最強のエンターテイメント
主人公、神宮寺直人(じんぐうじなおと)はレスラー生活10年の中堅プロレスラー。
過去に総合格闘技にも出場した経験もあり、今回初のタイトルマッチに挑む。
チャンピオンは同期入団のエース、財前洋介(ざいぜんようすけ)
シナリオでは神宮寺が財前に善戦するも、惜しくも敗れ去るというブック(結末)だ。
プロレスラーは強くなくてはならない。だが、強さだけを追い求めるだけでは一流のプロレスラーにはなれない。
観客をどうやって魅了させるのかファイティングエンターテイメントであり、それがプロレスだ。
レスラーだけではなく、観客との真剣勝負、それがプロレスラーたる所以だ。
ようやくこぎつけたタイトルマッチに挑むが、エンターテイメントと強さとの間に葛藤する神宮寺はどのような闘い方をするのか。
ザ プロフェッショナルレスラー
俺は神宮寺 直人(じんぐうじ なおと)プロレスラーだ。
俺の所属する団体、WWA(ワールド レスリング アソシエーション)は国内でナンバーワンの人気を誇り、観客動員数や大都市でのビッグマッチでは常にアリーナがフルハウス(満員)になる程だ。
いつも会場では観客の熱狂した声援が送られ、レスラーもそれに恥じぬよう、鍛え上げられた肉体とパワー、テクニックで熱戦を繰り広げている。
かつて俺は中学時代に柔道で初段をとり、高校時代はレスリング部に所属、グレコローマンスタイルでインターハイに出場し、優勝の経験がある。それが各大学の関係者の目にとまり、是非ともうちのレスリング部に来て欲しいとオファーがあった。そして将来的にはオリンピックで金メダルを獲得する程の逸材になるだろうと。
だがオレはオリンピックには興味が無く、子供の頃からの夢だったプロレスラーになりたかった。
レスリング部のコーチや監督からも随分と説得された。
【プロレスラーだと?バカ言うんじゃない、お前をこうして欲しがる大学の関係者達がわざわざこうやって来てるんだ。オリンピックの金メダルとプロレスラー、比べるまでもないだろう、お前は大学に入って、更なる力を身に付ければオリンピック代表に選ばれるんだぞ!そんなにプロレスラーになりたいのであれば、その後からでも十分に間に合うだろう!
お前に託されてるのはオリンピックに出場して金メダルを獲る事だ、わかったか!】
だがオレはオリンピックに出たくてレスリングをやっていたワケではない。
プロレスラーになるための下地としてレスリングをやっていただけだ。
そして皆の反対を押しきる形で卒業後にこのWWAに入門した。
プロレスラーになる為、道場では想像を絶する程の過酷なトレーニング、更に封建的な上下関係もある。
例え年下でも、1日でも早く入門すれば先輩になる。中にはかわいがりと言って、理不尽なシゴキやスパーリングでボロボロになり、1日で逃げ出してしまう、なんて日常茶飯事だ。
それでもオレは念願のプロレスラーになるんだ!その執念だけで道場を逃げ出さずに辛抱強く耐え、ようやくプロレスラーとしてデビューして10年が過ぎた。
プロデビューしてそれなりの地位を築き、人気も出てきた。
しかし俺はまだチャンピオンにはなっていない。
タッグチャンピオンになったことはあるが、シングルのタイトルはまだ無い。
1度でいいからあのチャンピオンベルトを腰に巻いてみたい。
そして観客を熱狂させるような闘いを見せつけてやる!いや、見せる!その自信はある。
プロレスはエンターテイメントであり、強くなくてはならない。
技と力、そして鍛え上げられた肉体のぶつかり合いだ。
かの往年のプロレスラーが言った。
「プロレスとは観客との真剣勝負だ」と。
そしてもう一人の往年のレスラーは
「プロレスはホウキを相手にしても出来る」と。
ただ強さを見せつけるだけではない、相手の技も受けなければならない。
セールと言って、相手の技を上手く受けるのだ。
その受けが上手ければ上手い程、相手の技が際立つのだ。
その受けの為に、オレたちは日頃から身体を鍛え上げている。
ヒンズースクワットやブリッジ、プッシュアップそして受身の練習等々。
闘いを通じて相手とのキャッチボールを行い、そして観客を沸かす。
これはかなり難しいことだ。
一歩間違えたら命を落としかねない、現にリング上で命を落としたレスラーもいるほどだ。
そしてプロレスというのは闘う前からストーリーがあるのが定番だ。
まず、誰と誰を争わせようと、会社側でどの選手がいいか、そしてどうやって売り出すかを考え、オレたちはそのシナリオ通りにマイクアピールや試合に乱入して因縁の対決というアングル(ストーリーライン)を作る。
そしてシリーズ最終戦で雌雄を決する。
それを世間では八百長等と揶揄する者たちがいる。
俺はそんなやつらが許せない!
