地の濁流となりて #13

第三部 二千年王朝編 ナブ・エリバ

 古文書の間であることは間違いない。見取り図を持つカタランタがここに連れて来たのだから。そのはずなのだが,パガサもマンガラも,ぺらぺらとした薄いものが恐ろしく山積みになっている場所だとは思わなかった。カタランタに確認しようにも,旅の途中でいく度となく繰り返したので,マンガラさえ「これが古文書の間なのだ」という顔つきを無理にしていた。
 しかし,石の棚に積まれた「薄いもの」,つまり紙の束の量は,この間を知って扉を開けた者も圧倒するほどだった。開け閉めするたびに生じる空気の流れによって,上の方から数枚は必ず床に落ちる。三人が入った時も,ひらひらと宙に舞ったので,原因を知らないパガサとマンガラは,薄暗くて見通せない高い天井に,何かが潜んでいるのかと目を凝らした。
 落ちている紙をたまたま覗いたのも,あるいは二人を驚かせたかもしれない。そこには,見たこともない記号が並んでいたからだ。しかも,落ちている物,落ちている物に,それぞれ別の記号が記してある。生き物をかたどったように見えるのがあれば,丸と四角でできているのもある。流れるような線が,とぐろを巻くようなものさえある。どこか別の世界に入り込んだ気持ちだった。
 無数の紙と珍妙な記号の数々,けれど,あの「輝石」の過去を知る博士がいる場所。踏むと何かが起きるかもしれないので,パガサはマンガラの手を引きながら,慎重にカタランタの後を追う。カタランタはこの「古文書の間」も知っているのか,それとも別の見取り図があったのか,とパガサは又もや疑ったが,実はカタランタも入るのは初めてであった。
 同じ間隔でそびえる巨大な棚と棚の間を,ちらと見やっては反対側を見やる。そして,次の棚の間へと進む。三人はまっすぐに進み続けながら,同様の仕草を何度か行った。そのうちに,カタランタに対するパガサの疑念は解消したが,その一方で,カタランタがこの大きな「古文書の間」に不案内であるなら,博士は見つかるのかという心配が頭を悩ませ始めた。
 「ここで何をされているのですか。私たちと王以外,立ち入りは禁じられていますが。その服装,ヴァルタクーンのものではないですね。あなた方はどこから来たのです。」
 灯に目がくらんだ。あの透明な箱に炎が入っている。声の主が箱を後ろへ動かして,ようやく姿が見えた。頭に円錐形の白い帽子をかぶった古老の男性が,棚の間に立っている。マンガラの手を握るパガサの手に力が入る。しかし,カタランタはその姿を見ると,自分の下げている袋をごそごそして,巻いてある皮を取り出した。
 「これを」と渡された男性は,灯を棚におくと皮を無言のまま受け取り,するすると広げた。と,眼が大きく見開かれた。しばらくして皮から目を離すと,驚いた表情で三人を凝視する。それから皮をするすると巻き,カタランタに戻して言った。
 「あの方が決心されたのですね。でしたら,あなた方に伝えねばなりません。古文書博士のナブ・エリバと申します。ルーパの皆さま,よくお越しになりました。こちらへどうぞ。」
 パガサは耳を疑った。どういうことだろう。あの皮には何が書いてあったのだろうか。「あの方」とは誰で,なぜぼくたちがルーパのものだと。服装からは分からなかったのだから,あの皮にぼくらの素性が書いてあったに違いない。
 「カタランタ,あの皮には何が書かれていたの。どうして,ぼくらがルーパの者だと分かったの。」
 ついパガサは疑念を口にしてしまい,同時に「しまった」と思った。もう何度,カタランタに質問をぶつけたことか。時期が来ればすべて語ると言ったカタランタを,自分がまるで信用していないと受け取られても仕方ない。しかし,当のカタランタは嫌な顔をせずに,「ついて行けば分かる」とだけ言った。
 古文書博士が長い裾を擦りながら,灯を持って棚の奥へ奥へと歩いていく。一体どれほどの広さがあるのだろう。随分と歩いているが。それにこの薄ものの量,収穫した時のリーゾの粒よりも多いのではないか。しかも,自然に増えたのではない,誰かが記し,誰かがそれを集めた。周りを見ながらパガサは考えた。
