ネムノキ3
「今日は学校で何も無かったの?お友達に何かしたりしなかった?」
矢継ぎ早にそう質問されて、彼方円花は言葉に詰まった。
「え・・ああ、まぁ。特には」
彼方にしては歯切れの悪い返答にひっかかりを感じたのか、叔母--古谷梅子は眦を吊り上げる。
「何かしたのね?」
「いえ・・・」
「ウソおっしゃい、わかるんですからね」
どうにもこの叔母には隠し事が難しいらしい。いや、自分が顏に出やすいのか。
「・・・・少し、教師と・・・揉めまして」
彼方がそう言うか言わないかの内に、叔母の張り手が飛んだ。パァンと、軽い音が鳴り響く。
「あれほど学校で問題を起こしてはいけないと言ったでしょう?!どうしてそんな簡単なことも出来ないの!ねぇッ!」
梅子の目がギラギラと烈火のごとく燃えている。
彼方は張られて赤くなった頬をおさえて、ぼんやりと梅子の顔を見た。
ああ、いつものだ・・・そう一たび思えば視界は輪郭からぼやけ、何か不明瞭なものが蠢いているようにしか見えなくなる。
こうなってしまえば何も見えないし、何も聞こえない。自分を守るためのいつものやり方だ。
ぼやけた視界はやがて色をさえ失い、声はただの耳障りなノイズへと姿を変える。
ふわり、ふわり・・・ぐにゃぐにゃと形を失い、立っている場所も曖昧になり、自らの存在すらもふわりとした液体の中に溶けていき。
ぼんやりとした靄の中に吸い込まれて・・・生暖かい感触に纏わりつかれ、いつしか意識は途切れていった。
彼方はぱちりと、瞼を開いた。
「・・・・・嫌な夢。」
いや途中から夢じゃないかとは薄々思っていたが。思ってはいたが。
彼方は悪夢の残滓を消し去る為に頭をぶんぶん振った。髪を掴んでわしゃわしゃ。・・・よし!
妙な後味が残るが半ば強引に現実に復帰することに成功する。
「...んっだよ、まだ夜中じゃんか」
枕元の時計を見ると午前二時を過ぎたばかりらしい。
叔母の顏がうすぼんやりと頭に浮かぶ。
それをまた頭を振って、意識から追い出す。
もう一度寝ようかとも思ったが、眠れない。「ちっくしょう」
何も考えたくなくて、布団の中で丸まる。布団に包まる。半スマキ状態でベッドの上を転がりまわる。
「・・・アホらし」
布団をはね飛ばして起き上がる。その勢いで窓際のカーテンがはためき、ベランダの植木鉢がちらりと見えた。
「ああ、これか」
そういえば先週に知り合いからもらったんだった。いらね、つってんのに。
植木鉢にはあまりいい思い出が無い。むしろ色々思い出して軽く、いや、何も思い出さない。何も。
多分さっきの変な夢も、今の気分の悪さも、元を辿ればこの小さな鉢植えから来ているのだろうとはわかっているが。
脆い、自分でも腹が立つくらいに脆い。
こんなことで、簡単にまた引きずり込まれるのか。
むしゃくしゃがおさまらなくなって、彼方は再び布団に潜り込んだ。
ネムノキ3