俺たちは八百長なんかじゃない!
リングの上では常に死と隣り合わせの闘いをしている。
まさに命がけの闘いだ。
そして今回、オレにタイトルマッチ挑戦の話が浮上した。
チャンピオンは財前 洋介(ざいぜん ようすけ)俺と同期に入団した男だ。
こいつはルックスが良く華もある。
レスリングセンスも兼ね備えておりチャンピオンには相応しい風格だ。
対照的にオレはルックスは良くも無く、悪くも無く、闘い方もラリアットやパワーボム等を駆使するパワースタイルと、スピーディーで華麗な技を得意とする財前とは正反対だ。
デビューして10年、オレはようやくセミファイナルやメインイベントに出場出来るレスラーとなっていた。
だがこのままじゃダメだ、一生中堅レスラーで終わってしまう!
オレだってチャンピオンになりたい、いやオレだけじゃない、誰だってチャンピオンになりたいはずだ。
そしてオレは3年前に出場した総合格闘技Diamond(ダイアモンド)のイベントで試合を行った。
相手はブラジリアン柔術をベースとするブラジルの格闘家だった。
オレはレスリングをベースに打撃の特訓もした。
連日のように打撃と寝技、そして実戦的なスパーリングを何度も何度も行い、試合に挑み、そして勝利した。
これを機にオレのレスラーとしての株が上がり、ファイトスタイルを変えた。
オレは中堅レスラーから脱却できるチャンスを掴み、チャンピオンに挑戦出来るまでこぎつけた。
今回のタイトルマッチの調印式でオレと財前は席に座り、数々の記者団の前で俺たちは会見を行った。
テーブルの上には燦然と輝くチャンピオンベルトが置かれていた。
記者から質問が飛ぶ。
「チャンピオン、今回は3回目の防衛ですが、何か対策はあるのでしょうか?」
まぁありきたりな質問だな。
それでもチャンピオンは答える。
「いつも通りですよ。いつも通りの試合をして勝ちます」
爽やかな笑顔を見せ、サラッと言い切った。
相変わらず余裕綽々だ。
アングル
チャンピオンは余裕で笑みを浮かべる。
次は俺に質問がきた。
「神宮寺選手、今回の挑戦は同期の財前選手ですが、何か感慨深い思いはありますか?」
今回オレはヒール(悪役)に徹する。
マイクを片手に立ち上がり、ヤツとは反対的に捲し立てた。
「おいっ!こら!よく見とけ!オレはなぁ、こんなヤツ短時間でぶっ潰して%#●§*:ε‐◎‡Η.・※』|ー〇!?だぞ!わかったか、えー、コラァ!」
…しまった。テンパって何を言ってるのか解らなくなってしまった。
こうなりゃとことん暴れて会見をグチャグチャにしてやるだけだ!