 「ねえ,古文書って何なの。パガサ,知っている。」
 古文書。さて,この積まれていて,下に落ちているのが古文書だとしたら,いろいろな記号を書いたものということになるが。だとすると,「輝石」に関する過去も,ぼくらの知らない記号で書かれているのだろうか。マンガラの問いに首を振って答えたが,パガサは何かが心にひっかかる気がしていた。
 ゆっくり男性が歩くにつれて,手にした炎が周りをゆらゆらと照らし出す。つい先ほどまでいた「蜘蛛の巣」を通っている時と同じ,けれどあの時よりも,ずっと冷え冷えとしている。まるで,この場所が冷気を必要としているみたいだ。歩きながら,石の棚に手で触れて,冷たさを改めて感じる。どのくらい歩いたのだろう,突然,灯がこちらを照らした。
 「着きました。少しお待ちください。なかに灯をともしてきます。」
 壁に四角い黒い穴が開いている。石の棚の奥にこんな場所があるとは。灯がつけられたのだろう,なかが橙色に染められて,入り口からもれた。ちょうど,この棚の空間と奥の口を区切るように,足元には少し高い敷居が設けられていた。そのうえに文字が刻まれている。そのまま読むと「エイサリト」だが,何を意味しているのかパガサには分からない。
 石の空間のなかに,さらに狭い空間が設けられていた。ほぼ立方体のようなその一層冷えた間には,紙だけでなく,皮,木,石,その他さまざまな物が棚に収められていた。およそ古文書の間とは言い難い,博物館という方が正しい部屋であった。真ん中に黒い石の台がしつらえられ,博士が奥の棚から,石板を重そうに抱えて現れた。台におかれたそれには,先ほどの紙に見たような知らない記号が彫られていた。
 「オンカラ文書です。第二プロメテウス期に起きうる予兆を記しています。」
 オンカラ,プロメテウス,また知らない言葉が出てきた。パガサもマンガラも何も答えなかったので,博士が二人を見て一瞬固まった。それから事情を納得したらしく,「ええ,こほん」と一つ咳をして,ゆっくり説明をした。
 オンカラ文書とは旧時代のヴァルタクーンに遺された碑文である。旧時代の英雄や王の偉業を記す碑文は多いが,この碑文は後世への警告を記した非常に珍しいもの。プロメテウス,すなわち,旧時代の炎の印を用いて,消えない炎の災いを予告している。それが旧時代の後に起こるので,第二プロメテウス期と言い表している。
 それらと「輝石」がどのような関係にあるのだろう。パガサが思った時だった。いつになく無口だったマンガラが,唐突にこう言いだした。
 「あの「輝石」と関係があるの。古文書博士は「輝石」の過去について知っているって,ねえカタランタ。」
 石に囲まれた部屋は静まり返った。目をつむったカタランタが音にならないため息をついた。いきなり核心に触れると思わなかったパガサは,しかし,自分が一番聞きたかったことを代弁してくれたマンガラに,今回は感謝したくなった。博士は,またほんの一時固まったが,「ええ,こほん」と一つ咳をして,なぜかカタランタを見やった。
 「ルーパでいう「透明の輝石」,あれはヴァルタクーンでは「ヴァフィーカ」,つまり,「害なす源」と呼んでいます。旧時代にヴァルタクーンは,自らの制御できない炎の燃えかすを地中深く埋めました。燃えかすとはいえ,それでも災いとなる素を湛えていたからです。」
 博士はそこまで説明すると,何かを思い出したかのように,石板を持ち出した奥へと姿を消した。パガサの頭は恐ろしい勢いで回転していた。「輝石」が「害なす源」,そして,「制御できない炎の燃えかす」。それが,あの白い「輝石」,殻が取れると「黒い輝石」だと。もしもそうだとすると,「輝石」は人が作り出したもの。本当にそうなのか。あれが。そこへ博士が,今度は木の板を抱えて現れた。
