Fate/defective c.16

Ⅰ 罪業

 本当に簡単だった、とすら思った。
 あれだけ恐れていたセイバーは、頸椎から血を噴いて死んだ。―――いや、死んだという表現は正しくないか。ここに呼ばれた者は皆、すでに一度死んだものだ。魔力によって形成される肉体のようなものに宿って、願望という心臓だけで動く亡霊に過ぎない。たとえそれが神であっても、だ。神代ならば彼は彼独自の肉体を持ち、生きていた。だが今はただの亡霊だ。亡霊だった。それを、あるべき場所に還しただけのこと。
 あのランサーだってそうだ。最期には自分の毒で死んだ、まるで哀れな男。自己の記憶も曖昧なくせに、一人の人間を救おうとした、英雄と呼べるのかすら不確かな亡霊。
 何のためにこんなことをしているのか僕自身にもわからない。ただ、この聖杯戦争において僕だけが全員に憎まれていることだけが分かる。全員が、僕を倒すべき相手だと認識している。
 それは初めての感覚だった。生前は、自分が愛されていることは当然だった。父にも、母にも、妻にも、何もかもに。僕が殺したのは誰もが悪と認める怪物だけであり、僕は常に人々が正義と感じることを全うして生きてきただけだった。今はどうだろう。僕は間違っているのだろうか。セイバーとランサーは、はたして誰もが悪と認める怪物であっただろうか。
 僕は背後を振り返った。セイバーが倒れていた場所には、もうすでに一滴の血液も、肉片も残されていない。気を失っているセイバーのマスターの少女を抱きかかえる、黒髪の幼い少女と目があった。
「ねえ、監督役」
 僕は普通に話しかけた。
「はい」
 彼女は意外にも動じずに答える。
「僕は間違っているのかな?」
 その質問が既に狂気的であることを、僕はよく理解していた。
「……聖杯戦争において、敵のサーヴァントを倒すことは間違いではありません」
 少女は無表情に答えた。僕は事実を確認した。そうだ。これは聖杯戦争だ。サーヴァントがサーヴァントを倒す。間違いではない。
「僕は彼に幸せになってほしいだけなんだ」
「……ええ」
「それなのにどうして皆、僕を憎むのかな」
「……」
「僕は間違っているのかな?」
 監督役は口を閉ざした。
 次の瞬間、僕は目に見えない速さで彼女の側に近寄り、彼女の細く柔らかい首に手をかけていた。頸動脈が脈打っているのが指先に伝わってくる。首を絞めかけられてもなお、彼女は無表情でこちらを見上げるだけだ。僕は凄む。
「答えてよ」
「……私には個の意見がありません。私はこの危険な聖杯戦争が、世界に何の影響も及ぼさないように監視するだけ。あなたの願いが間違っていようがいまいが、サーヴァントを倒してもこの世界に何の影響もありません。ですが、一般人となると話は別です。あなたはその点において、唯一間違っていると判断された」
 僕は彼女を見下ろした。まるで自分の意思が無い話し方だ。こんな小さい子供のくせに、全く子供らしくない。人格が見当たらないのだ。
「おまえ」
 首筋から手を滑らせ、心臓のあたりに触れる。少女は全く抵抗しない。指を通じて、心臓が脈打っているのが伝わってくる。……死霊や人形の類ではないらしい。だが、微かに違和感を感じる。この少女はいったい何者なのか。どうにも、普通の人間というには何かが違う気がする。
「ま、どうでもいいか」
「……」
 立ち上がって、鎌を携えて歩き出した。雨が弱まり、東の空の雲が白み始めている。夜明け前だ。疑問は、頭から取り憑いて離れない。
 僕は間違っているだろうか?

 ――――いいや、そんなはずはない。

 当然だ。何が違うというのだろう。不幸を、幸福に挿げ替える。善い事だ。何も間違っていない。僕を間違っていると言う方が悪なのだ。そうだ。だからランサーもセイバーも、僕に倒された。
最優のサーヴァントを手にかけた達成感が、やっと心に広がっていく。マスターを名乗るあの老人が何を考えているかは知らないが、どうせ令呪で抗えない。ならば、なるべく早く、全てを倒すまでだ。
僕は天を仰いで、束の間、目を閉じる。
待ってて、僕のマスター。
今回こそはやり遂げてみせるから。
  


