このままアルテリウスが陥落すれば、彼らは故郷を失う。
再起を図るとしても、彼ら数十人の力では到底成し得ることの出来ないことだろう。
そしてこの敗戦国のよそ者を受け入れてくれるところがあるのかどうか。
どの道に進んだとしても不安が残る。


「一つある。ソロモンだ」
その疑問に対し、すぐに答えを出したのがマルスだった。
皆が疑問の表情を彼に向ける。
一つ、ソロモン連邦共和国は、地理的条件が良い。
アスカンタ大陸とオーク大陸を結ぶ海峡で最も短い距離にあるところは、僅かに数十キロ程度である。
晴れた日にはお互いの大陸の海岸線沿いを眺めることが出来る場所もある。
二つ、現在アルテリウス王国はソロモン連邦共和国と同盟関係にある。
この情勢となってソロモン連邦共和国はあまり介入できなくなっているが、両国の同盟関係は諸外国にとっても軽視できないものとなっている。
特にグランバートにとってソロモン連邦は意識すべき脅威となり得る。
国家としての形態も非常に大きなものであり、私怨を受けられる体制は充分に整えられるだろうという判断だ。
そしてもう一つ。


「私は、あの国の兵士の一人、“レイ”という男をよく知っている。今では連邦軍の重鎮の一人のはずだ」
「レイ?………10年前の戦争を鎮めた『英雄たち』の一人の………?」
「そう。皆がそう呼んでいる男の一人。彼とはエイジア戦線で共に戦った仲だ。何とか、彼の力を借りられないかと考えている」


マルスは10年前の戦いで、王国騎士団の一員として、エイジア王国やルウム公国の残党軍と戦った。
その当時、レイはカリウスらと共にその軍勢に参加し、オーク大陸での戦争を終結させるのに尽力していた。
マルスはその時からレイと面識があり、またレイがかつて所属していた聖堂騎士団とも深い関わりがある。
彼らは今となっては別の国の兵士同士で、連絡を取り合うことも無くなっていたが、時折お互いの近況を遠くで見聞きして懐かしむことが出来ていた。
………本当であれば、カリウスもその英雄たちの一人で、同じく戦友だった。
今となっては敵対する将軍となっている訳だが。


「私はユアンの考えに賛同する。だがこれは私の意見だ。皆には皆の考えがある。故に、今回は私の指示によるものでない。この逃避に付き合う者のみ従える。それ以外の者は、自由に身を処すと良い」


マルスはユアンの考えをもとに自らも決心した様子だった。
しかし、彼は自分の考えに今回は同調しなくて良いと伝える。
何故ならば、故郷を棄てるという選択肢がどれほど影響の大きいことか。
故郷を離れることになれば、大切な家族とも、親しい友人とも、住み慣れた土地とも別れることになる。
自分たちがそのように離れても、故郷を取り戻すことは出来ないかもしれない。
そのような辛い選択を、彼が皆に強制させることは出来なかった。
軍人は政府の命令に従う。
だがこれは、軍人が軍人に伝えるものであって、政府からの指示ではない。
マルスはその決断に他の強制力を持たせようとはせず、自らの意思で決断して欲しいと各々に伝えた。
どの道を選んだとしても、先には不安ばかりが募り、安息の日々は送られないだろう。
それでも良いという人だけが来るべきだ、と考える。


「私は、マルス様についていきます。敵の軍門に降るつもりはない。そしてここで死ぬのも当然御免です」
「同じく。ユアンがそう言うなら、俺もユアンに賛同します。たとえ一時の汚名を被ることになったとしても」
「そうせざるを得んだろうな。死ぬよりは遥かに良いだろう。生きてさえいれば、そう………」


「……………」
マルスが全員の方をゆっくりと見る。
その場に集う騎士たち、僅かに60名程度の小集団でしかなくなってしまったが、その意志は今も剣のように強靭だった。
誰一人目を背けず、目の前の現実に抗うための方法を取ろうとしている。
その瞳は揺らがない。
ユアンの意見に賛同し、マルスの行動に同調しようとしている。
たとえそれが、彼らにとって地獄の選択肢であったとしても。



「………分かった。それでは、早速準備するとしよう」



見方によっては敵前逃亡とも捉えかねない選択だし、事実ではあるのだが、公式記録としては彼らは全員“戦闘中の行方不明”という扱いとなっている。戦闘における行方不明は、最終的にはその戦線における戦死者として数えられるため、その時点で彼らの所在を知り、その真実を知るものは誰一人としていない。
後々に彼らが台頭するまで、彼らは騎士団としてではなく、この戦乱の時代の一戦士として数えられることになる。
フェルライネスの戦いが終結したのは夜になってから。
再編成を終えたグランバート軍が再度全面攻勢に転じ、守備隊として構えていたアルテリウス王国軍を玉砕した。
抵抗するものは殺害され、捕虜になったものもいる。
そして多くの市民が彼らの占領の影響を受けることとなる。
グランバートとしては、自分たちが王都アルテリウスを占領した際に、その後背を襲う可能性のある部隊を排除するという、当初の目的を果たすことに成功した。
アルテリウス王国軍第一部隊第七師団はほぼ全員が戦死、もしくは行方不明と伝えられる。
その一報は、この大陸で栄え続けてきた王国を支え守り続けてきた守護者的立場の喪失を伝えるものであり、王国民にとっては激しくショックを受ける情報となった。

また、アルスターまで占領し、アルテリウスまで目の前と迫っていたグランバートに対し、アルテリウス王国政府は、グランバートに対し停戦を要求。
アスカンタ大陸における戦いは、実質グランバート軍が勝利したこととなる。



「………分かりました。こちらでも伝えておきましょう。よくやってくれました」
―――――――――グランバート王国軍統合作戦本部。
フェルライネス及びアルスターの戦いが終わり、アルテリウス王国政府が公式に停戦を要求するよう通知した直後のこと。
各部隊からの報告を聞き終わった総参謀長アイアス少将。
今回の彼の働きは、ヴェルミッシュ要塞攻略戦の作戦案を立案し、アスカンタ大陸上陸後の各所制圧の作戦案を立案したこと。
参謀本部からの作戦案を受けて兵士たちがその通りに行動し、結果としては上々のものであった。
アルテリウス政府は事実上の降伏を宣言したも同然。
王国軍の第一師団はその悉くが撃滅されたか、停戦要求に従い武器を下ろしたか。
まだ第二師団が自由に動ける状態であるからには、容易ならざる状況は続くことだろうが、全体としては勝利を収めることが出来た。
それで参謀本部としては充分な成果だろう。


「さて、これで当初の目的は果たされた訳ですが…………」



国王代理ウィーランド暗殺事件に関与していると断定した、アルテリウス王国への報復。
アルテリウス王国が政府を代表して停戦を申し出たために、事実上の降伏を告げた形となる。
報復として彼らが考えていた段階にまでは辿り着くことが出来た。
これまでの戦いで多くの兵士を失ったが、それ以上にアルテリウス王国は大きく疲弊したことだろう。


「………ですが、これで本命がどう動くか」
しかし、アイアスの思考は既にアルテリウスではなく、別の国に向けられていた。
モニターで移される巨大な大陸、オーク大陸。
その大陸の6割強を自国の領土として所有する、世界最大の国家、ソロモン連邦共和国。
アイアスは笑みを浮かべながらその大陸の図面を眺めていた。
ソロモン連邦共和国は、アルテリウス王国との同盟関係にあった。
同盟関係にあったにも関わらず、アルテリウス王国が一方的な展開を強いられたアスカンタ大陸での幾多の戦闘に、積極的に加担する様子を見せなかった。
別に彼らの同盟関係が途中で破綻していたのではない。
水面下で、ソロモンは別の何かのために準備をし続けていたのではないだろうか。
そのため、アルテリウス王国に対する直接的な兵力の支援が出来なかった、いや、あえてしなかったのではないだろうか。
そういう見方をしていたアイアス。



「…………それでも、彼らが動き出すとしたら、それは―――――――――――」



そしてアイアスは、ソロモンの連中が静観しているはずがなく、必ず手を打ってくるだろうと考え、そのために出来る準備を既に整えていた。
次なる戦いの幕開けに向けての、準備を。



……………。

第18話 不逞な企て


・アルテリウス王国、ついにグランバート王国に膝を屈す。
・アルテリウス政府はグランバートに対し全面降伏を申し出る。グランバートは受諾の見込み
・王都アルテリウスはグランバート軍の進駐を受ける。都市機能の数々はすべてグランバート軍の占領下に。
・アルテリウス王家一族、グランバートに捕らわれソウル大陸へ移送か?



人々は、その瞬間を“新たな時代の到来”“終わりの始まり”“変革のとき”などと言う。
どれも抽象的で中身の見えないものであるが、何が起きたのか、そのスケールはどのくらいの大きさのものなのかを知るには、かえってそのようなインパクトのある言葉の方が良いのかもしれない。
どの報道機関も、既定の事実となった事項を繰り返し読み上げる。
何度聞いたかも分からない。もう言わずとも結果は見えている。映像だって沢山ある。
それでも、何度も何度もその話が報道として取り上げられ、そして何度も何度も、人々はその話を耳にし、目で追った。
確かに新しい時代の幕開けとも言うべきだろう。
その事実によって、世界がどのような方向へ向かっていくのかは分からない。
だが、いつもそれは人間によって操作され、世界はいかようにも変化を遂げることが出来るのだ。
たとえそれが地獄であろうとも。



グランバート軍は、アスカンタ大陸のアルテリウス王国領土のうち半分を掌握した。
王都アルテリウスは現在、グランバート軍の占領下にある。
6月末の戦い。
グランバート軍は、大胆な作戦に転じた。
大陸の西側へ撤退を続ける部隊を追うと同時に、正面に立ち塞がるアルテリウス王国軍第一師団第一部隊に対して全面攻勢をかけた。
二方向での戦いを同時に起こし、かつ自分たちの後背を扼すであろう存在を排除することに成功した。
元々フェルライネスに送られたグランバートの部隊はそれほど多くなかった。
理由として、撤退を続けるアルテリウス王国軍は、疲労の極みにあるほか、軍事物資が不足していることを彼らは見抜いていた。
そのため、大きな街に出て駐留するタイミングが、敵の足が止まる瞬間だろうと予測した参謀本部が、少数ながらも部隊を送り込んで戦闘を行わせたのだ。
グランバート軍は、主力部隊を第一部隊が駐留するアルスターの街へ向け、攻勢をかけた。
フェルライネスの戦いでは、アルテリウス王国軍は壊滅状態となり、王国騎士団以下ほとんどの部隊が玉砕を遂げた。
生存者は皆捕虜となり、それも僅かに数十名という惨事であった。
アルスターの戦いでも双方激しく戦闘を行い、真正面からグランバート軍がアルテリウス軍を撃破したのだ。
アルスターの街は、王都アルテリウスから僅かに30キロ南にある。
そしてこの街に防御陣を張っていた以上、それが突破されたとあっては守る術が無くなる。
この事態を受け、アルテリウス王国政府は、グランバート王国に対し停戦を要求。
それが事実上の降伏宣言であることは、誰の目にも明らかであった。
こうして、グランバートは当初の目的の一つを果たすことに成功した。


―――――――――――無論、それはオルドニアの州軍基地、士官学校にも情報として届いている。



「アルテリウスが降伏したって………!!?」
「おいおい、マジかよ………」
「これで今度は俺たちか。いよいよこっちでも戦争だな」
「でも訓練生に出番はないだろ?ん?」


学校の学生たちですら想像していたことを、本職にある軍人たちが考えていないはずがなかった。
ソロモン連邦共和国は、アルテリウス王国と同盟関係を結んでいて、彼らと既に一戦交えている。
その状況にある国を野放しにしておくはずがない。
そうなれば、彼らは自分たちの国に攻め入ることになるだろう。
ある人は“戦いになれば戦場に赴くことになる”と考える。
自分たちは訓練生。現場から最も遠い位置で、現場に求められる働きを勉学と指南によって教育させられている。
その教養があれば、たとえ訓練生という立場であっても、一介の兵士として扱われ、そして死に逝く運命となるだろう。
ある人は“自分たちに出番などない”と考える。
自分たちのような見習いの兵士にもなっていないような人間が戦場に出てきたところで、足手まといになるだけだ。
戦いは数だ、と学校では習うが、その数として数えられたとしても、中身は役に立たない木偶に過ぎない。
そう。
もし、数を集める必要があり、かつ兵力として充分な能力が発揮できるとすれば、それは。


「話は以上だ。午後からは通常の訓練に戻る。各々食事と準備を済ませて、行程通りの科目を受講するように」
その日の朝から、アルテリウス王国が停戦要求したニュースで持ち切りだった。
多くの兵士たち、見習いである学生たちにその情報が行き届き、彼らの話題はそればかりとなった。
色々な人の反応を見ることが出来た。
次は自分たちだ、と恐れるもの。
戦うのであればどこへ行くことになるのか、と不安を募らせるもの。
総じて肯定的な考えを持つ者はいなかっただろう。
兵役義務としてこの学校に通わされる者からすれば、彼らはちょうど良い戦力として数えられる。
戦えるかどうかが問題ではない。その素養が充分にあるかどうかが争点ではない。
彼らが兵士の見習いとしてであっても、他の何ら経験のない人たちよりも一歩先を行く。
ただそれだけで、戦場では少しは役に立つのだから。
朝礼として、マインホフ校長がすべての訓練生を集めて皆の前で言葉を振るった。
ソロモン政府の対応があるまでは、具体的な方針は示さない。
他の課で予定されていた遠征訓練はこれをすべて中止とする。
あまり具体性のない指示だったが、ひとまず彼らは通常の訓練を受け続けることになる。
だが、教官たちとしては、彼らがいつ必要になるかを確かめる必要があった。



「学内で朝からこんな時間作れるなんて、珍しいよね」
「確かにな!会議だってんだからしょーがないと思うけど、ラッキーだったな」
「それで、ツバサはどうする?」
「もち図書館行く!!」
「そう言うと思ったよ」


もはや彼らの日課にもなっていた、図書館漁り。
と言っても悪事をする訳では無く、彼らにとって重要なのは“今世間で何が起こっているのか”“それに対し世間はどのように思っているのか”を探ることだった。
この士官学校の中では、あまりに閉鎖的な空間であり、情報を仕入れる手段も限られている。
図書館の映像視聴ルームでは、リアルタイムで連邦共和国の国営放送を見ることが出来るので、あらゆるニュースは映像と新聞によって手にすることが出来る。
とはいえ、彼らはそのすべてを鵜呑みにするのではなく、あくまで参考として閲覧しているのだ。
アルテリウス王国が降伏したとなれば、次はソロモンが狙われるだろう。
他の人たちと同様に、ツバサもそのように考えていた。
エリクソンと共に図書館でその日に届いた資料、情報を閲覧する。
各局報道機関は様々な伝達の仕方で賑わいを見せていた。
中には兵士たちが考えているのと同様に、今度はソロモンが戦場となる可能性について専門家を交えて検証している番組もある。
そのどれもが興味深いものであった。
ツバサは最近、それらの情報を自分のノートに書き記している。
実のところ、訓練後の夜の自由時間が終わり部屋に戻っても、就寝時間を利用して一人で色々と眺めているのだ。
同室の仲間たちがそれを知っているのだが、深くは追究していない。
ツバサの人となりだとあまり勉強を熱心にしていないのではないか、とイメージする人もいるのだが、彼らはそれが全くの真逆のことであることをよく知っている。
彼は彼なりにこの戦争に関わるつもりでいる。



「敗れたアルテリウス王国はどうなると思う?」

「そうだなー………占領下に置かれるとして、グランバートの連中はアルテリウスの人を使って色々と軍備を拡張するんじゃないか?」

「資源採掘するってことかな。在り得る話だよね」

「そうなりゃ今度はこっちが戦争だな」


それが彼の見解だった。
もし本当にグランバートがソロモンを攻めるとしても、それは今すぐの話ではない。
多少の猶予はあるだろう。
その間にソロモンがどのように動くのかは、今上の人間たちが決めていることだ。
もし自分たちが戦場に派遣されるようなことになれば、その命令を忠実に実行する必要性に迫られるだろう。
当然と言えば当然だ。それが軍人と言うものらしいから。



「だとしたら、敵はどこから来るかな」

「どうだかな。しかしいっけねーなぁ。もう戦いが始まることが前提みたいに考えちまう。苦労性か?」

「それはどうだろうね。いや、僕はあまり言わないようにする」

「なんでさ」


――――――――――こちらに居ましたか。少しばかり探しました。
彼らが図書室の奥の空間で話をしているところへ、一人の女性が入ってきた。
黒髪のロングヘア、いつもの兵士たちが着る迷彩柄の服装を身に纏った上級生、ナタリアだ。
ツバサとナタリアは時々夜の図書室で会うことはあるが、エリクソンは彼女を見るのは初めてだった。
少なくともこの距離感では。
エリクソンは近接戦闘演習でツバサと彼女が激しい剣戟を交わしたのを今でも覚えている。


「あれ、この方は………」
「え、ああ。ナタリア。お前も知ってるだろ?」
「そりゃ、まあ………でも、知り合いになってたの?」
「まあな、ちょっとしたことで。ナタリアには紹介してたか?エリクソン。」
「いえ。ですが、ツバサの隣にいる友人をお見かけすることが幾度かありましたので、顔は存じておりました。」


彼女は無表情ながらもツバサの紹介を受け、僅かながらに一礼する。
エリクソンとしては、上級生組にコネクトを持つツバサに驚きもあったが、まさかあの時対戦したことがキッカケでお互いを知るようになったのではないか、と彼は考えていたのだ。
無論、それは悪いことではない。寧ろ良いことと言えるだろう。
それがキッカケで、他の人たちからの話を聞き、それが自分たちにとって良い風をもたらすかもしれないからだ。


「んで探してたって言ってたけど、どうかしたか?」
「はい。ツバサ、貴方に話があります。」



きょとんとした表情を浮かべるツバサ。
普段あまり見かけることはない彼女からここに来て、あろうことかツバサに用があると言ってきた。
自分は何かしたつもりはないし、話の全容も当然分からなければ想像も出来なかった。



「あ、じゃあ僕は席を外そうか?」
「いえ、貴方にも聞いてもらいたい。将来、この路に進むのなら良き参謀になることでしょう。」
「え、そ、そうかな」
「なに照れてんだよ!じ、じゃあ場所変えっか?」



その提案に対し、彼女はその方がこちらも都合が良いと返答したため、そうすることとした。
朝礼後、午前中の間は教官たちが上層部との会議を行っているため、訓練は中止となっている。
その間彼ら訓練生たちには珍しく日中の自由の時間が与えられている。
場合によっては午後の一部の訓練も中止になる可能性がある。
何しろ国が動き可能性のある出来事が起きていたからだ。
ツバサは士官学校内部で人通りの少ない区画の、階段の踊り場で話を受けることにした。


「ツバサ。単刀直入に言います。この基地の内部で、不穏な動きがあります。」


……………え?
唐突過ぎる言葉に、ツバサもエリクソンも考えが及ばなかった。
ナタリアがもたらした情報は、不確定が過ぎる話ではあったが、その単語から想像するものは無形の爆発物とも言うべきものであった。


「…………どういうことだ」

「昨晩のうちに、アルテリウス王国がグランバートに敗北したという報は各地に知れ渡っていました。そうなれば、次はこの大陸が、あるいは私たちが出向いてグランバートの国と戦争になる。それは、何も私たちだけでなく、考えが及ぶ人になら容易に想像がつくことです。私たちは士官学校の学生。学生という身分であったとしても、何ら教育を施されていない市民に比べれば、遥かに戦闘力を持つ。つまり、この先の決定次第ですが、私たち士官学校生が戦場に派兵される可能性は高い」

「つまり?」

「兵士となって前線へ赴けば、確実に死ぬ危険性は高まるでしょう。それを嫌って、この兵役義務、徴兵制度そのものから脱しようと考える者もここには多い。その彼らが近日中にでも動くのではないか、ということです」


「……………!!」



待て、そんな話どこで聞いたこともないぞ………。
確かにここでの生活を嫌に思ってる奴は幾らでもいるが、まさか自力で脱出しようなんて。


ナタリアの懸念はこうだ。
つまり、強制的に兵士として戦場に派兵されれば、彼らは戦闘の末に殺される可能性が高い。
無論、それは自分たち三人も同様である。
だが、派兵される士官学校生の中には、自ら進んで軍勢に加担しようなどと考える人間はそうはいない。
この国の制度だから、それにやむなく従ったまで。
しかし情勢は変化した。
時代は今、再び戦乱の時代へ加速を始めている。
そうなれば、自分たち士官学校生も、戦いの数の一人として数えられ、派遣され、死に逝く運命を辿ることになるだろう。
定められた未来、分かり切った顛末がそこにある。
それに従うことなど出来るものか。
だから、彼らは。


「昨晩、兵糧庫の裏で集まる学生らを目にしました。就寝時間後のことです。数は10人から30人。全体を合わせればもっといるかもしれません」
「ちょっと待ってくれ。ナタリア一人でそれを見かけたのか?」


「はい。見つかる危険がありましたので、すぐに退避しました。その後の動きは分かりませんし、兵糧庫は普段立ち入ることの出来ないエリアです。そこで何をしていたのか、彼らがどのようにそこに入り込んだのかは、何とも分かりません。ですが何か、不逞な企てが秘密裏に進められているのではないかと、私は思うのです」


「でもどうやって見かけたの?しかも夜に………」
「あの図書室の北側にある個別スペースの窓からは、基地内部を程度見渡すことが出来ます。不審な影を目撃したのはその時でした」


士官学校は、外に通じる各出入り口には必ず警備兵がいて、出入りするものを管理している。
しかし、基地内部はおおまかの施設には施錠をしているだけで、警備兵などつけてはいない。
鍵は教官らが管理しているので、学生たちが持ち出すことは基本的には不可能だ。
彼女が見たのはあくまで兵糧庫の外側にいる人間たちで、中に入ったかどうかは分からない。
教官たちの住まう居住区画とは異なる。
それに深夜となれば、教官たちも就寝して動くことはない。
となれば、彼ら学生たちが動いていると考えても良いだろう。
兵糧庫は普段出入りすることのない施設だ。
何故ならそこは、“有事の際の補給物資の供給所”となるからだ。



「それで、ナタリアはどうしたいんだ。アンタだけが目撃者かもしれねえぞ?」
「教官に伝えるべきか迷いましたが、今となっては伝える術もありません。何しろ会議中でしょうから」
「確かになぁ。その間にその企てっつうのが動いてるかもしれねえ」


「とすれば、私たちでまずその企ての手掛かりを探り、せめて何をしようとしているのかを知らなくては。そう思ったからこそ、貴方に、貴方たちに打ち明けたのです」


ナタリアの話がすべて事実かどうかも、二人には確認のしようがない。
もしかしたら、単に夜中に何らかの作業をしていただけなのかもしれない。
だからこの話の半分は、ナタリアが実際に目で見たことと、それを基に直感によって考え着いたものだ。
それでも、何となくツバサはその話に乗りかかった。
明確な目的は彼には無かったが、ここで何か物騒なことが起こるのは良くないことだと思う。
なら、その懸念を態々自分に伝えてくれたナタリアに、協力してあげたいと彼は思い、決断に至った。


「ありがとうございます。午前中で自由に使える時間はあと1時間ほど。まずは兵糧庫に行ってみましょう」


そうして二人はナタリアの突然の依頼を受け、彼女と共に基地内を散策し始める。
教官たちが揃って上層部との会議に出ているためか、校内には上官の姿はなく、それぞれ級の異なる学生たちがそれぞれに暇を持て余しているようだった。自発的に訓練をする学生などほんの一握りだ。数えられる程度の。
殆どの学生は、この自由の無い高い塀の中に在る学校で、適当に時間を送っている。
普段の生活からすればそれも珍しいことではあるのだが。
彼らは、まずナタリアが昨日の夜に多くの人影を見かけた場所だと言う、兵糧庫にやってきた。
兵糧庫は基地内部の倉庫群にあり、コンクリート製の分厚い壁で覆われている。
出入り口と呼べるものは二つしかない。鉄製の扉は鍵が掛けられており、開けることは出来ない。


「この扉は普通には開けられないな。やっぱ鍵が必要なんだろう」

「鍵は教官たちが保管しています。学生たちがその鍵を手にするのは難しいでしょう。となると、ここを開けるにはその鍵を何らかの手段で入手したか、あるいは無理に開けるかしないと中には入れませんね」

「ああ。作るっつーのは難しいんじゃねえかな。ベースとなる鍵があれば複製も出来るんだろうけど、そもそも手に入らないんだったら、鍵の形すらハッキリしねえだろう」

「そうですね…………」



ナタリアの中で、一瞬“やはり気のせいなのではないだろうか”という思いも芽生えたが、その時エリクソンがあることに気が付いた。
この兵糧庫には基本的に人の出入りがない。扉も普段は固く閉ざされたままだと言う。



「見て。この扉の前から少し先まで、土の跡がある」
「え?」
「………本当ですね。一輪車か何かでしょう。」



エリクソンが、扉の前から少し先まで広がる土の跡を発見した。
細い一本の線がやや蛇行しながら伸びているようだった。
ナタリアは一輪車か何かがここを通ったのではないか、と推測する。
となれば、何かを運ぶ際に使われる一輪車が彼らの中では思い浮かぶ。
更にエリクソンは言う。



「しかも、この跡はまだ新しい。土も柔らかいし………やっぱり誰かが出入りしたんじゃないかな」
「確かに、言われてみりゃそうだな」

「この兵糧庫は夜間はおろか、日中ですら出入りは少ない。定期的に配送される支援物資を中へ運ぶ時に開けられるか、教官たちが開けるかのどちらかのはずです。しかし、夜に物資の配送は行われない。となれば、やはり誰かが入ったと見るべきでしょう。昨日にでも」


では、仮に昨日の夜間にここに出入りする者がいたとして、一体何をしていたのか。
いや、何をしようとしているのか。
もし何かをしようとしているのだとして、ナタリアの言う不逞な企てが、この戦争の拡大と何かの関係があるのだろうか。
そこまでは想像に過ぎない。その先は憶測ばかりだ。
しかし、何か良くないことが起こるかもしれないという勘は働く。


「ここに物資が運ばれる日を調べよう。何か手掛かりが掴めるかもしれないよ」
「だな。そういう情報はどこで手に入る?図書館、じゃねえよなー」
「そうですね………教官たちの連絡ツールである掲示板を見られれば、すぐに分かるかと思います」


ナタリア曰く、教官たちは一人ひとりに端末(デバイス)が与えられており、会議で決定された事項や訓練科目に関する情報、また上層部からの指示などを学内に限り持ち歩く手段を用いている。その端末の中には、各々の教官がすぐに閲覧できるように情報を共有できる掲示板があると言う。ナタリアの情報が正しいのであれば、その掲示板の中に補給物資の配送状況を確認する術があるのではないだろうか。
学内にも学生向けの電子端末がある。
しかしそれらは学生向けの操作権限しか付与されておらず、一方で教官たちの端末は管理者権限が付与されている。
となれば、学内にある普通の端末では、教官たちの情報を見ることは出来ないだろう。
そこでナタリアは提案した。
“図書館の職員が使う端末なら、視れるかもしれない”と。
まだ時間はある。試しに尋ねて見ることにしよう。


「でもこの話を打ち明けると厄介にならないかな」
「いいや、そういう時は“本を探したい”って言えば、貸してくれるさ。あの人たちならな」
「はい」
「そんなもの?流石普段使ってるだけあって、よく知ってるんだね」



改めてエリクソンは、ツバサが単なる能天気で元気と威勢のいい子供ではなく、たとえ外見がそう見えたとしても、中身は知識があって思考の回転が速い人なのだと実感するのだった。同様に今日初めて話したナタリアという女性にも思う。上級生にえらく強い女の兵士がいるという話は、学内に入った時から聞いていて、それがこのナタリアという女性だった。初めてその姿を目にしたのは、近接戦闘演習の時にツバサとナタリアで打ち合いをした時。思えば、あの時直感で“この二人は別格だ”と思った時から、二人に対する見方はエリクソンだけでなく、他の人たちも変化していた。
こうした知識と技量を兼ね備えた人たちが、それこそ戦場に出ることになれば、どうなってしまうのだろうか。
現実的になりつつあるその段階に踏み込むことに、多少の期待と大きな不安を重ね持つエリクソンだった。
ナタリアの提案により、図書館に戻って職員たちが使用する端末を使わせてもらうことに。
ツバサが言うように、館内で探したい本があると打ち明ければ、簡単に貸してくれた。
あとはその端末で本を探すフリをしつつ、その掲示板にアクセスをするだけ。


「ありました。最後の配送は6月15日の午前11時。次は7月4日の午前11時の予定です」
「月二回ってところか。ん、これは?」
「………これは、受け入れと搬出の責任者の名前ですね。それから………これは、当番表、ですか。」


図書館職員の端末は、学生向けの端末とは異なり管理者権限が付与されている。
そのためあらゆるデータベースにアクセスすることが可能だった。
掲示板もそのうちの一つで、補給物資の搬入搬出に関する情報もそこには載せられていた。
詳細を検索すると、物資が配送される日ごとに責任者の名前と、当番表のようなものがあった。
責任者は、この学校に勤める教官だ。現職の兵士といって良いだろう。
当番表のほうを見ると、学級を記したアルファベットに複数人の名前がある。
責任者の名前に心当たりはない。
何しろ現役の軍人はここには幾人もいる。教官でない身分の人もいるだろうから、そういった裏方の人たちなのかもしれない。


「なるほどな。運ばれる物資は多いから、手伝いをつけてるんだな。そいつを当番で回してるって訳か」
「僕は知らない名前ばかりだけれど………ナタリアさんは、誰か知ってる?」
「この、マーティン・ライオネスという人は知っています。私よりも先にここへ入った上級生組です」


彼女は以前、この間と同じように近接戦闘演習が行われた時に、上級生組であるライオネスという男と組まされたことがあると打ち明けた。
その時彼女は初めての近接戦闘演習で、先日と同様上級生たちと一緒に同じ訓練を受けていた。
彼女の話では、対戦形式での戦いでライオネスは“ナタリアは女性だから”と手加減して入ったと言う。それを彼女の技量で僅か数秒で対決を終わらせてしまい、周囲をざわつかせてしまった経験があると言う。後々その人の話を他所で聞くと、上級生組の一人で何人もの仲間と一緒に自由時間に行動していることが多いとのことだった。
そこで彼らには一つの考えが浮かぶ。
当番表として物資の運搬の補助をしている学生たち。
前回の配送時には、このライオネスがいる部屋の学生たちが手伝いをしている。
もしかしたら、その時に鍵を手に入れる機会があったのではないだろうか、と。


「いずれにせよ、この人たちが次なる手掛かりとなりそうですね」
「だな。よし、今晩尋ねてみようぜ」
「え。そんな急に?」
「そりゃそうだろ。何かされる前にこっちから行くんだ。な?ナタリア」
「そうですね。その方が良いかもしれない」


あまりの即決にエリクソンは驚いていたが、この当番表を見た時点でツバサとナタリアの考えは一致していた。
責任者である教官は難しいかもしれないが、当番表にある人物が普段生活している部屋に行けば、何か分かるかもしれない。
自分たちがその目撃者であると伝えるということは、もし本当に何らかの企てが実行されていたとして、敵視される可能性が高い。
危険が伴う行動になるかもしれない。
それでも二人は今晩中に調べようと、決心したのだ。
エリクソンもその考えに同意し、彼も一緒に行くことになった。


…………けど、一体何が目的なのだろうか。


考えられるのは、物資の横流しだ。
兵糧庫には、戦闘中における補給物資が大量に保管されている。非常食なども含まれる。
訓練の中で経験したが、とても日常的に食事しているものとは比べられないものばかりだ。
簡単に言えば、全然美味しくないものばかりである。
それでも戦っていればお腹は空くし、何も食べない訳にはいかないので、そういった食事を戦闘中でも取れるようにしているのである。
兵糧庫の中にある補給物資がそれだけなのかどうかは分からないが、そういった物資を何か悪用する気なのではないだろうか。
だがそれを考えた時に、ナタリアの最初に話してきた懸念が思い浮かぶ。
“ソロモンとグランバートが戦争になれば、士官学校生も兵士として派遣される。それを嫌がる者が何かをするのではないか”と。
確たる情報ではないが、何か裏で動きがある可能性は強まっているように感じられる。


しかし、彼らが考えるよりも早く、既にそれは始まっていたのだ。


午後からは訓練を再開したものの、夜に教官たちが会議が行われるとして、午後の訓練は早めに切り上げられることになった。
教官たちは夕食の時間から夜までずっと通しで会議が行われているようで、学内には教官たちの姿はない。
夜の自由な時間になると、若干の学生たちが基地内部で行動している姿があるが、基本的には自室に戻っているか、幾つかある施設に足を運んでいるか。定められた就寝時間が近いので、自由な時間とは言われているものの、あまり自由に動き回れるようなことはなかった。
その中で、彼ら三人は集まり、そして手掛かりとなりそうなライオネスという男のいる部屋に向かっていた。


「一応、これを持っといてくれ」
「え?ツバサいつの間に………!」
「短剣の模造剣だが、もしかしたら使う機会もあるかもしれねえ。」


兵糧庫で何か企てをしているのではないか。
相手に当てはまらない話であれば危険を伴うことも無いかもしれないが、もしそれが事実だとしたら、目撃者は排除する行動に出るかもしれない。
そうなった時は彼らに危険が伴う。
エリクソンがこの模造剣はどこから借りてきたのかと聞くと、彼は近接戦闘訓練所にあったものだ、と話す。
どうやら合流する前に訓練所に忍び込んで3本取ってきたらしい。
普段彼らの訓練は刀身の長い剣を用いるのだが、兵士の武装の一つに短剣があり、普段から携帯出来る便利さと相手を制圧できる殺傷能力のある短剣を所持することも、兵士として必要な武装であるとの認識を受けている。
そのため、短剣での訓練も時々行われる。
その際に用いられる模造剣を彼は持ってきたのである。
最も、これが使われる事態となれば、それは非常時に他ならないのだが。



「この部屋です」
「よし、ノックするぞ………」


自然と声も小さくなる。
たとえ彼らに相応の度胸があったとしても、全く緊張しない訳ではない。
しかもこの時間だ。もしかしたらもう就寝しているかもしれない。
空振りに終わればそれはそれで疑念が残ることになるが、少なくともこの場での危険は回避されるだろう。
ツバサが先頭に、ドアをノックする。
……………………しかし、返答はない。
それどころか、人の気配すら感じられない。
普通中に人がいれば多少の気配はあるし、話し声が聞こえることもある。
それすらもないのだ。
ツバサは慎重にドアノブに手をやり、静かに部屋のドアを開けた。


「―――――――――――――?」
「誰も、いない…………?」



ここは調べによれば5人部屋だと聞く。
ライオネスをはじめ、他に4人の同級生が生活しているはずだった。
就寝時間前だと言うのに、ここには誰もいなかった。
明かりもつきっぱなしで、窓も開いている。
彼ら三人は部屋の中まで入っていく。
詮索が過ぎるようであまり良い気はしなかったが、そうも言っていられない。



「妙ですね。あまりにも様子がおかしい」
「ああ。誰か一人くらいいても良いだろうに、こいつは………」
「見て二人とも!窓からロープが垂れ下がってる………!!」


エリクソンに言われて、窓際に立つ二人。
彼の言うように、窓が開けっぱなしでそこにはロープが吊るされていた。
窓からこのようなものが吊るされていて出来ることなど、彼らの中で一つくらいしか想像が出来なかった。


「まさか、既にもう動いてる………」
「かもしれねえ。けどどこに………どうやって………何をしようとして………」


間違いなくここにいたであろう学生たちは、この窓に吊るされた縄を伝って外へと降りた。
ここは建物の2階であり、地上からの高さもそれほどある訳では無いので、要領さえ間違えなければ問題なく降りることが出来るだろう。
一歩間違えれば大怪我をしてしまうような高さだが、ある程度身体的な訓練を受けている者であれば、それほど難しいものでもない。
ここから下へ降りて、どこかへと向かった。
とはいえ、普通の学生には出来ないことだし、何よりそうしようと思わないのが普通だ。
となると、やはりここにいる彼らは何かをしようとしている。
それが何なのかを突き止める必要があるだろう。
今は教官たちが夜通しで会議を行っているだろうから、人目につき辛い。
多少目立つことになったとしても、それが何なのかを突き止める必要性を彼らは感じていた。


「ひとまず外に出て行方を探そう。」



――――――――――――そうしてドアから廊下へ出ようとした、その瞬間だった。


「なっ………」
「何だ!!?」



事が起きたのはあまりに突然だった。
地鳴りのような音が僅かに聞こえてきたと思ったら、次の瞬間には鼓膜が張り裂けそうになるほどの爆音と、激しい揺れが彼らを襲った。
彼らだけではない。この基地全体を襲ったのだ。
彼ら三人は突然の激しい衝撃にその場に勢いよく倒れてしまう。
窓ガラスが飛散して彼らの身体に襲い掛かる。
今までに感じたこともないような強い衝撃に、驚愕する。
状況を掴めるまでに時間を要した。
まず立ち上がるのに30秒ほどかかった。
倒れた衝撃と粉々に飛散したガラスが身体を痛みつける。
それでもツバサが先に立ち上がって、すぐに窓際に駆け寄った。


「………なんてこった!!」
「ど、どうしたと言うのですか………っ、これは一体………!!」
「爆発………!!?」


ナタリアの懸念は、ある意味では現実のものとなった。
一夜にして、教育現場であったはずの士官学校は、まるで戦場のような様相へと変化する。
そしてこの日の出来事が、彼らの運命を左右する一つの要因となることになるのだった。


……………。

第19話 士官学校爆破事件



これから征く路では、そういった出来事はよくあることだろう。
この路に進んだからには、いずれはそうした現実にも直面する。
だから、これもいつかは経験すること。
避けては通れない手段だし、経験しておかなければ現地で何ら役にも立たないだろう。
もとよりそのために訓練してきたのだし、これからはそれが当たり前の生活を送ることとなる。


しかし。
彼は想像もしていなかった。
その“初めての経験”が、共に同じ区画で生活をしていた、味方であったということが。



「爆発か………ッ!!」
「あれは、兵糧庫の方角です!まさか………!」
「行くぞ!!」



アルテリウス王国がグランバート王国に対し降伏を宣告した、翌日の夜。
ソロモン連邦共和国オーレッド州オルドニア、ソロモン連邦共和国軍士官学校において、爆破事件が発生する。
静寂に包まれた夜の基地内部で発生した大規模な爆発は、士官学校生たちだけでなく、学校や基地に隣接する家や商業施設など、広範囲に影響が出るほどのものであった。
特に爆発の際に生じた衝撃波が、半径300メートルほどの家にある窓ガラスを吹き飛ばしてしまったのである。
ツバサ、エリクソン、ナタリアの三名は、ナタリアの事件前日の目撃情報により、士官学校生の誰かが何らかの不逞な企てを行っているのではないだろうかという懸念を持ち、それを自分たちだけで調査していた。
事件が起きたその日は、アスカンタ大陸の情勢を受けて、各基地、各士官学校がそれぞれ中央にある軍務の上層部と度重なる会議を開いていたため、教官たちの目も学生たちには届かなかった。そのため、彼らも教官たちへそれらを伝える時間が無く、機会もなく、彼ら独自での調査をするしかなかった。その中で発生した、突然の事件。
彼らは兵糧庫に何らかの手段で出入りした可能性のあるグループを突き止め、上級生組の部屋を訪れたが、そこには既に誰もいなかった。
その直後に、爆破事件が発生したのである。
調査をしていた彼ら自身も負傷したが、それどころではない。
この混乱に乗じる形で更なる危険が各所に及ぶかもしれない。
誰に何かを頼まれた訳でもなかったが、彼ら自身が決心して行動していた。
これを、止めなければと。


「えっ、ちょちょちょっとツバサ!!?」
「ッ………!!」
「ナタリアさん!!?………んもう無茶して!!」


爆発による衝撃波で彼らも負傷したが、それを構うものかと、勢いよく窓際からツバサは外に向かって飛び降りていた。
それを見ていたエリクソンは驚愕しその場から動けなくなる。
なんとツバサはすぐ傍に立っていた木に向かって飛び移り、またその木を使って地面に着地して走り出していた。
それを見ていたナタリアも彼に続くように、同じ方法で瞬時に飛び移り着地していく。
エリクソンも続こうかと一瞬思ったのだが、寸前で踏みとどまった。
“あんな真似自分には絶対できない!”という強い自制心が働き、後に続く方法としてロープで下の階に降りて走り出す。
改めてこの二人のペースの速さとそれを成し遂げてしまう身体的能力の高さに驚かされるのであった。


「爆発の実行犯は次にどうする!?」
「生徒や教官の注意は爆発した箇所に向くはずです。となれば、その隙をついてここから離脱しようとするはず………!」
「だな!なら実行犯を逃がさねえようにしねえとな!!」

「ですがツバサ。私たちには武器が無い。これ一本でも多少は心強いですが、もし相手が真剣で突破しようとしたらどうするのです。これで打ち合えば間違いなくこの模造剣は折られてしまいます」


彼らは兵糧庫から最も近い出入り口を目指して、全速力で移動していた。
辺りは大混乱の様相で、学生たちが教官に知らせまいと大慌てで建物から出てきている。
見物客の如く現場に集まる人たちも多く、おかげでより実行犯の行動を捉えることが難しくなっていた。
だが彼らは初めから爆破された兵糧庫ではなく、実行犯が脱出に使いそうな出入り口に向かっていた。
それほど距離は遠くない。
もし本当にここを離れようと思うのなら、爆発直後には既に移動していると見て良いだろう。
既にこれほどの被害をもたらした実行犯だ。
彼らと敵対する構図になれば、必ず倒しにかかるだろう。


「そん時はそん時で、あぶねえってんなら相手の武器奪ってでも立ち向かうさ」


サラッととんでもないことを口にしているようだったが、その時のツバサの表情は至って真面目そのものであった。
自分たちがその犯人を捕まえる立場を取るのであれば、敵対した時に交戦となる可能性が高い。
そしてそれは、自分たちの選んだ路にとって最初の戦いとなるのかもしれない。
それを前にして、今ツバサの心境はどのようなものなのだろうか、とナタリアは横目で彼を見て思う。
内心は荒れているのかもしれない、それとも平静を装っているのかもしれない。
けれど、ナタリアには、今の彼がとても落ち着いているようにも見えた。
こういった経験は全くないはずなのに、それに立ち向かおうとする意思は強いと感じられる。
それがツバサの強さの一つとも言えるのかもしれない。いや、実際そうなのだろう。


ナタリアの予想した通り、兵糧庫の近くにある出入り口ゲートも混乱している様子だった。
出入り口となるゲートは必ずチェックが行われており、終日警備員が配置されている。
その警備兵も現職の軍人であるのだが、そのゲート付近には十数人の人影が見えた。
彼らはゲートに向かって走っているようで、ゲートにいた警備兵たちがそれらを止めようと彼らの前に立ちはだかるが、数の差があり過ぎた。
しかも彼らは武器を所持している。
その武器を持ってひたすら前へ進もうとしていたのだろう。
警備兵たちが抑え込んだ時間が僅かな遅延となったが、そのおかげで彼らもその場に辿り着くことが出来た。


「どこへ行こうってんだ?」


集団で警備兵たちを始末したのだろう。
そのうえでゲートを通って基地の外へ出ようとしているところに、横槍を入れる形で彼らが邪魔をする。


「なんだお前ら」
「アンタらがあれをやったんだろ?昨日から怪しい人影を見ていたって言うからな」



彼らは素早くその場で相手の人数を確認した。
こちらは三人に対して、相手は16人。
先程まで集団からの攻撃を受けていた警備兵3人は、多量の血を流して倒れて意識が無い。
相手の集団全員が持っている真剣がその血の証拠だ。
斬ってしまったのだろう。自分たちの目的のために。
ツバサの問いに、何名かの若い相手が苛立ちを隠さない表情と目線を彼らにぶつけてくる。
その後方、一人の男を囲うようにして数名がいる。


――――――――――――男が、片手を上げて、それをゆっくりとツバサたちの方を向けて、振り下ろした。



途端。
両者の間にあった間合いは、集団の男たちが一気に突出したせいで一気に狭まった。
ツバサたちのほうに向かってきたのである。
相手は真剣を携えている。
既に警備兵を殺傷してしまっている相手の集団は、彼らの立場からすれば同じ学生であるはずだが、共通の「敵」である。
もはや考える理由はない。躊躇いを持つ必要もない。


「来る………!!?」
「エリクソン、相手から剣を奪え!」
「そ、そんなこと言われたって………!!」

「――――――――――――!!!」


向かってくる敵に対し、ツバサとナタリアは臆することなく、逆に立ち向かっていく。
一方のエリクソンは及び腰になってしまっていた。
無理もない。恐らくはツバサとナタリアの姿勢は、士官学校生でしかも戦闘が全くの未経験者にしては異常だったのだろう。
ツバサがもし訓練所から模造剣を持ってきていなければ、ここまで強い意志で勢いよく敵に向かっていくことは出来なかったのかもしれない。
これが訓練同様とは思えないが、まさか剣を振るう相手が味方であるはずの士官学校生だとは、何とも残念な気持ちにさせてくれる。
こんなことのために剣を今まで習ってきたのではない、と内なる声が彼に訴えるが、今は無視する。
最初の一人目。大声で雄たけびに似た何かをあげながら突撃してきた男。その男の縦振りの太刀を僅かな動作でかわしきると、短剣を取り出して逆手で相手の首元を勢いよく攻撃した。
その一撃だけで相手は意識を飛ばしその場に倒れ伏した。
同じように、ナタリアも最初に一人の太刀を交わしては、真正面から喉元を強打させて行動不能に陥らせる。
二人目、三人目、四人目と素早い動きで攻撃をかわしては逆撃を加える。
それに敵たちは為す術が無く倒されていく。
エリクソンも彼らのように立ち回れる訳では無かったが、一人を制圧して次の敵へと向かう。
彼ら三人は木製の模造剣のため、極端な急所を狙わない限りは相手を殺すことは難しいだろう。
一方で敵は一太刀浴びせればその時点で致命傷を与えられる。即死に出来るかもしれない。
その危険を冒してでも、彼らは接近戦に持ち込んで相手を封じていく。



「す、すげえ………なんて奴らだ」
「あの女、確かこの学校一番腕の良い奴じゃなかったか………とんでもねえなこいつら」
「馬鹿!感心してる場合か!?やれ!!」
「お、おっす!!」



特に動きの良いツバサ、ナタリアに対して囲むようにして斬りにかかる。
彼らもその動きを見て、出来る限り取り囲まれないようにして、高速で動き回りながら立ち振る舞う。
また一人、また一人と制圧していき、辺りには意識を失った学生や、足の骨などを折って行動不能に陥っている学生たちが散見された。
こうしてゲートでの小規模な戦いを繰り広げられていることを、遠くから見ていた学生たちが教官へと報告しに行っている。
それにしても、この場の状況がすぐに解決されることは無いだろう。
待っている時間は無い、すべての敵を制圧出来ればそれでいい。
殺さずとも行動不能にさせてしまえば、動けなくさせてしまえば、後は応援がやってきて何とかしてくれるだろう。
それまで持ち堪えなければ。


だがその時だった。


「武器を棄てろ。こいつがどうなっても良いのか」
「っ………!!」
「エリクソン!!?」


二人に飛び込んできた視界、それは一人の男がエリクソンの首を片腕で締めながら、もう一方の手で剣を持ち、それを今にもエリクソンに突き刺しそうな構えを見せていたのである。
男の声に反応して、二人は動きを止めた。



「ごめん二人とも………ぐっ!!」
「ッ…………!!」


ナタリアも険しい表情を見せる。
敵で健在なのは、エリクソンを拘束している男と他に4人。
12人の相手をこれまで封じてきた二人であったが、エリクソンの状態を考えると無理に仕掛けることも出来ない。
もしこちらが軽はずみに動いてしまえば、相手の持つ剣でエリクソンの首が飛ばされてしまう。
既にエリクソンは右腕から血を流していた。
やや遠くにはツバサが渡した模造剣が放置されている。
恐らく腕を斬られて武器を手放してしまったのだろう。


「大した腕だな。だが残念だ。仲間までは救えなかったか」
「貴様っ………!!」

「おめえ、もしかしてライオネスって名前か?」


唐突にツバサがそんなことを聞いていた。
ナタリアとエリクソンと共に調査した時に浮上した、部屋長の名前。
言われた側の表情から察するに、エリクソンを拘束しているあの男がライオネスで間違いないだろうと、二人は確信する。
何らかの方法で補給物資の保管してある兵糧庫の鍵を手に入れ、今回のような事件を引き起こした。


「どこで聞いた?」


「いや、ナタリアが兵糧庫でウロチョロする怪しい影を見たって言うからな。もしかしたら兵糧庫で何かを企んでるんじゃねえかって教えてくれたんだ。そしたらよ、補給物資が運ばれてくるときに、当番でそれを補助する役ってのがあるみたいじゃねえか。そん時におめえは、なんかの方法で鍵を盗んで細工したんじゃねえか?」


「ふん、なるほど当番表を見たのか。殆どは当たりだ。15日の当番の日に、扉の鍵の一つに細工をして、鍵が無くとも簡単に開け閉め出来るようにしておいたのだ。あの兵糧庫の中には剣もあるし、多少の爆発物も置いてあった。おかげで火薬に引火させて、これほどまでに激しい爆発を起こすことが出来たよ………その通り、俺はライオネスだ。」



――――――――――時間が無いから、探偵ごっこはその辺にしてもらおうか。
男、ライオネスは自ら名乗り、この事件の首謀者であることを彼らに告げたのだ。
兵糧庫の中身については彼らには調べが及ばなかったので、そこで初めて知った。
あれほどの爆発の威力は、外的要因が加わらない限りそう再現できるものではない。
中に保管されてあった火薬に引火させて、連鎖的に爆発を起こすことで兵糧庫ごと吹き飛ばすほどの威力を持った爆発を引き起こしたのだ。
ナタリアの懸念は現実のものとなっていた。
何か不逞な企てが行われているのではないかという読みは、当たってしまっていたのだ。
ライオネスはエリクソンへの首絞めをより一層強める。
苦悶の表情を浮かべながらも、何とか目を見開いてツバサたちの方を見るエリクソン。
こちらが動こうと動かなかろうと、エリクソンをその場で殺すつもりなのは明白だった。



「チッ………なんでこんな暴挙に出たんだよ!!?ここを爆破して逃げ出したって、おめえらは国から永遠に追われるぞ!?」
「そうだな。まあそれでも構わない。犯罪者になってしまえば、徴兵されることも無いだろう」
「何………!」

「兵役制度とかいうやつで強制的に兵士の訓練をさせる。しかもこの時期に呼ばれた訓練生は、間違いなく戦場に送られることだろう。なんで強制的に兵士にさせられて、ロクでも無い国の為に犠牲にならなければならないのだ。そのようなものは間違っている」


またしてもナタリアの懸念が現実となった。
ナタリアは、ある意味で相手の企ての引き金となった心情と現実までも見据えて、懸念としてツバサとエリクソンに明かしていたことになる。
強制的に兵役を強いて、戦場に兵の数の一人として送り込み犠牲を強要するなど、断じて認めることは出来ない。
そのような圧政を前に、なぜそれに従わなければならないのか、と。
ライオネスの言うように、犯罪者となってしまえば兵役どころか表社会からは隔離された存在になるだろう。
しかもその隔離というのが永遠に続くものではない。
犯罪者という烙印は永遠について回ることになるが、それでもこの国の為に犠牲となるようなことにはならないだろう。
ツバサは、敵ながらその考えに至ったことは少しばかり感心していた。
兵役を、徴兵制度を回避する方法を自分なりに考え着いていたのだから。
だが。


「だからって他人を巻き込んで良いと思ってんのか!?おめえらの私利私欲のために、あの警備兵は死んだかもしれねえんだぞ!!」


犯罪の規模があまりに大きい。
連邦軍事施設の破壊という罪に殺人までも積み重ねられれば、恐らく今後何十年かは外の世界に出ることを赦されないだろう。
そうまでして兵士になりたくなかったのか、と。
兵士として送り込まれたとしても、色々とやりようはあったんじゃないのか、と彼は言う。
だがそんな声もライオネスたちには届かない。
自ら進んでここに来て、兵士になるために鍛錬を積み重ねているこの二人と、彼らの気持ちは全く異なる。
相容れない関係で定められており、敵対すれば互いに互いを認められないのは明白であろう。
ツバサの怒りが露見する。


「別に構うものか。戦場で個々人の感情を、思想を優先するようでは、良い兵士にはなれんと思うが。余計なお世話か?」
「このっ………!!!」


相手にとってもこの状況はある意味で戦場のようなものだったのかもしれない。
兵士にされ前線に送られ、犠牲にされる。
それを拒み、このような事件を引き起こした。
その過程は決して許されるものではないが、抗うという意味での戦いであったのかもしれない。
だからといって奴らに同情してやる必要などどこにもない。
一歩も動けないでいる二人だったが、



「ッ!!!!」
「何っ」


刹那。
ライオネスに拘束されていたエリクソンが、動き出した。
彼は後頭部でライオネスの顔を思い切り頭突きし、瞬時に緩まった彼の拘束から脱し反転しようとした。
ライオネスも突然の出来事と顔面に伝わる痛みで驚いていたのだが、


「エリクソン!!?」
「―――――――――――――ッ!!?」


それも束の間。
エリクソンが彼の間合いから離れるよりも早く、ライオネスは持っていた剣でエリクソンの背中に太刀を浴びせたのだ。
その光景をその場にいる誰もが見ていた。
ツバサとナタリアからすれば、まるでスローモーションのようにエリクソンが力なく倒れて行くのが見えた。
彼が倒れた地面からは血がどんどん広がっている。
信じたくないような光景だった。
こんなこと、あってはならないと心が訴えている。
駆け寄ろうとしても、ライオネスや他の学生たちの間合いに入ってしまうだろう。
だが、その光景を前にして。



「…………………」
「………つ、ツバサ…………」
「ナタリア。他の四人の動きをよく見ていてくれ。あの男は、俺が殺る」



エリクソンは背中に太刀を受けている。
早く治療しなければ取り返しのつかないことになってしまう。
その気持ちも頭の中にはしっかりとある。
だがその前に、どうしてもやらなくてはならないことがある。
この男を前にして、引き下がることも、戦いに妥協を持ちこむことも、一切許されない。
他の誰かが許すのではなく、彼の矜持が許さなかった。
模造剣を腰のベルトに引っ掛けると、彼はすぐ近くに落ちていた真剣を手にして、ライオネスに向けて構える。


剣を持った瞬間、辺りの空気が一変する。
張り詰めた空気が痛々しく感じられるほど、肌を、身体を刺激する。
まるで電撃でも走っているかのような感覚に、ナタリアは驚かされた。
これは、ツバサの剣気だった。
彼女には剣気の存在が分かっている。
以前、ツバサと演習で剣戟をかわした時にも、彼からはそれを感じることが出来た。
今回もそう。
けれど、今回のそれは、その時とは比べ物にならないほどの強さだった。



「――――――――――――――」
敵も味方も、その場に居合わせる誰もが、ライオネスとツバサのこれから始まる戦いに息を殺しながら見ていた。
ツバサが放つ剣気を最も強く感じたのはナタリアで、それは対戦相手となったライオネスにも感じられるものだった。
お互いに剣を持った以上、覚悟は出来ている。
血塗られずして鞘には収まらないその剣。
それは、たとえツバサの手に握られたものであったとしても。


「―――――――――――――!!」
そして、二人の間合いが同時に一気に詰められた。
ライオネスは既に警備兵に太刀を浴びせている。その感覚は両手に残っているはずだ。
一方のツバサは、本物の剣を握ること自体が久々であった。
その重さ、手の馴染まなさ、何もかもが彼に味方しない状況。
ただ、だからといって剣を下ろすことはなく、ツバサは目の前にいる明確な敵と立ち向かう。
初撃。
高速で振り下ろされた一撃をツバサは受ける。数秒の鍔迫り合い。
それを嫌ったのか、力で押し込んだライオネスは打ち合いに競り勝ち、ツバサの態勢を崩させる。
二撃目。
ライオネスの横払いの太刀がツバサの上着に命中するも、傷つけることは出来ず。
三撃目。
再びライオネスが縦から振り下ろす渾身の一撃。
力のこもったその攻撃に、ツバサは両手でそれを受けるも勢いを受けきれず、剣をその場で手放してしまう。
鉄と鉄とがぶつかり合い、弾かれる音が響く。
これで勝負あった。
そう確信した、ライオネスの四撃目。



「―――――――――――――――!?」


ツバサの両手から真剣は失われた。
無防備になったツバサの胴体に向けて、ライオネスは高速で突きを入れる。
剣の切っ先がツバサに向けられ、猛烈な速度で繰り出されたその突きに対し、ツバサは自らライオネスとの間合いを詰めた。
何ら武器が無い状態だというのに、間合いを詰めたツバサ。
その瞬間を見ていたナタリアは一瞬覚悟を決めた。
ツバサはここで殺されるかもしれない。そうなったら次は自分があの男を殺す。
すぐに応戦できる準備を整えたナタリアが踏み込もうとした、その時。


「がっ…………!!?」


「――――――――――――――。」



僅か一瞬のことであった。
突きを繰り出したライオネスの右目に、あの模造剣が突き刺さっていた。


無防備となった彼の身体に突きが命中すれば、一発で即死させることが出来ただろう。
繰り出されたそれを、ツバサは寸前で半身になってよけた。
あえてライオネスとの間合いを一気に詰めたのは、勢いをかけて一閃された攻撃を回避するため。
回避行動を取っている間に、彼は腰のベルトに引っ掛けておいた短剣を取り出して、それをライオネスの右目に突き刺していた。
右目を貫通し、短剣の半分が見えなくなっていた。
ライオネスを強烈な痛みが襲っているだろうが、彼はうめき声すら出さない。
ただ姿勢はよろけた。
耐え難い苦痛がそこにはあったことだろう。
ツバサは、本物の武装としては使われることのないそれを用いて、相手を制圧してしまった。
しかしそれでは終わらない。
この男は警備兵を倒して、エリクソンすらも手にかけた。
許しておく道理はどこにもない。


「………………」
気が付けば、ライオネスの胴体のど真ん中に、剣が突き刺さっていた。
右目を穿たれた衝撃で手から落とした、男が持っていたその剣を手に取り、勢いよくツバサはライオネスを突き刺したのだ。
その行動そのものが決意の表れだろう。
肉と骨とが抉れるような鈍い音が聞こえた。
それで戦いは終わった。
心臓の近くを貫かれたライオネスが生きていられる訳がない。
突き刺した剣を引き抜くと、多量の血が放出された。
それでライオネスは絶命する。


その、僅か前に。
瀕死のライオネスが、ツバサの襟首をガッシリと掴む。



『その感触を憶えておけ。お前はこれから、いっぱい殺すことになるんだからな』



そう、彼に静かに言い放ち、斃れた。




「―――――――――――――。」
ライオネスが倒される姿を目撃した、残る4人の学生。
驚愕の表情を崩すことが出来ない。まるで固まったかのようだ。
ツバサの驚異的な強さを前に、敵は硬直してしまった。
だが、それはツバサとて同じことだった。
自分は、人を殺めた。
彼の人生において人を殺したのは、これが初めてだった。
生き残った一人の学生が、動かないツバサを目にして、大声をあげながら間合いを詰めた。
彼はその男が向かってきていることが分かっているのに、手を動かそうとしなかった。
そのまま行けば、ツバサは死んでいたかもしれない。
だがこの時ツバサが固まって動かなかった理由は、その場を目撃していた者たちから色々と憶測を生むこととなる。
その有力な理由の一つは、



「―――――――――――――!!」
この戦いにおいて、常に彼の傍らで戦い続けていたナタリアが、彼と同じく剣を拾い、向かってきた男を斬り倒したからだ。
向かってきた生き残りの学生は、剣を持っていた方の肩から腕をごっそり斬り落とされ、瞬時にその場に倒れた。
ナタリアもまた、ツバサと同様にここで一人殺した。
それを見ていた残る三人に、もはや戦意は無かった。
彼女はそれを感じたのか、三人の行動を注視しつつも剣を地面にゆっくりと突き刺した。
その直後、基地内部のサーチライトが彼らにあてられ、その奥で沢山の大人たちが武器を持ちながら接近してきた。



握られた剣の持ち手には、その感触がハッキリと残っている。
肉と骨を断ち切る感触。その時に発せられた鈍い音。そして穿たれた時の、男の顔。
血塗られた剣はこうして役目を終える。
男の言うように、これから沢山の人を殺すことになるのだろう。
元よりそれが必然の世界に自分は入り込んできたのだから。



男の言葉が、何度も脳裏に過る。蘇る。
こうして、一人の少年にとっての新たな路は開かれた。



長い長い、旅路となる。
そうなる、はずだった。


………………。

第20話 彼らの進む路

彼にとって初めて“人を殺した”のは、本来自分が倒すべき敵ではない、身内から生まれた敵であった。
何事にも初めてのことというのは、後々まで記憶に残ることが多い。
そういう意味では、彼のこの初めてを、彼は生涯忘れることが無かった。
これから大勢の人間を殺していくことになる。その感触を忘れることなく時を刻み続ける。
長く同じことを繰り返していけば、一つひとつの記憶の質感が低下し、それが連続した同質のものであれば、尚更記憶は薄れていく。
けれど、物事のはじめは最も鮮明に憶えている。
忘れることはなかった。忘れることは出来なかった。
それが彼の路の始まりを意味するものであり、同時に終わりへ向かう旅路の始まりでもあったのだから。


『オルドニア士官学校爆破事件』は、連邦共和国内で大きく取り上げられる情報の一つとなった。
士官学校内にある兵糧庫が爆破され、基地と学校内部が混乱を極める中で脱出を図る人たちがいた。
協力者と実行犯を合わせると20名以上もの学生たちが関与しており、連邦政府と軍務において捜査が進められている。
この事件により、爆発に巻き込まれた士官学校生2名、ゲートで警備にあたっていた現職の軍人3名、実行犯と思われる学生2名の死亡が確認された。
また爆発の影響により、周囲の建物のガラスが割れるなどの被害が相次ぎ、負傷者は30名にもなった。
負傷者の中には基地に隣接する居住区画に住んでいた一般市民も含まれる。
これほどまでに大規模な爆発が発生した原因として、オルドニア士官学校の兵糧庫の中には砲撃訓練に使用される砲弾や火薬などが一緒に保管されていたため、犯行グループはそれに火をつけて爆破させた。
結果的にそれが大規模な爆発を呼び起こす基となったのである。
事件の概要と死傷者の数が伝えられて、このニュースは各州で忽ち話題となった。
まるで士官学校の叛乱事件というような取り上げ方をされるのだが、無理もないことだった。
真実、彼ら実行犯の目的は、徴兵制度からだの離脱だった。
これからオーク大陸が戦場となる可能性は高い。そうなれば、自分たちは戦場に送り込まれる。
ただ数足しに無理やり連れていかれて、意味も無く死んでいく。
彼らにはそれが許せなかった。
だからといって、他人を巻き込んで良いなどという道理はない。
実行犯たちは世間から激しく非難されることとなった。
また同時に、この実行犯の動機の元とも言える兵役義務、徴兵制度について多くの議論が展開されるキッカケとなった。


様々な情報が人々に伝えられた。
だが、現場で起こっていた幾つかの情報は、決して表に出ることはなかった。



「おはようございます。ツバサ」
「…………ああ。おはよう、ナタリア」



士官学校の学舎とは異なる位置にあるこの部屋は、石畳で出来た硬い空間で、窓一つ無かった。
外からの光が当たることもなく、辺りには人の気配も無い。
連邦軍基地の内部でもここは明らかに異質な場所であった。
彼らにはすぐにここが何であるのか分かった。
犯罪者などを閉じ込めておくために使われる牢屋。
小さな部屋の中では自由に動けたとしても、今の彼らは籠の中に閉じ込められた鳥のようなもの。
自由であって自由ではない状態にある。
事件が起きた翌日。
いまだ混乱が収まらぬ中での朝を迎えていた彼ら。


「昨晩は、眠れましたか」
「いいや、全く。ナタリアは」
「はい、私もです。無理もないことでしょう」

「まあ、そうか。でも、そうだよな。」



ツバサの返答は複雑な心境を体現しているものであった。
彼の表情はとても浮かないものであった。
それをナタリアも心配していたのだが、逆にツバサから見たナタリアの表情も同じであった。
不安を募らせているものではなく、気持ちが沈んでいるという具合のもの。
彼ら二人は、実行犯を見つけ出し、ゲートを通られる前に対峙して戦いを起こした。
結果、二人の学生を殺害し、12名の学生を怪我させた。
彼らとしては爆発事件を引き起こした犯人グループを捕えたつもりだったのだが、混乱の中、教官たちは彼ら二人も拘束した。
この事件を引き起こした関係者の一人であると判断されたのである。
事件の首謀者を捕まえようという気持ちで戦ったツバサにとって、それはショックな出来事であった。
殺された三人の警備兵のためにも、また被害に遭った他の人たちの為にも、彼は正義の立場を取ろうとした。いや、取っていた。
にも関わらず、それを認められず、実行グループの学生たちも、彼らも隔たり無く同様の厳しい扱いを受けたのだ。
彼は自分自身で深く反省をしていた。
奢っていたかもしれない。自惚れていたかもしれない。
自分がある程度の力を持っているから、悪人に対しても正義を扱えるという気になっていたのである。



「あまり根を詰め過ぎないでください。確かに私たちは人を殺した。ですが、そうしなければ、私たちが殺されていたでしょう。」



誰かを守るという戦いではなかった。
罪を犯した人たちを断罪する剣を手に持ち、それを具現化させた。
立ち向かうという選択をした彼らにそれ以外の方法は無かっただろう。
相手ははじめから剣を持っていて、立ち塞がる者を殺していた。
自分たちがあの人たちの前に立ち塞がるというのなら、あの人たちにとって自分たちは敵となる。
ごく単純なことではあったが、結果的には今のような状況が生み出されてしまっている。


「正しいことをしたって自覚は、今はもう無い。立ち向かわなければ、当然こんな結果にはならなかったんだろう。だが………目の前で大勢の人たちを巻き込む悪さをしてた奴を見過ごすなんて、俺には出来ねえ」


「………そうですね。私も貴方と同意見だ。ただ見過ごすことしか出来ないのだとしたら、この先兵士になったとしても信念を貫いて戦うことは出来ないでしょう。その選択肢の決断に、私たちは迷いはしなかったはずです。それこそが大切な過程と言えるでしょう。」


かつて父は言っていた。
自分が戦う理由は、弱い者が虐げられる世の中を変えたいからだ、と。
弱き者でも生き、強き者に弾圧されることの無いような世の中にしたいのだ、と。
今回の彼らの戦いに、強きも弱きも無い。
ただ、罪の無い人が巻き込まれて命を落としている。
それを前に、留まるという選択肢は彼らには出来なかった。
傍観者ではなく、独善でも良いから正義を執行する立場にありたいと願い、行動させていた。
その決断自体は間違いではないはずだ、とナタリアは彼に伝えた。
その言葉で少し気が楽になった、そんな気がしていたツバサだった。


そう、間違いではない。
そう信じたかった。


それから少し経った後のこと。
彼らのいた牢獄の前に、数名の兵士と一人の教官が現れる。



「色々と聞きたいことがある。これからお前たちは査問にかけられる。上官たちに囲まれながら、時には辛い質問が飛んでくることもあるかもしれない。だがありのままを話してもらって構わない。間違っても、“自分たちもその計画に加担した”などとは言わないでくれよな」

「っ…………!」

「叛乱を起こした学生らを止めようとしたっていうのは、俺にも分かっている。分かっていても、色々と聞かねばならんこともあるってことだ」



ツバサもナタリアも驚きながらその言葉を聞いていた。
彼らの前に現れたのは、士官学校の生徒たちを指導する監督者のヒラー少佐だった。
あのような出来事があって、当然ヒラーの立場も危うくなっていることだろう。
何しろ事件を引き起こしたのは他でも無い学生たちだったのだから。
ヒラーは、この二人が事件に関与しているとはいえ、それは事件の当事者側ではなく、阻止しようと働いた側であると確信しているようだった。
もしかしたら他の教官たちも同様なのかもしれないが、それでも色々と聞かなければならない事情があると言う。
『査問会』とは、事の事情を明らかにするために関係者を呼び出して査問することである。
軍法にそのような記載が無いため、似たような性質を持つ『軍法会議』と混同されることがあるが、査問会は非公式の、現場の者たちの判断によって行われるものであることが、軍法会議との異なる点である。
兵士たちによって扉が開かれると、彼らはそれに従い歩き始めた。
やや暫く歩いたところで、別の部屋へと入る扉が開けられ、彼らはそこに通される。
部屋はそれほど大きなものでもなかったが、公聴会が開かれるような場所で、中央に机と椅子があって、その周囲を円卓で囲んでいるようなものであった。
円卓にはジャスパー大尉など見知った顔ぶれもあれば、普段目にすることのない教官たちもいて、総勢14名にもなる。
マインホフ校長もそこにいて、彼らがその部屋に入って来ると、皆それぞれ彼らに視線を集中させた。
懐疑的な目線を送るもの、苛立ちを募らせるような目線を送るもの、困惑したような表情で窺う者、様々だった。


「それでは査問を開始する。まずは二人とも姓名を名乗っていただこう」
彼らが普段知らない、やや年齢のいった上官が取り仕切り、査問会なるものが開始される。
すべての窓にカーテンが閉められた閉鎖的な空間で行われる、事情聴取。
上官が何を知りたがっているのかは何となく想像がつく。
ヒラーには、偽りをせずありのままを語って欲しいと言われている。
それが出来る状況なのかどうかは、上官たちの出方次第といったところだろう。
もし回答を誤るようなことがあれば、それは今後に大きく影響する可能性がある。
ツバサにしても、ナタリアにしても同様だろう。



「色々君たちに聞く前に、初めに問うことがある。もし君たち二人が事件を起こした当事者側の人間だとするのなら、初めに宣言してもらいたい」
「―――――――――――――。」


「後から“やっぱり自分たちが犯人でした”などと言われても許しようがない。はじめから関与していたのなら、そう言ってもらった方が良い。罪も軽くなることだろう」


査問会の冒頭から、ツバサは頭に血が上るのを感じていた。
二人は円卓の中で立ちながら、マインホフがいる方を正面と考え向いていた。
取り仕切る上官が冒頭でそのようなことを言ってきたため、ツバサは単純だが頭にきたのだ。
まるで自分たちが犯人であることを前提として進めようとしているのではないか、と言わんばかりの進め方に対して。
ツバサが言うよりも先に、ナタリアが言葉を放つ。


「はじめに申し上げます。そのようなことは一切ございません。私たちの取った方法は、兵糧庫爆破の計画を実行し、その混乱に乗じてこの基地を離脱しようとした学生たちを止めようとしたことで、彼らに加担など一切しておりません。」


と、ナタリアは冷淡な口調で断言する。
ツバサが同じようなことを話していれば、もっと荒々しい口調になっていたことだろう。
隣で立っていたナタリアが一瞬だけ彼に視線を合わせる。
あまり感情的になり過ぎないように注意して、と目で訴えているようだった。
ツバサとしては心底不機嫌になりかけた冒頭であったが、まずは抑えることとした。


「そうか、ではいったんはそういうこととして………まず、君たちがどのようにしてこの事件を知り得たかを聞かせてもらおう。」


癪に障る言い方は続くが、彼らはそれぞれ事の次第を説明し始めた。
ナタリアが不審な人影を見かけていたこと。
それをもとに兵糧庫の調査を独自で行い、当番表の存在に辿り着いたこと。
事件が起こってからの彼らの行動。
そこには一切の偽りはなく、すべて彼らが経験した事実に基づいて話が進められている。
ところが、このような査問会の場では、たとえそれが事実を話していたのだとしても、疑問を正しておかなければならなかった。
彼らの弁論に誤りがあるのであれば訂正させ、それが実行犯と結びつくのであれば同罪に処すことも出来ただろう。


「深夜に兵糧庫で人影を目撃したのは良いだろう。だがそれが何故怪しいと君たちは思えたのかね?誰かが何か作業をしているだけとは思わなかったのか?」

「こちらで調べた情報によれば、あの兵糧庫はおおよそ月に二回程度物資の搬入搬出が行われていて、それ以外は有事の際にしか開かれない扉であると聞きます。それであれば、あのような深夜の時間帯に一ヵ所に人が集中している様子を見れば、そこで何かがあったか、あるいは何かをしようとしているかのどちらかではないかという考えに及んだ次第です」

「勘が良すぎるな。事前に情報を察知していたのではないのか?」

「だったら何故わざわざ時間を割いてまで調べる必要があるんです。怪しいと思ったからこそ調べをして、当事者の可能性が高いライオネスの部屋を尋ねたんです。はじめから誰か分かっていれば、そんな遠回りする必要なんてないでしょう。調べてるのが嘘だって思うんなら、図書館の端末の履歴を見てみて下さい。俺たちが言った時間で、掲示板へのアクセス履歴が残ってますから。」


14人全員から聴取を受けるというものではなかったが、数名の上官たちから事情を追及される。
中には意地汚い意図が見え隠れする質問もあった。
もし回答を誤りでもしたら、その証言をもとに処断する方法を取るのではないか、と疑いたくなるくらいには。


「調査をした後、君たちはライオネスのいる部屋を訪ねた。だがそこには既にライオネスらはいなかった。犯行日を事前に知っていたということはないか」

「それはあり得ません。知っていれば、何も彼が部屋にいる時ではなく犯行に及ぶ前に、私たちは彼を止めたでしょう。」

「そこだ。お前たちはなぜ彼らを止めたいと思ったのだ。この事件に関与していようといなかろうと、お前たちが彼らを止める理由など無いはず。何か有益なことでも見つけられたのか」



なるほど、そういうことか。
俺たちの行動そのものが不自然というよりも、俺たちの行動意識が理解できないって言うんだな。
ツバサはそのように解釈する。
損得で話を帰結させるのだとしたら、二人の行為は明らかに損をするものだ。
何しろ彼らは自発的に行動し相手を阻止しようと戦った。
一歩間違えれば殺されていたのは彼ら二人の方だろう。
もし事前に彼らが犯行の情報を知っていて、誰かに頼まれてそれを阻止させられた際には報酬を渡す、などと言われていない限り、彼らにとって益となるものはほぼ皆無といっても良いだろう。
自発的に調査を行い、怪しい集団の一部を特定したことは、この場に居ないエリクソンを含め彼ら三人の手腕によるものだ。
誰に頼まれた訳でも、唆された訳でもない。
逆に上官たちは、そうまでさせる理由は何なのか、と問いかけてきたのだ。
裏で彼らを操る何かがあるのかを疑っているのだろう。



「自らの利益の為に剣を振るう、そうと決めているなら、俺ははじめからここには来ていません。傭兵にでもなった方がよっぽど言葉通りの目的を達成できると思います」


「……………」


「貴方たちが期待しているのならそれは構いませんが、俺たちはその期待を裏切ることになると思います。確かに俺たちにあの人たちを止める理由はありません。ですがこの事件において、あの連中は間違いなく犯罪者の部類に扱われる存在です。目の前であのような出来事が起きた、しかも調査をしていたにも関わらず、止めることも出来なかった。俺が剣を取ったのは、そんな悪辣な行為を取ったものには相応の責任を負わせるべきだと考えたからです」


「そう言いつつも君は首謀者と思わしき人間をその手で殺した。責任を取らせると言うのなら、生かして捕えるのが求められる当たり前の行動だ。相手に死を与えることが時として万能な責任の取らせ方にはなり得ない。君はあくまでこの一件に関して、自分自身の持つ信念において行動し、剣を取った。その結果相手を殺してしまった。自己判断で、だ。正当な理由で剣を取ったとは残念ながら言い難い。」


「じゃあ野放しにしろと?倉庫を爆破し、自己の目的の為に罪の無い人間を殺したあいつらは社会的に許される立場であるはずがねえ。寧ろ社会にとっての悪人だ。指を咥えて黙って見てりゃ解決出来たのか?ちげえだろ。悪行を正すのに必要な手段の一つが剣を取ることだった。それのどこが悪いんだ」


空気が一変し、張り詰めた緊張感は凍り付く雰囲気へと変わっていく。
悪行を正すことの出来る状態にあった、唯一の当事者。
彼らがいなければ犯罪者が校外へ出たのは疑いようもない。
彼の思うところは、ナタリアも、他の上官たちにも分かっていることであった。
ライオネスらの行動は間違いなく秩序に反する行為であり、許されるものではない。
その当事者たちを逃がすまいと彼らは立ち向かって戦った。
明らかに悪いことをしている連中がいて、その連中に対し正しい行いをした。
ツバサは逆に問う。
罪の無い者が巻き込まれ命を落としている。その悪行に対し正義を貫くことのどこがいけないのか、と。



―――――――――君の気持ちは分かる。だが我々は悪行を正すのが仕事ではない。国の為に戦うことが我々の使命だ。



教官の一人が、そう彼に伝える。
我々は悪行を正す道を征くのではなく、国の為に外敵から国を守る為に戦うの道を征くのだと。
自国の民と国そのものを守る為に戦う。それが兵士。
教官の言うことは全くもって間違いではなかった。
悪行を正すことを自らの仕事とするのなら、それはもっと他の職種で行っていることだ。
その時、彼と彼との間にある“兵士の像”に認識の歪みが発生していたことを彼は理解する。
彼がもし弱きものを救う為の剣となるのであれば、兵士の立場に留まらない。
外敵から自国を守ることで、市民を守ることは出来る。
それでも彼の持っていた目的を継続的に果たすことは出来るだろう。
彼はその場で謝した。
自分は何と愚かな人間であったのだろう。
思い上がっていたのかもしれない。自惚れていたのかもしれない。
自分ほどの力があればどのようなことも出来るのではないかと、自分の力を自分自身で誇張していたのかもしれない。
彼の行為は人間的に間違いではない。
兵士という立場からは逸脱した行為であったと言える。
正統な立場と正当な理由を持って剣を手に人を殺したのではない彼は、処分を受けることになるだろう。
それはナタリアも同様である。



「二人の強い意志のもと行動を起こした、その点は実に素晴らしいことだと思う。評価もしている。だがそれで終わりという訳にいかないのも現実である。ツバサ、ナタリア。二人の処分は追って知らせる。それまではこちらで用意した部屋で軟禁となる。他の学生とは接点を持つことが出来ないゆえ、二人にはストレスのかかることだろうとは思うが、出来る限り早めに伝えるよう努力をしよう」


「………承知しました」


それからも幾つかの点について色々と聞かれたが、最後はマインホフ校長が締めて、査問会なるものは終了となった。
この事件について知っている限りの経緯を述べ、それに対する行動を述べ、教官たちは照らし合わせをすることとなった。
この後、何らかの処分を下すべく話し合いは続けられるだろう。
二人に退出が命じられると、門番をしていた兵士二人が彼らのもとへ寄って来て、案内をする。
そうして、二人は部屋から退出した。
円卓に座る教官たちは、各々椅子の背もたれに身を投げ出すなどして、リラックスをする。
だが空気はまるで変わらない。今も張り詰めたような空気が流れ続けている。


「彼らの話を聞いて、殆どの人が確信したと思う。彼らは事件の当事者ではない。止めようとして職域を越えたのだ」
彼らがいなくなった後の円卓で、マインホフがまずそのように結論を述べた。
あらゆる話を総合的に聞き出したうえでの判断である。
彼らは計画の存在を事前に突き止め、自力で調査を続けて犯人の可能性まで辿り着いた。
結果的に事件を防ぐには至らなかったし、その過程で犯行グループの長である学生ライオネスとその手下的存在を殺害してしまった。
彼らの殺人行為そのものは、学内においては許されるものではない。
たとえそれが事件の首謀者を見つけたからだとしても。
しかし事情が事情だ。
教官たちは先のアスカンタ大陸での情勢を受け、今後の対応について上層部と協議をしていた。
たとえ彼らが報告したかったとしても、その時間を自分たちが設けることは出来なかっただろう。


「そういう意味では、少し意地悪な質問が多かったな。」
「まあ、確かに………結果的にグループの全員は捕えられた。彼らの功績ということもあるだろう」
「我らの職務ではそれを正当に評価できないのが残念でならないが」


「だが、16人いたグループのうち、12人をたった二人で制圧。2人を殺害したものの、たった二人でそれほどまでの制圧が出来たこと。寧ろこちらの方を高く評価すべきではないか」


どのみち事件は起きていただろうし、彼らが事前に教官たちに報告していても、防ぐことは難しかったと考えられる。
管理体制が杜撰であったことも明白となった。それは分かる。
円卓の教官たちの関心は、自然と彼ら二人の人間性やその行動に対して向くようになった。



「ナタリアは、この学校に入学した直後からその突出した身体能力を示しています。身体機能や体力といった点においても、男性に劣ることなく勝ることも多かった。鉱山遠征ではチームをトップで通過させた。特に際立っていたのは、近接戦闘演習。彼女の戦闘力は、はじめから誰よりも強かった。当時学内最強と生徒たちから言われていたデルテムントをいとも容易く打ち破った。彼女は自らここへ志願してきたと言いますから、ここでの生活が終われば兵士になることはほぼ既定路線でしょう」

「デルテムントは、この間の主席卒業生だったな。」

「はい。しかし、彼女はどうも素性の知れない部分が多いと言いますか。ここに入学する時に書く来歴書も、不確かなものが多いものでした。それでも、今回の一件で彼女の実力が現場においても有効となり得るのは、ある意味では実証されたと言えるでしょう」

「ツバサに関しても同様だな」



特に彼らが関心を抱いたのが、二人の戦闘能力である。
ツバサとナタリアが頭角を表したのは近接戦闘演習であるが、その経緯については二人ともかなり酷似している。
身体訓練において優秀な成績を収める。他の者を寄せ付けることのない力強い運びをする。
近接戦闘演習において、経験がある上級生すらも凌駕する圧倒的な力量を見せつける。
ツバサの時は、ナタリアが学内においても随一の剣腕であることが分かっていたので、ツバサとナタリアを組ませて戦わせた。
結果としてはツバサがナタリアに勝利した。
ナタリアの時も、当時の最強と言われたデルテムントを破り一躍有名となった。
今のツバサも同じように、ナタリアを破って学生たちの間からはよく噂される存在となっている。
教官たちは事件の経緯と彼らの取った行動を考察して、それが“実戦となる場所”においても発揮されるものだろうと考えた。



「やや気性の荒いところはあるが、腕は本物だろう。ツバサくんも自らここに来たのだろう?なら、その先の望みを叶える手段を用意すべきではないか?」

「賛成賛成。ナタリアも同じくな」



以前、教官たちは国防総省監査役のヨセフ・ヘルグムント中将に、士官学校でのよき人材の発掘について問い詰められたことがある。
近年、オルドニア士官学校から輩出された兵士たちで優れた軍歴を積み重ねる者がいない、と。
この10年間は戦闘そのものが殆ど無かったために、軍歴だけが経過して実績をあげるものは殆ど居なかった。
そのため、優秀な人材を輩出されたと証明する機会が少なかったのは事実である。
オルドニアの士官学校は先の大戦中も、またそれ以前からも運営されている学校であり、その歴史は長い。
ヘルグムント中将の指摘の裏には、これからの情勢を踏まえると一人でも多くの“使える人間”を見つけてほしいという思考が占めていたのだろうが、上からの指示とあっては、出来る限りそれに見合う人材を見つけ育てなければならなかった。
そんな時に、今の学内でもトップクラスの二人の士官学校生が候補としてあげられた。
彼ら二人の知性、行動力、戦闘時における技量の高さ。
どれを見ても、現役の軍人に引けを取らない素質であると考えられた。
今回の一件で、より鮮明となった。
彼らは自らの意思によって動き、止めようとした。
状況に流されるのではなく、状況を利用しつつ改善させようと尽力していた。
その素質は中々身に着けられるものではない。
だからこそ、彼ら二人は貴重な存在であるとの認識が教官たちの間には共通の認識として広がっていた。
教官たちとすれば、今回の一件で独断が過ぎ、それによって処罰を加えるかどうかを話し合う必要があったのだが、それよりも彼らが実際の戦場で役に立つ存在であるとの確認が取れ、寧ろ罰を与えるよりも“彼らの望みを叶えてあげる”ほうへ話が進みつつあった。


彼らは兵士になるべく自らここへ来た。
教官たちは、優秀な人材を戦場へと送りたい。
話し合いの場は持たれていないが、お互いの求めるものは一致している。



「では、それを罰として前線へ送り込む、と?」
「…………そうだな。あまり示しの良いものではないと思うが………」


たとえ教官たちが事実を公表したとしても、しなかったとしても、二人を戦場へ送り込む結論を出せば、この事件の責任を追及した後に処罰の一環として戦場へ送り込んだ、と言われることになるだろう。
そうなれば、彼らにも、また自分たちにも批判が集まる可能性は充分にあった。
ここで彼らの能力を燻らせておくよりも、前線へ送り込んで役立たせた方が良い。
それは彼らとてそのように考える、いや、納得するだろうから。
教官たちの大体の意見がまとまったところで、マインホフが立ち上がって各々に伝える。



「昨日から続いている通りの話だ。グランバートは我が国に対しても戦線を拡大する可能性が充分に考えられる。そうなれば、どこで戦になっても不思議ではない。特に大陸の北方は、アスカンタ大陸との接続水域でもあり、グランバートの軍勢もいることだろう。敵が海を渡ることにでもなれば、北方にいる第七師団がその防衛を務める。ツバサとナタリア両名に限った話では無い。この大陸で戦闘が発生すれば、士官学校生といえど、この学校の任務にある我々と言えど、例外なく呼び出される可能性がある。そのために、いつでも派兵出来る準備をしてほしい。当面の間は訓練科目を縮小しながら、また実戦形式での訓練を主軸として展開する。最後に皆に確認する。ツバサ、ナタリアの両名を戦場へ派遣する。この決定をオルドニア州軍基地司令官および士官学校校長マインホフの名において発令する。この決定を下した我々は、懲罰による徴兵を強制させたと批判を受けることだろう。異存ないか」


男の言葉に、誰も異論を唱える者はいなかった。
実に皮肉な決定であった。
彼らは事件の首謀者を捕まえるための戦いをしたが、それは軍規に反する行いだとして懲罰を下すことを決定した。
だが彼らの能力は計り知れないもので、実際の戦場においても役に立つものであることは想像しやすい。
であれば、懲罰として彼らの望む通り兵士にさせて、前線へ送り込む。
ある見方をすれば“懲罰で戦場となり得る場所へ派遣させることで、死ねと命じているようなもの”であった。
ところが、彼らが戦場で活躍できるほどの能力があると、教官たちは高く評価しているので、そう簡単に死なれても困る。
最前線で彼らが活躍するのを期待しつつ懲罰を加える。
あまりに矛盾した、人間らしい欲望のカタチとなってしまった。
その場を乗り切るために、お互いに求めていたものをカタチにして、利用したのだ。


…………。
そして翌日。
彼らのもとにヒラーとジャスパーの両名がやってきて、結論を伝える。
軟禁されている間は当然訓練にも参加出来ず、部屋の中に居てもすることもなく、時間が過ぎるのがあまりに遅く感じられた。
二人にとってはかえってその方が精神的な負担が多く疲れも溜まる一方であった。


「お前たち二人は、戦場となり得る可能性の高い、ノースウッド地方の第七師団に派遣されることが決まった。今回の一件を受けて、だ」
「……………」
「―――――――――――――。」


ヒラーは静かに、決定事項を伝えた。
それに対する二人の反応は、特に無かった。
驚く訳でも無く、何か失望するような、かといって希望を表現するような顔をする訳でもなかった。
その決定を受け入れるように、僅かに頷いただけだった。



「一つ、聞いても良いでしょうか」
「何だ」

「これは、軍の立場に非ず行動した私たちへの懲罰として派遣される、それで間違いは無いのですね?」


ナタリアが確認の意味も含めてそのように問いかけた。
彼女の疑問に対し、ジャスパーが答える。



「そういうことになる。………正直に言えば、別の意味も含まれているが、表向きにはそういうことだ。だからこの場ではハッキリと言っておく。お前たち二人は一戦力として数えられる。その経緯はどうあれ、必要な人材として派遣される。真実を知らない者たちからすれば、罪人がその罰を受けたが故に戦場となり得る場所へ送られたと思い込むだろう。だが決してそれに屈せず、自分たちの力を証明できれば、周囲の反応も変わるだろうと思う。」


その言葉で、ナタリアもツバサも、オルドニア州軍基地の思惑をすべて知り得た。確信を持った。
以前、ツバサは兵士として戦場へ赴く覚悟があるか、を問われたことがある。
その時マインホフが言っていた。
自らの持つ意思が道を照らすことになるだろう、と。
この決定により、彼らは兵士としての道を歩む。
また実際に戦場となれば、最前線で戦う兵士として時間を過ごすこととなる。
経緯は当初想像すらしなかった展開となっていて、彼らにとってはやり辛いことの方が多くなる。
それでも。



「………覚悟は出来ています。私は人々を護ることの出来る強さを身に着けたい。そしてこの大陸が戦地と変わるのならば、そこにいる人々の為に剣を振るう。それが私の取るべき路です。遠回りしそうですが、それでもこの決意は揺るがない」


「俺も同じく。もしこの大陸が戦場になるってんなら、一人でも多くの民たちを護りたいと思っています。元よりそのためにここへ来たのですから」


「………そうか分かった。お前たち二人の決意を俺たちも信じることにする。………それから、友人のエリクソンだが、容態が安定してきている。意識はまだ取り戻していないが、これ以上の重症化は避けられそうだ。良かったな」



エリクソンに、別れを言えないのが少し辛いな、とツバサは思った。
一昨日の事件日の夜、ライオネスに殺されかけたエリクソンは必死に抵抗して逃れようとしたが、その切っ先で背中を深く斬り裂かれてしまった。
出血多量の重傷であったのだが、軍医たちが懸命に治療を施した結果、何とか容体は安定しつつあるとのことだった。
エリクソンが目を覚まして事の次第を聞いたら、どう思うだろうか。
少しの間一緒にいたツバサは、起きてみたら自分とナタリアがいなくなっていたと聞いて、きっとショックを受けるだろうと考えた。
自分のせいで彼らをとんでもない目に遭わせてしまった、と。
ツバサは二人に頼んだ。
エリクソンが目を覚ましたら、今ここで俺たちに説明してくれたことと同じように、エリクソンに真実を伝えてほしい、と。
表向きは事件の関与者として懲罰を受け、北方の第七師団へ派遣される。
けれどそれは、裏では必要な人材として送られたのであって、決してエリクソンがその引き金を引いたのではない、と。
詳しい移動日時などはまた決まり次第連絡するとして、二人は部屋を退出した。



決定は下された。
ツバサとしては、これほどまでに早い段階で正規の軍人として派遣されることになるとは、思ってもいなかった。
経緯が複雑で想像とは異なる遠回りになりそうだが、それでも彼の目指す路の上には今もあがり続けている。
そして、ナタリアも同様に派遣されることとなった。
全く知らないところに一人で送り込まれるよりはマシか、とツバサは安心をする。



「同じ部隊だった時には、よろしく頼むな」
「はい。私たちは私たちの出来ることをしていきましょう」
「そういや、ノースウッド州ってのはこの大陸の北方だよな。ナタリアの生まれ故郷も近いんじゃないか?」

「、そうですね。ベレズスキはノースウッド州の中にあります」


――――――――――もしかしたら、任務の最中に行けるかもしれねえな!
とツバサは少し元気そうな表情を浮かべながら彼女に伝える。
ノースウッド州はオーク大陸の最北部、北北西、北北東を統治する広大な州である。
亜寒帯気候に属するこの地方では、他のオーク大陸の地方とは違って四季が見えづらく、年間を通して猛暑日が無く、夏季でも過ごしやすい気温が続く。山間部も多く、ナタリアの生まれ故郷だと言うベレズスキをはじめ、山間部に村や町が点在している。
最北部にはウッドフォークというやや大きめの港町があり、連邦共和国海軍の駐留基地がある。
それ以外の陸地にも数多くの連邦軍拠点があり、広大なノースウッド州の各地に第七師団所属の陸戦部隊が配置されているのである。
そのどこに配属になるかは分からないが、もしかしたらナタリアの故郷に行けるかもしれない。
だが、それを伝えた時の彼女は、



「…………そうですね。私にはもう、残されたものもない、遠い故郷ですが…………」



そう、どことなく物悲し気な、虚しそうな表情を浮かべていたのだった。


アルテリウス王国がグランバートの前に膝を屈し、アスカンタ大陸での戦闘は終結した。
時代が加速していく中で、大きな事象が世界中を震撼させていた。
そして更なる戦いの予感を、生きている人たちは移ろう時代の中で確かに感じ取っていたのだ。
再び始まった戦乱の時代は、今度いつ終わりを迎えることになるのか。
あるいはまた、何十年も長く不毛な戦いが続けられるのだろうか。
先々の想像は弾むが、誰も未来を読み通すことは出来なかった。
彼ら自身が歴史の当事者であり、時が過ぎれば彼ら自身が歴史の証人となる。


その歴史を刻むのも、戦乱の時代を生きる人間たち。
世界の理、戦いによって国が興され、国が滅ぼされ、人々が生き、そして死んでいく。
これまで幾度となく繰り返されてきた過程は、これからも続いて行く。
そして、その過程の中に、ツバサは入り込んでいく。
彼の目指すもの。
弱い立場の者が虐げられる世の中を変え、護るために戦う。
そのはじめの一歩として、彼は士官学校を出て兵士となる。