 「その石板ですが,実はラユース大陸の言葉で書いてないのです。ですから,私どもも読み解けません。」聞いている皆が,その意外な事実に驚くなか,博士は何も気にしない風に,木板を石板の横に並べた。そして,また思いついたように,「いえ,正しくは,今のラユース大陸の言葉では書かれていません。そこで」と言って,博士は台の上の木の表を指差した。
 「こちらの古文書が役に立ったのです。この箇所を見てください。一つの塊ごとにさまざまな文字や記号が並べられています。このなかの一つの文字が,先ほどの石板と一致しました。どうやら,この木板は石板とは別の用途のために残されたようです。」
 博士はそこまで説明すると,またひとつ「ええ,こほん」と咳をした。
 「その用途なのですが,この木板そのもの性格から分かると,私どもは考えています。すなわち,石板は一つの文字で一つのことを表しているのに,木板の方は十数もの印を用いている事実です。さて,このなかで,私ども古文書に携わる者に読み解けるのはせいぜい二三です。たとえば,ここです。」
 パガサは博士の細い節だった指先を追った。「硬い……は,……を守る……ではない。」所々に古い言葉が用いられているのか,全部は読めないが,たしかに今の言葉に近いのが分かる。博士が少し待って読み解いてくれた。「硬い囲いは,貴いものばかりを守るのではない。」と書かれているという。どうして,こんなにたくさんの文字や記号で。なんのために。
 博士はパガサの考えを察したのか,それとも,次に気になるのは当然「その目的」だと思ったのか,次のように話し始めた。
 「このオンカラ文書に,なぜこれほど多くの言語や記号が用いられていると思います。かつてのヴァルタクーンでは多くの言語や記号が用いられていた,それを示すためという可能性もあります。偉業をたたえる碑文にはそうしたものもあります。ですが,この文書に限っては,読み解いた内容から,私どもはこう結論しました。多くの言語や記号を使うことで,どれか一つででも,記された内容が後の世界に伝わるように願ったのだと。」
 昔の人々が,今のぼくらになんとか伝えようとして,たくさんの文字や記号や印を使った。パガサは驚いていた。そこまでして伝えたいこと,今のぼくらを心配したこと,それは何なのだろうか。やはり「輝石」に関わることなのか。いや,きっと「輝石」に関わるものなのだ。博士の方を見ると,博士もパガサの目を見ていた。そして,おもむろに目を閉じて唱えた。
 「近寄るな。ここにあなたの求めているものはない。硬い囲いは,貴いものばかりを守るのではない。あなたに害なすものから,あなたを遠ざけるためなのだ。もう一度言う,近寄るな。わたしたちが残したのは,消えない炎の燃えかす。あなたの時代まで消えることのない炎の燃えかす。赤くはないが,あなたの身を見えない光でつらぬく。近寄っただけで,あなたの肉はただれ,腹は腐れ,指が落ちる。だから近寄るな。」
 見えない光,近寄っただけで,肉が,腹が,指が。「透明な輝石」のことだ。これはあの「輝石」のことだ。そう直感したパガサは,言葉にしようとして,ふとカタランタを見た。カタランタは前方を見つめたまま体を震わせていた。何かに怒っているようにも,武者震いのようにも思えた。
 「もうお分かりですね。あなた方ルーパの「輝石」は,このオンカラ文書に記された「炎の燃えかす」なのです。旧時代の人間が作り出し,手に負えず土に埋めた「害なす源」です。」
 「埋めたのでしょ。なら,どうして外にあるの。」
 黒石の台を触っていたマンガラが,不意に博士に尋ねた。もっともだ。博士は「地中深く」と言っていた。それにあの警告。あれほどまでに,後世を想って残した警告を,わざわざ破る者があるのだろうか。博士はその経緯も最初から説明するつもりだったようだ。