「テメーとはここでケリつけてやろうか、おいっ!」
オレは隣に座ってるチャンピオンの胸ぐらを掴みビンタをかました。
【バッチーン!】
ここで関係者が仲裁に入り、オレをおさえつける。
しかし余裕綽々のチャンピオン軽い笑みを絶やさない。
こっちもヒールに徹する以上、後には引けない。
「どけ、コラァ!」
関係者を振りほどき、パイプ椅子をブン回し、挙げ句にはベルトが置かれていたテーブルをひっくり返し、会見をグチャグチャにして強引に終わらせた。
財前はオレと目が合い、一瞬睨んだものの、フッと鼻で笑うようにして袖に消えてった。
…とりあえず一つの役目は果たした。いわゆるアングルというヤツで演出みたいなもんだ。
だが、本来の仕事は試合だ。
プロレスとはマッチメーカーという人物が存在する。
マッチメーカーとは、対戦カードを組んだり、勝敗の結末を作り上げる人物だ。
言わば構成作家のような存在だ。
そのマッチメーカーから言われたのは、今回のタイトルマッチ、俺はジョブ(負け役)だと伝えられた。
確かに、初めてのタイトルマッチに挑戦して王座を奪うという事はまずない。
そして俺と財前、どちらかを選べとなれば、俄然スター性のある財前を会社は選ぶだろう。
会社の上層部の連中からすれば、財前をチャンピオンとし、プロレス界を引っ張っていけるスターだとプッシュしてる。
わかってはいるのだが、負け役は辛い。
がしかし、これもプロレスだ。
俺と財前が観客を熱狂させるような闘いをすれば、会社も俺の事を更にプッシュせざるを得ないだろう。
もっと会社側がオレをプッシュするには試合で観客をこっち側に引き込むような闘い方をするしかない。
財前コールよりも、神宮寺コールの方が上回れば、会社側としても、次期チャンピオンはオレだ、となるに違いない。
それもこれもオレと財前の試合が噛み合わなきゃ名勝負にはならない。
オレは数日後に大会場のメインイベントでヤツと闘うのみ!
俺は道場へと向かい、ひたすらトレーニングをし、スパーリングをして、コンディションを整えた。
後は財前と試合内容を打ち合わせするのみだ。
打ち合わせとは、最初から最後まで細かい事はせずに、大体こういう試合展開で、フィッシュはこういう技で、試合時間も大体このぐらいにしようと双方が納得いくような試合内容にする。勿論試合を裁くレフェリーもこの事は知っている。
財前とは同期だが、何故かウマが合わない。
入門当時からスター街道まっしぐらの財前に対して俺は雑草の如くシゴかれまくった。格闘技経験としては、オレの方が上だが、プロレスセンス、ルックス等から入団時から待遇が違っていた。
すでに格差があった。
オレはインターハイ優勝という実績を持ち、大学からの誘いも蹴ってこの団体に入団した。
そして財前も高校を卒業と同時に入門した。
格闘家経験での実績はオレの方が断然上だ。
だが、財前はプロレス界で何年に1人という程の天才だった。
格闘家経験は無いものの、ルックスと高い身体能力に加え、センスの良さ。
口々に天才レスラーだと評価され、あっという間に破格の扱いでデビューした。
オレは財前から遅れて数ヶ月後にデビューしたが、前座の試合で2年先輩のレスラーに僅か10分足らずでフォール敗けを喫した。
総合格闘技参戦
財前は俺とは違い、格闘技の経験はなく、元々は陸上出身のヤツだ。
恵まれた身体能力としなやかで鍛えぬかれた体格と爽やかな顔立ちだが、入門当初は身体の線が細く、プロレスラーというよりは、アスリートの様な体型だった。
だが道場での厳しいトレーニングにも耐え、徐々にプロレスラーらしい体型になっていった。
財前はウエイトトレーニングを重点的に行い、細かった身体がパンプアップしたかのように胸板に厚みが増し、上腕二頭筋もそれに伴い太くなっていった。