途方も無く出口の見えない路は、こうして始動する。
そして彼の運命もまた、その時代の中で移ろいながらも、次々と新たな局面を迎えるのであった。





……………………。





『よう。久し振りだな。まさかこういう形で再び会えるとは思ってなかったぜ。』



『…………ああ、同じく。お互い、歳を取ったな』



『本当に残念だよ。ここで旧友と戦わなきゃならねえってのがな』



グランバート王国とアルテリウス王国との間で発生した戦争により、世界は昏迷の時代を迎えていた。
多くの人々は、再び起こったその戦争に多くの既視感を覚えていた。
当然と言えば当然だろう。
ついこの間まで、50年もの間、絶えずどこかの国で戦争が起き続けていた。
その当事者もいれば、その歴史を学んで新たに当事者になる者もいた。
昏迷の時代の訪れ。
即ち、戦乱の世が更なる深みを、淀みを増す時が来ていた。



「総統閣下と元老院の意思は示された。奴らがその意思を示した以上、我々が座して待つことはない。作戦の内容を伝える。それは、」



―――――――――――――ソウル大陸、グランバート王国領への、侵攻である。



更なる淀みを深めながら、戦乱の世は加速を続ける。
オーク大陸の巨大国家ソロモン連邦共和国は、アルテリウス王国に続いて侵攻を続けるグランバート王国に対し、宣戦を布告する。
二つの大陸で力を持つ強国同士の戦いは、これまで戦争に無関係だった多くの人々を、大陸のみならず、世界中に住まう者たちの環境をも変えていく。
その始まりに過ぎないこの戦いは、はじめから苛烈さを極めるものであった。



「この戦いに勝利はない。戦いを続けても未来はない。………だというのに、一度抜かれた剣が下ろされることはない。人は何と醜い生き物だろうか」



ソロモン連邦共和国の宣戦布告により、グランバートにも正当な理由が出来、挙兵するに至った。
両国がそれぞれ属する大陸の中で、激しい戦闘が繰り広げられる。
敵国となった両国の戦力を削ぎ、敵国の主要都市を占領して国力を弱体化させるために。



「なんだ今のは!!?」
「分かりません!!突然何かが炸裂して…………」



苛烈さを極めた戦いは、双方の陣営に甚大な被害をもたらし、多くの将兵が犠牲となった。
それでもなお、戦いは飽くことなく続けられる。
これまでの歴史が証明していたように、どちらかが倒れるまで、その剣が収められることはない。
時が経ち、時代が進むごとに、戦争の形態も少しずつ変化し始める。
そして、その渦中へ飛び込むことになる者たちがいる。



「これが俺たちの初戦っつーわけか。」
「はい。………明確な敵を倒すために。そのために剣を取る、これが私たちの求められていることです」


戦乱の世の渦中に身を投じた“彼ら”は、戦いながら様々な発見を、様々な経験をする。
目を背けたくなるような現実も、目を覆いたくなるような光景も、何度も何度も経験する。
しかし、それを知っていて、分かっていて、彼らはここへ来た。
今ここで流す血が、いつか本当の意味での平和な時代の到来へ繋がるものだと信じて。
だが、戦乱の世に飛び込む者は彼らだけでなく、多くの新兵、多くの熟練兵や外来の兵士、そしていまだ明確でない者たちの存在も。



「凄惨な光景なんて、もう見慣れてる。それが分かってても戦うのを止められねえんだろ?」



遠い国の出来事であったはずのことが、目の前の現実にまで迫り来る。
テレビの中やラジオの中の話でしかなかったことが、当たり前の出来事のように人々の心に染められる。



「…………連邦のものでも、グランバートのものでもない。あれは一体…………」


戦いの中で、人々の思いが錯綜する。
これまで明るみになることのなかった真実が浮き彫りとなる。
決して知らなくてもいいことだったはずのものが。


「もはやこの地には何も遺されていない。ただあるのは、苦い過去の面影が残滓のように漂う、この重苦しい空気だけです。」


もはやどこにも平穏は存在しない。
日常は崩壊し、かつて当たり前だった生活が復活し、そしてそれを前に人々は恐怖を抱く。
誰一人この時代の苦難から逃れることは出来ない。
彼らが作り出す歴史は、人々が作り出す戦いにより時が刻まれる。



戦乱の覇者 ~Way of the Heroes~
Episode:Ⅲ 時代の波


「………ぜってえ認めねえ!!これが人間のすることかよ!!!!!??」


人々の思惑が交錯し、それらはやがて彼らを変えていく。





                                    ■ to be continued.

interlude 4 ある一つの未来への道



いつの時代、どこの世界の中でも、それは数限りなく繰り返されてきた事象である。
人は、同じ過ちを繰り返す。
同一の人物であったとしても、未来に現れる幾人もの人物であったとしても、その性質に変わりはない。
はじめに犯す過ちを正したところで、次もまた、そしてまた次も、同じような過ちを繰り返すのだ。
今を生きる人間たちは、過去に生きた人間たちの過ちを正すことが出来る。
それは、過去に遡ってやり直しをするということではない。
過去という時間の中で確立されてしまった過ちを、今を生きるこの時代に繰り返さないようにするためのもの。
その過ちを見ることが出来るのも、正すことが出来るのも、歴史という証言の集合体が存在するからだ。
生きる者たちにとって、歴史とは過ぎ去りし時の善行や悪行を振り返り、同じ轍を踏まないようにする機会が得られる。
それは歴史の力である。
歴史が絶えず存在し続けていて、それを人々が振り返ることが出来る。


だが、それでもなお、人々は過ちを繰り返す。
時にその過ちは、多くの破滅を呼ぶ源となった。


人類の歴史が何千年と長く続いてきたその間に、数限りなくその行為によって人々は殺し、殺され続けてきた。
ある時は小さな集団が、またある時は隣の街や村と、そしてある時には国と国とが覇を争い、競い合い、そして死んでいった。
これまでの歴史の中で、その過程を人々は幾多も経験してきた。
そうして経験している間に思い込んだのだ。
この行為自体、人類の歴史と共に繰り返されてきたものであるし、時代の変化の中でそうした行為が発生するのは、ごく当たり前のことなのだ、と。
当然、戦いが避けられるものであるのならそうすべきだろう。
戦うということは犠牲を伴うことになる。
だが、それが出来ないことも人々には充分に分かっていることである。
歴史によって証明された過去幾多の戦いがどのような理由で起こっているものなのか。
その本質を垣間見るとき、人間、いやあらゆる生き物にとって、闘争が本質であるようだから。


戦争によって多くの命が奪われていく。
未来ある人々の今が次々と失われていく。
それは、大人たちだけでなく、子供たちとて同様であった。




………………。
アスカンタ大陸南東部 山岳地帯「ルイスベルグ」


アスカンタ大陸は、長い年月を一つの王国が統治し続けてきた。
元々この大陸は、他の大陸の人たちとは何ら接点を持たない単一の民族が住むところである。
外来の種が植えられることもなく、異なる文化が流入するようなこともなかった。
今、船や飛行機といった先進的な技術が世界中で広がり始めている時代の到来で、ようやく他の国や大陸の人々が渡ることが出来るようになった。
といっても、それは正規の方法ではない。
この大陸を統治する一つの国家アルテリウス王国は、ソウル大陸やオーク大陸にある国との交流を殆ど持つことが無かった。
ソウル大陸やオーク大陸は、船は定期便という形で月に何度か海域を往来し、航空機産業の発展に伴い、輸送機を旅客運搬型の機体に転用して旅客運送が出来るように試験を繰り返している。
技術革新による文明の発達で、彼らは交流を持つことが出来る。
だが、アルテリウス王国はそれを行わなかった。
彼らの国は、自分たちの大陸ですべての民が生活し続け、他の国々の文化や人々の流入を受け入れなかった。
その理由には、過去何十年にもわたり繰り返されてきた、グランバート王国による侵攻がある。
外来の種を自国に植えることで、他の国の人々がこの国の一部なりとも支配するのを王国が嫌ったためである。
それでも、民たちにとっては他の国を受け入れなくとも彼らなりに生活が出来ていたので、それほど困ることもなかった。
厳しい環境と言えばそうなるだろう。
大陸の半分は、人の住むことが出来ない凍土の世界なのだから。

ここ、ルイスベルグも同じように、人が住むには過酷な環境が数多くある。
南東部の山岳地帯は豪雪地帯であり、かつ極寒の地域である。
気候は一定で、年中雪が降りしきる。
最低気温は昼夜で大きく差があり、朝晩には氷点下20度以下まで冷え込むことも少なくない。
日照時間も、山岳地帯の中に村がある関係でそれほど長くもなく、当然農作物はここでは育たない。
そのため、ルイスベルグのすぐ近くには鉱山資源が豊富に採掘できる山場が数多くあり、この地に住む人々の仕事の多くは鉱山にある。
鉄鋼資源は生活インフラを整えるだけでなく、軍事物資にも使われる貴重なものであり、アルテリウス王国を支える重要な基幹産業の一つに鉱山採掘が数えられているのである。
アスカンタ大陸は主に南東部から北東部にかけて大きな山脈が連なり、いまだに未開拓の鉱山が無数にあるとされている。
グランバート王国が幾度となく侵攻を企て、またそれを実行してきたのは、それが理由の一つである。


たとえ厳しい環境であったとしても、過酷な生活が続いていたとしても、人々はそこでの暮らしを否定することは無かった。
彼らにとって住み着いた故郷であり、何にも替えられない財産がそこにある。
厳しい環境であっても、毎日に嫌気が差すこともなかった。
今まではずっとそのような生活が続いていた。
続いていたのだが。


「敵がっ………敵が来て………!!」
「敵………!?どういうことだ、敵とは何かッ!?」



――――――――――――グランバート王国による襲撃が、この街を斬り裂いた。



中央の都市アルバートへ至る過程、グランバート王国軍は中央部と東部の二方向から攻勢を仕掛けた。
大陸の南東側は険しい山脈が連なり、侵攻ルートは登山道を多く含むことになる。
アルテリウス王国軍陣営は、グランバート軍がこの険しい山道を進んで東側に出る可能性は低いと考え、現実的に最も考えられる中央部への侵攻に兵を割いた。
ところが、グランバート軍はその意図を逆手に読み、東側に多数の軍勢を送り込んだ。
その結果、ルイスベルグだけではない、他の多くの東部地域の村や町が占領されるに至った。
グランバート軍にとってルイスベルグがどれほど重要な支配地域であったかどうかは分からないが、占領下におかれた時に敵の高級士官が、捕虜や民たちに言っていた言葉が鮮明に記憶されている。
“俺たちは本丸を頂ければ取り敢えずはそれでいい”と。
ここを占領下には置くが、今のところここの地域に固執するつもりはないと明言し、本隊は占領したその日中に町からいなくなってしまったのである。
民たちに対しては、抵抗さえしなければ危害を加えることはしなかった。
アルテリウス駐留軍に対しては全面的に攻勢をかけ、戦う兵士は殺し、戦闘の出来なくなった兵士は捕虜とした。
そうして、ルイスベルグに駐留するアルテリウス軍はいなくなり、占領したはずのグランバート軍も去ってしまった。
因みに、鉱山の存在を突き止めたグランバート軍は、あえてその鉱山入口の部分だけを崩落させて、その後民たちやアルテリウス軍に使用させないようにした。後々彼らが復元して、自分たちのために使うからだ。


僅かながらとはいえ、アルテリウス軍の防衛がいなくなったのは、不安を募らせる。
だがそれを討ち破ったグランバート軍がいないというのも、不気味なものではあった。
自分たちは確かに占領下に置かれているはず。
そのはずなのだが、それが実感できない。
グランバート軍は、この小さな町に固執することなく、本来の目的の為に早々に去ってしまった。
占領下に置かれているという実感がもてなかった。
強制労働に従じる訳でも、捕縛されて連行される訳でもない。
アルテリウス王国軍がいないことを除けば、何一つ変わらない日常を送ることが許されていた。
そんなことはない。それは決してあり得ない。
そう分かってはいるものの、そう思わずにはいられなかったのだ。
ある意味では平穏だった。
どちらの軍勢もこの町にはいない。



だが、平穏は音を立てて崩れる。
彼らの抱いていた思いは幻想であって、現実にそうあるものではないことを思い知らされるのである。



「ラルコフの連中がきたって!!?」
「あいつらまだ生きてたのかよ………!!」
「いかん。女子供を守れ!戦えるものは武器を持って応戦するんだ!!」


ルイスベルグは鉱山資源に富んだ地域でそれを売りに市民は稼ぎを得ていたのだが、それを妨害しようとする動きがあった。
彼らの資源採掘は国にとっての重要な産業の一つであり、それを妨害するということは国から敵対視されても不思議では無い。
また実際その通りではあるのだが、そこには容易ならざる事態があった。
元々ルイスベルグにはアルテリウス王国軍の駐留基地などなかった。
数百人もいない小さな町にそれぞれ人々が住み着き、自衛の手段など彼らには持ち合わせていなかったのだ。
いたと言えば、“自警団”と言われる町で自主的に作っていた保安監督者の集団くらいなもの。
この町の中で秩序の乱れるようなことは殆どなく、過酷な環境の中でも平穏な日常を送ることが出来ていた。
しかし、それを阻害する者が、彼らが“ラルコフ”と呼ぶ集団である。
ラルコフは、簡単に言えば略奪者たちの通り名である。
ラルコフという名前は、その集団の首謀者がラルコフという男であることに由来する。
アルテリウス王国軍の支配が行き届かないこの地域の防衛の甘さに付け入り、不定期に町や村を襲って金品や食糧を奪う悪徳集団である。
ルイスベルグのほぼ全員がその集団を認知しており、彼らはどこかに拠点を作って近くの町などを襲い、それで得た収集品で生計を立てている。
町にいる人たちを襲い、脅し、金品を奪う。
鉱山資源を回収していた荷車を運ぶ人たちを襲撃し、強奪する。
最も卑劣な行為とされたのが、町の女や子供を狙って襲い掛かり、誘拐することであった。
ラルコフの仕業によって誘拐された女子供は少なくない。
一度攫われると自力で戻る人はおらず、一方的な要求を呑みそして達成させることで返される場合もあった。
中には二度と顔を見ることすら出来なかった人もいる。
それほど、ラルコフの集団は悪行を日常茶飯事としていたのだ。


しかし、国としても鉱山資源が強奪されることは痛手に繋がるものとして、ルイスベルグに少数のアルテリウス王国軍部隊を派遣する。
ある日、いつものように町を襲っては金や宝物、女子供を取って攫おうとしていた時に、アルテリウス王国軍正規兵たちが動き出し、現場で略奪行為を働いていたラルコフの集団を皆殺しにした。
その時首謀者であったラルコフはいなかったが、二十名ほどの悪人が有無を言わさず全員殺害されたことで、彼らの活動は小康状態に陥った。
その日はルイスベルグがラルコフの脅威から解放された、喜ばしい日であると町の人々は思えた。
さらに王国正規軍の一部隊がこの町に駐留し、ルイスベルグ鉱山を防衛する役割を担うこととなったために、その後ラルコフの襲撃を受けることなく、平穏な日々を手にすることが出来たのだ。
だが今、再びその脅威が町を襲った。
グランバートによりルイスベルグの町が占領され、駐留していた部隊の兵士たちが殺害されたことを、ラルコフの生き残りたちが知ったからである。
ラルコフの連中を知る町や村の人々は、誰もがこの誰もいなくなった土地に対して略奪をしにきたのだと恐れた。
しかし、それは間違っていた。


「お、おい!!火が出ているぞ!!」
「落ち着け。火元を消すんだ!!」
「奴らがやったんだ!!ラルコフの連中が!!」


「………略奪をしにきたんじゃないのか………!!?」



考えが甘かったと言えばそうなるのかもしれない。
誰にも予期せぬ事態に陥ったとしても、もはや誰にもどうすることも出来なかったのだ。
彼らは数年にわたり何度もラルコフの連中から略奪行為を受け続けてきた。
今回もそのうちの一つだろうと考えていたのだが、そうではなかったのだ。
グランバートも、アルテリウス軍も無いルイスベルグは無防備地帯に等しい。
彼らには、ルイスベルグに対する恨みや憎しみがあった。
かつてここを襲撃した際に、アルテリウス軍が彼らの仲間を一方的に虐殺した。
一方で彼らも逆に対しては卑劣な行為を働いていた訳だが、自分たちのテリトリーが侵されたのを激しく恨んでいた。
そして今日、彼らはルイスベルグの町や村に対して“攻撃”を行った。
略奪の為ではない。殲滅するためである。
今までラルコフらが村や町に火を放つことなど一度も無かった。
突然訪れては武力を持って脅迫し、金品や女子供を攫うばかりであった。
それが今は、火を放ち、武器をもって、町や村の人々を次々と殺害していく。



「………ああ、終わりだ。これで、ルイスベルグも。私たちの生活も、何もかも」



激しい憎悪は復讐を生み出し、殺戮を起こさせた。
もはやラルコフらにとって、この町の人々や金品は重要では無い。
鉱山資源なら、町や村の担い手がいなくなったとしても、自分たちで採ることも出来るだろう。
それだけで金になるというものだ。


―――――――――――復讐が許されるのなら、我々こそが奴らを殺してやりたい。


そんな、どうしようもない憎しみの塊が、次々とルイスベルグを破壊していく。
町や村の各所で破壊と殺戮が行われ、全体を合わせても数百人しかいない人々が大勢殺された。
大人も、子供も関係ない。
そこにいるというだけで憎悪の対象となり、殺戮の標的となる。
そんな見境なしの殺しが行われていた。
凄惨な戦乱の時代、このような出来事は、実はそれほど珍しくはない。
過激の度合いこそ異なるものの、略奪や誘拐は治安の悪い地域ではよくあることであった。
ルイスベルグのように、これまで治安が良かった村や町も、体制が変わることで大きく狂ってしまうこともある。
過去の歴史にもあったように、これからの未来でも、戦争が続く限り無くなることはないだろう。
そのような出来事の中で、人々の未来までもが左右され失われていく。


……………そういう点で言えば、この“一人の少年の未来”も、ここで大きく歪められてしまったのかもしれない。


その少年が住まう村がラルコフの連中に襲われてから、30分以上が経過していた。
村には火が放たれて、襲撃を受け大人たちは迎撃に出たがあっという間に殺されていった。
自分が知っていた大人たちも、一緒に遊んでくれた大人たちも皆、殺された。
炎に燃え盛るその様子は、大人たちの命を燃やし尽くして失わせようとさえ思える。
少年は、子供心にそんなことを考えていた。
この炎が、みんな消し去ってしまう、と。
この時少年は5歳。
5歳の子供に出来ることなど何一つなかった。
その村の中では数少ない子供の一人で、襲撃を知ると皆が女子供を守る為に武器を持って立ち上がった。
一方で、守られる側となった女子供たち。
その少年と二人の少女、二人の少女の生みの親、そして男の大人一人が村を離れて行く。
ここはもう危険だ。
ここにいては、命が幾つあっても足りやしない。
突然訪れた地獄の光景に、少年は表情を失いながら、目を丸くして一点を見続けるしかなかった。



「……………急いで、“イアル”…………ッ!!」



それが少年の名前だ。
まだ5歳の小さな黒髪の少年は、必死に彼を守ろうとする少女たちの強張った表情を見ながら、必死に逃げる。
彼にファミリーネームは存在しない。
彼は確かにこの村で育ってきた子供である。
しかし彼には、生みの親である母親も、保護者である父親もいなかった。
イアルという小さな小さな命は生まれ出たが、それを保護する者がいなくなってしまったのである。
それでも村の人たちは優しく、宛の無い一人の子供を皆で一生懸命に育てたのだ。
生まれの環境はあまりに不幸だったかもしれない。
彼はその境遇を知らない。いや、覚えていない。
覚えていないまま、この歳まで成長を続けてきた。
唯一、彼が肉親のことについて知っていることは、“父と母は生まれた時からいない、死んでいる”ということ。
彼の被保護者役であった大人たち、彼の成長を共に見届け支えてきた二人の少女から、その事実は聞かされている。
子供にその意味が分かるのかと疑問に思う人もいただろうが、彼は鮮明に覚えている。
親はいない。けれど、育ててくれた大切な人たちはいる。
いつもみんな、彼に優しかった。
彼は子供ながらにその優しさを受け入れていた。
だが、それは彼の将来の性格を示していたのだろうか。
彼は彼女たちや大人たちが見せてくれる優しさに、無邪気な笑顔を向けることが殆ど無かった。



彼らから見れば悪党たちが、ラルコフの連中が彼らにも迫り来る。
少年を守ろうとする大人たちは立ち向かい、悪党たちの接近を知る少女たちは息を上げながらも一生懸命に少年を連れて走る。
逃げさえすれば、どうにかなるかもしれない。
命さえあれば、どうにかなるかもしれない。
その先の未来さえ生き続ければ、たとえここが地獄であろうとも。
村は燃え盛り、道の両脇にも炎が立ち昇る。
すべて建物やその周辺の草木が燃えていることによる炎だ。
寒く凍えた村であるはずが、燃え盛る炎でどうしようもなく熱く感じる。
悪党たちは皆大人。
大人たちの体力と子供の体力など明らかに違う、しかも女性と男性との違いとなれば、その差が生まれるのも無理もないことだった。
まして一般人対多少なりとも戦いに心得のある悪党たちとでは、比較にすらなりはしない。
彼らはすぐに追いつかれた。


「……見ないで、見ては駄目…………ッ!!」


村の僅かに外。
延焼が各地に広がり、雪を融かしながらその下の草木にまで燃え移っている。
その炎に囲まれる中で、彼女たちは追いつかれた。
唯一イアルと呼ばれる少年とそれを庇う少女を守り続けていた大人の男性が、いとも簡単に斬り殺される。
悪党たちは5人。
全員が血まみれの剣を所持している。
血は剣の刃から握る手にまでしみ込んでいるようで、幾人もの大人たちを斬り殺してきたことがそれで分かる。
見ては駄目、と少女たちが彼の視界を奪おうとするが、隠そうと思っても隠しきれず時折彼の視界に入ってしまう。
少女たちとて少年を守ろうと必死だが、悪党たちに背を向けることがどれほどの恐怖であったことだろうか。
少年を抱きしめる少女たちの身体は震え、吐息は切れ切れに、呼吸すらままならない。
そんな状況でも自分を守ろうとしている、その少女たちのことを少年は思う。
僕はただの少年。
ただの子供の一人。
でも、この人たちは、僕のことを一生懸命に護ろうとしている。
僕は何も出来ない。
何も出来ない。
何も出来なかった。
本当は、僕こそが、ここまで護ってくれる大切な人たちの為に、僕こそが――――――――――――。



「イアル、お願い生きて、私たちの分まで。私たちは貴方の傍にいられなくなるけど、貴方はきっと一人でも、強い男の子になるんだから………お願い、生きて。」



“生きて。私たちの、分まで。”
そうして、少年を命懸けで護ってくれた、二人の少女も斬り殺された。
温かな優しさが、目の前にあった温もりが、唯一この場において希望だと信じていたものが、身体から離れて行く。
両脇に倒れ伏す音と同時に、少年の身体に少女たちの血が掛かる。
残されたのは自分だけ。
あとに護ってくれる人は、誰もいない。
目の前には、もう表情もよく読み取れないが、5人の悪党たちがいる。
少女を手にかけて興奮する様子もなく、まるで仕事を淡々とこなすように、最後の標的の殺害に移ろうとしていた。
少年には何も出来ない。
少女たちが私たちの分まで生きて、と願ったとしても、それを汲み取るだけの力が少年にはない。
精一杯の気持ちの表れだったのか。
それとも、最後に遺された唯一の希望ということなのか。
けれどそれも、願いを汲み取るために必要なものが、何一つ少年にはない。
夢は空虚なものとなり、霧散するだろう。
今からでも間に合う?
それはない。小さな少年にだって分かる。僕は、ここで死ぬのだと。



「――――――――――――。」
そんな時。
殺される寸前に、変化が起きた。
少年も心の中で思った。
ここで死ぬのは変わらないと思う。
でももし、自分で何か出来ることがあるのなら、それはこの人たちと戦うことだ、と。
斃れ伏した少女の傍を離れ、自分を守ってくれた大人の男が持っていた剣を手に取る。
――――――――重すぎる。どうしてこんなものを軽々と振れるんだ。
両手で持ち上げようにも、腰が浮き力が入らない。
何とか持てても、手の痙攣が止まらない。
小さなか弱き少年の両手に握られた剣、その光景を男たちが見て、声には出さなかったが笑みを浮かべていた。
少年一人に何が出来ると言わんばかりの表情だっただろう。
それすらも少年には見えていなかったが。


だが、少年の立ち向かおうとするその気持ちが一身に現れたともいえるだろう。
悪党の一人が、男の心臓を狙ってその剣を振りかざそうとしたとき、彼らの背後で生々しい音と僅かな悲鳴が聞こえた。



「何者だお前!!?」
それが突然訪れた、彼らの終焉であった。
まずはじめに5人のうち3人が僅か二振りの太刀で絶命した。
その鈍い音に気が付いた残る二人が振り返ると、そこには長身の男がいる。
上下が黒い軽装甲の鎧を着込んでいて、その上から白いマントを羽織っているようだった。
男の右手には、珍しい形の剣がある。いや、剣のようなものと言うべきだろうか。
彼らの常識では、剣とは両刃でありどちらの面でも斬ることが可能である。
ところが、その男の持つ剣は片刃しかなく、おまけに剣に比べるとかなり細身の刃に見えた。
剣同士がぶつかれば折れるのではないかと思うくらいの。
少年イアルが必死に持ち上げている剣とも全く形状が異なる。
しかし、男の持つそれは、とても身軽そうに見えたのだ。
悪党たちの問いかけに対し、男は無言で斬り伏せた。
残る二人を一太刀のうちに仕留めて、悲鳴すらもあげさせずに葬ったのだ。
突然現れては目の前の悪党たちを斬り伏せる。
淡々とした表情に、逆に少年は恐れた。


「―――――――――――――。」
少年はその剣を持ったまま、男と向き合う。
悪党を殺したこの男もまた悪党なのではないか、と思ったのだ。
しかし、男は少年を見るなり、少しだけ沈黙した後に、その場で剣を鞘に仕舞い込んだ。


「?」
少年としては、剣が下ろされたことで自分を殺すつもりはないのだろうか、と少しだけ表情を緩めた。
とはいっても、今の少年に表情が作れるような余裕はない。
目は丸く開いたままだ。


「少し遅かったようだな。だがそれも運命。己が生き残れただけでも良しと思う事だ」
男はあっさりとそのようなことを口にした。
少年の心はこの光景を前に酷く荒んでいたのだが、同時に酷く冷静さを保ってさえいた。
突然現れたその男は、その少年の顔を見て、はじめは将来無き救われない少年だと思った。
育ててくれた人たちもおらず、これからどこへ行けばいいのかも分からず。
だが、戦争が起きればそのような子供は何百人、何千人といる。
これまでの戦いでもそう、これからの戦いでも、そうした未来は幾度となく繰り返されるだろう。
しかし、少年が口を開く。


「僕を、助けてくれた?」
「?いや、たまたま通り合わせただけだ。でも悪党が子どもの未来を奪うのを黙って見てはいられなかったんでな」


――――――――――――もっと早く助けてくれれば。
そう思わないこともなかったが、この男は本当にこの瞬間にここに通りかかっただけなのだろう。
はじめからこの村での強襲を知っていれば、もっと違う手段を取ったのではないだろうか。
子供心に少年はそう思う。
だって、この人は僕を助けようと、悪党たちを殺したのだから。



「そうやって、ほかの人も…………?」

「そうだな。そうだった時もある。今はもうこんな荒んだ世の中に興味はないし、そのために力を尽くそうとも思わん。各地で発生した戦闘は、お前のような戦争孤児を何百人と生み出したことだろう。それを生み出すまいとしたところで、終わりなど見えるはずもない。」



その男は、相手が子供だからといって言葉を選んではいなかった。
分かりやすく説明しようともせず、諸々の語句は少年イアルが学んだこともないものも含まれていたことだろう。
ある程度は分かる。
元々この人は、こうした悪党たちを倒していたんだ、と。
少年は倒れ伏した少女二人の亡骸の傍にいく。
あまりにも怯えていたのか、足が金づちのようになっていた。
自分を命を落としてまで護ってくれた人。育ててくれた恩人。
そこで少年は、自分の心を言葉にする。


「………本当は、僕が守りたかった。でも、みんな僕を守る為に、死んでしまって………僕は、何も………」


大人も、女の子も、みんな僕のために大切にしてくれた。
だから僕もみんなに何かしてあげたいと思ってた。
でもうまく話せなかった。
伝えようとしても、気持ちってどう伝えたらいいか、分からなかった。
自分の手で何かしたいって思っても、何をすれば喜んでもらえるのか、分からなかった。
最後の最後まで、僕は何も出来なかった。
何も、してあげられなかった。
いつも僕のことを面倒見てくれたのに、僕は、何も。


その時、男には少年の心の一端が読み取れた。
その言葉に嘘偽りはない。
今まで沢山の世話をしてくれた人たちに、何か出来ることがあればしたい。
少年は子供心にそのようなことを思うようになっていた。
男は感じたのだ。
この少年が抱いている心の中身は、小さな見た目の子供が抱くそれらとは異なる。
この歳ながら、心は不安定ながらも成長し続けている。
今日この出来事を前に、少年は一切心を開くことなく、一生閉ざしたまま未来を見失うかもしれない、と思っていた。
けれどそれは違う。
この少年から感じられる心意は、自分を育ててくれた人たちこそを守りたかったという、強い意志。
だがこの少年には力が無かった。
何かをしてあげられるだけの力が無い。
少年の心にあるものを叶える為に必要なものが無い。
では、それを手にしたとき、この少年はどのように決断し、行動するのだろうか。


恐らく、そこに斃れ伏している少女やその周りの大人たちが、少年を育てた人たちなのだろう。
少年はその人たちの力になりたいと欲していた。
本当は自分がみんなを守りたかった。
そのように思っているのだろう。
もしこの少年に力があったとしたら、少年の心が変わらなければ、その人たちのために立ち向かったことだろう。
少年はこの小さな手に、そのような望みを抱いている。
男のこれまでの長い時間歩み続けてきた剣の路において、このような少年を見たことがなかった。
子供とは無邪気なもので、遊び回ってはしゃぎまわって、元気に笑う明るいものであるべきだろう。
そうでない子供を何人も見たことがあるし、心を失った子供の姿を見たこともある。
凄惨な事件の結果によるもの、戦争により親を失ったことによるもの、悪党に拉致され良いように身体を弄ばれたもの。
子供も、大人も、そうした世の状況に飲まれていく。
だがこの少年は、今まであらゆる境遇の中に飲まれたどんな人間たちとも違う。
男の直感がそう訴えていた。



―――――――――――男がこの少年に興味を持ったのは、この瞬間だ。
もしこの少年が力をつけ、今と同じように、誰かの為に剣を取るようになれば、どのような決断を下すのか。
男には決して少年のそうした望みを逆手に利用しようなどとは考えていなかった。
だがその将来がどのようなものになるのかは、男も気になるところであった。
男はこの地方の山の中にひっそりと暮らす、一介の民。
だがそれはあくまで周りの普通の人たちから見た、男の姿でしかない。
かつて男は、“人の世の為に剣を振るうこと”を覚えた。
また実際にそのような道を志して進み続けたこともある。
今は立ち止まるどころか、その道を閉ざして、辺境の山奥で一人で暮らしている。
たまに山を下りて食料を買い漁るが、それも時々のこと。
男の姿を見かけることも普段は殆ど無い。
そんな男が、このような夜更けに一人で歩いていたところ、ラルコフの襲撃を知って、そして少年を助けた。
どんな思い付きだったのだろう。
はじめは未来のあるべき少年が悪党たちに黙って殺されるのを見ていることは出来ない、という男の正義感から。
そして僅かな時間この少年と言葉を交わして、少年の心の一端を垣間見たとき、その少年が望むもののために必要なものを揃えてやろうかと思うようになったのだ。
本当なら自分が彼女たちを、みんなを守りたかった。
その思いの中には、確かに自分自身で強くなり、人を護れるだけの力が欲しいという望みがある。
このまま何もせず時を費やすよりも、この少年の往く先の未来がどのようなものであるかを見届けるのもいい。
男は言う。


「今のお前には人を護れるだけの力はない。たとえその意志があったとしても、無力なお前に出来ることなど何もない。だが力そのものは育つ中で鍛え身に着けることが出来るだろう。お前はお前を護ってくれた人々の心を背負うことになる。お前を護った人々は、お前の未来を信じ生きていてほしいと願ったからこそ命をかけてそのように行動をした。お前はお前を護ってくれた多くの人々の願いを託されたことになる。」


「…………みんなの、願い…………」


「故に問う。お前が本当に強くなりたいと望むのなら、その一端をお前にくれてやる。生半可な路ではない。やがてお前はお前自身の路を悔いることになるかもしれないし、その選択によってお前自身を滅ぼすことになるかもしれない。その後がどうなるかなど知らんが、選ぶ機会は用意しよう」


それがどのような意味を持つものなのか。
少年は少年なりに考えを巡らせた。
難しい言葉など分からないし、自分がこの先どうなるかなど分からない。
けれど、その男は言った。
強くなりたいのなら、その一つを教える。
もし本当にそれで自分が強い人になれたのだとしたら、今度はこんな時にも、人々を護れるだろうか。
少年は決断した。
男の教えを受けることを。
見ず知らずの、たった数分前に会ったばかりの男の誘いを受け、鍛練することを選んだ。



「俺の名はグレイグと言う。“戯剣流”の剣の使い手だ。お前の名は?」


「……………、イアル。」


「イアル、か。お前はこれから剣を学び、己の力とその心を強くする。やがてその先の道を拓くのは、お前自身だ。」



―――――――――――――その先の道。
男の言うことは何一つ間違いではなかった。
男が用意するのはあくまで機会。
少年が欲する、誰かを守れるだけの力と心。
それを備えさせるために必要なものを揃えるのが男の役割だった。
その先に広がる未来をどのような道を敷いて進むのかは、少年の選択次第である。
剣士グレイグは、自らの持つ剣の流派を、少年イアルに叩きこむことを決めた。


少年にとって、それが長い人生の中で、最も激動の時代を送るキッカケとなる。
あの日、殺されかけた自分を救う者がいなければ、命を懸けて自分を護る人がいなければ、少年があのような未来を送ることは無かっただろう。
少年はその日、その瞬間に、一つの未来への道標を拓く。
だがその未来は決して純善なものではなく、寧ろ後悔に満ちたものであったかもしれない。
そう、後に思い返せば。


少年イアルにとっての運命が、ここに始まる。
その運命が道標として未来の中に突出するまで、13年の時間を必要とするのであった。





……………。


interlude 4 ある一つの未来への道

■ Episode:Ⅲ 時代の波 ■


時代には常に陰が付きまとう。
太陽が地面を照らす一方で、光には必ず陰が付き添う。
光と陰は切っても切り離すことの出来ない、お互いに対となる存在。
日中は光が陰に勝り、夜間は陰が光に勝る。
人々が住まう現実世界でもそれは変わらない。
光に満ちた優しく温かな光景があれば、陰に侵食された暗く淀んだ光景もある。
今、この三大陸においては、後者の光景が支配しようとしていた。
時代は新たなる戦いを生み出しながら加速を続ける。
どちらの方向へ向かっているかと言われれば、多くの人々は陰と答えるだろう。
明るい良き世の中に向かっているとは誰も思わない。
あるいは、その先の道へ進み続けた時、限りなく終末に近い世の中となってしまうかもしれない。
あらゆる想像が人々の思考を駆り立てるが、その多くはやはり暗く淀んだイメージのものであった。
無理もない、仕方のないことであろう。
何もかもすべて戦争がそのようなイメージを具現させていくのだ。


グランバート王国の国王代理暗殺事件に端を発したこの戦争は、その途上ソロモン連邦共和国がグランバート王国海軍を実力行使にて排除したことにより、情勢が極めて不安定な状態に陥った。
かの王国は、国王代理の暗殺が現場の証拠の数々からアルテリウス王国に深く関与していると判断し、報復と称して宣戦を布告した。
アルテリウスと同盟関係を結んでいたソロモンも、開戦直後以外は支援物資等でアルテリウスを支援していたが、アルテリウスはグランバートの猛攻を前に敗れ去り、王国政府は事実上崩壊した。
そして今、
世間では、グランバート王国は次に同盟関係を結んでいるソロモンに対して宣戦を布告し、実力行使に出るだろうと考えていた。
誰もが容易に想像が出来たこと、所謂既定路線とも言うべきものであった。
もし彼らが沈黙したとしても、ソロモン側が仕掛けるだろう。
そういった声が少なからず上がったのも、人々は記憶している。
世間の関心は両国の戦争がどのような形で繰り広げられるのかに向けられた。
どこで起きるのか、いつ起こるのか。
どれほど長い時間を戦争に費やすのか。
既に世界の経済は循環能力を失い、急速に傾き始めている。
ソウル大陸の強国、オーク大陸の肥大国家。
この両国が戦争を始めることで、世界中の国々がその煽りを受けることとなる。
それほどまでに影響が出ると言うのなら、この両国を止める存在がいてもいいのではないか?
だがこの世界に国際連合など無く、国際会議など行われはしない。
彼らの国のほかに、ギガント公国、アストラス共和国、コルサント帝国という三つの纏まった国家があり、そのほかにも自治領や小国が点在するこの世の中である。
仮に円卓のテーブルに彼らが並んだとして、今の状況を打開できる案を提示し、またそれを履行する国がいるだろうか。
出来るのなら既に動いているのだ。
出来なかったからこそ、すべての国、すべての大陸がこの時代の波に飲まれていくのだ。
渦中、荒れ狂う波をかき分けながら生き残る国はどこか。
この時代を利用して利益を上げる組織や企業はどこか。
この荒んだ時代に人々はどのようにして生き残ろうとするのか。
一体誰が正義で、誰が悪なのか。
この戦争の果てに何をもたらすことになるのか。
何が遺ることになるのか。
平和な時代の訪れはあるのか。
あるいは過去50年続いた暗迷の時代を繰り返すのか。
人々はまだ、その片鱗すら見ていない。



いずれにせよ、時代は淀みを増している。
そしてこれらの時代の波に逆らう者と飲まれる者と、両方がいる。
逆に言えば、そのどちらかしか当てはまらず、たとえ自分は関係ないと考えていたとしても、いつの間にかそういった時代の波にもまれていく。
誰もこの戦乱の時代から逃れることは、出来ないのだった。






■ Episode:Ⅲ 時代の波 ■





アルテリウス王国がグランバート王国に敗戦してから、少しの時間が経つ。
両国を取り巻く環境は、主にアルテリウス王国側に大きな変化がみられるようになった。
王都アルテリウスをその支配下におき、アルテリウス王国政府はその機能を停止するよう通告を受け、それに従った。
国の機関として機能している軍務、政務および各省庁の機関、他の地域や他の大陸との連絡に使われる通信網、交通網のすべてを掌握し、グランバート王国は軍事的、また政治的な面においてもアルテリウスを掌握することになった。
だがそれはいまだ制圧されていない地域を除いた状況である。
王都アルテリウスはアスカンタ大陸の南部から中部にかけて位置する巨大な都市だ。
王国らしく典型的な一極集中の体制が取られていたため、大半の主要な機関が王都の制圧により支配下に置かれることとなった。
それだけでもアルテリウスは国としての機能を停止したと言っても過言ではないのだが、いまだその支配下に置かれずに独自の状況にある地方がある。
特にアルテリウス王国の領土は、中部から北の各地方は人々が生活するには厳しい気候が続いており、特に北部は永久凍土地帯とされ、人々が住み着いていない。
ただ、そんな過酷な環境下でも幾つかの大きな街や村は確かに存在しており、そこに住まう人々もいる。
独自の状況にある地域が、そうしたグランバート王国からの支配を直接受けていない地域である。
アルテリウス王国は政治的な機能を停止し、停戦状態にあるが、彼らは違った。
公に戦いを継続することを表明してはいないが、グランバートを前にすべての武器を棄てようとは考えなかったのである。
特に、アルテリウス王国軍第二師団は、一部派兵された増援部隊を除いては、傷を受けていない健在の部隊である。
彼らが明確に敵意をむき出して王都を奪還しようと殺気立ってはいなかったのだが、その機会を窺っていることは誰の目にも明らかであった。
そう言う意味で、グランバートはいまだアスカンタ大陸内部において健在の脅威と隣り合わせになっていることとなる。



『国は白旗を挙げた。だが、我々はまだすべてに屈してはいない。この苦境の中でも、我々は信じるものを手に生き続けよう。』



王国民にとって国の降伏と同じように衝撃的であったのが、アルテリウス王国の象徴の一つとされてきた、王国騎士団の壊滅であった。
アルテリウス王国が降伏したという情報に続いて、戦況報告があらゆる手段によって広まった。
その情報はアルテリウス国内を駆け巡るほか、他の大陸の国々にも知れ渡った。
アルテリウス王国の王国騎士団が全滅し、千年王国の支柱として立ち続けた騎士たちが姿を消した。
特に近年の王国騎士の中心として名声を得ていたマルスの死は、それを知る民たちすべてにとってショックな話であった。
マルスに替わる存在はいない。そもそも国に騎士はいなくなってしまった。
失意の中にある国民ではあったが、その裏ではいまだ支配を逃れ、狭苦しくではあるが生き続け、いつかまた立ち上がれる日が来るのを待ち続けようとする人々がいる。
王国陸軍第二師団の師団長を務めるアルフレッド准将を指揮の下、王都から遠く離れた中北部の極寒都市ノルヴィクを中心に、南部にかけては偵察と防衛線を張り、中東部中西部、および北部の街を管轄に置いた。
崩壊したアルテリウス王国の政権下に属する軍隊が、アルテリウス王国の意思とは異なる統制を敷くという奇妙な構図が出来上がっている。
つまりは私兵集団というものである。
ところがこの私兵集団の存在を、グランバートはそれほど気にしてはいなかった。
王都アルテリウスがグランバートの占領下にある。
この事実だけでも王国に対しての影響力は大きいものであった。
また、占領下に置いた幾つかの主要な採掘資源箇所を自由に使えるようになったため、グランバートは軍事物資の供給をこの大陸で行うことが出来る。滑走路や野営場、基地などを整備することが出来れば、この大陸が新たな攻撃拠点の一つとして数えられるようになる。
それだけでも、残る一師団に対してのけん制としては充分なものであろう。



アルテリウスとグランバートを巡る情勢はこのような展開を迎えていた。
一方で、今世間で注目を一身に集めている国家、ソロモン連邦共和国。
何故なら、グランバートが開戦するとき、その引き金となったアルテリウスのほかに、戦線に参加した国家の一つだからだ。
ソロモン連邦共和国海軍所属第三艦隊が、グランバート王国海軍第七艦隊と海上で遭遇。
第七艦隊は第三艦隊からの激しい攻撃を受け、壊滅。
傍で海上封鎖を行っていたアルテリウス王国艦隊を防衛するという名目で、グランバート王国領海内のグランバート王国艦隊を攻撃したのだ。
これは、明確な領海侵犯にあたる。
それに対しての報復を、グランバートはこれまでアルテリウスにのみ向けてきたが、それだけでは収まらないだろうというのが、世間から見た当然の見方というものであった。
同盟関係にあるアルテリウス艦隊を防衛するのは、同盟国としての責務である。
その名目のもと攻撃行動を起こしたと言われるが、実際に最初に攻撃を仕掛けたのはソロモン連邦の艦隊である。
当然、グランバート王国としては看過できない事態であった。
ただ、アルテリウス王国との開戦後はそちらに注力したため、ソロモンを相手にはしなかった。
それが今、アルテリウス王国が敗戦したことを受け、標的を変更するという可能性は充分にあるだろう。


オーク大陸を巻き込む戦争ともなれば、世界情勢が大きく揺らぎ傾く可能性がある。
もはや止まることを知らないこの緊迫した状況の中。



「まもなく作戦空域に入る。各員、降下準備を行うように。繰り返す、まもなく……………」


ある一つの軍事行動が起こされようとしていた。
時刻は夜中。
普通の生活をしている人でもそうでなくても、この時間であれば多くの人が就寝しているだろう。
静寂な闇夜を進む飛行物体。
その中に、大勢の兵士たちが乗っている。
全員が兵士で、全員が戦闘服を着用し剣を持っている。
そう、彼らは全員これから敵の領地に対し降下作戦を行うのだ。



「―――――――――――――。」
皆、それぞれ背中に背負うパラシュートの確認をして、輸送機の中に張られた一本のワイヤーにフックをかけて、機体の後部へと移動する。
飛び降りる順番を待ち、自分の番が回ってきたらそのフックを外して外の空間へ飛ぶのだ。
敵軍の飛行機を探知するシステムが存在しない国にとって、夜間の飛行機の接近は発見し辛い。
そのためこの作戦が充分に効果的であろうという予測は立っていた。
寧ろその可能性を見出し得なかったら、このような無謀な作戦には出なかっただろう。
軍人を乗せた輸送機が他の国の領空を侵犯し飛行する。
普通の国はこのような状況を歓迎するはずはない。
まして両国の間にある今日の状況を考えれば。


―――――――――――ソウル大陸東部沿岸、グランバート王国直轄領バローラ港。
グランバート王国の直轄地であるこの港町は、夜は静寂に包まれた街ではあるが、日中の時間帯はとても活気に満ちた街となる。
昼間は多くの商人が他の大陸にある珍しい品々を売る貿易港となり、国の中から沢山の市民が集まる。
大陸の中でもあらゆる文化が混在する中で、ここは大陸の内外の異文化同士が交流できる珍しい場所でもある。
たとえば、内陸にある都市や街では、他の国や他の大陸との交流は殆ど無いと言っても良い。
それは、今日に至る状況だけでなく、これまで続いてきた60年にもわたる戦乱の時代が、そのような閉鎖的な環境を作り出している。
そこに住まう人たちからすれば、必要な情報は新聞やニュースなどで見ることが出来る。
最近になってそのような情報化社会が進歩してきたので、態々誰かに聞いて回るようなことも少なくなった。
もっと言えば、外来の文化を取り入れずとも、彼らはそれなりの生活が出来ている。
他所の知識、他の国の文化、そういったものを取り入れなければ民族の存続に関わる、などということは無い。
そのため、無理をして他の文化を取り入れることをしなかった。
それが大きな理由の一つであろう。


そのバローラ港は、大きな港町である一方、国内の軍事拠点の要衝の一つでもある。
ここは王国領の南東部から東部にかけて配備されている、グランバート王国海軍第四、第五艦隊の停泊が可能な軍港であり、また艦隊の補給拠点でもある。戦艦や巡洋艦を運用するのに必要な物資が多く集められ、有事の際には出撃拠点として使用されることを前提とした前線基地となっている。
燃料や武器、艦船に使用される主砲の弾薬などが貯蔵されているこの基地は、緊張状態の続くこの世界情勢の中で重要な役割を持つ。
そう、“彼ら”はこの基地の制圧を目的に、夜間に接近したのだ。


「軍人とはいつも理不尽な命令の下で命を絶やすばかりだ。政府や最高権力者という絶対的な存在に従える道具であり、道具はその命令を忠実に実行することだけが求められる。そのためにどれほどの犠牲が出ようとも、数としてどれほどの犠牲が出たか、としか思われない。」


しかしそれが軍人としての在り方であり、何も今この瞬間に生まれた常識ではない。
軍人は捨て駒。
軍人はいつでも政府の操り人形である。
道具としてこき使われ、必要が無くなれば処分される。
相応の対価が支払われていたとしても、その扱いはぞんざいなものである。
だが、そのような道具であったとしても、彼らには一人ひとりの感情があり、個性があり、希望や理想といったものもあるだろう。
すべてを利用されている訳ではない。
自分から進んで兵士になった者もいる。
ソロモン連邦共和国では、その例は少なかったが。


「…………降下作戦、開始!!」



―――――――――――バローラ港の夜襲。
ソロモン連邦共和国とグランバート王国が刃を交えるのが既定路線であると言われていた世間。
その最中に起きた一つの戦闘行動。
だがこれは、グランバート王国にも、また他の諸外国にも予想していなかった展開であったと後々に伝えられる。
ソロモンが、自らの意思によって敵国に攻め入る。
その決定を下したのは、ソロモン連邦の“中央”に椅子を構える政権を担う者たちである。


そしてその決定が、新たな争いと、世界中を巻き込む大きな渦中を生み出すこととなる。

第1話 連邦共和国_動向②

―――――――――――バローラ港夜襲の三日前。


アルテリウス王国が敗戦したことで、世界情勢にどのような変化が生じることとなるのか。
世間一般では次の動向の可能性として、すぐにソロモン連邦共和国の戦争介入を示した。
彼らは既にグランバート王国軍と二度海上戦闘を行っており、ソロモン連邦共和国がグランバート王国との間に戦端を開くことは、もはや既定路線として考えられていたのである。
問題は、お互いの国がどのような形で衝突するか、という点にあった。
ソウル大陸とオーク大陸との間には海域が存在し、空路を使えば数時間で飛行できるが海上からでは一日以上はかかるだろう。
大陸間の最短距離を結んだとしても、その行程は容易に縮まるものではない。
現在、両国にまたがる海域は両国の複数の艦隊が海上封鎖を行っており、どの海域からも侵入することは困難だった。
だがそこに活路を見出そうと先に動いたのが、ソロモン連邦共和国だった。



ソロモン連邦共和国首都オークランド中央政府元老院。



この国は規模こそ異なるものの、幾つもの州によって構成された共和国であり、州ごとに中央政府から認められた職権においてある程度の自治を認められている。ただ、あくまでそれは中央政府が管轄するうえでの話であり、独自の路線を敷くことを許されてはいない。
州の政治運営によって得られたものは国益の一つとして搾取される。
各州の行き届いた統治は、そこに住まう人々に対する監視の目といっても良い。
無論、人々の行動を取り締まる行政と立法機関も確かに存在する。
この世界で最も多くの人々が住む国ではあるが、その国の内情はあまりに閉鎖的なものであった。
共和国とは言いながら、国民がこの国の政治に関与する機会は極めて少ない。
中央政権によって定められた人々とその機関が政務を代行し、中央政権の中心にある『元老院』がその政務を司る。
元老院に所属する者たちは、この国の最高位に属する者たちであり、そこに名を連ねる者たちが決めた手段は、州の統治において絶対的な拘束力を持つ。つまり、ある程度の自治は認められつつも、元老院がある事柄について定めたものは、州の自治形式を問わず履行しなければならない。
そういった意味では、この国も極端な中央集権国家と言えるだろう。
矛盾の凝り固まった行政機関。
その元老院が、この日最も閉鎖的な空間の中で、この時期に非常に重要な会議を行っていた。


「もはやグランバートが我が国を攻めるのは事実になると断言しても良いだろう。であれば、我々がどのように奴らをかわすか、それともその逆か。方法は二つに一つしかあるまい」

「そもそも軍務が暴発して王国の第七艦隊を討ち滅ぼしていなければ、こんなことにはならなかったのだ!」

「それは違うな。あの海域でアルテリウスとグランバートがやり合えば、当然グランバートが勝利しただろう。アルテリウスには兵器の心得があまり無かった。そして同盟関係にある我々としても、同海域で攻撃に遭っている艦隊に対し、高みの見物を決め込む訳にもいかないだろう。あれは必然だった」

「すべては、アルテリウスがグランバートの国王代理を暗殺したことから始まったのだ」



「―――――――――過去を幾ら語っても今は変えられません。最初に話したように、今後をどうするかを決める。それがこの議の目的です。」



中央政府元老院は、7名の元老院議員による集まりだ。
元老院議員の選出は、政権および軍務においても最高権力者の地位にある最高議長ベルフリードが行う。
その基準は明確にされていないが、すべてベルフリードが議員の選出などの人事権を持つ。
この国は、長い時間民主共和政治とは遠くかけ離れた政治体制を維持し続けている。
民衆による政治参画があまりに少なく、閉鎖的な政権が常に国民を支配し続けてきた。
しかし国民も国民で、そうした政治体制がごく当たり前のものなのだと分かっていて、あえて何もすることはしなかった。
国の意に背けば粛清される。黙って聞いていれば何もされることはない。
それが分かっていたからこそ、自国に対し反旗を掲げる者が現れなかったのだ。
最高権力者、元老院に属する最高議長の権力のもとに、複数の州に一定の自治が与えられ、その自治の中で政治が営まれる。
この国の人々は、そうした支配体制に慣れていた。
国に属する者たちは、閉鎖的で限定的な政治ではあるが、それでも自分たちのために尽くしてくれている。
不満は多くあれど、力を以てそれを破ろうとする者は現れなかった。
閉鎖的な円卓の空間にいる彼らだけが、国の政治の方針を定める権利を持ち、それを実施させることが出来る。
人々はこのような政治体制が独裁制でないにせよ、一極集中の限定的で狭隘な政治であると認識している。


「グランバートにどれほどの力があるかは分からんが、長期戦となればこちらも犠牲が多くなるのを覚悟しなければなるまい。だが、奴らは既にアスカンタで幾度も戦っている。それに対し、我が軍は艦隊の一部損失があるのみ。陸戦部隊は無傷だ。充分に勝機はあるのではないか」

「戦えば負けるとは思えんが、“敵”にはあのカリウスがいる。どのような企てをしているか、分かったものじゃないぞ」


「グランバートの戦力増強はあまりに早過ぎて、まるで風船が急激に膨張しているようなものだ。そのうち統制が効かなくなり内側から破裂する可能性もある」


「とはいえ、戦いが避けられる状況でもない。奴らは勢い付いている。特にグランバートが占領したアスカンタ大陸から南下して来る可能性があるだろうと考える。防衛線を築くべきだ」


グランバートがオーク大陸への侵攻をするとすれば、アスカンタ大陸南部からオーク大陸の北端に辿り着くか、もしくはソウル大陸の北東部からオーク大陸の北西部を狙ってくるだろうというのが、元老院議員の共通した考えであった。
そのため、アスカンタ大陸からこの大陸へ上陸する可能性の高い、オーク大陸北部地域の防衛を強化した方が良いとの意見が集約される。
ここでの会議の内容が採択され決定されれば、それが軍務に降りて軍人たちが実行することとなる。
とりわけそのような内容の方針で固められていたのだが、幾人かの議員たちは付け加えるような形でこう述べた。


「しかし、我が軍が敵が攻めてくると分かって一方的に防戦をするのでは、アルテリウスの二の舞になるのではないか?こちらから攻めるという方法もあるだろう」


どのみちグランバートがソロモンに攻撃を仕掛ければ、その時点で戦争になる。
どちらかが譲歩しない限り、その戦は果てもなく続くことだろう。どちらかの牙が折れるまでは。
だが、彼らはこの戦いで一方的な防戦を展開しようなどとは考えていない。
グランバートがソロモンを攻撃するのが既定路線なのだとしたら、それを指を咥えて黙って見ている訳にもいかない。
自然と彼らはグランバートに対する具体的な侵攻の方法を協議し始める。
戦争をするのはいい。黙っていてもこのご時世が停滞を許さないだろう。
そうなった時、その矛先を向け、何を目的とするのか。


「もう手は打ってあります。皆さんが仰る通り、私たちがただ黙って侵攻を待つというのでは、世間の目も懐疑的なものとなるでしょう。戦うからには勝つ。そのために必要な手は、もう既に打ってあります」


「総統…………?」


「“彼”が動けば、カリウスも動く。そうなれば、どちらの大陸での戦いも状況が変わることでしょう。」



ベルフリードがそのように話す。
そしてその瞬間、議員たちはベルフリードの狙いの一つを確信した。
この国の人々がこの決定をどのように思うかなど、この場では分からないことだ。
しかし、確かにベルフリードの言うように、一方的な展開を強いられた場合、あるいはアルテリウスのように国に絶望する人々が多く現れるのかもしれない。
国が人々を煽動する。
人々は国に仕え、国は人々を従える。
何もおかしなことではない。
これまでの過去、何世紀も前からそのような構図は当たり前のようになっていた。
ただこの国の歴史において、民を煽動してきたのは、極めて閉鎖的な空間の中で育った、権力者たちであったのだが。



「では総統閣下は、レイ大佐にソウル大陸侵攻を命じたと、そう言うのですか?」

「そうです。私が命じました。今、貴方たちが危惧するように、私たちが積極的に戦線へ介入すれば、事態はより昏迷なものとなるでしょう。しかし一方で、王国は二つの異なる地域でそれぞれ戦闘を繰り広げなければならない。オーク大陸に主力を送り込むことは不可能となるでしょう。自国の領土が外敵に冒されるとなれば、自国に戦力を傾けるでしょう。それで、この国の民たちは少しでも救われる」


ベルフリードも、この大陸で戦闘が発生することはもはや避けられないと考えている。
彼ら議員もそれは同じ考えであり、戦争が激化すればより深刻なダメージを受けることも考えられる。
そうと分かっていても止める術を持とうともしないのは、人間がどれほど愚かな存在であるかを体現しているようだった。
その中で、ベルフリードは出来るだけ自国民、ひいては戦う術を持たない民たちを巻き込まずして戦争を進めたいと考えている。
誰一人として巻き込まないというのは不可能な話だ。
そしてそのような考え方そのものが誤りであり、甘さでもある。
ベルフリードの様子を見ていると、それを本気で目指そうとしている。
たとえ誤った、現実に不可能なことであったとしても、それを目指すことそのものに価値はある、と言うように。


だが、その結果を得るために必要なのは、同胞の血である。
いつでも手段のために使われるのが、軍人という立場だ。



それが分かっている議員たち。
だが、分かっていてなお、ベルフリードの既に下された決定を覆すことは出来ない。
誰一人男の決定に反論を抱く者はいない。
ソロモン連邦共和国軍レイ大佐。
彼が率いる先遣部隊は、ソウル大陸の海軍補給基地であるバローラ港に夜襲をかけ、その周辺が制圧出来たところで上陸作戦を決行する。
秘密裏に行われている最高議会の元老院にて、一人の決断による作戦が全会一致で可決された。
あまりに矛盾した行程であるが、そんなものは兵士たちには関係ない。
兵士はただ戦う。国のために忠を尽くす。
政府からの命令には絶対に従う。それが兵士に求められている姿だ。


「最終的な目的は、グランバートの停戦にあります。停戦に至るまでに必要な状況は、ソウル大陸の侵攻にあります。」
「なるほど。では、敵がこれ以上の戦闘が継続できないほどの攻撃を与え、停戦に持ち込むという訳ですな?」

「その通りです。グランバートは昔から続く強大な軍事国家。簡単ではないでしょう。ですが、戦わなければ私たちこそが彼らに潰される。私たちとて留まる訳にはいきません」


「総統がそう仰るのなら、誰も否定はしないでしょう。レイ大佐の作戦は別として、すぐにでも軍部に北部方面の防衛を固めるよう通達しましょう」



元老院議員とそれを束ねるベルフリードの決定は絶対的なものである。
特に軍務に関するものは、一度その決定がなされると、情勢が覆らない限り決定は絶対的に施行されるものとされる。
政権の直下の従属者集団である連邦軍は、こうして閉鎖的な議会の決定を受け、次なる戦への準備を進めることとなる。


「――――――――――なるほど。承知しました。すぐに知らせましょう」
そして議会での決定は、すぐに軍務の最高責任者であるイグナート・リラン国防長官に報告される。
リランはそれを自室のテレビモニターを通じて聞かされる。
内容はごく単純で明快なものだ。
グランバート王国がアスカンタ大陸より南下する可能性高し。防御を厚くし警戒されたし。
それが元老院からの指示である。
国防長官であるリランは、国内の軍務の最高責任者の地位にあり、軍人の中では最も高い階級に位置する。
連邦軍元帥の階級を持ち、その権力は軍務全体に行き渡る。
彼の上に国の最高権力者であるベルフリードがいる。
この時点で既にベルフリードとリランは、レイ大佐をソウル大陸本土へ送り込む作戦を立案し、また実行に移している。
バローラ港強襲作戦が事前に察知されるのを避ける為に、情報封鎖をしてその点だけは公開しなかった。
そのため実行に移す直前に、作戦に参加しない兵士たちにそのことが告げられる。
それよりも前に知っていたのは、元老院議員と一部の軍人、そして作戦の実行者たちだけであった。
軍を動かす。兵隊を引き連れるための指針を示す。
そのような重要なことが、あのような狭い円卓の会議にて決定される。
たとえ軍の最高階級に属するこの男ですら、あの円卓の会議は不可侵の領域にある。
ズカズカと入り込んで場を穢すようなことも出来ない。
結局のところ、たとえ自分がベルフリード閣下と内々で話が出来る間柄であったとしても、元老院による決定は軍務にとって絶対なのだ。


「………私だ。リランだ。参謀本部のゾルケン中将を。………私だ。いよいよその時が来た。第七師団のアルヴェール少将に、北部方面の増援を指示してくれ。内容はデータで転送する。それから………これは内密だが、例の、南側の奴らの動向には常に監視を。動きがあるようなら、すぐに知らせるように。」


『承知しました、元帥閣下。仰せのままに』


男は、別のテレビ電話を呼び出し、ゾルケンと呼ばれる連邦軍参謀本部に所属する高級官僚を呼び出しそのように指示を出す。
この指示は参謀本部を通じて各部隊へ伝達される。
だが、リランはその中に内密にしてほしい内容までも伝えていた。
つまりこの内容の一部は、この二人だけのものであり公開されることはない。
彼らだけの通話の内容だが、これが一体何を意味するものであるのかは、誰にも分からなかった。
少なくとも、今の時点では。


――――――――――――――ソロモン連邦共和国陸軍第七師団、本隊駐留基地「トルナヴァ」
連邦軍第七師団は、おもにオーク大陸北部、北西部、北東部の北側地域に配備されている大規模な師団である。
大陸の北部を防衛する三つの師団のうち、第七師団は最も大陸の北部を防衛する役割を持つ。
具体的には、大陸北部の海岸線沿いを中心に、複数の港から山々に至るまでの約3千キロをカバーしている。
これまではアスカンタ大陸のアルテリウス王国との同盟関係があったため、彼らがこの大陸に攻め入る可能性はほぼなく、防衛側としてはそれほど重要視されていなかった。
だがその状況も一変し、アルテリウス王国が敗戦し、アスカンタ大陸南部のヴェルミッシュ要塞がグランバートに占領されていることから、アスカンタ大陸南部と最も距離の近いこの北方地域が侵攻の対象となる可能性が高いことが懸念されている。
港町の複数個所に連邦海軍が停泊し、山岳地帯は貴重な鉄鋼資源の採掘場が数多く存在する。
軍事物資として必要な資源の多く、地理的な条件などを考えると、グランバートが狙う可能性は高い。
そうなると、本土での戦いとなれば、この北方地域がまず攻撃を受けるだろうと考えるのは当然というものだった。
現地にいる兵士たちも、ごく自然とそのような考えを持つようになっていた。
今までは、自国の領土を防衛する任務を持っていたとは言っても、対外的な脅威にさらされることがなかった。
特にこの10年もの間は、戦いから遠ざかることが多かった。
しかし、これからはそうも言っていられない。


「そうでしょうな。ですがゾルケン中将、我々第七師団は防衛範囲があまりに広大で、局地的に兵力を集中させることなど出来ません。その辺、どうお考えなんですか」

「こちらで手は打っている。第六師団からの増援を四個連隊、それから各士官学校の学生のうち習熟度の高いものをそちらへ200人ほど送り込む。編成はそちらで任せるが、可能性が高いと判断するのは、ノースウッド州にあるシュメリ、パルザンの港周辺、スヴェール、ベレズスキの山岳地帯だ。基地も小規模だし、大編成の連隊を駐留させられるほどの物資も集め辛い。なんとかうまくやってくれ」


“指示を出してくれるのはありがたいんですが”と、やや面倒そうな声色で電話越しに話しかける男。
彼は第七師団の師団長で、北部統括地域の指揮官を勤めているハルバーグ准将。年齢は36歳。
ハルバーグは20年前から連邦軍の兵士としてこの国に仕えており、幾多の戦場を駆け抜け生き残った一人である。
特に10年前となるオーク大陸内部での激戦では、自軍が苦しい状況下にありながらも戦果をあげ続け、その実力が認められて高級士官の仲間入りをしている。
戦争が終わってから第七師団への異動が命じられ、その後連隊長を経て現在の師団統括の指揮官となる。
上官にあたる存在にもややぞんざいな物腰を見せることがあるが、それはある意味では彼の人となりとして認められている部分でもある。



「学生なんて戦線に送り込んで大丈夫なんですか?俺一人で取れる責任は限られてるんですが」
「この国が定めた制度に則った話をしているだけのこと。無用な心配をするな。それに、学生でも腕の立つ奴はいる」
「そうですか。じゃ、その辺のデータを送ってもらったら、あとはこっちでやりますよ。物資のほうは送ってくれるんでしょうな?」
「もちろんだ。現状でそちらの部隊に回せる分だけは追加で送る。もう手配済みだ。これまで通り定時連絡を怠らず、部隊の編成を進めてくれ」



必要最低限の内容だけを伝えたゾルケンが、用件を伝え終えて通話を終了させた。
通話が切れた瞬間、大きなため息をつきながら、ハルバーグは椅子に背中を深く預ける。
彼が今いる場所は、ノースウェストジニア州の都市トルナヴァの郊外にある第七師団本隊駐留基地だ。
トルナヴァ駐留基地は駐留人数が1千人を超える、北部方面地域最大の規模を持つ駐留基地だ。
最大駐留人数はほぼ一つの師団が丸ごと収まるほどのもので、この基地は軍事拠点の一つ、要塞とも言える。
トルナヴァ駐留基地は10年前の戦いが終結した後、国内の国防態勢を整えるのと呼応して作られた拠点の一つである。
ここは駐留基地のほか、隣接する工場区画ではあらゆる武器や防具の生産を行っている。
軍事拠点としては国内でも大きめだ。
今、グランバート軍との接触の可能性で最も近い位置にある陸軍が、この第七師団である。


「増援というのはありがたいですが、新兵まで回されるとは………それほど状況にお困りでもないでしょうに」
「全くだな。南部の部隊なんざ暇を持て余してるだろうに」


同じ執務室内で彼の副官役を務めるロックウェル中佐は、そんな怠惰な衣を被る指揮官に同情する。
“中央”から半ば強引に押し付けられた形で、彼らは新兵たちを引き取ることになる。
上の人たちは使える人間を回したと話すが、それが信用ならないことは言うまでもない。
何しろ彼らは新兵だ。
出来ることなら使いたくはない。そう思うだけで戦力としては考えられなくなる。
戦場において一人や数名という個人の力が全体の戦局を動かすことなど稀である。
よっぽどの人材が登用されない限り、戦いは数であり、力である。
ハルバーグもこれまで例外を見たことはあった。
幾人かは面識もある。今となっては遠く離れた土地で作戦行動を強いられているようだったが。
たとえ新兵の中に役に立つ人材がいたとしても、正規兵を上回る活躍が出来るとも思えない。
いずれにせよ、回されたところで後方の物資運搬や負傷者の救護についてもらう。
それが現時点でのハルバーグの考えであった。
その考えにはロックウェルも賛同していた。


「ん、今度はなんだ。オルドニア士官学校だ………?」
ゾルケンとの通話が終わったかと思えば、今度は意外なところから連絡がきた。
第七師団の詰所にここから連絡が来ることは、殆どない。
そのため、ハルバーグとしても意外な表情を露わにする。
オルドニア州士官学校。
連邦共和国内に存続する数少ない士官学校の一つだ。


「これはこれは、マインホフ校長。お久し振りですな」
「ハルバーグ。久しいな。どうだそちらの様子は。これから最前線になる可能性がある、皆ナーバスになってないか?」
「いえ、今のところは。それよりどうしたのですか、急に。」


この二人はそれほど面識がある訳でもないが、かつての戦いではマインホフの指揮する部隊にハルバーグが所属していたこともあり、お互いがこの立場にあっても時々連絡し合うことはあった。
この10年もの間は、それこそ戦いも発生せず、戦地での話をする機会も無かったため、年に数回連絡を取り合うだけであった。



「大した用事では無い。ただ、今回貴官らの部隊に、この学校から多くの生徒が赴くことになる。未熟な奴らだが、各部隊に面倒を見てもらえるよう、あらかじめ連絡をしたかったのだ」


ハルバーグが男の声色を受け取ったとき、それは上官と部下としての話し合いではなく、まるで親心を持つ父のような話し振りに感じられたのだ。
マインホフとその生徒たちがどれほど親交を持っているのかは分からない。
校長という立場でありながら、彼らからすれば明確の上官にあたる。
それほど親しい間柄でもないのだろう。
だが、マインホフはこの人なりに彼らを気に掛けていたのだ。
分かっているのだろう。
右も左も分からない生徒たちがいきなり戦場に送り出されれば、どうなるか。
その先の未来を想像するのは苦しい。
現場を取り纏める指揮官やその彼らを指揮するハルバーグとて、その想像は出来るし辛いものがある。
しかし、これも国からの指示であり命令なのだ。
士官学校でそれなりの能力を持つと判断されたものが、前線の兵士として送り込まれる。
この国の有事の際に発動される制度が正しい形として成り立っているだけのことだ。
願ってもいないのに兵役の義務を背負わされた人たちからすれば、とんでもない話なのだが。


「そっちの学校からは何人送り込むんですか」
「30人だ。皆、学校の中では個々の能力が高い人間として評価されている」
「そうか、そりゃ期待できそうですな。ただ、俺は新兵は後方勤務をさせるつもりです。今のところね」
「いや、それならそれでいいのだ。貴官の指揮する部隊だ。全体の裁量権はある程度君にある」


もっともらしいことを口にするマインホフだったが、一方でハルバーグはそれほど言葉を耳に入れなかった。
上官としての正式な依頼や命令ならともかく、何かを要求する訳でもない、役に立つような情報でもない話をしたところで、それが部隊の編成にどのように影響するかなど分かるはずもない。
あるいは、心の中では“こうしてほしい”という欲求がマインホフにはあるのかもしれないが、それを引き出そうとも考えてはいなかった。
ハルバーグは、あくまで自分の裁量において決定を下す。
今のところ新兵は後方で勤務をさせようと考えているだけのことだった。


「皆、若いんですか?」
「ああ。一番上でも25だ。全体を見れば10代の兵士も多い」
「そうですか。10代ね」


この国の制度に従っているのだから、若手の兵士たちが集まるのは当然とも言える。
徴兵制度により強制力を持たせた兵士は、若くして登用される。
そして大体は戦場の一兵力として扱われ、数のうえでは把握されずに死んでいくのだ。
この大陸で戦争が起こるのは避けられそうにもない。
そうなれば、そういった数えられない人々の犠牲の中に、新兵たちが含まれる可能性は充分にある。
無論、それは新兵に限った話ではないが。


「まあでも、自分から進んで兵士になりたいと思う人はいないでしょう?このご時世に」
「それがそうでもないのだ。うちから行く生徒の中には幾人か、自分から進んで士官学校へ来た人もいる」
「そうなんですか?それはまたどうして………」
「知りたければ、派遣される兵士のリストでも見てみることだ。すぐに分かるようになっている」


それからもやや暫く二人の会話は続いたが、半分以上の内容をハルバーグは記憶せず、その場限りのものとして流していた。
ただ、確かにマインホフの言うように、派兵される兵士たちの所属を決めるという点では、さっと目を通すくらいの情報を得ているべきだろう。
たとえば、全く戦闘の経験が無い人はいないと思うが、何の前情報も無しに適当な配置にしてしまえば、適所において活躍出来ない状態を生み出すことも考えられる。
そういった配置転換を、彼は自ら進んで行う気質がある。
前線を指揮するのはその部隊の指揮官で、その指揮官たちに指示を与えるのが、ハルバーグの立場である。
ロックウェルに確認を取ると、確かに派兵者の名簿と最低限の情報が一覧にあった。
新兵だけでなく、他の師団で兵士としての経験を積んできた者たちのリストもあった。
既に兵士としての立場を持つものたちは、陸戦においてあらゆる分野での経験を積んでいるので、ある程度適当に分けても問題は無いだろう。
新兵は、その中に混ぜて行くことになる。
すべてに目を通すほどの時間は作らなかったが、さらっと流し見程度では見た。


「ほう。女もいるのか。戦場ってのは男臭いものばっかりだと思ってたが」
「先の大戦では、女性兵士の活躍もありましたからな。部隊としては存在しませんでしたが、個々で武勲を挙げた人もいますから」
「ああ、そういう話もあったな。」
「まあ、確かに准将の考えるように、兵士として女性が必要とされているかと言われれば、そうではないでしょうが」
「そうだろうよ。何せ男に比べて絶対数が違う。本当は女の身で関わるべきじゃないだろう。色々な意味でな」


含みを持たせたハルバーグの言葉だったが、その意図を副官のロックウェルには充分に分かっていた。
戦場に男女の性差は関係ない。
一人ひとりが等しく兵士として、一戦力として数えられる。
女性だからこの役割しか与えない、などと融通を利かせられるのは珍しいことなのだろう。
ハルバーグはそれが分かっていても、一応はそれらの人材の資料にも目を通した。
戦力となるのであれば、女性といえど必要とする。
必要なものは揃える、そしてそれらを駆使する。
ハルバーグの考えはそこにあった。
もし、戦場においてその女性が全くの使い物にならないのであれば、それこそ適材適所の言葉に倣って後方勤務を言い渡すだろう。


「能力があっても兵士になりたくない奴もいて、そういう奴らも送り込まれる。逆に気になるものだな。自分から兵士になりたいと志すのは、どんな奴なのかってな」


兵士として戦う決意をすれば、敵となった国の人間を殺すことを約束される。
そのような行為を仕事とし志す者たちがどのような考えを持っているのか、男は純粋に気になっていた。
特に、自分たちよりも遥かに若い世代の兵士が誕生しようとしている。
これまで長い間戦場にいた身からすれば、それほど多く経験して来なかったことだ。
何しろ若い兵士たちは最前線へ送り込まれることもそう多くは無かった。
指揮官により違いはあるが、あえて前線へ送り込むのを避けようとする指揮官もいる。
彼ら若い世代の兵士よりも経験を積んだ兵士の方が、何かと使い勝手が良いからだ。
自ら志願し、そのうえで武勲を立てた若手の兵士は少ない。
男は、自分から兵士になりたいと志した女子学生の資料に目を通す。
それは、マインホフの統括する士官学校において、一番の剣腕とも称された女性なのだそうだ。
華奢な見た目をしていながらも、繰り出される剣戟はどれも一級品なのだとか。
それが事実なのだとしたら、ぜひ大いに活用したいとは思う。
思うのだが、果たして。



「それよりも、グランバートの動向が気になります。ヴェルミッシュ要塞からこちらへ海を渡るのが上策とは思いますが」
「寧ろそれか、あるいは空挺部隊を送り込むか、あるいは艦隊ごと派遣するか、どれかだろう。第五艦隊のロッティル中将に、警戒態勢を強化するよう依頼してみよう」

「そうですね。それが良いでしょうな」



こうして、各所でソロモン連邦共和国は、グランバート王国の侵攻に備えていた。
もはや既定路線とまで言われた、両国の戦争。
この両国が戦い、争い合うことで、世界はどれほどの影響を受けることになるのか。
この時点でそれを知る人はまだいない。
そして、この戦争を通して、多くの人々の運命が変化させられることになる。



………………。

第2話 既定路線



ソウル大陸東部沿岸、グランバート王国直轄領バローラ港。


時は突然激しく動きだす。
その場にいる者も想像しなかったような、怒涛の展開がここから始まるのだ。


「降下作戦開始!!」
「降りるぞ!!」



グランバート王国とソロモン連邦共和国。
お互いの国は、ソウル大陸とオーク大陸で最大規模の軍事力を有する。
この時代、戦争が60年近くも続いてきた情勢もあり、国力の強大さを示すものの一つに軍事力が挙げられていた。
どのような形であれ、軍事的に優位に立つことが、強国としての認識と脅威としての認定を受ける条件とされていた。
無論、そのような認定など誰かが定めたものではない。
三つの大陸間に国際会議なるものは存在せず、共通した認定条項も存在しない。
ただ、強国として認識できる幾つもの状態が揃った時、はじめてそう認識するようになるのだ。
そういう意味では、グランバート王国はここ最近で再興を果たし、強国の一つとして再び地上に降り立った。
ソロモン連邦共和国は、先の大戦で大きく疲弊するも、世界最大の領土を持つ強国である。
この二つの国同士が争うことになれば、世界中にその火種が飛び散ることになるだろう。
そう予測するものも少なくなかった。容易に想像できたのである。


しかし。
このような形で戦端が開かれるとは、誰も想像していなかったであろう。
前情報もなく、彼らはいきなり大挙して侵攻してきたのである。


「制圧を開始する。司令部、補給拠点は最重要区画だ、必ず取る。続け!」
「はっ!!」


ソロモン連邦共和国軍は、空挺降下により敵基地の真上に降下する。
輸送機の接近が分かった時には、既に部隊は次々と地上への降下を始めていて、もはやその降下を止められるような状態ではなかった。
バローラ基地に警報が鳴り響く。
警報が鳴り始めるのと同時に、基地の各所に設置してある光源が一斉に光り出し、空を照らす。
地上から空に向けて十数本の光の線が伸び、その幾つかが上空で散開する輸送機を捉えた。
しかし、捉えても何もすることが出来ない。
寧ろ彼らが気にしたのは、その光の中に映し出された、パラシュート降下をしている兵士たちの姿だろう。
明確にこの基地を襲撃し、奪取する目的を持つ兵士たち。
夜襲、バローラ港。
この日の戦いを境に、世界のバランスがまた荒れ、動き始める―――――――――――――。


「報告します。バローラ港が強襲を受けたとのことです。詳細は不明です」
「バローラが………敵から仕掛けてきたとはな。」


その報告は兵士たち、そして指揮官たちの驚きをもって受け止められた。
グランバートの直轄地であるバローラ港が、外部勢力により強襲を受けている。
報告はそれだけで、詳しい状況などは一切明らかになっていない。
ただその情報だけで推測できることは幾つもある。


―――――――――――グランバート王国陸軍第三師団駐留基地「ウィルムブルグ」
グランバート王国領のうち、南部と南東部を統括し防衛する陸軍第三師団。
特にギガント公国との国境線にあたる南部に分厚い防御線を敷くこの部隊は、これまでは現状の戦争からは遠い存在として扱われていた。
この基地は大陸南部に強大な勢力を構えるギガント公国に向けて作られた拠点であり、東海岸を防衛する役割を担ってはいるものの、海上から侵入される危険性は薄いと考えられていたのである。
理由としては、東海岸地域ではグランバートの第四、第五艦隊が防衛任務にあたっている。
バローラ港には停泊せずとも、近隣の海軍基地にそれぞれ停泊する二つの艦隊は、南部および南東部を防衛する軍事力の要の一つである。
ソロモン連邦共和国が海上から接近するとなれば、この艦隊から標的にされることは間違いない。
補給拠点もすぐ近くにあり、地理的条件もグランバートに傾いている。
不利な条件で戦わなければならないという状況が分かり切っている中でそれを強行するのは、容易ではないだろう。
そのため、東海岸地域から敵が侵攻する可能性は低いものと考えられていた。
ある意味、作戦立案に携わり、また今回の部隊の指揮を執る“英雄たちの一人”レイの読みは当たっていたことになる。
不意を突かれた形となったグランバート王国。
このエリアに空挺降下をされること、陸軍の手薄な東海岸地域に攻め入られたこと。
そしてその地理的条件と勢力配置が察知されていたこと。
これらの点を総合して、今日の状況が驚きを持って迎えられたものの、想像に容易い事態ではあったのだ。


「どうしますか、閣下。今から急行するにも………」
副官が状況を報告し、深刻そうな顔を浮かべている。
ウィルムブルグ基地から東海岸バローラ港までは、600キロ以上も離れている。
近くの駐留部隊を急行させても、数百キロ先の戦闘区域に辿り着くまでに決着がついてしまうだろう。
その想像がついていた指揮官はこう話す。


「バローラの兵士には、戦線維持が難しいようであれば、放棄しても構わんと伝えろ」
「は…………?」
「バローラから最も近いところに駐留している部隊は」
「アルマントン大佐の第6部隊が最も近いですが………」


「よし、アルマントンには、すぐに撤退する現地の兵士たちの回収をするよう指示を出せ。第三師団の全部隊に第一戦備体制を発令。奴らが北上するのを迎撃する用意を整える」


少ない状況報告の中で、具体的な指示を出した基地の指揮官。
この男の名を、ヴァズロフと言う。
グランバート王国陸軍統合作戦本部所属、第三師団司令官ヴァズロフ中将。
ウィルムブルグ基地の総司令官であり、第三師団の中で最も階級の高い人物である。
統合作戦本部所属の肩書は維持されたまま、南方の部隊の指揮権も持つ、高い権力を備えた軍人だ。
副官からの報告を受けたヴァズロフは、両手を組みながら笑みを浮かべて具体的な指示を出した。
今から近くの部隊を増援に急行させたところで、戦局を覆すのは難しいだろう。
負けたとは思いたくないが、ここで貴重な戦力を失う訳にはいかない、と。
幸い、第四、第五艦隊はバローラには停泊していない。
もし艦隊がまとめて停泊中であったのなら、全力で防衛を指示しただろう。
たとえ街の中が火の海となったとしても、艦隊は守らなければならない。
だが、それ以前に艦隊が停泊していれば、まとまった戦力で迎撃できたことだろう。
しかしここでたらればを口にしても戦況が変わることはない。
ありもしない仮定の話より、今後をどのように導くかが指揮官の仕事である。



「敵はバローラの制圧を第一目標としているようです。もし北上するとすれば…………」
「基地の情報は筒抜けになる。戦力は削いでおきたいと考えるだろう。あえて奇策を用いる気は毛頭ない。」
「しかし、バローラが封じられれば、今度は敵の艦隊が来るのでは………?」
「その可能性もあるな。だが、そうなれば対処するのは海軍の連中だ。俺たちがどうこう言うものではない」
「確かに、そうですが………」


「安心しろブエミ。我らが領地に足を踏み入れた外敵、決して生かしては帰さん。来たからには全力で立ち向かう!」


副官のブエミ少佐は、指揮官のヴァズロフの表情を見て驚きつつもその言葉を受け入れた。
男の表情は、まるで血が滾る、これからやってくる戦いの時を前に高揚しているようなものであった。
それがヴァズロフの人となりだというのは、随分と前から分かっている。
この男が第三師団の司令官として赴任した時から、いや、それ以上も前からヴァズロフの勇名はよく知っていた。
剛腕で豪傑なヴァズロフは、10年前の大戦でも相当な武勲を上げ、敵対する兵士たちからは“英雄たち”に次いで恐れられる存在として、多くの人の記憶にその名を留めた人物である。
長身で筋肉体質なこの男は、身長が190センチもある大柄な男で、鍛え上げられた両腕から振り下ろされる戦斧は、一撃で相手の鎧や武器を破壊したという。
男の出で立ちは不明なところも多いが、男は長い時間をグランバート王国のために費やしてきた。
軍人としての歴も長く、10年前の大戦が終結した後、グランバートの再建、再興に勤めていたカリウスから引き抜かれる形で、統合作戦本部の重鎮としての立場を確立した。
現在、グランバート王国軍の陸軍の中でも最高階級の位置にある人物の一人である。
頼もしい人柄は多くの兵士たちの支持を集めている。
副官のブエミは不安そうな表情を浮かべていたが、自信ありげなヴァズロフの顔に、少し不安が取り除かれたのだ。


バローラ港の夜襲は、世界中に驚きを持って迎えられた。
確かにソロモンとグランバートが戦うのは既定路線ではあった。
しかし、世間から見れば、グランバートが先日艦隊を壊滅させられたことに対する報復として、先攻するものと考えられていたのだ。
そしてすぐに各地で論争が巻き起こる。
この戦いを指示したのは、誰の意思によるものなのか、と。
ソロモンの軍務なのか、それとも政府の関係者なのか、どちらともなのか。
軍は今も統制されているのか、それとも今日の情勢を受けて混乱状態にあるのか。
無論、ソロモン連邦共和国がそのような憶測に対し正確な回答を示すことはなかった。
彼らにはそのようなことは問題ではない。
この二国が戦うか戦わないか。ただそれだけが事実としてそこにあること、それが重要なのだった。
夜襲作戦は見事に成功し、バローラ港とその周辺の街は、僅か4時間程度で占領された。
バローラにはグランバートの海軍は停泊していなかった。
夜襲を指揮した連邦軍としても、そこまでの期待をしてはいなかったが、バローラ港は艦隊にとって重要な補給拠点。
その拠点を制圧し橋頭堡とすることが出来るのは、ソロモン連邦共和国としては望ましい展開であった。


「そうか。多少は善戦したのか?」

「はい。人員の損失はお互いに軽微というところでしょう。敵は上空および海上を攻撃できる砲台はすべて破壊しました。主要施設はすべて制圧しましたが、その多くはいまだ原形を留めたままです。そのことからも、はじめからバローラを手中にする作戦で、こちらの布陣を読まれていた可能性があります」

「あり得ることだな。まあ、艦隊の不在までは分からんかったにせよ、ここが今の現状を見るに手薄になっていたことは否めないからな。残存部隊の回収は間違いなく出来ているだろうな?」

「既に合流地点に集結しております。何ら問題はありません」

「よし。敵もバローラを封じてすぐには北上しないだろう。その間に兵力の編成を整えるぞ」


ウィルムブルグ基地に追加の情報がもたらされたのは、夜が明けてのこと。
バローラ港の襲撃が終わった1時間後のことだった。
第三師団司令官のヴァズロフのもとに、次々と情報が集められる。
バローラ港の戦いのこと、敵国本土の動きや海上の情報、ありとあらゆる情報が集まる。
何しろ第三師団が布陣するエリアはこれからの戦いで最前線となる。
こんなにも早く戦いの場が訪れるとは思ってもいなかったのだ。
まして、ギガント公国に睨みを利かせている中、ソロモンがこの地域を狙ってくると予測できた人間は殆どいない。
グランバートの中枢でさえそうだろう、とヴァズロフは考えている。


「それから………これは、不確かな情報ではあるのですが」
「なんだ。言ってみろ」


「――――――――港を襲撃した部隊の中に、あの“レイ”と似たような人物を見た、との報告があります」


その名前を聞いた瞬間、ヴァズロフは真剣な眼差しで息を整え、腕を組む。
この男も当然のことのようにその名前を知っている。
それどころか、どこか懐かしむような表情さえも浮かべている。
ブエミには経験のないことだが、ヴァズロフは先の戦いを経験した軍人だ。
世界中の至る所で戦争、紛争が起き、千々に乱れた時代を生き抜いた男。
その乱世において、英雄たちの一人、レイは戦争を終結させるに大きな役割を担ったとされている。
先の戦いを経験した者も、歴史を書き連ねる学者たちも、それらを学ぶ子供たちの間ですら、英雄たちの存在はよく知られている。
その一人がソロモン連邦共和国にいることは、前々から知っていた。
とすれば、両国が戦うことになれば、“英雄たち”と呼ばれた者同士が争うことになる。
既にその域に達していることを理解したヴァズロフは、考えを巡らせながらも、副官にこう伝える。


「………レイが動く、か。よし、本国のアイアスを呼び出す。通信室で回線を通してくれ」


――――――――――――グランバート王国軍統合作戦本部


「おや。これは珍しい。お久し振りですね、ヴァズロフ中将」
「フン。どうせ貴様のことだ。今朝の状況を受けて俺から連絡が来ることくらいお見通しだろう」
「ええ。予測の内でした。バローラの件、こちらでも報告を受けています。はじめから徹底抗戦する気など無かったのでしょう?」
「まあな。あの地は補給拠点としては重要だが、領土全域を見れば僻地にすぎん。それに、一ヶ所補給拠点を失ったところで、まだ替えはきく」



やや嫌悪感を声に乗せた形で、ヴァズロフは統合作戦本部所属のアイアス少将と連絡を取った。
アイアスが戦局全体に与える影響力は大きい。
何しろ彼はすべての軍の部隊に対する権力を有している。
それは、全軍の総司令官であるカリウス大将に並びはせずとも、それに類する権力を持っているのだ。
そういった存在がグランバート軍には何人かいる。
ヴァズロフの立場もそれなりに高位のものではあるが、その彼らには及ばない。
階級で言えば中将と少将。
この男の方が階級も立場も上のはずなのだが、アイアスが所属する統合作戦本部は、軍の中核を担う最重要の組織なのだ。
それを理解しているからこそ、ヴァズロフも横暴な態度を取ることはなかった。
あらゆる物事の決定が、この統合作戦本部で行われている。
そこへ介入できる人はごく少数だった。


「それがお分かりなら良いのです。それで、今日はどうしたのですか。」
「この戦線には、連邦軍のレイが参加している。それだけを伝える為に呼び出した」


「――――――――――――――。」



わざわざ通信回線を繋いで伝えた情報が、その一つのみ。
しかし、刹那、アイアスも息を呑んだ。
その男の名を知らないはずがない。
何より、この国にはその男と最も近い位置にいて、共に戦った友人がいる。


「本当はカリウスに直接伝えたいところだが、相変わらず不在にしているんだろう?だからお前に伝えた」
「………その目で見た人が、確かにいるのですね」
「ああ。本当かどうか確証は持てないが、いてもおかしいことはないだろうよ。この大陸にはカリウスがいるんだからな」


「…………そうですか。あの人が、こちらに」



少し感慨深く思慮しながらその状況を耳にしたアイアスだった。
バローラの状況は既に通信で受け取っているし、再奪取するのは現状では難しいだろう。
分かり切ったことをヴァズロフから聞いても、得られるものは特にない。
それよりもただ、この一つの情報が、これからのグランバート軍、いや、司令官の動向を揺さぶるキッカケとなるに違いない。
そうなれば、今度はカリウス大将閣下が動くことだろう、とアイアスは考えた。



「いずれにせよ、上陸されたことに変わりはありません。現有戦力を持って、彼らの侵攻を食い止めて下さい。敵国本土から応援部隊も来るはずです。南方への圧力は強まるでしょうから、私からラインハルト中将に依頼しましょう」


「ラインハルトか。まあいい。共闘出来るなら今はその方が良いだろうな」



アイアスの言う、“ラインハルト中将”は、
グランバート王国陸軍第二師団の指揮官を勤める、陸軍の中でも最高位に位置する軍人の一人である。
第二師団は、主にグランバート領の東部に配置される部隊であり、第一師団と同等の規模を持つ大きな集団である。
主に大陸の東海岸を中心に布陣されるこの部隊は、オーク大陸から来る有事の際には最前線となる要の部隊でもある。
ギガント公国と一定の距離感を保ち続けているグランバートにとって、目先に見える緊迫した脅威はギガントとの間に発生するものだと考えられていた。
ソロモン連邦共和国との間には、長さの違いはあれど、海峡がある。
それを越えない限り、陸軍同士がぶつかり合うことは決してない。
今回は空軍の輸送機の力を借りてそれを実行に移した訳ではあるが。


「カリウスには貴様から伝えてくれるってことでいいのか?一応確認だが。」
「ええ。大将閣下は今も“ファクトリー”で仕事中ですから」
「そうか。………じゃ、頼んだぞ。話は以上だ」


用件が伝え終わると、一方的にヴァズロフから通信を切った。
ツーーーと通信が途絶えた音が鳴り響く室内で、アイアスは少し笑みを浮かべながらも溜息をついた。
ソロモン連邦共和国から動いてくるとは思わなかったが、先日の艦隊戦も敵から攻撃を仕掛けてきた。
果たしてこれが連邦軍の軍部による主導の行動なのか、それとも政府の計略の一環なのか。
それによってはこの戦いの意味も大きく変わってくるのだろうが。
分かっていることは幾つもある。
このソウル大陸で戦いが起こる。
一方的な展開を強いるのは難しい。
ひとたび戦いが巻き起これば、幾つもの死戦を生み出すことになるだろう。
地獄さながらの光景を再び生み出すことになるだろう。
それでも、一度開かれた戦は、どちらかが斃れるまで終わることはない。
これまでがそうであったように、これからもきっと。


だが。
それでも。



「――――――――――また一つ。お望みのカタチに近付きましたね…………?」



今度はそう、不敵な笑みを浮かべて、彼はオーク大陸全土の地図を眺めるのであった。
オーク大陸には、主に三つの大きな国家がある。
今、戦争を始めるソロモン連邦共和国。
今のところ何らこの戦いに関わっていない、アストラス共和国、コルサント帝国。
これらの国の規模には遠く及ばないが、自治領と呼ばれるレベルのものならそれ以外にも点在している。
大陸で戦いが起きるのなら、それらの国をも巻き込むこととなるだろう。
それが当初から考えられていた予測だったのだから。



7月1日の早朝。
全世界に向けて情報が伝えられた。
ソロモン連邦共和国、グランバート王国領に直接攻撃を仕掛ける。
その報道は、経緯こそ予測の範囲を越えていると感じる者が多かったのだが、やはりそれも既定路線として考えられた。
どのような経緯であれ、この両国が刃を交えることは、もはや覆すことの出来ない事実なのだ、と。


そしてその日の午前11時。
グランバート王国は、暗殺された国王代理に替わり、非常時大権を手にした軍務省の最高司令官、カリウス大将の名に於いて、
ソロモン連邦共和国との戦争状態に突入したことを、国営メディアから全世界に向けて伝えた。