 「ヴァルタクーンの地で,それが掘り出された記録はありません。ですが,天変地異の記録はあります。今からおよそ百年前,ラユース大陸を大きく揺るがす災厄がありました。それによると,至るところで地が割れ,巨石が地の底より吹き出したとあります。私どもは,この大地を揺るがした天変地異により,「害なす源」が,他の地で現れたのではないかと推測しています。」
 博士のこの言葉に,パガサはあの荒野を思い出していた。遊牧の民の元へ向かう時に通ったアスプレ荒野を。あそこでは,空から降ってきたように巨石が立ち並んでいた。そして,明け方にあった地の揺れ。あの揺れが重なってマクレアの神殿が崩壊したともカタランタは話した。そのような災厄があって,「輝石」が地表に現れた。
 けれど,待て。パガサは咄嗟に気づいた。博士はラユース大陸の「他の地で」と言った。ルーパではなく,ラユース大陸と。ルーパの地の深くにも「輝石」が埋められていて,それが地の揺れにともなって地表に出たとは言わなかった。ぼくらがルーパの人間と知りながら。なぜだろう。
 博士は悲しい表情を浮かべていたが,自分の想念にふけるパガサにその表情に気づくゆとりはなかった。カタランタだけが,博士の表情の理由を知っているのか,一瞥してうなだれた。一連の動きを見ていたマンガラは,やはり何なのか分からなかった。また少し間をおいて,博士が話し始めた。
 「ヴァルタクーン王朝は代々,この警告を継承してきました。ラユース大陸にもルーパにも,ここより他に警告を保存している場所はありません。そして,警告は代々の王に示され,王はその権威と力のすべてを用いて,他国や辺境に働きかけ,その害を取り除くべく努めるのを義務としました。しかし。」
 博士が口をつぐんだ。カタランタが,その続きを博士に代わって話した。
 「現王レボトムス二世は,その「義務」を果たしていない。唯一「輝石」の害を知りながら,ルーパに,お前たちの地へ運ばれるのを見逃した。本来ならば,それが何を引き起こすか警告を発し,絶対に止めなければならない立場の者が。」
 いつの間にか,カタランタは涙を浮かべていた。その涙に不意を打たれ,話している内容がどれほど恐ろしいものであるか,パガサはすぐに悟ることができなかった。カタランタが伝えたのは,ラユースのどこかで地表へ出た「輝石」が,ルーパへ運ばれたこと,それをレボトムス二世が止めなかった事実だった。
 「もうお止めください。私どもは一介の古文書博士にすぎません。王が何を考えられているかは,私どもに測りかねます。ですが,あなた方が,あの方の王印の入った書状を持たれていたことは,私どもには一筋の光明です。復位されるか否かに関わらず,今のルーパを憂いておられることを知って,私はとても嬉しく,頼もしく思います。」
 パガサは博士の最後の言葉が気になったが,明かされた「輝石」出現の真相の方に圧倒されていた。「輝石」は人に作られ,そして,ルーパに押しつけられた。なぜ。どうして。害をなすと知っていてなぜ。それに誰がそんなことをしたのだ。絶対に許されないことを。いつ横に立ったのか,マンガラが優しく肩に触れた。分かっているよ,マンガラ。今は怒っている場合ではない。「輝石」が運ばれたのなら,戻すことも可能のはずだ。取り去ることも可能なはずなのだ。その方法を,ぼくらは探る。
 カタランタがパガサとマンガラの前に来た。そして口にした一言は,「輝石」で頭も心も一杯だったパガサを驚かせ,マンガラを恐怖に陥れた。
 「今まで黙っていてすまなかった。俺は「境の民」だ。」

地の濁流となりて #13

地の濁流となりて #13

「古文書の間」に入ったマンガラたちは,古文書博士ナブ・エリバに会う。そこで明かされた「輝石」の過去は,パガサが想定してきた「輝石」の過去とはまったく異なっていた。真相を知って,ルーパの民はどうするのか。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-08-30

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