息をする

 お盆休みを過ぎると、空いていた通勤列車に人が戻って来る。勤め人に混じって制服姿の中高生も見かけるが、学校はまだ夏休み。彼らは部活に通っているのだろう。よく日に焼けた、見るからに体育会系の子もいれば、文化系っぽい子もいる。
 せっかくの夏休みをわざわざ部活とはご苦労な、という気もするが、そういえば自分も同じだった事を思い出す。中学高校と吹奏楽部に入っていて、徒歩と自転車という近距離ではあったが、毎日練習に通っていた。
 
 吹奏楽というのは文化系のようでいて、体育会系の要素が多分にある。楽器の演奏は芸術、といえばそうなのだが、それが可能な肉体を作ることが基本になるからだ。息を吸って、吐く。この当たり前、と思われる動作を意識的に行うのが、管楽器を演奏することで、呼吸に使う筋肉を鍛錬するのに加えて、正しい姿勢を保つための筋力も必要である。
 というわけで、日々の部活はかなり単調な基礎練習が中心だった。気合いの入った学校だとランニングや筋トレもあると聞くが、幸か不幸かうちの学校は全く名門ではなかったので、そこまでのハードトレーニングは免れることができた。
 必ず行うのは各パートに分かれ、メトロノームに合わせてのロングトーン。一オクターブを各音程につき八拍の長さで往復するのだが、最初は一音を八拍伸ばして一往復、次は一音を四拍×二回、その次は二拍×四回、という風に拍数を増やして行く。三連符×八回まで増やしたら、こんどは逆の順番で八拍×一回まで戻ってくる。
 本当に単調な練習だが、実際やってみると意外に難しいというか、その日の体調などによって微妙にできが違うし、やはり身体をうまくコントロールできればそれだけの音が出せるので、馬鹿にできない。あっという間に三十分ぐらいたつし、これに続けて各自の練習など行っているうちに下校時間がやってくる。
 これまた名門校だと夜の七時八時まで練習が続くのだろうが、私の通っていた中学では五時で下校。高校は定時制が併設されていたので六時下校厳守。自転車に乗った我々と、原付でやって来る定時制の生徒が校門ですれ違うのがいつもの風景だった。

 そういうわけで(別に定時制のせいではない)、我が高校の吹奏楽部はさほど練習熱心ではなく、コンクールに出れば銅賞イコール参加賞をいただく程度のレベルだった。つまり、昨今物議を醸している「ブラック部活」ではなかった。毎年、入部者のうち何人かは辞めてしまうし、練習に熱心でない幽霊部員も存在するし、何より、顧問が年に数回しか顔を出さないので気合いもへったくれもない。
 中学で名門校の吹奏楽部に在籍していた友人は「先生に指揮棒で頭を叩かれて、それでリズムとって練習させられたよ。後でコブになってたもん」と話してくれたが、そんな恐ろしい目には遭いたくない。しかしまあ、地道な練習を毎日続けるのもご苦労な事で、一体何が自分をそうさせていたのだろうか。
 まず第一に、友達に会える。夏休みでも、家でブラブラしているより、多少暑くても部活に行って友達に会っている方が面白い。そして第二に、というか多分こちらの方が重要なのだが、合奏する楽しみ。
 吹奏楽部というと、全員が集まって曲を演奏しているところを想像する人が多いだろうが、これは練習の中でも総仕上げ的な部分で、そう頻繁にやっているわけではない。繰り返すようだが、大部分は地道な基礎練習だ。だからこそ、全員で合奏する、「合わせる」という行為には心躍るものがある。
 今まで自分が演奏していた、ほんの欠片でしかなかったものが全体として姿を現す、細い線がいきなり立体として立ち現れたような瞬間である。
 断っておくと、私は飲み会を含め、団体行動というものが全く好きではない。人数が六名を超えるあたりからもう参加意欲が低下する。その理由は、所在ないから、である。参加しろというなら行くが、一体何をすりゃいいんですかね?と本気で困るのだ。
 普通に考えれば「いや、適当に好きな人と好きな事をしゃべってればいいから」という答えになるのだろうが、だったら最初から大勢集めなくていいでしょうよ、と思うのだ。変わってる、と言われても仕方ない。
 その変わってる人が何故、大勢集まって曲を演奏する事は大丈夫なのか。理由はたぶん、役割があるからだ。つまり、居場所があるという事が存在理由なのである。そして音楽は言葉を必要としない。顔色を窺ったり、無難な話題を選んだり、取り繕ったり。誰かと一緒にいるための空虚な言葉を費やすことなく、音楽はただ人と人を結びつけてくれる。

 ふだんの生活で深呼吸することなどほとんどないが、管楽器の演奏というのは深呼吸そのものである。胸いっぱいに空気を吸い込んで、もう何も残っていないというところまで吐ききる。息をする、という行為は生きる事に他ならない。あの単調な練習の中には、こんな単純な原理も含まれていたんだなと、今になって思う。

息をする

息をする

夏休みも部活、してましたか?

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-08-28

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