………………。

第3話 辺境の基地



『私はね、どこかで苦しんでいる人たちの為に、戦いに行くんだ』


時折、あの時の光景を、夢に見る。
それはきっと、あの日の出来事、その姿が目に焼き付いていて、中々忘れることが出来なかったからだろう。
今もそれは変わらない。
最後の別れの日。
父さんは、どこかで苦しんでいる人たちの為に戦いに行くと言って、自分のもとを離れていった。
そしてその日を最後に、父さんとは会えなくなった。
誰からも真相を伝えられた訳じゃない。
もしかしたら、今もどこかで生きてるかもしれない。
そう信じたい気持ちが今も俺の中では生き続けている。
けれど、周りの大人たちのヒソヒソ話を聞くと、どうもそんな状況じゃなかった。
戦場において行方不明扱いは、戦死も同様なのだ、と。
人間一人ひとりの遺体を収容するのは絶対に不可能だ。
誰の手なのか、足なのか、頭なのか胴体なのか。
それを判別するのは極めて困難で、そのようなものが膨大な数転がっているのだから、判別など出来るはずもない。
因みにそれは、戦場から送られてきた手紙の中で、行方知れずのものの幾つかを掲載したものから得た情報だ。
大人たちのそういった話や自分で身に着けた知識で、自然と納得してしまった自分がいる。
そうか。本当に、もう会えないんだなって。



父さんは、世の中にはそういう人たちが大勢いると言っていた。
弱い立場の人たちを守る為に、強い圧力を持って押しかけてくる人たちを倒すんだ、と。
俺も今、父さんに近い立場になろうとしている。
受け売りは父さんからかもしれないけど、確かに俺自身の望みでもある。
こんな一人の子供が、いつまでも続く戦いを終わらせられれば、なんて思ってる。
でも、それは本当のことで、この気持ちは嘘じゃない。
だから戦うと決めたんだ。
この腕にかけて。


そんな少年の一つの望み。
それを実現させるための戦い。
彼自身にとっても、またこの国全体にとっても、
大きく時代を、生活を、そして価値観を動かす戦いが始まる。



オルドニアの連邦軍士官学校を異例の形で卒業することとなった少年ツバサ。
事の概要を知る者からすれば、それは卒業と呼べるようなものではなく、ある意味では追放と言うべきものであっただろう。
士官学校爆破事件の犯人を殺害し、加担した加害者を制圧するという、学生の身分でありながら職責を逸脱した行為。
個人の義務感は立派なものと捉えられたとしても、軍人の見習いとしては不適切な行動であった。
もっとも、概要を知った者たちの多くは、逆にツバサやナタリアの勇敢な行動を評価する声をあげた。
表向きには懲罰を受ける形で最前線へ送られることになったので、誰もその評価を公然と示すことは出来なかったのだが。
懲罰の内容としては単純なものだったが、最前線と予測される土地に送られ戦いを強いられるということであれば、責任の取らせ方など容易に想像が出来る。
学生である子供たちにはあまりに酷なやり方なのだろうが、それも上からの命令なのだ。
要するに、戦って貢献し、死ねということだった。
死をもって罪を償わせるというものではない。
戦いの場において役に立ち、立たなければその運命は永遠に閉ざすことになるだろう。
ただそれだけのことだ。
故に、表向きには懲罰という形になる。
だが、そこには裏の意味も含まれている。
僅か二人で十数名の武装集団を制圧してしまったのだから、それだけの力量があるということ。
統率する側は大変だろうが、もし本当に戦場で役に立つ兵士となるのであれば、それは連邦軍にとっては有益なことで、国としては使い勝手の良い道具が増えるということになる。
国は一人の兵士を戦力の数値として考えて葉いない。
兵士の集団………分隊、小隊、中隊などという集団が重なり、一大戦力としてかき集められた全体の数を戦力の数値として捉えている。
一人ひとりの命など構ってはいない。
たとえ懲罰という形で彼らが戦場で死ぬことになったとしても、何ら気にされるものではないだろう。
今のところは。



ソロモン連邦共和国領ノースウッド州 スヴェール地方
オーク大陸の北部。連邦共和国領の最北の地方に位置するここは、年中を通して亜寒帯気候に属する冷淡な土地で、既に四季が存在する国々では暑い夏を迎えているのだが、ここはそのような暑さとは無縁の地方である。
夏でも平均気温は15度前後と涼しく、最低気温が一桁、あるいは氷点下近くまで下がることも珍しくはない。
逆に汗ばむ陽気になる日が一年に何度かあり、暑さ慣れをしていないスヴェールの民はそうした日が多くなると、しばしば仕事を休んでプライベートに勤しむのだ。こんな日に仕事などしていられない、と。
今年そのような日がどれほどあるかは分からないが、それどころではないかもしれない。
スヴェール地方は、ここより海を越えた先のアスカンタ大陸南部と最も近い距離にある土地で、現在ではグランバート王国軍の攻撃の可能性が最も高いエリアの一つとして警戒されている。


「そうか。そういえば今日だったな。うちに派遣される兵員は何人だったかな」
「64人です。大尉」
「64人か。戦いは数だなんて、よく言ったものだよ。64人増えたところで状況は何も変わらないだろうにね」
「いないよりは、いいのではありませんか?補充されたと思えばこそ、です」
「そうか、そう思うことにするよ。」



そのスヴェール地方の中でも、大陸北東部の山岳地帯寄りに位置するこの街オビリスクは、人口数万人程度の小さな港町だ。
領土を防衛するという観点から、各地方に分屯地や駐留基地を置いて、防衛エリアへのアクセスをしやすくしている。
戦う立場からすれば、それは所謂兵力分散という方法にもなり、相手が戦力を集中してきた時に数の差で劣勢となる危険性が高まる。
特にその優劣の区別は、戦いにおける初動、強襲という点で飛躍的な効果をもたらすことが期待される。
あらかじめこのエリアに敵の攻撃が集中すると分かっていれば、それに対応することは可能だろう。
しかし、手始めにどこを狙い、何を奪い、橋頭堡とするのかは判断し辛い。
相手の戦力、指揮官の情報、あらゆる情報を総合的に分析して予測を立てる。
その予測を当てるのが情報部の仕事ではあるのだが、現場の兵士たちはそれほど期待してはいない。
外れることのほうが多いと思っているのだ。
そのため、今回の場合も、敵が上陸作戦を決行した時は、防衛する側が不利になる可能性が高いと考えられている。
全くの手薄にすることも出来ないので、こうして兵力が分散されていたとしても、その土地その土地を守らなくてはならないのだ。
オビリスクはその点、今回の危険エリアの中にある街ではあるが、それほどの脅威とは考えられていなかった。
この駐屯地は陸戦部隊が500人にも満たない少数の集団である。
そもそも辺境の街一つを防衛するのにそれほどの戦力が必要なのかと言われれば、疑問を持たざるを得ない。
オビリスクはソロモン連邦共和国の戦略上の重要な拠点を担う場所ではなく、かといって補給路を繋ぐための場所でもない。
軍事物資の生産が出来る拠点はあるが、規模は小さい。
この街は、豊かな漁港があり、背後には山々があり、平穏に人々が暮らす街だ。
軍という存在は、かえってその平穏を害する存在なのだ。


「それにしても、なぜ私はここにいるのだろうな。こんなはずじゃなかったんだが………」
「ふふ。また、それですか?」
「どうも、軍部の連中には私が大そう規格外な存在であると認識している人がいるみたいだが、買被りも良いところだね」


オビリスク駐留基地の司令官代理を勤めているこの男は、ラン・アーネルドと言う。
階級は大尉。
大尉にして異色の基地司令官職を勤める、周りから見れば完璧なエリート街道まっしぐらの兵士だ。
黒髪を掻きながら、椅子に深く座り込み足を机の上に投げ出している。
その横で笑顔を浮かべながら話をするのが、その司令官代理職を勤めている彼を補佐する女性尉官カレン・モントニエール。
階級は中尉。
胸元で分厚い資料を抱きながら、他愛のない会話と事務的な手続きを進める副官だ。
落ち着いたブラウン色の髪をした、清楚なイメージの女性である。



「私の人生設計では、今頃一定の収入を得て大量の本と歴史書に埋もれながら、それらに関する仕事に就いているはずだった。それがどうしてこんな軍なんかにいるんだか。人生、そう上手くはいかないものだね」

「だからこそ、面白いんじゃありませんか。物事も考え次第って言いますからねっ」

「私は好きで軍人になったんじゃない。成り行き上仕方が無くってやつだ。その予定も全く無かった。」



と、怠惰な態度で愚痴をこぼし続ける司令官代理のラン。
ここで少しばかり、彼の経緯を述べることとする。
まず、なぜ“大尉”という階級で基地の司令官職を勤めているのか。
それは、この基地にこれまで赴任していた司令官の上官が、持病により現場に居続けるのが困難となったために、事実上更迭されてしまった。
ラン・アーネルドは、元々この地には陸軍参謀本部所属の参謀役として赴任してきている。
まだここに来た日もかなり浅いのだが、参謀といっても戦いが起こるまではそれほど忙しい用事もなく、普段は軍部の事務処理をせっせと片付けるばかりの仕事だったので、彼としては楽できる部分も多く、人となり的にいえば“まあいいか”と妥協しながら仕事をしていた。
それが、司令官が更迭され後任の人選を進めなければならなくなった時に、中央にいる上官から進言を受け、彼が司令官代理として基地司令の立場に上がるよう命じられたのである。
その時点での階級は少尉であったため、この人事は知れ渡ったすべての軍部に驚かれたのである。
普通、基地司令官というのは高階級士官の勤めるもので、少尉が任じられるようなものではない。
ソロモン連邦共和国の通例から言えば、最低でも中佐以上の階級所持者が就く立場である。
それがどうして、少尉の彼にそうした立場が回って来てしまったのか。
ラン・アーネルドの軍歴は、まだ一年少し経過したばかりである。
軍に関わり始めたのは今より4年近く前で、元々は軍と何ら関わることのない普通の青年であった。
彼は生まれて間もなく母を亡くしており、以来18年近く父と子、二人だけで生活を築き上げていた。
だが、18歳になった頃に父が病気で他界し、親戚の宛もなく、また自身の生計が立てられるほどの経済的余裕も無かったことから、明日一日の生活をするのにも困窮するような状態に陥ってしまった。
元々彼は本や歴史が好きな人で、父が存命のとき、国の大学へ進学して学者への道を拓きたいと伝え、その後押しを受けるつもりであった。
それが事情により状況が変わり、大学はおろか毎日の生活が苦しいような状態になった。
そんなとき、“タダでも歴史や学問の習得が可能な学校がある”という情報を仕入れた。
それが連邦軍士官学校だった。
当時から連邦軍士官学校は“軍人になるのであれば、学費は全額免除する”という方針を公約していた。
そればかりか、寮も完備され食事も与えられるというので、ここに入れば取り敢えずは何とか生活が出来ると踏んで、彼は士官学校へ入学した。
当初から軍人になるつもりは全く無かったので、程度経験を積んで退役しようとずっと考えていた。
ところが、ある意味で彼の人生を狂わせる大きな転機があった。
学校での成績は、好きな分野である歴史や文学、数字などの計算、理系などは抜群に良かったのだが、実技に至る項目はすべて最低評価だった。
要するに、現場に出て剣を持って戦うような兵士とは無縁だと思われていたのである。


『お前さんは頭から下は役に立たんだろうな。でも、頭は一番大事なところだ。それを活用できる分野があるぞ。』
と、辛辣ながらもそのように評価を下した上官の勧めにより、彼は士官学校の中でも“戦略”や“指揮”といった、統率や運用に関する分野の教育を受けることになった。
因みにこの分野の教育は士官学校に限らず、司令官職に就くことが決まった軍人全員が通る道である。
ランは当時の士官学校の校長や上官の勧めで、それを先取りして教育を受けることになったのである。
するとその分野での成績が群を抜いて良く、士官学校一番どころか、当時の教官たちも舌を巻くような優秀な成績を次々とたたき出し、参謀としての素質が非常に高いと評価された。
これにより、ランは士官学校を卒業した後、現場の兵士ではなくその兵士たちを統率し運用する立場に就くことが求められるようになった。
キャリア組としての出世を目指す、というものである。
軍に興味のないランからすれば全くどうでもいい話で、自分にとって都合の悪いことばかりが続くのだが、それでも飯は食えるし危ない目には遭いづらいので、仕方なくその道を歩み続けることとした。
士官学校を卒業して暫くは、オークランド中央の参謀本部勤務で様々な教育と軍務をこなしていたのだが、数ヶ月ほど前にオビリスク駐留基地司令官が更迭されたことを受け、上層部の指示で司令官代理を任されることとなったのである。
少尉の階級所持者が司令官職に就くのは前代未聞のことで、軍としても波紋を広げていた。
それに対応する形として、軍部から二階級の昇格が言い渡された。
生者が二階級特進するのはあり得ないということから、少尉から中尉へ、また中尉から大尉へと短期間で出世する。
中尉の在任期間はたったの一日と、歴史上最短の在任期間の記録を作ってしまった。
そして今に至るのである。



「やれやれ。この地が真っ先に狙われる可能性は低いが、逆手を取るのならこちらも充分にあり得る。準備だけは進めないとな。」
「新兵の受け入れはどうなさいますか?」
「まずはそれを終えてからだね。」
「第七師団長のハルバーグ准将は、後方勤務にするなど配慮して欲しいとは言っていましたが………」


「それも妙な話なのさ。彼らはこの国の制度を一方的に強制されてここへやってくる。それは、国が一人でも多くの戦う兵士を現場で必要としているからに他ならない。それを運用する側が捻じ曲げてしまうことが出来るんだからね。まあ、私としてもそんな人たちに無理をしてほしくはない。具体的な配属は、まず彼らを迎え入れてからにしよう。」



ランの言い分は、政府の兵役制度を非難するものであることは明白であった。少なくとも副官を勤めるカレンにはそう聞こえたし理解できた。
国が定めた制度を一方的に強いられて、彼らはこの地へやってくる。
しかもこの地は戦場となる可能性が他の地域に比べて高い。
戦う兵士を必要とするためにそのような制度がある。だが、結局その制度に強いられた側を運用するのは現場の指揮官なのだ。
たとえば、士官学校により養成を受け卒業した兵士は必ず最前線の勤務が命じられる、というところまで強制されているのであれば、現場指揮官の運用に委ねられることなどまずあり得ない。
だが、国もそこまでは規定していない。
兵員は制度により補う。その運用は各地の指揮官の手腕による。
彼らの師団長から通達があり、特に士官学校を卒業して新兵として派遣される兵士には、出来るだけ無理をさせず後方勤務に就かせるべきであると連絡を受けていた。
なら、新兵を後方勤務に就かせてしまえば、彼らがそのような制度の中ですぐさま殉職することは避けられるだろう。
一方で戦力として数えるべき兵士が後方勤務になれば、戦力は補充出来ない。
連邦軍は長くこの矛盾と相対することになってしまっているのだが、誰もそれを変革しようとは考えていなかったのである。
ランは思っていた。
強制されて兵士にさせられ、その制度によって人の命が失われる。
なんと醜い精度だろうか、と。


「でもその前に、紅茶を飲むくらいは出来そうだな。中尉、お願いしてもいいかな?」
「はい、かしこまりました」


副官に押し付ける仕事にしては、軍務と何ら関係の無いサービスではあるのだが、カレンはそれを快く受け入れ、後ろへ下がっていく。
足を机に投げ出したまま、彼は横にある派遣者リストを手に取る。
そこには、この基地に派遣される者たちの概要が記されている。
師団長は、それらを利用して配属を決定して欲しいと話していた。
そこまでしなければならないのか、と言いたくもなるが、これも仕事のうちだと、彼は諦めて目を通し始めた。
64人。数でいえば本当にごく僅かな人数だ。
そして無論、彼はここに載っている人のことなど誰一人として知らない。
士官学校時代の成績を見せられても、何の役に立つだろうか。
自分がいい例だ。
武術は全くダメダメだった私だが、どうやら類稀なる知性を買われて参謀本部に送られたらしい。
それがどうしてか、今はこんなところで指揮官の代理を勤めている、
成績などいい加減なものだし、ただの指標でしかない。
一人ひとりに割く時間はないが、明日すぐに戦いが起こるとも限らないし、そうかもしれない。
その中で、僅かな時間でも関わることの出来る時間がそこにあるのなら、そのほうが望ましいのかもしれない。
と、一人心の中で独白する。
誰に語る訳でも無い、ラン・アーネルドという人物の心情である。



「どうぞ。」
「ああ、ありがとう、助かるよ。中尉は今のこの状況をどう見る?」

「敵が南下するとすれば、この大陸に侵攻するために補給拠点や滑走路、根拠地が必要になるでしょう。それらが揃う場所が集中的に狙われるのが道理かと思います。ですが、このスヴェール地方を含め、ノースウッド州にそれらが一ヶ所に集まる拠点は存在しません。それらをすべて掌握したいと考えるのであれば、敵は必ずそれぞれの目的を持って複数の拠点に攻め入ることでしょう」

「なるほどね。君は私の単なる副官ではなく、参謀としても良い助言をくれるね」

「お褒めに預かり光栄ですっ」


確かに、可能性の一つとしては充分に考えられるだろう、とランは話す。
グランバート軍がどこまでこちらの領土を攻めようと考えているかは分からないが、この北部地方には資源が豊富に採掘できるスポットは多くある。
それらは出来るだけ確保して、自軍の物資や開発を進めるための足掛かりとしたいのではないだろうか。
であれば、カレンの言うように、各地方の拠点を攻めてくる可能性も充分にあり得るだろう。
補給路を繋いでそれらを侵攻の為の重要拠点とする。
陸地において脅威とされる防衛拠点は制圧、もしくは破壊して脅威を消し去る。
あらゆる予測は立てられるのだが、これらの予測を事前に察知してそこに部隊を振り向けるのは正直難しい。
アルテリウス王国との戦いで、グランバート軍は空挺降下による強襲作戦を決行した。
前座として艦隊戦やヴェルミッシュ要塞の防御機構に攻撃する手段を取っていたとはいえ、同じ手段を使われる危険は充分にある。
今の時代、防空レーダーが発達しておらず、数百キロ先の敵機を確認することが不可能なため、直前になって敵の侵入を確認するしかない。


「海上は味方の艦隊が防衛するから問題ないと思うが………とにかく我々は備えるしかない。今のところ、まだ目に見えない脅威が多すぎるから、備えるといっても難しいのは分かるが………」

「最悪の事態を想定して、ということですね。」

「ああ。取り敢えず、今の私たちの戦力では他所に兵を回せるような余裕はない。周辺地域の監視を強化して、定時連絡を1時間ごとに報告させるようにしよう。」


この時点で、ラン・アーネルドは北方地域の自軍の弱点を正確に把握していた。
しかもそれは北方地域に限らず、すべてのソロモン連邦共和国領に言えるものである。
ソロモンは、そのあまりに広大すぎる土地のため、軍隊がすべての地域をカバーすることは決して出来ない。
一度陸地に敵兵が降り立てば、あらゆる方角から敵兵の侵入を許すことになるだろう。
幸いと言うべきか、あまりに広い領土の内側には未開拓地域も多く、道が整備されていないこともしばしばある。
北方地域は山岳地帯も多く、そのような道なき道を歩兵が従軍することは考えにくい。
となれば、ある程度の侵攻は正規ルートから行われることだろうという予測がつく。
今できることと言えば、狙われやすいと考えられる場所の警戒を強めること。
必要であれば防衛エリアの防御層を厚くすること。
監視の目を強化して、出来るだけ速やかに敵の侵攻を察知すること。
それ以外にもやるべきことは幾つもあるが、大きくはこの三点に尽きるだろう。



この時点で、ラン・アーネルドは連邦共和国の弱点を正確に把握している。
広大すぎる土地を軍がカバーするのは限界がある。
その弱点は常に曝け出しているようなもの。
今更隠すことも出来ない。
この場合、敵国に侵攻する軍隊は劣勢に追い込まれる場合が多いが、守る側より攻める側の方が優位に展開しやすい状況となっている。
グランバートが勢い付けば、ソロモンは傾くだろう。
“この弱点に対し最良の攻撃方法”に気付き実行したとき、連邦軍は次々と撃破されるだろう。
不吉な予測ではあるが、実際に考えられる最悪の事態の一つとして想定しなければならなかった。


そして、少年ツバサはこの状況下で、この基地の部隊に派遣される一人だ。
ナタリアという女性と、ほか62名の補充される兵士と共に。


………………。

第4話 入隊


ソロモン連邦共和国陸軍第七師団スヴェール地方陸戦部隊。
あまりに広い連邦共和国の中でも、ここは辺境の地域として位置づけられている。
地図で見ても拡大しなければわからないような場所だし、ここに目立った軍事施設などは殆どない。
敵が狙いを定めようとしたとしても、ここを優先的に狙うような理由はない。
だが、連邦軍としては各地方を防衛する部隊は配置しなければならなかった。
そんな辺境の基地に、ツバサやナタリアを含んだ64名の新兵が動員されることとなった。
この基地を統括するのは、現時点で司令官代理の役職を持つラン・アーネルド大尉。



今は誰も知るはずもない。
このような辺境に配置された部隊が、今後長い時間をかけて、この戦争全体の戦局を変化させる影響をもたらすことになることを。



グランバート王国の状況。
アスカンタ大陸へ侵攻し、アルテリウス王国に対し大規模な攻勢を仕掛けた後、アルテリウスは事実上の降伏宣言を行った。
アルテリウス王国への侵攻部隊にも疲弊はあり、すぐに次の戦線に移れるほどの余裕はなかった。
彼らとしては、次の戦いに備える必要があった。
特に、既に既定路線として考えられていた、ソロモン連邦共和国との戦いに。
もし連邦軍がアスカンタ大陸へ逆侵攻をかけてきた場合、グランバート軍は窮地に立たされていたかもしれない。
だが、連邦軍もそれは出来なかった。
グランバートがどの程度の戦力を有し、アスカンタ大陸への侵攻を仕掛けたのか。
アルテリウス王国を攻め入った後、どの程度の戦力を補充、または現地で強化をしているのか。
グランバートの実質的な占領下に入ったアルテリウスの状況も分からず、不確かな状態で戦線を広げるのはリスクがあると考えた。
それに、歩兵を送りこむとすれば、空からの侵入か艦隊を派遣し海を渡るか、という方法に限られる。
この際は、アルテリウス王国が所有していた“ヴェルミッシュ要塞”の存在が脅威となっていた。
グランバート王国は、はじめにヴェルミッシュ要塞への攻略を企て、それを実行した。
大陸侵攻の橋頭堡として、沢山の物資を手にすることが出来た。
アルテリウス王国への侵攻ではヴェルミッシュ要塞を使用することは無かったが、その間物資の補給所としての機能を持たせることが出来ていた。
そのため、今度彼らがソロモン連邦共和国に攻め入る時には、ヴェルミッシュ要塞が重要な軍事拠点となる。
堅牢な要塞は味方に甚大な被害を与える可能性が高い。
それに加え、ソロモン連邦共和国は広大な領土が故の戦力不足が懸念されている。
無理にアスカンタ大陸へ侵攻して、グランバートの勢力を排除するのは難しいと考えられていたのだ。


そのため、本土決戦は避けられないだろうという見方が当初から強かった。
通常、敵国の軍隊を本土に入れてしまえば、戦争においては重要な局面、あるいは終盤に差し掛かる局面を迎えても不思議ではない。
過去の戦争がそうだった。
10年前のエイジア王国侵攻の際も、かつて存在していたルウム公国の残党勢力を排除する時も、彼らの根拠地を次々と破壊し追い込むことで、勢力を排除することが出来ていた。
だが、今回の戦争は様相が異なる。
本土での戦いが始まることが、新たなる戦争の始まりを意味するのだから。


そして、最前線となるに最も可能性が高いと考えられた、ソロモン連邦共和国領ノースウッド州。
彼らの領地の中でも極北の地域が、今まさにこの戦争における中心地となりつつあるのであった。



「よく分かんねえとこに来ちまったが、ここがオビリスクっていうんだな。てか寒ッ!!?」
かつて父がそうしたように、子もその道を歩み始めていた。
その第一歩は、オルドニアの士官学校で。
そして次なる一歩は、父と同じ立場となった今、戦争を目の前に控えた、この極北の地方で。
少年ツバサは、オビリスク駐留基地の新兵として派遣された兵士の一人である。
経緯はかなり複雑ではあるが、表向きには懲罰の一環として戦地へ赴いたことになっている。
裏では、ごく一部の人たちから“此度の戦争で活躍できる貴重な人材”という見込みを勝手に受けて、ここまで飛ばされた少年兵だ。
新たにやってきた新兵64人はすべて士官学校を卒業、もしくは中途で兵士に繰り上げられた者たちだ。
中には彼と同じく時を過ごした女性兵士のナタリア、彼と同じ学校に通っていた少年少女たちもいる。
共通して言えることは、全員がまだ25歳以下の若年兵士だということだ。
彼らにとって慣れない地での仕事が始まる。
複数台の輸送トラックに揺られること数日。
休憩を挟みながらも、彼らはその地に辿り着いた。


「本当に寒いな、ここは。戦うってなったらこの寒さも結構くるかもしれないな」
「確かになー。あー………ハァックション!!!ちくしょう、今は本当に7月かって疑いたくなるよな………」
「すぐに基地に入れます。もう少し我慢しましょう。」


道中、兵士たちは暇を持て余すばかりだったので、揺られるトラックの中で各々が面識を持つこととなった。
一台に乗れる人員など10人程度。
親交を深めるという程度のものではないが、互いに会話が出来るくらいのことは普通だった。
ツバサとナタリアの乗るトラックは、ほか半数が同じオルドニア士官学校の出身で、特にナタリアの剣腕の噂はほぼすべての学年に知れ渡っていた。
そのため、そのナタリアを破った若い少年ツバサの存在も大きく取り上げられていたのだとか。
そして彼らがあの日、基地内部の爆破事件の犯人を刺殺したことも知っていた。
学生が学生を殺害するという事件。
彼らの目的がなんであれ、ツバサとナタリアは同じ士官学校内の学生を殺害したのだ。
自らの信念を貫いてのこと。
だが、それを知っていた他の人たちは、彼らを非難することはなかった。
寧ろ彼らの行動は正しいものだと考えていたのだ。
あの場で出くわし、戦わなければ二人が殺されていただろうから。


「よし。皆揃ったな。今日からお前たちの職場がこの基地だ。それぞれに役割を決めたので、持ち場の上官の指示に従って職務に精励して欲しい。皆も知っている通り、今情勢は極めて不透明で先行きが見えない。いつ戦争が始まるかも分からない。だから、有事の際にはたとえ新兵でも最前線に送り込まれる可能性は高い。だから、そうなる覚悟はしておいて欲しい。………でもまあ、常に気を張っていたら疲れるから、適度に抜くところは抜いても構わないからな。うちの司令官代理はそういう人だ」


新兵は一度広間に集められる。
各員等間隔で整列し、彼らの上官にあたる者の言葉を聞いていた。
今、彼らの前で話している上官は、彼らとそれほど歳が離れているようには見えない、若そうな人だった。
青年といっても良いだろう。
そして、きっちりとした言葉を放ちつつも、時折笑顔を見せて和ませようともする。
そういう気さくな人となりなのかもしれない。
この男の名前はヴェスパー・シュナイダー。
連邦軍第七師団スヴェール地方部隊参謀部所属で、階級は少尉。
彼もこの基地の中では高階級士官に属するもので、新兵たちを直属で従える身分となる。
彼の上の立場に司令官代理の副官がいて、司令官代理がいる。


「では、司令官代理、挨拶を頼みます。」


「えー、どうも、司令官代理のラン・アーネルドです。詳しいことはそこにいるシュナイダー少尉から色々聞いて欲しい。とにかく無理だけはしないように。」


と、司令官代理であるラン・アーネルド大尉は、短く話を終えた。
何も、素っ気ない挨拶であった訳でも無い。
礼節を欠くようなものでもない。
ただあっさりとしていたというよりは、何か皆の前で話すのが慣れていないような、そんな印象さえ持った。
その男も同じく、それほど歳上の人とも思えない。
黒髪を右手でくしゃくしゃと掻きながら、短くそう話した。
不思議な印象だった。
ツバサはちょっとだけ笑みを浮かべながらも、その人となりに興味を持った。



「とまあこんな感じだ。全体の話は以上!宿舎に案内しようか。」
全体の挨拶ということで一ヶ所に集められていた彼らだが、その会は僅かに5分程度で終わってしまった。
簡潔明瞭なので、それはそれでいいか、とツバサも他の人たちも思っていた。
オビリスク基地はそれほど広くもない基地で、内部にある施設も同様に規模は小さい。
ここに勤める人の数も、他の多くの基地に比べればそれほどのものでもない。
それでも、広大な地域を防衛する必要性から、このように小さな規模の分屯地は必要なのである。
“辺境の部隊”と呼ばれる位置づけが存在するのは、このような地理的背景にもある。
64人を一度に案内するのは難しいので、幾つかの班に分けて案内となった。



「へえ。かなり小さいけど、まあ個室ならそれでもいいか」
意外と驚いたことが、基地としてはそれほど大きくないのだが、中にある設備は比較的綺麗で新しいものが多い。
基地の外見こそ荒んだもののようにも見えたが、中はそうでもないらしい。
彼らが案内された兵舎も、寝返りできる程度の広さではあるものの、個室設計になっている。
多少は個人の空間に対する配慮もされていると見えた。
ツバサにとってはこの基地が自身初めての配属先となるので、仮に他の基地に行った時はここと見比べてしまうことになるだろう。
荷物を置いたら、すぐに仕事が始まる。
ここでの生活の第一歩、兵士としての第一歩。
新たなる道に足を踏み入れた、これからの道を切り拓くための一歩を。



「さて、お前たち4人は一チームとして行動してもらう。今日からの任務は特定のエリアの巡回偵察だ」
ヴェスパー・シュナイダーがチームと言い表した4人を集めて、具体的な仕事の内容を伝える。
シュナイダー少尉は、この基地では三番目の高階級所持者で、この基地に配属されている少数の兵士たちの統括を任されている身分である。
部隊の兵士一人ひとりを統括するのがシュナイダーの役割であり、そのシュナイダーに指示を出すのが副官であるカレンや、司令官代理のラン・アーネルドということになる。
全体の指揮を執るのは無論ラン・アーネルドではあるのだが、個々の部隊を指揮するのはシュナイダーの役割である。
というのも、全体の司令官役を務めるランが、あまり司令官面せず放任するものだから、個々の権力を持った者たちがそれなりに仕事をしなければならないのである。
決して怠け者司令官代理という訳ではないのだが、“自分は戦場に出たら頭から下は役に立たない”と自負しており、彼がするのは全体の局面を掴めるよう戦略を練り実行させることである。
そのため、現状戦の発生していない状況では、本当の彼の力量を知ることは出来ないのである。


「一応、今の現状だと敵が来る手段は空か海か、どちらかになっていると断言して良いだろう。けど、どっちで来るかはまだ分からない。この地方では日常的な偵察活動を各地で行い、定時連絡を入れるようにしている。定時連絡は通信を使用して行われるが、定時連絡が行われなかった際には確認をする。もし何かあったらすぐ対処できるようにするためにな。」


「ここでは僕が案内役をします。僕はレオニス。僕が偵察任務で担当しているエリアを、君たち3人にもやってもらいます。」
チームの一人は既にこの基地の所属の兵士で、彼らよりも経験が少し長い、若い兵士だった。
偵察と言っても、ここはソロモン連邦共和国領なので、この偵察をキッカケに何らかの行動を起こすものではない。
ただ、普段の任務では、特定のエリアに赴いて周囲に異常が無いかどうかを確かめる、というのが目的となる。
今回彼らが行う任務もそれに変わりはない。
しかし、少しばかり様相は異なるようだった。
事実上、グランバートとの戦時下にあるソロモンは、いつグランバートの攻撃を受けても不思議では無い状況だ。
アスカンタ大陸からオーク大陸へ侵攻して来る可能性が高いと考えると、この極北地域は敵との接触が充分に考えられるエリアとなる。
ここでの偵察活動は、敵国の勢力が攻めてくるかどうかを確認するという意味も含まれている。
自国の艦隊や空軍勢力を使ってもいいのだが、それらに使用される燃料や有事の際の弾薬は、充分すぎるほどの備蓄はない。
特に戦時下となれば、そういった資源は非常に貴重なものとなる。
普段接敵の可能性が低いエリアだからこそ、有人での有視界偵察が基本とされている。
現代の技術が進歩し続けている一方で、こうしたアナログな方法は今も第一線で使われ続けている。


「一度偵察任務に出れば、一週間は戻って来られない。朝と夜は7月でも冷え込みが厳しいから、防寒装備は必要以上に持って行けよ」
「その辺も僕がレクチャーしましょう。どうぞ、こちらへ」


有視界での偵察活動は、遥か昔の時代より続いてきた定番の方法である。
戦局全体を見極めながら、敵がどのエリアに出現する可能性があるかを分析し、それに合わせて偵察部隊を送り込む。
近年では技術革新のおかげで通信技術が駆使されるようになったので、偵察による報告は容易なものとなっている。
それまでは、異常を発見したらそれを急いで後方に待機する部隊に知らせる必要があった。
今もその手順自体は変わらないのだが、通信技術の発達により現場に留まったまま、ありのままの現状を報告することが出来るようになっていた。
それだけでも、偵察活動はかなりし易くなったと言えるだろう。
とはいえ、偵察活動には忍耐も要求される。
現れるかどうかも分からない敵を見つけるために、留まっている必要があるのだ。
しかも敵を発見すれば、自分たちが真っ先に危険な位置にいることとなる。
場合によっては最前線と化し、戦闘行動に発展する可能性すらある。
危険が常に付きまとう仕事の一つではある。
経験者でレオニスと共に行動するのは、ツバサ、ナタリア、そして別の士官学校からやってきたオルガの三名。
因みにこの人選は、この基地の部隊を統率するヴェスパー・シュナイダーにより決められたものである。


「この時期だから雪は無いけれど、とにかく朝と夜は寒いんだ。このくらいの装備は身に着けたほうがいい」
「こんなにいるのか?動き辛れえと思うんだが………」
「すぐに戦うという訳じゃないし、ヒトは体温を維持出来ないと生命活動が脅かされるからね。これも我慢のうちだよ」


彼ら三人にとってレオニスは上官にあたる存在で、階級も彼のほうが上なのだが、ツバサたちは気さくな態度で彼と話をしていた。
上官といっても、殆ど歳は同じく20歳のレオニスは、ただ彼らよりも長い時間、兵士としての時間をこの基地で歩み続けてきただけのことである。
ここにいる兵士たちの多くはそうした経験を積んだ者ばかりだが、そのレオニスやほかの兵士たちにしても、実際の戦場を経験した人は少ない。
かつて10年前に起こっていた戦争を生き残り、今もなお軍に残り続けている人が大勢いる訳ではない。
多くの命が失われた『50年戦争』。
生き残った者の多くは、軍から離れて平穏を求めた。
今も軍に残り続けている人は、ソロモン連邦共和国だけでなく、他の国々の軍でも高階級に位置する場合が多い。


「レオニス伍長以外にも、現地に人はいるのか?」
「うん。同じようにチームがいる。交代制さ」
「そっか。それなら早く行ってあげねえとな!」
「え?ま、まあそうか。そうとも言えるか」


ツバサはそう陽気に言葉を発していた。
思わず拍子抜けするレオニス伍長であったが、彼の心情がどのようなものであるかを考えた。
今はまだ、戦う時ではないかもしれない。
だが、この人はまずここでの仕事をすぐに始めたい、という心持ちなのかもしれない、と。
逆を言えば落ち着きのない性格なのかもしれないが。
―――――――――――真っ直ぐな瞳に映る、少年の心の一端。
それがいつ穢されることになるのか。
またそうなった時、少年は今の少年のままで居続けられるのか。
戦いを経験していない自分がそれを思うのも妙なものだが、とレオニスは頭の中で考えを巡らせた。


装備を整えた彼らは、車で予定ポイントまで行く。
偵察活動エリアは基地から車で3時間ほどの距離のところにある。
この少人数でカバーできるようなエリアでも無いのだが、とはいえ誰かがこのような活動をしていないと、襲撃された際の対応の速さに関わる。
一昔前の時代では、通信技術もなく、敵の襲来を瞬時に察知する方法はなかった。
技術が発展した今でも、根本は変わらない。
車はレオニスの運転で目的地まで進められるが、道中彼らは時折他愛のない話をして、それぞれお互いのことを知る機会を得ていた。


「へえ。じゃあレオニス伍長のお父さんも兵士なんだな!」
「うん。父は全然別のところで働いているから、会うことは無いんだけどね。」
「そうなのかー。凄いな、二人して兵士なんて」
「どうかな。僕も父の影響を受けただけなのかもしれないが」



そう笑みを浮かべながら話すレオニス。
道中、彼らはレオニスのこれまでの経緯について色々を聞くことが出来た。
父と共に育ち、彼は16歳のときに士官学校へ入学した。
彼が士官学校へ入校した時に、父も兵士として別の赴任先へ回された。
それまでは子供の傍に居て、親として彼を育てていたのだが、士官学校への入学をキッカケに傍を離れることになった。
士官学校は基本的に全寮制であり、期間は異なるが多くは一年以上在学することになる。
息子が士官学校へ入ったことで子育てをする機会もなくなり、上の者たちから配置転換を命じられたと話す。
今は西方の陸戦部隊にいるとのことだが。
父の影響を受けたと本人が話すように、共に暮らしていた時代はよく父の仕事の話を聞いていた。
それが今となっては自分がその仕事に携わるようになっていることに、ちょっとした縁を感じているのだという。


「なんかの機会で一緒に働けるといいのにな!」
「はは、そうだね。この立場で言えば父は上官になるから、ちょっとやりづらいかな?」
「そっか!確かにな」


彼が士官学校に入って既に4年が経過しているというので、父とはもう4年も会っていないことになる。
もっとも、文通が許されているので、定期的に手紙のやり取りでお互いの無事を確認し合っているとは話す。
もし共に戦場で戦うことになれば、味方の兵士としては誰よりも心強い存在となることだろう。
それ以上の大きな懸念を背負いながら、ということにはなるが。


「ツバサくんのご両親は?」
「んー、実は俺の父さんも元々は兵士だった!母さんもそれについていったんだけど、もう10年以上会ってないな」


「―――――――――――。」


ツバサは笑顔でそのように話すが、それがどのような意味を示すものなのか、分からない者はいなかった。
彼の父親は兵士で、母はその父を支えたのだと言う。
それが10年前の記憶で途絶えているということは、彼らの両親は、10年前に。
ナタリアは隣で聞いて、一瞬息を呑んだ。
ツバサの両親の過去の一部を、突拍子に聞いたからだ。
本来なら悲しむべき事実だろうし、塞ぎたくなるものなのかもしれない。
けれどツバサはこうも言った。


「でも、俺も同じ立場になったんだし、いずれまた会えるって思ってる!」
と、そう言ったのだ。
彼がその言葉を発する前の三人は、誰もがツバサの両親は戦争で亡くなったと確信したことだろう。
だがそれをツバサ自身が否定するように掻き消した。
本当に死んだかどうかを確認した訳ではない。
ただ、戦地において行方不明となった者は、戦後全員が等しく戦死扱いとなった。
彼の両親は、戦場へ赴きその後行方不明となったが、いまだ二人の遺体も確認されず、所持品も見つかっていない。
そういう人は珍しくないと彼も知っているし、他の三人も聞いている。
だから、自分から希望を棄てることは決してしないのだろう。


「そうか。君のその願い、叶えられるといいね。」
その話を聞いたレオニスは、優しくそのように彼に告げた。
いつかまた会えるかもしれない。
それは、遠く儚い夢のようなものだろう。
今の現実を考えれば、そうでない結末が待っていることばかり想像できてしまう。
だがそれも、人が心に描く邪な考えというものだろう。
そうでない結末など望んでいないし、まだ確定された未来という訳でもない。
だから、その瞬間が訪れるまでは、真実を知るための旅路が続いて行くのだから。


車が今日の目的地に到達する。
既に時間は昼を過ぎていた。
今日の天気は決して良いとは言えないが、雲の切れ間から晴れ間が柱のように差し込むような、幻想的な風景を見ることが出来ていた。
“ここに車を隠して少し先まで進むよ。”とレオニスが案内をしてくれる。
途中の道もそうだったが、彼らが歩く道はほぼ舗装されておらず、細かい砂利道が続くばかりだった。
また獣道ではないのが救いだっただろう。
車から降りて30分ほど経ったところ、海岸線を見渡せる丘陵の上に、単眼鏡を持って周囲を見渡している人が見えた。
どうやら交代のチームの人員らしい。
彼らは一週間ごとに一台の車を用いてチームを交代している。


「よお、お疲れさん!アンタらが新入りだな?オレはマルケス。よろしく頼むぜ」
彼らが到達したその場所が偵察活動エリアの始点にあたる場所で、交代の所定日時になるとここで全員が集合する。
レオニスと同じような立場にあるのがマルケスという男のようで、マルケスのほか二人の男性がいた。
待機していた三人とも彼らとほぼ同じくらいの年齢に見える。
実際マルケスは21歳で、レオニスとは一歳違いだ。
やっと交代か~、などと背伸びをしながら話す彼ら。
先に一週間ここで仕事をしていた彼らからすれば、新入りとなるツバサたち三人とは初顔合わせになる。
ということで、交代の時間ではあるが少しの時間を使って話し込む。
仕事の内容が二割、プライベートな話が八割と、お互いを知ることに重点を置いた短い時間とはなった。


「まあここでの任務は今のところ退屈なものばかりだと思うが、これも国防のためってやつさ。我慢しろよ」
「マルケス。軍人が退屈するのは良いことだろうさ。ラン司令官ならそう言うと思うよ」
「ハハ!そうだな、あの司令官ならそう言うに違いねえな。それじゃあとは任せたぜ。また一週間後に来るからよ」



そう言って、マルケスとほか二人は徒歩で持ち場を離れていく。
あとは車を隠している位置まで戻って、その車で基地まで帰還するだけだ。
このような任務を担当している兵士が他にも数多くいるらしい。
それぞれ持ち場が指定され、いつ来るかも分からない脅威を見張り続けている。
マルケスの言うように、その任務は何かが起こるまでは退屈なのだろう。
軍人が暇を持て余すのは、かえって平穏を損なわずに済むものなのかもしれない。


「なあレオニス伍長。うちの司令官はどんな人なんだ?」
ツバサが唐突に彼にそう聞く。


「ラン司令官代理かい?とても変わった人だね。どうしてこの人が軍人になったんだろうって、思うくらいには軍人が似合わないかな」
「軍人が似合わない、か………」


“軍人が暇なのは良いことだ”という言葉も、実はラン司令官からの受け売りだそうだ。
今後ツバサが色々な人から司令官の話を聞くことになるし、また彼自身も司令官との関わりを深めていくことになるのだが、多くの人はラン・アーネルド大尉を変わった人だと話す。
彼がまだ若くて経験が浅いということもあるだろうが、皆が共通して話すのが『どうして軍人になどなってしまったのか』ということ。
軍人でその才幹は将来国の為に大いに役立つだろうと期待されている人物。
一方で、ランは軍人という職業を嫌い、出来ることなら早くに辞めたいとも考えている、とレオニスは話す。
元々は軍人志望ではなかったが、自分の置かれた境遇と学費を払わずとも勉学に励める士官学校とがマッチした結果、今のランが出来上がってしまっているという。
彼らは偵察活動に入る。
といっても、それぞれ基地から持ち出した単眼鏡を手に、自然の中に擬態するように伏せて、見晴らしのいい居場所から周囲を警戒するという任務だけ。
もし敵が来るとしたら、それは大部隊での行動線を生み出すことだろう。
現時点で連邦軍がこのエリアで部隊の展開を行っていない以上、発見できたとすればそれは脅威である可能性が高い。
それを見つけられるかどうかは分からないが、元々そのような存在がいるかどうかを見極めるのが偵察というものだ。


「僕も何度かしか話したことは無いけど、すぐそう感じるくらいの人だよ。」
「………まあ、いろんな境遇があるってことだよな………」
「そうだね。きっと司令官代理は不本意な立場を強いられているんだと思うな。でも生きるにはやるしかないから」


今はそういう時代だよ、とレオニスは話した。
たとえ経緯がどうであれ、その立場となった以上は立場に求められる行動をしなくてはならない。
そうでなければ、多くの人々を巻き添えにしてしまうだろう。
改めてツバサは司令官代理の立場にいるラン・アーネルド大尉に興味を持った。
夕暮れ近くまで同じポイントで偵察を続けたが、静かさを保ったまま。
何も起きることもなく、もうすぐ夜を迎えようとしている。
7月の気温とは思えないほど夜は冷え込みが強まるのを肌で感じていた。
夕刻を迎え日が暮れる頃には、雲も消え去り晴れ間が空を覆い尽くしていた。
この分なら夜空はとても綺麗だろうが、その分冷え込みも強いことが予想される。
日が暮れる前に全員で食事を摂り、そしてレオニスがこう言った。


「これからの時間は交代で休みながら偵察を続けよう。ツバサくんとナタリアさんは先に休むといい。オルガ、このままいいかい?」
「大丈夫。行きましょう」


二人は先に休憩するよう言われたので、持ち込んでいた分厚い寝袋を広げて休む準備をする。
一方で、レオニスとオルガは少し離れた地点で引き続き偵察活動を続ける。
これからの時間は夜となる。
今日は月明かりに大地が照らされることが予想されているので、ある程度暗くとも周囲を見渡すことは出来るだろう。
これがもし雲や雨の降る中だと、視界も悪くなり偵察どころではなくなってしまうだろう。


「慣れないことが続くと、流石に身体も疲れを感じるものですね。」
「ああ、確かにそうだな。これなら外が寒くても寝れそうだ」


適度な疲労感を感じていた二人は、寝袋を広げ終わると、その場に座って話をしていた。
兵士という立場についての一日はまもなく終わろうとしている。
グランバート王国軍に対する成果はあげられなかったが、かえってその方が良いのかもしれない。
敵軍を見つけてしまえば、戦闘状態入る可能性が高いのだから。
徐々に深い闇が空を覆い始めていた。
彼らは夜明けまで休むこととなり、その後は今偵察を続けている彼らと入れ替わりで偵察を続けることになる。
ツバサもナタリアも、就寝までの僅かなひと時を、小さな岩場に腰かけて過ごしていた。


「ツバサ。貴方の父についてなのですが」
「?」


突然、彼女から話を切り出してきた。



「もう10年も会っていない、と言っていましたね。元々この国に仕える兵士だったと」
「ん?ああ。それがどうした?」
「10年も前なら、貴方はまだ本当に小さな子供だったのでしょう。今に至るまでどのように育ったのですか」
「そっか、気になるよな。周りのみんなだよ。みんな家族みたいなもんだったから!」


彼の故郷については多少は聞いている。
タヒチ村というのは、先日まで自分たちがいたオルドニア州士官学校から東に暫く行ったところにある、小さな小さな村だ。
それより先は海岸線が続き、特に集落なども存在しない。
彼はそこで育ち、曰く10年間毎日のようにトレーニングを積み重ねてきたのだと言う。
ナタリアはかつてその経緯を聞いたとき、“少年をそうまでさせる過程があったのだろう”と思った。
今日、彼の父の話を僅かながら聞いたとき、その過程は父が大きく関係していると確信を持った。
それで聞いてみたのだ。
彼の父はもう彼と10年以上も離れ離れになっている。
戦時中に行方不明となったのであれば、生存は絶望的なものだろう。
それでもツバサは自ら道を閉ざすことはしなかった。
まだ、それを定められる運命がなく、確定された事実を目の当たりにした訳ではないのだから。


「当然一人じゃ生きられなかっただろうけど、みんなご飯を作ってくれたり、勉強を一緒にしてくれたおかげで今の俺がいるって感じだな。感謝してもしきれねえさ」

「…………そうだったのですね。良い人々に巡り合えたのですね」


ツバサはまるで疑問符を顔の上に浮かべたかのような表情をする。
その時の彼女の表情は周りが暗くてよく見えなかったが、それでもどこか浮かないような表情をしていたから。



「きっと、貴方のその強さは周りの支えがあってこそだと思います。いつかは、彼らのもとに戻りたいと考えてはいますか。」

「そりゃな!いつかは戻るとは思うが、取り敢えず自分で決めたことは最後まで通してやらねえとな」

「兵士として目指すもの、ですね。貴方が求める結末というものは?」


じっと動かず、静かな声でそう問いかけるナタリア。
そのナタリアの声に感情は感じられない。淡々と話しているようで、真剣な表情。
あまりにも抽象的な問いは、少し彼女らしからぬものを感じられた。
いつも冷静に、冷淡に、浮き上がるものを感じさせない真っ直ぐさを見せてきた彼女。
その彼女の問いとは思えないもののように感じた。
でも、ツバサは気にせずに答える。


「結末なんてどうなるか分からねえし、今は想像もつかねえ!でもまあ、それもやってみなきゃ分からねえだろ?まずははじめてみねえとな」



――――――――そんで、この戦争が終わるのに少しでも貢献出来たらいいなって、思ってるよ。
と、ツバサは言った。
たった一人の力で戦争を終わらせることは絶対に不可能だ。
………というのは、固定概念のようではあるが事実でもある。
かつて10年前の戦いで、一人ではないが複数人の英雄たちと呼ばれる子供たちが、その戦乱の世を終結させるキッカケを作った。
ナタリアはその英雄たちの存在を知っているだけで、会ったこともなければ話したこともない。
だが、もしツバサがこの先軍人として大成し、英雄たちのような立場となるのなら。
そんな想像をしていた。
彼の目指すものが何であるかは、今もよく分からない。
その手で戦争を終わらせようという気持ちはあるだろう。
どちらかといえば国の為というより、人々の為という指向がある。
もしかしたら、兵士だったという彼の父も、そうした人となりだったのかもしれない。


それに影響されたのかもしれないな、と彼女は心の中で思う。



「そういや、ナタリアの両親はどうしてるんだ?離れ離れなんだろ?」
「――――――――――――。」


責めはしない。
何しろ彼に一度もこの話をしたことが無い。
今後もするかどうかは分からない。
けれど、事実は確かに事実として存在している。
真相が語られないだけで。



「はい。私も、ある意味では戦争孤児でしたから」
「ふーん、そっか。なんかナタリアの子供時代ってあんまり想像つかねえな!」
「っ…………」


けれど、彼はそれ以上のことを聞こうとはしなかった。
彼には何か察しがついているのかもしれない。
気遣われているのかもしれない。
ツバサはいつものような元気の良さで、彼女にはそう話した。
相変わらず感情の見えない姿でいる彼女だったが、そんな彼女の話し方に彼も何かを感じたのかもしれない。
表面には映らない、見え隠れしたものを垣間見て。
その後、すぐに彼らの会話は終了し、共に隣り合わせの寝袋で休むこととなった。
―――――――――――――色々と思うところのある一日だった。
というのは、ナタリアが心の中で思った感想である。
兵士としての一日。
何事も無いようで、中身のある一日。
これが何年も続けば、一日という時間の存在をそれほど強く意識することは無いかもしれない。
ラン・アーネルドが言ったらしいが、兵士というのは戦うことを仕事とする道具のような存在であり、その道具が使われることのない平穏な日常が続くのならそれはそれで良いことなのだろう。


だが、その平穏は、意外にも僅かな時間で崩れ去る。
既に脅威は目の前まで来ていることを、その身を持って実感することになる。



………………。

第5話 初陣

その瞬間は唐突にして訪れる。



偵察部隊として複数の目的地を転々としながら敵の脅威を監視し続ける任務を得たツバサたち。
同じような任務を他の部隊も持っており、基地から離れた海岸線沿いを常に監視し続けている。
しかし、あまりに土地が広大すぎるために、全域を少数の兵士たちが監視し続けることには無理がある。
はじめからそのようなことは目に見えていたのだが、それでも全く監視しない訳にもいかない。
敵は突然攻めてくるかもしれないし、備えは必要なのである。
有視界偵察は、昔からよく使われてきた方法であり、今後あらゆる技術が発達していったとしても、使われるであろう方法とされている。
現状、戦争状態にある両国の部隊の中で、連邦軍側としては偵察部隊が最も最前線となり得る存在である。
偵察部隊が故に行動の制限はあるが、もし本当に敵の脅威が間近に迫った時には、戦闘を行う必要があるだろう。
その時は偵察部隊の領分を超えて、兵士としての立場を貫くための行動を起こさねばなるまい。



「――――――――――――わっ、吃驚した!!」
「シッ。状況が変わった。起きてくれ」
「何…………」


寝袋で寝ていたツバサとナタリアは、駆け寄ってきたレオニスとオルガに起こされる。
ツバサは飛び起きるように驚きながら目を覚ましたが、レオニスが静止させた。
ナタリアも静かに目を覚ます。
周りはほんのりと明るくなり始めているところで、時刻にして朝の4時半。
雲一つない天候で、既に地平線まで見渡すことが出来るほどの明るさにはなっている。
彼らを起こしたのは、交代の時間だからではなく、状況が変わったからである。
レオニスは静かに指を差すと、ツバサは持っていた単眼鏡でその方角を見る。


「っ…………!!」
海岸線、小さな砂浜のすぐ手前に見える黒い物体。
それは紛れもなく海を渡ることの出来る船。
しかし船と呼ぶには小さすぎで、ボートと呼べる程度のものだろう。
数名が乗船できるほどの大きさのものだが、あれでも海を渡ることは不可能ではない。
そしてそのボートから7名ほどの人が降りて、辺りを見渡している。
彼らはその様子を伏せて見ていた。
見た目は一般的な服装を身に纏っているように見えるが、明らかに普通の人でない点がある。


「奴らは武装をしている。我々連邦軍がここに軍を派遣していない以上、奴らは所属不明の武装組織と断定できる。」
レオニス自身も単眼鏡でその姿を視認している。
彼らと海岸線との距離は数キロ離れているが、レオニスはすぐに決断を下した。


「オルガ。すぐに本部に無線で連絡を取るんだ。所属不明の武装組織が上陸していると。」
「………分かった!」


レオニス伍長の指示で、オルガはすぐにオビリスク駐留基地に連絡を取り始める。
その間、目立たないよう迅速に寝袋を片付け、状態を整えたツバサとナタリア。
突然訪れた緊迫した事態に心揺れ動く状況ではあったが、事態は明白だ。
レオニスは言う。


「さて、事は明白だ。やることは分かっていると思う。正直僕も皆も経験が無い。だけど彼らを放っておくことは出来ない。分かるね?」
レオニス伍長の下した判断は、無線通信で本部に方向し返答があるよりも早いものであった。
もし今見えている武装集団がグランバートの軍隊であったとしたら、彼らの目的はともあれ、既に上陸を許しているということになるだろう。
先に進まれては自分たちが困る。
そうなる前に排除しておくべきだ、と彼は言う。
その意味が分からないはずがない。
元よりその危険性を承知で巡回偵察の任務を受けているのだ。
時にここは最前線となり、その立場を全うすることが必要とされる。
彼らはそれぞれに息を呑んだが、そこでツバサが。


「やるっきゃねえな!奴らはたぶん他んところにも上陸してる。ジロジロ下見されるのも嫌だし、蹴散らしちまおうぜ!」
と、各々を驚かせる言葉を言ったのだ。
言葉の内容と彼のその表情とだけを確認すると、明らかにツバサは好戦的な姿勢を取っている。
実際それに間違いは無いのだが、ただ単に“戦おう”と言っているだけでないのが、彼らには分かった。
ツバサは既に相手の目的を看破している。
敵は7名。軍勢と言うにはあまりに少数の、分隊規模である。
もし相手が100人というような中規模の集団であったとしたら、彼らに戦う選択肢は無かっただろう。
だが、自分たちより僅かながらに数が多い場合には、全く太刀打ちが出来ない相手ではない。
ツバサはそれを分かっていて、交戦しようと積極的に態度を示したのだ。
そして敵は、あのような小さなボートで海峡を渡ってきている。
敵の目的が威力偵察ではなく、半ば潜入に近いものであるとすぐに見抜いていた。
武装を所持しているが、服装が一般の民たちと変わらないように見えるのは、そのためだろう。
そこまで見抜いたうえで“もう手遅れなのを承知で”出来ることをしようと、彼は強気に出た。


「よし、その意気だ。………といっても、僕も不安に駆られているんだけどね。さていくとするか」
「―――――――――――!!」


武装集団の歩く方角のそのまた先に進路を取り、奴らの前に立ち塞がる形を取ろうと動き出す。



「これが俺たちの初戦っつーわけか。」
「はい。………明確な敵を倒すために。そのために剣を取る、これが私たちの求められていることです」



野戦道具は偵察ポイントに置いたままにし、彼らは戦闘態勢のまま全速力で移動をする。
レオニスとオルガは動きだす前に、身体に防具を身に着けたが、一方でツバサとナタリアは全く装備していない。
そのことを問われると、彼らは口を揃えて動きが制限されるのが嫌だから、と答えた。
同じ理由で防寒着も偵察ポイントに置きっぱなしにして、戦闘服のみで行動をする。
外気温と今の状態を考えれば、寒さは行動する者にとっての天敵となり得る。
しかし、こうして移動している間に身体は自然と温まるものだ。
それすらも予測のうちに入れていた、ツバサとナタリア。
レオニスもオルガも感心していた。
彼らは昨日入隊したばかりで、これからいつ死ぬかも分からない戦場に出向くというのに、自分たちのスタイルを身に着けているようだ。


「緊張するな………落ち着け」
「深呼吸をしてください、オルガ。私たちが全力でサポートします」
「あ、ああ………しかし随分と冷静なんだな、ナタリアさん」
「いえ。私も決して穏やかではありません。ただ、相手が敵だと分かれば、やるべきことはただ一つです。」


対する者が敵だと言うのなら、それを倒すのがこの立場として求められていること。
ナタリアの佇まいはとても落ち着いているように見える。
彼女とて初めての経験では無いのか、とオルガは疑ってしまうほどだったが、同時に感心もしていた。



「それに、敵かどうかは別として、私にとってこれは初めての経験ではありませんので。」



そして同時に、彼女はそのように話す。
“初めての経験では無い”
オルガはここに来るまでに、ツバサとナタリアの士官学校時代の話を聞いた。
彼らが出くわした、士官学校爆破事件とやらの経緯も聞いている。
そう、目の前にいる女性は既に、人を殺したことがある。
自分が殺される状況の中で相手を殺し、その状況を乗り越えた経験がある。
だからこれほど冷静な姿でいられるのだろうか。
しかし、それ以上に彼女の言葉には大きな含みを感じられる。
もっと前に、同じような経験を積んでいるのではないかと、疑いたくなるくらいに。


「………っ、二手に分かれようとしている。どうする」
「レオニス伍長、判断は任せます。」
「そうだな…………」


彼らは起伏に隠れながら徐々に接近し、あと100メートルほどの距離まで縮めていた。
7名の集団は、砂利で出来た道の分かれ道を前にして、何やら話している様子。
恐らく二手に分かれるか、同じ道を全員で進むかを検討しているのだろう。
レオニスはすぐに二手に分かれる可能性を示唆した。
レオニスは二通りの手段を考えた。
戦いは数だと言われている通り、二手に分かれさせてほぼ同数を相手にする。
これは、数の上で相手に圧倒される可能性が少なく、小規模の近接戦闘であれば個々人の技量が問われることとなる。
だが懸念も一つある。
二手に分かれた後を強襲することになるので、もう片方の分隊を見失う可能性があるということだ。
もう一つは集団を一気に狙う方法だ。
一度にすべての標的を狙うことが出来るので、見失う可能性はほぼゼロになる。
だが一方で、数でほぼ二倍の相手を、しかも兵士であれば戦闘の経験者をほぼ素人の集団が相手にすることとなる。
それを彼らに話したうえで出した決断は、


「二手に分かれた後、数分後に少ないほうを攻撃しよう。一応、相手の身分を確認したうえでね」
付け加えつつも方針を定めたレオニス伍長と彼らはその指示のもと、動き出す。
集団は3人と4人に分かれてそれぞれ別の道を歩き始めていた。
彼ら四人は、分かれた三人の集団の進行方向に立ち塞がる形を取るべく、移動を再開する。
既に集団との距離は近い。
もう一方の集団を見失わないようにするには、敵だと分かれば出来るだけ早めに始末してしまう必要があるだろう。



「…………よし、では。」
そして、3人の前方に回り込んだ彼らは、静かにその者たちの前に、立ち塞がる。
突然見慣れない人の姿が4人も現れ、しかも武装しているのだから、驚かないはずがない。
3人は動きを止め、すぐに腰に手を回そうとする。
何しろそこに武器があるのだから、本能的に危険を察知してそうさせたのだろう。
レオニスからすれば、その本能的な行動だけで判断が出来た。
ある意味で探る手間が省けたというものだろう。


「どこの人かな。こんな朝早くに海から来るだなんて」
「っ……………」
「なぜ君たちは腰に手を回しているのか。もしかして、そこにぶら下げているものを取るつもり?」


レオニスが、彼らより一歩前に出て話す。
少しばかり挑戦的な態度と言動。
目の前の三人は驚いた表情を見せていたが、直後に立て直す。
ある程度は冷静さを取り戻したのか。
しかしこの相手と言えども、まさかこのような場所このような時間で人に遭遇するとは思わなかったのだろう。
しかも、自分たちと同じように、剣を携えている――――――――――――。



「海上警備の間隙を狙って来る………いい手段だと思う。夜間の、しかも小さいボートなら発見の可能性もかなり低くなる。既に多くの君たちの仲間が同じ方法でこっちに入って来てるんだろうけど、そんなものはこの場では関係ない。会ってしまったのだからね、僕たちは」


その瞬間、レオニスは自分の腰に下げていた剣を鞘から抜き出す。
擦れる金属音を鳴らしながら鞘から出た剣は、その切っ先を明確なる標的に定めた相手に向ける。


「さて、間違いは無いと思うけど、一応聞いておこうか。君たちがグランバートの兵士たちだということ、間違いはないかな。否定するのなら、それを証明するものを見せてもらわないと」

「くっ…………」


結局、相手の三人は彼の問いに答えることは出来ず、その意思を示した。
レオニスは彼らをグランバート軍の兵士だと確信した。
相手は彼の言葉を聞くなり、彼と同じく携えていた剣を鞘から抜き出した。
剣と剣とが向かい合う。その意図は明白だ。
抜き身の剣が綺麗なまま戻されることは、そうあるものではない。
ましてこの状況なら尚更である。
目の前で対峙するのは、ソロモン連邦共和国軍兵士と、グランバート王国軍兵士なのだから。
それを見たツバサ、ナタリア、オルガも続いて剣を抜く。
彼らにとって初めての戦争、戦場、第一戦。


これより始まるのは、何が正義で何が悪なのか。
その線引きすら曖昧となった昏迷の時代の中、終わることのない戦い。
ツバサという少年が歩む路の、本当の始まり。
そして同時に、彼という存在の命数が失われていく時間の始まりでもあるのだ。



「――――――――――――――!!」
互いに間合いの中に踏み込み、そして剣同士が衝突し合う。
実はこの場で起きた僅かな人数での戦闘が、ソロモン連邦共和国とグランバート王国のオーク大陸で始めた戦乱の第一幕であったのだが、当事者たちにその意識はなく、また連邦軍側もそのように認識してはいなかった。そのため、後世の歴史に「初戦」とは残らない記録となった。もっとも、戦にしては規模があまりに小さすぎるものであり、大々的に初戦と銘打たれたのは、この後時を経ずして起こる大陸での戦いとなるのである。
だが、たとえ小規模だろうが大規模だろうが、戦いが始まればそのようなものは個々人には関係ない。
戦いは戦いであり、そこには命を懸けた争いがある。
彼らもそう。
たとえ辺境の基地に所属している彼らとて、敵国の兵士が上陸してきているのであれば、倒さねばなるまい。
それが彼らに求められている立場なのだ。
兵士とは戦う道具であり、道具は人によって、国によって利用される。


それは否定できない事実なのだろう。
だがこの場にいる彼らは、国の思惑はどうあれ、個々人では目的、目標、理想があった。



「っ…………!!?」
この三人と戦っている時間は、僅かに30秒と無かった。
先攻したツバサは相手の兵士と三度剣を交えたが、三度目の攻防で彼は相手の剣を弾き飛ばし、その流れで心臓を突き刺した。
隣のナタリアはたったの一撃で敵の喉元を貫き絶命させる。
レオニスはやや長い時間剣戟を交わすことになったが、オルガのサポートもあって難なく敵を討つことが出来た。


「すぐに残りの連中を追おう!!」
剣に付着した血痕を勢いよく振り払うと、ツバサは他の三人にそう話して、すぐに動き出す。
それに続くようにナタリアも駆け出す。
レオニスとオルガは、僅かな時間ではあったがその場に留まってしまった。
自分の目で自分の両手に目をやる。
両手には、見ず知らずの、名前さえも知らない男の黒ずんだ血がこびりついている。
紛れもなく自分が兵士として人の命を奪った証拠だ。
手にその感覚が強烈に残っている。
それを考えると、自身の身体の中身が逆流しそうになるのを感じるが、じっとこらえた。
年長者が入ったばかりの後輩に後れを取る訳にはいかない。
レオニスも、オルガに声をかけてすぐに追いかけた。


先程の戦いがかなり時短で終わらせられたので、分かれたもう一方の分隊と接触するのはそれほど時間は掛からなかった。
同じ集団の中にいて二手に分かれたのだから、相手が誰なのかはもう既に分かっている。
今更相手に聞くことも何もない。
それが明確なる脅威であることが分かっているのなら、ただ相手を倒すこと。
それだけでいい。
後ろから急速接近した彼らと、不審に思い抜剣した4人のグランバート兵士。
先行したナタリアはその姿を見て、有無を言わさず間合いに入り込んでいく。
ツバサもほぼ同じ速度で敵兵士に接近した。
そして20メートルほど後方で遅れながらも戦線に参加した、レオニスとオルガ。
先行した二人の姿を見るなり、とても彼らが兵士になりたての素人とは思えないと強く思えた。
何しろ二人は、自分たち二人が到着するまでの十数秒間、二人で4人の敵の攻撃をいとも簡単に防いでいた。



「…………(こいつは凄い…………)」
レオニス伍長は、戦いながらツバサとナタリア両名の技量を見て感心していた。
敵兵士の間合いの中、懐のすぐ手前まで踏み切って攻撃を仕掛けた二人はとても息が合っていた。
彼らと敵との間合いが極端に狭いほど、手狭な攻勢を余儀なくされるが、一方で数で勝る敵は剣戟による同士討ちを避けるために、同時に攻撃を繰り出すことが出来なくなっていた。
結果的に二人の人数差を間合いの中の駆け引きによって、彼らが操作していたのだ。
兵士になりたての人とかは関係なく、並みの兵士でもそのような判断を瞬時にして積極的に戦いを持ちかけられる人はいないのではないだろうか。
二人は一体どこでそのような間合いの取り方、詰め方を学んだのか、気になった。
結果的に、この4人を倒したのはツバサとナタリアであり、レオニスとオルガが介入する空間的余裕を与えなかった。
時間的にも入り込む隙も無く、戦闘は短い時間で終了した。


「…………、よし片付いた!ナタリア、怪我はねえか?」
「ありません。」
「レオニス伍長とオルガは………良かった、大丈夫そうだな!」

「………君たち、なんというか。僕が心配することも無かったようだね。でもよく頑張ったよ。………オルガ、無線を」


戦闘は終了し、彼らは剣を仕舞う。
短時間で少人数での戦闘ではあったが、明確にグランバート軍とソロモン連邦軍とが戦った証拠である。
ナタリアは死体となった兵士たちの衣服や装備品から、何か収集できる情報が無いかどうか確かめていた。
オルガはレオニス伍長に言われたようにして、通信回線を開く。
通信が開くと、ヴェスパー・シュナイダーが応答した。


『無事か?取り敢えずは良かった。敵はそれ以外にも発見できるか?』
「いえ。周囲には見当たりません。」
『分かった。いや実は西側の偵察部隊から、同じような報告が入っている。海岸線に複数棄てられたボートがあるってな』

「………やはり」


オルガが通信を開き、レオニス伍長が報告をする。
この場に現れた敵兵士はすべて排除したことを伝え、倒した兵士たちから若干の情報を回収することが出来た。
疑いようもなくグランバート軍の兵士であり、上陸の方法から幾つかの推測を彼は挙げた。


「ボートにはエンジンがついています。10人は乗船できるタイプだと思いますが、この様子だと、既に多くのグランバート兵士が大陸へ入り込んでいると見て良いかと思います。…………私たちに、この北方地域は広すぎるのです」


既に各地でボートや兵士が目撃されている、という話は彼らにとっては初耳であった。
彼らの管轄内において最初に戦闘を起こしたのはレオニス伍長率いる分隊であったが、時間差で次々と戦闘報告が入っている。
基地司令部でその話を聞いているヴェスパー・シュナイダーも、無線越しで考えに浸る雰囲気を醸し出していた。
自分たちが思っている以上に事態は深刻な方面へ進み始めているのかもしれない。
一つのボートに最大で10人が乗船できるとして、それが一体どれほど上陸したのだろうか。
レオニス伍長は現場の人間として、この広大な土地に異民族の侵入を防ぐのは容易では無い、手遅れであることを伝える。
これがもし海から艦隊が押し寄せてくるものなのだとすれば、海上警備にあたっている自軍の海軍とで防衛することも出来ただろう。
だが、ボートのような小型船舶で、明かりのない夜間を航行されては、発見は困難だろう。
既に多くの兵士がこの大陸へ入り込んだと考えて良い。
誰もが想像できる展開であった。



『司令官代理。どう見ますか。昨日今日とこの情報続きを。』
『そうだな、レオニスの言うように、こちらの大陸には既にかなりの数の兵士が入り込んでると考えて良いだろう。』


ヴェスパー・シュナイダーのすぐ傍には司令官代理のラン・アーネルドもいるようで、
彼もレオニスの通信を聞きながら色々と考えを巡らせていた。
これまでグランバート軍の兵士がこの大陸に上陸するような動きはなかった。
ツバサらが偵察任務を開始したその日から動きがあったというのも、不思議な巡り合わせだと本人たちは感じている。
とはいえそれが事実なのだから、時代が再び動き出しているといっても過言ではない。
ソロモンとグランバートは互いに戦うことが確定している。
あとはそれがいつ始まるか、という段階であった。
これらの報告を受けたランは、既に事は動き始めているとの認識を持つ。



「ラン司令官。たぶんもう奴らはいろんな街に入り込んでると思うぜ。なんせ奴ら私服だったからさ」
『というと、戦闘服ではなく偽装した姿だったと?』
「そう。ちゃんと剣は持ってたけどな」


「………なあ。ツバサっていつもこんな感じの口調なのか、ナタリアさん」
「はい。比較的、そういう場面が多いかと」
「何と言うか、肝が据わってるというか………」


レオニスと本部との通信に混じって彼も声を出す。
相手が上官にあたる存在にもかかわらず、ある意味で彼らしい報告の仕方だった。
シュナイダーもランも、兵士一人ひとりにそうした所作を求める気質はそれほど無かったので、さほど気にはしなかった。
それより、新兵であるツバサがきちんと事態を洞察していることが驚きだった。
オルガとナタリアの二人がツバサのそうした姿を見つつ、ツバサの人となりを確認するように会話をしていた。



「正面から堂々と攻めるなら、態々戦闘服以外の服装を持ちこむことも無いだろ?戦うには邪魔なんだから。だったら相手の目的は分かりきってる!街や村、人のいるところに入り込んで内部の事情を集める。少しでも自分たちが有利に戦えるようにな。」

『………ああ、確かに考え得る可能性としては高いね。ツバサの考えが正しいと私も思う』


この場で考えることではなかったかもしれないが、ツバサは司令官代理が自分の名前を知っていることに驚いていた。
同時に少しだけ嬉しさを感じる。
新兵だから、という理由かもしれないが、それでもここに送られてきた60名ほどの顔と名前を一致させることなど、そう簡単なことではないはずだった。
一方のランは、彼は楽観的な人間のようにも見えるが、きちんと物事の道理が見え、先々を読み通すことが出来ていると考えていた。
ツバサが話した内容は、彼が幾多の報告を聞いた時に自分で考え出したものと全く同じだった。
ボートの報告を受けたとき、ランは“なるほど、そう来たか。”と、敵の戦略に感心したほどだ。
堂々と正面からの戦をしようとはせず、まずは状況を作るところから始める。
状況を作るには情報が必要であり、潜入という形でそれをかき集める。
そう言う意味では、グランバート軍の戦略は既に当たっている。
レオニス伍長が言うように、自分たちがそう感じているように、彼らにとってこの大陸はあまりに広すぎる。
その割にはこれほどの戦力しか与えられず、分散させられている。
敵の攻勢が大挙してくるようなら、押し返す力が無い場合には内陸への侵入を容易に許す結果を生むだろう。
ランはそのことに危機感を覚えていたが、同時にそれに対する策を持ち合わすことも出来ずにいた。
敵戦力の情報も分からず、侵入経路も不明のまま。
出たとこ勝負で勝てるほど戦争も甘くはないだろう。
グランバートは確実にこちらが抱えている弱点を突いてくるだろう。


『これ以上偵察をしても得られるものは少ない。レオニス伍長、すぐに基地まで引き上げて欲しい。回収ポイントに輸送班を向かわせる。』
『え、でもいいんですか司令官代理。敵は今度大挙して侵入してくるかもしれないんですよ』

『シュナイダー。敵の出方が分かっても、こちらは10人にも満たない配置ばかりだ。それなら狙われる可能性のあるポイントに防衛力を集めた方が良いのさ。少しでも早めに動けるようにと思って偵察部隊を配置したが、私の考えが甘かったようだ。今は戦力を消費したくない。だから下がらせてくれ』

『アイアイサ!ということだ。回収ポイントに車を回すから暫く待っていてくれ』

「了解です。」


今後の内容をすぐに伝達すると、両者の通信はそれで終了した。
恐らくラン司令官代理はほかの部隊にも撤退命令を出すだろう。
敵の意図がどうあれ、既に侵入を許している状況であるのなら、攻めてくるのも時間の問題である。
あとはそれがどこを目指してくるものなのか。どのような手段によるものなのか。
それを事前に察知するのは難しい。
既に街や村、幾つもの人の集まる場所に紛れ込んでしまった潜入者を捕まえるのは不可能に近いからだ。
となれば、彼らはグランバートの策謀に対し出たとこ勝負を強いられる。
不利になる状況は明らかであった。


「戦闘の発生した偵察部隊はどのくらいあるんだ」
「3つです。………やってくれますね。色々な意味で」
「ああ。でも、これで敵の動きもハッキリするだろう。」


この際は防衛する側よりも攻撃する側の方が有利になる。
敵の指揮官、あるいは参謀がどのような知略の持ち主かは分からないが、恐らくそう時を経ずして本土で戦争になるだろう。
どこを狙い、どこを橋頭保とし、その後の展開をするのか。
今のところ彼らにグランバートの攻勢に柔軟に対応できるほどの余裕は、無かった。


こうして、ツバサらはソロモン連邦共和国軍の兵士として、その初陣を経験した。
終わりの見えない戦いに足を踏み入れた、一つの事実。
交錯するグランバート軍の策略を前に、ソロモン連邦共和国軍はその地盤を掻き乱されることとなるのだ。


……………。

第6話 北海の海戦

少年は、後に青年となり多くの時間を過ごした中でも、この初陣のことは忘れなかった。



これから先の未来、どれほど多くの死線を越えて戦場を駆け抜けるのか、この時点では予想すら出来なかった。
ツバサはこれから先も多くの戦いの渦中へ身を投じ、あらゆる状況の中で戦い続ける兵士となる。
その中で、立場や思考が変化し、情勢が変化していく。
たとえ周りがどのように移ろい往くものだとしても、戦う人間という路を選んだからには、その本質から逃れることは出来ない。
そう、これからツバサたちは数え切れないほど多くの戦線を渡り歩くことになる。
多くの戦を経験し、無数の屍を生み出し、その上に自らの命を成り立たせていく。
血みどろにまみれた地獄のような日々が始まる。


たとえそのような地獄の日々を経験していたとしても、彼にとっての最初の(とき)は、忘れることのなかったのだ。



ソロモン連邦共和国陸軍第七師団スヴェール地方陸戦部隊
オビリスク駐留基地に所属する部隊の偵察任務を受けた兵士たちが、グランバート軍の兵士と遭遇し交戦する。
この報はオビリスク基地に所属するヴェスパー・シュナイダーにより、中央政府および軍務に対し伝えられた。
同時にスヴェール地方のみならず、ノースウッド州全域の各基地に向けて、同じ情報が伝えられる。
『既にグランバート軍は上陸しているとみられる。一大勢力による攻勢に充分に警戒されたし。』
偵察部隊は、接敵した人員も含め全員が直ちに帰投を命じられた。
これ以上の接敵はこちらに犠牲が出る危険が高まる。
この期に及んで偵察の必要はないと判断した司令官代理のラン・アーネルドは、基地の中で敵軍の行動を分析していた。
オーク大陸に既にある程度の兵員が分散しながら上陸されているとすれば、あらゆる情報が抜き取られている可能性がある。
そうなった場合、敵が目指す場所はどこか。
オーク大陸の中央深くまで侵攻するのに適した橋頭堡はどこか。


「現時点でどの程度の敵が入り込んだのかは不明ですが、いずれにしてもトルナヴァ駐留基地の存在を知れば、敵はそこを狙うか破壊しに来るでしょうね」

「最も無難だが最も効果のある攻略方法だろうね。でも、さすがの敵もはじめからトルナヴァ基地の場所は分かってるんじゃないかな?分かっていないのに無謀にも上陸しようとは思わないだろう」


司令官代理のラン・アーネルドと、その副官であるカレン・モントニエールの二人が、彼の執務室で集められた情報と壁に掲げられた地図を見て話をしている。
既にグランバート軍と戦闘状態に入ったと考えているランは、敵がまとまってどこに出現するかを推測していた。
カレンも副官らしく情報収集と分析を進め、ランに伝える。



「北方地方最大の駐留基地は、ここではやはり第七師団の総本山トルナヴァ駐留基地になる。当然ながら一番駐留部隊の兵員も多い。ここが標的にされるのは間違いないだろうし、本国もここの防衛は厚くするだろう。しかし他の地域は手薄な状態が続く。まとまった戦力が押し寄せて来たら、まず勝ち目はないだろうね」

「その場合どのように行動するべきだとお考えですか?」


「うーんそうだね。もし私に多少なりとも権限があれば、周辺の部隊を集めて編成し直して敵の攻勢に対処するかな。敵が分散して攻撃して来るのならまだしも、あえて危険の多い手段を取るとは思えないからね。」


ランは、敵がこの大陸北部を攻める手段として、少数で複数個所の基地を襲撃することは考えていないと話す。
既に兵力分散をして各地方を防衛している連邦軍に対して、数でまとめさえすれば自分たちより有利な状況を作りやすくなる好機を自ら手放すことはしないだろう、と。
はじめからランは確信をもっていることではあるが、彼らの守備兵力ではこの大陸北部を防衛することは不可能だ。
よって、弱点をさらけ出しているところに合わせて少数の部隊を投入し、互いの戦力を拮抗させるような真似を敵の参謀や指揮官がさせるはずがない、と考えているのである。
実際その後の展開は、ランの読み通りになるのだが。
だとしたら、グランバート軍が兵力を集めてどこを狙うかが問題となる。
既に少数ではあるが敵はこの大陸に上陸している。
しかし、駐留基地を攻撃するのに充分な兵力や物資はまだ確保できていないと彼は推測していた。
纏まった戦力を大陸に送り込むには、やはり海上からの侵入か、空からの空挺降下となる。
だがどちらも制空権、制海権を確保できていない以上、その戦法はグランバートにとって大きなリスクを伴う。
失敗すれば損害ばかりが増えるので、これから本腰入れて大陸を攻める前にそこまで無理をするとも思えない。
しかし想定される少数の戦力で基地が陥落させられるほど、こちらの陣営は脆くない、はずだ。
それすらも自信が持てずにいる。少なくとも、自分が管轄する以外のところにおいては。



「偵察部隊が順次帰還中です。」
「交戦した偵察部隊の人たちと意見を交わしたい。すまないが中尉、呼んでもらえるだろうか」
「はい、かしこまりました。」


他の駐留基地の人たちは、どう動くのか。
あるいは、中央にいる上の人たちが私たちを統制するのか。
いずれにせよ今出来ることは限られている。
その限られた出来ることを疎かにしてはいけない。
ランは偵察部隊の中でも接敵し交戦した兵士たちから、相手の分かったことを聞き出す。
すべての偵察部隊の人に確認したところ、相手に殺されたり捕虜となった者はいない。
こちらの捕虜が出れば、更に内容の濃い情報が相手に筒抜けになった可能性がある。
それが無かっただけでも良かったと言えるだろう。
交戦が、予想外の事態だったのだから。


一方で、この事態は当然のことながらノースウッド州のみならず、連邦軍の全域に知れ渡る。
最初に接敵したのがスヴェール地方のオビリスク駐留基地に所属する部隊とのことだが、皮肉なことに多くの兵士がその基地の名前のみを知っているだけで、実情を何一つ知らなかった。
ただ、事実としてグランバート軍と大陸内で交戦状態に入ったということだけが強調して伝えられる。
その情報のみが彼らに事の切迫を告げるのだから。


「動いたか。先手を取られたな。」
連邦軍第七師団所属駐留基地トルナヴァ基地司令官アルヴェール少将。

「ですな。敵は必ずここへやって来る。その前に幾つかの戦いを起こすことでしょう。」
連邦軍第七師団駐留基地トルナヴァ、第七師団師団長ハルバーグ准将。
第七師団の総本山とも呼ばれるこの基地には、二人の高級指揮官がいる。
基地司令官のアルヴェールと、実戦部隊を統括するハルバーグ。
二人は共に30代後半の年齢であり、ソロモン連邦共和国軍に20年近くも在籍している、熟練の兵士だ。
かつては前線勤務を経験していたが、ここ暫く戦乱が起きなかった時代の中では、後方勤務などを経験し、指揮官職に抜擢された。
双方見た目からエリートのようには見えず、また歳の割には老けて見えるためか、実際の年齢以上の風格がある。
と、周りからは認識されている。


「更なる敵の出方を見極めるためにも、ここはあえて後方から敵を誘い込むのもありでしょう」
「同感だ。北部の海岸線にほど近い補給拠点には、直ちに物資を後方へ輸送するよう伝達する」
「よろしいのですか?最前線に配置されている部隊が飢え死にしますよ?」
「表現が良くないな。彼らの為にも、それほど犠牲の出ない地域の者たちは内陸まで下がらせるべきだろう」
「そうですな。それがいいでしょうな」


第七師団は統括する地方があまりに広く、兵力分散を起こしている。
その危惧は既に司令官たちも知るところであり、それに対しての策も既に考え着いていた。
しかし、それはそこに住まう者たちからすればかなり冷酷で辛辣なものであっただろう。
北部方面は広大な土地が続くが、大きな街は殆ど存在しない。
数百人程度の集落から、大きくても2千人にも届かないような街が大半を占める。
それらが各地に点在しており、現有戦力である程度の範囲を防衛できるようにしている。
上の司令官たちの考えは、そこに住まう民や彼らを防衛する戦力を内陸まで後退させて、必ず来るであろう戦闘の為に備えようというものだ。
戦いの方法としては、昔からよく行われてきた常套手段であった。
だが、そこに住む者たちは、その代わりに故郷を失う。
敵に占領される可能性が非常に高いだろう。
戦いが長期化すれば、故郷に戻る機会も失われるかもしれない。
それを承知で、勝つために必要な措置は取るとハッキリ考えていた。



「ですが、スヴェールとベレズスキの山岳地帯には、国内有数の鉱山資源が豊富に眠っている。ここも退かせるおつもりで?」
「いや、ここは防衛が必要だ。簡単には渡せん。もしここも敵に取られるようなら、鉱山そのものの機能を止めさせる」
「山を、爆破するのですか。」


「止むを得んだろう。敵に使われるよりは遥かにマシだ。スヴェールはともかく、ベレズスキにもはや集落はない。鉱山守りの兵士と鉱山職の男しかいないのだから、気にすることはない」

「ベレズスキ………あの噂の一件が一夜で起きて、村はすぐゴーストビレッジになったという…………」


だからこそ、鉱山資源以外に固執する必要のない地域だ、とアラルコンは話す。
ベレズスキの一夜での出来事。
それを知る者はそれほど多くないが、少し紹介すると、この小さな村である一つの事件が起き、その影響でたった一夜にして村が滅んでしまったのだ。
鉱山職の人間と鉱山を守備する兵士は、村から離れた鉱山で仕事をしていたので、異常に気付くのが遅かった。
仕事から終わって帰ってみると、彼らを出迎えたのは焼失した村の焼け跡だったという。
大規模な火災が発生し、村を丸ごと焼いてしまったのだ。
その原因は諸説あるが、有力なのは村の中に保管してあった鉱山資源と火薬に発破装置が誤作動を起こし爆発を起こした説と、火災が発生してそれらに引火して村全域に炎が行き渡ってしまったという説の二つである。
事件として扱われているが、この村の当事者はもういないとさえ言われている。
それほど凄惨な事件であったのだ。
軍務としては、貴重な鉱山資源の採掘場が失われたのではないかと、現地に調査官を派遣し原因の究明をさせたのだが、結論が出せず幾つかの有力な候補で留まってしまったのが現状であった。


「まあいい。オビリスク駐留基地のラン司令官を通信で呼び出してくれるか?」
「ここで?いいんでしょうか」
「構わない。」


ハルバーグ准将自ら通信機器を操作し、その執務室内でオビリスク基地のラン・アーネルド大尉を呼び出す。
そしてこの場で二人が話していたことをランにも告げ、防衛体制を整えてもらうように伝える。

『それは構わないのですが、現有戦力でこの基地とベレズスキ鉱山を防衛するのは難があります。優先事項が危機に晒されるのでしたら、この基地は放棄せざるを得なくなりますが、よろしいのでしょうか』

「承知している。ベレズスキ鉱山からは出来るだけ多くの物資を後送させる。その間の防衛は頼みたい。判断は任せる」

『了解しました。では最低限の兵士を基地に残留させ、主要な物資と兵員は一度ベレズスキまで後退させることにしましょう。』


必要最低限の指示を与え、二人はラン・アーネルドとの通信を切る。
二人は腕を組みながらランとの通信をしていた訳だが、共通した考えを持っていた。


「さて、本国では異例の扱いを受けているという、ラン・アーネルド大尉の手腕を見せてもらおうか。」
「恐らく彼なら基地を防衛することに固執しないでしょうな。それどころか、ベレズスキそのものも重視しないのではないかと」


たとえ代理職とはいえ、大尉という階級で司令官職に就いていること自体が異例であった。
それを知らない兵士や指揮官もいるが、同じ第七師団に所属する者として、その力量に注目が集まっていた。
とはいえ、ラン司令官代理の管轄にあるオビリスク駐留基地は、北方地域の中でもそれほど戦力を有してはいない。
まともに正面から戦えば忽ち殲滅させられるだろう。
そこで注目されるのが、司令官の戦略、戦術だ。
力という点で五分の条件に持って行くのは難しいかもしれない。
敵の出方によっては一気に総崩れする可能性もある。
それを崩さずに、かつ優位な状況を作り出せるかどうかが重要となる。
ラン・アーネルドは異例の出世で司令官職を勤めている。
その異例さに相応しい手腕を見せてくれるのかを、二人も期待していたのだ。


「中央への報告は?」
「もう出来てます。特に指示はありませんでしたが」
「そうか。それならそれでいい。それにしても、」


「?」


―――――――――――――本当に戦争をしたい奴は、誰なんだろうな。
この場にいる二人だけの言葉であり、恐らくは表に出れば大きな問題発言として処分の対象ともなったであろう。
だがその言葉はアルヴェール少将の内面から出た真の言葉である。
一体誰が戦争をしたがっているのか。
その先に何を目指そうとしているのか。
戦争を吹っ掛けてきたと考えているグランバートにさえ、疑問を持たずにはいられなかったのだ。


7月4日。
アスカンタ大陸南部とオーク大陸北部を繋ぐ海域。
これまでアルテリウスの歴史の中で、外来の文化を受け入れるという機会があまりに少なかったため、この両大陸の間を船が渡ることはそれほど多くはなかった。
船体の技術が今ほど高いものでなかった当時は、人の力ではこの海は渡れないとさえ言われていた。
ところが、今の技術を持ってすれば、船であれば一週間以内で隣の大陸まで渡ることが出来る。
近年になって技術開発が進む航空機を使用すれば、僅かに数時間で辿り着くことも出来るのだ。
航空産業も発展途上にあるが、あと数十年もすれば当たり前の時代が訪れることだろう。

オーク大陸側の海域では、
ソロモン連邦共和国海軍第五艦隊が海上警備を行っている。
第五艦隊は、以前アルテリウス王国領であったアスカンタ大陸南部の海域において、グランバート海軍の第三艦隊と交戦している。
その時、第五艦隊はヴェルミッシュ要塞攻防戦を繰り広げていたアルテリウス王国が極めて不利な情勢に陥ったことを受け、味方の空軍の力を借りながら戦線を離脱する結果となった。
それ以降、彼らに出撃の機会は与えられず、ただ海上警備のみを命じられていた。
敵が陸地に上がった以上、海軍の出番は少ない。
ヴェルミッシュ要塞を奪取する作戦案も提示されたが、彼らは動かなかった。


「ん………おい、あれが見えるか」
「あれは…………」


海上警備任務の間は、北方海域の広い範囲を往来しながら常に海上に出ていた第五艦隊。
7月4日の午前10時頃。
ちょうど大陸の北部の延長線上にある海域を航行中の巡洋艦が、アスカンタ大陸側の海域に黒い物体を発見する。
倍率の高い双眼鏡を用いての視認のため、実際の距離はかなり遠く離れている。
しかし、黒い物体の上部には黒煙も視認できる。


「…………間違いない。軍用艦だ。すぐに艦橋へ伝達!!」


甲板に上がっていた観測員がその物体を確認し連絡を告げた直後、艦内部では警報が鳴り響く。
アスカンタ大陸側の海域から接近する艦艇があるとすれば、それはグランバート海軍に他ならない。
アルテリウス王国の王都まで占領し攻め上げた軍勢が、今度はオーク大陸に南下して来る。
いつか来ることは分かりきっていた。
あとはそれがいつ来るものなのか、というだけのこと。



「司令。いかがなさいますか」
「状況は明白だ。射程距離圏内までの時間は」
「およそ30分!!」
「全艦に放送を送る。マイクを持て」


相手がどの艦隊かを確認することはせず、状況は明白であると言い放つのは、ソロモン連邦海軍第五艦隊司令官のロッティル中将である。
オーク大陸北部方面所属の第五艦隊。
アルテリウス王国との間に同盟関係のあった時は、この海域にすべての艦艇が出揃うことはなかった。
だが、今は明らかとなった敵を討つために海上にいる。
やることは明白だ。状況も明らかである以上、次にすべきことは定められている。
ロッティルは全艦に通じるマイクを手に持ち、そして短く告げる。



『第五艦隊司令官のロッティルだ。これよりグランバート海軍との交戦を開始する。こちらの船乗りが優秀だと言うことを見せつけるぞ。』



『北海の海戦』
と後に呼ばれることとなるこの海戦。
交戦海域とオーク大陸北部の陸地との距離はおよそ200キロ。
両者の大陸間に広がる海のうち、ソロモン連邦共和国の領海内を深く侵攻している海域であり、明白な侵略行為であった。
戦艦や巡洋艦、駆逐艦や小型艦といった海軍戦力が最近になって登場し、幾つもの戦いを経験することになった。
この北海の海戦は、これまでの海戦の中でも最も激しい交戦となる。
後に幾多の海域でこの海戦を越える激闘が繰り広げられるまでは。
ソロモン連邦海軍の編成は、戦艦7隻、駆逐艦3隻の計10隻。
グランバート海軍の編成は、戦艦5隻、巡洋艦6隻の計11隻。
数の上ではほぼ互角と言えるが、両者の違いは船舶の大きさにある。
駆逐艦と巡洋艦という編成の違いがあるが、駆逐艦は足が速く搭載武装も多いが、各砲塔が小さいサイズのものが多く攻撃力がやや低い。
一方の巡洋艦は大きさは戦艦クラスのため、鈍重な足回りではあるが強固な装甲を持ち、また数少ないが戦艦クラスに匹敵する高威力の砲塔を持つ。
この違いの関係から、この海戦において動員された兵員数はグランバート軍が上回る。


「敵が左右に陣形を広めつつあります。こちらを視認して広く展開し包み込むようにして攻撃するつもりのようです」
「教科書通りだな。こちらも左右に陣を広げる。中央部は速度を落とし、左翼および右翼の艦艇は速力を上げU字型陣形を作る」


ロッティル中将がすぐに陣形を指示し、伝令を通じて各艦へ伝えられ、そして艦長たちがその指示通りに陣形を作り始める。
侵攻するはグランバート軍。迎え撃つはソロモン連邦共和国軍。
一方のグランバート軍は、アルテリウス王国占領に大きな役割を果たし、現在はアスカンタ大陸南部に位置するヴェルミッシュ要塞の西側を拠点とする、第三艦隊である。
元々ソウル大陸北部に駐留するこの艦隊だが、アスカンタ大陸南部への上陸作戦を展開するのに必要な戦力として動員された。
占領後はそのまま占領地を防衛する役割を担っていたが、次なる展開を作る為に、新たな戦いの場に動員されたのである。
第三艦隊を指揮するのはセルゼ少将。



「敵艦隊すべて視認!!艦種は戦艦および駆逐艦と思われます!!」
「まずは数の有利を作る。装甲の薄い駆逐艦を集中的に狙え。あれにちょこまかと動かされるな」
「敵はU字陣形を布き、こちらに呼応する動きです」
「射程圏内に入り次第進撃速度を落とし、交戦の時間を長く取る。敵の包囲網に突入する前に、陣形を突き崩せ」