余分な脂肪が付いておらず、筋肉のみを付けてウエイトアップさせる肉体改造に成功し、プロレスセンスの良さも加えて、デビューはオレたち同期の中で一番早かった。
会社側も財前のスター性に目をつけ、僅か3年でタッグ王者に輝き、その後はシングルプレイヤーとしても、華麗な空中殺法に間の取り方や技をかけるタイミングと、相手の技の受けっぷりも良く、一流レスラーの仲間入りをする。
そしてデビューして5年目で団体のチャンピオンに輝いた。
名実共に団体のエースとしてプロレス界を牽引し、一時期総合格闘技の台頭で低迷していたプロレスを盛り返した立役者だ。
ヤツの必殺技はトップロープに上り、倒れた相手に半身を捻りながら回転して全体重を浴びせる【トルネードプレス】という技だ。
この必殺技で幾多のレスラーを破り、団体の対抗戦にもメインイベントで出場し、チャンピオン同士の闘いという団体を懸けた試合を、この技で勝ち、我が団体は国内でナンバーワンとなり、その年のプロレスMVPにも輝いた。
そして10年経った今、俺はタッグチャンピオンになったばかりの中堅的な選手で、あいつは日本のプロレス界を代表する存在になった。
周りからチヤホヤされて何の挫折もなく他人の敷いたレールに乗っかりチャンピオンになったアイツと、入門当初から徹底的にシゴかれ、時には道場破りの相手をさせられ、スパーリングでは先輩選手にボロボロになるまで相手にさせられてきた俺とは雲泥の差だ。
ただこれは俺の嫉妬も若干入っている。いや、ほとんどが嫉妬だと言っても過言ではない。
だが、俺はアイツと決定的な違いがある。
俺はかつて総合格闘技のリングに上がった経験がある。
3年程前に我が団体は総合格闘技イベント、Diamond(ダイヤモンド)からの打診があった。
ウチの選手を一人出場できないだろうかと。
対戦相手はブラジルの柔術家で、MMA(総合格闘技)4戦全勝の選手だ。
上層部は迷いに迷った挙げ句、俺に出番が回ってきた。
理由は道場でのスパーリングでは誰にも負けなかった。そして試合では使用してないが、独自に打撃の練習もしていた。
その様子を見ていた上層部がオレにこの話を持ち込んできた。
確かにレスリングの経験はあるが、総合格闘技となると闘い方が丸っきり違う。
プロレスのように相手の技を受けてる場合ではない。
打撃を受けたら即、KOもしくは今後のレスラー生命すらどうなるか解らなくなる危険すらあるし、関節技もタップするのが遅かったら骨折や脱臼の危険性も高い。
闘い方が全く違うのだ。
総合格闘技もプロレスも、打投極という、打撃と投げ技、そして関節技や締め技を極めるという点は一緒だ。
オレは迷った。特にオープンフィンガーグローブで相手の顔面にパンチを叩き込む、時にはマウントポジションといって、馬乗りの状態からパンチを振り下ろすというバイオレンス性の高い格闘技だ。
オレは試合でもパンチを出すが、決して拳で顔面を殴ったりした事はない。
パンチを出したかのように見せて、頸動脈あたりに拳を握った状態で掌で打ち付ける。
あんな薄いグローブで相手の顔面にパンチを叩き込む事が出来るのか?また自分もその状況に追い込まれた時、どうやってディフェンスするのか、独自にやってる打撃の練習だけじゃまだまだ通用しない。
断っても良かったのだが、過去にプロレスラーが総合に挑み、幾度となく敗れ去った光景を目の当たりにし、プロレスラーはホントは強くないんだ。プロレスラーが強いというのは幻なんだという風潮を覆したかったという想いはあった。
それと道場内にはスパーリングで俺に勝てる相手がいなくなった程、俺は強くなった。