「秘技―――燕返し!」
 その声が耳に届いた次の瞬間、顔のすぐ横を何かが走り抜けていった。
 耳元を撫でられたような微かな感触の後に、熱さが迸る。わけがわからず耳元に手を当てると、その手は生温かい鮮血で濡れた。
「な……」
 左耳を斬り落とされた、そう自覚した瞬間に鮮烈な痛覚が襲う。
「っあ、ああぁぁぁ!!!!」
 悲鳴が勝手に喉から飛んでいく。空気の流れすら痛みに変える傷に耐え切れず、僕は思わず両手で左耳を押さえた。悶絶する僕の前に、一人、二人――少女と、剣士が降り立った。
「いざ斬られれば悲鳴を上げる。無様な」
 藍の長髪をなびかせた男は、言葉に侮蔑の念を込めて言い放った。
 このサーヴァントは。このサーヴァントは、少し前に宝具で薙ぎ払ったはずだ。どうして。どうして! あの宝具によってもたらされる傷は自然ならざる治癒を認めない。動けるはずがないのに。
 僕は目を上げて二人を見た。キャスターとアサシン。僕の前に立ちはだかる二人は、しかし満身創痍だった。キャスターは左肩から先が見当たらないし、アサシンはほとんど半壊の身体だ。だが二人は全く苦しんでいない。涼やかな目で僕を見下ろしている。
 何故だ。なぜ。どうして―――
 その時、背後で声がした。
「一息に命を絶たなければ、余計な苦痛を生む。その点において彼は優秀でした」
 ジャラリ、と鎖の音。白緑の衣装に身を包んだ小さな少女は、雨に濡れた金髪を垂らし、その小さな両手には似合わない白銀の巨大な斧を持っている。
 彼女の背後には二人の青年が護衛のように控えていた。まるで、女王と騎士だ。いや―――
 あながち、間違っていないか。
 三騎のサーヴァントに挟まれた、いわば絶体絶命の危機にも関わらず、僕は自分でも驚くほど冷静になれた。耳の痛みすら遠い出来事のように思える。
「……それで? 殺すかい、僕を。三騎、いや―――」
 言いかけて、素早くハルペーを横に振った。ガキン、と金属がぶつかる音とともに、水溜りの中に矢が落ちる。
「四騎、か」
 周囲を見回してもそれらしい影は見えない。当たり前だ、あの死にぞこないは僕より優秀な目を持っているはずだ。三騎士である弓兵を仕留めそこなったのは失態だった。
「まとめてかかってくるってこと。そう。いいね。余計な手間が省ける」
「随分余裕な態度なのね」
 キャスターが顔をしかめた。
 当たり前だ。
「僕を誰だと思っているの? 君達のような亡霊に倒される僕ではない」
「貴様も、私たちと同じ亡霊の一人であろうに」
 アサシンが吐き捨てる。そして刀を構えた。キャスターが陣を描く。ライダーが鎖の音と共に斧をかざす。アーチャーが遥か彼方で弓を引き絞る音さえ耳に届きそうだ。
 今、すべての殺意は僕に向けられた。

「私の数奇な運命よ。私の呪われた玉座よ――」
 
 魔力が心臓に繋がって満ちていく。

「海にレムリア、空にハイアラキ、そして地には―――」

 ”僕のマスター”は、二度とこの結末を望まないだろう。

「秘技―――」

 聖杯にかける僕の望みは、僕の敗北を許さない。
 絶対に、だ。


「第四宝具、展開。此れは冥王との契約、我が身を隠蔽するもの。盲目を招き、必中を絶て。『冥王の隠兜(ハデスクラノス)』」



「まずい!」
 アーチャーはすんでのところで宝具の展開を中止した。必要以上に流し込まれた魔力が回路を逆流し、カガリが呻いて頭を押さえる。
 それと同時に、公園の方角にすさまじい光量と熱が放たれた。
「あ……! 申し訳ありません、マスター!」
 魔力の供給によって肉体がダメージを受けるのと同じように、急激な魔力の逆流は身体を痛める。
 カガリは鼻を押さえながらも、アーチャーに向かって平気だというように手を上げた。鼻腔を塞ぐその細指の隙間から、赤黒い血がつうっと流れ落ちる。
「ワタシは大丈夫。それより、何がありました? ワタシには見えないのデスが」
「バーサーカーが先に宝具を展開し、その効果によって姿を消しました。霊体化ではなく、完全に霊基を消しています」
「ナルホド。それではこちらの宝具が外れる。本当に危険ネ。良い判断よ、アーチャー」
 カガリは滴る血を雑に拭うと、陣を敷いたビルの屋上から音楽堂の方角を見渡した。だがマスターたる彼女には向こうの様子は分からない。
「移動したのカシラ……? 霊体化ではなく霊基すら消してその場に留まるなんて、イエ、宝具ならその可能性も……」
「先ほどの音は四騎士達の宝具のようです。しかしどれも外れています。……霊基ごと消えたのならそれも当然ですが」
 カガリは目を細めて考え込んだ。
「とりあえず、ワタシ達はここで様子を窺いまショウ。むやみに近寄っては危ないワ」