グランバート海軍第三艦隊は、ヴェルミッシュ要塞攻防戦後は、主に侵攻作戦中の陸軍を支援しつつ海上防衛の任務についていた。
それは現在でも変わらないが、アスカンタ大陸の人口分布地の半分近くを占領下にした今では、オーク大陸への攻撃という任務に切り替わり行動をしている。
その間、アスカンタ大陸南部の防衛が薄くなるという懸念は、グランバート軍の中にも当然あった。
しかし、彼らの艦隊は第三艦隊だけではない。
いざとなれば他方面に配置された艦隊を派遣することも可能だった。
それに、オーク大陸での戦闘が始まれば、他の海域やアスカンタ大陸に集中するような時間は無いだろうというのが、グランバートの参謀本部の予測であった。またその予測は実際に的中する。
そのため、第三艦隊の投入を渋るような場面ではなく、持てる戦力を作戦に投入して道を切り拓くことが重要であると考えられた。



「間もなく有効射程圏内!!」
「攻撃開始。」
「攻撃開始!!」
「撃ち方はじめ!!」


両陣営とも攻撃を開始したのはほぼ同時刻だった。
互いに交戦距離に入ると、持てる火力を如何なく発揮する。
砲塔から弾丸が射出されると黒煙が巻き上がる。
甲板の観測員からも、また艦橋から目視でもそれを確認することが出来た。
時間差で周囲の海面に着弾するのがよく分かる。
海面に着弾した衝撃が水しぶきとなり、甲板に激しく襲い掛かる。
だがそれより最も恐ろしいのは、時間差で甲高い音を鳴らしながら接近する弾丸が、自分の乗る船に直撃することだ。
当然このような戦いをしているのだから、それは避けられない。
この時代の戦艦の砲弾の多くは徹甲弾が使用されている。
海軍が使用する兵器の主軸であった主砲と副砲のセットは、メンテナンスコストが莫大にかかるほか、弾薬の製造にかかる費用と資材も膨大なものであり、積極的に使用することを躊躇われていた。
徹甲弾は装甲を貫通させ内部に損傷を与えるのに効果的であることが証明されており、海軍が発足された当初から運用されている砲弾の一つである。
コストも安価で資材さえあればそれなりに生産することも出来るので、艦砲に使われることが多い。
しかしこれにはデメリットも多い。
高速で飛翔する徹甲弾を正確に狙いを定めて撃つ技術が、この当時はまだ無かった。
ある程度の計算を念頭に射出されるのだが、たとえば彼らが航行している海域の状況や天候、風向きやその強さなどにも影響されることが多く、遠距離戦闘においては命中率が悪くなるという欠点がある。
もっとも、この時代の技術開発は各国とも過激な競争という模様で、いまだ発展途上にあるため実用性に乏しいことが多かった。
高コストの砲弾もあり、後に主流となる『榴弾』がそれにあたる。
開発資材の多さと生産に掛かる時間が長く、現在は主砲クラスにしか使われていない。
しかも生産性が悪く搭載量が極端に少ないので、現在は使われないことが殆どである。



「敵艦さらに接近!!」
「砲弾を絶やすな」



兵器廠や生産工場に勤める職人や技術開発部所属の兵士たちからすれば、こうして前線で自分たちの開発した兵器などが使用されることで、ある意味実験を楽に行うことが出来ると考えるものも多い。
実弾をもとにした訓練を当然行う訳なのだが、それがどれほどの威力を持つものなのか、効力はどのくらいあるのか、それを正確に知るには、やはり敵対する存在に使用するのが最も効率的であり、最も手早く結果を知ることが出来る手段なのだ。
そう言う意味では、近年加速する技術開発の実験場として、実際の戦場がこうして利用されている。
またこのような場での経験が、後年更なる開発を進めるための糧ともなる。


「閣下。少し気になる点が………」
「?」

戦闘開始から30分が経過した。
連邦軍第五艦隊の旗艦内。
艦橋で戦況を腕を組みながら見極めようとしているロッティル中将。
既に旗艦も敵の射程圏内に入っていて、周囲の海面に幾つも着弾しては波柱を立てている。
艦内が振動する中で、副官がロッティルに告げる。


「第三艦隊と言えば、最も恐るべくは艦載機群………最新鋭空母の存在です。今の時点では全く姿が見えませんが………」


「当然だろう。空母が最前線に出ては標的にされる。………だが、確かに空母の支援を受けられるのなら、既に航空機部隊が援護に来ていても不思議ではないのか」

「はい。仰る通りです」


グランバート海軍第三艦隊所属空母ヒューベリック。
三つ建造された空母のうちの一隻が第三艦隊の所属である。
グランバートの中では最も新しく建造された三番艦として稼動していることを、連邦軍も認知している。
空母は艦載機を多数搭載することが出来るが、一方で装甲が薄く巨体で足も鈍い、さらに自衛手段に艦砲を搭載せず、小口径の砲塔を複数所有しているだけに留まる。そのため、艦隊戦になれば真っ先に狙われるうえ、轟沈する可能性が高い。
艦隊戦の最前線に配置するなどという愚行をするとは思えないが、艦隊戦でも空母が活躍できる場面はある。
特に艦載機を使用した艦上攻撃などは、連邦軍も想定済みだ。
そのために各艦には必ず対空迎撃用の機銃を多数装備している。


「味方の空軍はどうしている」
「陸上の防空任務についているとのことです。本土決戦が近い今、空軍機も貴重な戦力ですので………」
「何を考えているのだ………制海権が取られれば侵入し放題だろうに。」


ロッティル中将は、当初この空母が艦載機を連れて攻撃支援を行うのではないかと考えていた。
その場合、目の前の艦隊と交戦をしつつ上空から接近する敵機にも攻撃を加えなくてはならない構図が出来る。
そうなれば自軍も余力が無くなり、甚大な被害が出ていたであろうことは想像に容易い。
今のところ艦隊戦は拮抗しているが、今後どのように推移するかは戦術次第で幾らでも変化するだろう。
“中央”は、現有戦力で当該海域を死守して欲しいと告げてきた。
それはいい。
だが、中央がこの海域の重要性をどれほど認識しているのか、そこがロッティルには気になっていた。
この海域が敵に奪われるようなことがあれば、それこそ陸戦部隊が幾らでも侵入できる状況が作られるだろう。
見棄てられている訳ではないが、他の艦隊の援護があればより状況も作りやすいと考えざるを得ない。


「五番艦ヴォルツァリスク大破!!」
「司令官。敵は左翼に攻撃を集中し始めました。左舷方向に転進しつつすべての砲塔を使用して集中攻撃をするようです」
「右翼前進。反時計回りに進み敵の側面を突く。急げ」


40分ほど経過して、初めて連邦軍艦艇に甚大な被害が生じた。
戦艦ヴォルツァリスクが集中砲火を受けた末に、機関部と艦艇底部に複数の直撃を受け、艦が傾斜し戦闘不能になった。
それを見たグランバート海軍は、彼らから見て右翼に布陣する艦艇に向け砲火を集中させた。
互いに陣形を変化させながら、しかし確実に両者は接近する。
当然、交戦距離が近くなれば砲塔の狙いも定まりやすくなり、命中弾も多くなるだろう。
状況が一変するまでの時間は刻一刻と迫っていた。
先に戦闘不能艦艇が出たのは連邦軍。
数の差は一隻のみだったが、グランバート海軍の編成が装甲の厚い巡洋艦が多いことが災いとなってしまっていた。
そこでロッティルは、右翼艦隊を切り離して敵の側面に回らせ、砲塔を沈黙させると共に被弾面積の多い箇所を集中的に狙い、一気に有利にさせようと艦隊運用をする。これも一つの戦術である。
一方のグランバート第三艦隊は、体制が崩れ始めた連邦軍の左翼を更に圧迫することに集中していた。
こうして双方の艦隊の陣形が乱れて行き、激闘が繰り広げられる。


「………いかんな。これでは収集がつかん」
「七番艦ヴォイツェフ大破!!航行不能!!」
「閣下………」


戦い方としてはそれほど複雑なものではなかったのだが、双方の火力が拮抗している場合、やはり命中精度も重要だが相手の装甲にどれほど致命傷を与えられるかが重要であった。
その点、装甲の薄い駆逐艦を配置していた連邦軍は不利な状況となりやすかった。
駆逐艦を敵の側面に回らせて攻撃を加えるものの、火力不足が否めず致命傷を与えるまでの時間がかかり過ぎる。
一方で火力に富むグランバートの巡洋艦や戦艦は、狙いを定めて主砲を直撃させて来る。
このまま戦線を維持するのは難しいと考えたロッティルではあったが、この状態から後退するのも至難の業である。
戦闘開始から1時間ほどが経過した戦況。
連邦軍は戦艦二隻が大破、行動不能となり、駆逐艦三隻が中破。うち一隻は攻撃能力を失う。
王国軍は戦艦一隻が轟沈。巡洋艦三隻が中破という状況だ。


「左翼方面の後退速度を早めろ。右翼は敵の中央部に集中攻撃」
「はっ」


両軍両翼ともに接近状態が続き、逆に中央部は差が広がるばかりであった。
互いに陣形を回転させるような形で交戦を続けている。
そのため、近距離戦闘となる両軍の両翼艦隊は集中砲火を叩き付ける状態となり、統制のとれないまま戦線が拡大してしまった。
艦隊の移動速度が遅い分、陣形の再編成にかかる時間は多く、またそのような時間的余裕をお互いに与えなかった。
そうしている間に両軍共に被害を拡大するばかりであった。
混戦状態に入っているのは疑いようもないが、同時に両司令官は共通の認識を持っていた。
もはやこれは消耗戦である。
お互いに砲弾を叩きこんでどちらが最後に生き残っているかを競うという、戦術も何も無い力技である、と。
しかしその場合、装甲の厚い艦艇を揃えるグランバート軍が優勢なのは明らかだ。
駆逐艦で敵の側面を攻撃してはいるものの、致命傷を与えるまでの時間が長く、その間に反撃を受ける場合が殆どである。
敵の艦隊がこの海域にいると分かっていても、どのような種類の艦を幾つ揃えているのかまでは分からない。
それこそ、グランバートの内情を探ることの出来る潜入者がいない限りは。


だが。
開始から1時間半ほど経過し、両軍の状況が一時的に大きく変化する場面が訪れる。


「北方防空司令部より通信あり!第203航空部隊が来援!!」
「来たか…………」



この海戦が始まって直後は、空軍は大陸の防衛任務と言って各方面を偵察飛行していたと報告を受けていた彼ら。
1時間半が経過し、ようやく戦闘海域に飛来したのである。
戦闘が膠着する中での空軍の来援は、連邦軍兵士の士気を高める要因となった。
士気が高まったからといって攻撃力が増加するなどという話はないが、低下しているよりは遥かに状況は良い。
空軍が所有する飛行機は、航続距離が長めの戦闘機が多く、爆弾搭載量の多い爆撃機や攻撃機は海域には送られなかった。
戦闘機は機動性に優れるうえに航続距離も長いが、爆装量が少なく決定打を与えるには力不足が否めない。
それでも艦上からの攻撃は脅威であり、素早く動き回る戦闘機に照準を定めるのは非常に難しい。
最近になってこうした空軍勢力が台頭してきたため、戦争の本質が変わり始めているのである。
とはいっても、機体を製作すること自体が莫大な費用と時間を要するため、あまり無理が出来ないという欠点もある。
一機一機が貴重な戦力であり、膨大な数を保有していない空軍は、その貴重な戦力を無為に失うことは出来なかった。


『こちらヴェクター。敵艦の上空で急降下し爆弾を投下、一気に離脱する。ユリアン、レンツ、私に続け!』
『了解ッ!』


因みに味方の空軍を偵察任務から呼び寄せたのは、ロッティル中将の働きかけであった。
海戦が始まって戦線が膠着する可能性が見えた時には、既に彼は連邦空軍北方防空司令部に連絡を取り、少数の機体でも構わないから増援が欲しいと依頼していたのである。
それに応えた飛行部隊は、北西部を中心に防空任務を持つ第203飛行隊の8機。
8機というのは数で言えばそれほど多くは無いのだが、空軍戦力でもこの数はまとまった戦力であり貴重な戦力でもある。
空軍総司令部からも、増援は認めるが機体を持ち帰ることを第一に立ち回るよう指示が出されていた。
それでも、短時間での航空支援は、グランバート海軍にとっては大きな脅威であった。
艦上から急降下し、腹に抱えた爆弾を切り離す。
機体が海面に対し並行に移動していては、投下後の慣性を計算しなくてはならない。
だが直上から急降下すれば、爆弾の移動距離は狭められる。
空軍戦力の戦艦等に対する基本的な攻撃方法であった。


「航空支援により敵戦艦二隻が撃沈、巡洋艦三隻が中破した模様」
「今だ。敵の中央部に向け集中砲火!!」


海上の陣形は相変わらず変化が無かったが、その標的は変えられる。
ロッティルはこのタイミングで敵の中央部を圧迫し、旗艦を破壊して指揮系統を寸断し、一気に戦線に決着をつけようとした。
一方のグランバート軍もそれに呼応する。
傷付いた艦艇は速力を落としながら後退し、その中でもありったけの砲弾を叩きこむ。
短時間ではあったが、双方の牙が折れ砕けるほどの激闘が繰り広げられた。


「―――――――――――!!?」
「艦首および第一砲塔に直撃弾!第一砲塔沈黙!!」
「………やるな、グランバート。この押し込みにも動じず、か………」


第五艦隊の旗艦にも同時に複数の直撃弾が命中し、艦内部は混乱に陥っていた。
ほぼ同じタイミングで、グランバート軍の旗艦にも砲弾が命中していた。



「ここが踏ん張りどころだ。敵の航空支援は去ったがこちらは航空支援が無い。大口径砲塔は敵の中央部を集中的に狙え。巡洋艦は駆逐艦の掃討を優先させろ」

「はっ!」
「撃ち続けろ―――――――――――!!」



直撃弾を受け犠牲者が増え続けながらも、勇猛果敢にセルゼ少将は指揮を続けていた。
目の前の敵艦隊は中々に強敵だ。
こちらが隙を見せればそこに一瞬でも付け入る力がある。
敵の航空支援によりかなりの損害を被ったが、まだ負けてはいない。
的確に指示を送ると、それを順守する兵士たちが攻撃命令を実行する。
その時、セルゼは自らの左腕に装備していた腕時計を見た。
もうすぐ、12時を過ぎようとしている。


―――――――――――――――もうすぐだ。もうすぐで状況が一変する。


連邦空軍は、一切の妨害を受けることなく目的の空域に辿り着き、王国海軍を攻撃することに成功した。
綺麗に攻撃が決まり相手に損害を拡大させたことが大きな戦果として取り上げられる、そのはずだった。
幾人かは疑問に思ったかもしれない。
アスカンタ大陸から侵攻を始めたグランバート王国軍。
アルテリウス王国には狭い範囲ではあるが防空レーダーがあり、占領した連邦軍によってその技術や施設は奪われてしまっていた。
彼らが連邦空軍の存在を察知出来たのなら、すぐに艦隊を防衛するために空軍を送り込んだことだろう。
そうなれば、戦闘海域上空では激しい空中戦が起こっていたことだろう。
だが、グランバート空軍は動かなかった。
傍から見れば、艦隊を援護せず孤立無援の状態で見殺しにしていると捉えられなくもない。
しかし、彼らには別の思惑があった。
寧ろそちらの方が、連邦軍としては意表を突かれた形となった。



12時半頃。
連邦軍艦隊旗艦に、最初の一報が届く。
副官より渡された一枚の伝令文をロッティルが見て、


「――――――――――――――何?」



彼はその場で絶句する。
ソロモン連邦共和国陸軍第七師団駐留基地トルナヴァより発信。
『ノースウッド州シュメリ、パルザン両沿岸の第五艦隊駐留基地が空襲を受け壊滅的な状況に陥った。』




………………。

第7話 後退


グランバート王国軍の奇襲作戦は、完璧なまでに成功した。
事前の偵察行動から作戦当日の戦術まで、すべてが呼応して行われた作戦の結果である。


『北海の海戦』と呼ばれる、
グランバート王国海軍第三艦隊とソロモン連邦共和国海軍第五艦隊の艦隊戦の裏で、グランバート軍は奇襲作戦を敢行していた。
ソロモン連邦共和国領ノースウッド州にある、軍港パルザンとシュメリの二ヶ所に対し、空軍による同時攻撃を仕掛けたのである。
パルザンとシュメリは軍港のほか、駐留艦隊の補給基地があり、艦隊に使用される武器弾薬や燃料といった物資が集まる、国内の艦隊駐留基地の中でも大きめの基地である。
この二つの港にはそれぞれ軍人が住む町があり、軍港の下の町はそれなりの活気に満ちたところである。
第五艦隊が出航し海域での防衛任務に就いている間は、当然のことながら軍港は艦隊不在となる。
グランバート軍はあえてその状況を狙ったのだ。
艦隊不在の両軍港に対し攻撃を仕掛けると、瞬く間に戦火は拡大し軍港は大騒ぎとなった。
これらの基地には航空戦力から身を守るための手段が備わっておらず、あろうことか陸地に設置された防衛砲台で空中の動き回る敵を狙い撃とうとする暴挙に出てしまったのである。
艦隊がいれば、たとえ停泊中であったとしても対空機銃で応戦することが出来る。
だが、これらの基地には対空迎撃用の施設があまりに少なかった。
そのため、奇襲作戦には滅法弱かったのである。


この奇襲作戦を決行するには、これらの軍港の情報が必要不可欠であった。
後にすべて判明することではあるが、ノースウッド州の各地に小型のボートが乗り上げ、グランバートの兵士が侵入したのは、こうした攻撃経路を定めさせるための情報収集が目的であった。
真夜中の海域は暗礁海域のようなもので、接近するものも通過するものも碌に見れたものではない。
その間隙をついて上陸したグランバートの兵士たちは、各地で連邦軍の基地の情報を収集し、ソロモン連邦軍第五艦隊が海上に出て防衛中であることと、その間の軍港基地となるシュメリ、パルザンが艦隊不在の状況で手薄になっていることを手にした。
手薄の軍港に補給基地。
グランバート軍としては大いにねらい目であったし、その情報を手にした軍の参謀本部はすぐに作戦の決行を指示した。
海上では第五艦隊が防衛任務にある。
そこにアスカンタ大陸に停泊中であった第三艦隊を差し向けて交戦させ、注意を引きつける。
裏では、アスカンタ大陸に留まっていた航空戦力をそれらの軍港に向かわせて、攻撃させる。
第五艦隊に対しグランバート空軍の攻撃が行われなかったのは、そのためである。



「………図られた。“空母がいないのはそれが理由”か」
「っ………そういうこと、ですか………ッ!」



アスカンタ大陸への上陸作戦を支援した、第三艦隊所属空母ヒューベリック。
連邦軍はグランバートの第三艦隊に空母が配備されていることを既に知っていて、それが王国軍の三番艦であることも把握していた。
艦隊戦において空母は戦闘能力が低く、防御力も弱いうえに艦載機という貴重な戦力を保有するため、もし艦隊戦に出てくるようであれば真っ先に狙われる対象となる。
そのような危険しかない海域に送り込むことはしないと考えていたのだが、まさかこのような形で裏を取られるとは思いもしなかったのだ。
空母ヒューベリックから発艦した艦載機群は、連邦艦隊を攻撃せず軍港に向かった。
迎撃能力も低く手薄な軍港は、空襲するのは容易く被害は甚大であった。
地上の潜入者から得られた状況をもとに、彼らは戦を主導した。



「敵艦急速接近!!」
「―――――――――――――。」


なるほど。
これが、アルテリウスを短期的に侵略させた戦術、戦略か。敵ながら見事なものだ。


グランバート、ソロモン連邦軍ともに甚大な被害を出していた。
艦隊の6割強が轟沈し、残る戦力も攻撃は続けているが傷だらけの状態であった。
ロッティル中将は、自分たちの艦隊が敵の作戦に乗せられ、孤立無援の状態を生み出してしまったことを悔いた。
だがそれ以上に、敵軍の戦略と戦術運用に、彼は感心していたのである。
敵ながらこれほどまでに追い込む戦略を、これまでに経験したことが無い。
その手腕は一体誰が振るっているのだろうか。
それが気になるほどであった。


「主砲斉射。接近する敵艦の司令部を狙いつつ―――――――――――――――」
「―――――――――――――――――。」



だが、それが一体誰のものであるのかを確認する術はなく、その機会を手にすることは永遠に無かった。
直後ロッティルの乗艦する旗艦は艦橋に複数の直撃弾を受け、司令部は壊滅。
やがて集中砲火の的となった旗艦は爆発の衝撃により弾薬庫を誘爆し、内部から大爆発を起こす。
これによりロッティル以下乗艦していた海兵全員が爆死した。
司令部が破壊された第五艦隊は統制を失い、グランバート海軍の一方的な攻撃に対処しきれず次々と轟沈する。
『北海の海戦』は、両軍の艦隊にとって甚大な損害を出す結果となったが、とりわけその場で勝利したのはグランバート王国と言っても良いだろう。
ソロモン連邦共和国の第五艦隊は全艦艇が撃沈され、死者は数千人に及ぶ。
一方、グランバート軍は戦艦三隻巡洋艦一隻が残存し、それ以外の艦艇はすべて破壊された。
残存艦艇もすべて被弾し、戦艦二隻が中破、巡洋艦は小破の状態だ。
唯一旗艦への損傷は少なく、負傷者はそれなりにいるものの死者は出さなかった。


「敵艦隊の旗艦、撃沈を確認。残る艦艇も沈黙」
「閣下、やりました。我が軍の勝利です!」


「………ああ。まずはつなぎ役は出来ただろう。強襲揚陸艦部隊との連絡は取れるか」
「はっ。既に上陸を開始している頃かとは思いますが、呼び出しますか」
「それでいい」


この一日の戦況は、全体的に見れば圧倒的にグランバート軍に傾いた。
特に、シュメリ、パルザンの両補給基地を失うことは、ソロモン連邦共和国軍にとっては大きな損失であった。
第五艦隊を全損。
この戦争において将官クラスの人間が初めて戦場に斃れた戦いでもあった。
補給基地に空襲を仕掛けたグランバート軍は、そのまま海域を大きく迂回した強襲揚陸艦部隊の強硬上陸を許し、あっという間に街は制圧されてしまった。
艦隊そのものが囮のような役割を引き受けていたのである。
だが、その艦隊も激しく損傷しながらなんとか生き永らえている。


「了解した。傷ついた艦艇から生存者を収容。その後、可及的速やかにシュメリ港へ向かう」


セルゼ少将の指示により、すぐに負傷者の救護と生存者の救出が始まる。
こうして北海の海戦はグランバート側の優勢という状況で終了することとなる。
連邦軍にとっては艦隊や陸地の補給基地を失うという、最悪の結果となってしまった。
グランバートにしてみれば、ソロモン連邦共和国領に本格的に侵攻できる機会を手にすることが出来た。
おおむね上々の内容と言っても良いだろう。



―――――――――――無論、この戦いの情報は連邦領の各地に瞬く間に知れ渡った。
直近で発生した幾つかの戦いにおいて、ソロモン連邦共和国軍が敗北を喫したのはこれが初めてであった。
戦況が思わしくなく撤退するケースはあったものの、艦隊そのものが戻らなかったのはこれが初めてだし、多数の犠牲者を出す結果となってしまったのもこれが初めてである。
彼らの国が背負った戦いという意味では、これまでの長い歴史の中で何百万人という命が失われてきた。
10年前に一度集結して以来、この戦死者の数は最多となる。
当然、彼ら中央政府が黙っている訳が無い。
政府高官はすぐにでも反撃作戦を決行するように、と怒りを露わにしている。
だが現実的にそれが出来ないことは、軍務の者たちであればよく分かる話であった。
シュメリ、パルザンの二つの基地が破壊、補給物資を強奪された連邦軍は、北方における部隊の連携とその運用において厳しい現実に直面する。
兵士を動かすのは指揮官の仕事だが、その兵士たちの身体を動かすためには補給物資が必要不可欠だ。
食事なしでは彼らは餓えて死んでしまう。
作戦を発動するためには充分な補給物資が必要となるのだが、グランバート軍の空襲により補給路が断たれた。
自前で所有するもの以外に頼るところが無くなってしまった北方の部隊は、事実上孤立状態にある。



「という訳で、早い段階で上陸した敵勢力を排除したい考えで纏まった」
『早いものですな』


第五艦隊が全滅した北海の海戦、その日の夜。
ソロモン連邦共和国中央政府は即日元老院議員を招集し、緊急会議を開いた。
実のところ、中央にいる者たちにとってこの展開は予期せぬ異常そのものだったのだ。
特に軍の内部事情に疎い政府高官たちは、このような敗戦を経験するとは思っていなかった人も多い。
敗戦というのなら、かつて10年前の戦いでもそのような経験がある。
ある国との戦争に負けたのではなく、戦う相手と戦い敗れたという意味だ。
もしソロモン連邦共和国が敗戦国となっていたとしたら、今日の状況は作られなかったに違いない。
今のような広大な国が出来上がっていなければ。
統合作戦本部内。
音声通話で会話をしているのは、国防長官イグナート・リラン元帥と、参謀本部所属のゾルケン中将だ。



「君ならどう考える」
『どうと言いましても、それが上の命令なら遂行するために作戦を練る、ただそれだけではないのですか』
「無論それは分かっている。分かっていて、あえて聞いているのだ」


リランは、自分の執務室の中でデスクに向かって座っている。
机の端に小さな明かりを灯すだけで、部屋は全体的に暗い雰囲気だ。
もっとも彼以外その部屋には生命体はいないので、気にすることもない。
夜の執務はそうした状況の中で行われることも多いのだ。


『当然、グランバートはここを目指すでしょうよ。やり方はまだ未知数でしょうけど』
「一方で、私たちはソウル大陸にも楔を打った。これも君の言う上の判断によるものだが、これについては」


『政治家の皆さんは本土から戦いを遠ざけるためにレイ大佐を送り込んだようですが、かえって逆効果でしょう。こちらに上陸した敵部隊はこれから更に勢力を拡大させて、南下し始める。このままいけば、収拾がつきませんな』


リランは、参謀本部に所属し、普段から戦略面での仕事を担っているゾルケン中将に意見を求めた。
連邦中央政府の決定と軍の現状とがあまりに違い過ぎる場合には、軍上層部に所属する者がそれを正さなくてはならない時もある。
だがそのような時があろうと、彼らの決定に従うことが軍人には求められていることから、逆の意見を述べる機会はそれほどない。
時にそれが国難に陥る時であろうとも、中央の命令は絶対と言われる。
特に元老院議員と呼ばれる最高官僚たちは、国の行く末を左右させることが出来るほどの力を持つ集団だ。
軍務においては最高権力者の地位にあるリランも、彼ら元老院の前では言われるがまま、というところも多い。
しかし、リランは国防長官として、国家最高権力者であるベルフリードとのコネクションを持っており、元老院内部において軍務の意見をベルフリードを通して伝えることは充分に可能だ。
そうなったとき、参謀本部の考えや現場にいる者たちの状況を伝え、適切な方向へ舵取りをさせる助力は出来る。


『まあ、内陸で引き籠っているよりは賢明な判断だとは思いますが。黙っていても敵は来る』
「その通りだ。敵の主力がこちらに来れば敗戦続きになる恐れがある。そのためにもソウル大陸侵攻は必要だった」
『ええ、そうでしょうね。………レイ大佐には気の毒でしょうに』


ゾルケンは、その作戦の為に大陸侵攻を命じられたレイ大佐の境遇を案じた。
敵地への侵攻を命じられ、その目的がソウル大陸最大の国家を転覆させるための戦いを起こすことであると言う。
普通の兵士であれば、そのような命令を受けた時点で覚悟するか諦めることだろう。
自らの命を。
生きて帰れるとは思えない、と。
これまで幾度もそのような死線を乗り越えてきた人もいるが、それがいつ続くかも分からない。
先の見えない戦争というのは、この不毛な時代に続く戦乱の世の代名詞とも言うべきものであった。
レイがグランバートに攻めるという構図自体に大きな意味がある。
グランバートへ目指す先には、あの男がいる。



『お互いにこのまま黙っている訳ではないでしょう。こちらに居る者としては、まずは上陸した敵部隊を叩くことから………まあそこは、政府のお偉方の判断が正しいのかもしれませんが』

「どのように展開が進むかは分からない、ということか。作戦は参謀本部で決めて前線へ司令する、いつもの手順通りにしてある」

『ええ。いつものように。』


短い通信であったが、会話が終わったと判断してリランが通信を切断しようと、手元にあるボタンに手を伸ばしたその瞬間。
最後の付け足しと言わんばかりに、ゾルケンが話した。



『元帥。各所で火の粉を撒き散らすのは構いませんが、消火の用意もするべきではありませんか。燃え移った炎は消し難くなる道理ですよ』



――――――――――――。
至極最もなことを言う。
だがそれを理解していない訳ではない。
一度燃え移った炎は消し難くなる道理。
更に周りのものを巻き込み、炎はより広く、より激しく燃え盛る。
脳裏に浮かぶ炎の柱が立ち昇るその様子は、これからの国の征く路を示しているのではないかという、暗示にさえ思えた。
たとえ妄想が過ぎると分かってはいても、そう思わずにはいられなかったのだ。
元帥という立場で軍の最高権力を担っていても、戦争を止めるような力はない。
一度起きてしまったことをとやかく言うよりも、目の前の状況を打開することが軍には求められる。
そのために必要な戦力は、道具として数多く保有しているのだから。
通信は終了した。
しばしの空白のあと。


「………他をも巻き込んで、か。どのみち我々に良き未来など、ない。」
未来があればそれだけでも良いものなのかもしれないな。
そう、リランは静かに呟いた。



ノースウッド州に所属する部隊にも、この一連の動きは大きな影響があった。
シュメリ、パルザンの両港の襲撃と、連邦軍第五艦隊の損失。
グランバートとの間に生まれた大規模戦闘の第一戦と言っても良いこの戦いは、グランバートの圧倒的有利な状況で彼らが勝利を得た。
一方でソロモン連邦共和国としては、本土上陸を許し、しかもアスカンタ大陸との間に広がる海域の防衛線を突破されるという、考え得る中でも最悪に近い戦況を生み出してしまった。
この状況を打開するためには、やはり上陸した敵部隊を一刻も早く殲滅する必要があるだろう。
翌日。
すぐに参謀本部から北方の防衛部隊で最も規模の大きい第七師団に向けて、敵部隊の迎撃が命じられた。
しかしそれは第七師団に所属するすべての部隊に対して命じられたものではなく、幾つかの部隊を中心に編成された戦力で、敵勢力を排除するよう求めたものである。
そうしなければならない最大の理由は、北部に配置した幾つかの部隊で補給路が断たれたことによる行動障害が発生する懸念が生じていたからだ。
シュメリ、パルザンの両地方は大陸北部と西寄りにある。
東側との部隊の連携が非常に取り辛い状況となり、補給が確保できない状態となったノースウッド州から大陸北東部にかけて配置されている部隊は、少ない物資を食いつぶさないよう工夫する必要があった。
そのため、戦力とは言っても現地へ支援に向かうことすら難しい状況にある部隊もあった。


「………分かった。ありがとう」
「どうなさるおつもりですか?」
「こうなる可能性は考えてはいたが、読み通り過ぎてどうもね。我らに防衛能力は無いし、今から行っても間に合わないだろう」


スヴェール地方オビリスク駐留基地。
その情報は彼らのもとにも届き、そしてその情報を受けて階級の高い士官たちが集められ、会議が行われていた。
といっても、その参加者は僅かに6名。
基地司令官代理のラン・アーネルド、副司令官役のヴェスパー・シュナイダー、ランの副官のカレン・モントニエール、実戦部隊の部隊長であるヌボラーリ・バルディリオス少尉、マーカス・コレア准尉、フェルディオ・クラークソン准尉。


「みんなも聞いている通り、シュメリ、パルザンの港がグランバート軍に占領された。偵察活動で得られた情報から察するに、敵は既に内地で情報収集を行いそれを基にこちらの基地を攻め始めるだろう。だがここは両港から遠く離れ、援護に向かうにも数日かかる。その間に敵は更に南下する可能性が高い。これを見て欲しい」


ラン司令官代理は、中央の机の上にオーク大陸の地図を広げ、各々に見てもらう。
シュメリ、パルザンの両港はオーク大陸の北部。大陸の中央部からそのまま北に線を引っ張ったような位置にある。
東部を見ると自分たちが今いる山岳地帯のスヴェール地方がある。
それに比べると西部は比較的難所は少なく、北西部には第七師団の総本山とも言えるトルナヴァ基地がある。
シュメリとパルザンの港から南に数百キロ程度進んだところには、第七師団の別の駐留基地があり、各地方との道を結ぶ連絡基地がある。


「するとラン司令官代理は、敵がトルナヴァへ行く前に、このヤルヴィン基地を襲うとお考えですか」

「ああ。ヤルヴィン基地は南へ700キロの距離。部隊全員が移動をするとしても、三日もあれば充分に辿り着くだろう。またヤルヴィン基地は交通の要衝でもある都市ヤルヴィンの傍だ。各所を結ぶ物流を封じ込めれば、より情勢は敵に傾くだろう。更に言えば、ここを取ってしまえばトルナヴァ駐留基地までは大きな都市もなく、基地も無い。挟撃される可能性を潰しながら、敵は有利な状況を作りやすくなる」

「なるほど…………!」


都市ヤルヴィンは人口10万人程度の中規模の街だが、大陸の各地へ繋ぐ街道が集まる場所の一つでもあり、交通の要衝として軍としても重要な街となっている。
ヤルヴィンにも第七師団の一部が駐留する基地があり、ヤルヴィン基地がそれにあたる。
またこの基地には軍事用滑走路が併設されており、輸送機などがここを使用して物資や人員を運ぶ。
二つの港襲撃により強奪した補給物資が潤っている間に、次の標的を襲撃して更なる侵攻の足掛かりとしたい狙いがある、と彼は考察する。



「この地に居続けるのはかえって孤立化を深めるばかりだ。味方の援護をするためにも、ここは迅速に山岳地帯を南下し、西側に向けてヤルヴィンへ向かうことが得策だと私は考えている。みんなの意見を聞かせてほしい」


「自分は司令官代理の考えに賛同です。先回りして防御を厚くするべきだと思います」
「同感です。こうなってしまっては他に取るべき手段はないでしょう」


ラン司令官代理の発案にその場にいる全員が賛成票を投じた。
どのみち今からシュメリ、パルザンへ行っても間に合うはずもなし。
ほかの部隊との連携も取れず、補給も今後は厳しい状況が続くことになるだろう。
ここで無理をするよりも、他の部隊と合流することを優先すべきだという考えに至り、ランの指示が伝えられることとなった。
この時点で彼らはベレズスキの鉱山資源を後方へ送り、現在いる地域から撤収する判断を下していた。
参謀本部経由の指示で、鉱山資源やベレズスキにある補給物資を後方へ輸送することを命じられていたからである。
結局のところ、軍の中枢にとってこの地域はそれほど大きな意味を持つ拠点ではなく、ただ広域の領土を監督する存在が必要であるからという理由ばかりが表に出てしまっている。
―――――――――――――――だが、故郷(そこ)に住まう者たちの心境はどうか。
国の軍隊から見棄てられた気持ちを彼らはどう汲み取るのか。
残された者たちのことを考えるのは辛い。
だがそれを思っては任務を全うできなくなってしまう。


「可能な限り迅速に後退を始める。最優先に民間人をトラックに乗車させてほしい。食糧庫のものはすべて搬出。武装は兵員一人ひとりが持てる程度で構わない。車に積めない大型の移動砲台などはスクラップにしてしまって良いだろう。では各自準備を頼むよ」

「はっ」


ラン司令官代理の指示により各員が準備を始める。
こうして辺境の基地として扱われていたオビリスク駐留基地は、最後までそのぞんざいな扱いを拭い去ることのないまま、役割を終えることになる。


「撤退ぃ?もうここから離れるのか。早かったなー………」
「仕方ない。これも上からの命令だ。司令官代理にも考えがあるようだし」
「それを信じるしかねえな。んで次はどこにいくんだ?みんな」

「ヤルヴィン基地まで戻るとのことだが、その前にベレズスキから鉱山資源を後送する仕事があるらしい」


上官からの指示が伝えられ、その通りに撤退の準備を進めるツバサ、ナタリア、オルガの三人。
まだ配属となったばかりの彼らであったが、情勢の変化によりオビリスク駐留基地を放棄することが決定し、最初の配属先から異動することになる。
とはいっても、今後は敵の攻勢に合わせて動き方が変わるので、特定の基地に所属して部隊の下で働く、というような体制にはならない。
ツバサ個人の感想としては、こんなにも早くここから離れなきゃならないことが面白くなかった。
それだけ自分たちの軍隊が苦境に追いやられる可能性があるということを、如実に表しているのだ。
彼はどちらかといえば、残って敵と戦いたいと思っていた。
しかし上の人たちが言うように、ここで孤立してはいよいよ殲滅されるだけだという考えもよく分かる。
あまり強く表には出さなかったが、やり場のない気持ちを持ってしまっていた。


「おっ、じゃあナタリアの故郷に行けるんだな!」
「ん?ナタリアの故郷はベレズスキなのか………?」



士官学校に所属していた頃に、彼はナタリアの故郷の名前を聞いている。
スヴェール地方の山岳地帯に位置するベレズスキ。
鉱山資源が豊富に採掘できる場所であり、その資源は建造物のほか、軍事物資の貴重な資源としても採掘されている。
敵がこの鉱山を利用するのは避けたいという意味から、物資は後送し、敵にその意図があるのなら鉱山を閉山させてしまうつもりでいる。
そのためにもベレズスキを経由し、山を下って行く必要がある。
ベレズスキがナタリアの故郷であると知って、その地に行けることを喜んでいるツバサだったが、



「――――――――――――――。」


「?」


一方の彼女は、そのことについて何も喋ることはなかった。
後にその理由が分かる。
今までツバサが想像していた彼女とは全く異なる姿が、そこから生まれてしまったことを。




……………。




光と陰が付きまとう。
混沌とした時代の中には、その主役となる存在と主役を陰から支える脇役という存在がいる。
三つの大陸を巻き込み、急速に火の手が拡大し始めているこの時代もそう。
有事の事態に対し、自国の状況を良い方向へ展開させようと奮闘する者たちがいる。
彼らは表に出てこられない存在ばかりで、陰で国という舞台の主役を支え続けている。
彼らの力なくして国は表立つことは出来ない。
あらゆる人員、あらゆる技術が惜しみなく投入され、国益をもたらすために彼らも共に戦うのだ。


一方で。
舞台の主役にも、脇役にもない存在もいる。
舞台というのは脚本を演じる立場の者と、それらを生み出す演出する側、そしてそれらを観る観客側の立場の者たちがいる。
観るものにとっては舞台上で演じられる姿を遠からず近からず観るばかりである。
だが、特筆すべきは演出する側、つまり筋書きを作る脚本家としての立場だ。
観客を魅了するのに必要なのは、舞台上で演じる人たちの技術の高さや魅せ方だけではなく、演じる者たちの魅力を際立たせる脚本にある。
どんな作品も演者単体では成り立たない。彼らが演じるために必要なのは台本である。
そして、演じる為に必要な台本は、人間の手によって描かれる。
どのような形にでも。



「大国グランバートとソロモンがやり合う、か。いよいよ動き始めたな」


今この時代に繰り広げられる戦争で、その舞台に上がったのはソウル大陸を領土に持つグランバートと、オーク大陸に領土を持つソロモン。
誰もがこの二つが舞台の主役であり物語の中心人物、国家であると考えている。
実際その通りであり、この戦いが暫く続く間その構図は基本的に変わりはない。
当事者であるこの二国が戦争を主導し、シナリオを描き加えて行く。
舞台の演出は、表向きでは彼らが行っていることではあるが。



「世界で見てもこれほど大きな国は無い。二つの国が戦火を拡大させれば、当然その余波は世界中に拡大するだろう」
「そうなれば、世界経済は破綻し、人々の動きは阻害される。今はまだ静観している国も、沈黙を保てなくなるだろう」



何も、シナリオを加える人は二つの国とは限らない。
いや、もっと言えば、国ではない者の存在とて、彼らの戦争の中に入り込むことが出来る。
二つの国は世界最大規模の大国。
他にも小国は幾つも存在するが、ある意味で世界を牛耳っているのはこの二つの国だ。
世界で最も大きな規模を持つ国同士が争う。
混乱が起きないはずがない。
明日にでも混乱は肥大化し、一週間後には更なる混迷がこの世界を包んでいるかもしれない。
それほどの影響力を持つ国だと言われている。


―――――――――――――――なら、その混乱を利用しない手はない。


そう考える存在がいるのも、不思議では無い。
この二つの国が動けば、退化し消滅する存在もあれば、この機を利用して肥大化を目指す存在もいることだろう。
舞台上の演出を賑やかせるシナリオを描く存在は、この二つの国だけではない。
そしてそれも、中心国家を支える一つの陰の存在として、戦争そのものを支え左右させていくことになるのだ。


「………今は国があるからこそ利用できる、その機会が訪れたことに感謝をしなくてはな。いずれは、その線引きすらも意味を成さなくなる」


光には陰が付きまとう。
陰は光があってこそ存在する。
無色のものからは生まれない。
しかし、今の時点で誰が想像できただろうか。
その陰が見えない脅威を増長させる、亡霊の誕生を生むことになる、と。



……………。

第8話 過ぎ去りし時間を想って


7月4日に起きた一つの出来事。
北海の海戦は、グランバート王国海軍第三艦隊と、ソロモン連邦共和国海軍第五艦隊が、ソウル大陸北部の海域で戦火を交えるというものであり、結果としてはグランバート海軍の勝利に終わった。
北海の海戦は、両国の今後拡がる激しい戦争の最初の一幕とされており、最悪の事態を引き起こした一つの戦いとも呼ばれている。
最悪の事態はこれから起こる連鎖のことであり、後に世界中が震撼した出来事を呼ぶ引き金ともなる。
初戦において連邦軍が敗北すると考えていた人々は少なかった。
何しろソロモン連邦共和国は世界最大規模の国家であり、軍事力もその評価同様である。
国の規模が大きいと考えれば、国土も小さく大陸も異なり、再興されたばかりのグランバートと戦えば負けるとは思えない、と考える人も多かったのだ。
だからこそ、ソロモン連邦共和国の初戦敗退には世界中が驚いた。
人々は予感せざるを得なかった。
今ですらこのような昏迷の時代だというのに、更なる混乱が巻き起こるのではないだろうか、と。


連邦軍内部では、第七師団に対する支援を迅速に進めるほか、孤立化した部隊の後退を急がせた。
特にシュメリ、パルザン港と通じる補給路を持っていた部隊は孤立化が深刻化しており、早い撤退が望まれた。
辺境基地のスヴェール地方オビリスク駐留基地もそのうちの一つであり、長期に渡り現地域に留まることは得策では無いと考えられていた。
第七師団の司令部は、現場の判断をある程度尊重しつつも後退命令を出し、山岳地帯にあるベレズスキの鉱山資源を後送するよう命じた。
ラン司令官代理は直ちにオビリスク駐留基地を放棄し、ベレズスキまでの後退を指示した。
必要であればここを護るという手段も取れたのだろうが、ランは何の躊躇いも無く放棄を決定する。
どのみちここにいても敵の攻勢を止められるはずもない。
寧ろ敵は更なる拠点確保を目指すだろう。
敵が必要としているのはこの辺境の基地ではなく、もっと大きくてもっと有用的な場所だ。
その判断のもと、すぐに部隊は民間人を防衛しつつ後退を始める。


「アルヴェール少将は、当初ベレズスキ鉱山は防衛すべきではないかという考えも話していたが、まあ護る立場とすれば不必要な犠牲を払いたくはないところだね。言ってしまえば悪いことだが、ベレズスキ鉱山以外にも国内には鉱山はある。しかもこの北方地域には鉱山資源を利用して生産される工場が少なく、輸送距離も長い。あまりここに拘る必要はないんだ。」

「戦時下にもなれば、即時生産も難しくなり、しかも工場は敵からの標的にされやすいでしょうね………」
「本来であれば工場の生産能力を上げて出来るだけの軍事物資を作るべきなんでしょうけど、まず俺たちのところには来ないですよね。」

「そう。まして孤立してしまえばどのみち行先は無くなる。敵に使われるくらいなら放棄した方が良いのさ」


車で移動する部隊の中、ラン司令官代理の隣に座るカレンと、運転席でトラックを運転しながら話をするシュナイダー。
トラックの荷台には複数の兵士が乗っている。
車列は何十台も連なり、出来る限りの人員と物資を運びつつ、まもなくベレズスキ鉱山のある村に辿り着く。
ベレズスキには、南側から物資輸送のための車両が向かっているとのことで、持てる分の物資を集めて揃い次第出発するという予定だ。
そのため、何日かはこの村に滞在しなければならなくなるだろう。
物資を移送する間は警戒態勢を強化し、移動車両には防衛の部隊も最低限配置させることとしている。
既に彼らはオビリスク駐留基地を放棄している。
コンピュータをすべて破壊し、あらゆる紙媒体の情報を燃やして廃墟同然にしてきた。
敵が来れば元基地の残骸としか思わないだろう、というくらいには。


「輸送部隊、いつ到着しますかね。あの村の物資がどれほどあるかによっては、ここで足踏みって可能性も………」
「出来るだけ早くお願いしたいところだが、この辺は空路も無い。陸送で何とかするしかないから余計に手間が掛かる」
「その間何も無ければ良いんですが………さ、見えてきましたよ」


――――――――――といっても、ここには何も無いでしょうけど。
と、運転手を務めていたシュナイダーはそのように話す。
スヴェール地方山岳地帯の中にある村ベレズスキ。
村としては小さく、人口も数百人程度の村として登録されていた。
ここはすぐ近くにある鉱山が国の軍事産業にとって重要な資源を採掘できる場所として重要視されている。
そのためベレズスキにはそうした鉱山で働く者たちが滞在できるように、幾つも家が建てられていた。
またここには最低限ではあるものの、鉱山を防衛できる用意を整えており、村の中心には軍の駐在所もあった。
だがそれはもう既に過去のもの。
鉱山がつい最近まで機能していたことは間違いないが、村としての機能はとうの昔に停止している。


「同じ地方にいても、ここに近づくことは無かったな」
「………ええ。そうですね………」


荒廃した廃村、ベレズスキ。
ベレズスキ鉱山へ仕事に行く者たちが住まう小さな村。
鉱山のための村といっても、ここにはきちんとした社会があり、家族がいて子供たちがいた。
他の村とそう変わらない生活を送ることの出来る村があった。
冬はとても寒くオーロラが山間の空から見えることで有名である。
観光名所ではなかったが、地元の人は昔からその光景に慣れ親しんできた。
鉱山もその一つだ。
国の重要な事業を支えるために必要な仕事で、危険を伴うものであったとしても、国の為に尽くす必要があった。
だが、今の村にはそんな生活を営むことの出来る社会すらない。

「よし、鉱山組は直ちに出発。地元人の案内を借りつつ物資を回収。他の者は先刻伝えた班に分かれ、警戒活動を行え」
ヴェスパー・シュナイダーが司令官代理に代わって全員に指示を出す。
各員車から降車して行動を開始する。
ここより南部にある基地から来る輸送部隊は、まだ到着に時間がかかるといい、加えてここにある物資を搬出するのにも時間がかかる。
彼らとしてはいち早く標的となり得るヤルヴィン基地に向かいたいところであったが、ここの防衛も任務の一つであるため、それに従わない訳にもいかない。少々歯がゆい思いをしながらも、このベレズスキで足止めされることとなった。
ツバサは、先日の偵察活動の時と同様、レオニス伍長、オルガ、ナタリアの四人で一つのチームを組み、村の郊外で活動をしていた。
敵がこの鉱山の正体を知っているかは分からないが、ここが無傷で稼働できると分かれば、使わない手は無いだろう。
ここの物資を搬出し終えた後には、どうやらベレズスキ鉱山は閉山となるようだ。
敵に利用されないためにも。
そうなれば、この村の存在意義は消滅することだろう。


ツバサは、この村の光景を見たその時から、ナタリアのことを考えていた。
どうしてこの村は、こんな廃村となってしまっているのか。
彼らは村が一望できる郊外の高い位置に来て、進行方向から接近する者が無いかどうかを確認し続けている。
村の全体を眺めることの出来るこの場所は、今の村の現状がどのようなものであるかを把握することの出来る場所でもある。
誰も住んでいない村に、無数に散らばる建物の瓦礫や木材。
しかもそれらは焼き付いたような焦げ跡が幾つもあり、この村に入る前から焦げ臭いにおいが感じられた。
それだけで、ツバサはここで何が起きたのかを察していた。
その時にナタリアのことを頭に思い浮かべたのだ。
もう自分の故郷には何も遺っていない。
彼女のその言葉の意味は、この村のこの光景にあったのだろう。
そして彼女はそれを知っていた。
寧ろ当事者だったのではないだろうか、という考えをツバサは持ったのだ。



「――――――――――――――――。」
この村に行くと分かってから、彼女は全体的に重い空気を身に纏っているようだった。
ツバサとナタリアは互いの時間を僅かしか過ごしていない。
だが、それでも感じられるものがあった。
いつかベレズスキに行く機会はあると思っていたが、彼女はその度にどこか遠い目をするのだ。
普段の彼女にあまり感情というものは見出せない。
ぶっきら棒なやつ、という訳でもないのだが、無表情が常なのか、声色も、表情の変化にも乏しい。
きっとそれが出来ないのではなく、それが自分にとっての普通であり当たり前の姿だったのだろう。
ツバサは自分がナタリアのことを冷静に分析していることに、妙な違和感を覚えつつも自分で感心していた。
“人を見る目など養われてはいない”と自分では思い込んでいたからだ。
彼は知らぬ間に自然と物事を分析する力を身に着け始めている。
横目で彼女を見る。
その瞳は真っ直ぐに、任務と向き合っている。
普段の姿と何一つ変わらないように見えて、感じられるこの空気の重たさ。
それは、自分だけが感じられるものなのだろうか。
それとも。


シュメリ、パルザンの両港を占領した敵がどの程度の時間を置いて次の標的に向かうか、気になるところではあったが、彼らは今目前の仕事をしなくてはならない。気持ちばかり先に行っても、目の前の仕事には集中できなくなる。
しかし今のところ、少なくともこちらの地方に異常はなく、またここから送られる通信で確認出来る限りは動きが無かった。
物資の搬出準備は後退で夜通し行われている。
偵察任務を受けた他の部隊も、交代しながら休みを取っている。
何も起こらないというのは平穏であって良いようにも感じられるが、今の状態では不安を増長させることにも繋がる。
いつか何か起こるかもしれないという、漠然とした不安を抱えながら時間を過ごすことになる。
しかし、それを言っては何も務まらなくなる。
とはいえ、何も起こらない間は命の危険に晒されることも無い。
彼らは後退要員のマルケス隊に任せ、村まで引き上げる。
村の中はあの有り様なので、とても住めるような状況ではない。
鉱山で仕事をする人やそれらを最低限の人員で防衛する兵士も、この村では無く鉱山のすぐそばにハウスを作って暮らしているらしい。
文字通りここはゴーストヴィレッジとなっていた。
彼らのベースキャンプはその村の離れにある。
焦げ臭いにおいが残る中での野営であった。



「………あれ?」
野営場に戻ると、移動と任務に疲れた兵士たちが、それぞれテントの中で眠りについている。
無理もないだろう。緊張と移動の連続は心身ともに傷つける。
ツバサも同様だ。
その身に感じる怠さは疲れから来ているものだろうと思う。
だがあることに気が付いた。
一緒に戻って来て暫く経ったとはいえ、同じチームの中にあるテントに、ナタリアの姿が無い。
すぐそばではマルケスがほんの僅かな寝息を立て就寝している。
オルガも同様だ。
火は既に消してあったので、テント内は暗い状態になっていた。
ツバサは二人の眠りを妨げないよう静かに移動しながら、ある場所へと向かった。



……………。
もう、ここに戻ることは無いと思っていた。
自分からも遠ざけていたし、自分の身が忙しくなればここを思い出すことも無くなる、と。
けれど、そうではなかった。
寧ろここに引きずられるような形で、なんとも奇妙に戻って来ることになった。
何もない、何も遺されていないこの場所に。


「―――――――――――――。」
そう、ここには何もない。
けれど、ここにあったものは、憶えている―――――――――――。



『………ごめんなさいね、ナタリア。今日もこんな、質素な食事で………』
「ううん、いいよお母さん。だって、今日はお母さんと二人きりだもの」
『そうね。………二人きりの食事』


遠い出来事のようで、ほんの数年前のこと。
私の周りに在ったはずの世界は、どうしようもなく色褪せていて。
それでいて、私の傍にいた一人の母は、その中でも私の前では強く在ろうとして。
本当は、そんな強さは無かったはずなのに、私に弱みなど見せまいとして……………。


『………貴方は生きなさい。強く生きて、貴方自身で決断が出来る人に、なりなさい………。』
きっと、その先に貴方の輝く道が見えてくるから。



今でも鮮明に思い出すことが出来る。
鮮血に染まってしまった最後の晩、最後の時間。
目の前から消えてしまった、いえ、消してしまった、大切な人の言葉を。


………………。



「――――――――――――っ」



ふと気配を感じて、後ろを振り返ったら、彼が、いた。



「……………ツバサ」
「………よっ。ちょいと見かけたからよ」


彼の表情を見ていると、とてもそうは思えなかった。
言葉だけは冗談っぽく並べられているものだが、表情は全く違う。
私の後姿をいつまで眺めていたのかは分からない。
けれど、それはなんとも。
なんて、素直で下手な理由なんだろう。


「もう夜中だぜ。そろそろ寝ないと明日も大変だ」
「ええ。分かっています。すぐ、戻りますから」
「そか。まあナタリアが良いって言うなら、俺は何も構わんが………」


―――――――――――――では貴方は何をしに私の後に来たのですか。



その時、彼は表情を硬くしてしまった。
たぶん、そんなことを言われたことに対して、本能的に驚きを感じたのだろう。
私は酷いことを言っている、そんな自覚がある。
でも彼は。



「色々思い詰めてるのかもしれねえけど、休む時はきちんと休んでくれよな。チームのメンバーなんだからよっ」
と、いつものような笑顔を見せつつ陽気に言葉を出した。
私自身、彼にそう聞いてしまったことを一瞬で後悔していた。
きっと彼は失望したことだろう。
彼の気持ちなど差し置いて、私の思うところをぶっきら棒に伝えてしまったのだから。


「…………ありがとう、ございます」
「どうした、らしくないぞ?」
「………いえ、その。私のことで、何か気遣いさせているようで」
「パートナーだからな!同じチームの。だからなんか心配事があるなら遠慮なく言ってくれよな」


………違うのです。
心配事とか悩みとか、そういうのではなく。
ただここは、元々、私の家があった場所で。



「……………。」


彼は、これまであえて聞くことはしなかった。
そうしようと思ったのは、彼女が故郷の名前を耳にした時にする、遠い目をするようになってからだ。
ベレズスキの村のことを彼も調べた。
廃村になった経緯も調べたし、その中でも鉱山が今も機能していることは分かっていた。
表面上、どんな村だったのかを見られると気にしていた部分はあるが、彼女のそうした表情を見るなりその気持ちは複雑なものとなった。
故郷が知りたいと思うのは普通だと思うが、それがあまりに複雑な事情が絡むものだと、積極的にはなれなかった。
スヴェール地方に入ってからの彼女は、ふとそうした遠い目をすることが散見された。
それは恐らく、この日が来るのを彼女が分かっていたからだろう。
いつかここに戻って来ることがある。
どのような形であったとしても。
ツバサは自分から彼女のことは聞かなかった。


「この村が一晩で廃村になった経緯は、知っていますか」
「あ、ああ。火薬が吹き飛んだとかなんとかって」
「はい。あの事件でこの村は瓦礫と化し、鉱山で働く人以外全員が死亡した、と言われています。」


……………私は、その生き残りです。



彼女は、自らの境遇を話し始める。
その内容はツバサにとっては驚きの連続であった。
そして、それを告げた彼女の心情を、彼は考えることになる。


彼女はこの村の出身である。
父が鉱山職人で、母は専業主婦。
父は仕事柄山に籠ることが多く、父が居ない間は娘だったナタリアを一生懸命に育て上げた。
きっと将来とびきりの美人になるだろうと、はじめ両親は彼女に語り掛けていた。
それは彼女も子供心にうっすらと覚えていた。
だが、10年ほど前からそんな状況が変わり始めた。



そう、『50年戦争』の一度目の節目。
あの戦争が一度沈黙を迎えた後のことだった。



ソロモン連邦共和国も、度重なる戦争で甚大な被害を出し、また国力が疲弊しながらも更なる肥大化を進めた。
大陸の南東部に領土を持っていたエイジア王国を併合し一つの国家のもと、州を置いた。
他にも大陸北部にも連邦の手は行き渡り、いつの間にかこの国は世界最大の国家となっていた。
疲弊した国力を回復させるためには復興が何よりも大事で、同時に国は国力を取り戻すために軍事力の強化に踏み切った。
ここまでの過程は、国としては特に目立って異端な箇所はない。ごく普通のことだ。
しかし、国が普通の過程だと考えていても、それを実行する立場になったものからすれば、負担は計り知れないものであった。
ナタリアの父は、ベレズスキの鉱山職人の中でも技術力も高く、彼らのチームをまとめ上げる代表の役割を担っていた。
国力増強が国の方針であるのなら、ここで採れたものが軍事用に使われることは明白であり、そのための生産力を向上させなければならない。
そうして、鉱山の仕事は苛烈さを増し、激務となった。
父は週に一度しか家に戻って来ず、安否を気遣った母が時折鉱山に出向いたが、兵士の壁が立ち塞がり、会うことすら出来なくなった。
それでも週に一度は帰って、一日を共に過ごすことが出来る。
母は父の仕事をできるだけ支える為に、毎日鉱山に出向いて三食を届けた。
直接会うことは許されなかったので、兵士に渡すよう伝え、毎日のように通った。
ベレズスキの管轄内にある鉱山といっても、人が歩いて行くには何時間も掛かる。
そのため、ナタリアは家に一人でいることが多くなった。
その頃からだろう。
彼女の取り巻く環境が変わり始めてしまったのは。


父の激務は変わらなかった。
ナタリアは一人でいる時間が多くなった。
彼女はその間に、家の中にある本を端から端まで読み漁って時間を過ごした。
それらは彼女に知性を養わせるという重要な役割を果たしていた。
だが、かつてすぐそばにあった、父と母の愛情からは遠のいた。
さらに彼女の心を傷つける出来事があった。
父からの、常態化した母へのドメスティックバイオレンス。
ストレスを発散する相手だったのか、あるいは父の性癖が露呈したものなのか。
彼女が生まれるよりも前からそれはあったのか。
あるいは、この戦争後の復興において課せられた職務による反動か。
いずれにせよ母は心身ともに傷付いた。
週に一度だけ家に戻って来る父は、家の中で母にそうした行為を迫った。
娘であったナタリアも当然それは知っている。
一方の母は、何も抵抗はしなかった。
酷い仕打ちを受けても、必ず毎日父のいる鉱山へ弁当を届けた。
それが無いと、父が帰ってきた時に何をされるか分からない。
だから、たとえ自分が同じように責められても、同じ生活を続けるしかなかった。
唯一母にとって救いだったのは、娘の存在だろう。
娘に父は当たらなかったし、父が居ない間は娘との時間を共有できる。
だが、確実に母は蝕まれていく。



「その時の私には、どうすることも出来なかったのです。ですが母は、私を必死に育て、守ってくれた。私は母に甘えるしかなかった。母がどんなに酷いことをされても、私の前ではいつもの母であろうとした。母は、強かったのです。」


そんな関係が数年も続いた。
国は強制力を働かせて、より一層の仕事を要求する。
疲弊したのは父だけなく、その家族もだった。
国が軌道に乗り、国力を増強するまでその仕事は終わりを迎えることはない。
あるいはベレズスキ鉱山の資源が採り尽されれば、その状況も変わったのかもしれない。
だが今日でも、鉱山資源はまだ豊富にあるとされている。
成長した娘にとって、母が受ける毎週の仕打ちは、徐々に彼女自身が耐えられないものとなっていた。
何度か、画策しようとしたことがある。
父のもとを離れよう、逃げ出そうって。
けれど母はその度に娘に言った。
どこにも逃げられはしない。今の私たちの生活があるのは父のおかげだから、と。
夫婦というよりは、主と従者のようだった。
父は父なりに母を愛していたのかもしれない。
他人から見ればそうは見えなかっただろうが、母はそれでも我慢し続けてきた。
それが父の為になると分かっていたから。
だが、娘にとってはそれ自体が苦痛だった。
どうして母は平静を装うのか。
酷いことをしているのは、父なのに。
力で母を封じ込めて、自分の良いように母を求める。
それのどこが愛なのか。
その疑念は、やがて娘に狂気を芽生えさせてしまった。
強くあろうとする母を、助けるために。
その機会が必要だった。
用意するべきか、あるいは待つか。



父をどうにかして母から救う。
彼女のその企てを彼女が起こすよりも前に、村中を破滅させる事故が起きた。



ベレズスキの村が一晩で火の海と化した、という事故は調べれば分かる。
実際ツバサも彼女の故郷の話を聞いて、その事実に行き届いた。
鉱山資源の保管庫にあった発破装置の火薬が何らかの要因で誤作動を起こし、爆発を起こした。
火は瞬く間に村全土を襲い、一晩ですべて燃え尽きてしまった。
それが人為的なものであるのか、あるいは本当に誤作動だったのかは、今となっては確認のしようもない。
事故原因を調べるべく中央政府から調査官が派遣されたが、結局原因は突き止められなかった。
そのため、上の爆発説自体が仮説によるもので、それが正しいと立証された訳では無い。
……………ナタリアは、その事故の生き残りの一人だ。
あの事故は、村にいた者すべてが巻き込まれ命を落とした、と言われている。
生きていたのは、その時鉱山で夜通し働いていた数名の職人たちのみ。
事故が起きたのも夜の時間で、特に村の皆が就寝しているような時間帯だったのだ。
爆発の影響で方々に巨大な火の粉が飛び散り、瞬く間に燃え盛り、延焼を繰り返した。
無論、保管庫のすぐ近くの家は爆発による衝撃で吹き飛んだ。
彼女の家は、比較的保管庫に近い位置で、爆発が起きたことで家の外壁が崩れ、屋根が崩落した。



「…………お母さん、お母さん………お父さん………」
奇蹟的と言うべきだったのか、ナタリアは家の崩落には巻き込まれなかった。
家自体は酷く破壊されてしまったが、崩れた屋根の下敷きになることもなく、吹き飛んだ瓦礫に襲われることもなかった。
だが、容赦なく降り注いだ火の粉の所為で、家はすぐに燃え始めた。
最初に父を発見した。
その日父は週に一度の休養日で家にいたが、それが災いとなってしまった。
吹き飛んだ瓦礫が父の寝室を襲い、見るも無残な光景が広がっていた。
子供であった彼女がすぐに即死だと分かるくらいに。
火の手が上がり燃え盛る中、彼女は母を見つけた。


母も、その運命から逃れられるような状態ではなかった。



瓦礫が身体を襲い貫通していた箇所が幾つかある。
崩れ落ちた外壁と屋根が彼女の下半身を襲い、両足と腰を潰した。
さらに屋根に飛び移った火の粉が火災を激しくさせていた。
お母さん、お母さんと呼びかけたが、僅かな声でしか反応がなかった。
母を見つけたナタリアはすぐに助け出そうと瓦礫を動かし始めるが、瓦礫は高温で一瞬で手が焼けた。
このままでは母を助けられない。
彼女は必死に出来ることをしようと手を動かすが、母は最期の力を振り絞って、それを止めさせた。
誰も想像していなかった展開だった。
母は最後に、ナタリアに言葉を伝え、そして目を閉じた。


「………………」
それが、ナタリアという女性の過去の一部であり、今の彼女が出来上がる重要な過程の一つだった。
ツバサはそれをただ黙って聞いていた。
言葉を失うくらいには、驚きの連続だった。
彼女は、母の境遇から解放させたいと、父を止める算段をつけようとしていた。
だが、それよりも前にあの事故が起きて、村は廃村となった。
大勢の人が死ぬ中で、彼女は生き残った。
彼女以外の生き残りを、そこで見つけることは出来なかった。
彼がベレズスキの村を調べて具体性を欠く情報ばかりを手にしていたが、恐らく彼女の語る話は本当だろうと判断した。
何しろ彼女はこの村の出身であり、その事故の当事者だったのだから。
今、その情報が表に出ていないということは、生き残りとして彼女は他方に公表をしなかった、ということになる。



「私はこの村の出身ですが、軍務はそれを知りません。戦争孤児の行く先である幼年学校に拾われました。ですから出身は幼年学校になっていると思います」

「………そうだったんだな」



彼女がここの出身であることが分かれば、恐らくここで起きた事故に関して何らかの情報を知っている者として、取り調べが行われたことだろう。
彼女が疑われるかどうかは別として。
だが、彼女はこの村に行くことも、出身であることも軍務には告げていないという。
あの戦争の後、戦争孤児が増えすぎたことは、国にとっての大きな傷でもあり課題でもあった。
彼女は実際には戦争孤児ではない。
不幸にもあの事故がキッカケで、両親を目の前で失ってしまった。
だが、その頃には行く先の無い、身寄りのない子供は幼年学校等に引き取られることを、彼女は知った。
そこでなら、学費も掛からず、生活費も掛からず、生活することが出来る。
将来の身の回りを定めることを条件にして。
ツバサには疑問があった。
であれば、なぜあのカフェで会ったとき、出身はどこかと尋ねたら、あっさり答えてくれたのか。
ツバサはそれを聞いてみた。



「あの時も話したと思いますが、私は貴方の強さの理由が知りたかった。ただ、色々とお話を伺うのに、私は嘘の情報をお伝えすることなど出来ませんでしたから」

「………そうか。いや、それならいいんだけどな」


あまり直接的な理由の回答にはなっていない気もしたが、それ以上ツバサは聞かなかった。
彼女の真実を目の当たりにしたとして、彼女に理由があって真実を伏せているのだとして、それをツバサが正そうと思うことはなかった。
ナタリアがそうしたいと思ったからそうしている。
それが間違ったことでないのなら、彼女が過ごしてきた経緯を訂正させることなど彼には出来ない。
たとえどのような時間であったとしても、今も確かに彼女は生きている。
ツバサは、そのほうが何より大事なことじゃないかと、思っていたから。



「実は俺も、気にしてたんだ。ナタリアがこの村の話を聞くと、どこか遠い目をしてたからさ」
「………やはり、気遣わせてしまっていたのですね」
「だからそれはいいんだって。仲間なんだから」


…………仲間。
その時の彼女の表情は、きょとんとしていたがまるで何かに気付いたような、驚いたような表情にも見えた。
心の中で、その言葉が自動再生する。
仲間。
ツバサは笑顔でそう言った。


「ありがとな、話してくれて。俺はナタリアの過去を知った。んでも、俺から出来ることは正直あんまりねえと思う。いや悪い意味じゃないぞ?ただ、そうだな………」



苦く辛い過去だったかもしれねえけど、でも、確かにナタリアは今も生きてる。
色々思い込んで落ち込む時もあるだろうけど、気が済んだらまた前向いて進もうぜ!


そしてツバサは、自分の見解を彼女に伝えた。
彼女の過去のことで、自分に出来ることはあまり無い。
たとえどのような時間であったとしても、過去として過ごした時間は事実であり覆されることはない。
彼女が過ごした時間は、過去として彼女の中で今も記録に残り続けている。
きっと忘れられないだろうし、思い出すことも多いだろう。
でもきっとそれも大切なことなのだろう。
彼の言葉を聞いて、彼女はそう思えるようになった。
時折思い返して留まるかもしれないが、それでまた前に進めるようになったら、それはそれでいいんだから、と。


「………はい。貴方は、相変わらずですね」
「だろ?まあそれが俺らしいんだろうけどさっ」
「ええ。まったく。」



彼女としては、彼が特に何も話に返すことなく、ただ一緒にその話を聞いてくれた、というだけで、嬉しかったのだ。
何一つ助言をすることなく、何かを訂正させることもない。
ただ、彼の出来ることはその話を聞いて、共感して、気持ちが落ち着いたら、また一緒に前へ進もうというだけのこと。
それくらいしか彼には出来ないと彼自身そう思っていた。
ただ、それが彼女には嬉しかった。
こんな暗い話でも、自分を受け入れてもらっているような気がして。
鉄壁の堅い表情を持つ彼女だが、その時の彼女は少し気が晴れて穏やかになり、それが表情にも現れていた。
彼は彼女に光を差し伸べているようだった。
暗い過去は過去のまま。
けれど、気持ちもそれに付随するのではなく、思い返して、また前に進むための一つの材料として捉える。
それを彼は教えてくれた。


光には道が通る。
これから先、あらゆる苦難が彼らを待ち受けることになる。
希望には絶望が従う。
否、その逆もまた存在する。
茨の道であったとしても、険しい上り坂であったとしても、光に道が照らされていれば、進めないことはない。
そう思って、前に進むとしよう。



ほら。
月明かりも、こうして雲の切れ間から、今もこの村を、彼らを照らしている――――――――――――。




…………。

第9話 情勢②


7月に入ってから、世界の動きはより一層加速度を増したと言っても良い。


7月1日にはソロモン連邦共和国の強襲部隊が、ソウル大陸グランバート王国領東部沿岸のバローラ港を強襲し、占拠する。
一切の情報なくして行われた電撃作戦は見事に成功し、互いの損害は軽微でありながらも、連邦軍はバローラ港を押さえる。
ここは艦隊の補給基地の一つでもあり、それほど規模が大きくないとはいえ、連邦軍が今後ソウル大陸の北上を企むものであるとすれば、貴重な軍事港となるのは明白だった。
バローラ港を使用するグランバート王国海軍は当時すべての艦艇が出港していたが、彼らは帰る家を無くしてしまった。
しかし、この襲撃は同時に次なる戦いを生む既定路線の一つである。
つまり、艦隊が停泊できる基地を占拠したということは、そこに艦隊が配置される可能性が非常に高い。
海軍の多くが、次は洋上での艦隊戦が行われる可能性を指摘した。
一方、アスカンタ大陸の南半分を占領したグランバート王国軍は、
7月4日にオーク大陸北部沿岸地域の連邦海軍補給基地であったシュメリ、パルザン港を襲撃。
補給物資の流通が途絶えたことを知った北方地域の各部隊は、直ちに後退し始める。
両方の港を占拠したことで、グランバート王国軍も海軍戦力をオーク大陸北部に差し向けることが出来るようになり、大規模な軍事作戦を展開する可能性があることを知らしめた。
ソウル大陸、オーク大陸共に異なる陣営の軍隊が強襲し占拠するという構図が生まれた。
互いの大陸でこれから戦争が激化するだろうという予測は、ニュースを見る者の誰もが出来たことだ。
軍務に勤める者も、そうでない者も。
そして各地域ではそうした戦争の動きに合わせるかの如く、一般市民の大規模な疎開が始まった。
特に戦火が近くで起こる可能性がある地域は、市民が自発的に行動しそこから離れようという動きが見られた。
皮肉なことではあるが、この動きはこれまで何十年と戦争が続いてきた世界の中で、一般市民が身に着けた手段の一つだ。
戦争に巻き込まれまいとするための。



「国は常に有事の備えを欠かしません。それは私たち市民も同様です。いつまた戦争が起こるか分からない。明日にはこの町は無くなっているかもしれません。ですから、普段通りに生活をしながらも、いつも危機的状況がどう迫るかを確認しています。もっとも、そんなことを常に考えなくてはならないこの現状こそ、憂慮すべき状態であるとは思うのですが」



と、市民は語る。
市民のすべてがそのようにしている訳ではないが、彼らにとってこの60年あまりの生活は、絶えず戦争と隣り合わせだった。
時に遠い国の出来事でしかなく、時に身近で起こる日常茶飯事となっていた。
そして今回も、大陸の異なる大国同士が争い合うという構図。
戦闘が今後激しくなれば、いつかはここも戦場となるだろう。
もっとも、そうならないような時間がいつまでも続けばいいと、誰もが思っていたことではある。
好んで戦いを起こそうとする人など、全体として見ればごく少数だ。
だが、そのごく少数の人々が与える影響力は、静観する人々よりも遥かに大きいのかもしれない。
そしてその影響力は、あたかも国が引き起こしたものであるという捉え方をされる。
当然といえば当然だ。
国の舵取りもすべては人が定めるもの。
ただその意思決定にどれほどの人間が参画し、決定したのか、ということ。
そこが明るみにならない以上、世間の人々の見る目は変わらないだろう。


グランバート王国 対 ソロモン連邦共和国
両国は戦争状態へと突入することで、それによる影響が早くも各国に出る。
戦闘が頻発した6月30日から7月4日の情勢を受け、すぐに対応を発表したのは、オーク大陸内にあるアストラス共和国だった。
【アストラス共和国】
オーク大陸南部の温暖な気候に領土を持つこの国は、所謂軍事目的による他国との協定や同盟関係を一切結んでいない。
大陸全土を巻き込んだ10年前の戦争で疲弊しつつも、共和国として小さな領土内の幾つも自治政府を統合し国家として統治体制を置く。
ソロモン連邦共和国軍がソウル大陸への強襲作戦を行ったと報じられ、事実関係が確認されると、アストラス共和国はすぐに領地の南部に属する沿岸部を封鎖し、民間船による他国への定期連絡船を直ちに停止させた。
これにより交易商人が他国へ往来することが無くなるために、経済的な損失が出るだろうことは予測されている。
アストラス共和国は、領土北西部から北部にかけてコルサント帝国との国境線があり、北東部の一部にはソロモン連邦共和国との国境線が、東部にはその他小さな自治領地や諸外国との国境線がある。
このうち、アストラス共和国は北部の全域にあたる国境線を封鎖し、有事に備えさせた。
実際に危険を伴う可能性があるのはソロモン連邦領土との国境線であるのだが、この時のアストラス共和国の国境線封鎖が、また後の時代に思わぬ形で影響することとなる。

【コルサント帝国】
国土としてはアストラス共和国よりも大きく、それでも大陸の中では小国と呼ばれる程度の領土しか持っていない。
しかし国力は十分にあり、都市開発が進み工業都市と商業都市とが混ざり合う都市国家となっている。
コルサント帝国もこの戦争に対しては静観している立場であり、現在は軍部に対して警戒態勢を強化するのみで、具体的な行動には至っていない。
この国は元々ソロモン連邦共和国との間で交易関係があり、本来大陸の中でも商人が行き交う交通網を通して互いに商売を繁盛させてきた。
戦時下ともなればその動きにも歯止めがかかるため、帝国にも経済的な影響が出ることは疑いようもなかった、というのが一般的な考えだ。

【ギガント公国】
グランバート王国と同じ大陸内にあり、大陸の南部を領土とするこの国家も、コルサント帝国同様に静観の立場を守っている。
10年前の戦争では、現在のソロモン連邦共和国軍大佐のレイや、グランバート王国大将のカリウスら同盟軍に加担し、共にエイジア王国とルウム公国の残党を掃討する作戦に参加。
ギガント公国も戦争による損害は当然あったが、その規模はグランバートやソロモンに比べればそれほど大きなものでもなく、戦後復興もそう難しくはなかった。
一部の世間の見方では、ソロモンのグランバート領強襲後に、ギガント公国がソロモン連邦共和国に加担してグランバートを攻め入るのではないか、とも言われていた。
その理由としては、かつてレイ大佐がギガント公国の政府高官、軍務の重鎮たちと関係を持ち、現在は異なる立場にいるが互いを理解しあっている間柄であることが認識として挙げられていたからだ。
だが、ギガントは今もまだ動いてはいない。近くで戦争が起きているというのだから、最悪の事態は想定していることに違いは無いだろうが。

【アルテリウス王国(グランバートの支配下)】
この新たな戦乱の時代において最も早く戦争に関わることになった国。
しかし、今となってはこの戦乱の時代において最も遠い存在となってしまった国とも言える。
度重なるグランバート王国の攻撃により、王都を含む領土の南から中央半分を占領されてしまった。
現在グランバートはソロモン連邦共和国との戦いに注力するため、この占領地に陸戦部隊を置くとして、占領し統治すること以外にそれほど多くの事をしている訳では無い。
だが、グランバート王国は王国政府を解散させると同時に政府の公職に就いていたものを軟禁し、政府関係者の全員を占領下の住民登録リストに登録させ監視させることにしている。
万が一グランバート王国が戦争の疲弊で占領地の戦力を戦地へ送り込まなくてはならなくなった時に、アルテリウス王国の首脳部らが動いて解放の戦火を上げさせないようにするためである。
しかし一方で、占領下に置かれた王都やそれらの地域を解放させるべく、まだグランバートの支配の届かない凍土の地域で、アルテリウス王国軍の残党部隊が密かに反撃の準備をし始めているのだが、これを知る者はグランバートにはいない。



これらの国以外にも、多くの小さな自治領地があるが、諸外国や諸勢力は基本的にはこの戦争を外から眺めているだけに留めている。
それは、まだグランバートとソロモンの戦いが本格化しておらず、これから大陸中を巻き込んだ戦いになるものと想定されていたからだ。
出来ることなら当事者同士で争い合い、自分たちの領土が安泰であることを望みたい。
しかしいずれどのような形であれ、この戦争に引き込まれる。
国も、民も、多くの者がそう思い、各々に戦争から離れようとした。
一方で、国の為に働こうと尽くす者もいる。
その者たちの心は様々だ。
一人の人間がいて一つの想いがカタチとなるように、多くの思惑が錯綜し存在する。



「―――――――――――――――。」
だが、それは武器を持たない民たちばかりではない。
武器を手に持ち、言われた通りの命令を遂行するだけの彼らにも、複雑な胸中は確かに存在する。
彼ら無くして進展も後退もない。
多くの責任を押し付けられ、命が何ダースあっても足りないようなところに居続けることが大きな負担となる。
それを理解してくれる人がどれほどいるかなど、考えていても仕方がない。
だが、前線に送り込まれる兵士たちにとって、不安は絶えず隣り合わせで付き纏われるのだ。
7月1日、ソウル大陸バローラ港の襲撃に成功したソロモン連邦共和国軍は、バローラを占領し臨時の自軍拠点を形成する。
占領後は直ちに町の郊外に野戦滑走路の整地を始め、無理やりに飛行機が離着陸できる場所を作り始める。
一ヶ月もあれば輸送機の往来が出来るようになるだろう。
また、占領後にソロモン政府は艦隊を派遣して大陸侵攻の支援部隊と物資を送り込むことを決定している。
レイ大佐を筆頭に上陸した連邦軍が次なる作戦の為に進軍を再開したのは、7月11日のことだった。
敵地に少ない人数で乗り込み、かつ満足な補給路を確保できていない状態での戦闘。
彼らが殲滅されるような状況に陥れば、助かる見込みは極端に薄くなる。
表向きには、この大陸で戦いを起こす理由は、オーク大陸での戦闘に主戦力を投入させないためである。
しかし、当事者にも、また誰がどのように見ても、ソロモン連邦共和国のソウル大陸への戦線拡大は無謀とも思えた。


「レイ大佐。偵察部隊の情報によりますと、この先30キロ先にある河川地域に敵部隊が確認されております。戦力はこちらと拮抗するかこちらよりも少ない程度かと推定されます」

「防衛線か?」

「はい、恐らくは。主要街道へ通じる道の一つのようですので」


だが、たとえ無謀な作戦であったとしても、政府の決定には従わなければならない。
それが彼ら軍人として求められる当然の立場であった。
レイ大佐が中心となって組織されたソウル大陸侵攻部隊は、バローラ港の次に北上しながら侵攻を続けることとした。
彼らが最終的に目指すのはグランバートを降伏させるほどの損害を与えることだが、それにはグランバートの組織的な抵抗を封じるための攻勢をかける必要があった。
広大な王国領の中には、補給基地や駐屯基地は多数存在する。
その中でも、特にグランバート王国の基盤に影響を与えそうなのが、街周辺に隣接された陸軍や空軍の基地を占領することである。
街は経済の中心であり、防衛力が集中するのは疑いようもない。
まとまった戦力を潰していきながら北上を続ける。これが基本的な考え方であった。
しかし、無謀と言われる所以は、バローラから上陸した彼らの部隊では戦力が少なすぎるという点にある。
ソウル大陸の北部を継続的に侵攻するためには人員の補充も必要だ。
物資さえ確保できればそれなりの継続戦闘は出来るだろうが、人員の補充は現地では行えない。
その点、侵攻する側は常に不足と隣り合わせの戦いを強いられることになる。



「………かなり大きな河川だな。………いや、考え過ぎか」

レイは野営場で地図を確認しながらその報告を受けていた。
彼らは既にバローラを離れ進軍を続けている。
大きな河川を跨いだ先に敵部隊の布陣があることが確認されている。
一瞬彼の頭にとんでもない考えが過ったが、すぐに自ら封をした。
このまま進むのであれば、川に渡された橋の上を通る必要がある。
だが、恐らくこの橋は罠だろう。
正面から橋を渡っている最中に橋が落とされでもしたら、味方に甚大な被害が出る恐れがある。
逆に敵からすればこちらの侵攻を防ぐには橋を落とすのが一つの手だろう。
だが、何もこの河川地域を渡らなければ先に進めないということでもない。
大きく迂回する手もある。



「橋を通るのは難しいだろう。西側を大きく迂回して上流側へ向かい川を渡る。」
そしてレイが下した決断は、川を大きく迂回することだった。
河川地域は開けたエリアで視界は取りやすいが、それだけに奇襲を仕掛けるような術は持てない。
分かりきった橋の存在を素直に渡るよりも、上流で川の流れは変わるが大きさが極端に小さくなるポイントへ向かい、先へ進もうと考えたのだ。
レイが部隊の全体を統率する役割を担うので、彼の指示がそのまま部隊の行動に移される。
そのため彼の背負わされている現状の責任は多大なものであった。
彼が誤った判断を下せば、その所為で多くの人命が失われることも考えられる。

もっとも。
戦争の中にあっては、人命が失われるのを止めることは出来ない。
犠牲は出来る限り少ないほうがいい。
少ない犠牲の中で最大限の効果を発揮する手段を取る。
分かりきったことではあるが、それを確実に実行することが難しいのだ。



上流側、つまり大小あるが山地に彼らは近付く。
途中幾つかの抵抗を排除しながらも、彼らの部隊は山中で一度身を潜めることとした。
もうすぐ夜になる。
夜の中、地形も分からず土地勘のない人間が山を歩くなど自殺行為だ。
幸いこの山はそれほど大きなものでもないらしく、進行方向さえ間違えなければ抜けることも難しくないだろう。


「ここに入る前に取った味方からの情報ですが、第四艦隊がバローラ港の近くまで接近し、陸戦部隊を上陸させたようです」
「朗報と思いたいが、どこの部隊が?」
「第三師団の複数の部隊のようです。」


陸軍第三師団は主に南部のコルサント帝国に面する領域を管轄する部隊だ。
グランバート軍が侵攻を続けている北部の戦線とは無縁の地域に属する部隊であり、配置転換の影響は少ないと考えられる。
なるほど、この動きなら本格的に大陸侵攻を続けるつもりなのだろう。
レイはその話を聞いて即座に判断した。
中央の人たちが言うように、ソウル大陸での戦闘が本格化すれば、オーク大陸での戦闘にも影響が出る。
戦線が拡大できなくなるほど消耗が続けば、少なくとも中央やソロモンの主要都市への被害は軽減できるかもしれない。


「第三部隊と言うと、ヴォイチェク中佐の部隊だったか」
「はい、その通りです。」
「帝国領側の部隊を派遣して来られる状況にある、ということは………まあいいか。私たちの部隊と合流することは暫く無い。」


上の者たちがどう考えるかは分からないが、分散行動させつつ共通の目的へ向かい、最後には挟撃作戦を実施する。
これが出来れば最も理想的な形だろうとレイは考えていた。
敵地奥深くまで侵攻してそれが許される状況にあるかどうかは、この先進んでみなければ分からないことではあるが。
レイの率いる部隊はそれほど大規模な部隊編成ではない。
補給物資も今のところ不足するような事態には陥っていないが、物資というのは有ればあるだけ助かるものでもある。
そのため、彼らは大なり小なり敵の基地で戦力を掃討しつつそこにある物資を集めて繋いでいた。
現地調達に頼る部分が多かったのである。
グランバート側からすれば、レイたちが次にどのエリアに出現し攻勢をかけてくるかが分からない為に、それに対応する準備が遅れていた。
連邦軍からすればその状態こそが救いである。



「“ウィルムブルグ要塞”は、グランバート王国領の南部地方において最大の拠点です。要塞全体が五角形(ペンタゴン)の形状をしていて、その頂点には強力な砲台が設置されているとのことです。陸戦部隊だけではとても攻め切れません」

「航空戦力が必要になるな。爆弾を落としてくれるだけでもありがたい。けれどその前に、要塞に至るまでのルートを確保しておかなくては」


彼らのいる位置からウィルムブルグ要塞までの距離はおおよそ200キロほど。
ソウル大陸グランバート王国領の南部地方を代表とする要塞は、重厚で堅守を保つグランバートの主力基地の一つだ。
連邦軍は事前にこの情報を掴むことが出来ていて、ソウル大陸北部への侵攻にはこの要塞の攻略が一つの鍵になるだろうと考えていた。
ウィルムブルグ要塞は、外見が五角形の形状をしており、外壁が屹立して敵の侵入を阻む構造になっている。
無論、味方陣営の兵士たちも出入りをしなければならないので出入り口というものは存在するのだが、要塞のゲートは強固な防御壁で守られており、突き崩すのは容易では無い。
レイ大佐は、いずれはこの要塞も攻略しなければならないだろうと考えつつも、今の戦力状態ではこの要塞を陥落させるのはまず無理だろうと考えていた。
そのため、彼がしようとしていたことは、味方の増援部隊が呼応して侵攻するのとは別に、この要塞に通じる各主要街道上にある町や基地を制圧し、要塞そのものを孤立させようというものである。
要塞が孤立すれば、相手の消耗を強いることが出来、いずれ穴倉から出て来ざるを得なくなる。
あるいは、このまま包囲されている状況を打破しないということであれば、まとまった戦力が穴倉から出て来ないということで、進軍には好条件が整う。
要塞そのものを陥落させるのは、状況が整ってからと考えていた。


「………だが、それにはかなりの時間が必要となるだろう。出来るだけ早めに進めたいところではあるが………」
あまり時間を掛け過ぎても、こちらの部隊より遥かに多い敵兵力で攻め立てられれば、結局は後退せざるを得なくなる。
そうならないように早めに行動したいところだが、それにさえ限度はある。


「ひとまずは、目前の敵を倒し続けるしかないということですね。」
「ああ。そういうことだな」
「ところで、レイ大佐は元々こちらの出身なのでしょう?どちらなのですか?」


―――――――――――生憎だが、俺は生まれ故郷を知らない。育った故郷(ふるさと)はよく憶えている。



彼の生まれた時代もまた、戦乱の時代だった。
激しい戦いはそれぞれ三つの大陸で分散して発生し、多くの一般市民をも巻き込んだ戦いが連日のように繰り広げられていた。
互いにぶつかり合い、消耗し合い疲弊しては兵を退く。
それがまたぶつかり合って、また退く。
その繰り返しだった。
数多くの戦場を作る過程で、多くの人の命が失われた。
彼のように“出身地が不明”の人間は、実のところこの時代ではそう珍しいものでもなかった。
ただ、大体そのような話を聞く人間の立場からすれば、故郷も分からないなんて可哀想だ、と思うのである。
レイは生まれ故郷を知らない。
更に言えば、自分の両親が誰であったかも分からない。
どの男性と女性との間に生まれた子供なのかも分からない。
そういった境遇を持つ兵士だ。


「ラズール聖堂院と呼ばれる聖堂教会がこの地にある。小さい頃から俺はそこで育ったんだ。」
「へえ~、聖堂教会ですか!知ってます。凄腕の騎士ばかりが集うって」
「凄腕というのはどうかな。ただ、そこで剣を鍛えられたのは確かだ。」


遡った記憶で最も古いと思われるものでも、既に彼はラズール聖堂院で生活をしているという。
そのため、幼少期から長い時間をかけてそこで育てられ、同時に騎士団の一員になるための訓練を受けてきたのだ。
聖堂騎士団は軍にも属さない独立した組織で、対外的な行動を目的に作られた組織ではない。
即ち彼らは軍隊ではなく、聖堂教会に所属し聖堂院を防衛する守護者としての立場を取る。
神聖かつ厳格な立場を持つ聖堂騎士団はその呼び名があまりに有名であり、剣士を目指す者でこの聖堂院を訪れる者もいるという。
現在も聖堂騎士団は存続しており、公的な軍事機関などと比べれば私兵集団とも呼べる存在だが、他所に出て戦いを起こすこともなく、その存在は強大であるが利用されないものとなっている。
グランバート王国としても、聖堂教会の力を借りることも、彼らに干渉することもしていない。
その理由は明らかではないが、信仰の聖地という一面を持つこの地の様式に干渉しないようにしているのは、その存在が神聖なものであるから、という考えが一般的であった。


「…………10年前では、こちらの大陸であのカリウスと共に行動していたのでしょう?」
兵士の一人が、レイにそう話す。
誰もが知る事実の一つだ。
元々レイはこの大陸の人間で、聖堂騎士団の一員で、ラズール聖堂院の所属だった、というのはそれほど知られてはいない。
彼の出生については彼自身が知らないことも多いので、世間の一般とはなっていなかった。
だが、その後の彼の行動、彼の身の回りの出来事はあまりに有名な事実となっている。
今では敵同士だが、かつて共に時代の戦争を終わらせるために戦ったカリウスと、行動を共にしていたレイ。
あの時代最もカリウスの傍にいた男として、彼のことはよく分かっている。



「ああ。かつては共に戦った間柄だ」
「………なんて皮肉なことでしょうね。かつての戦友と戦わなくてはならないだなんて」
「…………そうだな。だが、いつの時代でもそういった事は起こり得る。自分の身に降りかかるものならば、逃れることは出来ないんだろう」


彼とは既に10年以上も再会していない。
10年前の最後の戦いが行われている最中、離れ離れとなった二人はそのまま再会することもなく、終戦を迎えた。
彼らが戦争終結に与えた影響力は計り知れないものだったが、戦っていたのは彼らだけではなく、敵味方が入り乱れる激しい戦いであった。
共に行動し戦っていれば、あるいは今は違った立場で関わり合っていたのかもしれない。
だが、それを今更振り返ったところで今の事実に変わりはない。
戦友として長い時間を過ごしてきた二人は、今は周りから見れば最大のライバルであり最も恐れられる敵同士となっている。
これまでの戦いであまりに有名になり過ぎた二人の友人同士が戦う。
戦争は、所属する国が異なればたとえ友人という間柄であったとしても、戦わなくてはならないのである。



「今の奴は、俺が知っている頃の奴とは違う。すべてを否定する訳ではないが、分かりきった敵に情けをかけることもない」



と、レイは冷淡な口調で話した。
もはや彼らとの間に友情はない。
かつての友は今の敵同士。
相容れない存在として、互いの立場を貫くのなら戦うしかない。
分かりきったことを捻じ曲げることはない、と。


「そういえば、“英雄たち”と呼ばれたそれ以外の友人とは、もう会っていないんですか?」
「おい、あんまり聞くもんじゃ………」


傍で年長者の兵士が質問した兵士を押さえようとするが、レイは自らその必要はないよ、と優しく答えた。
レイは自分が英雄と呼ばれていることを認識していても、それを良いことだと思ってはいない。
あのような戦いの中で英雄などという存在が生まれてしまったからこそ、今このような立場に立たされているのだから。
5人の若き英雄たち。
二人は国家の中心人物の一人として確認されているが、残る三人については所在すら明らかとされていなかった。


「今もどこかで生きている。それぞれの生活のもとで」
しかし、実のところ彼も他の友人たちの所在を知らないのだ。
…………一人を除いて。
敢えてその事実を語ることもなかったが、レイにとっては重々しい過去の記憶の一つだった。
世間的にも、カリウスとレイの二人は分かっても、残る三人がどこにいるのかが分からない、という人が多かった。
中には所在の知れない彼らを探そうとする人たちさえ現れるほど。
今もどこかで戦争の只中にいるのか、それとも離れて生活をしているのか。
今を知る者は殆どいない。
あるいは当事者たちにしてみれば、その方が良いのかもしれない。
余計な詮索はかえって過去の人間の今を乱すことになるだろうから。


「生きていてこの現状を見ているのなら、きっと………いや、そろそろ寝よう。明日も早い。戦闘もあるだろうから、休める時に休んでおいたほうがいい」


普通の兵士たちから見れば、上官の中でも特に影響力の大きいレイと話す機会など無い。
中には会うことさえ出来ない人たちも大勢いる。
その彼らに比べれば、こうして身近なところでレイという男の気質に触れることが出来たのは、良かったのかもしれない。
いまだ多くの兵士たち、多くの国の人たちにとって、英雄たちの一人であるレイはその実情が知られていない存在であり、多くの憶測や、時には行き過ぎた妄想を生んでしまう。
一般市民の前に姿を現すことのない英雄だが、少しでも彼の人となりが分かる時間が持てたことは、その兵士たちにとっては好感を持てるものであったという。
彼は自らそのような機会を作ろうとはしなかったが、時折そうして兵士たちと話すことはあった。
言葉を詰まらせ、その先を語らなかった彼が何を思っていたのか。
それはこの場の誰にも分かるものではなかった。



ソロモン連邦共和国軍の当面の目標は、グランバートの南部を管轄するウィルムブルグ要塞を陥落させることにある。
レイ大佐率いる部隊と、バローラ港から上陸した別の部隊の侵攻を合わせ、地上の支援を受けながら彼らは要塞を目指すことになる。
それでも要塞一つを攻略するのには、明らかに陸戦要員が足りない。
そのことは当事者たちが何よりも分かっていた。
グランバート軍としても、これら連邦軍の部隊の動きを出来るだけ調べ続けている。
どの程度の規模の部隊が侵攻を始めたのかを把握するために、あらゆる情報網を張り巡らせているのだ。
だが、どこで得た情報でも、その数はそれほど多いものではない。
グランバート軍の防衛拠点の要の一つを陥落させるには明らかに力不足だろう。