後は打撃技をマスター出来れば総合格闘技に十分に対応出来る。
俺は総合格闘技のリングに上がる事にした。
対戦相手の柔術家のビデオを観たがこれといった印象もなく、ただ寝技に持ち込み、膠着した状態が続き、判定で勝ちを拾ったようなそんな闘い方だった。
勝てる!100%実感した。
似て非なるプロレスと総合格闘技
総合格闘技イベント Diamond(ダイヤモンド)への参戦が決まってからオレの周辺は慌ただしくなってきた。
今までは一介の若手レスラーが総合格闘技にチャレンジするとあって、一躍注目を浴びた。
今まではプロレス雑種にしか載らなかったオレが、格闘技専門誌のインタビューやらなんやらで忙しくなってきた。
勿論、総合に備えた特訓も行った。
だが、もう少し練習する期間が欲しかった。
プロレスと総合格闘技は似て非なるものだ。
マットに両肩を付けて「1,2,3」なんていうピンフォールも無い、ロープに振って跳ね返ってきた所に技を仕掛ける事も、トップロープに上って空中殺法だなんて事も一切無い。
勝敗はギブアップまたはKOのみで、時間内に決着がつかない場合は判定になる。
オープンフィンガーグローブと言って、相手を掴んだりする事の出来るグローブでパンチを打つ。
倒れた相手に馬乗りになる、いわゆるマウントポジションという体勢で何度も何度も殴り付けるという場面を観てきた。
立ち技と寝技、このどちらも欠けていたら、あっという間に相手の攻撃を食らってしまう。
そして何よりプロレスと一番違う点は、相手の技を一切受けない事である。
プロレスは技を繰り出すのは勿論の事、相手の技を正面から受けるのもレスラーの仕事だ。
その為に道場では想像を絶するトレーニングをする。
相手の技を受けてそれでも立ち上がって向かう。
だが総合格闘技ではそんな事は出来ない。
相手の技をまともに受けたら、即敗けてしまう。
いや敗けるだけならまだしも、下手すれば命に関わる程、危険な闘いだ。
オレは道場から近くにある総合格闘技ジムでブラジル系アメリカ人のコーチから総合の基礎を学んだ。
彼もかつては総合格闘技の選手で柔術をベースに闘っていた。
オレは柔術の事はよくわからない。
特によく言われる、ブラジリアン柔術というのが、柔道やレスリングと違ってどういうものなのか、イマイチピンとこなかった。
俺はレスリングの経験があるが、同じ寝技でも随分違う。
特にポジショニング、レスリングは決して下になってはいけない。ピンフォール敗けになる可能性が高いからだ。
だが、柔術は下からでも関節技や締め技を繰り出し、そのままタップを奪う事を得意としている。
その点に関してはかなりの違いがある。
そもそもレスリングには関節技が無い。
中学の頃に柔道をやっていたが、柔道以上に極める箇所の関節技が多い。
そしてオープンフィンガーグローブを付ける総合格闘技には打撃がある。
打撃、寝技と一通りの練習はしてきた。
だが、所詮は短時間での付け焼き刃程度にしかならない。
相手選手の闘い方をビデオで観て、勝てる!と思ったが、いざ総合の練習をしてみると、思った程の半分以下だった。
頭に思い描いた通りの動きは中々出来るものじゃない。
そのブラジル系アメリカ人のコーチはオレにこんな事を言った。
「リングに上がれば例え親だろうが兄弟だろうか、手足をへし折り頭を踏み潰す!お前にそれが出来るのか?」と聞かれた。
続けて「それが出来ないようではお前はMMA(総合格闘技)のリングで勝つ事は出来ない」
要するに真剣勝負だから気を抜いたら一瞬で負けてしまう。いや、一瞬で命を落とす可能性すらある。
要はその心構えがあるのかどうか?コーチはオレにそのつもりで目の前にいる相手を叩き潰し、関節を極めてへし折る。