 冥王の武具で隠せないものは無い。それがたとえ霊基であってもだ。
 僕は三人の宝具が放たれる瞬間、霊基ごと身を隠して飛び退いた。的外れな位置―――いや、僕がいた場所、という意味では実に正確な位置に、凄まじい熱と光が放たれる。白銀に輝く断頭の斧、三度の刃、異世界の光線。どれもまともに当たれば即死級の宝具だ。侮っていたわけではないが、僕は少し認識を改める。
 だが、だが―――足りない。これでは足りない。
 僕の六つの宝具には敵うまい(・・・・・・・・・・・・・)
 一騎のサーヴァントに一つ、多くても三つという宝具の常識から見れば規格外と言える、六つの宝具を持つ僕に、たったそれだけの力では敵わない。
 ライダーの斧によって大きな割れ目を作った地面の上に降り立ち、僕は悠然と彼らの姿を眺める。
「消えた……?」
 少し離れた木陰から、青年のささやきが聞こえた。ライダーの後ろに立っていたマスターの一人だろう。もう一人は、既に令呪を失ったマスターの残骸か。
 ライダーが控えめに声を上げる。
「霊基すら確認できません。どこかに移動したのでしょうか……」
「まさか。あの一瞬で? そんな宝具があるのかしら。というより、彼、一体いくつ宝具を―――」
 キャスターは辺りを見回して、一瞬僕と目が合う方向を見た。
「――――気のせいかしら」
 神秘を追求してきた彼女なら、神代の宝具で身を隠した僕の気配すら感知するのか? だがキャスターはすぐに別の方向を見る。生々しい左肩の断面から、ぼたりと血の塊が流れ落ちた。右脇の抉れたアサシンは鋭い目で周囲を警戒し、ライダーは斧を地面に突き立てたまま微動だにしない。
「あの宝具……史実通りなら、彼が冥王ハデスから与えられた、どんなものの姿も隠すという兜だな。身を隠して何処かへ逃げたのだろう」
 火傷痕のある青年……ライダーのマスターが、隣に立つランサーのマスターにそう言った。
「でもまだ彼は『六騎すべてを殲滅する』という命令を果たしていない。その状態でマスターであるアーノルドのところへ戻るだろうか……?」
 ランサーのマスターがそう答える。頭は悪くない。だが、当の本人はここにいるのに、右往左往する彼らが滑稽だ。
「仕切り直すつもりだろう。ライダー、あの魔術師とバーサーカーを探すぞ」
「わかりました」
 三騎の警戒がふっと緩んだ、その一瞬が隙だった。

「宝具、収束」

 僕は割れ目の上に姿を現した。
「な―――」
「やはり」
 マスターは驚愕し、サーヴァントは動じなかった。突然現れた僕に、三騎はすぐに武器を構える。だがどんなに冷静でも、唐突な出来事に対処する行動をとるまでに、必ず一瞬の間が開くことを僕は熟知していた。そしてそれを逃さなかった。
「第二宝具、展開―――此れは天空の一臂(いっぴ)、健脚を導くもの。天を疾り、愚鈍を絶て。『天駆の靴(タラリア)』」
 両足が黄金色に燃え上り、三人の攻撃が届く前に僕は空に向かって駆け出す。連続して宝具を使っても、魔力の供給は全く衰えることがない。天に道があるかのように空中を走りながら、前回の聖杯戦争では感じなかった「喜び」というものを、初めて胸に感じた。力が失われていくあの無力感を、もう感じなくていい。いつ終わりが来るのか怯えながら人間を殺す必要もない。ああ、ただ――己が望みのために疾走する、この高揚よ!
 僕は地上のビル群を見下ろすほどの高度まで到達すると、公園の方角を振り返る。東の空には、重く垂れこめた雲を裂いて一閃の朝焼けが現れている。
「宝具、収束」
 宝具の力を失った体は、地上へ向けて流星のごとく落下していく。直後、太陽の方角から無数の矢の雨が降り注いだ。だが、僕は腕や腿に矢が刺さるのも気に留めず、ただ身体中を駆け巡る興奮した血に身を任せた。
「ああ、世界よ」


「――――――ああ!世界よ!! サーヴァントよ、魔術師よ、マスターよ!!何故僕が間違っているだろうか。何一つ彼に報いなかった世界を憎むことが。何一つ憎まなかった彼に幸福を与えることが! 唯一無二の友人を失った僕が狂気に落ちることが!!僕の所業が、罪だと言うのか? 」

《いいや。……いいや。答えは否だとも、親愛なるバーサーカーよ》

「聖杯は、僕があるがままに、正しく使わせてもらう。君たちは不要だ。僕を否定するものはすべて不要だ。それが僕の狂気だ。だから――」

《―――最後の宝具を》

「第六宝具、展開」

《ただ、願うままでいい――》

「……幸福な人々を望んだ彼のために。―――君たちを、皆殺しにする。」



「『騎英の手綱(ベルレフォーン)』――――――――!」



天馬の嘶きが、夜明けの空に響き渡り―――
全ては、恐ろしいほど輝かしい、黄金色の光に呑まれた。

Fate/defective c.16

Fate/defective c.16

第12章

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-08-25

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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