そうなると。
そうと分かっていながら進み続ける連邦軍は、単なる猪突猛進なのか、それとも裏に何かをひそめているのか。
不気味な思惑がそこにあるのではないかと、疑いを持つ人すらいたのだった。



………………。

第10話 想定外の出来事


もう一度ここに来ることになるとは思わなかった。
意外と私の中の世界はまだ狭いということか。
あるいは、この地に拡がる重力に私が引かれているということなのだろうか。

………それでも。
たとえ思い返すのも心苦しい過去であったとしても、それは過去のもの。
今の私を決める要因であったかもしれないが、これからの未来を定めたものではない。
生き続ける限り、あらゆる道が開けると信じて、前へ進むしかないのだから。


鉱山資源が豊富に眠るベレズスキで、出来るだけ多くの鉱物資源を回収していたオビリスク駐留基地所属部隊。
既に北部よりグランバート軍の上陸を許しており、オビリスク基地に留まることに意味がないと判断した司令官代理のラン・アーネルド大尉は、ベレズスキで出来るだけ多くの資源を回収しつつ、更に南下して敵部隊の攻勢に備えようとしていた。
輸送部隊の到着で物資を後送することが出来た後、彼らはベレズスキを離れることとなった。
この村で育ったナタリアにとって、この村は苦い過去が沢山眠る土地だ。
記憶を消したいと思うほどではないが、あまり思い返したくないことが多い。
しかし、離れる日が確定しその日を迎えた時の彼女の心情は、自分が思っていた以上に複雑なものであった。
あの日の夜、ツバサと話して、少し考えが変わった。
誰にだってそういう過去の一つや二つはある。
忘れることは出来るかもしれない。いつかは思い返さない日が来るかもしれない。
しかし、だからといって、その事実が消えることはない。
一度起きてしまった事実は、どこかの記憶の中で生き続ける。
本人の中か、それを目撃した者の中か、あるいはそこにある大地か。
思い出したくもない過去かもしれない。
けれど、過去は過去のまま、事実を覆すことは出来ない。
でも、そういう過去が一つ二つあっても不思議なことではないし、寧ろ当たり前のことだろうと。
それでも前を向いて歩む足があるのなら、これからも地に足ついて踏み歩いていくことが出来るだろう。
そう信じて、今は進むしかない。
彼との何気ない会話のおかげで、考え方が少しだけ変わった。
過去を引きずらないというのは難しいのかもしれないが、酷く重々しく考えようとする心は、少しだけ変わるだろう。


この日以降、彼女の中で彼に対する考え方が一つ変わることになる。
考えというよりは、想い方とでも言うべきだろうか。
ハッキリとした性格だが“その辺”は鈍感な、彼に対するものの一つとして。



ベレズスキの廃村を後にしたスヴェール地方オビリスク駐留基地所属の陸戦部隊は、南下を続けヤルヴィンまでの行程を進めていく。
シュメリやパルザン港から南部に進み、山々を越えた先にある都市ヤルヴィン。
オビリスクからでは、ベレズスキの山岳地帯を抜け、平野部に入った後西側へ進路を取ることになる。
鉱山の資源を送りつつ、彼らは大型車両でヤルヴィンまでの道を進み続けていた。
たとえ車両があっても道は狭く険しいところが多かったため、その行程は時間を要した。
また、車も燃料を補給しつつ整備をしながら進めていかなければならない。
充分な物資が手元にある訳でもなく、車両の故障と付き合いながら時間を掛けて進むしかなかった。


「ちぇっ、まさか車両を置いていかなきゃならねえなんてよ」
「仕方がない。それに、僕たちはまだ若い。車について行かずとも、歩いていくには充分な体力があると思われている」
「でもいざ戦闘ってなったら、疲れてなんも出来ないかもしれねえじゃん?」
「既に内陸に差し掛かっている。たぶん大丈夫さ」


そして運悪く、ツバサ等を乗せたトラックが山岳部の下りで脱輪し、車両の足回りを破断させてしまうというアクシデントが発生した。
傾斜に捕まれば最悪彼らは斜面に放り出されてしまっていただろうが、ドライバーの機転で何とか踏みとどまることが出来た。
しかし、そのおかげで車両は酷く破損し、使い物にならない状態となってしまった。
下りもほぼ終わりに差し掛かり、平野部が拡がる光景が目の前まで見えてきている。
ヤルヴィン基地まではまだかなり遠いが、新たな車両を呼んでいる時間は無い。
結局彼らは重たい武装は他の車両に乗せて、歩いて移動することになった。
こういったトラブルは、陸軍の間ではそれほど珍しいことでもないらしい。
特に車などという画期的な発明は最近ようやく開発が進められてきたばかりであり、構造は簡単だが壊れやすいという性質を持つ。
彼らだけが車を失った形だが、彼らだけを置いて先にいく訳にもいかないので、部隊を二つに分けて進むことにした。
内陸部にいる彼らが敵の攻勢に遭うことはほぼ無いだろうという可能性をもとに、ヴェスパー・シュナイダーによって指示されたものである。


「それだけ元気なら大丈夫だ、若いの」
「え?そっか?」
「おうさ。若いのは元気が一番!」


ツバサとレオニスが他愛ない話をしている隣では、少しだけ穏やかな表情を浮かばせながら無言でナタリアが歩く。
彼らの会話を周囲で聞いている大人たちも混ざって、不思議な空間が生まれていた。
ラン・アーネルド司令官代理が先行し、ヴェスパー・シュナイダーが後方の部隊を率いる。
兵士たちも思っている通り、ここは連邦領内でしかも内陸部。
東側の海岸部には少し近いが、内陸である限り敵の海軍からの攻撃は受けないだろう。
そして、これだけ広大な土地の中でこの勢力の部隊をピンポイントに狙うのは不可能に近い。



―――――――――――誰よりも彼らがそう信じていた。



不思議なものである。
人間とは安全圏内にいる時、あらゆる起こり得る可能性を排除して安全という盾の内側で安心を得るものである。
当然といえば当然だろう。
ここが安全圏であることが分かっている時、そんな雰囲気を寄せ付けず周囲を警戒し続ける人がいるのなら、かえって怪しまれる。
周りの雰囲気もあるだろう。
ここにいれば大丈夫、問題ない。
その雰囲気や言葉の数々に、心が安らぐこともあるだろう。
だが、えてしてそういう時に起こり得ぬ事態が襲い掛かると、いとも容易く混乱し崩れていくものである。


「よし、ここらで休憩にしよう!みんな休めー!」
シュナイダーが車を止めさせ、歩いていた者は水分を補給しつつ休憩を取り始める。
山を下り終えてから暫く時間が経過している。
今は午後の時間帯。
あと数時間もすれば日が暮れ始めるだろう。
どのみち今日ヤルヴィンに辿り着くのは不可能だし、日が暮れれば足を止めて野営しなければならない。
まだ暫くはこうした生活が続くことだろう。


「へえ、そうなのか。ツバサはタヒチ村出身なんだな」
「ああ!小さい村だがめっちゃ良いところなんだ」
「意外とここから近いんじゃないか?南東に行ったところか」
「そうだな~、車で走り続ければ一日かからずに行けるんじゃないかなって思うよ」


二つに分けられた部隊はそのおかげかそれほど多くの人員では構成されない部隊となっている。
本来二つに分ける必要が無い状態ではあるが、トラブルによる対応のため致し方なく分散行動を実行している。
ツバサやナタリアはまだ新兵であり、新兵だということを理由に経験のある兵士たちから雑用を任されたり、苦労事を押し付けられたりすることもある。
普通の人であれば、それが理不尽なことだと思い始めれば苦痛に感じるだろうが、ツバサはそうは思わなかった。
彼は彼なりに出来ることを続け、周囲から認められようと努力していた。
それが多少の汚れ仕事であったとしても、言われたものはきちんとこなす、自分からも行動する、ということを心掛けていた。
オビリスク駐留基地に配属になってまだ一ヶ月も経っていないが、少しずつそのような姿は知られ始め、気の利く新兵がいるとかなんとか色々言われ始めている。
彼の名前を一気に広めたのは、やはりこちらの大陸に上陸してきた敵の偵察部隊を排除したことからだろう。
かつて所属していた士官学校で事件を解決するために殺しをした、ということを知る者は少ない。
知っている者は彼の行動がどれほど的確であったかを既に理解し認めている。
少しずつではあるが、彼の存在を知る者が増え始めていた。
若い青年兵士の中では、頭角を現し始めた一人と言っても良いだろう。


「ツバサの故郷がこの近くにあるのですか?」
他の大人たちやレオニスと話をしていたところ、突然ナタリアが入り込んでそんなことを聞いてきた。
ナタリアはツバサの出身地を話の中で聞いたことはあるが、実際それがどこにあるのかは把握していなかった。
調べたこともあったが、今いる位置とタヒチ村が近いということは知らなかったのである。


「え?お、おう!まあ近くかどうかはちょいと悩みどころだけど」
「そうなのですか。一度見てみたいものです。貴方という人間がどのような土地で過ごしたのかを」
「えー、いいよそんなもん。ほのぼのした、ただの村だって」



彼女は、ツバサの言う故郷の話を注目して聞いていた。
ツバサは全く気付いていなかったが、他の人たちから見れば、彼の話を誰よりも彼女が一番食い入るように聞いていたと見えるだろう。
それには理由がある。あるのだろうが、ツバサは気付いていないし、他の人がその場で何か言うことはなかった。
少しだけ彼の故郷の話が出たが、その後は別の話題に切り替わった。
実はこの時話題を切り替えたのはツバサだった。
もしツバサの話が更に盛り上がり、その場にいる他の人たちの故郷の話に移り変われば、ナタリアがあまり良い思いをしないだろう。
これは彼が彼女に対して少し配慮した結果であった。
他愛のない話で休憩を取り、20分程度。
シュナイダーが休憩から起き上がって、行動再開を合図しようとした、その時。


突如、彼らを覆っていた平穏な空気は、一発の大きな音と衝撃によって崩れ去る。



「な、なんだ!?」
「爆発!!?」

突如周辺で爆発が一度発生し、激しい衝撃が彼らを襲った。
その衝撃で倒れ込む兵士が複数いたほどの衝撃の強さである。
砂利で爆発が発生したためか、無数の石が弾丸の如く彼らに襲い掛かって来る。
続いて二発目。
より近い距離で爆発が発生し、一部の兵士たちが直撃を受けるなど、巻き込まれる。
さらに続いて三発目。
そこでようやく彼らは進行方向から見て左側、地図で言えば東側から砲撃を受けたことを察する。
立て続けに四発の爆発。
その正体は、間違いなく砲弾によるものだった。


「稜線の奥に人影があるぞ!!」
撃たれた側をすぐに察知したツバサはすぐに左方向を見て、こちらから見て稜線となっている丘陵の奥に人の集団がいるのを確認した。
そしてそのように叫ぶ。
その声を聞いた部隊の兵士たちが、揃って同じ方向を見て視認する。


「固まるな!分散して“敵”を迎撃しろ!!」
ヴェスパー・シュナイダーがすぐに各兵士たちに指示を飛ばす。
さらに部隊長のヌボラーリ少尉がそれを復唱して、行動させる。
あまりに突然の出来事で、混乱する兵士たちが大勢いた。
中でも新兵たちは驚きを隠せないこと以上に足が竦んでしまっている者もいた。
しかし、その中でもツバサやナタリアは動じることはあっても、足を止めず動き続けた。
そして攻撃を行ってきた明確な敵に向かって駆け始める。
稜線の向こう側に潜んでいた敵がどの程度の数か、今はまだ把握できない。
しかし、こちらの存在に気付き、持っていた自前の移動砲台で攻撃をしてきたに違いない。
このまま固まり続けていては格好の的だし、近づかなければ狙い撃ちされ続ける。
彼らに出来る最大の防御は、この瞬間に攻めることだった。


「なんだってこんな場所に敵が…………ッ!!?」
「とにかく今は敵を倒すことに集中しよう………!!」


それは誰もが思うことであった。
誰もがここのエリアは安全だと信じていただろう。
何しろここは内陸に入り込んだ場所。
確かに東側の海岸にはほど近いところにはいるが、それでも100キロ以上は離れている。
こんなところに敵がいるはずがない、という彼らの統一された考えはいとも容易く打ち破られた。
その要因を探るよりも、今はとにかく目の前の敵を倒すことに集中する。
レオニスの言葉で焦りから冷静さを取り戻した彼ら。
稜線に接近するまでひたすら砲弾を撃ち込まれ、幾人もの味方が吹き飛ばされていく。


「クッ………!!」
守ったら負ける。
とにかく前へ進んで相手の懐に入る。
そうなれば、あとは接近戦で戦うことが出来る。
少なくとも一方的に殺されることはない。
稜線を越えた先、敵部隊を発見し交戦状態に入る。
しかし敵の数は自分たちよりも半分程度なもので、一方的に先制されたが近接戦闘では逆に相手を圧倒した。
特に先陣を切ったツバサ、ナタリア、レオニス、オルガの4名が最も戦果を挙げた。


「…………これは…………」
ヴェスパー・シュナイダーが少し後方でその様子を見ていた。
多くの兵士たちが戦場に駆けつけ、自分たちを攻撃した明確な敵を倒している。
一人ひとりの動きを目で追えるほど少ない人数の編成ではない。
だが、その中でも一部の人たちは際立ってその能力を発揮しているように、彼には見えた。
彼は素直に驚いたのである。
“士官学校内での爆破事件を解決させた少年が入って来る”という話は聞いていた。
その少年は新兵であり、まだ子供の年齢だ。
もはや子供の年齢だから、という固定概念は取り払わなければならないのかもしれない。
第七師団のアルヴェール少将は、新兵は後方勤務をさせるようにという話をしていた。
自分たちはそれを無視する形で新兵まで戦線に投入している。
もとより自分たちの部隊に余剰戦力など一切なく、長距離移動をしながら敵の攻勢を受けている。
一人でも多くの手を借りたいのが現状だ。
その中で、決して満足に戦える状況でない中で、あの少年は、あの少年と同じ分隊は、驚くべき戦果を挙げている。


彼らが無理やりにこの立場になってしまった者ならば、望ましくない結末を迎える前にどうにかしてやりたい。
ただ、これが彼らの望むことならば。
たとえ新兵であっても、一人でも多く戦場に投入し戦ってもらいたい。


敵部隊の強襲により十数名が犠牲となった。
特に一方的に砲弾を撃ち込まれて直撃を受けたり、爆発で吹き飛ばされた兵士が戦死した。


「…………ッ」
「まさかこんなところで仕掛けてくるとはな………」


倒した敵の所持品を確認すると、グランバート軍の紋章があり、彼らの立場はすぐに明らかとなった。
敵は30名にも満たない少数部隊であったが、携行可能な移動砲台を持っており、この戦力でも武器を持たない村や町を制圧することは可能だろう。
しかも敵部隊は、こちらの移動する姿を確認し、稜線に隠れつつ砲撃を加えてきた。
先回りしてルート上にいたか、あるいは偶然に遭遇したのか。
いずれにせよ確かに言えることがある。


「敵は僕たちを追ってきたのではない。別方向から既に侵入されている。それも、ここより東側から。」
そのようにレオニス伍長は話した。
他の兵士たちも同様の考えを持っていて、ヴェスパー・シュナイダーもそのように考えていた。
自分たちはベレズスキからヤルヴィンまでの山岳地帯を抜けてきているが、別方向から敵の侵入を許している。
考えられるのは一つしかない。
北部から侵入された敵が攻撃して来るのであれば、自分たちより先回りする可能性は低い。
―――――――――――――――今会敵した敵は、この大陸の東側から既に上陸している。
どの程度侵攻を許しているのか、今すぐに確認する術はない。
30人程度の小隊が各地に散らばっているのだとしたら、この先も敵との交戦は充分に考えられるし、敵に占領された土地もあるに違いない。
ヴェスパー・シュナイダーはすぐに交戦報告を、先攻するラン・アーネルドの部隊に入れる。


「ラン大尉、敵は恐らく東側の沿岸部からも侵入し始めています。このままじゃヤルヴィンも包囲される可能性があります」

『そうだろうね。我々もここに留まるのは孤立を招く可能性がある。………誰か近くで行動中の部隊はいないものかな。合流できれば戦力としては充分なんだけど』

「まさか輸送部隊を呼び戻す訳にもいかないし、敵がどこにいるか分からないんじゃあ厄介ですね」


ランは、部隊が各所で殲滅される危険を考え、出来るだけ集団で大きな戦力として行動することを望んだ。
今はトラックのトラブルで二手に分かれている彼らではあったが、敵と会敵して今後も接触の可能性があることを考えると、たとえトラブル状態であっても二手に分かれるべきではないと考えを改めたのだ。
とはいっても、お互いの部隊はそれほど遠い位置にいる訳では無い。数時間程度で合流できるだろう。
しかしそれだけではなく、もっと他に行動している部隊が無いかどうかを確かめたいと思っていたのだ。
今後敵がどのように動くかまだ分からない。
さらに襲撃に遭う可能性も否定できない。
まずは近くの部隊を合流させると同時に、すぐに近くの地域で行動をしている部隊が無いかどうか問い合わせをした。
すると、更なる情報が彼らに舞い込んでくる。


「シュナイダー少尉。タヒチ州の州軍部隊が東海岸近くでグランバート軍の動きを掴んだらしく、オルドニア州の一部の部隊と合流して迎撃に向かったようです」

「タヒチとオルドニアか………どちらもここから100キロはあるな。だが、確かに一番近い条件ではあるか」


南東方向に100キロ以上進んだところにある、タヒチ州。
南から南西方向に同じく100キロ以上進んだところにある、オルドニア州。
両州の面積で言えば圧倒的にオルドニア州の方が広く、また栄えているのだが、タヒチ州はソロモン連邦共和国領土の最東端を持つ土地であり、戦略上軽視できない部分もある。
そこにグランバート軍の上陸を確認したオルドニア州軍部隊が、既に迎撃の用意をしているという情報が入った。
ここまでの情報を振り返ると、敵は北部のシュメリ、パルザン港に大規模な攻勢を仕掛けた一方で、アスカンタ大陸南岸部から大きく右に舵を取り、東部からの侵入も果たしている。
タヒチ州は一部の地域を除いては船の停泊が可能な漁村もあるので、そこにさえ辿り着ければ上陸することは難しくないだろう。



「なんだって!!!?」
「!!」



そんな報告が届けられた時、急に物凄い大きな声で反応した男がいた。
周囲にいる兵士たちは皆それに驚き、男のほうを見る。
馬鹿デカイ声を出したのは、ツバサだ。
理由はただ一つ。


「―――――――――――タヒチ州には俺の故郷があるんだ!!!」



ツバサ…………?
隣にいたナタリアが表情を僅かに崩し、彼の表情を見た。
彼の表情は、全く余裕のない焦燥を感じられるものであった。
ナタリアはそんな彼の表情を始めて見た。
そして同時にその反応の真意を理解していた。
タヒチ州のタヒチ村。
そこがツバサという男の故郷。育った環境がある土地。
形は違えど、似たような経験がある彼女にとって、その真意は我がことのように胸を締め付けられるものであった。
タヒチ州という名前の発祥の地ともされるタヒチ村は、東端に位置する農村の一つ。
この村に戦略的な意味はさほどないのだが、少年ツバサにとってそんなものは関係ない。



「シュナイダー少尉!!すぐにタヒチ州に行きましょう!!」
「お、おい…………」


そしてこの時のツバサは冷静さを欠いていた。
誰がどのように見てもそう判断されたであろう。
しかしそれも無理のないことなのかもしれない。
自分の故郷が窮地に立たされているのだとしたら、そして“民たちを守ることの出来る立場にいる”者からすれば、
黙ってその状況を見過ごすことなど出来るはずがない。
ツバサの気持ちは、僅か数個の言葉だけを聞いた周りの兵士たちですら、察するものがあった。



「州軍は独立組織みてえなもんだろ!?州軍だけじゃ満足に戦えない、俺たちがいれば心強い味方になるし、合流できりゃ戦力にもなる!!」
「まあ、確かに州軍の様式はそれに近いものだが………」



周りの人たちはその光景を珍しいように捉えたが、ヴェスパー・シュナイダーがツバサという少年兵に詰め寄られたことで、同軍の味方ではあるが少年に圧倒されてしまっていた。
この場においては前線を指揮する立場にあるのだが、ある意味では滅多に見られないものだっただろう。



「待てツバサ下士官。貴官の気持ちが分からない訳ではないが、その目的の主な部分は自分の故郷を守りたいがためのものだろう。軍務に過剰な私情を持ちこむものではない」

「…………なんだと…………ッ!!?」


焦りを隠せずに言葉を連ねるツバサを、上官であるヌボラーリ少尉が言葉で押さえつける。
ツバサの言葉の数々でシュナイダーが少したじろいではいるが、それで判断を曇らせるような人では無いだろうというのが、一方の視方である。
ヌボラーリの言葉は至極真っ当なものではあるし、軍務に則っているものではあるが、それだけにツバサは激昂した。
当たり前に思うだろう気持ちを封じられそうになったのだから。


「判断は上が決めることだ。新兵はその決定を座して待つことだ。いいな」
「私情で何が悪いんだよ!?自分たちの故郷や領土を守りたいって気持ちのどこが悪いんだよ!!?」
「私情は個人のものであって部隊の総意ではない。自分の内で持つのは構わないが周りを乱す言動は慎め」
「何をッ!!」


しかし、ヌボラーリの言うことが分からない彼ではない。
だからこそ、尚更やり場のない怒りを募らせてしまっているのだろう。
今にも掴みかかりそうになるツバサを制止させたのは、すぐ隣にいたナタリアだった。
彼の前に入って行動を止めさせる。
その時の周りの兵士たちの表情は、誰もが驚いたようなものであった。
激昂するツバサと忠告を下すヌボラーリ。
そしてそれを静かに見つめるシュナイダーに、通信機越しに話を聞いているラン・アーネルドら。
ナタリアがツバサの前に割って立った時点で、彼は一度冷静さを取り戻して引き下がった。
上官に対しこうも強い口調で詰め寄ろうとするのは、彼ぐらいなものだろう。
と、誰もがそう思ったのだ。


『ツバサくん、その辺にしておいて欲しい。気持ちはよく分かる。何も君のため、ということではないが、君も言うように州兵たちだけでは正規軍の相手が務まるかどうかは分からない。それに、オルドニアの州軍も増援に向かったのであれば、彼らと共闘出来れば戦力の拡充にもなる。したがって我々は合流し次第、情報を集めつつ南下し、州軍兵士の増援に向かう。タヒチ州で既に敵の存在が確認されている。事は急を要するから、シュナイダーの部隊は先攻して欲しい。我々の足なら後からでも合流できる』

「了解!ようし全部隊進路変更、南東部タヒチ州へ急ぐぞ」


その場の落ち着きを取り戻させたのは、通信機越しに話した司令官代理のラン・アーネルドであった。
彼はツバサの気持ちも理解しつつ、一方でツバサが話したように州兵の欠点を把握していた。
州兵も軍の組織ではあるのだが、州兵は各自治領を防衛する独自の形態を持つ組織であり、連邦軍とは少し異なる。
ただ、州兵全員が独立した組織かと言われればそうでもなく、出向や管理という一面で連邦軍から監督者や実戦部隊が送られることもある。
タヒチ州は規模の小さい州であり、大きな街を持つ州でもない。
それだけに、州軍の規模は小さめでグランバートの正規軍と戦えば無事で済まないことは容易に想像が出来た。
そのため、ツバサの気持ちを汲み取る訳ではないが、彼らも貴重な戦力であり防衛する必要はあるだろうと判断し、ランは方針を転換した。
東側の上陸した部隊をある程度叩くことが出来れば、ヤルヴィンに敵が押し寄せたとしてもその勢力を低下させることも出来るだろう。


「大したもんだなオイ………」
「よく上官に物言えたものだね」


「―――――――――――――――。」
周囲の幾つかの冷ややかな声が彼の耳にも入ってきたが、彼は一切振り向くことはしなかった。
表情は冷静さを取り戻しているが、今も身体の内側は猛烈な熱さを感じている。


「ツバサ…………」



一刻も早く村に戻りたい。
もしかしたら、村が襲われているかもしれない。
敵が来るというのなら、戦わなければならない。



―――――――――――『私はね、どこかで苦しんでいる人たちの為に、戦いに行くんだ』


村が襲われでもしたら、苦しむ人が出るどころの話ではない。
あの村に自衛出来る手段はない。
失われる命が多くあることだろう。
なんとかそれだけは阻止したい。それに。



……………お願いだ、無事で居てくれよな………レン、ツバサ、ソロウ、それに、みんな…………ッ!!


ナタリアも、他の兵士たちも、これほど取り乱したツバサを見たことが無かった。
彼は武勲を上げるという面でも、また個人的なメンタリティの表出という点でも、徐々にオルドニアの部隊の中では目立ち始めた存在だ。
今回の一幕でそれがより広まったと言っても良いだろう。
だが、多くの兵士たちの見方は、故郷が失われる可能性がある少年に対する、同情のようなものであった。
助けられるものなら助けたい。
しかし、兵士たちの多くは、心の底から間に合うとは思っていなかった。
きっとこの少年の願いは叶えられないだろう、と。
自分たちの部隊が敵に負けるとはじめから決めてかかっている訳では無い。
州兵たちでは正規軍と戦っても勝てない。
そう考えていたからこそ、そのような気持ちに早くも同情したのだ。
タヒチ州の州内には100キロほどで到達できる。道なき道のような砂利の上を進むうえ、トラックに乗りきらない兵士たちも同行するので、夜を過ごして明日の日中には辿り着くだろうと予測した。
昼間の情報を手にして以後、ツバサは自分から言葉を発することなく、険し気な表情で考え込むようになった。



「………………」
それも、仕方のないことだろう。
故郷が無くなるかもしれない状態で、いつものツバサが引き出されるとは思えない。
周囲も気を遣って彼に話しかけようとはしなかった。
それは、夜の野営中も同じことだった。



「――――――――――――――。」
彼にとっても、自分たちにとっても、危機的状況を迎えているというのに、
どうしてこう、空はいつもと変わらない姿を見せてくれるのだろう。
それを問うのは愚問というもの。
答えられるものは誰もいない。
ただその問いは、その空を見た者の感傷から生み出たものでしかない。
ナタリアは、夜空に浮かぶ星々を眺めながら、一人野営場から少しだけ離れてそれを眺めていた。



今、自分に出来ることは、何だろう。



晴れた日の夜空はいつもと変わらず、小さな光を輝かしく散りばめている。
変わるのは、いつも地上に足をつけている彼らや彼らを取り巻く環境ばかりだ。
恨んでも悔やんでも始まらないし、変えられない。
自分に出来ることは、数少ない。
けれど、その数少ないことでも、出来るだけ彼のためになることがしたい。
彼はきっと、今苦しんでいる。
この先もっと酷な状況が訪れるかもしれない。
そうならないことに越したことはないけれど、どうなるかは分からない。


…………彼の為にも、そこに住まう者たちを守る為に、戦わなくては。


明日はきっと、何かと重たい一日になる。
自分も、覚悟をしなければ―――――――――――――。
ナタリアは明日間違いなく起こるであろう戦いに、色々な想いを含ませた覚悟を胸に決める。
出来ることなら、彼の辛そうな姿を見たくはない。
共に回避できればいいと思っている。


だが、そんな彼女の望みとは裏腹に、事態はより一層淀みを増していくのだった。



………………。

第11話 故郷との別離


グランバート軍、オーク大陸北東部の東海岸に上陸。


7月中旬になり、グランバート軍は各地で上陸作戦を決行していた。
オーク大陸で最初の烽火が上がったのは北部のシュメリ、パルザンであったが、グランバート軍は人目につきにくい地域を狙っては、次々と上陸し始めていたのだ。
北部と東部に上陸をし始めたグランバート軍は、各地で制圧活動を開始し占領地を増やしつつあった。
占領地を維持するためには兵力も必要だし、補給も必要となる。
そこで、グランバート軍は占領地に残る一般市民や捕虜を後送し、特定の複数個所で受け入れるようにした。
地元民を無人化させることで、兵力を割かずとも土地を掌握できるというメリットがある。
デメリットは、連邦軍がその裏をかいて占領地に攻め入った際には、あっけなく奪還されてしまうということだろう。
敵に占領地の情報が知られれば、裏を取られる危険性もある。
だが、連邦軍もそう簡単に裏を取ることは出来なかった。
占領された地域には必ず敵軍がいると分かっていて、その懐に飛び込むことは出来なかった。
戦力差も分からず、状況も不明瞭のままでは自殺行為だと考えたのである。
そのため、結局はグランバートの攻勢が有利な状況を作り出し、逆に広大な領土を持ちそれをカバーできない連邦軍が後退を続けるという構図が固定化されてしまっている。


「タヒチ州ソルメニライチ通過。タヒチ村まで到着予想30分後」


はじめからその欠点を曝け出しているソロモン連邦共和国。
国土の大半が辺境地域となり、『中央』と呼ばれるオークランド州ばかりが栄えている。
いつの時代か、数え切れない時を過ごした後で、大陸の多くが砂漠化したとしても、中央部は生き残るだろう。
それもこの国がその時代まで生き永らえているとしたら、の話だが。
タヒチ州は辺境の東端に位置する州であり、複数の村や漁村がある他、賑わいを持つ規模の大きい町が二つある。
規模が大きいと言っても、オルドニア州のどの町よりも小さく、人口も数万人程度のものである。
彼らにとってのコミュニティは小さきものだが、それでも生活するのに苦労することは少ない。
ある程度のものは自分たちで揃えられるし、農村の多いこの州は自給自足の意識が非常に高い。
村の郊外は農地や田園が広がり、実にのどかな景色を演出する。



―――――――――――――しかし、その平穏は音を立てて崩れた。



最東端のタヒチ州に上陸したグランバート軍は、少数ながらも武力を以て侵攻を始めた。
タヒチ州には軍事拠点は一つもなく、精々州の自警団がいる程度のものである。
グランバート軍がタヒチ州に上陸したことを知ったタヒチ州と隣のオルドニア州は、直ちに東端に向けて迎撃部隊を派遣した。
タヒチ州の戦力ではグランバートの正規軍を足止めするどころか、倒すことは出来ないだろう。
オルドニアには士官学校があり、正規兵も駐留しているので、戦力としては充分役に立つ。
敵の戦力にもよるが、一方的な展開を強いられることは無いだろうと判断した。
だが、味方の部隊が到着するまでの間、グランバート軍にある意味では蹂躙されることになるだろう。
タヒチ州の被害は軽視できないものとなるに違いない。



「っ………………」
「………落ち着いて下さい、ツバサ。次の戦いでは必ず貴方が重要な役割を担うことになる」
「分かってるけどよ………!」


幾つか通り過ぎた村は、既にひと気が無いものばかりだった。
本来であれば農村で働く民たちがいても不思議では無い。
だが、そのような様子はどこにも無かった。
そこに住まう者は既に連れ去られてしまったのか、あるいはそれを逃れる為に故郷を離れたのか。
いずれにせよ、派遣されているはずのオルドニアやタヒチの州兵たちと合流しなければならない。
そのために、彼らはタヒチ村へと急いだ。
そこが一応の合流ポイントと定められたからである。
“ひと気が無いのは、既にここが廃村と化してしまったからではないだろうか”
だとしたら、これから向かうタヒチ村もそうなっている可能性は充分にある。
その思いが、余計にツバサに焦りを浮かばせてしまっていた。
額に汗を流しながら、最悪の展開がどうか起こらないでほしいと、心の底から願い続けた。
味方の情報連絡が無ければ、ラン司令官代理の機転が無ければ、こうして自分の故郷の窮地を救うために行軍することも無かったかもしれない。


「出来るだけ加勢してやる。まだこれからだ少年!」
「死に急ぐなよ?」


共に車に乗る大人の兵士たちも、彼のそうした表情を見て、落ち着かせようとしたのか、言葉をかけていた。
そのどれもがツバサの耳に届いていたが、その言葉だけで彼の気持ちが和らぐようなものでもなかったのは事実だ。
仕方がないと言えばそうなるだろう。
だがそれも無理のないことではある。
故郷が死を迎えるかもしれないという状況では、落ち着けと言われるほうが無理なものである。



「…………間に合ってくれ…………!!」




苦しむ者の為に戦う。
そんな父の言葉を、今も彼は憶えている。
彼は10年前の戦争で両親が行方不明になってから、村の人たちみんなに育てられた。
両親との記憶はそれほど多くある訳ではない。
断片的な記憶ばかりが思い浮かぶ。
その中でも幾つかのものは、今でもハッキリと思い出すことの出来る記憶だ。
彼の記憶の多くを占めるのは、村のみんなと面識を持って関わった、多くの時間だ。
多くの友人と出会い、自分自身を鍛える術を身に着け、一人でも生活が出来るほどの知恵を授かった。
村には多大な恩がある。
彼の思考が父と似始めたのは、そういう生活環境があったからなのかもしれない。
いつの日か戦争が起これば、ここが戦いの場となってしまえば、一体誰がここを守れるのだろうか。
自分でも戦える力が欲しい。人を生かす為に。
そうして彼は、自らを鍛え始め、村一番の元気な実力者となった。
もしこの村で生活を続け、いつの日かそういう機会が来てしまった時には、先頭に立ってこの村を守ろう。
そう思っていた頃もあった。
今はその思いに留まらず、多くの武器を持たない民たちを守る立場を手にした。
数奇な運命だろう。
故郷を離れた者が、故郷を守る為に偶然にも戻って来るというのは。



「―――――――――――――!!?」
だが、運命は無情にも彼らに現実を叩き付ける。



「火の手が上がっている………?」
「戦闘の痕跡だ、しかもまだそれほど経っていないぞ」

「全部隊停止、降車!!」


彼にとっても、また他の兵士たちにとっても共通の認識だった。
戦闘による痕跡。
小さな村が至る所で火の手を上げている。
近付くにつれて煙が立ち昇るのがハッキリと見え、彼らはそれに近づく。
シュナイダーの指示で直ちに部隊が展開された。
この時点で既にラン司令官代理の部隊とも合流している。
そこに拡がる光景はまさに惨状そのもの。
いまだに激しく燃え盛る炎が至る所で確認できる。



「………………」
「っ……………」



地獄の業火のようだった。
ついこの間までこの村で皆と共に過ごしていた。
今もハッキリとその感覚は憶えているし、幾つもの過ごした時間を思い返すことが出来る。
当たり前の故郷で、当たり前の光景だったはずなのに。
ツバサはその光景を見て、自らの内から沸き立つものをハッキリと感じた。
少しだけ歩を進める。
村の居住区画も激しく荒らされていて、幾つもの死体が転がっている。
グランバート軍のものと、州兵と思わしきもの。
更には、一般市民、つまりは村民のものと思われる死体もある。
ここで激しい戦闘がつい先刻まで起こっていたのだろう。



「っ……………!!!」
そして彼は見つけてしまった。
自分の目を疑いたくなるような姿を。
狭い村で、皆が知り合いという和気あいあいとした環境だ。
知人は多い。殆どの人と知り合いなのだ。
だからこそ、それが分かる彼が最も辛い立場だったのかもしれない。
ここがツバサの故郷であると知った兵士たちも、彼の背中を見て複雑な心境を持つ。
幾人もの人が黒焦げになっている。
判別できないものもいくつかある。
だが、彼の足元に横たわる亡骸は、その顔を見て誰だか分かった。
同じ学校に通っていて、彼の先輩女学生であった、アデル。
“そんな”と、彼は音を漏らす。



「…………グランバート軍め、州兵を一掃するために火を放つとは………」



レオニスには冷静な分析が出来ていた。
他の上官たちも同じく、州兵との接触で敵を一掃するために火を放ったという結論が出ていた。
だが、火の手が上がれば彼らの考えとは裏腹に、見境なく燃え始めるものだ。
炎は一度燃え上がってしまえば、消し難くなる道理。
消火の用意が無ければ、燃やし尽くされるまで立ち昇ることだろう。
そして。



『………ぜってえ認めねえ!!これが人間のすることかよ!!!!!??』


かつての友人の亡骸を前に、彼は激昂した。
あらゆる環境音を跳ね除けて響き渡った少年の声は、どれほど勇ましく、どれほど虚しいものであっただろう。
彼は最悪の事態の中で実感した。
人間は戦争の中で際限なく狂気を興す。
その結果、罪の無い、武器すら持たない一般市民ですら、その犠牲に加えてしまうことが出来るのだ。
戦争というものの惨さと、自分を含めた人間に対する強烈な怒りを彼は覚えた。
そして自分もその立場に立って戦っている。
いつまでもそのような世の中が続くことが、どんなに馬鹿馬鹿しいことなのか。
この時を境に、彼の気持ちはより加速することになる。
かつて父が目指した理想を、その背中を追うため。


「誰かすぐに救急道具を!生存者がいる!!」
すると近くでそんな叫ぶ声が聞こえてきた。
声の主はオルガだった。
州兵の生存者を確認した彼は、その場ですぐに救急道具を広げて出来る限りの現地治療をしようとしたのだ。
それに気付いた周りの兵士たちが集まって来る。
生存者に声をかけ、出来るだけ意識を飛ばさないようにさせる。
その声に反応した州兵が言ったのは、


「………まだ敵がすぐ傍にいる。村の民の多くは高台に逃げた………急げ…………ッ」
「ッ――――――――――!!!」



そしてその声を聞いた瞬間、ツバサは単独でその場を猛烈な勢いで駆けだしていた。
誰かが止められるようなものではなく、驚くほどの瞬発力の高さであった。
複数人がツバサの名前を呼ぶが、彼はもう止まらない。
すぐ後にナタリアが続き、他の兵士たちも互いに顔を見合いつつも、遅れて彼の後に続く。
まだ救うことの出来る人がいるのなら、その人たちの為に全力で戦う。
ここを襲った敵は決して許さない。
確固たる想いを胸に、彼は高台の方へ向かう。
奇しくも、高台は彼の家のすぐ近くだ。
村の中を駆け抜けつつ、坂道を登って行く。
間に合え、間に合え、間に合ってくれ。
一人でも多くの人を助けたいんだ。
その思いが彼の足を必死に動かす。



「全員占領地へ後送する。手を後ろに回して膝を下ろすんだ」
「………………」



高台に避難した村の人たちは30人といなかった。
元々この村は200人といない小さな村だったが、その大半が戦闘に巻き込まれたことになる。
そして今残っているのは、ご老体や女性、子供ばかりで、その周りには彼らを守ろうとして戦い敗れた亡骸が幾つもあった。
この村も占領地となる。
占領下の民はすべて捕虜収容所を設置した北部に送り込まれるようだ。
ここで抗えば兵士たちに殺されるのは明白だ。
抵抗したところでこの運命は変えられない。
グランバートの兵士に言われたように、皆が手を後ろに回し始めた時、


「やめろおおおおおおぉぉぉおおおお!!!!!!」



――――――――――――剣を持った一人の剣士が、彼らの懐に飛び込んできた。
その姿を見たとき、その場にいる敵も民も民が驚いた。
何より民たちの驚きが隠せないものであった。
突然現れた、彼らに対抗する勢力の一人は、何しろ彼ら全員が知っている存在だったのだから。
絶望的な状況の中で飛び込んできた少年剣士の姿を見て、民たちの多くはこう思った。
まるで救世主だ、と。
誰もが予想しなかった展開である。
本人ですらこのような形でここに戻って来るとは思っていなかった。
出来ることなら、このような形で戻って来たくは無かっただろう。
起きてしまったことを覆すことは出来ない。
だが、今ある命を救うことだけは、まだ出来る。
怒りの矛先は敵の兵士たちに。
憎しみは怒りを生み、その怒りは彼の身体全体を剣と成すようだった。
今その場に見える兵士は10人。
民たちを取り囲むようにして布陣していた。
そこへ単独で突入したツバサは、瞬く間に二太刀で二人の敵を倒し、次の敵へと向かっていく。
慌てる様子を見せつつも迎撃に転ずるグランバート兵士たち。
全員が剣を装備しており、圧倒的不利な状況での近接戦闘が発生した。
目まぐるしく変わる状況を前に、民たちは全く動くことが出来ない。
開いた口が塞がらないという類のものだ。
彼の太刀筋はいつもよりも強引で激しいものであった。
それだけ気持ちが剣に込められていると言っても良いだろう。


「たった一人の子供で!!!」
「!!!!」


瞬発力、剣腕、太刀筋の鋭さ、そして立ち回り。
どれをとっても、目の前の少年に勝ることのないグランバートの兵士たち。
民たちにとって、先程まで自分たちを一生懸命に守ってくれた州兵たちとは全く異なる状況がそこにあった。
しかも、彼は自分たちのよく知る存在だ。
この村を離れてからそれほど長い時間が経った訳ではないが、これほどまでに剣腕が上達しているのか、と驚く人が大半であった。
だが民たちも別の脅威が迫っていることに気付いた。
高台の奥から別の兵士たちの集団が合流する。
すると、彼が殺したことにより減った兵士の数が再び膨れ上がる。


「チッ………!!」
彼は瞬く間に囲まれる。
たとえ腕の良い彼でも、圧倒的に不利な状況下で戦闘を続けるのは困難だ。
民たちが敵が迫る方向を叫ぶ。
その叫びが敵の兵士を刺激する可能性は充分にあったが、民たちは目の前に現れた剣士を応援した。
だが、それが一瞬悲鳴に替わる瞬間が訪れる。
敵兵士との剣戟で体勢を崩された彼の懐に、剣が突き進む。


その時。
更なる驚愕の展開が、彼の死する運命を変えた。



「えっ……………」



背後を取られたツバサはそのまま剣に貫かれるかと思った。
焦りを感じ、次の瞬間には致命傷を負うか、死ぬかのどちらかだと思っていた。
だが次の瞬間に訪れたのはそうした自分の身体に襲い掛かるものではなく、敵の断末魔であった。
何が起こったのかを理解するのに数秒ほどかかったが、戸惑う彼の視界に飛び込んできた姿と聞こえてきた声は、驚きと心強さを感じさせるものだった。



『ツバサを一人で戦わせたりしないよ!!』
それは女性の声。飛び込んできた格好も女性のもの。
だがナタリアのものとは全く違う。
ナタリアもすぐに追いついてくるだろうが、ナタリア以上に彼がよく知る存在。
ああ、もちろん分かるとも。
彼女とその母親がここに来てから、ずっと関わってきたのだから。
忘れるはずもない。
驚きなのは、その彼女がこうして共に戦ってくれること。
彼女は彼の背後を貫こうとした兵士の背後を取り、剣で突き刺した。



『加勢するぞ。ツバサ!』
次に彼の間合いに飛び込んできたのは、軽微ながらも甲冑に身を包んだ兵士。
一体どこに甲冑装備があったのか、というのは聞かない。
ここに来てくれただけで、傍で戦ってくれるだけで、頼もしい。
そう、この人はいつも頼もしい存在だ。
実際年齢も彼より上で、彼女よりも上。
冷静沈着なキャラクターだが、いざという時に先陣を切れるほどの勇敢さもある。


―――――――――――彼の前に現れた加勢者は二人。“レン”と“ソロ”


「お前ら…………っ!!!」
その場に囲まれた民たちも、最前線で戦うツバサも、誰も予想しなかった展開だろう。
連邦軍の兵士たちとてそれは同様であった。
先陣が辿り着く頃には、三人の子供が果敢に敵の攻撃を防ぎつつ、その攻勢を跳ね除けていたのだから。
体勢を立て直したツバサは、誰よりも早く力強い剣戟で相手を圧倒する。
一方のレンとソロは、ツバサに比べれば剣戟はそれほど早くも力強くもなく、兵士たちと対峙すると劣る部分も多かった。
それを全力でカバーしつつ目の前の敵を倒し続けているのがツバサだ。
しかし、取り囲む兵士の数は依然として多く、同時に攻撃をされると防ぎきれなくなる。
実際そういう場面が幾度かあったが、そんな時、



『まあ、俺の得意分野は剣より弓だし?』
勝手ではあるが、人の家の屋根上にあがって、一射、また一射と弓を放つ子供がいる。
彼らの背後を襲い掛かろうとする敵の胸元を狙撃し、撃退する。
ややめんどくさそうな表情をしながらも、その瞳は正確に敵の姿を捉えていた。
共に剣の修行をすることも多かったが、彼が最も活躍する分野は、自分の所属していた部活、弓道である。
――――――――――――援護射撃で次々と敵を撃ち倒すその子供は、エズラ。
彼らが包囲されそうになると、すかさず自前の弓を以て攻撃を繰り出す。
おかげで彼らは背後を取られても援護をもらえる状況になったので、後ろを気にしなくても良くなった。


「…………よし、いくぜ!!!!」
彼にとってこの瞬間何よりも心強かったのは、僅かでも自分が本当に守りたいと思っていた人が生きていて、
そして彼らと共に共通の敵と戦えることだっただろう。
多くの仲間を失ったその気持ちは決して晴れることはない。
だが、ここで留まっては先へ進むことは出来ない。
“彼ら”という集団と共に、前へ。
ツバサは戦場を駆け抜け、敵を次々と倒していった。


他の味方兵士たちが到着する頃には、戦況は喫していた。
兵士たちにとっても驚く光景がそこにあった。
誰かも分からない少年少女たちと、捕らわれの身であった僅かな生存者。
彼らを救ったのは、子供たちだった。
この場で倒した兵士は36名。
対して子供たちは4名、途中からナタリアらの参戦もあったが、7割以上を子供たちが仕留めた。


「…………なんてことだ。こんなところに、こんな子供たちが…………」
現役の連邦軍兵士から見れば、あまりに異質な光景だっただろう。
兵士ですらない子供たちが剣や弓を取り、正規軍を退ける。
正規軍に倒された州兵が多いという中での、夥しいと言うべき戦果。
注目を浴びないはずがない。
そして、一部の兵士たちの間では、ある一つの想像が浮かび上がっていた。
――――――――――――戦争における子供たちの台頭。
正規兵でない者が戦うことは、実はそれほど珍しいことではない。
だが、それが子供であった例は極端に少ない。
その辺りで最も有名になったのは、現在連邦軍の大佐階級を持つレイだろう。
彼らの経緯に似ているものを感じていたのだ。
本来、兵士でも無い人が戦いに参加することなど、会ってはならないことだと思われる。
一般市民こそ彼ら軍人が守らなくてはならない存在だからだ。
そういう点では、彼らの到着は遅かった。
彼らに原因があった訳では無く、敵の手が早かったのだ。
ただそれに間に合わなかったというだけ。
村をも巻き込んだ凄惨な戦闘は、グランバート軍の兵士の全滅により終結した。
最東端から上陸したのはここにいた部隊で全員かもしれないが、それ以外の場所でも上陸を許していることだろう。


「生き残ったタヒチ、オルドニアの州兵を統合して、ヤルヴィンまでの道に戻るとしよう」
村の消火活動を終え、ようやく落ち着いてきた頃には、村は夕刻を迎えていた。
隣町のエンスクへ立ち寄り、オルドニア州まで進むことを決定したラン・アーネルド。
その決定は他の部隊の人たちにも伝えられ、ここで一泊して明日の朝から行動することになった。
連日の戦闘で、兵士たちは疲労の極にある。
ここで少し纏まった時間を利用した休みが必要だろうという判断である。
誰にでも感じている疲労だ。一人の例外もなく。



「――――――――――――。」


最も村との距離感が近い当事者にしてみれば、今日という日はあまりに複雑なものだろう。
ツバサは、家のすぐ傍にある高台で、日没までの時間をただ黙って過ごしていた。
グランバートの兵士を倒すことは出来た。
けれど、守れなかった命も大勢ある。
中にはよく知る同年代の友達も含まれている。
その人たちと過ごした時間が思い出されるほど、彼の中で複雑な心境が募る。



………………。
もっと早くに来られたら、と思った。
そうしたら、もっと多くの人を助けられたかもしれない。
だが、その時間はもう永遠に訪れない。
たとえ戦いに勝ったとしても、奪われた命が蘇ることは無い。
仲間もそうだし、俺が殺した敵もそれは同じだ。
だから、こんな過程を想像するのは無意味だろうとは思う。
……………でも。
そう思ってしまう自分が、確かにいる。


「…………ツバサ。」
沈黙のまま夕日を眺めていた彼に声をかけてきたのは、レン。
高台の下では野営の準備が整えられていて、既に休み始めている兵士たちもいる。
レンは一人で坂を登ってきたようだ。
そして静かに彼に声をかけた。
彼の表情は重たげなものであった。
彼女の表情もまた重々しいものであった。
互いに気を遣っての、言葉の交わされない時間が少し経った後、



「改めて、ありがとな。今日は。おかげで助かった」
彼は彼女に謝意を述べた。
彼だけであの人数を倒せたかどうかは分からない。
だが援護が無ければ傷を負っていたのは間違いないだろう。
周りの兵士から見れば、圧倒的な強さで敵を倒したようにも見えるツバサ。
しかしそれは、後ろを任せても大丈夫という条件が整ったからこそ。
そしてその条件を整えるのに、レン、エズラ、ソロの三人は協力してくれた。
彼ら三人が現れたのはツバサとしては全くの予想外だったが、今こうして生きていられるのは、彼らのおかげでもあるだろう。


「ううん。私たちの方こそ、ツバサに、助けられた……………。」
レンは涙目になりながら、時折言葉を詰まらせて彼にそう伝えた。
その言葉に素直に喜べない彼がいる。
今も脳裏に浮かぶ、もう少し早く辿り着いていれば、という思い。



「きっと、ツバサたちが来てくれなかったら、私たち、どこかに連れ去られてたよ………?」
「………かもな。そうならなくて良かった」
「………うん。ほんとうに、よかった」


レンは、涙を流しながら彼と会話をする。
気持ちが緩んだというのもあるだろう。心に留めていた気持ちが溢れてきた。
生きるか死ぬかの瀬戸際にいたのだ。
心を保っているだけでも充分だった。
レンは、この場で初めて人殺しをした。
ソロウ、エズラも同様だ。
その行為自体は取り返しのつかないことだが、彼ら自身が生きる為に選んだことだ。
ツバサには全く劣るが、彼女も、彼らも、剣の稽古を長い間し続けていた経験がある。
全くの未経験者よりは数倍も上手く立ち回ることが出来るだろう。
たとえそうした経験を積んでいたとしても、実際に生きている人間を相手にする時には、恐怖が付きまとう。
彼らはその一線を越えた。
今も思い出すと、手も足も震えてくるような感覚がある。
一方のツバサは、幾度かの経験によってそうした感覚にも慣れが出ていた。
本来、慣れるようなことなど無くていいはずなのに。


「ツバサは、これからどうするの………?」
「俺は、今はもう兵士になったからよ。このまま東に戻るだろうな………」
「………そっか。そうだよね」


この村に住み続けるのは難しい。
この他にも奴らは上陸して、侵攻を続けている。
留まれば、孤立して今度こそ本当に守れなくなる。
だからみんなも、東の安全地帯まで行ってほしい。
きっと安全だから。
と、彼は彼女に伝えた。
彼の言葉は兵士という公人としての立場を貫いたものだった。
同時に、安全地帯まで逃れられれば、今日のように襲撃に遭って命を失う危険性も低くなるだろうという、願いも込められていた。
ここで生き残った民たちは、本当であればここでその後を暮らしていきたいと考えているだろう。
だが、現にこの村は戦場となった。
グランバート軍の上陸部隊に中枢部があり、この兵士たちがその者たちと連絡を取り合っていたのだとしたら、タヒチ村への行動中に通信途絶した事実を確認しに来ることだろう。
そうなれば、再びここが戦場となる可能性は高い。
そうなる前に逃げて欲しい。それが彼の願いだった。


だが。
涙を流しながらも、真っ直ぐな瞳で彼女は彼に訴えた。



「私も、ツバサと一緒に行くよ。私も戦う」


………………。
思考が凍りそうだった。
レンは今なんて言ったのか。
俺についていく、と?
しかも一緒に戦う、だって?



「馬鹿なことを考えるな!俺のやってることは生きるか死ぬかのどっちかなんだぞ。首突っ込んでちゃ幾ら命があっても足りないんだ!」
「でも、ツバサはそれを乗り越えて、ここまで来た…………」
「っ…………!!」



前に話したこと、あるよね?
私のお父さんは、戦争で傷ついた兵士や市民を救護する軍医だった。
お母さんもそんなお父さんを出来るだけ支えてたんだって。
勿論、私にその記憶はなくって、お父さんがそういう仕事をしていたってことは沢山聞かされてた。
そんな話を聞くたびに、私色々考えてたんだ。
このまま村でずうっと過ごすのも良いけれど、私が本当にしたいこと、何かなって。
ツバサが自分の選んだ路を進んでここを離れた後も、私はずっと考えてた。
夢って、本当はもっと無邪気なものだって思ってたけど、今の時代じゃちょっと違う。
そんな時代が早く終われば良いなって思うけど、黙ってたってそんな簡単には終わらない。
だから。
私も、早くこの戦いが終えられるように、出来ることを探そうって、思ったんだ。
時には戦うことも必要かもしれない。お父さんもそうだったみたいだから。
そんな酷い場所だからこそ、一生懸命手を施して救える命もあると、私は思う。


「私は、傷付いた人たちを治してあげられるような人になりたい。ちゃんと勉強してるんですからね?」



本当に必要な時は、彼女も戦わなければならなくなるだろう。
しかしその術は、今日ここで彼女は既に実行している。
今となっては彼女の行動自体が、この戦争という一つの括りの中に取り込まれている。
そう、たとえ子供と言えども、この戦争から全くの無関係でいることは出来なかった。
彼らと普通の人たちとの違いは、巻き込まれたか、あるいは自分からそこへ入り込んだか、というだけ。
いつの時代どこの世界でも、そうした偶然の積み重ねは起こり得る。
この村で戦闘が起きなければ、今日こうしてツバサが戻って来ることも、彼らと再会することも無かったかもしれない。
この村で起きたことは決して許されないだろうし、それを背負って生きていかなければならないこともある。
だが、彼女は自らに決心していた。
それが自分の取るべき路だと、自分自身で定め、信じて。



「で、でもなぁ、おい…………」
「いざとなったら、私がツバサの治療をするよ。ツバサだけじゃない、他の皆もそう」
「本当に、命が幾つあっても足りねえんだぞ?」
「ツバサもそういう世界にいる。そしてそういう人が少しでも減ってくれれば良い。そのために、出来ることをするよ」



涙を流しながら訴えた彼女の決意は、とても堅いものだった。
レンという少女が芯の強い人間であることは、長い時間過ごしたツバサにはよく分かっていた。
この決意は、あるいは自分の運命すらも変えてしまうかもしれない。
それほど重要な局面だとツバサには感じられる。
それでも、今の彼女を見るに、その決意に迷いはないように見える。
本当なのだろう。彼女の理想というのは。
彼には彼女の運命を左右する決定権など無いし、それを止める術もない。
ただ、一つ言えることは。



「分かった。近くにレンがいるなら、安心だな………!」
ただ、それだけ。
友が近くにいることが、どれほど安心できるか。
彼は少しの間忘れていたその感覚を、取り戻すことになる。
何しろ何年もの間、共に過ごしてきた仲なのだ。
何よりも安心できる存在であるのは、間違いなかったのだ。



「ありゃ、流石レンは手が早いなあー」
「やっぱりここにいたか。」

「あ、エズラ!ソロ!」


彼には友がいる。
長く時間を共に過ごした、大切な仲間がいる。
彼らと共に過ごした時間は何より貴重なものだし、得難いものだろう。
今日ここで奪われるかもしれなかった時間。
過去しか振り返ることが出来なくなるかもしれなかった、大切な存在。
一人の少年がこの地を離れてからそれほど時間が経っていないが、互いにこれほど大切な存在だと認識し合うことになる、一つのキッカケではあった。


「な、何エズラその言い方!!」
「え?違ったか?またまた~」
「その様子だと、もう決心したようだな、レン」


ソロとエズラの二人も、高台への道を登って来て、ツバサらのもとへやってきた。
二人も先程まで彼を援護するために自ら戦いを選んだ存在だ。
レンの表情や、ツバサの少し重圧が去った様子を見ると、既に話は済んだのだろうと、冷静にソロは言う。



「聞いての通りだ、ツバサ。俺たちもお前についていくよ」
「ハ!!?」
「村は悲惨な状態になっちまったが………まあ、ここに居てもただ危険なだけだろうしなあ」
「だ、だから東に逃げれば安全地帯だって………!!」


「それは知っている。だが、どうも俺たちはお前一人を放っておけない性分のようでな。」



ツバサについていくということは、戦争の中に身を投じることに等しい。
彼が言うように、幾つ命があっても足りない、という世界だ。
だが、一方でエズラが言うように、自分たちの故郷は実質失われた。
多くの村民が犠牲になった。
ここを守ろうとして戦火を拡大させてしまった州兵たちも多数亡くなった。
彼らを責めることは出来ない。
自分たちを守る為に、一生懸命戦ってくれたのだから。
そして、そのような世界の中に、ツバサは既に深く入り込んでいる。
一人の兵士として、彼が目指した路の途上にある者として。



「さっき、お前のところの司令官に話をしてみたよ」
「ななな何!!?」
「俺たちもついて行っていいかって。そうしたらこう言われた」



―――――――――軍隊とは道具だ。それも無い方が良い道具だ。それを分かったうえでなお望むなら、後は彼の許可を貰うと良いよ。



「…………とな」
「………………」
「まあ、実はもう俺たちの中では話がついてたんだ」


彼らに司令官代理に直訴するほどの度胸があるとは思わなかったが、逆にそれが司令官代理の心を動かしたのかもしれない。
普通、彼と同じ子供の年齢の人間が戦争に加担したいなどを言い出したら、止めるのが普通だろう。
戦争とは穢れた一面ばかりが表出するもの。
ツバサですらまだその片鱗すら見たことが無い。
惨い現実はこうして目の当たりにしているが、それ以上に凄惨なものを経験していないのだから。
この判断を彼に委ねたのは、他でも無いラン・アーネルド大尉。
今後自分たちにどのような危険が生じても、それは軍隊にいる者として当然のものと扱われることになる。
それでも、彼と共に進みたいと望むのなら、彼がそれを望むのなら、同行を許可する。
ランはそう彼らに話していた。
子供の身でありながら剣を倣い、急に訪れた危機的状況にも勇敢に立ち向かい、その運命を討ち破った。
単純にそれ自体を評価していたというのもある。
だが、それよりも、何よりも、彼らはランに、ツバサの力になりたいということをハッキリと告げた。
“多くの人を救うために戦う”とツバサが想うその理想よりも、ハッキリとした目的がある。
その判断を下せるのなら、覚悟も出来るだろう、と。



「もちろん、綺麗事ばかりじゃないというのも分かる。俺も、エズラもレンも、必要に応じて戦うことを求められるだろう。それでも、お前が頷くなら俺たちも征く」



ツバサは一瞬考えた。
じゃあ、俺がここで路を閉ざすなら、ここに留まってくれるのだろうか、と。
そうすれば、危ない目に遭うことなく、ただ逃れるだけで安全な生活を送ることが出来るんじゃないか、と。
だが、それが出来る彼ではなかった。
それが出来るのなら、はじめから戦士になろうなどと思うはずもない。
あくまで自分たちの意思だ、と三人は共通の認識でいる。
だから、俺たちの考えることにまでお前が責任を感じる必要はない。
彼らはそのように話していた。
ラン司令官代理がなぜ一介の兵士である自分にそのような裁量権を与えたのかは分からない。
正しいものかどうかは確認できないが、予想はつく。
何しろ、この三人は、彼にとっての友人で、その友人がそれぞれの想いを胸に彼について行こうとしている。
だからこそ、その影響の源泉たるツバサに許可を求めるよう図ったのかもしれない。



そう。
ソロの言うように、これは綺麗事じゃない。
俺自身もそうだが、これは命に関わることだ。
……………だけど、他の三人がもうそういう決意をしてるって言うんなら。


「…………おいおい卑怯じゃねえか。そんな風に言われたら断れるはずないだろ?」


…………それこそ、俺がああだこうだ言う話じゃないのかもしれないしな。
それに、俺も友達が近くにいるんなら、少しは気が楽になりそうな気がする。
この先どんな地獄が待ってるか分からない。
けれど、それでも、俺たちなら。


そのように答えたツバサの顔を見て、三人は笑顔を浮かべた。
これで方向性は決定した。
ツバサの往く道に彼ら三人も同行する。
ラン司令官代理の話したように、ツバサの承諾を得たという形だ。
彼らからすれば、この故郷を離れるのはとても心が痛むが、ここに居続けたところで未来は無いと感じていた。
それは、この村の将来が今のところ安泰でないという理由である。
もし今後、この戦争の状況が変わって、安定した世の中が再び訪れたのだとしたら、またここに戻って来られるだろう。
そのためにも、出来ることをしていく。
純真で真っ直ぐな四つの心は、それを信じてこの地から離れることを決意した。
彼らの決意に対し、高台から見える夕暮れの太陽は、温かな光を彼らに照らしていた。
願わくば、その光が彼らのこの先の道を照らし続けてくれるように。
そう、信じ続けていたかった。


オーク大陸ソロモン連邦共和国領タヒチ州最東端部から上陸したグランバート軍は、既に各地方に散らばって探索と侵攻を始めていた。
現地にいる連邦軍の兵士たちは、いまだどの程度の部隊がこの東端から上陸したのかを把握できずにいる。
グランバート軍は既に各地へ分散し始めており、小規模な州の村や町は次々と掌握されることになる。
タヒチ州の各地もそれに該当した。
州の名前の由来の地ともされるタヒチ村は、上陸の報告を受けて合流したタヒチ州の州軍とオルドニア州の州軍とが合流して、侵攻を開始したグランバート軍を迎え討とうとした。
しかし、戦力差は少数で拮抗したが技量で押され、州軍は甚大な被害を出した。
オルドニアの正規兵や州兵に生存者は見られるが、タヒチ州の州軍部隊で生存者はごく僅かという状況で、村をも巻き込んだ戦闘に発展してしまった。
結果、タヒチ州は州を維持するための自治統治の体制が崩壊。
事実上グランバート軍の手に堕ちたことになる。
州軍の残存部隊を統合し再編成したオビリスク駐留基地の部隊はより戦力を拡大させた。
司令官代理のラン大尉は、すぐに転進してタヒチ州の町エンスク方面に後退を始めた。
生存した民たちを連れて。



「……………辛い道、か。じゃが、それが彼らの望んだものなのだとしたら」
軍や民たちが村を離れていくのを、ただ一人残って高台の上から見ているご老体がいる。
彼もまたかつて、この戦争に深く関わったことがあり、大人たちが始めた戦争を止めるために戦いに出向き、死んでいった若者を多く見続けてきた。
その一人に、彼らも加わってしまうのだろうか、と内心では思っていた。
一方で、これが彼らの決断なのだとしたら、望んだことなのだとしたら。
複雑な胸中は誰に明かされることもない。
彼らとの会話は無かった。
ただ一人、この村に残る者として、やがて迎えるであろう最後の瞬間まで。
村の長老フィリップは、彼らの背中を見えなくなるまで、目で追い続けていたのだった。



彼らが時代の中心人物になるまで、もう少し。




………………。

第12話 不穏な動向



グランバートとソロモンの戦いは更に苛烈さを増し、徐々に戦火は拡大する。
ソウル大陸、オーク大陸で同時期に発生したこれらの戦いは、時に一般市民すらも巻き込んだ凄惨な争いへと変貌する。
どちらも相手の領土を攻めつつ守りつつの構図である。
両陣営とも、この戦争が終結へ向かう道を完全に閉ざし、寧ろ戦いを更に激化させている一方だった。
あらゆる選択が今日の昏迷の状態へ導いてしまった。
収拾のつかない戦争ほど恐ろしいものはない。
お互いに退く術を持たず、手段を取らず、ずるずると長く戦いに引き込まれて行ってしまうのだから。
7月も後半に差し掛かると、両軍ともに同じ大陸内の複数個所で戦闘を行うようになっていた。
戦闘から遠く離れていたはずの地域ですら、その戦火は間近へと迫っていく。
遠い存在だと思っていた戦争が思った以上に身近なものにあると分かるまで、そう時間を必要としなかった。
一方で。
その戦争を巧みに利用しようとする存在も確かに存在する。
軍需産業などがその例の一つだ。
戦争は、ある意味では国家間の技術力の進化をぶつけ合う場ともなる。
更には、戦争によって確保できたあらゆる情報を基に、更なる開発を進めることも可能なのだ。
後年の話になるが、こうした軍需産業を支えた企業が大きな組織となり、国家の中でも大きな影響力を持つ機関として台頭することとなる。
だがそれは国家の在り方が変化する過程の話であり、まだまだ先の時代のことである。
“戦争によって時代は次なる革新への一歩を踏み出す”と言った者がいる。
それはあながち間違いではない。
時代を加速させ、技術を向上させ、それに対する効果を実戦するのが戦争だ。
この60年あまりの年月で、その動きは幾度となく繰り返されてきた。
人が空を飛べるようになったのも、船の上から攻撃できるようになったのも、この60年あまりの出来事の中。
特に空を飛ぶことなど、この10年あまりでようやく確立されてきた技術だった。
皮肉な話ではある。
たとえ技術が向上し時代が次なるステップを踏んだとしても、それにより人々の生活は苦難に満ちることになるのだから。


「制圧完了!!」
「敵の残存部隊は戦意を喪失して逃走し始めています。追撃なさいますか」
「いや、いいだろう。それほど大きな戦力ではない」


そして、互いの大陸を侵攻し続けている両陣営ではあるが、多くの人から見て予想外の展開が起こり始めていた。
ソウル大陸へ上陸し攻勢を続けているソロモン連邦共和国軍が、当初の想定よりも早く北上を続けていたのだ。
特に、レイ大佐率いる部隊はそれほど大きな戦力ではなく、やがて孤立するだろうと思われていた。
しかし、実際には多くの人々が想像したのと異なる結果を生み出し続けている。
つまり、侵攻作戦は順調に進んでいるのだった。
連邦軍は、レイ大佐率いる部隊とほかにヴォイチェク中佐率いる陸戦部隊がそれぞれ異なる方向から侵攻を続けている。
両部隊の目標は共通しており、やがては五角形(ペンタゴン)で知られるウィルムブルグ要塞へ向かうものとされていた。
ウィルムブルグ要塞は、グランバート領の南部を統括する大拠点であり、南部防衛の要とも言うべき存在だ。
それだけに守りは強固であり、これを突き崩すのは容易では無いと考えられている。
特に正面から攻めようとしても、五角形の各所に設置された固定砲台が容赦なく弾丸を降らせることだろう。
そうなれば、要塞に肉薄する前に全滅する可能性が非常に高い。
しかし、彼らは実際にはウィルムブルグ要塞よりもその周囲の補給基地や拠点を次々と制圧し、徐々にウィルムブルグ要塞を孤立させていったのだ。
7月下旬。
ウィルムブルグ要塞への補給路の一つとされていた基地セヴァルスブルグを制圧したレイの部隊。
要塞の西側まで侵攻を続けており、着実に南部の制圧範囲を広げていた。



「しかし、敵の攻撃にも粘りが見られますね。強い指揮官のもと、充分な訓練を受けた兵士たちなのでしょう」
「そうだな。ウィルムブルグの指揮下にいる部隊とみて良いだろう」



レイ率いる強襲部隊は、決して満足のいく戦いが出来る状況ではなく、敵地の中で補給物資を食いつなぎながら次なる戦いを起こし続けていた。
犠牲者が出てもその補充は期待できない。
しかし、戦えば戦うほど犠牲は出るもので、それを防ぐのは戦わないという選択肢を取る以外には無い。
敵地奥深くまで侵攻して、ここで撤退するということを彼らは考えていない。
特に中央の人たちは、レイの率いる部隊が“期待以上の戦果”をあげることを後方から信じ続けている。
彼はその期待に幾度となく応え続けている。
後方で安楽な人生を送りながら戦争を賛美する連中の要求を受け入れ、戦う。
彼自身の気持ちがどうなのかは全く関係ない。
一人の兵士として当然の結果だけを求められるものなのだ。



一方。
この動きに対し、遂にグランバート王国軍総帥カリウス大将が動く。



「ですが閣下。ファクトリーの方はよろしいのですか。閣下が直接指揮なさってこそ、作業も進むものですが…………」
「既にすべての文書の解読は出来ているし、ここまで建造も進んでいる。あとは設計図通りに作り実験を進めれば、実用化できるだろう」
「はあ…………」


無機質な同一色の壁の内側、蛍光灯の光が当たるひたすら長い廊下を歩きながら、彼はここの施設の担当士官の一人と話のケリをつけていた。
“ファクトリー”と呼ぶ施設で活動をしていたカリウス。
だが、これ以上自分がここにいても出来ることは限られるとして、あとの活動は担当する者に委ねようとしたのだ。
自軍の兵士たちですら知り得ないような遠いところで、秘密裏にその計画は進められていた。
この実態が世に明らかとなるまでには、まだ時間が必要である。
彼と話をする士官は冷や汗を流しながら彼を説得しようと試みるも、彼の決意は固く変えられそうにも無かった。
非常時大権を手にしたカリウス大将、謂わば国の最高権力者まで登り詰めた人から与えられた指揮権は大きなものである。
一方で、言葉などでは表すことの出来ない責任を負うことになる。
もし失敗するようなことがあれば、この命は無いと思った方が良いだろう。
そう考えると、直接指揮下に置かれている状況よりも、任されている間の重圧の方が遥かに重く圧し掛かるものだった。



「スティーヴ。外に車を回してくれ。それからヴァズロフ中将との間に通信回線を」
「はっ。直ちに、閣下」



カリウスが動けば必ず彼に随伴する者がいる。
彼の副官であるスティーヴ大佐、ほか最高権力者を敵対勢力から直接防衛する警備部隊である。
非常時大権を授かった今、彼は国内における王国の統治権すらも手にした絶対的な権力者である。
王国であるのなら王が国を統治する、というのが基本ではあるが、王政制度はこの国は既に手放している。
王は国民の象徴的存在で、強く政権に関わることのない存在であったが、今はその王ですら代理職を設けられるほどのもの。
本来の王国とはかけ離れた体制である。
カリウスは、この国の歴史上に存在した王家の血筋を持つ者ですら無く、先日亡くなったウィーランドとて同様である。
本物の王家の血筋がもし今も途絶えることなく続いていたのだとしたら、その者たちが国の最たるものとして認識されていたであろう。
彼が車に乗ると、他の防衛部隊も動き出す。
一人の権力者を守るのに、随伴する護衛は30人を超える。
カリウス自体はそういった警備は不要だと言い続けているのだが、最高指導者の身に何かあっても困るという、政権と軍の上層部からの強い申し出により、そうした警備を受け入れざるを得ないのだった。


「ヴァズロフ中将。随分と手こずっているようだな」
『おう、カリウスか。久々に見る顔だな。ずっと何していた』
「ただの軍務だよ。状況は聞いているが、改めて最新の現状をそちらの口から伺いたい」


カリウスとヴァズロフとでは年齢が大きく異なる。
明らかにヴァズロフの方が年長者ではあるが、グランバート軍は階級で立場をハッキリと区別する。
お互いに知れた親しい間柄であるのなら、たとえ年少者の階級が下であっても年長者を敬う人も多いのだが、カリウスは自らの立場を厳格に保ち、それを損なわせることなく立ち振る舞っている。
それが全軍の司令官という立場にいる者として、必要なことだと考えているからだ。
ヴァズロフは手短に、かつ正確に現状を伝えるのに最適な言葉選びで上官に報告をした。
カリウスを相手にすると、カリウスは大将の階級を持つので、立場上ヴァズロフはカリウスよりも下になるのだが、カリウスはこの男に敬語抜きで話しかけられても気にすることはしなかった。



『聞いてるとは思うが、あのレイが陣頭で戦い続けてる。南部から西側の部隊は辺境地域を除いて奴の部隊に制圧された』
「そのようだな。これだけ敵地深く侵攻しても戦闘が継続できるのは、占領地から補給物資を集めて繋いでいるからだ。」
『ああ。そこでだ、カリウス。ここらで真正面から反撃作戦に出たい。だが俺たちウィルムブルグ要塞の戦力は多く割けん』
「分かっている。既に要塞周囲は包囲され始めている。残る周囲の駐留部隊を要塞に集めて防御を厚くしろ。要塞より後方の部隊も合わせてだ」


カリウスの進言を聞く前に、既にヴァズロフはある程度の判断を下していた。
あとはそれを全軍の司令官がどう判断するか。
彼もヴァズロフの考えに同じで、既に連邦軍がウィルムブルグ要塞の周囲の基地や町を占領し始めているのなら、これ以上孤立を深める前に要塞守備を固めてしまった方が良いと考えたのだ。
その方が、一度に正面から対する戦力差は大きくなる。
要塞守備部隊はそのままに、他の戦力を出来るだけ統合しつつ防衛線を築く。
これが二人の共通した考えであった。


「そのうえで、敵を迎え討つが良いだろう。はじめから戦力差が大きいことが敵に知られれば、ウィルムブルグ要塞を攻略せず迂回する可能性もある。まずは戦力の統合をしながら、要塞に辿り着く前に相手の消耗を強いる。」

『それが無難だろうな。いいだろう、すぐに手配する。ラインハルトのほうはどうする』

「そちらまで統合しては、東部の防衛が手薄になる。後発の上陸した連邦軍は、いずれ要塞攻略の為にもう一方の部隊と合流するはずだ。東部の防衛線は後退させる。ラインハルトも、中将と合流が無いことが分かれば部隊を後退させるだろう」


考えていない訳では無かったが、その可能性が最も高いだろうとヴァズロフも判断していた。
ラインハルト中将率いる東部戦線を統合する作戦も考えていたのだが、東部の防衛線を手薄にさせるのは好ましくないと考えたのだ。
何故なら、今この状況では東海岸から連邦軍の上陸部隊が多数入り込んでも不思議では無い。
そのうえ、要塞を堅守するために東部の地域を見過ごしてしまっては、後から敵の侵攻を食い止めるのが難しくなる。
ラインハルト中将の東部戦線は彼に一任する形で、目前に迫ったウィルムブルグ要塞防衛線に集中することにした。



「今回は私も出る。要塞に至る道への防衛線を構築し、奴を迎え討つ」



その言葉はヴァズロフの驚きを以て迎えられた。
全軍の司令官たるカリウス大将が、直接陣頭に立つと言ったのだ。
ウィルムブルグ要塞がグランバート軍にとって重要な戦略拠点であるのは明白だが、彼は的確に次の方法を指示しているし、態々総帥たるカリウスが現場に出ることも無いだろう、というのがヴァズロフの思った感想だった。
しかし、カリウスが出る理由があるとすれば、幾つかある中でも一番考えられるものがある。



『…………(レイ)を、直接討つつもりか』


―――――――――――――“英雄たち”の一人、レイ。
旧友であり、先の大戦では彼と共に終結をもたらした、極めて功績のある人物の一人。
彼のもとには、既に何日も前から“大陸でレイが台頭している”という情報が届いている。
レイは連邦軍の中でも高い地位にあり、ソウル大陸とも深い縁がある。
その彼がこの大陸で戦争を主導しようとしていること自体に意味がある。
カリウスはそれが自身に対する自惚れであると分かっていながらも、それが世間的な物の見方であると正確に洞察している。
つまり、“レイが動けばカリウスが動く。その逆もまた確かに存在する”、という多くの人の考えを既に理解していたのだ。
多くの人が想像し期待するレールの上を歩き続けている。
それが正しい道であるかどうかなど、分かるはずもない。
ただ言えることは、お互いに奇妙な縁で引かれあっているということ。
旧友としてではなく、敵同士として。



「そろそろ私が出て埒を明けたいのでな。外野の思惑は色々あると思うが」
『態々あの男の為だけに出てくることもあるまい。後方から我らの戦いを見ていればいいだろう』
「それに、私が出れば兵士たちの士気にも関わる。それだけが目的ではない。」


確かに、全軍の司令官が最前線に出て戦いを主導するというのであれば、兵士たちも高揚しそれが戦果に影響することも考えられるだろう。
カリウスという男にも陣頭に立って指揮を執り戦う猛将の一面があるのだと、ヴァズロフは確認した。
それ以上に、レイを自らの手で討つことを考えているだろう。
この大陸にレイが攻め込んできたことそのものが意味を持つ。
そしてそれを迎え討つという構図が新たな意味を持たせる。
結局のところ、彼らがこの地に踏み込んだ時点で、この構図は変えられない運命となるのだ。


『分かった。こちらは陣形を整える用意をしよう。カリウスの腕ならば、戦場でもそれほど問題にはならんだろう』
「頼む」
『ところで、そちらの計画はどうなのだ。順調なのか』
「詳しい話は直接会った時にしよう。暫く待て」


司令官に“計画”の進行具合を窺うも、この場では話せないという回答だった。
通信越しには伝えられない内容であり、どのみち数日後には直接会うのでその時に話そうということだった。
それで通信は終わる。
ヴァズロフは早速部下に、周辺の駐留基地に連絡を取り合うよう指示を出す。
執務室から要塞の作戦司令室に入った彼は、机の上に置かれた大きな地図を、腕を組みながら目にする。
ソウル大陸のみ描かれた大きな地図だ。
各地の基地やこの要塞の所在まで記されているが、“今カリウスのいる場所”は記されていない。
重要機密に触れることで、兵士たちですら知らないこともある。


「…………やはり、意識するのだろうな。無理もないことだが」


似たような経験が無い訳ではないが、かつての友と戦わなければならない、そのことに対する想いは複雑だろう。
カリウスの見た目からそれを感じることは全くないが、因縁と化したお互いの関係にケリをつけようという気持ちに変わりはない。
他にも目的が様々あるとしても、最も大きな目的はその一つだろう。



「ブエミ。すぐに佐官以上のものを集めろ。作戦会議を行う。」
「はっ。ただちに」



その後、作戦会議の中で、全軍の総司令官であるカリウス大将が戦線参加すること、要塞から50キロほど手前の地点に防御陣を築き、要塞攻略戦の前哨戦ともなる戦闘地域を設定することが伝えられ、迎撃部隊の組織編成が指示された。
“現場”に全軍の司令官が出てくることに諸将は驚きを隠せなかったが、同時に高揚感というものを確かに感じていた。
ウィルムブルグ要塞周囲の駐留基地は、ヴァズロフ中将直属の防衛部隊が配置されている。
ところが、あのレイを前に基地の部隊は次々と撃破されている。
これについてヴァズロフが何ら対策をしなかった訳ではないが、ここまでは敵の思うように駒を進めてしまっている感は否めない。
彼自身、この辺りで一度組織的な抵抗を試みて、敵の攻勢を削ぎたいと考えていた。
カリウスの合流は、その辺りの空気を一変させるだけの影響力を戦場にもたらすことだろう。
敵がこの防衛線に向かってくるかどうかは分からない。
だが、ここを回避して要塞を攻略しようとしても、どのみち防衛線から後退するグランバート軍に挟撃される形となり、連邦軍としては遥かに不利な状況に陥る可能性が高い。
要塞を攻略するというのなら、無視することの出来ない構図を作り出し敵を誘い出す。
敵がこの策に乗るしかないという絶対的な状況を作り出すことで、自軍を優位な立ち位置に置く。
これが彼らの打ち出した戦略だった。


後日、この戦略を前に、連邦軍は半ば相手の読み通りに前面に展開することになる。
ウィルムブルグ要塞前哨戦。
甚大な被害をもたらすことになる、ソウル大陸南部の戦いは、もうすぐ始まろうとしていた。


……………。
一方で、オーク大陸も微々たる動きが数多く散見されるようになっていた。


「―――――――――――!!!」
同じく7月も下旬に差し掛かった頃のこと。
凶報がもたらされたのはこの時期のことで、しかも複数の種類がある。
特に彼らに関係することだったのは、北部地域の部隊は皆それぞれに敗走を始め、大陸の北側はグランバート軍の良いように上陸を許しているという情報だった。
北東部だけでなく、東側や北側の海岸から上陸しては、各地に攻め入り始めている。
一体どれほどの部隊がこの大陸を攻め始めているのだろうか。
と、思わずにはいられないほどに。
タヒチ州を離れたオビリスク駐留基地の部隊は、残存するタヒチ州や増援に向けられたオーレッド州の一部州兵たちを統合し、その勢力は拡大し続けていた。
既にタヒチ州とオーレッド州では非常事態宣言が出され、住民の疎開、避難が急ピッチで行われていた。
彼らに呼応するように、オビリスク駐留基地の部隊が防衛を勤めつつ、本来の行く先であったヤルヴィン基地への道を急いだ。
その途上、幾度かグランバート軍の攻撃を受け被害が出たが、それらを撃退しながらの行路であった。


「ふぅ……………チッ、こんなところにもいやがったのか…………」
郊外を移動していても、町の中を歩いていても、もはや安全と呼べる場所はこの一帯にはない。
出来るだけ多くの輸送車両を使って市民の移送を行う半面、物資や移動兵器を乗せた車両以外は歩きながらの移動が続く兵士たち。
当然のことながら、現場の兵士たちの負担は大きく、疲労が溜まる一方だった。
ヤルヴィンまでの道のりはまだ遠く、車が無い分倍以上の時間を要する。
今もこうして敵の攻撃を切り抜けながら、行路を進んでいるところであった。


「お疲れ様。大丈夫だった?」
「ああ。そっちは無事だったか?」
「うん!」


“綺麗ごとばかりではない。寧ろ残酷で残忍な現実ばかりとなるだろう。”
それでも彼らは自らに決心し、村を離れることにした。
ただ一人を除いては、村から皆がいなくなり、今こうして新たな立場としての道を歩み始めている。
その道は、この年代の人々が経験するものとしてはあまりに過酷なものだった。
彼らがそう望んで選択したのだから、他がとやかく言うことは無い。
無いのだが、同情する者が少なからずいたのは事実だ。
かつての故郷を襲撃され、一般市民をも巻き込んだ死闘に発展してしまった。
友達やその家族、多くの知っている人たちが亡くなった。
子供たちはそれだけで挫けても不思議ではないだろうに、自ら立ち上がって前へ進んでいる。
目の前の悲惨な現実を覆すほどの力が無いのだと、自覚する時もある。
それでも、留まるよりは進みたい。
そのような気持ちにさせたのは、誰の所為なのだろう――――――――――――。
戦闘を終え、ボロボロになった自分の剣を鞘に収めると、とことこと走りながら彼のもとに一人の少女が駆け寄った。
彼女はレン。
タヒチ村の悲劇的な一件を生き延びた一人だ。
生き延びたどころか、自分たちに降りかかる火の粉を自らの手で払ったという経験を持つ。
日頃の訓練の成果が、非常事態時に発現されたというものだった。



「ツバサ、無事でしたか。」
「おお、ナタリア。分散させられた時はどうなるかと思ったな」
「ええ、全くです。敵も敵で中々やるようですね」
「とか言って、全く余裕ってカンジだな?」
「いえ、そんな。そういうツバサも、それほど苦戦したようには見えませんが」
「ど~かな」


その彼らも、今はツバサ等に加わって戦闘に参加する身となっている。
周りの兵士たちは、村の子供たちが国の戦争に唐突に加わることに懐疑的な考えを持つ者もいたが、その声を知りながらも彼らは自らの立場を確立させていった。
特にツバサに関しては、確実に兵士たちの中でも頭角を現しており、その存在は多くの兵士が知るものとなっている。
評価は様々だが、総じて注目される存在となっているのは確かだった。
つい先日、このようなことがあった。


「ごちょう?なんですかそれ」
「おいおい、なんですかって………士官学校で習わなかったのか?伍長は階級のことだ。お前さんにはその階級を持ってもらうことになった」
「ああ、階級のことか!…………って、え?」


本来、連邦軍士官学校を正規に卒業し任官された兵士は「准尉」からの階級でキャリアを始めることになる。
だが、ツバサの場合は特異な経歴を持つ。
順当に進んでいれば、まだ彼は士官学校に在籍中であったのだろうが、一つの事件への関与がキッカケで、軍属ではなく正規兵として最前線へ送られることになった。
士官学校での学びも心得ているが、すべての勉学を受け、訓練を受けて認定された訳ではないので、兵卒として兵士になっている。
その彼が、野営のために作られたテント小屋に呼び出されると、シュナイダーとランに迎えられ、突然そのような話をされた。
彼はそれが何を意味するのか、理解に少し時間がかかった。


「でも、俺は入ってまだ一ヶ月そこらですよ?」

「それだ。にも関わらず、お前はこの一ヶ月で武勲を重ねた。時には部隊の危機を救うこともした。そういう姿にはきちんと評価をしたい。そうですよね、ラン司令官代理」

「ああ。自分の故郷が襲撃され、多くの人々を伴う毎日で思うところも沢山あると思う。けど、どうかあまり気負わずにやってほしい」


自分に出来ることを積極的にしてきたつもりである。
それが仲間たちの為になっていることを自覚させられる言葉だった。
ラン司令官代理は、彼を労うのと同時に気遣う場面も見せた。
少年の心に望郷の念は刻まれていることだろう。
忘れることなど出来るはずもない。
確かにそこに彼は住んでいたのだから。
そこから離れ、今は同じ部隊の兵士たちからも認知されるようになってきている。
僅か一ヶ月でその頭角を現したことに、ランは高く評価をすると同時に、彼に過度な期待を持たせずに、出来るだけ委縮せずにいて欲しいと願っていた。
一人の少年に対してその願いは酷なものかもしれない。
自分の命を懸けた戦いの中で、出来るだけのびのびとしていて欲しいと言っているようなものなのだから。


「でも、伍長ったって、何をすればいいんですか」
「今までと変わらず部隊の中で行動する。だが、お前には一分隊の長になってもらうぞ」
「分隊の長?」


分隊とは、おおよそ10名程度の分隊員により構成される戦闘集団であり、その分隊員を取り纏めるのが分隊長の役割だ。
明確な作戦指示を受けたうえで、現場での行動などを率先して主導し、味方に優位な状況を作り出すというもの。
オビリスク駐留基地に所属していた部隊は、全体としての総数と、中隊や小隊、分隊といった規模に分類された部隊数が存在する。
それぞれの部隊が別の行動をする訳ではないが、所属する部隊の中で行動をすることは珍しいことではない。
もっとも、混戦ともなればそれも難しくもなるのだが、彼らには狙いがあった。


「お前が同行を許可したあの子供たちをお前の傍に置いて欲しい」
「え、俺が、ですか?」
「それ以外に誰がいるんだ。」


シュナイダーは笑みを浮かべながら、当然だろうと言わんばかりに彼にそう伝える。
彼としては、突然分隊長をやってみろと言われても、全くどうすればいいのか分からない。
困る表情を浮かべる彼に、二人は続けて助言をする。



「分隊には、レオニス伍長、ケーンバーク伍長、二人の経験者も参加してもらう。彼らに分隊長の経験は無いが、ツバサより長い戦歴を持つから、そういった点でアドバイスを受けられる部分もあるだろう」

「なに、お前なら大丈夫だ、気負って俺が引っ張るんだ!ってならなくても、普段通りにやってれば皆ついてくる」

「………ま、まあ、皆がそうやって言うんなら………」


悪いことばかりではない。
友人であり、戦闘未経験者に等しいレン、ソロ、エズラの三人を、すぐそばで率いることが出来る。
他所の部隊で“今どうしているか”を確認できないより、すぐ近くに居てもらったほうが安心できそうだ、と彼は思う。
シュナイダーが示した分隊員は、ツバサ、レン、ソロ、エズラ、ケーンバーグ、レオニス、オルガ、ナタリアの8名。
部隊と言うにはあまりに小規模なものではあるし、平均年齢が非常に若い経験浅い部隊である。
誰がどう見ても不安要素の多い部隊ではあるが、実際のところ分隊を定めたといっても、彼らだけが敵に対するような構図は殆ど生まれない。
幾つもの分隊、小隊、中隊が合わさって、一つの戦力として数えられる。
分隊行動を取ったとしても、それほど目立つことも無いだろう。
この決定を下しツバサの階級を昇格させるに至ったのは、司令官代理のランの発案からである。
ツバサの心情にあるように、彼に合流した子供たちを出来るだけ近いところに居させたほうが、彼も安心して前に進むことが出来ると考えた。
司令官代理の身でありながら、一兵士のことまで気に掛けているラン。
ツバサが兵士たちの中で台頭することが無ければ、ランもそれほど人目置くことは無かったかもしれない。



「大丈夫よ、ツバサ。みんなより上手くやりなさい、だなんて私たちも言わないわ。でも、きっと貴方たちの分隊が独自のカラーを持ち始めれば、それがきっと戦局にも良い影響を与えると、私は思うわ。」


テント中の奥からポッドのようなものを持ってきた、女性士官。
彼女が司令官代理の副官を務めるカレンであった。
恐らくはランとシュナイダーの分の飲み物を持ってきたのだろう。
カレンは優しく穏やかな表情を浮かべながらも、彼をそのように激励した。
自由な行動を認められている訳ではないが、縛られることなく思うようにやってみなさい、という言葉である。



「大人の言うことは、中々贅沢なものですね」
「ははは、そういうこともある。部隊行動はすぐにでもしてもらうが、正式な辞令はヤルヴィン基地に辿り着いてからになるだろう」


話がすべて終わったことを告げられると、ツバサは敬礼して退出した。
本当は、一人ひとりとの時間を大切に長く過ごしたいという気持ちがある。
特に司令官代理のランとしては、その気質が強い。
だがそれに時間を長く費やすことが出来ないのも、彼のところに舞い込んでくる仕事が多いからである。
しかしこうしてブレイクタイムは必要だとカレンが考え、それを実行に移している。


「本当に良かったんですか?あいつらにはまだ早いんじゃ」
「うーん、私もそう思わないでは無かったんだけどね。でも、彼の今後を考えると、そうすべきじゃないかって思ったんだ」
「それはどういう理由からでしょうか」


「彼に部隊を上手く率いてもらおうとは思わない。ただ、彼は自分の持つ力を調和と協調の為に使おうという気質がある。自分の傍に付き添う者たちがいれば、その気持ちはより強くなる。彼が伍長として分隊を統率する環境の中に居れば、そうした気質もより身近に、ハッキリとするだろうし、周りにも目線がいくようになるだろう。そうすれば、彼は今以上に成長するんじゃないかな、と思ってね」


もっとも、そんな過程を戦争の中で経験しなければならないというのが、あまりに残酷な話だけれども。
ランはそう静かに付け加えるようにして話した。
普通の人として生活をして、戦争とはかけ離れた土地で成長する過程があれば、彼はどのような大人になっていくのだろうか。
しかし、兵士という生活は彼自身が望んだことでもある。
それを無理やり奪うことなど彼らには出来ない。
あらゆる過程は経験を積み、成長するキッカケをより多く掴むことが出来るだろう。
こんな荒んだ時代に身を投じた子供とはいえ、少しでも光のあるほうへ進めてやりたい、というランの気持ちがそこにはあった。
直接的にそう話したことはないが、その場にいたシュナイダーもカレンも、そのような気持ちを察していたのだ。
司令官代理を任される人間が、一人の少年に対しここまで考え及ぶというのは、普通は考えられないことだと二人には思えた。
それだけラン・アーネルドがツバサという人に注目している、ということにもなるだろう。


「随分と期待してるんですね、ラン司令官代理」
「ああ。自分でも不思議に思うくらいには。まあまずはその立場を経験させてみて、今後彼がどのように動くか、ということさ」


こうして、周囲の期待もある程度集めるようになっていたツバサ。
幾度もの戦いにおいて、彼の能力が少年のそれとは思えないほど高いものであるという評価は、部隊内の兵士の知るところとなっている。
彼にとっての苦難の道はまだ始まったばかりではあるが、それでも周囲の評価を高めていくことで、彼にとって良い環境が生み出されることもある。
彼自身、自分への周囲の目線が少しずつ変わり始めていることを自覚していた。



……………。
そして、今日も敵の侵攻に遭遇し、それを食い止めたところだった。


「おっけ、みんな無事みたいだな!」
「取り敢えず安心ね。誰か傷を負った人はいないかな」
「あー、レンさん!消毒液と包帯を分けてもらえるだろうか」
「はい。今用意します」


ヤルヴィン基地に辿り着くまでの間、彼らは複数回の奇襲に遭っている。
その度に部隊にも犠牲者が出て、決して満足とはいえない戦力の状況が続く。
たとえタヒチ州やオルドニア州の残存部隊を統合したとしても、万全の状態が来ることはない。
これほど敵に襲われる時間が続くと、果たしてヤルヴィン基地まで無事に辿り着けるのか、着いたところで防衛できるのか、という疑問が残る。


「大したものだな、ツバサ。まさかここまで出来るとはな」
「いや~相変わらずすげえな。前から思ってたことではあるけどよ?」
「おいおいー褒めたって何も出ねえぞー?」


それでも、ヤルヴィン基地までの行程は進み、残り三日程度で辿り着くところまで来ていた。
今彼らは一大勢力を保ちながら、基地までの行程を進めている。
更に民間人を防衛しながらの任務となるので、余計に気を遣うところも多く発生していた。
だが、だからといって民たちをそのまま放っておくことなど出来ないし、いずれにせよ安全地帯と定められる西の地まで進む必要はあった。
ヤルヴィン基地郊外には空軍用の滑走路もある。
必要であれば、輸送機を使用して民間人を更に遠くへ送る手段も講じるだろう。
ツバサが大きく一息ついた時、


“やあ、ツバサくん。久し振りだな”
向こうは自分のことをよく憶えているっぽいが、果たして誰だったか。
ツバサが少し口を曲げながら記憶を辿ると、先に相手の方が「忘れてしまったかな」と笑いながら話をする。
彼のもとにやってきたのは二人の大人だったが、彼らが名前を言うとすぐにツバサは思い出す。