極端な事を言えば、相手を殺すつもりで闘え、と。
オレは勝てる自信はあったはずだ。
相手の名前も試合内容も大した印象はなかった。
何度も相手の闘っていたビデオを観た限りでは、間違いなく俺が勝てるだろう、と。
とにかく寝技の状態で膠着する場面が多かった。
勝った内容もほとんどが判定だった。
もしこの試合に勝てば、総合格闘技にチャレンジして勝ったレスラーとして注目を浴びる。
そしてプロレスの試合でも会社側としては、そう簡単に負け役にさせるワケにはいかないだろうと。
チャンピオンへの近道にもある。俺なりの皮算用ってのを頭の中で描いていた。
とはいえ何が起こるのか解らないのがリングの上だ。
勝てる、と思っていたが、練習では思った以上に動きが悪い。プロレスの時のクセが身に染み付いてるからだ。
これを短期間で克服しなければならない。
どうやって対戦相手を攻め込むか、打撃か寝技か…
観たところ、打撃にはあまり自信が無いのか、すぐに寝てしまい、膠着状態でレフェリーが間に入り、仕切り直しでスタンドの状態から再開させるが、それでもまた寝技に持ち込み、再び膠着状態になる。
一体何がしたいんだ、この対戦相手は?
膠着状態が長く続き、少しでもポジショニングで有利に試合を進め、判定で勝つ。
攻めなのか、逃げなのか、全く掴み所の無い選手だ。
先輩レスラーからは「折れてもギブアップするな!」とか「プロレスラーの看板背負ってるんだから無様な試合はするな!」とか色々と言われた。
んなこたぁわかってる。
闘うのはこの俺だからな。
この試合に標準を合わせ、減量してきた。プロレスの試合と違い総合格闘技の試合用に仕上げてきた身体つきに作り上げてきた。
そして試合当日、控え室は異様な空気が漂っていた。
トレーナーからオープンフィンガーグローブを付けられた。
こんな薄いグローブで顔面を殴るのか…下手すりゃ自分の拳を痛めちまうな。
そしてマウスピースを口に入れた。これが一番違和感がある。上手く呼吸出来ない。
プロレスの試合じゃマウスピースなんて入らねえからな。
ふと、嫌な予感がした。
(負けたらどうしよう)
負ける事考えながら試合するバカいるかよ!
アイアムプロレスラー
自分を奮い立たせながら何とか落ち着かせるようにしたが、何故か落ち着かない。
足がガクガク震えてきた。…リングへ上がるのが怖い…
プロレスのリングでは無い、真剣勝負言わばガチンコの試合だ。
そこにシナリオ等無い。
オレはガチの試合をやるのはこれが始めてだ。
確かにプロレスにはシュート(不穏試合もしくはブック破りとして相手を潰す試合)という隠語がある。
オレは入門当初から、先輩レスラーたちに
「何があってもシュートだけはするな。
もしシュートを行ったらお前はこの世界では生きていけなくるなるぞ!」
と口酸っぱく言われ続けてきた。
試合ではなく私闘、つまり個人的な都合で相手を潰すような試合を仕掛けてはならないと言う事だ。
シュートとは言えないが、オレが若手の頃、何人かの道場破りが来た事がある。
皆、腕に自信のある連中ばかりだ。
柔道や空手等の有段者だ。
「プロレスってのはインチキなんだろ?オレの方が強いはずだ!ここのトップと今すぐやらせろ!」
道場破りの猛者達はここで団体のエースを出せ!と意気込んでくる。
だからと言って、はいそうですか、って団体のエースと私闘をするわけには行かない。
勿論、最初は丁重にお断りする。
「我々はここでトレーニングをしているのであって、道場破りの相手をする場所ではありません。どうかお引き取りねがいます」
オレたち若手がやんわりと断り、道場から追い出そうとする。
だが、道場破りは一向に引かない。
