帝王、誕生。
半分、というか、ほぼ実話。
正確には、息子ではなく、娘ですが(笑)
872グラムで誕生した娘も、明日で4歳になります。その記念(?)に。
意識が戻ったときには、病室のベッドの上だった。おかしなもので、徐々にはっきりしていく意識の中で最初に思ったのが、どれくらいの時間が経ったのだろうかということだった。まだ呂律の回らない口をようやく開けると、私はそこにいるであろう誰かに問うた。
「今、何時なん?」
わあ、という歓声の後、
「もう、四時過ぎやで。手術が終わってから、二時間ほど経ったとこや。大丈夫か?」
と、男の声がした。旦那だ。
「うん、まだ目は開かへんけど、何とか」
麻酔がきいているのか、開腹されたはずの下腹部にまったく痛みはなかった。そっと触ってみると、やはり何の感触も痛みもない。ただ、不思議なことに、朝までそこに存在していたものが、まるで嘘のように消えて無くなっていた。ぺたんこだ。
「おめでとう!よくがんばったね」
たぶん、母であろう声。その言葉には、涙が見え隠れしている。感激屋の母らしい。
「大したものや、立派な男の子だぞ」
続けて、父の声。どこか誇らしげに聞こえる。子どもが大好きな父のことだ。他家に嫁いだ娘の子どもとはいえ、初孫の誕生を誰よりも喜んでいるに違いない。
まだ開かない目を閉じたままで、私はみんなの声を、じっと黙って聞いていた。どうやら、私は出産したらしい。ただ、自分自身で、その事実を理解できていなかった。私は、本当に子どもを産んだのだろうか?
事の発端は、至極、簡単なことだった。妊娠高血圧症候群。それも極めて重症との診断。お腹の中の赤ちゃんを、私の身体が異物と見なし、拒絶しているのだと担当医師に言われた。もちろん、即、入院だった。降圧剤を飲み、それでも血圧は一向に下がらず、仕舞いにはベッドにくくりつけられるかのように二十四時間点滴を受けなければならなくなった。
そして、今朝、担当医師からの最終通告。
「母体が、もちません。このままでは、お母さんも赤ちゃんも……」
その後の言葉は、なかった。緊急帝王切開。あっという間の出来事だった。
私のお腹の赤ちゃんは、まだ一キログラムに満たない身体で産まれることになった。
「小さかったわりに、めっちゃ元気や。何も心配せんでええよ、大丈夫」
旦那の声が、すぐ近くで聞こえた。やっと、感覚が戻ってきた瞼を開けると、旦那の顔が見えた。嬉しそうに笑っている。母の顔も、父の顔も見えた。もちろん、二人も笑顔だ。
でも、私は笑えなかった。自然分娩ではなく、帝王切開で産んでしまった私に、子どもを産んだという意識は欠落していた。手術によって子どもを摘出しました、といった感覚。もう一度お腹を撫でてみる。さっきまで、そこにいたはずの人が存在していない。まだ、あと三ヶ月も、ここにいなければならなかったはずなのに。彼はすでに出て行ってしまった。否、出て行かなければならなかったのだ。
やっと開いた目から、涙が零れ落ちた。むりやり生への扉を開かされた彼に申し訳なく、ごめんね、と何度も呟く。罪悪感が渦を巻く。そんな私を三人は静かに見守っていた。
コンコン。軽いノックの後、担当の助産師さんが部屋に入ってきた。
「赤ちゃん、見に行きましょうか。元気にお母さんを待ってますよ」
それから、ベッドのままで、私はNICUの彼に会いに行くことになった。心の中では、会わせる顔なんてないとおもいながら。そして、母になったという自覚もない私に、彼を愛することができるのだろうかという不安で、胸の中はいっぱいだった。
彼は、小さな保育器の中にいた。私より先に、彼を見ていた旦那はさほど驚いた様子もなく、もっと近づいて見るように、私を促す。「……小さいね」
「でも、そのわりに元気やで」
眠っているはずの彼は、小さいなりに掌を開いたり、足を動かしたりとせわしなかった。まるでお腹の中にいるときの胎動そのままに。
私と旦那は、顔を見合わせ微笑み合った。何だか、大丈夫な気がした。私は彼の母になれる。彼を産んだのだと、胸をはって言える。
そんな私たちの様子を見ていた助産師さんが、彼にこう囁いた。
「君は、よっぽど早くパパとママに会いたかったんやねぇ」
それを聞いた私は、はっとして彼の顔をまじまじと見た。もしかして、君自身が、自分の目の前の扉(正確にはお腹)が早く開かれるのを望んでいたの?それにしても、かなりのフライングだと思うんですが、帝王(カイザー)くん。
彼がしゃべれるようになったら、聞いてみよう。開かれた扉の向こうに何を待っていたのか。それが、私たちの笑顔だったらいいのにな。心の底から、そう思った。
帝王、誕生。