「オルドニア州軍のリーアムとターナーだ。ほら、君を士官学校に案内しただろう?」
「あ!あん時の!!」
「思い出してくれたか。まさかここで会えるとは思ってもみなかったな」


タヒチ村の道場に視察に来て、次なる兵士として彼を直々にスカウトした面々である。
オルドニア州軍所属のターナー少尉とリーアム軍曹。
共に一連の襲撃から生き延びた数少ない兵士である。
二人は他の生き延びた兵士たちと同じように、タヒチ州にグランバート軍が上陸した報を受けて、増援に向かった。
村で激しい戦闘を経験し、彼ら自身も負傷したが軽度なものであった。
部隊の所属は異なるが、現在は共にオビリスク駐留基地の部隊の一部に組み込まれている。



「………しかし、驚いたよ。まさか君たちまで一緒に戦っているなんてな」
その言葉はツバサにではなく、ツバサの友人である三人に向けられていた。
リーアムもターナーも、子供たちの顔を覚えていた。
あの道場では、ツバサという少年があまりに目立ち、それにばかり注目してしまっていた。
だが、彼と共に鍛練に励む者の姿を、二人は今も覚えている。
二人の州軍兵士からすれば、全く予想もしなかった展開が目の前にある。
自分たちがオルドニアの州から別の任地へ向かっていることも、ツバサやその友人たちがこの部隊にいることも。
戦闘後の処理を終わらせつつ、ツバサたちから話を聞くターナーとリーアム。



「そうか。意外と早い段階で実戦部隊に入れたんだな」
「へへ、まあな!色々あったんだけどな。少尉や軍曹のほうはどうだったんだ?」
「私たちか?そうだな………決して楽な状況では無かったな。でも、今こうして命があるのだから、まだ良いだろう」


それらの言葉の中に、並々ならぬ状況があったことを察したツバサは、詳しく聞くことはせず、お互いにあらゆる壁に直面してはそれを乗り越えて来られていることを良しとし、その思いを共有していた。



「しかし、どうにも状況が妙だと思わないか、ツバサ」
「ん?………ああ、なんで敵はあらゆる方角からやって来れるんだって話だろ?ソロ」
「そうだ。追われているのなら理解も出来るが………」



リーアムとターナーに混ざるようにして会話に入ってきた、友人のソロ。
ツバサだけでなく、ソロも、その場にいる他の人たちも、薄々感じ始めていた異変。
この地はソロモンの領土だと言うのに、あらゆる方角から敵の強襲を受けている事実。
幾度も戦いが続く状況を考えると、既に相当数の敵部隊が大陸に上陸し、各方面から侵攻を始めていることが容易に想像がつく。
彼らもその状況を確認しながら進みたいところではあったのだが、一つ問題があった。



「しっかし、味方とも連絡が取れねえってのがなあ………」
そう。
彼らだけでなく、オビリスク駐留基地の部隊全員が、他の基地や部隊との連絡が取れない状態になっているのだ。
タヒチ州やオルドニア州を出た頃はそれほど影響を受けていなかったのだが、今では通信は遮断され、無線機から聞こえてくる音はザーザーという喧しい音だけである。
単純に機械のトラブルかと疑ったが、同じ部隊のほぼ全員がそのような状態に陥っていることから、単なるトラブルではなく意図的に仕向けられた可能性のある事象と考えていた。
彼らが疑いを持つのも当然のことである。
ここは自国の領土内で普段通信が遮断されることなど無い。
ということは、グランバート軍が通信回線を混乱させて使えなくさせている可能性がある。
そう考えるのがごく自然であった。


「ヤルヴィン基地まで辿り着ければ、ある程度の情報を収集できるだろう。とにかく今は進むしかない」
「ああ、確かにそうだよな。それしかねえ」
「なんだか嫌な予感がするね………ツバサ」
「分かるけどよ、あんまり深く考えすぎないようにしよーぜ!滅入っちまうしな」


いつものような雰囲気で彼らしく話すツバサであったし、その言葉を聞いて他の人たちも一息ついて安心した。
だが、あらゆる可能性を考え続けていたのは、寧ろツバサが一番だったのかもしれない。
表ではいつもと変わらない振る舞いをしながらも、裏ではこの経緯をきちんと洞察し、今後の危険を充分に考えている。
無論他の人がそのような考えを持ち合わせていない、という訳ではないが。
グランバート軍の動きが奇妙なのは明らかであった。
まるで自分たちが包囲されているような感覚すら感じていた彼ら。
その危機感が現実のものとなるのは、すぐ後のことだった。



……………。

第13話 少女の思い

「ほう。中々興味深い情報だな。居場所は突き止めているのか?」


ソロモン連邦共和国軍オビリスク駐留基地の部隊が、各地で囲まれるようにしてグランバート軍からの攻撃を受けていた。
時刻の領土の中で、しかも内陸部に入り始めているはずなのに、グランバート軍は次々と彼らに襲い掛かって来る。
その状況自体が不透明で疑念を抱かずにはいられないものとなっていた。
敵は一体どれほどの部隊をこの大陸に派遣させたのだろうか、と。
当然、連邦軍としてはこれらの攻勢に対し迎撃しなければならない。
そうしなければ、民たちが守られず、捕虜となる可能性が非常に高い。
捕虜になれば彼らの生活は保障されず、いずこかに後送される運命を辿ることになるだろう。
オビリスク駐留基地の部隊は、タヒチ州からオルドニア州を経て、連邦軍の陸空拠点の一つであるヤルヴィン基地へ向かっていた。
その途上、幾度も攻撃を受けてきたが、犠牲を出しながらも彼らはそれを切り抜けてきた。
その情報が、グランバート軍の上層部にもようやく届いたのである。
――――――――――――――――アスカンタ大陸王都アルテリウス。
占領下に置かれたアルテリウス王国は、実質的な統治機構を失い、要職についていた者たちは皆軟禁状態にある。
国としての機能は最早果たすことが出来ず、そこに住まう民たちも不自由を押し付けられる生活を送ることになっていた。
現地で治安の統治を続けるグランバート軍は、ソウル大陸北部から増援を受けながら維持活動を続けていた。
その現場を統治しているのが、グランバート王国陸軍第一陸戦部隊の司令官ロベルト少将である。



『北部中央地域にある基地に向かってるのは、間違いないと思います。ただここに辿り着かれちゃ、中々手出しは出来んでしょう』
「………都市ヤルヴィン、か。都市の防衛部隊だけでも突き崩すのは至難かもしれないな」
『たぶん、ここに辿り着かれたら、逆に俺たちは反撃され始めると思いますね』


ロベルト少将と話をしているのが、ジュドウ大尉である。
ジュドウはソウル大陸侵攻部隊の統率者の一人として派遣されており、アスカンタ大陸侵攻作戦からの連戦である。
やや大雑把な性格の持ち主ではあるが、軍人としての必要な責務を全うし続けている。
本当であればロベルトもソウル大陸に渡って、共に戦線を切り拓いて行きたいと考えていたのだが、現時点では本国から止められている。
占領下においたアルテリウス王国の治安統治に重点を置くように、との命令である。
そのため、自分の配下にいるジュドウを中心に部隊を編成し直し、敵国領土に送り込んでいる。
7月も終わりに近づき、8月が迫る頃。
この時既にグランバート王国軍は、ソウル大陸の最北部から東西に渡って、広範囲を占領下に置いていた。
開戦当初から指摘されていた“ソロモン連邦共和国は防衛範囲が広すぎて、守りが手薄になる”という欠点を、確実に貫いた結果である。
しかし、彼らのもとにも座視出来ない情報が幾つか舞い込んできている。
一つは、東側から敗走する部隊が、中央部に位置するヤルヴィン基地に集結し始めているという点だ。
グランバート軍にとっても、ヤルヴィン基地はソロモン連邦領の各州へ通じる主要街道の集まりに位置していて、戦略上の要衝と考えていた。
恐らくはグランバート軍が攻め入る可能性を考え、あらかじめ防備を固め始めているのだろう。
報告を聞いたロベルトはそのように判断をした。


『その前に封じ込めた方が良いですか?』
「それには敵の正確な位置情報が必要だ。ヤルヴィン基地までの間に野営しそうな場所はあるか」
『そうですねぇ………ヤルーツクの町とかでしょうか。小さい町ですが、ここを離れれば後はヤルヴィンまで着くでしょう』
「どの部隊が先行できる」
『シャナ少佐の部隊なら一番早いでしょう。………いいんですか、任せることになりますが』


通話越しのロベルトは腕を組んで溜息をついた。
ロベルトは、出来ることならジュドウ隊を直接“標的”に差し向けたいと考えていたのだが、それを待っていては標的が目標地点に辿り着くことが容易に想像できてしまう。
それよりも、先発出来る部隊を敵にぶつけて戦力を削ぐことが出来れば、今後の戦略が練りやすくなるだろう。
作戦を優先し、私情は出来るだけ挟まないようにする。
それが司令官として必要な資質の一つであり、当たり前にこなさなくてはならない責務でもある。
そうであるはずなのだが、彼自身あまり釈然としない思いを抱いていたのも確かな事実である。



「仕方がない。最も早く到着できる部隊にやらせた方が都合がいいし、シャナの部隊ならそれほど無茶もしないだろう。伝令を出して指示を即時伝えてくれ」

『了解です、司令官。他の部隊も順次向かわせるってことで良いんですね。当初の予定通り』

「そうだ。西側の方は既に手を打ってある。ジュドウもヤルヴィンまでの行程をそのまま進めてくれ」


通信が終了すると、ジュドウは少し溜息をつきながら味方に指示を出した。
ここからシャナ少佐の率いる部隊に伝令を送り指示を伝える。
本来ならば、今こうしてロベルトと通話していたように指示を伝えることが出来るのだが、彼らが次に設定している作戦区域は電波障害の影響が出ており、通信機器を使うことは出来ない状態にあった。
もっとも、その電波障害を起こしたのもグランバート軍であり、自分の首を自分で絞めたようなものなのだが、これには明確な意図がある。
その後の作戦に関わる重大な戦略の一つだ。
ロベルト自身は戦線に加わることは出来ないが、それらの作戦が上手くいけば、北部地域はグランバート軍が占領したと言っても良い状態になるだろう。


「ジュドウ大尉、指示通り伝令を向かわせました。」
「おう、ありがとう。ご苦労だったな」
「大尉は、ロベルト司令の考えをどうお思いなのですか………?」


ジュドウは前線部隊の一指揮官という立場でもある。
彼に委ねられた兵員のすべては、この場においては彼が絶対の指揮官でありトップの人間だと思っている。
部隊の中にいる者としては、そういう考え方で普通なのだろう。
ロベルトはその彼を統率し、場合によっては現場の部隊すべてを統括することの出来る立場にいる。
シャナ少佐の部隊が先陣を切って“標的”を狙いに行くという作戦が知らされた時、兵員たちの間では少し疑念が浮かび上がった。
それはこの作戦に関するものではなく、先陣を切って突入する大役を担う代表者に対して向けられたものであった。


「上の司令だからな。何言ったって俺たちにぁどうしようもないことだ」
「まあ、それはそうなのですが………」
「まあでも、考えてることが分からん訳じゃない。俺もシャナ少佐に委ねるのは本意じゃない」


彼女に対しての思い。
彼女がこれまでの経験で大きな失敗を犯したからとか、取り返しのつかないことをしてしまったとか、
そういった理由はそこには一切含まれていない。
寧ろシャナという女性はグランバート軍に大きく貢献している立場とも言えるだろう。
でなければ、少佐という階級まで上り詰めることは出来なかったはずだ。
しかし、兵士たちがよく話す理由というのはそこにある。
―――――――――――――シャナ少佐は、戦闘における技量は軍でも高い評価を得ている。
多くの戦果を挙げてきている。
彼女の力量は、多くの兵士たちが認めるところだろう。
だが、人間性としてはどうだろうか?
無表情で冷淡な女性、他の者との関わりを極端に持たず、その眼差しはいつも凍り付くようだった。
まるで情の無い人形が動いているかのように。
そのような人間が指揮官クラスの階級に位置し、部隊を統率していることに疑問を感じずにはいられなかったのだ。
一兵士としてならば、彼女は何人もの戦力を補うだけの力を有しているだろう。
指揮官としてはどうか。
力量は確かでも、協調性が無くコミュニケーションも取れない者を指揮官として信じられるのか。
否、大半の兵士たちは彼女の腕は認めていても、彼女という人間を信じてはいなかった。
その反面、ジュドウは兵士たちからの信頼も厚く、彼の部隊の士気は旺盛だった。
作戦に関わる者たち次第で戦況がどう変化するかは分からない。
だが、そのような信頼に置けない上官の下で、兵士たちが自分たちの力を発揮できるのだろうか。
その点をジュドウも考えなくは無かった。



「とはいえ、現実的にここからじゃ俺たちはどうしたって遠い訳だし、シャナの部隊が先に着くのは間違いない。待機させている間に逃げられても、こっちに状況を引き寄せられなくなるからそれはそれで困る。だからどうすることも出来ねえんだ」

「シャナ少佐の部隊が標的を一掃したらどうしますか…………?」

「出番が無くなるのは勘弁だな。けど奴らだって中々の腕だと聞く。たとえシャナの部隊でもそう簡単にはいけねえだろうな」



イコール、それは自分たちも注意した方が良いという上官からの言葉だと、理解する。
ジュドウ率いる部隊も標的の到達するエリアに向かうことが指示されている。
敵が勇猛果敢な精鋭で揃っているのだとしたら、彼らの作戦を進める為にその精鋭部隊を排除することが必要になる。
そういう認識の下、行動するしかない。
迂闊に近寄れば逆撃を被る。
それは、これまでの戦闘報告の数々を見れば明らかであった。


「俺たちの部隊も夜が明け次第動く。都市ヤルヴィンへ進軍だ」
「はっ」


幾つもの思惑が現実の形になろうと、その歩みを進め始めている。
その渦中にある連邦軍の部隊は、ヤルヴィン基地まで向かうまでの行程の中で最大の試練を課されることとなる。
何しろ、ロベルト少将が出した指示のもと、攻撃命令を実行するために出撃したのは、オビリスク駐留基地の部隊を殲滅するという目的があってのことだからだ。
“敵に我々の上陸部隊を幾度となく退ける強者がいるようだ”
その情報が届いたのは、タヒチ州やオルドニア州での戦闘を経て、オビリスク駐留基地の部隊がグランバート軍の進撃を七度防いだ頃のこと。
当時すでにグランバート軍は北部、北東部からの上陸を次々と行い、各方面に侵攻し始めていた。
広範囲に領土を持つソロモン連邦共和国軍にこの上陸を防ぐ手はなく、ひたすら領土内を敵軍に蹂躙されるという最悪の事態を招いていた。
ここまではグランバートとしても上手くいったと思っていたのだが、それを悉く覆す結果をもたらす部隊の存在を知らされた。
既に数百名規模の損失が出ているうえ、その事態を起こしているのがたった一つの陸戦部隊であると聞けば、無視することも出来ない相手と認めざるを得ない状況となった。
因みにこの情報を知るのは、上陸させている各々の部隊を統括する立場にあるジュドウと、それらを統率するロベルト、作戦に携わる部隊の者たちだけであり、ソウル大陸の本国の上層部には何ら知らされていない。
この時点でこの部隊の存在がそれほど重要視されてはいなかったのだ。


一方、その部隊は。

「………はあ。やっと着いたぜ」
「流石に疲れましたね」


ヤルヴィン基地まで残り僅かのところまで来ていた。
ヤルーツクの町は、ヤルヴィン州都市ヤルヴィンの隣町に位置するところで、ヤルヴィンまでの距離は50キロほどと、大陸全土の距離感から見れば至近距離のところにある町だ。
この町は特徴が無いのが特徴と言うくらい、何も無い町と認識されている。
隣のヤルヴィンがあまりに大きく拡大してきたため、生活に必要な物の揃いはヤルヴィンで整えられることが多い。
そのため、この町は徐々にヤルヴィンに移住する人たちが多くなり、住宅ばかりが立ち並ぶ町となったのだ。
この町の人口は約3万。
町の中で生活をすること自体に不自由はないが、言ってしまえばプラスアルファをここで求めることは無い。
必要最低限の生活、経済の回転、それがあれば良いというもの。
この町に生きこの町で死する者もいれば、ここを出て行く者もいる。
どちらも一定の数存在するのだが、互いに比例することはなく、後者の割合が多いというのが現状だった。
無理もないことだろう。
人間というものは発展した科学技術の中で生き、より便利なものを求める。
それはある意味人間にとっての習性のようなもので、退化することを望む者はほぼいないからだ。
その点、この町は退化せずとも停滞したまま、と言って良いだろう。
オビリスク駐留基地の部隊はこの町に辿り着き、明日にはヤルヴィンに辿り着くだろうという距離まで来た。
元々彼らが所属していた基地を離れて、二週間以上が経過している。
不可解な襲撃も数多く遭遇したが、そのすべてを乗り越えてここまで来た。


しかし、ヤルヴィン基地に辿り着くことが彼らの目的であっても、終着点ではない。
この戦いが続く限り、この情勢が改善されない限り、戦いながら戦いから遠ざかるという彼らの足取りは変わらないだろう。


「こんなにこの町は普段から静かなのか………?」
「いや、違う。ここに住む人も恐らく、戦いの足音が近いと知って離れ始めているんだ」


ツバサ分隊の最年長ケーンバーク伍長がそのように話す。
彼はこの町に深く縁がある訳では無く、来たことも殆ど無いと話すが、この場の雰囲気から考えられるもっともらしい状況をツバサに伝えた。
そしてその考えは皆が共通に思うことだった。
町自体それほど活気に満ちた雰囲気は感じられない。
閑静な住宅街が連なるというイメージだろう。
だが、それにしても、この町はまるで日が翳ったような姿を見せている。
天候的要因が影響しているのではなく、この町が持つ雰囲気というものを感じてのことだ。
人がまばらにしか見られない。
夕方の時間帯だと言うのに、明かりのつく家が極端に少ない。
そして通りにやってきた軍人を懐疑的な目で見つめる少数の人々と、その表情。
傷付いた兵士たちの集団、という姿を見れば、たとえ子供であったとしても想像するだろう。
この状況下だ、この町にもすぐに敵がやってくるだろう、と。
この状況において人々はあらゆる考えを持つし、時に主張する。
徹底抗戦を主張する者、諦めて降伏を勧める者、戦闘を避けて疎開する者、ただ嘆くだけの者。
軍人の集団を見て荷物をまとめてここを離れる人がいるくらいだ。
軍からすれば“勝手な行動をされては身の安全を守れなくなる”のだが、市民にその声が届かないことも多い。
だが、えてしてそういうケースで民たちが襲撃に遭うと、軍は彼らを救わなかったと否定と非難を浴びせられるのだ。


「そうなのか………だったら俺たちと一緒に行動してた方が良いんじゃねえのか。その方が、少なくとも守られるだろ」
「ああ。それは事実だろう。だが彼らには彼らの下した決定がある。強制は出来ん」
「………チッ、そういうことかよ………」


出来ることなら、危険になると分かっている住民すべてをまとめて守りたい。
そういう思いがツバサにはあるが、そのすべてを守ることは出来ない、と理解しなくてはならなかった。
ケーンバーク伍長の言うことは至極最もなことだった。
軍はこの戦争に関して、特定の場所へ避難するように伝えたことは一度も無い。
政府も同様である。
もし仮にどちらかの組織が強制力のある法を以てそれを実行させていれば、この町の住民も大半は移動したかもしれない。
だが、強制させることのない現状では、市民の意思決定を無理やり奪うことは出来ない。
たとえ軍であっても非人道的なものを“自国民”に押し付けることは出来ない。
ツバサはこの時少し危険な思考に傾いていたのかもしれない。
彼らを強制的にでも保護して行動を共にさせれば、ここにいるより遥かに安全な場所へ連れて行くことが出来るだろう。
しかし、同時にそれを強制させることが出来ない歯痒さも感じていた。
留まる人は留まり、流される者は流される。
何もすべての人に意思を強制させることなど出来るはずもないのだから。
ツバサの部隊も含め、町の中の簡易的な調査を行い、危険性が無いと判断された後に町の外で野営場を設営した。
自分たちの領土の中にある町とはいえ、既に幾度となく敵軍からの侵攻を受けている。
ここもあるいは、敵の攻撃を招く可能性が非常に高い。
町の中とはいえ安全が確保されているとは言い切れない。
その思考が部隊を警戒させた。


「お疲れ。どう、分隊長って立場に少しは慣れた?」
「よ~レン。いやいや、まだ何していいのかサッパリだ~」


僅かな時間の休息となるが、それでも身体を休めるのには絶対に必要な時間である。
その時間はいつも決まって夜に訪れる。
野営場を作り終え、交代で休みながら過ごす夜。
7月も終わりというのに、今日の夜風はなんだか涼しさを越えて肌寒さを感じるほどだった。
周りで休んでいる人たちを避けて、一人離れに居たツバサのもとへやってきた、レン。


「でもスゴイね。それだけ期待されてるってことかな!」
「どうなんだろな。でも、そやって期待されると余計力が入っちまうっていうか」


レンに笑顔は見られるが、その心境を察すると複雑なものであった。
無理もない。
自分と一つしか変わらない少年が、他の人たちを率いていかなければならない。
その重圧は誰よりも本人が一番知っていることだろう。
ツバサはそうした重圧も力に変えて跳ね除けてしまいそうな人だ、とレンは思っている。
けれど、ツバサはツバサなりに考えることがあるのだろう。
いつも見慣れた彼とは異なる一面も、彼女は結構前から知っている。


「レンこそ大丈夫か?流石に疲れただろーさ」
「まあね。でも、みんな一緒だからっていうのもあるのかな。自分ではまだまだやれるって、思ってるよ」
「確かに、知ってる人が傍にいるってのは良いもんだなーって俺も思うよ」


それにしても、本当に不思議だよね。
自分たちの征く路がこんなものになるだなんて――――――――――――。


それは、後悔を示す表現ではなく、自分たちの運命がどのように左右されていくかが本当に分からない、という意味で不思議と示したのだ。
ついこの間まで、このような生活を送ることになると想像はしなかっただろう。
ツバサにしてもそうだ。
タヒチ村が襲撃されその原型を崩されてしまったのは、彼にとっても大きな衝撃だった。
何人もの知っている人を亡くした。
けれど、今こうして生きている人たちは次なる道を歩むことが出来る。



「俺一人じゃどうしようもないって思ってたけど、士官学校に行って友達も増えた。生死を分けて戦わなきゃならねえってのが勿体ないくらいだけどな。でも、おかげで俺も沢山助けられてる」

「きっと、周りの人は逆にツバサに助けられてるって、思ってるよ」

「えーホントか?いやどーなんだろ」

「だってツバサ、やっぱり強いからっ。そうだ、聞きたいと思ってたの。ちょっとでいいから、士官学校の話、聞かせて?」



士官学校時代の話は、決して明るいものではなかった。
彼にとっては為になることが多かったが、その過程で大きな事件もあった。
それが今の彼らの運命に導いているのだとしたら、それこそ不思議な縁もあったものだ、と思うところだろう。
あの時、ツバサがあの事件を解決させていなければ、関わっていなければ、今もまだ士官学校にいたかもしれないのだ。
因みにオルドニア士官学校は、グランバート軍の上陸を受けてすべての機能を停止し、皆バラバラではあるが前線部隊に送られた。
兵役義務を消化するために送り込まれた青年たちも、自ら望んでやってきた青年たちも、すべて。
教育を担当する学校の教官たちすらも、戦いに備える為に散り散りになったのだ。
指導役だったとしても、元々の立場は軍人であり戦う兵士でもある。
当初とは異なり、軍はこの戦線が拡大し、かつ自軍が不利になる状況が続くだろうとの予測を立てていた。
一部の士官は、このような事態に陥るであろうことを早く正確に予測し、警戒すべきであるとの考えを持っていた。
だが、こうなってしまっては、もう手遅れだろう。
出たとこ勝負、来る敵に立ち向かうという基本的な立ち回りは、かえって不利な状況を加速させるに至る。
あらゆる方角から敵の攻勢が来ることが予想された時、一人でも多くの兵士が現場では欲しくなる。
そのため、士官学校を閉鎖し、そこに勤める人、通っていた学生すらも前線に送り込まれた、ということだ。


彼は、その事態に陥る前に、一つの事件がキッカケで“最前線送り”されることになった。
オビリスク駐留基地は、グランバート軍がこの大陸に上陸するより前から最前線基地となることが確定されていた。
北部から敵が攻め入るのであれば、この基地が重要拠点になる、と。
様々な思惑はあったが、彼は初陣をこの部隊で過ごし、これまで幾度となく戦闘状態となっても切り抜けてきた。
この部隊の中ではその成果が認められ始めている。
多くの味方兵士が彼の存在を知り、また意識するようになっていたのだ。



「そうだったんだ………それじゃあ、今は注目の的だね」
「まあ、そういうことなんだろうな」
「でもそこは、村の学校時代と変わらないね?」
「どーだか!」


彼女の心の中では、あの当時の記憶が鮮明に思い出される。
今となってはもう戻ってくることのない日常だ。
あれだけ当たり前のように過ごしていた日々も、こうして戦争がすべてを変えてしまった。
彼らの生活も、立場も、運命さえも。
それに関して後悔はない。
ただ、当たり前にあったものが失われるという怖さを思い知ったレンは、それがまたいつか訪れるのではないかと恐れていた。
毎日、どこかの時間でそうした過去を思い返す。
楽しかったあの日々を思い浮かべる。
ツバサは学校でも村の中でも人気者で、彼の存在を知らない人はいないというくらいだった。
良い意味で目立ち、あらゆる人に影響を与えていた。
時々やんちゃで困ることもあったけれど、今の彼は成長し大人へ向かっているのが感じられる。


でも、どうしてだろうか。
それは同時に、寂しさのようなものも感じる。
よく知る人が立派に成長していく姿を見られるのはいい。
良いことなんだけれど、この気持ちはいったい。


「そういや、レンのお母さんは何とも言わなかったのか?」
「うん、色々と話し合いはしたけれど、送り出してくれたよ」



彼女が自らの決意を母親に打ち明けたのは、ツバサたちと共に戦ったタヒチ村の襲撃直後のことだった。
彼に伝えたのち、母親にも心の内を打ち明けたのだという。
無論、反対もされたことだろう。
これから彼女が歩む道は決して簡単なものではない。
自分の命に関わることで、母としては止めさせたいという思いもあったはずだ。


「お母さんも、私のお父さんも、かつて戦争の只中に身を置いてた。酷い有様を何度も見たって言ってたけど………お父さんは、それでも助けられる命があるのなら、そのために自分の全力を尽くすんだって、お母さんによく言ってたみたい」



今の貴方は、あの時のお父さんにそっくり。
あの人も、目の前で困っている人を放っておくことが出来ない人だった。
………そうね、私も同じだったかな。
いい、レン。
貴方がこれから歩もうとする道は決して楽なものじゃない。
醜いものばかりを目にすることになる。
けれど、貴方がその決意を曲げずに前へ進もうと思うのなら、私も貴方の道を塞いだりはしない。
貴方の思うように、やってみなさい。
それで救われる命も、きっとあると思うから。


レンの母は、かつて自分が同じような時を過ごしたことがあり、彼女のその言葉の中に自分という存在を照らし合わせた。
言葉通り、本当に昔の私たちにそっくりだ、と母は驚いていたのだ。
子供が死地の渦中に飛び込むという現実を、本当は見せるべきではない。
そもそもこの戦いがなければ、そのような決意をする必要もないのだ。
でも、こうして戦争は起きて、戦わなくてはならない時がきて、そのために大勢の人々が失われている。
止めたいと思う心が集まれば、いつかはその元で起こされた行動が実を結ぶこともあるかもしれない。
それでも、と信じて歩き続けることが大事なのだった。
彼女の母は自らの子供を送り出した。
この先どのような運命が彼女に待ち受けているのか。
無論、それを知る術はない。


「一緒には来なかったんだな」
「うん。自分がいるとつい口を出したくなっちゃうからって」
「はは、それもそうか。お母さんだもんな」


ツバサは、自分と年齢が程近い人たちと比べても、親と共に過ごした時間が短い。
そのため、逆の立場で想像することは彼には難しかった。
けれど、今回で言えば分かりやすい状況が目の前にあった。
親の立場を考えれば、危険な目に遭うことが分かり切っているところへ見送るなど、気が気でなかったのではないだろうか。
それを彼女の決定だから、と受け入れたのは、彼女の母がいつかの自分たちを見るようだったから、なのかもしれない。
いや、たぶんそうに違いない。
ツバサもそう思うことが出来ていた。
もし自分の傍に今も両親がいたとして、彼がこの道を征くと決めたとき、両親はどのような顔をするのだろう。
無論、今更それを考えたところで答えなど出てくるはずもなし。


ただ、探すことは出来る。
あるいはどこかで。


「大勢の人々の幸せを護るためって言っても、私にできることは限られてる。でも、私も目に見える人たちの助けになれれば良いなって、思うよ」
「大丈夫、もうなってる。その先もきっとな」
「もしツバサに何かあったら、私が全力で助けるからね!」
「お、イイネ心強いなー!」



『私が全力で助けるからね!』
この戦争を早く終結させたいと願い、そのために奮闘する一人の少年。
誰かの助けがしたいと志し、その少年と共に運命の旅路を歩み始めた一人の少女。
この時彼に打ち明けた少女の言葉が、後々まで彼の脳裏に響き渡り、そして生涯忘れることのない言葉と変わっていく。
この時はそれほど意識することもなかった、というか、後々あれほど強くこの言葉を意識するとは、思ってもみなかったのだ。
生涯忘れることのない、言葉。
彼女の思いの一部が言葉に乗って彼に伝えられる。
少女の願いとか思いとか、そういった感情のこもるものに対して、彼は鈍感であった。
その言葉にどれだけの思いが込められていたのか、深く考えることはしなかった。
ある意味で彼の不器用なところであり、損をしている部分でもあるだろう。
大人になって、ある出来事が起きて、今ある現実が大きく変わったとき、自分自身の未熟さと鈍感さを思い返して、少しばかり自分を恨むことになるのだが、それはまだ先の話である。


―――――――――――――この路において、一つの山場を迎えることとなる、前日の夜のことだった。



……………。

第14話 認知


夜明けの知らせだった。
小さな町の離れから大地を見渡せば、遠くには山々が連なり、自然に満ちた大地が広がっている。
地平線から昇り始めた太陽は、その見渡す限りの大地を照らし始め、徐々に地上に光をもたらしていく。
戦時中でも無ければ、もう少し穏やかな気持ちでこの夜明けを迎えることが出来たのかもしれない。
綺麗なものはキレイだ。
それが汚れ穢されているものと思えてしまうのは、彼らの今置かれた状況が深刻なものであるからだろう。
この戦いがいつまで続くかも分からない。
いつ自分が死の淵に追いやられるかも分からない。
あるいは、既に冥界への門をくぐろうとしているのかもしれない。
彼らの運命がどのような運びとなるのか、それは彼ら自身にすら分かっていないことだ。
戦いは続く。
その運命とやらがどのような結末をもたらすことになるのか。
末路を表すための過程が刻まれていく。


「……………」
今日、ようやくヤルヴィンに辿り着く。
それまでに一度、敵の攻勢があっても不思議ではないだろう。
どれだけの人を護りながら戦うことが出来るだろうか――――――――――――。
頭の中では冷静に、ツバサは夜明けに昇る太陽を腕を組んで眺めながら思考する。
戦いを止めることは出来ないだろう。
であれば、どのようにして味方の犠牲を防ぐかを考える必要がある。
しかし、今の現状自分たちは相手から先制攻撃、奇襲を受けることが当たり前のようになっている。
せめて敵の場所が分かるような活動が出来ればいいのだが、民を連れ、根拠地に辿り着かない自分たちにそれは難しい。
グランバートの軍勢も、ヤルヴィンの基地を警戒しているはず。
となれば、そこに戦力が集中してヤルヴィンが難攻不落の都市、基地になるのは出来るだけ避けたいと思うだろう。



「……………敵は必ず仕掛けてくる。間違いなく」
座してそれを待つのはどうも歯痒い。
ヤルヴィン基地に無事に辿り着いたのなら、今度はこちらから反撃する機会を作らねば。
この時のツバサの考えは危険な思考も併せ持つものであったが、彼らの現状を考えると必要な手段の一つであった。
ただ黙って攻められるのを待つのは、敵に機会を与えてやるようなもの。
本来の地場の強さを見せつけ、相手を追い返すにはこちらから押してやらなくてはならない。
ツバサはその先頭に立って、まずこの大陸から戦争を遠ざけようと考えていた。
自らにそれを課すかのように。


夜明けの時刻が過ぎ、人々の動きが目立ち始める朝。
町にひと気は少なく、寧ろ後からやってきたオビリスク駐留基地の部隊の兵士たちや、彼らと共に逃げてきた民たちばかりが町を歩く。
この町の人口はそれほど多くもないが、既に疎開で遠くに離れていった人も多い。
それでもこの町に残り続ける人もそれなりに居ると聞き、ツバサとしては出来れば全員この場から避難させたいと考えていたのだが、彼らの行動に強制力がない以上それを強要するのは難しい。
彼ら自身の決めた意思を捻じ伏せてまで従わせようとは思えなかったし、出来なかったのである。


「おはよう。ナタリア」
「おはようございます。ツバサ」


彼は他の分隊員よりも早く起き、自分たちで設置した野営場の片付けをしていた。
そこへナタリアが彼の手伝いをしに隣にやってきたのである。
既に夜も明け太陽の光が照らし始めている。
今日は天気になりそうだ。
遠くまで見渡すことが出来るだろう。


「随分と早く起きていたようですね」
「まあな。朝から色々考えちまってた」
「意外と苦労性なのかもしれませんね。見た目とは裏腹に」


少しだけ微笑んでみせたナタリアはいつも通りにも見える。
ヤルヴィンまでの距離は近く、今日中に辿り着くのは間違いない。
都市ヤルヴィンはこの中央地域でも大きな都市の一つであるし、防衛能力も高いため、そこにさえ辿り着ければ今以上の安心を得ることが出来るだろう、と多くの人は考えていた。
そのため、ヤルヴィンを前にして少し浮かれる人たちが多かった。
無理もないだろう。
ヤルヴィンが一つの防衛拠点として聳え立つ壁になっている。
グランバートはここを意識するだろうし攻撃も仕掛けてくる可能性は高いが、守りが強固になれば難攻不落と化す。
街そのものが要塞となるかのように。


「かもしれねえなあ。やだやだ、悪いことばっかり考えるのはやめねえとな!」
「その元気と威勢の良さが貴方らしいです」
「ふふーんそうかな………っと、なんかやってるな」



彼の視界に入ったのは、すぐ近くのテント。
既に外側の仕切りは外されているが、テントの中はやや広めで椅子と机が幾つか置かれている。
そこに座っていたのは、このオビリスク駐留基地の部隊の中でも最高階級に位置する者たち。
そのほかに、分隊長よりも更に高位に位置するヌボラーリ少尉、マーカス准尉、フェルディオ准尉。
実戦部隊の中でも多数の兵士を統率する、部隊長たちも加わっての話だ。
ヤルヴィンまでの行程は今日で終了だが、こうして次の作戦行動について話し合っているのだろう。


「ツバサ。一つ聞いておきたいことがあるのですが」
「ん?なんだ?」

「分隊長となったからには、私も含め他の分隊員は貴方の下で働く、という立ち位置になります。その場合、私は貴方からの命令を受ければそれに従う用意があります。貴方は分隊長として、私たちを統べる長として、どのような状況下でも命令を出せますか。」



――――――――――――。
恐らく、その問い自体にそれほど深い意味は無い、とツバサは一瞬で考えた。
なぜそう思ったのかと言われれば難しいが、なんとなくそうだと感じたのだ。
彼女の問いは彼女の心の中に在る何かを満たすためか、あるいは解消するためのもので、自分たちの立ち位置を明確にするための線引きをしようとしている、とは彼には思えなかったのだ。
命令を下されるのを拒むとか嫌がるとか、そういう仕草をナタリアは見せてはいない。
いざとなればそれがどんな状況であっても従う覚悟がある、と言うくらいだ。
これまで共に決して緩くない道のりを歩んできた者として、彼の今の覚悟とか思いとか、そういったものを聞いておきたかったのだろう。
そして彼は自らそう判断し、その期待を汲み取って、こう話す。


「んまあ確かに立場上はそうなんだけどよ、でも大して分隊長らしくねえだろ?俺。そのうち誰かの上に立って色々やることになるのかもしれねえけど、先のこたぁ分からねえよ。でも、一つだけ言えるとするなら、俺は俺一人の考えでみんなを動かそうって気はそんなにないってことかな」


彼らの間柄だからこそ言葉少なくとも理解できるが、互いに理解し親交の無い者同士の話であったのなら、なんと抽象的で曖昧な答え方だと思うはずだろう。
どのような状況下でも命令を出せるのか、との問いに対し、自分ひとりの考えを強制させようという気はそれほどない、と回答した彼。
直訳すれば答えはノー。どのような状況下でも的確な命令を出すような状況を彼自身は作らない。
それは分隊長としては失格なのかもしれない。
分隊を束ねる長として、長の命令によって彼らの命運も分かれるかもしれない。
しかし彼の考えはこうだった。
もし自分が命令者として下したそれが大きな間違いであったのなら、それこそ自分の下で働く者たちを殺しかねない。
そうなるよりは、皆で考えて出した結論の方がよっぽど効果的だろう、と。
そこまで言葉にはしなかったが、ナタリアにはそこまでの考えが及んでいたし、彼の思いも汲み取ることが出来ていた。
彼の出した返事に、一人ふうっと落ち着き、それも貴方らしいですね、と彼女は反応した。
それで彼女は満足したのだろう。
この話題が次に進むことはなかった。
もっとも、話題が次に進むよりも前に寸断された、というのもある。


「おーいツバサ、ちょっといいかー!」
「へ、俺?」
「…………何かあるのでしょう。私はこれで、ツバサはどうぞあちらのテントへ行ってください」
「え、あ、ああ。分かった」
「片付けは私が進めておきますので」


彼を呼んだのは、彼がこのテントに用事が生まれることは無いと勝手に思い込んでいた、高級士官たちの集まるテントだった。
仕切りが外されているので、ツバサを呼び出す声は周囲の兵士たちにもよく聞こえていたし、そのおかげで注目もされた。
しかも彼を呼んだのはヴェスパー・シュナイダーだ。
オビリスク駐留基地の副司令官的立ち位置だった人で、今もその立ち位置にいる。
何かを察したのか、ナタリアはすぐに彼のもとを離れて、自分たちが野営に使った場所へ戻って行く。
ツバサは言われるがまま、彼らの待つテントへ来た。


「なんです?」
「昨晩に届いた偵察部隊からの情報なんだが、この報告文を見て欲しい」
「え?」

シュナイダーは彼をここに呼び、そして彼に第一に話しかけたのはヌボラーリ少尉だった。
どうやら彼らはここに届けられた一つの偵察情報を前に、話をしていたそうで。
普通下士官以下のものがそのような報告書を生で見ることなど無いのだが、シュナイダーが彼を呼んだのには理由がある。
偵察部隊が届けた情報は恐ろしく内部にまで通じているもので、直近の相手の行動予定まで記されていた。
そこには、
・ヤルヴィン基地に周囲から部隊が集まり始めている
・民衆の疎開が進んでいる
・半ば要塞化した都市ヤルヴィンへの有効な攻撃方法
など、敵軍が思案したと思われる内容が記録されていた。
だが、その中に気になる文章が一つある。



“北方より南下を続ける部隊の中に、我が軍の将来を脅かす重大な脅威があるものと認められる”



「…………まさか、これは俺たちのことか…………?」
「ああ。それに、もっと下を見ろ」



ヌボラーリに言われる通り、とにかくまずツバサはすべての文章を目にした。
偵察部隊が届けた情報としてはやたらと長い文章であったのだが、この文章は彼らが書いたものというよりは、敵軍の中で交わされた情報文と言う方が正しいのかもしれない。
それをどうやって回収したのかは、ここでは聞かない。
それ以上に彼に衝撃(インパクト)を与える文章が取り交わされているようだから。



「武に卓越し翻弄させる少年たちの存在…………って…………」
「そこだ。私たちはその一文が、君と君の周りにいる者たちのことを指しているものと判断している」



驚きを隠せなかった。
彼の表情、今自分がどんな顔をしているのか、想像がつかなかった。
正解としては、焦りだ。
決して緩やかでない表情が彼の表面に出たものだ。
味方の軍勢に意識されることはあったし、彼自身それを自覚することはあった。
注目の的と言うか、周囲の認知が進んでいるというべきか。
だが、自分の存在が敵軍に知られているとは、思いもしなかったのだ。
“敵に認知される存在”
それだけで、彼の命運には大いに脅威なものとなる。
理由は簡単だ。
敵は敵同士戦う時、強い相手を意識するもの。
その存在が将来にとって禍となるようなものであるのなら、排除したいと思うのが普通だ。
つまり、この認知は特定の存在に対する脅威度をグランバート軍の一部が認識した、ということになる。
流石に名前までは分からないだろうが、容姿は伝えられている可能性はあるだろう。


「…………なんで、俺たちが…………そりゃ少しは、」


「…………私たち、いや、かつて世界は三つの大陸すべてで戦争状態にあった。10年前のことだ。終わることのない戦争と言われ、数え切れないほどの戦いの中で、世界中で大勢の人々がその戦争に巻き込まれ、命を落とした。武器を持つ者もそうでない者も、女も子供も関係なしに」


「………………」


「そんな昏迷の時代の中で、私たちは“新たなる希望”を手にした。当時、50年と続く不毛な戦争の時代を終焉へともたらすことの出来る存在を、世界は手にした。彼らはその当時、ともに18歳の子供たちだった。後に“英雄たち”と言われることになった、子供たちだ。これまでの戦争の中で、子供と呼ばれる歳の兵士が世に出ることはあっても、あのように時代の中心人物として台頭することは無かった。それまで決して結託することの無かった、我らの国とギガント公国との間に同盟関係の架け橋を掛け、その輪を広めて多くの国を、人々をその中へ招き入れた。“共通の敵”を斃すために」



その話は彼も知っている。
自分でそれに関する著作物を読んだことも、何度もある。
周りからはよく言われていたことだが、この性格にしては意外にも歴史に興味を持っている。
“英雄たち”と呼ばれる者たちの台頭、その活躍。
当時存在していたエイジア王国と、かつての戦争の中で消えて行ったルウム公国の亡霊、この二つの敵を斃す為に集った、同盟軍。
この結成には英雄たちの活躍が大きく影響しており、彼らが互いの国の最高幹部たちを引き合わせ、強大な同盟軍を作るに至った。
これが後に戦争終結への糸口となったことは、多くの歴史書の認めるところだ。
それを子供の年齢でやってしまったのだから驚きだろう。
のちに、戦争の終わった世界の中で、所謂“戦勝国”の一つとして名前を連ねたソロモン連邦共和国は、かつてエイジア王国が所有していた領有権をすべて掌握し、その領土を自国のものとして貰い受けた。
共に協力関係にあった、ギガント公国をはじめ複数の国は、エイジア王国からの莫大な賠償を手にした。
現在も言われる歴史事変の一つ、
呼び方は複数あるが、大体決まって『勝者の世界分割』という異名がつけられている。
英雄たちの行動のおかげで世界中の戦争が終焉するに至ったが、その後にやってきた世界は決して平穏ではなかった。
今こうして、再び戦争が始まったことを想えば。



「英雄たちと呼ばれる5人のうち、二人は既に所在が明らかだ。一人は我が軍の精鋭部隊の中心人物として、今はソウル大陸侵攻作戦に加担している。もう一人は、その精鋭部隊を迎え討とうと、敵であるグランバートにいる。今はもう子供とは呼べないが………その点、君たちはまだ子供の年齢だ」

「つまり、俺たちは悪いほうで注目され始めてるってことですか。敵に」

「端的に言えばそういうことになる。時代が再び加速を始めたとき、その時代の中心になる人物というのは必ずいる。その一人に君や君たちの仲間が今後加わっていく可能性があるのではないかと、彼らは思い始めているのではないかな」


てか、意外とヌボラーリ少尉ってそういう語り癖みたいのがあるんだな。
と心のどこかで思いながら、それがすべて的外れな考えでないことも彼には分かっていた。
敵にどのように認識されているかを自分で意識することは無いが、少なくともこの文章が本物であるのなら、自分たちの存在が認知されていることは事実だ。
もし本当にそれが明確な脅威であり今後の動向を揺さぶる障害となるのなら、すぐにでも奴らは自分たちを消しに来るだろう。
子供たちが台頭する世の中。
それが戦乱の時代であるのが何とも惨いものではあるが、10年前も同じだった。
ソロモン連邦共和国陸軍に所属するレイ大佐、
グランバート王国軍の総帥であるカリウス大将。
そして行方の知れない三人。
グランバートは恐れているのかもしれない。
そうした子供たちが再び世に台頭し、彼らが思う以上の影響をこの地に風となり吹かせられるのを。


「まあレイ大佐の時は全世界中の兵士が知るくらいだったからな。それに比べたらまだツバサはこの地域限定だ。そんなに気負うことは無いだろうさ」


過去を振り返ると、突然現れたその存在は異分子と呼ぶに相応しいもので、敵も味方も多くのものが知るところとなった。
今よりも通信技術が発達しない中で、多くの敵が彼の存在を知っていたというのだから、恐ろしいほどの広まりだったのだろう。
シュナイダー中佐はまだこの地域限定の話だ、と言うが、地域がどうだこうだという前に、そのような存在として認識されると、彼を特定し狙って来るような事態が発生しても不思議ではないだろう。
ツバサは冷静にそこまで考え至っていた。
この地域でのこれからの戦いは、自分たちの存在が都合の悪いものとして、優先的に狙われる危険度が高くなると。


それでは。
俺と共に行動することは、逆に危険度を高めて命の危機に瀕する機会を増やすようなものではないのだろうか。
一つの考えが彼に浮かび上がる。
そしてこの考えは、後に彼らの状況を大きく変化させる大胆な決断をさせることになり、それを軍の上層部も認めることとなる。


「ところで、その英雄たちの残る三人って、今もどこにいるか分かっていないんですか」
「ん?ああ。一般的にはそういう風に言われている」
「一般的………?」

「幾ら時代の貢献人とはいえ、人様の庭を荒らすような野暮な真似をする人はそんなにいないのさ。それに、俺たちは彼ら全員の力を必要としている訳じゃあない。レイ大佐は自分の意思で自らの立場を確立しているから、俺たちがとやかく言うことも無いけどな。そもそも本当にどこにいるかも分かっちゃいないんだから」


まあ確かにそうか。
ツバサは、それだけかつての戦争で大きな影響力を与えた存在であるのなら、また今回もその影響力を利用して世の混乱を鎮める方向に持って行けはしないだろうか、とも思った。
だが、恐らく事はそう簡単なことではないだろう。
何故なら、事情がどうであれ、英雄たちの一人、グランバート軍の総帥であるカリウスが、今となっては主導でこの戦争を続けている。
とすれば、英雄たちが集まることで再び戦争が終結するとは思えない。
逆にいえば、この戦争を終結させられるような存在が新たに必要なのかもしれない。
それが誰なのかは別として。
当時の英雄たちの絶対的な効力は、今それほど強いものであるかは分からない。
たとえ生きていてこの戦争を止める為に声をあげたとしても、現状は何も変わらないのかもしれない。
一度武力に頼りそれを使ってしまえば、それが折れ砕けるまでは続けられるもの。
かつての歴史がそう証明しているように、今回の戦争もどちらかが斃れるまで続いてしまうのだろう。
そうなれば、もう過去の英雄たちなどと言っても状況を変化させるのは難しくなる。
それも分かったうえで、シュナイダーは英雄たち全員の力を必要としている訳ではない、と言ったのだろう。
軍ともなれば、そういった個人情報にも精通している部分があるのでは、と彼も期待したが、どうもそうではないらしい。
あるいは隠しているだけか。あまり無いだろうけれど。



「まあそんなことで、少しずつだが俺たちの置かれた状況が変わり始めるとは思う。だが、この大地からグランバート軍を追い返す、この目的に変更はない。そのために必要な手段は取る。半ば名指しで狙われる可能性すら出てきた訳だが、これまで以上に奮起してもらうぞ」

「はい。覚悟のうえですから」

「他の兵士たちにもいい影響になってるからよ、でもまああまり無理し過ぎるな」


話はそれで終わり、彼はテントから退出した。
そう。
シュナイダーが言うように、半ばツバサらを名指しで標的としているようなもの。
それだけで自分たちの置かれる状況は一変するだろう。
もし自分の顔や自分たちの姿が相手に克明に知られているのなら?
間違いなく狙ってくるだろう。
今日にでも。



「―――――――――――――――。」
これまで以上に困難な道のりが、先の見えない暗がりの奥まで続いている。
こんなに明るい夜明けの朝だというのに、彼の心象にはそのように映っていた。
だがそれは絶望ではない。希望でも無いが、諦めるような挫折でもない。
戦うと決めた以上、通る必要のある道だ。
寧ろこの状況を利用できるかもしれないという思いもある。
この段階を幾つも踏んでいけば、よりこの戦争に深く入り込んでいくことが出来る。
そう。
俺はただ戦いたくて兵士になったんじゃない。
この戦争が不毛に続くのだけは阻止したい。
そして、この戦争で多くの人が幸せを失ってしまうだろう。
それを出来るだけ早く終わらせて、そんな機会が来ないようにさせたい。
彼の根底にある想いはより強く、明確に、彼の中に映し出される。
たとえそれがどんなに苦難に満ちたものであったとしても。



彼という剣がこの戦いで折れない限り。



…………………。


「前方、移動中の部隊を確認。距離およそ3,6キロメートル。目標と思われます」
「配置………縦列に長く移動をしている模様」
「戦闘兵でない人たちの位置はどうですか」
「………見る限り、縦列の後方に密集しているようです。前後を兵士たちが囲むように布陣しています」


起伏に身を隠しながら双眼鏡で距離を測る兵士と、その隣にいる一人の女性士官。
少佐の階級章を下げ、その場にいる誰よりも高い階級を持ち、少ない数ではあるがその部隊を統率する役割を担う者。
そしてターゲットとして現れた縦列陣の部隊。
女性は、目標の中に“情報としてあげられていた少年たち”がいるかどうかを確認させた。
相手の通る道は見晴らしがよく偵察しやすい。
自分たちの存在が見つからない限り、この方法は有効であるはずだ。
そして、それが直前まで続けられるのなら、こちらが先手を打つことが出来る。
灰色の髪を持つ女性は立ち上がる。


「………手筈通りです。民間人と本隊を切り離し、目標と思わしき人物を殺害します。榴弾砲を周囲に着弾させ、射出30秒後に煙幕弾を装填、発射して下さい。接近して倒せない場合は、煙玉を使用して退避すること。無理はしないように」


「はっ」



…………これも、一つの与えられた仕事。ただそれを為すのみ。
相手が誰であろうと関係ない。
私のやることに変化はない。
それが今の私のすべきこと。


立ち上がった女性は、下り傾斜を勢いよく駆け出していく。
それに続くように、いや、正確には遅れながら、ほかの兵士たちも続く。
特定の人物たちを目標とした作戦など、これまでに聞いたことがない。
だがそれが何だと言うのだ。
それを果たすよう求められているのであれば、ただそうするだけのこと。
真意を求める必要などない。
そうして彼女は、目標を殺害するために、蹴り出していく――――――――――――――――。




……………。

第15話 対決



そう。事は突然に訪れる。
これまでも、これからも。
もしこの出来事を事前に予測することが出来る、そんな力があるのだとしたら、是非とも手にしたい。
少なくとも今より遥かに楽になるだろう。
反則ものであることに変わりはないのだが。



「――――――――――――ッ」

「ん、どうしたツバサ…………っ!!?」



大きな高鳴る音が周囲に響き渡る、ほんの数秒前。
彼は一瞬で表情を変え、ある方向を瞬時に見つめた。
目を細めるようにして。
それは明らかに不自然だったし、この状況が発生した後だからこそ、なおのこと不自然だと思えた。
その視線の先からやってくるもの。
ツバサはそれをまるで事前に予知していたかのように、(ソロ)には見えた。


今にして思えば、あの時のあの反応、それからも度々見せるようになった、アレは。


……………。


「っ!!?」
「砲撃ッ………奴らなのか!!?」


戦い過ぎているせいなのか、ハッキリと聞き覚えのある音が響き渡ると、すぐにその場にいる殆どの人が態勢を作り始める。
幾度となく経験した音。
そして決まってその後に訪れるのは、真っ黒い煙と激しい衝撃、時折猛烈に熱いという感覚、地面が抉られあらゆる飛来物が身体を刺激する、あの感覚だ。
しかし、その感覚が現実に起こることで、最悪十数名の兵士が一度に命を奪われることもある。
だからこそ、その音には敏感に反応をするし、次の行動を考えなくてはならなくなる。
だが今回は幸いなことに、初動で放たれた砲弾は外側に外れていた。
かなりの衝撃が彼らを襲い掛かるが、直撃を受けなかっただけでも良しと思うべきだろう。


「東側から砲撃を受けた!!」
「どこだ!見えんぞ!!?」

砲台とは山なりに撃てばそれなりに遠くの敵を狙うことも出来るが、着弾を予測し狙うのは思う以上に難しい。
気候の条件や射出する地場の影響を受ける。
また、砲弾が飛翔中には風などの影響も受けるので、正確に狙い撃つのは難しい。
距離が近ければそれも不可能では無いのだが、遠い距離から砲撃を正確に与えるのはほぼ不可能で、その場合砲弾を散らして敵を威嚇する、という目的が真っ先に優先されることになる。
それだけでも有効的ではあるのだが、見えないところからの砲撃はやはり脅威であった。
しかし、一発も命中はしない。
それどころか。


「ヒッ…………!!?」



あるところでは、目の前にごろんと砲弾が着弾した。
それが爆薬を持つものであれば、目の前にいた兵士は即死だっただろう。
身体のカタチも分からぬまま、バラバラに。
しかし様子がおかしい。着弾しても変化が無い。
不発弾か、と思われた、次の瞬間。



「な、なに――――――――――!!?」
「おい、前が見え―――――――――――」


既に複数の部隊がこちらに接近する敵勢力を確認していた。
今は総数が不明だ。しかし彼らの行動は明らかである以上、迎撃する必要がある。
しかし、思ったよりも早く距離が縮まりそうだった。
もし砲兵がグランバート軍の姿を確認していれば、そこへ向けて射撃を行い攪乱させることも出来ただろう。
だが、周囲の異変がそれを阻止した。
砲弾がパカッと割れると瞬時に物凄い勢いで煙が噴射された。
不発弾は十数発も分散して着弾したが、そのどれもが不発弾ではなく煙幕弾だったのだ。


「これは……………」
「民間人を引き離せ!!はやく!!」


砲弾を撃ち込まれることを彼らは幾度となく経験しているが、煙幕弾というものは初めてだった。
その所為か、いつも以上に彼らの間に混乱が瞬く間に広がっていく。
何しろ目の前の視界が遮られるのだから、どこに敵がいるのか、どこから来るのかが分からなくなる。
兵士たちはすぐに民間人を退避させ、民間人が狙われないように防衛しながら退く。
一方でその場に残された兵士たちは、向かってくるグランバート兵に対応する。
視界を奪っての攻撃。


「――――――――――――!!」
それ自体が既に妙だった。
自分たちにも不利な状況となり得る戦法を何故あえて取るのか。
兵士たちの多くは今置かれた状況に混乱し、そのような考えを持つには至らなかったのだが、
ツバサやナタリア、司令官代理のランなどはすぐその考えを持つ。
そしてツバサは、今朝上官たちから伝えられた話をすぐに思い出した。
オビリスク駐留基地の部隊は、敵軍からすれば幾度となく攻勢を退けられている、厄介な存在として認知されているだろう。
ヤルヴィン基地に辿り着く前に、出来るだけ排除しておきたいと思うはず。
だが、これはどういうことだ。
それが望みであるのなら、敵はこの砲撃を彼らに命中させればそれで済むではないか。
彼らと接敵する。
一網打尽にするという作戦ではなく、もっと簡単で単純なもの。


“武に卓越し翻弄させる少年たちの存在”



意識せざるを得ない。
考えるな、というほうが無理だろう。
しかしこれは、かつての時代の戦争でも同じようなことがあった。
戦争という昏迷の時代の中で台頭する人々は、やがて存在が知られるのと同時に狙われるようになる。
その人々がいては都合が悪いという、敵側からの極端な思考により。



「来るぞ………っ!!」
煙幕弾が各所に撃ち込まれたこともあり、味方部隊の連携は全くと言っていいほど取れない状態だった。
それでもその場に留まるのはより危険を生むだけだろうと判断したツバサは、すぐに自分たちの分隊を移動させて敵の接近に備えた。
少しでも視界の取れるところに出て、向かってくる敵を迎撃するために。
結果的にその判断は正しいものであった。
視界が取れることで正確に敵を見極めることが出来る。
そして接敵する。
ツバサは最初の一人目の剣戟を複数回、自らの剣で受ける。
もう何度も経験したことで慣れているとはいえ、両腕から吸収され全身に響き渡るその衝撃は気持ちのいいものではない。
こちらが判断を誤れば、それだけで致命傷を負う可能性がある。
そういう死地を幾度となく経験してきた。
しかし、今日のそれはこれまでとは異なる様相を放っていた。
というよりは、感じていた。
――――――――――――明らかに敵の技量が今までとは異なる。


「チッ、手強いな………!!」
「エズラは距離を取って相手を狙い撃ってくれ!!ナタリア、レンはエズラの援護!!」
「え~マジかよ!?」
「わ、分かった!!」

「ソロ、ついてこれるな―――――――――――!?」
「………ああ、何とか合わせる!」


ツバサの率いる分隊も、ほかの分隊や連隊も既に各々の判断のもとに、敵との交戦を始めている。
最初の一人目を倒したところで、ツバサは自分たちの分隊員に明確な指示を出して戦闘を開始させる。
目の前の戦いに集中することこそが大事。
しかし、脳裏には先程ナタリアと交わした会話のことも浮かび上がっていた。
もし自分が誤った選択を強いたのであれば、どうなることか。
こうした奇襲の場合には、一々皆の意見を聞き取りまとめて行動に移すような時間的余裕はない。
寧ろ、そういう瞬間にこそ分隊長としての力量が問われるのではないだろうか。
彼はそう思いながらも、集中力を目の前の戦いに向けて再度接敵し直す。
ソロと共に視界の晴れたところへ移動し戦闘を行う。
他の部隊は、今も煙幕の中に隠れている者もいる。


流石だな、ツバサは………!
すぐ近くで彼の戦闘を見ていると、そう思わざるを得ない。
ソロはツバサとは長い付き合いになる。年齢こそ一つ違いだが、共にタヒチ村では道場で鍛錬を積んだ間柄だ。
元々ツバサ個人の能力が高いことは彼も十分に承知していた。
だが、実際にそれを間近で見れば、よりそれが突出していることがよく分かる。
村から離れてここに至るまで何度かその姿を見てはいるが、見る度によりそう思うようになっていた。
流れるような身のこなし。
それでいて繰り出される力強い剣戟は、相手が強かろうとも寄せ付けないものがある。


「気をつけろ、ソロ。こいつら今までとはぜんぜんちげえ!」
「強いってことだな」
「ああそういうことだ。それに………」


―――――――――――意図的に俺たちを狙ってやがる………!!



今、彼らの分隊は本隊とは少し離れた位置にいる。
視界が取りやすい位置にいるので戦況を把握しやすいという利点はあるが、一方で本隊からの支援を受けづらい位置にいる。
煙幕の影響がまだある中で各部隊戦闘を継続しているが、今の自分たちはその影響がほぼないと言ってもいい。
ツバサは驚く発言をした。
自分たちを意図的に狙っているという話。
既にツバサの中ではその真意を把握していたのだが、ソロは彼に言われて初めてそのことに気が付いた。
もしかして、自分たちの判断は結果的に戦況を把握しやすくはなったものの、敵にそういう意図が明確にあるのなら、その誘いに乗ってしまっているのではないだろうか。
そう思わずにはいられなくなったのである。
煙幕の影響を受けず視界が明瞭であるのなら、接近戦はお互いの技量と数がものを言う。


「まさか………しかしなぜだ、あえて俺たちを狙う意味など………」
「チッ、囲まれる前にやるしかねえ………!!!」


技量の高いツバサとはいえ、自分たちの数に勝る相手を圧倒するのは難しい。
今でさえ有利とはいえない状況の中で、これ以上劣勢に追い込まれるのは出来るだけ避けたい。
彼はさらに攻勢を強めていく。
グランバートの兵士たちも、ツバサの動きが目立って見えているのか、彼を仕留めようとツバサとソロの周囲に兵を送り込んできている。
その不利な状況の中であっても、ツバサは相手を次々と退ける。
ソロもツバサほどではないが、高い技量を相手にぶつけてどうにか立ち回っていた。
全体として敵の数は、これまで奇襲にあったときほど多くないように思える。
しかし相手の技量も高く、それに苦戦している部隊も多いように見受けられた。
なんとか早く自分たちの持ち場を切り抜けてほかの部隊の掩護にいきたい。
やや焦りを感じながらも敵に対処する二人。
エズラたちも狙撃ポイントを確保できているのか、時々掩護射撃が飛んでくるので、なんとか情勢を維持するか、ひっくり返すほうに持っていけそうだった。



「――――――――――――!!」
だが、その時。
ツバサの脳裏に自分でも思いがけないような感覚が駆け巡る。
まるでその感覚は、特定の何かに警戒しろと訴えかけているようなものだった。
全身を打ち付けるような内部からの強い感覚。
その感覚の先は、戦っているソロのほうへと向いた。


「な―――――――――――」
目の前の敵をどうにか倒し、視界に捉えている次の敵に向かおうとした、その瞬間。
彼の背後に突然現れた敵の兵士に、彼は反応した。
自分の背後を守る人はいないし、それを気を付けながら戦っていたはずなのに、突然現れた背後の敵に彼は動揺した。
動揺していても辛うじて反応は出来た。
背後に立った兵士が既に剣を突く動作を繰り出そうとしていて、彼が振り返った時にはそれが放たれる瞬間だった。
どう考えても間に合わない。避けられる距離も速度もない。
一瞬でそう判断したソロは、自身の持つ剣を振り払うようにして、相手の繰り出すインパクトに合わせてみせた。


「――――――――――ッ!!?」
「ソロ!!!?」


その判断は正しかった。
だが、その判断以上に相手の速度が勝る。
もし彼が振り払う動作をしていなければ、少しでも遅れていれば、その時点でソロは殺されていたであろう。
繰り出された突きの威力を弱め方向を逸らすことは出来たが、直撃は避けられなかった。
一人の兵士が繰り出したその攻撃により、ソロは右の脇腹に直撃を受け、さらにその部分を勢いよく蹴り飛ばされた。
彼にとってはこれまで経験したこともない痛みであり、その行動は大きく鈍った。
立ち上がろうとしたところを狙われ、それがトドメとなるところだった。
だがそれを許さなかったのはツバサだ。
斬り伏せにかかった兵士の背後に、半ば飛び込むような形で攻撃を仕掛けたツバサに、その兵士は反応する。


「ッ――――――――!!」

「――――――――――。」


彼としても全力の速度で防ぎにかかったその攻撃だったが、相手はそれを察知したかのように、一瞬で反応して見せた。
まずはソロのすぐそばから離したい。
かなり強引ではあったが、彼は剣戟を畳みかけ押し込むようにして、間合いを強制的に引き離した。
その時彼ははじめて相手の兵士の顔を見た。
大した装甲を身に着けず、シンプルな迷彩柄の戦闘服。
灰色の髪を後ろで束ねた姿。
細身でありながら細長いレイピアのような剣を扱う、それは女性だった。
驚かずにはいられない。
だがいつまでも驚いている訳にもいかない。
ソロとの間を引き離したところまでは良かったのだが、相手のペースが自分の攻撃を上回る。
剣戟なら負けてはいない。
彼が繰り出す幾多の攻撃を、相手は受け流すことが出来ない。
受け止めるといったほうが正しいだろう。
しかし、すぐに反撃を繰り出してくる。
しかもその速度が尋常でないほど速い。
細身の刀身を持つあの剣の特性だろうか。
ツバサは相手の攻撃が始まると、防戦一方で体への命中を避けるための立ち回りしか出来なくなっていた。
圧されている、なんて強さだ!!
彼はオビリスク駐留基地に配属されてから、既に幾度も戦いを経験しているし、それより遡れば士官学校や道場でもそういった手合いの経験は豊富に積んでいるのだが、彼の中でもトップクラスに手強い相手に思えた。
このまま相手のペースを維持されるのを嫌ったツバサは、あえて一度鍔迫り合いに持ち込み、力で相手を押し出した後、すぐに後方に退いて間合いを取る。間合いが取られれば、一度近接戦闘が中止される。



「強ぇ…………おい、俺たちを本隊から引き離すように仕向けたのは、これが狙いなのか」


「………………なんのことか私には皆目分からないが、強い敵は早めに処理する必要がある。それだけのこと」


「光栄だな!強いって認められるとはな。ほかの連中もそう思ってるのか?」


「答える理由はない。どのみち貴方をここで始末するのが私の役目」


―――――――――――――私は標的を見つけた。
会話にすらなっていないような言葉の交わし方。
間合いが開いたことで、ようやくツバサは一対一で相手をしている彼女の姿を見ることが出来ている。
見たところ、俺たちとそんなに歳は変わらなさそうだが………?
というのが彼の率直な感想。
だがその剣腕は恐ろしく強いもので、彼も太刀打ちできないかもしれないと思ってしまうほどのもの。
自分の腕を過信することはなかったが、周りの人よりは立ち回れているという気持ちは確かに持っていたツバサ。
ナタリアと同等か、それ以上のレベルの兵士かもしれない。
もっとも、ナタリアとは戦術も持つ武器も全く異なるので、同じ女性だからといって比較できるものでもなかったのだが。
再び彼女が前進し間合いを詰めてきた。
初動は突き動作に違いない。
前傾姿勢で突入しながら体に捻転を加えて、右半身から腕にかけてインパクトを伝えて突き出そうとするその動き。
先程ソロに繰り出したものと同じだろう。
彼は頭の中では冷静に判断しそれに対応する。
剣を縦の線上に構え、向かってくる突きに正面を向けた。
直撃を受ける寸前に払い、姿勢を崩さないまますかさず反撃を繰り出したツバサ。
突きを外されるとその分隙も大きくなる。
それを狙って彼は彼女の胴体を斬り伏せに掛かったのだが、彼女も反応して彼の剣戟を防いだ。
それからはお互いの剣戟の鬩ぎあいだ。
細い刀身で手数の多い女性兵士の攻撃と、一発の威力の高いツバサの攻撃。
周りの戦闘も激しいものであったが、少し離れた場所で行われているこの二人の戦いは、見るものを圧倒するほどの力量のぶつけ合いだった。



「まずいな~………あんなに接近戦が続いてるんじゃ掩護出来ない」
「ツバサ…………!」
「しっかしすげえなあの二人の戦い………っと、感心ばかりもしてられないよな」


少なくとも遠くで狙撃位置を手に入れたエズラ、それを掩護するレンにはそう見えた。
一人の女性兵士と集中して戦闘を継続するツバサ。
そのツバサの背後を取ろうとほかの兵士たちも襲い掛かってくるが、それをエズラの特異な弓で防いでいた。
時に残酷にも放たれた矢が顔面を貫くこともあったが、それでもツバサに敵を近づけさせないという目的は果たせる。
出来ればツバサに対しても掩護射撃をしたいところではあったが、二人の間合いが小さく、また頻繁に動き回ることから、狙うのは至難の業であった。
そのため、半ば遠巻きにその戦いを見届けることしか出来なくなっていた。
レンとナタリアの掩護もあったので、彼らの周囲に敵はいなくなり、狙撃に集中する環境は整えられていた。


「………あまり状況はよくありません。手数の多いあの女性に疲労は見られない。ツバサは少し肩で息をするようになり始めている。このままあの女性が手数を維持できるのであれば、ツバサは勝機を失うばかりではなくなるでしょう」


二人の隣に戻ってきたナタリアが、双眼鏡で二人の戦闘する姿を見て、冷静にそう話した。
その言葉にレンとエズラは驚愕する。
今自分たちが見ても、ツバサはそれほど押されているようには見えない。
見えないが、同じ剣士として感じるものは違うらしく、ナタリアは険しい表情を浮かべながらそう分析していた。
このままの状況が続くのはツバサにとっては好ましくない。


「ど、どうしよう………ソロも意識はあるようだけど酷い怪我してるみたいだし………」
「う、撃つか?いやでも」

「それは駄目です。狙撃手が自信の持てないタイミングで撃つことなど掩護にすらなり得ない。エズラ、私が状況を作ります。その間出来るだけ周囲の敵を排除、もしくは行動不能にさせて近づけさせないでください。私とツバサ、そしてあの女性との間合いが広がった時を狙って、矢を放ってください。狙われていると分かれば、あの女性も後退せざるを得ないでしょう」

「そうか!よし、分かった!」
「エズラ、私目になるよ!構えに集中して!」
「よし頼む!!」

ナタリアはレンに双眼鏡を渡して、ツバサたちの周囲を見始める。
観測員のような役割だ。
エズラが最適な射撃を出来るように集中して、それに必要な情報をレンが拾って彼に伝える。
二人の周囲が安全と分かったうえでの作戦だった。
ナタリアは彼らとの距離を縮めるべく、見えない位置から速足で接近を始める。



「…………はあ」
まったく、困るぐらい強ぇ奴だなおい………。
この状態を続けるのはぜったいによくねえ。
だがどうする。
敵の意図は明確だ。明らかに“俺”を狙いに来ている。
どっちかが斃れるまで退いてはくれんだろう。
それとも対話に持ち込むか?
いやいやそんな馬鹿馬鹿しい手が通用するとは思えねえ。
さあて、この状況………。


自分に焦りが見え始めているのを彼自身明らかに感じていたし、それは相手の女性にも見えていることだろう。
その機に乗じて敵がさらに攻勢をかけてくれば、こっちの身体がもたないかもしれない。



『貴方を生かしておいては、いずれ貴方の存在が災いとなる。』


……………。
少し間合いが開いたかと思えば、急に女性はそんなことをツバサに言い出した。


「なんだと……………」
「だからこそ、今ここで貴方を討たねばならない。そうしなければ大勢の味方が死ぬ」
「………それはお互い様だろ!!そっちが吹っ掛けてきた戦争でこっちはえらい目に遭ってるんだ!!」


「違う。そうではない。貴方の存在自体が多くの戦闘兵、多くの民にとって災いとなる。貴方が生き続けることで戦いは拡大する。貴方が戦い続けることで犠牲者は増え続ける。それに巻き込まれる民もいる。いずれ貴方という存在そのものが災厄となる」


いきなりそのようなことを言われても、ツバサとしては「はいそうですか」と手を引けるような状況ではない。
それに彼としては、その女性の言っていることが滅茶苦茶のようにも聞こえた。
中身を伴わない空虚な戯言のように聞こえたのだ。
あるいは不気味なものも感じていた。
まるで自分の心を見透かしてくるような、そんな気持ちすら持った。
だからそれに全力の拒否反応を見せる。


「意味が分からねえ!!そっちが手を引けば俺たちだって追ったりはしねえ。戦闘を止めてこっちの領土から手を引けば、それで犠牲者はだいぶん少なくなるだろうがよ!!」

「それが出来るのなら、今まで60年も戦争など続いてはいない。人は争いを起こせば行きつくところまでいくしかない。歴史がそれを証明している」

「ああそうかもしれねえけどよ!その歴史を造ってんのは俺たち人間だろう!!なんでそれが間違った道だと分かって、その道を踏まねえように努力できねえんだ!!?」

「今それを語ったところでなんの解決にもならない。戦乱の只中で生み出された強者は、やがて情勢を支配するほどの嵐の中心となる。そうさせないために、突出した強い敵は可能な限り排除しなくてはならない」


………………ハッ。
気持ちが悪ぃ。
今ここで語ったところでなんの解決にもならない、だって?
そりゃそうだろうよ。
誰だか知らんがそういう凝り固まった考えを持った連中が何の努力もしなかったおかげで、身勝手に力を振りかざして起こしちまったんだろうさ。
取り返しのつかない事態ってやつをよ。
なんでそんなくだらない理由で起きた戦争のために、なんの罪もねえ人が巻き込まれなきゃならねえんだ。
それで故郷を失った人も、大事な家族を、大切な友人を失ったひとだって大勢いる!
そのおかげで本来あるはずだった幸せを失った人だって大勢いるんだぞ!?
そんな悲劇をこれまで60年も繰り返してきたってのか…………ッ!


―――――――――――開けた間合いの中に、彼が一歩踏み込む。



ああ、確かに強いやつがいれば弱いやつもいる。
俺は強いほうの部類に入ってるらしいが、強いから戦えば大勢人が死ぬっていうのか。
だからってな、指を咥えて黙ってみている訳にはいかねえんだよ………!!
こんなくだらないもののために命を落とす人がいるんなら、なおさら強い力を手にして止めさせねえとな!!!



―――――――――――右手に持たれた剣に力を籠めなおし、さらにもう一歩、目の前の敵へ。



「――――――――――じゃあ、お互いに分かり合うことはねえってことだ!!!」




―――――――――――刹那。目の色が変化した若き戦士は、相手の女性に強く踏み込んで駆け出していく。
お互いの間合いが一気に詰まる。
女性は剣戟が届くその瞬間まで動くことはなかったが、間合いを詰めにかかったツバサの速度は尋常なものではなかった。
人の瞬発力とは思えないほどの速さで駆け出していき、相手に攻撃を仕掛け始める。
周囲の空気が一変する。
はじめから決して穏やかではなかった周りの空気が凍てつき、凍てつく中でも燃え滾るような熱さを放ち始めていた。
熱さを放つのはツバサ。冷徹な雰囲気を纏う女性に容赦なくその牙を向ける。
これまで両者の戦いはどちらかといえば女性のほうが手数が多く、ツバサは防戦に集中していたと言っても良いだろう。
しかし、この瞬間を境にその状況が一変する。
攻撃力も、素早さも手数も、何もかもがツバサが上回った。
周囲の空気が入れ替わったあの瞬間、まるで彼の中にあるスイッチが押され、瞬間人が変わったかのように猛烈な勢いをもって攻勢をかけ始めた。
その変化に気付いた相手の女性は、反撃に転じることが出来ず、ひたすら防戦一方となった。
防戦とはいっても、男と女の戦い。
力を全面に押し出して剣を振るう男の攻撃に対し、真正面から受け続ければ剣も体ももたない。
しかも剣戟の速度が今まで以上に速いので、反撃する隙も無い。
一気に女性は不利な状況へ陥った。



「お、なんだ。ツバサのやつ押し返してるじゃんか」
「………そう、ね。でもなんか様子が変」
「え?」


「………なんかこう、ツバサらしくないって言うか………」



双眼鏡でその様子を見ていたレンは、ツバサの異変に気付いた。
それが良い方向に進んでいるのかそうでないのかは分からない。
だが、ツバサの放つ剣戟が明らかに力任せで、彼らしくない技量の伝え方だとレンは思った。
動き回るせいで、彼の表情まではよく見えない。
しかし今までツバサの剣戟を見る機会が何度もあった中で、彼があのような身のこなしをすることは一度も無かった。
まるでそれは怒りに身を任せているかのようで。
その怒りが彼に力を与えているかのような、そんな風に見えたのである。



「ツバサ……………」



そしてそれは、彼らの近くまでやってきたナタリアには、より鮮明に見えていた。
彼女が移動し彼らに近づいている間に、形勢は逆転していた。
逆転というよりは、ツバサが一方的な状況を作り出したといっても良いだろう。
先程まで見えていた息遣いも消え、疲労感も感じさせず、重たい剣を軽々と力いっぱい振りかざしている。
それに反応する女性も大したものだが、反撃する機会はない。
寧ろ力に任せて相手の攻撃する機会を圧し潰しているようにも見える。
明らかに普段のツバサとは様子が異なる。
並みの兵士であれば、あのような攻撃の連続には耐えられず、すぐに殺されていることだろう。
自分もそうかもしれない、と彼女が思うほど。
それが何をキッカケに発生したのかは分からない。
だが、今のツバサからは並々ならぬ怒気のようなものを感じられる。



…………いけない。怒りに身を任せては、(じぶん)を忘れてしまう―――――――――――!!



味方でありながら、止めなければとナタリアは思った。
このままでは、相手を倒すことは出来ても、彼自身の心がどこか遠くへ消えてしまう。
なんの理由も見出せなかったが、そうなってしまうのではないかという確信を持ってしまった。
しかしあの間合いにどう入り込むことが出来るだろうか。
ツバサが敵対している相手は倒さなければならない敵で、その戦闘を止めさせる訳にもいかない。
だが放っておくわけにもいかない。
でも、どのようにすべきか。
彼らの視界に入らないところで機会を伺うナタリア。
そこへ。



『シャナ様!!!!』

「っ―――――――――――!!?」


恐らくツバサと対峙している女性の名前だろう。
様付けで呼ばれる兵士となれば、階級も相当高い人なのでは、と瞬時にナタリアは思った。
新たな敵の出現。
今のツバサの状態で対処できるかどうかが分からない。
ナタリアは物陰から飛び出して名前を叫んだその男に対応しようとしたが、突如周囲に煙が立ち込める。
突入しようとしたところ、視界を奪われてはあまりに危険が大きすぎる。
ナタリアは結局その場に留まるしかなかった。
一方、煙玉のようなものを複数投げ込んで突入してきた男は、そのまま煙の中に入り込んだのだろうか。



「チッ、なんもみえねえ!!」
「ツバサっ………!!」



高所でその様子を見ていたエズラもレンも、何の援護もできなくなってしまった。
狙撃手であるのなら視界が取れないと何の意味もなくなってしまう。
当てずっぽうに弓を射抜く訳にもいかない。


「…………くそっ、逃げられたのか」
叫んだあの男が突入して攻勢に加わるかと思ったのだが、どうやらそうではなかったらしい。
間合いを引き離され、煙玉を巻かれた後、再度間合いを詰めようとしたときには、そもそも相手がその場にはいなかった。
僅かな時間で一気に距離を引き離し、ここを離脱したのだろう。
あの男はツバサを殺そうとしたのではなく、“シャナ”と呼ばれる女性兵士を救いに来たということだった。
彼は自分の手が剣を力強く握りしめているのを感じ、そこで力を緩めた。
手には今まで出来たこともないような擦り傷や豆が出来ている。
この短時間にいったい自分はどのような攻勢を仕掛けたというのだろうか。
彼はいつも以上に冷静な自分を取り戻した。
煙が晴れると、周囲に敵の兵士がいないのを確認して、溜息をつきながら剣を鞘に仕舞う。



……………シャナ、とか言ったな、あの兵士。
俺は、いったい。



息を切らす訳でもなく、体をいたわるわけでもなく、
彼はただその場に留まっていた。
とにかくもあの女性兵士との戦闘は終了した。
まるで体は硬直しているようだったが、思考はいつも通り回っている。
すると、ツバサのもとへナタリアが駆け込んできた。


「ツバサ、無事ですか」
「え、お、おう。大丈夫だ」
「………良かった、まずは安心ですね。周囲に敵兵は見られません、まずはソロを治療しましょう」
「ああ、そうだな。………ソロ、大丈夫か!」


冷静で落ち着いている、というよりは意気消沈しかかっているようにも見えた。
先程の激烈さを身にまとった力の反動というべきなのか。
ナタリアは、ツバサの無事を確認すると、高所でこの辺りを警戒し続けていたレンたちに手を振って合図をして、呼び出しをする。
ソロは、ツバサがシャナと呼ばれる女性と戦闘状態に入っている間、意識はあったが倒れたままじっと動かなかった。
全身の痛みに襲われてはいたが、まったく動けないというほどではなく、もしツバサが危機的な状況に陥った時には掩護しようと考えていた。
もっとも、あのような戦いを目の前で見せられては、掩護すること自体が寧ろ邪魔となった可能性は十分にあるが。


「すまないな。幸い傷はそれほど深くないみたいだ」
「良かった。しっかしソロもすげえな!あんな一瞬で回避するなんてよ!」
「………完全に回避できていれば良かったのだがな。まあ、生きているから良いか」
「大丈夫?ちょっと痛むからね?」
「ああ、やってくれ」


…………今は、いつもと変わらないツバサのようだ。
ナタリアは目の前で行われる会話を聞きながらも、ツバサの様子を注視していた。
あの時の姿がとても印象に残っていて脳裏から離れようとしない。
怒りのようなものを身にまとい剣を振るうあの姿。
何人も寄せ付けないような強烈な力を放ちながら、それでいて素早く立ち回る能力。
人が変わったよう、というよりは、何か別の力が彼に加わったような、そんなようにも見えた。
彼女自身も言い表すことも表現することも難しい何かを彼に感じていた。
だが、今彼の様子はいつもの彼と変わらない。
それはそれで安心ではあるのだが。


安心ではあるが、引っ掛かるものがある。
気になる。


「ほかの敵部隊も後退しつつあるようですね」
「みたいだな。なんとか犠牲が少なきゃいいんだが………」


治療が終わったら、ほかの部隊の救援にも向かおう。
ツバサは各々にそのように指示を出す。
彼自身も多少負傷しているところもあり、ソロに続いて簡単な治療を受けていた。
その間、ナタリアはあまりツバサに気付かれないように、ツバサを注視していた。
しかし、この場で彼女から彼に先程の様子を問うことはしなかった。
今はまだ、目の前の戦いが終わっていない。
それに、今はいつもの様子を取り戻している様子だから、事を急く必要はないと彼女は判断した。


グランバート軍シャナ少佐の率いる少数の陸戦部隊による強襲。
戦闘兵の数は全体として少なかったが、練度の高い兵士の集まりであり、オビリスク駐留基地部隊は苦戦を強いられた。
グランバート軍は状況を変化させることが難しいと判断した直後に撤退した。
防戦側である連邦軍も粘り強く戦い抜いたというのもあるが、今までのとは違い、お互いに多くの犠牲を出さないうちに戦闘を止めて撤退した。
これがどのような戦略的意義を持つものなのか。
それを知る者は少ない。
だが、その戦略に直接的な関わりを持つらしい、ということを知っている彼には、話さなくてはならないことがある。
戦いが終わって、彼には既に話す決断が出来ていた。



…………。

第16話 独立部隊


オビリスク駐留基地の部隊に対する作戦は、結果としては失敗に終わった。


目標を捉えながらも結果として彼らを討ち果たすことが出来なかったのだから、そのように評価されて当然である。
というのが、この作戦の結果が軍内部で公表されてからの専らの見方である。
ある特定の集団に対しての作戦であり、軍上層部としてもこの作戦はいつものとは毛色の違う異質なものであった。
彼らが今後更に台頭していくことになれば、後のグランバートにとって大いに脅威となる。
陸戦の専門家であり司令官職を務めるロベルト少将が発案し、現場の指揮官に指示を出した。
ここで彼らを討つ必要がある、と。
その作戦に陸戦の技量においても群を抜く、シャナ少佐の部隊が起用された。
はじめから作戦に参加した人数は、想定されるオビリスク駐留基地の部隊の兵数よりも少なく、標的を殺害することが困難であれば早々に撤退することが作戦の内容の一つとして盛り込まれていた。
事実、シャナは作戦の完遂が困難であると分かると、すぐに撤退命令を出した。
そのため、犠牲者は少なく帰還することは出来ている。
シャナ率いる部隊は少数でありながら練度の高い兵士を揃えていることもあって、連邦軍にある程度の傷を負わせることには成功している。



「そうか。それほど強い相手ということか」
「はい。個々の能力も相当高いように感じます」
「部隊としての統率はどうか」
「同じく練度の高い部隊かと。」


そしてシャナ少佐の部隊は、出撃する前の臨時の野営場に戻って来ていた。
ヤルーツクの町より北に20キロ程度離れており、山間部に向かっていく起伏の多い地域だ。
既にグランバートの占領下にあるということで、それほど厳重に警備をすることもなく野営場を置いたままにしていた。
彼女は司令部のテントの中で一人、通信回線を開き、今はアスカンタ大陸にいるロベルト少将に連絡を取っていた。
元々この作戦の発起人はロベルトだ。
まずは上官に報告する必要があるだろう。


「おかしなものだな。連邦はその広大すぎる領土が故に自分の首を絞め続けてきた。軍事においても、経済においても。結果として中央政権が肥大化するばかりで、過疎地域には目も向けられない。そんなところに優秀な部隊を置いていたとはな。もっとも、中央の意図するところではないのかもしれないが」


その話は連邦共和国があまりに肥大化し過ぎていて、防衛範囲が広く戦力が薄くなっている、という弱点を正確に見抜いてのことである。
このままの勢いが続けられるのであれば、グランバートはかなりの領土をその支配下にすることが出来るだろう。
その後彼らの施政がどのようになるかは、軍人の知ったことではない。
さらに言えば、その話を目の前で聞いているシャナにとっても、半ば“どうでもいい”話だった。
彼女の目的は与えられた任務を遂行するために戦うという、兵士としての基本であり忠実なもの。
軍の上層部がどのような考えで連邦領を掌握していくのかを、彼女が決めることもないし考えることもしなかった。


「だが、やはりお前たちの侵攻ルートにある勢力は出来るだけ削いでおきたい。次の対策を練るとしよう。」
「かしこまりました。」
「それまでお前たちの部隊は周辺の警戒を続けながら待機しろ。…………あと」


少しの間を置き、ロベルトが続ける。



「その“少年たち”とは、直接戦えたのか」
「……………はい」



ロベルトと同じく少しの間を置いて、彼女も短くそのように答える。


「お前ほどの腕でも仕留め損なったということは、相当に手強いのだな」
「私以上に強い兵士など幾らでもいます。ですが、もし機会があるのなら、次こそは殺します」
「ほう。お前にしては珍しいな。自分の願望を口にするとは」



―――――――――――――。
彼女の表情が一瞬歪むのを、ロベルトは見逃さなかった。
それ以上追求しようともしなかったが、彼女にもそういう一面があるのか、と心の中では思っていた。



「近いうちに再戦の機会もあるだろう。気長に待つことだ」
「はい」


それで通信は終わった。
ロベルトの方から接続を終了させ、彼は執務室内の椅子に背中を深く預けた。
そこで溜息を一つ。
普通に考えれば、新たな脅威の出現というのは、軍の上層部としても、軍全体としても悩みの種となるだろう。
その少年たちがどれほどの力の持ち主なのかは分からないが、シャナほどの実力の持ち主でも倒しきれなかったということは、手強い相手であると信じても良いのだろう。
今回は機会を与えた。
だが彼女はそれを果たせなかった。
二度目は無いとロベルトは考えもしたが、どのみちそれだけ強い敵が台頭するのであれば、今後幾らでも戦う機会は訪れるだろう。
自分たちが生き続ける限りは。


「―――――――――――例の作戦を実行する。作戦の発動は8月1日17時。目標はトルナヴァ基地」


…………………。
私は、何を考えている。


ロベルト少将との通信を終えた彼女は、通信機器を切断しヘッドホンを置くと、暫くの間椅子に座ったまま動かなかった。
正確には動くことが出来なかった。
自分の頭の中で巡り巡る思考に、自分自身がやや混乱していたのだ。
今まで思ったこともないようなことを、今自分は頭の中で考えてしまっている。
そうさせるほどの相手だった、ということか。


「―――――――――――――。」
あの少年のことなど、どうでもいい。
彼女はそう自分に言い聞かせながらも、それが出来ない自分がいることに歯痒い思いを感じていた。
表面に映し出すことも、考えることもないはずのもの。
そんな自分が時々分からなくなるのと同時に、苛立ちのようなものを募らせる。
何を気にしている。気にする必要などない。『興味』を持つ必要もない。
だというのに。
あの少年のあの力、あの技量を、彼女は頭の中で思い浮かべてしまっていた。
感情移入せず、ただ言われた通りの任務を、目的を果たす為だけに動く。
それこそが良質な兵士であるはずだ。
というのが彼女の中の兵士の姿であり、価値でもある。
それが、たった一度の戦闘で何かが揺らいでしまった。
自分の中でも分からない何かが。


「…………倒せない相手では無かった。だが」



あの、まるで人が変わったかのような、反転攻勢。
直後から猛烈な攻撃の連続。
それまでの技量を更に越えていく力強さと素早さ、そして気迫。
あの状態が長く続けば、今度はこちらが不利になっていただろう―――――――――――――。
思い返し、彼女は冷静にそう考えていた。
不可解だった。
はじめからあの力の強さを発揮していれば良かっただろうに、あの瞬間まで戦いはこちらが優勢だった。
そのまま押し切れば倒せただろう。
だが、あの瞬間からの少年は、とても太刀打ちできるものとは思えなかった。
彼女が標的の殺害を遂行できないと判断し撤退を決めたのは、その時だった。



しかし、現実にそのようなことが起こり得るのだろうか。
確かに人の気迫、剣気というものは、増幅すれば人の持つ力に影響を与えることもあるだろう。
だが、あの少年のそれは顕著に過ぎたと彼女は感じていた。
少年から感じられた強烈な否定の念と、気迫。
それが彼に力を与えたというのか。
ロベルトの言う通り、またあの少年と対峙する機会はあるだろう。
それがどこになるかは別にして。
シャナは自らの邪念を振り払おうと、頭を揺する。
心の中で、言葉を発した。
――――――――――次こそはあの少年を討つ。私の手で。
彼女の中に芽生えた一つの思い。
“気にするな”と自分に言い聞かせておきながら、心の奥底では無意識にその思いを保管してしまっていたのだった。



一方。
幾多の襲撃を受けながらも、領土内を転々として生き延びた彼らは、ようやく当初の目的地である、ヤルヴィンに辿り着いた。
連邦領の北中部地域にある大きな都市ヤルヴィンは、各方面へと街道の通じる交通の要衝であり、活気に満ちた街だ。
郊外には連邦共和国軍ヤルヴィン基地があり、北部地域の中ではヤルヴィン基地に次いで大きな規模を持つ。
当然、基地に駐留する兵士の数も多い。
ここには陸軍と空軍が混在しており、基地の敷地内には空軍機が離着陸できる滑走路もある。
軍事戦略面でも重要な基地であり、グランバートもここと西部のトルナヴァ基地を狙うだろうと連邦軍は予測している。
そして、オビリスク駐留基地の司令官代理であるラン・アーネルド大尉は、早速の到着でヤルヴィン基地司令部への呼び出しを受け、
息をつく間もなく、副官のカレン・モントニエールと共に司令官の執務室を訪れていた。



「よくここまで持ち堪えてくれた、ラン・アーネルド“少佐”」
「は………?はあ…………」
「ああ、そうか。いきなりこう言って驚くのも無理もないか。前線基地の放棄は致し方なかったが、君の判断は正しかった。軍事的にはね」


ソロモン連邦共和国軍ヤルヴィン基地司令エステバン・ノルブ少将。
所属は陸軍でも空軍でもなく、軍の参謀本部所属という扱いになっている彼は、中央から出向で基地司令に任じられている。
年齢は54歳、既に前線勤務から遠く離れて10年以上は経つ。
陸軍と海軍のどちらにも所属したことがあり、部隊の指揮や艦隊の編成、統率の任を授かったこともある。
連邦軍の中ではエリートと呼ばれる部類の一人だ。
北部方面の陸戦部隊は第七師団と呼ばれ、第七師団の最高階級将官にアルヴェール少将がいるが、その彼ですらノルブには頭が上がらないと言う。



「君のことは一方的だが前から知っている。色々と勇名を馳せているようだな」
「勇名だなんて。私は周りが思っているような武勇の人でもありませんし、どちらかといえば怠け者に近いと思っております」

「だが、君は一度として味方の期待を裏切ったことはない。常に前線をコントロールし最善の結果を持ち帰る。それは君の出世街道が示していることではないのかな」

「…………買い被られても困ります」


この時ランとノルブは初対面であり、お互いにそれほど知る間柄でもなかった。
ノルブのほうは、ランの噂を色々と聞いたうえで、自分でランのこれまでの経緯について調べていたようだ。
一方のランは、ノルブの存在は知っていても調べもせず、自分とあまり関わることも無いだろうと思っていた。
この基地とオビリスク駐留基地はかなり遠い。
同じ第七師団に所属するとはいえ、集まる機会を持つこともなく、いつもは通話のやり取りばかりなので、会う機会も今まで無かったのである。
自分のこれまでの経緯からこれからの現実に期待されているようだが、ただ困るだけだ、というのが正直な彼の感想である。


「君のような手腕を持つ指揮官は、早く出世してもっとあるべき場所にいてもらいたいと私は思うのだが、まあそれはいいだろう。じきに現実になる。さてラン少佐。ここへ来る判断を下した君になら言うまでも無いが、グランバート軍はここと西部のトルナヴァ駐留基地を狙ってくる。この二つが倒れれば、中部から以北地域の纏まった戦力はなく、別の地方を防衛する師団に増援を頼まなければならなくなる。ここまでは敵の思い通りに進んでいるだろうが、いつまでも黙って守っているつもりは毛頭ない」


オビリスク駐留基地を放棄するよう実際の命令が出されたのは、第七師団の司令官アルヴェール少将からであったが、彼はアルヴェールが命令を出す前に既に撤退の用意を半分以上終わらせていた。戦略的にあの基地に留まるのは何ら意味の無いことだと分かっており、戦力を統合して組織的な反抗を行う機会を作るほうに注力したかったからだ。
そしてその判断を下したからこそ、出来るだけ多くの物資を集めつつ、避難民を連れ、また敵に占領されつつある州の軍隊を併合しながらここまで辿り着いたのだ。
それだけでもずば抜けた才能と判断能力を持っていると言える。
もっとも、本人はそんなつもりは全く無かったのだが。