「逃げるのかっ!やっぱりお前達のやってる事は八百長なんだろ!じゃなきゃ誰でもいい!オレの相手をしろ!」
こっちが低姿勢で断っているにも関わらず、八百長だの何だのと言われてくると、こっちも黙っていない。
「どうしてもと言うのなら、ウチの若いヤツらと闘って勝ったらエースを出そう。
ただしケガをしてもこちらとしては一切の責任は負わない、それでもいいな?」
当時、道場のコーチをしていた宅間功(たくまいさお)という往年のレスラーがオレたち若手のトレーニングを見ていた。
鬼軍曹と呼ばれる程厳しく、道場内では宅間コーチの罵声が鳴り響いているのは日常茶飯事だった。
スクワットやプッシュアップ、受け身の反復練習、100キロ以上ある大男を乗せたままブリッジで首を鍛え、リング上では地獄のスパーリングが繰り返し行われていた。
オレがいくらインターハイ優勝という実績をもってしても、タックルすら極められない。
それどころか、タックルを切られ、押し潰されてしまう。
そして上に乗っかられ、鍛え上げられた胸板や腹筋が顔を埋められてしまい、呼吸が出来ない。
「どうしたオラっ!返してみろ!」
先輩レスラーが身体ごと顔に押し当ててくるので、苦しくなり、顔をずらし、
「プハァッ!」
と息をする。
「まだ動けるじゃねえか、このヤロー!」
と殴られ、また顔を押し潰される。
そしてまた顔をずらして「プハァッ」と息をする。
入門したての頃は、こうやって先輩レスラーのスパーリングの相手というか、プロレスラーとしての洗礼をうける。
これを【ラッパを吹かせる】と言って、入門してきた新弟子達は誰もがこの洗礼を受ける。
【ラッパを吹かせる】というのは、呼吸出来なくなり、苦し紛れに顔をずらせて、息をする様子がラッパを吹いてるかのように見える為、そう呼ばれてきたらしい。
そしてスパーリングでボロボロにされた後は雑用をこなさなきゃならない。
先輩レスラーの付き人として、試合で使用するトランクスや服等を洗濯して乾かさなきゃならない。
あれ買ってこい、これ買ってこい、と次から次へと言われた通りに雑用をこなす。
付き人というよりは、使いっ走りの様な感じだ。
オレが付き人になった先輩レスラーはそれほどうるさくなかったが、中にはやや性格に難のある先輩レスラーも何人かいる。
ちょっとしたミスでもすぐに手が飛んでくる。
殴られ、蹴られ、顔が腫れ上がってしまうなんて事もしょっちゅうだ。
理不尽な世界ではあるが、それらの事を歯を食いしばって耐えながら、やがて一人前のレスラーとして成長していく。
オレはその中でも、一番辛かったのは食事の時だった。
レスラーは身体を大きくしなければならない。
それは見映えという点もあるが、相手の技を受ける為でもある。
技をかけて、自分は技を受けない。他の格闘技ではそれが当たり前の事だが、プロレスに於てはそれは通用しない。
鍛え上げられた身体で相手の技を真正面から受ける。
そのダメージはものスゴい。だが、相手の技を受けても耐えられるだけの身体にしないと、試合では通用しない。
だからオレたちはボロボロになって、食欲すら無い程のキツい状態でも、ちゃんこ鍋にどんぶり飯を数杯食わなきゃならないのだ。
とてもじゃないが、そんな食欲は無い。
全く喉を通らないのだ。
だが、それでも食べて、戻しそうになるのを堪えてひたすら食べる。
今はプロテインという便利な物があるが、当時はそうやって身体を大きくしていった。
肉体的にも精神的にも辛い時期だ。
夜逃げ同然で逃げ出した者も多く、同期で残ったのはオレと財前だけだ。
普通では考えられない世界だが、この世界では生きていくには避けて通れない。
こういう事を繰り返し、レスラーらしい身体に仕上がり、デビューが決まる。
オレは入門して一年近くかかってデビューが決まった。
財前に遅れる事、半年以上かかった。
その新人だったオレが道場破りの相手をさせられた事がある。
相手は柔道家で黒帯の有段者だ。
宅間コーチはオレに
「お前が責任をもってプロレスラーの怖さというものを教えてやれ!敗けは許されないぞ!」
と言われ、その柔道家とリングの上で闘った。
腕に覚えのある者だから、そう簡単には倒せるのは難しいと思った。
だがリング上で対峙すると、オレの方が背も高いし、筋肉もある。
宅間コーチがレフェリーとなり、道場のリングで試合が始まった。
柔道家は技をかけようとするが、オレはビクともしない。
日頃から道場で尋常じゃないトレーニングやスパーリングをこなしてきた影響からか、ちょっとやそっとじゃオレを倒す事は出来ない。
しばらくすると、相手は息が上がってしまい、
オレは相手を押し潰すかのようにして倒し、背後からのスリーパーホールドで相手を締め落とした。
ある先輩レスラーは、空手家が道場破りに来た際、相手の突きと蹴りを食らっても全く動じず、テイクダウンさせ、アームロックで相手の腕をへし折った。
そうやってオレたちは道場で徹底的にしごかれ、強くなっていった。
…オレは控室で当時の事を思い出していた。
今日闘うブラジルの柔術家は関節技をベースとしたスタイルでくるだろう。
だが、オレも宅間コーチや先輩レスラー達にボロボロになるまでしごかれ、プロレスラーになった。
そんな入門当初の頃を思い出していたら、不思議と足の震えは止まった。
そうだ、オレは道場で強さを身につけたんだ、相手が誰であろうが、オレのようにボロボロにされるまで鍛えられてはいないだろう、自信を持て!
すると恐怖感は少しずつ和らいでいった。
そして時間は刻一刻と過ぎいく。
俺の試合はセミファイナル前に、Diamond無差別級特別試合として行われる。
そしてようやく出番がきた。
プロレスの試合の時と同じテーマ曲が流れた。
今日は手にオープンフィンガーグローブをはめている。
そしてこの大会場の花道をセコンドと共に入場し、リングへ向かった。
場内は割れんばかりの歓声だ。
中にはアンチプロレスファンもいるのだろう、ブーイングも起こった。
プロレスの試合でもこんなに歓声が上がった事は無い。
リングサイドで気合いを入れ、リングインした。
いつもとは違う風景…
そして全身にタトゥーを施したブラジルの柔術ヤローが目の前にいる。
リングの中央で対峙し、レフェリーからチェックを言い渡された。
僅か数センチの距離でオレとその柔術ヤローは目を合わせる。
手足が長く、オレより少し背が高い。
190センチは越えているだろう。
褐色の肌に十字架をタトゥーを胸板に施し、スパッツのようなトランクスを履いて裸足だ。
オレも同じようにスパッツタイプのトランクスにニーパッド、裸足だ。
柔術家は足関節技を得意としている。
レスリングシューズを履いていると、脚をキャッチされた際、アキレス腱固めやヒールホールドに極められやすいので、裸足にした。
互いに睨んだまま、目を逸らさない。
柔術家らしくしなやかな身体でバネがありそうだ。
試合形式は1ラウンド10分、2ラウンド、3ラウンドは5分という変形スタイルで、1分間のインターバルがある。
噛みつき、目潰し、急所攻撃、顔面への肘打ちの禁止、そしてバッティングによる出血の際はリングドクターがチェックして、傷口が深い場合はドクターストップとして試合を終了するというルールだ。
互いに各コーナーに戻り、マウスピースを口に入れた。
「チャンスがあれば初回から行け!」
セコンドのアドバイスに頷き、1ラウンドのゴングが鳴った。
最強のエンターテイメント