「そこで、オビリスク駐留基地の残存部隊は駐留基地所属から離れ、第七師団直轄の強襲部隊として再編する」
「直轄………強襲部隊、ですか」

「別に特攻しろとか、そういうことではないから安心して欲しい。負傷兵や民間人はすべてこの街に留まる。君の部隊は、今ソウル大陸で戦線を上げている者たちに次いで実戦経験のある部隊になっている。その経験は今後の我が軍には貴重なものとなる。そこで我々上層部は、君の部隊を特定の基地に縛り上げるのではなく、各所において必要なときに戦線に投入する部隊として活用することにした」

「それでは、規模がどうあれ戦が起こればそこへ派兵される、ということですね」

「それが反撃に必要な手段の一つということになる。大変な役回りではあるがな」


――――――――――――要するに便利屋のようなものか。
口に出して言うことは無かったが、ランの解釈はそのようなものだった。
都合のいい時に駆り出されては利用される。
内情を知れば、この内部編成を快く受け入れようと思う人は少ないだろう。
しかし、一方では“反撃に出るためにはそれを中心とする部隊の存在”が必要であることも、ランは同時に理解していた。
今までの連邦軍は防戦一方。
攻めてくる敵に対し対処するという構図を脱することが出来ずにいる。
それに加え、敵の攻勢が強力な時には、後退し結果的に領土を渡してしまっている。
彼らがこれまでの道中、そうしてきたように。
この状況を脱し反撃に出るためには、そのような部隊の必要性が当然問われるであろう。
この街の部隊をそれに充てるのか。
しかし、街の部隊は町を守護する任務があり、すべてを動員する訳にもいかない。
作戦エリアというものも定められているだろうから、逸脱した範囲で行動する危険を冒す訳にもいかない。
だが、ノルブの言うように、定位置を決められず各地を転々と出来る部隊があれば、重要な作戦の時に積極的にそれを投入したいとする、上層部の意図は彼にもよく分かるものだった。
どこかの基地や街に駐留している部隊にいきなりそれをやれ、と言っても出来る部隊は少ない。
だからこそ、この大陸において最も実戦経験が豊富な彼らにその役割が回ってきた、ということだろう。


「すぐにでも反撃に出たいところだが、その前に敵の攻勢が一度はあるだろう。防衛で敵の戦力を削ぎ、そのあとで反撃の機会を窺う」
「ここの防衛ももちろんですが、トルナヴァ基地に対する攻撃が気になります。あの一帯は既にグランバート軍が進軍しているのですから」

「確かに、君の言う通りだ。我々にとって最も最悪なのは、こことトルナヴァ、二つが同時に攻撃を受けることだ。一切兵を回せなくなる。だが、敵もそれほどの大兵力を同時に送って来るだろうか?どちらかを確実に仕留め、そのうえで残る一方を戦力差で奪い取る。並みの指揮官ならこの判断を下すだろうと私は考えている」



二つの作戦区域で同時に兵力を動員することは難しい、というのが連邦軍上層部としての考えだった。
主戦場をどちらかに設定し、一つを制圧した後にもう一方に攻め入る。
グランバートとしては、トルナヴァもヤルヴィンも確保しておきたい軍事基地である。
その意図は明白なので、あとはどちらが先に攻勢に出るか、というところであった。



「ノルブ司令はどちらが先に来ると考えていらっしゃるのですか」


カレンがそう問いかける。
それに頷いたノルブは言葉を続ける。


「実は既に大方の予測は出来ている、それを裏付ける情報も手に入れた。203飛行隊の偵察飛行で、敵の進軍規模の多い地点を確認している。近々、間違いなく先にトルナヴァ基地が標的となるだろう。制空権が取られている中で、危険な任務ではあったが、彼らはよくやってくれた」


それは、つい一週間ほど前に手にした情報だと言う。
中央部から東部では、オビリスク駐留基地の部隊やその他州軍が相次いで攻撃の対象となっていたが、その間西部にかけても大規模な侵攻が行われていた。
一同標的をトルナヴァ基地に設定し、直進するかのような状況だった。
周囲の街や村を占領しつつ、勢力を維持しながら標的に向かい続けている状況。
それを、ソロモン連邦共和国空軍第二航空団の部隊が偵察飛行によって捉えたのだ。
既にトルナヴァ基地より北部はグランバート軍が進駐していることもあり、制空権は敵の手に渡っている。
その状況下で偵察飛行を実施するのは非常に危険であった。
ソロモン連邦共和国空軍第二航空団は、連邦領の北西部や北部を中心に活動をする空軍で、第203飛行隊はヤルヴィン基地所属である。
アルテリウス王国軍が管理運営をしていたヴェルミッシュ要塞攻防戦では、派遣された連邦軍艦隊を支援するために出撃を行い、戦闘を行った。
相次いで上陸され続ける中、空軍勢力もグランバート空軍と幾度も戦闘を行い、互いに戦力を削ぎ合っている。
敵の制空圏内に入っての偵察活動は、貴重な情報が手に入れられる可能性が高い一方で、撃墜される可能性や墜落、脱出後に捕虜になる危険も多くある。
その渦中で手にした情報は、連邦にとって有益なものであった。



「そこで、君たちの次の任務は、先に接敵するであろうトルナヴァ基地の防衛だ」
「トルナヴァへ?ここからでは相当時間がかかります。せめて輸送機でも使わせてもらわないと」
「ああ、その辺りは心配しないで欲しい。203飛行隊の輸送機で兵員を移送する。無論、戦闘機も随伴させてな」


これまで幾度となく戦いを乗り越えてきた彼らからすれば、今までの経路にも空軍の基地や滑走路があれば、この輸送機を使って迎えに来て欲しかった、というのが正直な感想である。
そうすれば、あらゆる戦いを回避することが出来、かつ犠牲も少なくここまでくることが出来ただろう。
一方でそれをすれば、グランバートの侵攻を野放しにすることにもなり、領土防衛という彼らの役割が二の次にされることになる。
救われない運命を背負う民が大勢出たことだろう。
航空産業が盛んになったこの数年間で、人員輸送で輸送機が使われるようになった。
機体性能としてはそれほど高いものではないが、戦闘機に比べ長い航続距離を持ち、かつ多くの人を移送出来る。
遠くの戦地へ行くのも、車よりも遥かに速く移動できるので、重宝される。
難点は、運用コストがあまりに高く、故障などが発生して墜落しようものなら、一度に百人ほどの犠牲が出てしまう危険があるということだ。
過去そういう例が無かった訳では無い。
発見された問題点を幾度となく解決させ、今の運用状態を作り出すことが出来ているのだ。


「輸送機を使っても、トルナヴァまでは十数時間掛かる。それに給油無しでは辿り着かないから、進路途中にやや南下してトルシュナ空軍基地に立ち寄ってくれたまえ。208飛行隊の駐留基地だ」

「承知しました。それで、我々はいつ出発すればよろしいのでしょうか」

「7月30日を予定する。トルシュナ空軍基地で一泊して、8月1日の夕刻までには到着できるだろう。それまでに補給担当士官のアーノルド・ミュンツァー少佐に助力を貰うといい」



それも彼らに与えられた一つの命令であるため、それに従わざるを得ないというのが正直なところではあった。
こうして、オビリスク駐留基地所属の部隊はその所属を失うと同時に、新たな部隊として組織されることになる。
連邦軍は、陸戦部隊の場合、多くは所属の根拠地を持ち、その周囲のエリアで活動をする。
彼らのように、必要とあらばどのエリアでも向かわせる、などという役割を持たせる部隊はほぼ無い。
元々所属していた基地は敵に占領され、取り戻すのは容易ではない。
上層部の考えは、これまで幾度も死線を越えてきた彼らは、戦力としては充分に役に立つ。
どの部隊よりも多くの実戦を経験しているのだから、実力もあるだろう。
それを基地に固定させて扱うよりも、その都度戦場に出てもらって力を発揮してもらう方が良い、と考えたのだ。


「この戦いはまだ先が長くなるだろう。だが、組織的な抵抗が続けば、領土内にいる我々の方が有利になる。敵の攻勢が限界に達し、防戦状態が続くことになれば、あとはこちらの思うがままだ」


そう簡単にこの情勢が好転するかどうかは分からないし、ランはその考えがやや短絡的で危険なものではないかとも思っていた。だが、ノルブの言うことも何ら間違ってはいない。いつかソロモンの陣営が情勢を覆すためには、ただ守り続けるだけではなく攻めに転じる必要もある。
いつまでも防衛線で戦うのではなく、攻勢に出るタイミングを計る必要がある。
それが、二つの基地の攻防戦を退けた直後だと考えているのであった。



「そうだ、カレン“大尉”。君もラン少佐と一緒に昇進だ。実働部隊ではなく実務兵士なので、これ以上の昇格は望めないが、指揮官補佐というのも大事な職だ。どうかこれからもラン少佐をサポートして欲しい」

「はい、ありがとうございます、少将」

「話は以上だ。下がってよし。出撃日までは基本的に休息日とするが、あまり羽目を外さぬように、部下たちによろしくな」



昇格の条件は様々だが、時期が定まっているものではなく、一定以上の評価を得て適切なタイミングで昇格を言い渡される。
逆に、大きな問題を起こしたりすることで降格することもある。
共通していることと言えば、昇格人事を言い渡せるのは、連邦軍参謀本部所属の司令官職を勤める者のみとされていて、参謀本部に昇格に見合う人材の推薦を行い、内容を精査され受諾されれば昇格人事を発行できる、という仕組みである。
そのため、駐留基地に所属している司令官職の人間でも、それが参謀本部所属の肩書が無ければ勝手には昇格させられないのである。
ラン・アーネルドは、参謀本部からオビリスク駐留基地の司令官代理に充てられたので、一定の裁量が与えられている。
ツバサを伍長の階級にしたのも彼のその権利を行使してのことだ。
しかし、それにも限度がある。
参謀本部より派遣された司令官職の昇格人事で最も高く任命できるのは、中佐までである。
さらに言えば、司令官職よりも高い階級を部下の兵士に与えることは出来ない。
現在所持する階級を数段飛び越えて上の階級を任命することも出来ない。
などと、色々と制約がついて回る。
ランのこれまでの例で言えば、彼は司令官代理の期間中、大尉の階級を保持していたため、自分よりも高い少佐以上の階級を部下に与えることは出来なかった。
そのルールはこれからも付きまとう。
つまり、司令官が出世コースを築いて行かないと、部下がそのコースについてこられないという、不便なルールに縛り付けられているのだ。
ランを昇格させることが出来るのは、参謀本部に所属し彼よりも階級の高い者に限られる。
自分で自分を昇格させることは出来ないので、平時の場合、司令官職の昇格人事発布の際は、それを担当する者が所属する基地まで出向かなくてはならないという決まりもある。
今回は紆余曲折あったものの、その人事を発行できる者の下に辿り着いたので、このタイミングでの昇格となった。



「…………独立部隊、か」
「何か、思うところがあるのですか?」


彼と共に昇格を果たしたカレン・モントニエールが、二人しか歩いていない廊下の中で彼に問いかける。
ラン自体はそれほど穏やかな表情でも無かったし、かといって険しい顔をしている訳でもなかった。
ただその声色が少しいつもとは違う真剣さを帯びている。



「部隊の編成は一任されている。編成後は独立部隊として、各地へ飛び回ることになる。私にはそれがどうも気掛かりでね」
「と、言いますと?」
「彼らをこのまま私が率いる部隊に留めておいて良いものかどうか、とね」


――――――――――――本来、命令してしまえばこんなこと思わなくとも良いんだろうけどね。


彼なりの苦悩の一つだろう。
今度、ランは命じられた通り、独立強襲部隊の正式な司令官として兵を統率することになる。
司令官職についた上官の命令は、戦場でも、そうでないところでも生きる。
だが、彼が思うこの部隊の設立は、間違いなく危険を巻き起こす種となる。
ここに所属し続けることで、死ぬ可能性も格段に上がるだろう。
戦いになれば犠牲は付き物、と言うが、進んでこの部隊に入る、残ろうとする者が果たしているのかどうか。
命令してしまえば兵士を留めることなど簡単である。
それを躊躇うランの性格を、カレンはよく読み取っていた。



「ノルブ少将の言うことも正しい。ただこの辺りに腰を据えているだけでは現状は打破できない。しかし、どうも私たちが過剰に評価されている節があってね。それを利用して我々に先陣を切らせようという意図じゃないかと思ってね。それをノルブ少将が考えて発現しているのか、あるいはもっと上の人たちからの話なのかは分からないけれど」

「そうなると、この際あまり良いことではありませんが、私たちの戦果が一定量の評価を集めている、ということになるのですね」

「まあ、早い話そういうことだろうね。仮にも最前線に居て逃げ延びたとはいえ、幾度となく敵の攻勢を退け民たちを守ってきた。それだけでも、本来なら勲章ものなのかもしれない。こういう情勢でなかったらね」


その部隊を統率し続けてきたのが司令官代理のランであり、彼に対する評価も当然上昇中だ。
しかしラン自体はそれを良いことだとは思っていない。
自分たちが注目を浴びることで、その負担を兵たちに強いることになってしまうからだ。
とはいえ、認識している通り、これまで幾度となく戦場を駆け抜け危機を脱してきた。
それだけではなく、明確な敵を撃破しての後退を繰り返し続けてきたのだ。
戦力として充分に活用できるという考えに至るのは、ごく自然なことなのだろう。
つまり、今後展開されるであろう反撃作戦の急先鋒という位置づけをされる。
それに部隊の兵たちがついてくるかどうか、彼は気にしていた。
兵を統率出来ても、士気はどうか。
モチベーションが上がらなければ、満足に動かすことも出来ないかもしれない。
決して緩い話では無かった。


「私としては、上の人たちはあたかも反撃が開始できることを前提に話を進めようとしていることが、気になりますが………」

「うん。君は事の本質に気付いたね。それが出来ない時はどうなるか、防衛に失敗した場合は次をどうするか、今のところ明確な指示は無い。最悪の場合を想定するのなら、それも必要な考察の一つだ」

「それとも、上層部は何か駒をひっくり返せるほどの秘策でもあるのでしょうか………?」

「いや、それは無いんじゃないかな。ただ今までよりは有利な状況を作りやすくはなるだろうけどね。敵は狙いを定めている。遅かれ早かれこの二つの基地は敵の襲撃に遭う。それが明確なら、まずは全力で阻止したうえで逆撃する機会を窺う。もっとも、防衛が成功すればの話だが」


エレベーターに乗り、基地司令部の一階まで戻る二人。
このあとの予定は特にない。
彼らには待機命令が出されているので、それを伝達してしまえば、ひとまずは休息を取る時間となる。
ここまで戦い続きで疲労も蓄積されているので、ランとしても兵士を休ませたかった。
幸い、ここの駐留基地の規模はかなり大きく、兵舎も豊富にあるので、彼らの寝床に困ることは無いだろう。


「ところで中尉………ああいや、もう大尉だった。大尉、この後の予定は?」
「いいえ、私は特に何も。」
「そ、そうか。それなら、そうだな、良かったら食事でもどうかな。久々に戦闘糧食以外のものが食べられる機会だと思って」
「えっ、は、はい!もちろん、喜んでお供します。」


と、少し不器用な面を見ることになり、胸の高鳴りを少し感じるカレンなのだった。



ヤルヴィンに辿り着き、オビリスク駐留基地の部隊員にはひとまず今日一日の休息が与えられることになった。
今後の展開、ランがノルブ少将から聞いた独立部隊の組織についての話は明日以降になる。
彼らの疲労はかなり溜まっていて、ようやく辿り着いた大きな街だというのに、皆は街に繰り出すこともなく。
今は無限の未来よりも一夜の睡眠が欲しい、といったような心境だった。
ヤルヴィンの街はいまだに戦闘による被害もなく、街の中で過ごしてさえいれば、あまり戦争だ戦争だ、と焦燥に駆られることもない。
とはいえ、楽天的に物事を考えられる人がそれほど多い訳でも無い。
この街に基地があるために、いつかはこの街も戦場になるだろうと考えている人は多い。
幸いなのは、基地が隣接しているとはいっても、それまで若干の距離があるので、街を直接狙う攻撃を行うには、意図的に街に砲撃を撃ち込むか、堂々と侵入するかの二つになる。
グランバート軍が市民をも巻き込む無差別爆撃をするのであれば話は変わるが、そうでないのなら少し安全度は高まるだろう。


「すまねえなみんな!もう疲れてるだろうに集まってもらって」
「いいえ、私は平気です」
「気にしなくて良いぞ、ツバサ」

ヤルヴィン基地の中、ツバサは小会議室の一室を借りる許可を得て、自分の分隊員をそこに集めた。
一同、ツバサが分隊長らしく“19時にここに集まってくれ”と言うものだから、何事かと顔を見合わせていた。
皆は確かに疲れもあったが、ツバサがそのように招集をかけたので、時間通りに集まった。



「実はな、みんなにちょいと伝えておきたいことがあるんだ。日中でも言えたんだが、あまり他の人たちがいる中で話したくなかったからよ」



口調はいつものツバサのようだったが、この時点で彼の表情は既に硬かった。
それだけ見ても分かる。
特に、彼と長年行動を共にしてきた友人たちには、彼のその表情はいつも見せるものではないものだと、すぐに分かる。
彼は元気で明るくて、その性格を表出させることが多い。
周りの人たちもそれで明るくなることもほとんどだ。
だが、その彼が真剣に硬い表情をしている時は、特別な時だ。



「ここに来る前に、ラン司令官代理とシュナイダー少尉から聞いた話なんだ。上手くは言えないけど、敵に“俺たち”の存在が知られてる」
「……………??」
「つまり、俺たちの分隊が敵にとって危険な存在だって、ハッキリ知られてるんだ」


敵から危険な存在だと認知されていること。
その言葉にはじめは理解が出来なかった。
しかし、よく考えれば何が言いたいのか、すぐに分かる。
ツバサがこれから何を言おうとしているのかも、考えればすぐに思い付く。
敵に自分たちの存在が認知されているということは、それだけ自分たちに対する危険度は高まるということ。



「だから、これまで以上に俺たちは敵から狙われる可能性が高い。今日の戦いだってそうだ。」

「………確かにな。数回しか経験が無いことだが、今日の敵の出方は少し不自然だった」

「分かってたのか?ソロ」

「いや。ただ、ツバサの言葉を聞いて奴らの行動を振り返った時、腑に落ちない部分の答えが得られたと思っただけだ。あの時俺たちの部隊は、本隊から意図的に切り離されたように思えた。それが狙いだったのではないかと思えるほどには」


そして今日の戦いは、それが狙いの一つだったのではないか、と。
戦端が開かれた理由の一つに、彼らという脅威を排除するため、というのが挙げられるのではないかと考えていた。
なぜ彼らがそのような認知をされるようになったのか。
オビリスク駐留基地から逃れた残存部隊は、確かにこれまでグランバート軍を幾度となく退け、民たちを守りながら戦い続けてきた。
その成果は敵も知るところであり、警戒するだろう。
だが、それならばなぜ彼ら少年たちやその人員を特定の集団と認知して、狙おうとするのか。
それについてツバサはこう話した。


「この先自分たちにとって障害となる存在は、とことん排除したいって思ってるはずだ。正直今はグランバートの奴らが有利だと思うけど、反撃し始めたら俺たちがその中心人物になるって、恐れてるかもしれねえんだ」

「そんな…………私たちって、そんなに何か目立つこと、した?」


「目立とうと思ってやってる訳ではないからな。だが、敵から見た“相手”とはそういうものだ。自分たちにとって脅威となり得る存在は、出来るだけ早めに排除したいものだ」


ケーンバーク伍長がそのように付け加えて話した。
レン、ソロ、エズラの三人にはまだ実感はない。
ツバサも彼らより経験は積んだとはいえ、言われるまで考えたことも無かったことだ。
自分たちが戦場で“活躍”することで、周囲の敵に認知され、標的とされることがある。
この地域での敵勢力にとって、自分たちがそのような存在になっていることを、彼は上官たちから告げられている。
あまり時間が経たないうちにそれを話しておきたいと思ったからこそ、ツバサはこの話の席を設けたのだ。



「だけどみんな、あんまり気負わずにやってくれ!」



今後の戦いで、彼らは特定の分隊として集中的に狙われる可能性すらある。
それを考えると、先が真っ暗になり不安に思うのも無理もないことだ。
足が竦むような気さえする。
だというのに、その後に出たツバサの言葉はツバサらしいものだった。
その言葉に皆が驚きを見せる。


「罠にさえかかんなきゃ、俺たち以外にも周りに強え仲間がいる!強いから孤立してるって訳じゃねえんだ。俺たちは俺たちに出来ることを続けるしかねえ!気負うなっていうのは無理かもしれねえけど、やることは分かってんだからさ!」



彼自身、無理を承知で言っている。
自分でさえこれまで意識して来なかったことだ。
これからも、外敵から標的として狙われるという自覚を持ち続けることが想像し辛い。
だがそれが必要な時が来たと言うべきか。
自分たちが自分たちの軍勢の為に力を尽くし成果をあげ続けることで、敵からは危険視され標的とされる。
その自覚は、ますます自分たちの立ち回りを考えさせられることになるだろう。



「お前らしいな。ま、それがいいんだけどさ~?」


エズラがそのように返答する。
その時の彼は、衝撃的な内容を告げられた後というのに、さほどいつもと変わらずにいた。
これまでの幾つかの戦いで、エズラは何度も危機的な状況に遭いながら、ここまで生き続けることが出来ている。
自身が戦いの渦中に深く入り込み始めているのを自覚しながら、それが自分の決めたことだから、と腹を括っている。
自分にはそれほど技量もないし度胸もない。
けれど、周りの仲間たちと共にこの荒れ狂う時代を生き残ることが出来れば。
これから先にどれほどの苦境があろうとも、なんとかなるんじゃないか、という気持ちを糧にしていた。


「ツバサの言う通り、あまり遠くを見過ぎず、目の前に来た状況を突破できるように力を尽くす。確かに敵の出方も気になるが」
「小分隊の出来ることは限られているが、積み重ねればそれは大きな戦果になるだろうな。やれるだけのことはやろう」


ツバサよりも年上で、戦闘経験も多いレオニス、ケーンバーク両伍長も、ツバサの言葉に反応した。
彼の言うことは具体性を持たない言葉だと思いながらも、危機的な状況の中で戦意を失わせず、モチベーションを保たせようとする器量の大きさに感心していたのだ。
本来なら自分たちこそ、彼ら子供たちを導いていく必要があると感じていた。
だが、この分隊の分隊長はツバサで、階級は同じであってもその下についているのが自分たちだ。
と、自分の立ち位置も弁えたうえで、彼らの助けになりたいと考えているのであった。


「…………うん。でも、とにかく無理はしないようにね?傷付いても、なんでも治せるって訳じゃないんだから………」
「はは、確かにな。みんな怪我には気を付けろよ~?」
「お前こそ」


勿論、全員が素直にその言葉を受け入れられた訳ではない。
一度戦いが始まれば、相手の顔や名前など気にしてはいられない。
相手が敵であれば倒すべき相手、ということになる。
が、グランバートからすれば、一部の強敵と認識した相手を標的として狙ってくるのだ。
これまで以上に危険を伴うだろう。
レンとしては、綺麗事では済まない殺し合いに身を投じているとはいえ、出来るなら大怪我などしないで、毎回無事に帰ってきてほしいと願うのであった。


「あと、俺はあんまり自分の意見を強制させようとは思ってない。戦ってる最中は仕方ねえかもしれねえけど、それ以外では出来るだけみんなの意見を集めようと思ってる。色々思うところもあるだろうけどな」


実に彼らしい考え方ではあるが、指揮官としての役割を考えるとどうか、と思う人もいた。
それをツバサも分かっていたからこそ、色々思うところもある、と話したのだろう。
あえて彼は自らを打ち明けることで、分隊員に自分のこれからの役割を明確にさせた。
戦っている間は致し方ないが、それ以外で自分たちの行動を定める必要がある時に、自分の意見を強制しない。
もっとも、一分隊に自由な権限と行動が与えられることなど稀ではあるが。



「よし、話はここまで!取り敢えず、次の指示が出るまでは自由行動だな。宿舎の部屋はBブロックの5階居住区で、その番号の部屋を使ってくれってよ」
「了解した」
「ツバサ、街には出るの?」
「んーせっかくだから色々見て回ろうとは思ってるけど、まあ明日以降だなー。明日に出撃命令が出ないといいなー」


流石に今日は疲れたし、みんなも疲れてるよな?と声をかけたツバサ。
それほど彼らの表情は崩れている訳ではなかったが、身体の反応は素直なもので、疲労感に襲われていた。
ここ数日の移動や戦闘の数々を思えば当然でもある。
一晩眠った後で、ツバサは自分で色々見て回ろうと考えていたのである。
彼らの話し合いはそれで終了となり、それぞれ割り当てられた部屋まで移動をすることになる。


長い行程を越えて、ようやくここまで辿り着いた。
だが、戦争の中に身を置く彼らの局面を考えれば、ほんの僅かな動きにしか捉えられていないのかもしれない。
彼らという存在が、これからの戦争にどれほど深く入り込み、影響を与えていくか。
それが知れ渡るまでは。



――――――――――連邦軍トルナヴァ基地攻略開始までの時間は、あとわずか。



……………。

第17話 両親の軌跡①


7月30日。
オーク大陸ソロモン連邦共和国領土の北中部地域にある、都市ヤルヴィン。
グランバート軍が次々とソウル大陸北部に進軍を続ける中で、連邦軍ヤルヴィン基地はその進軍に対応する最前線基地の一つとして数えられるようになった。
グランバート軍にしても、ヤルヴィン基地は今後大陸の中央部に向けて侵攻をするために必要な拠点であり、避けては通れないものと考えていた。
たとえ彼らの声を直接聞かなかったとしても、連邦軍の大部分の人々がその考えを共通のものとして持っていた。
ヤルヴィンには大勢の民、避難民が集まっているが、いずれはここも戦場になる。
ここが重要拠点である以上、火を見るよりも明らかであった。
オビリスク駐留基地を放棄して、幾多の戦いを経験しながら撤退を続けた彼らの部隊は、どの基地にも所属することのない独立部隊として再編制され、戦力の一つとして戦場に投入されることになった。
連邦軍上層部の判断によるこの決定は、各々の心に霜を降らせることとなったが、上からの命令ともあればそれを拒否することは出来ない。
今、この大陸で活動する連邦軍の中で、彼らが最も戦闘経験が豊富にある部隊となった。
殆どの部隊がどこかを根拠地にして活動をするのだが、戦時中の編成ということで、独立部隊などと大そうな呼び名を充てられた彼らは、これから各地の戦闘に派遣されることになる。
これまで以上に戦闘の発生しやすい状況に介入するということで、危険を伴うこととなる。
軍人であればそのような状況でも覚悟をしなくてはならないのだが、事実、そこまで軍に心を委ねている者も多くは無かったのである。
しかし、不思議なことに、


「あの人が俺たちの上に立つなら大丈夫だ」
「きっとうまくやってくれる!」


という、兵士たちの間である意味では期待を寄せるような状況も生み出されていた。
その期待が向けられた相手は、この独立部隊の司令官として改めて彼らの上に立つこととなった、ラン・アーネルド少佐のことである。
現場の兵士たちは、これまでのランの経歴をそれほど深く知ることは無かった。
だが、自分たちの上に立つ者としての評価はとても高く、優し気な人となりも相まって多くの信頼を寄せられている。
いち早くオビリスク駐留基地を放棄することを明言、実行に移し、撤退を続けながらも彼は一度として部隊を敗退させたことはなかった。
向かってくる敵は排除し、そのうえで安全圏まで後退を続ける。
そして、民たちに犠牲を出さないよう、部隊の運用に気を遣い守り続けてきた。
その手腕は、彼らの部隊の中では誰もが認めるところである。
この先どのような苦境が訪れるかは分からないが、司令官がランであれば彼についていきたい、と考える兵士たちが大勢いた。
彼らのその気質が、このような編成を受け降られた霜を振り払う状況を作り出していたのである。


「今回の編成の件、ツバサはどうお思いですか」
「色々考えちゃいるけどよ、まだ正直わかんないことが多すぎてな」
「ええ………私も同じく、です。」


まあ取り敢えず言われた通りやってみるしかねえってことだろうな。
と、いつものような口調で冷静に考えていたツバサ。
彼の隣で廊下を歩くのは、ナタリア。
オビリスク駐留基地に所属していた部隊員が、再編成された後に参謀本部直属の独立部隊として組織されることが決定され、彼らはその報告を受けた。
二人とも複雑な胸中であった。
明らかに戦火の巻き起こる地に足を踏み込んでいくことになるのだから、そうなるのも当然と言えば当然だ。
自分たちのこれまでの活躍が、参謀本部とやらにその編成を決定されるに至ったのか、と考えると、出過ぎたことをしたかと思う気持ちにもなる。


「必要があればどこへでも行ってこいって、言われることになるだろうな」
「それではまるで道具のようではないですか。」
「………………ん」


一方で、ナタリアはこの編成をあまり良く思っていない様子だった。
冷静沈着な彼女らしからぬ問いの投げかけかたに、ツバサはその様子をすぐさま感じ取った。
彼とてそう思わない訳ではない。
良いように利用されているのではないか、と。



「そうは言っても、俺たちが何か言って変わる訳もなし。まあ、まずはやってみねえと分からねえよ」
「………貴方はいつもそれだ。しかしその、言葉に助けられているというのも、あります」
「お、おう」


不満そうな姿を見せるナタリアも、それ以上のことは言わなかった。
彼女も、ただ不満を彼に伝えたとしても、それで何かが変わる訳ではないと分かっていたからである。
元より軍人というものは、上からの命令を実行する役割を持つ。
今のところ、どれだけ異を唱えたとしても、それを覆すだけの力を彼らは有していない。
ツバサは「やってみなきゃ分からねえよ」といういつもの言葉と共に、その不満を逸らす。
一方で、ナタリアはその言葉に助けられていると素直な言葉を彼に伝え、彼はその返答にやや困惑した。
あまりもストレートに伝えられたものだから、反応に困ったのだ。
今、二人は並んで基地の内部を歩き、とある場所へと向かっている。
大きな基地を訪れる機会があれば行ってみようと、ツバサが心に決めていた場所である。
ところで。
ツバサとナタリアという二人の関係性について、今は過去のものとなったがオビリスク駐留基地所属の兵士たちの間では、ある立ち位置の認識が共通化されている。
両名ともまだ子供の年齢でありながら、これまでの戦いでその戦果を高く評価されている。
そして分隊長としてツバサが数名の兵士を指揮するようになった。
そのツバサの補佐役、副官のような存在として、ナタリアがいる。
このような認識が多くの兵士たちの間で広がっていたのだ。
彼らという存在に注目する一方で、その立ち位置も理解が進められていた。
もっとも、これは彼らが定めた立ち位置ではなく、そう望んで生まれた状況でもない。
周りの評価や視線というものが、そうした認識を生み出す土壌となっていたと言えるだろう。
別にこの認識で困るようなことは一切無かったが、中にはこうした立ち位置を悪い方向へ考えてしまう人もいる。
悪辣な思想に付き合うようなこともしなかったのだが。



「いらっしゃいませ。軍立図書館ヤルヴィン支所へようこそ」



ソロモン連邦共和国軍立図書館。
図書館と聞いては、あらゆる蔵書の羅列が思い浮かばれるが、それは決して間違いではない。
大きな扉を開けた先には、自分たちの背よりも遥かに高い本棚が屹立し、そこには所狭しと大量の本が整列している。
やや薄暗い空間のようにも感じるが、ここを利用する人も多いのか、見たこともない顔の兵士たちが多くいる。
長椅子に腰かけて本を閲覧する人もいれば、今まさにその屹立した本棚で本を取ろうとする人もいる。
中には大きな紙一枚を広げて、そこに書かれた文字を眺める者もいる。



「すげえ広いな」
「ええ。私も、ここまでの大きさは初めてです。中央にはこれの数倍広い図書館があると聞きますが………」

「もし、何かお探しでしたらお声がけ下さい」


軍が管轄するこうした図書館は、各地方に幾つかあるという。
軍の施設内部にあるので、多くは兵士たちが利用するのだが、特定の区画以外は一般市民でも入ることが出来る。
検閲されている情報が多い中ではあるが、街の中にある書店や図書館では見ることの出来ないようなものが数多く置いてある。
一方、彼らは軍人であり、その制限された区画の中も自由に出入りすることが出来る。


「なあ、ここでは個人の記録を引っ張り出すことは出来るのか?」
「………と、言いますと。」
「たとえば、どこどこの戦いに誰々が参加した、とかさ」


そしてその図書館の運営に携わり、日常的にここで業務をこなすのが司書と呼ばれる人たちだ。
彼らは書物の整理のみならず、新しい記録の書き写し、付け加えなども担当し、日頃の記録を常に更新できる立場にある。
最近では通信技術も発達し続け、データとしてそれらの情報を保管することも多くなった。
そんな便利な世の中においても、活字で記録された文書というものは貴重らしく、司書が言うには決して無くなることのない仕事だという。
ツバサの問いかけに司書は少し困りながらも返答をした。


「申し訳ありません。一人ひとりの軍歴を追うのは流石に不可能かと思われます。よっぽどの功績者か有名な兵士でない限り………失礼な物言いにはなってしまいますが」

「んー、やっぱそうだよなー。んじゃ、いつどこでどんな戦いがあったかっていう記録は?」

「それでしたら、戦闘記録を保管した記録庫の文書を見ると良いでしょう。この先にあります。」


ナタリアは既に知っていることだが、彼はその人となりとは裏腹に、本や歴史書を読むのが好きだ。
兵士という立場になってからはそれほど多くの時間を割くことは出来なくなっているが、士官学校にいた頃には、世の中の動向を掴むのに、夜の時間ほぼ毎日図書館へ通っていたこともある。
また、彼がタヒチ村にいた頃は、隣町の図書館でよく本を買い、店員にも顔と名前を覚えられていた。
彼にとって読書は趣味の一つでもある。
そして世間のことを知る機会の一つとして、それを大切にしている。



「いやぁ~、こりゃ多すぎるくらいだな!」
「それではごゆっくり。読みました本は、その回収箱に入れてもらえればこちらで棚に戻しますので」
「え、またこれ並べんの!?こんなにあるのに!?」
「はい。それが司書としての務めですから。気になさらないで下さいね」
「すげえ」


戦闘記録の保管庫は、一般の人々には閲覧することが出来ない。
軍の在籍記録があったとしても、現在も軍に所属をしている人でなければ足を踏み入れることさえ出来ない区画だ。
そのためここへの案内は司書を通して行う。
保管庫自体はそれほど大きな部屋でも無かったが、同じように所狭しと大きな本やファイルが並べられている。
司書は案内が終わると、保管庫から離れて元の受付まで戻って行く。
今この空間にいるのはツバサとナタリアの二人だけだ。
外から照らされる日中の明かりと室内に灯された明かりを頼りながら、年表を追い始める。


「これは凄いですね。最も古い記録は、この国が建国された後、それほど時を経ずして起こったものからのようです」

「まあ記録ってのは思い返す人が少なくとも残しとくべきものだろうな。今の俺たちがどういう足取りでここまで来てこれからどう過ごすか、そしてそれが誤ったものなのか正しいのか。ある意味じゃ歴史から学ぶことだって出来るんだし」


普段から歴史や書物に触れていなければ、そのような考えを抱くことすらないだろう。
改めてナタリアは彼にそうした一面があるのを強く感じていた。
いつもの人となりとは異なる、冷静な顔を持つツバサ。
ナタリアは、彼が時折このような表情を見せることをよく知っている。
これまで幾度もその機会を傍で見てきたからだ。


「博識のように見えますね。ツバサ」
「え?そっか?ハハ!さーって、どっから探すかなー。あんまり検討もついちゃいないんだけどよ?」



“貴方のお父様の記録、ですね―――――――――――――?”
静かにナタリアがそう話すと、彼もまた言葉にはせず、ただ静かに頷くだけだった。
ここへ来た理由は一つ。
彼は彼自身の父親の記録を探し求めていた。
完全な私欲のためにナタリアを突き合わせてしまっているようなものなのだが、ナタリアは寧ろ協力したいと言って彼についてきた。
はじめ、彼は自分だけでここに来て自分ひとりで色々読み漁ろうと考えていた。
彼女が彼に協力するのは、彼の為でもあり、自分の為でもある。
彼に語ることは無かったが、彼という人間がこれまで育ってきた経緯、その過程にある両親の存在に、彼女は興味があったのだ。



「………もう、十年も会っていないのでしょう?」


「まあな。いつどこで死んだかも分からねえし、どの戦いに行ってたのかも分からねえ。そもそも死んでるかどうかさえ分からん。」


「確か、貴方の家に戦死報告が届いた、と言っていましたね………?」


「そりゃ事実だ。でもよ、俺は父さん母さんの遺体を見たって訳じゃないからな。どうにも信じられなくってな」


ツバサの両親は、戦時中に行方不明となりその後の消息が分からないことから、戦死という扱いを受けている。
何も彼の両親に限った話では無く、今も昔もこのような処理をされることは多くある。
一度平地に戦いが発生すれば、一人ひとりの生存を確認することなど難しくなる。
戦いとは数であり、戦闘の結果によってそれが減少する、というざっくばらんな結果が出される。
誰がいつどうやって死んだのか。
それを克明に記録するものはない。
あるとすれば、当事者として今も生き、その場所に立ち会った者だけだろう。
彼の父がどの部隊にいて、どこの戦いに赴きそして行方知れずとなったのかさえ、今の彼には分からない。
だからこそ、彼は司書にはじめ聞いたのだろう。
もし特定の個人を記録するようなものがあれば、彼の求めるものの近道になる。
しかし、そんなものはない。
無いということは、自分の父親は軍の中でそれほど際立った存在では無かったとも言える。
………司書の話を聞く限りではそのように解釈が出来る。
たとえば、かつての戦争を終結させるのに大きな功績のあった人物たちは、個人を追った記録が複数ある。
現在、軍の高階級を持つ者たちの多くは記録を見ることが出来る。
だが、一兵士を記録するようなものはそうそう見つからないと言うのが司書の話だ。
彼にしてみれば複雑な気持ちであった。
勇名を馳せることが無ければ記録にすら残らない。
何万人といる兵士の中の一人で、総数の戦力の一人としか数えられない。
それが戦争における人命の数え方である。
父親の記録を辿ろうとすると、こうした地道な努力も必要になるだろうし、更には父親と親交のあった兵士で現在も生きている人たちを探すことも求められるだろう。
彼がそこまでしようと心に決めている理由は幾つかある。


「戦争がこっちの大陸で本格化し始めた頃に呼び出されたんだったかな。今だからよく意味が分かって思い出せるけど、父さんはよく“弱い立場にある人たちを守る為に戦う”って言ってたんだ」

「………弱きものを守る為に戦う、ですか」

「戦争なんて始めりゃ敵味方で区別されるし、敵側にいる人はたとえ民間人であっても容赦なく攻撃される可能性だってあるだろ?俺はそういう人たちが少しでも減れば良いって思ってるし、まあそのために戦ってるってのもあるからな」



「………難しいものです。上層部とて民間人を巻き込んだ作戦などしたくはないはず。ですが、過去の戦争では国同士の争い以外にも、ゲリラと化した民間人を制圧するために軍が派遣されたことも数多くあります。それが自分たちの国や民たちを守るのに必要な手段とされるのなら、民間人とて攻撃しなければならない時もあるかもしれません」


「そうならねえようにするのも、戦う目的の一つかもな」



争えば幾つもの命が失われる。
それを止めるために、また多くの命を奪う。
争いに巻き込まれて死ぬ運命にある人々を救うために、その争いを起こした大元たる人々を殲滅する。
あらゆる矛盾に満ち溢れたこの行程を進めていかなくてはならない。
彼はそうした運命にある道を出来るだけ変えたいと望んでいる。
彼自身が戦争全体に出来ることなどごく僅か、その思いも全体として見ればちっぽけなものなのかもしれない。
少なくとも彼自身は今の時点ではそう思っていた。
まさか自分が戦争の中心人物になるなどと、今の時点では思ってすらいなかったのだから。


「お母様も、お父様と共に行ったのでしたね」
「ああ。母さんは戦いが出来る人じゃなかったはずだから、何してたんだろうなー………」



あまりに幼い頃の記憶は、ツバサも覚えていないものが多い。
そして彼と両親とはもう10年も前に別れて以来、会ってすらいない。
たとえ両親と言えど、その存在が物心ついた後で薄くなりつつあるのは、彼としても否めないものだった。
親と共に過ごす時間に想いを馳せることは少ない。
ただ、親がどういう人だったかは分かる。
彼にとって印象深く残り続けているものも、昨日のことのように思い出すことが出来る。
しかし今の彼は、かつて傍にいた両親の足跡を探し続けている。
親子、最も距離の近いはずの存在を知るために、彼はあらゆる記録を遡ろうとしているのだ。


彼はこういう人となりだが、何も知らない人が彼の今の行動を知ったとき、どう思うだろうか。
ナタリアは心の中でそう思う。誰に伝えることもなく。


「お二人が戦地に呼ばれた時期は覚えていますか?」
「寒かったし、真っ赤な夕焼け空だったのは覚えてる。」
「では………秋ごろ、でしょうか。どこに呼ばれた、とかは」
「んーそりゃ分からんなあ。確かなのは、連邦軍がかなり押された状況に陥った後だってことくらいか」

「なるほど。連邦軍の状況が悪くなった辺りの記録から見てみましょう。」


過去を遡れば、この国は数え切れないほどの戦いを起こし、巻き込まれている。
幾度となく存亡の危機を迎えているのも、今が大国であることの証なのかもしれない。
あらゆる危機的状況を乗り越えながら、周りの国や自治領地を併合し、肥大国家とまで言われるようになった。
その道のりは決して穏やかで楽なものではなかった。
10年前、この大陸の東部から東南部にかけて存在していたエイジア王国が起こした戦争により、ソロモン連邦共和国はかつてないほどの危機に陥った。
領土の拡大と連邦領の各所に在る鉱山資源の確保、あらゆる利権の争奪を目論み、それを実行したエイジア王国は、ソロモン連邦共和国に対し複数個所で電撃戦を実行。
瞬く間に領土の三分の一が戦地となり、国土は急速に荒廃を始めた。
エイジア王国の勢いを止めることが出来ない連邦共和国軍は後退を続け、次第に領土を奪われる事態となった。
それでも戦いは終わらない。
連邦共和国は主力部隊を送り込んで反撃に転じようとするが、エイジア王国は当時最先端の技術の結集であった長距離砲撃用砲台の活用で、連邦軍の反撃を悉く封じてきた。
主力部隊を投じた作戦が相次いで失敗したことから、陸戦部隊は劣勢に傾き、エイジア王国は更に侵攻する作戦に出る。
結果として王国は戦線を拡大させ過ぎたことが、後の転換期において著しい敗戦の数々を招くこととなってしまうのだが、この時の世間の見方は、劣勢続きのソロモン連邦共和国こそ、今度こそ滅びるのではないだろうか、というものであった。
一方、連邦軍はこの国の制度にある徴兵制度に則り、兵役義務を消化した、あるいは兵役義務のため訓練を行っている現役訓練兵を出来るだけ招集し、部隊を再編制しながら反撃作戦を実行しようとする。
ここまでは歴史の本や教科書にも載っていることで、態々個人的な記録を閲覧するまでもなく手に入る情報である。


「ツバサのご両親が戦地に行ってから、戦争が終結するまでにどのくらいの時間が経っていたか、覚えていますか」
「たぶん3ヶ月くらいだったと思うな。たぶんだぞ?」

「………寒い秋頃に徴兵され3ヶ月………ああ、この辺ですね。ちょうど3ヶ月後は12月。50年戦争の終戦日は諸説ありますが、12月28日というのが定説ですよね」

「だな。そう考えると、エイジア王国に押し潰されてた時期とは少しずれてるよな。確かこの頃はエイジアも大分じり貧だった気がするんだが」

「確かそのはずです。寧ろ逆に押し返していた時ですが………っ」





――――――――――――――ルウム公国。





彼女が、一つ言葉を発見し静かにそう告げる。
50年戦争終結間際の戦闘は、ギガント公国とソロモン連邦共和国が共闘してエイジア王国に対し反撃作戦を行い、かつてソロモンが奪われた土地を取り返し、それ以上にエイジアの領土を攻め続けていた。
だが、終結間際にはあまり表には出て来ない存在が大きく関与している。
彼らの普段目にしていた教科書や歴史書にもほとんど載っていない内容も、ここでの記録なら包み隠さずに載せられている。
検閲されている理由は、歴史の舞台裏で暗躍し表の戦争を操っていた存在がいたからだ。
そして、50年戦争の終結にあたっては、そうした『第三勢力』の掃討も含まれていた。
その第三勢力と言われていたのが、ルウム公国の残党軍である。



「かつてオーク大陸にあったルウム公国は、領土拡大を企てるソロモン連邦共和国と、その動向に反抗の意思を示していたグランバート王国の二国によって滅ぼされた。オーク大陸で発生した幾多の戦いに巻き込まれる形で戦争に参加したルウム公国は、両国からの激しい攻勢を受け、急速に国力を喪失した………歴史上で滅んでいたはずの国が第三勢力として最後まで関わっていた、というのが概要のようですね」


「名前はもちろん知ってるが、へえ………裏で関わってたなんて、初めて聞いたな」


「公にはされていない情報のようですね」


多くの人々は、エイジア王国との戦争が終結したことが50年戦争の節目だと考えている。
だが実際はルウム公国という、既に滅亡した国の残党軍が暗躍し、陰で50年戦争を動かしていたというのが、記録庫から見つかった情報だ。
軍の公認でもあるこの話が嘘偽りで模られたものであるとは思えない。
つまり、ソロモン連邦共和国は意図的にこの事実を伏せているということになる。
どのような事情がそこにあるのかは分からないが、彼らはここで初めてその事実を知った。


「この国にとって都合の悪いことなのか、あるいは戦時中の情報をあえて隠匿して保管しているのか。いずれにせよ真実は伏せられたままのようです」
「隠しておいたほうが都合がいいってことなんだろうな。ある意味この立場にいて良かったと思えた瞬間だよ」


エイジア王国との戦いの一方で、ソロモン、ギガントの連合軍は第三勢力と呼ばれたルウム公国の残党軍と戦いをしていた。
この時ルウムは既に国を持たず、民を持たずの状態。
それでも大国である二つの国がルウムの残党を掃討したのは、彼らが第三勢力として大きな脅威を持っていて、容易ならざる事態を引き起こしていたからだろう。
ここの記録を辿ればそれがすべて分かるだろうが、多大な時間を必要とする。
欲しい情報ではあるが、今の彼らのすべきことは過去の詮索ではなく、過去の経緯を振り返って両親の足跡を見つけ、辿ることだ。
歴史好きのツバサとしてはどちらも手にしたいものばかりであるが、今は目的に専念することとした。
終戦の3ヶ月ほど前に召集された父親。
自分たちが所属する地域とは全くかけ離れた土地に呼ばれた理由は、連邦軍の危機に直面し最前線で戦える兵士を増員しようとしたから。
3ヶ月前は既にエイジア王国との戦いが佳境に入っていて、これまでの知り得た情報の中で、二人は連邦軍が非常事態に陥ることが想像できなかった。
だが、ルウムという存在が第三勢力として台頭していたのなら、充分に可能性はある。



エイジア王国との戦いで疲弊したソロモン連邦共和国。
隣の大陸から支援を送る一方で、明らかな距離の違いの苦難に直面するギガント公国。
それに乗じて台頭した、ルウムの残党。
彼らがここで見た記録では、ルウムの残党が何をしようとしていたかは、殆ど語られていない。
彼らには彼らの目的があり、そのために征く手を阻む連邦軍やギガント公国軍を潰しにかかったのは分かった。



「んー、疲れた!ひとまず“ルウムの残党が新たな戦いを起こした”から、連邦軍は不利な情勢になったってことで間違いは無さそうだな」
「兵の増員が必要になったのも、恐らくはこのためでしょう。最前線で戦える兵士を揃えるために」
「戦いは数だって言ってたしな」
「ですが、流石に個人を特定できるものはありませんね…………こうなると、当時の戦いを生き延びた人に頼りたいところですが…………」
「ただ、その人が知ってるかどうかなんて分からねえしなあ。なーんか一つでもヒントがありゃいいんだが…………」

「それでも、集められた兵士が、ルウムの残党との戦いに出向いたことは分かりました。以後3ヶ月にわたって、この大陸で掃討戦を繰り広げている。これだけ的を絞れただけでも、進捗を得られたと言って良いでしょう」

「前向きだなあナタリアは」

「貴方ほどではありませんよ。」


資料漁りに没頭すること一時間ほど。
流石に字面との格闘が多く疲労も溜まってきたところで、今日の調べは終わりにするとツバサから言い出した。
彼ならばもっと多くの時間を費やすことも出来たのだろうが、あまり長くナタリアを突き合わせる訳にもいかず、そして自分がそれに熱中すると周りの人や時間さえ忘れてしまうような気がしたので、遠慮したのだ。
ナタリアは彼の気が向くまで付き合うつもりでいた。
他人事なのにどうしてそれほど協力的なのか?
と言われれば、彼女は“それが、その時の今自分がしたいことだったから”と答えただろう。


「………ギガント公国は、今となっては形式すら存在しない。この戦争の中で、第三勢力という国会以外の組織が加わることもない、か…………」
「………もし出るようなことがあれば、あえて平地に波瀾を起こす者でしょうね」
「だな。や~なんか腹減ったな。」
「食堂にでも行きますか?この基地の食堂は、なんでも朝から晩まで営業中だとか。それとも街に出てみますか?」
「乗り気だなナタリア。よ~し、じゃあ街でメシにするか!!」



ヤルヴィン軍立図書館を後にする二人。
ここにはまだ彼らの知り得ない情報が多く詰まっており、そのすべてを把握するのは不可能なことであった。
彼の父親が呼ばれる要因となった戦いを調べ、見当をつけた。
記録文書ですら詳しく記載のないところもある中で、連邦軍が世間で思われているよりも苦戦を強いられていたことも分かった。
それには、ルウム公国という亡霊の存在があった。
今となっては形すら残っていない過去の国ではあるが、ツバサにはその存在が不気味に思えた。
どことなく、今でもどこかで暗躍し続けているのではないか、と。
それを確認する術はない。
もし彼の父を直接知る兵士がいたのなら、ぜひ会って話を聞いてみたい。
あらゆる情報を閲覧しながらも、その発見には至らなかった。
時間がまた許せるのであれば、ここへきて確認をしよう。
その思いを胸に留めておいたまま、彼はここを去った。
この時は、ヤルヴィン軍立図書館へ来るのが最初で最後になるとは、思いもしなかった。


……………。

第18話 予測の内外


「よう。お前さんがラン・アーネルド少佐だな。俺はアーノルド・ミュンツァー。主に補給物資の移送や兵員の補充計画、武器弾薬等の運用について一任されている。話は聞いてるぞ」


「は、はあ。それはどうも。ラン・アーネルドです」
「私はカレン・モントニエールです。宜しくお願い致します」



ツバサとナタリアが軍立図書館で時間を過ごしていた頃、今度の独立部隊の指揮官となるラン・アーネルドは、上官であるノルブ少将の助言もあり、この基地に所属する中央所属の佐官、アーノルド・ミュンツァーのもとを訪ねていた。
近々トルナヴァ基地を標的に狙うと思われるグランバート軍に備える為、7月30日の夕刻までに第203飛行隊の輸送機でトルシュナ空軍基地まで移動することが決められている。
各々それまでの時間を街で過ごしたりと、自由な時間を送っている。
その中でも、司令官であるランは自分に任せられた部隊の運用方法について、色々と整理をしていた。
ソロモン連邦共和国軍第七師団所属独立強襲部隊。
大そうな名前ではあるが、ランが考えるところ、この部隊はあらゆる戦線に投入される便利屋のような、都合のいいだけの部隊だと解釈している。
だとしても、彼らを預かる身なのだから、ぞんざいな扱いをして良い訳がない。
任されたからにはそれなりの責任を果たす必要があるし、そのために必要なことはしておきたいというのがランの考えだ。
そこで彼はミュンツァー少佐のところを訪れた。
アーノルド・ミュンツァー。
ランと比べると年齢は上だが、彼もまだ29歳とそれほど年老いてはいない。
連邦軍参謀本部所属の補給担当士官として、最前線で勤務することは無いが戦場や兵士たちの生活に必要な、ありとあらゆる物資の移送や調達の方法などを任されている。
彼は主に第七師団の補給物資のやりくりをしているが、以前は中央において参謀本部直轄の軍略担当であったので、内部の事情にも詳しい。
参謀本部からの信頼も厚いのだが、当時から上官に対しても、また司令部に対してもハッキリとした物言いで要求をするので、上層部の将官クラスの人間からは疎まれている。
ミュンツァーもランと軍歴が似ており、士官学校を出た後は前線勤務を経て参謀本部に就いているが、剣や弓を持って戦う兵士とは無縁の生活をしていた。


「ランは、かつてはオークランドの参謀本部勤務だったんだろ?」
「ええ、まあ」
「それなら俺と同じだな。参謀本部に居た頃はあまりお前さんの話は聞かなかったがなぁ」
「どちらかと言えば、私は不真面目で怠け者でしたからね。今も変わっていませんが」
「その割には、随分と高く評価されていたみたいじゃないか。でないと、ここまで辿り着くことも出来なかっただろうに」


たまたま、運が良かっただけですよ。
ランは自らの功績をひけらかすことはせず、自分の中に留め置く。
オビリスク駐留基地の放棄を決め、周辺の州軍や残存兵力を統率しながらここまで辿り着いたのは、兵士たちの努力の賜物でもあるが、同時にその道筋を立てた司令官代理としての判断の良さもある。
その点を軍の上層部も高く評価している。
“顔から下は役立たず”という二つ名を与えられてしまってはいるが、彼の知性や策略は、今後も軍に大いに役立つものと考えられている。
そして、後に彼はこの戦争の歴史で5本の指に入るほどの大きな功績をあげることとなるのだが、その時が来るまではもう少し時間がかかる。


「しかし、副官の身からすれば色々と大変だろう?実績を挙げているとはいえ、新任の司令官を補佐する役割ってのは」
「いえ、そんな。先行きは大変そうですが、今はとてもやりがいを感じています」
「そうか。彼女の足を引っ張らないようにしないとな」
「立場が逆転しているようですが、仕方がないでしょう。私も初めてのことばかりですからね。中尉………じゃなく、大尉にも負担はかける」
「ふふふ」


ミュンツァーはからかうように彼に話しかけ、彼は少しムッとしながらもその話に付き合う。
どうもそのやり取りが微笑ましかったのか、カレンは綺麗に笑顔を見せた。
他愛のない話がそれからも続いたが、やがて本題へと移る。


「第七師団所属独立強襲部隊、か。つまるところ、こいつは便利屋みたいなもんだな。よくこんなのを思い付いたもんだ」
「ミュンツァー少佐もそう思いますか。」


「それしかないだろうよ。ただ上のやってることが全く理解できない訳じゃない。お前さんたちは紛れもなくこの大陸の戦線で最も活躍し、最も多くの戦いを経験している。その経験を役立てるには、同じ基地の所属として留めておくよりは、ある程度自由に動かせるほうが良いって考えたんだろう。俺は話は聞いてないからなんとも分からないが、そんなところじゃないか?」


「ええ。まったくその通りだと私も思っています」


「まあそんなところか。んじゃあ、こちらもその動きに合わせた補給のやり方をしなきゃな」


ミュンツァーは正直に、行動計画が立ちづらい状況で、万全な補給態勢を取るのは難しいと話す。
特にこれからランが指揮する独立強襲部隊は、あらゆる戦地に出向いての戦闘が求められるだろう。
そうなれば、決まったルートを通す補給路の確保も難しくなるだろうし、部隊の動きと呼応して補給を行わなくてはならないので、非効率にもなる。
つまり、彼らの行く先に合わせた補給の移送が必要になるのだ。
当面の前線はトルナヴァ基地かここヤルヴィン基地になることが予想されている。
ここに物資を運ぶのはそれほど難しいことではないが、戦地に直接運ぶのは危険が大きい。
それを、ミュンツァーは大胆すぎる方法で行おうとしていた。


「小型飛行機での移送ですか」
「小型といっても輸送機は輸送機だ。最近空軍で作られた新造機が、少しの不整地でも離着陸できる仕様のものらしい。」
「滑走路無しで動かせるのですか?それは凄い」
「俺はさっそくこの機体をお前たちの為に使えるように手配している」


飛行機自体が現代技術の結晶とも呼ばれるほどに最新のものではあるのだが、その開発は更に進み続けているらしい。
進軍先に滑走路があれば都合が良いが、作戦を展開するうえでそればかりを狙っては自分たちの行動を相手に教えてしまうようなものだ。
何故なら、物資や兵員の輸送手段に空路が有効的なのは、誰がどう見ても明らかであり、敵からすればそうさせないために、接収した空軍基地や滑走路は防御を固めるに決まっているからである。



「だが、こいつも無論万能じゃない。舗装路でなくても行けるというのは、あくまで平坦なところに限る。起伏の激しい場所には降りられんからな」
「いえ、それだけでも充分にありがたいです。専用の補給部隊が居れば、作戦の幅は広げられる」

「基本的には最前線に回されることになるだろうが、時にはお前さんたちが先陣を切って作戦を遂行することも求められるだろう。そういう時に補給は絶対に必要不可欠なものだ。遠慮せずに言ってくれ」

「助かります。反撃する機会を与えられれば、私も色々と策を練るとしましょう。」



それが良いだろうな、とミュンツァーは話した。
今はとにかく、トルナヴァ基地の防衛を最優先とすべきだろう。
敵がトルナヴァを狙う裏付け情報も既に入手している。
もうじき、彼らが攻め入ることだろう。
反撃作戦を展開するのは、この基地とトルナヴァ基地を防衛し、相手の戦力を削ぐことが出来た後でのことになる。
少なくとも連邦軍の上層部はそう考えていた。


「しかしあれだな。俺の見立てでは、お前さんは最前線で戦いながら指揮をするようなタイプじゃないな。前線で周りの兵士たちを引っ張ってくれるような存在が幾人かいた方が良いんじゃないのか?」

「私自身そう思わない訳ではありませんが、その役を担いそうな人たちが既に幾人かいるので、彼らに任せるとしましょう。」

「ほう、そうなのか。一兵を指揮する上官がいて、その上官を指揮するのが司令官というものだからな。まああまりお前さんは実戦経験は無いんだろうし、無闇に最前線の渦中に入り込まなくても良いか」


「そのつもりです。あまり兵たちには示しがつきませんがね」


元々ランは戦う素質は皆無で、士官学校にいてもその辺りの成績は落第点ギリギリであった。
戦略や運用という点では非常に長けた能力を持っているとされているが、身体を使うことに関しては誰かに任せっぱなしだ。
いざという時、自分の身さえ自分で守れない可能性もあるくらいに。
しかし本人はあまりそれを気にせず“元より自分はそういう人だから”と、割り切ってしまっているのである。
この際それは欠点とも言えるが、あえて苦手な分野を習得しないのは、他に時間を割く為でもある。
因みにミュンツァーもランと同様、武装して戦うようなことはほぼしない。
理由はランのそれとほぼ同じである。



「さ、そろそろ移動の支度をしたほうが良いだろうな。とにかく補給が必要ならすぐに言ってくれ。」
「ありがとうございます。頼みます」



こうしてランはミュンツァー補給担当士官と接触し、その知恵と実力を借りることとなった。
彼らにとっての長い道のりを全面的に支える用意をする、と公言したミュンツァーは、その言葉通り、今後の彼らの作戦展開に大きく関わることになる。
ミュンツァーとしては、連邦軍の中でも異質な部隊編成となった彼ら独立部隊の動向に興味があり、出来るだけその行動線を支えようと努力を始めるのである。
そしてこの時点で既にミュンツァーは予想していた。
この部隊が十二分に機能するとき、連邦軍は強力な部隊を得たと認めざるを得なくなるだろう、と。



7月30日17時頃。
新たに編成された独立強襲部隊は、近々起こるであろうトルナヴァ基地防衛線の増援部隊として派遣されるため、ヤルヴィン基地を発する。
第203飛行隊の輸送機と護衛機が随伴する形で、トルナヴァ基地まで移動をする。


「うわすげ~、こんな鉄の塊が空飛ぶんだぜ?」
「………………。」
「あ、レン、もしかして怖いのか?」
「言わないで」
「こら、意地悪すんなツバサ」


後に民間の企業が保有する飛行機が空を飛ぶようになるのだが、それまでの間、飛行機を操縦したり乗ることが出来るのは、一部の人たちだけである。
特に軍に所属する者たちは、ほかの民間人が経験する機会のないことまで経験することが出来る。
戦争に使われる道具の一つであるので、心の底からその経験を喜びはしないが、彼らは少し違った趣があったのかもしれない。
特にツバサは、現代の技術がそれほど進歩しているのだと間近で見ることが出来て、興味津々だった。
裏では、願わくばこんなものが早く平和の人々の為に使われれば良い、と思っていたことは、誰も知らない。
複数の輸送機でヤルヴィンを離陸していく。
顔の大きさにも満たない小さな窓から外を眺める。
上昇していく度に強い重力を感じるし、風が吹けば機内は不規則に揺れる。
その感覚がとにかく新鮮で、かつ怖いものでもあった。
車や馬と違って、この状態でもし機体に不具合でも発生すれば、助かりそうにも無い。
機内には見慣れない大きなバッグがかなりの数揃えられている。


「あれはなんなんだ?」
「ああ、あれはパラシュートと言ってね、ここから飛び降りても低速で地面に降りられるようにするための装備さ」
「飛び降りるって!!?」
「そう。大丈夫、そういう機会になっても、あれさえ展開出来ればゆっくり怪我する危険も少なく地上に降りられる」


レオニスがツバサにそう説明をする。
この高さと速度で飛び降りるという選択肢が持てるのがあり得ない、と思いつつもそういう技術にも感心していたツバサ。



「………なんでも、この間のアスカンタ大陸侵攻では、グランバートがこの戦法を使って強襲攻撃を仕掛けたそうだ」
「へぇ………!じゃあ実際に使われてる手段なんだな」
「そうだね。まあかなり危険も多い作戦だとは思うけどね」


今は空を飛ぶ飛行機に対して迎撃できる手段が少ない。
そのため、制空権を確保することが出来れば、戦場をかなり有利に展開させることが出来るのが現状である。
しかし飛行機とて燃料や爆装量の問題があり、万能ではない。
遠くへ行くためには幾つもの基地を経由しなければならないので、すぐに移動が出来ても立ち止まることも必要となるのだ。
彼らが現在乗るのは輸送機。
物資や人員を遠くへ移送させるのに適した、大型の航空機だ。
大型であるが故に機動力は皆無だが、大きな胴体に大容量の燃料タンクが搭載してあるので、一度に遠くまで行くことが出来る。
先日グランバート軍はこの輸送機を使用して空挺降下作戦を実行し、アスカンタ大陸攻略の手段の一つとして成功を収めている。
彼らにもその用意はあるが、実際にそれを行う機会が来るかどうかは未知数だ。


「………それにしても、こんな機会が巡って来るとはな」
「ん。どうしたよ急に」
「いや、単に人生なんて分からないものだなって、思っただけだ」


機内はエンジン音やら風を切る音やらで騒々しく、各々会話をしているが少しでも遠くの人の声は届いては来ない。
ツバサの隣に座っていたソロが、珍しく感慨深い表情を浮かべながらそう話す。
両拳を組んで頭の後ろにしていたソロだが、その表情は少し遠いどこかを見ているように感じられる。
その表情を見て、ツバサも少し表情を硬くする。
無理もない。
自分だってそう感じるのだから。


「俺は一度も兵士になりたいと思ったことはなかった。今もそうだ。ところがそんな俺が、兵士の立場を得てここにいる。あの村で生活を続けていれば、絶対に想像すらしなかっただろうな」

「…………そうだよな」

「でも悪い気はしていない。あの日、俺はお前についていくと決めてから、最後まで筋だけは通すと決めている。どんなに手を汚したとしてもな」

「でもなソロ、そりゃ辛い道になるのは間違いないんだぞ?」

「それを言うならお前も同様だろう。最初の導入や気持ちの違いというのはあるが、より辛い立場に居なければならないのは、ツバサのほうだと俺は思っている。俺たちも戦うが、それでお前のサポートになってるのなら、喜んでついていくさ」

「…………へへ、あんがとよ」


ツバサのもう隣にいるレオニス伍長は、彼らの話に口を挟むことなく静かにその話を聞いていた。
彼らの会話が聞こえる唯一の一人だ。
他の人たちは、この騒々しい機内の中でそのような会話が行われていたということすら気付いていない。
そして二人も誰かにそれを言いふらしたりはしない。
彼らの境遇も辛いものだろう。
ツバサという少年は自らの意思で村を離れた。
だが、他の子供たち三人は、自分たちの村が戦場となり、巻き込まれる形で村を去ることになった。
彼らには故郷があった。
しかし、戦争はそんな彼らの故郷を奪った。
子供たちとはいえ、この戦争に深く入り込むキッカケを生み出してしまったのだ。
人は一体どれほど愚かな存在なのだろうか。
そんな境遇を思うと、他人であるレオニスでさえ心を痛める。
それでも彼らはそんな状況に屈せず、寧ろこの戦争を終わらせるために出来ることをしたい、と自らの意思を定めたのだ。
傍から見れば“ひとりの少年の意志に触発された”と見えてしまう者もいるだろう。
だがそれは違う。
境遇に飲まれながらも、彼らは彼らなりに自らの意志を以て行動している。
決して巻き込まれたとか、影響されたとか、そういった外的要因だけではない。
彼らの心が決め、その行動を起こさせた。



本来の平和な世界であれば、その心すらなかっただろう。


その後、輸送機は無事に中継地点となるトルシュナ空軍基地に辿り着く。
彼らの感覚からすれば、かなり長い時間同じ体勢で居続けるのも辛いものだった。



「ちょっと酔っちまったか。」
「頭痛がする。疲れた」
「飛ぶのはあまり良いものじゃないな………仕方ないけど」


はじめてのフライトで長時間飛行であったため、各々何もせずとも疲れが溜まっていた。
戦う時とは異なる疲労感が身体を苛める。
特にエズラとレンはかなり飛行機酔いをした模様で、顔色が非常に悪かった。
しかしそれは子供たちに限らず、初めて経験する人たちが大多数だったため、多くの人がそういった経験をした。
便利なものには代償がつきもの、とでもいうべきか。
トルシュナ空軍基地は、基地の規模こそ大きなものではなく、平凡的な滑走路と自前の機体を所有している。
この基地の存在自体が“別方面へ向かう為の中継地点”として考えられているため、補給のための航路を結ぶ基地としての役割が定着している。
そのため、基地は町の近くにある訳でもなく、ただひたすら周りに何も無いところ、ひっそりと佇むようにして作られている。
無論、防衛施設の一つではあるので、有事の際の対策は取られている。
ソロモン連邦共和国空軍第二航空団所属第208飛行隊。
この部隊の根城がこのトルシュナ空軍基地である。
戦闘機8機、輸送機2機を保有する規模の基地。
今この基地には、ヤルヴィンからやってきた彼らの輸送機と、護衛任務ということで第203飛行隊の一部が飛来している。
トルシュナ空軍基地に長期滞在する部隊が無い以上、いつも以上に賑やかになっている。
それ自体が本来であれば珍しいことなのだが。


「そういや護衛が居たんだったな」
「北部はグランバート軍が掌握してるから、制空権が確保できていないんだ。輸送機だけで飛んで見つかったら、為す術がないからね」
「そっかそうだよな。てことはトルナヴァもそんな感じになるのか?」
「可能性的には、ね」


ツバサは足を止めて、滑走路脇に止められた戦闘機から降りて、パイロット同士で話をする数名の人たちを見た。
輸送機と同じ距離を飛ぶのは本来かなり難しいらしく、必要最低限の武装で重量を軽くしながらここまで同行したらしい。
そして見慣れないタイプの輸送機もいた。
ただ飛行機に乗せられているだけの自分たちには全く分からないことだが、相当な技量の持ち主なのだろう。
後で幾人かの兵士に聞いて確認した彼だが、
今回の203飛行隊からの随伴機は、新造機を含めて6機。
5機の戦闘機と1機は謎の輸送機。
それを束ねるのは、本来203飛行隊の隊長であるヴェクター少佐なのだと言うが、隊長は203飛行隊の本隊を統率する任務があるため、ヤルヴィン基地に留まっているらしい。
ということで、この小部隊を率いているのは、ユリアン大尉と言う人だった。


「大丈夫か?レン」
「………うん、大丈夫。ちょっと乗り物酔いしたみたい」
「まあ初めてだったからな。しょうがない」
「ツバサは大丈夫?」
「意外とな!疲れちゃいるけどよ」
「ほんと、元気なんだから。」


7月31日の夕刻に到着した彼らは、この基地で一晩を過ごして、明日の日中にトルナヴァ基地へ移動することになっている。
そのため、基地内部での自由な時間が与えられることとなった。
自由時間とはいっても、すぐ近くに町がある訳でもなく、どこかに食事に行けるような場所でも無いので、必然的にこの基地の内部で過ごすことになる。
元々駐留している部隊が少ないためか、基地は簡素でかつ静かなものであった。


「この後の時間、ツバサはどうするの?
「どーするったってなあ………行くところも無いし、明日に備えて寝るくらいしか………まあまずは飯食ってから考えるかな!」
「ふふ、分かった。私は部屋で休むね。」

「ああ。落ち着くまで休んでな。あ、みんな一応言っておくけど、一人ひとり個人部屋なんて与えてたらキャパオーバーらしいから、分隊相部屋なんで!」



一瞬驚いたような表情を浮かべる、ツバサの分隊員だったが、それも致し方なしと諦めた様子で各々歩き始める。
分隊員は男性比率が多いが、ナタリアとレンは女性であり、一緒の空間で過ごすには気遣いが必要となるだろう。
この基地の大きさがそれほどでないという理由から、あまり贅沢なことは言えないというのも理解できていた。
そしてこれからはこういった機会が多くなるのではないか、とも思っていた。
基地にいる間は、安全な屋根の下で眠ることが出来る。
しかし、野外での活動が増え、野営をするようになれば、常に敵の奇襲などを警戒しなくてはならない。
そのような状態で心身共に休まるとは思えない。
とすれば、今は休息を取れる分だけよしと思うべきなのだろう、と各々は思っていた。
皆がそれぞれ基地の内部へと歩き始めている時、ツバサは皆からは少し遅れて、乗ってきた飛行機の外観を眺めていた。
彼にとってはこの“鉄の塊”が空を飛ぶ、ということが未だに信じられないことであった。
村にいた頃には目にすることすら出来なかったし、そういった想像をすることも出来なかっただろう。
技術の進歩がこのようなところにまで行き渡っているんだ、と素直に感心していたのである。


「お、なんだ若いの。空には興味あるか?」
「え?」


すると、先程まで戦闘機の近くで話し合っていた男の一人が、彼の傍にやってきた。
今回の203飛行隊の一部を統率するユリアン大尉である。



「い、いやなんつうか、こんな鉄の塊が飛ぶなんて信じられなくって」
「ハハ!まあそう思うのも無理もないよな。お前さんは新兵か?空乗りにならないか??」
「相当訓練に時間がかかりそうですけど…………」


などと調子良く誘ってくるユリアン。
何と言うか、その表情は“空に興味を持っていそうな人を見つけて喜んでいる人の図”だった。
彼は後に知ったことだが、空軍はまだ発足してそれほど時間が経っていない組織であるため、希望して志願する人は程々にいる。
しかし、飛行技術はまだ発展途上にあり、あらゆる開発の段階で事故が絶えないという。
そのため、空軍にはエリートが配属されることが多いが、事故のせいでその貴重な戦力を失っている、と非難されることもあるらしい。
肩身の狭い思いをすることも多いのだそうだ。
戦場で空軍の戦力が戦局全体を大きく左右する可能性については、既に多くの軍勢、国が認めているところである。
かつては海での艦隊戦がその状況を作っていたが、今となっては空軍の比重の方が上回っている。
それだけ重要な任務を与えられることも多いし、その分危険も伴うのだ。
更に、パイロットの養成には非常に長い時間が掛かると言われており、その辺りの時間的労力の多さからも、中々人員の確保がスムーズには行えないのだという。
若いパイロットが生まれるのであれば、既存の兵士たちも喜ぶだろう。
そういう期待もユリアンの中にはあったのかもしれない。


「あー、お前さんがツバサか!いや、ちょいと噂には聞いたんでね。凄腕の子供剣士がいるだかなんだかって」
「ウワサ?」
「まああまり気にすんな!いつの時代でもそういう、周りよりも突出した人ってのはいる。そういう時、人間ってのは勝手に噂を回すもんなんだ」
「あまり良い話ではないように聞こえるけどなあ…………」
「そうか?敵からはともかく、味方からの注目は上手く使うもんだぞ?出世にも繋がるしな」


――――――――――――――――出世、か。
その時、彼はふと何かを思い詰めたような表情を浮かべた。
この軍隊に入って初めてその言葉を意識した瞬間かもしれない。
ともすれば、ラン司令官やシュナイダーから聞いた昇格の時よりも、強く意識したかもしれない。
自分の持ち得る望みを叶えるためには、ただ闇雲に戦い続けるのでは遠すぎる路だろう。
それとも、戦い続ければ自然と立場が身に着いてくるものだろうか。
今の彼にはまだ分からない。
何が、どの立場にいることが、彼のこの戦いにおける望みを叶え得るに相応しいのかが。


「ま、空乗りの件は置いといて、陸戦してるアンタらを上から支えるのが俺たちの仕事だ。下は頼んだぜ」
と、彼は片手を振り上げながら、笑顔でその場を離れていく。
他の空戦隊員も手を上げて合図を送りながら、彼についていった。
自分たちは空の援護をすることは出来ない。
しかし、空の勢力が一方的に地上の状況を作り出すことも出来ない。
どちらとも共闘し結果を生み出す必要がある。
その点、今の時代航空勢力は必要不可欠なものなのだろう。
ツバサは複雑な心境を持ちながらも、彼らと共闘して事を有利に運びたいと考えた。
もっとも、その選択をし、統率をし、行動を命じるのは自分ではない。
自分には権力がほぼ無いに等しい。
せいぜい、自分の担当している分隊の仲間たちを動かせるくらいなもの。


だからこそ。
彼の脳裏にその言葉が焼き付いたのだろう。
自身の望みを叶え得るのに必要なものが、出世ではないか、と。
彼はこの戦争を終わらせるために、戦いによって失われる人々の生活を防ぐために、敵対する国と戦うと決めた。
しかし、ただ戦うだけで、本当にそれが果たせるだろうか。
出世すれば、自分の立場が強化され、自分の思うように兵を動かすことも出来るかもしれない。
この時の彼の思考はやや危険な方向へと向いていたのかもしれない。
以前、分隊員に告げた“自分のやり方を強制しようとは思わない”という意図に反する思考であるからだ。
彼の中でもやや平静を失っていたのだが、


“まあ、今すぐどうこうなる話でも無いよな”


と、彼らしくその思考を一時塞いだ。
それもまた、彼の人となりであり、性格であり長所であった。



翌日。


「おはようレン。随分とぐっすりだったな!」
「………おはようツバサ。飛行機酔いもあって疲れてたんだね、きっと」
「でも今日もこの後乗るんだぞ?先は長いからなー」
「あ~あ………でも二回目だから多少は楽かも。そう信じることにする」


8月1日。
近くトルナヴァ基地への攻撃が行われるだろうという偵察情報を頼りに、彼らは今日の夕刻までにトルナヴァ基地へ移送される。
各々、休む時間も与えられてはいるが、心の底から休まるような状況ではない。
ツバサとて同じだ。
彼はいつものように元気よく、彼らしく周りと接してはいるが、考え事は尽きない。
考えたところで、今すぐに状況が変わることは無いと分かりきっているからこそ、あまりそれを表に出さないというだけだ。


「ツバサ。10時までには離陸するので待機していて欲しいと、ヌボラーリ中尉からの話です。」
「え?ああ、了解。ありがとな、ナタリア」
「はい。先程司令部のテント前を通った時に、そういう会話をしていました。すぐにそう指示が出ると思います」
「よく聞いてんなぁ………」


10時頃出立することが出来れば、恐らく17時から18時の間に辿り着くだろう。
トルナヴァ基地に辿り着いてからは、忙しい時間を送ることになる。
各部隊は攻撃に備え防衛体制を整えなければならないし、周囲の偵察や情報収集も必要になる。
そうなれば、夜も仕事をすることになるだろう。
いつ来るかも分からない敵の攻撃に備えるというのは、この時代ごく自然なことではあるが、同時に緊張感を持ち続けることの心労も重なる。
そうした不安と重圧の中で生活を続けるしかないのだ。
ナタリアの聞いていた通り、10時までにここを離れることとなった。
トルシュナ空軍基地の滞在時間はごく僅かなものであったが、また何かの機会に来ることもあるだろう。
それくらいしか言えないくらい、ほぼここに残すものも無かったが、今は必要ないことだから。
と、彼や彼の周りの仲間たちは似たような思いを持ちながら、準備を進めた。
朝起きてから出立の準備を進めて、あっという間に予定時刻になる。



「司令官。各機準備整いました」
「では、そろそろ行こうか。1番機から順次滑走路に。管制室に離陸許可を申請。」



こうして独立部隊の一行は、トルシュナ空軍基地を離陸してトルナヴァ基地への行程を進める。
多めに見ても8時間程度で到着できるだろうとの推測が出ていた。
その間ずっと揺れる機内に居続けるしかないというのも、もどかしいものがあった。
車で移動するのとは違い外の空気を吸うことも出来ない。
周りの景色を眺めようにも、ただ一面の白い雲ばかりを見下ろすことぐらいしか出来ない。
疲労も溜まるし余計な気遣いもする。
飛んでいる間は、ただじっと待ち続けるしかない。


「――――――――――――。」
これから戦場となる場所へ行くということもあってか、機内は重々しい空気に包まれ、会話は無かった。
昨日もそうであったが、決して心境が穏やかとはならないものだった。
彼らからすれば、この待つしかない時間さえ苦痛にも思えただろう。
どうせなら、じっと黙って揺られているより、動いていた方が良いのではないだろうか、と。
何も起きなければ良い。
だが、そうは言っても現実は、無情にも冷酷な惨状をもたらすもの。
そうなる現実が少しでも遠くなればいいと思いながらも、そうなる現実を何とかしなければそんな未来は訪れないと分かっている。
だからこそ、彼は、彼らはその現実の中に入り込み、惨状を駆け巡りながら、信じるもののために戦わなくてはならない。


しかし。
敵がいずれ攻めてくることが予測されているとはいえ、
こうも早く事が動き出すとは、思っていなかったのではないだろうか。


「現在、時刻17時40分。ほぼ予定通りに進行中。20分後には基地滑走路への着陸を開始します」
「基地側との連絡は取れるか」
「いいえ、今はまだ不通です。電波障害でしょうか、それともまだ距離が遠いからでしょうか」



ラン・アーネルド少佐の乗る輸送機では、輸送機のやや広い操縦室内に、司令官であるランと副官のカレン、副司令官となったシュナイダーがいる。
たった6人しか同席できない操縦室内ではあるが、通信環境や気象情報、基地の状況など、ありとあらゆる情報環境が整っている。
それもすべてが受信出来ればという条件下にはなるが。
残り20分程度で滑走路への進入を始めようかというところで、まだ基地との連絡が取れていない。
それが発覚して真っ先に疑いの念を持ったのは、司令官のランだった。
現状、輸送機側に通信機器の故障は発見できない。
とすれば、基地側の問題か、もしくは本当に電波障害が発生しているかを疑わなくてはならない。
今の時代、遠くにある基地やそこに勤める兵士たちと連絡を取る手段は拡充されている。
が、いつもそれが安定しているとは限らない。
ランが注目したのは、この時期このタイミングでの不通だった。
こちらで調べることが出来ない以上何とも言えないが、あまりにも出来過ぎなのではないだろうか。
故意に発生させた電波障害なら、発生させた側への影響も大きいものとなるはずである。
それをあえて承知で行っているとすれば、目的はただ一つ。


「……………敵の襲撃を受けている可能性がある。雲から下に出て様子を見たい」
「っ…………!」
「了解です。」


あらゆる可能性は、確証を得る為に必要な考察の一つとなる。
20分先に着陸準備を控える彼ら。
ランはまだトルナヴァ基地までの距離がある中ではあるが、機長に降下を頼んだ。
そして双眼鏡を持って、自分自身の目でトルナヴァ基地方面を注視する。
肉眼では見ることの出来ない距離も、双眼鏡を使用することである程度先まで見渡すことが出来る。
雲の下を出れば、今は夕刻の時間帯で、赤く染め上げられた空の下、綺麗な色に染まる大地を見渡せる。
だが、その中に一つの黒く大きな煙が立ち昇るのが見えた。
この綺麗な景色には似合わない、人為的に起こされたもの。
その正体に気が付いた時、ランはすぐに次のすべきことを頭の中で考え、決断していた。


「総員、第一戦闘配置。全戦闘兵に伝達、トルナヴァ基地は既に攻撃を受けている。通常の着陸が出来ない場合には、パラシュート降下にて戦線に参加する」



……………。

第19話 トルナヴァ基地攻防戦


ソロモン連邦共和国陸軍第七師団、本隊駐留基地 トルナヴァ



「敵部隊からの砲撃を確認!!接近します!!」
「上空より敵機接近!!」

「狼狽えるな。迎撃部隊を直ちに出撃させろ。航空隊緊急発進!」


事態が発生したのは、8月1日17時過ぎのことだった。
オーク大陸ソロモン連邦共和国領土の北方地域を防衛、統括する連邦陸軍第七師団。
第七師団の中枢とも言われるトルナヴァ基地は、オーク大陸の北方地域の中でも最大の大きさを持つ。
基地の施設全体が、一つの町に匹敵するほどの大きさを持ち、駐留部隊数も第七師団の中で最も多い。
謂わば、第七師団の総本山とも呼ぶべき基地がこのトルナヴァ基地である。
陸軍基地ではあるが空軍の駐留部隊もあり、主に防空識別圏内の偵察や防衛任務を行う為の拠点として構えている。
大陸の北西部に位置するこの基地は、海軍とのアクセスもし易い場所であり、戦略上重要な拠点の一つである。
大陸北部に上陸を果たしたグランバート軍がここを攻めるのは、謂わば既定路線であり、連邦軍としてもここを襲われることは想定済みであった。
後はどのタイミングでそれが実行に移されるのか。
そのために必要な準備は出来る限り整えてきた。
連邦軍は参謀本部の決定で、第六師団の一部の部隊と新たに新設された独立強襲部隊の増援を派遣。
うち、第六師団の支援部隊は既にトルナヴァへの展開を終了している。
ラン・アーネルド少佐率いる独立強襲部隊は、ヤルヴィン基地への到着後、輸送機にてトルナヴァへと向かっている。
その途中でのことだった。


「司令!敵の攻撃です!!」
「分かっている。所定の計画(マニュアル)に従って各隊に迎撃させろ。通信状態はどうか」
「依然、各方面とも不通です!!」
「復旧を急がせろ。」


いずれここを狙ってくるのは分かっていたが、実際にその時が来ると、こうも混乱するものか。
基地司令のアルヴェール少将は、作戦司令室の中に入り、腕を組みながら各所に設置されているモニター映像を見る。
いまだ敵の部隊との距離はあるが、陸地からの砲台攻撃と、空からの爆撃がトルナヴァ基地全体を襲う。
無論、そのどちらにも基地は迎撃態勢が整っている。
開発途中ではあるものの、実戦配備が始まった対空迎撃用の高射砲。
基地外縁部の外壁から牙をむくようにして設置されている、対歩兵用の固定砲台。
どちらも迎撃の装備としては高額なもので、簡単に失いたくはないものだった。
しかし出し惜しみするようなことは一切ない。
敵の迫り来る脅威に対し、明確に弱点をぶつけることで戦果を挙げ、結果をもたらす。
そのために出来ることはしてきたつもりだし、準備もしてきた。
敵が想定通りに動くのであれば苦労は無いが、そうもいかない。


「敵は必ずこちらの固定砲台を破壊しに掛かる。出来るだけ戦闘機を近づけさせるな」


空軍における作戦能力が飛躍的に向上したのは、戦闘機や爆撃機といった、異なる種類の機体がそれぞれの状況に応じて使い分けられるようになったことが一つの要因である。
更に、それらの機体を数多く製造することが出来るようになり、信頼性も徐々に高くなり始めている。
戦況に与える打撃力が大きいことからも、空軍勢力は今となっては必要不可欠なものとなっている。
最大の問題点は運用コストが圧倒的に高く、替えがあまり無いということ。
パイロットの育成にかなりの時間が掛かるということ。
他にも多数難問はある。
それでも空軍勢力が敵や味方に与える影響力は軽視できない。
ソロモン連邦共和国も空軍勢力の増強に力を注いでいる国の一つだ。
大きい基地や街などには、防衛部隊が配備されるようになっている。
攻撃機や輸送機といった種別の機体が増える中、当初から欠点の一つとして露呈しているのが、耐久力の無さだ。
たとえば、この時代の飛行機は主翼の内面に燃料タンクを這わせているので、主翼に穴が開けば簡単に燃料漏れを起こす。
場合によってはそれが火災を引き起こす元となり、非常に危険である。
たった一発でも致命傷となる可能性があることを考えると、運用コストも高くリスクも高いというのは難問と言えるだろう。
いずれは技術の進歩で耐久力も向上するだろうが、それがいつになるかは分からないし、今大戦の中で改善されるかは全く持って分からない。
こうした技術発展に合わせ、影響力のある空軍勢力を封じるための手段も並行して考えられている。
連邦軍が幾つかの基地で試験運用を始めた高射砲は、そのうちの一つだ。
あらかじめ目標高度と速度を計算し、それに向けて砲弾を射出、目標地点まで上昇した後、砲弾が炸裂して攻撃を与えるというものである。
中には標的高度や速度のほかに、飛翔時間などを計算して炸裂させる時限信管式のものもある。



「………よし設置完了!」
「撃ち方はじめ!!」
射撃(ファイア)!!!」


耐久力の無さを狙っての高射砲攻撃であるが、開発時点での問題点は解決されないまま実戦配備されている。
たとえばこの高射砲には照準器がついているが、人の目で見て標的を狙う必要がある。
人間の心理なのか、これが機銃の一つとして考えられることが多く、結果動いているものに直接当てようと照準を激しく動かすことが殆どだった。
しかし、飛行機は遅くとも300キロ以上のスピードで飛翔する。
戦闘機のような高速で移動する機体に直接照準を合わせたところで、撃った時には照準から敵は離れている。
狙って撃とうと思っても直撃しないというのが問題点の一つだった。


「なんてこった!!」
「どうした!!?」
「砲身が焼けちまった!!これじゃもう撃てん」


さらに、対空戦力に対して効果がある一方、砲身が熱くなりやすく、人の手で触ろうものなら焼け爛れるほどの劣悪な操作性も問題点の一つだった。
連続射撃を続けるとあっという間に砲身が焼けて、射撃できない状態となってしまう。
時間と費用をかけて開発したものが、僅か1分足らずで使い物にならなくなることも多々あった。
そして最悪なのは、砲身が焼けているにも関わらず、無理に射撃を行おうとして、目の前で炸裂し誤爆してしまうという事故が複数起きた。
彼らにとって初めて扱う高射砲ではあったが、かえって混乱を招く結果を生んでしまっている。
準備をしていても想定が出来ていなかったのだ。


「北側の砲台が次々と破壊されています。これでは敵の接近を許すことになります」
「ハルバーグ准将に連絡、陸戦部隊を直ちに北部外壁の迎撃に回せ。味方の航空戦力はどうしているか」
「4機離陸しましたが、他はまだ離陸準備中です」
「急がせろ」


グランバート軍からの砲撃に襲われながら、陸戦部隊は北側の向かってくる敵に対応しなくてはならない。
この基地の防衛能力の特徴は、敵の接近を許す前に固定砲台の火力で押し潰してしまうことにあった。
だが、今それはグランバート空軍の爆撃によって砲台が次々と破壊されていることで、敵の接近を許す羽目になっている。
そうなると、敵の移動砲台からの攻撃が非常に厄介なものとなる。
こちらは一方的に砲弾の火力を受け続けなければならないからだ。
対空迎撃は不完全ながらも高射砲で威嚇を続ける。
一方で、航空戦力を出して空中戦を始めれば、爆撃される可能性は低くなる。
爆撃よりも向かってくる戦闘機との格闘戦をしなければならなくなるからだ。
戦闘が始まってまだ30分と経っていないが、出来るだけ早くそういう状況に持ち込みたいところだった。



「バーンズ少佐を呼び出せ。各隊は北側の防衛に回り敵を近づけさせるな!」
戦闘部隊の統括を現場で行うハルバーグ准将は、駐留部隊と増援で送られてきた第六師団の中隊の両方を指揮する立場だ。
トルナヴァ基地に駐留する部隊と、増援のために送られてきた第六師団の部隊、すべてをまとめ上げるのは非常に困難である。
全体の部隊の統率は彼が行い、戦線に振り分ける。
だが、現場で戦う兵士たちの指揮は、現場で戦う中級指揮官がその任を負う。
ハルバーグは自らも戦線に立って敵と交戦することを第一に考えており、指揮座にいる間は冷静に物事を判断し、陣頭に立つと猛将の気質があると言われていた。
強襲を受けたトルナヴァ基地は全体的に混乱状態に陥っている。
それを一つひとつ整理しながら戦うのは難しい。
まず彼は第六師団との指揮系統を分散させることを決定する。
そのために、第六師団の支援部隊の中でも最も階級の高いバーンズ少佐を呼び出し、彼に指揮系統の一部を委ねる。


「移動砲台を設置させ、ありったけの砲弾を先に撃ち込め!」
「しかし、敵の接近があまりにも早く、展開する余裕が………ッ!!」
「来る前に幾つかでも撃っておけば、我々の展開が楽になるし足止めにもなる。かまうな、撃て!!」


もっと敵と近いところで指揮を執る。
と言って、ハルバーグもほかの部隊と共に前へ進んでいく。
多くの兵士が、指揮官が後方の椅子で踏ん反り返りながら命令を出す、というイメージを持っているのだが、ハルバーグの場合は違った。
逆に周りの兵士たちを鼓舞し、必要とあらば自分も手に持つ剣で敵を討つ。
その性格は周りの兵士たちも触発され、混乱しながらも士気を高めて行った。


「ここまで用意しておきながら、こうも乱れるとはな………」
「准将。他の部隊との連絡が取れません。敵は先に通信機器を破壊しに掛かったのでしょうか」
「基地の中心部に基地局があるんだ。それは無いだろう。だが………」
「?」


「………敵が自ら電波妨害を起こした可能性は充分にある。他から増援を貰う必要が無い敵は、目の前の我々を討つことに専念できる」



もしこちら側の通信機能が万全に働くものだとしたら、緊急事態を中央に伝え指示を受け、対策を講じることも出来ただろう。
しかし通信機器が使えない状態であれば、どことも連絡を取ることも出来ない。
増援を呼ぶのも難しく、状況を伝えるのも難しい。
最悪なのは、回復した頃には既にこの基地が無きものとなっていることだ。
そのような事態だけは避けなくてはならない。
たとえどれほどの攻撃を受け、疲弊したとしても。


「しかし、そんな自分の首を絞めるようなことをして何の意味が………」


「敵は我々と違って、ここを破壊するか、出来なければ撤退し再戦すれば良い。だが我々はここを防衛し続ける必要がある。もし仮に連戦するような事態になれば、こちらが不利に陥るだろう」


出来るだけ、早いうちに片付けておきたい。
そう思うのはハルバーグだけではなかった。
通信が出来ない状況がいつまで続くかは分からないが、基地の防衛能力を削がれるようなダメージが続くと、事態はより深刻になる。
歩兵戦闘のみならば、数と力の差が出る。
しかしグランバート軍は空軍の力も借りてこの基地を襲い掛かってきている。
航空部隊が機能できない状況になれば、たとえこちらの軍勢が多くとも、軽視できない状況になるだろう。
空軍勢力の破壊力は、歩兵戦闘のそれを明らかに上回るのだから。


「………とにかく早めに連絡が取れるようにしなければ。回復を急げ!」


強襲を受けてから30分。
敵の航空勢力による爆撃がようやく落ち着き始めた頃、トルナヴァ基地の滑走路は敵空軍により破壊されてしまっていた。
さらに北部の固定砲台も爆撃を受け、その大半が沈黙。
これにより接近する敵歩兵部隊を砲撃することが難しくなった連邦軍は、劣勢に追いやられる。


「外壁にとりつかれたぞ!!」
「押し返すんだ!!何者も通すな!!」


この時点では攻勢を仕掛けてきたグランバート軍よりも、駐留する連邦軍部隊の方が数は有利であった。
「戦いとは数である」と言われるように、本来であれば数の有利さが戦況を左右する。
しかしこの戦いにおいて、数の優劣はそれほど大きく影響しなかった。
グランバートの初撃と連邦軍駐留部隊の展開が戦況を大きく変化させている。
連邦軍は、迫り来るグランバート軍に対し正面からの迎撃を行っている。
グランバート軍の左右どちらかに回り込む別動隊でもあれば、戦況をより優位に進めることが出来ただろう。
だが、強襲を受けた連邦軍にその余裕は無かった。
砲撃を受け犠牲者が拡大する一方で、外壁近くまでやってきた敵と交戦状態になる。
敵と味方が入り混じれば、砲撃支援など出来るはずもない。
同時に空軍勢力の支援も難しくなる。
連邦軍の立ち回りは、要塞を防衛するという点において間違いは無かったが、敵を掃討するという点では物足りないものであった。
さらに、グランバート軍が意図的に電波妨害を発生させているせいか、味方部隊との連絡も上手く取れず、統制が取れない状態にあったのも、
彼らの有利さを活かしきれない要因となった。


「閣下、まさか…………っ!?」

「私が敵の陣営の指揮官なら、まず真っ先に基地に隣接する空軍滑走路を破壊して航空戦力を封じる。次に航空戦力の展開を奪う対空砲や機銃を破壊し、続いて陸戦用の砲台を叩く。それで基地への部隊の展開が可能となる。今まさにこの状況だと私は考えている」


他方、戦場と化したトルナヴァ基地に向かおうとする部隊もあった。
定刻通りトルナヴァへの航路を飛び続けていた、ラン・アーネルド少佐率いる独立部隊。
近々トルナヴァ基地への攻撃が行われるだろうという情報筋から、彼らの基地部隊と合流してその迎撃をしようと配備される途中であった。
輸送機からランが基地の様子を双眼鏡で見ると、視界が開けてきた頃には既に黒い煙が立ち昇っていた。
昨日までトルナヴァ基地攻撃の情報が得られなかったことから、今まさに戦闘中か、あるいは戦闘後の残り火ではないかと判断をした。
後者であればすぐにでも進路を変えるところだったが、倍率の高い双眼鏡から見る限り、基地の上空で複数の機影が飛び交い、かつ交戦状態である様子が見て分かった。
さらに、現在でも空を飛ぶ機体からの爆撃を受けている様子もある。
つまり、まだトルナヴァ基地は戦闘状態にある、と判断をした。
その判断から、ランは機内にある出来るだけ多くのパラシュートを使い、すぐに戦闘状態に入れるように降下作戦を実施すると告げた。


「閣下!!それは構わないが、敵機が飛んでるならあまり近くには寄れませんぞ!?」

「もちろん、それは分かっている。だが遠すぎては間に合わなくなる。出来るだけ近くに降りて………出来れば敵の側面、もしくは背後を強襲したい。味方の護衛機にはなんとか伝えられるだろうか」

「発光信号で伝えるしかありませんな………ラルゴ、頼む!」



明らかに砲弾以上の攻撃を受けた被害があるように見える中、空挺降下を行うのもリスクがある。
しかし既に自軍の滑走路は破壊されていると判断しているラン司令官。
機長は副操縦士のラルゴにそう伝達すると、ラルゴと呼ばれる男はすぐに無数にあるかに見える手元のボタンの一つに手を触れる。
操縦を担当しながら機長の人もこなすこの男は、機体の速度を上げると編隊の前に出て、一度左右に翼を振った後に、ラルゴが発光信号を放つボタンを複数押す。
コックピットからは発光信号は見えないが、機体の後部に設置されたライトが強く光る。
それを繰り返すこと30秒。
意図が分かったのか、護衛機が輸送機の前に全機出る。
単座式の戦闘機のパイロットが手で合図を送りながら、先行する。
それを確認した機長が、高度を少しずつ下げ始める。


「………おぅし、このくらいならいける。減速しつつ後部ハッチを開放!」
「了解!」


司令官の方針が各部隊に伝えられると、各々驚きの表情を隠せない。


「マジか!!?」
「え…………飛び、降りるの?」


当然こういう反応にもなるだろう。
彼らはこうした訓練を一度も受けたことがない。
訓練を受けたから平気だ、ということも無いのだろうが、訓練も受けておらず、そうした想定をしてこなかった彼らである。
いきなりパラシュートで飛び降りろと言われても、無理にもほどがある。
…………と思うのが普通だ。
しかし説明されるとそうしなければならない事情もよく分かる。
この状況で自軍の基地に着陸をするのは難しい。
まして、敵戦闘機も飛来しているという。
中に兵士たちを大勢抱えたまま撃墜される訳にもいかない。
そうなる前にここから飛び降りて地上に展開出来れば、敵の側面に回ることも出来る。
とはいえ、恐怖心が身体から抜けることは決してない。
ひきつった笑いが込み上げてくる。
ここで死ぬのか?と。


「………やるっきゃねえ!!盛り上がってきたぜ!!!」



しかしツバサは違った。
ある意味では一番目立つ姿に見えたことだろう。
彼のその言葉だけを聞き取れば、あまりにも猪突猛進のように捉えられただろう。
だが、彼は大きな声ながらも分隊員に話す。


「どのみち俺たちは降りなきゃ戦えねえ!元々安全な場所に行くって訳じゃないんだから、やるしかねえんだ!!」


飛行機から飛び降りるのも、
予想していたとはいえ、これほど早く戦線に加わるのも、
本当は怖いと思っている人が多くいただろう。
ツバサはそんな彼らの気持ちを奮い立たせるようだった。
彼自身、はじめての経験で、これからどのようなことが起こるのか想像もつかない。
だがここで黙って撃ち落とされるよりも、遠くに離れて前線の戦いに間に合わないのも、どちらも嫌だった。
やるべきことは一つしかない。
一刻も早くトルナヴァ基地の救援に向かう。
そのために取れる手段が一つしかないのなら、それを使わない訳にはいかない―――――――――――。


「………よ、よし。少年の言う通りだ。行くしかない!」
「そうだ!どのみち安全な場所は無い」
「戦わなくては!!」


彼らに取るべき方法は一つしかなかった。
今、戦っている基地の仲間を援護出来るのは、自分たちしかいない。
自分たちが参加して戦況がひっくり返るかどうかは分からないが、この戦力が決して無駄にはならないことは確かだ。
無駄にさせないためにも、取るべき方法を選ぶしかない。



「後部ハッチ開きます!」
「………なるほど。飛んだらすぐこれを引けばいいんだな…………」



パラシュートの使い方自体は実に単純で、飛び降りた瞬間にジャケットのフックの紐を思い切り引けば、傘が開く。
それで落下速度を調整することが出来る。
はじめての経験のため、正しく使いこなせるかどうかも怪しいところではあったが、まずは無事に降りることが重要だ。
ある程度高度を下げ、機体の速度を調整しながら後部ハッチが開く。
それでも流れていく景色の速さを見ると、とんでもなく早い速度で移動をしているのだと実感できる。
基地に向かって前進し続けているので、後部ハッチから基地の様子を見ることは出来ない。
そのため、操縦席からタイミングが通達される。
それが伝われば、あとは後方のハッチに向かって走り飛ぶだけだ。
操縦席と後部室内の扉が開けられ、いつでも指示が聞けるような状況にはなっている。


「……………うまくいくかな。ツバサ」
「?」


ツバサの隣で、レンが少し肩を震わせながら、唇をかみしめている。
彼女も不安と恐怖の中で戦っているのだろう。
幾らタヒチ村で剣道の修行をしていたとはいえ、まだ数えるくらいしか戦いを経験していない。
その彼女が、このような極限の状態で震えるのも無理もないことだろう。
とはいえ、ツバサの言うように退く道は無い。
そうでなければ、こちらが殺されることは明白なのだから。



「…………なんとかなる。いや、してみせる。だから出来るだけ離れるなよ、レン」



根拠なんてあるはずがないのに。
これからどうなるか、私たち自身が分かるはずもないのに。
けれど、その時のツバサの姿は、誰よりも、何よりも頼りがいのあるものに見えて。
今まで以上に、私たちの更に前へ進もうとしているように、見えた。



「…………うん。分かったよ」
彼女の返答はそれだけ。
不安はある。
拭い去ることは出来ないだろう。
けれど、自分ひとりなら何も出来ないことであったとしても、周りの仲間たちとなら。
それを信じて出来ることをするしかない。
出来るだけ彼についていこう。
それがきっと、この戦いを生き延びる方法の一つだと思うから。
そう、根拠のない自信を持った彼女は、心に誓う。
彼の傍から離れない、と幾つかの意味を持たせて。
――――――――――――合図が送られる。



「―――――――――――――。」
その合図が、降下作戦開始の合図。
それに従うほかない。
あまりにも突拍子な、無謀な作戦のように思えて、きちんと展開が出来れば有利に事を運べる。
ランはそれを理解していた。
理解していて、彼ら兵士を信じて送り出すしかなかった。


「降下、開始――――――――――!!!」


目標地点に達し、各々が後部ハッチに向かって走り始めた。
一人、また一人と続いていく。
連邦軍における初の降下作戦であり、後世にまで記録として伝わり続けることになる戦略の一つである。
ソロモン連邦共和国北部領防衛要塞トルナヴァ。
その基地の攻防戦を、歴史においてはシンプルに「トルナヴァ基地攻防戦」と呼ぶ。


「いくぜみんな!!」
「――――――――――――!!」


そしてツバサたちの分隊も、他の分隊に続いて降下を始める。
信じられない気持ちだった。
飛行機の中で時間を過ごすことはあっても、その飛行機から飛び降りることになるとは思わなかったのだ。
つい、ハッチの最後部の先、流れる景色の上にもまだ床が続いているのではないか、というような感覚を持ってしまっていた。
足が竦む。
しかし、その不安の先に現実の行動を見出す。
ツバサ、ナタリア、レン、ソロ…………と、続いて行く。
機体から身体が離れると、各々すぐに胸元のレバーを思いっきり引き、パラシュートを展開させる。
強い衝撃と共に、身体がふわっと浮き上がる。
目に見えて早かった落下速度が抑えられ、流れる景色が急激に遅くなる。
ああ、これくらいなら大丈夫だ。
と思えるくらいの速度になった。
ツバサは周囲を見渡し、他の人たちが無事でいるかを確認する。
レンに大声で呼びかけるが、空を漂う中で声は届いていなかった。
でもパラシュートは無事に開いているようだし、地上に降りることは問題ないだろう。


「……………問題は。」


トルナヴァ基地の方角を見る。
ここまでの距離感なら、戦っている兵士たちを見下ろすことが出来る。
地上で戦闘をしている両軍とも、やってきた輸送機とそこから降りてくる自分たちに注目していることだろう。
すぐに敵味方の区別が付けられるのなら良いのだが。
上空ではグランバート軍と思われる戦闘機が、自分たちの乗ってきた輸送機に向かって攻撃を仕掛けている。
それを護衛の部隊が阻止しようと全力で追いかけている。
輸送機に戦える能力は無い。
戦闘機に狙われればひとたまりも無いが、そうさせないためにも護衛機がいるのだ。
彼らを信じるしかない。
上空から地上を見れば、敵と味方の構図がハッキリと捉えられる。
既に接近戦状態となっており、基地自慢の固定砲台は使用できない。
しかもその砲台と思わしきものは大半が破壊されているのか、もくもくと黒煙を上げているばかりだ。
しかしグランバート軍は今も砲弾を撃ち続けている。
それは最前線で戦う兵士たちに当てないよう、それでいて連邦軍に損害を与える為に、計算された長距離砲撃により基地を攻撃しているのだ。
前線で戦う兵士たちにあの砲弾が直接的な影響を与えることはしないが、戦況という意味では大きく影響を及ぼすだろう。



「………あれを止めなきゃな。」
「ツバサ。敵は依然として砲撃を続けています。まずはあれを討つのが得策かと」
「おう!ちょうど俺もそう思ってたところだ!でも俺たちの分隊だけで出来るか?」
「目立ち過ぎるとかえって敵の注意を受けてしまいます。もう一分隊くらい加勢があれば良いのですが………」


彼らが降り立った地点は、基地から4キロほど離れた地点。
やや高低差があるものの、グランバート軍はこちらがパラシュート降下したことを目視している。
見逃すはずがないだろう。
どのみち敵の注意はこちらに向けられることになる。
しかし、このタイミングで側面を叩くほか、あの砲台を潰しておかないと、基地内部の被害が尋常でないものになってしまう。
心臓の鼓動が早い状態のまま、無事に地面に降り立ったという現実を受け入れるよりも前に、ツバサはその作戦を思い付いていた。
だが、味方がそれに呼応するだろうか。
自分たちの分隊だけなら良いんだろうが、他の分隊を巻き込み過ぎると、こちらが敵中に孤立する可能性もある。
出来るだけ少数の部隊で攻めるほうがいい。
すぐそばにやってきたナタリアと同意見だったツバサ。
そこへ。



「ツバサ伍長。その作戦乗った。私たちも加勢させてもらおう」
明らかにツバサよりも年上の、見知らぬ体格の良い兵士が傍にやってきて、そう言ったのだ。


「へ?」
「貴方は…………」


「私はヤルヴィン基地所属だったウィリアムズ軍曹。今は君たちと同じく独立部隊の一分隊を統率している。君の見立て通り、あれを止めるのが被害軽減への最善方法と言えるだろう。後方に配置している砲兵に護衛はいないはずだ。ならばすぐに斬り込めば、少数でも充分に活路はある。」


いつの間に話を聞いていたんだ、と思うツバサではあったが、都合良く理解者が現れるのはありがたい。
オビリスク駐留基地部隊が独立部隊として再編制される際に、ヤルヴィン基地所属から独立部隊へ配置転換されたウィリアムズ軍曹。
12人の分隊員と共に彼らは突然現れた。
丁度ツバサたちの分隊とほぼ近いところに降り立ったようだ。
ウィリアムズもあの砲台の影響力を理解していて、すぐにでも叩くべきだろうと考えていた。
彼からすれば、近くで同じような話題を持ち出している人がいて、それが少年兵であることに驚いていた。
そして同時に、彼が最近この独立部隊の中で頭角を現し始めている少年だということを知る。
主目的は無論、砲撃を停止させることだが、ウィリアムズは勝手に彼に対して興味を持つようになっていた。
彼としても丁度いい機会だったのだ。
傍で彼らの戦いぶりを見られるのだから。



「お、おう………よし俺も乗った!!みんないいか?」
「はい。」
「そうだね。その方が良いだろう」
「俺はツバサの道についていく。」


僅かに二つの分隊ではあるが、その場で作戦を立てて行動に移すこととした。
既にほかの分隊は各々が降り立った地点から、ラン司令官の言うように、敵の側面を強襲するべく進み始めている。
今のところ降下作戦は成功しているようだった。
あとは出来るだけ早く敵の強襲から基地の味方部隊を掩護したい。
そのために前へ進むしかない。
突然現れたウィリアムズ軍曹率いる分隊と共に、ツバサたちも動き出す。


ここから、一方的な展開だった連邦軍に新たな転機が訪れることとなる。



………………。

第20話 異邦の騎士団



「閣下。艦載機は保持する戦闘能力をすべて出し尽したとのことで、撤退を始めました」
「計算済みだ。相手の被害は」
「砲兵部隊の攻勢により、基地は致命傷を負っています。占領するのは厳しいかと思われますが、再起するのも困難でしょう」
「第三艦隊セルゼ少将へ連絡。第二陣の投入は無い」
「はっ。電波妨害機能の散布により、伝達までに時間を要します。」


グランバート軍後方司令部。
トルナヴァ基地攻防戦。
グランバート軍がソロモン連邦共和国領に侵攻し、北部方面を占領するのに最も大きな障害とされる要塞。
その要塞に対する攻撃が始まって1時間を経過した頃。
戦況はこの時点でグランバート軍が有利であった。
彼らは北海にいる海軍第三艦隊の艦載機群を援軍に回し、速攻に転じた。
艦載機では継続戦闘能力はそれほど無い。
しかし、海のあるところからどこでも離陸できる空母を保有する海軍第三艦隊は、必要な場所に必要な数の援護を送り込むことが出来る。
しかもその戦力は陸戦部隊の数倍にもなる影響力を持つ。
その力を思う存分発揮させ、犠牲が拡大しないうちに撤退させる。
艦載機が地上攻撃をする時にはその程度で良い。
それが陸戦部隊を統括するロベルト少将が、第三艦隊に依頼した内容だ。
効率よく効果的に攻撃を加え、頃合いを見て撤退をさせる。
次の戦いに支障をきたすほど、ギリギリを極めなくても良い。
海軍の主力は艦隊戦であって、航空戦力は元々その艦隊を防衛するための戦力なのだから。


「この時点で連邦軍は多大な犠牲を出している。たとえ基地を再起させようとも時間が掛かる。それでいい。」


誰に聞かせる訳でもない、彼の内なる言葉。
望むべくは最大規模の勝利ではある。
しかし、そうでなかったとしても、最低限の結果をもたらすことは、既に出来ている。
北方地域の第七師団を統括するトルナヴァ基地。
たとえこの基地を直そうとも、時間が掛かり過ぎる。
その間に自分たちは次なる目的を果たせば良い。ただそれだけのことである。
動向を表せば、敵はこちらの動きに呼応するしかなくなるだろう。
そうなれば、基地の再建などに時間を費やす余裕など無くなる。



「ん…………あれは」
その時だった。
攻撃しているエリアとは異なるところに目線を向けるロベルト。
一瞬自分の目を疑うほどの光景だったが、直後には笑みに変わっていた。
無数のパラシュートが空から展開され、ゆっくりと地上に向けて降下を続けている。
残念ながら彼らを撃ち落とす手段はない。
こちらの移動砲台も空中に浮かぶ敵に命中させるのは不可能だろう。
大きな輸送機は隊列を維持しながら、転進して姿を小さくしていく。


「閣下。増援部隊を確認しました。側面を取られます」
「……………そう来たか。敵にも中々頭の良いやつがいるようだな」
「どうなさいますか」


「そうだな…………側面を取られては前の部隊に挟撃される。左翼部隊は少し間隔をあけ、接近する増援部隊に対処させろ。左翼後方部隊は敵と接敵後、逆に半包囲してこちらに引きずり込め」

「はっ。そのように伝令を出します」


なるほど。敵にもこういう小細工が出来る奴がいるとはな。
遠くから戦況を見極め現場への判断を下しているロベルト少将。
腕を組みながら、徐々に数が少なくなるパラシュートの漂う空を見続ける。
どれほどの部隊員が降り立ったかは分からないが、側面から攻められると最悪分断される危険がある。
決して無視することは出来ない戦力だ。
そしてあの手段は、アスカンタ大陸に上陸する際に自分たちが使った戦法の一つでもある。
ヴェルミッシュ要塞攻防戦の際に使われた作戦。
あの時、人類史上はじめてパラシュート降下による上陸、作戦が実施された。
この時はそのような感覚は無いが、後世にそう伝えられるようになる。
要塞レベルの大きな基地で、しかも地形を利用し周囲からの侵入がし辛いトルナヴァ基地。
砲撃と接近戦によって敵を基地とその前面に封じ込めれば、敵は数を武器とした歩兵戦を展開することが出来なくなる。
その思惑は見事に的中し、それにより絶大な効果を発揮している。
一方で、あの援軍が我が軍の左翼部隊を攻撃するのは明白だ。
そうなれば、正面に対する圧力も減ってしまう。
出来るだけ増援部隊に好き勝手させないよう、食い止めなければならない。


「―――――――――――――。」
そう判断を下した時、同時に彼は自身の内に決意を下していた。
今こそ、自らも戦う時である、と。



「――――――――――突入する!!」
「よし!!!」


連邦軍第七師団直轄の部隊として組織され、トルナヴァ基地防衛のために派遣されてきた独立部隊。
その部隊がトルナヴァ基地に到着する頃、既に時は動き始めていた。
現場空域に辿り着くと、黒煙を激しく立ち昇らせる基地の様子が見え、その時点で既に戦闘が始まっていることを理解した。
もしこれが戦闘の終了間際や終わった後ということであれば、間違いなく増援部隊と位置付けられる彼らは敵中に孤立しただろう。
だが、ランの判断は正しく、グランバート軍はまだ攻撃を始めたばかりであった。
パラシュート降下による作戦を決行し、敵の側面から攻勢を仕掛け陣形を崩す手段に出た。
一方、ツバサとウィリアムズと言う人が指揮をする分隊は、依然として基地内部に長距離砲撃を放ち続けている、グランバート軍の後方部隊に奇襲を仕掛ける作戦に出た。
前衛部隊に砲弾が撃ち込まれなくとも、基地の内部には今も大勢の味方兵士がいる。
一方的に長距離攻撃を仕掛けられたのでは、為す術なく被害が拡大するばかりである。
既に基地で保有する空軍機は破壊され、上空は増援部隊の護衛としてやってきた、第203飛行隊に任せるばかりであった。
その飛行隊も敵機との交戦状態にあり、地上の支援は出来そうにもない。
となれば、自分たちが動くより他は無い。
決断は早かったし、他の者の賛同も得られた。
パラシュート降下をしたことは、他の大勢の敵兵士にも見られている。
恐らく側面を攻撃するという手法自体も読みやすいもので、そちらに注意が向くことだろう。
その意表をついて、本陣の砲兵部隊を仕留める。


「足は竦んでないか?」
「いぃや全然!!」


ウィリアムズ軍曹とツバサを先頭に、上空で確認した砲兵部隊の展開場所まで最短で向かう。
態々迂回することはない。
敵の位置が知れているのだから、そこへ一直線に向かうだけである。
攻め入るにしても時間を掛け過ぎては、逆に自分たちが包囲殲滅される。
何せ数で言えば圧倒的に敵の方が多い陣地に行くのだから。


「えい!!!」
「レン、後ろだ!!」
「っ!!?」


それでも、敵の本陣近くに突入するのはかなり無理のある作戦であった。
ここに兵力を集中させるならまだしも、僅か30人にも満たない二分隊で、砲兵だけを標的として叩こうと言うのだ。
しかしその前に障害が現れることなど、火を見るよりも明らかであった。
敵側の本陣には部隊の司令官もいるし、重要人物もいる。
幾ら前線に戦力を送り込んでいるとはいっても、本陣を守る護衛部隊もいる。
その部隊に斬り込んでいくのだから、危険はいつも以上に襲い掛かるだろう。


「ふぅ、ちゃんと周りにも目をつけてくれ~!」
「む、無理だよそんなの!!」
「じゃあある程度は俺も見てっからよ!」


背後につかれ一太刀浴びせられそうになったレンだったが、彼女を襲い掛かろうとした男の背中には3本の矢が刺さり、意識を失って彼女の目の前で倒れた。この男がその後起き上がるのか、そのまま絶命するのかは分からない。
だが、今は自分の動きを封じられることのほうが厄介だ。
たとえ死に至る攻撃でなかったとしても、それで味方を守られるのならまずはそれでいい。
その矢を放ったのはエズラだ。
得意の射撃系の武器で、次々と敵の兵士たちを射貫いて行く。
彼は近接戦闘は苦手なほうだが、こうして他の誰にも持ち合わせていない距離感での攻撃を得意とする。


「はあぁああッッ!!!!」


一方、その護衛部隊に斬り込んでいく先陣は、ツバサとウィリアムズの二人。
そのすぐ後ろにナタリア、ソロと続いて行く。
“こいつは凄い”
ふと頭の中に思い浮かんだ言葉がそれだった。
ウィリアムズは、時々横目、あるいは後ろからツバサの戦う姿を見ていた。
流れるような身体のこなし、力強い剣戟の数々。
威勢の良さとその力強さは、若々しさを感じさせつつ、力量は経験の長い兵士たちすら凌駕する、ような高みのものであった。
ツバサだけではない。
彼の副官のような立ち位置にいるナタリアという女性も、ツバサに負けず劣らずの達者な剣腕である。
必死に喰らいつきながらも道を切り拓こうとする、レンという女性も見事なものだ。
ソロ、エズラ、他の分隊員も。
彼らの分隊が注目される理由が分かったような気がする。


「…………いい仕事ぶりだ」
その背中を見て、自分も負けていられない、と剣を振るうウィリアムズ。
彼に触発されて戦果を挙げる。
彼を見ていると、不思議と前へ進める、そんな気がしていた。


「な、なんでこんなところに敵がッ…………!!?」
「ぐはっ!!?」


僅か30人にも満たない二つの分隊が、夥しいほどの戦果を挙げる。
側面攻撃が定石だと判断された、その裏をついての攻撃方法だった。
二分隊とグランバート軍の兵員数とでは圧倒的に敵のグランバート軍の方が多く、普通であれば勝負にすらなり得ない戦いのはずだった。
それを彼らは善戦し、あろうことか本陣の護衛部隊の多くを突き崩すという結果をもたらし始めている。
側面から攻め上げてきた部隊への対応に追われていたグランバート軍は、この奇襲部隊に対しての反応が遅れた。
結果的に本陣付近で大混乱が生じ、彼らは戦いの主導権を握ったのである。
混乱が収まらないうちに、砲兵を殲滅してしまおう。
目下、彼らの目的は意外にも早く達せられる。
本陣付近に構えていた砲兵も、敵が近づいたとあれば流暢に基地に向かって攻撃ばかりしていられない。
砲台を防衛するためにも、また本陣を守るためにも戦わなくてはならなくなった。
数で勝るグランバート軍が、僅かな連邦軍兵士の奇襲に対処が遅れた。
その最もな理由は、正確に弱点を見抜き、かつ力量において十二分に上回る彼らの能力があったからだ。


そう。
それを主導しているのは、ツバサ。
彼は個の力において全体を凌駕するほどの力を持っている―――――――――――――。



「砲兵は片付いた!!」
「よし、退くぞ!!」


トルナヴァ基地への砲撃は停止した。
それだけでも多くの兵士たちの窮地を救うことが出来ただろう。
移動砲台も出来るだけ使えないようにした。
ここまでで、彼らは自分たちの分隊員の総数以上のグランバート軍兵士を殺害している。
しかもここは敵の本陣の只中。
目的が達せられた今、ここに長居する理由もない。
目の色が変われば、敵の司令官を狙う方向に引っ張られていたかもしれない。
だが、それはしなかった。
ここで戦い続けることで、逆に孤立する可能性が非常に高かったからだ。
しかし、そう思いながらも、予想していなかったことも起こる。



「な―――――――――――――」



「―――――――――――――。」



離脱しながら戦闘をしていたその時。
ツバサの目線を俊足で通り抜ける何かが見えた。
自分のほぼ真正面を横切る物体。
彼はその瞬間、言い表せない危険を感じ、すぐに身を翻した。
刹那。
右方向に横切ったものの正体が人だと分かり、そしてその人が自分に向かって既に剣を振ろうとしていた。
もし目線で追うことが出来ていなければ、彼の身体にその剣は直撃していたであろう。
振り上げられた一太刀を彼は自らの剣で回避したが、あまりに強い衝撃で剣は後方に弾かれた。
両手から武器が無くなったツバサにトドメを差そうと、その者の二撃目が貫かれる。
だがツバサは半ば転倒するように、後方に退いてそれも割けた。
二回ほどバク天をした後、剣の落ちたところまで退いてすぐに姿勢を整える。


「ツバサっ…………!?」


「………………ふう。危ねえ」



僅かに貫かれずに済んだ。
正確に彼の胸元を貫かんと放たれたその一閃は、彼の回避行動によって防がれた。
だが左脇腹の服は千々に乱れている。
かろうじて回避した、というのが正解だろう。
レンが心配そうに、咄嗟に声をかけたが、彼には聞こえていない。



「チッ。かわされたか」
「何モンだてめえ」



彼らの周囲では今も戦闘中だが、まるでこの二人の対峙した空間は周囲とは異なるものだった。
ツバサに対するはそれほど年齢差を感じさせない、青年かそれ以上かの男性。
軽装で鎧の類を一切つけていない。
動きやすさを重視した身のこなしは、ツバサと性質が同じと見て良いだろう。
銀色に輝く剣は、夕暮れ空に浮かぶ赤い太陽に照らされ時に眩い光を放つ。
ツバサは一瞬で察した。
この相手は、今までの相手とは明らかに異なる、と。



「何者か、など今はどうでもいい。相手を測るには剣を交える。その方法は、今も昔も変わらない」


「…………フン、良いぜ。ほかの連中とは違うみてえだがよ」


やることは変わらねえ。
そう言ってツバサは体勢を整え、剣を構える。
他の人が見れば、あの男の誘いに乗ったようにも見えたツバサ。
ツバサの構えを見て、その男も静かに整えた。
只者ではない。
力量もその雰囲気も、これまでの兵士とは異なる。
気を付けてかからなければ、こちらがやられる。
警戒心を強めながら、彼はその男と対峙をする。


「―――――――――――!!」
「ッ――――――――――――」


初撃、互いの剣が真正面からぶつかり合う。
激しい火花をチラつかせながら、次の一撃。
一撃ごとに伝わる剣の重みが、やはりこれまでの兵士たちとはまるで異なる。
最初の数回はお互いに攻撃をしあっていたが、やがてツバサは防戦がメインとなる。
相手の攻撃はどれも力強く、圧し掛かるようだ。
それに対しツバサは出来るだけ回避しながら、まともに剣戟をぶつけないようにしていた。
力強さという点では、恐らくこの男には勝てないだろうという判断であった。


「噂に聞いただけのことはある。良い腕だな」
「噂、だと…………!!?」
「だからこそ、その芽は早めに摘み取っておくべきだった」


その発言を聞いたとき、彼の中で一つ思い当たることがあった。
ヤルヴィン基地に辿り着く直前のこと。
まるで自分たちの分隊を本体から分断して攻撃を仕掛けてきた時があった。
直前に入手した情報で、若き兵士たちが台頭している、という懸念が敵軍の間で広がっていることを知った。
もしかして、あれを主導していたのもこの男なのではないだろうか、とツバサは思う。
とすれば、この男はかなりの高階級で、指揮官クラスの人間ではないだろうか。
戦いの中でそこまで冷静に分析出来ている自分に驚きもあった。



「ッ……………!!」
「…………ここに兵力が戻りつつある。ナタリアさん、このままでは完全に包囲されるぞ」
「分かってはいるのですが………しかしツバサは今もあの男と戦っている」


私たちだけ後退することなど出来ない。
無論それは分かっているのだが、今の現状が続けば間違いなく自分たちは不利になり危機的状況に陥る。
しかし、砲撃部隊からの砲撃が止まり本陣に奇襲が入ったことが分かると、本陣を防衛しようと兵が戻り始めている。
たとえ彼らの技量で敵を押し通せたとしても、間断ない攻撃に耐えられるはずもない。
この間に側面から攻勢をかけている他の部隊と、基地正面の部隊が押し上げてくれれば、一気に戦線を縮小出来る機会にもなるだろう。
本陣は敵にとっての司令塔とも言うべきもの。
そこには戦力全体を統括する司令官もいるのだから、襲撃されれば防衛に戻るのは当然とも言えた。
それでも、これほどの戦力を前に勇敢に戦えている彼ら。
自分たちを取り囲む敵の数は、二倍、三倍と膨れ上がっている。
彼ら自身が円形に展開し、すべての方向からやってくる敵に対処している、という構図だ。
決して楽なものではない。
次から次へと湧いて出てくるような感覚にさえ陥る現状である。



「…………このままでは」
ソロの言うこともよく分かる。
隣で敵の攻撃を必死に防いでいる彼も、当然ながら疲弊している。
ナタリアは持ち前の実力で相手の攻撃を幾度となく退けているが、他の味方が全員そうであるとは言えない。



「やっ…………!!?」
「危ない!!」


敵兵士の力強い攻撃を前に、レンは防御の状態から剣を地面に落としてしまった。
敵からすればそんな好機を逃すはずがない。
剣を突き立てて、彼女の胸元に実剣が迫る。
それを、すぐ近くにいたレオニスが身体ごと彼女の前に割って入る。


「ぐっ……………!!!」
「レオニスさん…………ッ!!?」


猛烈な痛みと、全身を駆けまわる熱さ。
その感覚に憶えがない訳ではないが、味わうのは久々で、出来れば味わいたくもないものではあった。
レンを襲った剣は、カバーに入ったレオニスの脇腹を貫通した。
全身に襲い掛かる痛みがありながらも、彼はすぐに目の前の兵士の胴体を斬り、瞬時に相手を絶命させる。
幸いというべきか、突きの入り方が身体の正面ではなく限りなく脇に近いところであったため、傷はそれほど深くはなかった。
とはいえ、自身に刺さる剣を抜けば出血が増えるのは当然である。


「止血しないと…………!!」
「いや今はいい。それより早く立つんだ!!」


確かに痛むし気も遠くなりそうなものだが、耐えられないというほどではない。
ここで相手に隙を見せれば、それこそこの陣形を維持出来なくなる。
近接戦闘でどうにか肉薄しているという程度の戦い。
それだけでも本来なら凄いことなのだろうが、この状況が長く続くとも思えない。


「やっばいよ、もうちょっとで矢が無くなっちまう!!」
「そうなったらお前さんも近接戦闘に替えるしかないな!」
「………苦手なんだけどな………」


弓を主体にして戦いを続けるエズラだが、致命的な欠点を抱えている。
たとえ彼が優れた弓術を披露出来たとしても、それは放つ矢があってのこと。
肝心の矢を切らすようではその力の行使も出来ない。
そしてエズラは限りなくその状況に近づいていた。
弓のほかに短剣を所持しているエズラではあるが、本人はその腕に自信を持っていない。
いざという時の手段、という程度にしか考えていないのだ。
その時が来るのだと分かると、急に足が竦むようだった。
苦手なものを強いられるほど自信を無くすものもない。
そうした危機的状況が各々で起き始めていた。
このままではこの陣形を、分隊を維持することは出来ない。
犠牲者が出ていないのが不思議なくらいだった。



「さてはテメェ………ヤルヴィンの手前で仕掛けてきた奴らだな!?」
「正確ではない。確かに、私たちが指示を出し“彼女ら”が実行したのは間違いないが」
「何っ………!!」


男の剣戟は更に力強さを増していく。
互いの剣速こそ互角なものではあるが、剣戟の力強さや立ち回りは、相手に勝てていないとツバサは感じている。
直撃を貰わないように受け流そうとするも、猛烈な力強さの前に真正面から防御姿勢を取ることばかり強いられてしまう。
彼本来の力強さが発揮できない状況が続いていた。
しかし、言うなればそれも戦場における相手の弱点の引き出し方の一つと言えるだろう。
いかに自分が有利な状況で相手を潰しに掛かるか。
それを明確に示されているような気がしていた。


「チッ………いけ好かねえ野郎だ。ッ!!!」
「……………買い被り過ぎたかな、お前たちを。」
「ぐっ………!!?」


「周りを見てみろ。この奇襲が誰の主導によるものかは分からないが、お前たちは既に多数に包囲されている。明らかに無理のある作戦だ。砲撃を止めさせるという戦略は正しいが、そのために動員すべき兵士の数が少なすぎる」


男の切っ先がツバサの顔面に触れる。
左頬に長い切り傷が出来た。
その攻撃を受け、彼は咄嗟に後方に退いた。
痛みも感じるし、流血もしている。
何よりこの状況が良くないものだと理解し、息も上がり始めている。
確かにこの男の言う通りかもしれない。
効果的な作戦かもしれないが、その効果をもたらすのに必要なものを揃えていなかった。


「たとえ個の力で勝るものであったとしても、全体で相手に勝ることが出来なければ、戦争には勝てん。もう少し出来る奴だと思っていたが………」
「だとしたら、まだ覚えが悪いということじゃねえかな…………!」
「…………ふん。まあいい、ここで仕舞いにする」


……………。
彼らの間合いから一歩外に出たところで、再び構え直す敵の兵士。
男の構えから伝わる剣気が、“次は無いぞ”と訴えているように感じられる。
次に放たれる一撃で仕留める。
だとしたら、自分はどう回避するべきか。
あの重たい一撃を喰らえば、その時点で命は無い。



―――――――――――――なぜ真っ先に逃げることを考える?
ツバサは自分の中で自分に叱った。
はじめから逃げるつもりで戦いを挑んで、勝つことなどあり得ない。
彼は決して数多くの経験を積んでいる訳ではないが、それくらいのことは想像がつく。
そのような気持ちで構えては、剣を打ち合う前から自分は敗れている。
相手は確かに強い。
それを越えなければ勝利は無い。
勝利か死か。
結果をもたらせるのは、自身で選択した手段だ。
臆することなど自分らしくもないし、そう真っ先に思ってしまった自分が許せない。
立ち向かえ。
臆するな。
幾多の困難と恐怖を乗り越え、先へ。


『敵襲!!西海岸側から新たな敵が出現!!』


「―――――――――――――!?」


しかし、再度構えられたその剣同士が打ち合うことは無かった。
突如響き渡った新たな情報に、皆がたじろいでしまった。
それはグランバート軍も、そして奇襲部隊としてやってきた僅かな連邦軍の分隊も同じであった。
だが、一つ確実に言えることがある。
グランバート軍が叫ぶその報告は、つまりグランバート軍以外の軍勢が押し寄せてきている、という意味になる。


「…………、この続きはいずれ必ず。」
「!!あ、オイ!!」


あまりの突然の出来事に、ツバサも困惑を隠せない。
そして目の前で今にも攻撃を繰り出しそうだった男は、あっさりとその剣を下ろし、そんな言葉を置いてすぐに後退してしまった。
追いかけるにしても、自分が不利な状況が続いていたことは明白だったので、それ以上突っ込みはしなかった。
周りのグランバート軍の様子がどうにもおかしい。
兵士たちが叫ぶようにして状況を伝えていたのも気になる。
ツバサは再び周囲の敵を斬り倒しながら、状況を把握しようと移動を始める。
途中、ウィリアムズ分隊の負傷した兵士たちの集団に合流しながら、自分の分隊員も集結させる。


「なんだなんだ、何がどうなってんだ?」
「ツバサ。私たちの部隊は海岸線からは展開していないはずです…………」
「そうだよな…………?」

「みんな無事か!?」
「レオニスさんが負傷してる!みんな手を貸して!!」
「よし他のメンバーは周囲を固めて護衛してくれ!ナタリア、ソロ、ついてきてくれ!」


彼らとしても不安要素があまりに強い。
突然そのような報告が飛び交い、そしてグランバート軍は周囲の陣形を乱しながら、恐らくは接敵したであろう海岸側の部隊に向けて足を早める。
もはや目の前の二十数名の分隊には構っていられない、というほどの光景だった。
無論、この間にも彼らに攻撃を仕掛けてくるグランバート兵士はいたが、先程までの包囲されていた状況は徐々に解消されていく。
レオニス伍長が負傷し動けない状態となっているところを、傍にいたレンが負傷手当を始める。
それを援護するように、両分隊の兵士たちが囲んで防御線を敷く。
一方、ツバサ、ナタリア、ソロの三人はそこから離れ、状況が動き始めた方向に移動をする。
ナタリアが言うように、連邦軍はトルナヴァ基地の正面と、自分たちが展開している基地東部側以外には展開をしていないはず。
新しい部隊を投入することも無ければ、迂回して側面を突くほどの余力も余裕も無かったはずだ。
こうして自分たちがある程度の自由を持って奇襲、展開が出来ているのは、空挺降下が無事に成功したからである。
だとすると、西側から接近していた部隊はどこの部隊なのか?
状況が刻一刻と変化する中、ツバサは空気が入れ替わったのを肌身で感じ取っていた。
この瞬間こそがこの戦線のターニングポイントになるだろう、と。
三人は戦況が見渡せる位置まで移動する。
既にツバサらの周囲には敵はいなくなっていた。
そのため、状況がつかみやすい位置まで移動出来たことで、何が起きたのかを確認することが出来た。



「……………あれはどこの部隊だ?」


「…………少なくとも、俺たちの所属じゃないし、連邦軍ですらないんじゃ…………見たこと無いぞあんな服装」


「……………まさか、いや、しかし」


グランバート軍が、圧倒的に押されている。
数に勝る彼らをいとも容易く怯ませるほどの勢い。
それに立ち向かうことすら出来ず、トルナヴァ基地正面の部隊との交戦を避け、後退を続ける部隊。
その側面に割り込んで、縦横無尽に敵をなぎ倒す少数の部隊。
全体数は百人といないだろう。
ツバサたちの分隊員総数よりは多いが、独立部隊の部隊員よりは遥かに少ない人数だ。
そんな少ない人数で突入し、グランバート軍を翻弄している。
最前線で斬り込んでいく兵士たちを見る。
複数人は、戦闘には不向きであろうに、外套をはためかせながら大きな剣を両手で振るう。
機敏でありながら、正確で鋭い剣戟。
敵に囲まれながらも、剣腕一つで危機を切り抜けてしまうほどの技量。
そして団結し立ち向かうことで、少数でありながら強大な脅威であることを示すようだ。
その姿を見て、ナタリアは気付いた。
彼女はつい最近、連邦軍管轄の図書館の資料室で見たものの中に、あのような格好で豪腕を振るう剣士団の存在があることを思い出していた。
その気付きに、最初はあり得ないと思った。
何故なら彼らの所属する国は、今はグランバート軍が占領をしている。
幾つかの戦いで奮戦したものの、国自体は機能を停止するという最悪な状態に陥っている。
多くの死者も出た、と聞いた。
だから、そんな彼らがこの大陸に、この戦いにいるはずがない、と。
しかし、資料で見た特徴とよく似ている。
彼らは恐らく自分たちより遥かに強く、近接戦闘においては右に出る者がいないというレベルの戦闘集団。



「―――――――――――『王国騎士団』」




静かに口にしたその言葉。
それは、トルナヴァ基地攻防戦における最後の局面を作り出す、異邦の騎士団であった。




…………………。

第21話 連邦共和国_動向③


トルナヴァ基地攻防戦は、意外な形で最終局面を迎えていた――――――――――――。



「圧倒的にこちらの軍勢が押されています。戦線が維持できません!」
「………………。」


トルナヴァ基地に駐留する部隊と、攻撃を見込んで送り込まれた増援部隊を相手に、グランバート軍は効果的な戦法でソロモン連邦軍を圧倒していた。
特に砲兵部隊による遠距離攻撃は、基地の数多の施設を破壊し崩壊させるに至った。
決定打となったのは、弾薬庫に直撃し爆発を発生させたことだろう。
ソロモン連邦共和国軍の中でも屈指の大きさを持つトルナヴァ基地ではあるが、遠距離攻撃でそういった施設を攻撃されることを想定していたものではなかった。
近年の戦闘形態が変化し始めているこの動向に、軍側が対策をしていなかったともいえる。
しかし、言ってしまえば基地建設時の基本設計にそのような事項は織り込まれてはいなかったので、対応しきれなかった、ともいえる。
誰かが責任を取れ、と追及されればそのような理由づけがされるのかもしれない。
とはいえ、結果は結果だ。
ツバサとウィリアムズの分隊が敵の砲兵部隊を倒すまで、砲弾は撃ち込まれ、甚大な被害をもたらした。
その一方で、基地内部に突入しようとグランバート軍の陸軍部隊は正面から攻勢をかけ、基地の防衛部隊は翻弄されながらも辛うじてその場を維持することが出来ていた。
いつその均衡が破れるかも分からない。
太陽もほぼ暮れ、これから夜を迎えようかという時、事態は急変した。
突如基地の西側からやってきた正体不明の部隊に、グランバート軍が襲われたのだ。


「潮時だ。全部隊に連絡、直ちに戦場から撤退する。通信封止も解除しろ」


侵攻部隊の司令官であるロベルト少将は、
正体不明の部隊が少数でありながら自軍の部隊を圧倒している様を見て、すぐに決断を下した。
西側より突入してきた部隊と自軍の部隊の数の差は明らかではある。
しかし、この場合は状況が複雑である。
まずトルナヴァ基地目前のソロモン軍部隊とも対峙している。
そちらは押し込みを掛ければ基地内部まで入り込めるだろうが、途中からやってきた空挺部隊に側面を攻撃させられている。
仮に基地の内部に侵入出来たとしても、基地内部で挟撃される可能性がある。
そうなれば退路が無くなる。
その状況下で、今度は西側からの攻撃を受けた。
今の時点で既に挟撃体制が整ってしまっており、この場に居続ければそれが完成してしまう。
三方向からの攻勢を止められるほど、余力がある訳でもない。
兵士たちの負担も相当なものである。
であれば、この辺りが頃合いだと判断するのが的確だろう。
これ以上の攻撃を見込めないのであれば、この場に留まり続けても犠牲が増えるだけである。
トルナヴァ基地への攻撃は概ね成功している。
この基地が再起するには時間が掛かるし、今回の攻撃で敵軍も甚大な被害を受けている。
それだけでも成果はあったと言えるだろう。
誤算と言うべきか、想定外だったのは。


「…………連邦のものでも、グランバートのものでもない。あれは一体…………」


後にその正体が判明した時、ロベルトは因縁じみたものを感じることになる。
当然といえば当然だろう。
自分たちが彼らの土地を踏み荒らしたのだから、その復讐をしたいと思うのも無理はない、と。
“彼ら”に明確な敵意があることは明白である、と。


「部隊を北に60キロほど後退させる。後方の輸送部隊に出立準備の連絡を入れてくれ」
「はっ」
「通信が回復し次第、本国に直通を送る。繋がったら教えてくれ」


………………。
こうしてトルナヴァ基地攻防戦が終局を迎える。
誰もが予想し得なかった終わりの仕方であり、グランバート軍にとっては想定外かつ不都合なことばかりであった。
しかし、ソロモン連邦共和国にとってはそれ以上であり、第七師団の最大拠点であるトルナヴァ基地を失う結果となった。
正確には基地自体は残っているが、機能出来る状態にない。
あれだけの砲撃と空爆をされ、なお原形を留めている箇所も多いが、相当に内部は崩壊している。
弾薬庫の爆発により犠牲者も数え切れないほど出ており、修復するとなれば、それこそこの基地を一から作り直す必要があるくらいには破壊されてしまっていたのだ。
日が暮れ、夜の闇がこの一帯を包み始めていた頃、戦闘が終結したことが全部隊に伝わった。



「……………疲れたな」
「………はい、そうですね………」
「そういや、うちの司令官はちゃんと着陸できたのかな」
「どうでしょう。基地の滑走路は破壊されていましたから………」


どれほどの人を殺したのかは、もう分からない。
顔も覚えてなければ、人の名を知ることも無かった。
彼らの戦果が戦線を維持する直接的な貢献となったのは、疑いようもない。
しかし、咎められることがあるとすれば、ある意味では目先の危機を救い、その後の自分たちの対処を甘く見過ぎたところにあるだろう。
ツバサ分隊の近くに、分隊員が集まる。
すぐ傍にはウィリアムズの率いる分隊も集まり、負傷しながらも分隊全員が生還した。
因みに司令官職にあるラン・アーネルドは、戦闘終了後にどうにか基地の滑走路の障害物を片付けて無事着陸している。


「結局、こんなんなっちまったか…………」
見渡す限り無残な光景だった。
基地の再建など望めないだろうし、ここを維持することに拘ることも無いだろう。
基地は完全に破壊され、グランバート軍にも撤退を許してしまった。
総じてこの戦いは敵軍に分があったと言わざるを得ないだろう。
ツバサは思った。
自分たちの判断は誤りだったのではないだろうか、と。
もっとうまくやりようがあったのではなかろうか、と。
隣にいたナタリアはそれを察したのか。


「私たちは最善を尽くしました。どうにもならなかったことが多かったのも、事実です」
「……………そうだな」
「今はただ、生き残れたことを、良しと思うことにしましょう…………」



そう、静かに彼に伝えていた。
やりきれない思いはある。
それを払拭させようとしても、もうこの場ではどうにもならない。
彼もそれは充分に分かっていた。
だからこそ、彼自身の内なるモノに問いかけるのだった。
彼女が言うように、自分たちではどうにもならないこともあるのだ。
あるからこそ、置かれた状況の中で最善の方法を尽くすにはどうするべきか、と。


「なんとか無事だったようだな。良かった」
「ウィリアムズさん」


彼と同じ考えを持ち、共に敵陣に突入したウィリアムズ軍曹とその分隊。
彼らも負傷しながらも全員生還し、そして基地の砲撃部隊を倒し制圧するという戦果を挙げた。
結果的に最後はグランバート軍の包囲網の中で奮戦することになったが、あの増援部隊がいなければ自分たちは殺されていただろう。
ウィリアムズ自身、手応えを感じてはいたものの、かなり無謀が過ぎたと反省をしていた。
それでも今は生き残れただけでも良いと、ナタリアと同じことを言うのであった。


「大した腕の持ち主だよ、君は。ツバサ伍長、今後もぜひ共にご同道願いたいものだ」
期待しているよ、と一言。
笑みを浮かべながら片手を上げて、彼らの健闘を称えた。
不思議な男だった。
突然現れては、自分たちも同じ考えを持っていて、少数で斬り込もうという提案に乗った。
ウィリアムズだけではない。
他の兵士たちも、負傷してはいたが、彼を見て笑みを浮かべながら、各々が合図を送っていた。
彼がそれ以上の意識をすることは無かったが、個人的な期待の表れがそこにはあった。
ツバサという少年が、間違いなくこれからの連邦軍の台頭者の一人となるだろう、と。



「さて、ツバサ。色々とやらなきゃならないことも多いが」
「ああ。でも、悪いけどちょっと用がある。先に始めていてくれないか?」
「?ああ、構わんが。」


傍にやってきたソロが、ツバサに指示を貰おうとした。
だがツバサは用があるから先に色々と始めていて欲しい、と伝える。
引き締まったその表情。
いつもとは異なる、冷静で真剣な眼差し。
視線の先の何かを見ているようだった。
ソロにそう話すと、ツバサは一人で他の部隊の集まる方へ歩いて行く。



「あーれ、どこいったんだ?ツバサは」
「エズラ、今回も見事だったな。あれはあれで忙しいのだろう」
「そんなもんか。まあいいか」


兵士たちにとって、この“後片付け”の時間帯が最も酷な時間の一つであるかもしれない。
基地は内外に渡り破壊され、凄惨な状況だ。
基地の外壁から周囲の地形では、激しい戦闘が行われた残骸が無数に散らばっている。
もはや特定することも出来ない人のカタチをしたもの。
歩く度に靴底にへばりつく泥じみた液体と、悪臭。
こうした戦闘の痕跡は、一度生み出されてしまえば中々消えないものとなる。
後始末をする時も、一つひとつを綺麗に除去するのは困難のため、多くは地面に穴を掘って、そこに埋める方法が取られる。
無論、その限りではないが。
生き残った兵士たちや軍に従属する者たちの仕事の一つで、自分たちが起こしてきた行為がどれほど凄惨な結果を生み出したのかを実感する場でもある。
そして、生き残ったとはいえ、自分の知る大事な知人や友人を亡くした、という兵士もいる。
亡骸を前に悲しみ嘆く者。
どうすることも出来ない、やり場のない思いを胸に仕舞い込み、処理する者。
愛するものだったのか、その壊れた顔面を見て泣き崩れる者。
―――――――――――あらゆる光景が目に入りながらも、ツバサはある一つの集まりに顔を出す。
兵士として、いや、こういった世界に関わることの一つとして、毎回そのような光景を目にするが、その一つひとつを目で追わなくなった。
一つひとつをすべて記憶し目で追い続けては、心の切り替えが出来なくなる。
彼がこの立場になって学んだことの一つだ。
すべてに起こることが自分事のように捉えてしまっては、自分が保てなくなる。
悲しいことではあるが、目を逸らすことばかりとなっている。
そんな光景を横に過ぎながら、辿り着いた。
数名の兵士が円を作ってそれぞれ話をしている。
その後方では、見慣れない格好をした人たちが、各々に自分たちの装備の点検をしているようだった。
剣にこびりついた血を洗う者、
靴や胴体の鎧の修繕をする者、
そこに見える多くの兵士たちが、彼にとって見慣れない人たちであった。
その集団の中で唯一知っている人物が、同じ独立部隊に所属するヌボラーリ少尉だった。
まだラン司令官はこの場には辿り着いていない様子。
無理もないだろう。半ば強行着陸のような状況だったと聞く。



「…………驚きました。まさかこのようなところで…………」
徐々に聞こえてくる会話。
本来、ツバサのような伍長という階級の人が入るような集団ではないのかもしれないが、彼は静かに、構わず近付いた。
一番の目的は、自分を、自分たちの分隊を助けるために斬り込んできた、その者の正体を知る為だった。
真紅のマントを羽織る一人の青年。
輝かしい鎧に、腰に下げられた大きな剣を収める鞘。
威厳のある姿でありながら、丁寧で優し気な口調で話している様子が見られる。


「ん、ツバサ伍長。こんなところで何をしている」
「え、あ、ああいやなんというか!」


ヌボラーリ少尉が彼の存在に気付き、すぐにそう問いただす。
彼としては直球で自分の目的を告げる、ことは出来なかったので、思わずたじろぐ。
だがその時、彼の顔を見て、青年剣士はふと何かを思い出したように、こう口にした。



「彼らの分隊が敵本陣の砲撃部隊を殲滅したのです。私たちは、勇敢に戦いつつも囲まれていた彼らを助けるべく突入しました」
「本当ですか?マルス殿」
「そんな大それたことを………」


“マルス”と呼ばれる青年剣士。
彼の知り得る限り、そのような士官が連邦軍にいたという記憶は無い。
そもそも青年の身に纏うその姿が連邦軍のものではない。
古風でありながら高い品位に包まれ、それでいてあの姿から繰り出される剣戟は、皆見事なものであった。
マルスとヌボラーリのほかに、三人の男がいて、うち二人は将官クラスのバッジをつけていた。
アルヴェール少将とハルバーグ准将。
共に、この基地に駐留する司令官で、第七師団直轄の指揮官でもある。
マルスの言葉に諸将が疑問を投げかけるが、マルスの目にも言葉にも疑いはなく、真っ直ぐに事実を伝えた。



「ツバサ伍長と言ったな。それは本当なのか?」
「まあ、はい。ちょいと無茶が過ぎたかもしれませんが…………」
「無茶も無茶だな…………」


アルヴェール少将の様子は、それはもう呆れかえった様子で、よく無事だったなと苦笑いばかりしていた。
それは他の人たちも同じであったが、何も彼の行動そのものを否定している訳ではない。
特に、マルスと呼ばれる騎士は彼の行動を特に称賛していた。


「本隊の一方的な被害が出ていた原因をすぐに把握し対処する。少数でありながら勇敢に攻め込む姿勢。私たちも大いに見習いたいものです」

「まあでも、よくやってくれた。おかげで救われた命も多いことだろう。だが、猪突猛進は特に周りを巻き込み、まとめて返り討ちに遭うこともある。あまり無謀に突貫してもらいたくはないものだな」

「…………気を付けます」


彼らの活躍で守られた命も多い。
そのことはアルヴェール少将も認めてはいるが、その身勝手な行動が周囲を巻き込み、時に無残な結果をもたらすこともあるのだということを、彼に告げた。
返す言葉はない。
確かにその通りだ。
“俺は俺の驕りで他の人間たちを巻き込んでしまった”
そう深く反省したのである。
敵と対しても、自分はそれなりに戦える方であることを自覚している。
その自覚が、驕りが、周りの人を巻き込む。
自分と同じペースでついてこられる人が周りにいる、それが当たり前のことではないのだ、と。


「今は指揮官クラスの人間とだけ話がしたい。悪いが下がってくれ」


「…………えっと、あんたの名前は…………?」


最後、アルヴェールに鋭い目つきを向けられながら下がるよう命じられ、身を翻す前に。
彼は騎士にそう尋ねた。
彼にとっては、大勢の軍勢を救ってくれた存在、という大きなことよりも、自分たち僅かな分隊の可能性を信じて突貫してくれた存在、という認識だった。
だからこそ名が知りたかったのだ。
きっと、これからの自分たちの支えになってくれるであろう存在。



「私は、アルテリウス王国軍所属、王国騎士団長のマルスです。貴殿とその仲間たちの勇戦に感謝する」



アルテリウス王国軍第一陸戦師団所属第七陸戦部隊 通称「王国騎士団」
かの国は、一つの大陸の中で他の国や大陸との交流を持たずに長い時を過ごした。
遥かな昔から厳しい気候の中で栄えた国。
その国の発展に少なからず貢献したのが王国騎士団。
騎士団は、近接戦闘のプロフェッショナル。
選りすぐりの人のみが入ることを許される、王国軍の中でも最高の、そして最強の剣士の集団である。
外の世界をそれほど多く知らない彼らは、それでも外敵からの攻撃を幾度となく跳ね除けてきた。
だが、“千年王国”とも呼ばれたその歴史は、遂に対外勢力の前に膝を屈することになったのだ。
先のアルテリウス王国侵攻作戦の際に、王国騎士団はその多くを失った。
騎士団のみならず、王国軍の兵力はその中心部を失い、対抗できる手段を失ったのだ。
アスカンタ大陸が、事実上のグランバート王国の占領下に入ったその時。
王国騎士団の生き残りたちは、未来の帰還を誓って、故郷を離れたのだ。
もしこのことを民たちが知れば、自分たちはいい笑いものとして、後世にまで恥を晒すこととなるだろう。
しかし今は耐えねばなるまい。
いつか来るその時の為に、必要な用意をしなくてはならない。
そのためにも、このようなところで死ぬ訳にはいかない。
王国騎士団の生き残りは、そうしてアスカンタ大陸を離れ、オーク大陸の北西部に上陸した。
連邦軍の協力を得ようとしたのだ。
グランバートの軍勢がオーク大陸の北部を占領し始めたと聞き、またその戦線がトルナヴァ基地まで伸び始めているのを知った彼らは、その時の為に備えていた。
そして今日、トルナヴァ基地攻防戦において、彼らは重要な役割を果たした。
だがその役割は誰かに与えられたものではなく。
彼ら自身が判断し下した決断のもと、もたらした結果である。



「どうだったよ」
「あいつら、王国騎士団って言うらしい。ナタリアの言った通りだな」
「王国騎士団っ………!?」
「やはりそうですか………ですがなぜここに彼らが」
「ま、そのうち分かるだろうさ」


ツバサにもまだ情報は下りていない。
これから公表されるだろうから、待っているだけでも次の情報は得られるだろう。
今分かることは、この瞬間グランバートとソロモン両国の戦争状態に若干の変化が起き始めた、ということだ。
アルテリウス王国は既にその機能を停止している。
しかし、こうして王国に所属していながら故郷から逃れ、こうして再起を図ろうとする人たちもいるのだ。
王国騎士団だけがその思いを抱いているのではない。
本来であれば、いまだ制圧されていないアルテリウス王国北部の残存兵士たちも、すぐに挙兵して王都を取り戻したいと考えている。
そのために行動を起こしたいという気持ちは山々だが、彼らにはまとまった戦力が無い。
失うものが多いと分かっている以上、そこに斬り込むのは無謀というものだ。
グランバート軍の王都占領後の現地報告で、王国騎士団はその多くが殺害されたと伝えている。
だからこそ、今回このエリアに彼らが現れたのは驚きだったのだ。


「通信機能が回復した後、マルス殿には中央の臨時会議に出席してもらいたい。だがその前に………騎士団の代表として、貴官らの本心が知りたい」


ツバサが離れた後、少し遠めではあるが周りは片付けを続けている。
その中、アルヴェール少将、ハルバーグ准将、増援部隊として4個連隊を引き連れ派遣された連隊長ビギナ大佐、第七師団所属独立部隊でこの場にいる限り最高階級となるヌボラーリ少尉、そして王国騎士団長のマルスの五人で話は続いている。
彼らの救援により連邦軍は危機を逃れた、といっても良い。
それほど功績厚いものではあるが、アルヴェールはその助力を心の底から信じていた訳ではない。
自分たちの命の危険にさえ晒されるこの段階において、なぜ王国騎士団は自分たちに手を貸すのか。
その見返りに何を求めるのか。
それが彼には気になっていたのだ。
タダで軍事力が提供されることなど無い。
見返りを求められるのは当然とも言えるだろう。



「まずはじめに、これは我ら王国の意思によるものではなく、私人としての立場で申し上げることであることをご理解下さい。先日の戦いで、我が王国は機能停止に陥りました。グランバート軍が北部地域を統括するのも時間の問題でしょう。残存の第二師団を統括するアルフレッド准将がどれだけ持ち堪えられるかは分かりません。このままでは、王国は内外共に滅び往く運命になる」


「………………。」


「ですが、生き残った私たちはそれを甘受するつもりは毛頭ありません。今すぐにでも我が王国を占領した敵を倒し王国を取り戻したい。しかし、戦地から逃れた我らに今それほどの力は無い。戦争に勝つためには戦うための戦力が必要となる。だから、私たち以外に協力できる軍勢を求めた。その決断から私たちはここに来たのです」


「つまり、連邦軍に手を貸して軍勢を強力なものとする、それが一つの狙いだったという訳ですな」


「はい。我ら騎士団は、危機的状況にある連邦軍に微力ながら力をお貸ししましょう。その代わり、事が成し得た後、アスカンタ大陸奪還にご協力いただきたい」


――――――――――――――。
騎士マルスは、あくまで私人の立場としての言であると強く言った。
これが王国の意思ではない、と。
しかし一方で、この考えや思考は、ここにやってきた王国騎士団の全員が持ち、抱いていることだとも話す。
連邦軍にとってグランバートとの戦いが困難の連続であるのなら、そのために尽力する用意がある。
だが無償でそれをやることはしない。
情勢がこちらに傾き条件が整えば、今度はアスカンタ大陸を取り戻したい。
野心的な発言でもあり、至極真っ当な考えでもある。
彼らの故郷はこのオーク大陸にはなく、千年という長い時間の中でカタチを変えながら生き続けた、アスカンタ大陸の中に在る王国なのだから。



「…………なるほど、それが本心であり要求、ということですな。」
「その通りです。」
「…………貴官らの考えは分かりました。私は決定する立場に無いが、ぜひその胸中を中央政権に打ち明けてもらいたい」


アルヴェール少将は、騎士団長マルスの話にそれ以上突っ込むことはせず、あとは決める者の立場の前で打ち明けてもらいたい、とだけ話した。
もっとも、彼の言う自分が決める立場にはないというのはその通りで、彼には軍を指揮する権限は与えられていても、他国との交渉に応じる用意は無い。
マルスは前提としてこの話を“私人としての立場”で話している。
厳密に言えば、その立場が尊重されるのであれば、アルヴェールが躊躇う“他国との交渉”には該当しない。
しかし彼らは確かに王国騎士団という類稀な戦闘集団でその所属は明白である。
それを私人として一緒くたに扱うことなど出来るはずもない、というのがアルヴェールの考えだった。
それに、もし彼らを協力者として迎え入れるのであれば、グランバートとの間に更なる情勢の変化をもたらす可能性がある。
特に心配なのは、今もまだ生き残り苦しい生活を強いられているはずの、アスカンタ大陸の軍や民たちだ。
王国騎士団としての立場で連邦軍に参列することは、グランバート軍に立ち向かう敵対組織として、北部地域の王国民に更なる報復が行われる可能性がある。
そうなれば、マルスも指摘するように、本当に王国がカタチのうえでも存在しないところまで行き付いてしまう。
そこまでの判断をアルヴェールは出来かねる、とハッキリ自身の立場を主張したのだった。
通信が回復すれば状況を伝えなければならない。
どのみち、その時に今後の方針について話し合いが持たれ、じきに決定が下されるであろう。
どうなるにせよ、軍人は政府の命令に従う必要がある。それだけだった。
そして。
2時間ほど経過し既に夜を迎えていた頃に通信が回復し、テレビモニターの復旧も出来た。


『此度はご苦労であった、アルヴェール少将。結果は憂慮すべきだが、最悪の事態は免れたとみている。』
「はっ、面目ございません。部隊を編成し直し、すぐに反撃の用意を整えます。」
『無論だ。方法については参謀本部より明日以降通達する。基地は破壊されたが現状維持だ。ただし滑走路だけは完全復旧させてもらいたい』
「承知しました。それで、彼らについては………」
『この後、元老院で話し合いの場を持つ。決定は追って知らせる。』


そのモニターの中で、まずアルヴェールが現状報告を行った。
既にトルナヴァ基地は破壊されほぼ機能を停止していること。
グランバート軍は後方に後退したが、更なる攻撃の危険も充分に考えられること。
彼の口から細かに説明はされたが、元老院議員の様子は不満げなものであった。
当然と言えば当然だろう。
トルナヴァ基地は第七師団の総本山であり、そこが失われたとあれば、決して楽観できる状況では無いからだ。
続いて現地に駆けつけた、王国騎士団を代表して騎士団長マルスがモニターに入って、元老院と話の場を持った。
最高議長であり国家最高権力者であるベルフリード総統は、まず謝意を彼に述べた。
つづいて彼に何か功に報いる方法は無いかと尋ね、そこで彼は心の内を明かした。
即答できるような話では無いため、ベルフリードでさえ“追ってお伝えする”としか答えられなかった。
しかしそれでマルスの狙いは伝えられた。
あとは元老院とやらが自分たちをどう扱うか、である。


『レイ大佐のソウル大陸侵攻部隊が行き詰っている以上、陽動は意味を成さなくなってきている。そうなれば、主力がこの大陸に集まるのは避けられん。最前線の司令官として、貴官の手腕に期待する。今度は、よろしく頼むよ』


そうして一方的に会話を終わらせた、元老院。
ソロモン連邦共和国中央政府元老院。
7名の元老院議員によって構成されるこの会議。
密室の円卓会議にて、国の決定を定める非民主的な方法が執り行われているのだ。
基地の報告と彼らを救いに突貫した王国騎士団の主張。



「我が軍は、どちらかと言えば王国救援に消極的だったのだが、まさか彼らの方からこちらに救いを差し伸べてくるとはな」

「彼は私人の立場を強調していた。国としての交渉でないのなら、ただ単にあの部隊を我が軍に引き入れ従属させれば良いのではないのか?」

「仮にも我らの窮地を脱するのに尽力してくれた部隊なのだ。粗雑な扱いをする訳にもいかないだろう」

「かの国は軍人が政権の一端を担うことはしなかったはず。あの男に何の権限も無い。野心は見えたがな」

「ですが、王国騎士団は精鋭揃いと聞きます。彼らの協力があれば戦力も向上するでしょう。使わない手はありません」



国家や軍事に関するあらゆる決定がこの密室の円卓で行われる。たったの7人で。
極めて非民主的であり、この国に住まう国民の多くがそのような状況を既に受け入れている。
というよりは、どのみちその方向性が変わることはない、と諦めているのだ。
しかし国がこれまでに行ってきた数々の施政は、民たちにとって決して悪いことばかりではなく、戦後の大不況を乗り越える数々の経済対策や税制改革などを経て、現在のベルフリード政権は支持を集めている。
支持率も高く60パーセントを超えている、というのが統計のデータにて明らかになっている。
だがそれも、国が戦争への舵取りを行えば大きく変化するものだ。
戦争は一国家としての需要の獲得で大きく肥大化できる要因にもなるが、一方で激しい損耗と衰退をもたらす危険を孕んでいる。
停滞した情勢を動かすべきだ、と激論を唱える人もいれば、争い事を避けて冷静な分析を心掛けるべき、と慎重論を持つ者もいる。
そうした者たちの間で支持が分かれるのは、いわば当然というもので、それによる政権への支持が揺らぐのも当たり前ではあるのだ。


「彼らを迎え入れれば、彼の要求にもあるが、後々アルテリウス王国を奪還するための作戦にも参加しなくてはならない。人道的にはな」
「そんなもの無視すれば良い。交換条件が絶対だと言うのなら、こちらから手を引くべきだ」

「いや、しかし第七師団の損害率を考慮すれば、騎士団の加入の意味は大きい。それに他の国や自治領地にとっても喉から手が出るほど有名で有能な戦闘集団だ。すぐにでも引き入れるべきだろう。それに元々、我らはアルテリウスと同盟関係を結んでいる。交換条件と言えば聞こえが悪いが、彼らが再起するのであれば、行き詰ったソウル大陸侵攻の要にも出来るだろう。大いに効果を発揮できると思うのだが。閣下はどうお考えになりますか。」


「私もその意見に賛成です。彼らは私たちを利用して祖国の奪還を目指しています。私たちとしては、他の師団から増援を呼びそれらを手薄にするよりは、ちょうど良い戦力が現地調達出来たと思えば良い。彼らの力を借りようではありませんか。」


ベルフリードは微笑の表情を浮かべながら、そのように話した。
各々の議員が数々の意見を交わす中で、ベルフリードはそれを総まとめしたかのような言動を用いた。


「しかしながら、王国騎士団という名前を対外的に用いるのは好ましくありません。彼らと我が軍が協力関係にあると知れば、更なる攻撃の呼び水となる可能性もあります。彼らにはある程度の裁量を与えながら、独立した部隊の一つとして扱う…………これで良いでしょう。」


もっともそれは、ベルフリードがこのまま黙って見ていても、議題は平行線を辿るだけだと判断し、自らも考えを述べてその方向へ進めようとした、という一面もある。
つまり、彼にとって好ましい状況を作り出すには、周囲の議員がある程度議論を重ねたうえで、自分に意見を求めてくるようにすることだ。
彼の絶対的な権力を持ってすれば、方向性を定めることは容易である。
しかし、彼のみの意見を述べてそれを承諾させるのでは、議会の意味がない。
帝国であればそれも良し。
だが形の上でも元老院は存在するし、そのための議員が揃っている。
彼らを無視して自らの意見を押し通すのを、他の面々も良しとは思わないだろう。
最終的に自分が思い描く方向に進んでいればいい。
それが出来るのであれば、どれほど長く議論を続けても問題は無いだろう。時間の浪費というだけで。


「我々が王国を取り戻すための力を貸すと分かれば、彼らも最大限我々の為に尽力する。その相乗効果に期待しましょう」
「ところで、加入させるとしたら、彼らはどの部隊に置くのです?」


“王国騎士団”という名称は用いない。
彼らの立場を考えると、彼らがそれを受け入れたとしても心境は複雑であろう。
騎士団長マルスが言うからには各々が理解していることだろうが、彼らは国と国との交渉を持ちかけたのではない。
失われた祖国を取り戻すために、今は一私兵集団としての協力を申し込んでいるのだ。
本来、彼らは圧倒的なまでの戦闘能力で、連邦軍の力を借りずとも相当な戦力を保持する。
他国の人たちからですら、憧れの眼差しを向けられることがあるとさえ言われている集団だ。
その彼らが、騎士団という存在価値を封じられながら、他国の軍勢に紛れて戦うことを強いられるのだ。
祖国奪還のために必要な手段であったとしても、決して気持ちの良いものではないだろう。


「あの独立部隊に入れてはいかがでしょう?騎士団を固定の配置にするよりも、程度自由に動き回れるようにした方が何かと便利かと」
「そうだな。私もその意見に賛成だ。最高議長のお考えは」
「ええ。私もそう思っていました。あの部隊なら彼らも上手く扱ってくれることでしょう」
「それでは早速、司令官たちに伝えるとしましょう。ほかの部隊には王国騎士団の存在は伏せる、それでいいですね?」


こうして、元老院の間で彼らの対応が決定された。
トルナヴァ基地の部隊や他の増援部隊の援護をしてくれたのだから、彼らに対しぞんざいな扱いをすることも出来ない。
だが、利用できるところは隅々まで利用する。
それがお互いにより良い結果をもたらすこととなるだろう。
元老院の考えはまとまり、王国騎士団はその名を伏せ、第七師団直轄の独立部隊を統括する、ラン・アーネルド少佐の指揮下に入ることになった。
参謀本部を通じて所属の部隊とトルナヴァ基地の司令官にそのことが通達される。
元老院の円卓会議が終わった後、ベルフリードは自らの執務室に戻る。
彼は戻ったと同時にある人物を自室に呼んでいた。


「………………」


「それが彼らの選んだ路です。救いの手を差し伸べてきた、その手を払い除けることは出来ません。彼らは有用な人材ですから」


「しかし驚きました。全員が殺害されたとは思っていませんでしたが、まさかこちら側に来るとは」



イグナート・リラン元帥。
現在国政における国防長官と連邦軍司令官の地位を兼ねる、国内の所属軍人の中でも最高位の人物。
すべての権力を束ねる最高指導者はベルフリード総統であるが、リラン元帥に備わる権力も相当に大きいものである。
非民主的な国政において、元老院のあらゆる決定がなされた後、それが軍務に下りて各機関に伝えられるというのが基本的な構図だ。
そのため、あらゆる決定はまずリランのもとに集められ、そこから情報が伝達されるのである。
王国騎士団が突如自分たちの軍勢を救った、という情報も、元老院から下りてきた情報だ。
現場にいる者たちにとってはすぐに知り得たものでも、中央にいる彼らにはすべてを瞬時に知ることなど到底不可能なことである。
下りてきた情報を分析するのも、それを基に采配するのも、軍務の仕事の一つである。
ただ、元老院から既に方針は示されているので、それをどのように実行に移すかが彼らの仕事の一つとなる。



「こちらにとっては好都合でした。彼らが国を従えて交渉しに来たのであれば、私たちも現状でその要求を呑むことは難しかったでしょう。しかし彼らは今となっては私兵集団。将来的に王国の奪還を目指しているだけに過ぎません。」

「では、彼らの存在は伏せ、あくまで自軍の兵士たちであるように使う、ということですね」

「そうです。彼らのカラーまで奪うことはありませんが、その存在は公には伏せることになるでしょう。もっとも、これがいつまで効力を持つかは分かりませんが」


僅かな笑みを浮かべながら話すベルフリードは、達観している様子でもあった。
王国騎士団という存在の加入を大いに歓迎している。
彼らを利用しようという気持ちも充分に考えられる。
しかしそれは我々連邦軍に限った話ではなく、彼らとて同じことを考えているだろう。



「それにしても、当初の見立てからは徐々に情勢が変化し始めていますね」
「…………閣下としては、今のこの状況はどうお考えなのですか」

「あまり良いとは言えません。混沌とし始めた状況は、やがて停滞をもたらす。停滞は思考を冷静にさせますが、同時に物事の進行を阻むことにも繋がります。どちらも中途半端な状態で戦争が継続されることが、最も好ましくない状況でしょう。そうなる前に、こちらから一手打っておきたいところなのですが」


「今はまだ、その決め手に欠けると」


60年もの間、時代の中で絶えず戦いは繰り広げられてきた。
だが、その戦いがいついかなる時も続いてきた訳ではない。
連日連戦しない時が無かった訳ではないが、中には数年間もの間、空白の時を過ごすこともあった。
それが数年に及ぶこともあった。
今回のように、10年単位で時間が空く可能性もある。
だが、ベルフリード総統は停滞する時間を嫌った。
どちらも情勢が決しないまま時が進むのは、互いの国にとっても、またこの国にとっても良いことではない、と。


「ですが、まもなくソウル大陸に楔を撃ち込むことが出来る。そうなれば、グランバートも傾くでしょう」
「……………いよいよ、アレを使うのですか。」

「その当時“50年戦争”と言われていた時の最終年………つまり10年前、強大な軍事力を持って我が国に押し寄せ、国力を根こそぎ削ぎ落したかの国が傾いた一つの原因に、“大量破壊兵器”が使用されたというものがあります。」

「もちろん、知っています」


その長い戦いの歴史の中で、人類は非人道的な手段を数々繰り返してきた。
戦争そのものが人道に反する逸脱された行為であるともいえるだろう。
しかし戦争は人類史の歴史の一端に欠かさない存在であり、いつの時代もそうしたことは起こり得るものであった。
その繰り返しが今の国々を形成したとも言って良いだろう。
戦争という歴史造りの中で使用された、大量破壊兵器。
厳密に言えば、一度に多くの人を殺害することの出来る兵器が作られ始め、実際に使用されたのは10年前になる。
かつてソロモン連邦共和国にはエールバシオンと呼ばれる都市があった。
現在のオークランド州に隣接する州の都市で、国内の数多くの町と比較しても中規模な街だった。
10年前、そのエールバシオンの近郊にあったソロモン連邦共和国軍兵器廠の一つが、一晩にして消滅したという事件があった。
兵器廠は新たな兵器開発や武器の試験場として稼動しており、連邦軍にとって重要な軍需工場の一つだった。
最新鋭の研究がなされていることから、対外的にその存在を公にしたことはなく、その兵器廠が狙われることは無いと思われていた。
当時、連邦軍は大陸内にて戦線を拡大し続けていたエイジア王国との戦いに集中していて、その戦線は中部から南東部に集中していた。
兵器廠のあったエールバシオンはソロモン連邦共和国領の中北部に位置し、位置関係で言えば前線に関わることのない場所にあった。
対外的に知られているはずのない兵器廠が突然襲われたのは、今もまだ理由が判明していない。
しかし、確実に言えることは、兵器廠を破壊するために使用されたのが、今でいうところの爆弾で、その破壊力は凄まじいものであったと言うこと。
もしエールバシオン兵器廠が破壊されていなければ、あらゆる兵器開発が10年前の戦時下に行われ、実戦に投入されていただろう。
そうなれば、今とは異なる歴史が生まれていた可能性もある。
兵器廠に勤める人々は1千人ほどであったが、その中から生存できたのは1割にも満たなかった。
原因不明の爆破は、それが外部から受けたものだと分かるまでは、兵器廠内部で爆発事故が起きたものだと思われていた。


そしてそれは、
今も事故であるかのように記録されている。


もっとも、兵器廠という存在を公にする訳にもいかず、ソロモン連邦共和国はこの施設が軍事基地の一つであることだけを公開した。
都市エールバシオンにも爆発の衝撃波が襲来し怪我人が複数出るなど、軍は対応に追われた。
秘匿情報を守るために、また国民からの不安を逸らすために、兵器廠の存在は知らせず、軍の基地の武器弾薬が爆発引火したと伝えた。
以来、連邦軍は軍事工場を街の近くには配置せず、不便であっても山岳地帯や渓谷といった、人里離れた土地に置くようになったのである。
そのほうが防衛線も遠慮なく張れるし、市民にも害が少ないからである。
このような不便な状況を解消するために、航空科学が急速に研究され、発達したという一面もあったのだ。



「過去幾度かの戦いにあったような、市民すらも巻き込んだ無差別攻撃はしません。彼らの悪いところを真似する必要はありませんから」
「無論です。しかしあの攻撃は数に限りがあります。一体どこに使うというのです?」
「ソウル大陸のウィルムブルグ要塞。まずはここに使い、レイ大佐の進撃を阻む敵を排除するとしましょう」


「―――――――――――――。」


8月にも入ったが、ソウル大陸侵攻部隊の統括を行うレイ大佐からは、良い状況報告が行われていない。
ウィルムブルグ要塞周囲の主だった基地は制圧し、現地での行動をある程度可能にするだけの補給も確保している。
順調に進軍出来ているかに思えたが、要塞前の幾つかの防衛線を今も突破できずにいる。
一つは、ウィルムブルグ要塞が主戦場となることが明白であることから、グランバート軍が増援を派遣したことで、戦線が停滞してしまった。
兵員の補充が行われないレイ大佐の部隊は、大きな犠牲を出す訳にはいかず、危険と判断された戦線は比較的早めに放棄してしまっているのだ。
おかげで無駄に物資を損なわず、兵員もそれほど失われることはなかった。
だが結果として良い戦果をもたらすには至らなかった。
その状況を打開すべく、二人の言う“アレ”を投入しようと考えていたのだ。



「こちらの大陸を攻撃する敵が主力でない以上、自国の軍勢が大勢失われたとあれば、状況も変化せざるを得ません。そうなれば、徐々に敵はこちらの領土から離れるでしょう。そうして押し上げた後、騎士団の望むように、王国を奪還する手助けをする。そうすれば、主戦場はこの大陸ではなくなります」


「…………主戦場をこの大陸から別の地方へ移し、民たちを戦争から遠ざける。それが狙いということですね」


「はい。彼らには充分に働いてもらいましょう。勿論、彼らの故郷の土地でもね」



静かに、ベルフリードはそう話した。
この時リランはベルフリードの策略の一部を察した。
とにかく彼にとってこの大陸が主戦場となり続けるのは良くない。
自国の民たちを守るという意味でも。
ここで王国騎士団を迎え、オーク大陸での反撃を始めようとしている。
更に、ソウル大陸で停滞する戦線を活性化させるために、数限りある手段を行使するつもりでいる。
状況が動けば、やがてオーク大陸が主戦場ではなくなる。
反撃が上手くいけば、今度は騎士団の要求通り、アルテリウス王国復権のための戦場を形成するだろう。
だが、アルテリウスが更なる戦いを起こすというのなら、その疲弊は国力そのものを削ぐことになる。
行き付くところまで行ってしまった国が再起できるかは分からない。
出来なかったとしたら、彼らの国の奪還を手助けした見返りに、内面から支配を築く。
そのための布石を打とうとしていたのだ。



トルナヴァ基地外部 野営場


激しい攻撃を受け基地としての機能を停止したトルナヴァは、今となっては生存者たちにとっての野営場と化していた。
たったの数時間でこれまで当たり前だった基地での生活が失われ、崩壊の道へと進んでいる。
復旧作業は空軍の滑走路以外は行われず、他の施設は放棄される可能性があった。
今も生存者の救出や遺体の回収が行われているが、この作業は夜通しで行われる予定だった。
敵が次いつ攻めてくるかも分からない状況だったので、役割を分担しながらの作業となる。
一方で、戦う兵士たちには休息も必要である。
基地が崩壊した中でも、この周辺が最前線であることは変わりない。
いつでも戦いに備える必要があった。
西海岸からトルナヴァ基地まで突然接近しては連邦軍を救う手助けをした、王国騎士団。
総勢50名という少数の部隊ではあるが、彼らが現れなければ、特にグランバート軍の砲兵部隊を襲撃した彼らが救われることは無かっただろう。
騎士団長であるマルスが皆を集め、彼らの臨時の詰所で方向性が示された。



「皆、聞いて欲しい。先程伝えたこちらの意向はある程度汲み取られることになった。今後、我々王国騎士団は、ソロモン連邦共和国軍の一編成部隊として加わることになる。そのため、王国騎士団という名前は暫くの間、封じられる。」


「――――――――――――。」


「当面の目標は、この大陸からグランバートの連中を追い出すことだ。この大陸が主戦場でなくなれば、連邦政府はアルテリウスの領地奪還の助力をすると約束をした。だから我々も彼らに付き従う。皆、良いな」


ここでマルスが確認をしたところで、既に方向性は決しているのだから、内容の確認自体に意味はない。
彼が見たかったのは、この確認をした時の騎士たちの反応だった。
この戦いが始まるより前に、既にその方向性は彼らの中で示されている。
とはいえ、複雑な心境ではあるだろう。
“王国騎士団という名前を封じる”
アルテリウス王国の歴史の中で、繁栄を常に支えてきた騎士という存在。
その存在に憧れてこの部隊に入隊するのを目指した人も大勢いる。
その彼らにとって、自らの矜持を封じられるというのは、穏やかなものではない。
今の状況で彼らの名を名乗ることが難しいのだとしても、誇り高い騎士としての矜持を棄てることは出来ない。



「各々の気持ちも、分かっているつもりだ。私もそうだ。騎士の名を棄て戦いに邁進する…………悔しいはずはない。しかし、これを乗り越えた未来に王国が拡がっているのなら、取るべき道はその一つだ。」


「私たちは、団長についていく、その先に良き未来があると信じて続くまでです」
「そうです、団長!」
「必ず故郷に戻るために戦いましょう!」


各々思うところはあるが、これからの戦いにまずは集中して、その先に良き未来を築くことを目指そう。
それがマルス団長の言葉で、彼のその言葉がより一層の団結を生むのであった。
彼もまた彼自身の内なる気持ちを堂々と仲間の騎士に告げ、騎士たちも自分たちと同じことをマルス団長が思っている、と共感し合えた。
そうして騎士たちを再びまとめ上げるのも、騎士の長たる彼の重要な役割の一つである。
各々に方針を伝え、まずは次なる指示があるまで休息を命じた。
騎士たちを解散させたすぐ後に、団長マルスのもとを訪ねた人がいた。


「マルス王国騎士団長でいらっしゃいますね!私は連邦軍第七師団所属独立部隊指揮官のラン・アーネルドです。どうぞよろしく」
「ラン指揮官ですか。はじめまして、マルスと申します。貴方に私たちの部隊を預けます。他国の軍ではあるが、よろしく頼みます」
「良い部下をお持ちのようですね。何にせよ、このラン・アーネルドが引き受けます」


ラン司令官と共にやってきたのは、彼の副官でもあるカレン。
戦闘中は輸送機に搭乗していて戦闘には参加していなかったが、戦闘外エリアの基地郊外で着陸を試みた。
無事に降り、その後戦場まで戻ろうとしたが、到着した時には既に戦いは終わっていた。
現場の戦闘指揮官たちの判断とその技量で戦いは進められており、ランが逐一指示を出さなくとも状況が進行出来たことは、彼にとっても収穫の一つと言えるだろう。
ランは基地に辿り着き、状況を整理する中で、王国騎士団が加勢したという情報を聞いた。
驚きの連続だった。
何故彼らがここに来て、何故彼らが自分たちを援護しようと思ったのか。
その背後にある状況を考察して、彼はすぐに彼らの思惑を察した。
そしてそれを上層部がどう判断するかもすぐに理解していたし、その予想は完璧に的中していた。
自分の指揮する部隊に編入されるとは思っていなかったのだが。



「具体的な行動計画については、明日以降に協議する必要があるかと思います。つきましては、マルス騎士団長にもその席にご一緒していただきたいのですが、どうでしょうか」

「しかし、よろしいのですか。私たちは謂わばただの戦闘集団。貴国の軍事的な戦略に従い動くだけと考えているのですが」

「もちろん、方針が示されればそれに従って行動してもらうことになるでしょう。ただ、その方針下であっても現場の行動計画を立て、それを実行することが重要です。それには各分隊の意見も聞いて組み込みたいと考えています。その代表として、貴方にご参加いただきたいのです」

「…………なるほど。そういうことでしたら、微力ながら協力致しましょう」


マルスは、そのように話をするランの隣に立つ副官のカレンに目線を向けた。
それに気付いたカレンは少し微笑んで、小さく頷いた。
まるでランの意図を読み取って欲しいと訴えているように、彼には感じられたのだ。
他の国の軍勢に混ざって戦闘をすることは初めてでない人が多い。
しかし、自らの立場を封じてその軍勢の中に入り込むことは、誰もが経験しなかったことだ。
連邦軍という集団の中で、王国騎士団という存在は公にはされず、一戦闘集団として認識される。
固定概念のように、確たる思い込みがそのような認識を生み出していた。
だが、ラン・アーネルドの言葉はある意味でそれを裏切るものであった。
呼び名としてその名前を封じられはしたが、彼はその立場は尊重する姿勢を見せている。
僅か数分のこのやり取りで、何となくではあるが、ラン司令官という人の人となりの一部を見られた気がする。
彼は少しだけ笑みを浮かべ、出来る限りのことはする、と伝えた。
そうしていれば、いつか本当に故郷への道を辿ることが出来るかもしれない。


「それではまた明日に。今日はお休みください」
「感謝します。」


そうして二人はその場を離れていく。
彼らの野営場には幾つものテントが張られていて、既に休んでいる騎士もいたが、各々が夜の時間を過ごしている。
するとマルスの横に一人の青年がやってきた。


「まだ寝ないのか。ユアン」
「いえ。マルス様のお姿が見えたものですから」
「私のことは気にしなくても良い。今は休むことが大事だ」


青年騎士のユアン。
騎士団員の年齢層の中でも特段に若く、彼は18歳だ。
他の騎士たちはその多くが20代で、最高齢は35歳である。
10代はユアンのほかに数名しかおらず、最若年齢層に分けられる。
しかし彼はその若さとは別に騎士たちからの信頼厚く、文武両面においても秀でた才能を有している。
実質的にはマルスの副官と認められるほどの実力者の持ち主である。


「どうですか。彼らの印象は」
「見ていたのか。まだハッキリとはしないが、少なくともあの方たちは私たちの立場を尊重してくれそうだ。上はそうではなさそうだが」
「直属の指揮官は信用に足る、と?」
「今のところは。信頼されると言うのであれば、それに応えるのも騎士の務めだ。」


元々自分たちは外の国から突然やってきた異邦の騎士。
それを受け入れてもらえるというだけでありがたいものだが、それに加えて立場まで尊重してくれるというのなら、この上を望むべきではない。
と、マルスは考えていた。
一方でユアンには自責の念もあった。



「私はまだ不安を拭いきれません。大陸を離れる時の決意がこうして現実の形になった訳ですが、この先どうなることか…………私がこの道を導いてしまっているようなものですから」



責任と重圧。
アルテリウス王国の王都を守れないと分かった彼らは、そこで抵抗し続けて全滅するよりも、再起を図る為に逃げることを選択した。
騎士たちにとっては屈辱的な判断だった。
その判断を第一に提案したのはユアンだった。
彼は、このままここで戦い続けても命を枯らすだけであり、どこかへ逃げて再度戦う機会を持とうと訴えた。
残された50名の騎士だけでは、到底正規軍を討ち破ることなど出来ない。
しかし、他の軍勢がそれに加われば、あるいは届くかもしれない。
そのように判断し、騎士たちに提案し説得したのは彼だ。
もしこの道を辿り続け、皆が不幸な結末を迎えるようなことになれば、自分の判断が誤っていたということになるだろう。



「気持ちは分かる。だが、あの時ユアンの提案に乗ったのは、紛れもなく私もその一人で、他の騎士も同様だ。騎士たちが自らの定めた信念と決意よりも、舵取りをしたお前に非を浴びせると思うか?」


「…………いえ、それは」


「私はこの道が自分たちにとって最良なものであると信じている。実際、私もあの時これ以上の回答を見出すことは出来なかった。皆が信じていたからこそ、今の現状を生み出すことが出来ている。いばらの道かもしれないが、何もすべて悲観したものでもない。私はそう思う」


「マルス様…………」



何はともあれ、まずはここまで辿り着いたのだ。
この先どうなるかは分からないし、それを切り拓くのも我らの為だろう、と。
マルスは重圧に飲み込まれているように見えたユアンを静かに励ます。
彼とて苦しいはずだ。
このような立場になるとは、つい先日までは想像もつかなかっただろう。
しかし団長はこうして今も前向きに捉え、次なる機会を窺っている。
それを見たユアンもまた心を改めようと思った。
そう、まだ先は途方もなく長いものであるが、それがすべて暗闇に覆われている訳ではない、と。


「戦いはまだ続く。この戦乱の世の中でどう立ち回るか。それ一つで情勢は明確に、かつ混沌として動くことだろう。」



事実、オーク大陸における戦闘は、私兵集団と化した王国騎士団の出現により、大きく変化することになる。
それが顕著に現れるまでにはあと少しの時間が必要であった。
そしてその変化の中に、“彼ら”も深く入り込むことになる。


……………。

戦乱の覇者 ~Way of the Heroes~

戦乱の覇者 ~Way of the Heroes~

―――――――――――これは、ある世界で繰り広げられた戦争の歴史と、“英雄”たちの奔走を記した物語である。 『世界は地獄を見た』。 町は炎に焼かれ、 美しい大地は枯れ果てて、 愛していた人々は容赦なく斬り捨てられた。 多くのものを失い、あらゆるものを手放し、もう何を失っているのかさえ、分からなかった。 そんな昏迷の時代が、60年も続いていた。 その時代の中で、“時代の光”になろうとした者たちがいる。 あるところでは、このくだらない戦いを終わらせるため。 またあるところでは、対話のテーブルを用意するため。 それぞれの思惑が交錯する中、それもまたあるところでは、小さく生きる者たちがいた。 これは、昏迷の時代に生きた者たちの記録。 どうしようもない世の中を変えたいと願い、誓い、そして立ち向かった者たちの姿である。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • アクション
  • 青年向け
更新日
登録日
2017-09-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. Prologue
  2. ▶ 構図早見表
  3. ■ Episode:Ⅰ 少年たちのセカイ ■
  4. 第1話 名前
  5. 第2話 村の夕暮れ
  6. 第3話 家での過ごし方
  7. 第4話 村での過ごし方《午前》
  8. 第5話 村での過ごし方《午後》
  9. 第6話 タヒチの壁
  10. 第7話 陽の当たる町で
  11. 第8話 見慣れぬ姿
  12. 第9話 力の素
  13. 第10話 レンの家族
  14. 第11話 日常の変化
  15. 第12話 楽し気なひと時
  16. 第13話 神秘なる存在
  17. 第14話 非日常のはじまり
  18. 第15話 鍛練の意味
  19. 第16話 決意と決断と。
  20. 第17話 旅立ち
  21. interlude 1 平穏の崩壊
  22. interlude 2 短き平和
  23. interlude 3 新たなる戦いの序曲
  24. ■ Episode:Ⅱ 始動 ■
  25. 第1話 士官学校
  26. 第2話 講義
  27. 第3話 作戦行動
  28. 第4話 戦術演習
  29. 第5話 連邦共和国_動向①
  30. 第6話 情勢①
  31. 第7話 ヴェルミッシュ要塞攻防戦《前編》
  32. 第8話 ヴェルミッシュ要塞攻防戦《後編》
  33. 第9話 アスカンタ大陸侵攻
  34. 第10話 近接戦闘演習
  35. 第11話 鉱山遠征
  36. 第12話 グランバート幕間①~宴の場にて~
  37. 第13話 お互いの認識
  38. 第14話 資料室での対話
  39. 第15話 術中
  40. 第16話 旧友への語らい①
  41. 第17話 千年王国の失墜
  42. 第18話 不逞な企て
  43. 第19話 士官学校爆破事件
  44. 第20話 彼らの進む路
  45. interlude 4 ある一つの未来への道
  46. ■ Episode:Ⅲ 時代の波 ■
  47. 第1話 連邦共和国_動向②
  48. 第2話 既定路線
  49. 第3話 辺境の基地
  50. 第4話 入隊
  51. 第5話 初陣
  52. 第6話 北海の海戦
  53. 第7話 後退
  54. 第8話 過ぎ去りし時間を想って
  55. 第9話 情勢②
  56. 第10話 想定外の出来事
  57. 第11話 故郷との別離
  58. 第12話 不穏な動向
  59. 第13話 少女の思い
  60. 第14話 認知
  61. 第15話 対決
  62. 第16話 独立部隊
  63. 第17話 両親の軌跡①
  64. 第18話 予測の内外
  65. 第19話 トルナヴァ基地攻防戦
  66. 第20話 異邦の騎士団
  67. 第21話 連邦共和国_動向③